チキン南蛮と申します。
本作はニトロプラス作品『装甲悪鬼村正 -FullMetalDaemon MURAMASA-』の二次創作で御座います。
主人公、新田雄飛。創作劔冑、一騎登場。鬱要素有り。
※4/24整合性を取るため、三話の報告書、十三話の鬼丸に関する文章を一部消去。
※4/19 書式変更。それ→其れ その→其の 雄飛の俺→おれに統一。
※4/17 序幕大幅改訂。一話の一人称を三人称に改訂。
11/21序幕投稿
11/23BLADE ARTS 壱投稿
11/25悪鬼投稿
11/27慟哭投稿
12/06雄飛投稿
12/08大鳥投稿
02/17秋空投稿
02/19修養投稿
02/23狂気投稿
03/12白銀昇星投稿
03/14進駐軍投稿
03/18閣議投稿
04/07閣議-弐投稿
04/12遭逢投稿
04/24剣甲投稿
05/14須要投稿
07/06破戒投稿
07/11深紅投稿
08/10八幡宮投稿
08/13深藍投稿
08/27閣議-参投稿
09/02薄鴇投稿
10/03冀望投稿
序幕
これは英雄の物語である。
一人の少年が織り成す、正道の物語である。
英雄を志した若者は、復讐でも、懺悔でも、因縁のためでもなく、ただ己の目的のために往く。
友が虐げられている現状を打ち砕かんとするために。世界を笑顔で埋め尽くすために。理不尽な悪を、巨大な悪を否定するために。
そんな己の夢を叶えるために、少年は往くのだ――
――装甲悪鬼村正 正道編――
廃校舎の教室。裏山に打ち捨てられた其の場所は、鎌倉市の直ぐ傍に位置しながらも、麓の喧噪は鳴りを潜め、現世と隔絶された沈黙が支配していた。
草木が躯体に生い茂り、老朽化した骨の軋んだ音が、時折静寂の腹中に木霊する。其れはさながら、滅びゆく運命を呪う校舎の怨嗟であった。
仄暗い教室。其処に、四つの箱が在る。其の中身は、教師の凶刃によって生を奪われた生徒の骸である。
凡そ人が入る事叶わぬ狭さの木箱から、赤と緑と茶と青が入り混じった、生理的嫌悪を催す混濁めいた液体が木床に染み込み、室内に充満した狂気を彩る。
陽の光を拒む朽ち果てた教室。教卓では、鎧武者が一騎、三人の生徒に向かって教鞭を執っていた。
百足を模した鉄の鎧。其れを装甲した教師は、絶対強者として此の場に君臨している。劔冑を用いた課外授業を、教師――鈴川は嬉々として行った。其の証が、廃教室に轟く、三つの慟哭であった。
少年は右足を穿たれて。其の友人は目を抉られて。もう一人は四肢を斬られて。
三者三様の反応を示す生徒達。鈴川は苦しみ絶望する三人に慈愛の眼差しを向けながら、更に指示棒を振るう。
<<嘆け! 此の悪夢を! 絶望を!>>
両目を鈴川に奪われた少年の友は、言葉にならぬ絶叫で喚き散らしている。
四肢を奪われた少女は声こそ出していないが、色を喪った眼、絶望に染まりきった顔が、無言の慟哭をかき鳴らしている。
前者は下半身、後者に至っては全身、裸であった。
無機化合物の匂いが少年の鼻腔を擽る。
人を拒絶する冷たい床に、芋虫のように横たわっている少女の身体は、小便で穢されていた。うら若き少女の秘所は露わにされ、其処から白濁色の液体が露と垂れる。
其れは凌辱の爪痕。鈴川が強要した、三人を絶望へと導く墓標である。
三人の生徒の内の一人――新田雄飛は、其の光景に目を奪われた。そして仕儀を理解していく内に、為すすべもなく、恐怖に囚われ失禁寸前だった少年の心は、急激な変化を遂げていた。
<<悔しいか、哀しいか、新田。だが大丈夫だ、直ぐに開放してやろう。そうすればもう、お前たちは嘆かずにすむ。永遠に、美しいまま、眠れ>>
鈴川は言った。美しいものは脆弱だと。我々は泣くことしか出来ないのだと。
鈴川は言った。この世は絶望に支配されていると。お前たちを、其の絶望から開放してやろうと。
(……何を、言ってやがる)
鈴川の言葉を聞いた新田雄飛は、最早恐怖など感じていなかった。雄飛のこめかみから血管が浮き出る。両手の拳に爪が食い込み、血が流れる。
リツは殺された。小夏は四肢を奪われた。忠保は両目を奪われた。薄暗い廃教室に轟く叫喚が雄飛の耳を揺らす。其れは小夏の泣き声と、忠保の呻き声。
(……これが、絶望、だと? そんで、この絶望から、開放してやろう、だと?)
雄飛は心の中で自嘲する。鈴川の物言い。其れは余りにも――可笑しかった。笑止の沙汰。意味不明である。
(おれが、今、絶望、してるって?)
沸沸と血潮が煮え滾る。心臓は爆発寸前の態で鼓動している。
(なんだよ、そりゃ? おかしすぎる。有り得ねえよ、鈴川)
歪になった身体で目の光を喪った小夏。あの快活な姿は見る影もない。
両目を抉られ悲痛な叫びを上げている忠保。あの陽気な姿は見る影もない。
二人の惨状が網膜に焼き付き、二人の慟哭が鼓膜を貫く。相して、雄飛の胸の奥から沸々と“何か”が湧き上がっていく。
絶望、ではない。
違う。
湧き上がり体内に溢れ返る“此れ”は絶望とは余りにもかけ離れている。
(……此の気持ちが、絶望、だって? おいおい、間違えるにも、程があるぜ、先生)
<<嘆け! 嘆く事しか出来ないのだ、人は!>>
「ざ……け…んな」
雄飛の全身が震慄する。勿論、眼前の武者に対する恐怖が原因ではない。
道理にそぐわぬ鈴川の言質が心を揺さ振り、抑えきれぬ震えによって、堪らず膝を付いてしまう。立ち上がりたくとも、武者の刃によって肉が抉られた右足は一寸たりとも動かない。
仕方なしに、雄飛は上半身だけでも起こしてから、自分の言葉に酔った様子で天井を仰いでいる鎧武者に声をかける。
「おい……」
教壇の前に居る鈴川は今も尚、両手を広げ、支離滅裂の言葉を吐き出していた。
馬鹿に聞く。この感情が絶望なのか、と。
馬鹿は答える。そうだ、と。我々に必ず齎されるものだ、と。
「そうですか。でもおかしいなぁ。うん、おかしい」
<<……何がだ?>>
鈴川が首を傾げた。心底意味が解らない、そんな態で。
(ああわかったよ。なら、どんな馬鹿にでも解るように言ってやる……)
激情を、憤激、激憤、憤懣、忿懣、悲憤慷慨を。
解き放つ。
爆発させる。
眼前の悪に。全ての悪に――
「……今おれが抱えているヤツが、そんなおとなしいモンとは到底思えないんですけどねぇぇぇ!!」
柳眉を逆立て咆哮する。煮え滾る激情を以て。
「……ぐッッ!」
咆吼の勢いに任せ、雄飛は倒れ伏せていた体を無理やり起こした。
――激痛。
稲妻の如き電撃が全身に疾走り、足骨が軋んだ音を立てる。意にそぐわぬ行動に、血達磨の足は抗議の声を漏らし続ける。
だが、知った事ではない。肉体的な痛みなど、雄飛は最早怖くもなんともないのだ。
……嗚呼、そうだ。本当に怖いのは己の死なぞではない。自分は此の状況に陥ってから漸く気付いたのだ。
あの日々が好きだったのだ。
掛け替えのない存在だったのだ。
当たり前の日常が、あれほど尊きものだったと。
何時も傍に居る友が、これほど大切な人達だったと。
漸く雄飛は自身の感情に気付いた。だからこそ、其れを奪い、あまつさえ消滅させようとしている此の悪を許せない。
不倶戴天。
悪を許せない。奪われる事を認めない。
鉄心石腸の意志で己が足を屈服させる。埃の舞う薄暗い教室の中、教壇で呆気のとられている鎧武者へ、雄飛は歩みを進める。
軋んだ床を一歩踏み締める度、凡そ人生で経験した事のない激痛が襲う。焼け火ばしを当てられたような錯覚。然し、進む事を躊躇ってはならない。
痛い。知った事ではない。痛い。其れがどうした。些事に気を取られるよりも先に、己には為すべき事がある。
<<新田……?>>
鈴川の前に立つ。目の前の馬鹿は痴呆の様に、琥珀色の眼で呆然と、此方を眺めているのみ。
(コイツ、おれが何してるのか、何故こうしているのか、まだわからねえってのかよ。……ホント、馬鹿だ)
雄飛は奥歯を噛み締め、眼前の鋼鉄を睨み付ける。
心から湧き出す激情が在る。紅蓮のような感情が胸に巣食い暴虐の限りを尽している。雄叫びを上げろと。牙を剝けと。胸の鼓動はひたすらに身体を急き立て駆り立てる。
其れに任せて、雄飛は勢いよく右腕を振りかぶった。重心を意識して。拳を握りしめて。全身全霊を込めて。
―――殴る!
<<!?>>
鈍い音が骨越しに伝わる。右拳から鉄を殴った衝撃が奔る。骨が砕けた感触。知った事ではない。沸騰した血液が、痛みを覆い隠している。
正面で佇む相手を見やる。効いていない。武者は木偶の坊のように突っ立っている。渾身の一撃は、少しばかり鈴川を揺らしただけに留まった。
なら――
(なら、これでどうだ!)
左足で踏み込み、穴の開いた右足を一旦折り畳む。
力を貯める。丹田に意識をやる。貯める。貯める。貯める。
―――右足を蹴り上げる!
上段蹴り。普段小夏が使っていた技を見様見真似でやっただけの、素人の蹴り。
しかし、其の蹴りが的確に武者の顎に命中。棒立ちのままであった鈴川が其の衝撃で仰け反り、そして成すすべもなく――鉄の巨躯が倒れた。
“生身の人間”に蹴られて、“劔冑を纏った鈴川”が尻餅を付いたのだ――!
<<な……にをする>>
大の字に寝転がったまま、鈴川がのたまう。其の言葉を聞いた雄飛は激昂し、更に声を荒げる。
「何を、じゃねえ!!」
――まだ解らないのか。自分が何をしたのか、まだわかっていないのか。
憤懣やるかたない雄飛は、怒髪天を衝く。
「―――おれは怒ってるんだッ!!」
当たり前だろう。当たり前だろうが!
リツを殺されたのだ!
忠保の夢を奪ったのだ!
小夏を汚し、未来を奪ったのだ!
絶望? 諦め? 馬鹿を言うな。何より大切な物を奪われた人間が抱く感情は其れらではない。
――――激怒に決まっている!!
<<…………。怒り、だと……>>
鈴川がよろめきながら立ち上がる。其の声は震えていた。甲冑越しでも動揺の色が明確に分かる。
<<そんな物、無駄だ……! 其れで何が出来るというのだ!? 怒りで私を倒せるのか!? 六波羅を倒せるのか!? 無理に決まっている! だからこそ、絶望するのだ!!>>
「しない!」
鈴川の戯言を突っぱね、雄飛は息巻く。
「倒せるのかなんて関係ない。力の差など、関係ないんだ!」
数分前まで、雄飛は武者の圧倒的な迫力に気圧され、唯黙って友が傷つけられるのを見過ごしてしまった。
後悔してももう遅い。小夏と忠保は心を砕かれ、未来を奪われた。
だが、一つだけ。雄飛には分かったことがある。奪われて初めて、気付いた事がある。
「理不尽に奪われる事は、悪なんだ! そんな事は、罷り通ってはいけないんだ! 否定しなくちゃいけないんだ! だからこそ、怒って戦うべきなんだ! 目の前の武者に! 六波羅に!」
<<……無駄だ、無駄だ無駄だ>>
「無駄? だからなんなんだ? 勝てるかどうかは関係ない。戦わなければならないから戦うんだッ!!」
何処かで聞いた言葉。其れが自然と雄飛の口から紡がれた。
雄飛はふと、先刻の忠保との会話を思い出す。
無為に過ごした日々は、自分にはやりたいことがないと思っていた証拠。
『でも僕はね、いずれ雄飛は何かに向かって走り出すと思うんだ』
『犬小屋?』
『うーん、たぶんほかのなにか』
『そうかなぁ』
『きっとそうだよ』
「おれが走り出すのは今なんだ! おれは自分のやりたいことを、今! 見つけたんだ! 理不尽に立ち向かうんだ! もうおれの友達が泣かないようにするんだよ!」
<<……お前は、何も分かっていないのだ! 今に理解する時が来る。来栖野、稲城が何を失ったのかを。お前が、お前達が何を失ったのかを! そして……絶望するのだ!>>
「―――くどい! おれは絶望なんてしない!!」
<<ッ!?>>
「おれは何も失ってなんかいない!! 何を失ったのかだと? 小夏の体か? 問題ない、おれが助ける。忠保の目か? 問題ない、忠保は諦めたりしない。
じゃあなんだ? おれ達の絆か? 其れこそ失うわけがねえ! こんな事で、おれ達の絆が壊れる訳がないんだ!」
戸惑う鈴川に捲し立てる。言い切った所で、勢いよく息を吸い込む。
「―――おれ達は、何も失くしてなんかいないんだッ!」
<<……馬鹿……な>>
雄飛は鈴川の過去に聞き覚えがあった。
妻子が風邪をこじらせた末、苦しみながら死んだらしい。本来なら助かった筈の命を、六波羅の収奪のため引き起こされた食料不足と医療費の高騰によって、奪われたのだ。
……だから、絶望した? 六波羅は倒せないから、せめて教え子を絶望から救う?
馬鹿馬鹿しい。筋が通らない。六波羅への怒りを他に向けただけだ。妻子の死、其の悲しみを余所へ充てつけただけの、幼稚な行為だ。
「美しいものは脆弱だと? 間違ってるぜ、其れ」
<<……黙れ>>
「教えてやるッ! 弱いのはお前だ、鈴川! 綺麗な物が消えちまった事に耐え切れず、何もかもヤケになったお前が弱いんだッ!」
<<黙れェ……!>>
「―――てめえの絶望に他人を巻き込むな! おれ達はそんなに弱くねえッ!!」
<<黙れェェッッ!!!!!>>
言葉に詰まった鈴川が、咆哮した。目の前の武者から放たれる圧倒的な殺気が雄飛の肌を焦がす。
劔冑。其れは正真正銘最強の兵器である。
戦車、戦艦、尽く劔冑を打倒できず、其の兵器を装甲した鎧武者は一騎で現代歩兵百人以上の力を持つという。
伝説に名高い武者の金剛力は山をも砕き、海を割る。斯様な与太話が罷り通るのが、劔冑という古来兵器。
(……だけど全然強そうには見えねえよ、鈴川!)
正面で怒り狂う武者は、迫力というものがまるでない。いや、実際生身で虎と向き合うような圧迫感によって胸腔が圧搾されてはいる。
だが、鈴川の咆哮、其の発露の原因を知っているからこそ、雄飛は臆さない。己の確固たる決意に比べれば、幾ら劔冑で武装していようが、鈴川は恐れるに足りない。
(――こんな奴に、おれ達は絶望なんてしない!)
「来いよ、弱虫!」
圧倒的な存在感を放つ甲鉄の鎧武者が、勢いよく鞘を抜いた。
雄飛は精神を集中させ、己の取るべき行動を模索する。
第一に、一息もつかせず迫りくるであろう鈴川の斬撃を躱す事が求められる。
先程、右足を穿たれた際の剣速は、疾風迅雷と云って差支えの無い程であった。端的に言えば、目で追う事すら困難な速度である。
其の斬撃を、今度は鉛の様に動かない右足を引きずりながら避けなくてはならない。
不可能。無理。我田引水。荒唐無稽の極み。絵に描いた餅というが、そもそも餅を探す処から始めなくてはならないような話である。
(だから?)
だから何だというのか。
勝てるかどうかなぞ、全く以て関係ない。己は戦う。そう決めた。無理だとか、諦めるべきだとかいう言葉は、もう二度と使う事はないだろう。
諦めない。
絶望しない。
相手がどれだけ強くても。
相手がどれだけ巨大でも。
「おれは、戦う!」
雄飛の雄叫びに、鎧武者は刀を振り上げる事で応えた。
刃銀が薄明りに淡く煌く。振り上げている刀を疾走らせんと、正面の武者が初期動作を始める。
体を身構えるも、質量の伴った武者の殺気が血達磨になった右足を縛る。雄飛は息を呑み、今にも振り下ろさんと鎌首を擡げる刃を睨みつける。
(考えろ。考えろ。考えろ!)
どうにかしなくてはならない。此の状況を打破し、小夏と忠保を救わなければならない。
何か打つ手は――!
逡巡の間もなく、猟奇的な煌きを刀身に宿らせた刃が、己に向かい号哭する。
(く――!)
其の瞬間。
――――硝子の割れる音が、廃教室に響いた。
<<なッ! ―――ぐはぁ!>>
校舎が崩壊するのではないかと見紛う程の衝撃に地面が揺れる。
突如窓を突き破って現れた“物体”が鈴川へ突貫、勢いよく其の巨躯を弾き飛ばしたのだ。
鎧武者が教室の錆びた鉄扉に激突し、其の衝撃で埃の溜まった教室中に粉塵が舞う。
(なんだ……!?)
雄飛は埃を吸い込んで咳き込みながら、煙越しに浮かび上がっている巨大な影像に注視する。
(……鍬形?)
装甲した鈴川をいとも容易く吹き飛ばした“何か”。其の姿を捕えた瞬間、雄飛は思わず息を呑んだ。
煙にぼやけているが、其の特徴的な形状は隠しきれていない。
鋭く大きな二対の顎は万物尽く砕かんと戦気満ち満ちている。細く、然れども力強さを感じさせる六本の脚は、圧倒的な意志を体現しているかのようだ。
そして何より目を見張るのが、其の体積である。人の背丈を優に越えている体躯は、雄飛の常識からは余りにもかけ離れ過ぎている。
煙が薄れていく。改めて目の前の物体に目をやる。
分厚い翅。鈍く光る、“紫色”の甲殻。眩い双の光輪は、虫の眼光によって発せられているのか。
よくよく目を凝らせば。其の虫の甲殻は鉄で出来ていた。
破邪の甲鉄。菫の眩耀は溜息が出るほど力強い王の品格を睥睨させている。孤高の鉄鋼。硬質の輝きを放つ巨躯は形容しがたい荘厳な存在感を罷めさせている。
鋳鉄の鍬形虫――斯様な生物が、世に存在するのだろうか?
否。
断じて否。
ならば―――
<<“雄飛”。此の国綱、其の言葉を然と受け止めたぞ>>
突如頭蓋に響く声。まるで金を打ったかのような甲高い音が脳裏に直接響く。
理屈ではなく、本能で理解する。此の声は、突如現れた鍬形虫から発せられていると。
(――此れは、劔冑だ。間違いない)
確信があった。
何故なら、己こそが森羅万象の力を形象化させた鉄の化身であると、正面の鋼は主張して已まないのだ。
然し……まるで夢現のような光景に、依然として頭の理解は追いつかない。
何故劔冑が動いている?劔冑が自発的に行動する事など、有り得ないのではなかったのか?
だが目の前の鍬形虫は、明らかに自分の意志で喋っている。こんな劔冑の存在は道理に適わない。
そもそも、なんで此処に劔冑が在る? 今の時代、劔冑は六波羅以外誰も持っていないのではなかったのか?
<<何を呆けておる。何を成すべきなのか、己の信に従え>>
脳髄を刺す金打声で叱責する劔冑。雄飛は何故か、懐かしい匂いがした。
(……そうだ。おれがどうしたいのかなんて決まっている!)
嗚呼、そうだ。全く以て其の通り。
今は細かい事なぞどうでも良い。そんな事を考えるよりも、己には成すべき事が在る。
<<……ぐっ……何が……起こったのだ……>>
鈴川が身を起こそうと身動ぎする。あれ程勢いよく吹き飛ばされ、鉄扉に激突したというのに、損傷は殆ど見られない。
<<我が錆を撫でよ。其れが帯刀の儀。さすれば、吾の顎が鬼を貫き、吾の刃が鬼を斬る >>
中性的な声が頭骨に響き、雄飛は自然と動く身体に促されるまま、劔冑へ歩み寄る。相して瞬く間に距離が零となり――雄飛は心中で感嘆の声を洩らした。
至近距離で見れば見るほど、其の甲鉄の虜になる。
幾人もの視線を釘付けにし、決して離さないであろう艶やかな光沢。心が吸い込まれてしまいそうな紫。覇気を纏った鋼。
砕けた右拳は使い物に成らない。雄飛は左手の掌を、紫の甲鉄に重ねた。
背筋が凍る程冷たい感触を覚える。だが、鉄の無機質な冷感の奥には、烈々たる熱情が秘められているようだ。
撫でる。
瞬間、鍬形虫の甲鉄が蒼く脈動。そして掌から全身に、蒼の鼓動が吹き抜け波動していく。
(――――!)
高貴な菫色の鋼は、雄飛の胸に得も知れぬ高揚感を齎した。
活力。気力。精気。意気。数多の感情が凝縮され、蒼天を駆け巡る。
<<我が銘は鬼丸。我、正道を往く劔冑也。吾と共に往く者、鬼を滅ぼす刃と成らん>>
(正道。其れがおれの往く道)
<<ま、待て――>>
<<――――宣誓せよ!>>
肩幅程度に両足を開き、左手で顔を覆う。
――装甲ノ構。
詩を口ずさむ。
――誓約の口上。
「義を見てせざるは勇無きなり 為らば、鬼を断つ剣と成らん」
鋼が組み合わさる刃金音が廃教室に轟く。
そして少年は変貌を遂げ、天下五甲――鬼丸国綱が、世に顕現した。
内から迸る圧倒的な力と、己を覆う甲殻の剛毅さに、少年は打ち震える。
<<往くぜ、鬼丸……!>>
これは英雄の物語である。
一人の少年が織り成す、正道の物語である。