弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2024年4月23日

貧乏物語

社会


(霧山昴)
著者 大河内 一男 、 出版 文芸春秋新社

 「貧乏物語」といえば、私も名前だけは知っている河上肇ですよね。
 大正6年に本が発売されると、それこそ飛ぶように売れて、広く読まれたそうです。どこの国でも「百万長者」と呼ばれる大金持ちは全人口の2%を占め、65%は極貧者、中産階級の下層を含めると80%になり、中産階級の上まで含めたら98%が貧乏人だということになる。
 これが大正から昭和初めにかけてのことです。
今では、トップの超大金持ちは何十億円もの資産をもち、タワーマンションに住んでいる。そして、多くの貧乏人は、エアコンもないような生活、食費も1日3食を満足に食べられない生活。年金がもらえない(無年金)か、もらえても月4万円ほど、生活保護を受けたら、もう少しまともな生活ができるのに、いろんな制約のある保護だけは受けたくないとして、月10万円以下で生活している人のなんと多いことでしょう。
 この河上肇博士は昭和4年から同5年にかけて、雑誌「改造」に『第二貧乏物語』を連載し、同5年11月に本を発行したのです。ところが、河上博士の自慢の第2作は不評で、あまり売れませんでした。というのも、河上博士は京都帝大教授を止めてマルクス主義の実践家になろうとしていて、『第二貧乏物語』は、いわばマルクス経済学の解説本になっていたからです。
 『貧乏物語』において、河上博士は「貧乏」の原因として、貧富の差があまりに激しいこと、金持ちがぜいたく品をどんどん買いあさっていることをあげています。
 ところが、『第二貧乏物語』においては、マルクス主義の立場に忠実に立って、資本主義社会で多くの人間が貧乏人から脱け出せないのは、資本主義社会の本質的な制約だとしたのでした。
 日本の貧乏の原因は低賃金にあり、これを低賃金だと感じていない低い意識が問題だと著者は指摘しています。
 毎日の職場に不満があっても、ストライキをすることはなく、投票に行くこともない。そんなことで日本の状況の改善が図られるはずはありません。
 現在の日本では、「連合」にみられるように、労働組合といっても自民党と経団連にすり寄るばかりというのがほとんどのようですから、労働組合の存在意義を若い人たちが実感できるわけがありません。労働組合への加入率が低いのも当然です。残念でなりません。
 芳野会長は「反共」一本槍でやってきた経歴を買われて「連合」の会長に据えられましたが、ますます意固地になるばかりのようで、残念です。
 著者は私が大学に入ったときの東大総長でもありました。東大闘争が始まるなかで、みじめに引退させられました。残念というほかありませんでした。
 私の本棚に長く眠っていた本ですが、何か役に立つところはないかと頁をめくってみたところ、いくつか見つけたので紹介します。
(昭和34年10月刊。230円)

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2024年4月22日

今日、誰のために生きる?

アフリカ


(霧山昴)
著者 ひすいこたろう、SHOGEN 、 出版 廣済堂出版

 まずは衝撃的なコトバに出会いました。ハッとさせられます。
効率よく考えるのであれば、生まれてすぐ死ねばいい。
なーるほど、そうなんです。今の世の中、とくに自民党と公明党は効率一本槍で押し通しています。人間を育てるとき、効率優先でいいはずがありません。
 人はいかに無駄な時間を楽しむのかっていうテーマで生きているんだよ。
きっと、そうなんですよね。「ムダ」なようで、実は決して「ムダ」ではない時間に私たちは生きているわけです。
 アフリカのタンザニアにある「ブンジュ」と呼ばれる村民200人の村に日本人のショーゲン氏は生活し、そこでペンキアートを学ぶのです。
 しかし、入村するには3つの条件をクリアーしなくてはいけません。その3つとは...。
 その1、食事に感謝できるかどうか。感謝の心をもって丁寧に味わうこと。ちなみに、主食となる「ウガリ」というトウモロコシのパウダーをお湯で練って固い生地にしたものは、美味しくないそうです。
 その2、「ただいま」と言ったら、「おかえり」と言ってくれる人がいるか。この村では、家族という血縁にこだわらず、常にいくつかの家族が助けあって生活している。
 その3、抱きしめられたら、温かいと感じられる心があるか。これは、肌の触れあいの大切さ。人の温もりが分かる心があるかどうか。
 ショーゲンは、「はい」と答えて、入村が認められました。
 ケンカは、その日のうちに仲直りする。というのも、言い争いをしている大人を、子どもが見たくないから...。うひょう、その発想はすばらしいですね。
子どもと言えば、子どもの前で失敗を隠すのはやめてと頼まれます。なぜなら、大人が失敗するのを見せることで、子どもは出来ないことは恥ずかしいことではないと学び、失敗を恐れない子どもになると考えるからなのです。
 なるほど、なるほど、これは大いに一理も二理もありますね。
この村では午後3時半になったら、みんな仕事をやめる。
 ここは日が暮れるのが早いし、電気がないので、日の明るいうちしか家族の顔が見れない。なので、早く家に帰って、家族の顔を見るため、残業なんかせず、午後3時半になったら、みんな一斉に仕事をやめる。それが仕事の途中であっても、そんなの関係ない。
 挑戦するということは、新しい自分に会えるという行為だ。
 挑戦には失敗がつきものだけど、いつか失敗のネタが尽きるときが来る。失敗が満員御礼になるときが来る。そうしたら、成功するしかない。
 ヤッホー、です。こんな考え方ができる人たちがいるんですね、世の中には。これまた、すごいことです。
 この村はアフリカのタンザニアにあるそうです。そして、ショーゲンが学んだペンキ画は、下描きなしで6色のペンキで描くというもの。そのいくつかが紹介されていますが、独特の美しさをもっている画です。
 いったい、本当にこの「ブンジュ村」というのは存在するのでしょうか...。それとも、夢にすぎない、おとぎ話なのでしょうか...。
(2024年3月刊。1760円)

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2024年4月21日

「抵抗の新聞人、桐生悠々」

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 井出 孫六 、 出版 岩波新書

 1933(昭和8)年8月、きびしい報道管制下に行われた関東防空大演習について、桐生悠々は、信濃毎日新聞の社説で鋭く批判しました。
 そのタイトルは「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」。
 この「嗤う」というコトバは、「面と向かって、さげすみ笑う」という意味。なんで、さげすみ笑ったかと言うと、首都(帝都)東京の上空に敵機がやって来て、爆弾を落としたときに、その防災対策を訓練するというのだけど、そんな事態は、まさに日本軍が敗北しているということではないのか。それに敵機が多数やってきて、そのうちの1機でも撃ち落とせずに東京上空から爆弾を落としたら、木造家屋の多い東京市街は一挙に焼土となり、阿鼻叫喚の一大修羅場となること必至ではないか、と指摘したのです。そんなとき、バケツ・リレーで消火作業にあたるなんて防火対策は意味のあろうはずがないと批判したのでした。
 もちろん、その後10年して、桐生悠々の指摘(予言)したとおり、アメリカ軍のB29の大編隊による焼い弾投下によって東京は焦土と化してしまいました。恐るべき先見の明があったわけです。
 先日、アメリカ映画「オッペンハイマー」をみました。ヒトラー・ナチスより先に原爆をつくろうとした科学者と、それを政治的判断で運用・利用した当局との葛藤、さらにはアカ狩りのなかでのオッペンハイマーへの糾弾で生々しく描かれています。広島、長崎への原爆投下の惨状が描かれていないことが批判されていますが、なるほどと思う反面、原爆そして水爆の恐ろしさの一端は、それなりに紹介されていますし、大いに意義のある映画だと私は思いました。
 イスラエルのガザ侵攻で3万人もの市民が亡くなっていること、餓死の危険が迫っていることを知ると、いてもたってもおれない心境です。イスラエルに対して、即時停戦・撤退を強く求めます。
(1980年6月刊。380円)

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2024年4月20日

『RRR』で知るインド近現代史

インド


(霧山昴)
著者 笠井 亮平 、 出版 文春新書

 インド映画はすごいです。その爆発的なエネルギーには、まったく圧倒されます。暗い映画館の座席に座っていても、ついつい身体が動き出し、飛び出してしまいそうになります。
 『RRR』というのはアカデミー賞を受賞したインド映画です。インドはかつてイギリスの支配する植民地でした。そして、イギリス支配を脱して独立しようとする試みが何度も試みられたのです。
 『RRR』の主人公であるラーマとビームはいずれも実在の人物。二人とも1900年前後に生まれて、武装蜂起を展開します。
 ラーマは、1924年5月7日に銃殺された。ビームは1940年に藩王国の警官に殺された。このラーマとビームが踊る「超高速ダンス」は、思わず息を呑む踊りです。なんと、その撮影場所はウクライナであり、大統領の迎賓館だというのです。驚きます。ロシアの侵攻する数カ月前に撮影されたそうです。
 場所はともかく、この踊りだけでもユーチューブで鑑賞できるそうですので、ぜひみて下さい。必ずや圧倒されることを保証します。
 そして、この本は、映画で紹介される「8人の闘士」についての解説があります。そこにはガンディーもネルーもいません。ボース以外は日本人にはまったく知られていない人たちです。この8人の存在を知れたことだけでも、本書を読む意味がありました。
 日本におけるインド映画ブームに火を付けたのは『ムトゥ 踊るマハラジャ』でした。映画の途中に、突如として大勢の男女によるダンスシーンが入るのですが、それがまさしく圧倒される素晴らしさなのです。
 インドのボースには2人いて、新宿・中村屋のカレーで有名な「中村屋のボース」は、ラーマ・ビハーリ・ボースであり、もう1人は、スパース・チャンドラ・ボース。こちらは、インド国民軍を組織して、日本軍と一緒に、あの悲劇的なインパール作戦をともにしました。
 インターネットの世界では世界を支えているインドの知識人の層の厚さにも圧倒されますよね。ガンディー、ネルーだけでない、インドの熱気にあてられてしまう新書でした。
(2024年2月刊。1100円)

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2024年4月19日

「劇場国家」北朝鮮

朝鮮・韓国


(霧山昴)
著者 権 憲益 ・ 鄭 炳浩 、 出版 法政大学 出版局

 北朝鮮の政治体制は長続きするはずはない。まもなく自壊するに決まっている。こんな見方が日本でも有力でした。私もそう考えていました。ところがどっこい、今なお存在していますし、まだまだ当分の間、続きそうです。
 国民が食うや食わず、いえいえ、大量の餓死者すら出したというのに、一見すると、盤石の政治体制であるかのようです。
 ではなぜ、そんな矛盾をかかえながらも存続しているのかを探った本です。この本を読んで驚かされたことの一つとして、北朝鮮には朝鮮戦争で亡くなった兵士や市民のための墓地がないという事実です。あるのは1954年につくられた革命烈士陵。しかし、ここは朝鮮戦争の戦死者ではなく、金日成と一緒に戦った100人の満パルチザンを讃(たた)えるための場所。いやあ驚きました。
 金日成と満州パルチザンのグループが権力を掌握する過程で他のグループが次々に粛清されていった血なまぐさい歴史は知っていましたが、この革命烈士陵は、北朝鮮社会のもっとも特権的な層を形成していることのシンボルでもあるのでした。
そして、「苦難の行軍」です。これは、北朝鮮政府当局の無策・無能によって、少なくとも数十万人の市民が餓死していった時代の状況を示す言葉です。1994年に金日成が亡くなり、その後の1995年から1998年までのあいだのことです。
この食糧危機によって一般市民の間で朝鮮労働党の道徳的権威が墜落した。党の威信は果てしなく墜落した。それはそうでしょう。ともかく大量の餓死者を出すまでに至ったのですからね。
党中央が無為無策のため、下部の党幹部たちでさえ、女性たちの国境を越えてまでの出稼ぎ労働を事実上支援していたというのです。みんな生きるための必死の努力をしていたからです。この餓死との闘いにおいても、人民より軍を優先するという先軍政治がすすめられたのでした。
現地指導についても、これが北朝鮮指導者のカリスマ政治の重要な部分を占めていたことを認識しました。
現地指導によって、国家というものが遠く離れた公的な独裁権力から、父のような存在へと豹変する。父子関係がすべての人間関係を支配する主軸を成している。
これは日本の明治天皇が北海道から九州まで日本中のほとんどをまわったこと、同じく昭和天皇も戦前・戦後、日本各地を訪問しているのと、同じ意義を有する。なーるほど、ですね...。
北朝鮮の2400万人国民と平和共存するのがいかに大変なことかと思いつつ、でも共存するしかないと思い直し、苦労して読みすすめました。
(2024年1月刊。3400円+税)

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