2024年2月11日「教区の日」
あけましておめでとうございます。新たな年を迎え、新たな歩みをはじめるにあたって、この被造界で同じ時を共有するすべてのものに、心から新年の挨拶を送ります。そして、この素晴らしい被造界を創造し、時を定めて導き、わたしたちに歩み寄って時の中に身置き、今もいつも救いのみわざを成し遂げてくださる三位一体の神を賛美します。
創造による時のはじまりと救い主の到来の時のはじまりは、しばしば対比的に語られます。原初の時のはじまりに置かれた神の似姿は、自身の聖性に気付かず、自ら聖なる神を離れることによって、神からの永遠のいのちを失ってしまいました。他方、救い主の到来による新たな時のはじまりに置かれた神の似姿は、いのちの与え主と共にいることによって聖性を保ち、永遠のいのちにいたる神の救いのわざの協力者となったのです。その根本的な違いはいったい何だったのでしょうか? 人祖は、自らが神のようになれると思い、神でないものの言葉を信じ、神以外のものを選択しました。他方、マリアは神のみことばを受け容れ「おことば通り、この身に
成りますように。」(ルカ1・38)と表明し、「神は我々と共におられる」(マタイ1・23)ことを信じ、神と共に生きることを選択したのです。
いのちの与え主である神と共にいることで、いのち輝くマリアの姿に接したエリザベトは、その胎内の子と共に喜び踊り、「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、何と幸いでしょう。」(ルカ1・45)と歓喜の叫びをあげます。こうして救い主イエスは到来し、救いのわざが始動することになったのです。神の呼びかけに「はい」と応えること、そして「私たちと共にいる神」と共に生きること、神から離れないことによってマリアのいのちは輝き、その尊い聖性の光を灯し、神のわざに協力し、救いの泉である主イエスを現わしたのです。
新しい年のはじめに教会が「神の母マリア」を祝うのは、すべての人が神の似姿としてのいのちを頂いて存在しており、人のいのちが神と共にあることの喜びと希望に輝くとき、いのちの源である神の聖なる光を帯び、その光によってあらゆるものの救いの泉が、人間を通して現れることを祝うのであり、あなたもわたしも神の存在をはっきりと示す聖性を帯びていると教えているのです。 人間の尊厳、いのちの尊さが軽んじられる人道危機を目にするとき、私たちは暗く悲しい気持ちに覆われてしまいます。逆に人の良心の声が大切にされ、それに従い、喜び溢れる姿に接するとき、その周りのいのちも喜びに満たされます。どんな状況においても良心の声に聴き従い、目の輝きを失わずに生き生きとしている人の姿は、かけがえのない人間の聖性の輝きです。それは取りも直さず、創造主の聖性の現れであり、そこに救いの泉が湧き出るのです。
さあ、聖母マリアに倣って、みことばを受け容れて共に生き、与えられたいのちを輝かせ、あらゆるいのちに託された聖性の光に気付き、救いの泉を現わしましょう。ひとりの人間の聖性は人類全体の救いにつながっています。神は、人の聖性を通して、永遠のいのち輝く泉である救い主イエス・キリストの到来を現わされるのです。あなたの聖性の光、いのちの輝きをマリアの賛歌にあわせて共に喜び歌いましょう。
2024年正月 カトリック那覇教区
ウェイン・バーント司教
お告げの祈り
主のみ使いのお告げを受けて、
マリアは聖霊によって神の御子を宿された。
〔アヴェ・マリアの祈り〕
アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、
主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、
ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、
わたしたち罪びとのために、
今も、死を迎える時も、お祈りください。
アーメン。
わたしは主のはしため、
おことばどおりになりますように。
(引き続き、上記の〔アヴェ・マリアの祈り〕を唱えます。)
みことばは人となり、
わたしたちのうちに住まわれた。
(ここでも〔アヴェ・マリアの祈り〕を唱えます。)
神の母聖マリア、わたしたちのために祈ってください。
キリストの約束にかなうものとなりますように。
祈願
神よ、み使いのお告げによって、御子が人となられたことを
知ったわたしたちが、キリストの受難と十字架をとおして、
復活の栄光に達することができるよう、恵みを注いでください。
わたしたちの主イエス・キリストによって。 アーメン。