2024年3月29日金曜日

第3503話 東京午後三時 @OKUROJI

千代田区・日比谷の昼下がり。
本日の相方はオペとも・S田サン。
美味しいものを食べながら飲もうということで
待ち合わせたのは帝国ホテルのロビー。

近くの日比谷OKUROJIにある、
青森・八戸のアンテナショップ、
「8 base」の話をしたら
興味を示したのでお連れした。

ところがちょうど中休みに入るところ。
時刻は午後三時であった。
ほうら、フランク永井の低音が聞こえてきたヨ。

♪ 真っ紅なドレスがよく似合う
  あの娘想うてむせぶのか
  ナイト・クラブの 青い灯に
  甘くやさしいサキソホン
  あゝ あゝ 東京の
  夜の名残りの 午前三時よ ♪
   (作詞:佐伯孝夫)

「東京午前三時」はフランク最大のヒット、
「有楽町で逢いましょう」と同年、
1957年のリリースである。

おっと、時刻は午後三時だった。
12時間のズレが生じておるな。
「8 base」にフラれ、
迂回したのは同じOKUROJI 内、
「ヨイノクチ」なる店。
テーブルもあるけれど
あえてカウンターに横並びとなった。

当方はサッポロ赤星中瓶。
相方は15~18時限定の昼飲みセット。
ワイン3種3杯に料理が何品も出て来る。
お通しはどちらも小帆立の酢味噌和え。
彼女の料理は、真鯛刺し・おでん・
鳥ハツ焼き・ポテサラ・ローストビーフなど。

J.C.はアラカルトから
海胆クリームコロッケと
真鯛カマのソテー・ポン酢バターソースを。
いずれも水準に達していた。
ニュージーランドのピノ・ノワール、
シレニを1杯いただいて会計は7千円ほど。
まっ、こんなものかな?

OKUROJI をぶらぶらする。
第二のコリドー街を意識して
造られた商業施設ながら
集客に苦労している店舗が多そうだ。
すでに閉業に追い込まれたところもあった。

さて、2軒目は何処に行こうかな?

「酒菜日和 ヨイノクチ」
 東京都千代田区内幸町1-7-1 
 日比谷OKUROJI
 03-6457-9917

2024年3月28日木曜日

第3502話 蒲田から 電車に乗って 大井町

かきフライ&「京都の夜」のおかげで
ウキウキと水門通りを雑色に戻った。
第二京浜を渡り返し、駅前を通り過ぎて
今度は西に走る雑色商店街を歩む。

京浜東北のガードをくぐったら右折。
線路沿いに北上してゆく。
ほどなく現れたのは蒲田操車場である。
松本清張原作の映画の中で
ベストと評価の高い「砂の器」。
映画の冒頭、事件はこの操車場で起こった。
だが昼間だとちっとも感じが出ず、退散。

蒲田で飲み直せばいいものを
そこから電車に乗って大井町へ。
ちょうど1年前もそうだった。
羽田空港に近い穴守稲荷で昼食のあと、
大鳥居、糀谷と歩いて蒲田に到着。
あの日も電車で大井町に移動したっけ。

旧闇市場の東小路と平和小路。
この町に来たらこのエリアは必訪につき、
ぶらぶら流してゆく。
足を止めたのは焼き鳥酒場「一角」の店先だ。

立て看板を眺めていたら中から女性が出て来た。
面立ちにうっすらと見覚えがある。
これは1年前とまったく同じ展開。
あのときも彼女にハントされたのだった。
先刻の「千丸」といい、何だか近頃、
個人的体験がたびたび繰り返される。

「ちょっと近くを一周りしてからネ」ー
言い置いてその場を離れた。
目ぼしい店を見つけたら浮気は必至なれど
律儀なJ.C.のこと、一周後に舞い戻った。

ドライ中瓶を抜いてもらうと
お通しはしらすおろし。
焼き鳥はハツモト塩 レバーたれでお願い。
そうそう、彼女は蘇州の出身だった。
日本語はかなり出来るが、まだまだだネ。

蘇州の東に位置する大都市が上海。
北区・飛鳥山の行きつけ上海料理店、
「豫園飯店」の J.C.担当、
香蘭は上海生まれで日本語ペラペラだ。

ドライをお替わりし、
追加はボンジリ塩、豚バラたれでー。
「もう一人の蘇州の女性は?」
「ヨソの店に居ます」
訊けば、日本人&中国人のオーナー夫妻は
大田・品川両区に8軒も経営していて
スナックが中心とのこと。
このご時世にやるもんだねェ、ジッサイ。

「一角」
 東京都品川区東大井5-3-4
 03-3471-9080

2024年3月27日水曜日

第3501話 水門通りを歩き多摩川 (その2)

六郷水門をあとにして来た道を戻ろうか。
すると、水門近くの団地に目がとまった。
南六郷二団地というらしい。
飲食店が何軒か並んでおり、
せっかくだから一回りしてみよう。

一番手前が食堂「千丸」。
隣りが惣菜屋「末広」。
その先がそば屋「さか本」である。
ん? 「千丸」? 
つい先日の墨田区・京島キラキラ橘商店街。
八幡浜のじゃこ天で飲んだ店が「千丸」だ。
あまりない屋号なのに奇遇だねェ。

「末広」の店先の細いテーブルにラジカセがー。

♪ あなた残した わるいくせ
  夜中に電話 かけるくせ
  鍵をかけずに ねむるくせ ねむるくせ ♪
   (作詞:山口洋子)

中条きよしの「うそ」が流れていた。

「さか本」の品書きには
ラーメン・タンメンなど中華メニューもある。
京島では「千丸」の前にそば屋「浅野屋」で
中華ソバを食べたのだった。
何だか似たようなシチュエーションだけど
今回はそば屋の中華をパスして「千丸」へ。

店主がいきなり気まずそうにささやいた。
「お酒でしょ?」
「いや、ビールですけど・・・」
女将が引き取って
「すいません、ないんですヨ」
「エエ~ッ! そこの冷蔵庫にあるじゃない?」
「いえネ、お昼のお酒は日曜だけなの。
 おそば屋さんにあるからそちらへどうぞ」
「ふ~ん、そうなのかァ、じゃそっちに行くネ」
「ホントにごめんなさいネ」

「さか本」に入店したが日本そばでも中華でも
そばを食べたらあとが入らぬ。
何か軽いものを・・・
おっ、かきフライがあって450円。
おつまみサイズだろうが何でこんなに安いの?
もつ煮込み、おでんでさえ550円なのにー。

5つのかきフライは好かった。
キャベツにレモンにマヨと練り辛子。
いいネ、数日前の浅草「水口食堂」より断然。
お通しはニンジン繊切りにツナ缶を混ぜ、
フレンチのキャロット・ラペみたい。
ドライ大瓶を美味しくいただいた。

出て来たら隣りの「末広」のラジカセ。

♪ 祇園の雨に 濡れながら
  シャネルの人を 切なく今日も
  探す京都の夜は ふけゆく ♪
   (作詞:秋田圭)

愛田健二の「京都の夜」だ。
でもネ、この曲は渚ゆう子がベターで
ベストは西田佐知子とザ・ピーナッツ。
甲乙つけ難しとは実にこのことである。

「さか本そば 南六郷店」
 東京都大田区南六郷2-35-1
 南六郷公団住宅ショッピングセンター内
 03-3738-5836

2024年3月26日火曜日

第3500話 水門通りを歩き多摩川 (その1)

十数年ぶりで京急・雑色駅に降り立った。
東京の南のはずれまで遠征したのには
理由(わけ)があった。
多摩川を臨む六郷水門を見たかったのだ。

駅前を走る第二京浜国道を渡ると
そこは水門へと続く水門通り。
フランク永井の「夜霧の第二国道」が
ふと脳裏を掠めたが真っ昼間なのでやめとく。
浪花の小姑もうるさいことだしネ。

そう言えば先週、「月の法善寺横町」を
せっかく紹介したのに小姑のヤツ、
知らねェと来たもんだ。
大阪府民の風上にも置けないヤツだぜ。

水門通り商店街は
店舗の数を減らしたようだが
それでもそれなりの活気があった。
ただし、飲食店はかなり少ない。
ちょいと横道にそれたところに1軒だけ、
順番待ちが数人たむろする町中華があった。
水門を見たあとで此処に寄ろうかな?

六郷水門に到着。
この水門は六郷用水の多摩川への排出と
多摩川の氾濫による浸水を防ぐ目的で
昭和6年に着工、翌7年に完成している。
令和3年には
土木学会選奨土木遺産に選定された。

金森式鉄筋煉瓦という工法が取られ、
その堅牢さは竣工から90年を経過した今も
現役の水門として活躍している。
なるほど立派な姿にしばし見とれた。

前方には多摩川の流れ。
左手に産業道路の大師橋と高速大師橋が
並んで走っているのが見える。
その向こうは羽田空港だ。

小学生時代、大田区の生徒だったJ.C.は
社会科の授業で多摩川の最下流は
六郷川とも呼ばれると習った。
六郷川を眺めていると
子どもの頃に還ったような気がしてきた。
還暦なんざとっくに過ぎてるのにネ。

水門の内側の船溜まりに
1羽のコサギが羽を休めていた。
純白の姿が光の中でまぶしい。

サギという鳥は帰るねぐらは別として
サカナを獲るときはけして群れない。
掛け子だ、出し子だと、群れになって
サギを働くのは人間だけなのだ。
げにあさましい生き物よのお。

=つづく=

2024年3月25日月曜日

第3499話 甘いヤツには 甘さで対抗

後楽園のある文京区・後楽の北西隣りに
水道という町がある。
神田川を挟んだ向かいは新宿区・水道町。
後楽園に戻り、向こう岸の千代田区には
水道を冠した町が無いが
代わりにJR総武線・水道橋駅がある。

とにかく界隈は”水道”だらけ。
これはこの地に古くからあった、
神田上水水道に由来する。
神田上水は玉川上水とともに
江戸の二大上水であった。

この水道の町に「石ばし」と「はし本」。
2軒の老舗鰻料理店がある。
2軒に挟まれるようにして「居酒屋 いずみ」。
文教の街・文京区には珍しい優良居酒屋だ。

神保町で映画を観たあとに訪れた。
開店直後の17時過ぎとあって先客はナシ。
カウンターの一番奥に着き、赤星の中瓶を。
お通しは、玉こんにゃく・竹輪・大根の煮物。
おでんをより甘辛くした味付けだ。

おっと、品書きにウマハギ刺しがある。
紛れもないウマヅラ皮ハギは
板さんに確認したらやはり肝付き。
皮ハギは肝が命だからネ。
国会で気安く”命がけ”なんて
時代錯誤の言葉を口にするアホの命より、
よほど大事な命が此処にあった。

かなりの量の刺身が配膳された。
ヒマに任せて数えてみたら19切れもー。
肝を溶かし込んだりもしながら
ポン酢と生醤油、二つの味で楽しんだ。

信州の清酒、戸隠に移行するとヤケに甘い。
失敗したと悔やみつつも一計を案じた。
お通しの煮物の助けを借りながら
交互に味わうと煮汁の甘さが酒を修正する。
日本酒でもワインでも甘さを感じたら
甘いつまみのアシストが重要。
甘いヤツには甘さで対抗するのが一番だ。

まだちょいと飲み足りないので
茜霧島のロックを所望。
うん、これはいいネ。
スッキリとした突き抜け感があり、
黒・赤・白などのシリーズ中、
茜が一番好きかもしれない。

神田川沿いにポツンと灯を点す「いずみ」。
文京区民として支えたい1軒であります。

「居酒屋 いずみ」
 東京都文京区水道2-4-4
 03-3815-6594

2024年3月22日金曜日

第3498話 浅草橋から 浅草へ流れて (その2)

しばらく大阪には行っていないが
法善寺横丁の思い出は門前のおでん屋「おかめ」。
大阪を訪れるたびに足が向いてしまう。
浪花のおでんの第一感は此の店である。

壁の品書きを見上げてはいつもニヤリ。
凝った当て字につい頬がゆるむ。

美以留(ビール) 毛露九(もろきゅう)
図呂郎(とろろ) 多幸巣(たこす)
夜ッ子(やっこ) 女差(めざし)

といった塩梅なのだ。

それはそれとして、浅草橋の「藤芳」。
炒めた玉ねぎをたっぷり乗せた、
ポークソテーを味わい、卓上にあった、
自家製のおかか&白胡麻のふりかけを
つまんだりもしながら中瓶1本で切り上げた。

浅草橋をあとに鳥越神社を抜け、
昭和の情緒を残す新堀通りを北上。
かっぱ橋道具街をかっぱ橋本通りで右折し、
浅草六区にやって来た。

久方ぶりに入店したのは「水口食堂」。
料理はあまり感心しないが
エンコには数少ない食堂で雰囲気も好い。
飲みつけのドライ大瓶を所望すると
お通しは珍しくも焼きかつおが運ばれた。

つまみはタルタルソースにポテサラと
キャベツを従えた4カンのかきフライ。
ん? 広島産かな? コロモが厚くガシガシ。
言わんこっちゃないぜ、
どうもこの店にはイマイチ感がつきまとう。

唯一の逃げ道、下町特有の一品、
炒り豚に逃げればよかったものをー。
炒り豚は豚肉(バラだったり小間だったり)と
玉ねぎを炒めたシンプル極まりない代物だ。
押しなべて塩味とケチャップ味に二分される。
だけどポークソテーのあとに炒り豚はないやろ。

菊正生貯蔵酒 生酛(きもと)300mlに移行。
店内に浅草らしい穏やかな空気が流れている。
冷酒片手にピープル・ウォッチングと参ろう。
若者、中年、初老、カップルがやたらに多い。
偶然かも知れないけれど
外国人が1組も居ないのがどことなく新鮮。

東京でピープル・ウォッチングに最適なのは
一に浅草、二に銀座、三、四がなくて
五に神楽坂でキマリだろう。
まっ、勝手なキメだけどネ。
エニウェイ、浅草の夜は静かに更けてゆきました。

「藤芳 駅前店」 
 東京都台東区浅草橋1-11-4
 03-3865-2144

「水口食堂」
 東京都台東区浅草2-4-9
 03-3844-2725

2024年3月21日木曜日

第3497話 浅草橋から 浅草へ流れて (その1)

以前棲んだ町・浅草橋に来ている。
昼めし・昼飲みを問わず、
手ごろな店を探していた。
めし屋は休憩に入り、飲み屋はまだ開かない。

浅草なら問題ないけれど、
浅草橋ではそうもいかない。
JR総武線のガードそばにとんかつ店、
「藤芳 駅前店」がまだ開いていた。
そろそろ閉める時間だろう。

広くもない店でキリン一番搾り中瓶を発注。
浅草橋は浅草の隣りにも関わらず、
地元のアサヒに背を向けている。
まっ、店それぞれだからいいでしょう。

ここでロースかつ定食なんぞ、
食べたひにゃ夜に禍根を残す。
よってポークソテーを単品でお願いした。

ふ~む、「藤芳」かァ。
ボンヤリ思っていたら
いきなり藤島桓夫が歌い出したヨ。

♪ 庖丁一本 さらしに巻いて
  旅へ出るのも 板場の修業
  待っててこいさん 哀しいだろうが
  ああ ああ 若い二人の 
     想い出にじむ法善寺
        月も未練な 十三夜

  (セリフ)
      こいさんがわてをはじめて
       法善寺へつれて来てくれはったのは
  「藤よ志」に奉公に上った晩やった
   はよう立派なお板場はんになりいやゆうて
   長いこと水掛不動さんに
   お願いしてくれはりましたなあ
   あの晩から わては わては
   恋はんが好きになりました

    (作詞:十二村哲)

「月の法善寺横町」は1960年のリリース。
(歌のタイトルでは横町だが実際は横丁)
藤島桓夫一番のヒット曲となった。
小学低学年だったがリアルタイムで覚えている。

フフフ、小うるさい浪花の小姑も
大阪が舞台の歌なら文句はあるめェ。
どうだ? マイッたか!

=つづく=