新米サマナーの朝は早い。
「良いかオスザル、貴様は一秒でも早く偉大なる我の霊格を取り戻さねばならんのだ」
ぐだぐだと偉そうな台詞をのたまう深緑色のヘドロを放置して、フライパンに生卵を落とす。
ついつい力が入りすぎたのか、落とした卵は卵黄が潰れてしまい、仕方なく目玉焼きの予定をぐしゃぐしゃと潰してスクランブルエッグへと変更する。
「いわゆる飯、デビルバスター、寝る、の三連コンボだ。風呂は週一で構わん。我は未だ嗅覚を失ったままだからな、気にする事は無いぞ。いやだが我が居城の清掃は毎日するように。よいな?」
そういえば冷蔵庫のウインナーが後二日で賞味期限切れであった事を思い出し、卵をかき混ぜていた菜箸の動きが止まる。しかし既に卵は熱々のフライパンの上にて半熟の様相を成し、今更ウインナーを焼き始めるのも嫌だなと眉を顰め、己の迷いを振り切る。
「む、そうだオスザル。我は本日パンの気分である。良きに計らえよ」
炊き上がりを知らせるためぴーぴー鳴いている小型の炊飯器に視線を向け、やはり朝は米だなとサマナーは一人満足気に頷いた。
先んじて火にかけておいた小鍋の中で味噌汁が沸騰している事実を確認すると、フライパンを炙る火元を消し、続いて味噌汁を熱湯に仕上げてしまったガスも止める。
「ほほう、出来たか。よしよし、では即刻その粗末な朝餉を我に献上せよ。ジャムは先日作った物があろう、我は知っているのだぞ。ささ、用意するのだ」
足元から発せられる雑音を意図的に意識から除外し、ちゃぶ台の前に座ると両手を合わせる。
いただきます。
聞き届ける人間は居なくとも、挨拶は大事だ。この新米サマナーはサマナーなどというヤクザな商売に手を出しているが根っこの部分はごく一般的な日本人であり、誰に叱られるわけでも無いというのに食前食後の挨拶を欠かさない男だった。
「おい」
スクランブルエッグ、味噌汁、白米。
侘しい食事である。食い合わせなど特に考えず、適当に用意しただけだとすぐに分かる。だが食事に手間をかけるほど時間が有り余っているわけでもない彼は、不味くなく、且つ腹が満たせればそれで良かった。
「我の朝餉」
スクランブルエッグと白米を口に放り込み、適当に噛み潰して味噌汁で飲み干す。お茶の用意を怠った事に今更気付くが、味噌汁があれば喉を潤せるから良いやと渇いた思考で熱々の味噌汁を胃に落とした。
ものの数分で空っぽの胃中を食物で軽く埋め立てると、立ち上がって食器の洗浄を始める。
「我の」
食器は今しがた使ったばかりなので洗えば汚れもすぐに落ちる。
水で食器用洗剤の泡を流して、後は自然乾燥に任せる。食器乾燥機なぞ男の一人暮らしには高い買い物なのでこれで良い。濡れた手をタオルで拭いて踵を返すと、脚がグリーンカラーの吐瀉物に当たりそうになったので緊急回避を行う。危うく足が汚れるところだったと息を吐いたところで、すすり泣く声が耳朶を打った。
「ごはん……」
視線を下げると、ゲロが泣いていた。
サマナーは不定形気味なヌメッとしたそいつの体表を流れる雫に目を留めると、悲しみからか眦を下げた。
――ああっ、また床が汚れる……っ!
彼の悲痛な本音に、緑のアレがついに噴火した。
「きさっ、貴様! この、この卑しいオスザルがっ! 偉大なる我になんたるっなんたる物言いかあッ!!」
深緑色の不定形生物、――悪魔『外道 スライム』が、緑や黄色の飛沫を飛ばしながら激昂した。
「そもそも我の朝餉はどうした! 何故貴様だけが食べるのだ! サマナー失格だぞ貴様! 貴様――!」
そして己の唯一の仲魔から叱られているサマナーは話が長くなりそうな気配を感じて服を脱ぎだす。今日は学校に行く予定なので遅刻しないように時計の確認も忘れない。
足元ではスライムが叫んでいるが、全て聞き流す。ただスライムの粘液で汚れた床の掃除を思うと憂鬱だった。
「聞いているのか貴様! コラー!」
マグネタイト勿体無いんだけどと考えながら、新米サマナーの朝が過ぎていく。
◇
おぞましい光景だった。
普段ろくに話もしないクラスメイトから渡された地下ライブのチケット。酷く熱心に誘われてしまい、溜息を吐きつつ興味など欠片も無い催しに足を運んでみれば、そこは関わり難い祭りの只中で。
男女が淫らに絡み合い、妙に鼻につく臭い香りの充満する地下密室。
即座に踵を返そうと思いつつも、そこは年頃の男児。ついつい視線を男女のまぐわいに捕らえられてしまい、それ故に機を逸してしまった。
白い蛇が居る。
気が付けば、ステージ中央に夕焼けよりも紅い鬣を頂く、巨大な白蛇が存在した。
いつ現れたのか分からない。幾重にもとぐろを重ね、哄笑を上げる見事な化け物を中心に多数の男女が睦み合う。誰も異常を叫ばない、まるで現実味の無い、異界に紛れ込んだかのような錯覚さえ覚える。
吐き気がした。がくがくと震える両脚は前へと進み、他の男と抱き合っていた女性が一人、彼へと目を向ける。
いざ栄えよと白蛇が笑い、励まねばと己の喉から雑音が零れた。
手を伸ばせば、視線を合わせる女性もまたこちらへと白い指先を差し向ける。
手を取り合う直前に、黒い影が視界を斬った。
一切飾り気の無い黒尽くめ。黒髪黒瞳、男装の黒一色に白刃だけが煌いていた。
日本刀なぞ初めて見た。それを片腕で振るう、美しい少女を初めて見た。
まるで生まれて初めて女を知った純真な少年のように、ただただその少女だけを見つめていた。
『何者ぞ! 貴様ァ! 偉大なる我をいかなる神格と心得るかっ!!』
刀を握らぬ左手に小さく光る携帯端末を握り、首から提げた管のようなアクセサリが音も無く揺れる。
怒号を上げる巨大な蛇の怪物を前に、細く乙女の声が、広がった。
「――帝都守護役」
名前を聞かなければ。
彼女の名前を聞かなければ。
暗く濁り始める視界で、少女である事を思わせる長く美しい黒髪が味気無い人工灯の下で尚、男の目を惹き付ける。
黒髪の先を括る黒色のリボンに目を留めて、必死に保とうとした意識が閉じていく。
「葛葉ライドウ」
確かに聞いたような。もしかすると聞き取れなかったかのような。
曖昧な感覚を共にして、五感全てが泡のように消えていく。
彼女の名前を聞きたかった。
他意の無いただ純粋な欲求だけは消せないまま、ただの人間の意識が閉ざされた。
無論、これはただの夢だ。
彼がサマナーという肩書きを得る、およそ半日ほど前に起こった筈の現実。世界の裏側を守る者達によって綺麗に隠蔽された己の記憶を、それでも忘れたくないと願う無意識が掘り当てた、目が覚めればまた消えてしまう泡沫の夢想。
今ある世界が終わるまで残り一ヶ月。
忘れてしまった黒い少女への感情を眠らせたまま、一人の新米サマナーが愚者の産声を上げた。
それを知る者はまだ、誰も居ない。
■
メガテンねた。
本当はサバト経験から無意識の狭間でフィレモンと遭遇、自分の名前は言えないけどライドウの名前は言えた、からのペルソナものだったけど外道スライムが目に付いたのでサマナーねた。
続かないです。