今日のダーリン

・これはあんまりつよくは言いにくい考えなんだけど。

 仮に、「幸せの切符」というものがあったとしてね。
 それは全国に100枚くらいしかないようなものじゃない。
 1000枚とか10000枚なんてケチなものでもない。
 けっこういっぱい配られているような気がするんだ。 
 機嫌のいい子どもなんて、1日に何枚も使ってると思うし、
 好きな人のいる人なんかもその切符使ってるよね。
 ちょっといいシュークリームを食べるとかでも、
 「幸せの切符」を使ってるわけだし、
 いつもニコニコしている誰かさんなんて、
 毎日みんなに向けてばらまいてるよね。
 
 しかし、これまた、多くの人が、
 「この切符は取っておいて、
 ほんとうに大事な使うべきときに使おう」とか、
 「もっと幸せの切符を貯めておいて、
 大きなことに使ったほうがいいんじゃないか」とか、
 「みんなから幸せの切符を回収して、
 それでもっとたくさんの幸せを確保しよう」とかね、
 思ったりもしているよ、たぶん。
 
 ほんとは「幸せの切符」というのは、
 貯めておくようなものじゃないんじゃないか。
 ぼくは、そういうふうに思っているんだけど、
 その場その場の思いつきで、すぐに使っちゃうって、
 あんまり利口そうじゃないのかもしれないね。
 ムダ使いはよくないって考えられているのかもしれない。
 そういう考えは、もともとぼくの中にもあったよ。
 だけど、よくよく考えてみてくれちゃってくださいよ。
 貯めに貯めたものを、いつどういう機会に使うのか。
 おもしろくないのにがまんして貯めてきたものは、
 どんだけ素晴らしい幸せのために使うのか?
 あんがい答えを持ってないってことない?
 とにかく貯める、溜める、残すことが
 身についちゃってるんじゃないか、考えなくて済むしね。
 「幸せの切符」を使うのを先に伸ばすの、なんでだっけ?
 これ、じぶん自身にもあらためて問うてみたいよね。
 「クーポン券貯めてもたいして欲しいものなし」
 なんか、そういうこと感じたことないですか?

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
大人も、子どものように「いま」を大事にしようってことか。