駒木博士の社会学講座

仁川経済大学社会学部インターネット通信課程

第4回コミックアワードはこちらからどうぞ


社会学講座アルバイト・ 一色順子の「駒木ハヤトの近況報告」

2010年12月27日(月)

  またまたご無沙汰です! 5ヶ月ぶりでごめんなさい。博士はノロウイルスにやられながらも、何とか元気に頑張ってます。受け持ちの生徒の停学日数は合計59日 になったそうです。オッス、オラ59日!って言ってあげたら、やっぱり水揚げ5日目のサバみたいな目をしながら明るく 微笑んでくれましたから大丈夫だと思います(笑)。

  というわけで、冬コミの告知です。ギリギリになっちゃいましたけど、今回も何とか新刊を出すことができました!

 

 3日目( 12月31日・ 金曜日)東・P-58b 「駒木研究室」
 
※新刊「2010年 冬の集中講義」 予価200円
 ◎「輝く! 高校社会定期テスト珍解答選手権」
 ◎「『アタック25』予選会参戦レポ」 
 

……で、お待ちしております! 旧刊の在庫も ある程度は用意してます。どうか何卒!



駒木博士のニュース解説
 

 ※現在準備中です。

 ニュースログ
 


☆最近の講義一覧表☆
これ以前の講義はアーカイブにあります。

08年度講義
4/3
(第1回)
犯罪学特殊講義
「駒木博士の裁判傍聴記」(3)
5/6
(第2回)
犯罪学特殊講義
「駒木博士の裁判傍聴記」(4)
6/2
(第3回)
犯罪学特殊講義
「駒木博士の裁判傍聴記」(5)
6/7
(第4回)
犯罪学特殊講義
「駒木博士の裁判傍聴記」(6)
3/30
(第5回)
特別演習
「『バクマン。』のバクマン。」(1)
 
06年度講義
4/15 人文地理
「駒木博士の05年春旅行ダイジェスト」(2)
5/13 人文地理
「駒木博士の05年春旅行ダイジェスト」(番外編)
07年度講義
4/21
(復活第1回)
演習(ゼミ)
「現代マンガ時評」(古味直志特集)
10/4
(復活第2回)
犯罪学特殊講義
「駒木博士の裁判傍聴記」(1)
11/4
(復活第3回)
犯罪学特殊講義
「駒木博士の裁判傍聴記」(2)
◆構内掲示板◆

01年11月の開講以来、長年ご愛顧を頂いておりました当講座、仁川経済大学社会学部インターネット通信課程ですが、『現代マンガ時評』を含む全ての定例講義を終了することになりました。長らくのご愛顧、本当に有難うございました。(詳細はこちらよりどうぞ)

※今後の講義予定やコミケットでの活動につきましては、その都度この「構内掲示板」内にてお知らせします。アンテナ等に登録の上、更新情報の捕捉をお願いします。


☆最近の講義☆
※以前の講義はアーカイブにあります。

2008年度第5回講義
3月30日(月) 特別演習
「『バクマン。』のバクマン。」(1)

 約10ヶ月のご無沙汰でした。もうお詫びの言葉も見つからないとはこの事で。随分と見切りをつけた受講生の方もいらっしゃるのではないかと思いますが、まだ講義も続けますので、今後とも何卒。ここまで来たら10周年の時には何かやりたいですしね。
 で、この間何をしていたのかと言いますと、前回の授業の後は教員採用試験の準備期間に入りまして、どうやら一次試験を乗り越えた所で、夏コミの締切がギリギリのギリギリ。それに加えて、通年でずっとボクシングの観戦記ブログの更新ノルマがあるわけですよ。そして、この度は一次を受かってしまったので、今度は二次試験の勉強も始めなくてはならなくなり。全てが終わった頃には10月。こうなると、前回の講義を終えた時点で考えてた続きの内容が全部飛んでしまっている(苦笑)。元々が準備に時間がかかる手の込んだ講義ですから、一度手が止まると、それはもう『涼宮ハルヒ』の続編が 、作者を含めていつ出るのか誰も判らないような状態になってしまうわけで。だったら、解散総選挙も近いし、政治経済のネタでもと思って取材を重ねていたら、これがいつまでたっても解散しない。我が国の国会はTHE ALFEEぐらい解散と無縁なのかと。そうこうしてる内にもう冬コミで、年を越したら、赴任先――二次試験も受かって採用されちゃったんで、4月からの就職へ向けての引越準備で大忙し。で、引越まで怒涛のように進んで現在に至る、と。
 まぁそういうわけで、現在は転居先方面に移転しました、新研究室から講義をお届けしてます。珠美ちゃんたちも、いざという時には通って来れる場所にありますので、今後も手伝って貰う事もあろうかと思います。

 さて、講義再開に当たって、どんな題材で行こうか迷いました。『ポートピア連続殺人事件裁判』は、再開するにはファミコンゲーム『キャプテン翼』的に言えば、ドライブタイガーツインシュートぐらいのガッツを消費するので、ちょっと厳しい。なら採用試験の合格体験記か引越関連のドタバタでも……と、思ったんですが、何かそれもツンデレの真髄を解さない三流作家がヒロインに「アンタのために○○したんじゃないんだからねッ!」と言わせるぐらい安直過ぎやしねぇかと、構想練る前から萎え気味で、面白い事がちっとも浮かばない。どんな事書こうかとボンヤリ考えながら、新研究室に導入されたケーブルテレビのCS放送をザッピングしてると、いつの間にかフィル・テイラーが10何度目かのダーツ世界一になる所とか、萩原聖人がプロ3人を相手にダンラスからの連荘&親ッパネでトップを強奪する所を30分以上凝視していたり(笑)……って笑い事じゃ無いですね。
 んで、このまま新学期を迎えると本格的に休眠状態になってしまいそうなので、今年の夏コミ新刊用に温めていたのを1つこっちに回す事にしました。タイトルをご覧になればお分かりのように、「週刊少年ジャンプ」連載の『バクマン。』(作:大場つぐみ/画:小畑健)を題材にした講義です。このマンガは「暴露漫画=バクマン」ではないのか、というぐらい「ジャンプ」やマンガ界にまつわる裏話満載の異色作であり、意欲作です。過去、数年に渡って毎週「ジャンプ」のレビューを行って来た駒木にとって、それらの裏話はまさに興味津々、しかも中には以前から業界裏ルートを通じて聞かされていた“未確認情報”も含まれていて、連載開始以来、序盤のメインストーリーのスカスカさ加減はそっちのけで毎週貪るように読んでおりました。駒木が かつて新人作家さんから聞いた話で『バクマン。』でも採り上げられている内部事情の中には「この話をした事がバレたら、私は業界から消されます」という 、裏献金を扱ってる政治家の秘書みたいなコメント付で聞かされた話もあったんですが、まさかそれが数百万の読者に明かされる日が来ようとは。一昔前はヤクザ直営のショップでなければ手に入らなかった無修正AVが、今ではネットに供給過剰な程氾濫しているのと同じような話で、まさに隔世の感であります。
 さて、というわけで、今回から始まるこの講義シリーズでは、そんな『バクマン。』で扱われた裏話――表に出ちゃったのでもう「裏」じゃないですね。業界内情話を1つずつピックアップし、駒木がそれらに逐一解説や雑感を添えてゆき、皆さんにマンガ界の事情についての理解を一層深めて貰おう、というものです。まぁ解説と言っても、駒木は業界の周辺に居た事はあっても外野の人間ですから、本邦初公開的な話は殆ど出来ないと思いますが、『バクマン。』を読んで楽しむガイダンスの役割でも務められれば……と、思います。では最後まで何卒。

 ☆「毎週読者アンケートで順位をつけられ、人気が無ければ10週で打ち切り」「(背景の打ち切りマンガの最終コマに挿入されたキャプション)第一部 完」「(同じく)ご愛読ありがとうございました!」(第1回・単行本1巻25ページ)

 一番最初は、やはりこれ。「ジャンプシステム」最大の特徴とも言うべき10週打ち切り制度です。まぁこの制度については既に周知の事実になっていますし、「10週突き抜け」という造語が出来上がってしまってるぐらいなので、敢えて長々と喋る必要はないでしょう。これを補完するような内情話はこの後どんどん飛び出します。ガモウ……いや大場だけはガチです。
 ただ、面白いのはナニゲに「第一部 完」で本当に終わるのは第一部ではないとか、「ご愛読ありがとうございました!」は、謝意を示しているのではなく、過去形の文言を挿入することで「このマンガはこれで終わりです」と伝える編集部からの強調であるとさりげなくバラしてる所ですね。しかし、ご愛読されてないから終わるのにご愛読ありがとうもクソも無いですよね。

 ☆「さっきお前が言ってた『デスノート』の原作の人だってどこかで書いてたぜ。何か仕事しないと5年後には飢えて死にますって」(第1回・単行本1巻25ページ)

 ……さぁそして2番目に早くも作者本人からの暴露が来ました!(笑) ガモウ……じゃなかった、大場さんは、大成功にも関わらず餓死の危機と戦っていたようです。
 しかし、にわかには信じられない話ですよね。『DEATH NOTE』は単行本公称累計2500万部以上の大ヒット作品です。原作者の印税が半分としても、2500万部×400円×10%÷2=5億円……おい、ガモウてめえ! じゃなかった大場さん、そりゃないっすよ! 
 仮に実数が公称の7掛けとか8掛けとしても、印税は実売ではなく印刷した時点で発生しますから、まぁ軽く3億5000万。これにロイヤリティや原稿料なんかが上乗せされますので、一流企業のサラリーマンの生涯収入を凌ぐ数字です。これをどうやって5年で……。お前は毎日昼飯と晩飯を「すきやばし次郎」か「トゥール・ダルジャン」で食うてるんか、と真顔でツッコミ入れたくなる話であります。
 ただ、考慮しなければいけないのは、このマンガの連載期間は2年半、しかも人気のピークは連載前半に集中しており、恐らくは収入も同様であっただろうという事。となると、ガモウ……大場さんは、節税をする暇もなく、初年度の収入のほぼ全てを個人事業所得として計上する羽目になったのではないでしょうか。所得税と地方税の合計は、収入から必要経費を差し引いた額の50%です。アシスタントの人件費やその飲食費、膨大な画材題などを経費計上できる作画担当者と異なり、専ら1人仕事場に籠って紙に鉛筆でネームを書いている原作者はなかなか経費に回す名目の当ても無さそうですから、億単位で税務署にゴッソリ抜かれたと思われます。更に高額納税者は「予定納税」と言いまして、年の半ばに翌年確定申告する分の税金を、前の年と同じ収入が持続するという前提の下で前払いさせられます。そろそろ人気のピークが過ぎて印税額も落ち着き始めたガモ……大場さんに、再び数千万を回収しようとする税務署の魔の手が……! つまり、大場……ガモウは、いや大場さんは飢えではなく、税務署と戦っていたのではないでしょうか。
 また、他にも『ヒカルの碁』で既に大ヒットを飛ばしていた小畑さんと、新人扱いのガモウつぐみ、いや、大場ひろしさんとの間では編集部的な扱いが印税・原稿料分配率が平等ではなかったのではないか、とか、連載初年度に舞い上がって家とか建てちゃった、いやひょっとして『ラッキーマン』の頃に組んだ35年の住宅ローンを何とか納めきったら税金が払いきれなかったのではないか、と世知辛い邪推をしてみると、ひょっとすると本当に5年で飢え死にするレベルだったのかも知れません。あ、あとナイツの漫才みたいになって来たので以後ガモウの呼び名は「大場さん」で統一します(笑)。
 ただ、駒木が聞き及んだ範囲では、詰まり気味のスマッシュヒットでも、メジャー誌で2年連載すると、贅沢さえしなければ3年ぐらいはやっていける筈なんですけどね。連載が終わってからも、タイムラグがあって海外で出版された分の権利料が発生する事もあるそうで、連載が終わったら即無収入というわけじゃないみたいです。連載が終わって2年目ともなると税金も一気に安くなって、国民健康保険料も年数十万円から数千円になる人も居るとか居ないとか。

 ☆「マンガ家目指して一生食えるのは……(略)……0.001%、10万人に1人ぐらい」(第1回・単行本1巻26ページ)

 もうこの辺は込み入った話のオンパレードですね。ちっともページが進みません(苦笑)。
 一生マンガだけで食えるのは10万人に1人。そりゃ『DEATH NOTE』で5年食い繋ぐのがやっとという基準で話をしたら、そのくらいになるかも知れません。駒木が「現代マンガ時評」をやっている頃にデビューした「ジャンプ」生え抜きの新人作家さんで、一生食えるぐらい稼げる目処が立った人となると空知英秋さんぐらいじゃないですか。星野桂さん、松井優征さんクラスだともう1本ヒット&長期連載が出ないと目処が立たないでしょう。移籍組を入れても天野明さんぐらいですかね。多分、駒木がレビューをした事のある「ジャンプ」新人作家さんは3桁いってるかどうかだと思いますが、この比率です。
 今はまだ大ヒット作に恵まれていない作家さんもブレイクする可能性がある反面、どんな大ヒット作家さんでもピークを過ぎて失敗作が相次ぐとメジャー誌の第一線から退く事を強いられますし、そうなると収入も激減、蓄えも尽きて食い繋ぐのが厳しくなり仕事も選んでいられないのでますます撤退戦を繰り広げる羽目に。 かつて三大少年誌で描いてた人が「近代麻雀」→パチスロ雑誌と“都落ち”していったり、エロ漫画誌の準看板級作家になってたりという事実がコンビニの雑誌コーナーでひっそりと公になっていたりします。元「ジャンプ」作家が、小学生新聞の1ページ数千円の仕事をやってた、なんて話も。まぁそれでも食い繋げてたり、全盛期の蓄えで生活出来てる人はまだまだ勝ち組で、それも叶わなかった人はひっそりと消息を絶ってたりするわけです。連載中に精神を病んで、筆を折る人も少なからずいますし、中には命を断つ人もいるわけで。
 そう考えると、マンガ家は一生食える人も稀ですが、一生描き続ける事が出来る人も稀なんでしょうねえ。還暦過ぎてバリバリ週刊連載やってるのは水島新司さん(69歳!)弘兼憲史さん(62歳)ぐらいで、あとは自分で描いてない作家さんがチラホラいるぐらいですか。75歳の藤子不二雄A先生は随分前から悠々自適の創作活動ですし、70歳のちばてつやさんが最後の週刊連載を打ち切りで終わらせたのがもう15年も前ですからね。手塚治虫先生が「終わった作家」扱いされた所から『ブラックジャック』で復活を遂げたのが45歳の頃ですから、いかにマンガ家で在り続ける事が大変なのか、という話になるわけです。
 また、そもそもマンガ家志望者が商業誌デビューする確率も相当低いはずです。新人賞に応募したり編集部に完成原稿を持ち込める志望者さんはまだ優れている方で、大半の志望者はそこまでいっていないのではないでしょうか。以前「コミックビーム」が代アニのマンガ家コースの卒業予定者を対象に毎年原稿の審査会をしていたそうですが、数百人いて、鍛えればモノになりそうなのが数人いれば良くて、下手すればゼロだったと奥村編集長がおっしゃってました。となると、専門学校すら卒業出来ない、入れない入らない“自称・志望者”はどうなるのか。中には独学から同人活動経由でデビューする人も稀にいますが、それは例外中の例外でしょう。
 そう考えると、マンガ家志望者の中でプロデビュー出来るのが、ざっと1000人に1人、マンガ家の中で一生食える分を稼げるのが100人に1人いるかどうか。となると、『バクマン。』に出て来る「10万人に1人、0.001%」というのは、思いつきで出された数字ではないと思われます。

 ……と、ここまで延々とシビアな話をしている内に、随分なボリュームになってしまいましたね。もうちょっと喋りたいんですが、高校の仕事の新学期を控えて、なかなか無茶も出来ませんので、ひとまずここで置きます。続きがいつになるか判りませんが、この講義シリーズは結構興が乗り易いので、1日、2日暇が出来たら突発的にまたやるかも知れません。最悪の場合は夏コミの新刊でしょうか。いつも待たせて申し訳有りませんが、アンテナに登録するなり、たまに覗いてみるなり、チェックを宜しくお願いします。では、今日はこの辺で。有難うございました。(次回へ続く)

 

2008年度第4回講義
6月7日(土) 犯罪学特殊講義
「駒木博士の裁判傍聴記」(6)

 過去のレジュメはこちら→第1回第2回第3回第4回第5回

 (前回からの続きです)
 冒頭陳述が終わると、引き続き検察側の証拠申請に移ります。これは起訴状と冒頭陳述の内容が事実であると証明するための証拠を 、「証拠等関係カード」という一覧表にリストアップし、裁判官にそれらの取調べをお願いする手続です。

 検察官の「以上の事実を証明するため、証拠等関係カード記載の通り、証拠を申請いたします」という決まり文句で冒頭陳述が終わると、裁判長はすかさず「弁護人、ご意見は?」 と尋ねます。
 検察側が申請する証拠はほぼ100%、被告人にとって都合の悪いものです。全部取り調べられたら検察側の主張する事実関係が全て認められる事になり、有罪判決が下されることになるでしょう。しかし、法廷には「疑わしきは被告人の利益に」という大原則があります。よって、検察側が申請する証拠の中で、弁護人が「それは被告人の立場を悪くするために検察がでっち上げたニセモノなので証拠とは認めません」と訴えたいものがあれば、証拠の取調べを拒否する事が出来ます。これが「証拠取調べの不同意」です。裁判官は弁護人が同意しなかった証拠は見る事が出来ず、勿論判決に反映させる事も出来ません。
 ですが、検察官もやられっぱなしではありません。 不同意にされた証拠の代わりになる新証拠を後から提出したり、供述調書を不同意にされた場合には、調書の証言者や取調べた警察官を証人として呼んで来て、改めて調書の内容を喋ってもらう事が出来ます。但し、証人に対しては弁護人も証言内容の疑問や矛盾点を質問・指摘する事が可能ですし、それによって裁判官が証言を「信用できない」として却下する場合も有ります。つまり、証拠を不同意にするという事は、「その点については法廷で戦いますよ」という宣戦布告のようなものです。否認事件の時には証拠は不同意のオンパレードになりますし、逆に罪を認めて刑罰を軽くしようという時には、証拠を全て同意して反省の態度を示します。

 ……と、回りくどい解説を済ませたところで、今回の法廷ではどのような遣り取りが行われたのか、追いかけてみましょう。

 「――弁護人、ご意見は?」
 「えーと、基本的には同意なんですが、分離公判中の沢木被告人の罪状認否の関係上、川村さん殺害の共犯関係に関わる供述調書の甲17号証と乙5号証は留保、という事で」
 「うーん、その留保の結論はいつ頃出るんでしょうか。向こうの裁判の進行具合にもかかって来るんでしょうが、こちらは進行が割と早いので、証拠がいつまでも留保となると後々差し障りがあると思われますが」
 「そうですねえ、まぁこちらの被告人の犯罪事実は全て認めてますし、留保した証拠が無くても立証には支障が無いと思われますので、検察に撤回して頂くのが一番話が早いんですがねぇ」
 「どうでしょう、検察官」
 「はぁ、まぁ、その辺は被告人質問で訊けば問題ないと思いますので」
 「では、却下という事で良いですか?」
 「はい、却下します」
 「では、甲17号証と乙5号証は検察側が却下、その他は全て同意して取り調べるという事で良いですね?」
 「はい」「はい、結構です」

 ――はい、何言ってんだか分かりませんね(笑)。では、受講生の皆さんのために、この遣り取りを彼らの心中を察しつつ日常会話風に超訳してみましょう。

裁判長:「さて弁護人、まさかこの期に及んでゴネたりしないよねぇ。不同意はやめてよ?」
弁護人:「いやぁ不同意はしませんけど、フミエちゃんのKYな弁護士が『川村の殺害はヤスが勝手にやった事で、フミエちゃんは共犯者じゃないんだ!』ってヤケに張り切ってるでしょ。だからその部分に関しては、向こうの裁判が終わるまで俺が勝手にどうこう言えないですよ」
裁判長:「えー、こっちの方は早く片付くと思ってたのに、そんなしょうもない事で引っ張るの? カンベンしてよー」
弁護士:「俺に言われても困るんですけどねえ。こっちは最初から2人殺した主犯だって認めてるし、面倒くさいのは俺も御免ですよ。検察さんが証拠申請を撤回してくれたら話が早いんですけど……」
裁判長:「あー、そうか。ねぇ検察官、まさか嫌とは言わないよね?」
検察官:「まぁどうせ裁判の中で同じ事を質問するし、構いませんよ。まったく面倒臭がりなんだから……
裁判長:「ん? 何か言った?」
検察官:「いえいえ、なーんにも」
裁判長:「そう? んじゃ、そういう事でサクサク進めて行きましょう! 頑張るぞー!」
検察官弁護士:「頑張るぞー(棒読み)」

 こういう遣り取りが成立する背景には、「裁判を引き延ばして嬉しい人は(殆ど)居ない」という事実と、裁判官の勤務査定基準として「裁判を迅速に片付ける事」が重要である…という事情が絡んでいます。もっとも刑事担当の裁判官の場合は「高裁や最高裁で判決が大きく覆るような誤審をしないか」という評価基準がより重要なので、事実認定が際どい部分の審理にはそれなりに時間をかけますが、民事担当の裁判官に到っては、裁判の度にしつこく和解&裁判打ち切りを求める人もいるぐらいです。
 ちなみに、会話中に出てきた「甲○号証」「乙○号証」という用語についてですが、検察側の証拠のうち、被告人の戸籍、前科前歴に関する書類と警察・検察での供述調書が「乙号証」で、それ以外のもの――犯行現場の写真や再現図、その他関係者の供述調書、ちょっと変わった所では凶器や麻薬・覚せい剤の現物などが「甲号証」として扱われます。 ただ、この辺は別に知らなくても裁判の傍聴に支障は無いでしょう。

 「――それでは、撤回されたものを除いた証拠を採用して取り調べます。検察官は採用された証拠の要旨について説明して下さい」
 裁判長が証拠採用の宣言をすると、今度はベテランの方の検察官が立ち上がり、「甲1号証」から順に、それぞれの証拠の概略について逐一説明を始めました。
 「甲1号証は第1の犯行であります、山川耕三殺害事件の実況見分調書です。被害者の山川耕三さんが書斎で倒れていた場所とその様子、凶器のナイフが握りこまされていた事、ドアが沢木文江の偽装工作によって内側から鍵がかけられて密室で死んでいたように見せかけられている事などが記されております。甲2号証は第一発見者であります守衛・小宮さんの供述調書であります。施錠されていたドアを体当たりで破って部屋に入った事、被害者の山川さんが倒れていた様子などについて話した内容が記されております。甲3号証は……」
 刑事裁判の中で、傍聴人にとって最も退屈な時間帯が、恐らくこの検察官から証拠の概要を説明している間でしょう。棒読み、早口、それでいて噛みまくりながらダラダラと話し続けるので、睡眠不足を圧しての傍聴の場合は、まず間違いなく睡魔に襲われます。 大抵は見逃してくれますが、豪快にイビキをかいて居眠りしている傍聴人は退廷を命じられるので注意しましょう。あと、携帯電話の着信音や着メロを鳴らすのは、居眠り以上にいけない事とされています。特に傍聴人が急増している東京地裁などでは、裁判官が法廷の秩序を乱す“にわか傍聴人”に対してあからさまな不快感を持っているのを感じる事が多いです。携帯電話を1度鳴らして「次鳴らしたら退廷」と厳重注意、2度目で退廷命令となるので注意して下さい。退廷命令に従わなければ、最悪の場合は法廷警備員によって強制退場、更に罰金や監置(拘置所への拘留と同様の刑罰)を課せられる可能性もあります。

 そんな退屈な証拠概要読み上げの中で、傍聴人の目を引く数少ない場面なのが凶器などの証拠現物が登場する時でしょう。
 「――被告人は証言台の前へ来て下さい」
 「はい」
 裁判長が被告人を促すのと同時に、凶器の果物ナイフをボール紙に貼り付けた物を持った検察官が席を立ち、被告人の反対側から証言台に歩み寄りました。それに少し遅れて弁護人も被告人に続く形で同じ場所へ向かいます。
 「甲6号証を被告人に示します」
 検察官が手に持った物を裁判官席に一瞬示した後、被告人の目の前へかざします。弁護人はその所作が不自然でないか注意深く観察した後、弁護人席に戻ってゆきました。この辺も裁判というモノの面倒臭い所が滲み出るシーンですね。
 そしてこの場面は、傍聴人にも証拠の現物がハッキリと目に映ります。平穏な日常生活の中で、人を刺すのに使った包丁や未使用の覚せい剤を生で見られる機会は、こういう時ぐらいしか無いはずです。殺人未遂事件の裁判などは、加害者(被告人)、凶器、そして傍聴席最前列の被害者が一つの視界に入って来るケースもあり、退屈な書面の読み上げから一転して生々しい場となります。

 「これは、貴方が被害者の山川さんを刺したのに使ったナイフに間違いないですか?」
 「はい」
 「これは、もう要りませんね?」
 「はい」
 じゃあ「要ります」と言われたら返すのかよ、と誰もが内心でツッコミを入れる場面ですが、この辺が「財産の所有権」という基本的人権の中でも特に重要とされる権利の重みというものです。捜査の段階で「押収」された証拠品であっても、所有権は移動せず、被告人のモノという事に変わりは有りません。そこで、とりあえず所有権放棄の意思を示してもらう必要があるわけです。また、所有権放棄に同意するという事は、その証拠品を使って罪を犯したと認めた扱いをされますので、罪状認否の役割も果たします。
 ただ、最終的には、犯罪に使用された凶器や不法所持の品などは「没収」という付加により所有権を強制放棄させられる事が多いです。ミラーマン植草教授が盗撮の一件で処せられた「罰金50万円、手鏡1枚没収」が有名な例ですね。あの時は手鏡の存在がやたらとクローズアップされましたが、これは手鏡が犯罪行為に使用された証拠品という事を考えると、傍聴マニア的にはごく普通の出来事だったりします。

 ……こうして延々と検察側の証拠調べ手続が続きます。このくらい込み入った事件になると証拠の数も多く、全ての証拠の概略を説明するだけでも1時間以上はかかってしまいます。この間、検察官以外の当事者は何をしているかと言うと、特に必要な時以外は何もしないし、出来ません。裁判官同士や弁護人と被告人が小声で“業務連絡”をする場合がありますが、その時を除いては表情を表に出さず、ジッとこのお経読みが終わるのを待ち続けます。被告人も、ここでの態度が悪いようなら「反省の様子なし」と受け取られかねませんので、神妙にしているケースが大半です。
 「――甲21号証は、事件の捜査当時にコンビを組んでいた刑事の供述調書です」
 やや弛緩した空気が再び張り詰めたのは、この時でした。検察官の言葉に被告人はビクッと体を震わせて反応し、やがて目を瞑って天を仰いだのです。そして、その調書の概略の中で被告人が刑事としての仕事ぶりは極めて優秀だった事、しかし捜査の中で犯人の特定について拙速に走りがちだったのが気になっていたという指摘に話が及ぶと、再び全身を震わせて何かに耐えているような態勢へ。更には「被告人が犯した罪や証拠隠滅は人間として、刑事として最低の行いであり過ちに相応しい重い罰は受けるべきだが、少年時代の被告人の特殊かつ悲惨な体験には同情の余地があるので、裁判官には情状面も考慮して然るべき判決をお願いしたい」という概略が読み上げられると、ついに堰を切ったように涙を流し、今度は表情と涙を隠すように頭を垂れたまま体を大きく振るわせ続きました。傍聴席の記者のメモを取る手が激しく動きます。

 ……こういった感じで検察側の長い証拠調べて続きが終わると攻守交替、今度は弁護側の証拠調べ手続に入ります。こちらも否認事件の場合などは、検察側の証拠に対抗する形で冒頭陳述を行い、無罪である事を立証するための証拠や、検察側の証拠が誤りであると証明するための証人尋問を申請するのですが、この裁判のように被告人が罪を認めている大半のケースでは冒頭陳述は省略され、
 「――それでは次に弁護側の立証に移ります。弁護人、どうされますか?」
 「はい。事実関係については争いませんが、いくつか書証の申請と、あとは情状証人の尋問、それと被告人質問を申請いたします」
 と、このようにシンプルな形となります。弁護側の証拠は「弁○号証」という形でカウントされます。今回のように事実関係を認めている裁判の場合、弁護側の証拠は、被告人の反省している様子や、被害者への謝罪と金銭面での弁償がどれだけ進んでいるかを示すものに限られて来ます。

 「弁1号証は、被告人が拘置所で書いた反省文です。犯行後発覚した事実や誤解していた事などを踏まえて、自らの犯した罪について省みた内容がしたためられております。弁2号証は、山川さんの甥であります俊之氏宛の謝罪文です。ただ、こちらは俊之氏が逮捕・勾留中という事もありまして、俊之氏の担当弁護人を介して渡して頂きました。まぁそのような問題がありまして、未だに返事は頂いておりません。弁3号証から6号証は贖罪寄付の証明書です。被害者のお2人に親族と呼べる方が殆どいらっしゃらず、俊之氏もああいう事になっておりますので、被害弁償という形ではなく贖罪寄付という形で、父母を幼くして失くした遺児の支援をしている団体4つに25万円ずつ計100万円です」

 贖罪寄付というのは、文字通り罪を償いたいという気持ちを態度とカネで示すための制度です。通常は特定の被害者が存在しない犯罪や、厳罰を求める被害者が示談に応じず賠償金を受け取ってくれない場合に行われます。今回は殺人事件ですから、本来ならば遺族と示談交渉の上で被害賠償金を渡す事になるのですが、被害者2人に家族がおらず、数少ない親戚も塀の中という特殊な事情があったため、こういう形になった模様です。

 「――あとは情状証人ですが、被告人の養父母に、被告人の普段の生活態度と今後の監督について訊きたいと考えております」
 情状証人とは、被告人の刑罰を軽くするために呼ばれる証人の事で、大抵は被告人の肉親や配偶者、職場の上司などが呼ばれます。「被告人の普段の生活態度が真面目であり、根からの悪人ではない」という事を証言したり、刑期を終えた後の社会復帰を積極的に応援し、二度と罪を犯させないように監督する事を約束し、裁判官の情に訴えるというわけです。また、執行猶予や仮釈放には身元引受人の有無が大きく関わって来ますので、その存在をアピールする場でもあります。
 そして、この弁護側の証拠については、検察官に同意か不同意かが尋ねられます。不同意になれば採用されないのはここでも同じですし、証人尋問を不適当という意見を出す事も出来ます。ただ、事実関係に争いが無い場合は、検察側も表立って敵対する事はありません。

 「では、検察官に弁護側の証拠と証人の申請に対しての意見を伺います」
 「証拠については全て同意いたします。証人については然るべく」

 然るべく、というのは「裁判官のご判断にお任せしますので勝手にして下さい」という意味なのでしょう。立場上賛成するのもおかしいので、こういう微妙な表現になります。

 ……さて、時間の都合もあり、この日の裁判はここで打ち切られて証人尋問などは次回に回される事になりました。

 「では……次回は、準備面で色々あるでしょうから1ヶ月半ほど先にしまして、◇月14日の午前10時から午後5時まで全日行うのはいかがでしょう? 弁護人は証人の方の都合などもあると思いますが大丈夫ですか?」
 「はい、大丈夫です」
 「では検察官は」
 「構いません」
 「では、その日程で行う事とします。途中、昼の休憩を挟んで7時間ほどありますので、そこで証人尋問に被告人質問、それから追加の証拠調べが無ければ、裁判の終結まで一気に進めてしまいたいと思います」

 これぐらい大きな事件の裁判になると、既に裏で打ち合わせが済んでいて、日程もスンナリと決まりますが、小さい事件の場合は裁判官や弁護士がその場でスケジュール帳を取り出して、その場で交渉となります。まるで歯医者の予約を決めるような感じなのですが、当の被告人は交渉に参加させてもらえません。裁判は基本的に同じ曜日で行われる事になっていますので、弁護士の都合が悪かったりすると1〜2週間まとめて延期になったりしますし、そこに夏休みや年末年始などが挟まると悲惨な事になるのは以前の講義で採り上げた通りです。中には日程をギュウギュウに詰め込もうとして検察官・弁護士双方からクレームをつけられる裁判官もいて、この辺は関係者の仕事に対する態度と協調性が垣間見える、ナニゲに“深い”シーンだったりします。

 というわけで、この日の裁判はこれで終了。講義も一旦中断という事にさせて頂きます。次回は出来れば今月中に。ただ、ボチボチ公私共に忙しい時期に入りますので、どうなる事やら。更新情報はまた追って連絡させてもらいます。では、次回も宜しく。(次回へ続く)

 

2008年度第3回講義
6月2日(月) 犯罪学特殊講義
「駒木博士の裁判傍聴記」(5)

 過去のレジュメはこちら→第1回第2回第3回第4回

 約1ヶ月のご無沙汰でした。この間、マンガ業界では一ツ橋界隈でキナ臭い動きがあったようですが、内部事情は詳しく知らない上に、知っている情報を喋った所でまたウソつき扱いされるので言いません。ただ、「ヤングサンデー」は編集長が「週刊少年サンデー」と交換トレードになった前後から、絶えず業界筋で休刊の噂はあったようです。主力作品がメディアミックスに成功してたので踏ん張れてたみたいですが、小学館の中でも似たような読者層の雑誌がいくつもある中で、存在意義が薄かったという事なんでしょうね。コンビニのマガジンラックでも、同じ木曜発売の「ヤングジャンプ」や「モーニング」の裏に隠れてしまって、どこにあるか判らないという事がよくありましたし。
 しかし、「ヤングサンデー」最後の編集長は、栄えある04年度ラズベリーコミック特別功労者ですよ。授賞の際には論議も醸しましたが、まぁ綺麗にオチがついたかな、などと思っとります(笑)。あとは連載作品の行く末ですよね。人気作品は他誌へ引き継ぐらしいですが、何作品救われるんですかねえ。

 ……おっと、冒頭から脱線失礼しました。裁判傍聴記と言いながら、全然傍聴記になってない企画の第5回ですが、今回は刑事裁判の進行について解説する試みの2回目です。前回は起訴状朗読から罪状認否までについて説明しましたので、その続き、証拠調べ手続から解説してゆきます。前回のジャイアン起訴状の成功に味を占めて今回は、テレビゲーム世界では恐らく日本一有名な殺人事件の裁判を再現と言うか、創作しつつ講義を進めていく事にします。 あくまで架空の事件を基にした創作ですので、色々アレかも知れませんが「多少誇張してあるが現実も概ねこの通り」というぐらいを目標にやってみます。最後までどうか何卒。


 異人館を連想させる赤レンガ造りが印象的な神戸地方裁判所。その中でも最も大きな101号法廷では、現職刑事による連続殺人、それも自ら犯した殺人の捜査を担当し、しかも捜査中に第2の殺人を犯すという、前代未聞の展開を遂げた事件の第2回公判が開かれようとしていました。
 先立って行われた第1回公判では、人定質問と起訴状朗読、罪状認否まで済んでいます。主犯の元刑事は自らが犯した2件の殺人について起訴事実を概ね認めましたが、共犯とされた元刑事の妹側の弁護人は、第2の殺人に関しては幇助・共犯の関係が成立しないとして一部否認。これにより、公判は2人別々に分離されて行われる事となり、その手続きを進めるため、その日の公判は僅か15分で打ち切りに。神戸港に住むホームレスまで動員して傍聴券を確保した各社マスコミ記者の溜息が法廷中に広がったのでありました。
 というわけで、今日の第2回公判では主犯の元刑事についての証拠調べ手続が行われます。事実関係を争う部分が殆ど無く、また、心神喪失・耗弱などを理由とする責任能力を争う姿勢も無いことから、この手の重大事件の裁判にしては早い裁判の進行が予想されています。

 定刻となり、裁判官3人が入廷しました。地方裁判所では、傷害や窃盗などの刑罰が「懲役○年以下」という罪は基本的に裁判官1人の「単独審」ですが、殺人は「死刑・無期または5年以上の懲役」ですから3人の「合議審」で行われます。ちなみに高等裁判所では3人(例外的に5人)の合議、最高裁の大法廷ともなると15人の裁判官がズラリと並びます。
 
裁判官3人のうち、中央の席に座るのが公判の指揮を執る裁判長です。当然ながら3人中最もキャリアの長いベテランがこの役を務めます。裁判官側から見て右、つまり傍聴席から見て左側に座るのが右陪席と呼ばれるポジションで、キャリア概ね5年以上の裁判官が担当します。右陪席の役割を一言で表せば「裁判長の右腕」、つまりは参謀役というわけです。その反対側に座るのが左陪席で、こちらは主にキャリア5年未満の新人・若手が座ります。左陪席裁判官の役割は意外と重要で、裁判長や右陪席との合議の上でですが判決文の起草という大仕事を任されます。すぐ後で述べるように、裁判官は右陪席になると1人で判決文を書かねばならない立場となりますので、お目付け役のいる若手の内に大きな事件で場数を踏んでおく必要があるという事なのでしょう。
 なお裁判長と右陪席は、合議審とは別に単独審の裁判長としても数多くの案件を担当します。例えばこの裁判の右陪席裁判官が担当している案件の中には前科2犯の下着泥棒(窃盗犯)の裁判があります。パンツを盗もうと思ったのは「犯行前日の夜に盗撮物エロDVDを観て劣情を催し、一晩かけて犯行の計画立てた」か「たまたま道を歩いていて風で飛ばされて来たパンツを拾って出来心を抱いた」かが最大の争点という実にどうでもいい事件です。 法廷デビュー間もないせいか少々意欲のあり過ぎる若手の検察官と、「困っている弱者を自分の手で救いたい」という気持ちが逸走しているタイプの国選弁護人が、本来なら簡単にまとまる話を目一杯掻き乱したため、判決文の起草も事実関係の記述に膨大な文字数と時間を取られる羽目になってしまって、この日はかなりの寝不足です。流石にこの大事件の裁判で居眠りしてたら週刊誌がうるさいだろうなぁとウンザリしているのですが、入廷間もなく開廷前のマスコミ撮影が始まったので、とりあえずは威厳を作りポーカーフェイスで座っています。テレビカメラが自分を捉えている時も、一時休廷があれば手の空いている事務員に近くの薬局で「エスタロンモカ」でも買って来てもらおうか、などと考えているのは内緒の話。内心の自由は日本国憲法で認められているので誰も文句は言えません。
 ちなみに開廷前のマスコミ撮影は、写真等の撮影が禁じられている日本の裁判でも特例とされているもので、裁判官が着席した直後の1〜2分に限り、テレビカメラ等の撮影が許可されるというものです。ニュース番組などで厳粛な表情で正面を見据えた裁判官の姿が放映されていますが、あの映像はこの時に撮影されたものです。

 撮影が終わると被告人である元刑事が刑務官によって引かれて入廷して来ました。本来は裁判官の前に連れて来られるのですが、今日は撮影があったので後からの入廷です。スラックスにジャケットというフォーマルな格好ですが、例によってネクタイやベルトといったロープの役割を果たす物については身に付けていません。
 逮捕当時は男性にしては伸ばしていた髪も、今はやや伸びた丸刈りという長さに。反省しているという意思表示も然る事ながら、不自由の多い拘置所の生活では、その方が過ごし易いのかも知れません。推定無罪の立場とは言え、夏場でさえ毎日風呂に入れるというわけではないのです。

 「では、被告人は証言台の前で立って下さい」
 被告人の手錠と腰縄が取れたのを確認した裁判長が、被告人を誘導します。2人いる刑務官のうち1人が後ろを固める形で、証言台の後ろにある長椅子にスッと移動します。
 「被告人……間野康彦、ですね」
 「はい」
 かつて仕事仲間からは「ヤス」と呼ばれていた元刑事は、「気をつけ」の姿勢で、小さくもハッキリした発音で答えました。
 「今日から証拠調べ手続に入ります。あなたも職業柄詳しく知っているでしょうが、検察が今からこの裁判で証明したい事について冒頭陳述をします。長くなりますから、弁護人の前にある長椅子に座って聞いていて下さい」
 「……はい」
 職業柄、という言葉にピクリと体を震わせた被告人ですが、一瞬返事を言いよどんだ以外に感情めいたものを表に出す事はなく、裁判長の指示に従って所定の席に着きます。移動していた刑務官も再び動き、被告人を挟む形で同じ長椅子に座ります。
 「それでは、検察官、冒頭陳述を」
 裁判長が検察官席の方を向いて促すと、2人並んで座っていた検察官の若い方が立ち上がります。手には紙製のバインダー。関係資料を綴じた同様のバインダーは検察官席の机上に山積みになっており、同じくその傍らに大量に積んであるB4サイズの茶封筒と共に風呂敷で包まれて法廷に運ばれて来ました。今ではすっかり過去の遺物と化した感のある風呂敷包みですが、裁判所では今なお現役です。大抵の検察庁は裁判所と隣接しているので、短い距離ならば、多くの書類を運ぶのにはカバンやアタッシュケースよりも風呂敷の方が便利が良いようです。
 「えー、検察官が証拠により証明しようとする事実は以下の通りです」
 そろそろ眉間に消えない皺が刻まれようかという程度にキャリアを積んだと思しき若手検察官が、ファイルの表紙をめくりつつ手馴れた調子で朗読を始めます。
証拠調べ手続の最初に行われる検察側の冒頭陳述は、「被告人は起訴状通りの罪を犯しました」という事を裁判官に対して信じてもらうため、つまり有罪判決を勝ち取るために事件の“5W1H”について具体的に述べたものです。これを聞けば事件の概要はほぼ完璧に押さえられるのですが、これは検察側が捜査段階で集めた証拠を基に有罪判決を勝ち取るために作る文章なので、被告人について有利な要素などは故意に省かれている恐れがあります。日本の法廷では滅多にありませんが、「こりゃ本当に無罪・冤罪かも知れんぞ」という物証の乏しい否認事件の場合は、冒頭陳述も懐疑的な受け取り方をしておくのがベターかも知れません。

 冒頭陳述も起訴状と同様に独特の書式で記された書類なのですが、ここでは検察官の“丁寧語変換読み下し文”の体裁で紹介する事にしましょう。冒頭陳述はそのコピーを裁判官や弁護側にも渡す事になっているので、法廷で朗読する時はかなりの早口&棒読みです。但し、検察官によっては
 「被告人はここで『お前、何しとんじゃ、ワシはヤクザやぞ、どうなるかわかっとんのか? 落とし前つけんかい』などと申し向け、胸倉を掴んで怒鳴りつけ……」
 ――という部分で、セリフの部分だけ迫真の演技で語ってみせる人もいるのでなかなか侮れません。
 ただ、この事件の検察官は、どうやらそんな余芸を持たないタイプのようです。というか、メタな話をすると、文字だけでそんな小技利かせられ ても表現のしようがありませんが。
 

 えーまず、第1に被告人の身上・経歴等についてでありますが……
 被告人は洲本市に生まれ、中学2年の冬まで同市内で両親と、今回の事件の共犯者として分離公判中の妹・沢木文江と共に暮らしておりましたが、後で述べます経緯によ りまして両親が自殺。被告人は神戸市に暮らしておりました母方の伯母一家に引き取られました。この際、養子縁組されて名字も沢木から現在の間野に変わっております。その後、被告人は神戸市内の高校に入学、卒業後は兵庫県警に採用され、事件当時は生田警察署にて刑事巡査として稼動しておりました。しかし本件発覚後、懲戒免職の処分を受けており現在は無職であります。婚姻歴は無く、前科前歴はありません。

 第2に被害者の身上・経歴等についてであります。
 本件第1の被害者・山川は、兵庫県××市に生まれ、中学卒業後は土木作業員や消費者金融の従業員など職を転々としておりましたが、昭和55年までに本件第2の被害者であります川村と知り合い、これ以降、川村が犯した手形詐欺事件のうち数件に関与しております。なおこの時の被害者に、被告人の実父が経営していた沢木産業も含まれており、被告人の実父母が自殺したのはこの被害が原因であります。なお、沢木産業の事件とは別件で川村は逮捕、起訴され有罪判決を受けておりますが、山川が関与したものに関しては嫌疑不十分で不起訴処分となっております。川村の逮捕後は神戸市で消費者金融「ローンヤマキン」を経営し、本件被害に至るまで代表取締役社長を務めておりました。なお、山川は「ローンヤマキン」の社長秘書として本件共犯の沢木文江を雇用しておりましたが、これは自身が自殺に追い込んだ沢木産業の遺児に罪滅ぼしをするために雇ったものでありまして、いずれ沢木文江と養子縁組し、自身が死亡した際には財産を沢木に遺贈するつもりでありました。なお、山川には婚姻歴は無く、両親と兄は既に他界しております。親族には兄の長男が1人おりますが、この長男は麻薬取締法違反で逮捕され、現在神戸拘置所に拘留中であります。前科前歴については、20代に傷害で1件の前歴がありますが前科はありません。
 本件第2の被害者・川村は、兵庫県△△市に生まれ、△△市内の高校を卒業した後、飲食店などで稼動した後、ヤミ金融業を営む暴力団の準構成員、いわゆる企業舎弟と関わりを持ち、その中で手形詐欺などの犯罪行為に手を染めるようになりました。その一連の犯罪の中で前述の通り、沢木産業を標的にした詐欺事件にも主導的な立場で関与しております。婚姻歴が2回ありますが、いずれも短期間で離婚に至っております。子はおりません。前述の詐欺罪を含め、恐喝や傷害など前科6犯、直近の前科は前述の詐欺罪で、懲役7年の実刑判決を受けて服役、○○年×月に満期出所となっております。出所後は独り暮らしをしておりましたが、職に就いた様子は無く、山川から生活費や遊興費を無心して生活していたようです。

 第3に起訴状記載第1の犯行に至る経緯についてであります。
 被告人の実父母が自殺した当時、被告人はこの自殺の原因となった詐欺事件の詳細について理解する能力は不完全でありましたが、その後、養父母の下で育てられている際に再び同詐欺事件の詳細を知らされ、実父母を自殺に追い込んだ山川と川村が、その件では立件されず、山川はその後も刑務所に入れられることも無く過ごしていた事を聞かされて激しい怨恨を抱くようになりました。そして、いつか山川の居場所を突き止めて殺害し、それだけでなく、山川が実父母を自殺に追い込んでも捕まらなかったように、自分も捕まらずに永久に逃げ切るような完全犯罪を実現させたい、という願望を抱くようになりました。しかし、その当時は犯罪を実行する手段も無く、山川の居場所すら判らなかったため、その願望を実現させるのを諦めざるを得ませんでした。
 その後××年×月頃、生田警察署に勤務していた被告人は、「ローンヤマキン」の顧客が借金の返済に窮し郵便局強盗を起こした事件の捜査を担当し、その際閲覧した過去の捜査資料により、「ローンヤマキン」の経営者である山川が自分の両親を自殺に追い込み、刑務所に入れられず逃げ延びた人物と同一人物である事を知り、かつて抱いた怨恨と完全犯罪で山川を殺害したいという願望が強固に甦らせました。またこの際、「ローンヤマキン」の社長秘書に、実の妹である沢木文江が稼動しているのを知った被告人は、自分と再会し、山川が実の親を自殺させたという事実を教えれば、山川殺害を手伝ってくれるのではないかと思うようになりました。
 そして捜査資料から沢木文江の個人情報を入手した被告人は、同年△月頃までに直接沢木文江の自宅へ赴いて面会し、自分が生き別れになった兄であると告げています。その後は月に数回の割合で面会し、食事を共にする等の一般的な兄妹付き合いに至りますが、当初は山川の殺害についての話はせず、兄妹としての信頼関係を再構築する事に専念しておりました。これは、いきなり山川殺害の願望を口にした場合、沢木文江のから山川本人や職場である警察にこの願望が露見する可能性が高いと被告人は判断し、そうなる事を恐れたためであります。
 このような兄妹付き合いは翌○○年の冬頃まで続きましたが、被告人はこの間にいよいよ山川殺害の意思を強固なものとしました。そして同年☆月1日、被告人は沢木文江を伴って洲本市にある実父母の墓参りへ赴き、その際、墓地を歩きながら「俺は父さんと母さんが死んで、山川がのうのうと生きてるのが許せへん。俺は山川を殺して、山川の代わりに捕まらずにおりたいんや。協力してくれるか」と沢木文江に問い質したところ、沢木は「うん、わかった」と了承しました。
 この直後から被告人は沢木文江と電話で密に連絡を取るようになりました。その中で、山川は通いで家政婦を雇っているが夕食の後片付けが終わる午後8時過ぎには帰るという事、山川の門や玄関には防犯カメラは設置されていない事、その代わりに守衛室が設置されているが、守衛はほぼ毎夜、午後9時頃には詰所を抜け出して銭湯や居酒屋へ出かける等の情報を入手し、それら情報を参考にしながら被告人が主導する形で本件の犯行計画を進行させました。そして同月10日頃、被告人は山川殺害の決行日を、被告人の仕事が非番である同月17日の、山川宅から家政婦と守衛の姿が居なくなる夜9時以降と決め、同日沢木文江に対し、決行当日に山川が自宅を開けた際には必ず連絡する事、殺害後は被告人の指示に従って第一発見者となるよう工作し、その際警察が来るまでにドアのカギを内側から差し込んだように偽装して外部から人が侵入した形跡を隠滅する事などを電話で指示し、被告人自身も同月13日までに三宮の量販店で凶器の果物ナイフを購入する等、山川殺害の予備行為を進めてゆきました。

 そして第4に、第1の犯行の状況について述べます。
 事件当日午後9時前、被告人は山川の自宅前に着きました。自宅周辺に通行人が居ない事、そして玄関近くにある守衛室の中に誰も居ない事を確認すると、凶器の果物ナイフの鞘を外した状態で、刃の方から奥に突っ込む形でジャケットの右ポケットに忍ばせて、すぐにナイフを取り出せる事を確認した後、山川の自宅敷地内に侵入しました。
 被告人は玄関口にあったインターホンを鳴らし、これに山川本人が応答し「どちら様ですか」と尋ねると、「夜分すいません、兵庫県警の者です。例の郵便局強盗の件について、社長に追加でお訊きしたい事があって参りました」と答え、職務上の事情聴取のために訪問したように偽装しました。これに対し山川は「分かりました」と答えてインターホンを切り、自ら玄関口へ赴いて被告人を出迎えました。玄関口で被告人は自分の警察手帳を提示し、山川に再び任意で事情を訊くために訪問した旨告げると、山川は「立ち話はなんですから」と言って、被告人を自宅内に招き入れました。
 玄関から犯行現場となった書斎までは山川が被告人を先導し、ちょうど被告人に背中を向ける形で歩いておありました。被告人はその間にジャケットの右ポケットに右手を入れ、凶器の果物ナイフの柄の部分を握りしめ、いつでもナイフを抜いて山川に襲いかかれるように準備を整えました。
 そして山川は書斎に繋がるドアの鍵を開けて被告人の方を向き、「こちらに入って頂けますか、応接間がこの書斎の奥にあるんですわ」と申し向けると、再び被告人に背を向けてドアを開け放した状態で書斎へ先に入りました。被告人は山川が書斎に入ったのを確認すると、ジャケットの右ポケットからナイフを取り出し、猛然と山川へ向かって突進し襲い掛かり、起訴状記載第1の犯行
(注:被告人が山川をナイフで首を一突きし殺害した)に至りました。

 第5に、第1の犯行の証拠隠滅の状況について述べます。
 被告人は山川を殺害した後、凶器の果物ナイフから所持していたハンカチで指紋を拭き取り、山川が自殺したように偽装するため、凶器のナイフを山川の両手に握りこませました。そして、室内に落ちていた書斎の鍵を拾い上げ、退室する際に部屋の外側から施錠して現場を立ち去りました。
 その後、深夜になって被告人は沢木文江の自宅マンションへ立ち寄り、電話で計画通り山川の殺害に成功した旨報告しました。その際、前述の書斎の鍵を沢木に渡し、翌朝山川宅の書斎で死体を発見した際、他の者に悟られぬよう書斎のドアを部屋の内側から施錠したように偽装するよう指示しました。そして沢木に対し、「一応山川が自殺したように見せかけているが、恐らくは不自然な所が出て来て殺人事件として捜査が始まるだろう。その時にはお前も容疑者の1人として取調べがあるかも知れないが、お前は山川を殺してはいないしアリバイもあるのだから、取調べにも余計な事を言わずに淡々と応じていれば良い。但し、俺とお前が兄妹であるという事は絶対に口にしてはならないし、もし警察署で俺と会う事があっても、他人の振りをして振舞え。俺たちは名字が違うし、俺もお前が妹であるとは他の誰にも明かしてはいない。黙っていれば絶対にバレないから、人前では俺に対しては無関心であるように見せかけるんだ」などと言い、沢木に対して警察では真実を述べないように指示しました。
 そして翌18日午前7時15分頃、沢木は早朝から山川に急用が出来たという名目で山川宅を訪れ、守衛の小宮に書斎のドアを蹴破ってもらって山川の遺体を発見しました。そして沢木は前夜に被告人から指示された通りの作業を行い、密室で山川が自殺したように偽装しております。

 次に第6は、起訴状記載第2の犯行に至る経緯についてであります。
 山川の死体が発見された翌日の☆月19日、山川の死因が他殺によるものという検死結果が出て、生田警察署内に「山川耕三殺害事件捜査本部」が設置されると、被告人はその専従捜査班に指名され、自身が犯した殺人事件の捜査を担当する立場となりました。
 被告人は捜査班の先輩刑事とコンビを組み、連日その指揮の下で捜査を進めつつ、どうにかして他の人物に山川殺害の容疑をなすり付ける事は出来ないかと考え、その機を窺っておりました。しかし捜査は被告人の意に反して順調に進み、被告人の焦りの感情は増すばかりでありました。
 しかし捜査が進展する中で、被告人は本件第2の被害者であります川村が、刑務所から出所して神戸に在住している事、そして生前の山川とトラブルを起こしていた事を知ります。また被告人は、捜査の段階で川村の出所後に山川から金を無心して奔放な生活を送っている事、そして過去の過ちを全く反省している様子の無い事を知り、川村への怨恨と殺意を強く募らせたのであります。そこで被告人は、川村を殺害し、更に川村が山川を殺害したものの逃げ切れないと観念して自殺したと見せかける事を思いつき、機を見て実行に移す事を決意しました。
 同月24日深夜、被告人は退勤した後に川村殺害に必要な凶器等の準備を整えてから沢木文江の自宅マンションへ立ち寄り、川村を殺害すると決意した事を打ち明けました。更に沢木に対し「俺の考えが甘かった。捜査の網は狭まって来ている。川村に山川殺害の罪をなすり付けられれば良いが、上手くいかなければ終わりだ。俺は万が一捕まっても父さんと母さんの仇討ちが出来て本望だが、お前が俺の共犯として刑務所に入れられるのは忍びない。今からどこか遠くへ行って、身元を隠して暮らせば時効まで逃げ切れるかも知れない。今夜中に準備をして、明日にも神戸を離れたほうが良い」などと言い、逃亡を指示しました。沢木はこの指示に従って、翌25日に洲本市へ向い、同市内のビジネスホテルで逮捕当日まで潜伏しておりました。

 第7に、第2の犯行の状況等について。
 被告人は、同月25日朝に出勤すると、同日午後1時より捜査本部で会議が開かれる事を知らされます。被告人は、一旦はこの会議に参加する意思を示しましたが、会議の直前になって同僚に、どうしても気になる事があるので聞き込みに行って来るという旨の虚偽の理由を述べて独りで抜け出しました。
 それから被告人は徒歩でJR三ノ宮駅へ向い、同駅構内の公衆電話から川村の自宅電話番号に無言電話をかけ、川村が在宅しているのを確認すると、前日夜にあらかじめ同駅構内のコインロッカーに預けておいた私服を取り出し、同駅構内のトイレ内で着替えた後、駅前からタクシーに乗って、川村が居住していたアパート「すみれ荘」付近まで移動しました。
 タクシーを降り、そのタクシーが走り去るのを確認した後、被告人は手袋をはめ、ジャケットの右ポケットに凶器の果物ナイフを忍ばせてから、川村が居住していた「すみれ荘」103号室へ向いました。そして被告人は鍵がかかっていないのを確認すると、ドアを開けて室内に押し入り、玄関近くの廊下で川村が立っていたのを認めると、ポケットから果物ナイフを取り出し、右手で掴んだ状態で川村に襲い掛かり、起訴状記載第2の犯行
(注:被告人が川村をナイフで刺殺した)に至りました。なお、殺害後、川村が自殺したように偽装するため、凶器のナイフを川村の両手に握りこませております。

 第8にその他情状等
 
(注:この項目は、記載内容が無いケースが大半です。検察は可能な限り重い罪を求めるのが仕事のため、敢えて被告人に有利な情状を述べる必要が無いからでしょう)

 以上の事実を証明するため、証拠等関係カード記載の通り、証拠を申請いたします。

 まくし立てるような長い朗読が終わり、検察官が着席しました。この間、隣にいるもう1人の検察官も、3人いる裁判官も、弁護人も、そして被告人も、言葉一つ発する事無く、表情も全く変えませんでした。対照的なのは傍聴席に陣取った記者たちで、ノートにメモを採る者や、中には法廷外との連絡を取るためか頻繁に退席と着席を繰り返す者もいます。

(突然ですが、ボリュームが膨らみすぎたため、ここで一旦中断します。出来るだけ早く続きをやりますので、しばらくお待ち下さい/次回へ続く

 

2008年度第2回講義
5月6日(火・休) 犯罪学特殊講義
「駒木博士の裁判傍聴記」(4)

 過去のレジュメはこちら→第1回第2回第3回

 前回までは裁判所ガイドをお送りしましたが、いよいよ今回から法廷の中の話に移ります。
 今日からはまず、主な傍聴の対象となる刑事裁判の開始から判決に至るまで、どのように進行してゆくかをお話したいと思います。あんまり面白くない話になりそうですが、ここを押さえておかないと実際の傍聴記が今一つピンと来ないので しばらくお付き合い下さい。

 まず、開廷の前。検察官、弁護士(=法律上は「弁護士」資格を持った「弁護人」)が法廷の両サイドにある所定の席に着きます。
 検察官は1人の裁判長とペアになっており、大抵の場合は1日同じ法廷に張り付いて複数の裁判を担当します。大抵は1人ですが、2人で担当する場合もあります。新人が見習いのような形で補佐役を務める事も多いですね。
 弁護人は事件・被告人ごとの担当ですので、1つの裁判が終わるごとに目まぐるしく入れ替わります。こちらも1人の場合が多いですが、複数の被告人がいる事件では被告人の数だけ弁護士が居たりしますし、光市母子殺害事件のように1人の被告人に大勢の「弁護団」が付く場合もあります。また、「イソ弁」と呼ばれる、別の弁護士の事務所に“居候”して活動する弁護士が担当する事件の場合は、その事務所の「ボス弁」がお目付け役として陪席するケースも多いです。映画「それでもボクはやってない」で、主人公担当の「イソ弁」女性弁護士をサポートする、役所広司扮する「ボス弁」の姿があったのを見知り置きの受講生さんもいらっしゃるのではないでしょうか。

 開廷時刻直前になると、被告人が法廷の奥の扉から刑務官に引っ立てられて来ます。服装はまちまちで、見かけも小ざっぱりした人から河川敷で長年暮らしている人のように荒んでいたりと様々ですが、ズボンのベルトが無く(首吊り自殺防止のため)代わりに腰縄に手錠というスタイルは共通。前回までの講義でも触れましたが、この腰縄・手錠、見慣れない内はインパクト抜群で、「ザ・罪人」という先入観を抱いてしまいそうになります。
 入廷した時点で腰縄は解かれますが、手錠は裁判官が入ってから。これは「開廷中は身柄拘束されない」という法律の逆で、開廷されない内は身柄拘束を解く事は出来ないという理屈です。

 例外は、証拠隠滅や逃亡の可能性、娑婆に出した際の危険性が無いという事で被告人が保釈された、または悪質でない交通事故のように最初から拘置されていない場合。そういう時は、被告人も僕たち傍聴人と同じ入口から法廷に入り、弁護人席や弁護士の前にある被告人用の長椅子に自分から座ります。この場合、刑務官の監視は付きません。危ないようにも思えますが、そうして危なくない人だけが身柄拘束を解かれるわけです。
 このような被告人は、少しでも裁判官の心証を良くするためか、身だしなみを整えスーツ・ネクタイ着用である場合が多いので、弁護士や証人と見分けが付かない場合もあります。ついさっきまで隣で傍聴していたサラリーマン風の真面目そうな男が、実は次の強制ワイセツ事件の裁判のために待機していた被告人だったりして驚く事もしばしば。外見と下半身の人格は必ずしも一致しないという事実を実地で体験出来たりします。

 ……で、ここで裁判長入廷、書記官か廷吏が「ご起立願います!」となるのですが、たまに誰かが遅刻して定刻に始まらないという事があります。同じ裁判所の他の裁判が長引いた、とか止むを得ない理由が大半ですが、時には弁護士が時刻を間違えていて裁判所の近所にある事務所から猛ダッシュで飛んで来る…とか、 酷いのになると在宅起訴で自宅から通っていた道路交通法違反の被告人が、事もあろうに判決公判に遅刻して来たなんて事も。
 ちなみに最後のパターンは、弁護士が平謝りに謝った上で、裁判の順番を後回しにしてもらうという荒業を披露。2時間遅れてやって来た被告人が謝りもせず、不貞腐れて入廷して来たのを見ると、「裁判長、コイツ罰金刑じゃなくて実刑で良いんじゃないスか?」と進言したくなりましたが。

 そんな慌しい人の動きの中、傍聴席に目を遣れば、廷吏に促されて何やら書類に署名捺印している人の姿を見かける時があります。これは証人として呼ばれて来た人で、色々なパターンがありますが、多くは被告人の家族です。こういうケースに限らず、事件の当事者やその身内は最前列に座っている事が多いので、空いている法廷で傍聴する時は2列目より後ろに座る事をお勧めします。
 傍聴人はあくまで「傍で聴いている人」なわけですから、なるべく目立たないようにするのがマナーです。傍聴は憲法で認められた権利とは言え、赤の他人の人生の暗部・恥部を覗こうとしているのですから、下品な野次馬と謗られても文句は言えません。駒木の場合は「本業の社会科教員の仕事に役立てるため」と大義名分があるわけですが(笑)、当事者の方の中には無関係の傍聴人を露骨に嫌がる人もいますので、トラブルの種を自分から蒔かないようにしましょう。

 ――さて、相も変わらず冗長になりましたが、ここからが裁判の始まりです。

 第1回公判の場合、裁判長はまず被告人を証言台の前まで来させ「人定質問」を行います。氏名・本籍地と現住所・職業が起訴状に書かれているものと一致するか、要するに本物の被告人に違いないかというチェックを行うわけです。
 多くの被告人は、弁護士に言われて練習して来るのか、日常生活では殆ど使う事の無い本籍地の細かい所までスラスラと言いますが、たまに途中でつっかえたり間違えたりして裁判長に訂正される事があります。被告人の中には、いわゆる知的障害・精神障害を抱えていると思しき人もいて、そういう場合は現住所も言えずに十 数秒絶句する、というパターンも。明らかに責任能力が無さそうな人が健常者として裁かれようとしているのに、国選の安い日当しか貰えずやる気の出ない弁護人はツッコミも入れません。「地獄の沙汰も金次第」とよく言いますが、ならば日本の法廷は地獄そのものと言っていいでしょう。
 また、職業を問う場面では「職業は?」「……無職です」「こちらには会社員となっていますが?」「……一昨日付で解雇されました」などという哀愁漂う遣り取りもあったりして胸が締め付けられます。一晩留置場にお泊りするだけならまだしも、身柄を送検されてしまうと早くて2週間から3週間、裁判が始まっても拘置所にいるとなると2ヶ月、3ヵ月もの間は外に出られず、勤務先を欠勤する事になります。ましてや理由が理由、たとえ無罪・冤罪を主張している場合でも容赦なくクビを切られるケースが多いようです。やってもいない痴漢で示談金と罰金を支払って泣き寝入りする人が後を絶たない理由がコレです。

 人定質問が終わると、検察官による起訴状の朗読が始まります。起訴状は、それぞれの公判で裁かれる事件の概略が書かれたものであり、裁判官が公判の前に受け取る唯一の書類でもあります。故に公正な裁判を期するため予断や先入観を挟みそうになる内容(被告人の前科や身上経歴、調書の内容等)が書 いてはいけないので、比較的あっさりした文面になっています。例えばこんな感じでしょうか。

公訴事実

 被告人は、平成×年4月1日午後4時20分ころ、東京都練馬区月見台すすきが原2丁目8番8号、株式会社工藤不動産 が所有し管理する空き地内において、骨川スネ夫(当時11年)が所持していたラジコンカーを、同人に対し譲渡するよう強く求め、恫喝したものの、同人にこれを拒絶されたことに立腹し、そのラジコンカーを強取しようと企て、同人に対し右手拳で頭部及び顔面を多数回殴打し、同人を地面に転倒させ、更に、同人に馬乗りになって両手拳で顔面を多数回殴打し、その抵抗を抑圧した上、同人から同人所有のラジコンカー1個及び操縦機1個(時価合計1万5000円相当)を奪い取って強取し、その際、前記暴行により同人に加療約3週間を要する顔面打撲等の傷害を負わせたものである。

罪名及び罰条

 強盗致傷 刑法240条前段

 ……我々が幼少の頃から親しんだジャイアニズムも、裁判にかかればこのような物々しい話になってしまいます。文面が異様に硬いのは、フォーマットや語彙が基本的に何十年も前から使い回しされているからです。「手拳(しゅけん)」や「強取(ごうしゅ)」などといった言葉は法廷で無ければ聞く事も無いでしょう。但し、裁判員制度が開始されるのを機に、この大時代的な書式も平易な文体に改められる事が決まっています。
 ちなみに強盗致傷罪は無期又は6年以上の懲役。余程の情状酌量が無ければ初犯であれ一発で実刑です。『のび太の結婚前夜』では、豪快さを残しつつも真人間になったと思しきジャイアンが登場しますが、何とか大人になった後は粗暴癖を出さずに穏当な日常生活を過ごしてもらいたいものです。

 ここで大事なのは、裁判で罪に問われるのは、この起訴状記載の内容のみであって、ここに載っていない余罪については処罰の対象外になるという事です。例えば覚せい剤取締法違反事件の場合、たとえ何年も前から常習的にクスリを購入・使用していると判明している場合でも、起訴状に載っている内容が「1度の使用と、その使用目的の所持」ならば、罪に問われるのは、その1回限りの犯罪事実のみ。別の機会の使用や所持についても罰したい場合は追起訴しなければなりません。
 何ヌルい事やってるんだ、と言われるかもしれませんが、一度起訴した以上はキチンと物証を揃えなければならず、揃えられない以上は裁判所も無罪を出すしかないので非常に具合が悪くなります。そのため「常習性が顕著」という証拠を付けて罪をなるべく重くしてもらうという戦術を採るわけです。
 ただ、時には裁判の中で「仕事は何してるの?」「パチンコのゴト師をやってたんですけど、仲間と喧嘩して……」とか「どうして借金が?」「ギャンブルが好きで……賭け麻雀とか」などと、ポロッと別件の詐欺や違法賭博を自白してしまうお茶目な被告人がいて、思わず笑ってしまいそうになります。裁判官は眉をひそめて聞いていますが、これも起訴状が出ない限りは裁判にかけられる事は有りません。むしろ警察も「そっちは立件しないから、とりあえずこっちの方だけ自白しな。悪いようにはしないから」とか言ってるんじゃないですかね。

 起訴状の朗読が終わると、裁判長から被告人に対して黙秘権の告知が行われます。

 「あなたには黙秘権が有ります。これから裁判の中であなたに色々と質問してゆきますが、その全てに答えても良いですし、全く何も答えなくても構いません。答えたい質問にだけ答えてもらっても結構です。ただし、あなたが当公判廷で証言した事は、あなたにとって有利な事も不利な事も、どちらも証拠として扱われますので注意して下さい」

 ……と、かなり丁重な言葉遣いをする裁判長が多いです。相手がまだ推定無罪だからなのでしょうが、先述のように知能の発達に問題がある人も時々いますので、せめて「丁寧に噛んで含んで説明した」という既成事実を作っておきたいという思いもあるのでしょう。
 ただ、この黙秘権ですが、実際の法廷ではあんまり使い途が無いように思えます。黙っていたら検察側の言い分が淡々と認められてしまうのが有罪率99.9%を誇る日本の裁判ですし、黙るぐらいならウソでも自分に有利な証言をした方が、まだ望みがあります。刑事被告人は裁判の中でウソをついても「被告人の証言は信用出来ない」と退けられるだけで、偽証罪に問われる事はありません。特に「反省してます」という態度を示さねばならない場合など、「コイツ本当に反省してるのかな」と疑われる態度であれ、そうした方が有利であるというのは、光市母子殺害事件の一、二審で証明されてしまいましたしね。

 ……と、黙秘権が使えますよとガイドがあった所で、裁判長は被告人に尋ねます。
 「それでは改めて尋ねますが、今、検察官が読み上げた起訴状の内容に何か誤りはありませんか?」
 と、これがいわゆる「罪状認否」です。

 ここで被告人が「間違い有りません」と言えば、その時点で裁判の焦点は有罪か無罪かではなく、有罪を前提とした上で刑罰の軽重を問う事になります。検察側証拠の真贋については争わず、検察側は「コイツはこんなに酷い奴なんですよ」、弁護側は「そうは言っても彼、今は後悔して反省してますし」と一方的に自分の言い分を主張し合い、裁判官は双方の意見を聞いた上で過去の判例に基いた相場に従って半ば機械的に判決を出す……という流れになるので、実質的に事実関係を争うものではありません。その後の裁判はどちらかと言うと流れ作業に近くなります。
 このパターンですと、早ければ1〜2回の審理で裁判は終わります。よって、中には細かい所は否認したいけれども早く執行猶予を貰って娑婆に出たいので全部認める、という事もあるようです。先に例示したジャイアンの起訴状の場合も、ジャイアン本人は「おれは強盗なんかしてない、スネ夫がおれにいじわるして貸してくれないから、少しこらしめただけだ」とか言いそうですが、弁護士は全力で止めようとするはずです。実際のところ、裁判は真実を究明する場では無いのです。

 逆に被告人が公訴事実を認めない、あるいは「○○については認めますが、△△のような事はしていません」と、全部または一部を否認すると、一気に雰囲気はキナ臭くなって来ます。このような裁判は「否認事件」と呼ばれます。検察が主張する「事実」と被告人・弁護人の主張する「事実」、そのどちらが本当の「事実」なのかを裁判所に認定してもらう戦いになるわけで、先ほどのケースとは緊張感がまるで違って来ます。審理に要する時間や回数も一気に膨れ上がります。時には年単位の長期戦になり、これが「日本の裁判は長い」と言われる所以です。
 否認事件の場合は、それぞれの「事実」について双方がもっともらしい証拠や証言を並べるわけですが、どちらかは「ウソつき」と裁判所に断ぜられるため、論を戦わせる検察官と弁護人の緊張感は相当なモノがあります。傍聴マニアでも、否認事件を初回から判決まで追いかけるのが好きと言う人が多いようです。
 基本的に刑事裁判は弁護側絶対有利で、被告人が100%有罪であるという確信が得られない場合でしか有罪になりませんが、日本では警察が「ほぼ100%クロ」と断定してから逮捕し、検察庁はその逮捕された容疑者の中から「間違いなく有罪判決に持ち込める」という時しか起訴しないので、裁判所も「迷った時は検察の方が正しい」「疑わしきは罰する」という判断に傾きがちです。有罪判決は刑の執行が終わった後も被告人の人生を狂わせる“烙印”であり、どんな事があっても冤罪だけは有ってはならないのですが、現状ではあらぬ疑いをかけられないように自己防衛するのが最善の策という事のようです。世の中は「土曜ワイド劇場」や「火曜サスペンス」のように、どこかの誰かが真犯人を見つけ出してくれるほど都合よく出来てはいません。

 以上、人定質問から罪状認否までが裁判の第一段階である「冒頭手続」と呼ばれるものです。ここから本格的な審理を行う「証拠調べ手続」に入りますが、長くなってしまったので今日はここまでとしておきます。次回はあんまり長引かないようにしたいと思いますが、喋っている内に言いたい事が一杯出てくるのが何年たっても治らない悪い癖ですね。次回は未定ですが、5月中には必ず。

 では、今日はこれまでとします。笑い処の少ない講義で失礼しました。(次回へ続く

 

2008年度第1回講義
4月3日(木) 犯罪学特殊講義
「駒木博士の裁判傍聴記」(3)

 過去のレジュメはこちら→第1回第2回

 同人誌版の作製から始まった日常・非日常のあれやこれやに追われて年度が変わってしまいました。申し訳ないというか情けないというか……。ともかく、今年度も何回やれるか分かりませんが、頑張りますのでどうか何卒。
 しかしこうした間隔の講義で、毎回冒頭で時事ネタをやってますと、ちょっとしたタイムカプセル状態になってしまいますねぇ。前々回が福田首相就任、小島よしお、にしおかすみこ、ビリーズブートキャンプ、『School Days』前回が時津風部屋。いかに我々が情報や旬の話題を消費し、それを忘却しつつ暮らしているかよく判ります。
 例えば、当講座はちょうど5年前に1回目の業務縮小を行ったわけですが、その時の「現代マンガ批評」で採り上げられてるのが『闇神コウ〜暗闇にドッキリ!』『エンカウンター〜遭遇〜』。覚えてますか皆さん、というより忘れて下さい皆さん! と訴えかけたくなるラインナップでありますが。第1回ラズベリーコミック賞受賞作家・木之花さくやこと西野つぐみさんは4コマ描いたり大学講師したりと、何とかマンガ家人生の後衛戦闘を続行中のようですが、加持君也さんは06年の赤マル春号を最後に消息が……御国ならぬ「ジャンプ」の礎に成り果てていない事をお祈り申し上げます。
 あぁマンガといえば、1年前に当講座で採り上げました古味直志さんが見事に連載獲得なさいましたね。おめでとうございます。当講座で褒めた新人作家の連載はなかなか成功しないというジンクスを破ってもらいたいものです。「 コミックアワード」の長編作品賞受賞作は『絶対可憐チルドレン』アニメ化で全作品映像化が達成されたんですが、やはり市場に並んでいる宝石の鑑定と、原石から需要に見合った宝玉を探し出すのとは勝手が違うようで。実はこの辺が「マンガ時評」を休止した理由の1つでもあるのですがね。お奨めした新人作家さんの初連載がさっくり打ち切られるというのはかなりキツいものがあったんでありますよ(苦笑)

 ……などと、雑談で舌先と指先が滑らかになって来たところで本編へ参りましょうか。今回は社会学講座メンバーの東京地裁探訪の後編。裁判所のランチ事情に迫ってみたいと思います。


珠美:「……博士、こっちです!」
順子:「お疲れさまでーす」
駒木:「あれ、僕が一番最後か。待たせちゃったかな?」
順子:「いやもう刺激が強すぎて……(苦笑)」
珠美:「緊張し続けで疲れてしまって、先に休憩してました(苦笑)」
駒木:「あぁそうか、非現実空間だもんねぇ。初めてだと見るもの全部が新鮮過ぎるから、息切れするよね」
順子:「手錠に腰縄……でしたっけ? ダボダボのスウェットにボサボサ頭の生気の無い顔の人が、トボトボと連行されて来るのを最初に見ただけでもドキっとしましたね」
駒木:「うん、社会って残酷なもので、社会の表側に出せないモノは完全に隔離して世間には出さないようにするからね。裁判所はそれを堂々と公開してるわけだから、最初はギャップに戸惑うよね」
珠美:「私は被害者や被告人のご家族の近くに座っているだけで息が詰まりそうでした(苦笑)」
駒木:「あぁ確かに。純粋な傍聴人が自分1人だけとかだと気まずいよね(苦笑)」
順子:「でも裁判って、淡々と進むんですね。これから何年も刑務所へ行くとか、人生の一大事のはずなのに、連れてかれる本人も無反応だし」
駒木:「確かにねえ。まぁどれくらいの刑期になるかは、前もって弁護士さんから教えられてて覚悟が決まってるんだろうしね。無罪かどうかを争ってたり、執行猶予が付くと思ったら実刑、みたいな時は、さすがに淡々とじゃ済まないけどね。前に痴漢冤罪っぽい男性が、有罪判決を受けて控訴した高等裁判所でも有罪になったのを見た事あるけど、気の毒なぐらい憔悴してた」
順子:「なるほど……」
駒木:「さて、あんまり話してると僕の講義ネタが無くなるから、これくらいにしとこうか(笑)。じゃあ、昼メシ食べに行くよ」
珠美:「外は官公庁ばかりで、飲食店の数は少ないようでしたが、どちらへ向かいますか?」
駒木:「ん? この裁判所の地下だよ。地下の食堂」
順子:「え、地下に食堂? ていうか、そういうとこって職員専用エリアじゃないんですか?」
駒木:「一応職員向けだけど、普通に一般人も使えるよ。弁護士と被告人が打ち合わせしてる近くで裁判官と検察官がコーヒー飲んでる
順子:「カ、カオス……(笑)」
珠美:「そんな呉越同舟では支障がありそうですけれども……」
駒木:「まぁ本当にヤバい話は弁護士事務所かどこかでするだろうけどさ。でも大阪地裁の喫煙室なんか、傍聴人が弁護士や検察官と、裁判の内容について喋ったりしてるからねえ」
順子:「(笑)」
駒木:「まぁ残念ながら、味の方は普通の学食・社食レベルなんで、過度に期待されても困るけどね。年季の入った傍聴マニアになると、近くの省庁とか弁護士会館まで足を伸ばしてコストパフォーマンスの高い昼食を摂るそうだけれども。僕も大阪とか神戸だと、外の店で食べるね。食堂の規模は裁判所の大きさと比例するから神戸のはショボいし、大阪は近くに北新地があるから、安くて美味しいランチには事欠かない」
順子:「ランチ一つとっても奥が深いんですね、傍聴道は(笑)」
珠美:「勤めてもいない所の職員食堂でお昼ご飯は、私はちょっと気が引けます(苦笑)」
駒木:「まぁ好き好んで他人の裁判を聴きに行っている時点で既にある程度図々しいわけだから、食堂に潜り込むぐらいは屁でもないって事なんだろう(笑)。じゃ、エレベーター乗って降りるよ」

順子:「……着きました――って、広いですねー! うわ、コンビニもある! しかもちゃんとしたファミリーマート(笑)。ヤ○○キとかじゃない!」
駒木:「微妙な対比材料に固有名詞を出さないでくれ(笑)。まぁ街にあるのと同じ機能のファミリーマートだよ。ちゃんと週刊マンガ雑誌も置いてるし、立ち読みも出来る。まぁここで裁判官が『さよなら絶望先生』とか立ち読みしてたらこちらがこの国の司法について絶望するけど(笑)」
珠美
:「奥にあるのは郵便局ですか?」
駒木:「そうだよ。内容証明郵便とか、裁判に郵便物は付き物だろ? ATMもあるから僕らも便利に使える」
順子:「あとは……本屋も……って、法律の専門書ばっかり(笑)。でも色々な店がありますねー。ショッピングモールですね、これだと」
駒木:「最近改装されて店の数が減ったんだけどね、これでも。それまでは床屋と美容室もあったんだけど、あんまり流行ってなかったから無くなっちゃったな」
順子:「そりゃ流行らないですよ。そもそも何故あるんですか(笑)」
駒木:「まぁ身だしなみが大事な所ではあるしねぇ。でも需要はそんなにないわな。需要が無いと言えば国会図書館の売店の横に靴屋があるんだけど、あれは誰か買ってるのかな。手荷物もロッカーに預けなきゃ入れない所なのに、靴買って館内ぶら下げて歩いてどうするのかいつも疑問なんだけどね」
順子:「一般人には及びもつかない事情があるんじゃないですか?(笑)」
珠美:「……沢山人が並んでいる所がありますけれど、食堂、ですか博士?」
駒木:「ああ、蕎麦屋だね。何故だかいつも混んでるんだよなぁ。隣には普通の食堂とかランチやってる喫茶店もあるのにね」
珠美:「あ、ホントですね。列は短いですけど、食堂の食券売り場にも並んでいます」
順子:「蕎麦屋さんは食券を自販機で買うんですね……って、博士、なんか蕎麦と蕎麦のセットがありますけど、これどういうことですか? しかも結構売り切れてるし!」
駒木:「どういう事と訊かれてもな(苦笑)。1人前じゃ腹が減るから2人前、どうせなら味を変えてって事じゃないのかな」
順子:「でも、蕎麦をおかずに蕎麦を食べてるみたいじゃないですか! 変ですよ、変!」
珠美:「それは順子ちゃん、大阪のお好み焼き定食や、神戸のそばめしみたいなものじゃないかしら?」
駒木:「なるほどね。僕らが炭水化物をおかずにして、炭水化物を主食で摂るのと似てると言えば似てるか。絶対東京の人には『全然別! 一緒にするな!」と全力で言われそうだけどな(笑)」
珠美:「(苦笑)」
順子:「んー、何だか興味が沸いて来たかなあ(笑)」
駒木:「じゃあ、ここにするか。回転の早い店だからすぐに空くよ。食券買って並ぼう」

順子:「――って、入ってみたら、普通のセルフサービス式の食堂でした。残念(苦笑)」
駒木:「だから言ったろ、何故混んでるか判らないって」
順子:「あはは、そうでしたねすいません(苦笑)。とりあえずお茶くんで来ますねー」
珠美:「……博士、お店の入口すぐの冷蔵ケースに日本酒の徳利みたいな小瓶が置いてあるんですけど、あれは何ですか?」
駒木:「あぁ、あれは本物のお酒。隣の食堂もそうだけど、定時を過ぎたら閉店時間までアルコールを出してくれるんだよ」
珠美:「本当ですか? こんなお堅い所でお酒が呑めるなんて、ちょっと信じられませんね」
駒木:「新宿の東京都庁の食堂も、17時過ぎたら居酒屋に変貌するとかしないとか。ビールやサワーだけじゃなくて樽酒まで置いてるらしいよ」
珠美:「そうなんですか。意外とフランクなんですね。でも、裁判所で呑んでも落ち着きませんね。ちょっと酔っ払って粗相をしたら告訴されそうで(苦笑)」
駒木:「確かにそうだ(笑)」
順子:「――はい、お待たせしました。博士と珠美先輩のトレイにコップ置いときますね。わたしはさっきからノドが乾いてたんで、お先に一口頂きますね……ゲホッ、な゛に゛こ゛れ゛お゛ち゛ゃし゛ゃな゛い゛ぃ……」
駒木:「あー、ごめん先に言っとけば良かったな。あの麦茶のサーバーみたいなデッカイのに入ってるのは蕎麦湯なんだ。お茶と水はヤカンの方」
順子:「あ〜、ビックリした……。あと、『たぬきそば』を頼んだら、ドス黒い出汁に天カスの塊が浮かんだ『ハイカラそば』が出て来たんですけど……(苦笑)」
駒木:「なんかわざと講義ネタを水増ししてくれるような事してくれて有難う(笑)。まぁ出汁の色が違うのは常識としてだ、関西じゃ油揚げが浮いてるのは『きつねうどん』と『たぬきそば』だけど、こっちじゃ『油揚げ=きつね』で統一されてるんだよ。だから油揚げの浮いた蕎麦が食べたかったら『きつねそば』を注文する。『たぬき』は揚げ玉入りのメニューを指す」
順子:「すいません、わたし東京に馴染めそうにありません(苦笑)。早く神戸に帰って『ぼっかけうどん』が食べたい……(笑)」
珠美:「そんな神戸近辺の人しか判らないメニューを……(苦笑)」
駒木:「えー、他地方の皆さん。『ぼっかけ』とは牛スジ肉煮込みの入ったメニューの事です。……今、東京の人の順子ちゃんに対する好感度がガクーンと落ちたぞきっと。僕は店を訪ねて歩くぐらい東京の食文化が好きなんだから、一緒にされると困るんで止めてくれよ」
順子:「え〜……。あ、私もお寿司と天ぷらは大好きです!(はぁと)」
駒木:「それは人気の追込馬に乗った武豊が、余りにも展開が向かずに勝負を投げた時に見せる遅すぎる仕掛けぐらい意味が無いフォローだ(笑)」
珠美:「でも、こういうお店にも蕎麦湯が置いてあるのは、さすがに東京の文化ですね」
駒木:「神戸や大阪じゃ、こういう所に蕎麦湯なんて置いてないもんねぇ。普通の蕎麦屋でも言わなきゃ出してくれない所も多いからね。こっちじゃ立ち食いの『富士そば』でも蕎麦湯出してくれるんだから、やっぱり文化が違うんだな」
珠美:「いつの間にか、裁判じゃなくて食文化の話になってしまいましたね(笑)」
駒木
:「……さて、食べ終わったところで食後のコーヒーでも飲もうか」
順子:「そこの喫茶室ですか?」
駒木:「いや、行っても良いんだけど、昼休みは混んでるし、あとコーヒーもカップが小さくて味もアレなんだよね(苦笑)」
順子:「なるほど(笑)」
駒木:「缶コーヒーは流石にセコいから、霞ヶ関駅構内のカフェでも行くか。あーでも、裁判所は何故だか自動販売機のコーヒーが安い。裁判所によっては市価より30円安い所もあってね。缶で90円、コップので60円から」
珠美:「安売りスーパー、ドラッグストア並ですね。場所柄、それほど儲けなくても良いという強みでしょうか」
順子:「かといって、ここじゃ『ちょっとジュース買いに裁判所行こうか』って気には、あまりなりませんよね(苦笑)。ジュース1本買うために金属探知機通って、荷物のチェックを受けて(笑)」

駒木:「んじゃ、とりあえず外に出ようか。出る時は何のチェックも無くてただ自動ドアから出るだけ。で、2人は昼からまた傍聴する? 僕はもうちょっと見ていくつもりだけど」
珠美:「いえ、私は午前中だけで、もう……(苦笑)」
順子:「わたしはどっちでも良いんですけど、珠美先輩が辛そうですし、他の所へ観光に行って来ます」
駒木:「そうか。確かに丸1日過ごすのは精神的にキツいかも知れないね。いや、戻って来るなら、入るたびにセキュリティのチェックは通らなくちゃいけないから邪魔臭いよ、って事を言おうとしただけ」
順子:「……うわ、博士、あの人だかりは何ですか?」
駒木:「あぁ、今日はワイドショーでも採り上げられた殺人事件の公判日だからね。その裁判の傍聴券を求めて並んでる人たちだよ。さっき見たから分かるだろうけど、地方裁判所の法廷は狭くて傍聴席もそんなに多くない。だから傍聴希望者が多くなりそうな時は、席取り合戦でトラブルにならないように、法廷に入る事の出来るチケットを先着順か抽選で配るわけ。今回は特に世間の関心が高いから、マスコミも席取りのためにアルバイトを動員して並ばせてるんで凄い人数になってるねぇ。これだと今日はパソコン抽選だな。先着順の番号が書いてある抽選券を受け取って、時間が来たらパソコンでランダムに当選番号を出して、ってタイプ。結果発表は入試の合格発表みたいで面白いよ」
珠美:「私がニュースで見たのは、商店街の福引きで使う器械が使われていましたけど……」
駒木:「それは裁判所や、傍聴希望者の数にもよるね。福引き器だけじゃなくて、箸立てみたいなのに棒を入れて引く形式のもあるよ。しかし、あの人数は無いよね。個人で傍聴したいっていう人は絶対不利だもの。並んでる人の殆どは裁判そのものには興味無いのにお金が欲しくて並んでるだけ。よくニュースで『今日の裁判には傍聴券を求めて数百人の……』とか言ってるけど、あれは何てこと無い。何としても席を確保したいマスコミが数百人雇って並ばせてるからそうなるだけでマッチポンプもいいとこだ」
順子:「しかし世の中には色んな仕事がありますねー(苦笑)」
駒木:「あの人たちは並んでナンボ、傍聴券が当たったら交換でボーナスがナンボ、という給与体系らしいよ。僕なんかだと、当たったら見たくなっちゃうから向いてないけどね(笑)」
順子:「外れても『雇い主より1000円高く買うから』とか言ったりして(笑)」
駒木:「競り市が始まったりしてね。『はい、この傍聴券2000円から! 2500円、2800円、もう一声!』とか」
珠美:「そこまでして見たいという人もいらっしゃるんでしょうか……?」
駒木:「その辺は個人の価値観だよねぇ。中には『一度、死刑判決が出るところをどうしても見てみたい』って言う人もいるしね。僕はどっちかと言えば、弁護人や裁判官まで脱力するような、トホホな裁判の方が好みだけどね」
順子:「そういえば、今日も博士は簡易裁判所に行ってましたね。そんな裁判ありました?」
駒木:「あぁ、有ったね。町内会のお地蔵様の前に置いてあった賽銭箱に入ってた16円を盗もうとして捕まったホームレスの窃盗未遂の裁判が」
順子:「(笑)。そ、それはかなり脱力……」
珠美:「普通、その程度の事件では正式裁判にならないんじゃないですか?」
駒木:「これが、そのホームレスは窃盗の懲役前科があってね。たかが16円と言っても再犯だから簡単に赦すわけにも行かないんだな。住所が無いから『逃亡の恐れがある』って理由で釈放も出来ないし、ずっと留置場。……まぁこの裁判はここで喋ったら勿体無いから、また別の機会だね。君たちにはコーヒー飲みながら話してあげよう」
順子:「はーい、ごちそうになりまーす」
珠美:「では、今日はこれで失礼したいと思います。受講生の皆さん、最後まで有難うございました」


 ――というわけで、東京地裁ガイドをお送りしました。次回からは、いよいよ本格的に裁判の模様をお送りするつもりでいます。次はせめて葉桜が綺麗な内にと思いますが、さてどうなりますやら。気長にお待ち頂ければと思います。では、また近日お会いしましょう(次回へ続く

 

2007年度第3回講義
11月4日(日) 犯罪学特殊講義
「駒木博士の裁判傍聴記」(2)

 過去のレジュメはこちら→第1回

 約1ヶ月のご無沙汰でした。いや、今回は1ヶ月で済んだ、と言うべきでしょうか(苦笑)。定例講義を終えて以来、月日の流れるスピードがやたらに速くて困ります。
 さて、今回は裁判傍聴記シリーズの第2回。当講座らしく、いきなり本筋から少し脱線しまして、意外と知られていない裁判所の内部を、皆さんにご案内しよう……という趣旨であります。
 この企画は今年8月、駒木が例によって東京単独格安ツアーを敢行している折、当講座の栗藤珠美&一色順子の2人も同じ日に東京へ観光に来ているという偶然に巡り合わせたのが事の発端でありました。つまりは、せっかく3人揃ってるんなら、東京で1本講義を収録してしまおう……という「タモリ倶楽部」テイスト溢れる場当たり的な企画なわけです。左側フレーム“推奨サイト”の「週刊ソラミミスト」さんを併せてご覧になって補完して頂ければ、よりお楽しみ頂けます。職場で受講されている社会人の方は視聴が難しいかも知れませんが、02年10月17日分なんかがお奨めです。

  ――とまぁそういうわけで、受講生の皆さんには、その辺りの緩いノリも含めて「あ、裁判所って気楽に入れる所なんだな」と実感して頂ければ幸いです。裁判傍聴未経験者の方から頂く質問のダントツ第1位「裁判所って、普通の人でも入れるの?」だったりしますので、今回はその疑問にお答えする意味も込めての企画であると解釈してもらえれば……と思います。
 しかしまぁ、わざわざ3人が東京に揃って向かう場所が色気の全く無い裁判所、という辺りがいかにも当講座という感じがしますね。ウチの元スタッフの婚期が遅れる理由も判る…………あ、珠美ちゃん久し振り。元気? ……ところで何故ビール瓶なんか持ってるのかな? え、額はビール瓶で殴っても結構大丈夫って知ってるかって? うん前の時津風親方がそう言って やってたらしいね。ところで珠美ちゃんは「話せばわかる」って言葉は知ってるかな? あ、知ってるんだ。それを言った後に「問答無用」って射殺された人がいるのも知ってるんだ。 うん、五・一五事件。よく知ってるねー……


駒木:「……えー、只今2007年8月某日、午前9時半を少し回ったところです。受講生の皆さん、おはようございます」
珠美:「おはようございます」
順子「おはようございます!」
駒木:「現在我々は、東京は霞ヶ関にある東京高等・地方・簡易裁判所前に来ています。今日は、これから裁判所初体験という2人を連れて、裁判も傍聴しがてら、ちょっと中をブラブラしてみようかなと思います」
順子:「本当なら、今日はお台場に行くつもりだったんですけどねー(苦笑)」
駒木:「昨日の晩、突然、携帯に順子ちゃんから電話がかかって来て、『博士、今、珠美先輩と東京にいるんですけど、お台場でおススめの観光スポットありますか?』とか訊かれてねぇ。まぁ『行った事無いから判らん』と答えたんだけどね」
珠美:「そして、その電話の中で今日のお誘いを受けたわけですけれども(苦笑)」
順子:「『お台場は無理だけど裁判所は案内できるから来なさい』って、それは答えになってない(笑)。まあ今更良いんですけどねー。でもまさか、あれだけ東京へ頻繁に行ってる博士が一度も行ったこと無いとは思いませんでしたよ」
駒木:「あんまり男が1人で観光しに行く場所じゃないからねぇ。そもそも僕の旅行は観光目的じゃないしさ」
順子:「まあ、博士に聞いたわたしがバカだったってことで良いです(苦笑)。どうぞ、本題に移って下さい」
駒木:「初っ端から投げやりだなぁ(苦笑)。……じゃ、まぁとりあえず、今僕たちが居る裁判所までのアクセスから案内しようかな。ここは助手の仕事という事で珠美ちゃんに振ってしまおう」
珠美:「……ハイ。裁判所までは地下鉄の東京メトロが便利です。丸の内線、日比谷線の霞ヶ関駅で下車してA1出口から外に出ますと、もう目の前に裁判所があります。他に同じく東京メトロ千代田線の霞ヶ関駅C1出口から徒歩5分、有楽町線の桜田門駅5番出口からも徒歩3分の距離ですね」
駒木:「いきなり校門のバケモノみたいな門があって、その奥に建っている巨大な建造物が裁判所だ。入口は関係者用と一般用に分かれていて、門や入口の側には警備員が立っているけれども、入るのに改めて許可を得るとかそういうのは必要ない。涼しい顔をして入って行けばいいんだよ。じゃ、入ってみようか」
順子:「門の前で、拡声器持って何か訴えている人がいますけど、あれは?」
駒木:「何か訴えている人(笑)。まぁ裁判で不当な判決を受けた人やその支援者が裁判所や判決を下した裁判官に抗議をしてるんだね」
珠美:「その抗議で、判決が左右されたりすることはあるのですか?」
駒木:「基本的には無いね。そんな事が罷り通るなら、裁判所の前は判決に不服な人の群れでごった返すよ(笑)。中には真面目な主張を真面目にしている人もいるんだけど、基本的にスルーするのが吉かな」
順子:「なるほど(笑)」
駒木:「あ、東京の裁判所では一般用入口から入る時は、必ず手荷物検査があるので気をつけてね。空港にあるような金属探知機と、カバンを透視するX線装置が置いてある」
順子:「あ、ホントですね。スゴい大掛かり……」
珠美:「金属探知機に反応しそうな物は、X線装置の方に預ければ良いんですね」
駒木:「そういう事。ほんの10秒ぐらいで終わるから気にしなくていいよ。ただ、文房具でもハサミとかカッターナイフみたいな刃物はヤバいかもね。銃刀法違反と判断されかねないから注意すること」
順子:「何しろ裁判所ですもんね(笑)。……あ、手荷物はこれだけです。お願いしまーす」
珠美:「私もお願いします。……博士、こういう検査はどこの裁判所の入口でも行われているのですか?」
駒木:「いや、僕が知ってる限りでは東京だけだね。同じく高等裁判所のある大阪でもやってないから、多分他でもやってないだろう」
順子:「どうしてです?」
駒木:「さぁねえ。まぁ、東京の裁判所は他の所に比べてスケールが違い過ぎるってのがあるからね。今僕たちがいる合同庁舎は地上19階、地下3階で、フロアもバカみたいに広い。職員も裁判官だけで約450人、事務員を含めると約2000人だ。これに加えて裁判の当事者に、僕らみたいな傍聴人だろ。しかも周囲は重要な官庁だらけと来てる。そういう事情を考えると、これぐらいはしなくちゃいけないって事なんだろうね。……あ、でも、僕がよく行く神戸の地方裁判所でも、一番大きな法廷で大きな事件を審理する時には持ち物検査やってた時もあったな。裁判所備え付けのカギ付き傘立てのカギで金属探知機が反応してしまって、容赦なくボディチェックとカバンを開けて中を調べられた(苦笑)。そういうのが嫌な人はあらかじめコインロッカーにでも預けておくんだね」
珠美:「……お待たせしました。私の荷物も受け取りました」
駒木:「よし、じゃあ早速裁判を傍聴してみようか。まず、今日どんな裁判があるかを調べなきゃね」
順子:「……ひょっとして、あそこで出来てる人だかりの所ですか?」
駒木:「そう。どこの裁判所でも入口近くには、その日どの法廷で何時からどういう裁判をやるか、っていう開廷表が置いてあってね。そこで見たい裁判を見繕ってから実際に法廷に行くわけ。今は夏休みだから、法学部の学生がゼミ単位で研修に来たりしてるから傍聴人が多いね。彼らは裁判の少ない夏休みに大挙してやって来ては、狭い傍聴席を占領しちゃうので、ちょっと困りものなんだけどね」
珠美:「あら、今は裁判が少ない時期なんですか?」
駒木:「夏季休廷って言ってね。裁判官が交代で、7月頭から8月一杯までの間にそれぞれ3週間ぐらい夏休みを取る事になってるんだよ。まぁ証拠調べや判決文書いたりで、本当に休みになる裁判官がどれくらいいるかは知らないけどね」
順子:「じゃあ、その間は捕まってる犯人とかは……?」
駒木:「もちろん、拘置所か留置場に入りっぱなし。その分、勾留期間が延長される事になるね。まぁどうせ刑務所行きっていうなら大差無いけど、執行猶予判決が確実な被告人はちょっと悲惨かな。休み明けもやらなくちゃいけない裁判が溜まってるから、2ヶ月近く待たされる事もある。その間は何も出来ずに、ただ塀の中だね」
順子:「うわ〜、かわいそう〜(苦笑)」
駒木:「まぁそういうわけで、残念ながらこの時期は裁判が少ない。ただ、腐っても日本一の大裁判所だから、この時期でも傍聴に困る事は殆ど無いよ。高等裁判所、簡易裁判所も同じ建物の中にあるしね。微罪から凶悪犯罪まで選り取り見取り取り揃えて僕らを待っている。いや、待ってないか(笑)」
珠美:「あ、場所が開きました。今なら開廷表が見られそうですよ」
順子:「……クリップボードがたくさん並んでますね〜。でも、わたしにはどれがどれやら(苦笑)」
駒木:「まぁここはデカい裁判所だからね。開廷表も色々あるわけだ。刑事、民事、それも地裁と高裁の区別があって、更にもっと特殊な裁判の開廷表もある」
珠美:「私が学校で習って持っている知識は、刑事裁判が犯罪を裁く裁判で、民事は民間のお金とか権利問題のトラブルを扱う裁判。簡易裁判所は小さな事件や少額の民事訴訟を扱うところで、地方裁判所は一般的な事件全般を扱うところ、高等裁判所は簡易・地方裁判所の判決が不服な人が控訴した時に2度目の裁判をするところ……というぐらいですね」
駒木:「うん、お見事な模範解答だ(笑)。公民の教科書にそのまま載せられるね」
順子:「で、どれが一番おススメですか?」
駒木:「まず刑事か民事かで言えば刑事裁判。民事裁判は、代理人の弁護士同士が書類をやり取りするのがメインで、裁判らしい取調べが行われるのは珍しいぐらい。だから傍から見てても何が起こってるか判らない(笑)。それに、裁判官は早く事件に決着をつけて既決件数を稼ぎたいので、珍しく裁判らしい裁判になってても、常に和解に持って行きたがる。だから傍聴する甲斐という意味では、ちと乏しいかな」
順子:「じゃあ民事は消しですね」
駒木:「うん。で、高等裁判所の刑事事件は、その場にいる全員が第一審の内容を全部知ってる事が前提になってるので、かなり傍聴人にとっては不親切だね。よっぽど有名な事件だとかじゃないと厳しいかも。まぁ何となくは内容が判るので、悪くは無いけど推奨はしないね」
珠美:「ということは、刑事事件の地裁か簡裁の事件が一番適しているというわけですね」
駒木:「そういう事だね。あとは好みかな。新聞紙面を賑わせた重大事件に行くも良し、簡易裁判所で当事者に感情移入できる小さな事件を眺めるのも良し」
珠美:「では、刑事裁判の地裁・簡裁の開廷表を見てみましょう……博士、この開廷表の端に書いてある『新件』、『審理』、『判決』というのは……? 『判決』は理解出来るのですが……」
駒木:「『新件』は文字通り、1回目の裁判のこと。『審理』は2回目以降、判決の1回前まで全部に該当する。で、『判決』は文字通り最終回の判決公判。但し、1回の公判で証拠調べを終わって 結審、2回目で判決を出す事件も多い。その場合は『新件』→『判決』で終わって、『審理』は使われない」
順子:「じゃあ、『審理』って書いてある裁判をいきなり見ても、途中からなので内容が分からなさそうですね」
駒木:「例外はあるけど、まぁ大体そうだね。裁判所が発行している傍聴ガイドでも、まずは『新件』の裁判を見る事を推奨している。『新件』の時は、裁判の最初に起訴状の朗読と冒頭陳述というのがあって、そこで被告人の人となりや、事件の内容が大体掴めるようになってるんだよ。被告人も罪を認めてて、争う所が無い裁判だったりすると、さっき言ったように、その後すぐに証拠調べ、証人尋問、被告人質問に続いて、そのまま検察の求刑と最終弁論まで済ませてしまう。下手すれば即日判決。5分ぐらい置いてすぐに判決まで出しちゃうこともある」
珠美:「では、私たちは『新件』で興味のある事件を傍聴するのがベストですね」
駒木:「そうだね。で、本当は被告人が容疑を否認する事件が一番見応えがあるんだけど、そういう事件を追いかけられるのは、昼間が毎日開いてる限られた人でないと無理だからね。特にこうして遠くに来ている時は1回で結審しそうな、ソコソコ小さめの事件が良いんじゃないかな。覚せい剤、暴行傷害、窃盗。簡易裁判所で扱う事件も1回で終わるのがほとんどだね。あと、裁判の雰囲気を掴むだけなら判決公判も悪くないよ。判決の理由説明の時には事件の概要が説明されるから、一応はどんな事件か知る事も出来るし」
順子:「なるほどー。まあここまで来ちゃいましたし、今日は社会勉強しましょうか。珠美先輩、面白そうな裁判探しましょ」
珠美:「面白そう……って言うのは、少し語弊があると思うけど(苦笑)」
駒木:「まぁ、犯罪被害者がいる事件もあるんで、あんまり露骨に野次馬根性を丸出しにすると……ね。とはいえ、傍聴は憲法で認められているわけだし、その憲法には精神の自由も定められている。人が内心でどんな事を考えるかまで、とやかく言われる筋合いは無い。分かった?(笑)」
順子:「はーい、黙って見とけってことですね(苦笑)」
駒木:「事実、そこらにカジュアルを通り越したラフな格好の年配の人とか佇んでるだろ? 裁判所はご隠居さんの趣味の場でもあるんだよ。中にはマスコミの記者よりもこの辺の事情に詳しい人もいるよ。あと、東京地裁には長い金髪とアゴ髭にロングスカート穿いた奇抜なファッションの男の人がうろついてるけど、それは大川豊興業の阿曽山大噴火さんだから、気にしないように。傍聴記の仕事をしている芸人さんだから」
順子:「怪しい人だけど、怪しくないわけですね(笑)」
珠美:「気をつけます(苦笑)」 
駒木:「じゃあ、裁判の始まる10時も近付いているし、そろそろ法廷へ移動しようか。歩きながら説明するね。……東京は法廷が沢山あるから迷わないようにね。法廷の番号は、ホテルやマンションの部屋番号と同じように、823号法廷なら8階の23番みたいに、場所を表す記号になっている。まずはその階までエレベーターで上がるわけ。北と南、2つのエレベーターホールがあるけど、どちらからでも行けるから気にしなくていいよ。但し、低層階用と高層階用があるから、それは乗り間違えないように」
珠美:「分かりました」
駒木:「2人は何階に行くの?」
珠美:「7階です」
駒木:「僕は7階の簡易裁判所だから、同じだね。途中まで一緒に行こうか」
順子:「色んな裁判所が1つの建物の中にあるんですか?」
駒木:「うん、東京の場合は、高等裁判所は高層階のフロアに、簡易裁判所はどこかの階の一番小さい法廷を間借りしてる。他の都市でも、家庭裁判所以外は大体同じ建物にあるんじゃないかな。勿論、簡易裁判所だけがある小都市もあるけどね」
珠美:「昇りのエレベーターが来ているみたいですよ!」
駒木:「お、じゃあ乗っちゃおう。ここはエレベーターの歩みが遅いから、乗り過ごすと結構時間を食うんだよ」
順子:「ふぅ……今でもなんだか不思議な気持ちですね。わたしが裁判所にいるって(笑)」
駒木:「日常の中の非日常空間だからね、ここは。日常生活では絶対会えない類の人たちと、エレベーターで乗り合わせたりする事もあるわけで。前も、エレベーターの中がヤクザ、その顧問弁護士、僕で満たされた事があってね(苦笑)。居心地悪いったら……」
珠美:「(苦笑)」
駒木:「さて、7階に着いたね」
順子:「うわ、何ですかここの造り……」
駒木:「凄いだろ。建物の端から端まで、大通りのように1本長い廊下が伸びてて、そこからほぼ等間隔で、左右両側に曲がり角がある。曲がり角の奥はそれぞれ葡萄の房みたいにいくつかの法廷と待合室が連なってるんだ」
順子:「法廷って全部でいくつぐらいあるんですか?」
駒木:「正確には数えた事ないからよく分からないけど、この階だけで30から40はあるんじゃないのかな。それが何フロアもあるわけだからね。全部の法廷が同時に使われているわけじゃないけど、法廷の数だけ担当の裁判官がいる事を考えたら、ここがどれだけ巨大な裁判所なのかが見当がつくと思う。普通の地方裁判所はもっと規模が小さいけどね。例えば神戸地裁だと、全部併せてこの1フロアに勝てるかどうか……」
珠美:「圧倒されますね……」
駒木:「まぁでも、本当に圧倒されるのはこれからだよ。初めての裁判傍聴、行ってらっしゃい。12時で昼休みになるから、その時に合流して昼メシでも食べよう。1階のロビー、さっき開廷表を見た辺りで待ち合わせね」
珠美:「分かりました」
順子:「じゃ、行ってきます!」


 ……というわけで、東京での裁判所レポート、前半の模様をご覧頂きました。あ、失礼しました。栗藤珠美です。駒木博士は突然、体調不良を訴えられたため、急遽私がこの場の代役を務めさせて頂きました。でも、結構大丈夫そうでしたので、次回の講義の際には元気な姿を見せて下さると思います(微笑)。
 次回、後半では裁判所のランチ事情を中心にお送りします。どうぞお楽しみに。
次回へ続く

 

2007年度第2回講義
10月4日(木) 犯罪学特殊講義
「駒木博士の裁判傍聴記」(1)

 何やかんやでほぼ半年振りの講義となってしまいました。本当に申し訳有りません。
 それにしてもこの半年の間、色々な事がありました。参議院選挙で自民党が大敗し、安倍内閣が倒壊して新たに川柳川柳師匠に似た人が総理大臣に就任し、元モーニング娘。メンバーが続々と 危険日に中出しされる一方で沢尻エリカの本性が余すところ無く暴露されるというまさに激動の日々。この沢尻会会長の暴挙に「どんだけ〜」というツッコミが最早全く聞こえてこない辺り、流行のサイクルの早さを実感する思いであります。あと2〜3年もすれば、2007年はこれらの各界の大物が小島よしおにしおかすみこビリーズブートキャンプとに一緒くたにされるという事になるのでしょう。「2007年は安倍晋三が 首相の座からオッパッピーした年でした」とか言われるんですよ、きっと。もうなんか戦後レジームから脱却というより脱腸しているような話ですね。
 また、当講座に身近なところでは、地上波放送中止で話題となったアニメ版
School Days』最終回まで視聴し終えた珠美ちゃんが、ボソッと一言「良いお話 だったわね」と冷たい微笑みと共につぶやいているのを某仁川経済大学職員に目撃されております。情報提供者からは「博士に報告したのがバレたら、珠美先輩に何されるか判らないので誰から経由の情報かは秘密でお願いしますね」と言われているので名前は伏せますが、しばらくして駒木研究室のメンバーが1人減ってたら、まぁそういう事なんだと思っておいて下さい。

 ――さて、ウォーミングアップがてらの前置きはこれくらいにしましょうか(笑)。

 今回のシリーズは、講義の表題の通り、駒木がこれまで傍聴して来た刑事裁判のレポートです。最近では各メディアやネット界隈で色々な人の裁判傍聴記が掲載されておりますので、概略は説明不要でありましょう。ただまぁそこは駒木がやる事ですので、内容も横道に逸れつつ、重箱の隅を執拗に突っつきつつ、という事になるかと思います。何卒気長にお付き合い下さい。
 また、本講義は“100%生”の素材を扱う関係上、様々な配慮をしなければなりません。そのため、新聞等の報道で実名が晒される人物(裁判官、大事件の容疑者・被告人など)を除いては原則匿名とさせて頂きますし、採り上げた裁判 や、該当する事件の概要について敢えて具体的な描写・説明を避ける場合もございます。その点、あらかじめご承知おき下さい。

 では、本編に入りましょう。今回はプロローグ代わりに、駒木が初めて傍聴をした裁判の話を中心にお送りします。


 初めて見た裁判は、覚せい剤(取締法違反)で捕まった男の判決公判だったと記憶しています。

 開廷の数分前、少し寂れた映画館の座席に似た傍聴席に腰を下ろし、見慣れぬ法廷をあちこち見回していると、不意に裁判所の“業務用エリア”と通じるドアが開き、前と後ろを制服の刑務官に挟まれた被告人が入廷して来ました。風貌は意外とこざっぱりとしていて、服もごく一般的な普段着の類。確かイトーヨーカドーかダイエーで売ってそうなデザインのトレーナーとベージュのチノパンだったでしょうか。ただし、チノパンの本来ベルトが通されている部分には腰縄が巻きつけられていて、その縄の先にはメッキの剥げかけた鉄製の手錠に拘束された男の手首があったわけですが。
 刑事ドラマなどで似たような光景は見慣れているものの、やはり“ホンモノ”の姿を目の当たりにすると、それはなかなかインパクトの強い絵であり……。そして何よりも駒木の心を波打たせたのは、被告人とこちら側を仕切っているものが、ランドセルを背負い始めたばかりの子供でも簡単に乗り越えられそうな高さの鉄柵だけ、という事実。平穏な日常生活を送っていれば、まず接近遭遇する事のないであろう犯罪(容疑)者と、物理的にはゼロに近い距離に自分が座っているという事に、強い精神的衝撃を受けたのでありました。

 思えば、駒木が裁判傍聴にハマっていったのは、この時の感情の揺れ動きがきっかけだったのかも知れません。日常の世界からほんの少し足を踏み入れた所に、手を伸ばせば届きそうな距離に、非日常的な空間が広がっている。それを知った。発見した。
 ――大変不謹慎な事を言ってしまえば、駒木にとってこの体験から得た感情は、まさに歓喜そのものでした。ただただ単純に「面白い」と思ってしまったのです。

 法律では裁判が行われている時に限り、勾留され身柄拘束を受けている刑事被告人も、その戒めを解かれる事になっています。刑務官は手馴れすぎた緩慢な手つきで腰縄を解き、ほぼ身体の自由を取り戻した被告人に座席を勧めます(手錠は裁判官入廷と同時に解かれる規則)。
 「おいおい逃亡したら俺が真っ先に襲われるんかい」と被告人席のすぐ後方に着席している駒木は一瞬思ったものの、「あぁそうか、そのための刑務官か」と胸を撫で下ろします。起こる出来事、全てが新鮮です。学生時代、アルバイト先の学習塾でハワイ慰安旅行に行った時、悪い上司に連れてかれたストリップ小屋でも、ここまでドキドキはしませんでした。その時、キモい男性の役に入った阿部サダヲのような顔でオブジョイトイ状態の股間を見惚れていた1期上の先輩が、5年後に教室長としてその塾のウェブサイトで紹介されていたのを見て、「この会社辞めて良かった」と思ったものですが。
 ちなみに、いざという時に被告人を取り押さえるはずの刑務官が、裁判の途中、結構平気で居眠りをしている事を駒木が知るのは、初めての傍聴から数ヶ月後の話でありました。

 予定の時刻になると、法廷の奥、他のエリアより2mほど高くなっている部分、つまりは裁判官席の方から慌しい足音が聞こえ、間もなく閉まっている時は壁の役割も果たすドアがガチャリと開くと、漆黒の法服に身を包み、関係書類を脇に抱えた裁判官が姿を現しました。今回は比較的軽い犯罪を扱うので、地方裁判所の裁判でも担当判事は1人だけです。その瞬間、法廷内に居た関係者――書記官、検察官、弁護士、廷吏と呼ばれる事務員、そして被告人と刑務官が一斉に起立。釣られるようにして傍聴席の人たちも立ち上がります。そして裁判官のぞんざいな礼に、皆はやはりぞんざいに従い、着席。ここまで約10秒。全てが初めての駒木はワンテンポ遅れました。
 刑務官が被告人の手錠を外したのを確認し、一呼吸置いてから裁判長はクールに「開廷します」と告げ、さらに一呼吸置いてから「被告人、前へ」。この声に応えて、被告人が気乗りしません、という感情を体現するような緩慢な態度で証言台に立ちます。裁判長は被告人の名前を確認した後、これから判決を述べる旨告げると、すぅ、と息を吸い込んで――

 「主文。被告人を、懲役1年6月に処する――」

 この時の裁判長の声は、マイク越しにしてギリギリ聞き取れるぐらい小さく、それでいて鋭い視線のせいか、不思議と重みが感じられるものでした。
 後になって、色々な裁判長の主文言い渡しを傍聴する事になりましたが、やはりここは裁判官の個性が滲み出るシーンでもあります。この時だけビックリするぐらい大きな声で威厳を持たそうとする人もいれば、全く口調が変わらない人もおり、被告人を鋭い視線で睨みながら言い渡す人もいるかと思えば、まるでイタズラをした幼い息子を諭すように穏やかな表情をする人も居ます。

 そして、主文の言い渡しが終わると、今回の裁判で認定された罪となる事実、そして今回の量刑を課した理由の告知に移りました。あらかじめ用意された印刷物を朗読するだけとあって、早口で棒読みです。しかしその中で「当公判廷が認めた罪となるべき事実は以下の通り」とか「フェニルメチル・アミノプロパン」などと聞き慣れない言い回しや言葉が次々と飛び出して来るのが、この時の駒木にとってはいちいち新鮮でした。ちなみにフェニルメチル・アミノプロパンとは、覚せい剤・メタンフェタミンの正式名称です。
 量刑の理由は、短絡的で常習性顕著な犯行であり悪質、執行猶予中の事件なので実刑もやむなし、などといった内容。覚せい剤などの薬物犯は1回目は執行猶予付き、2回目以降は実刑と相場が決まっており、それを知らないはずが無い被告人は、ウザそうではありましたが、判決に不服という感じではないようでした。
 裁判長はそれから控訴する際の手続きを説明し、最後に「判決の内容、分かりましたか?」と問うと、被告人の返答は気だるそうな「……ハイ」。反省の無い態度だなぁと一瞬呆れましたが、この後すぐに刑務所に叩き込まれるのだと考えると、まぁ愛想良くは出来んわな、と思い直します。裁判長もそれは分かっているのか、粛々と閉廷を告げ、開廷の時と全く同じくぞんざいな起立・礼。やはり関係者と傍聴人が、今度は更にぞんざいな態度でこれに従い、起立と敬礼で応えた刑務官は即座に手錠と腰縄のセッティングに取り掛かりました。築地市場に水揚げされたマグロのように突っ立ったまま被告人をプロの技、というべき素早さで拘束してゆく手際の良さが見事でした。匠の技と言うべきでしょうか。そして入廷の時に使った通用口へと被告人を連行していったのです。

 ここまでを見届けたところで、駒木の呼吸器官から自然とふぅ〜と大きな息が吐き出されます。実は傍聴席に座ってから、ここまで10分も経っていません。判決公判は、よほど大きな事件や証拠調べが揉めた事件でも無い限りは数分で終わってしまいます。ただ、この時の駒木にとっては、秒単位で人生初めてお目にかかるシーンの連続だったわけで、現実に適応出来ないまま時間を過ごした疲労感はハンパではなかったのです。
 こうしてようやく緊張感から解放され、いやぁスゴいなぁ〜、と心の中で呟いたりしていた駒木ですが、この安堵も次の瞬間には断ち切られます。また、通用口のドアノブが音を立てたと思ったら、次の被告人が、やはり刑務官に連行されて姿を現したのでありました。
 これも後から知った類の話になりますが、1つの法廷では、まるで歯医者が分刻みで患者を入れ替えるが如く、原則として同じ裁判官によって次々と別の被告人の裁判が行われてゆきます。判決公判が中心の日など、1日に7つ、8つの裁判が行われる事も珍しくはありません。法廷は時に犯罪のわんこそば屋の様相を呈します。

 ここに至って駒木は、これまで特に疑問も無く抱いて活きた「犯罪の少ない安全な国・ニッポン」という認識を大きく揺るがせつつ、今日は果たしてどれほど初めての経験をする事になるのだろうと、半ば途方に暮れる思いで再び法廷に目を向けたのでありました。法廷に備え付けられた時計は、17時の終業まで、まだあと3時間50分ある事を示していました――


 ……というわけで、第1回の講義をお届けしました。ちょっとまだ、どういったノリで進めたらいいものか掴み切れていなかったりするのですが(笑)、まぁその内ボチボチと慣れていきたいと思います。

 次回ですが、これから傍聴する方へのガイダンスも兼ねて、意外と知られていない裁判所の中についてお話しようと思います。基本的には誰でも自由に入って行けるはずなのに、不思議なほど知られていない建物の中身に迫ります。それでは、また。今度こそは近い内に再び皆さんにお会い出来るよう努力したいと思います。(次回へ続く

 

2007年度第1回講義
4月21日(土) 演習(ゼミ)
「現代マンガ時評」(古味直志特集)

  受講生の皆さん、お久し振りです。前回の講義からもうすぐ1年という所までお待たせしてしまい、誠に申し訳ありませんでした。
 定例講義を打ち切った頃は「長年の習慣だから、そう簡単に『社会学講座』から足抜けは出来ないだろう」などと考えていたのですが、これが思いのほか簡単でありまして(苦笑)。小気味良いスポンッという音と共に足が抜けてしまったのでした。
 まぁ駒木の場合、また抜けたら抜けたで、別の足抜けが難しい泥沼に深々と足を突っ込んでいたりするのですがね(笑)。今では「駒木ハヤト」でググると、ボクシング関連のブログが先頭に表示される上に、関連検索項目に「駒木ハヤト 格闘技」「駒木ハヤト ボクシング」などといった文言が並ぶようになりました。

 ちなみに「押尾学」でググッた時の関連検索項目を見ると、「奥菜恵 押尾学」というフレーズが、「押尾学 矢田亜希子」より前に出て来るのが微笑ましくて良いですね。他にも「押尾学 暴走族」「押尾学 刺青」「押尾学 名言」「押尾学 伝説」など話題に事欠きません。
 関連項目の一番最後には「押尾学 プロフィール」という項目も並んでいるのですが、もはやそこまでの9項目でお腹一杯になってプロフィールを見る気も起こらないといった辺りが流石お塩先生であります。『メゾン・ド・ペンギン』で下ネタの題材にされるなど近況零落著しい先生でありますが、底力は依然として健在。その内、花の子ルンルンのように不倫相手を探しに貴方の町へやって来るかも知れませんね。

 ――さて、段々と調子が戻ってまいりました。このように、さりげなく下衆なベクトルへ脱線して行くのが本来の当講座であります。
 まぁそういうわけで、いつの間にか別業界の住人になってしまった駒木なのですが、最近になって、そちらでの活動も漸く一息つける程の余裕が出て参りました。そうなると、かつて住み慣れた当講座も懐かしくなるものでして、ボチボチこちらの活動も再開しようかな、などという里心も出て来てはいたのです。ただ、ここまで長期間お休みしていると、リスタートするきっかけがなかなか掴めないものでして、ズルズルとここまで来てしまった……というのが実際のところでした。
 そんな折も折、今週号の「週刊少年ジャンプ」で、久々に“将来の人気作家を発掘した時の高揚感”を味わわせてくれる素晴らしい読み切りが掲載されているではありませんか! そしてこれまた久々に湧き上がって来る「うわ、この作品を思う存分語りたい」という気持ち。そうなれば後はちょっと勢いをつけるだけでこの通りであります。恥ずかしながら、駒木ハヤト帰って参りました。

 では、本当に久し振りに「現代マンガ時評」の看板を掲げる事にしましょう。今回はその「“将来の人気作家を発掘した時の高揚感”を味わわせてくれる素晴らしい読み切り」を描いた新人作家こと、古味直志さんの特集です。
 駒木の錆び付いた目と口でどこまで魅力を伝え切れるか不安ではありますが、失敗を恐れずアグレッシブに攻めて行きたいと思います。最後までどうか何卒。


  さて、今日の講義で採り上げる古味直志(こみ・なおし)さんのプロフィールを紹介しておきましょう。「現代マンガ時評」のテンプレを使うのも1年ぶりなので、色々と見苦しい点が出て来ると思いますが、ご了承下さい。

 古味直志さん略歴
 1986年3月28日生まれの現在21歳
 
高知県出身。高校在学中は美術部に在籍し、卒業後は専門学校アートカレッジ神戸まんが学科へ進学。学内イベントの「持ち込みツアー」で習作が「ジャンプ」編集部の目に留まり、“新人予備軍”入り。06年6月期「十二傑新人漫画賞」に応募した『island』で準入選を受賞し、翌年「赤マル」07年冬号で受賞作デビュー。次いで週刊本誌07年20号には読み切り『恋の神様』を発表した。

 ……やはり目に付くのは、松井優征さんの『魔人探偵脳噛ネウロ』以来2人目・2作目となる「十二傑」準入選という経歴でしょうね。松井さんが受賞した時の作家審査員は、賞を大盤振る舞いする傾向のある(過去3回審査を務めた回で準入選2人、佳作1人が出ている)河下水希さんですから、事実上の「十二傑漫画賞」史上最高評価作品と言えるかも知れません。
 ただ、これはこのゼミで以前から申し上げて来た事ですが、「ジャンプ」系新人賞で高いグレードの賞を受賞した作家さんと言うのは案外伸び悩んで低迷するケースが多いものでして、例えばここ数年で月例賞の入選・準入選を受賞した人の連載作品を並べてみると『キックスメガミックス』『大泥棒ポルタ』になったりするわけです(苦笑)。
 勿論、前述した『ネウロ』の成功もありますし、「ストーリーキング」からは(既に他誌でデビュー済みの作家さんでしたが)『ヒカルの碁』『アイシールド21』を輩出している例もありますので、早い話が「新人賞受賞時のランクは将来とは殆ど関係ない」と結論付ければ良いのではないかと思います。実際、古味さんに関しては、駒木が将来性を見込んだからこそ、こういう特集を組んでいるわけですからね。要は今回に限らずベタな宣伝文句に惑わされたらアカンよ、という事です。

 ――さて、それではこれから古味さんのデビュー作『island』と、今週号のジャンプに掲載された『恋の神様』のレビューをお送りしましょう。作品が掲載された雑誌をお持ちの方は、是非とも手元に現物を置きつつ受講なさって下さい。

 ※7段階評価の一覧表はこちらから。よくあるご質問とレビューにあたってのスタンスは04年1月14日付講義冒頭をご覧下さい。

 ◎読み切り『island』作画: 古味直志/「赤マルジャンプ」07年冬号掲載

 についての所見
  率直に言って、技術水準は既にプロ作家として相当高い水準にあると言って良いでしょう。プロデビュー作としては破格のクオリティです。

 まず、細くはあっても弱弱しさを感じらせない安定した描線。新人作家さんがこういう画風を志した場合、どうしても線のブレや無駄な書き込みが目立って粗さや稚拙さが浮き彫りになってしまうのですが、古味さんの絵はそれが殆ど感じられません。恐らくは細心の注意を払いながらも確固たる自信を持って作画に当たっているのでしょう。
 よく見ると何箇所かで顔の造形が若干歪んでいる所がありますが、許容範囲内に収まっていると思われます。むしろ、浅いキャリアの中で難しいアングル・角度のカメラワークにも果敢に挑んだ積極性を評価すべきでしょう。

 人物の描き分けや感情表現、ディフォルメも達者です。
 長老、母親、大人たちに子供たちといった多彩な登場人物を、いずれも“老若男女を分類する記号”をソツなく用いてクリア。また、同年代の人物を描き分ける際にはヘアスタイルや目の色などといった細かいパーツの描き分けで対応し、いわゆるマンガ的な非現実的デザインのキャラを排除する事に成功しています。これは作品全体のリアリティに好影響を与えているはずです。
 場面ごとのノリに応じて的確に、時には大胆なディフォルメを用いて描き出された感情表現も見事。暗いストーリーの中で束の間の清涼感を演出する事に成功し、読み手に対する作品理解を図ムーズに促しています。

 背景や動的表現も大変安定していますね。これは高校の美術部からマンガ専門学校という経歴がモノを言っているのでしょう。既にアシスタント修行を相当期間積んだ人の水準に達しています。
 大抵の場合、投稿作品はアシスタントを使えない環境下で描くため、こういった地味な作業の部分はクオリティが下がりがちなのですが、必要性の薄い背景を大胆に省略する事で仕事量を節約すると共に、画面にメリハリを出しています。

 総合的な画力は既に連載作家級と言って良いでしょう。画風は鈴木央さんを彷彿とさせる雰囲気ですが、もっと色々な作家さんのエッセンスが取り混ぜられているような感じがします。
 

 ストーリー・設定についての所見
 話の骨子は「高い壁で囲まれた小世界から抜け出そうと夢見る少女2人の奮闘と葛藤」というもので、これ自体は相当に使い古されたエピソードと言っていいでしょう。ただし、「高い壁の向こうには何もなかった」という現実を見せつけた後、さらにどんでん返しで未来に希望を残す結末に持っていった“ヒネり”を加える事で、“手垢感”の払拭に成功しています。

 ですが、それよりも優れた才能を感じさせてくれるのは演出力です。現実世界とは一線を画した世界観を、冒頭最小限のページ数で提示する事に成功したのも然ることながら、とにかく見せ場での演出に、読み手側に有無を言わせぬ説得力が感じられます。実は数箇所で矛盾や不自然さを感じさせる場面・設定があるのですが、ずば抜けた“魅せる力”で矛盾点すら既成事実化して押し切ってしまっています。
 勿論、この演出を下支えする脚本力も非凡です。説明的な台詞の極めて少ない会話シーンや、モノローグの使い方の巧さなど、「技術の高さ」だけでは説明の付かない才能を確かに感じさせてくれました。

 あとは、巧拙以前に“味”を感じさせてくれるのがキャラクター設定
 主役格の2人のうち、1人は「閉鎖された世界で唯一文字が読める」という特殊設定があり、ストーリー展開に大きな影響を与える事になりますが、その場面に至るまでは「少し抜けた所のある読書好きの可愛らしい女の子」としてしか描かれていません。ましてや、もう1人のヒロインはヤンチャな性格や「外の世界へ行きたい」という願望はあるものの、ごく平凡な少女に過ぎません。
 しかし、この2人のヒロインが没個性的かというと決してそうではないのです。立派に主役として相応しい存在感を滲み出していますし、むしろキャラクターにドギツさが無い分だけ、読み手の感情移入がスムーズになっているとさえ言えるかも知れません。
 つまりこれは、「設定」ではなくて「人間」をキチンと描けているという事。少年マンガでは作品や主人公のキモとなる特殊設定をアピールするあまり、ストーリーや登場人物より設定にスポットを当ててしまう「王より飛車を可愛がり」という状態になりがちなのですが、この作品はその対極に位置する、そして本来マンガのあるべき姿を提示している……というのは流石に言い過ぎでしょうか(笑)。

 ――と、ここまでベタ褒めで来ましたが、残念ながらこの作品にはフォローしようの無い構造的欠陥が存在します。
 それは、ストーリーのクライマックス、「何も無かった」外の世界が「実は何かある」事を証明してゆくシーン。ここはエンターテインメントの基本中の基本である「満たされない何かを満たす」を見せる最も大事なシーンなのですが、ここの見せ方がかなりの駆け足で、また、余りにも簡単に問題が解決してしまう(というより、既に解決されていたのを示しただけ)ために、読み手がカタルシスを感じたり、余韻に浸ったりするのを大いに阻害する内容になってしまっています。
 読み手が得るカタルシスは、その直前に負うストレスの量に対応します。そのストレスを感じさせないうちに困難が解決されてしまっては、読者は置いてけぼりになってしまいます。まさに画龍点睛を欠くといった感じで、非常に惜しい場面でした。

 今回の評価
  評価に関しては、最後に指摘した欠点もってどれくらい減点するか、という所に尽きると思います。基礎点は文句無しのAなのですが、作品全体の完成度をかなり減衰させる欠点がありますから、難しい判断になりますね。
 ただ、これだけ様々な要素の完成度が高い作品にBクラス評価は馴染まないのではないかとも思います。よって今回は「大幅な減点材料を細かい加点要素である程度相殺して」というエクスキューズを付けA−の評価とします。

 

 ◎読み切り『 恋の神様』作画:古味直志/「週刊少年ジャンプ」07年20号掲載

 についての所見
 述べるべき内容の大筋は『island』のレビューで語ってしまいましたので、ここでは新しく感じた印象のみについてお話します。

 まず、4色カラーの表紙が好印象です。学生時代に培った技術の賜物でしょうか、彩色も手馴れていますし、画面構成もユニークですが違和感がありません。圧倒的にインパクトが強いはずの背景を出しゃばらせず、主人公とヒロインの存在感が削がれていないのも良いですね。ただ、2人の影がどこにも描かれていないのは御愛嬌でしょうか(笑)。

 この作品のディフォルメや絵柄には、明らかにあずまきよひこさんの影響が見てとれますが、それでも技術をキチンと消化し、自分の絵柄に取り込む形でこれを反映させているので猿真似をしているという印象はありません。むしろ「模倣から一歩先の創造」を実現し、地力の向上に繋がっていると素直に評価したいです。

 プロとしては初挑戦となるアクションシーンも、大胆な構図やカット割りを駆使して見事な仕上がりです。大袈裟だったり、過度にコメディタッチであるところに拒否反応を示す人も居ないとは限りませんが、「基本的にコメディだし、そもそもマンガ的表現だから」という釈明で融通の利く範囲内で収まっているでしょう。

 あと、特筆すべき点としては、背景やモブを描く際に不要な部分を省略する事の上手さ。そして、定規で引いた線やスクリーントーンの模様などの「機械的な描写」とフリーハンドの線で描かれた「ファジーな描写」の使い分けの妙。人物作画と背景処理が非常にバランスよく溶け込んでいるので、とても見栄えが良くなります。

 欠点らしい欠点は殆ど見当たらず、総合的に見ても好感度の極めて高い、マンガとして完成された秀逸な絵と言って良いでしょう。小畑健さんや村田雄介さんのように絵の技術だけでメシが食えるレヴェルには達していませんが、古味さんの絵も作品の主役たるストーリーを立派に支える最高の“助演俳優”としての役割は存分に果たしていると思われます。

 ストーリー・設定についての所見
 「神様に惚れられてしまい、自分に言い寄って来る男たちに危害が襲い掛かる運命にある美少女。そんな彼女に恋をして、神様相手に恋のバトルを挑み、彼女をモノにしようする少年の物語」……というのがストーリーの概略。「恋敵が実体の見えない神様」という設定が「ジャンプ」では新鮮です。
 ネット界隈では「既存の作品からモチーフを得ているのでは」という指摘が為されていますが、同様の試みはどこでも行われていますので、それが過度にならなければ不問にして良いでしょう。前作も手垢の付いた基本シナリオでしたし、古味さんは既存の作品からヒントを得て、そこから独自の要素を付け加えて物語を作り上げていくタイプの作家さんなのかも知れません。

 この作品に関しても、非常に高いレヴェルの演出力が光っています。
 無駄なシーンを極力省略した大胆なカット割りは、テンポやスピード感を出すだけでなくコメディ部分の笑いにも繋がっており、作品のコンセプトを誤解させる事無く読み手に伝える役割も果たしています。「絵についての所見」でも述べたディフォルメの上手い絵がここでも活きている事にも注目したいですね。
 前作で披露した、高度な演出が生む強烈な説得力も健在。非常識的な設定や、矛盾点ギリギリの伏線や台詞などもあるこの作品ですが、やはり有無を言わせず既成事実化に成功。細かいツッコミを野暮にさせてしまう“腕力”には、もはや惚れ惚れさせられます。
 とはいえ、全ての演出が力任せというわけでもなく、要所要所では細かい配慮も為されています。特に客観的に非現実的な設定の扱いは非常にナイーブで、必ず「この現象は非現実的だ」と断じた上で、更に「それを信じなければ逆に不自然」という条件を突きつけて正当化する、という原則を生真面目に守っています。しかも、それもストーリー内の自然な遣り取りの中でこなしているのですからお見事。勿論、これが優れた脚本力に下支えされているのは言うまでもありません。

 前作で披露した人物の描写力も引き続き素晴らしいです。主人公の「少女マンガ好き」にしても、ヒロインの「神に惚れられている」にしても、その設定は人物のキャラクターを構成する一要素の域を超えないものに留められ、最後にはその人物の設定ではなく性格、人柄がストーリーを左右する要素になるよう計算されています。

 そして、この作品で特に秀逸なのは、人物、特に主人公の心理描写でしょう。
 恋愛で困難な場面に直面した人間が見せる“気持ちの良い舞い上がりっぷり”と、困難な恋を成就させようとする人間の行動力が火事場のクソ力的な高まりを見せるあたりの描写はまさに絶妙。これほどまでポジティブで気持ちの良い「恋は盲目」の表現を「ジャンプ」のマンガで見たのは初めてです(笑)。
 また、これらのシーンは非現実的(な現象)とリアル(な心理描写)を繋げる効果があるので、読み手の感情移入も力強く促進する効果も期待できます。

 前作で課題となったクライマックスの見せ方も今回は上手くいっていました。もはや物理的な段階となった“困難な恋”を克服するシーンは、バトル物マンガで言う所のボスとの戦闘シーンの役割を果たし、ストーリー全体の大きなヤマ場になっていますし、前作のレビューで述べたエンターテインメントの基本を押えるための“作業”としても理想的な形になっています。

 今回は欠点らしい欠点は無し。敢えて言えば、ヒロインが主人公を遠ざけようとする手段が若干不自然であるという点が挙げられますが、これも作中で主人公によって「推測による擬似既成事実化」という高度な演出が施されているのでミスにはなっていません。「矛盾点が無いのではなく、矛盾点を意識させないのが傑作」というセオリーを地で行っているような素晴らしい作品です。

 今回の評価
 評価
は文句無しのスケールの大きな長編でこのクオリティを維持し続けたら、もう一段階上もアリではないかと思わせるほどの才能が感じられました。ただ、この種の才能は、強いケレン味を求められる週刊少年誌の世界、特に「ジャンプ」とは相性的にどうなのかな……という気もしますね。週刊本誌で完結する見込みの無い話で才能を食い潰されるより、むしろ今秋創刊される新月刊誌で起用するとか、適材適所を考えてもらいたいところです。
 

 ……以上レビューでした。もう少し何か付け足そうかとも思ったのですが、蛇足になりそうなので止めておきます。ただ一言、「古味直志さんに今後とも注目を」と申し上げて、復活第1回の講義を終わらせて頂きます。ご清聴有難うございました。

 

残務処理シリーズ” 第2回講義
5月13日(土) 人文地理
「駒木博士の05年春旅行ダイジェスト」(番外編)

 過去のレジュメはこちら→第1回第2回 

 約1ヶ月のご無沙汰でした。未だモチベーションの再構築は成らず……という感じですが、ここを逃すとズルズル夏までいってしまいそうなので、ショック療法も兼ねて自分に一度ムチ打っておきたいと思います。

 さて、今日は前回の続きで名古屋途中下車編……のはずだったのですが、第2回の講義をお届けしてから、とんでもない事実が判明しました。実は名古屋に途中下車したのは05年の春ではなくて04年の冬旅行だったという(苦笑)。春旅行の時は疲れの余り爆睡していて、気がつけば大垣だった事を思い出しました、後から。年4回5回と同じような旅行をしてるとはいえ、人間の記憶と思い込みは怖いというか、駒木が阿呆というか。
 ……というわけで、前回の最後の部分は現実とは繋がらないわけなのですが(苦笑)、折角引っ張ってしまったので、ちょっと時系列をいじくってみたいと思います。目的地はTV番組「水曜どうでしょう」名古屋の聖地こと、藤村ディレクターの実家・喫茶店「カフェレスト・ラディッシュ」。“どうでしょうバカ”なら死ぬまでには一度行っておきたい所として有名なこのスポットを、今回はちょっと紹介させてもらいます。最後までどうぞ宜しく。
 例によって文中においては文体は常体、人物名は現地で実際にお会いした方以外は原則敬称略とします。


 「カフェレストラディッシュ」は、JR中央本線または地下鉄の鶴舞駅が最寄駅。そこから小さな商店街を抜け、住宅街に少し分け入ること数分の距離にある。
 詳しい場所は番組公式ではシークレットになっている上、最近は“どうでしょうバカ”の訪問が店のキャパシティを超えつつある状況だそうなので、ここでは差し控える。但し、駅近くの交番の地図には既に店の場所が赤い丸印でマークされており、訊いた途端、「あーあそこね」などと大変慣れた口調で案内してくれるという噂だ(笑)。地方都市のタクシーが有名タレントの実家を回ってくれる的ノリである。

 さて、どうにかして目的の住所にやって来ると、昭和の香りを漂わせる、煉瓦造り風鉄筋建ての小さなビル(アパート?)が出迎えてくれる。ここの1階が「カフェレスト ラディッシュ」である。
 見た目だけなら、何の変哲も無いそこらにある喫茶店と変わらない。そりゃそうだ、番組で紹介されるまでは本当に何の変哲も無い地元密着型の喫茶店だったのだ。
 いや、今でも基本スタンスは、普通に地元の人向けの商売をしている喫茶店のそれを守っている。ご近所の住人、または勤め人がモーニングとランチ、それと午後のティータイムを楽しむ場所というコンセプト。だから定休日は勤め人に合わせて日曜・祝日。お盆と年末年始は当然のように連休だ。それを知らずに、わざわざ休みを利用して名古屋までやって来て、閉ざされたシャッターを目の前にして途方に暮れるファンも非常に多いと聞く。事実、ネット界隈の“「ラディッシュ」訪問記”のうち、相当な割合が「行ったけど閉店してました」という内容になっている。
 そういうわけで、この店には「水曜どうでしょう」のファンを当てこんで一儲けしてやろうなんてヤマシイ考えはこれっぽっちも無い。何故か? 答えは簡単、「どうでしょう」のファンに支えられなくても、ずっと昔から地元の常連客だけで大繁盛している店だから。あくまで地元・常連が“主”。「どうでしょう」経由の客は“従”なのである。
 どうも最近、その辺を知らずにやって来て、まるで新宿歌舞伎町の24時間営業の居酒屋にいるかの如くハシャぐわ騒ぐわといった文字通りの“「どうでしょう」バカ”がいるという悪評を聞く。そのせいで、肝心の常連客に迷惑がかかり、足が遠のくといった事態も発生しているらしい。
 なので、この旅行記をご覧になって「ラディッシュ」へ赴こうという方には、是非とも常識的な行動をお願いしたい。難しい話ではない。貴方が普段、喫茶店やコーヒーショップでしている事、しない事をそのまま移行すれば、それで済む。

 店内に入ると、普通の喫茶店の倍はあろうかという広いフロア、そして所狭しと並べられている新聞各紙とバリエーション豊かな雑誌の山が目に入る。この辺も昭和の喫茶店の“作法”が頑なに守られている。勿論、ちょっと時代を外れ、しかも微妙に欠巻があるマンガ単行本も所蔵されているのは言うまでもない。
 駒木が「ラディッシュ」を訪れたのは朝の7時台だったろうか。既に店内は地元の常連客で満員の盛況だった。店内の様子を認識するのと、空席を探すのとで少しの間立ち尽くしていると、藤村ディレクターの“お兄さん(実際は遠縁の親戚らしいが)”と思しきウエイターさんがやって来て、駒木に一言。

 「──何処から来たの?」

 一瞬で“「どうでしょう」バカ”認定! 王大人の死亡確認より手早くて確実だ!
 ……まぁよく考えてみたら、一見さんで、しかも旅行帰り丸出しのバックパック姿だったら、どこからどう見ても“「どうでしょう」バカ”以外の何者でもないわけなのだが(笑)。

 こうして実に手際の良い出迎えを受けた駒木は、店内のほぼ中央右側にパーテーションのようなモノで仕切られた、4人掛けと2人掛けのスペースへと案内された。そこの壁には一面の「水曜どうでしょう」グッズや関連書籍が所狭しと並べられており、スタジオジブリから贈呈されたイラスト入り色紙まである。ここがいわゆる“「どうでしょう」席”と呼ばれる番組収録で使用された座席である。
 余談だが、スタジオジブリが会社ぐるみで「水曜どうでしょう」の大ファンである事は一部で非常に有名で、大泉洋、鈴井貴之といった出演タレントがジブリ映画で声優を務めるようになったのも、そういったジブリ社員の私的な希望によると言う。専業の声優を使わない理由云々と言っても、結局はそういう基準でキャスティングしてるのかよ、と話を聞いた当時は憤慨したものだが、今はそれについて多くは語らないでおく。

 「どうでしょう」席には、既に先客がいた。東京から来たという、やはり番組ファンのカップルであった。聞いたところによると、旅行の最終日、午前中に帰京する前の最後の訪問先としてここを選んだという。
 やがて、2組目の“「どうでしょう」バカ”──つまり駒木──の来訪を聞きつけた、この「ラディッシュ」の店主であり、藤村ディレクターの実母であらせられる“かあちゃん”が、忙しい仕事の手を休めてこちらに来て下さった。朝のかき入れ時だけに、ごく短時間であったが、笑顔と愛嬌で出来たような“かあちゃん”と、世間話、そして「水曜どうでしょう」にまつわる裏話を楽しむ。
 その会話中、一瞬だけ“かあちゃん”の顔色が曇ったのが気になった。それは、最近では土曜日には店のキャパシティを超える程の“「どうでしょう」バカ”が来襲し、文字通り店から人が溢れるほどになってしまったという話題の時。1時間や2時間の滞在では「あら、そんなに早く帰っちゃうの?」と別れを惜しむほどサービス精神旺盛な“かあちゃん”が、「どうしてこんなになっちゃったのかねぇ」と嘆息する姿は実に痛々しかった。
 なのでここで重ねて申し上げる。「ラディッシュ」は基本的には近所の常連客のための地元密着型の喫茶店である。“聖地巡礼者”は、出来れば店の空いている平日に訪問するよう検討してもらいたい

 しばらくすると、注文したモーニングセットが運ばれて来た。サイフォンで立てた本格的なブレンドコーヒーに、ボリュームたっぷりのポテトサラダを具に挟んだ自家製のサンドウィッチ。勿論美味い。これで330円というのだから名古屋、そして「ラディッシュ」恐るべし。
 モーニングを食べているうち、先に来ていたカップルが帰っていった。実は彼らの座っていたすぐ後ろにテレビ、そしてビデオ&DVDプレーヤーがあり、それで過去の「水曜どうでしょう」関連映像が自由に視聴出来るようになっていると先刻“かあちゃん”から聞かされていたのだが、さすがに「ビデオ観たいんで、席変えてもらえますか」とも言えず、ちょっとウズウズしていたのである(笑)。そしてこの時点で店内に“「どうでしょう」バカ”は駒木しかおらず、チャンネル権は独占状態となっていた。晴れて障壁が霧消したという事で、いそいそとDVD-Rやビデオテープを物色する。
 まずは手始めに「東日本縦断原付ラリー」。これは後半の数回を見逃していた企画。そして未視聴かつ、テレビの再放映・DVD化が数年先になるであろう「サイコロ5 キングオブ深夜バス」全3回。大爆笑は他のお客さんに迷惑になるので、必死にそれを噛み殺しつつ、夢のような一時を満喫する。
 勢いづくと、どこまでも調子に乗ってしまうのが駒木の悪い癖。気がつけば時刻は正午前になっていた。ありゃ、これは長居し過ぎたかな……と思っていたら、“お兄さん”がやって来て、なんとカフェオレをサービスして下さった。有り難いやら、申し訳ないやら。
 
 頂いた好意は謹んで享受するのが礼儀と、物理的にも心理的にも暖かいカフェオレを飲みながら、今度は大泉洋初出演時の「うたばん」を視聴。そして、せめてもの恩返しと、ランチセットを追加注文する。出来ればでいいですから、(名物の裏メニューである)小倉トーストもお願いします、と申し添えて。
 ランチセットは、丼ものか、またはミールプレート&ライスの食事に、それに味噌汁と食後のコーヒー。食事はこれまた自家製。サラダのドレッシングまで“かあちゃん”お手製というから恐れ入る。そしてこれも美味い。喫茶店のランチというより、レストランの“昼のサービスセット”だ。
 気が付けば、一度潮が引いたように閑散としていた店内は、またも満員になっていた。そりゃこのランチを出してくれるなら、常連も着くはずである。

 食後暫くして(“かあちゃん”に「本当にそんなに沢山食べられるの?」と念を押されたw)、待望の名古屋名物・小倉トーストが到着。厚切りトーストにたっぷりとマーガリンを塗り、その上に茹でた小豆がこれまたたっぷりと載っている。
 「水曜どうでしょう」の番組企画「対決列島」で、早食い勝負のテーマ食材として特別に饗されたモノなのだが、今では来訪する番組ファンなら誰でも注文できる裏メニューと化している。あくまで「裏」なので、無理にお願いするのは反則だが、それでも「これを食べなきゃ、この店に来た意味がない」と言われるほどの名物でもある。
 食べてみると、これまた美味い。藤村ディレクターでなくても「かあちゃん、おいしかったよ」と言いたくなる味。ポイントは小豆以上にマーガリン。これで塩味を利かせているから、小豆の甘味が際立つのだ。頭では惜しいなと思いながらも、喚起された食欲は強靭で、結局平らげるのに1分とかからなかった。

 こうして駒木の幸せな一時は終わった。退店する際には、再び“かあちゃん”が厨房から出て来てくれて、「沢山食べてくれてありがとうね」とお礼を言われてしまった。
 何をおっしゃる、お礼を申し上げるのはこちらの方ですよ、と改まって言うのも何だか気恥ずかしく、笑顔で「ごちそうさまでした」とだけ言い残して店を出る。既に西へと傾き始めた眩しい日差し。吹き抜けるそよ風と共に感じた心地良さは、決して春の陽気のせいだけではなかったと思う。


 ──というわけで、いかがだったでしょうか。錆付いた指先での突貫工事だっただけに、長らくお待ち頂いた皆さんにご満足頂けるようなモノではないとは思いますが……。

 それではまた次回、今度は「デンジャーパーティ・レポ」の続きでお会いしましょう。(この項終わり)

 

“残務処理シリーズ” 第1回講義
4月15日(土) 人文地理
「駒木博士の05年春旅行ダイジェスト」(2)

 過去のレジュメはこちら→第1回 

 3月下旬頃から開始する予定だった“残務処理”シリーズですが、新学期も始まってから漸くの再開となりました。本当は新学期“まで”に終わる予定だったんですが、一度切れたモチベーションをもう1回繋ぐのがここまで辛いとは、我ながら計算外でした。せっかく区切りを付けたのに、また嫌々作業してたら意味無いですしね。
 定例講義終了後も当講座へ足繁く通って下さった方、本当に申し訳有りませんでした。昔ほどは無理ですが、精一杯頑張らせてもらいます。
 では、本文に参りましょう。例によって文中においては文体は常体、人物名は現地で実際にお会いした方以外は原則敬称略とします。


 JR有楽町駅から、東京メトロ銀座駅へ向かう地下道に降り、そこから東銀座駅への連絡通路を突き進む。数百メートル行って歌舞伎座方面の出口から地上へと出ると、雀荘littlemsnは目と鼻の先の距離にある。
 元はオヤジ向け雀荘だったという、独特の佇まいの店内に入ると、連休中だけあって既に盛況。駒木もそそくさと「駒木ハヤト」名義の会員カードと入場料を手渡す。
 この店は“通り名制”で、店員も客も会員カードの名義で呼び合う。よって、ハンドルネームを本名のように使うネットのオフ会にはベストに近い環境なのである。問題はコスプレ雀荘で麻雀してもいいという、度量が深い人がどれぐらい集まるかなのだが(笑)。

 まず、以前から当講座を受講して下さっている女子メンバーの深幸さんにご挨拶し、それから別のメンバーさんの卓で東風戦を1回。そこで「駒木」という名前が連発されるうち、こちらの存在に気付いてくれた受講生の方が2人、声を掛けて下さった。しかし、名前呼ばれてるから気付け、というのも我ながら無茶苦茶な待ち合わせ方法だったと思う。お出で下さったお二人、どうもすいませんでした。
 で、待合席でしばし歓談の後、深幸さんの卓に3人で潜り込んで“社会学講座卓”が遂に実現。麻雀を打ちながら、駒木がホスト役になって、「現代マンガ時評」やその他色々な講義の舞台裏などについてお話させて頂く。客観的に見て、物凄く濃い“場”だったと思う(笑)。
 麻雀の方は、3メンチャン待ちフリテンリーチ一発ツモという、「近代麻雀」か「漫画ゴラク」みたいな展開でトップを御無礼。上手く決まり過ぎて、逆にツキの無駄遣いを心配してしまう。

 その後は、麻雀を打っては待合室で雑談…の繰り返しで、数時間があっという間に過ぎていった。初来店だった2人の受講生さんも楽しんで頂けたようで何より。
 店を出た直後、どこかで食事でもという事になって、路上駐車許可証付きの車で来ていた受講生・Nさんのご厚意で亀戸は「ミスターデンジャー」まで移動する。後の“デンジャーパーティ・オフ”の伏線はこの時に張られていたというわけなのである。
 この時は突発的な食事会だったので、450gステーキセットを中心とする通常メニューからのオーダー。この店に行った事がある方なら分かると思うが、普段ならとても胃に収まらないような量の肉でも、楽々と食べられてしまうのがこの店の凄さであり恐ろしさ。しばらく経って、胃袋がパンパンの状態になってから突然満腹中枢が悲鳴を上げ始めるのである。胃袋に飛び込んだ斗貴子さんがバルキリースカートを発動させたような苦しみ、これは体験してみないと分からない。

 3名で1キロ以上の肉を消化した後、また車に乗せて頂く。途中でもう1人の受講生さんとはお別れし、一路、大井町「アワーズイン阪急」へ。実はここで、別の受講生のSさん(注:談話室の方でも常連さんなのですが、とりあえずハンドルネームをイニシャルにしときます)と合流して“コミケ前夜・湯上りミニオフ会”をやる事になっていたのだが、それをNさんにお話すると急遽、参加表明をして下さった。幸いにもキャンセル空室があり、晴れて3人での湯上りオフとなった。待ち合わせ時間だけ設定し、各自のタイミングで入浴して、1日の疲れと汗を流す。
 このホテルの最上階は、大浴場の他に結構な広さの談話ロビーがあって、酒類他色々な自販機が充実している。前々から、このロビーで出張族のサラリーマンの人たちが湯上りの一献を楽しんでいるのを羨ましく思っていたのだが、受講生さんのお陰で晴れて実現である。
 ただ、申し訳ないというか残念と言うか、この場に辿り着いた時点で、駒木の疲労は既にピークに達していた。しかも、胃袋が先述のように大変な状況に陥っており、この期に及んで体調は悪化する一方。何とか場を盛り上げんと夜中の1時過ぎまでトークに積極的に参加したつもりだったが、実のところ殆ど内容を覚えていない。一人旅なら何とかなるハードスケジュールも、他の方を巻き込むと迷惑の元になるな、と甚く反省。

 そして翌朝、疲れが癒えないと悲鳴を上げる体を無理矢理引き起こして5時過ぎ起床。身支度を整えて、始発の次のりんかい線で国際展示場駅へ向かう。携帯のメールを見ると、既にSさんは始発でビッグサイトに到着しているようである。
 春分の日の連休とはいえ、春用の服装で夜明け前の有明を歩くとさすがに肌寒い。面倒臭がらずに防寒具も持参してくれば良かったと後悔した。

 さて、この日の「コミケットスペシャル4」は、「24時間耐久」というコンセプトの下、一般参加者の力も借りながら24時間の内に会場設営から撤収まで済ませてしまおう……という凄まじいイベントだった。同人誌即売は何と1&2部の完全入れ替え制で、更に初期コミケで併催されていた参加者手作りのイベントも“一昼夜限定”で復活するという、正気の沙汰とは思えない「企画の煮こごり」である。
 普段はご法度の徹夜行為も、18歳以上に限り今回は公認。というか、0時以降、前日開催のイベントの撤収が終わり次第設営開始、それが出来たら併催イベントからスタート…というデタラメなタイムスケジュールなので、必然的に徹夜になってしまうというわけだ。後から聞いた話だが、実際、この時には設営参加希望者からしてNHKホールが超満員で埋まる人数が来たという。これでは「参加者到着」というより「使徒、襲来」である。
 で、明らかに使用するテーブルとイスよりも多い人数が集まってしまったため、一部を除いて殆どの参加者は屋外にて待機。数時間後に併催イベントが始まるや、暖と明かりを求めて会場に入る人もいたが、結局は同人誌を求める参加者によって通常通りの待機列が形成されたということだ。流石は日本一並ぶ事に慣れた人々のコミュニティである。

 そんな駒木も、会場に着くなり当たり前のように待機列へ誘導された。本当は第1部には目ぼしいサークルが無かったので、午前中は併催イベントでまったりしようと思っていたのだが、イベントへ誘導するスタッフもおらず、雰囲気的には「列に並ぶのが当たり前」な感じ。まぁ時には適当に流されるのも一興か、と思い、普段通り待機列の人となる。
 ただ普段と違う所は、開場前の駐車場で夜明けを待つ事も無く、すぐにビッグサイトの敷地内に入れる事、そして盆暮れのコミケよりは参加者の数が少ないという事である。まぁ少ないとは言っても、この日の来場者は5万人。東京ドームが埋まるぐらいの人数は来ていたらしいのだが、それはそれ、体重300kgの人が100kgまで減量したら「スリムになったね」と言われるようなものだ。そういう時に「でも現役時代の舞の海よりずっと重いよね」とか「あ、新日本プロレスだったらギリギリでジュニアヘビー級だ」とか言うのは関根勤ぐらいなもんだろう。

 こうして駒木は列に並んだまま即売会第1部開始の8時を迎えた。この日の会場は西館のみで、サークル数も1部あたり1700と、いつもより格段に少ない(申し込みと開催の時期が中途半端過ぎて、サークルが集まらなかったらしい)。大きな混乱も無く、参加者は目当てのサークルのスペースへと並んでゆく。
 特に目当ても無いまま、雰囲気に流されてその場に居た駒木は、これまた成り行きで「こういう時ぐらいは、普段は行けない超大手でも並んでみるか」と、同人誌界のオレンジレンジとも評される、他人の絵柄を流用して台頭した某サークルに並んでみることに。しかし殆どのサークルの列がスムーズに捌けて行く中、ここだけ旧社会党を思わせる牛歩が展開され、何十分経っても列が進まない。結局、1時間以上待たされた挙句に、スペースの机が見えた頃に完売となってしまった。なるほど、そりゃアンチも増えるわといった感じ。
 物凄い徒労感に苛まれながら、他の大手サークルを回ってみるが、各サークルとも同人誌の製作時間が確保できなかった上に、一般参加者の数を読み違えており、早々に完売・撤収しているところだらけ。この時点で、朝早起きした意義は全く失われてしまった。朝風呂にゆっくり浸かって、優雅にデイリースポーツの的外れな格闘技ページでも読みながら朝マック食ってりゃ良かったと、流石にガックリ来た。

 しかし今日1日は長い。21時までイベントは続くが、まだ昼前である。とりあえず体勢を立て直すためにも休憩しようと、ホールの外に出て缶コーヒーで一服。すると、後ろにある植え込みの奥の歩道を無表情でゾロリゾロリと歩く集団が。まるでレミングの自決ようだ。
 何の行列かと思っていたら、どうやらこれは第2部(16時開会)参加サークルの同人誌を求めるために今から並んでいる人たちの待機列、しかもコミケ準備会公式の列とは別に、自然発生的に出来てしまったモノだったらしい。で、「そこに並んでいても一生同人誌は手に入りませんよ」という衝撃の報告を受け、“本家”の列に吸収される事になったということだ。
 それにしても、朝4時開会のイベントで、その前から16時開会の即売会のためだけに並ぶ、というのも凄い話である。他人の目から見れば「良いのかそれで?」なのだが、まぁ価値観は人それぞれという事なのだろう。
それよりも第2部の待機列形成という事は、この後また列に並ぶのか、と更にウンザリしてしまった。まったく、「コミケとは並ぶ事と見つけたり」なのである。

 その後は併催イベント会場へ。全体のイメージだけ先に言うと、マンガに出てくる高校の文化祭みたいな、やたらに意匠を凝らしながらも、どことなくチープな香り漂う展示や模擬店の集合体である。飲み物を売っていると思ったらDr.ペッパージョージア・マックスだったりして、遊び心の余り需要と供給のバランスを欠いた経営方針(?)が笑いを誘う。
 西4ホールには歌のステージまで設置されて、ますます学園祭な雰囲気を醸し出していた。コスプレイヤーが濃いアニメソングで全盛期の酒井法子のような中途半端な歌唱力を披露し、その前にはドラマ『電車男』のコスプレをした大きなお友達。彼らの中には、まるでスポーツクラブのボディコンバットのインストラクターのように、機敏で派手な振り付けをビシッとキメている者も居れば、野太い歓声を上げながら絶妙のタイミングでジャンプしている者も。感想を述べるとネガティブなものしか出て来ないので止すが、まぁ自分も含めて、世の中色々な人が普段はあちこちに潜んでいるものだと思う。

 それからも色々と併催イベントにチェックを入れてゆく。日本酒を飲みながら昭和の同人誌やテレビゲームが楽しめる酒場やフリーマーケットといった“正統派”もあれば、共産主義嗜好を趣味として馬鹿にしつつ楽しんでしまおうという人々の秘蔵VTR上映会、または独り円周率を朗詠するだけの人などの“キワモノ系”まで多種多様。こういう色々な人たちが一箇所に集う事の出来る機会を与えてくれるのが“コミケ”の本質なのだな、と実感した。
 そして第1部の最後に辿り着いたのが、京都大学の何とかという研究会(1年前の事なので失念しました……)が開いた、コミケット代表・米沢氏のミニトークショー。内容は同人業界史の“さわり”の部分や、今回の「コミケットスペシャル」のバックステージの様子など。
 特に話術に長けているというわけではないのだが、実に聞き易い、理解し易い喋り方をする人だなぁというのが抱いた第一印象。しかし最後に聴衆からの質問を受け付けた時が凄かった。ちょっと濃すぎる人からの理解不能な質問というか発言が放たれたのだけれど、これを真剣に聞いていますよ、という姿勢をキープしたままで全く関係の無い話へ持っていき、しかもオチを付けて締めてしまったのである。まるで言葉の合気道というか、『バキ』の渋川先生を文科系にしたようなお方だと、心底感服仕った。流石は30年以上第一線でオタクを相手にして来た達人の凄みである。

 回れる所を全て回った所で、第2部の待機列へ。昨晩“湯上りオフ”をやったSさんと合流して、色々と喋りながら時間を潰した。
 数時間の待機の後、第2部開始。今度は朝の過ちを繰り返す事無く、超大手は敬遠して、その代わりにお気に入りの商業作家さんの壁サークルを中心に会場内を駆け巡る。やはり参加者数が少ない分だけ、ごく一部のサークルを除いては列も少なめ。普段なら10分は待たないとダメな所まで即購入可、といった具合。
 しかし、最後の1サークルで「到着遅れています。○時頃頒布開始予定」という張り紙に遭遇。某商業作品のキャラデザ担当として知名度が急上昇中の作家さんだったため、数十人の待機列が(無用の混雑を避けるため)屋外に形成されていた。
 日も暮れ、流石に外に出ていると肌寒さを感じたが、まぁ小一時間程度なら、とSさんと一緒に待機列へ。しかし、あっという間に張り紙の「○時頃」の時刻が1時間単位で次々と伸びてゆく。スタッフに訊いてみると「『今向かってます
』という連絡が入ってるんですが蕎麦屋かよ。
 さらに小一時間ほど経った所で、「これは“落ちる”かも」という見通しになって来て、遂にSさんが離脱。駒木も迷ったが、どうせ他に回りたい所も無いし、面白いから最後まで付き合ってやるか、と残留を決意する。ただ、後から“ちゃぶ台ひっくり返し大会”など、伝説級のイベントがあった事を聞かされて後悔したのだが……。

 さて、待機列に並ぶ人数は、増えた分だけ離脱する人が出る……という感じで、終始20〜30人程度をキープ。作家本人のmixi日記をモバイルからチェックした人から、どうやら「今向かってる」のはビッグサイトではなくて作業机だという事が判明すると、スタッフも「時間内に頒布が開始出来る保証はありません。覚悟の上で並んで下さい」と広報をするようになった。
 寒空の中で2時間以上待たされていると、さすがに体に堪える。たまに荷物を置いて場所キープした状態で屋内に飛び込み暖を取る。到着時刻を予告する張り紙は、もう修正する事も無く放置されていた。
 閉会1時間を切った20時過ぎになると、次々と具体的な情報が流されるようになる。
 「本当に只今、こちらに向かっているようです」
 「コピー誌の原稿は上がっています。部数も足りると思います。ただし製本が出来てません
 「ホッチキス止めしてると絶対に間に合わないので、製本しないまま“折り”だけ済ませたブツを頒布します」
 そして最後には、
 「『今、大井町駅』という情報が入りました」
 ……これには待機列に残った強者から、「うわ電車移動か! 国際展示場駅から本持って走って間に合うのか?」と悲鳴に似た声が上がる。コミケはタイムスケジュール厳守。特に今回は24時までに完全撤収しなくてはならないので、全く猶予は許されない。実際、並んでいる列の側を撤収用の車両が次々と進入して来ていた。

 果たして20時45分、列の先頭から大歓声が沸き上がる。その直後、事情を察した待機列の全員から歓声とスタンディング・オベーション。しかしそれは、ここまで粘り抜いた自分たちに対する喝采であったかも知れない。「俺たちは勝ったんだ! 人生は負け組だとしても、少なくともここでは勝った!という究極の局地的勝利の咆哮である。
 そして、駒木も製本前のコピー誌(のようなもの)を無事入手。わずか10数ページの内容の薄い本だったが、最早そんな事はどうでも良くなっていた。5万人の来場者の中で、たった数十人が体験出来た充足感こそが一番の宝物。ここまで自慢出来ない自慢話も珍しい

 間もなく時計の針は21時を指した。「コミケットスペシャル」閉会。撤収作業が進む中、会場を後にする。さすがに高揚感が無くなると強烈な疲労が体を蝕む。もう寄り道する気も起こらなかった。
 その後は、大井町駅前で遅い夕食を摂り、コンビニの立ち読みで少し時間を潰した後、JRで品川駅へ。そこから「ムーンライトながら」に乗車。アルコールの力を借りる必要も無く、あっという間に眠りに落ちた。

 ……と、ここでいつもの旅行では一気に帰神まで素っ飛ばして「完」になるのだが、この旅行はここでは終わらない。帰途半ばで半日に及ぶ寄り道をする事になるのである。次回、旅行記最終回・「水曜どうでしょう」聖地探訪編をお楽しみに。(次回へ続く


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