自分という存在が、はたして本当に自分なのだろうか。
幼さゆえに言語化ができなくとも、そういった漠然とした不安に襲われたのは3歳のころだった。
自分はもしかして他人と記憶を共有しているのではないか。
体験していないはずの記憶に翻弄されるたびに、理不尽にも突発的に襲い来る記憶を憎んだのは8歳のころだった。
自分の記憶は、前世の記憶というものではないだろうか。
無才であるがゆえに知識を求め、力を求めた日々。己の記憶をそう評価したのは10歳のころだった。
そして今、俺は自分が自分であるための歯車が、カチリと噛み合う音を聞いた。
風と炎の紡ぐ物語。その中に入り込んだ自分という異物。
__まさかこんな役どころかよ……
己を焼く炎に包まれ、数秒後にも大地に倒れ込もうとする己を見つめながらも、彼は不思議なほど穏やかな苦笑をこぼした。
『運命に 流れ流され 辿り着き』
幼いころから彼、神凪道哉(かんなぎみちや)は奇妙な目で見られていた。
年齢に不釣り合いな知識を持っていたりするくせに、肝心の知識に対する理解がまるで足りていなかったり、一般常識を大人顔負けに心得ているかと思いきや、妙なところで周りとの食い違いを見せたりしていた。
周りの大人がどこでそういった知識を得たのかと聞いても、本人の記憶が混乱しているのか一度たりともまともな答えを返せたことがないらしい。
そういった妙なことを除けば、彼はいたって優秀で学業も武道もかなりのものだと聞く。
彼女にとって神凪道哉という少年は、噂話と一度の邂逅だけの接点しかないにもかかわらず、少しの興味とちょっとした憧れ抱かせられた年上の男の子だった。
そして、まだ幼さが多分に残る顔つきをした彼女が少年と二度目の邂逅を果たすのは、嘲笑と悪意が満ちる屋敷の庭先だった。
大神操がその場面に居合わせたのは偶然というにはあまりにも出来すぎたタイミングであったと言っても過言ではない。
分家でも有数の炎を持つ大神家において、自由にできる時間というものはまだまだ子供である彼女にとってあまりに少ないといえる。
本来であったなら休日であるその日も朝から習い事や勉強の予定が入っており、その時間は外部から招かれた教師とともに広大な神凪邸の遠く離れた部屋にいたはずだった。
その日、生真面目な彼女にしては珍しく自室に忘れ物をしてしまう。
優等生ともいえる彼女の申し訳なさそうな顔に対して教師役のその男はひとつ頷くと、特に小言を言うこともなく自室に忘れ物を取りに行くよう促した。
神凪の屋敷は広い。とてつもなく広い。
それは常識であるから、普通の子供ならばゆっくりと歩いて退屈な習い事の時間を減らしてやろうかと考えるだろう。
しかし彼女はもちろんそのようなことはせず、小走りで自室まで向かった。今時珍しいけなげな子供である。
庭に面した廊下に出たとき、彼女は見た。
分家の子供、燃え盛る炎、嘲笑、火傷、悪意
少女に怯えを感じさせるには十分すぎるほどに醜悪なその光景の中に、炎を受けながらもうっすらと気の光をまとった少年が、そびえたつ巌を思わせるようにまっすぐと立っていた。
「すごいですね、どうしてそんなことをしっていらっしゃるのですか?」
眼を輝かせながら幼き自分は彼を見る。
偶然会った宗家の少年。本来ならば平伏すべき相手は、幼いがゆえに遠慮のない少女に向けてどこか嬉しそうな眼をしながら、楽しいことをたくさん話してくれた。
セピアがかったその思い出は、交わした会話のほとんどを忘却の彼方に追いやってしまっていたが、最後のやりとりだけは今も心に焼き付いている。
___自分でも、よくわからないんだ。
「それでもみちやさまは、まわりのひととはどこかちがいます。すごいとおもいます」
自分の無邪気な言葉に対して少年はどこか遠くを見るように、こう呟いたのだった。
___そう?でも僕は凄くなくてもいいから、普通に生まれたかったのかもしれないね。
自分のことなのに、どこか他人のことを語るようだった少年の横顔が、彼女の心には夕焼けとともに今もなお焼き付いている。
「生意気なんだよ!!」
その言葉で操は我に帰った。
視線の先には少年の後ろ姿と今まさに炎を放たんとする分家の子供。
「炎を使えないくせに!!」
何人もいる分家の子供たちが口々に言う言葉は操にとって新事実とも言えるもので、しかし意外に動揺をもたらすものではなかった。
ゆっくりと膝から崩れ落ちるように倒れる少年を見て、操はとっさに走りだす。
彼女は怖かった。目の前に広がる空間が果てしなく怖かった。
だが、倒れ伏す少年を見て全てが頭から吹き飛び、気づいたら少年をかばうように分家の子供たちと向き合っていた。
「なんだよお前は!」
先頭の男の子から発せられた怒声に、気の強い方ではない操はビクリと体を震わせた。
涙がこぼれそうになる、膝は震えている、それでも彼女は前を見て言い放った。
「こんなの……こんなの酷すぎます」
言ってしまったな。と操はぼんやりと思った。
これでこの場の悪意が自分へと向くのだろうか。それとも諦めてどこかに行ってくれるのだろうか。
恐怖にうちふるえながらも視線だけは逸らさない操は、かすれていながらもどこか笑いを含んだ声を背中に聞いた。
___ヤバい、惚れそうだ。あの場面の気持ちがわかるとは思わなかった。
「え?」「何をしている!!!」
すでに気を失ったと思っていた少年の声に彼女が振り向いた瞬間、庭に怒声が響き渡った。
そして顕現する莫大な熱量。炎術の最高峰と言われる黄金の輝きが操と分家の子供を分断するように燃え盛った。
蜘蛛の子を散らすように逃げる子供たち。
皆一様に青ざめた顔をしてあまりにも違い過ぎる宗家の炎から一歩でも遠ざかろうと小さな足を動かしていた。
「道哉!道哉!大丈夫か!」
「よぉ和麻……少しばかり眠い」
やっぱりかすれた声で少年は駆け付けた双子の弟に笑いかけた。
命にかかわる重症、早期に心霊治療を施さなければ命にかかわる火傷を負いながらも、少年はどこか気楽そうに笑った。
「寝るな!寝たら死ぬぞ!」
「それは雪山だろ……」
「そんなことはどうでもいい!寝るなよ!ただでさえ気が尽きかけてるんだから制御を止めるんじゃないぞ!今から人を呼んでくるからな!」
「声がでかい」
目の前で繰り広げられる漫才にも似たやりとりと、先ほどまでの状況のギャップに操は呆然としていたが、駆け寄ってきた和麻に声を掛けられたために驚きつつも精神の再構築を果たした。
「道哉を見ておいてくれ、頼む」
「あ……はい、わかりました」
軽く微笑んで走り出した和麻の後姿を一瞥し、彼女は道哉へと向きなおった。
その姿は間近で見ると痛々しく、先ほどの恐怖が鮮やかに蘇る。
「ごめんな」
道哉は顔を青ざめさせた操に対して、さきほどの和麻とよく似た微笑を浮かべていた。
「これがきっかけでいじめられたりしたら和麻にでも言ってくれ、きっと力になってくれるから」
違う、そんなことを言いたいわけではない。
「どうせさっきので誰もこの辺りには誰も近付かないだろうから大丈夫」
こんな状況でも弱い自分を心配してくれる道哉に、操は己の情けなさから涙が浮かぶ。
それを見て少し慌てたようにいろいろな言葉をかけてくれる道哉に、首を振ることで返答する。
__違う、違う、違う。そんなことを言いたいわけじゃない。そんな言葉を聞きたいんじゃない。
内気な自分に悔しさを感じながら、それでも声が出せない操は行動に出た。
道哉の隣に腰をおろし、頭をそっと持ち上げて自分の膝の上に。
ちょっと慌てたような気配に今までの恐怖が少し緩んだのを感じながら、両手に気を纏わせる。
目の前の少年の噂に比べれば、果てしなく稚拙であろう行為。気を使用した簡易的なヒーリングをもって、操はそっと少年の火傷した頬に触れた。
全身にわたる火傷に打撲痕。全くと言っていいほど意味のないであろう行為。
でも、確かに彼は無邪気に笑ってくれた。
一瞬が永遠になったような錯覚。そのなかで、彼女は確かに彼の声を聞いた。
____ありがとう。
その言葉に、彼女はやっと笑みを浮かべることが出来たのである。
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