春の足並みは揃わない/イスラエルとイラン双方の得たもの/「絢爛たるグランドセーヌ」:真っ直ぐで明るい努力家こそが世界が苦しいときにみんなを救う

Posted at 24/04/20

4月20日(土)晴れ

今週もいろいろ忙しかったが、昨日はうーんと思うようなことがいくつかあってちょっと落ち着かないとお頃があるのだけど、とりあえずちゃんと気分転換して心のささくれを治すようなことが必要だなと思ったり。今朝隣町に車を走らせてガソリンを給油し、塩パンを買って帰ってきて、庭の木を見たら花海棠が咲き始めていたのと、一気に花蘇芳が開いてきていて、少し気持ちが和んだ。電線には向かいのうちの玄関に巣を作ったツバメが二羽止まっていて、このうちの玄関には毎年ツバメが巣作りをするのだけど、今年も来たなと感慨がある。それならそろそろ梅は咲いたかなと裏の庭に回ってみたが、まだそんな気配はなく、季節が訪れるのに足並みが揃わないのは毎年のことなのに、ちょっと笑ってしまった。

これからしばらくは虫にしても鳥にしても猫にしても活動が活発になるので(そう言えば池の鯉も元気になっている)不用意に玄関を開け放しておくと彼らが入ってきてしまうので注意しないとと思ったり。先日はツバメが入ったがその後はハチかアブの種類の虫が入ってきたことがあって、追い出すのに苦労した。どこか私の知らないところで生きていってくれると良いのだが。

https://www.instagram.com/p/C59j553BhOB/

イランに対するイスラエルの報復も割と小さめに終わったようで、少しは情勢が安定すると良いなと思う。これに関してはイスラエルは攻撃を極めて限定的なものにとどめたことでアメリカに貸しを作ってラファを攻撃するのではないかという観測があったが、ちょっとそれはどうかなと思うところはある。イランとしては「イスラエル本土への攻撃が可能であることを誇示した」ことにおそらく意味はあったという見立てがあって、それはそうではないかと思った。

イランが報復の報復の報復を自重する感じになっているのは、実はイランの方が得るものが多かったからではないかという見立てなのだけど、これはそうなんじゃないかなという気がする。一方イスラエルもアメリカやG7が止めても俺はやるぞという姿勢を一応は示したことに意味があったのだろう。双方とも全面戦争を望んでいないことは確かだけど、イランにもイスラエルにもそれを望む勢力がいるということもまた事実なので、適当に敵対感情を煽りつつ完全には着火させないという危ない道を歩いているようには見える。

今日ガソリンを入れにいったらまた値段が上がっていたので、中東情勢に関してはほんと落ち着いてほしいというのは個人的にも思う。

***

なんだかんだと忙しくて本もあまり読めてないのだが、昨日は母を病院に連れていった帰りに書店へ行って「チャンピオンRED」6月号を買い、帰ってきて「絢爛たるグランドセーヌ」129話を読んだ。

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コロナ禍の中、主人公の奏(かなで)は帰国を余儀なくされ、スタジオでの練習もできない状況の中で、それならばとオンラインでガラコンサートを企画する。日本でのバレエ仲間や、コンクールやバレエ学校で知り合った世界中の友人たちに声をかけて動画が作られていく。

作中でコロナ禍が始まった時は、え、この展開やるの?とかこの陰陰滅々とした時期をどう描くの?というよりなぜ描くの?と思ってしまっていたのだが、カナデが持ち前のコミュ力と真っ直ぐに明るい実行力を発揮して大きな企画を実行していく展開になるとは予想していなかった。

これは本当に元気が出るというか、素晴らしい展開だと思う。進級試験で合格せず、ロイヤルバレエスクールを辞めざるを得なかったエヴリンが憧れのアビゲイル・ニコルズの振り付けのケレスを踊ることになるとか、アビーのカナデとエブリンへの信頼感もすごいしそしてそのずっと面倒を見られなかった贖罪意識みたいなものの痛々しさも感じられて、企画自体がすごい話になってきていて読んでいて涙が出そうになった。

この作品は、本当にカナデが真っ直ぐで明るくて努力家で人を思いやれてコミュ力があり、そういう主人公が真っ直ぐ明るすぎるところが読んでいてなんとなく不安を感じてしまうところだった、というのはバレエマンガというのは何故か「好事魔多し」という展開が多いから、なのだけど、ここにきて心の底からそんなことはない、この明るさこそが最悪の事態の中で人を救うのだ、と改めて思わされた。このキャラを描き切ってきたからこそこういう展開が生きてくるわけで、もちろん描き始めたときにこんな事態は予想もしなかったはずだけど、本当に素晴らしいの一言に尽きるなと思った。

最新25巻も発売されたばかり(127話まで)で、ちょうどコロナ禍の始まりが描かれている。ガラの企画が出てくるのはちょうどどちらにも入っていない128話なのだが、REDのバックナンバーは電子では読める。

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コロナ禍というものは世界が経験したことなので、この話に共感できるところがある人は多いだろうと思う。今後の展開にさらに期待したいと思う。

「神の雫」の人間関係/全国の医師がGoogleのクチコミを提訴:ネット加害に乗らないリテラシーの重要性

Posted at 24/04/19

4月19日(金)晴れ

朝このブログ(note)を書くときに昨日何をやったかを思い出しながら書いているわけだが、最近昨日何やったっけと思うことが多い。いろいろ考えていて、そうか、昨日はタイヤ交換に行ったんだということを思い出した。すぐに済むだろうと思って出かけたのだが、結局タイヤは新しいのを買わなければいけないという話になり、まあいずれ替えなければいけないから仕方ないかと思って新しいのにした。結局42400円。出費である。

待ち時間にiPadで「神の雫」の最新話を読むなど。自分が把握していなかった人間関係がいろいろ広がっていてそうか今はこういうことになっているのかと思う。最近の主人公は遠峰とローランの娘・青夜だったわけだが、周りの人間関係が明らかになってきてみるとこの人たちはソムリエ界のサラブレッドという感じだなと思う。ソムリエというのはワインを表現する人たちだから大きくは表現者・批評家ということになるわけだが、その深遠な表現が一つのジャンルになるというのはすごい文化だなとは思う。自分でワインを生産するわけでもない表現者・批評家がワイン文化を支え、またその権威として秩序を正常に保ち一方では技術革新を援助するというような役割を果たしているというのは、批評家の本来の役割が果たされているということなのだろうと思う。もちろんマンガなので実態がここまで透明性の高いものかどうかはわからないのだけど、生産者と批評者の健全な関係がもしきちんと成立しているとしたら、それは良いことだと思った。

思わぬ時間を使ってしまったのでそのままツタヤにヤンジャンコミックスなどを買いに行き、「推しの子」「カテナチオ」「王様の仕立て屋」「絢爛たるグランドセーヌ」の新しい巻を買う。「二月の勝者」の最新刊を買い忘れていたことに朝マンガを整理して資源物に出した際に気づいたのでそれも買おうと思ったがなかったので、車をさらに走らせて別の書店に行き、入手した。隣のスーパーでお昼の買い物をしたときにはもう12時を回っていた。

午後は改めてマンガを整理し直し、スピリッツとサンデーの処分可能な分が発生したが、まあ次回の資源物回収の時に出せばいいかなとは思った。

***

夜、テレビを見ていたらクチコミサイトの問題で全国の医師がGoogleを訴えたというニュースがあった。クチコミサイトの考えは、要約すると「みんなの意見は大体正しい」ということになるわけで、そうした大勢の人の評価を平均してその店に評価を下すというものなわけだが、それは基本的に性善説に基づいているわけだけど、それだけで大丈夫だと考えてしまうのは、もちろんネットリテラシー的にはとても問題があるわけである。

ネットを見ていると他人は厳しい言葉で批判し嘲笑する文章を書きながら他人が自分を批判することは全力で潰しに行き、自分の落ち度は他人を攻撃する強い言葉で隠蔽する卓越した技術を持った人がいるのだが、善意の色眼鏡でそれを見てしまうと正直騙される人は少なくない。そこまでの技術はなくても自分の商売敵や或いは何か気に入らないことがあったり、ネット上の意見にカチンときたりするとそういうクチコミサイトを利用して人を攻撃する人はいるわけである。

現実的にはそういう意見は多いように見ててもごく少数者がやっていることもよくあるのだが、ネットやクチコミサイトは匿名性が高いのでそういう実態は見えにくいわけである。昨日の放送では不必要な検査や投薬を断ったら悪評を書かれる傾向があるということで、それは医療の安全上大変問題があるから、事業者であるGoogleが責任を持て、という話であったわけである。

医師の評判というのは確かに医療の安全に直結することなので取り上げやすいが、食べログなどの飲食店の情報サイトその他直接一般の消費者に対するリテールの分野では営業上の妨害になることも少なくないが、事業者の対応は早いとは言えないのが現状だろうと思う。

消費者を騙して投資などに勧誘するサイト、甘い言葉で金を出させるようなサイトは犯罪として成立させやすいが(とは言え引っかかる人は後を絶たないわけだが)悪を持って評判を下げようとする人が気軽に利用できるサイトのあり方というのも問題があるとは思う。

ソムリエの世界では権威のある人が責任を持って評価を下すことによってその品質が保証されるというシステムになっているわけだが、こうしたネットの「みんなの意見は大体正しい」というものは誰が責任を持つというわけでもないのに人が動かされるものだから悪意のある人が自らの発言に責任を負わずに人を陥れることができるという点で問題のあるシステムであるわけである。

「みんなの意見は大体正しい」ということが担保されるには、意見を表明する人が十分な情報を持っていて公正に発言することが必要なわけで、それ自体を成立させる責任が本来は事業者にあると考えるべきなのだろうと思う。ただそういう人間的な責任という部分に関しては膨大な労力が必要なので訴えられたら対処する、という後追いでカバーするというのがそうした事業者の基本姿勢になっていて、誰かが被害を受けてしまうこと自体がデフォルトで姿勢の中に組み込まれてしまっているわけだからそういう事業の仕方が本当に良いのかという問題はあるだろうと思う。これはこうしたサイトのAI化によってより事業者の無責任性が免責される傾向にあるという問題もあると思う。「クチコミサイトだから変な評価があるのは仕方ない」「AIだから人間ならしないミスがあるのは仕方ない」などと利用者が飼い慣らされてしまう危険は現実化しているように思う。

逆に言えば、そういう情報のコントロールが巧みな人間がうまく世を渡っていくようにネット社会ではなってしまっている。しかしまあ、民事訴訟の世界などを見ていると弁護士同士のやり取りなどは常人には耐えられないようなものが普通にあるわけで、正義だとか仁義だとかはの幻想をこの世界に持ち込むとかなりの茨の道ではあるようである。裁判官だからといって理性的で公正であるとは限らないということもいろいろな例を見ているとわかってくることではある。

まあそういう意味では口から出まかせで人間の心を動かして相手を平気で陥れる「葬送のフリーレン」の魔族のような人たちは現実にいるということは認識しておいた方が良い。

逆に言えば、クチコミサイトなどのどこの誰とも知らない人がどういう意図で書いたわからない口コミを信用するということ自体がリテラシーが低い行為であるということなのだが、ネット被害にあわないようにすることも重要だけれどもネット加害に乗らないこともまたリテラシーとして重要なのだということをはっきりさせる必要があるのだと思う。

「風評加害」という言葉が福島原発事故以来のマスコミや運動家の加害ぶりを表現する言葉として出てきているけれども、こうしたものとも重なってくることで、加害者をのさばらせないためには法的な手段に訴えることも重要ではあるが、まずその情報の受け取り手である我々自身が加害者に乗らないことを常に心がけていくこともまた重要なのだろうと思う。


諏訪湖に沈む武田信玄の水中墓/韓国総選挙:長ネギ持ち込み禁止と玉ネギ男

Posted at 24/04/18

4月18日(木)曇り

とある裁判のかなり偏りのある判決が出たので私のTwitterのタイムラインは大荒れなのだが、論点がまだまだ整理されてないのでもう少し状況の全体像が見えてきてから書ければ書きたいと思う。

昨日は支払いのお金をいろいろとやりくりし、税金などをも払いに銀行に行って改めて請求書を見たら、三万三千円だと思っていた請求が実は六万六千円だったりして、なぜそんな勘違いをしたのか思いつかなかったのだがまた改めてお金を工面しなければなどと走り回ったりしていた。4月と言うのは新しい年度になって税金その他年度始めの賦課が結構あることを今まであまりちゃんと認識していなかったのだが、やりくりが必要になるとそう言うこともわかるわけでまあ仕方ない勉強だと思っていろいろやっている。

いろいろ書くべきこともある気がするが、頭の中がぐるぐるするのでとりあえず今朝地元紙を10日分ほど読んだ中で出てきた話題などについてちょっと書いてみたい。

***

4月16日の長野日報によると14日に諏訪湖の下諏訪湖畔で京都の宮帯出版社によって諏訪湖底にあるとされてきた武田信玄の水中墓の調査が行われたのだそうだ。今までも何度か調査は行われたのだが発見されず、今回も手がかりはなかったようだ。調べた地点は下諏訪から湖上に500メートルほど出て上社本宮と下社秋宮を結ぶ線と中世の大和城址・花岡城址を結ぶ線が交わる点と推測し調査したのだという。

この地点はどう言う根拠で導き出されたのかは書かれていなかったのだが、私が子どもの頃「諏訪のでんせつ」と言う本で読んだ限りでは武田信玄の棺は諏訪湖が一番深い岡谷市湊地区の花岡観音の沖に沈められたという話だったので、なぜ下諏訪なのかなとは思ったのだった。

諏訪湖は断層湖なので断層山脈である晴が峰から有賀峠の側が深く、上諏訪・下諏訪の側は浅い構造になっているので、この話は信憑性があると思うのだけど、最大水深7メートルほど(戦国時代はもっと深かったかもしれないが)の諏訪湖でまだ見つかっていないと言うのも不思議だなとは思った。

***

もう一つは10日の記事で、韓国の総選挙で投票所に長ネギを持ち込むことを禁止したと言う記事。これは何のことかと思ったら、特売ネギを見て「リーズナブルな値段だ」と発言した尹大統領に対して高騰する物価の実態を知らないのではないかと言う批判が集中し、「長ネギ(テパ)」が「大破」と同じ発音であることから「政権を大破しよう」と言う政権批判のシンボルになったのだという。

https://www.fnn.jp/articles/-/683695

一方で野党側も結構叩かれるネタはあり、選挙運動中の最大野党党首が「仕事するふりをした」と冗談?を言ったのが批判されたり、前政権で権力を握っていて汚職事件で訴追され、疑惑が玉ねぎの皮を剥くように次々と出てくることから「玉ねぎ男」と批判された曹国氏が新党を率いるなど、いろいろ話題にはこと書かなかったようだ。

https://www.bbc.com/japanese/articles/c51n502l5neo

結局野党の大勝に終わったようで、対日関係を重視してきた尹政権の基盤が揺らぐことは日本にとってもいいことはないのだが、日本の選挙もだんだん韓国の選挙に似てきているなと言う気がしたもののやはりほんまもんは違うなと改めて思ったりしたのだった。

***

まあ新聞ネタというのはやはり表面的なものが多いのでもう一つ面白くはないのだが、今日のところは。

「ワルプルギスの夜」と学校教育による世界観の科学化・近代化/言語論的転回以降の世界観の再非科学化についてなど

Posted at 24/04/17

4月17日(水)雨

昨日の夜遅くから、久しぶりに雨が降った。3月から4月にかけて雨が多かったからしばらく晴れて桜やその他の花もよく咲いていたのが楽しい気持ちになったのだが、今日は晴れていたらタイヤ交換に行こうと思っていたのだけど、朝のうちは雨が降るようなので明日にでもしようかなと思う。濡れたタイヤを収納するのはいろいろと面倒だから、タイヤ交換は路面が乾いた日にしたい。

このところ体調が微妙に気に入らないところがいろいろあるのだけど、目の使いすぎとか運動不足とかいろいろ考えられることはあって、良い生活の基盤は身体の爽快さみたいなところはあるから、その辺は整えていけたらなと思う。私は基本的に花粉症は大して出ないのだが、今年は割とくしゃみが出たり洟水が出たりはあって、ただ若い頃の一番酷かった時期の目も開けてられないとかくしゃみと洟水が止まらないとかかみすぎて鼻が痛いとか頭がぼーっとするというところまでは行っていないので助かっている。まあ体のこうした反応も一番ひどい時期を経験しているとそれほどではない、と思えるのはある意味気持ち的には楽だなと思う。

昨日はブログを書くのが午前中遅くまでかかってしまったのでその後の仕事が押せ押せになり、銀行の仕事も最低限になってしまったりそのほかでも仕事の打ち合わせをしたりで家に帰ってきてから郵便局に税金を払いにいく用事を忘れていたことを思い出し、昼食後に出かけた。なんだかんだとやることが多くて、頭の中がふわっとしてちゃんとやれているかどうかを後で確認しながらやっているという感じになっている。まあ4月のこの時期はいろいろと支払いが多いということもあり、そのやりくりみたいなことに意識を取られるということが多いのだが。

夜は夕食を食べてから横になりたい誘惑をなんとかクリアして入浴してから寝る。朝に入浴を回すと朝の仕事が滞るなと思ったからなのだが、そういえば「忘却バッテリー」の放送があるなと思ったけど寝るのを遅くするよりはと後にした。

***

朝5時ごろ起きてからブログに書くことを考えていたのだが、ちょっと思いつかない。Twitterにヒントがないかと見ると相変わらず男女論のツイートが多く、ちょっと食傷気味である。そんなにフェミニストの相手をすることもないのにと思うが、反論しておかないと押し込まれてしまうというのがwokeの怖さでもあり、まあ頑張ってくれてる人は頑張って欲しいという感じではある。

https://shonenjumpplus.com/episode/17106371853064374988

ジャンププラスをいくつか読んだが「エクソシストを堕とせない」で魔女のサバトを教会のエクソシスト達が手入れに入る、という場面が描かれていたのだが、感想を読んでいたら「次回更新はワルプルギスの夜!」と書いてあったので、そういえばゲーテの「ファウスト」にも「魔法少女まどか☆マギカ」にも出てきたなと思い、少し調べてみると4月30日から5月1日にかけての夜のことだとわかった。つまり冬から春になる祭典で、これはちょうど半年後の秋から冬になる「ハロウィン」と組になるのだなと思う。

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考えてもあまり良い案が出てこないので出かけることにし、車で少し離れたセブンイレブンまで行った。もう雨は止んだかと思っていたのだが走っている途中で結構雨が降ってきて、さて今日はタイヤ交換はやめたほうが良さそうだなと思ったり。モバイルSuicaをチャージしてマガジンと「葬送のフリーレン最新話掲載」と表紙にあったサンデー、それにコーヒーを買った。セブンのコーヒー、120円になっていてこういうものは容赦なく値上げしていくなあと思う。

私の書きたいこととか専門とかいろいろ考えていて、先程の「ワルプルギスの夜」のことを考えていて、悪魔だとか魔女だとかそういうことには多分詳しい人がいるだろうから自分があえて調べて書くほどのことではないなと思ったのだけど、そういえばヨーロッパでは「4月は残酷な月」だが、春の遅い地域では5月1日にメイデイ、いわば春祭りを祝うというのはどこかで読んだなと思う。

それが印象に残っているのはフランス革命についていろいろ読んでいるときに、革命はある意味民衆にとっては祭りだったわけだけど、革命1周年を記念する1790年7月14日の「連盟祭(革命記念日、パリ祭の起源)」でこのメイデイを象徴するメイポールが建てられたりこの祭典の当時の土俗的な民衆文化との延長線的な性格についてもどこかで読んだなということだった。(多分この本だったと思う)

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フランス革命は近代の始まりを告げる市民革命ないしブルジョア革命だと言われているわけだけど、1980−90年台の革命200年の時期に出てきた新しい研究の中でより古俗的な性格の残存についても指摘されていたのだが、そういう意味ではこの革命の時期自体はまだ「近代」ではないのだよなと思ったわけである。

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例えば「ファウスト」を読んでいると、ゲーテが描く「ワルプルギスの夜」というのはかなりリアリティがあるというか、彼自身がその世界に生きていなければそういうリアルは描けないのではないかという感じがある。ゲーテは光学を研究した科学者でもあり、また文豪であるだけでなくフランス革命軍(市民の徴兵の軍隊)がドイツの諸侯軍に初めて勝利したヴァルミーの戦い(1792年9月20日)に従軍し、「この日、この場所から世界史の新しい時代が始まる」と記したことも知られている、歴史感覚の持ち主でもあったわけである。そういう彼が民衆感覚をリアルに描き出すことができたのは、少なくとも一般の人々がそういう世界に生きていたからだろうと思うし、また彼自身も半分はその世界に生きていたということなのだろうとも思う。

「近代」というのも定義の仕方はいろいろあるけれども、「近代」と「前近代」の何が決定的に大きく違うのかといえば、人々が民話や伝承、素朴な信仰などの世界に生きていた時代から、それらは「迷信」であるとか「非科学的」であるとか民衆自体が考えるようになるという変化が起きた時代以降が「近代」だ、という考え方ができると思う。そうなるとつまりそれは民衆に広範に公教育、特に義務教育が施されるようになったことが大きな転機になると考えられるわけで、それはつまり19世紀である、ということになる。

近代の公教育がそれ以前の民衆教育とどこが違うかといえば、一つには国家による網羅性の問題があり、もう一つには教育が科学的・合理的精神によって行われた、ということにあるだろう。近代国家の支配の及ぶ地域ではあまねく人々に科学的・合理的精神が叩き込まれるようになるというのは、古い神々への信仰の終焉を意味するし、キリスト教世界などにおいても非合理な神学的要素をなるべく合理的に解釈しようとするような動きも生まれてくる。

なぜ学校教育がそのような動きを推進したかといえば、近代国家および近代資本主義社会が必要な人材を育てる必要に迫られ、それが学校教育の役割になったからなわけで、つまりは徴兵されて戦える兵士としての教養、工場労働者として働ける最低限の知識、というものが民衆教育に必要とされたからだ。軍隊も商工業も最低限の科学的知識・合理的思考が必要とされる場所だから、それのできる人材を育成することが初等教育の使命だったわけである。

そういう過程で、民衆的な信仰や感覚、「ワルプルギスの夜」とか「魔女」とかは近代の学校教育や産業革命、徴兵制などによって根こそぎにされていき、文学の中でもそうした信仰が誰もが共有できる感覚としては描かれなくなって、むしろ否定的に描かれるか、よりフィクションの世界の中で楽しむものになっていったわけである。

まあ人は合理的にのみ生きるものではないからその後も民間信仰や都市伝説、西欧的近代化の浸透度が低い地域の信仰や哲学などが近代化された社会に流れ込んでオカルトブームやスピリチュアルブームが起こったりすることもあるわけだし、また国家による一元的な学校教育制度が作られず州によってさまざまな違いが生まれたアメリカ合衆国がむしろキリスト教信仰に熱心な国として残ったりするなど、世界は一様ではないわけだが、イスラム教世界における近代科学の受容過程などその点について知りたいことは結構あって、「世界観の近代化過程」みたいなものはもう少し考えていけると面白いかなとは思った。

1968年の文化革命以降は特に科学的真実・客観的事実よりも個人の主体性による認識の地位が強められ、「言語論的転回」の中で科学的記述の中にも階級制や性・人種などの問題が内包されているというような指摘が出てきて生物学的性とは別に本人が主張する性が重視されるようになるなど、ある意味再度の「非・科学化」が起こってきているという側面も現代にはある。知識人であるはずの大学人が原子力発電所の危険性や事故後の福島の状況を過度に危険視する言説をばら撒いたりするのもそうした「非科学化」の一環だろう。こうした現象を全体的にどう捉えるかという視点が現代に最も必要とされていることかもしれないとは思う。

そういう意味で、その前段階である「世界観の近代化過程」を見ていくことは現代にとっても意味のあることかもしれない。

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