近ごろ開業医などが誹謗中傷に怒って行動を起こしていることでもおなじみの、Googleの口コミです。

Googleに限らずネットの口コミは私もよく参考にします。通販サイトのレビューなんかも。ただ、否定的な投稿の中には、明らかに言っていることがおかしかったり、投稿者が自分に都合よく書いているだけで実情はこんなふうなのだろうと想像できたりするものが、かなりあります。書いてあることをそのまま真に受けずに読むことができるようにならないといけませんね。特にGoogleの口コミに関しては投稿者のプロフィールも参考にしたほうがいいでしょうし。また、そもそもの話、どんな商売であろうと、どんな優良な業者であろうと、仕事の間違いが全くゼロということはあり得ませんから、否定的なコメントが二つ三つあったという程度で事前評価を下げるのは適切ではありません。

なお、ネットの口コミをそのまま鵜呑みにしないほうがいいということについては、少し関連のありそうなことを前に書いていますので、そちらもどうぞ:

私はまだそこまでの歳ではありませんが、車の運転中に注意散漫になってはいけないと思わされる場面がたまにありますので、これは今後のためにルーティン化しようかと。

この記事で紹介されている「グーパー足踏み体操」なるものを試してみましたが、私は今のところ全く問題なくこなせました。私は全然知らなかったのですが、ググってみたらこの体操はその方面ではよく知られているもののようですね。

こういう簡易な脳エクササイズは運転以外の面でも様々な効果が期待できるでしょうし、高齢になって鈍ってから慌ててやり始めるのではなく、今のうちから取り入れて備えておこうと思います。

ええ、その通りですね。その通りですよ。私刑など認められてはいけません。だからこそ、警察がちゃんと取り締まってくれなければ困るのです。

今朝久しぶりに通勤通学時間帯に車を運転したのですが、自由すぎる自転車たちには苦しめられました。警察屋さん、あれを何とかしてくれませんか。

埼玉県内の県公立高校の中になお残る男女別学校の共学化については、かれこれ20年近く前に、県の男女共同参画ナンチャラというのが「別学は人格形成の面からも問題があるから共学化すべき」とか提言したものだから、別学の生徒たちがブチキレて、特に県下の才媛集団たる浦和第一女子高が急先鋒となり「え、何よ、今わたしたちのことを『人格形成に問題がある』って言った? わたしたちを誰だと思ってるの? ちょっと知事さん、あいつらを何とかして」と土屋知事(当時)に直訴したりして、見事につぶしたものでしたが、最近になってまたその話が湧いてきたようです。

もちろん(これは当時から私はそう言っていたのですが)時代の流れというものはありますから、別学の県公立高校が共学化される方向は間違っていないと思います。ただし、当時も今も共学化を押し進めたがっている人たちは、自分たちのどこが間違っているのかが分かっていない(というか自分たちは絶対正しいに決まっているという前提で)話をするため、今回もまた共学化は進まないだろうなという気はします。

[市民団体の世話人は]共学化を訴える根拠として(1)誰に対しても開かれた公教育(2)男女共同参画の推進(3)性的少数者の権利擁護―を挙げ、「勉強するのに性別を問う必要はない。合理的な理由のない区別は差別だ」と主張した。
[Yahoo!ニュース]

言っていることがまるでハリウッドのポリコレですね。別に埼玉の県公立高校のほぼすべてが別学というわけではなく、別学はたった一部の12校しかないのですから、県公立高に入学すると別学を強要されるとかいうことではないのです。別学が嫌ならほかの学校に行けばいいだけの話でしょう。

繰り返しますが、私は共学化に反対しているわけではありませんよ。ただ、共学化推進ナンチャラの人たちの言うことが変だと言っているだけです。今も昔も。

昨日のNHK大河ドラマ「光る君へ」第15回「おごれる者たち」では、のちに平安時代の二大女流作家となるまひろ(紫式部)とききょう(清少納言)が、いよいよそれぞれの道へと歩み始めることになりました。

前半でおもしろかったのは、中宮定子のもとへ初出仕するききょうの様子でしたね。実際の清少納言の初出仕が夜だったのとは異なり、本作のききょうは真っ昼間に参内していましたが、初日から定子の美しさと優しさに心を持っていかれたというのはその通りです。あの惚けた顔はなかなかよかったですね。次回予告によればさっそく高校古文でおなじみの「高炉峰の雪」の場面が出てくるようですし、ききょう改め清少納言は雅な定子サロンでの日々を送ることになります。

一方のまひろはといいますと、ききょうが宮中デビューを果たし、弟の藤原惟規が大学寮で擬文章生まで進級を果たすのを横目で見ながら、自らの行くべき道がはっきりせず悶々としているわけです。そんなところへやって来たさわから石山寺参詣に誘われ、行った先で何と藤原寧子(藤原道綱母)や道綱と知り合うという、実にうまく話をつなぐ脚本でした。特に、そこで寧子から聞かされた「命を燃やして人を思うことはすばらしことですけれど、妾はつろうございますから、できることなら嫡妻になられませ。高望みせず、嫡妻にしてくれる心優しき殿御を選びなされ」という言葉が、これからのまひろの人生というか史実の紫式部の人生に照らしてみると、どういう悶着を引き起こす火種なのだろうかと変にワクワクしてしまいます。そして将来、紫式部は石山寺で『源氏物語』を起稿することになりますが、やはりその時は寧子の言葉を思い出しつつ筆を走らせるのでしょうか。

あ、そうそう、今回はアホの道綱がさわを相手にやらかしていましたけど、夜這いでの人違いというのは平安貴族アルアルですね。現代と違って夜は暗いし明かりがなければ顔がよく見えないわけです。さらにいえば、人違いだけど(道綱とは違って)そのままアレしちゃいましたというのが『源氏物語』の「空蝉」ですね。うーん、けしからん、実にけしからん。それはともかく、道綱よ、そういう行動を起こす前にとりあえず先に和歌ぐらい贈れよ。