車で横浜へ/「帰ってきた橋本治展」:小説の神聖さとか「よくわからないものが好き」とか/「モディ化するインド」:ポピュリズムから権威主義への長くない道のり

Posted at 24/05/20

5月20日(月)雨

昨日はブログを書いた後、10時ころに車で出かけた。セブンでコーヒーと水を買って地元のインターで乗り、境川PAまで走って豚丼弁当を買う。いつもなら石川PAで休憩するのだが昨日は横浜に行ったので手前の藤野PAでトイレに。八王子ジャンクションで圏央道に入る。こちら側は初めて走ったがずっとトンネルが続いていて印象がかなり違った。ナビを見ると圏央道で東名まで行き、東名を降りた後国道16号に入るとナビに出たのでコンビニでもあるかと思ったらそういう道ではなく、有料ではないだけでほとんど自動車専用道で、要は東名と横浜市内を結ぶ道ということなのだなと思う。厚木PAでトイレに行っておけばよかったとあとで思った。

神奈川のこの辺の道路体系は全然理解してないので、ナビがなければたどりつかなかったとは思うが、東名まで南下する必要があったのかどうかとかいろいろ疑問はなくはない。新山下の出口も少し勘違いして左に折れてしまったので本牧の方まで行ってしまい、やや遠回りになったが、目的地の港の見える丘公園駐車場にはほぼ予定通りでついた。駐車場が二つあって手前は満車だったが隣は空があり、止めることができたのはラッキーだったと思う。

トイレに行ってそのまま県立神奈川近代文学館まで歩く。ちょうど薔薇のシーズンで公演の中は薔薇と人に溢れていた。よく行っていたカフェも混雑していて、昨日はパスしたのだ。

***

https://www.kanabun.or.jp/exhibition/19579/

近代文学館で「帰ってきた橋本治展」を見る。これは正直言ってかなり良かった。橋本治という人は、わりと自分の中でも位置づけが難しい人なのだけど、以前はかなりよく読んでいたのだけどここ10年くらいは読むものにあまり感心しなくなっていたので、自分の中ではやや過去の人感があった。

しかし子どもの頃の写真、縁側に座って妹たちと笑っている写真を見ると、自分が子どもの頃に妹と弟と撮った白黒写真を思い出して、年齢は私より14歳上なのだけど、昭和30年ころから45年くらいまでの東京郊外の子どもたちの風景というのは、どこもあまり変わらなかったのかもしれないと感じて一気に引き込まれた。彼は杉並区で私は府中市だが、東京西部の郊外というのは似たようなものだったのだろうなと思う。

彼の経歴と私のそれの共通項としては東大文IIIから文学部へ進学、というあたり。歌舞伎が好きでよく見ていたというのも共通するが私は小劇場演劇から歌舞伎へ行きついたのに対し、彼は最初から歌舞伎研究会(そんなものがあったのだな)で歌舞伎を演じているのだからちょっと程度が違う。駒場と橋本治と言えばもちろん駒場祭のポスター、「とめてくれるなおっかさん せなかのいちょうが泣いている」なわけだけど、私の中では橋本のイメージのかなりの部分を占めてはいたのだが、これは彼の多彩な一面がぽろっとこぼれ出たに過ぎないんだなと展覧会を見てよくわかった感じである。

橋本が歌舞伎に詳しいということは彼が歌舞伎の本を出す以前から知っていた、というのは私が大学時代に演劇をやっていた時にスタッフの人で六本木のギャラリーに出入りしていた人がいてその縁で何度かそこには行ったのだが、そこの月報のようなものに彼が江戸歌舞伎について書いていたのを読んだことがあったからだ。江戸時代の歌舞伎は朝から始まって全部見る人はあまりいないとか、へえっと思うことが書いてあってこれが「せなかのいちょう」や「桃尻娘」の橋本治なんだ、と思ったことがあったからだ。

彼の才能はやはり絵が描けるという部分がかなり大きいなと思う。文学館の展示なのにやたらとビジュアルが優れていて、こんな人はなかなかいないだろうなと思う。彼は手編みのセーターでも有名だけど、なぜセーターなのかという問いに「イラストは着れないから」と答えていたのは凄いなこの人はと思った。いまならイラストをプリントしてTシャツにしてしまうだろうけど、それを毛糸で編み込んでセーターをつくるという発想は普通出てこないだろうし、イラスト入りTシャツというものは一つの文化に成長しているけれどもセーターはさすがに大変すぎて文化として定着させるのは無理だろうなと思った。そういうことをやってしまう人なんだなと思う。

あとは大量の原稿が展示されていて、作品ごとに原稿用紙が数十センチの高さに積まれていて、ああこれが作家というものかと思う。大判の原稿用紙に大きな特徴のある、それでいて読みやすい字で書かれていて、これは編集者も原稿を受け取るのが楽しかっただろうなと思った。

ワープロも初期から使っていたようだけど、ワープロで書くと文章書き通攻撃的になるから小説を書くのには向かない、と手書きに戻したのだそうだ。これはよくわかる。ワープロだと考えたことがそのまま文字になるから、書きながら自省する部分が減ってしまうからだと思う。ツイッターなどですぐバトルが展開するのもそういう部分はあるのだろうなと思う。口に出す前に深呼吸してみる、みたいなことをスマホでもやれば結構違うのかもしれないなと思った。

今図録を見ながら思い出して書いているのだけど、彼が死去したのは平成31年1月、つまり令和改元の直前で、やはり戦後ベビーブームの時期に生まれて令和になる年のその直前に亡くなった私の叔父のことを思い出した。いろいろなことを連想するけれども、令和というのは彼らがいなくなった時代なんだなと改めて思う。

今図録で見つけられないでいるのだが、小説というものは神聖なものだと思う、ということを言っていて、ああこの人は「神」を持っていた人なんだなと思った。まあ小説の神というものかはわからないが、私もその周りで回っていて奥には入っていけていない感じはするから、そういうことが多分私にとっても必要な、大事なことなんだろうなと思った。

「歌舞伎がなぜ好きか」と聞かれるのが一番困る、みたいなことを言っていて、これは「よくわからないものが好きだから」と答えていたのだそうだ。確かに近代というものは何にせよ無理やり「わからせられる」ところがあるわけで、よくわからないものをよくわからないまま描き出す、それが彼の小説でありあるいは「原っぱ」なのかもしれないなと思った。彼はおそらく鋭利な言葉で「相手が分かるように書く」ことはいくらでも可能だったのだと思うのだが、そのようにしないところに彼の作り出すものの意味があったのだろうと思う。同じように「8歳の頃にはラファエロと同じように描けた」というピカソだとそれが前衛的な方法的工夫の方へ行ったわけだけれども、橋本の場合はイラストとか小説とか評論とか敢えて古典的な方法を自己表現に選んだところに意味があるのだろうと思った。まあつまり天才なんだろうと思う。

自分が書くものは「15歳の本は読まないけど頭のいい少年」に向けてだ、というのもとてもよくわかり、展示を見ているうちにこの本持ってるな、あ、この本も持ってるなと思ったのはほとんどが評論なのだけど、そういう子たちが読んでおもしろい本というものを書くのは本当にうまいとは思った。ただ自分の中から少年的な部分が抜けてくると、そういうものに感心した自分というものもいなくなっているわけで、だから後になると読まなくなったのだろうとは思った。

彼は野田秀樹さんとかにも似ているところがあり、東京の頭のいい才能にあふれた少年というものがそのまま年を取ったという感じがある。令和になって時代がより困難になってきたときに橋本さんが生きていたらどんなだったかなあとは思うが、演劇の人たちのようなコロナ時の炎上をせずに済んだのは、橋本さんは幸運だったのかもしれないという気もする。

まあとにかくいろいろ考えさせられて、とても面白かった。6月2日(日)までやっているのでお勧めです。

***

見終ってから車に戻り、境川PAで買った豚丼弁当を持って公園に戻って昼食。もう2時を過ぎたくらい。港の見える丘公園は広いので人がいないスペースがどこかに必ずあるからベンチを探してそこで食べた。食べ終わってから坂を下り、元町を少し歩く。ここもかなり人出があって、ほとんどの人はもうマスクをしてない。タリーズでコーヒーだけ飲み、ユニオンというスーパーで夕食の買い物をして、汐汲坂を上がって山手本通りに出て駐車場まで歩いたが、かなり遠かった。まあこの道も久しぶりだったのでよかったのだが。

駐車代は1800円、3時間いた計算になるが、これだけ払うならもう少し不便でも安いところがあったのではないかという気がしたけれどもまあいいやと。坂を下りて元町の駅前あたりを何度か信号待ちをしつつ高速に乗る。横浜ベイブリッジを初めて渡った。ナビの指示に従いつつ、このまま湾岸で帰るかなと思ったらどうも走っているうちに東京都心に向かっていることに気づき、結局銀座と箱崎を通っていつもの木場インターで降りた。湾岸をずっと行って新木場で降りるコースになるかと思ったが、ナビをちゃんと確認しておけばよかったのだが、第一候補をそのまま採用したのでそうなったのだが、まあどちらにしても初めて走る道だったからそれはそれでよかったかなとは思う。

自宅に戻ってしばらく休憩したが、「モディ化するインド」を買っておきたいと思い、6時半過ぎに出かけた。セブンでモバイルスイカにチャージし、銀行で記帳して大手町まで。丸善で探したが見つからず、店員さんに調べてもらってようやく入手できたが、平積みのものが無くなっていたようで、かなり話題になっているのかもしれない。そのあと二階で「龍と苺」の単行本を探したが見つからず。サンデーコミックスはコナンとフリーレンは大体あったが他のものは迫害されている印象があった。丸善が充実していないのか小学館が部数を絞りすぎなのか、まあいろいろ思うところはある。

帰りは地元の駅で線路付け替え後初めて降りてみたのだが、東西にはなれた改札が一つになっていて、ものすごく不便になった印象がある。ただ、東西にかなり遠い改札の両方から駅員さんが駅を管理するのは大変だったんだろうと思っていたから駅員さんには便利になったのではないかと思う。ただ、乗客のことも考えてもらいたいと思った。

夕食はユニオンで買った大阪王将の中華弁当というのを食べ、ぼーっとしていたら眠くなってしまい、歯も磨かないうちに寝落ちしてしまった。

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朝はまた3時過ぎに起きだし、「モディ化するインド」を読んだり関連のことをネットで調べていたりした。モディのインド人民党政権は当初からポピュリズムと言われていたが、実際のところかなり問題があるらしいという内容で、ロシアやトルコ、ベネズエラやブラジルなどの権威主義といわれる政権とかなり近い状態にあるということがいろいろな事例で語られていて、なるほどと思う。「インドは世界最大の民主主義政権」というのが最近喧伝されていたから何となくそんな気になっていたが、実は権威主義化しつつあったからこそそのような側面を強調していたのだなということがよくわかった。

昨日ツイッターで「東京駅百周年スイカ」が使わないと無効になる、という話を読んでいたので朝出かけたときにセブンで残高照会したら1500円入っていた。サラダを買いものしたので一応使ったからしばらく無効にはならないと思うが、スイカというものは10年使わないと無効になるらしいので、他のカードも極力使うようにしないといけないなとは思った。モバイルスイカ以外にびゅうカードとルミネカードがあるから全部で4枚持っていることになる。

帰りにローソンでジャンプとスピリッツとヤンマガを買い、戻ってきた。雨の朝である。

作品世界にディープにハマる贅沢/感動を忘れないように紙に書いて貼る寺山修司的世界/人間の生物学的限界

Posted at 24/05/19

5月19日(日)曇り

今日は出かける予定なので早くブログは書いてしまおうと思っていたのだが、書くことを探すためにいろいろ本棚を探したりネットの書籍を読んでいたりしたらあっという間に8時半になっていて、驚いた。

やりたいことや興味のあることはたくさんあるのだけど、その「やりたいこと」や「興味のあること」にはいろいろなレベルがあって、若い頃のように照準を絞りきれないのが難しいなと思う。例えば、マンガを読んでいて面白いと思っても、若い頃は本当にディープに諸星大次郎作品にハマってその世界を反芻しているような時間が長くあったし、それは結構最近までいろいろな作品世界にハマるようなことはあったのだけど、最近読んでいる作品はそういう感じではなくてむしろ新しい世代の人たちの感性みたいなものに感動する、というつまりちょっと一歩引いたところからの感動、みたいなものが多くなってきた。

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これは自分が子供の頃も、古い世代が熱中している学生運動的なものみたいなものからはちょっと一歩引いたところでそういうものを眺めていた感じとやや近い感じがする。自分たちの文化、というとやはり80年台的なものなのだが、その感性の対抗軸として90年台的なものが出てきたけれども、それらを含めて押し流すようなものがまた10年台や20年台になって出てきている感じがする。

そういうふうに考えていると、自分が何に感動しているのか分かりにくくなってきて、いちいちその感動に名前をつけるというか、こういうところに書くことで整理していくようなところがあるのだが、時々そういうものをリセットしてみると何がなんだったのかまたわからなくなるというような、手のつけにくい何かを感じる。

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寺山修司監督の最後の映画の「さらば箱舟」で、主演の山崎努が演じる男が、記憶がどんどん消えていくので自分の周りの全てのものに名前を書いた紙を貼っていくのだが、最近なんだか自分もそういう感じになってるのではないかという感じがする。書いていかないと忘れてしまうのだよな。

しかし感動する→書き留める→忘れる→紙を見て思い出す、というサイクルが昔はそんなに気にならなかったのだけど、最近は「思い出す」のも結構面倒くさいというか大変だ、と感じることもあって、昔のどこかに焼きついた記憶は多分そうそう忘れないのだが、最近の出来事はこのサイクルが早くなるという、まあすごく老人にありがちな現象が自分にも起こりつつあるのだなという感じはする。

そういうことで、自分がやることに体系をつけるというか、「まとまったもの」を作り出すのはある程度の期限があるなとは思うので、早めにまとまった作品を世に出したいなという気がしてきた。

今日はこれからの人生の中で一番若い日、というのはよく聞く話だが、残りの人生の中でこのことは後何回できるんだろう、と思うと今日やれることは今日やっておいた方がいいなと思うところはある。人間には生物学的限界はあると言えばいいのか。

とりあえず今日は横浜に橋本治展を見に行こうと思っているのだが、どういうものに出会えるのか、橋本を読んで面白いと思った頃の自分にも出会えるのか、まあそんなことを楽しみにして出かけてみたいと思う。


どんなnoteが読まれているか:何をどう認識しどう考えるかのヒント/日本人であることへの感謝/「まず疑え」という言葉をまず疑え

Posted at 24/05/18

5月18日(土)晴れ

また早く目が覚めてしまったのでやや寝不足感があるのだが、なんだかいろいろ考える。昔ならこれくらいのことは考えていてもそんなに頭が混乱することはなかったのだが、同時に二つ以上のことを考え出すとその時考えていないことは全て忘れてしまうので、とにかく何かメモしておかないとという感じなのだが、メモを探しているうちに忘れてしまうという感じになっていて、まあこういう面での頭の衰えというのはいろいろと困るなと思う。

自分のnoteのアクセス状況を見ていて、どういう文章が読まれているのだろうといろいろ考えていたのだが、マンガの感想みたいなものへのアクセスは多いのだけど、必ずしもそれだけではないし、マンガの感想ならアクセスが多いかというと必ずしもそういうわけでもない、ということもあって、いろいろ考えてみたらどうもある種の倫理、というと大袈裟だが、何をどう認識しどう考えてどう行動したらいいんだろう、みたいな話につながる、あるいはヒントになるような話が読まれているのかな、ということを思った。

https://note.com/kous37/n/nb4cc082a7b75

アクセスが一番多いのはふみふみこさんの「ぼくらのへんたい」について書いた文なのだが、これは8年前に書いた、今で言えばLGBTにはいるのだろう、女装する少年たちを描いた作品に関する感想である。これはアクセスは多いのだけどいいねはそんなに多くなくて、その辺のギャップもよくわからないところはあるのだが、やはり「性的少数者」について考えている人がアクセスしたのかなという気はする。もちろん倫理的な問題ではなく「男の娘」とか「女装少年(子)」に関する趣味的な関心からのアクセスも多いと思うから倫理と言われると引くとは思うのだが、そういう関心のある対象とどういう関わり方をするかというのも大きく言えば倫理の問題と言えなくはない(何が正しいとかいうのとは別に)のでそういうまとめ方もできるかとは思う。

私は今のLGBT運動には基本的に反対の立場で、特に「性的多様性」というものを社会制度の根本において制度を全て作り直そう、というような考え方には反対だ。しかし人間存在としての少数者に関してはやはり人間として関心はあるからこそこういう題材の作品を読もうとするということはあるので、そうした薄い関わりであっても何かヒントになることが書けていたらいいなとは思う。

https://note.com/kous37/n/n0f80b5f3fea6

3番目にアクセスが多くいいねもそれなりに多いのが「鬼滅の刃」において主人公の「炭治郎」は「成長」したのか、という文なのだが、やはり「成長」というのも人間がよく考えるテーマの一つだろう。

まあそういうふうに一つ一つこの文章の倫理的なテーマはなんだろう、というようなことを考えながら少しまとめてみると面白いかなと思ったのでちょっと心覚えにかいておきたい。

***

今朝読んでいて印象に残った連ツイがあるのでそれについて少し。

https://twitter.com/May_Roma/status/1791143004759007336

上のツイートから22ほど連続してツイートされていて、「日本人であるということはどういうことか」ということを「ヨーロッパで生まれた黒人であることとどう違うのか」ということを通して考えさせられた。

人間の移動というのはいろいろな理由があるけれども、「奴隷として自分の意思に反して連れてこられた」という場合は、自分がそれまで属していた文化と完全に関係を絶たれ、それゆえに自分のルーツは何かというアイデンティティの問題において、大きな困難や苦悩を抱えることがあり、そういうケースが一番多いのは黒人なので、全ての黒人が皆そうだというわけではないから一般化はできないが、黒人は欧米において自分に自信が持てずに成長せざるを得ない、という老人の切切たる話は胸を打つものがあった。

日本人はヨーロッパ人と違うからヨーロッパ人と上下はない、しかし自分たちはここで生まれ、いつも「下だ」と思わされて育ってきたから、自分が好きになれない。日本人は先祖代々の墓を持ち、寺などとのつながりを持ち、自分が何者であるかについて考える必要がない、まあもちろん皆そうだというわけではないが、一般的に「日本人は見ればわかる」とこの老人が言うのはそうなのかもなあ、とは思った。

帰りのタクシーの中でパキスタン系の運転手に「セガ最高」と言われている時の話とかを読んでいて、実際日本人に生まれて良かったと言う感謝の念が湧き起こって、ちょっと泣きそうになった。自分はゲームをやるわけではないけど、そんなふうに思ってもらえるものが日本で生み出されていると言うことで、自分たちは気後せずに彼らに接することができるんだ、と言うのは全く有難いことだ。我々が若い頃は戦争の記憶がまだ強いから日本人というと嫌がる人も少なくはなかったわけだが、それはそれとして生活文化の中で羨ましがられるものを自分たちはバックグラウンドに持っているんだ、と思えることは本当にありがたいことだと思う。

これは「日本すごい」とかとはまた少し違う話であって、劣等感に苛まれる中で何かに縋り付いているというわけではないから、普通にくすぐったいし、海外で心細さを感じているときなどには本当にありがたく感じることだと思う。

自分のアイデンティティに関し、ルーツの問題はいろいろと背景のある問題がたくさんあるので語りにくい部分ではあるのだけど、ただそこに自信を持てる要素があるというのは良いことだと思う。もちろんアイデンティティというのはルーツに関することだけではないから、違うところに持っていても構わないのだけど、いずれにしても自分に自信を持てるようなものを先人たちが用意してくれたというのは感謝すべきことだと思う。

***

倫理の問題とかについて考えていて、自分が重要だと思うのは例えば「常識」だと思うのだけど、進歩か保守かという問題で言えば「常識を疑う」のが進歩派、「常識を尊重する」のが保守派、という大きな括りはあるだろう。しかし、闇雲に疑うのでもなく、盲目的に信奉するのでもなく、それについて考える、ということがまず大事なわけで、倫理学とか哲学とか学と名のつくものについて考えるなら、まずはよく見聞きし、読み、そして「考えること」が大事だと思う。

常識にしても科学にしても近代という時代はそれを「疑う」ということを基本姿勢にする懐疑主義的進歩主義というか、そういうものが幅を利かせてきたわけだけど、彼らは常識を懐疑して否定し作り上げた自分たちの理論については疑うこと、あるいはそれ以前に考えることを許さない、という姿勢があることが多い。

伝統とか常識とかいうものは、盲目的に信仰しないといけないものではないけれども、とりあえずまずは疑わずに実行してみることでその常識や伝統の意味が理解できることも多いから、「まず疑う」という姿勢は大きな問題がある。

疑っても結局自分の力で考え続けることが難しくなって、「正しそうなことを言う人」や「なんとなくかっこいい人」「人気のある人」のいうことの方に流れてしまうことは珍しくない。我々の若い頃に比べれば随分常識というものも切り崩されてきたなという感じはするのだけど、その上に乗っかって考えた方が状況が良く理解できるというものはまだたくさんある。

「習うより慣れよ」でやらされることに反発を持つのはわからなくはないが、これもまずやってみた人でないとわからないことはかなり多い。自転車も乗れるまでは大変だが乗れるようになったらなぜ乗れなかったのかがわからなくなったりするわけで、まず身につけてその後で理解する、というものも世の中には結構多い。

疑え、という言葉の背後には、「疑ったけど疑いは晴れた」ということが目指されてるわけではないわけで、その先にそれを破壊しろ、という意味が言外にある。壊すべきではなかったものがどんどん壊されているというのも、そこから始まっているという部分が多くあるように感じる。

「まず疑え」という言葉こそをまず疑った方がいい、と思うのである。


君塚直隆「イギリス国王とは、なにか 名誉革命」を読んだ:財政軍事国家についてと多彩なエピソード群/「仏領ニューカレドニアにおける暴動」と何かと問題のあるフランスの植民地支配

Posted at 24/05/17

5月17日(金)晴れ

昨日は午前中はなんだかんだと会計処理をやってもらったり近くはじまる近所のガス管工事の人といろいろ話をしたり。なんだかいろいろある。

https://amzn.to/3yodkbk

昨日は君塚直隆「イギリス国王とは、なにか 名誉革命」を読んでいて、今朝読了。新しく知った、というか確認したこととしては財政=軍事国家についてだろうか。公債を引き受ける中央銀行という制度をオランダから持ち込んだのがウィリアム3世だ、というのは名誉革命の重要性をさらに高める話だなと思った。ジョン・ロックがメアリ2世と同じ船で帰国したという話も面白いし、名誉革命だけに絞って一冊の本にしてもよかったのではないかと思うが、著者はイギリスの「国王像」というのはこういうもの、というのを描きたかったのだろうなと思う。

細かいことで言えばハノーヴァー朝最初の王であるジョージ1世は何度もハノーヴァーに里帰りし、死んだのもハノーヴァー領で、百年戦争中のヘンリー5世以来の「外国で死んだ王」になった話など、自分が読みながらいろいろ調べたことも加えるとエピソード満載になったので、その辺りはとても面白かった。私はもともと世界史を高校で教えていたので、今授業をしたらこれも言いたい、あれも言いたいみたいなことがたくさんあるなと読みながら思った。高校生や世界史の先生が読んでもとても参考になる本だと思う。

以下時間がないのでツイートしたものを羅列してみます。

***

・イギリス・スチュアート朝最後の王であるアン女王はデンマーク王子と結婚して17回妊娠したが流産・死産・早世で一人も育たず、又従姉妹であるハノーヴァー選帝侯妃ゾフィーが王位継承者となったが、アンより2か月早く死去したためその長男選帝侯ゲオルクがイギリス王ジョージ1世として即位したと。

・スチュアート朝初代ジェームズ1世が議会と衝突した理由はいろいろあるが娘のエリザベスの婿プファルツ選帝侯が三十年戦争で領土や位を奪われオランダに亡命したりしてたのでそれを助けるために戦費を必要としたという話は初めて認識した。

・北米のオランダ植民地ニューアムステルダムは第二次英蘭戦争でヨーク公ジェームズに奪われ、彼にちなんでニューヨークに改称されたと。彼はのちに即位し名誉革命で追われるジェームズ2世だったと。

・アン女王の時代にイングランドとスコットランドの合邦が進められたのはイングランドにおいては王位継承法によってカトリックのジェームズ2世とその子孫の継承を排除したもののスコットランドではジャコバイトの勢力が強かったため、スコットランドが違う判断を下さないようにするためだったと。

・ジョージ2世は治世中12回ハノーヴァーに滞在し、1743年にはオーストリア継承戦争中自らイギリス・ハノーヴァー・オーストリア連合軍を率いてフランス軍と戦った(デッティンゲンの戦い)。自ら軍を率いて戦った最後のイギリス(グレートブリテン)王になった。

・第二次英仏百年戦争は1688プファルツ継承戦争=ウィリアム王戦争、1701スペイン継承戦争=アン女王戦争、1744オーストリア継承戦争=ジョージ王戦争、1756七年戦争=フレンチ・インディアン戦争などがあるが、私が高校生の頃はファルツ継承戦争と習ったが今ではプファルツ継承戦争・(アウグスブルク)同盟戦争・9年戦争などと呼ばれているのだな。

・ジェームズ1世の娘エリザベスはプファルツ選帝侯妃となるが、三十年戦争で領地も称号も失うのだがウェストファリア条約で息子が回復する。しかし孫娘のリーゼロッテがルイ14世の弟オルレアン公フィリップの妃となったため、リーゼロッテの兄が死ぬとルイ14世は彼女の継承権を主張してプファルツ継承戦争を起こす、という形でつながっていく。

・ウィリアム3世が政治・軍事的には勢力均衡政策を進め、経済・財政的にはイングランド銀行を創設して軍事費を賄う公債を発行し議会が保証する仕組みを作ったために植民地帝国を築く軍事費が調達できたと。財政=軍事国家。

・「長い18世紀1688-1815」の間の日本の政権は江戸幕府だが、将軍で言えばほぼ5代綱吉~11代家斉の前半に当たる。この間に国力はどれくらい伸長したか、あるいは衰えたか。富国強兵策の萌芽はほぼ田沼時代に限られ、他は緊縮型の改革が何度か行われたのみ。主要な政治家は綱吉・新井白石・吉宗・田沼意次・松平定信。まあ戦争相続くヨーロッパは全く別世界ではある。

***

最後はエリザベス2世の英連邦内の統合の「生きた象徴」としての行動や、外交における存在感、ダイアナ事件で国民の支持を失いかけた時に積極的に王室を広報する戦略に転換し、崩御の際には国民の信頼を回復したことなどが書かれていたのだけど、残念だったのはサッチャー時代の新自由主義政策やマルビナス(フォークランド)戦争において女王がどのようなスタンスだったのかなど、よりリアルな局面についてのコメントがなかったことかなと思う。でも全体にはとても面白かった。

***

いろいろここ数日は日光や松本の山間の家での緊縛強盗事件の犯人がベトナム人だったらしいとかあったのだが、今朝ニュースを見ていてそんなことが、と思ったのがフランス領ニューカレドニアの暴動だった。

最近ちらっとTwitterで「ニューカレドニア」という文字を見かけてはいたが、フランス系住民の投票権を拡大するニューカレドニア憲法のパリの議会における採決に反発した暴動が起こっているのだという。住民の意思が反映されない憲法改正って普通にすごいことをやるなフランスも、と思う。

https://www.cnn.co.jp/world/35218986.html

ニュースでは当局がTikTokを遮断したとか言ってるけど、そんなこと簡単にできるのかなと思う。千葉県だけTwitterを遮断するとかは可能なんだろうか。

https://digital.asahi.com/articles/ASS5J5T23S5JUHBI02LM.html?pn=4&unlock=1#continuehere

フランス領ニューカレドニアは「天国に一番近い島」だったか、日本では観光地としてしか認識されてないけど、独立運動が盛んな地域でもある。フランスの植民地支配は昔から下手で、インドシナもアルジェリアも独立の際に揉めまくったけど、まだ似たようなことやってるのだなと思う。イギリスがさっさと引き上げて混乱を後に残すのに比べ、フランスは最後まで自分が関わろうとして憎悪の対象になってしまい、独立後も関係が悪くなるという感じ。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240516/k10014450861000.html

へえっと思ったのは、ニューカレドニアは人口27万でそのうち4分の1が白人(フランス人だろう)で、日本移民の子孫が1万人いるということ。これはあまり知られていないだろうし、研究はあるのだろうかと思う。近年は中国の進出が著しいとのことだが、この暴動の背景に中国の動きはあるのかということも気になる。

https://news.yahoo.co.jp/articles/a1b967312295eab5ad22257b4c229c1c1f86cca5

日本は、というか岸田外交は中国の太平洋進出に対抗してフランスをこの地域の安全保障に引き込もうとしているのだけど、肝心のフランスがこういう形でもたもたしているのではなかなか大変だなと思う。ニューカレドニアが独立すべきなのかどうかはともかく、中国側に追いやるような政策はフランスにはしてほしくないし、日本外交も気をつけてもらいたいと思う。

アフリカ植民地からフランスが引き上げたときも行政官たちが書類一枚残さないで去ったとか、フランスは結構めちゃくちゃなことをやることがあるので、なかなか不安な部分があるのも確かなのだけどと思う。

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