見つめる日々

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2010年10月08日(金) 
それは奇妙な夢だった。快でも不快でもない、まさに奇妙としか言いようのないような。日常の私からはちょっとかけ離れた、だからそれを見ている私も、私の夢というよりもショートフィルムを見ているような、そんな感じだった。
目が覚めて、時計を見る。午前三時半。もう十分に横になった気がする。私は起き上がり、デスクライトを点ける。多分、お願いした書類がそろそろ届いているはず、と、PCの電源を入れ、メールのチェックを始める。
届いたメールを、辞書を引き引き、確かめる。それと一緒に、用意しておいた画像もチェックする。これとこれを一緒に送付すれば大丈夫かもしれない。よし。
友人からのメールも届いている。欧州で友人は今何をしているのだろう。その国は私も訪れたことがある。訪れたのは11月だった。もう遠い昔。私が訪れたときとはきっと、街は様相も変えているんだろう。また行きたいと思うけれど、そんな余裕は今はない。いつかもし機会があるなら、娘と一緒に行ってみたい。そう思う。
お湯を沸かしていると、後ろで気配が。足元を見ると、籠の中、ゴロがこちらを見上げている。おはようゴロ。私は笑いながら声を掛ける。またあなたと目が合ったね、そう言いながら抱き上げる。ぽてっと私の手のひらに乗ったゴロは、鼻先をひくつかせながらじっとしている。何となく思いついて、娘の買ってきたフルーツのキュービックを差し出す。上手に両手で抱え込み、かじかじと齧り付くゴロ。私はそれを確かめて、彼女を籠に戻す。
マグカップいっぱいに濃い目の生姜茶を作る。テーブルの上、昨日娘が勉強した痕跡がありありと残っている。というより、要するに散らかっている。ここまで散らかすのは彼女の得意技だ、私にはちょっとできない。どこにでも物を広げ、散らばして、思う様場所を使う。私は、転がりっぱなしの何本もの鉛筆を、何となく見つめる。昔私は、鉛筆削りなんてもっていなくて、毎日毎晩、ナイフで鉛筆を削ったものだった。それが日課だった。鉛筆削りを買ってくれと頼んでみたこともあるが、あっさり無視され、ナイフで削るようにと言われた。それが鉛筆を削るというものなんだ、と。でも不思議なことに、弟にはちゃんと鉛筆削りが与えられていた。あれは何でだったんだろう。今思い出すととても不思議だ。そういうことが幾つもあった。弟は買い与えられても、私には駄目、というものが。あれは、父母のどういう価値基準で決められていたんだろう。私は今更ながら首を傾げ、そして笑ってしまう。そんなこと、今思い出してもしょうのないこと。今となっては、或る意味、笑える思い出だ。そんなことをつらつら思い出しながら、私は娘の、先の丸まった鉛筆を、鉛筆削りで削ってみる。ほんの数秒で削れてしまう鉛筆。私がナイフで削ると、削り方にこだわりが私なりにあって、あれこれしているうちに時間があっという間に経ってしまうのが常だった。でも。あの作業のおかげで、私は多分、切り絵などに傾倒していったんだと思う。小刀、カッターナイフといったものが、いつも身近にあった。そしてそれは、使われるべきもので、それをどうやって細かく器用に使いこなすか、それを考えるのは面白かった。懐かしい。
そうこうしているうちに、空が少しずつ白んでくる。雲がもこもこっと、まだ空を覆っている。が、この空の色なら、きっと今日もまた晴れるのだろう。そう思う。適度な風が流れている。街路樹の緑が、さやさやと軽い音を立てながら揺れている。
白み始めた空の下、私はプランターの脇にしゃがみこむ。デージーは、少しずつ、少しずつ、終わってゆく花が増えてきた。もうこれ以上はさすがに咲かないだろう。私はこの花たちが終わってゆくのを、今はただ見守るばかり。ラヴェンダーはそんなデージーに寄り添って、いや、場所をできるだけ譲ってやっているように見える。不思議なバランス。
弱っているパスカリ。新芽がちょこちょこと出ている。一枚に、白い斑点を見つけ、私は慌ててそれを摘む。水を遣りすぎたのかもしれない。うどん粉病の気配だ。気をつけないといけない。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。ぐいぐいと根元から伸びてきた枝の先に蕾がちょこねんと乗っかっている。この週末に、きっともっとくいくいっと蕾が伸びてくるんだろう。真新しい黄緑色の細身の葉たちが、さわさわと揺れている。
友人から貰った枝、今花が咲こうとしている。綻んできたところだ。今日の天気次第で、半開きくらいにはなるかもしれない。そうしたら、出かける前に切り花にしてやろう。私は心にそう小さくメモをする。
横に広がって伸びているパスカリ。いや、もはやこれはパスカリなのかどうか怪しくなってきた。というのも、綻び始めた蕾が、濃い黄色をしているからだ。これはパスカリの色じゃぁない。やっぱり、接木した、その元の樹の花の色が出てきてしまったとしか思えない。私は呆然と、黄色い花の色を見つめる。ふたつとも濃い黄色。これはどう見ても、白じゃぁない。一体何という種類の花なんだろう。私は首を傾げる。
ミミエデン、一輪の花が綻び始めた。外側の真っ白から、内側へいくほど濃いピンク色になる。そのグラデーションが実に美しい。もう一輪はまだ固く閉じている。
ベビーロマンティカ、いつの間にかよっつもの蕾をつけていた。そして相変わらず次々あちこちから新芽を芽吹かせており。萌黄色の、艶々した葉が風に揺れる。ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ、まるで小学校の教室かのようだ。どんなおしゃべりをしているんだろう。娘のようにアイドルグループの噂話でもしているんだろうか。私は何となく、笑ってしまう。
マリリン・モンローは、蕾を抱えながら凛と立っている。昨日マリリン・モンローとホワイトクリスマスを一輪ずつ、切り花にした。今テーブルの上、咲いている。ホワイトクリスマスはマリリン・モンローよりも、悠然とした姿で立っている。背もマリリン・モンローより完全に高くなってしまった。こんなにぐいぐい伸びてくるとは思っていなかった。嬉しい。
そしてムスカリやイフェイオン。水を一切遣っていないというのに、そんなことお構いなしにぐいぐい伸びてくる。私は半ば呆れながら彼らを眺める。そんなに急いで何処へ行く、という感じだ。冬はまだもうしばらく先だよ、私は小さい声で彼らに言ってみる。まぁそんなことを今更言っても、もう遅いのだが。
アメリカンブルーは今朝、十個もの花を開かせており。何の手入れもしてやっていないのに、ここまで次々花を咲かせてくれるアメリカンブルーに、改めて感謝。
部屋に戻り、ちょっとぬるくなってしまった生姜茶を持って、机に座る。煙草に一本火をつける。開け放した窓から、ゆるゆると煙が流れ出してゆく。とりあえず朝の仕事の準備だ。五時半には娘を起こすことも忘れずに。

今週初め、展覧会のDMを郵送した。その一通が所在不明で戻ってきてしまった。宛名を見る。私が大学時代、アルバイトしていたギャラリーで一緒だった友人の名前。結婚して苗字が変わった。住所も変わった。変わるたび、住所録を書き直し、書き直し、その繰り返しで今に至る。でも。今彼女は何処にいるんだろう。離婚したという話は聴いていない。ということは、ただ引っ越しただけなんだろうか。分からない。彼女と会わなくなってもう何年経つだろう。私は病気で忙しく、彼女は彼女で身辺忙しかった。手紙のやりとりが精一杯で、会う機会がなかった。このまま、縁は切れてしまうのだろうか。葉書を見つめながら思う。それでも。長い縁だった。貴重な縁だった。私が薬を飲みすぎて部屋で一人倒れているとき、彼女は何故か察知し、駆けつけて、処置してくれた。私は一切覚えていない。彼女が呼び出した母が、その詳細を後になって教えてくれた。年上の彼女に、世話になるばかりだったあの頃。私は何の恩返しもできなかった。できるのは、私が元気になることだ、ただそれだけを思って、私は私なりに、歩いてきた。それが届いているのか届いていないのか、それは分からない。でも。もしかしたら、彼女は、もう私は大丈夫、と判断したのかもしれない。だとしたら、それは、或る意味、必要な別れなんだと思う。このまま彼女から何の連絡もないなら、私はそれを受け容れるのが筋なんだろう。
本当に、私の一時期を、支えてくれた人だった。ありがとう。ありがとう。ありがとう。今改めて、私は心の中、繰り返す。あなたが幸せでありますよう。ここで私は祈っている。

じゃぁね、それじゃぁね。あ、ママ、メープルパン、おいしかったよ。それはよかった、また買おうね。うん。じゃね!
私は階段を駆け下り、自転車に跨る。風がさっきよりずっと強くなっている。冷たい風。でも、それは心地いい風でもある。
明るい水色の空、地平線の辺りにもっこりもっこり浮かぶ雲。そんな穏やかな空を感じながら私は走る。
埋立地の銀杏並木は、だいぶ黄色味を帯びてきた。一本一本、その速度が違う。早いもの、遅いもの、それぞれ。ギンナンの匂いがふわり、私の鼻をくすぐる。
駐輪場で、駐輪の札を貼ってもらい、自転車を停める。そして走り出す私。
さぁ一日はもう始まっている。乗り遅れないようにしなくっちゃ。


遠藤みちる HOMEMAIL

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