組にもいろいろあるけれど

今、『コンストラクション ダイアグラム・オーバー ザ ディメンション 〜108の、建設と解体を繰り返す未遂の構想について〜』の、特設ページの建設と、公演チラシのデザインが山場を迎えています。

特設ページについては、主に劇団員の寺井くんと永井さんが、チラシ製作に関しては、毎度頼りにさせていただいておりますオカイジンさんのデザインで進行中です。どちらもほんと楽しみです。皆様もどうぞお楽しみに。

で、その進行に際して、劇団員が、「その25」「その38」「その41」別のライングループを作成し、そこで詳細なやりとりをしているのですが、そのラインやりとりに大変個性が出ておりまして、これもいつか公開したい。

人が出ますね。組の個性も出ます。ラインというツールのグロテスクさも感じるほどです。

作品に無理に個性を出さずとも、それぞれがそれぞれの信じるものや、溢れるものをすくいとれば、自ずと色とりどりになるでしょう。そんな実感を、ラインで行き交うそのやりとりから抱きました。

この企画、とても面白いです。まず、中にいる人間が面白がっていなきゃ話にならない。中にいる人間が面白がっている様子を、様々な形でご覧いたける機会を、今回は設けます。

特設ページには、各種イベントの情報も掲載されていく予定。

今週末かな。もう少しお待ちください。

2017年1月18日 09:20 | コメント (0)

引き続き試みている

どうも。

『バカシティ』『前座』について考えている、と言ったっきりでしょうか。

たくさんのブルガリさんに支えられ、応援されてなんとか無事公演を終えることができました。ありがとうございました!

そのときからここまでいろんなことがありました。もうそれはそれはいろんなことです。

と同時に、バカシティのときに(実際はそれよりずっと前から)、考えていたことも、引き続き考えています。

その実行が、『コンストラクション ダイアグラム・オーバー ザ ディメンション 〜108の、建設と解体を繰り返す未遂の構想について〜』において、展開されます。

同じことだけ考えているわけではありません。少しずつ考えは広がり、あるいは変容し、今、新たな形で皆様の元に届けられようとしています。

とてもとても楽しい思索です。考えることは、感じることは、いつだって僕らを豊かにします。忙しいけどね。

今日はご挨拶程度ですが、これから少しずつここにその足跡を残していこうと思います。

どうぞお見知り置きを。

2017年1月13日 15:36 | コメント (0)

試みています

どうも。おひさです。


今は昼です。暑いけど、外も悪くない気候なもので、今、外でこれを書いています。書き終わる頃には気が遠くなっているかもしれません。その時はどうか助けてください。


さて、何度も、ブログを書くぞ書くぞと申し上げながらなかなかそれが実現しないので、もはや皆様にとりましては私なんぞ、狼少年のようなものでございましょうが、狼になるのは狙った女性の前でだけ、なんつって、せめてお口だけでもそう言い張りたい私ですので、どれほど時間がかかっても、たまには書くのです、ブログを。おヒマならお付き合いを。


そして今日ここに書くことは宣伝です。いや、宣伝だけど宣伝じゃないのです!なにを言っているのか。


ここに書くのは、思索の断片。独り言のようなもの。この独り言に興味を持たれた方に限っては、まるで宣伝のような効果を与えるのではないかと、そんな甘い期待を寄せている次第です。


来る11月、我々ブルドッキングヘッドロックは、駒場東大前のアゴラ劇場において、『バカシティ』という作品を上演します。新作です。劇団員の大人と若手を二手に分け、さらにバラエティに富んだ客演陣を交えて、2バージョンで計24人のバカが切った張ったする、いや、実際には穏やかに稽古し合う、そんな公演です。


落語をモチーフに、バカみたいなことを、バカみたいにやってみようという、大きくて、どうでもいい心意気だけが今、ここに、しっかとあります!ほらね。すでに幾分バカでしょうが。


ま、『バカシティ』の本当のところは、この先、またここに書き残すことにいたします(「ブログを書く」が来たぞー!)。


今、私が考えたいことはそのプレイベント、『前座』のことです。


先に結論を言うと、私はこういうプレな企画を、我が集団の定番のようなものにしていきたいのです。効率の良し悪しや、程度の良し悪し、志の高い低いなどはこの際、別で議論するとしてです。


演劇は、その目で直にご覧いただくまで、その内容、その価値について、確かめていただくことができません。特に我々のように、常に新作を、しかもスタイルを転々と変化させ、あえて煙に巻きつつ、どいつもこいつも無名の役者ばかり、となると尚更です。


劇団名は聞いたことがあっても、各劇団員の各所での活動は知っていても、それが、次の公演を目撃すべき価値を保証する決定的な一打にならないことを、これまでの活動で嫌というほど噛みしめてまいりました。せめてここに、すでにしっかと品質を保証してくださる作家さんがいらっしゃったらと思ってみるのですが、いかんせんここにいるのは私です。決定的な一打にはならないことを、これまでに嫌というほど噛みしめております。


もちろん、すでにその価値をご承知くださっていて、頑張れよーと、観に行くよーとおっしゃってくださる、ちょっとおかしな方々もたくさんいらっしゃることを重々承知しています。でも、正直、もっとです。我々はもっと出会わないといけない。僕らの提案する価値を面白がり、足を運んでくださる、ちょっとおかしな人たちに。


さもないと、いつか僕らはやれなくなるからです。


というわけで、これまでもユーストリームで過去の公演を動画配信したり、色々と試行錯誤を重ねてまいりました。


でも我々の主な表現手段は演劇です。演劇は、ある場所で、演者と観客が居合わせて、幾つかの現象を、物語を、ともに体験しようという営みです。だからとにかく、ともに体験することが、目撃すべきだけの価値や、我々の言わんとするところの「おかしみ」を、最も具合良くご理解いただけるのではないか、と考えます。


だけど得体が知れませんからね。足を運ぶどころか、どう興味を持てばいいのか、どう吟味すればいいのか、どう論じればいいのか、いろいろよくわかりませんよね。


そこで実行に至ったのが、本編やる前にみなさんと一度会ってみる、という方法です。


みなさんにお会いして、こんなことをやります、今こんなことを考えています、をお報せする会を開催します。本編への入り口をご用意するイメージです。


2ヶ月も前の開催ですから、プレと本番ではすっかり変容している点もあると思いますが、ああ、それが稽古というやつなんだな、と思っていただくと、日々ツイッターなどで垂れ流される稽古場からの声も、味わい深く聞こえてくるのではないかと想像します。


映画における試写会とも、食品における試食サンプルともちょっと違う、「さあ、ここからなにか作りますよ」という、原材料のようなものをお見せする会です。


あるいはあれかな、プロ野球が春季キャンプを公開する感じでしょうか。キャッチボールしているプレイヤーや、ノックを受けるプレイヤー、ちょっとしたサインプレーを試すプレイヤーたちを、覗き見る感覚は、もしかすると少し近いのかもしれません。期待したい若手や、間近で見てみたい大物を見つけるような醍醐味もあるでしょう。さほど大物はいませんが。あと、試合でやることをそのまま見せるほど呑気なチームもございませんし、うちにあるのは野球ほどの感動ではなく、ほぼくだらなさばかりなのですが。


この考えに対し、予備知識は邪魔だと思う方もいらっしゃるでしょう。大丈夫、見ておかいないと本編が理解できないような、そんな重大なことにするつもりはございません。わかってなくていいし、皆さんとベタベタするつもりもない。観に来なくても全然大丈夫です。だってそう思われる方々は、すでに我々の作品に価値を見出してくださっているのですから。ぜひ本編を楽しみに待っていてください。


一方、我々がなんなのかちょっと確かめてみたい方、もう少し我々に親しみを感じてやってもいい方、作品の楽しみ方に選択肢を持ちたいという、ちょっとおかしな方は、ぜひ足を運んでみてください。


ちょっとおかしな体験をご提供いたします。


私は『前座』において、主に作品について喋ることをしようと思います。なにしろ、未だどこにも無い作品について喋ることができる人間はさほどおりませんので。それが愉快かどうかはわかりませんが、無いものについて熱心に語る人というのは、おうおうにしておかしなことになっていると思います。狂ってるとは言わないでください、一応傷つきます。


俳優さんたちには、体を使って何かを試してもらいます。今回でいうと、落語に挑戦です。これ、彼らをかばうわけじゃありませんが、クオリティじゃないですからね?こんなことをやります、今こんなことを考えています、をお報せする会ですから。本編へのスタートとして、「こいつら、こんなとこから這い上がる気か?」と思っていただいて、以降本番まで、固唾を飲んで見守っていただければ幸いです。


どうですか?どうもこうもないですか。


で、こういった企画を、いい按配を探しながら続けていきたいのです。僕らは、「おかしみ」で出会いたい。「おかしみ」を求めている皆さんと。そのためには、おかしみ続けていなければならないと思うのです。


こういった入り口をご用意して、僕らの「おかしみ」を一人でも多くの方が体験してくださったら、ほんとね、ほんと、もすこし良い世の中になると思いますんですよ。なんてね。


僕らの暮らしに「おかしみ」を。 また。

2016年8月10日 21:44 | コメント (0)

書くことから始めるのだ

およそ一年、間を空けた。


書くことを生業とさせていただいたことで、ここに書き殴る必要がなくなったから。そう思っていた。


しかしここ最近、書くことを生業にしたことで、書き殴れなくなったことがある、と思うようになった。


かつて、誰かに届け!と、誰も読んでいないのに誰かが読んでいるかのような文体でもって綴り始めたこの場所に、今、ふらっと戻ってきたのは、いろいろ巡って、今またあの時のように、苦しさとか寂しさとか苛立ちとか、そういうのが上手く吐き出せなくなっているからかもしれない。


東京に出てきてから、いや、物心ついた時からずっと、なにかしら苦しいことはあり続け、それはある人から見れば取るに足らないものなのだろうが、私にとってはぼんやりと、あるいはくっきりと苦しみであるわけで、それに対して昨日も今日も明日以降も、ずっと頑張り、挑み続けている毎日だ。


乗り越え続ければいつかきっと!なんてのが幻想だということは、とっくにわかっている。乗り越えた先にあるのは、また別の苦しみだ。人生まさに生き地獄。だからせめて笑ってやろうと知恵を振り絞る道を選んだのだ。そのことに迷いはない。なのに。こうもずっと乗り越え続けて、俺は一体どうしようってんだ、と思う時もなくはない。


人生はバランスだと若い頃からことあるごとに思っている。苦しさから解放されることはない。あがけばあがくだけ、喜びに出会うかわりに苦しみも増える。楽になろうとするなら、別の何かを、あるいは誰かを、苦しめるしかないとすら思う。


時間もそうだ。時間がある時には、あるぶんだけの無駄が生まれる。無い時にも無いなりに生まれる。人はいつだって、大きなバランスの中で右往左往し、天秤の揺れに一喜一憂する。


こんなことをモヤモヤと書き綴るのには、ひとつ、自分の中の変化に慄いているからだろう。


かつて、がむしゃらに戦えた頃の私には、時間があった。それが唯一の希望だった。


それが今は、無い。時間が無い。同じ24時間であるはずなのに、かつてより確実に無いのだ。そしてそれはきっと、この先も少しずつ無くなっていく。が故に、私の中に、かつてのそれとは似て非なる“焦り”があるのだ。


と書いていて、いや、書いたおかげで、少し納得した。時間を少しずつ失っていく代わりに、他のなにかに出会い、手に入れ、我がものとさせていただいているのだな。そうだ、ここにもバランスがあるのだ。私の器におさまる量は変わらないんだきっと。


変化は常に自分の中にあり、それに伴って、戦うべきもの、寄り添うべきもの、向き合うべきものも変化していく。そのことに、自分自身が一番驚いているし、戸惑っているのだ。揺れる天秤の振幅が、増すどころか、時に不規則に暴れまわり、この手を飛び出そうとする様に、自分がまずビビっているのだ。


悔しいね。それを面白がるところに、知恵を使えてないんじゃないか。


知恵は、面白がるところに使おう。毎日がしんどいなら、今はそれが知恵をぶつける一番の相手だ。


ここがこういう想いを書き殴る場所になろうとは。


いいさ。かつて自分が書き殴った文字にハッとさせられることがある。いつかまたハッとするために書き残しておこう。例えば1年前の記事からは、主宰再任の熱が溢れている。今も、その時の言葉通り、精一杯、私にできることであがいている。読んで、そのことを確かめられただけ、1年前の私には、書いた甲斐があった。


書く前より、少しだけ、すでに面白がっている。

2016年1月18日 00:18 | コメント (0)

主宰交代のご挨拶

ブルドッキングヘッドロックに掲載されたもののうち、私のコメントを、私のブログにも転載させていただきます。

【喜安浩平のご挨拶】

どうも。再び主宰の任に就くこととなりました。

やる気の表明は、当然ですが、公演活動と劇団運営の中で表現していきますので、ここでは簡単に。


観に来ていただければ、そこに全てがあります。とお約束します。


私は、7年前に一度主宰を辞めた者です。再びその役目に戻ることに強い葛藤が無かったわけではありません。それを振り切らせてくれたのは、劇団員の、前に進みたいという熱意と、これまで支えてくださったスタッフの皆様にまだ返し切れていないものがあるという思いと、もちろん、応援してくださったお客様にまだまだ届けたいものがあるという希望でした。

決意も固まり、今はもうすっかり次の作品のことで胸をドキドキさせております。無理はしませんが、やり残しがないように、精一杯この先を楽しみたいと思います。

引き続き、西山には音楽家として、俳優として、劇団員として、邁進してもらい、私は私で私にできることでもって邁進して参ります。劇団員もみな。

というわけでまずは近い未来のお話を。ブルドッキングヘッドロックは、7月末、下北沢スズナリにて第26回公演を迎えます。すでに製作開始しております。続報をどうかお楽しみに。

さらに、おかげさまで、今年で我々ブルドッキングヘッドロックは15周年を迎えました。このご時世、15年も劇団を続けられていること自体、幸運なことのようにも思います。本当にありがとうございます。皆様のお陰です。長く続けばいいってもんではありませんが、長く続けなきゃ見られないものもあるはずですから、本当にありがとうございます。

そして最後にもう一度申し上げます。


観に来ていただければ、そこに全てがあります。とお約束します。


劇場でお会いしましょう。今日をもって、ブルドッキングヘッドロックは、新時代に突入いたします。

2015年2月 6日 23:08 | コメント (1)