今日のダーリン

・先日、渋沢栄一と近藤勇は二度ほど会っていた、
 これは同時代に生きていたふたりだから意外でもない。
 というようなことを書いた。
 歴史というのはおもしろいもので、
 あらゆる物事の意味の重要度を測り、
 その重要度の順に記録に残すことになっている。
 時代が離れるほど、また距離が離れるほど、
 圧縮比は高くなってしまう。
 かつて、ぼくは新聞記事で、ビートルズのことを
 「英国の四人組音楽グループ」と記されているのを読んだ。
 なにもまちがっていないが、なにも伝わってこない。
 なにせ、かつてアフリカ大陸で生まれて、
 直立二足歩行をしていた人などは、すべて無名のままだ。
 たった1名様だけ後年「ルーシー」と名付けられた。
 時間と空間の距離が離れていると、そういうことになる。
 
 しかし、同時代に生きていると、
 物事の重要度も、それなりには重要視されるが、
 無数のノイズなどもそれにともなって行き交うことになる。
 いま生きている人にとって、そのノイズや、
 関係なさそうな関係までも含めてその物事なのだ。
 よくいえば、同時代の情報というのは超リッチなのである。
 
 昨日の「スポーツ報知」でこんな記事を読んだ。
 (前日の試合で、一死満塁の場面で救援のマウンドに立ち、
 相手の四番牧選手を三ゴロ併殺に仕留めた)
 堀田賢慎投手は発泡入浴剤を3つ入れる。
 「リラックスできますし、疲労回復にもなる。
 本当に効いているかはわからないですけど。
 シュワーってなってるんで」と白い歯をのぞかせる。
 ということが書いてあった。
 この記事、意味の重要度は限りなく低いと、ぼくは思う。
 そして、「効いているかはわからない」というところで、
 その低さは、さらに低められてもいる。
 しかし、同時代のぼくはこの日、この記事を読んだ。
 そして、この先、堀田賢慎という投手が活躍するたびに、
 「発泡入浴剤3つ入れる」ことを思い出すだろう。
 同時代に生きている者同士の間には、
 こんな素敵などうでもいい話が無数に飛び交っているのだ。
 この豊かさは、同時代にいないかぎりは味わえないものだ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ぼくは昨日「ビーバーが齧った木」をもらった。豊かだろう?