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ほぼ日刊イトイ新聞

2024-05-17

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・俳句の夏井いつきさんが、対談のなかで、
 ひょいっと「つい元中学教師のクセが出て」と言った。
 ああ、この方が中学の先生をしていたということは、
 その後の俳句を普及させる活動の土台をつくるのに、
 とてもよい経験だったんだなぁと、しみじみ思う。
 人は、どんなに大人になっても、
 そうそう簡単になにかをわかってくれるものじゃない。
 さらに、いつもまじめに人の話を聴いてくれたりはしない。
 そして、ときには真剣に、ときには強い好奇心で、
 もっともっとと吸い込むように学びたがることもある。
 そういう「ごくふつうの人」の原型が、中学生である。
 言い方を変えれば、中学生とは「人の濃いやつ」である。
 そういう人たちになにかを伝えたりしていたのが、
 「中学教師」だった夏井さんということなのである。
 こういう経験がいまの「俳句の種まき」活動に
 役に立たないわけがない。

・学校の先生をやっていたという人は、たくさんいる。
 それがいやでやめた人もいるだろうし、
 熱心に教師をやってなかったという人もいるだろう。
 しかし、それでも、「人が学ぶ」ということの
 道筋を教えたり後押しをしたりの手伝いをすることは、
 その先生の側にもとても大きな学びを与えるのだろうなぁ。
 勉強なんかちっとも好きじゃなかったぼくは、
 いまごろになってそんなことを思っている。

・人は、中学生でも、小学生でも、幼稚園児でも、
 はたまたおじさんでもおばさんでも、前期後期高齢者でも、
 ほんとうは「学ぶ」ことが大好きだ。
 うちの娘の娘がポケモンの名前やら特性を
 むやみに暗記してるのだって真剣な「学び」の成果だ。
 スポーツを本気でやってる人たちの無限の向上心は、
 いつでも「学び」に目を輝かせている。
 ゲームに夢中になっている大人も子どもも、
 技を磨くための「学び」には労を厭わない。
 そういう「学び」の本能みたいなものに火を付けるのは、
 たぶん「先生」役をしている人の最高の愉しみだろう。

 かつて、熱心でもない生徒だったぼくなんかでも、
 いつでも本気の「学び=遊び」には貪欲だものなぁ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
『ブレイキング・バッド』というドラマは教師万能の物語。


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