ほんやら洞・甲斐扶佐義 HONYARADO/KAI FUSAYOSHI's Web Site


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カイ日乗

2015年4月〜最新のカイ日乗は、こちらのページよりご覧下さい。
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2015.3/31(火)


10:00起床。兄が、今日、刺身をご馳走してくれると言うが、篠原さんか、中谷健太郎さん、あるいは山香の誰かに会いに出掛けるので、今日は断る。
朝は、蕎麦。
出る段にパスポート等が入ったポーチがないのに気づき、「こつこつ庵」に電話。案の定、有った。
次は、今度は、眼鏡がないと大騒ぎ。
歳だ。
今さらながらの自覚だが、八文字屋もほんやら洞も10年以上前に止めるべきだった。10年のタイムラグ。出口のない「借金地獄」からの脱出の方途は、日々の両店の中にしか見出せなかった。それが変な話、駆動力になる側面もあった。正負のスプライル上昇と下降の鬩ぎ合い。その間に、子供二人は育つ。
果てない地獄への螺旋降下の間に何れ這い上がるべく隙を探し、縋れるものを見出すために窺い、引っ掛かりの手掛かりを矯めつ眇めつひたすら凝視の末、針小棒大的隙間をこれまた一つの小世界であるが如き錯覚、安住しつつ錯視に基づき、盲進・猛進のトライ・エンド・エラーを繰り返し、挙句の果ては窃視の上で小悪党的略取を妄想実行或いは反省・浄化?の日々ののちの「あっという間」の20年だった。
20年を10年と思うこと勿れ。
2:19の列車で由布院への途上ののたうち回る想念。
写真に向かいあうべきなのに如何なるブロックが邪魔したかを透視すれば、こんな風に身も蓋もなし。遅ればせながら、その辺をシミジミ思う。
インターネットが繋がらないので、列車で「もうろく帳」を開け、今更ながらの鶴見もうろく世界を心地よく捲る。
「出逢うひとりひとりが自分の師という学風をつくることが理想だ。それが理想とすれば、その学風には弟子はあらわれない。
そういう逆説を生きたい。」
鶴見さんはその様に生きたのだろう。
1993年の5月7日のページに高橋睦郎が登場。前から健太郎さんとは、仲が良かった、未知の詩人。
「まつしきよちかつくおとにそはたつと
あかみみたふや すてにあかるむ」
僕には、及びも付かない詩人。
由布院は、大きく変貌を遂げた。映画の書割り世界へ迷い込んだ。
コトコトヤも変わっていた。
「天井桟敷」も満員。待っていたら、程なく中谷健太郎さんが、姿を現わし、庄屋で飲もうと言う。誘われるままに従う。立松和平、森まゆみさん、風倉匠、石松建男の話から自ずと火事話。
高橋睦郎さんが投宿して、締め切り原稿を書いていると聴いている矢先に風呂入り前の高橋さんが登場。詩人を呼び止め、暫し飲む。「日乗」を「逆回し蹴りやなあ~」といたく感心。睦郎さんとは、バルト三国への旅の経験あると言う。
睦郎さんとは、正津勉、ジョン・ソルト、北園克衛、白石かずこ、天野忠、饗庭孝男等巡り、歓談。「正津は、直ぐに女の家に転がり込むからなあ~、最近はその元気が無くなったようだが」と。北園は、大変な素封家の出で、ジョンさんは激情の人。有馬敲の点数は低く、杉本秀太郎さんに関しては、井上章一の杉本論がいきなり出たのには当方も微苦笑。源氏物語、芭蕉の俳句、芭蕉の学力(漢学の素養ほとんどなし)、弟子達の力、谷崎、川端康成のリビドー、三島由紀夫の話から今晩の9:00からの三島とノーベル賞落選秘話からNHK登場話、シーザーとブルータス及びシーザーの組織論、バイセクシャル論、ソクラテスとプラトンの話、概ねオモロし。
立派な本を何十冊も出している。特装本「遊行」なんて限定88部。健太郎さんのは、NO63とある。「王女メデイア」は蜷川幸雄演出でつとに有名だが、僕が避けて来た世界、及びもつかない関心事、それが 高橋睦郎世界では?と思い浮かんだりもする。
雨が降り出し、テラスでなく、内で飲もう!という段に、高橋さんは湯を浴びに行く。僕も湯に浸かりたかったが、そうすると、身動きが取れなくなるので、止す。囲炉裏でドンコ、鰻の燻製を炙り、西の関を飲む。
高橋さんはあと30年生きると言う。僕の受難から建畠晢の不幸を聴く。作品に「遠い帆 オペラ支倉常長」があるのを知る。あとで、アルメイダ話をすれば面白がったかな、と思うが、時間がなかった。
健太郎さんはバタバタし、4,50分ひとり手酌。
1時間しても、睦郎さんは戻らず、6:15には、健太郎さんは会議が始まるが、湯に浸かり、ゆっくりして行け、と言ってくれたか、そうもいかない。
戻った高橋さんも7:00に「食事はどうします?」と言ってくれたが、僕は大分に忘れ物を取りに行くと言い、それで、別れる。
7:30まで、庄屋に居る。タクシーで駅。
「由布の森」号で大分。タクシーで往復して忘れ物を取り、20:54の列車で向の原へ。
夜中に兄に刺身をご馳走される。兄、兄と中国にも一緒に行った麻生さんとともに「女酒場放浪記」を一頻り観せられる。刺身、山菜を堪能。イチオシのインスタントラーメン、好物のニンジンの漬物、トランクス、シャツも土産。兄には、父親像がますます肥大化しているようだ。親父は、そんなにオモロイ男ではなかったのに、兄は、敢えて言えば、捏造している。オモロウないのをオモロイと見据えることの方が良い。
高橋睦郎さんの「遠い帆」のあとがき「オペラ、支倉、そして私」は、素晴らしい。物書きのあとがきの鑑とでも言うべきか。こういうチャレンジ精神こそ、今の僕に必要だ。だが、高橋睦郎さんのスタンスは、氏の実力があって初めて信用を得ることであるのは、言うまでもなく、余人には真似できない。兄にそういう姿勢を要求はしないが、少しは取り入れて欲しいと願いつつ、その点でも我が意を得た。物書きは如何にあるべきかについて後書きとは言い条、赤裸々に記した示唆に富む論考であった。絵でも一緒のはずだ。
また、描く対象といかに向き合うべきか、という点に於いても、駆け出し(?厚かましい?)の物書きとしてこれから数年生きるつもりの僕にも、如何に生きて行くべきかについても示唆に富み、初対面かつ初読書の睦郎さんとの出会いにふさわしい、僭越ながら、思うのだった。兄貴よ、共に晩年、もっと研鑽を積もうぜ!!

鶴見さんの「もうろく帳」より(1996年2月9日)
40の半ばをこえたとき、自分が意識したり、思想化したりしたことがついに自分の人生の中身に及ばない、ということに気がついた。自分の人生が、自分の表現能力をこえて、無限の出来事としての奥行をもっているのに気づいたのである。

この言葉も、高橋睦郎さんの「支倉六右衛門」(遠い帆《オペラ支倉常長》)彫琢に向けての心掛けと重ねて読んだ。
ちょっと酒が回ったかな?

2015.3/30(月)


2:30~10:00まで熟睡。
朝から、兄が心配して、騒ぐ。
嫂は「今度、大分に帰るのが最期になるとFBに書いてあるらしいけど、どういう意味?」と何度も姉に問い質した模様。午前中は、姉に散髪をして貰う。
昼、菱東肥料化学大分の篠原雅一さん、3月31日に会おうと言っていたが、連絡取れず。洋玄Tel。渡辺のりお、福田と6:00頃、大分合同付近で待つと。
今日の血圧は姉の薬で166まで下がる。
兄のバビロンでコーヒーを呼ばれる。
3:30に嫂の運転で大分へ。
5:00大分合同の佐々木さんと待ち合わせ。30分で、取材は終わり。
6:00から、「こつこつ庵」。20何年ぶり?小野陽一郎も来る。四人の割勘でご馳走してくれる。正木は町内の用事で来れず。
2次会のカラオケつらし。
最終電車で戻る。血圧、まだ170ある。八文字屋は、レオが入る。

2015.3/29(日)


6:00起床。外は、快晴。
調子、パッとせず。早朝出発で、由布院ぶらつき計画取り止め。
9:30、外は雨に変わる。
仕方なく、マツヤで、焼き魚定食。
リュック内のゴミを出し、本に詰め替える。誰に見せたり、あげたりとの明確な意識なしに。随分な荷物だ。今回は、兄姉の様子見がてらに、大分合同新聞の取材受けが、主目的。
阪急、地下鉄で京都駅。
11:29ののぞみ。大分到着は、3:30。列車内で小谷野敦を読了。何ヶ所もメモリたい記述、ゴシップの解説がある。僕は、本来無一物で生まれて、上げ底、背伸び、コンプレックス人生を送ったが、そんな僕とも北沢恒彦さんはよく付き合ってくれたし、70~80年代の各種論争等については、彼としか語れなかったことも思い出させてくれる。この本のおかげで大江健三郎という作家の人となりは(自分の小説を大江に読んでもらい作家としてやれないと断定され、納得した)の室謙二の眼鏡を通して(それも1975年の東京での座り込みの最中の会話)しか知らなかったが、人間が如何なるものか少し分かり、未読の大江健三郎作品を読む気が湧いてきた。
狭間町を列車内から見渡せば、良い所。ふとここで暮らす親戚の暮らしぶりと、この風景の受けとめ方についての想念が脳裏を過ぎった。きつい坂を登っていると「タケちゃん」とやらに声を掛けられる。人の良さそうな人だった。
缶ビール20本と焼酎「黒霧島」を今晩、兄と飲むつもりで、持って行ったが、早とちり。前から聴いていた通り、兄等は出掛けて、一緒には飲まず。アテ?外れ?いや、拍子抜け。兄姉となら飲んでも良かったが、血圧が高かったせいもあるが、不案内な兄の客仲間に気を配る余力がなく、夜中に戻って来ては「飲もう」と誘われても、辛く、止す。疲れも一入。
FBにUPしたつもりの「江藤淳と大江健三郎」の感想が、狭間では、ルーターが機能せず、UP出来ない原因が不明で数時間イライラ。
飯食いついでに血圧を計ったら、上220・下138。これにもびっくり。
僕の体質は、母似なので、母が亡くなった歳に近づき、この血圧と来たら、ちとヤバイ。この3週間の肩の凝りよう、しんどさは、尋常ではなかった。血管のせいと了解。
これからコンを詰めて、作業をして、カザフスタン、北京での個展の準備をすることになるが、用心に越したことはない。
鶴見俊輔の「もうろく帳」に1994年の出来事(氏、72歳)にはこうある。

9月3日 南病院に入院
9月5日 ファイバー検査、癌発見。
9月7日 南病院退院。
ーーーー
9月13日 国立京都病院に入院。
9月29日 大腸癌手術。
胆石摘出。

久しぶりに血圧の薬、風邪薬、初めての睡眠薬を飲む。僕は、72歳まで医者の世話にならないで済むかなあ~。
同じ「もうろく帳」の1995年もメモ。

5月6日
I have overstayed your hospitality.
『思想の科学』を支えた人びとに対する私の感慨。
幕引きの時が来た。

5月22日
私はここに自分の失敗の歴史を閉じる。
ーーーーー
久坂葉子の言葉を借りるなら、「何度かの最期」。

2月26日
正しいものだけが
正しいのではない。
(まちがいでしきつめられた人間の思想史を導く糸)

今回の帰省では、画像を多くUPするつもりでいたが、Netが繋がらないのなら、やむを得ない。爪を切り、風呂も入る。
血圧の数値を姉が兄に言ったら、兄が「ヤバイぞ!病院に連れて行け!」と騒ぐ。

2015.3/28(土)


7:00起床。
焼き魚定食。
やや虚しいパーティーの案内状送りに数時間費やす。
朝日の京都、東京、神田稔さんに本を送る。
390円ショップでジーンズ、100円ショップでベルト、桝形マツヤで大分へのお土産の「阿闍梨餅」を取り敢えず、3軒分買う。金券ショップでJRチケット。
亀の井別荘の中谷太郎君、健太郎さん、高校の同級生の森永洋玄に電話。洋玄しか掴まらない。
それ以外の事が出来ない。体調に変調を来している?
あとは、パーティーに知人が集まらない原因をあれこれ考える。写真家は固より、ほんやら洞の歴代関係者も。ほんやら洞関係者の気持ちは透けて見える。次田は、嫁の選挙が理由。
「ほんやら洞の青春」ならば、出席事情が変わって来るだろう。
某K社の文化部長がいみじくも言ったように
「誰が読むんや、他人の日記なんか、売れんやろ」
これが、一般的な印象なんだろう。
これが、僕の本領の写真集だったら、某文化部長もこんなぞんざいなもの言いはしなかったに違いない。そして、ちゃんと紹介記事を作るべきだと考えたかも知れない。
二の句は、
「ま、火事で同情を買って出して貰ったんやろ」
はなから、そういう思い込み。氏も紙上連載した中国文学者の評伝がなかなか陽の目を見ず、忸怩たる思いでいて、そうやすやすと出るもんやないと知悉している。だから、逆に、
「火事で店を失った、カメラマンでもある喫茶店主の、66歳にして初の日記集成」
とか銘打って、彼の地元の新聞が背を押してくれたら、嬉しいのだが、そうもいかないようだ。
飲み屋のゴシップを寄せ集めた、胡散臭い店の宣伝臭プンプンとした安もんの本扱いの域を脱し得ない。
それどころか「大丈夫!?個人情報を撒き散らして、告訴されたら、どうするの」と余計な他人の心配までしてくれる。
ほんやら洞や八文字屋の客の名が、有象無象千何百人もそれぞれが繋がりを持って登場するのを面白いと思わないか。
この「ほんやら洞日乗」は、売れるか、どうか知らない。
少なくとも大学者、郡司ペギオ幸夫さんは面白がり?数ヶ月後に出る同工異曲?の本(澪標さん、ご免なさい!)に跋文を寄せてくれると言う。また、北海道の哲学者・花崎皋平さんは「祝しに参じたいが、老齢のためにママまらないのが残念」とのメッセージをくれる。それって、オモロウないの?
焼け跡から持ち帰ったゴミの山に埋もれた、当分、何年も続くであろうゴミネガ、ゴミノートの中から、マシなネガの救出する作業を日夜続ける、その生活そのものを楽しく組み合わせた粋な印刷物(読み物)を作るって、いいじゃない?その生活の中になぜか北京、カザフスタン行きが交差し、交互折り重なって、果てしなく続くなんて、夢かも知れないが、いいじゃないか。まず、八文字屋を任せられる女性を探すことから始めよう。
という愚痴をNETで吐露したら、菅谷なおちゃん等何人にも心配してメールをくれる。
八文字屋のバイトは、温ちゃん。
トップ客は、オタクバー客で「日乗」買う。アキちゃんの詩、俳句仲間も77歳のおっちゃん同伴で「日乗」を買う。磯村久美さん、奈良井さん、琢ちゃん、段ちゃんも来る。
深夜、マリオン?(徳島の日仏学館の長身で綺麗な館長)をつれて、シルヴァン等10人来る。これで、辛うじて、九州から帰りの切符代金が出来る。
2:30閉店。

2015.3/27(金)


暖房なしで寝ていた。風邪に用心。既にアウト?
「日乗」配本、4月6日になる。
アマゾンは、今日から取り扱い。
風呂に入るために帰ったのに、元気出ず。入らず。
ジョン・ソルトさん、芳礼さんよりメール。
有本忠浩さんの名を思い出し、メールするも通じず。
7:30大上さん来る。(試し入り。実家は、梅農家)
トップ客は、呑海龍哉さん(日乗1冊)。次は、永澄さん、杉村さん、白井聡さん。
呑海龍哉さん旅のスケッチ展「ホテルという小宇宙」(5月30日~6月21日)決定。白井聡さんは4月から精華に来るのだという。まだ読んでないが、内田樹との対談が話題になっている。
明日のイベントに来いと言う段ちゃん、最後は、冨樫で終わる。
八文字屋にてダウン。

2015.3/26(木)


疲れたまま、7:40起床。体調、変?首の血管に違和感あり。背骨に連なる首骨、ひょっとしたら、ヘルニアか?とやや不安。
朝食炊く。
夕べ、来店の朝日の女性記者の名も、東大の松原教授の名も忘れていた。永江君、百枝さん来店も。
なかなか原稿を書く生活のリズムを作れない。
撮影生活のペースも壊れたままだが、こっちには、いい兆しはある。体調さえ整えば。
玉屋珈琲に豆買いに行く。
後は、帰省用?ベルト、夜の仕込みに豆腐、ジャコ天、鳥ミンチ、カボチャ、きんつば、電球、ポテチ買い。
不調続く。
小谷野敦の「江藤淳と大江健三郎」をめくる。
「バージニアウルフなんか怖くない」が出てきて、「卒業」と比較していた。
僕は1962年に「バージニアウルフなんか怖くない」を「アマゾネス」「素晴らしき風船旅行」の3本だてで姉と別府て観ているので、気になってチェック。僕の勘違いでないのが分かり、ホッとする。
八文字屋には、トップ客の、臼倉さんからはお見舞いを貰う。次は郡司ペギオ幸夫さんが、ワッキー、青ちゃんの後輩の西山ユウタ君同伴。二人ともパーティー参加。郡司さんには、原稿依頼もする。
琢ちゃん、シルヴァン、佐枝ちゃんらヴィラ九条山の連中8人同伴。コリーヌ・アトラン入洛と言う。瀧津孝来店「日乗」1冊買う。シルヴァンに野崎歓さんに送って貰うために1冊。
最後にマケドニアの美男子、前歯1本欠かせて来店。何処でどうなったか不明とのこと。(後に、差し歯と判明)
レオが、ガサ子?(ご免!)一人含め、3人で来て、LPを弄るので、ヴィラ九条山のレジデントもやや色めき立ち、レコード散乱。

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★お知らせ

■4月6日〜全国の書店にて
「ほんやら洞日乗」発売!!
(風媒社/定価 2,000円+税)

■4/17(金)-5/10(日)
ロッキー・ローエ写真展「パプアニューギニアは、今」

■4/18(土)
「ほんやら洞日乗」出版記念パーティー

★甲斐扶佐義66歳誕生日(4/18) & 八文字屋開店30周年(4/19)

■4/20(月)
中川五郎ライブ「写真を歌う」

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