Last Updated 2023/6/15
日刊リウイチ
TUNAGATTEIRUNOYO
「1998-1999年lain日記」

リウイチとは誰だ?
リウイチとは奴だ!

薄い髪に伸びた髭
趣味はアニメと女子サッカー

日刊リウイチとは
そんな胡乱な野郎の日々を
無限に綴ったページなのだ

ワーニングワーニング

(ホントはただの日記です)

◎積み上げた本の数が這々の体で1800冊に達した『積ん読パラダイス』だけど記念事業もなく、これからも地味に静かに増量方針。ライブドアブログの方で『積ん読パラダイスinBlog』なんてのも作ってみたけど誰が見ているのやら。
落ち行く世界で孤独な少女がロボットと出逢い、つかの間の交流を経てそれぞれの道を選ぶ。切なくも哀しく、そして愛おしい狩野典洋の短編アニメーション『ノアのハコ庭』に全人類よ、涙せよ。
【6月18日】 「PSYCHO−FES 10th」を思い出す。常守朱役の花澤香菜さんが登壇しては「おーっす」「もういちどおーっす」と挨拶をしてから「さあいってみよう」と促すと、狡噛慎也役の関智一さんが登壇して潜在犯と間違えて一般人にドミネーターを向けて「どうもすんずれいしました」と謝った後、宜野座伸元役の野島健児さんと合流していっしょにヒゲダンスを踊り、それから須郷徹平役の東地宏樹さんがタンクトップで体操をし、髪の毛がもじゃもじゃな縢秀星になりきった石田彰さんが雷様を演じて笑いをとっていた。

 それから唐之守志恩役の沢城みゆさんと六合塚弥生役の伊藤静さんと霜月美佳役の佐倉綾音さんが並んで「春一番」を歌った後で槙島聖護役の櫻井孝宏さんが「This is a pen」と言って「なんだこのやろう」と捨て台詞を吐いて去って行ったような記憶があるけれど、本当だったかどうかは定かではない。そんな空気はあったかもしれない。調べたら花澤香菜さんは「ガッコの先生」というテレビドラマでいかりや長介さんと競演してたんだ。ステージ上での長さんっぽさはその頃からのリスペクトなのかもしれないなあ。いやただのお笑い好きが出ているだけけだって? その可能性の方が高いかな。

 笑うなあ、日本の新聞。グラミー賞がAI生成の楽曲についてはノミネートから外すといった宣言をしたそうで、ニュースになっているんだけれどそれに添える事例として、ジョン・レノンの声をAIによって取り出したポール・マッカートニーの話を上げている。おいおいそれはノイズまみれのテープの中から、ジョン・レノンの声だけを抽出するのにAIを使ったというだけであって、決してAIに学習させてジョン・レノン風の楽曲を生成した訳じゃない。つまりはい一種のノイズリダクションをどうして日本の新聞はAIAI生成とごっちゃにしたがるのか。デスクが本当に分かっていないのか、その方が見出しをつけやすくニュースバリューを上げやすいからだろうなあ。ポール・マッカートニーを画像で使ってるくらいだし。書いてる記者もまぬけじゃないからそれは違うと思っているのに、デスクが書き足したなら可哀想。自分でそう思って書いているならただのポン酢。どっちかな。

 前に言ったら休みだった東所沢の角川ミュージアムに「はじめてのBL展」を観に行く。今度はちゃんとやっていた。驚いたのはミュージアムの前にある水辺を開放していて遊びに来た子どもが入ってバシャバシャやって遊んでた。プールみたいに綺麗じゃないけど街中にある水場程度には大丈夫だし、それほど深いわけじゃないから遊ぶには最適だろうけれど最初からそういう目的のために作られたのかがちょっと分からない。コロナ直前のオープンで初めて迎えた夏はコロナのど真ん中だったから、人が集まったり遊んだりするようなことはできなかった。公園の水場もだいたいが閉鎖。そうした状況を経てようやく迎えたフリーの夏を当初の予定どおりに開放したのかもしれないし、客寄せになるからと臨機応変で対応したのかもしれない。

 ホテルとか休館になっていろいろと大変そうな東所沢という地だけれど、案外に来場者はいて書店も上の図書館も結構混んでいた。若い人が本を読まなくなったとか言われている割に、座席はだいたい埋まってそこで引っ張り出してきた本を読んでいる人が結構居た。それも漫画とかじゃなく学術書とか美術書のような難しい本。そういう人たちが存在しているならやっぱりまだまだ本は大丈夫なのかもしれない。いや電子書籍で読めないような本を読める場所だから買わずにタダで読んでいるだけなのかもしれないけれど、それでも本を読む人がいるのは現実だから、そこを糸口にして増やしていければ良いかなあ。下のライトノベル図書館はどうだったか見ていないので不明。いっぱい人はいてくれたかな。

 「はじめてのBL展」は竹宮恵子さんを起点に綴られた年表があって、2番目に萩尾望都さんも登場していたけれど展示してあった原画は竹宮さんのものくらいで、グッズも竹宮さんのものだけ。そこがあるいはひとつの史観となっているのかもしれない。自分をそこに上げないで欲しいなんて話があったのかは知らない。雑紙だを「JUNE」があって「アラン」があってそして栗本薫さんの小説だとか評論があってそして「やおい」の解説から本格的なBLの登場へと至る歴史がとりまとめられていた感じ。コミックマーケットでの女性による同人誌の島の紹介もあって自分の経験なんかを確かめたい女性がいっぱい集まって魅入っていた。どのカップリングに関わったのか。聞いていけばそこにひとつのコミック史も見いだせそう。怖いからやらないけど。


【6月17日】 シングルでとったらツインにアップグレードされていたホテルで目ざめてとりあえず、谷口吉郎・吉生記念金沢建築館へと出向いて再びの第7回企画展「アニメ背景美術に描かれた都市」を鑑賞。その途中で金沢らしい武家屋敷が残った街並みを歩いてここならなるほど「わたしの幸せな結婚」とコラボして訪問地にして着物と軍服姿のカップルで歩いて恰好つけられると思った。とはいえ男女でそういう風体をするよりは女性の片方が軍服で久堂清霞を演じる感じになりそうな気がする。コラボ企画をやっているホテルもそうした女性2人の宿泊をきっと受け付けているだろうから。どうなんだろう。

 見終わってハントンライスという金沢名物のオムライスにカツとフライがのった洋食を食べ金沢城なんかを見えてから新幹線でとって返して有明にある東京ガーデンシアターで「PSYCHO−FES10th」。5Fバルコニー席ってどれだけ遠いんだと思ったけれども重なるように作られたバルコニー席からはステージが見下ろすような形になって全体がちゃんと見渡せて、もしかしたらアリーナ席の後方なんかで前に人が被るよりもよほどステージを見やすいかもしれない。

 ただ音響は爆音系のアーティストだとボーカルの声が楽器と混じって何を言っているのか歌詞がまるで分からない。それは歌っていたのが凜として時雨れだったからかそれともWho−ya Extendedだったからなのかは不明。EGOISTだとまあ聞けたのはバンド演奏ではなく打ち込み系でボーカルを前に立たせるようなサウンド設計だったからなのかもしれない。そんなバンド演奏から始まった「PSYCHO−FES10th」でキャスト陣が登場したパートになった時に少し驚いた。

 理由は槙島聖護役の櫻井孝宏さんがしっかりと登場していたからで、いろいろあってから実物がお目見えするのってこれが初とかふと思ったけれど、ちょっと前に「モブサイコ100」のイベントにも登壇していた。それでも久々な登場にも関わらず、舞台でそうした話題もイジリもなければネットが登場に騒然としている雰囲気もなく、キャリアはキャリアだしキャストはキャストとして尊重しようといった空気がスタッフにも観客にもそしてキャスト仲間にもあるような感じがした。

 表だってCMで文字通りの”顔”になる訳じゃないから声優さんの場合は他に替えの効かない役の時にはしっかりと起用されるしこうしてイベントにもその役の人として登場できるのかもしれない。不倫だ恋文だと騒がれてしまった広末涼子さんは”顔”だったからそこは下げられても仕方がないのかもしれないけれど、映画とかドラマは役なので良いような気がする。切り分けないとね。

 そんなキャスト陣では六合塚弥生さんを演じている伊藤静さんがパンツスーツにポニーテール姿で公安局刑事課第一係の執行官時代を思わせる扮装で登場してくれてとてもとても愛らしくってりりしかった。細いしなあ。その見目麗しさでもってどうして隣が霜月美佳役の佐倉綾音さんであって唐之杜志恩役の沢城みゆきさんじゃないのかと何度も言って最後の挨拶の時には強引に隣を取り替えていたけれど、役では唐之杜の方が姉貴っぽいのに実際の年齢だと伊藤静さんの方が沢城みゆきさんよりも上。だから呼びつける感じかというとキャリアでは沢城さんの方が長かったりする不思議な関係の中、どちらがどうという訳でもないいちゃいちゃぶりを見せてくれてなかなか倒錯させられた。そこに割ってはいるあやねるもなかなか凄いけど。

 そのあやねる、音楽なんかをこなしつつ行われた生アフレコによる朗読劇では公安局に監視官として配属されたばかりの霜月美佳を久々に演じてみせてくれて、憎々しげで鬱陶しい頃の雰囲気を思い出せた。「霜月が嫌いな人〜」と会場に呼びかけていたのもそうした過去を背負って自分のポジションがどういうものか理解しているから故。もっともその後にペッツ芸やら顔芸やらを披露しイデ隊員みたいにドミネーターの変わり種を「こんなこともあろうかと」密かに開発しては取り出してみせたりして好感度を上げているんで、これで嫌われることはないだろう。

 そうした朗読劇を通して現時点でのポジションが常守朱は法定執行官で狡噛慎也や宜野座伸元や須郷徹平は外務省行動課で唐之守志恩も元公安局刑事課分析官となっていたから「PSYCHO−PASS サイコパス 3」の終わりを現在地として確定させていることが分かった。そうした以上はそのポジションからそれぞれのドラマを描いていく覚悟があるってことだと思いたいけど、六合塚弥生と違って唐之守志恩が外に出られるようになってまた犯罪係数が上がりそうな公安局の仕事をしてくれるとは思えないし六合塚弥生だってやらせたくないだろうからどんな身分になるのか興味津々。

 そうした朗読劇のラストに強くなった常守朱を感じつつその後に凜として時雨の爆音のライブがあってテレキャスターをリズムとかではなく旋律も弾けばディストーションもかけて響かせるTKのギタープレイの凄さと345のベースプレイとハイトーンでの叫びの迫力なんかを浴びてこいつら凄いバンドじゃないのかと今さら長良に気がついた「PSYCHO−FES10the」。新しい映像の発表はなく今の映画のノベライズが深見真さんによって書かれることくらいしか情報は得られなかったけど、終わる雰囲気はまるでなかったので常守朱が娑婆に出て霜月美佳を新局長とサンドイッチにして困らせつつすべてを知った慎導灼と炯・ミハイル・イグナトフがやっぱりいろいろしでかして霜月課長の首が飛びそうになる様が描かれる時をじっくり待とう。


【6月16日】 書いてもいいよというところがあったので宿代くらいにはなるなと思って北陸新幹線に乗り金沢へ。到着してやっぱりよく分からないバス乗り場から兼六園方面に行くバスを選んで乗り込み香林坊まで行ってこれはやっぱり金沢名物を食べなくてはと、金沢カレーのターバンカレーを食べるのだった。実はゴーゴーカレーに買収されていたりするんだけれど、味とかは前からのを守っているみたい。東京で食べるゴーゴーカレーとはちょっぴり味が違うように思った。気のせいかもしれないけれど。

 そこから金沢21世紀美術館まで行って少しだけ時間を潰してそして寺町経由で谷口吉郎・吉生記念金沢建築館で明日17日から開幕の第7回企画展「アニメ背景美術に描かれた都市」の内覧会を取材する。たとえ赤字であっても普段はなかなか見られないアニメーションの背景美術を間近に見られる展覧会なら行くしかないのだった。って本当のことを言えば、背景美術なら毎週のように触ってはいるけど、色を塗っただけのものとか部屋の様子を簡単に描いたものとか、本当に背景に過ぎなかったりして絵画的に凄いものはなかなか見られないのだった。

 なにしろ今回選ばれた背景美術はどれもが緻密。監修に当たった東北大学大学院の五十嵐太郎教授によれば、1995年あたりをピークにしてアニメの背景美術がどんどんと緻密になっていったらしい。発端はやっぱり「AKIRA」で、大友克洋さんが描いた緻密すぎる漫画の影響も受けて背景も汚しを入れるようなことが行われ、それが緻密さの表現となって現れ後の「機動警察パトレイバー劇場版」や「機動警察パトレイバー2 the Movie」「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」へと人脈も含め流れていく。

 そして「メトロポリス」や「鉄コン筋クリート」あたりでもその影響は残っているけど一方にデジタル化の波も入ってそれが大きな潮流となって手描きのアニメーション背景美術を廃れさせていく。そうした歴史の変わり目にあって最盛期を迎えた技術が、折からのバブルで沸き立つ東京という街の喧騒とも重なってあの一群の背景美術につながった。そこに歴史あり。って感じ。だからこそ観に行く価値があるってことになる。作品が多数、権利元の枠組みを超えて集まることも滅多にないし。

 あとはこれは作品の傾向がそうだったからなのかもしれないけれど、都市自体がキャラクターよりも存在感を持って物語の主役を務めていたようなところもあった作品がその頃に多く現れたことも、背景美術の存在感を際立たせといったことを、ドイツでこうした展覧会をもともとはじめたシュテファン・リーケレスさんが話してた。キャラクターがあって物語があるのがアニメーションだけれど、押井守監督の一群の作品なんかは都市なり背景なりが世界観を語りストーリーを語っていた。台詞もなければキャラクターも登場しない背景だけが映し出されてたしねえ。だからこそ見て強い圧を受けるのかも。

 そうしたピークからデジタル作画による背景美術へと代わって、情報量こそ確かに増したけれどもそれで感動できるかといったところで不安があるってことを、6年目の背景美術クリエイターが来て草森秀一さんと木村真二さんに質問していた。答えて草森さんなんかは「やり直せてしまうから情報量を盛りすぎてしまうかも」と話していたし、木村さんも「デジタルが間違いということはないけれど、盛りすぎてしまうから引くことを考えた方が良い」と話してた。

 それは手描きを知っているからこそ分かる感覚でもあるので、それを現場で伝承できない以上はこうした実物を見せることで感じてもらうしかないんだろう。問題はけれどもこうした実物が果たして永劫に保管され続けていくかといったことで、世界が目を向け展覧会に引っ張り出して注目を浴びさせていることで捨てるに捨てられない状況は作り出しているけれど、それは一部の作品について。すべての作品の背景美術が残される訳ではない。そして知らず捨てられてしまうことになってしまう。

 そうならないためにもどうして背景美術が存在するのか、その価値はどこにあるのかを改めて世に問い分かってもらう機会としてこの展覧会は大きな意味を持っていると言えそう。遠く金沢でだけ見られないところがあるものの、意のある人は見に行こう。あるいは全国の巡回を呼びかけよう。展示では「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」の市場のシーンで小倉宏昌さんと草森秀一さんが同じような絵を描いているんだけれど、小倉さんはタッチが粗く草森さんは細密で違いがあることが上下の展示で示されていた。どっちが良い悪いではなく性格なんだろうなあ。そうした特徴を目の当たりにできるところもこの展覧会の凄いところ。観に行くしかないね。


【6月15日】 住民税が攻めてきたのでやっつける。会社を辞めた年には3カ月だけ会社員だったので結構な金額が来た記憶があるけれど、その後にあんまり稼げなくなったり、稼いでも経費でほとんど飛んでいったりして純粋な収入がそれほどなくなってしまったこともあって、それほどでもない金額に収まっているのがありがたいと言えば言えるけれどもそれだけ稼いでないとも言える訳でいろいろとフクザツな心境にとらわれる。ともあれ支払わなくちゃと銀行口座を持っている三井住友銀行に行ったら止められた。手数料がかかるからって。

 いやいや三井住友銀行の人なら手数料がかかるけど是非にってそこは誘うところなんだろうけれど、過去にいっぱい似たような状況でどうして手数料がかかるんだって怒られてその前に別のところを進める方が良いって考え方になってしまったのかもしれない。聞くとどうやら船橋市との税金収納に関する契約を打ち切ってしまったとか。国民年金だとか国民健康保険の収納に関しては手数料がかからないようだから次の健康保険では使うけれど、船橋市だってそれなりな人口がいるにも関わらず市民税の収納を拒否して都市銀行として大丈夫なのかと思ってしまう。それを切ってでも収益を上げたい状況なんだろうなあ。

 関西ではまだ維持しているみたいなんで三井住友銀行の中に流れる住友銀行の血脈が濃いってことなのかもしれない。大阪が本場の銀行だし。でも三井銀行だって財閥系な訳でそれがどうして関東でサービスを低下させるのかっていえばそれだけ薄まっているってことなんだろう。太陽銀行と神戸銀行が合併した太陽神戸銀行に合併してさくら銀行になった辺りで勢力が削られてしまって、そこに住友銀行がドカンと来た状況から見るにやっぱり三井の血脈は薄そうだし。いずれ支店もなくなってしまったどうしよう。メイン口座をどこに持つか考えておかないと。ネット銀行に移行していく方が良いのかなあ。

 2006年をオタク氷河期だなんて煽りをつけて非難囂々の漫画「平成ヲタクリメンバーズ」だけれど読むと漫画そのものはむしろ誰もがオタトークする現代に、羨望やら嫉妬やら居心地の悪さやらを覚えているゼロ年代オタクのフクザツな心情を拾い上げるイタ懐かしさに溢れた作品だった。たいして深く知りもしないでキャラクターについて語る奴らが跋扈する現状は、そうしたキャラクターへの愛を吐露した程度でやっぱり退いてみられた中高生時代を過ごした人には嬉しさよりも遅れてきやがったのに威張りやがってって感情が浮かぶもの。2006年のオタクは決して氷河期ではなかったけれどやっぱりニュースになるくらいには突出して妙な雰囲気があったのは紛れもない事実な訳だし。そうした時代に再帰した主人公が将来状況を知った上で何をしでかすのか。自分がオタクの神になる道をやり直すのか。期待しつつ読んで行こう。

 さっぱり意味が分からない。ゲームの「Fate/GrandOrder」の新章「ペーパームーン」だかのCMアニメーションで冒頭にAIが使われているとかいった言説が蔓延っていて、いったいどういうことかと思ってみたら変化するキャラクターの描写をAIで描いて自動的にズラしていったものだといったことらしい。いやいやそうやって少しずつ変化させながら絵を描いたのを連続させて変貌しているように見せるなんて手描きアニメーションの得意技じゃないか、それを巧いアニメーターが描いた上に彩色や撮影の段階で色を残したり線を重ねたりして変幻していくように見せているだけじゃんじゃないのと思ったけれど、それこそがAIによる自動生成だと信じた人には通じないみたい。

 実際にどうかは分からないけれど、そうした中割的なAIの使用は別に機械学習による剽窃ではなくってそっち方面でいろいろ言われているAI問題と重ねて語るのもまた違うんじゃないかって気がしてならない。でも昨今の言説はAIと聞けば脊椎反射的に反対なり関心なりを示すのが傾向。だから問題になるんだろう。とはいえプロの漫画家が実際の状況も分析せずにAIは剽窃でそれを噂されたコンテンツの製作元は非難されて当然みたいなスタンスを表明していたのにはちょっと参った。もうちょっと冷静になろうよ。そしてAIの何がヤバくて何が良いのかを考えようよ。アニメーションの中割程度なら便利になって良いんじゃないかと思おうよ。すべてが短絡の中で燃え上がる現在に考えるゆとりを。


【6月14日】 LGBT法案の何がどれくらい問題なのか今ひとつつかめていないのだけれど、少なくとも超ライト層が反対する理由として挙げている家族がどうとかいった理屈がどうにも明治以降の男尊女卑的価値観を引きずったものであるように思える関係で、そっち方面から反対している人にはあまり良い感情を抱けていなかったりする。とはいえそんな法案でも自民党が全党でもって賛成に回るなら、党大好きな保守系議員なら真っ先に手を挙げて賛意を示すのがちょっと前までの安倍政権下の習わしだったのに、安倍元総理が音頭を取っていないものだと平気で反対に回るあたりにこの人たちは党ではなくて安倍元総理にベッタリだったんだってことがくっきり見えた。分かってはたいけれど。

 なので岸田総理をはじめとした自民党の国会議員が衆議院で法案への賛否を問われて賛成に投じた中で欠席をしたり逃げ出したりしたんだけれど、政党が党議でもって統一感を保っている状況でこうした“造反”が果たして許されるのかってあたりがちょっと気になる。あるいはこれで昔の自民党みたいに総理は降りても権力を維持して長老として留まる重鎮がいたなら、その傘下でちょっとだけやんちゃをしても守られたかもしれない。でもそのトップが亡くなってしまっている状況で“造反”したらやっぱり不要な人だといって排除されるものなんだけれど、それができないところに両方にいい目をしたい自民党の体質が見え隠れ。トイレに逃げ出すだなんておよそ選良として恥ずかしい振る舞いをしたて、しゃあしゃあと公認を得て立候補してくるんだろうなあ。これが政治家か。恥をしので信念を通すなら恥などかかずに堂々と通せば良いのに。

 海外作家ばかりの「ロボット・アップライジング AIロボット反乱SF傑作選」と日本人作家が集まった「AIとSF」というAIの未来をSF作家が問う作品を集めたアンソロジーが相次いで出たので読んで明け方辺りまで感想文を書いて送る。AIなりロボットをSFが扱うと反乱だのといった方向に流れるのが常套なんだけれど、そうした風潮を潔くないと考えて未来を共存共栄のビジョンで埋めようとしているかというと、決してそうでもなくって人に依っては日本も海外も割と酷い状況が起こって人類が滅びかけたりする。子供を誘って大人に反旗を翻すおもちゃたちってちょっと怖い。なおかつそうやって見方につけた子供が性徴を迎えると大人と認めて追い出すんだから酷いよなあ。

 とはいえ中には野尻抱介さんのように割と共存が図られるようなビジョンを相変わらず見せてくれる人おいたりするからこれは日米の違いでもなくSFという表現の総体でもなく人それぞれってことになりそう。揚羽はなさんあたりは画像解析の技術が進んで病理診断が不要になって病理医がお役御免になりそうな空気もあったけれど、それでもAIではカバーできない病理が現れるのが生命の不思議であって、そうした時にはやっぱり人間の能力が必要になるといった使い分けを提案していた。これはあるかな、それともやっぱりすべてとって変わられるのかな。海外の作品で狂いかけたロボットに人間の精神科医がコンサルティングする話があって人間の価値が認められたと思ったら、手法がパクられてお役御免にされていあし。人間の価値はどこまであってどこまで保たれる? そこが気になる。

 岐阜にある陸上自衛隊の施設で小銃の乱射があって年配の隊員と若い隊員の2人が亡くなられたとの報。乱射したのは4月に入ったばかりの自衛官候補生で、3カ月の訓練を経て正式に採用されては各地の自衛隊基地で1年9カ月なり海自だと2年9カ月だかの任期をこなしてから、そのまま続けるかどうかを決めることになっている。そんな自衛官への入り口にいて銃器を触って射撃の訓練に臨んだ若い候補生がどうして乱射なんて行為に及んだのかと聞かれれば、そりゃあやっぱり訓練をつけてきた上に鬱憤が溜まっていたんだろうなあと考えるしかないんだけれど、そういう候補生だって過去にも大勢居ただろ宇中で事件が起こって来なかったのは、対応がしっかりしていたのかそれとも候補生の側にさすがに殺人を犯すだけの度胸がなかったのか。そこが気になった。あるいは採用の段階でそうした危険をはらんだ人間を排除できていたものが、誰でも採用してしまう状況かで紛れ込んでしまうようになっているのかも。だとしたら今後いろいろ似たような事件が起こってくるのかもなあ。相次ぐ白昼の捕まって当然な強盗もそうした当たり前の感覚がズレて来ている現れなのかもしれない。


【6月13日】 朝から生命保険会社へと出向いて契約の見直しを行う。残りの数年を今の保険料でいくと次の契約時には2・5倍くらいに保険料が跳ね上がってしまこともあってどうしたものかと考え、今乗り換えておけば2倍もいかない金額でそれなりの保障を得られてなおかつその金額が10年続くということなので、しゃあないかと乗り換えた次第。フリーの人で生命保険なんて普通は入っている方が少ないらいしんだけれど、就職してから30年以上、ずっと入って来たこともあってなかなか止めるという発想が浮かばないのだった。

 とはいえ死亡保険金は残す相手もいないので、葬式代くらいにはなる金額に抑えつつ三大疾病だとかで入院やら手術をした時にもらえる保証をしっかりと付けることにした。周囲にも癌だとか心筋梗塞で倒れる人が続々と出ていて自分も遠くない将来似たような時代にならないとも限らない。そうした時に保健に入っておけば多少はカバーできるだろう。聞くと今はそうした疾病の保障を多くつける人が多いみたいで、死亡保険金はあまり重要視されないみたい。そっちはそっちで掛け捨ての保険に入り続けるという手もあるなら、むしろ残る人生をどうやって生きるかを考えた方が良いのかも知れない。

 年金なんかの積み立てもしておきたいけどそれをやりはじめたら使えるお金も減ってしまうので悩ましところ。まだ使ってない退職金をしっかりと残しつつ入ったら使うような感じで経費に回して税金を抑えつつ生きていくのが良いのかなあ。問題はだからあと何年くらい仕事があるかだ。いい加減少なくなっていったらもう持っているお金をパーッと使って世界一周でもしてこようかな。中国とアメリカには言ったことがあってもまだヨーロッパとか言ったことがないのだった。せっかくだから生きているうちに見てみたいよルーヴル美術館と大英博物館。60歳までとりあえず頑張りそれから考えよう。でも超円安で航空券が数十万円になっていたりするかもしれないなあ。迷うところであります。

 大阪日日新聞が休刊するとの報。確か森本学園問題でNHKを止めさせられた相澤冬樹さんが入っていろいろと頑張って報道していた新聞って記憶があるけれど、調べたら相澤さんも2年くらい前に退社していたみたい。部数も5000部くらいで大阪で隆盛を誇った夕刊紙の一角を占めていた時代などもはや影も形もない。見わたせば大阪新聞も休刊になってある種の文化でもあった大阪の夕刊紙発祥の新聞では唯一になってしまっていた。それも島根の新日本海新聞が経営する形でのサテライト新聞。本体だって島根県で6割とかのシェアを持ってはいても将来を考えるとじり貧な中で道楽めいた新聞を維持しておく意味もなかったんだろう。

 題字の下には記者クラブの席なんかもついてくるから官公庁とか警察とかにアクセスする権利ごと、売れば売れたかもしれないけれど情報の解放も進む状況で新聞を維持する酔狂を見せる会社もなかったんだろう。日本工業新聞だってフジサンケイビジネスアイと題字を変えながらも霞ヶ関の官公庁とか経済団体とか東京証券取引所に日銀といった主要な記者クラブに席を持っていた。なかったのは社会部系の警察署くらい。それでも権利として題字を買ってくれそうなところはなかったものなあ。妙なところに買われて入り込まれるのも嫌がったのかもしれないけれど、もはや新聞の題字を有り難がる時代でもないんだろう。次はどの新聞が消えるだろう。いよいよ全国紙の一角もヤバいかも。

 狡噛慎也と唐之守志恩と梓澤廣一が出ているので「劇場版シティーハンター エンジェルダスト」も半分くらいは「PSYCHO−PASS サイコパス」なんじゃなかろうか。あとはキャッツアイも登場するからちょっと前に共闘したルパン三世なんかも出て来たりして。ってことはなく普通に北条司ワールドが繰り広げられそうな新作映画は、神谷明さんの声もまだまだ若々しそうであの雰囲気を今にしっかりと再現してくれそう。もはやもっこりだとかいった時代でもないんだから、ひょうきんだけれどやれば無茶苦茶強い男をエロ抜きで描いて新しいファンも獲得して欲しいもの。そうやってこそ次の時代に繋がるキャラクターになるのだから。オールドファンのノスタルジーにのっかっているだけでは勿体ないから。


【6月12日】 フランスのカルナックにある有名なケルト遺跡の柱状列石が何か金物屋だかDIYストアの建設工事でぶっ壊されてるとの報。あの列石がバタバタと引っこ抜かれているのかと心配して、現地の映像を見つつGoogleマップの空撮映像で見当を付けたらいわゆる遺跡の場所からちょっと離れたところだった。そりゃあ近所なのでいろいろ埋まってるかもしれないけれど、列石そのものかというとそうでもなさそう。その意味では現地当局が許可を出した理由も分かるけれど、日本だと表面的な名前に引っ張られて慌ててしまう人も出てしまいそう。元ネタチェックはだから必要なのだということで。

 上海の方で映画絡みの発表があったそうでそこで「雄獅少年/ライオン少年」の続編にあたる「雄獅少年2」の製作と2024年の公開が発表になったとか。ティザームービーも上映されてそこで一生懸命にカンフーの訓練をするチュンらしい少年と、ちょっぴり太り気味だからきっとワン公とあと師匠らしい男の姿が見えて続編だけれどより進化した何かを見せてくれそうな予感を覚えた。マオもいたかもしれない。気になるのは獅子舞ではなくカンフーをしていたところだけれど、そうやって鍛えてこその獅子舞バトルでの勝利と思えば侮れないのだろう。

 ひ弱な子猫からスタートした「雄獅少年/ライオン少年」とは違って大会の優勝者として始まる続編では何が壁として立ちふさがるのか、そこが楽しみになってくる。舞台はどうやら上海らしく、それは「雄獅少年/ライオン少年」のラストでも有名な東方明珠電波塔が見えていたりして2005年か6年あたりの上海で起こる何かを描くことになりそう。そうなると広州のどうやらお嬢様っぽい女性のチュンは出てくるのか来ないのか。「雄獅少年/ライオン少年」のラストで頑張る男性のチュンに感化され、飛び出して来た彼女の萌える獅子舞魂に火が着いて再開し、そして男性のチュンの前に立ちふさがる壁になったりするのかもしれない。どうなんだろう。2人が組むってことはないよなあ。どっちが前でもどっちも困りそうだし。

 ふと気になってバンダイナムコグループの2023年3月期決算を調べたら、全体の売上高が9900億円にも達していて来期は1兆円の大台載せを見込んでいた。エンターテインメント企業で1兆円の売上高なんて任天堂の1兆6016億円ほどではないけれど、ゲーム機も作っている任天堂とは違ってソフト中心で行くなら共に並ぶくらいトップクラスの規模となる。バンダイだけだったら、ナムコだけだったらとてもじゃないけれど足してもここまでにはいかなかっただろう両社の経営統合がもたらしたシナジーとその後の成長が、どれだけのものだったかが伺えるし経営統合が成長した証とも言える。これがセガとバンダイだったらどうなったか。ハード撤退の煽りで共にシュリンクしていったかもしれないなあ。

 そんなバンダイナムコグループのIP別売上高を見たらやっぱり「ガンダム」が1313億円でトップで、これと「DRAGON BALL」が1445億円で並んでた。「DRAGON BALL」はゲームが圧倒的で「ガンダム」はガンプラが多くを占めているといった感じか。あと「ワンピース」が別枠で863億円で3本柱といったところ。そして長く続けている「プリキュア」は56億円、「スーパー戦隊」は65億円で絶対額としてはそれなりだけれど全体から見るとちょっと不甲斐ない数字になっている。「プリキュア」って普通に100億円とか稼いでたような記憶なんだけれど。

 逆に一時それこそ数十億円にまで落ちていた「ウルトラマン」が195億円とものすごく成長していて、そして「シン・仮面ライダー」の効果もあってかそれは別なのか「仮面ライダー」も321億円と「ウルトラ」「戦隊」を上回る規模になっていた。同じようなカテゴリーでターゲット層のような気がするのに「スーパー戦隊」と「仮面ライダー」にこれほどまでに開きが出ている理由はどこにあるんだろう。やっぱり変身ベルトというキラーアイテムがあるのとないのとで違いが出ているんだろうか。ちょっと気になる。

 この2つはけれども映画などで連係ができるから一続きとして計算可能として、「プリキュア」の落ち込みは気になるところ。今期も60億円とほぼ横ばい。これを是として続けるか、少子化に備えて別の何かへと切り替えるか。サンライズが作る「マクロス」シリーズを取り込んで「マクロスプリキュア」なんてものを作ったりして。歌って踊る少女たちがバルキリーに変身して戦うストーリー。いわゆるメカ美少女と歌物の合体。どうでしょう。IPには出てないけれどゲームの「エルデリング」がどれくらい稼いでいるかも気になるなあ。


【6月11日】 そろそろ上映も終わりそうなので「PSYCHO−PASS サイコパス PROVIDENCE」をグランドシネマサンシャインまで観に行って、岩浪美和さんが調整したサウンドのバージョンを公開初日以来に堪能したかとうと朝も早かったので途中ウトウトしてしまったけれど、才賀先生を引っ張り上げようとする常守朱が床の上で両足をガッと開いて滑り落ちないように頑張っている姿がやっぱりこの映画の見どころだなあと確認したのだった。あとはだいたいにおいて胸元が大きく開いている花城フレデリカかなあ。

 昨日の夜にネットで塩谷直義監督とか花澤香菜さんとかが出演した番組が配信されていて、そこでもいろいろと見どころが紹介されていた中では狡噛慎也と電話したあとで常森朱が「謝って欲しかっただけなのに」とぽつりとこぼして仰向けになるあたりが個人的にも気にいったというか常森朱の顔が妙に可愛らしいのが好きなのだった。そこでは狡噛も必死になって頑張ってコミュニケーションをとろうとしているんだけれど、常人の規準から離れすぎているからか常森朱には通じず才賀先生からもそれはちょっと至ってないぞと釘をさされていた。

 そんな狡噛の戦場ボケして日常から離れてしまっているところは「フルメタル・パニック!」の相良宗介と共通かも。冒頭で作戦に出る際に狡噛が「了解だ」というところなんてモロ、相良宗介だったものなあ。ほかにもウトウトとしながらも見るべきところはしっかりと見て最後まで行ってやっぱりここから「PSYCHO−PASS サイコパス 3」へと繋がったその後、特別執行官として現場復帰した常森朱がいったいどんな活躍を見せてくれるのかが今から楽しみ。もちろん絶対にアニメ化してくれるとは思うけれど、このペースだと2年後くらいになるんだろうなあ。頑張って生きるのだ。そういえば特典でもらったポストカードは公安局刑事課一係のメンバーが勢揃いだったんだけれど、東金朔夜だけいなかった。彼だって一係だったのに。

 終わってから池袋まで来たんだからと埼京線で武蔵浦和に出てそこから武蔵野線で東所沢まで行って、角川武蔵野ミュージアムで開催中の「はじめてのBL展」を見ようと思ったら休みだった。日曜日なのに休みってどんな美術館だって話だけれど、1週間くらい休館になっているみたいなで中で何か大きな展示替えでも行われているのかもしれない。気がつくとあの巨大な図書館とかが消えていたりとか、荒俣宏さんのコレクションが売り払われていたりとかしたりして。ライトノベル図書館はなくなって欲しくはないけれど、あの夏野剛社長がそういったものに理解があるとも思えないからなあ。歴彦さんの復帰はないのかなあ。

 まあ復帰したって病気がちではかつてのようなアグレッシブさは発揮できないだろうから、東所沢はこれからいろいろと縮小されていくのかもしれない。休館としらず結構な人が集まってくるくらい、注目のスポットになりかけているんだからここが頑張り時だと思うんだけれど、そうしたことへの理解もやっぱり夏野剛社長にあるとは思えないんだよなあ。かといって川上量生さんにもあるとも思えなかったり。そうした人と付き合ってきた結果が妙に背伸びをしようとしてオリンピック利権にひかっかてしまったとしたら、サブカル人脈からネット人脈へと乗り換えたことが仇となったって言えるのかもしれない。津田大介氏とか。

 その津田大介氏が、埼玉県営公園のプールで水着撮影会が行われようとしていたのが、クレームによって中止に追い込まれた一件について自分が関わったあいちトリエンナーレに関連した「表現の不自由展」と一緒に語るなって主張している。それがどうにも不可解というか、まだ開かれていない時期のプールを使って有料で行われるクローズドなイベントであるにもかかわらず、誰の目にもとまって眉をしかめさせるようなイベントなんだから自分がやろうとしていた「表現の不自由展」とは違うんだって訴えていて、総突っ込みを喰らっている。オープンではない場所で行われ、その展示内容に眉をしかめる人がいるのは「表現の不自由展」も同じ。そうした基本的な理解すらしないでキレてしまうのは何か心に触れるところでもあったんだろうか。

 よしんば公共の場であろうが何であろうが、誰かが眉をしかめるからといって中止されるのが当然といったスタンスもまた表現の自由に対していろいろと制約をつけなねない言動で、自由を標榜する勢力としていちばん言ってはいけないことなんじゃなかろうか。それを言い出したらデモだって演説会だって反対勢力には不愉快なものだから中止を訴え羅得て当然って理屈になる。たとえ公序良俗に背いていようと法律に触れていない表現についてはこれをまずは認めるべきだとう基本姿勢をぶちあげつつ、それでも公共の施設でジェンダーに関わるイベントが適切かどうか論じられるべきだと言うのがジャーナリスト的な公平性なんだけれど、それすらも示さずキレてしまうあたりに何かヤバい雰囲気を感じてしまうのだった。そういう人が一方のリーダーとして表現の自由を訴えた時、切り捨てられるものが出てくる可能性に注意しろ。


【6月10日】 埼玉の県営公園にあるプールでの水着撮影会中止問題は、都市公園法にある「第一条 この法律は、都市公園の設置及び管理に関する基準等を定めて、都市公園の健全な発達を図り、もつて公共の福祉の増進に資することを目的とする」という条項を理由にして中止を求めた声の無理筋ぶりはすでに指摘されていて、設置条項における「健全な発達」を使用目的としての「健全性」にあてはめてしまっては、公園を使ってのありとあらゆる催しについて健全かどうかを判断する必要が出てしまって、それこそデモだとか集会だとかも反対勢力からの声に従って中止に追い込まれる集会も出て来かねない。

 だからあくまでも自由な使用を前提とした上で、使用目的においてどのようなものだったかを改めて判断するよう求めるべきだった案件でしょっぱなから設置条項を取り出した側の態度は非難されるべきだろう。一方で県営公園での水着の撮影会については議論があってしかるべきで、それを職業として活動している人たちの権利を奪う行いだという理屈がある一方で、女性の水着姿というどちらかといえば片寄りのある趣味嗜好の上にだけ立脚したイベントが行われる場所として公共の施設が相応しいかという理屈もあったりする。見る側の感性に性的な衝動が皆無とは言いがたい状況だからだ。

 それはだから人間なので当然という理屈も成り立つし、対象として美青年なり美少年のイベントに女性が集まるイベントも不可能になるのかといった問題も浮かぶのでそこ緩くとらえつつ、自己決定能力を持たない年齢の人たちが契約で強制されて出演しているような状況があってはいけないといった枠組みをつけ、排除しつつ実行する方向なら公共の公施設でも私営の私設でも大丈夫といった雰囲気にしないと、何も行えなくなってしまって経済も文化も停滞する。そこはだから譲り合い認め合う必要があるのだけれど、そうした曖昧さを世の中が認めず白黒付けたがる人たちが右にも左にもいたりするから厄介。このままだと同人誌即売会にだってオッケーか否かを決定するよう求める声が起こりかねない。どうなることやら。

 「雄獅少年/ライオン少年」の上映に行ってのんさんを見た。メディア席をのぞいて最前列のセンターという真正面からのんさんを見た。おかげで木村貴宏さんをしのぶ上映に間に合わなかったことに悔いはあるものの間近でのんさんのお顔を見られたので幸福度は取り戻せた。もうすぐ30歳とは思えない若々しさであり美しさ。すっくと立ってもちょんと座っても感じられるその存在感。輝いているなあ。そんな輝きをテレビはまるで無視しているんだから日本のテレビも芸能界も縮んでいってしまう訳だ。

 もうすぐ30歳ということも質問で出て別に嫌がらず普通に今以上に元気になっていくような感じがしていると話してこれからの活躍に期待させてくれた。何か新しいことをやりたいかと聞かれて新しいことはないけれど、今やっていることをどんどんと深めていきたいと話してくれた。演技であり歌でありアーティスト活動であり。そして監督業。また何か撮ってみたいと話していたのできっと何か撮ってくれることだろう。

 「あまちゃん」の再放送について触れられても普通に受け答えしていたから自身にとってしっかりキャリアの原点にあるものとして認識しているらしい。今観て「面白い!」というのが感想。「よくこれを朝ドラでできましたねえ」とも話してた。「のんになってからも三陸にはいきました」と自身の改名を俯瞰してとらえそれでも変わらない活動ぶりを話しているところに媚びず退かない強さを感じた。

 歌については柴田隆浩さんの作詞作曲だけれど「雄獅少年/ライオン少年」の日本語版主題歌に決まったことで話し合って歌詞を変えたという。そうしたこともあって諦めないでやり抜く頑張りを訴えるような映画にピッタリの歌になったみたい。映画に必要かと言われた時にあのメロウな曲で終わる中国語版で十分しっとりできる気もするけれど、そこに再び元気なのんさんの歌が続くことで改めて頑張っていこうと思えるのだ。あのタイトルバックに登場するキャラクターたちのビジュアルもカッコ良いし。女性のチュンとそして魚屋のかみさん。あの2人がもっと出てくる続編が見たいなあ。

 獅子舞を辞めちゃったと行ってた女性のチュンだけれど、きっと男性のチュンの頑張りを見て獅子舞をまたやろうと思ったんじゃにかなあ。危険を顧みず挑戦するチュンの姿に感化され、すごい場面を見ようともしないで携帯いじってる彼氏なんて放り出して飛び出したくらいの獅子舞好きなんだから、絶対にまた始めてるって。そして上海で働きながらも獅子舞の鍛錬を続けているチュンと改めて激突するんだ。あるいはペアを組んで北の獅子舞に挑むとか。ってどんなんだろう北の獅子舞。一子相伝の必殺舞なんだろうか。蹴りいっぱつで死んでしまうような。


【6月9日】 開発といえば渋谷の方で百軒店をファッショナブルな街に改造したいって話を渋谷区だとか東京都だとかが言い出しているとか。確かにかつて渋谷きっての繁華街で歓楽街だった百軒店だけど東急本店が脇に出来てそして西武やパルコが宇田川町の方に出来てから、公園通りの方へと街が発達していって百軒店は置き去りにされてしまった。最近は宮益坂とか渋谷警察署の方へと賑わいが広がる一方で道玄坂から百軒店はどこか猥雑なイメージを留めたままになっている。

 ストリップシアター道頓堀劇場があってラブホテル街があってその向こうにライブハウスやクラブがあってユーロスペースあたりにたどり着くような雰囲気こそが若いけど荒々しい渋谷なんだと言えば言えないこともなく、そうした雰囲気が一気に浄化されてしまいかねない不安はあって素直にはのめない。宮下公園の改装をみればパブリックなスペースが奪われて商業施設化されてしまって気軽に休んだり遊んだりできるような場所ではなくなってしまった。それでホームレスがいなくなって安全になったと言う向きもあるけれど、追い出されたのは普通の人々も同様で、お金持ちの憩いの場と化している。

 道玄坂から百軒店もそうならない可能性はないでもなく、大きなビルの2個3個と立てばもうあのあたりの雰囲気は激変してしまう。もはや映画館もシアターもホールも十分あるあの場所に足りないのは気軽に入れる飲み屋街だとするなら改変はある意味で渋谷の息づかいを殺すことになりかねない。まあでもすでにセンター街も含めて新しいって感じでもなくなっている状況で、百軒店あたりが原宿化でもしてくれたらちょっとは新しい何かが生まれて来る場所になるかもしれない。どういう方向での改修を考えているのか。見守りたい。

 新聞記者が国会や官庁の中に入って取材ができるのは国民の知る権利を代行するものとして責任を付託されているからで、大勢の国民なり読者なりを背負った存在としてそこで何が行われているのかを見聞きして、問題があれば指摘もしつつ報道という形で紹介することが認められているからに過ぎない。誰かに選ばれた訳でもないある種のリモートカメラでしかない存在が、自分の感情にしたがって国会という場で暴言をまき散らすのはだから大間違い意外の何者でもなく、そこに記者だからといって人間だから感情もあって正義漢もあるだなんて擁護はなりたたない。人間である以上に記者なのだからそこはわきまえろと諭すのがむしろ筋だろう。

 だからジャーナリストたちは国会の法務委員会でヤジを飛ばした東京新聞の望月依塑子記者に対してやり過ぎだと非難している人が大半で、国会なりが本分を越えた活動を行った人間を出入禁止にしようと動くのも流れとしては当然だろう。それなのに文科省の元事務次官だとか弁護士資格を持つ政治家あたりがそうした行為を正義漢の発露というのなら、忍び込んで引き出しを空けて書類を盗み出そうと女性をたぶらかして書類を持って来させようと正義感から出たものだといった擁護だってできてしまう。西山事件なんてまさにそんな内容だった。

 でもそれは過去に何度か行われ圧倒的な批判を浴びてきた。自分たちが望む方向で動いていくれるなら褒めそやす野党勢力の世間ズレした言動が、批判を浴びて票を減らし勢力を減衰させていることに気づけないところに、この国で保守背力ばかりが伸張する悲劇の原因があるのだと知って欲しいのだけれど、知ろうともしないんだろうなあ。だから望月記者は大手を振って国会内を今日も闊歩し続けられる。当人にあとは恥というものがあれば救われるんだけれど、それははなっからなさそうだものなあ。やれやれ。

 5時間ばかり倉庫整理をしてから新宿バルト9で「劇場版美少女戦士セーラームーンCosmos(前編)」を見る。前の「セラースターズ」だとか原作だとかは頭の向こうに飛んでしまってよく覚えていないので、見せられた展開が原作そのままだと言われればそうだと了解するしかないんだけれど、だとしたらストーリー自体はしっかりなぞられていたとはいえ、どこか盛り上がりに欠けつつ断片的なエピソードの連なりに思えてしまったのは、脚本のせいなのか演出のせいなのか、ちょっと気になって仕方がない。

 起こっていることのそれぞれが必要なエピソードだとは分かるけれど、グッと引きつけパッと放してアッと思わせるメリハリが今ひとつなかったんだよなあ。起こったことを夢心地の中に迷わせてふわふわとした雰囲気を醸し出そうとしたのかもしれないけれど、それって同じ時間を繰り返すループ的な設定でソワソワさせる時には有効でも、覚えていたくないことを記憶の底に沈めてしまう状況に使ってピッタリって感じじゃないんだよなあ。

 それも原作どおりなのかもしれないけれど、もうちょっと芯を通して欲しかったかも。ビジュアル的には天王はるかの胸の谷間にセーラー服姿がいっぱい出て来てグッとさせらえたし、セーラースターライツも男性っぽい佇まいから変身すると胸があるところにドキッとさせられた。それを目の当たりにするためにあと数度は通っても良いかもしれない。あと言っておくと只野和子さんになってからただのTVシリーズに戻ってしまった感も。嬉しいけれど新しくないんだよなあ。まあそれで見たくなる人が大勢出たんだかから良しとするしかないのかも。


【6月8日】 15年目の6月8日も秋葉原へと出向いて行って交差点で手を合わせる。前に来ていた誰かが新聞記者とかテレビカメラを引き集めていた隙に誰に患わされることもなく静かにお祈りすることができた。集まっている記者なんてきっと都内版の下っ端で、15年前なんてもしかしたら小学生とか中学生だったかもしれない。そんな年齢が感じていた当時の秋葉原なり現在の秋葉原と、とそれなりに成長した人たちが感じていた当時の秋葉原とではやっぱり感じ方もハマり具合も相当に違う。そんな場所が大変な事態に陥って、そしていろいろと影響を受けたことを語ったところできっと分かってもらえないだろうなあ。

 見わたせばゲームショップもビデオを売る店もグッと減ってしまってフィギュアの中古を売るような店ばかりになっている。新しいものをそこから送り出すというよりは、古いものをグルグル回すだけの場所になりかかっていて、そしてかつての残り香を吸い集めるようにしてメイドカフェの体を借りたコンセプトカフェが幅をきかせて、その中にはちょいヤバめのサービスをしている店もあったりするという。チャカと長ドスを振り回すって意味じゃないよ。電気街から主役を奪ったオタクの趣味もAKB48にとられかけて、それが渾然とした活気を読んでいた2008年の秋葉原。振り返ればあの頃がピークだったかもしれない。

 今はもうコミックを買いに行くにもゲームを買いに行くにも秋葉原が最初の選択肢って感じじゃない。むしろ行っても漫画もゲームもライトノベルも手に入らないことが多かったりする。その代わりは池袋が務めていたりして、あとはネットショップが大きく伸びたりしている中で秋葉原にはいったい何が残っているのか。そしてこれからどこにいくのか。PC系のジャンクショップやEスポーツのショップなんかはそれでも残ってどうにかソリッドな雰囲気を保っているけれど、これが廃れた先に残るのは発信力も失い集客力も途絶えたただの駅前大通り。もしもそれを替えたいのなら行政も含めて改めて、街をどうしたいのか考える必要があるんじゃないかなあ。

 そんな秋葉原の端っこで原稿を書いてから、山手線でぐるりと回って降りた池袋にある公園で、前の豊島区長だった高野之夫さんを弔う献花が行われていたので遺影に向かって手を合わせてくる。秋葉原が変化とう名の衰退を辿った15年の間に池袋はアニメイトが巨大になって映画館が出来てシアターも登場してハロウィンのコスプレが有名になってトキワ荘も復活した。今度はアニメーションに関するアーカイブ的な施設もできるとか。そんな場所に変わっていったのも高野前区長が池袋をポップカルチャーの中心地にしようと頑張ったからだろう。

 過去にあったものなんて椎名町のトキワ荘くらいだったのに、半ば強引に東口をポップカルチャーで盛り上げつつ、西口も劇場を中心としたハイカルチャーの拠点に変えた。池袋ウエストゲートパークだとかいったやんちゃな雰囲気はもはやなく、サンシャイン通りも歩いていて胡乱な輩を見かけることもあまりない。それは集まるのが女性のポップカルチャー好きだからなのかもしれないけれど、そうした人たちに対応して街も変わっていこうとしている。さらに施設が増えてくれば埼玉の領地だなんて言われない、新宿にだって渋谷にだって負けないどころか上回る街になっていくんじゃなかろうか。それもこれも文化という筋を通していったから。デカいオフィスをガンガンぶったて見てくれだけはハイエンドになったけれど、行って楽しい場所がない渋谷とはそこが違う。高野前区長は亡くなられたけど後もしっかりポップカルチャー展開に邁進して行ってくれそう。5年後の街並みがちょっと楽しみ。

 池袋では「PSYCHO−PASS サイコパス PROVIDENCE」と「犬王」の轟音上映を連続して見る。「PSYCHO−PASS サイコパス PROVIDENCE」は銃撃とかのシーンでガンガンくるのがなかなか最高。あとやっぱり才賀教授を引っ張り上げようとふんばる常守朱の足の開き具合が興味深かった。「犬王」は久々の劇場での鑑賞となったけれど、やっぱり最高にロックな映画。音響の良さに加えて字幕も出たのでしっかりと歌を堪能することができた。応援上映に声だしが重なったものも前に開かれたらしく、行って歌いたかったけれども今回は聞く方に集中。それでも心に染みた。良い映画を作ってくれたなあ。そう思う人が多いのか夜遅かったのに結構入っていた。こういうリバイバルをアニメーション映画ももっとやって欲しいなあ。個人的には「ハル」と「ねらわれた学園」と「伏 鉄砲娘の捕物帖」と「百日紅 〜Miss HOKUSAI」がまた劇場で見たいなあ。


【6月7日】 日付が変わったので新宿バルト9で6月10日に開催される「雄獅少年/ライオン少年」ののんさん登壇付き上映回を予約する。即完売の争奪戦になるかと思ったけれど案外にゆるくて普通にすんなりとれてしまった。その後もしばらく見ていたら決済ミスか何かで実質最前列の中央が相手しまったのでどうだろうとチェックを入れたら取れてしまって座席が重複。もったいないけど実質最前列でのんさんが見られるのなら仕方がない。1枚は空けたまんまにしておくか、それとも誰かに譲り渡すか。考えよう。

 とか思っていたらこの日は新・文芸坐でキャラクターデザイナーの木村貴宏さんを追悼する上映回のチケットを既に買っていたことに気がついた。もうちょっと後の週かと思っていたらガチ重なり。どうしようか迷ったけれどスケジュールを見たら後半から参加可能で谷口悟朗監督や米たにヨシモト監督が登壇するトークショーは聞けそうだったので新宿バルト9が終わったらかけつけることにする。そして夕方に「水は海に向かって流れる」の舞台挨拶付き上映の抽選に当たったことが判明。これも時間がモロかぶりだったけれど席が最後列で広瀬すずさんも前に見たことがあるのでリセールに回したら速攻売れた。やっぱり広瀬すずさんは人気だなあ。

 アップルのVRゴーグルに関連したニュースが飛び交って何となく雰囲気が掴めてきた。結局のところデザインとしては月並みで他のヘッドマウントディスプレーと大差なく頭に被って目の前に突き出た部分を持ちながら周囲を睥睨することになって、街中に自然にとけこむことはちょっと無理というか相当難しいというか、それをやったら「serial experiments lain」の中でゴーグルをかけて渋谷だかの街中を歩いているおっさんと何も変わらなくなってしまう。周囲から浮き上がっていて異質の存在。そんなものが過去のアップルのプロダクツにあったっけ、って考えるとやっぱりジョブズ的によろしくない気がしなくもない。

 機能面ではなるほどゴーグルをかけてそこに映し出される周囲の光景に加えて空間ディスプレイが立ち上がっていろいろと見られたり操作できたりするようなイメージだけれど、でもそれって実際の空間にディスプレイが立ち上がっている訳ではなし、映し出されている空間もゴーグル越しに見えているものってことでもないんだろう。カメラでとらえた周囲の光景を投映しているといった感じ? それでゴーグルをかけたまま歩いて蹴躓くことはなくなったとしても、リアルとバーチャルが融合したって感じじゃない。すべてバーチャルに過ぎない。

 自分の手を振ったりすればゴーグルの中のディスプレイを操作できる仕掛けは使っているユーザーには面白いけれど、周囲からすればやっぱりただのヨッパライ。クールじゃない。もしも本当に空間をコンピューティングするならそれこそサングラス程度のサイズのデバイスが時にミラーシェイドになって中にディスプレイが浮かび上がって、それを指先だけの操作なりこめかみへのタッチなりで操作してこそ街に溶けこんで浮かび上がらないコンピューティングを実現できる。した先の囀りでも良いかな。そうした操作性も含めて形状も伴った新しさを提示してこそのアップルなんだけれど、今のは可能なテクノロジーを総動員して盛り上げた特盛りランチに過ぎない。それでも使えるのなか買って悪くはないけれど、どれだけサポートされるかも不明ならタイトルが抱負な元オキュラスか、ゲームと結びついたPS VRにしておくのが良いんじゃなあ。

 4年後に生命保険料が倍以上に上がるというので、切り替えの相談に生命保険会社へと行く。60歳を越えた時での切り替えになってしまうと、病気になった時に備える保険料が大きく上がることになるみたい。まあそりゃそうだ。なので切り替えるとしてもやっぱり上がることには変わりがないけれど、それでも61歳でぐっと上がるよりは今のうちに切り替えて、その保険料をさらに先まで伸ばす方が得なのかも知れない。もう入らなくても良いかというと、周囲に続々と三大疾病罹患者が見受けられる昨今、ちょっと重要性が増している。死んで誰かに残すより倒れた自分に出す分を確保し続ける方を厚くするなどして続けることにするのかなあ。それを可能なくらいに稼がないとなあ。


【6月6日】 中国で使われているSNSの微博で、中国から来て日本で公開されている長編アニメーション映画「雄獅少年/ライオン少年」の製作に関わっている面白映画が新海誠監督の作品への好意的な反応を紹介している。その書き込みを受けて良かったなあといったコメントが書き込まれているのは、新海誠監督が「雄獅少年/ライオン少年」を褒める書き込みをツイートした後で、中国語での反応があってその中二この作品は中国人を差別的、つまりは目を小さく描いているといった批判があった作品だと言われてしまっていたことが前提にある。

 つまりは決して中国のアニメーションファンに諸手を挙げて歓迎されたものではなかったものが、「すずめの戸締まり」を引っさげ中国入りして大歓迎を受けた新海誠監督によって覆された喜びがあってのも。「漫画の国の本物の専門家は、その良さを知り、運命を受け入れず、運命に屈しない草の根の民間人の強さ、前に進む力を感じることができる」とも書かれていて、ネットの悪評に流されがちだったとしても、映画の本質は新海誠監督によってしっかりと見極められていることをファンとして喜んでいる。

 これには「外見差別は外国の敵対勢力から来ているのではなく、中国人の内面の劣等感や感受性から来ているのだとつくづく思います。」という書き込みが続いていて、目が小さく描かれたキャラクターは中国人への差別的な意図を示したもだといった批判が当時、結構起こっただろうことを取り上げて、それは違う、そうやって反応すること自体が自分たちのそれを特徴とは思わず、劣等感を喚起させるものだといった考え方が根底にあるからだと少し厳しく指摘している。

 なるほど中国風のファッションなんかが登場する時にモデルが細い目をしていたりつり上がった目をしていたりするような表現を中国人なりアジア人の特徴をあげつらったものだとして反発する空気がポリティカルコレクトネス全盛の世の中で半ば自動的な反応として起こったりする。使う側の無邪気さが時に差別されていると感じさせることもあったりするし、無邪気さの根底にある長い長い差別の経験をここで指摘して改めさせる意味もあるけれど、それが現実なら中国人なりアジア人が主人公の作品で目が細くなったり小さくなることは不思議ではない。

 それより何より「雄獅少年/ライオン少年」が伝えようとしたものは何なのかを捕らえ評価する大切さというものを、同じアジア人から教わったのだと捉えてくれれば良いんだけれど、ツイッターの新海誠監督の書き込みに寄せられる中国語の反応に作品が差別的な意図を隠し持っていて、批判されたと指摘をする人が多いのはそれがなかなかに根深い問題だからなのかもしれないなあ。考えてみれば「犬王」でそ登場人物たちの目が細かろうと日本の観客から日本人をバカにしているといった反応はなかったなあ。だってそれが日本人だから。中国はまた違うのか。そう反応することがネットの習い性になっているのか。難しい。

 そんなこととは関係なく良い音で観たいからと立川シネマシティまで行って「雄獅少年/ライオン少年」。オンライン試写も入れて4度目。いずれも日本語吹替版。中国語版の上映もあるけれど、エンディング後の日本語版向けエンディングでのんさんの歌のバックに流される映像に描かれるキャラクターたちが格好良くってそっちを観たいのだった。女の子の方のチュンとかキレキレのアクションを決めちゃってくれているし。そのチュンは広州のどうやら富裕層の娘らしく車も運転しているしイケメンの彼氏もいて、主人公の方のチュンをちょっぴりガッカリさせる。獅子舞もあぶないからと止めさせてしまうonあの子のチュンの描かれ方が伝統的家父長的男尊女卑的認識に立つものだとっった批判もある。

 でもそうやっていったんは獅子舞から離れようとしていた女の子のチュンが、獅子舞の大会で男の子のチュンがとんでもないことをやろうとした際に観客席から飛び出してくる。横にいた男は素晴らしい演技が目の前で行われているのにチラチラとスマホを見ていてあんまり興味がなさそう。そんな男よりもやっぱり獅子舞に熱く挑もうとしている主人公に惹かれたのかもしれないってちょっと想像してしまった。

 ラストに出てくる写真も2人のチュンで映っていたりして仲むつまじげ。もっともその後、主人公は上海に稼ぎに出ているからやっぱり貧乏暮らしからは抜け出せていないんだろう。現実が襲いかかって来るようで息苦しくなるけれど、そんな日々をあのツーショットや仲間とのショット、そして家族でのショットが埋めて力づけてくれるのなら、それはそれで不幸ではないし獅子舞だってまた挑んでくれることになるだろう。あるいは作られているという続編で再会からのホットな関係へと発展していくなんてこともあるのかな。いつ出来るかは分からないけれどもその時を待とう。新海誠監督の覚えもめでたい作品だから今度は中国でだって大歓迎を受けるだろう。


【6月5日】 せっかくサンライズで作るのだったら河森正治さんは監修に回って総監督を富野由悠季さん、監督を谷口悟朗さんで脚本・シリーズ構成を大河内一楼にして「デカルチャー 復活のマクロス 船団の魔女 復活編」とかってタイトルで作ればきっととてつもなく評判になるんじゃなかろうか。それはもう毎週のように歌姫たちが死んで行く。たとえ48人いたって次々と死んでしまって最後はそれこそ5人くらいが星になって宇宙の彼方へと飛んでいくようなストーリーになればもう、誰も目を離すことができないだろう。その前に最初から目を背けてしまうって? 確かに。

 だったら河森さんが最近とりかかっている「想星のアクエリオン」とごっちゃにしてしまって「マクロス∞(インフィニティ)」とでもしてしまって旗艦として活躍するマクロスエリシオンが無限パンチを銀河の彼方にいるゼントラーディやメルトランディーへと向かって放つとか、バルキリーが一条光機、神崎ヒビキ機、熱気バサラ機、イサム・ダイソン機、工藤シン機、早乙女アルト機、ハヤテ・インメルマン機と勢揃いしてはそこに最新作のメインキャラクターが載ったバルキリーも加わって9バルキリー合体するとかすれば楽しめそうな気がするんだけれど。どうだろう?

 朝からとにかく明るい安村の話題でてんこ盛り。「ブリティッシュ・ゴッド・タレント」に出場していつもの「安心して下さい、履いてますよ」のネタが大うけして準決勝に進出。そして迎えた準決勝でも快調にイギリスあるあるを自分のネタと結びつけて大うけをとっていた。そこはさすがに真面目なマジックとかバレエダンサーが決勝進出を果たしたみたいだけれど、ワイルドカードで選ばれて決勝に出てしまったからこれは大変。いったいネタはあるのかと思ったら、今度はアメリカのヒーローだとかヴィランをネタにしっかり自分の持ち味を発揮してみせた。ラストのフレディ・マーキュリーで付けひげがとれてしまったのはハプニングだけれど、見る側もそこは気にしてないだろう。だって面白いから。

 興味深いのはそれこそ日本ではフリップ芸に等しいその身とそれからパンツ1ちょうでカメラの前に立たされて、いろいろと演じてそうかもと思わせるだけなんだけれど、「ブリティッシュ・ゴッド・タレント」では予選こそそんな感じだたのが準決勝ともなると背景が大きなスクリーンになってそこにいろいろなシチュエーションが映し出される上に、補助する面々が出て来ては例えばクリケット選手だとか、紅衛兵だとかビートルズのメンバーに扮してとにかく明るい安村を盛り立てる。その切り替えも早くてテンポ良くバシバシとネタが決まって昂ぶった気持ちをさらに上へと引っ張り上げる。

 決勝でもそれは同様で、スパイダーマンやバットマンのバックに入ってブルゾンちえみのWith Bめいた感じにしっかりとサポートする。中には女性もいたりして表情を変えず真面目な顔をして演じるとにかく明るい安村に付き従っているから見てくれはゴージャスで、だからこそ全裸に見えてしまうとにかく明るい安村のおかしさが引き立つ。その演出プランや配置を準決勝の際に練り上げ、そして決勝に向けて練り上げてしまうところにイギリスのテレビがまだまだ元気な雰囲気が見て取れる。コントにセットすら作り込もうとしない日本のバラエティの貧乏性から見ると、本当に羨ましい。ただあの巨大なモニターは使えそう。どこなのスタジオに入れてバーチャルセットとして利用し始めるかな。それをもっと昔にやったニコニコ動画の六本木スタジオは新しかったんだなあ。

 三鷹で昔のカット袋とか掘り返した後でTOHOシネマズ日比谷へと回ってPerfumeのロンドンでのライブのディレイビューイングを見る。ライブだと朝の4時からでいったい誰が見たんだろうって気になったけれど、夜はそれなりに人が入ってPerfumeの人気ぶりをしっかりと感じさせてくれた。驚きはロンドンだと狭いライブハウス的なところでパフォーマンスをしていることで、それこそかぶりつきの様相で3人が踊る姿を目の当たりにできる。日本でもデビュー当時はそうだったんだけれど、人気が出てからはアリーナやドームがメインになって遠くからしか拝めなくなってしまった。そんな3人をライブ会場以上にでっかく見られるライブビューイングはとてもありがたいのだった。

 大きくなる分だけもはや大ベテランとなったその容貌もくっきりと見えてしまうものだけれど、それでもしっかり体型を維持して髪型まで維持し続ける努力は大いに買いたい。パフォーマンスも完璧。それをカメラが遠くからとらえるとイギリスってことで大勢がスマートフォンを掲げて3人に被るのでちょっと鬱陶しかった。日本だとそれがペンライトになるところがあってやっぱり鬱陶しいんだけれど、今のPerfumeはライティングを重視するからそうしたペンライトが持ち込まれないので視界は塞がれない。同じ規模で日本の条件で演じてくれたらスカッとした絵もとれるのになあ。楽曲はイマドキのものを中心に1時間半ほど。短いけれども充実した時間だった。新曲もあったなあ。ひらひらの衣装でダンスも激しい楽曲。可能なら直に見たいので日本でのライブのスケジュールをちょっと追っていこう。


【6月4日】 そして本当のファイナルを迎えた「SANKYO presents ワルキューレ FINAL LIVE TOUR 2023 ?Last Mission?」を現場で見られないのでTOHOシネマズ上野のパブリックビューイグで見たら何と4時間越えで時間内にすべてが収まらない事態に! といってもダブルアンコールの「恋! ハレイション THE WAR」で締めた歌の最後まではどうにか入れてライブビューイングジャパンの面目は保った模様。これで歌の途中でぶった切られていたらさすがにぶっちぎれるお客さんも出ただろうから。4時間もやってくれて曲が聴けたなら最後の挨拶から退場くらいは現地組の特権だと許して当然だって意識くらいは持っているから。でも歌は別だ。あの後にも1曲くらいあったらそれはちょっと残念なのでパッケージを買おう。出るでしょ絶対。

 さすがにファイナルだけあってアンコール後の衣装も楽曲もちょっと違ってファイナル気分がめいっぱい。「からの」はなかったけど「マキナマキナ」でマキナ・ナカジマを演じた西田望見さんを差す動きとかできてファンも嬉しかったんじゃなかろうか。そんなメンバーが並んだ挨拶トークがひとりひとりやっぱり長くなってしまったのが4時間越えの理由だけれどひとりひとりの言葉がズンと来てこれは聞いて良かったと思った。とくにやっぱり西望見さんがメンバーのひとりひとりに向かってかけていった言葉がしんみりとして響いたようでこらえていたメンバーを次々と泣かせていったのはなかなかの破壊力だった。

 そしていよいよ制作が発表された「マクロス」シリーズの新作。まるで情報はなくってどんな話になるのか分からないけれど、制作がサンライズということでこれまでのサテライトとは違うのが解せないけれどもサテライトはこちらも大事なフランチャイズの「想星のアクエリオン Myth of Emotions」に取りかかっているから「マクロス」を手掛けている余裕がないのかもしれない。とはいえ「アクエリオン」だって河森正治さんが仕切っているだけに2つを同時に見られるのかがまずひとつ心配どころ。そこで手を抜かないのが河森さんだけに体には気をつけて欲しいなあ。

 そしてサンライズで歌ものってことで「ラブライブ!」と“合体”をして「ラブライブ! Schoo idle Project ギャラクシー!」とかってタイトルで銀河をいくマクロス船団からそれぞれにアイドルたちが出て競い合う、それがラブライブだからって展開になるんじゃないかも気になるところ。ソロのミンメイにバンドのファイヤーボンバーにAIのシャロン・アップルにソロでありデュオのシェリル&ランカが出て来てそしてワルキューレも混じって競い合いつつやっぱり最新のユニットがどん底から這い上がってくることになるんだろう。それがラブライブだから。果たして。

 とくにフレイヤ・ヴィオン役の鈴木みのりさんには直撃したようでしゃがみこんで涙を拭い始めた。あるいはその前に100メートルダッシュをしようとしたら花道が昨日と違ってトロッコを通すために開かれていて迷いながらも「飛べば飛べる」と飛んでちょっぴりコケてしまって足を痛めたからかもしれないけれど、うつむいたり後ろを向いたり上を向いて涙がこらえないようにしていたあたりはやっぱり相当に涙腺にきたんだろう。 JUNNAさんにも響いたみたいで涙を誘われた流れてご本人の言葉となって、最初はやっぱりダブルで歌だけを唄うことに逡巡したけど名古屋まで説得に来てくれたスタッフもいて参加して今は良かったといってくれていたのはありがたかった。というかJUNNAさんも名古屋なのか。前の『マクロスF』で歌姫のシェリル・ノームの歌を担当したMay’nさんも確か名古屋だった。尾張名古屋は芸所、歌姫も続々と生み出しているってことなのかも。

 そんなトークの最後はやっぱり鈴木みのりさんが締めてそれから「ALIVE〜祈りの唄〜」へと持っていってそれから「宇宙のかけら」最初のアンコールを締める流れは構成としては完璧だけれどちょっぴり湿っぽい。映画だどその後に「ルンに花咲く恋もある」が来て楽しく終われたけれどすでに本編ラストで歌われているので何が来るかと思ったら「恋!ハレイション THE WAR」でぐるりとワルキューレの歴史が回った感じで完璧にしまった。そこで終わったからこそライブビューイングも挨拶切れでも納得できたと言えるだろう。

 ラストでもそこは歌チームの場ということで登壇はしなかった美雲・ギンヌメール役の小清水亜美さんだったけれど、JUNNAさんの挨拶には幾度か小清水さんの名前が出て来てはげましてくれたこと、ライブのラストの流れる声は小清水さんが吹き込んだけれどJUNNAさんも美雲・ギンヌメールでワルキューレなんだからと誘ってくれて声を入れたことなんかを話して嬉しがっていた。その役が染みついてしまうと脱却できずに苦しむ人がいたりする前例もあるだけに最初は逡巡していたのかもしれないけれど、こうして嬉しがってくれるくらいにマクロスを好きになってくれたのなら、今度は僕たちがJUNNAというアーティストをJUNNAとして応援していく番だと思った。近くライブもあるみたいだし顔を出してみるかなあ。売り切れかなあ。

 ともあれこれでファイナル。終わってしまったアニメの音楽ユニットが復活するのはなかなか難しいけれど、マクロスというシリーズが割と息が長い以上は何か周年イベントがあってそこに呼ばれて復活するなんてこともあり得る。実際にランカ・リーもシェリル・ノームも歌っていたりする訳なのでそれを期待して年月を過ごそう。ここまで8年間をありがとうございました。

 ガーシーこと東谷義和容疑者がUAEのドバイから帰国して即逮捕。おいおい彼はゴールデンビザを持っているから参議院議員を辞めて不逮捕特権が消えてそして旅券返納命令が出て不法滞在になっても10年はUAEにいられうんじゃなかったのか。そんなことを散々っぱら週刊誌的なメディアが書き散らしていたけれど、国家間の外交とそして警察におちゃらけたYoutuber的な特権意識が通じるものではなくってもっとシビアにプラグマティックに判断されて国に仇なす存在ならば出て行けとなって帰らざるを得なくなったんだろう。逮捕されて恐喝程度でどこまでの罪になるか分からないけれど、そうした人を候補者にして当線させたNHK党の人が我感ぜずといった感じに逃げ切っていくのも世間的にはどうかって話になりそう。そのあたりを警察がどこまで踏み込むか。そうでなくても義賊扱いしている世間が何を考えるか。気になります。


【6月3日】 明け方にかけて大雨が降って近所のコンビニエンスストアにチケットを発券に行っただけでびしょ濡れになってしまった上に、近くに川も何もないアパートの前の道路が水浸しになっていて靴がハマってしまうくらい。これで果たして土曜日の幕張メッセで開催されるワルキューレのライブは行われるのかと心配したけれど、明けて土曜日は雨もあがってその上にだんだんと晴れてきて、天候だけなら安心安全なライブが楽しめそうだった。

 もっとも会場まで来る予定だった関西勢は東海道新幹線が午前中は動かず飛行機も飛ばないためどうやったら東京まで行けるのかを悩んだ模様。午後の再開を待った人もいたけれど、中には北陸回りでいったん金沢まで出てそこから北陸新幹線で一気に東京へと向かった人も少なからずいたようで、中には名古屋から米原経由で金沢まで行ってそこから北陸新幹線という人もいたらしい。ちょっと時間もお金もかかるけれど動かない新幹線を待つよりは早く確実に東京につける。路線のバッファーを作っておく必要性を改めた感じられた。リニアが開通していたら果たして動いたかどうかは不明。

 こちらはといえば近所だから普通に京葉線で海浜幕張まで行ってそこでしばらく仕事をしてから、幕張メッセへと入って初日の有明Day1に続いて2回目となる「SANKYO presents ワルキューレ FINAL LIVE TOUR 2023 ?Last Mission?」を鑑賞。会場を有明アリーナから幕張メッセに変えた関係でホール1からホール3までをすべて平場の観客席にしてあってなおかつメインステージをホール3の端に設置する形でホール1の端っこに置かれたH2ブロックのチケットからではかろうじて人の姿が見えるくらい。ライトのフェンス際からホームよりももしかしたら遠いかもしれない状況にちょっと愕然とした。

 もっとも、、それでずっと歌われるって訳ではなくて有明アリーナと同様に菱に十字の花道がホール2とホール3のあたりに設えられたその上に、メインステージから一直線に伸びる花道が延々と100メートルはありそうな長さでホール1まで延びていて、そこにもサブステージが作られて、時々ワルキューレのメンバーが来てくれたのでそれなりに目に入る距離で見ることができた。なおかつゴンドラがホール1あたりの通路を良く回るように演出が変えられていた関係で、それこそ10メートルくらいの距離からフレイヤ・ヴィオンの鈴木みのりさんも美雲・ギンヌメールのJUNNAさんもカナメ・バッカニアの安野希世乃さんもマキナ・ナカジマの西田望見さんもレイナ・プラウラーの東山奈央さんも拝むことができた。ありがたかった。

 ブロックこそホール1のすみっこだったけれど席がセンターよりの端っこだった関係で、横にこそ来なかったけれど近くまで来たゴンドラの上で歌うワルキューレの顔も脚もしっかりと見られた。これはやっぱり現場に行かなきゃ見られないもの。頑張ってチケットを取って報われた。そんなライブのセットリストは有明アリーナのDay1と同じ感じでトップにハインツ様の歌唱としてメロディー・チューバックさんが澄んだ声を聞かせてくれた。

 それからワルキューレによる誰もが知ってる曲が次々に繰り出されて盛り上がる盛り上がる。ゴンドラのあたりで個人的に好きさでトップあたりに並ぶ「絶対零度θノヴァティック」が歌われたりしてJUNNAさんとか安野さんの歌う姿が間近に見られたりしたし、アンコールでの「ジリティック?BEGINNER」からの「おにゃの子☆girl」でもゴンドラが近くに来て「からの」を誘う西田さんをそれなりに近くで見られたりして、ずっと遠巻きに眺めるしかなかった有明アリーナよりもライブに入り込んだ気分になれた。

 「ザルド・ヴァーサ!〜決意の風〜」ではハインツ殿下としか思えない佇まいでメロディー・チューバックさんが長い長い花道を歩いて近くまで来てくれて、どうしてメンバー紹介とかで誘わないのか謎に思いつつ「ワルキューレはとまらない」「ワルキューレは裏切らない」「ワルキューレはあきらめない」のないないないな3作品を畳みかけられハイテンション。そこからアンコール前までのフィナーレへと向かっていく楽しさに心煽られながら「ルンに花咲く恋もある」で多幸感いっぱいの幕をいったん迎えるのだった。

 そしてアンコールではショートな繋ぎがあってキャラソンに近い空気を醸し出した後で5人がそれぞれに挨拶をして5日目というセミファイナルを迎えた感想を話してくれた。誰1人として泣かなかったけれどおも明日の最終日はやっぱり感極まる人が出てくるだろうなあ。そこは映画館のライブビューイングでスクリーン越しだけれど間近に見よう。ラストはフレイヤが最初に歌った「不確定性☆COSMIC MOVEMENT」で、ここでも長い長い花道の突端まで来てくれてご尊顔を拝することが出来た。そこからダッシュ出戻りながら歌うんだからやっぱりシンガーって凄い。立ちっぱなしで声援をしてても疲れるのに歌って踊って走ってそれでラストに100メートルダッシュ。超人かよ。ワルキューレだよ。

 さすがに最終日は行かないけれどもそこはパブリックビューイングでいっしょにファイナルを過ごそう。いつか何かのラジオかイベントでメンバーが最後くらいは美雲・ギンヌメールの声を演じた小清水亜美さんも来て欲しいようなことを言ってた記憶があるし、TOHOシネマズ上野で声だし上映が行われた時には声担当の小清水さんが登壇して喋ってくれたのをこの目で見て耳で聞いた。歌は確かにJUNNAさんだけれど言葉は小清水さんなら小清水さんもワルキューレでありファイナルとともにその役目をいったん終えることになる訳だから、感慨を聞かせて欲しいもの。それが目下の注目ポイントだ。


【6月2日】 明けて新聞は一般紙もスポーツ紙も藤井聡太名人の誕生と7冠獲得を大々的に報道。その中でも名人戦を長く主宰してきたものの途中から朝日新聞に割って入られ共同開催にさせられてしまって可哀想な毎日新聞と、スポーツ紙では唯一タイトル戦の「王将戦」を主宰しているスポーツニッポンをきっと将棋の記事も充実しているだろうからと買って読む。まあ昔と違って藤井聡太名人が連勝記録を作り始めたあたりから、将棋の記事を分厚くしているからそれほど違いはないけれど、とりあえずしっかりと最年少名人記録を抜かれた谷川浩二十七世名人のコメントを長めに紹介していた毎日新聞に、一日の長ぶりを見た。ほかの一般紙がどうなっているかは知らないけれど。

 その谷川九段によれば、王将戦で羽生九段にタイトルを奪われて7冠制覇を達成されてしまったあたりの記憶から羽生九段は途中で危なっかしい場面があっても終盤で逆転する“羽生マジック”があったけれど藤井名人にはそうしたミスがほとんどなく、それこそ「藤井曲線」と言われるように序盤からずっと優勢で進めてそしてぐっと勝勢が高まっていく文字通りの右肩上がりを見せるとか。より緻密さが増しているってことだろう。でもって羽生九段は勝率が3勝1敗ペースだけれども藤井名人は5勝1敗で4勝なり3勝を先に勝てばタイトルに輝く棋戦でそれは圧倒的に有利になると話していた。

 逆に言うならトーナメントなんかの1発勝負なら勝ち目はあるってことで、目下進んでいる最後のタイトル戦、王座戦の挑戦者を決めるトーナメントで敗れて8冠制覇が遠のく可能性もあるってことらしい。そちらでは羽生九段もまだ勝ち進んでいるから藤井名人と当たる可能性もあったりする。そこで羽生九段が阻止してそのままトーナメントを勝ち上がり、王座を獲得して100期目のタイトルに輝けばそれはそれでひとつのニュースなんだけど、世間はやっぱり藤井8冠を望んでいるんだろうなあ。それをやってこその王者だから。

 スポーツニッポンでは森下卓九段が歴代の王者を挙げていて木村義雄十四世名人、大山康晴十五世名人、中原誠十六世名人の次に羽生九段と来て藤井名人を並べている。谷川十七世名人入らないのって思ったけれどもそれよりやっぱり強さの度合いが違うんだろう。てゃいえ木村名人と大山名人は18歳違いで大山名人と中原名人は24年、そこから羽生九段は23年だとそれなりに近い開きだったりするのに対して、羽生九段から藤井名人は32年と開きすぎている。間にたとえば渡辺明前名人を入れれば14年に18年で群雄割拠の時代に一頭抜けた存在であることも示せるけれど、そのためにはタイトル数をもうちょっとだけ積み重ねておきたいところ。今は無冠になったけれども巻き返して藤井名人から3つくらい取り返して欲しいなあ。

 上岡龍太郎さん死去の方。名古屋住まいにとってはテレビで司会をしている姿を見たり、ラジオの「ばつぐんジョッキー」で司会をしている声を聞いたりして早い時期から馴染みがあったから昭和の名人がまたひとりといった所感だけれど、「探偵ナイトスクープ」が全国区になり「EXテレビ」で姿が全国に伝わったりした1990年代に見た人にとっては平成初期に活躍した人といった印象なのかもしれない。今でいうお笑い芸人の司会進出に連なる人だけれどどこか格が違うというか賑やかしだとか茶化しではない芯があって筋の通った司会をしてくれる印象が今もやっぱり残っている。権力にはっきりモノを言う姿も格好良かったけど、2000年代に自分は通用しないときっぱり退き、以後一切復帰も登場もしてこなかった潔さもこれまた格好良かった。本当はしゃしゃり出てご意見番然として欲しかったけどそれを続けるとウザがられ有り難がられなくなるのもこの世の常。ここぞという伝家の宝刀すら抜かなかった姿に抜かないからこそ伝家の宝刀なのだという意味を改めて教えられた。ご冥福をお祈りします。

 外に出たら雨が酷いので遠出はせずに家の近所をうろうろ。とりあえず松屋にいって焼鮭定食をロカボ豆腐で食べてお腹が出っ張るのを抑えそれからスーパーで夕飯を早くも買い出しつつサンマルクカフェでしばらく休憩。それからサバの塩焼きなんかを買って帰って「この素晴らしい世界に爆焔を」をNetflixで見てやっぱり紅魔族はおかしいので近寄りたくないと思う一方でアクシズ教徒はさらにおかしいのでもっと近寄らない方が良いとも確信する。すでに「この素晴らしい世界に祝福を!」や「この素晴らしい世界に祝福を!紅伝説」で分かってはいたけれど、とりわけアクシズ教徒のTVシリーズで見せたおかしさに「この素晴らしい世界に爆焔を!」でのめぐみんの振る舞いが関わっていたとは本人ですら知らなかったんじゃなかろうか。とりあえず高橋李枝さんは凄いなあ。「地獄楽」の杠に「【推し】の子」のアイを演じながらめぐみんの頓狂な演技もしてしまうんだから。


【6月1日】 アニメのMVについて何か考えないといけないこともあってアニメのMVをよく使っているずっと真夜中でいいのに。の1月に代々木第一体育館で開催されたライブ映像を映画館で上映する「ずっと真夜中でいいのに。大音響叢雲ライブ上映会」を観に行く。それ自体はアニメのMVは使われていないけれども音楽についてグッと親しみを深めておく上でそうした場に浸ることは割と大事だったりするのだった。

 でもって観たライブはメディア芸術のカタマリだった。もしも文化庁メディア芸術祭がまだ存命だったらエンターテインメント部門でライブ全体が大賞となって不思議がないほどメディア芸術にあふれていた。実際にメディア芸術祭で賞をとってた和田永さんがブラウン管をパーカッションにする作品をステージ上で実際に叩いてみせていたし、同じ和田さんによる扇風機を楽器に変えた扇風琴をフロントに立って歌を唄うメンバーというか実体に等しいACAねさんが演奏してた。

 ほかにもオープンリールをスクラッチするようにして楽器として使うOpen Real Ensembleもステージ上で踊りながらテープを引っ張ったり回したりしてノイジーな音を演奏に加えていた。Vtuberも登場したりしていっしょに競演してたあたりもメディア芸術的。とはいえ文化庁メディア芸術祭が消滅してしまった今はAMD Awardあたりが受賞の対象に選んで不思議はないしむしろ当然といった気がしないでもない。

 そもそもがずっと真夜中でいいのに。の出自自体がおそらくはモデルとか路上アーティストをしていたACAねさんがネットで音楽を発表するようになる中で本人の顔出しを抑えつつアニメを使ったミュージックビデオによって評判をとって活動の場を広げていった感じにメディア的。なおかつ披露される楽曲がメロディアスで琴線に引っかかるものばかりでついつい聞き入ってしまう。キャッチーなサビの連続というか。だからネットで一気に拡散したいんだろう。

 そうした楽曲の場合、ライブとなると打ち込みが中心となって薄っぺらくなりそうなところを代々木第一体育館のライブはオール生演奏によってグルーブ感あふれる感じだとかジャジーな感じだとかを醸し出し、分厚いものへと仕立て上げていた。ドラムが2人にギターが2人にベースがいてキーボードも2人いてホーンが3人にストリングスが4人でそれに津軽三味線とTVパーカッションとオープンリール3人組が加わり書道家も入った面々は、誰もが一流の腕をもって空間をサウンドで埋めていた。

 そんな濃くて分厚いサウンドをそれでも割ってその上に乗って歌うACAねさんの声は沈まず引っ込まないで前に出て、来場者をしっかりとノせて踊らせ引っ張っていく。粒が立っているというか椎名林檎さんとか宇多田ヒカルさんのような癖がない真っ直ぐな声だからこそ突出せず自分の色だけに染め上げないで、それでいて自分を中心にしたチームめいた雰囲気を作り上げることができるんだろう。

 顔を見せないのが特徴でMVではもちろん顔は出してないし、ライブの映像もボーカルの辺りは暗くして顔が分からないようにし見えそうな時はフレームから顔を外すなりぼかしを入れてよく分からないようにしている。ライブ会場ではあるいは見えているのかもしれないけれど、ネットや映像には残さないその方針もACAねのみのバンドではない全体としてのずっと真夜中でいいのに。という集団を成り立たせる要因となっているんだろう。

 とはいえ何となく可愛らしそうな感じだし、ツインテールやお団子にした髪型ですっくと立つスタイルは細身で愛らしい。決して長身という訳ではないんだろうけれど、20人近いメンバーの中でセンターにすっくと立つ姿はとても大きく見えるのも、存在感のなせる技と言えそう。あの巨大な代々木第一体育館にあって埋没しないんだから凄いなあ。ショーとしても楽しかったし音楽としても濃かったライブがまたあるなら行きたいけれど、ライブハウスが中心できっととれそうもないんだろうなあ。ホールかアリーナか武道館あたりでやってくれそうなら次こそはのぞいてこよう。そして顔を拝むのだ。

 すごい記録だ。すでに6つのタイトルを持っている藤井聡太竜王が渡辺明名人に挑戦した名人戦の第5局で藤井竜王が勝利して4勝1敗で名人位を奪取し堂々の7冠に輝いた。年齢も20歳10カ月であの谷川浩司十七世名人が持つ21歳2カ月の記録を更新。一方で羽生善治九段が打ち立てた7冠獲得の年齢も大きく更新して名実ともに史上最高の棋士に躍り出てしまった。羽生九段の7冠は当時の棋戦のすべてだったけれど叡王戦が加わった今は8つのタイトルがあってそのうちの王座だけはまだ藤井竜王・名人は獲得していないけれど、挑戦者にまだ残っているからそのまま奪取の可能性もあったりする。今のタイトルをすべて防衛して8冠制覇へと向かうのか、それとも誰かが立ちふさがるのか。面白くなって来やがった。


【5月31日】 私立大学の第1志望だった学科に合格して、得点の足りてない共通一次で足きりされなさそうなところを受験して発表もたぶん終わっていただろう1984年の3月11日に封切られただろう「風の谷のナウシカ」を僕はたぶんその封切り日には見ていたと思う。場所はおそらく名古屋駅の映画館で、そこで入って幕間に流れ続ける安田成美さんの「風の谷のナウシカ」にやっぱりアレだと思ったかそれとも可愛らしい曲だと思ったか、気分までは覚えてないけれどもそうやって幕間にかけられる楽曲で、そして本編では使われない楽曲だということを当時の僕は知っていた。

 いったいどうしてかと言われればそれは「月刊アニメージュ」か何かにそんな情報が載っていたのを確か読んでいたから。あらかじめイメージソングだとかキャンペーソング的な位置づけだという認識でいたから、エンディングに使われないことにも違和感を抱いていなかった。楽曲自体は予告編だとかテレビCMだとかといっしょにかけられていたから、サビの部分はしっかりと耳に入っていたし、全体もラジオで聞いたかテレビで見たかで覚えていたから映画館で初めて聞いて何だこれはと思ったこともたぶんなかった。そんなファンが日本全国にいて同じような思いを抱いていたんじゃないかなあ。

 なので漫画家の人が、安田成美さんの「風の谷のナウシカ」が映画のエンディングでクレジットが映し出されるところに流されていたといった記憶に対していやいやそれはに決してない絶対にないと意見をし、Wikipediaの情報を見せそれが信頼ならないのだとしたら宮崎駿監督へのインタビューか何かを持ち出して高畑勲プロデューサーが体を張って使わせなかった記録を紹介して、それはおそらく幕間に流れていたものをエンディングに流されていたものだと記憶違いしてしまっているだけだと差としているんだけれどご本人が頑として自分はエンディングで流されているのを聞いたし見たんだと言いつのって譲らないので世間もちょっと困り顔。集中砲火を浴びせて炎上させるネタでもないから突っ込めないのだった。そう思っているのならそう思っているのが幸せでイイネと言うしかないのかなあ。

 仕事で柏崎へ。行ったことがない場所でどうやって行くのかを調べたら、長岡から信越本線だということで上越新幹線を乗り換えて20分ほど特急にのったら到着した柏崎駅はブルボン王朝の領地だった。いや駅前にブルボンの本社がそびえ立っていただけだけれど、他に大きな建物とかなく賑わっている商店街もなければ駅ビルもない駅前に、それなりに知られた街でも新潟県になるとこんなものかと思ったら取材地へと向かう途中の沿道には店もあればショッピングセンターもあって、駅前が賑わっているとは限らない地方の状況って奴をあらためて目の当たりにさせられた。太田市とか伊勢崎市もそんな感じだったよなあ。

 取材を終えて信越本線の今度は普通列車で長岡へと向かう途中で列車がストップ。降りようとしたおっちゃんが切符を出さずに逃げようとしたのをワンマンの運転手さんが止めたら列車内を逃げて違うドアから出ようとしたものの出られず追いつかれて切符を要求されても怒鳴るだけでらちが明かない。降りずに載っていれば無賃乗車がまだ不成立だから列車も動いただろうけれど、当人は降りたそうでけれども降りられない状況では運転手さんも動かすに動かせず、堂々巡りの丁々発止が繰り広げられる中で警察官が到着して聴取が始まって、そして35分ほどしてようやく動き出した。春になればいろいろな人が出てくるものだ。もう夏だけど。

 長岡では小嶋屋というそれなりに知られた蕎麦やさんで名物の「へぎそば」と戴く。新潟国際アニメーション映画祭で新潟に滞在していた時に食べようと思ったものの適当な店が見つからないまま食べるのを先延ばししていた新潟名物のひとつをこれでようやく食べられた。まあ普通の蕎麦といえば蕎麦だけれど10割そばみたいに腰が強い感じではなく、かといってかみ応えがない訳でもない絶妙さがなかなか良かった。ダイエット中なので天ぷらとかはつけずに海苔がのったストレートで1枚。といっても小分けされたものがざるに載っている感じで1つまた1つとすくって食べる感じで食べやすかった。東京でもどこかにいけば食べられるのかな。ダイエットでパンとかご飯とかパスタは避けてもこれなら行けるかな。

 全国紙とは言いつつ中部とか九州あたりがまるで弱かった新聞が、山口出身の総理大臣と深い仲を自称していたこともあってそっちで新聞を出そうとして進出したものの、その後の急速な新聞市場のシュリンクで北海道から退き四国中国東北あたりを削減し北信越あたりも撤退してついには北関東すら引いてしまっても山口出身への総理大臣に忠誠を誓って九州・山口版だけは残そうとしていた。そんな九州・山口版で実施してた紙の新聞とネット新聞のセット販売を取りやめると発表。想像するならもはやセットで売りたくても紙の新聞を配達するだけの余力がないか、配達する新聞自体がなくなってしまうってことなんだろう。つまりはいよいよ九州・山口からも引いて首都圏というか東京と大阪だけの新聞になりそう。その次は東京のように大阪でも夕刊を廃止かなあ。夕刊紙とスポーツ紙も止めたらいよいよ次はってところだなあ。どこまで行くか。見守りたい。


【5月30日】 出してる原稿が未掲載のまま溜まって月給くらいになっているのでこれは1カ月くらい仕事しなくても良いのかもとか思いつつもその後の事を考えるなら継続が大切とネタを仕込むために読書をしがてら、新宿まで出て新宿バルト9で「劇場版 Collar×Malice deep cover 前編」を見る。元のゲームの知識はゼロ。新宿で凶悪な事件が相次いだので新宿を閉鎖して護身用に銃器を持てるようにしたとか無茶苦茶過ぎる導入部もそこはゲームだからとすぐに了解する。そういうものだ。

 でもって新宿署の面々がいわゆる警察官の制服ではなく軍服の礼装みたいな華美なものになっているのも、美形キャラを際立たせるためには当然だという理解を持って見ればそうした警察官の中にひとり事件に巻き込まれるようにして渦中の存在になった女性がいて、その女性を守るような立場で元警察官たちのチームだとか現役の警察官だとか科学班の面々だとかが現れ会話し触れあうような形で関係を持つ展開も、オトメゲームの常道だからと納得できるのだった。だからそういうものだって。

 そんなゲームの劇場版は、ゲームで核となる「X−day事件」の裏で起こっていた事件を描くという番外編的ストーリー。星野一香という女性警官が巻き込まれるようにして首に危険な首輪をつけられ命の危機にさらされているのを元警察官で独自に「X−day事件」を追い始めた柳愛時や仲間の榎本峰雄、ハッカーの笹塚尊らが守りつつ事件に迫っている状況下、新宿ではなく港区で最高裁の判事が殺害される事件が起こってそして新宿でも法曹界の重鎮が殺害されてその重要参考人に愛時や榎本がされてしまう。

 一方で、新宿のイベント会場に来る超絶美形な御國レイという議員を狙う予告も届いて新宿あたりはおおわらわ。いやいや、命を狙われているならイベントくらい中止しろよと思うけれどもそうはいかない段取りの中で一連の事件の黒幕めいた者の存在が浮かび上がり、目的めいたものも見えてくる。サスペンス的な楽しみもあるし美形キャラが美声で喋ってくれる嬉しさもあるし本庁のキャリアと所轄の兵隊の軋轢といった警察小説的な描写もあってどうなってしまうんだろうといった興味を引きつけられる。そんな作品にはなっていた。

 絵はところどころうーんなところがあるし、動きもえーといった感じだし、銃器の描写もふーんなところがあるけれどもキャラはしっかり描かれているから見ていてそれほど困らない。ストーリーの先が気になるというだけでも十分。そして見た場所が新宿バルト9だという”ご当地”でもあることがイベント性を醸し出してそこで見る意味性というものを感じさせてくれる。なので次もきっと観に行くだろう。それにしても銃器が支給されるとは羨ましいなあ新宿区民。もしもこの世界にシティーハンターがいたら毎日が銃撃戦だろうなあ。負けることはないだろうけれど。

 読書の続きをしようと新宿御苑へ。しばらく改修のため入場が規制されていた新海誠監督の映画「言の葉の庭」に出て来たあずまやが改修済みとなっていて、久々に席に座ることができた。金麦と明治チョコレートはもちろん食べなかったけど。飲酒は禁止だし。というか平日なのに人が多くてそれも外国人の人がいっぱい。親子連れもいたりしていったい何をしている人たちなんだろうと気になって来る。観光客なのかなあ。それだけ回復基調にあるってことだけれど、新宿御苑に来るのは何でだろう。緑しかなくて見るものなんてないのに。それだけ緑が不足しているんだろう。そんな東京の緑を神宮外苑前では減らそうとしている。皇室は手を突っ込めないけど神社なら一緒に商売できるこの国の不思議さを感じた次第。

 そんな御苑で本とか読みつつネットを見ていたら日野自動車と三菱ふそうが経営統合するとの報。トラックではすでに日産ディーゼルがいすゞ自動車の参加にはいってUDトラックスとなっていたりして、そんな対抗馬だった2社が統合してしまってこれで日本のトラックメーカーは2グループに集約されてしまった。日野自動車はトヨタ自動車系で三菱ふそうは確かダイムラーベンツ系。世界に冠たる2社が支えていても単独では生き残っていけないくらいにトラックを取り巻く状況が変化しているって ことなのかなあ。世界だとボルボとダイムラーが協業していたりするから結局のところひとつの大きな集団になっていく感じも。中国やインドあたりから新興が出てくる気配もないとなると世界の経済全体に頭打ち感があるのかも。

 それでも世界で日野にいすゞに三菱にUDが存在感を示せていただけまだましで、携帯電話からスマートフォンの分野になると日本でそれなりに存在感を示せているのってソニーくらい。あるいはせいぜいシャープ? それもすでに台湾系になっているからあれだけ携帯電話メーカーが存在していた携帯情報端末で日本はもはや存在しないに等しい状況になっている。富士通の時代から携帯電話ではそれなりに存在感を見せていたFCNTが民事再生法を申請。先に京セラも携帯情報端末事業からの撤退を発表したのに続いての事態に、日本のあるカテゴリーでの絶滅を感じざるを得ないのだった。そんな変化を報じる日本工業新聞はとっくに存在を消しているけれど。世知辛いなあ。


【5月29日】 スレッタを放り出して代わりにガンダム・エアリアルに乗ったプロスペラが地球に行ったは良いけれど、ミオリネがアーシアンと交渉をして良い関係になりかけたところで相手をハメて先制攻撃をさせて受ける形で暴れ出し、そしてどこかに隠されていたガンダム・ルブリスの量産機を見つけ出してはまとめて破壊し地球のゲリラ勢力にダメージを与えてスペーシアンへの反感を煽る状況を作って交渉中のミオリネの顔を叩きつぶしてのけた。

 オックス・アース社が自分たちがいたヴァナディース機関を切り捨てるようにして地球で温々とガンダム開発なんてものをやっていたのが許せないというのは分かるけれど、夫を殺害して娘をガンダムの中に入らざるを得ない境遇に追い込んだのは誰あろうデリング・レンブランであってその娘を窮地に追い込むのだってきっと平気なんだろうなあプロスペラは。

 たとえスレッタの友達であっても自分にとっての本当の娘はエリクト・サマヤただ1人。いわゆる道具に過ぎないスレッタとその友達が地にまみれようとも気にしない冷酷な人間なのかそうでもないのか。 そこがまだ完全には把握しづらいところにプロスペラへの評価が上に下に揺れ動く。そんなプロスペラから引き離そうとしてスレッタを負けに追い込んだミオリネだたけれど、自分もハメられる形になってどんな憤りを見せるのか。未だ母親を信じるスレッタに本当のことを告げて立ち上がっては挑むのか。それも含めて残り4話くらいで何ができるのかを見守りたい。きっと映画で完結なんだろうなあ。それがイマドキのアニメって奴だから。

 完結ではなく間を埋める「PSYCHO−PASS サイコパス PROVIDENCE」を見に新宿バルト9へ。午後8時過ぎからのシアター9はそれなりな入りでシリーズへの依然として高い人気ぶりって奴を目の当たりにする。見るべきシーンはやっぱり常守朱が這いつくばって足を広げて才賀教授を助けようとする場面だけれどもあの細い足ではやっぱり踏ん張れなかったか。あとはやっぱり表情が豊かな常守朱の顔かなあ。

 映画とは別に予告編的なものとして「リボルバー・リリー」のメイキングが流れたのにも目を奪われた。綾瀬はるかさんがスカートをまくりあげて腿につけたホルスターからS&Wのm1917を抜くシーンとかもう目に嬉しい。あのシーンを観に行くために映画館に絶対行きそう。使われているかは分からないけど使われてなければメイキング目的でBDを買う。絶対にだ。

 日本のメディアが死に体にあることは分かっていたけれども今朝方のスポーツ新聞がこぞってジャニーズJr.が200人ばかり東西から大集合して東京ドームを始めとした日本各地で大々的にライブを行い、45万人の観客を動員しょうとしているからお楽しみにといった記事を何の註釈もつけずに掲載しているのを見るにつけ、一方で起こっている創業者によるセクハラの問題なんてやっぱり通り過ぎるそよ風に過ぎないんだって認識でいるんだってことが伺えた。

 あるいはその中に被害を受けて心に傷を負っている人がいるかもしれない状況があり、そうでなくても傷を負った元のJr.たちがこうして事務所が何のおとがめもなしに晴れやかな場所で活動していることに、どんな感情を抱くのかなんてことはまるで気にしてない。トップも経営層もブラックなりグレーな集団の事業を後押しするのも妙といえば妙。監督が暴力を振るった高校野球のチームが普通は大会に出ないだろうに。まったくもって意味不明の芸能界。きっとこのまま通り過ぎては晴れやかに華やかな興業が打たれ続けるんだろう。やれやれ。


【5月28日】 書き残している原稿があるので予定していた「青春ブタ野郎は夢みる少女の夢をみない」の上映イベントは遠慮してとりあえず荻窪へ。松屋でダイエットを目標にご飯をロカボ豆腐にしてチキンがスライスされたものが4枚ついた定食を食べてそしてVELOCHEにこもって原稿というか議事録をほぼほぼフィニッシュの段階まで仕上げる。ダイエットの方はロカボ豆腐なり野菜サラダにすることで米をとらない生活を1週間くらい続けていたので、何となくお腹の出っ張りが減ったような感じ。とはいえ油断は出来ないのでこのまま1ヶ月くらい続けていこう。

 そして向かった東京工芸大学杉並アニメーションミュージアムでの「大須のぶーちゃん」関連トークイベントでは、加藤道哉監督とそれから音響監督の長崎行男さん、ぶーちゃんの声を担当した声優の落合福嗣さんが登壇してあれやこれや作品について話してくれた。たとえば加藤監督は名古屋出身の名古屋育ちでなおかつ「大須のぶーちゃん」を製作したトンカツ屋「矢場とん」の現社長の鈴木拓将さんと同級生らしく、学生の頃から矢場とんに遊びに行っていたとか。

 僕の認識もそうだけれどその頃の矢場とんはそれほど多くの店がある訳でなく、矢場町の交差点とそれから名古屋駅の新幹線口地下街エスカにある店くらいで、決して小綺麗で賑やかなトンカツ屋さんといった感じではなかった。その時代を知っている加藤監督はアニメでもだから家族経営だった時代の雰囲気を表現したとか。実際に今の店に行くともうちょっと賑やかだからなあ。

 そんな「大須のぶーちゃん」に出演している声優さんはほとんどが名古屋か近隣の地域なり県にゆかりのある人で、ほとんどを指名したけれどもひとり、お爺ちゃんを演じた岸尾だいすけさんは落合福嗣さんが所属する青二プロダクションに話が回った時に是非出たいと思って長崎さんに直訴したとか。とはいえ出せる訳がないぞとなったもののお爺ちゃんならと出演をしてもらったらし。それだけやっぱり認知されているんだなあ「矢場とん」は。

 長崎さんによると愛知や名古屋あたりは割と出身声優さんが多くてご当地アニメを作ろうとして方言に馴染みのある声優さんが探しやすいけれど、これが岡山とか佐賀になるとなかなか出身声優がおらず、ツイッターで呼びかけたこともあったとか。まあ同じ愛知でも尾張と三河は違うし西三河と東三河もちょっと違っているんだけれど、「大須のぶーちゃん」では声優さんたちに標準語の台詞を渡して自分たちで名古屋弁にしてもらうようにお願いしたところ、岸尾さんがリーダーシップを取るように方言指導めいたことをして整えていったらしい。

 小山茉美さんはもう名古屋を離れて結構経つから名古屋弁大丈夫かと思ったらしい。落合福嗣さんも幼稚園くらいまでしかいなかったから名古屋弁は怪しいけれども、長崎さんに訪ねたらブタなので名古屋弁は喋らなくていいと言われて安心したとか。ただしやっぱりぶーちゃんはいずれ食べられるために飼われているのか、それならそういう心理も持っていなくちゃいけないと思って訪ねたら、ぶーちゃんは家族だからそうした心配はしなくて良いと言われて普通に演じたとのこと。なおかつ演じるに当たってブタを観に行って触ったりミニブタに触れにいったりして研究して、手触りとかを感じ目の優しさを感じて演技に活かしたそうな。声優さんって研究しているんだなあ。

 それに関して言うと落合福嗣さんは、映画「ターミネーター」をテレビで見たときに吹き替えで日本語を声優さんが喋っているのを聞いて、どうして英語じゃないのか気になったら声優さんが当てていると聞かされてそれで声優という仕事に興味を持つようになったとか。以後、レンタルビデオを借りてきては英語の元の台詞を聞き、日本語の吹き替えを聞いた上で英語に遭わせて自分で日本語の声を当ててみるようなことをしていたらしい。今もそうした映画を見るようなことを続けているそうで、日本語の台詞を自分なりに演じてみて、それと実際の声優のOKテイクと比べてみて何が違うところがあったら、どうして違うんだろう、OKテイクはどうしてそうなったんだろうと考えることにしているとか。もうひとつ加えるなら落合福嗣さんは夜に毎日「外郎売り」を唱えるようにして発生を鍛え続けているそうな。研鑽が今を支えているんだなあ。

 あと気になったことといえば「大須のぶーちゃん」の「ぶーちゃん」をどう発音するかで、加藤監督は「ペリー・ローダン」の「ローダン」を発音する時のように「ロ」にアクセントが来る感じだったけれど、落合福嗣さんは「壟断」といった具合にアクセントがないフラットな発音をしていた。それはなぜと司会に聞かれて中でそう発音されていると話し、長崎さんもそうだと思っていたと話したら監督自身は「ローダン」じゃないかと言って初めてその齟齬が浮かび上がった。超大事なことなんだけれど本当はどっちなんだと会場に居た社長に聞いたら正解は「壟断」。つまりは監督が間違っていたという次第。でも作品はちゃんと出来ているんだから不思議なもの。これだからイベントは面白い。


【5月27日】 せっかくだからとNHKで放送されたドラマ版の「岸辺露伴は動かない」から「富豪村」と「ホットサマー・マーサ」と「ジャンケン小僧」を見て映画「岸辺露伴ルーヴルへ行く」が映画のテンポと演技で収録されているんだってことを理解する。「富豪村」あたりの露伴は饒舌で叫んだりわめいたりもしていて「ホットサマー・マーサ」でもそれは同様だからおそらくテレビシリーズを通しての演技プランなんだろう。対して「ルーヴルへ行く」は過去の初々しさをそのまま残して何か引きずるように腰の据わった演技をずっと通していた。

 考えるなら子供時代の露伴の雰囲気とそれほど差異なく見られるようにしたことと、あとは2時間という上映時間の中をずっとわめいたり叫んだりしていられると見ていて辛くなるからってことも考えたのかもしれない。その時間を劇場の中に閉じ込めてずっと見せられることになる映画ではその時間に引きずり込むことが重要。淡々とした演技はその点でとても映画的なものって言えそう。そんな演技だったからこそ終盤の過去を探り今へと繋げる展開の中で浮き上がらず騒々しくならなかったんだと思いたい。この後でまたテレビシリーズが始まったら元のようなわめいて叫んで困った顔をする岸辺露伴が見らるんじゃないのかな。

 新宿バルト9で「雄獅少年/ライオン少年」の舞台挨拶付き上映を見る。前にも同じように出演している声優が登壇しての先行上映かがあって参加したけれど、今回は落合福嗣さんに山寺宏一さんも参加とあってこれは行かないといけないと、ちょっと出遅れてもう売り切れてしまったかもしれない心配をしながらサイトをのぞいたらまるで埋まってなくて驚いたというか知られてないんだなあと思ったというか。それでも当日は満席近くになっていたから浸透したと喜んだら、受付が出ていてデジタルハリウッドの関係者が招かれていたから、それなりな人数を呼ぶことにしたのかもしれない。

 映画についてはやっぱり凄いし面白い。圧倒的にフォトリアリズムで描かれた背景が中国の今を活写していたし、子供を田舎に置いて夫婦が大都会に出稼ぎに出て働かなくちゃいけないような状況があって、一方で都会で若いのに車を走らせる女性がいたりする状況もあってと貧富の差、田舎と都会の差といったものもしっかりと事実に即したものとして描かれていた。こういうのって包み隠して知られないようにするのがあの国かと思われがちだけれど、元より貧農であっても頑張ることが奨励される国ならこうして精いっぱいにあがいて歩き続ける人たちが主人公の映画だって認められるってことなんだろう。

 クライマックスのシーンに今回もジンと涙を浮かべつつ迎えた舞台挨拶では、落合福嗣さんもやっぱり同じようにあのシーンに大感動していたことが分かって嬉しくなった。あと山口勝平さんがどこまでもリアルに描かれた背景の凄さ、田舎の風景の美しさとそして都会の風景の先端ぶりを強調していて誰もが同じ所を見ているんだなあと感じた。そうした驚きと喜びがもっと広く伝われば大勢が観客として訪れることになるんだろう。そのためにも落合福嗣さんが落合博満さんの息子として紹介されがちで、一本立ちした声優としてはちょっと寂しいことになってもそうしたメディアの態度に憤らず、認知度の向上に繋がることを願おう。とにかく見ろ。絶対見ろ。それだけの価値がある映画だから。<BR>
 とてもスリリングでホラーな感じもあって猟奇と狂気とが交錯したような体験を味わえるアニメーション映画「アラーニェの虫籠」の続編らしい「アムリタの饗宴」を観に行ったら続編ではなく前日譚だった。そしてやっぱり狂気と猟奇に溢れていた。理由だとか原因だとかいったものはこの際あまり深く考えずに、複雑な形をした集合住宅に魅入られるようにして引きずり込まれた3人の少女たちがひとり、またひとりを失われ行くような状況がリニアな時間ではなく戻ったり繰り返されたりしながら進んで行った先、驚くような事態へと至ってそして「アラーニェの虫籠」に繋がっていた。とはいえ陸軍の実験だとかどうとかいった「アラーニェの虫籠」の設定が改めて明かされている訳でもなく、それでいて奇妙な装置が出ているから意味はよく分からない。それでも降り注ぐ少女といったビジョンの奇怪さに触れつつ驚きを誘ってくる展開に身を委ねて、しばしの幻想に浸ってみるのも悪くない。そんな映画だった。もう1回くらい見たら何か分かることもあるかな。「アラーニェの虫籠」は前に見た時よりも“分かる”気がしたし。


【5月26日】 長野県の中野市といったら暫く前に仕事で行ったところで、長野駅から列車で30分とかそれくらい行った駅を降りるとそれなりに瀟洒な家が並んでいてそこから長野市に通っている人も多いとか。山も近くてスキー場なんかにも行きやすそうで東京を離れて移り住んだらさぞ良さそうだなあと思っていたらとんでもない事件があってこれからどうなるか分からなくなって来た。市議会議長の息子が猟銃だとか空気銃だかを持って暴れたらしく女性が2人と警察官2人が亡くなってしまった。

 最初に猟銃を持っているといった話も伝わった中でどうして防弾ベストなんかを着てかけつけなかったんだろうという不思議もあるけれど、人が傷つけられたと聞いてこれは急いでかけつけなくちゃならないと急行したのかもしれない。残念無念。どうにか朝には投降したらしくひとまず状況は落ち着いたみたいだけれどもその真意と人を殺害してしまえる心理がどうして生まれて来たのかが、これから明らかにされていくんだろう。結構いいところの出身なのに引きこもり気味になってそれでも猟銃免許とか持つくらいの外向性はある人格。どう育まれたのかなあ。

 しかし朝には解決していた事件を朝に届いた新聞ではまだ未解決だというこの情報ギャップを、かつては大勢の人が受け入れていたけれども今はやっぱり新聞は遅いという現実に触れてその役割が軽く見られていってそう。なおかつ夕刊も廃止が相次ぐと情報が一新されるのが24時間後という状況で新聞はいったい何をすれば生き残れるんだろう。地元の情報を濃くすることが重要なんだろうけれど、とある全国紙は長野県から支局をなくして駐在に1人置いているだけだからなあ。中野市での事件にはその1人がかけつけたんだろうか。頑張っているなあ原田記者。もしも諏訪で事件があったら長野市からかけつけるのかなあ。

 風邪気味なので遠出は止めてイオンシネマ市川妙典で劇場版になった「岸辺露伴ルーヴルへ行く」を見る。原作は読んだ記憶があるようなないような。もっと全編ルーヴルロケかと思ったら行ってピラミッド前で演技して廊下で演技してモナリザの間で演技してサモトラケのニケがある場所で演技してそして本当にあるか分からない地下の倉庫で演技して戻って来ていた。それでもパリは良さそうでルーヴルも行ってみたい気にさせられた。あそこには絶対何かある。

 実写のテレビシリーズは見たような見てないような記憶だけれども予告編で散々みたのでアニメの櫻井孝宏が演じるどこか高慢だで何か企んでいるような岸辺露伴とは違った得体の知れ無さやらとらえどころの無さを漂わせるキャラクターだということはわかっていたので高橋一生さんの岸辺露伴にもすぐ慣れた。編集者の泉京香のウザったさはなるほど役者が演じてもやっぱりウザったいけれどもズケズケと踏み込む割に引き際も心得ているあたりが担当編集者ならではの優秀さって奴なんだろう。岸辺露伴ですら太刀打ちできない人間味やら脳天気さを保っているし。

 とあるミステリーがあってそれの裏で繰り広げられる怨念のドラマがあって重なったところに引っかかった岸辺露伴が遭遇する怪奇といった展開。スピーディーにとらず動き出すまで間をたっぷりととる映像はアニメーションだとただ止まっているだけになるのが人間だとそこに心理やら空気感やらが漂うからやっぱりしっかり実写映画として作ろうとしていた感じ。カメラワークもアングルもいちいちカッコ良い。監督が優秀なのか撮影班が凄いのか。そんなカメラワークで切り取られたルーヴルやら日本の古い旅館やらがとても良かった。日本旅館に泊まりに行きたくなった。そこに白石加代子がいたらちょっと驚くけど。

 帰って少し眠ってからむっくりと起きて「SANKYO presents ワルキューレ FINAL LIVE TOUR 2023 〜Last Mission〜  」の6月3日分のチケットをどうにか抑える。何度やってもなかなか3Dセキュアが通らなかったのがちょっと謎。あとはやっぱりどれだけどやってもなかなかたどり着けないこともあって途中でなくなってしまうのかと心配したけど、オーラスじゃないラス前ってこともあってすぐにはいっぱいにならなかったみたい。逆に千穐楽はとれなかったけれどそちらはライブビューイングで見ることにしよう。大きな画面でワルキューレを近くで見られるから。どこの劇場が良いかなあ。近いユナイテッドシネマ幕張にしようかなあ。


【5月25日】 渡辺明名人に藤井聡太竜王が挑戦する名人戦が進行中。これまでに3勝1敗で藤井竜王があと1勝すれば名人位を奪取するとともに羽生善治九段以来の七冠達成に輝くとあって、次の5月31日と6月1日に実施される第5局への注目がグングンと高まっている。場所も長野県にある藤井荘というからもう出来すぎな感じ。東京で大盤解説会があったらそれこそ駆けつけてその瞬間を見届けたい気がするけれど、行われるのかどうか調べてないのでこれから情報を漁ってみよう。羽生九段の七冠達成の時は新宿で米長邦雄さんによる大盤解説があって見ていたんだよなあ。

 ただ今は叡王戦が出来て8タイトルとなっているから、藤井竜王が名人位を奪取しても今回で全冠制覇とはならないのところが羽生九段の時とは違っている。それでも数で並べばもう立派だし年齢も羽生九段より若くてなお立派。残る1冠も手中に収めて全冠制覇となるかにこれからの注目が集まっていくんだろう。それにしてもどうしてこんなに強いのか。全冠制覇こそしたけれど、同世代で村山聖九段とか佐藤康光九段とかいた羽生九段の時とは違って藤井竜王だけが突出しているのも気になる。いずれその違いを分析した本が出てきたら何か分かるかな。やっぱり何も分からないかな。天才は天才だから天才なんだ。そういうことなのかな。

 あめりかでNBAの地区優勝をかけたプレーオフが行われて八村累選手が所属するロサンゼルス・レイカーズはデンバー・ナゲッツの4連敗をして決勝には進めなかった。第4戦でようやく先発をした八村選手は前半こそ10点を奪ったりして活躍していたみたいだけれど、後半にまったく点がとれなくなったようでそれも響いて僅差でナゲッツに敗れてしまった。逆に八村選手が相手のビッグマンを抑えて点差を広げさせなかったとも言えるから、プレーぶりの判断は専門家に任せたい。

 けれども日本出身のプレイヤーがかつてマジック・ジョンソンとかカリーム・アブドゥル・ジャバーとかコービー・ブライアントが所属していた名門中の名門チームでプレーオフに出場しているだけでも凄いこと。なおかつ先発も勝ち取ったのだからこれは歴史に残る偉業なんだけれどもスポーツ新聞は市川猿之助さんのトラブルを一生懸命報じている割に八村選手の偉業はそれほど大きくは扱わない。それこそ大谷翔平選手がプレーオフに出てホームランの1本でも打つような凄いことなのに、日本人の野球好きって奴がここにも現れているんだろう。

 ただアメリカではMLBよりはNBAの方が人気だしNFLの方がさらに人気がある。スポーツとしての分かりやすさと興奮度が人気に現れているんだろう。日本もだんだんと野球への関心が薄れる中、サッカー意外に上に上がってくるスポーツがないのが気に掛かる。我らが千葉ジェッツが強いBリーグがもうちょっと盛り上がってくれればなあ。あとはクボタ・スピアーズが戦っているラグビーのリーグワンとか。どっちも地元船橋のチームだけに応援したい。あとはジェフユナイテッド市原・千葉が早くJ1に復帰してくれれば……。これは今年も遠い夢かなあ。残る試合を全勝するくらいのつもりで戦ってくれろ遠くからお願い。

 気がついたら「キネマ旬報」が月刊化されるということになっていて、だったら「キネマ月報」に題字を変えるかというと「キネマ旬報」のままでいくというから何というか。まあ日刊紙を標榜しながら日曜日は出さずやがて土曜日も出さないようになった産業専門紙を知っているから題字と中身は別ってことくらい理解している。雑紙に厳しい情勢の中でそれでも月刊で出してくれることを喜ぶべきなんだろう。ただ毎週のように公開される新作映画に月刊で対応できるかがちょっと謎。「スクリーン」とか「ロードショー」といった洋画系の雑紙はそれでやって来たじゃんというけれど、大作映画中心のこれらと違ってミニシアターの作品まで追う「キネマ旬報」のシュリンクは痛いなあ。ウエブの方を充実させてくれることを願おう。おこぼれでお仕事が回ってくるなんてことはあり得ないだろうけれど。


【5月24日】 「週刊東洋経済」のアニメ業界特集ではNetflixでアニメーション部門を仕切っていた櫻井大樹さんが5月いっぱいで退社を予定していると書いてあって、立ち上げ時からいろいろと仕掛けては日本のアニメーション業界の救世主的な扱いを受けていた人でも、滞れば石もて追われるアメリカ企業のドラスティックさを感じてしまう。ある意味で画期的な企画をバンバンと仕掛けて「ULTRAMAN」なんかは世界で観られて改めてウルトラマンというIPの世界への浸透に一役買ったりしたり、「メガロボクス」のように「グリード」のマイケル・B・ジョーダンが挙げるくらいに注目を集めたりする作品を送り出した。そういった功績はあったんだろう。

 でもどれだけ仕掛けても話題は一過性に終わって長く取りざたされる作品が出てこずムーブメントを起こせたとはちょっと言いがたい。やっぱり3ヶ月なり6ヶ月の期間に放送されてはだんだんと評判を高めて波を起こすような作品ではないと、キャラクタービジネスに展開できないってことにアニメーション制作会社も気がついたのかもしれない。実験的な作品は多く提供されてもそれで終わり。そうした作品を敢えて観たいと思って契約するファンの数もある程度集まって頭打ちになってしまったんだろう。常に成長していなければ無意味と見なされるアメリカの企業で安定は罪。なので居場所がなくなり居心地が悪くなってしまったのかもしれない。

 だからといってテレビ局がお金を出す感じでは既にないしパッケージメーカーも売れないソフトのために作品を作ってもらうようなこともなくなっている。配信の収入だけが安定している状況の中で、成長も頭打ちとなって限られるパイをこれから奪い合うとなったときにどれだけ観てもらえる作品を出せるかがアニメーション制作会社の生死を分けることになるんだろう。そうなるとやっぱり人気漫画が原作の作品となってどこかで観たことのあるような作品だけが並んで画期的な作品は生まれなくなってしまう。それがアニメーション業界にとって良いことなのか。アニメーションのファンにとって嬉しいことなのか。悩むなあ。

 長かった死滅回遊編がどうにかこうにか終わってようやく五条悟も復活して渋谷事変の続きが始まった「呪術廻戦」だけどこれからアニメで五条と夏油の過去編が描かれてそして渋谷事変編と行った先、待ってる死滅回遊編を描かなくっちゃいけないアニメーション制作会社がちょっと可哀想になってしまう。読んでいても意味不明なバトルが延々と繰り広げられていたからなあ、秤のパチンコパチスロ流法なんてアニメで読んで楽しいんだろうか。禪院真希の相撲はちょっと観たいけどあとはなあ。

 あるいはそこはグッと端折って1クールで片付けて、五条悟復活からの決戦へと行ったりしたらアニメファンには喜ばしくても権利元には嬉しくないか。どうする集英社。そしてMAPPA。どれだけながくても不要なエピソードがない「ONE PIECE」はさすが……といいたいけれどここんところ断片ばかりが続いて山場がない。敵もない。これはアニメで困りそう。どうする投映アニメーション。「僕のヒーローアカデミア」はずっとクライマックスだから心配なさそう。今の連載の所なんてアニメになったら凄まじいくらいの熱気があふれ出そう。こちらは期待だ。ボンズもいい作品を掴んだ。さすがはSクラス(東洋経済認定)。

 109シネマズプレミアム新宿での「シン・エヴァンゲリオン劇場版」上映も最後ということで見物に。シアターにはそれなりに人が入っていてやっぱりな人気ぶりを感じ取る。すでに何十回となく観ているからどのシーンも頭に入っているけれど、それでも見逃せないくらいにぎっしりと情報が詰まっているところは映像にも台詞にもこだわり抜く庵野秀明監督らしい。必要だから描く。それは「シン・仮面ライダー」でも同じで必要だから撮り、けれども実写ならではの描き直しが効かない問題点から撮れているところをつないであのカットが繋ぎまくられたような映像になったのかもしれないなあ。ラストまで観て喝采はせずに劇場を後へ。いつでもネットで観られる作品だけれどやっぱり劇場で観ると隅々まで分かって発見もある。次はいつ見られるかな。


【5月23日】 目が覚めたら見知らぬ天井。ここはどこだ? って松本で、朝早い取材があったので前日に松本入りしたら先方にご不幸があって取材がキャンセルになったものの、キャンセル料が発生するし交通費だって同じだけかかるからそのまま1泊したのだった。古そうだけれどカウンターとかロッジ風の木製でさすがはアルプスの玄関口にあるホテルだと感心。室内もそこそこの広さがあってアメニティもしっかりしていて次に来た時も泊まろうと思った。次もまああるでしょう。

 晴れていたら昨日は休みで見られなかった松本市美術館に行って草間彌生展を見るか、あるいは木崎湖まで行っておねティなワールドにハマるかしようと思ったものの、外に出ると雨でおまけにやたらと寒い。まるで2月か3月といった感じでこれは歩くのにしんどいと、そのまま特急あずさに乗って新宿へと向かう。途中、噂の「週刊東洋経済」アニメー業界特集号を電子書籍で読んでいく。なるほどアニメーション制作会社にはランクがあってSとかAでなければライツ元にも配信事業者にも相手にされないのか、って状況がどうにもひっかかる。

 いや現実に並ぶ企業は良い物をつくってライツ元にも配信事業者にもそれなりのメリットを与えているけれど、そんなことをしていたら将来生まれて来るすごいアニメーション制作会社の芽が潰されてしまう。かつてはパッケージメーカーが目利きぶりを発揮してガイナックスに「王立宇宙軍 オネアミスの翼」を作らせたりufotableに「住めば都のコスモス荘 すっとこ大戦ドッコイダー」や「まなびストレート」を作らせたりして実績を上げさせた。そこから「エヴァンゲリオン」も生まれたし「鬼滅の刃」だって生まれて来たのにそうした冒険よりも格で選ぶようになってしまっては逆にアニメーションの豊穣性が損なわれてしまう気がする。

 そうした中でも「転生したらスライムだった件」のエイトビットや「痛いのは嫌なので防御力に全振りしたいと思います。」のシルバーリンクや「江戸前エルフ」のC2Cや「お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件」のPuroject.No9のような中堅どころによるライトノベルやコミック原作の優れたアニメーション作品が出ていることが、あるいは将来への救いになるかもしれないけれどそうした会社が集英社だの小学館だの講談社といったビッグな会社から版権を下ろしてもらえようになるかが目下の関心事。「ブルーロック」がバカ当たりしているエイトビットあたりはAからSクラス入りしていけるんじゃないかなあ。いってもらわないと困るなあ。

 ただそうやって大きくなっても自社で版権を回してグッズ展開なんかができないと収益に結びつかない難しさは解消しない。これはもう人件費を含んだ制作費の問題であってそれらが回収できるだけの市場があって、はじめてお金が動くとしたらやっぱり今のアニメ多すぎる問題がどこかで解消される必要はありそう。でもそれだと将来の芽を摘むことになりかねないという矛盾。難しいなあ。大きくなっても版権を回すのってそれなりの人材がいないと大変だし。

 もしかしたら「エヴァンゲリオン」のライツを預かるグラウンドワークス:のようなライツ専門の会社が重宝されるようになるのかも。とはいえあそこは神村さんが庵野秀明さんという絶対権者を古い知り合いで考え方や好みまで踏まえて判断できるから回るのであって普通は判断に時間も手間もかかってコストが膨らみ回せなくなってしまう。玩具メーカーやパッケージメーカーに専門の人がいて判断して回していた状況は決して悪いものではなかったってことになるとやっぱり、制作費でペイできて将来の投資にもつながるような状況を、作らないといけないのかもしれない。

 とか言っていたら新宿についたので、劇場で「ワイルドスピード」の新作を見たらまるで終わっていなかった。主人公に危機が訪れ仲間も生存が分からなくなる中でいったいどう続けるのか。これは観に行くしかないなあ、前のシリーズの一切を見てない自分でも。これを機会に見返すか。それにしてもやっぱりジェイソン・モモアは迫力たっぷりの良い役者。「DUNE/デューン」では正義の騎士だったけどこっちは生まれながらの極悪人で人の命なんて何とも思ってない感じ。仲間だって平気で見捨てる。でも暴力で従わせる。そうした男が本気で人を追い詰めようとしているから大変だけれどそれを突破していくのもハリウッド映画の醍醐味だ。最後は車をぶっ飛ばしてカタを付けるようなカタルシスを与えてくれると信じて続きを待とう。


【5月22日】 日曜日にTOHOシネマズ池袋へと向かう途中、エヴァンゲリオンストアに寄ったら高橋洋子さんが歌った「シン・ジャパン・ヒーローズ・ユニバース」のおもちゃのPVに使われている「罪と罰 祈らざる者よ」とかが入ったCDがサイン入りで売られていたので購入。ロボットの出来はどうにもひっかかるところがあるけれど、楽曲は「魂のルフラン」っぽさもあってカッコ良いので聞くのにひっかりはないのだった。ストアには60センチもの巨大なアクリルスタンドが売られていて欲しくなったけれど2万円超えはちょっとキツい。でもフィギュアだって2万円超えが普通の状況で巨大さを買うって手もあるかもしれない。マリさんちょっと検討するか。

 これも日曜日にTOHOシネマズ池袋から回ったシネマ・ロサでSF映画「12ヶ月のカイ」を持って世界の映画祭を回った亀山睦木(睦実)監督が世界で日本人監督や日本の映画作品が戦い勝って登っていくために必要なことは何かを身をもって体験して報告しつつ同じ若手監督やすでに海外で名を上げた監督や俳優に尋ね回った「世界で戦うフィルムたち」を見たらとてもが良かった。伺えたこととして何が必要かといえば応募することがまず必要でこれがなくては何も始まらない。行けば行ったでコミュニケーションのための英語力が必要。ただしこれは世界に通じたプロデューサーがいれば代替してくれると東京国際映画祭でプログラミング・ディレクターなどを務めた矢田部吉彦さんは話してた。

 じゃあそのプロデューサーががどれだけいる? 日本で海外のプロデューサーや企業なんかと渡り合えるプロデューサーは5人とかそこいらだと矢田部吉彦さん。ここを分厚くする必要を訴えていた。一方で海外のプロデューサーを捕まえ配給や共同制作なんかを実現する必要も。それにはやっぱり英語力が必要になりそうだと分かった。それから助成に関する知識。ここを日本の学校は教えないという話だった。登場した深田晃司監督が台湾で世話についてくれた学生に聞いたら台湾の助成制度をだいたい知ってて教えてくれた。日本の学生はどれだけ知っている? そうした知識のあるなしでスタート地点がぐっと下がる。制度を知って利用する。作る。応募する。海外で喋る。そうやって始めて次への道も開けるということなのだろう。

 一方でやはり作品力も必要。寺島しのぶさんが自分を知らない国で演技しても良ければそれを真っ直ぐ褒める土壌があると話してた。北村龍平監督が大物俳優でも間に人を挟まず直接会って話をする、間にPDも事務所もマネジャーも入らないと話してた。作品本位。それを認めて持ち上げる土壌が海外にはある。だから作りたいものを作れる海外にどうやって行くのかというところで観て学べるところが多い映画だった。

 気になったのは、ロンドンのSF映画祭のディレクターが日本の作品に出品を願っても上映するなら1000ドル出せと行って諦めること多々。それで海外で売れないって言っても。知られる努力もしないで。カンヌだベルリンだアヌシーだってビッグな映画祭で賞をとり国内興行向けに箔を付けられればって感覚なのかも。それも必要だけれどそれではいつまでもクリエイターはドメスティック止まり。亀山睦木監督はそうした”保護”のない中、独力で突破し海外からのオファーを得た。後に続く人もきっと出る。

 これは実写のフィルムの話だけれど、アニメーションもこれだけ盛んに作られている割に海外のアニメーション映画祭で日本の作品が常にコンペインしていた状況ではちょっとなくなっている。同じ人がいつも並ぶ感じもする。やっぱり出て行くための教育をし支援をして送り出していくことが必要な気がした。なので若い映画作家もアニメーション作家もこれから世界に飛び出していきたいのなら、あるいはプロデューサーとの伝手を作りたいのなら、その方法を知るためにも亀山睦木監督「世界で戦うフィルムたち」を観るのだ。

 明日午前から取材があるので松本へ。新幹線だと長野経由で行けるけれどもせっかくだからと新宿まで出て特急あずさに乗ってガタゴトガタゴト2時間ちょっとかけて松本に到着。すでに松本城は見ているので松本市美術館でもどうだろうと言ったら休みだった。月曜日休みはやっぱりどこも一緒だねえ。仕方がないので草間彌生さんの彫刻を長め近所のイオンモールに入ってミスタードーナッツで欠けていた日記を埋めてアップしてさて宿に入ろうとしたところで連絡があって明日の取材がキャンセルに。何もすることがなくなってしまったのでこれは穂高に登るしかないのかもしれない。スーツ姿で。大丈夫だろうか。大丈夫じゃないだろうか。


【5月21日】 そういえば機能は何年かぶりにデザインフェスタに言ったのだった。最近は来場者も増えて入場列が厖大になるって思っていただけに、心配したものの午後からだったので割とスムースに中に入ることが出来た。会場では前々から贔屓にしているブースを回って健勝を確認。西館だけでなく南館にも広がって拡張の一途。すごいなあ。OTACCIMANってサイケなTシャツ屋さんで新作Tシャツを買ったり、10年以上前に見知ったタキタサキさんの「はくさい君」が今も健在なのを確認したり。20年前はまだネットが発達してなかったけど、今は個人で商売できる環境が整ってきただけに、グッズやファッションを独自に作ってネットやデザインフェスタで売る人が今後も増えていきそう。

 新海誠監督が登壇の「すずめの戸締まりをTOHOシネマズ池袋で。途中、すずめがフェリーニ乗って環さんからのLINEを眺めていたところで画面が真っ暗になってそこから再生されず数分後に係員が機材の故障だと告げに来て、少しの時間を経てサダイジンが窓から逃げるのを椅子になった草太が追いかけて飛び出していく場面から再上映が始まってラストまで。リテイクバージョンで2回目になるともうそれがスタンダードになって何がどう変わったのか気づかないのだった。

 そして上映後に登壇した新海誠監督が届いたメールとして読み上げたものがなかなかに響くものだった。2023年5月12日に書かれたというそのメールは中国から来た人のもので2008年5月12日に発生した四川大地震から15年が経ったという書き出しから自分はそこで被災した者で、同じ地震で祖母やいとこや学校の友達が亡くなったという。その後、日本に留学して東大で研究をしていた時に震災の影響について調べようとしながらも思い出すと手が止まってしまって気分が悪くなってしまって進まず、結局別のテーマに研究を変えて修了したという。それがとても悔しくて、エンタメ業界に就職してからも何か自分で出来ないかと思いながらもその度に、体が拒絶反応を示してしまう中で観たのがこの「すずめの戸締まり」だったと打ち明けた。

 そこに描かれていたすずめの行動にメールの筆者はとても納得がしたという。周囲にはどうしてあそこまで命すらかけてすずめは戸締まりをしよとし、そして草太についていこうとしたのか。それは四川大地震で身近に死を経験しそして自分自身も死の瀬戸際まで行きながら生き残ったことで、どこか取り残されているような気持ちになってしまっていたのだという。だからこそ誰かを守りたい、誰かについていきたいという気持ちが強くなってそれがすずめは出たのだと筆者は理解し納得できたという。

 ラスト、すずめがまだ小さいすずめにあなたには未来があるという言葉を与えたことはそのまま自分に投げかけられ、そして自分が経験したことと重なる。そうした気持ちでいるだろう大勢の人が、四川大地震の被災者にもいるし東日本大震災の被災者にもいるし世界中のあらゆる悲しみに直面し、そこから這い上がってきた人にいる。そうした人を苦しみから解放して明日へと導く映画だといようなことを話して、それこそが自分が描きたかったこと、観た人から言って欲しかったことだと新海誠監督は応えていた。ちゃゃんと届いているよ。世界の大勢のすずめたちに。

 あとの質疑応答ではたとえば芹澤のインチキアルファロメオがぶつかりそうになるトラックにツバメが描かれているのは、自分がコンテに描いたものではなかったけれどもスタッフがトラックらしさを見せるためにマークのようなものを描くとして、それをツバメにすることで何かが変わるきっかけにあることを示そうとしたらしい。本当のラストですずめが戸締まりをする場面、鍵穴にツバメがモチーフとして使われているのもそうした理由。自分の母親が導きそして送り出すことですずめは歩き出していけるのだ。

 ほか、ヒッチハイクの場面ですずめは椅子になった草太からもっと手を振るとか言われてだったら草太さんが動いたらという場面、最初は草太が制服に着替えたら止まってくれるんじゃと言わせようとして周囲からそれは絶対にない、草太はそんなことは言わないと大反対されて自分の意識のアップデートがまだできていないと吐露していた。なるほどそういう理屈はないでもないけどそれは制服姿の女子生徒の意味性を草太が認知し冗談でも利用を促していること。それを是とするような意識の持ち主が主役級でいる問題に今は気づくことが必要な時代なんだろう。でも椅子には座らせたけれど。

 東北の故郷を宮古市にしたのはロケハンにいって最初は目印を火の見櫓にしようと思っていたら電波塔があってそれであの場所が印象に残って使ったとのこと。常世で白かったダイジンがすずめを守る瞬間だけ黒くなるのは、現世では黒かったサダイジンが大きくなって白くなるのは暗い場所で黒猫が戦ってもよく分からないから白くしたので対比として黒くしたとのこと。映画って難しいなあ。


【5月20日】 クラウドファンディングの開始とともに一般社団法人アニメフィルム文化連盟の活動がスタート。困窮にあえぐアニメーターも多い状況を改善するのが目的だって喧伝しつつも活動内容はアニメーター検定を行ったりアーカイブを推進したりといった感じで、一致団結して要求を取りまとめてアニメーション制作会社やパッケージメーカーや製作委員会やテレビ局なんかに賃上げを訴えていく訳ではなさそう。アニメーターへの教育にしてもアーカイブにしても日本動画協会や日本アニメーター?演出協会(JAniCA)とも重なるところがあったりするからどこを応援したら良いのか迷いそう。そこはだから業界として一致団結して難局に向かい合っていってくれればと思うのだった。

 映画「新聞記者」のモデルになって目立ちまくりの新聞記者がウクライナにアメリカが同盟国からF16を回すことを打ち出したことに、日本のF16を持っていくつもりじゃないかって騒いで総スカン。そもそも日本にはF16なんてないんだけれど、それを調べもしないで脊椎反射するからそうしたポン酢な発言になってしまう。新聞記者は専門家じゃないけれども何かを伝える仕事をしているからには何かあったら一応の情報として示さなくてはならないので、専門家に尋ねたり当事者に聞いたり自分で調べたりしてそれなりに間違いの少ないことを伝える努力をするべだろう。

 それでやっぱり間違いがあったら糺していくことによって新聞というメディアにとって最大の価値ともいえる信頼というものを担保しようと、過去に大勢の頑張ってきたのだけれどもこうして「新聞記者」だなんてタイトルの映画のモデルにもなった人物が大間違いをしてそれを間違っているといわれても糺さないで活動をしていられると新聞記者はおしなべてポン酢で新聞はプロパガンダのアジビラでしかないと思われてますます信頼を失っていく。そうした自分の居場所すら既存して平気な神経が本当に本当に分からないのだった。どうしようもないのかなあ。

 「SANKYO presents ワルキューレ FINAL LIVE TOUR 2023 〜Last Mission〜」で有明アリーナへ。ゆりかもめの有明テニスの森駅から歩いてもちょいあって、これで帰りは国際展示場駅まで歩くと大変そうだと思ったけれども大変どころか超大変だったと帰りに気づいたことはとりあえず書いておく。あれほどまでの距離ってあるいは横浜スタジアムから新横浜くらいまであるような気がしてならない。あるいは埼玉スタジアムから浦和美園駅くらいまで。まあそれほど遠くはないんだけれどライブ疲れの脚を引きずっていくには結構な距離があることだけは確か。あんまり行きたくない会場ではあるけれど、埼玉アリーナや横浜アリーナやぴあアリーナなんかを使われるくらいなら近場でって発想もあって頻繁に使われることになりそうで、また行く機会もあるかもしれない。

 さてライブの方はCDだか何かの先行でとったからなのか4階席とステージからは遠くワルキューレの面々もよくは見えない。とはいえアリーナの中をダイヤモンドのように花道をひっぱって歩き回るからそれなりに近くくらいまでは来てくれる。あと遠くても音が後れてくるところがないのはイマドキの音響っぽい。ステージのバックに大きなモニターを入れて見せてくれてはいても、センターあたりにモニターをつり下げないのは構造上の問題なのかもしれない。天井の柱が木製だし。それで音が吸収されてこもらず抜けが良い音が聞けたのかもしれないけれど。

 内容はまだ公演を残しているから詳細は避けるけれどもワルキューレのヒットパレードといった感じ。ヤミキューレもあるにはあるけど劇場版のストーリーに沿っていろいろと展開するというよりはとまらないやらあきらめないやら裏切らないといったないない尽くしもちゃんと混ぜつつ感動のアクシアだとかからのおにゃの子☆girlだとかを聞かせてくれてそこにカナメやマキナがいるようだった。そういうキャラになりきっての歌もこれでしばらく聞けなくなるのかと思うとちょっと寂しい。6月4日のラストはチケット一般でとれたら行きたいしとれなくてもライブビューイングには潜り込んで送り出したいものである。

 とにかくワルキューレの名曲尽くしで3時間くらいのライブを見られてとりあえず満足。これでアリーナにもうちょっと席が近ければ言うこと亡いんだけれどもそこはお金を出して何かの会員になって応援し続けている人に譲り会場にいられることだけでも幸せと思おう。しかしjunnaはやっぱり歌が巧い。叫ぶように張り上げる声がちょっと足りなかったのは初日だからかな。安野希世乃さんもやっぱり巧いなあ。ソロライブだとどんな歌声になるんだろう。気になります。


【5月19日】 日経平均株価が3万円台を回復したことを受けて朝日新聞になぜ日本の株価だけが「一人勝ち」しているんだという記事。でもなあ、30年前に日経平均が4万円近くまで上がって最高値を付けた当時と比べてと比べて、アメリカの株価は10数倍になっていてロンドンも3倍以上になっている一方で、日本だけが30年前の75%程度になったと言って喜んでいる。今というスポットから見れば「一人勝ち」でも相対としてはやっぱり負けているとしか言えないんじゃないのかなあ。

 だったら上がる要素があるかというと円安で日本株が割安に見えるってことはあるかもしれない。でもそれで投資したってドルに戻す時に今度は円安がネックになるからそれほどは手が出せない。企業業績は円安によって輸出企業に好調ではあるものの世界経済がウクライナ情勢などもあって右肩上がりを期待できない中で、どこまでも伸びるとは言えないところがやっぱりある。国内は内需が決して順調ではない中で物価があがり消費はますます抑制されるだろう。値上がり分で見かけの売上げはあがってもそれは疲弊と裏腹。将来を考えると手放しでは喜べない。

 いったい何に投資したら好調になるかってところがまったく浮かばない今の経済情勢。賃上げが進んだところでそれで消費が増えるかどうかは将来不安を解消できていない状況ではやっぱり貯蓄に回るだけけだろう。政府はだから将来不安をなくしつつ企業に雇用の安定化を求め将来にわたって消費し続けられるだけの見通しを示す必要があるのに、軍備にお金は回っても文化や教育からはお金を引き上げそして社会保険料とかは引き上げ庶民からお金を吸い上げるばかり。使うに使えない状況へと追い込んでおいて果たしてアメリカみたいに10倍とはいかないまでも30年前の高値を超える時を演出できるのか。生きている間はもう見られない光景のような気がしてきた。

 池袋でグランドシネマサンシャイン池袋に行く時とかに使っていた1階にあるオーサムストアのカフェがストアもろとも閉店とか。原宿に路面店を開いてファッショナブルな雑貨を提供してきたオーサムストアが破産したそうで、モールなんかに入っている店は維持しつつ路面店はこれから閉めていくことになるみたい。コロナも明けていよいよ消費も回復へと向かう中、安価な雑貨類なんかへの需要も増えそうなのにそうなるまでもたずお金が回らなかったってことなのかも。商権を作ったのに勿体ない。せめてどこかのセレクトショップなり商社が買えば良かったのに。そういう投資すら出来ないくらいにフトコロが痛んでいるんだろうなあ。

 庵野秀明監督が手掛けた「シン・エヴァンゲリオン」と「シン・ゴジラ」と「シン・ウルトラマン」とそれから「シン・仮面ライダー」を合わせて「シン・ジャパン・ヒーローズ・ユニバース」と称して展開していてイベントだとかグッズ展開だとかが行われている。その流れでついにロボットが登場。それぞれのキャラクターが合体して巨大ロボットになるってものだけれども、核になるゴジラとか上に乗る仮面ライダーは良いとして、ウルトラマンとエヴァンゲリオンが体を真っぷたつにされるのは見ていてどうにもしのびない。エヴァンゲリオンは庵野さんの作品だから良いとして、ウルトラマンは円谷プロの作品でそして成田亨さんの思い入れもある造形。それをロボット化に合わせ角張って作り切断するのをご遺族の方はどう思っているんだろう。成田デザインへの思い入れをあれだけ言っていた庵野さんもどうしてそれを認めたんだろう。気になるなあ。

 東洋経済の特集に惹起されたのかアニメーション業界にまつわる記事がネットに登場。アニメ業界はこのままではダメになる、っていった趣旨で優れた原画マンの不足が大いに問題になってくるといった見解を業界の重鎮が示していたりして、重鎮なんだからそう言わずに自分でダメにしないように頑張って欲しいと言いたくなったものの、そうやってインタビューに答えている重鎮がマッドハウスやMAPPAを立ち上げた丸山正雄さんでは、どちらかといえばダメにならないようにしてきた側なので大きくは突っ込めないのだった。でもやっぱり頑張って欲しい。丸山さんやらずして誰がやる。


【5月18日】 能登で取材があるので朝から羽田空港まで行ってANAでのと里山空港へ。新幹線で金沢まで行ってもそこから列車がない場所での取材だったので、のと里山空港まで迎えに来てもらうことにしたのだった。そして取材が終わってそこからのと里山空港まで戻っても夕方まで東京行きの便がないので、輪島まで送ってもらってそこで旧輪島駅を拠点にさてどこに行こうかと考える。

 まずはお腹を満たそうと検索をしたら近所にエトランゼという喫茶店があるそうなので入ってチキンオムライスを頼んだら大きすぎた。店主がひとりでやっているから時間がかかりますよといった案内もあって、さぞやこぢまりとしたものが出てくるかと思ったら手の平よりも大きく顔より大きいくらいのサイズに仰天。あとで検索するとデカ盛りでライダー仲間では有名な店らしく、数々の挑戦歴が見つかった。

 普通のオムライスでもチキンオムライスでもチーズオムライスでもサイズはこれくらい。500グラムではきかないよなあ。800グラムくらいあるのかなあ。それでも食べれば食べられるもので削るように食べていたら普通に食べ切れてしまった。人間の胃袋はなかなかにタフだ。でもお腹がいっぱいになりすぎて歩くのは苦しそう。気温も上がって暑いで輪島の町を港まで行って海を眺めるのはやめて、出身という永井豪さんの記念館を観に行く程度に留めておく。しかし巨大なオムライス。ほかもデカ盛りらしいのでまた行ったら今度は特製チャーハンに挑戦してみたいものである。輪島まで行って魚介類ではなく食堂? それが挑戦者というものさ。

 お昼ご飯を食べてもやっぱり時間が余ったので、朝市をやっている場所あたりに立っている永井豪記念館を見学。向かいの永井商店で特製Tシャツを買う。何種類かあってここでしか売ってないとのこと。これは良かった。永井豪記念館は入場するとまじんがーZの人間大の人形があってそこは撮影可能。そして中に入ると原稿の原画があって「マジンガーZ」「キューティーハニー」「どろろんえん魔くん」「オモライくん」「超マン」「アイアンマッスル」なんかの原稿を見られた。「キューティーハニー」は如月ハニーがバイクにまたがってハニーフラッシュをはじめてするところ。服が消し飛び見える生な肌を生の原稿で見られる感動を味わいに輪島に行くのも悪くないかもしれない。

 館内では「超マン」とか「アイアンマッスル」とか「オモライくん」とか展覧会があってもあんまり飾ってなさそうな漫画が見られるのはなかなか良いかも。2000年代に入ってからの漫画もあって変わらない作画力を見ることができたけど、やっぱり昔のペンでカリカリ描いてベタ縫ったマジンガーZとかキューティーハニーは良いなあ。「デビルマン」はなかった。「バイオレンスジャック」もなかったけれど、永井豪展で売られていたらしい人犬が男女とも描かれたクリアファイルがロビーのショップに売られてた。というか作ったんだあの衝撃的なキャラ入りで。

 グッズ売り場は永井豪記念館のオリジナルなクリアファイルがあったりプレートがあったり鏡があったりといろいろ。輪島らしく箸もあったかな。輪島塗の。漆器のキャラクタープレートとか。もっとたくさん原稿があれば見たいけれどもスペース的にはこれは無理。いずれもっと大きな永井豪ミュージアムができてそこに収蔵される時が来ることを願いたい。輪島がたぶん第一候補だけれど遠いんだよあな、のと里山空港からバスで30分とかかかるし、それ以外だと金沢からバスで2時間がかりていくしかない。あとはレンタカー。でも行って永井豪ミュージアムだけだと寂しいので能登半島を回るとすると車がやっぱり必須か。見わたすとサイクリストやライダーもいっぱいいたので自転車かバイクという手もあるかもしれない。ライダー定食を出す店があるかは知らない。

 ジャニーズ事務所の問題についてこれまで沈黙を守ってきたメディアもやっぱり悪いんじゃないかということをメディアの人も言い出しているけれど、そこで「新聞記者」なんて映画のヒロインのモデルになった新聞記者が「私たちメディアの問題なのだ」と今になって言ったり書いたりしてちょっと辟易。「メディア人たる私の問題だった」と省みないしできない打落水狗感がどうにもこうにも苛立たしい。

 せめて疾しさを持って意を改めるフリでもしてくれたら救いがあるんだけれど、自分は安全なところからメディアを批判したところで変わるはずもない。上に登って変えようとする節もない。ただのガス抜きにしかなっていない状況をそれでも平気で受け入れていられるんだとしたら、よほど自分への愛が強いんだろうなあ。だったらやっぱりメディアの人間だった自分はどうだったのかとなるけれおd、経済記者だった頃はまるで無縁でドラクエの発表会見で誰かを見たのが唯一か。そんな場で聞けません。エヴァの会見で歴彦さんにセガバンダイについて聞いても関係ないだろと言われたくらい場違いにネットは厳しいのだ。セガもバンダイもエヴァに関わってたんだけど。


【5月17日】 テレビにつないチューナーとして使っていたHDDレコーダーがぶっこわれてもう4年近くテレビを見ていないので気づかなかったけれど、「ファンダ・メンタ・マウス」でこのライトノベルがすごい!大賞の栗山千明賞を受賞した大間九郎さんが原作を手掛けてイブニングに連載されてた漫画「超人間要塞ヒロシ戦記」がNHKでテレビドラマ化されていていたことによやく気がついた。なおかつイマドキ珍しくDVD化されるとか。買う人がいるってことなんだろう。JO1のメンバーがヒロシを演じているからそっちのファン向けアイテムって感じかな。

 しかしNHK、5年は昔の漫画をよくも見つけ出してドラマ化したものだと思うし、評判も決して悪くないとこから巧くドラマ化したんだろう。AmazonPrimeVideo経由でNHKオンデマンドで見られるので時間があったら見てみよう。評判によれば大東駿介さんが出ていて結構な難役を快調に演じているらしい。「ブレイブストーム」ではシルバー仮面になる柴俊夫と同じような役を演じていたっけ。その後も順調に役を得て活躍しているのを見るに付け、デビューあたりでインタビューした身としてちょっと嬉しい。当時から言っていた時代劇への出演も果たしているようだし。応援していこう。

 さて黒スーツ鑑賞となった「PSYCHO−PASS サイコパス PROVIDENCE」には平日昼間という時間でも10数人が集まってよっぴー吉田尚記アナの人気の程とそれからやっぱり「PSYCHO−PASS サイコパス」シリーズの根強い人気ぶりを確認する。中身自体はもう3度目なので特に増えることはないけれど、やっぱり平べったく這いつくばって必死になって落ちそうな人を持ち上げようとする常守朱が愛おしいのだった。描いた人はどうしてあの恰好にしたんだろう。やっぱり真っ直ぐでは踏ん張れないと思ったのかな。それは確かに。リテイクも出なかったってことは監督も納得のポーズなんだろう。

 来週の週刊東洋経済がアニメ業界特集ってことで、MAPPAの大塚学社長のインタビューがネットに先に上がって自分たちで「チェンソーマン」に全部出資した意味なんかを話してた。「チェンソーマン」のBDがどれだけ売れているんだろうと思ったりもしたけれど、パッケージからの収益が前ほど期待できないとなるとそちらにウエイトをかけて製造して販売する装置産業的で商社的な仕組みをがっちり組まなくても配信と外販で回してそれにグッズのロイヤリティを加えればライセンス料を払っても儲けられるのかもしれない。

 とはいえ現場のコスト管理と版権のチェックを効率良くやらないと出費は増えても収入が伸びないなんてこともあるからプロデューサーのコスト意識と版権部門の人材確保が必要か。それに加えて現場が作りたくなるような作品を持って来ないと肝心要の人が逃げるし。パッケージメーカーから依頼されて現場だけに携わっていた時代と比べるとアニメ制作会社の経営って奴も難しくなっているんだろうなあ。とはいえそれを目指して大きくなった会社では自分の将来が頭打ちだと見て飛び出すプロデューサーが会社を立ち上げ独立するケースもちらほら。1作2作は間に合っても続けていられるかとなるとこれも難しい。アニメ業界の問題はいろいろと奥が深そう。東洋経済の記事に注目だ。

 コナミデジタルエンタテインメントがついに動いた模様。サイゲームスが作っているあの「ウマ娘」に自分たちの特許が使われてるからといって40億円の賠償とそれから配信の停止を求めて裁判を起こした。サイゲームス側はそんなことないよと反論しているしコナミだって過去にすべての裁判に勝ってきた訳じゃないから今回も勝てるかどうか分からないけれど、これが通ったら目下のスマートフォン向けゲームで覇権のトップにあるコンテンツが、キャラクター市場も含めて大打撃を受けることは間違いないだろう。それこそワールドカップを全試合配信した原動力にもなっていたコンテンツ。止めないためにも賠償金を払って手打ちをするかどうなのか。目が離せない。


【5月16日】 顎木あくみさんの「わたしの幸せな結婚」シリーズが気がついたらコミック版や電子書籍版も含めて700万部を突破していたようで、ちょっと前に25万部とか言っていたらあっという間のベストセラーになっていくところに小説って表現が持つ可能性なんかを感じてしまう。もはや1000万部は確実。次の「わたしの幸せな結婚七」がいったいどれくらい刊行されるのかってあたりで、映画化に次いで世間の注目を集めるきっかけとなってテレビアニメに続くテレビドラマ化なんてことにもなっていきそう。その時も目黒蓮さんが主演を務めるかとうとそこは別にするかなあ。映画の続編は目黒さんでテレビシリーズは別の誰か。そんな2枚看板制でより広くファンを集められるならやってくるだろうなあ。

 第7巻は表紙絵がいよいよ「わたしの幸せな結婚」というタイトルに相応しい白無垢姿の斎森美世が描かれていてこれがもうとっても美しい。尊いとか神々しいとかいったレベルを超えた美しさが放たれていて表紙絵だけにしておくのはもったいないから何かグッズになって欲しいと思ったら、KADOKAWAストアでアクリルパネルがセットになったものを売っていた。調べたら過去の巻でも表紙絵のアクリルパネルがグッズ化されているみたい。揃えて並べて魅入ってって女子がいっぱいいるんだろうなあ。そうやって盛り上がっている割に、小説の世界で誰もレビューとかしないし文芸誌に取り上げられることもない。ライトノベルってやっぱりまだまだニッチなのかも。

 ヒューゴー賞と並んでアメリカのSF界でトップクラスの権威を持った賞として信頼をおかれているネビュラ賞にゲーム「エルデンリング」を手がけた宮崎英高さんと作家のジョージ・R・Rマーティンが受賞を果たしたとの方。過去に「ハウルの動く城」の脚本で原作者らと共に宮崎駿監督が受賞したことがあって、後に世界SF大会が横浜で開かれた時に贈賞のために持って来られたトロフィーを目の当たりにしたことがあったっけ。その時は方形のアクリルスタンドといった感じだったけど今もそうなんだろうか。日本じゃあやっぱり知名度が低い賞だけれども世界のSFの猛者が認めたということになる訳で、これは大いにお祝いしたい。でもやってないんだよなあ「エルデリング」。難しいんだろうか。

 8年と4ヶ月降りくらいに再開された三枝零一さんの「ウィザーズ・ブレイン」の再開分は手元にあるけど最後になった第9巻第1部が手元になかったので池袋のアニメイトまで買いに行く。もはや店頭からライトノベルのバックナンバーがどんどんと撤去されていく状況にあってここだけは「境界線上のホライゾン」が全巻リアルで揃っているくらいにライトノベルに手厚い書店なのだった。かつては秋葉原の書泉がそんな感じだったけれど今は違うんだよなあ。なのでこれからは中古でなければ新刊については秋葉原ではなく神保町でもなく池袋のアニメイトに駆けつけよう。そういえば「ブラックロッド(全)」の魔導書みたいな本はなくなっていた。売れて良かったので増刷を是非。

 そろそろ「PSYCHO−PASS サイコパス PROVIDENCE」の黒スーツ鑑賞会がありそうだって気がしたので、ユニクロに入って感動ジャケットの黒と感動パンツの黒とそれから白いシャツに黒いネクタイをまとめ買いしたら、ヨッピーこと吉田尚記アナウンサーが明日の実施を宣言していてジャストタイミングだった感じ。ジャケット7000円にパンツが4000円でシャツ4000円にネクタイ2000円と締めて17000円はコスプレセットと思えば結構な安さ。他にも着回しがきくと思えば買って置いて損はないんだけれど、太り気味でXLとか買ってしまったので昔のDCスーツみたいにちょっと寸胴になるのが残念なのだった。あのスタイルが復活することはないのかなあ。


【5月15日】 ジャニーズ事務所の問題で以前からYahoo!ニュース個人をはじめ数々の媒体で記事を書いてきた松谷創一カさんが八面六臂の大活躍。というか今になって大活躍させる前にちゃんとしっかりどうにかしていてれいばこれほどまでに燃焼しなかったと思うけれども、長く事務所としてとってきた施策を急に変えられなかったのか、変える必要もないと考えていたのか泰然自若として手を打たなかったことで外圧がかかり告発もあってにっちもさっちもどっちもブルドッグとはいかなくなった。

 これからも外部からの告発は続くだろうけれど、一方で内部からはやっぱり現役で何かされたことがあるといった声を上げる人はたぶん出て来そうもないと考えると、そういう状況には今はないと言い切りつつ過去にあった過ちを正しつつ真っ当な道を歩むので皆さんよろしくお願いします、ただしあんまり騒ぐようだといっぱい抱えているタレントはちょっと預けられませんといったことになってしまいそう。そうなった時に問われるのはメディア姿勢でだったら結構ですと締め出し干し上げることによって影響力を削ぐ覚悟があるかないか。そこが当面の分水嶺になるだろう。まあ絶対にそうはならないけれど。朝日新聞だって松谷さんを登場させつつ週刊朝日やAERAじゃジャニーズのタレント使い放題だし。

 「銀河英雄伝説」が中国でドラマ化されるかもって話でどうも権利をとった人があちらこちらに移ったことでその権利を引っさげたまま動いているみたいで、だから日本の著作権を管理している事務所の方にまるで連絡がないといった状況がちょっと前に問題になった。事務所の社長の人が聞いてないよと言ったので中国でも本家に断り無しに何をやっているんだといった声でも上がったのか、慌てて火消しに回っている様子。曰く、「わが社は長い間、著作権者を重視し、良好なコミュニケーションを維持することを前提とした作業方式に従っていましたが、今回は情報差が各方面の誤解を引き起こしました。わが社は丁重に謝罪し、同時に最善を尽くして連絡して誤りを鎮め、さらに多くの客がこの小説を愛する友人の関心と包容に感謝します」。

 その謝罪すら中国のSNS上で中国語でしか発表されていないから日本の事務所はまるで蚊帳の外。それで良いのかってなるとやっぱり宜しくないようで、いろいろと除法収集に動くことになるんだろう。こうして最初からミソがつくと最後までうまくいかないのが契約と信義の世界。長くこじれていた「ウルトラマン」なんか、ようやくほぐれたとはいえやっぱりふるいのは無理なので、ジェネレーションシリーズから盛り上げていくようになっている。そうしたしこりを残さないために担当者は日本へと来て礼を尽くして金塊を積み上げるくらいのことをしないといけないんじゃなかろうか。それで良い物が出来る保証はないけれど。何せ「銀英伝」だからなあ。物量も人材もちょっとやそっとじゃ足りないよなあ。

 LGBTへの理解促進をもっとやろうよと外国の大使たちがいろいろとメッセージをSNSに上げて日本の保守な人たちが大反発中。内政干渉だとか日本は古来から衆道が盛んでお稚児さんとかあったとか、「ストップひばりくん」のような漫画が普通に刊行されて読まれていたんだとか言って反発しているけれど、それはそうだとしても現実の世界でだったらLGBTの人たちが差別も偏見も浴びていないかという問題はまったく別の話。そこで至らなければやっぱり改善が必要で、そうしたことに過去の日本が割と寛容だたと主張する人は今もなお寛容で有り続けるべきだと賛成するかと思ったら、余計なお世話だと言いつつ反対しているからまったく訳が分からない。言われるのが嫌だというより別の思想でも入っているとしか思えない。それが何かは怖くて言えない。

 京セラがついにスマートフォン端末からの撤退を表明。思い返せばPHSのDDIポケット向けに様々な端末を使う中で、名機と名高い京ぽんとか使ったりHONEYBEEとか使ったりしてたっけ。そうした携帯通信端末の世界でつまりは優位性を持っていた企業であってもスマートフォンの端末はiPhoneが突出しつつギャラクシーやらアンドロイドやらXperiaといったところが前に出て市場を占める中、他が入り込む余地はどんどんと狭まっているってことなんだろう。せめてアンドロイド端末でバリエーションがあるだけまだ良いけれど、これでiPhoneとあと数社になってしまったら値段も高くなっていくんだろうなあ。デザインが良く機能性も高くそして安い端末よ出よ。OPPOは割と良いかな。


【5月14日】 せっかくだからと渋谷のマークシティまで行って「PSYCHO−PASS サイコパス PROVIDENCE」の公開を記念したブースに立ち寄って犯罪係数を測定してもらう。カメラに向かって佇むと勝手に測定してくれるものだけれどもどういう計り方をしているのかは不明。やっぱりどこかにシビュラシステムが仕込んであって心理状態やら過去の経歴やらを調べ上げているのかも知れない。そんな検査で出た数値が「235.34」。すなわち執行対象ではあったけれどもリーサルでエリミネーターが起動するにはちょと間があったのでとりあえずパラライザーで眠らされるだけで済んだ。ホッとした。

 まあそんなことはないけれどもそうやって楽しむイベントに結構な人数が来て行列が出来ているところに「PSYCHO−PASS サイコパス」というタイトルがしっかりと世の中に浸透していることを感じ取る。10年経ってもまだ若い人が来ているってことはしっかりと新規客を集めているってことあろう。そうした人も取り込みつつ年配者も取り込んで大きくなっていく可能性があるだけに、プロダクション・アイジーはシリーズを作り続ける必要があるんじゃないかなあ。可能ならもっとグッズを展開してそれこそ缶バッジを透明バッグに入れて歩くくらいの美少女たちをいっぱい生み出さないと。まあ狡噛か宜野座か槙島くらいしか飾られないだろうけれど。縢もかろうじてか。須郷さんもカッコ良いのになあ。

 せっかくだからとそのままタワーレコード渋谷へと行って8階て実施されている山下達郎さんのポップアップショップをのぞく。目当ての「FOR YOU」のTシャツは欲しかった白地が売り切れていたので見送り。黒地にあの鈴木英人さんのジャケットイラストではちょっと気分じゃないのだった。達郎さんのジャケットがTシャツになったものだと前にキャンペーンで展開されたものから確か「ポケットミュージック」と「メロディーズ」と「サーカスタウン」がセットになったものを持っていたはず。着る機会もなかったけれど、今度もしツアーがとれたら着ていこうかな。周りが「FOR YOU」の中で「サーカスタウン」とか渋すぎるし。

 今日も今日とて109シネマズプレミアム新宿で「KABUKICHO IMPACT EVANGELION(+ANNOTHER)映画祭」から「シン・エヴァンゲリオン劇場版」。映画祭自体は4度目だけれどこれまでで1番観客が入っていた。まだ公開がら間もないこともあって記憶している人が多いのかもしれない。あるいはやっぱり見ていて面白さが格段だからだろうか。個人的には「エヴァンゲリオン新劇場版:Q」も好きなのだけれどお話しが尻切れで続くとなってしまうからやっぱり続きとして見ざるを得なくなって見ているうちに、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」も大好きになってしまうのだった。北上ミドリのギャル台詞もいっぱい聞けるし。

 過去に山ほど見たけど109シネマズプレミアム新宿の音響で見るとやっぱり「シン・エヴァンゲリオン劇場版」も台詞の粒立ちが良くってしっかり聞き取れる上に、音楽なんかも場内に染み渡るように響いて音像の中に観客を包み込む。爆音とかとは違ってズンと響く低音も良い感じだし高音もバラけないけどやっぱり台詞の聞き取りやすさが映画を見る上で1番嬉しいかなあ。これが分からないと見ていてストレスが溜まるから。会話劇めいたところも多いだけにやっぱりそこは重要なのだった。

 意外に満席に近い状態だったこともあって、そうなった時などロビーが人でいっぱいになって座れない場合も出てくることがやっぱりある感じ。スクリーンが映画祭をやっている10階は4つしかなくてそれぞれに上映開始時間をズラしているから重なって観客が溢れることはないけれど、それでも満席が連続すると立って待つこともありそう。あとフリーポップコーンだと調子に乗って幾つも頼むガキのお子様が出て来そうなのが歌舞伎町という場所柄。トーヨコキッズは前の広場でイベントが続く関係で追い出されているけれど、観客として入り込む若い奴らの受け狙いな行動が、仕組みをハッキングして暴走しないかちょっと心配。さすがに1人にポップコーンを何個も出すことはないと思いたい。


【5月13日】 「PSYCHO−PASS サイコパス」のノベライズについて書こうと思って電子書籍がないか調べたら、ハヤカワ文庫JAから出ている吉上亮さんのもニトロプラスから出て後に角川文庫に入った初期のノベライズも電子書籍が出ていないことに気づく。せいぜいが「SS」か「3」くらい。どういう事情か分からないけれどもそれならやっぱり実物を読むしかないと調べて池袋のジュンク堂にあることが分かって取り置きをしてもらったのを取りにいく。まだ厚生省に公安局刑事課が出来る前の警視庁に勤めていた頃の征陸智己とか、後にシビュラの中になる知らない人についての情報はこれしかないので読むしかないのだった。

 あるいは本編から外れた情報はもはや不要といった考えからオミットされているのかもしれないと勘ぐってしまった。シリーズが長く続いてくると、当初はよかったこうした外伝やスピンオフが全体の設定を考える上で邪魔になって放り出されることってない訳じゃないからなあ。「スター・ウォーズ」にだって確かあったような。けれども正史から外れた邪史であっても物語として面白いのだからずっと続けて欲しいもの。いつか電子書籍化されると信じて待ちたい。

 キッチンABCでランチでもと思いつつたらふく食べ過ぎて胴回りが大変なことになって来たので、ステーキロッヂという店に行ってボディーメイクステーキ4を食べる。ライスがなくて牛肉にチキンが載っていてあとはブロッコリーだけといったセットは肉がそれぞれ150グラムあってそれにブロッコリーが100グラムのって400グラムと量的に十分。ライスがわりにブロッコリーを食べる感じでブロッコリーを足す意味も分かる。肉が硬いのも咀嚼に時間がかかって満腹感を誘うためか、安くするために硬い肉を使っているのか。どっちにしたってこれだけ食べて居続けられば相当に痩せそうだけれどそんなお金はないのだった。1日1食をこれで行くことができたらなあ。船橋にはないけど市川になるんで通って見るか。

 今日も今日とて109シネマズプレミアム新宿で「KABUKICHO IMPACT EVANGELION + Another 映画祭」から「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q EVANGELION:3.333 YOU CAN (NOT) REDO.」を見る。前目の席だけど音は割れずセリフが粒立って聞こえてくるのは「シン・ゴジラ」あたりと同様。冒頭のジェットソンまでの通信機器を使ってのやりとりもしっかりと聴き取ることができた。絵の方も綺麗て隅々までくっきりで上映環境の良さについてはやっぱり新しい映画館だけのことはある感じ。巨大なスクリーンでなくても前目ならそれなりに迫力も味わえるのだった。

 シートは前にスライドして背もたれが傾くタイプだけれども薄っぺらくない革張り風で見ていても尻にまったく来ない。これで寝ないのはやっぱり映画に見どころがたっぷりでどこも見逃せないからだろう。いや寝るのが「Q」だろうって言われそうだけれど僕は実は「Q」が大好きで、最初の公開時も何十回となく劇場に通って見たのだった。今回もせっかく見られるのならと行った次第。これで「キューティーハニー」「シン・ゴジラ」と逢わせて映画祭から3本を見てステッカーを確保、ってキービジュアルそのままでサブカルっぽくないけどこれもまあエヴァグッズってことで。

 今回は珍しくドリンクにポップコーンも付けてコンセッションでポリポリ。手に取って口に運ぶ動作が結構面倒臭い上に、取る時にかさかさと音が立つのはどうにも避けられそうにもない。なので僕は中では食べないのだった。でも量的にはたっぷりでこれがタダでつくならお腹が空いている時には嬉しいかも知れない。まあリバイバルで2500円だからそう思うだけで、4000円だと高いと思うだろうなあ。いずれにして良い音響の劇場に持ち込まれたポップコーンをもしゃもしゃと喰らう音が響くというカオス空間でもあったりしてどうなんだろう。もうちょっと別の音が立たずに食べられるフードを提供すれば良いのに。ういろうとか羊羹とかくず餅とか。


【5月12日】 目が覚めたので池袋まで出向いてグランドシネマサンシャイン池袋のBESTIAでもって岩浪美和さんの手が入った音響で「PSYCHO−PASS サイコパス PROVIDENCE」を見る。2回目だから内容はだいたい分かっているけれどもやっぱり国家が巡らせる陰謀というものの奥深さが感じられてなかなかに怖くなる。そんな場に身を置きながらも失敗をせず順調に地位を上げていった慎導篤志は当人が相当に憂愁だったのだとしても、その優秀者を買ったシビュラシステムが上手く活用したとも言えるだけに果たしてどこまで本人は納得してやっていたのかが気になってくる。

 同じような立場に常守朱を引き上げようとしていたのだとしてもそんな立場に甘んじて諾々とシビュラシステムのやりたいように動くとは思えないし、実際にそうなった訳でそれを予期できないシビュラシステムでもないのだとしたらやっぱり何を狙っているのかをいろいろと想像してみたくなる。人間というある種予定調和に収まらないカオス的な要素を混ぜることによって柔軟だけれど壊れにくいシステムの構築を目指しているのかどうなのか。この映画で外部的なシステムを加えそして「PSYCHO−PASS サイコパス 3」でもう一つシステムをくっつけて完璧になったシビュラシステムが作ろうとしている世界で常守朱に何を求めているのか。その行方を知るためにもやっぱり新作は作られて欲しいし作られるべきだろう。まあ作るんじゃないかな。待とうその発表を。

 しかしやっぱり冒頭あたりで慎導篤志を横に乗せて車を運転する常守朱の口の憮然としたような表情が面白い。たまたま角度でそう見えるだけなんだけれども口を突き出しているような風情があってちょっと可愛い。あとはやっぱり落ちようとする人を引っ張り上げようとして這いつくばった常守朱が脚を広げて自分を支えているビジュアルか。カエルみたいって行ったらシチュエーション的に怒られそうだけれどもやっぱり見ていて少しおかしい。花城フレデリカは本当に強くてテロリスト相手に互角に戦えるあの格闘技術は誰から学んだんだろう。何かしら発明をしている霜月美佳はもしかしたら公安局刑事課のイデ隊員なのかもしれない。ってことは次に作るのはスパイダショット型のドミネーターだろうか。「こんなこともあろうと」と取り出すんだろうか。

 夜になったのでTOHOシネマズ日比谷へと向かい新海誠監督の「すずめの戸締まり」の舞台挨拶付き273箇所リテイクバージョンを見る。2000箇所あるうちのほとんど1割以上がリテイクされているってことになるけれど、気がつくかというと見ている間はあまり気づかないのだった。でもって舞台挨拶で登壇した新海監督が、マスクを一部につけたと話して、そうだったのかど理解した。当初はコロナがどう収束するか分からずそれならマスクはなしの方向で行ったけれど、物語の舞台となっている2023年9月の設定ということでその時期にマスクを外している人もいるしつけている人もいる状況になっているだろうと見えてきたからそうしたとか。実際にあった3.11を描いた映画でコロナも描かないわけにはいかないといった理由もあったとか。今はその予想が当たることを祈りたい。

 ほかの違いは見て分かるかとうと覚えてないから分からないけど、全体にディテールがより細かくなっているような気がする。すずめの部屋ってあんなに散らかっていたっけとか、気づいていなかっただけかもしらないけれどもそう思いたくなるくらいに全体の”解像度”が上がってた。動きについてはTwitterに紹介されているようにリボンとかポニーテールが自然に動くようになったとか。風景における光もより込み入ったような気がしたけれどこれも元からかもしれない。最後の大怪獣バトルでサダイジンがミミズに飛びかかるシーンで毛は動いても本体はあまり動かしてなかったのをしっかり動かすようにしたとも話してた。まあ比べて分かって凄いと思うより先に、映画自体の凄さが改めて伝わってきたので気にする必要はないのかもしれない。


【5月11日】 どんどんと部数を下げている一応は全国紙を名乗っている新聞に、米大統領選で虚言を吐いたシドニー・パウエルを讃えドミニオン不正を疑うリポートを垂れ流して後も省みないジャーナリストというか実のところは扇動家に近い人物を、ジャンヌ・ダルクと持ち上げた記事が載っててやれやれ感がグッと増す。夕刊紙のみならず本紙で取り上げ持ち上げるところにまで来てしまったというか。書いた那覇支局長が教科書問題で慣らす記者だから当然の内容と言えば言えるけれど、少し前の那覇支局長が沖縄の新聞を叩きたいばかりに米軍を持ち上げる記事を確かめもせずに乗せて問題になったことを省みている節がないことにも厄介感が募る。このまま突っ走っていくのかなあ。いくんだろうなあ。その先は?

 小学校の時の同級生が日本テレビ放送網の執行役員に昇進していた。すでに報道局長ではあったけれど重役となったことで重役出勤も可能になるかとうとそうはならない日本の会社。きっといろいろ大変だろうなあ。NewsZeroのキャスターが話題のジャニーズ所属タレントだったりすることもあっていろいろと突っ込まれることもありそう。というかNewsZeroって報道局が仕切っているんだろうか、それとも制作局の情報番組班? テレビの報道が問われている時だけにその舵取りをしんちょうにやっていかないと、大手メディアの武器たる信頼性が損なわれてネットメディアと同列に見なされてそして真っ当な報道が消えてしまう危機も見え隠れするから。NHKに対抗できる報道を作ってくれい。

 名古屋にあるミニシアターの名古屋シネマスコーレが閉館とかでちょっと寂しい。実は行ったことがなくてどういう映画館か知らなかったりするんだけれど、かかっていたプログラムはミニシアターならではの知性と教養があったり社会の隙間をつくようなものだったりと、見ていればいろいろと勉強になったものばかり。ここでいろいろな映画を見て映像作家を志した人もきっといるんじゃなかろうか。それだけに残念。名古屋にはまだシネマテークがあるけれど、ここもいつまで続くことやら。大須シネマはミニシアターだけどエンタメ寄りな感じだからなあ。ミリオン座に期待か。

 それにしても名古屋シネマスコーレがある今池界隈の寂れ具合がやっぱり気になる。地下鉄の東山線とそれから桜通線が交差するターミナルでもあるし一時期は栄と並んで歓楽街でもあったんだけれど核となる建物とかできないままユニーはなくなり人が集まる要素が消えてただの街角になってしまった。東京だったら栄が新宿で今池は池袋だった感じなのに池袋が文化を打ち出しグッと伸びた一方で今池は何もない状態。ここで頑張って再開発からの再生を打ち出すとしたら何が必要だろう。文化施設だろうか。アニメイトだろうか。シネマコンプレックスだろうか。いずれにしても再開発が進まないとなあ。どうしたものか。どうしようもないものなのか。

 水島努監督が「ガールズ&パンツァー最終章第四話」のアフレコがほぼ終わったとつぶやいていて、公開に向けて確実に進んでいることが分かってとりあえず安心。その後にもまだ続きが控えているとはいえ、こうして1歩1歩クリアしていかないと進むものも進まないのだ。本当だったらもっとポンポンとそれこそ半年に1作は上映されてくれた方が見ている側としても興奮を忘れないうちに盛り上がれるんだけれど、そうやって数年が盛り上がったところで後はシュンとなるのが今のアニメーション事情。だったらここは長期戦で挑んで冬将軍を味方に付けて越冬しつつ長い年月を戦い続けた方が、関心も引き延ばせて興味を誘い続けられるのかもしれない。これと「プリンセス・プリンシパル」の完結をとりあえず楽しみにしてしばらく生きていこう。庵野秀明監督の“次”が動き出したらそれも加えて。生きる希望が湧いてきた。


【5月10日】 日付が変わると同時にアクセスをしたTOHOシネマズ日比谷のサイトでどうにかこうにか新海誠監督の「すずめの戸締まり」の舞台挨拶付き上映回のチケットを抑える。みるみるうちに座席が埋まって5分も待たずに確か完売になったんじゃなかろうか。すでに何度も観ているけれど、今度のはパッケージ用に273カットだかがリテイクされているそうで、どれくらいのグレードアップしているか、それをどのような意図で行ったのかを見て聞けるなら行くしかないのだった。すでに結構な額を稼ぎ出しているけれど、最後の最後にこれだけのネタをぶっ込んでくる。凄いなあ新海誠監督は。

 一方で「SYCHO−PASS サイコパス PROVIDENCE」の上映初日のチケットを、岩浪美和さんが手掛けたサウンドが聴けるグランドシネマサンシャイン池袋のスクリーンで取る。さすがにIMAXスーパーGTの巨大なスクリーンではないけれど、それなりなサイズがあって音響も良い場所で見られるのならこれは行くしかないのだった。最前列で横たわって見られるシートなんで寝ちゃわないかが心配だなあ。まあすでに1度見ているので寝ても平気っちゃあ平気なんだけれど、でもやっぱり見たいのだ、はいつくばった常守朱の頑張るシーンを。そういうシーンがあるのだった。

 高見のっぽさん死去。僕らの世代だと高見映さんという芸名の方が浸透しているけれど、でもやっぱりのっぽさんのと呼ぶ方が早いから高見はなしでのっぽさんで芸名にしてくれていた方が分かりやすかったような気がするかもしれない。NHKのEテレがまだ教育テレビだった頃から「できるかな」という番組に登場してパントマイムでいろいろなものを作って見せてくれた。その工作魂に打たれてエンジニアの道に進んだ人もいれば、パントマイムに惹かれて演劇に進んだ人もいるかもしれない。後世への影響力は計り知れないけれど、それで賞とかをもらっていないところがまた日本という国の文化行政の不思議を覚えるのだった。伊丹十三監督「タンポポ」でオムライスをできるかなしてくれたのも良かったなあ。また見たくなって来た。合掌。

 書評を書かなくちゃいけなと「魔法科高校の劣等生シリーズ」の最新刊を読みつつ池袋まで出てアニメイト池袋本店で古橋秀之さんの復刊なった「ブラックロッド」を買う。真っ黒の表紙に何も書かれていない背表紙ながらもすぐに分かるのはそれこそが「ブラックロッド」だという雰囲気を醸し出していたから……ではなくそういうものだと知っていたから。知らなければ何だろうと思っただろうなあ。電撃文庫版はもちろん持っているけど部屋のどこかに行ってしまって出てこないならやっぱり買うしかないのだった。和製サイバーパンクの金字塔にしてライトノベルの古典的名作。可能なら前のイラストも込みで単行本になって欲しかったなあ。

 外に出て天丼が美味しい羽田市場食堂に寄ろうとしたらもう閉まっていた。何故だ。残念だけれどそれが商売だから仕方がない。仕方ないので少し歩いて丸富食堂でサバ塩を食べてサンシャインの下にある無印良品の食品販売店で100円珈琲を飲みながら原稿を途中まで書きあげる。電源も取れてそれでいてあまり人が居ない東池袋ではお薦めスポット。でもだんだんと知られて人がずっといるようになるのかも。弁当お美味しそうだったので今度は買って食べてみよう。

 そこから船橋へと戻って「魔法科高校の劣等生シリーズ」の最新刊を読み終えて地元のVELOCHEで原稿を仕上げて送ったので今日は寝よう。いやもう2本週内に仕上げないといけない原稿があるのでそのための構想を練るのだった。この歳になってちゃんと以来があるのは有りがたい事であります。そんなこんなで浮かんできたのは、「シン・仮面ライダー」のチョウオーグが森山未來さんではなくて三浦大知さんだったらやっぱりラストバトルは舞踏風ではなくブレイクダンス風になったのだろうかってこと。舞うように戦うチョウオーグの技を正面から撮りカットを切り替えて吹っ飛ぶライダーを撮る斬新すぎる格闘シーンが可能なら、ダンスバトルもありなんじゃないかなあ。などと。


【5月9日】  ゲーム関係のイベントには必ず出ていたコンパイルのショップで売られていた懐かしの「ぷよまん」が復活するとか。仁井谷さんが落剥した時にこれを売って復活するんだめいたことをしていたような記憶があるけれど捏造されたものかもしれない。あるいはゲーム会社が自社IPをキャラクターグッズとして展開していくひとつの道筋を示したものだと言えそうで、ここからコナミが「こなみるく」ってショップを展開してグッズを作り、ナムコもあれやこれややっているうちにバンダイと一緒になってもはやグッズが大きな産業になるくらいになってしまった。その道を拓いた「ぷよまん」のお味はさてはて。まあもみじ饅頭なんだけどね。

 3回観るとステッカーか何かもらえるので2回目として109シネマズプレミアム新宿で開催の「KABUKICHO IMPACT EVANGELION + Another 映画祭」から今日は「シン・ゴジラ」。観るのはいったいどれだけぶりになるんだろう。蒲田の映画館が閉まる前くらいに見た記憶があるけれど日劇東宝が締まる時に見たような記憶もあってちょっと曖昧。いずれにしても久々のスクリーンで観た『シン・ゴジラ』はやっぱり面白いというか隅から隅まで完璧な映画というか。観たかった展開を観てみたかった役者たちによって見せてくれたという意味でこれほどまでの邦画体験はなかなかないような気がする。

 そんな「シン・ゴジラ」だから109シネマズプレミアム新宿ではスクリーンが巨大な訳でもドルビーシネマのように黒が違う訳でも音が爆音という訳でもないけれど、音がとても粒立っているような気がして『シン・ゴジラ』にとって最大の売りともいえる役者たちの台詞が端々までくっきりと聞き取れた。元より上手い役者たちが集まった映画だから台詞が棒とか滞るとかってことはないんだけれど、そんな声がしっかりと耳に伝わって何を言っているんだろうという疑問を抱く場面が欠片もなかった。

 それが劇場の仕様なのか映画自体が割としっかりと作ってあったのか比べるスベがないんだけれど、今改めて観てそうしたストレスを感じないという意味ではやっぱりそれなりな設備を整えていそう。そういう映画館が例えば爆音系とかにどれだけ対応しているかは気になるところで、「ガールズ&パンツァー最終章」とか上映して欲しいんだけれどあの高級なラウンジにパンツァーフォーなメンツが集まるという光景も想像がつかないだけに上映があるかどうかはちょっと不明。だってミラノ座はエヴァンゲリオンの聖地だったじゃんと言えば言えるけれどもそれは四半世紀も昔の話。今の歌舞伎町はそういうのとは違うのだった。

 3回行くとスタンプも埋まるので次は「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を観に行きたいところ。あるいはもう1回「シン・ゴジラ」を観てもいいかなあ。実は序破よりも好きな「エヴァンゲリオン新劇場版・Q」という手もあるかもしれない。ジェッソンな冒頭の宇宙をバックにした通信がどこまでクリアに聞き取れるのかに興味がある。あるいは「王立宇宙軍 オネアミスの翼」。ちょっと前に観たばかりだけれど改めて観るというのも手かも知れない。宇宙の静けさの中からシロツグが喋る声がどのように聞こえるのか興味があるし、何よりサカモトサウンドな映画館でサカモトサウンドを聴けるほとんど唯一のアニメーション映画でもあるし。



 帰宅してbayfmで「9の音粋」を聞いていたら、出演している海蔵亮太さんが楠瀬誠志郎さんの「ほっとけないよ」を聞いてすぐにあの独特のサビをまんま再現してのけてやっぱり凄いシンガーだと思った。すがすがしい声でもってすがすがしい歌を唄う人。それでいて身長が188センチもあるというんだからちょっと凄い。ライブでステージに立つとどんな感じなのか興味が出て来た。中京大学法学部卒業という経歴も。どちらかといえば体育会系のイメージがある学校だけれどこれでなかなかどうして、「愛はかげろう」の雅夢の2人、三浦和人さんと中川敏一さんは中京大学の学生で結成されたポップデュオなのだ。「雅夢」という喫茶店名からグループ名が付けられたそうだけれど行ったことはないなあ、雅夢。今もあるんだろうか。ともあれ海蔵亮太さんは凄いので気にしていこう。


【5月8日】 体験しないまま異論ばかり唱えていても意味が無いので、109シネマズプレミアム新宿で「キューティーハニー」を見ることにする。高い高いとは言われているけれど、リバイバルということもあって会費1000円を支払えばコンセッション付きで2500円となるからポップコーンにドリンクが800円と覆えば1700円で見られることになる。会費を5分割で乗せても1900円なら普通のお値段。それでイーブンになる。

 なおかつロビーにイスがあって座れる! これ重要。最近の映画館ってロビーの椅子が少なくてそこで待つな時間ぎりぎりに来い的な対応でもてあますことが多いのだった。ここは座れる上にウエルカムなコンセッションがあってソフトドリンクだのポップコーンだのをもらえるのだ。なるほど年寄りにはこれは優しい映画館。そして場内の椅子も革張り風雨でゴージャスでリクライニングもして左右も広く取ってあってゆったりと見られてありがたい。

 そして観た庵野秀明監督による「キューティーハニー」はなんだこんなに面白かったんだと改めて思い知った。「『シン・仮面ライダー」よりネタがポップに扱いやすい分コミックやアニメのオーバー気味な表現がわんさか詰め込まれていて、観ていて心底から愉快になれる。悩んではいても悩みすぎないヒロインは悩み続けている本郷猛とはまるで正反対。誰かを求めて止まないところも孤独を求める本郷猛とは違ったキャラクターでそれを佐藤江梨子さんによるはっちゃけた演技によって根っこからしっかりと表現してくれていた。

 あと「シン・ゴジラ」の憮然とした雰囲気がすっかり板についてしまっている感もある市川実日子さんが夏ちゃんとしてもう可愛らしくって可愛らしくって観ているだけで楽しくなれる。感情を抑えた「シン・ゴジラ」とはちがって憮然とはしていても悔しさだとか憤りだとかが滲んだ声音。でもってアクションも時にど派手で居並ぶ上司の警官あいてに脚をどしんと机に載せる場面なんかは格好良くって涙が出た。

 そうした演技の飛びっぷりは「シン・仮面ライダー」のサソリオーグといったところだけれど揃った役者が及川光博さんや片桐はいりさんや新谷真弓さんといった突拍子もない役者ばかりなので弾けて振れまくっててそれに比べればサソリオーグなんてまだまだおとなしい部類。なのに目立ってしまったのはあの雰囲気にぶち込んでしまったから。ああいったコメディタッチの場面をもっと折り込めば「シン・仮面ライダー」ももう少しだけ観客に近づけたかもしれないなあ。

 観て驚いたのがコバルトクローの多足ぶりがクモオーグと同じだったこと。レザーのジャケットにいっぱいついたファスナーからにょきにょき生えてくるのを既にやっていたのを忘れてた。シスタージルの秘書役を演じた手塚とおるさんは喋り口調はコウモリオーグそのままだけれどまだ若さもあって艶々していて怪しげな感じが炸裂。「ラブ&ポップ」の不穏な青年とも違った生命感が漂っていた。

 篠井英介さんはやっぱりうまくて今のそれと知らない人が観たらシスタージルは女性が演じているンじゃないかって思いそう。及川ミッチーは及川ミッチーとしかいいようがない及川ミッチーぶりをみせてくれた。片桐はいりさんの安定感がやっぱりとっても素晴らしい。あとは松尾スズキさん。こっちではちゃんと松尾スズキさんっぽさを見せてくれていた。「シン・仮面ライダー」のあれは松尾スズキさんじゃないものなあ。いずれにしてもやっぱり1番は夏ちゃん市川実日子さん。パンツスーツに眼鏡の女性刑事ぶりを我が物とするためにBDを買い込む時期かもしれないなあ。

 ヤングチャンピオンにおける「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」に対する柳下毅一郎さんのレビューが話題沸騰。自分には関係ないのでレビューで星はつけないけれど、6歳以下なら見て良いんじゃないかといった言い方にカチンときた人が続出で、ネットでゲームを知らない評論家が語るならゲームくらいやって来いとかいった反論なんかでネットがあふれかえった。そういう意見があるのも分かるし、アメリカなんて評論家が酷評する一方で観客が最高の得点を与えた乖離が話題になっていたりするから状況は日本以上。対して柳下さんは自分の評価の範囲外だからレビューしないと断っているんだからまだマシな気がする。

 実際のところ、アクションゲームにストーリーを付けてアクションアドベンチャーに仕立て上げたものをさらに映像化したようなところがあって、映画というよりゲームムービーだといった状況に対して映画を要論する人が口を挟む余地がないといった考えを持てば柳下さんのような書き方も仕方がないと言えば言えるんじゃなかろうか。だったらせめてゲームについてやりこんでから語れという意見については、それが長いシリーズ物の1本だったら情報は入れておいた方が良いというのも分かる。でもこれが最初の映画だったら見て何もバックグラウンドを持たない人でも分かるようにしないと映画じゃないっていう意見もやっぱり分かる。

 すでに世界の大勢がゲームをやっていてゲームに関する想い出があってその記憶が映像となって繰り出されてくれば、共通体験だといった気持ちで好意を寄せることができるだろう。それが別の事件だったり恋愛といった体験だったのが過去の映画だったのだとしたら、ゲームの中でも屈指の人気ゲームだったところにこの作品も同じように映画の文脈で評価しても良いような気がする。そして知らない人がたまたま映画評論家だったことで自分には評価できないと言ったことが酷評だと捉えられて騒動になっただけって感じがしてならない。難しいなあ評論家って。

【5月7日】 バシャバシャと激しい雨が降っていたけれど、夜にイオンシネマ幕張新都心でULTIRAスクリーンの最後の上映があって「ガールズ&パンツァー最終章第3話」が上映されるのと同時に音響監督を務めた岩浪美和さんのトークイベントがあるので出かけて行く。何しろ終映が夜の12時を越えてしまって帰れなくなるので、いつものアパホテル東京ベイクルーズに部屋を取って夜に備えるのだった。まずは海浜幕張まで行ってカフェふぇしばらく原稿仕事。それから移動してホテルに入って部屋を確認すると、何とシングルのはずがツインにアップグレードされていた。

 元々はプリンスホテルだっただけに部屋によってはゴージャスなんだけれど、一方で西と東に新たにホテルを建てたのでそちらの部屋だとアパ規準。どっちになるんだろうと思って前に言った時もセントラルタワーに部屋ととってもらって結構眺めが良かったけれど、今回はさらに階が上になって眺めは最高……だったはずなんだけれど大雨で窓の外は煙って東京湾もマリンスタジアムもよく見えなかったのだった。晴れた日だったら綺麗だっただろうなあ。まあだからこそのアップグレード、部屋が広いことだけで喜ぶのだ。

 しばらく仕事をしつつ夕方になったので食べに出ようかと思ったものの、雨の中だと面倒なので下にあるコンビニエンスストアでパンとかサラダとか買ってかき込むに留める。節約節約。そして時間になったので歩いてイオンシネマ幕張新都心まで出かける。途中の幕張メッセが何かアイナナ関係のイベントを開いていたみたいで、コンコースを歩いて通り抜けられたので雨にもあまり降られずにすんだ。前はイベントなんかで良く来ていたけれど最近はあまり来てないなあ。いやバーゲンにはよく来るか。ライブは前のワルキューレが幕張メッセだったけれど次は有明アリーナなのでメッセには来ないのだった。音響どっちが良いかなあ。席はどこなんだろう。チケット出して来ないと。

 そして上映された「ガールズ&パンツァー最終章第3話」はプロスペラが登場して「うちには魔女がいるんだよ。彗星の魔女が」と言ったとか言わないとか。あんこうチームが撃破されて果たして試合はどうなるだろうと期待を抱かせて幾年月、いよいよ続きも見えてきたけれど、ちゃんと公開されるかどうかはまだまだ未定。そして公開された時にイオンシネマ幕張新都心ではどんなスクリーンで上映するのか。IMAXに入れかわるそうだけれど「ガールズ&パンツァー」にIMAXはないからなあ。でも音響を活かしたアレンジを岩浪さんがやってくれると思いたい。

 さて上映後の岩浪美和音響監督のトークは元支配人も登場してトラメガでもって煽ってくれて懐かしかった。そして映画館と音響の未来について色々聞けてよかった。詳細は秘して漏らさずだけれど夢として語られた日本の映画館の音や環境を良くしたいという思いには心から賛同したい。というか新宿に新しくできた109シネマズプレミアム新宿が5000円とか6000円と言った値段で超グレードの環境を整えているけれど、それはハイソな人しか素晴らしい環境を得られないということになってしまう。これはなかなか厳しいものがある。

 せっかく岩浪さんが頑張り現場の支配人たちも頑張り映画を作っている人たちも頑張った成果として、今のULTIRA&ドルビーアトモスがありちょい高いけれどもIMAXやドルビーシネマがあってそれでそれなりの音響や映像に浸れるのだから、他の劇場ももうちょっと音響に気を配って調整を行いさらに良いものにすれば、すくなくとも音響にちては倍以上の値段を払わなくたって最高の環境に身を浸せる。高級な施設を持ち上げて言い音響はそこでした楽しめないとなってしまっては、享受できる環境に断絶が生まれそして映画は足元が崩れてしまいかねない。岩浪さんの頑張りを応援してそうした頑張りに答えた映画館を応援して映画を応援することで僕たちでも最高の環境で最高の映画を観られるようにしなくてはいけないのだ。

 終わって劇場を出るとULTIRAをバラしてIMAXに変えるための工事の準備をした作業員がロビーに集まっていて本当に最後の最後なんだと伝わってきた。寂しいなあ。ただULTIRAのスクリーンにあったトリプルサブウーファーは別のスクリーンに映して使いたいようなことを話してたので、あるいはそちらで「ガールズ&パンツァー最終章」の続きも爆音で見られるかもしれない。期待しよう。やっぱりバスはないので歩いてホテルまで。雨も小降りで良い感じに夜の幕張を楽しめた。ビルとかないし人通りもないので女性がひとりで歩くのは危険そうだけれど、何もないのであまり人も寄りつかないのかもしれない。戻ってツインのベッドで寝るぞ。いや1つしか使えないけれど。ダブルだったら良かったかな。


【5月6日】 朝のドラマの「らんまん」で主人公になっている牧野富太郎の記念館的な植物園が高知県にあるというのは分かる。その高知に生まれて首相となりながらも東京駅で襲撃されて亡くなった浜口雄幸の生家を元にした記念館が高知にあるというのも分かるけれど、そうした話を枕に安倍晋三元総理が襲撃された奈良の地に花壇しかないのは何事だってイキる一応は全国紙の朝刊1面コラムの主張はまるでさっぱり分からない。浜口総理だって東京駅にはプレートが埋め込まれている程度。それと比べるなら花壇なんて豪華も豪華だろう。記念館は生家に作れば良い訳だし。でもそれだと地盤にしていた山口には何にもできないんだよなあ。育ってないからなあ。だからやっぱり殉難の地に作りたがるのかなあ。

 何年かぶりにリアル開催となったSFセミナー2023へ。「TRIGUN STAMPEDE」でストーリー原案を手掛けたオキシタケヒコさんが登壇して、どれだえけの設定を細かく行ったかってことと話してくれた。例えば「トライガン」は続いていく物語であるのだけれど、二重太陽の星系では普通は長く続かないので長く続く二重太陽の設定を考えたとか。それを武藤健司監督らにプレゼンしたけど作画には無関係だから笑顔で眉間に皺を寄せられた話に涙した。それでもやってしまうのがSF者なんだよなあ。

 他にもオキシタケヒコさん、GUNG−HO−GUNSの一人ひとりにまで過去の設定を細かく作っていったとか。そうしたとてつもない作業についてサプライズゲストとして登壇した原作者の内藤泰弘さんが、せっかくなのでお金に変えようよといった話をしていた。原作者のお墨付きも出たってことはオキシタケヒコによる設定原案めいたものがまとまって出ることもあるのかな。読めばアニメーションのSF設定がどういうものかを知れるチャンス。製作委員会関係の処理もあるんだろうけど原作者が良いって言ってるんだから出そうよやっぱり。

 残ってウダウダすることもなく総武線で中野へと向かって中野サンプラザへ。ここだからこその革命的ブロードウェイ主義者同盟を聴き、生産、団結、反抑圧を叫ぶ意味を感じ入った上坂すみれさんによる「さよなら中野サンプラザ音楽祭 上坂すみれ革ブロ総決起集会〜帰ってきたファイナル!!〜」は声出しもOKになって同志諸君のコールもそろってなかなかの見応えがあった。

 直近では立川ステージガーデンで少し前にもライブはやっているけれど、今やトップ声優でありアーティストとなって人気キャラクターを演じキャラソンも主題歌も多く出して格としては水樹奈々さんや坂本真綾さんに続くあたりをいってそうな人気者となってあんまりオタク的サブカル風味の姿を見せられない感じになっていそうな中、デビュー以来の古巣ともいえる中野サンプラザではアングラで暗黒な雰囲気をまとってどこかアブない上坂すみれを見せてくれたような気がした。

 カメラも入っていなければ映像化もないライブはステージセットも金属製の柱が立っているだけのシンプルなもの。そこに過去のステージで着たり、過去にクリアファイル向けに着た衣装を持ち出してきて歌うは『波打ちぎわのむろみさん』やら『鬼灯の冷徹』やらといったデビュー近くのハードだったり不思議だったりする楽曲を歌って革命的ブロードウェイ主義者同盟をうたい文句にしていた時代を思い出させてくれた。

 この革命的という言葉も「生産」「団結」「反抑圧」というスローガンもロシア趣味の上坂すみれさんによるオタクアレンジされたロシア趣味といったところで今のこのご時世でロシアギミックの使いづらさも言われる中でしっかりと持ち出してきてくれたところに、中野サンプラザを主戦場にそうしたギミックで誘い煽ってファンを得て育っていったことを忘れてないし捨てる考えもないことを示してくれた。まあ立川でもやったようなのでこれは捨てられないといったところか。

 「うる星やつ」のカバーソングとかも聞かせず古めの曲を中心に聴かせて消えゆく中野サンプラザを追悼した感じもあったライブは2時間半を超えてアイドル声優アーティスト的なポジションにいるにしてはの充実降り。観客とのコミュニケーションも密に行い幕間の映像も遊びが十分。メイド喫茶意に言ってウイスキーをロックで頼む姿を見せるアイドルなんてそうはいないよなあ。そんな態度がよく似合った中野サンプラザを失って見目の良い箱でライブを続ける中でそのギミックというか心境も変わっていくのか。足を開き気味に踏みしめて歌うような力強さは失われてしまうのか。それはないと思いたいけど人気ものだし周囲はどう使おうとするのか。眺めていこう。


【5月5日】 「ルパン三世 カリオストロの城」が日本テレビの金曜ロードショーで放送されるということで、見どころなんかを紹介する記事を書く。というか何度も何度も見返して、自然とほとんどの台詞が頭に入っている人にとってはいっしょに台詞をつぶやくのが習い性になっていて、それを家人の咎められる人も多いのだからいっそ映画館で台詞に被せて台詞を言うのをアリの発声上映でも開いたらどうなんだって話。自分で言うのは良いけれど誰かに言われるのは腹立たしいという気持ちはあるものの、そこは我慢で皆が一緒に言えば怖くないと思うしかない。

 「天球の城ラピュタ」で「バルス」に匹敵するような言葉があるとしたらやっぱりラストの銭形警部による「あなたの心です」で、それを全員が唱和する不気味さはあっても楽しさもありそうで1度くらいは実現してもらっても嬉しいかもしれない。「国営金庫の大金庫からかっぱらんたぞ」「ゴート札だよ」「ゴート札、幻の偽札というあれかあ」「国営カジノにまで出回ってきたとはなあ。よおし次元、次の仕事は決まったぜ」ってあたりなど、自然と口をついて流れるように出て来そうだけれどこれも2人の台詞を1人が喋り続ける違和感がある。

 いっそだったらルパンはルパンで次元は次元で不二子に銭形にクラリスの伯爵となりたい役を決めてもらってその時だけに声を出すようにすれば喧騒も避けられそう。ただし五ェ門だけは台詞が10とかそんなものなので、喋る回数が少なくムズムズしそうだから他との兼ね役を認めるようにするしかないかもしれない。ジョドーあたりか。あるいはカール、ってカールに台詞あったっけ。でも五ェ門は五ェ門で「可憐だ」「今宵の斬鉄剣はひと味違うぞ」は誰もが言いたい名台詞だからなあ。ストイックならストイックさを体験すると言う意味で五ェ門役は堪え忍びつつここぞという時の発生を頑張ってもらうしかないのかも。

 久々にコミティアへと行ってあちらこちらをうろうろ。多分有名な漫画家さんとか出ているんだろうけれど、買っても読まないのでとりあえずマンガ大賞2023を受賞したとよ田みのるさんのブースに行って受賞を喜ぶコメントなんかが載った同人誌を買ったり、アニメーション作家の沼田友さんのブースによったりして全体を見わたす。irodoriも出てくれていたら嬉しいんだけれど、すっかり引きこもりになってしまったのかそれとも長編作品に向けて鋭意制作中なのか出て来てはいなかった。「眼鏡」とか「まろまゆ」とか「ケムリクサ」とか昔の同人アニメーションはもう売らないのかなあ。傷は深いなあ。

 食べ過ぎだと分かっているけど食べないとストレスが溜まってしまうから仕方がないと、スパゲティシリーズで上野のぱすたやまで行ってカレースパを食べる。大盛り。ここん家はロメスパとはいえ他みたいに茹でたものをストックしておく感じではなくって、割とゆでたてに近い細くて腰のある麺をつかって出してくれるからかみ応えとかあってなかなかお腹に溜まるのだった。それって太る要因じゃんとか思うけれどもしゃあなしだ。これでとりあえず転戦は終わり。本家のリトル小岩井もジャポネも大型連休中ではやってないのでまたいつか。

 能登で最大震度6強の大きな地震があったみたいで、近く能登に行く用事もあるだけに少し心配。取材先が被害を受けると取材そのものもなくなってしまうし申し訳も立たないのでやっぱり平穏であって欲しい。震度の割に全体に被害も少なかったようで何か大規模な山崩れが起きたとか家屋が倒壊したとかってこともなく輪島塗りの工房が壊滅したってこともなく軍艦みたいな形をした岩山が崩れ落ちたってこともないのは震度の割に長く続かなかったからなのかも。東日本大震災は東京あたりだと震度事態はそれほどではなくても揺れる時間がとにかく長くで被害が出た。そういう地震には二度とお目にかかりたくないけれど、地震列島に住んでいる以上はいつかはと思いつつ今は安全こそ第一ちった気持ちで能登での地震が起こらないことを祈ろう。


【5月4日】 スパゲティづいていたので品川駅にある関屋スパゲティというところまで出かけて行ってロメスパをかきこむ。リトル小岩井なんかと比べると油が少なめで麺ももう少ししゃっきりとした感じ。でもってベーコンなんかがしっかりと乗ってなかなかに美味しく食べられた。値段はややするけれども最近はだいたいそんな感じになっているというか、リトル小岩井やジャポネが安すぎるんだよなあ。だから良いんだけれどそういう時代でもないとしたら、ロメスパも味と品質に振れつつ進化していくのかもしれないなあ。

 移動中に石川博品さんの新刊「冬にそむく」(ガガガ文庫)を読む。秋口から降り出した雪で外出もままならなくなった神奈川に暮らす高校生の男子と女子の日常を淡々と描いていったストーリー。コロナで交流が途絶えた社会のメタファーとも言えそうで、未来に不安があっても寄り添い合える相手がいるなら生きていけるものなのかもと思わされるストーリーになっていた。雪が降るくらい寒ければ農業も大打撃を受けてそれこそ飢饉になっても不思議はなく、社会全体が存亡の危機になりそうだけれど、そうしたポリティカルな部分は脇に置いているあたりは思考実験的なところもありそう。たとえ世界が滅びてもきっと2人は生き続けるだろう。生きられる限り。そう思った。

 2019年に「バットマン」絡みでインタビューした時はDCエンターテインメントの共同発行人だったジム・リーが、DCコミックスの社長兼発行人兼チーフ・クリエイティブ・オフィサーに昇格したってニュースが流れてきた。つまりはDCにおいてコンテンツの方向性なんかを決める最高責任者ってことで、元々はアーティストだった人でも才能があればこうして経営にも携われる国ってことも感じさせてくれた。日本だと編集者の鳥嶋和彦さんが白泉社の社長になるようなことはあっても、鳥山明さんが集英社のトップに座るなんてことはないものなあ。というか元はマーベルで書いていた訳だから、講談社でヒットを飛ばした赤松健さんが集英社の社長になるようなものか。アメリカのエンタメ業界って面白い。

 神宮外苑の再開発に関して前は反対はだったけれど事情を調べたら賛成派になったってコンサルタントな人が書いててちょとしたムーブメントに。なんだそうだったんだ的驚きを誘って事情を知らない人を味方につけていたりするけれど、そんな文章がなかなかに芳しいというか、内苑を再開発だなんて誰も思ってもない話を冒頭で吹っかけて反対派に誤解があるんじゃと匂わせた上で、再開発は必要でそのための費用捻出のためにビルビルぶったてるのも当然といった経営者的ロジックで全体を貫いている。

 もちろん明治神宮の持続的な経営が大事なことは分かるけれど、それだって今の神宮球場だとか秩父宮ラグビー場からの上がりではどうにもならないって状況ではなさそう。それなのにコンサルタントの人はすでに終わっている耐震補強が未だされていないかのような言説で建て替えには多大な費用が必要で、そのためにはビルを建てつつ神宮球場はビルにバックネット裏を押し出されるようになって銀杏並木に少し罹るライトの外野席が大幅に削られても知らん顔。秩父宮ラグビー場も全天候の人工芝が敷かれた屋内型になるというラグビーのレガシーからほど遠い施設にされても完全無視。スポーツにとって必要なことは何かを無視した案をまるっと受け入れている。こういうコンサルタントが文化なき上ものばかりの空疎な都市と社会を作るんだろうなあ。やれやれ。

 歩き回って疲れたので、買えって寝て起きたら実家だったんだけれど布団から起きて見わたすとやたらとライティングが施されていて近代的。でもって階下におりると家が大がかりに改装されていて、広間みたいなところに調度が並びどこかのお屋敷のようになていた上になぜか中央にはモニターだとかが詰まれていては、ゲーミングチェアがあってなおかつ腕を置いて安定させるアクセサリーまでついていて、それで床を観るとプレイステーションだのセガサターンだのといった歴代のゲーム機が埋め込まれていた。

 それから中庭を挟んで前は畑だったところに行くと、卵だとか野菜だとかを売る即売所ができていて隣に診療所まであったりして女医さんがいたので挨拶して、そして戻って外に出てぐるりと見わたすとゲームセンターがあったり回転鮨がテナントとして入っていたりとちょっとしたショッピングモールになっていて、となりに前からあった施設からお客さんを奪っているような感じだなあと思ったところで目が覚めた。あのまま住めていたらなあ。また戻れないかなあ。


【5月3日】 山下達郎さんのLPレコード「FOR YOU」を買う。だいたい40年ぶりで2枚目。RCA時代のアルバムを順次アナログ盤で復刻していく企画だそうで、その第1弾で達郎さんの人気を決定づけたアルバムを持ってくるところがやっぱり巧いというか当然だよねというか。ライブでも冒頭から奏でられる「SPARKLE」に始まって「ミュージックブック」等々へと続くアルバムは発売当時にFM局でこれでもかって感じにヘビーローテーションされて、そのほんとんどをエアチェックして耳に叩き込んでいたっけ。

 レコードプレーヤーがなかったからアルバムは買わなかったけれども大学に進んでまだCDではないアナログレコードのプレーヤーがついていたコンポを買ってさっそく買って来たのが「RIDE ON TIME」と「FOR YOU」だったのかどうだったのか。買ったのは今はもうなくなってしまった平針駅のそばにあったレコード屋さんだったのかどうなのか。うろ覚えだけれどもそこから発売済みのアルバムを一気に揃えていったっけ。そして「ポケットミュージック」がCDで出るってことになってCDプレーヤーも含めて揃えていったのかなあ。つまりはわがオーディオ人生は達郎さんとともにあるといった感じ。

 重量盤らしくそれで音が良いかというと元となったデジタルリミックスの音源自体はハイブロウなものになっているだろうけれど、それをレコード盤を作るためにカッティングする機械も技術も廃れていく中でどうにか掘り返していったもの。なので達郎さんに言わせればやっぱりオリジナル盤の方が良いんじゃないかってことらしい。それでも音源のリミックスでカバーしてどうにか遜色のないものができたというからそこは買って損はないけれど、でもやっぱりオリジナルも手に入れたい人も出てくるんじゃなかろうか。我が家にあったレコード盤はどこにいったかなあ。何か波打ってそうだなああ。

 ガルパンだガルパンだ。ガルパンが観られるってんで柏まで行ってキネマ旬報シアターで「ガールズ&パンツァー劇場版」を観る。ほぼ1週間ぶりくらいかな。一応は音感上映ってことらしくサウンドのボリュームをあげて上映してくれるそう。ハイソなプログラムを組んでいそうな劇場だけれど「ガルパン」は好きらしく前も特集めいたことをしてくれたし、今回もロビーを模型だとかスチルで飾って盛り上げていた。前は壁にキャラクターのシールを貼っていたけれど、そうした中からなぜか継続高校のミッコだけは残されていた。スチルもミッコだけのコーナーがあって模型もミッコのアクリルスタンドが添えられていた。人気だなあ。天下のクリスティー式は舐めちゃいけないなあ。

 上映されたバージョンは暫く前にイオンシネマ幕張新都心のULTIRAスクリーンで観たバージョンとは違っていろいろと修正が加えられていた。印象としてはたとえばお風呂がの背景がゴージャスになっていたような気がするけれどそこが替わっているのかは今ひとつ不明。決定的なのはラストで愛梨寿がヴォイテクに乗って西住みほのところへ寄っていく時に背後がサンダース大学付属高校のケイのホットパンツではなかった。あれが大写しになるのが劇場版の醍醐味でもあったんだけれど、そこだと位置がおかしいってことで直されてうさぎさんチームの誰かになていたのだった。残念。でも全体にクリアな感じはしたので映像的にはいいんだろう。何よりストーリーは替わらず楽しくそして感動的。いつ見ても何度観てもラストまで気をそらさせない傑作だなあ。次はいつ、どのバージョン画見られるだろう。IMAX化するイオンシネマ幕張新都心で上映してくれないだろうか。

 終わってから柏を散策。バルボアに続いてスパゲティでも食べようと新しく出来たらしいパンチョに行く。大きなビルとか出来てて開発もいろいろ行われている印象。ジェフユナイテッド市原・千葉がJ2に落ちて柏レイソルとのダービーマッチが行われなくなてから日立柏スタジアム(今もそう言うのかな)には滅多に来なくなっていたのだった。キネマ旬報シアターは駅の反対側なので繁華街には降りなかったので変化にはあまり気づかない。まあでも基本敵にはアーケードがあって船橋とは違った気質が漂っている感じ。お上品なジェフ千葉とも違った荒くれレイソルはだからあるいは強いのかなあ。


【5月2日】 池袋の羽田市場食堂が閉まるというので食べに来たら行列だったので、サンシャインシティ池袋まで行ってバルボアで焼きカルボナーラを食べてそれから新しくバンダイナムコが作ったサンライズワールドを見物。基本的にはグッズショップがカテゴリー別に並んでいて、ガシャポンが大量にあったりして横浜のワールドポーターズに出来た店がそのまま東京に来たような感じだけれど、別にイベントエリアがあってそこでサンライズ作品のパネルとセル画とそれから宣材だとかパッケージだとかグッズを展示していた。

 ポスター類とか見て来たものとがあって割と懐かしかったけれど、「伝説巨神イデオン」は大昔に何かでもらったポスターがあってそれと同じものは見当たらず、あれは何のポスターだったのかが今も気になってしかたがない。今池にある家電売り場でカセットテープを買ったらもらえたんだったかなあ。セル画はよくもまあ残っていたものだ。マチルダさんの正面顔とかいい出来。外にはグッズ売り場もあって過去のサンライズ作品の宣材ポスターをTシャツにプリントしてくれるサービスを実施中で、ラインアップにアイドルマスターゼノグラシアとかエンジェルリンクスとかウィッチハンターロビンもあって心揺れたけれど、着ないのでここは我慢。境界線上のホライゾンが入ったら考えよう。

 アメリカ本国でハフポストとバズフィードが同じ会社になってそしてバズフィードが報道から撤退した関係で、日本でもバズフィードの報道がハフポストに移管された模様。でもってバズフィードで医療記事を書いていた人がハフポストで医療記事を書くんじゃなく、バズフィードで芸能記事とかSNSの話題なんかを拾って書くという、スポーツ新聞がやってるようなコタツ記事の量産めいたところに回されたとかいってツイッターでつぶやいていた。なるほど書いて来たものには毀誉褒貶があって、報道に置いておくべきじゃないって意見も散見されたけれども一方で、新型コロナウイルスワクチンに関しては真っ当なことも書いていたのでそうした人を閑職に追いやるのはちょっと違うって気もしないでもない。

 適材適所というか書ける人を書ける場所で使おうとしないのが日本のメディアの悪いところで、ゼネラリストを育てるとか言うけれどそれで使い物にならない記者が量産されては40代50代を迎えて路頭に迷うケースを身に染みつつもいろいろと見て来た。幸いにしてこちらは趣味で書いて来たサブカル方面でとりあえず書き続けられることができたから良かったものの、医療で書く場所がないというのはなかなか厳しいかもしれない。一方でジャーナリストとは書くべきことを書くことこそが一義であって、それに金銭の見返りがあるかは別問題と考えるなら、今のポジションで周辺の媒体に書けないのなら休日でも使って取材して自分のサイトに書けば良いじゃないかって気もする。有料で売るための仕組みもある訳だし。

 そうした覚悟を持って新聞社を辞めてYoutubeのチャンネルを立ち上げて何万人ものアクセスを獲得しているジャーナリストもいる訳で、自分に自信があるなら、あるいはやらなければいけないという使命感があるならやってみるのもいかがとしか言い様がないかなあ。でも実際問題、益体もないヘイトな記事を延々と書き続けて媒体価値を激しく毀損しつつも周辺に群がる顧客を切れない関係で使い続けて右肩下がりな新聞だってある訳で、やっぱり使える人を使える場所で使った方が良いと思うのだった。僕もどっかで使ってくれないものかなあ。なあに1000万円ももらえれば十分だから(もらったことないけどね)。


【5月1日】 別に映画の日でなくてもイオンシネマは55歳以上は割引なんで関係ないんだけれど、そういう日に時間を使うのに相応しいのかもと毀誉褒貶ある「聖闘士星矢 The Beginning」を観に行ったら普通に公開時に観れば良かったくらいに面白かった。いやマジで。オクタゴンめいた地下格闘場からのアテナ守護という意味不明な展開にちゃんと聖矢が意味分からないといった態度で接しつつその肉体に分からせられていく感じでいっしょに物語に入り込んでいけたし、その過程で描かれるアクションもアルティメットな格闘技からのコスモが混じった鍛錬を経てコスモを取得して切れ味が鋭くなる星矢をちゃんと描いていたのでいっしょに成長していけた。<

 なるほど父親も母親もおまえらシエナ=アテナをどうしたいんだ守りたいのか殺したいのかコスモだけを絞りたいのか守りたいのはアテナなのか世界なのか掴みづらかったし、ネロ(フェニックス)も漫画の一騎を思うならもうちょっと細マッチョな方が良かったし、マリンの立ち位置がどういう組織に所属してどういう指令系統で動いているのかが今ひとつ判然としないし、辰巳の向こう版とも言えそうなマイロックはまるで日本SF大会の警備隊長といった感じ。その強さには驚いたしかっこうよかったけれど、あくまでもサブキャラなんで本編でそれくらいのバトルがなければ意味が無い。

 その点でいうなら星矢を演じた新田真剣佑は上半身バキバキ過ぎるくらいにバキバキで、そこまで鍛え挙げられているだならクロスの意味はってなったけれどもそうした謎はすべてはアテナ=シエナの太ももがカバーしてくれた。長い衣装のスリットからのぞくアテナの時の太ももも、シエナとしてアメリカなギャルっぽい姿でスカートから覗かせる太もももとても良い物だった。つまりはオッケー。そしてネロがゴールドクロスを得てアテナ討伐へと回る中で星矢は他のブロンズたちをどう集めどう戦っていくかへと期待が膨らんだ。そんな続きがあればだけれどなくてもおれはこれでなかなか楽しめる1作なんじゃないかなあ。新しいスーツ格闘アクション映画のシリーズがここに立ち上がったと思って今後を見守ろう。

 新聞社の整理部といえば現場から上がって来てデスクの手が入れられた原稿をとりまとめて新聞紙面に割り付けつつ見出しをつけて読みやすいようにするという、新聞という媒体にとって読者に対する最前線に位置する仕事であってその仕事が乱れれば、新聞への興味を持ってもらえず読みづらいと放り出されてしまいかねない難しさを持っている。新聞社はそうした人材を割と専門に揃えて鍛えていたりして、昔としがって割り付け用紙にアナログで記事を流し込んでいった時代は過去になり、コンピューター上で一種のDTPを行うようになってもやっぱりそれなりな立場を維持していた。

 もっとも最近はそうした新聞ならではの割り付けも職人芸が否定され、多少の緩急はつけても順繰りに流し込んでいくように自動化されていたりして、いずれAIが発達すれば記事の軽重だけ指定すればあとは勝手に割り付けも見出しを付けるのもやってくれるようになるかもしれない。そんな時代を見越したなろうか、あるいは単純に部署として置いておくだけの体力が厳しくなってきたのか産経新聞が整理部という名前を持った部署をなくしてしまった。

 「編集局WEB編集室および整理部を廃止し、編集局内にメディア編成本部を新設する。メディア編成本部内にデジタル報道部、編成部、デザイン部を設ける」ということだから編成部が整理部的なことをするんだろうけれど、いずれコンピュータ上に集められた記事を紙面に割り付けつつ、ウエブにも配置するような整理&デスク的な立場になっていくんだろう。人も減り専門性も薄れていった先。記者という情報集めを行いとりまとめて文章化するセクションだけは残さざるを得ないけれど、それをマネタイズする方法も行き詰まっている中で新聞は、報道はどうなるのか。岐路だなあ。ずっと岐路だけど。


【4月30日】 部屋に居たら寝てしまうので外に出てミステリマガジンの原稿を書く場所を探してあちらこちらをうろうろ。とりあえず上野まで入って森の茶屋という定食屋でハムエッグ&メンチカツ定食を食べたらこれがいつもどおりのボリュームですっかり満足。そこから歩いて末広町にあるVELOCHEで原稿を仕上げ、秋葉原UDXへと入って13回目を迎える「絵師100人展」を観る。皆上手くなったけどなんか突拍子もない絵がないなあともちょっと思った。岡崎武士さんと末弥純さんが相変わらずで良かった。

 しかし本当によく続いているものだと感心。1回目を当時はまだ存在していたサンケイエクスプレスで紹介したのが良い思い出。新聞はなくなり僕は会社を放り出されてもイベントは続いてお客は来る。オタク目当てのビジネスも丁寧に継続すれば大きくなる実例なのに、それを肝心の記事で出来ないところが今の惨状を招いているのかもしれない。などと思いつつUDXの下にある銀行からお金を引き出したら還付金ものっかったおかで残高が結構あったけど、ヨドバシでガンプラとコンデジを眺めるだけにとどめて帰るのだった。

 ネットで宮崎県の支局にいるらしい毎日新聞の記者が延々とツイートをしていて、ようするに人がいないので地方ネタをカバーできず紙面も統合版になって情報量が減ってこのままで良いのかという話。そんなことを入ったら産経なんて九州はもとより四国中国東北北海道甲信越中部北陸の支局も総局もなくして駐在を置く程度にして、それで統合版なんてものを作るものだから北関東の紙面に遠く青森の記事が載っているというどれだけ北関東って広いんだという話になっている。まあ東日本と思えばそれはそれでありなのか。いやない、だってそんな地方ネタ、北関東の人が欲しているとは思えないから。

 警察なんてものも回って無くて警戒電話なんてものも入れてなくって、それで初動が遅れ特落ちしたところで人がいないんだから仕方がない。だったら割り切って地方面なんてなくしてすべてを共同通信なりで埋めればいいのに地方の販売店もあってそういうところのためにお悔やみなどを載せる必要もあるから廃止できない板挟みの中でどんどんと衰退が進んでいる状況が、毎日新聞にも及んできたってところなんだろう。それが朝日新聞にも読売新聞にも及ぶとは思えないけれど、それでも中部で朝日新聞は夕刊を廃止。そうやって情報量を減らしていく動きが紙面の衰退と販売の減少につながるマイナススパイラルの発生は確実だから、あるいは遠からず全国紙は読売だけになり、それに日経が併走してあとはブロック紙と地方紙の時代になるんだろうなあ。

 そんな新聞業界に早いうちに見切りを付けて週刊東洋経済にうつってオンラインの立ち上げに関わりポップでタイムリーな記事をガンガンと載っけて経済系のオンラインメディあではトップ級にした編集者がなぜか辞めてしまって「脳内革命」をヒットさせた編集者の会社へと移籍。もちろん経済系の本なんかも題しているけれどスピリチュアルな本もあったりするところが個人的には微妙で、遠巻きに眺めているところもあったりするだけにそこでいったい何をするのかに興味が向かう。それ以前に東洋経済でもうすることはないのかって話だけれどオンライン部門のトップまで務めてしまうとあとはボードとなって経営に携わることになって役割が変わってしまう。かといって留まり続けても広がらないとなれば別の場所で実入りも込みでいろいろと試してみたくなるものなんだろう。出版社や新聞社の人材活用あるある問題がここにも。頑張って欲しいけれど疑似科学やニセ医療の本には係わらないでね。


【4月29日】 イオンシネマ幕張新都心で「ガールズ&パンツァー劇場版」をULTIRAスクリーンで観た日に海浜幕張のアウトレットモールでリーバイスを購入していて2本で1万円だったからこれで502と514を買おうと調整して会計しようとしたら、3点なら1万2000円だと言われてもう1本ジーンズを選ぶのも手間かなあと思ったらシャツでも良いということだったので、デニムシャツを1枚選んで乗っけて精算。直しもしてもらったものを持ち帰ったのを取り出して履いて「劇場版 PSYCHO−PASS サイコパス PROVIDENCE」へと向かう。

 先行上映で分かったことはすなわち「PSYCHO−PASS3 FIRST INSPECTOR」の劇場上映版につけられた常守朱が矯正施設から”出所”して公安局刑事課で慎導灼と炯・ミハイル・イグナトフに向かって語り始めた炯の兄の死の真相を描いたようなところがあって、それに常守朱がそもそも矯正施設に入れられた理由にも迫るところがあって「PSYCHO−PASS Sinners of the System Case.3 恩讐の彼方に―」から「PSYCHO−PASS3 FIRST INSPECTOR」の間がこれでようやく埋まる感じ。なので前後するこれらのシリーズ作品と、あと須郷徹平の国防軍時代が描かれた「PSYCHO−PASS Sinners of the System Case.2 First Gurdian」を見ておくとなおグッと深いところまで入り込みつつ全体を見通せるんじゃなかろうか。

 とにかく作画が丁寧でキャラクターの表情なんかが良く出ていて朱の顔なんかちょっぴりふくれっ面めいたところもあったりして愛らしく思えるし、格闘シーンもたくさんあってどれも丁々発止でどっちがどっちと思いながら見入ってしまう。アクションでいうなら冒頭からの狡噛慎也の暴れっぷりはお前はもしかしてアベンジャーズだったのかってなくらいの凄さ。公安局の刑事はどちらかといえば身一つにドミネーターで対処しているけれども日本にはいろいろな軍事用の装備があってそれで守られているところもあるみたい。

 須郷も元軍人だけあって強いけど宜野座伸元も「SYCHO−PASS Sinners of the System Case.1 罪と罰」で見せたように案外と武闘派でしっかり戦うし、それに加えて花城フレデリカの峰不二子めいたスタイルをしながらもテロリスト程度となら互角に戦える強さを見せていたあたりにその過去にいったい何をしてきたのかって興味も湧いてきた。そんな活躍の果てにすべてが明かされて灼と炯は知ってしまったところからスタートすることになる「PSYCHO−PASS4」があったとしたら、それはどんな話になるんだろう。気になって仕方がない。

 朱がどれだけAIめいたものが進化をしたとしても最後の判断は人間が行うべきだといった主張を貫きながらシビュラ・システムと対峙してきた物語にある意味で決着がついてしまった恰好で、その一方でシビュラ・システムはますます強固な存在となって世に君臨し始めている。ある意味で人間性と機械性の対峙めいたところのあった物語の構図が灼と炯をメインに据えてどこまで維持できるのか。システムへの懐疑ではなく怨嗟が根源で物語は善悪の二元論に収斂してしまう。そうではないからこその「PSYCHO−PASS」シリーズを再び朱の生き方に戻しつつ狡噛との関係を描く路線にするのか、それとも舞台挨拶で塩谷直義監督が言ったように「忠臣蔵」のように大勢がそれぞれの持ち味を生かしながら戦った先で成果を得るような物語として続けていくのか。

 そんな興味も湧いたけれどもそこまでいくかはまだ未定。それよりもなによりも「PSYCHO−PASS PROVIDENCE」の持つ圧倒的な面白さを今はしっかりと噛みしめ何度も味わいよく咀嚼して埋まったピースを喜び失われていく命を慈しもう。公開されたら通うぞ。その前に公開舞台挨拶も頑張ってゲットだ。ちなみに舞台挨拶はよっぴー吉田尚記さんのいつもの司会でつつがなく進行。花澤香菜さんは相変わらずの可愛らしさだったけれども10年、常森朱を演じて来たことでその役もぐっと理解が進んで来たってことを話していた。その場で与えられた役を演じて次って訳にはいかない長期シリーズならではの熟成が全員にある。それだからこそ観ていて迫ってくるのかもしれないなあ。


【4月28日】 マリオのゲームでプレイしたことがあるのがニンテンドー64の「マリオゴルフ」だけという人間にとって果たしてどこまで楽しめるのかわからないところもあったけれど、マリオがルイージと兄弟でピーチ姫を助けてクッパ大王と戦うといった理解さえあればとりあえず筋は終える「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」。それだけでもつまはじきにされていた兄弟が困難を乗り越え活躍をして認められる成長と承認の物語だとわかって楽しめた上に、細かなディテールが満載でゲームをやりこんでいる人にはたまらないところがあったんじゃなかろうか。

 イルミネーションだけあってキャラクターの造形は完璧だし動きもとても素晴らしいし表情もどれも愛らしい。でもってストーリーもよく練られていて異世界転移からの魔王退治といった流れは日本のなろう系小説でも全盛のシチュエーションでありながら、山あり谷ありで目を離させない面白さがある。そこにのっかるドンキーコングやらマリオカートやらレインボーロードやらカメの甲羅による妨害やら、任天堂のゲームに親しんで育てT来た世代には懐かしくも嬉しい描写が次々に繰り出されて練る暇もない。

 あるいはピーチ姫がクッパ大王にさらわれるか弱い姫ではなくってキノコ族を統治してクッパ大王に立ち向かおうとする勇敢な姫で鍛錬に励み長い柄の付いた斧も振り回して戦う強さを見せてくれるところに、現代的でもあるしセーラームーンからプリキュアへと流れる日本の戦闘美少女に慣れた目には当たり前にといった感覚を得られて気にせず見ていけた。代わりにルイージが捕まりっぱなしでちょっと目立ってなかったけれど、最後にマリオと共闘してブラザーズなところを見せてくれたからこれはこれで良かったと言っておこう。

 総じて満点の3倍くらいな映画だけれど、イルミネーションにとって任天堂という巨大な会社の全世界的なIPを扱うことは諸刃の剣かもしれず、怪盗グルーやミニオンズといったオリジナルのキャラクターを生み出し世界観を作って勝負してきた会社がこうして巨大IPを転がすうま味を覚えて、オリジナルの開発を止めてしまったら未来のミッキーマウスもそしてマリオも出てこなくなてしまう可能性がある。もはやミニオンズだけで十分と考えているなら別だけれど、そこはやっぱり可能性を追求していって欲しいからマリオはマリオで作りつつオリジナルでも勝負していって欲しいけど、やっぱりこれだけ当たると任天堂IPを使いたくなるだろうなあ、資本提携もしたくらいだし。カービーかゼルダか。さてもさても。

 ざっと仕事をしてから改めて「シン・仮面ライダー」を劇場で。エヴァンゲリオンとのコラボカードがついてきて、チョウオーグの恰好をしたマリが出てファンとしては嬉しかったけれど、それにも通し番号が付いているってことは仮面ライダーカード、コラボカードもやっぱり集めないとコンプリートできないってことなのだとすると、マニアは通わなくちゃいけないからちょっと大変かもしれない。まあでも「シン・エヴァンゲリオン劇場版」のパッケージについてきた特典映像が上映されて、それに北上ミドリが登場するからミドリのファンなら通って嬉しいかもしれないけれど、それならカードにもミドリのコラボを入れて欲しかったかもしれない。

 パッケージは買ってあるけど再生が面倒なんて見ていなかった「EVANGELION:3.0(−46h)劇場版」はニアサードインパクトが起こった時に家族が消えてしまって自身は必死で逃げ回っていた北上ミドリが、いよいよ迫って来られた時にアスカと弐号機に助けられるといったストーリー。普通の色をしていた髪がニアサーの結界だかに振れるとピンク色になったのは何か変成が起きてしまったってことなのか。切っても生え替わってもずっとピンク色ってことはきっと根底から違ってしまったんだろう。その影響が脳にも現れため口上等なギャルと化してしまった? なんてことはないとしてもあの独特なキャラクターに悲痛な過去があって、だからああなったことが分かってただのモブなんていないってことが伺えた。長良っちにはどんな過去があるんだろう。長身で細マッチョな美女に秘められた事実、なんてものがあったらちょっと知りたいかも。


【4月27日】 ジャニーズ事務所の創業者が起こしていたという問題で、ファンがやっぱりもっと事務所にはしっかりして欲しいと署名活動を始めたというニュースをハフポストが書いていて、それはそれで前向きなことではあるんだけれど事態そのものを取り上げて紹介したって感じが過去を振り返ってもあまり見当たらないところに、問題がどこまでも深く広く存在しているってことが伺える。週刊誌も新聞社系も出版社系も週刊文春をのぞけばやっぱり沈黙を続けている上に、あの「週刊金曜日」ですら真正面から取り上げないのはいったいどういう事態なんだろう。何かものすごい謎でもあるんだろうか。ちょっと怖くなって来た。

 怖いからって寝る訳にはいかないので起き出して、とりあえず海浜幕張まで行って駅の構内にあるカフェでかちゃかちゃと原稿打ち。何か急病だとかで店員さんの1人が来られずワンオペ状態になってて大変そうだった。そいういう状況をたとえば上長の社員さんとかがカバーする状況にはなっていないのか。あるいは無理だからと店を休んでしまう訳にはいかないのか。人手不足がいろいろと言われる状況で考えいけない問題かもしれない。ライターはワンオペだからあんまり関係ないんだけれど、倒れたらカバーがきかない職種でもあるので健康第一でいきまっしょい。

 海浜幕張駅を出てスパゲティのパンチョで白ナポをかき込んでから歩いてイオンシネマ幕張新都心まで。看板シアターとおいえるるULTIRAスクリーンがIMAXに替わるそうでそのお別れ上映イベントめいたことをやっていて、幕張新都心といえばな「ガールズ&パンツァー」を最後に上映することになってその最初のシリーズとして「劇場場ガールズ&パンツァー」が上映されたのだった。テレビシリーズやアンツィオ戦を経て迎えたとてつもない戦いをみっちりと描いた傑作は、優れた環境の中で観ると戦車戦の音が凄まじいぐらいに響いてまるで自分がその中にいるように感じられるのだった。

 そんな劇場版が轟音のセンシャサラウンド的状況で観られるとあってはこれは行かなくちゃいけない。スクリーン8の前目の席を抑えて待ってそして始まった映画は、後に細部がが作り直されたものではなくって最初に劇場公開されたバージョンだった。あるいはそのデータに合わせて音響も調整してあるからそれを上映せざるを得なかったのかもしれないけれど、ラストシーンで島田愛里寿がヴォイテクに乗って歩いてくるシーンで、バックにホットパンツ姿のケイが大写しになる劇場版の目に与える衝撃が僕は好きで、観られるならこちらをずっと観ていたかったので嬉しかった。

 それをおいても前半のエキシビションから中盤の行き先に迷う描写を得て後半の大学選抜戦へと至る流れの完璧さ、そして計算され尽くした大学選抜戦の流れは観ていてなるほど映画ってこうやってストーリーを紡げば飽きさせずに引っ張れるんだと分かって勉強になる。押井守監督のように中だるみを入れて頭を冷ますというのも手だけれど、それにあたるのがみほとまほの過去シーンだとするならしっかりあるといったところ。それがあったからこその黒森峰学園の参戦へと至り他の高校も参加しての総力戦につながるのだから、やっぱり工夫されたシナリオだと入っておこう。

 ULTIRAはやっぱり大きくて、ひな壇に座って大学選抜戦を観戦する西住しほのどっしり構えた脚とかも大写しになってなかなかに眼福。それよりやっぱりラストの遊園地での愛里寿と西住姉妹のスピーディーな戦車戦は大きなスクリーンで凄まじい音響で観てことの没入感がある。あれだけのサウンドを放っていたサブウーファーはどうなてしまんだろう。IMAXだと岩浪美和さんによる調整が働くことってあるんだろうか。自身がドルビーアトモス向けだとか、IMAXサウンド向けに調整して作らない限りないかもなあ。次なる「ガールズ&パンツァー最終章第4話」でどんな技を繰り出してくるかが今は気になる。


【4月26日】 「機動戦士ガンダム 彗星の魔女」の登場キャラクターをイメージしたフレグランスが出るってことでちょっとした盛り上がり。やっぱりグエルが男らしさに溢れていそうとか、シャディクがどこかアラブっぽさを漂わせて妖艶さを感じさせてくれそうといった反応の一方で、スレッタはたぬきくさいんじゃないかなって声もあってそれはいったいどんな香りなんだと逆に気になった。実際はトップがグレープフルーツでミドルがフリージアとかアップルとかホワイトピーチ、ラストがフルーティーバニラとかホワイトフローラルだから花と果実のフレッシュな感じなっていそう。4711めいた香りが好きなら悪くないかも。

 女性向けのフレグランスだけれど男性キャラを推しで買って身にまとうのが普通の使い方になるとしたら、ミオリネはそのキャラに近づきたいという思いで使うのかな。香りはトップがベルガモットやバンブーにロータスとどこか東洋風。そしてミドルがピーチやブルーローズといった清浄な感じでラストがアンバーとホワイトムスクと硬軟合わさった感じだから印象としてはやっぱり静謐で毅然としたものになりそう。スレッタとは実に対照的だからひとりが気分で使い分けても良いし、友人同士で性格を分けて使って合わせるってのも面白そう。

 それにしても発売元のprimaniacs、大きくなったなあ。会社はまさめやといって大昔、デザインフェスタなんかで武将のキーホルダーなんかを作って売ってた工房だったけれどもそうした武将グッズに始まって、キャラクターを取り入れてアレンジしたお洒落なグッズを作り始めたあたりから徐々にそっちへとシフトして、「おそ松さん」のフレグランスを作って銀座にショップも出してそれが割と当たったことでアクセサリーとかやや高給なファッションアイテムへと切り替えた。

 今もそうしたアイテムはやっているのかどうなのか、分からないけれども柱はフレグランスとフレーバーティーになっていそう。それぞれにキャラクターの性格とかを吟味しマッチした香りなり味なりを作り、それにそぐうコメントを付けて売っている。それがファンから間違いないとお墨付きを得ているところにキャラクターをとことん研究して魅力を推しだそうとする社員さんたちの思いが溢れている感じ。よほどのファンが集まっているんだろうなあ。社員募集もしているけれども圧倒的に(あるいは全員かな)女性が多そうなので遠巻きにしつつ昔ちょっとだけ記事も書いた会社として発展を応援していこう。スレッタのフレグランス、買ってみようかなあ。

 デーオ! って叫びが真っ先に浮かぶハリー・ベラフォンテという名前。「バナナボート」という歌の冒頭だけれど、そんな歌を唄っていたことでなぜか強く脳裏に刻み込まれていたのだった。そんなハリー・ベラフォンテさんが死去したと聞いてやっぱり真っ先に浮かんだ「デーオ!」って叫び。そしてイデデイデデイデデといった歌詞が続いてメロディーが浮かんでといった具合にいろいろな感慨が溢れてきた。それ以外にどんな曲を歌っていたのかも知らないけれど、世界中の誰もが知っている1曲を持っているというだけでも凄い。そんなシンガーがこれからどれだけ出てくるだろう。細分化する娯楽の中で共通の憧れに成り得るのは、もはやゲームかアニメの中にしかいないのかもしれないなあ。

 締切前なのでいろいろと本を読む。桜川ヒロさんの「暗号解読士 九條キリヤの事件簿』(小学館文庫)。殺された政治家秘書が残したダイイングメッセージはまるで記号を何かのようでちょっと読めない。新米刑事の七瀬光莉は暗号と見て、先輩刑事の知り合いで暗号解読が得意な九條キリヤに会いに行く。キリヤはすぐさま衆議院式の速記だと見抜いたけれど、それで書かれていたのは「サル・イエス・ワラエイ」という意味不明の言葉だったからさらに分からなくなった。解くには鍵がいるってことで、ふたりで探しにいったことがきっかけで、暗号絡みの事件に挑んでいくエピソードが積み重ねられていく。キリヤが暗号にのめりこんだきっかけに決着がつくけれど、事件そのものは解決していないのでそれを解き明かす展開が続くのかな。見守りたい。


【4月25日】 朝早くに高崎を出て新幹線でとりあえず佐久平まで。そこから小海線で臼田まで向かうのが仕事だけれど、時間があったので逆方向の小諸まで行って半年ぶりくらいに懐古園をのぞく。冬を通り過ぎて草木もいったん枯れたからなのか、前は葉の陰になっていた千曲川の堰が見えて「あの夏で待ってる」のポスターっぽさを味わえた。ぐるりと曲がった部分は「すくらっぷ・ブック」に描かれた懐古園からの千曲川といった風情。1箇所で2つの作品のご当地感を味わえる場所っていうのはちょっと珍しいかもしれないなあ。

 もっとも「すくらっぷ・ブック」のころは四阿めいたものもそこへと繋がる橋もなく、櫓めいたところから望む感じてもうちょっと時代感があった記憶。いろいろと改装もされて居心地は良くなっているけれど、一方で時代感はだんだんと失われていくのも時代の流れだから逆らえない。寂しいけれども仕方がないのでそういった思いでは、漫画に刻み込まれたもので楽しむことにしよう。しばらく佇んでから庭園なんかを回って退散。そして宿場をぐっと上がって「あの夏で待ってる」にも登場するお寺の門とか眺めてから、もどってお土産屋さんで「あの夏で待ってる」饅頭を買って小諸での時間を終えるのだった。

 小海線が待っていたので飛び乗ったものの、やっぱり時間があったので佐久平でしばらく滞在。新幹線の駅が出来たことで発展著しいみたいで、イオンもあればモスバーガーもあって群馬の駅前なんかよりもよほど発展していたりするのはやっぱり新幹線効果って奴なんだろう。上田だってスターバックスがあったものなあ。そんな佐久平のモスバーガーで少しだけ仕事を片付けてから、戻ろうとしたところで足元になぜか「北斗の拳」のマンホールがあることに気づく。説明を読むと原作者の武論尊さんんが当地の出身だってことで、代表作ともいえる「北斗の拳」のマンホールにつながったらしい。

 北斗七星に合わせて7人分のキャラクターが登場していたけれど、北斗神拳からはラオウにトキにジャギにケンシロウの4兄弟が登場していたのに対して残る3つは南斗からレイとサウザーとそして最後の将ことユリアが登場。初期のストーリーでケンシロウのライバルとなって立ちふさがったシンがいないのがちょっと寂しかった。なんでサウザーなんだろう。南斗最強だからか。でも体内の逆転がなければ普通の拳法使いだからなあ。南斗最強ってその意味では本当は誰なんだろう。案外にユダが強そうだけれど自意識過剰で自滅したからやっぱりレイか、それとも目を潰す前のシュウか。気になります。

 時間になったので小海線で臼田まで入ってちょっとしたお仕事。終えたら今度は車で佐久平まで行く途中、新津組っていう建設会社のショールームが街道沿いにあってああここは新海誠監督の出身地なんだなあと改めて実感する。ご実家なんだよね確か。今の社長はお兄さんだろうか弟だろうか。跡継ぎなのに監督になったってことらしいから弟さんかな、細面だけれどとても似ているのでありました。佐久平駅ではマンホールをかたどったガチャガチャを回してラオウとサウザーを確保。シークレットは黒王号らしい。ここでもシンは入らなかったけれどラオウに黒王号は必須だから仕方がない。

 戻ると藤子・F・不二雄さんのSF短編を特集したSFマガジンが届いていた。111編だかある短編を全部解説するという企画を聞いて「ヒョンヒョロ」と「カンビュセスの籤」と「ミノタウロスの皿」と「劇画オバQ」と「ウルトラスーパーデラックスマン」をやりますと即座に手を上げるだけの積極性に乏しい僕は、「ユメカゲロウ」と「ぼくのオキちゃん」と「ボノム=底ぬけさん=」と「神さまごっこ」と「求む!求める人」と「殺され屋」を書いたのだった。逆にスルーしそうな作品を改めて読むことで、藤子・F・不二雄さんの隅々にまで行き届いたSF魂を感じ取ることが出来たので良かった。

 「ぼくのオキちゃん」とか1975年の沖縄海洋博に合わせて描かれたパブ漫画っぽいけど、そこで夢見られた海中都市は未だ日本のどこにも出来ず、逆に未来の象徴として作られたアクアポリスは鉄くずと化して沖縄の海には跡形も残っていない。可能性の未来と実現性の現在との乖離を日本は埋められなかった。あるいはオイルマネーでドバイだとかアラブの各所に出来ているのかもしれないけれど、人工が減る日本であえて海に暮らす意味はないからなあ。津波もあって逆に海から遠ざかる日本が海の魅力を再確認するのは、エネルギー問題とか資源問題が行き詰まってからかなあ。


【4月24日】 東武伊勢崎線だなんて路線の名前になっているんだからきっと伊勢崎には何かあるんだと思っていたけど仕事で行った群馬県の伊勢崎市、とりあえず終点まで行っても駅前に何もなくってお昼ご飯を食べるところも見当たらず、とことこと歩いて見つけたショッピングセンターのフードコートめいたところにあったラーメン屋でカレーとのセットを食べてどうにかしのぐ。途中に見かけたラーメン屋も定食屋も店が開いているようで開いていない。近所に食べに来る人が働く場所がないのかもしれないけれどそれにしても。そもそも街ってどこにあるんだ。それすら分からない。

 新伊勢崎まで行ってもやっぱり何もなかったので結局街の中心地、市役所だとか警察署だとか銀行の支店だとかがある場所は分からず。そのあたりに行けばもうちょっと賑わっているんだろうか。群馬県って前橋の駅も新前橋の駅も同じように駅前に何もなくって、中心部はそこから離れていたし、太田市も駅前にスバルの工場はあっても食べる場所となるとタレカツ丼を出してくれる食堂くらいだからなあ。各所に宿場めいた街が発展したあとに、間を縫うように勝手に鉄道の線路が敷かれたのかもしれない。鉄道の発展史が気になった。

 ひと仕事終えて伊勢崎から両毛線で高崎へ。途中で伊勢崎オートも見えたけれども駅から離れていて近隣が賑わっている風体はなかった。遠くに見える平べったい稜線が見える山は「クレヨンしんちゃん」の臼田義人さんが事故で無くなった荒船山かな。なるほど遠目に見ると登りやすそうだけれど、行くと切り立った壁になっているところがなかなかの奇形。側にある妙義山は逆に稜線がギザギザで、どうやってそんな山々が出来たのかが気になった。そんなのが近くにあれば登りたくなる人もいたんだろうけれど、そうやって引き込んでは滑落する人も大勢いそう。どれだけの命を呑み込んできたのか。群馬はやっぱり秘境だ。

 それでも高崎までいくと駅前がぐっと発達していてさすがは新幹線が停まる街といったところ。翌日に佐久平まで行くことになっていたので高崎で泊まることにして、ホテルに荷物を預けてそして前にも行ったことがある高崎パスタの有名店「デルムンド」へと行って広く知られたハンブルジョアでも食べようかと思ったけれど、メニューで気になったオムライスとスパゲティのコンビを頼む。スパゲティはトマトソースで海老がいっぱい乗ってて美味しかったしボリューミー。そしてオムライスもそれで1皿くらいありそうな量で食べるとお腹がいっぱいになった。前に行った時は何を食べたんだっけ。忘れたけれどハンブルジョアはまだ食べてない気がする。次こそは。

 「週刊少年ジャンプ」は大型連休前だからなのか連載作品に大きく動きが。「ONE PIECE」ではトラファルガー・ローに大変なことが起こってペポが頑張りガープが拳骨で敵を粉砕。そして「僕のヒーローアカデミア」ではつに“私が来た”。何より「呪術廻戦」であの五条悟が大復活。いきなり日本海溝の8000メートルの深さで目ざめさせられながらもすぐさま移動して夏油傑のところに現れるあたりはもはや空間を超越しているとしか言えない。それで獄門疆から出られないんだからどれだけ凄いんだ。ともあれこれでいったん死滅回遊に決着がついて、あとは呪術高専&呪術師チームと呪詛師&呪霊チームの総力戦が始まりそう。虎杖は両面宿儺をすでに失い東堂葵に腕はないけど禪院真希は怪物になり五条は万全。そこに釘先野薔薇も復活してくればすごい戦いが見られそうな気がするなあ。気になるのはだから三輪霞がどうなっているかか。思わせぶりなシーンがあった割に五条復活の義にさらっといたりするんだよ。今でも五条ラブなのか。続きが気になります。


【4月23日】 神保町にあるギャラリーでストップモーション・アニメーションの「HIDARI」で使われた人形が展示してあるというので見物に行く。ほぼ日が運営している「TOBICHI」って店らしくたぶん本体から離れた場所にあるから飛び地なんだろうけれど、キャラクターグッズとかほぼ日手帳とか売ってて結構楽しげだった。とはいえ本の町でスポーツの町の神保町のそれも靖国通りからちょっと離れた場所にあって、どういうお客さんが来るのかちょっと気になった。青山とか原宿だったら人気の店になったかも。でもそこだと文化からちょっと外れてしまうから神保町で良いのかな。

 「HIDARI」の人形はどれも結構なサイズがあってあの左甚五郎の人形をどうやって動かしていたのかが気になった。自立できるくらいの太さの脚が無い訳だから支えにくっつけてぶら下げていたんだろうけれど、木で出来ているから腕だってそれなりな重さがある訳で、そうした重さを支えてなおかつ途中で止まる関節とかどういう作りになっているのかがちょっと分からない。それともそうとうに削って軽くしてあるんだろうか。いずれメイキング本とか出たら読んでみたいかも。

 犬丸ロボットも結構なサイズであれを立たせて動かすのも結構大変そう。小さい人形なら少しづつ動かせば良いんだけれど、大きいと可動部も大きくなるからそれをグッと動かせばダイナミックな動きは再現できてもなめらかさは出なくなる。そうした案配をどう把握しているのかも気になった。甚五郎の持っている道具箱もしっかりと作ってあったなあ。上の猫は据え付けのものがあってそれから別に動かせる猫も作ったみたい。アタッチメントのチェンソーもなかなかの迫力。ああいった工作ができる工房があるのもまた左甚五郎の遺産ってことなのかな。

 お昼ご飯でもと思ったけれどもいつものチャーハン屋さんでも芸が無いので通りをちょっとだけ入ったところにあるラーメン屋で生姜が入った醤油ラーメンを食べる。長岡ラーメンに近い味で冬だと美味しいけれどこれから暑くなっていく季節で生姜でポカポカってこともないから今がギリギリってことなのかも。それとも冷やし生姜ラーメンとかあるんだろうか。東京駅の下にある長岡ラーメンの店が夏に何を出すのか見に行こう。食べ終えて半蔵門線で渋谷まで行って東横線に乗り換え代官山まで行ってそこから歩いて代官山蔦谷で開催中の「SFカーニバル」をざっと見学。前日と違って長蛇の列ができる女性作家は見当たらなかったかけれど、飛浩隆さんはSFでも人気の作家だけに結構な行列ができていた。

 河出書房新社から出ている短編集を2冊ほど買ってサインを戴いて今日は終了。飛さんにお目にかかったのっていったいいつ以来になるんだろう。デビューしたあたりは割と覚えていてSFマガジンに短編とか載ってこれからを期待されながらもお仕事がいっぱいの中で忘れ去られてしまったかと思ったら、「グラン・ヴァカンス」で華麗に復活してから以降は長編を出しつつ短編もいっぱい書いて「零號琴」で日本SF大賞も受賞した。兼業でありながらも存在感を保ち続けてそして四半世紀。たぶん定年も迎えただろう中でこれからガンガンと書いて言ってくれたら嬉しいかも。SFマガジンで連載中の「空の園丁 廃園の天使3」も長く続いているからそろそろまとまり刊行になるかな。連載だとなかなか読めないのだった。

 「機動戦士ガンダム 彗星の魔女」を見たらスレッタが出てこなかった。グエルはトイレで虐待されててそして殺されそうになっていた。地球は過酷で子供たちはとても生きるのに大変そう。それを見るとスレッタのおかれた環境が実に平和でそして主人公としてかたられるだけのドラマにまるで乏しく果たしてこれからも主役を務められるのかが分からなくなって来た。空っぽだからこそいろいろと吸収しておおぜいの鏡として機能するかというと何も返さず虚無の穴に吸い込むだけの気もしないでもない。そんな虚無っぷりを見せつつ生きるってことの大変さを改めて考える狂言回しなのかもしれないなあ。しかしどうなってしまうんだこの物語。


【4月22日】 目が覚めたので代官山へ。年に1度もいかない空前絶後にお洒落感が漂う街だけれども去年に続いてSFカーニバルが開かれたのでこれは行かなくてはいけなかったのだった。到着するとすでに長い行列が出来ていて、見たら椹木道流さんがサイン会をしていた。女性向けの小説で高い人気を誇る作家さんだけにSFとは関係のないところでファンが集まりサインを求めていたみたい。それはその後に登場した辻村七子さんにも言えることで、「螺旋時空のラビリンス」のようにSFもあるけれど、やっぱり「宝石商リチャード氏の謎鑑定」の人気が凄くでファンがいっぱい集まったみたいだった。

 辻村さんには前に「リチャード氏」のガイド本の刊行でサイン会に並んだことがあったけれど、その時もやっぱり女性ファンがいっぱいいたからその流れが今回も来てくれた感じ。そうやって集まったファンがSFのイベントだからってことで辻村さんのSF作品を買い、また他の作家のSF作品にも目を向けてくれればこんなに嬉しいことはないのだった。それは斜線堂有紀さんにも言えること。ミステリー小説のファンが多いみたいだけれど、SFも結構出していてそれが並んでいた今回のサイン会でその本を買っていってくれた。それだけの集客力を持った作家さんが日本SF作家クラブに入ってくれている。ちょっと凄い時代だなあ。

 そんな状況を作ったたてやくしゃのひとりでもある池澤春菜さんもサイン会を行っていたので、SFマガジンの連載本を購入してサインを戴く。池澤さんが監修をしたSFガイド本には僕も寄稿をしているからその意味では著者でもあるんだけれど、ライター陣の全員からサインをもらおうという猛者もいなかったのでこちらに誰かが来ることはなかったのだった。ちょっと自意識過剰かも。山口優さんのところでも「星霊の艦隊」の持ってなかった第2巻と第3巻を買ってそれから八杉将司さんのオンデマンド短編集「ダイダロス」も買ってほぼほぼいっぱいになったので退散。やっぱり凄い街だった。人より犬の方が多いんじゃないか、ってそれはないけど犬多かったなあ。猫を散歩に連れて行く人はいないのかなあ。

 夜に日本SF大賞の贈賞式があったけれど、出なかったのは新潟国際アニメーション映画祭で見逃した「HIDARI」のパイロット版の上映があって、それに細田守監督が登壇するため。まずは映画で「ごん」を見て「こまねこ」を見てストップモーション・アニメーションの良さを噛みしめつつ始まった「HIDARI」にストップモーション・アニメーションでそれも左甚五郎を主人公にしてどうしてチェンソーマンで巨大ロボットものになるのかとひとしきり考える。凄い迫力。そしてすごいスピード感。どうやって作ったんだろう。どうやって撮ったんだろう。知りたいところがいっぱい出た。

 そんな上映の後に登壇したのが川村真司監督と細田守監督。「コマ撮りとしても特異なことを詰め込んだ作品。木彫りだしオガクズを巻くしカメラワークも無茶なことをしている。コマ落ちも入れてあるしレンズも変えていてパイロット版の段階でも新しいことをしている」と川村監督。「そんな『HIDARI』を見て、こういうような実験をストップモーションでやってくれる人が増えれば良い」と話してた。

 「元々ストップモーションには可能性がある。それでニッチになりがちだけれど、エンターテインメントとして触れる人がいて、インスパイアされて新しいコンテンツが増えたら嬉しい」とも。受けて「まさにそう」だと細田守監督。「アニメーションをそういう物だと作る方も見る方も思考停止すると終わってしまう。表現の可能性はもっとある。試すことが沢山ある。そうした挑戦を少ないストップモーション・アニメーションの中でちゃんレンジするバイタリティが凄い」と「HIDARI」を激賞。「僕も商業アニメで1作1作広げようとして頑張っているが、それは支援があり沢山チャンスがあるから。そうしたチャンスの中で広げていく努力が大事なので、挑戦している『HIDARI』は応援すべきだと思います」。僕たちも応援しなくちゃ。


【4月21日】 新しいウルトラマンが「ウルトラマンブレーザー」という名前だと発表され同時にスタイルも公表されていたけれど、左目に青い煙のような雲のようなものが被っていたりするデザインがアシンメトリーで珍しいかったのと、それが「ブラック☆ロックシューター」みたいだったのでちょっと興味を惹かれた。まさか手にデスサイズなんて持って振り回しはしないと思うけれど、そんなアシンメトリーのデザインが存在そのものにどんな意味性を持たせているのか、単にデザイン以上の何かがあることを期待してしまう。魂の怒りが吹き上がるとかね。

 監督は田口清隆さんで大昔に「大怪獣映画G」だか何かのパッケージが出るということで取材したことがあったけれど、その時から特撮映画に参加はしていてもまだまだ駆け出しだった感じが10余年を経てすっかり特撮作品の中心的な監督として作品を待ち望まれるようになった。戦隊ヒーローとか仮面ライダーといった等身大ヒーローものよりも巨大ヒーローを特撮セットで撮影する方に長けた感じがする監督。なので次は「シン・ウルトラマン」めいたクールな大人のウルトラシリーズなり、「ゴジラ」なりを手掛けて欲しい気がするなあ。樋口真嗣さんばかりが特撮監督じゃないんだよ。

 船橋図書館で3時間ばかり原稿を打ってから外に出て、近所でさて何を食べようと歩いていてみつけた「まるは」という名前のラーメン屋に入って1杯。細麺で普通に美味しい感じがするけれど二郎系めいたラーメンと比べるとちょっと上品な気もしないでもない。ガッツリとした感じがないからお腹ははまあ八分目とかそんなもの。ご飯をいっしょに頼めば良かったかもしれない。知らないうちに船橋にはどんどんとラーメン屋が出来ているけれど、消えていくラーメン屋もあるからそのあたり、差し引きで全体量は変わらないのかな。大勝軒系が来てくれると嬉しいんだけれどなあ。

 うわあ。これはアメリカの話だけれどバズフィードが報道部門を廃止して会社的にいっしょになったハフポストに報道は一本化させるとか。日本ではまだバズフィードジャパンは存在してそれなりに報道めいたことをしているけれど、積極的にニュースに斬り込んで独自の報道をしている感じがだんだんと後退している雰囲気があって、こちらもハフポストに統合されてしまうのかって予想も浮かんでしまう。そのハフポストも独自の取材はなくネットで評判になったことをコタツしている感じだしなあ。やっぱりネットでの報道メディアって無理なのかなあ。

 そのハフポストもバズフィードもセクハラだとかMeTooには熱心なのにこちらはまるでスルーしているジャニーズ事務所の一件について、事務所側が問題の所在について認識を示しつつ調査を行い公表する予定があると各所に連絡。つまりは自ら認めた恰好ではあるんだけれど、外部の弁護士だとかが入って第三者的に聞き取り調査をした訳ではなく、今も事務所に所属している先輩たちが後輩にいろいろヒアリングをしたって感じで、それで全体に今は問題がありあませんといった回答が集まれば、そうやってひとつみそぎは終わったって結末へと至りそう。新聞もテレビも週刊誌もそうした報告をもって一件落着とするんだろうなあ。まあ騒いで今のタレントに傷がつくのも厄介なのでひとつの落としどころにはなるんだろうけれど、傷ついた人の救済にはなってないのもやっぱり厄介。そうこうしているうちに存在感が下がりやがて分裂から停滞へと向かうんだろうか。見守りたい。

 ジャニーズ事務所だけじゃなくテレビメディアのとりわけ関西のテレビメディアが気にする維新様。例の大阪市と大阪府が出して来たカジノリゾートのPR映像に奈良美智さんの「あおもり犬」が映っていた問題で、あれは無料で見られるスペースにあるパブリックなものだから入れ込んでも仕方がないとか言ったらしい。でもあの「あおもり犬」は美術館の敷地内になって開館時間の間でしか見られないようになっているし、掘られた穴の中にいるから外からだって見られない。偶然映り込むなんてありえないものを取り上げて勝手に取り上げて良いんだなんて言えてしまう弁護士先生を、平気で出しては奈良さんから突っ込まれても訂正しないあたりに、維新様々な雰囲気が見て取れてげんなりする。このまま関西はどうなってしまうのか。そして日本は。見守りたくないなあ。


【4月20日】 ハヤカワで新人賞の最終選考に残ってそして1冊出して、さあ次もまたハヤカワからすごいSFを出してくれるのかと思ったらなかなか出さないうちに藍内友紀さんの新刊が、なぜかKADOKAWAから元ハヤカワの奥村さんの編集にて刊行されることになった。しがらみと観念に縛られた大人の倫理観も正義感も蹴飛ばし子供たちが内省し、反芻して得た生き方を描いて大人たちの眉を潜めさせつつ次世代の心に爪痕を残す作品だった「星を墜とすボクに降る、ましろの雨」と同様に、新刊の「芥子はミツバチを抱き」もまた挑戦的な1冊になっている。

 日本にいながらトルコのイスタンブールで行われていたドローンのレースに遠隔参加していたら、そのドローンが爆発してしまったことテロの容疑を被せられた少年が、母親に捨てられ居づらくなった日本を出た先で、出会う少女たちは囀りによってドローンを操れるようになったミツバチたちだった。少女たちはその能力を正義のためだと言われ利用されているけれど、少年はそんな正義を支える汚穢に気付き、背を向けても同じように利用されるだけだという泥沼の中、自分の居場所を探す物語になっている。

 テクノロジーの進化と収まらない紛争の描写にはかの伊藤計劃的なビジョンも見えつつ、政治と軍事の奔流に呑み込まれていく大人たちとは違って自分で今を掴み未来を得ようとする子供たちの強さにこれから先を託したくなる。たとえ大人として不要と言われても。脳を改造してまで星を撃つスナイパーとしての職務に入れ込んだ少女が主人公の「星を墜とすボクに降る、ましろの雨」とも共通する主題を持った最新刊。麻薬という存在も含めて害悪も正義も裏表な関係に深く考えさせられる。これだけの才能をしかしなぜハヤカワは手放してしまったんだろう。うーむ。

 キネマ旬報の新作映画レビューに紀里谷和明監督の新作映画「世界の終わりから」の評が出て宇野維正さん、北川れい子さん、千浦僚さんがそろって星3つを付けていた。一見の価値ありということで、どこかサブカルチャーに流れて眉を潜められがちだった存在であっても作った映画はちゃんと映画の見巧者に伝わっているってことが伺えた。結構ヘビーな内容なんで何度も見返すことができてないけれど、こういった評が出てくるともう1回くらい見てみたいかもしれない。女性のガードの人の活躍うりとかかっこうよかったからなあ。まだしばらく上映してくれるかな。

 「神様のいない日曜日」が評判になってたからずっと現役っぽさを感じていたけれど、結構長い間新作を発表していなかったらしい入江君人さんが久々の新刊となる「蜘蛛と制服」(ファンタジア文庫)を刊行。これがまたの近年で最大級に衝撃的な展開を味わえてとても良かった。異世界に転移した少女が3匹の蜘蛛を友達に迷宮を冒険する話だけれど、その過程において少女の身に起こる事態がおぞましくも凄まじい。それで正気を失わないのは既にして正気を失ってたいのかもしれない。その身を捧げてでも一緒に行き続けることはどこまで可能なのか。行き先が気になる。続くかな。続くだろうな。

 ICレコーダがUSBの接続端子を引っ張り出してPCのUSBに刺しても電源を認識内といった具合に故障してしまったので、昔のを引っ張り出して録音していある音声を順に聞いていったら、4年ちょっと前にリストラ絡みの面接を受けた時のやりとりを録音したのが入ってた。居場所がないだの次を選ばれた方が良いだのといったお定まりの文言が入っている感じ。聞き直すとトラウマが蘇ってくるから全部は聞けないけれど、これだけのリストラを敢行するんだからきっと社長も責任とるよなんてお為ごかしをいっているのも入ってるんじゃないかなあ。当然社長は辞めずに代表権を持ったまま会長となり、そして新しい社長がまたリストラをするというこの状況が意味することは? 考えるまでもないよねえ。やれやれだぜ。


【4月19日】 「BLUE GIANT」が人気になって「ブルーロック」とか「ブルーピリオド」とか「ブルーサーマル」といった漫画もアニメになったりして時代はやっぱり「ブルー」ということで、「機動戦士ガンダム」にもそんな「ブルー」の要素を取り入れた「ブルーガンダム」が作られる可能性を想像する。ストーリー的には何も知らない少年が街で戦うガンダムを見たことでガンダム乗りに憧れ日々自主訓練を重ねて難関のガンダム学校に入ったらそこはエースパイロットを養成する施設だったといった感じ。

 でもって同じようにガンダム乗りに憧れた若者たちと寮生活をして競い合いながら試練を突破していった果てに仲間と卒業試験に出ることになったものの、ひとりが前日に事故でガンダムの操縦ができなくなって2人で出ることになってそこで圧倒的な力を見せて試験を突破して晴れて連邦のガンダム乗りになってからも試練は続きトップチーム昇格を目指しそしてG1(ガンダムリーグ1部)昇格を目指して戦い続けるとかどうとか。ちょっと「アオアシ」も入ったなあ。まあガンダムにはゲーム「機動戦士ガンダム外伝 THE BLUE DESTINY」があったりするけれど。ならば「ブルーエヴァンゲリオン」ってのはどうだ。いやもうそれこそ青臭さに溢れているからすでにして「ブルー」なのだけれど。

 サントリーがまたぞろCMで怪獣が現れた街に怪獣なんて足元にも及ばない巨大なヒーローが現れて知らず退治をしてしまうようなストーリーの映像を公開しているけれど、これって泉昌之さんが「スーパーウルトラジャイアントキング・G」って漫画でやったこととほとんど同じだったりするんだよなあ。でもってオリコカードで同じようなネタが使われてちょっと騒動になったとか。そういう過去がありながらも同じネタを拾ってくるあたりにサントリーのクリエイティブの弱体ぶりが見て取れる。ウイスキーのCMでアフリカの人たちにメッセージを喋ってもらうお仕事をまんまパクってたりもしたし。開高健が泣いているぞ。

 FLASHのサイトの産経新聞社の120人リストラ記事。「希望退職に応募しても、大学の教員の職につくなど、理想的な転職をできる社員はごく一部です。どうすればいいんでしょうね」なんてコメントが添えられているけれど、経験的に言うならどうしようもありません。社風に媚びて嫌中記事を量産しまくっていた記者が海外留学の経験も活かして教授になったみたいだけれど、そうやって信念を歪ませてまで生き残ろうとしたところで未来に心が平安でいられるとは思えないから。なので掴み金をもらったらそれをしばらく食い扶持にしながら何もしないでいるのが健康に1番だと行っておこう。使える記者ならどこかが使ってくれるくらい、書き物需要はまだあるから。ChatGPTなんって”知ってる”ことしか吐き出さない訳で。

 三鷹であれやこれや作業をして戻る途中の御茶ノ水でネット記事向けのポートレートを撮影。場所は今や中国で大人気となった「すずめの戸締まり」にも登場して、アジアが注目するスポットとなった聖橋上。そこから見下ろす丸ノ内線やら遠くに見える秋葉原なんかがトレンドなのだった。アメリカあたりでも知られてきてはいるのかな。見たところ記念撮影に来ているのはまだアジア系が多かった。中国で公開されて知った人も大勢いそうだたからこれからわんさか人が来て、鎌倉高校駅前の踏切くらいの賑わいになっていくのかも。そっちはそっちで映画公開でさらに盛り上がりそうだけど。映画には出てこないにも係わらず。

【4月18日】 駅で新幹線を待っている。中で放送前の新作アニメが見られるということで、到着した車両に我先にと乗り込んだものの窓から入り込んだ人もいて席が半分くらい埋まっている。それでも空いている席があったので座り、車両の前の方にあって天井から吊るされたテレビにアニメが映し出されるのを待っていたら、いつの間にかバスになっていた車両はカーブの多い道を走っていて、そして目の前でトレーラーがカーブを曲がり損ねてガードレールに突っ込み、道を塞ぐ形になったところにバスも突っ込んで、そこで旅行は一旦取りやめとなった。

 乗っていた人たちで近所の放送局まで行って、そこで事故の様子を伝えるニュース番組に出ようとしたら、局の偉い人が出てきてこんな程度のネタは放送するに値しないと言い出した。揉めているうちに新聞が届いて探したら事故を報じている新聞もあったりしたけど放送局は動かないので、何故か古びた学生寮になっていた建物の、散らかって食べ物とか置かれた階段を降りて外に出たら、車で区長が乗り付けてきたので伴って上に戻ろうとしたところで目が覚めた。個々の断片に元ネタ的な記憶はありそうだけれど全体として繋がらないあたりが夢だなあ。見ている間は楽しいから良いか。

 起きたら午前10時近くになっていて、ようやく届いた荷物を受け取ってそういえば夜に「雄獅少年/ライオン少年」の完成披露上映かがあったっけと思ってチケットを見たら何と午前10時20分からだった。もう始まるじゃんと大慌てで支度をして、1時間ほどで新宿バルト9に入っていよいよ大会に主人公チームが出場するってあたりから見ることができた。いわばクライマックスなのでここが見られてとりあえず良かった。本当は冒頭で美少女が獅子舞を加齢に踊る場面も見たかったけれど、それは次に公開された時にしよう。

 ひ弱でいじめられっ子の少年が美少女に良っ繰り広げられた獅子舞に関心を持ってやってみようとなって、猿顔の少年と太っちょの少年といっしょに獅子舞を始めようとしたけれど、何も分からないので師匠を得ようとしたら魚屋のおっさんで、それでも過去にはやっていた人らしく頼んでどうにか弟子にしてもらい、そして鍛錬を経てどうにか出場権を得たところでアクシデントといった展開。ここを乗り越えていった先に得られるカタルシスがとても良い作品になっている。

 フル3DCGなんだけれどそれで獅子舞の獅子頭に生えている毛をフサフサな感じに表現していて凄かったし、中国の農村から都会からといった風景をフォトリアリスティックな映像で再現して中国という場所の今を知ってもらおうとしていた感じもあって凄かった。それだけにカートゥーン的なキャラクターとのマッチングがズレている感じもないでもなかったけれど、頭身をリアルに寄せ居ていたからそこはどうにか通り過ぎることができた。とにかく今の中国の技術が詰まったアニメーション映画。というか2021年だからここから2年も進んでいる今の中国のアニメーション映画がどうなっているか大いに気になる。日本も頑張らないと。

 ネットで「天空の城ラピュタ」が期待外れだったといった議論がちょこちょこと。でも言うほど期待外れだったかなあ。自分としては「未来少年コナン」を作った宮崎駿監督による見たいアニメーション映画が見られたって嬉しがっていた記憶なんだかなあ。むしろこの後の「となりのトトロ」がちょい子供向けなのと、「火垂るの墓」が文芸寄りだったこともあって映画館に行かなかったんだよなあ。<実際に興行収入はだんだんと下がっていく感じになっていて、それでも「風の谷のナウシカ」と比べてそれほど下がっていないところに日本におけるアニメーション映画の観客がだいたいそのあたりだっただけって気がしないでもない。

 そして日本テレビが全面協力した「魔女の宅急便」で跳ね上がってJALが協力した「紅の豚」やら何やらで盛り上がって50億円くらいの規模まで到達していたものが、なぜか「もののけ姫」が予想外の大ブレイクを果たしたって印象。当時徳間康快さんがぶち上げていた「もののけ姫」の配給収入見込みが60億円だからそのラッパすら上回った。この「もののけ姫」がどうしてこれだけヒットしたのか、報道の現場から見ていても実はあまりよく分からない。そんなに雑誌に出た訳じゃないし、人気アイドルや有名俳優が声をあてた訳じゃない。まあ石田ひかりさんとか田中裕子さんといった俳優趣味は出ていたけれど、それが客を引っ張ったって感じじゃない。この宣伝計画を1度、振り返ってみたいなあ。


【4月17日】 船橋駅とかそばの交差点とかに立って演説したり、チラシを配ったりする候補者があちらこちらにいてここはどこの学校の生徒会長選挙かと思うくらいの密集ぶり。狭い学校内なら候補者がガチ合うことがあっても広い船橋市でこんなにもと思ったら、どうやら73人くらいが立候補しているらしい。なるほどこれなら津田沼だとか西船橋といった近隣を入れても1カ所に何人か重なるはずだと納得する。

 それだけ立候補していったいどれだけ当選するのかと調べたら何と50人。ってことは立候補者の3分の2は当選する訳だ。自民党とか立憲民主党とか公明党とか共産党といった政党の推薦や公認を受けている候補者もいる一方でまるで知らない人もわんさか。ずいぶんと前から辻立ちをしていた人もいたりするけれど、自分はサラリーマンだとか船橋駅前の開発に異論があるとかワンイシューを言われたところで、どれだけの政治をしてくれるのか分からないから不安も募る。

 となるとやっぱりそれなりに知られた政党からの候補者に入れたくなるんだろう。ここにたとえばYouTuberとして活躍している候補者が混じっていたら、その知名度から名前を書いてしまいそうになるのも分かるなあ。実際に新宿区だとか武蔵野市だとかいったところでそうしたネットの有名人が立候補していたりする。1000票も集めれば当選したりする可能性もあるなら何万ものチャンネル登録者がいる身として当選も期待したくなるだろう。とはいえ悪評もある中でどれだけの票をえられるか。ガーシー問題も近々にあったばかりだけに吹くのは逆風かそれとも。投票日が待ち遠しい。

 選挙といえば山口で2つの補選が行われていてひとつは安倍晋三元総理の死去であいた議席を狙って後継者とかいう人や、有田芳生さんとかが立候補してなかなかの激戦を繰り広げているらしい。もうひとつは安倍元総理の弟が引退したあとを埋めるもので、息子さんで元フジテレビ記者とか違う人とかが立候補してこちらはなかなかの激戦ぶり。二世議員があっさり当選するのが過去の国会議員選挙だったけれど、地元とはいっても名前ばかりの地盤ではそろそろ後継者であっても当選は難しい状況になっているのかもしれない。これが横須賀当たりだと小泉家への支持は盤石だかなあ。地域のよりけりってことかなあ。

 安倍晋三元総理への襲撃事件を思わせる岸田総理への襲撃事件に関連して、逮捕された容疑者が送検されたというニュースに対してテレビ記者が黙秘していて動機も分からない中で早すぎるとかツイートしていたけれど、安倍元総理の時だって2日後には送検をして地検の方で詳しい取り調べが行われることになった。警察は外形的に罪状を決めればあとは送検するのがお仕事な訳で、そこに忖度なんて入りようがない。そもそもが明らかに威力業務妨害をした容疑者に忖度なんてする必要もないんだけれど、それなりに影響力を持ったジャーナリストが思わせぶりなことを言いたがるのはどうにも居心地がよろしくない。

 言いたければ自分の番組なりで言えばいいのに言わないし、間違いを指摘されても改めないで言いっ放しのジャーナリストの仕草は結果として、右側が言いたがる陰謀論と変わらない訳でそこに対して科学的なり論理的な言説をぶつけて突破していくべき左側が、同じような陰謀論を振りまいているんだからジャーナリズムも廃れる訳だ。朝まで生テレビのお爺ちゃんまでドイツはNATOに加盟してないから言いたいことが言えるんだって書いてすぐに1955年に突っ込まれていたけれど、だから脱原発ができるんだろう論旨を引っ込めようとしないのもちょっと困ったもの。謝れない病を抱えてジャーナリズムは右も左も沈んでいくのでありましょう。やれやれ。


【4月16日】 声出しの応援上映も解禁になったようで、TOHOシネマズ池袋で開催の「グリッドマン・ユニバース」の舞台挨拶付き応援上映へと出かける前に、移転した三浦のハンバーグでお昼ご飯。開店直後に行ったからまだ1人が入店していただけだったけれど、出てくるまでに結構な時間がかかって食べて外に出ようとしたら、入り口にはいっぱいの人が座っていて外にも人が並んでいた。人気なんだなあ。おまけにカップルとか女性とか。近所の焼き肉ジョニーだってお肉とか食べられるけれど、雰囲気が荒々しいからやっぱりこっちに来るのかなあ。

 さて「グリッドマン・ユニバース」見るのは2度目だからだいたいの流れは分かっていたので、どんな応援上映かなあと眺めて見ていた感じで技名とかみんなでしっかり声を出して応援するあたりの統一感はそれなりにとれていたけれど、タイトルだとか製作会社にありがとうと声をかける過去の応援上映で観られた光景はあまりなかった。あっちは女性のファンが中心だったからそっちの文化なのかもしれない。映画泥棒でも赤いライトは光らなかったし。

 相変わらず新條アカネは大きいなあ(何がとか聞かない)と思いつつ姫は5000年ぶりに現世に蘇ったにしては馴染みすぎているなあと思いつつせり上がっていく興奮に飲まれつつ見終わってさあ舞台歳殺だ。「SSSS.DYNAZENON」勢からガウマ役の 濱野大輝さんと姫役の内田真礼さん、「SSSS.GRIDMAN」かはら新城アカネ役の上田麗奈さんとアレクシス・ケリヴ役の稲田徹さん、そしてアンチでありナイトでもある鈴村健一さんが登壇してあれやこれや喋った中では、濱野さんの仕切りが完璧な一方で響裕也役の広瀬裕也さんがダメダメで面々に弄られているという話しになって、そういう司会っっぷりなんだと見てみたくなった。

 稲田徹さんは相当に入れ込んでいるみたいで、喋り倒してはアカネのフィギュアも予約したと言ってファンも買うんだと煽ってた。フィルム風のしおりだかが10種類、特典でつく週には10回行けとも。さすがにそれは無理だけれども1回くらは行って今度は応援上映ではない静かな環境で改めてストーリーを堪能したいかもしれない。2つの作品があってそれらを繋ぐ作品としての「グリッドマン・ユニバース」はひとつの完結をしているけれど、ユニバースがさらにあると仮定するならもう少しいろいろな話だって作れそう。その前にシリーズとして「SSSSなんとか」があってそして改めてそれらの統合なんてことになってくれれば嬉しいかも。ネタはまだあるって雨宮哲監督も話していたそうで、だったら期待したいけれどもいつになるのかなあ。

 何を言うのか気になった山下達郎さんお「サンデーソングブック」だったけれど、追悼するにはあまりにも時間が足りないということで、いずれじっくり行うとしてこの日は冒頭に「俺の空」を流して環境活動に取り組んでいた坂本龍一さんを偲んでいた。突然となりに高層マンションが建って日照権が奪われてしまうといった歌詞はなるほど、木々が1000本単位で切られて開発が進められようとしている神宮外苑の工事に反対していた坂本龍一さんをしのぶのに相応しい1曲かも。いっしょにプレイした音源とかもきっとあるだろうから、それらが流されるだろう本格的な追悼に今は期待。

 うわあ。やっぱりエリクト・サマヤはスレッタ・マーキュリーとは同一人物ではなかったか。プロスペラがふと口を割ったその言葉が意味するところは、ガンダム・エアリアルの中にいるのがエリクト・サマヤっぽいけれど、それがどういう形で入っているのかはちょっと不明。魂を吸い込まれたのか脳組織が移植されているのか。いずれにしてもその存在があるからこそ、スレッタはガンダムに精神を蝕まれないで動かし続けられるのだ。対して地球からやって来たソフィはパーメットのレベルを上げ続けた挙げ句に心を蝕まれて退場の模様。出てまだ間もないのに残酷な。残されたノレアもやっぱり同じ運命を辿るのか。真実を知らされたミオリネ・レンブランがスレッタとエアリアルにどんな態度を取ることになるのか。いろいろと見えないこの先がますます楽しみ。しかしまだ再開して2週目だぜ。どうなることやら。


【4月15日】 大阪に作られるカジノがメインのリゾート施設のプロモーション映像に、奈良美智さんが青森県立美術館向けに制作した巨大な犬のオブジェ「あおもり犬」とそれから村上隆さんにとってアイコンともいえる笑顔の花が倒叙UUしていて奈良さんがおかんむり。話を聞いたこともないなんてことはつまり映像を作ったところが勝手に使った可能性が大で、それを提供された大阪府と大阪市がそのまま使ってしまったらしい。映像を見ると本当に奈良さん村上さんも協力しているかのように思われかねないのでこれは勇み足。内々にアートっぽい雰囲気もありますよと見せるだけならまだしも、外向けの映像でこれを使ってしまってはやっぱり拙いだろう。

 一応は訪ねて権利はクリアされているっぽいことを言われたって話もあるけれど、そうでないと分かったら早々に引っ込めるのが筋なんだけれど大阪府の吉村知事あたりは何か未練でもあるのか違う経緯もあるとか仄めかしてみたりするところが維新っぽいというかイソジン吉村だけのことはあるというか。途中の誰が何を言ったとしてもアーティスト本人が認めてないならもうそれは無理ってことだと思い返して次の手段を講じるべきなんじゃないかなあ。ってこれでアーティストが協力するとも思えないんだけれど。どこかの巨大資本がビッグマネーで作品を買い上げてくれるならまだしも。

 前にいた会社のOB会があるってんで内幸町にある日本プレスセンタービルまで行って数時間ほど歓談。よくもまあみんな生き延びているものだ。一般紙の記者とは違って専門紙で経済関係が得意な人が多いから企業取材とかコンサルとか企業広報とか就職課の職員とかで生き残る手段もあるんだろう。そんな中で経済とはまるで無縁のポップカルチャーをメインで書いている自分は珍しい方か。まあそれも少しは仕事にしていたのである意味で救われている方かも。これで社会部上がりとか政治部上がりだと大変そうだものなあ。

 とか言ってたらまたしても希望退職という名のリストラを実施するっぽい話が伝わってきて、残るも行くも大変そう。120人規模だから結構な人数。そんな人たちに減ったとはいえ大枚をはたくわけで残る会社の財務がどんな状態になるのかが傍目にも不安になってくる。そうやって人を減らし支局も閉鎖して残る人たちだけでどれくらいの仕事ができるのかがちょっと分からない。頼みにしていた紙とデジタルの融合もまるでうまくいってる感じがしないまま、ウエブサイトも新聞各社ではもっとも貧相な感じだものなあ。情報量少ないし。今度こそ誰かが責任をとってくれたら溜飲も下がるけど、どうせしのまま上にスライドしていくんだろうなあ。やれやれ。

 夜になったので秋葉原UDXシアターへと回って「ラーゼフォン 多元変奏曲」の上映イベントをのぞく。総監督の出渕裕さんが登壇してはラーゼフォンという名前の由来や劇場版にも盛り込まれた「ブルーフレンド」のコンテ担当の奪い合いについて話してくれた。「W13」の監督も務めた高山文彦さんの脚本にこれは自分がと京田知己さんが他の演出を控えながらも手掛けたいと手を挙げたとらしい。

 演出を担当したのは入江泰浩さんだけれど絵コンテの段階でもある程度の演出プランは示す必要がある。ところが高山さんの脚本がびっしりで演出の余地のあるやなしや状況だったらしい。そんな「ブルーフレンド」は結果として屈指のエピソードになったみたいで、総集編とはちょっと違った劇場版でも落とすことなくキャラクターの関係もそのままに組み込まざるを得なかったと、2003年のSFセミナーで出渕さんが喋っていたのを思い出した。

 SFセミナーでは橋本一子さんのママン起用の経緯なんかが話されていてジャズとかで見聞きしていて「コーリング」という岡野令子さんの漫画についたCDの音楽で感じを掴みライブに行って音楽を頼もうとして声優やりませんかと声をかけたとか。そんな映画を見終わった後で出渕さんが言うには「シン・仮面ライダー」を見て欲しいとのこと。見てない人とは友達になりたくないとまで言うくらいに入れ込んでいて3度見たけど見れば見るほどに味が出るのであと2度は見るとか話してた。そんな総統の指令が出たんだからこれはもう5度目を行くしかないなあ。今度はどこで見よう。


【4月15日】 ずいぶんを前に予約をして購入したジブリパークの入場日となったので名古屋市内にある家を出て、地下鉄鶴舞線から名城線を経て東山線で藤が丘まえ行きリニモで愛・地球博公園駅までだいたい1時間10分くらい。これなら通って通えない距離ではないけれど、そんな仕事がジブリパークである訳ではないので捕らぬタヌキの皮算用に過ぎないのだった。まあ本気で務めるあんら普通に車で行くけどね。それなら40分もあれば着きそうな感じ。

 平日ってこともあってリニモにジブリパーク行きの人がぎっしりと乗り込んでいる雰囲気もなく、普通に近隣にある愛知学院大学だとか愛知県立藝術大学なんかに通う学生でそれなりに混雑していた感じ。これで週末ともなればジブリパーク行きの人が増えるかというと、もとより定員もしっかりと決まっているジブリパークですでにチケットが完売している訳だから、人数が週末だからといって増える訳はない。そして愛・地球博公園に行く人はだいたい車を使うだろうからリニモが大渋滞ってことは多分ないんじゃないかなあ。行った訳じゃないから分からないけれど。

 午前10時からの大倉庫入りを前に30分ほど並んではいるとすでにジオラマのコーナーに少し行列。それでも先頭だったから撮ろうと思えばカオナシと一緒に写真も撮れただろうけれど、そういう趣味はないのでスルーしてあれやこれやジオラマを眺めつつ「コクリコ坂から」の学生寮の小汚さが割と再現された部屋とか良い感じだと思いつつ次のコーナーへと転戦。三鷹ジブリ美術館にもあるような劇場で宮崎駿監督による短編アニメーションを見たけれど、これですらすでに四半世紀くらい前のだから今の宮崎監督がどれくらいの動きに関する感覚を保っているかは分からなかった。

 映画館を出てからアリエッティ絡みの展示を見物。これはたしか東京都現代美術館で開かれたアリエッティ展のために作られたセットで、それを保管しておいて設置したらしい。そんな感じにジブリに関する諸々が保管された倉庫もあって中に巨大なマルチプレーン撮影大も置かれてた。これで撮ることはもうないんだろうけれど、その味が必要になった時には誰かが持ち出して使うのかも。展覧会用では両国の江戸東京博物館で開かれた種田陽平さんの展覧会でマーニーに関するセットも作られた筈だけれど、あれなんかも取ってあるのかな。サイロが良い出来だったんだよなあ。

 美術館っぽいところではジブリ飯に関する展示があって原画で食べるところとかを浮き出したり、食べ物なんかのサンプルを作っておいたりして美味しそうな感じがどう表現されているかを教えてくれた。「千と千尋の神隠し」で千尋がおにぎりをほおばりながら泣くシーンとか、連続の原画でみるとだんだんと大きく口を開け食べつつ涙をこぼす感じが伝わってきた。ここを描いたのは松瀬勝さんという人。最近あんまり聞かないけれどもアニメーターをもうやってないんだっけ。どうだっけ。

 見終わったら寿がきやがあると聞いたのでそこまで歩いて行って甘くてちょっぴり酸っぱい冷やしラーメンを食べてそして戻って青春の丘で「耳をすませば」の地球屋を見物。時計だとかバイオリンだとか台所の品々だとか本当に良く揃えてた。そこでバイオリンだって作れそうだし人だって住めそう。それくらいの精度でもって再現してこその没入感だって意識なんだろう。よく作った。大倉庫とのセット券だったのでもう1度だけ大倉庫をざっと見てから最後の展示となる「どんどこの森」までとことこと。ぐるりと回ると結構あったけれど、山を越える近道を通ればもっと早くつけたと帰りに分かった。

 見るものはやっぱりサツキとメイの家。もう20年近くなるけどそれでもよく作られていた。これを動かすなんてもったいないならやっぱり愛・地球博公園をジブリパークにするしかないよなあ。ほかの施設も着々と工事中だったけれど、よゆうをもって見て回って3カ所で結構くたびれたので、これにハウルの城とかいろいろ加わったら1日では回るのは大変そう。かといって近所にホテルもないジブリパークはやっぱり名古屋まで戻るしかないのかな。あるいはジブリホテルとか作られるかも。そこではジブリ飯が食べられて釜爺が焚いた風呂に入れてそして夜にはまっくろくろすけにたかられるんだ。


【4月13日】 家にいたら原稿が書けないので起き出して、とりあえず栄まで出てオアシス21にあるイタリアントマト系のカフェでかたかたと原稿書き。「Re:ゼロから始める異世界生活」がどうして人気なのかをあれやこれや考えつつ、やっぱり死に戻りというチート過ぎる力があってもそれにともなう苦痛や苦悩に心をおられることなく、自分が好きだと思った相手のために目一杯に頑張るナツキ・スバルがカッコ良いからってことに落ち着いた。エミリアたんもレムも可愛いけれど、それだけで引っ張れるものではないからね。

 何時間か仕事をしてから店を出て、セントラルパークの下をくぐって錦までいってスパゲティのヨコイでミラオムを食べる。卵焼きの上に赤いソーセージがざっくりと載ったメニューでもう美味しくないはずがないといった感じ。卵もちゃんと使われていたからやっぱり名古屋はそれなりに卵が流通しているのかもしれない。これが卵不足のところならオムレツが小さくなったり薄くなったり、それこそ卵が絡んだメニューの提供を中止したりするくらいだろうから。ヨコイはピカタもまだあるみたいだからそこは安心。でも次行ってもあるかどうかは不明。どうなるんだろう卵に牛乳。

 食べ終わったらとことことと歩いて丸善まで行き村上春樹さんの新刊「街とその不確かな壁」(新潮社)を買う。3000円近くしてちょっと高いかなあという感じ。30万部を初版でするならもうちょっと安くなっても不思議がない気もするんだけれど、それくらい紙の値段が上がっているのか村上春樹さんの原稿料が上がっているのかもしれない。そういえばとんでもない値段でサイン本を売り出すみたいだけれど買う人はいるのかなあ。半ば騰貴目的で買う人はいそうだし、買ってみたい気もしないでもないけれど、駄作にサインだけっていうのも寂しいのでまずは読んで中身が面白いのかを確かめないと。

 そこからさらに歩いて大須まで出て角の矢場とんでまたしても「大須のぶーちゃん」を見物する。といっても突っ立って全話を見た訳じゃなくてさっと前に見たエピソードを眺めた程度。やっぱりエンディングで踊るお姉ちゃんの動きがとっても良い。そこから商店街に入って聖地になっている招き猫がいる広場を通り過ぎつつ招き猫にご挨拶。夏場所で相撲がとれると良いね。そしてやっぱりメイドの姿はみかけないのだった。今って大須にメイド喫茶ってあるのかなあ。

 メイド喫茶といえば東京の秋葉原でつきまとい系の厄介な客を撃退する方法を警視庁がメイドさんに伝授したってニュースが流れてた。いやいや秋葉原のメイドさんはたいていがチャカなり長ドスを装備して喧嘩もすれば出入りもするから厄介な客なんてつかないだろうと思ったけれどもそれはフィクションの世界の話。現実のメイドさんはやっぱり日々の厄介な接触にさらされながらも懸命にお仕事をしているのでありました。1度も行ったことがないけれども一生のうちに1回くらいは寄ってみるのも悪くないかもしれないなあ。それで今度は拳銃突きつけられたりするんだ、ってそれは「ベイビーわるきゅーれ」の世界か。

 なんだかなあ。初音ミクと結婚したという男性の話が朝日新聞のニュースになっていてちょっと辟易。そうした二次元のキャラクターと結婚することを別に気持ち悪いということはないけれど、半ばパブリックなものになっているキャラクターに手前の色をつけて平然としていられる無神経さが僕は苦手だ。それでキャラクターを愛していると平気で口にできる傲慢さが僕はちょっと苦手なのだった。そうした意識も持たずに報じて知ったかぶりするメディアの態度も含めて。パブリックなものといえば例の煉獄コスプレYouTuberもキャラクターに厄介なイメージを貼り付けかねないだけに、どうにかならないものかと思わないでもなかったり。煉獄さんを見る度に厄介者が浮かんで気持ちが萎えるんだよ。これは困ったことだよ。


【4月12日】 やっぱり新作が見たいということで新幹線に乗り名古屋まで行って地下鉄の上前津駅から戻って大須の角にある矢場とんの前に陣取って、モニターで上映されていた「大須のぶーちゃん」の新作となる第4話と第5話を見る。ずっとやっている訳ではなくって間に広告なんかも入ってそして順繰りに第1話から上映しているみたいで、うまく第3話の上映に当たったのでそこから雨の中を傘をさして上映をしばらく見続ける。

 そして始まった第4話のオープニングがちょっと不思議というかレイアウト原図の上に原画かラフを重ねたものを撮影してオープニングを再現していたのはなぜだろう。それだけ手の込んだ作品だってことを見せたかったのか、それとも時々そういったものも上映しつつ普通はちゃんと色がついたアニメーションのオープニングを上映しているのか。分からないけれども原画とレイアウトでもきっちり面白さと上手さが伝わってくるあたりに「大須のぶーちゃん」にかけるアニメーターとそして製作した矢場とんの意気込みがうかがえる。

 新作のうちの第4話は大須の商店街の中にある招き猫をご存じなら面白がれる作品。なるほどずっとあそこにいては大相撲の名古屋場所は見られないものなあ。そして以外やぶーちゃんが相撲が強いことが分かった。バッティングセンターではからっきしだめだったけれどもそこはまわしを締めているだけのことはある。でも頑張ればそんなぶーちゃんだって倒せるんだってことを教えてくれる夢のあるドラマを見せてくれてありがとう。招き猫の声はだれが演じていたんだろう。クレジットを見てその場では記憶したけど忘れてしまった。

 続く第5話はお父ちゃんがキャバクラではないメイド喫茶に行く話。そして同時にお姉ちゃんがメイド喫茶でアルバイトをする話。だからかち合うその場面。いやあ面白い。というかやっぱり可愛らしい。大須を歩いていてメイド喫茶と呼び込みをするメイドさんをあんまり見なかったけれど、通る道が決まっていたので別の通りには案外に立っていたのかもしれない。あるいは「大須のぶーちゃん」の時代からでも着実に大須が変わっている現れなのかも。おたくの店より唐揚げ屋の方が多いみたいだものなあ。それでも賑わいは変わらないのは大須の良さか。今池とか本当に閑散としてしまったものなあ。

 見終わって歩いて大須観音駅のそばまでいってあんかけスパゲティのユウゼンで昼食。スパニッシュオムレツが載ったバージョンはヘルシーなのかそれともたんぱくしつたっぷりなのか。卵の値段が上がって卵料理のことごとくを退けている昨今のフード店が多い中でここん家はピカタもスパニッシュもちゃんとメニューに載せて提供していた。そこは名古屋コーチンの街だけあって鶏もしっかりと飼育されて卵もちゃんと供給されてそれなりの値段で購入できるのかもしれない。首都圏だとあのコメダのモーニングからゆで卵が消えたっていうし。ゆで卵のないモーニングなんてモーニングじゃないだろう。

 元ジャニーズ事務所のタレントが日本外国人特派員協会で会見をしてジャニー喜多川さんによる性的な接触を受けていた話を公表。そのこと事態はもう何十年も前から言われてきたことで、週刊誌とかが散々にかき立ててきたけれども日本のメディアは微塵も動かなかったけれど、先だってBBCがそのことについて触れたニュース番組を作って流したこともあって、世界的にはちょっと目をつけなくちゃいけない事態になっていた。何しろMe to問題でハリウッドでは女性へのセクハラを続けた大物プロデューサーが実業家としての生命を絶たれ、また聖職者による子供たちへの性的暴行も取りざたされて教会が糾弾を浴びていた。

 そんな世界でこれから活躍しなくちゃいけない日本のエンターテインメントのトップ中のトップに位置するタレント達が所属する事務所にそういう問題があったのなら、徹底的に洗い出さなければこれからの活動に支障が生じるんだけれどどうやら日本のメディアは民放を中心に週刊誌も含めて一部をのぞくとスルーする感じ。すでに亡くなった人が過去にしでかしていたかもしれない事態であって今は健全に運営されていますからご安心といった理屈なのかもしれないけれど、そうした経営主体を日本はともかく世界はどこまで認めるか。今は沈黙でもやがてジワジワと広がっていく問題なのかもしれない。そうした事務所の恩恵を受けていたアーティストにも糾弾の輪が広がっていくのかなあ。大好きなアーティストが割とジャニーズ向けに楽曲を提供しているだけに辛いなあ。


【4月11日】 名古屋の大須でしか見られないアニメーションとして一部に知られ、名古屋名物味噌カツの店として有名な矢場とんが手掛けた「大須のぶーちゃん」が東京でも見られるということで、東京工芸大 杉並アニメーションミュージアムの「サイクロングラフィックスのショートアニメ展」を観に行く。前に言ったのは「銀河鉄道999」の展示があった時だけれどいつだったか覚えてない。ただコロナのまっただ中であんまり人がいなかったのが、この日は外国からの見学者もいて結構な賑わい。こういうところにコロナを越えて戻りつつあるインバウンドの状況が見て取れる。

 ってことはもしかしたらEJアニメホテルも本当はこれからだったのかもしれないけれど、あの場所まで行って見られるものが特にないのにホテルでポップだとかといっしょに寝泊まりして楽しいかってなるとそれは楽しくないからやっぱりコンセプトとして無理だったのかもしれない。むしろ東京ドームホテルが前にやった「未来のミライ」とのコラボレーションルームとか、帝国ホテルなりホテルニューオータニなんかが時々仕掛けるコラボルームの方が観光地にも近くて利用者があるのかも。EJアニメホテルはだからせっかく溜めたノウハウをそういったホテル向けに提供するコンサル業になれば良いんじゃないかな。

 そして見た「大須のぶーちゃん」はは第3話までの上映で、いずれも名古屋の路上で見たものだけれど改めてみても面白いというか、オープニングでオタ芸を見せるメイドさんの動きとか、エンディングで踊る姉ちゃんとかの動きが素晴らしくって、アニメーションとしてなかなかのできばえだってことを改めて確認した。声が豪華なことでも有名で、それも名古屋にゆかりのある声優さんばかりというからどれだけ名古屋と東海は凄いんだってことを改めて感じ取った。

 何しろ父ちゃんを演じるのがあの櫻井孝宏さん。それでいてとても櫻井孝宏さんに聞こえないところにトップ声優の技ってものに見えた思い。この才能を潰すのはもったいなおのでみそぎめいたものを終えたら早い復帰を願いたい。唯一、観音様を演じていた沢城みゆきさんがあんまり名古屋に縁がなさそうだったけれど、動きも喋りもとってもエロいからこれで良いのだ。父ちゃんがどハマりしているキャバクラのキャバ嬢の化粧後と化粧前のギャップが凄いのが良かった。個人的には化粧前の方が好み。声は岐阜県出身の若井友希さん。それから草野球で試合をする相手チームの監督で安藤君のお父さんがやたらと良い声で、そこで青山穣さんを使うのかと驚いた。

 見終わって帰りがけに感想を書いて渡すとステッカーがもらえるということでぶーちゃんの似顔絵を描いてわたしたら父ちゃんと母ちゃんのステッカーをもらえた。今週はそれらしい。個人的には観音様とか姉ちゃんが欲しいのであと何度か通おう。アニメーション事態は2話が追加されたらしいえけれど、杉並アニメーションミュージアムで上映されるのは3話までなので、続きを見るにはやっぱり名古屋に行くしかなさそう。遠いけどそれでも言って見るのがオタクという生き物なら、その本能に従うしかないのだ。ちょうど週末に名古屋で用事があるので行くついでに見てくるか。

 「ルパンレンジャーvsパトレンジャー」は見ていなかったのでパトレン1号がどんな感じの演技をしていて、そしてどれくらいニチアサ勢の人気を得ていたのかは知らないけれども少なくとも子供に取っては憧れのヒーローなりヒロインの1人だったパトレン1号を演じていた悠木流星さんという役者が、何とあのプレミアリーグのブライトンで大活躍している三笘薫選手だったということでちょっとした騒ぎに。見る人が見ればあまりの顔のそっくりぶりからそうじゃないかと気づいていたらしいけれど、ここでさらりと明かして便乗とならないのはそれだけ悠木流星さんが、あるいはパトレン1号が認められていた証だろう。ドラマにも出始めているようだし、ここで弾みをつけて次は得意なサッカーが活かせる役に挑戦だ。実写版「ブルーロック」とか。あるのかそんなもの。


【4月10日】 米大リーグのエンゼルスが試合でホームランを打った選手にベンチで被せるものが去年のカウボーイハットから今年は日本の兜にチェンジ。重たいんじゃ無いかと心配したら、どうやら鹿児島県にある丸武産業の品物らしくあそこなら、大河ドラマ向けに役者たちがかぶる兜も作っているから軽い上に見た目もしっかりとしたものを作れるはずだと納得する。ネットとか見ると兜をかぶり具足をつけてバスケットボールに興じている映像もあるものなあ。

 33万円もするものを誰が購入してエンゼルスのベンチに置いたのかは分からないけれど、日本人にとっては心をくすぐられるアイテムだし外国人にとっては侍の誇りめいたものとして移りそう。刀を持たせて振り回されると怪我する人もいるけれど、兜なら被って喜ぶ外国人も多そうだし、大谷選手が被ればそれこそ戦国武将もかくやといった面持ちになるし。この調子で来年はいったい何がくるんだろうかが今は楽しみ。花魁の桂だろうか、それとも忍者の覆面だろうか。いやだから日本のものとは限らないって。だからといってネイティブアメリカンの羽根飾りはセンシティブだから難しいかな。

 月刊Newtypeを買いに寄った本屋で文藝春秋の五月号を見たら表紙が「仮面ライダー」だったのでこれは買わなくちゃいけないと購入する。まあお布施だ。中には藤岡弘、さんによる当時を振り返ったエッセイがあり、朝日新聞記者の太田啓之記者による分析めいたものもあってそれなりの読み応え。太田記者のどこか牽強付会気味の分析はポップカルチャーをカルスタめいたとらえ方をしているところもあって好みじゃないけれど、個人的な体験の延長でしか語れない僕のようなロートルではできない客観的な分析もされているから後世に残る評価を刻み込む上で有効だろう。

 五月号では金田淳子さんがBLについて文章を寄せていていったいどうなっているんだ文春はとか思った一方、三浦麗璃さんの何か語っているようでその実あんまり立ち入ってない心境の吐露もあって右に左に硬いも柔らかいも関係なく紹介する文藝春秋のアグレッシブさに感嘆する。こうした柔軟さを持っていたのが週刊文春も含む文春ジャーナリズムだったはずなのに、今やライト論壇の主と化した元週刊文春編集長は左よりの話題をとことん毛嫌いしては非難しつつ統一だのを持ち上げ喝采を送っているから厄介というか、攪乱というか。このまま終わってしまうんだろうか。名編集長も置いては以下略。

 月刊Newtypeの方はボークゥがデコース・ワイズメルと連れのエストに出会ってぶち切れ寸前。ぶつかりあってこてんぱんにされる来月号掲載の「ファイブスター物語」が今から楽しみになって来た。たぶんパッケージが出たからだろう「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の特集は伊瀬茉莉也さんが冒頭に登場しているあたりが興味深いというか、新しい要素として伊瀬さんが演じた北上ミドリの物語が追加されたってこともあるんだろうけれど、しょせんはサイドストーリーに過ぎないと思われるエピソードを重要視するってことはあるいは「シン・エヴァンゲリオン劇場版」において北上ミドリが裏番長的な存在だったのかもしれない。言うだけ番長は別にいるから。

 月刊Newtypeには第1回新潟国際アニメーション映画祭の記事もあって審査委員長の押井守監督とプログラム・ディレクターの数土直志さん、そしてジェネラル・プロデューサーの真木太郎さんがあれやこれや話してた。成果はあってアニメライターとかいっぱい集まったけれど、クリエイターの参加が参加作品を手掛けた監督クラスしかおらずアニメーターとか演出家が来てワイワイとコミュニケーションをとったりする場にはまだなってないところが課題みたい。とはいえそういう人たちが来る意味を持たせるには何か仕事につながる場がなくちゃいけない訳で、宴会とはいかないまでも交流サロンめいたものを置いて情報交換できるようにしなければ、今後もなかなか足は運びづらいだろうなあ。それこそ「マチ☆アソビ」のようにクリエイターが喋りクリエイターが聞くような場があっても良いかな。


【4月9日】 愛知県豊田市でツキノワグマが目撃されたってことがニュースになっててどこかと調べたら昔の下山村で、三河湖なんかもある山奥だからツキノワグマが出たってタヌキが出たって不思議はないのにそれがニュースになるというところに豊田市という地名が持つ都会的とはいわないけれども校外的なイメージがあるのかもしれない。豊田市はそれこそ足助だとか稲武だとかいった本当に山奥も統合して巨大な市になってしまったので区域内に深い山があったりするというかほとんど山だったりする。そこで起こる何事かをいちいち騒ぐなって思うのだった。ヒグマが出たらそれは別だけど。

 午前10時からの「シン・仮面ライダー」の舞台挨拶中継付き上映を見に近所のイオンシネマ市川妙典まで出かける。ここは55歳を過ぎると料金が割引になるからちょっと嬉しい。IMAXとか特殊な上映でも基本料金が下がるから大人料金と変わらない値段で見られるのだった。これなら年会費払ってワタシアターの会員になる意味ないものなあ。なればさらに割引になるなら別だけど。そのあたりのオペレーションがちょっと謎だった。入場時には特典として-チェーンをもらったらショッカーの戦闘員だった。キーッ!

 上映後の舞台挨拶は庵野秀明監督が司会を務めるといった具合にグダグダな雰囲気で始まっては流れていった感じ。途中でいきなり柄本佑さんが池松壮亮さんはまだネットの配信用に追加撮影をしているなんて話していったいそれっていつごろどんな風に上映されるのかって興味が募って仕方がなかった。当初の予定では池松壮亮さんが歌ったオープニングもつける予定があったけれど、時間の関係でそれはカットになったものののMBSで放送されたクモオーグ編のあたりでオープニングがついたものが放送されたので、もし実現していればそんなイメージになったらしい。

 いっそだたらその後のコウモリオーグ編もハチオーグ編もチョウオーグ編も全部にオープニングをつけつつ分割して配信なり放送すれば良いのにと思ったけれど、それだとちょっと繋ぎが悪くなるから追加撮影をして和めるシーンとか作っていたりするのかな。ちなみに柄本さんが演じる一文字ライダーが歌う予定もあったとか。それも収録して交互なり後半をそれにすればもっと面白くなるのかもしれないけれど。そんな一文字ライダーが走り去っていくのは続編が可能になるようにしたからで、そこからら日本政府がショッカーの計画をのっとり人類を支配しようとする展開を描く構想はあるって庵野監督はぶちまけていた。

 その時も触れていたように石ノ森章太郎さんによる原作の漫画にある設定だから特に驚くものでもないんだけれど、問題はそれを作るだけの余裕が東映にあるかってこと。庵野秀明監督自身は今後の仕事についてはまったくの白紙だそうで、何か言われれば作るってことは東映が言えば作るってことかもしれないけれど、現在の興行成績で続編が可能かってなると……。結局興行で週間の1位を1回もとれなかったんだよなあ。むしろ「わたしの幸せな結婚」の方が続編確実か。20億円くらいいってそうだものなあ。

 米タイム誌が3月に発表した2023年版「世界の最も素晴らしい場所50選」に日本から「京都」と「名古屋」が選ばれたとか。京都は分かるけれどもどうして名古屋が神戸だとか横浜なんかを抜いて入るのかと記事を読んでみたら、ひとつはジブリパークができたこととそれからウイスキーの知多蒸留所があることが世界的に魅力なんだとか。ジブリパークがあるのは長久手市だし、知多蒸留所も知多市だからどっちも名古屋じゃないじゃんと言いたくなったけれど、セントレアからジブリパークに行くにも名古屋を通らないと行けないのなら実質名古屋だと思って良いのかも知れない。いけないのかもしれなくても名古屋人にとって知多も長久手も瀬戸も豊田市だってだいたい名古屋だからこれで良いのだ。


【4月8日】 「世界の終わりから」を見たあとにもう1回、確かめておこうと「プリンセス・プリンシパル Clown Handler 第3章」を見て正座しているちせの膝の置くにのぞくあれはふんどしだろうかとか、奥の内務卿にピンとを合わせた関係でぼかされたガゼルのお尻は原画だとしかkり作画されているんだろうなあとか思ったりしつつ、今度はベアトリスだったので次こそはちせを出したいのでまた来ようと思って劇場を出たのだった。2週目も同じ特典が続くんだっけ。調べておかないと。

 宮古島を飛び立った自衛隊のヘリが墜落して10人が死亡したとか。存命であることをまずは祈りつつも、驚いたのはそのヘリに陸将が搭乗していたことで、いくら就任したばかりで将来の紛争なんかも懸念される地域がどうなっているかを視察しに行ったのだとしても、就任からあまりに早い展開にひとつには事態がそれほど緊迫しているのかといった想像が浮かんでくる。事態そのものは事故であってそれこそ宮古島の周辺に近い場所にミサイルなんかが飛んでくるはずもないとは思うけれど、外部からの攻撃ではないとしたら内部からの爆発なんてこともあり得ると思うと、そこにどんな筋が描けるのかは想像してみたくなる。

 あるいは「ワイルド7」の「魔像の十字路」に描かれた泊陸将が演習中に戦車に潰され死んだと見せかけて、実は存命で日熊による日本簒奪が着々と進んでいるのを裏に回って阻もうとして、それで草波は守られユキも助けられようとした展開めいたことがあったりするのかなんてことも想像してしまう。これは阻むためではなく逆に一党として進める側にあるって可能性も含まれるけれど、そうした謀略めいたことが行われるのは漫画や小説の中くらい。現実はだから単純に事故なんだろうなあ。どうして事故が起こったかという究明は必要だけれど、まるで見つからないのは気に掛かるなあ。

 本屋に寄ったら「昭和の名車 完全版 Volume.1 昭和30年〜50年」が出ていたので購入する。自分が昔、ケンメリのスカイラインに乗っていたこともあって旧車が気になって仕方ないってこともあるんだけれど、振り返ってみてやっぱり昭和の車は30年代も40年代も50年代だってそれなりに個性的で、コンパクトな上にちゃんと走っておまけに値段もそれなりという良さを抱えていたことが伺える。今なんて形はみんあSUVめいたものになっている上に値段も300万円を超えるものばかり。昔だったら最高級車のソアラがそんな値段で出て驚かれていたのが、随分と変わってしまった。

 これだけデフレが言われているのに車の値段ばかりが上がるのは何でだろうなあ。免許を取る人も減り若い人の数も減っていく中で自動車産業が生き残るとしたらコミューターとして割り切るか、それとも異空間を味合わせてくれるアイテムとして存在感を高めるしかない。そんな中でどれも同じな外観で高い車を出していたってしょうもないと思うだけに、それこそいすゞ117クーペだとかトヨタ800だとかセリカ1600GTみたいなスタイリッシュさを持ったコンパクトな車を出して200万円くらい売って乗っては買い換えたりするような風潮をつくらないといけないんじゃないかなあ。本当に載りたい車がないんだよ、フィアット500のアバルト595あたりくらいしか。

 ざっと眺めて昭和30年代の車が美しいのは分かったかれど、そうではない例えばセリカ1600GTだとかセリカリフトバック2000GTあたりのカッコ良さも今になってもしっかり感じる。スカイラインは箱もケンメリも実に造形が素晴らしい。ジャパンだって今の車に比べれば直線的なラインで構成されているところがスタイリッシュで素晴らしいのにそんなスカイラインを鈍重なセダンにしてしまった今の日産自動車に未来はないよなあ。サニーにブルーバードにシルビアにセドリック。わんさかあったラインをすべて消し去り今いったい何がしたいのか。それを言うならトヨタもか。もはやカローラくらいしか残ってないものなあ。時は流れる。


【4月7日】 「ワールドツアー劇場版『鬼滅の刃』遊郭編、そして刀鍛冶の里編」を見てもらった甘露寺蜜璃の愛らしいポスターを表に時透無一郎は裏側にして張りつつ眺めつつ原稿を仕上げたので少しだけ寝て、むっくりと起き出して昨日行ったばかりの新宿バルト9に「プリンセス・プリンシパル Clown Handler第3章」を観に行く。もらった色紙はドロシーだった。確か1番年上で酒飲みだったけれど年齢は20歳かあ、それであの貫禄というところがスパイならではってことになるのかな。

 第2章がどうだったかちょっと忘れていたけれども、見ているうちに確か第一王位継承者の皇太子が船で大騒ぎが起こっているうちに殺害され、そして船から戻って来たプリンセスに対して新大陸から戻って来た眼鏡のいけすかないリチャード王子が含みのあることを言っていたことを思い出す。それは王位の簒奪を狙ったもの。そこで感じた危機感が皇太子の死によって第一王位継承者となったメアリー王女へと向かって事態を緊迫感のある状況へと誘っていく。

 すでに船の中で爆弾テロめいたことが画策されて王位継承者の一掃めいたことが巧まれていたんだけれど、それをスパイチームの活躍によって回避されたこともあって再び動き出したリチャードが、狙うのはメアリーの命だったりするんだけれどもそれを受けて慌てて動いたプリンセスたちに起こった大変な事態のかたわらで、内務卿は平然と事態を収めて王位継承者をまるごと一網打尽めいた状況に導いてしまう。

 いや、表だってはプリンセスだけが蚊帳の外におかれ、人質をとれる形で内務卿の傘下に入って仕舞わざるを得なくなった。どうなるプリンセス。そしてスパイたち。まさか入れ替わりまでもが露見するんじゃなかろうか。これでまだ全6章の半分に過ぎないというのがこれから起こるさらにとんでもない事態を想像させてゾクゾクさせる。それこそ新大陸から軍隊が乗り込んできてリチャードを救出して戦争を始めるなんてこともあるのかな。それにしてはリチャードに含みがありすぎて新時代の英雄に担ぎ上げるにも新大陸の解放者として讃えるにも釈然としないところが残る。彼もまた誰かの思惑で動いているだけなのか。書かれるシナリオの行き着く先が楽しみ。あとはガゼルのお尻がどれだけ見られるかも。あれは良い物だ。

 続けて紀里谷和明監督の「世界の終わりから」を舞台挨拶もあるということで続けて見る。いろいろと毀誉褒貶もあった監督だけれど、そうした前評判とか抜きにして「世界の終わりから」はとてつもなく面白かった。何しろショットが全て素晴らしく、全編にわたってしっかりと目が引きつけられる。そして編集が完璧で観ていて気持ちがまるでダレない。そんな流れに登場する役者たちの演技も完璧で、誰一人として浮きも沈みもしない。そして語られる物語が遍く人類に突き刺さる。

 世界が滅亡するかもしれないと告げられ、その鍵となるのが自分だと言われ、時をかけながら世界を滅亡から救おうとあがくハナという高校生の少女を演じた伊東蒼が不安を抱え怯えつつ頑張る姿をどこまでも見せてくれて素晴らしかった。そのハナに寄り添う警備の男を演じた毎熊克哉さんも、ハナをいじめから救い守ろうとするスーツ姿のSPの女性を演じた朝比奈彩も巧さが見えた。

 それから北村一輝さん。あの風貌がどこまでも生きる役と演技で迫ってくるからこれはもう至福だ。そして冨永愛さん。なぜそこにという役どころがどハマりしていてカッコ良い。ビジュアルだけでなく行動も信念も。ほかにもまるで湯婆婆というか銭婆婆然とした髪型でもって登場した夏木マリさんが、怪しげだけれど優しげでもある老女を演じてハナを導こうとする姿を見せてくれた。そんな人たちの錯綜する思いを受け止めたり拒絶しながら懸命に生きるハナに自分をなぞらえ、明日をどうしたいのか、未来をどうすべきなのか考えよう。「世界の終わりから」はそんな映画だ。ヒットすると良いなあ。


【4月6日】 国民年金保険と国民健康保険と住民税という日本3大出費のうち国民年金の払込票が来たので戦って勝利する。30年も社会保険料を納めて来たけど給料から天引きだったのでありがたみというか苦役ぶりがあまり分からなかったけれど、こうして毎年自分で支払うようになるといかに稼ぎが大変かってことも分かって面白いやら寂しいやら。まあでも払い込んでおかないともらえないのだから仕方がない。どれだけもらえるか分からないとはいえもらえるならまだ良いし。これが年を下って払ってももらえない層なんてのが出て来た時に世界は滅びるのだろうなあ。

 第32回日本映画批評家の発表があって、ライトノベルが原作のアニメーション映画「夏へのトンネル、さよならの出口」がアニメーション作品賞を受賞。やったねCLAP。アニメーション監督賞を「犬王」の湯浅政明監督が受賞したように、名のある監督の最新作とか大ヒットした作品とかがいっぱいあった中でこうして選ばれて受賞を果たすところに、作品が持っていた真摯にメッセージを伝えようとする姿勢と、それを表現する映像の良さがあったってことになるだろう。トンネルの最奥で主人公が暖かい場所に訣別し、背中合わせで会話をするシーンとか、思い出しただけでゾクゾクするからなあ。ともあれ良かった。配信はされるのかな。

 オートレースの森且行選手が復活。落車による怪我で長いこと出場ができずリハビリに努める間にS級だったランクもB級まで落ちてしまったけれど、それでもS級にあがる実力はしっかりあったようでメンバーでもちゃんとハンディをつけられ後方からのスタートだったにも関わらず、ぐいっと抜いてはリードしてそのままゴールを切って勝利をとげた。予選だから優勝という訳ではないけれども走ればちゃんと走れるところは見せてくれた。これで続くレースを買っていけば優勝なんて期待もdけいるけれど、無理をしてまた怪我をしては元も子もない。それこそ60歳を過ぎても働ける場所なのでここはじっくりとレースを重ねて本調子を取り戻し、重賞をとって改めてオートレーサーとしての森且行という名前を歴史に刻んで欲しい。

 記事を書く必要が出たので最終日となる「ワールドツアー 劇場版『鬼滅の刃』遊郭編、そして刀鍛冶の里編へ」を新宿バルト9に観に行く。やっぱりすごい作画力。とりわけ「遊郭編」で宇随天元が妓夫太郎を相手に戦うシーンとか爆発も剣戟もすさまじいばかりのアクションで、これをテレビシリーズでやってのけたufotableには改めて頭が下がる。そして続けて上映の「刀鍛冶の里編」では上弦の鬼たちが集結する無限城の描写が原作の漫画を越えてすさまじく、いったいどれだけの広さがあるんだ、もはや屋敷というより街じゃないかとすら思えてくる。それが実際に作られたものなのか、鳴女によって見せられている幻影なのかはともくとして、作ってのけたufotaleのスタッフワークはやっぱり凄い。どうしてそこまでやり抜くのか。良い物を見せたいという思いに溢れているんだろうなあ。

 すっぽんぽんの甘露寺蜜璃を大きなスクリーンで見られて至福。漫画だともうちょっとくっきりしているけれどもそこはやっぱりテレビアニメなので仕方がない。深夜に近い放送とはいえ子供だって見るアニメでそこまで見せていいのだろうか。別に良いのだ僕たちだって「機動戦士ガンダム」でミライさんとかフラウボウのすっぽんぽんを見て育ってきたのだから。気になるのはこれから本格化する展開で蜜璃のあの独特な刀がいったいどのような動きをするかだなあ。堕姫の着物にも増して難しそうな描写だけれどきっとやってくれるだろう。あとは半天狗の声か。老人だけじゃない訳で古川登志夫さんがひとりで全部演じるのか。それができるのが古川さんだから起用したのか。今から楽しみ。


【4月5日】 毎日新聞に続いて朝日新聞も愛知岐阜三重の東海3県で夕刊の廃止を決定。たしか読売新聞は夕刊がなかったと思うからこれで残るのはブロック紙の中日新聞だけになってしまった。発行部数が微々たるものだった毎日新聞の夕刊廃止は仕方がない気もするけれど、朝日新聞は一応は中日新聞に次ぐ部数を出していただけにこれで廃止は情報量が減って伝えられる記事も少なくなって名古屋の読者にとっては寂しい状況に陥りそう。

 朝刊と違って夕刊は文化的な記事とか結構載ってて読むのが好きで、書評とか映画評とかコラムとか楽しみにしていたし、金曜日の夕刊なんかは翌日から公開が始まる映画の広告がいっぱいのってて、見るのがとても面白かった。けれどもそうした広告は減り、文化系の記事はどんどんとネットに移っていって必要とされなくなり、そして配達する人も厳しい労働を強いられるとなれば廃止もやむを得ないのかもしれない。だいたいが午後1時には締め切られるニュースを午後の5時6時に伝えたところで、すでにネットで知ってる話だからなあ、今は。

 記者としても朝早くから出て行っては午前中に仕事をして夕刊の締切に間に合わせるというルーティンが減って自由度は増すかも知れないけれど、夕刊向けに仕事をしてちょっと一服、午後はぶらりと近所を回って情報収集してそして夜9時10時の朝刊の締切に備えようっていった働き方がdけいなくなり、それこそネットに向けてのべつまくなし仕事をしなくちゃいけなくなるのは大変かおしれないし、実際に大変だった経験もある。そんなの通信社の仕事でしょって言われても、切り分けができないんだよなあ、日本の新聞社って。だからもう完全に後追いでも論評を載せるなりコラムを充実させるなり街だねを王なりといったローカルなニーズに応えるしかない。だからこそ地方紙やブロック紙と政治経済がメインの全国紙が残るって寸法。そこにこぼれおちた準全国紙に将来は厳しいだろうなあ。論評もアレだし。

 ちょっと前に新潟にいたと思ったらまた新潟へ。途中の新幹線から見える十日町あたりに積もっていた雪もなくなりやや遠くの山に雪が被っているだけになって、2週間でも季節は着実に変わっていることをうかがわせる。新潟ではバスセンターまで行ってカレーをかきこむ時間もなかったので駅前のラーメン屋入ったらこれがなかなかなに素晴らしい。味噌ラーメンだけれど挽肉とかもたっぷりのって野菜も入ってボリュームたっぷり。どうしてこれを新潟国際アニメーション映画祭の最中に食べに来なかったんだ、って言われても新潟駅あたりでの開催はなかったので仕方がない。次は来たら食べに行こう。

 身内では大騒ぎだった新潟国際アニメーション映画祭だったけれども、取材に行ったアルミサッシの施工関係をしている会社の人はまるで知らなかったらしい。開会式が行われた古町ルフルも施工したのに伝わってないというのはつまりやっぱりまだまだ新潟市を挙げてのお祭りにはなっていないってことなんだろう。まあ広島国際アニメーション映画祭が広島市をあげてのお祭りになっていたら終わってしまうなんてこともなかった訳で、そこがカンヌとかアヌシーみたいに地名で映画祭が語られるところとは違うのかも。50年続けばそうなるかなあ。続くかなあ。

 「たくらんけ」というアニメーション制作会社が破産したというニュースで、古いアニメーションのクレジットで「たくらんけ」という名前を見ていた人にはちょっとした驚きが走ったみたい。実際には破産した有限会社スタジオ・たくらんけと、現存する株式会社たくらんけは違う会社なのだけれど、僕らがアニメを見ていて作画協力等で目にする「たくらんけ」はどちらなのかが分からないからそこは心配。あるいは有限会社たくらんけからメンバーが別れるなりして株式会社たくらんけが立ち上がり、事業を引きつぎ有限会社スタジオ・たくらんけは旧社的な存在だったのだとしたら、リソースは引き継がれるのだけれど。よく分からないなあそのあたり。ガイナックスの四分五裂も分からないけれど。


【4月4日】 昔懐かしい「I Feel Coke」のCMが、綾瀬はるかさんの出演によってリメイクされたそうなのでネットで探して見てみたけれど、1980年代末期のオリジナル版に欠片も及んでないように思うのは当時を青春まっただなかで生きて過ごして来た人間のひいき目か、それともやっぱりクリエイティブの劣化なのか。なるほど皆でわいわいやりながら、コカ・コーラを飲んでいるシチュエーションこそ一緒だけれど、ペットボトルだのグラスだので飲んでるだけでそれを味わっている嬉しさがどうにも伝わってこないのだ。

 オリジナル版はそれぞれがロングバージョンということもあるけれど、たとえ瞬間でもストーリーが見える感じがして幸福感が漂う。スポーツをしている人たちには、スポーツそのものから受ける感動がコカ・コーラを飲むことによってグッと高まる。街を歩いている女性会社員たちは、仕事にもしっかりと前向きに取り組みながらちょっとしたオフを楽しんでいる感じがコカ・コーラを飲むことによって引き出されている。それぞれにドラマがあってそこにコカ・コーラがあることが分かるのに、綾瀬はるか版にはそうしたドラマがなくってただ、綾瀬はるかさんが皆とコカ・コーラを飲んでいるだけにしか見えなかったりするのだ。

 松本孝美さんの笑顔が素晴らしいということもひとつにはあるけれど、美貌だけなら綾瀬はるかさんも決して劣っていないにも関わらず、全体として浮かび上がって来ないのはやっぱり何かを伝えようとするよりも、雰囲気だけで見せようとしているクリエイティブの問題にあるような気がするなあ。1980年代末期のバブルまっただ中で、会社員たちもブラックな仕事に膿んでおらず延びていくばっかりの景気の中で将来を夢見ながら毎日を楽しんでいた気分が、映像にもしっかりと乗っていたことがあるのかなあ。ここから様相が一変して、1990年代中盤のバブル崩壊の中でコカ・コーラがどんなコカ・コーラがある日々を描いたのかに興味が出て来た。ちょっと調べてみよう。

 ZAITENという経済誌でKADOKAWAの夏野剛社長が取り上げられていたので読んでみる。文化を育て文化を称揚する出版社という場所に入り込んだ功利主義者といった感じで、果たして将来は大丈夫かといった気分にさせる一方でトップが半ば趣味でやってしまったことを整理できる人材でもあるといった感じがして、果たして何をしでかすのかを見守るしか今はなさそう。川上量生さんを支えつつドワンゴを盛り上げたということはあるかもしれないけれど、ニコニコという文化をうまくデファクトにできず“生主”という言葉を生み出しながらも“ユーチューバー”にとって変わられたようなミスを、KADOKAWAでしでかした場合にいったい何が起こるのか。見極める必要がありそう。

 同じZAITENにとある自称全国紙がパワハラ記者を支局にいったん放り出しながらも元の政治部に戻してキャップにしたこでパワハラが再燃して部下が休暇をとったという記事。社員数も少なくて現場もいろいろと大変なのにそこで休まれては大変だからパワハラを抑制する方向に働くかというと、まるで働かずパワハラが横行するあたりに終末感が漂う。威張ったところで言い記事が出るわけでもないし、誰かがパワハラぶりを褒めてくれるわけでもないのに、この件に限らずパワハラが横行しがちなのは停滞気味の雰囲気の中で自分自身をそれによって保たないとやっていけないからなのか、単純にそういう人だけが残ってしまったからなのか。いずれにしても未来は大変そう。語れるほどの未来があればだけれど。

 おお凄い。これは凄い。ビルドアップの事から名前を知っていて、円谷プロダクションの副社長としてウルトラマンゼロを送り出しては今のゼネレーションズへと至る新生ウルトラシリーズを盛り立て、円谷プロダクション再生への道を拓いて結果として「シン・ウルトラマン」のなんかへと繋げたと言える岡部淳也さんが監督とかを務めてあの「ゲッターロボ」を実写映画化するというからこれは注目するしかない。すでに「レッドバロン」と「シルバー仮面」が混じったような「ブレイブストーム」を実写化し、それなりのドラマを見せてくれた実績を持つ監督。「座頭市vsプレデター」という自主制作は世界が注目した。そんな技を「ゲッターロボ」ではどう見せてくれるのか。あの無理やりともいえる合体をどのように表現するのか。注目するしかない。


【4月3日】 原稿を書く用事が出来たので倉庫整理の仕事には行かずに原稿を書く場所を求めて街を彷徨う。とりあえず花見でもしようと京成から都営浅草線に入ったところで降りて隅田川の河川敷あたりを散策。東京スカイツリーの脇を流れて隅田川へと合流する運河が隅田公園と重なるあたりが妙に綺麗に整備されていて、東京ミズマチという名前になっていてちょっと驚いた。4年くらい前に会社をリストラされて行き場もないまま茫洋と歩いた頃にはそんなものはなかったのが、すっかり小綺麗になったのは東京オリンピックで来日するインバウンドの客を見込んだからかなあ。

 その時は無観客で無駄に終わったというからなかなかに厳しいものがあるけれど、ここに来て外国からの観光客がどっと増えている感じがあって、浅草あたりを転がす人力車にも外国人がいっぱい乗っていて結構な稼ぎ時といった感じ。仲見世も大勢人が歩いていて昔の賑わいが戻って来たような感じがある。でも細かく観ると開発なのかそれともコロナでお客さんがいなかったからなのか、店を閉めてしまったところもあってなかなかにまだら模様。これからは諸物価の高騰で耐えられなくなって店を閉じるところも出てくるのかもしれない。失われた30年はこのまま失われた半世紀まで言ってしまうような気がしてきた。参ったねえ。

 浅草から銀座線で上野まで出てアメ横あたりを散策。ここも外国人がいっぱいいて結構な賑わいを見せていた。森の茶屋でご飯を食べようとしたら店が閉まっていてちょっと残念。それならとぱすた屋まで行ったもののどうにもパッとしないのでそこも通り過ぎ、歩いて上野広小路まで行ってVELOCHEでサンドイッチを食べながら原稿を書く。2時間もあればどうにかこうにか仕上がったので出稿してそのまま中央通りを歩いて秋葉原駅まで。こちらも同様に外国からの観光客が増えていた。とはいえもはや秋葉原で買うべきものは特にないので、フィギュアの店とかかすりながら何も買わずに通り抜け。昔ならDVDだのラノベだのを買っていたけど、そういう気にさせてくれる店がもうないんだよなあ。パッケージは本も映像も終わりの時代を迎えたのかなあ。

 調べたら4月3日は「カウボーイビバップ」がテレビ放送から25周年を迎えた日だったんだけれど、特に世間が騒いでいる様子もないのはあの実写版がとんでもなくって何かで祝おうという気力を失わせてしまったからなんだろうか。それでもアニメ版は永遠なマスト作品な訳で、肉抜きチンジャオロースでも食べてお祝いしたい気になったもののテレビ放送だとその肉抜きチンジャオロースが出て来た第1話は放送されていないのだった。妙なノリの第2話からの放送で、それを観て「ルパン三世」の劣化版じゃないかと眉をひそめたんだけれど、WOWOWで全話が放送されて全部が見られるようになってどうにか全体像が素晴らしいと分かったのだった。改めて実写じゃない映像化を期待したいけれど、ジェット役の石塚運昇がもういない状況ではそれも厳しいか。時は流れる。

 中公新書から森部豊という関西大学文学部教授による「唐―東ユーラシアの大帝国」という本が出ていたので買う。大学で中国史を学んだこともあるからだけれど書いた森部教授が大学の同じ学科の後輩で、卒業して大学院に進んでそして教授にまで上り詰めた出世頭ってこともあったので応援と言うよりはむしろあやかるもりで買ったのだった。偉いなあ。内容的には宮崎市定による「大唐帝国―中国の中世」が読み物的だったのと比べるとずっと通史的ではあるものの、半世紀も経つと学説も入れかわることもあり、またコンパクトに唐代を俯瞰できるという意味で都合が良い本のような感じがした。とりわけ墓誌と呼ばれる死者とともい埋葬された史料が1980年代以降に続々と発見されてとりまとめられていて、それらを含んで書かれているので宮崎市定よりは確実にアップデートされている感じ。ぼつぼつと読んでこちらの頭もアップデートしていこう。


【4月2日】 庵野秀明監督のドキュメンタリーを見たらやっぱりいろいろと確かめたくなったので「シン・仮面ライダー」を観に横浜へ。時間があったので焼メシ焼スパ金太郎でナポリタンとチャーハンの合い盛りを頼んでかき込んでから、線路を越えてマルイシティまで行って「超時空要塞マクロス」の展示を見る。パネルがメインで原画類とかあまりなくって印象としては薄いけれども、バルキリーが模型でもってずべて飾って合ってその進化具合を目の当たりにすることができた。

 当初はF14のような可変翼のジェット戦闘機が変形するイメージだったけれどもだんだんとデルタ翼的だったり先尾翼的なものが増えてスタイリッシュにはなったけれどもバルキリーってこうだったっけとも思わないでもなかったりしなかったり。問題はそこから変形してどれだけカッコ良いかであって、「マクロスF」の早乙女アルト機あたりはまだそれなりに立ち姿のバランスがとれているけれど、「マクロスΔ」のハヤテ・インメルマン機あたりになると妙に脚が長くなって細身過ぎるような気がするのだった。やっぱり最初のマクロスのバルキリーが1番バランスがとれているかもしれないなあ。

 スターバックスに入って原稿を書いてからティ・ジョイ横浜のドルビーシネマで「シン・仮面ライダー」。これで3回目。それだけみると内容にも慣れてこれはこういうものだとチューニングされるから不思議だ。塚本晋也さんのセリフの抑揚が自分のタイミングとズレてて気になっていたのは2回目で気にならなくなったし、柄本佑さんの池松壮亮さんとはまるで調子がことなる喋りも、石ノ森章太郎さんの原作を読んでその性格を取り込んだことで3回目ではすっかり馴染んだ。

 ドキュメンタリーを見たことでラストの泥仕合も途中のバトルの一撃必殺ぶりから切り離して物語を締める上で必要なものだと納得できるようになった。ハチオーグの「あらら」の連発も可愛いものだと思えるようになったし、サソリオーグの出落ち具合もむしろダークなトーンの中で弾けた爆竹のようなものだと理解すれば受け入れられたけれども、やっぱりルリ子の「ところがギッチョン」だけは未だに唐突感が否めないのだった。原作にもあるセリフって感じじゃないけれど、どこから引っ張ってきたんだろう。気になる。

 あとは唐突なゆるキャンシーンのコンテナがどこから来てどこへと行くのかとか、一文字ライダーに巻く赤いマフラーをルリ子がどこから取り出したのとか、カマキリカメレオンオーグのカメレオン能力が光学迷彩シートをはずすと使えなくなるあたりとか。突っ込めばきりが無いけれども、気にしなければ気にならないのだけれど。全体を通して何度も見返したい見どころとしては、スウェットに着替えたルリ子が屋外でイスに座ってパソコンに向かうシーンでお尻のラインが出るところだと確信した。あれはなかなかいいものだ。だからこそ生き延びて続編にも出て欲しかった。「ところがギッチョン」とか言って復活しないかな。

 夜になって坂本龍一さんの訃報が飛び込んできた。少し前に高橋幸宏さんも亡くなってこれでイエロー・マジック・オーケストラのうちの2人が相次いでいなくなってしまったことになる。自分の音楽生活の中で確実に影響を与えてるグループだけにやっぱり気落ちもするけれど、それとは別に好きな飯島真理さんの最初のアルバム「ロゼ」をプロデュースしたあの才能が失われてしまったこともやっぱり結構辛いものがある。反原発だの環境問題だのいろいろと社会運動的なシーンで最近は語られることが多かったけれど、ミュージシャンなんだからやっぱりミュージシャンとしての損失を世間はもっと語って欲しいのだった。合掌。


【4月1日】 希望退職勧奨という名の肩たたきにあって実質的なリストラをくらいフリーになって4年目に突入。どうにかこうにか生き延びて来られたものの寄る年波と寄せる大波でいつまで保つか分からないので、少しは自重しようと思いつつも映画だけは見ておかなくちゃと「グリッドマン・ユニバース」を海浜幕張まで行って見る。駅を降りるとメタルな雰囲気の人たちがぞろぞろと駅から降りていって何事かと調べたら、どうやら幕張メッセでフェスが行われていたらしい。

 マキシマム・ザ・ホルモンなんかもラインアップに上がっていたから相当にハードな内容だったのだろう。フェスといえば夏のイメージがあって照らす日差しに飛び散る汗がメタルなハードとマッチする気がするんだけれど、季候の良い春にもフェスが存在したのはちょっとした驚き。あるいはもはや単独でのライブよりもこうやって、ギュッとつまっていろいろ聞けちゃうフェスの方が聞く側にとってもパフォーマンスがよろしいと好まれる時代なのかもしれないなあ。知ってる曲だけ数曲やってもらって居心地も良いという。そしてフェスで耳にしたからといってソロライブには行かないという。ちょっと気にしていきたい傾向。

 ゴーゴーカレーでお昼ご飯を早めに食べて三井ショッピングモールをぐるぐる回ってからユナイテッドシネマ幕張で「グリッドマン・ユニバース」。なるほどテレビの「SSSS.GRIDMAN」の続きに「SSSS.DYNAZENON」が混じる感じか。新條アカネちゃんが現実に戻って干渉もされなくなった「SSSS.GRIDMAN」の世界で文化祭に向けてほんわか物事が進んでいたところに現れた怪獣。いったい何だと騒いでいたらグリッドマンからの呼びかけがあって変身してやっつけてもやっつけても怪獣たちが現れる。

 さらには新世紀中学生やら「SSSS.DYNAZEN」のガモンだとか一党も現れオールスター的な様相に。そうした嬉しい顔見世的な興行を、メタバース的な設定の上にしっかりと成り立たせてしまう巧さがあってそれに加えてトリガー渾身のアクションシーンもあって引きずり込まれるようにして見入っていけた。もはや自分たちがフェッセンデンによって作られた宇宙の中の存在に過ぎないと気づいていても、外側にあるアカネたちの現実が自分から遠い神の世界の話なんだと理解すれば、自分たちの方を現実として人は規定できるものなんだなあということも思わされた。

 自分たちは作られた存在だなんて悩む必要なんてない、目の前の生をしっかりと生きるのだ的な。かつてアカネとい存在を目の当たりにしてそれを神様だから別次元の超越者なんだと埒外におけるものかと言われれば悩むけれどもそこは宇宙的なボディスタイルの持ち主だったことを思い出して納得するしかなおのかも。一方の宝多六花はあの短いスカートで一瞬たりとも中を見せないところが凄いというか。横から見てお尻の丸みが飛び出しているのにそれでも見えないんだから凄まじい。人によって描かれなければ存在しないアニメーション内世界の約束事にアニメーターという神の御技を見た。これもある意味で多元的宇宙論のひとつなのかもしれない。

 AmazonPrimeビデオ経由でNHKオンデマンドに来た「ドキュメント シン・仮面ライダー」を見る。田渕アクションにダメ出しするところでそれもっと早く言えよとか思ったら負けなのか。ラストの泥仕合を生身の殺し合いだから感動するんだと言われても本郷ライダーvs一文字ライダーの高スペックな空中戦を見せられた後では、あれだけ飛べるくらいに身体能力が凄まじいライダーが近接戦闘なんかしたら腕は千切れ脚は折れ首は曲がっても不思議はないのに、どうして泥仕合と思ってしまうのだった。まあ段取り化した殺陣に美しさを見るよりはいいかな。ある程度その意図も分かったのでもう1回見て来て全体について振り返ろう。


【3月31日】 「PSYCHO−PASS サイコパス」なんかの現場でプロデューサーを務めていたプロダクション・アイジーの黒木類さんが独立して、DMM.comの出資で作られたアニメーション製作会社CUEの社長に就任。最近だとProduction +Hを作った本多史典さんがいたり、前ならWIT STUDIOを立ち上げた和田丈嗣さんがいたりと元アイジー組によるアニメーション制作会社の設立は結構あったりするけれど、WITの場合は独立はさせたものの出資をしてリソースとして繋ぎ止めていたりしたから別として、Production +H設立では特にコメントを出していなかった石川光久会長が、CUEの設立にあたってコメントを出しているのが少し不思議に思った。

 いわばライバルの出現でもあって自分たちの戦力が削られるような状況も起こりえるというかプロデューサーの流出で実際に起きた訳なのに、エールを贈るのって何か思惑があるんだろうか。「競合ではなく手を取り合う仲間として、Production I.GはCUEの設立を心から応援いたします」という言葉を深読みするならある種の企画セクションとしてCUEを位置づけ、現場は自分たちを活用してもらうといった見込みを持っているのかもしれないし、その裏返しとして自分たちの企画力について何か思うところがあって、外部からの刺激を欲したのかもしれない。

 黒木さんにしかるべきポジションを用意できないことへの慚愧から、外に出ざるを得なかった黒木さんを応援しているのだとしたら、これは現場あがりのプロデューサーをどのように処遇していくのかというアニメーション制作会社における構造問題が、なかなか解決できない現れでもある。振り返ればマッドハウスの丸山正雄さんだって虫プロダクションから独立して立ち上げた口だし、サンライズの山浦栄二さんだって虫プロダクション出身。手塚治虫さんによるある意味でワンマンな会社で偉くなりようがないプロデューサー陣が、現場を求めて独立していった流れが今も続いているのだと言える。そもそもが石川さんだってタツノコプロからの独立組だ。

 アニメーターなら描き続けていられれば、偉くならなくたって十分に活躍できるけれどプロデューサーがいつまで経っても現場なのはキャリアとしてなかなか大変。決定権を持たない立場でずっとやり続けるくらいなら、独立して自分なりの企画を打ち立て仕事をしていきたいと思うものだろう。そうやってWITを立ち上げた和田さんは、アイジーに出戻って社長となって企画も会社も差配するようになった。そんな事例を見てここは外へと送り出し、大きくなって業界とそして自分たちに還元があればなんて考えているのかも。しれないなあ。

 そんな黒木さんがプロデュースしてプロダクション・アイジーが制作した「らくだい魔女 フウカと闇の魔女」が公開。1時間だけれど密度があって山場もあって心に響くテーマもあって大団円も楽しめる良い映画だった。どうしてアイジーが引き受けたのか分からない謎企画だったけれど、良質の児童文学を良質の作画陣で映像化することで喜ぶかつての読者と今の読者を思うと、アイジーが総出でかかって仕上げた意味はあるのかも。そんな映画のキャラクターデザインを手掛けた杉田まるみさんはProduction I.G新潟スタジオ所属のアニメーターでこれが最初のキャラクターデザインらしい。なかなかの大抜擢で今後が期待できる。

 ほか、黄瀬和哉さんが演出にいたり黄瀬さんや後藤隆幸さんや竹内敦志さんが作画陣にいたりと、これは「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」かよと思わせるようなスタッフでもって作られているところが凄いと見るべきか、他のメンバーでは手が足りず社内にいるベテランに手伝ってもらったのか。そのあたりの段取りが気になった。エンディングのイラストがとても良くってクレジットを観たらこれも井川麗奈さんという アイジーやWITで仕事をしている人だった。社員かどうかは不明だけれど、そうやってポイントで活躍した人が延びていく状況を、これからも作っていけばアイジーもしばらくは安泰かな。これで石川さんがMAPPAを作った丸山さんみたいに独立したらさらに混沌としてくるけれど。


【3月30日】 今日も今日とてビジネス関係の取材で草加市へ。錦糸町から押上を経て北千住を超えて草加駅までたどり着く手前当たりで電車を降りて、車でしばらく走ってようやく到着。その間をたとえば自分だけだったらバスか何かで移動しなくちゃいけないと思うと、近隣に住んでいる人が東京方面に出るのは結構大変そう。一方で東武スカイツリーライン沿いなら乗って大手町でも六本木でも赤坂だって行けてしまうのだから結構便利。そういった格差がまだあるところに埼玉に暮らす難しさがあるのかもしれない。まあ船橋だって駅前からじゃないと移動は大変だけど。

 そんな埼玉でもまた違った地域にある所沢にKADOKAWAが作ったEJアニメホテルが5月末で閉鎖とのこと。成田空港につくったアニメデッキも6月末で閉鎖だそうでKADOKAWAがインバウンド狙いで仕掛けたいろいろなものが、見込みを外して終わってしまおうとしている。これが例えば東京オリンピックがコロナ禍なしに開かれて、外国から大勢の人がやって来ていたら成田空港でもアニメのグッズが売れたかもしれない。ただ所沢のホテルとなると、そこにキャラクターがいたとしたって他に刊行の要素がなければちょっと行こうとは思わなかっただろう。

 だからそれはミュージアムの企画でありホールのイベントでありといったものとの連動あってこそなんだけれど、それほどいっぱいイベントが開かれている感じもなくって普通にだってなかなか行こうとは思えない。ライトノベルの図書館の充実ぶりは凄いから、それがもっと完璧になればリファレンスとして利用したい気はあったりするから、そうした学術的で文化的な方面へと舵をとって松岡正剛さんの図書館とともに盛り上げていけば、ホテルがなくなっても地域として存続の可能性はあるかなあ。アジアの人は結構足を運んでいるみたいなので、そのあたりをアピールして頑張ろう。ホテルの後はどうするんだろう。N高等学校がスクーリングに使うから宿泊施設院するのかな。

 移動の途中に何か書いてと依頼があったので、戻った錦糸町のTOHOシネマズ錦糸町で「わたしの幸せな結婚」見る。これは本当にわしたちの幸せな実写映画化だった。予告編だと美世のビジュアルがどこか地味すぎるといった評判も立ったけれど、文庫の表紙だとかコミカライズの表紙なんかの絢爛とした着物姿の美世はあれは幸せになってからのもの。それ以前の灰被りな状況はまさにあんな地味目であってそれがしっかり描かれていた上に、清霞の最初は超然として冷淡な雰囲気が美世の懸命さに触れているうちにだんだんと緩んでいく感じもよく出ていて、半ばごろにはもうはやくお互いに認め合っちゃえよと思った。

 でも、そこに美世の半ばトラウマであり半ば血の問題も絡んですっきりとはいかない設定を盛り込み、それを晴らした先にさらに大仕掛けを持ってきてそれこそ国の表と裏との戦いめいた様相の上で、美世と清霞がお互いを確かめ合うような物語へと持っていく流れをしっかりと映像としてまとめあげていた。その映像も見るべきところは絢爛として艶やかに女性を映したり、傍若無人な態度をど派手に描いたりしてしっかりを目を引きつける。VFXも遠景と異能のエフェクトに留め明治大正的な雰囲気はロケーションで実際の建物を使い雰囲気を借りていたから違和感もなかった。

 ほぼほぼ完璧な映像化をだからファンは喜ぶべきだし、そうでない人も恋愛と異能バトルを両方楽しめる娯楽作として見に行ったら良いんじゃないかなあ。役者も勢揃いだし。火野正平とか津田健次郎とか尾上右近とか石橋蓮司とか。続きへの引きもしっかりあって先に来たいも持てそう。あのペストマスクの中身は誰が演じているんだろう。役は分かっているけどその役者がだから今は気になって仕方がない。あとは清霞のモガなお姉さんと継母とは違った意味合いで美世をしごく清霞のお母さんを誰が演じるのかも。いつ公開になるかなあ。


【3月29日】 月曜日にふらりと寄った神田神保町にあるカレー屋さんの名物メニュー「カツカレー」の値段が700円になっていたことを知る。しばらく前まで確か650円だったし、その前はもう少し安かったかもしれないけれどもいろいろと値上がりをする中で、学生街の満腹メニューもその流れから逃れられないといったところ。ご飯の上に挽肉がほどよく混ざったルーがかかってその上にカツがのっかりさらにルーをかけるといった豪華仕様はお腹に十分過ぎるボリューム。食べに来る人も多いんだけれどこれでは毎日は厳しいかもしれないなあ。それでもアメリカのラーメン3000円とかに比べれば全然安いんだけれど。

 今日も今日とて企業取材で群馬県の前橋市へ。時間もあったので高崎駅でいったん降りて名物の高崎パスタでもと思って駅前にある有名な店を調べたら、ハンバーグがパスタに載ったハンブルジョアというメニューを出しているデルムンドは水曜日が定休日ということで入れず、かといって有名な激辛パスタを食べるとシャツにいろいろ跳ね返る恐れもあったので諦めて駅の蕎麦にあるビルの上でなぜか長野県の名物らしい山賊焼きの定食を食べて時間を潰す。見わたすとお洒落なビルが建ち並んでいる高崎駅は新幹線で上越方面なり長野北陸方面へと向かう分岐点として人の流れも多くなっている。そうした賑わいが駅の大きさに反映しているといった感じだろう。

 本来だったら県庁がある前橋市の方が大きくて賑わっていてしかるべきなのに、前橋も新前橋も駅前にはそれほど店もなくって居場所に足りない感じ。ましては仕事で向かった前橋大島は駅前にそれほど店もなくなぜかカエルの置物が並んでいたくらい。赤城山が遠く見えることからガマの油の流れでおかれているんだろうか。謎めく。そんな前橋市では女性が社長をやっている産廃のそれも廃油系だとか危険なアイテムを回収して再生所へと持っていく仕事をしている会社を取材。イメージするとキツくて大変そうな仕事なのに社員の半分以上が女性というのがなかなかに先進的で革新的で面白かった。主張もしっかりと持っていてこれは地元の名士にだってなれそうなのに、あんまり知られていないのかな。がんばって書いて紹介しよう。

 羽田空港でターミナルを撮ったりした画像をSNSにあげるには許可が必要だと空港会社が言い出してちょっとした騒ぎに。だって空港で記念撮影とかしてみんなで共有し合うのって割と行われていることだし、今から出発しますって空港ロビーからSNSにアップするの行動を記録しておくといった観点も含めて割とみんなやっていること。それを禁じ手行うには3日前に許可を申請して下さいだなんて何を考えているんだって話になる。狙いはだから空港で勝手に収録をしてそれを収益に買えている配信者の活動を制限しようといったものだけれど、そうした枠組みを決めないでがさっとまるごと引っかかる網を投げたから騒ぎになった。リアクションを考えて何かを言い出せない人が増えているのかなあ。勝手に配信する奴らが悪いのはもちろんだとは言え。

 若い人が年を取った人の年金を負担している割に自分たちが年をとってから同じくらいの年金がもらえるようになるかといったらなりそうもないといった不満から、年金を負担したくないと言っている若者に配慮するように政府の審議会か何かに入ったお笑い芸人のたたまつななさんが、年をとって年金をもらっている人でもそれなりに裕福なら削ってしまえと言い出してちょっとした騒動に。遍く負担をしたら遍くお返しがあるというのが社会保障でそこで貧富の差なんて儲けたら、やがて国の都合でだんだんとラインが切り下がってよほどの稼ぎがない人でないともらえないなんてことになりかねない。なおかつもあえる金額もそれだけでは食べていけないくらいの微少なもの。そうやって国の負担を減らすことだけが目的となっている国の方針に、沿うようなコメントを出して都合良く利用されるのは、頭の良い人にとって嬉しいことなのかどうなのか。踏み止まって考えて欲しいよなあ。


【3月28日】 マンガ大賞2028の原稿を送ってから、TOHOシネマズ日比谷へと回って「長ぐつをはいたネコと9つの命」を観た。びっくりしたにゃ。びっくりしたびっくりしたびっくりしたにゃ。いや別に愛川欽也さんは出てなかったけれども3DCGなのに途中でなめらかな動きを止めてカクカクと動くリミテッドな雰囲気を入れてアクションにメリハリを入れていたのがちょっと目新しかった。多用しすぎると単に手抜きに思われてしまうところをどうにか抑えてスピードに切れ味を加えることに成功していた。

 ストーリーは9つの命があったはずの長ぐつをはいたネコの命が残り1つしないと分かって焦るところに、死に神のような恐ろしさと強さをもったオオカミが現れ襲ってきたので逃げ出したといった展開。そしてネコの保護所みたいなところに行って最初は食べられなかったカリカリを食べるようになり、使いたくなかったネコ用のトイレも普通に使うようになって顔は髭が伸び放題のだらけたネコになってしまう。でもそこで耳にした何でもかなう星の存在。探しに行こうと保護所を飛び出したら妙な犬がついてきた。

 不幸まみれなのに妙にポジティブなその犬と、それから因縁のフワフワーテちゃんといっしょに向かった荒野には悪者もいたり「さんびきのくま」に登場するくまの親子とそして少女もいたりして、さて競争となったところで浮かんできたのは自分の本当の居場所はどこだろうという問題。自由きままに生きてきた長ぐつをはいたネコもそしてクマと一緒に育った少女も、ここは自分の居場所じゃないと遠くを見つめるけれどもそれは間違い、本当の幸せは自分の中にあるんだ的な「青い鳥」風のメッセージを得られるストーリーになっている。

 アクションは切れ味するどく表現に外連味もあってぬるぬると動く3DCGの表現に少しの変化を加えた感じ。そんな映画をアントニオ・バンデラスが声で登場して長ぐつをはいたネコを演じてなかなかのやさぐれぶり。これが日本語だと山本耕史さんになるのはちょっと違うする気がするなあ。同じシリーズの前の作品で竹中直人さんが演じていたのもよく分かるバンデラス声。でもそれを知らなければ甘ちゃんなネコの声が山本耕史さんというのも正解なのかもしれない。こういう映画が作られ世界でヒットするからドリームワークスもディズニーも凄いんだよなあ。日本からそれだけの規模のアニメーション映画はどうして生まれないんだろう。

 本来だったら生み出していておかしくないスタジオジブリは結局、宮崎駿監督のオフィスみたいになってその動向に引きずられて上に下に。責任者とも言える鈴木敏夫さんはある意味で唯一の窓口然として存在感を示していられるけれど、いろいろと浮上する風聞がどんな影響を与えるかがちょっと気になるところではある。個人でやる分には何をやろうと構わないんだけれど、会社が絡むとやっぱい問題にもなろうというもの。星野康二さんが辞めてしまってディズニーとのパイプも続くかどうか不安だけれど、それでも国内と欧州だけで稼げてしまうのがブランドなんだよなあ。新作いつ出てくるのかな。

 小田部羊一さんの伴侶でありアニメーターでもあった奥山礼子さんが1969年だかに作った自費出版の詩画集が古本屋にまとめて入ったというので平井まで行って開店まで待機。時間二鳴って赴くと同じように聞きつけたアニメな人たちが数人いてなかなかの盛況ぶりだった。外国人もいたなあ。でも大行列で即日完売になるほどではないところに、アニメーションなりアニメーターの興味を持つ人のやっぱりそれほど多くない状況も浮かんでくる。詩画集には通し番号が売ってあってなかなかの珍品。翌日には売り切れたみたいで買えて良かった。


【3月27日】 マンガ大賞2023が発表されて漫画を描く女子高生たちが登場する、とよ田みのるさんお「これ描いて死ね」が受賞した。個人的に推していたのは落語家の少女が主人公の末永裕樹さん原作、馬上鷹将さん作画による「あかね噺」だったけれど、それをわずか2点差で抑えて「これ描いて死ね」が1位となったことにも特に不思議はなくって、誰かが順位を入れ替えて投票すれば順位も入れかわったと思うと、「あかね噺」も堂々としていて良いような気がする。あるいは今年4冊だけで終われば来年も受賞する資格があるからその時こそ断トツの1位を獲得して欲しいかも。

 今回は珍しくとよ田みのるさん本人がかぶり物もせずに登場。「なぜ僕がという気持ちと、20年目でやっとという気持ちがある」と言って、長く続けて来た漫画家としての活動が認められた喜びを訴えていた。受賞を聞いた時は家でキャンプ用のいすに座ってゲームをしていたそうで、そこにかかってきた電話にイスから転げ落ちたとか。「妻が出かけていたので、俺がマンガ大賞だと上に書いて頭に貼って寝てました」とも。その知らせを見て、泣きそうになってくれたそうだ。

 「これ描いて死ね」の前には「金剛寺さんは面倒臭い」を書いていて、「前の漫画で好き放題描いて出し切ったという気持ちになったので、次の漫画は人の為の漫画を描こうと考え、優しい漫画にした」とのこと。何かを描かなきゃといった考えはあまりないようで、誰かが喜んでくれればそれで良いみたいだけれども、「人の為が100%というのは描く方の気持ちが乗らないので、自分にとって大切なものを置きたい思った」と話していた。「あかね噺」にしても「さよなら絵梨」にしても「劇光仮面」にしても何かを表現する者たちを描いた漫画なだけに、傾向があるのかと思ったけれど人それぞれってことっぽい。

 これからどのような展開になるかは先の楽しみを奪うことになるため話してくれなかったけれど、「主人公の安海の目標が自分で納得できる漫画を描くこと。それは僕も漫画を描き始めた時に思った。それを追求する話になるのではないか。売れたいとかチヤホヤされたいといいったものではなく、納得できるものを描くんだということが主題になるのではないか」と説明していたから、燃えてたぎった果てに何か生まれて来るようなドラマティックな展開が期待できそう。これからも追いかけて行こう。

 マンガ大賞2023の発表会に来ていたどこかの媒体の人が、AnimeJapanで150本くらいを媒体で出したとかいった話をしていて、それを1本数千円で契約したらとてつもない稿料になりそうな気がしたけれども、社員なり契約ライターなりが日当月給の範囲でサブスク的に書きまくっているんだろうなあと考えると、それもなかなか大変だなあと思うのだった。書ける量こそ少ないけれども書けば確実にそれなりの金額は戴けるライターか、月額でしっかりと頂戴できる社員ライターなり契約ライターのどちらが得かって話だけれど、時間のゆとりを考えるならフリーが今はいいかなあ。

 乃木坂46池田瑛紗さんが東京藝術大学に合格したって話がニュースになっていたけれど、ブログで公表したことをコタツ的に書いているだけだからそこに書いてはいなかった合格した学部については分からないまま。歌手活動をしているから音楽学部なら普通だけれど、美術学部だったらそれはそれで大ニュース。だからこそそうした情報があってこそのニュースだと思うのだけれど、尋ねてどちらかを聞き出す労力が惜しいんだろうなあ、今の新聞って奴は。ブログやSNSやテレビでのコメントをチェックして書いてそれで1本をフリーで書いている人がいたら、なかなかの忍耐が必要だろうなあ。


【3月26日】 そうだ、土浦へ行こう。といった感じに起きて東武野田線から柏経由で土浦へ。「機動警察パトレイバー」に出て来たシャフト・エンタープライズの工場だか研究所が土浦にあったてことである種の聖地になっていて、前は展覧会が開かれたけれども今回は何とマンホールが設置されるということで、それが地面に埋め込まれる前に揃って展示されるということで見物に行った次第。途中の安孫子で名物の蕎麦でもとか思ったものの、朝も早くてやってそうもなかったのでスルーして常盤線で土浦へと向かう。

 到着した土浦は前に来た時よりも寒さは厳しくはなかったけれど、ちょっと前よりは寒さもつのっていた上に雨も降っていたので、霞ヶ浦の方まで見物にいくのは避けて市役所の2階に設置されたマンホールにひたすら見入る。これはなかなか。アニメとも漫画とも違ったデフォルメされたキャラクターだったりレイバーだったりしたけれど、ポップな感じにまとまっていて誰が見ても楽しめそう。前に沼津で見た「ラブライブ! サンシャイン」のようにキャラがそのままって感じではなかったし、所沢のように版権をコーティングしたものでもなく独自性が感じられた。

 色もくっきりとしていて見て回るのも楽しそう。全部で15個あったけどどんな間隔で設置されるんだろう。いちいち見て回るのは大変だったらまとめて見られたことは僥倖だけれど、それほど遠くない範囲で並べられるのならやっぱり地面にあってこそのマンホール、その時を選んで見に行きたいものである。春になればもうちょっと暖かさも出てくるだろうから、霞ヶ浦まで歩くのも良いかなあ。自転車で回るのが土浦の名物にはなっているんだけれど、持っていないので持って行けないので仕方ないのだった。いつから地面に置かれるかも調べてみよう。

 前は駅前にあるジャンゴって店でハンバーグを食べて帰ってきたけれど、まだ早かったので諦めて列車で戻る途中で下読みの仕事を延々とする。本当は「わたしの幸せな結婚」とか「グリッドマンユニバース」とか見たかったけれど、まずは下読みを片付けないといけないのでそれに邁進。新松戸から武蔵野線に乗り換えて西船橋から千葉まで行ってそこから中野まで行って船橋へと戻る中で読み続けてどうにかこにか課題の半分くらいを読み終えた。なるほど今回はこんな感じか。講評を書いてはじめてお仕事にはなるけれど、読んでこそなのでまずはちょっとだけでも前進できたことを喜ぼう。

 どうやら高地にあるNPO法人が指定管理者になっているカフェが半年の猶予期間もおかずに出て行けと言われて大変らしい。NPO法人の理事長とやらがそこは自分の持ち物然と振る舞っては営業中であるにも関わらず騒いだりして従業員に苦労を掛けているらしい。それって来る客にだっていい迷惑なんだけれどそれで地元を元気にするとかいったお題目でNPO法人を展開しているんだからもはや何がなんだか。元より自分のフトコロにいれるためにNPO法人を立ち上げたんじゃないかと疑われても仕方がない。
 どうやら1000万円を超える助成金をもらっているような感じだけれど、それこそ文字通りの公金なんとやら。新宿で頑張っているNPO法人をぶっ叩く人たちは、そんな暇があったらそっちもあら探しをして叩けば良いのにやらないのは公金がどうとかいった批判がお題目に過ぎない現れなんだろうなあ。猶予もないカフェがちょっと大変そう。こういう時もやっぱりネットメディアは沈黙。記事になったことを取り上げるコタツ系に期待するのも無理な話か。やれやれ。

 AnimeJapan2023に声優さんがいっぱい来て華やかにイベントを開いてファンが大喜びした一方で、監督だとかアニメーターだとかは呼ばれていなくてイベントも開かれていなくって、本当にアニメを作っている人たちがなおざりにされていないかってアニメーターの人が指摘していて、それは確かにそうなんだけれどステージでもって新作をお披露目する時に、聞いてくれそうなファンが目当てにするのはやっぱり声優さんだというのが昨今の風潮。それに特化した今のイベントのスタイルに、クリエイターを紛れ込ませてもミスマッチが起こるだけだろう。

 とはいえ憧れの職業にして大勢がクリエイターを目指すような空気を作りには、衆人環視の中でクリエイターが目立つ必要もあるってのも分からないでもない。AnimeJapanなら大きなステージではなくても常設のコーナーを作ってそこにクリエイターが順繰りに出てトークを繰り広げてくれれば、ずっと見入る人だっているんじゃないかなあ。前のAnimeJapanにはそうしたクリエイターのトークコーナーもあった記憶があるんだけれど、コロナでいろいろと縮小気味の中で潰えてしまった感じ。アニメ業界が将来を考えるなら作品の宣伝だけでなく人材の育成も目指した活動をするべき時に来ているんじゃないかなあ。


【3月25日】 毎年恒例のAnimeJapan2023へ。新型コロナウイルス感染症下で入場者を入れない時もあったけれど、会場からの中継があってそれを見に見学に行ったことがあったから、現場にはだいたい行っているような気がする。前身ではないけれどAnimeJapanに引き継ぐ形になった東京国際アニメフェアもほぼ皆勤賞だったと思うから、だいたい20年くらいの流れを目の当たりにしているといえば言えるかも。

 それだけの時間があれば会社だったら課長部長に取締役から社長にだってなっていたって不思議はないけど、こちらは平からリストラでフリーという名の無職だったりするところが甲斐性無しといえば言えるけど、寝ていられる時は朝もずっと寝ていられる身分を手に入れたと思えば悪いことではないのかもしれない。映画を見ても本を読んでもだいたい経費になるから。つまりは仕事になるものしか読んだり見たりできないってことでもあるのだけれど。そういう人生を生きている。

 プレスも結構な列になっていて、コロナで入場者がなかった時とか来て数人だった頃から大きく改善が見られたのもアニメ業界にとって悪い話ではないんだろう。それだけ注目を集めているってことだし。そんなAnimeJapan2023ではとりあえず会場を回ってあれやこれや写真を撮影。ブースだと「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」のブースの外観を撮ったり「Fate/Grand Order」でサーヴァントたちが勢揃いしているのを撮ったりTOHO ANIMATIONの巨大なブースを撮ったりして回る。

 なぜか途中に「天空戦記シュラト」のパネルがあったり「魔法の天使クリィミーマミ」のパネルがあったりしていったいいまは何時なんだとか思ったものの、そうした作品が今に引き継がれて見られているというのも悪い話ではないのかもしれない。ガンダムだヤマトだエヴァンゲリオンだといったあたりしか残らないのもつまらないし。それにしてもタツノコプロがセンターにドロンジョさまの立像を置いていたのはどういうつもりだったんだろう。あのスタジオにとってドロンジョさまがやっぱり何を置いてもアイコンってことなんだろうか。東映アニメーションにとってのペロのように。

 東映アニメーションにも「美少女戦士セーラームーン」のパネルがあったけれど、こちらはバリバリに新作が作られているからあって当然か。ほか、コミックスウェーブのブースに「すずめの戸締まり」で全国を旅したイスがあって扉もあって明けたらどこかに繋がっていたら嬉しいんだけれど、そこが常世ならちょっと遠慮したいのだった。そんなこんなで30分ほど回ってだいたい抑えた後で、開場と同時に「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」のブースに行って映画のトレーラーを見る。劇場でも見られるものだけれど3Dになってて飛び出してくる感覚がとても楽しかった。

 あのイルミネーションが手掛けただけあってキャラクターは可愛いし造形は確かだし面白そうなんだけれど、オリジナルのミニオンズとか怪盗グールとかを作りだして物語もしっかりと描いてのける造形力が、すでにあるマリオでは生かされない気がしなくもないだけに、どれだけのストーリーを作ってくるかにいまは注目したいところ。日本語吹き替え版については宮野真守さんと畠中祐さんがマリオとルイージを演じることになっていて、その対談もブースでは流れていてなかなかに息があったところを見せてくれていた。これは期待できそうだ。

 途中で抜けだしてモーターサイクルショーを見物して「シン・仮面ライダー」のサイクロン号を間近に見てから戻って「アンデッドアンラッック」という「週刊少年ジャンプ」に連載の漫画のアニメ化に関する発表なんかを見て帰宅へ。途中で何か食べようと思ったもおの、ファミリーマートはおにぎりもパンも品切れになっていて、女子がカップラーメンを買ってお湯を入れてすすっていたり、おっさんがブラックサンダーを囓っていたりする姿が見られてなかなかの餓鬼界ぶりが漂っていた。日曜日もそうなるのかなあ。普段だったらコラボフードも売るんだけれどコロナでそれもなくって難民が溢れそう。どうなることか。


【3月24日】 新潟国際アニメーション映画祭で撮影した押井守監督の写真について姉さんで舞踏家の最上和子さんが容貌魁偉で年輪を重ねたこちらの顔の方が若い頃のイケメン風に写った顔よりずっと良いと話してて、いやいや最上さんも押井監督とよく似ておられる上にいつまでも生き生きとした容貌なのがとても良いと思うのだけれどそうやって70歳を超えてなお最前線で活動している人たちの顔は総じてエネルギーに溢れているってことなんだろう。若い時にもそれなりの顔はあっても刻まれた知識と経験にはかなわないってことで。

 若い頃の顔くらいしか覚えてないといえば覚えていない団時郎さんが死去。「帰ってきたウルトラマン」の郷秀樹役が誰よりも知られているけれど、「仮面ライダー」で毎週見せられた藤岡弘。さんのエネルギッシュな表情と比べるとどこか印象が薄いのだった。後に散々再放送で見せられる「ウルトラセブン」の森嗣晃司さんとか「ウルトラマン」の黒部進さんの方がやっぱり強く刻まれるってこともあったのかもしれない。訃報に合わせて出回った写真を見るととてもイケメンだったのでそれだけ引っかかりが少なかったのかもしれないなあ。でもイケメンでも草刈正雄さんが割と覚えているのは見た年齢の違いか。

 団時郎さんは後に「少年探偵団BD7」に謎の男すなわち怪人二十面相として登場してはマスクをつけつつ素顔もさらしていろいろな顔を見せてくれていたりする。そのスマートな体型と大仰な演技は記憶にやっぱり残っていて、ウルトラ役者であってもいろいろなところで活躍できるんだという見本になってくれていた。さらに1990年代には「エコエコアザラク」で佐伯日菜子さんが演じた黒井ミサのお父さん役を演じていたっけ。魔女か何かによって人形に変えられてしまった両親の父親の方。暖かそうな家庭で温かそうな父親を演じてくれていた。そういうのお似合う人だった。改めて合掌。

 地震が兵器によって人工的に起こされているといった話なんて、ディープステートがどうとかいったどこかに信憑性を秘めていそうな噂話にもとうて及ばないヨタ中のヨタ話で、あれだけのエネルギーを兵器によって出すのはどれだけかかるのかって、言わずとも分かるはずなんだけれど信じている人は何を言われたって信じたがるから否定するとか無意味なので、ただもうバカめと言ってやれば済む話しだろう。

にもかかわらず、リストラに忙しいグーグルだとか借金がとてつもない額に達したヤフーだとかからだっけ、お金をもらってニセ情報をチェックしている日本ファクトチェックセンターが、誤りだなんてチェックをしていてバカめと言ってやりたくなった。動かす元記者とかはそれで仕事になった気になれても、現場で働くインターンが可哀想だなあ。頭から否定できる話でも調べる重要さを教えるなら、それは仕事じゃなくって中でやれ。ほかにもっと費用をかけて調べるべきことがあるだろうに。やれやれ。

 こちらもバカめと言ってやりたい気分はあるけれど、意味性はあったりするので判断に迷うウクライナを訪問した岸田総理によるゼレンスキー大統領へのしゃもじのプレゼント。遠く日清・日露戦争のころから戦勝祈願として奉納されている由緒の正しさがあったりするだけに、そうした文脈を載せた上でロシアと戦うウクライナに手渡すとうのは日本が完全にウクライナ側について、日露戦争以来(第二次世界大戦もあるけれど)の戦闘を辞さない覚悟を固めたと思われたって仕方がない。そうした含みまで考えて選び渡しているなら岸田政権はこれでなかなかの遠謀ぶりだけれど、地元で縁起物だからと選んで渡しただけって可能性もあるからなあ。孔子とか引っ張って言葉を交わした中国の習近平国家主席とロシアのプーチン大統領との差も著しいものなあ。


【3月23日】 ネットで喋ることになったので「シン・仮面ライダー」を観に行っていろいろと考える。1度目に見た時には浜辺美波さんの深い演技や池松壮亮さんのチワワおように震え続ける臆病な演技と比べて本職が映画監督の塚本晋也さんの喋りがどうにも拙くリズムにマッチしなかったんだけれど、2度目ともなるとそうした感覚が身についていたのかあまり気にならなかった。人間って慣れるんだ。でも逆に浜辺さんの最初はシリアスでりりしい感じが途中でギッチョンとなって以後、暴れたりわめいたりして同じ人間なのかといった気になった。

 それこそが人間の複雑さなんだという擁護も可能だけれど、2時間という映画の中で同じ人間がコロコロと変わってしまっては気持ちを寄せることが難しい。あるいはその役割を鑑みて一種のトリックスターとして配置しただけで、池松さんが徹頭徹尾あのチワワのように震え続ける演技だったから良いという判断なのかもしれない。柄本佑さんの飄々として煽るようで軽薄な感じの演技の首尾一貫性も含めて。とはいえそうなると今度は西野七瀬さんのあらあらな演技が気になってしまうなあ。これも3度目を観れば慣れるんだろうか。

 ストーリーについては原作を読んでなるほどその趣旨を貫いているんだなあと改めて理解。11歳くらいで「仮面ライダー」に出会い並行して石ノ森章太郎さんの漫画も読んでいただろう庵野秀明さんが特撮番組に抱いたビジュアル面でのカッコ良さと、漫画から感じたテーマ面でのシリアスさを両方取り入れて作ったと思えばなるほど「シン・仮面ライダー」の展開は理解できるけれど、6歳で「仮面ライダー」に出会った僕らからするとヒーローが出て来て怪人を倒して街の人たちや子供たちを守る勧善懲悪的なドラマからズレてしまっていて、見ていた「仮面覧イダー」との違いが浮かんでしまうのだった。

 だからこそ今も続いている子供向けのニチアサとしての「仮面ライダー」を大人が見て喜んでいるのかもしれないけれど、だとするとそうしたシリーズを普通に見ている子供たちにとって「シン・仮面ライダー」はかつて憧れた「仮面ライダー」と違うと感じている僕たちと同じような感覚を味わっているんだろうか。中高生としてニチアサの「仮面ライダー」を楽しんだ人たちにとってちょい大人っぽい「仮面ライダー」として受けているんだろうか。そうした感性と需要の関係が今は気になってしかたがない。つまりは庵野秀明監督のプライベートな感覚だけが拠り所の作品に、共感できる層はどこかってことでそれは今後の庵野秀明作品の未来につながって来る訳だから。

 谷口悟朗監督の新作映画が発表になっていて、てっきり「エスタブライフ グレイトエスケープ」の続きをやるかと思っていたらタイトルが「BLOODY ESCAPE−地獄の逃走劇−」だなんてハードなものになっていて、トレーラーも吸血鬼やら何やら出て来て血みどろな感じがしてこれはプロジェクトは潰えてしまったのかと心配になっていたら、途中で例のとんずら一家が出て来てなんだやっぱり同じ世界観なんだと了解した。元よりハードな内容になるかもとは話していたので、タイトルだけをいじってきたんだろうなあ。タイトルにんだってエスケープだとか逃走だとかとんずら系の言葉が入っているし。時間軸として「エスタブライブ グレイトエスケープ」の後になるんだろうか。今から楽しみだけれどまだ先だなあ。

 道端ジェシカさんにもアンジェリカさんにもあったことがないけれど、道端カレンさんには1度インタビューしたことがあったっけ。モデルにさせるために親から片腕だけに負担がかかるような荷物の持ち方を止められていたとかいった話とか、出産をして子供を育てながらトライアスロンに挑戦している話とか、大人の女性としての生き方を教わった気がする。「成長ホルモンを疎外するコルチゾールが出るのは午前2時から4時。ただ、この時に血中にブドウ糖がないとコルチゾールは中性脂肪をエネルギーに変えてくれるんです。あると逆に中性脂肪を体にくっつけてしまう。だから夜の8時くらいから後には何も食べないことが大切です」。詳しかった。そういうポジティブな姉との違いがあったのかそれとも。ジェシカさんの一件の先行きが今は気になります。


【3月22日】 新潟から東京(千葉だけど)に戻って振り返る21日の新潟国際アニメーション映画祭は押井守監督のマスタークラスがあって外には漏らせない話を聞いた後、新潟シネ・ウインドで行われた「老人Z」や「ロボットカーニバル」のオープニングとエンディング、そして「童夢」のパイロット版などの上映とその後の北久保弘之監督と大友克洋監督のトークなんかを聴いてそしてやっぱり行われた「大友克洋全集」のステッカー撒きを間近に見る。東京ではまずあり得ない光景に触れられるのもこうした遠隔地で行われる映画祭の良さって奴かもしれないなあ。

 さてもトークでは大友さんが「『老人Z』面白かった」と言うと北久保さんが「心臓がチクチクとする」と言って、原画とかのスタッフで参加することと監督でどっぷり浸ることでは作品に対するスタンスが違うことが伺えた。同時に大友さんと北久保さんの関係の深さも。決してクラブパンターニという自転車仲間を結成しただけじゃない、ずっと以前からn繋がりがあっての和やかなトークだったと言えそう。

 その発端はやっぱり「AKIRA」でまだ北久保さんがBOWYのPVだとかをやっていた頃、山賀博之さんがどうしてお前は「AKIRA」をやらないんだと言ってきたらしい。当時から大友克洋っぽくしてくれといった依頼もあってそれに答えているくらいなら「AKIRA」をやれば良いじゃんといったことだったんだろう。だったらと入った「AKIRA」ではスゴいアニメーターに及ばないということで、ケイと金田が喋っているところなんかを担当したとか。いやいや北久保さんだって十分凄いんだけれど森本晃司さんとかなかむらたかしさんといった面々もそろった現場で臆するのも仕方がないのかもしれない。

 そんな「AKIRA」をやっている最中、大友さんと飲みに言って「これが終わったら売れるアニメをやろうぜ」と言って来たそうで、それは何となって話をするなかでロボットアニメが浮上。とはいえ新機軸とは言えないため、乗り込む主役が寝たきり老人ではどうかと言われたとう。なおかつそれでもやっぱり売れそうもないから、女子を出そうとなったものの大友さんが描くキャラは可愛くないということで、江口寿史さんに依頼することになってあの晴子のようなキャラクターが生まれたのだった。なるほどなあ。

 そういえば江口寿史さんの展覧会で晴子が描かれた「老人Z」のパッケージビジュアルの原画が売りに出されていたことがあって、すでに別のに入札していたので手は出さなかったけれども今となっては買っておけば良かったなあと思うのだった。そんな「老人Z」で大友さんは脚本と原作だけではなく原画も描いていて、上映を見て男子大学生が晴子を救急車の乗せて突っ走るあたり「このカット、俺やったな」と思い出したらしい。原画が残っていれば大友克洋全集に入れるかな。「工事中止命令」はまるで残ってないらしいのだった。

 明けて22日はワールドベスボールクラシックの決勝があって日本がアメリカと対戦。リードされながらも追いつき逆転をして迎えた8回にダルビッシュ選手が投げたもののホームランを打たれて1点差となりこのまま逃げ切れるかとなった9回に大谷翔平投手が登板。そこからしっかり抑えてツーアウトとなって最後に同じエンジェルスに所属するトラウト選手を迎えるという劇的な展開から、空振りの3振に切って日本が3大会ぶりの優勝を果たすという、劇的で漫画的でエンターテインメント的なラストを迎えた。

 藤井聡太の6冠獲得および棋戦の年間グランドスラムも信じがたい快挙だけれど、大谷選手の大活躍も同じくらいの信じられない快挙で、およしフィクションでしかありえないような劇的な状況が立て続けに生まれるのならさらに劇的な状況が起こっても良いんじゃないかと思えてきた。それこそNFLのクオーターバックに日本人が就いてスーパーボウルで大活躍するとか。それは無理というなら大リーグで日本人選手がMVPを獲得することだって信じがたいことだった。それを野茂英雄さんが道を拓きイチローさんが頂上を極めたその先で、宇宙までたどり着いたのだからNFLだってあり得ないとは言えない。そういう目標を持って誰か挑戦しないかなあ。


【3月21日】 20日は大物が続々と登壇した日で、夜に『スカイ・クロラ The Sly Crawlers」の上映があって押井守監督が登壇した。「僕のやってきた作品の中ではちょっと異色。警察官ばかりの作品の中でこれは軍人で正確にはPMCで傭兵の話だけど子供にしか見えない。見かけは子供で中身は大人というキャラクターをどう表現するかが難しかった」と振り返った。

 井上伸一郎さんの「セリフが押井さんの作品にしては極端に少ない」との指摘に押井守監督、「アニメーションで1番難しい、時間をどうやって表現するか、日常の空間に流れている特殊な時間をどう表現するかが表現上のテーマだった」ことがあったとのこと。「セリフを喋っている間は時間が進まない。実写で誰かが座っているのを撮影すると何をしなくても時間が流れるが、1枚の絵で描いても絵に過ぎない。」と押井監督。そんなアニメーションで「キルドレと呼ばれている人の不思議な時間、彼らの永遠の待機の時間をそのまま表現しないといけない」この作品はドラマで語っただけでは表現できない。

 だから自分で脚本を書かず伊藤ちひろさんという実写畑の人に書いてもらった「スカイ・クロラ」。あのどくとくの間はそうして生まれた。とはいえだからこそ動きも重要になる。新聞を折りたたむ動き。椅子に座ったり立ち上がったりする動き。勢いでごまかさず「イノセンス以上に」手間を掛けて描いたという。そんな手間をかけるなら、モーションアクターを使い3Dでやった方が楽じゃ無いか、と問われて押井監督。「微妙な表現は今もそうだけど3Dのキャラでは表現できない。こういう時間は表現きない。モーションアクターの生理的な時間が移ってしまうから」。

 そして「人間が人間の動きを見るのは恐ろしいくらい正確。モーションで動かした絵の向こう側にアクターが見えてしまう」とも。モーションアクターも自分を殺してキャラになりきり演じていると思うけど、押井監督のお眼鏡にはまだかなわないらしい。「手練れのアニメーターが絵で描いた方が微妙な細やかな感情が表現しやすい。それができるのは僕の見た感じでは日本中で10人くらい。この作品にはそのうちの4人位関わっている」。そんな手練れが手掛けたワルシャワの夜のシーンが押井監督のお気に入り。「駐車した車で抱き合うシーンは僕に言わせると会心の出来。僕の規準では9割成功している」とか。あれで9割とは厳しいけれど、それだけしっかりとした目を持っているってことなんだろう。

 「シャツの下に入り込んだ手が中に動いている。シャツの下から抱きしめている。あんなの描けないよ。そういう所が作品の力になっている」。確かにまさぐっているよね。あとは「フーコが立ち上がってコーヒーを淹れるところ。あれを描けるアニメーターって僕の知る限り1人しかいない。独特のなんとも言えないかんじょうが流れる。マッチを擦る手つきが私的にシビれる。この芝居をよく描けるなと思う」。確かどちらも黄瀬和哉さんが手掛けたシーン。それだけ信頼しているってことなんだろう。

 そんな経験を経て「時間を操作する手つきがようやくわかった」と言う押井守監督だけれど、そうやって分かったことを自分のアニメーションの監督作品で出す機会がないまま来てしまったのが残念至極。本当にあと1作でいいから、可能ならもっと沢山だけど押井守監督のアニメーション映画を僕は見たい。僕たちは超見たいのだ。そんな押井守監督から新潟国際アニメーション映画祭の審査委員長として呼びかけもあった。

 「もうちょっと監督とかアニメーターに来て欲しかった。アニメーターは尻が重いし、暇なアニメーターも演出家もいないからね。ただ1泊でもいいかなと思った。あとあぶれている監督はいるはずだから」。来れば何がある? 「こういう所に来れば仕事にありつけるかも知れないじゃん。人と人が出会う場は仕事を掴むチャンス。若い人にとってはジジイに喧嘩を売るチャンス。そういう風になったら良いなと思ってる」と押井守監督。来年もあれば(あると思うけど)喧嘩を売りに新潟に行こう。コンペに入って招かれるのもありさ。

 そんな新潟国際アニメーション映画祭の合間にきゃりーぱみゅぱみゅさんが結婚。お相手は葉山奨之さんという方でちょっと思い浮かばないので映画への出演歴を見たら僕がまるで見ていない作品に多く出ている方だった。でも作品数は多いからそれだけ重用されちえるってことなんだろう。どこで知り合ったのかは謎だけれおどともあれおめでとう御座います。コロナで海外での活動もシュリンクしてしまったけれど未だに日本のポップアイコンとして重要なポジションにいるだろうから、しっかりと活動を続けていって欲しいなあ。


【3月20日】 19日は新潟国際アニメーション映画祭のレセプションがあったけれども挨拶前のアトラクションが長々と続いて宴会料理を食べるまもなく「花の詩女 ゴティックメード」の上映へとかけつける。とてつもなく大きなサブウーハーが導入してあって、これならと期待したらそのとおりの爆音が流れれてきて、カイゼリンが立ち上がる時の音とかボルドックスの音とかがしっかり響いて楽しめた。ホールでもちゃんと出せば出せるんだなあ。でも家では出せないのでディスクはお預けのまま。その方がイベント性があって観ようと思うから良いのかも知れない。

 そんな上映の後に「ファイブスター物語」の漫画を描いて「花の詩女 ゴティックメード」では監督も原作もキャラクターデザインも原画もたいてい手掛けた永野護さんと、ベリン役の川村万梨阿さんとプロデューサーの井上伸一郎さんが舞台挨拶に登壇。「プロデューサーの私もまさかと思った」と井上さんが言った「ファイブスター物語」との接続は川村さんも「試写会で見てひっくり返った」くらい秘密裏に進められていたらしい。


 そんな具合にキャストもプロデューサーも驚く展開だけれど描いたスタジオも仕上げも撮影も編集も誰も漏らさなかったところの結束度に永野護さんも感謝していた。ではなぜモーターヘッドがゴティックメードに変わったのか。それは「僕の中でロボット漫画はロボットありきで描いている。その作者がもの凄い疑問とストレスを抱えながら描いた手いたら作品そのものがダメになる」と感じたかららしい。ガストテンプルあたりまで何となくGTMめいた形へと修正しながら描いていたけどそこで限界。だから一気に変えようとしたみたい。

 でも10余年が経って今の時代にまるで古びてないところがさすがというか変えて常に新鮮な印象を与えてくれるところにクリエイターでありメカデザイナーとしての感性の凄みを感じられるのだった。「月刊newtype」に連載中の「ファイブスター物語」も「花の詩女 ゴティックメード」と繋がるナカカラでの戦闘が描かれ、映画の最後に登場したダイ・グやクリスティン・Vなんかも登場してくるっと繋がった感じ。このタイミングだからこそ登壇してくれたのかなあ。単行本の作業が詰まっていては無理だっただろう。その意味でもとても良かった映画祭。インパクトが大きかっただけに、来年はどなたが登壇するかも気になってきた。

 20日は20日でりんたろう監督による「山中貞雄に捧げる漫画映画『鼠小僧次郎吉』」の上映後があって、それはもうスタイリッシュに山中貞雄の脚本をアニメーション化していて面白かった。山中貞雄監督が声をかけられカメラの横に陣取「用意」といってひょいと始まる鼠小僧次郎吉の物語は、義賊の活躍を疎む親分の奸計に不遇な女性が絡んでさてもどうなるといった展開が時代劇らしい結末へと向かう痛快さを、モノトーンのシンプルな絵で描いて魅せてくれる。シンプルだけれど表情は豊かで動きもちゃんとついてて切り紙絵本ではまるでないアニメーションになっている。
 絵が進む合間に活弁が挟まるようなサイレント映画調なのも脚本通り。そしてトークショーでは弁士を務めた小山茉美さんが、野村道子さんから譲られたという着物姿で登壇して艶やかなところを見せてくれた。りんたろう監督ももちろん登壇してプロデューサーの丸山正雄さんと歓談。いつか山中貞雄をやりたいなあといっていた中でタイミングがあって立ち上げ6カ月で作ったというからやればできるんだということなんだろう。キャラクターデザインを寄せた大友克洋さんも「りんさんで丸山さんで山中貞雄なら」と早くデザインを挙げたとか。1番のシネフィルの完成をくすぐるクリエイター間の信頼性が感じられるトークとなった。

 とにかく日本映画に敬意を見せた作品で、そしてキャラがユニーク。時代劇のあちらこちらで見たことのある俳優たちが似顔絵によって登場しているから日本映画ファンはこれは誰だと想像して考えよう。そんな映画を彩る音楽は本多俊之さん。超ベテランだ。その本多俊之さんが全編を1本の音楽で彩りつつそれを耳にしながら合間の活弁を小山茉美さんが役になりきって語り演じる。セリフとは違う言い回し。口パクに合わせたくなるけど文字が出るまで待つのが大変だったと小山さんは振り返っていた。でもそこはベテラン。しっかり合わせてきていた。

 急ぎ6カ月で作ったとは思えない面白さがあり強さがあって奥行きもある「山中貞雄に捧げる漫画映画『鼠小僧次郎吉』」。脚本をそのまま撮れば1時間半にはなるものを巧みに25分で切り取り往事のサイレント映画の雰囲気を感じさせつつ新しいアニメーションの表現としても楽しめる作品になっている。この作品に協力したフランスの面々を横に丸山正雄さん。「日本だとアニメーションで山中貞雄を作ると言っても誰も反応を示さないけれど、フランスだとりんたろうとか大友克洋といったインパクトももちろんあるけど山中貞雄と聞いて参加してくれた。凄い人たちです。悔しいと思いません? 日本頑張ろうよ」。確かに。

 頑張るためにまずは「山中貞雄に捧げる漫画映画『鼠小僧次郎吉』」をおおいに盛り上げていきましょう。そしてまだまだある山中貞雄なりサイレント映画の素晴らしい作品のアニメーション化なりをどんどんと進めていきましょう。日本映画の伝統を日本のお家芸のアニメーションで繋いでいきましょう。しかし「山中貞雄に捧げる漫画映画『鼠小僧次郎吉』」に兼森義則さんが作画監督等で参加しているとは。目下新潟大学駅南キャンパスときめいとで開催の「TVアニメの透視模型(パースペクティブ)」で大延ばしされ展示中の「夢戦士ウイングマン」の原画が第12話で兼森さんと稲野義信さん担当なのだ。見てくれたかなあ。


【3月19日】 3月18日は新潟国際アニメーション映画祭のプログラムのひとつ、大友克洋レトロスペクティヴで「AKIRA」が上映されてそれを観て、やっぱり今回もアキラくんはバラバラだったと思いつつ、そのまま氷川竜介さんと数土直志さんのトークを聴いたのだった。新著「日本アニメの革新 歴史の転換点となった変化の構造分析」を氷川さんは挙げつつ「カタログを読んでも歴史は分からない」という認識があって流れだとか状況だとかが渦巻く中にあってひとつの作品が生まれてくることを指摘。たとえ革新的で革命的な作品に見えても前後の事情がちゃんとあることを理解する必要がまずあって、そうした中でポイントになる作品を取り上げたといったことを話してくれた。

  そうして挙げられた作品の中に「AKIRA」もあるけれど、それが「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」ではないのはレイアウト中心の作画にしてもアル寄りの絵柄にしても既に『AKIRA』で実践されていて、そこに携わったアニメーターが模索し実践した先で押井守監督がとりまとめたものだから。アニメの根っこを掘っていったら『攻殻』がぼこっと出てくるけれど、その奥に「AKIRA」があったりするなら選ぶのは『AKIRA』にならざるを得ないってことになる。

 だったら「AKIRA」は何が新しかったのか。そこには「緻密と正確」があったと氷川さん。大友克洋さんが漫画で起こした変革をアニメがアニメでも同様に起こったらしい。服のしわを描き材質も分かるように描き人のポーズも解剖学的な正確さを反映させる。「根拠があるリアリズムを突き詰めている」。そうした現場に関わった森本晃司さんなり井上俊之さんなり北久保弘之さんなり沖浦啓之さんなりが「AKIRA」以後、散っていった先にProduction I.Gがあって押井守監督がいてレイアウト主義を突き詰め「機動警察パトレイバー」やら「攻殻機動隊」を手掛けて世界に認められていく。

 そうした作品と作品をつなぐ人の導線を考えに置かないと、年表の隙間は埋まらない者らしい。ではどうして「AKIRA」に新進のアニメーターが集まったかといえば、当時のアニメーション業界には外国との合作が多くあって日本の優れたアニメーターたちがそちらにとられていたから。カタログだけ見ればなぜか日本の作品数が減っている時期になって、あるいは衰退かなんて言われかねないところだけれどしっかり海外向けでは仕事をしていて、けれども一方でOVAのような文化が始まり人材が必要ということで抜擢されたアニメーターたちが、「AKIRA」の現場で鍛えられてスーパーアニメーターになっていった。

 大友さんとしては本当だったらもっと熟練のアニメーターを使いたかったのかもしれないし、それがかなっていたらどんな作品になっていたのか。そしてアニメの世界はどのようになっていたのか。歴史がつながっていることを感じさせるエピソードだった。シンプルな絵をドンと見せる漫画で衝撃を与えた大友克洋さんだけに、「AKIRA」もそうした絵でいくかと思ったら意外と動くアメリカンなアニメーションになって森本さんとか驚いたらしい。それは大友さんのアニメーションのルーツが東映動画でありディズニーといったアニメーションだからで、リップシンクも含めディズニー的なアニメーションを大友さん的リアリズムで描いた結果と言えそう。人にルーツ有り。アニメに歴史あり。大河のごとき流れであり曼荼羅のごとき関係性を把握して語るべきものであるアニメ批評への居住まいを正されるトークでありました。

 さて19日は「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の片渕須直監督が前日の舞台挨拶に続いて新潟アニメーション・キャンパスという学生さんを呼んでアニメについて学んだり、交流をしたりといったプログラムの中で行われたマスタークラスに登壇。いつものように調査する大変さを話しつつそれがもたらす意味なんかを指摘。その中で十二単がデフォルトのように思われがちな平安時代の衣装だけれど、あんなものを夏に来ていたら蒸し暑さに死んでしまう訳で、だったら何を着ていたのかといった話の中で薄絹を持参してみせてくれた。
 薄手のコバルトブルーの布で、それを重ね着して涼んでいたらしい。夏に透けるような背広を着ている人が前はいたけれど、そんな感じ。ってことは女性も透けたのかってことになる訳で、果たしていったいどういう映画になるのかが今から楽しみになって来た。それは午後に新潟日報で行われた一般向けに次回作を語るトークイベントでも言っていたけれど、マスタークラスではアニメーションにおける1コマ打ちと3コマ打ちが、人間にとっては脳の違うところで認識していることが認知心理学的に分かっているといった話が興味深かった。

 動きを認識するのは脳の上の方で、ディズニーなんかのフルアニメーションはそうしたところで認識して動いているなあと感じ取る。対して3コマ打ちのリミテッドな作品は記憶を司るところで認識していて、それは動きなんだという記憶と照らし合わせて動いているんだと思うらしい。ってことはそうした記憶がなければ何だこれってことになるそうで、初期の日本のアニメーションが米国で不思議に思われたのは、そうした”訓練”が行われていたからってことになる。やがて慣れた欧米人は日本のアニメも動くものとして分かるようになった。そうした研究がアニメーション学会でもなかなか進まないことを残念がっていたけれど、自身は新作の準備で動けないので医学や科学の分野からアニメーションを研究してくれる人が出て来て欲しいとのこと。だれかいないかそれをやる人。食べられるかは分からないけれど。


【3月18日】 そして見た「シン・仮面ライダー」は「キューティーハニー」だった。原作愛をぎっしりと詰め込みつつもそれがスベる方向でもしっかりと捉えてしまうものだから、時にシュールで様式美にあふれた場面もあれば露悪的に突っ走る場面もあってとまだら模様になって引き込まれたと思ったら突き放されて放り出されて迷わされた。演技のバラツキもあって主演の池松壮亮が淡々を演じる一方で塚本晋也は棒読みで柄本佑は飄々、そして手塚とおるはどっぷりとといった具合にテンションが違って1枚の板の上という感じがしなかった。

 人間だものバラツキだってあるよと思うけれども「シン・エヴァンゲリオン」は芸達者な声優さんたちが渾身の演技をする中で掛け合いとして成立するところまでフラットになっていたけれど、「シン・仮面ライダー」はそうした方向性がバラバラで誰かが喋る度に場面が変わるようなめまぐるしさを覚えた。基本を熱血の浜辺美波さんともやもやの池松壮亮さんに合わせつつもうちょっと、トーンを揃えられなかったのかどうなのか。それができていた樋口真嗣さんの監督作品では現場で指導があったのかどうなのか。今後出てくる資料で明らかにされることを期待しよう。

 内容についてはまだこれからの人もいるのでオミットして、寝ておきて新潟国際アニメーション映画祭の2日目に入って最初のプログラムともいえる「アニメーションと女性」を見る。まずアメリカでプロデューサーをしているジンコ・ゴトウさんが女性のアニメーターをとりまとめて経済的であり内面的でありといった様々な問題を聞いて解決へとつなげていく団体の存在を教えてくれて、それに5500人も参加していることにアメリカという国の未だにしっかりと民主主義を実践している強さを感じた。

 同時に女性だというだけで賃金格差がある状況も不思議に思った。それはMeeTo運動が起きるまで、権力者に虐げられていた状況からも分かるんだけれど、平等といきなりあてはめたところで既に権力を持っている人がいて、権力を持つに至るルートが設定されてしまっている中で新しく道を拓いていくことの困難さもあって当然。アメリカでアートを学べる学校に入れるのはそれなりの富裕層となると白人家庭の子息が中心となりそうした結果として生まれた優秀な作品に白人のものが多いことを果たして平等と呼べるのか。そこまで掘り下げつつ改善に向かう道があることが示された。出て来た作品だけを見ていても、あるいは見続けて言えば解決しないもんだいなんだなあ。

 だからこと助け合いつつ引っ張り上げる必要性も話していたジンコ・ゴトウさん。プロデューサーとして「リトルプリンス 星の王子様と私」とか「レゴムービー2」なんかを手掛けた大物の方だけれど、そうした仕事の現場でた南米出身の制作進行の女性から「自分はストーリーアーティストになりたいのだけれど、どうしたら良いでしょう」と尋ねられたという。普通はアートの学校にいって学び学位をとって就職を目指すのだけれどそうしたキャリアはない。お金もない。道はふさがれてしまっている。

 ジンコ・ゴトウさんはその制作進行の女性にストーリーを渡すから勉強しなさいと1年半にわたって協力を与え続けた。そして女性は成し遂げた。自分のポートフォリオを作りそれを元に就職活動をして採用されて作品に参加できた。学校で専門教育を受けていない、南米出身の女性が教育格差を乗り越えキャリアを掴んだ。同じようなことをジンコ・ゴトウさんはして来て、そうしたメンターが必要とも訴えた。ストーリーアーティストになった女性は自身もメンターとなって次の世代がキャリアを開くのを手助けしているとのこと。そうした中からピクサーに就職した人も出て来たという。

 チャンスを与える。そのための道を拓く。自分が受けたそうした厚意は次の世代につなげる。持続可能性があって初めて制度は回り改革が進む。不利明けって日本にそういう役割の人がいるのだろうか? そういう状況があるのだろうか。プロデューサーや監督として上に立つ女性は増えて来ているけれど、その上や取引相手を考えた時に貫き通すのは難しい。やがてすり減り埋没してしまう。今その作品が大事となればやっぱり使える人を選んでしまう。それは結局旧来から続くシステムの中で生み出されてきた人たちで、チャンスを与えられなかった人は含まれない。その改善のために必要な運動を、するには日本はまだまだ理解が足りないてことは、例の問題を見ていれば分かる。平等ではないから機会を与えることを平等に反すると指弾する声がある。その壁を突破していくための声が、広がっていってくれれば良いのだけれど。


【3月17日】 一路新潟へ。途中の十日町あたりで雪が積もっているのが新幹線の窓から見えて、いったいどれだけ寒いんだろうかと心配になったけれども到着した新潟は晴れて特に雪も積もっていなくて、それなりの気温だったのでスーツにコート無しでもどうにか歩くことができた。早速新潟国際アニメーション映画祭の事務局がある古町あたりまで行って、開幕を告げる太鼓のパフォーマンスを横目に見ながら登録を果たしてそしてお昼過ぎなのでとんかつ太郎へタレカツ丼を食べに行く。

 新潟に行ったら食べておかなくちゃいけないグルメが幾つかあってタレカツ丼もそのひとつ。どこで食べるのが正解かと言われればやっぱり元祖なとんかつ太郎だとうことで、事務局から歩いてすぐの店へと出向いていったら空いていたので1杯所望して頂戴する。5枚載せ。いやあなるほどこれは美味しい。前日の太田でのソースカツ丼もそれなりに地域のグルメ化していたけれど、こちらはもう少しだけ肉厚でソースをくぐらせてあって5枚食べてもまったくしつこさを感じなかった。ソースの塩梅もなかなかで、染みたご飯も米所だけあって美味しかった。

 3枚でも十分でそれがミニカツ丼として売られているので普段はそっちを食べる野が良さそう。期間中に機会があったらもう1回くらい行っておきたいけれど、ほかに食べるべき新潟グルメがあるのでそっちを優先しなくちゃ。店を出て歩いていたら例の水島新司さんの漫画に出てくるキャラクターの彫刻が見えたのでさっと見物。岩鬼に殿馬に山田太郎に里中に岩田鉄五郎、そして水原勇気とあぶさんがあって水島野球漫画のだいたいの主人公をざっと見ることができた。球道くんはこの中に入らないけど仕方ないか。目が掘ってないのでちょっと怖い感じもしたかなあ。

 ケツバット写真問題で撤去が言われた時期もあったけど、こうして残っているのは漫画どころとしてやっぱり撤去がしのびなかったんだろうなあ。彫刻が並んでいるストリート自体もおしゃれなショップとか並ぶ割にはシャッターが閉まっている店もあってとまだら模様。金曜日とは言え午後に人手がほとんどないのもきにかかった。駅前にあまり人もいなかったけれどこうして古くから栄えている町にも人がいない新潟っていったいどこに行けば繁華街みたいになっているんだろう。今回のイベントがそうした賑わいを古町に持ってくる上で重大だってことも何と無く感じられた。

 夜のプログラムまで時間があったので、いったん新潟駅まで戻って南口にある新潟大学駅南キャンパスときめいとで開催中の「TVアニメの透視模型(パースペクティブ)」をざっと見物。新潟大学に預けられている東映動画などで働いている方が保管していた原画や動画やセル画といった中間素材の中から、「夢戦士ウイングマン」の12話の原画を幾つか抜き出した上で拡大して飾ってあった。スタジオバードの兼森義則さんと稲野義信さんが2人で原画を描いている回でそれぞれがうまくて表情が豊かであの当時の原画マンの腕前って奴を味わうことができる。

 そんな原画を連続して半透明のスクリーンに投影しつつその奥で、実際のTVアニメを東映して動きに重なるように原画を並べていくことで、実際に映像になったシーンの原画がどう描かれているかを同時に見ることができるようになっている。横には絵コンテも上映されていてどういったシーンなのかを演出意図も含めて知ることができる。なかなかの工夫はメディアアーティストの五島一浩さんが手掛けたもの。文化庁メディア芸術祭に「これは映画ではない」といった作品を出展していた時にお目にかかったことがある人だった。そういう人と組んで見せ方を考えつつ保管の仕方も考えているアカデミズムの拠点が新潟にある。もっと知られて欲しいなあ。そうすればさらにいろいろ集まって、一大拠点になっていくだろうから。

 戻って夜のプログラムは、「TAISU(太素)」というシリーズで作られたオムニバス作品の中から渡辺信一郎監督とがそれぞれ手掛けた作品を上映するというもの。森田監督の方はお得意の3DCGによる作品だったけれど、いつものようなセルルックとは違って絵のように美しくなめらかで、渡辺監督の方は絵本的でバンドデシネ的ととても対照的な2作が混じっていた。これがオムニバスの良さでもあり、同時に濃すぎる2本が並ぶ怖さでもあるのだった。
 森田修平監督の「弦の舞」は中華風の国とアバター的な部族の長い戦いが続く中、それぞれに所属する女性が花を通して言葉をかわすようになり、いつか会いたいと思うようになるという展開。本当に絵が綺麗でかつ絢爛。早見あかりさんと瀧本美織さんが声を演じていて染みる演技を聴かせてくれる。一方の渡辺信一郎監督のTAISU「A Girl Meets a Boy and a Robot」は崩壊した世界を行く少女がロボットと出会い崩壊した街へ行き少年と出会うという設定。久野美咲さんの声が可愛い。山寺宏一さんはスパイクじゃないけど役どころとして超カッコ良い。

  両作を結ぶのが「太素」という元素で声を繋ぎ時間を結ぶという性質があるらしい。なるほどだから「かがみの孤城」めいた設定が投入されていたのかと理解する。オムニバスではそんな「太素」という共通の設定をもとに森田さん渡辺さんほかに監督を依頼し4本が出来てくる予定。足すと1時間半とか2時間近くになるのかな。そうしたオムニバスがいったいどこで見られるのかが目下の気になるところだけれど、まるで見えないのが寂しい。音響製作会社の人が奮起し作ろうとしたアニメらしく音響も無茶苦茶良いので、完成したら是非に劇場での公開を望みたい。


【3月16日】 群馬県の太田市へ。多分3度目。到着してしばらく駅前の太田市図書館&美術館で過ごす。新聞が置いてあったので眺めたら読売新聞は地域面が見開きであって支局通信部もちゃんとあるようで取材網が残ってて、地元の両毛新聞あたりと対抗できている感じがあったけれどもとある自称全国紙は「東日本ワイド」という大きなお題目のあとに「群馬」とはあったものの群馬県の記事は1本であとはお悔やみがズラリ。そしてもう1本ある記事はなぜか青森県のお話しだった。群馬で青森の記事が読めるなんて斬新といえば斬新だけれどニーズがあるかは不明。お悔やみですら他紙もやっているなかで売りになるとも思えないだけに早晩厳しい対応を迫られるかもしれないなあ。

 まあ特定の方面に向けてのアピール力だけは強いからおsれが好きな人に買ってもらえるかもしれないけれど、中途半端に部数があっても配達したり印刷したりするコストが上待ってしまうから痛し痒しか。そんなアピール力を象徴する編集委員兼論説委員が例の小西ひろゆき議員が暴露した総務省の行政文書に関して現在の大臣だか官僚だかが「上司の関与」を信憑性を担保する言葉として添えたにもかかわらず、それは上司が改ざんしたというシグナルだと言い張っていて、ついに記事にまでしてしまったからそっちの界隈は大喝采。流石だ何だと持てはやすけれどもこれだけ中央にメディアがってそういうことを言っているのは1紙のみってあたりに、無茶があると気づけないヤバさがそろそろ首を締めにかかるかもしれない。大変だあ。

 何か1紙だけが掴んだとてつもないスクープかもって思っている人もいるかもしれないけれど、これだけメディアがあって横並びで情報がとれる時代に同じことを言ってないのはつまいそういうことだと分かる人には分かるだろう。そもそもが当時の総務大臣なり総理補佐官があれやこれやヤバい言動をしたのが今に露見するのは拙いので、必至になってなかったことにしようということなんだって誰もが蓋然性を覚えて眺めている。すなわち官僚がしっかりと記録をとってたってことで、それが正しいとなると自分たちの正しくなさがクローズアップされてしまうため、捏造だとかなかったことにしたいっていうのがちょっと前までの構図だった。

 でも官僚によってそうした記録はあったし会合もあったことが裏付けられ、なおかつ「上司の関与」でもってオーソライズまでされてしmったのだからなかっただとか捏造だとか言おうものなら官僚機構に逆らうことになる。だからだんだんとトーンを提げて捏造だとは言わず覚えてないといった記憶の海に逃げ込もうとしている政治家を横目に、メディアが捏造だと騒ぎ書き換えがあったと訴えれば逆に逃げようとしていた政治家を追い込む事になるわけで、わかっただったら「上司の関与」とか何かを問われて「チェックしてオッケーしたことです」なんて答えられようものなら捏造改ざんの可能性が潰されてしまう。

 すなわち味方も自分も追い込みかねない言動を、それでも続けるのは敵をぎゃふんと言わせられれば良いという刹那的な感情からなんだろう。そうやって何度負けたよ。今回もいろいろ言われるんだろう。でもそこならあるよねで終わってしまう。信頼だとか精度なんて求められていやしないオピニオンという名のデマゴーグを発していれば同好の士を集めてセイロ力を形作っているように見える。それであと何年戦うつもりなんだろう。中の人たちは大変だねえ。こっちはとうの昔にオサラバしたのであとは見守るだけ。どうなることやら。

 太田市で仕事をしていたらガーシーに旅券返納命令が出たってことでこれで返さなければ海外の在留資格が切れて不法滞在となって晴れて逮捕に持ち込めるって寸法らしい。そうなれば強制送還だって現地での逮捕だってある中でどこかに逃げるのかそれとも潔白を訴えながら動画配信を続けるのか。悪ぶってカッコ良さを出していたなら徹底して悪ぶった姿を見せ続けて欲しいけれどもさてはて。国内に戻って国会で挨拶していれば、不逮捕特権もあって今国会の会期中は逮捕されなかったのかもしれないけれど、議会で一致を見ればその特権もなしにできるからそうした恥ずべき汚名を着るのも嫌がっての除名だったのかもしれない。まさか急転直下で逮捕に至るとは思ってみてもいなかったのかもしれない。どうだろう。


【3月15日】 新潟国際アニメーション映画祭へと行く準備をいろいろと。とにかく登壇者がいっぱい来る割にスケジュールが公表されていないものもあっていつどこで誰が登壇するのか取材はできるのかをあっちに尋ねこっちに尋ねてどうにかこうにか概要を理解したと思ったら、また別のイベントなんかもあってそれも関連はしているけれど仕切りが違っていたりして、どうやれば観られるのかを尋ねたりしてどうにかこうにか状況を確定させていく。

 東京国際映画祭のように事務局が立ってサテライトイベントも含めて統括してプレス対応をしつつデイリーのスケジュールも配布するようになっていたら、それを見て今日はここに行けば良いって分かるんだけれど、映画祭でも映画を見に来る映画記者ならそれで上映スケジュールを確認し、観に行けば良いのとは違ってイベントで誰が登壇して何を言ったかを記録していくライターだと、サテライトイベントも含めて把握しておかないといけなかったりするのだった。行けばまたいろいろとアクシデントもあるろうけどその時はその時ってことで。

 現地では3日間くらいは着ていったスーツの中をロンTに替えるとかして雰囲気を出せば良いものの、残る日程を何を着るかと考えて前に着こんだ審査委員長でもある押井守監督のスタジアムジャンパーを着るとして問題は当地の気温。ちょっと厚手のメルトンで出来ているから今の東京あたりの20℃近くなる気温だとちょっと暑いのだった。でも調べたら新潟は最高気温でも10℃に届かない日があるみたいなんでその日に着ることにするとして、あとは同じ靴をずっと履いているのも何だとアディダスでスニーカーを1足新調する。

 セレブがお召しになって復活の兆しといかいうサンバがあったので手に入れたけれどもクラシカルな3本線が入っているものではなくってそれがエンボスめいた感じに浮き上がっているだけのシンプルなのにしたので、スーツに合わせてもカジュアルな雰囲気とフォーマルな雰囲気の間くらいを出せるんじゃなかろうか。靴下とか下着とかは現地で買えば良いかなあ。替えなくても死なないかなあ。いやそれは迷惑か。後はグルメチェック。やっぱりバスセンターのカレーとイタリアンは外せない。あとはタレかつ丼か。どこが美味しいんだろう。へぎそばという声もあるし。押井守なら立ち食い蕎麦か。あったっけ近所に。

 そんなことを言っては恥ずかしいからなんだろう、例の総務省の行政文書についてその信憑性について問われて「上司の関与」を経てファイリングされたものだから書かれたことはちゃんとあったんだといった説明を総務省の官僚がしたことに、なるほどそうやって上のチェックを経た公文書だから書かれていることは本当なんだろうなあと真っ当に理解をする一方で、「上司の関与ってことは上司が書き換えたってことだろう?」と騒ぎ立てるメディアは10のうちの1もなかった。けれどものこる1をいつもの政府により気味のメディアや自称するところのジャーナリストが「いやいや上司の関与は上司の改ざんを意味する霞ヶ関用語だ」と騒いでいるから厄介というか。

 そんなものもう1回国会に呼んで「上司の関与とはどう意味か」を問いただせばさっぱり解消する話なんだけれど、それすらも聴くのが恥ずかしいくらいに当たり前の官僚による公文書作成のプロセスを、無理やりねじまげ公文書の存在そのものにケチをつけてこの国の行政のあり方をガラガラと崩そうとするメディアなりジャーナリストなりが、愛国者を名乗っているというこのどうにもこうにも理解不能な状況が今の日本の有り様と表しているとも言えるのかも。どうなることか。どうもならないんだろうなあ。信じたい者は信じたい事しか信じないのだから。


【3月14日】 東京アニメアワードフェスティバル2023は13日に贈賞式が行われてコンペティション部門の長編グランプリにアラン・ウゲット監督による「犬とイタリア人お断り」が入ってちょっと嬉しくなった。昨年末にフランス映画祭で上映された際に監督インタビューも行ったりしたけれど、ほぼオフィシャルな媒体とそれから僕のところくらいしかやっていなくて日本じゃやっぱり知られていないアニメーション作家に興味を持つ媒体ってないんだなあと思っていただけに、こうして箔が付くと少しは注目してもらえるんじゃないかって期待も膨らんでくる.

 というかTAAF2023を通してメディアなんてほとんど見ていなくって、贈賞式に来て取材して記事を出したのって僕とオリコンくらいだというこの寂しさは本当に日本がアニメーション大国なのか、そしてメディアはアニメーションに興味を持っているんだろうかって気がして不思議でならなくなってくる。声優アワードのようなイベントだとわんさかメディアも群がって一生懸命報道しているところはなるほど、読者にとって声優さんの情報の方が人気だからってこともあるんだろうけれど、アニメを作っているのはクリエイターな訳でそうした人たちにスポットを当てていかないと、誰も作らなくなってしまううんじゃないかと心配になってしまう。

 というか行けば何かしらトピックはあるもので、アニメ オブ ザ イヤーで監督・演出部門を受賞した谷口悟朗監督が贈賞を聴いて「戸惑いました。私の作品はアニメ業界から賞を戴くことはありましたが、個人賞は初めてでした。どのように解釈すれば良いかと思っていたところに、私の大事なアニメ作りのパートナーである男の訃報が入りました」と、表情をややこわばらせて喋りはじめてこれはあの人のことを話すなと身構えたら、「アニメーターの木村です」と木村貴宏さんについて話し始めた。「木村の方はまだ58歳でしたので、まだまだ多くのアニメーションに携わっていきたかった、作りたかったでしょう」とその悔しさを身に感じていることを吐露した。

 「その時思いました。アニメ業界に入ってから今まで、木村だけでなく何人もの動機だったり、仲間とか先輩達が結果的にアニメ業界を去って行くことになりました。彼らに対して私の方はまだアニメを作れるじゃないかと、お前はまだアニメを作っていけよ、頑張れよ、これからだぞ。おそらくこの賞はそういう意味もあって戴けたのだと解釈して、これからも頑張っていこうと思いました」と授与を受ける心境を話してくれた。「コードギアス 反逆のルルーシュ」を始め幾つもの作品で組んでいただけに胸来るものもひとしおだっただろう。そうした言葉を直に聞いてアニメーターのつながりを感じ、そして決意を持ってこれからの作品作りに望む覚悟を見て取るにはやっぱり現場にいないとと思うのだった。

 美術・色彩。映像部門を受賞したufotableの衛藤功二さんも「素晴らしい賞をありがとうございました。『鬼滅の刃』など皆さんに愛される作品に関われたこと、名誉ある賞を戴けたことを光栄に思っています」と挨拶をした後、「なぜ戴けたのかな、というのは疑問というか、嬉しいんですが僕が背景美術を始めたのは25、6年前で、ポスターカラーという絵具を使って筆を使って背景を描いていました。その頃はカッコ良い風景を岳に飾れるような風景がを描きたいと思って仕事をしていました」と美術を目指した動機を振り返っていた。

 そして、「ufotableに所属して、多様な映像のアプローチの仕方、美術を任されるようになって視野が広がりました。シーン毎に見せる映像を作りたいという気持ちになっています。個人賞ですがスタッフと一緒に作り上げ、悩み悩み作り上げた映像に対してもらった賞だと思います」と、チームでの受賞であることを強調していた。去年もufotableで撮影をになっていた寺尾優一さんが同じ部門を受賞して、スタッフと共に受賞したことを強調していた。ufotableがスタッフを大事にして皆で作り上げるスタジオだってこと、だからこそ優れた映像が生まれるんだってことが感じられるスピーチだった。

 そんな映画祭の終盤に久々に東京都の小池百合子知事が登場。ChatGPTを使って挨拶文を作ってみましたと受けを取りにいくあたりの戦略性もさることながら、「東京都はこのたび豊島区にもう一つのアニメの拠点を作りたいと考えております。東京都が保存している手塚治虫先生の『鉄腕アトム』であるとか作品のセル画を展示する場所を豊島区の南池袋に作ることにしております」と言って驚かせた。そんなもの持っていたっけ、とふりかえると割と預かっているものがあってそこの保管期限も迫っているっぽいので、移管して展示するようにするのかと想像したけれど、単純にセル画だけ並べるギャラリーを作るのかもしれず情報が必要。成り行きを見守っていこう。


【3月13日】 そしてやっぱり東京アニメアワードフェスティバル2023へと出向いていって「YOUNG POWER2023」を見る。学生の卒業制作とか終了制作の作品を見てはプロフェッショナルが講評するイベントで、かつて見里朝希監督も「あたしだけをみて」を出品してはなんで羊毛フエルトなんだと突っ込まれたという曰く付き。さすがにへこませるのは拙いとみたか、フレデリック・バック監督と片渕須直監督が並んで登壇した時以降は日本人のクリエイターやらプロデューサーが講評するものになっている。

 今回は「アイの歌声が聴きたい」の吉浦康裕監督が登壇したということでファンらしい観客がわんさか。たとえ吉浦さんが見たくてもそのついでの作品が見られるのなら短編アニメーションにとってもあまり悪いことではないのかもと思うことにする。そうした動機だろうとも現場に足を運ぶ分、取材にすら来ないメディアよりよっぽど前向きで意義もあるってことだから。そんな人たちにとって1本目の城所晴さんの「冬の宇宙人」はどう移っただろう。多摩美術大学の卒業制作で見た時にこれは凄いSFだと思ったけれど、吉浦監督も「すごくしんみりしました。実は今回観るのが3回目見る度に情報量が増えていく。不思議な作品ですね」と好評だった。

 「テーマとか音響の入れ方とかアングルも含めて良質な単館系の実写映画を見た気分になりました」とも。一筋縄ではいかないキャラクターばかりなのに、見るとくすっと笑えてホッとするところも作者の持ち味のひとつと言えるのかも知れない。続いて登場した新海大吾さんの「ぼくがこわい黒いもの」も東京藝大院映像研究家アニメーション専攻の終了作品展で見ていたもので、吉浦監督は「完成度が高い。平面的に作られた世界で、凄いなと思ったのは顔のパーツが記号的だが使い方が堂に入っている」と褒めていた。

 「クレイアニメーションで夜の海を表現するのに、ハイライトだけが当たった表現を効果的に使っているのが技術的にも感情的にも凄い。入念に設計したのか」と尋ねていて、答えて新海さんは「海が好きで、でも同じくらい海が怖い。どうして海が怖いのかを知るために、横浜で海をながめていた」と振り返っていた。つまりは夜の海をまず作りたいという動機があって、そこから弟だか妹だかが生まれそうなお兄ちゃんの戸惑いを描くものがたりを載せていったあたりを吉浦さんは感じ取って「合点がいきました。表面的には子供が生まれる話だけれど、映像表現は海でしたからね、赤ちゃん1カットも出てこなかったし」と見抜いていた。そうか映像クリエイターはそういうところを見るのかと勉強になった。

 3作目の東京工芸大から来た小林麗央さんと鈴木涼さんの「ヂュオビリオンズβ」は2D作画によるロボットバトルで、アニメ好きでアニメーションを学ぶ学校に入った生徒がやりたがってもだんだんと難しさとかに目ざめやらなくなることを、やり通したところが凄かった。それを評価して学校として推薦したらしい。吉浦監督は「エンターテインメントだなあと思いました。商業スタイルのアニメーションは比較対象が近くにあるとう業は背負うけれど拡散しやすいです。楽しく見ることが出来ました」と高い評価をしていた。

 今や商業アニメでもロボットはCGで描くものになっているだけに「アマチュアのプロの違いは技量だけれでなく、アマチュアだからこそできることがあります。完全作画のロボットバトルもアマチュア作品だから観られたのかもしれない」と指摘していた。東京造形大のチョウ・ウケンさんによる「La nuit des illusions」には「表現技法に目を引かれました」と話しつつ「キャラクターが魅力的だから話を追いかけられました。商業的だろうが被商業だろうがキャラクターは魅力的であるべきです」と指摘。なるほどそこに注目をしてこれから吉浦監督作品を見ていこうという気にさせられた。

 武蔵野美術大学から出品の倉澤紘己さんによる「えんそくだったひ」はパステル調の絵本が動いているような作品で、てっきり2Dだと思ったら実は3Dで描いてレイヤーを重ねて作ったものだったらしい。それを見抜くとはさすが吉浦さん。作り手だからこそわかる作画の難しさがあったってことなんだろう。作者は「今まで手描きのアニメーションで凄い巨匠みたいな人が何十年かかってやっていた感じを、コンピュータグラフィックスでやってみたいというのがありありました」となかなかの意欲ぶり。「形の定まらないような絵の感じが結構好きで、雨の日に水がいっぱい目の前にあって、世界のレイヤーが1個増えている感じがマッチするというのを散歩している中で発見した」ことが、この作品につながっていると振り返っていた。

 女子美術大学の脇屋花歩さんによる「Caressa」については、「体に触れたときのリアリズムは実写の方が伝わるかというと、そこにアニメーションの面白さがあって、描き手の情念や感覚が盛り込まれるので、身体的なリアルさや実在感を盛り込むことができるんです」と吉浦監督。言葉通りに臨終の床にある老いた体と若い指先が触れあう感じがひしひしと伝わってきた。「実写と同じことをやるよりアニメーションの方が真に迫ることがあるのだと分かって、身が引き締まる思いがしました」と吉浦監督に言わせた作品。どこかで見られたら見てみよう。

 いずれここから商業に入っていく人もいるだろう状況について、「各セクションが何をやっていることが分かる」のが学生アニメーションなり自主制作なりを経たクリエイターのひとつの利点だと吉浦監督。分かってしまうだけに現場に口を出しすぎる懸念もあるけれど、「各セクションでやっている人はプロフェッショナルなので、そうしたスタッフがうまく回るフローを作るのを心がけている」とそこは監督というポジションをしっかり意識しているからこその商業的な成功を得られているのだろう。同時に「商業的なアニメーションの表現も変化して、CMだったりネットだったり短編の発表の場も増えています。中間的な作品を受け止める土壌が昔よりあって羨ましい」とも。そうしたフィールドに卒業生ががしがしと入っていって賑わえば、卒業しても行き場がなくて鍛えた腕が持ち腐れになってしまうなんて状況も経るかも知れない。期待しよう。


【3月12日】 今日も今日とて東京アニメアワードフェスティバル2023へと赴きシネマ・ロサで「フォーカスイン 見里朝希〜新しい風が吹く〜」を見る。あの「PUI PUI モルカー」の見里朝希監督が登壇するんだからメディアもTVとか含めてわんさかかと思ったら僕を入れて2社くらい。アニメメディアの人たちの規準がよく分からないのだった。一方でファンの人たちは超熱心で開場の1時間くらい前から並んで最前列に近いところをとろうと頑張っていた。

 モルカーがあしらわれたドレスを着たりぬいぐるみを持ったりとファッショナブル。女性が圧倒的に多くて刺さっている層が垣間見えた。こういうのも現場だからこそ分かる感覚って奴。たとえ配信されていたって現場に行くそれが理由ってことで。自分も並んで開場を待って入場。最初に「PUI PUI モルカー」で見里監督がコンテも切った作品を主に流してからトークへと移る。

 印象に残ったところだけ書くなら前にTAAF2016の「YOUNG POWER」に「あたしだけをみて」を出した時、海外のクリエイターからけちょんけちょんに講評されたことを竹内孝次さんが触れていて懐かしく思った。TAAF2023フェスティバルディレクターの竹内孝次さんの記憶では、出品者で見里さんだけは何も言われなかったらしいけど、実際は「『あたしだけをみて』では羊毛フエルトを作いましたが、物語に対してこの素材で合っていたかと聞かれました。素材の必然性ですね」と本日のトークで振り返っていた。

 その現場にいたから何を言われたのかはよく覚えていて、総じて物語性が弱いとか説明が足りないとか海外からの視点が反映されてて厳しいけれども参考になった。見里監督も「考えると粘土で表現できるものなのにどうしてフエルトを使ったのか。そうしたマッチングは今でも自分の中で課題となっています」と振り返っていて、東京藝大院1年次にプラバンを使い「Candy.zip」を作ったのも素材と物語のマッチングを考えたからだし、その後に満を持して羊毛フエルトならではの山羊をキャラクターにした「マイリトルゴート」を作ったのも回帰があったからだと言える。

 そしてこれは羊毛フエルトじゃなきゃダメなんだな的な「PUI PUI モルカー」へとたどり着いたという意味で、あの時の指摘はぐるっと回って生きているってことになる。思考し試行した見里朝希さんはやっぱり凄い。そんな見里監督の気になる次回作はおととしのTAAFで中武哲也さんが言ったようにWIT STUDIOにストップモーション・アニメーションのスタジオを立ち上げそこで作ることになるとか。というか作り始めているんだろうけど中身は秘密。これは竹内さんも気にしていた、インディペンデントの時のような作家性が出るかだけど「昔から憧れていた大がかりな作品が作れるようになりました」と前向きなスタンスを見せていた。

 「分業になるとやりたいことがなおさらできなくなるけれど、自分の場合は立ち上げに関わっているのでやりたいことがやれる機会を戴けてありがたいです」と話していた。何が出てくるのか。コラライン級だと良いな。終わって開場を出て「ぱすた屋」で大盛りをかきこんでから、サンシャインの噴水広場へと行ってまずはコマ撮りアニメーションの大先輩にあたる合田経郎さんによる「こまねこ」の解説と、アニメーターの人によるモーションの実演を拝見。ちょっとずつ動かして12枚を撮って動かすと足だけじゃなく尻尾も上下に跳ねて可愛らしさが出ていてさすがはアニメーターと感心する。

 その後に竹内泰人さん篠原健太さん見里朝希さん小川育さんというストップモーション・アニメーションを手掛けている若いクリエイターが登壇してそれぞれにいろいろと話してくれた。小川育さんは東京藝大院でソーセージがグロテスクな目に会うすごい作品を作っていた人だけれど、今はドワーフで「リラックマ」のような可愛い作品を作っているところが面白い。篠原健太さんも一時ドワーフにいて今は別の所に所属しつつネットでフィギュアが生き生きと動く作品を公開している。自分で人形を作らなくても良いからってのがフィギュアを使った理由。オリジナルにはならないけれど腕前は見せられるからそれでいいのかな、仕事にも繋がっているみたいだし。

 そんな4人にコマ撮りの魅力を尋ねていって小川育さんは「制限が多いけど意図していないものが生まれがち」と発言。「アクシデントも多いが人形の思ってもいなかった表情が見えたりもする」とも。それから見里朝希さん。「手触り感を伝えられる」と話してくれた。「コマ撮りは完璧すぎないところがあるのが良い。『コララインとボタンの魔女』の桜の花がポップコーンだったように、コマ撮りだからこそできる遊び心も魅力ですね」とも。そういえばアラン・ウゲット監督の「犬とイタリア人お断り」は家がカボチャで木々がブロッコリーだった。それがユーモアにもつながるところがコマ撮りならではなんだろう。

 篠原健太ささんは。「テレワークが出来るデジタルと違ってコマ撮りでは、クリエイターはその場にあって体を動かしてセッティングしたりアニメイトしたりする。そこに人が集まらないと仕事にならない」とのこと身体性と共同性が映像になにかを与えるのだろう。受けて竹内泰人さん。「身体性で動かしシャッターを切って作ったというプロセス込みで鑑賞する時代なのかもしれない」とのこと。スマホにコマ撮りアプリもあって自分ですぐに作れる時代。「遠いものではなく、観た後で地続きで作れる。自分が動かしたら動いてくれる」。CGじゃそうはいかないからなあ。動かせば動いてくれる楽しさを覚えた人がどんどんと入って来て、盛り上がるかなコマ撮りアニメーション。期待したい。


【3月11日】 新潟国際アニメーション映画祭の開催中に封切りとなる「シン・仮面ライダー」をいつ見るかがとても重要な問題となってきそう。17日夜の先行が新潟であったとしてもオープニングと重なっているから見るのは不可能なら18日の朝1番が何時からになるのか。それを見て午前10時からの「アニメーションと女性」のシンポジウムに駆けつけられるのか、その日の隙間を縫って観に行こうにも割とぎっしりなので無理ではないか、オールナイトがあるならそれにかけるかどうせホテル泊まりな訳だし等々、戦略を練るのだった。そして言ったら行ったで東京で見たような顔に出会うのだった。

 サントリーがCMでマッチョがいろいろと応援してくれるという映像を作って流し始めたけれど、これって元ネタがあってアフリカに暮らす人たちにお金を払ってメッセージを書いてもらい踊ってもらってそれを受け取ることで相手がお金を得られるといったビジネスであり福祉といった要素も入っている。もちろんそこには人種的な差異を感じさせる部分や、正当な報酬が得られているかといった搾取性が議論はされているけれど、対価を支払い貧困からの解消を目指しているところはあるし、リアルマッチョへの憧憬を感じさせてくれるところも大で是が勝る感じなのに対し、これは企画を重ねて脳筋的表現もあって最低だと思うのだ。かつて誰もが憧れたサントリー宣伝部ともあろうものがこれではなあ。文化も廃れるわけだ。

 今日も今日とて東京アニメーションフェスティバル2023へと行っていろいろと見る。フランス映画祭in横浜でも見たアラン・ウゲット監督の「犬とイタリア人お断り」を見たらやっぱり面白かった。上映後に一次審査員の人がマイケル・フクシマ「ミノル:逃亡のメモリー」との共通点や、「ハチミツ色のユン」といった作品のようなドキュメンタリー性を持ったアニメーションの系統を紹介していた。こういう作品は海外で本当に増えているけど日本はどうなんだろう。短編アニメーションでドキュメンタリー的なものはあっても長編だとなかなかないのはマーケットがないからか。ちょっと探してみよう。アラン・ウゲット監督は12月のフランス映画祭には来日していたけれど今回は来てくれないのか。明日また上映があるので見逃した方は是非。

 ビリビリ動画で仕事をしている人が登壇したの中国アニメーションの現状に関するセッションでは、中国にも「小説化になろう」のような投稿サイトがあるけれど、そこに書かれている作品はもはや長大なものになり過ぎてアニメ化には向かないので、日本のなろう小説を翻訳するなりコミカライズを使って中国でアニメ化する動きが始まっているんだとか。日本おりも規模のデカい中国でアニメ化されてついでに小説も刊行されればすっげえ儲かりそうだけれど、そういう作家はいるのかな。

 アニメーターについてもやっぱり中国はなかなかの高報酬が約束されているっぽい。日本のアニメーターさんの報酬が中国に比べて厳しいけれどどうしたら良いという質問があって、中国からの高い仕事をいっぱいとって儲けましょうと答えていた。いずれそうなっていくんだろうなあ。今は3DCGが中心でそれは中国に日本のような2Dアニメーションを描けるクリエイターがあまり育ってないからだけれど、いずれ日本からの移入が進めば技術も受け次がれ、日本的なアニメーションも作られるようになるなろう。

 一方で3DCGの技術も進むことによって中国人の誰もが知っている神話だとか伝承なんかがアニメーションされていくとか。中国でもっとも強いIPはやっぱり神話だとか。孫悟空にしても封神演義にしても幾度となく様々な形で映像化されているからなあ。それが日本的な動きなりピクサー的な技術でもってアニメーション化されればそりゃあ凄い作品になるよ。おまけに中国に市場もあって存分に稼げる。人口が多いとはそういうこと。でもそうした内需はいつまでもつんだろう。成長はいずれ限界に達して国外にマーケットを求めた時に政治がネックとならないかどうか。だからこそアフリカなり南米なりを狙っているんだろうなあ。日本なんって小さい小さい。そう思うよやっぱり。



(ACCESS COUNTER '96.07.20)


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