弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2024年4月18日

エッセンシャルワーカー

社会


(霧山昴)
著者 田中 洋子 、 出版 旬報社

 先日、あるシンポジウムのタイトルを「エッセンシャルワーカー」とする企画がすすんでいると聞いて、私は疑問を投げかけました。
 たとえば、セクシャル・ハラスメントという言葉を初めて聞いたときには、とても違和感がありました。でも、今や、セクハラはパワハラと並んで、すっかり日常用語としての日本語で定着しています。今どき、パワハラって何?と訊き返す人はほとんどいません。
 でも、このエッセンシャルワーカーって、いったいどんな意味で、どんな職業をさすのか、パッと分かる人は少ないと思います。
 エッセンシャルワーカーとは、「日常生活になくてはならない仕事をする人」のことです。「社会機能維持者」とも言われます。
 その仕事とは、たとえばスーパーの店員であり、トラック運転手であり、保育士であり、教師であり、看護師などです。金融コンサルタントや弁護士、ファンドマネージャーは入りません。
 ところが、皮肉な現実があります。労働が他者の助けとなり、人々に便益をもたらし、社会的価値があるほど、それに与えられる報酬はより少なくなる。
 その反対に、無意味かつ他者の便益にならない労働ほど報酬が高くなる。このような倒錯した関係が成り立っている。
 まさしく、そのとおりなのが世の中の現実です。そして、それがひどいのが日本です。
エッセンシャルワーカーは、日々の生活を着実に支える、社会の潤滑油のような存在である。
 日本でエッセンシャルワーカーの処遇悪化がこの30年間で進んだことによって、日本の社会経済の基盤、ファンダメンタルズの長期的な弱化をもたらし、日本の世界的な地位低下をもたらす主要な要因となっている。
 日本の低賃金は、ますます進行し、主要因の中で日本だけが9%も下落している。アメリカは76%上昇し、ドイツでも55%上がっている。韓国では、なんと3.5倍になっているのに...。日本の世界競争力は35位と、過去最低に転落した。
 それもこれも、日本経団連と、それを下支えしている「芳野」連合のせいであることは明らかです。
 この本は、日本と比較してドイツが紹介されています。思わず目を見張るほどの違いです。
 ドイツは、パートとフルタイムとの区分がない。ドイツでは正社員は同じ場所で働き続けるのを基本とする。異動・転勤するのは一部の上級管理職だけ。
 さらに驚くのは、ドイツのマクドナルドです。ドイツでもマクドナルドに学生アルバイトが働いています。でも、使い捨て要員ではありません。教育・職業教育の一つとして働いています。その給与は、なんと月25万円です。これには思わず腰を抜かしてしまいました。時給にして1740円なのです。日本のように学生を使いつぶしてもかまわないというのではありません。
 自分たちの業界・企業イメージをいかにしていいものとするかにつとめているのです。
 若い人に投資し、次世代の担い手として、ていねいに育てていく。
いやあ、これが本当ですよね...。これを知ることが出来ただけでも、本書を読む価値がありました。
 日本では今も変わらず、「小さな政府」、「公務員の削減」が叫ばれ、実行されています。その弊害が市民生活の至るところにあらわれているのに...。
 郵政民営化で、郵便局は身近な存在ではなくなりました。国鉄の分割民営化によって特急・急行は減らされ、駅は無人化され、新幹線のホームに駅員はいなくなりました。そして、金持ちのための「七ツ星」のような超豪華列車だけが優遇されています。
 公務員の削減によって、相談員は非常勤であり、正規公務員ではありません。本当に残念です。
 軍事予算には財源なんか気にせずに大幅増額する一方で、人を教育し育成、介護する部門は財源がないとして削減するばかりです。その結果、日本経済の競争力が損なわれてしまいました。目先の利益しか考えられない財界、それに支えられている自民党、その「下駄の雪」の公明党。それにあきらめた結果の投票率の低下。ここをなんとか変えたいものです。
目からウロコ。大変勉強になる本でした。あなたに一読を強くおすすめします。目と心が洗われる本です。

(2024年3月刊。2500 円+税)

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2024年4月17日

枢密院議長の日記

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 佐野 眞一 、 出版 講談社現代新書

 倉富勇三郎といっても、今は誰も知らない無名の人物だと思います。
 でも、その肩書はすごい人です。東京控訴院検事長、朝鮮総監府司法部長官、貴族院勅撰議員、帝室会計審査局長官、そして最後に枢密院議長をつとめました。司法官僚そして宮内(くない)官僚として位(くらい)人臣(じんしん)をきわめたのです。
 久留米出身であり、背景に何もないなかで、これだけ出世したのは、野心のない人間だとみられていたからのようです。能力があって、他を押しのけて得た地位というのではありません。きっと運が良かったのでしょう。
 著者は倉富を優柔不断な男だったと酷評しています。
 枢密院の建物が今も皇居内に残っているというのには驚きました。老朽化したけれど、本格的に修繕したそうです。
 倉富の先祖は佐賀の竜造寺で、竜造寺が落ちぶれたあと佐賀から田主丸に移り住み、倉富に改姓した。
 兄の倉富勇三郎は、福岡で自由民権運動の闘士となり、福岡毎日新聞の刊行者の一人となり、戦後、社長をつとめている。
 倉富勇三郎は、刻明な日記を26年間つけ、それが保有されている。ただし、ミミズがのたうったような文字で大変読みにくい。そこで、著者は有志をつのって集団で解読していったのです。その成果がこの本に反映されています。
 日記は297冊にもなる。ひと目にノート1冊分というペース。全部を本にしたら、50冊をこえる。世界最大最長級の日記。この日記は原敬日記と違って、死後公開されることを前提としたものではない。したがって、記録として大変意義のあるもの。そこで2年分の日記を解読するのに、6人で5年間かかった。いやあ、これは大変な作業でしたね。
 著者は倉富について、超人でもスーパーマンでもなく、たゆまぬ努力によって該博な法知識を身につけた超のつく凡人だったとしています。
 倉富は寸暇を惜しんで日記を書き続けた。そして暇さえあれば読み返し、日記に追記し、訂正している。
 この本を読んでもっとも驚いたことは、昭和7(1932)年当時、学習院に子どもを通わせている家の全部に電話がひかれていたということです。学習院の遠足会の連絡のために子弟の住む全戸の電話網が活躍していたというのです。いやあ、これは驚きでした。このころ電話は超高級品であり、一家に一台というのはまったく考えられません。さすがに、上流華族の家庭生活はレベルが違います。私が大学生のころは下宿先の大家さんの黒電話にかかってきたのを取り次いでもらっていました。
 倉富勇三郎が、かくも膨大な日記を残してくれたことを深く感謝したいです。
(2007年10月刊。950円+税)

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2024年4月16日

どうするALPS処理水?

社会


(霧山昴)
著者 岩井孝 ・ 半杭真一 ほか 、 出版 あけび書房

 この本によるとALPS処理水の海洋放出はそれほど危険なものではないとのことです。本当に、そうだったらいいのですが...。
 私は、廃炉のためにもっとも肝心な燃料デブリに現状でまったく手が付けられていないこと、そして、その処理方策は何も具体化していないことが最大の問題だと考えています。
 故安倍首相は、東京オリンピックの前、原発は「アンダーコントロール」にあるなんて全くのデタラメを放言したわけですが、その嘘がウソとして日本人の共通思考になっていないため、原発再稼動なんて、とんでもない政策が再び進行しているのだと考えています。
 フクイチ(福島第一原発)事故で炉心溶融した1~3号機では、燃料デブリを冷却するために上部から現在も水を注いでいるため、これが汚染水となっている。つまり、汚染水はこれからもずっとずっと生まれてくるのです。
 1~6号機のプールからの燃料取り出が完了するのは計画どおりにうまくいったとしても、今から7年後の2031年。しかし、燃料デブリの取り出しは試験的には2021年に始まるはずだったのが、2024年の今もやられていません。著者は燃料デブリの全量取り出しの見通しはまったくないと断言しています。恐ろしいことに、これが現実なんです。だったら、原発再稼動の話が出てはいけないのです。ところが、日本人の忘却の良さを信用して(また、投票率が低いことを幸いとして)、原発事故なんか「なかった」、いやあったとしても「アンダーコントロール」、つまり何の問題もないかのような顔をしているのです。許せません。
 ALPSはフランス製かと思っていましたが、東芝と日立でつくられたものなんですね...。
ALPS処理水は、海洋汚染の原因となる放射性セシウムやストロンチウムなどが大量に含まれた高濃度汚染水とは明らかに違う。
 ALPSによってトリチウムが取り除けないのは、トリチウムは水溶けているのではなく、水分子(HTO)として存在するから。水分子として存在するものを水から取り除くことはできない。そうなんですか。知りませんでした。
 ALPS処理水も汚染水ではあるが、「処理途上水」とは異なっている。
 この本では、燃料デブリを無理して取り出さず、チェルノブイリのように「墓地」にして、長期保管監視することが提唱されています。私も、現実問題として、それしかないのかなと、今は考えています。
ともかく、原発(原子力発電所)なるものは、人間の手にあまるものだということは、はっきりしています。廃炉しかありません。
(2024年2月刊。1980円)

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2024年4月15日

眠っている間に体の中で何が起こっているのか

人間


(霧山昴)
著者 西多 昌規 、 出版 草思社

 私は幸いなことに寝つきは良く、夜中に1度か2度、目が覚めてトイレに行くことはよくありますが、それでも再びすぐ眠り込んでしまいます。なので、朝6時にパッチリ目が覚めて起き上がることができます。前は夜12時前に寝るようにしていましたが、最近は1時間早くして夜11時までには寝ています。やっぱり年齢(とし)を取ったせいです(いま75歳)。
 この本を読むと、私たちの体は眠っているあいだも、それぞれの器官は休むことなく機能していることがよく分かります。
 睡眠は、日中にどれだけ元気よく活動しているかの反映でもある。なので、昼間からダラダラと横になっているのは、睡眠が浅くもなるし、あまり良くない。
 睡眠は脳だけでなく、体すべてに影響を支える重要きわまりない生活習慣。
生体リズムが脳にしかないというのは間違い。胃腸や肝臓、心臓、腎臓、皮膚、筋肉など、あらゆる末梢の組織に生体リズム、つまり時計遺伝子がインストールされている。
 朝、光を浴びると、活動のアクセル役である交感神経が活発になる。副腎は、伝わった生体リズムをもとに、表面の副腎皮質からストレスホルモンであるコルチゾルを分泌する。分身の細胞はこのコルチゾルをキャッチして、「朝が来た」と1日の始まりを認識し、脳も体も活動モードに入る。
 交感神経は「日中の自律神経」で、副交感神経は「夜の自律神経」。
ホルモンは、全身いたるところでつくられている。成長ホルモンは、睡眠不足の影響を受けやすい。
寝不足は男性の精力を低下させる。睡眠障害をもつ男性は、健康な睡眠をとっている人と比べて、精子濃度が29%も低い。日本で不妊治療を受けている患者は47万人にのぼるが、日本人の睡眠時間が短いことと無関係ではない。
慢性的な睡眠不足は、サイトカインを活性化させ、人間の体を慢性炎症の状態にする。慢性炎症はがんが生じる可能性がある。
食道や胃・腸などの消化管は、睡眠中に動きがゆっくりになるとはいえ、活動を停止して休んでいるわけではない。1日を通しての胃酸の分泌のピークは、午後10時から午前2時のあいだ。睡眠中の小腸の蠕動(せんどう)は、覚醒時と変わらず、睡眠の深さには関係がない。それに対して、大腸は睡眠中に動きが低下する。睡眠不足や睡眠の質の悪さは、過敏性腸症候群の要因になっている。
睡眠の時間が短い、あるいは質が悪いと、便秘リスクは上がる。便秘の人は、大腸がん、心疾患者、脳卒中を起こしやすい。快便の人のほうが長生きする。私も後者のようになるのを目ざしています。
学習した記憶の整理は、覚醒しているときよりもむしろ睡眠中に行われている。レム睡眠は休息眼球運動を特徴するもの。記憶の固定や整理には、むしろノンレム睡眠のほうが大きく関わっている。
レム睡眠中に大脳皮質で活発な物質交換が行われ、脳はリフレッシュしている。
ノンレム睡眠やレム睡眠中でもモノアミンが機能しないことで、嫌な記憶が定着しないようにしている。ノンレム睡眠のときも、実は夢をかなり見ている。奇妙な内容で、鮮明なイメージや感情を伴う夢らしい夢は、やはりレム睡眠で見られていると考えられている。
 夜勤が多く、睡眠不足になりがちな看護師は骨が弱くなるというデータがある。
 睡眠時間が少なくなると、皮膚の潤(うるお)いがなくなる。人間の皮膚は、睡眠不足の影響をてきめんに受ける。睡眠不足のときに目の下の黒い「クマ」は、目の周りのうっ血、つまり血行不良によって生じる。目の周りの皮膚は体の皮膚の中で、もっとも薄いので、ちょっとした変化でも目立つ。
 睡眠と体の関係のことをしっかり認識することができました。睡眠の大切さをますます痛感します。
(2024年2月刊。2200円)

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2024年4月14日

美貌のスパイ、鄭蘋如

中国


(霧山昴)
著者 柳沢 隆行 、 出版 光人社

 父が中国人、母は日本人という、美貌の娘が中国側のスパイとなり、25歳にして日本軍から銃殺されたという実在の女性の足跡を詳細にたどった本です。
父と母が知りあったのは日本です。大勢の中国人留学生が日本にやってきました。そして、そのなかには日本人女性と知りあい結婚して、中国に渡った人たちがいました。父親となった中国人が留学したのは法政大学です。私の亡父も法政大学ですが、かなり後輩になります。
中国に戻ってから、父親のほうは国民党員として活動しはじめ、結局は、司法部で活躍します。母親のほうは、士族の末娘として生まれ、行儀見習いの奉公先で中国人留学生と出会って恋に落ち、親の反対を押し切って、中国に渡ったのでした。
 父親は中国での弁護士資格を取得し、検察官として働くようになります。
 そして、問題の彼女は三姉妹の二女として生まれました。彼女は、上海法政学院(4年制の大学)に入学します。
 満州事変に始まる日本軍の侵略行為に対して彼女は愛国心(もちろん中国が祖国です)に燃える学生の一人として行動するようになります。1932(昭和7)年1月の第一次上海事変のころのことです。
 そして、彼女は当時の中国を代表する人気月刊画報誌「良友」の表紙全面を飾ったのでした。たしかに間違いなく美人です。しかも、いかにも知性にあふれています。
 1937年8月、第二次上海事変が起きるなか、法政学院3年生の彼女は、CC団に加入します。CC団とは、蔣介石の国民党の組織の一つです。CC団は「中統」とも呼ばれます。スパイ活動を主任務の一つとする組織です。国民党には、「中統」と「軍統」の二つがありました。
「軍統」のほうが、よりテロなどのファシスト的活動を得意としていますが、この二つとも、蔣介石に絶対的忠誠をつくす点ではあまり変わりがありません。そして、彼女は、「中統」CC団のスパイとして、日本軍の「大上海放送局」で働いたこともあります。
 また、彼女は近衛文麿首相の子どもである近衛文隆に接近し、親密な交際をするまでになります。周囲が危険を察知して、急遽、文隆は日本に強制的に帰国させられ、関係は打ち切られてしまうのでした。
 結局、「中統」を裏切り日本側についた人間を処刑する手伝いをするのに彼女は失敗してしまいました。そして、日本軍に出頭するのです。まさか銃殺されるとは思っていなかったのでしょう。
 しばらく監禁されたあと、広い何もない荒野原で銃殺されてしまいました。1940年2月も半ばのことです。どうやらその遺体は今でも見つかっていないようです。現場付近が大々的に開発されたことであまりにも変わってしまったからです。
 歴史の悲劇の一つがここにもあると思いました。
(2010年5月刊。2500円+税)

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