男はひとり、廊下を歩いていた。
壁には窓の類がついておらず、蛍光灯の灯りだけが男を照らしている。
やがて男は廊下の突き当たりにある扉の前にたどり着く。
男が扉を開けると、真っ白な髭をたくわえた老人が椅子に深々と座っていた。
「なんのようだよ、先生」
男は老人を見るなり、すぐ話を切り出した。
「貴様、エスタブールとの戦争が終わることを知っておるよな」
「知らない」
男が即答すると、老人は怒りで顔を真っ赤に染める。
「貴様! なめているのか!」
「そんなことないって」
男が言った瞬間、老人は卓上にあった灰皿を投げつけた。それが男の頬をかすめ、血が流れる。
「なんだそれは? 赤い血を流すのか? 人間の真似か、化け物のくせに」
化け物のくせに。呪われた化けの物のくせに。
そう言われて続けて男は育った。
もう今は、言われてもなにも感じない。
ただ、だるいだけだ。
「あれって言うか、なんかちょっと痛いぞ」
「貴様! 儂を馬鹿にしてるのか!?」
老人はその言葉を聞いてまた怒鳴る。
頭から血が出ているんだから当たり前だろ! という突っ込みでもすればいいのに、と男は思った。
「馬鹿にしてるのはあんただろ。俺は馬鹿にされる側だよ、いっつも。で? さっさと用件を言ってくれよ。俺は昼寝で忙しいんだから」
ゆるんだ表情のままの男の口調の言葉に、さらに老人はなにかを言おうとしたが、あきらめたのか再び冷静さを取り戻した。
「まあ、いい。今日ここに貴様を呼んだのは、貴様のこれからやってもらう任務についてだ。先に言ったとおりエスタブールとの戦争が終わった。そこで貴様に任務を与える」
老人は一拍、間をおく。
「ライナ・リュート、貴様は学園都市ツェルニにいき、ニルフィリアを抹殺せよ」
「ニルフィリアって誰なんだよ」
男……ライナはあまり興味がなさそうに言った。
「やつを殺すことはわれらの悲願よ。長年やつのことを調べてきたが、ついに居場所を探しだした。
やつがいなければ、我らの悲願であるイグナシス様の計画は成功したものの。
もっとも月にいるアイレインやグレンダンにいるサヤに較べれば、それほどではないがな。ともかく、細かい情報は後で指令書をわたす」
今までになく興奮気味の老人をライナは眺めていた。
「あ、そう。で、俺はどうすればいいわけ」
「貴様はこれからツェルニに行き、入学してもらう」
ライナは心底いやそうに顔をゆがめた。
「げぇ、なんでだよ。すこし潜入するだけでいいじゃん」
「やつがツェルニにいるとわかったものの、詳しい場所がわからぬ以上、長くなることを考えなくてはならん。それがいやなら、槍殻都市グレンダンにいるサヤでも女王でも天剣授受者でもいいからを暗殺させに行かせる」
グレンダン、という名前を聞いて、ライナは顔をゆがめた。
サリンバン教導傭兵団のようなバトルジャンキーがたくさんいるところにいかなきゃならないんだよ。ツェルニよりもっとめんどくさい」
かつてライナは任務で都市を出たとき、サリンバン教導傭兵団と闘ったことがあった。
そのときはライナは身体のあちこちに怪我を作った。今の医療技術なら、怪我ぐらいすぐに治るが。
「グレンダンに行くのがいやならば、ツェルニに行け。まあわかっているだろうが、貴様が入学試験に落ちたら、グレンダンにひとりで行ってもらうことになる」
「わかったよ」
ライナは投げやりに言う。
「それとわかっておろうが、目標を殺すとき以外、ローランド式化錬剄の使用を禁止する」
常人をはるかに上回る身体能力と、生命活動の余波によって生まれる力……剄と呼ばれる強力なエネルギーをを使うことができる者を武芸者と呼ばれ、汚染獣と呼ばれる巨大な生物が世界を闊歩するなか、自律型移動都市(レギオス)――意思を持ち、自らの足で大地を闊歩する都市――の人々からとても重宝されていた。
剄には二種類ある。
剄によって肉体を直接強化する内力系活剄。
剄を衝撃波に変えて外部に放つ外力系衝剄。
これらを変化させることで、武芸者はさまざまな剄技を繰り出すことができる。
またふたつの剄を応用することによって、剄を炎や風といったものに変化することができる。それを化錬剄と呼ばれ、ローランドでは他の都市にはない独特な化錬剄の体系が存在している。それをローランド式化錬剄と呼ばれ、ローランドの強さの源になっていた。
もしローランド式化錬剄が、他の都市の人に見られることで分析され、使われることになったり、無効化されたりすれば、ローランドにとって大きな痛手となる。
そういうことから、他の都市での任務では、基本的に命令以外でのローランド式化錬剄の使用を禁じていた。
もし見つかることになれば、目撃者を始末しなければならなくなり、今後の任務の支障になる可能性が出てくる。
「わかってるよ」
「そうか、ならここにツェルニのパンフレットがある。これを持ってさっさと部屋から出て行け!」
ライナは机の上にあるパンフレットを手に取ると、足早に部屋から出て行った。
ライナは今回の任務について、言われたときから違和感を覚えていた。
ライナは今まで一度も、暗殺の任務に成功したことがない。
それにもかかわらず、わざわざ都市を出してまで暗殺させようというのは、人選を間違えているとしか思えない。
おそらくこの任務は本当の任務ではなく、別に任務があるのだろう。
これと同じようなことが前にもあったことを思い出して、ライナは顔をしかめた。
五年ほど前のことだ。ライナの家に家政婦がやってきた。
名をビオ・メンテといい、肩まで伸ばした赤い髪が似合っていた少女だった。最初に会ったときに、ライナを様付け呼んできていやだったから、ちょっとからかったりもした。
晩飯に手作りの料理が出てきて、すこし感動した。そのころは露店で買い込んだ干しいもしか食べていなかったのだ。ライナがその晩飯をほめると、うれしそうに感謝の言葉を口にした。
だが、彼女はライナを殺すために派遣された暗殺者だった。
派遣されたその日の夜に、ビオはライナの部屋にやってきたが、ライナはあっさりビオを取りおさえた。
ライナの元にもビオの暗殺の指令が下っていたのだ。ローランド最高の暗殺者であるビオに狙われても殺すことができるかどうか。
この人の命をもてあそぶようなやり方に、ライナはあきれをとおり越して、感心するほどだった。
とりあえずライナは、ビオを国外に逃がして新しい人生を送らせる、と言ったらビオはきょとんとしていた。
ライナは、面倒だったのだ。誰かを殺したという事実をこれ以上背負うことが。
ビオも人を殺すことに、一目会ったときから苦しんでいることがわかっていた。
だから、ビオを都市外に逃がそうと思った。
それが会話を続けていくうちに、ライナも都市を出ることになったのは、正直わけわからなかった。唐突にビオがライナのことを好きだと言い出し、ライナも一緒に都市を出るのだと、ビオは言って聞かなかったからだ。
そうして、ライナたちは放浪バス停に行った。夜も遅かったため、見張りもあくび交じりで、警戒心はあまりみられなかったため、無力化は難しくははなかった。
あっさり、放浪バスの前にまで行くことができた。
だから、銃声が鳴ったとき。そしてビオのわき腹にできた赤黒いしみを見たとき、ライナは一瞬状況を理解できなかった。
状況を理解すると、すぐにビオのもとに駆け寄り、状態の確認を取る。何とか、致命傷ではなかったようだった。
そこに、三十人を超える武器を持った男たちが現れた。その先頭に、孤児院の先生がいた。
――ここまでのライナたちの行動は、すべて予想どおり。
と先生は言う。そしてこの任務の本当の目的は、ライナとビオが仲良くなってから、ビオを殺すことにより、ライナの眼、アルファスティグマを暴走させることで、アルファ・スティグマの実験をすることなのだと言った。
アルファ・スティグマは、保持者の感情が極度に高まると、暴走しやすい。特に、親しくしているものが、殺されたり、虐待されることでなるのだといわれている。
ライナは、怒りで歯を食いしばる。
ひさしぶりに、本気で闘おうと思った。せめて、ビオが放浪バスに乗り込むまでは、ここで抑える。そう思い、体を低く構えた。
そのとき、バスにむかったはずにビオが語りかけてきた。
そんなひまじゃないと、ライナはビオをバスにむかわせようと言葉を発する。
だが、ビオは、言葉を続けた。
ライナはいやな予感がして、ビオのほうを振りむく。
そのまま、ライナはビオに抱きつかれた。
そのあいだも、ライナに語りかけてくる。その声も、徐々に弱まっていく。
突然のビオの行動におどろきながら、ライナは何とかしようと思い、ビオを見ると、胸に刺さっているナイフに気づいた。
――どうして、こんなことになったんだ。
ライナは、そう思わずにはいられなかった。
どうにかしようと、ビオに言葉をかけたが、ナイフの傷はあきらかに致命傷。ライナには手の施しようが、なかった。
やがて、言葉は途絶え、ビオは動かなくなった。
ビオ・メンテが、ライナのことを好きだと言ってくれた彼女が死んで、もう四年も経つのかと、ライナは思う。
四年もたつのに、今でも時々彼女が死んだときの夢を見る。
もうあと一年でビオと同じ年になる。もうすぐ、ビオが生きなかった時間をライナは生きていくことになるのだ。そのことが、すこしさびしかった。
彼女が死んでからの四年間、いろいろなことがあった。
当時、ローランド最高の化錬剄使いと呼ばれていたクヲント・クオを倒し、かわりにライナがローランド最高の化錬剄使いと呼ばれたり。
やたらとその称号を欲してか、ライナに挑むものが大勢やってきて、全員返り討ちにしたり。
その延長であの娘あの娘と連呼するいかにももてなさそうな奴がやってきて殴りあったり、と色々あった。
汚染獣がローランドを襲ってきたこともあって、そのときはライナひとりで戦った。化け物同士が闘うとどちらが勝つか、そんなくだらない理由からだ。弱い雄性体だったから、倒すのもそれほど苦労はしなかったが。
そして戦争がある年は、移動しているとき以外は毎日のように戦争をしていた。
戦争がない年や移動期は、誘拐任務、脅迫任務、殲滅任務。あいかわらず反吐が出そうな任務ばかりがライナの元に来ていた。
ライナはそのすべてをわざと失敗したり、放棄したり、情報を漏洩したりと徹底的に反抗した。
そのたびにさまざまな屈辱や拷問と間違えるほどの罰を何度も受けたが、今ではもうなれた。
最近ではもうあまり任務が来なくなった。ライナに任務を与えしてもあまり意味がない、と判断したからだろう。だからこそ、今回の任務は何度考えても怪しかった。
気づけば、ライナは自分の家についていた。
「はぁ、考えごとしてたら、眠くなってきた。明後日の朝まで寝よう。それにしても、今度こそ、あの傭兵団に会わないようにしなきゃ。めんどくさくなるし」
ライナが独り言を言うと、扉を開け、家のなかに入っていった。
一年後、ライナは都市間放浪バスの停留所前で立ちながら眠っていた。自律型移動都市(レギオス)が大地を踏みつけ、蹴りだす音が耳に痛いほど聞こえているが、ライナは何事もないように目を閉じていた。
見送りに来る者はただの見張りが五人ほどいる程度。ライナと親しい者は、ひとりも来なかった。そもそもライナと親しいものは、ローランドにはいない。
見張りもそわそわしているのが、ライナにはわかる。
ライナが、こわいのだ。
ローランド最高の化錬剄使いであり、アルファ・スティグマの化け物の、ライナ・リュートがこわいのだ。
実際ライナが本気を出せば、この程度の数なら一分もかからずに突破できる。
しかしこの近くに、体から出ている剄を押さえることで気配を消す殺剄で気配を隠している者が、放浪バスの停留所の近くに百人ぐらいいてもおかしくない。五年前のあの時と同じように。
バスの到着を知らせる甲高い笛の音が鳴り響く。
「おい、時間だ」
見張りのひとりがライナに声をかけてくる。
「……ふわぁ。何、昼飯?」
「ちがう。放浪バスが来たから、さっさと乗り込め」
見張りがせかしてくるので、ライナは仕方なく気だるげにまぶたを上げる。
バスがあるのを確認すると、都市を出るにはあまりに小さい鞄をひとつ持って、バスの中に吸い込まれるように入っていった。
世界を彷徨う自律型移動都市にはさまざまな形態がある。
単純に人が生活するためのすべての機能を備えた表準型から、それぞれ個別の機能の重きを置いたものまで。
その中のひとつに学園都市がある。
ツェルニ。学園都市ツェルニ。
中央にある校舎群の周辺には、それぞれ各学科のために必要な施設が用意されている。
その中のひとつ、全校生徒が集合する大講堂に大勢の生徒がむかっていた。
着崩れした学生服で友人と談笑しながら歩く一般教養科の生徒たち。
久ぶりに着た学生服になじめず、それに苦笑する農業科と機械科の生徒たち。
学生服の上から薄汚れた白衣を着た、錬金科と医療科の生徒たち。
他の生徒とは一線を画して毅然とした姿勢で歩く武芸科の生徒たち。
さまざまな生徒たちの姿が大講堂の中にはいっていく。
学生たちによる学生のための完全な自治が為されたその都市で、今日、新たな学生を迎える式典が行われようとしていた。
そんなめでたい行事がはじまるとき、ライナは武芸科の新入生、三人に絡まれていた。
その武芸科の生徒たちは二年前にローランドと戦争していたエスタブール出身で、その戦争で知り合いを失ったらしい。生徒名簿から調べたのかわからないが、ライナがローランド出身であることを知り、ライナに喧嘩を吹っかけてきたのだ。
ライナが何を言っても三人の武芸科の生徒たちは言うことを聞かず、ついにそのひとりが拳を振るってきた。
ライナは拳があたると痛いんだろうな、と思いつつも避けるのがめんどくさいので、特に避けようともせず、ただその拳が当たるのを待っていた。
その拳がライナの頬に当たると、ライナはそのまま吹っ飛ぶ。
痛みそのものは打点をずらし、自らうしろに跳ぶことでなくしたので、それほど痛くはなかったが。
ライナはそのまま、壁にでもぶつかるんだろうなと思っていると、ささえられるように動きが止まった。
ライナがうしろをふりむくと、寮で同じ室の一般教養科の生徒がライナを受け止めていた。
一般教養科の生徒は何も言わずライナを脇に置くと、そのまま殴ってきた生徒のほうに駆け出していった。
そしてあっという間に三人を倒した。
乱入した一般教養科の生徒はまわりを見て、自分が注目を集めていることに気づいたのかあわてて入り口のほうに走り去っていった。
ライナはそれを他人事のように、だるそうにながめているだけだった。
三十分後、ライナは殴りかかってきた生徒三人とともに生徒会室に入り、執務机の前に並んだ。
三人はライナをにらめつけているが、ライナは気にすることなくたたずんでいた。
「きみたちが、今回の騒動の発端だね」
執務机を前にして座っている男、おそらく生徒会長が言葉を発する。大人びた雰囲気を身に纏い、秀麗な顔からはどこか貫禄のようなものが感じられた。
「だ、だいたいローランドのような都市からくるやつがいるなんて、おかしいだろ。この都市のせいで俺たちの家族は死んだんだ」
三人のうちのひとりが叫んだ。
戦争をすれば人が死ぬ。そんなことは当たり前だ。それでも彼の言いたいことはライナには分かった。
破壊都市ローランド。ライナの住んでいた都市はそう呼ばれた。
都市はセルニウムと呼ばれる物質を使うことによって動くが、動かすためのセルニウムは多量に必要なため、セルニウムが取れる鉱山が最低ひとつ都市になければ、その都市はすこしづつ、しかし確実に滅びにむかうことになる。
普通の都市は、セルニウム鉱山を中心とした一定の範囲を周回している。
しかし二年ごとに他の都市と、セルニウム鉱山を巡り争いが起こる。
これを戦争といい、勝てば相手の都市から鉱山をひとつ手に入れ、負ければ鉱山をひとつ失う。
負け続ければセルニウム鉱山は失われつづけ、必然的に都市は滅ぶ。
戦争は本来、二年ごとに行われる。
とはいえ、普通の都市は戦争期にいつでも戦っているわけではないし、学園都市なら学園都市同士など、同じ種類の都市同士としか戦わない。
しかしローランドは戦争期になると、たとえ学園都市であろうが、ほかの都市と出会うごとにおこない、都市を破壊していく。だからローランドは、破壊都市と呼ばれになった。
そういうこともあり、より破壊規模の大きく、より威力の強いローランド式化錬剄が開発されることにもなる。
それはともあれそういったこともあり、ローランドは他の都市にとって、汚染獣と同様の扱いを受けているようだった。
「君たちは学生規則を読まなかったのかい」
生徒会長がそういうと、三人は顔をしかめた。
「そういう理由で、学生規則を破っていいと思ったのかな。そう思ったのなら心外だよ」
三人は悔しげに下をむく。
「なにか言いたいことはないかい。寝ている君」
「……寝てないよ。ただ目を閉じていただけだよ」
「それを寝ている、と人は言うのだよ」
生徒会長は、あまりにふてぶてしいライナの態度に、あきれているように首を振った。
「まあ、いい。君はなにかいうことはないのか」
「う~ん。ここにベットがあれば……」
「ない。言いたいことがなければ、君たちの処分を告げよう」
生徒会長は一拍おき、口を開く。
「ライナ君以外の三人は、即刻退学してもらおう」
三人はライナも含めて全員退学になると思っていたらしく、狼狽した様子でライナを指差した。
「な、なんでこいつが退学処分にならないんだ」
「私が聞いた話では、君たち三人が一方的に絡んでいったそうじゃないか。
そしてライナ君は一方的に殴られた。
それでライナ君が退学となるなんて、あまりに非情だと思わないかい」
ライナとしては別に退学になってもかまわなかったのだが、口に出すのがめんどくさいので黙っておいた。
その上、ローランドに行くバスは基本的には通っておらず、最悪、汚染された大地にライナひとり置き去りにされるかもしれない。
ローランドから迎えにくるのは、どんなに速くとも二年後だと出発前に先生から説明を受けていた。
「まあ、君たちのために自主退学という形にしておこう」
三人は納得をしていない様子だったが、生徒会長が手を二度叩くと、扉から屈強な男たちが現れ、三人をどこかへ連れて行かれる。
しばらくの間はわめき声が聞こえたが、だんだん消えていった。
生徒会室にはライナと生徒会長、それと秘書らしき女性が残った。
「かといって君だけ罰を科さないわけにもいかない。さて、ライナ君には……そうだね。しばらくの間、生徒会の雑用をやってもらおうか」
「え~めんどいなあ。ほかにないの、たとえば寝てればいいのとか」
「それでは罰にならないだろう。……ほかに、というと、機関部の掃除を一週間ぐらいやってもらおうか。清掃時間は深夜から早朝までだが、やるかい」
生徒会長がそう言うと、ライナは顔に心底いやな表情を浮かべる。
「そ、それをやるぐらいだったら、生徒会の雑用をするよ……はぁ、昼寝ばっかりして過ごすという最高の計画が、パァになった」
ライナはそう言い、頭を抱えた。
ライナはせっかく学園都市に来たのだから、一日ぐらい行ってみようと思い、学校に来たのだが、始業式に行くと変なやつらに絡まれるわ、生徒会の雑用をさせられるわで、ライナにとって災難な一日となった。やる気を出すとろくなことがない。
「そうだ、ずっと寮で寝てればいいんだ。そうすれば生徒会の雑用なんかしなくてもすむ」
急に真面目な顔をして言うライナ。
「君はいったい何のためにこの都市に来たんだね」
「なんかしらないけど、俺がこんなんだから、性格を直すために入れられたらしいよ」
ライナが他人事のように言うと、生徒会長がため息をつく。
「まあ、君の相部屋の人に、君を登校させるように頼むからいいとしよう」
「え、まじかよ。じゃあさっきの、そう、機関部の掃除のほうがいいや」
「残念だけど、同室の人は機関部の掃除もやってるから、結果は変わらないよ。それでもいいなら、やってくれるかい」
「うぅ……俺やっぱり生徒会の手伝いにするわ」
「そうか。そういえば名乗ってなかったね。私はカリアン・ロスという。六年だ」
ツェルニは六年生であるため、カリアンは最上級生となる。もっともライナには興味がないことだが。
「今日はこれで終わりだ。生徒会の仕事は明日からにするとしよう」
「あ~やっと終わった。寝よう」
ライナはあくびをしながら言い、生徒会室から出て行った。
「彼を本当に、生徒会を手伝わせるんですか?」
ライナたちが生徒会室に入ってから出るまで、一言も言わなかった秘書が口を開いた。
「ああそうだが、君は不満かい」
「そうではないですが」
言いにくそうに口ごもる秘書に、カリアンは諭すように言う。
「確かに、ライナ君はあんな性格だ。だが本当のことを言うと、私は彼に会うまで、機関部の掃除を頼もうかと思っていたよ。だけど彼に会って気が変わった」
「それはいったいどういう意味ですか?」
「疑問に思わないかい。なぜ彼ほどのやる気のなさそうに見える人間が、わざわざ鎖国しているローランドから、はるばる遠くの学園都市であるツェルニに来る必要がある?」
「それは……さっき彼が言ったじゃありませんか」
「そんなの本当だと思うかい。君だって彼の履歴書を見たはずだ」
「それは、見ましたが……」
カリアンは机の引き出しを開き、一枚の書類を取り出す。
「ライナ・リュート。Aランク奨学生。剄は、外力系衝剄、内力系活剄ともに使え、かつ奨学金試験で高得点を出し、Aランクの奨学生になったのだが、このことに君はなにか思わないかい」
ここまでの成績を出せる人は普通、簡単には都市の外には出してはもらえないはずだ。
ましてや、鎖国をしているも同然で、かつ破壊都市とまで言われるほど戦争をするローランドが、貴重な武芸者を何の理由もなく外に出すとは考えにくい。
「まさか不正があったと」
カリアンが考えていたものとは、別の考えが秘書から返ってきた。自分の考えもいまのところ何の根拠もないので仕方がないと、自分の考えを心にしまった。
「さあ。だが証拠がない上に、わざわざ不正をしても、彼があんなにやる気がないなら、そこまでして遠くの学園都市に入れないといけない理由が、今のところ私には思いつかない。何にしても、彼を近くに置いたほうが、彼が何をするにもはやく手が打てるからね」
そこまで言って、カリアンはひとつ、ライナがツェルニに来る理由も思いついた。
この学校にはかつて、ガーディアン計画というものが発案された。
武芸者の力及ばず汚染獣が都市内に侵入したとき、たとえその後に撃墜できたしても都市には甚大な被害が残る。
また、都市に汚染獣が侵入したときには、その後の都市防衛に重大な危機を迎えるほど武芸者が死傷することは、難民たちから得た情報でわかっていた。
そこで汚染獣に対して武芸者だけではない防衛方法が考えられた。それが守護獣計画だ。
錬金科生物部門によって遺伝子操作された怪物を作ったのだ。
致死性のある寄生虫をベースに作られたそれは、都市内部に侵入した汚染獣にあえて食わせることによって体内に進入し、柔らかいであろう内臓を食い荒らし破壊する。一種の自爆兵器としてそれは完成するはずだった。
だが、問題が存在する。
どうやって汚染獣にのみその凶暴な性質を発現させるか、という問題だ。
そしてその問題は、ついに解決されなかった。
そのデータをローランドが欲しているなら、話はわからないでもない。
だが、遺伝子操作などの技術はローランドは他の都市の一歩先をいっているといわれ、事実かどうか不明だが、遺伝子を改造したり、人工的に剄を生み出す剄脈を植えつけた人間を創ったりしているという、都市伝説もあるぐらいだ。
そのすべてが事実でないにしろ、火種のないところに煙は立たないだろうから、事実のものもあるのだろう。
ならば今更、学園都市の何十年も前の技術を欲しているとは考えにくい。
仮に何かの理由で欲しているとしたら、ひそかに進入し、データの入手をするか偽装学生になって入り込むなど考えられる。
問題は、場所がわかっていないときだ。
この場合なら、怪しいところを片っ端から捜すにしても、ツェルニはすこし広い。
そうなると入学するというのは、確かに考えられるひとつの手ではある。
守護獣計画を知っているのは、歴代の生徒会長や武芸長、それに使われれ廃棄された施設を見回る可能性が高い怪奇愛好会の会長だが、漏れるとしたらそこからだろう。
それなら守護獣計画が行われた場所などもわかるはずなのだが、とカリアンは思う。
「そこまでするのでしたら、騒動の責任を取らす形で退学させておけばよかったのでは?」
「そんなことをするぐらいなら、彼を合格なんかさせなかったよ」
ローランド出身者が入学届けを出してきたことは、入学試験委員会でも大きい議題として取りあげられた。
あのローランドがわざわざこんな学園都市に送ってくるなんて、何か陰謀が隠されているにちがいない、という考え方をする委員が多かったが、最後はカリアンの判断で合格させることに決めたのだ。
「それにもしも、彼がただのやる気がない学生だったら、どうする?」
秘書はそのことを聞くと、ライナの態度からそうかもしれないという気持ちと、疑問に思う気持ちが混ざったような表情を浮かべた。
「彼の気持ちはどうか知らないが、少なくともこの学校に来ている以上、できるかぎりここで学ぶべきだ、と私は思うが」
とはいえ、彼に見張りをつけないわけにもいかない。彼はあまりにも、怪しすぎる。
レイフォン君にはさらに頼むことが増えたと、カリアンは思ったとき、生徒会室のドアが叩かれた。
「入りたまえ」
カリアンはあせる気持ち抑え、冷静に保とうとした。予定外の出来事があったとはいえ、ついにツェルニの救世主が来ると思うだけで心臓が暴れそうになりながらもいつもの冷静な顔に戻す。
そして扉は開かれ、ついにツェルニの救世主、レイフォンはカリアンの前に現れた。