「では、俺はしばらくここに泊まらせてもらえるのか?」「ああ。お前がおれの友達だって言えば、嫌だって言ったってアーサーはお前を泊めようとすると思うぞ」「それはなんとも…」 苦笑するしかない、といった様子のウォルである。 しかし、有難いことだ。彼の世界、この時代に比べれば幾分人情やら親切やらが幅を効かせていたあちらの世界ですら、知らぬ人間を家に泊めるのは想像以上の危険を伴ったものだ。 やはりこの息子にしてその親ありか、と、心の片隅で、リィが聞けば眉を顰めるに違いないことをウォルは思った。思っただけで、賢明にも口にはしなかった。「アーサーとマーガレットは、俺にとって遺伝上の父方と母方にあたる人物だ。どちらも『普通の』人間だからな、その前提で話を合わせてくれ」「うむ、心得た」「…あの、リィ。ちょっとよろしいでしょうか…?」 おずおずと、シェラが手をあげた。「どうした、シェラ?」「その、陛下の御身元は、二人にどう説明しましょうか?私と同じ理由は、二度使えないかと思うのですが…」 シェラが、申し訳無さそうにそう言った。 リィが、明らかにしまったという顔をした。 確かに、ウォルがロストプラネット出身だという方便は、この際諦めなければなるまい。如何に一風変わっている息子とはいえ、こんな短期間にそんな貴重な人間を二度も三度も連れてきたとなれば、どれほど息子に寛容なアーサーといえども怪しまない方がおかしい。 いや、冷静に考えるならば、今の時点で相当に訝しんでいるはずなのだ。なのに一言もそれを口にしないのは、彼がどれほどにリィを溺愛しているのか、そして同じくらいに信頼しているのか、その証左と言っていいだろう。「そういえばそうだ。どうしよう」 リィは、目の前に座る自分の夫の後見をまたしてもアーサーに頼むつもりだったから、流石に頭を抱えてしまった。 彼は用意周到で頭のよい少年だったが、二度と顔を合わせることもないはずの人間と顔を合わせ、その突拍子もない話を聞き続けていたために、現実に差し迫る問題に対して処理能力が追いついていなかったのだ。 しかし、考えてみれば確かに難題であった。この、どこからどうみても一般人には見えない、美貌の少女、そして元国王、しかも自分の夫を、どうやって彼らに紹介したものか。 うーんと、獣のような唸り声をあげる妻に対して、ウォルはのんびりとした声で質問した。「なぁ、リィ。その、後見というものが無いと、何か不都合があるのか?」「不都合があるなんてもんじゃない。下手したらお前はどこぞの施設に入れられて、一生飼い殺しってこともありうる」「それはぞっとせんな」 あまりぞっとした様子もなく、かつての王様は腕を組んで唸った。 悠然とした様子ですらあった。 しかし、この件に関して言うならば、いくら大国の重要事案を右に左に捌いてきた彼女の明晰な頭脳と決断力をもってしても、芳しい解答は導き出すことが出来ないだろう。 まず、世界が違う。常識が違う。 それに、知識が少なすぎる。 ウォルはこの少女の身体に憑依して、この少女の記憶を自分のものとして扱えることには気付いている。 しかし、ウォルが頼りにしている彼女の記憶には、所謂一般常識といったものが、同年代の少年少女に比べて極端に欠落している。生まれてからほとんどの期間を冷たい牢獄に繋がれて過ごしたのだから無理もない。 例えば、学習能力を調べるためのテストはあっても、テレビや噂話などの娯楽情報に触れたことは全く無かった。 大雑把な言語や文字の読み書きくらいは出来ても、それ以上の事物に関しては生まれたばかりの赤子に等しいところもある。 そしてその少ない知識の中には、後見やら未成年やらの取り扱い、つまり法律的な知識は完全に含まれていなかった。 研究員たちは、彼女にそんなことを教えようとはしなかった。一生、基本的な人権を無視した、実験という名の虐待を受け続けていくことが決まっている少女に、そんなものを教えても無駄ということだったのかも知れない。「いいんじゃないの、あまり無理に考えなくても」 部屋に重たい沈黙が流れかけたとき、ルウが惚けた調子でそう言った。「いや、ルウ。無理に考えなくても、と言いましても、やはりヴァレンタイン卿の後見は必要だと思います。それは誰よりも私が理解しているつもりですから…」「シェラ、別に王様をそのままにしておこうなんて誰も言ってないよ。別に難しい嘘を考えなくてもいいんじゃないかってこと」「ルーファ、どういうことだ?」「例えば、彼女は政府の非人道的な人体実験の被験者で、あの研究所を壊したときにエディが助け出した、可哀想な被害者の一人。一度親元に帰されたが、この度両親が事故で亡くなり天涯孤独の身となってしまったので、以前助けてもらったエディを頼ってここまで来た。こんな感じでどう?ほとんどが事実だし、優しいアーサーならきっと一も二もなく信じてくれると思うけど」 ルウは、この上なく機嫌のいい微笑みを浮かべながら、そんなことを言った。 何も知らない人が見れば、正しく天使の微笑みにしか見えない、そういう微笑だった。 リィは、悪寒を堪えるようにこめかみの辺りを押さえながら、こう返した。「…どの顔で『難しい嘘なんて考えなくていい』とか言い切れるんだお前は…」 リィの意見に、シェラも首肯した。「…私は、久しぶりにルウのことが怖いと思いました」「おれもだ。こんなことを言うと偽善と罵られるが、しかしアーサーが気の毒になってきたよ」「きっと、こんな感じでいつも言いくるめられているんでしょうね…」 金と銀の天使は、黒の天使の良いように操縦される堅物のアーサーが、憐れなロボットか何かのように思えてならなかったのだ。 「あ、シェラ、その言い方はないよ。だってぼく、アーサーのこともマーガレットのことも大好きなんだよ」「ええ、知っています。知っていますが…。いっそあなたがヴァレンタイン卿のことを嫌っていたほうが、彼にとっては救われたような…いえ、これは失言でした」 これは確かに失言だったので、シェラは即座に謝罪した。 そして、取り繕うように言った。「し、しかし、そういう設定ならば、卿は陛下のことをお見捨てになることはないでしょう」「うーん、確かになぁ」「…それだ」 突然、低い声(それでも、元々の声に比べれば信じがたいほどに高音域の声なのだが)で唸った元国王に、三対の視線が集中した。 その先には、どうにも不機嫌というか不可解というか、微妙な表情で考え込んでいる黒髪の少女がいた。 彼女が彼だったころから長い付き合いのあるリィなどは、それが不本意とはいえないまでも何か承伏しがたいことを覚えているが故の唸り声であることに気がつき、先ほどの会話の中に何かこの少女の機嫌を損ねる要素があったのだろうかと考えながら尋ねた。「ウォル、そんなにルウの案が気に入ったのか?それとも、何か気に入らないことでも…?」「うむ?いや、俺はヴァレンタイン卿のお人柄について全く把握していないからな、そちらについては卿らに任せる」「…じゃあ『それだ』って、一体何だったの?」「俺の呼び方だ」「…はぁ?」 三人は、お互いの顔を見合わせて、首を横に捻った。 一体、何の事だ?「あの、陛下…?」「ほれ見ろ。なぁ、リィ。今の俺を相手に、この呼び方はないとは思わんか?」「ああ、そういうこと」 リィは、ぽんと手を打った。 シェラには、何故だか嫌な予感がした。「俺は確かに、あちらの世界ではデルフィニア国王という肩書きを持っていた。全く、何の因果か分からんのだが…」「ウォル。それはもういいって。この場にいるみんながお前の気持はよく分かってる」「うむ。ならば、俺はもう、こんな重たい荷物は脱ぎ捨てて、一刻も早く身軽になりたいのだ」 ウォルが国王とならなければならなかった経緯を知り尽くしているリィは深く頷いた。間接的とはいえそれを聞かされている残りの二人も、軽く頷いた。「であれば、その呼び方はいくら何でも酷い。例えるならば、素潜りをしている人間がようやく呼吸をしようと顔を上げた瞬間に、足を掴んで水中に引きずり込もうとしているようなものだ」「あの、陛下…。申し訳ありませんが、もう少し分かりやすいように仰って頂けませんか?」「ほら、また言った。いいか、要するにだな、シェラ。お前が礼儀正しい少年だというのは重々承知しておるが、その『陛下』という呼び方は止められんのかと、そういうことだ」 シェラは、そのすみれ色の瞳をまん丸にして、唖然としてしまった。 この人は、一体何を言っているんだろう―――?「いえ、しかし…。やはり、陛下は陛下でしょう?」「いや、そもそも俺は既に陛下などとたいそうな呼び名を受ける資格はないのだ。こちらの世界ではいざ知らず、あちらの世界でも既に楽隠居し、王位は息子に譲ってある」「で、では何とお呼び申し上げたら…?」 ウォルは、飛びっ切り人の悪い微笑みを浮かべた。 それは、幼き日にスーシャの山猿と言われた彼女に、そしてフェルナン伯爵の一粒種である腕白小僧であった彼女に相応しい、野趣溢れる笑みであった。「リィ。本来ならばお前は王妃殿下と呼ばれるべき身分のはずだが、シェラには何と呼ばせていた?」「俺は、ずっとリィと呼ばせていた。王妃殿下?冗談じゃない。今さらこいつにそんな呼ばれ方したら、全身の鳥肌が粟立ち始まるぞ」 想像してしまったのだろうか、嫌な顔でウォルを睨みつけるリィである。 ウォルは、我が意を得たりというふうに頷いた。 頷き、そして言った。「ウォリー」「…はっ?」「シェラ。お前はこれから俺のことを、ウォリーと呼べ」「はぁっ!?」 これまたシェラには珍しく、素っ頓狂な叫び声を上げた。 この人を―――仮にもデルフィニアの英雄と呼ばれ、恐れ多いことにリィの旦那でもあるこの人を、何と呼べと?「陛下!そのようにご無体な…!」「何がご無体なものか。いいか、シェラ。名前というものは個人を識別する記号にすぎんが、しかし呼ばれる方が嫌がるような名前で呼んではいかん」「同感だ」「王様の言うとおりだね」 リィとルウが大きく頷いた。 この二人は、この二人の間でしか許されない名前でお互いを呼び合い、それ以外の人間がその名で己を指し示すことを極端に嫌う。だからこそ、ウォルの提案には感じ入るところがあったのだろう。「いえ、それはそうかも知れませんが、しかし…」「そもそも、人がその呼び名を聞いたらどう思う?王のいない世界で、お前のような美少年に自らを陛下と呼ばせる女の子など、ただの道化かそれとも狂人だぞ」「人前では呼びません!それはリィの時から徹底していますから大丈夫です!」「では、人前では何と呼ぶのだ?」 あらためてそう言われると、確かにこの人を何と呼んだものか。 シェラはほとんど泣きそうになった。 陛下?駄目だ。この人自身、それがどういう影響を周囲に与えるのか、しっかりと理解している。 では、ウォル?そんな、恐れ多いにも程がある。しかも、この呼び方をしていたのは、あちらの世界でもほとんどリィだけだった。ならば、私などが軽々しく口にしてよいものだろうか。 デルフィン卿?いや、卿は貴族階級の人間に対する敬称である。その貴族を統べる身分にあったこの人をそう呼ぶのは、逆に礼を失するのではないか? しかし、しかしウォリーとは…。そんな、まるで無二の友人のような呼び方をこの人にして、バルドウから天罰が下らないものだろうか…? シェラは、思いっきり難しい顔をして黙り込んでしまった。時折その顔色が赤くなったり青くなったりするものだから、内心でどのような葛藤があるのか、推して知るべしである。 ウォルとルウは興味深そうにシェラの顔が虹色に染まる有様を眺めていたのだが、リィは流石に気の毒になったのか、かつての従者に助け船を出してやった。「シェラ。あのさ、そんなに難しく考えることないんじゃないか?別にお前が呼び方を変えたくらいで、こいつが王様になったり平民になったりするわけじゃないんだ」「…ええ、それはもちろん分かっています、リィ。しかし、これは何というか、その…」「ああ、分かるよ。この例えは受け売りなんだけどさ、フットボールの試合で突然手を使って良いって言われてその試合を見たときの違和感っていうか…あるべきものがあるべきかたちにない気持ち悪さっていうか…」「そう、それなんです!」 シェラはがばりと体を起こした。「この方が王でなくなったのは承知していますし、ご自身が陛下と呼ばれたくないのもわかるのです。しかし、私の中の常識がそれに合致してくれない、どうしても現実に追いつかないのです」「ふむ、難儀なものだな。しかし…王とはそんなに大したものだったのか…?」「そう思ってないのは、多分王様だけなんだろうねぇ」 首を捻るウォルを、ルウが優しく窘めた。「君はそれだけ偉大な王だったんだよ」「そうか?いや、それなりに上手く演じ切った方だとは思うが、ここまでとはなぁ…」 ウォルは、据わりが悪いように首の辺りをぽりぽりと掻いた。 ルウは、からからと笑いながら、明らかに照れている美少女を眺めた。眼福だと、そう思っているに違いなかった。「おい、ウォル。シェラをいじめるのもこれくらいにしておいてやったらどうなんだ?」「いじめるとは人聞きが悪いぞリィ。俺はただ…」 ウォルは、シェラの方に目をやった。 シェラは、そのすみれ色の綺麗な瞳に、薄い涙を纏わせて、じっと俯いてしまっていた。弱々しく震える肩の線の細さといいぎゅっと握られた拳の小ささといい、どこからどう見ても極上の美少女である。 男ならば如何様な手段を用いても保護したくなるような、そういうたまらない有様だ。これでは、いじめていると評されても致し方ないところだろう。 そんな、まるきりいじめられた少女そのままのシェラに、溜息混じりの声をかけたのはこの場において唯一本物の少女である元国王だ。 「なぁ、シェラよ。俺はな、別にお前にそのような顔をさせたくて、この話をしているわけではないのだ」 ウォルは、優しい声でシェラに語りかけた。 そうすると、口調の堅さを除けば、慈愛に満ちた少女以外どのように見ることもできない、完全無欠の美少女ウォルがそこにいる。 そしてその少女は言った。 「その呼び名はな、シェラ、俺の幼き日の渾名だ。あちらの世界では、その呼び方で俺を呼んでくれる幼なじみが、少なくとも一人はいた。それにスーシャには、『あの山猿ウォリーが立派になったもんだ』と密かに喜んでくれた人達もいたはずだ。しかし、この世界には、誰一人としてこの名を呼んでくれる人間はおろか、知っている人間すらいない」 それどころか、そもそも純粋な意味で言えば『こちらの世界』の人間でウォルのことを知っている人間など一人もいない。 リィもルウも、『こちらの世界』の住人が『あちらの世界』に関わる過程としてウォルと知り合ったに過ぎないからである。 シェラには、それが望むべくして作られた絆かどうかはおいておいて、同じ呪われた一族の名を姓として有する二人がいる。彼らは粉う事なき『あちらの世界』の住人であるから、シェラは、リィやルウを勘定にいれなくても孤独とは言えまい。 しかし、ウォルにとっての彼らは、例え同郷であったとしても完全な他人だ。 つまり、ウォルにとって、想い出を共有する同郷の友人は、シェラしかいないということになる。「俺にとっては想い出の有り過ぎる名前だ。このまま、誰の記憶にも残らないままで朽ちさせていくのは余りに惜しい。だからな、シェラよ。俺は、同郷であるお前に、俺の幼き日を預けたいのだ。それは、過ぎたる望みなのだろうか」「…申し訳ありません。そのお言葉はどこまでも有難いものだと思います。思いますが、しかし…」「…ふぅ。わかった、シェラ。これは今度会うときまでの宿題にしておこう」 ここらが引き頃かと、ウォルは諦めた。 シェラの顔が、ぱぁと明るくなった。まるで、雲間から降り立った陽光の柱が、銀色の髪をした天使の上に舞い降りたようですらあった。 そんなシェラの様子を微笑ましげに眺めつつ、自分の名前一つのことで他人の顔色をここまで変えさせるとはどうやら国王とは相当に大したものだったらしいと、少女は内心で肩を竦めた。「ありがとうございます、陛下!」「しかしシェラ、あくまで宿題は宿題だ。いいか、次会ったときに俺を陛下と呼んだなら…」「呼んだなら…?」 シェラの喉が、ごくりと鳴った。「今後お前のことを、ファロット伯と呼ぶことにする」「なっ!?」「何も間違えてはいまい?」 満面に笑みを浮かべたウォルと、唖然として口を閉じることも忘れたシェラを等分に眺めて、リィとルウは同時に、これは勝負ありだなと思った。 少なくともこの一件に関して言えば、ウォルとシェラでは役者が違う。 そも、この、見た目だけは黒髪の少女であるウォルは、実のところ70年の歳月を国王として生き抜いた、パラストのオーロン王以上の古狸、いや古熊である。 見た目通りの年齢ではない点ではシェラも同様であるが、しかしそれにしても積み重ねた年月には相当の違いがあるのだ。「陛下!そのようなお戯れ、おやめ下さい!」「そうだ、戯れだ。だから、俺に戯れさせることのないよう、お前も頑張るのだぞシェラ」「そんな…」 シェラはがっくりと肩を落とした。これからの一週間、この少女をどのように呼ぶべきかを悩み続けることになると思うと、胃の辺りがきゅうと痛くなることを自覚するシェラだった。「ま、シェラはいつも人に気を使いすぎると思ってたところだ。少し荒療治かも知れないが良い機会だし、そこらへんの従者気質を徹底的に直してしまおう」「でも、そこがシェラのいいところなんだけどねえ」 リィとルウは顔を見合わせ、曖昧な笑みで苦笑していた。「ま、しかしウォルよ。今日のところはここまでだな」 如何にもホストらしい様子で場を仕切り直したリィは、そう言って緩まった空気を引き締め直した。 つい先ほどまで項垂れていたシェラは、内心はともかくとしてきちんと姿勢を正してその表情をあらためた。「とにかく、ウォルが、おれの夫がこの世界に来てくれたんだ。おれは、この世界を代表するとかそういう堅苦しいことを抜きにして、こいつを歓迎したい。何か、異議はあるか」「異議なーし」「ありません」「よし。じゃあ、こいつは今からおれ達の仲間だ」「俺は、もうずっと前からお前の仲間のつもりなのだがな」 異世界にて闘神の名を欲しいままにした不世出の英雄たる少女は、三対の瞳が自分に集中していることを自覚しながら、ゆっくりと立ち上がり、そして言った。「あらためて自己紹介させて頂く。俺の名は、ウォル・グリーク・ロウ・デルフィン。ここにいる、グリンディエタ・ラーデンの夫だ。元いた世界では国王などと呼ばれて調子づいていたこともあるが、この世界では卿らの後輩となるだろう。色々と分からぬ点、いたらぬ点も多いと思うが、どうか見捨てないで欲しい。そして、もし許されるならば、この体共々、卿らと永久の友誼のあらんことをここに誓いたい」「何に誓う?」 リィは行儀悪くテーブルに片肘をつき、不敵な笑みを浮かべながら、問うた。 もう、それは確定した返答を期待しての、問いかけとは呼べないような問いかけだった。 それを理解しているから、ウォルも、己の心をそのまま吐き出した。 もう、使い古され、しかし未だ宝石のように煌めいている、珠玉の言葉だった。 少女は、彼女の妻と同じように、にやりと不敵な笑みを浮かべながら言った。「剣と、戦士としての魂に誓って」 もう、夜も更けた。 きっと、階下で気を揉んでいるヴァレンタイン夫妻にも、その子供達にも、この黒髪の少女が何者なのかを説明しなければならないだろう。 それに、刻一刻と食べ頃を過ぎていくお菓子の山は、誰かが自分達を征服してくれることを今や遅しと待ち侘びているはずなのだ。 だから、リィとウォルは、家族の待つ居間へ。 ルウとシェラは、お菓子の山の待つ台所へ。 それぞれの責務を果たすために、今日最後の仕事を済ませるために、出陣する必要があった。 その時――。「あ、そういえば」 四人がそろって部屋を出ようとしたとき、ルウが思い出したように口を開いた。「どうかしましたか、ルウ?」「うん、この家に来たときからずっと不思議だったんだけど…」 緑と紫と黒の瞳が集まる中で、青い瞳の青年は、にっこり笑いながら、こう言った。「ねえ、この象さんみたいな人、誰?」 そういえば、とリィとシェラが、誰からも忘れ去られながら部屋の隅に所在なく突っ立った、聳える山脈のような体躯を誇る男を仰ぎ見た。 この場におけるその男の唯一の友人であるウォルが、明らかに『しまった、すっかり忘れていた』という顔をした。 四色四対の瞳が初めて自分に集中するのを感じながら、黒いスーツに身を包んだ大男、ウォルの特殊警護官であるヴォルフガング・イェーガー少尉は、軽く肩を竦めた。 もう、それ以外に彼の感情を表現する方法は無かった。 自分の周りにいる見知らぬ少年二人と青年一人、見知った少女一人は、その優美な姿通りの無害な連中ではない。彼自分もきっとその一人だから分かるのだが、ここは揃いも揃って人外連中の巣だ。 それに加えて、この時点までを自分の巨体を視界に収めずにいられるとはどういうことだろうか。普通、嫌でも目につくものだと思うのだが。 こいつらは、とんでもない馬鹿か、とんでもない怪物か。出来れば前者であって欲しい、主に自分自身の人生の平穏のために。 しかし、こういう時の淡い期待が確定した未来とは逆方向のベクトルを向くものだと知り尽くしているヴォルフは、これ以上ないと言うくらいに憮然としながら天井を仰ぎ見た。 現在の彼の任務対象たる、黒髪の不思議な少女と知り合って以来なんとなく諦めてはいたが、ここまで露骨な真似をするとは神様は相当に自分の事が嫌いらしいと思った。 ともかく、内心で自身の平穏無事な人生に心のこもらない弔辞を読み上げたヴォルフは、果たしてこの化け物連中を相手にどのように自己紹介したものかと頭を悩ましたのだ。