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100. 2光子吸収とダブルビームを使った回折限界を超える光学リソグラフィ

"Three-dimensional deep sub-diffraction optical beam lithography with 9 nm feature size"
Z. Gan, Y. Cao, R.A. Evans and M. Gu, Nature Commun., 4, 2061 (2013).

光学リソグラフィは現代の半導体産業やナノ構造体の制作を支える重要な技術であるが,微細化が進む今日では技術的な壁にぶち当たりつつある.と言うのも光が波である以上は回折限界により集光できるサイズには限界があり,現在用いられている光学系ではせいぜい波長の半分や1/4程度までしか光を絞れないためだ.このため現在の半導体素子の作成では回折限界を超えるような小さな構造を作るために液浸により開口数を上げたり,多重露光で重ね書きすることで重なった細かい部分のみを削り出したり,といった工夫が行われている.
今回の論文でデモンストレートされたのは,800 nmと非常に長波長な光を使いながらも,2光子吸収過程とダブルビームを利用することで最小寸法9 nm,線間隔52 nmの加工を可能にした,というものになる.

今回の実験の肝は,二光子励起の利用とダブルビームである.まずは二光子励起から見ていこう.
二光子励起というのは,照射した光子を2つ同時に吸収することでようやく引き起こされる励起である.例えば励起に5 eVのエネルギーが必要な分子があったとしよう.これは光でいえば約250 nmであるから,500 nmの光を当てても通常は励起することは出来ない.ところが非常に強い(=光子密度の高い)500 nmの光を照射すると,分子が光子2個を一度にまとめて吸収し,それにより高い順位に励起されることが起こってくる.これが二光子励起である.通常の光吸収では光が2倍になると吸収確率は大雑把に2倍になる(=吸収が光の強さに比例する)のだが,二光子過程では同時に光子を二つ吸わないといけないため,大雑把には吸収率は光の強さの二乗に比例する.要するに,光がちょっと弱くなると吸収が極端に起こりにくくなるわけだ.
この二光子吸収で励起すると固まるような材料をレジストとして露光を行うと,非常に微細な加工を行う事が出来るようになる.レーザー光をレンズで絞ると,スポット中心の強度が強く,外に行くほど弱くなるビームが得られる.通常の光励起だと,この光強度分布とそっくりな確率でレジストの固化が起こる.ところが二光子吸収により固化が進むレジストだとレジストが固化する確率は光強度分布の二乗に比例するのだが,これはもともとの光強度分布そのものよりも減衰の早い曲線,つまり中心付近の細い部分だけで固化が起こることを意味するからだ.
著者らはまずこの二光子吸収で固化するレジストを使うことで,800 nmの光でのパターニングにより,42 nm程度の空中に浮いたナノワイヤを作成して見せた.これはレジストの塊に対しレーザーを集光し,その焦点部分だけが固化することで実現されている(焦点からずれた上下の位置ではレーザー強度が低下するため固化せず,そのため上下も削り出された宙に浮いたワイヤー構造が作成できる).このような三次元構造を作成できるのも光リソグラフィーの利点である.

次のポイントはダブルビームの利用だ.このダブルビームの手法は,20年ほど前に理論的に提唱され,7年ほど前に実証された光学顕微鏡での手法(STED顕微鏡)によく似ている.STED顕微鏡がどういうものかというと,細胞などの蛍光を,回折限界を超えて非常に細かい領域で見るための手法である.例えば細胞内に,「波長Aの光を当てると励起状態になって,少し後に蛍光を発する」けれども「励起状態に波長Bの光を当てると,別のパスを通って光を発せずにエネルギーを放出する」という分子があったとする(蛍光分子ではこういうものが多い).単に波長Aの光を当てて様子を見ようとしても,回折限界により大きなスポットが光るだけである.ところが波長Aの光を当てながら,そこに重なるようにドーナツ状に集光した波長Bの光を当てるとする.要するにこんな感じだ.

 |   波長B   |   |   波長B   |
 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓   ↓↓↓↓↓↓↓↓↓

           プラス

      |     波長A     |
      ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

波長Bだけがあたったところは何も起こらない.AとBが重なってあたったところは,Aで分子が励起され,しかし光る前にBで消光されるので光らない.Aのみがあたった部分だけが蛍光を発する.この結果,光る領域は下図の「Aだけが当たっている部分」になる.

 |Bだけ|A+B|Aだけ|A+B|Bだけ|
           |光る |

これはもともとの波長Aの光の集光領域よりも遙かに小さい.こういった手法で光学顕微鏡の限界を超える超解像を出す,というのがSTED顕微鏡なわけだ.

今回の論文で著者らは,これと非常によく似た設計を用いた.
まず,レジストは前述の通りの二光子吸収で固化する材料だ.二光子吸収で励起されるとラジカルを生じ,こいつが重合反応を起こすことで固化する.今度はここに,inhibitor(抑制剤)を混ぜる.このinhibitor,紫外光を照射すると励起状態となり,この状態ではラジカルを「食って」重合を止めてしまう.こうなれば後はSTED顕微鏡と同じである.800 nmの光だけが(強く)あたった領域では二光子励起が起こり重合してレジストが固化する.800 nmの光と,ドーナツ状の紫外光の両方があたった領域では,二光子励起により生じたラジカルを,紫外光で活性化されたinhibitorが食ってしまうことで重合が止まり固化しない.この結果,スポットの非常に小さな中心領域だけで固化が進み,微細な加工が可能となる.

著者らが実際に行った結果では,単に二光子励起だけだと42 nmの太さだったナノワイヤーも,このダブルビーム法を同時に適用する事で太さ9 nmにまで細くすることに成功している.単一のナノ構造のサイズだけでは無く二本のワイヤーを分離できる分解能(接近した二本のナノワイヤを,融合せずに分離したまま作成できる限界)でも,ワイヤー間距離52 nmを実現している.
さらに,前述の通り三次元構造を作れるのも光学リソグラフィーの特徴である.著者らは基板表面に厚くレジストを塗り,そこに斜めから光を照射することで,縦に2本並んだナノワイヤーなども削りだしている.この場合のワイヤー間距離は最小で80 nm程度を実現できたようだ.

二光子吸収の利用,ダブルビームによるさらなる微細化ともに,アイディア自体は以前からあったり研究も各所で進められているのだが,それを同時に実現できるようなうまい分子の選択・設計を行えた点がポイントとなる.
非常に利用しやすい長波長のレーザーを使ってこれだけ細かい構造が作れるようになると,利用の幅は結構ありそうだ.(2013.6.22)

 

99. 水はマントルの粘性にほとんど影響を与えない

"Small effect of water on upper-mantle rheology based on silicon self-diffusion coefficients"
H. Fei, M. Wiedenbeck, D. Yamazaki and T. Katsura, Nature, 498, 213-215 (2013).

地球表面に張り付いた薄っぺらい地殻を剥がすと,分厚いマントルの層が現れる.このマントル,固体ではあるものの非常に長い時間をかけて流動しており(例えば氷河を思い出せば,固体もゆっくり流れる事がわかるだろう),核近くの高温領域から表面近くの地殻まで熱や物質を運んだりして火山活動などに関わっていたり,この際の対流がプレートの運動を引き起こしていたりするため,地表地殻で起こる様々な現象(火山,地震等)との関連が深い.
この対流に大きな影響を与えるのがマントルの粘性である.粘性が変われば対流の起こりやすさが変わり,それはすなわち地震や火山の様子も大きく変わることを意味する.そのためマントルの粘性というのは精力的に研究されているテーマの一つとなっている.

粘性は化学組成やマントルを構成する岩石の結晶構造,温度に大きく依存している.中でも重要なファクターだと考えられ様々なモデルの基礎となっているのが含水量である.これまでの高温・高圧下での実験から,マントルを構成する岩石中の水分量が増えると粘性が急激に低下し,非常に流動性が高くなることが示唆されていた.岩石組成を元にした研究からマントルにおいてはSi原子の拡散が律速であると見られているのだが,不純物として水が増えると,その濃度の1.2乗に比例して拡散速度が上昇する事が示されているためだ.これはマントル中での水分の分布(3桁ほどの広がりを持つ)からすると,粘性も3桁ほどの大きな変化を示すことを意味している.現在のマントルの対流モデルでは,これらの実験結果をもとにして様々な議論が行われているわけだ.
ところが今回発表された論文は,この基本となっている「水が増えると,その濃度の1.2乗程度に比例して流動性が上がる」という部分に真っ向から異を唱える内容となっており,非常にインパクトの大きい研究となる.

著者らが注目したのは,これまで行われた流動性測定の研究のほとんど全てが「水を加えた岩石を高温高圧にし,機械的に力を加えて変形させることで流動性を測定する」という手法に基づいていた,という部分だ.ここで問題となるのは,測定において加えられている水が,本来マントルにおいて含まれている(と思われる)水よりも多めになっていると言う点だ.これは「岩石の流動」という非常に遅い過程を実験室での限られた時間で再現するために,流動性の高い(=速く変形するので測定できる)水の多い領域で測定している事に由来する.その結果を補外して流動性の水濃度依存を出しているわけだが,著者らはこれが問題であると指摘する.というのもこのように水が過剰な領域では,岩石の変形の多くは結晶の粒と粒との隙間(粒界)に析出してしまった余剰の水により粒同士が滑ることでの変形に由来してしまう危険があるからだ.これでは本来のマントルで起こっている拡散による流動を測定できているとは言いがたい.
そこで今回著者らが行ったのは,Si原子の拡散速度を直接測定する手法である.これは安定ではあるが天然存在比の低い同位体である29Siを表面に薄く付けたサンプルをスタートとし,高温高圧条件下でしばらく放置,29Siがどの程度の深さまで侵入したかを調べることで拡散速度を直接測定してやる,というものだ.この手法自体は過去にも行われたことがあるのだが,水分量や温度を変えながらの系統的な研究は無かったらしい.

そのようにして得られた結果は驚くべきものだった.マントルの流動性は,水分量に対し0.3乗程度でしか変化しない,という結果が得られたのだ.これまでは「マントルには水の多い部分と少ない部分(水分量で3桁ぐらい違う)があって,その差だけで流動性の大きく異なる領域(流動性も3桁以上違う)が存在できる」と考えていたのに,今回の結果が正しいとすれば「そんな水分量の差(3桁程度)では,マントルの粘性は『ほんのちょっと違う』程度の差(1桁弱の差)にしかならない」のだから,既存のモデルの多くは破綻してしまうか,大幅な修正を余儀なくされてしまう.
このため著者らの文章もかなり慎重な書き方が成されている.随所に「この結果が正しいとすれば,○○というモデルには大きな困難が云々」だの「今回の結果に立って考えるとするならば云々」といった但し書きがついて回っている.
そういった但し書きを付けながらも著者らが指摘している「既存のモデルに生じ得る困難」は例えば

・プレートの運動の仕方(現在は,海から取り込まれた水分による粘性低下が大きな役割を果たしているが,むしろ単純な温度勾配が粘性低下の主因となる)

・地震波の低速・高減衰領域は水分・圧力・熱の勾配によって生まれる『粘性の極小領域』だと考えられているが,今回の結果で粘性を計算すると極小領域は発生せず,粘性は単調減少となる(=低速・高減衰域を低粘性のせいには出来ない).

・ホットスポット(ハワイなどマントルからの上昇流が活発な火山活動を引き起こしている場所)が動かないことを説明できなくなる.これまでは,深部から上がってくる水分量の多い上昇流が地上にまで達する経路を作ると,次々に送り込まれてくる上昇流はその低粘性の部分を引き続いて通るのが楽なため位置が移動できなくなる(プレートが動いても,ホットスポットの位置は変わらない)と考えられていた.これを実現するには大幅な粘性の差が無ければならないのだが,今回の結果が正しいのならばその理由を水分量に求めることが出来なくなる.
ただし,近年の研究からはホットスポットも意外に動いていることが明らかとなりつつあるため,「動かないホットスポットを説明できない」というのが最終的に良いのか悪いのかは不明.

とまあ,マントル対流の絡む現象は片っ端から修正を受けなくてはならない可能性も出てくる.
ただし著者らが慎重に書いているように,今回の結果から即座に「水じゃあまり粘性は変わらない」と結論されるかどうかはまだわからない.追試やら,実験条件の検討やら,その他の要因やらといった部分がこれから様々に議論されることだろう.
ただまあ,部外者としては,これまでのモデルが大幅にひっくり返りかねない論文ってのは読んでいてなかなか面白いものがある.(2013.6.13)

 

98. 炎が作るレンズ

"Focusing light with a flame lens"
M.M. Michaelis, C. Magusire, J.-H. Grobler and A. Forbes, Nature Commun., 4, 1869 (2013).

言うまでも無く,レンズというのは光学系において非常に重要な部品である.その重要性はレーザー使う系においても変わることはなく,もともと高いエネルギー密度を持つレーザーをさらに集光することで尋常ではないエネルギー密度を実現することが出来る.通常の波長域でのレンズは様々な固体材料で作成されており,その形状により光を屈折させ集光させている.
レンズというものが光を集光するものである以上,それ自体に光が当たるのは避けられない.ところが高強度レーザーにおいてはこれが問題となってくる.透過率100%の材料や反射率100%の材料が存在しない以上,レンズに当たったレーザーの一部は必ずレンズに吸収されてしまう.このためあまりに強いレーザーをレンズに当ててしまったり,レンズの表面に微細な汚れ(手の脂やら,空気中の埃やら)が付着しているとそこで強い吸収が起こってレンズ自体を破壊してしまう.これは高強度のレーザーを扱おうとすると避けては通れない問題であり,レーザーを扱ってきた人にとっては集光のしすぎや汚れによりレンズを破壊してしまった経験は良くあることだろう.

さて,通常のレンズは「均一な屈折率を持つ固体の外形を整えることで集光する」という仕組みなのだが,これとは異なる構造によるレンズも存在する.その一つが傾斜屈折率を利用したレンズである.例えば,外形は単純な円盤であるが,中心軸に近いほど屈折率が高く,側面に近づくほど屈折率が低くなるように作った固体があったとしよう(例えばポリマーの配合比が徐々に変わるようにしたりするとこういう材料が作成できる).光にとってみれば屈折率の高い素材というのは実効的な光路が長いことを意味するから,この「物理的には円盤だが,中心ほど屈折率が高い固体」は,光にとってみれば「中心に近いほど厚みの大きい凸レンズ」と同じ働きをする.つまりレンズになるのだ.
さらにもう一歩考えを進めると,この「屈折率に勾配がある材料」というのは何も固体に限らなくても良い事がわかる.例えば円筒形のパイプの中で,中心に近いところほど密度の高い気体(屈折率の高い気体)が流れ,壁面近くは密度の低い気体(屈折率の低い気体)が流れている,と言う状態は,そのままレンズとして使用できるわけだ.こういった構造によるレンズを気体レンズ(gas lens)と呼ぶ.
気体レンズの最大の利点は,その損傷に対する強靱さである.固体ではないので,レーザーによる破壊を非常に受けにくい(固体の場合,急熱により割れたりかけたりしやすい).さらに万が一レーザー強度が強すぎて破壊(=その部分がプラズマ化)されても,気体の流れによりすぐに修復される.このため気体レンズは,高強度レーザー用のレンズとして注目されているわけだ.

しかしそんな気体レンズにも大きな欠点が存在する.それを説明するために,まず代表的な気体レンズの構造を見てみよう.このレンズの構造は,ヒーターや火によって加熱される金属パイプである.この中を気体が左から右へと流れていく.壁面では気体が加熱され膨張し密度が低下(=屈折率が低下),一方中心軸付近ではあまり加熱されないため気体の密度は高い状態を維持する.この金属パイプの中心軸に沿ってレーザーを入射すると,パイプの反対側からは集光されていくレーザーが放出される,という仕組みだ.
しかしその構造からわかる通り,この気体レンズはあまり長さを長くとることが出来ない.と言うのも,あまり金属パイプ部分が長いと,気体が流れていく途中で中心軸付近まで満遍なく加熱されてしまい熱勾配(=密度勾配)が消失,もはやレンズとして働かなくなるためだ.またパイプ径が大きすぎてもいけない.中心軸から外側へのきれいな熱勾配を維持するには乱流などが発生してはいけないし(そのためきれいな層流が出来るサイズが限界),半径が大きすぎると外壁に近いごく一部のみで温度勾配が発生,それ以外の中心軸に近い部分がレンズとして全く働かなくなってしまうためだ.そのため気体レンズはあまり光を急には曲げられず,焦点距離が極端に長くなってしまうと言う欠点がある.

今回著者らが報告しているのは,炎をダイレクトに利用する事でより極端な温度勾配を付け,それにより実用的な焦点距離を実現した気体レンズの作成である.
前述の通り,気体レンズは温度勾配(等)により発生した気体の密度勾配をレンズとして利用する.そのため,温度勾配が大きければ大きいほど分厚いレンズ,つまり焦点距離の短いレンズを作ることが可能である.通常の気体レンズでは赤熱する程度に熱した金属パイプを利用するのだが,今回著者らはそれに加えて螺旋状に旋回する炎そのものを利用するという手に出た.
まず著者らが作成した気体レンズの構造を説明しよう.初段は通常の気体レンズであり,直径10 mm,長さ5 cmのステンレス製の円筒である.空気を流しながらこの円筒を400 ℃に加熱することで内部に温度勾配をつけ,通常の気体レンズとして利用する.普通と違うのはここからだ.著者らはこの通常の気体レンズの直後に,ステンレス板を「6」に似た形状に曲げた長さ2.5 cmの筒を取り付けている.「6」と書いたが,くるっと丸まった後の部分は繋がっていない(Gという字の方が近いかも知れない).これが著者らが言うところの「flame lens」なのだが,この筒の開口部に対してバーナーからの高温の炎を直接入射する.すると何が起きるかというと,「6」の字の突き出た部分(上に飛び出ている部分)に当たった炎は曲げられ円周に沿ってぐるりと回転,「6」の字下部のほぼ円形の部分に導入される.この部分では,外周によって無理矢理曲げられながら進むとぐるぐると回転運動をすることになる.炎は「6」の字型の筒の軸向きにやや斜めに入射している&直前の通常の気体レンズを通ってきた空気が一方向に向け流れているので,円運動+直進運動により,炎全体はこの「6」の字の筒の中を螺旋状に進んでいくことになる.
この状態をよく考えてみよう.
「6」の字の筒の壁面近くは高温の炎(1000 ℃を超える)が螺旋を描きながら運動している.その一方で,筒の中心近くは直前の気体レンズから流れてきた(相対的に)「冷たい」空気が直進する.つまり全体として,非常に大きな熱勾配を持った円筒が出来上がるわけだ.これはすなわち,これまでの通常の気体レンズよりもより強いレンズ(=焦点距離の短いレンズ)が作れる事に等しい.

こんな「螺旋状に伸びる炎」なんていう揺らぎの大きそうなものをレンズにして,きちんと集光できるのか疑問に思うかもしれない.著者らが実際に実験してみたところ,He-Neレーザーを0.5 mm弱程度のスポットに集光することに成功している.レーザーの集光としてはやや物足りないスポット径だが,これはこの気体レンズそのものの半径が小さいためやむを得ない所もある.実際,0.5 mm弱というスポット径は既に回折限界の数倍程度という小さな値であり,そこそこの集光性能を実現してはいるわけだ.エネルギー密度から見ると,1010 W/cm2で入射してきたレーザーを,2 mちょっとという実用的な短い焦点距離で,1016 W/cm2程度の密度にまで集光できている.入射光としてはさらに3桁ほど大きな所まで行けたようで,「高エネルギー密度のレーザーを当てても大丈夫」という気体レンズの特性が生かされている.
また面白い点としては,バーナーからの炎を止めると(後段の)レンズが消える点である.炎(による熱勾配)をレンズにしているのだから当然ではあるが,瞬時に集光のon-offを行えるのは何か使えるかも知れない.
現時点での問題点としては収差が挙げられている.理論的に予想される収差よりかなり大きめの値が出ており,このあたりは炎の形状の最適化などがまだ行われていない点がかなり大きいのではないかと考えられる.なにせflame lens部分の曲げたステンレス板も,「とりあえず曲げてみました」という感じの,あまり工作精度を感じさせないものを利用していたりするのだ.

炎をレンズに使うというのは何とも面白い発想だ(少し前からそういう研究はあったようだが).実験の見た目自体も,青白いバーナーの炎が吹き付けられ,熱した金属が怪しい赤色光を放ち,その中を螺旋状の炎が吹き抜けつつ中心をレーザーが突き抜けてくると言う,何とも愉快な事になっている.実験室内にこういう実験装置が所狭しと並ぶようになると,怪しさ爆発で大変素晴らしそうだ.(2013.5.29)

 

97. 折りたたみに失敗した蛋白質に付けられる「不良品」タグ

"Futile Protein Folding Cycles in the ER Are Terminated by the Unfolded Protein O-Mannosylation Pathway"
C. Xu, S. Wang, G. Thibault and D.T.W. Ng, Science, 340, 978-981 (2013).

タンパク質はアミノ酸が無数に繋がった構造からなっており,正しく折りたたまれる(フォールディング)ことで特定の3次元構造となって機能を発揮する.しかしながら,巨大なタンパク質などでは折りたたまなければならないアミノ酸は非常に多く,「可能な折りたたみ方」は数え切れないほど巨大な数になる.このため,タンパク質が誤った別の3次元構造へと折りたたまれてしまうことがしばしば発生する.
誤った構造に折りたたまれたタンパク質は単に機能を発揮できないだけでは無く,時として有害性を持つ.例えばアルツハイマー等との関連が疑われているアミロイドや,各種プリオン病の原因となる異常プリオンなどは,まさにこの「誤った構造に折りたたまれたタンパク質」である.

このため生物の細胞内には,タンパク質の正しい構造への折りたたみを支援するための多種多様なタンパク質(シャペロン)が用意されている.例えば凝集しやすい異常タンパク質にくっついて溶解度を上げるシャペロンだとか(溶液中ではフレキシビリティーが高くなるので,正しい折りたたみ方に戻る可能性が上がる),おかしなねじれ方をした部分を元に戻すシャペロンなどが存在する.
しかしながら,あまりにもおかしな構造に折りたたまれてしまったタンパク質は,正しい構造に戻すのが困難な場合も多い.このような「なかなか正しい構造にならないタンパク質」にかかり切りになってしまうと,数に限りのあるシャペロンをそこに貼り付けておかなければならずに無駄であるし,折りたたみの修正にもエネルギー(細胞内通貨であるATPなど)を消費する.そこで「あまりにも長時間,正しい構造にならないタンパク質」には見切りを付け,廃材としてばらして原料に戻してしまうプロセスが細胞内には存在している.このプロセス,非常に重要であるにもかかわらず,現在までのところその詳しい実体は謎に包まれたままである.
今回著者らが報告しているのは,この「ダメなタンパク質」に対し「こいつはダメだから,もう諦めて分解に回すように」と指示するためのタグ(と思われるもの)を発見した,というものである.

著者らは実験において,緑色蛍光タンパク質(GFP)を含むタンパク質を作るようにした細胞を用い,それが間違った折りたたまれ方をしたり,なかなか正しい構造に折りたたまれなかった時にどのように分解されていくか,を観察した.もともとGFPは折りたたまれにくい分子であることが知られており,折りたたみの試行錯誤が何らかの「閾値」を超えれば,「ちゃんと折りたたまれなかった不良品である」として分解に回される可能性が高い.比較のために,GFPの仲間だが折りたたみが速いタンパク質も用いて実験を行っている.なおこれらのタンパク質は,正しく折りたたまれると緑色の蛍光を発する.
実験の結果であるが,速く折りたたまれるGFPに比べ,なかなか折りたたまれないGFPは正しく折りたたまれる割合が低かった.これはまあ,「長いこと正しく折りたたまれなかったタンパク質は分解に回される」という点から見てもごく普通の結果である.
では正しく折りたたまれなかったGFPはどうなったのかというと,タンパク質自体は残っているのだが,それらはそのまま長時間放置してもそれ以後折りたたまれることは無かった.つまり,何らかの手法で「こいつはもうダメだから,これ以上折りたたむ努力はしなくて良い」というタグ付けが行われていることを強く示唆している.
この「タグ」の正体はなんだろうか?著者らが注目したのが,セリンやトレオニンといった水酸基(R-OH)を持つアミノ酸で起こるマンノース修飾である.マンノースというのは糖の一種であるが,誤った折りたたみをしたタンパク質において,セリンやトレオニンの水酸基がマンノースで修飾されたもの(R-O-マンノース)がこれまでにいくつか見つかっていた.そこから著者らは,「このマンノース修飾は,『このタンパク質はあまりに変な形に折りたたまれているので,修復作業はしなくても良いですよ』というタグとして取り付けられたのでは無いか?」と考えたわけだ.

この仮説を確かめるため,著者らは改めていくつかの実験を行うことにした.
マンノース修飾は,pmt1およびpmt2と呼ばれる酵素によって引き起こされることが知られている.そこで,これらの片方,または両方をノックアウトした細胞を用い,折りたたまれにくいGFPがどの程度生き残れるか,をチェックしたのだ.
前述の通りGFPは折りたたみに時間がかかりすぎるため,途中で「こいつはどうも正しく折りたたむのは無理そうだ」と判断され謎の「不良品タグ」を付けられる確率が高かった(正しく折りたたまれるものが2割弱,残りはタグ付けされる).
ところが,pmt1/2の片方をノックアウトした場合にはGFPの生存率がやや上がり(2-3割程度),両方をノックアウトした場合には6割程度が正しく折りたたまれ蛍光を発したのだ. これはつまり,pmt1/2をノックアウトすると,GFPが正しく折りたたまれるまで時間がかかったとしても「不良品タグ」が取り付けられない事を意味している.そのためシャペロンやら何やらは長時間だろうが何だろうがGFPの折りたたみに挑戦し続け,ついには正しく折りたためたわけだ.
要するに,折りたためなかったタンパク質に付けられる「不良品タグ」が,マンノース修飾(これはpmt1/2により行われる)であることを強く示唆している.

さらにだめ押しの実験として,細胞中で折りたたまれなかったGFPを抽出,それをさらに「マンノース修飾されたもの」と「マンノース修飾はまだされていないもの」へと精製した.それぞれの再折りたたみの様子を調べたところ,「マンノース修飾されたもの」は時間をおいても折りたたみは進行しなかったのに対し,「マンノース修飾されていないもの」は時間をかければきちんと折りたたまれ,蛍光を発することが確認された.

まとめると,

1. 長期間折りたたまれないタンパク質には,「不良品タグ」が取り付けられ,それ以上の折りたたみの試行は停止される.
2. タグの正体(の一つ)として,マンノース修飾の可能性が高い.
傍証1:マンノース修飾が起こりにくい条件を作ると,長時間の折りたたみにおいても「不良品タグ」は取り付けられない
傍証2:一度マンノース修飾されたものは,放置しても折りたたみは進行しない

となる.
どうやって折りたたみが長時間かかっていることを認識しているのか?とか,マンノース修飾がどのようにしてそれ以上の試行を停止しているのか?などまだまだ今後の課題も多数残っているが,謎の解明のための糸口はつかめたのかも知れない.(2013.5.25)

 

96. 生物兵器で武装したテントウ虫

"Invative Harlequin Ladybird Carries Biological Weapons Against Native Competititors"
A. Vilcinskas, K. Stoecker, H. Schmidtberg, C.R. Röhrich and H. Vogel, Science, 340, 862-863 (2013).

外来種の繁殖による既存の生態系の変容はなかなか困った問題である.今回の論文で著者らが取り上げているのは日本(を含むアジア)では一般的なてんとう虫の一種であるナミテントウなのだが,これは現在ヨーロッパ各地で一気に勢力を伸ばし,元々のナナホシテントウ系のてんとう虫が数を大きく減らしている.なおこのナミテントウ,アブラムシなどをよく補食することから「自然に優しい生物農薬」ともてはやされてあちこちで導入されたあげく,最終的には外来種として猛威を振るっているのだからどうしたもんだか.
閑話休題.
このナミテントウ,侵入先でなぜここまで繁栄できているのか?という点には謎が多く,様々な研究が行われている.というのも,ナミテントウに非常に近い(が,別の)種では,ここまで猛威を振るっていないからだ.ナミテントウだけに限定的な「何か」があり,それが繁栄を助けていると推測されている.
例えば今回の著者らが以前に見つけたのは,ナミテントウは体内である種の非常に強力な抗菌性物質(ナミテントウの学名であるHarmonia axyridisより,harmonineと名付けられる)を生産しており,これが他地域に行った際にも現地の菌類に対し強い免疫として働き生存を助けている,という事実などである.
今回報告されているのは,ナミテントウはこの防御のためのharmonineに加え,現地の代表的なてんとう虫であるナナホシテントウに対抗するための「生物兵器」まで備えていた,という発見である.

ヨーロッパに元々広く生息しているナナホシテントウは,他のてんとう虫類の卵や幼虫なども捕食することが知られている(餌が少なければ,ナナホシテントウ同士の共食いもする).ところが,ナナホシテントウがナミテントウの卵や幼虫を食べるとその後死んでしまう,という現象が発見されていた.逆に,ナミテントウがナナホシテントウの卵や幼虫を食べても特に何も起こらない.つまり,ナミテントウは体内に何らかの毒を蓄えている事が推測されたわけだ.この毒は競争相手であるナナホシテントウを減らす方向に働くわけだから,外来種のナミテントウが圧倒的な繁栄を見せている原動力の一つだと考えられる.この「毒」の正体がなんなのかに関しては,harmonineがそうなのではないか?という主張も行われていた(卵の中にかなりの濃度で入っていることが発見されていた).
著者らはこの「毒」に関して正体を突き止めるべく実験を重ねた.その結果まず,合成したharmonineを注入した卵をナナホシテントウに食わせても死なないこと,その一方でナミテントウの卵から抽出した液体を注入した卵の場合はナナホシテントウが死ぬことを突き止めた.ナナホシテントウを殺していたのは,hemonineではなく別な何かだとわかったわけだ.

続いて著者らは,ナミテントウの卵を顕微鏡により詳細に調査した.すると,ナミテントウの卵の内部には莫大な数の微胞子虫(菌類の仲間の単細胞生物)の一種が発見されたのだ.微胞子虫は昆虫を含め様々な生物に感染できる病原体であるが,どうもナミテントウ自体はこの内部にいる微胞子虫への耐性が確立されているらしく,かなりの数を抱え込みながらも健康に生きていけるらしい.
では,この微胞子虫がナナホシテントウを殺す原因なのだろうか?著者らはナミテントウからこの微胞子虫を抽出し,ナナホシテントウに投与することにした.その結果,微胞子虫をそのまま投与されたナナホシテントウはかなりの割合で死亡し,その一方で微胞子虫を一度熱処理して殺したものを投与しても大した影響を与えなかった.
これらの実験結果から,著者らはナミテントウの卵や幼虫が持つナナホシテントウに対する毒性は,体内に飼って(共存して)いる微胞子虫によるものであり,ナナホシテントウがナミテントウを補食するとそこから微胞子虫に感染しナナホシテントウが死ぬというメカニズムである,と結論している.
つまりナミテントウは
・未知の病原体から身を守るための強力な抗菌剤であるharmonine
・競争相手を倒すための強力な武器である微胞子虫
の二つで武装していたわけだ.(2013.5.18)

 

95. 錯体の作るナノチューブ状空間内に生成した一次元氷

"Development of Metal-Organic Nanotubes Exhibiting Low-Temperature, Reversible Exchange of Confined Ice Channels"
D.K. Unruh, K. Gojdas, A. Libo and T.Z. Forbes, J. Am. Chem. Soc., in press (2013).

ナノ空間内に閉じ込められた水というのは,近年研究が精力的に進められている分野の一つである.
ナノ空間に限らず,水(および氷)の研究はもともと熱い分野であった.生体や我々の周囲の環境において「水」というものが非常に重要であったのに加え,近接した水分子間には非常に強い水素結合が働き分子間での配向が強く制限されること,さらに水素原子(プロトン)そのものが隣接分子間で容易に移動するといった特徴を持つことから,水の振る舞いというのは類を見ないほど特殊であり,理論物理,統計力学,物性物理などの面から興味深い研究対象であったためだ.
そんな中,最近のナノ科学の進展により一気に花開いたのが「ナノサイズの空間中の水(および氷)」の研究である.ナノ空間では配列できる水分子の数が制限されたり壁面との相互作用が生じたり,といった事でバルクの水や氷とは大きく異なる構造を示す可能性がある.また分子の数が少ないと言うことは計算がやりやすいと言うことであり,理論面からの研究も進んでいる.一方統計力学的な面からは,次元性が落ちる(例えば1次元のチューブ内に閉じ込められた水は,次元数が2つ下がっている)と相転移が抑制され,水-氷の相転移が低温まで抑制されたり,中間的な変な相が現れたり,といった事も期待される.また,生体中ではタンパク質表面や内部にトラップされた水分子が存在し様々な役割を果たしていることが明らかとなってきており,これらとナノ空間に閉じ込められた水分子との類似性などに関しても議論が行われている.

ナノ空間中での水(氷)として注目された例には,例えばカーボンナノチューブ内に取り込まれた水が挙げられる.径の細いナノチューブ内に取り込まれた水分子は水素結合によりリング状のクラスターを作り,それが積層した「一次元氷」となっていることなどが発見されている. このように本質的に1次元構造を持つカーボンナノチューブの内部空間を使うというのは優れた手法ではあるのだが,(現時点では)径を完全に揃えたナノチューブを作ることは難しく,ある程度の分布を持った「ナノチューブの集団(とそこに吸着した水)」の平均的な特性しか測定できない.そのため,精密な測定を行うのならば出来れば「完全に均一なナノ空間」における水の挙動を測定したい.
そんな夢を叶えたのが近年熱いもう一つの分野である「Metal-Organic-Framework(MOF)」である.これは金属イオンを有機配位子で結んだ無限に連なる錯体(配位高分子)であり,配位子や使うイオンを変えることで実に様々なサイズ・形状のナノ空間を創造できる.
今回著者らはウラン錯体を用いてナノチューブ状の空間を作成し,そこにおける水の吸脱着とその構造を報告している.

報告されている物質は二酸化ウランが配位子であるiminodiacetateで架橋されリング状となったものを基本構造とし,このリングが積み重なることで1次元のチューブ状構造をとっている.なお本物質は結晶であるので,横方向にはこのチューブと全く同じ構造のものが密にパッキングしている.カーボンナノチューブとは異なり,配位子などが厳密に決まった分子から出来ているため,このチューブ状構造の径は完全に均一である(内径約1.2 nm).
本物質は水-メタノール混合溶媒中で作成するのだが,その際に水分子が取り込まれるため,このチューブの中は完全に水で満たされている.水分子の位置は単結晶X線構造解析できっちり決まっており,6つの水分子が6員環を作り,この環状構造が縦に緩く積み重なることで1次元状の「氷」となっていることが明らかとなった. この「氷」となっている水分子,温度を上げるとチューブの両端から次第に抜けていく.「氷」が融解して水分子が抜けていく温度はおよそ20〜30 ℃あたり(20 ℃をやや超えたあたりから抜け始める)とほぼ室温である.空になったチューブにはまた水を充填することが可能で,ある程度の湿度のある環境で20 ℃以下に冷やしていくと次第にこの「一次元氷」が再生する.
またこの空間に取り込まれる分子はかなり選択的であり,水との親和性も高く極性の高い溶媒であるDMSOであっても,この内部空間には侵入しない.このため,水が既にチューブ内に入った状態の物質をDMSOに漬けると,DMSOと親和性の高い水分子はチューブ内から外に吸い出されていく一方,DMSOは入ってこず,結果として中が空になったチューブが残される.一方,水が詰まった結晶を疎水性の有機溶媒に漬けると,今度は水はチューブ内に閉じ込められたままであることも報告されている.

今回のチューブ状のナノ空間は内部に疎水性の配位子が位置していること,また径が以前に報告されたアイスナノチューブの際のカーボンナノチューブ(こちらも内部は疎水性空間)とほぼ等しいことなどから,両者における水の振る舞いはだいぶ似たところがある.その一方で今回の物質は構造が完全に規定されており,しかも量もとれることから精密な実験もだいぶやりやすそうである.
極小空間における水分子の挙動を調べるにはなかなか良いモデル物質の一つとなるかも知れない.(2013.5.16)

 

94. 巻雲は主に無機微粒子による非均質核形成に由来する

"Clarifying the Dominant Sources and Mechanisms of Cirrus Cloud Formation"
D.J. Cziczo et al., Science, in press (2013).

Cirrus Cloudと呼ばれる雲がある.これは高度8-17 kmぐらいという対流圏の上部に発生する雲で,けば立った繊維状の薄い雲である.日本では巻雲(けんうん)やシラス雲(魚ではなく,英語のcirrusをそのまま呼んだもの)などと呼ばれるもので,画像検索でもしてもらえば「ああ,この雲か」と誰もがすぐにわかるような一般的な雲だ.
さてこの巻雲,地球環境を考える上で非常に重要な役割を果たしている.というのも雲としては最も高い位置に発生する&発生率が高いため,地球全体を薄く広く覆うシートのような働きをしているためだ.これはすなわち,雲による日光の反射による冷却効果&赤外線の反射による保温効果に大きく寄与している事になるわけで,温暖化やら何やらでの今後の環境変化を考える上では無視できない影響を持っている.
(ただし,雲の冷却効果と保温効果はどちらが強いのか,などはまだ完全には決着が付いていない)
そういった背景のため,近年は雲の生成や挙動に関する研究が非常に活発に行われており,画期的な発見が次々と成されている.……のだが,雲の生成には実に多くの現象が寄与しており,しかも高度やその時の各種エアロゾルの濃度などによりどの効果が一番寄与が大きいのかが変わってくるため,まだまだ道半ばというのが現状だ.
今回報告された論文は,この地球を覆うベールである巻雲の形成を追った研究であり,これまでの多くの予想とは異なり,不溶性の無機微粒子が重要な影響を与えていることを実証したものとなる.

雲は微小な水滴や氷晶から出来ているのだが,大気中の水蒸気がどのようにして水滴や氷晶になるのか?というのは難しい問題だ.この場合の「難しい」というのは,「無数の過程が考えられるが,そのどれが主要因なのかの解明が難しい」という事を指す.低層に発生する雲においては,地上の様々な要因(排ガスや火山の噴火,海洋生物の代謝)により発生した二酸化硫黄が酸化された硫酸や,風で巻き上げられた海水に含まれていた無機物・有機物といった水溶性の不純物が水を取り込み水滴を形成する,というのが主要因だと考えられている.また低高度では,地上から巻き上げられた不溶性の粒子(砂粒など)も多数舞っているため,これらも核形成に幾ばくかの寄与をしている.
では,著者らが今回研究の対象にした巻雲ではどう考えられていたのだろうか?まず,巻雲の発生する高度は非常に高い(海抜8-17 km).このため,砂塵などの微粒子はほとんど存在しないと考えられていた.そのため巻雲の形成においては,揮発性の成分や,やや低高度で水を取り込んだ水溶性の不純物が高空に上昇し,それらが水の凍結を促進することで微細な氷晶を形成,巻雲になると考えられていた.
ところがここ数年の研究により,地上から巻き上げられた砂塵は実は高度10 km以上の高空にまで巻き上げられ地球を周回していることが発見されたのだ(例えば環境研・九大・海洋研による報告).という事は,巻雲の発生にもこれら砂塵などの不溶性粒子が関与している可能性が有るのではないだろうか?

そこで今回の研究である.著者らはNASAの高層大気研究用の航空機により巻雲中およびその周辺の粒子を捕獲,含まれる水以外の不純物を分析することで,巻雲の形成過程を調査した.調査を行った場所はアメリカ西海岸から始まり,太平洋沿いを南下し,パナマ周辺を中心とした中米を調査,さらにメキシコ湾を調べ,ヒューストン周辺を含むテキサス州や,フロリダのあたりでも調査を行っている(一日で全て飛んだわけではなく,これらの場所で何日もかけ調査を行っている).
その結果であるが,まず重要なことは,捕獲された氷晶の多くが不溶性の無機微粒子を含んでいた,という事だ.日によるばらつきは大きいが,大まかに6割程度の氷晶は不溶性の無機微粒子を含んでいた.その一方で,雲周辺の大気における各種不純物の濃度がもしそのまま氷中の不純物に反映された場合には,この比率はわずか5%程度でなければならない.つまり,大気中には少量の無機微粒子しか存在していないのに,雲を形成した氷晶だけを取り出すとその6割が無機微粒子を含んでいるのだ.これは,氷晶の形成に無機微粒子が大きな影響を与えていることを示唆している.つまり,無機微粒子のあるところだけ優先的に氷が発生し,無機微粒子を取り込んだ氷が多数発生する,というわけだ.
その一方で,低層では雲形成の主要因として働く硫酸塩,硝酸塩や有機微粒子を含んだ氷晶は,わずか14 %程度であった.これらは雲周辺の大気中には多数エアロゾルとして存在しているが(30-75 %相当程度,低緯度ほど海水が巻き上げられるので比率が高い),その一方で雲を形成する氷晶中ではその量は激減している.これはつまり,これら硫酸塩や有機微粒子が巻雲の氷晶形成にはあまり寄与していない事を示している.
山火事などで発生する炭素質の微粒子も大気中には大量に含まれている.これも日や場所による変動が多いが,雲近傍のエアロゾル中では15-70 %程度である.ところがこれが巻雲内の氷晶で見てみると,その比率は10 %前後程度とやはり大きく比率を下げている.

これらの結果と実験室における氷核形成実験から著者らは,巻雲においては不溶性の無機微粒子が氷核形成の主要因であり,これまで言われていたような水溶性塩,有機物,炭素質微粒子の寄与はかなり小さいと結論づけている.まとめると,地球の広い範囲で発生している巻雲の発生機構(の主なもの)は以下のようになる.
地上から風で巻き上げられた砂塵などの微粒子の一部が高空にまで運ばれ,それがそのまま地球を周回.偶然湿度の高い場所に来ると,砂塵の表面で水蒸気が氷として析出し,氷晶となり雲を形成する,というわけだ.
なお著者らはこれに加えて,元素分析の結果から予想より多めの重金属を含む無機塩が検出されたことも報告している.これらは工業的に発生したものと考えられるが,これらの無機物も氷晶形成に寄与しているようである.これ自体は(少数の報告ではあるが)以前にも指摘されている事ではあるのだが,それがどうも(主要因ではないが)無視できない程度には雲の形成に関わってそうだと言うことで,今後調査・研究が必要であろうと著者らはコメントしている.(2013.5.11)

 

93. ピコルナ様ウイルスの安定性には内包されたRNAが大きく影響する

"Probing the biophysical interplay between a viral genome and its capsid"
J. Snijder et al., Nature Chem., in press (2013).

ウィルスは中心に遺伝物質(ゲノム)であるRNA(もしくはDNA)を持ち,その外側をタンパク質で出来た殻(カプシド)が覆った構造を持つ.その外側に,さらに膜状構造(エンベロープ)を持つものもあるが,ここではそれは置いておこう.ウィルス自体の安定性や相互作用を考えるときには最外殻であるカプシドの構造や安定性が重要になってくるのだが,間接的にゲノムも何らかの影響を与えているだろうと言う予想が立てられている.つまり,ゲノムの分子とカプシドを作っているタンパク質とが結合する事で構造がより強固になったり,と言うことなのだが,これを実験的に調べる事にはこれまで成功していなかった.
今回の論文ではウィルスを入れた溶液のpHを様々に変化させたものを用い,イオン移動度質量分析による成分質量の分析や,AFMによる力学的強度の測定を行い,カプシドの強度に対するゲノムの影響を確認出来た,と言う報告がされている.

まず,分析手法として用いているイオン移動度質量分析に関して簡単に述べておこう.通常の質量分析器は,分子を何らかの手段で真空中に導入&イオン化し(例えばレーザー励起や電子線をぶつける,など),そこに電場をかける事で速度を与え,質量による加速され具合などの差を利用して「どんな重さの分子がどのぐらいの数存在するのか?」を測定する.イオン移動度質量分析は,イオン化された分子を不活性な希薄気体(希ガスなど)の中に突っ込ませ,通り抜けるまでの時間で分子を分別する手法である.この手法だと比較的重い分子であってもサイズの違いで分別しやすかったり,同じ重さでも形状の違いによって衝突頻度が変わり分離出来たり,何度も衝突が起こるので剥がれやすいもの(くっついている溶媒分子だとか)が剥がれて正確な質量が測定しやすい,と言った特徴がある.

今回の実験で用いられたウィルスは,Triatoma(サシガメ)ウイルスと呼ばれるものであり,昆虫に感染するウイルスだ.もうちょっと広い分類ではピコルナ様ウイルス(picorna-like virus)と呼ばれる仲間なのだが,ピコルナとはpico-RNA,つまりかなり小さいRNAをゲノムとするウイルスの仲間で,VP1/2/3と言う3種類のタンパク質が組み合わさって3角形を作りこれが60枚組み合わさって正20面体の殻を構成する種類となる.この仲間にはポリオウイルスや口蹄疫ウイルス,風邪の主原因であるライノウイルスなども含まれており,社会上でも研究が重要なウイルスの一つである.
さてこのTriatomaウイルス(など多くのピコルナ様ウイルス),酸に非常に強い事が知られている.また昆虫への感染段階を考えても,消化器での酸に耐え,その後の腸での塩基性条件下(であるとか,細胞内であるとか)ではカプシドがある程度割れやすくなる必要がある(そうで無いとRNAを放出出来ず,感染出来ない).そのあたりを調べるために,著者らはTriatomaウイルスを含む溶液のpHを変化させながら,その溶液をイオン移動度質量分析にかけた. その結果判明したのは,

・pH 8程度までは,カプシドは内部のゲノムをしっかり保持し,そのまま溶液中を漂っている.
・pHが9に上昇する(=より塩基性になる)と,ほとんどのウイルスはゲノムが抜けた空っぽの殻となる.
・しかしその一方で,空っぽの殻はpH 9であってもばらばらになるわけでは無い.

という事実であった.つまり,「ゲノムを内包したカプシド(virion:完全なウイルスの形態.ビリオン)」はpH 9で一度開裂して内部のゲノムを放出するが,その後蓋がまた閉まって強固な空っぽの殻として振る舞う,という事である.この結果は,内包されたゲノムが外殻であるカプシドの安定性に影響を与えている事を明確に示している.

内包されたゲノムの有無とカプシドの強度を調べるために,著者らはさらにAFMによる実験も行った.基板上にウイルスを含みあるpHに設定した溶液を滴下し,その液中でAFMの探針をウイルスの直上に持ってくる.そしてそのまま下方に力を加えていき,1つのウイルスがどのように潰れるかを計測したわけだ.その結果,pHが9よりも小さいときには中身の詰まったウイルスはかなり丈夫で硬い挙動を示す一方,pHが9に近くなったあたりで急激に弾力が落ち(中間状態),そこから内部のゲノムが放出され空のカプシドへと変化する.中身の詰まったビリオン状態と中間状態の間は可逆で,pHをまた酸性に持って行けば硬いビリオンへと戻るが,一度中身が抜けてカプシドだけになってしまうともう元には戻らない.

これをどう説明するか,だが,著者らはまずこのTriatomaウイルス(を含む,ピコルナ様ウイルス)では非常に狭い領域にゲノムであるRNAが押し込められている点に注目した.内包された状態ではRNAにくっついた水分子などが十分に脱水され,出来るだけコンパクトに折りたたむ事で何とか狭い領域に詰め込まれているわけだ.さらに,無理矢理押し込んだ状態を安定化するため,RNA表面(負に帯電している)の電荷とカプシドのタンパク質(内側に正に帯電した部分を向けている)の電荷との間のクーロン力を利用しており,この安定化により何とか形状を保っていると考えられる.この状態だと,殻であるカプシドは,詰まった中身であるRNAに支えられているので,力学的な圧力に対し強い反発を示す.
ところが溶液のpHが上昇すると,カプシドの隙間をすり抜けて水酸化物イオンなどが侵入,それがカプシドのタンパク質に結合する事で,カプシドとRNAとの間の静電引力を遮蔽してしまう.するとRNAに対する安定化が弱くなり,それはつまり無理矢理狭いところに押し込んでいるという不安定化要因だけが残ってくる事を意味している.このため,高pHの溶液中では,むしろ中からRNAが飛び出そうとする力,つまり殻であるカプシドを中から突き破ろうとする力が強くなり,割れやすい状況になっているわけだ.このためわずかな力が加わっただけでカプシドは一度分解し,内包されていたRNAを放出する.そして残ったカプシドの破片は勝手に再結合し,中身が空のカプシドとして再生する事になる.

これは恐らく,Triatomaウイルスの感染も助けているのだろう.Triatomaウイルスは経口感染するため,食物とともにサシガメの口から取り込まれ中腸を通過し後腸へと到達する.中腸まではかなり酸性であり,ここを安全に通過するために酸性条件下ではゲノムを内包したカプシドは強固な安定状態である事が重要である.後腸に達すると周囲は塩基性条件下となり,このpH変化がゲノムを内包したカプシドの弱体化を引き起こす.その結果内包されたゲノムが放出されやすい条件を生み出し,感染を容易にしていると考えられる.

まあ正直現段階の結果だと,「中身が入っているのと入っていないので違いが出ました」と言うレベルに近く,まだまだ細かい研究が必要な段階ではある.それでも,単にゲノムだけでも無く,単に出来上がったタンパクだけでも無い,それらの間の相互作用の重要性を示したという点では面白い論文だと言える.(2013.5.1)

 

92. 亜光速の「鏡」によるレーザー波長の変換

"Relativistic electron mirrors from nanoscale foils for coherent frequency upshift to the extreme ultraviolet"
D. Kiefer et al., Nature Commun., 4, 1763 (2013).

レーザーの波長を変換する,というのは重要な技術である.非常に短い波長のレーザーというのは発生させるのが難しいため,多くの場合で比較的長波長のレーザーを発振しておいてそれを短波長に変換する,という事が行われている.例えばYAGレーザーなどでは,発振波長は1064 nmの赤外線であり,これを非線形光学結晶に通すことによって倍波の532 nm(緑色光)や三倍波の355 nm(近紫外)へと変換し利用するといったことが行われている.
今回の論文で報告されているのは,広い意味ではこういった波長変換の技法である.しかし用いられている手法は,身近なレーザーで用いられている手法とは大きく異なる.

さて,運動している鏡による光の反射を考えよう.古典的(非量子論的)に考えれば,向かってくる光(速度c)に対しある速度vで突っ込んでいく鏡があったとすると,この鏡による反射には通常のドップラー効果と相対論的な効果が乗ってきて,生じる反射光の波長は4/{1-β2}へと圧縮される.ここでβはv/cであり,光速に近ければ近いほど1に近づく.この式からわかるように,亜光速で飛んでいく鏡を作ることが出来れば光の波長を短波長に変換するのは非常に容易である.鏡の速度を光速に近づければ近づけるほど,変換後の波長は短くなる.
しかし当然のことながら,亜光速で飛ぶ鏡,なんてものを作るのは至難の業だ.そこで単なる鏡を飛ばすのでは無く,「光速近くまで加速しやすい別な何か」を鏡として利用するという工夫が凝らされてきた.
例えばプラズマである.プラズマは原子核と電子が分離した状態にあり,ここに強いレーザー(ドライブ光)を打ち込むとその電場・磁場により電子集団の素早い振動が励起される.金属を考えていただければわかる通り,電子の集団というのは光をよく跳ね返す鏡としても働く(金属が反射を示すのは,電子集団のせいである).そのためプラズマ中に励起された粗密波の波面は一種の鏡として働き,それがドライブ光によって素早く振動する=振幅方向から見ると,電子集団による鏡が亜光速で近づいたり遠ざかったりを繰り返すことになる.これはまさに,鏡が亜光速で動いて反射光が短波長に変換される,という条件を満たすわけだ.ただ,(核融合の難しさでもわかるように)プラズマというのは高密度化するのが難しく,そのためこの手法による反射率を上げることはなかなか難しい.
他にも似たような手法として加速器中で亜光速にまで加速された電子集団(バンチ)を利用するといった手法もあるが,こちらも亜光速には容易に到達できるものの,電子集団同士の間隔が広くなくてはならず(近づけすぎるとクーロン反発でバンチが崩れる),単パルスが時々出てくる,というようなものしか作れない.

では,今回の論文ではどのような方法が用いられているのだろうか?
報告された手法は,「強力なレーザーで固体から電子の塊を叩きだし,亜光速で飛んでいくそいつが鏡になる」というものである.
実際のセッティングを簡単に紹介しよう.用いるのは10 nmや50 nmといった非常に薄い炭素(蒸着により作成したダイヤモンドライクカーボン)の薄膜である.この薄膜の表側から,非常に強烈なレーザー(ドライブ光,エネルギー密度6×1020 W/cm2)を薄膜に垂直に照射する.すると固体中の電子はレーザーの超強力な電場によって薄膜面内方向に加速されるのだが,光(電磁波)により磁場も面内方向にかかるため,ローレンツ力によって面に垂直方向に運動がねじ曲げられ,薄膜の裏側(ドライブ光を当てたのと反対側)から急速に飛び出していくことになる.電場・磁場の方向は光の振動数で周期的に変化するため,この電子の「放出」は光の振動数の二倍(波は一波長中に正負両方向の山を持つので,電場・磁場の強度は振動数の倍の振動数で強くなる)の頻度で発生する.さてこの飛び出す電子であるが,その速度は非常に速い.なぜなら今照射しているレーザーはとんでもなく強烈なので,電子を加速する電場(と,その方向をねじ曲げる磁場)は恐ろしく強く,結果として電子の到達速度はほぼ光速に達する.結局何が起こるかというと,

・炭素の薄膜に,表側から超強力なレーザーを照射

・レーザーの電場で加速された多数の電子が,周期的に裏側から亜光速で放出

となる.亜光速の電子の集団が放出されてしまえば,後はこいつに向かって薄膜の裏側(電子の飛びだしてくる方向)から別のレーザーを照射するだけだ.実験では,このプローブ光として波長800 nm,エネルギー密度1×1015 W/cm2の弱い(といっても,通常のレーザーから見れば十分強い)レーザーを照射し,薄膜から飛び出した亜光速電子集団による反射を測定している.
こういった,固体からの電子放出を使う利点は非常に大きい.まず,固体というのは高密度の電子を内包しているので,通常行われていたようなプラズマ中の電子励起を使うのに比べ,桁違いに高い電子密度が実現できる.これはつまり高い反射率を意味し,波長変換されたレーザーの強度が高くなることを意味している.そしてもう一つ,この手法では電子がドライブ光の振動数に合わせて周期的に放出される.これがいわば「多層ミラー」のような働きをして,ミラーの間隔(これは前述のように,ドライブ光の波長の半分の間隔を持つ)が一定の多数の鏡面での反射を引き起こす.これは多数の波面が生じ干渉する事を意味しているのだが,その結果干渉が強め合う特定の波長だけが強め合って反射される.この条件は,「反射される光の波長がドライブ光の波長の1/n(nは整数)」というものだ.この結果,狭い特定の波長にピークを持った反射光が得られるのだが,こういった波長選択的な光は様々な分析において連続光(白色光)よりも使いやすい.

実際の実験結果である.用いたドライブ光のエネルギーだと入射光の波長はおよそ1/10に圧縮されることが予想されていたが,実際に行った実験でも入射光の1/10の波長である約80 nmの所にピークを持つ反射光が観測されている.ただもちろん,ぴったりこの値だけというわけでは無く,1/9や1/11の波長を持つ光も観測されている(電子集団の運動にばらつきがあったりするため).しかし,こういった「元の波長の1/n」以外の波長は反射が少なく,波長選択的な反射(波長変換)がきれいに実現されている.なお,この電子集団による「鏡」の反射率はおよそ10-4から10-5程度であった.これは通常の鏡に比べればもちろん低いが,何せ「鏡」として飛んでいっている電子の数が,通常我々が目にする鏡における電子の数に比べれば圧倒的に少ないのでしかたがないところだ.ただ著者らの概算によれば,ドライブ光の強度を上げて叩き出される電子の数を100倍にすれば,反射効率は104近くに増加し,1に近いような反射率が実現できるとしている.
(そのためには相当強力なドライブ光が必要であろうが)

寡聞にしてこういった「飛んでる電子集団を鏡として利用し,超短波長光を作る」という手法は知らなかったのだが,なかなか興味深い考えだ.ドライブ光がかなり強烈でないといけないのでどこでもここでも使える,というわけにはいかないだろうが,将来的に新たな光源にまで育ったりすると面白い.(2013.4.26)

 

91. 硫黄をポリマーの原料に

"The use of elemental sulfur as an alternative feedstock for polymeric materials"
W.J. Chung et al., Nature Chem., in press (2013).

硫黄は工業的に重要な資源である.ゴムへの加硫は特性を大幅に改良するし,硫黄を酸化して得られる硫酸は不揮発性の酸として化学工業的に利用価値が高い.このためかつては硫黄の争奪戦とでも言うような状況になったことさえある.ところが,である.実は現代では硫黄は有り余っており,むしろ「余った硫黄をどう処分するか?」というのが切実な問題になっているほどだ.
なぜ硫黄が有り余っているのかと言えば,ここ数十年の環境意識の高まりにより,ガソリン(などの燃料)が脱硫化されたことが大きい.硫黄分を多く含む燃料を燃やすと,硫黄酸化物が生じ酸性雨などの問題を引き起こす.このため現在の石油化学工業では大規模な脱硫が行われており,その結果原油やガス田から膨大な量の硫黄分が分離されている.現在では硫黄の生産量(副産物を含む)は消費量を大幅に上回っており,(数年前の段階で既に)数千万トン以上がカナダや旧ソ連邦各国に野積みされている.
このあり余る硫黄を,何かに使えないものか?
そういった観点からの研究が現在進められている現在,「硫黄を主成分とするポリマー」は注目の研究領域である.
今回の論文は,硫黄の重量比でなんと90%という「ほとんど硫黄で出来たポリマー」を簡単に合成する手法を報告している.しかもこのポリマー,混ぜる(共重合させる)ものの比率を自由に変えられるため特性の制御もしやすく,さらにはリチウムイオン電池用の安価&長寿命&高容量の正極材料にもなるという優れものだ.

硫黄をポリマー原料にしよう,というのは何も今に始まった話ではない.硫黄は常温・常圧下では8個のS原子がリング状に繋がったS8分子が安定なのだが,加熱をすると160 ℃あたりで開裂し,両端にラジカルを持つ·S-S-S-S-S-S-S-S·と言う直線上分子に変化する.ラジカルというのはペアを成していない電子であり,反応性が高い.開裂により生じた·S-S6-S·の末端のラジカルは,隣接するラジカルと結びつく(=2つのラジカルが,ペアを組んで結合を作る)事で,安定なより大きな分子へと変化する.

·S-S6-S· + ·S-S6-S· → ·S-S6-S-S-S6-S·

これを繰り返す事で,硫黄は高温相では直線状の非常に長い分子へと変化する.ところでこの反応,有機分子でポリマーを作る際のラジカル重合とほとんど同じである.そのため,直線状の硫黄分子をポリマーの原料に使用という研究はこれまでも行われてきたのだ.
しかしこれまでの研究では,硫黄の有機溶媒への溶解度が低い点(一部の有機溶媒以外には溶けず,有機溶媒中での重合反応がやりにくい)であるとか,硫黄の含有率が低い点などが問題となっていた.
これに対し今回の論文で著者らは,高温で液化した硫黄そのものを溶媒として使用する事で,この困難を克服する事に成功した.つまり,硫黄だけを高温に加熱して環の開裂&溶融が起きる温度にしておき,そこにさらに硫黄鎖を架橋してポリマーの強度と弾性を増すための有機分子を混ぜ込むことで,ほとんどが硫黄でできた特性に優れるポリマーを作成したわけだ.
ポリマーを作成する際には,硫黄だけではなく有機分子も同時に重合(共重合)させ,特性を改善している.彼らが使用したのは,これまでにも硫黄系ポリマーの開発で利用されてきたジエン系物質の一種である.1,3-diisopropenylbenzene(DIB).ジエン(di-ene)とは,分子内に二重結合を2つ持つ分子である.二重結合は開裂すると2つの隣接するラジカルとなり,硫黄のラジカル鎖に結合する事が出来る.つまり

C=C + 2·S-S6-S· → ·S-S6-S-C-C-S-S6-S·

となる.ジエンの場合分子内に2つの二重結合を持つので,2本の異なる硫黄鎖を架橋する事が出来る.

C=C + 4·S-S6-S· | C=C

·S-S6-S-C-C-S-S6-S·
       |
·S-S6-S-C-C-S-S6-S·

この過程は,天然ゴムの加硫の完全に逆パターンである.ゴムの加硫では,高温にして柔らかくした有機分子(二重結合をもつ直鎖構造が主成分)の中に硫黄を練りこむことで,有機分子鎖の間を硫黄が架橋する.今回報告されている反応では,直鎖状になって柔らかくなった硫黄の中に有機分子を練りこむことで,硫黄鎖の間を有機分子が架橋する.このことから,今回の方式を著者らは「逆加硫法」と呼んでいる.

今回の方式の優れているのは,含硫黄量を非常に広い範囲で任意にコントロールできる点である.論文中の例でいえば,硫黄と,それを架橋するために加えた有機分子であるDIBの重量比を,9:1から5:5までの広い範囲でコントロールしている.重量で90%というのは,この手の硫黄ポリマーとしてはかなり硫黄量が多く,そんな組成でもきれいにプラスチック(のようなもの)が得られているのは見事なものである.またDIBに限らず,違う種類のジエン系分子でも同じ手法でポリマーが得られることも示している.つまり通常の有機分子系ポリマーと同じく,共重合させる分子の種類と比率を変え,望む特性(弾性,伸び,耐性等)を持つポリマーへとカスタマイズできる可能性を示唆している.まあ,色に関しては硫黄が鎖状になった際に呈する赤色が強いので,有機ポリマーのように無色透明というわけにはいかないのだが……

ポリマー材料として使えることのデモンストレーションとして,ミクロンサイズのパターンを作った型に流し込んで,パターン形成フィルムを作成している.数ミクロンの円筒状の穴のあいたモールドに流し込み,加熱して重合を進めることで,フィルムから数ミクロンの突起が多数生えたフィルムへと成形して見せたのだ.

著者らは最後に,このポリマーがリチウムイオン電池正極として優れた特性を示すことも明らかとした.硫黄は,次々世代の正極材料として,特に韓国系企業&大学が中心となって研究を進めている材料である(今回の論文にも参加している).硫黄系正極は膨大な容量を持つのだが,リチウムイオンを吸収した際に単体の硫黄イオンが生成しやすく,電極が溶け出してしまうという問題があった(そのため,実用化はかなり先と見られている).通常は硫黄のナノ粒子やナノワイヤーを炭素などの丈夫な,しかしリチウムイオン程度の小さなものは通す物質で包み,硫黄の溶けだしを防ぐことで充放電での劣化を防いでいる.しかし本論文で著者らは,重量で10%のDIBを共重合させた硫黄ポリマーを電極として使うと,初期容量で1000 mAh/g程度と非常に大きな容量を実現しながら(現在よく使われているLiCoO2だと150 mAh/g程度),100回の充放電後でも800 mAh/gとかなり大きな値を維持できている.この劣化の少なさは,ナノ構造化して保護層で包んだものとほぼ同等の耐性であるが,今回用いられているのは手間とコストのかかるナノ構造・ナノ加工技術などは一切使っておらず,単に硫黄と有機分子を共重合させただけのものだ.手間とコストを全くかけずに,これまでの手間暇と金のかかった電極と同等以上の性能を叩き出して見せたわけで,インパクトが大きい.
ただし,当然のことながら充放電速度はそんなに速くは無い(ナノ構造化すると表面積が増えるので,リチウムイオンを一気に取り込む/放出する高速充放電も可能になる).

硫黄がこれほどまでにしっかりとしたポリマーになるというのは,個人的にはかなり意外な結果であった(ポリマーそのものは過去からあったようだが).しかもなぜだか電極としての特性が良くなった,というのはもう本当になんだそりゃ?という感じだ.重合度から行けば架橋部分はかなり少なそうなはずなので,これほど劣化が減る,というのは「単に架橋されてばらけにくくなりました」以上の何かがあるのかも知れない.このあたりはもうちょっと今後詰めて研究が進むと面白い発見もありそうな予感はする.(2013.4.16)

 

90. 土星の環から降る雨は

"The domination of Saturn's low-latitude ionosphere by ring 'rain'"
J. O'Donoghue et al., Nature, 496, 193-195 (2013).

土星はその美しい環もあり人気の高い惑星であり,地上からの調査に加え探査機による調査も行われてきた.しかしながら,謎に包まれた六角形の渦をはじめとする気象,環の力学的構造の詳細,環に現れるいくつもの謎の巨大構造の起源等々,未だにわからない事,新たに発見される謎,尽きぬ議論と,研究者の興味を引き続けている.
今回の論文は,そんな土星に降る'雨'に関する報告である.
惑星の大気は上層に電離層を持つ.これは上空の希薄な大気中の分子が,太陽光や宇宙線などにより電離して発生する領域である.土星もこの電離層を持っているのだが,そこでの電子濃度が極端に低く,太陽輻射により発生するはずのイオン-電子ペアの予想値よりかなり少量の電子しか存在していない事が過去の観測により明らかとなっていた.これを解決する仮説の一つとして,土星の環から降り注ぐ'雨'(といっても,我々が通常考えるような雨では無い)が電子を捕獲しているのでは無いか?というものがある.今回の論文は,この仮説を(間接的に)支持するような結果が初めて得られた,というものだ.

この論文では,土星大気上層からのH3+というイオン種(水素分子にプロトンがくっついたイオン)の発光を観測したものがベースとなっている.この発光を(観測可能なある南緯-北緯間で)モニタしたところ,北半球,南半球ともそれぞれ3つ程度のピーク状の構造が見られた.
面白いのは,そのうちの南北各2つのピークの位置である.それらのピーク,つまりH3+イオンが沢山存在した位置を通る土星の惑星磁場を延長すると,土星の環の間隙の位置にぴたりと一致したのだ. これが何を意味しているのかを,「環からの雨」の仮説に基づき説明していこう.

土星の環は,氷を多量に含んだ小さな粒子で出来ている.そのため環の周辺では気化した水分子が多量に存在しており,それらは太陽光により電離されイオンを生成する.イオンは土星の作る強い磁場にトラップされ,磁力線に沿って移動することで最終的には土星大気へと衝突する.さて,水分子から生じるイオンは酸素原子を含んでおり,このような重い原子を含んだイオンはH3+のような比較的不安定なイオン種を容易に分解する.つまり,土星磁場によって運ばれてくる「環からの雨」(水分子から生じたイオン)が降り注ぐ地域では,H3+が抑制されるのだ.
ところが,土星の環にはいくつかの間隙が存在する.今回の観測領域に関連する範囲では,カッシーニの間隙とコロンボの空隙の2つが大きなものとしてあげられる.これらの領域からはかなりの粒子が排除されており,それはつまり気化する水分子が少ない事を意味する.従ってこれらの空隙・間隙を通る磁力線が土星の電離層に衝突する部分では,降り注ぐ水分子由来のイオンは少なくなるはずであり,それは結果としてH3+が生き残って発光しやすい,という事になる.今回の観測結果では,まさにこの二つの空隙・間隙を通った磁力線の行き着く先で,H3+の発光が多いピークが観測されたのだ.

今回の結果は,土星大気の化学種が,(かなり上層の大気とはいえ)惑星そのものの大気では無くその周囲を巡っている環に大きな影響を受けている事を(間接的にとは言え)実証したわけで画期的なものである.
ただし,今回の報告にはまだ未解明な点もある.というのも発見されたピークは3つあったのだが,この3つめのピーク位置を通る磁力線は土星の環で言えば「C環側にかなり近いB環のあたり」を通っており,この位置には空隙など存在しないからだ.それどころか,環を構成する粒子同士の相互作用を考慮した力学モデルからは,このあたりは不安定性が高く環を構成している粒子が外に放り出されやすい,つまり様々な分子が外へ放り出され磁力線に沿って土星へ降着しやすい,と推測された位置なのだ.もし本当にそうなっているのなら,多量の水分子が降り注ぎH3+は減るはずなのだが,実際に観測されたのはこの位置でむしろH3+(の発光)が増えている,という結果であり,謎が残る.

しかしまあ,環から水が惑星へ降り注ぐ,というのは何とも想像をかき立てられる面白い現象である.
#降っているのは分子・イオンだけれども.(2013.4.11)

 

89. 空孔を持つ配位高分子結晶を利用したナノグラム量の物質の単結晶X線構造解析

"X-ray analysis on the nanogram to microgram scale using porous complexes"
Y. Inokuma et al., Nature, 495, 461-466 (2013).

多孔性配位高分子で次々に面白い結果を出す藤田誠先生の所の新作.
藤田研は,錯体を使ってナノサイズの空孔を持つ物質を作る専門家である.金属イオンに対し棒状や板状の分子(配位子)を結合させると,様々な立体構造(錯体)を作る事が出来る.この時,各配位子が2つや3つと言った箇所で金属イオンに配位できると,金属イオン-配位子-金属イオン……と無限に連なった構造である配位高分子が生まれる.藤田研では,この配位子の形状やサイズ,用いる金属イオンの種類を変える事で様々な形状の空間を構築,それを用いる事で非常に興味深い研究を展開している.
例えば巨大錯体内部に親油性の空間を作り水中でも有機反応を可能にしたり,特定のガスだけを吸着・分離できる結晶を作ったり,吸着された分子が空孔の形状によって相対位置が制限される事で通常とは異なる部位で反応を起こしたり……と,実に多彩な結果を報告している.
今回の研究は,そんな藤田研の新たな成果である.なんとマイクログラムを下回るような超微量サンプルでの単結晶X線構造解析を実現するアイディアを実証し,さらにこれまで構造が決定できていなかった物質の構造まで実際に決定してしまった,というインパクトの大きい論文だ.

単結晶X線構造解析(以下,単結晶X線)は,分子の構造を決める究極的な手段である.質量分析,分光,NMRなど,分子の構造を推定する実験手法は数あれども,分子の光学異性なども含めた絶対構造を文句の出ないレベルで決定できるという点では単結晶X線の右に出るものは無い.しかしそんな強力な単結晶X線であるが,大きな弱点を持っている.それは測定するにはある程度のサイズの単結晶を作る必要がある,と言う点だ.

*自由電子X線レーザーなどを用いて,分子一つでも構造解析を行えるようにするという研究が進められているが,まだ初期段階である.

このため,例えば蛋白質や長い炭素鎖を持つ分子のように結晶化しにくい物質であるとか(自由度が高く,配列の揃った結晶を作りにくい),そもそも量がほとんどとれない物質(生体からごく微量に抽出される成分など)などでは構造が決定できない事も多い.通常の単結晶X線では0.1 mm(弱)程度のサイズの結晶が必要であるが,この段階で重量はマイクログラム,それだけのサイズの結晶を作るためには溶液段階ではその数十倍以上の元試料が必要であり,さらに結晶化条件を見つけるためのトライアンドエラーも含めれば相当な量の試料が必要となる(そして蛋白質や大きな分子では,それだけの試行錯誤をしても結晶化しなかったりする).
今回報告されている論文は,この単結晶X線を,例えば数十 ngという微量な物質で行ったり,これまで構造が決定できなかった結晶化しにくい物質で行った,というものになる.

さて,ではそのアイディアを紹介しよう.
肝は,「スポンジ状の配位高分子にトラップされた分子は,吸着しやすいサイトに,吸着しやすい向きで吸着する」と言う点である.これは,これまでに彼らが行ってきた実験でも良く観測されている事だ(ただし,必ずそうなるというわけでは無い).
結晶になりにくい分子であったり量の少ない分子であっても,既に結晶となっている配位高分子のスポンジに吸収させると,その中の特定の種類の位置に分子が特定の配向で吸着,全体として見れば,吸着した分子と配位高分子の枠組みからなる一つの結晶となり構造解析が出来る,というものだ.

彼らが用いたのは,十八番である配位高分子の結晶である.Co(NCS)2またはZnI2といった錯体を,tris(4-pyridyl)-1,3,5-triazineという,大きな三角板状(というか,中心から3方向に棒が伸びている構造というか)の分子で結んだものである(三角形の頂点部分で金属イオンに配位する).この大きな三角形の分子が全体構造を支える柱に,Co(NCS)2またはZnI2が柱を繋ぐジョイントになる事で,非常に大きな空間を持つスカスカな結晶が出来上がる.
このスポンジ状結晶の特徴は,構造材として用いているtris(4-pyridyl)-1,3,5-triazineが多くの芳香環(ベンゼン環の仲間)を持つという点である.芳香環は分子平面の上下に突き出したπ軌道を持ち,この部分が非常に分極しやすい.そのため分子間でのファンデルワールス力が強くなり,様々な分子との間で強めの引力を生じる.このため本結晶は,空孔内に溶媒分子をトラップしており,ここに構造解析を行いたい分子を拡散させていくと十分ゆっくりとした拡散が進行する.この「十分ゆっくり」というのがポイントとなる.空孔内に既にトラップされている溶媒分子との置換がゆっくり進む事で,内部に吸着される標的分子は最適な吸着位置へと吸着する事が出来る.この結果,結晶内の特定サイトに特定の向きで標的分子が整列した,単結晶X線に向いた結晶が実現される.
実際の実験では,まず実証実験として構造が既知の化合物を少量溶かした溶媒を結晶に滴下し,標的分子を内部に吸着させた後に構造解析を行った.用いた分子とその結果などはSupplementary Informationの図1-4あたりを見ていただきたい.
結果であるが,例えば0.08 mm角の配位高分子の単結晶に,わずか80ナノグラムの試料を溶かした溶液を吸収させ,それを構造解析する事で溶かしてあった分子の構造を決定する,といった事にまで成功している.
もちろんサンプル量が少ないだけに構造解析だけでは決定しきれない事もあるのだが,例えば質量分析やNMRで得られた結果で補完し解析する事で,多くの分子の超微量構造解析に成功している(Supplementary Informationの図2).

また実際の超微量分析のモデルとして,非常によく似た骨格の有機分子3種(-OMe基が5個,6個,7個付いた類似分子)を数 μgずつ混合した溶液を用意し,これを液体クロマトグラフィーで分離,分離された少量のサンプルを配位高分子単結晶に吸着させ構造解析する事で,それぞれの構造を決める事に成功している(Supplementary Informationの図4).

圧巻なのは最後に行っている実験だ.ここでは近年になって海綿動物から分離されたMiyakosyne Aという分子(毒素か何か.Miyakosyneは何種類もあり,その中の一つがこのA)の絶対構造を決めている.
この分子,基本的な骨格自体は既にわかっていて,中心となる炭素原子からは,
・水素原子
・メチル基
・炭素数14の直鎖(端の部分に2重結合,水酸基,エチニル基を持つ)
・炭素数13の直鎖(端の部分に2重結合,水酸基,エチニル基を持つ)
という4つの異なる置換基が伸びている.このためこの中心の炭素原子は光学活性なのだが,その絶対配置(光学異性のどちらなのか?)を決めるのは困難を極めていた.というのも,上に書いた4つの置換基のうち,最後の2つがほとんど同じ構造(途中の炭素数が1違うだけ)だからだ.このためNMRや分光的な手段では左右の区別が出来ず(何せ光学活性な炭素の周辺は左右で構造がほとんど一緒.遠く離れた部分までの長さが1違うだけ),また長い炭素鎖があって自由度も高いため結晶性が悪く,さらに生体からごく微量しか得られないため実験がしにくい,などのために単結晶が得られていなかった.
そこに今回の新手法を適用,スポンジ状結晶に吸収させた状態で単結晶X線を行った結果,この部位の絶対配置を決定する事に初めて成功した(Supplementary Informationの図5).

この報告されている手法は非常に面白いものだ.空孔のサイズ制限があるためどんな分子にも使えるというわけでは無いが,実証実験の段階で未知構造を明らかに出来たというのは凄い.さらに巨大な空隙を持つ配位高分子でも同様な事が出来れば,もしかしたら蛋白質の構造決定などにまで展開できるかも知れない(道は遠いだろうが).(2013.3.28)

 

88. 多数の回折格子を用いた,新たな裸眼立体視手法

"A multi-directional backlight for a wide-angle, glass-free three-dimensional display"
D. Fattal et al., Nature, 495, 348-351 (2013).

裸眼立体視ディスプレイは一つの大きな研究分野である.根本的な原理はどれも同じで,少しずつ異なる映像を少しずつ異なる方向に出せば,両目で受け取る画像が違ってきて3Dに見える,というものだ.最も単純なものだとわずか2つの映像を2方向に飛ばし,それを右目と左目で受ける事で立体視を実現する.この手法は単純で安価に実現できるが,その一方で視点位置が限定され,そこから少しずれただけで立体視できない(左右の目に同じ映像が入ってしまう)という問題がある.
分割数を増やし映像を多数投射すればこの問題は解決できる.例えば多数の光源と複雑な光学系を用意し力業で数十の映像を作り,それを少しずつ異なる角度に飛ばせば,視点位置の変化に従って段階的に映像が変わる(=対象の立体映像を,様々な角度から眺められる)裸眼立体視も可能である.ただしこの場合,光源と光学系が非常に複雑になるため,サイズも大きくコストも高い.大型のデバイスの場合はこれでもかまわないのだが,携帯電話などのスモールサイズのディスプレイでこれをやろうとするとなかなか大変である.
今回報告されたのは,HPの技術者らによる新型の裸眼立体使用ディスプレイの概念実証である.本手法の特徴を挙げると,
1. 光源は1つ(三原色なら3つ)で良く,それを単純な手法で数十の方向に分割できる
2. カラーフィルター不要
3. 64分割時でも90 dpi近い解像度が可能
4. 透明なディスプレイも作成可能
となる.

さて,その原理であるが,非常に単純なものだ.多数の方向に異なる映像を出すためには,異なる方向に飛んでいく複数の光源があれば良い.これを,違う方向を向いた回折格子で実現する.
試作基板はガラス板で作られており,この上に100 nmほどの厚みで窒化ケイ素膜を形成,それを望みの形状にエッチングする事で回折格子を多数作り込む.個々の回折格子は棒状の構造体が一定間隔で並んだものとなっており,この棒の間隔を制御する事で何色の光を回折するかを変え,さらに棒の並ぶ向きを変える事で回折方向(回折光の飛んでいく方向)を変える.
このガラス板の側面から光を入射すると,ガラス表面で何度も反射しながら内部へ光が浸透,回折格子の部分から光(の一部)が外へと放射される.この光の飛んでいく方向は回折格子の作り方により決められるので,結局この「多数の回折格子が乗ったガラス板」+「三原色の光源」だけで,「微細なドットごとに,異なる方向に光を飛ばす事の出来る光源」として利用できるわけだ.さらに回折格子からの回折光はその偏光面が決まってくるので,このガラス板の上に各ドットごとに独立に駆動できる液晶シャッター(要するに,液晶ディスプレイの各ドット部分に当たる)を乗せれば,3Dディスプレイが完成する.
1つの光源(三原色なら,3つの光源)から出た光がガラス板全体に広がり各ドット位置(=回折格子)から勝手に違う方向に照射されるので,裸眼3Dを実現するために数十の異なる画像を異なる方向に投影する場合でも,光源の数が3個で済む.
またドットの各色は回折格子の構造によって勝手にそれぞれの色が抽出されるので,カラーフィルターも不要である.
異なる視点用の画像が混ざらないように,などを勘案すると分割可能な画像数に制限が出てくるのだが,それでも角度で10度程度での分割(縦横8分割の64視点)は実現できており,およそ90 dpi程度(1つの視点からの画像のみでこの解像度.全視点用のドットを合わせるとこの8倍)の画像のデモンストレーションが行われている. また光源部などはディスプレイのサイド部分に作られ,ディスプレイ本体はほぼ透明な素材のみで作成できる事から,透明な3Dディスプレイとなっている.

現時点での実際の動作状況などはSupplementary Informationのムービーを参照していただきたい.特にVideo 3の終盤に出てくる亀などは,縦横どちら方向でも視点を変えるときちんとそれに応じた画像が見える事がよくわかる.
http://www.nature.com/nature/journal/v495/n7441/full/nature11972.html#/supplementary-information
なお,Video 2で示されている通り,量産を前提としてポリマーフィルムへのroll-to-rollによる構造の作り込みも行われており,こちらも同様に動作している.

まだ色の分離などに荒さはあるものの,見る方向により画像が変わるきちんとした立体視が実現されている. もちろん大型ディスプレイ用途では既存の手法の法が優れている点も多いのだが,本手法の開発の主眼はモバイルディスプレイ系らしい.そこそこ高い解像度,単純な構造でありながら多視点での3D映像を実現する,というのが目標のようだ.
まだまだ荒い技術であるし,多視点にした分だけdpiが落ちている(とは言え90 dpi程度は確保できているが)など,実用化までには時間がかかる(もしくは,結局実用化できない可能性もある)点には注意が必要だが,面白い技術ではある.(2013.3.21)

 

87. 金属リチウム二次電池を目指した,樹状結晶抑制法の開発

"Dendrite-Free Lithium Deposition via Self-Healing Electrostatic Shield Mechanism"
F. Ding et al., J. Am. Chem. Soc., in press (2013).

現在の高エネルギー密度二次電池の主流となったリチウムイオン電池であるが,容量に対する要求は伸び続けるばかりである.このためより多くのリチウムイオンをため込める様々な正極・負極が開発されているのだが,その極限とでも言うようなものが存在する.それが金属リチウム電池である.
例えば金属リチウム-空気電池は金属リチウムを負極とした電池であり,中性のLiから電子が放出され,逆側の電極で空気を還元する過程で電流が流れる.こういった金属リチウムそのものを電極とすると当然のことながら電極におけるリチウム濃度は非常に大きくなり,つまり同じ体積なら容量が稼げる.そのため金属リチウムを用いた二次電池は大容量蓄電池とし有望であると言える.
しかしながら,金属リチウムを電極として使おうとすると一つ大きな問題が存在する.それがデンドライト(樹状結晶)の生成である.金属リチウムを電極として使用すると,放電時にはリチウムのが溶け出し,逆に充電時には溶けているリチウムイオンがそのまま金属として析出してくる.通常のリチウムイオン電池では,イオンが母材に吸収されていく(=既に存在しているものの中に入っていく)のとは大きく異なる.何が問題になるのかというと,電解還元による析出時の,自発的な不均一構造化である.よく知られるように,金属で出来た構造物に電圧をかけると,尖った場所ほど強い電場を生じる.避雷針が尖っているのもこのためである.さて,金属リチウムの表面に,電解によりさらに金属リチウムが析出する過程を考えよう.このプロセスの最中,様々な揺らぎにより微小な凹凸が出来るのは避けられない.ところが一部でも尖った場所が生まれると,その部分の電場が強くなる → さらに新たなリチウムイオンが引き寄せられやすくなりその場所での還元が進む,というフィードバックが起こり,尖った場所はみるみるうちに樹状の細長く伸びた結晶へと成長してしまうのだ.
これの何が問題かというと,細長く伸びた金属が電池のセパレータ(正極と負極とを区切っている膜)を突き破ってしまう事があるからだ.つまり,充電により樹状構造が発生した結果,電池内部でショートする事が起こる.これは金属リチウム電池のような高エネルギー密度の電池においては致命的である.この問題を解決できない限り,金属リチウムを用いた二次電池を広く民生用に使用する事は不可能だ.
このようなショートを抑制するために,通常は例えばセパレータとして非常に堅い物質(例えば固体電解質など)を使う事が研究されている.しかし今回の論文の著者らは,もっと単純かつ低コストな手法で,デンドライトの発生を抑制できる事を実証した.

著者らが用いたのは,彼らが「自己回復型静電シールド(Self-Healing Electrostatic Shield)」と呼ぶメカニズムだ.名前はなにやら面倒くさそうだが,実体は非常に単純なアイディアである.リチウムがデンドライトを作るのは,要するに尖った場所の電場が強く,そこでどんどん還元が起こるからだ.ならば,その電場が強い場所にどんどんくっつく安定なものを混ぜ込めば,そいつらが尖った場所を覆ってしまい,その場所でのリチウムの還元が止まるだろう.
そんな単純でいいのか?と思うかも知れないが,結果は全く見事なものだ.
彼らはこの「電場に引きつけられるが,自身は安定なもの」として,リチウムよりさらにイオン化しやすいCsのイオン(Cs+)を用いた.こいつを低濃度(Liイオンに対し,イオン濃度で5%以下程度)混ぜた溶液を電解液として用い,まずはLiイオンの還元を行い,本当にデンドライトが成長しないのかを調べた.
まずはCsイオンを入れない場合であるが,この場合は電解還元により薄片状やら棒状やらといった,尖った構造が多数成長していた.まあ,尖った場所ほど還元が進むので,これは当たり前な結果だ.ところが電解質にCsイオンを加えていくと,還元の結果生じる金属Liの表面はどんどん滑らかになっていき,1〜5%程度加えると尖った構造はほとんど見受けられなくなるのだ.これは著者の狙い通りの結果であった.
ここで簡単に,このメカニズムを記しておこう.まず,何らかの揺らぎで金属Liの表面に尖ったところが出来たとする.ここは電場が強くなるので,溶液中のLiイオンも,同時に含まれるCsイオンもどんどん寄ってきて表面にくっつく.電極の電位はLiイオンは還元できるがCsイオンは還元できない程度になっているので(何せLiイオンが還元できればそれで充電できる),吸着したLiイオンは還元され電極と一体化,一方のCsイオンはそのまま尖った場所にくっついたまま(=その場所へのLiイオンの吸着を阻害する障害物)となる.このプロセスが進むと,尖った場所の表面全体がCsイオンで覆われ,Liイオンが接近できないので突起部分はもはや成長できなくなる.するといずれは周囲の領域で金属Liが成長し,突起は埋没する.するとこの場所の電場は強くも何とも無くなるので,吸着していたCsイオンはまたふらふらと漂い始め,別な場所にまた偶然生じた尖った場所に吸着する.
つまり,尖った場所にはCsイオンがどんどん集まり成長を抑制することで,金属Liの成長を均一化するわけだ.
著者らはさらに,金属Liを負極,チタン酸リチウムを正極にした金属Li二次電池を作り,約700回の充放電を行ってもその容量がほとんど変わらず安定に充放電できる事も示している.

これだけ単純なアイディアで,あれだけ問題だったデンドライト生成が抑制できるというのは素晴らしい.何せイオン化しやすいものを溶液に混ぜておくだけなので,かなり安上がりに済みそうな所も実に良い.(2013.3.14)

 

86. グラフェンにおける(擬)原子崩壊の観測

"Observing Atomic Collapse Resonances in Artificial Nuclei on Graphene"
Y. Wang et al., Science, in press (2013).

原子番号はどこまで大きくなれるのだろうか?中性子星を一つの巨大な原子核と見なすような場合は例外として,通常の原子核がどこまで可能なのか?というのは実は難しい問題である.もちろん巨大な原子核になればなるほど不安定核となりやすく,寿命は短い傾向があるが,実はそれ以外にも原子核の存在を阻害するような効果が知られている.それが今回の論文にも関係する原子崩壊(Atomic Collapse)である.

非常に原子番号の大きい原子核を考えてみよう.このような核は電荷が非常に大きく,それ故に原子核近傍での電場がとんでもなく強い.すると一番内側の軌道に存在する電子はどんどん原子核へと引き寄せられていく.さて,この電子はどれだけ持ちこたえられるだろうか?実はこのレベルの話になると,相対論的量子力学をまともに取り扱わないといけなくなる.というのも,あまり巨大な正電荷のごく近傍で電子が運動するため,その運動量が相対論的なレベルになってしまうからだ.
これをまともに相対論的量子力学により計算すると,超重核においては十分内側にはもはや安定な軌道というものは存在できず,ある範囲よりも内側の電子は全て原子核へとらせんを描いて落ち込んで行ってしまうことが知られている.ある種,ある半径以下の粒子は全てブラックホールに落ち込んでしまう,というのと似たイメージだ(ただし理論は異なる).こうして,ある程度以上原子番号の大きな原子では,内殻電子が原子核へと崩落してしまうために安定には存在できない(それに伴い原子核の電荷が1減る).
ならば電子の全く存在しない,剥き出しの原子核ならどうだろうか?これなら電子が核内に落ち込む事は無いので,安定に存在できるのではないか?しかしこの場合にももう一つの面倒な効果がダメ出しをする.それだけ強力な電場で引きつけられる「内側の軌道」を巡る電子のエネルギーを考えると,自由電子に比べとんでもなく低い.ある閾値以上の原子番号ではその「内側の軌道に電子が入った場合のエネルギーの低下」が,なんと「電子-陽電子対を作るのに要するエネルギー」よりも大きくなってしまうのだ.すると何が起こるかというと,剥き出しの超重原子核が存在すると,突如その内殻軌道に電子-陽電子対が勝手に生成,電子はらせんを描いて原子核に崩落し,陽電子が外に飛び出してくる.そんなわけで,ある閾値を超える原子核は存在できない(核反応が無くとも自発的に崩壊する)事が予想されている.これがAtomic Collapseだ.なお,この限界となる原子番号は170ちょっとぐらいだろうと予想されている.

さてこのような原子崩壊,理論的には半世紀以上前に指摘されていながら未だに観測に成功していないという,核物理分野における聖杯の一つである.何せ超重核を作る事自体の難易度が高いため,現在も様々な実験が行われているがなかなか成功していない.
こういう場合に物理学者が良く用いるのが,「同じ式で書けるもっと簡単に実現できる系で,(数式的に)同じ現象を探す」というものである.一つ簡単な比喩を挙げてみよう.ニュートン力学において重力は逆二乗則に従う力であるが,巨大な物体を用意しないと力が弱すぎて実験がやりにくい.そこで正と負に帯電した2粒子間に働くクーロン引力を重力に見立てると,(ニュートン力学の範囲では)同じ現象が実験できるよね,というようなものだ.

今回の原子崩壊でこの疑似系として注目されたのが,グラフェンである.グラフェン中の伝導電子というのは,グラフェンの構造に由来して非常に面白いバンド構造を持っている.どのような構造かというと,円錐二つを頂点でくっつけたような形状である(フェルミエネルギー近傍での場合).円錐の横方向(x,y方向)が電子の運動量を表し,縦方向(底面から頂点に向かう方向)がエネルギーを表す.
このバンド構造は要するに,運動量が増えると,電子のエネルギーがそれに比例して直線的に増える,という事を意味している.そして実はこの関係は,「相対論的な質量ゼロのフェルミ粒子」(ディラックフェルミオン)の分散関係と全く一緒なのだ.つまり「グラフェン上の電子」の運動は,「質量ゼロの光速で動いている電子(のようなもの)」に(式の上では)等しい.もちろん実際の電子は質量ゼロではないし,この「擬自由空間」(実際にはグラフェン上)の「光速」は電子の速度だから実際の光速より遙かに遅い.「もしこの世界の電子が質量を持たず,しかも光速が凄く遅かったら起こる現象」が「グラフェン上の電子の運動」と数式的に等価,というわけだ.

そのような背景の中,今回の著者らの一部は,現実の系で起こるAtomic Collapseに相当する現象が,グラフェン上に不純物として正電荷を置いた際の電子の局在化という形で起こる,という事をかつて計算により示していた.つまりグラフェン上にぽつんと置いた正電荷を原子核に見立て,グラフェン上の伝導電子の運動を扱うと,伝導電子がぐるぐるとらせんを描きながらこの正電荷に吸い寄せられその近傍にとどまって局在化,かわりにホールが生成して放出される,という,擬Atomic Collapseが起こると予想したのだ.
今回の論文は,それを実際の実験で実証したものである.擬とはいえ,相対論的量子論によるAtomic Collapse現象が測定されたのはこれが初めての事となる.

グラフェンを使うと何がありがたいのかというと,その(擬)光速の小ささである(グラフェン上の電子の速度は,実際の光速度より2桁ほど小さい).理論的に予想されている原子番号の閾値は,大雑把に言って光速に比例する.つまり現実の系では170番以上の原子核(=+170以上の電荷)が必要とされる現象が,グラフェン上の電子に起こる類似の現象だとその2桁程度小さい電荷で可能になるわけだ.
著者らが行った実験は以下の通りとなる.まず,グラフェンを用意し,それを絶縁性の窒化ホウ素基板に乗せ5 K程度に冷やす.そこにCaの原子を少数蒸着し少し温度を上げると,Ca2n+というような二量体が生成する.これが正電荷を持つ不純物として働き,その周囲の伝導電子と合わせて擬原子となる.実験ではこの二量体をSTMの探針で動かし,グラフェン上のどこかの場所に一つずつ置いていく.二量体が1つ,2つ,3つ……と増えるごとに,いわば(擬)原子核の電荷が増えていくわけだ.
こうやって作った(擬)原子のすぐそばで,STMにより状態密度を測定する.これは要するに「あるエネルギーの状態がどのぐらい存在するか」を,エネルギーをスキャンしながら見る測定であり,何事も無ければグラフェンのバンド構造がそのまま見える.もしAtomic Collapse状態が発生すれば,(擬)原子のごく近傍&フェルミエネルギー付近にだけに「局在した状態」が発生するはずだ.

さて,実際の実験結果を見てみよう.Ca二量体が1つの段階では,元のグラフェンとほとんど変わらない状態密度が観測される.これが二量体2個になると,(擬)原子周辺にやや局在した状態(の前兆)が現れ始める.3個になるとこの新たな「状態」は一気に目立つようになり,明確なピークとして新たな「状態」が発生する.4個,5個と数を増やしても,この状態は(エネルギー位置を少しシフトさせながら)健在である.この新たに発生した「状態」は(擬)原子のごく近傍にだけ存在し,何らかの新たな局在状態である事を示している.
この「状態」が果たして本当にAtomic Collapseに相当する状態なのかを確認するために,著者らはディラック方程式に基づくシミュレーションを行い,それと実際の結果とを比べている(ただし,Ca二量体の電荷がどのぐらい周囲に広がるのかが未確定なため,Ca二量体当たりの実効正電荷をフィッティングパラメータとしている).
この結果,Ca二量体2個まではギリギリAtomic Collapseが起こっていない状態であり,3個以上の時に現れる明確なピークがAtomic Collapseによる新たな「状態」である事が確認された.測定されたピークの位置,強度などがかなり良く実験と一致したのだ.

まとめると,

「これまで観測された事の無いAtomic Collapse現象を,数学的によく似た系として記述できるグラフェン上の電子の局在化として観測した」

という事になる.
グラフェン上の電子が質量ゼロのディラックフェルミオンとして扱える,というのはここ10-20年程度の物性物理の注目点の一つなのだが,それがこうして未発見だった現象の(間接的)検証に使えるようになったのは感慨深い.(2013.3.13)

 

85. Ca2Nは二次元の電子層を保つ電子化物である

"Dicalcium nitride as a two-dimensional electride with an anionic electron layer"
K. Lee, S.W. Kim, Y. Toda, S. Matsuishi and H. Hosono, Nature, 494, 336-340 (2013).

「セメントで奇跡を起こす男」(鉄系超伝導も開発しているけど),東工大の細野先生のところの新作.

以前にも紹介したが,「電子化物」と呼ばれる物質がある.これは剥き出しの「電子」そのものが陰イオンとして取り込まれている固体である.例えば細野先生が以前に発見したセメント系の電子化物は,酸化カルシウム&酸化アルミニウムで出来た籠状構造の中心に電子がぽつんとトラップされたような構造をしており,この籠状構造が緩く繋がる(=電子が隣の籠に移動できる)事で金属伝導やら超伝導やらを示す.
このような電子化物,以前は非常に希な存在だと考えられていたのだが,実は最近の研究によれば高圧下ではそれなりに多数存在する(以前思われていたよりは)ありふれた物質である事が判明している.しかしこれら電子化物は,電子の位置がゼロ次元(籠状構造の中など,特定の位置に閉じ込められている)かせいぜい1次元(トンネル状構造の中に,電子がトラップされている)であり,それ以上の次元性をもつ系は知られていなかった.
今回報告されているのは,Ca2Nという層状化合物が,「正に帯電した層」と「純粋に電子のみからなる層」が交互に積み重なった初の2次元電子化物である,と言うものである.なおこの物質自体は2000年に報告されていた既知の物質なのであるが,Ca2Nが作る層と層との間隔が異常に広い事が問題となっていた.これまでの研究ではこの層間にH-が取り込まれているのでは無いか?とか,ハロゲンのような陰イオンが取り込まれているのでは無いか?といろいろ議論されていたわけだが,今回の論文により実は層間には原子では無く,剥き出しの電子が層を成して挟まっている事がわかったわけだ.細野グループはこれまでにも電子化物を扱っており,その観点から見たときに「ああ,これは間に電子が居てもおかしくないな」と思って研究を行ったのであろう.

サンプル合成に関しては,既知の手法を用いている.通常の窒化カルシウムCa3N2と金属カルシウムを混ぜ,揮発しないようにモリブデン箔で包み真空中で加熱する,と言うものだ.原料を1:1で混合すると多結晶試料が多量に得られ,1:10でカルシウム過剰にして溶けたカルシウム中から再結晶されるような状況にすると小さな単結晶が得られるらしい.
得られたサンプルはこれまで報告されているようにCa2Nの組成を保つ.Caが通常のイオンとして+2価だと仮定すると,Nは4電子を受け取らなくてはならない.しかしNは3電子追加された段階で閉殻な電子構造となるので,4つめの電子を受け入れるのは非常に困難である(このため,この余剰の電子がどこに捕まっているのか?が議論の的だった).このCa2N 1単位あたり1個の余剰の電子が,そのまま結晶中に存在して電子化物となるわけだ.

電子化物である事を示すために,この得られたサンプルに対し様々な物性実験が行われている.まずは粉末X線解析であるが,他のグループによる既報の通り,Nの周りに6つのCaが配位した8面体構造が基本となり,この8面体が辺共有で繋がる事で2次元シートを形成している.そのシート同士の間は 4Å程度と非常に大きく開いた構造である.CaとNとの距離は,両者がCa2+とN3-というイオンである時の半径の和に非常に近く,この価数でほぼ間違いない事,つまり余剰の電子がどこか層間にいるだろう事もわかる.層間には弱い電子密度が予測され,ここに余剰の電子がいることも推測できる(ただし,それが電子単体なのか,H-などの形なのかはX線からはわからない).

この物質は層状物質であり,テープを貼って剥がす事で容易にきれいな劈開面を露出させる事が出来る.こうして出した原子レベルでフラットな面に対し波長を変えながら反射率を測定すると,電子構造に関する情報を得る事が出来る(反射は,内部の電子の振動により引き起こされるため).反射率の測定では,1.5 eVと2.4 eVあたりのエネルギーに非常にブロードなピーク持つ事がわかった.これらに関しては,後に述べるホール抵抗などの結果と一致する.

続いて,今回得られた非常にきれいな単結晶に対し,電気伝導性およびホール抵抗の測定が行われている.ホール抵抗というのは,x方向に電流を流しながらy方向に磁場をかけると,z方向に電位差が生まれる,と言うものであり,古典的には電流のキャリアがローレンツ力の働きで磁場により曲げられ,電流と磁場の双方に直交する方向に集められる効果として説明される.磁場により曲がる方向が電子なのかホールなのかで反転する事や,発生する電圧の大きさを使う事で,物質中のキャリアが電子なのかホールなのか,そしてそれらがどの程度の密度で存在するのかを知る事が出来る手法である.
さてその測定の結果であるが,抵抗は低温から120 Kまでという広い領域で,温度の二乗に比例するような変化を見せた.このような変化は強相関系の金属でよく見られるものであり,導電性を担う電子同士が非常に強く相互作用しながら伝導を担う場合に生じる事が多い.また,抵抗率は金属Caよりもさらに小さく,前述の温度の二乗に依存した抵抗と合わせて考えると,この電気伝導が不純物として含まれる金属Caによるものでは無く,Ca2Nそのものの性質である事がうかがえる.
ホール抵抗の値は非常にフラットであり,きれいな金属である事が示されている.その符号と値から,伝導を担っているのは金属であり,キャリアの個数はCa2N 1ユニットあたり1つである事がわかる.つまり,Ca2N・e-という電子化物で,その余剰の電子全てが伝導電子である,と考えて矛盾は無い.磁気抵抗(磁場をかけながら抵抗の測定を行う)も測定されており,きれいに2次元性が現れているなど,電子層が伝導を担っている,というモデルとの整合性が良い.

結晶構造を元に密度汎関数法による電子分布の計算も行われている.原子核をX線から決められて位置に置き,その時電子がどんな分布をするのかを計算してやると,見事に層間に分布した2次元電子が現れる.ここから出てくるバンド構造はホール効果や反射率測定の結果と良い一致を示し,キャリアの有効質量の値もきっちり一致する.

これらの結果を総合するに,本物質が電子化物である事はほぼ間違いないだろう.この結晶は,Ca2Nが連なった2次元シートと,電子のみが広がった2次元シートが交互に積層した構造を持っている.そしてこの2次元方向に広がった電子が非局在化して電気伝導を担っているわけだ.
電子化物は非常に電子を放出しやすいため,電子線源やら電子を用いた還元触媒だのと言った用途が模索されている.そういった物質の幅を広げるという意味でも本研究は面白い.また,この「電子だけからなる層」というのは,純粋な2次元電子系(と言っても,隣接層からのポテンシャルは受けるわけだが)と言う事で物性物理的にも興味を引かれる.なかなか面白そうな物質であるし,類似の化合物(Sr2Nなど)もある事から,今後さらに研究が展開できそうだ.(2013.2.28)

 

84. マルハナバチは電場を感知し学習する事が出来る

"Detection and Learning of Floral Electric Fields by Bumblebees"
D. Clarke, H. Whitney, G. Sutton and D. Robert, Science, in press (2013).

植物の花は,ありとあらゆる手段を使って蜂などの受粉を媒介してくれる相手にアピールしている.主に使われているのは香り,色,花弁の色・模様・数・形などだが,その組み合わせは実に膨大な数になる.しかもこれらは単に目立てば良い,というものだけではなく,特定の種にのみ選択的にアピールするもの(*),など実に多彩な戦略がとられている.

(*)例えば花が特定の昆虫にだけアピールし,その昆虫がその花の蜜を選択的に食べるのなら,昆虫はその品種の花だけを渡り歩くため結果的に受粉の確率は飛躍的に高くなる.ただしこのような共生関係は,一方の種が何らかのダメージで数を大きく減らすと共倒れになる,という弱点もあり,(自然界の多くの戦略と同じく)一長一短である.

今回の論文が報じているのは,既知の多くの特性に加え,実は花や蜂などは「電場」という全く別な特徴も同時に利用しているのではないか?という研究である.

大気中を漂う粒子が静電気を帯びるのと同じように,飛んでいる蜂というのは実は正に帯電している事が知られている(大気や浮遊粒子との衝突のため?).一方植物は大地に根を張っており,これはすなわちアースに接続された家電のようなもので,全体の電位は周囲に比べ低くなる.著者らはこの点に注目し,「もしかしたら蜂は,飛んでいる自分自身と,地上の植物(さらに言えば花)との間の電位差(に由来する電場か力)を感知し,花へのナビゲートに利用しているのではないか?」という事を思いついたらしい.
蜂は,電位差をちゃんと感知しているのだろうか?著者らは金属でダミーの花を作り,2つのグループを作成した.一つ目のグループは+30 V(**)にプルアップされ,中には蜜が入っている.もう一方のグループは弱い電位(10 V)しかかけておらず,中には苦いものが入っている.この人工的な「花畑」に蜂を放ち,どうなるのかを観察する事にした.

(**)30 Vというのは,花の高さ(30cm前後)と,一般的な空間電位(地面から1 m高くなるごとに,周囲の電位は100 V高くなる)から決めたらしい.ただ,実際の植物はそれなりに導電性があるため,実際の植物は「+30 Vの空間中に,比較的0 Vに近い植物が突き出している」と言う状況に近いのではないかと思われる.まあ,周辺と30 Vの差がある,と言う意味では適切なのかも知れないが.

最初は,蜂はどちらの「花」にも同じように訪れる.この段階では電位の有無は関係無い.「あたり」の花に行き着いた蜂は大喜びで蜜をなめ,「はずれ」の花を引き当てた蜂は苦いものを舐めて顔をしかめるわけだ.
面白いのはここからである.蜂が何度も花との間を行き来する間に,次第に「はずれ」に行き当たる蜂の数は減少し,皆「あたり」の花,つまり電位を高くした花に集中するようになったのだ(50回目の訪問で,的中率80%程度).蜂が「単に場所を覚えた」可能性を除くため,この後に電場を両者ともオフにして様子を見ると,今度はずっと1/2の確率で「あたり」と「はずれ」を引き続け,学習効果は無かった.つまり蜂は「電位の高い花はあたり」と言う情報を学習していたようなのだ.このことから,以下の2点が結論出来る.

・マルハナバチは電位差を感知出来る.
・その電位差と餌の有無の情報を組み合わせ,学習する事が出来る.

この結果を基に,著者らはさらに仮説を立てる.もしかしたら植物や蜂は,色彩や香りと同じように「電位分布のパターン」を,花から蜂へのアピールに使っているのではないだろうか?つまり,特定の模様や香りの花が対応する特定の蜂を引きつけるように,特定の電位分布が対応する蜂を引きつける,と言うような事もあり得るのではないだろうか?
この仮説に基づき,著者らはまず花に本当に電位分布があるのかどうかを確認している.方法は非常に原始的なもので,(蜂と同じように)正に帯電させた色つきの微粒子を花に振りかけ,花のどこにくっつくのか?を見たわけだ.花の電位が低いところほど粒子がくっつくために色が濃く見える,という手法だ.やってみたところ,花の種類によりそれなりに電位分布に差がある事が示唆された.花弁の先端が低電位な花もあれば,逆に中心部が低電位な花もあり,葉脈に沿って筋状に低電位部位が伸びている花もある.
この結果に気をよくした著者らは,電位分布による「模様」を持つ人工の花を作り,先ほどと同じように蜂の挙動を観察した.用意した「花」は円盤状の構造で,一方のグループは中心部が低電位で周辺が高電位で中に蜜が入っているもの,もう一方のグループは逆に中心が高電位で周辺が低電位,中には苦いものが詰まっているものとなる.
40回ほど蜂がやってきて学習するのを待った後では,電位を有効にした状態では70%が正しい「花」を選択していた.一方,ここから電位を切って全部を同じ電位にしてしまうと,蜂の正解率は47%,つまりほぼ運任せの値にまで低下した.やはり蜂は,電位分布による「模様」を認識して,それを学習する事が出来るのだ.

著者らは,この電位分布による「模様」の認識は,香りや色と言った他の特徴と組み合わせて,対象を限定する助けになっているのだろうと推測している.実際,「色が少しだけ違う人工的な花」を用意し,蜂がどの程度の訪問で学習するかを調べたところ,「色の微妙な違いだけ」や「電位分布の違いだけ」のケースに比べ,「色が微妙に違って,電位分布が異なっている」ケースが一番早く「どの花があたりか?」を学習する事が出来ていた.

最後に著者らはスペキュレーション(現時点では十分な実験的な裏付けのない推測)として,「もしかしたらこの電位分布は,花側から蜂に対しての,即時性のあるシグナルとして利用されている可能性があるのではないか」という点を指摘している.
花の色や形状と言ったものは,短くても数日,長い場合には数週間などの時間をかけて準備する必要のある「広告」である.これに対し電位分布は,場合によっては内部での電解質の移動などによりもっと短時間(著者らは,場合によっては秒単位ではないか?とも述べている)で植物が変化させる事の出来る「サインボード」となり得る.
どういうことかというと,例えば極端な例としては,「受粉に適した天気になった!」と植物が感じたときに何らかの電位変化が起こり,それに引きつけられた蜂がやってきて受粉が進む,と言うような,即時性のある相互作用が可能になるのでは?という事だろう.

現時点では実験手法(印加している電位が30 Vというのは本当に良いのか?等)などにやや議論の余地はある気がするが,昆虫がこういったものをセンシング出来る,という事実は面白い.昆虫というのはその非常に単純な構造からは予想も出来ないような非常に高度なセンサーを持っている事が知られているが,実に驚きに満ちた生物である.(2013.2.22)

 

83. 塩味-残された謎に迫る

"High salt recruits aversive taste pathways"
Y. Ola, M. Butnaru, L. Buchholtz, N.J.P. Tyba and C.S. Zuker, Nature, in press (2013).

人間の味覚は甘味,塩味,酸味,苦味,旨味という5つの基本要素から出来ている事が知られている.これらは味覚細胞にそれぞれの受容体が存在し,対応する特定の構造をもった分子やイオンと結合する事でこれらの味を検出している.なお最近ではカルシウムイオンの受容体や脂質の受容体なども見つかり,これらも第六の味なのではないか?と言う議論もあるがここでは置いておく.また,単独では味として感じられないが,他の味成分と同時に刺激されると味に深みがあるように感じられる成分(kokumi,いわゆるコクのこと)なども見つかっている.
これら味覚受容体,それらの正体がわかってきたのは実はごく最近の事である.2000年頃を境に分子生物学的手法や細胞やそれ以下のレベルでの刺激応答の測定手法が広まり始め,それに伴い味覚受容体の発見が相次いだのだ.例えば2000年以降の10年ほどの間に
・甘味受容体がT1r2とT1r3と呼ばれる分子の複合体で,人工甘味料も含めこの分子で感知されている
・旨味受容体がT1r1/T1r3であること
・苦味受容体がT2rsと呼ばれる一群で,30種類が発現しておりそのうちの25種が苦味を感知している(対応する分子がいろいろ違う)
・酸味を感知するのはPKD2L1/PKD1L3複合体のイオンチャンネルであること
・塩味を感知するのはENaCと呼ばれるイオンチャンネルであること
・唐辛子の辛さと山葵やマスタードの辛さは対応する受容体が違い,前者は熱刺激にも反応し,後者は冷温刺激にも反応すること
などがわかってきている.ただこれで全て判明しているわけでは無く,酸味の受容体にはもう一つ(以上)有りそうだという指摘があるなど,まだまだ多数の受容体が見つかる可能性がある.

さて,今回の話題は味覚のうちの「塩味」である.
実は塩味には2つのステージがある事が広く知られている.我々も経験して知っているように,薄い塩味は好ましい刺激として検出されるが,非常に濃い塩味はとても不味いものとして検出される.塩味受容体も,これに対応し「低濃度の塩味を検出する受容体(そしてポジティブな反応を脳に送る)」と「高濃度の塩味を検出する受容体(そしてネガティブな反応を脳に送る)」の2種類の受容体が存在すると考えられている.これまでに見つかっている塩味受容体のENaCは前者の「低濃度で好ましい塩味」を検出するためのもので,高濃度の塩味を検出する受容体は未発見である.
今回の論文は,マウスを用いた実験に基づき,この「高濃度の忌避すべき塩分濃度を検出する受容体」というのは実は酸味受容体と苦味受容体なのではないか?と指摘するものである.

著者らは濃い塩味受容体を探す研究をしている際に,アリルイソチオシアネート(AITC)が濃い塩味へ応答を減少させる事に気がついた.AITCを混ぜると,薄い塩味への応答は変化しないまま,濃い塩味に対する神経の応答が半分程度に減少したのだ.なおこのAITCはマスタードや山葵の辛味成分である.著者らは「AITCが未発見の濃い塩味受容体をマスクしている」のだろうという仮説を立て,AITCに対する応答を研究の中心に据える事になる.そんな中,彼らはこのAITCが実は苦味もマスクしている事に気がついた.苦味成分を与えると通常なら苦味受容体を経由して神経系が応答するわけだが,AITCを同時に加えると苦味に対して応答しなくなるのだ.
ここで著者らは発想の転換を行う.もしかしたら,苦味受容体(の一部)こそが濃い塩味を検出している「未知の」受容体なのでは無いだろうか?
この仮説を検証するために,まず細胞内カルシウムイオン蛍光測定により,苦味受容体が濃い塩味で本当に反応しているのかどうかを調査した.この手法は細胞内にカルシウムイオンと結合すると蛍光を発するタンパク質を導入する事で行われる.細胞の持つ受容体が反応するとその応答としてカルシウムイオンが放出されるが,それをこのタンパク質がキャッチ,蛍光を放つ事で「どの細胞が刺激を検出したのか」を可視化できるのだ.
このタンパク質を苦味を感じる味蕾部分に導入し,苦味,濃い食塩,酸味を加えた場合の応答を可視化したところ,苦味に対し反応していた細胞が,濃い食塩を投与した際にも同様に反応している事が確認された.なおこの細胞は,酸味を加えた場合には無反応であった.この結果は,濃い塩味の検出を苦味細胞が行っている事を示唆している.

さて,著者らは次に苦味受容体をノックアウトしたマウスを用い,濃い塩味への応答を調べた.もし苦味受容体が濃い塩味検出の実体なら,このマウスは高濃度食塩水でもかまわず飲むはずである.ところが調べてみると,濃い食塩に対する神経系の応答は(AITC同時投与時と同じく)半分程度まで減少するもののゼロにはならず,多少濃い塩水は飲むようになったものの非常にしょっぱい塩水は相変わらず忌避したままだった.
つまり,苦味受容体は濃い塩味の検出に関与しているものの,他にも関与している何かがいるわけだ.
ここで著者らはさらに作業仮説を立てる.濃い食塩は避けるべきものであり,ネガティブな評価を出すものだ.5つの味覚のうち,本能レベルでネガティブな評価として扱われるのは苦味と酸味だけである(甘味,旨味,薄い塩味は全て好ましい).この二つのうち苦味が濃い塩味の忌避に関わっていたのなら,もしかしたら酸味も関与しているのでは無いか?

そこで著者らは次に,酸味受容体をノックアウトしたマウス,酸味受容体も苦味受容体もどちらもノックアウトしたマウスを作成し,実験を行った.
酸味受容体をノックアウトしたマウスは,濃い塩味に対する応答が半分程度に減少したものの,やはり非常に濃い塩味は忌避した.ところが,苦味と酸味の両方の受容体をノックアウトしたマウスに関しては,ENaCによる食塩へのポジティブな応答はそのままに通常なら高濃度で起こる忌避反応だけが抑制されていた.かなり濃い食塩水(海水と同程度)も水と同程度に普通に飲むようになったのだ.ただし注意点としては,このダブルノックアウトマウスに関しては,苦味・酸味以外に旨味・甘味の受容体もちゃんと形成されてはいないので,そちらが影響している可能性も完全には排除できない.

と言うわけでまとめると,
・苦味を感じなくすると,濃い塩味への忌避応答が半減する
・酸味を感じなくすると,濃い塩味への忌避応答が半減する
・苦味も酸味も感じなくすると,濃い塩味への忌避応答が無くなる(ただしこの時のマウスは旨味や甘味も感じなくなっている)
・未発見だった濃い塩味の受容体というのは,実は苦味受容体と酸味受容体が兼ねていたのではないか?
となる.

未知の受容体だと思って調べていたら,既知のものが兼ねていた(かも知れない),というのは何とも面白い.
なお,苦味細胞や酸味細胞がどうやって塩分濃度を検出しているのかは謎のままである.著者らは可能性として
・細胞にある通常のナトリウムチャンネルで検出
・30種類ある苦味受容体のどれかが実はナトリウムイオンも検出できる
・酸味受容体のそばにある炭酸脱水酵素(CO2+H2O ↔ HCO3-+H+を加速し,酸味受容体周りのpHを調整)が,実は同じくイオンであるNa+の量により影響を受け,そのため間接的に酸味受容体の活性に影響が及んでいる
などを挙げているが,このあたりは今後の研究待ちとなる.(2013.2.14)

 

82. 多様性と安定性

"Diversity loss with persistent humandisturbance increases vulnerability to ecosystem collapse"
A.S. MacDougall, K.S. McCann, G. Gellner and T. Turkington, Nature, 494, 86-89 (2013).

生態系(を含む複雑系)の多様性とその安定性については長い間研究が続けられており,大雑把な結論としては「どうも多様性が高い方が系全体の安定性は高いようだ」という所に落ち着いている.これは,系を構成する種が増えれば増えるほど冗長性が高くなる事に由来すると考えられている.例えば生態系の基盤を一種で支えるような状態だと,偶然その種が死にやすい気候になったり,その種にとって致命的な疫病が流行しただけで生態系全体が一気に崩壊するのに対し,多数の種が生態系を支えている場合には気候変動や疫病が蔓延しても,それらに耐性の高い別な種が生き延びる事で系全体は耐えられる,という例からも納得のいくものである.
しかしながら,実際の生態系において多様性が系全体の安定性にどの程度寄与しているのか否か?と言う実験はそれほど多く行われているわけではなく,特に長期間にわたる変動を追跡した例は少ない.これは実験を行う事が時間的・規模的に困難であるのが大きな理由となっている.

今回報告されたこの論文は,バンクーバー島(カナダ太平洋側の南端あたり,アメリカとの境界)に広がるオークサバンナ(草原の中にまばらに樹木が生えているような所)において人為的に野火を起こし,そこからの回復度合いや植生の変化を多数の地点で計測し,元の植生の多様性とどのような関係があるのかを研究したものである.
この土地は元々は秋の乾燥期にしばしば野火が自然発生する土地であったが,入植の拡大に伴い19世紀中頃から人為的な野火の抑制が行われてきた.また植生自体も,牧草などとしての利用を見据えた改変が進行している.さてそんな土地での大規模フィールドワークであるが,著者らはまず,野火を起こさなかった土地における生産性に関して調べている.通常,この手の複雑系の研究では「多様性が高いほど冗長性が高く,気候変動などに対し系全体の変動は抑えられる」と仮定される事が多い.ところが著者らの調査によれば,人為的な植生変化が進んで多様性の減少した地域の方が,自然の植生を残す地域よりも年ごとの生産性の変動は少なかったのだ.人為的に改変された植生のもとでは,2000年から2009年までの研究期間を通し,比較的一定のバイオマス生産を示している(変動幅は5%程度ぐらいだろうか).ところが自然の植生の多く残る「多様性の高い地域」では,年ごとの気候の変化によってバイオマス生産が10-20%弱程度増減しているのだ.つまり,多様性の高さは「バイオマス生産量」という指標&気候の年次変動と言った緩やかな変化においては必ずしも安定性の高さを意味するわけではない,という事になる.また,単位面積あたりの生産性自体も,多様性の減少した人為的な植生の方が25%程度高い.これらの結果は,要するにこの「人為的に植生の制御された土地」が,いわば一種の農地のようなものだと考えれば理解出来る.生産量の多い品種をより多く残す(&外部から導入する)事でバイオマスの生産量を増やし,オークサバンナ全体での植生をいじる事で日照などを最適化,外部要因による変動をある程度押さえ込める状況が実現されているわけだ.

さて,実験はいよいよ野火による効果に移る.年次の気候変動が弱い摂動だったのに対し,野火というのは突発的で非常に破壊的な変動を系に対して与える.そのような状態からの回復に,多様性はどのような影響を与えるのだろうか?
実験ではまず,野火後の植生の変動具合を見ている.具体的に言うと,野火の後に外来種や樹木類がどの程度植生へ侵入してきたか,を議論している(元々はほとんど草原に近く,樹木は少ない).実験は,野生状態で野火の発生しやすかった時期である7-8月の乾燥期に,毎年人為的に野火を発生させる事で行っている.なお,10年間毎年火を放った場合以外に,最初の5年は火を放つが,残りの5年は回復に努めさせその結果を比較する,という事も行っている.
結果であるが,まず在来種の種類が多いほど野火の後にも外来種や樹木類の侵入を防ぐ効果が認められた.つまり,在来種が少ない地域は野火の後に外来種や樹木が侵入してきて植生自体が変化するのに対し,在来種の多い地域では野火の後でも同じような植生が復元される,という事になる.これはこれまで多くの研究で示されたり仮説として用いられてきた「多様性が高いほど系は安定である」というものと矛盾しない.この原因としては,在来種は非常に多彩なライフサイクルを持っているので,野火の直後に生えてくる植物も多数存在し,それらが早期に生えそろう事で外来種の侵食を妨害,時間を稼いでいる間に元の植生が復元される,という流れのようだ. これに対し,外来種の草類が大面積を覆っているような地域,つまり人為的な植生変化がだいぶ進んでいる地域では,野火の後に外来種や樹木類の大幅な増大が見受けられた.このため,これら植生が変化し単純化していた地域では,一度野火が起こると植生が一気に変化し,元の状態へは戻らない不安定な地域となっている,と言える.

こういった結果は,以下の事を示唆している.

1. 多様性の増加は,突発的な大きな変動に対する系の安定性・回復力を増大させる.
2. 弱い摂動に対する挙動は,そのような大きな変動に対する安定性とは異なる可能性がある.

1はこれまでも多く言われてきた事であり,それがこの実験によってさらに支持された,という事になる.2に関しては,弱い変動に対する安定性と,大きな変動に対する安定性は分けて考えるべきだ,という(ある意味当たり前の)事実を指摘している部分だ.弱い変動に対して系が安定しているからと言って安心は出来ない,という事である.人の手の入った土地では植生が限定されている事が多く,「多少気候が変動しても安定してたからまあ大丈夫だろう」とか思っていると,何か大きな変動が加わった際に系が一気に崩壊する危険性を孕んでいるかも知れない,というところに注意が必要である.

またこれ以外にも,今回の実験ではいくつか面白い点が見出されている.

まず,野火の前後でのgrassとforbの生え方の差である.前者は単子葉植物と呼ばれるもので,芝などのように葉脈がまっすぐ伸びた細長い葉を付ける一群だ.後者は双子葉植物で,枝分かれした葉脈を持つような一群となる.一般にこれまで仮定されてきたのは,
・野火に強い植物はより多くの葉を持ち,これが地面に堆積する事でよりいっそう野火が起きやすくなる.
・このため正のフィードバックがかかり,野火が起きやすい気候では野火に強い植物が選択的に残る.
というものだった.しかし今回の実験でわかった事は,野火に強いのはforbの方であるが,枯れ葉などのバイオマスとして堆積しやすいのはむしろgrassの方である,という点だ.つまり,野火が起きやすい地域では,野火が起こるたびにgrassは一掃されforbが残るが,その後ぐんぐん伸びて葉を多数バラ撒くのはgrassの方である,という事になる.このため自然な状態では,
grassが勢いよく伸びる→燃えやすい状況になる→野火発生→grassが駆逐され一時的にforb優勢に→grassがまた勢いよく伸びる
と,振動した状態で安定化するらしい.

別な発見としては,「バイオマス生産量で系の回復を測って良いのか?」という点が指摘されている.この手の研究では,系が突発的なダメージから回復したかどうかの定量化にバイオマスの生産量を用いる事が多い.しかし今回の実験で検討したところ,例えば一見バイオマスの生産量は回復しているが,実際には植生が大きく変化してしまっている例や(回復ではなく,別な相への変化),植生自体はほぼ回復してもバイオマスの生産量はまだ回復途上であったり(バイオマス的には回復していないが,実際には系自体はほぼ回復済み),と言った例が見受けられている.今後の研究では,このあたりも十分気をつけないと,おかしな議論をしてしまう可能性もあるだろう.(2013.2.10)

 

81. 分子をナノグラフェンへ近づける:エッジスピンの発生

"Synthesis and Characterization of Quarteranthene: Elucidating the Characteristics of the Edge State of GrapheneNanoribbons at the Molecular Level"
A. Konishi et al., J. Am. Chem. Soc., in press (2013).

単層グラファイトであるグラフェンは理想的には無限サイズの2次元シートであるが,これを切断すると当然ながら「端」が現れる.この「端」では対称性が変わるため,無限サイズのグラフェンとは異なる状態が出現する可能性がある.実際に電子状態を計算した結果によれば,ジグザグ端と呼ばれるような切り方をすると,端に局在した状態(エッジ状態)が出現することが知られている.この局在状態はグラフェンシートのフェルミ準位に位置し,分散の無い端に固定された状態である(内部に向け指数関数的に減少する).
この端に局在した準位はある種の不純物準位に似たようなものであり,物性にも影響を与える.例えばジグザグ端に局在した状態はスピンを持ち,これが磁性を示すことが予測されている.そのためナノグラフェンの物性研究や応用を考えたとき,どのような端を持つナノグラフェンなのか?というのは非常に重要となってくる.
その一方で,端をきっちり規定したナノグラフェンを作る,というのはなかなかに難事業である.特に磁性を調べようと思った場合,測定上ある程度のバルク量が欲しいところであるが,そのような大量の,しかも端がきっちり規定されたナノグラフェンを作ることは難しい(ただし,手法が無いわけでは無い).

今回報告された論文は,縮環芳香族分子を拡大していくことにより18個ものベンゼン環が縮環した分子を作成し,そこである種のエッジ状態とも言えるラジカルスピンが発生した,と言うものである.有機合成によりきっちり作成された分子であるので,その端の状態は完全に規定されており,単一構造で有りながらも測定に耐えるだけの量が合成できるわけだ.
作成された分子の基本骨格は,4つのアントラセン誘導体を横方向に重合させた構造となる.■をベンゼン環とすれば,
■■■×4

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という形になる.この結果,分子の上下方向には山3つ分のジグザグ端が,サイド方向にはアームチェア端が出現することになる.なお,分子の保護のため上下のジグザグ端の中央部分と,分子の四隅にバルキーな置換基が存在している.

著者らが作成したこの分子の磁性を測定したところ,分子一つあたりスピン2つを持ち,それらがおよそ2J/kB = -347 Kの分子内反強磁性相互作用を持つシングレットビラジカルであることが判明した.著者らが以前に作成した3つのアントラセンを縮合させたもの(ベンゼン環13個)ではスピンの量が半分程度だったことを考えると,分子が拡大してグラフェンに近づいたことでエッジ状態(に繋がる分子末端での電子の局在化)がより進行したと考えられる.なお,アントラセン2分子を縮合したもの(ベンゼン環8個)は室温で非磁性である.
さらに温度を変えながら吸収スペクトルを測定しても,温度依存はあまりないことが判明した.温度を変えると言うことはシングレットとトリプレットの比率を変えることを意味しているが,この分子ではどちらもほぼ同じ吸収を示す,という事になる.これは,シングレット状態でもトリプレット状態でも電荷分布がほとんど変わらずに,いわば分子全体とはあまり関係の無い局在電子としてスピンだけが反転している,という描像に近いことをうかがわせる.まさにエッジ状態の先触れである.

ナノグラフェンやエッジ状態の研究ではトップダウン型の研究が先行しているところに,ボトムアップでのナノグラフェン合成もだいぶ近づいてきた感じだ.有機合成により作成されるナノグラフェンは均一で質の良いものになる可能性が高いので,物性研究においても今後その重要性が増すと考えられる.(2013.2.1)