丸の内彷徨/イオンモール彷徨/「生産が娯楽になるタイプ」はどこにいてもやっていける

Posted at 24/04/23

4月23日(火)曇り

昨日は朝東京。少し雨が降っていて、傘をさして緑道公園などを少し散歩。ローソンでジャンプ・スピリッツ・ヤンマガとサンドイッチを買って家に戻る。何をやるかということを考えながらブログを書いたりしていたのだが、いろいろ考えて早めに家を出て実家に戻ることにし、丸の内の丸善と甲府のイオンモールに立ち寄って帰ることにした。

お昼頃に出るつもりだったのだがいろいろやっていたら少し遅くなり、駐車場で荷物を乗せて駐車料金を入れようとしたら千円札がなく、近くの郵便局のATMに行って2000円だけ下ろす。こういうところが抜けているなといつも思うのだけど。精算時間を今見たら12時55分だった。道はそんなに混んでなくて普通に丸の内に着いたのだが駐車場が満車。他の駐車場の場所を確かめてなかったので困ってしまい、探しながら動いてステーションホテルの駐車場に入ってしまい、かなり高かったので困ったなと思って出ることにしたら精算機で0円と表示されたので助かった。やはり商業ビルの駐車場とホテルの駐車場では料金が違うのだなと思う。丸ビルの駐車場を探したが見つからず、向かいの丸の内仲通りビルに駐車場の表示があったので入った。入庫時間は13時37分だから丸の内でかなり時間を使ってしまった。

とりあえず車を止められてやれやれと思い、丸善まで歩いたが結構遠い。帰りに見ると新丸ビルのところにも入れそうな駐車場があったので次回はそこを使ってみようと思った。丸善ではさっと本を見て、とりあえず昼食ということで3階のカフェでハヤシソースのスパゲティを頼んだが、これが当たりだった。本家のハヤシライスよりこちらの方が私は好きかもしれない。窓際の席でちょっとまったりし、その後本を見たり文房具を見たりして店を出、地下のファミマでコーヒーと水を買って駐車場に戻る。精算したら1200円になってタイムスタンプを見てみると1時間を8分だけオーバーしていた。使ったお金よりも駐車場代の方が高くなってしまったが、まあ授業料ということにしておこう。

駐車場を出て首都高の神田橋の入り口に向かうがどういうわけだか間違えてしまい、入り口がわからなくなった。ナビが新しい経路を示したので従って行ってみると、すでに廃止された江戸橋インターに導かれてしまい、また日本橋大手町周辺をぐるぐる回ることになってしまったが、もうナビを信用しないで永代通りに戻って大手町交差点を右折し、ようやく神田橋で乗ることができた。今考えると、「大手町駅前交差点」と「大手町交差点」を間違えたのだと思う。都会には色々な罠がある。

結局首都高に乗れたのは3時過ぎになってしまったので混むと嫌だなと思ったのだが、思ったよりは順調に流れた。神田橋で乗れば三宅坂ジャンクションはすぐなので都心環状線はほぼ渋滞なし、4号新宿線は例によって幡ヶ谷の山手トンネルからのルートとの合流点が左車線は混んでいたが、右車線をいったのでほぼ引っ掛からず。ゆっくりの車が多かったから少し時間はかかったが、渋滞なしで石川PAまで行くことができた。

石川ではラーメンを食べることが慣例になっていたがイオンモールが目的にあるのでそれはやめてトイレ休憩だけにし、あとは境川PAでもう一度トイレに行って甲府昭和インターで降りる。あとはナビに従ってイオンモールまで行ったが、案外遠かった。駐車場の入り口がわからず変な駐車場に止めてしまったが、返って台数が少ないところで出入りは楽だった。

目的は書店とスーパーだが、書店が中の案内を見ても見つからず、一度外に出てGoogleマップで見学したら近くの違う場所が表示されたので行ってみたがない。もう一度表示を見るとイオンモール3階とあってええっと思って行ってみた。結局、案内表示で表示されているのが全体ではなく一部だけだということがわかり、まあ初めてくる人にはあまり親切ではないなと思った。

位置の関係で先にスーパーで買い物をすることにし、けっこう品があるなと思ったけれども、初めてのスーパーというのは勝手がわからないことが多くて少し探すのに苦労はした。レシートを見ると精算時間が5時40分になっていた。車に買い物を置いて3階へ。

未来屋書店はまあどうだろう、都心の大きな書店ほどではないが一般的なものは結構あり、諏訪の書店よりは本はあるなと思った。ただマンガに関してはみたところ、諏訪の蔦屋の方が多いのではないかと思った。「葬送のフリーレン」は最新巻はあったがそれ以前のものを見つけることができなかった。そのあと3階を少し歩いたらアニメイトがあり、そこにはフリーレンが揃っていたのでまあ買えないことはないなとは思ったのだけど。

イオンモールを出たときにはもう暗くなり始めていたが、あとはナビでインターに戻る。途中、地元よりは安いガソリンスタンドがあったので給油したが、思ったよりはかかってしまった。ただ、いま地元に169円の所はないと思うので少しは安かっただろうか。割合順調に走れて、途中PAによることもなく、8時前には実家に帰着した。

こうして書いてみると昨日はあちこちでずっと道に迷った日だったが、まあ迷うのも観光の一環みたいな感じだなとは思う。その時はけっこう心の中でぶつぶついっていたけど、まあ娯楽の範囲内だったかなとは思った。

***

くまきちさんの「田舎が苦にならない人間は「生産を娯楽にするタイプ」が多い」というツイートを読んで、そのことについてずっと考えていたのだけど、考えれば考えるほどその通りだなと思うのだが、生産が娯楽になるタイプの人というのは田舎でなくても、都会でも海外でもどこでもやっていけるなと思った。料理が好きとか部屋を整えるのが好きとか建築会社に勤めているのに休みの日にも家で何か作ってる人とか、そういう人というのはいるわけで、材料さえ手に入ればどこででも楽しめる。作家の人とかも、手慰みの文章を描く人が多いけれども、そういう人は田舎暮らしとかを材料に書いていたりするわけで、むしろ必要以上の情報を遮断するために田舎に住んでいるという感じはあるだろう。もっとも今はネットがあるからジャンクでよければ情報は大体どこにいてもいくらでも入ってくるわけだけど。

消費を娯楽として楽しむ、というのは基本的に都会的な生活様式であって、それはそれで楽しいのは確かだが、都会はスクラップアンドビルドが激しいので楽しめた場所がいつの間にか無くなってしまうということも多い。消費的な楽しみというのは向こうが提供してくれるものを楽しむわけだから受け取る側の選択肢はそんなに多くなく、元気のいい時は新しい楽しい場所を探すこと自体が楽しみになるけれども、元気がないときは気に入った場所が無くなったり行ってみたら嫌な客がいたりするような些細なことでダメージを受けるし、新しい場所を探すといってもそういうものにもトレンド=流行があって「一時期流行ったようなカフェ」というのがどんどんなくなり全部スタバみたいになっていく傾向もあって、スタバみたいなところが落ち着かないこちらとしてはなかなか辛い感じであったりもする。

こういうのは「お洒落な書店」などにも感じることで、自分が求めているものと違うものがプッシュされていると特にいく必要はないかなと思ってしまう。それならば自分の蔵書を充実させて家で本を読んでいる方がいい、みたいになっていくなあと思う。

自分はどちらかというと消費を娯楽、息抜きにしようとしすぎていた傾向があったなと考えながら思ったのだけど、多分それは元々の性向というだけでなく都会人を気取ること自体が楽しかったからということもあるような気はする。

いずれにしても消費だけでは生活できないので生産行為は必要なのだけど、どうせなら全体的に楽しむ方向へそういうものも持っていけるといいなとは思った。

期日前投票に行く/トスカニーニを聴く/「ふつうの軽音部」:何度読んでも新しい発見があって面白い/大学問題:地方国立大学の位置について

Posted at 24/04/22

4月22日(月)雨

昨日は9時過ぎに実家を出て車で上京。原PAでいろいろ調整し、双葉SAでトイレにより、境川PAでモツ煮弁当を買い、石川PAでトイレに行ってそのまま自宅まで走った。比較的すいていて着いたのは12時半ごろ。時間帯のせいか、他に要素があったのか。双葉SA上りの駐車場の止め方が変わっていて最初よくわからなかったのだが、前の方が分かりやすかった気はした。ただ入ってくるときと出ていくときの駐車スペースを選べるのはいいシステムだなと思う。奥まで行ってみたものの空きがなかった、みたいなことはよくあるから、出ていくときに止められるとありがたい。

自宅に戻ってからモツ煮弁当をチンして食べて、休憩しながら整理したり。2時過ぎに家を出て、期日前投票をしに行ったのだが、西友の前で参政党の候補が演説していて、そこにYouTuber候補が通りかかって作家党首がエールを送ったりしていた。区役所で投票を済ませるとNHKの出口調査の人がいてタブレットで質問に答えたが、消去法で選んだ投票先なので特に期待することもないからなんの政策に期待するかという質問には困ってしまった。地下鉄の駅前に出るとさきほどのYouTuberが作家党首と演説していて、近寄ることもなく地下鉄の入り口を降りた。

大手町に出て丸善で少し本を見たが買わず。帳簿のルーズリーフを売っていたのでそれは買った。半蔵門線まで歩いて神保町に出て、書店を数軒回ったけど買わず、文房堂の喫茶室で塩キャラメルケーキを食べてディスクユニオンへ。中古の新入荷を少し見ていたらトスカニーニ指揮・NBC交響楽団のモーツァルトとウェーバーのオペラ序曲集があり、買ってみた。新御茶ノ水まで歩いて地下鉄で帰ったが、帰りに西友によって夕食の買い物をし、帰宅した。ずっと雨は降ったりやんだり、帰りにはもう西友の前で演説している人はいなかった。

***

帰ってから夕食を取りながらトスカニーニを聴く。980円だったがジャケットはB判定なのだが盤質はAで、音もいいが演奏もいい。これは当たりだった。中古は当たり外れが大きいが、有名演奏家のものはやはりあたりが多い。

トスカニーニ(1867生)って戦後も活躍してるから最近の人のような気がするんだけど、ラヴェル(1875生)より8歳も年上なんだよなあ。現代音楽と彼が同じ時代に存在しているのもなんだか不思議な感じもある。フルトヴェングラーは1886年生まれなのでトスカニーニより19歳下なのだが亡くなったのはトスカニーニの方が3年後(1857死)なのでそこらへんも最近の人感がある理由だろうか。

19世紀の交響曲の話とかを読むと初演の評判が結構重要なんだなと思うのだが、現代音楽だとストラヴィンスキーとかが「火の鳥」や「春の祭典」で評判を取ったという話は聞くけどその後の作曲家たちで初演で大評判、みたいな人ってどれくらいいるのだろうか。現代音楽というのはやはり大衆性は失っていると思うのだけど、興行的にはどうなんだろうかなどと考えたり。

***

昨日日曜日に更新されたジャンププラス「ふつうの軽音部」19話。

https://shonenjumpplus.com/episode/17106371853064392379

前回のラストに出てきたイヤな感じの美女・レイハさんがいきなりはとっちのギターを借りて歌い出した「怪獣の花唄」、知らなかったが普通にいい曲だなと思った。調べてみるとカラオケ歌われた歌年間ベストワンになったこともあるようで、人気の歌だったらしい。

https://amzn.to/49PeDNo

彼女の描写はこれでもかと彼女の「持っているもの」を見せつける感じで、はとっちは劣等感を刺激されそうになるが、そこから立て直してもっと傍若無人に歌おう、自分の憧れたロックバンドのボーカルはそうだったはずなんだと気づくわけだけど、この回のサブタイが「大海を知る」なのがとてもいいなと思った。

レイハさんもすごいけど、その先に「自分が憧れていたロックバンドのボーカル」が見えたわけで、縮こまっていた井の中の蛙だった自分が目指すべき目標を見た、まさに覚醒の回だったのだのと思った。何度も読んでいるうちに気づくことが多いのは名作の証拠だけど、「ふつうの軽音部」もほんとに名作だなと思った。ラスト2ページを画面を横長にして見ることでレイハさんの「黒さ」とはとっちのリベンジ感情がはっきりわかるのが本当に巧みだなと思った。

それにしても修行に入ってから自意識アニマルの出番がない。まあそんな暇ないということだけど、まあ全然見なくなるのも淋しいが、これはまあ「魔女の宅急便」で猫のジジが人の言葉を喋らなくなるのと同じで、「成長」ということなんだろうなと思う。まあ学校生活に戻ったら出番はまだまだ多いだろうとも思うけど。

創作作品というのは何度も読み返しているうちに気づくところがあるというのが名作の特徴であるわけだけど、最近は一般に文章は一読でわかるのが良いとされているわけで、そういう文章に慣れている人が多くなるとどんどん小説やマンガに対するハードルは高くなるよなと思ったり。ただ「ふつうの軽音部」は一読しても面白い、何度読んでももっと面白い、という作品なので、これからも期待したいと思ったのだった。

***

夜ツイッターでやり取りをしていて、「大学問題」、つまり大学は社会・国家の中でどういう役割を果たすべきか、みたいなことをかなり考えさせられたのだが、私は大学時代からかなりシンプルに「国家社会に有為な人材を育てるため」でいいと思っていたのだけど、問題は結構複雑なのだなと思った。

大学教育が国家のためなのか個人のためなのか、また研究活動というものが個人のためなのか国家のためなのかそれとも人類のためなのか、など形而上的なテーマも絡んでくるのでこのあたりは自分の意見は言えるけれども現実の趨勢は自分の考えとはかなりかけ離れたところで動いているのだなという気はする。ただこれはしっかり考えて書きたいところだなと思う。

一つだけ書くと、地方国立大学の問題だけど、地元から進学する人がある程度いるのは確かだが、国立なので全国から人が集まる。そしてその中でも教育熱・進学熱が高い首都圏の学生がより多く入って来やすいということがあるようである。

このあたりのことは医学部では以前から聞いてはいて、地元の大学の医学部に入学することを「都落ち」と表現されて失礼なと思ったのだが、学費を考えれば東京の私立より地方の国立、となるケースが多いのはまああるだろうとは思う。ただ場合によっては地元よりも首都圏の学生の占拠率が多くなるとその大学の地域性の意義という問題も出てくるから、特に医学部などに関しては地域枠という制度を設けて地元の学生を確保し、地域医療につなげようとはしているわけである。

地方の方が進学熱も教育熱も低いし教育資源も少ないから地方の経営を成り立たせるためには必要な措置だと地方の側からは思うがそこに不公平性があるという主張も成り立ちえなくはない。

また地方国立大の存在はその県の教育レベルを支えるものでもあるけれども、首都圏からの学生が多くなるとただでさえ首都圏に比べてチャンスが少ない地方の学生のチャンスがさらに減るという面もあり、国立大学の存在が格差是正の方向ではなく拡大の方向を加速しているという見方もあるのだそうだ。

そういう意味では首都圏への経済的・政治的一極集中こそがそうした教育格差を生んでいるわけだから、むしろそういう言う一極集中問題の一つの現れであって大学問題単体としてというより「国土の均衡のとれた発展をいかに実現するか」という古くて新しい問題の一環なんだろうと思う。

まあ私個人としては大学経営というのも市場原理主義的な考えではなく、国家社会のために有為な人材を育成するという崇高な使命があるということを自覚してもらい、それを国家・財務省・文科省もしっかり支援する、というのが正しいと思うのだが、左翼学者の蔓延によってそれが難しくなっているなどの問題はあるのだろうなとは思う。また近視眼的な市場経済主義による国の支援の欠如という問題もあるのだろう。

十分に全体像を描く余裕は今ないのでこれくらいにしておくが、そうした問題として意識されている事らを前提としたうえで、もう少し自分の考え方を詰めてみたいなと思っている。

***

せっかくブログ・noteを書いているので、自分でなければ書けないものをもっと書いていかないとと思うが、まあその辺を意識してまた書いていきたいと思う。

お金をやりくりすることと日本政治の方向性

Posted at 24/04/21

4月21日(日)曇り

最近必要に迫られてお金のやりくりに結構時間がかかっているのだが、こういうことをやっているとお金に対する考え方のようなものが少しはわかってくる感じがある。理屈としては知っていても自分が当事者としてお金を扱わないとわからないことというのは結構あって、そういうことをやっていると財務官僚とかがどう考えてこういうアドバルーンをあげたのかとか、そういうことも少しは類推できるようになるということはあるなと思った。

お金を使う目的は福祉的(会計的に言えば消費的)なものと投資的なもの、まあ後は経費(官僚機構の人件費やインフラを維持する管理費など)があると思うけれども、国家の場合は外交の費用などのある意味での交際費、防衛費などのある種のインフラの維持費もある。自衛隊が災害救助や復興支援に動くのもインフラの維持という意味では同じ目的だなと思ったりする。

経済が成長している時代はいろいろなものがいっぺんに必要になってインフラ投資が盛んに行われる。新幹線や高速道路網の整備、空港や港湾の整備、公共施設その他に莫大な国家規模の投資が行われ、税収が好調で国債発行も低利で行えれば問題なく財政は動いていくから、将来の投資や福祉に関しても基本的になんとかなる感じで動くけれども、経済が停滞ないし縮小してくると税収も減り、何を選択して何をしないかが問題になってくる。福祉的なお金は将来の利得の回収を目指せるものでは基本的にはない、児童福祉や子育てに対するお金はある種の投資ではあるが、高齢者福祉などのお金は投資というよりは日本を支えてくれた人たちへの感謝という意味合いは結構あるだろう。

しかし縮小してきているとはいえ日本国家も日本社会も日本経済もこれからも続いていくのだから、基本的に将来への投資というものをケチるのは将来に禍根を残す。それが教育関係や研究関係の費用、インフラ維持・設備投資なのだが、なかなか最近はそこに十分に国家的な投資が行われず、みすみす他国に後塵を拝するような結果になりがちになっている。

福祉や医療に一定程度のお金がかかるのはやむを得ないが、国の将来を考えた支出を今以上減らすのはあまり良くない。まあそんなことは財務官僚もわかっていてやっているのだろうとは思うし、だからこそ彼らは「小役人に徹する」ことによって財政規律を維持しようとしているのだろうと思う。

国家財政が家計などと違うのは先行投資的なものを国債で賄うことで将来的に需要を創出し税収を増やすというマクロ的な政策ができることなわけだけど、財政規律がないと意味のない政策にお金をかけることになってしまう。

最終的には、何にお金をかけて何を削るかというのは政治判断なので、財務官僚はそういう意味では小役人でいいわけなのだけど、必要なときにはバンと金を出す肚は必要なわけで、小役人もいろいろ大変なことは自分でいろいろやりくりしてみてそうだろうなとわかる部分がある、という話である。

だからこそ政治家は国の将来像、特に産業的な基幹を何にしつつ今まで築いたもののうち何を守っていくのかということがこういう国家経済としての後退局面においては大事になってくるわけだけど、そういう意味での国家像を描ける教養的なものが平成の初め頃までは戦前の旧制高校的な教養主義にバックアップされていた感じがする。つまり戦前に教育を受けた人たちの恩恵は、そのくらいまではあったということである。

逆にいえば、それ以降の平成時代の長い低迷時代は、戦後教育を受けた世代が担ってきたわけで、そういう意味では戦後教育の敗北を象徴するものでもある気はする。昔の国鉄なんかめちゃくちゃだった、今の人たちは対応は丁寧でスマートだしとても良くなった、昭和に帰りたいとか全然思わない、というような言説があるけれども、それはそれで一面の事実ではあるとは思う。

ただ逆にそうした戦後民主主義的な洗練による日本国家全体の線の細さみたいなものも一方では問題になってきたのではないかなという気はする。戦後教育や戦後民主主義が失敗でなかったと証明するためには、そこで日本の国力をもう一度回復できるかということにかかっているのではないかと思うし、戦後政治の総決算というのももしそれが失敗であったならばやり直さないといけないということなわけで、それは実際には経済に大きく現れているのではないかというところはある。

そういう「改革」勢力は代表的なものは維新の会だと思うが、彼らは戦後政治を改革しようというだけではなくて明治以降の日本の歴史やそれ以前の日本の伝統まで否定的にみているところが良くない、というか保守ではなくて単なるポピュリズムに過ぎないという感じはする。民主党系は旧左翼と自民党脱党組の野合の上に松下政経塾勢力と合体したわけだが結局プリンシプルが確立できず、頑固な左翼系に引っ張られて世間の支持を失ってしまった感じである。

自民党も保守と言われてはいるけれども、戦前からの日本の政党政治の伝統の上に立っている政党であって、戦前の政党というものは板垣退助の自由党と大隈重信の立憲改進党を主なルーツとして、結局は進歩主義の立場の政党だったわけで、保守は結局今まで本当には自前の政党を持っていないのだと思う。日本の政党は結局みんな左翼だ、といった人がいるが実際そうだろう。

戦前は貴族院だとか枢密院、あるいは軍部など政党政治に対抗する勢力があったから政党自体が進歩主義であることでバランスが取れていた面があるが、戦後はそうしたものが一掃されたので進歩一強のバランスが崩れた状態にあるというべきなのだと思う。

まあそうした明治政府の諸勢力自体も、明治維新という革命によって生まれた革命政権であるわけだから、根本的な進歩性を持っていたわけである。そういう意味で、明治以来の国づくりの困難というのは、実際には今も続いているのだと思う。

私はアフリカ諸国の政治とかについて調べていると、そういう意味での民主主義的基盤が脆弱で直ぐ軍部がクーデターを起こしたり、外国勢力の影響が強かったりするのはやはり明治以降の日本の政治がいろいろとダブってくるところがあるなあと思うところがある。

民主主義的というか近代的な政治制度がほぼ自生した欧米に比べると、伝統社会と国家制度に基本的にかなりの齟齬があるのが非欧米社会であって、明治国家は伝統社会を国家統制によって縛り上げつつ伝統社会の破壊自体はほどほどだったのが、戦後国家は伝統社会そのものをかなり破壊し、人々のパトリオティズム的な回帰すべき場所をかなり破壊してしまい、生産現場から疎外された中間層というある種の根なし草的な国民が増え、教育や教養というものは本来社会の再生産的な役割も大きいのだがそこの部分が疎外されつつあるのでより社会が不安定化しているということはあるのだろうと思う。

安倍政権の時代は曲がりなりにも保守的な主張が強く、それなりの安心感があったが岸田政権は基本的にリベラルな方向に動いているので社会の維持ということに関してはかなり不安が感じられる。

まあなんというかあまりよくまとまらないが、日本国家としてのプリンシプルとか何を守るべきなのかとか日本は何を基幹産業にして国を維持していくのかとかお金をやりくりするということはそういうことに直接関わってくるのだよなということを思った、ということを書いておこうと思う。


春の足並みは揃わない/イスラエルとイラン双方の得たもの/「絢爛たるグランドセーヌ」:真っ直ぐで明るい努力家こそが世界が苦しいときにみんなを救う

Posted at 24/04/20

4月20日(土)晴れ

今週もいろいろ忙しかったが、昨日はうーんと思うようなことがいくつかあってちょっと落ち着かないとお頃があるのだけど、とりあえずちゃんと気分転換して心のささくれを治すようなことが必要だなと思ったり。今朝隣町に車を走らせてガソリンを給油し、塩パンを買って帰ってきて、庭の木を見たら花海棠が咲き始めていたのと、一気に花蘇芳が開いてきていて、少し気持ちが和んだ。電線には向かいのうちの玄関に巣を作ったツバメが二羽止まっていて、このうちの玄関には毎年ツバメが巣作りをするのだけど、今年も来たなと感慨がある。それならそろそろ梅は咲いたかなと裏の庭に回ってみたが、まだそんな気配はなく、季節が訪れるのに足並みが揃わないのは毎年のことなのに、ちょっと笑ってしまった。

これからしばらくは虫にしても鳥にしても猫にしても活動が活発になるので(そう言えば池の鯉も元気になっている)不用意に玄関を開け放しておくと彼らが入ってきてしまうので注意しないとと思ったり。先日はツバメが入ったがその後はハチかアブの種類の虫が入ってきたことがあって、追い出すのに苦労した。どこか私の知らないところで生きていってくれると良いのだが。

https://www.instagram.com/p/C59j553BhOB/

イランに対するイスラエルの報復も割と小さめに終わったようで、少しは情勢が安定すると良いなと思う。これに関してはイスラエルは攻撃を極めて限定的なものにとどめたことでアメリカに貸しを作ってラファを攻撃するのではないかという観測があったが、ちょっとそれはどうかなと思うところはある。イランとしては「イスラエル本土への攻撃が可能であることを誇示した」ことにおそらく意味はあったという見立てがあって、それはそうではないかと思った。

イランが報復の報復の報復を自重する感じになっているのは、実はイランの方が得るものが多かったからではないかという見立てなのだけど、これはそうなんじゃないかなという気がする。一方イスラエルもアメリカやG7が止めても俺はやるぞという姿勢を一応は示したことに意味があったのだろう。双方とも全面戦争を望んでいないことは確かだけど、イランにもイスラエルにもそれを望む勢力がいるということもまた事実なので、適当に敵対感情を煽りつつ完全には着火させないという危ない道を歩いているようには見える。

今日ガソリンを入れにいったらまた値段が上がっていたので、中東情勢に関してはほんと落ち着いてほしいというのは個人的にも思う。

***

なんだかんだと忙しくて本もあまり読めてないのだが、昨日は母を病院に連れていった帰りに書店へ行って「チャンピオンRED」6月号を買い、帰ってきて「絢爛たるグランドセーヌ」129話を読んだ。

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コロナ禍の中、主人公の奏(かなで)は帰国を余儀なくされ、スタジオでの練習もできない状況の中で、それならばとオンラインでガラコンサートを企画する。日本でのバレエ仲間や、コンクールやバレエ学校で知り合った世界中の友人たちに声をかけて動画が作られていく。

作中でコロナ禍が始まった時は、え、この展開やるの?とかこの陰陰滅々とした時期をどう描くの?というよりなぜ描くの?と思ってしまっていたのだが、カナデが持ち前のコミュ力と真っ直ぐに明るい実行力を発揮して大きな企画を実行していく展開になるとは予想していなかった。

これは本当に元気が出るというか、素晴らしい展開だと思う。進級試験で合格せず、ロイヤルバレエスクールを辞めざるを得なかったエヴリンが憧れのアビゲイル・ニコルズの振り付けのケレスを踊ることになるとか、アビーのカナデとエブリンへの信頼感もすごいしそしてそのずっと面倒を見られなかった贖罪意識みたいなものの痛々しさも感じられて、企画自体がすごい話になってきていて読んでいて涙が出そうになった。

この作品は、本当にカナデが真っ直ぐで明るくて努力家で人を思いやれてコミュ力があり、そういう主人公が真っ直ぐ明るすぎるところが読んでいてなんとなく不安を感じてしまうところだった、というのはバレエマンガというのは何故か「好事魔多し」という展開が多いから、なのだけど、ここにきて心の底からそんなことはない、この明るさこそが最悪の事態の中で人を救うのだ、と改めて思わされた。このキャラを描き切ってきたからこそこういう展開が生きてくるわけで、もちろん描き始めたときにこんな事態は予想もしなかったはずだけど、本当に素晴らしいの一言に尽きるなと思った。

最新25巻も発売されたばかり(127話まで)で、ちょうどコロナ禍の始まりが描かれている。ガラの企画が出てくるのはちょうどどちらにも入っていない128話なのだが、REDのバックナンバーは電子では読める。

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コロナ禍というものは世界が経験したことなので、この話に共感できるところがある人は多いだろうと思う。今後の展開にさらに期待したいと思う。

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