■「M-1 はじめました。」
谷良一さんの昨年の著書。昨年のことですが、書評をしたためました。
ここに再掲。
今年もM-1グランプリの季節となった。クリスマスイブの決勝をフィナーレに、8540組が参加する漫才の頂上決戦。8月に1回戦が始まり、2回戦、3回戦、準々決勝、準決勝を経て、決勝には10組が登壇し、王座を競う。2001年にスタートして、4年の休みをはさんで今回が19回めの戦い。21世紀の日本が生んだ発明品である。
本書は谷良一 元吉本興業取締役によるM-1創設ドキュメンタリー。うらやましい。こんな仕事に携われるなんて。M-1は1番組じゃない。1イベントじゃない。インフラである。今や漫才は先端の表現で、M-1は憧れる若者の頂点であり、全国の挑戦者が集うプラットフォームである。
22年前に開始したプロジェクトが歴史に刻まれる文化にまで育った。そのころ漫才は過去のものになっていて、「前の漫才ブームはたった2、3年で」終わった。のに、「M-1は普通名詞に」なり、「今や漫才師が出ていない番組を探すのが難しい」状況を作り、「ブームではなく、完全に定着した」。全関係者による、偉業だ。
マンザイ。サンパチマイク1本、自分たちで作品を作り、2人で対話するだけの原始的な表現。それで数百万人を爆笑させる。世界にない表現だ。ピン芸やコントは欧米はじめ各地にあり、中国にも似たエンタメはあるが、日本は際立った洗練をみせ、高度な芸に昇華させた。
M-1は練り上げた4分のネタで勝負する年に一度の機会。世界トップの座を狙うのだ。結成15年以内しばりがある8540組のほとんどは漫才では食えず、バイト暮らしやプーだったりする。だが優勝者は一夜にしてスターとなる。決勝に進めば景色が変わるという。ストイックな戦場だ。
かつて才能あふれる若者は、小説、芝居、映画、音楽、ゲームへと身を投じてきた。創造力がほとばしり、表現力に覚えのある奴らは、ペンに魂をかけ、ギターをかき鳴らして叫び、カメラを担いで走った。
いまトップ層は漫才に来ている。天才クリエイターたちがこのジャンルになだれ込んでいる。楽器もカメラもコンピュータもいらない。目の前にマイク1台あれば、いや、なくたっていい、体2つでぼくたちを揺さぶる。かっこいい。
お笑い芸人。かつて社会の底辺にあった。M-1はそれを上層に引っ張り上げた。笑われる連中が、かっこいい存在となった。バカにされる連中が、あこがれの存在となった。行き場のない、やさぐれていた子が多い。そして最近は驚くほどに高学歴の子も多い。バックグラウンドや血筋やIQは関係ない。面白いかどうか、だけが問われる。M-1は最高の才能を惹きつけ育てる増殖炉である。
本書はプロジェクト・マネジメント教書でもある。それも経営学部で教わる頭やペンで繰り出す話ではなく、動かす足とかく汗が人を揺さぶりコトをなしとげていく実話だ。「M-1は、私と谷と2人で作った宝物です」と島田紳助さんが帯に書いている。2011年に引退して、一切表に出てこなかった紳助さんが「私の提案を、谷は1人で動き、1人で作り上げていきました」とも語っている。核心をなす証言だ。
そう、M-1は「作った」プロジェクト。熱い発意から、ごく少人数でコトが始まる。全漫才師に面談をかけて動き始める。上司、部下、同僚。すんなりとは、いかない。テレビ局、スポンサー。ステイクホルダーも多い。提案する。対立する。説得する。巻き込む。くじけない。そのリアリティがステキ!
優勝1000万円☓ゴールデン全国放送。「終わった」漫才を復興するにしては振りかぶりすぎている。無茶だ。スポンサー探しもテレビ局探しも難航する。当然だ。商店街や町内会にも営業をかける。くじけない。吉本興業DNAのクソ力がほとばしる!
20年たって、堂々の金字塔となった。反対していたのに、今になってM-1は自分の業績だとうそぶく元テレビ局の人が登場する。成功したプロジェクトというのはそういうものだ。あれはオレがやった。という人がたくさんいるのが成功した証拠。しかも、妥協せず、ガチンコを貫けたのは、関係するみなさんの「漫才愛」によるものだ。
ぼくもだいぶ漫才が好きなクチだ。ライブにも足を運ぶ。M-1の準決勝も決勝も、吉本の仕事をしていたこともあって無理をいい、このところ毎年現場で見てきた。本書には予選に臨む芸人たちが舞台脇でひりつくネタ合わせをするシーンが描かれる。ぼくも決勝本番直前、テレ朝のトイレや廊下で壁に向かってネタ合わせする鬼気迫るトップアーティストたちを見て、泣いてしまったことがある。漫才師というアーティストをこのうえなく尊敬する。そして、そんな現場をつくったみなさんのことを尊敬する。
第一回決勝戦の模様が本書に詳しく描写されている。今や大御所となった芸人たちも、すでに大御所として審査員席にいるひとたちも、みなそこまでひりつく緊張感に押しつぶされていたのか。テレビやDVDでは伝わりきらない、トゲに差し込まれる現場の空気を感じる。
そして吉本主催のイベントに松竹芸能から出場して健闘したアメリカザリガニを紳助さんが「よくがんばりました」と評価するシーンは、M-1のガチ文化を形作ったポイントだと思う。それを特筆する谷さんの姿勢には、漫才そのものを大切にする意思を感じる。ハイレベルで緊迫した第一回には、M-1を19回にわたり成長させる養分が濃縮されている。
芸人も色とりどりだ。中川家は当時、事情があって、漫才しか残っていなかった。そこからの初代王者獲得には鬼気迫る物語がある。フットボールアワー、ブラックマヨネーズ、チュートリアル、笑い飯、千鳥、麒麟、ダイアン、華丸大吉、・・・。みな物語を持ちながら、当初からここを主戦場と見定めて、挑戦したプレイヤーがその後20年を一線で支えてきた。ジャンルを作り、栄えさせるのは、そうした能力と、戦う意思のある人々である。
そう、本書は一級の漫才論でもある。表現に対して、歴史を踏まえた球をスパンと投げ込む。谷さんは最後に改革者としてエンタツ・アチャコ、ダイマル・ラケット、いとし・こいし、やすし・きよし、カウス・ボタン、紳助・竜介、ダウンタウン、笑い飯の名を挙げる。同意する。一般教養として学ぶべきだとぼくは思う。むろん同意しない人もいよう。かまわない。漫才は、それぞれの好みや思いをたたかわせる存在となった。M-1は漫才を論や学にした。
ダウンタウン以後の漫才師、M-1以降の漫才師は、師匠を持つ徒弟制ではなく育ち、漫才作家を持たず自作で勝負する。コンビの腕でのし上がるシンガーソングライター。アーティストなのだ。だからこれも谷さんが言うとおり、マヂカルラブリー、ヨネダ2000、ロングコートダディなど邪道と言われかねないネタが決勝に勝ち残る。新しいモデルが開発され、新しい表現が生み出され、進化し、型にはまった古典にならない。同じお笑いでも、昔のネタをコピーする落語とは真逆だ。
とはいえ仲よしコンビじゃないと面白くないと谷さんは言う。特に仲よし兄弟の強さを挙げる。中川家、ダイマル・ラケット、いとし・こいし、お浜・小浜、はんじ・けんじ・・。漫才=コミュニケーションとしての表現の基点は、人と人の間柄だということだ。
ぼくも学生にコミュニケーション=漫才を学んでもらいたい。とりわけデジタル時代に求められるコミュニケーションのスキルは漫才がエキスだ。というわけで、ぼくが実行委員長を務める京都国際映画祭では「学長くん推し漫才」を開催し、学生にも課外授業として学ばせている。これまで2回、ティーアップ、Dr.ハインリッヒ、金属バット、デルマパンゲ、天才ピアニスト、ハイツ友の会、ダブルヒガシら攻めたラインアップ。毎年やりたい。学んでもらいたい。
ところで。お前はどうなんだ。ですよね。ぼくも学ばなければなりません。いずれM-1に挑戦したいと考えています。1回戦突破が人生の次の目標です。谷さんにご指導いただくつもりでございます。
シェアエコだという。共有がよい。所有じゃない。持ってない美しさである。
「共」とか「公」とかが、「私」より前に来る。それは近代のアンチ的だ。
分配が生産より前に来る。それは資本主義のアンチ的だ。
だいぶパンクだと思います。
この10年ほど、共存や協創が大切にされています。
競争や勝利は、少し肩身が狭い。
サステナブルが、21世紀的であり、令和であります。
進化・成長は20世紀的であり、昭和なのです。
winner takes allは米ネットバブルの遺物で、なんだかカッコ悪い。
ちょっと待て。ネットは、効率、資本、競争を推し進めるはずではなかったか。
強いひとが独り勝ちするためのものではなかったか。
どうやら今ネットは、共感や和平を分かち合う手段で、なんだか弱虫に優しい。
日本だけなのかな。そうでもないんじゃないかな。
強い、正しい、リーダー。を求めてきたのです。近代からこっち。
が、今は、弱い、楽しい、ともだちを求めているようです。
率いるひとよりも、支えるひとがいい。
「オレについて来い」より、「いっしょに帰ろう」って言ってほしい。
共感を得られるひとに値打ちが出ています。「いいね」の多いひと。
それはかつての上に立つリーダーじゃなくて、横や下にいるパートナー。
ガバナンスより、フラットが大事になる。
強いひとより、弱いひと。弱くて優しいほうが共感するもん。
平和な時代は。低成長の時期は。
弱者の時代が来ました。
これまで教育は強者になる方法、あるいは強者が弱者に寄り添う方法を説いてきたが、弱者になる方法が求められるのかもしれません。
さて。では、弱者になる方法とは。まだありません。どうしよう。
「正しさ」より「おもしろさ」。「ツッコミ力」より「ボケ力」。「ドヤ顔」より「ヘン顔」。
このあたり、学校じゃ教えられないな。吉本の芸人さんに学ぶのがよさそう。
それもM-1王者じゃない、敗けてきたひと。
かたさよりやわらかさ。マクロよりミクロ。大声よりウラ声。天下国家より町内。マッチョよりヨガ。偏差値よりコンピテンシー。眼力より微笑み。パワーよりタイミング。働き方より遊び方。
これまで大事にしてきたことを反転して、脳みそのOSを塗り替えないといけない。
う~ん、これを学べる場はどう設計すればいいですかね。
●スペースシャワーネットワーク | 社外取締役 |
●デジタルえほん | 顧問 |
●一般社団法人CiP協議会 | 理事長 |
●一般社団法人デジタルサイネージコンソーシアム | 理事長 |
●一般社団法人デジタルリスク協会 | 理事長 |
●一般社団法人ソーシャルインパクト | 理事長 |
●国際公共経済学会 | 会長 |
●一般社団法人超教育協会 | 専務理事 |
●日本スタンフォード協会 | 理事 |
●ビジネスモデル学会 | 理事 |
●一般社団法人経営者学生交流協会 | 理事 |
●一般社団法人オープン&ビックデータ活用・地方創生推進機構 | 理事 |
●少年ナイフ | 特別顧問 |
●日本eスポーツ連合 | 特別顧問 |
●一般社団法人データ流通推進協議会 | 顧問 |
●京都国際映画祭 | 実行委員長 |
●一般財団法人大川ドリーム基金 | 評議員 |
●公益財団法人 子ども未来支援財団 | 評議員 |
●「安心ネットづくり」促進協議会 | 代表理事 |
●東京大学先端科学技術研究センター | 身体情報学分野アドバイザー |
●京都大学防災研究所 | 特任教授 |
●慶應義塾大学メディアデザイン研究科 | 特別招聘教授 |
●Superhuman Sports Committee | 発起人 |
●理化学研究所 革新知能統合研究センター(AIP) | コーディネーター |
●京丹後市 | 最高デジタル責任者 |
●活力ある地方を創る首長の会 | 特別顧問 |
●デジタル政策フォーラム | 発起人 |
●大阪・関西万博2025事業化支援プロジェクトチーム | プロジェクトリーダー |