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[30346] 【習作】異世界トリップにうってつけの職業を考えてみた。(オリジナル・R15)
Name: ハトリ◆ea176006 ID:70f9d7d1
Date: 2012/02/05 23:44
 赤い風船は、青い空がよく似合う。

 誤って手放してしまったそれが、空に吸い込まれてゆくのを呆然と眺めた記憶は誰にだってあるだろう。映画やドラマのワンシーンで、小説の一節で、遊園地で泣いている幼児を遠目に見て――あるいはわが身をもって経験して。
 マリアはまぶしくて目を細めた。
 糸が手のひらをすり抜けた一瞬の焦燥と、瞬きごとに小さくなっていく風船の影を涙目で追うなんて体験はないはずだが、それでも我が事のように想起できるのは、手垢の付いた使い勝手のよい表現だからだろう。
 喪失の象徴か。取り返しのつかない過ちの暗喩か。届かないと知りながら腕を伸ばす希求、呆然と空を仰ぐ絶望。まぁ、なんでもいい。

 ――目の端を、赤い風船が横切った。
 通行人の誰もが、不思議とそれを目で追った。信号機を通り越え、電線をくぐり抜け、細いビルの合間を縫って、都心の狭い青空を目指す風船を、皆が皆、何となく、眼球だけで追いかけた。
 そんな中の一人であったマリアの、足下への注意が欠けていたのは確かだが、人一人がまるっと落下するような穴があったらその前方でさすがに気づくだろうと思う。だが、実際気づかずマリアは落下した。
 落下したからこそ”穴”が空いていたのだと判断したのが今。
 後頭部、背中、腰。強打したのだろう激痛が背骨から放射線状にジグザグ響く。痛い。これは痛い。そして重い。なぜか臭い。

 ん?

 くわんくわん鳴っている瞼をこじ開けると、眼前に見知らぬ男の顔が広がってそのまま限界まで全開にする。
「な、なに? 誰……っ」
 汚い髭面。記憶にない。
 反射的に暴れようとした両足が動かないので、汚い髭を避けるように首を伸ばせば、M字に開脚された両足首を固定する三本目と四本目の腕――二人目の汚い髭だ。
 身を捩り、仰け反った鼻先に親指ののぞいたブーツ。五本目と六本目の足。見上げればにやにやと油膜の張ったような笑みを浮かべた荒れた唇があった。
 三人。
 知らない汚い超臭い男たちに、マリアは馬乗りされ開脚させられ見下ろされている現状を把握した。
 土、草、木、木、木、木、緑、泥、小石、あ、毛虫。昼間のビル街を闊歩していて、風船を目で追って、穴に落ちて、湿った土が背にあって、上に汚い男たち。
 なんだそれ。
 胸元を力任せに破かれて、内腿を揉みしだかれ、仰向けのマリアを見下ろしていた男が身を屈め、マリアの手首と長い黒髪を土に縫いつけて、四肢の四分の三が拘束されたのを思い知り彼女はようやく身の危険を実感し――微笑んだ。
「なぁに? 溜まってるの?」
 白い指先が、くるくると、目と鼻の先の髭を擽った。

「口から寂れた公衆便所の臭いがするってどういう事? もうクッサイんだから。呼吸するのやめてくれないかしら――死ねとまではいわないけど」
 言ってるも同然というか直球で告げていたが、幸か不幸か言語の壁に阻まれた。最中だって……唸って喘いで吼えていただけだから、意味のある単語は発していなかったが。
「よっ……と」
 腹筋に力を入れ、マリアは身を起こした。
 ワンピースの土を払い、破かれた胸元を無理矢理結びながら立ち上がる。
 脱ぎ散らかしたパンプスを拾い上げ、やっぱり泥を払って履き直す。トンっとつま先を鳴らすのは、パンプスだろうがブーツだろうがスニーカーだろうがついやってしまうマリアの出掛けの癖だ。
 目にかかる前髪を掻き上げて、手の汚れが髪の毛に伝播したことに苛立ちが増した。自ら薪をくべたとも言う。
「ここはどこあなたたちは誰なのかしら? ちょっと教えてくれない? そこでひっくり返ってるあなたでいいわ」
 腿を擦るように足を上げ、12センチのピンヒールを、ひっくり返っている髭男のちょうどいい窪み――ヘソに置く。体重はかけない。まだ。
「まずは自己紹介をするべきかな。私はマリア。お店やってるの。16で父が借金残して蒸発してねー。母も半年頑張ったんだけど、あっとゆー間に病んで私を置いてった。何にも知らない小娘は、借金の取り立て屋に斡旋されてキャバクラで働くことになって、マリアになったの。それが私。今もマリア」
 少しずつ、体重を落とし、つま先を小刻みに揺らす。リズムを同じくする半勃ちのアレの上下運動を「かーわいーい」なんてかけらも思ってない女性特有の白々しく甲高い声を上げて笑う。
「年誤魔化してキャバ嬢やってたんだけど、借金取り立ての男がヒモになってお金使っちゃうの。稼いでも稼いでもパーになるもんだから、二十歳の時に大手を振るって泡姫に転身したの。とにかく夢中でお金稼いでたら、ヒモ男は勝手に借金作って仲間に追われていなくなっちゃった。今頃東京湾の底だと思うわ――えいえい」
 可愛らしいかけ声で、ぐりぐりとヒールでヘソをほじくる。髭男が奇声を上げてビクビク痙攣するのに気をよくして、マリアは自己紹介改め身の上話の軽やかに披露する。
「でねー。借金は順調に返済してたんだけど、ソープランドの方が経営不振で潰れちゃって。常連さんの薦めで、ちょっとかなりすっごくお高いSMクラブで働くことにしたの。このころようやく借金全部返せたのよ。なのに酷いの。私、返済義務なんてなかったんだって! 完済してから教えるなんてみんな酷い――まぁ、私がバカだったってだけなんだけど、思い出すとやっぱりかなり腹が立つわ。というわけで八つ当たりえいえいっ」
 あひんと喜んだかと思えば、喜びのあまりちろちろ漏らしはじめたのを見て、「いぬーいぬー」と揶揄。
「借金返しても、しばらくソコで働いてたんだけど、常連紙一重ストーカーがお店で問題起こしちゃって、私目当ての客だったから居心地悪くなっちゃって、やめちゃった。そのころのお客さんが熱心に勧めるから、今度は一人で隠れ家的性感マッサージのお店開いたの。雑居ビル借りて。それが立地の関係か、仕事明けのキャバ嬢がフツーのマッサージ希望で来るようになっちゃって、顧客のM男さんたち腰が引けて来なくなっちゃってー。しょうがないから見よう見まねで女の子相手にエステ始めて。でもやっぱりダメ。こーゆーのちゃんと習わないと、リピーターにはなってくれないのよね。昔のお客さん来なくなっちゃったし、ちゃんと勉強しなきゃって。ね、ちゃんと聞いてるぅ?」
 漏らし終えたのを確認して、靴のまま先端を弄くり倒す。軽く踏んだり強く踏んだりヒールでつついたりつま先でグリグリグリグリ。よく吼える犬ですこと。
「でねー? 仕事の傍らでぼちぼち勉強してたんだけど、専門学校に通いたくなって、お店土日だけにして、昼間学校に通って、夜デリヘルしてたんだ。体力的にきつかったけど、卒業間近だったのに……」
 苛立ちが再燃したのでさきっちょイジリをやめ、おもむろにヒールを肛門につっこんであげた。あーあーあーととても喜んでくれたので、小刻みに激しくガクガクしてあげる。とてもとても喜んでくれたので、マリアは凄絶な笑みを浮かべた。
「なのに、なんで、私はっ、こんなところで、客でもない男とっ、遊んでるわけっ!?」
「ああーっ!! あーっあーっアーッ!!」
「というわけで私、気持ちいいこと全般のプロフェッショナルなの。道端に落ちてたけど、高いたっかい女だったってわけで、思い知れっ! 只より高いモノはないっ! はい復唱っ!」
「あ゛ーーーーっ」
「誰が鳴けと言ったのっ!? 復・唱・よ、ふ・く・しょ・う!! リピートアフターミー!」
「あ゛ぃーーーーっ」

 憂さ晴らしはできたが、何の情報も得られず。マリアは返り討ちにした男たち三人から金目のモノをベルトのバックルまで回収して惨劇の場を後にした。
 言葉は通じずとも気持ちイイ肉体言語は壁知らずのようで重畳。
「ま、人間がいるのなら、どうとでもなるわ」
 振り返らず、かすかな水の音を頼りにマリアは森の中を歩き始めた……手を洗いたい。

 ――伝説の女性”黒髪のマリア”はこうしてこの地に降り立った。
 降臨直後に慌てず騒がず三人斬り。身なりがマリアの許容範囲を超えて不潔だったため、手を使い足を使い靴を使い全身を使い、粘膜は死守した。マリアの感じた身の危険は、貞操の危機ではなく性病感染の恐れであった。大柄な男三人にこれは骨が折れた。だが頑張った。
 またつまらぬモノをヌいてしまったなんて嘯きながら飄々と去るその足取りは迷いがない。
 現在地の情報こそ彼女は初め固執したが、目的地などない、どこでもよいと気づいてあっさりと割り切った。迷いようがない。現在地もわからないのに迷子ですらない女だった。
 親も親類も恋人も友人もいない。そういうものは、手のひらをすり抜けていった。手を放した覚えもないのに、全部、全部すり抜けていった。そんな風船だらけの青空を、為すすべもなく呆けて眺めたそんな日が、あったような気がする。
 ――違う。
 誰かの手のひらから、敢え無くすり抜けていった、赤い風船こそ、私だ。
 大切なモノが、失いたくないモノが、地上にはあった気がする。なのにマリアは飛びたくもない空をさまよい、あっちふらふらこっちふらふら、いつしか割れて墜落し、道端で誰にも省みられることのないゴミとなるのだと知っていた。

「ふうせんが、割れたのね」

 これはそういうことだろう。

【A perfect girl for the other side of love】


 問:タイトル通り。
 答:職業エロ。ほら、世界最古の職業だし。テクニシャンかつテクノクラートなおねいさん一択ファイナルアンサー。
 ……15禁で間に合っただろうか。
 習作兼リハビリ作。中編? ぼちぼち続く、はず。



[30346]
Name: ハトリ◆ea176006 ID:2242e825
Date: 2011/11/01 22:41
 覚醒剤中毒の男に監禁され、七日。マリアは水のみで生き残ったことがある。極限だったが、極限だっただけに、経験通り越してもはや確固たる自信である。
 私は水さえあれば、七日は生きていける。
 左手以外すべて拘束されて運動量ゼロでの実績と、これから歩き慣れない道なき道を行くのとでは、単純に発汗量に雲泥の差があるとわかっちゃいるが、それでも七日は己が死ぬとは考えなかった。負の根拠しか無くとも揺るがないからこそ確固たる自信なのである。
 水辺を目指したのはその自信と、とにかく何より手を洗いたい。切実に、手を洗いたい。それだけだった。
 水は、高いところから低いところへと流れていく。当たり前だ。
 ――墜落記念に、低いところを目指そうと思った。
 この水の流れ行く先が、海ではなくこの世の底であったなら素敵。
「スタート地点は、どん底がイイわ」
 落ちるところまで落ちてから始めましょう。
 私はマリア。
 本名を弄くり、取り立て屋の男が3秒で命名した。平仮名は阻止した。せめてカタカナにして――最初で最後のわがままが通った、皮肉な名前だ。
 まかり間違っても聖母じゃない。
 借金を返し終えてもマリアはマリア。ガラリヤ湖を臨むマグダラの地は遠く、遠く果てなく――私は改悛なんかしない。
 借金の返済を終えたとき、感じたのは達成感でも解放感でもなく、半身を生きたまま引き裂かれたような痛みだった。マリアは長く借金とともにあった。借金しかなかった。そして、借金すら失ったのだ。びっくりするほど空っぽで、薄ら寒くなったものだ。

「私は、悔い改めたりなんかしない」

 カイシュンを買春と変換した己の頭の悪さを物語るエピソードがお気に入り。
 悔いて改めたら、罪すら残らないだなんて、冗談じゃない。
 
 そもそも罪ってなにかしら。

********************

 メノラはアウスレイアの王都グラーダ、その下街で繁盛する風呂屋の女将だ。
 大柄で肉付きもよく、太ってはいないのだが女ながら押し出しの利く体格で、風呂上がりの酔客を張りのある大声と麺棒だけで撃退する。
 アウスレイアの都市部には、必ずと言っていいほど浴場がある。そこは身を清めるにとどまらず、人々の社交と娯楽の場でもあり、芸術の温床でもあり、当然くつろぎの空間でもある。
 風呂屋――浴場は、老いも若きもみな裸という特殊な場であるため、誰もがみな平等に客であり――軍人の帯刀も許さず、神官ですら教典の持ち込みを禁じ、たとえ王であっても王冠を戴いたまま入浴することは叶わない”争いなき地”だ。すなわち、罪人ですら客となれば、軍人も神官も王様も、浴場では犯罪者を逮捕も許しも裁きも出来ない。
 心ない者は、いざとなりゃあ風呂屋に逃げ込めばいいなどと嘯く。そんな輩は客ではない。メノラは常に目を光らせている。
 目敏く鼻が利き挙げ句の果てに地獄耳。メノラは下街の顔で、主である。
 グラーダ生まれグラーダ育ち。没する場所もグラーダと決めている生粋のグラーダっ子であるメノラが、日も昇り切らぬ早朝に馬車の荷台に乗っているのには当然理由がある。
 寡黙な夫との間に生まれた一人娘のミーアは去年隣街の宝石商に嫁いだ。鉱山とグラーダをつなぐ交通の要衝でもある隣街の大店で、たいそう繁盛しているが下街の風呂屋の娘であるミーアにとっては玉の輿だった。
 そのミーアが産気づいたという知らせを受けて、メノラはその身一つで乗り合い馬車に駆け込んだ。隣街へは馬車で三日ほどかかる。知らせを受けた時すでに出産は終わっていただろうが、頭でわかっていたって一人娘の初産である。使用人だって複数いる大店に嫁いだ娘の出産に手が足りぬことはなかろうが、それでも実の母親だからこそ出来ることもあると息巻いて、やはり駆けだした夫を制して馬車に飛び乗った。夫婦そろって風呂屋を空けることは出来ない。出来ないからこそ、早い者勝ちだった。
 勝者メノラは、隣街で幸せそうにほほえむ娘と、生まれたばかりの男の子に相好を崩した。跡継ぎを得た娘の婚家で大歓迎を受け、やんややんやと大騒ぎ、赤子の泣き声も響きわたり、酷く賑やかな時を過ごした。
 産後の経過も良好な娘と、生まれたばかりの孫に名残は尽きぬが、風呂屋の女将であることに並々ならぬ自負を持つメノラは三日三晩飲んで騒いで祝って喜んで帰途へついた。出遅れた哀れな夫には、初孫の名を土産とする。
 帰りは乗り合い馬車ではなく、義理の息子の勧めで、王都の貴族への注文の品に便乗し荷馬車に乗った。荷馬車といえど大店のもの、それも荷が宝石とくればかさばらず、大柄なメノラも荷台で大の字でなれる。あげく護衛までつくという至れり尽くせり。素直に感謝し好意に甘えた。
 賊に襲われることもなく、たかだか三日ですでに懐かしいグラーダの城壁が遠目に見えてきた頃と夜明けは同時だった。
 これなら昼の営業には間に合う。今日は店で祝い酒を振る舞おうとまだまだ祝う気満々に逸るのメノラを知ってか知らずか、グラーダを目前にして馬がその足を止めた。
「どうしたんだい」
「グラーダの女将さん」
 護衛は皆、傭兵ではなく娘の婚家の従業員である。彼らはメノラをグラーダの女将さんと呼ぶ。
「人が――女の子が倒れています」
「なんだって? そりゃ大変だ!」
 すでに二人の男が隊列を離れ駆けている。メノラも荷台を飛び降りる。女の子とくれば女手が必要だ。現状紅一点はグラーダの女将さんことメノラただ一人だ。
 すらりとのびた白い足が見えた。
「なに突っ立ってるんだいっ!!」
 駆け寄った男達は、倒れている女の子を抱き起こすこともせず立ち竦んでいる。メノラの張りのある声にビクリと肩を振るわせた。
「お、女将さん……」
 新米だという年若い青年が怯えたような顔をして振り返った。
「こりゃあ……」
 男たちを押し退けてしゃがみ込んだメノラは彼らの躊躇いを理解した。
 美しい少女だった。
 長く艶やかな黒髪は緩く波打ち、頬を隠している。すらりと伸びた手足は、温かいミルクに一欠けのバターを溶かしたような柔らかな白い肌で、所々に赤い線が走る。白いからこそ、その傷が痛ましい。
 そしてなにより、服だ。鮮やかな花柄の、ふわふわと柔らかい裾がかわいらしい衣裳は見たこともない素材で、そんなことよりなによりも、胸元から破かれて、それを無理矢理結んでいる。
 跳ねた泥と、饐えた男の臭いに汚れていた。
「なんてこった……」
 服を破かれて、乾いた精液をこびりつかせて倒れている少女――まさか指とその他だけで返り討ちにして加害者を三秒で被害者に陥れたあげく下半身丸出しのまま放置して有り金全額徴収し見知らぬ森の中に突如として現れた自分を「ふうせんが割れた」の観念的一言で片づけ手を洗った小川を辿りながら三日歩き通し獣道ではない人の手で整備された道を見つけた瞬間安堵して倒れているのではなく寝ているだけの逞しすぎる女――だとわかったらそいつは神だ。
 神ならぬメノラと男たちの目には、明らかに彼女はそういう被害にあった哀れな少女と映った。
「なんてこった、なんてこった――!!」
 メノラは少女を抱き起こし、脱いだ上着を着せてやる。抱き上げてみるととても軽い。暖かい。ほんの少女だ。薄汚れ傷ついているが、手も足もとても柔らかで、大事に大事に育てられた少女にしか見えない。それが、それが――!
「ウチに運ぶよっ」
「はいっ!!」
 どんなに親切な男でも、今だけはこの少女に触れてはならない。そんな情からメノラは男らしく少女を姫抱きして立ち上がった。義侠心と女らしい愛情に満ちたメノラの背中は、朝日を後光に惚れ惚れするほど美しかった。



[30346]
Name: ハトリ◆ea176006 ID:2242e825
Date: 2011/11/03 12:38

 チャリ、と金属が擦り合わさる音がして、マリアは一瞬で覚醒した。
 意識は浮上したが、瞼はぴくりとも動かさない。睡眠時同様のゆったりとした複式呼吸を継続し、視覚以外の感覚を研ぎすます。つまり間髪入れず狸寝入りに移行した。
 それにしても。こんなに眠りこけたのはいつ以来だろうか。四肢にまとわりつく倦怠感が熟睡の残滓だ――決して遭難二日目に訪れた筋肉痛の名残ではない。断じて違う。翌日来るとかあり得ない。だから違う。
 浅い眠りに慣れた身体は深い眠りと唐突な目覚めに追いつかず、全く力が入らない。丁度いいので目を閉じたまま今の状況を整理する。

 とにかく歩いた。とことん歩いた。
 マリアはまず、暴漢を材料に作り上げた卑猥なオブジェ達から徴収した錆びたナイフ以外の金属を、破かれたストッキングで包んで結び、ワンピースをたくしあげて腹に巻いて縛った。
 親指サイズの銅板が数十枚、小指の爪半分の銀が5粒。青い錆の浮いた銅板の表面は磨耗した紋様がかすかに浮かん見え、3人全員が所持していたこと、銀粒と同じ巾着に入れられていたこと、同様の紋様、同一サイズであることからマリアはこの粗悪な銅板を鋳貨と判断した。
 判断したので――陳列された猥褻物その1の上着、襟の裏に縫いつけられた銀の粒2粒。猥褻物その2のブーツをザクザクとナイフで解体すると踵から2粒。猥褻物その3のびしょ濡れの下着の裏地を引き裂くと4粒出てきたので当然回収して腹ストッキングに納める。
 泡姫時代のマリアのサービス料は二時間で総額六万手取り四万五千円也。銀の価値はピンとこないが、たぶんきっと全然足りない。
 失敗した。
 マリアはプロだ。サービスに応じた報酬を受け、報酬に応じたサービスを提供する。報酬不足も過払いも、サービス不足も過剰も等しく失敗だ。
 これは、あれだ。定期的に受けている性病検査の、ぴっかぴかの結果を受け取ってご満悦だった直後の事故だ。身なりの悪い男達に対する防衛本能がイイ仕事してしまったと思われる。
 ……まぁ、やってしまったものは仕方がない。みっちりこすこすねっとりずこずこびっちょりさすさすぐっちゃぐちゃにかわいがってあげたので、最早この猥褻物達は普通の行為では満足出来まい。そこは相方への愛情と情熱でカバーするか、もしくはマリアのような玄人にお願いするほかないわけで……強姦魔が3人いなくなって、客が増えたと考えれば、将来的に回収見込みありとしてマリアは己に折り合いをつけた。
 そうしてナイフでピンヒールを折り、歩きだしたのである。
 水音が聞こえていたので、さして歩くことなく小川を発見。喜んで手を洗い、顔を洗い、水を飲んだ。後で腹を壊してもそれはそのときである。
 道中、リスのような小動物が頬張っていた木の実を拾ってかじりつつ、水を飲み、ほかにやることもないのでひたすら歩いた。昼は汗ばむくらいの陽気で、夜はきっちりしっかり汗を拭き、震えることはなく昼夜を問わず歩いた。疲れたら昼夜を問わず寝た。
 そして、舗装こそされていないが、よく踏みならされて轍の跡がいく筋も走る道を発見し歓声を上げ、眠くなって寝た――ふむ。記憶鮮明。

 さて、ここはどこだろう。
 洗い晒しの木綿の肌触り。かすかにハーブめいた香りがする。昨今流行の香りの強い柔軟材とは明らかに違う。かたい肌触り、ほのかなにおい。シーツだろうか。上掛けはリネン。
 かすかに両手と両足を動かしてみる――動く。拘束はされていない。
 人の気配はない。マリアはついに目を開けた。
 目覚めの金属音は、枕元に置かれたストッキング巾着を長い髪が寝返りついでに巻き込んだことにより鳴ったと判明する。
 金目のモノを、すぐ気づくよう枕元に置いておくとは誠意だろうか。
 目覚めた場所は六畳くらいの小さな部屋だった。ベッドがあって、申し訳程度の木製の什器たち。整理箪笥の上に鈍い硝子の杯があり、一輪、薄紅色の花が差してある。板張りの床に色褪せた敷布。
 ――電化製品が一つもない。
 さすがに思うところはあるが、それらすべてをうっちゃって、マリアは細く長く息を吐き、肺を空っぽにする。
 足音が聞こえる。
 息を詰め、マリアは半身を起こした。

「あ、起きた! わぁよかったぁずっと寝てたんだよ。眠りすぎると目が溶けちゃうんだよ」
 片手に椀、片手に水差しを持ち両手がふさがった状況で、肘や尻を器用に使い扉を開けて入ってきたのは――ほんの少女だった。
 背はマリアより高いくらいだ。だが手足が細く、全体的に薄っぺらい。特に胸。思春期を迎えるともう少し丸みを帯びてくるから、十代前半とみた。健康的に日に焼けており、頬骨のところにそばかすが散っていて愛嬌のある笑顔のかわいらしい少女だ。
 年若い少女ににこにこと笑って話しかけられ、マリアは毒気が抜かれた。
「えっとね。まずはお水をどうぞ」
 サイドボードに伏せられていたグラスに注いだ水を差し出され、マリアはとりあえず受け取った。
 飲むか誤魔化すか悩んでいると、正面の少女は不思議そうに首を傾げる。
「のど乾いてなぁい?」
 喉が乾いていたので、飲むことにした。小川に頭つっこんで直飲みしていたのを思えば、コップに注いでもらうなんて文明人気分。ままよっ。
 飲んだ。飲み慣れない味わいだが、生ぬるい水だ。
「それでねぇ、女将さんが特別に作ってくれたのよ。まだ温かいよ。食べて食べて」
 水を飲み干すと間髪入れず差し出されたのは木の匙をつっこまれた白目の椀。中身はリゾットのような米の料理だ。
「はい、どうぞ」
 食べろということだろう。シナモンの甘い匂いがする。そしてマリアは空腹で、ふらふらと手を伸ばす。
「おいしいのよ」
 おいしそう。いただきます。
 スプーン半分に米を乗せ、マリアはそっと口に運び――硬直した。
 肉の風味豊かなスープで米を煮たのだろう。そして癖のある乳とアーモンドの香りがする。優しい黄色は卵黄か。
 そしてシナモンの甘い香りと、砂糖。
 
 甘じょっぱい。

「女将さんがねぇ、砂糖を入れているのを見たのよ。いいないいな、おいしそう」
 なぜだ。なぜこの料理にシナモンと砂糖を加える。スプーンをくわえたままマリアは目がぐるぐるした。入れなかったらおいしかっただろう。もしくは、スープが塩味で整えられていなければ甘めのミルク粥であっただろう。なのになぜ混ぜる。なぜ混ぜたっ!?

 言葉がまるで通じないことよりも、衝撃だった。




[30346]
Name: ハトリ◆ea176006 ID:2242e825
Date: 2011/11/09 01:51
 瞳孔に渦巻きを作りながらマリアは甘じょっぱいリゾットっぽい何かを黙々と完食した。
 実のところ、空腹もあって不味くはなかった。もちろん美味しくもない。もう一度食べたいかと問われれば己から手を伸ばすことは二度とないと断言できる。
 胃が空である現状、最初こそ涙目になりながらも丁寧に咀嚼していたが、後半丸飲みで食べきった。
 その間、水と食事を持ってきてくれた少女は枕元に椅子を置き、マリアが一生懸命もぐもぐしているところをにこにこと見守っていた。
「髪の毛長いのね。お姫様みたい。いいないいな。リリもね、伸ばしてるんだけどね、お風呂にいるとあっついでしょ? ベタベタするし、我慢できなくて、切っちゃうの」
 肩にかかるくらいの赤茶けた毛先をくるくると人差し指で遊ぶ少女を、マリアはじっと見つめる。特に返事は求めていないのか、マリアが無言でも気分を害した様子はない。
「はいお水」
 空の椀と引き替えに、再び水を満たした杯を差し出され、受け取ったマリアはにこりと小さく笑った。
 それは必要に迫られて、鏡の前で様々な角度で合間合間に変顔を挟みつつ訓練を重ね、あらゆる角度から笑顔を自分撮りして研究を重ねに重ねた”見られることを意識した”笑顔だった。
「わ……ぁ!」
 幼くとも女である少女は、その一瞬の小さな笑顔の裏にある堆積したモノを感じ取り驚嘆する。
「すっ……ごぉい! すごい、すごい! かわいいっ」
 立ち上がり手を叩く少女を見上げ、あー、この子はイイ女になる素質があるとマリアはこっそり評価した。
 聡い。
 この部屋には電化製品が一つもない。まだ日は高いが、暗くなったら登場する照明は壁に掛かったランプだろう。灯心が覗いているから光源は火だ……照明が火。電気が通っているのなら、まず最初にランプが電球に変わるはずだ。
 そんな環境で、テレビやグラビア写真、カメラなどのない世界で、見せるために計算され尽くした笑顔など早々お目にかかるまい。
 それを見抜いた。そしてそれをあざといとは思わずに、努力と受け取った。興奮に目尻を赤く染め、ぱちぱち手を鳴らしている。
 傍目には奇行と紙一重の努力の結晶をまっすぐに賞賛され、気分が悪くなろうはずがない。マリアはもう一度、お手本とばかりに”笑って”みせた。
「ほわあぁあ。すっごいのね。上手。かわいい。リリも練習しよう」
 感心して決意した少女は、食事を終えたマリアが手持ち無沙汰であるのに気づき、女将の言いつけを思い出した。
「あ、あのね。目が覚めたらね、お風呂、案内しなさいって言われてたんだけどね。ずっと寝てたでしょ。昨日は女湯の日だったんだけど、今日は男湯の日だから、お店のお風呂、だめなの。外になるけど、井戸に案内するね。ちょっと待っててね?」
 早口でまくし立て、少女は慌てて立ち上がりマリアに背を向けたが、食器の回収と大事なことを忘れてばたばたと戻ってきた。
「あのね! わたし、わたしリリっていうの」
 食器を重ね片手に持ち、少女は己を指さした。
 マリアは言葉がわからずぼーっとしている。客商売が長いので、英語はもちろん韓国語や広東語、東南アジア系は網羅。簡単な会話くらいなら十カ国、挨拶だけならさらに把握しているマリアだが、そのどれにも該当しないのでぼーっとするしかない。
「東の海の人より肌白いもんね。やっぱり言葉違う? リリ、リリ。リリだよ」
「りー?」
「リリ。リリ。リリだよ」
「りり」
「そう!」
「りり」
「うん!」

「――マリア」

 身長153センチ、B82W55H83のステータスで、十二歳のリリと同年代だと思われているなんて、まだマリアは気づいていない。

********************

「あぁニュー様! お待ちしてましたよ!」
 待ち人の来店に、メノラは歓迎の声をあげた。
 浴場は熱を無駄にしないように、半地下に造営されることが多い。メノラの風呂屋も例外ではなく、表から見受けられるのはひっそりとした入り口と、地面から盛り上がったような丸屋根だけである。この特徴的な丸屋根こそが浴場の目印であり、一目でわかるので入り口には看板も設けていない。
 入り口の扉は狭く低く、背の高い男性などは身を屈めて数段の階段を下り、噴水盤のある開けた出入り口まで窮屈な思いをする。
「やぁメノラ久しぶりだね。お孫さんが生まれたんだって?」
 その青年も、窮屈そうに身を屈めて球簾をかきわけて入ってきた。王都の巡邏をしている騎士で、さるやんごとない生まれの高貴なお方であるらしいのだが、メノラはよく知らない。メノラが知らないと言うことは、下街の誰も彼の素性を知らないということだが、騎士というだけで下街の者からしたらすでにやんごとなきお方だ。素行に問題のある客でもなし、それを暴こうとは思わない。浴場では皆が平等なのだ。本人も、メノラにニュー様などと適当に名を略されても気にならないようだ。
「そうなんですよ! かわいい男の子でしてねぇ。うれしいもんだから、昨日から広間で祝い酒を振る舞ってるんですよ」
「……いいなぁ。私も仕事中でさえなかったら」
 ニュー様と呼ばれた青年は、左手側に見える”この世の楽園”の光景に、羨ましくも切なそうな視線を向けた。
 浴場の作りは円形だ。入り口から右手側、噴水盤の奥に脱衣所があり、順に冷浴室、温浴室、熱浴室、広間と続き、一周して入り口に戻ってくる。
 円中央では広間で思い思いにくつろぐ客に饗する飲み物や軽食を拵える炊事場や、炉の釜炊きのための作業場など、従業員が慌ただしく働いている。
 というわけで、祝い酒の振る舞いがあり、まだ日も高いのに宴会状態となっている広間が入り口からよく見えるのだ。職務中としては色々通り越して腹立たしくなってくる景色である。
「夜までやってますからね。交代までの我慢ですよニュー様。ところで珍しくお仕事ってことですが、どんな用件で?」
「珍しくとは酷いな。私は王都の民のため、日夜足を棒にして歩き回ってだね」
「その疲れを、しょっちゅうウチで洗い流しているじゃあないですか」
「……汗ぐらい、流したって罰は当たるまい? 広間でくつろぐのは、さすがに非番の時だけなんだから」
 もちろん、職務中に酒飲んでくつろぐようであれば、メノラが叩き出しているのでこれはただの軽口だ。
「私はいつもの用件だ。性質の悪い犯罪者が潜伏する可能性がある。浴場に入られると難儀なのは承知の通り。最新の手配書に目を通しておいてもらいたい」
「拝見しますよ。三線が二枚……四線が一枚ですね。私がここにいる限り、風呂屋の敷居は跨がせませんとも」
 手配書の犯罪者の罪状は、似顔絵周囲の枠線の本数でわかるようになっている。強盗、殺人などの重罪は一線。法を破った罪人は二線。軽犯罪が三線――誘拐や暴行など、非力な女子供を害した下種が四線。
 メノラは各の似顔絵を網膜に焼き付けつつ、重苦しい口を開いた。
「私もニュー様にご相談があるんですよ。隣街からの帰り道で――身なりのよい少女が倒れていたので、保護したんです」



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Name: ハトリ◆ea176006 ID:70f9d7d1
Date: 2011/11/12 00:35
「みんないつも、営業が終わったお店のお風呂に入るから、住棟にはお風呂がないんだよ」
 手を引かれ、何事か説明されながら案内されたのは、マリアが目覚めた建物の裏手にある小さな井戸だった。
 リリは少し離れたところにある倉庫と思わしき小屋から大きな盥を持ってきて井戸端に置く。
「待っててね。お湯もらってくるから待っててね?」
 リアル井戸をマジマジとのぞき込んでいたマリアの注意を引き、リリが言い募るがマリアは首を傾げるしかない。己を指さし同じ単語を繰り返せば名乗っているのだとくらいは理解できるが、単語も見当すらつかず、文章なんぞ全滅である。
 リリも承知の上なので、両手の手のひらをマリアに向けながら押さえつけるように何度も上下する。
 ジェスチャーは偉大である。待機の旨を察してマリアは首を縦に振った。
 盥を用意してもらい、井戸端である。身を清めさせてくれるのだろう。ありがたいことだ。遭難中、マリアはひたすら川を下っていたが手足を洗い水を飲むくらいで全身を清めたりはしていない。着た切り雀でタオルもない野外で、ずぶ濡れになってどうする。いくら温暖な気候とはいえ風邪を引くに決まってる。
 ワンピースの裾をナイフで切り裂き、体を拭くくらいはしたが、髪の毛はすでに重くなっている。
 井戸端は吹曝しではあるが、二階建ての建物と背の高い塀、倉庫に囲まれうまいこと死角となっている。建物の窓も反対側なのか、壁しか見えない。行水を覗かれる可能性は低く、女に見られてもマリアは気にしないし、男に見られても気にしない。反応によってはアハンと腰を振る。
 何の問題もなかった。
 そんなことよりマリアは井戸端のポンプを漕きたくてウズウズしていた。やってみたい。これやってみたい。

********************

 リリが何度も建物と井戸を往復して運んでくれた熱湯をポンプで汲んだ水で埋め、マリアは簡単に露天行水を終えた。泡立ちの悪い液状の石鹸で髪を洗った結果、キシキシして不快なので、後で何らかの手段を講じて解消しようと心に決める。
 入浴を手伝ってくれたリリにハワイのムームーのようなワンピースを手渡され、ありがたく着込む。マリアの唯一の私物であるシフォンワンピースはそういえば金と一緒に枕元においてあった。胸元を盛大に破かれ、裾を自ら切り裂いた代物だ。物に執着を持たないマリアなので、寝ている間に捨てられていても一向に気にしなかっただろうが、金と同様に律儀な対応だ、とは思った。
 そんなことを考えながら、マリアはリリに手を引かれ、従業員用の入り口から浴場へ連れていかれた。来客用の入り口のちょうど反対側になり、中央を突っ切ってメノラの立つ入り口側へやってきたのだが。
「あれ。女将さん、いないね」
 メノラはちょうどニューとともに席を外したばかりだった。メノラの代わりに広間の給仕が客対応をしている。
「リリ! 良いところに来た! ちょっと広間を手伝っておくれよ、もうぜんぜん手が足りてないんだよ!」
 リリよりも幾分年上の少女が、大きく手を振った。
「え、でもリリは女将さんの言いつけがあるよ。女将さんどこ?」
「今、騎士様と仕事の話をしてるんだ。その子はベンチに座らせときな。私もここからその子の様子を見てるし、給仕を頼むよ」
 メノラが拾ってきたマリアは、その珍しい容貌も相まって従業員は皆興味津々だった。メノラは言葉を濁したが、リリ一人に世話を任せ、あまり人の目に触れさせないよう取り計らっていたから、勘のいい年かさの女ほど訳有りだろうと察している。
 給仕の途中でメノラに呼び止められたのだろう。噴水盤の縁に置いていた盆を女はリリに差し出した。広間は祝い酒のおかげで大いに盛り上がり、祝い酒以外にも好みの酒を注文し、思い思いにつまみを食む人々でいっぱいだ。
 リリが困っていると、差し出された盆をマリアが受け取った。
「え?」
「――おや、手伝ってくれるのかい? 寝起きだろうに働き者だね。良い子じゃないか」
 言葉はさっぱりわからないが、マリアはコクンと頷く。ガテン系に並ぶバリッバリの肉体労働者であるマリアは見た目によらず体力があり、根性もある。三日歩き通し手二日寝通して生水飲んでも不調らしい不調はない。眠りすぎてややダルいくらいだ。
 一宿一飯、マリアは知らないが正確には二宿一飯の礼に、忙しそうなので猫の手となろうとやる気を出した。よく寝たし、お腹いっぱいだし、体を動かしたい。
 マリアは生来生真面目で、克己して努力家で、真摯な働き者だ。だからこそあらゆる技を極めたといえる。
 ほっそりとした白い指で、マリアは盆を指さし、誰ともなく客を指さし、それを繰り返す。
「指示しろってかい? 珍しい出で立ちだけど、言葉はどうだった?」
「通じないみたい。東海語もだめだった。でも名乗ってくれたよ。マリアってゆうのよ」
 そうこうしてる間にも、新たな客が階段を下りて簾をくぐり、広間の催促の声は音量を上げている。
「そうかい。じゃあマリア、リリも。広間をお願い。女将さんが戻ってきたらすぐ呼ぶから。マリアへの指示はリリが出来るね?」
「わかった」
 マリアは厨房付近の手近な客の給仕に勤しんだ。酒や軽食をお盆に乗せてもらっては、運ぶ先を指さしてもらう。最初の数回ほどリリが対応していたが、事情を察した厨房の者と客がマリアを通り越してやりとりを始め、盆にものを乗せてもらって振り返れば、客が手招きをして呼び寄せるようになった。わかりやすくて助かる。
 毛色の異なる容貌に視線が集まるが、見られることに慣れているマリアは臆さない。しきりに話しかけられるが、そこはどうしようもなくコテンコテンと首を傾げる。それにしてもグラスの結露をふき取りたい。元キャバ嬢の性が疼く。
「リリちゃーん! リベラのワイン二本追加ー!」
「はいー! リベラのワイン二本ですー!」
「リベラのワインが切れた! 手の空いた奴、酒蔵に走ってくれ!!」
 経営者夫婦の初孫が生まれたのはめでたいことだが、この忙しさは目が回る。あちこちに威勢のいい声が飛び交い手際よく注文をはけていたが、地下の酒蔵に走る余裕はない。
 そんな中厨房に戻ってきたマリアは次の指示を受けられず、しばし周囲に視線を走らせた。
 蒸留酒の樽が三つ並び、その横に散乱する空の酒瓶が気になり一カ所にまとめることにする。割れたら危ないし、転がってても危ないし、実際転びかけたのでボーリングのピンのように並べていく。こぼれた酒は近くにあった雑巾で拭く。
 瓶を片付けるとタマネギの皮が所々に落ちているので、大きいものは手で拾い、細かいものは手近にあったモップで掃く。タマネギの皮だけを集めた小さめの樽があったので、そこに捨てる。
 調理人の邪魔にならぬよう、隅を細々と片付けていると焦った声のリリに呼ばれた。
「いなくならないでっびっくりしたよ――うわ床キレイ! お掃除してたの?」
 リリは目を見開く。
 酒瓶は整然と並べられているし、床も拭いてある。こうも忙しいと、いろいろ飛び散っても構っていられないのでどうしても汚れる床がマリアのしゃがみ込んでた隅だけ異様にきれいだ。しかも後に染料として使うため、生ゴミとは別に分けられているタマネギの皮もきちんと専用の樽に捨てている。リリは知らず生ゴミに捨て、こっぴどく叱られてから覚えたことだ。
「リリ! 喋ってないでこれ運んで! あと酒蔵からリベラのワイン持てるだけ持ってきて、貯蔵庫からタマネギ! 籠いっぱいっ!」
「はいっ!」
 返事はしたが、矢継ぎ早の指図に涙目になった。無理だ。
「わいん――たまねぎ」
「え?」
「わいん。たまねぎ」
 マリアが空の酒瓶を左手に持っていた。いくつか銘柄があるうちの、リベラのワインだ。そしてタマネギ籠を右手に抱える。
「りべらわいん。たまねぎ」
「も、持ってきてくれるの!?」
 マリアは首を傾げ、”わからない”と告げている。
 しかしワインとタマネギはすでに覚えたらしい。ワインに至っては銘柄まで正解だ。無口なだけで、本当は言葉を理解しているのではないかと疑いたくなる。
「あ、場所っ? 場所が”わからない”のね。そこの木戸だよ。あけて、階段を下りて、突き当たりが酒蔵、手前が貯蔵庫!」
 リリが木戸を指さすと、マリアはこくっと頷いた。やはり取りに行ってくれるらしい。
 ワインラベルを凝視して、マリアは酒瓶を戻す。籠を抱え直し、木戸をくぐった。迷いのない足取りをリリは感心して見送る。
「リリ! 早く運びなさい!!」
「は、はいっ」
 ところでマリアはトラブル体質だ。死体を発見したことも一度や二度ではないし、コーヒーを飲んでいた喫茶店でヤクザの銃撃戦が始まったこともあったし、拉致監禁暴行傷害経験済み。夜道を歩けば露出狂に会うし、電車に乗れば痴漢が沸く。ストーカーは両手の数。すべて日常茶飯事なので、無感動なくらい何事にも動じなくなってきた。ついには世界の壁まで越えた。そしてさして動じてない。
 だから、薄暗い階段を下り、突き当たりの扉を開けたところで口を塞がれて中に引きずり込まれても、マリアは悲鳴も上げず抵抗もしなかった。

 慣れているので。

********************

 滑舌がよく、腹の底から声を出すメノラが
周囲を憚るように声を低くしたのは合図だ。ニューも察して場所を変えていた。
 広間に繋がり客足の絶えることのない入り口の噴水盤から、さらに階段を下りたところにある事務室がある。この部屋では日々の売り上げや、隣接する貯蔵庫の品の出し入れなどを記帳して管理している正しく浴場経営の舞台裏だ。
 入浴客はもとより、従業員すら鍵を持たせていないので、密談にはもってこいの部屋だ。
 メノラが保護した少女の話を聞くために場所を変えたのだが、メノラはまず今まで渡された手配書の整理から始めた。すでに捕縛されたものや、遺憾ながら時効となってしまったものなどをニューが取り除き、その傍らでメノラは噂話として様々な情報を語る。
 いつものやり取りなのだが、メノラが半月近く孫に会いに不在であったため、思いの外時間がかかった。
 本題を珍しく言い淀むメノラの眦にあるのは強い怒りである。いつもの仕事をすることで、心を落ち着けようとしているように見えた。
「――それで。貴族の子女の捜索の届けは今のところない。身なりがよいとは具体的には?」
 それも一区切りついたので水を向けると、メノラは肺を空っぽにするような大きなため息をついた。
「……それが見たこともない色鮮やかな花が複雑に染めあげられた、薄手でふわふわとした丈の短いひとつなぎの衣裳でしてね。あんな布みたこともありませんよ……破かれて、無惨なものでしたがね」
 先頃受け取ったままの手配書を強く握りしめ、忌々しそうに吐き捨てたその一言でニューは大体の事情を察した。
 メノラはそれ以上語らなかったが、女の子が服を破かれ、道端に倒れていたら誰もが痛ましい想像をする。想像の右斜め上をかっとんで螺旋を描きつつ地面をえぐるような真実など埒外にも程があるっつーもんだ。ニューの整った眉も不快げに寄せられた。
「それに手足もそりゃあ綺麗なもので、傷が痛々しいったらありゃしません。肌の色も変わっておりまして、私らより少し色味がありますが、東の海の人よりもずっと白いんです」
「ふむ。混血かな?」
「混血よりずっとずっと白いですよ。まぁ百聞は一見にしかずですがね。汚れちゃいましたがよく手入れされた長い黒髪がよく映えてそりゃあ綺麗な女の子ですよ。うちのリリより小柄ですけど、年はもう少し上かもしれないですね」
 少し上どころの話ではない。
 十二歳のリリが青い果実なら、マリアは熟れ熟れの見頃食べごろ触り頃の売れ売れおねーさんだ。しかしマリアは二日眠りこけており、自慢の商売道具であるDカップ(公称Eカップ。夢が詰まってるので詐称ではない。ないったらない)の威力が三割減となっていた――日本人は寝ると乳肉が背に流れる。そしてマリアは生粋の日本人である。
 メノラは職業柄洞察力に優れるが、初見の異人種の特徴までは見抜けなかった。彼女の眼力は、日々浴場の入り口で客を相手に鍛えられたものであり、経験のたまものだ。そしてその経験ゆえに、奇妙なものは身近な凡例に当てはめる。
 偶然と誤解の織りなす珍プレイ好プレイ――マリアはせいぜい十代半ばと目されていた。本人が知ったら爆笑するだろう。
「その子は何と証言しているのかな?」
「それが保護してから眠り続けておりましてね。私も仕事がありますから今はリリをつけてます。だから、ニュー様に今度お時間を作っていただきたいんですよ」
「了解した。しかし異国の、身なりのよい少女か……」
 なにやら思案げだが、ニューはしっかりと頷いたので、メノラはひとまず安堵した。グラーダの巡邏騎士である彼は厳密には街の外で拾った少女は管轄外と言えるが、彼は街の人々に親しみと信頼を寄せられた騎士であり、噂によると高貴な出身であるらしい。相談しやすく若いながら優秀な人物なので、管轄外であろうともうまくやるだろうし、使えるコネも多かろう。
 顔を見合わせ頷きあい、ひとまず話を終えそれぞれの職務に戻るべく一歩踏み出した瞬間、高く細い悲痛な叫びが微かに届き、二人は弾かれたように走り出した。




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Name: ハトリ◆ea176006 ID:70f9d7d1
Date: 2011/11/15 22:55
 マリアには何の才能もなかった。この場合”才能”を”夢”と置換しても構わない。
 キャバ嬢時代の同期は、女優になる夢を見ていた。泡姫時代の先輩は、起業資金を貯めていた。SM嬢時代の後輩は、M男の玉の輿を虎視眈々と狙っていた。いろんな女がいた。様々な理由があった。彼女たちの才能、もしくは夢が開花したかなんぞマリアは知りたくもないが、今頃何らかの結果が出ていることだろう。得たものと失ったものが等価なのか――不思議なことに、あの世界でそれを決めるのは、自分ではなく他者だ。本人の矜持なんて誰も鑑みない。己すらもだ。
 マリアはかつて平凡な女だった。
 今だってそうだ。
「でも、セックスなら誰だって出来るじゃない。何の才能もないし、夢のためにがんばってる訳でもなかったし、特技らしい特技もなかったから、誰でも出来ることを、人より巧くなるしかなかったのよね。そしたらこんなとこまで来ちゃったわ。ホントここ何処なのかしら。あれ何語?」
 はむはむと耳朶を噛んだり吸ったり舐めたりしながら器用に喋る。住棟裏手の井戸と広間と厨房くらいしか知らないマリアはこの建物が何の施設か正確に把握していないが、此度の獲物はわりと清潔なことを幸運に思った。楽しくもないが、不快な思いもせずに耳をいたぶる。
 時々耳に舌を突っ込む。ここはわざとらしくぴちゃぴちゃと湿った音を立てるのがお約束。
 ――リリに教わった木戸をくぐり階段を下りると、扉が二つあった。推定ミッションは”りべらわいん”なるワインと”たまねぎ”ことタマネギの確保。二部屋あるなら、酒と食料は別々にするだろう。とりあえず奥の扉から調べてみようと細く開けてみて中を覗く。
 内部は薄暗かった。地下だが、明かり取りがあるらしい。真っ暗ではない。アルコール臭が鼻孔を刺激したからきっと酒蔵だ。目が慣れれば捜し物も出来るだろうと高を括り――中から伸びてきた腕に捕まり連れ込まれた。
 一瞬身を強ばらせたが、何事かと様子を見ていると立ったままのし掛かられワンピースの上から胸をまさぐられる。揉まれる。鼻息うるさい酒臭い。
 ――なんだ、”いつものこと”かとこの時点で判断し、マリアは速やかに反撃を開始した。
 人生のアップダウンに鍛えられ、そのたび感情の起伏がフラットになっていったマリアは自失するほど驚愕することはあまりない。たいてい冷静で、何事も計算ずくだ。
 密着されたことで把握した相手の重心の足を払って諸とも床に倒れ込む。
 衝撃で緩んだ拘束から身を捻ってあっさり脱してマウントポジション。そのまま間髪入れず相手の腕を固めた。
「まさかロハで私に触れらるなんて、思ってないわよねぇ?」
 男が揉みしだいたのは、五日程前からこの世で一番危険で高値なおっぱいだ。
 ――落とし前はつけてもらう。誰にみられることのない暗がりのマリアは、食物連鎖の頂点にふさわしい獰猛な笑みを浮かべる。
 あまり時間をかけるとリリが探しに来てしまうだろう。幼い少女に卑猥なもの見せる気はない。手っとり早くお仕置きだ。
「どうしてほしい? どうしてくれようかな」
 くすくす笑いながら間接を決めつつ、しかし素足がするすると下半身をさする。ちょうど近くにあったので、唇で耳を弄くる。
「酒臭いわね。酔ってるのね」
 酒蔵に隠れて酒を飲んでいたのか。素面はまじめな好青年だったとしても、知ったこっちゃない。
 マリアの乗り気を察したのか、男の抵抗が弱まった。それにあわせてマリアは間接技を解いていく。まるで何事もなかったかのように――はじめから、抱き合っていたかのように。
「バカね。襲われかけた女がその気になるなんてそんなファンタジー、あるわけないじゃない」
 言葉が通じないのをいいことに、害心を赤裸々に囁く。
 両手が自由になったので、首もとから左手が衣服に侵入する。
 右手は男の手を取って、男の性器に誘導する。
「そう。自分で触って。私はこっち。うふ。コリコリしてきた。ね、気持ちいいでしょ」
 薄闇に慣れた目が、周囲を探る。
 この酔っぱらいが呷っていたのだろう、飲みかけの酒瓶を見つけてニンマリと唇が弧を描く。
 本日の凶器決定。
 右手でゆったりと唇をなぞる。つつく。なぞる。口に突っ込む。舌を揉む。引っこ抜く。繰り返す。三回繰り返したあたりから、男は熱心にマリアの指をしゃぶるようになる。
「上手。ちゃんと舐めてね。痛いのはいやでしょお?」
 ぐちゃぐちゃくちゃくちゃ湿った音がワインの芳香に馴染む。
「あっ、あっ、あっ、あっ」
 巧みに体勢を入れ替え、壁に背を預けた男が小刻みに震える。
「そろそろいいかなー。はいもーちょっと腰上げて。そうそう。あ、こら。竿ばっかりじゃなくて、先っぽもグリグリしようねー左手空いてるじゃない。いいこいいこ」
 マリアの右手が酒瓶をつかんだ。飲みかけの酒がたぷりと揺れる。
「それじゃいっきまーす。えい」
 ずぶ。
「ッアーーーーーー!!!」
「それイッキ、イッキ、イッキ、イッキ。あははあははははは!」
「あひっあひっあひぃ!?」
「お酒おいし? すぐに酔えるわよ。ほーら、ちょっといーとこ見ってみったいっ」
「ぁが、がひっ、いぁーーーー!!」
「だめ、休んじゃだめ! もっと激しくしごくの!! えいえい! まだだめ。まだだしちゃだめ」
 急性アルコール中毒になんてなったらさすがに目覚めが悪いので、マリアは突っ込んだ酒瓶を足で押さえながらモルモットのように男を観察する。
 自身を慰める男の手のスピードが増す。内腿が痙攣する。目が焦点を失っている。
「あぎ、ら、らぁあ、あっ、あっ」
 頃合いだ。
「えい」
 下腹部を踏んづけた。

 あーーーーーーーーーーー。

 前後同時発射イェイ。

********************

「何があったんだい!」
 事務室からニューとともに駆け上がったメノラは、賑わう広間で声を張り上げた。
「お、女将さん!? どうかしましたか?」
 メノラに代わって入り口で入場客を案内していた少女が叱られたかのように身をすくめる。実際メノラは眦をつり上げている。
「今悲鳴が聞こえただろ! どこだい!?」
「えっ!? 悲鳴ですか!?」
 少女はキョロキョロと視線を泳がせる。
「その、私は聞こえませんでしたが」
「なんだって?」
「いや。私にも聞こえた」
 鋭い目で周囲を睥睨するニューが幻聴を否定する。
 浴場は半地下にあり、事務室は完全に地下で防音に優れる。微かに聞こえた悲鳴の遠近も定かではなく、二人は当たり前のように人の多いところに駆けつけた。
 広間は喧噪に包まれ、誰もが楽しそうに酒を飲んでくつろいでいる。諍いが起こった様子は見受けられない。だが、確かに聞こえたのだ。ニューも保証している。
 細く高い、助けを求める悲痛な声が。
「メノラ! 事務室の隣は何の部屋だ? 錠のかかった木戸があるだろう。あれは何だ」
「――っ!! 貯蔵庫と酒蔵が!!」
「そっちだ!!」
「厨房から降りる階段があります! 事務室の扉には今鍵がかかってる!」
「承知!」
 メノラとニューは再び走りだした。
「女将さんっ?!」
「騎士様!?」
 慌ててのけぞる料理人たちを掻き分けて木戸を開け放ったメノラの肩をニューが押さえる。
「何すんだいっ」
 気が急くあまり敬語もすっぽ抜けたメノラがギッと青年を睨みつけるが、ニューは腕に力を込めて離さない。
「私が先行する。あなたに何かあったら皆が悲しむ。明かりを頼む」
 言うや否やメノラを押し退け、ニューが階段を下った。
「お待ちよっ」
 メノラも厨房のランプをひっ掴むとすぐさま後を追い――すすり泣く声に足を止めた。
「……メノラ」
「あの子!」
 ランプを掲げると、廊下の突き当たり、酒蔵の扉のすぐそばで、頭を抱えて震える少女がいた。
 メノラはランプをニューに押しつけ駆けつける。
 件の黒髪の少女だ。なぜこんなところに。いや、なにがあったのか。灯火にビクリと戦き恐々とあげた顔は泣き濡れていた。
 少女は顔を背け、細い指が、酒蔵の入り口を指し示す。
 細く空いた隙間から、ニューがランプをかざし中を覗く。
「……っげ」
 ニューがうめいた。
 少女を抱きしめながらメノラも首を伸ばす。
「んなっ!?」
 割れた酒瓶、ワインの海。そのなかで下半身丸出しで性器を握り、白目を剥いている男が鎮座していた。
「なっ、なっ、なんてこと! 人の店の酒蔵でなんだコイツはっ!!」
 ワインを勝手にちょうだいし、気持ちよくなって自慰を始め、泥酔し眠りこけている変態にしか見えない。
 そうなるようにし向けた張本人はメノラの腕の中でしくしく泣いているが。
「彼女は大丈夫か?」
「あんなの見て平気な女の子なんていませんよ!! 大丈夫かい? 襲われてないかい? あぁなんてことだ、よりによってこの子だなんて――ニュー様! あれ、アイツこの手配書の男ですよ! 髭を剃ったんじゃないですかねっ!?」
 メノラはずっと握りっぱなしだった手配書を床に広げる。
 四線枠の罪人。幼女に猥褻行為を繰り返し、つい先日商家の娘に乱暴を働きついに手配された。似顔絵は口と顎にたっぷりとした髭を蓄えていたが、それが無精髭に変わっている。
 しかし、やぶにらみの三白眼――今は全白眼だが――や、垂れた耳朶など特徴が一致する。
「女将さん、騎士様! なにがあったんですかー!?」
「ああ、女衆は来ちゃなんないよ! 男衆! 力のある奴二、三人来とくれよ!」
 メノラは階上に向けて人を呼ぶ。
 その声に、腕の中の少女が身を竦める。
「ああ! 大きな声を出して悪かったね。もう怖くないよ。ああ泣かないどくれよ――いや、じゃんじゃん泣いて目を洗い流しな! あんな汚いもの見て可哀想に……っ」
 男が目を回したのを確認して、マリアは身なりを整えた。乱れた髪も撫で、酒蔵から出る。
 カッと目を見開き三秒。ぼろぼろと涙がこぼれる。
 息を吸って、吐いて、もう一度吸って、ありったけの声を絞って悲鳴を上げた。
 後はうずくまって人が来るのを待っていた。痛ましい叫びをあげておけば、懸念したようにリリのような幼い子供は駆けつけまい。物慣れた、あるいは荒事に長けた男が来るだろう。
 うまいこと予想の通り、物慣れた中年の女と、背の高い青年が明かりを持ってやってきたので後は任せてマリアはほろほろ泣くことに専念する。
 泣くほど怖かったかと言えば、断じて否。
 泣くほど嫌だったのかと言えば、そうでもない。ストレスが解消できた。
 泣くほど楽しかったのかと言えば、日常茶飯事なので目新しくはない。
 ただ、いつからだろう。マリアは痛い、怖い、悲しい、悔しい――そんなことでは泣かなくなった。
 なのに、一人でゆったりお風呂に入っているとき。帰宅して一杯のコーヒーで一息入れる。そんな、なんてことない穏やかな時間に、ふと気がつけば涙をこぼすようになった。びっくりして少し目に力を込めればピタリと止まる。
 なんだったんだろうと首を傾げ――気を抜くと涙が出てくると気づいた。
 気を抜くと泣いちゃうなんて、まるでいつもいつも涙を我慢しているみたいじゃないと笑った。
 ただ――水は、高いところから低いところへ、流れるというだけだ。
 その不断の流れを辿り、マリアはここまでやってきたのだ。




[30346]
Name: ハトリ◆ea176006 ID:70f9d7d1
Date: 2011/11/15 22:59

 目が充血する前に、マリアは涙を切り上げた。瞼が腫れたら赤みが引くまで時間がかかる。その間、美貌を損なう。
 マリアは元を正せばどこにでもいる”ちょっとかわいい女の子”であり、ずば抜けた美人ではない。ちょっとした仕草や計算されたキメ顔で美人オーラを演出しているわけだ。土台が崩壊するまで泣いたところで利益はない。
 大柄な中年の女に抱きしめられ、幼子にするように背中をさすられている現在、まんまと被害者に成り遂せたに違いない。ついでに少々同情を買おうと目論んだのも確かだが、あくまでもついでだ。
 惨劇の後始末を押しつけることが出来れば計算通りである。
 マリアが作り出した惨たらしい変態の肖像は、新たに階段を下りてきた三人の男たちが唸りながら処理している。サンキューだ。
 マリアはむずがるように身を捩り、女の腕から脱出した。すでに涙は止まっており、頬に残った濡れた跡を左手の甲で拭う。
「大丈夫かい? 怖かったね。痛いところはないかい?」
 メノラが気遣わしげに尋ねる。マリアはわからないなりに頻出の単語に当たりをつけた。
「だいじょうぶ」
 メノラの目をしっかり見上げ、告げる。
 泣いた直後の潤んだ黒瞳は、小動物めいてメノラの心臓を引き絞った。こればかりは付加効果であり、マリアの図ったことではない。なんだか大袈裟な人ね、と少し腰が引けた。
 酒蔵に連れ込まれた際に取り落とした籠を拾う。
「たまねぎ。りべらわいん」
 ミッション続行である。中断する理由がない。
「厨房の手伝いをしてくれてたのかい? 働き者だね。なんでこんないい子があんな目に遭うんだ。遣り切れないよ」
「え、あ、ちょ!?」
「わ、わあ!? 女将さんっ!!」
「あ、なんだい……って、こらっ!?」
 メノラがこの世の無情を嘆いている隙にマリアはワインを確保しよう酒蔵の戸を開け放ち、清掃中の男達の度肝を抜いた。
「なにやってんだい! 中に入っちゃだめだろう!」
「? りべらわいん」
 マリアは仕事を完遂したい。なぜ邪魔をする。
「責任感が強いのはよくわかったから、掃除が終わるまで酒蔵に入っちゃ駄目!」
「……だめ?」
「駄目!」
「……だめ」
 空の籠を抱きしめてしょんぼりするマリアがスッピンなのに分厚い面の皮の下で、あの酔っぱらいのせいで子供のお使いすら失敗するなんてあり得ないすっごい腹立つもう二、三本ワイン突っ込んで逆さ吊りにして尿道串刺しにしてやればよかったなどと嗜虐心あふれる残酷絵を脳内に描いて舌打ちを堪えたなんて誰も思わない。
「なにがあったの? なんでリリ行っちゃ駄目なの? 下にマリアがいるのよ! ワインとタマネギをお願いしたの!」
 階段の上では、リリが厨房の壮年の男と押し問答をしていた。マリアが顔を上げる。
「あぁ。あんたマリアっていうんだね? ほら、リリが呼んでるよ。ワインとタマネギはいいから上に行っておくれよ。ね。私も片づけたらすぐ行くから。色々話をしなくちゃならないだろ」
 噛んで含める声音を察し、マリアは渋々ミッション続行を断念した。せめてタマネギ――いや、未練だ。
 背を押され階段を上る。
「マリア!」
「りり」
「ねぇどうしたの? なにがあったの? ころんだの? 大丈夫? 痛い?」
「だいじょうぶ」
 涙目のリリに笑顔で応じつつ、マリアは物憂げなため息をつく。

 ――私の人生は、なぜかいつも変態がその行く手に立ちはだかる。

そんな輩を千切っては投げ、抜いては踏んで、突っ込んでは吊し排除してきた。
 己の不幸に酔っていた時期はとうに通り過ぎた。それでも時折つくづく思う。
 変態以外の隣人募集。

********************

「みんなリリをのけ者にするのよ。どうして教えてくれないの。仲間外れは寂しいのに、みんな意地悪なのよ」
 風呂屋の従業員で最年少のリリは皆に可愛がられている。当然、今回のような出来事は極力その耳に入れようとしない。
 疎外感に膨れたリリがぷちぷちと愚痴をこぼすが、隣のマリアは黙々とすり鉢でニンニクと塩をすりつぶしている。
「いっつも”リリにはまだ早いわ”って教えてくれないの。姐さんたちが楽しそうにお話してるから、リリも混ぜてってお願いするのに」
 マリアがリリの嘆きを正確に把握できていたら「それ猥談中」と身も蓋もない正答を与えてくれただろうが、未だ二つの名詞と一つの形動詞しか操れないマリアはふんふんと頷くだけだ。手元は休めない。
 人目を引くマリアが広間で給仕することをメノラが難色を示した。今日は男湯の日で、入浴客でなくとも広間は利用できるが、やはり男性が中心だ。心配でしょうがない。マリアが実にケロっとしているため、あの光景の意味すらよくわかっていなかったのではないか――それほど幼いのではないかと皆に思わせたのだ。
 ちゃんちゃおかしい。しかし皆、真剣に異国の少女の身を案じたのだ。
 酒蔵の後始末や、”争いなき地”の浴場で起こった犯罪の処理はやや特殊で再びメノラは手が放せなくなった。ニューも同様だ。
 人が居ないところで休ませるよりは、安全な人の居るところで大人しくしていてほしい。
 結果、リリとマリアは厨房の片隅で下拵えの手伝いをしている。
 リリは口と手を一生懸命動かしながら、莢豆のすじ取りをしている。
 マリアはサラダのドレッシングを作っている。作り方をリリに見せてもらったので工程をなぞっているのだが――このドレッシング、おいしいの? マリアは懐疑的だ。
 ニンニクと塩をすり鉢ですりつぶし、少しずつ癖のない油を加えて乳化させた白いソースなのだが、それで終わりだ。油を乳化させるのに手間はかかるが、手間の割には塩のみのシンプルな味わいだろう。
 本当にこれでいいのだろうか。
「男の子たちもね、リリを指さして笑ったりするの。あれ、嫌。そのなかでもキシュケが一番意地悪。髪の毛引っ張ったりするのよ。なのにみんなあんまりキシュケを叱ってくれない!」
 ヒートアップしていく少女の横で、マリアは完成したドレッシングを嘗めてみる。
 塩味。ニンニクがキツい。
 白くねっとりとしたソースなので、マリアはシーザードレッシングのような味を想像してしまう。物足りない。
 そうだシーザーサラダにしてしまおう。
「マリア聞いてる!?」
 名を呼ばれ、食材を物色していたマリアは振り返った。
 なんだか勢いよく弁じたててくれているが、そもそもマリアが言葉をさっぱり理解していないことを忘れていないだろうかとちょっと呆れる。
「んー? きしゅけ?」
「キシュケ! 嫌い!」
「きしゅけ、きらい」
「嫌い! 意地悪なの」
「きしゅけいじわる。りりきらい。きらい。きらいきらいきらいきーらーいー」
「そ……そんなに、すっごく嫌いなワケじゃ、ないのよ?」
 適当に繰り返してみると、目に見えてリリが動揺する。怒ったり焦ったり忙しない反応だ。
 果物籠に両断された果実があった。手にとって匂いをかぐ。爽やかな柑橘系の香りがする。先のとがった卵形。レモンっぽい。
 外皮はマリアの知るそれよりも赤みがかって、果肉は逆に白い。少し絞り手のひらに落とした果汁を舐めてみると、舌が痺れるほどに酸っぱい。
「りりきしゅけすっごくきらい」
 握力には自信がある。ぐしゃ。
「ち、違うの! すっごくじゃないの! その……リリに意地悪しなきゃいいのよ」
 手のひらサイズの大小さまざまな壷の蓋を開けてみる。匂いは右からシナモン、クミン、ショウガ、ナツメグ――胡椒発見。クシャミでそう。我慢。
「きしゅけりりきらーい」
「うっ……や、やっぱり、そーなのかなー……」
 リリが激しく落ち込んだ。
 胡椒を引いて混ぜ合わせる。嘗める。塩を追加する。味が整ってきた。
 乳製品が集められた棚を手当たり次第ひっくり返す。粉チーズがあるではないか。
 あ、少し牛乳追加――牛乳? 牛乳じゃないかもしれない。でも気にしない。何故なら食べるのはマリアじゃないからだ。
 客に供するのに適さなかった焼いた肉の切れ端を盛りつける。
 堅くなったパンの端っこを火で炙りなんちゃってクルトンにする。バキバキバキと手で砕き葉野菜のうえに乗せた。
 とろーりと白いドレッシングを回し入れる。粉チーズをたっぷり振りかける。
 うん、これならおいしそう。
 半熟卵があれば完璧なのだが。
「あら、サラダできたの? なんだか盛りだくさんね。あなたの国のサラダ?」
 盆を携えた女がしゃがみ込んで作業するマリアに話しかけた。少し膝を折って、なるべく視線を同じ高さにしようと努めている。
「持っていっていいの?」
 女が盆を差しだしたので、マリアはサラダボウルをそこへ乗せた。半熟卵が画竜点睛を欠くが、そこはタイムアップだ。
「ね、リリどうしたの?」
 リリはどんより落ち込んでいる。
「りり、きしゅけ、きらい。きしゅけ、りりきらい」
 とかなんとか言ったら落ち込んだのだ。
「あは。違うのよ。逆、逆。キシュケは好きな子を苛めちゃう子なの。まだ子供。リリはもっと子供。好意が全部一緒」
 長文はわからない。
「んー? りり、きしゅけすき」
「そう」
「ちがうもんちがうもん違うんだからね!?」
「んー?」
「あはは! これ運んでくるね~」
 猛然と食ってかかった少女を軽やかにかわし、女は給仕へ戻っていく。
「……ち、ちがうのよ?」
「りりきしゅけすき」
「ちーがーうーのっ! マリアも意地悪するの!?」
 言葉をろくに理解していないのに揶揄するネタは取りこぼさない。
 口元をちょっと釣り上げ、マリアは妖艶な笑みを浮かべる。
 改めて語るまでもないが、マリアはドSである。

********************

「なんだいみんなして葉っぱばっかり食べて珍しいね」
 店を出たところで捕縛された四線枠の罪人を引きずるニューと連れだって店を離れていたメノラが少し草臥れて帰還を果たすと、広間では何故か皆が草を食んでいた。
 お肉を食べたら野菜を食べないと、魔物が足の親指を刺しに来るよと、グラーダの子供たちは母親に躾られる。野菜はごった煮にして肉と一緒に食べるのが一般的で、生の葉野菜サラダは貴族の真似をしたちょっとお洒落な一品だ。
 最近品書きに加えたのだが、生野菜を食べ慣れていない下街の人々は興味本位で注文するものの、食べにくそうにしておりあまり人気がなかった。
 当初、塩を振るだけの味付けだったが、メノラの梃子入れで白身魚のパイ包みのソースをかけてみた。緑に白のソースが映え、食べやすくなり中々の好評を得たが、なじみが薄いのはいかんともしがたく、葉野菜はすぐ傷むので仕入れの量の調節も難しい。どうしたものかとメノラの頭を悩ませていた。
「あ、女将さん! おかえりなさいませ!」
「ただいま。こりゃあどうしたことだい? サラダがこんなに注文されるなんて」
「ほら、あの子。黒髪の女の子が作ったソースをかけたんですよ。肉の切れ端と、焼いたパンを砕いたものを乗せて和えたんです。レモンのいい匂いがして、ぴりっと胡椒が利いて、たっぷりの粉チーズがねっとり濃厚なのに酸味が爽やかで、葉野菜がシャクシャク、砕いたパンがガリガリ、小さいけれどお肉もあって食べごたえたっぷりで、おいしいんですよ!」
 この少女、後に豪商に嫁ぎ美食家の奥様として名を馳せる。
「――……あんた、食べたのかい」
 仕事中だ。
「あっ」
 しまったと少女は舌を出し、メノラはそんな悪びれない仕草に呆れて咎める気も失せる。
「そう……あの子かい。どこの国の子なんだろうねぇ」
 ニューもしきりにそれを気にしていた。




[30346]
Name: ハトリ◆ea176006 ID:70f9d7d1
Date: 2011/12/14 22:50

 言葉が通じないのなら、恩は身体で返せばよい。それゆえの労働だ。この施設に隣接する建物に寝かされていたのだから、この施設がマリアを保護した人物と無関係ではなかろう。見当外れであっても、腹ごなしのよい運動になった。シーザーサラダも好評なようで喜ばしい。
 だからもう、この場には用がないとすらマリアは考えていたのだ。
 後は適当な売春宿――窓辺から眺めたエキゾチックな街並みに、ごく自然に浮かんだのはこの単語だ。娼館、妓楼、なんて語感も悪くない。それでもやっぱり売春宿がマリアの胸の内に一番しっくり収まる。
 たとえば江戸吉原の太夫のように、教養琴棋書画のたしなみに歌舞音曲となんでもござれで床上手――なんていう女ではないのだ、マリアは。
 かの地の栄枯盛衰が示すとおり、大衆化が進行し歌えない踊れない琴も書画もへったくそな遊女ばかりになったとき、女芸者が現れた。すなわち性と芸の分化であり、吉原のソープ街で泡姫やってたマリアは、前者の系譜のハイエンドといえる。二一世紀のソープ街に後者の需要はない。女がパーなら男もパー。じゃんけんでもあるまいに、どこまでも相子でしかない土壌に芸の需給はない。
 売るのは”春”だ。
 芸でも駆け引きでもましてや愛なんぞ商品棚にも並んでいない。在庫なし。入荷予定もない。
 ただ男の享楽のために、金銭でひとときの慰み者となる。
 男がいたし、ちんこ生えてたし、擦れば出たしびゅうびゅう出たし、なにを不安に思うことがあろうか。この身ひとつあればよい。
 黄金の右手に国境はない。すばらしい。
 言葉が通じないので、個人で始めるのはデメリットしかない。自らの足で客を捜し、立ったまま売買交渉なんて素人めいた惨めな真似はまっぴらゴメンだ。商売というのは、多くの人間が関わるほど大局的には儲かるものだ。売る人仲介する人手伝う人買う人エトセトラエトセトラ。どこかで組織的に効率よく売りながら、庇を借りて母屋を乗っ取るなんて素敵じゃないと庇を貸した方からすればたまったもんじゃない思考回路でマリアは舌なめずりをする。
 すでに自分でエステサロンを経営してたマリアの肩書きは女性実業家(笑)。かっこわらいかっことじまでが正式名称だが、一国一城の主であった自負もなきにしもあらず。

 誰か適当な売春宿紹介してくれないかなー。

 グラーダの花街はこのとき秩序崩壊の危機に瀕していた。
 たった一輪の花が、花街を救ったことを誰も知らない。 

********************

 慌ただしい日だと、暮れ泥む空を仰いで短く息をつく。篝火の用意を始めた街並みを早足で抜け、こめかみから伝った汗を拭う。
 あぁ風呂に入りたい。
 その風呂屋に向かっていて、浴槽に飛び込むこともかなわない我が身を少々大げさに嘆きながら、騎士団の詰め所で四線罪人の取り調べを保留し――要領を得ず思いの外時間がかかったのだ。
 水をぶっかけ意識を取り戻した罪人は存外素直に騎士の糾問に応じたものの、その答えが新しい世界をみただの女神が降臨しただの世界がキラめいて見えるだの尻の中には天国があるだの意味不明な供述を恍惚として宣いことごとく理解不能。酔いが醒めるまで牢屋に放り込んでおくしかないという結論に達した――徒労を回想してしまったとたん、ニューの背にどっと疲労がのし掛かった。
 とにかくメノラの頼みでもある黒髪の少女の件を片づけんと、ニューは再び風呂屋の入り口を下った。
「あれニュー様。今日はもう無理だと思ってましたよ」
「そういうわけにもいくまい。聞いた話だと、彼女は旅券も所持していなかったのだろう? 事情を聞いて、仮でもいいから滞在許可を申請しないことには、昼間のように不届き者の手に掛かってもこちらは何もしてやれない」
 グラーダの巡邏騎士であるニューはグラーダの民を守る任にあり、翻せばグラーダの民でなければか弱い少女を守る法もない。弱者を守るための法であり騎士であるというのにだ。
 異国の民ならその国の領事がその身を保護するが、ちらりと垣間見た珍しい容姿の少女はどこの国の者かも見当がつかない。
 この国は海洋国家だ。その王都グラーダには様々な国の領事館がある。多くの外国商人が街を歩いている――にもかかわらず、だ。
 周囲の村落の食い詰め者と同様の、短期就労許可であれば取得はそう難しくない。
 疲れたように呟くニューの埃っぽい姿に、メノラは手近にいた娘に濡らした手ぬぐいを渡すように言いつけた。
「今あの子を呼んできますね」
「どこか適当な部屋を借りたい。書類を作成するんだ」
「わかりました。少々お待ちを」
 メノラ自ら少女を呼びに行っている間に、濡れた手ぬぐいを受け取ったニューはありがたく顔と手を拭い、ほんの少し呼吸が楽になった。
「どうぞよろしくお願いしますね」
 メノラが少女の手を引いて戻ってきた。
 少女は無口な質なのか、一言も言葉を発さない。小柄で少女めいた容貌に反して、どこか冷めた目でじっとニューを見上げるのみだ。
「いつもの事務室をお使いくださいな。ただし扉は開けて置いてくださいね。ニュー様を信用してないってわけじゃあないですよ。昼間怖い目にあったんだ、男と二人っきりじゃ不安になるだろうし。本当は私も同席したいんですよ。なにもこんな忙しい時間帯に来てくださらなくても……いえ、旅券もないんだから、早いに越したことはないってわかってるんですがね」
 日が暮れて、一日の仕事を終えた男たちが続々と身を清めんと浴場を訪れる時間帯だ。確かに間が悪かったかとニューも苦笑する。
「承知した」
 別段仕事以外の何をするつもりもないニューはアッサリ頷く。ちなみにマリアと二人っきりになって危険なのは十割男の方である。ただし彼女は客以外にはカウンターパンチャーなので、何もしなければ何事もない。
 何かしでかしたら性奴隷コース真っ逆様だがそんなこと知る由もない。
「あぁ失念していた。メノラ。初孫おめでとう」
 飾らない祝福とともに、ニューは青い花束をメノラに差し出した。
「まぁ! まぁ! まあぁ! 花だなんてさすが騎士様! ありがとうございますっ」
「男の子だと漏れ聞いたから青にしたよ。詰め所の庭のもので恐縮だが」
「嬉しいですよぉ! さっそく広間に飾らせていただきますね!」
 巡邏騎士が住民と物品のやりとりを行うのは原則禁止されているが、花だけは例外だ。美しく害もなく、時がたてば朽ちる花に罪はないと目こぼしされている。
 花売りが売り歩く小花ではなく、大輪の花ともなると高価なものであり、貴族らしく騎士らしい祝いの品にメノラは少女のように頬を染める。
 その青い花束を、少女が食い入るように見つめていた。
 気づいたメノラが一輪抜いて少女に差し出すが、彼女は棘に臆したように受け取らない。実際は、贈り物なので棘は丁寧落とされている。
「髪に挿したらどうだい? 黒髪に映えるよ」
 満面の笑みを浮かべたメノラが少女の鬢に花を差した。
「うん。黒い髪に、青がよく映える」
 少女は耳ごと花を押さえ、唇でいびつな弧を描く――それは、はにかんだようにも、笑おうとして失敗しようにも見えた。
 青い花弁は、黒い髪によく似合う。

 黒い瞳が、揺れていた。

********************

「はろーあにょはせよにーはおしんちゃおまがんだんはーぽんさわっでぃーか」
「……なんの呪文だ?」
「すらまっとぅんがはり――あー、ぼんじゅーるぶえなすたるですぐーてんたっぐめるはばごだーふーてみったーふ……全滅なの?」
「舌打ち……」
 ニューは倍増して再び両肩にのし掛かった困憊に卓に突っ伏しそうになった。
「……予想してしかるべきだったが、しかし言葉が通じないとは聞いていない……」
 酒蔵で彼女はメノラと会話していなかっただろうか。確か”大丈夫”と健気に言っていたはずだ。
 疲労と同情と猜疑がぐちゃぐちゃに混ざりあい、とりあえずニューは己の知る限りの言語と朗らかな笑顔で彼女を”雌ブタ”と呼んでみる。
 赤い顔料で緑と書いた文字を指し、何色? と問うような、貴公子然とした笑顔と相反する罵倒で相手の変化を観察する。
「めすぶた?」
 マリアは単語をそっくりそのまま繰り返し、にこりと小さく笑った。
「……すまない忘れてくれ。失礼な試し方を申し訳なく思う」
 笑い返してきた少女は、つまり笑顔に反応したのだろう。
 全く聞き覚えのない複数の言語で、雌ブタ呼ばわりされたマリアは当然意味など解っていない。解っていたとしても、怒り狂うことだけはなかっただろうが。
 ただの事実だ。
「「……――困ったな」」
 狭い部屋で男女は違う音で同じ言葉を口にして途方に暮れた。
 すんなりと伸びた手足、しっとりと長く艶やかな黒髪、歯は行儀よく整列しており驚くほど白い。風呂屋の従業員用の簡頭衣を着ていても、ハッとするほど美しい。メノラが育ちがよいと繰り返したのも納得の容姿だ。
 なのに黒い目は色合いだけにとどまらない暗さがある。理不尽な暴力に見舞われた女性特有の陰りだ。
 目の前の少女は――暗い過去を背負い、それでもなお俯かず、ツンと上を向き、豊かに張りのあるそうそれは服の上からもわかる隠しきれない――向上心。彼女は胸を張って生きている。

「ノーブラだからって見すぎよ」
「重ね重ね申し訳なくだがしかし私も男なのでついそのぽっちから目が離せなくいやいやいや申し訳ない」

 言語を越えたコミュニケーションで奇跡的に成立した身も蓋もない会話があったりしたものの、頭の回転が速く気儘勝手な男と女は同じ言語を使用したって意志の疎通はままならないものだ。
 そう時間を要せず、お互い好き勝手喋り始めた。
「えーと、あなたを保護したメノラが、昼間の事件の罪悪感もあってあなたの後見を買って出ている。滞在許可はこちらで申請しておく。三月ほどの短期のものだが、とりあえずそれまでに欠片でもよいから己の事情を説明できる言葉を覚えてほしい是非」
 ニューはインク壷から引き上げたペンの切っ先をくるくる回し、顔も上げず一息で言い切る。
「あなたは不審だ。積極的に疑うのも難しい外見だが、だからといって、貴方がこの街の人々に害為すことはないと、信じる理由も何一つない」
 さわやかな笑顔を浮かべながら、伝わってないと知っていて辛辣なことを言う。
 しかし非言語式コミュニケーションに長けたマリアは、悪意とまでは言わないが、異物を排除しようとする免疫反応を肌で感じとった。
 かわいらしく破顔する。
「うふふ。私ったらバイ菌扱い? 貴方はさながら白血球? いいカンしてるわね。頭の良い男は嫌いじゃないわ。そのプライドをズタズタにするのが楽しいの」
 マリアの嗜虐心が蛇のように頭をもたげた。
 鈴を転がすような声音なのにゾクリと粟立つものを感じ、ニューが書類から顔を上げる。
 マリアはにこにこ笑っている。
「……言葉が通じないのが口惜しいな。貴方は本当はお幾つなのかな?」
 ――ゾクリとした。
 男性なら誰もが搭載している高機能探知機ならぬ探知器が反応した。我が身の分身でもある、素直な利かん坊がビクッとした。ニューの息子は幼女趣味ではない。ぶっちゃけ熟女好きだった。孫がいるなんて最高だよね。幸せの象徴だよね。見ているだけで幸せになれる。メノラに好意的なのは彼女が熟女だからだったりする。年端のいかぬ少女に顔を上げたことなど未だかつてない――にも関わらずだ。
「少女――? どこが?」
「なんか万死に値すること言われている気がするの。とりあえずイエローカード一枚出しとくわ」
 売女、雌ブタ、ビッチと呼ばれようと「そうよ、だから何。かわいがって欲しいの? だったらお金払ってね」と嘯くマリアだが、年増扱いは許さない。絶対に許さない。とりあえず、絶対に許さないお年頃だ。
 風呂屋の事務室に笑顔の吹雪が吹き荒れる。
 うふふあははと見つめあい、ひとしきり朗らかに笑顔を交わす。笑顔も万国共通だ。腹のうちはともかくとして。
 笑い声を収め、マリアはニューが作成している書類をのぞき込む。長い台詞はサッパリわからん。聞き流すしかなく、適当なリアクションをとるのもそろそろ面倒くさい。
 期待はしていなかったが、やはり文字も全く見覚えがない。ミミズがラインダンスしているようにしか見えない。マリアは会話は得意だが、読み書きができるのは日本語と英語、韓国語だけだ。筆談の望みも費えたようだ。鬱々としてきた。
 髪に挿した花を抜き手に取り、しげしげと眺めて眉をしかめる。
 青い花だ。その姿は、プリマドンナの名を冠した薔薇に似ている。
 斜めの切り口はきれいなもので、導管をつぶさぬように一息で切り取られている。断面は鮮やかな緑。染料を吸わせた形跡はなく、脱色して染める方法も思いつくものの、茎のついたままのプリザーブドフラワーなどお目にかかったことがない。
 だとすれば、これは、こういう花なのだろう。

 青い薔薇に見える。 

 キャバ嬢時代に、遺伝子操作で作り出された青い薔薇の花束――正確には花輪――をもらったことがある。
 青というより薄紫の花だった。見慣れていないせいだろうか。さして美しいと思わなかったのを覚えている。
 今、手中にある花は、なんとも厳格なシアンブルー、原色の青。
 やはり美しいとは思えない。
 いっそ気色悪い。
「気に入らないわ。イライラする」
 マリアは吐き捨て、ふっと笑みを消す。
 白い仮面のような無表情に、ニューは本能的に身構える。ぞわりと空気が蠢いた。
 青年も笑みを消した。
「ここはどこのワンダーランド。それともネバーネバーランドかしら? 私はアリス? 貴方はジャバウォック? ウェンディ? ピーターパン?」
 一般的に豊かな生活を送った少女時代に読んだ児童書を思い出す。その後急転直下で夜に染まったマリアは、ギシギシアンアンに忙しく娯楽らしい娯楽に触れてない。ストイックにギシアンしてたのだ。
 一瞬で見覚えのない森の中に落下しても――違う世界。異世界。そんな単語は出てこない。出てこなかった。トリップと言えば薬をキメてアヘってるバカを指す。
 娯楽不感症ともいえるマリアでも、この手の中の”不可能の代名詞”が、告げる意味をおぼろげながら察することが出来た。
 決定的に、何かが違うことは、理解できた。
「――神様は、意地悪ね。でも、いつだって正しいのよね。こう見えて、案外信心深いの、私。神様は私みたいな女、嫌いだけど、私たちにこそ、神様が必要だから」
 主に、エアサンドバッグとして愛用している。
「――神様の名前をみだりに呼んだりしないいわ、私。名前なんて知らないもの。私は両親を敬ってるわ。同時に心から憎んでるけど。殺人なんてもってのほかよ。理由なんていらない。盗みだって賛成しない。自力で稼いで買いなさい。バレるような嘘はつかないわ。嘘をつくのなら、最後まで貫き通さなきゃね。不倫はやめといた方がいいわ。ほんっっっっっとに面倒くさいもの……あとなんだっけ」
 つまらなそうに指折り数え、知る限りの”神様の教え”を羅列する。おかしい十個はあったはずなのに足りない――所詮この程度の信心である。あくまでも自称だ。
「あ! 獣と寝る者はみんな死刑! 心から賛同するわ。私、獣姦だけは許せないの」
 マリアはゆっくりと顔を上げた。
 目の前には濃い金髪に、青い目の青年が警戒心を露わにしている。端整な顔立ちで、笑顔で喧嘩を売ってきた。頭がいいのだろう。マリアの喧嘩もきっちり買った。互いに言葉を介さずに。
 絵本の王子様のような青年だ。
 だがしかし、豚に真珠、マリアに王子。王子をマリアに投げてはならない。それを足で踏みにじり、弄んで噛みついて打ち捨てるだろうから。
 つまりどうでもいい。
 そして猿にしか見えない。
「……目にみえないものがこわいの。もうちょっと具体的に言うと、細菌がこわいリケッチアこわいクラミジアこわい真菌こわい寄生虫こわいウィルス超こわい」
 ――感染症が怖い。
 マリアは職業売女だ。性感染症なんぞ隣人である。エイズとかエイズとかエイズとか。ワクチンも特効薬もないのなら、情報武装するしかない。詳しくもなる。
「インフルエンザは豚やアヒルでしょ。結核と麻疹と天然痘は牛でしょ。マラリアは鳥でしょ。エイズは猿でしょ――もともと動物の病気が変化して、人の病気になって、人に伝染るようになったんだって」
 だからマリアは、エイズについて、こう思った。


 野生の猿とヤりやがったキチガイはどこのどいつだ――! と。


 おかげでマリアは毎日毎日怖い思いをしているのだ。じゃあ体売るのやめればいいじゃない? 私に呼吸をするなというのか。
「やっぱり神様って正しいと思うの。伝染るから”するな”って言ってるじゃない。伝染るから”死ね”って言ってるじゃない。予防と対策をちゃんと示してるわ、顕微鏡もない大昔に。悪徳の街を滅ぼした炎って天罰じゃないわよ、感染源の除去よ。これ以上伝染しないように街ごと人を燃やしたのよ――人がね」
 そして聖書の斬新な解釈に至った。通説なんて知らないのである。
 ――最悪だ。
 経皮、経口、空気。どんな感染様式だろうと、セックスすればたいていアウト――お笑い種だ。目覚めたとき、四肢を拘束されていないことをマリアは他愛なく喜んだ――代わりに、穴が塞がれていたとも知らずに。
 アステカを滅ぼしたのは征服者ではなく天然痘だ。南米に天然痘がなかったからだ。弱い者が死に、強い者が生き残り、淘汰の中で獲得した免疫がなかったからだとか。あっというまに流行し、猛威を振るったという。
 ペットブームに乗じて輸入された珍しい動物が、日本人のほとんど知らない人畜共通感染症を持ってきたなんて話だって聞く。
 ――青い薔薇の咲く大地の人々と、青い薔薇が存在しない大地から落下してきたマリア。
 互いが互いにとって、接触のない獣(エキゾチックアニマル)。
 共生している微生物でさえ、お互いにとってどう転ぶか解らない。それこそエイズのように。猿はSIVと共生している。人はHIVで死ぬ。
「……生水飲んだ。リゾット食べた。ペルセフォネ気分だわ。四人ほど昇天させてるし――とはいえ粘膜は使ってないけど。慧眼。私慧眼」
 すでに、腹の中には寄生虫の一匹や二匹飼っているかもしれない。少し、気が遠くなる。飲み食いしないなんて選択肢はそもそもないが。死ぬ。すぐに死ぬ。
 だが、なんと意地の悪いことだ。セックスしないという選択肢は、ある。死にはしない。しなくたって死にゃしない。
「――じゃあ、なに。目に見えないものがこわいのなら、穴を使わなきゃいいとでも言うのかしら――それは貞淑な処女のように」
 長い長い、マリアの自問自答をニューは黙って聞いていた。口を挟む隙もなく、そもそも意味も分からない。だが、長い長い言葉に用心を深める――彼女はおそらく、己の言語なら、読み書きができる。でなければ、こうも長い言葉は喋れないのだ。たとえば農村では、たいていの会話は一言二言で事足りる。字が読めなくても事足りる。読み書きが出来るのは村長と、その村の神官くらいだ。そして、人前で説明する機会があるからこそ、彼らは拙くとも長い言葉を必要とする。
 会話なら誰でも出来る――そんなことはない。決してない。他人に説明するというのは、文字を操る者の技能だ。
 文字を読む。単語を知る。単語により概念を得る。概念により抽象的な思考を可能とする。そしてその思考を、文字により、受け継ぐことが出来る。そしてそれを他者に伝えることが出来る――長い言葉は、これだけの能力を必要とする。言語による複雑な思考とその継承は、支配階級、知識階級の特権だ。
 それをこのようなあどけなく見える少女が流暢に操れば、異彩を放つ。
 マリアは眉を寄せるニューなどとっくに放置して、握りしめた青い花を視線で射殺さんとばかりに鋭利に熟視する。
「……処女、処女、ね。胴体ばっかりしこたま殴られながら輪姦されてなくしたモノね。私、その日にキャバクラデビューしたの。顔を殴らないわけよね。ふふふ」
 そんなものに未練はない。そんなものに未練を抱けば、惨めなだけだ。だからマリアは、今も”マリア”だ。
 そんなモノを、今更大事にしろと言う。
 守れと言う。
 安易に体を売るなという。
 死にたくなければ、貞節であれと――青い薔薇が告げる。
 告げるが、当然マリアは曲解してのける。

「テクのみで生き抜けってことよね」

 上と下と後ろの口は使用禁止。手も足も、傷を作らないよう留意しなければならない。
「……厳しい制限だなぁ。ゾクゾクしてきた。やん濡れちゃったノーパンなのに」
 マリアの恐れる未知かつ免疫のない病原体なんて、ないのかもしれない。顕微鏡はあるだろうか。だが電子顕微鏡はないだろう。見ることは出来ない。そもそも見えたところでわかるわけない。微生物なんてアオミドロとゾウリムシしか覚えてない。
 ないのかもしれない。でもあるのかもしれない。
 この疑惑が解消される日は来ないのだ。
 セックス禁止。うわーうわー。
 感染病予防の心強い味方、コンドーム君もいない。いや、コンドームの歴史は意外なくらい古い。豚やら牛あたりの腸を装着して避妊具のつもりでいた歴史があったはず――コンドームは避妊具じゃねーよ。しかも生かよ。豚や牛の腸をナマで膣に入れるとかもうアホかと。せめて熱湯消毒。しかし茹でたら皮がパリっとシャウエッセン? となると装着してから茹でなくてはならない――ただの拷問だ。あぁもしかしてソーセージってそっから発想を得た食べ物なのかも。
 脳内でまたもチン説を繰り広げながらめまぐるしくマリアは混乱している。
 この条件下でそれでもなお、己の死を覚悟して、相手の死を許容して、抱き合う相手がいるとすれば――もしかして、それは、愛する男というヤツか?
 失笑。
「んん。私は”青い薔薇の咲く世界”に侵入した異物なのね。世界対私のサイズ比じゃ、細菌ぐらいかしら。その私と戦うのは――白血球、貴方かしら」
 マリアは壮絶な流し目でニューを見やる。
「な、嘘だろっ」
 ニューは前屈みで卓に懐きながら驚愕する。
 息子が。熟女好きの息子が生まれて初めて少女に挨拶するなんて――!?
 流し目一つで青少年の自己同一性に波紋を広げといてマリアは一顧だにしない。
 それどころじゃない。
 ――青く。
 憂鬱より青く、厳格に青く、優秀に青く、いやらしく青く、淫らに青く――薔薇よりも青く。
「あ、来る。これ久しぶり。あ、あ、来てきて。もっと。もっとよ、前から後ろから、あ、きてきてきて――!」
 マリアは怒り狂う。
「ふざけんじゃねーわよっ!!!!」
 心のままに怒声をあげた。
 淡々と冷静で感情の起伏に乏しいマリアが声を荒げて激怒した。
 だって、皮肉すぎる。さすがに皮肉すぎる。そして理不尽だ。不条理だ。非合理だ。
 むかつくむかつくむかつくむかつく!!
「ワンダーランド? いいわ、ワンと鳴かせて跪かせてあげる。ネバーネバーランド? 見てなさい、ねばねばのぐちょぐちょにしてあげるわ」
 ――冒して侵して犯してくれる。

「ヤってやろうじゃないの」

 その青き激昂の冷笑に、青年は戒厳を忘れ――声もなく見蕩れた。



[30346]
Name: ハトリ◆ea176006 ID:70f9d7d1
Date: 2012/02/05 23:46

 都合により5話更新その①


 黒髪のマリア【マリア・マリカ・アッシャーラ・ラ・ディエノ・デル・ナヴァラ】
 (???~328)ナヴァラ公爵婦人マリア(注:夫人ではない)、ナヴァラ女公爵。レオン三世の愛人。
 ”黒い髪のディエノ”、”薔薇姫”に代表される数々の芸術作品の素材となった実在の女性。
 生年、出自は不明。娼婦、踊り子、亡国の姫君と来歴にも諸説がある。グラーダの浴場で湯女として働いていたのは事実(サイファ文書)であり、世界一出世した女性としても有名。

 後の世にウッカリ――不本意。本人は社会の裏側の底辺の片隅で一人黙々と生きていくつもりだった――人名事典に名を残してしまう彼女は、今はまだ社会の表側の真ん中くらいの片隅で、決意も新たに異世界の生活を営み始めたばかりであった。

 墓穴風穴落とし穴。
 抜け穴尻穴のぞき穴。
 強かに、狡猾に、優雅かつエロティックに生きていくためには数々の穴が必要だ。

「――穴がなければ、掘ればいいじゃない」

 母国語でなされた異世界生活所信表明は後世には伝わっていない。

********************

 よく、わからないが。
 マリアはこの施設で働いて生きていけばよいらしい。
 リリに手を引かれ案内された建物の全容は浴場だった。一日おきに男湯、女湯と切り替わり、男湯の日は男性従業員が浴場で細々と客の要望に応え、髪を洗ったりマッサージ、あかすりなどを施す。女性は広間で給仕する。女湯の日は逆になる。
 男には男、女には女。非常にマトモなお風呂屋さんだった。チョットつまんない。
 マリアは言葉が話せないため、浴室ではなくまず広間で給仕をしろと仰せつかった――ように思われる。推測のまま行動しても注意されることもないので、間違ってないだろう。
 男湯の日も女湯の日も、広間と厨房を行き来して、時折気が向いたら調理に手を出し、珍しい料理を作ると重宝されている。

 いたずら小僧がすれ違いざまに裳裾を捲りあげた時、マリアは両手で山盛りサラダを乗せた盆を運んでいた。
「……」
 故に、彼女はピクリとも自衛に走らずサラダを死守。
 マリアは生まれて初めてスカートめくりなどという古典的な被害を受けた。
 眼前に広がったワンピースの裾がたっぷりと風を含んでゆったりと落ちていくのを突っ立って待った。
 裾が戻ると、静まり返った広間を横切り、目的の卓まで注文の品を運び、盆を抱え直し、何事もなかったかのように厨房へ引き返す。
 厨房の人々は、突然重苦しく鎮まった広間の様子に怪訝な顔をしてマリアに目をやるが、マリアに状況を説明する言語能力はない。素知らぬ顔で奥に引っ込み、床に散らばっている、野菜などを縛っていた麻縄をたぐり寄せ掃除を始める。
 数日足らずで、彼女は”まじめで働き者の無口なよい子”の称号を得て――心配されている。
 まず食事量が少ない。
 アウスレイアは一日五食。軽い朝食に間食を挟み、一番量を摂る昼食。また間食を挟み、酒を飲みながら遅めの夕食を食べるのが一般的だ。
 マリアは朝食は普通に食べる。しかし午前の間食は自主的に食べようとしない。誰かが手ずから果物を与えるとそれは拒否しない。礼の代わりかにこりと笑う。
 昼食はリリと比べると控えめだ。もっと食べろと勧めても困った顔をする。
 午後の間食は果実ではなくパイや揚げ菓子などが好まれるが、そちらは手をつけない。果物を選んで摘む。
 そして夕食は食べない。
 月に一度、新月の夜は日が暮れてから食事をとらない。太陽神ソルン・シャマシュとその妻の月神ディエノ・メセチナを崇めるアウスレイアは、月の隠れる夜はソルン・シャマシュが妻の元へ渡る日とされ、人間は夕食を取らず早々に寝静まり、神々に静寂を捧げる。そのため新月の夜は”断食の日”とも呼ばれる。
 毎日断食。
 人々からみたマリアの食習慣はその一言に尽きる。
 成長期をとっくに終えているマリアは、まさに成長期のリリと比べて量を食べる必要はないし、午後の間食である焼き菓子揚げ菓子は実は甘くない。そのためマリアは午後の間食を早めの夕食と認識している。つまり夕食は夜食にしか見えない。
 セックスという名の激しい運動を禁止されている身としては、夜食を食べたらカロリーオーバーだ。とはいえ職業売女であるマリアはキャバ嬢時代の枕営業と泡姫時代以外本番はしなかったものだが。気が向いてもしなかった。なぜならプロだから。SM嬢時代に至っては服すら脱がなかった。プロだから。
 いつも通りの食事量に調整しているだけである。
 本人はものすごく久しぶりな朝型生活に早々に順応し、こんなに健康的な生活なんて何年ぶりだろうとツヤピカのお肌をもちもちさわって自画自賛している。
 目に見えない脅威に怯えつつも健康だった。健康そのものだった。
 そして、たっぷりの昼食後は午睡を楽しむものだが、マリアは寝ない。長い昼休みだなーと思いつつ、針仕事や細々とした物を器用に作成し、生活を潤わせようと努めている。
 食べない眠らないよく働く。
 言葉は通じないのに何故かかゆいところに手が届く給仕をする。気が利くのを通り越しているように感じる。目に見えない物が見えているようだともっぱらの評判だ――いわゆる空気が読める。日本人の標準能力だ。
 言葉は通じないのに、絶妙な相づちと華やかな笑い声で、客の舌を滑りをよくする。典型的かつ上級の聞き上手で、給仕のマリアを捕まえて会話――? をしたがる客は老若男女を問わない。
 マリアは耳が良い。言葉を覚えるのは得意だった。無言のうちにちゃくちゃくと学んでいる。
 指名料がつくならば、マリアは無口どころか片言で接客を始めるだろう。無口で通しているのは、話術も金になるからだ。
 必要以上のサービスはしない。
 所変わって品変わろうとマリアは接客のプロだ。
 ――さて、こんなものか。
 食材などをまとめていた麻縄は、細く丈夫だ。それらを集め、結び、強度を確かめ、また結び、満足のいく長さを確保したマリアは沈黙の続く広間へ取って返す。
「……」
「あ、や、あの……」
 結んだ麻縄をくるくると肩に掛けたマリアが、いたずら小僧に無表情のまま対峙した。
 睨むでもなく、その珍しい黒い瞳でヒタと見据えられた少年は、ぱくぱくと口を開閉させて俯いた。
 だって、そんな。
 他愛ないイタズラだったのだ。
 同じ年頃のリリなどは、大きな悲鳴を上げて真っ赤になって怒鳴り散らしておもしろい。酔客は手を叩いて野次を飛ばし、あまりやりすぎると年かさの従業員にげんこつを食らうけど、窘められても本気で叱られたことはなかった。
 だからキシュケも本気で反省したことはなく――堪忍袋の尾が切れたリリに丸一月口を利いてもらえなかったときは、なぜかとても落ち込んで、生まれて初めて花を買い、少女の機嫌をとったけれど。
 新入りの少女をちょっとからかってやるだけのつもりだったのだ。そんなつもりはなかった。
 なぜか縄を持って無表情のままじりじりと距離を詰める黒髪の少女が怖い。とてもこわい。
「ご――ご、ごめっ」
「……」
 獲物に喰らいかかる蛇のごとく、麻縄が空を切る。
 緊縛ショーが始まった。

 日本一の緊縛師の異名を持つ老人をエビ釣りにして、「もうお前に教えることはない」と言わせ――バラ鞭で――免許皆伝を受けた。
 当時は真面目で一生懸命だったが、端から見れば老人虐待、そしてギャグだろうと今なら思う。さすがに思う。
 枯れた枝のような全裸の爺さんを滑車でエビ釣り。アソコも縛った。
 とてもひどい。
 でも当時は一生懸命だったのだ。真剣だったのだ。だからこそ、今となってはとてつもなく滑稽なのだが。
 センセイも喜んでたし、虐待じゃない。接待。うん接待。彼の人は戦争で捕虜になり、拷問を受け究極のドMに開花。あの屈辱と苦痛となにより恐怖を、もう一度味わうまで死ねないと豪語する戦前生まれの変態だった。
 センセイだ。
 日本が世界に誇る緊縛術。
 安心、安全、そしてエロい。食い込む縄がとっても淫靡。
 二人で楽しむためではなく、客に見せる縛り方でマリアは薄笑いを浮かべながら縄を操る。
 ちなみに、サンダル履きの右足は、少年の急所を軽ーく踏んでいる。目を逸らさないまま仕掛けた足払いで仰向けに転倒させた。早業だった。
 マリアは足技が得意だ。
 男を転ばせられないで、職業売女を名乗るなら、そいつはモグリだというのが持論。
 獲物が身じろぐ度に強弱をつけて無言で命令する。
 動くと踏むよ。
 踏んじゃうよ。
 つーぶしちゃう、ぞっ。
 雄弁な命令だった。
 両端が垂れたままの縄が、頭上で一瞬で交差させるなんて簡単なマジックを小粋に挟みつつ、時折ぞっとする流し目を周囲に配り、縛る。縛る。縛る縛る縛る。
 両手を頭上で縛られて、腹部で細い縄が複雑に模様を作り、結び目が要所要所に配置された計算され尽くした緊縛。見事なM字開脚の少年オブジェが完成した。
 最後の仕上げに、腹を踏んだ。
「ぐぇっ!!」
 おしおきだ。
 最初に渡された服は、仕事着のワンピース。そして下着。
 下着はいわゆるズロース。ドロワーズの方が通りはいいか。股上が深く、股下も深い。
 色っぽくなかったので、はかなかった。
 マリアは、はかなかった。

 ――喜劇である。

 全身永久脱毛済みだし、ビキニラインも完璧だし、いつでもどこでも脱げるのがマリアのお仕事だったから、はいてないマリアは完璧だ。
 だからこそ、ちょっとムッとした。
 ちょっとムッだ。激怒ではない。
 怒ってない。
 本当に怒り狂っていたら、服の上から縛るなんてぬるいことはしない。
 全裸で縛り上げ、「一回一〇〇円」なんて立て札をかけ、サクラを用意し”一回”が何であるか明確に定義した上で額に便器とかいて放置するに決まってる。字が書けないからあきらめた訳じゃない。違うもん。
 文字を覚える必要がある。
 つくづく、マリアは思った。
 文字を覚えたい。
 とても素直な欲求だ。
 文字を覚えたいから、マリアは胸元から羽根ペンを取りだした。
 文字を覚えたいから、初めてのお買い物で購入し、肌身はなさず持ち歩いていたのだ。
 他意はない。
 他意はないのだが、ちょうどいいので、使用しようと思うのだ。
「ひ、ひっ……や、やめ――」
 こしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょ。

 キシュケがチビるまでやめなかった。
 怒ってないから、漏らす直前で寸止めした。
 
********************

「キシュケが泣いて謝ってきたの。もう絶対スカートめくりしないってソルン・シャマシュに誓ってた。みんなはマリアがお仕置きしたっていってたけど、どうやったの? キシュケ反省してたけど、すぐ忘れるに決まってるの。リリにも教えて。ねぇどうやったの?」
 終業後の厨房で食材を漁るマリアに、リリがまとわりつく。
 その榛色の瞳に浮かぶのは尊敬。
 幾度となく煮え湯を飲まされてきたいたずら小僧、キシュケを矯正してのけた。なんてすごい。
 マリアはすごい。
 リリよりちょっと年上なくらいだろうに、何でも出来る。なんでも上手だ。
 浴室内の仕事では、上手に出来たら心付けを貰う。それは丸ごと従業員のものになるのだが、給仕はそうはいかない。
 なのに、マリアは給仕ですらチップを貰っている。これは、本当にすごいことだ。
 ちらりとのぞくと、マリアが座った卓から驚嘆の歓声が響いていた。
 卓の上に置かれた心付けの銅貨を、どうしたものか、マリアが手を乗せくるくると回すと、卓の下に左手でもっていたコップのなかにチャリンと音がして銅貨が落ちたのだ。
 卓を通過して。
 みんな驚いて卓をのぞき込むが、当然穴なんて空いていない。
 酒の席での一発芸に事欠かない女、マリアのクロースアップマジックだ。言葉を覚えて仕込みが出来れば、カードマジックも披露できるだろう。
 浴場の広間では、旅芸人が芸を披露することがある。手品めいた芸もあった。
 あれくらいなら、と余興を提供し、そしてがっぽりチップをゲットした。
 誰から貰った銅貨を使っても、銅貨は卓を通過する。卓を変えても同じだ。リリも夢中で拍手を送った。
「マリアはすごいね。リリもがんばろう。だから、キシュケにどうお仕置きしたか教えてよう」
 ちょろちょろとついて回る少女を意に介さず、マリアはあれこれひっくり返し、舐めたり摘んだりしながら識別に忙しい。
「なに作るの? ご飯食べるの? そろそろ夕食の時間だよ? 今日はマリアも食べる?」
 目的の物を発見した。
 細かい、白い粉だ。押すとキシキシとした感触がする――澱粉だ。日本で慣れ親しんだ片栗粉ほどのキシキシ感はない。代わりに少しサラっとしている。澱粉というより、上新粉に近いかもしれない。すると、原料は米か。
 この地の主食はパンだから、小麦食文化圏と見てよいだろう。しかし、マリアがこの地で一番最初に食べた料理は米料理だった。米もあり、小麦ほどではないが需要もあり、供給があるようだが、やはり米食の日本とは一線を画する。そのまま煮炊きする他に、とろみをつけるための材料としても使っているようだ。米といったら白米を炊く。それ以外の食べ方には”モッタイナイ”感性が働く日本人としてはやや驚愕。
 ちらりと横を見ると、リリが期待に目を輝かせている。
 料理をする気はなかったのだが、この目を裏切るのも忍びない。
 上新粉とあたりをつけた粉をボウルにぶちまけ、煮立たせていた土鍋からお湯を掬う。
 手触りを確認しながら練り、思い付いて三等分し、味のしなかった赤い粉と黄色い粉で色づける。
 赤、黄、白の種を茹で、水にさらす。
 なんてことない、ただの団子だ。ちなみに味はない。砂糖がなかった。
 振り返れば、食事に甘い物がほとんどない。甘味料は何かの蜜が主だ。たぶん蜂蜜。
 ただ、果実が豊富で甘みも強く、安価だ。
「わー。なにこれ、なにこれ?」
 スープにでもぶち込んでおけば、リリの好奇心と食欲も満足されるだろう。そして、問題なく団子が作れたことで、マリアの推測も裏打ちされた。米の粉だ。もち米ではなくうるち米の、粉だ。
 リリに団子を渡し、手を振る。
「みんなで食べていいの?」
 とりあえず頷く。
「もってくね!」
 力強く頷く。
 体よくリリを追い出して、マリアは食材を失敬した。

********************

 騎上位で腰を振ってる女の顔が、徐々に徐々に崩れていく。
 ホラーだ。
 だが、わりとよくある話でもある。
 ウォータープルーフといっても限度がある。汗をかけば化粧は崩れるのだ。濃ければ濃いほど、無様に崩れゆく。
 というわけで、騎上位で腰を振るのがお仕事の一環だったマリアは、腹上ホラー劇場回避のために汗をかいても崩れないメイクが必須だった。
 眉とアイラインはアートメイク、一種の入れ墨を施し、まつげはエクステンションでバッサバサ。これで眉なしパンダにはならないうえに、すっぴんも怖くない。ぜんぜん怖くない。異世界生活十日目、まだまだ怖くない。すっぴん上等だ。
 上等だが、すっぴんはテカる。
 やはり分泌される皮脂はパウダーで抑えなければならない。
 ありとあらゆる化粧品を試した結果、ファンデーションは塗らないことにした。汗をかく仕事だし、ことの最中にメイク直しするわけにもいかないし、どーせ崩れるし。
 ベビーパウダーをはたいて、頬にチークを入れて、色付きのリップクリームを塗って、以上終了。
 商売女にあるまじき、小学生のようなメイクで営業していたマリアだった。顔面総額千円以下。
 しかし、スキンケア基礎化粧品やエステ代、エクステのメンテなどを含めれば、目玉が飛び出る必要経費。結局の所、一般女性よりは金をかけていただろう。巡り巡って”はじめてのお化粧”に落ち着いたというだけだ。
 厨房から失敬した米の粉に、赤と黄色の着色料をブレンドして混ぜてみる。
 何か足りないので、炭をこれでもかと乳鉢ですりつぶし、混ぜる。
「お……おおぉー」
 感情の薄いマリアが感嘆する。
 肌色の粉になった。
 愛用していたベビーパウダーの主成分は、コーンスターチとタルクだった。タルクはよくわからないが、コーンスターチといえばトウモロコシの澱粉だ。
 なので、澱粉を台所で探していた。
 できあがった粉を布で包み、照る照る坊主のように紐で縛る。頭の部分に粉が詰まっている。
 それをとんとんと顔に叩く。
 手鏡をのぞくと――手鏡は仕事で使う。よくわからない習慣だが、チップを貰うとき、手渡しではなく手鏡の裏面で受け取るのが作法なのだ――布目が少々ついていたので、手でなじませる。
 赤い粉を主体にした照る照る坊主を頬に叩く。
 リリが「特別だよ」と分けてくれた蜂蜜を唇に塗る。
 ――かつてと大差ない出来映えの顔面があった。
「……すごいわ私。ほんっっとうにどこででも生きていける気がする」
 マリアは己の図太さを実感した。
 この地に至って、まだ本気で困ったことが一度もない。着の身着のまま、体一つでやってきたにもかかわらず、一度もだ。
「……パンツ、縫おう」
 ゴムがないので紐パンだ。うん。ドロワーズより色っぽいから採用。
 ブラは実物があるから、見よう見まねで作ればいい。
 なんだかんだで、やっぱり世の中、どうとでもなる気がする。
 後は、身を守る武器としてバイブ――無理だ。だが張り型はあるだろう。絶対にあるだろう。ないわけがないだろう。エロは人類共通の本能だ。自信のない男もいるだろうし、満足しない女もいないわけがない。
 ないわけない。
 護身具として張り型をチョイスする女。それがマリア。淫具こそ我が武具である。なんか文句あるか掘るぞコラ――そう、穴がなければ掘ればいいのだ。
 初めてのお買い物は羽ペンと紙だった。
 次回のお買い物は、ディルドで決定だ。
 そんな己の図太さに感心しても、疑問はかけらも抱かない。
 明日はお休みだ。
 いつもは昼休みを利用して、近隣を散歩するにとどめていたが、本格的に街を観光もとい探索に入る。
 浴場は川沿いにあり、近隣に染め物屋が並ぶ。川沿いという立地のせいだろう。パンツを縫おうという布や端切れをお隣さんから貰った。
 丘の上に聳える白いお城。
 城下に広がる白い街並み。
 壁を隔てて街並みは一変する。黄土色の日干し煉瓦の背の高い建物が密集し、入り組んだ細い道は建物の影となり薄暗い。無数の袋小路。迷路のようだ。
 その一角に、浴場がある。
 ろくに言葉もわからずに、薄暗い迷路のような街を探検しようという気になるのが凄い。身の危険、なにそれおいしいのというレベルである。
 問題があるとすれば。
 その辺の雑貨屋で取り扱っているような品物ではないこと。店を探すのも容易ではないだろう。
 そして日本人女性としても平均より小柄であった自分が、どうやらこの地では子供並に小柄であるらしいという現実だ。
 得意の口八丁も鋭意習得中である現在、金があっても淫具が購入できるかどうか。
 出たとこ勝負である。
「S、M、L。三本は欲しいんだけどな」
 そしてマリアは勝負ごとに滅法強く、本番ではもっと強い。
 世の中、どうとでもなるのだから。



[30346] 10
Name: ハトリ◆ea176006 ID:70f9d7d1
Date: 2012/02/05 23:48

 都合により5話更新その②


 ムーア・エル・ロンサルは下街の巡邏騎士だ。
 詰め所の庭、庭師が丹精込めて育てている青の花園だけが男所帯のむさ苦しいグラーダ第二巡邏騎士団で彼を慰める唯一の目の保養だ。それを半眼でぼうっと眺め、諸行無常のため息をつく。
「思えば遠くへきたもんだ……」
 アウスレイア王都グラーダの新市街――下街は、背の高い日干し煉瓦の建物が乱立し、広場へと続く大通りを除いて街路は昼も薄暗く、曲がりくねっては無数の袋小路へとつながり、なにより狭い。馬が二頭も並べば塞がるほどに。
 そんな街を主戦場とする巡邏騎士たちは、騎士とは名ばかりで馬に乗れない者がほとんどだ。下街を騎馬で疾走するなど論外で機会もない。致仕方ないのだが、下級貴族である騎士階級でも巡邏騎士は一段下にみられる。
 実際、給料や年金も騎士とは異なる。騎士階級の下に巡邏騎士階級があると言え、それは都市部限定の最下級貴族だ。
 街の治安と秩序を守るという職務のため、世襲や貴族の次男三男の騎士とは違い、街の住人にも門戸を開いているのも大きな差異だ。同業職業組合の自警団を勤め、一定の基準を満たし試験に受かれば巡邏騎士に叙任される。そして、自警団上がりが大半以上を占めるのだ。
 グラーダの人口は約十万人。白の宮殿とその城下の白い街――旧市街に住まう人々などほんの一握りにすぎず、その外周に拡大された黄土色の街がグラーダの民の住処だ。
 その街を守る巡邏騎士の総数は、なんと百名を切る。彼らだけで立ち行くはずもなく、実働隊は自警団員たちだ。巡邏騎士団はその上部組織と言える。
 ムーアは生粋の騎士である。
 その祖は建国まで遡り、約三百年の伝統と格式を有する武門の出だ。
 当然、馬にも乗れる。本来であれば巡邏のドサ回りではなく、王軍に籍を置いているような身分であり――昨年まではそうだった。
 今は遠き白亜の宮殿で貴人の警護を職務としていた。
 見事な都落ちである。
 その構成員の九分八厘が地元民の自警団上がりであるグラーダ第二巡邏騎士団において、ムーアの出自と経歴は異彩を放っている――が、全くもって目立たない。むしろ埋没している。
 それもこれも、ムーア自身には一切の非がない都落ちの原因のせいでもあり、おかげでもある。
「何を黄昏れている。まだ昼前だぞ」
「出ましたね諸悪の根源様」
 諸悪の根源様が書類を片手にご登場遊ばした。
 それでも様を付けざるを得ない、階級社会がムーアは少しだけ憎い。
 金髪に青い目の、貴公子然とした端正な出で立ちの青年だ。下街では輝いており、浮きまくっている。
 名を、ニュークリッド・デル・ドゥエロ。
 貴公子然もなにも、騎士階級どころか広大な領地を有する子爵閣下――正真正銘の貴公子だ。しかも、次男でも三男でもなく嫡男。むしろ当主。領地経営を父に丸投げし、巡邏騎士をしている。
 ムーアの家は建国以来ニュークリッドの家に仕える騎士だった。彼のお目付け役兼護衛兼補佐兼使いっぱしりとして、ムーアは此処にいる。そして、ニュークリッドの出自と経歴と資格が素っ頓狂にもほどがあるため、ムーアはその陰に埋もれているのである。
 王宮の貴人警護で、花形騎士として活躍し、貴族の姫君たちと華やかな恋愛を繰り広げていたあの頃を思うと、現状も、周囲のむくつけき同僚も、同じ王都が舞台とは信じ難い。
 信じ難く潤いもないが、いっそ周囲が同情的なため、人間関係はかつてより気安い。ただ護衛対象のニュークリッドが同僚から蛇蜴のごとく嫌われているためやや板挟みの悩みはある。
「――それもこれも、貴方が熟女しか愛せないから……!」
 猛烈な頭痛を呼ぶ理由だ。
 ニュークリッド・デル・ドゥエロは子爵である。次男でも三男でもなく嫡男で、当主となり、一人っ子だ。
 国への忠誠、領地経営、そして次代を担う跡取りを設けることが貴族の義務だ。

 熟女が好き。

 これだけなら特筆して異常な性癖ではない。姉さん女房――すてきな響きだ。年少の嫁が好まれる傾向があるとは言え、五つや十、女の方が年長の夫婦なら巷にあふれている。
 五つや十の年の差ならば、愛があれば何の障害でもない。
 しかし、ニュークリッドは違う。
 二十や三十、四十あたりが守備範囲。広いといえば広い。この数字は年齢ではない。年の差である。現在二十歳のニュークリッドの守備範囲は、四十から始まると言える。
 超熟女好き。超は”好き”ではなく”熟女”の方にかかる。熟女を超えた女が好き……。
「老婆ですよねっ!?」
「藪から棒だが――私の女性の好みに文句があるのなら、その理想像であるおばあ様方に面と向かって訴えればよい」
「死罪になりますっ!!」
 過言ではない。
 ニュークリッドの超熟女・好きは、彼の祖母たちに端を発する。
 生まれると同時に生母を亡くした彼は、それを哀れんだ父方、母方の両祖母に育てられた。
 このお二方、六十を間近にしながら今もなお、国で一、二を争う美姫と呼ばれている。すなわち。
「……化け物ですよねー」
「その比喩表現は感心しないが、人を超えた美しさであるという点になら同意も吝かではないな」
「えぇえぇ、大変お美しい方々ですとも」
 大仰に頷くニュークリッドに、ムーアは投げやりに賛同した。
 実際、お美しい方々だった。
 往年の美貌は色褪せつつある。しかし、その頃の面影を色濃く残した魅力と色気を誇る。
 若かかりし頃より聡明と評判であったが、年輪を重ねることでその人格に深みと奥行きを加え、見た目こそ多少の――多少なのだ。化け物たる所以である――衰えを見せつつも、それを内なる輝きで補い……むしろ相乗させて、名だたる若い姫君を目配せ一つでやりこめる。今もなお、絶好調に燦然と輝き君臨するお二方。
 白の貴婦人と赤の貴婦人。
 それがニュークリッドの実の祖母たちである。
 死罪も冗談ではない。
 白と赤の貴婦人を、恐れ多くも命知らずにも厚顔にも、ろ、ろ、ろ、老婆などと面と向かって言った日にはもう――あ、死んだ。
 ニュークリッドの父に仕えるムーアは一応彼女らと面識がある。その尊き御手に触れる栄誉に与ったことすらある。ほぼ一方的にだが、実物を知る。
 想像の中で百回斬首となった。
 あの方々はやる。
 そして、出来る。
 疑う余地もない。
 国で一、二を争う美貌と頭脳と人格を備えた超熟女――熟女を超えたナニカ――そんな彼女たちが、ニュークリッドの女性の基準であった。
 慕おうと、執着しようと、反発しようと、男にとって女性の第一基準になるのはどうあがいても”母”だ。母親代わりの祖母が、ニュークリッドの基準になるのは自然なことでもある。
 生まれると同時に母を亡くし、祖母たちに養育された時点で、彼が熟女好きになるのはなるべくしくなった、生まれたときから決まっていた運命といってもいい。

 しかしそのせいでの都落ちである。

 熟女好きが、原因なのである。あぁ猛烈な頭痛。
 詳細は省く。正確には知らない。ついでに言えば知りたくもない。なので、成人し、爵位を継ぎ、いざ嫁を迎えんとした周囲とニュークリッドが繰り広げただろう骨肉の争いの詳細など知らない。知らないったら知らないが、主君一家の親子喧嘩が己の身に波及したとき、うっかり漏れ聞いたところによると「もう、閉経前の女性なら身分など問わぬ」とまで実の父にいわしめたとかなんとかマジか。三百年の歴史ある家が。
 すさまじい譲歩と諦観を見せた主人を思うと、ムーアは涙がちょちょ切れる。
 親子喧嘩の末の左遷か。貴族の市場である社交界での失敗を経て、市井での消極的嫁探しか。いずれにせよ、ニュークリッドは下街の巡邏騎士になったのである。その経緯やや意味不明。だが知りたくないので謎は謎のままでよい。
 そして、幼なじみというほど親しくも近しくもないが、古くからの顔見知りで身分も確かで同年のムーアに護衛兼以下略の命が下った――悲劇である。
「ところで”ニュー”様。貴方の誰にはばかることない熟女好きのせいで、社交界で不倫騒動を起こして左遷されたと噂されているのはご存じでしょうか」
 ニュークリッドの好みの女性は、十中八九既婚者である。年齢的に当然だった。
「知らん。事実無根も甚だしい」
「えーえー。事実無根でしょうとも。そんでもって、悪意ある陰口を当人にする人間なんていないでしょうし、そもそも貴方と会話する同僚が存在しませんからねっ。ご存じないでしょうとも」
 ニュークリッドの熟女好きは肉欲より敬愛が勝るのか、間違いを起こしたことはない、らしい。大変純粋な交流しかない、らしい。
 らしい、らしいと繰り返したが、ムーアはそれを信じている。全く疑っていない。
「なので、花街に行きましょうっ!」
「……何を言っているんだお前は」
「年長の女性を慕うにしてもですね、一度でも若い女を抱けば話は変わってくるんですっ! 手触りも抱き心地も全く違います。こればっかりは若い女性の方が優れているんです! しかし、貴方が仰るように、若すぎる女性は少し固いんです、それは事実です。なので、二十半ばから三十半ばまでの女性を抱きに行きましょうちゃんと年上です。天国です。その天国の名を花街といいます」
 その良さを断じて認めないと言うなら、ニュークリッドは童貞だ。絶対童貞だ。
 不倫騒動を起こす甲斐性があったなら、今、この場にいるわけがない。
「昼前から何を戯けたことを言っている。仕事をしろ」
 ムーアの必死の訴えはてんで相手にされなかった――やっぱり……。
 てんで相手にされなかったが、奇妙には思ったらしい。ニュークリッドは整った眉をしかめた。
「で、その戯れ言はどっから来た」
 都落ちから一年と少々。ムーアは要所要所でニュークリッドの嗜好に控えめな苦言を呈してきたが、花街へ行け若い女を抱けなど直截な物言いはなかった。猥談をするほど親しくもない。
「……いえ。妙な噂を耳にしたんです。ガセでしょうけど、不穏かつ不名誉であるには代わりありませんので……その」
 ムーアはニュークリッドから目を逸らした。
「ニュー様が最近……風呂屋の若すぎる少女にご執心、とかなんとか……ガセでしょうけど、熟女から幼女に走ったなんて」
「あぁマリアか」
「事実っ!? あんた何やってんですか!? 熟女はともかく幼女は不味いでしょう!! 仮にも騎士なんですよあんたーっ!?」
 ムーアは目をひんむいてニュークリッドに食ってかかった。そんなんだったら熟女相手の方がまだマシだった。犯罪を取り締まる巡邏騎士が罪を犯したら――それも卑怯卑劣変態の称号が欲しいままの四線罪を犯そうものなら、没落必須だ。敬語も崩れようものだ。
「見た目ほど幼くはないだろうし、そもそも執心などしていない。ただの仕事だ」
 黒い髪の推定少女マリア。
 細く小柄で、身長だけなら十代そこそこの成長過程に見受けられるが、ゆったりした服装でわかりにくかったが、体の曲線は完成していたように思う。
 言動に幼さは見られず、むしろ噎せるほど濃密な女の匂いがした。
 それにちょこっと反応しかけたのは黙っておく。話がややこしくなるだけだ。
「仕事……仕事ですか。大変な美少女と聞き及んでおりますが、噂半分だとしても、若く可憐な少女に構うことが仕事だと仰るので? そんな美味しい仕事があってたまるかってなもんですよ!!」
 右を見ても筋肉。左を向いても立ちこめる男印の体臭。下を向いてもデカい足。そして上を向いてしまうのだ。涙がこぼれないように。
 そんな環境にとある熟女好きの煽りを食って放り込まれた己が、薔薇を眺めて痛んだ心を慰撫しているというのに、諸悪の根源様は将来有望な美少女とキャッキャウフフと戯れてそれを仕事だと宣う?
 許せるか、この現実を。
「仕事だ。グラーダでは見られない容貌で、国籍不明年齢不詳言葉は通じず旅券は所持しておらずこの地に至った事情も不明。その噂は信じていい。珍しさも相まって、身体的な特徴も貴族的なほどに美しい少女だ。さっそく四線犯罪に巻き込まれたほどだ」
 ムーアは耳を疑った。
「なんですかそれは。まるで突然身一つで放り出されたみたいじゃないですか」
 そんなことは、まずあり得ない。
 グラーダで見かけぬほど珍しい容貌をしているというなら、交易のない遙か遠方の国の出身だとしても、グラーダに至るまでの旅程がないはずがなく、どんな様式であろうと旅券や身分証、それに準ずるものを所持せず長い旅が出来るはずもない――と考えるのが普通だ。旅をする者にとって、それは命の次に大切なものだ。そして、そんな旅路を年端も行かぬ少女がたった一人で踏破する? あり得ない。
 しかも旅券類を所持していないと言うことは、所属が不明かつその団体、機関による庇護が望めない。
「なんと哀れな……」
 少女の状況を正確に察し、ムーアは憐憫を露わにする。
 しかしそれにしても聞き捨てならないことに、ニュークリッドは噂の誇張を否定した。度を超した熟女好きだが審美眼は確かだ。確かすぎて一周回っておかしな具合になっているのだが、そんな彼が好みと正反対の幼女を美しいと評した。
 つまり、超美少女だ。
 ――許せるか、この現実がっ。
「確かに同情を禁じ得ない境遇の女性だが、
出自経歴思想目的のなにもかもが不明な人間がこの街へやってきて住み着く意志があるようだ。不審なことには代わりがなかろう。庇護と監視が早急に必要だった」
 ニュークリッドは手に持っていた書類と掌に収まる大きさの銀板をひらめかせる。
「……それは?」
「私が保護者として発行した彼女の身分証だ」
「ニュークリッド様が? って、爵位で発効したってことですか!?」
 驚いて銀板をのぞき込む――マリアという名と、ドゥエロ子爵の紋章が刻まれただけの、簡素なものだ。本来であればマリアの年齢や出身地等も記載されるべきものだが、不明なので仕方なく名前だけなのだろう。
 簡潔に言えば、ドゥエロ子爵がマリアを雇い入れ、その身分を保証した形になる。マリアが問題を起こせば保護者のニュークリッドも幾ばくかの責を負う。雇われたマリアはニュークリッドに奉公する義務が生じる。
 すなわち、もっと簡潔に、さらに要約し、煮詰めて簡約し――つまり、ぶっちゃけると。

 ニュークリッドが個人的に超美少女をメイドとして雇ったと――いう話になるのである。

「な……な、な、な」
「騎士団は男所帯だからせいぜい週に一度、面会を兼ねて雑用に使うのがせいぜいだろう。風呂屋のメノラが住み込みで雇ってくれたのは幸いだった。本来なら持て余したところだが」
 言葉が通じないと言う事情をさっ引いても、貴族の保護を受けるという特典があろうとも、早急に身分証が必要な現実を鑑みても――貴族の特権駆使して当人の了承も得ず雇用しておいてこの言い種はない。
「当座は風呂屋の休みの日にこちらで働いてもらうことになるだろう。休日返上は気の毒だが、所詮形式だけの雇用だ。掃除くらいなら言葉が通じずともなんとかなろうしな」
 これから迎えに行くのだと続けるニュークリッドを見つめるムーアの視界が歪む。
 美少女メイドを迎えにいくらしい。

「んなけしからん仕事があってたまるかチクショーーーー!!!」

 絶叫した。
 敬語など見る影もなく崩壊した。
 奇しくも外は、乾燥した夏に向かう季節には珍しく、しとりしとりと春雨が赤茶けた土を濡らし始めた。
 窓から雨天を煩わしげに見上げたニュークリッドを殴りたい。あぁ叶うものならぶん殴りたい。

 握りしめた拳を震わせ、誰が流した涙雨だとムーアは天を仰いだ。



[30346] 11
Name: ハトリ◆ea176006 ID:70f9d7d1
Date: 2012/02/05 23:49

 都合により5話更新その③


 海の向こうで薄暗い雲の一団が空を泳いでいる。
 ほんのり湿った風が吹き、上空はさらに風が強いのか、目視で雲が近づいてくるのがわかる。
 一雨きそうだとマリアは窓辺から空を見上げた。
「せっかくの休日なのに」
 やる気に満ちてお化粧万全、細々稼いだいまいちレートがわからないお金も全額持った。財布はないので、銅貨はシフォンワンピで作った巾着で首から下げて、銀は腹ストッキングに納めている。海外旅行と同様の装備といえる。大金は身につけろ。
 メノラから譲り受けた少し丈があわない古着を着込み、準備万端なのに雨が降りそうとはついていない。
 日用品も必要最低限以下なので、当然傘なんて所持していない。
 風が強いので、長く降ることはないだろう。軒下や、どこかの店内に入るなりしてやり過ごせばどうにかなるか。
「うわあぁん寝坊したよぅーっ」
 ドタバタした物音と慌てふためいた声がして、マリアは隣室のリリの起床を知った。
 自室の扉を開けて廊下をのぞき込むと、すさまじい寝癖――鬼の角、もしくは昆虫の触角のごときボンバーヘアのリリが部屋を飛び出しところだった。
「あ、マリアだおはよう遅れるよ――ってマリア私服! 今日お休み! うわーんっ」
 泣き叫びながら階下の食堂へ降りていった。
「……あの寝癖はないでしょう」
 マリアも食堂へ向かった。出勤前の煩雑時はすぎているので、ゆったり朝食がとれるはず。
 案の定、すでに人気はなく、火の気も落ちた食堂で、リリが一人、一生懸命固焼きのパンを飲み込もうと目を白黒させていた。遅刻しそうでも朝食を抜くという選択肢はないようだ。
 火の気が落ちているといっても、ツマミをひねれば即着火即鎮火というガスコンロのような設備はない。火をつけるのにも時間を要し技術がいるためか、完全に火を消してしまうことはない。取っ手のついたボウルのような銀製の器具をかぶせて熾き火を残している。
 そこから火種をちょうだいし、またきちりと蓋をし、胴のくびれた七輪のような焜炉に小さめの土鍋を設置、謎の白い乳を注ぎ暖める。
 ホットミルクという季節ではない。この地は暖かく、乾燥しており――推測になるが、これから夏になりもっと高温になるような予感がある。街や建物の構造が、どうも影を多く作ろうとした結果のように見えるからだ。
 高温で、乾燥していたら日陰はびっくりするほど涼しい。
 建物の壁は厚く、開口部は少ない。外気の熱を遮断しようとしているとしか思えない。
 空は青く、灰色がかかった日本の空と違い鮮やかに青く、日差しも強めだ。高温はともかく多湿に慣れた身としてはどうにもこれからの季節を身構えてしまう。
 ホットミルクというよりは、気休めでも加熱殺菌、冷めるまで待つほど気が長いわけでもなく……放置してたら冷めるより前に発酵もしくは腐敗が始まりそうな気がするので、熱いうちに飲んでしまうだけだ。
 ミルクを沸かしている間に、手巾を残り湯に浸し、絞り、朝食と格闘しているリリの元へ向かう。
「んん、ん、ん、んぐ。あれ、マリア? なぁに?」
 あんまりな寝癖を濡れタオルで押さえてやる。
「なになになぁに?」
 いーからメシ食ってろ。
 しばらく押さえつけてからタオルをはなすと、完勃ち状態だった寝癖が半勃ちくらいにはおさまった――く、元気な。一回抜いてやろうか――違う、アレじゃない。コレは髪の毛。
 手櫛で梳いて整えようと奮闘するが、どうにもならない。カイゼル髭みたくなった。
「……」
 結局両サイドを編み込みの三つ編みにして、ピンクと白の糸を組み合わせた飾り紐で縛ってやる。
 なんとか朝食を食べきったリリに手鏡を渡してやると、それはそれは喜んだ。
「すごい! かわいい! うれしい! ありがとうー!!」
「……ちこく」
「ふぎゃーーーっ!!!」
 叫んで駆けてゆくリリを見送り、マリアはゆったりと朝食にかかった。

********************

 浴場の従業員用住棟の玄関の前で、マリアは誰かを待つように座り込んで、このあたりでよく見かけるアジサイに似たピンクの花を眺めていた。
 パラパラと雨が降り始めたので、空の様子を見ているだけで人を待っているわけではないのだが、憂鬱そうな人待ち顔に見えたのか。
 肩掛けを傘代わりに早足で歩いていた少女がマリアの前で足を止めた。
「おはよう、マリアちゃん」
 花を詰め込んだ手提げ籠に生成のエプロン。亜麻色の髪の毛に白い小花を挿した少女だ。
 マリアはにこりと笑う。日本でなら軽く会釈をするところだが、この地で会釈は唐突に首がカクンとなる奇妙な動作に映るらしいと早々に悟り、笑顔に代えた。笑顔便利だ。
 少女といってもリリより年長で、ちょうど少女と女の境目にいるような時期だ。背も高く、灰色の瞳がいつも優しげな花売りの少女だ。広間で幾度か給仕をし、チップの代わりに乾燥した小花をもらった。いい匂いがしたので、きっとポプリだ。
「今日はお休み? これからお出かけだったのかしら。ちょっと降ってきて困ったわね。でもきっとすぐに止むわ。もうちょっと長く降ってくれた方が、私も花も嬉しいんだけどね」
 マリアは少女の花籠をのぞき込んだ。
 貰ったポプリはよい出来だった。今日のための古着に挟んでいたので、マリアは今ほのかな花の香りを纏っている。
「興味ある? 今日はマリアちゃんがお客さんね。ポプリが好きなの? 私も好きよ。でも、今日のおすすめはコッチ。生花よ」
 乾燥した花々の方に興味を示すマリアの視線を少女の細い指が生花に誘導する。
「お出かけするんでしょ? 若い女の子はね、花を髪に挿すのよ、こんな風に」
 少しだけ荒れた働き者の手が、己の髪に挿した白い花を指さす。
「結婚したら、髪はなるべく隠すの。だから外出するときは帽子をかぶるわ。といっても、習慣的なことで、結婚してなかったら絶対帽子をかぶっちゃだめ、絶対帽子をかぶんなきゃだめ、なんてことはないんだけどね」
 白、ピンク、水色。いずれも小さな淡い色の花をマリアの耳元に当ててみる。
 なるほど。そういえば道行く少女たちは皆、髪に花を挿していた。マリアにもしろと勧めていると察した。
 商売っ気よりも暖かな善意の方を強く感じ、すげなくするのもつまらなく思った。
 マリアは典型的なカウンターパンチャーだ。鏡のようであるともいう。やられたらやり返す。優しくされたら優しさを返す。善意には善意を、悪意には悪意を。
 いくらでも慈悲深く、どこまでも残酷にだってなれる。女は海だ。
「白? お揃いね。似合うわ」
 巾着から銅貨を取り出すと、少女は首を振った。
「初めてだから、特別にあげちゃう。また今度ね」
 どうやら支払いは不要らしい。
 先ほどのリリの喜びようを思いだし、マリアは少女に身を屈めるようにジェスチャーする。少女は白いリボンで肩より少し長い髪の毛を一つにまとめていたので、そのリボンと一緒に再び編み込みを披露。紐で縛って鏡を差し出す。
「うっわぁ器用……ありがとう。すごく、嬉しいわ」
「マリア」
「ん?」
「マリア。マリア」
 己の名を連呼し、そして少女の胸元を指さす。
「そっか。名乗ってなかったわね。私はエリス。花売りのエリスよ。エリス、エリス」
「エリス」
「そう。またね。お風呂やさんでもよろしくね」
 少女が手を振り去っていく。マリアも手を振る。バイバイは会釈と違って共通らしい。
 そんなエリスとすれ違い、二人の青年が外套で雨をよけながら、こちらへ向かってやってくる。
 ――優しさには、優しさを。善意には善意、悪意には悪意を。
 そして、警戒には警戒を。
 マリアは胡乱な目で彼らを見やった。

********************

 ――かわいい。
 これは可愛い。本当に美少女だ。化粧っ気はない――マリアの化粧は男の目には極上のすっぴんに映る。チョロイ――のに、まつげはバサバサ頬はほんのり色づいて、唇はぷるんと艶やかだ。吹き出物一つない淡く黄色がかった肌の色は、なるほど珍しい。見たこともない。
 歯も白く歯並びは整然とし、手足もしなやかで柔らかい。大切に大切に育てられたようにしか見えない。
 そんな少女が、往来で裸踊りを始めた酔客を見るような目でニュークリッドを見上げている。
「貴方、嫌われてませんか。ざまあみろです」
 ニュークリッドに無理矢理くっついてきたムーアは鼻息も荒く拳を握りしめた。
「警戒しているんだろう。お互い様だ」
 こちらは正確に状況を察していた。
 そう、お互い様だ。
「出かけようとしたが雨に降られたというところか? 入れ違いにならなくて幸いだったな」
「えーえぇえニュー様こんな女の子が本当に働けるんですか? 労働ってなんですのそれ? って見た目なんですけど。蝶よ花よって感じなんですけど」
「――労働を知らない、といっても段階があるな。頭の弱い貴族の令嬢はなどは、”働く”という概念すら知らん。少しばかり聡い令嬢なら、知識としては知っているな。市井の少女は行為として知っている。しかし未熟だ。そして真の働き手は、その行為に熟練している、巧く出来る」
 噛んで含めるように説明しながらニュークリッドが指を折る。
「蝶よ花よとは、概念すら知らんバカ令嬢のことだな」
「最近若い子に悪意すら抱いてませんかあんた……ですが、仰るとおりです」
「風呂屋で働き初めて一週間とたたない彼女が、噂の的になるとはどういうことか、わかるなムーア」
 ムーアは噂話を思い出す。
 可愛い、気が利く。楽しい。聞き上手――絶賛だった。
「知らぬどころか、真の働き手だっていうんですか!? この見た目で! チグハグですよ!?」
「だから、不審だと言ってるだろうが」
 己の頭上でぺちゃくちゃされるのに嫌気がさし、マリアは立ち上がった。立ち上がったところで見上げざるを得ないのだが。
「待て。意味も分からず理由もわからんだろうが、今日は詰め所で雑用をしてもらう」
 立ち去りそうに見えたのだろうか。ニュークリッドがマリアの手首をつかんだ。
 マリアが見たところ、この青年は警察官、それに準ずるような立場の人間、この街の白血球だ。
 メノラや浴場の従業員は親切で、マリアを気にかけてくれているが、彼女の前で何か手続きめいた書類を作成したのは彼だけだ。
 浴場で見かける度、じっと見られているのは知っていた。まぁ、監視だろう。
 今のところ後ろ暗いこともないし、好色な視線でもないので、見られることに慣れているマリアはそれを受け入れている。
 だから、手を捕まれても振り払いはしなかった。
 なんか用か。お買い物したいんだけど。
 あぁこればっかりは、言葉が通じないのは不便だと、マリアは嘆息し――ニュークリッドに捕まれた手をつかみ返し、ぶんぶん上下に振り回した。
「わ、何だ!?」
 ぐりんぐりん振り回し、空いた左手でニュークリッドの背後をザクザク刺すように指さす。
「なに、後ろ――?」
「ニュー様っ!! 煙!! 火の手です!!」
 ――火災は、都市部ではもっとも恐るべき災害だ。
 ニュークリッドとムーアは反射的に煙を目指し走り出す。
「え――ちょっ!?」
 お互いがっしり組んだままの右手に引きずられ、マリア諸とも。

********************

「何故、雨が降っているのに火災が起きるんですかっ!?」
「知るかっ!! だが現に煙がのぼってるっ!!」
 喋りながら全力で走る。なんとしても火を消して、延焼を防がなければならない。
 下街の建造物は比較的火災に強いが、だからといって放置していいわけがない。二百年前に一度火災で壊滅しかけたこともある。
 ニュークリッドとムーアは巡邏騎士で、その制服を着用している。駆ける彼らを見かけた住人は事情を察し、銘々道を譲る。そうして小雨の中を狭い街路を疾走する。
 マリアも走っていた。
 走らざるを得ない。ニュークリッドにガッチリ右手首を捕まれているのだ。多分、いや、絶対存在を忘れられている。普通に考えて、火事場に非力な女子供を連れていっても役に立たない。避難させるだけだ。
 振り解けず、仕方なく再びしっかりつかみ返し、引っ張られるまま足を動かす。
 気力体力時の運自慢のマリアだ。成人男性の全力疾走に、引っ張られながらもついていくことが出来てしまった。
「火の手はどこだっ!!」
「あぁ騎士様!! あそこの家ですっ!!」
 閑静な住宅地の一角に、その家はあった。
 水場が近いので、下街の住宅地の中では好立地だろう。
「はぁ!? なんだこの家っ!?」
 ムーアが素っ頓狂な声を上げる。
「いいからまずは消火だろう!!」
 同様の感想を持ちつつもニュークリッドが鋭く制し、すでに鍵と閂が破壊された玄関から家屋に飛び込んだ。
 引っ張られつつも、マリアは街の人の手から手桶をひったくった。借ります。
 ――集合住宅が多い下街だが、戸建ての住宅も当然ある。建材の違いはあれど、その構造は旧市街も新市街も同様の、四角い中庭式住宅である。
 夏場はひどく乾燥するため、共同の水道だけでは満足な水を得られないこともある。青空天井の中庭には、必ず雨水の貯水槽があり、その突き当たりには花壇や家庭菜園がある。その周囲に、複数の部屋がある。
 火元は何故か、雨が降り注いでいるはずの中庭だった。木材に火が移ったのかそれらが火の手をあげていたが、室内にまでは至っていない。
「中庭で食い止める!!」
「はいっ!!」
 すでに家屋に入って消火活動をしていた幾人かを鼓舞し並ばせ、外の人から手渡されるバケツをリレーする。ニュークリッドとムーアは手っとり早く雨水の貯水槽から水を汲み、消火に奔走した。
「……早期発見が幸いしたな。これで、もう大丈夫だろう」
「あー……お疲れさまです。みなさまもご協力に感謝します」
 興奮と安堵が入り交じった空気が流れる。
 そんな中を、男のくぐもった奇声が木霊した。
「ぶ――っ、がばばばばばば、がば、っぷは、はぁ、はぁ、あ――がばぶぶぶぶぶ」
 何事かと一同が振り返る。
 マリアが、太った中年の男の切ない後頭部を鷲掴みし、その頭部を貯水槽に突っ込んでいた。
 どんな腕力なのか。男は力一杯抵抗しているのにも関わらず、マリアはその細腕で押さえつけ放さない。
「がばぁっ――!! はぁ、はぁ、あ、あぶぶぶぶがぶぶぶぶががぶぶぶ」
 息継ぎをさせ、再び突っ込む。

 どう見ても、水責めの拷問だった。

 可憐な少女の無慈悲な所業に目撃者たちは呆然と立ちすくみ――ニュークリッドが真っ先に我に返った。
「何をしている――っ!!?」
 制止というより、純粋な疑問が先立った。
 消火直後の火事場で水責め拷問。なんだそれは。放火魔だったとでもいうのか。
 ともかく、ニュークリッドはマリアを羽交い締めにして凶行を止めた。巡邏騎士の義務でもあり、保護者の義務でもある。
「何をやっているんだ!? そして何でここにいる!?」
「あ……あー。それは、ニュー様が手を繋ぎっぱなしにしていたからじゃないでしょーか。そういえば引きずられてました」
 硬直していたムーアも起動する。
「それにしても何で……こいつが放火魔なんでしょうか?」
「げふ、ごほ、ふ――ふざけるなっ!! 私は家主だ!! この家の、主だっ!!! 己の、それも新築の家に火をつけるわけあるかぁ!!!」
 むせて鼻水を垂らしながら、中年男が絶叫した。
「なんだこの小娘はっ!? いきなり人の足を払って――!!」
 ニュークリッドに羽交い締めにされた時点で、マリアは抵抗するでもなく大人しく拘束されている。
 その腕の中から、中年男を注視していたが、ふと興味を失ったかのように顔を逸らす。気まぐれな猫がよくやる仕草に酷似していた。
「……すまない。彼女はこの国の言葉を知らないんだ。理由はわからないが、申し訳ないことをした。私は彼女の保護者だ」
「ぶふ、ずび! あぁそうか!! ならば貴様を訴えてやる!! 新築の家は火事になる、煙にやられて目は痛む、挙げ句の果てに暴行だ!! 泣きっ面に蜂とはこのことだ!!」
「――わかりました」
「ニュー様……」
「当然の権利だ。まぁ示談になろうが」
 金ならある。
 余るほどある。
 拘束を解かれたマリアは、しゃがみ込んで灰をほじくっていた。
「……あぁもう早速やってくれたな。予想外とまでは言わないが、予定外だ。言葉が通じないのでは、動機もわからん――」
 ニュークリッドが疲れたようにため息をつく。実際疲れた。
 ニュークリッドから見た少女マリアは、ムーアが評したようにチグハグな少女だ。
 仕事ぶりを観察しても、きわめて合理的かつ気配りがある。ニュークリッドを見る目は冷めているが、周囲の人々に親切にされると、言葉以外の何らかの方法で感謝を露わにしている。
 よくよく周囲を見ているのか、習慣も異なるだろうに妙な挙動もしない。
 少女めいて見えるが――頭のいい女性だ。
 こういう女性は、無駄なことはしない。何らかの理由があっての行動だろうが、傍目には意味不明。本人の供述も得られないのでは、庇うのは少し困難だ。
 が、出来なくはないので、この件は置いておく。
「とりあえず、出火時の状況を整理する。各々目撃したことを証言してくれ」
 大人しくしているマリアから目を離し、ニュークリッドは実地検証を開始した。
 マリアが立ち上がり、つまらなそうに歩き出す。
「~~ムーアッ!! 彼女を詰め所に連行しとけ!!」
「連行ってあんた……いや、あながち間違いでも、あぁああちょっと待って、待てって――!」

********************

 小柄ですばしっこいマリアをムーアが捕獲したのは、浴場の隣地、染め物屋の前だった。するすると人を縫い、迷うことなく浴場へ帰還したところはすばらしい方向感覚だと称賛に値する。
 巡邏騎士になって一年、ムーアは未だ、この街で迷う。
「捕まえたっ!!」
 マリアは何故か浴場ではなく、染め物屋の門前でしゃがみ込み、土をいじくっていた。
 ――さっきといい、今といい、猫のようだ。その行動が動物めいて見える。
「見た目はお姫様なのに、中身は仔猫ちゃんなのかな。あーもう、何がなんだか」
 ムーアに捕獲されたマリアは、別段抵抗するでもなくその手に引かれるままだ。
 逃亡した、というわけでもなかったようだ。
 確かに最初から走っていはいなかった。ムーアが迷いかけて捕獲に時間を要しただけである。これはニュークリッドには黙っておこう。
「騎士団の詰め所に行くからね。大人しくしていてくれるかな。君、一応暴行の容疑っていうか現行犯だから」
 何とも可憐な暴漢だった。
 雨はいつの間にか上がっていた。



[30346] 12
Name: ハトリ◆ea176006 ID:70f9d7d1
Date: 2012/02/05 23:50

 都合により5話更新その④


「ニュー様遅いなー」
 マリアを騎士団の詰め所へつれてきたムーアは、食堂にいた。
 マリアは暴行の現行犯だが、ニュークリッドが示談で済ます気満々だったので、牢に入れるのも忍びない――というか、それほどの罪でもない。奉仕活動がせいぜいだ。
 結局人目のあるところ、薔薇の花壇が見える食堂に陣取った。あぁ周囲の目線が痛い。マリアは目立つ。
 そのマリアは、状況を理解しているのかいないのか、一度青い薔薇の花壇に興味を示したのでムーアが付き添って見に行った以外、さしたる要求もせずコップに色水や泥水を作っては紙を浸したりして遊んでる。
 ――遊んでいるように見えた。
「あー、俺も昔やったなー色水」
 花を絞ったり、草を絞ったり。今思えば何が楽しかったのか。だがマリアはどこか喜々としていて、楽しそうな姿には少し和む。
 暴行の現行犯だが。
「……それにしても君もわかんない子だねぇ。お姫様みたいな見た目なのに、働くし、足早いし、拷問するし、色水で遊ぶし――? ほんと何なの?」
 ニュークリッドは見た目ほど幼くないだろうと言っていたが、ムーアの目には井戸端でしゃがみ込んで泥遊びしている子供と大差なく映る――見た目よりさらに幼い印象だ。
 マリアの手遊びを眺めながらムーアはニュークリッドの帰還を待つ。あまり待たされるとそわそわしてくるのは、ムーアには一応ニュークリッドの護衛という任務もあるからだ。
 巡邏騎士の職務を大過なく、そつなくこなしていることからわかるとおり、ニュークリッドは腕も立つ。そんでもって頭も良く、裁判官の資格を持っている。さらにはお貴族様で、美貌の青年だ。男からは毛虫よりも嫌われている。ムーアだって仕事じゃなきゃ近づきたくない御仁だ。主人だけど。
 剣の腕前が剣技自慢のムーアと大差ないニュークリッドが通りすがりの暴漢に襲われたところで、顔色も変えず撃退するのだろうが――護衛という名の肉壁なので、あまり長いこと離れていたくはない。
 彼に何かあったら、ムーアの首が空を飛ぶ。
 ぞぞっと首筋を押さえたところで、ニュークリッドが戻ってきた。
「お帰りなさいませ――お疲れですね」
「……あぁ。そちらもご苦労」
 ムーアの対面で無邪気そうに遊んでるマリアをちろりと見やりムーアを軽く労う。
「目撃情報ってどーでした? なーんかいろいろ変な火事でしたよね?」
 出火時、弱いとはいえ、雨が降っていた。
 火元は、新築の住宅の中庭だった。
 その新築の住宅は、旧市街の家々のように、白い壁だった。
「白い家って下街でそりゃあないでしょう。そりゃ皆、城下の白い家には憧れがありましょうが、日干し煉瓦の家には愛着がある。あれじゃ景観を損ねますよ」
「あぁ。周囲は建築に反対していたようだ」
「……成金ですかね」
 マリアに水責めされて、鼻水をまき散らしていたでっぷりした中年男を思い浮かべる。
「成金だ」
 ニュークリッドが肯定した。
 白い家に住みたいのなら、城下を目指せばよいのだ。それはそれは金がかかるし、金だけでなく名声も必要となるが、だからこその憧憬だ。
「金貸しだ。まぁ好かれない職業ではあるが、その中でも苛烈な取り立てで何度か事件を起こしている。そのどれもを金で解決しているが」
「バカですか。金集めて問題起こしてそれを金で解決するって」
「儲かってはいたようだ。家を新しく建てようというくらいには――ただし評判が最悪といっても過言ではないので、城下には金を積んでも届かなかった……」
 ムーアはこめかみを押さえた。
「だからって、下街で白い家って……」
 腹いせか財力の顕示か。
 いずれにせよ、成金らしい悪趣味っぷりだ。
「金貸しっつったらどーしても恨まれますし、その中でも最悪な部類だったようですし、客の中で恨みを持っている人も沢山いそうですね。周囲も建築に反対してたのなら――やっぱり、放火ですか?」
「……玄関の閂が、壊れていたのは覚えているな?」
「え、あぁはい」
 思い起こす。壊れてた。確かに壊れていた。
「真っ先に火事に気づいたのは家主の男だ。引っ越しは数日後だが、建築中からその出来映えを日に一度見に来るのが日課だったそうだ――煙に気づき、あわてふためき、己が鍵を所持しているのも忘れて扉に飛びついた。火事に気づいた近隣の大工が、大きな金槌を持って駆けつけ、鍵と閂を破壊した」
「……アホですね」
 慌てるのはわかるがそれにしたって。新築の家を早々に破壊せざるを得なかったのは己のボケだ。
「家主はアホだが、火災は家主ほど単純ではないな――家主が家に飛び込み、近隣の力自慢の男たちも消火に励んだ。我々が到着し、無事鎮火された……その間、向かいの奥様がずっと様子を窺っていた」
 自宅の向かいで火の手が上がれば、それは気が気じゃないだろう。
 逃げるのも不安で、野次馬の先頭でハラハラ気を揉んでいたに違いない。
「その彼女が証言している。鍵が壊されて、消火するまで、家を出入りした者は、消火のために駆けつけた者だけだったと――な。近所の者など全員顔見知りだろうから、確かだろう。同様の証言もある。お隣の奥様とはす向かいの奥様だ。ちなみに消火後すぐに入り口を見張らせ、家屋を調べたが、誰も隠れてなどいなかった」
 ムーアは頭から湯気がでそうだった。こちとら脳味噌筋肉で、頭脳労働は苦手なのだ。
 それにしても、目撃証言を得る相手があからさまにニュークリッドだ。皆様よいお年のご婦人なのだろう。
「えーっと……つまり、だからー……出火時、家の中は無人だった……ってことでよろしいでしょうか」
「他になんだと言うんだ?」
 これだから頭のいい奴はっ!!
 脳への血の巡りが悪い奴のことなど一顧だにせんとあからさまに上から目線。悔しい、でもこの一年で慣れてきた。
「えーじゃあ何で火がついたんですかー? 火の不始末でもあったんですか?」
「不始末はない。引っ越しは来週の予定で、灯器類すらまだなかった」
「えー? じゃあ誰かが窓から侵入して火をつけてまた窓から逃げたとか?」
「考えられなくはないが、火をつけるのに中庭というのは適した場所ではないだろう。花壇の成形のために水を引いておいた貯水槽が目の前にあり、実際おかげで大事にならずにすんだ。肥料と庭に使う木材がいくらか置いてあっただけらしい。木材に火をつけるにしろ、それを部屋にでも放り込めば大惨事だったろう。わざわざ侵入して中庭に火をつけるのは腑に落ちん」
「えー……? 被害者は恨まれていて、放火っぽいのに、出火時人気はなくて、火の不始末でもなくって、雨が降ってた中庭が燃えててー……?」
 わけがわからなくなってきた。
「ちなみに共に消火にあたった男たちの中に、近所に住む左官の兄と庭師の弟の兄弟がいて、この二人はあの白い家の建築と中庭の成形に関わっており――この兄弟が犯人なのだが」
「――はいっ!?」
「方法はともかく、悪意を立証するのが難しい状況でな。故意ではないと言い切れないこともなく、どうしたものかと頭を悩ませているんだが――ところでマリアは何をしているんだ?」
 名を呼ばれ、マリアが顔を上げた。
 その手元では、悪意の証明がされようとしていた。

********************

 まずは蒸留水を用意する。
 お誂え向きに食堂に連れてこられ、ニュー様の連れの男の子の目の届く範囲にいれば何をしても特に咎められることはないようなので、水を沸かしてその上で鍋蓋を傾けながら木製の腕に蒸留水を貯めていく。
 透明度の高いグラスを並べて、火事現場で採取した白い粉、火事現場の花壇の土、食堂の焜炉の灰、染め物屋の前の土、青い薔薇の花壇の土をそれぞれ入れて、蒸留水を注ぐ。よくかき混ぜて、泥水は沈殿を待つ。
 その間、深めの皿に蒸留水を満たし、染め物屋で懇願し譲り受けた紫色の粉を入れて混ぜる。
 そこに、厚手の白い紙――多分、高級品。でも使っちゃう――を手のひらサイズ失敬し、紫の水の中に浸し、色が付いたところで引き上げ、その辺に吊して乾かしておく。雨が降ったとはいえ、基本的に乾燥した地域なので、そう待つこともなく乾くだろう。
 そろそろ乾いたかな? とワクワクしていた時、ニュークリッドがマリアの手元に興味を示した。
「泥水? いったい何をしているんだ?」
「そんなことよりニュー様!? 左官と庭師の兄弟が犯人ってなんでですかっ!!? というかわかってたのに逮捕してこなかったんですか!?」
「うるさい。彼女は何をしているんだ?」
 一刀両断だった。騎士として当たり前の訴えをうるさいの一言でバッサリ。それよりも少女の遊びの方が大切だとでもいうのかこの諸悪の根源様は!?
「~~知りませんよっ! 遊んでるんでしょう!? なんか花壇の土とか集めてましたからね! それより――」
「この薄紫の液体は何だ?」
「あ、それは――」
 マリアを遠巻きに眺めていた騎士の一人が、ついウッカリとばかりに声を上げる。
 当然ニュークリッドが顔を向ける。
「何だ。心当たりがあるのか?」
「や、その……えっと」
 青年は気まずそうに目を逸らす。
 ニュークリッドは騎士団で浮いている。そして嫌われている。とにかく男として、果てしなく目障りな男だからだ。加えて貴族。道楽で働いているとしか思えない。
 なのに仕事ぶりは優秀だ。さらに頭に来る。
 些細な嫌がらせや、失敗を期待して困難な仕事を割り振られることは多いが、暴力や仕事に関しての無視は今のところなく、街を守る巡邏騎士の矜持が垣間見える。
 そして少数だが、嫌悪よりその身分に気後れして遠巻きにしている者もいる。声を上げた青年は、その口らしい。
「――言え」
 だからこそ、高圧的に命じる。
「は、はい。あの、俺は染め物屋の自警団上がりで、だから見覚えがあるんですが――染料です。羊毛を紫に染めるのに使います」
 おどおどと、しかし得意分野であるためか、説明は噛まずに流暢だった。
「紫の染料。原料は?」
「えと、苔です。海辺の、岩場で取れて乾燥させて粉にします。貝の赤ほどではありませんが、結構貴重で庶民には高級品になります」
「なるほど。それで――貴殿は、彼女が何をしているか見当がつくか?」
 青年は目を瞬かせた。
「遊んでる――んじゃないんですか? この紫苔の染料汁は、ちょっと面白い性質があって……レモンや酢などの汁を混ぜると赤くなって、草木灰や石鹸水などを入れると青くなるんですよ。なかなか劇的な変化なので、子供に見せてやるととても喜ぶんです。メノラの風呂屋の子ですよね? 染め物屋の近所だし、誰かが見せてやったんじゃないですかね」
「……」
 ニュークリッドは考え込んだ。
「それよりニュー様っ!!」
「ムーア。コップの泥水の、どれが青薔薇の花壇の土かわかるか?」
「知りませんよそんなもんっ!? あんたいい加減に――」
「ムーア!! 庭師を呼べっ!!」
「だーーーっ!! わかりましたっ!!」
 鋭く命じられると逆らえない。これは染め物屋上がりの青年だけでなく、ムーアもそうで、さらにいえば、彼に命じられるいわれのない人物にも有効な、支配者の能力だった。
 紫の紙の乾燥具合を確かめていたマリアは、パリッと固くなったのを触って確かめ回収し、卓に置く。
 インク壷を失敬し、羽ペンを胸元から取り出す。
 まずは”蒸留水”と書き記す。当然日本語、漢字だ。
 次にレモン汁。
 青薔薇の花壇の土。
 火事現場の花壇の土。
 染め物屋前の土。
 食堂の焜炉の灰。
 火事場の白い粉。
 縦に箇条書きをして、いざ、実験開始。

 ――酸性は赤。アルカリ性は青。

 だが、マリアが知りたいのは水素イオン濃度なんかじゃない。
「連れてきましたよっ!!」
「はいはい。お呼びにあずかりまして」
 騎士団の庭師は、頭の真っ白な老人だった。日に焼けた皺深い顔に穏やかな笑みを浮かべている。
 これだけ年齢が離れていればニュークリッドに対して思うところもないのか、ニコニコと分け隔てない笑顔だ。
「爺。いつもご苦労。確かめたいことがあるんだが、今少しよろしいか」
「もちろんですよ。はいはい何でしょうねえ。この爺がお役に立ちますか」
 ニュークリッドは懐から、手の込んだ刺繍の施された手巾を取り出す。
 広げると白い粉が出てくる。
「これに見覚えは?」
「えぇはいありますよ。石灰ですね」
 老庭師はあっさりと頷いた。
「え、それ石灰なんですか?」
 のぞき込んだムーアが不思議そうに見つめる。
「爺はこれを使うか?」
「そうですねぇ。滅多には使いませんが、花の調子によっては使うこともありますねぇ」
「え? 石灰といやぁ白壁の材料ですよね? なんで爺が使うんです?」
「肥料だからだ」
「そうですねぇ」
「……あ、そうなんですか」
「マリア」
 なにやらゴソゴソしている少女に声をかけ、手巾の白い粉を見せる。
 マリアは一つのグラスを指す。
「このグラスに入れろ――? 違う? このグラスの水に、すでに石灰が溶けている、のか」
 ニュークリッドが投入しようとしたのを制し、マリアが胸元から布の端切れを取り出す。それを件のグラスの前に置く。
 端切れの中には、同様の白い粉が少量残っていた。
「なるほど君も採取済みか。つまり、火の付け方はわかっているんだな」
 マリアが顔を上げる。

「ギュータン・ベントー」

 今日、初めてその声を聞いた気がした。
 意味は分からなかったが。
「――さぁ、君は何をしようとしているのか。楽しくなってきたな」
「あのー……ニュー様ー……。ご機嫌のところ申し訳ないんですがー……俺はさっぱりわからないんですが」
 ムーアが恐る恐る挙手して訴えた。
 ニュークリッドとムーアのやり取りから聞き耳を立てていた周囲も同様とばかりに頷く。とはいえムーアのように直接聞いてはこない。
「……」
「……そんな目で見ないでくださいっ、皆が皆貴方の頭についていけて当然でそれ以外は総じて阿呆とか思わないでくれますかっ!?」
「別にそこまでは。だが脳味噌まで筋肉で思考能力を腕力に還元しているんだなと」
「思ってるじゃないですかっ!!」
 ムカつく。腹立つ。
 熟女好きの童貞のくせにっ!!
「マリアは気づいているぞ。貴殿等はわからんのか」
「いやいやいや。なんでマリアちゃんがわかってるってのがわかるんですか。それもわかりません。もう全然わかりませんっ!!」
 ムーアが音を上げた。
「仕方ない……爺」
「はいはいなんでしょう」
「この石灰に――水をかけると、どうなる?」
「あぁはい。危ないことをしちゃあいけませんよ。火傷しちゃいますよ」
「え――?」
「では爺。この石灰が……そうだな。私が抱えるのに苦労するくらいの量を用意するとして、その上に薄手の布をかけておいて、その布が飛んでいかないように木材で重しをする。そして雨が降ってきた――……どうなる?」
 老庭師は優しげな風貌を一変させた。
「そんな危ないことをしちゃなりません! 火傷どころか、布に火がついて、その火が木材にまで及んで、大変なことになりますぞ!!」
「――ということだ」
「え……えー?」
 マリアは消火された現場に残った白い粉――といってもそれほど細かくはない。米粒大から小指の爪までの粒状だ――を見つけ、仙台の牛タン弁当を思い出した。
 容器と一体型の加熱装置がついており、紐を引っ張るとしゅんしゅん音を立てて蒸気が立ち、弁当が温まる仕組みのアレだ。
 紐を引くことで水袋が破け、その下の生石灰が発熱する。その化学反応を利用した加熱方法だ――とキャバ嬢時代ドヤ顔の客が説明してた。
 楽しそうに聞きながら相づちを打っていたが、内心「だから理系の男ってウッザいのよ」と笑顔と裏腹の感想を抱いていたが、それはともかく。
 マリアは駅弁が好きだ。
 客が出張に行くからおみやげは何がいい? などと問えば、決まって「駅弁!」と答えたものだ――日持ちするものではないので、出張帰りの男は早速店にやってくることになる。安いおみやげでかわいいもんだ、なんて思いながら、店に駅弁の何十倍の金を落としていく。このサイクルをひっくるめて「駅弁が好き」なのである。安いおみやげでカワイイもんだわとはこちらの台詞である。
 生石灰を、駅弁の加熱装置の何百倍の量を用意し、燃えやすい物を配置しておけば、そりゃあ火ぐらいつくんじゃないの? そう思えば、最初に立ち上った煙は、どちらかというと蒸気っぽかった。
 だから、火の原因はすぐに気づいた。生石灰が現場に残っていたのだから当然だ。
 マリアがわからなかったのは、そして今調べようとしているのは、悪意。

 悪意の有無だ。

 貯水槽の奥には、作りかけの花壇があった。
 生石灰は、肥料としても使われる。マリアも海苔などに入っている生石灰の乾燥材を少量プランターに撒いたりして、ベランダでトマトを育てていた。
 ――それも、雨の多い日本は酸性の土壌がほとんどなので、石灰で弱酸性~弱アルカリ性に土を整えるためだ。
 街中で、アジサイに似たピンクの花をよく見かけた。
 アジサイといえば、一般的に酸性の土壌で青い花が咲き、アルカリ性の土壌でピンクの花が咲くといわれる。リトマス試験紙と逆の色、と記憶している。
 土壌のPHは花の色の決定のための絶対条件ではないが、必要条件ではある。酸性の土壌でピンクの花が咲くことはあるが、その逆はない――。
 さて、まずは蒸留水に木の棒をつっこみ、手作りリトマス(仮)試験紙に文字の横にちょんっと水滴を置く。変化なし。中性だ。
 次にレモン汁。きゅっと絞って木の棒でつつきちょん――赤。よしよし酸性。
 棒を蒸留水ですすぎながら、そろそろ本命だ。
 まずは、青薔薇の花壇の土の上澄み。
 薔薇の横には、青いアジサイが咲いていたのだ。
 ちょんっとする。
 じわじわ染み込むのを凝視する。
 ――ほんの少し、薄紫の紙の赤みが増した。弱酸性。
 お次は染め物屋の前の土。ここにはピンクのアジサイが咲いていた。
 ちょんっとする――弱アルカリ性。
 さてさて、火事現場の花壇の土の結果はいかに。
 水滴を置く。
 膜が破けるように染み込んだ水滴は、うっすらと青みを増した。

「あはん、ビンビンなのね」

 青い――悪意だ。これは悪意だ。
 もとよりアルカリ性の土壌に、生石灰は肥料にならない。
 火がつくほどの大量の生石灰を土に混ぜたしたなら、雑草一本生えない土壌と化すだろう。



[30346] 13
Name: ハトリ◆ea176006 ID:70f9d7d1
Date: 2012/02/05 23:51

 都合により5話更新その⑤


「えーっと。石灰に水をかけると燃える――ということは、はい、そういうものだと思うことにします。ピンときませんが」
「……石灰に水を加えると、熱を発する、が正しい。それが高温となり布が発火し、その火が木材に移ったんだ」
「いや、はぁまぁはい。わかりました。たぶん。でもですね、石灰は肥料として使うにしても、白い家の建材でもありますよね? だったら城下って、雨が降るたび火事になりません?」
 ムーアの疑問にニュークリッドはため息をついた。
「……」
「……」
「……説明してくださいよっ!?」
「白い家や王宮に使われている石灰は、この、水をかけて熱を発した後の物だ。反応は終わっている。だから発熱しない。わかったか?」
「……はい」
 悔しい。ムカつく。童貞のくせに。
「それにしても、なんでニュー様がそんなこと知ってんですか」
「常識だ」
「嘘だっ!! 絶対嘘だ!! なぁ!?」
 ムーアが周囲に同意を求めると、誰もが一斉に目をそらす。
「え、その反応はどーゆーこと? どっち? 俺が物知らずなの? みんなも知らなかったの? え、どっち?」
「ムーアの無知は置いといて、とにかく、私が知っているということは、専門に取り扱う庭師の爺も知っていたし、白壁を塗る左官の兄も当然知っていようし、その弟もまた庭師だ」
「え――あ。そこでその兄弟が出てくるんですね。で、そこまでわかっててなんでその場で逮捕しなかったんです!?」
 話が戻った。
「この兄弟の両親が、あの家の家主の横暴な取り立てによって自殺したというのは後の聞き込みで判明した事実だ。火災直後の現場では、あの二人は消火に協力してくれた善意の民で、左官の兄なら生成前の石灰を大量に入手するのも難しくなかろうな、というだけの話だ」
「あ――あー。そう言われると、その通りでございますね……でも、凝った方法で火をつけたのに、消火を手伝うって矛盾しませんか?」
「兄弟の自宅が近所にあるんだぞ。そもそも都合よく雨が降るとは限らんだろうが。この時期の雨は珍しい。発火したら得たり賢し、全焼を狙ったというより、運任せの嫌がらせだ」
「俺、ニュー様と会話してると自分がバカなのかなーって思うんで、嫌な気分になりまーす……」
 落ち込み始めたムーアを無視して、ニュークリッドは老庭師に質問を重ねる。
「爺。グラーダでは青い薔薇や青い七色花が咲くのは珍しいな。どうやって咲かせた?」
 庭師は少し困った顔をした。
「秘密なんですがねぇ……仕方ありませんねぇ。このあたりの土は青薔薇や青い七色花を咲かすのに適していないのか、薔薇はつぼみを付けず、七色花は赤くなるのです。なのでこちらの庭には、私の故郷――青薔薇を栽培して領主様に納めているんです――から土ごと持ってきましてね、そしたら巧いこと青い花が咲いたんですよ。うれしかったですねぇ」
「秘訣を開帳させてすまないがもう一つ。このあたりの土に、石灰は肥料としてよく使うものか?」
 庭師は首を振った。
「沼地の多い私の故郷では大切な肥料でしたがね、このあたりではまず使いませんねぇ。この辺は石灰が豊富にとれますからなぁ、混ぜるまでもなく、土の中に含まれているんじゃあないでしょうかね」
「……それは、このあたりの庭師としては、常識かな?」
「グラーダ出身の庭師なら、石灰が肥料となるというのも他の土地から入ってきた知識程度で、実感はないでしょうなぁ。使いませんもの」
「爺ありがとう。感謝する」
 ニュークリッドは再びマリアの手元に視線を落とした。
 薄紫の紙に、謎の文字――彼女の母国語だろう、その横に水滴の跡。紫苔の染料には面白い特性があり、赤く反応するものと、青く反応するものがある。
 それらの変化を見せる特性がなんであるかはわからぬが、マリアが作成したこの紙片――使える。
「マリア」
 呼ばれて、マリアが顔を上げる。先ほどまで面白そうな、意地悪そうな笑みを浮かべていたが、今は何の表情もない。
「この泥水は、どこの土だ」
 一番右端のグラスを手に取り、振る。
 マリアの細い指が、窓の向こうの青薔薇の花壇を指し示し、次いで、手元の紙片のほんのり赤く色づいた水滴跡を示した。
「このグラスは」
 これは指示出来ず、マリアが指をさまよわせる。染め物屋前の土と火事場の花壇の土なのだが、目に見える範囲ではない。
「えーっと、火事場でもしゃがみ込んでたし、俺が追いついたとき染め物屋の前だったんですが、そこでもしゃがみ込んでました。そこの土じゃないでしょうか」
「どちらでもよい。水滴跡の色合いは同じだ――いや、これは画期的だな。素晴らしい」
 目尻をわずかに興奮に染め、ニュークリッドが絶賛した。マリアから木の棒を借り受け、石灰の水溶液に棒を突っ込む。
 その水滴を、紙片に落とした。
「泥水よりも遙かに濃い、青だな」
「……すいません。解説お願いします」
 先ほどのマリアと似た風情で、面白げかつ意地悪そうな笑みを浮かべたニュークリッドに、ムーアが白旗を上げた。
「……」
「……」
「……」
「……だからそんな目で見ないでくださいよ!! なんかだんだん気持ちよくなってきたんですけど!」
「こちらは気分を害した!! えぇい面倒な。つまりこの紙片は、爺の証言を目に見える形で示した素晴らしい悪意の証明だ!」
「わかりませんっ!!」
「いや、これは面白いですねぇ。つまり、青い花を咲かせるのには、うっすら赤くなる土が最適、このあたりの土はうっすら青いもの。石灰水は濃い青。このあたりの土に、石灰が含まれているという予測は当たりかもしれませんなぁ。私の故郷のようなうっすら赤くなる土には石灰が肥料となり、うっすら青くなる土には石灰は害となるということですかな」
「ほら、爺はわかってるぞ」
「じーちゃんスッゲー!!」
 ムーアが子供のような歓声を上げた。老庭師の説明は分かりやすかった。
 ニュークリッドは説明に向いてない。
「後でその辺の土と、火事現場の花壇の土を改めて採取して、反応を確かめれば完璧だな。左官の兄が生成前の石灰を入手し、それを肥料と偽って中庭に置いておく。この辺の土に合わぬ肥料であることは、庭師の弟も知ってのことだろう。肥料と偽れる、というのは弟の着想に違いない。兄弟の悪意あっての所業だとこれをもって立証、説明できる。罪に問えるぞ」
 なんだか楽しそうな男衆の間で、マリアはそろそろ飽きてきた。
 日も暮れてきたし、結局お買い物が出来なかった。ディルドが。
 しかも昼食抜き。お腹も空いた。
 帰りたいんだけどー。あーん牛タン食べたーい。
「皆のもの聞いていたな。本日午前に発生した住宅街の火災について、放火の罪で左官の兄ムスリ、庭師の弟カジクを手配する。ひっ捕らえよ!!」
 野太い応えが上がった。
「ムーアはマリアを頼む」
「頼むって、そりゃ構いませんけど。彼女の暴行の件についてはどーするんですか?」
「ふん。家主は煙が目に入ったと言っていただろう。目を押さえていたので水で洗わせてやったとでも言えばよい。彼女はこちらの言葉が喋れぬからな。説明できず、実力行使となったとでも証言してむしろこちらが謝礼金をもぎ取ってくれる」
「……あんた、裁判官の資格そーゆー使い方するんですか。金持ちのくせに。超金持ちのくせにっ」
 同僚に嫌われるのも仕方ない性格の持ち主だ。立場だけのことではない。絶対に違う。
「爺。仮に石灰が目に入ったらどうなる?」
「そりゃあいけません。すぐに水で目を洗わなきゃいけません。目が溶けて、最悪失明しますよ。強い強い薬なんですから」
「――だ、そうだ。失明の可能性を全面に出して恩に着せ、謝礼金をがっぽりいただこう。マリアは確実に発火方法に気づいていたから、煙もしくは石灰が目に入ったと思ったに違いない。どちらにせよ対処方法は同じだ。暴行などとんでもないな。善意じゃないか。なぁマリア私に任せろ。謝礼金は山分けだ」
「悪魔ですねー……」
 その悪魔が将来的に直接の主人となる運命のムーアは、悪寒と頼もしさを同時に抱いた。
「準備はいいか? ――出発せよ!!」
 騎士たちが動き始めた。

********************

 マリアを任されたムーアと、成り行きで陣頭指揮を執り始めたニュークリッドが詰め所に残り、老庭師は帰宅の準備を始める。
 空は赤く、すでに夕暮れ。完全に日が落ちる前に犯人たちを捕縛したいものだ。
 三カ所ある市壁の門には消火直後にニュークリッドが伝令を走らせ、ムスリとカジクの兄弟を街から出さないように言いつけている――手回しのよいことだ。あの男、怖い――ため、兄弟はグラーダから逃げられない。
 ニュークリッドがしばし席を外し、ムーアも腰を上げる。
「じゃ、帰ろっかマリアちゃん。今日はご苦労様だったね。送っていくよ」
 そういえば昼食抜きだった。自覚したとたん猛烈な空腹感が臍を中心にムーアの全身を襲った。
 昼食抜きはマリアも同様なので、送りがてら露店で食事を購入し、奢ってやろうと思う。
 ムーアはいまいち実感がないが、たぶん、マリアはものすごいお手柄だったのだ。
 あのニュークリッドが喜んでいた。裁判官資格を持つ彼は、万人に示すことが出来る”目に見える証拠”の重要性を理解している――ということを、ムーアもなんとなく肌で感じた。
 ムーアが席を立ちマリアの手を引くと、何故かマリアは少々嫌がった。
 別に嫌われるようなことはしていないはずと宥めすかし、何とか詰め所を出発する。
 所用を終え戻ってきたニュークリッドは、無人の食堂に目を剥いた。
「誰か!! 誰かある!?」
「はいはいどうしましたか?」
 帰宅の準備を整えた庭師が玄関から顔を出した。
「爺!! ムーアとマリアを知らないか!?」
「はいはい。ムーア様が家に送っていったようですよ」
「――なんだとっ!? あの脳筋っ!!」
 ニュークリッドは走り出した。

********************

 送ってくれるようだが、余計なお世話だとマリアは舌打ちを隠す。
 会話をしなくてもなんだかんだで意志疎通が出来るニュー様と違って、その部下らしきこちらの男は少々鈍い質のようだ――否、ニュークリッドが鋭いのだろう。彼を基準にするのはムーアが気の毒だ。街の人もだいたいムーアと似たようなものだ。ムーアが普通なのだろう。
 何にせよ、マリアは筋肉達磨の巣から出たくなかった。
 とっさの行動と好奇心が先走って先ほどまで忘却していたが、マリアは火事現場で中年男を水責めしている。
 これはもちろん、しきりに目を擦っていた男に呆れ、目を洗えと日本語で言っても仕方なく、洗うという単語をまだ知らなかったので、実力行使に出ただけの、一応善意だった。善意というか、とっさの行動だった。久々の水責めも楽しかった。いやそれはどうでもいい。
 その後、現場に残った生石灰に気づき、酸化カルシウムに水を加え、水酸化カルシウムを生成する際の発熱を利用した発火だろうと当たりをつけ、それは正しかったようだがそれも今更どうでもよい。
 あれは害意のある時限発火装置――といっても運任せのお粗末なものだが、それを仕掛けた犯人が、マリアの水責めを目撃していた可能性がある。
 放火犯は必ず現場に戻ってくる。
 お粗末ながらも時限発火装置として生石灰の利用を思いつく知識があるなら、取り扱いに注意が必要なこの化合物を誤って目に入れてしまったとき、どんな事態になるか、そのときどう対処すればよいか、知っていてもおかしくはない。
 あのデブ中年の目に入ったのが、火災の煙だったのか、消火作業の際飛び跳ねた石灰だったのかは定かではない。どちらにせよ、ひたすら目を洗うのが正しい処置だ。それは変わらないのだが――。
「ちょっとここで待っててくれる? あそこの包み焼き、絶品なんだよね。買ってくるから」
 ムーアがマリアの手を離し、露店の中でも繁盛している店の前で行儀よく並び始める。妙なところに育ちの良さを感じて間抜けだが憎めない男だ。
 好みではないが。
 マリアは目を閉じ内へ潜り、全身を敏感にさせる。感度の調節など朝飯前だ。夕方だが。
 揚げ物の香りを乗せた生ぬるい風。もはや湿気はほとんどない。
 夕餉を買い求める人々の喧噪。石畳を蹴るサンダルの擦過音。
 ねとりとまとわりつく、薄ら青い悪意。
「ほら、やっぱりね」
 マリアはしばし考えて、人垣の向こうから頭一つ飛び出した金髪を目にし、そろりと薄暗い方へ足を向ける。
「あれ――? マリアちゃ……んぐっ!?」
 振り向いたムーアの口が塞がれた。


 ゆったりと、泳ぐように。
 疑似針の釣りのように。


「私はカワイイお魚さん。おいしそうなお魚さん。あなたの餌よ――」
 この街は袋小路に事欠かない。
 無数の袋小路の一つ、篝火の届かない薄暗い行き止まりで、マリアは足を止め振り向いた。
 尾行していた職人姿の男が二人、マリアを追いつめるように足を止めた。
 手には鈍く光のナイフ。
「火事場で見た顔ね。しかも造作がちょっと似てる――兄弟かしら? まぁどうでもいいけど」
 石灰が目に入ったときの正しい対処法を見せたマリアを目撃した彼らは、冷や汗をかいただろう。
 仕掛けに気づかれた、と思ったに違いない。口封じだろう現状がそれを証明している。
「封じる口もないというのにお馬鹿さんね」 実際そのときは気づいてなどいなかったし、対処自体は結果オーライでしかないが、そんなことはお互い知ったこっちゃない話だ。
「綺麗な花には棘があるものよ。棘、ときどき――猛毒ってね」
「がっ!?」
「ぐぇ!!?」
「――確保っ!!」
「縄をもてぃ!!」
 ニュークリッドとムーアが背後から強襲し、男たちを路地の地面に押さえ込んだ。
 唐突な捕り物にわぁわぁと野次馬が集り始め、応援に駆けつけた人員と協力し犯人兄弟を捕縛しながら、ニュークリッドが静かに見下ろすマリアを見上げた。
「協力に感謝する」
 マリアは小さく肩をすくめた。
 襲われる可能性があったから、マリアは犯人が捕縛されるまで筋肉達磨の巣――騎士団の詰め所にいたかった。
 めでたく逮捕、しかもマリアへの傷害未遂も罪状に加わって、ざまぁみなさいと鼻で笑うマリアとしては、もう詰め所にもこの場にも用などない。帰宅させてもらう。
「あーちょっと待って!! 送るってば!! あと夕食がっ――なんで犯人がマリアちゃんを狙うんですかー!?」
「もう、説明するのも面倒だから後で報告書を読め……送り出したと聞いたときには目の前が真っ赤になったぞ。怒りで。このマヌケ」
「えぇえ!? 犯人逮捕したじゃないですかっ!? お手柄じゃないですか!?」
 弟カジクを縛り上げたニュークリッドが、さっさと去ろうとするマリアの手を取り引き留めた。
 まだなんか用があんのか。
「この銀板が君の身分証だ。大切に保管するように――売っぱらうなよ? とりあえず首から下げておけ」
 ドゥエロ子爵の紋章が刻まれた銀板に皮紐を通したものを、ニュークリッドがマリアの首にかけた。
 マリアはそれを手に取りしげしげと眺め、装飾品というには味気なく、しかし首から下げておくべき物――犬猫の迷子札やドックタグを連想した。
 外出時、首から下げて胸元にしまっておけばよいだろう。たぶん。
「それと、本日は消火活動、救助活動、犯人の捕縛等、市民の協力に感謝する。これはささやかだが、騎士団よりの謝礼である」
 芝居がかった仕草で、ニュークリッドが胸元に挿していた青い薔薇を差し出した。
 マリアは再び肩をすくめ、その薔薇を受け取り、今度こそ踵を返す。
「誰かに送らせるが?」
 小さな背に投げかけた声。
 振り向かず、青い薔薇を振り、不要と告げて女は去る。

「……超カッコイイ」

 事態を正確に把握しないまま、ムーアは呆然とマリアの背中を見送った。捕縛する手も止まっている。
「だから、見た目ほど幼くなどないと言っただろうが」
 頭上から落ちるニュークリッドの呆れた声も気にならない。
「いや。幼いどころか、頭が良くてカッコイイ――スッゲーいい女じゃないですか。なんだあれ。あれスゲェ……」
「いい女――ね。それだけならな」
 こちらはムーアのように手放しで絶賛出来ないニュークリッドがため息をつく。
「え、他になんかあるんですか?」
「そうだな。彼女がもう少し、この辺りで目立たない容貌であれば――是非とも間諜として雇い入れるな。大枚を積んで」
「は?」
 小さなつぶやきはムーアに届かず、怪訝な声を上げる。
「ありもしない――かもしれない、背後関係を疑わねばならんとは、巡邏騎士とは何とも因果な商売だな」

 ムスリとカジクの兄弟は、こう供述している。
 火は、ついてもつかなくても、どちらでもよかった。ついたにせよ、消火するつもりだった。
 ただ、石灰を肥料と偽り庭を造れば、あの家で花が咲くことはない。
 決してない。
 この辺りでは珍しい、青い花を植えるのだと成金は声高に言い触らしていた。
 今は亡き母が好きだった、青い花を。
 あの男の庭で、その花を咲かせてなるものかと。
 決して咲かせるものかと――思ったのだと。


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