君塚直隆「イギリス国王とは、なにか 名誉革命」を読んだ:財政軍事国家についてと多彩なエピソード群/「仏領ニューカレドニアにおける暴動」と何かと問題のあるフランスの植民地支配
Posted at 24/05/17 PermaLink» Tweet
5月17日(金)晴れ
昨日は午前中はなんだかんだと会計処理をやってもらったり近くはじまる近所のガス管工事の人といろいろ話をしたり。なんだかいろいろある。
昨日は君塚直隆「イギリス国王とは、なにか 名誉革命」を読んでいて、今朝読了。新しく知った、というか確認したこととしては財政=軍事国家についてだろうか。公債を引き受ける中央銀行という制度をオランダから持ち込んだのがウィリアム3世だ、というのは名誉革命の重要性をさらに高める話だなと思った。ジョン・ロックがメアリ2世と同じ船で帰国したという話も面白いし、名誉革命だけに絞って一冊の本にしてもよかったのではないかと思うが、著者はイギリスの「国王像」というのはこういうもの、というのを描きたかったのだろうなと思う。
細かいことで言えばハノーヴァー朝最初の王であるジョージ1世は何度もハノーヴァーに里帰りし、死んだのもハノーヴァー領で、百年戦争中のヘンリー5世以来の「外国で死んだ王」になった話など、自分が読みながらいろいろ調べたことも加えるとエピソード満載になったので、その辺りはとても面白かった。私はもともと世界史を高校で教えていたので、今授業をしたらこれも言いたい、あれも言いたいみたいなことがたくさんあるなと読みながら思った。高校生や世界史の先生が読んでもとても参考になる本だと思う。
以下時間がないのでツイートしたものを羅列してみます。
***
・イギリス・スチュアート朝最後の王であるアン女王はデンマーク王子と結婚して17回妊娠したが流産・死産・早世で一人も育たず、又従姉妹であるハノーヴァー選帝侯妃ゾフィーが王位継承者となったが、アンより2か月早く死去したためその長男選帝侯ゲオルクがイギリス王ジョージ1世として即位したと。
・スチュアート朝初代ジェームズ1世が議会と衝突した理由はいろいろあるが娘のエリザベスの婿プファルツ選帝侯が三十年戦争で領土や位を奪われオランダに亡命したりしてたのでそれを助けるために戦費を必要としたという話は初めて認識した。
・北米のオランダ植民地ニューアムステルダムは第二次英蘭戦争でヨーク公ジェームズに奪われ、彼にちなんでニューヨークに改称されたと。彼はのちに即位し名誉革命で追われるジェームズ2世だったと。
・アン女王の時代にイングランドとスコットランドの合邦が進められたのはイングランドにおいては王位継承法によってカトリックのジェームズ2世とその子孫の継承を排除したもののスコットランドではジャコバイトの勢力が強かったため、スコットランドが違う判断を下さないようにするためだったと。
・ジョージ2世は治世中12回ハノーヴァーに滞在し、1743年にはオーストリア継承戦争中自らイギリス・ハノーヴァー・オーストリア連合軍を率いてフランス軍と戦った(デッティンゲンの戦い)。自ら軍を率いて戦った最後のイギリス(グレートブリテン)王になった。
・第二次英仏百年戦争は1688プファルツ継承戦争=ウィリアム王戦争、1701スペイン継承戦争=アン女王戦争、1744オーストリア継承戦争=ジョージ王戦争、1756七年戦争=フレンチ・インディアン戦争などがあるが、私が高校生の頃はファルツ継承戦争と習ったが今ではプファルツ継承戦争・(アウグスブルク)同盟戦争・9年戦争などと呼ばれているのだな。
・ジェームズ1世の娘エリザベスはプファルツ選帝侯妃となるが、三十年戦争で領地も称号も失うのだがウェストファリア条約で息子が回復する。しかし孫娘のリーゼロッテがルイ14世の弟オルレアン公フィリップの妃となったため、リーゼロッテの兄が死ぬとルイ14世は彼女の継承権を主張してプファルツ継承戦争を起こす、という形でつながっていく。
・ウィリアム3世が政治・軍事的には勢力均衡政策を進め、経済・財政的にはイングランド銀行を創設して軍事費を賄う公債を発行し議会が保証する仕組みを作ったために植民地帝国を築く軍事費が調達できたと。財政=軍事国家。
・「長い18世紀1688-1815」の間の日本の政権は江戸幕府だが、将軍で言えばほぼ5代綱吉~11代家斉の前半に当たる。この間に国力はどれくらい伸長したか、あるいは衰えたか。富国強兵策の萌芽はほぼ田沼時代に限られ、他は緊縮型の改革が何度か行われたのみ。主要な政治家は綱吉・新井白石・吉宗・田沼意次・松平定信。まあ戦争相続くヨーロッパは全く別世界ではある。
***
最後はエリザベス2世の英連邦内の統合の「生きた象徴」としての行動や、外交における存在感、ダイアナ事件で国民の支持を失いかけた時に積極的に王室を広報する戦略に転換し、崩御の際には国民の信頼を回復したことなどが書かれていたのだけど、残念だったのはサッチャー時代の新自由主義政策やマルビナス(フォークランド)戦争において女王がどのようなスタンスだったのかなど、よりリアルな局面についてのコメントがなかったことかなと思う。でも全体にはとても面白かった。
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いろいろここ数日は日光や松本の山間の家での緊縛強盗事件の犯人がベトナム人だったらしいとかあったのだが、今朝ニュースを見ていてそんなことが、と思ったのがフランス領ニューカレドニアの暴動だった。
最近ちらっとTwitterで「ニューカレドニア」という文字を見かけてはいたが、フランス系住民の投票権を拡大するニューカレドニア憲法のパリの議会における採決に反発した暴動が起こっているのだという。住民の意思が反映されない憲法改正って普通にすごいことをやるなフランスも、と思う。
https://www.cnn.co.jp/world/35218986.html
ニュースでは当局がTikTokを遮断したとか言ってるけど、そんなこと簡単にできるのかなと思う。千葉県だけTwitterを遮断するとかは可能なんだろうか。
https://digital.asahi.com/articles/ASS5J5T23S5JUHBI02LM.html?pn=4&unlock=1#continuehere
フランス領ニューカレドニアは「天国に一番近い島」だったか、日本では観光地としてしか認識されてないけど、独立運動が盛んな地域でもある。フランスの植民地支配は昔から下手で、インドシナもアルジェリアも独立の際に揉めまくったけど、まだ似たようなことやってるのだなと思う。イギリスがさっさと引き上げて混乱を後に残すのに比べ、フランスは最後まで自分が関わろうとして憎悪の対象になってしまい、独立後も関係が悪くなるという感じ。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240516/k10014450861000.html
へえっと思ったのは、ニューカレドニアは人口27万でそのうち4分の1が白人(フランス人だろう)で、日本移民の子孫が1万人いるということ。これはあまり知られていないだろうし、研究はあるのだろうかと思う。近年は中国の進出が著しいとのことだが、この暴動の背景に中国の動きはあるのかということも気になる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a1b967312295eab5ad22257b4c229c1c1f86cca5
日本は、というか岸田外交は中国の太平洋進出に対抗してフランスをこの地域の安全保障に引き込もうとしているのだけど、肝心のフランスがこういう形でもたもたしているのではなかなか大変だなと思う。ニューカレドニアが独立すべきなのかどうかはともかく、中国側に追いやるような政策はフランスにはしてほしくないし、日本外交も気をつけてもらいたいと思う。
アフリカ植民地からフランスが引き上げたときも行政官たちが書類一枚残さないで去ったとか、フランスは結構めちゃくちゃなことをやることがあるので、なかなか不安な部分があるのも確かなのだけどと思う。
小説やマンガ、創作に描かれている「大人」の存在感の薄さと日本の言論の幼稚さ
Posted at 24/05/16 PermaLink» Tweet
5月16日(木)曇り時々少し雨
昨日はいろいろなことがあり何だか忙しかったのだが、どういう状況なのかを動きながら考えないといけない感じが少し出てきて、まあ立ち止まってばかりいればいいというものではないからそれはそれでいいような気はするが、少し気が昂って眠りにくくなっているのがやや難点。昨夜も寝る前に少しうたた寝はしたがちゃんと就寝したのは11時を過ぎていたのに、目が覚めたらまだ3時で、お茶を飲んで頭の中のことを書き出してみて、もう一度寝ようとしてみたが眠れず、4時にはちゃんと起きてしまった。いろいろ考えることが多くて困るが、まあ中にはいい話もあるので、明るく前向きな気持ちでなんとかしていきたいと思う。
「日本が変わるためには大人が幼稚さから脱しなければならないとダメで、近代の象徴である文学に幼稚さが残っているから、そこをなんとかしないといけない」という言説を読んで、芥川賞の受賞作品をずっと読んでいた時期があるのだけど、面白いことは面白いけど大人が描かれている作品というものを感じたことはなかったな、ということは思い出してみて思った。
文学を遡ってみても、小説の主人公が責任を持っている大人、みたいな話はなかなか思いつかない。小説というのは基本的に青春小説だ、みたいなところがあって、主人公も若者が多いし、若いが故の失敗みたいなものや少数者としての差別との戦いみたいな感じなのはあっても、「戦われる側」が主人公だったりする話はなかなかない感じはある。
大衆作家であれば、城山三郎や塩野七生など歴史的な「大人」を取り上げた作品が思い浮かぶが、純文学ということになると志賀直哉や小林秀雄(批評だが)ぐらいまでは遡る必要が出てくる感じはする。批評的な要素が強くなるが橋本治などは割合そういう作家かもしれない。
カズオ・イシグロなどは日系の作家であっても大人が書けていると思うし、何れにしても大人が読んで生き方の参考にできるような、エンタメに特化したわけではない小説というものは確かに必要だろうと思う。
小説だけでなくマンガや創作全般に関してその中に描かれている「大人」の存在感が薄いことが多い。最近読んだマンガの「龍と苺」が面白かったのは、「大人が書けている」ことが大きいなとは思った。
創作の分野では特に小説はポリコレというか架空の若者、ないしは若者のつもりの中高年に向けて書いたものが多い気がするし、そういうものが今の日本の言論の幼稚さみたいなものを生んでいることはあるかもしれない。
逆に言えば、日本の文学にしろ創作分野にしろ、子供や若者に向けて書かれたもの、彼らを主人公にしたものが圧倒的に多いのは、「そういうものを読み慣れている」と理由がかなり大きいのだとは思うが、日本においては子供というものがある意味特権的な地位を占めているということはあるのではないかと思う。漫画においては「高校生・高校時代」というのが特に特権的な感じに最近はなっている。
そうなっているのは伝統的に日本の文化にはそういうところがあった、というのが「逝きし世の面影」などに描かれていると思うのだが、子供はとにかく無邪気に可愛がられるという文化があった。欧米では基本的に子供は「小さな大人」だから、大人になるために躾けられ、教育され、鍛えられる存在であり、子供時代はむしろ陰鬱な感じに描かれていることが多いように思う。
子供というものは基本的に「自由だが無力な存在」であるわけで、日本ではその自由さが愛でられてきたわけだが、欧米ではその無力さに焦点が当てられて鍛えられる、という感じがあり、それからドロップアウトして「怒れる若者」になったりするのもやむを得ない、みたいな感じはある。
日本の作品でも、「怒れる若者たち」を描いた、例えば「NANA」などでは子供時代は基本的にそんなに幸福な時代とは描かれていないわけで、「幸福な子供時代を幸福に描く」こと自体が日本の作品の大きな特徴だから、「いつまでも子供でいたい」と思う大人が大量生産されるのもやむを得ない、という感じはある。
エンタメに特化しておらず、社会問題とかにも傾斜しない、人としての大人が描かれている作品もむしろマンガの方が多いくらいだと思うのだけど、今の極端な言動をする政治家や学者や運動家などをみていると、実際何を読んで育ったのだろうという気はする。
まあ何をどうしたらそうなるというものを思いつくわけでもないが、問題意識だけでも持っておけば何かが違ってくるかもしれない、のではないかとは思った。もっと考えないといけない。
***
君塚直隆「イギリス国王とは、何か 名誉革命」(NHK出版、2024)を読んでいる。114/151ページ。名誉革命前後の事情を読みながらウェブで調べていたりしたのだが、結構知らないことが多くて、それを知って理解するだけでもかなり楽しめた感じがした。考えたことなどまたまとめて書きたいと思う。
日本における「メディアとネット世論の関係」は健全か/「古いものは古いだけで正しい」/シャープの液晶パネル撤退/少ページ毎回連載か多ページ集中連載か/など
Posted at 24/05/15 PermaLink» Tweet
5月15日(水)曇り
なんだかんだとやることが多い。昨日は午前中はブログを書くのに時間がかかり、その後銀行に行ったり仕事の買い物をしたり。なんだかいろいろバタバタする。昨夜は夕食後少しうたた寝をして11時過ぎには寝て、4時に起きた。しかしなんだかんだともう7時半近く。朝はマガジンとサンデーを買いに行き、職場で少し用事をして帰ってきた。今日は大安、七十二候は竹笋生(たけのこしょうず)、二十四節気の立夏の三候。そして五・一五事件から92年。ものすごい大昔に感じるが、私が生まれた1962年からすれば30年前なのだよな。自分が生きてきた時代の長さがすでに「大昔」に匹敵するのは驚きだが、五・一五事件からの年月のすでに3分の2を生きているのかと思うと歴史というのは自分の人生に地続きなんだなとは思う。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240514/k10014448831000.html
朝テレビを見ていて印象に残ったのは、シャープが液晶パネル事業から撤退するというニュース。スマホ向けなどの中小液晶パネル事業も縮小するということで、これ自体はグローバル資本主義においては致し方ないことなのだろうとは思うのだが、液晶パネルも戦略物資的な側面もなくはないので、国内での生産がほぼゼロになるのは大丈夫かなという気はしてしまう。
今のシャープは親会社が台湾のホンハイなので日本の国家戦略に従属させるわけにはいかないとは思うのだけど、経済産業省や防衛省がどう考えているのかは気になるところではある。経済安全保障担当大臣は高市早苗さんだが、彼女の見解も聞きたい感じはする。まあコモディティ化した製品だから重要度は低いという見解だとは思うが、マスクや砲弾の轍を踏まないようにはしてほしい。
「龍と苺」191話。以下ネタバレあり。相変わらず未来編の語り手は山野辺ミクでいくのだなという感じ。苺の正体は未だよくわからないが、今回の相手の棋士もかなりの設定。5年間昏睡状態で目覚めていないがVR空間で自由に行動し研究している棋士、という設定はやはり考えはしてもやはり実際に描かれると驚く。未来編の苺がどういう存在で誰を倒そうとしているのか、私は予想はあるのだが、まあ今のところ例証もないので根拠がない。ただ、竜王戦編までで最も存在感が大きい一人、大鷹名人とは棋戦で対戦してないわけで、その辺がヒントになるのではないかと思っている。未来編に出てくるキャラクターも実は誰かの子孫だったりするのがまだ明らかにされてないというのはあるとは思う。さてどういう展開なのだろうか。
今週のサンデーは「葬送のフリーレン」が掲載されてないので今までなら買ってないのだが、「龍と苺」を読むようになったので買った。看板作品というのはやはり雑誌の命だなと思う。
マガジンは単行本を買ってなくても読んでいる作品がいくつかあるのだが、買っている一つ、「不滅のあなたへ」は今週8ページ。ずっと掲載されているのになかなか単行本が出ないのは何故だろうと思っていたのだが、週によって掲載ページ数がかなり違うので、こういう週が続くと単行本のページ数に達するのに時間がかかるのだなと思う。今は毎回ページ数が少なくても掲載されるようになっているが、以前は休載が多買った。これは月刊マガジン連載の「ボールルームへようこそ」などもそうなのだが、どちらがいいのかはなかなか難しいなとは思う。今週の「不滅」は短かったけどなんかよかった。
短い新聞への英語投稿論文だが、少し考えさせられた。
https://www.japantimes.co.jp/commentary/2024/05/09/japan/japan-disinformation-age/
簡単にいえば、日本人はネットの情報を信用せず、大手メディアの情報を信頼するところが世界的に見れば高く、それゆえに社会的に安定感がある、という内容である。
ただよく読んでみるとこれは日本人の日本にいる大学教員二人の文章であり、外から見たという意味での客観的な内容と言えるのかとは思う。彼らのアカデミアのサークルから見た日本人の「実情」という印象があるが、ネットやyoutubeの情報を鵜呑みにする人たちの問題についてよくネットで語られている内容とはかなり距離があるけれども、リアルの世界で政治で騒いでいる人たちは基本的にごく少数ではあるから、その見方もある意味成り立つとは言えるのだろうとは思う。
問題点として挙げられているのは政府機関などオーソドックスな立場からの発信が弱いということで、これ自体はそうだろうと思う。この辺りは林智弘さんがいうようなただ政府側・あるいは科学的な立場からの主張を一方的に流すだけの受動的なフェイク情報対策だけではなく、意図的に流されたフェイク情報にはっきりと反論していく能動的な対策が必要になってきている、ということはあるのではないかと思った。
私自身としては、主要メディアの信頼度は自分の中では昔に比べればかなり落ちてはいるが、ただ外国の実態を見ればもっと地に落ちているから日本はそれほどではない、という主張も微妙に説得力があるなとは思った。
ただ現実問題として、メディアの報道姿勢に偏りがあることは事実だと思うし、その対抗馬がネットであることも世界的には変わらない。そしてそのメディアが「報道しない権利」が「これは報道されるべき」というネット側の主張に押され気味ではあると思う。その押す側がリベラル側であれ、反リベラル側であれ、また左右のより過激な集団であったり、単に暴力的な集団であったりと、さまざまな面から押されていることもまた事実だろう。
逆にいえばネット世論はあまりに各方面に分裂してしまっているので、報道メディアの側がある意味漁夫の利を得ているということもあるような気はする。
しかし芸能人の情報など、今までメディアの金城湯池だった部分が芸能人個人が発信したり、あるいは企業所属のアスリートがその情報をトヨタイムスなど企業の発信サイトで独占配信するなど、すでに影響力を持つようになった「個」の情報は既存メディアが後追いの形になっていて、ある意味メディアの役割も変わってきているのかもしれない。昔は新聞が速報性があったのにテレビが出てきてからはその座を奪われたように、テレビも個人サイトや企業サイト、何よりもSNSにある意味速報性では敵わなくなっている面はあるのだろうと思う。
そうなるとテレビメディアは新聞や雑誌が速報性とは別の側面を生かして生き残っていったような、つまりは例えば調査報道だとかに特化していく方向にいくのかなとは思う。
ただ、現状日本のメディアの向いている方向は、エマニュエル・トッドのいう「リベラル寡頭制」、大月隆寛さんのいう東京エリジウムのご意見版、意見発信場所になることで生き残ろうとしているようにみえる。彼らは戦後のアカデミアや報道の思想的主流だった左翼リベラリズムの後裔であるわけで、その力は実際に持つ勢力よりも強いだろうと思う。ただその姿勢も昨今は「リベラル大政翼賛会」みたいな感じになっていて疑問に感じる部分も大きい。
日本はある意味、世界的には音楽産業がネット配信やサブスクに流れていったのに、未だにCDなどの物理的メディアが一定以上のシェアを持ち続けている国であり、報道・娯楽メディアにおいてもテレビの力が強いなどある意味保守的・伝統的な手触りを持っている国で、こういう力がある意味法隆寺を1300年間持たせてきたのだろうと思う。新しいものが出てきても、日本では比較的古いものが残される、ということである。新しいものが出てきても、古いものも共存していくということである。もちろん全ての側面においてではないけれども。
ただ、「古いものは古いという事実だけである意味正しい」ということも最近感じるので、こういう文化的な側面は大事にしていったほうがいいと思うところがあり、テレビなどの既存メディアの生き残り戦についても注目はしていきたいと思っている。
「最も成功した社会主義国・日本」の終焉に資本主義について考えてみる
Posted at 24/05/14 PermaLink» Tweet
5月14日(火)晴れ
昨日は早く寝たので朝は3時過ぎに起きて、そのあといろいろやっていた。この習慣は元々は村上春樹さんが早朝に起きて執筆するということをインタビューで答えたので真似をするようになったのだが、朝のまだ人々が動き出していない時間にじっくりのびのび自分のことをやれるということがわかってもう習慣として定着している。今朝も少し早いがゴミをまとめて作業場まで行ってノートを探して作業場のゴミもまとめ、屋根付きの置き場にゴミを出しにいき、歩いて職場まで行って今日の仕事の気になっていたことを先に片付け、ノートを見つけてコンビニでコーヒーを買ったり。歩くと考えが進むということもあるから、と思って歩いていたのだけど少し寒くてそれほど湯水のように発想が出てきたわけではない。今朝の最低気温は7.1度、やはり室内でも暖房をつけないと少し寒い。
https://toyokeizai.net/articles/-/306023
いろいろ考えていたのだが、「資本主義とは何か」「資本家とは」みたいなことを考え始め、いろいろ調べていたのだけど、上のサイトを読んでいていろいろ考えた。
今更ながら資本主義について考えている理由の一つは、資本主義というものがある意味我々にとってわかりにくいものだなと思うからで、特に企業活動に従事していない人にとってはいまだにあまりピンとこない部分があるのではないかと思う。
というのは、数十年前までの日本は社会主義国が次々とその欠陥をあらわにしていく中で、欧米の資本主義社会とはまた違う独特の平等意識のもとに経済発展を続け、ついには「一億総中流」と言われる状態を成し遂げたわけで、その意味で「世界で最も成功した社会主義国」などと揶揄されたりしてもいたからである。
それが現在ではだいぶ変わってきたので、やはりもう一度そのことについて考えたほうがいいように思ったわけである。上記の記事を少し引用してみる。
「この資本が主軸となってお互いに自由に組み合わさり、さまざまな新しい(価値のある)商品が生み出され続けることに重きを置いた社会を、資本主義社会という。」
「この社会で最も自由に、生き生きとして生活できるのは「成長する人」である。というのも、それぞれの人に割り振られた「資本」という役割は、価値を生み続け、成長をし続けることを前提としているからだ。その役割を果たすほどに、社会の恩恵を受けることができる。わかりやすくいえば、お金と時間を手に入れ、人生における選択肢や行動範囲が格段に広がるということだ。」
この辺りのことは現代によく当てはまるので実感としてわかりやすいだろうなと思ったのだが、要はお金を元手に事業を起こしたり投資したり金を貸したり土地を買ってそれを貸して知代を取ったりすることで社会を回していく仕組みが資本主義ということだけど、それがうまくいけば儲かって再投資することもできる。うまくいくというのはつまり「効率的に投資が行える、投資の成果が効率よく返ってくる」ということだから、資本主義社会においては「効率」が重要になり、資本主義社会の副産物として効率主義が強調されるようになるわけだ。そして「成長」という言葉も、より効率的にお金を生み出していけるようになることを指すようになっていて、これはもちろん古典的な意味での「人間的成長」とは別のことである。
最近はいわゆる新自由主義が浸透してきて、福祉にかけるお金をいかに削るかという議論がなされたり、行列を作るのが当たり前だった遊園地でもお金を出せば順番をパスできるようにするなど、「行列を作らせることによる社会主義的平等(旧ソ連のように、(配給の)行列に並ぶことはいわば社会主義の象徴のようなもの)」みたいなものが削減されたりしてきている。あるいは普通車の車内販売は廃止されたがグリーン車にはサービスがあるなどもそうした考え方の一環だろう。
こうした傾向は、資本の回収効率という面ではもちろんプラスになるから企業側もやっているわけだが、日本のような先進資本主義国では企業だけでなく、国家もまた資本主義的なムーブを強制される傾向がある。
資本主義と国家というものは本来別次元の存在であり、資本主義が成立する以前から国家はあった。資本主義の発達により国家は多大な税収を得ることができたから国家は基本的にこのシステムを保護しようとしているが、国家的秩序というものはイギリスのような君主国や階級社会、またロシアのような権威主義国、中国のような「社会主義」国では資本主義が最も優先されるわけではない。
ただ冷戦構造解体後は「グローバル市場が成立したという幻想」のもと、自国にあった産業(工業・農業など)施設を他国に移転し、自国は金融利得を得ることに特化していこうという動きがかなり進んだ。そのためにコロナ禍においては日本はマスクの国内生産さえできず中国の粗悪品に頼らざるを得なくなったり、またウクライナ戦争では経済的に圧倒的に強者であったはずのアメリカや西欧諸国がウクライナへの砲弾の供給さえままならず、ロシアの古い施設をフル回転させた生産に遅れをとっているという笑えない現実があるわけである。
資本主義、ないし経済学は経済以外の要素を捨象して考えることになっているので、農業や医療や軍事などの国家にとっては戦略的に重要な物資や事業に対してさえ効率化を要求することになり、それがなされたが故に突発的に莫大な医療資源を必要とするパンデミックや起こらないと思われていた古典的な侵略戦争に対して対応できないという、「経済学を徹底して国家を危機に陥れる」事態を生んだわけである。
国家はだから資本主義を尊重し重視することは大事なのだがそれだけに寄りかかって立つことはできないわけで、そこをどれだけ自覚できるかが重要なのだと思うが、自由主義社会においては国民にとって主要な問題は経済であり、その発言権、国民的世論や資本家の主張がどうしても大きくなることはある意味仕方がないことなのだろうとは思う。
日本においては上に書いたようにだいぶ資本主義原理が世を動かすようになってきたけれども、もともと日本は戦前においてはかなりむき出しの資本主義社会だった。だからこそ資本家に対抗してマルクス主義や国家社会主義が力を得てきたわけで、昭和初期の資本家や政治家に対するテロの続発、労働争議や小作争議の続発などは当然ながらそういう背景があった。
戦後はアメリカなどの連合国の支配(占領)により戦後改革が遂行され、五大改革の一つの「経済の民主化」によって財閥解体(資本家の力を削減)・農地改革(地主の力を削減)が行われたこともあり、「教育の民主化」と相まってマ戦後民主主義が基本思潮になり、またマルクス主義が思想として強力な力を得たため、「資本家=悪」「資本主義=悪」という考え方が広まって、それが定着していたというのがついこの間までの日本の一つの国としての特徴だったのだと思う。つまり「経済の民主化」とは、「資本家や地主が桁違いの金持ちになることを許さない」という意味だと捉えられ、そういう国であるアメリカとは全く違う国を日本に形成させたわけだが、それだけ社会主義の力が日本国内でも世界的にも強かったということでもあるだろう。
それはうまく行っている間は良かったが、冷戦構造の中で自由主義社会の国々に利益の配分のようなことが行われていた間は良かったが、冷戦終結後には剥き出しの力関係が日米間にも働き、バブル崩壊も相まって日本は「経済敗戦」と言われる状況に陥ってしまった。資本主義国全体としても、特に社会主義国である中国やロシアに「経済発展したら民主化する」という幻想を持ってしまったことにより、多くの戦略物資や生産システムを彼らに獲得させ、また独占させるようになったという手痛い失敗を犯してしまったわけで、それが今日の危機を招いているわけでもある。
https://twitter.com/yurumazu/status/1789957859582591343
「資本家=悪」という観念は、会社組織も「民主化」されるべきだという方向へ行き、資本と経営の分離が進んで、戦前の財閥のような存在はほとんどなくなってきていた。近年はそれでもそれが復活する傾向はかなりあると思うし、「長者番付」のようなものが発表されなくなったからよりそこは不透明化してきているけれども、その動き自体もまた平等志向の強い日本において雑音を無くしたい資本家層の要求に応えたという部分もあるのだろうと思う。
一方で、オーナー企業とか同族経営というものが悪の象徴のように言われてきたのは資本家自体を悪と捉える傾向がずっと強かったからだろう。オーナー=所有者が強い企業はワンマンとか古い体質とか言われて働く人が力を振るえないと言われてきたし、確かにそういう側面がある場合もあっただろうと思う。しかしスズキやトヨタなどのようにオーナー経営者や創業家が力を持つことで繁栄している企業もあるわけで、その見方も一方的な面はあるだろう。
実質上オーナーがいない企業というのは上のツイートにあるように、官僚化しやすいということはあるのだろう。日本国家そのものが明確な主権の執行者がいないが故に極度に官僚化しているという面もあるように思う。こうした組織はリスクを取らなくなるので、日本の大企業も大きな失敗もしない代わりに発展も望めなくなる、という傾向になるというのはそれを考えるとなるほどと思う面はあった。企業のコルホーズ・ソフホーズ化といえばいいか。成功か失敗かはともかく、日本の社会主義化の一要素ではあるだろう。
それらの企業のあり方にもさまざまな批判が集まり、ジリ貧に陥った企業は外国企業や投資家に買収される、というようなことが繰り返し起こっているけれども、外国の資本的植民地になるよりは国内資本家がちゃんと復活してきたほうがマシだろうとは思う。
正直、国民の8割が自分を「中流」と意識していた時代が懐かしいと思うし、経済政策もまたその状態への復帰こそを目指すべきだと思うのだが、さまざまな条件や国民の意識もまた変わってきているので同じことをやっても同じようにはならないから、まずは資本主義というものを観察してその手綱を取っていくことが重要なんだろうと思った。
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