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ほぼ日刊イトイ新聞

2024-04-18

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・歴史の勉強のなかで、なんとなく年号を憶えるじゃない? 
 仏教伝来だとか、鎌倉幕府の成立だとか、
 年号とそのタイトルみたいな数文字が結びつくと、
 それでもうなにか知ってるような気になっちゃう。
 ま、それにちょっとだけ「あらすじ」みたいなものとかね。

 でも、思うわけですよ、大人になると。
 鉄砲伝来は1543年(天文12年)だって。
 種子島に漂着したポルトガル人が鉄砲を持ってた。
 そこから、日本の戦ががらりと変わるんだよな、と。
 これだけ知ってると、なんだかぜんぶ知ってる気になる。
 テストで出題されるのも、せいぜいカッコのなかに
 (1543)(種子島)(ポルトガル人)とか記入できたら
 点数がもらえると思うんだけどさ。
 ちょっと考えたらすっごいことですよ。
 だって、それまで鉄砲、なかったんだよ? 
 なにかしら似たようなものがあったのか、なかったのか。
 鉄の筒(パイプ)をつくるったって、どうするのさ。
 刀鍛冶とかはいたと思うけど、
 火薬の爆発で弾丸を飛ばすなんて経験してないからね。
 作り方もわかってないし、材料もわからないし、
 それをどう使うのか知ってる人間だっていなかった。
 そういう状態から、「織田信長が鉄砲を使って
 戦いをどんどん有利にしていきました」という話に
 つながっていくわけだけど、このプロセスって、
 一から再現するとしたら、いまの時代だって大変でしょ。
 ものすごくたくさんの試行錯誤があったと思うし、
 とんでもない数の人たちがあれこれ働いただろうし、
 その背景にはいわゆるロジスティックスがあるしね。
 「鉄砲伝来」という点のような出来事が、その後、
 線になり面になり動いて増えて社会を変えていく。
 その過程というのは、「人とアイディア」の集積だよね。
 ああしよう、こうしよう、を、ほんとに実現していくって、
 「人とアイディア」の点滅と集散の物語なんだよな。
 郵便制度を実現する、みたいなことだって、
 あの無数のポストやら、集積や配達の仕組みを学んで、
 そこで働く人たちがそれを理解して、成り立ったわけで。
 なかったことをやりだすって、とんでもないことなんだ。
 …というようなことを、とてもちっちゃい規模で、
 ぼくらも考えたり手足を動かしたりしているわけです。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
たとえ「砂上の楼閣」でも、つくるの大変、こわすの簡単。


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