完全に知らなかった

僕たちはわかりあうことができない

1936 - 2013

 

"宇宙だなんて言わないで星々 埋まったままで瞬く夜もあるから"

 

 

仕事の休憩時間に、人から借りた本を読んでいた。読み始めてほどなく、ブックカバーの紙質が、なんとなく気になってめくってみた。紙の隅にはURLが印字されていた。どこかのWEBページの画像を印刷したものなのだ。それはどこか遠い星雲の写真であった。

僕はそれに気づくと同時に、持ち主に対して今までの人生で感じたものとは別質の強い愛情を覚えた。

 

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このカバーに写る中にも、今はもうないものもあることだろう。

実体はなく、光だけが視えるものもあることだろう。

本の中では物語の序盤で人が死に、作者も僕が生まれる前に亡くなっていた。

短歌たち

私はこの前を読むことが出来ない 翳る悲しみが壁になって過去

スクールバッグ 名前のない”かわいい”がおどるステージへおくるストロボ

何をする人なのかも知らないままに憧れていたのよ調律師

「晩年っていつだったの」と問いかける死にゆくものを見つめる瞳

ぐるぐるとまわる水族館の水 冷たさを知るもののあはれ

糖度を誇る者共の整列なさるショーケース 数限りなく苺

蛇を飲む蛇 蛇を飲む蛇 蛇を飲む蛇 蛇を飲む蛇 蛇を

規則正しく振り子二つが揺れ続け二年に一度触れ合う

半額に変えるシールをはためかせスーパーマーケットがさようなら海

ときどきだけど飲みたくなるんだって笑って一人と一匹で終わらせている

こんなにも失ってみせたのにまるで信じきれないあの映画祭

秋がいる時間だけ開くテーブルと壁の隙間の世界

「濾過をしているんです」 宇宙人にいつか教えてあげたいねバル

生物と非生物の境目をつらぬいてゆくつまらないうた

生命線をずっとずっとずっと伸ばした先に運命がある姿勢で眠る

尊さを意味します ああ わかっていたような気がします 意味 無意味 意味

この白髪、若い頃からあるんです。クローンじゃないって信じてくれます?

調理器具がわかるわたしとわからないあなたが暮らす以前のタイル

逆再生するみたいにこれが魔法じゃないと教える仕草

また一人ともだちを減らして透明度で満ちていくこのフィギュアケース

妹が夕べ泣いていたあたりに埋めたことがあるいきもののこと

小鳥にとってはあの部屋だけが世界の全てなんですよ 副機長より

身体に良い物売りの列 「早くしろこれは寿命との勝負なんだぞ」

土星の輪をつなぎとめているものたちの正体がきょうわかったらしい

 

思い出してやることだけがせめてもの供養なのだろう青春の

思いついたことを全て書こう。

思いついたことを思いついた順番に全て書いて、それを振り返ってタイトルをつけたら、そのタイトルが2013年夏の俺が持つ全てのポエジーだ。

風呂に入ったり一人で飯を食ったりしている間には無尽蔵に何かしらが思いつくし、そしておおよそそれらは面白い。驚いたことに俺の頭の中からまるで自動的に生み出される言葉たちは俺を楽しませる。いつだってだ。

しかしそれを文章としてあるいは発話として収めようとしたとき、たちどころにそいつらの姿は消えてしまう。ないわけではない。あったものがなくなることはない。俺の頭のなかにはいつだって自動的に面白さが生まれている。なくなっていないのだとしたら何か。薄まったのだろう。薄まったのだ。宝石を削りだす優れた職人は鉱石を見てその完成形を思い浮かべるだろう。俺は俺の頭の中の鉱石を削りだす唯一無二世界一の職人なので、まだ完成していない形を持たないものたちをノータイムでエンコードし味わうことが出来る。”それ”をそれのままでそのまま咀嚼し楽しむことが出来る。だが残念ながら一遍そいつらを頭から出そうとしたら大変な苦労だ。何せ何かに変えなくちゃいけない。それはとても面倒だし、僕にはあまりにも難しい。夢も目覚めた時に言語化なり視覚化なりしているだけで、実際は完全にイメージだけ概念だけの世界なんじゃないかと思っている。本当はそれをそのまま保存して、人生の間に見た夢全てを死に際に再生したい。そんなことを考えている間だけは目覚めているときの夢が降りる。

 

電車の中、あるいは仕事中・授業中、本当は完璧な自分に対する答えみたいなものを掴んでいた気がする。

 

俺はゆっくりと少しずつ物事を進めることが苦手だ。正確にはすることが出来ない。アイキャントだ。何もそれは難しいことばかりじゃなくて、物を食べることなんかがそうだ。俺はガムを噛むのが苦手だ。下手だ。ゆっくりと噛み続けることが出来ない。口に入れるなり全速力で味がなくなるための手段を行使する。要するに噛む。そうして口の中の物に味がなくなれば、次の塊を口に。噛む。その繰り返しだ。これはガムを嗜んでいるとは云えない。戦っているのと同じ。これは戦争だ。さようならロッテ。韓国旅行から帰った同僚がロッテ製のお菓子を買ってきたことがあった。それは日本のコンビニでも買えるものだった。餅チョコ

チョコレートが身体に合わない。どうもチョコレートが身体に合わない気がする。「気がする」とは書いたが、実は半ば確信に至っている。食うと頭が痛くなるからだ。何度も人体実験を繰り返し、とうとう結論を出さなくてはいけない日が近づいているようだ。チョコレートが身体に合わない。味は好きです。でも本当に好きなのだろうか?

俺は子どもの頃から甘いモノが好きで、人並みに食べてきた。でもそれは本当に好きだったのか?子どもの頃の好き嫌いが自分で選び取ったものとは思えない。なんとなく俺は「子どもは甘いものが好きだ」というイメージを正直に写しとっただけなように感じられる。

うちの母親は「(俺)は納豆が好きね」とか、今にして思えば。テキトーに、あるいは「それを好むことで母親にないしは家計にメリットが有ることを望んで」俺に語りかけた。俺の母は俺に語りかける。サンボマスターが俺に語りかけてほしい。今はそんなに聴かなくなったけど、俺の青年期を支えたものの一つだった。楽器が弾けるような人生が良かった。それは今からでも手に入るのだが、楽器が弾けた青年期はもう手に入らない。なにせ青年期はもうこない。時間は戻らない。様々な経験や思考を経ても結論は「時間は戻らない」だったりする。残酷というか面白みのない話だ。文化祭でバンド演奏をする機会が俺にやってきたら、これはもちろん時間が戻ったらという話で、つまりありえない仮定の話だ。夢想。夢。俺は何をするだろうか。これはもちろんありとあらゆる努力や才能を乗り越えて、俺はなんでもやりたいことがやりたいように出来たとしての話だ。夢想。何をするだろうか。たとえば高校時代に。実際に俺が通り過ぎた高校なんかじゃなくってもいい。もちろんだ。自由なのだから。素敵な学園生活の中、素敵な友人に囲まれた俺は、そこで何をするだろうか。そんなところでやりたいことは一つもない。けどその時の流行りのバンドのコピーバンドでもやるのだろう。もちろん俺はギター兼ボーカルで歌は上手いし演奏は上手い。オリジナル曲なんてもってのほかで、意思や思想なんてひとつまみほども入らない。学園祭のプログラムそのもののように振舞って、終わったら打ち上げの一つでもするのだろう。だがそこで涙を流すことはない。都合の良い夢の中で流れる涙はない。

泣くことはとても気持ちがいいので、泣けるお話泣ける映画に群がる人々を笑うことができない。できないことだらけだ。現実の俺は。ただ泣くことはできる。誰に寄り添うでもなく、俺は俺のためだけにただ泣くことができる。泣いたり笑ったりすることは自由で、それが自由なことではないかのように思える日々を生きている。ステージの上でギターを弾く。だが実際には弾けない俺のイメージはあまりにも貧困で、手元はぼやけている。本当に、一つでいいから得意なものが欲しかった。一つでいいから。もうすぐ三十になる。なにか一つでもいいから得意なものができるといいね。

 

たとえばガム たとえばギター たとえば死 手から離れていくものたちへ

 

 

無自覚に燃える

僕の頭に、消えないかさぶたがある。いつからあるのかもわからないし、原因もわからない。

ときどき少しだけ痒くなって存在を思い出す。今日は血が出てしまった。

短期間で、それぞれが無関係な三人の友人たちから、結婚に関わる話を聞いたとする。

それは一人がどんなに時間をかけても表せない、俺の人生への現実感を伴う。

SNS上で、普段は気楽な馬鹿話ばかりしてる人からシリアスな話題が放たれ、それが連なる。

そういうものを見たときに、自分の人生が思うよりシリアスに人生に直面しているのだと、直面し続けているのだと理解する。

僕の気の迷いの真剣が、それぞれにとっての他人と交わって絡み合って、消えないものになるのかもしれない。

いつか鈍く小さな痛みとともに血を流すことがあるのだろう。

見た目記念日

雪の降らない街にでも、ときどきは雪が降る。

 

やることがないあまりオタクになった。

決まった曜日に決まった雑誌を買って、決まった日付に決まった漫画の単行本を買う。

決まった曜日の決まった時刻にテレビの前に座る。やらなくてはいけないことが欲しかった。

毎日が何かしている気持ちになる方法を、他に知らなかった。

そうして何年か経って、通う学校が変わる頃に、自分にオタクの才能がないことに気づいていた。

その当時までは、全員がスポーツに打ち込む若者にはなれなくても、誰にでも恋愛に燃える青春は手に入らなくても、オタクにはだれでも等しく平等になるチャンスが、才能が、能力が、あると信じていたのだった。

ある夜、積み上がったVHSたちの中から、いらないテープを探している最中に、全てがいらないんだと気づいた。この全てがいま目の前から消えても、壊れても、燃えても、全く少しも一切悲しむことはない。この中に、この部屋に、自分に、大切な物は何もなかった。何もなかった。

彼ら彼女らが本気で、好きな作品を繰り返し何度も何度も見ては新たな発見をし、熱中を捧げていることを知ったとき、作者に憧れ、尊敬し、近づきたいと願っていると知ったとき、それらの世界に焦がれ、「向こう側」を見つめていると知ったとき、自分は仲間になれないとわかってしまった。

そのきっかけが同じように逃避であっても、自分はきっと同じようにはなれない。

オタクの才能がある連中が羨ましかった。そんな風に繋がり合ってみたかった。

少し変わった趣味を持った自分に酔ってみたかった。キャラクターたちに恋をしてみたかった。

痛い思春期を過ごした思い出だって、誰にでも手に入るわけじゃない。

取り返しの付かない無駄遣いだって、誰にでも出来るわけじゃない。

 

惰性で伸ばしていた髪を切って、東京に来てからの数年で、彼氏もできた。

憧れることに諦めていることを忘れていた日々が、こんなにも簡単に手に入ってしまった。

今では、誰かのために卵を割った日々が過ぎて、また自分だけのために卵を割るようになっても、これが今だけのものだと、信じられるのだ。

そうして古いアニメの再放送を見ながら、甘いものが好きなフリをして笑っている。

 

19才のハチミツ

花を贈ろうと思った。

クリスマスの夜に花束を贈ることは、なによりうってつけに思えたのだ。

19才の僕には、花屋は高校へ向かう道の途中にある一つだけで、それより他には存在しなかった。今では近所を歩くだけで七軒は見つかる花屋だが、当時はそんな様子だった。

その頃の僕は、それから先もその一つだけで、ずっと生きていくつもりでいた。

 

地元の冬は風がいつまでも強く、それは18の僕と比べても何ら変わらなかった。ただ自転車に乗ることが、少し下手になっていた。

世界でただ一つの花屋までは12kmの半分ほどあり、その12分の1ほど進んだ頃に、12kmの3倍ほどに感じられた。

僕はハチミツのことを考える。ミツバチ一匹が生涯で集めるハチミツの量はティースプーン1杯分ほどらしい。また素となる花の種類によって味や香りは変わるらしい。

ミツバチが世界中にどの程度の範囲で暮らしているかは知らないが、きっとそれぞれの国の、それぞれのハチミツの記憶があることだろう。

花畑を飛び交うティースプーンたちへの感情もまたそれぞれあることだろう。

 

そうして飛ばされそうな向かい風を越えて、花屋にたどり着いた。

3000円かそこらを店員のおばさんに渡して、花束を作ってもらう。

なんとなく作る手元を見ることに罪悪感を感じた僕は、店内の名前も覚えるつもりもない花を見回す。クリスマス時期はバラが高くなるのよ、なんて話を聞きながら、待つ。

出来るだけ立派に見えるように作ったわ、と言われながら、目を逸らして受け取った。

 

帰り道のことは少しも覚えていない。それが日が暮れたせいなのか、あるいは追い風のせいなのかは、わからない。

 

寝静まったリビングのテーブルに花束だけを置く。出来るだけ立派に見えるように置く。

カードを添えるには、素敵な紙も、ペンも、言葉も持ち合わせていなかった。

 

翌朝の寒い部屋で「ちゃんと手渡しで貰いたかった」と不機嫌そうに母は笑っていた。

あの花束から採れるハチミツの量は、どれほどであっただろうか。

あの花束から採れるハチミツの味は、どんなものであっただろうか。

僕の生涯で生み出せるもののなかで、どれほどの価値があった花束だろうか。

 

失踪と、決まらないことの話

失踪するなら今だろうと思う瞬間がある。

恋人と過ごす休日の中、一人で自動販売機まで向かうエレベーター。

通勤電車の代々木公園駅。

待ち合わせ場所に先に着いた友人に、到着を知らせるメールが送信される瞬間。

消え去りたい悲しみや、死んでしまいたい苦しみとは遠い時間に居て、それでもなお、失踪するなら今が正しいと思う。

一切の計画性や脈絡を無くせるんだと、自分から吐き出せると信じているのだ。

 

食べたいものや、入る店が決まらないことがある。

地元にいた頃は選択肢自体がなかったし、迷うこともなかった。そもそも自分で食事を決める機会なんてなかったのだ。

群馬の田舎町で18年を過ごして、それから先は東京の端っこから都心へ通っている。

本当はその中に八王子があったが、あの期間は曖昧な日々だった。あれが八王子でなくても郡山でも仙台でも田町でも、とにかく地元でさえなければ何も変わっていなかったように思える。

ようやく十年とちょっとをおおよそ一人で暮らしてきて、食べたいものが決まらない。

決まらないことを許しておきたいと思っている。些細な自由を許しておきたい。

 

本当に小さな、日常に選択を残しておきたいのだろう。

「その気になれば」を持っていたい。日々を手放すことや、初めてを食べることを、大事に大事に握り締めている。

新しいことを始めて上手くいく可能性を、上手くいった未来を減らしたくないのだ。

そうしてブログ一つも始められずに生きる。生きていた。

才能ある僕を、才能のあった僕を、活躍する僕を、活躍した僕を、輝ける僕を、輝いている僕を、愛される僕を、愛された僕を、信じられる僕を、信じられた僕を、手放すことがいつまでもできない。