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火縄銃


今夏も猛暑 酷暑との予報
国際情勢も猛暑 酷暑

内戦論と外戦論の混同→ 坂井三郎
戦略的思考の欠除→ 佐久田昌昭
日ノ本 大丈夫か

兵頭二十八  連載頁あるので
本名 斎藤 浩で かけもち執筆

【武術史の空白・砲術 「砲術」盛衰記】

足軽鉄砲隊の火縄銃
泰平になると 鋳なおされ農具の実用品になった
剣と違い家宝にならない

武士は
足軽用の銃口 三匁五分(13mm)でなく
十匁(19mm)  大筒
馬への殺傷力が まるでちがったからである
馬上武者の首より 
敵陣に大きな損害を与えることが手柄となる
寛永の世   大筒の砲術師現れる 書 できる

軍学者 そこのところ詳しく書いているが省く
専門的過ぎる

結論を急ごう
日本の個人的な砲術は 西洋の集団火力運用に敗れ去った
ゲベール銃が火縄銃より優れていたわけではない
ゲベール銃の肩に当てる「銃床」
ナポレオン以来の集団一斉射撃から
未熟者でも狙い打ちができるようになった

【斎藤→四ヵ国連合艦隊 馬関に海兵隊を上陸させてきたとき、
日ノ本の個人技的砲術 西洋の集団火力運用に敗れ去った。
長州軍は、その武器と戦術を、今度は幕府軍に対して用い、
農民兵が武士を逐{お}い返した。
この時点で、寛永以来の「砲術」文書も、紙屑と化したのだ。】

兵頭二十八こと斎藤 浩 最後にこう結んだ
【日本人の戦術的欠点
評論家の兵頭二十八は、一九九七年の『ヤーボードン』 という単行本の中で、
宮本武蔵の 『五輪書』を評注し、武蔵野太刀筋が「馬上片手刀術」の徒士立ちへの転用であることを明らかにするとともに、日本史上、近代以降も読むに堪える戦争論を日本語によって構築できたテキストはこれのみであると絶賛している。
ところが、その日本兵学の最高峰という 『五輪書』の中には、多数の兵をいかに指揮するか、具体的な方法は何も書かれていない。そして宮本武蔵は、この著作を除いた面での世評が高いのだ。
各流の砲術書も、「速射」は巻末でわずかに触れているだけである。日本の砲術は、なぜか火力の大量運用ではなく、個々の人の武士の手柄のための狙撃手引きに堕ちてしまった。
私にはこのことが、武蔵のいたずらな「剣聖」扱いと同じく、日本人の戦争適性の限界のようなものを示唆しているように、思われてならない。】

−−−−−−★−−−−−−
種子島伝来 鳥撃ち銃  頬に当てる 
鎧を被っていたから 肩には当てらぬ  好都合であった
それが後年 アダになった
2024/04/16(火) 晴れ


世情


良寛さん 辞世の句
「散る桜 残る桜も 散る桜」

残る桜 散っても
薔薇  
菜の花 
チューリップ 
藤(フジ)
ツツジ  
タンポポ
と あとにつづく

最終巻二十四ノ巻から
あとに つづいたのは 何だったろうか

−−−−−−★−−−−−−
八ノ巻 
【ホームページ掲示板「思考の無銘刀」
◆前巻七ノ巻での小林よしのり、時浦兼両氏の「日本人・前田日明への返答」に対する本誌発行人・杉山の返答。この二つ返答を“ジークさん”に他の読者意見を交え、論じていただいた。
其ノ一
二つの「返答」の誤解と不快
佐々木健(HPネーム:ジーク)】
6ポ活字で二頁半に及ぶ論

其ノ二
日本、日本人が守るべきものは何か?
守るべきものが見えてこそ、戦う意味が持てる
八人の読者論客が掲示板に書き込んだ論
二頁半

<世情>と 一口にいっても 
<世情>を 感知するのは ひと 一人
数多のひとの<世情>がある 
して ひと 一人が<世情>を生み出すこともできる
2024/04/13(土) 晴れ


日本人より日本人


八ノ巻
【対話  『国民の歴史』から『民族の歴史』へ
前田日明  杉山頴男】
この対話も 前田と拙者の間にテープレコーダーを置き 対話

五ノ巻までの論客対談のテープおこしを願っていた御仁が降り
最終チェックだけしていたが
以後 拙者がおこすことになったが
まず某編集プロダクションに一字一句洩らさず綴ってもらう
それを割愛/推敲/校正/念校する

サブタイトル こんな風に書かれている
襟を正して読むべき民族の哀しみ、憤{いきどお}りへの偽らざる心情の本
である。しかしアジアを切り捨て、欧米を断罪する先には孤立した日本がある

これが この対話の総論というところだ

この巻 発刊した年から何年たったろう
最終巻二十四ノ巻からも 何年たっだろう

チャンネル櫻の年末特番 収録で
西尾幹二さんと同席した
帰り道 一献
西尾さん この巻の話した
拙者が 弁護してくれたと
西尾さん  前田日明の反論 気にしていたのだ

対話で前田 云う
「西尾さんの中国感はいまの共産党氏支配下の中国への反感を古代・中世の中国に投影しているだけだと思う。儒教と法律の思想を建前と本音という俗論を盾にして、
これが中国人の特性の二枚舌で、これがすべての中国人であるかのように云っている。
韓国・朝鮮への態度も同じ。…………『国民の歴史』はかつての渡来人であり、多くの文化を共有してきた一番親しい隣人を愚かな民族という扱いをしている。自分が在日であることから、特にそう思うと云われそうだが。」

日本刀に魅入られる前田日明
たしかどこかでみた 一振りにであったとか
保持する短刀  何時間みてても飽きないと
日本人より日本人と  前田を表する者
日本人より日本人と評される異国の御仁 数多いる 
2024/04/11(木) 晴れ


大東亜戦争


陸上自衛隊 某連隊 公式X「大東亜戦争」
例によって 巷 侃侃諤諤
「大東亜戦争」 誰が最初に使ったか
アジア 欧米植民地からの解放
いや 自治権を与えない自給圏の獲得

その意図 とりあえず置いておく
坂井三郎さん
我々は大東亜戦争を戦った
戦友は大東亜戦争で斃れた
だれも「太平洋戦争」なんて知らない
「大東亜戦争」を「太平洋戦争」と云い換えたら
彼らの霊に失礼だ
−−−−−−★−−−−−−
岸田総理 国賓待遇でUSAへ 
日米同盟を一層深化させる意向とか
安全保障を巡っては自衛隊と在日米軍の統合運用強化について話し合うとか
半導体など重要物資の安定先端技術など幅広い分野で協力を打ち出すとか
けっこう毛だらけ 猫 灰だらけ

市議会のウラはわかっても
国際政治のウラなどわかりようがない
七十七になった敗戦後少年
“仇討ち”は まだ終わってないと思っている

そうだ 坂井三郎さん 云っていた
“ヤンキー” そういう奴を信用するんだと
2024/04/09(火) 雨


この國のかたち


「日本刀をみると この國のかたちがみえる」
こう 変えなくてはならぬ
「巨大蛇行刀剣をみると この國のかたちがみえる」

二〇二二年一二月  奈良市の富雄丸山古墳から発掘
巨大な蛇行剣 
曲がりくねった剣の全長は2m37cm 重さ16k
あまりの長さ 当初は複数の剣がつながっているのでは が
X線検査  一本の剣だとわかる


翌年 春からはじまった保存処理 
およそ一年間にわたる 六月に表面のクリーニング 終了
なんと  突く 斬る
 「剣」と「刀」両方の特徴兼ね備えていた
そして つくられたのは
凡そ 一六〇〇年前 
前方後円墳が各地に築造されるなどしていた時代
支那の書物などに記録が無く 
わかっていないことが多い四世紀

四世紀 大和ノ國 奈良盆地に暮らしていた日ノ本人
なぜ このような技を持ちえたか

在日の某親日学者
日ノ本のひと 日ノ本の独自性向を強調しずぎると苦言

一六〇〇年前 地球上 ずべての民族が持った剣
このような剣はなかった

「日本刀をみると この國のかたちがみえる」
「巨大蛇行刀剣をみると この國のかたちがみえる」
2024/04/08(月) 薄曇り


武道通信かわら版 配信日


大学通りも 桜並木 開花
外からの見物人 ちらほら

中和寮 東側 空き地の右近桜も
「右近桜」と教えて教えてくれた 隣接していた 
ご近所さん 逝ってから七、八年 経つか
いま 娘さんご夫婦 お住まい
天から右近桜 見下ろしておられるだろう
2024/04/05(金) 曇り


二つの思考回路 


「昭和」 
巷では 不適切に弄ばれているようだ

元号 明治から天皇の即位で 新元号となり リセットされる
崩御で その元号は終焉
次期天皇即位で  新元号となり ふたたびリセットされる

明治以前なら
関東大震災で改元
コロナ禍で改元  などなど
ゆえに
初代元号「大和」から二三三個あった
明治/大正/昭和/平成/令和とつづいて 二四八個

異国による占領という前代未聞の元号 「昭和」
天皇 退位なく 
<戦前> <戦後>
二つの異質な思考回路

−−−−−−★−−−−−−
八ノ巻
【次世代に継ぐ戦争論
戦略的思考の欠除
――「未来世界戦略研究会」の回想的私記
己の行動の最大の欠陥は戦略的思考の欠除であった。
それは敗戦後の各界の責任者にも通じ、
現代日本国全体にも通じるものである。】
佐久田 昌昭  昭和4年生まれ

いつごろだろうか
昭和十九年生まれ以前の論客しか 信用できなくなった
戦後を生きた論客 信じられなくなった

思考は 時代がつくる 時代に つくられる
連綿とつづく 何千年もつづく思考はない
武士道も
思考回路は 時代によってカーブする

ふたつの“真逆” な時代を生きた論客しか
信じられなくなった
2024/04/03(水) 降ったりやんだり


きょうは 夏日だ


武蔵小金井に居たころ
馴染みの本屋 何と云ったけ 忘れた
支払い ボーナス払いにしてもらった

子ができ 本代に不自由したころ
国立市中央図書館で借りることにした
あの頃 まだ新刊本も 一ヵ月ほどで経てば 注文できた
館にない本 注文すれば 近隣の市立図書館から取り寄せた
誰も読まないような本 注文すれば
都立図書館から届いた

いままで図書館から借りた本  凡そ五十年
代金 換算すると 
3500万円ほどになるだろうか


大阪府  高校授業料が段階的に無償化される
で 府内では今年 私立高を第一志望   
過去二十年で初めて三割を超える
府内公立高の半数近い七十校 定員割れ

マルクスが云ったこと 本当だと信じている御仁
まだまだ日本にゴマンといるらしい
                        
2024/03/31(日) 晴れ


安全/安価/有利


孫 就活 はじめたらしい
蛾死しない「競争」  はじめたらしい

「自分は貧乏人になりたくない」
だから ひとは 考える
強い家族 強い組織 強い国家に属していれば
貧乏になる可能生から遠ざかる

可能性
先年の収穫を いまいる人数で割ったら今年は大丈夫
だが 頭のよい良い人間は 安心できない
来年 再来年の安心を求めて
飢餓の可能性か遠ざかるとする
権力を持つ国家というものは 飢餓からの可能性から遠ざかることだ

ひとは 人々は何万年も権力を追求してきて
そのために一番「安心」で 「安価」で 「有利」な方法を学びとった
その結果が 結婚制度であり 家族であり 学校制度であり
就職戦争であり 社会であり 国家であり 軍隊なのだ

だからひとは 強い組織に属しようと受験勉強をし
強い家族をつくろうと結婚の競争をし
強い組織に属しようと受験勉強をし
住んでいる國を安全にしようと思って戦争をする

こうした競争を止めるには どうしたらよいか
生産力でなく 地球人口の増加を
競争以外の方法でストップさせ
さらに毎年少しずつ 地球人口を減らしていくようにしたらいいんだ
全人類がそれに合意すれば 明日からでも戦争の必要はなくなる
なぜって 今年の生産力で来年のより少なくなった人口を養うのは 簡単だ

そうなったら「権力」のためのあらゆる努力 制度
受験戦争とか軍隊だって必要なくなる
この世から貧乏人もなくせる

しかし この簡単なことが 人間にはできない
世界約一七〇の國があるのは
土地とか 気候とか 言葉の違いから それぞれの住民にとって 一番
「安全・安価・有利」な競争のスタイルが違ってしまうからだ
それが一七〇通りあれば 國も一七〇個できる

私たち日本と云う國をつくって外国と競争するのも
この馬鹿な世界では そうする必要があって しているのだ

ロシア モスクワ郊外コンサートホールでの銃乱射テロ
宗教の違いも 付け加えておかねばならぬ
2024/03/29(金) 雨


カラスの子


マルサス
貧乏人がいるのは人口が多すぎるからだ
狩猟でなく 持続的食料 もっと農業に力を入れよ
いまの農業生産高 マルサスの時代に比べものにならない
しかも貧乏人も比べられないほど増えている

マルクス
貧乏人がいるのは 國や金持ちが 横取りしているからだ
奴らを消滅させれば 貧乏人はいなくなる
金持ちを殺しても 別な金持ちが生まれ
貧乏人はなくならなかった

マルサスもマルクスも
どこが まちがっていたか
二人とも なぜ人間は競争するのかを 深く考えらfれなかった

軍学者  “カラスの人口問題”で説明する
人間 ゴミ箱にたくさんの生ゴミを捨てる
カラスの餌 増える
カラス 一度でたくさんの子を育てることができる
たくさんの子が増えれば ある日を堺に
カラスの総人口を養うには足らなくなる

親のカラス 何日も食べなくても死ぬことはないが
カラスの子は 何日も餌がなかったら カラスの子は死んでいく
ここでカラス同士の「競争」が起きる
体が大きく強い親カラスは 優先的に取ることができる
七つの卵があれば 全部の子を育てることができる
体が中くらいの親カラス 三つぐらい育てられる
体が小さく弱い親カラス 七つの卵 一つも育てられない みな死んでしまう

学生諸君 君たちのやっている「競争」と
このカラスたちの「競争」と 何ら変わりはない

人間は自分の死を考えられる唯一の動物だ
先の先まで考えられる
強い頭の良い親は 将来
「誰の子が先に飢えて死ぬか」
なんて残酷な競争にはまり込むのは避けた方がよいと
いろんな工夫をする
そう それが受験勉強などいろいろな社会制度なんだ
家族同士の受験競争 企業同士の経営競争 国家同士の戦争
これら「競争」に負けると貧乏になってしまうという仕組み
人間が人口をおさえようとするための無意識のうちにつくってきた制度だ

この制度があれば
貧乏になった者はもちろん
金持ちの親の側でも やたらに自分の子を増やすことができない
そんなことをすれば 将来 自分も貧しくなってしまういことを
人間は予見できるからだ

「戦争は人を殺すが 経済戦争は人を殺さない」
真っ赤な嘘だ
受験競争や経済戦争も 数え切れないほど 人を殺している
生ませない という人殺しを

激しい競争がなければ たくさんの子が生まれているはずだ
それを私たちは 誕生できないように仕向けている
生まれる前に殺しているだ

それが 人間社会の制度や競争に隠された意味なんだ

China共産党 「一人っ子制作」
無意識のうちにつくってきた制度だ

【国家はどうしてできたか】
次に
2024/03/27(水) 晴れ


人はなぜ 競争(戦争)をするのか?


[人は なぜ賭博をするのか?]
マチガイ  訂正

【人は なぜ競争するのか? 兵頭二十八 】
特集 戦争論ってなんだ! の一項
競争にルビ ふられている  「戦争」と

兵頭二十八さんには
連載【中学生にもわかる兵法】ほか 今巻 ダブルで執筆していただいた
今度は 学生へ
サブ
【学生諸君! なぜ君らは「競争」をしているのか。
それは「貧乏」になりたくないからだ。
それは人間が増えるのをおさえようとするしくみなんだ】

「東大へいけ!」 ドラゴン桜の先生
しくみをつくる側になれ

では なぜ 豊かな國と 貧しい國がとがあるのだろう?
なぜ 豊な人と 貧しい人が分かれるのだろうか?
豊かなのは ほかとの競争に勝っているからだと よく説明される
貧しいのは ほかの誰かとの戦争に負けてしまったからだと  よく説明される
そうだとすれば 人々は みんな貧乏になるのがいやで 競争していることになる
それなら どうしてすべての國のすべての人が しかも
同じように豊かに暮らすことは できないないんだろうか?

これまで世界中で いろんな人が いろんなことを考えてきた

イギリスのマルサスも ドイツのマルクスも
しかし…………
軍学者 ふたりの失敗の理由 述べている

次は 次回で

−−−−−−★−−−−−−
「アメリカンフットボール」が創刊されることになった
なぜか 俺の近くにでデスクが置かれた
俺が部長を兼ねさせられたのか

俺が 編集長に
アメリカンフットボルのこと 根掘り葉掘り 聞いていたら
国技 ベースボールを凌ぎ 実質のUSA国技だと
かの スーパーボールの熱狂ぶり 
編集長は云う 
みんな賭けているから
2024/03/25(月) 雨


開戦の詔勅


八ノ巻 特集 戦争論ってなんだ! 
巻頭対談 坂井三郎 前田日明
次ページ 特集扉 
八名の執筆者の“頭上”に 開戦の詔勅
昭和十六年十二月月八日
NHK 正午と午後七時に放送された
「臨時ニュースを申し上げます 臨時ニュースを申し上げます
大本営陸海軍部…………」は午前六時

原文 かなはカタカナに 句読点 濁点なし
放送されたのだから 音読されたのだから
当時の雰囲気を伝えるため ルビふる 
各々方 音読されたし

[天佑{てんゆう}ヲ保有{ほゆう}シ萬世一系{ばんせいっけい}ノ皇祚{こうそ}ヲ踐{ふ}メル大日本帝國天皇{だいにっぽんてんのう」ハ昭{あきらか}ニ忠誠勇武ナル汝有眾{なんじゆうしゅう」ニ示ス
朕{ちん}茲{ここ}ニ米國及英國ニ對シテ戰{たたかい}ヲ宜{せん}ス
朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司{ひゃくりょうゆうし}は勵精職務{れんせいしょくみ}ヲ奉行{ほうこう}シ朕カ眾庶{しゅうしょ}ハ各ゞ{おのおの}其{その}ノ本文{ほんぶん}ヲ 盡{つく}シ億兆一心{おくちょういっしん}國家{こっか}ノ總力{そうりょく}を擧{あ}ケテ征戰{せいせん}ノ目的{もくてき}ヲ達成{たっす}スルニ遺算{いさん}ナカラムコトヲ期{き}セヨ]
(以下省略)

坂井三郎さん
朕 茲ニ米國及英國ニ對シテ戰ヲ宜ス
ゆえに 敗戰責任 天皇にあり 
戦争責任でない
戦争責任 勝った側の理屈である
2024/03/23(土) 晴れ


武道通信かわら版 配信日


暦の上
冬が おわり  春が はじまる

この世と あの世のはざまの物語
映画 TVドラマ  多くなった
世相が そうさせるのか
世相に疎い 拙者には わからぬ
2024/03/20(水) 晴れ


江田島


寒椿 最期の命 ふりしぼっている
桜は まだかいな と つぶやいて

−−−−−−★−−−−−−
床机
「聖地」江田島  真継美沙 (写真家・真継不二夫子女)
原稿 頼んでいたんだ

【真継→子供のころから大切にしている写真がある。海軍兵学校71期生、小島威中尉と八島準二中尉の海軍精神を具現化したかのような凛々しい顔の一枚である。それがご遺影と知った時、えも言われぬ哀しみに襲われた。
 お二人が短い青春時代を過ごされた「江田島」に伺いたいと長年思っていた。だが
物見遊山ではいけない。 江田島は私にとっては「聖地」なのだ。】

表紙ウラ写真
小島威中尉か 八島準二中尉だったのだろうか
やはり 戦死していた

真継不二夫 昭和十七年 撮影のため江田島に赴任
百日余 学生と起居を共に 撮影に没頭
この体験  その後の<父>の人生に大きな影響を及ぼし
真継家の子育ての原点になる

美沙さん 縁あって江田島を訪れる
海上自衛隊第一術学校と幹部候補生学校等、主に教育の場として大切に管理されていた
写真集の世界が目前に拡がる と美沙さん云う
生徒のキビキビした動作 課業に急ぐ学生の駆け足が写真と重なる
いまなお江田島精神は生きていると 美沙さん

参考館に遺品 遺書 壁面に戦没者の名
いまこの場にあの方々が現れても違和感は無く それだけ哀しみが深く胸に迫ると

江田島を出た海上自衛官も これらを観てきたのだ
深く胸に迫るものあったろう

八十余年の後の いま
江田島地区にある  海上自衛隊第1術科学校
百日余 学生と起居を共にし
写真 撮らせてみては いかがか
防衛大臣殿
2024/03/18(月) 晴れ


同期の桜


きょう あすで 
桜のつぼみ ふくらむだろう

♪貴様と俺とは 同期の桜
 同じ兵学校の 庭に咲く
 咲いた花なら 散るのは覚悟
 みごと散りましょ 国のため

坂井三郎さん
コレ 内戦思想だと云う
國のため 死ねばいい
とにかく死ねばいいのである
現場にいた坂井さん こうも云う
上官 友のため 死ねばいいのである
敵に塩を贈る美談など アングロサクソンにはない
 
零戦の性能 連合艦隊の司令官も航空参謀も
何もわかっていなかった
残された米國ニュース映画
特攻機 航空母艦狙って急降下しているのに
ドーンと海に突っ込むシーン
搭乗員がグラマンに射たれ瞬間に死んだか
また失神状態に陥ったのか
でも 大方の理由 別にあった

【坂井→零戦というのは低速では極めて舵の利きがいいし、中速においても
アメリカの飛行機よりも舵の利きがいい。非常に軽く作ってあるので格闘戦をやれば
もちろん強かったんですか、ところが そういう飛行機は舵面積が大きい。
だから突っ込むと五百五十〜五百六十キロぐらいになるから舵が利かなくなるんです。
米俵一俵を片手で持ち上げるぐらい 操縦桿が重くなるです。フットバーも同じです。
つまり操縦不能の状態、すなわち加速度に陥っているんです。
加速度に陥った零戦の操縦がどのようになるかということさえも知っていない。】

連合艦隊司令部長官も航空参謀も 
何もわかっていない

♪あなたと私は 同期の桜
 同じ大学の 庭に咲く
 咲いた花なら 満開になるのが定め
 株でボロ儲けしましょう  自分のため
2024/03/16(土) 晴れ


海軍予備校生


表紙ウラ
前田日明が「武道通信」から連想する「この一枚」
六ノ巻からはじまった
六ノ巻 前田青邨{せいそん}・画 三浦大介{みうらのおおすけ}
七ノ巻 吉田松陰、最後の肖像画(松蔭神社・提供)
八ノ巻 真継不二夫・撮影
まつぎ ふじお/昭和17年、海軍特別報道班員として江田島の海軍兵学校に
滞在中、海軍予備校生、海兵団等を撮影。昭和59年逝去、享年81歳

写真 海軍予備校生だろう ちょっと俯いた顔アップ
錨マークの襟元カラー

真継不二夫氏の息女 杉山頴男事務所に連絡あり
地元の本屋では 数冊はなかなか手に入られないと
わざわざ国立まで来ていただき 駅前で手渡した

写真 東京のド真ん中あたりのビルの何階かだったか
複製を手に入れたのだろう
して ご遺族に掲載の承認を得たのだろう

【前田→彼らの顔を見ると、その目は現在、論じられている公と私というような問題をも内蔵しながらイデオロギーの入り込む隙のない、清明で気品に溢れている。何事もまっすぐに受け止める真摯な青年の気品がある。
元来、日本人が持っていた心証とは、そういうものだったはずだ。】

この青年 戦死したのだろか  特攻機に乗ったのだろうか
戦前とは なんだたろうか
思索にふけさせる 青年の顔

この写真 無銘刀(掲示板)にUPしたいが できない 旧式のせいか 
以前 週プロのほとんどジョークなど 知人どに頼んだが 
申し訳ないので 以後 止めた
年賀状だけは製作者に頼んでUPしてもらった

八ノ巻
【戦争論ってなんだ!】
巻頭対談  論客 坂井三郎

次回に
2024/03/13(水) 晴れ


仏教+神道+儒教+キリスト教


海の向こうの なんだか賞
「君たちはどう生きるか」
「ゴジラ−1.0」 受賞したそうだ
一等賞は
世界初の原子爆弾を開発 「原爆の父」物語だろう

−−−−−−★−−−−−−
新渡戸稲造 『武士道』
ごく簡単に要約するとこうなる

一、武士道は桜花と同じく日本の土地に咲いた固有の花である
二、武士道は騎士道よりも多くの含蓄をもっている
三、仏教は武士道に寄与し 神道がこれをさらに清潔に豊かにし
儒教がそれに道徳教義を加えた
四、武士道は日本人の叡智の獲得の手段である
五、武士道の義は正義を 勇は耐え忍ぶ精神を 
   仁は「武士の情け」としての哀れみを
   礼は丁重を 誠は卑怯を嫌うことを象徴する
六、西洋の個人主義は個々別々の利害を認めるが
   武士道ではメンバーの利害は一致する

しかし 武士道のいいとこを養育しる大宗教を欠いている
また その愛を欠いていた
キリスト教が それを補う力を持っている

仏教+神道+儒教+キリスト教
これが 新渡戸稲造の武士道だ

【松岡→このように新渡戸稲造は武士道を称揚した。この称揚にはかなり甘い見方も、歴史的にラフな点もある。が、ここで重視したいのはキリスト者こそが日本人の心情の根底を懸命に考察しようとした点である。また、その考察がたんなる研究でなく啓蒙にあった点である。そして、このような姿勢こそが、そもそもヘボン博士らによってもたらされた「日本人の霊性の啓蒙」を端緒としていたのあった。】

ここで止まったわけではない
新島襄に学んで平民主義を唱えた徳富蘇峰、救世軍の日本化を果たした山村軍平、
日本に進化論を導入した石川三四郎、ジャーリストとして活動した木下尚江、孤児救済を決断した石井十次、不良少年を引き受けた留岡幸助
その魂は継続されていった

【松岡→新渡戸と内村に一高時代に私淑して、のち『武士道』を翻訳した
矢内原忠雄は、自宅に土曜学校をおこしてキリスト教と日本人の共通生をさぐりつづけた後、敗戰直後には『日本精神と平和国家』としてまとめることになる二つの講演を通して、日本人の魂の行方を案じ、かつ訴えようとした。その講演の冒頭近くで矢内原が引いたのは、西行の次の歌だった。
 何事のおはしますかは知らねども 
 かたじけなさに涙こぼれる
しかしいまや、この矢内原忠雄の苦悩と訴求を受け継ぐ者は少なくなってしまった。
その苦悩と訴求は武士道が明治キリスト者たちの思案のよって復活したことが忘れられるとともに、忘れられていったのである。】

−−−−−−★−−−−−−
「忘れられていった者たちへ」の啓蒙書
二十年前 兵頭二十八
『軍学者の町人改造論 あたらしい武士道』

『葉隠』 山本常朝 曰く
「吉田兼好や西行は腰抜けであり卑怯者である
かれらはともに武士の家に生まれながら 武士としての働きに自信がないから
斜に構えて隠逸{いんいつ}者の風体のうちに身を隠しているのである」

西行を愛しんでいた歌のひと 常朝の二律背反である
この矛盾 こどから生まれたか
時代の裂け目 とでも云っておこう
2024/03/11(月) 晴れ


儒基両教論 仏基通底論


ガキのころ
「少年画報」「まんが王」「冒険王」
手にしていた
オレは「少年画報」 買ってもらう
他は近所のガキたちと 貸し 借り っこ

小学校のころ
学校の帰り道 貸し本屋で よく立ち讀みした
モノは記憶にないが 単行本だった

ウン年後
家に帰ると 子らが手にしていた漫画本 転がっていた
手にして パラパラと
なんだ これが オレが讀んでいた漫画か
大人が讀むもんではないか
「アラレちゃん」 手にしていた

−−−−−−★−−−−−−
<そのひとつが「武士道の自覚」として浮上したであった>
他は 儒教も 仏教も浮上していた

金森の著『日本現今のキリスト教ならび将来のキリスト教』
より五年もはやく出版されていた
小崎弘道 『政教新論』
儒教道徳とキリスト教の本質的つながりを説く
「儒基両教論」
上村正久『黒谷の上人』
法然や親鸞の信仰 キリスト教贖罪論に通じると説く
「仏基通底論」

小崎も上村も 儒教/仏教の限界も多く指摘しているが
日ノ本人が古来から親しんできた考えの奥にひそむ
心情を理解しようとしていた

この「儒基両教論」「仏基通底論」の背景に
内村鑑三 新渡戸稲造らによる武士道論が登場してくる
【松岡→武士道に欠けている「愛」をキリスト教が補うことをの有効性を高らかに宣言された。
内村は次のように書いた。
「われらは人生の大抵の問題は武士道をもって解決する。正直なること、高潔なること、約束を守ること、借金せざること、逃げる敵を逐わざること、人の窮境を見て喜ばざること、これらのことについて基督教を煩わすの必要はない。われらは先祖伝来の武士道によりこれらの問題を解決して誤らないのである。
しかしてこれに対する道に救うるところがない。しかしてこれらの重要なる問題に逢着して、われらは基督教の教示を仰がざるを得ないのである。】

この項 【明治キリスト者たちの発見】  最後 次回に
2024/03/09(土) 晴れ


俺たちは どう生きるか


信長時代キリスト教と 
大きな違い
明治時代のキリスト教
日本人の自覚をもちこんだ
松岡氏 云う

そして それは
近代日本の青年たちの情熱と苦悩とを
ふたつながら燃え上がらせるものだった
そこには 三つの世代が交差した

一つ
明治初期のキリスト教世代
まだ江戸の世 元治元年 米国へ密出国した新島襄
元治の次の慶応の二年 幕府の英国留学生監督として
留学生十二名を連れて渡英した中村正直

二つ
明治四年 開校 熊本洋学校
明治六年 横浜で開校 ブラウン塾 
明治八年 同志社英学校
明治九年 札幌農学校
などから洗礼を受け たちまち頭角をあらわした者たち
熊本バンド (宮川経輝ら三十四名)
横浜バンド (篠崎桂之助ら九名)
札幌バンド  内村鑑三  新渡戸稲造ら二十名

三つ
明治二十年代
新神学の影響を受けた世代
金森通倫 横井時雄ら
金森の著『日本現今のキリスト教ならび将来のキリスト教』
発売一週間で売り切れ

何部刷ったのかわからぬが
若者のジレンマ 心の飢えが キリスト教へ奔らせた

三つのバンドの彼らに共通しているのは
倒幕派に与しなかった藩の若者たち
「俺たちは どう生きるか」
【松岡→日本人の心に眠る道徳や論理を呼び覚ましたのである。そして、そのひとつが「武士道の自覚」として浮上したであった。】


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葉隠 はじめて活字化されたのは
明治三十九年 小学教員 中村侑一 
中村氏
「俺は どう生きるか」と 問していたのやも知れぬ
それで
写本から <どう生きるか>の分部だけ書き抜きし活字して自費出版

拙者 二十六年前
俺は どう生きるか と自問
それで
「格闘技通信」 自費出版
2024/03/07(木) 晴れたり曇ったり


武道通信かわら版 配信日


日経平均株価4万円突破 とか
その昔 高校生であったか
どこかの将棋天才少年のように
新聞 讀むの好きだった

細かい数字ばかりの一頁
ナンダ コレ もったいない
記事を載せろ と腹立った

いまもって <株> 興味ない 関心ない

宝くじにも興味ない 
その昔 大学生であったか
喫茶店にポスター 貼ってあった
「詐欺だ」と胸中で怒った
2024/03/05(火) 晴れ


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