August 11, 2007

「像」としての人間(3)

二重創造説の流れを簡単に眺めた後の今回は、その後代における射程ということを考えてみる。二重創造説とは、創世記の冒頭にある人間創造の描写が二つに分かれていることを二段階の創造と読む、一種の「誤読」の系譜である。それを支え、かつまたそこに貫かれているのは、当然ながら身体と魂との二元論にほかならない。けれども、二重創造説でとりわけ問題になっているのは、魂の先行性というテーマだ。先に創造されたのは魂だという論点である。先行性はまた完全性とも関係している。先行するもののほうが、後に続くものよりいっそう完全であるという考え方だ。これはプラトン主義の基本的な立場だが、二重創造説もこの図式を蹈襲している。なにしろそこでは、魂は神の似姿として創造され、身体は土塊から創られたとされるのだから。こうして身体と魂は、一方は卑俗、一方は高貴と見なされ、以後、卑俗的な身体的なものは考察対象からも排除され、あらゆる表現を禁じられるようになる。

その意味で、魂の先行性は偶像禁止論ともつながっている。偶像禁止論はもちろん神的な事象の図像化・形象化を禁じる立場だが、そこには感覚に訴えるものの排斥があり、つまりは身体的なものの排除が関連しているように思われる。すなわちその上流にはこのような魂の先行性の議論、二重創造説の議論が控えているのではないか、ということだ。もっとも、ここでは魂の先行性から偶像禁止論が導かれる、といった過程そのものを検証しようというのではなく、言うまでもなく、あくまで研究ノートとして大まかな方向性、糸口をまとめるにすぎない。今回は魂の先行性(上位性)と像の禁忌という問題について、イスラム教、ユダヤ教世界、そして東方キリスト教を、それぞれの中世を代表する思想的な動きを一つづつ取り上げ眺めていくことにする。


◇アヴィセンナ:分離する魂と身体

まずはイスラム世界を見、心身を分離する考え方の深化について確認しておこう。イスラム世界においては9世紀以降、いわゆるアリストテレス思想などを継承する形でイスラム哲学が勃興していくが、そこに見られたのはまぎれまもない二元論的なスタンスの維持・強化だった。ここではイスラム哲学の一つの到達点とされる12世紀のアヴィセンナ(イブン・シーナー)を取り上げて、そうした二元論的立場がどう強化されているのかを見る。

身体と魂との間に、それまで以上に大きな溝が穿たれる一例として、アヴィセンナのいう「空中人間」の比喩が挙げられる。「空中人間」の比喩は、『治癒の書』の一部「魂について」に見られる一種の思考実験だ。自己の肯定という観点から、デカルトの自省する自己の先駆をなすとして引き合いに出されることが多いこの比喩だが、実際のテキスト(『治癒の書』内の「霊魂論」)で力点が置かれるのは、むしろ魂の存在と本質を証すことにある。論集『デカルトと中世』所収のアメド・ハスナーウィによる論考(Ahmad Hasnawi 'La conscience de soi chez Avicenna et Descartes' in "Decartes et le Moyen Age", édit. J. Biard, R. Rashed, Vrin, 1997)から、「空中人間」のくだりの部分を紹介しておくと、それはこういう話だ。魂が一挙に、しかも完全なもの(それ自体で完結したもの)として創造されたと想像してみる。外部の事物を見る視覚もなく、完全な無の中で想像され、感覚も遮断され、四肢からも切り離されているので触知などもできないと想像してみる。その上でなお、おのれが存在しているかどうかを精査してみるならば、あらゆる形状や尺度を伴わずとも、おのれが存在していることは間違いなく確証・認識できるにちがいない、と想像できる。同時に、自己認識できるものとしての魂は、おのれが身体とは別物だということも認識しえるだろう……。

「空中人間」はあくまで想像上の実験で、論証的な議論ではない。けれども、そこに創造の話が絡められている点は十分に示唆的かもしれない。ここでのアヴィセンナは、魂の創造が「一挙に、完全なものとして」なされたことを前提として想像をめぐらすよう読者を促している。いわば魂の創造の現場を人間の側から想像してみようというのだ。そして最終的には、魂が身体とは別ものであることが結論づけられている。結果的にこれは、「魂の創造が身体の創造とは別になされる」という二重説を想起させ、それを正当づけているようにも取れるのである。もちろん、一義的にここで示されているのはあくまで心身二元論的な立場への明言であって、創造に関するアヴィセンナの時論ではない。けれども、魂と身体との前後関係(魂の先行性)については別のテキストにも示唆を見いだすことができる。たとえば『治癒の書』の別パートをなす『形而上学』("Metafisica", trad. Olga Lizzini, Bompiani, 2002)である。その第二論考第四部は質料形相論を扱った箇所だが、ここで、存在においては形相が質料に先行するという話が展開する。

アヴィセンナはそこで、身体(物体)的質料は形相という本質なしには存在しえないとし、両者の結びつきを強調しつつ、その一方で、両者の関係性とは原因と結果の関係であると述べている(同、p.184)。当然ながら、形相の側が原因をなし、質料はそれを受容する側ということになる。アヴィセンナは両者が同時に存在に置かれていることを強調しはするのだが(pp.188-196)、質料をおのれの媒介物にとどめるという意味で、形相の成立は質料に先行するとも述べているのだ(p.198)。形相が魂に、質料が身体に対応することは文脈的にも明らかである。ロバート・ウィスノヴスキーが『ケンブリッジ・アラビア哲学必携』に寄せた概説(Robert Wisnovsky,'Avicenna and the Avicennian Traditon' in "The Cambridge Companion to Arabic Philosophy", Cambridge University Press, 2005)によれば、魂と身体を原因と結果の関係と解釈する立場は、アヴィセンナにはるかに先行するアンモニオス派(新プラトン学派の開祖といわれるアレクサンドリア出身のアンモニオスは、とりわけプロティノスの師として知られる人物だ)にまで遡ることができるという。アンモニオス派によるアリストテレス解釈の伝統に、魂と身体を原因と結果の関係から読み解こうとする動きが顕著だったという。心身の関係を現実態と可能態の関係と見る代わりに、彼らは魂が身体の原因であると考え、形相因のみならず、作用因、さらには目的因とまで解釈するようになったという(同、p.100)。

アフロディシアスのアレクサンドロスやテミスティオスの解釈を受け継ぎ、それを独自に発展させたものだというそうした立場は、さらに後にアラブ世界へと引き継がれる。原因論・発出論(第一原因を頂点とする新プラトン主義的な神学体系)の超越論的な考え方が色濃く投影され、かくして魂は身体が滅した後も存続すると解釈されるようにすらなっていく。ウィスノヴィスキーによれば、アヴィセンナは身体と魂とが同時に存在に置かれているとしつつも、その一方で身体の死後も魂は存続するという考えを示し、アリストテレス(「魂は身体の完成態(エンテレケイア)である」)とプラトン(「魂は身体に先だって存在する」という立場)の折衷的な立場を取っている、という。アヴィセンナの空中人間の想定は、そうした伝統に根ざした上での独自の議論なのだという(同, p.102)。

アフロディシアスのアレクサンドロスやテミスティオスといった初期注解者については、ジャン=フランソワ・クルティーヌが興味深い指摘をしている。『類比の発明』(Jean-François Courtine, "Inventio analogie - Métaphysique et ontothéologie", Vrin. 2005)においてクルティーヌは、アリストテレスの初期注解者たちがいかにアリストテレスの文面をプラトン主義的に屈折させていくかを、いくつかの具体的な問題に即して論じている。その分析の一つに、アリストテレスにおいては自然学の「後に」(meta)位置づけられるものだった形而上学が、いかにして神学的な優位性をもつに至ったかという問いがある(同、p.127)。初期注解者たちが行った操作というのは、学問的な前後関係に「階級」(τάξις)の考え方を当てはめ、優劣関係によって前後関係を逆転させることだった。起源(要するに神である)を探る学知こそが最上位に位置するというプラトン主義的発想は、こうして形而上学を自然学の上位に据えることになるのだという(同、p.135)。

同じような発想は、アヴィセンナにおける形相と質料、魂と身体の議論にも間違いなく通底しているようだ。身体に対する魂の先行性は、そのまま後者の優位性・重要性へと変換されるようなのである。かくして身体は蔑まれ、魂ばかりが賞揚される。アヴィセンナの著書『指示と警告の書』のA.-M. ゴアションによる仏訳("Livre des directives et remarques", trad par A.-M. Goichon, Vrin, 1951-99, p.328.)より、たとえば認識・知性の問題を挙げておこう。アヴィセンナにおいて、魂において「知解可能な形相の刻印を受けるもの」は、「なにがしかの非物体的なもの、しかるに身体にあるのではないもの」なのである(。一方の感覚的な刻印(印象)を受けるのは、あくまで身体の中にあるものだ。後者は感覚器官を通した想像的な刻印であるのに対し、前者は「われわれの実体の外部にあるもの」なのであり、「そこには知解可能な形相そのものがある」とされるのである(同、p.330.)。

ここでは深入りしないが、能動知性の分離というこれまた有名なアヴィセンナのテーゼも、もとをただせばこうした魂の先行性・優位性から派生したものと捉えてもよさそうだ。心身の絶対的分割ゆえに認識対象が区別された(感覚的認識と知解のそれぞれの対象に)のと同様に、認識する機能そのものも分割されていき、これにコスモロジー的な分離(天上世界と月下世界)が重ねられることによって、能動知性(天上的)と受動知性(地上的)の分割が完成するという図式である。いずれにしても、こうした思考の枠組みの中では、すべては知性の支配、知解対象への指向へと収斂していくのであって、感覚的与件や感覚的認識対象が考慮される余地はほとんど残されていない。そうした感覚的与件の再考の芽はおそらく、やはり「受肉の思想」を擁するキリスト教世界にこそ探らなくてはならないのだろう。


◇マイモニデス:像の排除

感覚的与件は単に考察されないだけだが、これが神的なものを表す偶像だったりすると、思考からの排除を超えて禁忌にまでいたる。その例をユダヤ世界に見よう。上で示したような心身の分断の考え方が、偶像禁止の議論を下支えしているような事例である。具体的には、コルドバ出身で後にエジプトで活躍した12世紀のラビ、マイモニデス(モシェー・ベン・マイモン)である。

その代表的著作『迷える者への道案内』は、マイモニデスが晩年になって弟子ヨセフのために記したもので、ユダヤ教教義についての哲学的見解をまとめている。「宗教に対する懐疑に光を当てる啓蒙書であること、大衆の悟性から遠ざけられている秘め隠された教えの真の意味を究明する書物」として構想され(A.J.ヘッシェル『マイモニデス伝』、森泉弘次訳、教文館、p.241)、弟子ヨセフのような修行を積んだユダヤ教徒を形而上学へと導くことがその目的だったという(同、p.246)。それゆえ重要なテーマとなるのは、純粋な存在としての神の認識であり、そのために、まずもって当時流布していたらしい神人同型論的な神のイメージを払拭するところからその著書は始まる。

ここではサロモン・ムンクによる仏訳("Le Guide des égarés", trad. Salomon Munk, Verdier, 1979)で第一部の冒頭部分を見ておく。マイモニデスは書き出しから、「像(tcelem)」と「形象(toar)」の違いについて述べている。一般大衆が抱く神人同型論(神が人間の姿をしているという通俗的信仰)が取り上げられ、その通念のせいで神は身体をもつものと認識されてしまっていること、その身体性を否定すればそのまま神の否定につながると考えられていることなどが指摘される。マイモニデスはこれを誤りとして斥ける。「身体性[神の]を排し、真の一性を確立するために述べるべきこと、そうした論証をあなたは本書によって知るだろう」。

マイモニデスは第1章で創世記の人間創造の場面を引く。俗人的な聖書理解にあっては、「われわれの像に似せて」の部分の「像」は、姿・形や輪郭などを表すヘブライ語のtoar(תאר)にすぎず、それに対して神について聖書で言われるところのtcelem(צלם)は、事物の実体を構成する形相、事物がそのものであるための拠り所を意味する、としている。つまり、前者がうわべだけをなぞったものであるのに対し、後者は形成の原理そのものと解することができるのだ。マイモニデスは、同じくtcelemが出てくる別の聖書のテキスト(サムエル記、6-5)を引いてその意味を確認したのち、創世記の人間創造の場面で言われている像とは、「特定の形相のこと、すなわち知解(の能力)のことなのであって、形象や輪郭なのではない」としている。さらに、似姿を意味する単語(דמות)についても、旧約聖書のいくつかの箇所の解釈をもとに、それが形象や輪郭にではなく、なんらかの理念に関係した意味での「似姿」なのだと説く。マイモニデスは、人間が月下世界の他の存在から区別される最たる特徴はその知解の能力にあるとし、以上の議論をふまえた上で、「神の像に似せて」という部分を天上世界の神に身体性があるなどと解するのは、まったくの誤りだと強調してみせる。

その後も字句の説明が細かく織りなされていくのだが、26章にきて、トーラー(モーセ五書)の語り口が問題にされる。つまり、聖典が人間の言葉で書かれているという点である。なぜそうなっているのかといえば、「まずは一般人が理解できることが神に適用される」からであり、「そのために神は身体性を示す語句で形容されて、その存在が示される」のである。神に身体性を付与するのは、俗人が理解できるようにするためだというわけだ。マイモニデスはこれに対して、そうした形容語句を一つづつ適切ではないものとしてはぎ取っていく。31章で述べているように、人間の知性には、その本質からして把握できない存在、接近できない存在というものがあるからである。神とはそのようなものだ、というわけだ。こうしてマイモニデスは、否定神学的・形而上学的な道へと読み手を誘っていく。

同書の第一部で一貫して問題になっているのは、神にまつわる言語表現の再検討だ。このあたりの事情を、ハルバータル&マガリート『偶像崇拝--その禁止のメカニズム』(大平章訳、法政大学出版局)は、次のようにまとめている。「ある表現の比喩的な使用例を、それが即座に隠喩であることが判明するところで挙げることによって、それが比喩的であることを示し、かくして、その表現が神を指すために使われているときにも、隠喩的であることを証明する」(同、p.76)。マイモニデスからすれば、図像などは言うにおよばず、聖典の言語においてすら、それを言葉通りに受け止めるなら、神に属性を付すという点で誤りを犯すことになるのである。図像的な誤りの構図を、言語においても繰り返して示すことで、マイモニデスは偶像の否認を徹底化しているのである。上で見たように、その根底には、神の属性を人間は捉えきれないという一種の諦念がある。とはいえ、知性による否定神学的な神の理解へといたることは可能であるとされる。なぜなら、似姿としての人間は、属性に縛られない部分、つまり身体性に拠るところのない知解能力そのものとして描かれるからである。けれどもそう言ってしまうと、またしても身体・肉体を考える余地はほとんど残されていないかのようだ。

このことを示している別のテキスト、『八章の論』にも少しだけ触れておこう(前掲の仏訳本に併録されている)。そこではまず魂の機能の区分が示され、栄養摂取機能、感覚機能、想像的機能、指向的機能、知的機能の5つに分けられる。その一方で魂そのものは一つであるとされ、それは質料のようなものだと言われる。形相に相当するのは知性だという。知性なくして、魂の存在は正しいものとはならない、とマイモニデスは言う(一章)。その後は、魂の諸機能の逸脱、病、治癒、目的への機能の集中、徳と性向、神を取り巻くベールの意味などの話が続く。総じて問題とされているのは魂の視点から見た人間論であり、その核心部分を担っているのはあくまで知性および知的機能なのだ。

マイモニデスの思想的背景の一端には、やはりアラブ世界に入り込んだアリストテレス思想がある。ハーバート・A・デーヴィッドソンの『モーゼス・マイモニデス--人と作品』("Moses Maimonides, the man and his works", Oxford University Press, 2005)によれば、アラビア語で書かれた(ヘブライ文字表記だが)『迷える者への道案内』をヘブライ語に訳そうとしていた弟子の一人、サムエル・イブン・ティボンに対して、マイモニデスは書状でこうアドバイスしているという。「アリストテレスの書物は彼らの解釈、つまりアレクサンドロス(アフロディシアスの)、テミスティオス、アヴェロエスの解釈でのみ読むこと」(同、p.108)。アレクサンドロスやテミスティオスは先に初期注解者たちと称した著者たちであるし、アヴェロエスはマイモニデスと親交のあった同時代のイベリア半島のイスラム系思想家である。いずれも、『迷える者への道案内』には明示的な形での引用は一部を除きほとんどないというが、アレクサンドロスについては2度ほど名前も出しているほか、多少の引用箇所が散見されるという(同、p.110)。

引用されているアレクサンドロスの著書は『世界について』というテキストなのだが、これについては、著者の特定は完全にはできていないようである。マイモニデスはあくまでアラブの文献的伝統に則ってアレクサンドロスの名を引き合いに出しているらしい。また、アレクサンドロスやテミスティオスのテキストは、そもそも基本的には新プラトン主義とやや一線を画しているという見方もある。シュレーダー&トッド訳・編の『知性に関する2大ギリシア語アリストテレス注解者』(F.-M. Schroeder & R.-B. Todd, "Two Greek Aristotelian Commentators on the Intellect", Pontifical Institute of Mediaeval Studies, 1990)の序文によれば、アレクサンドロスは人間知性を内在的・超越的形相の並置の「場」と考えていること(同、p.18)、またテミスティオスは能動知性すらが魂の中にあるとしていること(同、p.37)などの点において、新プラトン主義と完全には重なり合わないのだという。

ということは、マイモニデスが受容していたアリストテレス思想は、アヴィセンナに引き継がれているものほど新プラトン主義的な立場(形而上学的な発出論など)の影響下にはなく、プラトン主義的屈折がやや薄まっている(あるいは、それほど強くない)と見ることができるようなのだ。しかしながら、心身二元論の構図や、とりわけ魂を上位に置く考え方そのものは明らかに継承されていると言えそうであり、否定神学的な立場において強調される人間知性の限界性、またそれと表裏一体をなす神の属性の排除、さらにそこから演繹される似姿としての人間の本質(すなわち知解能力)などには、神の属性表現ばかりか、人間の他の属性的部分、つまりは身体性などの考慮を排除してしまう構図が、確固たるものとして控えているように思われる。


◇東方キリスト教:偶像擁護論

人間のもつ身体性の認識にいたるには、どうやら次のような条件が必要になりそうだ。つまり、人間の出自と仮構される神的な部分の属性を、否定神学的ではない形で捉えることを許容する立場である。キリスト教の伝統の一部は、まさにそうした思考実験を行っているようにも見える。ここで私たちは、ギリシア世界へと目を転じることにしよう。以前、ダマスクスのヨアンネスによる偶像擁護論を少しだけ見たが、今度はその後の9世紀の偶像擁護論を参照したい。9世紀になって偶像破壊論は再燃し、再び学僧たちの間から偶像の擁護論が発せられるようになるのだが、その中の代表的人物にニケフォロスがいた。ニケフォロスは758年ごろにコンスタンティノポリスに生まれたとされる人物だが、この人物がとりわけ興味深いのは、その偶像擁護論においてやはりアリストテレスの議論を援用していることだ。とはいえ、そのアリストテレス受容は、上のイスラム世界、ユダヤ世界のものとは大きく違っていたようだ。ここではマリー=ジョゼ・モンザンの議論を紹介しておく。モンザンはその著『イメージ、イコン、エコノミー--現代的想像世界のビザンチン起源』(Marie-José Mondzain, "Image, icône, Économie - les sources byzantines de l'imaginaire contemporain", Seuil, 1996)において、ニケフォロスの中心的議論のポイントをまとめている。

まずモンザンによれば、偶像破壊論を前にした擁護派は、自分たちに突きつけられた受肉をめぐる二重の問いに対する答えを構築しなければならなかったという。その問いとは、「自然において不可視のものの像がいかにして肉体を宿すことができたのか、われわれの可視的な像(偶像)の肉体はいかにしてその不可視のものの像へと導きうるのか」というものだった。ここで擁護派が援用したのがアリストテレスだった。しかしその援用は苦しい選択でもあったという(同、p.100)。それはこういうことである。ニケフォロスの場合も、アリストテレスについての知識は注解書を介した二次的なものであったといい、また、そこでとりわけ使われたのはいわゆる「オルガノン」であり、議論の運びや発話の論理の形式的鍛錬が問題であって、上のイスラム世界、ユダヤ世界での形而上学の受容とは一線を画していたものだったらしい(同、p.101)。一方、そうした「オルガノン」の援用の背景には、切迫する偶像破壊論の台頭の中で、敵側の論理武装がすでに一定の水準を備えていたことが挙げられるのではないかとモンザンは指摘する(p.102)。擁護派の論理武装はどこかにわか仕込み的だったのかもしれない。

そのことは、あるいは像をめぐる中心的議論の一つに見て取れるかもしれない。たとえば像とモデルとの「同質性」をめぐる議論が挙げられる。ニケフォロスはみずからの著書『反駁』(モンザンによる仏訳がある:"Discours contre les iconoclastes", trad. M.-J. Mondzain, Klincksieck, 1989)において、「像とモデルは同質性(consubstantialité)の関係を取り結ぶ」という反対派の議論への反論を述べている。同質性の関係とはどういうものか。人工的に作られる像は、自然を模倣するものとはいえ、その自然との同一物ではない。けれどもその場合の像は、自然に存在する事物の可視的な形象をモデル・原型として、それに類似する対象物を引き出したものなのであり、かくしてそれは元のモデルと比較するに値するものとなる。もちろん両者は異なるものではあるのだが、そうしてできたモデルと像は、同じ定義を共有し、その限りにおいて両者は「同質性」の関係をもつということになる。ゆえに偶像破壊論者は、偶像とモデルの崇拝における取り違えを理論づけ、批判できるわけだ。この議論に対してニケフォロスは、人間をモデルとする場合の事例を出して反論する。人間は魂と身体から構成されつつ、その一方で統一性を保つものであり、その要素のそれぞれに定義が与えられるのであり、しかもその統一体には差異と偶有性が絡んでくる。ニケフォロスはそのように述べた上で、そのような人間をモデルとする像にあっては、もとの人間を構成するそれぞれの定義をすべて共有することはありえない、と論駁するのである。もしすべての定義を共有するのであれば、モデルと像との区別そのものがなくなってしまう、というわけだ(225B〜228B)。

ニケフォロスが反論を加えている偶像破壊論側が標榜するのは、モデルを本質に還元し、知的な理解対象として見た上で、ひるがえってそのモデルに由来する像をも知的対象と捉え、両者を「同質」と見なす立場である。両者が同質とされるのは、あくまで抽象化物、「本質」をめぐる定義としてなのだ。このような抽象作用は、先に見たように、心身二元論から導かれた知的機能を重視する立場をまさに代表するものだ。対するニケフォロスの批判は、モデルと像の間の関係は定義の共有に還元できないという立場に拠っている。モンザンはこのことを、偶像破壊論側の「意味」をめぐる議論に対して、ニケフォロスは表象(指示対象を指す記号)をめぐる議論をぶつけている、というふうに解している。

モンザンによれば、ニケフォロスの議論の根底をなしているのは、三位一体の解釈そのものである。父と子(像)と聖霊(息吹)の間の関係は、「純粋に論理的な同一性でもなければ、同義的な関係でもない。なぜならその関係は、意味内容の一体性における表象の同等性を指してはおらず、また神の名において子が関係性に単に参与していることを指しているのでもないからだ。そこには意味そのものの複数的な一体性があり、そのことを基礎として、偶像は派生においてみずからの二重性を正当化するのである」(『イメージ、イコン、エコノミー』、pp.103-104)。つまりはこういうことだ。三位一体においては、位格のそれぞれが同じ意味内容を指し示すのではなく、ましてや位格の一つに他の二つが「参与」しているわけでもない。三位が示す意味内容そのものが三つの複数性を取りながらも一体としてあり、したがって位格のそれぞれは、他の位格との差異を保ち、それぞれ表象としての独立性を保っているのである。したがって、父と子の関係は、意味内容としての複数性(「父」と「子」)をもったままに統一されてあり、父と子はそれぞれが表象として「父」と「子」を指し示すのである。かくして父と子のそれぞれの位格は正当化される。

このことはそのままモデルと像にも敷衍される。続く箇所でモンザンはこう述べている。「自然の像のレベル、あるいは人工的な像のレベルにとどまるならば、像を支えるのは意味をめぐる思考であって、表象ではない。同質性の関係という原理的モデルは、恒久的に像を意味のあやと見なし、意味作用から切り離された指示的な記号とは見なさないのだ」(同、p.104)。教父たちが「シンボル」と呼ぶのは、まさにそうした意味をめぐる思考でしかない。それに対してニケフォロスが「シンボル」と称するのは、意味の「あや」、すなわち内在性の形象的な具現(=受肉)のことなのだという。

こう言ってもよいかもしれない。ニケフォロスが救いだそうとしているのはそうした形象、つまり、感覚的与件そのものにほかならない。それは、マイモニデスが神への言及における言葉のあやを属性として解釈し斥けるのと、ちょうど正反対の立場である。また、アヴィセンナが思考実験として考える感覚的なものの排除に対しても、側面的に対立する立場である。上に見たような、擁護派に突きつけられた二重の問い、つまり「自然において不可視のものの像がいかにして肉体を宿すことができたのか、われわれの可視的な像(偶像)の肉体はいかにしてその不可視のものの像へと導きうるのか」との問いに、ニケフォロスは意味そのものから分離した指示記号としての像を独立させることによって答えようとしている。不可視のものの像は指示記号として成立しうるし、それが意味内容を指し示すがゆえに、その像は人を不可視のものへと導くことができる、というわけである。そしてその像は、形象の衣を捨象せずともよい。偶像擁護論の一論点に示されるこのような図式は、まさに一つの転換点をなしていると捉えることができる。そしてその基底には三位一体論がある。このことは、転じて西欧中世の「像」をめぐる思想を考える上でも示唆的であるだろう。

***

以上、三つの世界の論者による心身または像に関する論をまとめてみた。三者ともアリストテレス思想を受容しているが、その受容の強度、あるいは姿勢は、それぞれ異なっている。プラトン主義的屈折を強く感じさせるアヴィセンナ、ややそうした屈折が弱まっているマイモニデス、そしてそういった屈折とはまったく無縁のニケフォロスと、まさに三者三様である。とりわけプラトン主義的屈折という部分が、以上の問題に大きく影響しているのは間違いない。それはアヴィセンナ思想を取り込んでいく西欧でも同じ事だが、ここで西欧の場合には、三位一体の思想との絡みでまた違った展開が準備されていくように見える。そんなわけで、上に長々と記してきた論点を一種の前奏として、今度は再び西欧世界へと戻って行かなくてはならない。西欧がいかに心身二元論的な思想圏を乗り越えていこうとするのかを(あるいは乗り越えていけないのかを)、次に追ってみることとする。
(続く)

Text:2007年6月〜8月

投稿者 Masaki : 12:21 AM