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「ん……ここはどこだろうか」
それが私が目覚めて最初に思ったことだった。
気がつくとなにか袋のなかにいるような感覚だ。いや、袋のなかと言うと語弊がありそうな感じなんだが、そこは適度に暖かくそれでいて柔らかく居るとなんとも落ち着く幼少の頃の母の膝の上のような感じである。
ここがどこなのか気にはなったが特に害するものもなさそうだったので調べる事は放置して置いた。単に面倒だったということもある。
偶に壁の向こうから体を押されるので押し返すなどをして暇をつぶしていると、いきなり体が引っ張られるような感覚を感じた。そこから出たくない私はうまく動かない体で懸命に抵抗をした。
しかしその甲斐もなくあっけなく頭が出てしまった。そこからはあっというまに全身が出てくることになり、私は現状の確認を始めたのだがそこである事実に気がつく。
これではまるで出産ではないかと思ったときに今までの謎が氷解した。
いままでなるべく思い返さないようにしていたが、私はあの日に交通事故にあっている。その日は妻がそろそろ出産予定日なのでそわそわしながら仕事していたんだが、昼過ぎに妻から陣痛が始まったと電話があり病院に向かって急いでいた。
さいわい病院は会社から近かったので走っていくことにした。タクシーだとこの感動を抑えきれなさそうだったからの選択だったのだが、興奮はそれでも収まることはなく信号が赤だというのに道路に飛び出してしまった。そこに運悪くトラックが向かってきていてそれに私は轢かれしまった。
そこまで思い返しもしやこれはいわゆる転生ではないかという思いを持った。確かに赤ん坊からやり直すことになりそうだがそれでは記憶があることへの理由がつかない。
私がそのように物思いにふけっているときも、体は酸素を求めて泣いているし周りの大人は母親の頑張りを褒め、無事生まれて抱かれている赤ん坊を見つめている。
そのことに気づいた私はひとまずその考えを放棄してこれからの生活に思いを馳せることにした。
このようなことは結論のでるようなことではないし、生まれてしまったからには一から人生を始めるつもりだ。これでも一児の父親になるところだったのだから両親の気持ちも分かるつもりなので、普通の子供として生きていく。
そんな決意をした私の耳に父親らしき人の話し声が聞こえてきて、それによるとどうやら私は女の子らしい。
まぁやり直すには丁度いいともいえるので気にしてはいない。
唯一つの心残りなのは子供を産んですぐにシングルマザーにしてしまった元妻のことだ。彼女の実家がそれなりに裕福なのと私の保険金でお金は大丈夫だろうが、心配なのは一人で子育てをさせてしまうことだ。
あまり精神的に強い人ではないので、夫が亡くなってすぐに子育てに専念できるのか疑問に思ってしまう。
気にしても仕方のないことではあるのだがやはり気になるので成長したら調べてみることにする。それまでは赤ん坊の生活を楽しんでいこうと思ったところで、眠くなったので寝ることにした。
起きると新生児室のなかで横になっていた。特にすることもないのでまた眠ろうかと思っていると看護師がきて連れていかれることになった。
どうやらこれから授乳の時間になるらしいんだが、正直一から生きていく決心をしたとはいえさすがに気恥かしいものがある。
これから毎日のように経験することになるのだから早めに慣れたほうがいいのだが、今すぐというのは無理で照れながらもなんとか授乳は終わった。
嬉しそうに私を抱いている母親を見ていると自分の子供のことを思い出すのと同時に良心が痛んだ。この親も私のような混ざりものよりも純粋な子供のほうが良かっただろうから。
いくら自分の意思ではないとはいえ、このような事態になってしまった責任は私にあると思っている。人によっては生真面目だと思われるかもしれないが両親には私のできる限りの最高の恩返しをしていきたい。
それが私にできる唯一つのことだと思うから。
さてなんだか色々考え込んでいると疲れたので再び寝ることにした。私は母親の笑顔を見ながら眠りについた。
side 母親
「ふふふ……また眠ったようね」
再び夢の世界に入っていた娘を眺めながら私は夫と相談していたことを思い出していた。
子供の性別を知るのは出産してからの楽しみと思っていた私たち夫婦は、子供の名前を男の子用と女の子用の二つ考えていた。生まれたのは女の子だったので名前は蜜柑にした。
単に妊娠中に蜜柑が食べることが多かったというだけの理由だが、二月生まれのこの子にはいい名前だと思う。蜜柑を嫌いなひとはあまりいないだろうからそんな風に皆に好かれるような大人に育って欲しいものだ。
しかしあそこの子供と同じ学年になるのか。仲良くして欲しいものだがこればかりは本人たちの問題でもあるのでどうしようもない。
母親の先輩として色々聞かせてもらってなにか手伝えることがあれば手伝おう。あの家の事情はとても人事とは思えないから。
そこからは毎日あまり変わり映えのない日々が続いていた。変わったことといえば親戚の人たちに会った事と名前が決まったくらいで後は同じサイクルで生活している。
名前は白柳 蜜柑になったらしい。母親は白柳 美樹で父親は白柳 昴だという。両親ともにそれなりに美男美女だ。
そしてついに病院を退院する日が来た。
父親が車で迎えにきてそれに家まで向かった。私は助手席に座っている母親に抱かれている。
眠くなりウトウトと船を漕いでいると車が止まり、エンジン音がしなくなる。
私は眠かったのでそのまま起きずに寝ていることにした。母親がそのまま部屋のベビーベッドに運んでくれた。
その後の生活も特に病院と変わり映えすることもなく平凡に過ぎていったんだが、ある日それを覆すような事が起こった。
その時の私は夜泣きが始まり自分ではあまり意識して止められないので申し訳なく思っていたんだが、母親は誰かにその事を相談しているようだったのでそれで止まってくれるならありがたいなと思い見ていたが、そのことで連絡を受けて来た人物が問題だった。
それは元妻だった。私は見た瞬間に叫んでしまった。さいわい赤ん坊なので元気なんだねくらいにしか思われなかったので良かった。
しかしよくよく話しを聞いていると前の人生での自宅のマンションの一階上らしい。普段通り過ぎるときには似ていると思っていたがまさか全く同じマンションだとは思っていなかった。
確かに前はよく性格が抜けていると言われていたがそれがこの人生でも付きまとってくることになるのか。まぁ考えていても仕方ない。
しかしまさかこんなに近くにいるとは予想外だったが助かった。これならいつでも様子を知ることができるからだ。
元妻は疲れていそうだったが元気はあったので少しは安心した。
なんでも私より10ヵ月程度年上の息子がいて、その子の夜泣きの時の事を聞いているようだ。
そうか。無事息子が生れてくれたのかと私は感動していた。
その後話し終えた元妻は帰っていった。帰り際の話しではこれからもちょくちょく遊びにくるとのことだった。
その事に満足した私はこれからの元妻の家庭の幸せを願いながら眠りについた。