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2014年03月07日

2014シーズン開幕に寄せて

僕らの心と魂を狂わせるシーズンが始まる。
いや、もう始まってる。
そして僕らは最高のスタートを切っている。

去年の最終戦、最後までゴールが決められなかった。それだけでというにはあまりにも大きすぎる1点が取れなかったが故に、昇格を賭けたプレーオフに進めなかった。あの悔しさを、静まりかえったスタジアムを忘れない。今年は、あれがあったからこそ昇格できたというシーズンにしたい。いや、絶対にしてみせる。

先週の開幕戦で見せた砂川の職人的なFKを見ただろうか。
最後方から懸命に声を出し、素晴らしいセービングを連発した金山の勇姿を見ただろうか。
5年ぶりに札幌のユニフォームに袖を通し、懸命に走り回る石井の気持ちを見ただろうか。
慣れないセンターバックでプレーしながら必死にボールに食らいついた小山内の闘志を見ただろうか。

それをテレビで見た人も、現地で見た人も、明後日はそれを生で目にすることができる。フットボールの季節が始まる喜びと静かな気持ちの高まりを胸に、札幌ドームに集まる。打ち振られる無数のフラッグ、突き出される無数の両腕、揺れるバンデーラ、跳ぶゴール裏、赤黒に染まるスタジアム。
でも、チケットは別にゴール裏じゃなくてもいい。ゴール裏で、バックスタンドで、メインスタンドでもいい。自分に合った場所でいいのだ。それぞれ座る席は違っていても、ピッチに送る熱情は同じだ。ただ、方法が違うだけの話だ。

赤と黒を身にまとい、日曜日はサッカーを見に行こう。
ゴールが決まった瞬間、雄叫びを上げて飛び上がろう。
シュートが惜しくも外れた時には、頭を抱えて悔しがろう。
選手達の全力のプレーに、惜しみない拍手を送ろう。

勝った瞬間の、あの何とも言えない充実感と嬉しさを、ともに味わおう。そうして、友人や仲間達と語り合おう。酒を酌み交わし、サッカーの話からなんでもない与太話まで楽しもう。サッカーを、サッカーのあるこの街を、全身で味わおう。
ワールドカップは遠い国で行われることだけど、コンサドーレ札幌の試合は手に触れられるほど近い存在だ。札幌にとって、いちばん近い所にある「世界とつながる場所」だ。さあ、それを体験しに行こう。

サッカーで泣いたり笑ったりしよう。一週間ごとに悲しんだり喜んだりしよう。
そうして、最後にはこれ以上ない笑顔で、また新たな雪降る季節を迎えよう。

あなたも、そんな一人になりませんか。
そして、2014年を特別な一年にしませんか。

2014年3月9日13時、札幌ドームで、あなたが歓喜の輪に加わってくれることを待っています。


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2008年08月01日

ライフプラン/リスタート

まだ三十路の話が続きます。

この間友人と深夜の電話で話しているときに、高校時代の思い出がよみがえってきた。
家庭科の授業で「ライフプラン」的なものを考えるというようなものがあって、大学を出た後は何歳くらいで結婚して、何歳くらいで子供ができて。家を買って、子供が育って、誰かが死んで、僕も死んで。とうようなことを人生のスケジュール帳のような一枚の紙に書いてみる、というものだった。たしか18か17か、そのあたりの時だったと思う。
紙を渡されて、どうしていいのかわからなくなってしまって途方に暮れてずっと考え続けていた。残りわずかな授業時間で書き上げただろう僕自身の人生設計はものすごくなげやりだった。

・22歳 大学卒業、就職
・30歳 まあそこそこ仕事してる
・40歳 死んでる

ってくらいしか書いてなかったはずだ。
当然のように僕は教師に怒られた。ただ、怒られたのはあまりにも簡素すぎるその内容ではなく、「40で死ぬ」と書いていたことだった。もうちょっと真剣に考えなさい、とその教師は言った。でも真剣に悩んで考えてあの結論を紙に書き写した僕にとっては、それ以上の「真剣」とは何か、皆目見当もつかなかった。同じ学級の人たちはそれなりに書き上げたのだろうと思う、たとえそれが方便であっても。でも僕はそれをしなかった。世間一般でいえば間違ってるとかずれているとか言われるのだろう。40歳以後の人生なんて今に至るまで思いも及ばないし、30歳で何をどうやって生きているのかということもわからなかった。ただ漠然と「いい歳をした大人」だということを考えていたくらい。
で、ここで言いたいのはステレオタイプな人生観を強制しひねくれた考えを矯正する学校教育が云々とか、こんなのただの中二病だとかいうことではなく、今こうしている現実まっただなかこの瞬間、「想像すらできなかった人生」を生きているというそのことにある。そのリアルに打ちのめされて、びっくりして、うわこれどうしよう、とうろたえているのが現在の状況。何していいのかわからないし、これからどうにかなるのかわからないし、わかったとしても他の誰にもわかられてたまるか、と思う。どれだけ生きるのが苦しくても、その苦しみも憎しみも悲しみもすべて自分のもので、他人には渡せない。なんかこういうセリフを「プラネテス」で読んで、とてもとても共感した。

僕がそのどうしようもない人生設計を書いていた頃、「ふてくされてばかりの10代を過ぎ分別もついて歳をとり」なんて歌が流行っていて、それを聴きながら僕はそのうちそういう分別のある大人になるもんだと思っていた。しかしながら分別なんて持ち合わせぬまま30歳になってしまった。でもって、その分別とやらを持ち合わせるためにはある程度の自分なりの努力と勉強が必要なんだということにたった今気づいた。俺遅い。
幸いにして相当な遅れはあるものの、自分なりの努力とやらをするにはまだ時間が残されている。高校時代の僕にして考えると、あと10年(今はそんなこと思ってもいないけど)。30歳になったら何か始めるとか言っている人を横目で見て、だったら今からやれよなんて思うことがあったけど今ならその人の言っていることがわかるような気がする。30歳というのは、リスタートを切るにはちょうどいいタイミングなんだ。スタート体制のまま固まって動けないでいる僕も、そろそろ。

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2008年07月25日

冬瓜の味

取り立ててなんにもないままに誕生日が過ぎて、またひとつ歳を取った。直前になってまたなにか余計な感傷を呼び覚ましたりするのだろうか、と思ってはいたが(そもそも今があまりにも感傷的でありすぎる)恬淡としたものだった。そうか、これが三十路というものか、とひとりごちて、昼食をとりにいった。
仕事によるここ数日の疲労感はピークに達しつつあり、きちんと寝ないと体力及び気力の回復は覚束ない。しかし、ふとしたことで眠るタイミングを逸してしまう日々が続いていた。そんな身体に冬瓜のスープ煮(+たらばがにの餡かけ)はさくりとした食感の中にも中までしっかりスープの染みているしみじみとした味で、こうしたさっぱりした味を好むようになったというのは歳を取った証拠なのかな、と考えていた。茄子の美味さを改めて味わったり、漬かりすぎた塩のきつい漬け物が苦手になってきたり、味覚も少しずつ変わってきたかもしれない。まさかこの歳になって老齢ということでもあるまいに。

ぱっとしない曇り空の札幌市内を眺めて飯を食いながら、果たしてここまで何をしてきたのかと考える。たぶん、なにか人に誇れるようなことは何一つないなんてことはないけれど、ひとつくらいしかしていないだろう。そしてそれだってもう何年も過去のことだ。その過去から逃れようと、決別しようと、そんなふりだけをしてずっと同じ場所にとどまり続けているような気がする。何一つ決められず、何一つ動こうともせず。
果たして、こうして何も決めないというのは果たして、どちらを選び取ることもできない弱さなのか、決断主義を否定してとどまり続ける強さなのか。できることなら前者でありたい、もっとできることならそんなことすら思わないほどの気持ちでいたい。「河岸忘日抄」で堀江敏幸の描いた、主人公のように。何を手に入れたのか、何を喪ったのかもよくわからないまま日々は過ぎゆく。いっそのこと何かを喪失してしまえばはっきりするのに、そうしようともしないままの日々。

30歳からは、今までよりもっと歳を取るのが早く感じられると人々は口にする。一念発起して動くのならば今がちょうど良い時期なのだと思いながら、もう少し、ととどまる自分がここにいる。今の自分があまりにも無力であることに気づき、気づかないふりをしている。余裕を持って立っている振りをして、立ち竦んでいる。だけどそれは、内なる自分を把握できているということと、自分の心をごまかして過ごすことができる、ということにもつながっている。ただ、できることならもう少し内なる自己を補強したい。そう思って社会学や思想の本を読み進めている。杉田俊介「無能力批評 労働と生存のエチカ」は、今自分がこの場に立ち止まっている「とどまること」「弱さを肯定していること」を肯定し、そこから切り離せないものを提示してくれた。

まずはもう少し読んで、深めて、そこから表現してゆこう。表現したいことはいくらでもある。街の匂い、酒やたべものの味、人の様子、それらがある「場所」、そして、フットボール。そのために今は自分という名の「物語」を突き詰めて、突き崩して、新しい表現、新しい自分を掴もう。まずは急がなくてもいい、ゆっくりやろう。冬瓜にスープの味がゆっくりと染みこんでいくように。

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河岸忘日抄 (新潮文庫 ほ 16-3) 堀江 敏幸 (著)

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無能力批評―労働と生存のエチカ 杉田 俊介 (著)  


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2008年07月04日

厚別前夜

本格的に夏が来たと感じさせる蒸し暑さだ。吸い込む空気がどこか湿っぽくて温い。市内のどこかではスコールのような雨が降ったという。家の近くでは降らなかったようだけど、こんな蒸し暑い時はさっと一雨来れば涼しくなれるのに、と胸元を緩めながら思う。明日雨が降るのなら、その分まで今日降ってくれればいいのに、とも。だって明日は「厚別」なのだから。

チケットの券面には久々の文字<札幌厚別公園陸上競技場>。長ったらしい漢字の羅列も、10年以上も通っていればすらすらと書けるくらいにはなる。札幌ドームも好きだけど(特に雨や雪の日には)、やっぱり厚別じゃなきゃ、という気持ちもどこかにある。どこよりも多く記憶の積み重ねられた場所。歓喜も、落胆も、怒りも、悲しみも、すべての記憶があの芝生に、スタンドに、積み重なっている。からりと晴れた週末の午後、暮れる太陽の光を浴びる夕暮れ時、仕事が終わって慌てて駆けつけたときにひときわ輝く照明は誰もをそわそわした気持ちにさせる。アウェイからホームに向かって吹き抜ける「厚別の風」はふと一息ついたときに味わえる涼しさと、風に乗ってひょんな事からゴールを生むのが持ち味だ。そして、そのすべてが札幌のホームアドバンテージ。風を味方につけたゴールキックは意外と遠くまで飛ぶことを、アウェイの選手もサポーターも余り知らない。僕らはそれにつけ込んでボールをかっさらい、あっち側に流し込む。寮母さんと寮監と、試合に出られなかった若手達が手づから売る「しま福」の売店は残念ながら今年はないけれども、ここで飲むビールの味は相変わらず最高だ。でも、興奮のあまりこぼさないように注意が必要。

サミットの厳戒態勢で賑わう市内中心部を一歩抜けて地下鉄で15分、そこからのんびり歩いて20分。汗のにじみが気になる頃、厚別の凛としたたたずまいが出迎えてくれる。あとはここで跳び、歌い、手を鳴らし、歓喜の声を上げる90分が始まる。警官の多さと閉鎖されたコインロッカーに苦い顔をするよりはよほど有意義な時間の使い方だと思う。そして、市内がそんな様子だからと外に出るのを躊躇ってBSやスカパー!にしがみつくよりもよっぽど爽快であることは確かだ。落胆を恐れず、考えず、さあ、"La ATSUBETSU"の開幕戦へ。

明日は晴れ渡った空に、オレンジ色のサンバのリズムもかき消して圧倒してしまうほどの、赤と黒の歓声が厚別の風に乗って吹き渡ってくれれば完璧だ。そして、北海道はそれほど涼しくはないということを、古巣を相手にした西澤が涼しい顔をして教えてくれるだろうと期待している。彼が「世話になった」と話している、モミアゲの長さが微妙なあの人へのささやかな恩返しとして。

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2008年07月01日

七月病

五月の新緑ももう遠い昔のように通り過ぎ、六月の声ももはや過去のこととして忘れ去られようとしている。そして僕にとってはやっかいな七月。

僕は毎年、七月になる前後あたりから体調を崩すようになった。なんだか風邪っぽいなあ、と感じたらそれが始まりの合図。本当に風邪を引き、扁桃腺は腫れたまま一ヶ月にわたり喉の痛みを訴え、身体は重く、腰は痛くなる。おまけに季節変わりで金属アレルギーが酷くなり、上半身には発疹ができてかゆいことこの上ない。そんなこんなでネガティブなスパイラルはどんどんと下降して仕事が嫌になり、自分が嫌になり、世の中が嫌になり、ドームにも厚別にも行く気力まで萎えそうになる。休みの日は無気力なままだらりとベッドの上で過ごし、自分の社会での立ち位置にふと不安を覚えて社会科学や思想の本を読み漁り、かえってどうにもならないまま漠然とした悩みだけが増えていく。一日中眠いくせに夜は眠れず、つけっぱなしの深夜ラジオが毎時に告げる同じニュースを何回も聞いてしまう。僕はこんな一連の症状を「七月病」と呼んでいる。

「五月病」なら聞いたことがあるかもしれない。でも僕のそれは「七月」に訪れるのだ。仕事のストレス、変わる環境、勝てないチーム、ひょっとしたら僕は予想以上に我慢強いのかもしれないだなんてうそぶいてみる。そういった状況が二ヶ月遅れでやってくるのは、もうひとつ理由がある。
誕生日が七月にあるのだけど、その前後になるとどうしようもなくバイオリズムが下がるのだ。ネットや機械で診断などしなくてもはっきりとわかるくらいに。
誕生日と言えば喜ぶものだと世間の相場は決まっているようだけど、どうやらそうではないという人たちも一定数いるようで、そういう意味では僕自身が取り立てて異常ではないと言えることにほっとする。誕生日は一人で祝うものと僕自身で決めていて、まるで親戚の法事を終えて帰ってきたかのような辛気くさい顔をして一人で酒を飲み、酔いつぶれるのがここ何年かの恒例になっている。特に祝って欲しいとも思わない。「祝ってもらえないこと」への裏返しの気持ちが強烈にねじれてしまった帰結ではないのかとも当然のように思うのだが、もはや僕の中ではその感情の出所などどうでも良くなっている。そのあたりの気持ちと六月まで持ち越した疲れやなんやかやが合併して身体に出たのが「七月病」なんじゃないかと思う。酷いときは六月になると同時に出てきたのだが、今年はまだマシな方だ。三十歳という区切りの年齢になるからして、よっぽど酷いことになるんだろうと思っていたら肩すかしを食らうほどにそうでもない。二十五、六あたりの方がよっぽどきつかった。

この「七月病」は、誕生日を迎えたあと急速に終息し、その後はなんでもなかったかのように普通になる。厚別にもドームにもきちんと足を運ぶ。ヒマがあればサテライトも、できればユースも、ということになる。そうして「あの二ヶ月はなんだったのだろうか」と首をかしげるのが毎年の恒例になっている。どうやら僕に学習能力はないらしい。もしくはわかっていても対処できない、というべきか。今の札幌のDF陣みたいだと言ったら怒られるだろうな。
ちなみに今年もご多分に漏れず「七月病」にばっちりと罹患している。扁桃線が腫れっぱなしなのに酒とタバコを止めていないから余計に治りが悪く、そろそろ耳鼻科に行って抗生物質をもらってこようかと思っている。いつぞやのように一ヶ月もこの痛みを引きずるのはさすがに勘弁していただきたい。その前に酒とタバコを止めろと仰る御仁がいたら、まったくもってそのとおりでございますと平身低頭する以外にない。

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九月病 上 (ジェッツコミックス) 


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2008年06月29日

ふらりと旅に出る

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金曜日の夜、明日朝5時に起きられたら旅に出ようと思って寝てみたら起きられたので旅に出た。一日だけの小さな旅。
きっかけは「海が見たい」と思ったことだった。海だけだったら小樽なり石狩なり行けば良いのだけど、よりにもよって思ったのは「長万部の海が見たい」ということだった。札幌からなるべく離れた海辺で、かにめしでも食べながらぼんやりしたい。そう思って、翌朝6時には自宅近くの駅で列車を待っていた。札幌から東室蘭へ南下して長万部へ、そして倶知安経由でぐるっと回って戻ってくる一日の旅。旅費は「一日散歩きっぷ」2040円也。安い。

睡眠時間がそんなに長くなかったこともあり、東室蘭まで向かう一本目の電車の中ではずっと寝ていた。廃止が近い形式の電車ではあったけど、熟睡してしまうほど乗り心地は良かった。東室蘭で乗り換えて長万部へ向かう。土日だということもあるのか、一両だけの汽車はほどよく埋まっていた。東室蘭を出て程なくすると、車窓左手に内浦湾の海が見えてくる。中学生の当時、塾の帰りにこの路線を使っていた記憶がよみがえる。真っ暗な夜を淡々と走る汽車は、自分にとって絶好の勉強時間であり、時にはへこんだ気持ちを切り替える時間でもあった。それも思えば15年近くも昔の話であり、今更思い返すことでもないとは考えてしまうんだけどもどうしてか思い出すことと書きつづることは止められない。過剰な「自分語り」ってことですか。

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そんなことを考えつつ、海とトンネルを交互に眺めつつ、長万部に着いたのは正午近く。普通なら20分ほど待てば山線経由(=倶知安経由)の普通列車に接続できるのだけど、ここはあえて一本とばして次の列車に乗ることにする。2時間半の待ち時間を最大の目的である「海を見る」ことに費やす、ということ。

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時間もちょうど昼時だし、ただ海を見るというのも、というわけで駅前の弁当屋「かなや」でお決まりの「かにめし」を購入。1050円。高くなったなあ。確か初めて食べたときは600円かそこらで、出張帰りの父が買ってきてくれたのを頬張ったはずだ。弁当の袋をぶら下げて国道5号線を渡り、あちこちでスナップを撮影しながら海へ出る。

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防波堤の向こう側から漂う潮の香り。心なしか日本海よりも穏やかな気がする。海に正対して座り、おもむろにかにめしの包みを開いて変わらない味を楽しむことしばし。食べ終わった後はぼうっと海を見ていたり、ぼうっと波の音を聞いていたり、本を読んでみたり、歩いてみたり、そうしているうちに時間は過ぎた。軽く日焼けした。過去ログでちょっと書いたかもしれないけど、何年かに一度「長万部の浜辺に行って考え事をしたい」と思う時期が突然やってきて行くことがある。こないだがちょうどそれだったというわけだ。

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時間になったので駅に戻り、小樽行きに乗る。この列車も結構な乗車率。
気温が高いせいか窓は少し開けられていて、「JNR」のロゴが入ったままの扇風機が回るほどの暑さの中を列車は進む。駅に止まり、発車するごとに息継ぎをしてあえぐエンジン音。緑また緑、目が痛くなりそうなほどの風景の中、ゆっくりと峠を登る列車。開いた窓から吹き込む風。人々の会話。ヘッドホンをして車窓を見つめたままの一人旅らしき人。
小樽に近づくにつれて日も落ちかけてきて、西日がまぶしくなる。小樽から乗り換えて、今度は日本海を見ながら車窓を眺めていたときは島影に落ちる夕日がはっきりと見えた。最寄り駅に再び戻ってきて、ささやかな旅を終えたときにはもうすっかりと夜だった。
唐突に思いついてふらりと旅に出る。それがどこであっても、どのくらいの旅でも、俗世間と離れた自分がいるという意識だけでずいぶんと楽になれる。だから旅は好きだ。

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2008年06月23日

夏至の日

EUROを見るために早起きすると、もう外は明るかった。
日頃こんな時間に起きることはない。夜更かししていることはあるけど、最近は仕事の疲れでさっさと寝てしまうようになっていた。ああそうか、もう夏至だったのかと寝起きのはっきりしない頭で考えて、テレビのスイッチをつけた。ロシアの選手がすばらしい動きをしているのに比べて、オランダの選手たちは寝起きでテレビを見ている自分のように動きがもっさりとしていたのは気のせいだろうか。うつらうつらしながら見て、はっきりと体が目覚めたのはロシアの3点目が決まったあたりだったろうか。オランダが敗れることに、少し衝撃を受けた。華麗なサッカーよりも泥臭いサッカー。テクニックよりも、走るサッカー。一瞬の切れ味よりも、継続性のあるサッカー。ヒディンクはマジックを使ったのではなく、ごくシンプルなことを誰よりも長い時間行わせることを重要視させ、実行した。そういうことだったんだろうと思う。そう考えながらも体は徐々に睡眠へと向かってしまうのを感じて、慌ててベッドを起き上がり、熱いシャワーを浴びて目を覚まそうと浴室に向かった。

明るくなれば目覚めて、暗くなれば眠るのが人間として健康的ではあるのだろうけどそうもいかないのが文明社会(大げさ)。EUROを見るために超早寝早起きの日があったりなかったりして、最近の生活リズムは乱れ気味。それでも起きられるのはサッカーを見られるからなのだろうか。当然のごとく、休憩時間に昼寝するけど。最近の休日はEUROを見て、寝て、起きて、予定がなければ宮の沢で練習を見る。幸せだ。とりあえず昨日よりは。そう、とりあえずはそれでいい。

遅まきながら「昨日よりは」という考え方で生きていくということを、この歳になって覚えた。昨日よりは今日。それだけを思って生きる。明後日から先はとりあえず頭の片隅に置いといて、一日一日を積み重ねる。明後日以降のことを考えることがたまさかにあっても、それは夢想ではなく計算で考える。すべて忘れてしまえばどんなにか楽だろう、どんなにかこの苦しみが消えるだろうと願うことはいつもだが、それでも日々を生きている以上それはできない。
宮の沢でトレーニングを続ける選手たちも「昨日より今日」を重ねてきたからこそ、プロとしてピッチに立っているはずだ。

ちなみに、今日が昨日を下回ってしまったときは、さっさと酒を飲み、寝て、「今日」を「昨日」にしてしまうのが一番よい。30年にも満たない人生でわずかに身につけたことのうち、これだけはと言えることのひとつである。

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2008年06月17日

雨、ジャスコ、月曜日、ひとりきり

エジソンが2万円でスーツ一式そろえたというので、そんなに安いならとジャスコに行ってみた。ちょうどもう一着スーツがほしかったところだし。

バスに揺られて行った月曜日のジャスコはその巨大さに比べて閑散としていて、スーツ売り場で商品を選んでいたのは自分一人。値札を見る。確かにスーツ一着1万円は安い。ただし、品質もそれなりだ。消耗品と割り切って買う分には十分だろうなと思ってサイズを選び、試着して、裾上げを頼んで購入。引き取れるのは来週末のことになる。

なぜだかスーツを選んだら疲れてしまって、アイスコーヒーでも飲みながら本を読んで休もうか、と思った矢先にアイスコーヒーをこぼす。その瞬間にどうしようもないほどの疲労が体の上にのしかかってきて、どうにも身動きがとれないくらいになってしまった。なんでこんなに疲れているんだろう、と本を開く気力もないままぼんやりしていた。せっかくの休みだからと動きすぎたのだろうか。そんなわけはない。あるとすれば二日酔いくらいだ。
雨交じりの曇天模様な月曜日、巨大なショッピングモールの閑散としたコーヒーショップで、タバコをくわえて何もせずにぐったりしている男が一人。いつものこととはいえ、どうもしまりのない休日だ。

こんなに疲れてしまったのは、たぶん仕事が忙しいからだけじゃない。ニュース番組で報道されている事件の数々にやられてしまっているからなのだろう。人ごととは思えない殺傷事件や、いつ起きるかわからない自然災害に、自分は怯えている。いつ自分が当事者となり、被害者となるのかわからない世界に怯えている。こうやって気を紛らわせている。本当はもうちょっと勉強して、内容のあること書きたいんだけどね。体がついて行かない。たとえば現代社会で進行するグローバリゼーションとローカリゼーション、それとコンサドーレをはじめとするローカルクラブ、もしくはビッグクラブとを繋げる言説というものがどこかにあるんじゃないだろうか、実際にどこかで繋がっているんじゃないだろうか、なんていうこととか。そういうことを考えたり、調べたりするのは結構好きなんだけどなあ。

後は自分の気力と体力次第なのか。
うーん、どうにかならんかなあ。このままじゃ言い訳ばかりだ。

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2008年06月04日

Don't Trust Over 30,Don't Trust Myself.

ほのかに暗いホテルの宴会場で資格試験を受けながら、自分は15年前の自分になったような気がしていた。15年前にもこのホテルで、この会場で、同じように試験を受けていたはずだった。私立高校の受験で室蘭から札幌までわざわざやってきて受けた試験は、ただの記念受験となることがわかってはいたけれどそれでも受けたんだった。合格したとしても行かないであろう高校の試験を。

生涯2度目の札幌の事は余り覚えていない。受験のことで頭がいっぱいだったからだろう。最初に札幌に来たのは小学校の修学旅行の時で、北大前の湿っぽい旅館で給食以下の夕食を残し、改装前のテレビ塔でどうしようもなく粉っぽくて不味いカレーを残し、バスでひたすら眠りこけた一泊二日だった。15年前の時も一泊で、たしか単身赴任をしていた親のアパートに泊まっていったはずだ。そんなことを試験の最後10分間で思い出していた。周囲は様々な年代と性別の人がスーツだったり私服だったりで一心に解答用紙に向かっている。その中でこんな昔のことを思い出している自分はなんなんだろう。そして、15年前の自分が今の自分を見ていたらおそらく絶望するだろうな、と考えて、そのまま10分間絶望していた。15年前の自分よ、すまん。30近くなってもこんなもんだ。

あと2ヶ月ちょっとで誕生日を迎えてついに三十路を迎えるにあたり、最近の自分はちょっと憂鬱だ。何もできないまま二十代を過ごしてしまった、と思う。身体を壊した24歳以降のことは特にその思いが強い。自分はこれまでに何を残してこられただろうか、これから何を残せるのだろうか、四十代になったときに同じかこれ以上の思いをするのだろうか、と考えたときにはもう自分の思考回路は暗黒ループに沈み込んでいた。その後会社に帰って仕事をするのがしんどかったことは言うまでもない。これからできることと、できそうなことと、どうあがいてもできそうにないことがだんだんわかってきて、でもどこかではあきらめたくないという気持ちもあって、とにかく混濁していた。それでも、とりあえずの職場、自分が労働にしがみついていられる場所は今のところここしかない。例え管理者が何人過労で倒れようとも、次々と退職しようとも。なんだか出世をかけたチキンレースみたいだ。いや、そもそも人生そのものがチキンレースなのか。

札幌の選手達も、こんなことを考えてたりもするのだろうか。
曽田や西澤がどんな三十路を迎え、また迎えようとしているのか、ちょっと聞いてみたい気もする。それと、三十路を迎えるに当たっての心構えなど。自分の夢も希望も現実の前にかすんで何をどうすればいいのかわからないし、なんとかここであがくしかないし、この気持ちをどうやって文章にまとめたものかと悩んでいる。昔話しか書けない自分もふがいない。昔話ができる過去を持っているだけいいことだ、と誰かが言っていたけれど、そろそろ未来と現在の話もしたい。けれど、それには時間が足りない、それが恨めしい。

だから限りある時間で、限りある知識と記憶で、とにもかくにも、書き続けていくしかないのだ。たとえなんにもならない駄文であろうとも。

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2008年05月28日

函館を歩く

函館でのナビスコ杯に行ってきた。
試合中を含めずっと肌寒く、町中を写真を撮りつつ歩きながら、太陽が出ないものかとずっと思っていたら帰る直前に一瞬だけ出た。そうじゃない。

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試合当日の北斗で函館へ。
前日の睡眠時間2時間半というのが祟り、列車に乗ってすぐに寝て起きたらもう森町を通過してた。
函館駅からは市電の一日乗車券を買って移動。

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試合はあえて割愛することにする。
ホテルにチェックインして、まずは谷地頭温泉で身体を温める。
温めると言うより、茹でるという表現の方が近いのかもしれない。それほどまでに「高温」の浴槽は、熱い。
数年ぶりに訪れたんだけど、施設も新しくなり露天風呂までできていたのに驚く。

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飯を食い、酔いつぶれ、眠り、翌日再び市電に乗って今度はまず立待岬へ。
寒い。

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函館十字街で乗り換えて、函館どつくへ向かう。
どことなく寂しげな漁港や工場の景色を撮ると言うのが、もうひとつの目的。

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函館どつく周辺の漁港。
曇天だったので、どうせこの天気なら重苦しい写真を、と撮影してみた。

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雨も再び降ってきたし、時間も余ってるし、と摩周丸へ。
じっくりと青函連絡船の歴史を眺めることにする。

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自分はモールス信号になぜこんなに惹かれるのかわからない。

勝ち点3以外の目的はほぼ達成できた1泊2日。
大沼ビールを飲みながらスーパー北斗で3時間、あっというまに日常の世界へ帰宅した。

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今回は朝市や元町教会群といった観光スポットをあえて外して歩き回った。
観光観光している場所より、その土地の生活が感じられるところの方が好きなのだ。
でもラッキーピエロとハセガワストアは万難排して抑えたけど。

そんなわけで、帰宅するなり函館の雨をたっぷり吸った衣類をまず洗濯。
トラピストクッキーをしっかりと抱えて、翌日出社しましたとさ。


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