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な が れ

ときどき つぶやく 短信日誌

くどう ひろし / KUDOO Hirosi

「ながれ」ふるぶみ


2020年01月03日。わざわざ「うたを つくる<なす」ことを しなくても、いつのまにか「うたは できる<なる」日本では、行為の 意志性・作為性は つよくない。と ともに、さほど 苦労せずに、うたが「できる・なる」のだ。ひとびとの はなしことばが おのづと 「みそもじあまりななもじ(37文字)」に なったり、かきいだせば、「げに みそもじあまりなりけり」と なったと いう。「古今集」仮名序の 作者に 仮託された 紀貫之の 「土佐日記」の はなしだ。「手を 打た」ば「うた」に なるか どうか。うたと ふみと おなじに なるか。日本文学史は どう 展開するか。たしかな phylologist は いるのか。中西進は、実証(phylology)以前の 印象派だ。

2020年01月02日。ヨーロッパじこみの 歴史の はじまりは、採集狩猟経済から 定住農耕経済へ、だったね。生産体制史が 唯物史観の 基礎に なるんだったね。でも、ものを つくらなくても、ものが あまることも あるよね。大豊作の「ほしぶどう」とか、大群の「シャケの トゥパ」とか、いわゆる「干物」の かたちで 《余剰生産物の 保存》が おこなわれる ことも ある。「定住農耕」以前の ことだ。ここでの 《人間行為》の ポイントは、ものの 《あま り/し》《た・く(食)はへ》だ。「しておく」生産行為の 計画 ってよりも、保存動作の 徹底 って 感じだ。

2020年01月01日。チーちゃん、ことしは ことばの くみたてのことは 国語学者に まかせておいて、ことばの「つみたて」のことを かんがえていこう。学者は もう ほっとこ。「国語」が 宝の山として のこっているんだからね。


2019年12月26日。「声帯(声門)」は、そもそも 発声器官なのか、嚥下(のみこみ)器官なのか。脳幹出血(2008年なつ)から 小脳出血(2019年はる)の 故障に さかのぼり、さらに 生体の 基礎を さぐる。また、2019年も おわる。

2019年12月16日。古稀 すぎて いきながらへた。いきたくとも しにたくとも、所詮は おなじ、さまよひなりけり。
「日本語の 歴史」(ノート)、絶筆に できて よかった。すこしの しばいッけは、さいごの ゴあいきょう。

2019年12月15日。また いはく、あめつちの ことだまは ことわりを もちて、しづかに たてり。(あゆひ抄 おほむね上) 上田萬年 山田孝雄 ご一統さまには きく みみが そだたない 不幸、明治國學維新 が おそったか。

2019年12月14日。人を 見送る 峠の 道=花咲か庭=盛り場、もっとも 人・物的な むすびつきが《さか=栄ゆ》であろう こと。動詞「栄ゆ」より 情態言「(芽が) 裂か」が もっと さきであろう こと、… 。「サカ」は、[き」→「栄ゆ」を かけた 比喩的転用である ことは まちがい ない。たしかに、よたばなしには ちがいないが、明治以降の (上田萬年)日本語学が ことに よわかった ところ。ことだまノ、やはり チャキ(先 幸)パプ くにか!

2019年12月10日。ところで、「坂=スロープ」(0度<30度)が 「境目」に なる という (地国と 根国との) 棲み分け〜領域は、「(死国から 生国まで 逃亡を) し切る」という わけかたとは ずいぶん ちがう。ロシア帝国の 領地分割!! いったい「アスペクトロジスト」は、日本語のことを かんがえたのか。西洋語の 直訳だったのか。

2019年12月09日。むかし 日本語と ロシア語とを 勉強していた ころ、「自他」か 「アスペクト(体)」か。「格(ヒト/モノ)」か 「動作(行為/変化)」か。「さか(坂・境)ひ」か 「しきり(限界)」かと かんがえ、格(人間・物品関係)は、動作関係において 時間で 抽象すれば、アスペクト関係に なるぢゃないか、とも まぜかえしてみた。―― そんな 気楽な 言語学も あっただろう。「まな(ね)び」とは 所詮「ことばあそび」だったのかもと 70病身にして、おもう。ひとまづ、自称「(日本)アスペクトロジスト」を 勇気づけておきたい。やるべき ことは やれョ。

2019年12月05日 いわず(不言)の さかいに はいる。

2019年12月04日。「装よそひの 図かた」の 基礎に もどった ほうがいい。分類項の @項「本」、A項「末」と ならべて、B「引・靡」2つが 3項に ならべて いれられている。そして、C「往 きしかた」、D「目 めのまへ」、E「来 あらまし」という 別の 分類原理が ならぶ。便宜、以降 不問と しておく。すくなくとも 2つの 原理で、活用を みていたのだ。たとえば、機能位置と 意味形態と だ。凡庸な 研究史家には みぬけない。(社会)通念に じゃまされている からだ。

2019年12月03日。冨士谷成章の「靡き」は、「草木も 靡く」ではなくて、「名引き」が 本性なのだ。「ありさま(状詞)」の 《ひき》と 「こと(動詞)」の 《ナビキ》によって 「連体=準体」の 《ひき》」の 本質を あらわそうとしたのだ。ただし、「名詞に 連体が なびく」という 比喩としての 使用法は すててはいない かもしれぬ。

2019年11月10日。ぃろは にほへど  ちりぬるを
        わが よ たれぞェ  つねならむ
        ぅゐの ぉくやま  けふ こえて
        ぁさき ゆめ みじ  ゑひも せず    (令和 ○0 ぃろは)

2019年10月22日。退院したのは 7月22日だから、3か月 たった ことに なる。小脳出血で 緊急入院したのは、その 4か月前の 3月29日だ。サイトの 文章は『日本語の 歴史』の「18) 品定めの 分化 」で 中断していて、日づけは (2019.03.29.記)と ある。月末 年度末だった ことは 小脳出血で たおれた ことと 関係しよう。国語学界に 根も あいそも つきはてた 気分だった のだろう。その後 かきつぐ 意欲が わかない。ほんとに 不逞遊民であろうと おもっている のだろう。天皇も 代がわりし、年号「令和」を いいひろめた ことだし …

1945年08月15日[「終戦の 詔勅」(録音)公表の 予告日]。詔勅って、そもそも はなしことば、かきことば、どっち? 天皇制を かきことば性(文章語性 荘重・神秘性)に とじこめたのは、150年ほどまえの 明治政府の 近代化 作戦だろう。ex. 軍人勅諭、教育勅語 …  国語(学)、歴史を わすれて、《王政復古》いまも 時空 さだまらず。
 最初の 天皇の こえ(はなしあい discourse の plane)に対する、無言の 礼(怨霊の こえ・かたり history の plane) は きこえた のか。感情過多・無感覚な 泉井の みみには、はたして どう きこえた のか。サピアの 特説した「音・文 パタン(sound, sentence pattern)」が つたえあい communication の ポイントに ある。抽象的な プラーグ機能主義的な「音韻」だけでは すませられない 問題であり、「音声要素の dynamics(強弱演奏法)」も 場面的に 具体的に 記述すべき 状況なのだ。
   ウウウウウ ムムムムムムム ムムムムム ンンンンンンン ンンンンン ウウウウウウウ …
「新大陸」の 意気を つたえる 人類(学的)言語学 の《進取の 精神》が、はたして 新村コンプレックスに こりかたまった、旧知識人 泉井久之助に あった のだろうか。 (とくに O.M.に。 2019.08.12-8. 表現の 推敲)

2019年08月11日。いたいから なくのか、なくから いたいのか;うれしいから わらうのか、わらうから うれしいのか;はらだたしいから いかるのか、いかるから はらだたしいのか;100年ほど まえの プラグマティストの ウィルアム・ジェームスは、感覚(行動)が さきで 感情が あとだ、と かんがえた。それまでの 主情主義の 逆転、ひとつの 唯物革命だ。現代心理学も 基本的に 追随的な だけだろう。ことば(行動)と 感情も、ひとを よびかけるから ひとこいしく なるのだ、ことばが さきだ。ことばで つたえあうから 感情も おきるのだ。感情が さきに あるのではない。サピアの "sense/feel" も、土台基盤から かんがえなおす 必要が ある。(主知的な 泉井の「改訳」も 妙に いらつく。「終戦」までの 一週間は どこか いらだたしくて …、なんと 無感覚な 学者なんだ!)

2019年08月09日。わくらばに とふ ひとも なき わが やどは なつこだちのみ おひしげりつつ (良寛歌集) ―― まだ ひとこいしさは ある。「独居老人」とは、反ことば=つたえあい的なのだ。ひとが こひしく もとめなければ。

2019年08月07日。「よのなかに ねるより らくは なかりけり うきよの ばかは おきて はたらく」―― (江戸狂歌)國學/国語学は すきに すればいい。 ――「よのなかに まじらぬ=とには あらねども ひとり-あそびぞ われは まされる」―― 小脳の 動物機能の やられた「ねずみ-お(を)とこ」。別名:大愚(おほ たはけ)。

2019年07月30日。記憶が うすらぐ まえに、2,3 かきつけておく。入院の 初期の 3月、「武蔵野赤十字病院(武蔵境)」においては、外大の 早津恵美子先生と 東大の 鈴木泰先生が、工藤の 紹介や 面談(=面会 心情調査)の 労を とってくれた ことは、この「どこの うまの ほねか」と うたがわれていた「家族」=工藤ひろし・たけし親子の すくいと なった。おふたりの たかい 社会的な 地位(かたがき)は、一気に 工藤親子の 社会的な 信用を たかめて、以後の 入院生活を 存続させた のである。路頭に まよわずに すんだのは、ふかく 感謝する しか ない。そうであっても、虚偽の「家」族には、きてほしく なかった のである。そのとき、こころに 去来していた ものは、《いへ・こ / 赤十字・軍事 / 薬事・医療 ……》のような ものだった のである

2019年07月22日。2019年03月29日以来 2019年07月22日まで ★《小脳出血》で ほぼ 4か月 入院していた。青天の 霹靂で、かいものの スーパーの レジで 昏倒したのだ。「ねずみ」の ように たちあがれない 状態に。10年まえの「脳幹出血」と ともに、こんどは 「小脳出血」。人間脳と 下等動物脳と 同一位置の ダブルパンチで、からだの バランス感覚の 異常。おおいに 気分は くさった。なんとか 気を とりなおして、シャバ(社会)に もどってくる きっかけは、いったい なんだった のだろうか?

     大空白:小脳出血で 入院   ★

     前半(3週):緊急搬入入院   日本赤十字病院(武蔵境)

     後半   :リハビリ転院   きちじょうじ南病院

2019年02月10日。大学入学早々、戦後20年か 明治百年か という 争点に ひきこまれ、旧紀元節=建国記念の日(1966年 制定)が ちかづくと 「復古 愛国」が ただよってくる。総力戦学会ではなく、方言研究会、訓点学会、近代語研究会、日本語 … 研究 と 小研究会等が 林立したのは いいが、最近では「最も深刻と感じるのは,会員数,大会発表申込数,機関誌への投稿数の減少傾向であり,とりわけ会員数の減少に伴う財務状況の変化は,学会存続の根幹をも揺るがしかねない大問題と認識しております」(会長あいさつ)とか。採算の とれる 文法史の ような 領域も あれば、「悪貨は良貨を駆逐する」傾向も ねぇ。

2019年01月19日。きょう あしたは、大学入試センター試験だ。現役の 諸君も おおくは、とくに 小教室の おおい 外語大は、やすみぢゃないんだったね。だれも こんなもん、よんぢゃいないんだ けれども、わたしも きのうから『日本語の 歴史』を よみかえしてみた。じゅうぶん 消化不良を おこしかねない、展開が ついていきにくい 文章にも おもえるので、このまま いったん はなしを 中断して、気分も あらたに してから おもしろい 話題が おもいついたら、という ことに したい。この「ながれ」に かってな ことを かきすてて、こころを リフレッシュして、学者くささを きれいに あらいながそう。

2019年01月18日(回復後)。『ぽつり』の「ぶつくさ」に、ふぐあいは「たんなる 自然災害では ない ような 気も するが」とか、「すこし やすめ という かみの おつげだと おもう ことに する」と かいたら、てきめんに ふぐあいが ★回復★した ようである。どう なっていたのか、きつねに つままれた ようだとは このことで、『ぽつり』も もとに 復す。『日本語の 歴史』を 再開するか と かいたら、いったい どうなる のだろうか。ちょっと、はじめから よみかえしてみよう。あんがい 中断が 正解かもしれない。こういうのを ひとりずもうと いう のかな。おさわがせして、すみませんでした。

2019年01月18日(『ぽつり』の文)。しばらく やすんでいる うちに とんでもない ことに なった。研究所の サイトは、よめる だけの 書庫状態に なった。しょうがないので、この「ぶつくさ」に つぶやき的な 短信日誌を かわって つづける ことに する。たんなる 自然災害では ない ような 気も するが、サイトの たよりなさ、はかなさを 感じる のみである という ことに しておこう。『日本語の 歴史』は もうすこし つづける つもりだったが、まさに みずを さされた 感じで、きょうで いったん 中断する。すこし やすめ という かみの おつげだと おもう ことに する。『ぽつり』という ふるすが なつかしい。

2019年01月03日。としよりに まいにち かく ことも ない。どうしても かきたい ときに かけばいい。みんな 自分の ことで いそがしいのだ。本論なしに 雑談ばかりぢゃ、いいかげん なれあいに なっちゃう。わたしも、「ノート」に《日本語の 歴史》の 不定期の 連載を こころみてみる。「出たら 目・出まかせ」など 日本には 計画準備の なさも、やりくち「いい 加減・適当な やりかた」の 批判も あり、わかいころには 計画だおれにも なった ものだが、としを とると、「いきあたり ばったり・出たとこ 勝負」と、はらも すわってくる。これまでは 三が日 特製。これからは ここも 不定期 執筆に。

2019年01月02日。ことしの えとの「ゐのしし」について。花札あそびの「いのしかちょう(猪鹿蝶)」の 役で とりあわされる「蝶」は 舞台の はなに なってもらうと、「猪 鹿」は、日本の 狩猟獣の 代表である。農業林業の 害獣でも あったので、ふるくから 肉食 皮革 角など 利用された。猪は 繁殖力も 旺盛なので、家畜化されて ブタ(豚)と なった ことは ご存じだと おもう。「狩猟獣」と その肉とを「しし」と いい、「猪 鹿」を「ゐの しし・かの しし」と いいわけた という。「ぶた」は もと 体の 太った ものを 擬態的に 表現する 俗語だったので、文献に あらわれるのは おくれた という。


あけまして おめでとう ございます

ことしも よろしく おねがいします

2019(平成31)年正月    くどう ひろし


最終年とかで 壮年以来 ひさびさに 元号を つかってみる。

銀行も、前近代的な 習慣を まもる 気か。せめて 列記を。

ローマ字論も ローマ字入力 カナ漢字変換で きえる 皮肉。


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