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March 29, 2024

「街と犬たち」(バルガス・ジョサ/寺尾隆吉訳/光文社古典新訳文庫)=「都会と犬ども」の新訳

●一昨年、ついにあのラテンアメリカ文学の大傑作が文庫化された。バルガス・リョサの「都会と犬ども」が! と言いたいところだが、光文社古典新訳文庫の表記ではバルガス・ジョサの「街と犬たち」なんである。えっ、なんか違和感あるんすけど。バルガス・リョサがバルガス・ジョサになるのはまだいいとして、「都会と犬ども」が「街と犬たち」なんて。なんだかカッコよくないぞ。そこで、旧訳の「都会と犬ども」(杉山晃訳)と「街と犬たち」(寺尾隆吉訳)の訳文を比べてみようかななどと思いつつ、新訳を読みはじめてみたら、これが大変すばらしいのだ。もう最高に読みやすいし、作品世界に没頭できる。旧訳での「ヤセッポチ」(犬の名前)は新訳では「マルパペアーダ」に、「詩人」(アルベルトの愛称)は「文屋」に、「巻き毛」は「ルロス」になっている。全般に今の時代に即した訳文だと感じる。しかも翻訳がよいだけではなく、組版もいい。新潮社の旧訳より文字が大きくて、ストレスがない。しおりが付いていて、そこに登場人物紹介が載っているのも親切。迷わず新訳を読めばいいと思う。
●小説の舞台となるのはペルーのレオンシオ・プラド軍人学校。軍人学校らしい厳格な規律があるけれど、生徒たちはみな隠れて煙草を吸ったり酒を飲んだりしている。暴力行為も横行するなかで、少年たちは連帯し、特殊な環境のなかで自分たちの青春を生きる。この軍人学校というのは士官学校ではあるのだが、卒業しても軍人になる者は少数派で、多くの子供たちは親にむりやり入れさせられている。本当のエリート養成機関ではなく、手の付けられないガキの性根を叩き直すための全寮制学校といった感じだ。化学のテストで少年グループがカンニングをする場面から物語がはじまり、次第に登場人物たちのそれぞれまったく異なる背景が見えてくる。淡いロマンスもあって青春小説であり成長小説でもあるのだが、重要な背景としてあるのが、少年たちの属する社会階層の違い。作者の投影でもあるアルベルトはクラスにふたりしかいない白人のひとりで、軍人学校では少数派だ。喧嘩は強くないが、文才で一目置かれ、手紙の代筆屋などをしている。軍人学校ではリーダー格のジャガーのように喧嘩の強い少年がヒエラルキーの頂点に立つ。一方で、学校から一歩外に出れば、アルベルトは裕福な白人家庭の子供であり、家庭内に問題を抱えてはいても、経済力が未来の選択肢を保証する。そんなアルベルトが、親に捨てられたような子供もいるメスティーソ(混血)やインディオたちからなる軍人学校のなかで必死に築き上げた自分の居場所というものが、学校の外部ではなんの用もなさないという「世界ががらりと違って見える瞬間」が、この小説の醍醐味のひとつだろう。それが端的にあらわれているのが、貧しい家の少女テレサとの恋。
●アルベルトは「奴隷」と呼ばれる友人の代わりに、テレサのもとを訪れる。奴隷はスクールカーストの最下層にいて、友人はアルベルトしかいない。奴隷はテレサとデートの約束をしていたのだが、外出禁止になってしまったため、アルベルトがそれを伝えようとテレサの家を訪れたのだ。初めてテレサを見たアルベルトは「やっぱりブスだ」と思う。これは一目ぼれの瞬間を描いているわけだ(すごくない?)。アルベルトは奴隷に代わってテレサと映画に出かけて、その後もデートを重ねるのだが、その事実を奴隷に伝えることができない。エピローグの場面で、卒業したアルベルトとつき合っている裕福な白人の女の子が、わざわざ貧しい地区に住むテレサに会いに行ったと話す。テレサについての感想は「不細工よね」。この一言がアルベルトが初めてテレサと会ったときの「やっぱりブスだ」とまったく違ったニュアンスで重なっていて、実に巧緻。
●この小説は章によって三人称や一人称が使い分けられている。で、一人称なのに「僕」がだれかわからない章がある。この「僕」のストーリーが軍人学校のストーリーとは別に進んでいき、最後のほうで「僕」とは何者かがわかる仕掛けになっている。旧訳では訳者解説でその種明かしがされていてどうかと思うのだが、新訳ではそんなことはない。ともあれ、解説より本編を先に読むことを強くオススメ。実はこの新訳の訳者解説にはとてもおもしろいエピソードが紹介されているのだが、その話題はまた改めて。

March 28, 2024

東京・春・音楽祭2024 ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」演奏会形式

東京・春・音楽祭 2024 トリスタンとイゾルデ
●27日は東京文化会館で東京・春・音楽祭2024の目玉公演、ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」演奏会形式。たまたま新国立劇場で演目が重なっているため、2週連続して水曜日にこの大作を聴くことに。ウェンズデー・トリスタン。なかには連日という方もいるだろうし、複数回足を運ぶ方もいるわけで、東京では「トリスタンとイゾルデ」旋風が吹いている。道行く人々がみんなワーグナーの話しかしていない(ウソ)。
●キャストが豪華。今回もマレク・ヤノフスキ指揮NHK交響楽団がビシッと引きしまった演奏で、5時間の長丁場ながらまったくだれない。85歳のマエストロの棒のもと、音楽が前へ前へと進む。ピットからではなく、ステージ上でしっかりと鳴るオーケストラを聴けるのが演奏会形式の楽しみ。タイトだが、重厚さも十分。ゲスト・コンサートマスターにMETのベンジャミン・ボウマン。歌手陣も充実。一番人気はトリスタンのスチュアート・スケルトンで、美声だけど恰幅の良さに応じて超パワフル。舞台上でどんどん演技をする派。イゾルデはビルギッテ・クリステンセン。ムラはあったけど、まろやかな声で気品のあるイゾルデ像を築く。演技はせずに楽譜を見る派。マルケ王にフランツ=ヨゼフ・ゼーリヒ、ブランゲーネにルクサンドラ・ドノーセ、メロートに甲斐栄次郎、クルヴェナールにマルクス・アイヒェ。クルヴェナールが真に立派。
●本日のハイライト。秘薬を飲む場面でペットボトルの水を飲んだトリスタン。2階席から歌うブランゲーネ。ステージ上手で吹くイングリッシュ・ホルン。全幕を終えて、フライングではないのだが少し気の早い拍手がパラパラと起きてしまった……と思ったら、マエストロが両手を斜め下方向にピンと伸ばして拍手を制止した! 余韻を損なう拍手を指揮者が止める。新様式の誕生だ。
●マルケ王が「ほう・れん・そう」を欠いたばかりに第3幕で誤解から犠牲者が続出してしまった……って話は、先週も書いたからもういいか。
●「トリスタンとイゾルデ」第3幕で、瀕死のトリスタンが海からイゾルデを乗せた船がやってくる様子に興奮する。こういう陸から海を見て船の到来に歓喜するというシーンはオペラのひとつの定型だろう。ヴェルディ「オテロ」冒頭の将軍の凱旋、プッチーニの「蝶々夫人」でピンカートンを乗せた船が帰ってくる場面、ワーグナー「さまよえるオランダ人」の幽霊船。古くはヘンデル「ジュリオ・チェーザレ」でクレオパトラが歌う「嵐で難破した船が」もその一種か。オペラではないがメンデルスゾーンの序曲「静かな海と楽しい航海」でも、船が難破しかけるけど無事に着いて喜びのファンファーレが奏でられる。名付けるなら「海から船がやってきて嬉しいシーン」。これの逆ベクトルに相当するのが「海に人が向かっていって悲しいシーン」で、ベルクの「ヴォツェック」とブリテンの「ピーター・グライムズ」の痛ましい結末が双璧だと思う。

March 27, 2024

フェスタサマーミューザKAWASAKI 2024 記者発表会

フェスタサマーミューザKAWASAKI 2024 記者発表会
●26日、ミューザ川崎でフェスタサマーミューザKAWASAKI 2024の記者発表会が開催された。今年も福田紀彦川崎市長をはじめ、ホールアドバイザーであるピアニストの小川典子、オルガニストの松居直美、ピアニストで作編曲家の宮本貴奈の各氏らが登壇(チーフ・ホールアドバイザーの秋山和慶さんは風邪でお休み)。2005年にスタートした同音楽祭も今回で20回目。「夏音!ブラボー20周年」を合言葉に7月27日から8月12日にかけて、ミューザ川崎シンフォニーホールで17公演、昭和音楽大学テアトロ・ジーリオ・ショウワで2公演を開催する。
●首都圏9つのオーケストラの競演がこの音楽祭の中心だが、今回はゲストに佐渡裕指揮の兵庫芸術文化センター管弦楽団(通称PACオケ)も招かれる。プログラムはシェーンベルクの交響詩「ペレアスとメリザンド」他。このプログラムは兵庫での定期公演と同じなんだけど、PACオケって同一プログラムを3日間開催しているんすよ(すごい集客力)。で、川崎に持ってくるのが4日目。シェーンベルクで同一プロ4日間を達成するとは。あと、ゲスト勢としては吹奏楽で浜松国際管楽器アカデミー&フェスティヴァル ワールドドリーム・ウインドオーケストラも登場。指揮は原田慶太楼。
●ホストオーケストラとも言うべき東京交響楽団は、今年もオープニングコンサートを音楽監督のジョナサン・ノットが、フィナーレコンサートを正指揮者の原田慶太楼が指揮。ノットは昨年に続いて他ではほとんど振らないチャイコフスキー・プロで、交響曲第2番「小ロシア」&第6番「悲愴」。原田慶太楼は吉松隆「アトム・ハーツ・クラブ」組曲第2番、伊福部昭のヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲(川久保賜紀)といった邦人作品と有名曲の組合せで、ガーシュウィン「ラプソディー・イン・ブルー」ではソリストを「バーチャルピアニスト」が務めると発表された。いったいこれがなにを指しているのか、質疑応答の過半の時間が占められることになった。ワタシの理解では、ちゃんと人間のピアニストがオーケストラと共演するんだけど、ステージ上には大型LEDが設置されていて、そこにモーションキャプチャーを用いて、おそらくアニメ調の絵柄としてピアニストの姿が再現される。で、その中の人はすでにオーディションで選ばれている。KADOKAWAとドワンゴと東京交響楽団が協力した「ポルタメタ」というプロジェクトの一環。
●あと、すごいなと思ったのは、テアトロ・ジーリオ・ショウワの公演で、若手ピアニストの田久保萌夏が秋山和慶指揮東響とグリーグのピアノ協奏曲で共演する。小川典子さんが大感激しながら話してくれたんだけど、この田久保さんは子どもの頃に小川典子「イッツ・ア・ピアノワールド」を最前列で聴いてピアニストになろうと思ったそうで、その後、昭和音楽大学に学んでいる。川崎生まれで川崎で学んだ若者がサマーミューザに出演者として登場する形で、音楽祭の20年間の歩みが結実することになった。田久保さんは以前、テレビ朝日「題名のない音楽会」(ワタシもかかわっている)で、視聴者参加企画「夢響」に視聴者として出演していたので名前に覚えがある。その点でも喜ばしいこと。
フェスタサマーミューザKAWASAKI 2024 記者発表会 お菓子
●そのほか、公演一覧はこちらに。あと、これは余談なんだけど、記者席に水のペットボトルのほかに、どら焼き、スウィートまーめいど、うなぎパイがひとり一個ずつ置いてあったんすよ! これは意味があって、どら焼きは新岩城菓子舗のミューザ20周年どら焼き、スウィートまーめいどはPACオケの出演にちなんで兵庫の高山堂のお菓子、うなぎパイは浜松国際管楽器アカデミー&フェスティヴァル ワールドドリーム・ウインドオーケストラの出演にちなんで浜松・春華堂のお菓子。気の利いたホスピタリティに感心してしまった(コーヒーもあった)。ワタシは甘党なので、始まる前から遠慮なくパクパク食べたが、そんな人はあまりいなかったかもしれない……。ぜんぶ、おいしい。お菓子最高。

March 26, 2024

川瀬賢太郎指揮名古屋フィルのレスピーギ「ローマ三部作」

名古屋フィル 川瀬賢太郎
●25日は東京オペラシティで川瀬賢太郎指揮名古屋フィル。2023年4月に川瀬賢太郎が名フィル音楽監督に就任して最初の東京公演。プログラムはレスピーギの「ローマ三部作」。客席はしっかり埋まっていた。18時30分から開演前のロビーコンサートがあり、なんとヴィオラだけのアンサンブル。本編に合わせてレスピーギ、ヴェルディを。開演前にロビーで聴く室内楽は久々の体験。ヴィオラならではの深みのある音色。
●「ローマ三部作」は前半に交響詩「ローマの噴水」と「ローマの松」、後半に「ローマの祭」。「噴水」の第1曲から精妙で、しっかりと練り上げられている様子が伝わってきた。明快でくっきりしたサウンド。「ローマの松」はバンダを左右中央に配置して、立体音響(鳥も)による一大スペクタクル。オーケストラは鳴りに鳴って、オペラシティの空間には収まりきらないほど。休憩後の「ローマの祭」も華やか。「主顕祭」のおしまいの乱痴気騒ぎは爆速。史上最速(自分比)の高速フィナーレだったが、荒っぽくならず、むしろアスリート的。これもふだんこのホールで耳にすることのないレベルの大音響で、強烈だった。客席の喝采の後、川瀬がマイクを持って登場し、この日で退団のコンサートマスター日比浩一へのメッセージを述べ、花束贈呈と挨拶。アンコールにイタリア音楽つながりでマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲。弦楽器の潤いのある質感が見事。現在の名フィルの演奏水準の高さを改めて実感した一夜。
●プログラムノートが今でもB5サイズなのは珍しい。文字が大きいのはありがたいが、半分に折らないと小さなカバンには収まらない。全曲全パートについての出演者一覧を記した紙が挟んであって、これはうれしい。あと、名フィルは地元では18時45分開演みたいだけど(広響もそうだっけ?)、東京では19時開演だった。そりゃそうか。でも18時45分開演って少しうらやましい。特にコロナ以降だけど、なるべく夜遅くに出歩きたくないと感じるようになってきたので……。
●3月後半に入って、オーケストラ・アンサンブル金沢、九州交響楽団、群馬交響楽団、名古屋フィルと各地のオーケストラの東京公演が続いたんだけど、この時期に集中する理由はなにかあるのだろうか。全国オーケストラ音楽祭が自然発生している。

March 25, 2024

ニッポンvs北朝鮮@ワールドカップ2026 アジア2次予選

ニッポン!●21日、ワールドカップ予選のニッポンvs北朝鮮が国立競技場で開催。完売だったそう。テレビ中継で観戦(DAZNは中継がないので地上波のみ)。ニッポンは三苫、冨安、伊東といった主力が招集外、大黒柱の遠藤航はコンディションを考慮してかベンチスタート、調子が下向きなのか久保建英もベンチ。それでもけっこうな豪華メンバーがそろうのが今のニッポン。GK:鈴木彩艶-DF:菅原由勢(→橋岡大樹)、板倉、町田、伊藤洋輝-MF:守田(→遠藤航)、田中碧-堂安(→谷口彰悟)、南野(→浅野)、前田大然-FW:上田綺世(→小川航基)。
●開始直後のニッポンの攻撃はスペクタクル。前半2分にあっという間に先制点を奪った。堂安の折り返しを南野がシュート、こぼれたボールをふたたび堂安がマイナス方向に折り返して、走り込んだ田中碧がきれいに合わせてゴール。田中碧はまたしても代表でゴール。こんなに活躍しているのに、いまだドイツ2部のデュッセルドルフでプレイしている謎。前半はそのままニッポンのペースが続いたが、追加点を決めきれず、次第に失速。すると後半は北朝鮮ペースに。足元の技術ではニッポンに及ばないが、フィジカルの強さを生かしたダイナミックなプレイでニッポンのゴールを脅かす。危険なラフプレイもなんどかあり、ひやひやする(VARはない)。ニッポンの選手たちは消極的になり、攻撃の形を作れない。パワー勝負のロングスローやロングボールがかなり嫌な感じで、序盤の攻勢がウソのよう。これは失点は時間の問題と思ったが、後半29分、森保監督は3枚替えで、谷口を投入して3バックに。かなり5バック気味になったが、谷口がディフェンスラインを押し上げて試合を落ち着かせた。3バックが効いたのか、北朝鮮の勢いがなくなったのか、ともあれピンチもチャンスも減って、1対0で辛勝。
●前田大然がよかった。サイドだと同じポジションにタレントが豊富すぎてなかなか前田の出る幕はないのだが、いざ出てみると前線からのプレスの激しさは大きな武器。トップに上田のような体を張るタイプを使うのなら、前田の居場所はサイドということになる。中央でも機能するとは思うが。途中出場の橋岡もよい。田中碧のゴールは見事。今回、37歳の長友が招集された。出場機会はなかったが、タフなアウェイ戦も考えればこういう選手が必要なのは納得。北朝鮮代表にはJ3岐阜の文仁柱(ムン・インジュ)が呼ばれ、途中出場を果たした。この試合に出場した唯一のJリーガーということになる。
●試合終了後、北朝鮮は26日ピョンヤンでの試合を開催できないと言ってきた。理由ははっきりしない。日本からの感染症の持ち込みを嫌ったという報道もあるが、意味がわからない。そんな急に言われても代わりの開催地を用意できるはずもなく、ひとまず試合の中止が決まり、代表チームは予定より早く解散した。ピョンヤンで試合をしなくて済むのはありがたいが(なにが起きるかわからない)、一方的に試合を放棄できる正当な理由があるとも思えないし、今の過密なサッカーカレンダーに空きはない。没収試合になるのだろう。

March 22, 2024

新国立劇場 ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」(デイヴィッド・マクヴィカー演出)

新国立劇場 トリスタンとイゾルデ
●20日は新国立劇場でワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」。2010/2011シーズンに初演されたデイヴィッド・マクヴィカー演出が帰ってきた。指揮は当時と同じく大野和士だが、ピットには都響が入った。主役ふたりは当初発表から変更があり、トリスタン役がゾルターン・ニャリ、イゾルデ役がリエネ・キンチャに。マルケ王はヴィルヘルム・シュヴィングハマー、ブランゲーネは藤村実穂子、クルヴェナールはエギルス・シリンス、メロートは秋谷直之。演出はストレートで、夜の情景を比較的シンプルな舞台装置であらわす。空に昇る大きな月が赤や白に色を変えて、動く。読み替えはなく、スタイリッシで、音楽を妨げない。
●全3幕、45分の休憩を2回はさんで計5時間半の長丁場。長いといえば長いが、きびきびしていてむしろこれでも長くない。ピットの都響がすばらしい。重厚というよりは澄明なワーグナー。クリアで粘らない。大野和士の自在のドライブから起伏に富んだドラマが生み出される。再演ものでこれだけ精妙なオーケストラを聴けるのはうれしい。都響のサウンドが全体の印象を決定づけた感あり。ニャリのトリスタンは強靭というよりはスマート。脇を固める歌手陣が充実していて、客席からもっとも喝采を受けていたのは藤村実穂子のブランゲーネだった。シュヴィングハマーのマルケ王は威厳も声量もある。
●ワーグナーのオペラ、なにせ長いので聴く前は滝に打たれる覚悟で臨むんだけど、聴き終わると元気がわいてくる。第1幕、第2幕……と進むにつれて、気分があがってきた。
●このオペラって、終幕で人が無駄死にするんすよね。誤解から死人が出たことをマルケ王が嘆く。だが、そもそもの誤解の原因はお前さんが大軍勢を引き連れてきたからであって、まずは用件を書いた手紙を持たせた使者でも送れば、このような殺し合いは起きなかった。大事なのは「ほう・れん・そう」。オペラの登場人物たちはどこまでも「報告、連絡、相談」が苦手だ。
代替医療のトリック●以前に読んだサイモン・シンの科学ノンフィクション「代替医療解剖」では、科学的な根拠のない代替医療の多くがプラセボ効果を利用していることが明らかにされていた。プラセボ効果は一般に思われるよりもずっと強力で、たとえばホメオパシーのように事実上ただの水でしかない薬であっても、その効能を期待する人には痛みが消えるなど、明白な効果が出てしまうというのだ。そこで、思い出したのは、ブランゲーネの秘薬だ。ブランゲーネはイゾルデに毒薬を与えるのではなく、媚薬を渡してしまったことから、トリスタンとイゾルデの悲劇がはじまった。しかし、ブランゲーネの薬は、実際にはすべてがただのワインなのではないか。同じワインがときには毒薬として、ときには媚薬として機能しているのはないかと思い当たった。
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●W杯予選、ニッポン対北朝鮮についてはまた改めて。
●宣伝を。ONTOMOに特集「家族と音楽」 家族のために書かれた名曲5選を寄稿。ご笑覧ください。

March 21, 2024

東京・春・音楽祭2024 ルドルフ・ブッフビンダー ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全曲演奏会IV

東京・春・音楽祭 2024
東京・春・音楽祭2024が3月15日に開幕。この音楽祭もこれで第20回。もうそんなになるとは。今回、ルドルフ・ブッフビンダーがベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏会を開いている。全7回のシリーズ。19日の第4回に足を運ぶ。プログラムは前半にソナタ第6番へ長調、第24番嬰ヘ長調「テレーゼ」、第16番ト長調、後半に第29番変ロ長調「ハンマークラヴィーア」。
●ブッフビンダーはこれまでにベートーヴェンのソナタ全曲演奏会を60回以上も行っているのだとか。そんな人はほかにいないだろう。で、32曲のソナタを全7回にどう割り振るかは、何十年もかけて全曲演奏会をくりかえしているうちに固まってきたのだそう。この日の組合せは、前半はユーモアの要素の強い作品、後半は超大作というコントラストを際立たせたプログラム。まったく自然体でピアノに向かい、気負いなくどんどん弾く。テンポは終始速め、あるいは猛烈に速い。飄々とした雰囲気は、特に第16番の終楽章で効果的で、茶目っ気のあるコーダに客席から笑いが漏れた。
●さすがに「ハンマークラヴィーア」はじっくり攻めるだろうと思いきや、これまた猛烈なテンポで始まったのにはびっくり。これが77歳のピアニストの弾くベートーヴェンとは。年輪を重ねたからといってテンポが遅くなることもなく、深遠さを気どることもない。もちろんキレッキレとはいかないが、作品がすっかり手の内に入っており、停滞することがない。で、「ハンマークラヴィーア」の後にアンコールはないだろうなと思ったら、普通にあった。こういうところもブッフビンダーらしい感じ。ソナタ第18番の終楽章だったかな。
ルドルフ・ブッフビンダー
●おしまいのカーテンコールのみ、撮影が解禁されていた。ありがたい。ブッフビンダーについては東京・春・音楽祭のサイトに取材記事を書いている。これは単独インタビューではなく、リモートでの共同記者会見をまとめたもの(自分はプロモーション用インタビューの仕事は基本的にしないんだけど、記者会見なら可能なかぎり出る)。ブッフビンダーはどんな質問に対しても実際的な答えを返す人で、思わせぶりな物言いをしないところが立派だと思った。

March 19, 2024

マルク・ミンコフスキ指揮オーケストラ・アンサンブル金沢の東京定期

●18日はサントリーホールでオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の東京定期。マルク・ミンコフスキ指揮によるベートーヴェンの交響曲第6番「田園」と第5番「運命」というプログラム。本来であればミンコフスキがOEK芸術監督を務めていた2020年のベートーヴェン・イヤーに行われるはずだったベートーヴェン交響曲全曲シリーズが、コロナ禍により大幅に遅れ、つい先週、金沢での「第九」でようやく完結した。その特別編として、東京でも一公演のみ開かれることに。客席はぎっしり。
●OEKは室内オーケストラなので、編成はコンパクト。弦は10型で対向配置。ただしコントラバスは最後列に3名横並びになる方式。後半の「運命」ではコントラバスの隣にコントラファゴット。コンサートマスターはアビゲイル・ヤング。その隣に客員コンサートマスターを務めている元東響コンサートマスターの水谷晃。ミンコフスキのベートーヴェンはHIPなスタイルというよりは、OEKのスタイルをベースにさまざまなデザインを施しながら、熱風を巻き起こす。前半の「田園」はダンサブル。「運命」では指揮台にあがるやいなや棒を振り下ろして、運命の動機を激しく刻み込む。第1楽章、オーボエのカデンツァはぐっとテンポを落としてたっぷり朗々と。第3楽章からは怒涛の勢い。第4楽章では、冒頭の3音をぐっとタメてから猛然と畳みかける。提示部リピートありも吉(この曲でいちばんカッコいい場所だと思う)。燃焼度がきわめて高く、一回性を重んじた「荒ぶるベートーヴェン」で、客席はわいた。
●カーテンコールをなんどか繰り返した後、ミンコフスキから英語でメッセージがあり、能登地震の犠牲者に捧げるバッハ「G線上のアリア」。さらにその後、拍手が止まず、ミンコフスキのソロ・カーテンコールも。
●この日の開演時間は18時30分だった。前回のOEK東京定期もそうだったと思う。北陸新幹線の終電にぎりぎり間に合うということなのかな。うっかりまちがえやすいけど、終演が遅くならないのは正直ありがたい。帰り道の気分がぜんぜんちがう。気持ちに余裕ができるというか。

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飯尾洋一(Yoichi Iio)

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