お気に入り記事の保存はアプリが便利!

ほぼ日刊イトイ新聞

2024-05-07

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・生きているというのは、体温があることかな。

 死んじゃっているものは、
 見た目がそっくりでも温度を失っている。
 人間や哺乳類は恒温動物と呼ばれていて、
 ある一定の体温をキープしている。
 生きてない人間や哺乳類は、体温がない。

 ヘビだとか魚や虫だとかの変温動物は、
 体温がないのかといえば、そんなことはない。
 筋肉を動かしたりすることで体温を上げているらしい。
 「冷血動物」とか言うのは正しくないのだ。
 そして、変温動物も死んだら温度はなくなる。

 植物も、体温がある。
 太陽の光で光合成しているのだから、
 もともと熱は吸収しているわけか。
 葉の温度が高くなりすぎると、蒸散といって、
 汗をかいて温度を下げるしくみも備わっている。
 しかし、植物も死んでしまったら温度はなくなる。

 ね。
 生きているって、体温があることでしょう。
 「あの人はあたたかい人だ」という言い方も、
 その人の体温が感じられるってことでもある。
 その感じを「ぬくもり」という言い方で表したりもする。
 好きなんだよな、生きものって、「ぬくもり」が。
 変温動物のカメが、部屋に放し飼いのようにしていると、
 えっちらおっちら人の膝に乗ってきたりするという。
 「ぬくもり」を求めて歩いてくるわけだ、愛じゃなく。

 同じ部屋にたくさんの人がいると、
 人の体温が少しずつ足し算されていって、
 「暑いなぁ」なんてことにもなるのだけれど、
 これも不気味な例を出してもうしわけないが、
 死体がどれだけあっても、蝋人形がいくらあっても、
 体温がないから「暑いなぁ」なんてことにはならない。

 リモートの会議とかって、体温を忘れているよね。
 マシン自体は発熱もしているんだけどね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ぼくが犬のおなかを好きなのは、弱くてあたたかいから。


ここ1週間のほぼ日を見る コンテンツ一覧を見る
ほぼ日の學校
吉本隆明の183講演
ドコノコ
ほぼ日アプリ
生活のたのしみ展
TOBICHI東京
TOBICHI京都