英国でポスドクをして大学教員になった若手研究者のブログ

ポスドクの研究留学日記的なブログ

2020年3月28日土曜日

安全第一で科学に従い医療・経済を守る

どうも、お久しぶりです。Yskです。
書いておくべきと思うことに出会った時に書くようにしています。今回はCOVID-19です。

もう今さら言うまでもなく、今年の1月から新型コロナウイルスによるCOVID-19が問題になっています。中国を発端に、欧州、アメリカとパンデミックに至り、とんでもない惨事になってしまっています。東京オリンピックもついに延期決定です。日本はまだマシには違いないのですが、ここ数日の都市圏の感染者の急増はとても心配です。増加の一途をたどっており、終息に向かう様子はありません。都知事は都市封鎖(ロックダウン)にも言及し、私達市民の間でも不安が募っています。

Yskの兄は、今現在、集中治療科(ICU)でウイルスと戦っている救命救急医です。図らずもコロナに感染した重症者の命を救う最後の砦として注目を集める、人工心肺ECMOの専門家です。そんな彼が何気なく発した言葉があります。

「ロックダウン(都市封鎖)は結果だからね。」

この言葉がYskに刺さりました。都市封鎖は予防ではないのです。都市封鎖「をする」のではなく、都市封鎖「に至る」のです。現在の欧米は、「ロックダウンになっちゃった」なのです。つまり、そう至らないようにすることが極めて重要だと思います。

そんな中、Yskは
「安全第一で科学に従い医療・経済を守る」
をここ最近のモットーに生活しています。ここで大切なのは、優先順位、因果関係です。この順番を理解していない人が多いのでは?と思うので、久しぶりに書こうと思いました。

私達の生活を支えるのは経済活動です。ですから、経済を守る必要があります。しかし、経済活動は健康上の安全・安心が保証された上に成り立っていることを忘れてはいけません。さっきのモットーの逆を考えてみましょう。

経済(生活)を守るために科学を無視して危険を犯す→活発に動く→ウイルスが蔓延→感染爆発(オーバーシュート)→都市封鎖(ロックダウン)→社会・経済の死(生活の困窮)

お分かりのように、本来守りたかったもの(経済・生活)を逆に全て失う事態が待ち受けています。最終的に、ありふれたごく普通の生活を守るためには、ウイルスの蔓延を防ぐことが何よりも大切です。そしてそれを維持するには、医療の崩壊を招いては絶対にいけません。私達市民一人一人が「感染しないこと」はそれだけで大きな価値なのです。今や経済的にも価値が高いと言っても良いでしょう。もはや社会貢献ですらあります。

感染しないようにするためには、科学に従いましょう。何より安全第一の意識がものを言います。

小規模でこの「逆」をやってしまったのが1月中旬です。オリンピックなど様々な要因があるとは言え、海外からのお客様という目先の小さな経済を守る所から始まった結果が現在直面している現実です。今回はもっともっと大規模です。同じ過ちを二回繰り返してはならないと思います。

現在の科学の力をもってしても、この新型コロナウイルスに対抗するための最良の方法は、人との接触を避けること、しかありません。ワクチンも特効薬も無いからです。科学者の端くれとして無力感を感じずにはいられませんが、これが現実です。ですから、最終的に「大きな経済を守る」のに最良の方法は、「小さな経済活動の休眠」(活動自粛)と言えます。死ぬわけではなく、休眠で踏みとどまれば、目覚めた時に復活できます。至る所まで行ってしまうと、復活できずに更なる深みへと落ちて行ってしまいます。活動自粛の意味するところの大きさを理解して貰えれば幸いです。

現在の日本で行われていることは、基本的にまだ自粛要請です。これ以上蔓延すると本当にまずくなり、都市封鎖まで至ってしまうので、外出を控えてくださいというお願いです。その要請にはもちろん多くの人が協力しています。Yskもこうやってブログを書いて過ごしています。一方で、社会活動の自粛に困る人、不満を持つ人、怒る人、または要請に価値を見いださず、自粛要請を無視する人も少なからずいます。中には鼻で笑うような、または侮辱的な言動をされる著名人もいます。このような人たちは、①自分たちの生活を支える「経済の心配」をしている人、または②「自分が感染しないことの価値」を理解していない人のどちらかだと思われます。

コロナウイルスに対しては、著名も無名も意味を成しません。科学的に正しいか、間違っているか、シンプルにそれのみが意味を持ちます。

前者①の方々の気持ちは非常によくわかります。生活を維持するのに経済が直結するからです。しかし、日本はまだ恵まれている方であり、経済的に大きな困難が生じても、行政による救済措置を受けることが可能です。ここは安全を優先し、科学を信じて我慢して欲しいと思います。もちろん行政はこのような困難に見舞われている市民に対し、迅速に支援策を打ち出し、実行に移さねばなりません。既に動いている自治体も多くあります。経済的困難に直面している方は、執着心を持ってあらゆる情報を得てください。救済措置はきっと見つかるはずです。現代は情報に富める者が利を得る時代です。

後者②の方たちには、ぜひとも上述の優先順位・因果関係と「感染しない価値」を理解してもらいたいと思います。今は感染しないだけで大きな社会貢献です。経済的にも価値があることです。人のためになるのです。

一つ紹介したいYskの師匠の言葉があります。
「大変な時にはよ。最終的に、『あーはっはっ!心配しすぎて色々と余計なことやっちゃったねー。』でいいじゃねえか。」(3.11東日本大震災時)
さらっとそれを言えるところが、かっこいいと思っています。
(自粛要請を無視した活動より、後ろ指をさされる下品な買い占めの方がまだずっとマシですね。)


それでも、これを書いている段階での日本は約2ヶ月間、よく持ちこたえている方だと思います。日本人の習慣が好影響を与えているのだと思います。具体的には、手洗い、うがい、毎日の入浴(湯船に浸かる)、マスクでしょう。特に入浴についてはいまだ見落とされていると思います。体が温まるし寝付きもよくなり、免疫力が高く維持されるでしょう。

ウイルスにマスクは効かないと言うのは、ウイルスのサイズよりマスクの穴のサイズが大きいからです。でも、マスクは多重構造なので、マスクの繊維にウイルスが留まって人体への侵入が妨げられる可能性は十分あります。咳やくしゃみによる飛沫は当然ブロックされます。マスクの物理学ですね。マスクに効果はあるでしょう。ですから、「マスクは意味ない!」というのは間違いで、使用数を減らして「マスクを医療従事者へ!」が正しい表現だと思っています。


これから私達の生活を守るためには、生活の優先順位が非常に大切だと思います。一人でも多くの人に理解してもらいたいです。

先のYsk兄に率直に聞きました。日本に人工呼吸器とECMOは何台あるのか?と。
「おそらく今現在で空いてるのは、人工呼吸器一万弱、ECMO一千弱」
だそうです。当然コロナ肺炎以外で使用している場合もあるでしょう。これが現実です。これ以上の数が必要になった場合は医療の崩壊に直結します。私達が「感染しない価値」を改めて理解できます。

「安全第一で科学に従い医療・経済を守る」
私達一般市民にもできることです。説教に聞こえるかもしれません。啓蒙が鬱陶しいかもしれません。すみません。それでも感染しないことが極めて大きな社会的価値に繋がると思い、書いています。一人でも多くの人が感染せずに、できるだけ早いうちにコロナウイルスが終息し、来年のオリンピックで大いに盛り上がれることを心から祈っています。


兄は続けてこう言います。
「今みなさんが見ている現実は、2週間前に一人ひとりが取った行動の結果だから。」
「二週間だよ、二週間。」

しばらく静かに過ごしましょう。在宅で仕事ができる人は、家にとどまって粛々と経済を動かしましょう。
人が密に集まる空間・お店はお休みしましょう。少なくともYskは英断だと称賛いたします。その代わりに、救済措置を行政に強く訴えましょう。

「コロナなんぞに負けんぞ!吹き飛ばす!」と言う老人が近くにいるかもしれません。そんな時は「周りに吹き飛ばしてはいけません。」「吹き飛ばされたものをもらってもいけません。」「そもそも吹きとばせません。」と冷静に伝えましょう。
「暇すぎてムリ。どうせかからんでしょ。かかっても軽い風邪でしょ。」と言う若い元気な子もいるでしょう。そんな時は「家での時間は楽しめないですか?友達とはオンライン上で楽しく会えますよ。」「あなたのその軽い風邪のせいで大切な人が命を落としても、一生、絶対に、後悔しませんか?」と率直に聞きましょう。
「気合いでなんとかなる!」と言うパーティ大好きな人もいるかもしれません。そんな時は「亡くなってしまった人は気合いが足らなかっただけなのですか?」と単刀直入に質問しましょう。
「自粛自粛ってバカじゃないの?」と画面を通して挑発的に刺激する著名人が出てくる可能性もあります。そんな時は「退屈な生活の中、刺激をありがとうございます。」と心の中で謝意を伝え、お家でそっと見守りましょう。

「感染しない価値」を誇り、静かに穏やかに過ごしましょうよ。
私達が静まれば、ウイルスも静まるのですから。科学的に間違いありません。

Safety first. Follow the science.



Yskでした。






2018年3月31日土曜日

恩師の言葉

どうも、Yskです。
今年も綺麗な桜の季節になりました。

Yskの仕事は何も変わらず教育と研究に励む毎日ですが、今年の春は仕事とは違った所で大きな変化のある春です。

多くの人には誰も皆、師と仰ぐ人がいるものです。
特に学術や芸術、スポーツの世界では、そう言う人の繋がりがあるものです。

Yskにもそんな恩師がいます。
しかしこの春は、その恩師を送り出す春となりました。
いつかそう言う時が来るのは自然の事なのですが、こんなにも早くアカデミアの表舞台から降りる時が来るとは夢にも思っていませんでした。

Yskを育てこの世界に送り出してくれた恩師を、忘れることはありません。
今でもずっと背中を追いかけているつもりです。

今日は、新しい春への区切りとして、心に残る師の言葉を記しておこうかと思います。


1.観察・考察・洞察
門出の際に、弟子達皆がいただく言葉です。
研究者としてとても大切な思考。この思考を掘り下げると三つの察になる。

ちなみに、「思考・努力・忍耐」が師の師匠の言葉です。

こんな話もあります。ある実験のTLCを見ていたのだそうです。
「大学院の授業中にTLC持って行って眺めながら、考えていたら授業が終わっちまったよ」
とてつもない観察ですね。


2.君はナタかカミソリか?
切れ味鋭く、頭脳明晰に研究を展開するカミソリ。
泥臭くも地道に努力に努力を重ねて仕事を貫徹するナタ。
カミソリの方が格好いいです。目立ちます。光ります。しかし、

「ナタは大木も落とせるんだぜ」

※これには裏話が少しあります。これを言った人は師が最初ではないようです。
最初に言った先生にお話を聞いたことがあります。その先生がおっしゃるには、
「ナタは髭も剃れる」
だそうです。

どっちも深い。


3.有機合成は化石堀り
宇宙が出来たその時から、化学反応というのは存在している。
あたかも自分がその化学反応をゼロから創ったかの様に偉そうなことを言う人がいるが、それは間違いだ。
大昔からそこにある化学反応を、掘り当てた、と言うのが正しい。
恐竜の化石堀りさ。化学であっても、自然の摂理に対する尊敬の念を持たないとね。
自然の摂理に対する尊敬の念と謙虚さを持っていれば、真実をねじ曲げることなども出来るわけがない。


4.俺なんていっつもドラえもん
こんなこっといいな♪でっきたらいいな♪あんなゆっめこんなゆっめいっぱいあるーけどー♪
いきなり軽くなりましたが、ご自身の発想はいつもこんな感じ。
思いついた発想に関して文献検索した時に、同じ事している人が既にいると、
「けっ!真似しやがって」
となるが、これは一部悔しく、一部敬意を持ち、一部安心している。

先生が知っているのかどうかは不明ですが、
ちなみに、ドラえもんの歌の次の歌詞はこうなります。

「みんなみんなみーんな♪かーなえってくれる♪、、、、、」
あれ??叶えるのって、、、我々、、、笑


5.俺たちは一流の現場の人間。彼らは二流の評論家。そんなもん読んで一喜一憂する必要なし!
これは話が長くなりますが。Ysk一番の衝撃でした。
評論家が二流だと言うのではありません。一流の気概と姿勢を教えてくれました。
詳細は→こちら


6.正確なデータは科学のαでありまたωである
これは、師の師匠の言葉ですが。私は恩師から伝えられました。
あやふやなデータを出して持って行くと、こう怒られたものです。
科学のα、そしてωの意味については→こちら


7.ジェネラリストはスペシャリストにはなれない。しかしその逆は有りだ。
これがYskを博士課程へと後押しした言葉です。
現在Yskはスペシャリストの道で仕事をしています。
しかしその逆は有りなのですから、ジェネラリストとしての自分も磨きたいものです。


8.博士号は免許皆伝
博士号を取ったら偉いのではない。単なる免許。これからどうするかが大切。
それを忘れてはいけない。
シンプルですが重い言葉です。


9.学生ってのは大きく三つに分かれるな。こっちが言ったこと以上のことやるやつ。こっちが言ったことはやるやつ。こっちが言ったこともやらないやつ。
お前はどれだ?

たぶんこれはどことかで聞いたことがある言葉なので、オリジナルの言葉ではないと思います。いや、でもそうやって育てられましたね。頭を使うことを覚えました。


10.良い仕事とは何だね?
これも師の師匠の言葉。これを頭に浮かべると今でも答えに窮するとおっしゃっていた。
簡単なようで難しい。Yskもこれだ、と言える答えはまだ出ていません。
「良い仕事をしよう」これが一門の伝統です。


11.愛すれば愛するほど愛されなくなるのか。。。これは嘘だ!
「愛すれば愛するほど愛されなくなるのか」は聖書の一節だそうです。
しかし研究においてはそうではない。そう自分は信じる。そう強く言っておられたのはいつも印象的でした。好きなんですよね。化学が。


12.80点10個なんていらん。100点満点1個が欲しい
この姿勢でした。本当にこの姿勢はかたくなだったと思います。
だから作品とも言える完成度の高い研究になっていたんだと思います。
Yskが科学と芸術は重なる部分がある、と思うに至ったのはこういった所です。


13.一発芸です!
これは、ある大きな学会で、会う先生会う先生皆さんが、恩師の仕事について「面白い」と褒めてくれた時のこと。後ろをちょぼちょぼとついて行っていたYskの前で、いつもその様に返事をされていました。普通は嬉しいはずなのに。
芸なんですね。研究が。自分にはできない姿勢だと思ったものです。


14.バカも磨けば光るもんだな
これは褒め言葉。Yskがイギリスに行く前に言ってもらえた最大の褒め言葉。
これがあるので、Yskの今があります。
大学に務める者は、研究者であると同時に教育者です。
それを絶対に忘れてはいけません。
だからYskの周りにいるどんな出来の悪い学生も、見捨てることはありません。
自分がそうだったからです。教育者ってそうじゃないと。あの丸い背中が鏡です。


いざ思い出そうとすると、なかなか出て来なくなってしまったのが残念ですが、現在の所はこのくらいでしょうか。
響く言葉が多かったです。まだまだある気がします。その都度書き加えて行こうかと思います。
この春からは大きな横綱的存在に頼れなくなってしまうのですが、恩師の言葉を胸に、大の甘えん坊から独り立ちしようかと思います。

皆さんにも、実り多き一年がまた始まりますように。

Yskでした。

2019.7追記
15.幾千年にわたる人類苦心の業績ーこの高貴なるものによせる愛情と尊敬を忘れてはならぬ

 これは教育者・研究者としての愛の原点である。そう教わりました。言われてみれば当然なのかもしれませんが、気がつくとそれに反しているのを目にすることも、、、。我々は導かれてここまで来ているのであり、そして誰かを導くのです。テキトーで良いわけがありません。重い言葉です。

2017年7月29日土曜日

不正:「正しくない」と言うこと

 不正な情報のどれがより正確か?それを考えるのは不毛です。。。
今回はここから考えたことを書いておきたいと思います。


こんにちは、Yskです。お元気でしょうか?僕はいつも通り、何か仮説を立てては実験し、良い結果・成果を出して論文発表する、こればかりに精を出しています。そんな普通の生活を(研究しない人からすれば全然普通じゃないですが笑)送る中で、ふと感じることがあります。それは、

僕たち研究者は「これは正しい」ということを何時でもどこでも求められる

と言うことです。つまり「正確なことだけを発表する」という義務を背負っています。ですから、論文という正式発表で与えられる情報は「正確だ」と言う信頼の下で働いています。もしその情報が間違っていた場合は、大変なことになってしまいます。ましてや虚や正しくないことを意図的に発表してしまうと、犯罪に近い扱いを受け、厳しい罰が下されます(懲戒免職や研究資格の停止、研究費の返還など。さらに発表された論文には「これは嘘です」という旨の赤文字が永久的に残されます。)。なぜなら、世界中の全ての研究者は「正確な情報に基づく社会で活動している」からです。信頼を失わせる行為は許されないんです。


あれ??これって科学界以外の社会でもとても大切なことじゃない??
これが今回、書こうと思った理由です。


僕たちの仕事は自然科学の研究です。研究者は、科学的な考え方や手法を習得したプロフェッショナルな人たちです。大学の教員だけでなく、国公立の研究所や会社の研究機関で働く研究者や技術者も含まれます。
会社などで商品へと結びつける仕事をしている研究者・技術者は、普通は不正を積み上げて良い商品を作ることはできません。不正が明らかになると、会社の信用が失われて商品は売れず、最悪の場合は会社が潰れてしまうからです。不正をすると自分の給料に直接はね返って来るのです。テレビや新聞でも度々大きく報じられて、有名な事件となっている例もありますね。なので、ある意味で、会社で研究する人は不正をしようという発想には至ることは多くはないです。(それでも、疑似科学と言われる怪しい商品が世の中にたくさん出回っていますけど。でも、生意気な言い方ですが、疑似科学を広告して商品を売るような人は、科学のプロではないんですね。、、話がそれました。)
一方、大学などの国公立研究所で働く研究者には、税金をいただいていると言うこともあって、厳しい倫理教育がなされています。
絶対に研究不正はダメだ!
と。本当に半年に一回はあります。毎度毎度。笑 実際に「不正とは何か」から教育されます。一例ですが、とても大切なことなので、参考となるものを示します。


一般的に研究不正と言われるのですが、その不正行為は大きく三つに分けられ「捏造・改ざん・盗用」と定義されます。詳しくはWikiの解説、特に米国のより明確な定義を読んで欲しいのですが(こちら)、個人的には今回の内容にもっと近い→こちらのページをざっと見て欲しいです。これは世界的に有名な科学雑誌編集社による解説の日本語バージョンです。ここでは研究捏造と書かれていますが、これは翻訳時のミスかと思いますので、研究不正と読み替えてください。捏造の説明は易しいと思います。いわゆる嘘をつくることですね。盗用もいいでしょう。誰かの大切なデータやアイディアを盗んではいけません。当たり前です。ポイントは「改ざん」かと思います。Wikiでも先ほどのElsevierのページでも、抑えて欲しいポイントがあります。それが、「データや研究結果を変更、あるいは除外すること」「データや結果の変更や意図的な省略により、研究を正しく表現しないこと」が改ざんに含まれています。これも不正です。正確でないからですね。頷いてくれる人がほとんどかと思います。
実のところ、捏造はまさしく嘘になるので、非常に重い罪と見なされる傾向にあります。分かりやすいっていうのもあります。もう古い話かもしれませんが、STAPやその他の有名事件でも写真の切り貼りで問題になりましたね。非常に罪深いんです。盗用も論外です。ばれたら一目瞭然。恥ずかしい以上に、情けないくらいです。

で、やっぱり、多少複雑なために?罪の一線を越えるハードルが、ある意味下がってしまうのが改ざんなんです。特に「データの意図的な除外・削除・省略」です。

ざっくりとした例え話をしてみます。
「Aが起こるとBになって、それがCへと繋がって最終的にDになる」というストーリー(仮説)を立てます。それを裏付ける実験結果(事実・状況証拠)が得られるとします。しかし、それと同時に、そのストーリーにはそぐわない、不都合な結果も同時に得られた場合どうするか。絶対に無視してはいけないんですね。その実験事実を無視したり、削除したりするのが改ざんです。ちなみに、状況証拠を作ってしまうのが捏造で、もうこれは論外です。それで、その「不都合な事実」は本当にそのストーリー(仮説)に関係無いのかどうかを立証しなければなりません。不都合な事実を出した上で、議論をしなければならないのです。最終的に不都合な事実を科学的・論理的に説明できれば、そのストーリーは正しかった、ということになります。ですから先ほどの「Aが起こるとBになって、、、、」のストーリーに合致する事実だけを切り取るっていうのは、れっきとした不正なんですね。もっとお手軽に言えば、今の流行ではないですが、「結論ありき」はダメだということです。


ここまで理解してもらえれば充分ですので、やっと本題に行きたいと思います。(毎度毎度、前置きが長くてすみません。笑)


今回Yskが言いたいことに、もう気がついてくれている人もいるでしょう。科学界なんてもんじゃないくらい、一般の世の中に不正な情報が多すぎませんか?ということです。正確でない情報ということです。捏造(嘘)、盗用には多くの人が敏感なようですので、そこには自然とハードルが高く設定されている傾向にあるかと思いますが(ネットは例外)、先ほどの科学の現場での話を振り返った上での「改ざん」はどうでしょう?溢れすぎじゃないでしょうか。もう一度改ざんの定義を書きます。

「データや結果の変更や意図的な省略により、研究を正しく表現しないこと」

ここで言う「データ」とは生の情報とか、一次情報とか言い換えれば良いでしょう。「研究」の部分は結論とか状況とか世論とか評判でも良いでしょう。一次情報に多少なりとも編集(加工)が加わると、二次情報となります。その二次情報を私達は常日頃受け取っています。そこに改ざんが多すぎると思います。はっきり言って、不正だらけです。改ざんが不正だとは知らないのかもしれません。でも、明らかに正確ではありません。なので、披露される結論も正しくありません。「正しく見える」だけなのです。

改ざんという不正行為の厄介な点は、事実と言えば事実ということです。なので、事実なのだから良いじゃないか、となってしまいがちです。ただし、これは事実の一部ということを忘れてはいけません。だからAlternative factとか言う人が出て来てしまうのです。「やってることは同じだよ」って投げかけたんですね、つまるところ。皮肉にもこのAlternative factっていう言葉は実はすごい画期的で、世間に溢れる情報は改ざんと言う意味で不正だらけであるということをドンピシャで突いた表現だと気がつきました。そこに目を向けた視点はもはや唖然とするほど鋭いです。こういった視点に立った戦略を無防備な市民に投げつけた結果、これまで築かれてきたメディアへの信頼があっという間に崩れてしまい、昨年の米国のような社会現象が起きたのではないか、との考えに至った時、ゾクゾクしました。早い話、テレビや新聞を代表とするメディアが流す情報は正確でないから信頼できないよ、と大々的に攻撃したら(しかもメディアの手法を逆手にとって)、本当に簡単に崩れてしまったと言うことです。米国のこの件では、マスコミの敗北とか言われていますが、改ざんされた正確でない情報が非常に多いことは事実でしょうから、自滅とも言えそうです。見抜かれちゃったんだと思います。

残念ながら日本も似たようなものです。科学者の立ち位置としては、あまり政治の話はしたくないのですが、「お前は嘘をついているだろ!?」と責め立てるあまり、都合良く切り取られて改ざんされた情報が出回りすぎていると思います。「○○ありき」を暴く手法が「結論ありき」のストーリーではないか、と。愛媛から出て来た80歳を超えたおじいちゃんが国会で熱弁をふるいながら「えっと、うーんと、なんだっけ、、えっと、あーんと、、、あ、ゆーちゅーぶ、ゆーちゅーぶだけが頼りです。」「テレビでは私は存在しないようです。」とか述べている映像を見た時には、苦笑いしました。(テレビでは流れませんが、ネットではすぐに見つかります。編集(改ざん)された結果です。国会でメディアの痛い所をついたんですから、当たり前なのかもしれないですが。。。)

嘘をついているのでは?と疑いをかけられた人がテレビの前に現れるのですが、その「生データ」を編集する側は改ざんしてしまう。何回も書いて申し訳ありませんが、嘘も改ざんも不正です。少なくとも科学では。なので、冒頭の話になるわけです。嘘と改ざん、どちらの不正がより正確か、、、と。不毛ですよね。考えるに値しなくなってしまいます。どちらも不正確です。嘘にはとても手厳しいのに、改ざんには甘い。という今の現状を改善しない限り、僕らが本当に正確な情報を手にすることは難しく、メディアに対する信頼がbetterに向かうことは無いと思います。これは、僕の科学者としての職業病でしょうか。。。笑

ネットの情報には嘘が多いと言う人がいます。その通りだと思います。しかし、ネット上の溢れる情報の海の中にも真実・正確な情報はあります。それがネットの難しい所。一方、テレビや新聞から得られる情報は、事実ばかりでしょうが、政治に絡むほど改ざんされていることが多々です。流行はテレビで作れるとか言う人もいるくらいですから、本当にそうなんだと思います。でも、僕の言う「正確でない情報」を流すことは、犯罪ではないんですね。それに甘えている所はあるのでしょうが、僕ら科学者が本当に罰を与えられるのとは違って、メディアには罰は下りません。僕はそのこと自体には特に問題を感じませんが、公正中立と言って「正確な情報です」としてしまうところがマズイと思います。「我々の考えに沿うように、編集(改ざん)していますよ」と言ってしまえば何の問題も無いんです。無理でしょうが笑 なので、僕たちがそう言う現状であることをしっかり知っておかなければいけないんですね。こうやって書いてみたら、結局これってどこかで聞いたことのあるメディア一般の問題ですね笑 教養のある方からしたら、当たり前の事かも知れません。。。大学の教養の講義でも一度は聞く内容です。それを僕は強く実感したってことです。こうなってしまうと、テレビや新聞からの情報だけを鵜呑みにすることはできないでしょう。。。


こう書いてくると、「なんだ、テレビ新聞の批判か」と不快に思われてしまうかもしれません。テレビも新聞もダメだ!だけでは単なる文句ですもんね。確かにそれだけなら、ここに愚痴る必要は無いです。でも、最終的に別の考えへと至ったので、そっちに移りたいと思います。


みんな科学と研究倫理を勉強しよう!ということです。研究倫理だけでも良いです。数々の有名な研究不正事件の事例とともに。はっきり言って、その事例を見るのってすっっごい面白いですよ、本当に。笑 逆に「税金使って何やってんだ!」と怒る人もいるでしょう。とんでもないことやっているとんでもない人っているんだなって笑ってしまう人もいるでしょう。(それによって研究者のイメージが悪化するのは困りますが。。でも事実は事実だから仕方ない。。。本当に極々わずかな人ですけどね。。。これが一部の事実。)でも、その事件・事例をもとに、

「不正とは何か」

もっと言えば、

「正しいとは何か」

を科学の視点で学ぶ事ができると思うのです。正しいことを見抜く力は、何も科学だけで役立つことではありません。むしろ科学とは無縁な社会で絶大な力を発揮するでしょう。科学の論理とは本当に強力なのです。そして、そんな人達が本当にたくさん増えたら、溢れる情報の在り方も随分と変わって来るんじゃないかな、と期待します。もちろん絶対に良い方向に。これって、すごい社会貢献ですよね。科学と研究倫理を勉強するのは、社会貢献なんです。しかも個人で出来ちゃう。すごい良いことじゃないですか!
 僕も科学者としての研究不正に関する教育を受けたのがきっかけで、こんな事が書けています。はっきり言って、その講義自体は毎度毎度のことで既に面白みが薄れてしまっていたのですが、今回の発想に至ったことで、その教育を受けて本当に良かったと思えました。こういったことこそ、科学に携わる人だけでなく、一般の人々にも知って欲しいな、と心底思いました。
毎度の事ながら、くどく、もう一度。笑 

科学研究倫理を学ぶ事は大きな社会貢献です!
さあ、皆さん、科学を勉強しよう。

最後に今回の話を総括する意味で、いつだか話題になった名文をこのタイミングでもう一度紹介して終わりにしたいと思います。



Yskでした。




P.S. 日本の畜産業を支える獣医さんは本当に大切な存在です。この仕事に人気がなく、人が集まらないのには様々な理由があると思いますが、実際「光が当たらないから」というのが大きいと思います。人と同じように命を扱うのですから、決して楽な仕事ではありません。世の中の大勢の人が、その大切さと大変さを理解し、少しでも敬ってくれれば、それを目指して社会貢献したいと思う人も、少なからずいるのではないかと思います。ですから、こういった本当の問題が、何か別の目的のためのネタとして軽く扱われてはならないと思います。これだけは確かだと思います。これからも、美味しい安全な肉・乳製品を食べ続けたいです。

2017年5月14日日曜日

椎間板ヘルニア闘病記④リハビリの開始と途中経過

 少し間が空いてしまいましたが、前回の続きを書きます。今回からは術後とリハビリの様子を記して行きたいと思います。同じ腰痛を持つ人のなにかしらの参考になれば嬉しく思います。
それではスタート!

術後一日目
 朝から点滴は続く。痛み止めはもう打たなくても大丈夫だ。投薬は感染症予防のセファロスポリン系抗生物質。朝起きて体温と血圧の測定。血液ドレーンの確認。朝食を普通にぺろりとたいらげた。しばらくすると看護師さんがご登場。「立ってみましょうか?」「ええ!」で、立つ。(おそらくは、担当医の先生から立てそうなら立って良いとの指示を受けているのだと思われる。)立てる。そろりそろり歩ける。スクワットやってみる。気持ちいい。トイレにも行ける。立てるって素晴らしいと実感。寝ているだけって本当に辛い。老化で歩けなくなったら本当に辛いなって疑似体験した気分。これからも足腰は鍛えよう、大切にしようって心から思った。そこに母親が訪れた。術前は色々と大変な事になりそうだったので、協力をお願いしたが、もはや来てもらう意味も無いくらいだった。(なにしろ、術後数日は身動きが取れない状態も考えられるため、おむつを用意するよう指示されていたのだ。結果的にまったく必要なかったが。しかし、必要になる人がいるのも事実なのだろう。おそらくLOVE法でやった場合はその可能性が上がると思う。)数時間のお喋りをして母親は退散。遠方からお金と時間をかけて来てもらって、結局何もせずにお帰りになって申し訳なかった。その日はたまに歩き、たまに寝て、起きて食べてネットで遊んで。何もせずに平和に終わった。


術後二日目
 リハビリに向けた説明があった。非常に合理的説明を受けて感心したのでまとめておく。

 まずは理学療法士による問診があった。色々と自分の体をチェックしていただいた。まず何よりも先に判明したのは、今まで痛かった左足の硬さが尋常じゃないこと。ここまで硬いのは珍しいを通り越しているとの指摘があった。これから徐々に柔らかくしてく努力が必要。しかし腰やお尻の方に痛みがある時は、これはヘルニアによる症状なので、良くなるまで止めた方が良いとのことだった。

 更に伸びるとはどういう事かを理解するのは大切とのこと。筋肉、筋膜、神経、皮膚、これらが伸びてくると体は柔らかくなる。なので一部だけでは不十分であり痛みの原因。一つ一つ丁寧に伸ばしていくことになる。マッサージは繊維の束をほどくつもりでやる。裂けるチーズの束を指で押してほどくようなイメージ(おお!)。更にストレッチは30秒以上やって初めて効果がある。続ける事が大切。(はい!)なるほどと思った。
 筋肉を伸ばすのはいわゆるストレッチの感覚でよい。痛みが出るギリギリの所で止める。痛いと筋肉痛になって返って逆効果。筋膜や皮膚を伸ばすのにはバスタオル等を硬く巻いた物を使うと良い。その上に座るだけでも、物理的に筋が伸びる。それを少しずつずらして足全体をやっていく。左が特にヤバイので重点的にやりたい。その時に体重が後ろに行ってしまうと、いわゆる猫背の悪い姿勢になって腰に負担がかかるので、絶対に後ろには体重をかけない。色々と注意点やポイントが多いので理解するのと体感で覚えるのに時間がかかるが、術後のリハビリが重要と皆さん言うので必死になって覚える。普段より脳みそ働かせている感じがした。

 腰に一番負担がかかるのは、意外にも座りながらの前屈とのこと。これは極力避けるべきだ。次に圧迫がかかるのは立ったままの前屈。いわゆる田植えポーズ。これも無理にはやらない。椎間板に悪影響である。

 足腰の柔らかさはとにかく継続が必要。アキレス腱、ひらめ筋、下腿三頭筋、膝の裏の筋、ハムストリング、これらの筋肉や筋を全て延ばしていく必要がある。
 延ばす時は反動をつけてはならない。痛むギリギリ手前で止める。止めたままマッサージとかは良いこと。そして30秒以上続ける。アキレス腱やひらめ筋はいわゆるラジオ体操の姿勢。それを後ろ側に体重を持って行くのが、ひらめ筋の内側の下腿三頭筋。ハムストリングは先ほどのタオル等でやると良い。痛みも負担も少ない。しかし効果は薄いのでできるならしっかり伸ばしたい。準備運動と捉えて良いだろう。ストレッチ用のポールはお金があればで良いが、痛いと思われるのでリハビリ目的ならタオルを硬く巻いた物で良いだろう。いわゆるストレッチ用に市販されているストレッチポールは硬い発泡スチロールの筒でできている。ある程度柔らかくなったら使用する程度に考えて良いとのことだ。
 現状では前屈はできなかった。本当に前に行かない。少し不安だった。座ったまま、どちらかの足を前に出して伸ばす。これが辛い。つま先を立てて足首を反らす。できるだけ延ばして前屈の姿勢まで持って行けるだけやる。無理はしてはならない。腰に負担がかかる。お尻や腰に痛みがある場合は即座に止めて、痛くない範囲でやる。とにかくつま先と足首を反らして伸ばす。その時、体を横にねじると痛みは出にくいが、効果は少ない。どうしても痛いなら、横を向いても良いので、慣れと共に徐々に正面を向けるようにする。ゆっくりで良い。とにかく焦らないこと。
立った時も足首とつま先を反らして片足で前屈してみる。その時もう一方の支える方の足の膝が外に逃げないようにする。辛いようなら徐々に正面を向くようにする。

 寝ている時でのストレッチは出来る。横の筋膜を延ばすことも重要。先ほどのタオルを硬く巻いた物を使って、横になっている時テレビ見ている時とかに太ももの下にその筒を敷いて横になっていればよい。1分おきに場所を移動していく。それだけでも筋膜のマッサージストレッチになる。
腹筋は必ず膝を立ててやる。そのまま首を上げるくらいで良い。それをキープ。一回5秒x10回朝昼晩。コルセットしたままでOK。あくまで筋トレではなく、最低限の体幹調整が目的だ。
一通りの説明や解説があったこの日は終了した。翌日から頑張ろうと強く思った。

術後三日目
 まずは朝の回診。傷の経過は順調とのこと。血液ドレーンがついに除去された。完全チューブフリーだ。とても気楽になった。やはり異物が体に繋がれていると言うのは、多少なりともストレスだ。病気も手術も、本当はしない方が良いに決まってると感じた。(しかしやる時にはやらないとではある。)
 本日はリハビリ指導の1日目。前日習ったことを中心に、けっこう頑張ったと思う。上に書いた内容のものを何回か繰り返しやった。座りながら左足のかかとを地面につけて、足首を反って伸ばす。情けない話だが、これがかなりきつい。でも数回やった。その時痺れるのは腰の左側とお尻の左上。左足の付け根(裏側)。ひらめ筋と梨状筋と中臀筋。それになぜか尾てい骨付近だ。数にして5回くらいを行ったと思う。(1分x5)


術後四日目
 朝起きると腰に鈍痛を感じる。少し不安であったが立てる。以前よりも普通に座れる。(痛くないように気をつけながらならではあるが)歩ける。(かかとから着く正しい歩き方とは言えないが。)そう感じながらしばらくたっても、鈍痛は解消されていない。リハビリで頑張り過ぎたのかと思う。それでもほとんど前屈みっぽい姿勢は取っていないのだが。。。確かに座って前屈みが一番負担かかるのかもだけど。。。しかし曲げられない。多少なりとも不安になる。もちろんお辞儀もできない。今日のリハビリで相談することにした。
 さて、本日も1時間のリハビリ指導。今日からは、理学療法士の先生の指導時間以外に、朝昼晩と3回のリハビリタイムを設けることを義務にした。とにかくまずは普通に歩ける様になりたいのだ。今日習ったこと。梨状筋症候群?や馬尾症候群?も含めた治療を考える必要があるかも。椎間板ヘルニアを患ったことにより、そちらまで症状が広がったことは考えられるのではないか?(これは外科医の診断と言うより、理学療法士の先生が痛む部分を見ての判断だが。)怪我の部分と痛む部分が一致していないというのは神経系の怪我や病気では良くあることだ。
 その日は腹部インナーマッスルの鍛え方を習った。深呼吸。とにかく細く長く出す。腹式呼吸だが、出し切る過程で仰向け(膝は立てる)になった時に浮いている背中部分を床に押しつける感覚でゆっくり。5回1セット。1日三回。回復のための腹筋、膝を立ててお腹を見るようにして3秒。10回1セット、一日三回。わりときつい。。。
 仰向けで両膝を90度に立てる。右足をその角度を保ったまま90度上に上げる。その次に右足を上げたまま左足を同様に上げる。次に膝の角度を90度に保ったまま下げる。次に左足を下げる。10回1セット。一日3回。
これ加えて前日からやっているストレッチも忘れずにこなした。

 膝裏の筋を延ばすようにほぐすようにマッサージし、そして梨状筋もほぐしてストレッチする。30秒以上じゃないと伸びないとのことなので、1分とかなるべく我慢して長時間挑戦した。早く柔らかくならないかなと期待して。

術後五日目
 ゴールデンウィークに突入してしまった。リハビリが休みなので、自分でやる。朝昼晩の3回。タオルストレッチ1分ずつずらしていく。座位での左足のストレッチ1分。横になって腹筋15回、足上げ15回、深呼吸5回。梨状筋を自分でもマッサージしてみる。難しい。出来ているのかまったく分からない。調べるに、梨状筋と中臀筋を柔らかくすることが大切だと、自分で判断してのこと。その後、立位でのアキレス腱のストレッチ。付け根の方とふくらはぎの方、更に大きく股を前後に開いてハムストリングのストレッチ。各一分。これらを朝昼晩と繰り返した。

術後六日目
 前日と同様にGWによりリハビリが休みなので自分でひたすらやる。今日からタオルストレッチはテニスボールに変更。こっちの方が圧倒的に痛い。体重をかけることによって筋が湾曲する。これによってストレッチの効果があるのだ。これで和やらかくなるのは早まるだろうか。。。期待が焦りにならないように注意しながら。。。

術後七日目
 寝起きで背中と首を痛める。腰をかばうあまり、寝返りや寝起きの時に頭を支店にして動かした模様。この時に変な体勢をとったと思われ、これにより右首と僧帽筋(または大菱形筋)を負傷。おそらくぎっくり腰の背中・首バージョン。痛みは激しい。起き上がるのが苦痛。寝ても痛かった。仰向けが非常に苦痛。すぐにモーラステープが処方されて貼ってもらった。効いている感じがした。午前には痛みは多少和らいできた。しかし、首が上下左右に自由に動かせず、いかにも不自由。歩ける、座れる。しかし、寝ているのが辛い。これは非常に痛手。しかし、何とか良くなるのを待つ意外に方法はなさそう。本日リハビリはお休みだ。二次災害はつきものか。気をつけていたのに、寝ている時はどうしようもない。。。少し落ち込んだ。

術後八日目
 背中の痛みは軽減したのでリハビリを再開。前々日と同じメニューをこなす。朝昼晩。一日休んだせいか、筋肉の張りが軽微になった気がした。伸ばしやすくもなったと思う。まだ痛む時があるが、その痛みを我慢すれば椅子に座って足を伸ばせるようになった。これは進歩したと自分で実感が沸いてきた。

術後九日目
 前日の進歩は後退していない様子で嬉しい。歩く時もだんだんとかかとから歩ける様になってきた模様。まだかかとを先に出すと、お尻や裏太ももの付け根に痛みやつっぱりがある。しかし、術後よりもその痛みは明らかに減って来たと思う。体の回復を感じられてテンションが上がる。しかし無理は禁物。基本的に痛いことをやってはいけない。この日も朝昼晩とメニューをほぼ完璧にこなした。どこまで改善するのか楽しみになってきたと同時に、どこかで回復が止まるのではないかと不安も出て来た。やはり焦らず継続が大切と言いきかせて、翌日の第三回目のリハビリ指導を迎えた。

術後十日目
 本日からリハビリ指導が再開。3回目。朝のメニューをこなしてからリハビリ室に出向く。そこで先生のチェックが入る。座って足を伸ばす。寝て足を上げる、など。マッサージもしてもらって、また足を上げる。「ずいぶん伸びるようになったー!」と先生。とても『嬉しかった。まだ問題は残っているし、目標である靴下を履くことにまだチャレンジしていない。もっと頑張ろうと思っている所で、3回目の指導が始まった。

今回はここまで。次回はリハビリの続きと退院まで。
Yskでした。

2017年5月9日火曜日

椎間板ヘルニア闘病記③:ヘルニア除去術と全身麻酔のリスク管理

 こんにちはー。Yskの闘病記:第三弾です。(第一弾はこちら。第二弾はこちら。)
今日はリスク管理について考えました。随分と内容が硬くなってきたので、楽しく読めないと思いますし、多少賛否両論ありそうな内容にもなっていますが、興味が沸けば嬉しく思います。なお、今現在、Yskのいる病室の隣には小学生の女の子がいます。よく手術を決断したなと思い、その勇気と決断を讃えると同時に、来る手術の成功を心から祈るばかりです。今回のお話は、そんな彼女への応援の辞でもあります。では、スタートー♪

 今回のヘルニアの手術を決断する前には、本当に色々な人の話を聞いた。(専門・非専門含めた)医師はもちろん、その他の医療従事者、ヘルニア経験者、腰痛持ちのお仲間(手術未経験)、針鍼灸医(東洋医学)、などなど。その節は、それぞれの立場から色々なアドバイスをいただき、本当に参考になった。まずこの場をかりて御礼申し上げる。
 しかし一方で、実際に色々と詳しく調べて見ると、ちょっと行きすぎた意見ではないか?とか、誇張して危険を煽ってはいないか?と思われる記述がとても多いことに驚いた。これは患者自身が正当な判断を下すのには、いささか障害となると思われる。そこで、今回は、Yskが手術(あくまでヘルニア除去術)と全身麻酔のリスクについて考察した内容について書いてみたいと思う。

 さて、Yskは最終的に手術を選択したわけだが、手術を絶対にやりたくない、という人の考えは大きく分けると次のようである。
全身麻酔と手術の危険性
痛みに耐えられそうにない
単純に体を切るという行為を受け入れられない
 それ以外にも色々とあるだろうが、大きくはこの3つだと思う。結論から言って、実際に1週間前に手術を受けた今の感想を言えば、「長年痛みに苦しむくらいなら、早い所原因を摘出除去してしまった方がより快適だ」と思う。では、なぜ手術に踏み切れない人が一定数いるか、と言うのが上記の理由であろう。
 ③に関しては、どうしようもない。個人の強い意志を変えさせるというのは、他人の力ではどうしようもない。しかし、これを理由とする人はそこまで多くないと思っている。何かを恐れているのが普通である。
 では次に②はどうか。確かに手術に痛みはつきものだ。Yskがやってみた感想でも、痛くなかったと言えば嘘になる。しかし、我慢出来ないくらいの痛みだったか?と問われれば、答えは明確にNoである。前回の投稿を読んでもらえれば良いと思うが、個人に合った鎮痛剤(自分の場合はボルタレン系のロピオン)を上手く使用すれば、かなり痛みは軽減された。(尿管カテーテルの抜管に関しては課題が残るが、、、)もう既に経験してしまったから言えるのかとは思うが、手術・術後の痛みのコントロールは十分可能で、安静にすることや痛くない方法を探れば、それほどのストレスにはならないと思う。一方で、痛みの感じ具合は人それぞれと言う医師の説明も実際にあったように、Yskの経験談が全てではなかろう。Yskが言えることは、「少なくとも痛みをまだまだ敏感に感じやすい30代男の身体が内視鏡施術を経験した限りでは、思ったよりも簡単に痛みに耐えることが出来た」と言うことだ。なお、歳を取れば取るほど痛みには鈍感になると言う。また男性よりも女性の方が(出産を経験するからかもしれないが)痛みには強いと言われている。と、ことわりを入れた上だが、手術・術後の痛みのコントロールは日々進歩していて、少なくとも内視鏡下の侵襲の小さな手術においては、手術未経験者が持つイメージよりもはるかに痛みは緩和されていると思っている。(なお、隣の病室や同じ病棟には、侵襲の大きな古典的LOVE法で手術を行った患者さんが大勢いたが、痛みに耐えかねて苦しんでいる様子は見られなかった。このことからも、痛みのコントロールという技術は近年著しく進歩していることを伺わせる。)経験談としてアドバイスをするなら、「低侵襲・最小侵襲=痛みの低減」なので、低侵襲手術を標榜している医師や病院を選択することを勧めたい。

 さて、やはり一番大きな問題と捉えられるのは、①の手術・全身麻酔のリスクだろう。手術の失敗や麻酔の事故に関する事を見聞すると、一歩が踏み出せなくなるのだと思われる。そして「切らない治療」へと考えが向く。しかし、椎間板ヘルニアの場合は、切らない治療を選ぶにしてもそれも、あらゆる治療の予後を考えた場合には、お金と時間と回復の頂点をいつも天秤にかけなければならない事を考える必要があるだろう。これについては前回詳しく述べた。→こちら。(もちろん、体力やその他の疾病のせいで手術が出来ない場合も多々ある。特に高齢者は。今回はそれらの場合は除くこととする。)自分の体験で言えば、切って良かったと思う。足の痺れはほぼ完全に消えている。これが術後すぐに感じられるのだ。もう痛み止めを必要とせずに寝られる。効果てきめんだ。なので、簡単に手術が行える人はその方が良いと、勧めたい。しかし、拒む人の心理も理解できる。失敗のリスクヘッジが問題なのだろう。もちろん、人間がやる手術である以上、失敗が完全に0%であることはあり得ない。しかし、患者自身が気をつけることで失敗のリスクを格段に下げることはできるだろう。その方法を考えたいと思う。
 まず、手術の失敗であるが、これはどの様な内容だろうか。
1.神経を傷つけてしまって、腰痛や足のしびれが増大してしまった。
2.体内に異物を残したまま手術を終了してしまった。
3.余計な部分を切除してしまった。または患者を間違えた等により、切除する部位を間違えた。
4.切ってはいけない血管を切ってしまって出血多量になり、輸血が必要となった。(ただし、椎間板ヘルニア除去術の場合、太い血管付近は切られない。)
などが代表的な手術の失敗であろう。さて、これをどれほど確実に回避できるだろうか。椎間板ヘルニアの場合、4は除外できる。3はもはやあってはならないミスである。今回の手術でも、と言うか点滴一つ、採血一回やるだけでも、フルネームの確認と薬剤や容器に書かれた名前の一致をチェックしていた。この取り組みはもはや現代では普通だろう。少なくとも、大きな病院ではチェック体制というのは二重三重にされている印象で、この手の間違いは起きにくいように思う。心配する人は、チェック体制の強化された病院を選ぶべきか、そのような体制が敷かれているか事前に聞くべきだろう。2ももってのほかと言えるミスである。時々そのようなニュースを目にする。しかし一考すべきは、どれも随分前の手術である。現代の手術では手術を終えて皮膚を閉じる直前やその直後にレントゲンの撮影をするようだ。Yskの画像も見せてもらえた。この時に何かとんでもない物が残されていれば、速やかに対処されるだろう。つまり、現代の方法ではあり得ないと考えても良さそうだ。なお、手術に使う道具や器具等は、術前術後で数が合うかチェックされる。今回の様に、内視鏡下の場合、切開創が小さいために大きな異物は入りにくい。こういった点も安心感を与えると思われる。つまり、総じて2、3のリスクはチェック体制が強化されていれば回避が可能である。
 問題は1であろうか。これは症状によるだろう。重度のヘルニアで長年放置された場合、神経とヘルニアが膜を介して癒着してしまう。これを剥がしながら除去するとなると、多少なりとも神経が傷つけられるリスクが増す。(だからこそ、切除するなら癒着の無い段階、つまり早いほうが良いのだ。これは予後の回復にも大いに影響する。)個人的には、ヘルニアを全て除去すると神経を傷つける可能性が上がると言うなら、癒着した部分を完全には除去せずに、ヘルニアになっている飛び出した随核を上手く切除して、癒着した部分は残すという選択肢もあるのではないかと素人ながら思うのだが、これは機会があれば担当医に聞いてみようと思、、、、ったら先生がいらっしゃったので聞いてみたところ、神経保護は最優先課題なので、そのような場合は積極的に癒着した部分を残すようにするとのことだった。これは安心材料である。結論から言えば、ヘルニアを長期間放置しないで、早い段階で手術をすれば、神経を傷つける可能性のある癒着を防げると言うことだ。なお、手術中に神経を避ける場合は特殊な器具を使って防護するらしい。それを使うのに癒着があると、使いにくいことにもなり安全度が下がる。逆に言えば、その器具で神経が守られる状況なら、神経が無駄に傷つくことは考えにくいと言えるだろう。

 そして、ここからは全身麻酔の危険性を考える。全身麻酔による事故は様々考えられるが、最も恐いのは合併症だろう。今回、麻酔科医の先生から「麻酔のしおり」というパンフレットをもらって熟読した。良い事も悪いことも書いてあったので、それを参考にしてYskの考えを書いておくことにする。まずは合併症の紹介を簡単に。
1. 歯が抜ける→これは麻酔から覚めた直後チューブを抜く際にチューブを強く噛むことがあるため。(重大事故と感じる人は少ないと思っている。)(あまり聞かない)
2.声がかすれる→特に問題は無い。一日くらい時間が経てば元に戻る。
3.誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)→これは割と大きな問題。胃酸や胃の中の物が肺に入ってしまって引き起こされる。対策は後述。
4.気管支痙攣、喉頭痙攣→チューブの刺激やそのアレルギー反応によって起こる可能性があるが、麻酔科医の処置により回復は十分可能。(大きな問題にはならない)
5.アレルギーによる蕁麻疹や呼吸困難(喘息?)。これもアレルギー反応であるので、薬剤での対処が可能。
6.悪性高熱症。これは遺伝的要因。近親者にそのような人がいなければまず問題にならないらしい。
7.肺塞栓症(エコノミー症候群)。血栓が心臓から遠い足にできて、その血栓が肺の血管に詰まってしまい、呼吸困難や胸の痛み、時には心停止を引き起こす可能性がある。これは発症すると危険なので、念入りに防ぐ必要がある。方法については後述。
 以上が全身麻酔で注意すべき合併症である。こう見ると、3の誤嚥性肺炎と7の肺塞栓症が大きなリスクとなると言えよう。では、その予防策を並べてみる。
 まずは誤嚥性肺炎について。これは術前の絶飲食を徹底すること、アリスタット(胃液を抑える薬)を飲むこと、アクアソリタで少量出た胃液を下へと洗い流すこと、更にその上でアリスタットを再度飲むこと。これで胃液による胃の中の酸性度を抑えて、中性で空っぽにする。この状態で仮に履いたとしても胃酸による肺の炎症を防ぐことができる。さらに言うと、前日の絶食後、当日の絶飲食後、さらには術前に歯磨きを念入りにすることも重要と考える。口腔内の細菌数はとても多いのだ。それゆえ、胃の中をからっぽにするのに加えて、口の中もキレイに洗浄し、最後はリステリンなどの殺菌剤で口腔内も清潔にしておくことは有効だろう。これにより、誤嚥性肺炎は防ぐことがかのうかと思われた。更に、喫煙者は禁煙をした方が良さそうだ。手術後にはどうしても痰が出やすくなる。それを排出するのには咳をする必要があるが、肺の機能が弱っているとそれが出来にくくなってしまう。そう言った意味では、特に高齢者は常日頃から心肺機能を鍛えておくことが重要であろう。肺の機能を高めておけば、術後の肺炎も防げるし、血中酸素濃度の低下による低酸素血症および無気肺の危険性も格段に下がると考えられる。手術が決まってからでも遅くないので、運動とも言えるくらいの大きな深呼吸をはじめ、ある程度の運動で心肺機能を鍛えておくことが勧められると思う。ついでに、素人の考えだが、高所トレーニング(低酸素トレーニング)を積んでから手術をしたらどうなるか考えてみたのだが、通常は酸素を血中に取り込む能力が上がることを考えれば、ある程度の良い影響があるかもしれないな、と興味が沸いた。しかし、これは対して効果は無いかも知れないYskの憶測である。
 続いて肺塞栓症について考察を重ねたい。いわゆるエコノミー症候群であるが、これは心臓から遠い足の血流が悪くなることによって血栓が出来てしまうことが要因である。その血栓が肺に行ってしまうと危険な状態となる。これを防ぐために、手術中に足にマッサージャーを装着し、心臓へと血液を送り返す運動を促すのだ。さらにキツイ靴下も履く。血栓ができたとしてもそれを肺へと送らないためだ。更に、高齢の方が説明を受ける様子を聞いたのだが、血栓ができやすいと判断された人は、一時的に血液をサラサラにする(コレステロールを下げるとは限らない)薬剤を投与して、血液の凝固を防ぐらしい。ここまで管理が徹底していれば、安心感は増すのではないだろうか。なお、血栓ができやすい人もいるようで、そのような人や発症しやすい状況はある程度データから類推できる。手術の前にしっかりとカウンセリングと検査を受け、手術に臨むことが重要であろう。
 その他真剣に考慮すべきは、麻酔科専門医が事前調査と実際の処置をするかどうかだと思う。医師は一度医師国家資格を取ってしまえばある程度はなんでもこなせる。麻酔科だけは厚労省の許可が必要だが、それも高度な知識と技術を持つ専門医や認定医、指導医とは異なる。全身麻酔によるリスクを少しでも回避するためには、専門医などの高度な技術と知識を持つ麻酔科医のいる病院で手術を検討した方が良いと思う。


 以上、手術と全身麻酔に関するリスクについて考えてきたが、まとめとしてYskが考えるのは、必要以上に手術・全身麻酔を恐れるのは自身の利益にならない場合があるということだ。ひとたび全身麻酔のリスクを調べると、危険性の煽りとも受け取れる内容が多く目に付く。例えば、「全身麻酔が効くメカニズム(理由)は分かっていないから危険」との記述。同じ方向性で言うなら、実は飛行機はなぜ飛ぶのかは完全には分かっていない。しかし経験的に上手く飛ぶことが分かっているので、ここまで大規模な航空産業が成り立っている。だから、ちょっといいかげんとも言える麻酔関連の記述には惑わされるべきではないだろう。全身麻酔で死亡した例があるから止めよう、と言うのは、飛行機は落ちたら死ぬので乗るな、と同じであり、全身麻酔だけがあたかも非常に危険かのような記述はされるべきでないだろう。経験則(統計学的結論)も立派な科学的データであり、調査母数の多い今回のケースに関しては信頼されるべきだと考える。(ただし、本当の危険性に関しては熟考して判断すべきである。)(また、これは行きすぎた意見かもしれないが、中には危険性の一部分だけを取り挙げて売り込む困った東洋医学者もいる。医療生命保険関係者が情報の発信源だと、内容に嘘は無くても、多少なりとも保険の営業の臭いがするものもある。)これは恐怖心を煽って本来患者が取るべき最良の治療法を妨げる結果的ともなり得、しいては患者自身が不利益を被ってしまうことになりかねないと一患者としてYskは思う。最終的にリスクを判断するのは患者自身かその家族となるが、不必要な煽りには流されずに、きちんとしたデータと考察に基づいて判断することが肝心かと思われる。ただし、それでも判断と選択の自由はあるのだから、患者自身の意思が一番に反映されるべきだろう。

以上、Yskでした。次回は今度こそ歩行・リハビリ編!
最後に、今回手術前にカウンセリングを受けた時にもらった「麻酔のしおり:日本麻酔科学会より」の一部を載せておこうかと思います。参考になれば幸いです。(問題あるのかな、、、これ。利益目的じゃないから大丈夫だと思うのですが、問題あればそのうち削除します。)







どような健康状態で全身麻酔を受けるのかが重要ですね。日頃から健康には気をつけましょう!

2017年5月7日日曜日

椎間板ヘルニア闘病記②:入院と内視鏡下ヘルニア摘出術(MED法)

こんにちは。Yskです。今回は引き続き闘病記を書きたいと思います。今回は手術編です。ではスタートー☆(第一回は→こちら

 入院初日。午前10時に入院した。とても見晴らしの良い病棟の最上階に連れて行かれた。本格入院は初めてだったので、どことなく緊張というよりワクワク感があった。一通りの院内の説明を受けた後は、とにかく暇である。一応多少なりとも暇つぶし?になった小さな事を書いておく。体温をこまめにチェックされ、血圧もチェックする。耳たぶを軽く傷つける止血検査も行った。すぐに止まって問題無し。全身麻酔で手術を受ける予定のため、深呼吸や術後の寝返りなどに関するビデオを見た。内容は面白くも興味深くもあるはずがなく、「はい」と言った感じだった。(しかし深呼吸のやり方に関する内容は後々重要であったと今では思っている。)

 二日目手術前日。6時とかに起こされて、体温と血圧測定の後は食事。その後また暇。することがないので、研究の事とかをひたすら考えている。事務的なメール処理もやった。昼前には麻酔科の問診を受ける。先生が着任してからの5年間、一度も重大な事故は発生していないとのことで安心した。一応、全身麻酔の危険性について多少なりとも説明されたが、二次的疾病の方がメインかと考えられ、どうすれば避けられるかを考えたので、これは後述する。そこで出会った人は、県外からの皆さん。方々から患者が集まる有名病院であることを改めて実感した。手術に向けて安心感が増したのは言うまでも無い。
 救われるのは、案外病院食が美味しいことだ。普通病院食と言うと、味がないとか野菜ばかりとか、そう言うのを想像してきたが、肉や魚もしっかりで、病院食としては満足であった。しかし、量は少なめ。そこで夕食後にこっそり買った(青森県では当たり前に有るという)シベリアという高カロリーのお菓子を食べて手術に向けての体力確保を図った。21時になるとアリスタット(胃液を抑える薬)を飲み、その後絶食となり、消灯就寝した。今日はよく寝なくては、と思い床に就く。意外にもすぐに眠れた。緊張感は全くない。これは看護師さん始めスタッフの方々が非常に優れものであるからだろうか。はたまたYskが変人だからだろうか。おそらくどちらも正解かと思われる。

 手術当日 朝6時に起床。すぐにアクアソリタを1時間かけて飲まされる。経口補水液である。まずい。最後の100mlでアクアソリタをもう一錠。その後絶飲食。この時点で7時。8時に術衣に着替えた。先生が来て点滴の管を入れる。何の薬剤を入れているのか忘れた。いよいよだが実感に乏しい。特に緊張感は無い。この後歯を磨いた。口の細菌が肺に入ると、術後肺炎が引き起こされる可能性があるからだ。915分くらいまで、友人と形態で連絡をとっていた。極めてリラックス。まだ全然実感無しだ。9:20手術室に歩いて移動。メガネは通常外して行くらしいが、手術室の中を見たいのではないかとの特別な?配慮をいただき、メガネをつけて行って良いと言われた。完全に変人扱いだ。たぶんそれもかなりだと思われているのだろう。手術室の中に入ると麻酔科の先生と看護師さんが出迎えてくれた。穏やかである。部屋が4つありますなどの端的な説明をしてくれた。少しばかり、高価そうな機械についても説明いただけた。やはり頭は手術の事はまったく考えておらず、そこで働く人の様子に見入っていた。会話をすることによって多少なりとも緊張をほぐそうとしているのだろうが、よりによって手術室の説明をするとは先生も内心苦笑いなのではないか。オペ室に入るとメガネを外してネットを頭に被る。脳波を図る機器や心電図の機器が取り付けられる。いよいよという感じ。本当に緊張は全くない。スムーズに準備が進み、麻酔科の先生が「じゃあ始めます」と。ひょっとすると素晴らしい病院なんじゃなかろうか。

 さて、ここからはライブだ。
麻酔科医「それでは薬を入れて行きます。最初は弱い薬ですので、だんだん瞼が重くなります。続いて強い薬を入れますと、完全に麻酔がかかると思います。」
Y「はい、よろしくお願いします。」
麻酔科医「では行きますねー。はい、入り始めました。どうですかー、瞼が重〜くなりますかー?」
Y「(お?もう少し?お?)あー来ましたね、重いです。笑(緊張感無し。とにかく興味深い。)」
麻酔科医「では強いの行きましょ〜う。」
Y「(来いやー!ちょっと抗ってやろうか。)はーい。おーー?!?!?!、、、、、、」
(声には出さなかったが、感覚がとても面白くて笑っていたと思う。とにかくニヤニヤしていたのは覚えている。が、次の瞬間は、、、)

執刀医?麻酔科医?「YskさんYskさん、お疲れ様でしたー。終わりましたよー。」
(私の意識が戻ると同時に気管に入っていたチューブが抜かれた。)
Y「?!?!?!はい。。」
執刀医「現在125分です。大丈夫ですか?」
Y「腰に痛み有りますね。(当たり前)でも大丈夫です。」
執刀医「呼吸は大丈夫ですか?」
Y「おそらく」
執刀医「では、戻りましょう」(この辺の記憶は多少あいまいで飛んでいる)

看護師さん「はい、戻りましたよー。現在1215分です。」
Y「はい、ありがとうございます」
と言ったつもりだが、声が出にくい。かなり渋めのハスキーボイスである。

 実際に行ったのは内視鏡的ヘルニア除去術。この予定でそのまま済んだとのこと。手術は全身麻酔の後に全裸にされてうつぶせにされ、それから切開が始まった模様だ。Yskは腰椎が一つ多いらしく、第五腰椎と第六腰椎の間のヘルニアを除去した。まず第五腰椎と第六腰椎の間を2センチほど切開する。そこに内視鏡を突っ込んで手術をする。皮膚の下にはすぐに骨があるはずだが(棘突起?)まずはそれを除かないと先に進めないので、その骨を多少なりとも削る。続く筋肉や靱帯(棘間靱帯とか?)を切開したり避けたりしながら奥に進む。骨付近に辿り着いたら黄色靱帯を切開して脊柱管まで行く、その次に見えるのは神経の束である(馬尾神経?ちょっと良くわかりません。ちなみに上の方だと脊髄だが、下の方では枝分かれしているので馬尾というのか?)。それを傷つけないようにしてヘルニアを取り除く。また、酷いヘルニアの場合、椎間板の外側の繊維輪の更に外にある後縦靱帯を突き破って出ていることがあるらしい。私の場合のヘルニアは、その膜は破っておらず、繊維輪から飛び出た随核が後縦靱帯で止まって骨髄の神経根(特に左足に伸びる神経を圧迫している状況だったとのことだ。外から見てみると、黄色靱帯を切った所で下からボコッとした突起が見られたとのこと。なお、自分は第六腰椎椎体の端が変形しており、それによる神経圧迫も疑われていたが、切開して中を見た結果、その可能性は低いとされ、骨の変形をどうにかする手術は必要無しとされた模様だ。それで、そのボコッとした突起を除く必要があったため、後縦靱帯の一部を切開して、そこの穴から飛び出した随核のヘルニアをつまみ出したとのことだ。内視鏡下だったため、かなりの低侵襲で出来た模様だ。なお、できる医師は今現在日本に20人ほどしかおらず、Yskのいる地方にはまったくいないのだが、PED法と言われる手術法だともっと小さな穴(8ミリ程度)で出来るとのこと。しかも局部麻酔も可能らしい。しかし、かなり高度な技術が必要で、目で見て見えないのだし、可動域も狭い中での手術のため、神経を傷つけるなどの危険性は上がるらしい。なので、今回はMED(内視鏡下)でオーケーとした。また、本当に安全第一で手術をする場合、旧来のLOVE法と言われる大きく切開する手術を選択することが勧められる。これは外科医が肉眼で確認しながらやるため、失敗は少ないようだ。しかし、侵襲がかなり大きく5cmくらいとなるため、術後の痛みは大きいらしい。歩けるようになるまでに、内視鏡以上の時間がかかるとのこと。1週間程度か?(詳しくは前回の投稿かそれ以上にGoogle先生に聞いて下さい。 ともあれ、そんな様子で手術は完了し、Yskの手術は終了した。。。らしい。。。
脊椎近辺の図:参考にどうぞ(Google先生より)

術後に先生と立ち話した時に書いてくれた図。もはや授業。実に楽しかった。笑



 実は、その後に本当の戦いが始まった。とにかく寝ているのが辛いのだ。どうしても体の置き所に困る。どう寝ていても腰や背中、首に痛みを感じる。更に困ったことに、左手に点滴、指にパルスオキシメーター、胸などに心電図、腕に血圧計、足にエアーマッサージャー、口に酸素マスク、大切な部分にカテーテル、とチューブ祭り状態なのだ。おそらくは術中に既に麻酔薬と同時に痛み止めが打たれているので、切開して骨を削った部分の鈍痛が主な痛みではある。しかし寝ているのが本当にとても苦痛なのだ。術前から手術の直後は自分で寝返りを打ってはいけないと言われており、寝返りを打ちたい時は看護師さんがやるとのことであった。とにかく不快で寝心地が最悪なので少なくとも30分に一回はお願いしていたと思う。看護師さんに「体の置き所に困りますよねー」って言われたのだが、これはまあ、「寝返り頼みすぎだろ」のサインと解釈した。控えますが。。。難しいです。ついでに、寝たきりの辛さ以上とも言える本当に不快な違和感が局部カテーテルだ。こちらも嫌で嫌で仕方ない。いつも出ている感じ。違和感、不快感しかない。なので、これを抜きたいと希望した。術後1時間経っているだろうか。。(本当にわがままだ。笑) すると看護師さんはなんとOKと。で、抜くのだが、こちらの方が手術より圧倒的に恐い。とにかく痛いと言われていたので。しかし、やらねば(なんだその義務感は笑)。で、お願いした。看護師さん「じゃあ行きますね。」Ysk「はい。」で抜かれる。痛い。さすがにぎゅーっと目をつむってしまった。手術の痛みとは完全に別物。意外とするするとは抜けず、外に向けて外圧がかかっている感じの太い管が現れた。そりゃ痛いわけだよ。こんな太いの普通入るか。しかし、抜けた。気分爽快とまでは行かないものの、安心感が出て来た。するともよおす。流石に歩けないので、容器をお願いする。しかし、気のせいだったのか、いざとなると出ない。あれ?と思って看護師さんに「すみません、勘違いでした」と伝えると、そう言ったことは抜いた後によくあるらしい。そうか、と言うことで、ここはとりあえずもう一度休むことにした。

 看護師さんに頼むのはダメと思いながらも、結局はその後も寝返りを何度もお願いした。痛みは確かにあったので(鈍痛)、途中で痛み止めの点滴をお願いした。ロピオン(フルルビプロフェン アキセチル)という鎮痛剤を点滴で入れてもらうと、随分と楽になった。Yskの体には一番効くと勝手に思っている鎮痛剤はボルタレンであるが、即効性を考えると座薬を処方すると言われた。つまり、看護師さんに入れてもらう事になるので全力回避した。ロピオンが効いて良かった。その後6時間から7時間おきにロピオンの点滴をお願いすることになる。翌日の朝まで続けた。15:30になると先生が術後の説明と経過観察に来て下さった。その時に「どうですか?」と聞かれたので、「寝てるのが一番辛いです」と伝えた。そしたら「起きますか?」とのこと。「えっ!?」と思い、嬉々となる。術後まだ3時間だ。痛いのは当然だが、とにかく寝ているのが辛い。なので起きます。横向きになってベッドの柵を利用して起きる。起きられた。案外余裕。嬉しい。

 先生「足はどうですか?外しますか?」本当に嬉しい。即答でお願いして外してもらった。意外とこの足のエアーマッサージャーが邪魔で眠れもしないのだ。うとうとして眠れるかな、と思ったくらいでシューーーーっと入って来て鬱陶しい。この段階で外れて良かった。ただし、これは自分が若いからだと解釈している。もっと老体になっていたら肺塞栓症の危険が高まるため、無理だろう。ともあれ、マッサージャーは外れた。先生「マスクは?」Ysk「え?いいんですか?」と言うことで酸素マスクも外した。ずいぶんと開放感がある。まだ術後3時間である。今考えれば何という我が儘!笑 しかし本能には勝てない。
ここまでやっていただいて先生はお帰りになった。その際にボソっと看護師さんに言っていた。
先生「これから内視鏡の人はこんな感じでいいかもしれません。これで行きますか。」看護師さん「いいかもしれませんね。」
Ysk(内心)「わがまま言ってごめんなさい。。。笑」
と言うことで、ある一定の基準を作ってしまったようだ。図らずも。。。なんか申し訳ない。と言うか、この基準で術後管理して問題が発生したらと思うと本当に申し訳ない期がする。。。是非とも慎重に判断してもらいたい。。。

 ともあれ、その後は極度の疲労感に襲われ、再度眠りにつくことにした。しかし、である。ここから問題が発生した。体が眠りに落ちようとすると、パルスオキシメーターがピーピー鳴りだして、息苦しくなる。逆か。寝落ちするくらいになると息苦しくなり、アラームが鳴るのか。いずれにせよ、その度にまどろみから覚める。なぜだろうと思い、スマホを取り出して調べる。低酸素血症の危険性だ。と言うか予防的措置だ。つまり、まだ呼吸器の機能が全身麻酔によって幾分麻痺しているのだ。働きが弱い。元々眠りに入ると呼吸は浅くなるようだが、麻酔の効果が残存しているため、呼吸能が低下している。結果として酸素が足りなくなり、息苦しくなる。オキシパルスメーターも警報を鳴らす。なので、看護師さんを呼んで酸素をつけてもらった。すると何と楽なことか。ここで酸素チューブの意味を初めて知る(アホ)。とにかく寝ていても息苦しくない。酸素ってスゲー。酸素ありがとう!酸素万歳!!笑


 と思って寝る。そして夕方に起こされる。飯だ。おかゆを食べるとのこと。全身麻酔をした人は吐き気をもよおして食べられない人がいるらしい。しかしそんなことはYskにはまったくの無縁であった。なにしろ前日夜から絶食だ。即座に全てをかき込んでまた横になった。その日はこれからひたすら寝るだけだった。寝返りも自分でやって良いと先生がおっしゃってくれたので、看護師さんの手をわずらわせることなく、自分でしょっちゅうやっていた。しかし、寝ると言っても一時間から二時間おきくらいに看護師さんが色々と経過観察をしに来てくれるので、(大変有り難いことだし、必要不可欠のことだが)熟睡というわけにもいかなかった。(無論看護師さんの献身的なご対応には本当に感謝している。)特に点滴は重要らしく、痛み止め、抗生剤、ブドウ糖液等の点滴剤を何度も交換しては輸液していた。ありがとう。しかし度重なる輸液のせいか、トイレがもの凄く近い。容器の交換を何度となく繰り返しお願いしてしまった。本当にすみません。これは個人差が大いにありそうだが、こんなんで看護師さんのお手を煩わせてばかりなら、ベッドの下にでも石油タンク並の大きなタンクを置いてくれれば、全て自分で処理できるのに、、、と心底思っていた。
 もう一つここで一つメモしておきたいのは、トイレ時の痛みである。特にカテーテル抜いた後の数回はとても痛い。粘膜が傷ついているからだろう。全身麻酔による負担を考える時に、そこの痛みのコントロールにも今後ぜひ気を使っていただきたいものだ。とは言っても、トイレの回数を重ねれば自然と痛みは緩和されたのだが。
 その他、頻繁に看護師さんが確認していたのは、切開した腰に繋がれた血液ドレーンの管から出る血液の量である。この出血量が減ってくるとこのドレーンを抜くらしい。初日は100mlくらいの血液が出たようだ。何のためにこのチューブを入れているかと言うと、切開した筋肉や皮膚から血液が出るのは当然として、それが傷口や筋肉の中で固まると、ヘルニアのようにそれが障害物となってまた神経を圧迫する可能性が高まるとのこと。それゆえ、その血液を外に排出するためにドレーンを挿入しているらしい。よく考えられたものだ。最終的にこの血液ドレーンは3日後に外された。(先生が不在だったので、普段よりはちょっと遅めだったらしいが。しかりしっかりと血液を抜くのだからその方が良いとも考えられる。)
 ともあれ、この様に多少の不自由を抱えながらもその日の夜は横になって寝返りを繰り返しながら翌朝を迎えた。

続きは次回。歩行・リハビリ編。
それでは。


Ysk