己は人なのか。
それとも、剱冑なのか。
その疑問は、『目覚めた』後、耳にこびりついて離れない声とともに常にあった。
赤外線が見える。
人に見えぬから「赤の外」と名づけられているように、人ならば、ありえない。
孤独を感じる。
鋳造時の使命を果たせぬ悔しさならばさておき、数十年、数百年単位で時を過ごす剱冑ならば、ありえない。
電波が聞こえる。
何を馬鹿な、それが出来ぬから無線があるように、人ならば、ありえない、
雑音をわずらわしいと思う。
感知器に引っかかるものはすべて雑音ではなく、情報だ、故に剱冑ならばありえない。
母《鍛冶》が何を思って、どうやって自分を鍛造った《産み出した》のかは知らぬ。
だが、その結果として生まれた自分―――生ける剱冑、長曾祢虎徹入道興永 足利茶々丸は剱冑としても、人としても半端な欠陥品だ。
自我持たぬ数打ちの力を己の強さと同一視するような新兵とは勿論違い、またあの襤褸鎧のように剱冑が人を模しているわけでもない。はたまたあの姫のように『心鋼一致』の境地、仕手と剱冑が調和を持って一体と化しているわけでもない。
調和も取れず、どちらにもなりきれず、ただ生きた剱冑としてそこにある。
人として割り切るには、四六時中聞こえ続ける音が余りにも邪魔だった。
剱冑として割り切るには、中途半端に残り道具になりきれない自我が邪魔だった。
常の剱冑であれば、それはありえぬ事であった。
元は確かに人であり、今なお自意識を保っている真打の剱冑であったとしても、それはそれをうった鍛冶の者とは異なる。
その移された人格はあくまで剱冑を扱う為の擬似的なものであり、打たれた剱冑の目的を果たすために最適化された人格でしかない。
その身を人と変えられる村正一門であろうと、それは生前の人格とはかけ離れているが故に、人の心と剱冑の体の狭間で苦しむことはない。
茶々丸も、己が鍛冶としての人格を剱冑に転写されたものであればこのように悩む事もなかったのやもしれない。
が、赤子を抱いて剱冑へと変わろうとした事がさほどに罪深いのか、母であり鍛冶であった二十八代目虎徹入道興永の人格は完全になく、赤子であったであろう自分の心だけが残っているそれは、鍛冶として鍛えそのすべてを賭けて剱冑を打った結果としての他の剱冑の人格とは根本を異にするものだった。
母は確かに常に己の傍にいる……だがそれは何も語らぬものであり、同時に己自身でもあるものなのだ。
自身を殺そうとした刺客を、それらを送った父をも殺したときですら、足利茶々丸は殺意を持って剣を振るう人ではなく、己が認めた仕手に付き従う剱冑でもなく、半端者として成し遂げた。
それは殺されそうになったときに助けてくれた御姫―――今まさに天空にて縦横無尽に暴れまわっている湊斗光によって、『神を殺す』という目的を与えられたときであっても同じであった。
生きる目的は出来たが、それはあくまで生きた剱冑としての話、どちらかに決められたわけではない。
いや、おそらくはこの耳元でぶんぶんとうなり続けるうざったい『神』を殺した後であっても、半端者として生きていく事になったであろう……たとえ神を殺す事で安らぎが得られたとしても、茶々丸の性質がそれでどちらかに偏り定まるわけではないのだから。
だが、今は違う。
今まさに己の心鉄をも砕かんばかりの強敵を目の前にしてもなお、茶々丸の心は歓喜に満ち溢れていた。
今でも『神』のクソやかましい声は途絶えていない。
今でもそれを情報としてではなく、『やかましい音』として認識してしまう耳はつぶれていない。
それでもなお、歓喜を感じるのは、ついにわかったからだ。
『茶々丸……奴の陰義はなんだ?』
<わかんね。あいつが陰義を使わなきゃならないほどの相手なんて、今までいなかったからね>
『……使えない』
<ちょ! それ、酷くね! こんな可愛くて忠実な剱冑を捕まえて、それ酷くね!>
『黙れ、道具。気が散るだろう』
<……は~い、道具で~す。黙りま~す>
自分は、人ではなく……剱冑なのだ。
自身を、人としてではなく道具―――剱冑として使ってくれる、纏ってくれる主、仕手を得た今となっては、そんな事など考える余地もないではないではないか!
生まれて始めて主―――湊斗景明―――を得た歓喜のままに、茶々丸は今まで自分を苦しめてきたすべての情報を、相手を倒すという統一の目的の為に活動させる。
絶え間ない雑音の中、初めに一声聞いたときからずっとずっと耳から離れず、その呼びかけを聞いているだけで安らげた人が、自分の主となってくれた。
これから自分の力を好きなように使ってくれる。
その歓喜は、余人には決してわからぬであろうほどの大きさで茶々丸を包む。
仕手から伝わる熱量が、鋼の己を動かす熱を与えてくれる。
仕手から伝わる思念が、万の情報から一の方針を伝えてくれる。
そこには人として伝わってくる情報にいちいち不快を感じる事もなく、ただただ感じ、それを伝え、判断を待ち、従うだけでいい。
そう、自分はそれを伝えるだけ、自分はそれに従うだけ、自分はそれに振るわれるだけ。
まさに剱冑、まさに道具!
人としては聞こえすぎる耳も、見えすぎる目も、鋭すぎる鼻も、強すぎる力も、硬すぎる肌も、速すぎる足も、すべては主に捧げるに相応しい、誇らしい我が『性能』!
足利茶々丸は、鍛造されて初めて、己の存在が誇らしかった。
その誇りを持って、眼前の敵手を見る。
キラキラと輝かんばかりの装飾を施された剱冑は、しかし下品さを感じさせることなくその美しさとともに内に秘めた強固さを周囲に対してこれ異常ないほど示している。
美しい、あまりにも美しいその源氏の秘宝の一つである剱冑を使う仕手もまた、尋常な相手ではない。
今川雷蝶。
六波羅の浅く、されども広い歴史を紐解き、全土を見渡したとしても間違いなく頂点に立つであろう武者。
自分を除いたとしても大鳥獅子吼や遊佐童心等、尋常ではない武者ばかりを抱える六波羅において、最強を唱える事を誰もが否定しないほどの兵。
大和の歴史上においても、まず一流、最強の名からこぼれる事がないほどの強さを持つ男。
銀星号として破壊と暴虐を振りまき、世界すべてを敵に回している湊斗光と戦ってすら、勝利する未来が十分開けるほどの武者が自分の目の前に仕手の敵としている
彼のことを茶々丸は嫌いではなかった。
その歪んだ美意識も、底の浅い謀略も、他者を見くびる傲慢さも、判断能力の欠如も、すべて『剱冑』としては『仕手』としての優秀さだけで許せる。
当たり前だ……剱冑の使い手として謀略をこなす才が必要とされるか?
『正義』だとかを使い手に求めるような剱冑であれば彼の小物っぷりを見て幻滅する事はあるかもしれないが、茶々丸は―――虎徹は、使い手にそんなものよりも強さと、己を道具として使い切る傲慢さを求める剱冑だ。
もし何らかの因果が巡り自分の仕手となれば、十二分に己を使いこなす才を持つ男として、今川雷蝶のことを茶々丸は好きだった。
彼がもし膝丸という業物を持っていなければ、ひょっとすると自分を使ってくれと戯れに素性を明かし、頼みに言ったかもしれない。
……あくまで、戯れに、だが。
『戦場で麿を敵に回す事の恐ろしさを知らぬ輩が、まさか四公方のなかにいたなんてね』
『……』
『茶々丸……あんたがなんなのだろうと関係ない! 中身と一緒に砕け散るといいわぁ!』
室内ゆえに合当理をふかす事が出来ず、しかしそんな事なぞ微塵も感じさせない速度で今川雷蝶―――そしてそれに駆られる巨体の剱冑、膝丸が迫る。
源氏の秘宝として足利に伝わるこの機体は、大将軍たる彼の父が駆っていた兄弟機、鬚切と同様に高い総合能力を持ち、特に攻撃力と防御力は他の追随を許さない。
その高い運動性とは裏腹に防御力は数打のものと同等程度しか持たない虎徹にとって見れば、一撃で死に至る可能性の高い敵手だ。
本来であれば恐怖に震えながら刃を向けて、全身全霊をかけてもそれでもなお届かない相手だ。その刃が、今まさに脳天を突き破り、心鉄を砕こうと迫ってきている。
にもかかわらず、茶々丸は微塵も己が破壊されるかもしれない、という恐怖を抱いていなかった。
『ふん……』
仕手である湊斗景明がその剣を鼻で笑うのを聞いて、一層その思いが強くなる。
確かに生ける剱冑たる茶々丸は、仕手を必要とせずに自身のみでも戦闘は可能だ。
だが、一人分の近くで一人分の判断能力、一人分の熱量しか持たないそれで雷蝶に勝てるとはとても思えない。一刀にてやられる事もあったであろう。
そんな思いは、虚空を滑る雷蝶の一撃にあわせて、打ちはなった一撃とともにもはや完全に過去のものと化した。
間違いなく六波羅最強の武士たる今川雷蝶の一撃に負けず劣らず流麗に放たれたその一刀は、残念な事に狙い通りの首筋に迫る事は出来ずに雷蝶の超絶的な反射神経によって兜で弾かれたが、それは確実に相手と対等以上に戦えるという事を証明する確かな一撃ではあった。
『なん、ですってぇぇぇ!』
雷蝶の口から思わず驚愕の声が零れ落ち、茶々丸はそれをきちんと拾って仕手に伝える。
『その腕前も、こちらを侮っていては張子の虎だ、今川雷蝶』
<へへん、おめーもビビってた癖にもう忘れたのか? あの建朝寺をよ!>
『っ!!』
相手の剱冑が全く会話に入ってこずに、道具と徹しているのを見て自分もそうすべきか、と思わないでもなかったが、初めて主を得てからずっと続くこの興奮は収まらず、思わず口を挟んでしまう。
だがしかし、仕手である景明が止めないというのであれば、きっとこれが自分と景明の間では正しい形なのであろうと思って、茶々丸は彼の邪魔にならぬよう細心の注意を払って、それでも自分の情熱を消しきれずに自慢話のような挑発を始めてしまう。
<おめーでさえ、剱冑相手に生身で戦った事なんてねえだろ? つまり、あての仕手はおめーよりも強え!>
実際に戦えばどうかは関係ない。
剱冑だけを比べるのであれば、たいした陰義も持っておらず、運動性以外のありとあらゆる数値で負けており、戦闘経験も足りない。源氏の名物たる膝丸に確実に勝てるなぞといえるはずもない。
その上で冷静に考えてみれば仕手の腕は精々互角といったところ。
どこにも自分たちが有利な状態であるなぞといえる条件はない。
それでも、負ける気は微塵もしない。
耳の奥でひたすらに唸り続ける神の声が、何処か遠くに聞こえる。
ただ耳に響くのは、自分に対して判断を命じる主の声と、心音と、呼吸のみ。
それは決して無音の静寂というものではなかったが、彼女にとってはかつてないほど静かな時間であり、今までにない安らぎを与えてくれた。
だから……主を得た以上、自分の勝利は絶対だ。
そう確信を持って、足利茶々丸<長曾祢虎徹>は、剱冑として湊斗景明の勝利を確実なものにするために、その全身全霊を持って好敵手に戦いを挑んだ。
正義だとか、悪だとか、善悪相殺だとか、そんな事は一切考えずに、ただただ主の望みを助ける事だけを願って、屋内にもかかわらず背中の合当理に火を入れて、一直線に突っ込んでいくその茶々丸の表情は、鋼ゆえに当人以外にはわかるはずもないが、間違いなく満面の笑みの形に歪んでいたであろう。