そこは、煌びやかなパーティ会場。
豪奢な食事が並べられている沢山のテーブルのまわりに、着飾った人々がひしめいている。
その一つのテーブルの傍で、一組の中年の男達が向かい合って談笑していた。
表情の動きが乏しい厳しい顔の男と、恰幅のいい朗らかな男。
そして、それぞれの隣に控える、整った顔つきの小さな少女と少年。
「これが私の娘です。ほら、ご挨拶しなさい」
厳しい男が、表情を動かさないまま言う。
少女は人形のような笑みを浮かべる。
「はじめまして、ジゼル・ド・フレールです。グラモン家のみなさま、こんごともよろしくおねがいいたします」
彼女の心の中では、小さな炎が燻っていた。
彼女が、『彼である』ことを自覚したのが三歳頃のこと。
それまでは、彼女が『彼の記憶』を持っていることは当然であって。
疑問とか、そもそも明確な思考というものが存在しなかった。
そして、彼女が『彼』との連続性を取り戻したとき、絶望した。
『彼』はしがない一学生で、卒業論文に一生懸命取り組んでいた。
国家試験も通り、就職先も決まり、卒業論文も纏まってさあこれからだ、というときに。
何の脈絡もなく三歳児である彼女になっていたのだ。
『彼』の最後の記憶は、研究棟で仕上がった論文をプリントアウトしているところ。
こんな事態に繋がる要因がなかった。脈絡がなかった。
もし卒業論文をプリントアウトすることがこんな現象を引き起こすなら、大学卒業生は居なくなり、新卒の求人は大困りだ。
だというのに彼女は、事実として何故か三歳児になっており。
そのうえ彼女の新しい世界は、中世並の文明レベルに貴族、魔法――まるで陳腐なファンタジー小説のようで。
到底現実とは思えないものなのに、悪夢的なことに確固とした現実なのだ。
彼女の家は、どうやら貴族らしかったが。
その父は爵位と領地にしか興味がないような冷血漢。
その母は会ったことすらない。
乳母に育てられ、父と顔を会わせるのは食卓を囲むときのみ。
そのときですら、彼女の父は国交情勢や領地経営について幼い彼女に話すだけだった。
そう、新しい世界は、彼女に対して驚くほど冷たいものであり。
彼女は絶望したまま、しかし自殺するほどの気概もなく、ただ塞ぎ込み人形のように今まで生きてきた。
「おお、これはご丁寧に。ほらギーシュ、お前も挨拶しなさい」
「は、はじめまして! ギーシュ・ド・グラモンです!」
少年が緊張したように声を上げる。
金髪に碧の眼をした、華奢な少年。
心の炎が、ちろちろ燃える。
「聞くところによると、ご息女とギーシュは同い年だそうで・・・仲良くしてくれるといいですなぁ」
「ええ、私もそう思います」
彼女の父が無表情のまま、心にもないことを言っている。
両家の子供が仲良くすることは、隣り合う両家の友好を表すため。
それも、今はどうでもよかった。
めらめら。ぼうぼう。
心の炎が燃える。
『始祖ブリミル』
乳母から聞いたおとぎ話。
『トリステイン』『アルビオン』『ゲルマニア』
父が話す国々の名前。
そして空に浮かぶ二つの、赤と青の月。
そこから導き出される、『物語』の世界だなんていう、馬鹿馬鹿しくありえない現実。
それは、彼女にとって何の救いにもならなかった。
しかし、『ギーシュ・ド・グラモン』が同い年だという情報が加わると、価値が変わる。
その名前、彼女が『彼』だった頃に知っていた。
――『ゼロのルイズ』『平賀才人』『ガンダールヴ』
彼女は神を信じていなかったけれど、今だけは神というやつに感謝してやってもいいかもしれない、と思う。
絶望の中、ただ一つ残っていた可能性。
彼女の心で燻っていた炎――小さな小さな希望が、今劫火となって彼女の心を焼き尽くしていた。
それは歓喜。
『帰りたい』『還りたい』
『彼』である彼女の唯一の、少しでも時がずれていたら叶うはずのない願い。
それが、叶う可能性が見えてきた。
平賀才人はこの世界でない、『彼』の近代世界に繋がる希望の綱となる。
ふと気付けば、ギーシュが何かに怯えるように彼の父の後に隠れている。
「――ん、ギーシュ? どうしたんだね?」
ギーシュが身を隠しつつ叫ぶ。
「こいつ、こわい! わらってるけど、わらってない!」
「こら、レディに向かってなんて失礼なことを言うんだ!」
子供とは、純真だからこそ何か直感的な鋭さがあるのかもしれない。
そんなことを思ったが、それも彼女にとってどうでもいいことだった。
今日この日、彼女の絶望は終わりを告げ、成し遂げるべき目的が出来た。
即ち、平賀才人を介して、どのようにしてでも『彼』の現実に『帰る』という目的が。