■戦さのない世が 武士道を生んだ
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九ノ巻 【特集 宮本武蔵 たった一人の戦争論。現代に問う武蔵の戦争論】 論客対談 松岡正剛 タイトル こんな風になった 【武蔵は二刀流 正剛は日本流】
【松岡→関ケ原のときはまだ十代後半で、自分の剣法を完成したときには もう戦争がなくなったいた。遅れてきた青年ですね。だから自分で一つ一つの試合をティピカル(典型的)な戦場にするしかなかった。相手の情報を集めて戦略戦術を立てる。一人で戦争という状況を作ろうとしたのではないですか。それがすごいのですね。卑怯だ、何だと言われようと必ず勝つ一人の戦争をやるわけですから。】
松岡氏云う いまでいう武士道 そもそも集団的なものから生まれてない 集団的なものは大阪城と島原の乱が最後 それは武士道とは関係ない 信長/秀吉の時代も武士道では ない それでは 何が重要だったかというと「手柄」
大阪城と島原の乱以降 戦争がない世 「もののふ」の道は閉ざされた 徳川幕府の完璧なシビリアンコントロールで 武士はイニシアティブをとられた これが武士道を生んだ 当時の武士 一人一人が死を恐れず戦場で戦う姿をどこかに残したい この念{おも}いが浮上して出来上がった思想が「武士道」
大阪城/島原の乱から 凡そ 一〇〇年 『葉隠』 「武士道というは 死ぬことみつけり」の武士道
ときは流れて 一人一人が死を恐れず 敵艦に体当たりする姿をどこかにとどめたい 敗戦後の「武士道」 敗戦後少年の武士道
2024/04/24(水) |
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