音楽評論家エッセイ

2008年2月1日 (金)

「チェリの『シェエラザード』みたいなデュファイ?」 「チェリの『シェエラザード』みたいなデュファイ?」
...なまめかしい音の動き、切なそうな表情、ささやくような弱音、あえて崩される音程の揺れ、あえぐようなこぶし・・・。(許光俊)
 
「『田園』と第9でベートーヴェン三昧」 「『田園』と第9でベートーヴェン三昧」
...この弦楽合奏の豊かなハーモニーは録音で聴いてもすばらしい。この楽章のもっとも魅力的な演奏のひとつであることは間違いない。(許光俊)
 
「12月のこれもあれも」 「12月のこれもあれも」
...そのリヒテルにもまして、御喜美江のグリーグ集は圧倒的なアルバムである。この人はバッハなどもすばらしかったけれど、このグリーグではとんでもない領域に入ってしまっている。(許光俊)
 
「ジュリーニの超深刻フォーレ」 「ジュリーニの超深刻フォーレ」
合唱のダイナミックレンジの異常な広さ。言葉の明瞭さ。表現のパレットの多彩さ。たとえば、「永遠の光を!」と叫ぶところの荒々しいまでの迫力は鳥肌ものである。(許光俊)
 
「ドイツ音楽至上主義」 「ドイツ音楽至上主義」
...フルトヴェングラーのこの曲というと、ベルリン・フィルの印象が強くて、いかにも深刻で暗いイメージがあるので、意外だった。私としては、軟派、軟弱、しなだれかかってくる...(許光俊)
 
「世界で一番苦しみに満ちた交響曲」 「世界で一番苦しみに満ちた交響曲」
ブルックナーやマーラーにも負けない楽器編成と長さの大曲だが、その大部分は、終わりのない、出口の見えない苦しみのトンネルに投げ込まれたかのような気持にさせる音楽だ。(許光俊)
 
「乙女は何を祈るのか」 「乙女は何を祈るのか」
「乙女の祈り」は日本でもっともよく知られたピアノ曲のひとつだろう。しかし、はっきり言って「エリーゼのために」と比べるとつまらない。安定しすぎているというか...(許光俊)
 
「『夜の歌』異常興奮演奏に唖然」 「『夜の歌』異常興奮演奏に唖然」
...「しみじみ」ではなく「血と汗と脂でドロドロ」なのだ。超熱血興奮劇画の世界だ。テンシュテットのライヴもだいぶ聴けるようになってきたが、ここまでやった例も少ない。(許光俊)
 
「驚異のシャフラン」 「驚異のシャフラン」
...繊細にして大胆。雄大にして親密。熱いのに下品ではない。一見すると奔放なのだが、たとえばテンポは意外なほど動いていない。音色や強弱の幅が極度に広いために、テンポまで...(許光俊)
 
「秋のピアノ」 「秋のピアノ」
...最近出たペルルミュテールの「クライスレリアーナ」は非常に好ましかった。洗練された上品な美しさが素直に楽しめるのだ。重ったるくならない。じめじめしない。(許光俊)
 
「究極の録音」 「究極の録音」
...菅野録音がいわゆる世評高い名録音など比べものにならないほどのクオリティを持っていることに気づいた。それだけでなく、録音技師(制作者)によって音質が...(許光俊)
 
「片山杜秀の本」 「片山杜秀の本」
...『近代日本の右翼思想』、そう、音楽書ではない。とはいえ、ナショナリズム流行りの昨今、時宜を得たと思われるだけにあえて紹介しておこう。この本、題名からすると...(許光俊)
 
「パヴァロッティを悼む」 「パヴァロッティを悼む」
パヴァロッティが死んだ。イタリアでは盛大な葬儀が執り行われたというが、それも当然だろう。なぜなら、イタリア・オペラが衰退していく中で、彼は唯一の偶像だったのだから。(許光俊)
 
「ウェルザー=メストの来日公演に仰天した」 「ウェルザー=メストの来日公演に仰天した」
たった今、オーチャードホールでウェルザー=メストが指揮した「ばらの騎士」を聴いてきたところだ。すごかった。長年クラシックを聴いていると、時として予想もしなかった衝撃に遭遇する。(許光俊)
 
「テンシュテットのドヴォルザーク」 「テンシュテットのドヴォルザーク」
...一番の聴きどころは、何と言ってもフィナーレの7分過ぎである。ただでさえしみじみした部分なのに、テンシュテットはなおさらしみじみと、まさに別れの音楽のように演奏するのだ。(許光俊)
 
「日常の延長にあるブルックナー」 「日常の延長にあるブルックナー」
...これだけ暑いとどうしても大規模なオーケストラものを聴く集中力が薄れてしまう。もともと暑さに弱い私など、ほとんど半死に状態だ。そんな状況下、大きな流れで聴かせるヨッフム...(許光俊)
 
「阿久悠氏が死んだ」 「阿久悠氏が死んだ」
今テレビで阿久悠氏が死去したというニュースをやっている。実は私は氏の作った歌詞が大好きである。きわめて正直な話、ドイツ・リートの歌詞よりよほどおもしろい...(許光俊)
 
「この『ゴルトベルク』にシビレた」 「この『ゴルトベルク』にシビレた」
冒頭主題のただ者ではないひそやかな風情から始まり、情熱的な疾走、燦然たる輝き、暗い悲しみ・・・さまざまな心象風景が通り過ぎていく。現在進行形と言おうか、曲とともに生き...(許光俊)
 
「原智恵子のすばらしさに驚いた」 「原智恵子のすばらしさに驚いた」
リュリ、ラモー、クープランの舞曲は、すばらしく優雅な絶品である。厳格、端正で気品が高いが、それでいて時に情熱が高まる。下品な演奏が盛り上がるよりも、このような端正な演奏が...(許光俊)
 
「この『四季』に驚いた!」 「この『四季』に驚いた!」
...ゴルトベルクは、徹底的に古典派以後の音楽みたいにやってしまったのだ。もっと言うなら、特に室内楽だ。あらゆるパートが同様の重要度でアンサンブルするのである。たとえば、ここでは...(許光俊)
 
「ここのところ聴いたCD」 「ここのところ聴いたCD」
...最晩年の音楽家が次々に見せてくれる深遠な精神世界。すべてが自分から遠ざかっていくのを寂しく見つめているような、異常な悲しさに打たれる。ケーゲルのアルビノーニは...(許光俊)
 
「ショパンとラヴェル」 「ショパンとラヴェル」
「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、管楽器の音色や弦楽器のリズムの取り方が、われわれが知るいかなるこの曲の演奏とも違う独自の味わいを持っている。フランス風でしゃれて...(許光俊)
 
「チェリビダッケの死と変容」 「チェリビダッケの死と変容」
ズバリ「死と変容」はまさにチェリビダッケならではのすさまじい音楽だ。CDで聴けるチェリビダッケの最高峰のひとつと呼ぶべきだ。演奏時間はなんと30分。だが、聴けばわかる...(許光俊)
 
「連休のロシア三昧」 「連休のロシア三昧」
こういうのをやるとロジェストヴェンスキーはめっぽううまい。終曲など、「くるみ割り人形」もびっくりの超メルヘンチックな夢の世界が広がる。幻のように消えてなくなりそうな...(許光俊)
 
「生き残りはたいへん?」 「生き残りはたいへん?」
...うーん、これは東スポにも負けない誇大見出しだったのか? 今回のニュースを読むと、この楽団に「音楽世界遺産の維持に関するヨーロッパ賞」が授与され、今後...(許光俊)
 
「春の読書」 「春の読書」
チラシははかない。だが、人間もはかない。社会もはかない。だが、そのはかなさはあまりにも当たり前ゆえ、激しく嘆くべきものではない。そういった静かな悲しみが流れ続けて...(許光俊)
 
「ドレスデン・シュターツカペレが世界遺産に」 「シュターツカペレが世界遺産に」
...中では第2交響曲の第2楽章など、すばらしく美しい。響きは厚みがあるが、音楽の進行ともども、重ったるくない。ホルンの深くて神秘的な音色をはじめとして、個々の楽器も...(許光俊)
 
「ピアノの歴史」 「ピアノの歴史」
...イェルク・デームスがたくさんの楽器で、それが製作された時代に作曲された名曲を弾いた2枚組「グラドゥス・アド・パルナッスム(パルナッソス山への階梯)」は...(許光俊)
 
「北島三郎とバロック」 「北島三郎とバロック」
...「子守歌」など、弾んだリズムでありながら、暗く悲しげだ。こういうふうに対立する要素を同時に表現することが、ドイツ・ロマン主義では「イロニー」と呼ばれて...(許光俊)
 
「当たり連発のBBC」 「当たり連発のBBC」
...フィナーレにもびっくりである。なんと12分をかけた異常な演奏だ。リヒテルはすっかり調子に乗り、第1楽章とは別人のようだ。快活なロンドは異様に巨大で...(許光俊)
 
エロスと残酷の「ドン・ファン」 エロスと残酷の「ドン・ファン」
...最高の聴きものは「ドン・ファン」だ。なんと演奏時間は20分近い。ケンペとドレスデンに比べればほとんど4分遅いのだ。もちろん、時間がかかっているのはラブシーンに決まっている。(許光俊)
 
「コンセルトヘボウVSドレスデン」 「コンセルトヘボウVSドレスデン」
...アンチェルだと、情緒をそぎ落とした厳しさが前面に出てくる。何と言っても「オックスフォード」がすばらしい。このセットの白眉かもしれない。最初を数秒聴いただけで...(許光俊)
 
最大級の衝撃「君が代変奏曲」 最大級の衝撃「君が代変奏曲」
...まるで滅んでしまって今はない王国の旋律であるかのような、古風でエキゾチックで静謐な美しさがあるのだ。この不気味なまでに落ち着いたたたずまいは、ただものではない...(許光俊)
 
ギレリス、ケーゲル、コンヴィチュニーほか ギレリス、ケーゲル、コンヴィチュニーほか
...改めてギレリスのすごさを思った。というのも、伴奏はコンヴィチュニーとケーゲルという実力者。それなのに、聴き手の注意は知らず知らずのうちにピアノに...(許光俊)
 
「チェリビダッケ没後10年が過ぎて」 「チェリビダッケ没後10年が過ぎて」
チェリビダッケとミュンヘン・フィルの響きをこれ以上よく伝える正規録音は、目下他にないと断言していいだろう。ミュンヘン・フィルとの第5番には既発売のEMI盤...(許光俊)
 
「年末のびっくり仰天」 「年末のびっくり仰天」
...そして、ヴァイオリンの高音部は恍惚とした天上の音楽みたい。これほどまでに陶酔的な演奏はワルターとウィーン・フィル以来かも。ああ、これは生で聴きたかった。(許光俊)
 
「今見るべきDVDはこれ」 「今見るべきDVDはこれ」
...特に最後のシーンでは、この演出家ならではのあまりにも残酷な表現が衝撃的だ。ここでは詳しくは書かないけれど、ドン・ジョヴァンニは悪者のように思われ...(許光俊)
 
「シュヴァルツコップのばらの騎士」 「シュヴァルツコップのばらの騎士」
...ただうまいというレベルではない。元帥夫人は「人生を演じる(ように強制された)女」だという残酷な事実をこんなにわからせてくれる歌手は他にいない。(許光俊)
 
「実相寺監督を悼む」 「実相寺監督を悼む」
実相寺昭雄監督が死んだ。まだ69歳というから、もっと仕事をして欲しかったと強く思う。すばらしい映像作品を作った人だが、クラシックに詳しいことでも有名で...(許光俊)
 
「モーツァルト年」 「モーツァルト年」
...ひとことで言えば、バッハそのもの。同じ演奏者たちによる「マタイ受難曲」のようなモーツァルトなのである。バス声部がきわめてしっかりしており、そこに超真剣な合唱が...(許光俊)
 
「あなたはこの第9を許せるか?」 「あなたはこの第9を許せるか?」
...そして最大の衝撃は合唱。なんと、普通みたいに「さあ、みんな!」、ドカーンと力強くいかないのである。バッハの受難曲みたいに荘重だ。特にトルコ風行進曲のあと...(許光俊)
 
「繰り返し聴きたくなる長唄交響曲」 「繰り返し聴きたくなる長唄交響曲」
...おもしろい。昔っぽいレトロな雰囲気が濃厚で、繰り返し聴きたくなる。たぶん、昔の東京を歩くとこういう音風景を体験できたのではないか。長唄や謡いといった習い事を...(許光俊)
 
「極上ベヒシュタインを聴く」 「極上ベヒシュタインを聴く」
...ピアノを弾いたのは、オールドファンにはお馴染みのイェルク・デームスだった。ドビュッシーが特におもしろかった。和音の中でひとつだけ場違いな音が鳴るといった...(許光俊)
 
「分厚い響きが快適」(許光俊) 「分厚い響きが快適」(許光俊)
めっきり涼しくなってきた。不思議なもので、暑い盛りはあまりオーケストラやオペラを聴く気がおきなかったが、こうなると俄然、分厚い響きが快適になってくるのである。
 
「ジュリーニ最晩年のブルックナー第9番」 「ジュリーニ最晩年のブルックナー第9番」
...ジュリーニは弦楽器に最大限の表現力を発揮させているのだ。レガートで奏でられる歌の美しさといったら、想像を絶する。豊かに歌いながらも、あくまで品格は高く、清潔である。(許光俊)
 
「激安セットで遊ぶ」 「激安セットで遊ぶ」
「春の祭典」ではオケを追い込んで煽りまくる指揮者の姿が見えるようだ。特に暴れ回るティンパニは痛快無比。金管楽器も遠慮なくブカブカとやっている。若者の特権とばかり...(許光俊)
 
「激安最高のヴィヴァルディ」 「激安最高のヴィヴァルディ」
...カルミニョーラは圧倒的に繊細なのだ。優雅なのだ。豊満なのだ。「夏」のゆっくりした楽章はムターもビックリという怪しげな暗さが漂う。「秋」では酩酊が巧みに...(許光俊)
 
「8月も終わり」(許光俊) 「8月も終わり」(許光俊)
...ヴァントのブルックナー第5番は、特に第2楽章の精密さがたまらない。金属の部品がぴかぴか光っているような美しさがすばらしい。最近解説を書いたケーゲル...
 
「テンシュテットのライヴはすごすぎ」(許光俊) 「テンシュテットのライヴはすごすぎ」(許光俊)
...時間にしてわずか20分。だが、この重さはたとえば、マーラーの交響曲第9番とか、ブルックナーの名作とか、ワーグナーの大作に一歩も劣らない。ひたすら暗く、不気味で...
 
「ヴァントとミュンヘン・フィル」(許光俊) 「ヴァントとミュンヘン・フィル」(許光俊)
...しかし、ヴァントだけは例外だった。彼だけはブラームスやシューベルトなど、チェリビダッケも得意としている曲を定期演奏会で取り上げることができたのである。もちろん...
 
「なんと合唱も登場〜ケーゲルの音楽の捧げ物」 「なんと合唱も登場〜ケーゲルの音楽の捧げ物」
金管楽器、木管楽器を駆使して、20世紀的音楽美、音響美を追究してしまうのである。言ってしまったほうがいいのか悪いのか、特に、最後のほうで思いがけず合唱が現れ...(許光俊)
 
「アーノンクールと海の幸」 「アーノンクールと海の幸」
...だが、今回のアーノンクールの、とりわけウィーン・フィルを指揮してのコンサートは、おそらく近年稀に見るチケット争奪戦を引き起こすのではないか。(許光俊)
 
「ヤンソンスは21世紀のショルティ?」 「ヤンソンスは21世紀のショルティ?」
うまい指揮者にノリノリの名オーケストラというわけで、現代において聴くことができるおそらくは最高峰のショスタコ演奏であることは保証できる。ただし、その立派さや美しさに...(許光俊)
 
「1970年代の発掘2点」(許光俊) 「1970年代の発掘2点」(許光俊)
...ベームとウィーン・フィルとのシューベルトは、この時代ならではの高水準を見せつける。あまりにきれいで立派なので、私はDVDにもかかわらず、目をつぶって聴いてしまった。
 
「ジュリーニ最高のモーツァルト」 「ジュリーニ最高のモーツァルト」
甘露が滴るようなヴァイオリン、それを支える伴奏の官能的な抑揚、とろけるような管楽器。やがてテンポは大きく落ちていく・・・。ジュリーニがこんなふうに...(許光俊)
 
「暑くてじっとりにはフランス音楽」 「暑くてじっとりにはフランス音楽」
...大まじめであることを、少なくとも大まじめを大まじめに表現するのを嫌った彼らの音楽の、醒めた感じ、軽快な感じは心地よい。聴くのに特別な興味や知識はいらない。(許光俊)
 
「ネチネチ・ネトネトのメンデルゾーンにびっくり」 「ネチネチ・ネトネトのメンデルゾーンにびっくり」
...第2楽章冒頭など、さすが大指揮者だ。「これがメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲?」、と信じられないほど濃厚な世界が広がる。このオケに支えられて、ソロも限界まで遅い。(許光俊)
 
「エッシェンバッハとバティス」 「エッシェンバッハとバティス」
...ひとことで言えば、暗くて、厳しい辛口の音楽だ。これはもう、家庭でアマチュアが演奏して喜ぶお気楽な音楽ではない。ソナタと同様、あるいはそれ以上に...(許光俊)
 
「ギーレンのロマンティックなブラームス」 「ギーレンのロマンティックなブラームス」
第1楽章冒頭からしてたおやかで、どことなくはかなげで寂しげな風情が漂う。主題がたっぷりとロマンティックに歌われている。ギーレンがこんなブラームスを演奏するなんて、かつてなら...(許光俊)
 
「爆笑歌手クヴァストホフ」 「爆笑歌手クヴァストホフ」
何と言っても悶絶させられるのはトラック5の「ソロ・インプロヴィゼーション」だ。さまざまな奇声や歌い方、声音などなどを取り混ぜて、6分間、おバカな歌を繰り広げる。(許光俊)
 
 
「空前絶後のエルガー」 「空前絶後のエルガー」
さすがシュターツカペレは繊細で多彩なパレットを持っている。岩の塊が次々に落下してくるような異様な迫力から、ミクロの世界まで、表現の幅は極度に広い。(許光俊)
 
「フォークトのモーツァルト」 「フォークトのモーツァルト」
ひとことで言えば、壊れやすそうで寂しげなのだ。こう言うとあまりにも平凡だが、そのレベルは相当である。特にピアノ・ソナタ第10番の第2楽章は、アファナシエフが...(許光俊)
 
「聖なる野蛮〜ケーゲルのベト7」(許光俊) 「聖なる野蛮〜ケーゲルのベト7」(許光俊)
...フィナーレはリズムの打ち込みが激しく、もはや野蛮とは紙一重だ。いや、むしろ、この作品とは聖なる野蛮なのだ。ところどころの追い込みはカルロス・クライバーもびっくりの凄まじさ...
 
「実はいいムーティ」(許光俊) 「実はいいムーティ」(許光俊)
...笑えるのは「ロザムンデ」序曲。冒頭を聴いてびっくり、暗い和音はまるでヴェルディの序曲みたいだ。次に出てくる木管楽器の旋律は女性主人公のアリア。ヴァイオリンの歌いまわしは...
 
「レーゼルのセット、裏の楽しみ方」 「レーゼルのセット、裏の楽しみ方」
東ドイツでは、非常に周到に録音計画が立てられるのが常だった。この場合も、こうしてセットで聴いてみると、作曲家と関係が深い街の楽団が選ばれたり、曲と演奏者の適性が...(許光俊)
 
「正月の読書三昧」 「正月の読書三昧」
...前半は伝記、後半は作品概論だ。とにかく、1500円で買える本としては異常に情報量が多い。最新の研究成果が惜しげもなく投入されている。特に200ページにわたる伝記...(許光俊)
 
「やったが勝ちのクラシック」 「やったが勝ちのクラシック」
...イメージ通り、いかにも宮廷風の雅な音楽である。歌っているのは『ベルサイユのばら』の作者、池田理代子。44歳で歌を習い始めた彼女だが、そのパワーには素直に感心する。(許光俊)
 
「今年のおもしろCD」(許光俊) 「今年のおもしろCD」(許光俊)
...「来たれ、甘き死よ」は最初の響きから尋常でなく濃い情感が宿る。痛切な祈りのようなのだ。まるで止まってしまったかのようなテンポの遅さといい、ケーゲル最晩年を思い出してしまうほど。
 
「バーンスタインでへとへと」(DVD) 「バーンスタインでへとへと」(DVD)
...チョムスキーの言語学を援用しての音楽論。続く2回は、20世紀の二大作曲家シェーンベルクとストラヴィンスキー論。こちらは、アドルノの『新音楽の哲学』によほど腹を...(許光俊)
 
「これが本当にギーレンなのか?」 「これが本当にギーレンなのか?」
...フィナーレでのヴァイオリンの広がりも驚異的。そして、センチメンタルなまでにやさしく陶酔的な表情を見せつけるのだ。最後はこれまたバーンスタインの第9番のように激しい嘆きの歌を...(許光俊)
 
「困ったCD」 「困ったCD」
...美しい。とても美しい。弦楽器がたっぷり歌っている。響きが柔らかい。しばし聴き惚れた。が、ふと我に返った。今私の耳が喜んでいるのは、演奏が極上だからなのか? どうやら...(許光俊)
 
ライヴ三題 ジュリーニ,ヴァント,テンシュテット ライヴ三題 ジュリーニ,ヴァント,テンシュテット
...一転してマーラーでは、激しくオペラティックな感情表現が繰り広げられる。これはワルターの時代かというヴァイオリンの甘い響き、陶酔的な歌、合奏の乱れを気にしない突進...(許光俊)
 
「夏と言えば・・・」(許光俊) 「夏と言えば・・・」(許光俊)
...ハッキリ言って、愛読者以外は読まないほうがいいかもしれない。ざっと項目を挙げると「オレが認めない指揮者たち」「オレはオタクが嫌い」「オレが日本でコンサートに行くのが嫌いな訳」等々...
 
「ヴァントとベルティーニ」(許光俊) 「ヴァントとベルティーニ」(許光俊)
まず初回に出る2点だが、これはもうどちらも最高。第5番は、確かヴァントが最後にこの曲を振ったときの記録で、ヴァントならではの正確で透明で端正で高貴なブルックナー解釈の極致。
 
「こいつぁあエロい『椿姫』ですぜ」(許光俊) 「こいつぁあエロい『椿姫』ですぜ」(許光俊)
舞台収録の『椿姫』DVDとしてはもっともおもしろい、もっともエロいというのは間違いない。次はどうなるんだろう?とわくわくしながら見られる『椿姫』は、やたらとはないのである。
 
「ジュリーニを悼む」(許光俊) 「ジュリーニを悼む」(許光俊)
...ジュリーニは歌の人だった。マーラーもブルックナーも得意とし、ストラヴィンスキーもラヴェルも大事なレパートリーとしていたが、ジュリーニの音楽のもっとも独特な表現は...
 
マルケヴィッチの『ロメジュリ』は実にいい マルケヴィッチの『ロメジュリ』は実にいい
楽器の鮮烈なぶつかりはまるで「ペトルーシュカ」「春の祭典」のような快感を呼び起こす。音のスピードが速い、リズムの切れがいい、いわばストラヴィンスキーのような...(許光俊)
 
はんぶるドットこらむ 山崎浩太郎 はんぶるドットこらむ 山崎浩太郎
演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする山崎氏による興味深い読み物を集めたコーナーです。
 
『レコードはまっすぐに』 を讃える 『レコードはまっすぐに』 を讃える
実際、この本の内容はファン垂涎のものである。録音現場の裏話やそれにまつわる喜怒哀楽、あるいはアーティストの人間性をうかがわせる逸話などが目白押しである。(平林直哉)
 
「あまりにも幸福なマーラー」 「あまりにも幸福なマーラー」
第1楽章の開始から、ヴァイオリンが甘く美しく歌う。チェロの足取りも軽く、何だか嬉しそうだ。しかも音楽はメリハリがあって、切り替わりは鮮明。細部まで血が通っていて、立体感も見事。(許光俊)
 
「シーズン開幕に寄せて」 「シーズン開幕に寄せて」
...アファナシエフは東響とベートーヴェンの「皇帝」も演奏する。これはCDを聴く限りでは意外とおとなしい。CDの全集では、第4番と、第3番の第2楽章がたまらない。(許光俊)
 
「フェドセーエフでスッキリ」(許光俊) 「フェドセーエフでスッキリ」(許光俊)
...「スペイン奇想曲」はマゼールも裸足で逃げ出すやりたい放題演奏で痛快。ドンジャカ、ズンジャカとにぎにぎしく開始され、独奏楽器はクラリネットもヴァイオリンも、辻音楽師みたいなノリに大変身。
 
「秋は虫の音とピアノ」 「秋は虫の音とピアノ」
コブリンは、ポゴレリチ風というか、さまざまな点で強いコントラストを付けた、言うならドロドロ様式寄りである。ソナタではゆっくりと弾き始め、加速していくが...(許光俊)
 
ケーゲルとザンデルリンクのライヴ ケーゲルとザンデルリンクのライヴ
...第1楽章からして、曲への感情移入ぶりがすごい。なんとテンシュテットもかくやという激しい没入ぶりなのだ。跳躍する音が空間を鮮やかに切り裂くかと思うと、こんなケーゲルは...(許光俊)
 
「真性ハチャトゥリアンに感染してみる」 「真性ハチャトゥリアンに感染してみる」
...たとえば交響曲第3番。これは狂ったようにうるさい曲で、トランペットの大群が叫びを上げるかと思うと、パイプオルガンが名技を披露。両者が組み合わさって異様な音響空間が...(許光俊)
 
残忍とエクスタシー、マタチッチのエレクトラ 残忍とエクスタシー、マタチッチのエレクトラ
R.シュトラウスの最高傑作というと必ず名前が挙げられるのがオペラ「エレクトラ」である。とはいえ、人気も最高というわけにはいかない。万人が好む恋愛劇でなく...(許光俊)
 
「ベルティーニの死を悼む」(許光俊) 「ベルティーニの死を悼む」(許光俊)
ベルティーニは年齢からは考えられぬほど元気だった。小走りで指揮台に上がる感じはまだ残っていた。次はいつ、マーラーが聴けるだろう。私は楽しみにしていた。それだけに、訃報を聞いたときの衝撃は...
 
ケーゲルのパルジファル ケーゲルのパルジファル
ともかく、オーケストラの響きが明晰をきわめ、かつ美しい。ほのかに青がかかったガラスのような響きだ。まったく曖昧なところがない。(許光俊)
 
リリー・クラウス集について リリー・クラウス集について
ベートーヴェンの協奏曲第3,4番は、モーツァルトのようだ。高い音域は、コロラトゥーラ・ソプラノのように、キラキラと音が転がる。しかも、羽毛のように柔らかい。(許光俊)
 
テンシュテットのブルックナーは灼熱地獄 テンシュテットのブルックナーは灼熱地獄
...なおこの演奏は、あまりのエネルギー感ゆえ、あえて年輩の方にはお勧めしないでおこう。私にしたところで、70歳にもなったら、こんな音楽にはつきあえないだろう。(許光俊)
 
テンシュテットのプロコフィエフは... テンシュテットのプロコフィエフは...
テンシュテットは下の方からぐんぐんと盛り上がる。まるでワーグナーの「トリスタン」のように、長い波長で大きく起伏しながら、うねりながら流れるロマンティックな音楽である。(許光俊)
 
青柳いづみこ『双子座ピアニストは二重人格?』 青柳いづみこ『双子座ピアニストは二重人格?』
心地よいテンポとリズムで、言葉が先へ進む。筆者は世紀末芸術や、エロティシズムや、グロテスクにことさら興味を持つとは、この本の中でも言われているが、どうして、文章は湿っておらず...
 
これは・・・思わず絶句の奇書〜『迷走する音楽』 これは・・・思わず絶句の奇書〜『迷走する音楽』
副題に「20世紀芸術学講義」とある。ずしりと重いハードカバーだ。きっと読むのがたいへんな音楽論なんだろうな。著者は知らないけど、帯には博識の谷川渥氏の熱い言葉が踊っているし。(許光俊)
 
「ギレリスのベートーヴェン・セットはすごいぞ」 「ギレリスのベートーヴェン・セットはすごいぞ」
これほどまでにまっすぐ突き進むベートーヴェンも他にないのでは。いささかの感傷も迷いもなく、音がすごい速度で立ち上がってくる。ソナタもコンチェルトも、唖然とする鮮やかさで弾かれる。(許光俊)
 
「ヴァントとライトナーに耳を洗われた」
フレージング、音の溶け合い、歌い方の抑揚、すべてがピタッとかみ合っている。隙がない。この猛烈に美しい弦楽器の統制は、稀有の美味だ。(許光俊)
 
「クナッパーツブッシュのジークフリート牧歌」
このDVDを観て、改めてクナの素晴らしい指揮ぶりに感銘を受けた。大まかに音楽の流れを作り、オーケストラを自然に語らせるようなクナ。 (平林直哉)
 
「過去と未来をつなぐもの」
クナッパーツブッシュの演奏は、テンポが遅いといっても意味が違う。音楽が大きく息づき、呼吸している。ふわーっと吸い込んでふくらんで、すーっと吐いて縮む。 (山崎浩太郎)
 
「スヴェトラーノフのペトルーシュカ」
「ムーア人の部屋」からあとがことによい。凄惨の度合いはいやがおうでも高まる。不気味で、暗鬱で、暴力的だ。各楽器の表現力もすばらしい。音のひとつひとつに命がこもる。(許光俊)
 
「一世一代のタンホイザー」
グラインドル以下の男声陣が重なってゆくこの場面は、どんな言葉も追いつかないほどに凄い。おそらく第2幕に関する限り、私はこれ以上の感銘を受ける演奏に出会うことは...(山崎浩太郎)
 
「カラヤン、驚きのライヴ」
ベートーヴェンが始まってすぐに、オーケストラが常に一歩前へ出よう出ようという意気込みで弾いているのがよくわかる。ベルリン・フィルがここまでやる気丸出しというのも珍しい。(許光俊)
 
「コンチェルト・ケルンのJ.M.クラウス」
この盤を新譜で買ってきて聴いた時、それ以前の録音に満足できなかった筆者は、あまりの素晴らしさに興奮が冷めやらなかった。(安田和信)
 
「スヴェトラーノフ&N響の注目盤」
チャイコフスキーの第5交響曲は遅いテンポと壮大なスケール、そして極めて重心の低い響きに支えられて出来た、超巨大岩石風の演奏。オーケストラも渾身の熱演で棒に答えている。(平林直哉)
 
「ノリントンのベートーヴェン」
やっと会えた、という思いがする。1984年か85年のこと、FMで放送されたノリントン指揮エイジ・オブ・エンライトゥンメントの《田園》を聴いて以来、やっと「あの時みたいな」...(山崎浩太郎)
 
「クナッパーツブッシュの注目DVD」
延々と続くクレッシェンド、クナはむしろポーカーフェイスで、まだまだ余裕があるのだと言わんばかりの仕草。ところが、その頂点にさしかかる直前、それまで座っていたクナは突然立ち上がり...(平林直哉)
 
「メンデルスゾーン室内楽の素晴らしき展望」
...今、個々の作品のCDを集めるとしたら相当の根気と費用が求められることを考えると「メンデルスゾーン室内楽事典」として役立つことは間違いない...(高橋 昭)
 
「トーマス・ファイ指揮のハイドンの交響曲」
ファイたちの解釈は、私見では、アーノンクールの正統な直系とも言えるほどに過激なものであり、上っ面だけを真似したようなものとは完全に一線を画す。なぜなら、ファイは...(安田和信)
 
「スクリベンダムのムラヴィンスキー」
スクリベンダムのムラヴィンスキーの第2弾がようやく届いた。結果は前回同様、素晴らしい音質でよみがえっており、またしても聴きまくった次第である。(平林直哉)
 
「オペレッタ屋の夢」
《ジュディッタ》は、オペラではない。合唱や重唱の華やかさでいえば、《メリー・ウイドウ》よりも地味である。終曲も静かに坦々とほろ苦く、恋の終りがつぶやかれて終わる。(山崎浩太郎)
 
「ベルチャ四重奏団のヤナーチェク」
ヤナーチェクの四重奏曲では鋭い音で作品の悲劇的な性格を強調する演奏が多く、それが作品のイメージを固定してしまいがちである。ベルチャ四重奏団は弦を徒らに...(高橋昭)
 
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