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ほぼ日刊イトイ新聞

2024-05-08

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・楽屋話みたいなことを思いついたので、書いてみます。
 吉本隆明さんのことは、いままでにも何度も
 書いたり話たりしています。
 こういうところがいいなぁ、とぼくが思ったことについて、
 いくつかのエピソードなどを語ってきました。
 たとえば、花見の場所取りのために、
 早い時間からブルーシートを持って出かけて、
 みんなが集まる夕方になるまで、本を読んで待っている。
 たとえば、娘のばななさんも言っていたことだけど、
 「大勢でいるところでは、いちばん低いものでいなさい」
 と、それが唯一の教えだったこと。
 たとえば、吉本さんの家をおいとまするとき、
 玄関まで動かない足を引きずりながら見送ってくれること。
 たとえば、どんな人の話でも、それが
 幼い子どもでも、よくわからないお年寄りだったとしても、
 真剣に頷きながらしっかりと聴いていたことだとか。
 若かったり、小生意気だったりしていたぼくなんかですが、
 世間では大思想家みたいに語られている吉本さんが、
 こんなに謙虚で、人に対する敬意を表していることについて
 尊敬したり憧れのような気持ちを持ちました。
 で、ときどき、就職が決まったばかりの若者に対して、
 「月曜日の早い時間とさ、金曜日の遅い時間と、
 どっちもまじめにちゃんと仕事場にいるのが大事なんです。
 このふたつの時間に、ちゃんとやっていれば、
 一週間の、間のところは適当でもわかりゃしないから」
 というような処世のコツみたいなことも教えてくれていた。
 そういうのも、いいなぁと、つくづくぼくは思ってました。
 で、ね、いまごろ気がついたのだけれど、
 吉本さんの、そういう、ぼくの好きないいところって、
 詩の表現でもなければ、評論やら思想の部分でもないんで。
 いまぼくが読みはじめている「論語」に書いてあるような
 「生き方」や「人が大事にすること」に則っているんです。
 まさしく「恕(思いやり)」を基軸にした孔子のようで、
 そこに江戸前の「ちょっと喧嘩っ早い」を混ぜたような、
 どっちにしても「旧きを温ねて」の生き方なんですよね。
 吉本さんが、一生をかけてたくさんのことを考えた、
 その土台のこころのところには、もしかしてだけどー、
 紀元前500年あたりの人が考えた「恕」が根付いていた。
 なんて、ただの思いつき話を吉本さんにしたら、
 どんなふうに聴いてどう答えるのかなぁ?

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「人が大事にすること」って、人がずっと考えていることだ。


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