「やばい、バグった」
奇妙な存在感を醸しだす蔵書が並ぶ本棚に囲まれた机で、肩まであるような長髪の少年が呆然と呟く。
彼の名前は影沼次郎。外見的には、現代風の鬼太郎といったところか。
魔法を教える特殊学校、私立聖凪高校に通い始めたばかりの一年生である。
彼は聖凪の図書室で頭を抱えていた。
紋様が消えたMP(マジックプレート)を前にして。
◆◇◆
がんばれ影沼くん! 0.やっちゃった
◆◇◆
影沼の実家は、呪い師というか所謂『視える人』の家系であった。
親族の中には、そういう職業の人間が何人もいる。拝み屋であったり、何処かの神主であったり、魔法関連の職業だったり。
そして彼の家は、聖凪高校ほどではないが、魔法磁場の溜まり場に建っている。一族の歴史も古く、土地との結びつきも強い。
古式ゆかしい土蔵付き、古井戸付きの、お化けでも出そうな家屋である。
荒れ果ててはいないのだが、何だか妙な陰鬱さがあり、本当はそんな事はないのだが常に日陰にあるような印象を与える。
――ナニカ得体のしれないものが埋まっているような、封じられているような。
そんな家だが、メリットもある。
家が魔法磁場溜まりの上にあるので、影沼は自宅に帰っても、魔法に関する自習を行えるのだ(マジックプレートは校外に持ち出せないが、マジックプレート登場以前の魔法使いたちのようにすれば、プレート無しでも魔法は使える)。
ついでに言えば影沼は、聖凪高校に入学する前から魔法(というか不思議技術、呪術)については知っていたし、素質があるということで、幼い頃より親戚(叔父)から幾つかの手ほどきを受けていた。
聖凪を進学先に選んだ理由の一つが、親戚に勧められたからということもある。
だからマジックプレート無しでも、プレートにインストールしていた初級の魔法程度なら使えるし、既に見習い魔法使い程度の実力はあるのだが……。
(……まずいよね、これ)
影沼の目の前には、『紋様が消えて真っ更になった』プレート。
どうしようか。どうしたら、元に戻せるだろうか。
しばらく頭を抱える。
思考を巡らす。
結論。
――どうしようもない。
これは、聖凪の歴史と技術と魔法と呪法の粋が詰まった、『魔法の石版』なのだ。
長時間に渡る呪文詠唱を蓄えてショートカットを実現、それによって一般人を結界内限定でだが即席魔法使いに変えてしまえるほどに、強力で繊細な。
影沼の腕前では、復元は不可能だろう。
……今はまだ。
(あー、叔父さんに相談しようかな。……でも絶対、正直に学校に相談しろって言われるな)
よくよく考えてみれば、プレートは聖凪の最重要秘匿技術だ。
外様の呪い師あたりでは手に負えないだろう。
聖凪の教師でも、どれだけの人間が、バグったプレートを修復できるか……。
修復できないなら、再発行が必要だ。
再発行というかプレートの作成は、聖凪のような強力な魔法磁場溜まりで、特に磁場強度が上昇する時期に行わなければならない。
つまり結局は、聖凪に報告連絡相談するのは確定だということ。
それなら最初から学校の魔法教師に相談するのも、身内に相談するのも労力というか手順は変わらない。
図書室に居並ぶ生徒たちが着ている聖凪の制服を見て、ため息ひとつ。
真っ更のプレートを見て、更にもう一つ。
古今東西の魔法書が並ぶ図書室の本棚を見て、ため息追加。
いつもは明日への希望に心震わせてくれる物品たちが、今は何だか恨めしい。
秘呪文が記された秘伝書が並んだ本棚は、影沼の自室を彷彿とさせる。
影沼は、自宅の土蔵を整理して回収した呪術の秘伝書が並んだ本棚と、そのデータが入ったパソコンを思い出す。
その中には聖凪にも収蔵されていない秘伝書もあるかも知れない。ひょっとしたら、プレートを修復する術があるかも――。
「はぁ……」
――そもそも、なんでこんなコトになったのかというと、彼の向学心が原因であった。
(こんなに良く出来た符があったら、解析したくなるよ。魔法関係者なら誰だって)
駆け出しの呪術師である影沼は、精巧に出来たプレートを解析したい欲求を抑えられなかった。――それでご覧の有様だよ!
好奇心は猫をも殺す。
向学心は学生を殺す、場合によっては。
無知なるものは幸いなり。
人間とは無知の海の中に浮かぶ、小島の住人。
人間が知っていることは僅か。
しかし無知と言う名の広大無辺な海へと漕ぎ出さずには居られない。
海に怪物が潜むとしても、嵐が待っていたとしても、小島で安穏と暮らすのが幸せだとしても。
それこそが人間であり、それでこそ人間である。
ということで影沼は、秘術の塊であるマジックプレートを解析しようと試みたのである。自慢の影の魔法で。
そして、機密保持のための防壁にでも引っかかったのだろう。
彼のマジックプレートから、紋様が消え、魔法的機能が失われた。
(退学になったらどうしよう……。アレを完全に封印し続けるためにも、魔法科で勉強しないといけないのに……)
彼は自分の片目(前髪で覆い隠されている方)を押さえながら今後のことを心配した。
彼がやったことは端的に表せば、『魔法系の家系の人間が聖凪の秘術を解析しようとした』ということだ。
それは平たく言い換えれば産業スパイである。
つまり有罪だ。He is Guilty.
幾ら魔法使い間での術式の秘匿が重要視されなくなり、魔法学校が造られるようになったとはいえ、厳罰もありうる。
そしてそれ以前に、ベリーベリーシャイな影沼が教師らにこの事態をきちんと相談できるかどうかも問題だ。
彼の対人スキルは、割りと壊滅しているからだ。
今はまだ四月の半ばで、極度の人見知りである彼は学校では無口系のキャラで通っている。……実のところ単に話し掛ける勇気がないだけなのだが。
シャイで自己主張が出来ない上に存在感が希薄なので、教員に相談することさえ出来ないかも知れない。
学校を休んでも、その不在にクラスメイトは気付かないかも知れない――その位に彼の存在感が希薄だ。
これは体質というか呪いのようなものであり、今では彼も何とか折り合いをつけているが、昔はナチュラルに無視されてしまうという現象に随分心を傷つけられたものだ。
(それも今は昔……。聖凪の結界内では、この体質も緩和されるみたいだ、ありがたいことに。
まあ、魔法使いが影に潜む怪異の存在を見過ごしてちゃ話にならないからね。非日常への認識力を底上げしてるんだろうか)
聖凪の結界内では、そういった呪いも幾分か緩和されるため、クラスメイトは普通に接してくれる(それでも余人より存在感が希薄なのは仕方ないが)。
そのこともあり、まだ学校に通い始めて間もないが、影沼は聖凪のことが、そしてクラスメイトたちのことが好きだ。
まともな友人ができるのは、初めてかも知れない。影沼は心を弾ませる。こういうのも高校デビューというのだろうか。
(高校を退学になる訳にはいかない……。隠すべきか隠さざるべきか、それが問題だ)
弾んだ心は、今後を思ってまた直ぐに消沈する。
隠すべきか、正直に打ち明けるべきか。
打ち明けるべきに決まっているのだが、自分がどうなるかわからないという不安が、それに拮抗し、葛藤させる。
(ひょっとしたら、退学になるかも……)
質が悪いことに、影沼はプレート無しでも魔法を使える。
プレートがバグったことを隠して魔法が使える。
実際、プレートを解析しようと試みた魔法は、自前で発動させたものだ。
バグったプレートに何処までの機能が生き残っていて、どの機能が死んでいるかわからないが、場合によっては誤魔化し続けることも出来るだろう。
そんな逃げ道があるから、影沼は切羽詰って追いつめられてはいない。
ますますもって、わざわざ教員に人見知りなのを押してまで報連相する必要がない。
まあ、誤魔化し続けることができない以上、さっさと今日中に担任に相談するのが良いだろう。
ひょっとしたら、過去にも同じような事例があって、それに対する対応マニュアルなんてのも存在するかも知れない。
でもバレないかも知れない、万分の一の確率くらいで。
さてどうしよう?
「はあ……」
陰鬱な溜息が漏れた。
自業自得である。こればかりは仕方ない。
軽く伸びをする。椅子の背もたれが軋む。
実家であれば、天井に住む家鳴(ヤナリ)と目が合うだろう。そして嬉々として莫迦にしてくるだろう、式神崩れの性悪妖怪(魔法生物)め。
「……取り敢えず、勉強しよう。プレートの術式も、表層部分のある程度は『影』に写せたし、じっくり解析しよう」
気分転換も兼ねて、影沼は勉強することにした。
結論の先延ばしでもある。
だが何であれ、勤勉は美徳だ。
影沼は、図書室の蔵書から解析の手がかりを見つけようと、聖凪が誇る本の森へと向かう。
あとでコンピュータールームに行って、電脳的な手段と組み合わせた解析も行う必要もあるだろう。魔法も便利だが、文明の利器だって便利だ。有効利用しなくては。
それで自宅のPCへとデータを転送できれば万々歳なのだが、ひょっとしたら外部へのメールは検閲されているかも知れない。魔法に関する情報を流出させないように。
(ああ~、どうしよう……)
取り敢えず、図書室中をひっくり返してでも何か情報を探して、自宅の秘伝書も読み返して――それでもどうしようもなければ、電話で叔父にでも相談しよう。
混乱と焦りと葛藤で回らない頭を抱えて、影沼はそう決定した。
◆◇◆
翌日。結局、影沼次郎は意を決して担任に相談した――マジックプレートがバグったことを。
隠しておいても何も良いことがないからだ。
昨日自宅に帰ってから、魔法関係の職に就いている叔父にも相談したが、結局は『学校に素直に報告するのが一番』ということになった。あまり隠していて、悪質な行為だと判断されたら退学もありうる、とのこと。こういうのは誠意が大事だということらしい。
そして担任(魔法技術主任と兼任)から校長へとダイレクトで話が伝わり――。
「特例及び懲罰として、影沼次郎をエムゼロプレート保持者とします」
下された裁定は厳しい物。当然だろう。マジックプレートは聖凪の秘密の塊なのだから。
エムゼロプレートは、魔法が使えないプレート。紋様が消えた影沼のプレートは、一夜明けて別の紋様が浮かび上がっており、まさにエムゼロプレートになってしまっていた。それをそのまま使えということだ。
つまり影沼からマジックプレートの恩恵を剥奪するというものだった。
「エムゼロは真っ更のプレート、あらゆるマジックプレートの基礎にあるプレート、魔法をインストールできないプレート、そして魔法磁波を掻き消すことだけしか出来ないプレート。
これによりあなたは、他の生徒より一歩遅れをとることになります。
エムゼロであることは他の生徒にバレないように、影沼くん自身の魔法で補って下さい。その程度の力量はあると認めたからこその措置です。
素行が良好だと柊魔法技術主任が認めたなら、試験を経てプレートをランクアップさせることも許可しましょう」
「……はい」
かくして影沼は聖凪で二人目のエムゼロプレート保持者となった。
「入学直後の一年生にしてマジックプレートのファイアウォールに引っか掛かるほどの解析を行える術者、あなたのセンスと努力に期待していますよ?」
「……ご期待に応えられるよう、微力を尽くします」
◆◇◆
影沼が退室したあとの学校長室。
校長の花先音芽と魔法技術主任の柊賢二郎が残された。
「しかし二人目のエムゼロプレートですか。しかも同じクラスとは……」
「まあ、こういう事態は『稀によくある』と言いますし。それに流石に血の為せる業でしょうかね、影沼くんはかなりの魔力を持っているようです」
「ええ彼の叔父も優秀な男でしたからね。今は市井に紛れて魔法普及のために色々やっているそうですが」
「ああ柊先生は同期だったんでしたね」
影沼次郎の叔父は、どうやらそのスジでは有名らしい。
「私からアイツに連絡しておきましょう。『いい機会だから甥に影沼の秘術を叩きこんでやれ』と。何もマジックプレートと、この学校に蒐集された秘呪文だけが魔法の全てではないのですし」
「……そうですね。それにどうやら彼は未知への探求ということにおいて、並々ならぬ興味を抱いているようです」
「それだけの探究心があれば、近いうちにエムゼロプレートを使いこなしてしまうかも知れませんな。……そしてきっと、その潜在能力と魅力から離れられなくなる。今後、影沼が通常通りにプレートをランクアップさせることは無いかも知れません」
「プレートを用いた魔法は、汎用的であるがゆえに特化性に欠けますから……。影沼に伝わる秘術を使うだけなら、プレートはむしろ足かせにしかならないでしょう。聖凪の技術も、まだまだ改善の余地があります」
「そして、いずれは魔法技術者として影沼次郎を迎え、影沼の秘術を取り込み、さらに聖凪の魔法を洗練させる、と」
「まあ、そうなれば良いなと思っているだけです。後継の育成は、教育者の本懐ですから」
花先と柊がお互いの顔を見合わせて苦笑する。
「そうだ、九澄と影沼は、引き合わせますか? 同じエムゼロ同士ですが」
「今はそうは行きません。お互い特例同士……。今しばらくは、お互いの存在を伏せておきましょう……。特に九澄くんの方は、柊先生が加担してズルしてるわけですし、中々おおっぴらには出来ません」
「……そうですね」
「まあ事情をきっちり説明すれば、影沼くんは特に不満を覚えたりはしないでしょう、見た限りそういう人間性をしています。九澄くんも、同じような境遇の仲間が居たほうが良いでしょうし、適切な時期にネタバラシしましょうか」
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叶恭弘先生のエム×ゼロより、影沼主人公もの。
続ける予定だけれど、更新は不定期。
他のSSが詰まった時に書いてるし、そもそも需要が不明なので取り敢えず投下してみた次第。
2012.03.28 初投稿
マジックプレートは校外持ち出し不可だったので、描写を修正。かたな様、ご指摘ありがとうございました!
次は班分けの話とか、魔法の修行とかの予定。まったりと影沼くん視点の学校生活を描きたいと思います。影沼くんのプレートをエムゼロにしたのは、原作主人公の九澄と絡ませやすくするためです(実際絡むかどうか未定ですが)。まあ作者の都合ですね。
2012.03.29 修正
担任=学年主任=魔法技術主任だったので、描写を修正しました!
dyさま、ご指摘ありがとうございました。
2013.06.08 修正
2016.06.26 誤字修正