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[23296] 【ネタ】猿(十二国記)
Name: saru◆770eee7b ID:b1899bc0
Date: 2010/11/06 15:28
 気が付いたら猿になっていた。いや、それは主観的事実であって客観的には今世の俺は生まれながらにして猿だったのだろう。だが、あえて言いたいと思う。気が付いたら俺は猿になっていた。
 そして今、俺はどことも知れぬ荒野にいる。俺の自我が覚醒したのがつい先ほどである為、真実であるかは分からないが、猿のおぼろげな記憶を辿るに初めはこんなところに住んでなかったように思う。確か針葉樹に覆われた所々岩石が露出していた険しい山に生まれた筈だ。けれども、ある嵐の日を境に俺はこの荒野に存在していた。
 緑のまるで存在しない赤茶けた大地、唯の猿であった俺には住み辛く、生きづらい土地であった。前世を含めてすら未知の生物が闊歩する異形の土地、そんな見知らぬ世界で本能に従って生きていた俺は死にかけていた。
 怪物どもは皆好戦的で、けれども当時まだ小猿にすぎなかった俺はそれに対する対策を何一つとして持っておらず、逃げ回るしかなかった。そう、物を喰う間もないほどに、だ。
 偶に実のなる木を発見することもあった。けれども、俺がそこに身を落ち着け喰おうとするとほとんどの場合、異形がそれを補足して俺を喰おうと襲ってくる。喰う暇がなかった。脳みそが小さすぎて真っ当にものを考えることのできなかった俺だが、それでも自分が常に生命の危機にあり続けていたことくらいは分かっていたのだ。

 逃げて逃げて、逃げ続けて、ある日俺は倒れた。恐らくは何も食っていなかったせいだろう。たまらなく腹が減っていた。そしておかしなことに気付く。化け物が襲ってこないのだ。俺はこうも無防備だというのにいつだって俺を喰おうとしてきた化け物どもが俺の近くに来ない。けれども、理由は分からなかった。
 けれども、体は動かせる。怪物がこちらを襲ってこないうちに何としても腹に何かを入れて体調を回復させねばならなかった。幸い、その時実のなる木の下にいた。見たこともない「実」をつけた、見たこともない木だったけれども、このままでいてもじり貧だったからその「実」をもごうと思い立った。
 そして襲ってきたのは強烈な忌避感。その木に手を出してはならぬという勅命。理由などない。ただ、生まれてくる以前よりこの体そのものに刻みつけられた本能としか言いようのないものがその木に触れることを俺に禁じていた。

 普通の猿であったなら、そこで諦めて別の場所へと移動しただろう。その結果が餓死か捕食かは知らぬが死んでいたとしてもだ。俺もまた、本来であればそうしたに違いない。けれども、現実はそうはならなかった。今だからこそ分かるが前世が人間だった俺はただの猿ではなかったし、何より飢えていた。故に、本能を無視することのできる壊れた生物である人間の魂を持っていた猿は禁断の果実に口をつけた。前世、今世ともに口にしたことのないような説明のしようがない味だった。けれど、甘美。思わず続けて齧り付き、その体に入るには巨大すぎるほどの「実」を一匹で食らいつくした。それも一個だけではない。何個もだ。

 小猿の小さい体に入りきる筈もないほどの量を喰らいつくして、その余韻に浸っている時にふと気付いた。この体、先程までこれほどまでの活力を有していなかったのでは?と。
 無論考えて気付いたわけではない。しかし、力尽きていた自身の体にあり得ないほどの活力がみなぎっていれば、駄馬でも気付く。それが生まれてきてからこの方その身が有したことのない量であれば、なおさらだ。
 当時まだあまり考えることのできなかった俺はない頭を振りしぼって考えた。これまでくった事のある食物でこれほどの影響をもたらしたものはいまだかつてない。もし、これを喰らい続けることが可能であれば、一体どうなるかと。決まっている。あり得ないほどの活力が手に入るに違いない。ならば、喰らうまで。
 この木の「実」は喰らいつくした。けれど、これ以外にも似たような木は道中山ほど見つけた。当時、まだ飢餓に正気をやられていなかった俺はその実に手を出すことはしていなかったが、もはやそれはない。この味を知り、その効能を知った。ならば、手を出さないという選択肢はもはや失われたに等しい。

 そうして乱獲が始まった。そしてある日、唯の小猿であった頃の俺を瀕死に追い込んだ異形と同種の獣が俺に襲いかかってきた。そして死んだ。あまりにもあっけなく獣が死んだ。俺はただ一撃、身の入っていない拳を当てただけだ。けれども、その一撃であんなにも強く恐ろしかった獣は死んだ。唯の小猿であった時より物を考えられるようになっていた俺は茫然として、その拳についた化け物の血を舐めた。旨かった、例えようほどもなく。それはあの「実」よりは不味かったものの、しかし、ただの食いものに比べれば極上の味だった。
狩りの始まりだった。至高の味を有する木から木を移動する間に点在する異形の獣、それを狩るもはや唯猿とはいえなくなった俺がいた。味としても、我が身に与える活力としてもやや「獣」は「実」に劣る。けれども、幾種もいる「獣」の肉はそれぞれ違う味を示し、俺の舌を楽しませたし、なによりも「実」では決して俺に与えてくれない満腹という感覚を「獣」の肉は与えてくれたのだ。

そうして幾星霜、ついに俺の臭いを「獣」が覚えてしまったのか、「獣」どもが俺に襲いかかることはなくなってしまっていた。そうなると日常が固定化された。「実」のなる木を巡りながら、偶に遭遇する「獣」を狩るそんな日常へと。
けれども、そんな日常もある時終わりを告げる。木の傍に人間が現れたのだ。彼は怯え、こちらに剣を向けてきた。思考することはまだ難しかったけれども、前世の記憶からそれが危険なものであることは分かっていた。だからこそ、許せなかった。この身は猿なれど、強大なる力持つ「獣」どもも畏れ道譲る至高の猿。その猿を前に剣を抜き敵意を見せるその弱者が堪らなく気にくわなかったのだ。その身を焦がす怒りに身を任せたまま、拳を振るう。そして、殺した。血を舐める。旨かった。だがそれだけだった。身に宿る新たな活力も、至高に近き味も何にもなかった。けれども、食べたことのない味ではあった。肉を喰らえば腹にも溜まる。だから、見かけたら人間を狩ることにした。
ある時、不思議なことに気付いた。人間は基本この荒野にあまりいない。だというのに偶にいすぎるほどにいるときがある。不思議に思い、それを探ってみることにした。そうして「門」を見つけた。巨大すぎるほどに聳え立つ門。そこから人間どもはこちらへと来る。ならば、こちらからあちらに行けぬ道理はあるまい。そう思い、閉じた門の前で開くのを待ち続けることにした。時折、通りがかる異形や人を喰らいながら。
そうして、待ち続けていくら立ったろうか。ある日ついに、門扉が開いた。鎧や剣を身にまとった人間どもが他の異形どもを留めんと剣戟を振るう。この猿の元にも兵士どもは来た。だが、脆弱。尾の一振りでその首は空を舞い、拳の一つで地と水平に飛ぶ。阿鼻叫喚の始まりだった。仏道に反したものが落ちる地獄も、至高の主を知らぬ者たちがさまよい続ける煉獄も、これに比べたら生温かろうというほどの阿鼻叫喚の渦。人が殺し、「獣」が喰らう。「獣」が殺し、人が逃げる。そんなことが凄まじい規模で行われる中、俺は悠々と人間の世界に入り込んだ。

気ままに荒らしまわる日々が続く。強い人間も弱い人間も、「獣」もが俺の糧だった。そんなある日、運良く一人の人間が俺の魔の手より脱出し、逃げ出した。それを追っていると人間は困惑して泣き叫んだ。あまりに五月蠅かったので、頭から丸呑みにした。そして気付く。いつもの木より太い木に実がたくさん成っていることに。いつも道理全部もぎ、喰らい、そして頭から靄がとれた。物を考えることができるようになったのだ。だから、そして澄んだ頭で考えた。これらをもっと喰らえば、もっと頭が澄み渡るのではないかと。
―――結論だけ述べれば失敗であった。それを喰らい、我が身の糧とできたのは最初の一回、後はいつも喰らっていた実よりも少ない活力しか与えてくれない上に、人間どもが必死に守るのでそこまで旨いものでもないと分かったのだ。しかも、何故か人間の世界には「獣」の出現率が少なかった。だから、門から再び荒野に戻った。
 また、幾年たちふと思い至る。人間どもは彼らにとって生きづらいこの地に来てまで何がしたかったのだろうと。だから、門を監視しながら日々を過ごすことにした。そしてある日、人間どもがまた大挙してこちらにやってきた。自分は人間どもの後をひそかに付けた。そして彼らは可笑しな山に辿り着く。調べてみると神々しい「木」が一本あった。この木になる「実」はさぞや旨かろうと思ったが、「実」がなっていない。だから、「木」が実をつけるまでしばらく待つことにした。
 そしてある時、「木」に「実」がなった。それは不思議な光景だった。いきなり出現した。そうとしか言いようのない光景だった。だが、そんなことを気にする自分ではなかった。「木」に突進し力ずくでそれをもいだ。悲鳴が上がる。人間どもだ。人間どもはあってはならぬものを見た目で、こちらを見てくる。知ったことではない。が、この「獣」はいただけない。「獣」ではなく、人間でもない異形がこちらに必死になって襲い来る。強敵であった、「実」を喰う暇もない。苛立ったのですきを突いて昔食った人間どもが持っていた鉄を取り出し、それを使い殴り殺した。悲鳴が上がる。また、異形を出されてはかなわぬので逃げだした。
 そしてつい先ほど、「実」を喰らい、意識が覚醒したのが今の自分であるというわけである。

「うっわ……」
 頭を抱える。前世で悪人ではなかったものの碌でもない人生を送ってきた俺だ。仏様に転生の折り畜生道に落とされるというのもまあありえないことではないだろう、前世の自分は葬式の時のみ仏教徒であったことであるし。けれども、現世の自分がしたことには慄きを禁じえない。このありえない生命が木に生る箱庭世界、それを前世の俺は小説という形で知っていた。小野不由美の十二国記シリーズである。そして今世の俺が飢えを切っ掛けとして為したことは最悪である。妖魔すらもが暗黙の了解の内に避けて通る里木、野木、捨身木になる卵果を喰らっていたのだ。恐らく、俺は大妖魔として恐れられていることだろう。そしてそれはあながち間違いでもあるまい。喰ってはならぬものを喰った故か、俺はもはや猿ではなく、他の別の何かに変異を遂げていたようだから。でなくば、猿が百年近くも生きられまい。
「これからどうするかな……」
 それが問題だった。



[23296] 2匹目 魔猿公
Name: saru◆770eee7b ID:4e91d614
Date: 2010/11/06 15:29
 十二国の中央、黄海の何処かに魔猿公なる猿が住まうという。
いつの時代から存在するのかは定かではないが、人界の記録によれば500年ほど前に人界に侵入、人の世を大いに乱し黄海へ戻ったとされる大妖魔だ。
 この記録から分かる通りそこまで古い妖魔ではあるまいが、けれども神代の昔から存在する饕餮などの大妖魔たちに勝るとも劣らぬ妖魔だと言われている。
なぜならば、この猿は卵果を喰う。
しかも、この猿が喰ったのは野木の卵果のみに非ず、里木、路木を含み、更には最悪なことに女怪を退け捨身木に生った卵果、即ち麒麟を喰ったと言われている。
 この猿は神通無比にして強力無双、天意に背き、現世を荒らすが故に民草はこの猿を魔猿と恐れ、また蓬山公を喰ったことより、公の尊称をつけ魔猿公と呼び習わしている。

 とにかく、そんな風に恐れられているのが俺らしかった。
「ふん」
 顎を掻き
「なるほど。それで? そんな猿に助けられた自分をどう思ってんのよ、人間」
「…………」
 答えられずに男は沈黙した。
この男の名を李真という。才国の将で昇山の為に黄海に赴き、道を共にしていた者どもからはぐれ、死にかけていた愚か者だ。
たまたま外出中に行き倒れているのを見つけたので拾ったのだ。
「魔猿公、生憎と私は寡聞にして貴方が人語を解するなどと聞いたことがない。それに――」
 李真は室内を見渡し
「これほどまでに学が深く、理性的であるとも」
そこに所狭しと並べられていた十二国の古今東西有名無名の書物を見た。
いやそれだけでない、外に出れば黄海にあることが信じられぬような田園風景がそこには広がっている――。
「貴方は何だ、魔猿公。唯の妖魔ではあるまい」
 答えず、俺は近くにあった酒瓶を手元に引き寄せ器に注ぐ。
くい、と器を干すと李真に言った。
「俺はただの猿だよ。確かに世を荒らしまわったこともあったがね、蓬山公を喰った後はそんなことをせず、この黄海の片隅にて細々と生をつないでいるだけのつもりだよ」
 そう、前世の意識に覚醒してより俺は猿としての自分の行状を恐れ隠遁した。
……いや、それは正確ではなかったか、正しくは真っ当な日本人の倫理観に照らし合わせれば、それまでの自らの行いを恥じるべきものと分かっているのにも拘らず、それを何とも感じられない自分自身こそを恐れたのだ。
それは猿から継続していた自分にとって正しいことであったのかもしれないが、しかし、日本人としての良識はそれを明らかに異常だと訴えていた。
だってそうだろう、人食いを何とも思わない人間なんて普通いない。
まあ、俺はもう猿なのだが。
「ではこれらの書は何だ。何故、近世の作の書物まで交じっている」
 そんな思索を遮って李真は質問を続けてくる。有難いことだ、この話題を考え続けていると気が狂いそうになる。
「それは黄朱の民から頂いたものだ。何せ隠遁しているとはいえ、一人住まいでは暇で堪らん。晴れの日は田畑を耕せばいいとして、雨の日はすることが本当に無くなってしまう。だから、嗜み程度ではあるが読書などをさせてもらっているよ」
 前世ではこんな難しそうな本は忌み嫌い、ひたすらゲームに走っていたというのに変われば変わるものだと内心笑った。
「黄朱の民、ですと?」
 ぴくり、と李真の表情が一瞬だけ歪んだ。だが、気にしなかった。
「ああ」
頷き
「まあ、一部は変化して人界にて得たものだがね、多くは俺が育てている食物や薬草の類と交換に黄朱から得たものだ」
「では、なぜ黄朱の民は貴方を恐れない。よもや人界に貴方を招いたのは黄朱の民か」
「そんなことあるわけがないだろうが」
 呆れ果てた、こいつはいったい何を言っている?
「では、何故貴方と黄朱の間に繋がりがあるのだ」
「お前は馬鹿か?」
 心底呆れ果てた目で見てもまだ理解せぬと見えて続けていった。
「今のお前の現状、これそのものが答えになっているだろうが」
「ああ!」
 ポンと手を叩き――次の瞬間、李真は土下座していた。
「申し訳ない!」
「は?」
「貴方と黄朱の民に勝手な妄念からありもしない嫌疑をかけるところであった」
「いや、黄朱は確かに無罪だがね、俺はちゃんと人界を荒らしたぞ?」
 何を言っているんだろうか、俺は。
「それでも」
 ガバッと李真は顔を上げ俺を真剣な目で見据える。
「貴方は私の言葉に不快感を得たであろう!?」
「そりゃ、まあ……」
 黄朱の民には色々お世話になっているのだ、その彼らにありもしない疑いを持たれたら嫌な気分になるのは当たり前だろう。
「私は貴方に助けて頂いた身であるというのに、その恩を仇で返すところであった。この身の不徳、誠に申し訳ない!!」
「頭下げんな、男が下がる」
 そんな頭を下げられても不快感が募るだけだ。
ましてやこの男に好感を感じつつあったのだから、それはなおさらのこと。
「許して下さる、というのか?」
「許すも糞もないだろうが。あんたは才国の将軍様だろうが、そのあんたが俺と黄朱の関係性に不安を覚えるってのはこれはまあしょうがないことだろう。国の為だ、まあ、本来そういうのをすべきであるのは文官であるが……、武官がしちゃならないって訳でもなし、むしろあんたが良く国のことを考えていることが分かるよ」
「…………」
「さてと」
 席を立つ。
「そろそろ湯が沸いた頃だ。薬湯を入れるからしばらく待ってな」

 そしてそれから数日間李真と過ごした。
それは決して長い時間ではなかったが、けれども濃密な時間であった。
楽しい時間ではあった、けれども、それは楽しいだけでは終わらず互いにぶつかり合うこともあったそんな時間、かつて人間だった頃は当たり前にあってけれども人付き合いというものが煩わしくて避けようとしていた時間、それを失った今になって黄金のように感じていた。
「それでは、李真気をつけてな」
「公もお気をつけて」
「この俺に何を気をつけろというんだ」
 苦笑、李真の肩を叩いた。
「全く、俺は天下万民に悪名を轟かす魔猿公様だぞ。その俺を気遣う愚か者などお前ぐらいだ」
「ええ、でもそれは当たり前のこと。だから、私はそれができない民草のことを憐れみたい」
 李真は目を伏せた。そして顔を上げると俺をまっすぐに見た。
「もし私が王になったら、魔猿公、私に仕えてくれぬだろうか?」
「はっ」
 失笑する、何をバカなことを言っているのだ、この男は。
「あり得ん、そんなことは民草が許さんし前例もない。そして何より、お前じゃ王にはなれんだろう」
「何を根拠にそう言われる?」
「先程の妄言を根拠に。そのような愚か者を天意は王とは認めんよ。この身は天地を荒らした大妖魔、猿の中の猿たる魔猿公よ。その俺を臣下に入れたいだ? バカを言え、妖魔を臣下に入れるなどという妄言、聞いたこともないわ」
「ああ、だからこそ私が先駆けとなる。貴方はただの妖魔と違い理性を持ち、そして理知的だ。そんな貴方が死にかけていた私を助けてくれたのだ。――他の昇山者と異なり、このような出会いのあった私が天意に選ばれていない訳がない」
 そう戯言を真剣に告げる李真に頭を振った。
「自前の剣も鎧も失くした将軍風情が良く言った。あんまりにも馬鹿すぎるから、その剣の代わりにこいつをくれてやろう」
 腰に帯びた剣を奪い取り、妖術を使い耳穴に入れていた鉄塊を一尺五寸ほどの長さへと戻し放り投げた。
「これは?」
「世に言う魔猿公の如意自在棍、女怪を撃ち殺した鉄塊だ。まあ、実際は伸縮自在と言われているのは俺が如意自在の妖術を心得ているからであって、そいつはただの鉄塊に過ぎんがね」
 ニヤリと笑う。
「ただ、こいつは蓬山においてはたまらないほどの不吉だ。そいつを持っているだけで麒麟はお前を避けることだろうさ。それを持ってなお、斎王となるようであれば、臣になるというのも考えんでもない」
 まあ、なる気はないがな。
「還す必要は?」
「ない。王になろうがなるまいが、そいつはくれてやる。なんせ、そいつはただの鉄の塊、代替品なんていくらでもある」
「大切にさせてもらう」
「そんな必要もないがね。まあ、さっさと行くがいい。俺はこれから収穫作業なんだ」
 あっち行けと追い払う動作をした。
李真は苦笑して
「ではまた会おう、魔猿公」
蓬山へ向かって歩き去った。
力強く、一歩一歩と。



[23296] 3匹目 斎王君・李真
Name: saru◆770eee7b ID:4e91d614
Date: 2010/11/13 19:39
「斎王になったぞ、魔猿公。約定通り私に仕える気はないか?」
「そんな約定は知らん、時の彼方に消えた。とく失せろ」
 行き倒れの愚か者が斎王になった。そればかりでなく、この黄海に隠遁していた俺に仕えろという。
「何を言うか。公は私が斎王になれば仕えると言っていたではないか」
「考えんでもないと言っただけだ。遠回しの御断りの文句だぞ、これは。だいたい貴様分かっているのか」
 凝と斎王君・李真を俺は見つめた。
「俺の手を取るということは、天下万民――少なくとも、泰を敵に回すということだ。何せ、かつて俺が喰った捨身木の卵果は代果。その所為で僅か2、3年ばかりとはいえ、泰王君が即位するのが遅れたからな、奴らにとって俺は怨敵であろうよ」
 もっとも、そのときたまたま実っていたのが代果であったというだけで、俺は戴に行ったことなど一度もない。
おまけに当時の代王がそれを知って良からぬことを思いついたのか、女仙を皆殺しにし、捨身木に火を掛けた為に更に王不在の期間は更に長引いた。
その成果は知らんが、戴の王朝の凋落が始まると、偶に俺を殺して戴の暗雲を払うのだと呪いに傾倒した王様が黄海に凄腕の兵どもを送り込んできて、結構くるものがある。
奴らは引かない、殺さねばこの身にかかる災厄は消えない。
殺したくないのに殺し、殺して覚える血の滾り、今世の俺が身も心も悪鬼の類と思い知る時間だ。
「それにお前はちゃんと家臣の許可を得てここに来たのか? 違うだろう、そうであったら何故――」
 前世の記憶を再現して作った備中鍬を李真の影に叩き込む。
それは本来であれば大地を抉っただろう。
けれども、現実には李真の影に遁甲していた使令を掬いあげ現世へと水揚げした。
「この使令はこんなに殺気立っている? 実の所お前、自分の麒麟すら納得させられてないじゃないか」
 その使令に俺は質問を投げかける。
「なあ、そうじゃないか、天犬よ」
「貴様の様なものに言われることではないが、確かに然り」
 使令は頷いた。
「主上は台輔に見出された後、直にここに貴様を迎えに来られたのだ。故、臣の誰一人として貴様の出仕など望んでいない、魔猿公」
「ああ、それでいい。いや、そうでなくてはならない。だからこそ、そう思わないお前はおかしいと思うよ、斎王君。お前の臣たちを代弁してこの使令は意思を語った。これでもなお、お前は俺が欲しいとぬかすか」
「無論のことだ。私は自らの意見を変える気はないよ」
「なりませぬ、主上!」
 使令は叫んだ。
「これなるは天意に逆らい悪徳を成す無頼の輩。台輔が下したわけでもないこの大妖を才に迎えようとは、乱心されたとしか思えませぬ! これを才に入れるということは、我ら臣下の意を無視のみならず、戴の怒りを買い、果ては天意に背くこととなりかねませぬ。太綱天の巻の一にも天下は仁道をもってこれを治むべしとあります。今の主上のなさり様はこれに真っ向から背きまする」
「だとよ」
「むう」
 李真は難しい顔をして考え込んだ。
「考えるまでもないだろう。妖魔を旗下に加えようだなんて妄想はここですっぱりと断ち切って、諦めるんだな」
「いや、そのことではなくてな」
 人がいい話をしてやろうというのに李真はそれを中断した。
「何故、お前を臣下とすると仁道に背くのだ?」
 はあ?と疑問の声を俺と使令はあげた。こいつは何を言っているのだと。
「うむ、お前達の言っていることも分からなくもない。こやつの悪行、確かに天下万民が憎悪するに値するものだ。なれどそれは遥か昔のことであろうが、今のこやつが人界に出たと聞いたこともないし、それにもはや卵果は喰ってはおらんのだろう」
「阿呆が」
 溜息が出る。
「そんなことは問題ではない。かつてした、いやこれからもし得る可能性があり、その力を持っている、そのことが問題だ。そして斎王君、そんなものを内に入れたければ、俺よりも先に臣下を説得することだ。そんなこともできぬ器には仕える気も起きん。それともお前、かつて才の将であった時の王がそんな相手であったら使える気が起きたか?」
「…………」
 顎に手を当て李真は考え込む。やがて結論が出たのか口を開いた。
「確かに、そんな王には私も仕えたくはないな」
「そうだろう」
「だが……」
 李真は戸惑ったように言った。
「それでは、私はどうすれば貴方に誘いをかけることができるのだ。人間の意見なぞ、十人十色、更に言えば私の欲するところは誰もが嫌がる妖魔の召致だ。全員が認めることなどあり得んだろう」
「ならば、こうしよう。お前が全ての臣下の了承を受けられぬと嘆くのならば、お前の最大の臣、麒麟がお前の望みを笑って承認するのならば、まあ認めよう。もっとも、臣になるか否かは俺の勝手だがね」
「なるほど、確かに公を旗下に加えたいとあらば、それくらいは成さなければならぬか」
 李真は頷き
「では公、その日までご壮健で。私がそれを達成するのを楽しみにしておられよ」
そうふてぶてしく笑った。だから俺はこう返したのだ。
「二度と来るな、馬鹿」


 また一人を打ち殺す。
「チッ、最近とみに多いな」
 辺り一面に人が地に伏せる。これらは先程まで皆熱き血潮を有していたが、しかし今その血は冷え切っていた。
皆が皆、勝ち目がないというのにこの猿へと挑みかかり、尽くが返り討ちとなった。
「どうやら、戴は今落ち目らしいな」
 じゃり、と敷き詰められた白石を踏む音がする。
振り返るまでもなく、俺はその足音の主のことを知っていた。
「李真……」
 斎王君・李真。
治世百年にも至らんとする王朝の主である。
「いや、いつものことではあるが毎度毎度こうでは芸がないな。そうは思わんか?」
「何をしに来た?」
「言わずとも分かるだろうに。いつものあれだよ」
 首を振る李真に苛立ちを覚える。
「いい加減にしておけ、高々妖魔如きを下さんがために王自ら黄海に踏み込むなど、常軌を逸しているとしか思えない。お前は自分が王だということを弁えていないとしか思えない」
「まあ、良く言われることではある」
苦笑。
「だが、少なくともこれに関して私は譲る気はないよ」
「そうかい。だが、今の時期はやめてくれ。見れば分かる通り、人を歓待できる状況じゃないんだ」
 指し示す方向には荒れ果てた大地がある。
常には黄海にあることが信じられぬような、見事なまでの田園風景が広がっているというのに、今は無残なまでに鉄靴で踏み躙られていた。
「客を置いてどこへ行くつもりだ、魔猿公」
 行動の気配を悟ったか、李真が言葉を飛ばしてきた。
「奇門遁甲の陣にまた仙が引っ掛かった」
「殺すのか?」
「当然。それとも何か、殺すなとでも?」
 からかうように問うた。
そして李真はそれには答えなかった。
「当然だな、かかる火の粉は払わねば、死あるのみだ。安心したよ、李真。お前がそのようなことを言う愚物でなくて」
 そう歯を剥き笑う俺を、どうしてか李真は気の毒そうに見てきた。
「荒れているな」
「荒れている? 俺が?」
「ああ、いつも泰然たる魔猿公はいつもこの時節になると荒れているよ」
「…………」
「なあ、魔猿公。才に来る気はないか?」
「その答えは前に言った」
「いや、そうではなく。住まいを才に変えないかと聞いているのだ」
「は?」
 唖然とする。そんな俺に李真は言葉を重ねた。
「度重なる襲撃に飽き果てているのだろう。才に来ればそのようなことは一切ないと約束する」
「何故?」
「命の借りは命で返す、当然の法だ」
「そんなもの必要ない。俺はそんなことの為にお前を助けたわけじゃない」
「ああ、これは私の自己満足だ。貴方に貸しを押し付ける気はないよ」
 不思議なものを見た気がした。
ここ百年、度々会っていた筈の相手だというのにこの男がこんなことを言うとは思ってもみなかったのだ。
 だからだろう、その甘言に乗ってしまったのは。
「そうか、自己満足か。――なら頼むよ、李真。少々骨休めがしたかった所だったんだ」
 そう笑って俺は李真に告げた。

 かくて猿は黄海より才国へと移る。
これが何をもたらすかはまだ不明である。



[23296] 外伝 猿が州侯になったわけ
Name: saru◆770eee7b ID:4e91d614
Date: 2010/11/14 11:08
 その日、斎台輔・紫微は奇妙な光景を見た。
「お猿さんが崇められてる……」
 民草はその猿に両手を合わせていた。
その猿は獣の分際で褐衣とはいえ服を着て奇妙な道具を手にしていた。
「ありがたや、ありがたや」
「どこから王様が連れてきたのかは知らないが、このお猿様は堯帝の化身じゃ」
「ありがたや、ありがたや」
「主上、一体これはいかなる事態なのですか?」
 その愛らしい顔に紫微は冷や汗を浮かべ、自らの主を振りかえる。
斎王君・李真は面白いものを見たと目を輝かせる。
「うむ、常々魔猿公は世間で言われているのとは違い、その性温厚にして人智に富むと言ったことがあったな」
「ええ、聞いたことがあります。かつてはともかくとして主上がお会いになった当時の魔猿公は温厚なるものとなっていたと。その住まいには万の書物を収め、田園に囲まれているとも」
「ああ、いい忘れていたが彼の猿公は世話焼きのきらいがあってな、きっと我が国の農作業が気にくわなかったのではないだろうか」
「はあ」
 いつの間にやら猿が大量に増えており、一斉に田畑を耕し始めていた。
しかも、百姓が歓声を上げるにつれてどんどん数が増えていく。
「主上や共に黄海に赴いた者どもの話では、魔猿公は気難しい方だと思っていたのですが」
「いいや、かなり理性的だがあれは本人も自覚している様に本性は猿だ。お調子者のきらいがある」
「なるほど」
 そして魔猿公を見る。その猿はますます調子に乗って今度は運河の整備すら始めている。
もう確実にお手伝いの範囲を超え、国策に介入している。
「止めなくて宜しいので?」
「放っておけ。どう勧誘すべきか、また直接会っていない者どもにどうやって認めさせるか悩んでいたが、このままいけば自然と仕えてることになるだろうから」
「はあ」
 伝承に曰く、彼の猿は神通無比にして強力無双、人界を荒らし天意に抗う無法の獣。
彼女の主の伝えるところによれば、その英知深淵にして仁徳を知る賢き妖魔。
どんな相手何だろうと思っていた。主上が選ばれた当初から百官の反対を押しのけてまで臣としたいと言わしめた大妖魔。
どれほどすごいのか期待していたのだが、なんというか現実は紫微の斜め上をいっていた。
 目の前の光景を見る。
分身した猿の一部が、どこから取り出したのかは分からないが書物を使いながら、子供に学問を教えている。
「民が堕落しないでしょうか」
「安心しろ、多分一週間で飽きる」
 断言、その根拠はいったいどこから来たのだろうか。
そんな紫微の疑問に気付いたのか、李真は紫微の顔を見て笑う。
「いや、魔猿公はなかなかに天邪鬼な性格をしていてな。過度に人に期待されると途端に物事に対するやる気をなくすのだよ」
「それでは国官としては非常に扱いにくいのでは?」
「ああ、間違いなく扱いにくいだろうが、同時に責任感も強いのでな。州侯辺りに任じればかなりの責務を与えることができ、且つある程度の裁量権もあるから真っ当に動いてくれることだろう」
「主上、現在全ての州侯の座は埋まっているのですが」
 まさか、罷免するということだろうか。咎もなくそれはどうかと思うのだが。
「ちょうどいい所に、この蘭州の州侯が仙位を返上したいと言ってきているのだ」
「主上、何かなされましたか?」
「失敬な、そんなことはしていない」
「ですが、あまりに都合が良すぎます」
 つい、と李真は遠方に視線を向けた。
「本当に何もしていないのだ。寧ろ、私は典敦が前々から位を返上したいと言ってくるのを何とか押しとどめていたぐらいだ」
「どういうことです」
「あやつめ、自身が仕えたのは才国ではなく先帝であると言ってきた」
「それは……」
 あまりにも不可解で、州侯としてあまりにも愚か、そう言えれば楽なのだろうがけれどもその気持ちが痛いぐらいに分かってしまう。
「代役がいなかったからこそ、典敦の希望を退けざるを得なかった。魔猿公ならば、十分に勤まると私は見ている。初めこそ妖魔であることから従わぬ者も大勢いようが、けれど」
 目の前の光景、妖魔である筈の猿をあっという間に慕った民草の姿がある。
「あやつならば、なんとかなるであろうさ」
「…………」
 主に並んで紫微もその光景を見る。
妖魔を恐れず慕って笑う人間達、そして人に慕われる妖魔。
天帝の定めを覆す、桃源郷の原型がここにはあった。
「主上」
「うん?」
 彼女の主が振り返る。
その鳶色の目が彼女を見つめた。
「貴方は私をどこに連れて行って下さるのですか?」
「私は何処へも導かんよ。ただ私が満足できる光景を作り出すだけだ。荒れ果てた黄海を緑の一角へと変えた魔猿公の様にな」
 紫微は柔らかに笑う。
「期待させて頂いても、よろしいですか」
「無論だとも」
 かつて荒れ果てていた才を立て直した主はそう応じた。

 その後、いきなり州侯に任じられた魔猿公が怒るのを李真が口先三寸で丸めこんだりなどの出来事があったりもしたが、完全なる蛇足である。



[23296] 4匹目 蘭州侯・姫公孫
Name: saru◆770eee7b ID:4e91d614
Date: 2010/11/13 20:19
女官に取り次ぎを頼み、しばらく待つ。
パタパタと音を立てて女官は俺の元に来た。
「蘭州侯、台輔がお会いになられるそうです」
 茶番だとは思うが、こうした儀礼的なものも雲上人どもには必要ではあるのだろう。
女官に謝意を伝え、その房室に入った。
「台輔、参ったぞ」
「ええ、お忙しい所をありがとうございます、蘭州侯」
 ゆるりと榻にかけながら、その金髪の女は言った。斎台輔、それがこの女を示す称号だ。
「それで、一体俺に何の用だ?」
「一つお聞きしたいことがありまして」
ゆったりとした空気の流れる房室、あまりにも穏やか過ぎるその気配の主は一つの疑問を提示してきた。
「どうして貴方は範への出兵を反対されたのですか?」
「過ぎた話題だ。それにいつものことだろう、この猿が反対することなど」
「ええ、それだけならば確かに。貴方は常に対立する意見を提示する」
「ならば、今回もそうだとは思わないのか?」
「ええ、思えません」
 斎王君・李真に紫微の名を与えられた人形の獣はその澄んだ瞳でこの猿を見透かさんとする。
「常ならば、私達に物事にある別の側面を想起させる為に貴方は意見を出す。そして、同時に貴方はその意見が入れられるか否かに興味がない。それを決めるのは主上であると貴方は一線を引いている。だというのに、今回だけは根強く反対した。主上も不思議がっておられましたよ」
 そして渇いたのどを潤す為に紫微は茶に口をつける。
その仕草すらもが美麗。こちらの視線に気づいたのだろう、何故か頬を染めた。
「あらやだ、私ったら、客人に茶菓子も出さずにいて」
 いそいそと立ち上がり、お茶と茶菓子を用意してくれる。
なんだか、物欲しそうな眼をしていたように見られて、少しだけ傷ついた。
だけど、茶菓子が美味しそうだったので結局口をつけてしまったが。
「それで公孫、どうなのです?」
 一瞬、紫微が何を言いたいのか分からず困惑する。
「何が、だ」
「先程から聞いている通り、何故貴方が此度の出征に反対したのかということです」
「…………」
 その言葉にしばし黙考する。
何故、何故か。
実の所真っ当な理由などない。
 けれども何かが、蘭州侯・姫公孫――かつて魔猿公と呼ばれていた猿に警告しているのだ、他国に兵を入れることは不味いと。
それがもはや朧気な原作知識であるのか、それとも妖魔としての勘であるのかは分からぬが。
ふと思う、たかが妖魔風情が裡で推察するよりも、この天意の獣の方がこの得体のしれぬ感覚が分かるのではないかと。
「漠然とした不安があった。この派兵が何か不吉を引き起こすのではないかというそんな予感が。なあ紫微、お前は何も感じなかったのか、天意を受ける獣であるお前は」
「何も――」
「!?」
 不意に殺気が生じた。
それに反応し反射的に紫微を突き飛ばす。
ほぼ同時に感じる激痛と喪失感、俺の片腕がなくなっていた。
「公孫!?」
 血に当てられたのか、紫微が顔を蒼白に染め叫ぶ。
「何のつもりです、雨龍!?」
 俺の片腕を喰らってくれた妖魔――使令に向かって怒りの声を上げる紫微をこちらに引き寄せた。
「どうなっている」
 答えなど期待してはいない。
「どうなってやがる。テメエら、使令の分際でどうしてテメエの主を襲ってやがんだ!!」
 答えはない。
ただ狂気に染まった視線をこちらに向けるのみ。
 俺は脚で己の毛を毟り、それを媒体として分身を作りだした。
「誰かある!」
 その上で人を呼ぶ。
「蘭州侯いかがなさり――これは!?」
 駆けつけてきた大僕が驚きの声を上げるが、気にはしていられない。
「台輔をお守りせよ。一人は駆けて応援を呼べ! 半数はこちらに、残りは皆、主上をお守りせよ、急げ!!」
「はっ!」
 紫微を兵卒に預け、自身は如意自在の妖術で復元した冬器を残った右腕にて握りしめる。
チラリと左手のあった場所を見る。
「よくもまあ、人様の腕を喰らってくれたもんだ……」
 歯を剥く。
「一匹たりとも逃さん。尽く、我が臓腑の内に納めてくれる!!」
 それは800年の昔、人界を荒らした大妖魔、魔猿公の顔そのものであった。

「そうか……」
 李真はそう零した。
「成程、天命は我が下を去ったか」
 鼻を啜る音、嗚咽が外殿を満たす。
何故、と皆が呟く。何故、天はこの聖君を見捨てたかと。
「状況から行けば、どうやら私は覿面の罪を犯したようだな。蘭州侯、卿はこうなることを予測していたのか?」
「いいや、知っていればむざむざこんな事態になんてさせんよ。俺が得ていたのは根拠もない不安だ」
「そうか」
 李真は溜め息をついた。
「卿はこれからどうすべきだと思う?」
 目を伏せる。
これを言えばこの愛すべき男は死ぬだろう、それは嫌だった。
けれども、この男を最後まで誇りたいと思うからこそ俺は口を開いた。
「禅譲するしか有るまいな。それも次の裁きが下るよりも早く」
そして死ねと言った。周囲の者の視線が痛いほどだが、最後まで言い切ることにする。
「そうすれば、少なくとも台輔は残る」
殺意すらこもった眼差し、その思いは痛いほど分かる。
「そうしかあるまいな」
 けれどそれらは李真の言葉の前に散る。
「所で猶予はどれぐらいあるか分かるか?」
「半刻もないだろうな」
「それでは、間に合わぬではないか」
「安心しろ、俺の妖術は距離をも超越する。それよりも李真、お前の麒麟をちゃんと説得しておけ、あれは芯のある女だ。お前が隠れるとならば、自分も続こうとするぞ」
「何故?」
「何一つ悔いがないからだ。奴にとってお前は無謬の王だ。咎無き王を天意が殺すというのならば、臣も従うべしと後を追うことだろう。それでは何にもならん。説得しろ」
「あー」
 李真は目を彷徨わせる。
「卿が説得をしてくれるとかはないかな。私は女人の扱いが下手なのだが」
 それは知っている。仙であった頃の妻に逃げられた話は大層有名だった。
だが、
「お前の女だろう、お前が説得しろ」
それとこれとは話が別だ。
降参と言わんばかりに李真は両掌を天に向ける。そして紫微に会うべく退出した。

 風が渦巻く蓬山の麓、そこに俺と李真はいた。
斎王君・李真、その終焉を迎える為に。
「何か、言い残すことはあるか李真。天への恨み事でも良い、聞かせてくれ」
「…………」
 李真は俺の顔を凝と見て、首を振った。
「何もない」
「無い訳ないだろう、お前に落ち度はなかったんだ。そのお前を殺した天を恨むのが筋だろう?」
「もし俺が恨み事を述べていたらどうしていたのだ、公孫」
「天界に攻め込む。この落とし前をつけてやる」
「天の在り処を知っているのか?」
「知る訳ないだろう。俺は元々、蝕によって崑崙から流されてきただけの妖魔でも何でもない唯の猿だったんだぞ。生まれながらの妖魔ならともかく俺が知るか」
「初めて聞いたぞ、それは」
「初めて言ったんだ、当然だろう」
 ふと可笑しくなって二人して笑い転げた。
しばらくの間笑い続け、やがて李真が目を擦りながら言った。
「魔猿公、本当に私は後悔していないのだ。むしろ良い終わり方だったとさえ思っている。だってそうだろうが、どんな賢君、名君であろうとも最後は自身を貫けなくなり、暗君として死ぬ、これがこの世の理だ。私は最後まで自信を貫き、そして良い時節に咎無く死ぬ。後の者たちに対しきちんと麒麟も残した。実に誇れる生き様だったと思っているよ」
 魔猿公とそう呼ばれた。久しく呼ばれたことのない称号、それでこの男は本当に死ぬのだと理解した。
「そうか……」
「ああ、そうだとも」
 蓬山を登る。
終わりが近い。
「ああ、そうだ。先程、言い残すことは何もないと言ったが、一つ訂正させて欲しい」
「…………」
 無言で先を促す。
「紫微のことをよろしく頼む。私がいなくなるとあの子は一人ぼっちになってしまうからな」
「臣下どもでは駄目なのか?」
「駄目だな、あやつらは真面目に過ぎる。麒麟としてしか扱わんだろう。それでは紫微があまりにも哀れだ。お前なら違うだろう、魔猿公」
「お前も大概だな、自分の女の世話を人に見させようだなんて面の皮が厚いとしか思えん」
「そうだとも、そうでなければ妖魔を臣とするなどという発想はできんよ」
「そうか」
 もうすぐ、終着点だ。
「じゃあ、報酬として姫公孫という名はもらうが構わんな?」
 それに李真は驚いた顔をして振り返る。
「いいのか?」
「どうせ、もう200年近く縛られたんだ。次の王がどんな輩になるか知らんが、これより長くはまずなるまいよ。それに最初はともかくとして途中からは好きで仕えていたんだ、そう後ろめたく思う必要はない」
「そうか……」
 そして別れの時が来た。
「ではな、李真。お前と共にいるのは悪くなかった」
「ああ、さらばだ、魔猿公・姫公孫。後を頼むぞ、友よ」




 弦穹六年、冬、上、範の百姓を憐れみ之を援けんと兵を発す。天帝に之に怒り、将に上を亡ぼさんとす。蘭州侯姫公孫、天意を留め一時を賄う。
 一月、上、蓬山に赴き許されて位を退く。上、蓬山に崩じ、葦陵に葬る。斎王たること三百二十有一年、謚して遵帝と曰う。

『才史李書』





[23296] 5匹目 斎麟・紫微
Name: saru◆770eee7b ID:4e91d614
Date: 2010/11/28 20:56
 才国、宰輔・斎麟は次なる才州国の国主を見つけるまでに実に7年もの時を必要とした。
通常ならばこれほどの年月を経れば、国は滅ぶほどではないとはいえ荒れる。
けれども、現実の才国は沈んでいなかった。
通常、王のいない国は陰陽の理が乱れ、天変地異が起こり、妖魔が湧く。
無論のこと、才国も例外ではない。けれどもこの国においてそれらは大した問題とはならなかった。
魔猿公。先帝が一匹の大妖魔を旗下に迎え入れていたためだ。
 蘭州侯・姫公孫の名を先帝より下されたこの妖魔は、王不在の才国に出現する妖魔の尽くを湧くが早いか退治し、陰陽の理が乱れたことにより起こった天災に対し変化の術を使い、嵐のときには堤となり、日照りの時には雨と化し民を救った。
 故、王が7年居らずとも大した問題とはならず才は繁栄を続ける。
才の民は語る、遵帝によってこの才は不滅となったと。
 王無きままで大国であり続けた才国、だというのに皆が望んだ新王当極から僅か5年にして台輔は失道し、才は沈もうとしていた。

 蒼白な顔をして紫微が衾褥に横たわっている。
彼女は身の回りの世話をする女官が一人としていなくなったのを確認すると、虚空に呼びかけた。
「公孫、いますか?」
 本来ならば無意味な独り言であろうそれだが、けれどここには彼女一人ではなく俺がいる。
「問われるまでもない」
 この場に存在するのは体毛を媒介とした身外身の術による分け身に過ぎぬが、常に紫微の影に遁甲し続けるそれを通して俺は答えた。
「それで、何用だ?」
「おわかりでしょうが、終わりが近い。長くは持たないでしょう」
「一月もてば奇跡ではあるな。見た所あと半月、いや一週間といったところか?」
「半刻も持たないでしょうね」
「何故?」
 それはありえないと俺には断言できた。
なぜならば、この女が使令を失ってより常に分け身を使い守護してきたのだ。
この女がいったいいかなる状況にあるかなど本人よりも分かっている。
故に問いかけの一言が出た。
何故だと。
「だって、私はここで貴方に食べられるのですから」
 さらりと言われた言葉。けれど、俺には何を言っているのか理解できなかった。
「今何と?」
「私を食べなさいと言ったのです、公孫。死しても残る者はあるでしょうが、生きている方が我が身に宿る力の吸収の効率は良い筈です」
 淡々と目の前の麒麟は信じられぬことを言った。
「…………」
「正直、あと半月も主上の為に苦しみたくはない」
 そう仁獣である筈の獣は嗤った。
その美麗な顔はひどく歪み、妖魔もかくやと思わせる形相であった。
けれどその表情はすぐに崩れ、顔を手で覆う。
「苦しむのならば、あの方の為に苦しみたかった。――どうしてあの方を奪った天の意志に従って、新たな主上の為に苦しまなければならないのですか。あまりに理不尽だ。あの方は苦しむ民を助けたかっただけだというのに」
今更それを言っても仕方ないだろうに。いや、或いは今だからこそ言えるのか。
本来麒麟とはその性、善にして情理を解する獣。
故に憎む、などの行為は行えない。
今、彼女の身に起こっている失道という状況にでもならなくては、だ。
「憎いのか?」
「ええ、憎いです。あの方を奪った天も、あの方の築いた才を滅ぼす主上も、それを止めることができなかった者達も」
「俺もか?」
「…………」
 どろりと重苦しい情念で濁る瞳を紫微は俺に向けてくる。
しばしの沈黙の後、紫微は首を振って俺の問いかけに答えた。
「分かりません」
 無言で続きを促す。
「憎くないと言えば、嘘になるでしょう。けれど、貴方はあの方の望みを叶えて下さった。それが例え私の望みと反することであっても、貴方はあの方の意志を尊重した。ならば、あの方の臣下としてどうして貴方を憎めましょうか」
 もはや、目の前の女は麒麟ではないのだろう。
この女は今の自分が得ている望まぬ苦しみが李真の望みに端を発していると分かって、罪のない他者に八つ当たりをしている。
李真はこの女がこの様に苦しむことなど分かっていた。
俺もまた知っていた。
けれど、李真の望みを叶える為に、俺たちはある意味でこの女を切り捨てた。
李真は王として、また男として紫微を生かしたかったからこの女の意志を無視した。
これはその結末である。
「ならば、李真の意志を尊重する俺が、お前を喰らうわけがないということも分かっているな?」
「でも、それでは貴方に利点がない。私も苦しまなければならない」
「知ったことか。この猿が損得や他人の都合で動くと思うな。我は猿の中の猿、魔猿公とも呼ばれた至高の猿よ。道理など知らん、俺は成したいことを成したいままに通す。だから、お前は苦しんで死ね。死んだら荼毘に付して李真と同じ棺桶にぶち込む予定だからな」
「え?」
 驚いたように紫微は俺を見た。
「何を驚く。俺は李真から女の世話を頼まれた。ならば、あいつの女だ、同じ墓に入れるしかないだろう。冥府で爛れた生活でも送るがいいさ」
「は、ははは……」
 紫微は泣いた。
「ははは、それじゃあ、もうちょっと苦しまなければいけませんね。ええ、公孫、貴方の言う通り冥府ではあのお方と蜜月を過ごすことにします」
笑いながら。
「そうしろ」
「ええ、そうさせて頂きます」
 だって、と紫微は言葉を切り。
「私はあの方の女なのですから」
そう笑って言ったのだ。



 紫微が死んだ。
そのことを宮中の誰もが知らぬ中、俺は采王――李真が覿面の罪を犯した故に国氏が斎から采に変わったのだ――に会いに行く。
「それで猿州侯、如何なるようじゃ?」
 白髭を生やした禿頭の老爺、元々はどこぞの里の閭胥に過ぎなかった男だ。
名は知らない。
何度か聞いたような気がするが、興味がなかったので覚えなかったのだ。
「暇を請いに来た」
「な……!?」
 開口一番の台詞に采王は愕然としている、何故だろうか?
「何故じゃ!?」
 こちらの内心の疑問に采王は答えず、逆にその困惑を吠えてきた、何故だと。
何故、か。
「紫微が死んだからな、もうこの国に用はない」
「紫微……?」
 采王はその名が示す者が分からず困惑する。
当然だ、この男は李真が斎麟に下した字を知らない。
一度として最後の斎麟に字があるかを問うことなく、ずっと斎麟の呼び名で通してきた。
まあ、それも仕方ないことなのかもしれない。
 紫微の字を知る者はあまりに少なく、傍仕えの女官ですら恐れ多くて字で呼ぶことはなかった。
だから知る機会がなかったといえばそれまでとなる。
「斎麟のことだ。躯は傷一つとしてなく仁重殿にある。綺麗なもんだよ、あの子の使令はあの子を護る為にみんな殺したからな。ついでに一つ提言しときたいんだが、あの子はこのまま荼毘に付して葦山に封ずるが良いと思うが如何か?」
「待て」
 血の気が引いて蒼白となった顔に脂汗を浮かべ、采王はこちらに言葉を放ってくる。
「それは何か、猿州侯、お主は台輔がなくなった故、儂を――引いては才を見捨てるということか。遵帝登霞の後も才州国を守護し続けたお主が!?」
「まあ、そういうことになるな」
 軽く頷くと采王は血走りの走る目を剥き出しにし、激昂した。
「何故だ! 天意のみならず、何故お主まで儂を見捨てるというのだ!! 儂に玉座にある資格がなかったならば何故天は儂を選んだという!!」
 絶叫だ。
僅か5年、けれども五年もの長きに渡り玉座に縛り付けられ、どんどんと沈んでいく国を見続けさせられてきた男の叫びだ。
 答える必要などない。
なかったが、気が変わった。
「お前は何か勘違いをしているようだから、いくつか教えてやる」
 まず人差し指を立てる。
「まず、第一に俺はそもそもお前にも才にも仕えた覚えはない。元より猿州――かつて蘭州と呼ばれていた地の州侯の座は李真に嵌められた所為で、いつの間にやら、なっていたものだ。まあ暇だったから何となく続けていたけどな、あの男がいなければそもそもこの国に居る理由はないよ」
「では何故、今の今までお主はこの国にあった? 才に愛着があったのではないのか。それとも何か、台輔に懸想でもしていたというのか」
 フンと鼻で笑う。
共に笑止、そのような理由ではこの猿は縛れない。
「この国に残っていたのは、一重にあの阿呆に女のことを頼まれていたからにすぎない。他人の、それも尊敬できる男の女に手を出す趣味はないよ。まあこの国、特に猿州に愛着はあったがね」
「ならば、何故!」
「――それとこれとは話が別だろう?」
「なっ……」
 理解できぬものを見たかのように采王は震えた。
無視して、中指を立てる。
「第2にお前はさっき、玉座を預かる資格などなかったと言ったがね、それはあり得んよ。お前には間違いなく、王たる資質はあった」
「あり得ぬ! そうであれば何故、大国であった才がたかだか5年で沈むというのか!」
「そりゃ、お前」
 ボリボリと頬を掻く。
「李真の後だったからだろうが、ほとほと運がないな」
「遵帝の後であったからじゃと?」
「ああ、俺や紫微を筆頭として、あいつの代からの臣下は皆、才じゃなくてあいつ個人に忠誠を誓っていた。だからどうしても王というものに李真の影を求めてしまう。お前は李真じゃないのにな。それで、勝手に失望して誰一人としてお前を認めない。そりゃいくらお前に名君たる資質があろうと国は沈むさ。天意も同様だ」
「は……」
 壊れたかのような笑みを采王は浮かべた。
「ははは、何だそれは……。何だそれは!? それでは儂のこれまではいったいなんだったという! 天意に選ばれたからこそ、玉座についたというのに、何なのだ、それは!!」
 憤怒の声。
崩れた表情を隠すために、采王は顔を手で覆う。
しばらくの後に、それが除かれた時にその瞳には炯炯たる光が宿っていた。
獣性を感じさせる光だ。
 かちりと鯉口を切る音がした。
「俺を殺す気か?」
 白刃が走る。
「面白い」
 まずは小手調べと参ろう。
本来ならば、踏み込みからの一撃にて殺害するがこの猿の業。
なれど、今それをするは無粋。
魔猿公と恐れられていた頃であれば別だが、今の自分は誇るべき男より姫公孫の名を与えられた空前の猿。
なれば、技を交わし、その上で超越することこそが我が誉れ。
故、最初の数手は譲るとしよう。
 剣線を見切り、ふわりと後方へと飛ぶ。
まさに紙一重、薄皮1枚を断ちかねぬ距離にて回避する。
続く上段からの袈裟掛けは半歩立ち位置をずらすことで掠らせもしない。
更なる追撃は下段からの切り返し。
「許すものか……」
 その全てが並大抵のものではない。
元がどこぞの里の閭胥とは思えぬほどの剣のさえ。
「絶対に許すものか! 儂の性はそのような下らぬことで終わるとでもいうのか!」
 避ける、ずらす、避ける。
飽きた、本当は100手ほど譲ろうとも考えていたが、もうめんどくさくて堪らない。
 采王の続く一手――大上段よりの斬り下ろしを完全に無視し、ゆるりと一歩進む。
「何ぃ!?」
 すり抜けた。
少なくとも采王にはそう見えたことだろう。
実際はただの体捌きにすぎぬそれだが、けれどあくまでも常人の範疇に収まる程度の武人にすぎぬ采王ではそうとは分かるまい。
 ポンとゆるく握った拳を采王に当てる。
「がッ!?」
 その一撃で采王の体は崩れた。
追撃は行わない、ただ静かに見降ろすのみ。
「何故じゃ……」
 采王より悲哀が零れる。
「何故殺してくれぬ」
 思わず同情したくなる、その声。
だが、
「知ったことか」
そう、知ったことではないのだ。
「どうせ、麒麟は既にない。お前は遠からず死ぬのに何故俺が手を汚す必要がある?」
 この上ない侮蔑、もはや怒る気力もないのか采王は視線を上げることはなかった。


それからのことを話そう。
まず、紫微だが彼女は国葬された。
荼毘に付された後、その灰は遵帝の墓へと納められた。
これは現王が強く望んだからだという。
 その王は、それ以後失意のうちに死亡。
諱をして失王という。
どうやら国と猿とを同時に失ったせいらしい。
 それまでを人に変化したままで見届けると、俺は200年ぶりに黄海に戻る。
一度として何かを得ることのできなかった王に哀悼の念を捧げながら。



[23296] 6匹目 延麒・六太
Name: saru◆770eee7b ID:4e91d614
Date: 2010/12/04 23:05
 才国より黄海に戻ってより、度々神仙の訪れが我が庵にあった。
妖魔に対する彼らの用事など碌でもないと相場が決まっているので、こちらとしてはできれば来て欲しくなぞなかった。
けれど奴らは庵にかけた奇門遁甲の陣を突破して我が下へやってきた。
 その多くが地仙、沈みつつある自国を救わんとする心ある官僚たちだった。
何せこの身は玉座が空白であった才国を沈めずに済んだ最大要因である大妖魔、それも麒麟による調伏でではなく遵帝の言葉によって、王に従いし仁道を知る存在だ。
話が通ずるのであらば、説得し自国に招かんと言わんばかりに奴らはこの猿の元へとやってきた。
 正直迷惑であり、やめて欲しかった。
礼節を知らぬ愚か者相手であれば、こちらも無礼で返そう。
されど、礼を知る者どもに対してはどう対処すればいいというのか。
彼らは個の獣の元へ心づくしを持ってきた上で、自国の窮状を訴え、この猿の助力を請う。
俺に返すことができる答えは一つきりだというのにだ。
 李真にすら百年の時を掛けて仕えた、だというのによく知りもしない人間の為に国に使えることなどできる筈がないではないか。
それはわが友を汚す行為であり、同時にこの身の至高の猿たる自負が安易に人に使えることを良しとはしないからだ。
 けれど遠いかつて、もはや親兄弟の顔すらもが思い出せぬほどの昔の良識がそれを咎めた。
日本人であった頃の意識が自身を苦しめる者ならばともかく、一般人を見捨てるなと叫ぶ。
なれど、同時にこの身は既にして妖魔、それも幾百の年月を超えた大妖魔・魔猿公である。
それが己のなすべき行動を変えることを禁じる。
そして従うべきはかつての己ではなく、現在の自分である。
決定と良識、人と妖の狭間で心が軋みを上げるのだとしても、己が成すべき行動を変えることはこの猿にはできなかった。
 だからといって、軋みが切れるわけでもなく、彼らの来訪は俺の精神衛生上非常に悪いものだった。
幸い彼らは王が倒れた後にしかやって来ない。
いわば俺は溺れる者が縋る藁なのだろう。
 だから十二国いずれかの王が倒れると、仮朝が立ち国が安定する程度の時期になるまで呉剛門を開き蓬莱――日本に逃げ出すことにしていた。

 分身の一つを藍染の着流しに変化させる。
自身はひょろりとした男に変化する。
そうして完成するのは、いかにもうだつの上がらないといった風情ののっぽの男だ。
ちなみに背丈が高めなのは前世、今世を通してやや小さめの体躯であるからでは断じてない!
まあ、それはともかくとして俺は街へと向かうことにした。
 初めに訪れたのは質屋。
俺は長い年月を過ごす間に手に入れた装飾品の一つを質に出す。
それは見事な品であったが、質屋の店主はそれを乱雑に掴むとじろじろと眺め、本来の価値より低めである値を告げた。
足元を見られているのだ。
 おそらく、コソ泥の類が盗品を売りに来たものと思われているのだろう。
それもむべなるかな、今の自身は白髪交じりのうだつの上がらない男、こんな上等な品を持っているとはまかり間違っても思われぬであろうから。
 それを踏まえて考えれば、そう悪い値でもない。
揉め事を起こしたくなかった俺は頷き小金を得た。
 金を懐に入れ、久方ぶりに訪れた街をぶらりと散策にする。
ふと見覚えのある顔を見付ける。
「もしや、六太か?」
「?」
 呼びかけるといぶかしげな顔をして少年が振り返った。
「あれ、おっちゃん?」
目を丸くした後に人懐っこい笑みを浮かべた。
「随分と久し振りだ」
「ああ、そうだな。所で六太、こちらへはいつ?」
「んー、ついさっきだな」
「そうか」
 じゃらり、と俺はわざとらしく音を立てた。
六太の目の色が少し変わる。
「久方ぶりだ。積もる話もある。ちとあそこで茶でも飲まないか?」
 勿論、六太に否やはなかった。

 次から次へと店員が俺たちの座る席へと茶菓子を運び、皿がどんどん積み上げられていく。
六太の食べること、食べること。
先程、小金を得たばかりだというのに既に懐の心配をしなくてはならなくなっていた。
「ふう、喰った、喰った」
 満足そうに六太は腹を撫で擦る。
それを俺はじとりと見た。
「奢りとは言ったが……、少しは遠慮というものを知らんのか」
「んあ?」
 爪楊枝で歯と歯の間に挟まった喰い滓を取り除いていた六太はいぶかしげにこちらを見た。
「いいじゃねえか。どうせおっちゃんが、金なんか持ってても本にしかなんねえんだから。おれの腹には言った方が有意義だろ?」
 この小僧はどうやら本の価値を知らんらしい。
「それを決めるのはお前じゃなくて俺だし、だいたい今回は旅費にしようと思っていたんだぞ」
「へっ?」
 六太は驚いた顔をした。
そして申し訳なさそうにボリボリと頭を掻いた。
「あー、ごめんな、おっちゃん」
 あまりにもしおらしく言われたので笑ってしまった。
「いや、気にしなくてもいい。よくよく考えれば、今回旅費にすることはお前に伝えてなかったからな。こっちの不注意もある」
「だけど……」
「それに、まだ金を手に入れるアテはあるさ。六太がそう気にすることでもない」
 ガシガシと頭を撫ぜた。
少し六太は嫌そうな顔をする。
「ちょ、やめろよ、おっちゃん」
「あー、すまんな」
 くすりと笑って手を離した。
六太は唇を尖らしている。
「たく、もう俺は子供じゃないんだぞ?」
「そりゃ、戦国の世から生きてんだ。当たり前だろうが」
「分かってんなら子供扱いしないでくれよ」
「すまんね、こればかりはどうもならん」
「だーあ、もう!」
 その姿を見て愛らしいと思い、同時に哀れだと思う。
六太は麒麟だ、紫微がそうであったように、永劫王に縛られ続ける。
それが箱庭世界の天帝の望みなれば。
「六太」
「なんだよ」
「生きるのに倦んではいないか?」
「…………。なんだよ、珍しい。もし倦んでいたらどうだっていうんだ、蓬莱の妖魔」
 六太の影から向けられる強烈な殺意を無視して告げる。
「後腐れなく、お前を本来のあるべき形に戻してやるよ、狭間のヒト」
「…………」
 しばし六太は考え込む。
その上でしっかりと俺の目を見て言った。
「所為に倦んでいないと言えば嘘になる。だけど、まだ死ぬ訳にはいかない」
「何故?」
「責任がある。与えたのはおれだ。なら最後まで見届けてやらなくちゃならない。だから、その温情を受けるわけにはいかないんだ。そっちの方が楽だと分かっていてもな」
「なるほどな」
 あいつとは違う。
まだこいつは絶望していない。
「ならば、俺が口出しすることでもないか」
「そういうことだ。まあ、気持ちはありがたいんだけどな」
「そうか」
 これは元より口出しをすべきではなかったこと。
ただ、俺が殺してやれなかった彼女と六太を重ねたそれだけの話だ。
「それなら良いんだ」

 呉剛門を細小範囲で開く。
変化し潜り抜けた所で違和感、大気が綺麗すぎる。
向こうが穢れ過ぎていたか、或いはこちらが清浄すぎるか。
恐らくは両者、なぜならばここは幾年かぶりの天帝の箱庭だからだ。
 指を唾液で湿らせ大気を探る。
黄海へ向かう龍脈を発見、風遁を以って同化し一瞬で懐かしの我が家へとたどり着く。
「ん?」
 張られている結界に違和感。
これは俺の張った物ではない。
では何者か、分かりやすい術の癖を見てとる。
「更夜か」
 犬狼真君の号を持つ男、駁更夜の癖と見て取った。
しかし、珍しいものもあるものだ。
好きに使えとは言ったが、あの男が人のいないこの家を使おうとするとは。
 するりと結界を越えると思った通り、庵に明かりが付いていた。
近場の木には駮が繋がれている。
「? おや?」
 もう一度見直す。
しかし、近場の木には駮が繋がれていた。
護るようにろくたが傍にいる。
「あいつが妖獣に乗るだと?」
 あり得ない、宗旨替えか?
……まあ、いい。聞けば済む話だ。
 そして庵の扉を開け、また驚く羽目になった。
「ああ、お帰り、魔猿公。家を使わせてもらっているよ」
「別にそれは構わないが、犬狼真君これは一体?」
 男と女がいた。
共にぽかんと口をあけて、お椀を持っている。
共に唯人だ、男の方からは微かながらに血の臭いが漂う。
 彼らを指示し、駁更夜は言った。
「恭州国の昇山者だそうだ」
「なに? まだ決まっていなかったのか、あそこは」
「さて、もうそろそろ終わりそうだけどね」
 含みのある視線をちらりと更夜は少女に向ける。
少女は気付いていないことだろう。
 だが、かつて所属した国の者ではないとはいえ、王たるものに無礼は許されまい。
「お初にお目にかかる。我は姓を姫、名を公孫、号を魔猿公という。御身らの名を伺いたい」
 そう問いかけるとワタワタと少女は慌て、そして名乗った。
「えっと、あたしは珠晶、あちらは頑丘、黄朱の民です。……魔猿公って本当に!?」
 なんとか、珠晶は名乗りを上げた後、驚きの声を上げた。
ちらりと頑丘と呼ばれた男を見れば、こちらも驚きに目を丸くしている。
「無論だ。崑崙の伝説と混同されて斉天大聖とも呼ばれることもあるがな。少なくても、魔猿公という号を持つ猿は俺以外に聞いたことはないな」
 チラリと見やれば更夜も頷き
「わたしも君以外には聞いたことはないね。それと彼にも固くなる必要はないよ」
と言った。それを聞いた珠晶はさらりと言い放つ。
「じゃあ、そうさせてもらうわ」
 随分と肝っ玉のでかい少女だと驚いた。
普通、安全だと分かっていてもこの猿と初めて遭遇した人間はこの様な行動がとれないというのに。
なるほど、これが次代の供王か。
実に面白い。
 その後、しばし会談する。
「そう言えば、魔猿公と真君はどのような関係なの?」
 そう問いを投げかけたのは珠晶だ。
だが、おい、珠晶、と頑丘が声をかけたことでハッとして
「あ、やっぱりなんでもない」
と先程の発言をなかったことにしようとした。
けれど、それでは面白くない。
「犬狼真君、これぐらいのこと、そういやそうな顔をしないで答えてやればよいだろうに」
 そう茶々を入れると、更夜は困った顔をして
「わたしが答えられないことを知って、それを言う君は意地が悪いよ」
「まあ、意趣返しと思え」
 笑い、
「こいつの為にまあ、概要だけにして言うと、まあ、こいつは天帝の命を受けて俺を天仙にしようとしているわけだな。それにしてはやる気がないがね」
「君が望んでいないことを強要するわけにもいかないだろう?」
「え、どうして?」
 純粋な疑問が珠晶の目に浮かぶ。
どうして、か。
珠晶には一生分からぬことだろうし、分かる必要もないことだ。
だからここはお茶を濁すこととしよう。
「俺は至高の猿。天帝風情には従えぬよ」
「なによそれ、自意識過剰でしょ」
「そうでもなければ、彼は彼ではないさ」
 更夜が笑う。
そうして夜が更けていく。

 翌朝、更夜は珠晶を連れて庵を去った。
一夜の礼を告げて。
珠晶とは奇妙な縁が結ばれたようだが、まあ、仕える気は起きなかった。
それに彼女も俺を従える気は起こさないだろう。
ふざけたつもりでも、どうやら俺が李真のことを未だ引きずっているのを昨夜のやり取りであの敏い子供は築いた様であるから。
心優しい彼女はこの身を従えようとは思うまい。



[23296] 7匹目 海客・中嶋陽子
Name: saru◆3f7abc8f ID:4e91d614
Date: 2011/04/01 17:03


 黄金の気配を感じた。
鍬を置き、千里の彼方に意識を飛ばす。
麒麟。
本来、蓬莱山か、各国に存在していなければならぬ神獣が黄海にやってきている。
 はて、と自問する。
今現在、幼い蓬莱公は存在したかと。
少なくても、俺の覚えている限りではいない。
ならば、これは魔猿公の威を知らぬ若き神獣の無謀なる挑戦ではない。
何か明確な目的を持ってこの地にやってくる相手だ。
 囁くように告げた。
「如何なる御用か」
「!?」
 千里の彼方にある麒麟がびくりと震え、周囲を見渡した。
囁きにすぎぬそれは、木霊(こだま)によって千里の彼方へ運ばれたのだ。
千を越える時を生き抜いた妖術使いであるからこそできる小技である。
「この地は神威の届かぬ試しの地。御身は既に主を頂く麒麟であると見受けるが如何か?」
 すう、と麒麟は息を吸うと近くにある叢雲に乗り、転変する。
現れたのは金の髪を持つ女、麟である。
雲上に立つ女はどこか張りつめたものを感じさせる声で答えた。
「甚大なる霊威を示されるお方、あなたの身辺を騒がせる無礼、詫びさせて頂きます。私は巧州国宰輔、塙麟。主の命にてこの地に住まわれるという先の蘭州侯にお目にかかりに参った者です」
「ほう?」
 随分と面白い口上だった。長いことを生き、様々な名で呼ばれてきたが、『先の蘭州侯』と呼ばれた覚えはあまりない。
もっぱら魔猿公、あるいは先の猿州侯とばかり呼ばれてきたためだ。
だから、ついこう返してしまった。
「貴女はなかなかに興味深いお方の様だ。宜しい、奇門遁甲を解く故、我が庵に来ると良い。茶の一杯は馳走しよう」

 琥珀色の茶をティーカップに注ぐ。
「これは?」
「この前、蓬莱に行った時に手に入れたもんだ。いや、蓬莱の貴人が飲んでいる光景が中々に様になっていたんでな、今度客人が来た時にでも使用しようと思ってたのさ」
 ざっと百年近く前、現在の供王君が誕生した頃のことだ。
貴人に仕える従者の動きがあまりにも見事であったので、それを真似したかったのだ。
 そう言うと塙麟は目を瞬かせ、こちらと手元の紅茶を見た。
笑い、
「世に名高き、先の蘭州侯がそのように俗事じみた方とは思いませんでした」
「俺は元からこの様な存在だが、失望されたかな?」
「いえ、貴方はそれで良いと思います」
 そう言うと、塙麟は一口ティーカップに口をつけた。
おいしい、と女は笑った。
「それで、主を頂いている麟がはるばる黄海にきてこの身に何の御用かな?」
「…………」
 本題を投げかけると途端に女は俯いた。
いやな予感がする。
けれど女は言うべきではないと分かっている顔をしてそれを告げた。
「私は主上の代わりとしてここに参りました。これから伝えます言葉は御身にとって大変耳障りであることは分かっておりますが、主になり替わりまして御身に願い奉ります」
 一息。
「主上はこう申しました。我が国に災いをもたらす焔の如き髪を持つ海客を御身に打ち取って頂きたいと」
「はて」
 嗤って返す。
「どうも俺の耳は悪くなってしまったようだ。今何と申されたかな、塙王君の名代殿。俺の耳がおかしくなっていなかったとすれば、この猿を凶手として雇いたいといったような気がするのだが、まさか仁獣たる御身がそのようなことを申されまいな?」
 妖魔としての本性を剥き出しにして、撤回しろと告げる。
けれど、顔を青くしながらも金の女は首を振った。
「いいえ、先の蘭州侯、貴方の耳は何一つとしておかしくはなっていません。私は一字一句違えず主上の言葉を御身にお伝えいたしました」
「ほう……」
 嗤う。
「では、死ぬか?」
 伸縮自在の法で取りだした冬器をつきつけ告げた。
それに塙麟は目を伏せた。
「例え、私がここで討たれようとも主上は止まりますまい。天意に逆らうと知ってなお、主上は大逆を成そうとなされている」
 その姿に殺す気が失せた。
「失せろ」
 白けた声でそう告げた。
「仁獣が粛々と悪行に手を貸すから何事かと思えば、遠回しな自殺か。趣味の悪いことだ。それが人を巻き込むとなればなおのこと。案外、貴女の主の蛮行もそれじゃないか?」
 パンと手を叩くとその場より塙麟の姿が失せた。
奇門遁甲を用いて万里の果てへと放り出したのだ。







「死ぬんだ。飢えて疲れて首を刎ねられて死ぬんだ」
 蒼猿が凶言を放つ。それに陽子は渾身の力を込めて剣を撃ち放った。数多の妖魔の血を啜ったその一閃は過つことなく蒼猿の頭を胴体と泣き別れさせることだろう。
「もったいないな、おい」
 その介入がなかったらの話だったが。
 流水のごとく透き通る刃を止めたのは鈍色の塊だった。鉄塊をつかむのはこれまた猿であった。その猿の体毛は蒼猿と異なり常識の内にあったが、けれども唯の獣ではあり得ぬことに服を着ていた。品こそは陽子が来ているような襤褸であったが、しかし妙に妙に違和感がない。
 しばらく様子をうかがっていると、猿はぎょろりとどんぐり眼を陽子に向けた。
「おいおい、確かに俺はお前さんの邪魔をしたがね。そう身構えられると、ちと傷つくんだが」
 気付けば陽子はいつでも斬りかかれるように身構えていた。これはケイキに付けられた異形のせいだけではありえない。陽子自身がこの猿に脅威を感じていたために知らずの内に構えていたのだった。
「あなたはなに?」
 今にも打ちかかろうとする体をその場に留めるのに多大な労力を使いながら、陽子は猿に問いかけた。するとふむ、と顎に手を当て猿は首をかしげた。
「何者か、か。妖魔・魔猿公といってもお前さんに分かる訳はなし。……まあ、今回はこう名乗っておこうか。おまえさんを害することをとあるバカに依頼されたものだと」
「ッ!!」
 全身の筋肉を緊張させる。先程の一合で陽子は自身がこの猿に圧倒的に劣ることを悟っていた。多くの死線を潜り抜けたとはいえ、所詮陽子は長年平和な日本というぬるま湯につかってきた一般人に過ぎない。
それがこれまで、妖魔とやり合えてきたのはケイキのつけた異形のおかげだ。しかし、姿を見せずとも分かる。明らかに陽子に付けられた異形はこの猿を恐れていた。
「ああ、そう恐れずともいい。依頼はされたが受けた訳じゃないんでな。寧ろ、忠告を差し上げようと思ってここに参上した訳だ」
「忠告?」
「ああ、忠告だ。――そうだな、早々にこの国を出て隣国、慶は荒れているから奏か雁あたりに行くと良い。この国に居る限り、お前さんは命を狙われ続けることだろうからな」
「なに?」
 今、この猿は何と言った? この国に居る限り、陽子が命を狙われ続けることになると言わなかったか? だとすれば……。
「あのっ」
「聞くのは構わんが、俺は答えないぞ?」
「!?」
「随分と不思議そうな顔をするがね、今回の助言もバカが気にくわなかったから意趣返しにやっただけだ。昔ならともかく、今の俺はもう人界と関わる気はあまりないんでな」
「……依頼主を教えてもらうのは?」
「最初はそうしようかとも思ったがね。正直、教えても今のお前さんじゃまず活かせんよ。無意味だ。ならどうしようかと思ってたんだが……」
 そして猿は蒼猿に近づく。
「ちょうど良いものがあった。暴走しているみたいだが、これは宝重だろう。あんたが壊そうとしていたのを防いだことで意趣返しは終わりとしよう」
 猿が蒼猿に触れると見る見るうちに蒼猿は形を崩す。蒼猿が崩れ、猿の手に握られていたのは失った筈の鞘だった。
「剣と鞘は二つで一つの関係だ。唯の剣でもそうだが、宝重となればとくにそれが顕著だ。片方が失われれば、災いとなる。蓬莱のアーサー王伝説にある聖剣とその鞘の関係の様なものだな、これは」
――今何といったこの猿は。
アーサー王伝説と言わなかったか?
それはこの猿が元の世界を知っているということではないだろうか。
「まあ、あれとこれとでは関連性が薄いか。いやいや、年を取ると己の薄学をひけらかしたくなって困る」
「待って」
「ん?」
「なんで、貴方がアーサー王伝説を知っているの?」
「そりゃ、本で読んだからに決まっているだろうが」
「どこで」
「日本でだ。こっちにはそんな本はないからな。……?」
 不思議そうに陽子を見る。だが、そんな猿の様子など陽子には気にならなかった。
見付けた。帰るための道しるべを。
「教えて、教えてください!貴方は知っているんでしょう!? この世界から帰る方法を!!」
 その猿がどれだけ恐ろしいものが本能的に察知していながら、陽子は猿に掴みかかった。
本来であれば、陽子は猿に近づくこともできなかっただろうに、けれど、積もり積もった執念が顔を出し、不可能を可能に変えていた。
「帰りたいんです、帰らなきゃならないんです! ここに私がいてはいけない、私がいると災いをまき散らすんです! 両親も私のことを心配してます! それなのに……」
 叫び
「どうして私はここに連れて来られなければならなかったの……」
泣き崩れた。
 それを見てしばし猿は目を瞑る。瞼を開いた時、それまであったどこか飄々とした態度は消え、唯真剣な面持ちがあった。
「俺はおまえさんを返すことはできる。だが、したくはないな」
「どうして!?」
「そりゃ、返してもすぐにお前さんが死ぬからだ」
「えっ?」
 今、この猿は何と言った?
驚く陽子を不思議そうに見ていた猿は、何事かに気付いたかのようにポンと手を叩いた。
「ははあ、お前さん何も知らんと見える」
 うむうむと頷き、
「簡単に言えばな、お前さんの命はもはやお前さんのものではない。麒麟の拝礼を受けたその命は天に召し上げられ、国のものになっているのさ」
「くに……?」
「おおよ。玉座が空の国はいくつかあるが……そうさな、恐らくはケイだろうな。つまり、お前さんはケイジョオウというわけか。ははあ、道理で暗君が大逆の的に選ぶ訳だ」
「なにを言っているの?」
 理解できない。
陽子は目の前の猿が何を言っているのか、まるで理解できなかった。
そんな陽子を見て、猿はどこか慈しむような、憐れむような目をした。
「まあ、今のお前さんに理解できるように言えば、お前さんが日本に帰ればお前さんは死ぬということだ。それも多くの人間を道連れにしてな」
 どうして。
「あなたも私を災いだというの? 猿なのに、妖魔なのに、ここの人たちと同じように」
「いいや? お前さんは災いじゃない。だが、お前さんがなんなのかは俺の言うことじゃあないな、お前さんの下僕が言うべきことだ。まあ、死にたくなったら黄海においで。そしたら、お前さんを故郷に帰してやるから」
 とん、と蜻蛉返りを打つ。
「待って!」
 けれども既に時遅し。
怪猿は霞の様に消え失せていた。
残ったのは、茫然とした陽子と、蒼猿が姿を変えた剣の鞘だけだった。




[23296] 外伝 半獣・楽俊
Name: saru◆3f7abc8f ID:4e91d614
Date: 2011/04/04 11:02

 1人、孤独な旅を続ける。
恩人を見捨てた命、もはや自分のものではないらしいそれは日本に帰ることで終わりを迎えるのだと猿の形を持った妖魔がそう告げた。
 わたしはどうするべきなのだろう。
船より降り立った街は活気に満ちて明るいというのに、陽子の心は曇天のように暗かった。
 かけられる筈のない声がかけられたのはその時だった。
「陽子?」
 振り返る。
そこに灰茶の毛並みを見つけた。
「……楽俊」
 それからしばし、陽子は見捨てた恩人と話をした。
恩人は陽子に見捨てられたというのに変わる様子もなかった。
針鼠の様に自分を護るしかなかった陽子は、柳のようなしなやかな強さを感じさせる楽俊を素直にすごいと思った。
「あのね、楽俊」
 だからだろう、陽子は心中にわだかまっていた言葉をぽつりと告げた。
「倭に帰る方法が分かったの」
 灰茶の毛並みを持つ獣人は一瞬何を言われたかが分からないかのように目を瞬かせた。
そして、理解すると破顔――人とは違う顔立ちだから本当にそうであるかは分からなかったが――させた。
「ああ」
 感嘆。
「よかったなあ」
 万感を込めた寿ぎの言葉。
ああ、この人に会えて本当に良かったと思い、だからこそ、その果てに待つ結末を聞いてこの人がどう思うかを知りたいと願った。
「でもね」
 血反吐を吐き出すかのように。
「でも、帰れても私は死ぬらしいの。ケイキの主になった私は故郷に帰ると死ぬんだって」
 酷く空疎な顔で陽子は言った。
「なんだって?」
 信じられぬことを聞いたかのように楽俊と聞き返した。
「そりゃまた、どうしてそんなことに……。いや、待て陽子、おまえ、誰からその話を聞いたんだ?」
「あの日、楽俊を見捨てた後、出会った妖魔がそう言っていたんだ」
「妖魔が?」
「うん、これまでの妖魔と違って見かけはただの人の服を着ただけのお猿さんだったんだけどね。正直、半獣にしか見えなかったけれど、でもあれは妖魔にしか思えなかった」
「……ちょっと待ちな」
 楽俊があわてたように手をあげた、尻尾までが陽子を押し止めるようにあがる。
「猿の妖魔だって? それも半獣にしか見えない?」
「だけど。知っているの?」
「知っているも何も……、そいつは多分、マエンコウだ」
「マエンコウ?」
 どことなく大仰に感じる音感だ。
あの場は彼の怪猿に呑まれていたから何も感じなかったが、あのどことなくおかしさを感じさせる猿を表すには不適切に感じられる。
 けれども、目の前の半獣は畏怖を込めて語る。
「魔猿公、おいらだけじゃない、誰もが知ってる伝説の大妖魔だよ。だけどどうして? 遵帝亡き後、魔猿公は黄海に引っこんじまったはずなのに……」
訝しげに語る楽俊を眺めながら、あの異形の夜を陽子は思い返す。
あの時、魔猿は何と言っていただろうか?
そう、
「意趣返しだって言ってた」
「え?」
うん、そうだ。
「わたしを殺させようとした相手に対する意趣返しだって」
「殺させようとしただって? 陽子、そいつは……」
「たぶん、楽俊の考えている通り、妖魔を操ってわたしを襲わせようとした相手だと思う」
 沈黙。
楽俊は自分の髭をしごきながら何事かを考えている。
時折、まさかやそんなことは、などと漏らしながら。
「陽子」
 まっすぐ陽子の目を見て楽俊は問いかける。
「他に何か魔猿公は言ってなかったか? なんでもいい、考える材料が足りない」
「…………」
 しばし中空に目を彷徨わせる。
記憶に焼きついたあの夜、猿の妖魔は何と言っていただろうか。
そうだ、確か。
「確か、わたしのことをケイジョオウだから暗君が大逆の的に選んだとか、巧に居る限り命を狙われ続けるとか言っていた様な……」
「ケイジョオウ、だって?」
 陽子が頷くと楽俊は思い悩むように髭を何度か上下させた。
「陽子がケイジョオウ……」
足音が途切れたことに気が付いて振り返ると、楽俊が二、三歩離れたところでじっと陽子を見あげている。ひどく途方にくれたように見えた。
「どうかした?」
「……した」
 首をかしげる陽子を見あげたまま楽俊は呟く。
「ケイキはおまえを主と言ったんだよな?」
「うん」
 頷く。
「ケイキがおまえを主と言って、魔猿公がケイジョオウと言ったのなら、おまえは多分景王だ」
「え?」
「慶東国王、景」
 陽子はしばらくぽかんとする。あまりに隔たりのある言葉にうまく反応することができなかった。
「おまえは……慶国の新しい王だ」



[23296] 8匹目 将軍・劉李斎
Name: saru◆3f7abc8f ID:4e91d614
Date: 2011/04/10 11:15

 見渡す限りの緑が風に揺れている。
小川のせせらぎを受け、カラカラと廻る水車。
ここは存在し得ぬ天上楽土、現世に苦しむ民草どもが夢見る桃源郷。
 この地の主である俺は庵から少し離れた場所に存在する東屋にて煙管を吹かしていた。
「ん?」
 くん、と鼻を動かす。
奇妙な感覚があったのだ。
この地では嗅ぎなれぬ、けれどもよく知った筈のそれ。
それは妖魔であるこの身を昂ぶらせる芳香、災厄としての我が身が好む闘争の香りである。
 であると同時に、この地で嗅ぐことのない筈の異臭だ。
この奇門遁甲の張られた異郷には、この身が許した相手しか侵入することが適わない筈だからだ。
 魔猿公の奇門遁甲の監視を逃れうる可能性は二つ、それに引っ掛かることがないほどに脆弱であるか、あるいは正面から破ることができるほどに呪いにおいて俺の腕を上回っているかだ。
前者は有り得ない、そもそも我が庵のは魔境の果てに存在する。
元より黄朱の民すら侵入をためらうような魔境に奇門遁甲にすら反応しえないほどの脆弱が侵入することは叶わないからだ。
では結論として後者、我が奇門遁甲の網を潜り抜けることのできる相手が侵入者ということになる。
「…………」
 ブンと如意自在の妖術を用い、煙管より復元した鉄昆を振るう。
侵入者は恐らく天仙以上の相手、それがこちらに悟られず侵入したとあればその目的は決まっている。
この猿の首を狩りに来たのだ。
「随分と甘く見てくれるもんだ」
 にぃと口元を歪ませる。
捻くれた笑み、見る物が見ればあまりの禍々しさに恐怖する妖魔の嗤い。
「そっちが凶手を送りつけようとも、逃げも隠れもせん。正面から喰らい尽くしてくれよう」
 装いを改める。
常に着ている襤褸ではなく、劇の演者が着るような派手な服装に。
それは酷く動きを阻害する。
であるからこそ、天仙どもには痛苦であろう。
この様なふざけた相手に敗北するなどと、驕慢なる奴らにとって許せることではあるまい。
 全く警戒せず、悠々と血臭を辿る。
それは何が来ようとも無問題であるという驕り高ぶった行為でありながら、この黄海にて最強者であるという自負の裏打ちが伴った余裕である。
「……?」
 往くこと暫し、奇妙な臭いが血臭に交じっていたのを嗅ぎわける。
あれほど騒いでいた闘争本能が沈静化してくるのを理解する。
「よもや、そういうことか? 侵入者は俺の命を取りに来た神仙ではなく――」
魔境を越えることによって半ば死に体となった半端者であるというということか。
余りにも珍しい、珍しすぎてそのような事例がありうるということが考えにも上らなかった。
 物見気分で死気を漂わせる侵入者の元に向かう。
そこには死にかけの体の女、背後に死に体の妖獣を打ち捨て、幽鬼の様に歩んでいた。
 ふむ。
「もし、そこの女人。何を必死になっておられる?」
 それに初めてそこに何者かがいるかを気付いたかの様に女が目を見開く。
生気のないその視線がこの身を捉えた瞬間、力を持つ。
「私は戴極国にて将軍を拝命している、劉李斎と申す――」
どろりとした異形の光、劉李斎と名乗った女の眼差しに宿るそれに俺は呑まれた、呑まれてしまった。
「ッ!?」
 今何を思った?
女の気迫に呑まれたと、そう思ったのか?
如何なる神仙妖魔の類にも敗北を喫したことのないこの猿王が?
若き麒麟が数多の妖魔を調伏した力ある視線を以って、この身を従えようとした時も鉄塊を以って報いたこの姫公孫が?
「魔猿公にお願いしたい儀があって参上いたしました」
 止めろ、そう思う。
止めてくれと。
今の自分は普通ではない、常ならば顧みることもない言上を食い入るように聞いているのがその証だ。
「どうか――どうかお願いです、我が国を御救い下さい」
 血反吐を吐くかのように、渾身から吐き出された祈り/呪い。
似たようなそれを600年近く拒絶してきた。
「了承した。必ずや、御身の願いを叶えよう」
だというのに、今自分は何を言っているのだろう?
かつて要請されてきたそれとは異なり、まず間違いなくこの身に返るものはないというのに。

 詰まる所、これは天意にすら服することのない獣が敗北したというだけの話。
最強の猿に打ち勝ったのは、半ば冥府に足を突っ込んだ唯の人間の地金だったというだけのつまらない話だ。

「不可能だ」
 傷口に包帯を巻きながら李斎に告げる。
李斎より現在の戴の状況――王と麒麟が行方不明となり妖術を使う偽王が国を滅ぼさんとしている――を聞き終えた果ての出した結論だ。
「俺には戴は救えない」
「え……」
 放心したかのように李斎の眼差しが揺らぐ。
「どうしてですか、前は救って下さると……」
「能力がない、足りない」
「え?」
 意外なことを聞いたという目で李斎はこちらを見つめてきた。
それを見返す。
「御身はかつて俺が才でやったようにすればいいと思っておられるのかもしれないが、あれとこれとでは状況が違う」
「どういう、ことでしょうか?」
「地力、国力の差だ。当時の才は未曾有の繁栄を遂げていた。そもそもの備えが万全の上での対処だ、現在の戴国で同じことをしても結果が出ない。俺の能力は万全の備えがあった上でやっと現状維持ができる程度のものだ」
 否、現状維持すらもが仕切れていなかった。
あの時、見た目ではまるで分からなかったが、間違いなく見えない部分ではじりじりと才は沈みつつあったのを俺は覚えている。
「同時に阿選とか言ったか、その偽王を倒すこともまた難しい。無論、阿選本人を殺すことはできると思うが」
だが、本当にそれで万事解決するかと言えば首を傾げざるを得ない。
偽王阿選は地仙でありながら妖術に通ずる。
少なくてもそう思わざるを得ないほどに、彼の行いの結果が不思議に満ちたものであることは間違いない。
 であれば、たとえ彼を殺せたとしてもそれで終わるとは思えない。
阿選という肉は殺せようとも、偽王の消失が思い浮かばないのだ。
あるいはそれは阿選ではない黒幕の存在か、またあるいは阿選の後継かは知らないが。
それに。
「あり得ないとは思うが、俺が阿選に取り込まれる可能性もある」
 これまで多くの戴の百官が突然変心してきたように。
「そんな……」
 絶句。申し訳ないとは思うが、しかし、そうとしか言いようがない。
ただ、これだけは告げておかねばなるまい。
「御身に告げたように俺には戴は救えない。だが、約定通りに御身の願いを叶えよう。これは御身らが遵帝と知るかつての我が主にして友たる李真にかけての誓いだ。必ず果たす」
 矛盾した言葉、そんなことは分かっている。
「どうして」
 零れるように李斎は疑問を告げる。
「どうして、あなたはそうまで私に良くして下さるのだ。花影、私の友人ですが彼女の話によれば、あなたは遵帝以外の出仕の要請を拒んで来られた筈なのに……」
「…………」
 李斎に敗北したからだ。
敗者である自分は勝者である李斎の願いを全力で叶える義務がある。
これは至高の猿としての矜持だ。
もしもその義務を果たさなければ、あっという間に唯の獣へと零落することだろう。
その予感がある。
だが、高すぎる誇りが素直に認めることを拒んでいる。
だから、俺にはこう答えることしかできなかった。
「気まぐれだ。俺は妖魔と言え、所詮は猿だからな、その業からは逃れようがない」

 矛先がこちらに向く。
それは警戒と敵意がこちらに向いているということだ。
けれど、それらを無視して悠然と告げる。
「景王君にお取次ぎ願いたい。我は魔猿公、もしも巧州国で行った我が行いに御身が恩義を感じているようであるのならば、微力でも良い、力を貸して頂きたいとそうお取次ぎ願いたい」
 困惑。
閽人たちの間に困惑が広がる。
それを唯、黙って待つ。
 無論、金波宮に侵入し、直訴することは容易い。
けれど、今の行動原理は己のものでない。
勝者の願いを、最も良い形で叶えるためにここに居るのだ。
 待つこと暫し、王命が下ったのか、金波宮へと招きいれられる。
案内された場所にいた景王はかつて見た時と随分印象が違っていた。
猜疑に苛まれる獣から脱却し、大きく成長したことを感じさせるその姿、それに感嘆した。
「御身にお会いしたのは、巧国以来であるが、随分と器が大きくなられたとお見受けする。まずはそのことに寿ぎを申し上げる」
「ありがとう、と素直に受け入れさせてもらえばいいのだろうか」
 少年のようにも見える女王は苦笑し、
「あなたは私に何か願いがあると聞いたのだけど、それを伺ってもいいだろうか?」
 無論、受け入れられるかは分からないが。
そう言った景王の姿に頭を垂れる。
「自己満足であった行為に見返りを求める無礼百も承知なれど、謹んで景王君に願い奉る。貴君は延王君と親しいと聞き及ぶ。どうかご紹介願えないだろうか」
 それに景王は目を瞬かせ、
「延王に?」
「然り」
「何故、と聞いても良いだろうか?」
「主上!」
 焦ったように麒麟から静止が飛ぶ。
けれども、彼女は俺から目を離さなかった。
「どうだろうか?」
「構わないが、聞いてもあまり意味はないと存じ上げる。それでもか?」
 少女は頷いた。
「ああ、確かに意味のないことかもしれないけれど、あなたが延王にどうして会いたいのか知らなければ、紹介する訳にはいかない。私の行動は私だけに完結する訳じゃないから」
「ふむ」
 まじまじとかつて飢狼の様だった少女を見つめる。
「本当に良い成長を成された」
 まさしく王器、唯でさえ難しい状況、しかも後々知ったことであるが壊すことを留めた宝重は悟りの怪を本性とする疑心暗鬼を助長する代物、その上でこれほどまでに成長するということは奇跡に近い。
 期待を持った。
「先程の質問にお答えする。此度、俺が延王君に面会を願わんとするは即ち、戴の救済のため。真実の泰王君を除き、その権を奪い悪逆非道の限りを尽くす偽王より民草を救う手立てを求め、謁見を願い奉るのだ」
 その瞬間、慶の百官が目を見開く。
それも当然だろう、魔猿公を従えたのはもはや伝説の域にある最後の斎王君遵帝のみ。
故に魔猿公が動くとすれば、才の為のみである筈だったのだ。
 事実、遵帝登霞後600年近く、如何なる国の出仕の要請も謝絶し黄海に隠れ住んでいたのだ。
その大妖魔が何故か戴の為に動く、これを驚くなという方が不思議だろう。
「主上との語らいに口を挟むは無礼と承知して問う。魔猿公、何故あなたは戴の為に動いているのだ?」
 いかにも怜悧な男が口を挟む。
その問いかけには正しくなくともこう答えるしかない。
「気まぐれだ」
と。


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