「つん、つん」
頬に変な感触を感じて、俺は無意識のうちに手を払った。
「つん、つん」
あれ、まだ何か頬をつつく物がある。邪魔だな。
なんだか、変な囁き声も聞こえてないか?
「つん、つん」
もう、一体何なんだよ。寝てられないじゃないか!
仕方ないと思いながら、俺は気だるく身を起こした。
って、なんだよ。これ。
寮の部屋のベッドで眠ってたはずが、なんで目を開けたらいきなり戦隊物が戦ってそうな土砂の採掘場みたいな荒地にいるんだ?
「つん、つん」
呆然と左右を見渡していると、今度は何だか斜め後方から、またも囁き声と俺のわき腹を突っつく物が……?
慌ててそちら方向に振り返ると、俺の真横で膝を抱えてしゃがみこんで片手に木の小枝を持った、頭にキャンデーをしゃぶる人形を乗っけた、コスプレみたいな格好をしてる少女と目があった。
「おー、ようやく目を覚ましたようですねー。良かったですねー。
もう少し頑張っても起きなかったら、風は諦めてお兄さんを捨てて行っちゃう所でしたよ。
いや、いや。風も努力した甲斐があったというものなのです」
要するに、さっきから君がその小枝で俺をつついてたんだな。それだけは良くわかった。
「ところで、君は誰? というか、そもそもここはどこ?」
何にしても、まずは現状確認だよな? 一体、何がどうしてるんだ。
「お兄さんの質問に答えてあげたいのは、山々なのですが、
最初に少し動いてこの場を離れた方が良いと思うのですよ」
「そうだぜ、まずは危険の回避だ。さっさと起きて移動しやがれ」
今度は頭の人形の手を引っ張りながら腹話術の喋りか?
俺の質問にも答えてないし、なんてマイペースな子なんだ。この娘は。
「はい、とにかく起きるのです」
どうやら譲る気配もないようなので、全然わけがわからないまま、自分のことを風と呼ぶ少女から差し伸べられた手を掴んで、俺は立ち上がった。そういえば、俺、制服を着てるな。
導かれるままに数十メートルも歩くと少し切り立った崖みたいなのがあったので、二人でそれを乗り越えて――
次の瞬間、俺の目の前に広がったのは草木が殆ど生えてない荒野と、遠くに見える岩山の組み合わせの風景だった。どうみても日本の自然とは思えない。
「ここって、本当にどこ?」
呆然としながら呟く俺。
「ああ、風の服が汚れちゃいましたー」
後ろから聞こえてきた、少女の嘆き言葉に振り返った俺が見たのは――
今度は、巨大なクレーターだ。
「お兄さんは、ちょうどこの穴ぼこの真ん中あたりで寝ていたのですよ」
人形少女よ、解説ありがとう。
だんだん、わかってきたぞ。俺の明敏な理性の導くところによれば、
俺はUFOによるアブダクションを受けて、調査後にこの荒地で解放された。
この線が一番濃厚だ。
って、なに考えてるんだよ。
「では、出発するですよ」
「えっと、俺、全然わかんないんだけど、なんかまずいの?」
俺の手を引いて、小さな脚でなんだか一生懸命歩き始めた印象の女の子に声をかける。
「というか、まずくなる可能性があるというべきでしょうねぇ。
とりあえず、先ほどの場所から少し離れるまで頑張ってください」
こうやって聞いてると、結構、この子賢そうだぞ。
「あのさ、歩きながらでも良いから「風の予感だと長いお話しになりますよ?」やっぱり、後にしようか」
とりあえず、二人でせっせと歩く。
「やっぱり、なんか来ました」
そう言ったのは、二人で歩き始めてしばらく過ぎた頃だった。
地平線を指差す先を眺めると、なんか土煙があがってるようだ。こちらに向かって結構な速度で近づいてくる、あれは、もしかして騎馬隊??
「風が、相手をしますので、お兄さんはそこの岩の陰に隠れててください。
見つかると命に関わるかもしれないので、覗いたりしようとしないで気配を殺しててくださいね。
終わったら、行きますので」
いきなり怪しげな展開に不安を感じかけたけれど、数えかけた頭の中の羊が大して増えないうちに、
「はーい、もう出てきても大丈夫ですよ、お兄さん」
騒然としたざわめきは遠ざかっていき、何事もなく少女は再び現れたのだった。
「さて、多分、面倒ごとは去ったみたいなので、風に何を聞いてもらっても大丈夫ですよ」
さっきより、少しリラックスした雰囲気で少女が言う。
「さっきのは一体何だったんだ?」
「あれは、陳留から出てきた警邏の騎兵でした。
なんでも重要な書を盗んだ盗賊を追ってきたそうで、それらしい連中を見かけなかったか聞かれただけでした。
風は変なお兄さんには出会いましたが、盗賊さんは知らないので問題なしです」
「ちんりゅう? 駄目だ、やっぱりわからない。
まずはここはどこってところから確認しないと駄目だな」
と、これだけじゃないぞ。
「そっか、あと自己紹介が最初に必要だよな。
俺は北郷一刀、聖フランチェスカ学園の二年生。よろしく」
「政府乱治江……わかりません、何かの鎮台??
とりあえず、名前はホン・ゴウさんで字が一刀ですか?」
「いや、なんか違うし。
俺日本人だから北郷一刀までが全部名前で、字なんてないよ。
そっか、字なんて言ってるとこみると、君、中国人なんだ」
「日本人? 中国人?」
明らかに頭の上に?マークをいくつも点灯させている雰囲気だ。
むー、という感じで見つめ合う俺と少女。
これはいわゆる一つのゆとり教育の弊害、コミュニケーション不全という奴か?
OK、冷静になれ。質問は一個ずつ、まずは場所の同定だ。
「えっと、もう一度最初から行くね。ここは中国だよね?」
「いえ、中国なんて国は聞いたことありません」
あれ、やっぱりいきなり駄目だ。
「じゃあ、ここはどこの国?」
「国というのは王の治める地なので、ここは、厳密に言えば、現在、陳留郡なのですが、今年、帝がなくなって僅かの期間、陳留国になってたこともあります」
真面目に答えていてくれるんだろうけど、もう、何がなんだか……あれ、
「今、帝って言ったよね。皇帝がいるんだ。その人なんて名前。後、都はどこ」
「今の帝は劉協陛下ですね。都は洛陽なのです」
うわ、いきなり知ってる名前が来た。けど、なあ……
「君、俺をからかってたりしないよね?」
「いきなり、失礼なお兄さんなのです。風は辛抱強くお兄さんの質問に答えてあげてるのに」
ふくれた顔をし少女はそっぽをむく。お、結構可愛い。
なんて考えてる場合じゃなくて……
「もしかして、董卓、袁紹、曹操、袁術、孫堅、公孫サン、劉備とかの名前聞いたことある?」
「おやー、いきなり質問がちゃんとしたものに……これは、どういうことでしょうねー
勿論知ってます。ちょうど今、世間で話題の群雄の方々の名前じゃないですか
董卓さんは相国として洛陽の都を牛耳ってますし、曹操さんだったら、陳留で今月挙兵したばかりですから、今から街にいけば多分そのうち見れますよ」
よし、わかった。ここは、陳留。曹操が挙兵した月なら今は西暦189年12月。
祖父ちゃんの影響で歴史好き、且つ三国志マニアの俺にとっては回答は容易いぜ。
って、違うだろ。やっぱり、どうしようもなく変だ。
仮に百万歩譲って俺が1800年前の中国にタイムスリップしたとしても、なんでこの子に日本語が通じるんだ? あと、今が2世紀ならありえないその突き抜けた服装は何?
「あー、何だか全部変だけと、とりあえずここがどこかはわかった気がするよ。
次は君のことなんだけど、名前を教えてくれるかな?」
どうにもぐだぐだで疑問は尽きないけど、今はこの子とのやり取りを何とかしよう。
「風はですね、名前を程立、字を仲徳というのですよ。
それで、この子は宝譿なのです」
もう何を聞いても驚かないつもりになってたけど、少女の名乗りにまた膝を着きそうになった。
程仲徳。曹操陣営の軍師の一人で策略、陰謀、何でもおまかせ下さいの人じゃないか?
このちんちくりんの少女が、ありえない……別人だよ、別人。あたりまえさ。
「どうしたんですか、顔色が悪いですよ、お兄さん」
「いや、大丈夫だよ。ありがとう程立さん、でいいんだよね?」
もう、なんだかいいやという気分になって俺は出来るだけ朗らかに答えてみた。
「むう、良いんですけど、なんだか、しっくり来ませんねー」
なんとなく不満顔の程立さん。でも、俺はそれどころではなく、
「そっかー、曹操がいるのかーどんな人なのか、程立さんは見たことあったりするのかなあー」
棒読みでもいいから、確認の質問だ。
「ええ、風はこの間拝見しましたですよ。背は高くないけど覇気に溢れる凛とした雰囲気の美少女さんでした」
はい、俺、終了。ようこそ美少女だらけの三国志ワールドへ。
こちらにおられる方は、恐らく未来の天才軍師、程仲徳さまでいらっしゃいます。
「まあ、ここで長話もなんですから、そろそろ陳留に向けて出発するです」
話が途切れたことでとりあえずの質問が終わったと思ったらしく、そう宣言すると、程立さんはまた俺の手をとり荒野を歩き出した。ダメージが抜け切らない俺はドナドナの心境だ。
俺たちが進んでる方向をよくよく観察してみるとかすかに道筋がついている。この道を辿っていくと都市にたどり着くということなんだよな、多分。
陽が高いうちに陳留の楼閣と城門が見えるところまでやってきた俺たち。
もはやふっきれた気分で、俺は来るべき古代都市の探訪に胸を弾ませた。
のだけれど、
「そんな変てこな服を身にまとって人目の多い都市に入るつもりなのですか?
さっき、騎兵が来たときに隠れてもらったのはどうしてだと思ってたんですか。
兵隊さんに見咎められたら、即、不審人物扱いで質問攻めの挙句に牢屋行きです。
風がお兄さんが着れそうな服を手に入れてきますから、それまでお兄さんはあそこでお留守番です」
程立さんに有難いお言葉を頂き、今度は道を随分外れた茂みに隠れさせられて、かなりの時間羊を数えて過ごすはめになったのだった。
「なんにしても、やれやれ、で風はお疲れなのです。
まあ、ここに着たばかりのお兄さんでは右も左もわからないでしょうから、
とりあえず、お兄さんの食事代と宿代は一応どんと風におまかせなのですよ」
殆どあるかないか判別不能な胸をそらしながら程立さんが豪語する。
「おう、兄ちゃんこの恩はいつかまとめてきっちり払ってもらうぜ」
頭の人形も心なしか胸をそらせながら、こちらはきっちり将来の取立てを宣言する。
「ああ、俺で出来ることなら何でもするつもりだから、期待してくれて良いよ」
太陽が沈む間際に誰何されることもなく無事陳留に入った俺たちは、なんとか宿屋にたどりついて今は幸せな食事時間を過ごしていた。
ちなみに俺の格好はこの世界の文官志望で私塾で学んだりしてる若者が着てる服らしい。
まあ、現代日本に生きてきた軟弱な若者の俺には似合いなんだろう。
わけがわからないながらも面倒をみてくれ話相手にもなってくれる少女がいるせいで、どうみても変な異世界にいるはずの俺は、そのほどの不安も感じないまま、この三国志世界というにはどうも変なものが多いので自分では三国志風世界と呼ぶことにした世界の料理を堪能していた。
いや、本当に普段俺が食ってる物より数段美味い。
「さてと、ではお兄さんの秘密をきりきりと吐いてもらいましょうか?」
程立さんが言い出したのは、腹も満腹になってまったりと落ち着いた、あとはもう寝るだけ体勢になっている部屋の中だった。
ちなみに同じ部屋でベッドも一つ。
部屋を分けた方が良いんじゃないか? と程立さんに聞いてみたところ
「風は残念ながら、あんまりお金持ちさんじゃないんですよ。
今日は何故か男物の服を買ったりとか予定外の出費が入りましたし、
風にできることといえば、兄妹と偽って宿代を倹約するくらい。
それなのに同行のお兄さんは風の苦労も知らないで、部屋を分けた方がなんていって来ます。
ああ、なんて不幸な風。
というわけで、お兄さんが明日からは一人で野宿でも構わないというのなら、
今日、分けて部屋をとっても構いませんけど、どうしますか?」
とにこやかに言い放ってくださいました。
「いえ、明日もどうか、程立さまのお力添えで、屋根のある部屋で泊まらせて頂けましたら嬉しいです」
「うむ、わかればよろしいのですよ」
あっという間に降伏宣言。弱いぞ、俺。
というわけで、二人して一つのベッドにもぐり込んだ所で、お話しという名の質問タイム。
「お兄さんは、どこから来たのですか? 確か、日本人とか言ってましたけどそれはどこにある国に住む人々なんでしょうか?」
「俺の生まれた国は、ここから見て東の海を渡った所にある、島国だよ」
「どうやって、ここ陳留まで来たのですか?」
「いや、それが全然わからないんだ。俺が暮らしてる世界で自分の部屋で寝てたと思ったら、次の瞬間、あの場所で、程立さんにつつかれてたんだよ」
「作り話をしてるようにも思えませんけど、なんか全然答えになってませんねー」
「俺だって、そう思うよ。程立さんが見つけたときには俺はあそこでもう寝てたんだろ?」
「はい、そうなのです。それは、もうぐっすりと」
「やっぱ、UFOによるアブダクションか?」
「友邦による阿仏陀屈……??」
「いいんだ、俺の国の冗談だから忘れてくれ」
それからは、俺に関する話題をもう値堀り、葉堀りというか、恐るべきことに、こちらが口に出した単語で意味不明なものについて一つ残らず聞いてくるのだから、恐るべき、記憶力と理解力だ。さすが程仲徳。
「では、次は紹介の時に口にした政府乱治江……というものについて」
「ええと、それはだなー俺が毎日勉学のために……」
「では、次はお兄さんの着ていた不思議な輝きの……」
「……」
まあ、こんな調子で延々と程立さんに質問攻めにされている間に夜は更けて、俺がここに来た経緯は結局さっぱりわからないまま、俺の異世界降臨の一日目は喋り疲れて終わったのだった。
だから――
この世界に目覚めて風(このときは勿論、程立さんと呼んでいたけど)以外の誰とも話していない俺には知りようもなかった。
管輅という占い師の語る予言も、『天の御遣い』という言葉も、この日陳留の郊外に落ち大地に巨大なクレーターを穿った流星のことも、そして、太守の特命で流星の落着地へ急行したものの成果を得ずして帰還した騎馬隊に関しても。
『日輪の夢』を抱いた少女の傍らで、穏やかに俺の三国志風世界での生活は始まっていた。
見知らぬ世界に投げ出された、唯の無力な現代日本の高校生として。
第一話 終わり
(今回のあらすじ)
ゲームスタート
189年12月 在野武将 北郷一刀
陳留を探訪した際、程昱を見出す