サイキンのタケウチ


〔身辺雑記〕

9月7日(金)
 最近、僕の周りで前川つかさ著『大東京ビンボー生活マニュアル』のプチブームがおこってるいる。まあ昔からよくやってる、「友人知己にすすめると見事にハマる」ってパターンなんだけどね。
 オリジナルのコミックス(ワイド版っつうのかな)はもう絶版だけど、名作だけあって復刻版も何種類か出てるらしい。まあ僕はもとの形が一番好きなんで、人に全巻貸して返ってこなくなってもオリジナル版で全部そろえなおしんだたけどね(自慢)。
 で、復刻版の話題が出たついでに、ネットで続編について調べてみた。そしたらなんと、続編についても三系統あることが判明。「漫画ゴラクに」連載されたもの(コースケがサラリーマンになってるらしい)と復刻本に書きおろされた数編(コースケはそのまんまらしい)、それから「漫画アクション」に連載された『ボクの駅弁漂流記』である。『ボクの駅弁漂流記』は正確には続編じゃなくて同じテイストの別作品(主人公はコースケじゃなくヨースケ)だけど、サイエンスライターの森山和道さんのブログによると、雰囲気が一番近いのはこの作品なんだそうだ。
 読者の声を眺めてみると、コースケが変わってる続編についても変わってない続編についても賛否両論あるようだ。比較して読んでみたら続編のありかたについて考察するのによさそうだが、僕が一番読みたくなったのは『ボクの駅弁漂流記』だった。まあこれは個人的な好みもあろうし、森山さんが一番文章がうまかったせいかもしれんけども。

 この作品、双葉社からコンビニコミックスとして2冊刊行された『ザ・駅弁』っていうムック本の中に収録されてるとのことだった。アマゾンのリンクを開いてみたらうまい具合に2冊とも売りに出てたので、早速注文。それが今日とどいたので、まずは「メチャうまか編」を通読。
 で、これが何とも素晴らしい本だった。『ボクの駅弁漂流記』は1編4ページでほのぼのした絵がしっかり描き込まれててコースケテイストを満喫できたし、併録されてる『駅弁ひとり旅』って漫画も楽しい。どっちも旅情をそそる作品で、読んでるうちに旅に出たくなってきた。駅弁じゃないけど、昼飯には自分でおにぎり握ってちょっとだけ旅行気分を味わってみたりなんかして。
 そして、2冊買ったうちのもう1冊、「中国に四国、まっことうまいぜよ編」ってのは、しばらく読まずに我慢することにした。こういう本はやっぱり旅しながら読みたいなーって気がするので、今度電車の中で読もうと思い立ったのだ。そういえば最近しばらく電車に乗ってない。最後に乗ったのって1年半くらい前じゃないかなあ?
 そーいやその頃、双葉社の編集者で大の鉄道ファンって人と飲んだことがあった。すごく真面目で本格的な鉄ちゃんって感じの人だったが、彼はやっぱり『ザ・駅弁』とか『ボクの駅弁漂流記』について詳しかったりするのだろーか。植田まさしの『キップくん』は話題に出た覚えがあるけど、その時前川つかさについて語りたかった&作中に出てくる中でどこの駅や駅弁がおすすめか聞いときゃよかったなー。
 ともあれ、電車の中でマンガを読むために旅行するとか、そのために目的地を考えるとかってのも楽しいもんである。一人暮らしで大型犬を飼ってるとなかなか旅行ができないし、田舎暮らししてるとつい車移動になっちゃうけれど、やっぱり鉄道旅行ならではの味わいってあるもんね。
 そんなわけで、来週あたり日帰り一人旅でもしてこようかなーと、時刻表を眺めて計画中。こういう感覚もずいぶんと久しぶりだ。

9月19日(水)
 執筆が一段落したので小旅行の日。ほんとは明日入稿なので推敲とかしなきゃなのだが、今日は一日遊ぶと決めた。
 こないだ鈍行列車でいった某所に、今日は車で……と思ってたら、ラッキーなことに同行者が増えて人様の車にのっけてってもらえることに。僕の運転じゃないってことは、酒飲めるではないか!
 つうわけで、現地に着いた直後には僕だけ別行動。まずはまっすぐお酒の蔵元を訪ねて試飲しまくり。自分じゃとても買わない高い酒まで含めて何種類も味見してもらえたし、気前よく注いでくれた販売所のお姉さんが、おいらの木彫りループタイに目をとめてすごーく感心してくれた。飲ませてもらって褒められて、昼間から心地よくほろ酔い。
 そんだけサービスしてもらったんだからいっぱい買えばいいものを、持参の鞄は小さめのワンショルダーのバッグだけだったので、買ったのは結局ひやおろしの4合瓶だけ。かなりお手頃価格なのでちと申し訳ないが、秋の風物詩だし素晴らしく飲みやすかったんだよね……。
 ついでに醤油の蔵元にも寄って、ここでも1本購入。持参の鞄が酒と醤油で一気に重くなった。その上図書館に寄って本やDVDまで借りたんだから、よくまあ鞄に詰まったものだ。
 みんなに合流した後は、評判のラーメン屋に繰り出して昼食。しかし何故か普通の醤油ラーメンに比べてエビラーメンの僕だけ出てくるのが異様に遅い。みんながほとんど食べ終わった頃に食べてるのは、こんないい思いばかりしてる罰かなとふと思う。いやエビラーメンも評判通りに美味しかったんだけども。

 図書館で借りたDVDの中には、『ニール・サイモンのジェイクス・ウィメン』っていうTV映画があった。ニール・サイモンの名前と、DVDのパッケージに書いてあった紹介文にひかれて手に取ったのだ。
“小説家のジェイクには、ちょっと不思議な力があった。それは自分の書いた作品のキャラクターたちが現実になって現れるというもの”
 小説家として、そういう能力には憧れちゃうなーと思ったんだけど……結論的から言うと、この文章は間違いだった。むしろ「日頃からイマジネーションの世界にいるせいで、時々現実と空想の境目が曖昧になる」ってのが正確かな。現実にはそこに存在してない女性たちと会話したりするんだが、そこには架空のキャラクターは一人も出てこなくて、みんなジェイクが現実で関わってきた女性ばかり。彼女たちが「自分の書いた作品」に出てくるわけでもないのである。
 安価なDVDだし、おそらくまともに映画を見てもいない人間がてきとーに紹介文を書いたんだろうけど……その欠点を補ってあまりあるほどいい作品だった。安DVDだけあってオリジナル英語音声+日本語字幕以外に選択肢がなかったけど、日本語吹替や英語字幕で見たくなったほど。
 さすがのニール・サイモン脚本だけあって、ファンタジー的設定とはいえ記憶と空想に生きる小説家の姿を見事に描いている。それでいて普遍的な心理をコミカルかつハートウォーミングな作品にしてるのが名人の腕ってもんだろうなあ。どの役者も演技が達者だし、メイン級の人たちの繊細な感情表現に感心させられる。中でもミラ・ソルヴィーノって女優さんは、二十歳そこそこから三十五歳まで、初体験翌朝から母の優しさまで演じきってる様がなんとも素晴らしかった。
 寡聞にしてこれまで知らなかったが、ネットで調べたらオスカー女優だし、ホラーからアクションからマリリン・モンロー役までこなす人だった。他の作品も見たいなーと思い、アマゾンに『誘惑のアフロディーテ』を注文。これでオスカーとったらしいし、ウディ・アレン監督作品のコメディーとあって、とてもとても楽しみだ。

9月28日(金)
 前回書いたウディ・アレンの『誘惑のアフロディーテ』、予想を上回って面白かった〜。
 ミラ・ソルヴィーノの役どころの広さにも感心したけど、やっぱりウディ・アレンの演出術に感嘆。リンダっていう役はそれだけだとアカデミー賞に選ばれるかどうか疑問だけど、アレン演出の中で作品に占めるポジションを考えると助演女優賞ってのも納得できる。ウディ・アレンはアカデミー賞が好きじゃないようだけど、賞の方ではアレン作品って好きそうだし。
 何はともあれ、『誘惑のアフロディーテ』映画全体としてとても楽しいコメディーだった。下ネタ全開でも嫌らしくならず、ご都合主義さえユーモアとして楽しめる感覚が素晴らしい。のっけからギリシア演劇のコロス(合唱隊)の登場に驚いたが、それが全編にわたって最高の味わいになっていた。
これまで『海辺のカフカ』が好きな人には『図書館の水脈』も読むべしと訴えてきたけれど、この『誘惑のアフロディーテ』もぜひ見てほしい。カラスと言われる少年の存在を、より深く楽しむことができるはずだ。
 もし『図書館の水脈』を書く前にこの『誘惑のアフロディーテ』を見てたら、たぶん作中で言及せずにおれなかったんじゃないかなあ。女優つながりで『ジェイクス・ウィメン』に言及すれば、甲町さんのシーンとつながったりもしそうだし。

 女優つながりといえば、ネット検索で見かけた情報によると、9月28日はミラ・ソルヴィーノの誕生日らしい。だから何だってことでもないが、いまは40代半ばで4児の母親だと知ると、なんとなくウディ・アレンの描くエピローグっぽくていいなーと思う。
 そんな9月28日、僕はというと、何故かゲラが続けざまに届いた。連載のゲラが宅配で届いた直後、ネットにつないだらメールでも別のゲラが届いてて、これがコメディー映画だったら必然的に2つのゲラが入れ換わってひと騒動巻き起こるところである。
 僕の本名でやってる仕事と、別名義でやってる全然作風の違う仕事の原稿が入れ違って……なんて空想してみるととちょっと楽しいね。そんなことぼんやり考えてると仕事はちっとも進まんけれど。

10月3日(水)
 なんだか引きとめられることの多い一日だった。
 食材が尽きてきたので午前中から買い出し下山。よく行くパン屋に寄って会計を済ませたら、「お茶でも飲んでく?」と奥に招かれた。パン屋さんの厨房(っていうのかな)に入るのなんて幼稚園の時のパン作り体験以来じゃなかろーか。
 お茶やらチャイやらをいただきつつ、経営の大変さや店主さんの身の上話に耳を傾ける。一杯のんで「じゃあそろそろ」と言おうとすると次の一杯を注がれるっていうワンコソバ状態で引きとめられ、結局1時間以上も居すわったんじゃなかろうか。その間あんまりお客がこなかったことを思うと、確かに経営は大変そうだ。
 他にもパン屋にまつわる噂話などもいろいろ。何故かパン屋の多い土地なので、他のお店にまつわる愛憎劇や奇しき偶然なんかを聞いてると飽きない。――僕は自分の身の上話はあんまりしない方だけど、人の身の上話は結構聞く機会が多い。そーゆーのも作家としての滋養になるのかなって気もするが、問題はあんまりそーゆーものは書かないってことだよな。

 パン屋の後はいつものように図書館へ。予約しといた資料が届いてるってことだったが、何やら職員さんたちが小声で相談しあってる。何だろうと思っていると、『平櫛田中彫琢大成』って本が出てきた。
 この本が、びっくりするほどでかかった。ネットで検索してタイトルだけ見て予約しといたんだけど、ぱっと見るとそこらの学生鞄よりも大きい本なのだ。測ってみたら、ざっと縦41×横30×厚さ6センチ。持って(というか抱えて)みた感覚では、お米の5キロ入りの袋くらい重たい。『古畑任三郎』の犯人だったら、これを凶器に人を撲殺できるんじゃねえかってくらい重い。
 おまけにこの本、大型本で豪華本ってだけあって、禁帯出シールが貼ってあった。最初は貸出できない本だったようだが、市町村合併だか図書館運営の民間委託だかのおかげで借りられるようになってるらしい。それで職員陣が何やら確認しあってたってことだったようだ。
 おかげさまで貸出手続き。職員さんと「でっかい本ですねー」などと喋ってると、後からきた利用者の方に引きとめられた。何かと思ったら「その本、私も次に借りたい」という御婦人である。聞けば「もうすぐ平櫛田中美術館に行こうと思ってるのよ」とのことで、たまたま大きな本の金箔文字が目に入って立ち止まったらしい。(それほど存在感ある本なのだ)
 彼女が予約申込書に書名などを書き込んでる間、職員さんも交えて「美術館ってえと、小平の?」とか「この前の『日曜美術館』で紹介されてましたね」なんて話がはずむ。たまたま居合わせた見知らぬ3人が、平櫛田中の話題でぱっと盛り上がれるってのも、考えてみるとすごいことだよなあ。

 帰宅して、『平櫛田中彫琢大成』をひもとく。なにしろ重くて大きいのでページを開くだけでも大変だが、その甲斐あって素晴らしい本だった。木彫り趣味から選んだ本だけど、僕など及びもつかない神レベルの作品が美しい写真でずらりと並んでるし、冒頭の文章も実に味わい深い。じっくりページをめくってるだけで元気をもらえて創作意欲がわいてくる本である。
 昭和四十六年発行だから僕と同い年ってのも驚きだし、値段はその当時の価格で五万八千円。生前の平櫛田中翁はなかなか自分の作品集の刊行を許可しなかったというが、今ならこの本、どんだけプレミアがついてんだろう?
 こういう本を出してた講談社ってすげーなーと思いつつ、そーいえば僕も講談社から『じーさん武勇伝』って本を出したんだった。百歳を超えてなお旺盛な創作意欲を見せていた田中翁を思えば、神楽坂のじーさんの続編もまだ書けるかもしれないなー。

 あ、平櫛田中について知らないぞって方には、このリンクがおすすめです。素朴な絵の紙芝居なんだけど、そのあっさりとした文章を突き抜けて迫ってくる生き様がすごい。この紙芝居を見た子供って、いったいどんな感想を抱くんだろうなあ……
http://www.city.ibara.okayama.jp/denchu_museum/about_denchu/denchu_story_index.html

10月19日(金)
 午前中から仕事に励むも、11時半になったらいそいそとラジオをつけた。
 ニッポン放送のラジオビバリー昼ズ(http://www.1242.com/takada/)、今週は大復活ウィークとかで、半月くらい前から“「た」のつくあの男が返ってくる!”って宣伝してたのだ。前フリだけ盛り上げといて桂竹丸の危険性はあるよなーと思いつつ、やっぱり聞かずにはいられない。
 で、救急搬送や心肺停止のニュースから実に半年ぶりの、「高田文夫の」ラジオビバリー昼ズを満喫。久々にラジオにわくわくして、つい吹き出したり目頭があつくなったり。病気から復活した芸能人って大抵少しおとなしめになってるもんだけど、救急搬送前よりパワーアップしてる面白さに感動。つくづくすごい人だなー。
一つだけ残念だったのは、桑江知子の『私のハートはストップモーション』が流れなかったことくらいかな。高田先生は電話出演ってことでスタッフが気をつかったのだろーか。来月のスタジオへの復帰の時に期待したい。

 ラジオから元気をもらって仕事に戻り、ここんとこ手こずってた『司書室のキリギリス』第4話『読書会のブックマーカー』によーやく目処がついた。
 つうか、明日が締め切りだってのに、書き進むまでタイトルすら決まってなかったんだよね。各話のタイトルに統一感をもたせよーとしてるので、さすがに4つ目になると苦しいというか何というか。
 ついでに、5話で完結って予定なので、ラス前の第4話では最終回への引きみたいなものも意識した。スターウォーズでいうと『帝国の逆襲』とか『クローンの攻撃』みたいな感じ。それでいて最終話については結末だけ決めてある他はほぼノープランなんだから、はてさてどーなることやら。
 とはいえ、今回は星野道夫とマガーク探偵団とフクロウのネタが全開、これまでにも増して趣味に走りまくりである。小説を書けたら一気に書こうと思ってた連動ブックコラムも、ほんとに一気に書けてしまった。こういう文章だけ書いて生きていけたら楽しいだろうなーと思うけど、小説に苦労しつつがーっと集中する喜びってのも確かにあるんだよなあ。

10月27日(土)
 朝の散歩を終えたあと、そのままくろべーと共に車に乗り込む。今日と明日、ちょいと離れたところで朝市イベントが開かれるんだけど、それにくろべーと行こうよと誘われたのだ。
 短編小説『司書室のキリギリス』でちょこっと書いたようなイベントで、農家の野菜直売や飲食店の露店がずらっと並んでて、ぐるっと一回りするだけでも結構たのしい。お店を見るだけでなく、お客としてきてる知人と会って挨拶なんてこともたびたび。陶芸家と彫刻家とガラス作家の方々の3人連れと遭遇なんてのもそうそうない経験だよな。
 人の多い中をくろべーと歩いてると退屈しない。犬好きの人はくろべーを見るとかわいがってくれるし、何やら取材しているカメラマンはくろべーを撮りたがるし。プチトマトを売ってたお姉さんはくろべーにも一つ試食させてくれて、くろべー的にもいろいろ満喫したようである。
 ぐるっと回った後はテーブルに落ち着いて、特大おにぎり・呉汁の味噌汁・角切りステーキという朝食。食後に濃い目のコーヒーとすごく濃いヨーグルトでデザート。やたらと豪華なメニューとなったし、同席した人たちも豪華だった。世界的に活躍する染色家さんとか町政を立て直し観光事業を躍進させてる町長さんとか。そういう人たちと同席するって経験も貴重だろうし、ましてや朝食のテーブルを囲む機会なんてそうそうないよなーと思う。

 野菜やパンをいろいろ購入して帰路につく。
 しかしなにしろ朝市だから、一イベント終えても時間は結構はやい。まだ朝の9時頃だから、これからどっかに出かけるような時間である。せっかくここまで来たんだし、ついでにくろべーを散歩させてくかーと思って某観光スポットに立ち寄った。
 駐車場に車をとめてくろべーを降ろしていたら、すぐ近くの車が目に入った。カラフルなサイクルウェアの女性が同じくカラフルな自転車をおろしてるとろで、その色彩がとても華やかなのだ。
 というか、ご本人もぱっと目をひく美人である。よく見りゃ自転車関係でよく見るタレントさんだった。この週末に何かロケだかイベントだかあるようだから、そのために来てるのだろう。車のナンバーを見て、そんな遠くから来てるのかーとか、スタッフじゃなくてご本人が自転車運んでセッティングしてんのかーとか、いろいろ感心してしまった。

 朝っぱらから、いろんな意味で有名人な方々と立て続けに遭遇したので、こうなるともう1人くらい会えるんじゃねえかなーって気がしてくる。スーパーに寄ってからもついきょろきょろしていたら、通路の奥から歩いて来たご婦人が僕に視線を向けてることに気付いた。
 特に見覚えはない人だったが、僕は人の顔を覚えるのがものすごーく下手である。朝市の中でも、くろべーを覚えてる人から声かけられてんのに僕は全く覚えてないってことが結構あったのだ。適当に調子合わせてどーもどーもと挨拶しつつ、心の中で誰だっけなーと考えてるってのは日常茶飯事。
 で、スーパーのご婦人もそういう感じかなーと思ったり、あるいは滅多にいないけど本の著者近影で僕の顔を覚えてる人かなーと思ったりしてたら……彼女は僕の目の前で立ち止まると、遠慮がちに声をかけてきた。
「あの、何か落とされましたよ」
 見れば、ポケットから車の鍵がこぼれ落ちている。慌てて拾ってお礼を言いつつ、そういうオチかーと妙に納得な朝であった。

11月10日(土)
 新刊告知。創元推理文庫から、『文化祭オクロック』が発売されました。
 単行本になるまでも大変だった作品なので(書くのは楽しかったけどね)、こうして文庫にまでなってくれて嬉しいかぎり。よかったら読んでみてください。文庫版あとがきで、読者からお便りをいただいたDJコーナーなんかもついてます。
 そのあとがきには収録しきれなかったけど、群像劇なので登場人物に対する読者の反応は様々。個人的に、主筋ではない村上くんや藤原くんに着目してくれた人が結構いたのは嬉しかった。小説に対する反応ってともすると情動面や推理面に特化しがちだけど、知的刺激とか表現欲求とかについて評価してくれる読者の存在ってとても心強い。いえまあ、藤原ジントクはちっとも知的じゃないですが……
 多分、いま連載中の『司書室のキリギリス』シリーズでも、そのあたりの系譜は続いてる気がする。話としては特に関係ないんだけど、こうして発行時期と発表時期が重なるのも象徴的というか何というか。

 その『司書室のキリギリス』の最終話、朝の寝床で構想を練って、寝起きにストーブにあたりつつ創作ノートにプロットをまとめる。既に本文も書き始めてはいたのだが、こうして全体像がまとまるとほっとする。先が分かんない状態で書くのも楽しいけど、行程を決めて進んでいくのも独特の喜びがあるんだよね。
 くろべー散歩と朝食の後で執筆の続きにとりかかり、昼過ぎに一段落。明日から雨らしいので、食材の買い出しにいくことに。帰りにカフェに寄ることにして、くろべー同伴で出発。
 すっかり馴染みの店なのでくろべーも歓待してもらえるし、今日は常連の親子連れ客と遭遇。次の予定までこのカフェで時間をつぶさにゃいけないらしく、息子くんが退屈がっていたので、「チェスでもやるかい?」と誘ってみる。
 こんな時のため、自作の木彫チェスセットを車に常備してあるのだ。くろべー型黒ナイトに感動されたりしつつ、駒の動きから教えてあげた。――基礎概念から教え、僕をチェックメイトに追い込むまで持っていったんだけど、これはこれで勝利を目指すのとは別の頭の使い方をする。最後の一手を、少年自身で思いつくようにもっていくのって、詰めチェスともまた違う、小説を書くのにも似た感覚がある気がした。
 少年はもともと風邪気味だったそうだが、試合中に知恵熱も手伝ってか見る見る顔が赤らんでいく。――こうやって子供にチェスを教えたことって何度かあるけど、知的ゲームに敏感に反応していく様が微笑ましいもんだなーと思う。
 反面、ネットのチェスで子供に遭遇すると不快な思いをすることが多い。ネットって自意識が剥き出しになりやすいメディアだし、10代の頃はそれが顕著だから、プライドを守ったり満たしたりするために相手を貶めたり嫌がらせしたりする傾向ってある気がするんだよね。そういう「自意識の腐臭」が他人を不快にするってのは大人でもあることだけど。
 しかし現実世界の対面コミュニケーションだとそういう不快な軋轢ってぐっと軽減される。カフェで対戦したチェス初体験少年もとても気持ちいのいい対戦相手だったわけで、この違いはどこにあるんだろうなあ?
 よく「相手の顔が見えるからいい、コミュニケーション情報の多さの問題だ」みたいな言い方があるけれど、顔の見えない場合でも、英語サイトのチェスサイトでは意外とネットクソガキの出現率は低い。その場合は僕の英語力の低さがコミュニケーション情報の少なさに繋がって功を奏してるようだから、真逆なんだよなあ。
 もちろん英語サイトだって不快な奴はいるけど、日本語サイトのそれとは違って自意識の腐臭を感じることは少ない。もっと単純な「勝つと威張って負けると悔しい」的な感情とか、相手の国籍を見てのレイシズム悪口が多いようだ。こういうのは国民性とか文化性の違いなのか、それともネット社会やサイト構築の成熟度の問題なのか、どうなんだろうなあ。
そりゃそーと、去年から長々遊んでいるチェス960のトーナメントで、ついに決勝リーグも大詰め。世界各国から99人の参加者が集まっての総当たり戦、予選リーグを3つくぐりぬけての決勝リーグも、どうやら年内にはかたがつきそうだ。その決勝戦で、あと3試合を残して単独2位に立てた。1手3日以内っていうのんびりペースの通信対戦でじっくり遊んでるので、長い努力が結果に繋がってるようで結構嬉しい。
(この後、3日もたたずして単独2位ではなくなっちゃったが、3位以内入賞を目指して奮闘中)

11月20日(火)
 朝から北風吹きまくり。隙間風吹く我が家は家の中でも寒いが、暖房つけて仕事部屋へ。
 連載中の『司書室のキリギリス』、最終回の第一稿、昨日書き終えて、夜にプリントアウトしておいたのだ。今日は締切日なので朝からその推敲作業に励む。  何章か読んだらちょいと休憩、って感じでメール書き。来春コラボや展示をやりたいねって話になってる彫刻家さんとか、今度の越冬地にする予定のマンションを仲介してくれた不動産屋さんとか、来年2月に発売らしい『シチュエーションパズルの攻防』文庫版の件で連絡くれた担当さんとか。――来年の話をすると鬼が笑うというけれど、こうして今後に楽しみなことがいっぱい待ってるのはいいもんである。鬼は予知能力があるので来年の話を聞くと皮肉な意味で笑うってな設定らしいけど、予知能力がないおかげで楽しみで笑えるってこともあると思うなあ。

 昼過ぎまでかけて第一稿の手直し終了、午後は小説に連動したブックコラムの原稿4本を一気書き。
 小説が片付いたら書こうと思ってて、ほぼノープランだったんだけど、いざとなりゃー書けちゃうもんだ。いっそこういう原稿だけ書いて生きていけたらなーと思うけど、読書傾向が偏ってる上に新刊本はあんまり読まないから書評家じゃあ食ってけねーよなあ。
 何はともあれ、このコラムを仕上げて連載も一段落。いろいろ大変なこともあったけど、好きな本や図書館の話題満載で書いてて楽しい仕事でありました。これも本になるのは来年だろーと思うけど、どーか今度こそ売れてくれますよーに……
 仕事を終える頃には夜になってて、いろんな意味でほっと一息。このまま今年の仕事おさめ、と言いたいとこだけど、そーゆーわけにもいかねーんだよなあ。(ゲラは明日午前に届くそうな……)

11月29日(木)
 朝からゲラの封入作業。――昨日、『司書室のキリギリス』(http://www.f-bungei.jp/novel/novel_11_1.html)最終回と『シチュエーションパズルの攻防』文庫版の著者校正を一気に仕上げたのだ。
 それを持って車に乗り込み、昼前に不動産屋へ。この冬の越冬地を決めたので、その契約を済ませて鍵を受け取り、引っ越し第一便の荷物の運び込み。今回はくろべーと共に住めるマンションで、久々に町暮らしの予定である。
 そして住所は福島県。――理由はいろいろあるけれど、とにかく一度住んでみたいと思ったのだ。復興元年と言われる今年、実際に暮らしながらいろんなことを調べたり考えたりしてみたい。原発不安からヒステリックに誰かを罵ってばかりって人には反発をおぼえるし、僕自身の創作に繋げるにはとにかく一度身を置いてみることだって気がしているのである。
 なので今後、僕に向かって場所ごとの放射線量がどうの原発推進派の陰謀がどうのと告げてくるのはやめてくださいね。んなもん吹きこまれても僕には役に立たないし、単に不快な気持ちになるだけです。不安や憎悪にとらわれ、聞かれてもいない自説を声高に叫んでるような人とは極力関わりたくないと思ってます。
 食事中の人に向かって農薬や添加物が含まれてると告げて得意がってる奴はマナーをわきまえない馬鹿だと思われるのと同様、身勝手な正義感に酔ってTPOもわきまえずに主義主張を押しつけてくる奴もまともな神経とは思えない。相手の気持ちも考えずに「お前の暮らしてるとこは放射能がいっぱい」などと告げていいこと言ってる気になってる馬鹿の話になんか耳を傾ける気にはならない今日この頃。

 入居前のプチ引っ越し、友人と共に荷物を運んでほっと一息。近所のレストランでお昼を食べて、午後は近所の図書館へ。――この街を選んだ理由の一つは、ここの図書館が好きになったってことも大きいのです。
 書架の間を歩き回って雑談したり本を選んだりしてたんだけど、ふと目に着いたのが『作家と猫』って本。豊富な写真を眺めつつ、なんでこーゆー時は猫なんだ、犬はないのかなって話になる。やっぱり作家といったら猫なんだとか、家の中の仕事だから猫の方が似合うのだろーかなどと言ってたら、ちょいと離れたとこに『作家と犬』って本も発見。ちゃんとあるんだねーと笑いつつ、やっぱり犬より猫の方が先に出版されてんだな。
 で、その本をぺらぺらとめくっててびっくり。僕の名前が載っているではないか。――残念ながらくろべーと一緒に登場してるわけじゃないのだが、スタインベックの名著『チャーリーとの旅』の翻訳者として名前が出てたのである。こういうのって嬉しいね。
 そして図書館の小説である『司書室のキリギリス』の最終回のゲラを返送した日に、図書館でこういう本を発見できたってのも何かの縁かなーと思う。続編を書ける機会にめぐまれたら、是非犬の本についての話なんかも書いてみたいものだ……

12月10日(月)
 周囲が雪山と化しつつ山荘から街中の越冬地に移住して1週間。なかなか楽しく過ごしている。
 ぼちぼち生活環境を整えつつ、朝夕のくろべー散歩で近隣を散策する毎日。飲み屋やラーメン屋を開拓したり、前から好きだった図書館や蔵元やおにぎり屋やパン屋に通ったり。地震や雪まで経験して、なかなかバラエティーに富んだ一週間だった気がする。
 やっぱり暮らしてみると見えてくるものってあるもので、街角の何げない光景とか、地元の人に教わったこととかに驚いたり感心したり。僕はもともと、一人でふらっと知らない土地に旅行するのが好きだったのをふっと思い出すような毎日。
 くろべーと暮らし始めて以来、旅行ってあんまりできなくなった。一人暮らしで大型犬を飼うのって大変だからってのもあるし、そもそも出かけたいって気持ちが減ったってのもある。この冬は旅情を思い出しつついろいろ勉強する、充電期間ってことにしよう……とは思ってるのだが、年内は細々した仕事をやっつけなきゃならないし、年明けは『司書室のキリギリス』をぐわっと手直しして、確定申告の帳簿作業をして……と思うと意外とやることあるなあ。困ったもんだ。

 この1週間、印象的だった光景をいくつか。
 駅前の住宅地にある小公園、子供の姿は全く見かけない。無人の遊具の中、ソーラー電池で動く線量計のデジタル数字だけが光ってる。不気味というか象徴的というか……
 町のそこかしこで見かける「がんばろう○○!」って張り紙。そして実際に頑張ってる人たち。この地元を好きな人や、わざわざ東京から高い交通費をかけて遊びに来てる人。そういう人たちと飲む、ことのほか美味しい地酒。酒とか漬物とか、伝統的な醸造文化を普通に味わえる町の贅沢さを感じる。
 町の風景がふっと変わったと思ったら、避難所というか仮設住宅群がずらーっと並んでいる。そしてそこと隣り合ってかなり広い駐車場。車社会だから当然っちゃあ当然なんだけど、立派な車がずらっと並んでる様になんだか迫力を感じてしまう。
 古い住宅を改造して建てましたようなギャラリー。とてもきれいな布が並んでいるのに感心してたら、そこの御婦人が染めたもんなんだとか。聞けば染織の勉強のために東京や愛知までいったり、植物の勉強のために高崎まで行ったりしてるらしい。「高崎の植物園」って言われて何か思い出すなーと思ったら、高校時代にマラソンコースで走らされた山道の脇にある施設だった。20年以上思い出さなかった風景がふっと蘇ってきた。

12月19日(水)
 先日、サイクリングで立ち寄った某神社で、面白い狛犬たちに出会った。
2対の狛犬がいたんだけど、石段をのぼる前には派手なデザインの一対。頭が大きめで巻き髪がぶわっと盛り上がってる様が迫力だった。そして石段をのぼってみたら妙にシンプルなのが一対。どこかユーモラスな風貌は、見た途端にくすっと和ませてくれる空気を醸し出していた。
まるである種の女性のおめかし顔とすっぴん顔のようで……とか言うと一部の反発を招くけど、ほんとにそんな感じで面白かったのだ。楽しい気分でお参りして、ついでにケータイで画像を撮影しておいた。
 その画像を見比べてるうちに、どういう経緯でこれほどの違いがある狛犬が同じ参道上に設置されたんだろうと気になってきた。一応、由緒ある観光スポットの神社だし、製作年代とか作者の違いが分かるかなーと思って、図書館に行ったついでに調べてみることにした。
 しかし郷土コーナーで何冊か調べてみても、神社についての記載はあっても狛犬についての記載はない。レファレンスコーナーにいって尋ねてみると、司書さんはパソコンを操作した後で電話をかけはじめた。
 県だか市だかの、文化財の調査を行ってる部署に問い合わせてくれたのである。そこまでしてもらえると思ってなかったし、結局担当部署で調べてくれた後で僕に電話連絡くれるってことになり、そんなアフターサービスまであるのかーとびっくり。
 そこまでしてもらっていいのかなと恐縮しつつ、「いや実は、単に狛犬の本はどの書架にあるかだけでも教えてもらえればと思ってまして……」と打ち明けたら、神道のコーナーに案内してもらえた。

 そこで『THE狛犬!コレクション』と『狛犬かがみ』って本を見つけ、早速閲覧席へ。ページをめくってみると、これがどちらも狛犬の造形美を堪能できるビジュアル満載ですごく楽しい本だった。
 おまけに2冊とも作者が豪華。『THE狛犬!コレクション』の著者は三遊亭円丈師匠で、そういえば雑誌の書評やテレビでも紹介されてた本だし、『狛犬かがみ』の著者は「たくきよしみつ」となってて、何か聞き覚えあるなーと思ったら漢字で書くと鐸木能光、小説すばる新人賞の大先輩ではないか!
 とても閲覧席で読み切れないほど充実した本だったので、その2冊は借りて帰ることに。図書館の後は観光案内所に回って尋ねてみると、ここでは『神の鑿』っていう資料を紹介してもらえた。「自費出版で出された方が寄贈してくださったもので――」と言われて作者名を見てみたら、こちらも「鐸木能光」と書いてあってびっくり。
 おまけに帰宅してから図書館から電話をいただいて、文化財課での調査結果を聞かせてもらった後で、「実は自費出版で『神の鑿』という資料がありまして――」と、ここでも鐸木能光さんに行き着いた。どうやら作家であると共に狛犬研究の第一人者であられるようだ。趣味の分野でこういうカッコいい本を出すのって憧れちゃうなー。
 こうなるとネットでも調べてみようって気になって、検索したら、見事に出てきた「狛犬ネット」なるサイト(http://komainu.net/)。ここの、「日本一○○な狛犬」ってコーナー(http://www.asahi-net.or.jp/~dw7y-szk/koseiha.html)は、狛犬に興味ない人でもぱっと見るだけで楽しいので是非ご覧あれ。僕ぁ個人的に、「日本一にこやかなキツネの親子」ってのが好きだなあ。

12月31日(月)
 大晦日である。なんだかんだとバタバタしてて、今年は年賀状かいてない。巳年なのにショパン猪狩がいないことですし、今年(来年)は年賀状は中止させていただこーと思いますのでお許しください……
 さすがに今日は仕事する気しないので、朝から洗濯終えたら自転車でお出かけ。軽くサイクリングして買物&寿司屋でビール、帰宅後は久しぶりに木彫りにとりかかることに。
 工作ノートに描いた下絵を透明プラ板に写して透明型紙にして、午後の日差しのあったかいベランダでノコギリ作業。山桜材を手頃な大きさに切断して、さあやるぞーとラジオをつける。
 こないだ通販で買った肥後守の小刀、今日初めて使ったけど、なかなか使いやすい。ラジオ聞きつつ木を削ってるだけで、なんだか幸せな気持ちになる。

 昼から飲んでるくせに夜は夜で飲んでたら、東京創元社から文庫版『シチュエーションパズルの攻防』のカバーラフ画像が届いた。
 まだ公開しちゃいけないそうなんでここにのっけられないのが残念だが、僕の小説とはとても思えないくらい美麗な表紙画である。連載時・単行本・文庫と3パターンの絵を見比べてみるとなかなか興味深い。
 で、年明け〆切でこの文庫版のあとがきを書くことになってるんだけど、その中でで実際にシチュエーションパズルで遊んでる例を紹介する予定。担当編集者とはメールでもやりとりしてるんだけど、読者参加企画ってことで、ご興味ある方はご参加ください!

【問題】
 短編『シチュエーションパズルの攻防』のラストでは、サンゴ先生からの質問に対してミーコママが『イエス』と答えたかのようににおわせて終わっています。
 しかし実のところ、作者が密かに想定していた答えは『ノー』でした。
 さて、どういうことでしょう?
【参加方法】
 facebookやmixiでもその件に触れてますので、コメント欄に、謎を解くための質問を書きこんでみてください。
 ただし、イエスかノーで答えられる質問にかぎります。
 たとえば、「サンゴ先生は酔ってましたか?」って質問はOKですが、「ミーコママは何を飲んでましたか?」って質問はNG。質問を積み重ねて謎をめぐる状況を浮き彫りにしていき、謎解きを楽しもうって遊びなのです。

 さあ、あなたは質問を繰り返して真相に迫ることができるか……って、発表してから何年もたつってのに、いまだに正解者はゼロなんだよなあ。ちゃんと本文の最後で出題してるし伏線も張ってるし、それなりに「読者への挑戦」だったと思うんだけどなー。

1月4日(金)
 三が日も明けて世の中が動き出したようだ。おいらもいろいろ年始回りな日。
 散歩と朝食と木彫りの朝を過ごした後、まずは図書館・洋菓子屋・蔵元と回り、本とDVDと酒と手土産を仕入れる。それから車にくろべーを乗せ、ちょうどお昼時に知人宅へ。お雑煮やらお料理やらをいただいた上に夕食用のおにぎりやお惣菜までいただいておいとま。二軒目に移動。
 どちらのお宅でも、洋菓子屋で買った手土産は好評。日本酒の蔵元の店員さんからすすめられたチョコ系の洋菓子で、たいてい売り切れ・予約殺到・何度か通って今日初めてショーケースに並んでるのを見たという一品なのだが、これが美味しい上にびっくりするほど安い。――食べて喜んでもらった後、はしたないとは思いつつ、「さて、1個いくらでしょう?」と尋ねてみた。
 2軒とも、「僕がそんな質問するからには」ってヒントがあったにもかかわらず、僕が明かしたのは「桁が違うよ」って回答であった。それくらい、味と値段がかけはなれてるのだ。それだけ良心的なお店なわけだけど、こういうのって素晴らしい。

 帰宅後、年始回りの後は仕事始め。
 『シチュエーションパズルの攻防』文庫版あとがきの執筆、というか素材の整理開始。メールやSNSで進めてるQ&Aをまとめてるんだけど、こういう作業もなかなか面白い。相変わらず正解者はいないけど、こちらの用意した正解に迫ってくる質問が出るってのも嬉しいもんだ。
 一段落してから、DVD見つつ晩酌。最近、『男はつらいよ』のリリー三部作(っていうか四部作というべきなのか?)を見てるんだけど、これはこれでお正月って感じでいいものだ。別に正月映画で寅さんを見る習慣はなかったし、作中でも特に正月を扱ってないのに、渥美清の台詞回しを堪能してると正月気分を味わえるってのは何故なんだろうなあ……

1月20日(日)
 午前と午後と、2度ほど宅配便の来訪。
 まず午前の部はくろべーにプレゼント。先日、硬質ゴムの犬用おもちゃ、ハードコングを見事に破壊しやがったので、その後継おもちゃである。つっても僕が買ったのではなく、壊れたコングの画像をフェイスブックに載せたところ、じゃあ絶対壊せないのを贈りますって言ってくださる方が現れたのだ。ありがたやありがたや。
 で、いただいたのが、ちょっと変わった形の水色のボール。ラベルにはゾゴフレックスのハックと書いてあったので、ゾゴフレックスってのがブランド名なのかと思ったら、どうやらくろべーのように壊しまくる犬用に開発された新素材の名前であるらしい。商品説明には「stronger than any other material to our knowledge」なんて書いてあって、開発側の自信のほどがうかがえる。
 梱包を解いてる間から興味津津な顔でよってきたくろべーの目の前に、早速つきつけてみた。誰が教えたわけでもないのに「これは食べ物じゃないけど好きにしていいのだ」と認識したくろべー、早速かぶりついてガシガシ噛みまくり。
 さて、絶対壊れないという評判のこのボール、果たして破壊王くろべーの牙の前に持ちこたえることができるだろーか?

 午後の配達は僕が注文したもの。エアーマッサージ座椅子なる代物である。
 今暮らしてる越冬地で、なんかくつろいで読書できる椅子がほしいなーと思って購入したのである。ほんとは椅子を探してたんだけど、いろいろ見てるうちに可変性の高い座椅子でマッサージ機能までついてるのを見つけてたのだ。これをホットカーペットの上に置き、膝にくろべーをのっけたらあったかいかなーと思ったら、ふつふつとほしくなったのである。
 基本的に椅子中心で一人暮らしを始めて以来コタツなんて20年以上使ってない生活なので、座椅子を買うのも生まれて初めてである。これもいそいそと梱包をとき、早速座ってマッサージ機能を試してみる。
 ちょっとソフト目だけど、なかなか気持ちいいし、思ったより作動音も静かなのが嬉しい。自宅山荘の仕事部屋で使ってるデッキチェア風マッサージ椅子は近所迷惑なほど音がでかいので持ってこなかったけど、この座椅子が立派に代打をつとめてくれそーだ。リクライニングの選択の幅が広いので自分にとってのベストポジションを見つけるまでが大変そうだが、今後はここで読書しながらいろいろ試してみよーと思う。
 つうわけで、僕は座椅子で本を読んだり(『ティファニーで朝食を』と『蒼天航路』)ゲームしたり(『とびだせどうぶつの森』)して過ごし、くろべーは昼寝したりボール噛んだりして過ごす日曜でありました……

1月25日(金)
 朝、連作『ものがたりのアンテナ』の第2話が完成。
 これは彫刻家のはしもとみおさんの彫刻をもとに、僕が物語をつけるっていうコラボ作品。憧れの彫刻家さんの作品に文章をつけられるってだけでも嬉しいし、彫刻作品に触発されて文章が湧き出てくる感覚が心地いい。――編集者との共同作業は結構な確率で衝突しがちな僕だけど、尊敬するクリエイターとのコラボレーションって大好きなのだ。案外、自分の完全オリジナルよりは人の作品に文章をつける方が得意なんじゃないかとすら思う。
 この文章や彫刻、それを元にした写真絵本は、3月に那須高原の絵本カフェ、murmurさんで展示予定。そして第2話脱稿の数時間後、くろべーの散歩に出掛ける時にポストをのぞいたら、タイミングよくその彫刻展のチラシが届いていた。こういう偶然って嬉しいね。
 僕自身、はしもと作品に触れられる機会が嬉しいし、文章と彫刻のコラボもいい感じの効果を生んでる気がする。こらから宣伝してなるべくたくさんの人に来てもらおうと思ってるので、ご興味おありの方はぜひこちらをご参照あれ。↓
http://kirinsan.awk.jp/pages/exhibition.html

 そして夜。はしもとさんからメールで、どーんと大容量の音声ファイルが届いた。
 『ものがたりのアンテナ』の第1話、『三日月のブランコ』っていう物語を書き上げた際、それにちなんだ『流れ星のしっぽ』っていう文章も書いていた。短い文章を書こうとしたら詩みたいになって、ついでに歌詞みたいになったなーと思ってたら、はしもとさんの仲間のミュージシャンの方が、その文章に曲をつけてくれたのである。
 なんだかどきどきしながら、その音声ファイルを聴いてみた。――そして聞いてるうちに自然と笑顔になっていた。なんかこー、しみじみと幸せな気持ちになる体験だった。
 もちろん曲自体の気持ちよさもあるし、自分が書いたはずの言葉がまったく別のもののように聞こえてくるのが心地いいのだ。いってみれば彫刻作品から生まれた言葉が、僕を通り過ぎて音楽作品に変わっているわけで、その流れの中に身をおけたことが幸せなんだと思う。
 その曲、“ポチとoliveによる『流れ星のしっぽ』”をリピート再生モードにして、そのまま眠りにつくことにした。――3月のライブでも演奏してもらえるらしいので、皆さんぜひおいでください。

2月10日(日)
 のんびり起きて、昼前にラーメン屋で飯くってたら、テレビから遠隔操作事件の容疑者逮捕ってニュースが流れてきた。
 もちろん今の時点では誤認逮捕の可能性はあるわけだけど(事件が事件だものね)、なんとなく今度の報道は警察にもマスコミにも確信があるように感じる。――なにしろ、「10日朝に逮捕」ってニュースなのに、ニュースでは容疑者の6日や9日の様子を映した映像が流れてるのだ。これってどういうことなんだろう?
 警察から事前に捜査情報がもれていたのか、あるいは警察とは別にマスコミの方でも「こいつが犯人に違いない」と目星をつけてたのか。なにしろ容疑者は同様のネットを介した脅迫や強要で複数の逮捕歴のある前科者だってことだしなあ……
 その逮捕歴の中で僕も知ってたのは、のまネコってキャラクターをエイベックスが商品化しようとしたらネットに殺害予告が出て慌ててとりやめたって事件。犯人が捕まってたことも知らなかったが、ネット上では「のまネコ事件」と呼ばれて話題になってたんだとか。
 そして今回の事件、容疑者の逮捕にいたった動かぬ証拠は、雲取山と江の島の防犯カメラ映像らしい。犯人は雲取山でUSBメモリを埋め、江の島で猫の首輪にマイクロSDカードをくっつけたんだけど、そのどちらの防犯カメラにも容疑者がしっかり写ってたらしい。「顔の見えないネット犯罪」といいつつ、余計なことして墓穴を掘って、遠隔操作が組織捜査に負けたわけである。
 で、ふと思ったんだけど。
 雲取山は東京と埼玉の境にあるらしいから、捜査をかく乱するための場所として選んだと思えばまあ納得はいく。では、江の島はどうして選ばれたんだろう?
 「のまネコ事件」で捕まったのが今回の犯行の動機だと目される容疑者は、わざわざ防犯映像に写り込む危険を冒してまで江の島まで行き、わざわざ猫をつかまえて犯行の証拠を残した。捕まりたくない奴がそこまでするのは、何か必然性ありそーだ。「ネットには詳しくても防犯カメラまで知恵の回らないお間抜けさんで、その日たまたま海を見たくなった」って説明じゃ、ちょっと納得いかないよねえ?
 で、気付いたんだけど。
 「えのしまのねこ」って言葉の中には、しっかり「のまねこ」って文字がはいってるよね? これ、何か狙ってたんじゃないかな?
 そう考えると「くもとりやま」ってのも、なんだか子供の好きな暗号なぞなぞに使えそうな地名である。二つの地名を組み合わせると、何かしらメッセージが浮かびあがってくるんじゃないかなあ?
 しかしそこまで考えたものの、僕は一連の事件にまつわる情報に疎いので、これ以上の暗号解読は無理みたいだ。どなたか詳しくて賢い方、ちょっと推理してみませんか?
 ――っていうか、複数のマスコミが容疑者の事前映像なんぞをしっかり撮影してるのは、最初からこの暗号ってバレバレだったってことじゃないか、ってのが僕の推理。さて当たってるかな?

 さて、ここまで読んでくださった方は知的な推理ゲームがお好きと拝察いたします。――そんな読者諸賢に、ぜひおすすめしたい1冊が。
 そんなわけで、新刊告知です。
 文庫版『シチュエーションパズルの攻防』、創元推理文庫より2月26日刊行予定!
 なんで今日のこの事件に絡めて宣伝したくなったかといえば、表題作を雑誌に発表して以来、足かけ6年にわたって誰も解けなかった謎の答えを、文庫版あとがきとして発表してるからなのです。しかもタイトルにちなんで、それ自体をシチュエーションパズルとして。
 なので知的遊戯の好きな方にはぜひ読んでいただきたいなーと思ってます。そして、僕がこの作品に組み込んどいた仕掛けがミステリーとしてアリなのかナシなのか、ぜひご判断いただきたい。
 正直、作中でしっかりと問題を出題してるし、答えに至るための明らかな伏線もしっかり組み込んであるのです。なのに今まで、だーれも正解を指摘してこなかったことが、僕はどうも釈然としないのです。「どーしてマスコミは容疑者の逮捕前の映像を押さえていたのだろう?」ってのと同様、「この作品を読んでる自称ミステリマニアな人々はどーして謎解きをしなかったのだろう?」ってのが気になってるので、今回の文庫版でそのあたりがすっきりすると嬉しいかぎり。
 僕自身はミステリマニアじゃないし正統派のミステリーを書こうって意識も低いんだけど、この作品に関してはいささか挑発的な言い方をしてでももうちょっと考えてみたいなと思っております。

2月15日(金)
 あいにくの天気の中、くろべーの夕方散歩を早めに済ませ、電車に乗ってお出かけ。――図書館で小澤俊夫さん主宰の雑誌のバックナンバーを読みふけった後、「福島地酒飲み比べ即売会」ってイベントへ。
 最初に街角でこの企画のポスターを見かけた時、「入場料¥1500」なんて書いてあったのを見て、入るだけでそんな金とられるんじゃ高えなーと思ってた。しかし買物にいった蔵元でその話題が出た時、スタッフのお姉さんが「入場後はどんな純米大吟醸でも試飲し放題でお料理もたっぷり出て、すごくお買い得ですよ」と教えてくれた。入るだけで金とるのかと思ったのは素人もいいとこで、入りさえすりゃ金とられないってんだからありがたい話で、その蔵元で前売券を買って楽しみにしてたのである。
 開場時間直後に入ってみると、開場は既に賑わってる。地酒飲み比べってだけあって県内の二十何軒だかの蔵元が集合してて、そのスタッフだけでも結構な人数なのだ。お惣菜を作るスタッフも忙しく働いておられるし、僕がたまにいく美味しい蕎麦屋さんも出店してる。いつもは金払って食べてる蕎麦まで食べ放題かーと感動しちまった。
 開場は六時で開始は六時半と書いてあったわりに、開場した時点で飲み食いを始めてもいいらしい。早速前売券を買った蔵元で新酒をいただき、お惣菜をつまんで一杯。うまいー♪
 なにしろ二十軒以上の蔵元だそーなので、あっちで一杯こっちで一杯と回ってるとすぐに酔いが回ってくる。六時半開始ってのは主催者挨拶と乾杯の仕切りが入るタイミングだったが、その頃には会場全体が既にほろ酔い機嫌って感じだった。
 その乾杯の掛け声、「かんぱーい」ではなく、「がんばろー!」だったのが印象的だった。――参加してる蔵元には震災で設備や製品に被害を受けたところも多いし、その後の風評被害については業界全体が打撃を受けてるらしい(特に関西方面の人が福島の産品を買わなくなったとか)。それでも恨み事ひとつ言わず、笑顔で「がんばろう」と言える人たちが頑張ってる姿には尊敬をおぼえる。美味しく飲み食いさせてもらいつつ、こういう場にいられることが本当にありがたいと思えた。

 先日の総選挙、原発推進責任政党である自民党がタナボタ式に圧勝したろくでもない選挙結果を受けて、“福島県民は全員県外に脱出しなはれ”などと言ってた馬鹿関西人がいた。その論拠は“そうすれば政治家どもが困るから”だそうな。なんと幼稚で無神経かつ実効性すらない暴論だろうと呆れたが、言ってる本人は正しいことを主張してるかのようにご満悦な様がなんともトホホな光景であった。
 おそらくそいつの小容量の脳味噌には、“政治家の悪口いってりゃ自分は正義”っていう短絡的な世界観くらいしか入ってないのだろう。無神経な暴論を風刺とでも勘違いしてるのかもしれない。帰りたくても帰れない避難民が何万人もいることとか、復興に向けて「がんばろう」と言ってる人がいるなんてことは知らないどころか想像もできないんじゃなかろうか。
 そいつの話は極端な例だけど、震災の被害報道や原発にまつわる構造腐敗の報道にともなって、身勝手な正義感が幅をきかせる風潮が鼻につくようになってきた。政治家・電力会社・マスコミあたりを罵ってりゃ自分は正義って思いこんでるようで、社会悪を声高に叫ぶだけならまだしも、そのうち他人に口出ししはじめる奴も少なくない。どっかで読みかじった知識をだらだら並べたあげく、それに感心されなきゃ人を罵って悦に入ってる、なんて奴が周りにいると結構迷惑だ。――そういう相手にゃ、「震災後の不安を悪意に変えて誰かにぶつけたいんじゃねーの?」とか、「自分も電気の恩恵受けてることの罪悪感をまぎらわそーとしてるね」とか言いたくなってくる。
 そして不思議なことに、福島に来てからはあんまりそういう、身勝手な正義感を目にしなくなった気がする。もちろん福島の人は聖人君子そろいってわけじゃなかろーし、やりきれない思いや怒りや恨みもあるんだろうけど、実際に前に向かって動き出してる現実の中では役に立たない悪意が表面化する機会が少ないみたいだ。

 ま、面倒くさい話はおいといて。
 文字通りいろんな酒をたっぷりと飲み比べた結果、おいらが一番人にすすめたくなったのは、二本松市の奥の松酒造の「純米大吟醸スパークリング」ってお酒であった。なんとも爽やかなフルーティーさで、穏やかに弾ける泡が舌に心地いい。確かにお米のお酒なのに、上品なマスカットみたいな香りがあって、下手なシャンパンよりよっぽど美味い。聞けばバイクレースの表彰台でシャンパンファイトのかわりにこのお酒を使ったりするんだそーで、そりゃあ日本で開催するレースならこういうお酒を使うべきだよなーと納得してしまった。
 おかわりさせてもらいつつ、スタッフさんにいろいろ話を聞かせてもらったんだけど、このお酒はネット通販でも買えるようだし、290ミリの小瓶だったら588円っていう手頃な価格なんだとか。ご興味おありの方は是非お買い求めあれ。
 あと、感動したのは「キヨばあちゃん(88歳)のたまご酒」。これ、冗談抜きで、僕がこれまで飲んだ玉子酒の中で一番美味かった。もっともおかわりして飲んだのはこの酒だったし、同じように思う人は多いらしくてたくさんの人が集まって笑顔で飲んでいた。
 玉子酒ってえと風邪の時に飲む薬で、なんとなく生臭いって印象があったんだけど、それは材料や作り方に問題があったようだ。いい酒つかって丁寧に作ればこんなに美味いのかーと、感心しきり。これはそのうち自分でも作ってみたいなーと、レシピをしっかり取材しておいた。(つうかそんなに難しい作り方じゃないんだけど、それでしっかりおいしいのがすごい)
 その最中、和服姿の司会者の方がマイク片手に寄ってきた。「お風邪の時にこんな玉子酒を作ってくれる女性はどうですか?」などと尋ねられ、「最高ですね、イチコロです」なんて答えといたけど、そーいやお菓子作りが趣味って女性はいても玉子酒を作る女性って少ない気がする。まあ趣味の問題だけど、妙に手の込んだケーキを焼くより、こういう玉子酒を作れる人の方が尊敬できる気がするなー。
 プロフィール欄に「特技:美味しい玉子酒を作ること」なんて書いとくと、きっとモテると思うんだけど、どーなんだろう。婚活中の方は是非お試しあれ。

2月27日(水)
 朝から車で出発。洋菓子屋(お見舞いのチョコ菓子を購入)と蔵元(酒購入&ちょっと仕事話)とガソリンスタンドを回ってから、那須高原へドライブ。
 3月1日から、那須高原の絵本のいえmurmurで『いきものたちの、ものがたり展』っていうイベントが開催される。絵本カフェで彫刻と音楽と物語のコラボが楽しめるアート企画で、僕も文章で参加してるんだけど、諸般の事情で展示準備を手伝うことになったのだ。
 会場に到着、隣接する館長のお宅をノックすると、ドア越しに「どうぞー、鍵は開いてるよー」との声だけが返ってきた。絵本の家では無人でストーブだけが赤々と燃え、何やら大きな荷物が3つほど……って書くと、それ自体が絵本のおとぎ話みたいだけど、ほんとの話である。さて、どういうことでしょう……と書くとシチュエーションパズルだな。
 要するに、館長ご一家がインフルエンザでダウンしたので、僕が代わりに荷ほどきと展示準備を引き受けたのである。感染を広めないため、なるべく他人と接触しないようにしなきゃならないんだそーで、僕も来訪すれども顔は合わせずみたいな形で働かなきゃならない。絵本の家に一人でこもり、大きな荷物と向かい合った。

 で、これが結構、心躍る作業であった。
 箱やら袋やらプチプチシートやらで包まれてるのは彫刻家のはしもとみおさんや本多美枝子さんの作品で、梱包をほどくごとに様々な動物が姿を現す。僕は木彫りが趣味だけど素人芸のレベルなので、こうして一人でプロの作品をじっくり堪能できるってのはなかなかの贅沢だ。
 なにしろ、これまでインターネット画像でしか見たことなかった作品を、立体として好きなだけいじくりまわせるのだ。勉強になる――という感覚もないほど、単純に楽しい。もちろん展示のことも考えなきゃいけないし物販に備えて出品リストも作らなきゃいけないのだが、作業より前にまず面白がってすごす時間だった。一通りやり終えるまでに何時間もかかったのは、僕がもともと片づけごととか整理統計とかが苦手だってことだけが原因ではなかろう。
 その作品群と向かい合うのがどういう風に楽しいのか、ってのはあえて言及しない。ネットでイベント名や参加作家名を検索すれば結構いろんな画像が見られるだろうし、実物については実際に会場で味わっていただくのが一番だろう。絵本のいえという空間自体の面白さも手伝って、他ではちょっと味わえないような展示になったんじゃないかと思う。
 個人的にとても楽しかったのは、届いてた作品群の中では一番大きな、黒柴犬の月くんの彫像の梱包をほどいてた時のこと。――郵送のショックに耐えるために厳重に巻かれたプチプチシートを丁寧にはがし、ようやく顔が出てきたと思ったら、月くんの鼻面にぽちっと白いものが一つ。なんだろうと見てみると、ごはんつぶではないか!
 おそらく梱包時にくっついちゃったんだろうけど、こういう空間でこういう作品と向かい合ってると、米粒一つが不思議な存在感を漂わせる。本当に月くんという犬がごはん粒をつけて現れたように思えて、実になんともユーモラスなのだ。よくそういう相手に「お弁当つけてどこ行くの?」なんて尋ねてからかったりするけれど、そこからストーリーが広がっていくような、そんな予感を感じさせてくれる一瞬だった。
 そのストーリーの中、月くんはどうしてごはんつぶをつけているのか、そしてどこに行くのか、一粒だけついてたごはんつぶはその後、どんな運命を辿るのか――物語はそういうところから生まれて育っていくものかもしれないなーと、絵本の家で実感できた午後だった。

3月6日(水)
 くろべーに、お嫁さんができるかもしれない。
 最近よく行くようになった炭火焼のお店で美味しい焼鮭のランチを食べた後、ご主人や奥さんと喋ってたら犬の話題になった。ご夫婦もボーダーコリーと暮らしてるんだそうで、一気に親近感が涌いた。――大きめの犬同士ってこともあるし、僕は前に『オアシス』って小説を書いて以来、ボーダーコリーって好きなのだ。
 ご夫妻の家のボーダーは、ナナちゃんって女の子で、先代のラブ&ボーダーMIXがロクって名前だったとこからついた名前なんだとか。じゃあナナちゃんとくろべーの間に子供ができたらハチベーですねって軽口をたたいてたら、生ませてみようかって話になった。冗談から駒というか嘘から出た竹内真というか、言った僕もびっくりな展開である。
 くろべーも5月になったら12歳、人間の年齢に換算したら80だとか、12年で十二支は一周するから犬の還暦だとか言われてるが、性欲に衰えは見られない。結構なじーさん犬で二世誕生となれば、こりゃもう『じーさん武勇伝』の世界である。まあ当人同士の相性もあるからどうなるか分からんけど、とりあえずハチベー誕生の可能性を楽しみにしようと思う。

 と、話題を自作に結び付けてみたのは、最近になって“オアシス・じーさん文体”と名付けた作風の小説が書けそうな気がしてきたからである。20代の頃に書いたこの2作品の文体、僕自身はかなり気に入ってて、自分のマスターピースは何かと聞かれると『オアシス』をあげるくらいだったんだけど、その後は特に書く機会がなかった。そもそも近代小説のあり方とは真逆のアプローチなので、小説を書き慣れるにつれてその文体とは離れていくってこともあり、僕の中ではちょっとした憧れのスタイルだったのだ。
 で、いろいろ勉強したり実験したりするうちに、かつての文体に戻して書く方法が見えてきた。かつては天然というか意図せずにそういう形になってたわけだけど、今度は意図的に描写が少なく展開の早い文章を書いてみようと思っている。小説らしくない小説になるだろうけど、そのスタイルの物語で面白いものが書けるって実感は『じーさん武勇伝』と『オアシス』で掴んでいる。ああいう作品をもう一度、思いっきり力を込めて書いてみようと思う。

 ……んがしかし。その前に確定申告が待っている。
 帳簿付けとか決算書作りとか、やらなきゃと思いつつ嫌だなーと思うのは毎年のことで、なんだか年を追うごとに逃避願望が強まっている。今日の午後も、領収書の束から目をそむけ、くろべーの散歩にかこつけてちょっと遠出。炭火焼屋さんで教わった、ホームセンター内にある犬用シャンプースペースを下見にいってみた。
 自宅のユニットバスでやるといろいろ面倒なくろべー洗い、専用スペースを格安料金で借りられるなら楽チンである。大型犬でも専用カートにのせれば店内に入れていいってことなんで、くろべーをカートに入れていざ店内散策。
 ドライブ好きのくろべーだからカートに乗るのも好きかなーと思いきや、安定感がなくて落ち着かないらしい。中腰の変な姿勢をとりながら店内を物珍しげに見回してるが、僕は他のお客さんの反応を見るのが面白かった。
 この店のこういうシステムに慣れてる人は平然としてるし、犬好きの人はにっこり笑いかけてくれたりするんだけど、「こういう場所でこういう形で犬と出くわすなんて思いもしなかった」って人も結構いて、びっくりしてたり立ち尽くしてまじまじと見言ってたり。――くろべーからすると、そういう人間たちはどういう風に思えるんだろうなあ?

3月18日(土)
 このところ、1日か2日おきに那須高原に通ってる気がする。
 えほんの家murmurで「いきものたちの、ものがたり展」という彫刻展が開催中なのだ。僕も物語や作詞で参加させてもらってるし、2月の準備期間や3月上旬のプレ展示期間はお手伝いスタッフとして働いてたんだけど、3月下旬に入ってからは単なるお客というかファンとして通ってる感覚になってきた。
 なにしろプロの彫刻家のはしもとみおさんや本多絵美子さんが大量の彫刻作品と共にやってきて木彫りワークショップを開いてくれてるのだ。僕みたいに我流でやってきた素人は教わりたいことだらけだし、絵本と彫刻に囲まれた空間にはいくらいても飽きない。犬連れ入館がOKなので、くろべー同伴で長いこと居すわってくつろがせてもらっている。

 本来のワークショップは土曜日の午後に3時間ほど開催されてて、普通の参加者は時間内に作品を完成させることになっている。しかし僕は個人的にいろいろ欲張ったせいで3時間だけではとても時間が足りず、片付けが始まっても彫り続ける居残り坊主状態。結局は荒彫り〜中彫りくらいまでしか進まなかった。
 それでも学ぶことって多かったし、先生たちの他の参加者の方へのアドバイスの一つ一つにも納得させられた。――木を彫るのって基本的には一人の作業だけど、その最中に抱いた迷いや疑問をその場で誰かにぶつけられて、ぱっと答えが返ってくるってことが気持ちいい。毎日毎日こんな風にすごせたら幸せだよなーと思ってしまったし、実際そんな風に過ごしつつある今日この頃。
 彫りかけの作品を持ち帰り、日曜にはラジオを聴きつつ自宅で形を整えることにした。日曜には好きな番組が多く、メロディアスライブラリーと日曜サンデーをフルで聴いたから4時間半は彫ってたことになる。知らない番組をなんとなく聞いてるのも好きなので、合計5〜6時間は彫ってようやくクスノキの木片がくろべーになった気がした。
 そして月曜の今日はいそいそとmurmurに向かい、個人的に仕上げを教わった。マンツーマンどころか先生2人に生徒1人って贅沢な状態で、本多さんに耳の処理を教わったと思えばはしもとさんに塗装を教わるって感じで、帰るまでにはどーにか黒犬くろべーが手のひらにのるようになっていた。

 夕方には、それを眺めながら音楽ライブ。今回の企画は彫刻や物語だけじゃなく、ポチとoliveって音楽ユニットも来てくれてて、音楽と彫刻のコラボも開催されるのだ。一応、公式スケジュールとしては土日の夕方に開催ってことになってたんだけど、突発的にライブ開催ってなることも多いようだし、今日からは1曲ワンコインでリクエストってシステムも導入された。長く居座ってるとそれを一通り体感できるわけで、これもなかなか贅沢である。
 彫刻に囲まれながらのライブってだけでも素敵だし、音楽ど同時申告で渡邊春菜さんによる即興の映像演出も楽しめる。僕の作詞した『流れ星のしっぽ』って曲も演奏された上、それを気に入ってリクエストしてくれる人もいて、ただそこに居合わせているだけで幸せな気持ちを味わえる贅沢な時間をすごすことができる。

3月31日(日)
 3月も末になり、越冬地を引き払って自宅山荘への引っ越し。朝から荷物をまとめたり掃除したり。――しかし僕は、片付けや掃除が大の苦手である。不動産屋さんには12時に鍵を返すと言ったのに、40分ほど押してしまった。
 ようやく一段落して車への積み込みを終えた後、マンション向かいのラーメン屋へ。入店した瞬間、何故か店員さんが目を丸くした。……ほんとに道路を挟んで真向かいなので、僕が引っ越し作業をしてる様が店内から見えてたんだとか。
 すっかり顔なじみになってるので、注文する前から裏メニューのギョーザやらチャーシューおにぎりやらをサービスで出してくれた。ありがたくいただきつつ、いい町だったなーとしみじみ。
 勘定してみると、冬が来るたびにいろんなところに住む暮らしを始めて6年になる。越冬地もいろいろあったけど、今回暮らした福島県白河市が一番肌になじんだような気がする。そりゃまあ、土地ごとにいいとこ悪いとこあるもんだけど、誰も知り合いがいない状態でふらっと居ついて、一番居心地がよかった気がするのだ。
 城下町の歴史の古さも今のいろんな取り組みもとても魅力的だったし、図書館は僕の大好きな場所となった。一緒に飲んだり遊びに行ったりする友人も結構できたし、美味しいお店もたくさん見つけた。機会があったらまた住みたいと思ってるし、仕事があるならいっそ定住地を構えたっていいんじゃないかと思ったりもする。僕がちっとでも金を使うことが復興支援につながるのかと思えば、多少の無駄遣いだってすべきことのような気もするし。

 とはいえ。山深く分け入った森の中にある我が山荘も好きなのである。
 到着時には霧が立ち込めてて50m先もろくに見えない様にまいったなーと思ったし、家に入ったらリビングの室温が3度で驚いたが、それでも気持ちいい場所なのだ。空気も澄んでるし、人里離れた森の中で稜線を眺めてるだけでリラックスした気持ちになれる。
 くろべーもそうなのか、車からおりるなり森の下生えの笹をぱくっと齧ってむしゃむしゃ食っている。越冬先や旅先では雑草はもちろん、笹を見つけたって食べやしないんだけど、自宅周りの笹だけはぱくぱく食べるのだ。なにか特別に美味しい品種だったりするのだろーか? 老犬の割に元気だとか毛艶がいいとか言われるのは、もしや散歩のたびの笹食や毎晩の晩酌(僕に付き合って缶や瓶に残ったのを舐める)のおかげだったりするのだろーか?

4月10日(水)
 昨日はぽかぽか陽気だったので洗濯や庭仕事に励んだんだけど、今日は朝から肌寒いので、下山していろいろ用事を片すことに。
 いろいろ回る中で動物病院にも寄ったんだけど、獣医師処方の療法食ドッグフードを買おうとしてびっくり。――十数キロの大袋が無料でもらえた上、逆にこっちがお金を貰えたのだ。こんな経験、生まれて初めてである。
 実は以前、ここの先生から、フード会社がキャンペーンをやってるから、フード袋のバーコードをためて応募葉書や応募カードに貼ってもってきなと言われたことがあった。住所氏名を書いとけばあとはこっちで手配してあげるからと言われたので、細かいことは気にせずにただ指示に従っといたのだが……これが、「バーコードを送ると割引」とか「何袋か買うと1袋無料」とかいうサービスだったのだ。そのキャンペーンの成果が重なったもんだから、「1袋買うつもりが無料、逆にお金もらえる」なんて結果になったのである。
 まあキャンペーン内容を説明されれば納得はいくのだが、なんだか不思議な気分であった。物を買うとお金をもらえるってネタ、子供の頃に『ドラえもん』で読んだなーと、しみじみ思いだしちゃったりなんかして。

 車の窓を開け、下界は桜が咲いててきれいだなーと思っていたら、どこからか芳しい香りが漂ってきた。ピンときたので信号待ちの間に見回すと、道路沿いの家の庭にジンチョウゲの花を発見。今年初めてかいだ気がするし、僕はこの香りが大好きなので、ちょっと幸せな気分になれた。
 しかし、ジンチョウゲってのは桜より1カ月くらい早く開花する印象がある。少なくとも群馬で育って埼玉や東京や千葉で暮らした経験からするとそんな感じだったのだが、ほぼ同時ってのはここらが寒いからか、今年の冬が寒く春が早い天候のせいか。あとは植えてあるジンチョウゲへの日当たり具合も関係してんのかな。
 んなこと考えつつ帰宅したら、我が家の周りは午後から雪が降り出し、夜にはすっかり積もっていた。なんなんだこの季節感はーと、これはこれで不思議な気分なのであった。

4月20日(土)
 午前中にちょこっと著者校仕事。昨日は寒かったけど、今日はいい天気になりそーだなーと、昼前にゲラ持参でお出かけ。
 最近は山の中腹あたりに買い出しに行くついでに、美味しいパン屋で昼食ってパターンがお気に入り。ミニカップのコーヒーがサービスってのが嬉しいし、サンドイッチやチーズ系の食事パンが充実してるのが好きなのだ。実をいうと僕は、この界隈ではパン屋の名店が多いわりにスイーツ系が多くてあんまりサンドイッチがないのが不満だったのである。
 この店も開店当初はスイーツ系やハード系が多かったような覚えがあるが、その後1年ほどの間に食事系に発展してたようだ。この春に山荘に戻ってそれに気づいた僕は、すっかり見直して通っている。メニューが豊富で入店するたびにあれこれ試してもまだ未知の味があるのも嬉しいところ。

 買物を済ませた後はお茶飲んで、夕方までのんびりとチェス。最近はリアルチェスの相手ができて、これもまた嬉しいのである。
 ルール覚えたばかりの相手なので、僕はクイーン落ちなんだけど、それでちょうどいい具合に実力伯仲となる。いささか思考時間が長いものの、今回はそれを見越してゲラを持参してきたのだ。自分でささっと1手指した後、わりと長い待ち時間の間に校正作業に励むってえと、結構仕事もはかどる。不思議なもんで、自宅の仕事部屋でゲラに向かってる時よりも、チェスの合間にやってる方が能率あがる気がするんだよなあ。
 不思議といえば、昼飯を食い終わる頃には天気が悪化してきて、チェスしてる最中に雨が降り出し、ひと勝負終える頃には本降りに。帰路につく間に雨はみぞれに変わり、みぞれが雪に変わって我が家のあたりはすっかり雪景色。――前回、4月10日の日記で雪に言及した時にゃあ、そろそろ最後の雪だろうと思って書いたもんだが、この4月20日の雪もしっかりと積もりそうである。困ったもんだなあ……

4月29日(祝)
 ゴールデンウィークのお祭りイベント、炭火焼屋さんの焼鳥屋台のお手伝いに駆り出された。
 お祭りの販売役で働くのは、学生時代に世田谷ボロ市でバイトして以来である。今回はバイトじゃなくてボランティアだが、お祭りで働くのって普通の労働より心楽しい気がする。朝から洗濯してちょこっと仕事した後、くろべーと共に出かけて車を走らせた。
 車じゃなきゃいけない距離だし、時間を気にせず動くためには車でくろべーを同伴する必要があるのだが……車だと酒が飲めないのが困りもの。特に、目の前で酒の肴にぴったりなもんが焼かれてたり、近くを一杯機嫌の人々が歩いてたり、屋台でビールや日本酒が売られてたりする環境というのはなかなかに欲求不満である。
 そーいやボロ市で働いた時は、寒波到来でえらく冷え込む中、熱燗のコップ酒で体を温めながら働いたっけなーってことを思い出す。今日は見事なまでに春の陽気で風もなく日差しもあたたかいので熱燗がほしくはならないが、それならそれでビールが飲みたくなるのだ。ビールばかりじゃなく、ホッピーを売ってる屋台も結構あって、そのチョイスが粋だなーって思うとしみじみ飲みたくなる。
 んなことばかり考えてるとアル中みたいだが、そんな時にかぎって生ライムと生ミントを使ったノンアルコールモヒートを差し入れていただいた。これが実に美味しいもんだから、これでラムが入ってたらどんだけうまかろうと思わずにはいられない。いや自分からはカクテルってほとんど飲まないんだけども。
 自分からはほとんど飲まないといえば、ここ数年ビール系の擬似飲料はなるべく飲まないようにしていた。一度エンドウ豆由来のビール風アルコール飲料を飲んで気持ち悪くなったことあったし、ほとんど贅沢らしいことをしない生活なんだからビールくらいは高いもん買ってもいいやと思ってたのだ。
 ところが最近、「ビール」ではなく「リキュール(発泡性)」と書かれた酒を好んで飲むようになってしまった。ふと味見した「麦とホップ赤」が美味かったせいなんだけど、こういうのも一種の堕落だろーか。あるいはアベノミクスによるデフレ脱却ムーブメントに対するアンチテーゼとは……いえねえか、やっぱ。

 話は変わって、今日のお祭りの屋台の中に、「指定した日の新聞をプリントアウトしてくれるサービス」ってのがあった。
 こういうのって調べ物のために新聞の縮刷版をチェックするのとは微妙に違うから、やはり誕生日とか結婚記念日とか、個人的に思い入れ深い日をオーダーするもんなのだろーか……などと考え、ふと思い出したのが最近読んでる本。ここ数日、チャールズ・M・シュルツの『スヌーピーの50年』という、傑作集かつ回顧録みたいな本を読んでるのだ。
 名作『PEANUTS』の傑作選だからもちろん面白いし、そこに添えられたシュルツさんの文章がとても味わい深くていい本である。各キャラクターの誕生秘話とかを作者自身が語ることで抜群の創作論になってるんだけど、編年体で構成されてるおかげで作風の変化を追っていけるのが実に興味深い。絵柄の変化で、60年代には子どもたちの丸顔化がほぼ完成してるのに対し、スヌーピーの鼻面が短くなって全体に丸くなるのはずいぶん後のことだったんだなーとか、ぬいぐるみ等の立体化されたキャラクターグッズが本家の絵柄に影響したことがあったのかなーとか、詳しい人に尋ねてみたくなってきている。
 あ、そんで話を戻すと。
 過去に何かしら思い入れのある年月日があるのなら、その日の新聞の一面やらトップ記事やらを見るのもいいけど、その日の『PEANUTS』作品を読んでみると面白いのじゃなかろーか。時に哲学的なほど含蓄深い言葉があったりするし、絵柄のデザイン性の高さは言うまでもないわけで、そういうプリントアウトサービスがあったら申し込みたいもんだなーと思う。やっぱり新聞の紙面よりはシュルツさんの絵の方が魅力的だもんなー。
 などと考え、そーいや俺って昔、図書館の本で1971年7月9日『PEANUTS』を探したことがなかったっけなと思いだす。なのにどーゆー話だったか思い出せないのは、見つけられなかったのか忘れちゃったのか。日本版は無節操なほどに様々な形で出版されてる上に時期的な順番をばらしてる編集が多いから、そういうのを見つけるのも結構大変なんだよな。
 そーいえばネット上にそういう検索サービスがあったような気もするんだけど、我ながら記憶は曖昧である。今日のブログもなんだかとりとめないなーと思うんだけど、こういう文章になっちゃうのも手伝い疲れと「麦とホップ赤」の酔いのせいってことにしておこー。

5月1日(水)
 くろべー12歳の誕生日。十二年といえば十二支が一回りするわけで、犬における還暦ってことにした。僕の個人的なルールだが、とにかくめでたい。
 ちなみに人間の場合は十干十二支で考えて、10と12の最小公倍数だから60年で還暦ってことになってるそうだ。しかし十二支ってのは「子丑寅卯……」ってやつで動物キャラだからイメージわきやすいけど、十干ってのは「甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」ってことでどーもピンとこない。「甲乙丙丁……」ってのは古いタイプの等級分けに使われてるけど、他は日常的に使う日本語にはあんまり出てこないもんな。ずらっと並んだ十干十二支の表の読み仮名欄を眺め、何か聞き覚えのある言葉はあるかなーと思ったら、目についたのは「ひのえうま」って言葉くらいだった。いやこの言葉だって、決して一般的な用語はいえず、ごく特殊な場合しか使わないともいえそうだ。漢文読みなら「シンガイ」とか「ボシン」とかは革命やら戦争やらの名前についてるけど、これも固有名詞みたいなもんだもんなあ。
 で、十干ってのは何かといえば五行×2(陰と陽の2つ)で十干なんだそーで、じゃあ五行って何かといえば世界の五大構成要素である「木火土金水」なんだとか。なんだかフィフスエレメントみたいな話だが、一週間の七曜日から日月の天体を抜かした5要素ってことになるようだ。そういや日曜と月曜は地球外の天体で、他は地球上にあるもんなんだなー。
 まあ、何はともあれ。――十二支の方は犬も入ってるけど、十干の方は犬は入れてくれてないんだから、そっちを考慮してやる義理はない。大型犬は10年も生きれば御の字といわれてる中、12年も生きてるんだから、くろべーは今日で還暦ってことで祝ってやってもいいではないかと思うのだ。

 僕が彼を引きとったのは2歳になった直後だった。茨城で生まれて徳島で育ち、千葉へとやってきて僕と暮らし始めたのだ。僕と出会うまでもいろいろ変転いっぱいの生活だったわけだし、僕も何かと問題のある飼い主だったわけだけど、そんな中で明るく気さくな性格で暮らしてくれて、今も元気でいるのは何よりありがたい。
 顎の下とか眉のあたりとかはすっかり白髪も増えたし、去年の夏はエプリスの手術もあったし、このところ老けこんできたなーってところも目につく。散歩の時も、興奮したり好奇心がうずいたりしてる時のほかは随分と歩くペースが落ちた。坂道や階段が負担なようにも見えるし、わざとのそのそしてるように歩いてるようにも思えたりする。それでも散歩には行きたがり、他の動物を見るとすりよりたがり、雌犬を見ると目の色を変えるのは、気が若いってことなのかな。
 町暮らしの時はそうもいかないけど、山荘に戻ってからはなるべくノーリードで散歩することにしていて、マイペースで歩かせてやっている。進むのは遅くなったけど、あたりのにおいを嗅ぎつつ楽しげに歩いているのは何よりで、距離や坂道の傾斜具合を考慮してコースを決めている。こうして一緒に山道を歩いていられるのもいつまでかなーと思うと切なくなるが、そのぶん今のうちにたっぷり楽しんでおかんとな。

 つうわけで、午前中だけ仕事してたけど、昼頃に宅配便の配達が来たのを潮に切り上げた。届いたのは犬用おもちゃのコングってやつで、冬の間に壊れたので新品を買って誕生日に届くようにしといたのだ。――これまでは新品のおもちゃを買うと、なるべく壊さず長いこと使ってくれよと思ったもんだが、還暦を過ぎた以上は、元気なうちにたっぷり噛んでどうぞぶっ壊してくれという気持ちでプレゼント。
 で、そういうもんが届いたた以上、こっからはお遊びの時間である。執筆なんざ放り出し、くろべーと共に車に乗り込んだ。昼飯もまだだし買い出しもしときたいし、ちょいと下山するかって気持ちで出発、まずは川に向かう。
 この川にかかる橋が老朽化してて、随分前から新しい橋をかける工事をしてたんだけど、最近ようやく開通したらしい。おニューの橋を渡ってこりゃあ走りやすくなったなーと感動、川原におりてぶらぶらと渓流散策。新しい橋を見上げたり、ここは今頃桜が咲いてるなーと思ったり。まだ水が冷たくて泳ぐには早いけど、それでも眺めのいいとこで歩くのは気持ちいいもんだ。
 もっとも、くろべーの方は特に風景に興味はないようだ。川原でもやることはもっぱらにおい嗅ぎのようだけど、川原のにおいはまた違うもんなのかなー。

5月10日(金)
 くろべーと暮らして丸10周年。めでたい!
 大型犬を飼う場合、“寿命は10年と覚悟して、それより長く生きてくれたら神様からの贈り物だと思うべし”って話を聞いたことがある。くろべーの場合は2歳で僕のとこに来たので、それから10年よく長生きしてくれたと思う。
 僕もいろいろ問題ありつつ10年は飼い主をしてきたわけで、これは自分を褒めてやりたいもんだ。自分自身がこの10年に何をしたかなって考えるとこころもとないけど、少なくとも10年間はくろべーの世話をしつづけてきたのだ。そのご褒美として、今日からは贈り物の日々を楽しんでいきたい。
 つうわけで、10周年祝いの今日は終日一緒にすごし、早い時間からビールで乾杯。くろべーの数ある美質の中でも最大のものの一つは、僕と一緒に楽しく酒を飲めるってことだよな。

 とはいえ、10周年祝いで最初にしたことは、くろべーの嫌いなシャンプーだった。単にしばらく洗ってなかったのと、今日の気温が高めだったからなんだけども。
 午後のあったかいうちに洗ってベランダで天日干し、それから散歩に出かけてアスファルトの上でごろごろ。この山荘でのシャンプー後の行動もすっかりパターン化してきて、くろべーもそのつもりで動いてるのが面白い。
 ふと思い立ち、10年前の日記(http://www.asahi-net.or.jp/~hi3m-tkuc/d0305b.html)を読んでみたところ、僕もまだくろべーの風呂嫌いをちゃんとは把握してなかったようだ。くろべーが階段が苦手だったこともすっかり忘れてて、10年前の記録を読んでふっと目が潤む。子供を育ててる人もこういう感覚を抱くもんなのかなー。

5月20日(月)
 ごく一部から、「せっかくの十周年なのに、その記念がくろべーの嫌いなシャンプーとは何事か」というお叱りを受けましたが……
 そんじゃあ言わしてもらいましょー。実のところ、十周年記念だか還暦祝いだかのため、車を買い換えました。過保護だと言われそーなんで黙ってたけど、足腰の衰えが隠せないくろべーは、これまでの荷室の床の高い車だと自力で乗り降りできなくなってきたのだ。
 そんじゃあもっと床が低くて楽に乗れる車ってのを第一条件、車中泊しやすいのを第二条件にして車種決定。それがこのほど納車され、めでたくくろべーも乗り込んで初ドライブも無事に済ませたのであった。
 車を受け取って帰宅したその日にちょっとした朗報があったりもして、なんだか縁起のいい車になりそーである。あとは犬連れドライブ旅行に繰り出して車中泊も試してみたいが、さてどこにいこーかな。
 車中泊場所は道の駅やサービスエリアになると思うけど、「うちの敷地に停めてもいいぞ」って方がいらしたらご一報ください。近くに水場とトイレさえありゃあ、とりあえずどこでも泊ってみる予定です。

5月26日(日)
 午前中、車に乗っていそいそとお出かけ。
 つっても恋愛方面の用事ではなく食欲方面の用事である。最近気に入って通うようになったラーメン屋のご主人から、自慢の裏メニューの特製塩ラーメンを食べてみてほしいと誘われたのだ。ついこないだ、水曜日には炭火焼屋さんに「イセエビの具足煮」って裏メニューを食べに行ったし、なんか裏メニューづいてるなあ。
 で、某ラーメン屋さんの裏メニューの塩ラーメンってのが、注文の多い料理店的にいろんな条件を満たさないと食べられないらしい。「気に入った客にしか出さない」「ちょっとしかとれない部位を使うので1日1杯限定」「比内地鶏を用意するので2日前に要予約」「1杯作るのに手間がかかるので開店直後に来てほしい」などなど。事前にご主人からいろんな情報を聞いてたので、それだけで期待が高まる。知らんうちにアクセルふかしてたのか、予定より5分ほど早めに着いたりなんかして。
 いったいどれほどのラーメンだろうと思って食べてみたのだが、確かに言うだけのことはあり、2日前予約して楽しみにして来るだけの価値はあった。予想を超える美味さの塩ラーメンに、予想のつかない味の演出が加えられてたのだ。総合的な演出までひっくるめて、僕が今まで食べた中で一番美味かった塩ラーメンだといっていい。未体験の人には是非食べさせてあげたい――いや一日一杯限定だから人にすすめるなら俺が食いたいくらいだけど、どーしてもって人には教えてあげます。
 どういう味かというと、まず第一丼には麺とスープとネギだけの塩ラーメンが盛りつけられている。もともと手打ち麺の見事な味わいと食感が気に入って通うようになった店なので、このシンプルな状態でまず美味い。そして鶏ダシスープだが、好きな麺をすする前にレンゲで何杯も飲んでしまったほどの味わいだった。よく塩ラーメンをほめる際に「あっさりしているのに深い味」とかいうけれど、まさにその究極である。
 ただし、「あっさりしてる」と言うと語弊があるかもしれない。レギュラーメニューの塩ラーメンより明らかに油分が多めで、スープが黄色っぽく見えるほどなのだ。なのに脂のしつこさを感じないのが不思議だなーと思ったのだが、それこそが比内地鶏の力なんだそうな。自身ラーメンマニアなご主人は、この比内地鶏を手に入れるために山形まで通いつめてたんだとか。前にラーメン行脚をしたり地鶏農家と交渉したりしてたって話を聞いた時には、ふーん熱心だなーと思う程度だったけど、実際その食材の凄さを味わわせてもらうとそれを入手するためまでの努力の凄さが垣間見えた気がした。
 で、その第一丼だけでも充分に満足だったんだけども、丼はもう一つ出された。その第二丼に入ってたのは、豚肉の希少部位のバジル焼き。希少部位ってのがどこだかは聞かなかった(つうか聞いたって知識ないので分からない)が、軟らかくて脂は少なめなんだけど旨味たっぷりな部位である。それを塩とバジルで味付けして焼いた感じで、第二丼だけでもビールを飲みたくなるんだけど、第一丼がある程度減ったらそこにバジル肉を投入して味代わりを楽しむという演出だった。
 試してみると、これがまたよく合う。イタリアンからオリーブオイルを抜いても成立してるような料理というか、どの国の料理とも言えないような不思議な無国籍塩ラーメンである。つうか、僕はもともとバジル味のパスタって好きだったんだけど、同じバジル料理でどっちか選べと言われたらこの塩バジルラーメンを選ぶ。鶏も豚も一級品なおかげでまるで脂っこくなくて、するすると腹に入ってく感じ。まるで腹にもたれないし、手間がかかるんじゃなかったらもう一杯頼みたいくらいだったなあ。

 せっかくの限定ラーメンだったので、持参のケータイのデジカメ機能でラーメン写真をぱしゃぱしゃ撮影。ネットにアップしてラオタ(ラーメンの好きな人たちはそう自称するのだそうな)とラー友(ラーメン好きの世界では同好の士をそう呼ぶのだそうな)たちにも見せたいと思ったのだ。
 普段は食べる前に撮るだけなんだけど、今日は味代わりの前後も撮っておきたいので、いつもより多くシャッターを切る……と思ったら、ケータイストラップから根付がぽろっと落ちた。
 趣味の木彫りで作ったくろべー根付、ストラップにする際にくろべーのシャンプー直後の毛を紡いだ紐を使ってとめてたんだけど、その紐玉がほつれちゃってたのだ。とりあえず根付は無事だったんでよかったけど、この留め方は無理があるかなーと思いつつラーメン屋を後にした。
 今日はちょっとしたイベントがあって、友人たちが出店したりワークショップを開いたりスタッフをしたりしてるというので、一通り回ってみようと思ってたのだ。出店の屋台は大賑わいの行列状態、ワークショップのブースは昼食休憩らしくて留守って状態で、天気のいい中でみんないい感じにお祭りを楽しんでるようだった。
 ぐるっと一回りした後、合流できたラーメン好きの友人に、いやーさっき行ったラーメンが美味かったーなんて話を吹き込む。ついでにケータイストラップの件を話すと、ほつれた紐玉を今日のワークショップで補修できるというか、改良することができるとのこと。絶妙のタイミングだなーと驚きつつ、そのワークショップに参加させてもらうことに。
 草木染めの羊毛を使い、テーマに沿って各種アクセサリーを作るっていうワークショップだったんだけど、僕は小さなテニスボールを作ってみることに。くろべー根付と組み合わせて使うもんなので、くろべーの好きなものがいいかと思ったのだ。
 ほつれたくろべー毛玉を芯にして、それを若草色の羊毛で包みこみ、専用の針でちくちくとフェルト加工。先生に教わりながらおっかなびっくりやってたけど、うまいこと黒い毛を覆ってテニスボールっぽい球形になっていくことに感心した。最近はやってるフエルト細工の手芸ってのはこういう仕組みだったのかー。
 テニスボールの柄に見せるためには白い羊毛を紡ぎつつ絡ませていくって感じで、どういう模様だったけなーと思い出しつつ再現していく。うまいこと立体化できたのは、黒いクラッシャー犬が何個となく噛みまくっては分解していく様を見てきたおかげだろうなあ。
 で、一般のお客さんが次々に訪れてはテーマに沿った作品を完成させて去っていく中、一人で別路線のものを目指して粘る。何倍もの時間をかけた結果、どーにか納得いくものできて満足。先生どうもお世話になりました。
 今後はこのミニミニテニスボールを活用して、くろべー根付と携帯電話をつないでおこうと思います。これまで黒と茶色だったものに鮮やかな色彩が加わるだけで、随分と雰囲気ちがうもんだねー。

6月10日(月)
 『カレーライフ』が、「京都水無月大賞2013」という賞をいただいた。
 京都の書店有志で一番売りたい文庫本って視点で十数点の候補作を選出し、投票によって大賞を決めるっていう賞らしい。文庫本発売から8年もたってるし、単行本にいたっては10年以上前に出た作品だというのに、こうして賞に選んでもらって売りだしキャンペーンをしてもらえるんだからありがたいかぎり。
 昨日6月9日に関西方面のメディアで公式発表になってるらしいんだけど、関東の僻地で山暮らししてる身としてはあんまり実感わかない。ツイッターで『カレーライフ』と検索してみたら、参加店舗の書店員さんが店内の売りだし風景の写真をアップしてくれてて、それを見てるとしみじみ嬉しい。よーやく実感わいてきたし、転載していいか確認したら許可をいただけたので紹介してみます。(リンク先をのせとくけど、ツイッターにのった画像っていつまであるのかなあ?)
 まずはふたば書房の野州店さん。(http://p.twipple.jp/zi5kz)
 平台にドーンと並べて1コーナー設けてくださってるようだし、展示用にカレーライスのお皿まで作ってくれてます。画像だとPOPに書かれた細かい文字まではなかなか読めないんだけど、「ようするにカレーの話です」って言い回しはとても好きだなー。
 こちらは恵文社バンビオ店さんの写真(http://twitpic.com/cw98fg)
 シックな本だなの上の段にずらっと並べてくれてます。水無月大賞のロゴの周りに山の絵があしらわれてるのは、大文字焼きってことで京都風の演出なのかな。漢字一文字ってことで、『八犬伝』みたいにキャラクターを象徴してるような気がしてきます。きっと「法」がサトルで「妙」がワタルだよね。
 つうわけで、水無月大賞ってくらいだから、6月中は展示されてるのかな。個人的には是非京都まで旅行して実際に店内風景を見てみたいもんですが、山で田舎暮らし&大型犬と同居の独り者は気軽に旅行に出づらいのが困りもの。巷じゃすっかり夏の暑さが到来してるようだし、誰かうちまで泊まりにきて犬と家とを預かってくんないかなー。

 そんな山の中のオンボロ山小屋で最近何してるかとゆーと、ヤマザクラの丸太運びに精を出している。
 道路や電線の保護のため、うちの周りの森でチェーンソーの音が響いてでっかい木が切り倒されるようになったのだ。伐採された枝や丸太は重機で運ばれ、土砂置き場に積まれて放置された後は谷に落っことされることになっている。事業ゴミとして処分すると金かかるから、ある程度は自然に任せて処分しようってことらしいんだけど、もったいないので我が家の薪&木彫り材&燻製チップのために貰い受けてんのだ。くろべーの散歩のついでに1本とって、汗をかきかき我が家まで運んでいくのが日課みたいな今日この頃。
 本来、木材を春や夏に切るのはよくないらしい。水分が多いので、木材として使うとなると狂いが生じやすいらしいのだ。まあ僕の小さな木彫りの場合はそんなこたあ気にしないし、この時期に切ったからこそ楽しめることもあることに気付いた。
 持ち帰った山桜材はチェーンソーで切断し、薪割りして手頃な大きさにしといたんだけど、何日かしてふと気付いたら見た目が変わっていた。樹皮をはがしたあたりから、ぱっと目を引くくらいに色づいてたのである。桜色というか朱色というか、普通の木材にはまず見られないような、鮮やかな赤と黄の色素である。
 空気に触れて発色したのか、あるいは雨ふって湿気が増した影響なのか分からないけど、こういう色の変化ってのも面白いもんである。――中学生の頃に「桜は花だけじゃなく、木全体で桜色に色づこうとしている」ってな文章を読んだことがあるけれど、それを目に見える形で実感できた気がする。
 これから木材の乾燥がすすむにつれて鮮やかな色は消えていくのかもしれないけれど、このまま定着するようなら、この色を活かして何か作れないかなあ。

〔タケウチDJ〕

 いやー、またまたえらく間が空きましたが、よーやく日記の整理が終わりました。2012年9月から2013年6月までの分をまとめたんだから、どんだけさぼってたか知れようとゆーもの。
 おたより紹介も久々ですが、まずは「今年30歳になる音楽好きの男」さんから。せっかくご質問いただいたのに、長いこと回答せずにすいませんでした……
 
竹内さんの「風に桜の舞う道で」が大好きです。
好きな本は何かと聞かれればこの作品を答えています。
単行本、文庫本両方とも持っています。

僕は要領もよくなく、何かと色々なぶつかることが多く
そんなときや今後の道を模索しているときなどに
この作品が読みたくなり、もう何度読み直したか解りません。

20代も残りわずか、作中の登場人物と同じ年ということで今もまた読み返しています。
この作品を読むと自分が今どうしたいか、今度それに向けてどうしなくちゃならないのかなどたくさんのことが整理出来ます。
そして心がポカポカしてきます。

あと、この本を読んだ後だいたい、感化されて同窓会みたいなものを開催したりしています(笑)
そんな訳で何だかんだで、おそらく一生読み続けていく気がしています。

 ありがとうございます。2冊の『風に桜の舞う道で」をしっかり役立てていただいてるようで、作者としても嬉しいかぎりです。これからも読み続けていただけるなら書いた甲斐があるってもんだし、今後の人生の中で読後の感想はかわっていくのかなーと気になったりしています。
 僕自身は同窓会みたいなのってほとんど参加したことない身なんですが、そーいえば桜花寮とか空沢高校とか『ビールボーイズ』とかで同窓会的なシーンを書いてますね。登場人物をぐわっと終結させられるとこが好きなのかなー。

この作品にまつわる質問はたくさんあるのですが、毎回に気になることを一つ。
もう関東の桜は散ってしまいましたが、作中に出てくる桜花寮の近くの桜並木の道はモデルとなっている場所があるんですか?
ぜひ行ってみたいです。

文庫本の作品紹介のところに続編を書きたいと思っていると書いてあるのを発見してしました。
ぜひぜひお願いします。

 「桜花寮の近くの桜並木の道」のモデルにしたのは、西武池袋線の大泉学園駅からのびてるバス通りです。もう20年以上たってるから、ずいぶん様変わりしてることと思いますが……桜並木はまだありそうな気がするなー。
 僕が入ってた寮は、駅からバスで20分くらいのとこにありまして、「都民農園セコニック」とかいうわけのわからん名称のバス停で降りて徒歩5分ほどでした。天気のいい春の日に、妙にでかい荷物を抱えて下りた3人がいて、見知らぬ同士だったけど同じ寮の仲間と分かって……ってのは本当の話。
 その時のバス通りや3人が話をしたバス停のイメージで物語の冒頭を書いたし、文庫版の表紙のイメージもかなりそれに近いです。あの時、僕が最初に声かけた寮友は、その後東北大に進んで博物館の学芸員になったとか。いつかその博物館にいってみようと思ってんだけど、まだ果たせてないなー。
 続編については、『風に桜の舞う道で」から10年後、登場人物たちが40歳になる前後の話を書いてみたいなーと思ってたんですが、その話をしてものってくる編集者がいなくて書けずにおります。僕自身があれこれ空想するのは簡単なんだけど、出版企画として成立させるとなるといろいろ難しいですね……。

 さてさて、お次は以前メールをくれたマサトさんからのご質問。
 何かと誤情報の多いウィキペディアについてですが、まさか僕自身についても誤解を広められてたとは……

Wikipediaの竹内さんの作品一覧を更新しようと思っています。ひとつお尋ねしたいのですが、以下の本に「村上春樹をめぐる、くたびれた冒険」という論文を書いている竹内真という人物は、竹内さんとは別人物ですよね? ビズリーチの方でもなさそうですが・・・。
「村上春樹『1Q84』をどう読むか」河出書房

論文の著者は、竹内真(タケウチシン)という人物でした。巻末の著者一覧には、「1973年生まれ。ブログ『不可視の学院』主催」とあります。

 はい、思い切り別人物です。僕は1971年生まれ、「一橋学院早慶外語」とかいう節操のない名前の予備校に通ってたことはありますが、『不可視の学院』ってのは書いたことないっすね。
 ちなみに、「ビズリーチの方」こと、ビズリーチ取締役CTOの竹内真さん(彼もタケウチシンと読みます)は1978年生まれだったんじゃなかったっけかな。
 ついでに、『芥川龍之介の研究』で有名な文芸評論家の竹内真さん(彼はタケウチマコトさんと読むらしい)は多分、1900年代前半の生まれ。他にも、テレビ局の報道記者やファッション業界や医師や新興宗教方面にも同姓同名の竹内真さんがいるらしいし、同じ名前でも人生いろいろですな。
 アメリカには、「ジョン・スミスの会」なんてのがあって、同姓同名同士が集って楽しくパーティーしたりするらしいですが、いつか竹内真でもそういうのができたらいいなーと思ってます。IT業界で儲けてる竹内真さんが出資してくんないかなー。

今の僕はそれを読めば竹内シン≠竹内マコトだと分かりますが、普通は『カレーライフ』の竹内真さんだと思ってしまいますよね。次のブログの書き手もそう誤解してしまっていて、竹内シン氏を「小説家」と書いています。

ブログ『本だけ持って』 「しちゃかめっちゃか1Q84」
http://kotanero.naganoblog.jp/e565405.html

wikiの「1Q84」のページにも例の『〜をどう読むか』の説明があり、その著者の一人「竹内真」がタケウチさんのページにリンクされているのを発見しました。これはマズイ・・・。

Wikipediaの方には、竹内シン氏は別人であることを書いておきます。

 訂正作業、わざわざありがとうございます。
 しかし、みんなもリンク張ったり違う肩書きをつけたりする前に確認してくれりゃーいいのにね。ちょっと調べりゃ分かることなんだし……
 そういえば以前、「ビズリーチの竹内真さん」がCDデビューした時に(彼はミュージシャンでもあるのだ)、レコード会社の人が勘違いして、僕の方に販促キャンペーンの連絡を寄越したことがありました。おいらに歌えってことかなーと、ちょっとわくわくしたのを覚えてます。
 「村上春樹『1Q84』をどう読むか」の方も、どーせなら僕にも執筆依頼をくれればいいのにねー。数ある村上春樹本って、売れ行きが見込める分だけ粗製乱造だったり、逆に思い入れや思い込みのありすぎる人が書いてトンデモ化してたりしますが、『図書館の水脈』の作者たる僕は大抵の書き手よりはいいものを書く自信があるぞ。
 それに、大勢が寄稿する体裁の本で、同姓同名が並んでたらちょっと目を引いて話題性があるんじゃないかなー。ビズリーチ方面ではちょっとそういう感覚を味わえたけど、いつかその竹内真さんと共演したいものよ……っていうか、僕の本の参考文献に『芥川龍之介の研究』をあげとくのが手っ取り早いかな。今度そういうストーリーを構想してみよう。

 そんなわけで今回は、「竹内真世界がいつまでも平和で幸せでありますように」って言葉で締めくくろうかと思います。――さて、ネタ元はどこでしょう?



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