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もばいるなまけもの

〜 トータルで少々怠けるために行う延々とした試行錯誤こそが、電脳遣いの醍醐味である 〜

Since 2000.02.27

試行錯誤の日々最新号


■ 2004/07/29 (木)
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[Misc]チャーチルの言葉

比較的最近になって知って、なかなか言い得て妙だと思った言葉に、第二次大戦期の英国首相であるSir Winston Churchillが言ったという

若くして共産主義に傾倒しない者は情熱が足りない。
年を取って共産主義に傾倒しているものは知能が足りない。
という趣旨のものがある。

実際の用例をwebからいくつか拾ってみると

「二十歳までに共産主義にかぶれない者は情熱が足りないが、二十歳を過ぎて共産主義にかぶれている者は知能が足りない。 by ウィンストン・チャーチル」
『20歳までに左翼に傾倒しない者は情熱が足りない。20歳を過ぎて左翼に傾倒している者は知能が足りない』
といった風に、表現の揺らぎがある。翻訳だからしょうがないが、引用するからには原文で意味を確認しておかねば、とその原文のソースを探してみた。

すると、いくつかのバージョンがあるらしいと、以下のようなものが2chで紹介されているのを見つけた。

If you are not a liberal at 20, you have no heart.
If you are not a conservative at 40, you have no brain.
A young man who has no rebellious tendencies has no passion,
and an older man who has no conservative tendencies has no sense.
Any man who is under 30 and is not a Liberal has no heart; and
any man who is over 30 and not a Conservative has no brains.
おや、「共産主義」でも「左翼」でもないんだ。liberalにしろrebelliousにしろ、英辞郎からの引用に示すように、
■liberal {形-1} : 偏見のない、自由主義の、進歩的な、リベラルな
■rebellious {形} ? 反抗的な、反抗する、反逆する、反体制の
共産主義とか左翼という意味は特にないようだ。なんだかずいぶん印象が変わってしまった。

それにしても、具体的な年齢もまちまちなら、英語においてすら表現がそれぞれずいぶんと異なる。こんな「原文」ってあるかい?と思い、この中の単語を使ってさらに検索をかけてみたところ、The Churchill Centreというサイトからの引用として

If you're not a liberal when you're 25, you have no heart. If you're not a conservative by the time you're 35, you have no brain.
というものが紹介されているのを見つけた。サイト名からしてこれが「本物」「決定版」かと訪問してみたら…。
"Conservative by the time you're 35"
If you're not a liberal when you're 25, you have no heart. If you're not a conservative by the time you're 35, you have no brain." There is no record of anyone hearing Churchill say this. Paul Addison of Edinburgh University makes this comment: "Surely Churchill can't have used the words attributed to him. He'd been a Conservative at 15 and a Liberal at 35! and would he have talked so disrespectfully of Clemmie, who is generally thought to have been a lifelong Liberal.
とのこと。あほかい。続きの部分にもっと重要な情報があるじゃないか(^^;。要はチャーチルに仮託した捏造?

せっかく面白い言葉だと思ったのに使えなくなってしまった。


参考:http://snapshot.publog.net/html/mass/2004/05/23/123916.html#229
229 :本当かよ! :04/05/27 14:37 ID:kp27Hoig
>>208
まあね。そもそもこの言葉はチャーチルの言葉ではないらしいね。

20才までに共和主義者でないということは心臓が足りない証拠である。
30才までにそれであるということは頭が足りない証拠である。
ギゾー(1787―1874)
その他、バーナード・ショー、クレマンソー等々のバージョンもあり。

スレ違いスマソ。
これのソースには未到達。


■ 2004/07/31 (土)
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[Movie]ハリーポッターとアズカバンの囚人

今回は事前に、「これまでよりも面白くて未読者にもわかりやすい」というのと、「原作との乖離が大きくてがっかり」という二種類の評価を聞いていた。実際に見ての感想は「なるほど」ってなもんであった。

今回も映画1・2作は見たけど、原作は1巻までという未読者と見に行った。その感想を聞いても、自分の実感としても、確かに今作は未読者にもストーリーが伝わりやすくわかりやすく楽しめるものであったと思う。しかしその未読者から同時に、ストーリーが一本調子で広がりがないという評が出る、そのような作品となっていた。

1・2作は良くも悪くも原作の挿絵であった。未読者には今ひとつ伝わりにくい所はあっても、その分原作世界の広がりを感じさせることはできていたように思う。映画としてどっちがいいかっていうと難しいが。

また、映画としての完成度を重視するあまり、重要なエピソード(特に心理面で重要なエピソード類!)が相当ばっさりと削られたり端折られたり。個人的に一番引っかかったのは、なぜ1回目は効かなかったディメンター退治の呪文が2回目は効いたのか、映画からではわからないんじゃないかな、ってこと。見ている多くの人は、出直して(magic pointを蓄え直して?)冷静にやったから程度にとっちゃったんじゃないかしらん。でも本当は「エクスペクト・パトローナム」の呪文は単にmagic pointを消費して超常現象を引き起こすというような呪文ではない。唱えた個人の幸福な経験、幸福感がどれほど重要なものであるのかがまるで伝わらないように思う。

見事にそれを勘違いした評も実際あるし。

内容についてもうちょっとだけ。

ディメンター(吸魂鬼)やボガート(ものまね妖怪)の性質にしろその撃退法にしろ、まさに「鬱」を描いていると思ってたんだけど、Googleで検索してみても今ひとつそう論じているページが見つからない。原作の読後に検索したときは、まだないのかな?程度に思ってたんだけど、映画が公開されてからでさえこれだけ時間が経っているのにないってことは、なんか勘違いだったのかなあ。
検索方法が悪いだけなのかもしれないけれど。喩えとしての妥当性だとか、是非聞いてみたいものなんだけどな。

このようなページは見つけた。これを読むと私の想像もあながち間違いではなかったように思うが。

で、そう思うと今作は本当は結構心理面の要素が大きい作品だったはずだと思うんですよ。映画は面白くはありましたが、ちょいと別物ですね。

まあぶっちゃけ私も同行者もエマ・ワトソンが元気に動いているところをしっかりみせてくれていれば概ね及第点を与えちゃうような鑑賞者なのであるんだけどね(^^;。


■ 2004/08/02 (月)
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[Book]米原万里『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(角川文庫)

軽妙なエッセイで名高い米原万里氏の自伝的中編ドキュメンタリー3編がおさめられている本である。内容は下記Dataを見てもらったほうが早いかもしれない。

解説にあるように、「かつての同級生の消息を、おとなになったマリが訪ね歩く各章の後半部分は驚きの連続。ミステリを読むようなドキドキ感さえあります。」ってのはまさにその通り。

印象深い部分を引用。

異国、異文化、異邦人に接したとき、人は自己を自己たらしめ、他者と隔てるすべてのものを確認しようと躍起になる。自分に連なる祖先、文化を育んだ自然条件、その他諸々のものに突然親近感を抱く。これは、食欲や性欲に並ぶような、一種の自己保全本能、自己肯定本能のようなものではないだろうか。(123ページ)
自国と自民族を誇りに思わないような者は、人間としては最低の屑と認識されていたような気がする。
「そんなヤツは、結局、世界中どこの国をも、どの民族をも愛せないのよ」(123ページ)
他人の才能をこれほど無私無欲に祝福する心の広さ、人の好さは、ロシア人特有の国民性かもしれない(中略)
「西側に来て一番辛かったこと、ああこれだけはロシアのほうが優れていると切実に思ったことがあるの。それはね、才能に対する考え方の違い。西側では才能は個人の持ち物なのよ、ロシアでは皆の宝なのに。だからこちらでは才能ある者を妬み引きずり下ろそうとする人が多すぎる。ロシアでは、才能がある者は、無条件に愛され、みなが支えてくれたのに」(199-200ページ)
ベオグラードでモスクに入るときに、頭髪を隠すためのかぶり物を探そうとする「マリ」に対して守衛ボックスから出てきた14、5歳の少年がアラーの神を信じていないのなら必要がないと言った後に)
「異教徒に対して寛容にならなくちゃいけないんだ。それが一番大切なことなんだ」(261ページ)

正直米原さんの父親が非合法時代からの共産主義者だったことは、実はちょっと衝撃だった。しかし思えば1960年頃に東欧に行って娘をソビエト学校に入れるって時点でそちらの人でなければあり得ない話。彼女は、その父のことを誇らしく語る。チャウシェスクのルーマニアで高官を務めていた「嘘つきアーニャ」の父が後悔していると語ったことに対して彼女は心の中で叫ぶ

父の夢見た共産主義とあなたの実践した似非共産主義を一緒くたにしないでほしい! 法的社会的経済的不平等に矛盾を感じて父は自分の恵まれた境遇を捨てたんです! あなたが目指したのはその逆ではないですか!(156ページ)

そう。(これも解説に書かれたこととだぶっちゃうんだけど)今の左を見ているとつい忘れてしまうのだが、共産主義は本来平等を目指す理想主義であったのだ。今の左は嫌いだけど、その理想主義的な部分は忘れてはいけない(自戒)。

だがそういわれたアーニャの父も、恵まれた境遇を捨てて非合法な共産主義活動に身を投じた人なのであり、レーニン自身「実は生涯に一度も自らの労働で自分の生活を支えるという生活者の経験を持たなかった」「地主として小作人からの小作料を当てにして生きていた」(27ページ)人であった。それぞれ何と言う矛盾か。

こうしたことから何を引き出すべきか。私は自分なりの結論を出せていない。

何はともあれ、本書は先行したエッセイで出てきた「人柄でいえばロシア人は、暖かくて、お人好しで馬鹿親切で最高だけど、結婚相手としては理想的ではない。だって大酒喰らってばかりいるから」とう国別性格論がどういう背景をもった人の台詞に由来しているものかがわかるというだけでも、米原万里ファンは必読でしょう(^^)。

Data
文庫301 page
出版社:角川書店
出版年月:2004年6月
ISBN:4-04-375601-1
内容
一九六〇年、プラハ。小学生のマリはソビエト学校で個性的な友達に囲まれていた。男の見極め方を教えてくれるギリシア人のリッツァ。嘘つきでもみなに愛されているルーマニア人のアーニャ。クラス1の優等生、ユーゴスラビア人のヤスミンカ。それから三十年、激動の東欧で音信が途絶えた三人を探し当てたマリは、少女時代には知り得なかった真実に出会う!


過去の試行錯誤

試行錯誤の参考文献

リンク(2001/05/07)


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[Page Design] Written(Ver.3): 2003/09/25; Minor-modified(Ver.3.0.2): 2003/12/02
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