弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2024年4月29日

絶滅危惧個人商店

社会


(霧山昴)
著者 井上 理津子 、 出版 ちくま文庫

 私は少し前まではコンビニなんて利用しないぞ、と決意していました。しかし、今では、コンビニ愛好者の1人になってしまっています。だって、コンビニではない個人商店が全然ないからです。否応がありません。
 商店街は、全国どこに行っても、昼間からシャッターの降りているほうが多く、残念ながらシャッター街になってしまっています。
 近頃、マチにはやるもの、コンビニ、ドラックストアーそしてコインランドリーです。町の様相がまったく様変わりしてしまいました。
 それでも、まだ健在な個人商店を訪れ、その歴史をたどっている本です。
東京の野菜市場は24時間営業なので、夜も営業をしている。そして、「先取り」という方法で真っ先にいいものを買い付けて確保することが許されている。
 千代田区神田に今もある豆腐店「越後屋」は、バブルのとき、地上げ改勢にあった。わすか23坪なのに、なんとなんと、5億円に始まり、7億、10億、15億、そして、ついに20億円近くまで買値が上がったとのこと。まさしく狂気の沙汰というほか、ありません。
 私の父は小売酒屋を営んでいましたが、税務署のニラみが効いていて、距離規制がありました。この本でわずか220メートルごとに豆腐屋の距離規制があるのを知りました。小売酒屋なら、酒税法の関係で少しは理解できますけど、小さな豆腐屋にまで距離規制があるなんて、信じられない思いがします。
 個人商売を大切にしたいものです。なんて言っても、もう遅いのでしょうね。
 私の小学1年生のとき、父が小売酒店を始めました。父は小企業で「長」として働いていましたので、庶民が客としてやって来たとき、頭が下げられませんでした。子ども心に、もっと「頭(ず)を低くしたらよいのにな...」と思って見ていました。
(2024年2月刊。840円+税)

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2024年4月28日

徳川夢声とその時代

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 三國 一朗 、 出版 講談社

 無声映画時代に、活弁(かつべん。活動弁士)として活躍し、戦後はラジオ朗読で美声をふるった徳川夢声に関する本です。
無声映画というのは、まったく音がありません。なので、まずは音楽をつけます。生演奏です。
 映画館の面前、スクリーンの下にオーケストラ、ボックスがあります。かすかな明りがあり、そのボックスからなまのヴァイオリン・ピアノ・セロ(チェロ)が奏(かな)でられます。この音楽によって、騒々しかった場内が静かに落ち着きます。
そして、次に正面に向かって左側のスクリーンの端の舞台にある小さなガラス箱に薄いグリーン色の灯がつき、活弁の弁士名が洒落た文字で浮かび上がる。さあ、弁士の登場です。弁士はフロックコートか黒紋付に袴(はかま)姿。
 弁士は「前説(まえせつ)」を美文調で語り始めます。この前説は、映画そのものが5分か10分なのに対して20分から30分も長く話します。そんな長い「前説」を廃したのが徳川夢声。
 徳川夢声と名乗るようになったのは、赤坂溜池にある映画館「葵(あおい)館」で語るようになってからのこと。「蔡」というから「徳川」と名乗ったのです。
 徳川夢声の弁士としての給料は80円から100円。当時としては大変な高級取りです。
 そして、さらに月給は上昇し、160円、いや400円という、とんでもない超高級取りになりました。それくらい弁士に高額の給料を払ってでも客の入りが良ければ会社としてはもうかったというわけです。27歳で400円というのですから、いったい今のお金にしたら、いくらになるのでしょうか...。
 ところが、やがてトーキーの時代になります。弁士なんて不要です。弁士のストライキも起こったりしましたが、徳川夢声は声の良さからラジオに進出するのです。私は聴いていませんが、ラジオでの「宮本武蔵」の朗読は大好評だったようです。
 徳川夢声は1971(昭和46)年8月に77歳で亡くなりましたが、その前、私もラジオやテレビでその味わい深い声を聞いたことがあります。
戦前の無声映画時代の活動弁士(活弁)のことが知りたくて読んだ本ですが、他にもいろいろ教えられることのある本でした。
(1986年6月刊。1100円)

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2024年4月27日

漫画家が見た百年前の西洋

フランス


(霧山昴)
著者 和田 博文 、 出版 筑摩書房

 東京美術学校で藤田嗣治や高村光太朗と同級だった近藤浩一路という画家であり漫画も描いた人の1920年代のフランス旅行記です。近藤は洋服を着たことがないし嫌い。フランス語も英語も話せず、始めての海外旅行ですから、失敗の連続。それを漫画タッチで絵にしているのです。
 フランスで、列車のなかで相席になったスペインの青年の似顔絵を描いてやったら、大喜びされたそうです。会話が出来なくても絵が描けたら、生きていけるのですよね。
 私は初めてのフランス家族旅行のとき、モンマルトルの丘で娘たちの似顔絵を描いてもらいました。もちろん値段が高いのは分かっていましたが、変な買物をするよりましだと思って頼んだのです。あまり娘と似ていませんでしたが、ともかく可愛い少女の顔にはなっていました。
 パリの朝食はバゲットです。パンテオン近くの小さいホテル(「サン・ジャック」)に泊まったときに出てきたバゲットの美味しさは、今でも忘れられません。それこそ「パンとコーヒー」のみです。「バゲットとカフェラテ」だけでしたが、十分にパリの朝食を堪能しました。
 フランスでは料理が十分に味わい楽しめます。シテ島ではみんなで定番のエスカルゴを食べましたし、カルチェラタンのレストランで生カキもいただきました。かっこいいギャルソン(今は使いません)の給仕で申し分ありませんでした。
 私は今も毎朝フランス語を聴いて書き取りしていますし、フランス語検定試験を年2回(1級と準1級)受けています。いったい何年間フランス語を勉強しているのかと訊かれると、恥ずかしくて答えたくありません。恥を忍んで白状しますと、なんと、18歳のときに大学の第2外国語としてフランス語を選択して以来です。そして、25歳で弁護士になってから、毎朝、NHKのラジオ講座を聴くようになりました。ですから、もう50年以上もやっているのです。それでも、話すのは初心者に毛の生えた程度という、お粗末さ。今はともかく能力の低下をどうやってくい止めるか、それで必死というのが実情です。もはや会話力が向上するなんていう高望みはしていません。
 フランスにまた行ってみたいとは思っているのですが...。その意味では百年前も今も同じだと思わせる本でした。
(2024年2月刊。1700円+税)

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2024年4月26日

南京大虐殺から雲南戦へ

中国


(霧山昴)
著者 青木 茂 、 出版 花伝社

 中国は1944年5月から日本軍に対して反撃を開始した。垃孟(らもう)などの日本軍守備隊を全滅させるなどの勝利を重ね、1945年1月までに日本軍を雲南から追い払った。中国が「日本に唯一、完全勝利した」雲南西部を舞台とする戦役、つまり雲南戦を中国は滇西(てんせい)抗戦と呼んでいる。
 ところが、このときの中国軍が蔣介石の国民政府軍であったことから、1980年代まで中国政府はずっと黙殺してきた。ところが、1990年代の江沢民政権になってから、中国政府は「歴史の空白」を埋め始めている。そして、2014年2月、中国の全人代常務委員会は9月3日を中国人民抗日戦争勝利記念日とした。
 9月3日とは、1945年9月2日に日本政府が降伏文書に調印した日の翌日のこと。
 滇西(てんせい)抗戦とは、前述したとおり、雲南省西部におけるビルマ援蒋ルートをめぐる日本軍と中国軍との戦い(雲南戦)のこと。雲南戦戦において、中国と日本の双方は、軍備を互いに増強しながら怒江(どこう)を隔てて2年以上も対峙した。
 日本軍は、1942年に垃孟(松山)を占領し、第56師団113連隊3000人を駐屯させた。1944年8月、中国軍は全面攻撃を開始し、9月7日、日本軍から垃孟を奪還した。日本軍の守備隊1200人は全滅。中国軍も7600人もの犠牲者を出した。
 日本軍があまりにも残虐な行為をしたことから、日本兵の死体は膝を折り頭を下げる姿勢(土下座埋葬)で埋め直され、倭塚がつくられている。日本兵に謝罪させるための土下座埋葬だ。日本軍に対する雲南地方の住民の怒りは今も鎮まっていない。日本兵の遺骨の収集や慰霊祭の実施は今も許されていない。それほど、現地住民の日本軍への反感は強い。
 裁判所での調停の待ち時間のなかで読了しました。
 日本軍って、本当にひどいことを中国でしたんですね、同じ日本人として、許せません。加害者は忘れても被害者のほうは忘れないことだということがよく分かりました。
(2024年2月刊。1700円+税)

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2024年4月25日

在日米軍基地

社会


(霧山昴)
著者 川名 晋史 、 出版 中公新書

 在日米軍は、日本を直接的に防衛するための存在ではない。この点について、多くの日本人が誤解している。
 日本にたくさんのアメリカ軍の基地があるおかげで日本の平和と安全が守られているというのはまったくの誤解であり、幻想にすぎません。
 このことは、当のアメリカ政府の当局者が何度も明言しています。ニクソン大統領の下にいたジョンソン国務次官はアメリカの連邦議会で次のように証言した(1970年1月)。
 「我々は、日本を直接に防衛するために日本にいるのではない。日本の周辺地域を防衛するために日本にいる」
 アメリカ軍は、アメリカの財産である在日米軍基地とそこにいるアメリカ人(軍人、軍属そして家族)を保護する。
 アメリカ軍は日本全土、とりわけ基地のない(日本の)地域を防衛する戦略は持っていない。アメリカ軍が責任を負う防衛範囲は、日本の重要な戦略地域、すなわち米軍基地その周辺である。
 「日本防衛」の問題について、アメリカが検討したことは一度もないし、日本防衛を支援するための部隊も展開していない。
 アメリカ軍基地などを身近にかかえている東京の現状は、まるでニューヨークに外国軍の空軍基地が3つ、海軍基地が1つ、ゴルフ場が4つあるようなものだ。
 本当に情けない実情です。「誇り高き日本人」が、なぜこんな事態を黙って見過ごしているのか、不思議でならないとされています。まったく、そのとおりです。自民党の政治家(岸田首相がその筆頭)や外交官が「誇り高き日本人」の名に価しないことは明らかです。
 普天間基地はアメリカ軍の基地とばかり思っていましたが、国連軍の基地でもあるのですね。
 そして、沖縄の海兵隊は1968年12月にアメリカ国防総省によって「不要」とされたのでした。
 辺野古につくろうとしている基地は海軍と海兵隊の複合基地であり、エンタープライズ級空母を収容できるもの。永久的なアメリカ軍の強大な基地がつくられようとしているのです。とんでもないことです。今の普天間飛行場にはない新たな機能が追加されるのです。つまり、普天間の「代替施設」ではなく、強大な「新基地」なのです。
 辺野古基地建設を政府(自民・公明党)が強引にすすめているのは、一面では、リニア新幹線と同じく、ゼネコンのための工事という面もあると私は考えています。そこにあるのは、莫大な税金のムダづかい、そして利権に群がる与党(自民・公明)政治家の醜悪な姿が隠れているのです。そんな辺野古基地建設はすぐにやめさせたい、やめるべきです。
 アメリカ軍と国連軍との関係も考察している本です。勉強になりました。
(2024年1月刊。1100円+税)

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