パリの人々の心を知る/若者の傷つきやすさ/イスラエルの加害性否定教育/「ごぜほたる」ユキさんの激しい叱責の意味

Posted at 24/04/30

4月30日(火)雨時々曇り

昨日は母や兄妹と蓼科に桜を見に行き、蓼科湖畔でそばを食べて帰ってきた。連休で結構道路は混んでいたし蕎麦屋も結構順番待ちになったが、それでもまだインバウンドもこの辺りまでは波が押し寄せてないのか寺の参拝客も蕎麦屋の客もほとんどが日本人で、やはり銀座や浅草とは違うのだなと思う。富士山も写真を撮る客でかなり迷惑しているそうだが、まあ観光で生きるというのはこういうことなのだよなと日本人が知る機会を持てたのは逆説的だがよかったのかもしれない。80年代にパリのブランドショップに行列を作っていた日本人客を恥ずかしく思っていたけれども、今は迎えるパリの人々の立場に我々はいるのだよなと思う。まあ観光もほどほどにしてもらいたいところはある。

というようなことで疲れが出てしまって昨日は5時ごろ母や兄弟が帰った後、グテーっとしてしまって、夕食は残り物でなんとか済ませたがそのあとはもう8時前にうたた寝に入り、11時ごろにちゃんと寝床に入ったが、5時前まで寝てしまった。9時間そんな感じで睡眠していたのはまあ久しぶりだなとは思う。

今朝もなんとなく疲れが残っていたあまり頭が動かないし朝起きてからセブンにジャンプを買いに行ってジャンプラと合わせて読んでいるのだがあまり積極的に読む気が起きなくて飛ばしながら読んでいる感じ。スピリッツとヤンマガは先週が合併号で今週が休みだから、来週はスピリッツとヤンマガが出てジャンプは休みということになるのだなと思う。

「若者の傷つきやすさ」を全面に押し出してくるのが思想化するとかなりヤバいのではないか、と思うようなことがいくつか最近見聞きして、人類の種としての劣化退化みたいな感じがしてくるな…ということを思ったりした。

イスラエルの教育とかの話を聞いていると、「加害者としての矜持」という意識が足りないよなと思う。言葉を変えて言えば、業を背負って生きる覚悟というか。生きているだけで人は他の誰かを傷つけているのだから、それに対する惻隠の情を持つべき、ということとか。被害者であるという安楽さに逃げるなというか。まあそう話を大きくするとこれはイスラエルに限ったことではないのだが。

https://nordot.app/1151511549889872579

そんな話を考えながらジャンププラス「ごぜほたる」の最新話の瞽女のリーダーの主人公ホタルへの激しい説教を聞いていると、こういう強いしつけが必要な時代があり、またその躾の仕方の合理性というか「知るべきことを叩き込む」ということはあるのだよなと思う。

https://shonenjumpplus.com/episode/17106371853177785848

そして一方でリーダーたるゆきさんが激しく叱責することでホタルが迷惑をかけた村人からも同情され、結果的にホタルが守られるということもあるのだよなと思う。

昔のやり方が全て良くないというわけではない、という話が現代の最先端の漫画作品にも描かれるのは、良いことだなとは思った。


連休のとある一日/「昭和の日」に能條純一「昭和天皇物語」を読む/「老害」という言葉による批判の正当性と排除の不当性

Posted at 24/04/29

4月29日(月・昭和の日)

今日は昭和天皇誕生日、昭和の日。最低気温は13度、割と暖かい。昨日は26度台まで上がり、初夏らしい陽気になった。母が一時帰宅。少し調子が悪いというのでしばらく寝てもらう。回復してから兄弟たちとラーメンを食べたり。夕方になってから母の友達のところ(私も世話になっているが)のところに出かける。電話して行ったが出なかったのでどこかに出かけているのかなと思ったのだが、とりあえず行ってみると奥さんの姿が見えたので声をかけたら、二人で畑で作業していたらしい。ここ数年会えていなかったので、母も喜んでいたのでよかったなと思う。立ち話しかする時間がなかったのだが。

それから昼前に行こうと思っていた湖畔の方に出かけ、買い物に出ていた妹たちも合流し、諏訪湖畔のカフェ(もう夕方で閉まっていたのだが)を見に行ったりまだ残っていた湖畔の枝垂れ桜や八重桜を見たり。夜は下の妹が餃子を包んでいたので手伝った。大丈夫かなと思ったら美味しくできていたのでよかった。夕飯後はいろいろな話をして、11時ごろには寝た感じだった。こういう連休の過ごし方もいいだろう。

***

この間二・二六事件について書いたがその辺りのところを「昭和天皇物語」を読み返した。軍人間の派閥争いや軍人の横暴さみたいなものが描かれていて興味深かったが、今でこそこういう図式も百万回くらい語られてきているからこういう局面も避けられなかったことのように思うけれども、当時を生きていた人たちにとっては常に新しい出来事だったわけで、古い貴族たちや政治家、天皇ご自身や皇族方など、日々新しい知らない事態の中で常に決断を迫られていくような、ヒリヒリした状況であったのだろうなと思う。1936年は1889年に明治憲法が成立してから47年しか経っていないのだが、すでに憲法が定めた体制が破綻しつつあったわけで、それぞれの登場人物がどのように描かれているかを見ていくとともに史実を元にした小説作品をさらにマンガ化していくに当たって能條純一さんの鋭利な絵柄がこの緊張感を出す上で大きな役割を果たしているのだなと思った。

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***

老害という言葉があるけれども、高齢者もしくは中高年が若者の邪魔をいろいろな形ですることを指すわけだけど、まあ考えてみれば失礼な話で、若者の方が社会に害をなすことも少なくないわけだからこういう決めつけた言葉は取扱注意だとは思う。

ただ人間は一度は誰しも若者だったから、上の世代に阻まれて自分たちが正しいと思うことが実現が難しくなったりすることは誰でも(というか多くの人たちが)経験しているから、「老害」という言葉に共感を持つわけである。例えば、二・二六事件の時の将校たちも「わかってくれる」皇道派の将軍たちを頼りにしたり反対派の軍幹部や政府上層部などに対しては「老害に物を言わせてやった」みたいな感覚もあっただろうと思う。昭和天皇の強い意思や偶然によって結局自分たちが鎮圧される側に回った時、結局頼りにならなかった皇道派の将軍たちに対しても「老害だ」と強い怨念を持ったに違いないだろうなと思う。

現代においても、左派進歩派は「価値観をアップデートしろ」と言って新しい奇矯で生硬な思想を無理矢理人々に押し付けていって、それに反対する、あるいは順応できない人たちに「老害」「ミソジニー」「レイシスト」「ヘイター」などとレッテルを貼り付け、糾弾するだけでなくオープンレターなどの手段を用いて口封じを画策したり、場合によっては「差別者とは対話をしない」などと自ら窓口をシャットダウンしたりもするわけである。

こういう圧力は、左派進歩派でない人たちであっても「昔の感覚」よりは「今の感覚」を重視する人たち、若者の意見を尊重しないといけないと考える人たちによってむしろ高齢者の考えや中高年の感覚を批判するために老害という言葉が使われ、結果的に喋らせないようにする、みたいなことはよく起こっているのではないかと思う。

しかし老害と罵られようと昔の人たちの昔の感覚の方が実は妥当であり、正しかったのではないか、ということはそんなに少なくはないわけである。時流に乗って若い軍人たちに同調しようとしていた「進歩派」がどういう惨禍をもたらしたかはいうまでもないわけであり、高齢者にも中高年にも発言の権利や正当性はあるわけで、それを封じるのは間違っているだろうと思う。

彼らの意見を聞くかどうかはもちろん聞く側の判断によるのだけれども、「老害」という言葉が「批判」に止まっているうちはその批判の正当性というものはそれなりにある場合も多いとは思うが、「排除」になってしまうと社会や組織にとって必ずしも良いことかとは思う。もちろんそこには権力関係があるのでそこでの抗争において排除せざるを得ないみたいな政治抗争・権力抗争はあると思うが、それは「老害だから間違っているから排除した」というような単細胞な理解ではなくて、「権力闘争の結果高齢者の意見を排除してとあるグループの意見が主導権を握った」のだというより引いた理解をする必要はあるのだと思う。

連休二日め/「ふつうの軽音部」20話をスピッツを聴きながら読む/日本の現状の良いところは評価しよう/地震で増えた領土の活用

Posted at 24/04/28

4月28日(日)晴れ

連休二日目。とは言え私は昨日は仕事だったのだが。午前中はクリーニングを出しに行ったり銀行にお金を預けに行ったり。夕方妹が来たのでご飯を食べて少し話をし、9時半過ぎに下の妹が駅に着くので迎えに行ったり。二人とも身辺でいろいろ動いているようで、まあなかなか人生というものは人生というものだなと思うなど。少し寝るのが遅くなった。

そんなに暑くはないはずなのだが、どうも寝苦しくて4時前に目が覚めてしまい、腰が何となくおかしいことに気づく。少しお茶を飲んだりして入浴して体を温めるとだいぶ楽になった。もう一度布団に戻って少しうとうとして、だいぶ明るくなってきたこともあって起き出す。

https://shonenjumpplus.com/episode/17106371853177785361

寝る前に少し「ふつうの軽音部」の更新を読んだのだが、起きてからもう一度(二度三度)読んだ。鷹見ー彩目関係のところは読んでいてもあまり気持ちよくないから二度目以降は飛ばしてたまき先輩のところ、水尾くんのくだりを何回か読んだ。ルーキー版では水尾くんはそんなに大きな存在ではないので水尾くん関係の描き方が初見という感じでどう持っていくんだろうといろいろ興味が湧く。

20話でちひろ(今まではとっちと書いていたが、たまきがちひろちゃんと呼ぶというのと桃ちゃん厘ちゃんが出てこないのでより内面的なストーリーの感じがあり、ちひろと呼ぶ方がふさわしい感じがする)はたまき先輩の前でスピッツの「スピカ」を歌うのだが、多分有名な歌だと思うのだけど私は知らないので、今iTunesでDLしてミニコンポで聴きながら読み直したのだが、エモいとはこういうことかと思う。今までは絶叫型の歌が多かったけど、こういうバラード的な歌がたまきに初恋の人(同性だけど)と面影を重ねさせるというのは本当に歌唱力が上がったということなんだなと思う。ていうか選曲がやばすぎである。それによく読むとちひろが「そろそろ掴めそうなんだよな・・弾き語りの「核心」・・・」とかやばげなことを言っていることも今気がついた。期待させんなよ(笑)という感じ。

最近はいろいろ考えさせられることが多いのだが、こちらも少しはまあ、考える余裕が出てきたということなのかもしれない。いまだになかなか大変な部分は多いのだが、前進はしていると言えばいいか。

窓から外を見ると、草木もみずみずしい緑で気持ちが良いのだが、木の枝を切ったり草を刈ったりの仕事も出てくるわけでまあどこまでそういう手入れもできるのかわからないなとは思うのだけど、

そういうわけでやや内面に沈潜している部分もあるので気軽にいろいろ書くという感じでもないのだが、一つだけ書いておくとこのコラムが印象に残った。

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2024-04-25/SCGX1IT0AFB400?utm_content=buffer91a1a&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer

要は、日本の現状について日本のマスコミや知識人はどうしてもマイナス面を見るけれども、前向きに評価すべきところは評価すべき、というのは本当にそうだと思った。K-POP市場が50億で日本のアニメ市場は300億、というのは人口比を考えると規模の大小比較は難しい気もするが、コンテンツの発信力でK-POPに必ずしも負けてるわけではない、というのはそれはそうなんだなと思う。

後、もうひとつツイログ見てて思い出したのが能登で地震後に海岸が隆起してさまざまな困難が起こっているが、海岸沿いの道路を復旧するのに隆起して陸地化した部分を活用する記事がなるほどと思った。

https://www.chunichi.co.jp/article/891016

まあコロンブスの卵というほどでもないかもしれないし地盤がどれくらい丈夫なのか気になるところはあるが、せっかく拡大した領土なので活用されると良いなとは思った。


「2.5次元の誘惑(リリサ)」自分の気持ちをxと置いてみるということ/自分がどんなものからどう影響されてきたか/2.26事件の際どい綱渡り/若者はなぜフェミニズムが嫌いか

Posted at 24/04/27

4月27日(土)曇り

朝から天気がはっきりしない。昨日は少し仕事が忙しく、ちょっと疲れた感じはある。夜帰ってきて食事をし、電話をかけると言っていた友達にかけたらもう眠くて無理という状態になっていたので、電話にとっておいた元気が余ってしまってちょっとスマホゲームをやって寝たらどうも眠りが浅くなった。なかなか調整が難しい。

昨日は午前中母を病院に連れて行き、帰りにツタヤに回ってコミックゼロサムを買って帰る。読んでいる「Landreaall」も「神作家紫式部のありえない日々」も面白かった。仕事は決算書類を受け取ったりあれこれあって、夜も少し遅めになった。

***

若者はなぜフェミニズムが嫌いか、という記事を読んでいて、その記事中に「男性特権」だの「男性の加害性」だのの単語が出てきて、まさにそういうところが嫌われているのに理解してないな、と思った。「男性特権」などという言葉は「在日特権」のような「ネトウヨ」の用語と変わらないし、「男性の加害性」も一方的すぎて人間なら加害性のある女性もいるし加害性のある男性もいるという当然のところをなぜか飛び越してしまっているのは「〇〇人は怖い」というヘイト的なレイシズムと何も変わるところがないわけで、そのようなところを乗り越えてこない限りフェミニズムが若者に受け入れられることはないと思う。この辺りの差別性はもっと明らかにされていくべきではないかと思う。

***

とあるきっかけがあり、二・二六事件の概要をじっくりWikipediaで読みこんでしまったのだが、昭和天皇が憤激してはっきり反乱軍の討伐を命じたことはともかく岡田首相が生きていたという幸運な偶然が場面転換の大きな要因になったというのはいろいろ考えさせられた。もし岡田首相が死んでいたら必然的に内閣総辞職だからそこで激しい駆け引きが行われた可能性があったわけで、本当に鎮圧の方向に迎えたのかということを考えてぞっとした。

天皇の意思だけでは反乱軍の討伐にすぐには動けず、陸軍省を反乱軍に占拠された責任も誰も取らなかったというのはかなり酷い状態で、明治憲法体制がいかに機能不全に陥っていたかということだなと思う。

陸軍の粛軍が不十分に終わったこと、特に統制派がこの機を最大限に生かして陸軍を牛耳ったことが最悪の結果を招いたが、要は常識的な軍人が絶対的に不足していたことが大きかったのだろうなという気がする。エリート意識と世間からの蔑視の両方で当時の軍人の精神状態はやはりあまりよくなかったのではないかという感じはある。

二・二六事件当時の陸相は中立派の川島義之で反乱軍に同情的な皇道派に引っ張られそうになったが、昭和天皇に直接討伐の意思表示をされて受け入れざるを得なくなったことと参謀次長(参謀総長は閑院宮)が統制派の杉山元で天皇の意思を奉戴することが統制派が皇道派を追い落とすチャンスと認識して強硬姿勢に出たことが大きかったといえるのだろうな。それでも岡田首相が死んでいたら事態の流動化はまだ続いた可能性があるようには思う。

宮中グループなども討伐に向かうというところまでは良かったが陸軍全体を抑え込むことに失敗したのはすでに満洲事変の「成功」で軍の発言力が相当上がっていたということが大きいのだろうと思う。やはり満洲事変が最大のポイント・オブ・ノーリターンであったということなのだろうと思う。

***

「自分が訓練されている規律権力(フーコー)」に自覚的であること、という言葉を読んでいろいろと思うところがあった。自分が受けている規律権力、というほどのものがどの程度あるのかはわからないが、今まで生きてきた場面の中で無意識のうちに影響を受けているものはいくつかあって、そういうものは言わば深層心理とか行動様式、生活様式などにまで及んでいることはあるので、自分の好き嫌いに関わらず影響を受けてきたものに対しては一度振り返ってみたほうがいいのではないかと思ったのだった。

言葉を変えて言えば、「自分がどんな倫理を持っているか」ということは「自分がどんな「神」を信仰しているか」ということなので、自覚しておいた方がいいのではないかと思ったということである。

多分このフーコーの言葉はそういうことを言っているのではないかもしれなくて、この言葉を書いた人もむしろ現代のリベラリズムのキメラ性というかそういう部分の批判として言及していたと思うのだけど、それを自分に当てはめて考えてみると結構考えさせられるものがあるな、ということである。私は基本的に保守論者なのだがそれでも昔ながらのしがらみみたいなものはやはり苦手な部分が大きいし、新しいものもかなり好きなので、伝統こそが正しいとか伝統のみがあれば良い、のように思うわけではない。保守になっているのはむしろ左翼やリベラルの方がどう考えてもおかしいという非・常識性を感じるからで、積極的な保守反動というわけでもないのが面倒なところである。

自分は影響を受けてきたものから逃れようと思って今を選択しているという面では、ある意味一般のリベラルや左翼の人たちと似ているところはあるのだけど、影響を受けてきたものが自分にどんな影響を与えているのかを検証するということはしておきたいなと思ったのだった。その方法についてはまだ思い付いてはいないのだけど。

***

今日更新のジャンププラス「2.5次元の誘惑(リリサ)」161話「愛のゆくえ」の感想を少し。(まあこの副題がある種内容を暗示しているわけだけど。)

https://shonenjumpplus.com/episode/17106371853177784939

簡単にいうと「最高」だったのだが、まずまゆりが高校生の時初めてエリの手を握った、その気持ちがわからなくて「とりあえずxと置いた」という書き出しが小説のようで最高だった。その後、そのxが何だったのか、の答えを探して彷徨することになるのだけど、その答えが今回出た、ということなわけである。

その展開は読めばすぐわかるので書かないのだけど、まゆりとエリの関係性というのはまゆりの生徒である奥村やリリサにも大きく関係してくる。最近のリリサは前のように奥村に気軽に抱きつく、みたいなムーブがなくなってちょっとさびしいのだが、あの春合宿以来,ある意味大人になったということなんだろうかと思ったりはする。

あの春合宿は「全力の私小説」という感じだったからあの時できた作品を一般に頒布したくない、というのはその点から見たらわからなくはないということは、最近少しずつ思うようになってきた。全力で作ったが故に商業を目指して作ったものでは無くなったので、というか。

あの辺から私にとってはこの作品は手放しで面白がれる作品ではなくなっていて、考えてから同意したりやはりそうは思わないなと思ったりするような作品になってきている。アニメ化直前ということで本当はもっと無邪気に盛り上がれた方が楽しいとは思うのだが、まあ作品との付き合い方がそうなってきているので仕方ないなとは思う。

「忘却バッテリー」もそうだが、アニメ化によって新たな客層が流れ込んでいる感じがして、ジャンププラスのコメント欄も昔からのノリみたいなものだけでなくある種の戸惑いみたいなものがあったりする。この女性同士の愛というのも以前からの読者なら「まゆエリいいよね♡」で済んでしまうのだが、「今女性同士の同性愛を描くことの意味は・・・?」みたいな問いを立ててしまいがちな層もまた流れ込んでいるような気はするし、シンプルにそういうものの重さみたいなものを感じてしまう人もいるんだなと思った。

そういう意味では作品を純粋に楽しんでもらった方がいいと思うのだけど、それに止まらない深さとか熱さとか重さとかがあるからこそのこの作品でもあるので、多様な受け止め方があるのもまあ仕方ないのかなとは思った。

というようなところで。


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