Front Page / Apr 20, 2024

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[4295] Jun 09, 2021

 

[4294] Jun 08, 2021

 

[4293] Jun 06, 2021

約五時間にわたる修理の末、漏水問題は解決した。洗濯機をどかし、パンを入れ換え、床に穴を開けての大工事となった。洗濯機下から風呂場の天井に繋がる給水管の総入れ替えである。ついでに床下収納のコンクリートも破壊された。▼修理箇所が二ヵ所に及んだこともあり、費用はかなり高くついた。六桁には届かない程度。だが、割高とは思っていない。初見の家を相手にこれだけの修繕を速やかにこなせるプロフェッショナルの技術に払う金である。手間賃や材料費は、その後に続く最低限の費用に過ぎない。減免申請書類の作成まで含め、私には絶対不可能な仕事を土日で終わらせてくれるのだから、当然の金額である。▼もっとも、これは見積もり通りの請求書が送られてきた場合の話だ。さすがに無いと思うが、想定外の何かがあったので金額を上乗せ――というような事後的な請求が来たら、また面倒なことになる。たまに悪い業者もいる。それは身をもって知っている。

[4292] Jun 05, 2021

漏水。玄関前のコンクリートが濡れていた。二階の水道から異音もする。水道メーターを開けて見たところ、インジケーターが回っている。ただちに各所の水道局指定工事店へ連絡。意外にも漏水調査をしていないという工事店が多かった。土曜日で営業外、今月は予定が一杯など、門前払いを食らいつつ、なんとか都合のつく会社を発見。即、調査を依頼した。▼漏れていたのは計二ヵ所。給湯配管と、洗濯機の排水管だ。後者はメーターには関係ないが、地盤が濡れるのでよろしくない。前者がちょうど洗濯機の裏側なので、洗濯機の下をくり抜いて出入り口を作り、そこから同時に直そうという話になった。床下から匍匐前進するより短い時間で工事が済む。無駄な穴は空いてしまうが、今後の確認や修理も容易になるので悪い話ではない。▼給湯器の故障からまだ一年経っていない。どうにも水回りの出費がかさむ。天井裏から見せてもらった水道管は想像よりずっと綺麗だった。

[4291] Jun 04, 2021

最高のシャワーヘッドを手に入れた。▼「ドン・キホーテ」で何気なく手に取った一つのヘッド。好みのデザイン。値段とサイズも申し分なく、別売りのカートリッジで塩素除去効果もつけられる。良い物だ。だが、パッケージ裏の説明には「頭皮への刺激にこだわった力強いシャワー」とある。残念ながらこれではないなと棚へ戻した。そのとき、ふと裏の箱が気になった。見た目は同じだが、箱の色が違った。▼奥から出してみる。商品の概要は全て同じ。色違いだ。パッケージの裏を見る。「肌への優しさにこだわった柔らかいシャワー」。まさしくこれだ。完璧だった。▼使用感。本当にシャワーが柔らかい。密度の高い中央部で水量を確保しつつ、周辺部は極めて微細な穴から霧状の水しぶきを散らしている。柔らかいのに勢いはあるので、蛇口を大きく捻る必要もない。節水にもなりそうだ。シャワー板が上品なのも◎。いくら高機能でも蓮コラのような板は好きになれない。

[4290] Jun 03, 2021

明日は歯医者の定期健診。そこそこ痛みのある両側の親知らずはさすがに最後通告が来そうだ。▼シャワーヘッドがお亡くなりになった。驚くほど水が出てこない。悠長に楽天を物色している暇はないので、歯医者の後に電気屋で手ごろなヘッドを買う予定。ついでにニトリのロング枕もあれば買う。最初は分厚いが、使っているうちにすぐ凹んでちょうどいい高さになるというレビューをいくつか見かけた。信じて使ってみよう。どのみち、今の枕はもう寿命である。今後は次男のおもちゃとして第二の人生を歩んでもらおう。▼頭痛は良くなった。しかし喉の痛みが加速度的に増してきた。可能性が高いのは長男から来た風邪だと思うが、この痛みの気配にはどことなく溶連菌の面影もある。熱が出るようだと面倒なことになりそうだ。ようやく来週から出社復帰というところで、またしても致命的に躓いてしまう。発熱は避けたい。まだ健康でいたい。今、伏せるわけにはいかない。

[4289] Jun 02, 2021

片頭痛がする。頭頂部、やや右のあたり。鼻の噛みすぎ以外で頭痛がするのは珍しい。目を酷使しすぎたかもしれない。今日は日付が変わる前に寝よう。▼この夏は、家の補強として物干し台、カーテン、ルンバを検討している。物干し台は昨冬の積雪をきっかけに柱が折れてしまった。このところ劣化が加速。いつ崩れるかわからないので、ウワモノだけでも取り換える必要がある。▼リビングのカーテンは子どもたちに引き裂かれてボロボロになった。もうだいぶ長いこと使い続けているので、それでなくても痛みが激しい。出窓のカーテンと合わせて新調したいところだ。▼最後に。旧和室を含め、せっかくフローリングで統一されたので、やはりルンバは欲しい。ハイエンド機である必要はないが、ゴミの自動収集はぜひとも……と思っていたら、今年に入って自動収集付きのエントリーモデルが出てきた。ベストタイミングだ。ジェットブラーバとセットなら割引もあるらしい。

[4288] Jun 01, 2021

Cubaseの頻出ショートカットをまとめてみた。▼全音符〜三十二分音符の切り替え、三連符化、スナップ有効・無効、アクティブパートの切り替え、アクティブなパートのみ編集の有効・無効。そしてユーティリティとしてのCtrlキー。合計十一個。▼これを綺麗に割り当てられる左手用デバイスを探している。「Elgato STREAM DECK」は有力候補だが、ボタンのディスプレイ機能のせいで値段が高いのと、「押しっぱなし」に向いていない所が痛い。独立したプログラマブルキーで、パームレストがなく、キーの数が必要十分な商品が欲しいところだ。▼このところPC環境を再考しているのは、部屋を子どもたちに明け渡す未来を見据えてのこと。他の部屋に今ほどの場所がないので、どうにかしてコンパクトかつ最適な環境を再構築する必要がある。最新世代でシングルコア性能が爆増してきたノートパソコンも視野に入れつつ、最小限の空間で88鍵を活かせる方法を模索したい。

[4287] May 31, 2021

DMM英会話に別れを告げる。今週いっぱいでお別れだ。▼総評。かなり良い。合う先生が見つかればコストパフォーマンスは非常に高いし、教材の質は同業の中でもトップクラスだ。プラスネイティブプランを継続すれば、半年でも相当の上達が見込める。愛用者が多いのも頷ける。▼したがって、私が抜ける理由は価格や品質ではない。ひとえに「時間帯の不一致」である。仕事と寝かしつけと就寝の隙間。私が英語学習に充てられる時間帯は極めて限られているが、ちょうどその時間帯に予約できない講師が多すぎるのだ。その前でも、後でも空いているのに、フリーな時間は取れない。Camblyの予約と辻褄を合わせながら枠を争奪するのに疲れてしまったというのが正直なところである。▼結局、Cambly最大の魅力は「すぐに話せること」ではなく、先生のスケジュールが公開されていれば何日後でも何コマでも予約が出来るところにあった。DMMは柔軟性で一歩及ばなかった。

[4286] May 30, 2021

右目に遠視と乱視。長男の眼鏡を作りに行く。▼横浜高島屋、子どもの眼鏡専門店へ。顔が小さいので最小クラスのフレーム候補を出してもらう。好きなものを選ばせると、私もいちばん良いと感じていた紺色のシックなフレームを選んだ。こういうところは相変わらず大人びたセンスを発揮する。▼顔を触られるのを極端に嫌がる長男が眼鏡の調整を我慢できるかどうかが課題だったが、嫌がったり暴れたりしたらご褒美のマリオレゴは買ってあげないと念押ししていた甲斐もあり、測定中は終始、目を瞑ってじっとしていた。やればできるではないか。その代わり手は異常に落ち着きがなく、机の上の物を次から次へと弄りまわすので、壊しそうなものはお店の人に頼んで引き上げてもらった。良い子ではあるが、まだ課題は残る。▼仕上がりは一週間後。子ども同伴の必要があるので、受け取りは二週間後になりそうだ。眼鏡自体はそれほど嫌がらないが、掛け続けられるかどうか。

[4285] May 29, 2021

ジャズに興味がない癖に、音楽理論としてのコードスケールには妙に惹かれる理由がなんとなくわかってきた。▼先日、大編成の交響曲を聴いていたときのこと。ロングトーンの豊かな響きがシンプルな四和音で出来ていることに気がついた。(これも理論勉強の賜物だ。)楽器同士の相乗効果と広い空間の残響で、オーケストラは単純な和音を長く豊かに響かせることができる。まさしくハーモニーの芸術である。▼一方。ピアノは、そうは行かない。弦とボディの共鳴はあるにせよ、オーケストラほど単純な和音を長時間リッチに響かせることはできない。複雑な響きを得るには、装飾で譜面を埋める必要がある。そのとき、何で埋めるかが問題になる。▼そこでスケールが活きてくる。非コードトーンをどう按配するかについて、ある程度の指針を与えてくれるわけだ。ピアノサウンドのテクスチャを定めるにあたり、スケールがわかれば抽象のレイヤーがひとつ増えることになる。

[4284] May 28, 2021

そろそろ、二段ベッドの購入を検討する時期だ。検討せねばならない。▼夜、子どもたちが起きる頻度は下がってきた。それなのに、起こされる頻度はあまり下がっていない。次男は絶望的に寝相が悪く、人の布団を巻き取っては遠くへ連れ去って、その上でどっぷり寝てしまうし、長男は枕の奪い合いで無意識に身体を寄せてきて、私をベッドの縁へ追いやってくる。さらには、しばしば二人が干渉して事件を起こす。狭すぎて起きる、布団がなくて起きる、二人の位置を引き離すために起きる。そんなこんなで、まあまあ起きてしまっている。▼二歳と四歳。もう少ししたら、三歳と五歳。まとめて雑魚寝するには狭すぎる。兄弟専用の二段ベッドが必要だ。置き場所がないとか、長男が納得しないとか、いろいろ課題はあるが、まずはどのベッドにするかだけでもイケアへ見に行きたい。▼私も昔は二段ベッドに寝ていて、布団のない昼はよく秘密基地にしていたことを思い出した。

[4283] May 27, 2021

積年の悩みを解決してくれるかもしれないアイテムがある。バウヒュッテのスタンディングデスク「BHD-1200H」、または「BHD-970DT」だ。▼高さ19cmの88鍵をどうやって前方に配置するかという、年単位で持ち越された未解決問題の話である。鍵盤を買い替えるのはあまりに無駄遣い過ぎるので自ら却下しMP10を活かす方向に舵を切ったものの、なかなか良い解は得られなかった。しかし、冒頭の二製品には可能性を感じる。特に後者は新発想と言える。▼立って作業をするわけではない。スタンディングデスクの高さと高さ調節機能を利用して、MP10のパネル部にキーボードトレイを被せるのだ。これを単独で行えるのが独立型の前者、今のデスクを拡張する形で行えるのが卓上型の後者である。▼ただ、どちらにも課題はある。前者は部屋にデスクが増える。後者は今のデスクがデスクとして使えなくなる。せめて購入前にMP10と組み合わせた際の使用感を試せれば良いのにと思う。

[4282] May 26, 2021

#9というテンションについて。▼昔、サビ直前の属7に#9を乗せた曲を聴いた。比較的シンプルなコードで組み上げた曲の中、この#9がスパイスとして光っていたので、よく覚えている。その後、メロディはb9を経由してサビ頭のImに繋がった。▼属7に#9ということは、G7であればシとシbが同時に鳴るわけだから、トライアドのメジャー感をテンションのマイナー感が打ち消す形になる。「変位のキャンセル」だ。メロディは#9とb9を通過するので、想定スケールはコンビネーションオブディミニッシュということになる。▼スケールで解釈すると、たぶんこうなる。しかし、この#9→b9、コンディミ云々というよりも、後続のImにおけるナチュラルマイナーを先取りしたものと考えた方が私にはしっくり来る。つまりシb→ラbがImのソに対する準備運動として勝手にトップノートを奪っていったのだ。▼そんなことを考えた。作者の意図はわからない。

[4281] May 25, 2021

英会話。いろいろな練習法を模索してきたが、少なくとも英検対策においてはこれしかないというスタイルがひとつ確立した。即ち、一分の準備時間で自分の主張に対する二つのサポートを名詞句で準備すること。これに尽きる。「名詞句」に辿り着くまで六十時間もかかってしまった。▼名詞句でサポートを準備するメリットは大きい。第一に、論点を自分の中で明確にできる。名詞句二つなら、最初から最後まで心の中に持っておける。途中で迷子になる心配が少ない。第二に、イントロが引き締まる。導入のつもりがだらだらと詳細まで喋ってしまい、時間をロスするようなリスクを避けられる。第三に、提示した名詞句を展開すれば、それが即ち本文の内容になる。特別なことを意識しなくても「抽象から具体へ」の原則が勝手に守られる。▼大量のコンテンツブロックを丸暗記したり、何十本ものスピーチ原稿を準備したりするよりは、遥かに現実的な対策だ。これに賭けたい。

[4280] May 24, 2021

今日はしっかりプログラムを書いた。▼先進性を追い求めた去年までと比べるとローテクなコードばかり書いている。万が一問題が発生したときに全力で修正対応できるわけではない立場上の問題と、そもそも細切れの時間で取り組まなければならないために入り組んだ設計は書けないという制約と、プロジェクトの規模感を考えた場合の費用対効果の悪さと――理由はいろいろだ。とにかく安全に、素早く、読みやすく、追加仕様を吸収しやすい形に仕上げている。▼たぶん、これはこれでひとつの技術的な成長のステージなのだろう。わかること、できることがたくさんある中で、最適な選択肢としてシンプルな方法を選ぶ自由。敢えて選んでいる。だから、99%を単純明快な実装にしても、1%の勘所には高度な技術を注ぎ込むという決断もできる。▼まさにそういうことだ。何事においてもこの感触が欲しいと思っている。複雑さは志向していない。単純さを選べる力が欲しい。

[4279] May 23, 2021

ロマン派逍遥。有名どころの作曲家は、少なくとも二曲ずつくらいは攫ってみた。探し足りないのは承知の上だが、やはりシューマンに落ち着く。ブラームスが次点。意外にもドヴォルザークは食わず嫌いだった。他方、どうしても好きになれないのはドビュッシーだが、これについてはいつか別途書きたい。▼必ずしも気に入る理由を明文化する必要はないだろうが、シューマンが根音と9を同時に鳴らし始めた最初期の作曲家であることは私の志向と無関係ではなさそうだ。私はテンションへの感度が低いので、11や13を協和音とは感じられないが、とはいえポップスやアニソンに慣らされた現役現代人でもあるので、9は協和音程と言われても納得できる。恐らく、この「協和音程としての9」が市民権を得たくらいの時期が、私の聴覚にぴったり合うスイートスポットなのだろう。11や13やオルタードテンションが増し増しになっていくロマン派後期は、脳がバグるのだ。

[4278] May 22, 2021

日々基礎錬。▼スケールと調号の関係を覚えたり、メジャー・マイナーを鍵盤と対応付けたり、基礎中の基礎を繰り返しやっている。役に立っているのが、本とピアノが一体化した子どものおもちゃだ。2オクターブしかないが、スケールの確認は十分できる。遊び相手をしながら、少しずつ右手で形を覚えていく。ようやくメジャーとマイナーを12音からスムーズに導けるようになってきた。メジャー、メロディック、ハーモニックの7モード、合わせて21モードもCでゆっくりならわかる。ちょっとずつ前進している。▼英会話といい音楽といい、ここまで付き合ってきて今更基礎錬という後ろ向きな感情は拭えないが、仮に同い年の他人がやっていたら頑張っているなと素直に思うはずなので、ここは自分に対しても少し前向きに考えてあげよう。基礎が大切と口で言うのは簡単だが、基礎が自分にとってどう大切か、どう効くかを実感して言うのは意外と難しいことのはずだ。

[4277] May 21, 2021

ロマン派旅行で知らない曲ばかり聴いたので、ちょっとベートーヴェンに帰ってきた。実家のような安心感だ。▼私は、所謂クラシック畑の人間ではないから、クライマックスのない曲はどうしても好きになれない。「はい、今から盛り上がりますよ〜」とお膳立てしてもらって、その通りにちゃんと盛り上がってくれないとダメなのだ。そして、きっちりエンディングを迎えてくれないとイヤなのだ。懐石料理より、ニンニク増し増しの分厚いステーキが食べたい。何なら、ダブルチーズバーガーが食べたい。味の薄い料理を味わう舌がない。▼そうなるとやはりロマン派後期は荷が重くなってくる。調性という香辛料が効かなくなってくると、脳が興味を無くしてしまう。近現代に近づきながらも力強い味を出してくれるラフマニノフの存在はありがたいが、どちらかというと例外だ。思想を隠蔽する感情のベールは要らない。まっすぐにストーリーを伝えてくれないと理解できない。

[4276] May 20, 2021

二万語クラスの語彙を「勉強」しても、英会話で運用できる語彙は極めて少なく、常に言いたいことがまったく言えないストレスに晒されている。同じ経験をした人の中から、英会話を目指す人への単語学習不要論が飛び出してきても不思議ではない。▼だが、たとえ学んだ単語が何ひとつ口から出てこないとしても、私の単語学習は英会話でも日の目を見ていると言いたい。というのも、ネイティブがときどき口にしてしまう難しめの単語が理解できるので、会話が止まらないのだ。▼自分では気づきにくいが、これは意外と英会話の学習効率を高めているのではないかと思う。難しめの語彙を口にするたび怪訝な顔をしたり意味を問いただしていたりすると、どうしても会話のリズムが悪くなるし、相手も乗りにくくなる。結果的に、こちらが喋る時間も減ってしまう。相手の言うことがきちんと理解できていれば、流れを見失わなずに済み、語彙が拙くても会話を継続しやすいのだ。

[4275] May 19, 2021

スマホゲームのイベント報酬には、ある意味でゲーム自体の調整よりも数段デリケートな設定が求められる。どのようにコンテンツの皮を被らせようが報酬に「石」が含まれる限り、認識が現金に直結する部分だからだ。打ち所が悪いと即座に火が上がり、そのまま炎上する恐れもある。▼「勝利の否定」は危険な設計のひとつだ。ユーザーが勝利したことで報酬的な不利益を被る設計、言い換えれば、故意に負けることで得ができる設計は、危うい。具体的な話にしよう。第1ラウンドで敗退したユーザーは第2ラウンドで下位リーグに入り、第1ラウンドで勝利したユーザーは第2ラウンドで上位リーグに入る。第2ラウンドを勝利するとそれぞれのリーグの決勝へ進み、決勝報酬が手に入る。一見公平なようだが、実はよろしくない。「勝利→敗退」者よりも「敗退→勝利」者の方が得をしているからだ。この場合、上位リーグの敗退者は下位の決勝へ進めるのが無難な設計である。

[4274] May 18, 2021

ロマン派の作曲家たちをつまみ食いしている。▼これまで私の「ロマン派カテゴリー」には、ありていに言ってショパンとリストしかいなかった。ロマン派に入れていいなら、ぎりぎりラフマニノフが入るくらい。他は名前だけ知っている程度だった。だが、食わず嫌いせずに聞いてみると、ロマン派には見過ごしていた名曲がたくさんあった。▼とりわけシューマンは侮っていた。標題音楽メインでいろいろ小品を作る人くらいにしか認識していなかった非礼を詫びたいくらいだ。とんでもない話だが、シューベルトとごっちゃにしていた説すらある。実に情けない。▼ブラームス、ドヴォルザークを始め、ロマン派にはまだ発掘できる鉱脈が多そうだ。バロックはバッハで、古典はベートーヴェンで完結しているし、逆にストラヴィンスキーあたりの近現代まで来ると私にはまったく理解できない領域に入るので、向こう十年くらいはロマン派に焦点を合わせてみても良かろうと思う。

[4273] May 17, 2021

一日のうち、勉強に充てられる時間は一時間。上手くいって二時間というところ。確保できない日もあるので、平均したら七十分くらいになるだろう。▼月並みだが、学生時代は毎日十時間以上も勉強に充てられた時間があったことを思えば、まさに雀の涙である。今の私にとって一年かかる学習を、当時なら一ヶ月程度で仕上げられた計算だ。何なら大学四年間を四十八年に換算することもできる。取り返しがつかない皮算用になる。▼到底正当化できないほど無駄な時間も過ごした。だが、そのときはそうしたかったのだから仕方がないとしか言いようがない。「あの無駄な時間も今の自分に寄与している」と無理やりこじつけるのも不健全だ。▼和声とアナリーゼを扱うブログの一角で、こうした基礎的な知識は年を取ってから学ぶものではなく学生のうちに身につけるべきものだという警句を目にして、同意しかできなかった。だが、今はそれをやりたいのだから仕方がないのだ。

[4272] May 16, 2021

長尾和夫+アンディ・バーガー『英語で話す力』修了。思ったより時間がかかった。▼初めて書店で見かけたときの印象は「簡単すぎるかな?」であった。だが、それが思い上がりに過ぎないことを悟ってから改めて真剣に取り組んでみると、私のようなスピーキング初心者が言えそうで言えないラインを絶妙に突いていることがわかる。それを確かめる簡単な手段は、センテンスをひとつ読んだら目を閉じて、内容から英文を口で再現してみることだ。半分くらいは、きちんと言えない。それは当然、ソラでも口にできない英文である。▼二周目は全てのセンテンスで、この「瞬間暗唱」をやってみようと思っている。八割方再現できるようになれば、少なくともテンプレ的な意見を言うにあたって必要な英文が二通りずつくらいはストックされるはずだ。中身を詰める訓練も並行しなければ意味はないが、中身に辿り着けない悲劇を経験済みの身としては、この手の練習も欠かせない。

[4271] May 15, 2021

"organized crime"の話題。Japanにも大規模なものがあるかと聞かれて、麻薬の密輸や人身売買、テロリストグループ等を思い描いていた私は、思わずNoと言いそうになった。だが、そんなわけがなかった。海外の小さなマフィアとは比較にならないほどの人数と収益を誇る世界最大級の反社会的組織が、日本にはあるではないか。▼結局、英語の勉強と言いつつ、こういう思考の整理が後で物を言うのだろうという気がしている。実際の試験の場で"organized crime"に出会ったとき、すぐに山口組を思い浮かべられるかどうかの差は大きい。具体例が浮かべば、話の展開は後からついてくる。逆に、何の例にも立脚しないスピーチは母国語でも難しい。▼レベルはともかく、中学レベルの語彙で良ければ言いたいことは概ね言えるようになってきた。設問に対して具体的な固有名詞を2つ3つ、その場で即座に思いつくことができたら、あとは何とでも繋げられるだろうと思っている。

[4270] May 14, 2021

かなり昔の話。確か、八年か九年前くらいのこと。神田の古本屋を逍遥していたら、芸術系の書籍を専門に扱う店で『ピストン/デヴォート和声法―分析と実習』を見かけた。七千円くらいだった気がする。立ち読みしたが、大部分は何が書いてあるのか全く理解できなかった。高い本なので、そっと棚に戻した。▼今、十年近い時を経て、あの本をもう一度見てみたい気持ちがふと湧いてきた。今ならわかるとか、今度こそ読み切るとか、そういう話ではなく、あの本をパラパラとめくったときに受ける印象が、書店で立ち読みした当時とどのように変わっているか確かめたくなったのだ。▼だが、アマゾンで探してみたところ、とにかく高い。13200円とある。興味本位で買える値段ではない。覗き見サンプルもないし、紹介文は概要のみ。さりとて、コロナ禍で神田に繰り出すわけにもいかない。洋書の方は分析と実習が二冊に分かれているので、こちらの中古を探す手もある。

[4269] May 13, 2021

パラフレーズ。英語に限った話ではない。日本語だって、なるべく同じ言葉が連続しないよう意識してパラフレーズする。まったく同じ単語を羅列するのは、使える語彙が限られているとか、その方がリズムが良くなるとか、徹底的に同じ単語を強調したいとか、何か連続させる意図や制限があるときだけだ。そうでなければ、通常、書き手は文章に豊かさを求める。パラフレーズは、その基本中の基本である。▼だが、似た意味の単語なら何でもパラフレーズの候補になるわけではない。意味的には交換可能な単語同士でも、硬さや柔らかさ、意味合いの強さ、暗示するニュアンス、周辺語彙との相性――様々な属性が異なる。異なるからこそ、複数の言葉が今に生きている。硬い表現を次は崩して息を抜くのか、より硬くして襟を正すのか、冗長さを嫌ってひとつユーモアを込めるのか、そういうせめぎ合いの中、最高の表現を求めて言葉を選択することがパラフレーズの本懐である。

[4268] May 12, 2021

保育園、閉鎖。▼二日前にPCR検査を受けた園児が陽性だったらしい。速やかに撤収の指示。そして期限未定の臨時閉鎖となった。▼その後、夜にかかってきた電話により、次男が濃厚接触者であることも判明。後日保育園でPCR検査を受けることになった。感染対策のできない乳児達ということもあり濃厚接触の判定は厳しめだったようだが、とにもかくにもとうとう膝元までやってきた格好である。これで次男も陽性だった日には……もう、何もかもがめちゃくちゃだ。めちゃくちゃな五月になる。▼とはいえ、今はまだ必要以上に恐れたくはない。陽性ではないかもしれないし、陽性であっても無症状や軽症で済むかもしれないし、そもそも他人への感染力はないかもしれない。感染力があったとしても家族全員、ただの風邪程度で済んでしまう可能性もある。とにかく先のことは何もわからない。ここ数ヶ月いろんな波に呑まれて来たが、今回も無事浮上できると信じている。

[4267] May 11, 2021

原則や規則を学ぶとき、その背景にある思想や哲学を知らないまま暗記するのは気が進まない。たいていの場合は何か理由があるんだろうと信じて先に進むのが正解だが、記憶に背骨がないので、よほど反復して血肉にしないとすぐに忘れてしまったりする。▼古典派理論の「メジャーコードにおける3度の重複はナシだが、マイナーコードではアリ」もそのひとつだった。とりあえずそういうものと覚えるしかなかったし、自力で理由にも辿りつけなかった。▼だが、「@古典派は長調と短調の明確な分離を目指している」「A長調のダイアトニックコードにおけるマイナーコードの3度は常にメジャーコードのルートである」「B故に長調でマイナーコードの3度を強調することはメジャー感の強化に繋がり@の哲学に沿う」ということがひとたび了解されると、謎のルールも途端に忘れ得ない知識となる。知りたいのは蘊蓄ではなく、このような表層を支える思考のロジックである。

[4266] May 10, 2021

次男の咳が酷いということで保育園から回収を求められた。だが、帰ってみると咳ひとつしない。お昼寝で降りた鼻水が発作的に激しい咳に繋がってしまったのか、それとも卵アレルギー解除検査のために食べさせた朝食の微量なゆで卵が時間差で悪さをしたか、あるいは咽る程度の大したことのない咳ながら大事を取って帰されたか――どれなのかはわからない。だが、どうも園児の一人が目下PCR検査中ということで、咳に対して普段以上に神経をとがらせている可能性はありそうだ。▼そう遠くないご近所で逃げ出した巨大な蛇は見つからないし、コロナワクチンはいっこうに打てる気配がないしで、このところ引きこもり圧力が増加している。今日、散髪のため外に出たが、思えば電車に乗ったのさえ久しぶりだ。病院以外の目的で最後に出歩いたのがいつだったか、もう思い出すこともできない。脅威が去ったら、その時は必ず有休を取って東京までラーメンを食べに行こう。

[4265] May 09, 2021

ここ最近、毎日アレグラを飲んでいるが眠くはならない。なんとなくぼんやりしている気がしないでもないが、風邪や花粉症のせいかも知れず、アレグラ由来とも言い切りにくいところがある。▼アレジオン、クラリチン、ザイザル、ビラノアと逍遥して、割と普通めなアレグラに辿り着いたわけだ。少なくともザイザルまでは明らかに眠気が出ていたのでダメだったが、ビラノアは体調の悪い時期に服用していたこともあり、だるさが薬由来であったかどうかは再確認する必要がある。ビラノアで良いなら、効能はビラノアの方が期待できる。▼アレグラはドラッグストアでも入手しやすいのがありがたい。どうしても通院のスケジュールが合わずに薬が足りなくなったとき、割高ながら補充ができる。実際、ゴールデンウィークは補充で乗り切っている。次回もアレグラを処方してもらいつつ手持ちのビラノアと飲み比べて眠気を測るのが良さそうだ。抗ヒスタミン薬も進化している。

[4264] May 08, 2021

同じ音、同じコード、同じ展開でも、音楽理論的な解釈はコンテクストによって様々な可能性の重ね合わせになる。これはもう疑う必要もない。だが、いくつかのケースでは、一般的に確からしいとされる解釈より、スケールで考えた方が聴覚との整合性が取れることがある。▼たとえば、Z♭の持つ浮遊感はパラレルマイナーからの借用というより部分的にミクソリディアンの勇敢さが付加されたことによる飛翔に聴こえるし、U♭△7はSubVのクオリティチェンジというより解決直前にフリジアンのテイストが加わったようなサウンドに聴こえる。少なくとも私は、そう言われた方が遥かに納得できる。これは、数多あるコード系テクニックの中で、とりわけモーダルインターチェンジに強く惹かれたことと無関係ではなさそうだ。▼三十五歳から始める音楽。随分遅くなってしまったが、ようやく基礎理論との付き合い方がわかってきた。今はまだ単語を覚える段階。先は長い。

[4263] May 07, 2021

「業績目標を数値化すると、目標は必ず達成される。その代わり、数値化できない大切な何かが失われる。」▼バブル崩壊後、名うてのコンサルタント達が大小問わず様々な企業の業績をV字回復させた。コンサルは時代の寵児となり、就職の花形となった。奇抜なアイデアと巧みな手腕で旧態依然の職場をモダナイズしていく仕事は、エリート層の憧れになった。彼らは明確な期限を切り、鮮やかな目標を立て、あらゆる手段を使ってその目標を達成していった。そして、その傍らでひっそりと何かが失われていった。▼同じことが今、情報のレイヤーで起きている。背景と文脈を剝ぎ取られた主張がめまぐるしくSNSに踊る傍らで、抽象化できない大切な何かが失われ続けている。捨象は忘れ去られ、抽象だけが真実であるかのように扱われている。現実を説明できなくなった抽象をなんとしてもアップデートさせようとするコンサル的暴走が、現代のイデオロギーを形作っている。

[4262] May 06, 2021

やるからには偉業を成さねばならず、偉業を成すには非凡である必要がある――。今、アマチュア創作者がこの幻想から逃れるために格好の追い風が吹いている。▼UGCの黎明期。多くのプラットフォームはまだウィナー・テイクス・オールに支配されていた。インターネットがアマチュア創作者にとって作品を公開する最高の場所であったことは間違いないが、そこで評判を得るには、制作物は何らかの形で偉業でなければならなかった。非凡なセンスか、非凡な努力か、非凡な着眼点か、少なくとも非凡な運が求められた。▼あれから数年。インターネットは次のフェーズにシフトした。制作者も消費者も、お互いがお気に入りと認める小さな輪の中で需給を完結させるようになった。露骨な競争は土壌ごと姿を消した。アマチュア創作者はようやくグローバルな競争からわが身を解放し、自らの表現に集中できるようになったのだ。▼未来のことは知らない。だが、潮目は見える。

[4261] May 05, 2021

『Re:ZERO -Starting Life in Another World-, Vol. 1』読了。英語版ということで、英語版表記にて。この手のコテコテな王道ラノベを読むのは久しぶりなので素直に楽しかった。二巻にも期待している。▼ときに、ロシアで異世界転生系のアニメや漫画が配信禁止になったというニュースが話題になった。「死後により興味深く充実した世界があることを示唆」することで「生まれ変わりや転生信仰を助長」してしまう恐れがあるからだと言う。実際、向こうでは昨今、子どもたちに自殺を促す悪意のゲームが社会問題になったこともあった。異世界転生の設定に慣れきった日本の価値観とは違う角度から、ロシアはロシアでいたって真面目な判断を下しているのかもしれない。▼ただ、禁止リストに「リゼロ」は含まれていないようだ。無条件でハーレムを築ける転生モノと異なり、転生後の世界が元の世界に劣らずハードな故に転生信仰を助長しないと見なされたのかもしれない。

[4260] May 04, 2021

昨日のその後。救急安心センター事業で「今すぐ受診」を勧められたため、最寄りの総合病院へ行く。二十三時、着。家の体温計では平熱だったが病院の体温計では微熱と出たので、隔離されて抗原検査とPCRを受ける。その後、採血、レントゲン、CT。結果、肺に大きな異常は見られないとのこと。肺炎や気胸の可能性はひとまずなくなった。抗原検査は陰性。PCRの結果は木曜日に連絡が来ることになっている。呼吸困難は症状が軽くなってきたので点滴はせず、咳止めと鼻水止めの薬を処方されて終了となった。▼帰宅したのは午前三時。シャワーを浴びて寝る。今回の件が深刻な疾患でなく、単なる風邪で気管支が強くやられただけだとすると、午前三時まで外を出歩いていたのは逆効果だったかもしれない。だが、諸々の不安が解消され、連休中に薬も手に入り、ついでにコロナの検査も受けられたということで、甲斐はあったと思っている。連休明けまでには治したい。

[4259] May 03, 2021

状態は……よくない。鼻水とくしゃみは減ってきたが、咳が出ている。喘息の症状も現れてきて、呼吸も苦しい。風邪なのか気管支炎なのか喘息なのか、痛みも症状もいろいろで何がなんだかわからないが、少なくとも熱は出ていないので甘めに見積もっている。どのみち五月六日まで病院は開かない。喘息が悪化して救急に頼る羽目になるまでは、通院もできない。▼胸と腰の痛みは良化している。今回のぎっくり腰は軽めで済んだかもしれない。どこにも行けないしロクに動けもしないので、最初の40頁で放置していたリゼロの続きを読み始める。おかげさまで100頁は進んだ。ネタは知っていても筋書きは知らないので、楽しく読んでいる。英語になっても語彙や言い回しのお約束がきちんと守られていて、所謂「ラノベ的」な仕上がりになっているのが心強い。様式美のもたらす安心感の偉大さを改めて認識させられた。▼ひとまず体は要観察だ。#7119は話し中である。

[4258] May 02, 2021

次男からもらった鼻風邪でくしゃみを連発し、ぎっくり腰が再発した。これだけでも最悪だが、いっそう悲惨なことに、肋骨を疲労骨折した疑いがある。昨日から胸部が痛い。屈んだり、重いものを持ち上げたり、体を大きく動かしたりすると、軋むような痛みが骨に走る。昔、中学生の頃、肋骨にヒビが入ったときとよく似た痛みである。▼結局、ゴールデンウィーク初日にして、鼻の噛み過ぎで頭が痛く、鼻が痛く、胸が痛く、腰も痛いという、バッドステータス山盛りの状態になってしまった。これが育成なら「あきらめる」一択である。最寄りの整形外科も六日まで開いていないので、連休はまともな状態で過ごせないことが決まってしまったようなものだ。なんとも、ついていないとしか言いようがない。▼さいわい、今のところ深呼吸では痛くならないので、呼吸が浅くなる心配はなさそうだ。だが、くしゃみは止まらない。始終、腰と骨への負担に怯えながら過ごしている。

[4257] May 01, 2021

今のところ、英会話で発音の悪さを指摘されることはあまりない。無論、多少発音が悪くても流れから意図を汲んでくれているのは間違いないが、最低限のレベルでアメリカンスタイルを再現できていると判断されているようだ。発音を重視した単語学習を続けてきたおかげかもしれない。▼だが、指摘が無いわけではない。とりわけ違う先生から何度か注意されている音がある。「sh」と「er」である。▼「sh」は、ShellやShoreでは問題ないが、SheがSeaに近いとよく言われる。指摘されてから何度も練習してだいぶマシにはなったが、気を抜くとすぐあいまいな音に戻ってしまう。思えば、日本語のサ行では「シ」だけが拗音を持たない。シーは二種類に区別するという概念自体がないのだ。難しいのも頷ける。▼「er」は単に、その音を口から出すのが難しい。他の音へ参照を求められない所が厄介だ。eでもuでもない。erはerであり、他の何物でもない。その音を出すしかない。

[4256] Apr 30, 2021

次男のぶち切れ体質に拍車がかかってきた。▼とりわけ夕食は手を焼いている。沸騰までの準備時間が限りなくゼロに近いので、お椀や汁物を守る暇がない。しかも怒りのポイントがわからないと来ている。豚肉が半分に切れなくてキレることもあれば、餃子を半分に切ったことでキレることもある。今日も、私が豚肉の味噌煮込みを切り分けた瞬間に、自分のお盆を薙ぎ払った。▼毎日毎日、これでしこたま怒られるのだが、持ち前の図太さでまったく懲りない。そもそも、怒った直後の態度が明らかに逆ギレである。こちらが怒ると、床や机を激しく叩いて威嚇し、相手以上の怒りを示そうとする。言葉では埒が明かないので部屋の外へ追い出されるのが常だが、長男と違って暗かろうが何だろうがまるで気にしない。たとえ家の外へ出しても一人でコンビニに出かけそうな二歳児である。▼とにかく沸点をもう十度か二十度上げて、すぐに手を出すことの悪を諭さなければならない。

[4255] Apr 29, 2021

銘店伝説『極魅 中華蕎麦とみ田』を食べる。実店舗に遠征できない今、久々のつけ麺である。▼さすがに本店の味とは比べられないが、十二分に良く出来ている。麺にもスープにも不満はないし、具材のクオリティも高い。この手の商品にありがちな「がっかりラーメン」でなかったことは確かだ。一点だけ不満があるとすれば、最初からスープにゆず風味が足されていたことくらいだろうか。もうひとつ袋をつけるのが商品としてナンセンスなのは理解するものの、「究極」を冠するには些か横着に感じた。▼「極魅」シリーズから他に出ているのは、ホープ軒、ぜんや、博多だるま、新福菜館本店。博多だるまも食べたいが、京都ラーメンの老舗として絶大な人気を誇る新福菜館も惹きが強い。魚介や豚骨より醤油の方がインスタントで再現しやすかろうという期待もある。敢えて博多だるまを最後に残すのもいいかもしれない。恥ずかしながらホープ軒は寡聞にして知らなかった。

[4254] Apr 28, 2021

適当な統計やグラフを引っ張り出してきてはファクトベースだとか数字が全てだとか宣う算数オンチが発言力を得てしまったのは、平成末期〜令和初期におけるソーシャルメディアの悲劇であった。決め台詞は「なんでこんな単純なことがわからないかな」。無論、それは、彼らが足し算引き算程度に考えているほど数字の計算過程が単純ではないからに過ぎない。▼データから読み取れる最も浅い”辻褄合わせ”を披露しながら社会の意思決定層を小馬鹿にする、この冴えない遊びが酒の席で同僚の失笑を買っているうちはよかったのだが、ソーシャルメディアの力を得て拡散力が備わると、類が友を呼んで手がつけられなくなった。顎の力がなくても噛める優しい”真実”を知って目から鱗を落とす者や、自分と同じ考えを持つ覚者の存在に感動する者……を巻き込んで、夥しい軍勢を為したドンキホーテが象牙の風車を薙ぎ倒していく。なぜ、賢さへの憧れはかくも強烈なのだろう?

[4253] Apr 27, 2021

絶対音感テストというのをやってみた。単音が鳴る。その音高さを当てる。それだけのテストである。▼思っていたより遥かに当たらなかった。高い確率で当てられるのはAだけで、あとはことごとく間違える。黒鍵と白鍵くらいはなんとなくわかるだろうと高を括っていたが、あちこち飛んでいるうちにCまで黒鍵に聞こえてくる始末。自分に音感がないことを再認識したのだった。▼が、前向きに考えれば、Aは他に参照する音がなくてもわかるのだから、単純計算で十二倍練習すれば他の音も識別できるようになるはずだ。絶対音感ほど正確でなくて良いなら、訓練で補える範疇だろう。寝る前に5分くらい、しばらくテストを続けてみよう。▼なぜ今更そんなことがしたいかというと、DAW外で楽譜やスコアを目にすることが増えたので、鍵盤に触れないと音が想像できないのは面倒だと感じたからだ。本当に今更だが、できないものはできないので、こつこつ穴を埋めていく。

[4252] Apr 26, 2021

腰の調子はだいぶ良くなってきた。立ち上がると痛いが、これはもうぎっくり腰というより、一週間以上も不自然な姿勢で生活してきたことによる「凝り」のような気がする。腰が石のように硬い。元通りになるまでには、まだしばらくかかりそうだ。▼それにしてもくしゃみが怖くなってしまった。前回のぎっくり腰は屈んだときのくしゃみから、今回のぎっくり腰は反ったときのくしゃみから、それぞれ派生してきただけに、いよいよくしゃみの「正しい姿勢」がわからなくなっている自分がいる。屈まない、反らない、自然体ですればよろしいということなのだろうが、腰への影響を警戒して身構えているときに自然体と言われても難しいものだ。▼しばらくは再発も怖い。まずはくしゃみをしないようにアレグラを飲む。くしゃみをするときは鼻をつまんで規模を抑える。重いものを持っているときは一旦しゃがむ――などなど、こういうところで小さく気をつけていくしかない。

[4251] Apr 25, 2021

話題にするのを避けていたわけではない。ただ、今年のベイスターズは正味、ここまでのところ書けることが何もないのである。▼27戦で4勝19敗4分。どんなに弱いチームでも三割は勝つと言われるペナントで、勝率.174という驚異的な数字を残している。負けの内容も、総じてどうしようもない。不調とか、采配ミスとか、投打の噛み合いとか、そういうことではなく、純粋に歯が立っていない試合ばかりである。チーム防御率は4.83。さすがに今年の「優勝」は、贔屓目に見ても世迷言になってしまった。▼さいわい、今は他にもいろいろやることがあるので、真剣に野球を見ている時間が減ったのは不幸中の幸いかもしれない。ファンとしてそれでいいのかと言われると冷や汗は出るが、ここまでの試合がどれも直視に堪えないのは事実である。コロナの中、現地へ足を運んでいるファンには頭が下がる。▼好転で意地を見せるか、このまま伝説の暗黒となるか。五月が分かれ目だ。

[4250] Apr 24, 2021

核兵器の保持は正当か。妥当な選挙権年齢とは。相続税は引き上げるべきか。ユーロ廃止の是非。臓器売買は合法化すべきか。遺伝子工学は食糧難を救うか。テロリズムが正当化されるケースとは。少数民族の言語は保護すべきか。神は存在するか……。▼ごく正直に言えば、これらは私がこれまで考えて来なかった話題であり、あわよくば今後も考えたくない話題である。どうでもいいわけではない。トピックの重要性は重々承知している。だが、それを私が考える必要はないだろうという話である。世の中には、こうした社会的な事柄について私よりも遥かに実践的な思索を巡らせ、妥当な結論を出せる人がたくさんいるからだ。▼それでも、市民は社会のテーマを深く理解し、自分なりの意見を言えるようにすべしと言われる。本当にそうなのだろうか。興味がなく、苦手であり、知識もない領域について、人が思考のリソースを割くことは、本当に社会にとって有益なのだろうか?

[4249] Apr 23, 2021

緊急事態宣言がまた出されるかもしれない空気になってきたことで、在宅解除がペンディングされている。私は、私が在宅で仕事をしたいかどうかとは関係なく、これからのポストコロナ社会を生き抜くためには、会社はいつでも在宅ワーク可能な体制を整えるべきだと思っているので、どのプロジェクトもなるべく在宅を選びつつ、足りない機能についてはインフラ部門に要求を課し続けるのが良いと考えている。オフィスがなければあれもできません、これもできませんでは、時代の流れに取り残されるのが目に見えている。▼環境変化が大きい場合、ピンチをチャンスに変えようと気負う必要はない。ピンチを平凡に変えれられれば、それで十分である。荒れた状況を利用して大儲けしてやろうなどと考えるのは、山師の魂胆というものだ。そうではない。どんな状況でも、やるべきことをやれるようにする。そして、やれることをやる。当然のことを当然にやるのが適応力である。

[4248] Apr 22, 2021

ここ十数年は、たとえば「飲みニュケーション」のような社会力学を人間の負の側面と見なす傾向がブームだった。普段は合理性に縁の遠い人までが、こぞって合理性を崇めていた。無駄を排除することは正義だった。合理性の追求者は賢者であった。そうして皆、賢者に見えるよう振る舞うことに必死だった。▼今日のナントカコレクトネスをめぐる論争は全て、いつまで経っても「正しさ」で動かない世界を是正したい勢力と、そのような是正の名を借りた一方的な粛清に抵抗する勢力の争いである。もし、何らかのテーマで「正しさ」について誰かと意見が合わないとしたら、あなたはどちらかのグループに属している。確からしい根拠を示そうが示すまいが、同じである。▼どちらに属するにせよ、過激派に身を落とさないために、相手を馬鹿者だと断じる愚行だけは避けたいものだ。誰かが愚かに見えるなら、自分が愚かなのだ。自分が正しいと確信しているなら、尚更である。

[4247] Apr 21, 2021

IのメジャートライアドからW#のメジャートライアドへ移ると、何か宇宙的な感じがする。そこはかとなくサイバーである。どこかの宇宙的なトラックで鳴っていた記憶がそう感じさせるのか、それともコードが裏側へ飛ぶことの普遍的な印象なのか。一見、よくわからない。▼脳科学的に考えれば、増四度の移動が持つ縁の遠さ、非現実感、#味、IからI#への進歩的な漸進……などなどに紐づく概念が全体的に惹起されると考えるのが妥当だろう。そうして、我々現代人は、その領域に「宇宙」にまつわる情報を散らしている率が高いのではないだろうか。音が想起するフィーリングというのは、音そのものが持つ本質というよりも、音の連なりが引き起こす脳細胞のスパイクのパターンに聴き手が普段何を充てているかによって定まる、と解釈するのが自然なのだろう。▼そう考えれば、音楽はけっして音楽という閉じた世界に留まってはいないことが、当たり前に信じられる。

[4246] Apr 20, 2021

Windowsをアップデートしたら、VisualStudioが死ぬほど重くなった。▼Windows10の定期アップデート方式は、数年ごとに買い替え必須だった昔よりは消費者にやさしいが、こちらの制御が及ばぬ範囲で不要なことをしでかしてくれて、不意に業務の遂行を妨げられる点が非常に困る。軽微だが鬱陶しいタイプのバグだと、次のアップデートを待つ以外に回避方法すらなかったりする。塵も積もれば何とやら。降って湧いた「やりにくさ」に翻弄されて開発ペースが乱れるのはやるせない。▼同様の報告を探しているが、VisualStudioの側にも不具合が多いせいで問題児×問題児の掛け算になっていて、干し草の中から針を探すような状態になっている。なんだかよくわからない環境で、なんだかよくわからない不具合に苛まれながら、とりあえず何とかなる方法で何とかしているのが、今日のソフトウェア開発の偽らざる実情ではないだろうか。どこかで限界がきて破綻する予感もする。

[4245] Apr 19, 2021

掛け布団が限界なので、新たな布団を探す。▼マットレスを始め、寝具の品質にはこだわりたい性質だが、正直なところ子どもたちが寝ているうちは、あまり高い商品に手を出したくない。汗は二倍吸っているし、涎もつけば、お茶もこぼす。そして、次男の縦横無尽なローリング移動。通常の三倍以上はダメージを負うはずだ。いかなる高級羽毛布団も二年後にはせんべいである。▼さりとて寒いのはいやだし、蒸れるのも困るし、防ダニ性能も気になるし……ということで、結局「高水準の品質要求は満たしつつ、プラスアルファのエグゼクティブな要素は一切不要」という、実用主義的な欲張りラインに落ち着く。必然、この線を狙ったメーカーに引っ掛かることになる。つまり、無印良品だ。▼先日購入したバスタオルも、まさに理想的な値段と品質の釣り合いであった。ブランドの思惑通りに動かされている感が無きにしも非ず。だが、最終的には今回もお世話になる気がする。

[4244] Apr 18, 2021

若いうちは「なんだかよくわからないがまあやってみよう」というノリで時間を失うことに、さほど恐怖を感じなかった。趣味であること以上の意味が何もなく、恐らくは身にもならない活動に、気がつけば数年打ち込んでいた……ということもありえた。▼だが、年を取って人生の残り時間が意識されるようになると、行動する前に費用対効果の算盤を弾くことが増えた。何をやるにも「それは私を成長させるだろうか」「効率良い方法だろうか」「結果は現れるだろうか」という疑問が先行し、面白そう、やってみたいという興味や欲求に準ずることが出来なくなった。欲求に準じて自分の行動を変えることが、精神の柔軟さによる臨機応変さなのか、意志薄弱による現実逃避なのか、それすらもわからなくなっていった。▼答えはない。今もまだ、混迷の最中にいる。しかし、行動にしか光明がないこともわかっている。愚かなギャンブラーになるために、知性を封じる必要がある。

[4243] Apr 17, 2021

ぎっくり腰の発症から二日後の今日、痛みはピークに達している。記録通りだ。▼湿布にも手を出した。喘息持ちなので本当は使いたくないが、そうも言っていられない。薬剤師の指示にしたがって、市販品の中で効果の弱いものを選んだ。「ロキソニン>ジクロフェナクナトリウム>フェルビナク」という話だったので、フェルビナク配合のフェイタスを購入。すぐに貼ってみた。▼さすがに、違う。悪い姿勢になったときの鋭い痛みは変わらないが、立っていても座っていてもズキズキするような慢性的な痛みは和らぐ。これなら一週間乗り切れるかも……と思っていたのだが、残念ながらあっという間に背中がかぶれてしまった。故に、今日は使用を断念して痛みに耐えている。難儀な身体である。▼とはいえ、立ち上がれないほどではない。生活は出来る。今日がピークなら、前回よりは軽めで済んだことになりそうだ。月曜日には、保育園の送り迎えが出来てもおかしくはない。

[4242] Apr 16, 2021

「400」のフォーマットを変えたい。▼何しろ十年選手である。「400」は、実はIE以外のブラウザでは正しく表示されていない。むしろ、最初からEdgeやChromeで読み始めた人がいたら、その事実を知らないかもしれない。私も「400」を読み書きするときだけは未だにIEに切り替えている。だが、さすがに時代遅れの感がある。▼もうひとつ。これは投稿側の事情だが、スマートフォンから記事を投稿できないのが痛い。不可能ではないが、表示のプレビューもできないし、文字数もカウントできないので、やろうとしたら40x10に整形したメモ帳に書いたものを貼り付けるくらいしか良い方法がない。故に旅先でPCが使えないときくらいしかやったことはない。これも、できれば改善したいポイントだ。▼思えば、全くの素人が教科書レベルの構文で組み上げた杜撰なPHPが10年も動いている方が驚きである。そこらのブログサービスより歴史が長いかもしれない。

[4241] Apr 15, 2021

七年ぶり二回目。ぎっくり腰になった。▼またしてもくしゃみが契機になった。登園に抵抗する次男を抱き上げたところ、思いのほかこちらに体重をかけてきて、背中が沿った状態になった。そこへ強烈なくしゃみが襲ってきた。瞬間、背中の広範囲に痛みが走る。これはやってしまったと確信した。案の定、朝から夜にかけて痛みは増している。明日の朝は歩けないかもしれない。▼前回は、2014年10月28日。「朝方の特大くしゃみが引き金になった。」とあるので、またしても同じ轍を踏んだことになる。今後は、不意のくしゃみに怯え続ける人生になるのかもしれない。▼記録によると、本格的に痛み出したのは発生から二日後のようだ。今回も同じであれば気が滅入る。安静にしていれば三日で治ることもあるという当時の医者の言葉に縋って、軽症を祈るしかない。だが、背中は別の事実を訴えている。残念ながら、初日の痛みは当時の記憶より遥かに広く、強いのだ。

[4240] Apr 14, 2021

ネイティブキャンプに別れを告げた。休会システムがないので、一時的にせよ支払いを免れるには退会するしかない。その代わり、退会・再入会はボタンひとつで気楽に切り替えられるようになっている。実質、休会と変わらない気楽さと言ってよい。「好きなときにいつでも戻って来なさい」という懐の広さを感じる。どこか余裕を感じさせる。▼辞めた理由はサービスの悪さではない。単純に、他のサービスを併用していると「レッスン受け放題」の価値が相対的に下がってしまうから、今は辞めた方が得という判断である。逆にもし使うサービスをここだけと決めたなら、ネイティブキャンプ以上にコストパフォーマンスの良いオンライン英会話は無い。掛け持ち非推奨。フルコミットするかしないかの二択である。私は、Camblyの質を選んだ。▼オンライン英会話は、思ったより楽しい。今まで避けてきた他のことにも首を突っ込んでみたいと思えるようになった三十半ばである。

[4239] Apr 13, 2021

数量、意見、大きさ、新旧、形、色、由来、目的。英語における一般的な形容詞の順序である。▼"Three beautiful big old slim brown Japanese guardian dogs."(3つの綺麗で大きな古いスリムで茶色の日本製狛犬)という具合だ。無論、これら全ての形容詞で名詞を形容することはないが、2つか3つ以上の形容詞が並ぶときは、たいていこの順番で並んでいる。それが自然ということなのだろう。▼数量の次が意見であるあたり、主観から客観という並びでもない。何がこの順序を自然と感じさせるのか。わかりにくいが、ここに「模様」を挿入する場合、「形」の前に入るのが自然というネイティブの意見が鍵になる。この順序は恐らく、認識の対象空間を徐々に狭めていったとき言及すべき属性の順なのだ。言い換えれば、ぱっと見で頭に浮かぶものほど先に来ているのである。表現する対象の醸し出す雰囲気の強さが、そのまま語順に表れている。私にはそのように見える。

[4238] Apr 12, 2021

春の大セールを利用して、Camblyの年間プランを購読した。思い切った投資だが、三社の中で最も感触の良かったプラットフォームを離れる未来は見えなかった。であれば半額は大きい。三ヶ月ごとに継続するより遥かにお得である。▼恐らく、スピーキング練習はここに集約していくだろう。今は集中的にレッスンを詰め込んでいるが、早いところ鍵盤を据えて取り組みたい制作もあるし、仕事も佳境を迎えるしで、結果的に週に30分×5が英語に割り当てられるぎりぎりのラインになりそうだ。慣れてきたら、むしろ無制限に受けるより、それくらいの方が良いと思っている。インプットとアウトプットのバランスが釣り合う均衡点である。▼RLWS四技能。目を背け続けてきたWとSに自信がついてきたのはありがたい。ただ、相手が難しめの表現を使っても知らない単語がまず出てこないことの気楽さは大きいので、R偏重からのスタートもけっして無駄ではなかったと思う。

[4237] Apr 11, 2021

ようやく長男の様子が落ち着いてきた。今日、ステロイドなしで再発しなかったので、恐らくもう大丈夫だろう。明日からは保育園へ行く。久々である。▼コロナの一年はたしかに悲惨だったが、こんなことでもなければ永久に実現しなかったであろう在宅勤務によって得られた恩恵も多かった。実際、このところ立て続けに我が家を襲った病気絡みのイベントを従来の出社形態で乗り切ろうと思ったら、相当無理をするか、有給を消費して仕事に穴を開けるか、いずれにしても大きな犠牲を払っていたと思われる。どちらもそこそこの損害に抑えつつやりくりできているのは、在宅であればこそだ。▼否定的ながらもしぶしぶテレワークを実践した我々のような企業は、緊急事態宣言が開けてオフィス勤務へ戻る前に――あるいは戻った後でもよいから――在宅のもたらした光と闇の側面を、よくよく検証するべきだろう。戻れてよかったで蓋をしたまま進むのは、進歩的とは言えない。

[4236] Apr 10, 2021

長男、本日の様子。▼昨日と同じく、朝は赤みも湿疹もない。どこもかしこも、これほど跡形もなくなるものかと驚くくらい綺麗になっている。朝食後、医者の指示で半分に減らしたステロイドを服用。しかし間もなく、再び背中にスポット型の湿疹が現れる。顔と腕にも数点。地図状にはなっていない。夜に向けて悪化するようなら三度目の通院だろうと思っていたが、昼、夕方と時間が過ぎていくにつれ、湿疹は薄くなっていった。夜のステロイド。症状はない。それでも、数日の戦いで体力を消耗したのか、いつもより早く眠りに落ちた。▼明日の分のステロイドはない。このまま月曜の朝を迎えられれば無事完治と言える。再発するようなら、しばらく薬との付き合いになるかもしれない。それにしてもステロイドの内服はやはり強力だ。湿疹はともかく、症状が落ち着いているときの肌の様子は普段より遥かに安定している。ありがたいことではあるが、長く飲ませたくはない。

[4235] Apr 09, 2021

今朝。湿疹は綺麗さっぱり消え去っていた。顔も身体も、全てが元通りになっている。だが、ステロイドが切れたら再発する可能性もあると思っていた。油断はしなかった。▼案の定、昼を過ぎた頃、背中に湿疹が戻っていた。何かがトリガーになったのか、ステロイドの効果が切れたからなのか、まったくわからないが、またしても初日のようにどんどん範囲が広がっていく。だが、病院へ着いた頃には再び湿疹が消えてしまったらしい。観測できない症状が相手ではどうにもならぬということで、様子見期間を延長、ステロイドの内服薬を追加で処方された。▼結局、夕飯後に再び湿疹がやってきた。今度は首から上が特にひどい。全体が真っ赤になって熱を帯びている。だが、体温の意味での熱はない。背中の湿疹は初日のような地図上というより、散在するスポット型になっている。お腹と手足は無事。発現する場所もタイミングもいまいち規則性が掴めずにいる。様子見が続く。

[4234] Apr 08, 2021

長男の容態は、今のところ芳しくはない。身体の湿疹は真ん中が赤くなって輪郭線の集合体のようになってきたので、昨日よりはマシに見えるが、代わりに湿疹のヒートマップが徐々に顔の方へと上がってきた。凹凸の引いた四肢も、全体的にまだ赤く腫れぼったい感じ。どこも触ると熱を持っている。それでも、体温は高くない。寝る直前は少し声が変になっていた。夜は要注意だ。▼今日の夜でステロイド内服薬が終わる。明日の朝、劇的に良くなっていない場合は再び通院だ。もっとも、医者にはあらかじめ「蕁麻疹ほど簡単には消えないし治らない」と言われているので、ステロイドを延長しつつ、しばらくは戦いが続くかもしれない。お腹の方は元の肌色が増えてきたように思うが、どうにも良くなっているのかなっていないのか、素人目には判断しにくいのがつらいところだ。▼本人もいつもよりぐったりしている。元気は元気だが、どこかだるそうだ。早く治してあげたい。

[4233] Apr 07, 2021

昨晩。長男の身体に蕁麻疹が現れた。背中全体。何に反応したか不明だが、ひとまずアレジオンを投与して様子を見る。蕁麻疹なら数時間で収まるはずだった。▼だが、朝、症状は悪化していた。湿疹がお腹の方にも広がっている。病院へ。最寄りの小児科は定休日なので、私が小学校〜中学校の頃に通っていた小児科・アレルギー科に駆け込んだ。▼診断は多形滲出性紅斑。原因は不明だが、蕁麻疹とは異なるということで、ステロイド内服薬と塗り薬を処方された。会計待ちの間にもどんどん悪化して広がっていくので、近くの薬局でもらったリンデロンシロップを即投入。しかし、そこからもなかなか悪化傾向が収まらず、帰宅頃には顔まで含めた全身が真っ赤になってしまった。▼かなり痒そうだが、とにかく一晩はステロイドで様子を見るしかないとのこと。二十一時現在、良化こそしていないが悪化は収まっている。保育園は明日もお休み。朝、少しは治っていることを祈る。

[4232] Apr 06, 2021

カニチャーハン一杯。ポテトサラダ一人前。つくね焼き鳥一本。バナナ半分程度。キウイ半分程度。チョコチップパンひとつ。▼長男(4歳)の朝ご飯である。平均よりだいぶ小さい体でありながら、長男はとにかく食が太い。なんだかんだと屁理屈をいい、いちゃもんをつけ、あれはきらい、これも食べないと好き嫌いをしながら、気がつくと相当な量を食べていたりする。この健啖ぶりが、あまり病気をしない理由かもしれない。▼だが、次男も負けじと頬張っている。そんなところで張り合わなくてもいいのだが、とにかくシュレッダーか何かのようにもしゃもしゃと食べ物を吸い込む。こちらは好き嫌いをしないので、さらに伸びしろが大きい。▼二人とも中学生、高校生になったらどうなるか。今からエンゲル係数の爆発が心配になってくる。米を五合炊いても足りないなんてことにならなければよいが、揃って運動部に入ったりした日には……。とにかく、よく食べる兄弟だ。

[4231] Apr 05, 2021

Camblyの方は良い先生が二人見つかった。この二人が辞めない限りは安定して質の高い授業が受けられそうだ。もう一人見つかれば週五日でも安定してスケジュールできる。どちらも予約できない日に新規開拓するしかない。▼スピーキングの練習を始めてからもうすぐ一ヶ月。確実に手応えはあるが、同時に、このままの感覚でダラダラ英会話を続けても決して流暢に英語を話せるようにはならないという確信もある。今はとにかく落ち着いて自分の知っている表現を口に出すための練習をしている「慣れのフェーズ」だが、淀みない発信を重視するあまり、自分の言いたいことを矮小化しているところがあるのは否めない。さらに、伝わればなんでもいいという状態なので、形容詞や副詞のような味付けの品詞もほとんどない。構文も単純なSVばかり。さすがに、遅かれ早かれ行き詰まるのが目に見えている。慣れてきたと感じたら、意識的に負荷を上げる必要があると感じている。

[4230] Apr 04, 2021

確定申告。eTaxで済ませる。去年は税に関係するイベントが多かったので、思ったより時間がかかってしまった。▼この手の申請がオンラインで出来るようになったこと自体は歓迎だが、それにしてもマイナンバーを利用しているわりにはサービスのUXがよろしくない。認証されない外部サイトとの連携。ことあるごとに入力させられるパスワード。マイナンバーから拾える情報の手打ち。別ウインドウを立ち上げておきながら、ブラウザが複数起動していると言ってエラーを吐くユーティリティ。クリックするべき箇所が上へ真ん中へ下へとしきりに振られる絶望的な導線。確認なのか情報入力なのか、そのページで何をすべきなのかがまったくわからないサマリーなしの長文ページ。律儀に挙げれば、とても400文字には収まらないほどの課題がある。▼設計したエンジニアがダメという話ではあるまい。ひとえにサービスにおけるUXの影響を軽視する意思決定層の問題である。

[4229] Apr 03, 2021

まだ買い替えると決まったわけではないが、十五年選手の冷蔵庫が手狭になってきたのは確かだ。定格内容積400リットル。上から下までいつもぎっしりである。▼そんなことから大容量の冷蔵庫を求めて情報を集め、パナソニックの650リットルや三菱の700リットルに思いを馳せていた。通院のついでに現品を確認したりもした。ワイドパーシャル。三段冷凍庫。大容量野菜室……。素晴らしい。冷蔵庫の悩みが一撃で霧散しそうな懐の広さである。▼だが、夢はいつも儚いものだ。小さい方のパナソニックでも、幅75cm、奥行きは74cmある。台所にはぎりぎり収まる。だが、肝心の台所の入り口は幅が69cmしかない。つまり、物理的に入らないのだ。大容量タイプどころか、定番サイズの68.5cmすら通らないことになる。古い家なので仕方ないが、なんとも残念だ。▼選択肢に残るのはアクアの奥行き薄型タイプか、日立の540リットルタイプ。スケールダウンは免れない。

[4228] Apr 02, 2021

エイプリルフール。毎年、意識的に何かしているわけではないが、今年はエイプリルフールネタを見ることすらしなかった。実際、世間的にも、あまり盛り上がっていなかったように思う。▼嘘を言いあって冗談で済ませる心の余裕を賛美したお祭りの一種だということは理解しているが、エイプリルフールは、どうもその特性を発揮するのが難しい。とりわけ家庭内ではそうだ。すぐバレる嘘をついても寒いダジャレと変わらないし、かといって本気にされるような嘘をついてもバツが悪い。そもそも、嘘を悪として教育している子どもに、今日は「嘘をついていい日」だと堂々宣言するのも憚られる。▼思うに、家庭よりは遠く職場よりは近い、気心の知れた友人と嘘を交わすのが正着手だったのだろう。だが、今日のコミュニケーションはテキストが主体。文面で嘘をついてもまったく面白みに欠けてしまう。そういうわけで、誰とも嘘を交換する機会がないというのが実情だろう。

[4227] Apr 01, 2021

マイナーペンタトニックを1−5−2の三音から展開すると、全部合わせて1のドリアンスケールになる。4から4−1−5で展開すればエオリアンに、5から5−2−6ならミクソリディアンになる。1〜7まで全ての音から展開すればアイオニアンからロクリアンまでの基本的なスケールが現れる。それらを全て合わせると、当然、クロマチックスケールになる。▼これはクロマチックスケールの分解として聞くと興味深い話だ。12音階全てを使っていると言っても、実は局所的にはいずれかの基本スケールに属していて、そのスケールのコールアンドレスポンスによって曲は進行している。さらに、その基本スケールも実は五度圏を行き来するマイナーペンタトニックのコールアンドレスポンスによって成立している……と見ることもできる。曲を横方向に分解し、全ての起源をペンタトニックの五音に求めるわけだ。さながら五行説である。▼興味深い視点なので、メモに残す。

[4226] Mar 31, 2021

私はもう長いこと、オブジェクト指向プログラミング最大の神髄は「命名」であると説いてきた。全てに正しい名前がついていること。これが全てである。他の原理原則は、全てここから導ける。全てに正しく名前がついているなら、全ては正しくカプセル化されているし、正しい依存関係になっているし、正しい設計になっている。▼複雑な機能のまとまりに適切な名前をつけて部品とし、部品同士を組み合わせてより大きな部品を構築していく。この過程こそがオブジェクト指向プログラミングに他ならない。エンジンと書かれた塊を拾い上げた人は、エンジンの詳細な仕組みについて知る必要はない。ただ起動と、最低限の制御と、停止が出来ればよいわけだ。▼そんなに単純な話のはずがないと思うかもしれないが――逆である。全てに正しい名前をつけ、その名前が正しいままであるようにプログラム全体をメンテナンスしつづけることは、実際、そんな単純な話ではないのだ。

[4225] Mar 30, 2021

カシオのPrivia PX-S1000は高さ10.5cm。コンパクトが売りのモデルだけに、かなり低く抑えられている。他の88鍵盤は大体12cm前後が相場。鍵盤のタッチに力を入れるハイエンドだと15cm超えが目立ってくる。15cmを超えるくらいなら、19cmのMP10とそこまで大差はない。▼要するに、沈思黙考した結果、鍵盤の置き場所は机と膝の間しかありえないという結論に至った。中間部のない四足式のスタンドに鍵盤を乗せ、鍵盤部より奥が机の下に隠れるよう配置する。つまり、机の縁から白黒の鍵盤だけが手前に突き出している状態になる。今の机を活かすなら、どう考えてもこれしかない。▼こうなるとMP10の19cmが響いてくる。正常な座り方をした場合、床から膝までの高さは約60cm。ここに20cm弱が乗ると机の高さは80cmになってしまう。さすがに高すぎて腕が攣ってしまいそうだ。これが10cm強なら70cmで、ほぼ適正高さとなる。本体が軽くなれば四足でも安定してくれるだろう。

[4224] Mar 29, 2021

政治に興味がないことはここでも何度か述べているが、そうは言っても語学系の資格を取るにあたって、政治・経済のトピックは避けて通れない。個人的には、何も社会的な課題を上手に論じることだけがグローバルな英語力でもあるまいとは思うのだが、さりとて試験は試験。そういうものだから仕方ない。よって、ぎりぎり興味をキープできる無理のない範囲で知識を蓄えている。知らない状態の大きな伸びしろを活かして、成長率の高い題材をかいつまんでいる。▼たいていのテーマに対しては自分なりのスタンスを決めているつもりだが、環境系はいつも苦しい。地球環境を保護すべきと熱心に訴えたところで、私自身は水も電気も存分に享受し、毎週プラスチックゴミを山ほど出している、怠惰な都市型現代人である。環境保護に賛成しようが反対しようが、体験に根差した主張が何ひとつないために、どうしても空論をかざすのが虚しくなって言葉に説得力が出ないのである。

[4223] Mar 28, 2021

文法がぐちゃぐちゃな状態で英語が口から出てくるようになった。本当にめちゃくちゃである。He/Sheに三単現がつかず、複数主語に堂々とisが続き、一文の中に動詞が二つ、明らかに存在しない複合名詞、意味不明な進行形。自動詞に目的語が続き、他動詞に前置詞が続く、間違いだらけのin/on/at、要らないところに何故かfor/with。挙げればキリがない。ライティングなら自己採点でも20点以下である。▼だが、これでいい。むしろ、この状態を経由せずに言語をしゃべれるようになろうと思ったのが浅はかだったとさえ思っている。きっと、スピーキングにおいては、ここがスタートラインなのだ。語彙や表現の幅を広げていくのも、文法を正しくしていくのも、ネイティブらしい言い回しを追求していくのも、まずは「伝わる音がリアルタイムに出せる」ようになってから。実に良い教訓を実感できた。▼今月はいろいろ試したが、来月からは「週五時間」の学習に絞っていく。

[4222] Mar 27, 2021

在宅の利を活かして、ときどき仕事中にBGMをかける。たいていはいつものプレイリストで満足するが、たまに新しい刺激が欲しくなると、新たなオリジナルピアノ曲を探しに行く。▼残念ながら供給は少ない。あの手この手で検索を試みるが、ほとんど顔見知りのサムネイルばかりだ。まして、私の求めている重厚でハードなピアノ曲はSSRも真っ青の出現率である。オリジナルと銘打つピアノ曲の九割はヒーリング系の実演奏と言っても過言ではない。ヒーリング系の曲を貶す意図は全くないが、弾きやすく、ストーリーや展開が問われにくく、かつ指癖任せのインプロビゼーションでもモノになりやすい癒し系の曲がピアノ曲自作の安易なユートピアになっている感は否めない。▼だが、そんなことは作者の自由だ。好きなものを好きなように作って形にしている者は十分偉い。故に、これは苦言ではない。そう思うなら自分で作ればいいじゃないかというツッコミ待ちである。

[4221] Mar 26, 2021

開幕戦。劇的なサヨナラ負けを被ったが、想像以上に見どころはあった。負けは負けでもファンに希望を与える負け方ではある。このままズルズルと大型連敗さえしなければ、しばらくは楽しく観戦できそうだ。▼とはいえ、今年は例年以上に時間もないし、ニコニコで配信のあるホームゲーム以外はリアルタイム視聴しないかもしれない。もとよりプレイボールからゲームセットまで画面に齧りつけるわけでもないので、盛り上がりを見逃してもタイムシフトで後追いできるくらいでないと付き合いにくいのは確かだ。アウェーの試合は野球速報とスレの確認で十分だと割り切りたい。▼そういう決意も踏まえれば、通信制限なしのプランはもう要らないだろう。後は「ウマ娘」アプリが外でどれだけ通信量を食うか次第だが、よほどでなければpovoの20GBで賄える気がしている。テザリングの必要な端末も今はない。乗り換えは簡単とのこと。必要になったら足抜けすれば良さそうだ。

[4220] Mar 25, 2021

なんやかんやと忙しくしていたら、明日はもうペナント開幕である。とうとう外国人戦力は間に合わないまま、幕が開けてしまった。▼専門家の順位予想は見事に横浜最下位、ないし五位で染まっている。ファンとしては常に優勝を夢見るが、実際、現実的な予想は全てがうまく回ってAクラスに滑り込めるかどうかというところだ。三浦監督も初年度。有望な若手はたくさんいるので、今年は育成の年と割り切ってもやぶさかではない。▼それにしても、まさか他の球団以上に外国人依存度の高い横浜が、こんなことになってしまうとは。セ・リーグ各球団の出場選手登録一覧で、横浜だけ日本人の名前がズラリと並んでいるのは圧巻である。▼監督自身は「逆境ほど燃える」と綴っていた。その気持ちが選手にも伝播していればあるいは大健闘もあるかもしれない。欲を言えば、今後につながる若手の上振れが引ければ完璧である。何が起こるかわからないのが真剣勝負というものだ。

[4219] Mar 24, 2021

緊急事態宣言、解除。在宅勤務者は出社へ移行せよとのお達しが出ている。もともと出社で働いていた身。出社すること自体は問題ないが、そもそも危機の実態と連動しているようには思われない恣意的な宣言の出入りに合わせて在宅札を出したり引っ込めたりするのは、仕方なくやっている感が満載でよろしくない。五月に再び宣言が出たら、また会社から自宅へ大移動……なんてことになったら、もはやコント級のお粗末さである。▼出社を焦る気持ちもわからないではないが、今の世の中の流れを考えれば、せめて部分的でも恒久的な在宅化を「視野には入れている」気配を出して欲しかった。リモートワークの知見を活かすも活かさないもないうちに、とにかく元の業務形態に戻ることを志向してしまうのは、残念な気もする。▼来年度に向けて、このあたりも考慮には入れてもらうよう進言はした。究極的には、日時に応じて出社と在宅のより適した方を選べるのが理想である。

[4218] Mar 23, 2021

最速でpovoに乗り換えようと思ったら、ナンバーシェア利用中のため乗り換えられないと言われた。そういえば、そんなオプションがあったことを完全に忘れていた。早速解約する。月々三百円。もったいなかった。▼この手の埋没オプションによる稼ぎは各社さぞかし大きかっただろう。今回の政府主導の新プランは、ユーザーがこうした契約内容を見直す良いきっかけにもなる。単純な額面以上に大きなインパクトがありそうだ。▼ただし、povoへの乗り換えで使えなくなるものにも注意を払う必要はある。キャリアメールはどうでもいいが、スマートバリュー、家族割がなくなるので、乗り換えるなら家族全員まとめてpovoにしなければならない。あるいは、これらの割引を活かす形で全員「新・使い放題プラン」にしてしまっても、実は月額に大差はないという第二の道もある。このあたりは5Gを迎えて通信容量が増える未来のことも見据えて、多少は真剣に考えねばならない。

[4217] Mar 22, 2021

私の舌が馬鹿になったわけでなければ――リニューアルした某メーカーの煎茶がいまいちになった。同じメーカーで二種類、気分に応じて飲み分けていたが、良い機会なのでブランドごと鞍替えを検討している。▼手近なところから、井ケ田の深蒸し煎茶を購入。悪くない。悪くないが、もう一声深みが欲しい。だが、上位の粟ヶ岳シリーズに手を出すくらいなら、前に試飲して満足度の非常に高かった伊藤園の「一番茶めがみ・ほれぼれ」を買う方がいい。コストパフォーマンスの良い逸品を狙うなら、あくまで「ほれぼれ」以下の価格帯を探す必要がある。▼井ケ田の前に最寄りのスーパーで買った極撰なんとかはまったくダメだった。金色の袋だったが、もう名前も覚えていない。あれなら半額以下でもっと口に合うお茶がたくさんある。このあたり、まさに英会話教師もそうだが、合う合わないの探求は常に大変だ。早々に諦めて「ほれぼれ」に帰還することになるかもしれない。

[4216] Mar 21, 2021

オンライン英会話の講師は、全員が経験豊富なプロというわけではないだけに、さまざまなパーソナリティを持っている。定型句のみでテキストを進行し、回答もマニュアル通りのサンプルしか提示しない人。自分の興味に引っ掛かる話題が出るとテキストの内容も無視してひたすらナチュラルスピードで話し続ける人。オリジナルの質問でテキストに肉付けしながら追加の負荷をかけてくれる人……。▼どのタイプにも持ち味はある。合う合わないもあるだろう。だが、その中でも講師としての力量が一枚上手だと感じるのは、やはり「考える時間をくれる人」だ。つまり「話す練習がしたいからオンライン英会話を利用している」という利用者の動機を汲んで、定期的に自分の発言を切り、こちらの質問や意見を差し挟む隙間を与えてくれる講師である。そういう講師は、さすがに年の功、やはり三十代後半から四十代以降に多い。故に、今は検索の条件に三十代以降を指定している。

[4215] Mar 20, 2021

たとえば、兄弟のどちらかがちょっかいを出す、いらついた方が払いのける、それに反撃する……というように、徐々に喧嘩がエスカレートしていけば、最悪、キレた方が手元のおもちゃを投げつけるような暴挙に出ることがあるかもしれない。▼だが、我らが次男は違う。兄の仕掛けたちょっかいに対する初手が、怒りのおもちゃ投げなのだ。今日も大好きなABCタブレットで遊んでいたところ、めずらしく兄の方がタブレットの背を押して邪魔した。次の瞬間。弟は全力でタブレットを投げ飛ばした。投げ飛ばした後、追って拾い上げ、再び遠くへ投げた。そうして、兄めがけて殴りかかろうとした。制止して「おもちゃを投げるんじゃない!」と激しく叱ると、近くのタブレットをひったくって、さらに投げた。怒られるとわざとやるのだ。▼毎度毎度、しこたま叱っているはずだが、まったく堪える様子がない。リビングの外に放り出しても平気の平左である。頭の痛い問題だ。

[4214] Mar 19, 2021

よしだみほ『馬なり1ハロン劇場』のKindle版がAmazonで安売りされていた。全49巻セットで1350円。13500円か。半額くらいかな……と、ほんの一瞬だけ考えた。13500円ではない。1350円である。気づいた直後に購入した。▼私の青春と言っても差し支えない名作コミックの単価が10円〜40円というのはいささか寂しい気持ちもあるが、Kindleでも読みたいファンとしては申し分のないセールである。しばらく、暇な時間は「馬なり」を読んで過ごすことだろう。長男の寝かしつけも苦にならないかもしれない。いや、苦かもしれないが、時間の有意義さは増す。▼「馬なり」が若き日の私に与えてくれたものは、想像以上に大きい。どこのページをかいつまんでも記憶にない所はないし、展開はもちろん、欄外の小ネタや細かい台詞回しまで覚えていたりする。懐かしいという言葉では片づけられない感慨がある。下降気味の私に活力を取り戻すきっかけになってくれるかもしれない。

[4213] Mar 18, 2021

次男、作曲する。▼二歳。反抗期真っ只中である。この頃は、オムツを変えるにもお風呂へ入るにも、何をするにもすかさず「やだ」と言い捨てて逃亡するようになった。無理やり捕まえようものなら全力で反抗する。もとより頑固さは兄の上。ひとたび機嫌を損ねたらテコでも動かない。テコより強いおやつで釣るより他になく、ややオーバードーズ気味になっている。▼そんな次男が今朝は出発に反抗。名前を読んだだけで返事は「やだ」である。そうして、ピアノのおもちゃにへばりついて離れない。拗らせると厄介なパターンなので、ピアノごとでもベビーカーに乗せて、縛り付けてから引き剥がす作戦に出る。体を持ち上げる。と、次男が急に歌い出した。「やだ〜やだやだや〜だ〜♪」何もかもがいやすぎて、とうとうオリジナルソングを作曲してしまったようだ。「やだ〜やだやだや〜だ〜、いらない〜、いらない〜♪」歌の力で機嫌は回復した。これなら毎日歌っていい。

[4212] Mar 17, 2021

いつも通りオンライン英会話をしていたら、次男が扉を開けて部屋に侵入してきた。いつも通りの我が物顔。だが、普段と違う雰囲気を察したらしい。椅子の傍へやってきて、声を出さずに画面を見つめている。この観察力こそ次男の最大の持ち味だ。▼レッスンの途中なので、邪魔をしない限りはと思って話し続けた。向こうも気にしない。そこはオンライン英会話の気楽さだ。「何歳なの?」「2歳です」「小さいね」といったやりとりをしていた。そうして、私と講師の様子を眺めていた次男が、カメラに向かってついに口を開いた。「A!B!C!J!」▼我々の会話が英語だと言うことを理解したのだろう。自分も絡もうとしてアルファベットを捻じ込んできたわけだ。なんでJなのか知らないが、ともかく笑ってしまった。その後、妻に連行された次男は、五分もしないうちに再訪。興味があるのかもしれない。しかし、早いうちから英語を学ばせるかどうかは悩むところだ。

[4211] Mar 16, 2021

最近、あまり頭が良くない。なんとなく、思考に靄がかかっているような気がする。苦手分野はもちろん、得意な分野にもいまいち鋭敏な反応を示せない。始終、ぼんやりしている。そしてこの通り、書く文章もどこか輪郭がボケている。▼寝不足は当然ある。しかしより大きな理由として、長らく優れた芸術作品に触れていないことの影響もありそうだと思っている。だいぶ昔の話だが、今思うと『芸術新潮』を止めたのは悪手だったかもしれない。めぐりめぐって、そう思う。私に必要なのは、英字新聞よりも『芸術新潮』なのではないだろうか。▼『GA』も本当は読みたい。だが、正直なところ、最近は雑誌の活字が目につらい。本は読めるが、新聞や雑誌のように「活字でいっぱいの面」を長時間見るのが難しくなってきている。どうしても、絵や写真の補助として文章が添えられているような媒体の方に惹かれてしまう。動画に晒され毒されすぎた現代人の病という気もする。

[4210] Mar 15, 2021

仕事のトラブルに巻き込まれている。今回は私の与り知らない所で炎上していた案件が他部署を散々巻き込んだ後で事後的に知らされた形。ソフトランディングのための後始末が求められる。生産性は皆無だが厄介度だけは高い面倒な仕事だ。▼だが、せめてその炎上の火の粉がプロジェクトメンバーには降りかからないよう、せき止めるのが今の私の仕事である。チームメンバー全員が本来の仕事に100%集中できるなら、私はそこにいなくてもいいのだ。あたかも問題が存在しないかのように環境を誂える役割。インフラのような存在である。▼まとめ役は思っていたよりずっと地味な仕事だ。わかっていたつもりだが、正直、想像の三倍以上は地味である。地味で、日陰で、泥臭い。だが、誰かがやらねばならない。誰かがやらねばならないが、誰かにアサインするわけにもいかない。そういう仕事を拾い上げて道を均し交通整理に明け暮れる役目は、新鮮だが別種の苦労がある。

[4209] Mar 14, 2021

ウマ娘のアプリについて、雑感をまとめておく。二次試験に落ちなければもっと本気で遊べたが、残念ながら三ヶ月後まではほどほどにせざるを得ない。▼とにかく、ゲームとしての出来は良い。秀逸なモデル、豊富なモーション、高品質なイベント、フルボイス、周回を促すゲームデザイン、そして軽快なパフォーマンス。ほとんど隙らしい隙は見当たらない。強いて言えば、サークルシステムやチームレースを始めとする交流・対人系の要素はソロプレイに比べると若干見劣りするが、ここは恐らく意図的だろうと見ている。アニメを含むメディアミックスからの話題性で押してきたタイトルなので、重課金前提のコンテンツは重要度を下げておかないと、敷居が高くなりライトユーザー層を必要以上に取りこぼす可能性が高いからだ。対人要素の比重が上がってくるとしても、それはまだ先の話だろう。▼アニメ二期の出来映えも抜群に良い。サイゲームスの開発力に脱帽している。

[4208] Mar 13, 2021

何の脈絡もないように感じられるかもしれないが、今回の英語騒動を通じて、私は手元に鍵盤をひとつ置くべきだと感じている。88鍵をディスプレイの前に置くべきかどうかという、何年も堂々巡りを続けてきた心の迷いに、思わぬ角度から光が差した。▼英語を勉強していたら正面に鍵盤を置きたくなるというのは、このままでは風が吹いて桶屋が儲かるレベルの飛躍である。だが、その断絶をここで繋げて見せるのは難しい。何故かと問われたら、今は笑ってごまかすしかない。▼英語四技能のRLWSがそれぞれ必要とする修練において実は独立していたように、私のやってきたことにもそれなりにはオリジナルな価値はあった。そして同時に、取りこぼしてきたものにも大きな意義があると確信することができた。つまり、総合力を上げるために効果的な営為は存在するが、効果的でない営為がもたらす影響は他の手段によって容易に代替可能なものではないと信じられるのだ。

[4207] Mar 12, 2021

今のところ短時間ながら毎日続いている英会話。いくつか見えてきたこともある。▼第一に、書くスキルと喋るスキルは完全に別物だということを実感した。実感というところが大事だ。どれほど作曲技術に精通していようと、一度もピアノを弾いたことがなければピアノを前にして指は動くまい。次にどの音を弾くべきか、考えればわかることと、考えずに指が走ることの間には、かなり大きな乖離がある。▼第二に、ライティングの練習がスピーキングの練習にもなるという説は必ずしも正しくはないと感じた。私の場合、むしろライティング的思考がスピーキングの邪魔になっている気さえする。言いたいことが浮かんだとき、先に「書くような文章」を思い描こうとするから、時間がかかり、かつ結局適切な口語文にも辿り着けない。故に、練習はむしろ逆順が望ましいのだろう。話せることは絶対に書ける。だが、書けることを話せるとは限らないのだ。まだまだ道のりは長い。

[4206] Mar 11, 2021

米国ではCDCが新たな指針を出した。新型コロナウイルスのワクチン接種を二回目まで済ませた人は、接種を済ませた同士であればマスクを着用せずに室内で会ってよく、また濃厚接触者疑いとなっても症状が見られなければ検査や隔離を行わないとしている。ワクチンの有効性に対する強気な見解を後押しする姿勢だ。アンチワクチン活動も根強い中、夏に向かって人々が自暴自棄な外出や集会を始める前に1%でも接種率を上げたい狙いが見える。日常生活に戻りたければ、ワクチンを接種せよ。明快なメッセージである。▼ワクチンを打てば元通りと言えるのか。数々の変異株はどうなるのか。オリンピックの開催如何は。そして何より、今回の新型コロナウイルス騒動が落ち着いたとして、現代社会の感染症対策はこのままで良いのか。パンデミックの脅威が去れば、今度はこうした疑問にひとつずつ答えを出していくフェーズが始まる。社会はアップデートを必要としている。

[4205] Mar 10, 2021

チョコレートを控えてから随分経った。▼もし、目の前にゴディバのチョコレートがあったら、間違いなくつまんで食べる。リンツでも変わらない。だが、コンビニのチョコレート菓子程度であれば、さほどストレスなくスルーできる耐性がついてきた。甘いものが食べたいときにコンビニやスーパーのお菓子棚を通過するのも、断チョコ初めほど苦行ではなくなっている。▼では、健康や体重に変化があったかというと……今は、ない。だからチョコレートを再開するとは言わないが、やはり全ての元凶にして元締めたる”砂糖”を断てない限り、大きな改善は見込めないだろう。チョコレートをやめたことで、逆に他の砂糖菓子を摂取する機会が増えた説もある。自分への甘やかしの程度は、実はそれほど大きくは変わっていないのだ。▼だが、砂糖断ちを宣言する勇気はない。宣言したところで続くとは思えない。断つのが無理なら減らすしかない。減糖――次のフェーズに移ろう。

[4204] Mar 09, 2021

二次試験は予想通り不合格となった。当然だ。あれで合格しては検定の価値の方が疑われる。スコアは569/850。合格点602に対して惜しいようにも見えるが、実際はまだそこそこ開きがある。どこを磨く云々以前に、まずはきちんとショートスピーチをこなして余裕のあるインタラクションに繋げなければならない。▼合計点は2956/3400。合格基準は2630なので、300点以上上回りつつの不合格。四技能のうちスピーキングだけが圧倒的にダメということになる。たまたま出来すぎてしまったライティングはともかく、RLWSの各点数は、ほぼ勉強・練習に費やした時間と比例していると見てよかろう。わかりきったことのようだが、自分事として実感できるのは、やはりこうして数字を示されてこそだ。▼あと三ヶ月ある。学生のようにがつがつ勉強できるわけではないし、隙間時間を全て英語に充てるほど全賭けはできないが、次の面接は乗り越えたい。

[4203] Mar 08, 2021

長男は、とにかく寝ない。▼布団に入ってから一時間以上寝ないこともザラにある。すぐに寝ると言いながら、ぐるぐる身体を回転させるか、足をバタバタさせるか、手を身体の下に入れてくるか、口を動かして音を立てるか、要するに、身体のどこかを動かしながら目覚めている。今日も何度か怒られ、約束の時間を遥かに過ぎて十一時になってもふざけていたので、英会話の予約に合わせて置いてきた。「寝る、本当に寝る」と悲痛な声で訴えるが、その割には同じことを何度も繰り返す。▼一方、朝はと言うと、とにかく目覚めず、動けず、機嫌が悪く、小さなことでパニックを起こす。毎朝、何が大変といって、長男を起こすことほど大変なことはない。朝・晩と、寝ることに関連しては次男の十倍手がかかる兄である。あと何年、この状態が続くかわからないだけに、先の見えないストレスも小さくない。寝起きに関しては、もうほんの少しだけまともになってくれればと思う。

[4202] Mar 07, 2021

DMM英会話を体験。だが、なんと言っていいかわからない結果になった。▼DMM英会話最強の教材と言われる「デイリーニュース」を選択。ニュース記事を読んで講師と自由にディスカッションするレッスンだ。今、いちばん欲しい力が手に入る。講義開始。自己紹介。音楽が好きという話から、バッハ、ベートーヴェン、ショパン、ショスタコーヴィチの話に広がる。かなりのクラシック好きらしい。そこからゲーム音楽の話に移り、私はFFの音楽が好きだと言うと、講師の方がFF9について語り始めた。FF9なら私にも語ることがたくさんある。飛空艇の音楽がクールだとか、Hunting Festivalのデザインが秀逸だとか、ジタンがPandemoniumでPersonal Insecurityを乗り越えるシーンが感動的だとか、そんな話をしていたら、なんとレッスン時間が終わってしまった。デイリーニュースなど開いてもいない。▼驚きである。だが、この偶然性もオンライン英会話の味なのだろう。

[4201] Mar 06, 2021

夜中、眠りが浅くなる理由のひとつが、枕の奪い合いだ。▼長男は、枕から落ちることを非常に嫌う。私も、枕なしで寝るのはつらい。したがって今は一人用の枕に二人とも頭を乗せて寝ている。当然、狭いので頭同士で押しのけあう形になり、しばしばどちらかが枕から落ちる。最大の問題は、長男が自分の子供用枕では納得しないことだ。買っても断固として使わない。つまり、私の枕でなくてはダメなのである。大人用なので厚い。首への負担も心配になる。▼そういう事情で、幅広の枕を探している。篠原化学の「オブロンピロー」が最右翼だったが、付属のカバーが綿でない上、サイズも規格外なので躊躇している。その対抗馬が、ニトリの「ホテルスタイル枕セミロングサイズ」。セミロング枕の標準サイズで、綿のカバーもある。そして、とにかく安い。失敗してもダメージが大きくないので、とにかくこれを試してみるのも手だ。ただし、最厚部は今の枕よりも高くなる。

[4200] Mar 05, 2021

ネイティブキャンプでは、約1000円の追加料金を払わないとネイティブ講師の授業を受けることができない。原理的には予約なしでも受講はできるが、ネイティブ講師は大人気なので枠を取れるタイミングは数秒もないようだ。一度だけ、受講可能マークのついたネイティブ講師を見たものの、ノータイムでクリックしたところ「講義中」になっていた。事実上、よほど運がよくない限り無料受講は無理そうだ。▼その点で、Camblyに惹かれている。講師が全員ネイティブであるのみならず、教員免許を持っている講師が多いのも魅力的だ。教員免許もピンキリではあるが、ノンネイティブに言語を教えるという視点を持っているか持っていないかの違いは大きい。講師のハズレ率を大きく下げられるのは、時間の節約という意味で社会人向きである。▼気に入らないのは料金形態だけだ。露骨なまでのまとめ買い割引は、いかにもシリコンバレー初という感じがする。悩ましい所である。

[4199] Mar 04, 2021

Camblyとネイティブキャンプをそれぞれ無料体験してみた。以下、雑感。▼Camblyはさすがにネイティブ講師を売りにしているだけあって、トークはかなり容赦ない。英検1級の対策をしたいので試してみたというと、ノータイムでトピックシートが画面共有され、三十秒(試験の一分間より短い!)でひとつを選んで話せという流れになった。例によってまともに話せなかったので、講師の方で私の言いたいことを掘り下げてもらう講義に。専用のコースではないから手取り足取りとは行かないが、具体例の掘り下げ方は参考になった。▼ネイティブキャンプはやたらと明るいフィリピン人講師。こちらは無料体験中の意を汲んで、面接対策に効果的なコースをいくつか紹介してくれた。あとは雑談。コーチングというよりはフリートークで、Camblyに比べるとかなりカジュアルである。▼まったく毛色が違うので、予算が許せば使い分けるのがベストなのだろう。どちらも面白そうだ。

[4198] Mar 03, 2021

ネイティブキャンプの無料体験に申し込んだ。今日から七日間、体験期間となる。▼評判はまちまちだが、気が向いたとき、即ち自分の時間に都合のつく任意のタイミングで、五分からでも話せるというリアルタイムさが決め手になった。実際、今の生活で予約のみのスタイルは無理がある。たとえ深夜枠でも目覚めた長男に泣かれたら終わりだからだ。そういう事件でやる気を削がれないためにも、月定額、予約不要、毎日受け放題といったネイティブキャンプの方式が必要だった。カランメソッドが試せたり、追加料金でネイティブ講師を選べるのも、味付けを変えたいときに融通が効きそうだ。▼何はともあれ無料体験で空気を知ろう。どんなにスペックが優れていても、この手のサービスは肌に合う合わないがどうしてもある。講師の数も少なく、教材も通信環境も揃っていないような教室の方が、波長の合う人に巡り合ってハマることだってある。試してみなければわからない。

[4197] Mar 02, 2021

朝から長男が耳の痛みを訴えた。右耳の下が痛いと言う。▼小児科での診断は耳の中が僅かに赤いが、そこまで問題はないだろうとのこと。痛み止めにカロナールが良いということで処方された。だが、帰宅後もいつになく元気がなく、耳もずっと痛がってご飯を食べない。夜になって熱も出てきた。▼中耳炎の可能性がある。素人判断はできないので、明日は耳鼻科へ連れて行ってもらう予定だ。軽症ならこのまま痛みが引いて治ってくれるだろう。抗生物質が出されるほど悪くなっていないことを祈る。▼ここ二週間ほど、次男の持ち込んだ風邪が猛威を振るっている。長男も、熱こそ出ないものの鼻水がずっと止まらなかったので、それが中耳炎に繋がってしまったのではないかと思っている。私もずっと鼻水だ。ティッシュがいくらあっても足りない。園への送り迎え以外は在宅で家にこもっているから、花粉症というよりはやはり風邪なのだろう。去年と同じ、しつこい風邪だ。

[4196] Mar 01, 2021

早速、オンライン英会話の登録に向けて動き出した。▼今回の失敗がなければ、オンライン英会話に足を踏み入れることはなかっただろう。そういう意味では、禍を転じて福と為せる可能性はある。悪いことは強引にでも良いことに変えていくのが望ましい。▼お財布とも相談して、従量課金式の試験対策特化サービスと「ネイティブキャンプ」を併用する路線で決めかけたが、二足のわらじを履かずとも、「Cambly」が二役を引き受けてくれるかもしれないと見ている。レッスンを自動で録画してくれて、後で動画を見返せる仕組みも実に素晴らしい。大量消費式のレッスンでないところは魅力的だ。ここと「ネイティブキャンプ」の併用でも十分効果を発揮しそうである。まずは登録してみた。明日、無料体験してみる。▼意外に厄介なのが服だ。私が英会話に使える時間は深夜のみ。長男が寝た後だ。つまりパジャマである。パジャマで受講して良いのかどうかは確認の必要がある。

[4195] Feb 28, 2021

面接終了。対策は完璧だった。そして、結果は壊滅的だった。自爆である。▼トピックはそのままSDGsの12に紐づけられる3番を選択。自分の畑である環境悪化に直結できるボーナストピックだった。だが、何を血迷ったか、チーププライスに引きずられる形で初手からフェアトレードに突っ込んでしまった。ちょうど昨日、本で読んだところだったのも間が悪かった。結果、付け焼刃の知識ではうまく表現できずに立往生。沈黙も挟んでいるうちに時間切れとなってしまった。▼質問内容もフェアトレードの補足を求めるものと変化球が一投。そこでもしどろもどろな答えしかできず、最後はスタンスを崩して当初の主張と真逆の答えをする始末となった。まず、合格率は0%と言える。結果を待たず六月分に申し込んで良い。▼部屋を出てすぐ環境方面に引きこんだときの完璧なスピーチが浮かんできたのは、あるあるだろうが悔しいの一語。余計な論点が痛恨のミスとなった。

[4194] Feb 27, 2021

明日は二次面接。やれることは全てやった――と言いたいところだが、そうはなっていない。計画の多くは未完のまま。思い残すことだらけではある。だが、社会人の試験対策なんてそんなものだ。二分のスピーチと四分の質疑応答。トピックカードがなんであれ、アドリブで乗り切ってみせようではないか。▼ただし、せっかく山を張ったところなので、SDGsへの誘導は隙あらばする。たとえば「我々は〇〇により注力するべきか?」系の題材なら、「それは何を犠牲にして〇〇に注力するかによる。犠牲にするものが△△や××(SDGsのいずれか)なら、それには賛成できない。なぜなら……」と強引に持っていける。無論、〇〇が最初からSDGsに引っ掛かるなら、素直に論じればよい。▼ニッチなトピックとしては、ポリティカルコレクトネスやAIあたりが出てきてくれれば問答無用で飛びつくつもりだ。不登校問題も良いエピソードがあるので絡められたら嬉しい。

[4193] Feb 26, 2021

長男とクイズごっこをする。▼夜、帰宅時。基本的に夜の長男はテンションが高く、常に踊りながら歩いている。足も口も止まらない。朝と同一人物とは思えない落ち着きのなさである。そんな長男に問題を出してみた。「タコさんが2人います。足は何本あるでしょう?」長男、踊りながら考える。やがて「16本!」と正しい答えを出した。足し算というより想像して数えたものと思われる。それでもえらい。▼「じゃあこっちが問題を出すね。」やはり来た。「難しいよ。暗い海の中に、クラゲさんが……10もいます。足は何本あるでしょうか!」難問である。なにしろクラゲに足が何本あるのかわからない。さすがに答えられないので「クラゲの足は何本あるの?」と聞くと、8本の変なやつ(?)が1人と15本のやつが2人いて、最後の3人(?)は20本なのだそうだ。よくわからないので「90本くらい?」と聞くと、大正解だった。100本だと多すぎると言われた。

[4192] Feb 25, 2021

長男とクイズごっこをする。▼朝、登園時。基本的に朝の長男は機嫌が悪く、登園時も手を繋いで無言のままトボトボと歩く。話しかけても応答しないことが多い。それでも今日はクイズをしようと持ちかけると反応があったので問題を出してみる。「四本足で大きくて鼻の長い動物は何だ?」……。しばらく黙った後、想定外の返事が来る。「え、聞こえないけど?」もう一度、大きな声で言ってみる。トンネルに反響するほどの声だ。まわりに人がいなくてよかった。返事が来る。「え、聞こえないけど?」三度めのトライ。再び大きな声で問題を繰り返す。さすがに聞こえないということはあるまい。返事。「じゃあこっちが問題を出すね。大きくて、首が長い動物は何だ?」▼ふざけているならともかく真面目な顔で言う。何か不思議な世界に迷い込んだ気分だ。朝の長男ワールドなのかもしれない。「それはキリンでしょう」と言うと、長男は言った。「え、聞こえないけど?」

[4191] Feb 24, 2021

ついにウマ娘のアプリがスタート。三年待った。▼まだそこまで触れていないが、評判を見る限りパワプロ+シャニマス+プリコネという感想が市民権を得ているようだ。とりわけ育成部分は完璧にパワプロのサクセスである。そういえば、すでにサービスを終了した「社長、バトルの時間です!」も育成パートはサクセスだった。もはや完成されたひとつの育成のフォーマットとして世に解き放たれている感がある。▼どんどんストーリーを進めていきたい気持ちはあるが、そこはそれ。がっつりプレイするのは二次面接の後にしないとよろしくない。出遅れても勝てるのが競馬の良いところだ。序盤は堪えてデイリーの消化くらいに留めておくのが良い。▼最初に☆3キャラクターが一人だけ貰える。選択はやはり思い出の馬、ライスシャワーにした。キャラとしてはむしろ好みの正反対に位置するが、今回は史実重視だ。競馬の入り口になった馬をゲームで育成できるのは感慨深い。

[4190] Feb 23, 2021

妻が家に帰ってきた。これから安静を経て自宅でリハビリ。少しずつ日常が戻ってくる気配がする。心配事がゼロになったわけではないが、少なくともリンパへの転移が見つからなかったのは幸いだった。▼『Legacy』で、健康の章(SDGs.3)にアラビアの格言が引用されていた。「健康な者は希望を持つ。そして希望を持つ者は、全てを持っている。」良い言葉だ。生きがいのエッセンスが凝縮されている。▼年を取るごとに健康の大切さが身に染みてくるのは、健康が当然の状態と感じられなくなってくるからという理由もあるだろうが、思うに、絵が上手くなりたいとか、仕事で成功したいとか、具体的な希望の姿しか見えない若い時期には、希望の成就に直結しない「健康」の価値が相対的に小さく感じられるからという理由もあるのだろう。だが、具体的な希望への盲目性が薄れたとき、そもそも希望を抱くための前提条件として実は「健康」が必要であったことに気づくのだ。

[4189] Feb 22, 2021

妻、退院す。▼予定では25日、最長では2末までと言われていたが、今日午前中の状態を見て、明日の退院でよかろうと判断されたらしい。急遽、予定より二日早い退院となった。それだけ術後の状態がよく安定しているということだろう。まだ痛みが残る中での退院なので、生活の不便はかえって増すかもしれないが、ひとまずは喜ばしい。▼結局、熱騒動もあって、二人が保育園に行っていたのは三日だけということになる。長いようで短く、短いようで長かった。だが、このあいだに次男のミルク断ちを敢行したのはひとつ偉業である。初日、二日目はしんどかったが、三日目からは泣かなくなった。泣くこともあるが、すぐに寝る。次男の夜泣きは長男と違って助けを求めてくるわけではなく、むしろ手を触れると陸にあがった魚のように暴れまわって反抗してくるので、どのみち放っておくしか手はない。放っておいたところ、ミルク離れしてくれたという成り行きであった。

[4188] Feb 21, 2021

SDGsの関連資料を印刷。カラー印刷は色面積が大きいので、USBメモリ経由でセブンイレブンのプリントを利用した。インク代を考えれば、それほど割高でもない。▼SDGsのまとめが51p、それと自分で作成した汎用表現集が3p、トピックテーブルが1p。当日の持ち込み用はこんなところでよかろう。あんまりたくさんあっても、どうせ全てに目を通せるわけではない。全てに目を通せない焦りが立ってしまうくらいなら、直前資料は絞った方がいい。▼『Legacy』は思ったより著者各位の武勇伝寄りで残念なところもあるが、章立てがSDGsそのものなので、思考の整理に通読はしておく。やはりアンソロジーものは品質の担保が難しい。面接後でいいから、『The Madness of Crowds』を読みたいところだ。恐らくこれが当たりだろうと勝手に思っている。▼ここ最近は様々な事情が重なっていて、まとまった勉強どころではない。気持ちはだいぶ割り切っている。

[4187] Feb 20, 2021

長男の靴を買う。足のサイズは16cmから16.5cm。だが靴は17.5cmを勧められた。どうも今の17cmは横幅が足りないらしい。足の形は私に似てしまったようだ。▼子ども用の幅広はそうそうないので、横が入らないなら縦のサイズを大きめに取るしかない。つま先を押すとはっきりわかる隙間はある。だが、特に歩きにくくはないようだ。隙間は成長分と捉えればジャストサイズと言ってもよかろう。逆に小さ目を買って、すぐに入らなくなるよりは良い。▼新品、ピカピカの青い靴。しかし、家に帰る頃にはもうあちこちに傷がついている。それもそのはず、歩いていると終始足元が落ち着きなさすぎて、靴のあらゆる面を地面にぶつけながら歩いているのだ。膝から下が常に踊っている。まるで靴を摩耗させるRTAである。頑丈さを誇るアシックスも、足の甲をアスファルトに擦られてはお手上げというところだろう。▼残念ながら、これもそう責められない。私がそうだったからだ。

[4186] Feb 19, 2021

候補を出しても最後は全く違うところに行きつくのが常だ。『Legacy: The Sustainable Development Goals in Action』を買う。▼題名から察せる通り、SDGsに焦点を合わせてみた。英検二次の過去トピックをいろいろ見てみたが、世界の主要な問題の言わば総まとめであるSDGsに掠りもしない題材など、ほとんどないと言っていい。5つのうちひとつくらいは確実に引きこめるだろう。国連の公式資料も充実している。二次対策にはうってつけの素材である。▼当日の紙資料も、SDGsの公式インフォグラムと「Legacy」だけで良いと思っている。参考書を持ち込むつもりはない。スピーチを意識しすぎるとぎこちなくなるので、たまたま英語が言語として使われているだけのディベートのつもりで臨む。ディベートなら、即興で言いたいことが先に立つ。それを、たどたどしくても伝わる英語で表現できるなら、きっと二次試験が求めているコミュニケーションの資質を示せるはずだ。

[4185] Feb 18, 2021

本の切れ目。ストックがないので次の本を買いたいが、迷っている。▼候補1、最近出たばかりのビル・ゲイツ『How to Avoid a Climate Disaster』。ペーパーバックは異常に高いが、Kindle版はお手頃。候補2、ダグラス・マレー『The Madness of Crowds』。ダイバーシティの内的矛盾を扱う切れ味の鋭そうな社会批評。候補3、ピーター・H・ディアマンディス『The Future Is Faster Than You Think』。テクノロジーの進化がもたらす近い未来の青写真……。▼あるいはカマラ・ハリスの自伝の流れを受けて、評判の良いバラク・オバマ『A Promised Land』を読んでみたい気もする。オーディオブックはオバマ氏本人が読み上げているらしい。これが候補4というところだろう。▼英検1級語彙を積んだおかげで、このあたりの本を読むのに全く苦労はしない。あらためて実用的な範囲を広くカバーしている良い試験だと感じた。実用英語技能検定という名の意味がわかる。

[4184] Feb 17, 2021

カマラ・ハリス『The Truths We Hold』読了。久しぶりに参考書ではない普通の本を読み切った気がする。▼元カリフォルニア州司法長官。民主党連邦上院議員を経て、昨年、アメリカ初の女性・アフリカ系・アジア系副大統領となる。その他の経歴はウィキペディアに任せよう。ちょうど今冬のニュースによく名前が出てきていたので、これを機会に買ってみた。▼私は、政治的にはリベラルでも保守でもないので、単に若きリーダーの自伝として読んだ。「声なき正しさ」に声を。最初から最後まで一貫している彼女の姿勢はこれに尽きる。そうして、個人であれ、企業であれ、社会に大きな変化をもたらそうと思ったら、どうあがいても法と政治を避けて通ることはできない。検察官から議員という彼女の経歴は、まさしくこの真実を反映しているわけだ。▼ひたすらに正義と平等を追い求めてきたリーダーの回顧録というところ。やや「語り」寄りな部分が多めでもある。☆4つ。

[4183] Feb 16, 2021

寝かしつけが倍になったこともあり、夜の時間は取っていない。長男が寝た後に抜け出してきても良いが、それをやるとちょうど就寝した直後くらいに次男が目覚めるので、タイミングが悪すぎる。どうしても夜にやることがあるときは、むしろ二時まで起きていた方が良さそうだ。ミルクを飲ませてから寝る。これなら運が良ければ朝まで寝られる。▼環境が変わったのをいいことにミルク断ちを試みたが、昨晩はあまりの騒音力にこちらが折れた。泣き声だけならともかく、ものすごい力で暴れるので、放置していると長男も一緒に起きてしまう。それでいて長男のように、抱っこやお茶で宥められることもない。絶対にない。欲しいものが手に入るまで、諦めるということを知らない強情者である。要求を跳ねつける難易度は極めて高い。▼ただ、夕飯をお腹いっぱい食べていれば、寝るときのミルクは必要なくなった。もう二歳三ヶ月。そろそろ哺乳瓶は卒業して欲しいところだ。

[4182] Feb 15, 2021

手術は無事に終わったようだ。術後の様子も今のところ大きな問題はない様子。ひとまずほっとしている。▼今日は次男の巻き添えで長男も休み。家族に発熱者がいると登園は許されない。次男の熱は昼過ぎから収まって、夕方から夜にかけてはもう鼻水だけが止めどなく出るものの元気も食欲も普段通りという状態だが、今度は長男の熱がいつもより少し高い。鼻水は垂らしていないが、鼻声ではある。明日の様子次第では連鎖的風邪による長期家庭保育もありうるということだ。予断を許さぬ緊張が続く。▼今日は朝から大雨だった。雨の中、傘を差して抱っこ紐で病院へ行く。懐かしい感じがすると同時に、12kgを超えてきた次男のもっちりサイズから考えると、こういう形の遠征をすることはもう何度もないのだろうと思った。気がつけばベビーカーも押さなくなる。二歳差の二人。「赤ちゃんのいる時間」が長かった。それも次第になくなっていく。きっと楽になってくる。

[4181] Feb 14, 2021

今日から妻が入院。二週間。ちょうど二次面接の日くらいまで、少しハードな日々がつづく。▼トラブルは重なるのが世の常だが、まさに入院手続きを終えた今日、ここまで何ヶ月も風邪を引かずに来た次男が早速熱を出した。明日、近くの病院へ連れていく。このまま大事にならず収束してくれれば何てことはないが、これが何日も長引いたり、あるいは長男に波及したりすると、えらいことになる。そうならないことを祈る。▼私が最後に入院したのはいつだろう。七歳かそこらのとき、前庭神経炎で入院した。その前後には喘息で担ぎ込まれたこともあったはずだ。小学校の体育で左腕の肘を骨折したときは入院したのだろうか。記憶があいまいになっている。ともかく、私の中にはもう入院生活の感触はほとんど残っていないようだ。▼手術は明日の八時半から。明日、明後日はほとんど身動きできないらしい。スマホが使えるようになれば連絡は取れる。万事無事を祈っている。

[4180] Feb 13, 2021

タランテラの打ち込みを最後までやるつもりはないが、さすがに巨匠の譜面である。打ち込んでいるだけでいろいろな発見をさせてもらった。定期的にやってみてもいいかもしれない。▼二台ピアノの音の充填度に関してはだいぶ考えさせられた。ラフマニノフが極端に厚いというのもあるだろうが、それを差し引いても、やはり二台ピアノの音符の厚みはこれくらいないと駄目なのだなと思わされる。「厚さと薄さの対比」という発想は、今まで意識したことはなかった。ひとつの軸として追加しておきたい。▼楽譜を見るのは慣れていないが、見れば見るほど二台ピアノはピアノではないことを痛感する。二台ピアノとは、ピアノのアーティキュレーションを伴うオーケストラなのだ。規模感としては室内楽とオーケストラの間くらいがぴったり来るのかもしれない。いずれにしても、二台ピアノにはまだまだ打ち込みの地平線が広がっている。他に手を出す理由はもう見当たらない。

[4179] Feb 12, 2021

ウマ娘までの間に、ブルーアーカイブを触っている。初動的にもクオリティ的にも、しばらく覇権に近づきそうなタイトル。さすがは今をときめくYostarである。▼ゲームシステム自体に目新しさはないが、女子高生×銃器の学園モノというガワにハイクオリティなイラストと3Dモデルを上手く落とし込んでいる。相性要素の豊富さによって死にキャラを出さないようケアされているのも良い。低レアにもちゃんと出番がある。工夫が活きる余地がある。▼厳しいのはガチャの排出率と石砕き前提のレベルデザインだ。最初こそ配布石でいろいろ手を出せるが、配布が渋くなったら何をするにも相当な課金圧がかかってきそうなシステムである。それに、石砕き前提のメインフローは、ガチャを回すのに心のブレーキがかかってしまうので、個人的には好きになれない。何かに怯えて石を溜めておく遊び方はしたくないというのが本音だ。▼今は流行りもののチェック程度に進めていく。

[4178] Feb 11, 2021

さっそくオーディオスペクトラムのサンプル動画を公開。Twitterの動画投稿よりYoutubeの限定公開の方が音質が落ちないので、テスト用音源にはちょうどよい。▼さすがに旧設定とクオリティが違いすぎるので、CD曲の方もベーゼンドルファーは新設定に差し替える。CD曲も完全に手がついていないが、今は意図的に休んでいるので問題はない。英検二次を超えたら、結果はどうあれ制作に戻る。その後は、二次の再試験であれ、次の国連英検であれ、今回のようにスケジュールは詰め込まないつもりだ。プロジェクトも今秋に佳境を迎える。ある程度は予定に空白がないと、想定外のイベントひとつで崩壊しかねない。▼二次の再試験で一次が免除されるのは一年間のみ。つまりチャンスはあと3回しかない。やはり、今回落ちてしまう方が急かされる形になる。受験料を無駄にしないためにも――これは毎回言っているので、それなりの原動力になる――必勝を期して臨みたい。

[4177] Feb 10, 2021

VegasProはAEと違ってオーディオスペクトラムが作りにくいと聞いていたが、どうやらそんなこともなさそうだ。レンダリングした動画をAveePlayerで再生し、生成されたスペクトラムを動画素材として焼き直す方法を知った。なるほど、これは手軽で良い。偉大なる先人の知恵である。▼そして、この手が使えるのなら、プレイバック中のアナライズプラグインの見た目をキャプチャしてスペクトラムとして使うこともできるのではないだろうか……などと思っている。AveePlayerのスペクトラムは、見た目は綺麗だが、さすがに賑やかしなので、そこまで忠実に再生音を再現しているわけではない。アナライズプラグインの正確さを演出に流用できたら、それはそれできっと価値があるだろう。▼試みに先日のラフマニノフを使ってテスト動画を組んでみる。左右別々にレンダリングしてからスペクトラムを合成すれば、ピアノごとに反応するスペクトラムのラインを分けられそうだ。

[4176] Feb 09, 2021

「新・わかりやすい国連の活動と世界」を買う。▼まだ買っただけ。読みはしない。気が早いかもしれないが、英検後の国連英検にどのみち必須なので先行して入手しておいただけだ。今月末の二次に落ちれば出番はもっと先になる。だが、唯一無二の「国連英検指定テキスト」であり、久々に改訂されたのが一昨年。最低でも向こう五年は変わらないだろう。無駄になることはない。▼ここまで四技能伸ばしてくるのに、洋書多読のような勉強はあまりしてこなかった。徹底的な単語の暗記をベースに素の読解力を活かしてリーディングを稼ぎつつ、リスニングは気まぐれに動画視聴、ライティングはGrammarlyとDeepLに頼り切ってきただけだ。だが、国連英検特Aとなると詳細な文法はもちろん、単語のニュアンスを含めた英語の総合的な「運用力」が問われる。問題集を解いたくらいでなんとかなる代物ではない。腰を据えて、本当の実力を積んでいく必要がある。二次の先も長い。

[4175] Feb 08, 2021

英検一級一次試験、本日合否判定。結果、無事通過。ただし意外な結果となった。▼リーディング795/850。自己採点通り1問ミス。リスニング742/850。これも自己採点通り2問ミス。減点幅の大きさに悔やまれるが、ここまではいい。問題は次だ。ライティング850/850。なんと減点なし。結果、総得点は2387でG1+14バンドとなった。▼嬉しい誤算ではあるが、あの出来で満点だとすると、よほどトピックに面食らった受験者が多かったのかもしれない。実際、過去の解答例とその構成点などを見ても、あのばりばりのテンプレート構成で8点がつくのは考えにくい気がする。「グローバル化」をサポートとして準備していた人が、「グローバル化」そのものの是非を問われて筆が止まってしまった可能性が高そうだ。▼したがって、RLは自己評価するが、Wはまぐれの域を出ないと考える。二次試験に向けて、スピーキングの油断は微塵もできない。

[4174] Feb 07, 2021

執拗な追跡と調整の果て、やっと「二台ピアノ」で納得のいくベーゼンドルファーが出来た。これは自分史上最高と言える。結局、ソロで調整してからLRにパンを振るなどという横着で済ませようとしたのが間違いだったということだ。▼お試し用に、ラフマニノフの「2台のピアノのための組曲『タランテラ』」冒頭を打ち込んでいる。低音の重厚な響き、スタッカートの感触、中音域の重なり、高音の煌めきなど、各種の課題を最初の十数小節でこなしてくれている便利さから選んだ。ありがとう、ラフマニノフ。今度、ちゃんと組曲を通して聴くよ。▼以下、メモ。ディレイとリバーブは完全にカット。どんなに薄くかけても音の粒が濁る。現時点での結論。空間はサラウンドとハイサラウンドのブレンドのみで調整。マイク7本でやや重いが、PC性能とバッファ設定でカバーしたい。スタインウェイは音源に音の「芯」が残ってくれないと二台ピアノでは使いにくいと感じた。

[4173] Feb 06, 2021

きわめてどうでもいい話。▼爪切りなどで足の人差し指を触るとき、どうも人差し指を触られているという感覚がしない。むしろ、中指を触られている感覚がする。では足の中指はどうかというと、これは中指と薬指の中間くらい。そうして薬指と小指は明確に名前通りの感覚がする。一方、親指は親指だ。つまり、感覚的に、足には人差し指がないということになる。▼これが少数派の戯言なのか、意外にも全人類共通の感覚なのか、どちらかはわからないが、小さい頃から不思議に思ってはいた。足は親指が極端に太いので、ここに親指と人差し指の神経――神経という表現が医学的に正しいかどうかはさておき――がまとめて含まれてしまったのかもしれないと勝手に思っている。▼あるいは、足の指より遥かに使用頻度の高い手の指になぞらえたとき、手の人差し指ほど万能な機能を果たす指が足の方にはないから、脳に感覚がマッピングされていない可能性もあるかもしれない。

[4172] Feb 05, 2021

誕生日。35歳になった。人生折り返しとまでは言わないが、いろいろな意味で脂が乗ってきたのは確かだ。▼18歳のとき、あっという間に22歳を迎えて大学を卒業するとはまったく思わなかった。だが、今はきっと、次に気づいたら40歳になっているだろうという気がする。この差はなんだろうか。大人になるとそんなものだと口を揃えて言われるが、実感はあっても納得はできない。成長や変化は当時に劣らず希求しているはずで、刺激の有無に理由を求めるのも変な気がする。脳の老化によって、脳が体感する時間そのものの密度が変わっているのだろうか?▼一見するといろいろなことが順調なようで、その実、ちっとも順調に行っていないこともある。塞翁が馬、一寸先は闇、それも本当で、気を抜いたら何が起きるかわからない怖さもある。だが、とにもかくにも毎日をもっと頑張ろうという気概は保ち続けている。自分でわかる――疲れてはいても、枯れてはいない。

[4171] Feb 04, 2021

ここのところは寝る前に少しだけDAWを開く。クリエイティブな時間はないので、勘を取り戻すために十数分触るだけ。音を聴いているだけでもやる気は出る。▼だが、リアルピアノを逍遥した後だと、いくらVSL Synchronといっても、音源の音の細さにはがっかりする。細いというか、どうしても痩せている。優れた録音がそうであるような、立ち上がりは太くて丸い音がくっきり立って、その後に空間を感じさせる自然なリバーブが続くような音には、残念ながら原理的にならないのだ。▼そういえばモダートからPianoteqの新作が久々に出たと聞いた。サンプリング音源の限界が見えてきている以上、将来的には物理モデリングに頼るしかないのだが、7のデモを聞く限り、こちらの夜明けもまだ遠いと感じる。空間によらず単音がスカスカした音になってしまうのは、自然な雑味が足りないということなのだろう。▼近づける努力はするが、音源は音源と割り切った方が健全だ。

[4170] Feb 03, 2021

お風呂で長男に怒られた。▼なぜか知らないが、唐突に「お父さんはなんでトマトを食べないの」「何がきらいなの」と言う。何がと言われても難しいが、汁の青臭さがどうしても吐き気を催すので、つまりは臭いがダメということになる。そう伝えると「トマトは栄養があるんだから、好き嫌いしちゃダメでしょ」と言う。正論すぎて何も言い返せないので、そうは言っても苦手なんだよね、しょうがないよ、そういうものも少しはあるよと苦笑い。私がトマトを食べられない限り、我が家では好き嫌いを悪とするのは難しい。▼だが、そんなことを言っている本人もトマトは食べないし、キノコも食べないし、黒いものは全般に嫌いだし、ホットドッグのレタスも抜く。好き嫌いの権化に好き嫌いを窘められたわけだ。もしかしたら今日の昼に保育園で言われたのかもしれない。クレソンだろうが春菊だろうがホウレンソウの胡麻和えだろうが、もしゃもしゃ頬張る次男とは対照的だ。

[4169] Feb 02, 2021

今日は久しぶりにラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を梯子。二台ピアノ版も良いが、やはり本曲の魅力は、輝くピアノの旋律が次第に厚みを増していくオケの裏に溶け込んでいくと、ピアノがピアノとして聴こえなくなっていく裏側で、次第に極低音が弦楽器として立ち現れてくる、この不思議な認識のグラデーションにあると思う。表情ではなく役割で変化を見せるピアノの躍動は、協奏曲ならではというところだ。▼最近はリストのバラード2番がお気に入りで主にヘビーローテしていたが、やっぱりラフマニノフもいい。というより、本当はもっと視野を広げれば、刺さる曲はたくさんあるに違いない。年を取ると過去に心を置きたくなるものだが、今週末の誕生日を機会に、いまいちど世界を外に広げる気持ちで新しいグルーヴを探しに行こう。▼もちろん「ユメヲカケル!」もローテ曲に入っている。ピーキーなコード展開をみっちり詰め込んだ現代アニメ曲はとてもアガる。

[4168] Feb 01, 2021

夜休憩を挟みつつも二十二時まで仕事をして、終わった途端にディスプレイの入力を切り替えて私用PCに切り替える。このシームレス感はやはり慣れない。いっそ、私用PCがノートパソコンか何かで、仕事が終わったら席を離れ、リビングで緑茶でも飲みながらパチパチやる方が健全と感じる。この朝も昼も夜も同じ椅子、同じ机にへばりついている状態が、脳の芯を麻痺させる。カフェで仕事したい人の気持ちも少しだけわかる。▼昨日は久々にDAWを開いた。何ヶ月ぶりか忘れてしまったくらいだ。夜、長男が信じられないほど早く――布団に入ってからニ十分ほどで――寝てくれたので、その分だけ時間ができた。面接対策のノルマを終えてから、寝るまでに少し勘を取り戻す。作りかけの曲はいまいちパッとしない状態で放置していたと思っていたが、記憶の中で美化ならぬ醜化されていたのか、今聞くと案外悪くなかった。冷静な判断のために、離れてみるのも悪くない。

[4167] Jan 31, 2021

アマゾンプライムで「名探偵ピカチュウ」を見ようとする。見ようとして見られなかったのは、序盤で長男がギブアップしたからだ。そこら中にポケモンがいる世界。楽しめるかもと思ったが、残念ながら筋のある話を追うのはまだ難しいらしい。▼ところで、映画を止めて欲しいと訴えるときに長男が使った言葉は、「長く観てると疲れちゃうから、もう止めて」であった。何度か視聴を継続するようなだめすかしたが、そのたびに「疲れちゃう」という表現を繰り返した。▼つまらないという言葉は知っているはずだ。だから恐らく、つまらないわけではないのだろう。ただ、たとえば賑やかにどんちゃん騒ぎをするだけのキッズ向け動画に比べると、静かなシーンやシリアスな展開は、待ったり、予想したり、怖がったり、考えたり、目を散らしたり……様々なことを見る者に要求するので、文字通り疲れるのかもしれない。少なくとも「間」のある映像は、まだ楽しめないようだ。

[4166] Jan 30, 2021

NewYorkTimesとお別れした。▼購読を止めた理由はいろいろあるが、最大の理由はニュースソースをNBCに鞍替えしたことだ。NightlyNewsとMeetThePressでリスニング成分を補給する傍らNBC本家やThinkを読みに行くようになったが、有料のNewYorkTimesと比較してもインプットの質として全く遜色がない。であれば、素直に無料を頼って月額五千円を浮かせるほうがよかろうという判断だ。無料への引力。抗い得ぬ世の流れである。▼サブスクリプションを減らす一方、YoutubePremiumは必須になってきた。手動で飛ばさないと何分も再生されるタイプの広告のせいで、長い動画をポケットに入れたまま視聴できなくなってしまったからだ。英語ニュースを聞いているときに日本語の広告が差し込まれるのも脳がリセットされて鬱陶しい。不自由のアンロックに金を払うのは癪だが、モチベーション維持に与える影響が大きいので、ここは新聞代と差し引きでプラスと考えることにする。

[4165] Jan 29, 2021

明日へ続くと言っておいて忘れていた。親とはぐれないようにする。言い聞かせる。そういう基本は抑えるとして、では、それでも迷子になってしまった場合、子どもにどうさせるのが正解なのか。これが疑問だ。▼大声でお母さん/お父さんと呼んでもらう。一見良さそうだが、悪い人から一目見て迷子とわかってしまう怖さもある。親が近くにいないのが明白だ。誘拐目的で声をかける格好の獲物になってしまう。▼知っている場所での迷子なら家に帰ってもらう。これは先日長男が自分で選んだ戦略だ。家には誰かがいる。いなくても、家の前で待っていればいつかは確実に見つかる。人目の多い大通りを歩く分には危険も少なく、悪い手ではない。だが、危ないことは危ない。それに結局、知らない場所でどうするかは不明なままだ。▼はぐれた場所に留まってもらう。近くのお店で助けを求める。等々。だが、今なら位置追跡できるスマホを持たせるのが確実なのかもしれない。

[4164] Jan 28, 2021

ディベートで使えそうな表現を日本語で考える。DeepLで翻訳する。結果をGrammarlyに投げて自動添削してもらう。トピック毎に結果をGoogleDocumentにまとめる。▼なんだか恐ろしいチートをしているかのようだ。だが、実際、これだけで自分だけの表現帳が出来てしまう。無味乾燥な市販の表現集ではない。私が議論に際して使いたいと思った論点、話法、言い回し、数字、具体例が、しっかりと盛り込まれた表現集である。たとえ自動翻訳と自動添削で得られた出力であっても、既製品よりは私の脳との連結度が深い。故に、覚えやすい。▼このプロセスがたとえばチャットツール等に組み込まれたら、ほぼリアルタイムな他言語コミュニケーションの完成である。九十年ほどお先に誕生した翻訳こんにゃくだ。夢物語でもなんでもない。かなり身近な現実である。こうなることは十年前からわかっていたが、いざ自分で流れをなぞってみると、あらためて新時代の到来を実感する。

[4163] Jan 27, 2021

長男が初めて迷子になった。▼仕事も終わりかけた午後六時過ぎ。保育園へ二人を迎えに行った妻から、長男を見失ったという緊急連絡を受けた。即座にダウンを着込んで外に出る。大通りをダッシュで駅の方へ。そして、最初の信号に差し掛かったとき、向かい側に赤いリュックが見えた。長男がひとりで立っていた。▼泣いてはいない。私を見ても特に顔色を変えず「お母さんがいなくなっちゃったから帰ろうと思ったの」と言う。スーパーの二階から薬屋の前を抜けて、大通りをとことこやってきたらしい。臆病なわりに変なところで胆力がある。だが、もし一人で帰っているなら暗い遊歩道ではなく明るい大通りを選ぶだろうと思ったからこそ、私も大通りを疾走した。家を出てすぐに見つけられたのは幸いだった。▼ベビーカー帯同で急な身動きの取りにくい今が、もっとも危ない。長男にはくれぐれも親元を離れないよう言って聞かせた。だがひとつ疑問もある。明日に続く。

[4162] Jan 26, 2021

肌の弱めなシャンプー難民が最後に行きつくと言われる場所へ、私も辿り着いた。『イオニート エッセンスVシャンプー モイスト』だ。洗浄力、泡立ち具合、洗い流した後の質感、どの角度から見ても素晴らしい。それでいて配合成分は本当の本当に必要最小限。実に研ぎ澄まされた製品である。▼そもそも、シャンプーで肌への優しさをアピールするのに「四十種類配合!」などと謳っている方がどうかと言う話でもある。ハーブであれオイルであれ、何十種類もちゃんぽんにしたからといって肌への刺激が乗算で弱まるとは思えないし、むしろ成分の種類を増やせば増やすほど使用者固有のアレルゲンに当たってしまう可能性が高くなるのではないだろうか?▼その点でも「イオニート」の原材料・成分は極めてシンプルに仕上がっていて安心できる。万人に最適とまで断言できる立場ではないが、なかなかこれというラベルに出会えない人へのオススメ度は高い。試す価値はある。

[4161] Jan 25, 2021

英検公式サイトから解答が公開されたので自己採点してみた。▼語彙セクションは見事満点。句動詞ひとつもきちんとイメージで拾えた。ここは誇っていい。読解は最後まで悩んだ一問を二択で落とした。最後で変えてしまったのが悔やまれるが仕方ない。R全体で一問ミスなら十分上出来である。▼リスニングは二問ミス。聞こえにくかったところもよく粘って答えを導けた。ただ、例年、リスニングは満点付近の一問に対するCSEスコアの差が大きい。二問落とすと100点近く落ちることもある。やはり最後に集中力を切らしたのは痛かった。▼ライティングは、噂には聞いていたものの、解答例は何の参考にもならない。あれでぴったり満点なら、私の回答は32点中の10点くらいしかつかないだろう。RLの出来映えからするとWは20点あれば合格圏内。内容と文法で4・4だとしても、語彙と構成で6・6もらえればチャンスありだ。二次試験対策は念のためしておく。

[4160] Jan 24, 2021

英検1級、一次試験終了。以下雑感。▼結果も出ないうちに言うのは何だが、やはりRはぬるい。句動詞ひとつがあやしい以外は問題ないと思う。結局、予定通りWに50分残せたが、トピックが王道すぎて逆に説得力のある理由を絞り込めず苦戦した。消しゴムを駆使しつつ焦って仕上げたため、語法や文法のミスは大量に潜んでいると思われる。キレもない。全体的にふわっとした仕上がりになってしまった。▼Lは想像以上にスピーカーの音がくぐもっていて面食らう。立ち上がりで慌ててしまったが、パート2と3は落ち着いて取り組めた。ただ、あまりに喉が渇いていたせいもあり、パート4は集中力が低減。全体は聞き取れたのに設問の答えとなる重要な部分が落ちていて、2問とも最後の絞り込みが運任せになってしまった。ここが一番悔やまれる。▼総評。出来映えはR・L・Wがそれぞれ9・7・4というところ。想定通り、合否の行方はWにもらえる配点次第となる。

[4159] Jan 23, 2021

エルゴトロンのデスクマウントアームを撤去。マルチモニターをやめてウルトラワイドにした以上、もう必要ない。いや、マルチモニターのときでも、実はそれほど役に立ってはいなかった。便利だったのはサブモニターの角度を微調整するときだけだ。モニタースタンドも小型化してきた昨今、よほど机が狭くない限り、メインモニターにアームは不要かもしれない。▼昨今、配信等による需要が伸びたおかげで、パソコンまわりの既製品レベルは上昇し続けている。何をやるにも面倒なカスタムはもはや必要ない。パソコン本体を含め、ひとつひとつのパーツに必ず「刺さる」品が見つかる。それを組み合わせていくと最高の環境が出来上がる。そんな時代である。▼どこか寂しい反面、年を取って試行錯誤に充てられる時間が減ってくると、ありがたさの方が勝つ。不便を感じる所にこそ次世代があるのはわかっているが、今の私にはそのフィールドを開拓に行くほどの余裕はない。

[4158] Jan 22, 2021

『最短合格!英検1級語彙問題完全制覇』修了。▼試験は明後日なのでもう悪あがきでしかないが、最後の復習としては悪くない。もはやおなじみの面子。正解の選択肢に知らない単語はほぼないが、外れ選択肢にはちらほら見かけた。模擬試験は5回やって23点未満なし。ここまで安定してくると当日に向けて語彙は万全と言える。あとは運だ。とりわけ句動詞の運。句動詞を全部落としても20点をキープできる語彙力をつけておいたのはひとえに不運対策である。▼リスニングは明日で仕上げ。これは運と言うより当日の集中力勝負だろう。聞き洩らしても慌てず捨てていけば悪いようにはなるまい。▼したがって不安要素はライティングのみとなる。ライティングで手が止まらなければいけると思っている。白紙にだけはならないよう、このたび編み出したPETECEHEフォーマットで3つの主張を捻りだしたい。政治・経済・技術・環境・文化・教育・健康・倫理である。

[4157] Jan 21, 2021

ふたたびリモートワークが始まる。▼今回、私は幸いにも無事だったが、またしてもチームメンバーのPCが何台か破壊されたらしい。グラボが外れているくらいは序の口で、前面フレームがひしゃげて外れているのは前回に引き続き、さらに一人はBIOSすら起動しなくなっている。緩衝材増し増しで厳重に包装し、取り扱い注意のシールを貼り、伝票にも大きく「精密機械」と注意喚起、さらには保険にまで入っておきながら、この死屍累々のありさま。配送の過程で荷物がどれほど乱暴に扱われているかよくわかる。会社契約の団体割引でいかほど安くなるか知らないが、行ったり来たりで二往復も三往復もしつつ破壊率もここまで高いとなると、しつこいようだが安価なノートパソコンを在宅社員に支給してもコストはたいして変わらなかった気がする。▼何はともあれセットアップ完了。椅子や机の質は会社以上だが、当然、普段のPC環境は場所が圧迫されて使いにくくなった。

[4156] Jan 20, 2021

チョコレート断ちを宣言してから二十日。今のところ、本当に食べていない。チョコ菓子はもちろん、チョコレート成分の含まれる洋菓子や、ココア飲料も遠ざけている。70%カカオも食べてはいない。▼無論、コンビニへ寄るたびに食べたいとは思うが、ぎりぎり我慢出来ている。最低でも一ヶ月は断つと宣言したので、知らずに食べるアクシデントがない限りは一月中に禁を破ることはあるまい。あとは二月以降、何をどう解禁するかが問題だ。出来ることなら”断チョコ”を継続したいが、さすがに欠片も摂れないと選べる甘味の幅が狭すぎるので、部分的には許した方が長続きする。成分的に含まれるとか、チョコソースがかかっているとか、そういったスイーツを稀に食べるくらいは許してあげたいところだ。▼リモート化に伴い、職場用に大人買いした蒟蒻畑も近々家に届く。段階的に摂取カロリーを減らしていかねばならない。壮年の始まり。来月でとうとう35になる。

[4155] Jan 19, 2021

ミート・ザ・プレス。with チャック・トッド。NBCが日曜日の朝に放送する番組。司会のチャック・トッドが時の政治家や専門家を招いて週の時事を討論する。1947年に放送を開始。現存する最長寿番組である。▼週刊ジャンプに好みの作品が少なくなってきた近頃、月曜日の楽しみはミート・ザ・プレスにシフトしてきた。ただの報道番組と言えばそれまでだが、壮大な音楽と共に芝居がかった口調でヘッドラインを紹介するオープニングのノリの良さが秀逸で、朝の眠い電車の中で聞いていると自然テンションがあがってくる。ナイトリーニュースもそうだが、NBCはとりわけオープニングのグルーヴ感を重視している。これが、活性化エネルギーの高いニュースリスニングに「入って」いくのを助けてくれるのだ。▼アマゾンで、ミート・ザ・プレスのロゴをあしらったマグカップを発見。欲しくなったが、値段を見てそっと閉じた。一万二千円。ファングッズであろう。

[4154] Jan 18, 2021

仕事上ではひとつの重要な役目を終え、同時に家庭からはひとつの心配事が暫定的に霧散した。前途を覆う解決困難な仕事や不安の影をひとつずつ丁寧に取り払い、先行きの明るい洋々とした道を取り戻すまで、あと二歩、三歩というところ。一旦、綺麗な日常に戻りたい。そんな2021年の始まりである。▼ただ、社会の通奏低音はまだまだ暗闇。個人の平穏を取り戻したとしても、晴れ間は見えそうにない。コロナのことも、後遺症が酷いとか、怖がりすぎだとか、医療崩壊寸前だとか、指定感染症を五類にすればいいだけだとか、もはや一個人ではファクトチェック不能な相反する情報が多すぎて、極論に染まるか不信に喘ぐかの二択しか選べなくなってきている。どちらの道も、感情を揺さぶる危険な道である。▼体の健康。心の健康。生活の健康。そして社会の健康。すべてを同時に目指すのは難しいが、このうち半分以上は健康でないと、前向きに活動するのが苦しくなる。

[4153] Jan 17, 2021

『ウマ娘』のアプリ続報が出た。詳細はまだまだ不明だが、編成というよりは担当キャラの育成がメインで、どちらかというとアイドルモノに近そうな気配。距離や適正の概念が存在するのかどうかもわからない。パラメータかスキルかは不明だが、育成結果を次の別キャラクターに「継承」できる点から推測すると、パワプロのサクセスのような一期一会の育成を繰り返しながら、何世代かをかけてGTコンプリートを目指すようなゲーム性になりそうな気がする。▼課金要素の本丸はまだ見えないが、開示されている情報からすると同キャラ別レアリティか、闇鍋か、育成課金かの三択が有力。無論、組み合わせもありうる。巷では馬版のシャニマス(アイドルマスターシャイニーカラーズ)ではないかという声もあがっているが、課金圧が高いとついていけないので、そこはCygamesらしく緩やかな課金で長く遊べるロングランを目指してくれていたら嬉しいなと思う。あと一ヶ月。

[4152] Jan 16, 2021

『英検1級面接大特訓』終了。▼二次試験対策本ながらライティングにも効果抜群ということで、一石二鳥狙いの先取り読破。例によって読んでいるだけだが、面接官の追加質問を捌く方法や、メイントピックで選んだ立場に対して反論の余地が少ない正論をぶつけられたときの逃げ方など、ライブ感のある情報が満載で面白い。面接対策の必須本と言われる所以もわかる。一次を通過した暁には、これと『英語で経済・政治・社会を討論する技術と表現』のローテーションだけで一ヶ月まるまる過ごせそうだ。▼受験票は先日到着した。ヘルスチェックや写真等、いろいろ準備も必要だが、会場が東京になってしまったのは何より残念だった。今、このタイミングで東京に行くのは気が進まない。電車もなるべく座らずに、最寄り駅からさっと降りて会場へ行き、誰とも接触・会話しないまま速やかに帰還するしかなさそうだ。コロナ禍でなければ東京ラーメンでも食べて帰りたかった。

[4151] Jan 15, 2021

マランツプロフェッショナルの「Umpire」を買う。破壊されたソニーマイクの生まれ変わり。在宅勤務用に、かつ短期二次試験対策を見据えた入力用デバイスに。▼コンパクトながらポップガード付きで、卓上にちょこんと置ける。この邪魔しないサイズ感が良い。通話のたびにヘッドセットを被っていると、長丁場ですぐ耳が蒸れてしまうので、フリーハンドに会話できる卓上マイクは今度の在宅ではマストだと思っていた。その計画を実現した格好だ。▼ウェブカメラは会社から貸し出されるらしい。こちらも今後のことを考えれば自前でひとつ所持したいが、曲面ディスプレイの上部に取り付けられるのかは不安もあるので、会社支給でいろいろ試してから考える。実験に利用させてもらう。その他、在宅グッズを調べているが、スマホスタンドやノートパソコン関連のガジェットが多くて役に絶つ情報は少ない。デスクトップパソコンを担いでくるアナログな我々が悪いのだろう。

[4150] Jan 14, 2021

auが起死回生の一手を放ってきた。その名も、povo。ポヴォ。アハモといい、なぜこう微妙に緊張感のない不思議な名前をつけてくるのかわからないが、ともかく他の二社を凌ぐ安さを提示してきた。「素うどん」で月額2480円。ここにトッピングを乗せていく。テザリングは必要だが電話はしないといった使い方をする私にとって、選択式の課金はありがたい。▼「データ使い放題24時間」はかなりユニークなオプションだ。200円の追加課金により、24時間データが使い放題になる。旅行など、集中的にデータを消費する日の多いタイプにはこの上ない福音だろう。使い方次第では毎週使ってもお釣りが来る。月に10回使い放題にしても、使い放題プランより安いかもしれない。月末に足りなくなったら使い放題で凌ぐといった使い方ができるなら、乗り換え一択の良プランとなる。▼サポート不要。キャリアメールも不要。ならばpovoだ。必需品の固定費は低いに越したことはない。

[4149] Jan 13, 2021

本日の次男の悪行まとめ。▼院内を走り回る(約3時間)。昼ご飯のアンパンを一口も食べず床に落とす。ローソンでの会計中に暴走して消える。タリーズで制止を振り切りお茶をこぼす。タリーズで土産商品を散らかす。手摺りでぶら下がり懸垂を始める。ソファへの登り降りを意味なく繰り返して靴の脱ぎ履きを強要する。暴走して診察室のドアを勝手に開ける。受診中に先生のPCの電源ボタンを押してシステムをシャットダウンする。会計の受付中に逸走してコンビニ方面へ消える。散々怒られた後、会計中に再び逸走して内科方面へ消える。――これだけ暴れたのに、帰りに寝ない。▼いろいろあって十一時半の予約が二時半の受診となり、通院はかくのごとく阿鼻叫喚の図となった。未遂に終わった悪行は三倍ある。帰路、バスの中で十分ほど魂の抜けたような間抜け顔を見せた後は、さらに元気さを増して遊歩道を駆け回った。目を開けたまま脳は寝ていた説が有力である。

[4148] Jan 12, 2021

十一時過ぎに帰宅してから諸々終えて、その後に英作文を二本仕上げると、夜中の一時半になってしまう。ちょっと厳しい。詰め込みすぎたのは百も承知だが、寝不足になっては元も子もない。▼それでなくても近頃は体調が良くない。小さい頃からめったに悪くならなかった胃腸が長らく不調になっている。年なのか、疲労なのか、ストレスなのか。コロナ禍で病院へ行くのも躊躇われるのがいっそう悩ましい。だが、大きな病気の兆候であった場合、コロナが収まるのを待っていては手遅れになる可能性もある。仕事の都合、明日明後日とは言えないが、マイルストーンが落ち着いたら内科にかかりたい。▼明日は次男を病院に連れていく。暴君とはいえ、この頃は少し話が通じるようになってきた。強情は強情でも、意味不明な暴れ方は減ってきたと言える。いざというときの特効薬、カロリーメイトを懐に忍ばせて、ベビーカーで遠出である。今日より気温が高いのはありがたい。

[4147] Jan 11, 2021

冠詞、冠詞、冠詞。▼指摘の半分以上は冠詞である。aが足りない、theが要らない。単複のミスがそれに続き、残りは仮定法を使うべき箇所で仮定法がないこと、合っているが不自然な言い回し(コロケーションミス)、前置詞の間違い等。冠詞は難しいと理解はしていたが、いざ自分で書いてみるとここまで厄介なものかと痛感する。名詞の可算不可算を真剣に暗記してこなかったツケが来ている。▼試験までに20本が最低目標。現在、6本書いた。添削があると、アウトプットの練習に加えて扱ったトピックの「完成原稿」を入手できるのが良い。参考書の回答例を丸暗記しても面白くもないが、添削済みの自己答案なら、主張も言い回しもある程度気楽にストックしておける。20本、つまり60コンテンツブロック。あらゆる題材へ対応するには心許ないが、まずまずの線と言える。もう少し早く始めて100本くらい事前に書ければ、もっと自信をもって望めたかもしれない。

[4146] Jan 10, 2021

アウトプット開始。ポリゴに二本出してみた。▼前評判通り、反応が速い。最初の一本は二時間後に、もう一本は十二時間後に添削が返ってきた。後者は修正点ごとに修正意図や説明も細かく付記してくれている。とりわけ冠詞の有無とコロケーションの選択については、指摘されないと自分ではわからないだけにありがたい。▼慣れていないので時間はかかる。ライティングの目標時間は25分〜30分と言われているが、ここまで三本書いた感覚としては、本番に40分以下で結論まで書き切れるとは思いにくい。模擬試験をやってみてリスニングの前読みはほとんど不要とわかっているので、リーディングが理想時間で終われば45分はライティングに充てられる。45分あればそれなりに整ったエッセイも書けるだろう。RLへのステータス全振りをWへの時間配分で取り戻せれば、言うことはない。▼ここから本番まで一日一本は必ず書いて出す。あとはRLの補強で終わりだ。

[4145] Jan 09, 2021

「英検1級ライティング大特訓」「英検分野別ターゲット英検1級英作文問題」「最短合格!英検1級英作文問題完全制覇」の三冊を読了。サンプルエッセイを120本ほど読んだことになる。たかだか三冊ではあるが、なんとなく雰囲気は掴めてきた。インプットはこれくらいでよかろう。▼どの本にも良い所があり悪い所もあるが、総合力ではやはり旺文社が一枚上手と感じる。論の展開が自然だし、テンプレートにありがちな繰り返しの無駄表現が少ない。結論に提案や展望を配置するなど、ちゃんと余韻を重視していたのも旺文社だけだ。最終的に目指すならここだろうという「模範解答」を示している。▼他の二冊はもう少し焦点が「合格」に寄っている。言い換えれば、表現も構成もなるべく平易かつ簡明で、受験者が真似をしやすく出来ている。コンテンツブロックを丸暗記する受験者もたくさんいるのだろう。それはそれで立派な学習法だが、今の私には時間が足りない。

[4144] Jan 08, 2021

第二回緊急事態宣言を受けて、再び在宅化に舵が切られた。私も近いうちにリモートワークとなる。▼今回も、あまり筋の良い対応とは言えない。国の旗振りに合わせて場当たり的に行ったり来たりしているだけの感がある。少なくとも現時点では、パンデミックの終息後もリモートをひとつのワークスタイルとして確立させようという意志はまったくなさそうだ。私はトータルで見て確実に損をすると確信しているが、それが財布を握る人たちの判断であれば、従うよりほかにないだろう。▼私自身も前回の反省を活かして、リモートでも100%に近い生産性を出せるよう、いくつか施策を練っている。自分自身の環境はもちろん、チームメンバーの業務を円滑に進めるための仕組みづくりも欠かせない。欠落するコミュニケーションをどう補うのか。人によって異なるネットワークの環境差をどう吸収するのか。来週の早いうちに取りまとめて提案する。再来週には引っ越しである。

[4143] Jan 07, 2021

緊急事態宣言。一ヶ月。▼会社の方針は明日決まる。また強制在宅ともなれば、春の混乱の再現だ。だが、去年は在宅重視のプロジェクトでトラブルが相次いだ。それを踏まえれば全社員を在宅ということにはなるまい。緊急性と重要度の両面から判断して、在宅によるロスが致命傷にならないプロジェクトから優先的に在宅化していくと思われる。▼舵取りが問われるのは、会社の体制づくりとして今回の緊急事態宣言を再び一過性の事態として捉えるのか、それとも今後は恒常的に発生しうるリスクとして新たな対応を進めるのかだ。率直に言って、第三回、第四回が発生すると見込むなら、ここで社員にノートパソコンを支給しない手はない。逆に、第二回こそが最後の緊急事態だと考えるなら、春と同じくデスクトップパソコンを運び出しての暫定在宅となる。どちらにしろと言うつもりも言う権限もないが、ひとつ経営陣の先見性が問われる選択である。間違えて欲しくはない。

[4142] Jan 06, 2021

取り寄せた靴が入った。ほっとした。ぎりぎりだが、ジャストフィットと捉える。革が馴染んでくれば問題ないだろう。▼いくつか有益な話も聞けた。とりわけ、靴がきついときに靴紐を緩めるのは逆効果という指摘はためになった。靴紐が緩いと踵がずれる。踵がずれると足の広い部分が靴の広い部分と合わなくなる。結果、親指や小指が靴の内側に当たりやすくなる。それを大きさの問題と勘違いして靴のサイズを上げてしまうと、さらに足の形と合わなくなって、しまいには骨格に悪影響を与えてしまうのだそうだ。納得のいく理屈である。▼ヒールにスエード、側面と足の甲にメッシュ、周縁部がレザーという複合素材のつくり。手入れを簡単にするために、とりあえず何にかけても大丈夫だという万能スプレーも買った。だが、中二日で使いまわすにはあと一足必要だ。これまで一足使い潰し式でやってきたツケが回ってきた。今回の靴は潰したくない。大事に使っていきたい。

[4141] Jan 05, 2021

起きられない、寝られない。そんな長男の生活習慣を改善するアイテムとして「目覚ましライト」を推奨された。目覚ましライト。セラピーライト。呼び名はいろいろあるらしいが、要するに、寝起きにしっかり光を浴びて「朝」を脳に認識させ、体内時計を整えて夜更かしと寝坊のサイクルを健康的な早寝早起きにシフトしようというコンセプトだ。▼日本の日差しは弱い。それに、カーテンを開けて太陽の光で起きると言っても、曇りの日もあれば雨の日もある。自然の光だけでは必要な露光量を安定供給できないので、人工的に習慣化しようというわけだ。起きてから三十分ほど照射すると良いらしい。本当に効果があるなら、寝室とリビングに二つ置いてもよさそうだ。▼これで長男の寝ない病がすっきり改善してくれれば万々歳だが、きっと事はそう単純ではあるまい。せめて朝起きるときのつらさが軽減してくれれば良いと思う。無理やり起きる毎朝が脳に良いとは思えない。

[4140] Jan 04, 2021

長男の創作シリーズ。▼風呂上がり。ウツボとタツノオトシゴのシールを十字に重ねて謎の生物を生み出していた。その摩訶不思議な生き物の名を尋ねると、「これはアナゴポンチだよ」と言う。ウツボをアナゴと勘違いしているらしい。訂正すると「これはウツボポンチだよ」と言い直した。なぜタツノオトシゴが合体することでポンチになるのかはわからない。由来もまったくわからない。子どもだけのファンタジーである。▼長男の独特なセンスは、積み木の遊び方で一番良くわかる。彼は、積み木を幾何的に扱うのだ。最小のブロックであっても、自分が見立てる形のためにはためらいなく斜めに使う。数学的に積み上げて、シンメトリックな高層建築を目指したりは決してしない。タコだったり、ベッドだったり、歯ブラシだったり、様々なオブジェを並べていくのである。私の小さい頃にはまったくやらなかった遊び方だ。この方向性を活かすには、恐らく私にも勉強が要る。

[4139] Jan 03, 2021

今日は一日、暇をもらって靴探しと喫茶店での勉強。久しぶりに長時間集中できた。▼靴探しは毎度大騒ぎになる。今回も難航中だ。白のレザースニーカーであることは決まっているのに、どれもこれもサイズが合わない。いっそ私の足が30cmくらいあるなら最初からまっとうな線は諦めるのだが、28.5〜29で3.5Eという始末の悪いスペックであるために、ぎりぎり入りそうで入らない既製品の波に翻弄されてしまう。惚れ込んだデザインの靴が買えない悲劇に何度も何度も見舞われる。▼今日も求めている方向性の靴を片っ端から試したが、満足にフィットした品はひとつもなかった。たった一点、取り寄せならワンサイズ上があるというので、今回はその可能性に賭けて撤退する。これも駄目なら最初から仕切り直しになる。今、東京に行きたくはないが、最悪の場合は新宿まで出ないと見つからないかもしれない。いっそオーダーメイドで作りたいとも思ってしまう。

[4138] Jan 02, 2021

背景、主張、例示。≪理由、展開、具体例≫×3。主張の再提示、展望または提言。▼これが英検1級のライティングフォーマットだ。こうしてみるとなんだか音楽のプロットにも見える。わかりやすく論を展開する型という点において、英文にも音楽にも大した差はないのかもしれない。▼背景は思いつかなければ省略可。主張は平易に一文で。例示は名詞で列挙する。3つの理由を述べる本体部分は原則無生物主語を貫く。第五文型の使いこなしが鍵となる。ディスコースマーカーは適宜。ぶつ切りにならなければ問題ない。主張の再提示は語彙と表現をパラフレーズする。理由の再列挙は無くても良い。余韻のための展望又は提言が添えられればベスト。ただし内容はあくまで本論の延長とし、新たな主張が盛り込まれないよう注意したい。▼使用語彙・表現のレベルは誤用やスペルミスがない範囲でなるべく引き上げる。安易な句動詞の利用は危険。分詞構文は一つ以上使いたい。

[4137] Jan 01, 2021

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。▼今年の抱負。チョコレートを絶つ。あるいは、量を減らす。最初からトーンダウンしてしまうが、完全に絶つと禁断症状が出そうなのでカカオ色の強いチョコレートを日に少量なら良しとした方が続きそうだ。健康の重要度はますます高まってきた。仕事や趣味の目標に劣らず切実な抱負である。▼仕事の方は、自身の責務完遂を抱負にはしない。抱負は、後進の育成、とりわけ部署の若手育成方法に関する新たな指針の確立とする。プロジェクトのことは取り立てて気負わずともきっちりやる。その上で、プロジェクトを超えたプロジェクトとして、会社全体の開発力の底上げを本格的にやらねばならない。社会に、新たな教育のウェーブを巻き起こしたい。▼趣味はネジの巻き直し。自分に合ったスタイルに沿って、見直すべきものを見直す必要がある。ゆっくりやる。家庭は万事楽しく、万事無事。これに尽きる。

[4136] Dec 31, 2020

掃除、選択、枯葉の始末、窓ガラスの水拭き、子どもたちの相手、等々……。休憩も挟みつつ朝からひっきりなしに動いていたら、大晦日は終わった。やるべきことはやれたので悔いはないが、勉強はもちろんできていない。ある意味、2020年を総括するような一日だったと言える。今年の日々は、ピーキーな出来事こそ多かったものの、平均すれば大体こんな感じであった。▼去年の大晦日は仕事に関する気負いが大きかったようだ。派手な立ち回りより堅実な一手。まだ結果の出る段ではないが、今のところは抱負通りに働けている。来年は秋から暮れにかけてマスターアップを迎える上、私生活にも今年以上の混乱が予想されるため、あまり野心的な目標は立てられない。万事無事が第一だ。その上で最低でも英検1級はクリアしておきたい。ここが最初のハードルである。早く超えておかないと気持ち的にも面倒だ。▼午後十一時。まもなく2021年。それでは良いお年を。

[4135] Dec 30, 2020

英作文の名参考書と名高いZ会『自由英作文編 英作文のトレーニング 改訂版』読了。読んだだけで解いてはいないので、今回は読了とする。▼ここまで読んできたライティング本の中では最も質が良い。大学受験ターゲットとは思えないほど良く出来ている。とりわけ仮定法の使いこなしについては繰り返し実例付きで解説があり、通読するだけで勘所が見えてくる。Agree/Disagree系の問いで、仮定法の有無により立場の違いを明確にできる点は大いに参考になった。▼英検1級狙いの一夜漬けでなく純粋にライティング力を高めたいなら、ちゃんと全解きして巻末の暗唱用例文78本をくまなく覚えるべきだろう。試験まであと半年あるなら、私もそうした。無事、試験を通過できたら戻ってきて取り組みたいと思えるほどの良書である。当日までに終えるべき問題集は、これで残り五冊。一週間に一冊以上のペース。苦しいが、やれるところまでやろう。早くBWLにもどりたい。

[4134] Dec 29, 2020

仕事納め。今年の仕事はここでおしまい。思考も閉じよう。あとは来年考える。▼私が今年、語学の勉強や仕事上の新しい立場を通じて得た最大の学びは、私の学習スタイルが圧倒的に知識偏重型であるという発見であった。私は、知識の蓄積によってインプットの解像度を上げることで学習効率を高めるのが得意なのだ。逆に言えば、膨大なインプットに晒されることで共通原理を学んでいくような、演繹的な学習は苦手ということになる。恐らく、多読・多聴が全く功を奏さなかった理由もここにある。▼多少なり芸術方面を志す人間にとって、自分がガチガチの左脳型であることを認めるのは苦しいものだ。ストリートスマートへの憧れも粉砕される。だが、ゴールが変わるわけではない。判明したのは私にとって最も効率の良い「学習法」だけである。ならば、素直に受け入れよう。ブックスマートルートに乗って、今までより意気揚々と進んでいけるなら、悪いことは何もない。

[4133] Dec 28, 2020

旺文社「英検分野別ターゲット英検1級リスニング問題150」修了。▼模試以外は通勤時間に進めたので、まとまった時間で解く練習はあまりしていないが、集中力の持続には自信があるので気にしていない。三十五分程度の試験で後半を疲れて聞き落とすことはないだろう。▼模擬試験二回分の結果はそれぞれ20/27、23/27。七割五分〜八割五分というところ。本番との環境の差で五分を割り引けば予想通り七割〜八割に収まっている。ただ、ミスしているのがほとんどイギリス英語である点は見逃せない。あまり意識していなかったが、ここまで数字で出るとはっきり苦手なことがわかる。細部が聞き取れないせいで全体の流れが掴みにくくなるのだろう。▼とはいえ、イギリス発音に特化した練習を積んでいる時間はもうない。ロゴポート&ジャパンタイムズの方を終えたら、後はレスター・ホルトのNBCニュースだけ聞いて過ごそう。今日は長男の眼科検診である。

[4132] Dec 27, 2020

残り一ヶ月を切ったところでライティング以外は巻きに入る。リーディングは八割死守としても、リスニングは七割前後なので下振れすると危険だ。それに、素点ベースの正答率とCSEスコアの比率は一致しない。一般にはCSEの方が割合的に持ち上げられる傾向があるので、RLWの比率が9・6・6であるよりも、7・7・7であった方が合格率は高いと言える。その方が、バランスの良い四技能の習得を目指す英検の理念にも適っている。▼現時点での自分の実力を見積もるなら、8・7・4というところだろう。ここからBWLを積めばRは9になると思うが、上述の通り割の良い投資ではない。リスニング安定のために問題集をあと一冊こなす以外は、ライティングに全振りで問題なかろう。Wが6まで上がってくれば勝ち目がある。そうして6なら最悪テンプレートライティングに逃げ込んでも狙える線。これを見越してRを仕上げてきた節もある。小賢しい作戦である。

[4131] Dec 26, 2020

待望の「ウマ娘」アプリだが、肝心のゲーム性が何ひとつ公開されていない。同僚と日々推測を重ねているが、何もかもが未知数だ。▼メインディッシュがレースなのかウイニングライブなのか、そこがはっきりしないために輪郭が見えてこない。同じ育成シミュレーションでも、ダービースタリオンとアイドルマスターでは天と地ほどの差がある。どちらかなのか。いいとこどりをするのか。そこだけでも明らかにならないと、その他の要素を組み立てにくい。▼ただ、史実の都合、後から強キャラを供給しにくいので、課金要素は絞られる。同キャラ別レアリティか、性能付き衣装か、装備集めかだ。抱き合わせて闇鍋も十二分にありうる。調教・飼養に該当する成長要素に課金を捻じ込んでくる形は嬉しくないが、これもひとつの解だろう。▼平日は仕上げがメインで、本番となるレースはリアル路線で週末限定イベントだったりすると……既存路線に乗らず、面白いかもしれない。

[4130] Dec 25, 2020

『英語を英語で理解する 英英英単語 超上級編』修了。▼巷で話題、ロゴポート&ジャパンタイムズの英単語集。ありそうでなかった傑作だ。単語は「パス単」だけで十分と思っていたが、難易度のレンジが近いので復習も兼ねて保険でクリアしておこうと思った。終わってみれば百単語弱は取りこぼしがあったので、良い補強になったと思う。▼だが、超上級というからには、もうちょっとハイレベルな語彙を入れてくれてもよかった。もう1ランク上の、たとえば「超超上級」なんかが出てくれると、MagooshやVerbalAdvantageに近いレベルのボキャビルが出来そうだ。上級と超上級が出てから、ヒット御礼で初級、中級と出てきているので、そのうち上も伸ばしてくれると信じている。▼あとは暇なときにBWLを眺めて終わりにしよう。しばらく単語帳はいい。プロジェクトのマイルストーン遅れが、そっくりそのままライティングの対策遅れになっている。年末年始に巻き返す。

[4129] Dec 24, 2020

クリスマス・イヴ。ケーキとチキンでオーソドックスに宴。長男はチョコレートケーキのデコレーションに歓喜し、砂糖菓子のサンタさんを齧る。そのあいだに次男は四回、おかわりを要求した。▼街の密度はさすがに今年いちばんだったと思う。食料品売り場の混雑ぶりは土日の夕方並だ。すべての当日販売ケーキを売り切ったらしいコージーコーナーの臨時販売所にも、割引価格の生ハムやチキンを求める人が殺到していた。昼時は密どころの騒ぎではなかっただろう。経済的には良いことだが、ホリデーシーズンの賑わいが新たな震源を生まないか、やはり冷や冷やしてしまう。▼会社の忘年会は当然中止。代わりにささやかな品が全社員に振る舞われた。浮いた予算に知らんぷりを決め込まず、少しでも社員に還元しようという心遣いはありがたい。結局、会社主導の飲み会は一度も開催されなかったが、延期されている約束はいくつもある。来年、落ち着いたら一気呵成である。

[4128] Dec 23, 2020

レジを買う。ボーネルンドの品。キッチンセットも魅力的だが、レジが欲しいという長男の希望は最後まで揺るがなかった。▼トイザらス限定のレジが最終対抗馬だった。シンプルな電卓と抽斗の機能しかないボーネルンドに比べ、バーコードスキャナー、重量秤、買い物カゴ、果物や紙パックなどの商品数点がついてきて、さらに電卓は声も出る。それでいて値段はボーネルンドの半分。ただし品質は値段なりであり、ボディはちゃちい。ボーネルンドのしっかりしたビルドに比べると、遥かにおもちゃおもちゃしている。▼子どもには色も明るく盛りだくさんなトイザらスの方が楽しそうに見えるだろう。スキャナーの有無も大きい。だが、送信した写真を比べてもらったところ、長男はボーネルンドを選んだようだ。相変わらず、地味でも質の良い物を選ぶ大人びた目を持っている。見立て遊びが得意なので、スキャナーは適当な玩具で代用するのだろう。喜んでくれることを祈る。

[4127] Dec 22, 2020

3歳になる頃にはカタカナも覚えてしまうかも――などと思っていたが、次男の成長力が想像を超えてくる。妻からの報告によると、お風呂の五十音表で試したところ、いつの間にか「チ」以外は全部言えるようになっていたらしい。「チ」はどうやら「も」と間違えたそうだ。明日には覚えていても不思議ではない。▼あとは濁音を習得すれば、漢字以外の主要な文字は大体マスターしたことになる。そうなれば絵本もすらすらだ。とにかく記号系への興味が強いので、早めに算数を教えてもいいかもしれない。今朝は誰よりも早く起きて電卓を叩いていたものの、ソーラーパネルなので角度が悪いと液晶がつかず、布団の上でブチ切れていた。▼比べてどうこうではないが、長男はどちらかというと記号よりアーティスティックな方面に興味を示している。記憶力も、目から入る情報には強い。デザインセンスが高そうなタイプである。二人とも全く違う方向に向かって成長している。

[4126] Dec 21, 2020

コレクチム軟膏の範囲を拡張。医者のお墨付きを得て、全域解禁となった。▼とにかく効き目が凄い。塗った場所はほとんど痒くならない。ステロイドと違ってピンポイントに塗る必要もないので、比較的症状の浅い場所でも薄く広げて運用できる。ヒルドイドと合わせて、薬層がちょうど二倍になったような感じである。▼難点は、些細ではあるが塗布が一日二回なことと、冬は伸びがいまいちなこと、そして薬代が高いこと。今は手、顔、首筋、肩の後ろ、太もも、膝の裏を中心にケアしているが、それでも一日一本は使う。それだけで月に一万円を超えてしまう計算である。とてもではないが、お腹や背中のように面積の広いところへ消費する気にはなれない。▼したがって、しばらくは保湿を中心に、各薬を使い分けながら状態をキープしていくことになる。ハイブリッド作戦である。ちなみに医者にも薬剤師にも念を押されたが、プロトピックと一緒に塗ってはいけないらしい。

[4125] Dec 20, 2020

寝室のエアコンが壊れた。明滅するタイマーランプ。室外機が死んだらしい。▼夜、あまりにも寒いので目覚めて気がついた。不自然な肌寒さ。とりわけ枕が冷たかった。テクノジェルが冷えに冷えて氷のようになっていた。ジェルタイプの思わぬ欠点を見つけた格好だ。寝つけないので、別の部屋から電気ストーブを運んできて点けた。いつもは布団を剥いでしまう子どもたちも、しっかり布団にくるまっていた。▼乾燥のことを考えると、暖房をつけて寝るのは必ずしも良いことではない。修理は修理でするとしても、これを機に布団の強化や湯たんぽの導入など、冬の脱暖房を進めてみる手もある。長く愛用してきた今の掛布団も、暖かいことは暖かいが、日本製でないが故にカバーのサイズが合わず、知らぬ間に撚れてしまったり、重さが不均等になって寝づらくなったりと、欠点もそれなりにあった。暖房の修理が遅くなるようなら、今年の冬賞与は掛布団になるかもしれない。

[4124] Dec 19, 2020

ついに「ウマ娘」のアプリが出る。リリース日は来年二月二十四日。事前登録三周年の目前だ。延べ四年近く待った計算になる。本当に長かった。▼それだけに、不安もある。待たされた分だけ高まりすぎている完成度への期待値。膨らんだ開発コストを回収するために課金圧力が高くなっているのではないかという疑惑。延期の話題性から想像されるほどはファンが残っておらず、思ったより売れずに早々とサービス終了するのではないかという懸念。どれも憶測に過ぎないが、ともかく、生まれる前から他の数多のスマホゲームとは異色の経歴を持つだけに、リリースされたら何が起こるかわからない予測不可能な側面があるのは確かだ。▼二ヶ月。できれば当日まで放置ではなく、継続的にゲームシステムの解説やスクリーンショットなど、燃料を投下して間を持たせてくれると嬉しい。英検の二次面接もちょうど終わっているはずだ。気持ちよくスタートを切れるよう頑張りたい。

[4123] Dec 18, 2020

風船を英語でバルーンと呼ぶことは、多くの日本人がなんとなく知っている。アドバルーンやバルーンアートを始め、さまざまな日常シーンでそう呼ばれるからだ。ゲーム用語なら尚更である。ゲームの中に風船が出てきたら、**風船よりは**バルーンと名づけられていることの方が多いだろう。▼では、英語ネイティブはどうか。日常の中で見かける様々な風船は、やはりバルーンである。少なくとも、よほどのことがない限り風船とは呼ばれまい。とすると、実に安直な考え方だが、小さい頃から否が応でも英語名に触れて育つ日本人の方が、幼少から大人まで日本語に触れる機会の少ない英語ネイティブより、日英バイリンガルになる土壌は整っていると言える。言語構造が云々という以前に、実は単語力のスタート地点からして差があるのだ。▼日本語も怪しいうちから多くのカタカナ語を使いこなす子どもたちを見ていて、つくづくそう思った。恩恵と意識すべきであろう。

[4122] Dec 17, 2020

スマホゲームも収益性が苦しくなってきた。FGOを始めとするトップ層は健在だが、売上予想ランキングを10位まで辿ってくると早くも収益性に陰りが見える。無論、黒字ではあるだろうが、これ一本に頼って生きていけるというようなビッグタイトルはない。供給コンテンツにも質の高さが求められるようになってきた昨今、月の売り上げが億以下のタイトルは徐々に首が涼しくなってくる。▼ガチャ頼りのビジネスモデルも限界というところだろう。ユーザーは度重なる散財を経て、より効率の良い課金スタンスを身につけてきた。露骨な集金が始まると、静かに手を引く。そのタイミングがこなれてきている。煽られ耐性もついてきた。強キャラが出ても、来月には上位互換が出るに違いないという経験則によって、スルーする選択肢が生まれている。アイテム課金型オンラインゲームの終焉によく似た流れである。サブスクリプション型ビジネスに移行していく未来が見える。

[4121] Dec 16, 2020

保育園スタッフのPCR検査は、無事陰性であったらしい。ひとまず助かった。▼次男のクリスマスプレゼントを何にするか決めかねている。長男はレジをご所望なので、ボーネルンドのキャッシュレジスターか、いっそ本物の簡易レジでも良いかもしれないと思っているが、次男はまだ自分で希望を述べられるほど賢くはない。したがって、喜びそうなもの、かつ長く遊べるもの――言い換えれば、なるべく壊れにくいもの――を選ばねばならない。散らばるものもNGだ。▼一案として、勉強熱心さを見込んでの「地球儀」はアリだと思っている。壊れにくくはないが、動きは回転させるだけなので、思い通りに行かず癇癪を起こす機会は少ない。カタカナが読めるようになったら、自分で好きに回しながらどんどん国名を覚えてくれるだろう。数字、ひらがな、アルファベット、カタカナのあとのステップアップとして、地図・国名は悪くない選択だ。今のところ最有力候補である。

[4120] Dec 15, 2020

今日のことはもう少し時間のあるときに書く。いろいろあったが、結果的には最悪でない形に落ち着いた。ベストではないがベターではある。このまま何事も起きなければ言うことはない。▼代わりに、一難去ってまた一難、今度は保育園の先生がPCR検査を受けているらしい。明日、結果が出て、陽性の場合は臨時休園になるようだ。万が一陽性で、かつ長男や次男のクラスが濃厚接触ということになれば、二人も検査対象になるかもしれない。そうして、この年末の繁忙期に保育園も閉まる。酷いことになる。▼ついでに夜間だけ痛んでいた右足の踵も、昼間から痛みが来るようになってきた。まだ強烈ではないにせよ、痺れるような感覚がアキレス腱の方まで登ってきている気がする。これも第三の気掛かりである。不安のうちに年は暮れていく。ひとつずつ解決していくしかないのだが、今年はやはりいろいろつらい。来年は良い年になりますようにと祈る気持ちも一入である。

[4119] Dec 14, 2020

南極の大氷河やグランドキャニオンのような大自然を散策するナショジオ系の動画を見るたびに、人生、一度くらいはこういうところで深呼吸してみたいと思う。▼しかし、いざこうした冒険を自分の生活に当てはめようとすると、何かがハマらないことに気づく。時間がないとかお金がないとか、そういう言い訳を越えて、直観的に、氷河の放浪や峡谷の探検は、自分の人生には全くありそうにない出来事だと感じてしまう。絶景に憧れる自分の裏側に、動画で十分だと囁く自分がいる。▼過去にも、自分で旅には出ないが、冒険家の持ち帰る絵葉書、写真、日記、冒険譚……を心待ちにしていた「好奇心旺盛なインドア派」は一定数いたに違いない。そうして私も、その一族のような気がする。絶景を体験したいと思っているのは気のせいで、暖房の効いた個室でゆっくり「世界名所百選」のようなまとめを眺めている方が好きなのかもしれない……。そう思っているが、自信はない。

[4118] Dec 13, 2020

この頃、夜十時になると右足の踵が痛くなる。厳密に記録しているわけではないが、日に歩いた距離とは関係がなさそうだ。体重をかけるとズキズキする。激痛というほど痛くはないが、そうなってから寝るまでの間は自然と左足に負担がかかってしまう。右足はつま先立ち気味になる。▼この間の目が見えない騒動ではないが、身体の端々に不調を超えた不良が目立つようになってきた。疲れも取れにくい。頭の方も――かろうじて働かせ続けてはいるが、若い頃に比べれば記憶力は雲泥の差である。歳を取ったなと思う。これからはずっとそう思いつづけることになるのだろう。▼だからこそ、会社で溌剌と働いているおじさん達を見ると勇気が湧いてくる。五十前にしてフルマラソンを完走し、張りのある声で朝から晩まで前線で指揮を取る背広のおじさんは、老化の見えてきた三十、四十代にとっての希望である。マラソンはともかく、自分もかくありたいと思う壮年の鑑である。

[4117] Dec 12, 2020

早朝から勉強熱心な次男。ひらがなの本(長男の誕生日プレゼント)を引っ張り出してきて自分でめくり、「あ」から順番に読み上げていく。ほどなくして「え」に差し掛かったとき、ページを指さしながら不思議なことを言い出した。「こわしちゃった。」▼どうやら「え」の点の部分が、壊れて欠けた部品のように見えるらしい。「お」でも同じことを言う。子どもならではの豊かな発想力――あるいは、おもちゃというおもちゃを壊しつくした専門家の慧眼である。▼朝ごはんも拒否して延々とひらがなで遊んだ後、今度はアルファベットの本を出してきた。「A」から順々に読み上げていく。もうほとんど間違えない。いつの間にか「ちっちゃいアール」などと、小文字も読めるようになっている。ただし「C」のページに描かれた猫はなぜか「どっぐ」と言う。そういえばこの間は登園時にすれ違った犬を「ねこ」と言って譲らなかった。逆に覚えているか、区別がついてない。

[4116] Dec 11, 2020

ブロックチェーンゲーム。仮想通貨。ブラウザのブックマークに誘われて、長らく忘れていた喧騒を再び訪ねてみる。▼"404 Not Found"、"502 Bad Gateway"、あるいは見知らぬ広告が立ち並ぶ謎のポータルサイト――兵どもが夢の跡。意欲的な試みの多くは、ほんの僅かな痕跡すら残さずウェブの海から消えていた。ブックマーク中、今も稼働しているのは「CryptoCities」と「World of Ether」の二つだけだ。▼かくのごとくゲームの方は死屍累々ながら、イーサリアム自体は今年の三月に一万円が見えるほど暴落した後、しぶとく上げて六万円付近まで持ち直している。まだまだ死んだ通貨ではないということだ。残念ながらイーサリアムの形で手元に残っている資産はないが、消滅してしまったゲームを除けば、投資した分はプラマイゼロで電子の海に眠っていることになる。三年、五年、あるいは十年経っても残っているとは思いにくいが、いまいちど忘れてそっとしておこう。

[4115] Dec 10, 2020

野球。梶谷の巨人行きが確定的との報道。残念だが当然だろう。怪我に苦しむシーズンの多かった三十二歳の選手にとって、四年八億は破格と言わないまでも厚遇である。野球人生のひとまずの成功を決定付けられる条件。蹴る理由は乏しい。▼同じくベイスターズの井納が去就を決めれば、セ・リーグのFAは一通り終わる。僅かに一名または二名がベイスターズから巨人に流出するだけという、なんとも動きの少ない年になった。先行き不透明なコロナ禍では、例年に比べて環境を変える決断が下しにくいのかもしれない。プラスの面を見れば、ソトの残留にもアメリカの悲惨な現状――今日は感染者過去最多の22万人――が少なからず影響しているに違いない。▼野球人はそうとして、サラリーマンはどうなのだろう。同様に動きが少ないのか、それともリモートワークを推奨する企業への転職が優位に多いのか。コロナ前後で変化の少ない会社にいると、そのあたりは見えない。

[4114] Dec 09, 2020

長男がシルバニアファミリーの「保育園」で遊んでいる。お母さんウサギが一人と、ウサギとリスとクマの赤ちゃんが三人。家具の配置換えをしたり、園内の一角に靴置き場を拵えたりして、順当に人形遊びを楽しんでいる。▼その隣に。次男がよじ登ってくる。手にはトミカ。間もなく、平和な保育園にタンクローリーが突っ込んでくる。長男の悲鳴。突き飛ばされて散らばっていく人形たち。お世辞にも微笑ましいとは言えないサスペンスの一幕である。▼心優しい長男がときどき次男のおもちゃを奪って逃げるような意地悪をするのも、こうした日ごろの鬱憤が溜まっていればこそだろう。四歳児にとっても、二歳児と仲良く暮らしていくのはやはり大変ということだ。▼かくのごとく豪胆にして不敵な次男ではあるが、朝から元気、挨拶は溌剌、愛想もよくて勉強熱心と、良いところもたくさんある。沸点が低く、キレると近くの物にあたる癖さえ抜ければ、憎めないやつなのだ。

[4113] Dec 08, 2020

「誰でも簡単に副業感覚で月収100万円を稼げる方法!」「広告をクリックするだけで毎日3万円の収入に!」▼この手の広告はいつになってもなくならない。近頃の広告動向を見ていると、直接「金」とは言わずに「職業」の形でワンクッション置くスタイルも増えた。「楽して儲かる」ではなく「楽して**になれる」だ。「この講座を受けるだけで今日からあなたもソフトウェアエンジニア!」▼皆、この世界のどこかには真理や秘儀が存在していて、ひとたびそれを手にすれば面倒で骨の折れる努力も蓄積も必要なく、一足飛びに「賢者」になれると信じているのだ。投資の秘訣も、似非科学も、陰謀論も同じである。横着者が後になって、地道に研鑽を積んできた人を出し抜きたいと思ったとき、頼りたくなるように作られたスキームなのだ。▼楽して何かが出来ると聞いて心が動いたなら、そこに自分の横着を発見しなければならない。横着の行きつく先は掃き溜めである。

[4112] Dec 07, 2020

リスニングもなんとかなりそうな未来が見えてくる。パート2はしばしばキーワードが聞こえなくて間違えるが、文意を取れないことはほとんどない。先読みやメモも不要と感じる。内容を覚えられないほど長い設問はないし、メモを取っている間に話された内容を聞き逃す可能性の方が高い。目の前の話に集中した方が良さそうだ。▼リスニングも、旺文社を終えたら残りはライティングに全振りしよう。語彙やリスニングと違って電車の中で出来ないのが最大の難点だが、その点はひとつ対策を考えてある。やってみて上手く行ったら、通勤学習のノウハウとしてここに残したい。▼試験の結果はどうあれ、この学習を通じて半ば強制的に、最低限の文章作成能力が身につくのはありがたい。発話も然り。何らかのトピックに関して全く手が止まってしまう、あるいは口が動かないといったフリーズを避けられるようになるだけでも、大きな今後の自信になる。それが何よりも重要だ。

[4111] Dec 06, 2020

ついに見つけた。究極のデスク。Zaor「KLAViDESK」。FATAR製の88鍵盤をまるごとデスクと一体化させた夢のシステムデスクである。白い光沢が美しい。▼卓上型はマウスやキーボードとの配置の相性が悪く、スライド型は足元が窮屈になるというジレンマを抱えていた鍵盤の「正面置き派」にとって、これ以上の答えはないだろう。鍵盤側の進化に合わせてピアノ自体をグレードアップしていきたい人には不向きだろうが、鍵盤式の入力デバイスと割り切るなら向こう十年、二十年使っても不都合はない。ペダルまでデスクの一部になっているので、配線や掃除の煩わしさも軽減される。ありそうでなかった製品。よくぞ世に出したと思わされる。▼では、買うのかと言われれば――買わない。そのお値段、税込みで五十五万、送料込みで六十一万である。さすがに手が出ない。故に今日は単なる商品紹介である。他のメーカーが追随して似たような品を安く出すまで待つしかあるまい。

[4110] Dec 05, 2020

旺文社「英検分野別ターゲット英検1級長文読解問題120」修了。▼正直、長文読解は大丈夫だろうと思っていたが、問題形式を知る意味でも一冊くらいはやろうということで語彙本の出来が良かった旺文社を選択。結果、ほとんど間違えることはなかったので、長文読解対策はいらないと確信する。TOEIC同様、先読みもまったくいらない。時間配分は4・4・8・8・10で足りそうだ。語彙問題に16分使っても50分余る計算なので、リスニングの選択肢チェックに10分使っても、ライティングに40分を充てられる計算になる。苦手なところに十分時間を使えそうなのは、ひとつ安心材料になる。▼語彙も八割程度には仕上がりそうなので、あとはリスニングとライティングに特化で良い。プロジェクトも最初の佳境を迎えているので時間は確保しにくいが、ここからは一日一時間取れればぎりぎり間に合う気もする。▼二次のスピーキングのことは何も考えたくない。

[4109] Dec 04, 2020

言語とは、コミュニケーションの手段である。しからば、プログラミング言語もコミュニケーションの手段であるはずである。誰とのコミュニケーションか。その言語を解釈する誰かだ。それはプログラムを実行するマシンであり、プログラムを読む人間である。▼冗談や比喩ではなく、プログラマ同士の会話の多くは実際にプログラミング言語で行われている。正しく書かれたコードを読めば、プログラマはその意味がわかると同時に、書いた人の意図もわかる。意思疎通である。他方、コードの書き方が拙ければ、読んだ人は解釈に苦労するし、場合によっては話者の意図を掴めない。あるいは誤解する。ミスコミュニケーションである。▼コードは動けば何でもいいという主張は、言葉は伝われば何でもいいという主張と同じである。それが正しいこともある。だが、伝わるのが精一杯の言葉使いだけで大きな論を組み立てることはできない。複雑な物の構築には正しい言葉が要る。

[4108] Dec 03, 2020

しっかりものの、うっかりさんがいる。▼彼は、なかなかのしっかりものである。仕事の仕方はてきぱきしているし、関連分野の知識も豊富、チームメンバーとの折り合いも上手で、ホウレンソウも怠らない。他人のミスにも気がつくし、仕様の齟齬にも敏感だ。何を任せてもきっちり仕事をこなしてくれるので、こちらも計算が立てやすい。腕利きの戦士である。▼だが、そんな日常からは伺い知れないほどに、彼はうっかりさんである。慌てる必要のないところで慌て、気を抜いてはいけないところで気を抜き、うっかり変なことをする。その率が、他の人より有意に高い。三割は余裕のアベレージヒッターなのに、大ボール球を空振り三振するのだ。▼肝心なところでミスをする癖は、責任の重い立場になればなるほど欠点としてのウエイトが大きくなる。せっかく良い実績を残してきているので、ぜひここぞの集中力を磨いて次世代をリードする逸材になって欲しいと思っている。

[4107] Dec 02, 2020

講習を開くことにした。▼これは、部の伝統に対するアンチテーゼでもある。何しろこれまで、我が部署における若手の育成とは「仕事を任せてサポートする」ことであり、それ以外にはなかったのだ。実務経験こそ最大の教育である。そのOJT思想に疑いを差し挟む者は、悪であり愚かであった。座学とは、学校を出るときに卒業するべき机上のお遊びに過ぎなかった。▼それはそれで理のないことではなかった。だが、開発規模が拡大してチームの中でも分業化が進んだ今、この古い教育モデルはもはや機能していないと見ている。経験が偏りすぎているのだ。偏りすぎているが故に、特定のニッチに嵌ったまま抜け出せなくなっている若手が多すぎる。これは彼らの罪ではない。座学というサプリメントの投与を怠った我々の罪である。▼プロジェクト進行の合間を縫って、講習の目録を書き溜めている。今だからこそやらねばならぬ。これを機に部の教育観が変わることを祈る。

[4106] Dec 01, 2020

夕方近くなると、会社の近くを爆音バイクが通り抜ける。明らかな改造車の雄叫び。それも一台、二台ではない。このところ台数が増えている気もする。▼昔、自宅でも深夜になるとよく暴走バイクの軍団がよく出没していた。ブオンブオン、バリバリという擬音表現そのままの音を立てながら表通りを疾走していたが、そういえばいつからかめっきり聞いていない。取り締まりが強化したのか、幅を利かせていた族が解散したのか、事情は知らないが、ともかく昔ほどやかましくはなくなった。▼そう思っていたら、今度は会社で聞くようになった。自粛の閉塞感に耐え切れず、時間とエネルギーを持て余した若者が再び爆音で自己表現を始めたのかもしれない。あるいは遠くへ旅行へ行くために、ガレージの改造車を引っ張り出して来たのかもしれない。だが、窓に面した部屋は時折音で会話が遮られるほどである。遠くない将来、苦情が積もって何らかの形で始末がつくに違いない。

[4105] Nov 30, 2020

ファイザーとモダーナが待望の対COVID-19ワクチンを完成させ、さらにアストラゼネカがオックスフォードとの共同開発でより安価かつ流通が容易なワクチンを実用化しようとしている。議論はすでに、ワクチンの効能や安全性よりも、誰が最初にワクチンを受けるべきなのか、受ける優先順位はどのように決めるのか、子どもの摂取はいつ始めるべきなのかといった「接種前提」の話に移りつつある。▼だが、それはアメリカの話だ。感染者数も死者数も桁違いに増え続け、経済も医療も限界に近づいている悲惨な緊急事態だからこそトントン拍子に進んでいるところがある。では、日本はどうなるのか。アメリカを含めよりシビアな国への供給が安定した来年の春から夏くらいに後発のワクチンを導入するのか、それともオリンピックを見据えて可及的速やかにアストラゼネカあたりのワクチンに飛びつくのか。そのあたりの話は、いまのところ国内のニュースからは聞こえてこない。

[4104] Nov 29, 2020

英検1級への申し込みが完了。とりあえず、後には引けなくなった。ライティングの致命的な遅れもあり勝算は高くないが、高額な検定料を無駄にしないためにもぎりぎりまで頑張ってみたい。▼二次が駄目でもせめて一次が通れば、来年の6月に再受験するとき一次試験が免除される。そうなれば、今回は一次の後の1ヶ月で詰め込もうとしているスピーキングに4ヶ月以上をまるまる費やせるため、リベンジの成功率が大幅に高まる。一次からやり直すのとでは、心の余裕も大きく変わってくる。▼実際――保険をかけるわけではないが――リスニングに2ヶ月、ライティングに1ヶ月、スピーキングは一次の後などという限られた時間しか準備に充てないのは、英検1級の本旨からすると無謀としか言いようがない。だが、先に〆を決めてしまった以上は挑むしかないし、負けても失うものは検定料だけだ。何度でも挑戦できるイベントバトルのようなものである。気楽に行きたい。

[4103] Nov 28, 2020

L.L.BEANで服を買う。▼肩幅が広いせいもあり、日本サイズのXLだと脇の下が張って窮屈になることが多かった。とりわけ長袖だと腕の開きが制限されて動きにくい。そこで、手ごろな価格で米国サイズの綿100%を扱っているL.L.BEANを試してみた。▼L.L.BEANの商品はサイズ表記が何パターンもあってわかりにくいが、試着した結果、米国サイズ表記は単なるL、または16+1/2、日本サイズ表記はXLが、それぞれぴったりだと判明した。評判通り、同じXLでも他のメーカーより肩幅に余裕がある。この三種類を抑えておけばひとまずシャツに苦労することはなさそうだ。▼ブランドではトミーヒルフィガーとラルフローレンが巨大サイズを扱っていると聞いていたが、高島屋のトミーにはXLまでしか置いていなかった。ラルフローレンは好みではないので見ていない。いずれにせよL.L.BEANより値段は張るだろうから、今日の収穫には十分満足している。あとはどれだけ長持ちするかだ。

[4102] Nov 27, 2020

私も長男も朝の体温は35度台である。私はともかく、四歳の長男はかなり低い。そのせいか朝は別人のように不機嫌で、毎日起こすのに苦労する。▼二人とも、眠いが浅いのは共通している。眠りが浅いから朝の体温が低いのか、それとも体温が低いから眠りが浅いのか、因果関係は不明だが、そのあたりの何かしらで私の体質が受け継がれてしまったということなのだろう。▼ただ、遺伝の他にも原因はありうる。運動不足である。私が運動不足なのはあらためて言うまでもないが、長男も保育園の外出だけでは運動量が足りていないのではないだろうか。夜、脚をバタバタしてなかなか寝付かないのも身体が余っているからで、もっと運動する機会があれば暴れる余裕もなく眠りに落ちてくれるような気もする。今の生活の中に子どもの運動を盛り込むのは難しいが、もう少し次男の物分かりがよくなってきたらトランポリンでも復活させて、眠りの深化と体温の上昇を目指したい。

[4101] Nov 26, 2020

リスニングには英語ニュースが効くということで、WNYCやCNNをつまみ食いしていたが、いまいちつまらなくてどれも三日坊主になっていた。ニュースは、ためになるのはわかるけれど、なんだか堅いのだ。とても日課にできる自信はなくて、すぐにフェードアウトしてしまった。▼だが、ついに見つけた。これなら毎日聞けると思えるニュース。波長がぴったり合う番組。NBCナイトリーニュースである。▼何が良いか。ひとえにリズムが良い。メインアンカー、レスター・ホルトのアップテンポで力強い喋りが、ともすれば無味乾燥になりがちな日々のニュースに命を吹き込んでいる。開幕と同時に雪崩れ込んでくるヘッドラインのマシンガンが実に心地よい。▼これなら喜んで日課にできる。長さもニ十分程度なので、通勤の行き帰りでも、昼休みの余りでも、あるいは皿洗いをしているときでも聴ける。生活に自然と組み込めるコンパクトさである。いいものを見つけた。

[4100] Nov 25, 2020

期待を込めて某ゲームアプリを起動。世界観も前後関係もわからないまま慌ただしい事件に巻き込まれ、矢継ぎ早に指示を出してくる秘書的な少女の言うがままにチュートリアルをこなす。戦闘システムを説明するためだけのイベントバトルを終えて戻ってくる。秘書の女の子が言う。「リーダー、ここがホーム画面です!」▼わかっている。プレイヤーは無条件で女の子に慕われる指揮官だし、ゲーム起動時の画面はホーム画面だ。しかし、だからといってシナリオもロクに進まないうちからゲーム内の人物に「10連を引くとSR以上のキャラクターが確実にもらえます!」などと言ってほしくはない。所詮そういうことでしょと開き直らず、せめてゲーム内の概念に置き換えて話すとか、最低限のオブラートには包んでくれないと、様式美すら成立しない。元から薄いファンタジーの衣を最初から自分で剥ぐような露悪趣味になってしまう。残念ながら、興覚めというより他にない。

[4099] Nov 24, 2020

「ら」「り」「る」「れ」「ろ」「や」「ぴゆん」「よ」……。▼いろいろなひらがなを読めるようになってきた次男だが、なぜか「ゆ」の発音がおかしい。他のひらがなは、たまには間違いつつも正解に近い一音を紡ぎ出すのに、なぜか「ゆ」だけはハッキリと三音で「ぴゆん」と言う。これは「ゆ」だよ、と教えると、何やら難しい顔をして、その後自信ありげに「ぴゆん」と言う。いったいどこにPiの音を聞いているのだろう。▼先日、絵本を読んでいるときに「ひ」を「み」と間違えたときは、訂正すると「えーーー」と長く引き延ばされた非難の声を挙げた。まったく何を仰るやらという顔だ。覚えたての二歳にして何やら一家言あるような風情である。▼きっと同じく「ぴゆん」にも、何か自分なりの美学があるのだろう。そういう個性的な逸脱については、無理には矯正しないことにしている。どうせいつかは正され失ってしまう世界である。今だけでも大事にすればいい。

[4098] Nov 23, 2020

旺文社「英検分野別ターゲット英検1級語彙・イディオム問題500」修了。▼コテコテの問題集は、「知っているはずなのに思い出せない」もどかしさを経験できるところが魅力である。読み物と違い、自分のペースで最初から最後まですんなり……とは決していかない。必ず途中で引っ掛かりがある。その引っ掛かりが記憶を強化してくれる。だから習得率が高い。▼旺文社の英検書は堅いと聞いていたが、短い解説に差し挟まれる余談が絶妙にツボを突いていて巧いと思った。また、巻末の各選択肢の訳を敢えてセカンドミーニングや特殊な用法に焦点を当てて記述しているのも英検1級本としては筋が良い。このレベルの読者なら通常の意味は当然知っているだろうから、こちらの意味にも注意しておきなさいというメッセージが、無言の内に込められている。限られた紙面の中に、少しでも有益な情報を詰め込んでおこうという気遣いが感じられる。他の旺文社も覗いてみよう。

[4097] Nov 22, 2020

NetgearのメッシュWi-Fi「Orbi」を導入。Wi-Fi6はまだ必要ないので、お手頃になった旧モデルを買う。ハイエンド級が最新版の半額以下で手に入った。▼設置。一階に置いたサテライトとの通信は完璧だが、なぜか親機がインターネットに繋がらない。試行錯誤。結局、BBルータをバイパスして直接OrbiをONUと繋いでいたのがまずかった。たしかに、これでは光電話の行き場がない。BBルータを繋ぎ直し、Orbiをブリッジモードに設定したところ、全てが上手く行った。このあたり、説明書には書いていないので、同じ穴に嵌る人は多そうだ。▼今まで電波の届かなかった一階のソファ、台所、お風呂でも、しっかり動画が見られるようになっている。これでもう、一階へ行くたびにWi-FiをOFFにしなくてもいいのだ。今後の外での使い方次第だが、使い放題プランである必要もなくなるかもしれない。その分をYoutubeのPremiumに回して事前ダウンロードした方が楽な可能性もある。

[4096] Nov 21, 2020

平見尚隆『英単語使い分けグラデーションマップ』読了。▼ちょっと試験を離れたカジュアルな本が読みたくなったので。ネットレビューで評判が良いのは知っていたから、気軽に買ってみた。▼良い。情報量はそれほど多くないが、随所に著者の実体験が凝縮されている。それでいてネイティブ生活経験のある著者にありがちな決まり文句やイディオムへの過剰な傾倒もない。日本の学校英語教育で頻出するような馴染みの深い単語や表現が、実際のビジネスシーンではどのように受け止められるのかを「丁寧さ」「思いやり度」などの評価軸で明快に説明してくれている。目から鱗とまでは言わないが、これまで意識していなかった微妙なニュアンスの差を気づかされる項目もいくつかあった。▼難点を挙げるなら、元から意味合いが違う単語同士を無理やり軸上に配置し、当てはめようとしている場合がしばしばあることか。わかっている人が読まないと誤解する項目もありそうだ。

[4095] Nov 20, 2020

ここ最近、もっとも使っていない五十音のひらがなは何だろうと思った。検索窓へ順番に「あ」から「ん」まで入れていく。濁音、半濁音はなし。さて、王者に輝いたのは。▼かなり意外だが「ゆ」であった。それも圧倒的に使っていない。最後の登場はなんと十月十九日、4063番まで遡る。「ぬ」と「ほ」が同率二位で十一月七日の4082番であることを考えると、ぶっちぎりと言ってよい。▼「ゆ」はそんなに使われないひらがななのだろうか。気になったので今度は登場回数を調べてみた。結果、やはり「ゆ」が最低のようだ。十年の月日がありながら、たったの320回しか出現していない。次点は483回の「ぬ」で、その次が643回の「む」、648回の「ふ」。ウの段の圧倒的不人気さである。▼尚、もっとも使われていたのは「い」の64283回。二位は「の」で55978回。ここまでは予想の範疇だが、三位は伏兵「な」で、46260回を記録していた。

[4094] Nov 19, 2020

Waddle。よちよち歩く。身体を左右に揺らしながら進む、アヒルやペンギンのような歩き方を言う。▼そういえば、と思った。星のカービィに「ワドルディ」というシリーズ皆勤賞のザコ敵がいる。まさによちよちとフィールドを歩いているだけの人畜無害な可愛い敵だ。そう、彼の名前は"Waddle Dee"。よちよち歩きのディーさんなのだ。そして、大きな目からビームを放ってくるドゥーさんの方が"Waddle Doo"である。あの二人の姿を思い出せば、もうwaddleの意味で迷うことはあるまい。▼一方、似ているスペルのwobbleは「揺れる」や「よろめく」の意味を持つ。最近は母音が一文字しか違わないような単語の対が増えてきて暗記以前に混乱の制御が難しいと感じるが、こちらもよくよく考えればワブルベースのwobble。スクリレックスの曲でも脳裏に再生すれば、たちまちwobbleのニュアンスが立ち上がってくる。▼≪知らないうちに知っている語彙≫を逃さないようにしたい。

[4093] Nov 18, 2020

明日は結婚五周年。つまり木婚式。木にちなんだ記念品が良いとされる。木製で長く使うなら、オーソドックスに箸が良いと思っている。▼イギリス式のアニバーサリーを正確になぞるとすると、来年は鉄婚式、再来年は銅婚式ということになる。鉄、銅。記念品の選定が難しくなりそうだ。「電気器具婚式」なんて年もある。電気器具が買いたかっただけではないかと訝しんでしまう。▼十年以降は順調に価値が上がっていくようだ。青銅、陶器、アルミ、鋼鉄、絹、象牙、水晶、銀、真珠、ルビー、サファイア、金、エメラルド、ダイヤモンド……。価値の細かい上下は知らないが、高級感は単調増加しているように見える。▼少し気が早いが、鉄婚式の定番プレゼントを覗いてみたところ、タンブラーが人気のようだ。たしかにタンブラーなら日用で、かつ長く使える。キャッチフレーズは「冷めないふたり。」――感心してしまった。いろいろ上手いことを考える人がいるものだ。

[4092] Nov 17, 2020

子どもたちの予防接種・第二回のために早退したら、なんと電車が止まっていた。すかさず迂回ルートへ。電車とバスの乗り継ぎでぎりぎり間に合う計算。各駅に飛び乗って中継駅に着く。どうやら間に合いそうと安堵したのも束の間、バス停には二百人超と見られるイベント会場のごとき長蛇の列。最悪、三本は待つ。これは待てないと判断して対岸のタクシー乗り場へ。三人待ちだったが幸運にもタクシーの入りが良く、すぐに乗って無事保育園に到着できた。降って湧いた2200円の出費は痛いが、仕方ない。▼最近、とみに電車遅延が多い。全駅にホームドアも充実してきた昨今、鉄道側の不備で人身事故が多発するとも思いにくいので、この社会状況も鑑みるにきっと……などといろいろ考えてしまう。タクシーの運転手さんも、そんなような話をした。収入が激減して、貯金も減り続けているけれど、その分多く働くしかない、開き直らないとやっていけないと笑っていた。

[4091] Nov 16, 2020

今日は次男の誕生日。二歳になった。▼前にも書いた通り、良くも悪くも中身の方は一足早く二歳になっていた。何度教えても赤と青の区別がつかずに愛嬌だけで誤魔化していたあの次男が、先月頃からめきめきと好奇心を表して、今では数字とひらがな、それにアルファベットまで勝手に覚えようとしている。毎日、知らないうちに読めるひらがなは増えているし、「100」も正しく読めるようになっていた。覚えたことを強引に自慢してくる姿勢も良い。学習に関しては、なかなか強烈な成長力を感じる。▼一方、わがまま度と狂暴度も順調に伸長している。歩いているときに手をつなごうとすれば地面に寝転んで爆発。おもちゃが思い通りに動かなければキレる、投げる、蹴飛ばす、当たり散らす。その様子はまさに『インサイド・ヘッド』の「イカリ」だ。言っても聞かない時期なので心の成長に期待するしかないが、噴火を目の当たりにするたび長い一年になりそうだと思う。

[4090] Nov 15, 2020

「でる順パス単」の単語セクション、終了。ひとまず、セカンドミーニング含め、この中に知らない単語はないと言えるレベルまではもってきた。これでカバー率は六割くらいだろう。残りの四割は、十二月に届くBWLの第四版と、過去問などの問題集で埋めることにする。他に手を回す時間はもうない。▼読み物型でない単語帳に取り組んだのは久しぶりだったので、自分なりの攻略法も忘れてしまっていたが、知らない単語にマークをつけて、周回するたびにマークの形を上書きしていくシンプルな物量方式で攻めたところ、四週で全クリできた。二周目の時点で覚えられなかった単語にはもれなくオックスフォード英英の定義を書き込んでいったのが効いていると思う。▼特定の時点でクリアできなかった項目については苦労の度合いをぐっと上げるという自分なりの誓約が、単調な単語帳の攻略に抑揚をつけてくれるわけだ。ゲーム感覚というのは、つまりそういうことである。

[4089] Nov 14, 2020

コレクチム軟膏を処方された。今年1月、世界に先駆けて日本でいち早く承認された新薬だそうだ。詳しい話は専門サイトに譲るが、仕組みを聞く限りでは期待が持てる。このところ肌の状態がよろしくない長男にも使いたいくらいだが、残念ながら16歳未満には処方できないようだ。これから臨床実績を積んで対象年齢を下げて行くのだろう。▼ステロイド、プロトピック、そして今回のコレクチム軟膏――医学の進歩に伴って、効果の大小以前に、使う側の心理的な負担が下がっている点がありがたい。ステロイドが効くのは身をもって知っているし、大袈裟に語られる副作用が虚実混交であることは百も承知しているが、それでもやはりステロイドが「止めにくい」薬であることは確かだ。治療が芳しくない場合、その止めにくい薬の強度を上げていかざるを得ない恐怖は、それなり大きなストレスである。▼まずは手から試してみようという話。二週間後の成果に期待している。

[4088] Nov 13, 2020

次男の誕生日プレゼントに「百玉そろばん」と「あいうえおタブレット」を買った。近頃は数字や文字への興味が目覚ましいので、好奇心に刺さるかもしれないと期待しての選択である。うまく行けば三歳までに絵本が読めるようになっている可能性もある。勉強嫌いな兄を追い越してしまったら、兄もちょっと慌ててくれるかもしれない。▼「百玉そろばん」は私も小さい頃によく遊んだ記憶がある。遊んだといってもどうやって遊んでいたのかはあまり覚えていないのだが、触れていた時間はそれなり長かったはずだ。最近は明確に「数」や「計算」の概念を教え込むような知育玩具が流行りだが、小学生くらいになるまでは遊び方に自由のあるプリミティブなおもちゃの方が、無意識に語り掛ける力が強くて良いのではないかと思っている。▼暗記のために提示された一方的な情報より、自分で発見した知識の方が深く定着するのは子どもも大人も同じだろう。手探りこそが経験だ。

[4087] Nov 12, 2020

FA権を取得したヤクルトの山田哲人が球団から残留の条件として出来高込みでの7年総額45億円を提示された。長期とはいえ今年の成績を考えれば破格の条件。競争相手がソフトバンクということもあり、それでも引き留めには十分でないと見られているが、まずは球団が最大限の誠意を見せたと言える。45億を蹴って出ていくのか、それとも残ってヤクルトに骨をうずめるのか。常人には想像しにくい壮絶な二択だ。▼45億のスケールには遠く及ばないものの、私にもこれまでに人生を大きく変える帰路があった。いくつもあった。それらの重大な二択を、ときに些細な心の動きで、ときにその場の勢いで、ときに運任せで――選んできた。思えば大胆な選び方をしたなと思う決断もある。反対を選んでいたら危なかったと肝を冷やす場面もある。そうして、こう過去の選択を振り返ること自体が、今の人生を浮き彫りにするようで楽しかったりする。選択の連続が人生である。

[4086] Nov 11, 2020

一難去って……。また、大きな影が差してきた。残念ながら今の時点ではどうすることもできないし、正確なことは何もわからない。だが、どうあれきっと大丈夫だと信じているので、当面は雲が晴れるのを辛抱強く待つことにしよう。▼昼も夜も、急に冷え込んできた。二十度前後で暑い暑いと言っていたのが十六度十七度になったくらいなので、気温の数字上は大した差ではないのだが、陽の光の弱々しさ、大地の冷え込み、風の冷たさ、空気の乾き――諸々、組み合わさってすっかり冬の質感になっている。突風で顔が冷たいうちは秋。裾から入り込んでくる冷気で肘から先が寒いと感じたら、それは秋ではなく、もう冬である。▼予定になかった新たな責務をひとつ任命されたこともあり、仕事は年末に向けて順調に加速していく。年始で一息、年度末に一山、来年の夏からはフル稼働で来年末まで駆け抜けるという見通しである。艱難辛苦を抱えても駆け抜ける以外に道はない。

[4085] Nov 10, 2020

深夜、次男が起きる。夜泣きではない。夜ギレである。怒りが爆発しているので、本当は飲みたいミルクも決然と跳ねのけ、さらには転がった哺乳瓶をわざわざ拾ってもういちど投げつけてくる。手がつけられないとはこのことだ。なかなか寝てはくれないものの要求自体は明確に定まっていた長男の夜泣きとは別種の苦悶である。▼おかげで午前中は頭痛に悩まされたが、朝から晩までミーティングで埋まっていた昨日と違い、今日は比較的自席で集中できる仕事が多かったので、レッドブルとチョコレートのドーピングでなんとか乗り切れた。昨日だったら居眠りしていてもおかしくない。そこは救われた。▼昼夜を問わず、次男の二歳化は進行している。日に日にワルになっている。沸点三十度のワルである。体力がついてきたせいか、十時過ぎまで夜更かしもするようになってきた。あの長男でも今は朝まで寝る子になったのだから……次男もきっと一年後は大丈夫だと信じたい。

[4084] Nov 09, 2020

クジラの博物館が和歌山にあるらしい。「太地町立くじらの博物館」。イルカショー/クジラショーをはじめ、マダライルカやスジイルカを観察できるトンネル水槽、シロナガスクジラの等身大骨格標本など、イルカとクジラをたっぷり堪能できる施設が満載の海洋博物館だそうだ。和歌山の南端ということで東京からのアクセスはかなり厳しいが、近づく機会があれば行ってみたくはある。▼ところで、クジラの博物館にイルカがいることを一瞬疑問に思ったが、思い返せばイルカはただの小さなクジラであり、イルカとクジラに厳密な生物学的違いはないのであった。体長の境界線は3メートルとする記事もあれば、4メートルもする文献もある。実際のところ、そのあたりにすら明確な定義はなく、単に慣用のレベルで呼び分けられてきたに過ぎないというのが実情のようだ。小さめなやつがイルカ。大きめなやつがクジラ。ともに鯨類。だから、クジラの博物館にはどちらもいる。

[4083] Nov 08, 2020

素敵なショルダーバッグとの出会いにより、荷物の問題は向こう数年にわたって解消されたと言える。次の問題は、真冬のアウターだ。▼トレンチコートはアクアスキュータムが小泉グループに買収されたことでセールが終了したため、完全に射程圏外となった。よってより実用的な、防寒性能を重視した製品選びに舵を切る。▼白羽の矢を立てたのは、ダウンコート。使い古したワインレッドのダウンこそ一枚あるが、腰上までのショートな上に経年劣化でペラペラになっているので、冷え込んでくるとだいぶ寒い。ロングダウンが一枚あれば、時期に応じて使い分けもできるし、機能面ではトレンチよりも足りないところに嵌ってくれる可能性が高い。▼問題は、ロングダウンはビジネス向けのメンズ商品が極端に少ないことだ。ロゴや文字を全面に出した若者向けデザインが多く、無地でマットなグレーやネイビーはあまりない。ダウンの性格上仕方ないが、悩ましいところである。

[4082] Nov 07, 2020

フジタカのレザーショルダーバッグを買う。「FT by フジタカ フィット レザーショルダーバッグ B5」。一回の試着で乗り換えを決めた。私史上、文句なく最高のショルダーバッグである。▼第一に、大きい。ショルダーバッグらしからぬ収納力。A5の書籍も楽に入るメインルームに、小物ポケットが2つ、さらにはペットボトルホルダーまでついている。いつも飲みかけのペットボトルの行き場に困っている私のために開発されたようなデザインだ。おかげで物の出し入れに伴うストレスが激減した。▼第二に、軽い。これだけ大きい革製品でありながら、なんとたったの460gしかない。触り心地もふわふわなので余計に軽く感じる。本を二冊背負っても肩に重さが来ないのはなんとも嬉しい。これならiPadも気軽に持ち歩けそうだ。▼独特な形状のせいか、歩いていると本体が重さの集まる右に寄りがちなところだけが唯一の欠点だが、ほとんど気にならないと言っていい。

[4081] Nov 06, 2020

視力低下。先日、眼科で測定したときは左0.9/右0.5だったが、本日の健康診断の測定では左0.6/右0.3と言われた。右目だけで見たときの感覚を正しく表していそうなのは後者だろう。矯正視力としてはいささか低い。▼左右の不均衡は昔からだが、格差が拡大しているのは気掛かりだ。眼科医曰く、左で遠くを見て右で近くを見るという使い分けもできるので、左右で視力が違うこと自体は悪いことではないと言われたが、無意識にそう使い分けているとすると、右の近視は加速していく一方なわけで、日に日にバランスは崩れていってしまうのではという懸念もある。いつか視力の差が開きすぎたとき、両目で見た映像が歪んだ奇妙な合成になったりしないのか、若干心配だ。▼一日二回、窓から遠くを見るようにしている。同じ晴れでも、その日の空気の質によって視認できる距離がまったく違うことに驚いている――そんなことに驚くほど、私は外の景色を見ていなかったのだ。

[4080] Nov 05, 2020

アメリカ大統領選との落差は激しいが――森永の新製品「チョコボール<がんばるラムネ>」が予想を裏切って旨い。正直、驚いた。▼「チョコボール」と「森永ラムネ」のコラボ商品。ぶどう糖入りの部分が「がんばる」成分だ。森永ラムネが、ラムネ味のチョコにコーティングされている。▼最初に妻が見せてきたときは、またこんなキワモノを……と思ったが、ひとつ食べてみるとびっくりするほど味のバランスが良い。カカオの主張が弱いおかげでラムネの酸味と喧嘩することなく、チョコの質感で甘味を強化した新しいラムネ菓子として成立している。コラボありきで商品同士を適当にドッキングさせたわけではない。大袈裟かもしれないが、一粒の中にこもる開発の思いが感じられた。▼ところで同じ森永から「スパークリング米麹甘酒<ラムネ味>」なる別のラムネコラボ商品も発売されている。こちらはどうなのか。チョコボールの出来から興味はあるが、甘酒は苦手だ。

[4079] Nov 04, 2020

大統領選挙の白熱ぶりが凄まじい。歴史的な接戦である。▼どちらを支持するとかしないとか、そういった個人的なコメントは例によって差し控えるが、少なくとも今の構図は民主党陣営の思い描いていた勝ちの形勢ではあるまい。同じラストベルトに命運を託すにしても、フィラデルフィアを残して郵便投票の是非を争う形には持ち込みたくなかったはずだ。バイデンが下馬評通りの安全な勝利を収めるには、最低でもフロリダかオハイオのどちらかひとつは死に物狂いで取っておかなければならなかった。この二州を落としていたらトランプの猛追はなかった。▼このままジョージアとノースカロライナを共和党が制すれば、郵便投票に縺れるのは確実となる。そうなれば裁判はどうあれ、向こう何日間かは決着もつくまい。何日間どころか、週レベルで引き延ばされる可能性もある。アメリカにいる弟のためにも暴動が起きたりしないことを祈りつつ、行く末を見守ることにしよう。

[4078] Nov 03, 2020

経過観察中。今のところ異常はない。意識的に目を休めたおかげか、瞳の奥から来るような頭痛も徐々に引いてきている。ようやく身体が正常に戻りつつある。▼眼であれ脳であれ負担をかけるのは怖かったので、ここ数日は勉強もまるっとお休みしてしまった。本来であれば十月中に単語は完了、十一月から問題集にシフトしてRLWを二ヶ月ちょっとで完成させる無茶ぶりプランを想定していたが、単語が十一月にズレ込んだことで無茶ぶりがいよいよシャレにならなくなっている。RLはTOEICの遺産で運が良ければ乗り切れる可能性もあるが、Wが絶望的につらい。最後にちゃんと英文を書いたのなんて、もう十年以上前だ。▼受からない試験を受けても仕方がないから一月受験を諦めて四月受験に切り替える手もあるが、あれこれ理由をつけて、最初に決めたゴールポストを安易に動かしたくはない。モチベーション維持のためにも一月の受験は動かさない方がよさそうだ。

[4077] Nov 02, 2020

昨日の記事を書いた後、左右とも視界が飛ぶのは異常なので放置はよろしくないという助言を受けて、一転、救急車で脳神経外科へ。人生初のMRI検査を受ける。救急車も初めてだった。▼結論から言うと、脳に異常はなかった。腫瘍の影はなし。血管の状態も概ね良好とのこと。視界が飛んだ理由については、検査からはわからないものの、ストレスや寝不足から来る一時的な脳貧血ではないかという推測だった。両目とも下半分が見えなくなったのは――たまたまということなのだろう。▼今日は眼科へ。眼圧と眼底の検査。ともに異常なし。眼底については超近眼なので眼底検査だけでは緑内障の診断はできないと言われたが、どうあれ問題ない範囲ではあるようだ。こちらも視界飛びについての見立ては同じ。何らかの理由で一過性の血流異常が生じたのではないかという話だった。▼結局明確な原因は不明なままだが、診断できる範囲で不具合はないことだけ明らかになった。

[4076] Nov 01, 2020

焦った。というより、現在進行形で焦っている。▼夕飯のパエリアもどきを作っていたときのこと。スマホでレシピを見ながらやっていたが、あるとき画面に目をやると、なぜかレシピが読みにくい。どうも、焦点が合っている場所から下がまったく見えていないようだった。カレンダーを見る。「12日」に焦点を合わせると、5日の週は周辺視野で全て見えるが、19日があるはずの行はまったく見えない。左右も確認。11日が見えなくて10日が見える。左は部分的に、下は完全に、視野が飛んでいる状態に陥った。▼即刻火を止めて横になる。どうなるかと思ったが、しばらく休んだところ、視野は八割がた回復してくれた。今はもう、カレンダー全体をぼんやりと視認できる。左隣の11日が少し見えにくい程度だ。▼明日は眼科へ行く。もう先延ばしにはできない。トマト缶のパエリアは冷やご飯を使ったので、なるべくしておじやになった。食感は悪いが味はよく出来た。

[4075] Oct 31, 2020

次男のわがままが度を越えている。病気で甘やかされたせいか、それとも二歳が近いせいか、一人でも遊んでいられるマイペースな次男は消滅。代わりに常時母親の注目を要求しつつ、少しでも希望がかなえられなかったり、気に入らないことがあったりすると大爆発を起こす爆弾岩が誕生した。▼これまでも機嫌の悪いときは引火性抜群だったが、今は常に機嫌が悪い、ないし機嫌を損ねやすくなっている状態に見える。病気は完治しているはずなので、冒頭に書いた通り、熱が出ていたときに甘やかされすぎて味を占めたか、調子に乗っている可能性が高い。母親を独占できた一週間。私が何かしようとしても、ハンとでもいうようなしたり顔で拒絶する始末である。図に乗りまくりである。▼長男は二歳かどうかに関わらず大変だったので、魔の二歳という印象が薄めだが、次男はもうすぐ二歳になろうかという今からもう魔界の瘴気を発している。向こう一年は荒れる予感がする。

[4074] Oct 30, 2020

「Aという問題が起きまして、Bを直したら直ると思うんですけれど、Cのところだけはよくわからなくて、とりあえず修正してもいいですか?」なかなかに要領を得ない相談を受けた。脱線を省略したことで、本筋の支離滅裂さが浮き彫りになっている。▼Aの深刻さがわからない。今すぐ修正すべきなのか、致命的な不具合なのか。Bを直したらAが直ると考える根拠も不明だし、その修正が及ぼす影響の範囲も謎。Cがわからないまま修正することのリスクも明らかにされていない。その状態で「とりあえず修正」して良いかと聞かれたら、ノーと答えるしかない。さらに問い正したところ、実際に更新するのはDというデータであることもわかった。混乱の極みである。▼こういう論理の破綻、情報の錯綜が積もり積もって管理サイドが崩壊することもあるのだろうと、いくつかのプロジェクトに思いを馳せた。論理の首尾一貫した仕事をしてくれる人ほどありがたい存在はない。

[4073] Oct 29, 2020

ドアの側面に顔の左半面を強打した。眼鏡に当たらなくてよかったが、頬骨が痛い。どうしてそんなことになったか。ドアを開けて部屋から出ようとしたところ、床の荷物に引っ掛かってドアが開かなかったのだ。開かなかったのに、外へ出ようとする上半身は止まらなかった。ごく普通に部屋から出る仕草と共に、顔がドアの縁に激突した。▼人の脳は想像以上に勝手な見込みで行動を促しているものだ。ドアノブを掴んで手前に引くと、ドアは開く。開くはずだから外へ出る。開いたから出るのではない。開くはずだから出る。だが、開かなかった。予想を外したことに反応して、脳は身体にブレーキをかける。こういう順番になっている。▼先のような間抜けを演じるのは、年を取って馬鹿になったからではなく、年を取って身体がブレーキに反応できなくなったからだろう。止まらねばという意志の伝達が間に合わないのだ。そうして、わかっているのに衝突する。間抜けである。

[4072] Oct 28, 2020

次男の体調は、まだ芳しくない。ただ、カロナールは朝飲んだきりで夕方でも三十九度以上にはならなかったから、最初の頃よりは落ち着いていると思う。発熱と疲労で三食を食べ逃すことによる時間外れの空腹だったり、外へも行けなければ大好きな散歩もできない退屈さだったりで、起きている時間は不機嫌なことが多いが、ぐったりしている姿を見ることは少なくなった。このまま今週中に治ってくれれば、大変ではあったが御の字と言える。▼一方、親はあやしくなってきた。妻は熱こそないものの、頭痛と寒気。私は軽い咳と頭痛。咳はひどくなるようだと出社の可否に関わるので、なんとか喉の違和感くらいで済んで欲しいところ。一方、頭痛の方は次男以前からずっとあって、それが継続しているだけかもしれないので何とも言えない。夕飯後に急激な眠気に襲われる現象もまだ続いている。連鎖する病気。蔓延する不健康。先の見えない体調不良。来週は健康診断である。

[4071] Oct 27, 2020

「彼らは自分たちの考えている同じ一つの思想を伝達しようとする努力と、隠蔽しようとする努力との間をさまよっているのである。」▼ここで引用するのは数回目のような気がする。その昔、私を西洋哲学へと導いた師、ショウペンハウエルの言葉だ。その後の慌ただしい社会人生活で哲学への傾倒もすっかり鳴りを潜めてしまったが、あちこちに書き留めたショウペンハウエルの言葉だけは、今でもよく覚えている。というより、忘れたことはない。▼他の人は知らない。ただ、私にとっては、創作に限らず全ての表現は、自分を隠蔽したくなる欲望との絶えざる闘いである。洗練されていない素の自分を、見栄えの良いフォーマットに包んで真価にそぐわぬ相場を与えようとする後ろ向きな親心と、未熟さを臆さず出し、経験によって地金を磨いていこうとする無鉄砲な向上心とのせめぎ合いである。この両軍の平衡によって、がたつきながらもなんとかやってきたのが、私である。

[4070] Oct 26, 2020

自分自身が薄い体調不良に喘いでいたら、次男が発熱した。朝、三十八度。夜九時、四十度。久々の超高熱だ。▼夕方までは元気だったらしい。今は、眠いせいもあるかもしれないが、ぐったりしている。ミルクを飲んでしまったこともあってカロナールシロップを断固拒否されたので、四苦八苦した挙句、アンパンマンりんごジュースの容器を鋏で切って隙間から粉薬を流し込み、ストローを刺し直した偽装作戦で無事投入。あらかじめ中身を減らしていたのですぐに飲み切り、もっと飲むかと聞くと「のむ」とはっきり答えたので少し安心した。あとは寝ている間に落ち着いてくれることを祈るのみだ。▼ここから長男にうつって、さらに親へ……という連鎖ばかりは避けねばならぬ。発熱時の出社停止も含め、かなりの長期離脱を余儀なくされる。プロジェクトの進行的にも痛いが、有給休暇の残数的にも痛い。離れて生活できない以上、打てる手は少ないが、せめて栄養は取ろう。

[4069] Oct 25, 2020

徒歩十五分圏内を選択肢に入れたら、昼食のバリエーションが一気に増えた。十五分あると、地図上ではかなり遠く見える場所にも行ける。往復三十分。食べる時間も三十分しかないが、駅周辺や地下街のチェーン店は個人経営の飲食店と違って回転が速いので、間に合わないほどギリギリにはならない。提供時間を判断しにくい店は戻りが遅れても大きな問題のない日に限っておけば、比較的安全に新規開拓も進められそうだ。▼栄養や値段の面で言えば、もちろん社食の方がいい。だが、往復三十分のウォーキングも馬鹿にはできない。座りがちな仕事。朝から定時まで座りつづけているのと、日の差す時間にちゃんと表を歩いてくるのとでは、塵も積もって健康面で大きな違いが出てくる気がする。最近の不調も、昼の遠征が少なくなったことと無関係ではないかもしれない。膝も治ったことだし、ランニングと言わないまでも、軽いウォーキングくらいは再開した方がよさそうだ。

[4068] Oct 24, 2020

長い間、私の生活を地味に悩ませ続けた右手中指の爪が取れた。剥がれたところから爪切りで刈り込んでいたので、最後は米粒より大きいくらいのサイズになっていたが、もうじき取れるなと思っていたら知らないうちになくなっていた。どこかで何かに引っ掛けたとき、痛みを感じることもなく落ちたのだろう。▼指の腫れが引いてきたと記録されているのが七月二十一日。腫れている間に爪が生えてこなかったとすると、根元から爪先まで患部が移動するのにちょうど三ヶ月かかったことになる。爪の誕生から生え変わりまでは平均半年と言われているので、計算が合わない。したがって、恐らく想像の通り、ちょうど半年前の在宅に伴うストレス過多期間に爪母はおかしくなっていて、そのあとで指の腫れなど別の疾患がついでに顕在化したと見るのが正しそうだ。▼左手の中指はまだ縦に亀裂の入った状態だが、件の四本は大体正常に戻ってきた。あとは身体不調が治れば健康だ。

[4067] Oct 23, 2020

ある先輩が言った。大好きなゲームをクリアする。シナリオは全て見て、エンディングもギャラリーもコンプリート。そうしてタイトル画面に戻ってきて、もう自分はこのゲームでやれることは何ひとつないんだと感じたとき――そのときこそ、人はドラマCDやグッズや同人作品が欲しくてたまらなくなるのだ、と。▼あの発言から十年近く経った今。まさにこの道を究めんと研究を重ねているのがスマホゲームだと感じる。人の心が課金に傾くのは、なんといってもやることがなくなった瞬間なのだ。可愛いキャラやスキンで惹きつけるのも、強い装備を期間限定と銘打って射幸心を煽るのも大事だが、次から次とやることが湧いてくるゲームでは、課金はいくらまでとか、課金は絶対にしないとか、そう心に決めている人の財布の紐を緩めることはできない。だから、成功しているスマホゲームはやることがなくなるタイミングを意図的に用意している。これはひとつの鉄則である。

[4066] Oct 22, 2020

ただいま休眠中。▼目の疲れか頭の疲れか不明だが、ともかく夜間の体調が極めて良くないため、一時的に仕事後のパソコンワークを中止している。これを書く時間だけが唯一の例外である。調子は、悪くなってもいないが、良くなってもいない。絶不調よりは希望のある「不調」くらいで横ばいが続いている。一週間は様子を見る。▼眼がきついので、新聞も読まなくなった。NewYorkTimesは特に字が小さい。それに、持ち運んでいないときはスマホでフォローする習慣がついたところ、案外デジタルでも読めるということになってしまった。いや、紙とデジタルと、振り子の如くあっちだこっちだと揺れ動いているあたり、実は飽きの問題も絡んでいるような気さえする。アナログに飽きてくるとデジタルが新鮮に見え、デジタルに飽きてくるとアナログが懐かしくなるわけだ。今はデジタルの番である。拡大できる分、短時間であれば紙の新聞より眼に優しい。使い方でカバーする。

[4065] Oct 21, 2020

semi/hemi/demiは、いずれも「半分」に由来するが、微妙なニュアンスが異なる。semiは日本語の「準」に相当し、hemiは片方の「片」に、demiは「亜」に、それぞれ近いと思っている。semifinal(準決勝)、hemisphere(半球:球の片方)、demihuman(亜人)という具合だ。いつもそうとは限らないが、このあたりをコアイメージとして持っていくと大きくは外さない。▼ところで、これら「半」シリーズをふんだんに使用した素晴らしい単語が存在する。"semihemidemisemiquaver"だ。勢い余って"semi"を二回言っている荒ぶりようで、なかなか癖になる。意味は、quaver――即ち「八分音符」を半分の半分の半分の半分にしたもの。つまり「百二十八分音符」のこと。めったにお目にかかる代物ではないが、一度知ってしまうと次から五枚の旗付き音符は"hundred twenty-eighth note"ではなく"semihemidemisemiquaver"と言いたくなる力がある。呪文のように口ずさんでみよう。

[4064] Oct 20, 2020

帰りの電車でOnlyの挿入位置に関する思索を巡らせていたとき、ふとOnlyに対応する日本語であるところの「だけ」と「しか」に考えが及んだ。「Aだけある」と「Aしかない」は、同じ状態を指してはいるものの微妙にニュアンスが異なる。「しかない」方が、否定で結んでいる分ネガティブな印象を受けるし、よりいっそうAの存在に注目している感じがする。だからこそ前者を「あるのはAだけ」と倒置すると、少し「Aしかない」のニュアンスに近づく。▼英語にするとどちらもOnlyになってしまうのだろうかと思ったが、頭を捻っていたら"nothing but"の存在を思い出した。否定を伴い、かつ主張を導くbutがある。つまり、これこそ「しかない」のニュアンスを伝える構文なのではないだろうか。さまざまな用例を見るに、この推測は大体合っているように思われる。覚えたときは使いどころを見つけられなかったフレーズが、命を持った。些細なきっかけで肥やしが増えた。

[4063] Oct 19, 2020

「自由貿易はメリットの方がデメリットより大きいか」とか「発展途上国は環境よりも経済を優先すべきか」とか、等身大の自分よりスケールの大きな問いは漠然と考えていると論点をまとめにくいことが多い。そこで、あらゆる世界的な質問を扱うための七種の神器を発動する。「政治/経済/文化/教育/健康/技術/倫理」である。▼どんな問いに対しても、まず無心にこの七つを並べ、それぞれの視点からトピックを列挙する。政治からは軍事や安全保障、経済からはビジネスや格差問題、文化から芸能・芸術、健康からは医療や環境問題……というように、自然と広範な話題が網羅されていく。そうしたら、より展開力のある枝を三つ選ぶ。これらがそのまま本論の主軸になる。最初にカテゴリを分けているので、最初と最後の二つの論拠が、言葉は違えど実は同じ話を繰り返しているだけといったミスも犯しにくい。▼埃を被ったようなテクニックだが、単純故に強力である。

[4062] Oct 18, 2020

冬物のズボンをまとめて買う。アクアスキュータムで四本揃えるつもりだったが、まさかのセール終了により断念。あらためて倍額になった値札を見ると、いくらなんでもと思ってしまう。こちらが本当の値段なのだと言っても、同じ品の半額値札を見てしまった人の目には倍の値段としか映らない。セールの恐ろしさである。▼レナウン系列でまだ半額になっているダーバンと、真冬用にニューヨーカーのコーデュロイを二本。けっこうな出費だが、これでオールシーズン合わせて七本になるので、向こう数年は着ていきたい。欲を言えば夏用五本、冬用五本で「月火水木金」を回せるのが理想だが、上と違って下には体型の変化リスクがある。軽々には散財できない。▼ともあれ、これで極寒の真冬に薄手のオールシーズンを流用することもなくなる。衣替えと同時に昔のカーディガンもいくつか出てきた。古めだが数はあるし、現役だ。上手に着まわせば何冬かは越えられるだろう。

[4061] Oct 17, 2020

茄子五本。ベーコン六枚。バター二切れ。炒めてバリラのバジルトマトソースを投入。今日の反省はここだ。一瓶(400g)では足りなかった。次回からは二瓶要る。▼なかなか美味しくできたが、子どもたちは二人とも茄子を食べてくれない。長男は「お父さん、なんかズッキーニが入ってますよ。」と宣って、最後のひとつまで摘出を要求。いつもは何でも果敢に食べる次男でさえ、訳あって食べるところを見ていないが、茄子だけは頑として受け付けなかったらしい。結局、茄子は全部親が食べた。▼こんなに美味しいのになぜだろうとは思うが、では自分が子どもの頃はどうだったかというと、茄子は嫌いだった。記憶を辿るに、どうも茄子には子どもの頃にしか感じられない独特のえぐみがあるような気がしてならない。大人になって鈍感になり、えぐみを感じなくなった結果、美味しく食べられるようになったのではないだろうか。であれば子どもたちが食べないのも致し方ない。

[4060] Oct 16, 2020

今週の仕事を振り返ってみる。ミーティングが三割、依頼や相談が三割、関係者間調整が三割、雑務が残り一割といったところ。今週中にこなすべきコーディングの仕事を抱えていたのだが、手をつけられたのは今日の夕方だった。そうして手をつけた瞬間、トラブル対応のために席を離れた。戻ってきたのは定時過ぎだった。▼ばりばりの現役コーダーからいかにもな中間管理への転身だが、正直、ピーターの法則を感じはしない。ミーティングで建設的な発言ができるのも、迅速に依頼や相談をこなせるのも、異なるパートにまたがる関係者を正確に調整できるのも、あるいはチーム全体の要不要を見極めて必要最小限の雑務で済ませられるのも――ひとえにこれまで積み上げてきた実務知識があってこそである。▼結局のところ、当然すぎて書くのも憚られるが、実務の能力と経験なしに一足飛びで中間管理など出来はしないのだ。本質は変わっていない。私はまだ延長線上にいる。

[4059] Oct 15, 2020

やはり眼だと思われる。今日も良くなってはいない。不可思議なことに、毎晩、八時から九時近くになると悪化する。眼を酷使した結果であれば終業後の方が強く現れて来そうなものだ。今日は電車で細かい文字を見たわけでもない。原因がよくわからない。このところ夜中に目が覚めてしまい妙に眠れないのも、これのせいなのだろうか。▼ともあれ、頭でなく眼であることがわかった以上、眼科へ行った方がよさそうだ。しかし、長男を寝かしつけたらようやく自分の時間というタイミングで眼がこれでは、勉強も出来なければパソコンにも向かえない。爪が剥がれかけて指が痛いのも、風邪で身体がだるいのも、咳が出るのも頭が痛いのも嫌だが、やはり入力の要となる機関である眼がダメなのは一段とつらい。改めて、眼に頼りすぎな生活を実感する。▼最寄りの眼科はいまひとつ評判がよくないので、会社の近くで探してみよう。徒歩圏内に見つかれば、定期受診もできて良い。

[4058] Oct 14, 2020

頭痛が酷かった日から、ずっと体調不良が続いている。より正確には、頭の不良が続いている。頭痛自体は収まっているが、痛みの原因自体はまだ頭の中に留まっているような不気味さがある。いつもより集中力も続かない。眠くないのに眠気がある。脳の耐久度が全般的に低下している。▼体内感覚を研ぎ澄まして不調の出所を探ろうとしてみると、どうも諸々、目から来ているような気がしないでもない。土日、強い頭痛がしていたのは確かだが、今の鈍い不快感の震源はどちらかというと頭皮の近くというより目の奥に近いような感覚がある。オフィスが新しくなって屋外へのアクセスが悪くなったことにより、仕事中に遠くを見る機会が減ったことが今頃になって効いてきたのかもしれない。▼目を休める方法をスマホで血眼になって探していたら世話はないが、しばらくの間は電車の中で細かい活字を見ることと、仕事中でも長時間画面に集中することは積極的に控えてみよう。

[4057] Oct 13, 2020

私は常に、アート、テクノロジー、コミュニケーションの三本柱で自分の能力を規定しようとしている。現時点では、職業がテクノロジーを、音楽がアートを、「400」と英語学習がコミュニケーションを担当している。もともとアートに含まれるはずだった言語はさまざまな事情によりコミュニケーションへスライドした。これによってアートを一本立ちさせるため、音楽志向が昔より強くなった側面もある。後付けの分析ながら大きく外してはいない。▼なるべく早いうちにコミュニケーションを完成させて、学習の時間をテクノロジーにシフトしたい気持ちがある。遅かれ早かれ、仕事はテクノロジーをカバーしきれなくなるからだ。逆に、仕事ではコミュニケーションが幅を利かせるようになる。両者の役割交換を平和裏に成立させる必要があるわけだ。その成否はコミュニケーションの完成が間に合うかどうかにかかっている。まだ時間はあるが、余裕はない。慌てず急ごう。

[4056] Oct 12, 2020

良さそうな英文添削サービスを見つけた。「ポリゴ」だ。▼試したわけではない。何が良いかというと、料金体系である。私の想定利用スタイルは「継続利用はしない可能性があり」「いつどれくらいのペースで提出できるかは不明」なので、入会金があったり(英語試験ライティングセンター)、継続使用料が割り引かれたり(英語便)、安いプランが毎日提出を前提としていたり(アイディー)、まとまったチケットを購入しないと添削が受けられなかったり(フルーツフルイングリッシュ)するサービスは合わない。そこへ行くと、ポリゴの料金はずばり1文字2円。安いとは言わないが、単純明快、従量課金で、私のスタイルに合っている。▼解説が英語のみなのも〇。丁寧な日本語解説も悪くはないだろうが、そのために余計なコストを払うくらいなら、英語のみで十分だ。レビューによると、添削の質も高いという。終盤の追い込みと確認で短期的に使ってみてもよさそうだ。

[4055] Oct 11, 2020

頭痛。吐き気。目の方は治ったが、予防接種の影響を引きずっている気がする。非常用カロナールを転用して昼寝……のつもりだったが、こういうときに限って次男が寝ない。ミルクを飲んで寝るはずの午後。飲み終わったミルクを投げ捨てて勝手に退室し、プラレールの置いてある旧和室に突撃してガチャガチャと遊び始めた。▼それならそれで、放っておいて横になっていようと思った。だが、間もなくうなり声が聞こえてくる。便秘の解放である。仕方なく起きて救援へ。その始末など、あれやこれやとやっているうちに今度は眠くて機嫌が悪くなる。「寝ないくせに眠くて不機嫌」は、数ある子どもの暴虐の中でもトップクラスの理不尽だ。おもちゃと動画でご機嫌をとっているうちに、夕方になってしまった。▼働いたわけでも、休んだわけでも、何かを積み上げたわけでもない、プラスマイナスゼロの休日。あまり褒められた時間の使い方ではない。夜は少しだけ早く寝よう。

[4054] Oct 10, 2020

プレイする日課のゲームがなくなった。凪の時間。良い機会なので、スマホの新作ゲームをいろいろ触っている。▼なかなか琴線に触れるタイトルはない。そして、これはもしかしたらと思う作品は、九割がた中国製だ。中国製だからダメだとかあやしいとか言うわけではない。中国製だろうが何国製だろうが面白いゲームは大歓迎である。だが、同時に国産の元気のなさ、開発力、商品力、競争力の低下が如実になってきたことも痛感する。少なくともスマホゲーム市場では、日本はもう中国に「太刀打ち」していかなければならない立場である。そうして、このままではそれが「食い下がる」に変わる日も遠くないだろう。やがて追いすがり、引き離され、あきらめる日が来るかもしれない。▼少なくとも今の市場ルールのままでは、同じ路線で戦っても勝機は薄そうだ。スマホでゲームを遊ぶという体験自体をひっくり返すような、新しい枠組みを発明しなければならないと感じる。

[4053] Oct 09, 2020

インフルエンザの予防接種を受ける。毎年必ず受けているし、重い副作用が出たことはなかったが、今年はどうも接種後の調子が悪い。だるさもさることながら、異常なほど目が霞む。眠いわけでもないのに、眠くて仕方がないような目になる。今も治っていない。視界が朦朧とする。目の奥も少し熱いように感じる。一晩寝て治るかどうかが心配だ。▼閑話休題。すぐにどうこう言う話ではないが、Zaorのデスクが良い。88鍵が置けるデスクの中でも特に理想的な設計だ。モデルは「MIZA M」。収納部と天板部のバランスが非常に良い。▼だが、問題もある。MP10の高さが高すぎて鍵盤の収納部に収まらないことだ。スライドで天板の下にしまうためには、16cm以下の鍵盤でなければならない。一般的なステージピアノには少々厳しい高さである。ここに収めようと思ったら、今流行りの薄型が必要になるだろう。▼そういうわけで買う買わない以前の話だが、メモ代わりに残しておく。

[4052] Oct 08, 2020

『Verbal Advantage』修了。これは重かった。内容的にも、物理的にも。▼項目語の豊富な蘊蓄と関連語の列挙が魅力。ただし手を動かすわけではないので、「1100 Words」で修練を積んでから復習として使うスタイルが正解だった。恐らく、ボキャビル本の最初に手を出す本ではない。レベル6〜8くらいまでは既知語の方が多いと言える状態で読んだ方が効果的だと思われる。▼これでボキャビル本は五冊終了。アメリカンヘリテージの出している100Wordsシリーズも興味はあるが、キリがないので一旦ここで終わる。改めて「パス単」へ。さすがにもう知らない単語は少なくなった。通勤時間で例文だけ見て、取りこぼしをチェックしていけば良いだろう。これを十月中に終えて、問題演習を二冊程度こなしたら、あとはSVLの3と4を眺めていればよい。▼苦手なライティングに最低二ヶ月はあてたかったが、今のペースでは厳しそうだ。一ヶ月に圧縮して、及第点を目指そう。

[4051] Oct 07, 2020

次男が数字に興味を示している。色を言えるようになった直後から、物の覚え方を理解したのか、はたまた褒められるのが嬉しいのか、数字を見つけるたびに「4!」「5!」と自信満々に叫んでいる。▼それがけっこう当たっている。最初のうちこそ、どの数字を見ても「5」か「8」と言ったり、「9」を何故か「ないん」と言ったりしていたが、間違える期間の長かった色に比べると遥かに早く正しい呼び名を習得し、今では「2」〜「10」は大体的確に言いあてることができるようになった。ただし「6」が苦手で、気を抜くとなぜか「えい」と言う。「7」も少し発音が難しいようだ。▼今は時計のおもちゃがお気に入り。事あるごとに引っ張り出してきては得意げに数字を読み上げ、褒めてもらうために親を呼び立てる。親が家事に追われて来ないと――数字を叫びながらキレる。そこは平常運転である。だが、数字で遊べるのは良いことだ。私もカレンダーが好きだった。

[4050] Oct 06, 2020

最悪のJanus Wordがやってきた。"Ravel"だ。▼「ほどく、解明する、もつれさせる、混乱させる。」英和辞典の記述は、もはや冗談の域である。いくつか英英辞典を引き分けてみても、正反対の意味を持つことに対する釈明や解説は見られない。それどころか、定義に"Unravel or fray"などと書いてある始末である。Unravelは「ほどく、解明する。」意味がわからない。▼真偽のほどは不明だが、歴史的には、かつて「もつれる」意味で使われていたRavelに反対語のUnravel「ほどく」が生まれ、そのうちどこかでRavelが「ほどく」の意味を持つようになってしまい、Ravelの方がJanus Wordになってしまったという話らしい。また、別の解説によると、糸のような細い対象に対して使うと「もつれる」だが、布のような大きさを持つ対象に対して使うと「ほどく」になる、ともある。わかるようなわからないような、実にもつれた単語である。自分から、積極的に使いたくはない。

[4049] Oct 05, 2020

我が家の玄関には「ビオレu手指の消毒スプレー」が置いてある。消毒液の品切れが続く中、いち早く近くのウェルシアで定価売りの始まったありがたい品だ。▼そのありがたい品がちょっとしたトラブルを引き起こした。私の『Verbal Advantage』が水浸しならぬ消毒液浸しになってしまったのだ。犯人は、名探偵でなくてもわかる。次男である。部屋の整理で両親が忙しいのをいいことに、監視の目が外れたところで消毒液のポンプを猛プッシュしたらしい。ちょうど、手の届くところに再配置されていたのも良くなかった。たまたま近くに置いてあった『Verbal Advantage』が暴走の被害を受けた。表紙と、最後の百ページ余りが破損。今はごわごわになっている。▼もうすぐ読み終わるところだったのでそれほど気にはしていない。それよりも子供たちの顔や目にかからなくてよかった。次男がまっとうな人間になるまでは、たとえ消毒液でも油断は禁物だとあらためて認識した。

[4048] Oct 04, 2020

処分。一掃。▼往復すること九回。家の中の不用品をまとめてリサイクルショップに売り飛ばした。査定なしで引き取ってもらったゴミを含め、どれもこれも買値とは似ても似つかぬ二束三文だが、粗大ゴミに出して金を取られるより良い。巨大な品は梱包と送料の問題もある。ヤフオクやメルカリで気軽に売れないのがつらいところだ。▼それでも運びきれない箪笥やベッドは市の廃品回収へ。玄関口に晒して回収を待つ。箪笥あたりはもしかしたら、ショップまで運べばいくらかにはなったかもしれないが、脚も腕も限界だったので諦めた。それに、無理に運んで怪我でもしたら悲惨である。捨てると決めたら捨てた方がいい。戻り道は刺される。▼次に処分するとしたら、もはや電子版で十分と言える小林秀雄以外の全集、それと受験参考書の類だ。つまり本である。自炊の道は時間がないので諦めた。そういえばスキャンスナップも新品のまま眠っている。これも良い売却候補だ。

[4047] Oct 03, 2020

長男と大公園へ。久しぶりの遠征。▼先週、先々週と週末に雨が続いたせいか、人は異常に多かった。加えて、コロナ禍で他に行くところもないのだろう。事情はみんな同じである。▼アスレチックは過去に類を見ないほど混雑していた。なるべく密なところへ近寄らないようにしつつ、階段を降りたり登ったり。大行列の大滑り台もやりたがったが、人混みに並びたくないこともあり、今日は下に敷くソリを持ってきていないから今度にしようと言うと、滑っている子どもたちを指して「お父さん、ちゃんと見てごらん。敷くのがなくても滑ってる子もいるでしょ。」と論破されてしまった。正論では戦えないので、そうだねえと言葉を濁したが、すでに疲れていたこともあり、言うだけ言って執着はしなかった。▼公園を出ておやつを買いにスーパーへ。大好きなカニパンのビスケットを買ったら安心したのか寝てしまった。次男坊に邪魔されず伸び伸び遊べたのも楽しかったようだ。

[4046] Oct 02, 2020

次男がようやく色の名前を当てられるようになった。▼何度も何度も辛抱強く教えては自信満々に赤を黄色と言い、黄色を青と言い張る姿に色覚は大丈夫だろうかと心配したこともあったが、少なくとも見えてはいるようだ。赤、青、黄色、緑の四色は、ほとんど間違えなくなった。ときどき、言い間違えてもすぐに自分で修正する。色と名前の一致は取れている。▼喋り出すのは早かったが、思ったより意思疎通まで時間がかかっている。「自分語」の期間が長い。おもちゃで遊んだり、本を見たり、誰かが話しているのに参加したり、状況に応じてぺちゃくちゃと喋りはするが、何を言っているかわからない。このあいだは熱心にスーパーのレシートを読み上げていた。きちんとイントネーションがついているので、本人はそれぞれ別の言葉を思い描いて口に出しているのだろう。二歳になって言葉を覚えたら、滝のように喋り出すかもしれない。二人合わせてにぎやかになりそうだ。

[4045] Oct 01, 2020

10/13、10/14。アマゾンプライムデーが、私の中でいまいち盛り上がらない。同じく冷ややかな気持ちで静観している人も多いように思う。▼理由は、なんとなくわかる。信用がないのだ。嘘の商品名、サクラだらけのレビュー、検索を汚染する劣悪なスポンサー商品たち、聞いたこともないメーカーの、見たこともないベストセラー商品。そういう諸々を押し付けられ続けた結果、少なくとも私は、アマゾンのセールで捌かれる商品に興味が持てなくなってしまった。普段からそんな商売をしている企業がセールで出してくる品なんて、たかが知れているではないか?▼無論、本当のところはわからない。アマゾンは真摯に努力しているが、悪徳メーカーを駆逐しきれないのかもしれず、今回のセールは信頼のおける売り手だけを集めて採算度外視で行われるのかもしれない。だが、本当のことがわからないときこそ信用がものを言うのだ。その信用が、無駄遣いによって失われている。

[4044] Sep 30, 2020

次の本を「デューン/砂の惑星」にするか、それとも「氷と炎の歌」にするか、迷っているうちに、そういえば「ダ・ヴィンチ・コード」を読んでいなかったと思い立った。邦訳版が登場して書店で人気になったときも、映画が話題になったときも、覗いてみようと思いながら絶妙にすれ違い、とうとう時期を逸して買わなかった本である。ちょうどいい機会なので、読んでみることにした。▼語彙レベルは高い。まだ序盤も序盤だが、すでに難しい。おまけにフランス語は随所に散りばめられているし、英語名のわからない芸術作品の名前も頻出する。日本語でもあやしいラインの知識を前提として求められるので、背伸びしている感は否めない。このところリーディングに関してはぬるめな文章しか読んでいなかったから、強めのウエイトで鍛え直すにはちょうどいいかもしれない。▼だが、リゼロも続きは気になる。その日の気分で読みたい方を読んでいこう。一日三十分が目安だ。

[4043] Sep 29, 2020

間違いなく邦訳版も出るだろう――というより、邦訳版はすでにあった。私が知らないだけだった。『サイコセラピスト』というタイトルでハヤカワ・ミステリから出版されている。評価はまずまずだが、原著ほど盛り上がってはいないようだ。▼それにしてもあいかわらずSF・ミステリの邦訳改題は趣味がよろしくない。原題は著者が自分の作品の総括として、考えに考え抜いた一言である。全作品を凝縮した言葉の雫である。マーケティングの都合から、原著を読み込んだ証にひねりを加えたい自己満足まで、変えたくなる要因は様々あるのだろうが、各社、もう少し原題に敬意を払うべきではないかと思わずにはいられない。▼どうあれ先日のレビュー通り、星4つ分はおすすめである。ミステリーをあまり読み慣れていない人の方が、純粋に楽しめる可能性は高い。これまでジャンルとしてミステリーを避けてきた方は、カジュアルな入り口として最初の一冊にいかがだろうか。

[4042] Sep 28, 2020

『The Silent Patient』読了。一気呵成に読み切った。▼アマゾンレビューで絶賛されていたのをきっかけに、紀伊国屋で購入。今世紀最大のミステリ……云々は、いつもの売り文句なのでどうでもよいが、言葉を発さない患者と精神科医の主人公という組み合わせに惹かれて買った。そうして読み始めたが最後、ラストまで止まらなかった。▼だが、あまりにも惜しいことに、本格的な詰めが始まる前に話の大筋が予想できてしまった。これは無念だ。必ずしも小説側の罪とは言えない。昔、ほぼ同じ仕掛けのミステリーを読んだことがあったのも災いした。そういう意味では恐らく、ミステリーマニアにとっては物足りないというか、すぐにオチが読めてしまうのかもしれない。▼星4つ、ということにしておこう。どうあれ、洋書でここまで読ませてくれたことには感謝している。英語の困難はほとんど感じなかった。かなり易しい言葉使いである。間違いなく邦訳版も出るだろう。

[4041] Sep 27, 2020

ジャン=ポール・サルトルは言った。何でもないようなことを、無理やりに奇妙なことだと考えてはならないと。日記をつけることの危険はそこにあると――我々は、日記をつけ始めると、余白を埋めるために鵜の目鷹の目で日常の歪みを探し出し、全てを誇張し、真実をねじ曲げてしまうのだと。▼乗っかるわけではないが、私もそう思う。サルトルに言われるまでもなく、私は一貫して小林秀雄の書評スタイルに従っている。言うべきことがないときは、何も言わない。良い意味でもなく悪い意味でもなく、本当に何の感想も湧いてこないことをもって、「言うべきことなし」と書ける正直さを忘れないこと。少なくとも、私の生活という現実の中に後から題材を創り出さないこと。ファンタジーはファンタジーとして明示すること。折に触れて、日記に役目を回避させること。▼それができたから、長く続いている。小林秀雄は私の中でまだ生きている。全集を読み直したいものだ。

[4040] Sep 26, 2020

病院のはしご。皮膚科はいつも通りだが、午前予約で診察は三時過ぎと待たされた。今回は不要という話で合意したマイザー軟膏が処方されていたり、二択から選んだステロイドシートは選んでいない方が出されていたり、いろいろ混乱極まっている。それだけ忙しいのだろう。▼整形外科は妻と次男のみ。次男のО脚を心配して療育から紹介状をもらっていた。こちらも二時間待たされた上、その間、次男はひたすら階段の昇降と扉へのいたずらを繰り返していたという。最悪だが平常運転である。容易に想像がつく。結局、今後も定期的に様子見という保留気味の診断。左足が、重度ではないにせよ、曲がっていることは曲がっているらしい。縦の圧力で悪化しないように、激しいジャンプを伴う習い事などはさせない方がいいかもしれないという話であった。▼帰宅が遅れた分、慌てて夕食の支度。鶏肉と玉ねぎとチーズで、市販ソースのトマトグラタン。味は濃いが美味しかった。

[4039] Sep 25, 2020

次男の頭の傷は良くなった。もう心配する必要はなさそうだ。▼目撃者がいない上に自分で語ることもないので真相は永遠に闇の中だが、椅子から落下したときに本棚の最下段にある抽斗の金属製のつまみに後頭部をぶつけて切れた、ないし皮膚を削られたという見立てが目下最有力である。であれば、流血したとはいえダイレクトに床へぶつからなかった分、脳へのダメージは少なく済んだのかもしれない。切り傷が縫うほどの大きさにならなかったのも助かった。不幸中の幸いが重なって大事を免れた感がある。九死に一生を得たとまでは言わないものの、万が一のこともありえたと思うと、やはり運が良かったと考えるべきだろう。▼今朝は雨。スニーカーの長男は言うことを聞かずに遊歩道で走って何度も転んだが、滑り方が上手なのか尻もちのみで済んだ。この体感バランスの良さによって怪我を免れてきたところがある。故に、次男に対する警戒度は一段階上げざるを得ない。

[4038] Sep 24, 2020

畳の和室、ついにフローリングへ。▼八畳。剥がして張る。これでトイレと台所以外はすべてフローリングになった。選んだのは明るい色の、丈夫で滑らかな複合板。無垢材の風合いも嫌いではないが、今回は高級感より生活の利便性を優先した。▼突如現れた広い空間に、子どもたちは嬉々として走り回っている。ぐるぐる回るだけでも楽しいらしい。気持ちはよくわかる。私もニ十周くらい、意味もなく回ってみた。見知った部屋の見違えるような変貌。新たな足の感触。家具を運び入れる前の今しかできない特別感。楽しい理由はいくらでもある。▼今週末の休みは、物置同然の部屋から追い出された各種のがらくたをハードオフとリサイクルショップに処分しつつ、再び家具を配置する。ひとつ、弟の置いていった大きなパソコンデスクにどうにも行き場がなく頭を悩ませているところだ。良い品なので捨てるのも忍びない。分解して押し入れにしまいこむのが妥当かもしれない。

[4037] Sep 23, 2020

『More Word Smart』修了。これでSmartシリーズの単語は終わり。『Word Smart』のときも書いたが、非常に良い出来映えを保っている。二巻で終わってしまうのがもったいないくらいだ。全単語をこのスタイルで学んでいきたかった。▼『Verbal Advantage』に移行する。改めてぱらぱらめくってみると、ほとんどの単語が既知になっていた。がつがつ暗記しなくても、問題をこなしていれば知らないうちに語彙力が増えている。これが参考書の嬉しいところである。生活から時間を割り当てるのは大変だったが、習得自体はさほど苦労しなかった。▼句動詞から絶妙に目を逸らしつつ、二万語クラスを覚えきったら、あとは多読と辞書のコンビで虱潰し作戦だ。少し面白くなってきた「リゼロ」には期待している。それにしても、記事だけ見ると英語ばかりやっているように見えるが、充てている時間は他の趣味より少ない。ただ書きやすいという理由で題材に選ばれている節がある。

[4036] Sep 22, 2020

次男、後頭部をしたたか打つ。私はちょうど買い物に出ていて現場にいなかったが、どうもテーブルから落ちて引き出しの突起に頭をぶつけたらしい。激しい出血。眩暈、吐くなどの異常はなく、本人も落ち着いていたので危険性は低そうだと安心したが、念のため病院へ行った。▼傷口は大きくないので縫う必要もない程度との診断。消毒だけしてもらってガーゼをあててもらう。頭にガーゼをあてるときは、大きいガーゼの真ん中に髪の毛を左右から渡して、その上からテープで止める便利な方法を知った。本人は昼寝、変顔、奇声、暴食、爆走と全くいつも通りなので、心配はあるまい。▼良くも悪くもビビりすぎな長男とは対照的に、あまりに怖いもの知らずな次男は、たぶんこれからも怪我をするだろう。命に関わったり、後遺症が残ったりするような怪我だけは何としても避けたいが、手足の骨折くらいまではあると思っている。危険がなくても自ら危険を創り出す男である。

[4035] Sep 21, 2020

マイナポイントに申し込む。パスモ、nanaco、ここまではよかった。だが、楽天カードがどうにも登録できない。見事なダメ設計によって盥回しにされてしまう。▼こういう按配だ。総務省のマイナポイント申請用アプリを入れる。アプリから登録を進め、サービス選択で楽天カードを選ぶと、楽天カードは楽天側のアプリから登録を進めると言われアプリジャンプする。楽天カードアプリ側で指示通りに進めていくと、申請ボタンで総務省のアプリダウンロードを促すページに飛ぶ。アプリストアへジャンプ、当然、インストールは終わっている。総務省アプリに帰ってくる。実に綺麗なループである。出口はない。▼勝手な推測に過ぎないが、恐らく、楽天カードアプリから総務省アプリへ飛ぶとき、インストール済みであることが何らかの事情で取得できず、正規の登録ページに飛べないのだろう。結果、入り口に案内してしまい盥回しが完成する。しばらくトライしたが、諦めた。

[4034] Sep 20, 2020

最初は、設定を盛りすぎて失敗する。だが、それは悪いことではない。あれもこれも格好良く思えてしまうのは、それだけ自分の中に鮮やかな記憶を蓄えてきたからだ。芯から憧れるものに数多く触れてきた証である。つまり、準備はできているということだ。▼だから、次は美化された記憶を整理しなければならない。自分が本当に好きだったものは何なのか、見極めなければならない。真に格好よかったのは設定ではなく、その設定を活かすプロットの方ではなかったか。あるいは二つの要素の掛け合わせではないか。クライマックスを描き切る技術力か、全てが噛み合った世界観か、それとも実は作者の人柄に惚れただけなのか。▼表現の神髄は自分と向き合うことだとよく言われる。心の内面を重視しすぎた見栄えの良い御託のように聞こえることもあるが、突き詰めればきっとこういうことなのだろう。私は、私が本当は何を好きなのか、思ったよりはっきりとは知らないのだ。

[4033] Sep 19, 2020

アプリの串刺し検索は便利だ。紙なら何度もめくりなおさなければならないところを、検索一発で文字通り串刺しにして並べてくれる。辞書同士での定義や用例の比較を頻繁にしていた人にとっては、これに勝るデジタル時代の福音はあるまい。▼だが、私はあまり好かない。辞書への愛着が感じられないからだ。実際、私の学習の記憶は、その時々で使ってきた辞書の顔ぶれに紐づいている。何を学んできたかと同じくらい、誰と学んできたかも大切なのだ。それが学びの旅というものだ。たとえ途中で変えることはあっても、これと決めたらしばらくはこれで行く。そういう決め打ちがなければ、辞書は相棒にはならない。ヒロイン不在の物語である。なんでもできる万能アイテムを携えた、ただの一人旅になってしまう。▼ゲームのお気に入りキャラと同じだ。いつも隣にいてくれるから冒険が楽しくなる。出迎えてくれるキャラクターがランダムでは、トップ画面は少々さびしい。

[4032] Sep 18, 2020

"Throw up"……「放り上げる」わかる。「放棄する」わかる。投げ出す感じがする。「機会を逸する」わかる気がするが、ピンとは来ない。「吐く」"Bring up"と同じイメージだろうか。「告白する」わからない。まさに吐くということ?「世に送り出す」わかるようなわからないような。「何度もしつこく指摘する」わからない。「建築物を急造する」わからない。▼これだから句動詞はイヤになる。丸暗記にしても量が多すぎる上、記憶が干渉してすぐに忘れてしまう。百歩譲って、群れの中に紛れていた何かを「放り上げる」ことにより、目立たせたり話題を提起したり告白したりするのは理解できなくもない。自分から世の中へ何かを放出するのが"Throw up"なのだと納得できる。それが投げやりな放出なら諦めたり機会を逃したりすることにもなるだろう。だが、なぜしつこく指摘することが"Throw up"なのか。今の私にはまだ飲み込めない。そういうものだと覚えるしかない。

[4031] Sep 17, 2020

さすがに今年はもうペナントは諦め気味だ。もちろん、最後まで諦めずに優勝を目指して欲しい気持ちはあるが、自身は三位に転落し、絶好調の巨人にマジックが点灯した今、優勝を現実にありうる未来と期待しながら試合に熱狂するのは難しい。浮き彫りになった投打の課題を整理して、来年の可能性を夢想する方がまだ建設的だ。▼さいわい、将来を嘱望される若手はたくさんいる。同じ優勝争いでも、ベテランがレギュラーを独占しつつ奮闘しての善戦と、入れ替わり立ち代わり若い力が活躍しての健闘では、未来の期待値は段違いだ。▼まったく同じ構図とは言わないが、似たようなことを仕事でも感じる。ベテランの力は偉大だが、そこを頼みにプロジェクトを「消費」しても、会社の力、部署の力は育たない。終盤に向けて期待が高まり、次へ次へと意識を前に向けられるのも、やはり若手を育ててこそ。今回は、関わった若手の大幅なレベルアップも隠れた目標にしている。

[4030] Sep 16, 2020

昨晩は、何回も起こされた。泣いたわけではないが、気がつくと次男が体の上にいる。もう11kgもあるので重い。重いし暑いので、起こさないように気をつけて空いている場所に移す。そうこうしていると動きを察知して長男が目を覚ます。これも再び位置を整えてなんとか自分のスペースを確保。暑い。冷房を強くしたり、水を飲みに行ったりする。戻ってくると、動かしたはずの次男が大の字で私のスペースに寝ている。長男は反対側の端に追いやられている。▼こうしたベッド上のパズルゲームを夜中のうちに何回かやる。それで目が覚めてしまう。次男の夜中ミルクの頻度は減ってきたが、寝相の悪さが如何ともしがたい。まだ、ときどき落ちたりする。何度、真ん中に戻しても気づくと端にいる。または、私の体の上にいる。けっしてひとりでは寝られない長男と、ひとりで勝手に寝るが自由すぎる次男。ある意味では昼の性格をそっくりそのまま反映している。夜の部である。

[4029] Sep 15, 2020

やりたいことがある。二年くらい前から、頭の中でちょっとずつ形になっている。ただし手に触れられるものとしては、何も具現化していない。今はそれでいい。今はまだ、私に具現化する力が足りない。アイデアも、歪みの臨界点を迎えていない。自分だけのアイデアの完成とは、即ち自分だけの歪みの臨界である。他のありうるすべての形を捨てて、その形でしかありえないという非合理的な決定が下されたとき、ようやく理想が結晶化するのだ。決定に理由が必要なうちは、まだ早い。▼平たく言えば、結局は冒頭の通り。やりたいことがある。いや、本当は、やりたいことが山ほどある。指折り数えて、指が足りないくらいある。ただ、そのうちのひとつが、そろそろやってみてもいいと思えるところまで近づいてきてくれた。それだけだ。もったいをつけるようなことではない。たいしたことではない。仕事とも無関係。きっと今から二年後くらいに、具体的な話を書くだろう。

[4028] Sep 14, 2020

帰り道とか、電車の中とか、そういう場所でときどき、思いがけず「格好いい理屈」を思いつくことがある。創作について、仕事について、あるいは人生について。だが、家に帰ると全部忘れてしまう。パソコンの前へ座ったときは、もう主題も思い出せない。今日のネタはこれにしようと思ったときでさえ、幻のように消え失せている。▼メモを取ろうとは思わない。予感がある。思いつきをメモに残して記録したら、「400」はもっとクールなエッセイ集になるだろう。だが、同時に私が本当はそうは思っていない、あるいはよく考えたらそうでもなかったという主張まで、書かれてしまう気がする。そうして、その字面の格好良さ、エッセイとしての出来の良さに引きずられて、私の本心まで改竄されてしまいそうな気がする。頭の中で十分な時間検証されて、自分の言葉として自然に表れてこない主張を文章にまとめるのは、実は危険を伴う行為だと心のどこかが警戒している。

[4027] Sep 13, 2020

CD二曲目完了。すぐ次へ行く。今の良い流れを切りたくない。▼三曲目はノリと勢いに任せるタイプだが、ひとつこれまでにやったことのない挑戦的な試みもする。一般的にはありふれた技法だが、私の中では完全なる新出トピックなので、これで引き出しの肥やしが増えてくれたらという気持ちだ。▼思えば、私の語学と音楽に対するアプローチは信じれられないほど真逆だった。語学は徹底的に知識とロジックから積み上げた。手探りの実践より机上の地道な学習を重視した。一方、音楽は闇雲に実践だけを続けてきた。とりあえずモノができれば良しという態度で、勉強と呼べるものは悉く避けてきた。▼どちらも苦手意識の強い方を遠慮してきたに過ぎないのだろう。一見、不思議なようだが、自分で理由もわかる。ともあれ、今、引き出しの中身を意識している私は、ほんの少し、音楽の方で知にも信を置こうとしている。気まぐれかもしれないが、この気分は大事にしたい。

[4026] Sep 12, 2020

英英辞書はオックスフォードをはじめロングマン、コウビルド、メリアムウェブスターまで、いろいろ渡り歩いてきたが、最近はアメリカンヘリテージに落ち着いている。▼イギリス英語を見捨てたわけではない。ただ、語彙数二万が見えてきたところで学習英英でなく一般英英、つまりネイティブ向けの国語辞典の方が魅力的になってきたので、一般英英の代名詞でもあるアメリカンヘリテージに舞いもどってきたら、意外としっくりきたという話だ。以前は語彙が難しすぎて理解できなかったが、今のレベルならちょうど良い背伸び感である。▼アメリカンヘリテージは表紙も格好いいし、何より自らをアメリカの「ヘリテージ」だと称する自負心が素晴らしい。アプリの使いやすさも上々だ。メリアムウェブスターのアプリのように、検索窓をタップしたとき以前の単語が自動で消えてくれないのは残念だが、消去ボタンがあるのでぎりぎり許容できる。残す理由がよくわからない。

[4025] Sep 11, 2020

先輩が、パソコンを買うのでパーツを見て欲しいとリストをくれた。自分自身、かなり詳しい人なので、すでにだいぶ練られた構成になっている。が、詳しいが故にマニアックなところで悩みがあり、自分以外で詳しい人の意見を足しにということで、助言を求めてきたわけだ。▼一点、電源について意見が割れた。先輩は電源に予算を割かない。私は電源にこだわる。どちらにもそれなり正当な理由がある。だが、ひとつ先輩の把握していない電源の特性があったので、メモ代わりに書いておく。▼先輩は、電気代と熱を重視するスタンスを取っていた。ならば電源容量は「消費電力の半分強」を目安に選ばなければならない。ここが電源における電力変換効率のスイートスポットだからだ。電源は、容量に余裕がありすぎても、なさすぎても、効率が落ちてしまう。効率が落ちれば余分な電気を食い、余分な熱が出る。容量を削って予算を稼ぐ作戦は、彼自らの信条に反していたのだ。

[4024] Sep 10, 2020

肉、肉、肉。シュラスコへ行く。食べ放題。酒も入れずに旧知の仲で語り合い――もとい食い漁り。ランプ、イチボ、ハラミ、肩ロース、鶏、豚、ソーセージ、ガーリックステーキ、エビ、パイナップル。ハツとメカジキ以外は一通り食べた。野菜はレタスだけ。文句なく満腹だ。チョコレートでさえ食べようとは思わなかった。別腹も一杯である。▼質も良く全体的に満足だったが、味付けは基本塩で、かつソースも二種類しか提供されないため、味に変化をつけにくいのが難点だった。最後の方は部位による味の違いもよくわからなくなってくる。食べ放題で最後まで食を満喫したいなら、素直にビュッフェか、寿司の食べ放題などの方が安全そうだ。どうしても肉が食べたくて、それ以外のものは何もいらない、野菜も食べる気なし、そういった気分のときに選べば、きっと一点の曇りもなく幸せになれるだろう。▼明日は軽食志向。向こう一週間は肉がなくても生きていけそうだ。

[4023] Sep 09, 2020

長男は、朝と夜とで二つの人格を持っている。▼朝はローテンションでわがまま。とりわけ深い眠りから起こされたときは、家を出て保育園に着くまで人の話をまったく聞かずに泣き声で要求を繰り返し、ずっとメソメソベソベソしている。道中、話しかけても反応がない。心ここにあらず。意識が遠くへ行ってしまっている。毎日が反抗期である。▼夜はハイテンションでお調子者。一緒に遊び始めると、とたんに自分で発明した大量のルールを押し付けてくる。次から次と口が動く。たまに次男で遊ぶ。遊びすぎて喧嘩になることもある。大体、テンションの高さが原因でトラブルに発展することが多い。「少し落ち着きなさい」と言われない夜は少ない。▼長男の性格は〇〇だと、ひとくちに言えなくなってきたところに成長を見る考え方もある。性格の中に占める後天的な部分は、きっとこの複層的に折り重なった状態から形成されていくのだろう。中間に丸まってくれると良い。

[4022] Sep 08, 2020

ようやく管理専門のマネージャーが合流する。管理業務が増えてきたところなので、一部移譲できるのはありがたい。より多くの時間を本来の業務に充てられる。▼一昔前は一本しかなかったプログラマのキャリアパスが、ここ数年で一気に増えた。細かいことは書けないが、「金を稼ぐ人」になるか、上述の「管理する人」になるか、「チーム横断的に技術指導する相談役」になるか、「特定の技術のエキスパート」になるか、など。並べてみると、むしろ今までこれらの必須職がキャリアとして認められていなかったことの方が不思議である。「金を稼ぐ人」になる適性や意志はないが有能なプログラマに、確固たる立場と居場所ができたわけだ。▼私はどこに行くか。それはまだわからない。無論、自分の中にこれという展望はあるが、望み通りに行かないこともあれば、希望と適正が合わないこともある。いろいろ見極めながらやっていこう。最後にやりたいことができればよい。

[4021] Sep 07, 2020

恒例の索引チェック。今回のワークブックでもやっていく。二日あれば出来そうだ。▼習得率は大体七割〜八割程度。だいぶ覚えている。ただし「1100 Words」に比べて未知語は少なかった。未知語の習得率に絞ればもっと割合は下がりそうだ。良い参考書であることは間違いないが、ユニットごとのミニクイズは「1100 Words」より遥かに軽いため、手を動かすことにかけては二段くらい落ちている。したがって、どちらも未修の人にどちらを勧めるかと言われたら、迷わず「1100 Words」を選ぶ。英検一級レベル語彙の習得に、あれほど有益な参考書は恐らく他にあるまい。▼句動詞の方はお試しでケンブリッジシリーズの「English Phrasal Verbs in Use」を買ってみた。値段の割に薄いのと、つるつるした紙質が好みでないのが残念だが、購入者の評判は良い。さくっと終わらせて少しでも功を練られれば良しとしよう。最後はOxfordの「Phrasal Verbs Dictionary」で仕上げる。

[4020] Sep 06, 2020

『The Vocabulary Builder Workbook』修了。▼GREレベルの必修1400単語を収録。さすがはMagoosh製という出来映えの良さだ。ただ実際にSAT〜GREに収まるのは6割くらいで、難語に混ざって簡単な単語も顔を出している。基本語彙を復習しながらの英検一級対策には案外、ちょうどいいかもしれない。▼MagooshはGRE対策アプリの方も終わらせた。単語系のアプリとしては抜群に感触が良い。あとは解答ページに発音記号を書いてくれたら満点だった。音声のみだと、深夜の布団など音が出せないところで学習できるアプリの強みを手放してしまう。これは残念ながらいただけない。▼それで、どれくらいカバーできたのか。久々にTest Your Vocabularyをやったら「21,600 words」だった。無論、以前書いた通り、これはあくまでこのレベルの単語まで手が伸びているという指標であって、二万語覚えたという意味ではけっしてないが、二万の大台に乗ったのは素直に喜ばしいことだ。

[4019] Sep 05, 2020

句動詞の良い教材を探している。▼このままだと、オックスフォードの句動詞辞典を買うことになる。それくらい、句動詞特化の教材は不足している。「絵で見てわかる」系は絵で見てもわからない項目が多すぎるし、「この動詞だけで英語は話せる」系はカバー率が低すぎる。かといって、それらの弱点を補う全列挙型・完全暗記型の本は、結局、劣化辞書の体裁を免れない。つまり、突き詰めていくと、辞書の丸暗記以外に有効なアプローチはないという、鳥肌モノの現実が見えてくる。▼思えば、日本語の慣用句・ことわざだって、ある程度は辞典で覚えている。「そういう意味で使われているからそういう意味なのだ」という同語反復的な性質を持つ言語要素は、全体を貫く明確なルールやロジックがないために体系化が難しいのだろう。膨大な量の実例に触れて脳のコーパスを養うか、集中して辞書を読み込み暗記するか、どちらかしかない。単語学習以上に、近道がないのだ。

[4018] Sep 04, 2020

いよいよ右手の爪がもげて落ちそうになっている。服や靴など、布に引っ掛かって危ないので絆創膏でケアしているが、これを剥がすときがいちばん危ない。そうして今日、恐らく生まれて初めて付け根側から爪を切った。奇妙な感じがする。爪と皮膚との接着面、浮いている白地に対して皮膚の色を強く反映するピンク色の部分が、だんだんと少なくなっていく。ただ、指先にくっついているだけの状態である。▼他の傷ついた三本の指は、さいわい爪の生えてこないエリアが少なかったので、かろうじて新しい爪と陸続きに繋がっている。あと二ヶ月、三ヶ月もすれば正常な爪に戻るだろう。災難だったが、爪が皮膚であることを”体験”できたのは良かった。古い爪と新しい爪の隙間の部分を触ると、皮膚の上に薄いラップを張ったような質感がある。その前後は、皮膚と爪。完全な皮膚から完全な爪へ、見事にグラデーションで変化しているのがわかる。これ以上の納得感はない。

[4017] Sep 03, 2020

数字上の気温が下がった代わりに、湿度が上がった。針は32度だが、実質的な不快指数は連日35度だったお盆と、さほど変わっていない気がする。そのうえ急な雨対策で傘は要る、マスクも要る、鞄も要るとあって、最低限の軽装でもごちゃごちゃと暑苦しい。快適と言えるほど気候がよくなるには、まだ時間がかかりそうだ。▼唯一、風の質は明らかに良くなった。うだるような暑さの日なたでも、遠くの空から吹いてくる風はさらっとして一足先に秋の気配を帯びている。ただし優しいのも束の間。気温が下がってきたら今後は突き刺すように顔を襲ってくる風だ。▼ここ数年の気候はどうもこのあたりの噛み合わせが悪くなっていて、とりわけ夏から冬にかけては常に何らかの要素が不快という悲しい移ろいになっていると感じる。過ごしやすい季節がない。それとも年を取って体の耐性が鈍ったため、愉快より不愉快の方に注意が集まりやすくなっただけのことなのだろうか。

[4016] Sep 02, 2020

思えば遠い昔の受験時代から。目を背けて、背けて、背け続けてきた強敵を、いよいよ直視しなければならない時が来たようだ。句動詞。"Phrasal Verb"である。▼はっきりいって大の苦手だ。いくらイメージだニュアンスだといったところで、字面から想起するにはあまりに無理のある丸暗記前提の句動詞が山ほどある。それでいて慣用句やことわざと違い、同じ組み合わせが状況次第で5つも6つも異なる意味を持っていたりする。句動詞が見事に使いこなされた英語は、知識の少ない身からすると、日本語よりよっぽどハイコンテクストに見える。▼ここは力業で通るしかあるまい。語彙を積み重ねたのと全く同じように、せめて2000程度は頭に叩きこんでおく。ある程度の数を暗記しておけば、難易度の高い単語と違って映像作品の出現頻度が高いため、繰り返し耳で復習できる。「ドラマや映画で英語学習」が出来るのは、句動詞のストックが揃ってからではないかと思う。

[4015] Sep 01, 2020

「Fortnum & Mason」の紅茶を買う。ティーバッグ。ロイヤルブレンドとアイリッシュブレックファストを25袋ずつ。耐熱紙コップ代を差し引いても、社食で買うより自前で茶葉を調達した方が、より安くより美味しい紅茶が飲めることに気がついた。冷房が寒めな職場。汗だくの真夏でも夕方には熱い飲み物が欲しくなる。味は順番に変えていくつもりだ。以下、雑感。▼ロイヤルブレンド。これはあり。少し苦みは強いが、濃さをちゃんとコントロールすれば飲みやすいオーソドックスな「ザ・紅茶」に仕立てられる。放置してぬるくなっても味の違和感は少ない。無難な選択肢として抱えておきたい。アイリッシュブレックファスト。こちらは私の好みには合わない。強い渋みと深いコクが魅力――なのだろうけれど、ミルクティーにするわけでもなく、給湯器で熱湯を注いでストレートのままぐいっと煽るカップ麺のような適当な淹れ方では、どうも良さが活かされないようだ。

[4014] Aug 31, 2020

ツイッターのタイムラインに、毎日素敵なイラストが流れてくる。すごい供給量だと感心していたが、あるときふと検索してみると、思いのほか新規の作品は少なかった。過去の絵の再掲、あるいは過去ツイートの拡散が多くを占めていた。偉人の名言を綴った日めくりカレンダーのように、過去の遺産が順繰りにめぐってきていたのだ。▼これこそツイッターならではの良さだと感じる。ツイッターから長らく離れていたからこそ、逆にそう思う。リツイートによって構成されたタイムラインは、通時性のファンタジーなのだ。ひとつひとつ、呟きの出自を調べてまわりでもしない限り、タイムラインはまごうことなき時系列として私の前に立ち現れる。忙しさ故、興味のなさ故、怠惰故、見逃し続けてきた膨大な過去が、日々目新しいコンテンツとして蘇ってくるのだ。そうして、同じ復活のプロセスによる蘇生が期待できるからこそ、流し読みでいいと思える気楽さもあるのだろう。

[4013] Aug 30, 2020

オーディオミックスダウン。最近、よく落ちる。2サビが分厚いので処理負荷が厳しいのだろう。通常書き出しだと瞬間最大負荷が許容値を超えるのか、確率で音源側がフリーズしてしまうし、かといって実時間書き出しにするとノートの多いところでプロセッサの限界を超えたとDAW側が書き出しを中断してしまう。負荷のなすり付け合いである。あいだをとって「倍時間で書き出す」オプションが欲しいところだ。▼表現力は、順調に向上している。音源のおかげも大きい。私の考える――私の真にやりたいことができる――最低限の表現力を手にするまで、もう少しとは言えないが、ひとつずつステップを踏んでいけば辿り着けるかもしれないと思えるところまでは来ている。語彙でいうところの、認識語彙三万語&運用語彙二万語のラインが遠くに見える。そこまで辿り着く旅の方にこそ意味も楽しさもあるのかもしれないが、それでも辿り着いてみたいからこそ、目標である。

[4012] Aug 29, 2020

Cleave(くっつく/引き裂く)、Sanction(許可する/制限する)、Screen(放映する/遮る)、Oversight(監視する/見逃す)。ひとつの単語に、正反対の二つの意味。前にも後ろにも顔のあるローマ神話の神「ヤヌス」にちなんで、Janus Wordsと呼ばれる。扉の守護神である。▼日本語にも該当する言葉がないか、考えてみたがすぐには思い浮かばなかった。「適当な(適切な/いい加減な)」あたりは近いかもしれない。また「穿った見方」のように、誤用が広まったことでなし崩し的に二義となってしまった言葉ならありそうだ。本来は「物事の本質を的確に捉える見方」のことだが、「疑ってかかるような見方」としてマイナスの意味で使われている例も多い。▼英語にもどろう。Screenあたりは文脈から判断できそうだが、Cleaveはくっついたのか分かれたのか、単語自体に情報力が無さすぎて判断に悩む。ネイティブはどう使いこなしているのだろうか。不思議である。

[4011] Aug 28, 2020

長男。無事四歳になる。身長99cm。惜しい、もう少し。しかし、最近は靴のサイズが大きくなってきたので、もしかしたら後から背がぐんぐん伸びるかもしれない。お父さんより大きくなりたいらしいので、ぜひともたくさん食事を食べ、よく寝て、よく遊び、目標を達成して欲しい。だが、そうなったら家がだいぶ狭くなりそうだ。▼ひとつ、考えるべき命題がある。何歳になったらスマホを持たせるか。私は、早めなら五歳が良い区切りかなと思っているが、当然、常時動画も見られればゲームもできる端末を手に入れたら、そればっかりになってしまう危険もあり軽々には決められない。メッセージやスタンプを送ったり、イラスト辞典を引いてみたり、お絵かきアプリで絵を描いてみたり、本当はそういう探索方面に興味を示して欲しいのだが、なまじ最初から動画とゲームの引きが強いだけに、腰を据えてツールと戦う旅への誘導は難易度が高くなっている。難しい時代である。

[4010] Aug 27, 2020

明日は長男、四歳の誕生日。▼プレゼント。長男はごっこ遊びが大好きなので、本当ならレジやキッチン、あるいはお店屋さんごっこのような、設備と小物のバラエティーセットをあげたいところだが、なにしろ全てをめちゃくちゃにする破壊魔がいつも一緒にいるので、ガチャガチャやられてしまう玩具は与えにくい問題がある。とりわけ最近、悪さに磨きのかかってきた次男は、どうも邪魔をされて長男が悲鳴を上げること自体を楽しんでいる節がある。細かいセットアップを要するおもちゃは問答無用でNGなのだ。▼そのあたりを考慮して、ディズニーツムツムの『ボイングボール』を買った。ぬいぐるみ素材なのにバランスボールという可愛いアイデア商品だ。乗ってよし、跳ねてよし。投げて良しかどうかはわからないが、素材的に危なくはないだろう。プーさん、ミッキー、マイクの三種類。長男に写真を送って選ばせたら、まさかの大穴マイクを選んだ。明日、開封する。

[4009] Aug 26, 2020

ときどき電車の中でEngVidの動画を見る。リスニングは相当久々だが、ハイペースでもそれなりに聴けている。講師の喋り方が巧いのもあるが、語彙力が高まってきたおかげで知らない単語に注意を奪われることなく、流れを流れのまま脳に流し込めるようになったところが大きそうだ。▼まだ条件がわかっていないが、字幕がデフォルトでONになっていることがある。字幕。一見、リスニングの答え合わせが出来て便利なようだが、実際は字幕が出ていると目は字幕しか追っておらず、耳からの情報はシャットアウトされていることに気づく。かといって、普段は見ないようにして聞き取りにくかったときだけ字幕を見ようとしても、メインの感覚が視覚から聴覚にシフトすることで意識が途切れ、せっかくの流れが分断されてしまう。▼よほど聴きこんだ音声の、どうしても聞き取れない部分が何なのかを答え合わせする以外に、字幕があって学習に有益なことはないと思っている。

[4008] Aug 25, 2020

今週は、思考の焦点が定まりにくい。仕事のようにやるべきことが決まっていて、こなしていくだけで精一杯の時間は問題なく過ごせるが、それ以外の、浮いた時間の集中力が著しく低下している。平たく言うと――ぼんやりしてしまう。▼単一の原因があるわけではないだろう。寝不足だったり、精神的な負担だったり、右手の中指の爪がそろそろまるごと剥がれそうなことによる不安だったり、ナゴヤドームでベイスターズが三連敗したことだったり――大小さまざまなストレスの積み重なりが、重たいというよりは肌に気持ち悪く、その不快感が脳の働きを妨害しているように思われる。ひとつひとつは解決可能な問題でも、折り重なって迫ってくると解決不可能な塊に見えてくるのもだ。▼そこを堪えて一枚ずつ、剥がしては捨てていくのがストレスとの戦いである。各個撃破の地味な仕事である。しばらくは馬鹿になって、損得も後先も考えずに衣の処分に集中したほうが良い。

[4007] Aug 24, 2020

ようやく膝の痛みが消えたのでランニングを再開できると思ったら、左足の裏に魚の目が出来ていた。まだ小さいが、歩いても痛い。なんだか、走りたい気持ちを身体に全力で否定されている気がする。仕方がないので、しばらくは治療に専念する。▼とはいえ、確かに今、脚や膝をやってしまうと、通勤から日常生活まで、あらゆる面で痛い。走って気分爽快ダイエットと言えば聞こえはいいが、背負っているリスクは見かけ以上に大きいということだ。もう少し身の程を知った、穏和な道から積み上げろというメッセージかもしれない。▼こうして考えると、毎日運動を積み重ねている人は本当に凄い。習慣的な運動に比べれば、習慣的な勉強など楽ちんなものだ。毎日激しく勉強したって、身体はどこも痛くならないのだから。筋や骨を痛める心配もないし、筋肉痛で次の日に動けなくなったりもしない。取り組んでいる最中でさえ、物理的に痛かったり苦しかったりはしないのだ。

[4006] Aug 23, 2020

ミスタードーナツに塗り絵が飾ってあった。数十枚。子どもたちによって、思い思いに塗られた同じお題の作品たち。長男がポンデリングを食べている間、どれがいちばんクールかなと思い、一通り眺めてみた。▼大人が塗ったような完璧な作品から、クレヨンを握るので精一杯と思しき塗り絵の体を成していない落書きまで、さまざまあったが、私の心を捉えたのは、ピンクと青の二色だけを使って塗られた一枚だった。二色だが、全ての余白を塗らず、独自の模様を織り交ぜながら、点と線の密度だけで全体に濃淡のバランスを創り出している。年はわからないが、名前からすると女の子のようだ。センスの光る一枚だと思った。▼塗り絵で一般論を云々するのは乱暴だが、こと遊びの領域においては、巧さが足を引っ張ることもある。先日の引っ掛かりの話にも通じるが、巧いものはすっと意識を流れてしまうのだ。巧拙は、どこかで面白さ、興味深さとトレードオフになっている。

[4005] Aug 22, 2020

よこはまコスモワールドの大観覧車「コスモクロック21」に乗る。▼地元民だが、乗るのは初めて。名前も知らなかった。コロナ禍でまったく人がいないので、四階からチケット売り場、ゴンドラまで、無人の待機列をまっすぐ行く。待ち時間ゼロのアトラクションである。▼当初、四人で乗る予定だったが、次男が寝てしまったので先発の妻&長男組と後発の私&次男組に分かれた。次男は扉をバンバン叩くのが趣味なので、捕まえていないと容赦なく叩いてゴンドラを揺らす。私も高いところは苦手な方だ。風が吹いてもミシミシ言うような古めの躯体。100mを超える高さ。さすがに怖かったので、高度が上がってからはトトロの動画を見せた。見晴らしを眺めて楽しむには、まだ数年早い。▼こうして終日、長男の希望で観覧車を中心に遊んできたわけだが、夜寝ないのは普段に輪をかけてひどく、十時から二時間以上暴れまわった。こちらの解決策はまったく見えてこない。

[4004] Aug 21, 2020

紙の辞書の有益性は、二万語クラスが近づいてくると加速度的に増してくる。最近、それを実感する。▼たとえば未知語mavenを引く。専門家、事情通。Apache Mavenのmavenはそういう意味だったのかと思いつつ、前後に目を滑らせてみる。前。mausoleum。霊廟。何かの記事で見て覚えた単語だ。mauve。つい最近、ボキャビル本のcolor wordsで見たばかり。後。maverick。一匹狼。以前も同じ辞書で引いた。mawkish。magooshのビデオで見た単語。甘ったるくて感傷的すぎること。▼そう、辞書が「埋まってくる」のだ。引いた言葉の近くに「自分とは無縁そうな単語」が見当たらなくなってくる。視界に未知語が少ないので、前後を眺めるだけで数単語分の復習になる。これが未知語ばかりでは、どこを見ても結局新しい暗記になってしまうので、たいした収穫は得られないわけだ。▼今の辞書を失ったら、切実に同じ版が欲しいと思う。辞書が友達になるのは、この辺からである。

[4003] Aug 20, 2020

Profligate。浪費する。▼初めてこの単語に出会ったとき、てっきりProfilgateだと思った。プロフィルギットだと。だが、よく見ると違った。iとlは逆だった。プロフリギットだった。読み直しながら、発音しにくいなと思った。舌がもつれる。プロフィルギットでよかったのに。そう、心の中で毒づいた。▼だが、おかげさまで、この単語は完璧に覚えた。しばらく後、二度目に見たときもフィルとフリの苦い記憶が蘇ってきて、意味も即座に思い出せた。こんな勝手な空目、単語の成り立ちにも意味にも何ひとつ関係はないのだが、それでも記憶の定着に大きく貢献してしまっている。暗記体験自体に根差したニーモニックとでも言うべきか。けっして一般化不可能な暗記術である。▼こういう例は、他にもたくさんある。数多くの英単語に――まったくもってくだらないものもあるが――私ならではの連想や体験が重なっている。暗記とは、人生を小出しに結晶化する遊びなのだ。

[4002] Aug 19, 2020

炎上していた某プロジェクトにメスが入った。炎上と主張されていた一連の騒ぎは、実は災害級の大炎上であることがわかってきた。蓋を開けてみたら……というやつだ。腐っていたのだ。▼重要なプロジェクトだけに、部署内で飛び火している。他のラインを止めてでも人員を注ぎ込んで予定内に完成させなければならない。そのための人と工数をどこからどう捻出するか、昼夜、中間管理職が顔を突き合わせて侃々諤々やっている。うちもすでに何人か拠出しているが、到底足りないということで、だいぶ痛手を負いそうだ。▼詳しい話は降りてこない。だが、今回ばかりはどうも、人と仕事とに関する様々な見込み違いが重なりすぎて、運営の良し悪しがどうこうという次元ではなかったようだ。以前も指摘した通り、人が仕事を成すという大前提を疎かにして、予定を立てることと製品が出来上がることを同一視してしまうと――こうなる。そろそろ同じ失敗事例が目立っている。

[4001] Aug 18, 2020

四千日間、原稿用紙一枚分の文章を書き続けてみて。破綻のない文章を構築する能力は格段に向上した。当然だ。短い時間で自分の思考を文字に起こし、限られた字数に収める訓練をずっとやってきたわけだから。その能力が身についていなかったら、いくらなんでも実りがなさすぎる。▼だが、文章が巧くはなっていない。何を以って巧いというかに幅はあるが、少なくとも、私が考える巧い文章を書けるようにはなっていない。話は単純明快だ。巧い文章を書きたければ、どうあれ、巧い文書を書く練習をしなければならないということである。何百万回素振りをしても好打者にはなれないように。単なる継続があらゆる望みの力を与えてくれるほど、人間、都合よく出来てはいないのだ。▼ここから先、少し方向転換して巧い文章を目指してみる道もある。その道を選んだ暁には、積み上げてきた「速度」の力も活きてくるだろう。だが、今ではない。今は別にやりたいことがある。

[4000] Aug 17, 2020

4000。▼400回目を迎えたときも驚いたが、4000回目となるといささか狂気の含みもある。いいねもなければリプライもない、アクセス解析もコメント欄もなく、相互リンクもアフィリエイトもない、何ひとつ外界と繋がりのない閉じた世界で、淡々と4000日間文章を書き続けてきたわけだ。合理的な精神に根差した行動とは思えない。恐らくは、惰性と盲目の成した業である。▼この日記もどきが荷風の『断腸亭日乗』に触発されていることは以前もどこかで書いた。『断腸亭日乗』は42年の記録。「400」はいまだ11年の記録。あと31年、あと10000以上の記事を重ねてようやく当初の道標に辿り着く。そこまでは続けてみよう。この形のままで頑張ってみよう。行けるところまで行く。道中、最初に滅ぶのは何だろう。意志か、身体か、サーバーか、それとも呑気に記事を書いていられる平和な日常か。わからないが、願わくは無事に42年を踏みたい。

[3999] Aug 16, 2020

『Word Smart』修了。知っている単語が六割、うろ覚えであった単語が二割、全く知らない単語が二割くらいの配分で、ぴったりのレベルだったと思う。一見するとただの無味乾燥なアルファベット順の語彙集だが、定義の書き方は辞典よりも単語のイメージを覚えさせることに重きを置いているし、語義を印象づけるために極端なことを言ったりする例文が面白いので、読み物としての質は高い。腰を据えて戦うタイプの本ではないが、電車の暇つぶしにはうってつけだ。▼紙の具合も悪くなかった。『Hot Word for the SAT』のようなふんわり感はないが、硬い紙ながら重量感はさほどなく、昼ご飯のお供に持ち歩いても苦にはならない。読後の劣化はちょっとごわごわになる程度。残念さはあるが、小説系のペーパーバックに比べれば遥かにマシな部類だ。参考書の場合、本の質感、重量、手触りも極めて重要である。持ち運びたいと思う本を選ぶことが小まめな学習の助けになる。

[3998] Aug 15, 2020

4000を迎える前に「400」の足跡を振り返ってみる。▼2009年8月29日、記事1号が誕生。書評メインのブログと並行で、文章修行の一環としてスタートした。したがって、当初の記事は今より修行色が濃い。各分野、真面目な話題を知識提供型の短文として仕上げようとする意志が感じられる。まだぎりぎり学生の頃。インプットも豊富だった。▼日記色が濃くなってくるのは、主に就職してからだ。とりわけ長男が生まれてからは一気に日記化が進んでいる。次男の誕生後はさらに拍車がかかり、自分の中での位置づけも他人に公開する記事から自分のための記録へシフト。このあたりからインプット量の激減も見て取れる。肩肘の張った知識偏重型のスノッブから、少し角が取れて、仕事と家庭のトラブルに翻弄される一個人の地金が出てきたとも言える。▼ただ、どうあれ軸となる価値観だけは変わっていない。言葉に重きを置く生き方は、今も昔も全く同じである。

[3997] Aug 14, 2020

プロジェクト的に仕事のキリがよかったため、この連休は本職のことを綺麗さっぱり忘れて過ごせている。遠出して羽を伸ばすというわけには行かないが、家で映画を見たり、気になっていた本を読んだり、庭に家庭用プールを出したり、普段掃除しない場所を拭き掃除したり、Zoomでオンライン飲みをやったり、そして明日は予定通りなら子どもたちと花火をしたり――まあ、細かい現実のカオスはさておき、やったことのサマリーだけを事後的に見れば、ゆっくり休みを満喫できていると言えそうだ。▼休みが明けて、九月からは最初のマイルストーンに向けた追い込みが本格化する。年末は残業祭りになるだろう。年明け、上手くいけば少しトーンダウンして、三月あたりから再び加速、あとは来年末のマスターアップに向けて焼き切れるまでギアを上げていくというお決まりの繁忙期に突入すると思われる。このスケジュールの中でどうCD曲を仕上げていくか。手腕が問われる。

[3996] Aug 13, 2020

紀伊国屋へ行く。有隣堂本店のリベンジである。▼わかってはいたが、やはり洋書の品揃えは比較にならない。もちろん、みなとみらいプラザの有隣堂店や、かつての紀伊国屋新宿南口店には及ばないが、政治、経済、社会、科学、自己啓発、フィクション、ノンフィクション、ミステリー、SF……各分野で話題の新作を一覧するには十分なラインナップが揃っている。クラシックとSFが少なめなのは残念だが、ジャンル的に限られたスペースを割きにくい事情もわかる。こればかりは仕方ないだろう。▼せっかくなので、前から一度は読んでみたいと思っていたスティーブン・キングを買った。いつどうやって進めていくかはノープランだが、「Word Smart」が下巻まで終わり、「Verbal Advantage」も読み終えたら、試みに通勤のお供にしてみようと思っている。このあたり、いろいろ実験してみないと何がどうしっくり来るかわからない。この実験の過程こそが楽しみでもある。

[3995] Aug 12, 2020

ニューヨークタイムズ一面の記事。欧州各地でPartygoersに歯止めが効かず、秘密のレイヴパーティーがゲリラ的に展開されて波紋を広げているとのこと。日本でも最近、クラスターフェスなるカルト騒ぎが話題になっていたが、さすがと言うべきか、パーティー文化の本場は桁が違った。▼専用のアプリを通じて暗号化された開催情報を通達。場所は駅から何十分も歩いた先の僻地で、その場所も開場の一時間前までは公開されない。集合時は単独で静かに集まることが推奨される。まさに秘密の集会である。そこまでして一夜のダンスを踊り、一夜の酒を呷るのだ。社会派ファッションでもイデオロギーでもない。とにかく踊らないと病んでしまう、死んでしまうのだと言わんばかりの、強烈なエネルギーである。▼由々しき事態ではある。だが、個人のリスクテイクの問題と言われたら、結局は私がラーメンを食べに行きたくて我慢できないのと本質的には同じ話なのかもしれない。

[3994] Aug 11, 2020

伊勢佐木町、有隣堂本店。二十年ぶりくらいかもしれない。▼外装も内装も、昭和で時が凍り付いたような佇まいである。古き佳き店構えと言えば聞こえはいいが、古い故の良さを活かしているわけでもなく、単に時代から取り残されている感は否めない。横浜周辺で洋書の品揃えが良いと評判だったが、実際は隅っこに細い棚が二つ割り当てられている程度で、横浜有隣堂と大差なかった。そごう七階の紀伊国屋にも遥かに及ばない。旧ランドマークプラザ店の水準を想像していただけに、ちょっとがっかりである。コミック別館が統合されていた時点で規模縮小を覚悟はしていたが、それにしてもと思わずにはいられない侘しさがある。▼本店があれで、みなとみらい店が撤退した以上、今後はもう本屋を求めて横浜より南に行くことはあるまい。基本は横浜有隣堂と紀伊国屋でこと足りる。それでダメなら東京まで出向くしかないだろうが、今は行きたくない。アマゾン頼りである。

[3993] Aug 10, 2020

横浜、みなとみらい。次男の大好きなトトログッズを買いに、ランドマークプラザの「どんぐり共和国」へ行く。完全防備。なるべく人混みを避けてスムーズに目的を達成するつもりだったが、人混みを避けるまでもなくランドマーク内はガラガラだった。混んでいたのは一階の各種喫茶店――とりわけコメダ珈琲店――と、横浜DeNAベイスターズのオフィシャルショップ「ベイストア」くらいである。▼保育園で使うハンドタオル、うがい用のコップ、家使い用のステンレスマグ、ぬいぐるみ、ロルバーンのノート等。三千円につき一枚もらえるお皿も当て込んで、けっこう買ってしまった。連休中、どこへ旅行に行けるわけでもなし、遠出をしたと思って出費の辻褄を合わせることにする。実際、コロナ騒動以降、県外にはまったく出ていないわけだから、そのぶんの外遊費は浮いているはずなのだ。▼帰宅。ぬいぐるみは気に入ってもらえたらしい。ただし、おやつには負けていた。

[3992] Aug 09, 2020

ザバスの「アクアホエイプロテイン」が凄い。何が凄いかというと、味が美味しい。プロテインとは思えないほど透き通った、スポーツドリンクのような仕上がり。昔飲んでいたプロテインのような、大豆の粉を砕いたようなモソモソした食感は微塵もないし、ホエイ特有の脂っぽさも感じさせない。よくここまで飲みやすさを極めたものだと感心する。市場が一強になっている理由もわかる。▼もうひとつ、味で感心したのは、セブンイレブンの「とみ田監修冷やしつけ麺」だ。これは、コンビニで出してはいけないくらいの完成度になっている。本家とみ田を知る者としても、とみ田の名を冠することに不満はない。麺もつけ汁も、無理に店のつけ麺を目指さず、冷蔵状態から開封してそのまま食べる「冷やしつけ麺」としての味わいを追求することで独自の世界を完成させている。半熟卵も、この手の商品にありがちな完熟ではなく、しっかり半熟状態。驚きのクオリティであった。

[3991] Aug 08, 2020

記録。次男が再び卵アレルギーを発症。全身の痒みと呼吸難が出た。前回の蕁麻疹ほど酷くはないので、ザイザルを普段の倍量飲ませて様子見したところ、今はだいぶ落ち着いている。顔がまだ腫れぼったいし、二十四時間の間は急変に注意する必要があるが、ひとまず安心である。▼よく火の通った炒り卵だったが、ダメだった。ホットケーキやお好み焼きはよくて炒り卵だとダメなのか、よく炒ったつもりでも中に半生が残るのか、卵の銘柄に依存するのか、あるいは単純に食べる量の問題なのか。卵をまったく受け付けないわけでもないので、閾値の所在が見えず困惑している。無暗に怖がって原材料から根こそぎ卵を無くしてしまうのも、栄養的にあまり良い手とは思えない。少なくとも、食べる量とアレルギー反応強度には相関があるはずなので、夕食以外のタイミングで少量ずつ食べさせながら情報を探っていくしかないだろう。▼何はともあれ、大事にならなくてよかった。

[3990] Aug 07, 2020

もとより鉛筆派ではないので鉛筆の魅力を語るのには違和感があるのだが、シャープペンシル派だったからこそ逆に際立つ鉛筆の利点について、もう少し喋ってみよう。▼一、鉛筆は細い。鉛筆より細いシャープペンシルは稀である。細いからこそ、本にも挟みやすいし、ストックもしやすい。▼二、鉛筆は意外と折れない。相当床に落としているが、先端が欠けることこそあれ、根元からぼっきり折れることは稀だ。シャープペンシルだと、運が悪ければ中の替え芯までバキバキになる。テンションも下がってしまう。▼三、鉛筆は紙にやさしい。とりわけ本に直接書き込む場合、芯が細めなシャープペンシルだと紙が凹んで裏側が凸凹してしまうことがある。なかなかのげんなり感である。鉛筆なら、そういう心配はあまりない。▼四、鉛筆にはタイマー機能がついている。先端が丸くなって削る必要ができたら、一旦休憩しなさいということだ。オンとオフのメリハリも大事である。

[3989] Aug 06, 2020

つづき。なぜ今は鉛筆の方が良いか。それは、一本一本の単価が高く、連続使用に替え芯を要求するシャープペンシルと違って、鉛筆は「大量に買ってそこら中に置いておく」ことができるからだ。鉛筆の方が、ユビキタスな存在に仕立てやすいのである。▼今、やりかけの参考書が三冊あるが、そのどれも栞の代わりに鉛筆を使っている。問題集の場合はメモ帳の切れ端も一緒に挟んでおく。そうすると、さて五分やろうと思ったとき、手に取るのは本だけでいい。本を開けば道具がセットでついてくる。最初から準備が整っているわけだ。▼几帳面な性格の人には理解しにくい話かもしれないが、私のようにだらしのないタイプの人間は、何かをやろうとしたとき、筆箱はどこにしまったかとか、替え芯の残りがあるかないかとか、どのノートを何に使っていたかとか、そういった面倒ごとが起こるたびに、勉強の機会とモチベーションを失ってしまうのである。だから、鉛筆なのだ。

[3988] Aug 05, 2020

学生の頃、シャープペンシルにこだわっていた。ブランドの高級文具を抜きにすれば、市販されている有名なモデルは一通り渡り歩いたように思う。大学受験のときに愛用していたのは、たしかステッドラーの製図用シャープペンシルだった。全体的に重く、穂先をスラスラとは動かせないあたり、スピードを求める試験向きではないはずだが、ペンばかり先走って思考が置いてけぼりになっても手戻りになるだけなので、落ち着いたペースで筆を進めるためにはちょうどよかったのかもしれない。▼ときに、今はどうか。実は鉛筆に落ち着いている。学生の頃にはなかった選択肢だ。なぜ学生から社会人になって、シャープペンシルから鉛筆への転身が起こったか。恐らく、今の慌ただしい生活で、勉強できるタイミングが偶発的かつ散発的になったことが理由だろうと思う。鉛筆は、とある理由により、勉強へ突入するための活性化エネルギーを下げてくれるのだ。――明日へつづく。

[3987] Aug 04, 2020

上達を確認するため、英単語診断をいくつか受ける。さすがに結果がぶれるが、下振れして12000、上振れして17500というところ。このあたりのどこかに真の語彙数があると思われる。▼ただ、そうは言っても試験対策で難語に特化しているので、語彙レベルで言うところの5000〜10000あたりはポロポロ抜けていて、実際のところ、まだ認識語彙は12000もないと考えるのが妥当だ。15000帯の語彙を散発的に知っているのではなく、15000語を正確に認識できることが語彙セクションの必要条件と見る。もう二息詰めたあと、中間語の補強に戻るのが正道だろう。▼一応、ロードマップは見えてきた。今取り組んでいる三冊が終わったら、パス単をぐるぐる回してからSVLで中間の穴埋め。そこまで来たら問題集に手を出そう。一日、まったく勉強できない日もあるし、できても細切れな短い時間が多いが、出来なければ出来ないで構わないくらいの気持ちで、焦らず楽しんでいきたい。

[3986] Aug 03, 2020

咳、鼻水、のどの痛みが揃ってきた。いよいよ風邪らしい風邪だが、熱は逆に不気味なくらい全く変化しない。念のため病院へ行く。▼予想通り、それぞれの症状に対する薬が処方される。喘息気味になっているものの、肺の音は今のところ異常なし。熱が出るかだけ気をつけて、出ないうちは飲んで安静にしていればいいとのこと。たしかに、この症状に高熱が出たらいくら私でも不安になる。会社も出社停止待ったなしである。▼喉から胸にかけての違和感は覚えがあるので、気管支炎は軽く併発しているように思う。咳が風邪の咳というより喘息の咳なのが気がかりなところだ。首に近いところの頭痛も少しずつ出てきたように思う。あまり考えたくはないが、もしかしたらまだピークに達していないのかもしれない。▼夏季休暇といってもどこへ行くわけでもないが、せっかくプロジェクトのタイミング的にまるまる取得できる長期休暇である。できるなら健康な体で過ごしたい。

[3985] Aug 02, 2020

いつもより遅くまで寝ている次男。長男が起きても起きない。十時になっても、十一時になっても、正午になっても起きない。心配になって覗いてみるも、頬を布団に押し付けてぐっすり眠っている。結局、何度か覗いた後、午後三時、ベッドから落ちたことによって目が覚めた。落ちなかったらいつまで寝ていたかわからない。▼本能によって失った体力を回復していたのだろう。さすがにすぐ元気いっぱいとは行かないが、健康な長男よりもがつがつご飯を食べて、熱も三十七度前後。短時間ならはしゃぎまわる元気も出てきたと見える。病み上がりなので明日は休ませるが、ぶり返さなければ明後日には無事登園できるだろう。▼もっとも、今度は私の方が軽く体調不良になっている。熱はないが、喘息気味の咳が止まらない。鼻は少々。喉に違和感があるので、素直に考えればうつったのだろうが、夏風邪だけに親の方は長引いてしまうかもしれない。爆睡で超回復したいものだ。

[3984] Aug 01, 2020

次男、朝一で病院へ。いつも通り基本は様子見しつつ、三日程度立てば熱が下がると思ってよいとのこと。喉は赤み少々。その他、鼻水以外の異常はなし。適宜カロナールを飲んで安静に。日曜日中に熱が38度以上にならないなら月曜日の登園も可能。夜に上がるようなら一日は追加で様子を見てとのことであった。▼そして、今日。大体元気だが、時々しんどそうに地を這う。兄と違ってぐずったり泣きついたりはあまりせず、熱が高いときは動きを控えてアザラシのように溶けている。夕方、三十九度近くまで熱が上がったが、高熱のだるさと遊びたい欲が激しく衝突した結果、フローリングの床に顔までつけて全身で這いながら車のおもちゃを動かして遊ぶ姿も見られた。また、風呂上がりには自分の身体より大きいおもちゃ箱の二段積みを力技で転覆。食欲も動きも控えめながら、相変わらずな部分も多々見せている。▼明日も一日ひきこもり。私が本屋へ行くかどうかくらいだ。

[3983] Jul 31, 2020

次男が発熱。38度6分。保育園では普通だったようだが、夜に上がったらしい。しばらく鼻水が出ていたので風邪の疑いが強いものの、この今の事態、今の時期の熱だけに、不安もある。カロナールを飲んで今晩にでも熱が下がるようなら一息。下がらず、何日も高熱が出るようなら非常事態になりそうだ。▼もっとも、本人はいたって元気ではある。さすがに動きは鈍いようだが、暗い寝室であったかいミルクを飲んでも眠らず起きて、自分で椅子を移動させ電気をつけた挙句、iPadを起動してゲームをせがみ、寄ってきた兄を跳ね飛ばして齧りついたかと思えば、何度も寝室を脱走しようとしては怒られるなど、いつも通りのわんぱくぶりを発揮しているところだ。良いのか悪いのか、熱があるなら素直に休んで欲しいところだが、どうあれ、ぐったりしているよりは安心できる。月曜日には綺麗さっぱり、元通りになっていて欲しいものだ。この土日もまた家に引きこもりである。

[3982] Jul 30, 2020

Bamboozle。意味は、騙す、惑わす、煙に巻く。だが、どう見てもBamboo(竹)に関係があるはずだ。気になるので語源を調べてみると、意外なことがわかった。なんと、語源はまったくわかっていないらしい。▼Bambooに関係があるなら語源も明らかになっている可能性が高いので、Bambooとはたまたまスペルが似ているだけで、関係はなさそうというのが通説らしい。北欧圏の他言語に由来を求めようとする説が諸説あるものの、決定打はないようだ。音も出自も、なんともユニークな単語である。▼日本人的には、竹に似ているインパクトに加え、最後が「ズル」で終わるので、騙す、欺く、ごまかすの意味では覚えやすい。そういうイメージを一度持ったら、たぶんもう忘れることはないだろう。▼難語は出会う頻度が極端に少ないので、こうしたニーモニック形成の容易な単語は得した気分でありがたい。タダで一点、積み増した気分になる。この手の単語が増えることを祈る。

[3981] Jul 29, 2020

昨日、今日と夜は雨が降ってしまったので走れなかった。走れない日は代わりに何かをすると決めた方がいいのかもしれないが、急ごしらえではどうしてもルーチンが噛み合わないので、何もできていない。リングフィットも楽しいのだが、寝室を使う都合、子どもたちの動向にも左右されるのが悩みどころだ。▼ただ、このところ連日のランで膝への負担が顕著になっていたから、休憩という意味ではちょうどよかったかもしれない。ふくらはぎや太もものように鍛えている筋肉が痛くなる分には構わないが、膝や腰が痛くなるのは百害あって一利なく、無理すると後々まで尾を引いてしまう可能性もある。そこはスパルタにならず、異変を感じたら休憩するくらいの余裕は持ちたい。▼某ブログでは、同じくらいの距離を三ヶ月走りつづけて体重がまったく減らないという報告も見た。一方、半年以上続けていれば確実に効果は出るという説も。個人差はあれど、基本は長期戦である。

[3980] Jul 28, 2020

Misleading Words。ときどき、どこからどう見てもそんな意味には見えないという単語がある。▼代表格は"Restive"だ。意味は「そわそわした、落ち着かない。」"Restful"(落ち着いた、安らぎを与える)とは全く反対の意味である。極めて危険度の高い単語と言える。▼"Gratuitous"も負けていない。"Gratuity"(心づけ、チップ)の形容詞形、ならば親切な様を表すかと思えば、意味するところは「不当な、余計な、いわれのない。」辞書によっては「好意の、心からの」という意味を載せていることもあるが、両義だとするとさらに面倒だ。欲しがってもいない相手にチップを押し付けるような様を表すと勝手に解釈して覚えている。▼"Prepossessing"(好感の持てる)も疑問符はつくが、「Possessしようとする寸前の」と読めば、わからなくもない。"Sedulous"(勤勉な、せっせと働く)は、"Sedentary"(座ってばかりの)が頭にちらつきさえしなければ誤解しなくて済む。

[3979] Jul 27, 2020

登園時、次男の今日の悪行一覧。▼登園早々、いつものルートと反対へ逃げ出して0歳児クラスのおやつトレーに突撃する。さいわい大惨事には至らず。1歳児部屋へ引きずるも隙を見て逃走。3歳児部屋に突撃して他人のパズルを荒らす。パズルのピースをがっちり掴んで離さない。埒が明かないので急いで準備を進める間、廊下をシャトルラン。先生にぶつかったので連れ戻す。その後も逃走。長男の救援要請を聞いて再び出ると、ロックされた廊下の扉を力づくで閉めようとしている次男を長男が止めている。引きずって部屋へ戻り体温を測ろうとするも大暴れで四回失敗。測定が終わって手放すと、今度は床に顔をこすりつけて鼻水をつけている。掃除して消毒。もはや手放せないので脇に抱えながら準備。なんとか1歳児部屋に連行した。▼唯一の救いは、長男が稀に見る良い子だったことだ。寝不足なのに朝から聞き分けもよく快活だった。そうでなければ全く絶望していた。

[3978] Jul 26, 2020

給湯器が大破した。お湯がまったく出ない。大至急連絡して点検を依頼するも、古すぎるので交換部品はなく、交換するしかないとのこと。わかってはいた。▼即、見積もり。対応する製品は本来なら57万だが、オススメモデル割引が適用されるので工事から消費税まで込み込みで30万になるというブラックボックスな価格提示をいただき、他と比較する余裕もないので即決。実際、ネットで激安を調べても、同じランクの給湯器ならトータルの値段に大差はないので、スピーディに事を進めてくれる分を考えればぼったくりではないと思う。▼とにもかくにも波乱含みながらお湯は出るようになった。温度調節のためにリモコンの蓋を開閉する必要が生じたのは面倒だが、SEやガイド音声が前のリモコンと同じなのは何となくありがたい。それにしても畳部屋のフローリング化といい、庭の剪定といい、巨額の緊急支出が相次いでいる。ちょっとばかり家計に黄信号が灯っている。

[3977] Jul 25, 2020

『1100 Words You Need to Know』修了。届いたのが三月十日なので、在宅騒動のブランクを入れれば四ヶ月長の付き合いとなった。▼がっつりドリル。久々に鉛筆と辞書で勉強らしい勉強ができた。やはり、文字を目で追うだけの本とは吸収率が違う。掲載単語を例文つきで総ざらいする「パノラマオブワーズ」では少なく見積もっても六割以上、しっかり覚えていることを確認できた。通過時点では九割を超えているはずだ。今、全ての掲載単語を対象に小テストをやって1割以上落とすとは思えない。通常の単語帳だと一周で三割がせいぜいだろうから、高い負荷を補って余りある定着効率の良さと言える。▼いろいろ調べているが、残念ながらこの手の本は少ないようだ。『Word Power Made Easy』は分厚い上にマスマーケットサイズ限定と、ユーザビリティが最低なので、手を出す気にはならない。ひとまず控えてあるSAT用の『The Vocabulary Builder Workbook』に移行する。

[3976] Jul 24, 2020

夕飯用の肉を買いに街へ。▼今日は焼肉。ハラミ、タン、サガリ、あとは普通の国産牛手切りを買う。このあいだ昼に食べたブロンコビリーのハラミが美味しかったので、次に家で焼肉をやるときはハラミをメインにしようと決めていた。サガリは肉屋の日替わりらしき変わり種で、食感がハラミに極めて近いという触れ込みながら、ハラミの半分以下の価格だったので買ってみた。意識して食べたことはない。▼ハラミとタンは最高に美味かった。一方、サガリは味が牛肉よりラム肉に近く、食感がボソボソしていていまいち。不味くはないが、これでハラミとほとんど同じとは攻めすぎな誇大広告に思える。安さにつられてハラミと同量買ってしまったのは悔やまれる。国産牛手切りは、グラム単価が最も高かったわりには普通であった。結局、ハラミ全振りが正解だったことになる。▼頻繁にはできないが、子どもたちもまずまず食べるので、月一くらいで焼肉会を開催してもいい。

[3975] Jul 23, 2020

終日小雨。ランニングの代わりに「リングフィットアドベンチャー」で運動ノルマを消化する。▼妻がビッグカメラの抽選で当てた。話には聞いていたが、思っていた以上にハードなファンタジーだ。まともに取り組むと三十分もしないうちにバテて、フィットバトルのスキルをこなすのがつらくなってくる。昔、スクワットを十回とか二十回とか、ノルマにしていたこともあったが、フィットバトルではスクワット二十回がたったの攻撃一回分しかない。しかも、沈んだ体勢を一定時間維持しないと不合格だ。今日も合計百回はやった。筋肉痛待ったなしである。▼ジョギングについては、その場での足踏みということもあり、負荷は小さい。心肺機能を鍛える効果はあまりないと思う。リッチな人なら、コンベア式のランニングマシーンとリングフィットアドベンチャーを組み合わせれば、室内にいながら質の良い運動が楽しめるのではないだろうか。今後も、雨の日はこれで行こう。

[3974] Jul 22, 2020

次男を連れて遠くの子ども療育センターへ。▼もともとご飯を食べてくれないことが主な悩みであったが、今となっては我が家でもっとも食い意地の張った食欲モンスターと化しているので、その件は立ち消えに。目下、便秘とО脚がメインの心配事にスライドしてきている。О脚についてはビタミンDの欠乏が疑われたが、血液検査の結果、数値には問題なしということで、以後は整形外科の預かりとなった。そこで、継続的な治療が必要かどうかを判断してもらうことになる。▼便秘も困りものだが、あまりに出ないのが功を奏して早くもトイレで用を足すようになった。やはり補助便座で踏ん張った方が出やすいようだ。長い目で見て、食事習慣と薬で上手にコントロールしていくしかあるまい。▼場所は遠いが、コンビニからカフェまで、院内の施設が充実しているので助かった。せまい待合室で暴れる次男と何時間も待つのは狂気だが、周遊できるなら気の紛らわせようもある。

[3973] Jul 21, 2020

指の傷がようやく治ってきた。▼医者曰く、黴菌が入ったらしい。左手の親指、中指、同じく右手の親指、中指で、計四本。この四本だけがパンパンに腫れて痛んでいた。どこで何をしたら、こんな奇妙な符号で左右対称に膿むのか見当もつかないが、薬を塗ったら順次治っていって、最後まで抗った右手の中指からようやく腫れと痛みが消えたところである。ちょっと財布や携帯にかすっただけでも激痛だったので、心底ほっとしている。▼最も激しく腫れた右手の中指は、一時期はそれはもう酷い有様になったのだが、壊滅した場所にも気づけばちゃんと薄皮が張った。普通の傷がふさがるのとはちょっと違う、人体修復の過程を見ている気がする。素晴らしいレジリエンスである。ただ、四本とも完治したわけではないので、このバリアの薄い状態で雑菌に触れてぶり返すのは避けたい。結局原因の心当たりは全くないが、僅かながら可能性があるとすれば、台所のゴム手袋だろう。

[3972] Jul 20, 2020

十年間、C++エンジニアとして働いてきた。C++の知識は誰にも負けない――とは、さすがに言えないが、少なくとも半径一歩、身近なところでは右に出るものなしと言っても大袈裟にならない程度までは鍛えたつもりである。無駄知識を好む気性にも合う、居心地の良いフィールドだったと思う。▼だが、最近は書いてない。書いている時間はなく、何を書くかの判断、誰に書いてもらうかのアサイン、それらのお膳立て、調整、確認、折衝にほとんどの時間を費やしている。恐らく、キャリアの行く末は、この出来事をどう捉えるかで変わってくるのだろう。私は、それでも仕方ないと思う側である。知識・技術を求めるものから与えるものへ。そういうシフトチェンジがあっても悪くはない。▼だが、職務上で果たすべき役割が変わったからといって、知識欲まで失う必要もないだろう。書かなくても、書かないからこそ、得られる知見もあるはずだ。次はその欠片を探していきたい。

[3971] Jul 19, 2020

私の勤め先は、働き方のゴタゴタこそあったものの、業績という点ではコロナショックの影響を激しく受けたわけではない。だから、夏のボーナスがなくなったり、昇給が見送られたり、退職が相次いだりということも起きていない。だが、うちは関係なくてよかったという話ではけっしてない。直撃しなかっただけである。遅れてやってくる衝撃波によって大破するのは、そう遠くない将来かもしれないのだ。▼この時間差攻撃が、いつ、どんな形で自分たちに影響するのか、明確に見えてこないところが不安を煽る。上層部はどうなのか。向こう三年の計画に変更はないし、働き方も元の形に戻していこうとしているあたり、まさかとは思うが、直撃被害を免れたから以前通りにやっていれば再び軌道に乗るなどと楽観視しているのではないかと疑ってしまう。そして、いざ余波に打ちのめされてから、慌てて号令をかける未来の姿が見えなくもない。いっそうの自衛力が求められる。

[3970] Jul 18, 2020

本日のラン、2.19kmでダウン。▼久々なので無理するつもりは最初からなかったが、思っていた以上に足が動かなかった。心肺もついていこないし、足腰も弱っている。帰りの登り坂が絶望的につらかった。距離を伸ばすまでに時間がかかりそうだ。▼新しいウェアの感触は良い。汗をかいても綿シャツのようにべたべたしないし、通気性も良好だ。とはいえポリエステルなので、肌への刺激はそれなりにある。長時間は着られない。それになんといっても、いま暑いのはマスクだ。正直、暖かくなったらランニング中のマスクはきつい。なるべく誰ともすれ違わないルートを選んで、視界に人がいないときは顎側に外させてもらう。耳から顎にまとわりついているだけで暑苦しいが、とっさのことを考えれば仕方ない。▼フリップベルトはスマホと鍵の持ち運びにたいへん便利だが、大型スマホは腹に括っても多少は揺れる。途中で取り出さないなら背中に入れた方がいいかもしれない。

[3969] Jul 17, 2020

雨、雨、雨。▼つい何度も「降水ナウキャスト」を確認してしまう。にわか雨なのではないかと思って。降っているのは今だけで、雨雲が過ぎたら陽が差してくるのではないかと期待して。だが、地図はいつも青に覆われている。何分先の未来を見ても雨ばかり。長く長く続いている雲の道。どうにもならない。▼無論、九州や中国で進行中の激しい水害と比べれば、洗濯物が乾かない憂鬱程度で済んでいることをありがたく思うべきだが、それにしてもいつまでと気を揉まずにもいられない。ちょうど、来週も前線が居座りそうという話がラジオから聞こえてきた。来週いっぱい続いたら、もう八月間近である。ただでさえ異常事態な今年。八月に入っても梅雨なんていう気象異常まで来て欲しくはない。▼野球も中止だったりコールドだったりで、観客が入り始めたにも関わらず盛り上がらない日が続いている。ベイスターズはとりわけ雨運がない。怪我も怖い。そろそろ陽が欲しい。

[3968] Jul 16, 2020

オンライン飲み会、二度目。▼良いところ。いつでもドタキャンできる。遅れても全く問題ない。夕飯を食べてから参加できる。お酒も自分で飲みたい分だけ用意すればいい。会話中にちょっと離れて家の仕事ができる。特定の数人で盛り上がっているときは、こうして400を書いてもいい。一方、自分が話しているときは、同じテーブルだけでなく、参加者の全員が聞いてくれる。もちろん、逆もまた然り。▼悪いところ。話に入るタイミングが難しい。もともと話に割り込んでいくのが得意でない聞き専好みの人には、かえってジェスチャーで話題を振られることがないので良いのかもしれないが、全体としては特定のアグレッシブな人だけが話しがちになる。話し役と聞き役に分かれてしまうと、新鮮なトピックは出にくくなる。他、スワイプしないと全員の顔を見られない、スマホで参加している場合はスマホが使えない、終了時間の目途が立ちにくい、等。▼良し悪しである。

[3967] Jul 15, 2020

トレンチコートはやめて、アディダスでトレーニングウェアを一式揃えた。▼次男の誕生から在宅騒動まで、さまざまな理由で一時中止になっていたランニングだが、本格的に再開する。そのための精神的な追い込みも兼ねて、予算の割り当てをスイッチした。コートがどうあれ、それ以前に体型を戻さねば話になるまい。▼ただ、コロナもあって帰宅後の時間配分は非常に難しい。衛生的には帰宅したら即風呂にしたいが、風呂、肌のケア、夜の家事、ランニングの順にすると、もういちど風呂とケアが回ってきて時間と薬が無駄になる。加えて、ランニングを30分と見積もってスピーディにこなしても、戻ったら即長男の寝かしつけとなり、例によって十一時、十二時まで寝ないとすると、それで終わりになってしまう。400がぎりぎり。勉強の時間も、制作の時間も取れまい。▼良いタイムテーブルを組む必要がある。やってみて、何がどう圧迫されるかで、微調整していこう。

[3966] Jul 14, 2020

〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇。▼横浜DeNAベイスターズが、ちょっと変わったプロ野球記録を打ち立てた。連勝・連敗なしで勝ち負け交互に15試合。14試合連続まではこれまでに5回あったそうだが、15回は新記録となった。▼結果だけ見れば勝ち星がひとつ増えただけで、嬉しいことでもない。だが、勝ち負けと来たから明日は勝てるかもしれないという期待によるプラスの暗示効果と、勝ったから明日は負けるかもというマイナスの暗示効果なら、ポジティブにプレイしている選手にとっては明らかに前者の方が強いだろう。故に、交互が続いたところのどこかで、本当なら連敗しそうなところを無意識の暗示に助けてもらった可能性も、まるでないとは言えないかもしれない。▼さて、明日はどうなるか。勝てば記録樹立直後に交互脱出で連勝街道への期待が膨らむし、負けたら負けたで交互継続により明後日の勝ちが醸される。どっちに転んでも精神の安定は保たれる。

[3965] Jul 13, 2020

カモシカスポーツへ行く。初来店。ランニングウェア目当てだったが、ハイキングや登山用品の扱いの方が多いようだ。▼しかし、カモシカである。カモシカというと山より陸上を想像するのだが、なぜ登山なのだろうか。そんな話をしたら、妻に「カモシカと聞いてどんな姿を想像してる?」と訊かれた。脳内のイメージを答えた後、ニホンカモシカの写真を見せてもらう。愕然とした。なんだろう、この、タヌキのような、ずんぐりむっくりした生き物は……。▼悲しいかな。私がカモシカだと思っていた姿の持ち主は、レイヨウであった。羚羊。そう、レイヨウなのだが、羚羊はカモシカとも読むのだ。そして、私が陸上を想像するに至った「カモシカのような脚」という表現の出所も、どうもこのレイヨウとカモシカを取り違えたところから来ているらしい。カモシカのような脚とは、レイヨウのような脚のことなのだ。▼カモシカはれっきとした山の動物である。店名が正しい。

[3964] Jul 12, 2020

第二回分、英検一級の申し込みが今月まで。在宅のどさくさで二ヶ月も止まってしまった故、間に合う気がしないのだが、それよりもこのコロナパニック下で本当に開催されるのかどうか、されたとしても人混みにならないのか、面接はどうするのか、そういった不安が後を絶たない。さりとて、いつまで遅らせれば事態が収束しているのかも見当はつかないし、遅らせれば遅らせるほど学習密度は薄くなってしまう。早めにケリをつけたい気持ちと様子見したい気持ちが戦っている。▼検定側も今回の事件を機にいろいろ見直してみたらいいのではないか。国内でしか威がないのに国内人気でTOEICに水を開けられているわけだから、このままだとそれこそハイブランドのようにジリ貧で弱っていく未来が見える。「新しい生活様式」が一般化していく流れなら、せめてオンライン面接くらいは採用して欲しいものだ。▼明日からは徐々に通常のリズムを取り戻す。明日から頑張る。

[3963] Jul 11, 2020

会社へのパソコンとアマゾンへの返品を同時に佐川で送る。伝票を記入しているあいだに荷物はトラックへ。記入後、二枚の伝票を渡したところ、どちらが大きい方ですかと聞かれる。大きい方。会社の方が箱は大きかったと思うが、そんなあいまいな判断で伝票を貼られるわけにはいかない。トラックまでついていって、直接の指差しで指示させてもらった。万が一にも、アマゾンの返品センターに会社のパソコンを届けてはならない。▼そんな馬鹿なという話だが、実はすでにオフィス復帰組の中で、パソコンを別の場所に送ってしまった人がいる。出社当日、荷物が来ていないことに気づいて問い合わせたところ判明したらしい。なんとか荷物は回収できたようだが、肝は冷え切ったことだろう。紛失なんてことになったら始末書では済まないかもしれない。▼普段と違うことをする時はとりわけ、何が起こるかわからない。確認してしすぎるということはない。無事届いて欲しい。

[3962] Jul 10, 2020

レナウン破綻の件でアクアスキュータムのトレンチコートが三割引きになり、悲喜こもごも、現品限りだしいよいよ手を出すか悩んでいたが、気になって楽天を見てみたら、同じ型番の同じサイズが三割引きで出ていた。こちらは諸々ポイントがつく分、セールでポイントをつけてくれない百貨店より10%以上安い。▼通販も今回のあおりを受けての割引なのか、普段から三割引きを銘打っているのかはわからないが、近いうちになくなるかもしれない実店舗で買うのも通販で買うのも、そう変わらない気もがしてくる。通販は怪しい、百貨店は安心と言うが、通販と言っても今はどこかに実店舗を構えるショップがほとんど。もはや信頼性に大差はないのだろう。ウェブベースでの真贋保証とか、保存状態の公式レーティングとか、ハイブランド側も通販を見据えた生き残り戦略が必要になってきそうだ。▼買うか、買わないか。当落線上にいる。レインコートに逃げる可能性もある。

[3961] Jul 09, 2020

ふと思い出した。そういえば、数年前に仕込んだイーサリアム系のゲームアセットはどうなったのだろうか。▼いろいろあって、実名は伏せておく。いちばん胡散臭いと思っていたやつは、案の定アクセスできなくなっていた。検索しても情報の欠片も出てこない。もはや最初から存在すらしなかったことになっているらしい。逆に、いちばん将来性がありそうだと思ったタイトルは、特に変わらず当時のまま。UIすら変わっていないあたり資金難を感じさせる。開かれざる扉のまま、くすぶり続けてフェードアウトする可能性も高い。▼まあ、そもそも、流行っているタイトルがまだない市場である。システム整備も法整備も、何もかもが追いついていない状態で見切り発車したコンテンツたちだ。先があると言っても十年、二十年後の話かもしれない。私もまた、今日思い出したことを忘れてタイムカプセルを埋め直しておこう。そのまま腐ってしまったとしても、未練は何もない。

[3960] Jul 08, 2020

曲を評価する意味ではなく、ただ自分の好みにどれくらいマッチするかという意味だけで0点から100点までをつけていくとする。100点は出会ったことがない。90点を超えることもまずない。好みを絞り込んだうえで購入する有料楽曲なら、70点〜80点台もありうる。フリーのオリジナル曲を散策するとなると、60点台なら掘り出し物という線になる。50点以下を再試聴することは、めったにない。▼理由は単純。曲が少なすぎるのだ。世間一般の印象とは裏腹に、私はまだ、この世に存在するリーチ可能な曲は少なすぎるのではないかと思っている。思い始めている。極端な話、楽器構成や展開、リズムやメロディに、ごくごくわずかしか違いのない曲が何億、何兆とあらゆるジャンルに並んだら、平均点は確実に上昇するはずだ。世の楽曲は、全人類が自分のスイートスポットを満たすには、まだあまりにも弾が少ない。そのスキマを埋めるのは、AIかもしれない。

[3959] Jul 07, 2020

プレヴェーユの薬用ハンドジェルが届いた。▼Purellの製品を狙っていたのが手に入らなかったので、アルコール消毒はもっぱら最寄りのハックドラッグでゲリラ販売されていた名も知らぬメーカーのあやしげなチューブに頼っていたのだが、比較的信頼性の高い製品がようやく楽天にも出回るようになってきたので、据え置き用と持ち運び用をそれぞれ注文。手荒れケアのあれこれは入っていないが、消毒殺菌成分には不足なく、値段もそれほど高騰していないので、平時にドラッグストアで買える品でないことを除けば、まずまず納得いく線と言える。▼無論、繰り返し言われているように、対策の基本は石鹸での手洗いだが、ふいに子どもたちが不衛生な場所を触ってしまったときや、食事の直前の消毒など、容易に手洗いできない場面では持ち運び用の消毒液が役に立つ。科学的効果も期待はするが、心理的効果も大きい。無理のない範囲であれば気をつけすぎということはない。

[3958] Jul 06, 2020

次男が和室の畳を毟りまくっている。▼すべてを破壊する一歳児とはいえ、これは少々被害が大きい。なにしろ台所にまで毟られたイグサが散乱しているのだ。さっきは両手に数本、得意げに握って差しだしてきた。怒ってやめるタマでもない。和室をフローリング化するしか手はなさそうだ。▼もともと、古くなっていたこともあるし、ダニの心配も大きいので、どこかのタイミングでやりたいとは思っていた。今は子どもたちが好んで和室を遊び場にしているから尚更だ。お風呂に入ったあとの身体で、メンテのそれほど行き届いていないあの和室で転がりまわってからご就寝では、せっかくのミクロガードプレミアムも形無しである。▼和室にも畳にも未練はない。最大の問題は、当然、予算である。複合材にしても、八畳だと最低二十万はかかりそうだ。もうひとつインテル機が組めてしまうほどの大金である。ただ、和室の荷物が撤去される今月こそチャンスなのは間違いない。

[3957] Jul 05, 2020

さまざまな実験の結果、同時発音数のボトルネックが見えてきた。▼結論から言うと、ボトルネックはシングルコア性能で間違いない。有効コア数は最大で4。ほとんど2コアしか使われていない。そして、鍵盤EQが処理負荷の半分以上を占めている。したがってストレージの転送速度も、メモリ帯域も無関係。2133MHzと3600MHz(OC)の違いは皆無であった。当然、オーディオインターフェースも影響しない。ドロップアウトの発生は転送前である。▼プラグインのインスタンスを複製してマイクを分離すると使用コア数が増えるので、単純にプラグインのマルチスレッド設計がお粗末と言わざるを得ない。極端な話、指定されたコア数で鍵盤を均等割り付けしてアフィニティマスクで縛れば鍵盤EQも同時発音もマルチコアでしっかり回せるはずなのだが、そうはなっていないということだ。これは問い合わせ案件である。現段階では、クロック周波数を高めてぶん回すしか策はない。

[3956] Jul 04, 2020

目的が内的に完結しない努力はリスクが高い。努力、つまりは費やした時間と労力が、報われるかどうかの線引きを外的な要因に委ねてしまうわけだから。外的報酬をあてにした努力はギャンブルと同じである。努力もまた運なのだ。▼内的に完結する努力とは、努力によって何かを修めること自体が目的になるような努力である。平たく言えば、自己満足だ。自己満足に閉じているうちは平静でいられる。「努力が無駄になるかも」という心配など一切ない。やること、やっていることが、即ちリワードである。無駄になる努力という概念自体が存在し得ない。▼混じりけのある人間のこと、そんな純粋な動機ばかりで自己鍛練できるはずもないのだが、自分の軸となる領域、ライフワークにしたいと思っている趣味くらいは、外的な依存度を弱めておいた方がよさそうだ。人生そのものを、自分の力ではどうにもできないリスクに晒すのは――あまりにも破滅的なギャンブラーである。

[3955] Jul 03, 2020

夜。後輩が困っているので、終業後だが助け船を出しに行く。今日中に形をつけなければならない仕事がエラーで進まないらしい。▼状況を聞くと、ネットワーク絡みの面倒なところで詰まっている。ひとつひとつ手順を明らかにして、ウェブの記事なども貼ったり貼られたりしながら、原因を探っていく。最終的には過去の類似案件で得られた知見が効いて、なんとか解決に導いた。▼教える側からすると、必要に応じてこれができるのは在宅の強みだ。もし在宅のままプロジェクトを完遂するとしたら、終盤は毎日張り付いたように残業しなくても、必要に応じて自宅サポートを織り交ぜることができるだろう。もっとも、我々のチームのオフィス復帰は事実上決まっているので、私も再来週からは家を離れることになるのだが、ふたたび会社の方針が在宅に傾いてもどってくるようなら、こうした新しい連携の形もワークフローに組み込んで、在宅生産能力の向上を目指してみたい。

[3954] Jul 02, 2020

レジ袋が有料になった。有料になって支出的に困るということはないのだが、買い物をするという単純な行為に「レジ袋の有無を選択する」自由が追加されてしまって、ちょっとだけ煩わしい。聞かれるのがイヤだとか、そういうことではない。ただ、たとえばお茶を二本買って、二本だと両手がふさがって持ちにくいから小袋を買うべきかとか、リュックの空きスペースを思い出して、これくらいなら入るだろうかとか、買うにしても小と大のどちらにするかとか、考える余地が生まれてしまって億劫だという話だ。▼袋もどのみち家でゴミ袋として使うから、何も考えず「常に買う」が最適だとは思っている。思っているが、いくらそう決め込んだって、サンダル履きでふらっと立ち寄ったコンビニで黒烏龍茶を一本買っただけなら、やっぱり袋は要らない。有料化以前だって、そのときは貰っていなかった。有料化して常に買ってしまったら、何のための有料化か。本末転倒である。

[3953] Jul 01, 2020

少しずつ、しゃべり始めてきた次男のオリジナル語録。「ぴっぴー」=この食べ物をください。「ちった」=この食べ物をもっとください。「でっでーい!」=そのおやつをよこせ!▼一歳時の長男を見てくれた保育園の先生によると、同時期の長男に比べて言葉の出は良いらしい。ただ、ハチャメチャで鳴らした長男より「さらに激しい感じですね」と苦笑いも。申し訳ないけれど、その通りですとしか言いようがなかった。保育園でも家と同じく、破壊活動に勤しんでいるようだ。▼自分から言葉がスラスラ出る段階ではまだないが、真似をするのは上手い。長男に向かって言っている言葉を復唱したり、「あか」「きいろ」など色の名前を教えようとすると、覚えているかどうかはともかく同じように繰り返す。長男同様、こうなってからは早いかもしれない。▼あとは私のことを「おっと」と呼んだり、「だっこ」と抱っこをせがんだり。「おちゃ」も言える。語彙は増えている。

[3952] Jun 30, 2020

風邪。熱以外の症状が全部ある。鼻水を筆頭に、のどの痛み、咳、頭痛、腹痛、身体のだるさ等々。全部と言ったが、吐き気はない。風邪としては倍満級というところだ。▼熱が出ない風邪なのは、保育園が毎朝厳密な体温チェックをしているからだろう。少しでも熱の出た園児は預からない。だからこそ、熱の出ない風邪がチェックをすり抜けて家にやってくるわけだ。今回も起点は次男と思われる。鼻水を垂らしていた。▼夏風邪なので長引く可能性もあるが、今のところ重症化はしていない。それよりここ数ヶ月、慢性的に体調不良が続いている件について相談したところ、予想通り自律神経だと言われた。根本治療には生活側を改善するしかなさそうだ。対症療法的な薬を処方されたので、症状が酷い時に服用する。▼仕事の方もアクセルがかかりはじめた。部署の都合に振り回されて人員計画やスケジュールを何度も立て直しているが、そろそろ後戻りが効かなくなりつつある。

[3951] Jun 29, 2020

新しいパソコンが組みあがって、諸々検証が進んでいる。▼同時発音数ベースでのベンチテストは「微増」。クロックだけでも1000MHz以上上がっている上、IPCの向上も勘定に入れると辻褄が合わない。ボトルネックは別のところにあるという判断になる。▼以下、あやしい順に、メモリ帯域、オーディオインターフェース、グラフィックスドライバ。大容量データをメモリに乗せてランダムにロードする音源再生の仕組みを考えれば、メモリ帯域がもっとも疑わしい。ただ、今回、クアッドチャンネルからデュアルチャンネルにダウングレードしているので、帯域ネックならテスト結果は「減少」していなければならないことになる。チャンネル数は実速度に影響しないという有志の実験もあるので、クロックを上げてみないことにはわからない。▼間違っても、ページフォールトによる割りこみが犯人などというオチはやめて欲しいところだ。解決できるボトルネックであって欲しい。

[3950] Jun 28, 2020

友人に指摘されて気づいた。たしかに私の不見識だった。アクアスキュータムが半額なのは、レナウンが経営破綻したからだ。アクアスキュータムはレナウンのライセンスブランド​である。▼レナウン破綻はどこかでちらっと見たはずだが、真剣味がなかったのでこのたびのセールと繋がらなかった。セールの理由を聞かれてぼかしもするはずだ。ライセンシーが倒産しましたので、などとは言えまい。どうりで、ダーバンも半額セールを打っていたわけである。▼とはいえ、ぐるりと回った限りはフロア一帯が半額と言わないまでも三割・四割級のセールを開催していたので、レナウンの破綻、緊急事態からの復帰、ニュウマンのオープン、等々ひっくるめて、これはもうまるっと大型セールするしかないという話なのではなかろうか。破綻後の各ブランドがどうなるか知らないが、私としてはせめてアクアスキュータムだけでも、どこかのスポンサーが買ってくれることを期待したい。

[3949] Jun 27, 2020

横浜高島屋。紳士服フロアにセールの文字が躍っている。春物処分かと思いきや、そうでもない。まさにこれからの夏物が値引き対象になっている。アクアスキュータムを覗いたら、半袖シャツから綿のズボンまで、欲しかったが手の出なかったラインナップが軒並み半額になっていた。半額。アクアスキュータムのセールとしては、ちょっと見たことのない率である。この機を逃す手はない。上下合わせて七点、買ってしまった。大満足している。▼時期外れの巨大セールについて、今年はいろいろ事情が特殊ですからと店員さんはぼかしていたが、コロナで失った客足を取り戻すためという理由以上に、先日オープンしたばかりのニュウマンの存在が効いていると見える。鳴り物入りの新店舗。オープンセールに張り合うためには、高島屋もこれくらい大胆なことをやらなければ、根こそぎ顧客を攫われてしまうかもしれないというところではなかろうか。買う側は嬉しい限りである。

[3948] Jun 26, 2020

ダイヤモンドドライバーが届いた。▼早速、ネジに向かう。先端を当てたときのザラリとした感触。強烈な摩擦がかかっている。押して回す。手ごたえがない。やはりダメなのかと思ったら、あっという間にネジは外れていた。恐るべし。これがハイエンドドライバーの力ということか。▼おかげさまで、M.2SSDの取り付けは無事完了。あとはグリス塗りさえしくじらなければ起動までは行けるだろう。今日中にやれるところまでやってしまいたい。システムドライブをM.2に変更するのでWin10の再インストールが必要だが、これはもうフラッシュメモリにイメージを準備してある。物理ディスクを探す必要もない。Amazonのオンラインライセンスは便利だ。▼当面、VegasProとCubaseだけ入れ直せば差し支えあるまい。メインPCにいろいろ詰め込みすぎると保守が面倒になるので、製作用は製作用として内部をシンプルに保つ路線を採る。ファイル管理もクラウド主体にするつもりだ。

[3947] Jun 25, 2020

ヴェラのダイヤモンドドライバーを買う。▼思わぬところでPCの組み立てが頓挫してしまった。マザーボードに取り付けられたM.2ヒートシンクのシールドを固定するネジが硬すぎるのだ。硬いなんてものではない。溶接されたように動かない。手持ちの細い精密ドライバーでは手も足もでなかった。無理にやって舐めてしまっては困るので、一旦諦めた格好だ。▼ネジのサイズは#0と思われる。ジャストサイズで持ち手部分が太く、先端に摩擦がコーティングされていれば、いくらなんでも回るはずだ。そう思い、定評のあるダイヤモンドドライバーにした。明日、配送される予定だ。▼その間にやれることはやっておく。ファンのバックプレート取り付け。ファン設置状態でのメモリの換装テスト。配線の確認、等々。そしてもうひとつ困ったのが、古い方のファンが六角レンチでないと取り外せない構造になっていたことだ。当時の六角なんてもう残っていない。頭を抱えている。

[3946] Jun 24, 2020

数年ぶりに、WholeTomatoのVisualAssistXを更新した。▼リニューアルが使えないので新規扱いになるが、会社がライセンスを管理するわけではないから個人ライセンスの買い切りで良いのではと思い、公式に諸々の事情込みで質問。チームをたらい回しにされたものの、最終的にはそれでよいとの返事をもらった。スタンダードライセンスは要らなかったわけだ。スタンダードを毎年更新するより遥かに安く済むのでありがたい。▼公式の拡張プラグインも充実はしてきたが、肝心要のインテリセンスさんがどうにも賢くなってくれないので、作業効率向上のためにはまだトマトが必要と感じる。仕事の品質に著しい差が出るわけではないだろうが、砂時計を見ている時間は確実に減るので、塵も積もれば何とやら。小さな仕事が速くなるとフットワークも軽くなるので、実際に削減できた時間以上の実益が出ていると思っている。同期のプログラマも、一緒に十年間使いつづけている。

[3945] Jun 23, 2020

タイラー・オースティン、初のスタメン。四打数四安打。勝ち越しの一打点。▼打つ方が本物なのはわかっていたが、やはり公式戦で打ってくれると一気に信頼度が上がる。プロの世界はとにもかくにも、本番で打てるかどうかが全てだからだ。結果を出せば自信がつく。次にスランプを迎えるまでは自分の実力を発揮できるようになる。開幕から好循環に乗れる可能性が出てくる。▼守備でも魅せた。実らなかったがダイビングキャッチはぎりぎりだったし、その後のリカバリーが最速だったからこそホームを刺せた。別の形で実を結んだ値千金の全力プレーである。抜いていたら、どんな形の逆転も起きはしない。外野で十分やっていけそうなポテンシャルを見せつけた。▼インタビューでは緊張しているのかシャイなのか、テンションは低めの様子。おとなしめのクールガイな印象で、過去にメジャーで乱闘騒ぎを起こしたとは思えなかった。キレると怖いタイプなのかもしれない。

[3944] Jun 22, 2020

『Dark Rock Pro 4』が届いた。▼TDP250Wのモンスターファン。黒曜石のモノリスような佇まいが美しい。存在感が強すぎて、マザーボードに乗せるとまるで、大地に屹立する漆黒の巨大ビルである。貧弱な板では折れてしまうに違いない。▼Be quiet!はTDP表記を盛らないので、250W対応と謳った以上は250Wまで徹底的に冷やす。そうして、フロントパネルからサイドフローファンを通過してリアに至るまで、すべて同じメーカーの同じファンで揃えたことが、冷却力をさらにサポートする。3950Xならともかく、3900X程度なら、この構成で回らないはずがない。▼心配なのはメモリだ。メモリを直接冷やせないことだけが、サイドフローの唯一の弱点である。それに、ここまで巨大なファンだと、ヒートシンクつきメモリとの干渉も必至。背が高すぎず低すぎず、それなりの自己冷却力を有するメモリを選ばねばならない。当面は現行のコルセアで済ませ、実験後に別案を検討しよう。

[3943] Jun 21, 2020

注文から外したと思っていた商品が届いてしまったので、返品の準備をする。アマゾンの返品システムを使うのは初めてだ。▼返品への誘導は注文履歴からワンボタン。返品から返金までの手順も明快で、ポリシーもちゃんとしている。必要なバーコードを含む画面をプリンターで印刷して段ボールに同梱し、指定の住所に送り返すだけ。着払いも選択できるようだ。ああでもないこうでもないと面倒くさい手順を押し付けて返品意欲を削ごうなどという姑息な意図はどこにも見えない。大手の余裕である。▼だが、返金に関しては油断できない。今回のケースは全額返金の基準に適合するし、画面上にもフルプライスで返金額が表示されたので問題ないと思うが、嘘か本当か、返金時に一方的な理由をつけて半額にされたとか、そういう報告も見る。返品・返金ポリシーが整っていなかった昔の話だと信じたい。こちらの落ち度でも全額返金されるなら、アマゾンの信頼度も爆増である。

[3942] Jun 20, 2020

IntelかAMDか。迷ったが、腹を括った。AMDで行く。▼Ryzen 3900XにMEG X570 Unifyという鉄板中の鉄板構成。現時点で性能とコストパフォーマンスを両立しようとしたら、必ずこのあたりに落ち着くといっても過言ではない。X99からAM4へ変更なので、クーラーも変える必要がある。Be quietのケース・ファンで統一しているから、冷却性能をほんの少し妥協してもDark Rock Pro 4にするのがいいだろう。Noctua NH-D15も考えたが、黒一色で染め上げたケースの中に淡いブラウンカラーが浮くのは納得できなかった。▼これでスタインウェイが鳴れば全て良し。最悪のケースは悪化だが、この場合は涙を飲んでパーツを全部売り、i9-10900Kを中心にIntelで組み直すしかないだろう。Zen3もマザーボードは据え置きなので、そのときに4900Xや4950Xに乗り換えも可能ではあるが、今求められる性能を発揮してくれるなら何世代使いまわしてもいい。コストが少ないに越したことはない。

[3941] Jun 19, 2020

ついに開幕した。このときを待っていた。▼雨天。朝の時点では、中止もあるかなと思っていた。だが、午後五時になってもアナウンスがないので、強行の予感がした。六時。子どもたちをお風呂から上げてアプリを立ち上げると、生放送が始まっている。三十分遅延してのプレイボール。三ヶ月待ったことを思えば、何ということはない。▼無観客試合である。二軍の試合のような静けさ。新鮮だが、やはり応援歌もチャンテもなく、長打のどよめきも拍手もないのは寂しい。早く満員のスタジアムに戻りたい思いは、選手もファンも同じだろう。▼結果は惨敗だが、悪い試合ではなかった。投打ともに大瀬良の出来が良すぎたというところだ。代打オースティンの好打がサード三好のファインプレーに止められたところが決着のポイントだろう。こういうことが云々できるようになっただけでも少し日常を取り戻した感がある。齧りつく余裕はないが、生活のスパイスにしていきたい。

[3940] Jun 18, 2020

Ryzen 9 3900XTが公開された。7月7日発売予定。だが、ちょっとがっかりしている。▼無印との違いはブーストクロックの上限だけ。100MHz引き上げている。それ以外は全く同じである。しかも、先行情報なので確証はないが、値段は据え置きで同梱のクーラーがなくなるらしい。一年越しのリフレッシュ版で引き算されるのもいまいちだ。▼せめてベースクロックを盛れなかったのだろうか。最悪、消費電力が微増でも、それはそれで無印と住み分けられる分、需要はあったかもしれない。Zen3の遅延が決まった今、2020年の場を繋ぐには物足りないスペックである。▼製造が安定してきて当たり石が増えてきたから、公称を貼り直すついでにモデルも改めて販売を促進しようという話なのかもしれない。もっとも、CometLakeがアレだったので、今年度中はRyzenのシェアが失速することもないだろう。Intelの逆襲は完全にCove待ちである。AlderLakeの出来映えで未来が決まるはずだ。

[3939] Jun 17, 2020

ヨドバシカメラのパソコンパーツ売り場へ行く。久々に訪れて、絶望した。▼昔より狭くなったのはまだいい。問題は品揃えだ。商品がないのだ。とりわけマザーボードは壊滅的で、ミドルレンジより上の板は一枚もない。壁一面のガラスケースが、見捨てられた自動販売機のようにスカスカになっている。もちろん、品薄の10900Kもなかった。メモリ、ストレージも同様。店舗面積の遥かに小さいドスパラより少ないのではないだろうか。そのうちパーツを売るのを止めそうな縮小ぶりに感じられて寂しい。▼実物を見ながら買い物したければ、もはや秋葉原へ行くしかないのだろう。そうでなければ、スペックだけ見て通販で済ませるしかない。今は店舗で実物を見なければわからない情報も少ないから、それでも事足りるが、箱のデザインや手触りも重視したい身としては、届いた商品の印象が想像と違うとテンションが下がる可能性もある。動画も参考にしながら慎重に選びたい。

[3938] Jun 16, 2020

銀行印を作ることにした。▼実印を作るとき、銀行印など要らないと思った。実印と同じでいいじゃないかと。しかし、実際、登記などを実印で済ませた後で、気軽に実印を持ち運べるかというと、戸惑いが生じるのも確かではある。何より、銀行だけならまだよかったのだが、ストックオプション行使のために証券会社に口座をつくるとき、実印を押すのはいささか躊躇われた。こんな調子で実印提出先の信頼のグレードをなし崩し的に下げてしまったら、いつか事故を起こしてもおかしくはない。▼無論、判子文化自体に滅んで欲しい気持ちには変わりないが、今のしきたりを守る前提なら、銀行印は欲しいという話である。二度手間になってしまったが、実印より小さいサイズでもうひとつ作って、主要銀行の登録印を変更して回らねばなるまい。その後、実印を封印する。これが本来の使い分けである。不合理に見えても、長く続いてきた慣習には、それなりの意味があるものだ。

[3937] Jun 15, 2020

今週からいよいよペナントレースが始まる。▼長かった。三ヶ月待った。練習試合の個人成績に一喜一憂しつつ、本番が始まらなければ何もわからないのが野球の常と、開幕を心待ちにしていたファンたちと、また一緒に野球が見られるのだ。万歳。▼あまり自分の楽しみを「分析」したくはないが、これだってストレス解消には違いない。いや、どうだろうか。リードした九回の裏、球の安定しないクローザーがフォアボールで逆転のランナーを一塁に出したとき、来たるカタルシスのためとはいえ、トータルでストレスの方が勝っていたりはしないのだろうか。そんなことを考えることもある。九回はともかく、終盤の守備時はそっと画面から離れて、攻撃時だけ張り付きに戻ってくるという人も、一定数いるのかもしれない。▼そういう楽しみ方も生放送観戦の醍醐味である。好きに見ればいいのだ。見なくてもいいのだ。趣味とはそういうものだ。横浜。今年こそ優勝して欲しい。

[3936] Jun 14, 2020

パソコンの前に座れる時間がめっきり少なくなった。▼もともと子どもたちが起きている間はどうにもならなかったのが、加速する次男の早起きと、悪化する長男の夜更かしとによって、私もまた遅くまで起きていられなくなったのが主原因だ。起きていられたとしてもまともな頭はしていないので生産的な活動はできない。勉強もつらいと感じる。調べものが精いっぱいというところだ。▼それにしても、つくづく思うが、小さな子どもは生きていく上で親こそ頼りのはずなのに、どうして夜泣きだなんだで親の命を削りに来るのだろうか。親を弱らせることが生存戦略にとってプラスに働くケースはないはずだ。寝不足で意識朦朧の親より、熟睡して元気溌剌な親に庇護される子どもの方が、生き延びる確率は高いはずではないか?▼もっとも、子どもが体力を削ってくるのは夜に限った話ではない。正常な生活はまだまだ遠いと感じる。未来に投資したいが、道を見出すのが難しい。

[3935] Jun 13, 2020

先日、ストレスについて書いたばかりだが、巨大な口内炎ができた。下唇の裏側。アフタ性。だいぶ痛い。▼その他、思考の焦点が定まらなかったり、ぼけっとしたり、言葉がうまく浮かばなかったり、数字以上に気温を暑く感じたり、諸々、ストレスから来る自律神経の乱れと思われるような症状が相次いでいる。体調が底をついている。▼さりとて、それじゃあ今日はゆっくり寝ていようと言えるわけでもない。次男は容赦なく早朝に起きるし、遅起きの長男は昼から夜中まで元気いっぱいだ。ストレスのない過ごし方をしろという方が難しい。故に、解消の方をうまくやる必要がある。それも、ドカ食いや衝動買いといった自傷的な方法でなく、何か身体にとってプラスになる方向の――プラスにならないまでも、せめて毒にも薬にもならない程度の――アクティビティを見つけられれば、ドン底の調子を整えて、また戦う態勢を取れる気がする。今は、何かと戦う気にはなれない。

[3934] Jun 12, 2020

火曜日。登園一週間にして、次男が泣かなくなった。木曜日、早くも抱っこ渡しでなく歩いて保育園の中へ行くようになった。今日、着いて降ろしたら、もう自分から奥へ歩いていった。知ってはいたが、実に図太い男である。たくましい。▼毎朝同じ時間に同じ場所へ預けられ、同じ先生が面倒を見てくれて、楽しい遊び、ご飯も出るし、定刻になればお父さんが迎えに来る、そんな信頼の積み重ねが一歳児に安心感を与えていることは間違いない。恐らく今はまだ、このうちのひとつかふたつ、崩れたら不安になって泣いてしまうだろう。来週から完了食になったら、お迎えの時間も遅くなるし、少し流れが変わってくる。この変化に対応するのが第二の試練と言ってよい。▼尚、アレルギー検査の結果は良好だった。予想の通り卵白・卵黄に高い数値が出ているものの、悲観するほどひどくはないし、アレルギー体質と言うほど総合数値も高くないようだ。様子見で問題ないらしい。

[3933] Jun 11, 2020

音源をメモリにロードしてしばらく放置していると、音が鳴らなくなる。スタンドアロンで立ち上げても鳴らなくなる。GUIの鍵盤をマウスで押しても入力メーターすら反応しないので、音源のアプリケーション側が死んでいると思われる。別のインスタンスを立ち上げ直してもダメということは、ドライバを抱え落ちしている可能性が高い。▼こうなると、スレーブマシンを用意して音源をロードしっぱなしにする作戦は、最初から考慮に値しないことになる。そう頻繁にスレーブに落ちられたら、再起動機会の多いマスターが落ちるより面倒だ。結局、めぐりめぐって、マスターのパワーを増強するしかないという当たり前の結論に戻ってくる。工夫の余地がない。▼OC作戦は失敗した。OCは出来たが効果がほぼなかった。昔からオーディオはOCが効きにくいと言われているが、都市伝説ではなく本当のことなのかもしれない。いずれにしても、買い替えは必須になってきた。

[3932] Jun 10, 2020

もともと出不精だが、コロナのせいでさらにどこへも行っていない。近くの公園にすら寄りつかない毎日が続いている。▼先日、病院のため電車に乗ったとき、乗車を久しぶりだと感じてしまった。思い返せば、中学、高校、大学と横浜経由で通学し、社会人になってからも毎日横浜駅を歩いてきたわけだから、こう長らく電車に乗らず横浜へも行かないという生活は、二十年以上していなかったと言える。二十年。これはもう、意識するとしないとに関わらず、脳にとっては立派なルーチンである。▼そのルーチンが崩れてしまったことで、体調に悪影響が出ているかもしれない。いつからか明確にはわからないが、風邪こそ引かないものの、めったになかった腹痛が頻繁に起きたり、立ち上がりや移動にだるさを感じたり、夜になると目が痛かったりする。運動不足、寝不足、疲労、あたりが主原因には違いないが、日常の崩れから来るストレスも一端を担っている気がしてならない。

[3931] Jun 09, 2020

朝。長男がめずらしく保育園行きを嫌がった。行かない、とはっきり言う。靴下を履くのも断固拒否。諭しても聞かないので、仕方なく次男だけ先に登園させた。在宅勤務の解除後に拒否されたらどうするかは真剣に考えておく必要がある。▼結局、十時になったら行くと言い、言葉通り十時には遅れて登園。病院で薬を受け取る用事もこなして半休で済んだ。帰宅時は元気溌剌。園での様子にも変わったところはなかったと言われたので、登園拒否の真相はわからずじまいだが、線路や粘土などのおもちゃを広げて遊びたがったところを見るに、普段、破壊衝動の抑えられない次男のせいで、いつも邪魔されたり、展開を許可されなかったりする遊びを思い切り遊びたかったのかもしれない。常時一緒のストレスがかかっていたのは親だけではなかった可能性も否定はできないだろう。▼何はともあれ、今はいつも通りの、落ち着きがなく、言葉の絶えない三歳児が帰ってきたところだ。

[3930] Jun 08, 2020

マイナポータルを使ってオンラインで現況届を出す。▼紙に書いて郵送する手間がないのは良い。しかし、入力フォームは雑さが目立つ。性別の入力欄が自由テキストなのはまだいいとして、「同意しました」がプルダウンになっていたり、「令和2年度現況届」の申請なのに「令和2年を選択してください」と書かれた謎の項目で「令和2年」しか選択肢のないリストから令和2年を何回も選ばされる意図不明な儀式があったりする。マイナンバーカードを読み込んでいるのに電話番号を何度もかかされるし、ハイフン区切りのテキストボックスは桁数認識で自動移動もしない。児童の入力欄は一人ごとに展開する方式ですらなく、デフォルト十人分を強制スクロールさせられる。等々、ツッコミどころを上げたらきりがない。▼この手の公的なウェブサービス、どのような業者に委託しているのか知らないが、さすがにそろそろまともな開発を採用する路線に乗せた方が良い気がする。

[3929] Jun 07, 2020

なんとか出費を抑えられないかと思い、PCの可能性を探り始めた。OCである。▼もともとX99 Taichiを挿しておきながら定格というのが贅沢だったとも言える。安定していたから手を出さなかったが、定格で足りないというなら移行前にせめてOCの挙動を見ておくべきだろう。▼i7 6800Kは定格3.4GHzでありながら、公称の最大周波数は3.6GHzしかない。だが、OC勢によると常用で4.0GHzくらいまでは行けるそうだ。4.3GHzや4.6GHzまで攻めている人もいるようだが、さすがに一般的な空冷でそこまで冒険はできない。ひとまず4.0GHzを狙ってみよう。それで温度とパワーの釣り合いが取れれば勝利だ。▼バッファ最大で同時発音数1200まで確保できれば、今回の用途にだけならぎりぎり足りると思っている。そうしているうちにZen3やSunny Coveが出てくれれば、コスパの良い乗り換え先が増える。予算の融通もつけやすい。二段構え戦略。OCで凌いで新製品待ち作戦である。

[3928] Jun 06, 2020

ベーゼンドルファー。かなり納得できる線まで持ってきた。▼マイクの調整は済んでいたが、未解決の課題はコンプレッサーだった。アタックの強い調整にしているので、低音と高音がffで同時に鳴ると、全体が潰されて一瞬音量が下がったように感じてしまう。この問題を解決するべく、溢れたときは中音域から優先的に消えてもらうアプローチを試してみた。▼感触は、とてもよい。失われていたffのアタック感がしっかり残り、「いかにも潰しました」という不自然な響きも大きく軽減されている。加えて、高音の伸びを強調するために3.5Khz〜16khzを山なりに8dbほど持ち上げた。多少がさついてもsfのときに低音に音負けしない方が大切だ。▼打ち込んだハンマークラヴィーアの冒頭で確認。繊細さと大胆さを合わせもった、理想的なサウンドになっている。距離感もクローズとディスタントの中間でちょうどよい。このピアノで聴くリストのバラード第二番は至高の音だろう。

[3927] Jun 05, 2020

登園時、猛烈な勢いで泣き喚く次男の園での様子を、お迎えのときに聞いてみた。▼気になったのは、どれくらい泣いているのかだ。朝、園で支度をしているとき、預けられてから時間が経つであろう一歳児が保育士さんに抱えられてギャンギャン泣いているのを見ているから、あんなふうに午前中いっぱいは不安で泣いているのかもしれないと思った。だが、なんと私がいなくなってまもなく朝のおやつタイムが始まると、もうケロッとして席についているらしい。その後も、迎えの時間まで特に変わった様子はなく、保育士やクラスメイトと一緒になって遊びのカリキュラムを満喫しているという。昼ご飯も、全部平らげたそうだ。たいしたものである。▼朝のギャン泣きは後ろ髪を引かれるものの、登園四日目にしてそれなりに順応し、元気に遊んでいると知って安心した。あとは完了食に移れさえすればフルタイムも見えてくる。そのためには、卵アレルギーの検査が求められる。

[3926] Jun 04, 2020

次男の保育園記録。▼預けるときは、さすがに泣く。初日、二日目は、保育士さんに抱っこされたところで号泣。三日目は保育園の入り口についたところで泣き始める。わかってしまったらしい。四日目の今日は、再び抱かれるまで泣かなかったが、まだ「今日は預けられないかもしれない」という希望をどこかで抱いていたのかもしれない。▼迎えに行ったときも泣きそうな顔で走ってくる。さすがにまだまだ不安が抜けきらない様子だ。しかし、保育士さんに昼の様子を聞く限り、ときどきぐずりつつも室内・室外を問わず楽しく遊んでいるようだ。親の姿が見えるときは泣いてアピールするが、いなくなったらいなくなったで順応できるのも一歳児の強さである。▼昼ご飯は、家の食事が大人と同じで味付けが濃い分、薄味の離乳食を嫌がるという。今日のパン粥は一時間近くかけて完食したそうだ。順番が前後してしまったのでかわいそうな面もあるが、慣れてもらわないと困る。

[3925] Jun 03, 2020

昨日投稿したはずの記事が存在していない。たしかにない。ベーゼンドルファーの特定の音がスパイクする件と、そのマイクごとの分析、及び公式に報告したことなどを書いたのだが、消滅してしまったようだ。ただ、消えた理由はどうあれ、再度書くほどの内容でもないので、事後的に他の記事で埋め合わせておこう。▼ちなみに今日、公式からは「我々の録音は完璧なので、仮にスパイクしたとしても、それが”リアルな”ピアノの音だということ。気に入らなければ鍵盤ごとのEQで対応してね。」との回答が来た。バグではないのかという問い合わせに対し、自分たちの技術は完璧であるという無根拠な自己評価に基づいて回答するのはエンジニアの姿勢として褒められないが、そう言い切られたら喧嘩するようなことでもない。言われた通り、EQで潰させてもらうしかなさそうだ。▼そろそろ実際に使えるレベルまで調整が進んでいるので、次の曲では思いきり遊んでみたい。

[3924] Jun 02, 2020

アクセスログが2Mibを越えていたので削除した。開設当初は見ていたが、もう何年も中身を見ていないので、ログを残す必要もないかもしれない。▼この記事を後から追加するにあたって、まずいことに気がついた。よく見ると先月から連番がずれている。サーバートラブルの時に手動であれこれ書き込んだから、サーバー上のデータとローカルのデータでコンフリクトが発生してしまったようだ。修正はちょっと面倒だが、近いうちにやらないと手間が増えてしまう。明日にでもチクチク数字を書き換えていくしかなさそうだ。▼閑話休題。六月から保育園を再開している。慣らし保育の必要もあり、時短なので昼の時間は長くないが、それでも仕事に集中できる度合いは先月とは比較にならない。ようやくまともに働いているという感じがする。これなら在宅でも、開発の段階によってはオフィスと遜色ないパフォーマンスが出せそうだ。第二波で自粛が復活する前に進めておきたい。

[3923] Jun 01, 2020

パソコンの換装を余儀なくされている。▼CPUのパワー不足。6800Kでも足りなかった。ただ、逼迫はしていない。レイテンシは90msを超えてしまうが、気持ち悪さに耐える前提でバッファを最大に取れば、よほどのボイス数でない限り音飛びはしない。1200くらいまでなら耐えられる。運用でカバーできる範囲と言えなくもない。▼これを踏まえて換装戦略が四通りある。一、今すぐRyzen 3900Xに換装。最安定株。値段が安いのでRyzenリスクも低く抑えられる。二、夏に出ると噂されているリフレッシュ版、3900RT。ベースクロックの向上は純粋に魅力。三、今年中発売予定のZen3を待つ。値段性能比は大幅な向上が見込める。四、来年のZen4を待つ。敢えてZen3を飛ばすのは、ここでソケットの形状が変わると言われているから。DDR5対応も謳われている。すでにAM4を持っていてZen3ならわかるが、最初に手を出すAM4がシリーズ最後のCPUではもったいない。故にZen4も候補に入る。

[3922] May 31, 2020

公式が上げている"VSL Bösendorfer Imperial Image Video"は、さすがに音源ではなく実際の演奏録音だと思っているが、これになるべく近い音が出せないか苦心している。さすがにイメージビデオと言うだけのことはあって、特徴の強調された、これぞベーゼンドルファーの見本というべき響きだ。まったく同じにするのは不可能だが、寄せるときの参考にはなる。▼同時に、次世代のピアノ音源が解決するべき課題も見えている。即ち、音の解像度を確保するにはピアノの位置が遠すぎるし、位置を近くすると今度は音がこもるという、不愉快なジレンマから逃れることだ。とりわけペダルを踏みながら低〜中音域を移動したときの響きのリアリティは、まだまだ本物に遠く及ばない。サンプル数が有限である以上、このあたりは物理モデリングのノウハウを取り入れない限り解決しないところだろう。サンプリングとモデリングの良いとこ取りをした、至高の相の子誕生を待ちたい。

[3921] May 30, 2020

しばらくはベーゼンドルファーの話。▼触れば触るほど最高の音源だ。ここまで良いとシンクロンシリーズの最後に出してくれたことを感謝しなくてはならない。実際、スタインウェイより遥かにまとまっていると思う。クローズマイク三種類の個性がどれも際立っていて、使いにくいマイクがない。プリセットの質も上がっていると感じる。ほとんどの場合、コンサートホール型は"Concert Centered Decca Tree"か"Concert Centered Sur to Stereo"のどちらかで事足りてしまうだろう。Deccaのこもりが少ないのもありがたい。ほとんど隙らしい隙が見当たらない。▼あとは贅沢なメリットとメリットの選択だ。近中遠のブレンドで好みの質感を選べばいい。ただ、ベロシティは今まで以上に気を使って微調整しないと平坦になってしまう。特に和音やアルペジオは同じベロシティで弾いたときのノッペリ感が強いので、しっかり強調する音を持ち上げてあげないと良くは聴こえない。

[3920] May 29, 2020

同時発音数が2000を超えたあたりで音飛びが発生する問題。ストレージの転送速度不足と思っていたが、どうも見当はずれな可能性が出てきた。▼諸々調べた結果、ロードの安定性に寄与するストレージの指標は64K Random/4K Randomの二つ。だが、現時点でこれらの指標が970 EVO Plusより高いストレージはOptaneくらいしかないし、数値上は十分な速度が出ている。試しに古いCrucialのSSDに同じスタインウェイを入れてみたが、音飛びが発生しはじめるボイス数にほとんど差はなかった。ディスクの転送にはまだ余裕があるように見える。▼そうすると、残る可能性はCPUとオーディオIFだ。6800Kもけっして軟弱ではないが、現行のハイエンドと比べると、たとえばRyzen9 3900Xと比べてもPassmarkで三倍の差がある。最新の音源でここがネックになっていても不思議ではない。オーディオIFはUSB2.0が疑わしいが、USB3.0で繋いでみる以外に検証する方法がないところが悩ましい。

[3919] May 28, 2020

問題がある。ベーゼンドルファーを買うとしても、入れるストレージがない。▼スタインウェイを乗せているNVMeストレージは512GiBしかない。スタインウェイの容量が280GiBあるから、そこに290GiBのベーゼンドルファーを乗せるのは不可能だ。選択肢は三つしかない。▼一、もうひとつNVMeを刺す。同じ512GiBで良いから最も安価に解決する。スロットは二つあるので問題ない。ただしロード速度は据え置きなので、マイク数の制限が解決しない。フルスペックで使えない環境を増設する無駄が発生してしまう。二、この問題を一挙に解決すべくPCIe4.0に移行する。この場合、CPUとマザーボードも買い替える必要がある。しかも第3世代Ryzenへ。コストもリスクもそれなり大きい。三、Intel Optaneを設置する。ユーザーの報告によるとSynchron PlayerでEVO Plusの1.8倍程度リード性能が出るらしい。二台とも乗せると高くつくが、ベーゼンドルファーだけなら380GiBで事足りる。

[3918] May 27, 2020

予想通り。シンクロンシリーズにベーゼンドルファー・インペリアルが登場。待望の一台だ。▼クオリティは非常に高い。とりわけ、弦の振動まで目に浮かぶような追加9鍵の低音は圧巻だ。この迫力は、旧インペリアルには出せなかった。一音、叩けばわかる。ありとあらゆる些末な悩みを吹き飛ばす大地の唸りである。間違いなく良い意味で、いっそうベーゼンドルファーらしいサウンドになった。プロモーションビデオの解説が繰り出す煌びやかな形容詞の数々も、けっして大言壮語とは思われない。いい出来である。▼値段の方は、残念ながら旧インペリアルユーザーへのディスカウントはなかったが、導入価格としてスタインウェイやCFXのプロモーション価格と同じ割引率が適用されている。定価で見てもフルライブラリが発売当時の旧インペリアルより安いことを考えると、破格と見て良いだろう。ベーゼンドルファー。この音にはやはり何物にも代えがたい魅力がある。

[3917] May 26, 2020

ついに来た。▼VSLのYoutubeチャンネル。昨晩、ひとつの動画が投稿された。動画タイトルは”Synchron Pianos: What's next? ”シンクロンステージを訪れる一人の男がグランドピアノに座って静かに鍵盤を叩く。音は鳴らない。その答えは――。▼もちろん、インペリアルだと思っているが、さてどうなのだろう。動画中では明らかにならないその新製品は、まもなく告知されるらしい。既存製品をディスカウントしていたから、そろそろ来るとは思っていたが、思いのほか早かった。▼しかし、インペリアルが来たとしても、スタインウェイをあっさり捨てて元鞘に戻るという選択肢は考えにくい。旧インペリアル保持者に大幅なディスカウントがあって、かつよほど魅力的に鳴ってくれるならキープしておきたいくらいの感覚だ。97鍵に固執しすぎるのも良いことばかりとは限らない。帰ってくるのは王道・スタインウェイをちゃんと使いこなせるようになってからでも遅くない。

[3916] May 25, 2020

緊急事態宣言、解除。▼無論、宣言が解除されただけで、ウイルスが消え去ったわけではない。短期的に見れば感染リスクはむしろ上昇する。マスクをして、人混みを避け、多くの人が触る物には無暗に触れず、帰宅したら手洗いに消毒。このあたりのことは今まで通りきっちり続けていく必要がある。▼というより、今後コロナウイルスの脅威が完全に消え去り、たとえばウイルスが地球上から根絶されたとしても、マスクや人混みはともかく手洗い消毒といった基本的な衛生習慣は強化したまま維持するべきなのだろう。実際、今年に入ってから、寝不足や疲労による頭痛などはあっても、風邪やインフルエンザなどの感染症にはまったく罹っていない。自分が在宅で、子どもたちも保育園へ行かず、ウイルス除去に熱心であれば、そうしょっちゅう風邪などひくことはないわけだ。▼これをせめて今回の教訓としよう。消毒液の種類や効果についての知見を深められたのも良かった。

[3915] May 24, 2020

帰宅。記録。▼夕食後、次男が蕁麻疹を発症。初めは膝の裏だけだったが、やたら痒がるので詳細に調べたら腰の両脇にも出ている。冷やして対処するも、すぐに広がって背中以外の身体中に。尋常でないので救急へ連絡して小児科受診の指示を受け、タクシーで夜間救急へ。呼吸器系の症状や嘔吐・下痢などが見られなかったので焦りはなかったが、蕁麻疹の程度が酷かったので一晩待つのは怖かった。▼診断はもちろんアレルギー。限りなく疑わしいのは卵のスープだ。マカロニサラダ湿疹事件もあり、卵は前から怪しかった。今朝は食べた後に咳き込んでいたので、やはり卵かもしれないと思いつつ、少量ながら夕食にも出したのがまずかった。▼ザイザルを飲んで様子見。三十分して悪化が見られないので撤退する。卵についてはかかりつけ医と要相談。合う調理法があるかもしれないし、大人になれば問題なくなる子も多いそうだ。尚、私は車酔いで瀕死。満身創痍なので寝る。

[3914] May 23, 2020

楽天から次亜塩素酸水が届く。価格が安くて評判の良い「ジアニスト」にしようか迷ったが、希釈しなくても使えるタイプの方が便利だし、小さめの遮光ボトルも何本か欲しかったので、OXシリーズのMISTにした。値段は張るが使い勝手は良いようだ。▼ただ、この手の商品は、たとえば手にかけてみて「たしかにしっかり除菌された」とか「他の商品より効き目が良い」などと実感できるわけではないから、効果については成分表記と宣伝を鵜呑みにするしかないところがある。最近はその成分表記すら嘘をついた詐欺商品も出回っているというから面倒だ。謳い文句で盛るならまだしも、成分で嘘をつかれては信じる情報がない。この手の商品を趣味で分析している人たちのレビューだけが頼りになる。最後の最後は人の信頼が拠り所になる。▼そのあたりも加味して選んだのがOXだ。抜群の評判とまでは言わないが、バランスの良い位置にいた。詰め替えパックが手ごろなのも良い。

[3913] May 22, 2020

新型コロナ。東京都は連日感染者数を抑え込み、緊急事態宣言の解除に向けて見晴らしがよくなってきたとアピールしているが、実際のところどうなるかはまだわからない。仮に解除されたとして、急にどこもかしこも店を開け、休日の主要都市は大型連休ばりに人で溢れるなんてことになったら、すぐにまた第二の緊急事態宣言が発令されてしまう気もする。早く普通の生活に戻りたいという思いと、無理してぶり返して欲しくないという思いの間で、強いジレンマが発生している。多くの人は、きっとそうだろう。▼会社から具体的な方針は示されていないが、緊急事態宣言の行く末に関わらず、在宅勤務は現場の裁量で継続も視野に入れるという情報も流れてきている。せっかく急ピッチで設備投資を進めたことだし、すぐに捨てるのはもったいないという思いもあるだろう。私は出来ることならオフィスに戻りたいが、これも自宅の快適さと天秤だ。アンビバレントな感情である。

[3912] May 21, 2020

ハザードの制御をグローバルに行わなければいけない理由が最後の最後でわかった。ここにメモして考えをまとめる。▼ずばり、スレッドローカルなレコードをメモリプールに返却するタイミングが、スレッド消滅時のデストラクション以外に存在しないからだ。そのタイミングでアクセス可能な場所はグローバルでしかありえない。どうあがいてもハザードのいくつかの実体――スレッドローカルなレコードと、レコードが保持する返還要求済みハザードポインタの集合――は、staticにしなければならないということだ。▼これが悩ましい。グローバルヒープからAlloc/Freeしているだけと割り切れば内部構造の共有は必ずしも悪ではないが、何か起きたときにバグが追いにくくなるのは必至だ。本当なら全ての構造を利用者の文脈に閉じ込めたかった。だが、叶いそうにない。可能な限り影響範囲を抑えて、穴を開けつつも堅牢なつくりを目指すしかない。神経を使うところである。

[3911] May 20, 2020

最高の近距離ピアノが出来た。▼設定が飛んでも再現できるようメモ。クローズは二種類混合。この割合で輝き具合を調整する。ただしMKH 8040を半分以上にはしない。パンは反転して絞る。中距離はMKH 800一本。ここまでの三本をリバーブに送る。DeccaはStereoとMonoを2:1で。StereoをSF-24と同じくらいの音量に。ディレイは切る。ここにディレイをつけると音像がぼけてしまう。遠距離はHigh Surround一本。Main Surroundと併用すると反響成分が重なって抜けが悪くなる。ここでメインのサラウンドマイクを抜く発想になかなか辿り着けなかった。マイクは計六本。負荷は相当かかるが仕方ない。High-Surの割合で簡単に近さをコントロールできるところが魅力だ。今回はクローズタイプなので極めて薄めにかけている。▼正直、連日の疲れで隙間時間が出来ても創作的なことをする気力がない。したがって比較的脳死で試せる調整で気晴らしをしている。だが、満足している。

[3910] May 19, 2020

再び次男の食事記録。食欲の覚醒が目覚ましい。▼朝から黒糖ロールをまるごとひとつ平らげる。その後、バタースティックパンを頬張りすぎて喉から吐いたものの、その足で台所へ行きパンの袋を引きずり出してテーブルへ。追加を寄越せという。三分の一ほどにちぎって渡したら全部食べた。▼基本的に誰かが食卓へつくと、自分が食べ終えたばかりでも席に登りたがる。登って食べ物を要求する。そんなわけで一日中何かを食べている。しかも、たいそうな欲張りなので、右手に持っているものを左手にも欲しがるし、口の中がいっぱいでも次を詰め込もうとする。これまで食べられなかった分を取り戻そうとしているかのようだ。▼夕食は餃子。二つ食べる。ご飯は小盛りながら二膳。春菊の天ぷらも口元へ運んだら自分の指で押し込んでモシャモシャ食べた。今なら何でも食べそうだ。何をあげても顔を背けていた時に比べれば、別人のような成長と言える。開眼してしまった。

[3909] May 18, 2020

在宅のまま新人受け入れ業務中。お互い準備がなかっただけにコミュニケーションひとつ取るのも四苦八苦だが、この年の新人だけ割を食ったということにならないよう、在宅なら在宅なりに、なんとか良い形をつけなければならない。▼今日明日は各種登録など事務作業が中心。なるべく自学自習で時間を使える課題を割り当てて、その間にプロジェクトや部署が下準備を整えていく。チームメンバーとのコミュニケーションがチャット主体になるのは避けられないので、せめて週一回はZoomによる対面のミーティングを行うなど施策が検討されている。顔も見えない上司に指導されるのは、当然経験はないが、気分の良いものとはとうてい思えない。▼いずれはオフィスに集うのだから、今は受け入れ側の準備と熱意が重要である。在宅だからぞんざいに扱われていると感じさせるか、在宅ながら真剣にサポートしてもらえていると感じさせるか。その違いは決して小さくないはずだ。

[3908] May 17, 2020

理想のピアノを求めて。第二章。▼目当ての音を決めて、クローズ版に挑戦する。いろいろ試したが、共通する結論としてサラウンドやハイポジションのマイクにあとからリバーブをかけるのは悪手だということがわかった。二重にディレイがかかっていることになるわけだから、当たり前といえば当たり前だ。ディスタント版なら複雑さを増した反響成分が空間のリアルさに一役買ってくれるが、クローズだと音の芯が強くなる分、くっついてくる反響もよりはっきりとした輪郭を持っていた方が良い。▼プラグインリバーブを外してSennheiserMKH800を足す。8040は少し硬め。足すならデフォルトのディレイは0に変えた方がいい。リバーブを捨てた分はサラウンドマイクで補強。3Dマイクは良い味付けになるが、やりすぎるとクローズに不釣り合いな響きが混じってくるからよろしくない。マイクは五本になって負荷は増すが、この五本のバランシングで理想に近づける気がする。

[3907] May 16, 2020

小休止。▼ピアノ音源の話。いまの「ヴァルハラリボン」はコンサートタイプの最高傑作だと自分で思っているが、一方、プレイヤータイプ――つまり近距離の最適解は作れないままでいる。早い話、動画投稿サイトで「弾いてみた」として上がっているような、空間は狭いが目前のリアリティを伴う柔らかい音が出せない。リバーブでごまかしが効かない分、元音源の持つアタックの硬さや無機質さが前面に出てしまうのだろう。案外、近距離がやりたければ、アップライトの方が合うのかもしれない。▼広々とした空間、光輝く残響、そういう路線も素晴らしいが、ときどき鍵盤の力強さが欲しくなることもある。ダイナミックレンジなんていらないから、目の前にピアノがあるかのような音が出てくれと思うこともある。そういう要求に応える調整方法がわからない。いろんな動画や元音源を聴きながら細かく寄せていくしかないだろう。いつか使うときのために仕上げておきたい。

[3906] May 15, 2020

次男の記録。▼今日は朝からバナナをもっちり食べる。以前は見向きもしなかったし、口に入れてもすぐ舌で押し出していたのに、今日は細切れが細切れすぎると言わんばかりにまとめて口へ放り込み、もっちゃもっちゃしながら、もう口の中がいっぱいで詰め込めないのに自分でスプーンを握って追加投入を試みたりしていた。おかわりして完食。ついでにピザも食べる。ストローで十六茶をごくごく飲んで、ごちそうさまの合掌。いままでフリだけだった食いしん坊がすっかり板についている。▼昼はふりかけご飯を食べた。チキンライス、チャーハン、ふりかけご飯とこなしているので、味のついた米なら大体行けそうだ。少々刺激が強いと思われる、辛めのガパオライスも頬張っている。長男は一口も食べなかった。白米は味気ないと感じるのか食が進まないようだが、おかずと一緒に食べることを覚えたら茶碗一杯くらいすぐに平らげてしまいだろう。ここから追い込みである。

[3905] May 14, 2020

六時始業、二十五時終業。▼明日で一週間だが、五月一杯とはいえ、このまま毎日続けていくのは無理そうだ。身体を壊すか、必要な作業時間が確保できないか、バグを埋め込んでしまうか。いずれにしてもロクなことにはならない。最低でも一週間に一日、欲を言えば三日ごとに一日は休みが欲しいところだ。▼体調的に厳しいと判断したら休んでもよいと上司には認めてもらっている。だからといってポンポン休みを申請するわけにもいかないが、限界ぎりぎりまで引っ張ってから休んでも回復に時間がかかってしまうから、四日目か五日目には、自己判断に関わらず休んだ方がいいかもしれない。▼もっとも、休みといっても”騒音”と”破壊”は常に在宅。休みという字面から想像されるほど休めるわけではけっしてない。ただ、少しずつながら、次男が食事をするようになってきたのが精神的な救いだ。今日はピザを一枚食べきった。ようやく飲み込む方法を覚えてきたようだ。

[3904] May 13, 2020

長男の飛び火が治らないので再び病院へ。暑い日にベビーカーを押して二人を連れて行くのは大変だが、今日は風があるので助かった。疲れはしたが、考えようによっては良い気分転換になったかもしれない。▼今回は違う抗生物質を処方された。効かない薬を長く飲んでも仕方がないので、いろいろ試してみるしかないという判断のようだ。今回の薬でも五日から一週間飲んで改善が見られなければ、また診察に来て欲しいと言われた。抗生物質を塗布しているうちはステロイドが使えないので、アトピーの方を悪化させないためにも、早めに飛び火を収束させたいところだ。▼街の人は少ないが、GW前よりは明らかに人の出が多い。営業中の店舗も増えたように感じる。報告されている感染者数の減少を見計らいながら六月に向けて経済を徐々に回復軌道に乗せていく暗黙の気運であろう。吉と出るか凶と出るか、わからないが、無力な個人は身を守りつつただ収束を祈るばかりだ。

[3903] May 12, 2020

昨日もまったくサーバーに繋がらなかった。コロナの影響があるのか知らないが、このところ公式サイトにも記載されていない障害が多すぎる。十年以上も同じ場所でやってきたが、再発するようなら真剣にサーバー移転を検討している。▼ここをやめてツイッターに一本化してしまう案が頭をよぎらないでもなかったが、すぐに掃き消した。最初は分筆修行として始めた企画だったが、今となっては純粋な日記である。日記だからこそ、たとえば長男が最初に言葉をしゃべったのはいつだったかとか、今の次男くらいの年には何が出来ていて何が出来ていなかったかとか、モニターを買い替えたのはいつかとか、毎年何を決意して生きてきたのかとか――そういうことを簡単に振り返ることができるのだ。ことイベントの検索性という一点においては、ブログだろうがツイッターだろうが、この「400」の右に出るフォーマットはあるまい。常に全文一覧。シンプルが故に最強なのだ。

[3902] May 12, 2020

38WK95-Cの初日使用感。以下雑感。▼大きい。とても大きい。ちょっと大きすぎたかもしれない。左右の端を凝視するのは首がつかれるので、実質有効エリアは34インチ大の真ん中部分と感じる。キーボードによる入力を伴う作業はなるべく中央付近でやって、マウスによる閲覧は左右に回すという使い分けがスタンダードになりそうだ。▼曲面は非常に良い。特に良いのが、身体を左右に傾けていても反対端の文字がよく見えること。実際、中央から左右を視認するのは平面でもできる。だが、パソコンに向かっているとき、常に頭がスイートスポットにあるとは限らない。チャットが右寄りに表示されていれば身体や頭も右に傾く。この状態で、左端に配置したChromeを見るのに何の支障もないところが、曲面の最大の利点ではないかと感じる。▼まだ仕事用に充てているのでCubaseは表示できていないが、これだけ広大な画面なら問題はなかろう。今のところ、不満はまったくない。

[3901] May 10, 2020

明日からまた生活が大きく変わる。とりわけ五月中は息もつけないほどの混乱になるだろう。現時点では、どうなるか見当もつかない。▼プランは単純だ。朝はなるべく次男と一緒に起きる。夜更かしの長男と違って次男は朝が早い。五時台から絶好調のご機嫌男である。前日の夜次第では寝ていたいときもあるかもしれないが、ここで起きられれば次男だけを連れてリビングに出られる。機嫌さえよければ、着替えや食事(おやつ)を済ませた後はひとりで遊んでくれるかもしれない。この時間にまず就業時間を稼ぐ。二時間稼げれば後が楽になる。▼長男が起きてきたら仕事は中断。落ちつくまで席を離れる。次男のお昼寝に合わせて昼食を取り、長男の構って攻撃を程よく受け流しながら、夕方までになんとか三時間を確保する。これで残りの二時間半を夜間に賄えば、トータルで一日働いたことになる。――皮算用なのは百も承知だが、まずはこの計画でぶつかってみるしかない。

[3900] May 09, 2020

デジタル辞書はWeblio一択だが、紙の辞書もまだまだ現役だ。夜のボキャビルには『アドバンストフェイバリット英和辞典』を使っている。十六年前(!)、私の大学受験を支えた相棒である。久しぶりに引っ張りだしてきた格好だが、最強の英和辞書という印象は変わらない。▼紙の辞書ならではの利点は、周辺情報によってニーモニックが構築できることだ。たとえばdecrepit(病気などによって弱る、老衰する)を引いたが、なんとなく覚えにくい印象を持ったとする。そこで、次の項目に目を滑らせると、decrescendo(次第に弱く)が見える。これだけで記憶は十二分に補強されるだろう。▼"decre-"が本当に弱まることを意味するかどうかは重要ではない。暗記の難しい単語に対して、すでに知っている単語へ紐づける形で自分なりの記憶回路を作れるかどうかが肝だ。アルファベット順に英単語を掲載している辞書を見渡すことは、この回路の構築を助けてくれるのである。

[3899] May 08, 2020

さんざん悩んだ挙句、紆余曲折の末、LGの38WK95C-Wに決めた。かつて心に決めた38UC99の後継機。思考がすべての候補を一巡してから戻ってきた格好である。▼決定要因はひとえに縦の解像度だ。34インチと49インチを消したのは、Cubase10のピアノロールで音名表示を保ったまま88鍵盤とコントローラーレーンを一画面に収めようとすると、1500〜1600ピクセル必要になることがわかったからだ。34インチも49インチも、5K2Kモニタを除けば縦は1440しかない。したがって、最高音や最低音の付近を扱うためには毎回画面を上下移動させなければならなくなってしまうわけだ。▼これは看過しにくかった。この不便さに比べたら、縦の長さに起因する視線移動の煩わしさは一段落ちる。首が痛くなるようなら少しモニタを遠くに置けばいい。何cmか動かせば、目の移動距離と首の移動角度は34インチモデルと全く同じになるはずだ。5K2Kだけが心残りだが、これはまたの機会としよう。

[3898] May 07, 2020

ABA問題を回避するためのカウンタ付きポインタを設計しようとしているが、困ったことにカウンタとポインタを同時にCASするための128bit整数型が対象アーキテクチャのひとつに存在しない。どうしたものか。▼カウンタ付きポインタの場合、ロックフリーに扱えるデータ型にいくつかの制約は付くものの、ABAの両端でたまたまカウンタが一周しない限りはABA問題を回避できる。実装や保守が容易で、実行速度のロスがほぼないのも魅力だ。しかし、組み込み関数でアトミックに扱える128bit整数型が存在しないとなると、この路線は捨てなければならないかもしれない。より複雑で、実行速度にもいささか難のあるハザードポインタへ足を運ぶことになる。▼アプリケーションの運用を考えれば、たとえ全人類が利用したとしても確率的にはカウンタ版で十分完璧だった。そういう意味でも棄てるのは惜しい。当該アーキテクチャで良い迂回路がないか検討してみたい。

[3897] May 06, 2020

仕事のオンライン会議で使うため、実は持っていなかったヘッドセットを買う。▼ゲーミング用途ではないから音質などにこだわる気は一切なかったが、みんな考えることは同じらしく、安いモデルは軒並み品切れになっていた。残っているのは一万円を超えるハイエンドばかり。かろうじて在庫に引っ掛かっていたキングストンのXbox推奨モデルを五千円で入手できたが、世界中でヘッドセット需要が爆増していることを考えると、今後もローエンドの人気モデルは品薄が続くのだろう。▼その他、マイクも品切れ。四桁円とは言え指向性の低いマイクやプロユースの品まで売り切れているのは不思議だが、家にいる時間が増えたことだし、これを機会にストリーミング配信でもしてみようかと思い立った人も多いのかもしれない。▼ウェブカメラも全滅していたが、さいわいビデオ通話をしようという話にはなっていないから、しばらくはボイスチャットのみで乗り切ることにしよう。

[3896] May 05, 2020

定期的に訪れるウルトラワイドモニタ探しの旅。やはりここらでひとつ決着をつけた方がいい。▼コロナ自粛のため実物を確認しに量販店へ行けないのが悩みどころだが、昔、さんざん見比べてきたおかげでスペック表を見ればおおよその想像はつく。曲率も1800以上なら代表機でイメージ可能だ。現時点では、価格の下がってきた34インチ曲面、5K2Kの出せる唯一のパネル型である34インチ平面、ウルトラワイドでは縦の最大解像度を誇る38インチ曲面の三択が選択肢となっている。直線の精密さが要求されない上、複数人で同時に見ることはないという私の用途を考えれば曲面が良さそうだが、5K2Kには平面しかないのが頭痛の種だ。▼そこで、49インチ曲面が視野に入ってきてしまっている。予算の概念がなければ今年発売予定の「Odyssey G9」は最高に魅力的だが、30万円くらいしてもおかしくないスペックで、現実味はない。これに近いモデルを探しつつ、情報を漁ってみよう。

[3895] May 04, 2020

サンプル動画、無事投稿。▼ツイッターに不慣れなせいで、意外と右往左往した。最初にMedia Studioを試したときは、プレビューがまさかの超低音質。サンプルとはいえあまりに酷いエンコードをかけられてしまうのは困るので、動画の埋め込みを模索する。しかし正規版のように自動再生はされないし、スマホから見るとリンクだけになってしまって何の投稿かよくわからない。加えてYouTubeのブランドアカウントは表示名を変えるのにも文字通りの手順では上手くいかず、あれやこれやで四苦八苦してしまう。結局、最終的にはMedia Studioを使わなくてもツイッターの標準投稿から動画を添付できると知り、かつ音質についても視聴者側の環境次第でビットレートが変わることがわかったため、高音質で再生する手段があるなら動画版は不要と割り切って、普通に動画を添付した。劣化はしているが、詳細画面から再生する分には問題ない。今度からはスムーズに行けるだろう。

[3894] May 03, 2020

昨日は丸一日レンタルサーバーが落ちていた。公式情報によると海外からの攻撃を受けているらしい。何を目的としたどんな攻撃かはまったくわからないが、かなり規模の大きいシステム障害が発生していたようだ。記事も書けなかった。後ほど投稿予定だったものをFTP転送しておこう。▼GW明けも在宅勤務だが、緊急事態宣言の延長を受けて、保育園の登園自粛も延長される可能性が濃厚になってきた。ただ、どんなに強い要請であってもあくまで「自粛」故、それを理由に会社を休んでも給料は出ない。したがって、要請を断固拒否して登園させない限り、私が二人を見ながらの在宅勤務という形を取ることになる。どうなるか微塵も想像がつかない。大変なことになるのだけは確かだ。▼早朝、次男だけが起きたタイミングで勤務を開始してしまって、二人とも起きたら中断、昼のうちはなんとか二〜三時間確保して、残りは深夜というプランがもっとも現実的かもしれない。

[3893] May 02, 2020

亀の歩みだが進行中の曲がキリのいいところまで来たので、サンプル音源を公開しようと思っている。▼曲のサンプルというより、新しい音源のお披露目と言った方が近いかもしれない。去年調整して「ヴァルハラリボン」と命名したバージョンの感触を他の人にも確かめてもらえればという気持ちである。まだ完璧に使いこなしているとは言えないが、以前のベーゼンドルファーではできなかった表現もふんだんに盛り込んでいるので、自分で聴き直しても良い意味で制作が新しいフェーズに進んだことを実感できる。あと十年は戦えそうなポテンシャルである。▼ただ、良くない癖もいくつか見つかってはいる。とりわけピアニッシモ以下の極低ベロシティは、値ひとつの変化による音色の変化が大きすぎてやや使いにくい。クレシェンド/デクレッシェンドの文脈では目立ってしまうから、要所だけで使用することになるだろう。独特の癖と付き合っていくのも音源の醍醐味である。

[3892] May 01, 2020

持続化給付金。今日からオンライン申請がスタートしたものの、仮登録申請の完了メールが届かないといった序盤のトラブルが多発しているらしい。恐らくはアクセスが集中してメールサーバーが落ちているのだろう。アクセス殺到は日常茶飯事とも言える百戦錬磨のスマホゲームでさえリリース初日は過集中に対応できていないのが現実である。役所の仕事で万全が期されているとは到底思えない。▼ただ、もしサービス提供側に有識者がいたとしても、この手のトラブルに対応しようとは思わなかった可能性もある。給付金はビジネスではない。初日にアクセスが集中することはわかっていても、そのためだけにコストをかけてサーバーを増強する必要性は薄いとも言える。そこで客を逃すわけでもない。繋がらないなら日を改めてゆっくりリトライしてもらえばよいわけだ。▼手段や額はどうあれ、こうして個人や中小法人への給付が実際に行われ始めた現状は評価するべきだろう。

[3891] Apr 30, 2020

『Barron's Hot Words for the SAT』読了。読了というより修了か。思えば、参考書の類が終わったことをここに記録したことはなかった。テキスト系は今後修了と書こう。▼文句なく星5をつけられる良書だ。覚えやすい、読みやすい、記憶に残る。しかも、内容が良いだけでなく、本の質も素晴らしい。薄くて丈夫な紙。やわらかい装丁。持ち運びやすい軽さ。今まで手にした洋書の中では最も手触りのよい逸品である。こう言ってはなんだが、他の洋書もなぜこのスタイルにしないのか不思議だ。一般的なマスマーケットの読みにくさは、尋常ではない。▼話を戻そう。レベルは1万語クラスの周辺。TOEICではほとんど見ない単語ばかりだが、英検1級にはやや足りない水準と言える。ただ、例文の方で落としがちな基礎単語を拾えるので、ボキャビル効果は高い。英検1級への足掛かりとしては、これくらいがちょうどよいと思う。この先は底が深い。GREの領域である。

[3890] Apr 29, 2020

実験的に、夜、長男を好きにさせてみた。▼いつも十時には布団へ入れるが、よほど眠い時でないと十一時近くまで寝ない。肌に薬を塗ってくれとせがんだり、剥がれかけた絆創膏に難癖をつけたり、ふざけて身体をよじらせたり、暴れたり、笑いだしたりする。これに小一時間付き合うのはけっこう大変だ。ならば今は保育園があるわけでもなし、生活習慣の問題はともかく、今日はいっそ眠くなるまで絵本やひらがなの勉強でもしてもらおうと思った。これで寝る時間が変わらないなら、声と動きはうるさいものの、少しでも作業が進められるのでありがたい。▼ただ、これで寝る時間が遊んだ分だけ後ろにシフトしてしまうなら、やはり普段は早目に布団へ入れて、うだうだと寝ない時間に付き合うしかないことになる。同僚の同い年の息子は夜遅くなると勝手に布団の部屋へいって寝てしまうというが、こちらはいつになったら一人で寝てくれるのか。まだまだ道のりは長そうだ。

[3889] Apr 28, 2020

ロックフリーコンポーネントをABA問題に対応するべく基礎論文を漁る。ハザードポインタから始めてROP、レフトライト、ハードウェアトランザクションメモリ……とざっくり調べた後、やっぱりハザードポインタに戻ってくる。スレッドローカルなストレージを動的に扱うリスクさえ吸収できれば、もっとも実装がシンプルだし、ハザードポインタ自体を他のデータ構造にも使いまわせるからだ。▼どんなに優れた部品であっても、私が実装したきり他の人が追随しにくいのでは使い勝手が悪い。そうして、使い勝手の悪いものはいつか必ず捨てられる。それくらいなら、適用範囲に注釈が付いてでも、再利用と拡張が容易で未来の改良に期待できる道を切り拓く方が有益というものだ。そういう気遣いの営為の積み重ねが、チームを超えた組織のノウハウである。見えない資産である。辿り着くまで何周も回り道をしてきたが、やはりY先輩の言っていたことは正しかったのだ。

[3888] Apr 27, 2020

次男に噛まれた。▼久しぶりで油断していた。左腿の前面、真ん中付近。寝巻の上からでも前歯の歯形がくっきりと残る。四か所に穴が開いて、三か所から出血した。内側は内出血でどす黒い。正直、だいぶ痛い。▼怒っても怒っても噛み癖が直らない。いや、それ以前に、そもそも次男には言うことを聞くという回路がない。どんなにひどく叱られても数分後には同じ悪さをする。どうも「怒られるからやらないようにしよう」という発想が全くないようだ。その仕草から感じられる思惑は常に「やりたいからやろう」である。怒られるかどうかは勘定に入っていない。だから、怒られると怒り返す。なんで怒るんだと抗議されているようでもある。▼気長に成長を待つしかない。先々週は長男の倒した椅子が右足の小指を痛打して、昨日はトランポリンから降りたときに足首を捻り、どうもこのところ足の運が悪い。出社しなくなった途端に足へ怪我が集中しているのは不気味である。

[3887] Apr 26, 2020

数年前に、酒の席で同席した初対面の人からライン交換を迫られて、断る流れでもないので交換した。会ったのも話したのも、そのとき限り。正直、申し訳ないが、もう顔も覚えていない。そんな人から、初めてのラインが来た。長文。挨拶の枕詞もあるが、要約するとYoutubeでチャンネルを開設したから登録してくれという依頼であった。URLと登録方法が添えてある。そっと画面を閉じた。▼気持ちはわかる。開設したからには一人でも多くの登録者が欲しいだろう。手段を選ばぬ無差別の依頼爆撃も嗤うつもりはない。だが、どう見ても、恐らくは私が誰であるかも認識すらしていない用件のみの文面に返す言葉が見つからなかったのも事実だ。せめて、たとえば「XX以来でご無沙汰しています!」みたいな導入があったなら、その後は同じコピペでも、気持ちは違ったかもしれない。あなたが誰であるかわかっていますよというメッセージは、いつだって内容以上に重要なのだ。

[3886] Apr 25, 2020

在宅勤務だと、勤務中にお酒が飲めてしまう。これはちょっとまずい。私は昼から飲むような吞兵衛ではないが、たとえば夕方早めに仕事を中断して夕食に降りたとき、冷蔵庫に冷えたプレミアムモルツが眠っていたら。特に何も考えず、食事のお供にグイっとやってしまうかもしれない。そして仕事に戻る時は――酔っぱらってしまっている。▼そんな状態でメンバーから質問が来たり、指示を仰がれたりしたら、言うまでもなく危ない。いいかげんなことを言うかもしれないし、支離滅裂な返答をしてしまうかもしれない。どんなにうっかりでも、チャットの失言は永久にログとして残りつづける。本当は、対面以上に危ないのだ。▼それでなくても今は昼と深夜で作業時間を二分している。深夜は主にVPNを占有してのサーバーメンテナンス作業だから、誰かと絡むわけではないが、とにかくしばらくの間は、夕食時に酒を飲むのはやめておこう。げんこつ紋次郎があれば十分だ。

[3885] Apr 24, 2020

転職した後輩から雑談ビデオ会議のお誘い。二人とも在宅になったので、そんなことを試す機会も出来た。▼Zoomは初めて。ヘッドセットやウェブカメラがあるわけではないのでスマホで間に合わせの通話になったが、こんな状況でも通話品質は安定している。普段ビデオで繋ぐのがアメリカの弟なので、尚更そう感じるのかもしれない。体感できるラグは皆無。会話するうえで全く不都合はなさそうだ。▼ただ、これを業務に使うとして、いろいろ難しさもあるなと感じた。まず、視線。ずっと画面を見ているのも変だし、かといって明後日の方向を見ていてもビデオチャットの意味がない。どこを見ながら、何をしながら話すのか、どんな間を置くか、相手の態度をどう捉えるか、さまざまな面で独自のノウハウが要ると感じる。安易にフェイストゥフェイスの代用と考えるのは危険そうだ。このへんは、すでに問題を整理している先駆者が山ほどいるだろうから、少し調べてみよう。

[3884] Apr 23, 2020

家を買う。大仕事がひとつ終わった。▼まさか現金一括で購入したわけではないから、これから住宅ローンとは長いお付き合いになる。金利のこととか、保険のこととか、登記のこととか、あれよあれよと言う間に情報が畳み掛けてきて、つくづく家を買うというのは大変なことだと思ったが、その理由の元を辿ってみれば、脱税だったり、マネーロンダリングだったり、何らかの不正行為を防ぐために、何重もの厳しいチェックが張り巡らされているのだとわかる。扱う金額の大きさ故、抜け道を作ってしまうと悪用される危険性が極めて高いということだろう。しっかりきっちり、何人もの専門家がそれぞれに外堀を埋めて、ようやく取引が成立する手筈になっているというわけだ。▼ただし、その専門家に支払う報酬も並大抵ではない。こちらに帯、あちらに帯と、経費がご祝儀のように飛んでいく。よほどの金持ちでない限り、一生のうちにそう何度も出来ることではなさそうだ。

[3883] Apr 22, 2020

在宅勤務中に感じる謎のストレスの原因がひとつわかった。音だ。▼もともと、自宅PCは静音性にこだわって組み立てている。(そうでなければ"be Quiet!"に惚れ込んだりはしない。)だが、会社のPCは量産型の爆音機。ファンだけでも酷い音がする。オフィスにいるうちは他の雑音に紛れて気づかないが、静かな部屋の中では不快なサウンドの比率が高く、ノイズ感が強い。さっき、会社PCの方だけ電源を落としたとき、急にふっと静かになって頭痛成分が減少したために気がついた。これは由々しき問題である。▼由々しき問題だが、どうしようもないと言えばどうしようもない。勝手にパーツを組み替えるわけにもいかぬ。なるべく夜間、特に子どもたちが寝てからの深夜作業を避け、時間になったらバッサリと電源を落としてしまうくらいしか自衛の道はなさそうだ。いざ、こうしてうるさい居候が来てみると、静音にこだわって組んだ甲斐がいまさらながら実感される。

[3882] Apr 21, 2020

妻が業務スーパーへネギを買いにいったついでに、おみやげを買ってきてくれた。「名古屋名物・げんこつ紋次郎」。イカである。▼これが旨い。たいへん美味しい。ボトルながら二千円は贅沢かなと思ったが、80本入りと考えると1本あたり25円なので、むしろお買い得と言える。しっかり歯ごたえのあるゲソに、甘いピリ辛の味付け。シンプルながらパンチの効いた良い珍味である。二人とも、たいへん気に入った。▼在宅ワークのお供にということで頂戴したが、こうボトルごと机に置いておくと、無意識のうちに食べ過ぎてしまうかもしれない。それにしても、棒すら排して単純に詰め込んだからこそのお値打ち価格とは思うが、透明の容器にイカの足がぎゅうぎゅうに詰まっている様子は、まじまじと眺めるとなかなか凄いものがある。これを美味しく頂けるのも、ひとえに慣れのおかげであろう。よっちゃんの「酢漬けイカ」と合わせて、当面のおやつを賄うことにする。

[3881] Apr 20, 2020

同僚が在宅勤務をきっかけにウルトラワイドモニターを買った。助成金が出るならという理屈で衝動買いしたらしい。即断即決。たいしたものだと思うが、生活に余裕のある人はみんなそうしてくれたほうが経済が回っていいのかもしれない。▼しかし、身の回りでは誰よりも早くウルトラワイドに目をつけ、何度も秋葉原に足を運び、あらゆる現存商品の特徴を覚えて布教活動に勤しんできた私が、彼ら彼女らがそれぞれウルトラワイドを手にした後も、いまだに16:9を使っているのは皮肉なことだ。欲しがってもいないものを勧めたわけではないのだが、狙っていた型番の絶版、新型の法外な値段、中古の出回るタイミング、財布の都合、4Kへの浮気等々、さまざまな事情が重なって入手するに至らなかったと言える。今でも欲しい気持ちに変わりはないが、今、この環境に追加しても食い合わせが悪すぎる。▼在宅事情が変わって自宅PCと環境を分離する必要があれば考えよう。

[3880] Apr 19, 2020

今は、自分の中で何かが噛み合っていないと感じるので、内向きの力を溜めている。思えばいろいろあったので、ここらでゆっくり時間をかけて頭の中の「デフラグ」が必要な状態だ。在宅勤務やコロナはさておき、今週いっぱいで大仕事をひとつ終えたら、二年くらいかけてベクトルを外向きに向け直していく必要があると思っている。▼これを外・外・外で強引に行っても自己に支障を来たさないのが若さというものだ。あらゆる方向にエネルギーをばら撒いて、自分の中身が意味不明なマーブル色になってしまっても、どこかでどかんと爆発して塵になり、灰の中からもういちど蘇ってこれるのが十代、二十代なのだろうと思う。もちろん、そういう生き方の哲学を大事にしたいとは思っているが、身体と心がついてこないところで哲学だけ抱いて無理をすると、結局は欲しい結果が手に入らないということにもなりかねない。夢があるなら、じっくりいく一手も打てねばならない。

[3879] Apr 18, 2020

妻に指摘されて気づいたが、定期券を払い戻さねばならない。▼最寄り駅へ行く。張り紙がしてある。定期券・回数券を払い戻しされる方へ。要約すると、この駅では出来ないので指定の駅で払い戻すこと、とある。仕方がないので、その足で最も近い駅へ行く。払い戻し希望の旨を伝えると、払い戻しは一ヶ月単位で、購入に使用したクレジットカードと身分証明書が必要だと言う。軽い気持ちで出てきたので、クレジットカードは持っていたが、身分証明書がない。出直すしかなかった。▼思わぬ遠出のついでに薬局へ寄ると、消毒用のハンドジェルが並んでいた。我が家でも不足気味なので、ひとつ購入。値段は平時と比べ物にならないほど高いが、背に腹は代えられない。Purellの輸入が間に合わなかったのは悔やまれる。いっそ、ぼったくり価格でも並行輸入の1リットルボトルを買ってしまったほうがトータルでは得なくらいだ。日々不安が募る。細々と凌いでいくしかない。

[3878] Apr 17, 2020

本格的に在宅勤務が始まった。以下、雑感。▼まず、宅配業者にいろいろ問題があったらしく、PCトラブルが多発。私の背面パネルも不自然に曲がっていて、背面とネジで接続しているグラボがスロットから引き抜かれていた。その他のメンバーも画像出力が死んでいたり、メモリを差し直さないと起動しなかったり、症状さまざま。「精密機器」と書いたにも関わらず、だいぶ手荒く扱われたものと見える。▼ネットワーク系は順調。不便な中での順調なので誉められたことではないが、できる範囲の中で問題はない。ディスプレイは入力切替で対応しているが、キーボードとマウスが二つずつになってしまったのが悩ましい。狭い机にリアルフォースが二つ。奥のひとつは積み木に乗せて打ちやすくしてみた。苦し紛れである。▼家にいる分、楽なこともあるが、やはりすっきりとは仕事モードになれないところもある。運動不足も心配だ。意識的な気持ちの切り替えが求められる。

[3877] Apr 16, 2020

私は、この「400」をお気に入りに登録していない。ショートカットアイコンも作っていない。では十年以上、どうやって記事を書きに来ているかというと、実は毎回Googleで検索して来ている。本当である。▼意味はない。こだわりもない。ただ、それで何も不便がないので、ずっとそうしているうちに、いつしかルーチンのような作業になってしまった。私はスピリチュアルなことを信じるオカルトマニアではないが、かといって何でもかんでも最適化しようとする合理の権化でもない。最適化は志向するが、そうしたくないところ、あるいは特に理由もなくそうしていないところがあるなら、それはそのまま手をつけなくてもいいと考えるタイプである。そういう雑味を愛しているとも言える。▼もちろん、面倒くさがりに理由をつけているだけだと非難されても、それはそれで言い返すことはできまい。だが、たとえそれが真実でも、その方向に自分を昇華しようとは思わない。

[3876] Apr 15, 2020

ほとんどのお店がクローズしたことで、横浜駅を行き交う人の数もようやく目に見えて減少してきた。人口密度は平常時の三分の一以下と思われる。非通勤者の括りなら十分の一くらいまで減っているかもしれない。▼とりわけ若者の姿は見なくなった。アフター5の待ち合わせをする人影も、さすがにもう見られない。良かれ悪しかれ、ようやく緊急事態の意識が浸透してきた都市部の様子である。封じ込めは、ここからが本当の勝負というところだろう。▼数字を追っている限り、感染者数に対する回復者数の割合がいっこうに増えてこないのが恐ろしい。それだけ病床に伏している人の数が多いということなのか。それとも「感染」したが「患者」にならなかった人は、もとより回復者数には含まれないのか。私は、もちろん死にたくないが、できれば死にかけもしたくない。このところは致死率ばかり取沙汰されるが、死者の数だけ見て危険性を云々するのは違うという気もする。

[3875] Apr 14, 2020

在宅グッズが飛ぶように売れているらしい。ウェブカメラなど、どの型も在庫切れ&入荷時期未定である。もう二週間もすれば二流品や粗悪品が出回りそうな気配だ。大手量販店もクローズし始めた今、ゼロから在宅環境を整えるのは地味に至難となっている。▼大勢で同時に在宅化しようとすると、思わぬ障壁が次々と見つかるものだ。家に長時間作業できる椅子やテーブルがない人。光回線を引いていない人。パソコンと機材を動かすには家の電力が足りない人。すべて満たしていない子もいる。彼らに明日から家で働けと命じるのは、極めて暴力的な命令だ。出社可能なうちは例外的に出社してもらうか、スマホと書籍だけで完結できるリサーチ系の業務に没頭してもらうしかない。▼さまざまな事情があるのは無論だが、知識や資格が自己投資であるのと同じように、現代にあっては自宅のデジタル環境も自分の能力のひとつである。あまりアナログすぎるのも良いことではない。

[3874] Apr 13, 2020

在宅勤務騒動。本日で条件および環境の決着はつかず。持ち越しとなる。▼大まかな方針は固まってきた。もっとも重要な争点であるコミュニケーション手段については、やはり当面のあいだはいかなる通信も不可。しばらくは一切の連絡を断ってもオフラインで各人の業務が遂行できるようタスクを切り分けることになった。優雅なる無人島生活の幕開けである。▼電気代はどうなるのかとか、従量課金制のネットワークを敷いている家庭はどうするのかとか、未解決の課題まみれではあるものの、これ以上引き延ばすこともできないので、数日以内には見切り発車される見通し。私も家の物理的な環境を整えねばならない。完全な密室に引きこもる必要があるので、パソコン本体以外は今の個人環境をそのまま使う。したがってHDMIセレクタが4IN2OUT分必要になる。便利品なので、残念ながら会社からは支給されない。家電量販店にはいきたくないので通販で済ませよう。

[3873] Apr 12, 2020

Linda Carnevale M.A.『Hot Words for the SAT』は、SATの頻出英単語をカテゴリごとにまとめて覚えるための本である。「喜びを表現する言葉」「音に関する言葉」など、さまざまなクラスタが章を成しているのだが、進めていてひとつ面白いことに気がついた。カテゴリによって、明らかに既知の単語量に差があるのだ。▼ずばり、快活さや喜びといった前向きのニュアンスを持つカテゴリには習得済みの単語が多く、怠惰さや悲しみといったネガティブなカテゴリには知らない単語が多い。ここまで極端に偏るとなると、間違いなくTOEICの特性が影響しているのだろう。よく言われることだが、TOEICには無能な人物は出てこない。仕事をさぼったりミスを隠したりする社員は一人もおらず、みんな快活で誠実な社会人生活を送っている。故に、語彙もポジティブなクラスタに偏るわけだ。▼ビジネスマンとして、前向きなことは優れた気質だろうが、語彙が偏るのは好ましくない。

[3872] Apr 11, 2020

昨日の続き。前述の諸条件に加え、在宅勤務する社員は「家人や知人等に何らかの情報が漏洩した場合、会社に発生した損害を個人的に賠償する責任がある」と定める書面に同意する必要がある。▼このような契約が一般的かどうかは知らないが、会社の規模を考えれば個人で背負える賠償額になるとは思えない。小さな子どもがいる場合、事故的に仕事場を目撃されてしまう可能性もある。子どもが相手では、口止めしようとしてもしきれるものではない。そんなリスクは負えないので在宅はできないと言われたら、結局、プロジェクトの方が手詰まりになってしまう。会社要請による在宅化にしては、社員側に負わせる制約と責務がいささか大きすぎるように思える。▼テクノロジーの面でもビジネスの面でも、課題は山積みと言わざるを得ない。初めて明確な責任者側に立った途端、この事態というのは恵まれないようだが、いきなり貴重な経験が出来たと前向きに捉えるしかない。

[3871] Apr 10, 2020

在宅勤務の方向性を模索している。▼出社しない方針だけは示されたものの、現場は「ないないづくし」だ。個人のパソコンを使うことは許されない。社内ネットワークに繋ぐことも許可しない。バージョン管理はもちろん、タスク管理もアクセス不能。チャットツールの類も一切禁止。メールもダメ。この条件から導き出される解には限界がある。会社のパソコンを担いで持ち帰り、LANケーブルを抜いて完全なオフラインで作業。コミュニケーションは文通か、暗号化された独自言語でFTPを介したメモを渡す。各自の作業結果は定期的にUSBで会社に持ち寄ってマージする。笑い話のようだが、今のところは本当にこれしか手がない。▼あとは、順を追って何とか改善していこうという気概が会社にあるかどうかだ。五月頭の収束を当て込んで、今回はあくまでその場凌ぎの在宅と決め込んでいるなら失望しかない。未来を見ているのかどうか。トップの姿勢が問われている。

[3870] Apr 09, 2020

急転直下。今日一日で状況は大きく変わった。保育園は二人とも登園中止となり、会社は事実上の出社停止。急遽、四月は自宅にこもることを余儀なくされてしまった。▼具体的な方策が定まらないうちに、実行不可能と言われていた在宅へ強制的に切り替えたことは英断だと思っている。もっとも、まともなネットワークすら構築されていない状態で業務を継続する知恵は現場が出さねばならないのだが、このままダラダラと出社して感染者でも出てしまったら、さらに取り返しのつかないことになるところだった。「まず動いてから後始末。」このスピード感こそ、今の我々が必要としていた行動哲学だったと言って間違いない。失うものも大きいが、無事にこの苦境を乗り切った暁には、得られるものも十分に大きいはずだ。▼明日、具体的な方針を詰める。どうすれば各自在宅で業務を遂行できるのか。こんなことでもなければ定年まで考える機会のなかった根源的な問いである。

[3869] Apr 08, 2020

朝も夕方も。横浜駅は人でごった返している。白いマスクの通勤者。クイーンズ伊勢丹は閉まっていたが、シャッターの前を通り過ぎる人の数は普段と変わりないようだ。どこの企業も取り立てて有効な施策を打ち出せない現状が透けて見える。▼閑話休題。エレクトロラックスの「エルゴラピード」が届いた。パワープロの無印。さっそく床を滑らせてみると、実に具合がいい。最高だ。動き方に癖があるので慣れは要るが、広範囲を掃除するときの負荷の少なさは他のコードレス掃除機を圧倒している。ドライタイプのクイックルワイパーで拭き掃除をしているような感覚である。▼その代わり、小回りは効かない。方向転換は思ったよりしやすいが、椅子の隙間を縫ってガチャガチャと細かいところを掃除するような使い方はできないと思っていい。故に、これとダイソンのスリムを二本使いするのが、あらゆる点で最強と思われる。この二本とクイックルが揃えば掃除に隙はない。

[3868] Apr 07, 2020

緊急事態宣言を受けて会社から方針説明があった。要約すると、緊急事態宣言に法的拘束力はないので、明日からも通常通り出社せよということだ。コア業務のテレワークが難しい以上、残念だが当然と言うしかない。▼今までにないほどの手洗いうがい、マスク着用の徹底によって自衛はしているが、芋洗いのような保育園に二人の子どもを預け、満員と行かないまでも密度の高い電車で通勤し、百人規模の一部屋で昼夜オフィスワークを続けている以上、ウイルスから身を守るといっても限界がある。やれることはやって、自分の力でどうにもならないことは、天命を待つしかない状況である。▼最寄りの内科は感染者と濃厚接触のため閉鎖したようだ。訪ねてきた患者の一人が検査の結果陽性だったということだろう。とうとう身近なところに忍び寄ってきた。神経質すぎるのも良くないが、今この一時は過剰反応くらいでちょうど良い。手の荒れは覚悟で、消毒液にまみれている。

[3867] Apr 06, 2020

「パス単」が遠い。▼いきなり「パス単」を丸暗記、ないしフラッシュカードで叩きこむのは無謀だと思っている。もうそういう無茶が効くほど若くない。故に、外堀から埋めている。「文単」「速読速聴」のあと、直行はせずにSATへ迂回した。語彙はちょうど英検一級レベルでありながら、高度な自国語の習得に苦しむネイティブ達に配慮して、記憶の定着に特化した優秀な教材の揃っている点が良い。もっとも、その手の教材は収録語彙のカバー範囲が広くないので、難易度の高い言葉はひっそりと外されているが、そういう言葉こそ最後の最後に「パス単」で拾えば良いと思っている。単語帳というより試験用の簡易目録として使うわけだ。▼GREを経由するかどうかは残り時間による。Verbalセクションの難易度は英検一級を上回ってしまうので、オーバーキルになる可能性もある。やはりSAT⇒英検一級⇒GREが正規の攻略ルートではなかろうか。レベル上げは続く。

[3866] Apr 05, 2020

「てにをは」とは、助詞の総称である。けっして「てにをは」の四文字だけを指す言葉ではない。「てにをは」がなっていないと言われたら、それは助詞の使い方全般に難があるということだ。▼最近、若い子の文章を添削する機会が多い。指摘の余地がないほど立派な文章を書く子もいれば、ほとんどの文にリテイクが必要なほど拙い子もいる。何がそれほど拙いかというと、やはり「てにをは」だ。▼とりわけ、格助詞の選択を間違えている場合が多い。機能を取り違えていたり、主張の内容に合っていなかったり、語尾が正しく呼応していなかったりする。大体、指摘すればすぐに修正されるので、能力不足より推敲不足が原因だろう。▼副助詞がほとんど見つからないのも特徴的だ。AはBだと述べる以上の細かいニュアンスが落ちていて、文同士が至る所でぶつ切りになっている。そのこなれていない感じが、個々の文の拙さをいっそう際立たせてしまう。▼助詞は大事なのだ。

[3865] Apr 04, 2020

新弾が出るたびに要調整のカードを孕みつつも、ここまで全体的には良いバランスを保ってきた『ゼノンザード』だが、最新企画・ソートアートオンラインとのコラボで急激に崩壊が進んでしまった。特定カードのナーフで巻き返せる崩れではなさそうなだけに、寿命が大幅に短くなった感がある。現環境は特定の色、特定のデッキしか見ない。多めに見積もっても三種類で回っている状態である。面白さを見出すのは難しい。▼「コラボカードが強い」と「コラボカード同士を組み合わせるとさらに強い」は、同時に満たすべきでない設計のひとつである。そこへ加えて「コラボカードは特定の色にしかない」まで加わったため、デッキパターンが著しく限定されてしまった。旧カードと同じスタッツで、能力Aがない代わりに能力BCDEを持ち、さらに新カード同士で相乗効果を発揮するとあっては、もはやカード選択のトレードオフなど存在しようもない。やはりコラボは難しい。

[3864] Apr 03, 2020

次男が強い。▼登園初日。部屋に解き放たれると早速ドアノブに悪戯したり、ガラスに頭を叩きつけたりする。支度を終えて別れ際、寄ってきたところを保育士さんに確保されてそのままお別れになったが、泣きも怒りもせずにしたり顔で見送られた。九十分後。迎えに行った妻によると、他の新園児たちが泣き喚く中、電車のおもちゃを手にご機嫌で遊んでいたらしい。家に帰ってからも、心なしかハイテンションのようだ。▼二日目。登園準備後の帰りにはもう、どっかりと椅子に座って机を叩き、保育士さんに麦茶を飲ませてもらっている。わが物顔である。この日も問題なし。長男の迎えに同行したときは、二歳児クラスのおもちゃを勝手に奪って遊んでいたそうだ。▼タフガイで何より。もちろん、保育時間が伸びてお腹が空くようになったり、体調の悪い日に預けられたりしたら泣くかもしれないが、初期の頃の長男に比べると、圧倒的にドライな態度を見せていると言える。

[3863] Apr 02, 2020

「サラリーマン」は和製英語だと思っていたが、日本の会社員を指すときはネイティブでも使うことがあるようだ。昨日のNewYorkTimesにしれっと出ていて驚いた。特に皮肉的な用法でもない。日本人のホワイトカラー=Salarymanなのだ。尚、記事はSalarymenという複数形を使っていた。▼折り紙(Origami)から過労死(Karoshi)まで、日本語が英語化した例は枚挙に暇がないが、和製英語からの逆輸入はめずらしいのではないだろうか。パッと他には思いつかない。和製英語一覧を見てみても、逆輸入されたケースは見当たらないようだ。▼「サラリーマン」という言葉の醸す哀愁が「オフィスワーカー」や「ホワイトカラー」には無かったことが、逆輸入を引き起こしたのかもしれない。給料のためにせっせと働く真面目な人々。日本人的会社員。その独特の姿をズバリ表現する語彙として、「サラリーマン」以上にしっくり来る表現を無理やり探してくる必要はなかったのであろう。

[3862] Apr 01, 2020

今日は次男の入園式。コロナウイルスの影響により集合写真もなく、顔合わせの挨拶と明日以降の説明で終わってしまったらしい。本来なら入園式ごと無しになるところを、なんとか形だけでも開催した格好とのことなので、残念だが贅沢は言えない。長男の進級式も省略されたようだ。▼だが、どうあれ、明日から次男も保育園に通う。こんな状態でどう保育園生活に適応するのだろうかと不安になるような傍若無人ぶりだが、根はマイペースだし、案外うまくやるかもしれない。とにかく、ご飯さえちゃんと食べるようになってくれれば、あとは慣れでなんとでもなる。ご飯。そこだけである。▼あとは、雨の日にどう登園するかが決まっていない。長男が大人しく傘の下に入ってくれれば、次男は抱っこ紐で行くという手もある。それがダメなら取り付けの面倒なベビーカーのレインカバーを使うか、90cmのメガブレラを買ってベビーカーもろとも傘に含めてしまうくらいしかない。

[3861] Mar 31, 2020

タスク管理用サーバー改造のため、CentOSに潜って試行錯誤。めったに触らないのでテキスト編集ひとつするにもコマンドがわからず苦労したが、数時間もターミナルに向き合っていると案外慣れてくるものだ。QiitaとStackOverflowを頼りに、なんとか必要なセットアップを終わらせた。意味不明なエラーメッセージでも、全文検索すると誰かしら先駆者が情報を公開してくれているのが、本当にありがたい。▼苦労したといっても、その日のうちに終わる程度の労力だ。これで痒い所に手が届くなら文句はない。今までのプロジェクトでも、管理者任せにしないで積極的に突っ込んでいけばよかったと思うくらいだ。プロジェクトの規模が大きくなればなるほど、ちょっとした思考と手間の削減が全体工数の圧縮に直結する。そのことを実証してみせたいという意気込みもあって、幅広くヒアリングしながら環境の改善とトイルの削減を進めている。できることは、まだたくさんある。

[3860] Mar 30, 2020

出社。いつもと変わらない光景。食事もあれば、会議もある。いたって普通の、平穏な仕事場である。▼だが、こうした見せかけの平穏が、事態の深刻さを覆い隠している節もある。明日にでも緊急事態宣言が出て、主要都市が閉鎖され、多くの社員が出社すらできなくなるかもしれないのに、その場合の代替プランを考えるのは、野暮な心配だと見なされるのだ。「そうなったらそのときに考えればいい。」テールリスクの黙殺は、旧日本社会に深く根付いた病理のひとつだと思う。▼二年前に転職した後輩から、全社員がテレワークに移行したことを知らせるラインが来た。自宅に構築された作業場の写真付き。コロナが騒がれ始めた二月から段階的に準備を始めて、ようやく環境が整ったそうだ。もし長期的な封鎖が現実となったら、こういうところで競争力に決定的な差が出てきてしまうのだろう。良い会社だが、できない理由を並べて変化を拒絶する文化だけは好きになれない。

[3859] Mar 29, 2020

雪。午前中は真冬のように降ったが、午後になるとからっと晴れた。それなりに積もっていた裏の路も元通り。いっときの幻めいた、初春の降雪だった。▼連休。どこへも遊びに行けないので、子どもたちの身体が余りに余っている。家の中で遊ぶといっても、子どもが消耗するほど身体を動かすには無理があるので、どうしてもそうなる。結果、親は交互に絡まれて、息つく暇もないということになる。▼子どもの相手が想像以上に精神的な疲れをもたらす理由は、先が見えないからではないかと思う。会話であれ遊びであれ、非合理的なエネルギーの塊を相手にするので、何がどう発展していくかわからない。着地点が見えないのだ。「正直でよろしい」と誉めれば「掃除機?掃除機のボスが来たよ。顔に掃除機が来たよ。顔のところに掃除機が来たよ。顔に。」とまとわりつかれる。こんな想定不能な物語の連鎖に否応なく巻き込まれるところが、疲弊の最大の原因なのではないか。

[3858] Mar 28, 2020

NewYorkTimes購読から二週間。今のところ毎日三〜五記事くらいはコンスタントに読んでいる。紙の新聞読者には当たり前のことだろうが、どの面の記事も大抵別の面にまたがっているので、自然と様々なヘッドラインを目にする機会を得られるのが非常に大きい。ここがデジタル版との差だ。圧倒的な牽引力の違いである。▼実際、デジタル版のみだったときはここまで読めていない。EconomistTodayのエスプレッソですら読まない日があったくらいである。それに、語彙の負荷は軽いが、引き締まった基礎表現を何度も目にするので、定型文として覚えてしまえるところがライティング対策にもなっている。強制的な繰り返しによる運用語彙の獲得が主だ。巷で言われるほどリーディング対策寄りではなさそうに思う。▼今日は集金が来た。三ヶ月以上ならクレジットカードが使える。次の集金まで続いていたら、そのときは三ヶ月以上に切り替えよう。その後は、いつやめてもいい。

[3857] Mar 27, 2020

外出自粛要請。今週末は外へ出られない。▼感染拡大の重要局面ということは理解している。自粛を要請することの是非は、紛れもなく是に違いない。問題は、これがいつまで続くのかと、これで本当に感染拡大を抑えられるのかだ。▼野球界でも藤波投手が陽性。さらに食事を共にした別の二選手も陽性となった。英国首相はじめ、著名人にも次々と罹患者が出ている。検査圧力の強い人たちでこれなのだから、37度程度の熱なら検査どころか病院へも行かず平然と出社してしまうサラリーマンの溢れる市井に、はたしてどれほどの隠れ罹患者がいるものか。あまり考えたくはない。▼テレワークの可能性を否定し、通常の働き方を堅守している弊社でも、万一陽性が出た場合には大規模な部門閉鎖が発生することになっている。同じようにテールリスクを踏んだら慌てて対応する式の方策を採っている企業は多いだろう。だから、ひとたび爆発したら――あとは、一瞬かもしれない。

[3856] Mar 26, 2020

クリニカ『フッ素メディカルコート』を買う。▼歯磨き粉を買うとき、いつもの第一三共ヘルスケア『クリーンデンタル』シリーズよりフッ素の配合量が多い商品はないかと棚を探したところ、副産物的に見つけた商品。歯磨き粉のフッ素量が50mg多いとか少ないとかで一喜一憂するより、磨いた後にこちらで仕上げてしまった方が遥かに良さそうだと即決で買ってみた。▼この手の商品はレビューが難しい。「使い始めてから虫歯にならなくなりました!」と言っても、毎月虫歯になっていた人でもない限り、二ヶ月や三ヶ月程度でそんな効果が実感できるわけはないし、二年、三年と使って、確かに前より虫歯にならない……と思った頃には、他の新商品が出ていたりする。それらと比べてどうなんだと言われたら、また振り出しに戻ってしまう。▼故に、感想は枝葉末節の事柄に留まらざるを得ない。りんごのような味がする。刺激が少ない。漱いでも泡になりにくい。等々である。

[3855] Mar 25, 2020

「ウマ娘」が見事、事前登録二周年を迎えた。▼いっそ清々しい快挙である。私も、忘れていたわけではなかったが、覚えていたわけでもなかった。二周年を祝うタグを見て、ようやく気づいた程度だ。登場キャラクターの世代的にもジャストミートしていたはずの私でこれだから、よほど熱心なサポーターでない限り、もう待ち望む心は離れきっているように思える。満を持してリリースしたとして、どうやって客を取り戻すのか。皮肉ではなく純粋な気持ちとして、覇権企業のお手並みを拝見してみたいところだ。▼今年、あるいは来年、想定通りの形でリリースされたとして、プレイするだろうか。判断に悩むところだ。ちょっと触ってみて、面白くなければ投げ出してしまうかもしれない。あるいはディスガイアのように課金戦争についていけず、脱落するかもしれない。わからないが、どうあれ、応援していたよしみだ。リリースした暁には、告知のリツイートくらいはしよう。

[3854] Mar 24, 2020

連日株価が低迷している。普段なら、株の財産など持っていないので、乱高下する株価に一喜一憂することもないのだが、めったにないストックオプションの行使期限が近付いてきたので、柄にもなく焦っている。詳しい数字は書けないが、コロナショックでキャピタルゲインはあっという間に半分以下まで落ち込んだ。こうなると、もはや期限ぎりぎりまでリバウンドを祈るしかない半塩漬け状態である。祈る以外にできることはない。▼儲かる儲からない以前に、こうして「気になること」が増えるから、株やFXには興味が向かない。ひとたび気にしだすと、気になって止まらない性格である。株の資産など手にしていたら、チャートに貼りついてロクに勉強もできなくなるに違いない。だから、どうあれやらない。そういうところに脳のリソースを割きたくないのだ。▼二千円の株が二千万になることは宝くじ級にないだろうが、二千円の本なら二千万になってもおかしくはない。

[3853] Mar 23, 2020

学習の肝は「知識との意外な再会」である。▼記憶を定着させるには、何らかの形で驚くことが効果的だ。この視点に立つと、実のところ、英英辞典による英単語の習得には負の側面がある。最近は、日本語対訳の丸暗記から入った方が良いのではないかと思い始めている。▼どういうことか。たとえばContractという単語を、単に「契約する」という和訳で覚えていたとする。次の表現を見る。"Can Pets Contract Coronavirus?"。契約という和訳は当てはまらないが、意味はすぐに理解できる。コロナウイルスに「罹る」ということだ。なんと、そんな使い方が。罹患とはウイルスとの契約であったのか!▼こうやって驚いた人の方が、たとえば最初からContractを英英で引いて「契約する」「負債を負う」「まゆを寄せる」「習慣を身につける」「言葉を短縮する」「病気にかかる」……と無限のニュアンスを結局は丸暗記した人より、深い長期記憶が手に入るのではないだろうか。

[3852] Mar 22, 2020

ついに次男がお菓子を齧った。▼いつもは舐めるために持っているビスコ。目の前で何度も口を開け閉めして噛む動きを教えていると、ようやく試しにやってみようと思い立ったのか、舌を引っ込めて前歯で端を噛んだ。ビスケットとクリームが口の中に入る。そのこと自体はイヤなようで、下で口の外に押し出したが、押し出した欠片をまた舐め直していて、ぎりぎり「噛んで食べた」と言える行為を成立させたのだった。苦心一年四ヶ月。大いなる進歩である。▼タイムリミットまで残り三週間。三週間以内に離乳食が食べられるようになれば、登園拒否の心配もなくなる。これまでは何をどうしても口の中に物を入れようとしなかったが、「舐める」を経て「齧る」まで来てくれれば、「咀嚼」まであと一押しだ。食べ方さえ覚えてくれれば大食漢の雰囲気も醸している。夕飯をもっちりと食べて夜中のミルクで起きないようになってくれれば、ようやく親の生活も安定軌道に乗る。

[3851] Mar 21, 2020

公園で紙の新聞を読んでいて、あらためて紙の力を思い知らされた。というより、新聞という媒体の強さを認識した。新聞vs電子版には、紙の本vsKindle本とはまったく違う対立軸がある。▼一、軽い。新聞は本当に軽い。したがって、手が疲れない。スクロールする手間もないし、他のアプリの通知に割り込まれることもないので、ひとたび読むモードに入れば長時間読んでいられる。ニュースのように毎日目を通すメディアにとって、読んでいて疲れないという属性は極めて重要である。▼二、新聞は再開性が高い。とりわけ複数の記事を並行して読む場合、電子版だと前に読んでいた記事の位置はリセットされてしまうが、紙ならいつでもどこからでも以前の記事を再開できる。このレジューム力の高さは圧倒的な魅力である。▼本はKindle、新聞は紙とデジタルの併用が万能そうだ。尚、知らない単語の割合が少ないので、電子辞書が使えないことはそれほど苦にはならなかった。

[3850] Mar 20, 2020

次男、駅まで完走。▼ベビーカーを携行したものの、乗りたがらないので歩かせた。坂道もなんのその。縁石の段差も果敢に越えて、見慣れない草花があれば触りに行き、金属製の電柱があれば叩いて音を響かせる。すっかり探検が板についている。おまけに全く言うことを聞かないので、完全に逆走したり横道に逸れたり、トータルで倍くらいの距離を歩いた。靴を履かせると一歩も動かなくなった先月を思えば、驚くべき急成長である。▼近距離パワー型は相変わらずだが、昔よりコミュニケーションは取れるようになってきている。遊ぶ雰囲気を出したから遊びに乗ってくるとか、定型文でお願いしたことを実行してくれるとか、そういうインタラクティブなシーンが増えた。この調子で「待って」や「やめて」を覚えてくれれば平常時はいくらか楽になる。今はこれができないから癇癪と破壊に歯止めが効かないわけだ。長男以上にイヤイヤ期が思いやられる。辛抱が求められる。

[3849] Mar 19, 2020

フルネームの実印を作る。▼素材は彩樺。バーチ材をフェノールレジンと結合して高圧加熱処理を施した、手ごろでエコな人口新素材だ。美しい木目を持ちながら、通常の木材よりも数倍硬く、伸縮したりひび割れたりもしにくい。天然物にこだわらなければ、実に合理的でバランスのよい選択肢である。▼本当は、同じ真樺由来のフェノール樹脂合成素材である「アグニ」を選ぶつもりだったが、妻に実物を見てもらったところ、かなり艶のある赤なので女性味が強すぎるかもしれないということになり、彩樺にする予定だった妻と急遽素材を交換した。▼実際、高級感と温かみを兼ね備えた上品な赤なので、男性が単独で所持しても何もおかしなことはないのだが、夫婦で同系統を揃えるとなると、私がアグニで妻が彩樺では、色合いがちぐはぐな印象になる。どちらも良い材質には変わりないので、結果的には交換して良かった。区役所での印鑑登録も無事に完了。準備万端である。

[3848] Mar 18, 2020

ファンタジー音楽を聴き漁る。商品化していないオリジナル作品を中心に。▼単なる趣味なので分析的な意図はないのだが、音楽の文脈で語られる「ファンタジー」の定義は狭すぎるように感じている。異国情緒を醸すような、牧歌的で抒情的な民族音楽ばかりがファンタジー音楽ではないはずだ。▼では、どんな音楽がファンタジーか。実は、作者自らがファンタジーと銘打っていなくても、その括りに十分入ってくる曲はたくさんある。共通項は、曲の背景に超等身大的な物語があること。楽器構成がどうあれ、スケールが何であれ、何らかのストーリーを語りながら、私たちの日常を歌ってはいない曲である。▼そういう曲が、思った以上に検索範囲の外にあることに気がついてきた。だが、作者自身が規定せず、アピールもしていない幻想を見つけにいくのは難しい。結局、検索に今まで以上の柔軟性を持たせて、しらみつぶしに探すしかないのだろう。地図は広がってしまった。

[3847] Mar 17, 2020

お試しでNY Timesを読んでいる。キオスクで買えるのが便利だ。紙面の構成も、文章の質も、思ったより肌に合う。エコノミストと比べて知らない単語の割合が低いため、難語に遭遇するまでの間隔が長く、流し読みがしやすい。電車の中では読めないほど文字が小さいのは難点だが、多読用には今のところ一番ハマっている気がする。▼他を全部解約してNYのプリント/デジタルのプランに一本化すれば、実はトータルの出費も安くなる。もちろん、本当なら様々なメディアを比較読みした方が得られるものは大きいが、それはお金と時間が潤沢にある場合の話だ。より安く、より短時間で、より効率的にとなると、気を散らすのは得策ではない。▼生涯の友にするなどと意気込まなくても、試験までの教材と割り切って月極で取ってみるのが面白そうだ。ダメならダメでやめればいい。サイトの出来映えも良い方だと思っている。記事ごとにサイズを変えて重みづけしているのが良い。

[3846] Mar 16, 2020

家族カードを要する都合、再びクレジットカードの比較をしていたのだが、以前一枚にまとめたおかげで年間の利用額と利用パターンも見えてきたから、各カードに仮想利用額を定めてポイントやキャッシュバックを総合したトータルの還元率を算出してみた。その結果に愕然とした。▼数字から言うと、au WALLETゴールドが圧倒的。auでんきの利用額に応じて幅はあるが、年会費も差し引いた仮想還元率は1.78〜1.93%となった。同じ計算だと三井住友ゴールドは0.62%なので話にならない。最も有望なのは楽天ゴールドの1.44%だが、これでも差はある。率だけ見ればauを選ばない理由はない。▼だが同時に、こうして数字で見たとき、auに囲い込まれ、電気会社も固定され、様々なボーナスを使いこなしても尚、年間0.4%――8000円の得にしかならないことに気づいてしまったのだった。端金とは言わないが、より安い電気会社にするだけで切り出せそうな額の差しかないのである。

[3845] Mar 15, 2020

本来なら今週からペナントレースだが、コロナウイルスの影響で延期となっている。開始日は未定。少なくとも四月十日以降とのこと。▼開幕を楽しみにしていたファンもつらいが、それ以上に選手は大変だ。いつ来るかもわからない突然の開幕に備えて常にコンディションを整え続けなければならないし、オープン戦で掴んだ感覚も逃さないようにしなければならない。もっとも、巨人のようにうまくいかなかったチームは、逆に冷静さを取り戻して戦略を練る良いチャンスになるだろうし、怪我で開幕に間に合わなかった選手は一時の猶予を与えられることになるから、一概に悪いことばかりではないだろうが、ファンも選手も、いまいち盛り上がりを欠いた気分になるのは確かである。気持ちがしけってしまう前に、なんとか開幕して欲しいものだ。▼あれもこれも、コロナがどうにかならないことには始まらない。家庭にも仕事にも多大な支障が出ている。一刻も早い収束を祈る。

[3844] Mar 14, 2020

「ピーナッツ全集」の予約期限が三月末から六月末に延長されたらしい。大好評なのだそうだ。全巻セット七万円という高額でありながら注文数は五千を超え、さらに伸びているという。もしも一万部売れたら、なかなかの偉業である。▼正直に言うと、欲しい。しかし、古くからのピーナッツファンというほどでもないニワカが興味本位で買うには値段が高すぎる。予約特典の『別巻』にコレクター的な興味がなければ、予約はせずにバラで買い集めても遅くはないだろう。それに、谷川俊太郎の訳はないが、NY Timesを買えば一話は読める。そこでささやかに楽しむくらいがちょうどいいかもしれない。▼ところで、先日の決定を覆すが、WSJからNY Timesに逃げる気でいる。理由はひとつ。WSJのトライアルキャンセルの経路が酷すぎる。このあくどさ、最近話題のソフトバンク以上だ。ロクなカスタマーサポートが期待できないので、この手の母体は徹底して避けるようにしている。

[3843] Mar 13, 2020

とあるプロジェクトが事実上崩壊した。全社的にも珍しいレベルの惨事である。教訓はただひとつ。「製品は人が作っている」ということだ。▼あまりにも当たり前だが、それなり順調な成長を遂げてきた近年、いささか忘れられていた節がある。採算の取れる企画を立て、必要数の人員を配置し、スケジュールを組んでリリース日を決める。その日が来れば製品は出来上がるので、あとはきちんと宣伝をして売る。想定より多かれ少なかれ利益が出る。その繰り返しというように。▼とんでもない話なのだ。人員配置とスケジューリングだけで製品が完成するなら誰も苦労はしない。必要な数の人間がいることと、その人間の集合が製品を完成させられるかどうかは、全く別の話である。作れる人と仕上げられる人がいなければ、誰がどう計画をこねくり回したところでモノは上がらない。納期を定めて死守と叫んでも製品が召喚されるわけではないのだ。それを再確認しただけである。

[3842] Mar 12, 2020

ELSA Speakのアセスメントは83%。かろうじて上級者の部類だが、課題も多い。指摘されている点を列挙しておく。▼wとvの混同。これはELSAに言われるまで気づかなかった。確かに録音を聴き直すとvのところがwに聞こえることがある。しっかりヴの音を出し切る必要がある。aspiration sounds(p/t/k)が弱い。これは空気の出し方がまだ日本語になってしまっているのだろう。str/stk/stsといった子音のまとまりがごちゃついている。ofのfやmissのssなど、Ending Soundが弱い。s/shもやや混同していることがある。▼このあたりが相対的に得点の低い項目だ。他の項目は90%後半が並んでいるが、100%はひとつもないので、どこかこなれていないというか、隙があるというか、ネイティブ風には遠いということなのだろう。当然だ。録音を聴いても明らかな日本人英語である。話す機会のなさ故に、仕方のないところだ。▼弟にも紹介した。異国にいても良い練習になるだろう。

[3841] Mar 11, 2020

HBR。クレジットカードの支払いが何度やっても跳ねられる件を問い合わせたら、こちらでやっておいたから大丈夫という腑に落ちない回答が来た。Failしたときのフォーム情報を見て勝手に決済したということだろうか。結果的に意図通りとはいえ、釈然とはしない。加えて、今年限りでオンライン版を辞めるからQuitの手順を教えてくれとも書いたのだが、そちらに対するコメントはひとつもなし。疑問があればいつでも問い合わせてくださいという結びの言葉が空しく響く。▼長らく世話になってきた雑誌だが、問い合わせの応答はいまいちだし、何年経ってもアプリはまるで改善されず、情報の質も他のメディアに追いつかれ、追い抜かれてきたところもある。寂しい気もするが、ちょうどよい乗り換え時かもしれない。気になる特集があったら、そのときだけ日本語版を本屋で買うことにしよう。いつの日かもし、アプリがまともになったら――そのときは声をかけて欲しい。

[3840] Mar 10, 2020

『1100 Words You Need to Know』が届く。▼でかい。でかすぎる。たしかに、よく見ると商品寸法には19.8 x 2.3 x 27.6cmと書いてある。A4サイズより少し小さいくらい。電車の中で読めるサイズではない。読み物というよりドリルに近いので、家のワークアウト用と割り切ってしまう。それなら大きいに越したことはない。文字は読みやすいし、書き込みもしやすい。▼5つの単語を覚えるユニットを4日分。これをひとつのチャプターとして、全部で46チャプターを46週間で完成させるプログラム。だが、毎日の日課にするならともかく、集中的なボキャビルに20単語/weekは少なすぎる。weekをdayに読み替えて、46日+αで一冊終えてしまうくらいのペースが良さそうだと見ている。それなら土日を抜いても二ヶ月ちょっとで終わる計算になる。▼読み物は『Verbal Advantage』を買った。こちらはより作者の趣味色が強い「国語本」である。キクタンが終わったら読んでみよう。

[3839] Mar 09, 2020

コードレス掃除機の導入を検討中。▼ネットの評判だとダイソンのV8 Slim Fluffyが圧倒的な人気を誇っている。大きくて重たい欧米向けサイズの正規ナンバリングV8を、日本人体型に合わせてカスタマイズしたモデルらしい。小型で軽量。ヘッドの回転も柔らかく滑らかで、取り回しもスムーズである。私の体格だと標準モデルがぴったりだが、世のお母さんたちは明らかにSlimの方が使いやすいだろう。売れる理由もわかる。▼ただ、懸念もある。標準版に比べて稼働時間が短いこと、吸引力が弱いこと、ゴミ捨てのときにゴミとの距離が近いこと、持ち手の部分が小さくて若干窮屈なこと。そして、これはダイソン共通だが、電源がトリガー式なので広範囲を掃除しようとすると指が痛くなる。ワンルームや一人暮らしでなければ、ロボット型との併用が良いのかもしれない。ルンバも究極の最新型が発売されていた。資金さえあれば、現時点ではルンバ+Slimが最適解なのだろう。

[3838] Mar 08, 2020

『速読・速聴英単語Advanced』終了。文章の難易度がリアルよりなので良いリーディングの練習になる。知らない単語もちらほらあったので、役には立った。▼とりわけやってよかったのは、内容も文章も読みごたえがあって質の高いセクションが、たいていエコノミストの引用だったことだ。やはり、現時点ではレベルと負荷がちょうどいいらしい。それを再確認できただけでも有益だった。ウェブ版が読めないのは相変わらずだが、安心して購読を続けられる。▼ただ、負荷は大きいので、もう少しスラスラ読める「お気楽版」が欲しい気持ちもある。いつもいつも、眠たい電車の中で修行ができるわけでもない。そう考えると、いっこうにアプリを改善する気のないHBRを捨てて、WSJに乗り換えるのがよさそうだと思っている。英国と米国の二本立て。気が向いたときに気が向いた方を読めるようにしておけば、気負わずに朝の電車を過ごせる公算が立つ。プランの筋は良い。

[3837] Mar 07, 2020

電車での移動中はもっぱらYoutubeで"AcademicWriting"の動画めぐり。Courseraの修了証なしを回ろうかと思っていたが、講義ベースなだけあってちょっとテンポが悪い。動画なので不明なところは聴き直せるし、スライドも間に合わなければ止められるのだから、もうちょっとサクサク進んでくれた方がありがたいと感じた。そこはYoutubeの方が、積み重ねられた編集ノウハウが活きている。▼以前も言及した通り、ライティングはれっきとした苦手分野。なんとなく勉強していても実になる気がしないので、数をこなす式ではなく、がっつり基礎と形から入る。ラジオを聴き流せばリスニングが上達するという説を信じていないのと同じくらい、毎日英語で日記を書いていればライティングが上達するという説も信じてはいない。Introduction=Hook+Funnel+Thesis(=Topic+Controlling Idea)のような、理詰めの方が入口としてはしっくりくる。最初はやっぱり、理屈が欲しいのだ。

[3836] Mar 06, 2020

英語発音矯正アプリ『ELSA Speak』が面白い。ようやくシンプルかつ有益なAIの使いどころが出てきたなと思う。これぞ新時代の恩恵というやつだ。▼マイクに自分の発音を吹き込むと、即座にAIが発音の正しさを判定、言えていない部分を指摘してくれる。その指摘も私が感じる範囲ではかなり正確。どの文字の何がどう悪いかを具体的に教えてくれるので、指示された通りに再チャレンジすると、すぐにうまくいったりする。この即時性が地味に楽しい。▼このアプリだけでネイティブばりの発音が出来るようになるとは言えないが、相手に伝わる発音を目指すという目的には大きく寄与してくれると思う。綺麗かどうかはともかく、音が正しくて、他の単語や表現に誤解される余地がなく、聞き返されることの少ない発音には近づいていくだろう。金銭的にも時間的にも英会話スクールなど行く余裕のない私のようなライト層にはうってつけのアプリである。しばらく使ってみよう。

[3835] Mar 05, 2020

スローペースでエコノミストとやりとりしていた件。結局、向こうの同期仕様(不具合か仕様かは明言していない)により、iPhoneアプリからサブスクリプションを購入した場合は、ウェブからのアクセスはできないことが判明した。▼ウェブとアプリの両方からアクセスしたい場合は、ウェブ上のデジタルサブスクリプションを購入せよと言う。アプリからの購入とウェブからの購入を二重でしなければいけないのか、それともウェブのデジタルアクセスが両方を含んでいるのかは、はっきりしない。今度はウェブ版を買ったらアプリアクセス不可、などということになったら、二度と購読しなくなる気がする。▼面倒なことになる前にと代替品も探していたが、あまりピンとくるメディアはなかった。デジタル版ならジャパンタイムズは破格だったが、洒落っ気のない文のカラーがどうも好みに合わない。いくら安かろうが琴線に触れないと続かないので、検討対象には入れなかった。

[3834] Mar 04, 2020

決起会、打ち上げ、祝賀会、納会、焼肉会、チーム飲み。全部中止になった。次男の保育園説明会と懇親会もなくなったようだ。三月のカレンダーは、気づけば白紙である。▼弊社程度の規模でも全社的に会食や飲み会の類を見合わせているとなると、大企業のお得意さんや地元の飲食店はたまったものではないだろう。ただでさえオリンピックをあてにして極寒の経済状況を耐え忍んできた直後である。残りわずかの体力でなんとか粘っていた個人商店は、不運としか言いようはないが、ここでライフを根こそぎ持っていかれる形になる。▼冗談でも誇張でもなく、長引けば長引くほど連鎖的に倒れていくだろう。これで頼みのオリンピックも延期――それどころか中止――になったら、完璧な止めである。うちの売上への波及も免れ得ない。ここ数年はひどい年になる可能性もある。だが、私はいろいろな方向で動き出してしまった。夜明けを信じて、行けるところまで行くしかない。

[3833] Mar 03, 2020

ミーティングのはしご。二時間ミーティングのあと、部屋を移動して再び二時間ミーティング。脳は回しているのでダラダラやっているわけではないが、自席に戻ると定時になっているので、仕事をしたんだかしていないんだか、これでは「会議に出ているだけのおっさん」扱いされても、まるで謂れのないことではないなと思ってしまう。▼だが、そうは言ってもやはり、ミーティングは重要だ。そこには無駄な会議も、不毛な議論もない。最初から正着手を打つために、あるいは正着手でなくても軌道修正がしやすいように、場合によっては撤退する選択肢も潰さないように、どこをどう攻めていくかの真剣な作戦会議である。兵も兵糧も、勝利のプランを描くにはあまりに不足している状態で、戦を勝ち切るための妙案を絞り出さねばならない。▼絵に描いた餅も白紙よりはマシである。まずは美味しそうな餅が描かれなければ話にならない。そのための会議である。だが腰は痛い。

[3832] Mar 02, 2020

ときどき、長男が次男と遊んでくれる。というより、たまたま二人の波長が合う瞬間がある、と言った方がいいかもしれない。お互いがお互いの意図を汲んでいるようには見えないが、長男のやることに次男がウケて、ウケたのに気をよくして長男がよりはしゃぐというループが完成したとき、しばらく二人だけで楽しんでくれるという構図である。▼この時間は、本当に家事が捗る。完全に目を離すわけにはいかないが、声が聞こえる距離ならある程度は安心して別の作業が出来る。一人っ子より兄弟姉妹の方が楽な瞬間があるとしたら、まさしく、本来なら2の手がかかるところを相殺しあって0になってくれる、この時間ということになるだろう。▼たいていの場合、長男がやりすぎて次男を泣かすか、次男が思わぬ行動に出て長男を泣かせるかして、二人遊びの時間は終焉を迎える。長男の奇行に次男が飽きて、しれっと親のところへ帰ってくるのが、最も平和な終わり方である。

[3831] Mar 01, 2020

昨日の話のつづき。▼日本のトイレットペーパーは、品質が良いのもさることながら、非常に安い。とりわけ西友のネットスーパーは、そこらの通販でバルク買いするより安いのだから敵わない。1ロールあたりの単価は恐らく世界最安の部類だろう。▼ところで、日本製は1ロールあたりの分量をメートルで書く。エリエールのシングルなら60m、ダブルなら30mという具合だ。だが、海外製はシート数で表記していることが多い。1ロール=432シートなどと書いてある。そして、逆算するにロールあたり75シートくらいなのであろうレギュラーロールという単位の4個分や5個分に相当するメガロールやファミリーロールという表現がなされている。故に、12メガロール入りと言われても、日本製で言うところの何ロール分なのか、いまいちピンとこない。▼おおよそ10シート=1mと換算して良いようだ。メガロールでエリエールのダブルくらい。値段は五倍である。

[3830] Feb 29, 2020

トイレットペーパーが消えた。▼デマが原因らしい。曰く、紙がマスクに回されるから紙製品が不足するとか、トイレットペーパーは中国産だから輸入がなくなるとか。九割以上が国産というのは知らなかったが、マスクとトイレットペーパーの原材料が違うことくらい考えればわかりそうなものである。集団パニックは恐ろしい。▼ネットスーパー、アマゾン、いずれも品切れ。楽天には出品があるものの値段は通常の倍以上。マスク、消毒液に続く次の品薄アイテムを担ぎ出すために転売屋がデマを流した可能性もありそうだ。これが行けるとなると、次はどんな生活必需品が品薄扱いされるかわからない。世紀末の様相に近づいている。▼業界団体の日本家庭紙工業会は十分な供給量があるから大丈夫と声明を出しているようだ。今は信じて待つが、この声明が裏切られると、いよいよ連鎖的に品薄転売詐欺が横行し始める恐れもある。不当な転売を厳罰化するくらいしか手はない。

[3829] Feb 28, 2020

長男の保育園はお休み。だが、週末なので荷物を受け取るべく、夕食の買い出しついでに寄る。今週から持ち帰りのお道具箱が想像以上に重い。挨拶して帰ろうとすると、呼び止められた。▼要約すると、コロナウイルスがえらいことになっているので、育休中のご家庭には出来るだけ自宅待機をお願いしているとのこと。平たく言うと、来週からしばらく園に来ないで欲しいという話だ。これはたいへんなことになった。▼四月から次男も登園する。育休もここで解除。したがって、この自制の「お願い」は最長で三月いっぱいということになる。無論、三月で事態が収束せず四月からは育休であろうとなかろうと問答無用で休園になるのが最悪のシナリオだが、そうでなくても一ヶ月の自宅待機はつらい。それに、聞き忘れてしまったが、三月のほとんどを休んだ場合、数万円の保育園代はどうなるのだろうか。満額払わされるとしたら到底納得できない話である。尋ねる必要がある。

[3828] Feb 27, 2020

長男が熱を出した。強制退園である。▼朝は36.5度、登園時は36.7度だったが、その後まもなく37.3を記録し、十時頃にはもう37.5度を叩いたという。それで引き取り依頼の連絡が来た。普段なら、本人が元気である限りは38度を超えるくらいまで様子を見てくれるのだが、最近はコロナウイルスへの警戒もあり、37.5度を超えると半自動的に退園措置が取られてしまう。引き取りに行った本人はいつも以上に元気で、階段をダッシュしたり、謎の言語をしゃべりつづけたり、ゲームの真似をしたり、こちらが病人になりそうなくらいだったが、それでも時折「さむい」と口にしていたので、やはり熱はあるのだろう。病院でカロナールを処方されて帰ってきた。癇癪気味の次男と合わせて、地獄のワンオペである。▼妻は、この三日間、仕事にまつわる講義受講のため東京に出ている。それで私が次男を預かる手筈だったのだが、二日目にして予期せぬ爆弾がついてきた。明日も大変だ。

[3827] Feb 26, 2020

英検1級対策のため、最も苦手意識の強い分野にしぶしぶながら戻ってきた。ライティングである。▼ライティングは、一定以上のレベルアップを果たすために必ず「アウトプット」と「添削」を必要とする。したがって、通勤時間のような一人きりのスキマ時間で学習を完結するのが難しい。これが非常に厄介だ。教師を見つけ、こつこつ英文を書いては添削してもらうというプロセスを今の生活に組み込むのは至難である。時間的にも、金銭的にも厳しい。▼最後の最後で集中的にオンライン英文添削サービスを利用するという手も考えているが、学習曲線がなだらかになるまでは、しばらく脳内英作文と指南書で基礎力を固め続けるしかないだろうと思っている。脳内ディクテーションのおかげで、仮想の紙に英文を書き下すのはいくらか慣れた。同じことをやれば、電車の中でも英作文らしいことはできる。添削がなければ修正点が見えない水準の文が書けるまでは、それでいい。

[3826] Feb 25, 2020

文書ばかり書いている。コーディングは人任せだ。ドキュメント作成、規約執筆、技術ヒアリング回答、見積もり提出、メールワーク。なんとなくそう思っていたが、やはり、現場の統括クラスに秘書ないしアシスタントを置いていないことが我々のアキレス腱のように感じられる。リーダークラスがハンコを押す仕事に忙殺されすぎである。▼そうは言っても、仕事は存在するし、人はいない。自動ハンコ押し機は出来ても、自動文書執筆機が出来るまでは、まだ時間がかかる。誰かがやるしかない。つまり、やれる人――やる立場にある人が、やるしかない。▼偉い人たちから返ってくるメールの内容が、あまりにも簡素すぎる理由がわかった気がする。宛名もなく「了解」とか「精査して」とか、ぶっきらぼうな本文が飛んでくるのは、単に時間がないからなのだ。ひとつひとつの文章仕事をできるだけ圧縮しようとした結果なのだろう。選択と集中の原則が、ここにも働いている。

[3825] Feb 24, 2020

一年と三ヶ月。次男が食事をしない。それだけならまだしも、哺乳瓶以外でミルクを飲まない。頑として飲まない。スパウトからストローへの成長路線へ乗せるべく、今日はスパウト強制を試みたが、いつもならお腹が空いて訴える三時間を過ぎ、四、五、六時間を過ぎてもミルクを拒否し続けた。▼そうしてついに癇癪を起こした。もはや哺乳瓶のミルクすら受け付けない。抱っこも全力で拒絶。のたうちまわって、そこらじゅうの物を手当たり次第に掴み、引きずり回し、投げ、そして自分も転げまわる。暴れる力だけは二歳、三歳並である。長男もしばしば癇癪を起こすことはあったが、ここまでひどい乱暴を働くことはなかった。▼長男は長男で手がかかったが、次男は別路線で長男以上に手がかかっている。普通、兄弟のどちらかは大人しいと言うが、うちには当てはまらないようだ。騒音の兄と、暴力の弟である。二人合わせて最強タッグだ。良い所を伸ばしていくしかない。

[3824] Feb 23, 2020

ずっと昔に買った植田一三さんの本。当時は、レベルが高すぎるというか、目的に合っていないように感じて途中で投げ出してしまったが、今読んでみると欲しい情報にぴたりと照準が合っていて、たいへん感触がいい。リーディングに特化してきた分、ライティングには全く自信がないので、氏の「大特訓」シリーズで底上げしてみるのもいいかもしれない。▼彼の本は、勉強する側に相当のモチベーションを要求する。何しろ、白地のページに黒字で文字を詰め込んだだけの分厚い書籍。昨今の参考書に見られる読者に優しい気遣いは皆無といってよい。所狭しと詰め込まれた無機質な単語の羅列は、情報の整理など自分でやれと無言で訴えているかのようだ。スパルタ。故に、TOEICで何点以上を取りたいとか、今回の海外出張を乗り切りたいとか、短期的な目的には全く向いていない。その代わり、本気で極めたい人には良質な知識を提供してくれる。そんな位置づけである。

[3823] Feb 22, 2020

長男に。とんでもない要求をされた。あまり野菜を食べなかった晩。彼の大好物であるハリボーが欲しいというので、今日は1個だけねと言うと、素直にわかったと言う。蓋を開けてひとつ渡した。イチだね、と言った。そして、もうひとつ寄越せという。1個の約束でしょ、と窘めると、表情を変えずに言った。「なんで?ゼロもあるよね。イチとゼロで2個だよね。」不定形で1=2を導出する数学トリックのような手口である。シェルピンスキーの旅行鞄だ。言い分が洒落ているので、ハリボーはふたつあげた。▼今日も、電車が居並ぶ駅のプラットフォームで、なんで1番線や2番線があるのに0番線がないのかということをしきりに聞いてきた。なかなか良い答えは返せなかった。0オリジンと1オリジンの使い分けについて、子どもにもわかるような明快な回答はあるだろうか。あまり期待はできなそうである。▼だが、0の概念について早くから疑問を持つのはいいことだ。

[3822] Feb 21, 2020

コロナウイルスの脅威が近づいている。▼もちろん、専門的に見て今の状況がどれくらい危険なのかはわからない。先日、専門家会議で流行と言ってよいかどうかを議論しているという話もあったが、何をいまさら悠長なという指摘は筋違いだろう。公式な流行宣言はあらゆる面でその後の命運を左右する。メディアの騒ぎ方が大きすぎるだけで、実際には流行の水準に達していない現象を、二次情報と雰囲気だけで流行と言い切るわけにはいくまい。言った結果、経済に打撃を与えるような意思決定をドミノ式に引き起こして大不況を導いた挙句、蓋を開けてみたらそこまで流行りませんでした……では済まされないのである。慎重になるのもやむを得ない。慎重でなくては困る。▼だが、クルーズ船の件といい、三次感染の件といい、横浜市はとりわけホットスポットになっている。それが怖くてなかなか街に繰り出せない。いつまでもひきこもるわけにはいかないが、判断が難しい。

[3821] Feb 20, 2020

続、CPUの話。▼Ryzenは初期の頃、オーディオに弱いと言われていた。実際、低レイテンシ環境では使用率が三割にも満たないのに音飛びが発生することもあったようだ。複数の検証がなされていたようだから、信憑性は高い。▼だが、どうも第三世代で問題が解消したという情報が入っている。身元の確かな情報とは言えないが、もし本当なら、影響している変化はひとつしかないだろう。SIMD演算の256bit化だ。第二世代から第三世代の変化では最も大きな改善点である。▼昔のRyzenは、極小タスクの分散処理に向いていないという話もあった。これも低レイテンシ環境でのオーディオ再生に難ありという現象に合致する。実は、SIMD演算が128bitから256bitに引き上げられたことで、第三世代の万能性は同レベルのCore-iシリーズクラスに肉薄しているのではないだろうか。「苦手分野」と呼ばれていた部分が大きく解消している可能性は十分にある。より詳細な情報を探したい。

[3820] Feb 19, 2020

Ryzen9 3900Xのコストパフォーマンスがずば抜けている。12コア24スレッドの基本クロック3.8GHzで、実売価格は六万円。単体の最強マシンを目指すなら第三世代のThreadripperも魅力的だが、会社で使うビルドマシンのように、複数台並べて集約的に計算力を確保する目的では、他の候補ではちょっと太刀打ちできない。▼だが、このRyzen攻勢にIntelも黙っているわけではない。第十世代Core-iシリーズ「Cascade Lake-X」は、去年までの流れに対する完璧な回答と言える。基本モデルのCore i9-10900Xは、10コア20スレッドで基本クロック3.7GHz。以前のIntelなら十万は下らない価格で出すモデルだが、3900Xと同じ六万円近くまで値段を下げている。コストパフォーマンスでは3900Xに劣るが、Intel製品の安定感を取るなら文句なく最適解の一角である。実際、今はどこも品薄で手に入りにくいようだ。▼3900X or 10900X。どちらもXなのは紛らわしいが、いまはこの二択である。

[3819] Feb 18, 2020

「うまいプレゼンというのはね、うまいビールと同じだよ。つまり、キレがあるのにコクがある。」▼十年以上前の教授の言葉だ。今でもプレゼンのたびに思い出す。人のプレゼンを見ても、この言葉に照らしてしまうくらいだ。そうして、たしかにうまいと感じるプレゼンは、キレがあるのにコクがある。▼キレがある<のに>コクがある。この接続詞は非常に重要だ。「キレもあるしコクもある」とは全く違う。それでは、アサヒビールが込めたメッセージの本質も失うことになる。<のに>ということは、通常は、キレがあるとコクはなく、コクがあるとキレはないのだ。それが共通理解である。その上で、その共通理解を打ち壊し、本来両立不可能な二項を見事に両立させているという感動を聴衆に与えられるプレゼンこそが、うまいプレゼンなのである。「キレがあるのに、なんでコクがあるんだ?」▼プレゼン以外にも応用の効く汎用のフレーズである。覚えていて損はない。

[3818] Feb 17, 2020

とある会で。若い子が息巻いていた。曰く、先輩が無能すぎるのだと。勤続十数年目のベテランである。だが、彼から見れば、何もできないし何も仕事をしないチームの癌だという。やがて刃はさらに上へと向かっていく。あの人もたいした人じゃない。意味不明な要求ばかりしている。頭が悪い。センスがない。……。▼そういう諸々を、心に秘めているうちは良い。先輩を目の上の瘤と見なして自分の方が上だと思い込んでいても、視野が広がって自分の不見識が明らかになったとき、それをひっそり心の中で握りつぶしてさらなる成長の糧にすることもできる。だが、ひとたび口に出してしまったら、撤回することはできない。いつか現実に気づいても、現実の方を否定するしかなくなってしまう。絶えざる自己正当化への道である。▼見えていないのは自分の方かもしれないという疑いを常に持ちながら、同時に心の中では自信満々であることが、いちばん良いバランスだと思う。

[3817] Feb 16, 2020

夕飯買い出しのため最寄り駅に寄ったら、人が誰もいなかった。比喩ではなく、駅員さん以外、本当にひとりもいない。思わずパン屋の方を覗いてしまったが、お客さんは誰もいなかった。店員さんだけが棚を拭いている。誤って封鎖されたエリアに立ち入ってしまったような錯覚にとらわれた。▼繁華街もひどいらしい。とりわけ中華街の方は、人の出が少ないなどという形容では済まされないほど閑散としているようだ。実際、自分たちもコロナを警戒して家に閉じこもっていることを考えれば、その静けさも納得できる。大手はともかく、繁華街の集客をあてこんでいる体力のない個人店は、本当に潰れてもおかしくないだろう。▼神奈川県で死者、感染者の総武線通勤、検疫官の東急線利用、等々……もうこのあたりはダメなのではないかと思うようなニュースが日々聞こえてくる。だからといってどうしようもないのが悲しいところだが、手の消毒だけは誰より頻繁にしている。

[3816] Feb 15, 2020

極限まで多様性を認めようとする方針は、他人にも同じスタンスを要求する社会的運動になると運命的に行き詰まる。あらゆる思想を認めると標榜する以上、最後には「多様性を断固認めない人々」の存在も認めなければならないからだ。不完全性定理みたいな話である。▼無論、「断固認めない人々」までの間には、多様性に対してさまざまレベルの許容度を持つ人々が連続的に存在する。故に、究極を諦めたとしても、今度は「どこまでなら認めるのか」問題が浮上する。どうあれ、どこかで敵か味方かの線引きをしなければならない。だが、その線引きの行為こそ、多様性を認めない人たちが常に行っている対立構造の明確化である。普遍化運動のはずが、結局は敵と味方を寄り分ける小さな紛争の一形態に回収されてしまうわけだ。▼多様性にまつわる議論は、このジレンマをまだ超えられていないように見える。超えられていないからこそ、常にしらけた空気がつきまとうのだ。

[3815] Feb 14, 2020

「文で覚える単熟語」英検1級版、終了。以下感想。▼良い所。一、文章のテーマが雑学的で面白い。二、章で取り上げられた重要単語やイディオムが、さりげなく後の章に地の文で再登場してくる。明らかに狙ってやっていると思われる。記憶の定着支援が図られている。三、本文に登場しない関連語彙の量がちょうどいい。下手な参考書だと、たいていここに語彙を詰め込んできて「文脈で覚える」コンセプトが台無しになっている。四、コラムが役立つ。▼悪い所。一、語彙数が少ない。印象では「パス単」の半分もカバーしていないと思われる。これだけでなんとかするのは無理がある。二、日本語訳の質がいまひとつ。センテンスもぶつ切りで、ときどき誤訳もある。あくまで文脈付き単語帳と割り切るしかない。三、イディオムに発音記号がない。できれば欲しかった。▼総じて良かったとは思う。「速読・速聴」シリーズのAdvancedを経由してから「パス単」が無難そうだ。

[3814] Feb 13, 2020

いろいろと苦しい問題に突き当たっている。まるで繁忙期の終わりを待っていたかのような湧き具合だ。いつも書いている通り、負荷がかかるのは成長のために良いことだが、頭を悩ませる項目が多すぎるのも考えものである。A⇒B⇒C⇒A……と思考を一巡させるだけで、時間、体力、さまざまなリソースを失ってしまう。▼ひとつずつ解決していくしか道はない。目下、最大の懸念事項であるローン問題にケリをつけるべく日夜隙を見つけては情報収集しているが、なかなか良い答えを見つけられないのが現状だ。デリケートな問題なので詳しくは書けないが、とにかく動いて解決策を探っていくという方法にすらリスクが発生する面倒な案件なのである。▼完璧な回答はきっとないのだろう。多少のロスは覚悟の上で、現実的な落としどころを見つけるしかない。そのためには時間が要る。まとまった時間が要る。終わったはずのプロジェクトから舞い込んでくる仕事が厄介者だ。

[3813] Feb 12, 2020

ノートを取らない。メモも書かない。本への書き込みもしない。ただ本を読んで、読んだら閉じる。歩きながら思い出す。その繰り返し。▼どれもやれば有益に決まっている。ただし、続けられるならば。私は自分の飽きっぽさをよく知っている。ちょっとでも几帳面なことをやろうとすると途中でやめてしまうのだ。どんなに有効な勉強法も、続かなければ無意味である。非効率な方法でも毎日続く方が遥かに良い。▼だから、何時からか、脳だけを使う方法に切り替えた。「思い出す」という行為一本で記憶の定着と復習をこなすようにしたわけだ。紙もペンもいらないので圧倒的に楽だが、脳にはそれなりに負荷がかかるので、効率もそこまで酷くはない。書き込みとマーカーで参考書をボロボロにし、その行為を学習の進展と勘違いするよりは、結果重視の実践的な方法だと思う。そう、勉強した気になる代償行為がない点も、この方法の良いところだ。もう少し広まってもいい。

[3812] Feb 11, 2020

失態――単語帳の一項にこうある。「Brackish Water=汽水」。▼はて、汽水とは何だっただろうか。単語帳学習にあるまじき手詰まりである。英語も日本語もわからなかったのだ。調べてみる。汽水。「淡水と海水がまじり合った塩分の少ない水を指す用語。」漢字の「汽」は「水気を帯びた」という意味とのこと。▼汽水湖という言葉なら昔聞いたことがある気がしたが、その程度の認識だった。自然に疎い弊害かもしれない。川や魚が好きな人なら常識的に知っている言葉の範疇なのだろう。しかし、このレベルの言葉をポンと対訳に置かれてしまうところが英検一級の怖さでもある。英検一級にはネイティブでも知らない単語が出てくると言われるが、まさしくこういうことなのだろう。もしも受けた日本語検定に「汽水」が出てきたら、Brackish Waterと言われたときと同じくらい何もわからなかったのだから。▼英語学習ついでに、ここらでもういちど日本語も固めておこう。

[3811] Feb 10, 2020

長男にリュックサックを買う。保育園の遠足で使うらしい。通常の3歳用だとA5サイズからB5サイズ、内容量も10リットル以下の小さなタイプだが、園曰くA4が入るくらいの容量が欲しいとのこと。A4が入る大きさで、ショルダーベルトが短く、チェストストラップのある製品――となると、急に選択肢が限られる。ぎりぎりA4が入らない、やや小さめのリュックでも、小学三年生くらいが対象だと言われた。年齢の割には、相当大きめのモデルが求められている。▼最終的に、マチの広い直方体で15リットルの水色な電車柄と、マチの狭い布タイプで12リットルなJPressのシックな赤に絞られた。本人は赤が良いそうなので、赤を選択。なんでもそうだが、キャラ物や柄物に飛びつかないあたり、三歳にしては落ち着いた嗜好である。赤は目立つし、材質も頑丈そうなので、遠足にはちょうどいいだろう。よほどひどく汚さなければ小学校に入ってからも使えると思う。

[3810] Feb 09, 2020

数年ぶりにCubaseをアップグレード。いつの間にか10.5になっていた。▼決め手はマルチコア性能の大幅改善。Ryzenの台頭でメニーコア環境が加速したこともあり、Steingergもいよいよ本気を出したのだろう。6コア12スレッドのBroadwell-Eもようやく底力を活かせるというものだ。▼ダウンロード、インストール、アップグレード。このあたりがアカウント一本で自動連動してくれるのはありがたい。旧バージョンの設定を自動引き継ぎとは行かなかったが、キーバインド以外にたいしたカスタマイズもしていないので、再設定はすぐ終わる。カスタムテーマカラーが黒味の色しか選択できなくて焦ったが、スコアロールの背景色は別に指定できるようで助かった。ここは白背景でないとやりにくい。▼高負荷での分散処理性能とは無関係に、平常時の動作もかなり速くなっている。マイナーバージョンアップ済みということもあって安定感は良さそうだ。しばらくはこれで行きたい。

[3809] Feb 08, 2020

部屋の外からドアノブに手を伸ばして、勢いよく引っ張りドアを閉めた。同時に、電気を消していないことに気がついた。いけない、電気を消さなくては。部屋の中のスイッチに手を滑り込ませた。至極当然の結果、慣性で閉まろうとするドアに指を挟まれた。▼さいわい怪我はしなかったが、かなり痛かった。間抜けな話だ。しかし、ここまであからさまではないにしろ、こういうことはしばしばある。辻褄の合わない行動をしたために失敗するパターンだ。たいていは二つ以上の些細で日常的な行動を、めったにしない組み合わせで起こしたときにやらかす。今回もそうだ。ドアを閉めてから電気を消すなんて、まずやらない。▼人間は――少なくとも私は――自分が意識している以上に、知性ではなく経験によって日常生活を維持しているのだと、あらためて感じた。きっと老いの衰えに抗うには、そうするしかないのだろう。知性の選択と集中が私の知らぬ間に行われているのだ。

[3808] Feb 07, 2020

「保守性を低下させるため、goto文の利用を禁止する。」何の変哲もない一文。しかしどこかイヤな感じがする。▼正体はすぐにわかった。この文章、「低下」を「向上」に置き換えても同じ意味で成立してしまうのだ。「保守性を向上させるため、goto文の利用を禁止する。」自然に解釈するなら、どちらも同じ意味であろう。▼もちろん、保守性は通常向上させたいのだから、保守性を低下させる<ために>goto文の利用を禁止する、と読む人はいない。だが、正しく理解するために思考を働かせる必要がある時点で、警告文としてはいささか行儀が悪い。▼「保守性を低下させる原因となるため、goto文の利用を禁止する。」すぐにこう書き直した。今度は良い。頭から句点まで戻りなく読めて、誤読の余地もない。「goto文は保守性を低下させるため禁止する」という直し方もあるが、悪手である。何を禁止するかが最も大事な点なのだから、禁止対象と述語を離してはならない。

[3807] Feb 06, 2020

文句なく、この冬で最強の寒波だった。▼帰路。スマホを持つ右手が凍える。丈の短いダウンでは冷気を防ぎきれず、身体も芯まで冷えていた。少しでも身体を温めたくて早足になる。これこそが真冬の寒さである。暖房の効いた家についたときは、ほっとした。▼ところで、私は今「早足」と書いた。「速足」ではない。しかし、なぜだろうか。時間的に先行するイメージの「早」と、純粋な速度の大きさを示唆する「速」なら、明らかに後者の方が「はやあし」のニュアンスに適している。だが、実際、辞書の表記は「早足」である。「速足」という表記は存在しないか、二番目以降に落ちている。▼すっきりする答えはない。先に書いた早/速のイメージは基本であって、実際には例外がたくさんあるというだけの話だ。「素早い」が「素速い」と書かないように、「早」にもまた物事をささっと行うという意味がある。言語は生きている。ルールを当てはめようとしてはならない。

[3806] Feb 05, 2020

コンセプトを他人に説明するのは難しい。コンセプトワードだけ伝えても解釈の幅が広すぎて理解されないし、かといって詳細に解説しすぎると適用が限定的になり価値観としての懐の広さを失ってしまう。「つまりどういうこと?」と言われてもダメだが、「つまりこういうことね」と言われてもダメなのだ。方向性には納得しつつ、適用の事例は個々が検討し判断していく。そういう絶妙な塩梅が求められる。▼曲のタイトルにも近いことが言えるだろう。抽象的すぎて音楽性との関連が見えてこないようでは困るし、かといって聴き手のイメージを限定しすぎるのも面白くない。無論、敢えてそうする場合もあるだろうが、私の好みではない。解釈にどこまでバッファを持たせるのか――たとえば、降り注ぐ高音は雪なのか、光なのか、神の声なのか。あるいは、どれと取ってもらっても構わないのか。情報の絞り具合の駆け引きが題名づくりの醍醐味であり、腕の見せ所であろう。

[3805] Feb 04, 2020

忙しいことが多い印象の二月だったが、一昨年、去年に続いて、今年も平和な形で誕生日を迎えられた。繁忙期の期間自体は確かに短くなっている。売上があるうちは良い傾向である。▼三日前に書いたことと食い違うようだが、五か年計画のようなものをぼんやりと頭に思い描く。具体的なプランや目標ではなく「五年後くらいにはこういう状態になっているといいな」という空想である。職場で目下目指している職位に就いているとか、ケンブリッジ英検でC2を取っているとか、自分のアルバムを一枚出しているとか、そういう漠然とした達成点を思い描いた上で、そのうちの六割、七割が実現されていれば御の字かなと下方修正する。自分で決めたデッドラインに急かされたくはないが、成長した姿を心に留めながら、自分の進路を微調整していきたいという思いである。▼気の逸れ先がいくらでもある時代。先にブラフをかまして自分を欺くのも、やる気の維持には必要である。

[3804] Feb 03, 2020

テスト音源を破棄し、勝手にppにしたりハーフペダルを試したりしていて、ふと気がついた。最初からこうすればよかった。▼そう、何も既存の曲を打ちこまなくてもよかったのだ。自分が試したい奏法を一通り整えて聴き直す方が遥かによかった。次に気が向いたら調整用にぜひ作ってみよう。欲しい部品をここに並べて置く。▼低音〜高音の全音サンプル。単音と和音。ppp〜fff、sf、クレシェンド/デクレシェンド。スタッカート、テヌート。トリル、トレモロ、グリッサンド。ハーフペダル、リペダル。その他、トーンクラスターなど。とりわけ前の音源では表現できなかったpp域と、ハーフペダル&リペダルへの反応はきちんと見ておきたい。▼CD曲の制作は開始している。イントロが難しい曲なので始まりの構成に悩んでいるが、Aメロに入れればサビまでは道なりに行けるだろう。楽観視しているわけではない。ただ、あまり入れ込まない内容が合うだろうと思っている。

[3803] Feb 02, 2020

おさかなパズルにも飽きてきた長男、今度は日本地図パズルにご執心。▼各都道府県に県名が書かれているだけの、極めてシンプルなパズル。香川県や東京都は指先に乗せると指から出ないほど小さい。文字が読める大人はともかく、ひらがなも読めない長男にはさすがに難しいだろうと思ったのだが、たった数回教えただけで、海沿いはもうひょいひょいと嵌めていく。形状だけで識別しているのだろう。たいしたものだ。自分基準だとつい子どもの頭の柔らかさを過小評価してしまう。▼形状に特徴が少ない県と、内陸が難しいらしい。栃木や群馬は最難関にあたる。岡山、広島あたりの中国南部も戸惑うようだ。兵庫は意外にも回転に手こずった。三食パンみたいな形をしているだけに、どの角度でも嵌りそうに見えるのが厄介なのだろう。似たような理由で福岡も少し難しいようだ。▼細かい形は私もちゃんと把握していなかったし、熊本の位置も誤解していた。良い勉強になる。

[3802] Feb 01, 2020

今週は暖冬を実感する暖かさだった。四月並という表現も誇張とは思われぬほど。昼休みはダウンなしでも外出できた。だが、今週は水曜日あたりから強烈な寒気がもどってくるという。都心でも朝は氷が張るほどの冷たさになるようだ。▼水曜日、つまり2月5日である。私の誕生日だ。だが、さいわい今年は諸々の事情もあって、記念の食事は前日の火曜日に家でやることになっている。外食はしない。故に、冷え込む夜に家路を急ぐこともない。▼34。歳を見て一喜一憂することもないわけではないが、無暗に悲観はしていない。歳がどうあれ、今の私にできることは限られている。それをちょっとずつ伸ばしていく努力以外に、リソースを割くのは危険だという直感が常にある。価値を生み出さないタスク管理の話にも通じるが、自分の将来に関する皮算用もまた時間を食うのだ。何歳のときには何をしていようなんて考える必要はない。成長計画と年齢は切り離した方がいい。

[3801] Jan 31, 2020

英検の関連書籍をざっと見た。結論から言うと「文単」系の良い参考書は他にない。これが終わったら素直に単語帳併用でエコノミストと洋書に頼るか、別の試験の長文集を求めるしかないだろう。▼TOEIC⇒英検⇒IELTSという流れは我ながら良い計画だと思う。知名度のある試験で基礎を固め、専門力の問われる定番試験で語彙を上積みし、実用特化の世界標準試験で実践力を高める。総合力を鍛えるまでのマイルストーンが置きやすく、極めて理にかなったルートではないだろうか。▼加えて「常につらい」というのも良い負荷のかかり方だ。TOEICの技術では英検の語彙に歯が立たないし、英検の語彙ではIELTSの応用問題に太刀打ちできない。積み重ねてきたものが素直には通用しないので、毎度、初めてのような手応えを感じることができる。飽きが来にくいわけだ。だから、続けられるかどうかは心の持ち方ひとつにかかっている。学習は、常にしんどいくらいがベストである。

[3800] Jan 30, 2020

「文で覚える単熟語」シリーズ、通称「文単」が面白い。1級は英単語のレベルがやや背伸びくらいでちょうどよく、内容もほどよい蘊蓄で興味深いテーマが多い。毎晩、速読英単語を1章だけ読んで基礎力を磨いていた時代を思い出す。▼受験までは「パス単」と併用することになるだろうが、明らかに「文単」の方が語彙数が少なく、先に終わってしまうので、文単の後釜を探さねばならない。同類なら「速読速聴・英単語」シリーズが無難だが、昔立ち読みしたときは、単語レベルと文章の質にばらつきが大きい印象があって食指が動かなかった。▼そう、こういう本の探し方をするときは、やはりアマゾンは向いていない。ざっと見てアタリをつけるという用途において、本屋に匹敵するウェブサービスは今後数年たっても現れないだろう。逆に言えば、もしここを克服できる形が見つかったら、ウェブにも新たな風が吹く。血眼になって探す価値のあるビジネスチャンスである。

[3799] Jan 29, 2020

来年度から保育園が無償化する。長男は三歳児クラス。無償化するのも三歳〜五歳ということで、完璧なタイミングと言える。素直にありがたい。▼同僚が、無償化のためには市役所への申請が必要だから気をつけてと言っていたが、それはどうも非認可の場合に限るらしい。認可保育園の場合は入園時に厳正なる審査を済ませているから、本当に保育が必要な家庭かどうかといった再確認は不要ということだろう。取り立てて手続きは必要ないようだ。▼次男も四月から入園が決まった。無事、兄と同じ保育園だ。朝の大変さは二倍だが、別々の保育園になったら二倍どころでは済まなかった。これもありがたい。▼妻の調べによると、居住区の少ない西区を除けば、我らが泉区は横浜市でもっとも保育園に入りやすい区だそうだ。個人的には嬉しいことだが、裏を返せばそれは、急激に子どもの数が減った地域ということでもある。それは、住み続けてきた私の肌感覚にも合っている。

[3798] Jan 28, 2020

JASRACの「動画投稿(共有)サイトでの音楽利用」をさらっと見ると、事業者側が許諾手続きを行っている場合、管理楽曲のアレンジを投稿するのは問題がないように見える。矢印を辿っても「アップロードが可能です」に行きつく。▼しかし、他の条件を詳細に読むと、自作音源を公開できるのは、それが「譜面通りに」演奏または制作された音源である場合のみとある。つまり、編曲は含まれていない。JASRACは著作者人格権や翻案権までは管理していないため、これらに抵触する恐れのある改変=編曲については許可する権利がないということだ。▼動画サイトにおけるJASRAC管理曲の編曲は、どこまで投稿側に甘く見積もってもグレーに留まる。ホワイトに投稿したければ権利者――作曲者とは限らない――に直接交渉して全ての許諾をもらうしかないということだ。私は灰色の世界には入りたくないので、見切りで投稿はしない。ある意味よい材料になった。

[3797] Jan 27, 2020

マイクの調整、終わり。▼正確には、調整するパラメータをひとつに絞りこむことができたと言うべきだろう。かなり良いレベルで音がまとまっているので、あとはリボンマイクのレベルだけ動かせば重量感と距離感がスライドしてくれる。サラウンドマイクや残響側のポスト処理を変える必要はない。これだけでも今後の手戻りがなくなる分、ずっと楽になるだろう。▼早速、某曲のイントロをテスト代わりに打ち込んでみた。悪くない。硬質なアタックを失っても尚、ベーゼンドルファー時代に引けを取らない派手さを兼ね備えたゴージャスな音色を表現できている。ハーフペダルも想像以上に嬉しい。これなら今までできなかったことにもチャレンジできそうだ。▼ただ、某曲の著作権については悩ましいところがあって、テストで仕上げてもアップロードしにくい気がしてきた。これはこれで自分用ということにして、さっさと本番曲に移るのがよかろう。正当なお蔵入りである。

[3796] Jan 26, 2020

カードゲーマーなら誰でも知っている、理想のデッキの作り方。▼1.使いたいカードをデッキに入れる。2.そのカードと相性の良いカードを足す。3.それらが最大限に相乗効果を発揮できるよう残りのカードを調整する。4.最初に入れたカードを抜く。▼悪い冗談のようだが、経験者なら冗談とは思わないだろう。コンセプトデッキを目指してこだわりの一枚を軸にデッキを組んでいくと、最後の最後でその一枚が不要になるということはよくある。皮肉なようだが、2番以降のプロセスを合理的に行っているのなら、使いたいカードとして最初に入れたカードだけが構築の不合理なのだ。故に、不要である可能性もいちばん高いことになる。▼以前組んだリボン設定から思い切って中距離マイクを抜いたら、解像度の高い、すっきりとした良い音になった。響きの豊かさと定位と音の立ち上がりを三者鼎立させるのは難しいが、最適解に近づいた気がする。打ち込みを始めよう。

[3795] Jan 25, 2020

周波数別のボリュームが縦積みのグラフでリアルタイムに上下するアレ。なんて呼べばよいかわからず困っていたが、画像として検索するときは「Equalizer Background」で良いらしい。ストレートだがその通りだ。そうして、それを動画的に実現するための手法としては「Audio Spectrum」ということになる。それだけわかれば十分だ。▼実演奏でない二台ピアノを一枚絵で変化のある動画に仕立てるなら、これしかないと思っていた。二台分のスペクトラムを別々に表示するのだ。ただ、そのまま二つ出すと左右/上下の分離で気が散るので、ひとつのスペクトラムに別色で重ね掛けするのがベストと睨んでいる。見てる方も詳細に音と発信源の一致を取りたいわけではないのだから、わかりやすさよりは格好良さ、気分の高揚が優先である。▼一枚絵にダブルスペクトラムという定型を確立してしまえば、汎用の動画に悩むことはもうあるまい。負担の少ない新形式を模索している。

[3794] Jan 24, 2020

昨年末に受けたTOEICの結果が返ってきた。意外にも、990点。満点である。どうやら、間違えた自覚のある3問以外はひとつも落としていなかったらしい。985点にならなかったのは難易度と採点の妙で、運も良かったということだろう。▼二回目の受験でさっさとゲームクリアしてしまったのは拍子抜けの感もあるが、テストはテスト。満点を取ったからといって、ボーナスで私の語学力が上がるわけでもない。驕らず地道に上達を重ねていこう。▼ひとまず、基礎的なリスニング力&リーディング力が身に付いた段階と見る。次は語彙力増強だ。はっきりいってTOEICの語彙水準はかなり低い。英検1級の単語帳を見ると絶望する。次はここを突破して語彙力を確保、その先は実用に向けてケンブリッジ英検という当初のプランで良いと思っている。▼そういう意味では、990を得たことで後ろ髪を引かれずにスタートを切れたのはよかった。頑張った甲斐があった。

[3793] Jan 23, 2020

寒かった。平日の中では、今年いちばんだったかもしれない。▼昼、カレーを食べに定食屋へ行ったら、四人組の学生団体さんが先に階段を昇って行った。タッチの差でやられてしまった。諦めて別の中華へ行く。B定食、五目チャーハンとワンタンメンのセットを注文した。相方は、油淋鶏定食を頼んでトイレへ行った。彼が帰ってきたら、入れ替わりで席を立とうと思いながら待っていた。▼わずか数十秒後のことだった。彼がもどるより先に、私のB定食が出てきた。「オマタセシマシター」の決まり文句がこれほど空虚に響くこともない。目の前の、もうもうと湯気を立てる大盛りチャーハンを前に、どんな表情をすればいいかわからなかった。戻ってきた彼も驚いて笑っていた。私の昼食人生で最速かもしれない。▼どんな理由があって数十秒で出てくるのだろう。A〜Dまであるランチである。あらかじめ作ってあるとは思いにくい。わからなかった。油淋鶏は五分後に来た。

[3792] Jan 22, 2020

妻のスーツを買いに百貨店へ行く。面接用のフォーマルな一着。バシッと決めすぎるガチガチのフォーマルより、余裕のあるカジュアル寄りが良いという希望で、最高の一着を探し求めた。▼結果、たいへん良いブランドを見つけた。「オールドイングランド」だ。英名では「Old England」の下に「Paris」とある。イングランドと銘打っているが本店はパリで、「フランス人が考えた英国トラッド」を目指すブランドらしい。そのため、本家英国の硬すぎる印象が和らぎ、形状や色使いに女性的な側面が加わっている。▼このバランスがまさしく我々の好みと合致した。私も、お気に入りのブランドはアクアスキュータムである。もちろん一張羅に限った話だが、二人で英国風を志向するのも悪くない。スーツ探しの旅はここで終わった。次からも、きっと重要な服はオールドイングランドになるだろう。カジュアルでも魅力的な服がたくさんあった。ブランドがハマると嬉しいものだ。

[3791] Jan 21, 2020

現場と研究開発の志向の乖離について。▼現場は、単純なホワイトボックスを連結することによって、大規模だがいかなる工程にも再現性があり、問題発生時には順を追って経緯と原因を明らかにすることができるシステムを求めている。一方で、研究開発は、論理的に正しく問題を発生しえないブラックボックスを巨大化させることによって、より多くの工程を俯瞰した上で最適な結果を得られるシステムを作ろうとしている。だから、研究開発は現場のニーズをまるでわかっていないとか、極めて合理的な設計の意図を現場が理解しようとしないとか、お互いに言い合うことになる。不毛な不満のぶつけ合いだ。▼まずは志向の違いを認識する必要がある。両者が別の方向を向いているとわかれば、歩み寄る地点を見つけ出すこともできるだろう。この規模のブラックボックスは信頼する。だからせめて、この単位ではホワイトボックスにしてくれ。この交渉が出来ねば、未来はない。

[3790] Jan 20, 2020

逃避としての芸術は瞬間的に成功する。何かから逃げるという行為は、莫大なエネルギーを要求する戦いだからだ。戦いこそがアートを生む。逃避が必死であればあるほど、作品は輝く。だから、現実からの逃避は、しばしば偉大な傑作を生む。▼だが、問題はそのあとだ。つらい現実から、つまらない生活から、逃げてしまった先にもう戦いはない。苦しみはあるかもしれないが、苦しむことと戦うことは別である。戦うためには、再び戦場へ出ねばならない。逃げてきた場所に帰らなければならない。しかし、そう簡単に逃げたり戻ったりできたら苦労はしない。実際は、逃げたら逃げたきりである。謎の傑作がひとつ残り、炎は消えていく。▼今のご時世、刹那的な世の中だからこそ、現実にへばりつく勇気はきっと希少価値を持つはずだ。そう、自分の努力を相対的な希少価値で測るという方法は、もう少し流行ってもいい。他の人がやらないことには、少なくとも可能性がある。

[3789] Jan 19, 2020

いまだかつてないほどハイスピードに英文を書いている。文法の正しさを気にしたり、語彙のバリエーションを考えたりしている暇もない。コピペで済ませられるところはコピペで済ませている。似たようなセンテンスで意図が通じるところは、コピペしてから単語や節を差し替えるだけ。切り貼りのようなこともする。長い単語のスペルを確認している余裕もない。左から右に書いてピリオドを打ったら送信である。▼こういう経験は今までなかった。英文を書くときは常に、辞書を引いたりネットで調べたりする程度の余裕があった。書きあがったら推敲。より英語らしくまとめあげる苦労をしていた。しかし、私のようなペーパードライバーに必要なのは、実は今回のように徹底的に事務的な、意思疎通の速度だけが優先される「千本ノック」だったように思えてくる。これはこれで鍛えたことのない言語脳を使っている感覚がある。明日以降ペースは落ちるが、貴重な体験だった。

[3788] Jan 18, 2020

何かを先延ばしにすること、つまり、タスクを積んでいる状態は、それだけで精神に悪影響を及ぼす。あれをやらなくちゃと思い出したり、TODOリストに並べてことあるごとに確認したりすること自体がストレスになる。▼さまざまな方法論が語られ、ツールが乱立しているが、タスク管理は本質的には常に時間の無駄であるという認識はきわめて重要である。タスクを管理すること自体が生み出す価値はないからだ。何もしないコードが最も高速であるように、いっさいのタスク管理をしないことが最も効率的なのである。▼即ち、タスク管理をいかにしないか、という方法論はもう少し語られてもいい。今やるべきことだけをリストアップし、すぐにやる。「今」にも理想的な期間があるはずだ。年単位のプロジェクトなら二週間がちょうどいいと思っている。二週間以内にできそうもないことは個人のタスクとして管理しない。この方式を採用できるかどうかが次回の鍵になる。

[3787] Jan 17, 2020

とある事情によりクラウドソーシングサービスを見て回っている。スキルマーケットにも様々な形式があって、ポートフォリオと成立事例を眺めているだけでも面白い。▼ほとんどの仕事はライティングかデザインだ。前者は安く、後者は高い。音楽は俎上にも上がらないところがほとんどだ。どこまでいっても視覚系の強さを感じる。▼その代わり、競合の激しさは他の比ではなさそうだ。実績のあるプロのデザイナー達が登録者何人記念とか期間限定とか銘打って積極的にダンピング合戦しているのを見ると、パイの食い合いの激しさが感じられる。本当にそれ一本で食っていくプロフェッショナルであれば、この価格では到底ペイしまいというラインまで引き下げられている。お小遣いが稼げればよいだけの欲のないアマチュアや、実力もあり時間もある趣味人との闘いに勝つのは、容易ではない。▼だが、そんな価格面の切磋琢磨がマーケットを面白くしている。良いことである。

[3786] Jan 16, 2020

再起動宣言。▼ピアノ。遥か昔に調整した最終版を聴く。さすがに最新の調整を重ねただけあって悪くないが、どうもクラシカルに寄り過ぎているので、試験曲を作りながら距離感や残響をコントロールしていくことになる。▼CD曲は試験曲の後とする。CD内で音源がバラつくのを避けるためだ。少なくとも今回のCDはこれで最後までいけると、自信の持てるバージョンでないと手が出しにくい。加えて、試験曲でベロシティの反応を掴んでおく意味もある。だから、試験といっても本気で仕上げる。テストだから適当に作るわけではない。▼試験版の公開方法について検討している。まだ詰めていないので詳細は書かないが、いい機会なので新しい「枠」をひとつ作るのがよかろうと思っている。時系列的な連続性を保つかどうかは悩みどころだが、たぶん引き継ぐだろう。ようやく私も私のシンボルを得て第二フェーズを始める気分である。気合は十分。今年を有意義に使おう。

[3785] Jan 15, 2020

「CPUのようなハードウェアの知識って、どうやって身につけたんですか?」ストレートな質問だが、よく考えるとこの問いに対する答えは「どうやって英語を身につけたんですか」という問いに対する答えとは性質が違うことに気がついた。勉強したわけではないからだ。▼かといって、ハードウェアが大好きで、毎日そのことを考えていたとか、触っていたとかというわけでもない。ただ、私はパソコンを自作する人だから、限られた自作の機会に下手を踏まないよう、誰よりも真剣に、集中的にハードウェアのことを調べ上げたことが数回ある。そして、それだけなのだ。それだけが私の知識を支えている。▼もし私が年に一回パソコンを買い替えられる財力の持ち主だったら、ハードの知識なんて身につけはしなかった。そのときの最新だけ買っていればよいのだから。▼制約によって機会が限られることで得られる知識・興味もある。いつでも出来ることが良いとは限らない。

[3784] Jan 14, 2020

診断結果。予想通り、骨には異常なし。仙骨は強く打っているようなので、できるだけ安静にすること。強い痛みは一週間もあれば引くと思うが、無理をすると悪化する恐れもあるので、痛みがあるうちは激しい運動や負荷のかかる動きは避けるように。長ければ二ヶ月くらい違和感が消えない可能性もあるが、痛みが増すようなことがなければ様子見をつづけてよい――とのことだった。▼想像通りとはいえ、レントゲンも取り、ちゃんとした触診も踏まえて専門的な結論を下してもらえるのはありがたい。ヒビが入っているかもと思いながら変に庇うのと、骨に異常なしとわかってから、それでも敢えて負担に気をつけようと心掛けるのでは、心の持ちようだけでなく身体の使い方も変わってくる。どうあれちゃんとした情報を持って動いた方が身体のためになるものだ。▼ただ、慢心には注意したい。診断直後、一安心して中待合室で深く腰掛けたら、腰が浮くほど痛い思いをした。

[3783] Jan 13, 2020

一夜明けて。尾てい骨はまだ痛い。くしゃみのときは思わず声が出る。しゃがみと階段の登りはつらい。昼、長男との散歩で小一時間歩いたら、帰り道は徒歩でも軋みが感じられた。無理使いはできない。▼右肘は外傷のみと思われる。蚯蚓腫れもひいた。ただ、この傷がどういうわけか、見た目に比べて痛みが強い。お風呂のお湯が非常に染みる。どのようについた傷かもわからないため、不気味ではある。明日、整形外科で一緒に見てもらうのがよかろう。▼昨日は気がつかなかったが、実は左の手首も捻っていたらしい。特定の角度で力を入れようとしたら捻挫のような痛みが走った。転倒時、手はついていないはずなので、慌てて起き上がるときにでも無理な力がかかっていたのだろう。結局、左、真ん中、右とバランスよく怪我をしたことになる。▼身体が痛いと、子どもの移動や玩具の片づけなど、ちょっとしたことが大仕事になってしまう。改めて病気と怪我は厳禁である。

[3782] Jan 12, 2020

家の階段から落ちた。次男を抱えたまま。とっさに次男を抱えたので、自分の背面を激しく打った。しばらくソファに伏せる。痛くてまともに動けなかった。▼尾てい骨をやってしまうのは二度目だ。今でもしゃがんだりくしゃみをしたりすると響く。ヒビでも入っているのではと疑いたくなるが、以前、同じ尾てい骨で整形外科へ行ったとき、ヒビがあったらまともに歩けもしないよと言われたので、今回もたぶん大丈夫なのだろう。他には右肘を怪我した。肌の表面的な痛みが引かないのでおかしいと思ったら、衝撃で裂けていたらしい。服の下は大きな裂傷になっていた。まわりが蚯蚓腫れになっている。こちらもそれなりに治癒に時間がかかりそうだ。▼靴下を履いていたこと、下の段に危なそうなおもちゃが転がっているのを見つけてしまったこと、二階から長男に話しかけられて応えたことが重なって、注意力が分散し、足を踏み外してしまったのだった。痛い教訓になった。

[3781] Jan 11, 2020

私は何の動物が好きなのだろうか。▼はっきり言って、動物との距離は非常に離れた人生を送ってきた。犬も猫も飼っていないし、野生の動物に出会うような幼少期も過ごしていない。動物園もさほど興味はなかった。したがって、好きといっても動物の概念が持つイメージのレベルということになる。歴史的な、哲学的な、文化的な、あらゆる意味に照らして良い印象を持っている動物のラベルは何かということだ。▼一般には悪いシンボルと見なされがちだが、狐は好きな方だ。虎も同様。狼はかっこいいが一段落ちる。一方、誠実や忠実を想起させる犬や馬は、正の側面が強すぎて逆に好まない。鳥の中では知識に関連する孔雀や梟。ただ、梟は孤独や絶望といった負のニュアンスを抱えすぎている節もある。魚はちょっと思いつかない。ここ最近でもっとも耳にした海の生物なら間違いなく蛸だが、私自身が蛸好きなわけではない。▼好きな動物くらい答えられて損はないだろう。

[3780] Jan 10, 2020

たいていの「よくある問題」には、愚直だが最も効果的と言われる策がある。定石というやつだ。しかし、定石があるのになぜ「よくある問題」なのだろうか。▼ここには宿命的な循環がある。定石は、愚直であるが故に何らかのロスを伴うことが多い。あるとき誰かがその無駄を指摘する。「こうした方がもっと効率的では?」定石が最適であると主張できる知識や経験を持った人がいないと、皆、その指摘が正しいと思い出す。何しろ無駄があるのだから。定石の払っていた必要経費は削減され、束の間の貯金が手に入る。そうして「よくある問題」が土の下で生まれる。芽吹くのは終盤である。彼らはなぜ、定石が定石であったかを知ることになる。▼新規性の追求が若手の特権と言うわけではないが、新しい方法論は、たいていフレッシュな若手から提示されるもの。そのとき、絶対に変えるべきでない石の在処を論理的に説得できるベテランがいないと――歴史が繰り返される。

[3779] Jan 09, 2020

「カニクレーンのお腹には、コーヒーが入ってるんだ。そうなんだね。足が1・2・3・4本あるから。だから、カニは18と言われているんだよね。……。」▼長男のしゃべりは日に日に流暢さを増している。こちらが頷いているだけでも自分の世界を次々と展開していくので、いったい何のことなのかさっぱりわからない。なぜ、カニクレーンのお腹にコーヒーが入っているのか。18とは何なのか。謎は何も明かされないまま、場面が次へ移っていく。さっきカニだったはずのものは、コウモリになり、クジラになり、タコになる。『ドグラ・マグラ』の世界である。▼可能性は二つある。彼の中では何かしらイメージの一貫性があるか、または時系列的な連続性は彼の脳内にも存在せず、さながら発声練習のごとく、連想的に浮かんだ像や文言を口にしているだけか。どちらの説も否定できないが、流暢に言えない場合は文頭から言い直しているところを見ると、後者な気もする。

[3778] Jan 08, 2020

バグを追う傍ら、次のプロジェクトでやりたいことを書き出している。文字にして書き出す、という点が重要だ。人間、頭の中で描いている「やりたいこと」は、量的にも質的にも過大評価しがちである。書き出してみると、その量の少なさ、質の悪さ、偏り、あいまいさ、支離滅裂さに気がつく。自分で気がつけなければ、人に見せることもできる。よりよいアイデアや実現方法が提案されてくる。▼書き出す時点で、「やりたいこと」を二種類に分ける。具体的な作業を伴わない信念や方針と、具体的な作業を伴うタスクだ。後者は箇条書きにして、無造作にタスクプールへ放り込んでいく。自分がやらなくても誰かがやってくれればいい。その人がもっと良い方法を考案してくれるなら、元の形にこだわる必要もない。そういうつもりでどんどん書いていく。プロジェクトの序盤は、仕様策定までの間に手の空く人が現れがちだ。彼らが暇つぶしに拾ってくれることを期待している。

[3777] Jan 07, 2020

「マビノギ」の話を書いたことはなかったかもしれない。▼初代「マビノギ」はリリース当初から遊んでいた。今となってはフェードアウトした理由も覚えていないし、アカウントが生きているのかどうかもわからない。ただ、あの頃、必死につくった楽譜をダンバートンの広場で売って生計を立てていた時期が、私の趣味人生/同人生活の理想郷であったことは確かだ。ほんの少しのファン。ひと握りの収入。今でも、心のどこかで、あのときの感覚を求めている気がする。▼言語化は難しい。難しいが、敢えて挑戦するなら、自分の身の丈にぴったりな《今》を送りながら、背伸びをしようとする毎日というところだろうか。満足と不満のあいだで揺れ動く。世界の流れに身を任せつつ、抗う自由もある。小さな世界の中で、自分が必要十分な大きさの「めぐり」の中にいる実感である。あのとき以来、取り戻せたことはない。これを取り戻すまでが、私の旅の第一章だと思っている。

[3776] Jan 06, 2020

Re:ZERO, No Game No Life, Spice and Wolf, Sword Art Online, God's Blessing on T-his Wonderful World! ...▼いつの間にここまで英訳版が揃ったのだろう。ちょっと驚いた。Kindleにライトノベルの名作たちがずらりと並んでいる。マックス・テグマーク教授の"Life 3.0"を買うつもりだったのだが、気がついたら"The Saga of Tanya the Evil"を買っていた。世界観や設定、プロット的にも好きな部類で、前から読んでみたかったのだが、きっかけがなかったのだ。偶然、良い機会を得た。▼幼女戦記だけで一年くらい読めそうだが、読み切った後にもラノベを読みたい気持ちがあれば、Re:ZEROとSAOは読んでみたい。今後のタイトルも続々翻訳されるだろうし、選択肢には事欠かないだろう。幼女戦記も今のところ非常に面白い。申し訳ないが、21レッスンも、カルチャーマップも、ホモデウスも、バッドブラッドも――いつの日か私の人生が空いたら、そのときに読むよ。

[3775] Jan 05, 2020

久しぶりにマークイズみなとみらい3Fの「キドキド」へ行く。▼料金体系は親子ともに最初の30分が600円、以降10分ごとに子どもだけ100円ずつ。別のオプションとして2100円のフリーパス券もある。二時間遊ぶと2100円になるので、二時間以上の場合はフリーパスがお買い得だ。▼内部はリニューアルして綺麗になっていた。全体的に遊具の質も量も上がっている。ガラスにお絵かきしたり、工作を体験したりできるエリアも新設。ベビーカー置き場が外になったことでプレイスペースも広がった。とりわけ親のための休憩椅子が増量されているのはありがたい。子どもがすぐ移動する都合、毎回床に腰を下ろすのはつらかった。ちゃんと考えられている。▼長男は主におままごと。次男は目新しいおもちゃに夢中。二人とも時間を惜しんで遊んだ。あそこまで遊べるなら次はフリーパスでも良い。横浜のニュウマンにも似たような施設が入ってくれることを祈る。

[3774] Jan 04, 2020

とんでもない不具合が見つかった。早朝からあちこちに連絡する。出社していないマネージャには直通電話で。バタバタと調整した結果、直属上長の交渉もあり、何とか修正を反映させられる手はずになった。まもなく修正版が仕上がった。再確認の結果、問題なさそうということで一件落着の流れとなった。夕方。ぎりぎりなんとかなった。冷や汗を拭ってタイムカードを押した。▼ひとりの後輩が声を上げた。とんでもない――不具合が見つかった。直さないわけにはいかない。仕上がったばかりの修正版の修正版をつくる。デッドラインは近づいている。これが最後であって欲しい。明日以降に何かあったら、もうどうあがいても間に合わない。そう思えば、デッドラインの直前とはいえ、間に合うタイミングで致命的なバグを二件も潰すことが出来たのは不幸中の幸い、あるいは素直に幸いと言って良いだろう。あとは祈ることしかできない。祈りながら後追い確認するしかない。

[3773] Jan 03, 2020

こんなこと続けていて何になるのかな。意味あるのかな。そう思ったら、とりあえず続けてみた方がいい。▼なぜか。多少なり熱意をもって始めた行為や習慣について、それなりの時間を費やしてきたあなたがそう感じるのなら、他の人も似たようなタイミングで同じ思考を巡らせる可能性が高い。飽きてきた、目に見える成果が出ない、他に興味のある流行りが出てきた……などなどの理由で。ということは、そこを超えると競争相手が一気に減る。疑心暗鬼を振り切って、先へ進むために合理的な思考でなく一種の妄信や狂気、愚かさが必要なのであれば、尚更結構なことだ。あなたはきっとそこで、あなたより頭の良い人たちを置き去りにできるだろう。そうして、自らの進路について理性的で合理的な選択をしはじめた先行者たちも、すっと追い抜いていけるだろう。▼継続すること。継続が無駄に感じた瞬間を、チャンスと捉えること。そのときだけ近視眼的な馬鹿になること。

[3772] Jan 02, 2020

「おにに?」「かなぼう」「ななころび?」「やおき」「ひょうたんから?」「こまがでる!」▼昨年のクリスマスに『ことわざカルタ』を買ったので、長男と遊ぶ。前半と後半のカードのそれぞれに、ことざわの内容を抽象化した絵が描かれていて面白い。絵を見るだけで対照がわかるペアもある。子どもの興味を誘う工夫がなされている。冒頭の三種類はすでに長男が覚えた組み合わせだ。他にもいくつか言える。▼かなりのスピードで暗記していくが、もちろん、意味はわかっていない。ただ掛け合いができるようになっただけである。だが、それでいい。とにもかくにも言えるようになること、諳んじることができるようになることが、言語学習の基本中の基本である。語源から組み立てるとか、関連や連想で覚えるとか、そういったテクニックは、実のところ暗記力を失った大人の老獪な処世術に過ぎないのだ。▼なんだかわからないが覚えて口に出す。ただ、それを繰り返す。

[3771] Jan 01, 2020

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。▼抱負は大晦日に述べてしまったので割愛。今日は、初詣のあと、夢の残りを求めて夕方からヨドバシへ。トミカ・プラレールの夢でも売れ残っていたら拾おうかと思っていたが、残念ながら完売していた。余っていたのは四万円、五万円台のラップトップ系。もともと型番まで特定している類の福袋である。明らかに定価より安い人気機種と、現金化が容易な転売御用達が早々に出払って、真に夢のない不人気機が売れ残った格好だ。お正月とはいえ、客はシビアである。▼私は、キャッシュバックキャンペーンと15%還元に加え、昨年から大きく値引きされた新価格に後押しされ、象印の炊飯器を衝動買いした。もともと限界の来ていた我が家の三菱である。買い換えるにはちょうどよかった。饒舌な販売員さんによると、柔らかめが好きな人はパナソニック、しゃっきり硬めが好きな人はタイガーがお勧めらしい。

[3770] Dec 31, 2019

去年の大晦日には、例の編曲が完成しなかったことについて反省していたらしい。今年はどうか。件の曲は納得いく形で完成はさせたが、その後の進捗は好ましくない。本当なら十一月で仕事もあらかた片付いて、十二月は日々大掃除を分割しながら、新しい音源でCD曲をゆったり制作――というつもりだったのだが、現実はこの通り。三十日まで働きづめである。所詮、予定は常に未定。何が起こるかわからない。▼慌ただしい暮れ。来年の抱負を考えている暇もないが、英検1級という明確な目標はひとつ立てているので、ひとまずそれでよかろう。CD曲も進めるが、全部完成はしないと思っている。仕事の方はいよいよ大きなところを任されるので、気負わず真剣に。明確な数値目標はないが、今回のようなことにならないよう、序中盤から布石を打っていく意志は堅い。派手な立ち回りより着実な一手、二手を志向しよう。私は、そういう意識でいるのがちょうどいいはずだ。

[3769] Dec 30, 2019

今日は仕事納め。大晦日は出社しないで済んだ。▼今度は次男の話。まだ水族館で魚を見てどうこうという歳ではないが、今までに比べるとそれなりに興味は示した。めずらしくベビーカーの上でおとなしくしていたのも、次々と移り変わる水槽の色合いとか、大小さまざまの形に揺れ動く魚影とか、そういう諸々を彼は彼なりに楽しんでいたのかもしれない。特設会場で長男たちと別行動になったとき、床から天井までつづく大きな水槽の前にベビーカーを停めて、あちこちの魚を指さして視線を促すと、真似して魚を指さしたりもした。ただ、その指をすぐに口へ運んで舐めてしまうところは、まだ一歳である。▼おみやげは魚の絵がついた柔らかいボールを買ったが、それにはたいして興味を示さず、長男の買ったダイオウイカのぬいぐるみを気に入った。足がたくさんあって持ちやすいし、変わった形をしているので、握ったり振り回したりするのにちょうどよいのかもしれない。

[3768] Dec 29, 2019

今日は仕事。話は昨日の続き。▼長男は予想通りタコを探し回った。タコが見つかるまでほとんどの水槽が素通りになるので、魚の名前や説明を読んでいる暇もない。大水槽のマグロもほどほどに、二階へ上がって外に出る。ちょうど盛り上がっていたペンギンショーを見て、視界に入った触れ合いコーナーへ。タコはそこにいた。マダコだ。壺の中から顔と手を出して、手前のガラスに張り付いている。早速知らせてあげると、ちらっと見ただけで隣のザリカニへ行ってしまった。ほら、タコがいたよと呼び戻しても視線を向けようとしない。間近で見る本物はちょっと怖かったのかもしれない。▼触れ合いコーナーを離れると、たいして見てもいなかったのに「タコがいたね!」「マダコだったね。タコがいてよかったね。」と言う。水族館に、タコがいたということが重要なようだ。その後は特設展示とクラゲの水槽を見てお土産屋へ。ダイオウイカのぬいぐるみを買った。つづく。

[3767] Dec 28, 2019

葛西臨海水族園へ行く。▼横浜から京急で人形町へ。日比谷線に乗り換えて八丁堀、そこから京葉線。どちらの乗り換えも階段以外に連絡通路がなく、人形町では地上に出て信号を渡らないと二番線から一番線への移動も出来なかった。ベビーカーで東京メトロを乗りこなすのは難しい。▼葛西臨海公園は、私は初めての来訪である。光り輝く冬の太陽。海から良い風が吹いてくる。普段はあまり見ない木々の程よい広がりが目にやさしい。気分の良い所だと感じた。遠くを見ているだけでリフレッシュになる。▼バックミンスター・フラーの「ドーム・ハウス」のようなガラス張りの建物が遥か遠くに見えた。それが水族館だという。近づいてみると意外に近い。想像していたより建物自体が小さかった。館内はさほど広くないが、小綺麗でセンスが良い。展示のひとつひとつに強いこだわりと作りこみを感じる。おみやげのクオリティも非常に高く大満足だった。さらなる詳細は明日。

[3766] Dec 27, 2019

深夜のコンビニ。会計を済ませて出ようとすると、背後で大きな音が鳴った。ガラス物の割れる音。誰かが会計前の商品を落としてしまったらしい。振り返ると年配の女性が怪訝な顔で粉々になった破片を見ている。駆け寄るレジの店員さん。女性が口を開いた。「割れちゃったのよ、これ。」▼そう言ったきり、一言謝るわけでもなく、弁償しようとするそぶりを見せるわけでもなく、彼女は残りの商品をレジへ運んでいった。片づけるより先に会計を済ませて、後始末は自分がいなくなったあとにやって欲しいと言わんばかりの動きである。▼特別に横柄な態度だったわけではない。弁償による金銭的損害を避けるために、わざと高飛車なふるまいをしていた様子でもない。ただ、その人にとってはそれが自然で、当然のことだったのだろう。夜も遅かった。私に、その事件の行く末を見届ける余裕はなかった。店を離れて坂道を歩き出す。イヤな顔ひとつしない店員さんは偉かった。

[3765] Dec 26, 2019

年内の営業日も残すところあと1日。年末年始はバグを治す最後のチャンスだから、ここで気合いを入れましょうと大号令が下る。▼事実、バグを残したいと思っている人は誰もいない。時間の許す限り追い尽くしてクオリティを上げたいというのが多くのメンバーの本音ではある。だが、それにしても今回は時間が足りなすぎる。積みあがる不具合の量に対して、対応できる期間がどう見ても足りない。間に合わないことが一目瞭然となると士気も下がる。どうせ全部は直せないのだから……という気持ちの暗雲が誰の上にともなく立ち込めてくる。やれることはやったという個々人の勝手な達成感も後押しして、最後の押し込みが淡々とする。全力を尽くしながらも、なるようになるさという諦めが混じっている。▼それはそれで良いのかもしれない。慎重さが問われる時期にあっては、燃え盛るようなやる気が新たなトラブルを生むこともある。淡々と言わず冷静と言えばよかろう。

[3764] Dec 25, 2019

朝。長男。普段より早く目を覚ますと、布団から出てもいないのにお着替えすると言い出した。ベッドサイドの巨大なプレゼントはまだ視界に入っていないらしい。昨晩の記憶が残っていて、無意識に良い子であることをアピールしようとしたのかもしれない。▼気づいてからのテンションは朝にしては最高潮だった。リビングに出て開封の儀。次々と出てくるおもちゃにも喜んでいたが、カニクレーンを見つけると一躍大喜び。他のトミカ9種類には申し訳程度の視線を送りつつ、カニクレーンの足を広げたり、クレーンを伸ばしたりして遊んでいた。よっぽど欲しかったようだ。▼ひとまず成功といって良い。がっかりされることも、戦車とか、他のおもちゃがよかったと言われることもなく、クリスマスプレゼントを満喫してもらえたと思う。一方、次男の枕元にも包みは置いたが、私が仕事に出た後で起きたものの、プレゼントには気づかなかったらしい。来年からが本番である。

[3763] Dec 24, 2019

赤い袋に緑のリボン。クリスマスプレゼント、準備OK。▼サンタのコスプレをしたりはしないが、サンタさんが来て良い子にプレゼントをくれるという形はちゃんと取る。大きめサイズのトミカタウンが入っているので、枕元どころかベッドにあげるのも憚られるサイズだが、目立つサイドテーブルの上にでもうまいこと上げるようにしよう。心配なのは夜中に起きてプレゼントを目にしたとき、テンションが上がって目が覚めてしまい、今すぐ遊ぶと言い張らないかということだ。クリスマスとはいえ、明日も平日である。めちゃくちゃなことにはしたくない。▼夜中の0時〜1時くらいは目覚めやすいから、その後のどっぷり寝入る時間帯にセットして寝るのが良かろう。しかし、子どもの側がどう捉えるかはわからないが、大人になるとこうして「騙してくれる」人がいなくなるので、ファンタジーを楽しみにくくなる寂しさはある。信じるサンタがいるのは羨ましいことである。

[3762] Dec 23, 2019

眠いのも困りものだが、髪が長いのも困りものだ。私は、髪の毛がある一定以上の長さになると集中力を失う。髪のボリュームが気になって思考の焦点が定まらなくなる。視界にかかっているわけでもなければ、肌のどこかに激しく触れているというわけでもないのだが、なぜか気になるのだ。根元の方を二本の指で挟んで、そこからあふれた分は無性に切り落としたくなる。髪と一緒に思考の澱も落ちていく。そんな錯覚にとらわれる。▼今日も二十二時を過ぎてからは妙に髪が気になって、完全には集中できなかった。はやく髪を切らないと仕事のパフォーマンスが下がってしまいそうだ。もはや大破寸前のボロボロな機体ではあるが、最後の最後はせめて墜落させずソフトランディングさせてあげたい。何もかも酷い状態にはなったけど、結果的に着地はしたねと。そういう形に落ち着かせてあげたい。そのためにはまだ集中力がいる。クリスマスのあとは床屋へ髪を切りに行こう。

[3761] Dec 22, 2019

哲学的な話が増えるのは、私が仕事以外のことに手を動かしていないからだ。▼初心者の頃はめきめきと成長を遂げていたのに、中級者になると足が鈍り、上級者になると収まるところに収まってしまう。なぜか。十分な負荷がかからなくなるからだ。特に、その分野では一線級と言える真の上級者ともなると、慢心という意味ではなく、本当に文字通りの意味で、自分が自分に要求する水準をさらっとこなせるようになってしまう。すらすら書いて思い通り。自他ともに認める素晴らしい出来映え。文句なし。そんな境地に近くなってしまう。▼それは、自分で自分を簡単に許せてしまうとか、手の抜き方がうまくなるとか、そういう話とは少し違う。ひとたび自分が自分に満足すると、人は、成長すること自体を求めなくなってしまうのだ。これが自分らしい、これで必要十分だと、心の底から納得できるようになる。▼私はいつも、そうなりたくないと思って心に斥力を蓄えている。

[3760] Dec 21, 2019

二人のクリスマスプレゼントを買いに行く。長男はヨドバシでおもちゃ。次男はファーストシューズ。ただ、長男のおもちゃはその場で買ってしまうとサンタも何もなくなってしまうので、希望だけ聞いて当日に買う流れにした。売り切れにさえならなければ問題はない。▼出発前はショベルカーを推していたが、現地につくと急に戦車を推しだした。二万円もする巨大なラジコン式戦車。さすがにいろいろ困るので、隣の常識的なサイズを代わりに見せたら「これはちょっと小さすぎるんじゃない?」などと言う。その後、どれを比較に持ち出しても戦車を離れようとしないので困惑していたが、帰り際にトミカのショーケースを見せると、カニの形をしたクレーン――前田製作所の「カニクレーン」に心を奪われたらしい。これにする、これをサンタさんにお願いする、と翻ってくれた。▼他にも水族館カーやポテトカーなどお気に入りを聞いて解散。トミカに決まって一安心である。

[3759] Dec 20, 2019

怒涛の勢いでトラブルを解決していく。締め切りの直前で、なぜこんなに諸問題の原因が判明し、次々と解決策が導き出されてくるのか、そこがやはり不思議でならない。皆、普段は無意識に力をセーブしているだけなのか。あるいはたまたまなのか。▼どちらでもないだろう。理由のひとつは、どんな問題であれ、もう「あとまわし」にはできなくなるところにあると見る。これで終わりなのだから「あとで見よう」はありえない。したがってすべての問題が俎上に上がる。それをみんなが一斉にやるので、些末事だと思っていた諸問題の連関が見えてくる。ひとりひとりが取り組んでいるだけでは掘り出せない、深い根が地上に出てくる。そうして全てが片付いていく。あるいは、手遅れなものは嘆きとともに葬られる。▼教訓はひとつしかない。小さく見える問題を放置しないこと。「完璧な最小限」を保つことがセキュアな運営に繋がる。真に身を滅ぼすのは、常に些末事なのだ。

[3758] Dec 19, 2019

マスターアップが近づくと、みんなの集中力が飛躍的に高まるせいか、バグの発見率も大幅に向上する。なんで今更そんなものが見つかるんだ、なんでもっと早くに気づけなかったんだと嘆かれるのが常だが、仕方のないことだ。追いつめられないと力を発揮できないのが人間である。そんな人間を集めて、追い詰めなくても力を発揮できるように工夫するのがチームの使命である。チームの使命は果たされなかったのだ。▼使命を果たす。今の私のキーワードだ。向こう三年くらいは、この言葉を軸に仕事生活を組み立てていこうと思っている。要求に対して、困難に対して、使命を果たしますと答え、そのために行動すること。本当にそれだけなのだが、これが難しい。言葉に出してみると尚更、その難しさに気づく。だが、結局のところ、組織が社員に求めるのは各人が使命を果たすことだ。それ以外の雑念を振り払い、正しい道を行くためにも良い呪文である。視界が良好になる。

[3757] Dec 18, 2019

何度やっても印刷には苦労する。テスト版ではそれなり上手くいっても、本番の年賀状は紙質が違うから色が滲んで写真が綺麗に出ない。色調も暗すぎる。フォトショップでこれでもかというくらい持ち上げて、コントラストを下げ、微調整を加えてようやく光沢紙に刷ったときと同じくらいの明るさに見える。試行錯誤で数枚は微妙版が生まれてしまうが仕方ない。▼色調が良くなっても、今度はサイズが難しい。切り落とし設定を調整してもプレビュー通りに印刷されることはなく、同じ設定でも試行によって余白が狭かったり広かったりする。安いプリンターでアマチュアがやるのだから当然と思っていたが、以前キンコーズへ行ったときも似たようなところでスタッフが苦労していたので、このへんは小口の印刷にまつわる普遍的な問題なのだろう。▼完璧に刷れたのが4枚。余白の狭いのが2枚。広すぎるのが2枚。色の暗いのが3枚。滲んで使い物にならないのが1枚できた。

[3756] Dec 17, 2019

朝、駅を歩いていたら、視界にいろんな色が浮かんできて、よろめいた。疲労と寝不足は激しく、空腹。そのへんが重なって、ちょっと危ないぞというメッセージを脳が送ってきたのかもしれない。立ち止まって瞬きする。今度は道がまっすぐに見える。▼疲れがひどいとき、自分の身体感覚に神経を集中してみると面白い。眼精疲労が極まってくると、鼻から耳のあたりまで巻き込んで目の周辺がゴーグル型に区切られ、独立したパーツのように顔から外れるかのような錯覚に陥る。関節は蝶番がついたような不思議な動きをし、ふくらはぎや二の腕は必要もないのにこわばって臨戦態勢になっている。だから、たまに攣ることもある。▼それに、前にも書いたが、寒さや暑さを感じにくくなる。空腹もそうだが、ひとたび食べだすと今度は満幅のタイミングがわからなかったりもする。エネルギーを節約するため、脳が内外の情報を選り好んでシャットアウトしているのかもしれない。

[3755] Dec 16, 2019

TOEIC・英検といった英語学習や資格の話になると、決まって「日常会話」や「ネイティブ」を持ち出す人が少なからずいる。曰く、多少勉強したところで日常会話もままならないとか、ネイティブのようには話せないのだから、英語が必要なシーンはネイティブに任せればいいのだとか。▼簡潔に。ビジネス英語は日常会話とは用途が違う。ビジネスにおける情報受信、意思疎通、意見表明をより流暢に行うための英語を習得するのが目的である。日常会話云々は、出来るに越したことはないにせよ、また別の話である。そうして、ネイティブについては些か美化しすぎている。日本人なら誰であっても、ビジネスの場で恥ずかしくない言葉を使い、筋の通った意見を述べられるだろうか。そんなわけはない。ネイティブ=その言語の達人という考え方は妄想なのだ。▼しかるべき場でふさわしい言語を使いこなすことは、学習によって身につけるスキルである。それ以外ではない。

[3754] Dec 15, 2019

スマホゲームの待ち時間に勉強する習慣のメリットについて。▼逆説的だが、勉強をしていて「時間を無駄にした」と感じたことはないだろうか。私はたまにある。勉強の成果はすぐには表れないし、学習したことをきれいさっぱり忘れてしまうこともある。今日という日の貴重な二時間を、勉強に費やそうが費やすまいが大差はなかった――そう感じることが全くないとは言えない。長期的に見れば有意義に違いないと信じつつ、短期的には無為に感じるのだ。▼一方、スマホゲームは真逆である。時間をかけた分だけステータスが上がり、お金が増え、シナリオが進む。即効性の権化である。故に、たとえ長期的には無意味であろうとも、短期的には消費した時間の分だけ充実感が得られる。時間を有効に使えたという手応えが残る。▼故に、オートプレイ中に勉強すれば良い。短期的な充実感も長期的な納得感も一度に手に入る。時間経過への不満は限りなくゼロに近くなるだろう。

[3753] Dec 14, 2019

年賀状作成。おちゃらけ長男がカメラをじっと見ていられないため、写真撮影はいつも難航する。あっちを向いたりこっちを向いたり、顔をしかめたり変なポーズをしたり。そうして怒られるので、それにびっくりして今度は次男が暴れ始める。結局、どちらかはまともに写っていない写真を選ぶことになる。▼それでもたくさん数を揃えたおかげで、なかなか良い写真が撮れた。無数にあるフリーの年賀状写真フレームテンプレートからポップでかわいいネズミ柄のものを頂戴してくる。これに写真を嵌めて出来上がり……なら簡単なのだが、やはりそう上手くはいかない。住所を入れて、名前を入れて、かつメッセージを添える空白も用意するとなると工夫がいる。逆に言えば、この最後の一手間が仕上がりの質を左右する。テンプレートを使うからみんな同じ、ということにはならない。▼去年の年賀状を見て、二人の小ささに驚いた。一年も経つと見違えるように成長するものだ。

[3752] Dec 13, 2019

日本の本屋さんには、日本語の美しさを賛美する本や、格調の高い言葉を使いこなすためのハウツー本がたくさんある。たくさんは言いすぎかもしれないが、見つけるのにそう苦労しない。▼これの英語版が欲しい。英語で英語を解説した本。いわゆるボキャビル本は山のように見つかるのだが、英単語や英語表現の美しさにフォーカスして成り立ちやニュアンスを前向きに紐解いてくれる本というのは、アマゾンを逍遥していても意外と見つからない。何と検索すればよいかもわからない。良いタイトルに出会えないでいる。▼そんなことを考えていたら、むしろ日本語の本が読みたくなってきた。思えば最近、国語の勉強をしていない。新しい言葉を仕入れていないから、自分にとって使い慣れた心地の良い表現の組み合わせだけで済ませようとしている節がある。それではいけない。身の丈に合わない道具は、使いつづけて初めて身の丈に合うようになる。身の丈が伸びるのである。

[3751] Dec 12, 2019

「パス単」出る度Aの動詞まで終わり。全体の十分の一くらい。さすがに難易度の高い単語が多いので、一周だと定着率は七割を切る。最後まで読み終わったらランダムチェックしつつ、エコノミストで遭遇して上塗りしていくのがいいだろう。▼実際、エコノミストへの登場率は想像より遥かに高い。ここから抜粋して単語帳を作ったのではないかと疑いたくなるくらいだ。覚えたばかりの単語が次々と出てくる。「さっき見たばっかりの単語だ!」という驚きが記憶の定着を助けてくれるし、実際に使われていて、意味がわかれば記事が読みやすいという体験を積めば、暗記も楽しくなってくる。このセットは鉄板かもしれない。▼とはいえ、二時半就寝〜七時起床の生活が続いているので、行き帰りの電車で純粋な暗記物をこなすのがちょっとつらくなってきた。通勤中は単語のリストを覚えることに注力し、昼休みやトイレのときに意味を思い出しながら反芻する形で稼いでいる。

[3750] Dec 11, 2019

完璧に動作する極小の部分を一段階ずつ組み合わせて、完璧に動作する小さな部分、中くらいの塊、大きなシステム、そして完成品にしていくこと。▼次プロジェクトの中核コンセプトはこれだ。既存の概念で言えばリーン開発手法の「MVP」が最も近い。実行可能な必要最小限の製品。Minimum Viable Product。ただし、完成品としてのプロダクトではなく、部品としてのプロダクトである。Minimun Viable Componentと言った方が近いかもしれない。▼テスト駆動開発をするつもりはない。アジャイルも捨てた方がいい。どちらも我々の文化に合っていないし、正確な要件定義をできる人間も、そういったメタ作業に割いている時間もない。ただ、MVPの発想だけは確実に取り入れる価値がある。この概念が我々のやり方にはもっともマッチしているし、恩恵が大きいと判断した。脳の空いた時間で、ここから全体的な仕組みを組み立てている。今度は、絶対にしくじりたくない。

[3749] Dec 10, 2019

久々にエコノミストのサイトを訪ねる。数年ぶりだ。以前、解約のときに何かバウチャーをもらった気もするが覚えていない。今更有効とも思えない。▼やはり、記事の質は格段に高い。砕けずフォーマルに徹した英文に、ほどよく比喩や諧謔が織り交じっている。いかにも英国風という佇まいである。ザ・ニューヨーカーと比べればスタイルの違いは一目瞭然だ。どちらが良いということもないが、テイストはまったく異なる。私は、少なくとも文章自体は、エコノミストの方が良い。▼政治・経済に限らず、科学、書評、あるいはアートといったカテゴリもある。前は紙媒体だったので最初から頁を追うことにこだわったが、今回は英検のための補助と割り切っているので、デジタル媒体で好きな記事だけ読めばよい気楽さもある。日々の世界ニュースを無理に読み切ることもない。つまみ食いで十分。そんな調子でいいなら、十年の時を経て、復帰してもいいかもしれないと思った。

[3748] Dec 09, 2019

エコノミストの英語はちょうど英検1級に近いと聞いた。そういえば昔、定期購読していたこともある。やめてしまったのは年額が高いからというのもあるが、何よりも私は、政治や国際情勢といったものに致命的なほど興味がなかった。そういう領域を軽んじるわけではないが、時とともに流れていく情報をキャッチアップするよりは、たとえば科学や芸術にまつわるような、時間に対する耐久度の高い知識を仕入れたかった。要するに、内容が向いていなかったのだ。▼興味のある内容が書いてあって、定期的に刊行され、かつアプリで読める。かつ、語彙のレベルがエコノミストほど堅くないにせよ、英検1級レベルをカバーするくらいにはフォーマルである。そんな媒体を見つけたい。以前も雑誌探しをしたことはあるが、今回は要件がわかりやすいので、候補が少ない代わりに目移りの心配もない。期間も限られている。肩肘を張らずに散策してみよう。きっと何かが見つかる。

[3747] Dec 08, 2019

土曜日は毎年恒例、保育園のクリスマス会。▼今年の出し物は演劇と歌だった。前日の夜は私にべったり張り付いて便秘の不調を訴えていた長男だが、本番になると泣き喚いたりはせず、今年は保育士さんに抱っこされたり連れ出されたりすることはなかった。みんな整列している中、一人だけ足がばたばたと落ち着きなく、あっちへ行ったりこっちへ来たり、「おとうさんとおかあさんのところ行きたい!」「見て、たこのくつだよ!」「大きなケーキだよ!」などと大声を上げたり、くるくる回りながら謎の踊りを踊ったり、カニの真似をしたり、変なポーズをしたり、自由自在に振る舞っていた。それでも、最後の斉唱だけはきちんと大きな声で歌えたので、終わりよければすべて良しだ。▼相変わらず暴れてくれた長男だが、去年のように泣き喚かれるよりはずっといい。むしろ三歳ならこんなものだろうという気もする。他の子のおとなしさ、聞き分けの良さの方が驚きである。

[3746] Dec 07, 2019

長男のゲーム慣れが加速している。「夢を見る島」がたいそう気に入ったらしい。マリオやゼルダのときにはできなかった「マップを開いて行きたいところにワープする」「敵やギミックに合わせてアイテムを使う」「メニューを開いて装備品を変える」といった、コマンド操作ができるようになっている。これができれば幅が広がる。ポケモンやマインクラフトに行く準備が出来たと言える。▼次のステップは文字と数字だ。ストーリーを楽しむ、あるいは目的のために何かの計算するという作業を、ぜひともゲームの中でできるようになって欲しい。コマンド操作、文字の読解、数字の計算ができれば、たいていのゲームは遊べるようになるだろう。もちろん、そのときこそきちんと時間を管理したり、年齢不相応なゲームを遊ばないよう監督を強化する必要はあるが、入れ込んで他のことが疎かになったり、機嫌が悪くなったりしない限りは、なるべく遊ばせてあげたい思いはある。

[3745] Dec 06, 2019

英語学習の目標プランが決まった。やはり、英検1級⇒ケンブリッジ英検C1のルートが良さそうだ。英検を先に目指すのは、単語力を盤石にしておきたいのと、検定料が安くて受けやすいから。教材が充実しているという理由もある。ケンブリッジ英検は、日本ではまだマイナーなのでテキストが手に入りにくいのだ。洋書を取り寄せるなど面倒なステップが挟まる。ちょっとしたことでやる気が削がれるリスクを下げたかった。▼ケンブリッジ英検のC1はAdvancedとBusinessHigherの2ルートがある。前者は日常寄り、後者はビジネス寄り。立場から言えば後者を目指すべきだが、こちらは新設のため情報がほとんどない。それにAdvancedルートなら、非ネイティブで取得するのは極めて難しいと言われてはいるが、C1取得後にC2のProficiencyを狙うという未来の楽しみもある。気負わず定番のAdvancedで良いだろう。▼今はまだ捕らぬ狸の皮算用。まずは英検の勉強をする。

[3744] Dec 05, 2019

「英検1級でる順パス単」を買う。思い立ったが何とやら。勢いで買ってしまった。知らない単語がたくさん載っていて楽しい。しばらくはこれで遊ぼう。▼序文に良いことが書いてある。英語学習、とくに単語力をつける勉強に「べき論」は危険だと言う話だ。文章で覚えるべき。辞書を引いて覚えるべき。コロケーションで覚えるべき。リスニングで音と一緒に覚えるべき。いろんな「べき」が叫ばれるが、それらが常に最適な方法とは限らない。読んで意味が取れればいいレベルの単語まで、英英でニュアンスを掴み、類語との使い分けを知り、リスニングで発音を確認しながら自然な例文の中で暗記……などとやっていたら、数千語という単位の難語はいつまで経っても覚え終わらない。負荷が高すぎるのだ。やがて諦めてやめてしまう。そうなるくらいなら、邦訳して機械的に暗記できるものはそのまま覚えてしまった方が遥かに良いだろう。母国語もまた、言語力なのである。

[3743] Dec 04, 2019

今回、ちゃんと900点以上取れていたらの話だが。来年、TOEICのリベンジもするとして、今更ながら英検にも興味が出てきた。究極の語彙力が試されるという英検1級もさることながら、スラングも含めたスピーディーで自然な英語の「実践力」を測るというケンブリッジ英検も気になる。サンプル問題を見てみたが、なんというか、ゲームとして面白そうなのだ。無論、難易度は高いが、空欄補充問題ひとつ取っても「英語らしさ」の観点から考えなければならない点が解いていて面白い。楽しそうである。▼TOEIC950⇒英検1級⇒ケンブリッジ英検C1という王道ステップアップを目指してみてもいいかもしれない。別に、その資格で留学したいとか、海外就職したいとかいうわけではないが、いつかどこかできっと役に立つだろう。理系学問からも離れてしまった今、熱中できる趣味としての勉強をひとつくらい持っていた方がいい。言わば贅沢な暇つぶしである。

[3742] Dec 03, 2019

しくじった。いや、大失敗はしていない。目標点も、確実とは言えないが圏内にはあると思う。しかし、悔しい思いはした。▼明らかに間違っているとわかっているマークを見送るのは非常につらい。リスニングのひとつ。選択肢Aはよくあるひっかけなので悠々と見送った。B、これも違う。C、これも違いそうだ。そして、D。明らかに違う。一気に焦りが来る。リスニングの進行は無慈悲である。迷っている時間はなかった。とっさにペンを走らせたのはAだった。ひっかけだとわかっていながら、いちばん正解に近いという理由で無意識に選んだのだと思う。だが、今思えば、せめてBかCにすべきだった。Aは絶対に違うのだ。▼他にも、深読みしすぎて間違えたボーナス問題がひとつ。迷った挙句にマークを変えて、提出後に元の方が合っていたことに気づいた問題がもうひとつ。たかが三問だが、なかなか凹むものがある。だが、それでいい。悔しい思いをしてこそ学習だ。

[3741] Dec 02, 2019

スマホゲームはくだらない、中身がない、とよく言われる。たしかに、クオリティの低いゲームのリリースが増えてきたのは否めない。開発費が高騰する中、なんとしても利益を出そうとして無理な計画を立ててしまう各社の内部事情が透けて見える。だが、それはあくまで品質の問題である。それをもってスマホゲーム全体がくだらないというには当たらない。▼スマホゲームで得られるのは、ただの絵だから、ただの数値だから、ただの承認欲求だから。その通りだ。だが、そんなただの**なのに、それに熱中させてくれる魔法のような存在のことを人はゲームと呼ぶ。現実世界における意味などまるでない、内部数値の上下に一喜一憂できることこそが、ゲームのありがたいところなのだ。現実の役に立たないからくだらないのではない。役に立たないのに楽しいからすごいのである。ここのすごさを直観的に理解できる人がゲームを愛している。純粋数学と似たような話である。

[3740] Dec 01, 2019

今日は次男の様子。80cmのジャケットがみっちりで、チャックが上がらないモチ度である。来年は着れそうにない。▼ここ数日は体調不良のせいか機嫌が悪かったが、昨日今日で元に戻った。いたずらが好きで、マイペースで、怒ると噛む。きかん気の強さと頑固さは一級品で、怒られても怒られても「なぜ言うことを聞く必要が?」と言わんばかりにすぐさま同じ悪さをする。なんとも肝の座った大物肌である。▼バランスを取るのに苦労していたが、歩くのはかなり上手になってきた。掴まるものがないところでもスクワットのように立ち上がって、障害物のない部屋なら自重で潰れるまで自由に闊歩できる。移動にハイハイを見る機会も少なくなってきた。▼さらに今日、背伸びまがいのことをしてドアノブに指先をかけている様子が目撃された。外に出たがりの次男。あと数センチ伸びたら届いてしまう。そうなったら大変だ。警戒レベルを大幅に引き上げなければならない。

[3739] Nov 30, 2019

長男のやかましさが凄い。もちろん、元気なことはたいへん喜ばしいのだが、始終、身体と口が動いている。そうして、こちらに何かを指示してくる。ここへ来て。クッションに座って。左手でこれを持って。それを渡して。etc...。ときどき、何かのセリフがツボにはまると、何度でも同じことを言い続ける。言って自分で笑いながら、こちらにも笑いを強要してくる。他の何かに興味を惹かれない限り、止まらない。▼動いて、まとわりついて、しゃべりまくる。大人が会話を始めると、必ず自分も参加しようとして何かしら口を出してくる。それが長男氏である。だが、今日、古いTOEICの参考書を開き直していたら、栞代わりに使っていた短冊が出てきた。長男が一歳のときの七夕だ。私の字でこう書いてある。「おしゃべりがじょうずになりますように。」そう、彼はあまりおしゃべりをしない子だったのだ。他の子に比べても。それがなんと見事に叶ってしまったようだ。

[3738] Nov 29, 2019

毎日、仕事と、通勤のTOEICしかないので話題が偏る。ここの話題が偏ったとき、知的生活の乱れを実感する。早くプロジェクトを終えて元の軌道に戻したい。▼私なりに辿り着いた、各パートの注目点を列挙する。パート1、絵を見て先入観を持たない。写真中央の人物に関する問いかけが来るとは限らない。パート2、全パート中最大の集中力を発揮して全文を聞き取る。自分が会話しているつもりになるくらいの没入感が要る。パート3、会話が行われている「場所」と、会話している人間同士の「関係性」を掴むことに集中する。パート4、できるだけ早くに話者の「職業」と「立場」を特定する。パート5&6、見てすぐにわかる問題は深く検討しない。熟考よりも経験と反射の方が正解を導きやすい。パート7、選択肢を読んで本文を思い出しながら解くのは危険。必ず本文中の根拠となる文章を視認してからマークする。▼試験は来週。総勉強時間は80時間くらいだ。

[3737] Nov 28, 2019

体重が、腰から下に集中している気がする。疲れているとき、よく「体が重い」と表現するが、今日は身体全体が重いとは感じなかった。臀部から太腿、ふくらはぎ、足の裏までの重さが倍くらいになって、代わりに腰から上は軽い。頼りないほど軽い。上半身がどこかへ飛んでいきそうな気がした。自分は、起き上がりこぼしのような、非常に不安定な生物に変容してしまったのだ。そんな錯覚に襲われた。▼胃腸の調子も万全でないのか、夕飯も苦しい思いをしながら食べた。食べないと残業時間が持たないが、食べるのは気持ち悪いという、あらゆる意味でダメな状態に陥っていた。いつもならニンニク大盛りを頼むパスタ屋さんで、頼んだのは野菜のリゾットだった。それくらいしか入らないような気がした。結果、それすら入らなかった。▼水分はたくさん摂っている。それだけはぬかりない。来週は大きなイベントが二つ。十二月――いよいよ最後の大詰めである。後はない。

[3736] Nov 27, 2019

権限の問題で、あるいは知識・技術の問題で、自分が管理できない領域が広がるほど、トラブル耐性は弱くなる。全部自分で組んだものなら、二徹でも三徹でもして短期間で集中的にバグを取り、回避策を捻じ込み、なんとか形にすることもできなくはない。だが、自分が把握していないモジュール、権限がなくて手の出せないライブラリ、ブラックボックス化されたデータ……が増えてくると、いくら時間や労力を投入したところで、事態を収拾することはできなくなってくる。つまり、詰んでしまう。▼今、その「詰み」の状態に片足を突っ込んでいる。権限は一時的に与えられたし、知識と技術は急ピッチで詰め込んでいるが、どう楽観的にスケジュールを描いても、間に合う気がしない。捨てるものを捨てるフェーズに来ている。プラスアルファの仕様をカット、などという生易しいものではなく、どうしてもやりたかったものでさえ、無理なものは無理と断じなければならない。

[3735] Nov 26, 2019

「ノーと言うな。イエス、バットと言え!」研究室時代、教授に叩きこまれた教訓だ。今でも私の仕事原理に刻まれている。▼どんな無理難題でも首を縦に振ってなんとかしろという意味ではない。長いものに巻かれてイエスマンになれということでもない。言葉通りだ。ノーと言いたくなったら、イエスと先に言う。言ってから「しかし」と繋げる。無理難題なら、そこで無理難題であることを説く。何が違うのか?▼ノーと言わずイエスと言う。それは、少なくとも相手の抱えている問題の存在を認めるということである。そこに何か問題があり、相手は解決したいと思っている。その事実を認知する行為が、イエスなのだ。▼自分の問題を知ろうともしない人を信頼する人はいない。最初からノーと言う人の世界は必ず閉じていく。イエスと言おう。実質同じじゃないかと思う人は、実質でないものの価値を安く見積もりすぎている。騙されたと思って言えばいい。イエス、バット。

[3734] Nov 25, 2019

不味くて飲ませるのが大変だった溶連菌抗生物質の最終日。面白いことがあった。▼その日、いつもと違うタイミングで食事を取ったこともあり、私も妻も、長男の薬のことを忘れていた。やがて、ニヤニヤしながらこちらを窺っていた長男が、急に歌い出した。「ゆかいな牧場」の替え歌である。「おくすり飲もう、いやいやよー。」▼その歌で思い出した我々が、例のピンク色の粉末を持って近づく。「いやいやよー」まだ笑いながら歌っている。とうとう、囚われるまでご機嫌に歌っていたが、いざ捕まえて飲む段になると、普段と変わらぬギャン泣きである。薬を飲む運命を、諦めて受け入れたわけではなかったようだ。▼彼はいったいどんな気持ちで薬の歌を歌ったのか。このところ毎日飲んでいた薬がなくて、そのことで薬という言葉が脳に浮かび、ただ歌にしただけなのか。それとも実は本当に飲もうという意志があったのか。たいへん気になるが、永遠に謎のままだろう。

[3733] Nov 24, 2019

長男のゲーム慣れが速い。「スーパーマリオオデッセイ」「ブレスオブザワイルド」「夢を見る島」あたりは、もうしっかりアクションを楽しんでいる。「スプラトゥーン」はいくら勧めても遊ばなかったから、動植物やモンスターの出てくるワールドモノの方が好きなのだろう。冒険好きなのかもしれない。▼閑話休題。試験日まで十日を切ったので、学習も巻きに入る。公式問題集5の二回目模試はL3問ミス、R5問ミスで950点。まさかLの方が高得点になる日が来るとは思わなかった。全てはディクテーションのおかげである。▼一方。Rの5問は、1問がケアレスミス、1問がマークミスなので、集中力が足りていない。残りの3問も難問を落としたわけではないから、上振れすれば満点も狙えるはずだ。逆に下振れしてもL8ミス、R8ミスの計16ミスくらいに収めたい。下振れして900の線は見えているが、スピーカーが劣悪な可能性もある。詰めは慎重にしたい。

[3732] Nov 23, 2019

長男を連れて、元同僚の披露宴に参加。肩肘の張った会ではなく、飲食店を貸し切って立食形式で行われるドレスコードなしのパーティーである。お子さんの参加も歓迎とあったので、連れていくことにした。▼ドリンクにオレンジジュース。料理はフレンチなので食べられる品が少なく、白身魚のフライだけ食べてご馳走様。同時に、ソファを徘徊したり背もたれにあがったり、ハイテンションで悪いことをし始めたので外へ連れ出す。そうして、人通りの少ない駅の地下通路を、走る。走る。走りつづける。メンダコが出たよ、追いかけて!▼三時間の会のうち、約二時間は走ったり暴れたりしていた。危惧していた人見知りはなく、誰にでも愛想を振りまいていたが、基本的にテンションが高かったのだろう。エネルギーを全て使い果たした後は、帰りの東海道線で泥のようにぐっすり。重い身体を抱っこして、遠方より帰る。外はずっと小雨が降っている。印象的な一日になった。

[3731] Nov 22, 2019

朝。明らかに寒い。押し入れからアルパカのセーターを出してくる。いきなり冬になったようだ。▼昼。コンビニのATMでお金を降ろす。手持ちの現金がなかった。十年の時を経てようやく社屋の自動販売機は電子マネーに対応したが、昼食店はチェーン以外どこもかしこも現金一色である。導入コストが高いのか、それとも、売上をばっちり数字で記録されるのがイヤなのか、真意は知らないが、このたびのキャッシュレス推進で便利さを体験した人たちが、徐々にでも現金のみの店を避けるようになり、競合店がひとつ、ふたつと他に先駆けてキャッシュレスを採用すれば、やがては死活問題になり参入は避けられなくなるだろう。そういう未来は見えている。時期だけの問題である。▼夜。会社を出て十二時前。雨が強い。電車のライトが雨筋を照らしている。急に年末感が強くなる。総括には早いが、今年は何もかもが濃い年だった。生きているだけで経験値の溜まる年だった。

[3730] Nov 21, 2019

「転職できるくらいに人を訓練し、転職したいと思わないくらいに厚遇せよ。」リチャード・ブランソン。▼優秀な若手社員を全力で育成したら転職してしまうのではないか。そもそも、本当に優秀で野心のあるアグレッシブな社員は、遅かれ早かれ、もっと給料の良い会社に行ってしまうだろう。だから、若手の教育なんて頑張りすぎても仕方がない。この会社の、このプロジェクトの、このチームの仕事に役立つノウハウを覚えてもらうくらいがちょうどいい。――そういう空気は、ないとは言えない。▼だが、本当にそうだろうか。優秀な人は、成長すると必ずより給料の良い会社へ転職してしまうのだろうか。そんなことはない。会社が自分の成長を許してくれる、認めてくれる、そして、身近に自分を成長させてくれる先輩がいる、その心理的な安心感は高給にも十分勝りうる。優秀な人ほど、お金よりも成長の機会を求めているものだ。そうしてきたからこそ優秀なのだから。

[3729] Nov 20, 2019

リスニング。直前の練習ということで、少しだけ速い音源を使って、通勤電車で全パートをまわしている。ときどき、恐ろしくゆっくりしゃべる問題があったりして、高速モードが切れたのかとびっくりするが、そういう問題は等倍にすると、逆に聞き取りにくいくらいスローモーションで喋っていたりする。初心者用に、聞き取りやすい問題を作っているのかもしれない。▼問題文は徹底して見ない方針で進めてきたが、調子は良い。無駄な焦りがないし、全文を聞き取ろうというクリーンな気持ちで音声を聞ける。それに、問題文には選択肢がある。選択肢には、内容に関係のある情報より、関係のない情報の方が三倍も多いのだ。そんな情報で脳が汚染された上、問題文から憶測した内容に理解を沿わせようとしてパニックになるくらいなら、日常生活同様、ちゃんと聞いて、聞こえた範囲で回答するのが王道というものだ。私はやはり、あらゆる意味で先読みなしが正解だと思う。

[3728] Nov 19, 2019

ハプニング。鍵を忘れてしまった。▼午前一時。みんな寝ている。LINEを送っても既読がつかない。さすがに外は寒いのでコンビニへ避難。申し訳程度に飲み物を買い、雑誌コーナーで時間をつぶさせてもらう。店の前には明るい色のパーカーを着込んで談笑する二十前後の若者たち。車で乗り付けて来る三十代の夫婦。久しく触れていない時と場所の感覚が懐かしい。今よりも深夜に生活の軸足があった、大学時代を思い出すようだ。▼激しく扉を叩いたり、家の電話を鳴らし続けたり、やれることは残っていたが、それよりは次男のミルク起きに期待したかった。ほどなくして起きたという連絡。ミルクで泣いてくれたらしい。今日、一歳検診で注射を五本打たれても泣かなかった、肝っ玉次男坊に助けられた。▼普段は鍵を開けたら外にいるうちに鞄へしまうので、忘れることはそうそうないのだが、昨日は机の上に出していたらしい。深夜のことで記憶がない。次は気をつけよう。

[3727] Nov 18, 2019

電車内。イヤホンをしてスマホを見つつ、ふと異変に気づいた。妙に人が降りる。発車の加速と同時に、床を口紅のような物体が転がっていく。座席の下に打ち捨てられた持ち主不在のビニール袋。そこから転がってきたようだ。アクセルで左へ。ブレーキで右へ。目で追いかけているうちに、今度は異臭が鼻をついた。目を上げる。近くの座席のサラリーマンが、うとうとしながら盛大に吐いていた。▼ちょうど駅についたので私もぼんやりしながら降りた。出来事はサイアクだが、嫌悪感は先立たなかった。そうして、同年代か少し年上の背広姿のサラリーマンが、そこまで泥酔するに至った背景を思い描いた。何もかも忘れたくて暴飲したのか。昭和気質の上司にいやいや飲まされアルハラを受けてきたのか。あるいは……たとえそうでも、公共交通機関で吐瀉物をまき散らかすことは許されないが、これが終電の日常的な光景なら、居合わせた人全員にどんまいと言いたくなった。

[3726] Nov 17, 2019

「水曜日のネコ」を買う。▼私の中ではクラフトビールと言えばコレである。なぜかというと、私の中ではコレだからだ。実は、このトートロジー以外にあまり理由はない。味ならプレモルやエビスの方が好きだし、値段も同じくらいである。本来なら、積極的に選ぶ理由は何もない。▼恐らく、人生のどこかで、たまたまこのビールを手に取って、それがちょうど気分に合う味だったのだろう。その後も普段と気分を変えたいときには「水曜日のネコ」というルーチンになった。ひょんなことからライフスタイルの一部と化したわけだ。▼これからの世界はきっと、クリエイターもそういう生き方を迫られるようになるだろう。これがマスの総意だと言わんばかりに一握りの芸術を押し付けるやり方は、もううまくいかない。きっかけはどんな理由でもいいから、誰かのライフスタイルになることが長く愛され生き残る唯一の方法になってくる。人のライフスタイルになることを考える。

[3725] Nov 16, 2019

次男、一歳の誕生日。▼今日は私も朝から喉が激痛だった。次男も夜中にあやしい咳をしていたので、みんな揃って溶連菌かもしれないと思い、朝から病院へ連れて行く。診断の結果、私は予想通り溶連菌だが、次男は特に問題なしで様子見と言われた。溶連菌は四歳以上に多く、一歳児のような小さい子はあまりうつらないのだそうだ。少し安心。私も無事、抗生物質をもらって治療開始。今晩にも楽になると言われて安堵している。▼たいへんだったのは長男の投薬だ。薬の色と匂いが強烈すぎてテコでも飲まない。泣き喚いて拒否、無理やり飲ませても吐くという具合で、散々揉めた後、最終的には無理やり粉を口の中に注いで、多少吐きながらもお茶で強引に流し込んだ。阿鼻叫喚である。▼そんな騒がしい誕生日会となったが、これはこれで一生忘れまい。選び取りは「音楽家」を最初に選び、次に「商売人」を取った。まさかの選択。私の意思を継いでくれるのかもしれない。

[3724] Nov 15, 2019

どうやら溶連菌だったようだ。全国の保育園で流行りまくっているという。どうりで私も二週間近く、喉の痛みが取れないわけだ。近々、抗生物質をもらいに通院しなければならない。▼仕事の方は、火の気の収まる気配がない。私の周りも燃えているが、ふと目を上げると対岸はもっと燃えている。対岸の火事とは言うが、自分の背中も燃えている場合はどうなのだろう。このときの反応は人による。対岸があんなに燃えているのだから、こちらはマシな方でよかったと思う者。自分の身が危険に晒されているのに、対岸の様子など眺めている暇はないと思う者。後者の方が働きものだが、案外、長く生き残るのは前者の方だったりするので、会社人生は難しい。▼私はもう、なんとかしますとだけ宣言して仕事に没頭させてもらっている。なんとかできなかった場合の傷は深いが、そうする以外に手はないと判断した。全力を出すだけだ。それを阻害する要因は、絶っておきたかった。

[3723] Nov 14, 2019

明後日は次男の誕生日。長男の体調不良が長引いているので、パーティーは延期になったが、プレゼントは選んできた。布製の豪華絵本セットだ。▼最初は乗り物にしようと思っていたが、長男の使っていたバイクがあるし、二台目というのも上手くない。かといって機械製のおもちゃは、いろいろ激しい次男の手にかかれば、きっと投げられ叩かれて壊されてしまう。背伸びした知育系もパッとしない。ままごとセットのように、長男の方が食いついてしまうプレゼントも考え物だ。――そういう流れで、妻とLINEで相談しつつ、よい落としどころとして布製絵本ということになった。ヨドバシのすぐ近く、有隣堂の絵本コーナーはラインナップが充実している。良い品が難なく見つかった。▼次男の誕生日ではあるが、長男にもひとつプレゼント。前々から買ってあげたいと思っていた飛び出す仕掛け絵本を買った。海岸がモチーフの綺麗な本。最後の頁からはタコが飛び出してくる。

[3722] Nov 13, 2019

油断していたわけではないのだが、昨日、熱が下がったので安心していたら、今日の朝は38度越えになった。再び保育園を休んで様子を見るも、40度越えの連絡が来たときにはさすがに定時退社を決意。昼は高熱でも元気だったのが、夕方から夜にかけて本格的にぐったりしてしまったという。最高は41度を記録。帰宅した私と入れ替わり、妻と長男は救急病院へ。私と次男は留守番である。▼診察の結果は風邪で、インフルエンザかどうかは処置の内容に影響しないから検査はしないとのこと。水分をしっかり取るように言われ、シロップ式のカロナールを処方された。普通の結果だが、普通の結果になっただけでもひとまず安心だ。行きのタクシーでは言葉もたくさん発していたという。発熱に伴う副作用は心配だが、緊急性のある得体のしれない病気ではなさそうだ。▼五日間、熱が下がらない場合は再度通院せよ、とのこと。最初の発熱から三日経っているので、明後日だ。

[3721] Nov 12, 2019

二日間、長男が高熱で保育園をお休み。初日に三十八度以上出た。二日目の朝は三十七度で落ち着いたように見えたものの、保育園の前まで来て抱っこしたところ、眠いというよりは元気がなくてぐったりした様子。今日も休んで家に帰ろうかと聞くと首を縦に振るので、その場で電話して休ませた。保育園の目の前で保育園を休む連絡をするという、奇妙な絵になった。▼帰宅。ベビーカーでまた寝てしまったらしい。起こすのもかわいそうなので温かくしてそのままぐっすり。二度寝ながら、けっこうな時間寝ていた。起きると上着や靴下を勢いよく脱いで「じゃあ、動画でも見よっか!」と一転。大好きなりんごを食べて、りんごジュースを飲んで、動画を見て、ゲームをして……。病気のときくらい好きなことをさせてあげたいが、病気になって休むとわがままが通じて楽しいと思われては困る。めったにないからこその好待遇だということを、わかってもらわなければならない。

[3720] Nov 11, 2019

電車でリスニング音声の聴き直し。復習が大事とは言われるが、正直、一度答え合わせをしてスクリプトを確認した文章は大体覚えているので、どうあれ二度目は聞こえてしまうところがある。新しい音源を次々とこなして聞こえない音の組み合わせを洗い出していく方が、私には合いそうだ。▼もっともつらいのが、パート2で「ワイイズンタビゲールボランティアリング……」のように、冒頭から人名が出てくるパターン。スクリプトを見れば"Why isn't Abigail volunteering"とアビゲイルが人名であることに気づくが、疑問文の形に集中しているところへいきなり捻じ込まれると、とっさには頭が人名変換してくれない。▼では、どうしているかというと、自分の知識と経験を信じて、「聞こえなかったものは全部固有名詞!」と割り切っている。実際、選択肢が流れれば"Because she..."と始まるので、「アビゲイル」が全く聞こえなくても回答に支障はない。慌てないことだ。

[3719] Nov 10, 2019

今日はリスニングセクション。3問ミス。うち、1問はマークミス。かなり聞こえている方である。本番でも、これくらいの集中力が発揮できれば言うことはない。▼パート1で落とすことはないと思うが、パート2はちょっとでも気を抜くとあっという間に持っていかれる。何しろ、冒頭の5W1Hを聞き逃したら終わりだ。他の情報から推測を立てることもできない。純粋な難易度なら3>2>4>1だと思うが、2は全パート中、いちばん神経を使うパートだと思う。▼来月の本番までに、LもRも3問ミスくらいが「最高」ではなく「標準」という線まで仕上げられると、得点が安定しそうだ。パート3とパート5を狙い撃ちしてもいい。目標が900なら、当日、激しい体調不良に襲われても、いまだかつてないほどケアレスミスをしても、900は割らないようにするのが、私のやり方である。公式模試で970くらい出せないと安心はできない。残るチャンスはあと3回だ。

[3718] Nov 09, 2019

しばらくぶりにTOEICのリーディングセクションをやってみたら、文法問題で7問も落とした。これはいただけない。間違え方を見ると、知識を忘れているというより、正解を選ぶ勘が鈍っている。「よく見れば答えわかるじゃん」というやつだ。「よく見る」ことも意外と難しいという試験の落とし穴である。▼7問の中に、知識不足で解きようのない問題はなかった。しっかり勘を取り戻せば手こずる内容ではあるまい。時間配分については文法20分・長文55分の定番配分で良いと思っている。実際にはハイペースなら長文が40分程度で終わるので、予定通りのスピードで解いたあと、文法のケアレスミスを探しに帰ってくるのが良さそうだ。▼リスニングが課題である点は変わっていない。「聞こえない」は減ってきたが、意識が飛んで「聞いてなかった」がどうしても数問混じってしまう。パート1や2ならまだしも、3や4だと痛い減点になる。集中力の強化が要る。

[3717] Nov 08, 2019

集中型バージョン管理から、分散型バージョン管理へ。より頑健で、チーム開発に即した形になるが、アジャイル風味を志向しつつも基本は阿吽のウォーターフォールで動いている我々が使うと、堅さよりも煩雑さの方が勝ってしまう恐れもある。オペレーション面での混乱は出来るだけ防ぎたい。▼新しいツールを導入したとき、避けなければならないのは「操作」が変わったと認識されてしまうことだ。変わったのは「理念」である。ここを利用者が履き違えている限り、トラブルはなくならない。以前のツールの理念を無理やり新しいツールに当てはめようとして、問題解決に時間をかけたり、不具合を引き起こしたり、使いにくいと不満を言ったり……しつづけることになる。▼運用開始したら、最初にメンバーを集めて講習をやろうと思っている。重要なことなので自習には任せない。全体像をしっかり理解して、詳細だけは自分で復習してもらう。ときには座学も必要である。

[3716] Nov 07, 2019

フェイルセーフとフールプルーフは似て非なる概念だ。ミスをしても致命的なことにならないようカバーするのがフェイルセーフ。そもそも物理的に、あるいは論理的に、ミスが出来ないよう設計しておくのがフールプルーフ。故に、正しく実装されたなら、フールプルーフの方が常に強い。フールプルーフに出来なかった部分に安全策を施すのがフェイルセーフ設計である、とも言える。▼どちらも美徳に思える。だが、今、私を苦しめているのは、実のところこれらの安全策である。フールプルーフも、フェイルセーフも、タダではないのだ。微小でもコストがかかる。もしかしたらこんなデータが来てしまうかも。こんな計算結果が渡されるかも。そのときは何もしないで抜けてしまおう。――それが単なる杞憂なのであれば、本番環境では負荷以外の何物でもない。本当にありうる正当な抜け処理なのか、過剰な防衛なのかを、せめてわかるようにしておかなければならなかった。

[3715] Nov 06, 2019

全社的に環境をGitLabに統一しようという動きがあるらしい。望ましい話だ。プロジェクト間を行き来しても新しい環境を学び直す必要がない。共通のノウハウが蓄積される。資産も使いまわしやすい。アカウント管理も一本化できる。そうして、これまでワードやメモ帳などに散在していたチラ裏のようなドキュメントは、GitLab付属のWikiへとまとまっていくだろう。いいことだらけである。▼そのうち、たとえばDockerやKubernetesなんかを駆使して、モダンな開発を経験する機会もあるのだろうか。それとも、その頃には職種が変わってしまっていて、ヒト・モノ・カネの管理と外部交渉に明け暮れているのだろうか。こうして並べたとき前者に魅力を感じるのがエンジニア肌、後者に魅力を感じるのがマネジメント肌――と括られてしまいそうだが、それも何か違う気がする。どちらを選んだとしても、そんなふうに思われたくはないと思ってしまう、難儀な自分の姿も見える。

[3714] Nov 05, 2019

激しい喉の痛みで昨晩は眠れなかった。ハロウィン模様の薬箱から古いトローチを取り出してきて、眼鏡もかけずに手を伸ばし口に含む。痛みが和らいだら浅く眠る。そんなことを繰り返していたら、朝方、ちょっとしたトラブルに遭った。目が覚めた衝撃で、トローチを飲み込んでしまったらしい。▼焦ったが、呼吸は出来ているし、緊急の問題はなかった。喉は痛いが、唾液でそのうち溶けるだろうし、真ん中には穴も開いている。闇雲に動いて変なところへ入り込まないよう、静かにしていれば大丈夫だ。そう考え、しばらくのあいだベッドサイドに座り込んでいた。絶えずトローチの甘い味がする。だが、溶けているのかどうかはわからない。▼結局、そのまま朝飯も食べずに病院へ行った。診察へ呼ばれた頃にはもう跡形もなくなっていたが、トローチでなく飴玉だったりしたらと思うと冷や汗が走る。子どもの頃、大きな氷を飲み込んでひゃっとしたときのことを思い出した。

[3713] Nov 04, 2019

喉が痛い。身体もだるい。変な風邪をもらってきた。おとといあたりから絶えず鼻水を垂らしていた次男からの貰いものだろう。今週、こじらせて仕事にならないのは最悪だ。明日は早目に病院へ行って、薬を手に入れた方がいいかもしれない。▼このあいだ勤怠記録を見直したら、今年度に入ってから体調不良で休んだことは一度もなかった。体調自体は崩しているので意外だったが、平日は気張って休日に倒れたり、風邪っぽくても熱はないので出社を強行したりして、完全な病欠を回避していたのだろう。夏季休暇も出社して代休がたまっているし、今年から一定数の取得が義務付けられた有給取得も思ったほど進んでいないかもしれない。▼とにかく、十二月までは駆け抜けて、冬期休暇はフルで取り、一月あたりからゆっくり次のプロジェクトに移行するというプランを実現したい。曲制作もそこから再起動だ。今年はもう、オフと決めている。少ない夜の時間は眠りにあてる。

[3712] Nov 03, 2019

親子四人で外食に行く場合、困るのは次男坊だ。悪い盛りの一歳前。いたずらできるものにはなんでも手を伸ばすという暴れん坊で、おまけに怒られても平気の平左で言うことを聞かない胆力は当時の長男以上。大人しめと思っていたが、ここにきてかなりの厄介坊やぶりを発揮している。▼そんな次男を連れて、どんな店に行けば落ち着いてご飯が食べられるのか。これは常に難題だ。長男とて、基本的にはまだ落ち着きのない暴走豆タンクである。今日は座敷を頼んで焼き肉屋の個室へ行ってみたが、自由に這いまわってコップや皿に手を伸ばす危険さはテーブル席以上だった。結局、座敷なら少しは楽かもしれないという期待は見事に打ち砕かれてしまった。▼案外、パセラのような食事に定評のあるカラオケ屋でファミリー席を選ぶのがアリなのではないかと思っている。高くつくが、遊び場の代わりに休憩もできると思えば休日の1コマとして悪くはない。次回は試してみたい。

[3711] Nov 02, 2019

私が見る限り、今の会社に「無能なマネジメント」はいない。あまり下から上を評価するのは好きではないが、能力的に順当であるというのが率直な感想だ。▼問題は、マネジメントのロールモデルが不在であることだ。現場で優秀な成績を残したデキル人が昇進していき、ときには有能な采配を振るい、ときには無難に、あるいはヘマをしたり、十人十色に管理職をこなす。悪いことではないが、マネジメントの質が、上がってくる人材の個人的な能力に依存しすぎている。この状態では、組織としてマネジメント力を計画的に高めていくことは難しい。ひとたび不作の時期が訪れれば、あちこちでプロジェクトが破滅するだろう。▼そのようなリスクから逃れるためには、マネジメントを会社として計画的に育成するしかない。昇進してきた人にノウハウを叩きこむのではなく、そもそも誰が、何が、当社で模範となるマネジメントなのかということを明確に示すことが必要であろう。

[3710] Nov 01, 2019

いつ頃からか、日本は無能なマネジメントが横暴を振るって高給を取り、優秀なエンジニアはスキルに見合わぬ低賃金に喘ぎ苦しんでいる――という構図が、無条件で真実だと思われるようになった。そういう事例が「暴露」されると、またひとつ証拠が積みあがったとばかりに現役技術者たちの同情が集まってくる。▼皮肉なことだが、面識もない一技術者が吐き出した怪情報を、何の検証もなく真実と信じ込んでしまう態度自体が、すでにエンジニア的でない。そういう人はエンジニアとしてちょっと信用できない。辛辣な言い方だが、自分では高度な仕事をしていると思い込んでいるだけのアブナイ人という感じがする。▼企業というマネーマシンを維持する道を探さなければならない経営側と、熱意や誠意、技術、やりがいを重視する現場側の思惑が食い違うのは当然のことだ。その妥協点を探りあうのが組織である。後者が評価されないことをもって不遇と断じるのはおかしい。

[3709] Oct 31, 2019

かなり大きな問題が解決した。解決した可能性がある。正確な検証は明日の楽しみに残してきた。ここがクリアできると十一月へ向けて一気に見通しが明るくなる。今日の帰り際に見た現象が幻でも勘違いでもなく、ぬか喜びでないことを祈りたい。▼「次」の話も始まっている。いちばん苦しいときに並行処理しなければならないのはしんどいが、非常に条件の良い話ではあるので、わりと前向きな気持ちで取り組めている。視界は良好だ。未来に向かって、少なくとも悪い方向へは進んでいない。目の前の山を越えれば、また順調な仕事生活が送れるはずだ。だからこそ無事に乗り切りたい。乗り切って、また建設的な仕事に打ち込みたい。▼プライベートな日記でありながら、公開しているが故に企業秘密にまつわる内容は何も書けないのが悩ましいところだ。今日の内容など、誰が見ても、ほとんど何のことかわからない。わかるのは、私の勉強が進んでいないということだけだ。

[3708] Oct 30, 2019

ワイヤレス式カナル型イヤホン「AirPods Pro」発売。待望のApple公式ノイズキャンセリング搭載版だ。うどんっぽさも軽減されている。旧モデルを買わないで待っていてよかった。▼AirPodsでAmazonを検索すると、写真は完璧にAirPodsだが、よく見るとメーカー名の違う3000円前後のパチモノがトップに並ぶ。レビューはどれも★5ばかり。「それは正直なところ品質の良さですが、左右に押したときに蓋にカチッという音がしますが、これは正常ですが、この製品は価値があり、安全に保ちたいが心配はありません。」もう、誰が誰に向けてステルスマーケティングしているのかもよくわからない酷さである。実は騙されているのは委託主なのではないだろうかとさえ思えて来る。▼Amazonの惨状は目を覆いたくなるレベルになってきた。検索性は皆無で、レビューは何ひとつ信用できず、値段も他の通販サイトに追いつかれている。Amazonでの買い物はKindleくらいになってきた。

[3707] Oct 29, 2019

この頃、寒さをあまり感じない。いや、寒がりなので、寒風の吹きすさぶ夜道を歩いているときは思わずジャケットを深めに絞るし、家でも冷える朝に暖かい布団から這い出るのはイヤなのだが、いざ、寒さを肌に感じてみると、どうも感覚が鈍いというか、脳が寒いと思っているほど身体は寒いと感じていないような、ちぐはぐな感じがする。いまも午前二時、夏の半袖寝巻で書いているが、あまり寒くはない。▼何かの拍子に寒がりが解消されたならいいだろう。だが、真実のところは、単に疲れているのかもしれない。疲れて感覚が鈍くなっているから、寒いとか暑いとか考えるのも面倒になって、外界の情報を脳が積極的にシャットアウトしている説だ。もしそうなら、暑さ寒さに限らず、身体的な「疲れ」そのものすら、疲れによって知覚できなくなっていく可能性もある。これがなし崩し的に身体を壊していく第一歩かもしれない。薬も切れた。明日は半日休ませてもらおう。

[3706] Oct 28, 2019

仕事では、要領よく立ち回れる方だと思う。抜群に器用とは言わないが、やった仕事に対して最低でも等倍以上のアピールは出来ている。「10」働いたのに「5」や「8」のように思われてしまうことはない。そうなりそうなときは、さりげなく印象の底上げを図っている。▼仕事をしてもいないのに、したように見せかけたり、人の手柄を奪ったりするのは単なる狡猾だが、誤解されないように努めるのは自分自身への思いやりである。自分を不当に低く評価されないように立ち回ることは、往々にして他人のことを見失いやすい組織の中における自己防衛に過ぎない。何も働きかけなくても自分の仕事が正当に評価されると期待するのは、ちょっと甘えが過ぎるというものだ。▼他の人がどう思い、どう行動するかは知らないが、私はいつもそう思っている。チームワークは、呼吸である。餅つきである。お互いにお膳立てし、声を出して連携しなければ、よい仕事は生まれ得ない。

[3705] Oct 27, 2019

PreSonus『Quantum2』は次に狙っているオーディオIFだ。低レイテンシに全てを注ぎ込んだ超特化型の製品。"Fastest Audio Interface on the Planet."の謳い文句は伊達ではなく、Thunderbolt2に加えて余計な内部工程を徹底的に省いた機体は、同程度のバッファ設定であっても現存最強の製品群を三倍以上上回る数字を叩き出す。あの手この手で数ミリ秒、ないし数十マイクロ秒を稼いでいた人にとっては、まさしく狐につままれたような話だろう。レビューサイトではレイテンシ「0.88」ミリ秒も見た。もはや体感不可能な時間差である。▼ピアノに関して言えば、ぎりぎり許容できるラインは10ミリ秒だと思っている。そこから詰めて、違和感が減ってくるのは8ミリ以下。4ミリ以下になると、よほど意識しない限り知覚は難しい。今までの製品では、音飛びしないバッファ設定でその域に達するのは難しいと思っていたが、『Quantum2』なら届く可能性がある。楽しみにしたい。

[3704] Oct 26, 2019

三菱の「霧ヶ峰」に決めた。▼型番も決まっている。あとは買うだけだが、どこで買うかは悩ましい。工事込みの金額で、ヨドバシなどの量販店と楽天などの通販を比べると、大体三万円くらい通販の方が安くなる。5年保証、10年保証をつけたら五万円だ。保証が大事なのはわかるが、今回のように10年後に壊れたところで買い替えざるを得なくなるのが関の山。メーカー保証も三年あるし、リスクに価格差が見合ってないように感じてしまう。通販に傾いているところだ。▼ときに、霧ヶ峰を選んだのは機能比較による判断だが、実はそればかりとは言い切れない。数年前、ヨドバシでエアコンコーナーをめぐっていたときに、たまたま霧ヶ峰の体験コーナーがあって、そこで浴びた冷風が非常に心地よかったのを思い出したというのもある。名前に良い印象が紐づいていたわけだ。時間差の宣伝効果。すぐに売れるかどうかだけではない。地道なプロモーションの大切さである。

[3703] Oct 25, 2019

ダウンジャケットを出してきた。ついこの間まで半袖を着ていたのに、薄手のカーディガンを羽織っていたのも二週間程度のこと、あっという間にダウンである。一ヶ月もしたらコートになるだろう。台風と雨で、ここらはすっかり冷え込んだ。夜はもう、はっきりと寒い。▼長男の冬服がやや不足気味だ。去年のうちに成長を見越して100の長ズボンを買っていたのだが、思ったより大きくならず……というより、腰回りが細いままだったので、今着せてもずり落ちてきてしまう。かといって、今から90や95をたくさん買っても、今度は履ける期間が短い。次男は平均よりもサイズが大きめ。上手く継承できるとも限らないので、買うにも慎重さが求められる。子どもの着回しは難しい。▼寝巻にも厚手が必要だ。こうして衣服のあれこれを考え出すと、季節がひとめぐりしようとしている実感が湧いてくる。暦や気温ではない。洋服だ。着ているものによって四季を感じるのだ。

[3702] Oct 24, 2019

語るべきことは、そう多くない。粛々と仕事を進めている。▼ただ、困ったのは夜中に目が覚めるようになったこと。眠りが浅い。ストレスというより、寝ていると、取り掛かっている問題の解決策とか、回避策とか、アイデアが浮かんできたりして、それを試したらどうなるか考えたり、寝惚けていると実際に試して成功した気になったりして、深く眠れていないのだ。一時間に五分といった具合で間歇的に起きている。もっとも、いくつかのアイデアは現実に日の目を見たりしていて、あながち無駄ではないのだが、とはいえ眠るときは眠らないと身体が疲れて昼間のパフォーマンスが落ちてしまう。アイデアは欲しいが、休息も欲しいのだ。▼休息を疎かにする者は、遅かれ早かれ倒れてしまう。残業時間の数字だけ見て、これくらいなら大丈夫などと思ってはいけない。破滅は一瞬でやってくる。降り注ぐ矢の雨を潜り抜けてきた戦士も、ただ一本の矢に貫かれて死ぬことはある。

[3701] Oct 23, 2019

スキマ時間でエアコンの調査を継続。▼グレードは前述の通り。あとはメーカーの違いだが、ざっくりと以下の理解で良さそうだ。AIセンサーが優れている三菱、清潔感で一枚上を行くパナソニック、内情洗浄能力の高い日立、電気代をより節約できる東芝、コンパクトな富士通、全体空調に近いダイキン、プラズマクラスターのシャープ。▼そうは言っても基本性能はほとんど同じ。各社機能の上積みでなんとか違いを出そうとしている印象だ。諸々並べてみて、僅かに引きが強いと感じるのは三菱。ムーブアイの優秀さは折り紙付きのようで、暑がりと寒がりが同居する場合は非常に良い選択肢だと言われている。高感度のセンサーで部屋の温度をコントロールするということは、結果的に最適な冷却・暖房を行うことにつながるので、電気代の節約にもなるだろう。最も要らないと思っていたAIだが、AIと言わずセンサーと言えば質が良いに越したことはない。一歩リードだ。

[3700] Oct 22, 2019

長男謎語録。お風呂に肩まで浸かりなさい、と言うと。「肩まで浸かってフーッってするとね、夜たくさんお化けが出てきちゃうけど、**ちゃんは強いからね、勝てる。左手のグーはね、タコさんなんだよね。右手のチョキはカニさんだから。強いんだよ。だからお化けたくさん出てきても怖くないよね。うん。」▼肩まで浸かるとどうしてお化けがたくさん出てくるのかわからないが、たいそうな自信のようだった。だが、夜、歯磨きを拒否するので、悪い子のところにはお化けが来るよ、もうそこまで来てるよと言うと、最初は戦うそぶりを見せていたが、すぐにビビリモードになって、真顔で「ヤダ」「お化け来ない」と言い出した。そうして大人しく歯磨きされると、「ちゃんと歯磨きしたからね、お化け来ないんだよ」とルンルンである。やっぱりお化けは怖いらしい。▼お化け以外ではダイオウイカも怖いと言っていた。イカは好きだが、ダイオウイカはダメなのだそうだ。

[3699] Oct 21, 2019

雨音がずっと聞こえている。会社から飛び出したときも大雨だった。台風ではないが、雨は強い。雨。雨。このところ休日はずっと雨だ。明日、出かける予定のある同僚は、どうやって駅まで濡れずに行くかを思案していた。移動手段が自転車なのだ。予想以上に雨脚が強ければ、きっとお出かけ自体が中止になるだろう。▼最低でも残り一ヶ月、最長でも二ヶ月、仕事以外のことは出来ないし、しない。今回は特に、解決策は見えているが作業が追い付かないのではなく、解決策自体をいくつも考案していかなければゴールへ辿り着かないだけに、他のことへ思考のリソースが割きにくい。電車の中でも、シャワーを浴びているときでも、眠れない布団の中でも、検討に値する次の策を考えている。時間は限られている。一刻も猶予はない。▼ただ、終電に向かって雨の中を走っているときは、何も考えていなかったような気がする。多忙の最中の、あの無心もまた得がたい時間である。

[3698] Oct 20, 2019

ヨドバシカメラへエアコンを見に行く。要約。▼どのメーカーも価格は揃えている。基準となる最低ラインが十万円。工事費込み。全ての追加機能が「なし」のシンプルなタイプだ。ここに五万円を追加して十五万とすると、フィルター自動掃除機能がついてくる。燃費も少し良くなるが、劇的な違いはない。さらに五万円を追加して二十万とすると、エコモード搭載となり大幅に燃費が抑えられる。毎日フル稼働が前提で、下位モデルに比べて年間一万円ほど得な計算。五年以上使うなら得、と計算させたい狙いが透けて見える。最後に、そこへ十万円乗せて三十万にすると、全部入りの最上位モデルとなる。▼メーカーごとの違いは、AIの働き方とか、羽根の洗浄方法とか、カビ対策の仕方の違いとか、加工材料の種類とか、絶対温度重視か体感温度重視かとか、そういうところにしかない。価格帯がまったく同じなのは、いろいろお察しというところだろう。これから比較に入る。

[3697] Oct 19, 2019

Nintendo Switch Liteを買う。色はグレー。黄色も良いが、シンプルな方が飽きが来ないと判断した。▼買った理由はいろいろあるが、外でも遊びたいほど面白いゲームを見つけたことと、スマホゲームの粗製乱造にあきれてしまったことの二点が大きい。仕事が忙しい時期でもあるし、ログインボーナスを欠かさず拾いにいったり、スタミナを無駄にしないよう立ちまわったり、ランキングを意識してイベントをこなしたりするよりは、ひとりの世界に閉じこもってコンシューマーの良作を遊んだ方が気楽と言える。同じような理由で原点回帰している同世代人はきっと多かろう。▼充電の難はあるが、スマホと違って移動中以外に触ることはないので、使わない時間帯に電源を繋いでいればこと足りる。いざというときはモバイルバッテリーも使えるし、さほど問題にはならないだろう。常用している一番小さいボディーバッグにもぴったり入るサイズ感。今の生活によくマッチする。

[3696] Oct 18, 2019

雨。台風が連れてきた。80cmの大型傘が頼りになる。ポケットには千円札が一枚。夕食は、中華屋さんの肉チャーハン。大盛りにしなくても大盛りのご飯。二食分くらい食べた気がする。▼閑話休題。「社長、バトルの時間です!」がリリースされたので遊んでみる。フルオートのダンジョン攻略系シミュレーション。基本的なシステムは私の理想形に近い。しかし、キャラクターによって絵のテイストが違いすぎることと、採用時の中途半端な「サクセス」がいまいち馴染めない。要素がごちゃごちゃして、整理しきれていない印象を受ける。ぐっと引き込まれるような、序盤の楽しさがいまひとつと感じる。▼ちゃんと遊べば面白いのかもしれないが、明日また起動するかどうかはわからない。皆、似たようなものだろう。惹かれなければ遊ばれないし、惹かれても肩透かしなら続かない。続いても変わらなければ飽きられる。このご時世、何かを流行らせるのは至難の技である。

[3695] Oct 17, 2019

エアコン修理。出張見積もりによると修理費は約四万。しかも、十一年前の製品だけに交換部品が間もなく出回らなくなる可能性が高く、修理後にすぐ故障しても再修理は難しいかもしれないという。要するに、古すぎるから買い換えたらどうかという提案だ。▼一般に、エアコンの耐用年数は十年くらいのものらしい。台風で壊れたというより、寿命の近づいていた室外機に台風がとどめを刺したということなのだろう。夏の暑い盛りや、真冬の凍える日々に壊れなかっただけ、運がよかったと思いたい。あせらずゆっくり考えられる。▼値段にもよるが、多機能を求める気にはなれない。洗濯機や食洗器と違って、基本的には温度を決めてONにするだけの機械である。暑い日は冷めればいいし、寒い日は温まればそれでいい。最近の流行りならスマホで電源操作くらいの機能はありそうだが、それも無いよりはあった方がいいくらいの要素である。安くて使い勝手のいい製品がいい。

[3694] Oct 16, 2019

筋トレは、きつい。スクワットを20回もやると、腿やふくらはぎが痛くなってくる。だが、誰もが理解しているように、そうでなければ筋トレの意味はない。負荷のかからない筋トレでつく筋肉はない。▼きつさは、身体が発する危険信号であると同時に、鍛練が進んでいる証でもある。ここのバランスの見極めが難しい。危険信号を無視しつづければ、心身が深刻なダメージを負う。だが、きつさを避けつづけると、いつまでも負える荷の重さは変わらない。そうして、人生の要所で立ち現れる不可避の重荷に耐えきれず、やはりどこかで心身を壊してしまう。どっちに転んでもバッドエンドになる。▼今、仕事はきつい。日々の業務に詰め込んでいる思考と実装の量は過去最大級と言える。だが、その分だけ鍛えられてもいる。今、このきつい部分を真剣に考える機会に恵まれてよかったと思っている。ここでの経験は来年の非常に重要な役目で活かされる。実のある負荷にしたい。

[3693] Oct 15, 2019

宝くじでも当たって数億円が一夜のうちに手に入らないかなあという妄想は、十分に現実的である。小さな確率とはいえ、現実に起こりうるからだ。だが、一夜にして山積みのバグや不具合が治らないかなあという妄想は、全くもって現実的ではない。どんなに小さな確率でも起こりえない。絡まった紐は、ひとつひとつ丁寧に解いていくしかない。▼そうは言っても、焦燥感に駆られると、解けそうになったところで力任せに引っ張りたくなるものだ。まして、傍で解決を待つしかない人が急かしたくなる気持ちはわかる。もうそこをこうすればあとは引っ張るだけじゃないか。いや、もう解けたようなものだから、早く次の紐へ行ってくれ。▼そうやって解けたつもりでいた紐の山が、今のプロジェクトに突き付けられた現実と言える。80%の出来映えを重ねて高速プロトタイピングしたつもりが、難解な仕事を残りの20%に押し込めて、見て見ぬふりをしてきただけだったのだ。

[3692] Oct 14, 2019

ピアノロール上でテンポを変えられる作曲ソフト、探しているが見つからない。灯台下暗しでCubaseに搭載されていないか再確認したが、やはりトラックを重ねるしか方法はなさそうだ。拍単位、十六分単位でテンポを編集する行為自体が、打ち込み界ではマイナーということなのだろう。素直にテンポタップしておけということかもしれないが、これはこれで使いにくいから頭が痛い。なかなかしっくりくるツールがない。▼この界隈、ハードウェアもソフトウェアも、日々進化しているように見せかけているものの、その実、十数年前からぱったり止まっている印象だ。明らかに新顔と言えるのは、AIを全面に押し出した自動マスタリングくらいのものだろう。それ以外の諸機能は、身も蓋もない言い方だが、ほとんどナンバリングのための素人騙しである。もうしばらくは今あるものでやっていくしかないという気がする。あるいは本当に欲しいものは自分で作っていくしかない。

[3691] Oct 13, 2019

長男を連れて台風一過の横浜へ行く。▼ヨドバシカメラの地上入口は封鎖されていた。空にせり出した八階部分の底面が崩れ落ちたらしい。傍の階段からベビーカーを持って降りると、あちこちが人だかりになっている。ジョイナス地下街、全店午後三時からの営業ということで、どこも空いていないのだった。鶴屋町「はやし田」での昼食後、長男にバナナジュースを約束していたのだが、高島屋も閉まっているし、クイーンズ伊勢丹もやっていない。「きっとどこかで飲めるはずだよ!」と励ましながら、速足で「そごう」に向かう。こちらは午後二時からの営業で、ちょうどオープンしたところだった。助かった。長男はバナナジュースを飲んで寝た。私もゴディバでショコリキサー(ホワイトチョコレート)をいただいた。たまにはいいだろう。頑張った自分へのご褒美である。▼妻に頼まれた「十二国記」の新刊は紀伊國屋で無事買えた。食べて飲んでお使いしての休日だった。

[3690] Oct 12, 2019

さっきから家が激しく揺れている。たしかに私の体験した中では最強級の台風だ。時刻は現在午後九時。もうすぐ目の中に入ろうかというところだ。▼我が家は今、目のすぐ傍の右側にある。風の強さはピークだろう。いつものことながら、降雨の方はそれほどでもない。降水ナウキャストを見ても、常に青から水色といったところだ。大体、台風が南から直撃したときは、我が家の北くらいから黄色、オレンジと変わっていき、東京の東部から関東北部にかけて真っ赤になるのが通例である。理屈は知らないが、雨の降りにくい地域なのかもしれない。▼信じがたいことだが、短時間予報を見ると一時間後には晴れるようだ。すっぽりと目に入るのだろう。レーダーには雲ひとつなくなる。過ぎ去ったと勘違いしてコンビニへ出かける人も出て来るかもしれない。もし静かになるなら、雨戸の音に驚いて騒いでいる次男が、その隙に寝てくれることを祈る。風の勢いが、また増してきた。

[3689] Oct 11, 2019

Cubaseのバージョンを上げるかどうか、真剣に悩んでいる。▼理由は二つ。アップグレードとはいえ値段が高いこと。もともとピアノロールしか使わないのにCubaseはオーバースペックなのだが、地味に欲しい機能を上位モデルに織り込んで来るので、軽々に廉価版とも行かないところが悩ましい。▼もうひとつは、これからの制作でぜひ欲しいと思っている「ピアノロール上でテンポを編集する」機能がないこと。テンポトラックを別ウインドウで表示すれば疑似的に同期することはできるが、やりたいことはそうではない。ただ、この機能を持ったDAWを知っているわけではないので、他にもないのであれば諦めるしかないだろう。比較サイト等にも情報は見つからない。ひとつひとつ、フリー版をダウンロードしてきて試してみるしかない。▼もし、このあたりの選択にも時間をかけられないようになったら――いつかiMac+Logicのような鉄板構成に頼る日が来るのかもしれない。

[3688] Oct 10, 2019

今週末。土曜日に重要なイベントを控えていたのだが、運悪く最強の台風が首都圏に直撃するということで、公式に中止となった。交通機関も大事を取って運転を見合わせるそうだから、どのみち開催しても辿り着ける人はいない。中止自体は残念だが、妥当な判断である。▼「ひまわり8号リアルタイムWeb」で台風の姿を見ると、未曽有の台風という表現が誇張でないとわかる。この風貌、この目の鋭さ、そして、日本列島を飲み込むほどの馬鹿げたサイズ。これが太平洋からまっすぐ北上して直接関東を襲う。現時点でも920hpaなので、上陸時も940hpa程度を覚悟せねばならないだろう。沖縄や九州に飛んでくる「猛烈な」台風である。今からもう恐ろしい。▼明日は早目に帰る予定。仕事のために金・土・日の泊まりを画策している人もいるようだが、万が一のときに孤立してしまうので素直にやめたほうがいいと思う。我々の仕事が遅れても人は死なない。だが、台風で人は死ぬ。

[3687] Oct 09, 2019

調整したきりのピアノを外で聞いたら、高音が刺さって聞こえる。だいぶ近い。入れ込んでいるときは気がつきにくいが、リバーブのかかり方に合わせるならもうちょっと奥だろうと思って、高音を引っ込めてみた。今度は低音から高音に向かって奥へ沈んでいく勾配がありありと見えてしまう。これではダメだ。かといって、一律で下げると単にピアノが遠ざかってしまって、もともと目指していたアタック重視の打鍵感が得られない。▼いろいろ考えた結果、最近傍のマイクだけ薄くハイカットEQをかけることにした。私の遠い記憶に響く、芯がありつつも表面のかすれた、あの「ピアノの高音」に近い。2kHz以上を0.65dbカット。こんなものだろう。調整している途中、中音域だけ手前に気持ち出した方が静かなパートが映えることに気がついたが、あんまり触りすぎて自分でも気づかない歪みが混じるのはイヤなので、やらないでおいた。知見はいつかの調整で役に立つだろう。

[3686] Oct 08, 2019

次の仕事では、これまで私を支えてきてくれた優秀な後輩と別れることになった。十二分に育ってきたので、分散させた方が全体のためという判断である。当然の采配だろう。彼ならもう、どこへ行ってもやっていける。▼ひとつだけ気がかりなことはある。私はここ数年、彼が素晴らしいサポートを提供してくれたおかげで、気持ちよく自分の仕事に集中できたし、成果を上げることも出来た。一方、彼を支えられるだけの後輩が彼の世代の下に育っているかというと、残念ながら疑わしい。つまり、そういう存在を、これから彼自身の手で育てていかなければならないわけだ。自分の出力を上げることは二の次で、今後の未来を占うのは、長い目で見れば利他的な育成であるという意識の転換が出来るかどうかが鍵になる。▼だが、上段に構えた助言なぞは不要だろう。彼ならきっと大丈夫だ。傍目に見てもどうしようもなく危険なときと、頼られたときだけ、さりげなく力になろう。

[3685] Oct 07, 2019

2019年、横浜ベイスターズの戦いが終わった。二位からのCSファーストステージ敗退。無念のポストシーズン退場である。▼苦手な阪神を相手に、ここ一番でも勝ち越すことはできなかった。四年間、ベイスターズのホーム球場である横浜スタジアムで負け越し続けた。今年のペナントでは奇跡的に1カードだけ勝ち越したものの、あとは惨敗。この勝率はもう、オカルトや思い込みの域を遥かに超えている。▼だが、来年はここにチャンスがあると見たい。特定の球団にこれだけ勝てないということは、確実に論理的な理由がある。その理由について、ラミレス監督は今年も「わからない」と発言していたが、優勝を目指すならわからないままではいられないだろう。どれだけ強く見えても、特定の球団にカモられているうちは優勝できないとよく言われる。データ野球はお家芸のはずだ。オフでデータを揃えて、来年の飛躍に期待したい。――今年も良いペナントをありがとう。

[3684] Oct 06, 2019

リンツのチョコ「リンドール」を買う。ばら売りを袋に詰めて10個ほど。ダーク、ホワイト、その他。欲しいやつを適当に放り込んだ。▼リンドールが美味しいことは言うまでもないが、ふと、頭痛のせいかもしれないが、いろいろなものの値段をリンドール換算する思考に囚われた。たとえばエアコンの修理代。室外機が壊れている。仮に三万円としても「一日ひとつのリンドールを食べられる権利」約一年分。こう考えると、とんでもない出費に思えてくる。▼同じ日にヨドバシでMacBookProを見た。リンドール計算に照らしてみると、やはり現代のノートパソコンは高くなりすぎたように思う。全てを最高設定にした15インチモデルの値段は、税込みで617430円だ。これから毎朝、十七年間、リンドールを口にできる権利と等価なのである。それは逆に言えば、リンドールを節約するくらいの努力では、十七年経たないと買えないということでもある。私はリンドールが食べたい。

[3683] Oct 05, 2019

我が家で次男を笑わせるのがいちばん上手いのは長男だ。おもちゃの取り合いで喧嘩もするが、平時はいたって仲が良い。長男がおどけたことをしたり、ちょっかいを出したりする。次男が笑う。笑ったのが嬉しくて長男が繰り返す。次男が爆笑する。二人でゲラゲラ笑う。ずっと笑っている。▼今日、ふと見ていて思った。子どもはたいてい、面白かったことの再現を求める。何度でも求めてくる。もう一回、もう一回、もう一回……。大人の場合、最初は自分も楽しみながらやっていても、十回、二十回となると、さすがにげんなりしてしまう。飽きてしらけてしまって、再現にも身が入らなくなる。なんとなくつまらない空気に変わってしまう。けれども子ども同士の場合、やる方も飽きない。相手が笑うなら同じことを何度でも繰り返す。最初と同じテンションで、あるいはバリエーションを強化しながら。そういうところも良いのだろうと思った。年齢差の親近感だけではない。

[3682] Oct 04, 2019

AならばBである。BならばCである。CならばDである。では、AならばDは確実だろうか。▼少なくとも論理の世界では、確実である。Aであるなら胸を張って、Dであると断言しなければならない。だが、現実の世界で同じ状況に出くわしたとき、Dだと断じるのは意外と難しい。AやBに自然言語で記述された複雑な命題が代入されると、とたんに論理の規則まで揺らいでくる。AならばB、BならばCだけど、待てよ、Bじゃなくてβという可能性もあるのでは。そうしたらDとは言い切れないんじゃないか。そうだよ、もしDだとしたら、最初はAじゃなくてαの方がありそうだし……。そんな支離滅裂な議論に、平気で落ち込んでしまうのだ。▼AやBの具体的な表象に惑わされず、Dだと断じることに迷わない、悩まない、時間をかけない人のことを、論理力があるという。それだけである。話し方とか、フレームワークを使いこなせるとか、そういうことではないのだ。

[3681] Oct 03, 2019

獅子奮迅、と自分で言うのもなんだが、今日はかなり仕事を進めた。主観ではなく客観で見て、成果ベースで三日分くらい仕事をしたと思う。ハマると何日も費やすA級バグをいくつも取れた。あたりのつけ方もよかったが、運も味方してくれた。▼体調は良くなかった。頭と喉は痛いし、熱っぽい。ときどき朦朧とする。しかし、今日に限って言えば、それが良かった。脳に余裕がなかった分、目の前の論理に没頭できたような気がする。かろうじてひとつのことには集中できる程度の症状だったということだ。結果的に、ひとつのことだけに集中できて効率が上がったと言える。▼いろんなところへ気を回した方がよいタイミングもあれば、目の前の問題に没頭して些末事は人に投げた方が全体として上手くいくこともある。今日のような集中型を平時にも意識して発揮できれば、またひとつ器用な働き方が出来そうだ。だが、今はひとまず身体がつらい。悪化する前にもとに戻そう。

[3680] Oct 02, 2019

計測。ボトルネック特定。可能なら対処、難しいなら検討、不可能なら放置。次のボトルネックを特定。可能なら対処、難しいなら……。▼最適化を長くやればやるほどわかってくる。このイテレーションを実直に回すしかないのだと。このたったひとつの定石から外れた最適化は、確実に、何らかの形でリスクを伴う。取る必要のないリスクである。ギャンブルが好きなら勘と経験で華麗に最適化を施していくのもいいだろう。だが、同じ時間とスキルを注ぐなら、最適化の度合いで計測と修正の繰り返しを凌ぐことはできない。地味なのだ。本当に地道な仕事なのだ。▼また、最適化はなるべく少ない人数に任せるべきでもある。各人が実装にあたって自分が最適だと思う最適化を施すことは、全体最適において効果がないし、場合によってはマイナスになることもあるからだ。最適化は、わかっている人がまとめてやったほうがいい。これもまた、数少ない金科玉条のひとつである。

[3679] Oct 01, 2019

次男が立った。▼かなり前から掴まり立ちはしていた。しかし、完全に数秒間、自立して立ったのは恐らく昨日今日が初めてだ。現在、十ヶ月半。同時期の長男に比べてやや太り気味なので、安定感は乏しいが、ぷるぷるしながらもちゃんと立っている。すぐにでも歩き出しそうだ。歩き出したら止まらないだろう。玄関へ通じるドアがとりわけ好きで、そこが開くとドアの見えない遠くにいても、シャカシャカと猛スピードで寄ってくる。後追いも激しく、何かと移動欲の強い次男坊である。行動範囲がどうなることか、今から恐ろしい。▼次の注目はもちろん歩行だが、言葉にも期待している。わりと口達者で、早いうちからいろんな音を出していた。親の言ったことを真似をしているように聞こえることもある。意味のある言葉が出てくるまで、そう時間はかからなそうに思われる。長男の最初の単語は「たこ」だったが、次男は何と言うだろうか。「いか」ではないだろうが……。

[3678] Sep 30, 2019

デービッド・アトキンソン『新・生産性立国論』読了。▼議論の方向性は正しいように見える。しかし、この本だけで議論の細部まで肯定するわけにはいかない。数字とグラフを多用して統計を畳み掛けると、いかにも主張に裏付けが取れていて、著者が全てをファクトベースで話していると錯覚しがちだが、実際には、そこに載せなかった数字、省いた指標、含めなかった分母がある。載せないことが著者の不義理だというのではないが、恣意的ではある。▼日本の人口は減っていく。人口が減ればGDPは下がる。GDPが下がれば社会保障は維持できない。人口が減るのにGDPを維持するには、移民だと数千万人が必要、残業だと一日二十時間労働が必要な計算になり、非現実的。ならば残された道は生産性を上げるしかない。生産性と効率を混同してはならない。非生産的なことを効率よく行うことはできる。生産性とは付加価値の総合である。国民1人当たりのGDPである。

[3677] Sep 29, 2019

デービッド・アトキンソン『新・生産性立国論』を買う。▼買うつもりはなかった。私はただ、Kindleストアで話題のビジネス本を逍遥していただけだ。それが、どういう間違いか、本書のページへ飛んだつもりが「ご購入ありがとうございます」になった。意図せず二重クリックになってしまったのかもしれない。▼キャンセルはできる。だが、これも何かの縁と思い、読んでみることにした。物事のきっかけは、自分の意図通りに事が進まなかったところから生まれてきたりするものだ。セレンディピティなんて大袈裟な話ではないが、たまにはそういう判断があってもいいだろう。▼書店はウェブストアと違い興味のない本まで視野に入るから、新しい情報と出会いやすいと言われる。であれば、案外、購入というアクションまで偶発的に起こってしまうウェブ書店があったら面白いかもしれない。大体、売れている本なんて、どれも面白いものだ。欲しいのは読むきっかけなのだ。

[3676] Sep 28, 2019

長男とヨドバシカメラへ行く。▼トミカでも買ってあげようと思って、変形ステーションとか、高階層タワー型パークとか、いろいろアピールして回るが、いまいち響かない。そうして、一人で歩かせると粘土のままごとセットを持ってきて、これを買うと言う。他にいいものがあるかもよとなだめてフロアをぐるり。次は「ラーメン屋さんセット」にハマる。今度はテコでも動かない。他の何を提示しても「ヤダ」の一点張りである。▼箱を見ると氷水が必要とある。あるいはお湯。これは……面倒そうな奴だ。知育的な意味のある面倒さならいいが、どちらかというと単に手がかかるだけのタイプである。これは躱したい。しかしこだわっている。なんとか琴線に触れる別商品がないかとあちこち探すと、うどん、そば、パスタ、ラーメンが作れるという麺類万能なままごとセットを発見。こっちがいいに決まっているよと言うと、意外とすんなり納得してくれた。ほっと一息である。

[3675] Sep 27, 2019

二時過ぎまで起きているのは久しぶりだ。▼さすがに寝不足続きで昼から夕方にかけては眠かった。早目の夕食。うとうと防止のためにコンビニで濃い緑茶を買い込んでくる。ここまでくるとカフェインも気休めだが、取らないよりはマシだ。水分補給の効果だけでもいくらか目が覚める。▼開発のフェーズは、迅速さと正確さを要求する設計・コーディングから、厳密さと慎重さを要する検証・確認へと移ってきている。最も眠気に襲われやすいタイプの業務である。手の動かない待機時間も増え、時間の進みが遅く感じられる。期限が迫っていてマクロな時間はないのに、ミクロな秒針の進みはゆっくりという、神経を擦り減らす時の流れである。▼それでも検証の結果、実装の粗が認められたり、潜在的なバグが見つかったり、高速化のポイントが発掘されたりしたときは、ちょっと報われた感じがして嬉しい。やらないよりはやってよかったと思える。意味こそが仕事の華である。

[3674] Sep 26, 2019

停止。不正なデータが見つかる。ありえないヘッダの構成だ。バイナリエディタで開いてみるとメタ情報が壊れている。ダメファイルである。▼しかし出所が問題だ。生データからバイナリまでの経路をくまなく辿っても、ファイル故障の痕跡が見当たらない。故障しそうな個所もない。極めつけには、再現性がない。誰かが最初からコンバートを走らせると、不正なデータもどこかへ消えてしまう。問題が一時的に解消する。そうして、忘れた頃に再び停止として立ち現れる。▼有識者と協力して追いつめているが影も踏めない。もはやハードウェアの問題を疑っている。しかし、ハードウェアの問題であるなら、そうと立証しなければ追加購入を認めてもらうのは難しい。新しく信頼性の高い高級品に替えた挙句、即再発しましたでは通らない。そんなことになっては針の筵である。忙しい時期に面倒だが、壊れかけのディスクを使って高確率で再現させるといった寝技が必要になる。

[3673] Sep 25, 2019

連日一時。退社する頃から寝惚けているので気の利いたことは書けない。土曜日は子どもの運動会だったが、一部始終を四百字にまとめるにはもう少し明晰な頭脳が必要だ。早く帰れた日にでも落ち着いて書く。▼膝のその後。徹底して衝撃・圧迫を避けているので痛いと感じることはないが、それはぶつけたり押したりしていないから痛くないだけで、力が加われば前と同じように痛むと思われる。水による腫れは引いていない。通院したときより膨らんでいるが、よっぽど酷いことにならない限りは来院しても何も出来ないと言われてしまったので、どうあれ刺激せずに様子を見るしかない。▼問題は山積みだが、出社するたびに問題が増えている。わが身はひとつしかないので、丘だろうが山だろうがひとつずつ順番に片づけていくしかないのだが、利子にもならない程度の支払いで、元金が減らないことには焦燥感を覚えずにいられない。明日やるべきことは、常に今日より多い。

[3672] Sep 24, 2019

朝、通勤中。「Battery Low.」音声案内が三回流れ、アポロ7の電源が切れた。四十分である。購入当時はバッテリー三時間を標榜していたし、事実、ぎりぎり往復くらいは持ってくれていたのだが、あっという間にへたってしまった。もっとも、アポロ7の発売時はまだまだセパレートタイプの黎明期。ある程度は致し方ない。▼物理的なサイズの問題である。バッテリーの消耗は、しばらくは完全セパレートタイプの弱点でありつづけるだろう。小型化による音の弱さとバッテリーの寿命を少しでも改善しようと、各社本体サイズを巨大化させる傾向にはあるが、重さの点でも見栄えの点でも限界がある。現行サイズなら三年持てば御の字だろう。年単位の消耗品と割り切って買うくらいでないと、がっかりするかもしれない。▼しばらくは有線で我慢する。取り回しは悪いがバッテリーが切れない安心感はある。このあたりは無線充電が実用化するまで、いましばらくの辛抱である。

[3671] Sep 23, 2019

iPhone11が発売。わかりにくかったSだのRだのは撤廃され、Proか無印か、Proなら大型か小型か、という二択二回の三択になって、わかりやすくはなった。ネーミングも素直なナンバリングである。良い路線に戻ってきている。▼ただ、性能のグレードアップはたいして認められない。正直なところ、違いは本当にカメラくらいだろう。あの見栄えでも高性能なカメラをスマホに積みたいという人以外が前作から乗り換える理由は皆無のように思われる。CPUも7nmプロセスから変わっていないし、実測も二割前後の差と控えめ。カメラにこだわらない人は、率直に来年を待つのが吉といって差し支えないだろう。▼むしろ新製品騒動でXRの在庫がだぶつくようなら、そちらの方が狙い目になる。型落ちによる値下げに加えて、乗り換えやら休日キャンペーンやらを利用できれば、破格のアップグレードも夢ではなかろう。現役ユーザーとしてもXRはおすすめできる。値段次第で即決である。

[3670] Sep 22, 2019

調整したピアノをコンポの方で聞いてみた。いい響きだ。これまでの音源だと、ピアノらしさをヘッドフォンでの音響に全振りしていて、スピーカーで聞くとこもったり尖ったりしてリアリティがなかったが、今回は鍵盤ごとにEQ調整していることもあり、家のどのスピーカーで聞いてもピアノらしい音がする。粒度重視なので奥行きは不足するが、これは好みの範疇だろう。実際に演奏したMIDIを再生したら、ほとんど実演奏と区別がつかないのではないかと思う。▼だが、目的を見誤ってはいけない。目的は実演奏を再現することでも、実演奏らしくすることでもない。むしろ、実演奏には出来ないこと、やりにくいこと、やろうとしないことをやるのが進むべき道である。音がリアルなのはオマケなのだ。どう聴いても打ち込みだが、馴染みあるピアノらしい響きがして嬉しい――それが本懐である。だから、これまでもこれからも、演奏に寄せる気はない。楽しければいい。

[3669] Sep 21, 2019

V逸というのは、順当に行けば優勝であっただろうチームが優勝を逃すことを言う。そういう意味では、今年のベイスターズはV逸とは言えない。怪我人も含め、この時期まで優勝争いが出来るような戦力ではなかった。素直に大健闘と称えるべきだろう。▼あとはこのまま二位で終われるかどうかだ。三位でCS、日本シリーズを経験し、優勝争いからの二位を経験すれば、いざ順当な戦力が整ったときに一位を勝ち取れる地力がつく。一歩ずつのステップアップでいい。ファンとしても、それで十分楽しめている。優勝するかどうかより、優勝に向かっているかどうかのほうが大事だ。▼人は成長にこそ惹かれる。成長するから物語である。それはきっと、創作や芸術にも言えることだろう。最初から最後まで同じレベルで展開される作品は、たとえ高品質であっても共感性に欠ける。苦労した痕跡も、作者の成長も感じられない作品は、今後いっそう価値を失っていくだろうと思う。

[3668] Sep 20, 2019

帰路。他部署の新人さんと話をした。▼何年目ですかと聞かれてとっさに出てこない。入社年度から数えると十年目だ。そうだ、十年目なのだった。新人のときは大先輩に見えた人たちの年次である。いつの間にか自分がそこにいるというのも信じがたい。十年仕事をしてどうでしたかと聞かれる。ストレートな良い質問だ。だが、ストレートな良い答えは返しにくい。あっという間だったかな、という月並みな答えになる。あっという間。嘘ではないが、その答えの裏にある思いは複雑だ。▼仕事一筋に生きる選択をしなかったことは賢明だったかな、と続ける。仕事に全力投球な人を悪く言うつもりはないが、職業柄、あんまり仕事に打ち込みすぎると、ふとしたときに熱が冷めたり、飽きが来たりして、後悔したり不安になったりすることが多いように思う。そんなふうに辞めていく人を何人も見た。だから、仕事が好きでも仕事は人生のついでと思った方がいい。そんな話をした。

[3667] Sep 19, 2019

ついに「寒い」と感じるようになった。帰り道、深夜の坂。線路の傍を吹き抜ける風が冷たい。半袖一枚だと何か羽織りたくなる。こうなるとついに秋という気がする。去年はそう感じる暇もなく冬になった。今年は秋があってよかった。▼十月、十一月は最繁忙期になる。間に合うのか、見通しは立つのか、といった上層部からの不安げな問い合わせが増えているが、私の回答はいつも「なんとかします」である。実際、そうとしか言いようがない。勝算はあるが、その算段をああでもないこうでもないとこねくり回したところで勝利には全く貢献しないのだ。必勝の計画などありはしない。機体もエンジンも故障音を立て始めた墜落寸前の飛行機を、ちゃんと陸地に降ろせるのかという話である。限界までソフトランディングを目指しますという答え以外に適切な回答はないだろう。▼根拠はなくても自信があれば、あとから根拠がついてくることもある。何もないときは自信が肝だ。

[3666] Sep 18, 2019

右膝。診断結果は滑液包炎。▼膝立ちや衝撃が原因で膝蓋骨の下部が炎症を起こしたらしい。心当たりはないかと聞かれたが、これといってない。ただ、子どもたちの相手で膝立ちをすること自体は多かったから、それらが積もり積もってということだろう。今後は気をつけないといけない。▼肝心の治療法は、どうも待つしかないようだ。衝撃や圧迫がなければそのうち治るという。最も怖いのは傷からの感染なので、傷つけないように、湿布なども貼らないようにという指示。素人判断で湿布を貼るのはやめたほうがいいという判断は正解だった。感染を避け、圧迫を避けていれば治癒が期待できるが、それでも治らず患部が激しく膨れ上がった場合は再度通院。日常生活に支障を来たすほど酷くなったら感染がなくても切開するとのことだった。▼尚、膝への負荷は全く関係ないらしい。ランニングやスクワットも膝が圧迫されない格好であればやってよいそうだ。これは助かった。

[3665] Sep 17, 2019

休日になると頻繁に電話が来る。NTT正規代理店とやらだ。「このたびご契約の回線はそのままで料金が二千円お安くなるプランをご紹介させていただきます」と始まり、「つきましてはルーターを交換させていただきますのでお日にちを」などと勝手に話を進めてくる。なにひとつ変わらないのに二千円安くなるだけなのだから断る理由などあるはずがないという風情である。詐欺に当たらないのか疑わしい。▼この手の輩、前まではスマートバリューを持ち出すと大人しく引き下がったのだが、最近はauひかりから乗り換えてもスマートバリューはそのままお使いいただけますと言うようになった。どういう理屈かわからないのでauショップで聞いてみますというと、auショップはそういうことはわからないと思いますので、などと言ってくる。この時点でもうまともではない。後で詳しく仕組みを調べてみるとまるきり嘘ではないらしいが、あまりにも一方的な勧誘である。

[3664] Sep 16, 2019

膝が痛い。▼ちょうど一ヶ月ほど前から痛かった。歩いたり走ったりは問題ない。何ならスクワットもできる。ただ、床に膝をつくと激痛が走る。要するに押すと痛い。子どもに叩かれても痛い。▼痛みを感じてからしばらくすると、痛いと感じることがなくなってきたので、様子見のうちに良化したのだと思っていた。本当に良化してからまた悪化したのか、あるいは右膝をつかないように生活するテクニックが磨かれすぎて気づかなくなっていたのか。真相はわからないが、歩くときも痛いくらいの方が早目に受診できたかもしれない。圧倒的な不便さを強いるほどの苦痛でないことが逆に災いしてしまった。▼触ると水が溜まっている。左は膝小僧が硬いが、右は柔らかい。移動する液体を感じることができるくらいの柔らかさだ。注射で抜くなんて話になると痛そうでいやだなと思うが、まかり間違ってまともに歩けなくなったりするほうが遥かに困る。注射で済むなら御の字だ。

[3663] Sep 15, 2019

「はちみつ専門店ラベイユ」へ行く。▼そごうに入っている愛媛発祥の専門店。朝のパンケーキにかける良いハチミツがないかと立ち寄ってみた。飴色、琥珀色の小瓶が壁一面に並んでいる。その中のひとつ、国産アカシアの瓶を手に取る。なかなかのお値段。甘そうなりんご色をしている。色や値段を見ながら妻とあれこれ喋っていたら、店員さんが試食を勧めてくれた。せっかくなのでハンガリー産のアカシアのをもらう。これぞハチミツというオーソドックスな甘味がする。だが、国産の方も同じ感じですかと聞くと、店員さんが得意顔になる。産地によって味は違うんですよ。ぜひ食べ比べてみてください。たくさんもらうのも悪いと思いつつ二度目の味見。驚いた。想像以上に風味が違う。私はハンガリー産の方が好みだった。▼その後も様々な瓶を味見させてもらったが、口にするたび味の違いに驚いた。ハチミツも奥が深い。順々にいろんな瓶を試してみるのも楽しそうだ。

[3662] Sep 14, 2019

ディスクのクローンに失敗する。▼とあるマシンでシステムドライブの容量が不足したためクローンを決意。しかし、SSDに付属しているクローンツールはディスクを認識してくれず、代わりに落としてきたクローン元SSDのメーカーツールもライセンスコードがなくて使えない。規約上利用可能なフリーツールも探して試してみたが、どれもクローン先ディスクがブートしないという現象に悩まされる。UEFIのクローンは面倒と聞いてはいたが、予想以上に上手くいかなかった。▼ライセンスもネットワーク管理になったのだから、システムのディスク移行くらい公式がサポートしてくれてもいいのに、と思ったりもする。日進月歩のパソコン進化の中で、どういうわけか何十年も不便さが変わっていないところだ。それとも、今後はOSもクラウドに移行して、システムディスクという概念自体が無くなっていくのだろうか。なんにせよ、渦中のPCは再セットアップである。

[3661] Sep 13, 2019

夕飯。海鮮あんかけチャーハンと麻婆豆腐で悩む。▼珍しく一人だったこともあり、けっこう悩んだ。店に入るまではチャーハンの気分だったが、メニューを見ると四川山椒麻婆豆腐が訴えて来る。漆黒の土鍋に映える赤。だが、四川である。辛いに違いない。予定通りチャーハンにしよう。甘口のあんかけチャーハンで和んで仕事に戻ろう。そう思ったとき、麻婆豆腐のフレーバーテキストが目に飛び込んできた。「厳選・香辛料のやさしい味わい。」▼その一文が決め手で麻婆豆腐に決めた。やさしいとまで書いておいて激辛ということはないだろうと踏んだ。果たして、配膳されてみると全面にラー油の浮いた激辛感満載の見た目だが、口にしてみるとそうでもない。辛いは辛いが、食の進むちょうどよい辛さである。賭けに勝った。テキストは正しかったのだ。▼ちょっとした説明が人を助けることもある。誤解されそうなものには先回りしてフォローする気遣いの大事さである。

[3660] Sep 12, 2019

オークス馬、チョウカイキャロルの訃報を見る。28歳。▼チョウカイキャロルがとりわけ好きだったというわけではない。だが、彼女の世代、つまりナリタブライアン、ヒシアマゾンの世代は、私の競馬遍歴の入口の年でもある。ここより下ってテイオーやルドルフとなると、ちょっと歴史という感じがしてくる。好きな馬といってもライスシャワーくらいしか出てこない。ビデオの中の世界である。G1だけでなくG2の顔ぶれも憶えているような世代は、やはりブライアンからだ。▼その時代の名馬たちが、もう亡くなる時期に差し掛かっているということにハッとさせられた。もう不幸な夭逝ではない。ごく普通の寿命を迎えて、この世から去っていくわけだ。なんとなく――そこまでセンチメンタルな気持ちではないが――寂しい思いがする。ただ、動画サイトのおかげで、彼ら彼女らの雄姿を見ることが簡単になったのはありがたいことだ。エリザベス女王杯でも見に行こう。

[3659] Sep 11, 2019

「これはね、秋になったらね、エビになるんだよ!」▼マグネット釣りセットのカサゴを手に持って長男が言う。もちろんエビになりはしないし、そんなことを教えてもいないのだが、どうも「秋になったら……」という表現を使いたいらしい。「これは?」と外れアイテムの「やかん」を持たせると、迫真の表情で「これも秋になったらエビになる」と言う。たいてい何でもエビになるらしい。▼どうやら、妻が「秋になったら、どんぐりが落ちてくるよ」とか「秋になったら、蝉さんがいなくなるよ」と言い聞かせているところから輸入してきたようだ。今日、登園中、蝉の声が聞こえなくなったので「秋になったから蝉の声がしなくなったね」と言ってみた。「秋になったから……ポコポコボウシもいなくなった」と長男。ポコポコボウシというのはツクツクボウシのこと。何度訂正してもポコポコになるのでそのままにしてある。ポコポコボウシもエビになるのか、聞いてみよう。

[3658] Sep 10, 2019

スタインウェイピアノを探る。これまで以上にベロシティの感度とダイナミクスが大きいので、mpだから70前後、mfだから85前後といったアバウトな調整は許されない。同じドレミファソの階段でも、80均一にするのと75〜85の間で適切に強弱を付けるのとでは、響き方に大きな差が出てくる。慣れるまでは今までの何倍も時間がかかりそうだ。▼ただ、慣れてしまえば、手癖ならぬマウス癖でさくさく置けるようになると思う。さくさく置けるようになっていなければ困る。大丈夫だ。たとえ79と80の響きが違うとしても、MIDIのベロシティには128段階しかない。どんなに厳しく見積もっても、最高で129個分の音を憶えれば良いだけの話である。▼あとは経験あるのみ。音作りは終わったので、とにかく置いてみて、聴いてみて、感触を確かめていくフェーズに入る。一曲と行かないまでも、何かしら耳コピで打ち込んでみるのがよさそうだ。ひとつ、テストに適した曲を探している。

[3657] Sep 09, 2019

スーパーマリオ・オデッセイに「お地蔵さま」を操作できる場所がある。お地蔵さまに帽子を被せて大変身。地蔵になってドスンドスンとフィールドを歩き回るのだ。▼これが長男のツボにはまったらしく、一歩動くたびにゲラゲラ笑う。大爆笑である。しかし、笑うのは良いが、笑いながら「おーじさまはどこへ行くの?」と言う。王子様じゃなくてお地蔵様だよと言うと、しばらく治らなかったが、やがて「おじさまはどこへ行くの?」と言い出した。叔父様じゃなくてお地蔵様だよ。「おじーさまはどこへ行くの?」お爺様じゃなくてお地蔵様だよ。「おじょーさまは」……。▼ネタのようだが誇張はない。お地蔵様というのは、子どもの口だと言いにくいのかもしれない。それにしても、お嬢様はともかく王子様、叔父様、お爺様が、実はいずれも同じ単語のどこを伸ばすかしか違いがないという発見は面白かった。長音符の有無だけ。慣れていない人には差がわかりにくかろう。

[3656] Sep 08, 2019

史上最強級の台風が関東に迫っている。▼史上最強。前代未聞。空前絶後。関東を襲う大型の台風には、やや大袈裟とも言える様々な冠が被せられてきた。だが、今回は大袈裟とも言いきれない。高解像度降水ナウキャストを見る限り、非常に強い勢力を保ったまま南の海岸から首都圏を直撃しようとしている様が窺える。21時現在で955ヘクトパスカル。自分の頭上に来る直前の数字としては、ちょっと見たことのない値である。▼いつもの西からやってくる台風なら、横浜は強力な箱根バリアによって守られる。どんなに強いと言われていても、箱根を超える頃にはトーンダウンしているのが常だ。しかし、15号はこの防壁も巧みにすり抜けてきた。太平洋から北上しつつ、上陸直前に西へ戻って東京や横浜を掠めていくという奇襲経路である。これでは箱根も機能しない。どうにもならない。▼さいわい夜からの速度は速いようなので、明朝にはいなくなっていることを祈る。

[3655] Sep 07, 2019

マルチツールとドライバーセットが会社に欲しい。▼ミドルウェアの要求スペックが上昇したことにより、PCの換装作業が増えた。特にM.2は装着方法を知らない人が多いので、代わりにやることが多くなっている。ひとつ前のBTOスリムタワーはマザーボードの裏側に装着するタイプで、受注時にM.2を指定せず後から追加する場合はケースのフレームから何から全分解してマザーボードを取り外す必要があり、しんどかった。ミニATXの分解なんて家でもやったことがない。ケーブルの束をかき分けながら、大きいことはいいことだとつくづく思った。▼問題はドライバーだ。当社は備品が極めて欠乏していて、部署全体で2セットしかドライバーがない。取に行くのも大変だし、売り切れていることもしばしば。分解、換装を請け負うたびにドライバー探しするのも面倒だし、使いやすいマイドライバーが手元にあればいいな――と思うに至った次第である。私物万歳だ。

[3654] Sep 06, 2019

カレー屋さんで見た光景。▼小さな子がテーブルの真ん中に手を伸ばしていた。水を取ろうとしているらしい。隣のお母さんはスマホを見ている。子どもの手が伸びていく。危ないな、と思っていると案の定、水のコップの端に手が届いたところで、子どもがコップを倒してしまった。ガシャン。こぼれる水。「何やってんのあんたは!!」気づいた母親が大声を張り上げた。ベシンと強く叩かれて、子どもも泣いた。▼それは違うだろうと思いながら見ていた。何度も水に手を伸ばす子どもに親が少しでも注意を払っていれば、注意することも、危険性を諭すことも、取ってあげることもできたはずだ。そういうフォローを何もせず未熟な子どもが起こした結果だけを見て怒鳴りつけるのは、全く理に適わぬ理不尽な仕打ちである。▼仕事も同じだ。過程の監視を怠った上司にはいかなる結果も責める資格などない。監視は疲れるが、それが仕事である。ヒラより高い給料の対価である。

[3653] Sep 05, 2019

会社で、やりたいことがある。▼そのやりたいことというのは、こういうことで、こんな信念に基づいていて、こういう効果が期待できて……と言いたくなるが、今回に関してはもう、問答無用で次のプロジェクトから始めてしまった方が良いと思っている。▼新しいやり方を布教するときの最もズルくて効果的な方法は、妥当性を検証したり合意を得たりする前に、とにかく始めてしまうことだ。スタートを大掛かりにするほど、静止摩擦力は増大してしまう。そうならないように、とりあえずこっそり一人で動かしておく。そうして、一緒に押してくれる人を増やしながら、そこそこまでスピードを上げてしまう。こうなるともう、わざわざ止めるより乗る方が楽ということになる。中立な人も、止めるよりは乗ってくれるようになる。勝ちである。▼動いて流れを作るとはそういうことだ。あまりに真面目すぎると物事が進んでいかないこともある。ある程度はいい加減な方がいい。

[3652] Sep 04, 2019

とあるソースコードを見る。深いところだ。解析の結果、排他制御に問題がありそうな気配がしたので潜った。案の定、至る所にロックがかかっている。しかも、よく見るとロックなど必要のないところ――たとえば絶対に書き換えられることのない値のGetter全体にかけられたクリティカルセクション――もある。どうも様子がおかしい。▼いろいろ探ったところ、真実が浮かび上がってきた。このクラスは当初、かなり緻密なマルチスレッド対応がなされていたらしい。最小限の粒度で排他できるよう、Read/Writeも正しく意識した細やかな制御が随所に埋め込んである。だが、恐らくはそのあとで引き継いだ者が、何か並列化による不具合でもあったのだろう、外部から呼ばれうるほぼ全ての関数を、単一のクリティカルセクションで括り直したのだ。先人の知恵と努力は、鍵の中へ無慈悲に封印されたのだった。▼どんなに優れた思想も設計も、後で台無しにするのは簡単である。

[3651] Sep 03, 2019

これまでは家のヘッドフォンで「良いかも」と思っても、外でイヤホン再生すると、音がこもっていたり解像度が低かったり、もこもこしてピアノらしくなかったり、逆にリバーブが効きすぎてお風呂だったり、がっかりすることが多かった。だが、ついに旅は終わった。ヘッドフォンでも完璧。イヤホンでも完璧。ようやく私の理想のスタインウェイが実現したのだ。▼ポイントはMidだった。Ribbonの音は素晴らしいが、立ち上がりが「z」のニュアンスになるのが許せなかったのだ。それが良いという人もいるだろうが、私の中のピアノは違う。私の中のピアノは「c」で立ち上がる。だからRibbonにMidを足した。単体では仄かに聞こえる程度の薄さだが、これがRibbonに強力な芯を与えてくれる。これにカスタムリバーブを重ねて、ついに、空間の広がりを感じさせつつ打鍵感を損なわない、クラシックにもポップスにも合う欲張り設定が生まれたのだ。自分的には百点満点である。

[3650] Sep 02, 2019

ピアノの調整が再び難航している。▼前回の調整では音の芯、Bodyの部分の配合が決まったが、それだけではピアノらしいピアノにはならない。ましてや求めているのは二台ピアノ。音色だけでなくパンニングの問題も出てくる。これが簡単なようで難しい。▼演奏の録音系はコンサートホールのステージ上に向かい合ってピアノを配置し、マイクは遠方に吊るしていることが多いようだ。したがって、まるで一台のピアノで演奏されているかのような統一された響きになる。しかし、欠点として、二人の奏者を区別することができない。掛け合いのような遊び心やかっこよさの表現が不可能になる。さりとて、パンを左右へ大胆に振ると、リバーブは非現実的になるので必然的に弱めになり、近めのマイクがメインになる。今度は、ホールの響きが失われがちになる。力強いがクローズでドライな音色にならざるを得ない。▼良い所取りできればいいが、そう簡単には上手くはいかない。

[3649] Sep 01, 2019

九月。昼に外を歩いても、うだるような暑さと言うほどではなくなった。暑いが、まだ冷静に暑いと感じられる程度の熱である。湿度の高い猛暑日のように、思考を放棄したくなるような重苦しさはない。▼そんな残暑の一日。部屋の模様替えをして、先程もとに戻した。目論見通りに行くかどうか、動かしてみないとわからないところがあったのだが、現実は厳しく理想の姿にならなかったのだ。いろいろなものがちょっとだけ噛み合わなかった。全て解消するには時間がかかる。そこまで突っ込んで、やっぱりダメでしたとなるとダメージがさらに大きい。素直に諦めて、しばらくは今まで通りのスタイルで行くことにした。▼不毛のように思えるが、打ち込みをしているときのことを思えば、日常茶飯事もいいところだ。やってみて、ダメだということがわかれば、またひとつ別の手の打ちようもある。実行が思考に勝るのではない。思考を豊かにするために実行で事実を稼ぐのだ。

[3648] Aug 31, 2019

大森海岸駅から徒歩八分。「しながわ水族館」へ行く。▼水族館とは無関係に、朝から長男のテンションは高い。道中、常に反復横跳びするような歩き方で体力を消費していたにも関わらず、館内でもノンストップで走り続ける。立ち止まったのは亀とタコの水槽くらいだ。「イルカの赤ちゃんがいるよ!」「アシカのショーだよ!」見向きもしない。ほとんど全ての水槽を、数秒見ただけで通り抜けていく。ラベルを見ている暇もなく、説明書きを読んでいる余裕もない。館内をアスレチックのように遊びまわり、レストランで食事をして、最後にひとつだけ抱っこでアザラシのショーを見てから帰った。それでも、総括として本人は大満足だったようだ。子どもには子どもなりの楽しみ方があるのかもしれない。それならそれでいい。▼行きは各駅だが、京急各駅の遅さは破滅的だ。帰りは快特を選んだ。ぐっすり眠ってしまう子ども二人。いかにもな子ども連れ休日の一コマである。

[3647] Aug 30, 2019

ベイスターズ。首位巨人が好調なので優勝の可能性は未だ僅かだが、バタバタしながらも五連勝のおかげで、まだ希望は残されている。優勝ラインでは、7%ほど。厳しいが、ありえない数字ではない。▼逆に、二位の確率は高まってきた。三位、即ち、CS進出率は98%である。ほとんど確定と言っても良い。しかし、こういう状況になると、油断は禁物、何が起こるかわからない、そういう気を引き締める意見がファンから出てくる。その通り。勝負事は最後まで何が起こるかわからない。最後の最後、良きも悪きも可能性が費えるまでは、これで安心などという状態はありえない。▼「油断は禁物。気を引き締めよう!」といった意見でファンが盛り上がるのもペナントの面白いところだ。自分たちの真剣さが選手の真剣さに伝播するとでも言うような感覚。ファンが気を引き締めたところで何の意味もない、などという理屈を超えて行く、ファンタジーな信仰の熱がそこにある。

[3646] Aug 29, 2019

部署間、部門間の緊張が、かつてないほど高まっている。多忙であるが故の不備、あるいは不義理。積もり積もって底が固まり、拭いがたい不信感となってしまった。不信感の上に信頼を築くのは難しい。初対面の間柄が仲良くなるよりもずっと難しい。▼ベテラン社員がまた数人、近々辞めるという話を聞いた。ここ二、三ヶ月の間にもちらほら辞めてはいたが、今回は久々の別格級――現場レベルというよりは全社レベルに近いところで中核を担うエキスパート――の離脱である。話が事実なら大きな混乱が予想される。組織構造の抜本的な改革も待ったなしかもしれない。▼どんな重要人物であれ、いざいなくなれば他の誰かが役割を受け継いで上手くやる、とよく言われる。今回もそうであることを期待したいが、やはり、どうあれ抜けられた現場のダメージは大きい。未だ日の目を見ぬ才能の抜擢で、さらなる飛躍を成し遂げられるか。ピンチをチャンスに変える力が問われる。

[3645] Aug 28, 2019

長男。三歳の誕生日。意思疎通ができるようになってから長い分、一歳や二歳のときより感慨深い気もする。本人も誕生日のめでたさというか、何か楽しげな雰囲気のようなものを感じ取っているし、これまで「何歳?」と聞かれると「二歳!」と答えていたのが、今日からちゃんと「三歳!」になっているあたりも大きな変化だ。誕生日をお祝いすることが、大人側の自己満足ではなくなってくる。三歳は、ちょうどそんなタイミングということなのだろう。確かな成長が感じられる。▼だが、三歳になっても便秘の方は治っていない。今日も夕食後は地団駄がひどく、買ってきた好物のゼリーも中途半端。なかなか祝いきれない感じになってしまった。二歳から三歳は精神面での成長が大きかった。四歳のときは、身体面での成長が見られることを期待したい。とはいえ、それはプラスαの話。ここまで大きな病気もなく、順調に育っているだけで満点だ。無事成長に勝るものはない。

[3644] Aug 27, 2019

今日もまた電車遅延。本日は東急東横線。踏切でトラックが脱輪したらしい。画像を見ると脱輪して線路の方へ突っ込んでいる。何もこんなタイミングでと思わずにはいられないが、この逸れ方、考えようによっては踏切以外のところで起こっていたら歩道に突っ込んでいた可能性もある。そう思うと、死者や怪我人が出なかったのなら、電車の遅延程度で済んでよかったのかもしれない。運転手の気持ちを思うといたたまれないが、落ち度がないならせめて保険が降りることを祈ろう。▼遅刻扱いになるわけではないので、仕事時間が減る以外に実害はないのだが、朝、意識的にテンションを上げて前向きに頑張ろうとしているところへ、二日連続の遅延は少々へこたれる。萎んだ気持ちを盛り上げるのに余計なエネルギーを使ってしまう。会社に到着して昼前だと、メールも見ないうちにランチ休憩。落ち着きなくて休めもしない。安定した出社リズムには安定した電車運行が必要だ。

[3643] Aug 26, 2019

人身事故。アナウンス。ひとつ前の電車が当事者らしい。どうやら次の駅のようだ。運転再開は一時間以上後だと言う。遅刻はもちろん、それまで混み合った車内に居続けるのもつらいと思っていたら、ほどなくして次の駅まで徐行で進み、先頭車両のドアをひとつ開放してくれた。振替輸送バスが出るようだ。バスはともかく歩きたかったので、電車を降りた。▼事故現場は物々しく大量の警官に囲まれていた。電車に残る激しい血痕。右へ左へ飛び交う大声の指示。しかし、何より印象的だったのは、事故を起こした車両にもまだ人が数人残っていたことだ。しかも血のついた車両のすぐ隣。ドア際でスマホをいじっている男性もいる。非難しているわけではない。ただ、この事件と自分との意識の切り離し方には、なかなか凄まじいものがある。遠くの車両へ移るでもなく、振替輸送を使うでもなく、ただ現場近くで運転再開を待つ姿に、常人の常人離れしたメンタリティを感じた。

[3642] Aug 25, 2019

Synchron Concert D-274の調整日誌。七日目。▼最初の調整としてはひとつ終わりが見えてきた。Ribbon+Surround+Highのマイクに鍵盤ごとのEQを追加。この段階で味付けすると後段のリバーブが調整しにくくなるので、BodyやTimbreなどは全てデフォルトのままにしてある。Dynamicは110。アルゴリバーブは当然なし。ドライながらも遠方マイクで音色を整えているので、ここにリバーブをかけても近距離の音色を無理やり拡散させたような嘘空間にはなりにくい。その代わりリバーブのEarlyは全てカット。Surround+Highが同等の機能をすでに提供しているという判断だ。Lateだけやさしくかけてくれればいい。▼プリセットはどれも風呂すぎるので、パラメータは最初から自作。今回はピアノの位置や部屋の反響といったリアリティよりも、音色のピアノらしさ、私の求める硬くて、重くて、煌めくようなスタインウェイを目指してみた。これこそ音源ならではの楽しみとも言える。

[3641] Aug 24, 2019

Synchron Concert D-274の調整日誌。六日目。▼ようやく納得行くレベルの調整がひとつ作れた。外部リバーブなし。単体ではこれくらいが今の限界かなと思う。遠方のマイクは味付け程度にしないと音の像がボケるのでNGという結論だ。バリバリ残響のついたコンサートホールで客席から聴くようなサウンドの似合うクラシカルなピアノ――グランドピアノのソロコンサート――ならいいかもしれないが、音そのもの、ひとつひとつの鍵盤から立ち上がる音の「硬さ」を最重要視する立場としては、これ以上の輪郭のブレは許せないものがある。▼ではリバーブの外部プラグインを刺せば解決するのか。これはわからない。わからないが、手持ちのプラグインで試す限り、遠いマイクのスライダーを上げるよりは良さそうだ。あとはもう、いろいろ試してみるしかないだろう。有名どころのプラグインの中から無料トライアル版を公開している製品を探して、あれこれ実験してみたい。

[3640] Aug 23, 2019

Synchron Concert D-274の調整日誌。五日目。▼Viennaの公式サイトには「Synchronはそれ単体で最適なホールの音響を提供するシステムなのでMIRなどのプラグインを通す必要はない」というようなことが書いてあるが、フォーラムを覗いてみると、かなり多くの人が「QL Spaces」などのExternal Reverbを通していると言っている。ピアノのリバーブは常に課題で、音源の標準機能や標準マイク以外のプラグインを極力通さない方がいいという人もいるし、逆に、アタックの質感を損なわないままリバーブ感を出すには、専用の設定による入念に調整されたリバーブプラグインが必須だと言う人もいる。決定版と言えるルートは存在しないようだ。▼私には、やはりどう聴いてもクローズはドライすぎるしサラウンドやハイはお風呂すぎるように聞こえる。マイクのブレンドではどうしても「こもる」ので、公式に飛ばした質問の返答如何では外部リバーブルートも考えたいところだ。

[3639] Aug 22, 2019

閑話休題。一回休み。▼「アンパンマン タッチでおしゃべり! スマートアンパンマンキッチン」を買う。ずっと前からヨドバシカメラへ行くたびに展示品で遊び、欲しいと言い続けていた商品だ。買う前に、代替候補としてトミカの変形ステーションやシルバニアファミリーも提示してみたが「ちがう」と一喝された。キッチンは箱を見ただけで「これ買う」である。反応が違いすぎて、本当に欲しいのだと信じざるを得ない。▼はまりにはまった。一緒に買ったアンパンマンのタコ焼きプレートと、一緒に並べて遊ぶ遊ぶ。片時たりとも離れない。夜は興奮して眠れないし、昼寝も十五分で起きてしまう。起きて「アンパンマンキッチンで遊ぶ」と言う。何日間かはあまりに張り付きすぎて困ってしまうくらいだった。▼小規模だが細かいところまでよく出来ている。ほどよいギミックとロールプレイが二歳児の想像力を適度に刺激するのだろう。ヒット商品にはヒットの訳がある。

[3638] Aug 21, 2019

Synchron Concert D-274の調整日誌。四日目。しばらく続く。興味のない人には申し訳ない。▼一通りマイクの個性・特性を理解し、様々なミックスを試した結果、一つの結論に至った。即ち、このモンスター音源の調整においては、空間を定めるためにマイクのバランスを決めたら、そのバランスに最適なEQを「全ての鍵盤に対して個別に」かけなければならない、ということだ。マイクのミックスによって生じた周波数のボリュームゾーンを、個々の鍵盤のEQ調整によってなだらかに彫刻していかなければ、どうあがいても音のごちゃごちゃ感から逃れられないのである。▼だから、当初の直観通り、クローズマイクは1本だけ、遠方が2本〜3本、あとの調整は鍵盤別のEQでやる、というのが鉄板になると思う。マイクが変われば鍵盤のEQも最適解は変わってくるわけで、これはもうひとつこれと定めてやらないと痛い目に合う。最上級の素材を使った、音源の自作である。

[3637] Aug 20, 2019

Synchron Concert D-274の調整日誌。三日目。▼全体的に、ファクトリーのプリセットはリバーブが効きすぎている。アルゴリバーブであれ遠方マイクの出力であれ。何十万もするスピーカーをサラウンドに並べて防音室でモニタリングする分にはこれくらい響いていた方が綺麗に聞こえるのかもしれないが、ヘッドフォン主体で調整する趣味人には少々本気すぎると言うべきだろう。アタックは近めの音で立って、余韻は遠めの音で響く。そういうわかりやすい調整を求めている。▼音の立ち上がりという点ではRibbonが頭一つ抜けていると思う。Tubeはスタインウェイの温かみを全面に出したような音色だが、クローズの主力に据えるには個性が強すぎるかもしれない。Ribbonの低音を持ち上げつつ徐々にパンを広げながら中距離・遠距離のマイクを足していくのが理にかなっている。かつ、プリセットとは逆になるが中距離マイクのLRはクローズと方向を合わせた方がよさそうだ。

[3636] Aug 19, 2019

Synchron Concert D-274の調整日誌。二日目。▼低音の重厚な響き、中音域のやわらかさと抜けの良さ、高音の煌びやかな硬さ。なかなか三者並立しない。うまく全取りできるような設定が見つかると、無理が祟って今度は音がこもっていたりする。そのこもりの原因を取り除くと、高音がスカスカになったり低音のアタックが弱くなったりする。かといってピンポイントで問題に対処するようなイコライズをかけると、結果的に全体のバランスが歪んでしまう。毎度のことながら、行ったり来たりで悩ましい。▼わかっている。「諦めること」を決めないと、永久に堂々巡りしてしまう。ましてや今度はスタインウェイであってベーゼンドルファーではない。高音の輝きを諦める代わりに中低音の響きの広がりを取るとか、逆に低音を、古めのピアノ録音よろしくホールの響きだけが後から聞こえてくるようなローアタックな設定にするとか。そういう手も考えなければならないだろう。

[3635] Aug 18, 2019

Synchron Concert D-274の調整日誌。今日は初日。▼マイクポジションが豊富なのは嬉しいが、10マイクの合成となると可能性が無限すぎてベストな配分を決めるのが難しい。とはいえ好みの音色、好みの空間設定を、ごてごてとプラグインを刺すことなくマイクだけで調整出来るのは嬉しい。後ろに刺すにはリミッターだけで十分だ。非物理モデリング型ピアノ音源の正しい在り方と言える。▼ただ、Closeの3マイクはサラウンド用プリセットで設定されているように三本揃えてしまうと音がこもる気がする。どのマイクの個性も捨てがたいが、欲張って重ねずにひとつに絞って遠い方でコントロールした方が最終的に良い出力が得られそうな感触だ。このあたりは何通りも試してみて、好みのサウンドを見つけていくことになる。▼突き詰めれば曲調や用途に応じて設定も変えるのが筋だが、今はそこまでやるつもりはない。逆である。サウンドが先でいい。その音にあった曲にする。

[3634] Aug 17, 2019

熟考の末、スタインウェイを選択。追加でCFXを買うよりも安い3本バンドル版の価格は魅力的だったが、ソロメインで行くには音がまろやかすぎるブリュートナーを使わないことはわかりきっていたし、CFXとスタインウェイの二丁使いという未来も見えなかったので、割高にはなるが単品にした。どうせまたしばらく調整の日々になる。調整相手は一人の方がいい。▼王道にして万能の一台。多くの人がピアノと言われて想像する音。音色で個性が出ない分、さらなる地力が求められる。これできちんとした曲が組めれば自信にもなるだろう。ピアノでやっていけそうという自信になる。そんな気がする。大作を終えた後の基礎固めにはうってつけだ。▼合計で20万サンプルを超える膨大なライブラリだが、収録マイク数で割ると、鍵盤当たりのサンプル数はImperialに比べてさほど多いわけではない。あくまでエンジンの刷新が性能向上に繋がっていると見るのが妥当だろう。

[3633] Aug 16, 2019

SynchronのBosendorferが出るはずと書いた直後、VSLへ行ったらSynchronのBluthnerが出ていた。残念、Bしか合ってない。▼悔しかったのでVSLにメールを出してみた。ずばり直球で、SynchronのBosendorferを出す予定はないのかと尋ねてみる。数時間後、VSLから迅速な返答。意訳するとこうなる。「もちろん、将来的に出そうと思っています。ただ、残念ながら正確な日時まではお知らせできませんし、出すとしてもちょっと時間がかかると思います。もし煌めくようなグランドピアノがご所望なら、Steinway D-274の方を選んでおけば後悔はしないと思いますよ。それに、ウェブサイトから購入していただければ、30日間は返金にも応じられますので。どうぞご検討ください!」▼肝心な情報は明かさずさらっと現行で最高級のSteinway D-274を勧めて来るあたり、いかにも海外の商売人らしい。だが、予定があることは教えてくれた。それだけでも十分だ。Steinwayも検討する。

[3632] Aug 15, 2019

仕事をあがってから床屋へ行く。二十年前から通っているカット二千円の床屋。お盆休みを警戒してgoogleで調べたところ「営業中」になっていた。大丈夫そうだ。▼小雨の中を走っていく。大丈夫ではなかった。電気が点いていなかった。自動ドアには「14日・15日はお盆休みをいただきます」の張り紙がある。いかにもアナログに決定された夏季休業だ。googleには反映されなかったのだろう。くるくる回る血管のアレが止まっていたときからイヤな予感はした。▼仕方がないので別の床屋を探してみる。そのうち老夫婦が個人でやっていると思しき店を見つけた。雨も強まってきたので、もはや是非もない。飛び込んでカットしてもらう。「いつもの」はできないが、もともとこだわりのスタイルがあるわけではないので、とにかく短くしてくれればいいという適当な注文で済ませた。▼結果は上々。ただし金額は倍以上。同じような出来なら、次はやはり行き慣れた店がいい。

[3631] Aug 14, 2019

昨晩は一気呵成に短文を書きまくった。眠気のせいでまとまりは乏しかったが、ひとつひとつは言いたいことが言えたと思う。デリケートな主張をするときはさすがに考え込んでしまうが、言いたいことがシンプルなときは言葉に詰まらずスラスラ書けるようになったのが、もうひとつの十年間――400の成果かもしれない。なんであれ10年も続けると良いことがあるものだ。▼次の編曲へ移る前に、出来れば出て欲しいものがある。ピアノ音源の後継候補、Bosendorfer ImperialのSynchronエンジンモデルだ。Steinway D-274が出たのだから、当然、Bosendorfer Imperialも出るだろうと当て込んでいる。フォーラムにもそれを匂わせる公式の発言があった。せっかくViennaは自前のスタジオを持っているのだから、持っている資産を新作に焼き直さない理由など考えられない。目下、鋭意収録中だと信じたい。しばらく音沙汰がないようなら、直接質問のメールでも投げてみよう。

[3630] Aug 13, 2019

動画投稿、完了。おつかれさまでした。▼実際、気分はもう次の作品を作る方に向かっているが、いろいろ語る機会も投稿直後くらいしかないので、何日かに分けて語るべきことを語っていこうと思う。ただ、細々した話になるため、投稿場所はツイッターの方に任せたい。▼もう少しマクロな話。ニコニコ動画のトラフィックが減っているのは把握していたので、I・IIに比べて急激にアクセスが減るのは織り込み済みだが、スライドショー動画の宿命とはいえ、コメントが途切れると動画自体のクオリティも落ちてしまうのがやはり残念だ。再生数よりマイリストより、コメントが重要と切に感じる。▼もとより、ニコニコ動画とはそういう場所であったはずだ。ユーザーが作品作りに参加できるという楽しみ。いまだに他のサービスは実現できていない。なんだかんだ言われていても、まだまだ代え難い体験を提供してくれるプラットフォームだと思っている。今でも信じている。

[3629] Aug 12, 2019

『原鉄道模型博物館』へ行く。横浜駅、スカイビルから徒歩二分。ただしベビーカーの場合は、B2から一旦2Fへ上がって外に出て、歩道橋の自転車用スロープから地上へ降りないとアクセスできない。ちょっとしたダンジョンだ。▼博物館は、思っていたより小さかった。二歳児には少し早い……というか、もっと大人の鉄道ファンが知的に楽しむ場所という印象である。私自身は、原信太郎が小学生のときに自作したという精緻な模型や、10代で書き溜めたという膨大な鉄道車両図面に感心した。好きこそものの上手とはこういうことかと思わされるマニアぶりである。その集大成がこの立派な博物館なら、マニア冥利に尽きるだろう。▼昼と夜とが入れ替わる桜木町周辺のジオラマはシンプルながら面白く、長男も興味深く見ていた。あとはトーマスのスタンプを集めて終わり。一時間程度のあっさりではあるが、二歳児とゼロ歳児を抱えたお出かけとしてはちょうどよかった。

[3629] Aug 11, 2019

サーバーダウン。夕方から夜にかけて、ここのサーバーに接続できなくなった。サイトに障害情報は載っていたが、深夜になっても復旧しないので当日投稿を諦める。これだけ長時間落ちたのは、連載以来初めてかもしれない。▼ここのつくりは極めて単純なので、今回のように障害などで書き込みができなかったときは、サーバー上のログ情報を直接上書きする形で無理やり投稿している。昔ながらのホームページのようなやり方だ。めったにない機会なので、ついでにバックアップも取っておく。接続障害ならまだいいが、何かの拍子にサーバーごと失われるかもしれない。3MiBのテキストファイル。書き散らかした文が多いとはいえ、個人的な日記の意味でも貴重なアーカイブである。▼動画はひとまず完成した。今日明日でチェックして問題がなければお盆のどこかで投稿する。久しぶりすぎて勝手がわからないから右往左往するかもしれない。仕事もある。慌てずゆっくりやる。

[3628] Aug 10, 2019

伊藤裕季也が鮮烈な活躍を見せている。プロ初試合で二塁打ふたつ。申し分ないデビューを飾るや、今日の試合ではチームを救う二打席連続HR。八回裏の二本目は起死回生の同点打である。「次の試合ではホームランを打つ」という監督の予言を200%実現する形になった。▼二軍での成績はそれほど良くはなかった。持ち味は出していたが、いかんせん数字は上がってこない。今回のように主力が怪我で離脱しない限り、一軍でスタメンに起用してみようという判断はまだなかっただろう。結果、災い転じて福となした。若手のホープは、万雷の声援を力に変えられる強心臓の持ち主だった。▼本番に強いタイプ。これはやはり「勝負」においては貴重な才能だ。「管理」する人間には安定的な能力の発揮が求められるが、「勝負」する人間にはここぞという場面でチャンスをモノにする勝負強さが要る。ピンチを凌ぎ、チャンスを掴む瞬発力である。スポーツに限った話ではない。

[3627] Aug 09, 2019

私はデジタル信者でもアナログ信者でもないが、知的生産におけるアナログな道具の使い方を知らない人が増えた昨今、相対的にはアナログ寄りと言える。カレンダーツールよりは紙のカレンダー、マインドマップソフトよりはコルクボード、チャットツールよりは対面コミュニケーションの支持者である。▼コミュニケーションミスによるトラブルが多発する職場は、デジタルに頼りすぎであることが多い。それは、チャットツールで会話するとかそういう話ではなく、そもそも職場に会話を促す「場」が形成されていないという問題である。「場」は何から生まれるか。共有だ。デジタルツールは通時的な情報共有には長けているが、同時的な情報の共有が大の苦手である。同じものを、同じタイミングで見ながら話す。パソコンの中では、たったこれだけのことが実に難しい。▼だから、職場にはカレンダーを貼るべきだし、コルクボードを置くべきだ、というのが私の主張である。

[3626] Aug 08, 2019

焼肉屋へ行く。▼第一印象。煙い。店内に凄まじいほど煙が充満している。空調がおいついていないようだ。ハンカチを口に当てていないと呼吸が苦しい。ゲームのフォグのような白。入口から座敷の席は見通せなかった。二時間もいたら一酸化炭素中毒にでもなってしまいそうな煙の量である。完全に店を間違えたと思った。▼着席。煙い。テーブルの下くらいの低さならかろうじてマトモな空気が吸えそうだ。見回しても店内に窓はない。本当に営業許可が下りているのだろうか。不安がよぎったが、食べログでの評判は良かったし、実際、満席である。歓談、哄笑。誰も煙のことなど気にしていないようだ。▼烏龍茶が喉にしみる。肉は評判通り美味かった。手ごろな値段で希少部位が食べられる一頭買いの店という触れ込みは伊達ではない。味とコスパは二重丸。しかし、また行きたいかと言われると煙の恐怖でノーになる。まだ喉がピリピリするようだ。もったいない店である。

[3625] Aug 07, 2019

カチッサー効果について、極めて一般的な解説をまとめたが、この実験、額面通りに受け取るにはいろいろツッコミどころもある。▼第一に、実験は英語でなされた。「コピーを取らなければいけないので」と”Because I have to make copies.”のニュアンスはそれなりに異なる。"May I use the xerox machine"の直後に"Because I have to ..."と続かれたら、それだけで何か切迫した事情を感じるところもある。コピーを取らなければならないので……まで言い切ってお願いが続く日本語とは、やはり響きが違う。▼第二に、コピー機に関して言えば、プレゼンのために大至急必要になったというような緊急性が利用者にも想像できる。故に、コピーを取らないといけないので、などと支離滅裂なことを口走ってしまうほどテンパっていると見なされ、忖度によってコピー機を譲ってもらえた可能性もありそうだ。▼理由の合理性の有無による承諾率に差がないとは言いすぎだろう。

[3624] Aug 06, 2019

図書館でコピーを取ろうとしている人の列に、割り込んで先に使わせてもらうようお願いする実験。最も承諾率が高かった頼み方は次のうちどれか。A「先にコピーを取らせていただけますか」B「急いでいるので、先にコピーを取らせていただけますか」C「コピーを取らなければいけないので、先にコピーを取らせていただけますか」▼もちろんBである。承諾率は94%。一方Aは60%しか承諾していない。常識的な結果だ。だが、驚きなのはCの結果である。Cの承諾率は93%。ほとんどBと差がなかったのだ。心理学者エレン・ランガーによる実験である。▼コピーを取らなければいけないので、先にコピーを取らせて欲しい――冷静に読み解けば意味不明である。しかし、人は簡単なお願いであれば、たとえ意味の分からない理由であっても、何かしら理由をつけてお願いされたというだけで、深く考えることなく行動を起こしてしまう。カチッサー効果と呼ばれている。

[3623] Aug 05, 2019

土日から続いていた頭痛が月曜の夜になって少し和らぐ。風邪の症状こそなかったが、緩やかに体調不良だったのかもしれない。夏は暑さを増してくる。好調をキープできないと乗り切れない。▼メンバーの働き方は大体三分されている。定時ないし少々の残業で帰宅するがめったに休まない人――安定型の健康志向。ばりばりの深夜残業と休日出勤で重労働するが週に一度は体調を崩して休む人――集中型の気分志向。そうして、重労働に重労働を重ねながら、全く休まない人――謎の鉄人。▼鉄人には、若い人もいれば四十代もいる。深夜二時まで会社にいたのに、朝七時には出社しているような鋼鉄の人。それでいて病んでいる風でもなく、むしろ「集中型」よりも元気で溌剌としていたりする。こういう人を「憧れの的」にしてはいけないのだが、そのタフガイぶりにはやはり尊敬を禁じ得ない。彼らのおかげで回っている節があるのも純然たる事実である。心ひそかに感謝する。

[3622] Aug 04, 2019

ベイスターズ、首位巨人まで0.5ゲーム差。▼大事な天王山を見事3タテで飾ったのも最高だが、個人的にはやはり石川雄洋の1000本安打が嬉しい。それも試合の大事なところでスリーベース。いつか動画で見た遥か昔の甲子園、横浜−京都外大西戦で魅せた三塁への強烈なヘッドスライディングが脳裏に浮かぶ。現地で姿を重ねた人もいたのではないだろうか。恐らくは自身最後のプロ野球記録になるであろう機会で、三塁に向かって熱いヘッドスライディング。そして、ホームへの生還は決勝得点。なんともドラマティックである。▼石川雄洋の成績は、打撃も守備もけっして「超一流」とまでは言えないレベルかもしれないが、それでもベースターズファンからの人気は超一流だった。先輩からも後輩からも好かれ慕われ、チームの精神的な支柱として今も若いメンバーを支えている。記録に残る成績だけが選手の価値を決めるものではないという事実の体現者の一人である。

[3621] Aug 03, 2019

夏祭りへ行く。次男は体調を崩している上、ちょうど夕寝に入っていたので私と長男の二人だけ。その長男も、昼寝をしていないのに最高レベルのハイテンションで、列にもマトモに並んでいられない様子である。焼き鳥の行列にいるとき、保育園で同じクラスの仲良しファミリーに出会ったが、**君がいたよと呼びかけようが、向こうのお母さんに名前を呼ばれようが、こちらを見もしないで砂埃を上げながら祭り会場の校庭を駆けずり回っていたのであった。三歳の同級生は、私に光るおもちゃの説明をしてくれた。▼そんな調子だから盆踊りまで見ていく暇もなく、焼き鳥、焼きそば、フランクフルト、玉こんにゃくなど、必要な物資だけ調達してさっさと家に帰る。何度も転んで、転ぶたびに立って膝を払いながらジャンプする姿を笑われ、口の中に砂を入れながら爆走して帰宅し、今、こんなに夜分遅くになっても尚、手と口とをフル稼働させて暴れまわっているのであった。

[3620] Aug 02, 2019

残業が常態化していた頃は気付きにくかったが、定時までの密度を最大限まで上げている現状だと、夕食以降、特に十時以降は集中力の低下が如実に感じられる。者を考えているようで、その実何も考えていない。思考力を要求する仕事は不可能である。メールのやりとりすら危険だ。何を送るかわかったものではない。▼加齢による体力減少の影響も無論ある。とにかく自戒。自戒するしかない。最後の最後、火が付いたらフルパワーでなんとか乗り切ろうなどという幻想を捨てなければ、どこかで必ず惨事が起こる。それが仕事の惨事なら誰かが火を消してくれるかもしれないが、自分の身体の惨事だったら一巻の終わりだ。▼パワプロのサクセスを思い出す。天才型を引いて、ダイジョーブ博士も成功させた選手に、故障率10%の守備練習を毎日強行するだろうか。絶対にしないはずだ。そうして、パワプロの天才型なんかよりも、この自分はもっと大切な存在のはずではないか。

[3619] Aug 01, 2019

ツタヤプレミアムに登録完了。先月も四千円以上借りているので、このままのペースなら月の費用がぐんと安くなりそうだ。▼「借り放題」はわかる。旧作に限っているから、月額千円ならまずまずというところだ。しかし、驚きなのは次の一文である。「借り放題対象商品の泊数は無制限です。延長料金も発生いたしません。」▼これは大丈夫なのだろうか。気前が良すぎて逆に怖い。たとえば同一店舗でプレミアム登録者が二十人、三十人となって、みんなが『アナと雪の女王』を借りたまま返さなかったとしたら、その店舗では誰も「アナ雪」が借りられなくなってしまうのではないだろうか。もっとも、そのときは月額二万、三万の定期収入が約束されているのだから、「アナ雪」の在庫を追加するくらいなんでもないということかもしれないが……。▼それほどサブスクリプションビジネスは儲かるのかもしれない。存続が危ぶまれた時期に比べれば、相当立ち直ったと言える。

[3618] Jul 31, 2019

扇風機が壊れてしまった。スイッチの電気系統がおかしいらしい。電源ボタンはごく稀にしか反応せず、電源がついたあとに電源ボタンを押すとタイマー予約になったりモードが切り替わったり、ランダムで別のボタンが反応する。連打しているとそのうち消える。風量の増減や首振りのボタンは正常に機能しているようだ。▼こうなると面倒くさい。自分で開けられる構造でもないから、電気屋さんへ持っていかないと直らない。しかも運が良ければ普通に使えるだけに、なかなか持っていこうという踏ん切りもつかない。絶妙にいやらしく壊れてくれたものだ。▼こういうトラブルに見舞われると、昔ながらの物理ボタン式――弱ボタンを押し込むと強ボタンが入れ替わりで飛び出してくるタイプ――の方がよかったと思うようになる。あの、カチッ、カチッ、と音を立てるところも、モードの切り替わりを感じられてよかったのだ。前に使っていた東芝の一台が懐かしくなってきた。

[3617] Jul 30, 2019

青いパッケージの『Vロートプレミアム』を買う。▼これはすごい。最高だ。帰宅後の夜のショボショボ疲れ目が二滴ですっきり。文字が見える。光が見える。お風呂でも痒くならない。風呂上がりにもう一度。視力が悪いのは仕方ないが、悪いなりに瑞々しい視界が広がってくる。瞼の炎症もこれで良くなるかもしれない。大の目薬嫌いが思わず目薬好きになりそうな一瓶である。▼もともと、パソコン仕事の人が絶賛していたのを見かけてから気にしていた商品だった。公式ホームページで「史上最もプレミアムな一滴」とか「最多成分数配合」とか言われるよりも、疲れ目持ちが叫ぶ快哉の方がはるかに購入意欲をそそる。ステルスマーケティングの可能性もないわけではないが、たかだか目薬ひとつのこと、疑うくらいなら自分で試した方が早い。今回は、試して当たりを引いた。快哉を叫んだ人へ心ひそかに感謝している。しばらくは会社と家と、肌身離さず持ち運んでみよう。

[3616] Jul 29, 2019

だいぶVegasProの操作に慣れてきた。言うほど大したことはしていないが、枚数の多いスライドショーをさくさく作るには、高度な技ではなく基本的な操作の会得が肝になる。要するに、やりたいことをやる方法がわかればよい。それがわかってきた。▼トランジションは基本的なパックに頼っている。効率よく自分のイメージが伝達できれば十分だ。それに、ひとつひとつは基本のパーツでも、ふたつ以上組み合わせれば新鮮さも出る。パーツをとっかえひっかえして似合うものを探すのではなく、頭の中に理想の絵があって、それにもっとも近い表現を探してくる、ないし合成して作るという手順を踏んでいる限り、そう陳腐にはならないものだ。▼動画を作っている間は曲が作れない。今はそれがいちばんもどかしい。今は作りたいテンションである。じつに残念だ。残念だが、きっと、動画を作り終わったら、今度は作りたくないテンションになるのだろう。ままならないものだ。

[3615] Jul 28, 2019

『シュガー・ラッシュ:オンライン』を観る。この度はついに場末のゲームセンターが広大なネットワークに接続。オンラインってそういうことなのね。LANケーブルを抜けた先のワクワク感がたまらない。ダイヤルアップの時代を生きてきた世代なら、広大なネットの海に繋がったときの感動を思い出すことだろう。当時はもっと狭くて小さな世界ではあったが。未知の世界に飛び出す体験の質に変わりはない。▼ストーリーはまずまず。それよりも実名の企業やサービスが「シュガー・ラッシュ」の世界観で描かれる様を見るのが面白かった。ツイッターの鳥が飛んで行ったり、イーベイで買い物をしたり。随所にいろんなロゴも見つかる。mixi、Apple、Gmail、Spotify、Instagram、etc...。どうやって許可を取ったのか不思議だったが、調べてみると特に許諾をもらっていないらしい。現実世界の背景と同じで、ネットを描いたら必然的に映り込むものという理屈なのだそうだ。

[3614] Jul 27, 2019

結構な数のDVDをツタヤから借りている。主に長男のためだ。旧作なら200円、新作ないし準新作だと400円。毎日一枚は言いすぎだが、二日で一枚見るとすると、全部旧作でも週あたり700円かかる。月に3000円だ。これならツタヤプレミアムの借り放題(月額1000円)に加入した方がお得なのではないかと思い始めた。▼借り放題に1000円払うくらいなら見放題のネットサービスが良いという意見もあるが、経験上「見放題」と言われると見なくなる。何を見るかを選ぶのもそれなりに大変なのだ。店舗という物理空間で済ませておかないと、家で選ぶこと自体が苦痛になってしまう。そうして選ぼうとしなくなる。即ち、見ようとしなくなる。借りて来るという身体的な行為にも価値があるのだ。▼借り放題に新作・準新作は含まれないので、旧作がメインという我が家の需要もちょうどよい。もう少し調べて問題が見当たらなければ、来月から試してみよう。

[3613] Jul 26, 2019

各自、もっと自分の仕事の成果に対する責任を持ちましょう。そんな警告が何度も発せられている。▼言いたいことは痛いほどわかる。真摯な願いである。しかし、本気で効果を狙う警告なればこそ、表現が曖昧であってはならない。この言い方では、現場を取り巻く問題の本質を取りこぼしてしまう。▼大きな問題は二つある。一つは、誰もが「境界線上の仕事」をことごとく相手の仕事だと思っていること。仕事の範囲に対する基準を自分に甘く見積もり過ぎている。だが、この問題は警告を守っても解消されない。自分がやるべきことを、そもそも自分の仕事だと思っていないからだ。▼もう一つは、品質に対する満足の基準が低すぎること。つまり、クオリティへの感度が低い。成果に対する責任を持っていると判定する基準が緩いわけで。こちらも解消は望めないことになる。▼周辺の仕事に取りこぼしがないか視野を広げましょう。品質へのこだわりが十分か自問しましょう。

[3612] Jul 25, 2019

ベイスターズ、破竹の5連勝。▼今季は連勝が常に4で止まっていたので、初の5連勝となる。常勝球団なら「5」くらいで破竹などとは言わないだろうが、ぎりぎりの戦力を上手に采配して勝率を求めていくタイプの横浜にとっては十分破竹の成績だ。交流戦後は巨人の優勝待ったなしだった空気も変わりつつある。勝差「5.5」は、けっして小さくはないが、絶望的に遠くもない。これからの暑い夏に向けて、良いドラマの仕込みが出来ている。▼それにしても、ラミレス監督の姿勢は本当に素晴らしい。とりわけ尊敬できるのは、どんなことがあっても選手を名指しで批判しないことだ。怠慢に近いエラー、勝負所で四球連発、捕手の後逸、同点ランナーの牽制死……苦言の一つも言いたくなるのが普通という場合でさえ、語るのはチームとしての課題、今後の展望、そして「トゥモローイズアナザーデイ」。徹底した明日志向が選手の気持ちを鼓舞している。実に建設的である。

[3611] Jul 24, 2019

昨日の話は下方向だけでなく上方向にも言える。「うちの上司は使えない」「今のマネージャーは無能」と言っている人がいたら、そのチームにはあまり良いメンバーが揃っていないのだろうなと思ってしまう。具体的な手法に対する批判、特定の悪しき行動に対する苦言、ハラスメントに近い言動の告発であれば、上司の方に責任がありそうだと思うこともできるが、残念ながらそういうケースは多くない。上司が無能に見えるのは、その人が無能であるが故――そんな事例の方が、数としては多いように思われる。▼このへんは本が二冊も三冊も書ける話題だから、これが唯一の真実などと言って掲げられる自論があるわけではないが、上司批判を定期的に繰り返すタイプの人間に共通する思考回路については、愚痴を聞くことが多い立場であったが故に察しているところもある。それはまた別の記事を立てる。今、言えることはひとつだけだ。上司も部下も敵ではない。味方である。

[3610] Jul 23, 2019

若手プログラマがあまりにも使えないので指導用の文書を作りたいという話を聞いた。別の部署のことだから実態はよくわからないが、彼が言うにはプログラマとして基本的なことが何も出来ていないので、基礎の基礎から教える必要があるのだと言う。チーム全体でコードレビューもやりたいそうだ。▼けっこうなことだが、私はあまり良い返事を返していない。基礎の文書化。聞こえはいいが、相当難易度の高い仕事である。基礎・基本を正しく文書化することができるほど高度な人材がそのチームにいるなら、そもそも若手がこぞって無能になるとは考えにくい。つまり、私は――あくまで個人的な懐疑に過ぎないが――そのチームには、そもそも指導力のある先輩がロクにいないのだろうと見る。▼そんな状態でコードレビューをやったらどうなるか。想像したくもない。要するに、チームの若手を「使えない」と表現するチームにまともな先輩はいそうにないという苦言である。

[3609] Jul 22, 2019

選挙へ行った。子どもたちも連れて、近くの小学校へ。二人とも、あと数年したら通うことになるが、そのときには建て替えられて小中一貫校になっているらしい。校舎も遊具もボロボロの古びた小学校なのでリフォームは嬉しいが、小中一貫校というのは複雑だ。九年は長い。▼投票日の静けさも、後から投票率を見て納得だ。多いときは体育館から外まで列をなしている行列も全く見えず、すんなり入って、空いた場所で名前を書いて、投票するだけ。昼間の駅で切符を買うようなスムーズさである。最後に、投票証明書なる青い紙を机から頂戴しておしまいだ。▼若者の一票で政治は変わらないとか、事実、四十代以上の票が大半を占めるとか、数字上の現実はあるにせよ、投票率を上げるにはもう少し高揚感とかイベント感を煽る仕掛けがあってもいいのかなと、ゲーミフィケーション的なことを考えた。変える変わるも気分から。文字通り、気が乗らないと動けないのが人間だ。

[3608] Jul 21, 2019

会社の研修課題をこなしたり、選挙へ投票に行ったり。長男の機嫌が悪く、ことあるごとに癇癪を起していたが、夕方は珍しく動画を見ながら一人で寝た。させるつもりのなかった遅い昼寝。八時頃に目覚めてくると機嫌は再び最悪で、好物のバナナだけ食べ散らかしたあとは約束したご飯にも口をつけず、テーブルを蹴るわ叩くわの大暴れである。▼あまりにもひどいので、無理やり歯磨きをして再度寝室へ。泣き疲れて寝るかと思ったが、今度はテンションが上がって寝る気配がない。ブウブウと唾を飛ばしながら抱っこ紐の中でヘッドバンドを仕掛けてくる次男。十一時になっても飛び跳ねて歌って魚のおもちゃで遊び続ける長男。早くからお風呂を終わらせてゆっくり進行な日曜夜のはずが、一転地獄絵図である。▼こうなると何もできない。特に次男が一筋縄で寝なくなってから、こんな日が増えている。本当なら長男がもう少し大人になっているはずなのだが、叶っていない。

[3607] Jul 20, 2019

内なる声に耳を傾けよ。▼高尚な話ではない。たとえば、今日は昼食にラーメンが食べたいと思い立つ。ラーメンが食べたい。ラーメン屋へ行こう。そうだ、最近、あまり行けてなかったあの店がいい。行こう。ラーメンだ。久しぶりのラーメンだ。……。▼このとき私の脳は「久しぶりにラーメンが食べられる」という気持ちに昂っている。ラーメンが食べたくて仕方がない、と脳が言う。しかし、ここで冷静に身体の様子を伺ってみる。胃のあたりに神経を集中させてみる。今、身体は本当にラーメンを求めているのだろうか。油分、小麦粉、肉、そういう素材を欲しているだろうか。▼案外、身体は明確に「ノー」と言っていることに気づく。脳を御して初めて気づくのだ。ラーメンが食べたいなんて錯覚だった。むしろ、脂っこいものなんて食べたくない。私の胃は、しっとりした煮物や何かを求めている……と。▼身体は健康志向である。不摂生とは脳の暴走なのかもしれない。

[3606] Jul 19, 2019

VEGASさんがよく固まる。よく固まると聞いていたので失望はしないが、とりわけアンドゥに弱いらしく、ちょっとしたやり直しで落ちてしまう。評判通り、動作安定感はさほどないようだ。▼トランジションはマスク用の共通トラックを作ってしまって、特殊遷移以外はそこで完結させることにした。省エネと品質のいいとこ取りを目論む。AEのようにフォントレイヤーを持ち込めないので、凝った文字出しは時間をかけないと出来そうにない。必要な効果には投資を惜しまないが、費用対効果の芳しくない汎用演出は早い段階で諦めていくつもりだ。限られた時間。クオリティにもメリハリをつけたい。▼大体2時間あれば4〜5枚はこなせそうな気がする。全部で42枚あるから、ざっくり20時間程度。局所的な演出を加えて40時間。あとは時間のかかりそうなED&クレジット。先は長いが、手を動かしさえすればじきに終わる。このへんがじつに気楽なところである。

[3605] Jul 18, 2019

最近、ネットの世界が「狭くなってきた」と感じる。特に言論方面は袋小路だ。どこまで行っても同じ話題、同じ論法、同じ結論しか出てこない。取りまとめて高次元で解決する知性もいない。言いっぱなしの投げっぱなしだ。思想の島宇宙なんて、格好の良い話ではない。ただ散らかっているだけである。食べ飽きたコンビニ菓子の殻が散乱した部屋と同じ眺めである。うんざりする以外に何の感想も湧かないというものだ。▼もう何度も繰り返された主張を、その日、その時、そのタイミングで、バズりやすいガワに包んで焼き直される消耗品のような言論たち。ヘッドラインを見るだけで内容の九割が想像でき、残りの一割は妄想か誤解に過ぎないような記事の氾濫。読みたい人もいるのだから、全てが害悪だと言うつもりはないが、いささか食傷気味なのも偽らざる気持ちである。▼かくいう私も何か言論を展開しているわけではないから外野のヤジに過ぎないが、悲しくはある。

[3604] Jul 17, 2019

昨日の続き。▼単語の暗記は、いかに周辺記憶を巻き込めるかが勝負になる。言い換えれば、優秀な周辺記憶になりそうなコンテキスト――出会った状況、場所、タイミング、意外性、印象、豆知識、誤解――を最大限利用できるかどうかが効率の鍵となる。単語帳以外での遭遇を好機と捉えられるかどうか。視野を広く持ち、文脈の価値を見抜く嗅覚こそが暗記の要であるといっても過言ではないだろう。▼さらに進んで、文脈がなければ自分で作る工夫も必要だ。何度やっても覚えられない単語は、覚えるのに必要な情報量が足りていないと判断しよう。たとえば、紐付ける日本語が少なすぎる。辞書に訳がひとつしかなくても、十通りの日本語表現を考えてみれば、単語の定着率は遥かに上がる。あるいは類義語を必ずひとつ頭にセットで入れておくとか。その単語を使った会社の名前を考えてみるとか。▼とにかく遊ぶことだ。遊べば文脈が生まれる。文脈が記憶を助けてくれる。

[3603] Jul 16, 2019

たまたま見ていた英語ブログで「counterfeit」が紹介されていた。偽造の、にせの、まがいの。「うわべだけをそれらしくしている」というニュアンスのようだ。念のため発音や用法を調べにWeblioへ行く。カウンターフィット。フェイトじゃなくてフィットなのかと思いつつ学習レベルを確認する。レベル11。英検一級以上の単語。それなりに高難易度ということだ。counterfeit illness。仮病。counterfeit diamond。模造ダイヤ。例文をさらっと読んで辞書を閉じた。▼その日の帰り道。進めていた長文読解の本を開いたところ、なんと本文最初のパラグラフに「counterfeit」が現れた。びっくりである。偶然出会い、なんとなく気になって辞書を引き、気まぐれで覚えた高難易度語と、数行も行かないうちに再見することになるとは。衝撃的な出来事。これでもう意味を忘れることはあるまい。▼全ての単語とこうした再会を果たせれば、単語の暗記も楽だろうにと思った。

[3602] Jul 15, 2019

久々の打ち込み。良い表現が見当たらないが、いい感じに頭がtuneされている。前後のしがらみがなくなったこともあって、錘から解き放たれたように筆が軽い。しかも、さくさく書いているようで、ちゃんと良い響き、良い流れ、良いバランスをキープしている。これが地力の底上げというやつか。四十二分かけて、あるいは十年かけて、階段をひとつだけ上がったわけだ。▼これが終わったら再び待機する。動画の方は一旦休憩だ。七月末に向けて準備しなければならない資料もある。八月の頭から本腰を入れて、夏コミの前後――恐らくは後――くらいに公開するのが楽観的な見通しというところだろう。特別何かに合わせたり被せたりする気はないが、なるべく多くの人に見てもらう機会を求めるなら夏休み/お盆休みのタイミングは悪くない。ちょうどよかった。▼何回か通して聴いてみたが、直そうと思う個所は見当たらなかった。完璧という意味ではない。局所最適である。

[3601] Jul 14, 2019

二日の仕事を五日と見積もって、想定外のアクシデントと上司の捻じ込みによって結局は十日を費やす。最初から最後までいい加減だ。もう見積もるのすら馬鹿らしい。そんな声も聞こえてくる。▼が、これは見積もる方にも問題がある。というより、この手のトラブルが多発する場合、チームに階層がひとつ足りないと見るべきだ。見積もりとは未来の予測である。であるなら、ありうる事故、ありうる無茶ぶりの期待値も、そこには含めなければならない。二日の仕事はちゃんと二日と見積もり、そこから派生する実装、波及する諸問題、諸々の期待値を足してバッファとしていくのが正道である。それができないとしたら、個々のメンバーに経験が足りないか、その見通しを立ててくれるベテランリーダーの層が足りていないのだ。▼全体を見据えて要求を出す上司と経験の浅いメンバーが見積もりにおいて直通していることが災禍を引き起こしている。中間が薄くなりすぎたのだ。

[3600] Jul 13, 2019

長男・次男を連れて横浜へ。▼昼頃、次男が泣くので調乳のためヨドバシカメラ三階の授乳室へ行く。誰も使用していない授乳室に給湯器がひとつ。「熱湯が出ます。注意!」と書かれた蛇口をひねる。が、いつまで経っても冷たい水しか出てこない。給湯器を見ると水温は「25℃」。騒ぐ長男、泣く次男。再沸騰ボタンを押して待つこと10分。水温は「33℃」。哺乳瓶とベビーカーと長男を抱えて授乳室を出た。▼苦言のメールでも出したいくらいだ。そもそも給湯室がカーテンで仕切られた部屋内にあるのも酷い。誰かが授乳していたら他の人はお湯も手に入らない。加えて、この常温冷水からの再沸騰式。沸騰するまで一時間はかかる。泣いている赤ん坊をそんなに待たせるのか。それも排他的な授乳室内で。あるだけマシというような投げやりな設計にげんなりした。▼尚、隣のモアーズは授乳室に立札がある。「男性の方の使用はご遠慮願います」。横浜の悪いところだ。

[3599] Jul 12, 2019

かなり身体がだるい。今週はどういうわけか疲労が大きかった。これといった明確な理由の見つけにくい慢性的なダメージである。病気でもないから尚のこと気味が悪い。▼右手の親指が痛むのも不可解だ。親指の爪の左側。爪の付け根のあたりの隙間。ごく稀にではあるが、針で刺されたみたいにズキズキすることがある。どうみても外科的な異常は認められない。気から来る症状なのだろうか。▼その他、以前より脚が疲れやすいこと、夕方から夜にかけて思考の焦点が定まりにくいこと、物忘れが多いこと、夜遅くまで起きていられないこと、などなど、些細ながらも不愉快な不良状態が続いている。とはいえ、日常生活に支障は来たさない程度の不具合だ。やることはいつも通り。最低限の睡眠を確保して、必要十分な栄養を取る。あとは適度な運動が加われば上等だが、今のところは出来ていない。オフでの知的活動は数日間休んでみる。いろいろと、考えすぎた可能性もある。

[3598] Jul 11, 2019

「俎上。敷衍。薫陶。……そんな日本語は知らないな。辞書には載ってるけど。使うことなんてまずないよ。知っている必要はないと思う。」▼ネイティブがそんな表現は使わないと言っているから、その語彙は憶える必要がない。しばしばそんな意見に出くわす。コミュニケーションは僅かな語彙だけでも成立する。生きた英語を学ぼう。そんなふうに主張している。難しい言葉を習得するのはマニアであって、言語学習の本質ではない。そう考えているようだ。▼全否定はしないが、この手の話を聞くと、私の脳裏には最初に挙げた架空の発言が浮かんでくる。この日本人の言うことを信じて冒頭の語彙達を不要と切り捨ててしまってよいものだろうか。ビジネスの、研究の、政治の世界でグローバルに活躍したいと願う人が。ストレートに言えば、尋ねたネイティブが――その国の言語レベルにおいて実は低水準である可能性を――検討しなくてよいのだろうか。そういう話である。

[3597] Jul 10, 2019

残りは4ピース。ゆっくり待つ。キャプションも焦らずぼちぼちだ。演出を入れるところはピンポイントに絞ろうと思っている。楽しくしたいのはもちろんだが、画面がうるさくなりすぎて気が散っては本末転倒だ。▼いつも悩むのはフォント。少ないフォントに統一してサイズや配置でバリエーションを出した方が全体の構成は整えやすいが、絵と曲調に最も合うフォントはやはりそれぞれ違うもので、全てに最適解を選んでいくとバラバラになってしまう。一枚ずつの静止画としてのまとまりを重視するか、前後数枚を含めた見た目の流れを重視するか、作品全体の統一感を重視するか。このへんのミクロとマクロのバランスが難しい。難しいというより、好みの問題ではある。3つの宝箱がどれも魅力的で選べないようような、プラスとプラスを比較する嬉しい難しさである。▼尚、汎用キャプションは使わないことにした。久々の動画作品だし、それくらい頑張ってもいいだろう。

[3596] Jul 09, 2019

VegasPro、雑感。▼レイヤー別に書き出してもPhotoshop側のレイヤー効果が完璧には引き継がれないのが少々残念。特殊な効果をかけていたりすると、VegasPro側で再合成したとき見た目が変わってしまう場合がある。また、どういう理由か知らないが、VegasProで読み込んだ画像をPhotoshopで編集しようとすると、ファイルが外部で使用されているというエラーが出てしまう。VegasProがハンドルを握っているのだろうか。しかし、それでは「再読み込み」機能の説明がつかない。再読み込みするからには、画像ファイルを載せたまま外部で編集されることを想定しているはずである。ここがどうにもわからない。目下、いろいろ方法を調べている。▼タイムラインの操作は直感的で良いが、複数選択からの一括トリムが出来ないように見える。移動はできるのにトリムが出来ないのは片手落ちだ。こちらも探したが方法は見つからなかった。情報源の少なさが最大のネックである。

[3595] Jul 08, 2019

もっともっと勉強と研究に時間をあてたいが、現実はそう上手くいかない。いつでもだれでも時間のやりくりに苦しんでいる。苦しまないのは諦めた人だけだ。最高を求め続ける限り、時間が足りることはない。▼だが、時間が足りないと感じられるのは、他の重要な要素が満たされているおかげでもある。時間があっても収入がなかったら、明日のご飯のことしか考えられなくなる。収入があっても精神が不安定だったら、何かに打ち込むのは難しい。精神が安定していても身体が病気になったら。身体が健康でも未来が見えなかったら。未来が見えても過去のトラウマから逃げられなかったら。過去のトラウマがなくても現在のしがらみに囚われていたら。……。▼完璧ではないにせよ、そういう諸々がそれなりに満たされていればこそ、時間のなさを嘆くこともできる。やりたいことへの障害として、最初に挙がるのが時間であることに感謝しよう。そうして、時間を大切にしよう。

[3594] Jul 07, 2019

洋書。『SHOE DOG』を選んでみた。日本語版でしばらく平積みになっているのを眺めていて、読んでみようか迷ったこともあったし、価格も邦訳版とペーパーバックであまり変わらないから、いろいろちょうどいい。邦訳版が金ロゴなのに対して、洋書は銀ロゴなのが印象的だ。どんな理由があって変えたのだろうか。▼ベストセラーになるような本は、たいてい端書きから面白い。『SHOE DOG』も、この法則には当てはまっている。冒険の始まり方はまるでフィクションのようだ。先へ進まずにはいられない。また、フィル・ナイトが最初から日本を志向し、日本がナイキの成功物語に深く関わっている事実も、この本が日本でベストセラーになった理由のひとつだろう。日本も今、アイデンティティの確立に苦しんでいる。日本の凄さ、日本の良さとは何だったのだろう。そういう「日本探し」の材料を提供してくれる本が流行るのは必然の流れである。▼ちまちま読み進めていこう。

[3593] Jul 06, 2019

長男はまだ曜日の概念を知らない。朝、登園するとき、毎日「今日は*曜日だね」と言いながら行くし、「明日は金曜日。明後日は土曜日だからお出かけだね」と時系列の概念も仄めかしたりしているが、なにぶん子ども自身にとっては実体のないラベルである。なかなか理解しようとはしてくれない。▼だが、不思議なことに、平日は時間ぎりぎりまで寝ている一方、休日、つまり土曜日と日曜日になると、普段より早く起きて下へ降りると言い張る。休みの日はなぜか早く起きるのだ。これには参ってしまう。布団の中、いつもより遅くまで親が隣にいることで、逆に「今日は保育園の日じゃなくてお父さんお母さんと遊ぶ日だ」と検知しているのかもしれない。とはいえ、そうだとしたら、結局、早起きして寝室から出ていかなければならないことになる。▼強制される早起きが、実は私にとってプラスに働いていると信じることにしよう。寝坊も二度寝も身体に良いとは限らない。

[3592] Jul 05, 2019

7payが炎上している。▼記者会見が見事に下手を打ったこともあり、あらゆるところから批判を浴びる四面楚歌に陥った。なんといっても、この騒動を国内最大手のコンビニエンスストア・チェーンの系列が引き起こしているというのが衝撃である。名も知れないベンチャーがセキュリティの甘いサービスを展開してしまったとか、そんなレベルの話ではない。誰もが名前を知る一部上場企業が大手を振って掲げる新規事業の技術水準がコレだったのだ。▼納期ありきの開発が強要されたとか、エンジニアの真摯な訴えが経営陣に一蹴されたとか、様々な憶測が飛び交っているが、どれも自らの苦い経験から来る類推というところだろう。だからこそ、信憑性もある。今回問題になったセキュリティ上の初歩的な不備を、開発が誰も気づかなかったとか、問題視しなかったと言うのは、さすがに無理筋というものだろう。政治が技術に先行する世界がしばしば引き起こす悲劇の一つである。

[3591] Jul 04, 2019

次男に我が出てきた。少し前は、お腹がいっぱいで満たされていれば、マットの上に転がしておいてもお気に入りのおもちゃでしばらく一人遊びしていたのだが、最近は、ケラケラ笑っていても、自分に構わなくなったと見なすと急に泣いたり怒ったりする。明らかに欲が出てきている。成長している。▼移動はまだハイハイというよりも匍匐前進。腕の力だけで前に進んでいる。回転と前進を使いこなせれば行きたいところには行けるので、今も、椅子やおもちゃの隙間を抜けて割と自由に床を滑っている。もう少しコツを掴んだら部屋からも出ていきそうな勢いである。ベッドの上でも移動は速い。油断するとすぐに縁だ。目が離せない。▼我欲が出てきたと同時に、リアクションも良くなってきた。そのせいか長男も前よりよく絡んでいる。絡みが乱暴すぎて嫌がられることも多いが、明らかに遊んでくれて嬉しがっているときもある。二人で遊んでくれるようになれば、楽になる。

[3590] Jul 03, 2019

ときどき洋書が読みたくなる。が、それを妨げる心理的な障壁が、あの紙だ。ぱさぱさでごわごわで、一度読み終わるとドライヤーをかけたみたいにぶわっと広がってしまう、あの紙質。どうしても好きになれない。文庫本とは言わないが、せめて新書クラスのつくりで手ごろな洋書が出てくれたらいいのにと思う。▼「ペンギンリーダーズ」でいいじゃないかと言われそうだが、わがままなのは承知の上で言うと、あれではラインナップが狭すぎる。読む本は自分で選びたいのだ。こうしてないものねだりをしていると、日本の文庫本がいかに恵まれた知的資産であるかを改めて思い知らされる。ポケットに文庫本を。私利私欲でなく、本当に国の知性を高めたいという熱意を持って創刊したのだろうと思わされる。頭が下がる思いである。▼だが、それに慣れてしまったことが悲劇である。電子マネーもそう。日本の国際化を阻んでいる最大の原因は他ならぬ日本の快適さなのだろう。

[3589] Jul 02, 2019

ガチャン。お風呂に入っていたら、長男が急にドアを開けて、言った。「つつごうたいむり」。▼よく聞き取れなかったのでポカンとしていたら、もう一度同じことを言う。「つつごうたいむり」。そうか、筒香がタイムリーを打ったのか。恐らくは妻からの命を受けて、吉報を知らせに来てくれたのだった。ありがたい速報である。だが、本人は何のことかわかっていないようで、ありがとうと言うと「つつごうたいむり、どこ?」と聞いてきた。モノの名前か何かだと思っているようだ。▼とはいえ、それでいい。何か新しいことを覚えるときは、言葉だったりフレーズだったりが意味もわからずに入ってきて、それを丸暗記して諳んじることから始めるのが王道というものだ。「**、タイムリー!」という実況が聞こえてきたら、そのうち促されなくても報せを持ってきてくれるようになるだろう。あとはホームランを覚えてくれれば十分だ。いつか子どもたちと球場に行きたい。

[3588] Jul 01, 2019

VegasProで遊んでいる。知らないソフトウェア。慣れない操作。あれこれ試しながら、手探りの制作。そう、この感覚だ。これが時間を忘れて熱中する冒険というやつだ。新しいマップの探索。新たな武器の入手。戦闘に勝利するたび、世界を覆う闇が少しずつ晴れていく。これこそ正しい意味での「ゲーム感覚」というものだ。▼同じゲームばかりプレイしても飽きてくるが、序盤を遊んだだけですぐに別のタイトルへ移っていたら、それはそれでつまらない。とりあえずはクリアを目指して、クリアからコンプリートの間のどこか好きなところでやめるのが賢明であろう。それなりに使いこなせるようになるだけならBエンディングを見るだけでもいいが、完璧にマスターしてプロになりたいならプラチナトロフィーが欲しい。▼その塩梅も結局は遊びながら考えていくことになる。遊んでみないうちから、どこまで遊ぶかなんて決められないものだ。VegasProは、思ったより楽しい。

[3587] Jun 30, 2019

ちょうどVegasProのセールだったので、AfterEffectsを諦めて乗り換えてみた。もともとAfterEffectsに強いこだわりがあるわけではない。むしろ、スライドショー動画にはオーバースペックである。フォトプランはどうせ使うので、Photoshop&VegasProの組み合わせがコストパフォーマンス的にベストだと判断した。▼触ってみた印象。クセがあってとっつきにくいと聞いていたが、そうでもない。PDSも普通に読めるし、トラックの感じもDAWに近くて直感的だ。さすがにレイヤー効果は引き継げないが、あらかじめレイヤー別に書き出しておけば問題はない。どうせ内部での扱いはバラバラである。管理するファイルの数が増えるくらいの不都合しかない。▼もとより動画に凝るつもりはさほどない。サクサク作れる。派手なエフェクトは最小限で、トランジションもシンプルに。最も時間がかかるのはチェックすべき文字列の多いエンディングだろう。そこまではどんどん進めたい。

[3586] Jun 29, 2019

『モアナと伝説の海』を見る。王道でオーソドックスなストーリーだが、リッチな海の表現と、あまり他に類を見ない性格のマウイが見ていて面白い。海の話ということで長男が喜ぶかと思ったが、他のディズニー作品に比べると登場人物が少ない上、しんみりした場面も多く、しばしば飽きて部屋を出ていったりしていた。海の生き物たちとの交流を描いたり、イルカやクジラと一緒に冒険したり戦ったりといった話ではなかったようだ。想像したよりやや大人向けだった。▼『ズートピア』のような万人受けするメガヒット作品とは毛色が違うが、ミュージカル要素がふんだんに盛り込まれていて、初期のディズニー作品に近いイメージがある。マウイの動く絵は『ヘラクレス』を思い出させる演出だ。ほとんど二人だけの物語でありながら、飽きさせない工夫は随所に感じられた。小さいなりにまとまった佳作というところだろう。美しい海のレンダリングに興味があればお勧めだ。

[3585] Jun 28, 2019

「月収35万円」「土日祝休み」「賞与年2回」。一枚の紙に箇条書きで書いてある。転職サービスの広告である。35万円には小さく「以上」と足されていた。多少の誇張はあるにせよ、こんなレベルの求人が載っているのなら――そんな思いでクリックする人もいるかもしれない。しかし、広告と一緒に掲載された本文、つまり、画像ほどは目を引かないキャプションには、こう書いてある。「月収35万円、土日祝休み、賞与年2回、あなたが転職で叶えたいのはどれ?」▼ANDではなくORなわけだ。それなら該当する求人も山ほどあるだろう。画像は明らかにANDを匂わせているが、文章でORである旨を明記しているからセーフということなのだろう。しかし、気づいてしまうとアンフェアさが際立つ。サービスそのものの質にも疑いの目を向けざるを得ない。同時に、世の中に出回る求人の条件の厳しさも透けて見えるようだ。求職者の理想と現実のギャップは大きい。

[3584] Jun 27, 2019

社会人になってから九年経った。▼九年間、仕事でもプライベートでもいろんなことに手を出した。時間を無駄にしたという思いはない。ただ、もし、この九年間の時間を全て何か一点に――たとえば語学とかに――注ぎ込んでいたら、今頃は十分極められていたに違いないと思ってしまうこともある。せめて身にならない暇つぶしに費やした時間だけでも充てていたら。無論、現実の私はそうしなかったのだから、妄想、絵空事の類には違いないが、あり得た世界を想像し、今ある世界と比較することで、未来の選択に活かすことは無駄ではない。闇雲な反省は単なる自虐である。並行世界との対比なくして、建設的な反省はあり得ない。▼来たる数年間は、もう少し選択と集中を進める。捨てるというと聞こえは悪いが、やりたくても、あるいはやれても、敢えてやらないこともはっきりさせていく。全方位に火花を散らすステージはもう終わった。指向性のある力強い炎になりたい。

[3583] Jun 26, 2019

5つか6つくらいの重い案件を同時並行でこなしている。脳もフル稼働だが、それ以上に身体がフル稼働だ。席に座ったと思ったら、すぐに立っている。ビルドやファイルデプロイの待機時間を上手く組み合わせて、自分の席と人の席を行ったり来たりしている。汗をかくデスクワークである。▼ただ、足を使うという方針は、今のところかなり大きな功を奏している。今のプロジェクトがとりわけコミュニケーションをチャットツールに頼りがちなせいもあり、フェイストゥフェイスで情報を集め、それを拡散するアナログな役目が痒い所に手が届く形ではまっていると思われる。▼正式な文書や告知にならない思考の残滓を当たり障りのない範囲で再構築し、雑談的に拡散することで情報の粘性を緩めるのが私の隠れた仕事である。潤滑油のような……と言うと、急に就活的で陳腐になるが、潤滑油というよりもっと直接的なポンプである。血流の悪いチームに良い仕事はこなせない。

[3582] Jun 25, 2019

十年ぶりくらいで「らあめん花月嵐」に行く。十年前と同じ店舗だ。まだ存在していることに驚いた。通常なら貴重なラーメン枠を使って選びはしないが、朝、長男にカップラーメンを目撃されて食べたいとせがまれ「昼に食べよう」と約束したものの、横浜まで出る余裕はないので、数少ない近場のラーメン屋から比較的安全なところを選んだ形だ。ジャンクだが種類も豊富だし、ちょうどよいと思った。▼特にこだわりもないので、最もオーソドックスな一杯をいただく。しょうゆ味。思ったより悪くない。記憶に残っているのは薄くて脂っこいスープにコシのないつるつるの麺だったが、やはり十年も経てば味も進化するものだ。脂っこさは相変わらずだが、あれもこれも食べられる大衆向けのチェーンとしては上手にまとめていると思った。長男も大喜びである。▼ただ、回転は悪かった。三人で回すには無理のある店舗だ。後ろに並んでいた大勢もどこかへ散ってしまっていた。

[3581] Jun 24, 2019

タスク管理という幻想を捨てない限り、タスクは管理できない。▼家事がそうであるように、仕事もまた、ほとんどの時間は「名もなきタスク」に奪われている。名前をつけて管理できるタスクなど全体の半分にも満たない。何度かプロジェクトを超えた人は、それをわかっているので、バッファという名前で隠蔽しようとする。しかし、それもまた悪手である。2人日が妥当な仕事も、バッファ込みで3人日にしたり4人日にしたり、気分次第で好きなように人日を見積もる口実を与えてしまう。結果、見積もるべき工数は楽観シナリオの三倍などという、わけのわからない慣習も生まれて来る。それで管理した気になるのだから意味不明と言うしかない。▼タスク管理を諦めるべきだ。少なくとも遠い未来の仕事について、細分化された見積もりなど作るべきではない。こと期間の短いウォーターフォールでは見積もり自体のコストが命取りである。予定を立てることは成果ではない。

[3580] Jun 23, 2019

夢の話の続き。自分のための備忘録。▼設定・雰囲気が共通しているのは不気味だが、とりわけ気味が悪いのは、その夢の中ではいつも左腕にある腫瘍のようなものだ。過去の夢の記憶があいまいで確たることは言えないが、回を追うごとに肥大化しているような気もする。うろ覚えだが、随分昔に上水道に毒が流された事件があって、それを飲んだ人はたいてい死んだが、私は左腕に貯めこんだことで助かった……というような設定ではなかったかと思う。夢だから滑稽なのは当然だが、現実の身体に起こっている異変の示唆だったらイヤだなと思う。今のところに日常生活に支障はない――はずだ。▼マニッシュ・ボーイの「デス13」じゃないが、あまりあの夢にもどりたくはない。フロイトの夢判断にかけたら何が出るだろうか。もうひとつ、続きものと言えそうなシリーズはあるが、そちらは私の中で原因らしいものがはっきりしているので怖くはない。今回の方が怪訝である。

[3579] Jun 22, 2019

次男がしゃべる夢を見た。▼夢だからペラペラ大人のようにしゃべっていた、というわけではない。「ただいま」とか「暗い」とか、簡単な言葉をカタコトで話していたところが妙にリアルである。まだ七ヶ月なのにしゃべれるなんてと驚いたが、周りの反応は素っ気なくて、奇妙な感じがした。実際、あまり良い夢ではなかった。いつもは起きると忘れてしまうが、夢に入ると続きものであることを思い出すタイプの薄気味悪い夢である。夢と夢をまたいで、状況や設定が引き継がれているのが不気味だ。今日は、過去の凶悪犯罪者が潜んでいるかもしれないパーティーを終えて、最寄りのコンビニへ向かう途中、横断歩道のない道路を突っ切ったところ、警備強化中の警官に取り囲まれて連行されたところで目が覚めた。▼徒歩三分のローソンである。いつもは手前の横断歩道を渡る。信号無視して渡るような道ではない。夢では何か急いでいた気がする。今日はたまたま覚えていた。

[3578] Jun 21, 2019

激しい残業や休日出勤は、自分だけではなく他人の業務効率まで下げるという話。▼激し残業を続けると、体力も思考力もなくなってくる。それでも元気なときと同じように振る舞えるなら問題はない。だが、疲れが外に見え出してくると周りに悪影響が出始まる。改善要求に対して防御的になったり、会話がスムーズに流れなくなったり、言葉が荒くなったり、忙しいことを理由に仕事を忘却したり、手を抜いたりする。あるいは、そういう悪さをしていないつもりでも、ため息が多くなり、疲労が滲み出ていると、それだけで他の人は話しかけにくくなる。気を使ってしまう。頼みごともしづらい。結果、本当に必要な仕事が宙づりにされたり後回しにされたりする。「やってもらいたいけれど、それどころじゃなさそうなので……。」▼ましてや、管理者がそうなったらオシマイである。デバフの影響先はもれなくチームメンバー全員に及ぶ。無理心中である。先には暗黒しかない。

[3577] Jun 20, 2019

次男が重くなってきた。生後七か月。8.5kg。目安体重は6.7kg-9.5kgと幅がある。平均は8.1kg。少しだけぽっちゃり気味ということになりそうだ。▼ハイハイはできないが、お座りが安定してきたのと、うつぶせで足をばたつかせて前に進みたいという意思を示すようにはなってきた。目の前に欲しいおもちゃがあったりすると、手を伸ばしながらビタンビタン跳ねて、しばしば不本意にも後ろに下がっていく。そして怒る。我も出てきたようだ。一歳児に近づいてきた。▼歯固めすら口に入れようとしなかった長男とは違い、次男はわりとなんでも口に入れようとするように見える。ハイハイするようになったら小さなおもちゃは危険だ。この穴を通るおもちゃは赤ちゃんの喉を通るという目安のシートをもらったが、思っているより遥かに大きい。トミカでもダメである。レゴなどもってのほかだ。長男には悪いが、おもちゃの一部はしばらく押入れに引き上げることになるだろう。

[3576] Jun 19, 2019

音楽はデジタルの弊害に悩まされるのが他のコンテンツより一足早かった。21世紀になる前から楽曲のコピーは蔓延し、CDの売り上げに大きな悪影響を与えていた。▼それゆえに、音楽はデジタル/ネット時代への対応も早かった。無料配信の流れに逆らう理由はないと早々に諦観し、収益の柱をライブや握手券に移していった。コピー可能なものはタダで売り、コピーできないものを売る戦略である。極めてまっとうで、的を得ていた。音楽業界はかろうじて生き延びた。▼しかし、音楽の無料化への迎合は早すぎたのではないかと思っている。誰もが巨大な無料配信プラットフォーマーに飛びついた結果、音楽=無料の図式は瞬く間に浸透し、メルマガのような個人レベルのサブスクリプションビジネスに落とし込むことすらできなかった。音楽配信を定期定額で提供するサロンの存在を許す間もなくSpotifyやGoogleMusicが音楽を支配した。時代先行が仇になってしまったのだ。

[3575] Jun 18, 2019

プロジェクトが苦しんでいる。マネジメントも、現場も。▼ちょうど中間的な立場を利用していろいろヒアリングをする。正直、マネジメントは現場の能力不足のせいにしすぎだし、現場は管理体制のせいにしすぎだし、どっこいどっこいなところはある。ただ、もう収集はつかないだろうというところまで来ている。この状況を打破しようと改善案を練る人と、そんなことをしている場合ではないからとにかく終わらせようと発破をかける人が対立しているような状況なのだ。つまり、体制の改善すらはっきりとは求められていないのである。こういう場合、改善される見込みはゼロと言っていい。▼もはやこのまま行くしか道はないだろう。最適なチーム運営方法をゼロベースで考えましょう、などと呑気なことを言っていたら、プロジェクトは間違いなく破綻する。すでにマウントポジションを取られてしまったのだ。勝つためには、こうなる前にケリをつけなければならなかった。

[3574] Jun 17, 2019

子どもたちが帰ってきた。また日常が始まる。▼子どもたちがいない間のこと。不思議なもので、皆がいるときはチャキチャキやっていた家事も、誰もいなくなった途端、急にやる気がしぼんでしまう。たった数枚の皿と、たったひとつのフライパンなのに、なぜだか洗う気力が湧いてこない。面倒くさい、後でやろう、などと思ってしまう。そうして、後回しにすると、後になっていよいよ面倒になる。何をするのにも身体が重くなったように感じた。▼同僚は、この現象を「家事効率が下がる」と表現した。皆がいるときの家事は皆のためになる。ありがとうと感謝もされる。しかし、自分一人になると、家事をしても自分しか得する人がいない。同じ仕事量でも見返りが少ないのだ。仕事は何も変わらないのに、いきなり給料が三分の一、四分の一になったようなものである。大義に感じるのも当然というわけだ。▼忙しいのは無論だが、そういう見方もある。今日からまた全力だ。

[3573] Jun 16, 2019

動画制作中。続々とイラストの使用許可をいただいている。突然のお願いにも関わらず快諾してくださる方がほとんどで、本当にありがたい。▼完成したら公開はするが、今回に関しては、あまり公開後のことにはこだわっていない。もちろん、より多くの人に見てもらえたほうが嬉しいには違いないが、そこの数字を求めようという意思が希薄なのも偽らざる今の気持ちではある。▼理由はたぶん二つある。一つは、はっきり目に見える形ではないにせよ、自身の成長というかけがえのない報酬をすでにもらっているため。良くも悪くも、完成させた時点である程度、自己満足してしまったところがある。▼もう一つは、すでに次の計画を進めたくなっているため。気が早いのは百も承知だが、今の作業を進めつつも、心がもう一足先に行っている。次の次もある。次の次の次もある。だから、現在のことに一喜一憂している余裕があまりない。もっともっと、面白いことがしたいのだ。

[3572] Jun 15, 2019

『シュタインズ・ゲート』は、私の中でノベルゲームの金字塔のひとつになっている。文句なく面白かった。しかし、どうして金字塔と言うほど記憶に残っているのか。プレイの記憶が、他のゲームと一線を画しているのか。以下、ネタバレ注意。▼決定的な理由はひとつしかない。それは私が、主人公の岡部倫太郎と同じく「β世界線に戻ると牧瀬紅莉栖が死んでしまうことを忘れていたから」だ。岡部がその事実に気づいたとき、はじめて私も思い出した。そのとき、衝撃がリンクした。感情移入というよりも、感情が同化していた。まるで私が物語の中に放り込まれて、唐突に、究極の二者択一を迫られたような気持ちになったのだ。▼あの瞬間のリンクがあったからこそ、最後まで物語を他人事ではなく自分事として捉えられたのだと思う。もし私がβ世界線のことを覚えていて、忘れているらしい岡部を俯瞰し冷笑していたら、こんなに思い出深い作品にはならなかっただろう。

[3571] Jun 14, 2019

横浜DeNAベイスターズ、ソフトバンクホークスとの初戦に勝利。交流戦、ヤフオクドームでの白星はなんと五年ぶりだ。リーグ中のハマスタ阪神に匹敵する鬼門中の鬼門。エース千賀にエース今永をぶつけて僅かさで勝てた意味は大きい。▼あんなに遠かったAクラスの背中も見えてきた。3位阪神まで4ゲーム差。6位のヤクルトより距離は近い。今の調子で交流戦を勝ち抜ければゲーム差1、2というところも見えて来る。リーグ内でのポジションを劇的に立て直すことができる。▼とはいえ、現在のソフトバンクを含め、ここからは日本ハム、楽天とパリーグのAクラスが揃い踏みである。ちょっと気を抜いたらあっという間に白星を攫われて、交流戦は結果的に負け越しなんてことにもなりかねない。そんな一寸先は闇の流れも知り尽くしている横浜である。ファンも球団もこのくらいで油断はしない。油断はしないが浮かれはする。気分が乗って、仕事も進む。楽しんでいこう。

[3572] Jun 13, 2019

昨日は投稿に失敗していたらしい。ロクに確認しないで寝てしまった。そういうこともある。▼目下、動画制作が最大の作業だが、アドビCCの月額利用料金が高いので、少しでも節約するために準備フェーズと実装フェーズを切り離そうとしている。全ての画像が出揃って、キャプションもつけて、遷移演出や構成も事前にある程度決めて、あとは並べてレンダリングをするだけというところまで持って行ってから、「動画作成」作業を始めるつもりだ。製作期間が二ヶ月になるだけで料金は倍になる。ここでしか使わないソフトへの課金である。無駄遣いはしたくない。▼曲側の見積もりは大幅に甘かったので、全く信用に値する予測ではないが、残り期間は約二ヶ月を目論んでいる。三ヶ月以上かけたい気持ちだが、そこまでかけてしまうと仕事の繁忙期と完全に被ってしまうため、押しやられて来年になってしまう。仕事より優先するつもりはない。ここ六十日余りが勝負である。

[3571] Jun 12, 2019

十年前。自分のキャリアをどうしていきたいか、当時の上長に聞かれたが、その当時、会社で昇進するルートはひとつしかなかった。仮にステージが1・2・3……なら、4以上の役職はマネジメントしかないという状態だった。マネジメントを志向しないということは、即座に昇進ルートへ行かないことを意味していた。だから、多分、よほど管理職に抵抗のある人以外は、みんな同じ答えを返していたのだろうと思う。▼十年経って。ようやく会社も「現代」に追いつきはじめてきた。技術職の待遇改善を大々的に打ち出し、有言実行として社内の有能な技術者を次々と「4」や「5」の領域に上げ始めた。この速度感は素晴らしいと思った。同時に、管理方面には微塵も興味はないが、技術的に優れたものを持っている社員たちが生き生きとし始めた。給料を上げるためにやりたくないことを志向する必要はもうないのだ。職場が色を取り戻してきた。未来を感じる良い施策だった。

[3570] Jun 11, 2019

昨日はざんざん降りに傘。今日は唐突なにわか雨に傘なし。帰り道、二日連続で濡れてしまった。靴も交互に乾かしている。ジャケットは暑くなったら、もういちどクリーニングに出した方がいいだろう。▼梅雨だから降るのは仕方ない。降るなら今のうちに降ってくれないと困る。ただ、昼にも大雨だと、いつもの面子が外食に行く気をなくして、自然と社食になる。美味しくないとは言わないが、いつも似たようなメニューから選んで、混み合って席も取れない堂内をうろつき、やっと座って芋洗いの中で予想通りの味のおかずを食べて、けっして安くない値段を払うことになるので、あんまり気乗りはしない。外の方が安くて美味い。▼とはいえ、栄養はそれなりに考えられているのだろうから、それならいっそということで、社食に来たときは徹底的に魚・野菜系を取ることにしている。栄養補給と割り切るわけだ。雨が降ったら健康になると思えば、憂鬱も少しは紛れてくれる。

[3569] Jun 10, 2019

久々に長時間、講義形式でしゃべったので喉がカラカラになってしまった。ヨーグルトドリンクで潤しても痛みが残る。塾講師時代は二時間くらいしゃべりつづけても大丈夫だったが、それからしばらく仕事で講義調に声を出す機会などなかったから、すっかり錆びついてしまったらしい。スポーツと同じで、声も出し方を忘れてしまうということは、たしかにある。▼もしかしたら歌もロクに歌えなくなっているかもしれない。最後にカラオケへ行ったのがいつだったか、思い出せないほどだ。昔はあれほどカラオケに通っていた同僚達も、気がつけば同じように嘆いている。なぜ行かなくなってしまったのか。仕事が忙しくなり、年も取り、歌で発散できるほど身体にエネルギーが残っていないということなのかもしれない。▼それでも歌うチャンスはある。外野席だ。今年は外野席を取ろう。最下位からの大逆転優勝へ向けて、ライトスタンドから声高らかに、応援歌を届けるのだ。

[3568] Jun 09, 2019

「達成者。探検家。社交家。殺人者。あなたはどのタイプのゲーマー?」▼最初は達成者と殺人者が半分半分かなと思った。クエストをこなしたり称号を集めたりすることに満足する達成者。ランキングなどで他人より強いことが可視化されることに満足を覚える殺人者。どちらもわかる。ただ、後者については、いわゆる最強厨ではない自覚がある。FPSであれ他のジャンルであれ、私が楽しんでいるのは「それがなんで強いんだ!?」と他プレイヤーに言わしめるような、意表を突くような遊び方だ。癖のある武器を使いこなしたり、まだ誰も考えていないデッキを投入して場を沸かしたりすることに心血を注いでいる。ゲームにおける可能性の鉱脈を探り当てようとしているわけだ。であれば、案外、探検家の方が近いのかもしれない。▼チャットや掲示板での交流に満足を感じる社交家でないことは確かだ。だからこそ、交流を主とするオンラインゲームには深く嵌れなかった。

[3567] Jun 08, 2019

今日から妻が子どもたちを連れて岡山・福岡へ。数年ぶりのひとりである。▼もちろん体は楽だ。このあいだにやりたいことも、やるべきことも、たくさんある。しかし、夕方ふらっと散歩に出かけて、コンビニで飲み物とお菓子を買って帰ってきたとき、家の中が静まりかえっているのはなんとも侘しかった。毎日生活している場所が普段と違う雰囲気に包まれていると、言いようもなく奇妙な感じがするものである。静かだ。静かな夜になるだろう。▼とはいえ、感傷に浸っている暇はない。曲は近日中に仕上げる覚悟でいる。ここで完成しなければ永久に完成しないくらいの気合いだ。その後は、買うべきものを買って、会うべき人に会って、出るべき会に出て、やるべき家のことをやる。「べき」に従っていたら、きっと一週間なんてあっという間である。それでいい。無理に自由を満喫しようとして突飛なことをしても、得られるものはイマイチな気がする。予定調和で行こう。

[3566] Jun 07, 2019

大昔に読んだ漫画でも、不思議と記憶に残っている場面がある。そうして、そういう場面を大人になってから改めて集めてみると、意外と共通点が見つかったりもする。▼たとえば『ドッジ弾平』で強豪B・Aを相手に球川小が2−1の有利をもぎ取ったシーン。残り時間は数秒なので勝利確定の状態だが、主人公・弾平は相手エースの剛球を受けて宙に舞いながらも「てめーのつらにぶちこむまでは終わらせねー!」と吼えて残り一秒で球を投げ返す。このコマが非常に格好良いシーンとして記憶に残っている。▼そうしてふと考えてみると、他の漫画でも似たような展開を数多く気に入って、記憶に保存していることに気づく。つまり、私はきっと、勝利以上のものを求めようとする主人公の精神性が好きなのだろう。良い結果や総合的な損得よりも自分の刹那的な情熱を優先する姿勢に美意識を見出しているわけだ。それが、幼少期から変わらぬ私にとってのカッコイイなのである。

[3565] Jun 06, 2019

正真正銘、あとはコーダだけ。▼正直、合計四〜五時間もあれば終わるような気がしているが、なかなか連続で時間が取りにくい。今まで通り数分ずつ、ちょっとずつ、丁寧に仕上げたいという気もする。反面、早く仕上げて動画制作に移りたいとも思っている。いろいろな思惑が交錯している。しかし、少なくとも、もうキツくはない。物語はもう終わった。欲しかったものは手に入った。あとは華やかに退場するだけだ。▼これだけの制作を終えても、相変わらず答えに辿り着くのは遅いし、答えが見えないこともあるし、変な音を置いたり意味不明な展開を作ってしまうことも少なくない。これらの点で成長したかと言われたら、あまり成長していない。ただ、何小節かの塊をメタ言語で捉えられるようになったのだけは確かだ。音という物理現象を、自分の好きな言葉のテリトリーに引き寄せることが、少しだけ出来るようになった実感はある。今回はそれで充分だと思っている。

[3564] Jun 05, 2019

人は余裕が無くなると、自分に甘くなり、人に厳しくなる。忙殺されている自分がこの程度のミスをするのは仕方がないと思いながら、余裕のある人が同じミスをすれば許しがたい怠慢だと思うようになる。頑張っている自分の自己評価は上がり、頑張っていない――ように見える――他人の評価は下がっていく。▼いつしか成果は目に入らなくなる。結果より過程が大事という言説を悪用して、自分の努力を正当化し始める。現時点での成果には目を瞑ろうじゃないか。こんなに頑張っているのだから。一方、彼は、今はたまたま成果が出ているが、まったく頑張っていないじゃないか。彼が成果を出せているのは、彼の頑張りによるものではないのではないか。誰かが割を食っているんだ。そうだ、自分が割を食っているんだ。……。▼最悪のケースは皆が揃ってこうなってしまうことだ。自分以外が誰も頑張らないから酷いことになると全員が言う。恐怖の世界だが、時々見てきた。

[3563] Jun 04, 2019

今年も交流戦の季節が始まった。毎年、ベイスターズにとっては苦い思い出の多いセパ交流。いつもなら五割をキープしてくれればと思うところだが、先発の柱も揃い、打撃陣も上位打線が固定されて好調、上り調子のまま雪崩れ込んだ今年は勝ち越しも狙えると思っている。ラミレス監督の五割を目指す発言も、現実を見据えつつ虎視眈々と勝ち越しを狙う自信の裏返しのように思われた。▼その初戦、オリックス戦は白星スタートで幸先が良い。去年までオリックスに在籍していた伊藤光のホームランが決勝点というのも、絵に描いたような恩返しで実にドラマティックだ。▼他の五試合も九回までは全て僅差の試合。交流戦に賭ける気合のようなものが伝わってくる。自分の贔屓の優勝だけを考えたら他のセリーグ諸氏には負けてもらった方がいいが、リーグの対抗意識からか、不思議とセリーグを応援したくなるアンビバレントな感覚も交流戦ならではの醍醐味であると言えよう。

[3562] Jun 03, 2019

予算作成。タスクの洗い出し。工数見積もり。スケジューリング。進捗報告。再調整。仕事を前に進めるための仕事。これらメタ仕事の質がプロジェクトの成果を大きく左右すると、一般には言われる。▼しかし、現場の声を聞いてまわる限り、今回は明らかにメタ仕事が多すぎる、そのために本来の仕事が回らないという不満が多く聞こえてくる。端的に言えば、細かくやらせすぎだ。不確実性の高い現場なのだから、少なくとも各パートについては細かく予定を立てて管理するのは直近のタスクだけでよかった。それを何ヶ月も先まで詳細に見積もらせてしまった。その作業自体のコストの肥大化もさることながら、本来は不確実である未来まで無理やり数字化しただけで、上も下も、やるべきことが概ね定量化されたと思い込んでしまった。二重の意味で自らの首を絞めたわけだ。▼目下、諸々提言しているが、活かされるのは次回以降になりそうだ。管理面の設計は反省点が多い。

[3561] Jun 02, 2019

昼食。ほっともっとでガーリック焼肉定食を買うと、会計時、レシートと一緒に灰色の封筒を渡された。役所が送りつけてきそうな素っ気ない封筒。「株式会社プレナス・マーケティング部宛」と印字されている。「お召し上がりになったら、こちらのアンケートを書いて出してください。」▼ツッコミどころが多すぎて、店の外で苦笑してしまった。顧客からのレスポンスを集めるため、あの手この手で各社が鎬を削っている中、ポイントもつかなければクーポンも貰えない手書きのアンケートを郵便ポストに投函させようというのだ。「出してください」とまるで総務か人事のような物言いも失笑である。忙しくて時間を節約するために弁当屋を使っているのだ。弁当のためにアナログフィードバックなんてお断りである。▼それにしても、彼らは何のためにMyHottoMottoとかいうモバイルサービスを始めたのだろう。このあたりの統一感のなさに危ない未来の匂いが立ち込めている。

[3560] Jun 01, 2019

ラジコンを買いに行く。長男が、保育園帰りに他の子のラジコンを見かけてご執心だったそうなので。▼物色。本人はショベルカーにこだわったが、さすがに操作が複雑で、すぐに飽きてしまいそうな気がした。戦車にも興味を示していたが、弾の出るギミックなど現時点では不要な機能が多い。リモコンが上下左右移動のみのシンプルなレバー式で、頑丈で、スピードの出すぎない車が良いと思った。▼そこで目をつけたのがG−DRIVEシリーズの『マツダCX−5』。でかくてごついが、隙間が多くて子どもでも片手持ちがしやすく、電池の減りが少なくなるエコモードにより最高速を落とすことができ、何より長男の大好きな赤である。200分走行の新モデルが出たせいか、隣の150分走行の旧モデルは相対的にかなり安くなっていた。すぐに壊すかもしれないし、最初は安いものがいいとも思っていたので、あらゆる意味でちょうどよかった。▼明日、公園へ遊びに行く。

[3559] May 31, 2019

後輩をサポートするのと、後輩がサポートしてくれるのでは、出せるパフォーマンスに雲泥の差が出る。少なくともここ数年に関しては、私は仕事のパートナーに恵まれた。優秀な後輩と組むことのありがたさを実感した三年余りとなった。▼組織は三角形である。上位にいる人間がどれだけ権力を持とうが、仕事のアウトプットの大半は下位層から生み出される。上位者自身に出せる成果など高が知れているということだ。マネジメントの教科書的な言い方で面白くもなんともないが、優秀なメンバーを集めることと、彼らの能力を最大限に引き出すこと以外に、マネジメントが成功する道はない。▼極言すれば、助けたり助けられたりできることだけが組織の強みである。せっかく様々な対価――政治的ないざこざ、コミュニケーションロス、フットワークの枷――を払っているのだから、相互扶助の恩恵だけは十二分に受けなければならない。助け合わなくなった組織は必ず滅びる。

[3558] May 30, 2019

発生しているトラブルと、そのトラブルのステータスを正しく報告すること。時として仕事の質や速さよりも重要なスキルだが、簡単なようで難しい。単なるホウレンソウの難しさとも一線を画している。▼第一に、悪いことを報告するのは良いことを報告するより気が進まない。トラブルの原因が自分であれば尚更だ。それに、時が収束してくれることもままある。報告しないで済むならしないに越したことはない――そんな心理が働いてしまう。▼第二に、トラブルのステータスを把握すること自体が難しい。とりわけ責任感の強い人ほど問題の渦中にいるとつい解決に奔走してしまい、かえって問題をめぐる勢力図が俯瞰できなくなる。自分自身でなんとかしようと四苦八苦してしまい、問題を細分化したり、解決を適切な人に依頼したりという、上位の情報を管理する自分が不在になってしまうわけだ。▼目下のトラブルを正しく報告できることは、実は希少なスキルなのである。

[3557] May 29, 2019

リスニング力の向上に悩んでいたが、ディクテーションを始めてから上達率が目に見えて速くなった。▼正直、ちょっと侮っていた。「スクリプトを見ればわかる」は聞こえていないのと大差ないとは理解していたが、ひとたび全文が聞き取れたセンテンスに対してスペルまで書き出す必要はないだろうと思っていた。だが、実際、書き下そうとすると「聞いているときに聞こえていること」と「聞いたあとに覚えていること」の間にさらなる壁があることに気づく。冠詞が違っていたり、複数形が抜けていたり、時制が違ったり、副詞が落ちていたりする。そういう細部をディクテーションで拾う練習を積むと、細部であるが故に音が欠落しやすいリエゾンの部分がよく聞こえるようになってくる。いちばんつらい部分がピンポイントに補強されるわけだ。▼一方、予想と異なり、むしろシャドウイングの方があまり効果が出ていない。どちらが合うかは人によるという説もあるようだ。

[3556] May 28, 2019

職場で良いことがあったので、帰りは少し気をつけながら帰ってきた。運の揺り戻しを信じているわけではないが、無意識にでも気持ちが浮ついているときは多少なり意識的に気を引き締めないと、普段ならあり得ないようなトラブルを起こしてしまう。こんなときに限ってなぜ、というような泣きっ面に蜂の出来事は、案外、引き起こした方に問題があったりもするものだ。▼そうして落ち着いた後は再計画の時間だ。勉強量はもっと増やしていかなければならないと思っている。全方面にかけている時間が少ない。新しい知識や経験に飛びつく必要はないが、これまでのテリトリー、たとえば語学やコーディング、ビジネスノウハウについては、改めて足元を固める必要がある。音楽も足しておこう。どの領域でも基礎の打ち直しが確実に必要だ。▼私の目標はぶれているようでぶれていない。自分的に最強であること。今も昔も、これに尽きる。自分に誇れる自分でいるのが一番だ。

[3555] May 27, 2019

今晩は冷房を入れて寝る。クーラーの季節になってしまった。▼昼は八月かと思った。日差しが強いだけでなく、吸う息も暑い。背中が燃える。日傘の運用は梅雨明けからが私の通常だが、もはやそうも言っていられない。梅雨が来るのかもあやしいものだ。降っても暑いまま降るのだろう。五、六、七、八、九。今年は夏が五か月ある……なんてことになるかもしれない。▼たまたま土日に避暑へ行ってきた人がいたが、北へ逃げてもむしろ東京より暑いという状況らしく、国内ではどうにもならない有様である。行くなら国外へ行くしかない。しかし、そんなことができる時期でもない。▼毎年のことだが、暑くなるとヘッドフォンをかぶるのもいやになる。開放型とはいえ耳がすぐに蒸れてしまう。最終確認までの仮置きはイヤホンで作業をするのも一考かもしれない。持ち運び用でない家用のイヤホンを買おう。それがいい。暑さで変な考えが浮かんでいるだけでないことを祈る。

[3554] May 26, 2019

ゼルダを遊ぶたびに「タコ(=ガーディアン)のとこ行きたい!」と主張する長男。この頃は種類まで指定するようになり捜索も大変になってきたので、ここらで別のゲームにはまってもらおうと『スプラトゥーン2』と『マリオカート8』を買った。▼今のところどちらもアテが外れている。好きなイカも、大好きなタコには適わないらしく、ゲームを開始しても2プレイ目には「これじゃない」「ゼルダのタコ倒すやつしたい」と騒ぎ始めてしまう。自分でプレイしようにも、まだカメラ操作が難しい。▼マリオカートはハンドル型コントローラまで用意して、ジャイロで簡単に遊べるところまでは来たのだが、「これは面白くない」とばっさり。二言目にはゼルダのタコである。この呪縛からはしばらく逃れられそうにない。▼高い買い物になってしまったが、いつかはタコにも飽きて「イカのやつやりたい」と言ってくれるようになることを祈る。マインクラフトも試してみよう。

[3553] May 25, 2019

暑い。暑すぎる。蒸さないだけマシだが、梅雨が明けたような気分だ。この暑さのまま梅雨が来るなどとは考えたくもない。暑さを先取りしただけで、夏は冷夏という展開に期待する。▼閑話休題。初代スターオーシャンがPS4/SwitchでHDリメイクされるという。シリーズファンとしてはぜひともやりたい。どこまでリメイクされているか楽しみだ。これでスターオーシャン熱が再燃したら、移住先にアナムネシスという選択肢も出てくるかもしれない。今更……という気もするし、リアルタイム系はいろいろプレイしにくいので実現性は低いが、遊んでみたいキャラならたくさんいる。悩ましい所だ。▼思えばSO1も雑な完成度ではあった。しかし、面白かった。雑だが楽しい。最近のゲームにはあまり見られなくなった形だ。雑でつまらないか、完璧でつまらないか、完璧で面白いかの三択になっている。そこが昔ながらのゲームファンには寂しいところかもしれない。

[3552] May 24, 2019

撤収態勢、あるいは運営変更の可能性と書いた翌日に、まさか運営移管のお知らせが出るとは思わなかった。タイミングが良すぎて自分でもびっくりしている。虫の知らせと言うしかない。▼ケイブが運営を離れ、開発元のEKGAMESが引き取る。ローカライズから開発元に戻っていく格好だ。もっとも、これでゲームがよくなる保証はないし、本国では過疎化していたことを考えると今まで以上に酷くなる可能性もある。ただ、これをきっかけに引退する人も多いだろう。移管後の動向次第では大量離脱もありそうだ。▼しかしこうなると、課金の根底を成すキャラクターを自由に選択できる券なる禁断のアイテムを移管直前に無制限でばら撒いたのは面白い。これがヤケクソでなくて何なのか。移管先で課金されても利益にならないから、ここで集められるだけ集めておこうという魂胆を隠そうともしない態度は清々しくさえある。最初からそれくらいがめつくてもよかったのだ。

[3551] May 23, 2019

LoDが撤収態勢に入っている。月額課金アイテムの販売休止。これまで期間限定・数量限定で小出しにしてきたレアアイテムの唐突な無制限販売。毎週行ってきたメンテナンスの不定期化。イベントのやる気のなさはサービス開始直後の頃にもどったような感覚さえある。懐かしさすら感じるほどだ。▼二ヶ月ほど前に鳴り物入りで追加したばかりの月額課金を何の前触れもなく休止したところが最高に危ない。定期課金系だけは早目に終了しておかないとサービスを畳めなくなるからだ。だが、一方で、GW前に私が報告したバグには「修正対応しました」とメールが返って来たりもしている。このあたりの対応は終わるゲームには思えない。続けるのか続けないのか。案外様子見中なのかもしれない。▼運営が変わる可能性も大いにある。この場合も月額課金を引っ込める理由になる。いずれにしても、今はもうあまりやることがない。引退宣言ではないが、良いゲームではあった。

[3550] May 22, 2019

好みではなくこだわりで仕事をすること。これはピラミッド型の組織でクリエイションを行うときに何度でも復唱すべき鉄則である。▼全員が好みで仕事をしたら、コンセプトは崩壊する。やるべきことは置き去りにされ、不出来なキメラが誕生する。ランダムに異なる方向を指すベクトルの総和は――究極のところ、ゼロである。▼しかし、好みを捨てると同時にこだわりも失ったら、作品の質は一気に低下する。よりよく出来たはずの場所はすべてが及第点となり、神の宿るべき細部は埃まみれになる。こだわりのないチームの仕事は、畢竟、誰にでも置き換え可能である。それは即ち、チームの付加価値がほとんどないことを意味する。外注で十分ということになる。▼優れたクリエイションチームは、指揮を執る人間の好みを、全力のこだわりでもって実現するプロフェッショナル集団でなければならない。好みとこだわりの比率は、ピラミッド内の相対位置で決めるべきなのだ。

[3549] May 21, 2019

寝室に連れていった長男の言動から、少なくともあと一時間は絶対に寝ないぞという強い意思を感じたので、一旦寝室から連れ出した。変則的だが、ベッドで何時間騒がれるくらいなら、遊び疲れて寝てくれた方がいい。そう判断した。▼果たして、居間に連れていった長男の動きぶりは尋常ではなかった。トランポリンで跳ねる、台所とトランポリンの間でシャトルラン、出窓に登る、飛び降りる。しかもその間はずっと喋りつづけている。ひとりトライアスロンである。▼大雨で外に行かなかったので、身体が余りまくっていたのかもしれない。それでも次第に動きが鈍ってきて、二十三時に近くなると、口は相変わらずペラペラまわっているものの、あまり大きくは動かなくなってきた。触ると足があったかくなっている。時間的にも頃合いということで、改めて寝室へ。また暴れかけたが今度はすぐに寝た。本人に寝る気が欠片もないときはこういうやり方でもいいかもしれない。

[3548] May 20, 2019

人が二倍になれば成果も二倍になり、売上も二倍になる。――そんな馬鹿な話はない。しかし、頭ではわかっているはずなのに、そんな馬鹿なことをやってしまうのが大組織だったりもする。▼わかりきっていることで恐縮だが、まず、人が二倍になっても成果が二倍になるとは限らない。増えるとさえ限らない。人が増えたことで成果が減ることも往々にしてある。「ブルックスの法則――遅れているソフトウェア・プロジェクトに人員を投入しても、そのプロジェクトをさらに遅らせるだけである。」▼誤解はもうひとつある。成果が二倍になっても売上が二倍になるとは限らないということだ。仕事の出来映えと売上は、無関係ではないが、単純な比例関係にはない。成果が増えて売上が減ることは稀だろうが、なくはない。▼売り上げることがチームの目標である。目標は、増員して納期に間に合わせることではない。品質を高めることでもない。成果を出すことですらないのだ。

[3547] May 19, 2019

月曜日と火曜日は、どちらも大事な日。晴れて欲しかったが、無情にも雨の予報となっている。とりわけ火曜日は願いも空しく豪雨らしい。腹を括るしかない。▼五月末までは忙しいが、六月に入れば一旦落ち着く。七月からはひたすら加速しつづけていくことを考えると、ここが曲を完成させる最後のチャンスかもしれない。最低でも今年の前半には完成させたいと思っていたので、ぎりぎりながら自分の中での約束も守ることができる。なんとかしたいところだ。▼これが終わったら次にやりたいことが待ち行列を成してキューに積まれている。FIFOキューなので順次消化していくしかない。それでも、ときどき頭の中でキューを眺めてみて、これは面白くないかもとか、こっちの方が将来性があるかもとか、こういうのもありかもとか、抜いたり差したり入れ換えたり、いろいろやってはいる。待機状態にならないタスクキュー。人生の最後までキューが積まれていそうである。

[3546] May 18, 2019

某社がMSワラント株を発行したと話題になっている。▼MSワラント。経営が厳しい上場企業の資金調達の最終手段。耳にしたことはあったが実際に発行されている所は初めて見た。詳しい解説は他所に任せるが、要するに買い手(引き受け手)が絶対に儲かる新株予約権を証券会社などに割り当てることで、さくっと資金を調達する手段である。証券会社はリスクなしで差益を得る。発行主は即座に資金調達が出来る。ただし、株のたたき売りに加えてMSワラントを発行しなければならないような状態であることも白日の下に晒されるため、株価には強い下降圧力がかかる。つまり、既存の株主たちが被害を被ることになる。▼故に、ここで調達した資金を使って抜本的に経営を立て直さない限り、もはや未来はないと言っても過言ではないほどの禁じ手である。今回のケースでは、その充当先も人件費と言われているので、極めて苦しい展開が予想される。起死回生の一手が要る。

[3545] May 17, 2019

承認欲求は是か非か。▼承認欲求には麻薬的な効能がある。承認欲求の暴走が過激な行動を助長する例は枚挙に暇がない。これは暴走を自制できない個人の問題というより、承認欲求自体が抱える本質的な傾向である。人は刺激にすぐ慣れる。より強く多くを望むのは人の性だ。承認欲求の追求は破滅に繋がっている。即ち、悪である。▼しかし、「より強い承認欲求を望む」のではなく、「同じ承認欲求を得るためのリスクを減らす」のであればどうだろうか。これこそ、肯定派が求めている理想であり、承認欲求を飼い慣らして自己の向上に繋げる道ではないだろうか。▼問題視されている過激な配信のように、自分自身の立ち位置が変わらないまま刹那的な欲求を満たし続けても、承認欲求を満たすためのリスクは上がる一方である。それが非なのだ。同じ承認欲求をめぐる行動でも、承認欲求を得ようと思えばいつでも得られる自分を目指すこととは、行き先が全く違うのである。

[3544] May 16, 2019

昼。今日は空腹度が一段違う気がした。メインの皿を二つ取ろうかと思ったくらいだ。さいわい、日替わりのサイドオーダーに好きな磯辺揚げがあったので、ダブルメイン路線は放棄。代わりに量を取った。▼普段の五割増しを食べきって、腹七分くらいであることに気づく。うどんかラーメンくらいなら入ってしまいそうだ。何かがおかしい。時間も押していたので、さすがにその場はデザートで誤魔化した。フリーな昼だったら博多ラーメン屋あたりに吸い寄せられていたかもしれない。▼寝不足の可能性がある。脳は寝不足になると空腹度を正しく測れなくなるらしい。栄養は十分で、胃も膨らんでいるのに、空腹だと誤診する。それで思うままに食べてしまうと、今度は胃もたれしたり腹痛になったりする。もうめちゃくちゃである。疲れているときの食欲は回復のために身体が欲していると無条件に信じてしまいがちだが、そうとは限らないわけだ。寝不足は万病のもとである。

[3543] May 15, 2019

残業の善悪について後輩に問われた事と返答のまとめ。▼彼の問い。残業で効率が八割に低下するとしても、五割増しの時間働けばトータルの出力は二割増しになるのでは。本人の体力と気力が持つ前提なら、出力が増える上に短期間で経験値を積める残業は望ましいこともあるのではないか。▼私の答え。残業は必ずしも悪ではないし、業務の都合で必要になることもあるが、その計算には大事な視点が抜けている。人は十割の効率、つまり限界ぎりぎりまで力を出し切っているときに最も成長する。八割の効率で働いても成長は鈍い。十二割の効率で働かざるを得ない、働こうとすることが人を成長させる。八割の力で五割増し働くことを是としつづける人は、いつまでも八割の力しか発揮することはできない。▼残業=悪と断じるには、社会はまだ未熟すぎる。今日から皆が残業をやめて生産性向上を追求したら、この国は即座に滅んでしまうだろう。徐々に変わっていくしかない。

[3542] May 14, 2019

ここを超えれば後はウイニングラン……という表現を使っていたが、どうも私の「ウイニングラン」の認識は間違っていたらしい。▼私のイメージはこうだった。たとえばマラソンのトップランナーが二位に大きく差をつけてゴールテープのある会場に帰ってくる。二位は遥か後方だ。勝った。勝ち確だ。万雷の拍手を送る観客。栄光へと続くトラックの花道。あとはゴールするだけだ。ついにここまで来た。ウイニングランだ!▼しかし、本来の語義は違った。デジタル大辞泉にはこうある。「陸上のトラック競技や自動車レースなどで、優勝した選手が観客の声援にこたえて、ゆっくり一周すること。」つまり、勝った後のランである。エキシビジョンなのだ。▼そういう意味では、編曲のウイニングランはまだ遠い。動画を作り始めたあたりだろうか。完成した曲を聴きながら、演出を考えたりキャプションを入れたりする時間が、至福のウイニングランということになるのだろう。

[3541] May 13, 2019

move済みオブジェクトへの参照問題で嵌る。継承階層の奥深くに隠蔽されていて気がつかなかった。純粋仮想関数が呼び出されたというエラーから、move済みオブジェクトへの参照が残っている可能性まで発想を飛ばすことも出来なかった。このあたり、もう少し早く原因まで辿り着けるようになりたいものだ。▼今回の設計は基本の総集編である。憶えても使う機会の少ない教科書的な知識を総動員する形になった。テンプレートテンプレートなど必要に迫られて使ったのは初めてだ。CRTPもそう。使ってみたい、ではなく、使わなければならないシーンは、そう多くない。静的テンプレートメソッドパターンの実現以外に使い道があるとは思っていなかった。しかし、気づいてみればこれしかない。▼基本機能の実装は終わっている。あとは冒頭の問題を設計改造で解決して、βをリリースして、テストを回して、ドキュメントを書いて、宣伝して終わりだ。なかなかよく書けた。

[3540] May 12, 2019

紙の本と現実の書店は、まだまだ様々な点で電子書籍とオンライン書店を上回る。デジタルが便利であることは認めるが、その便利さはアナログの利点とトレードオフである。失うものも多い。▼しかし、特定の分野の勉強に関しては、デジタルの有用性はすでにアナログを大きく上回っている。スマホアプリでお勉強なんて横着だと感じるだろうか。一昔前なら批判的な声の方が強かった。だが、今のスマホアプリは違う。紙の本では太刀打ちできない情報量。それらが本一冊分以下で手に入るコスパ。自動化された学習記録。脳科学的な復習スケジュールさえ組んでくれる。UI/UXも魅力的。定期的なリマインダで勉強を促してくれる。音も出る。動画も見られる。そうして、いつでもどこでも取り掛かれるというモバイルの強みも効いてくる。圧倒的と言うしかない。▼今、私が学生だったら、フル活用しない手はないだろう。進学校や予備校でどう教えているかは興味がある。

[3539] May 11, 2019

狂気が信仰を生み、信仰が暴挙を促し、暴挙が奇跡をもたらす。歴史を紐解いても、そういうことはままあった。愚かだからこそ到達できる高み。合理的な判断では到達できない境地。けっして幻想ではない。▼だが、この場合の狂気とは、継続的な狂気である。狂気を狂気と思わぬ、日々「正気なつもり」の狂気である。狂気的な決断を下そうとしていることが自覚できるような状態は、継続的な狂気とは言えない。それは危険しか生まない刹那的な狂気である。成功は遠ざかる。ましてや、奇跡などには繋がっていない。▼知性ある人間が継続的な狂気を意識的に行うことは難しい。しかし、平凡な人間にも継続的な狂気の実行を可能にしてくれる特効薬がひとつだけある。それは「無知」である。知らぬが仏。何も知らなければよいのだ。屁理屈ではない。不合理な努力を継続するには、それが不合理であることを知らないのが一番なのだ。何もかも知れば良いというものではない。

[3538] May 10, 2019

これからのご時世、「何でも屋」は生き残りにくい。何でも出来ることが悪いわけではないが、やれることはなんでもやる、売れるものはなんでもつくる、そういうスタンスを長く続けていると、肝心要のブランドイメージが散逸してしまう。やるならせめて、確固たるイメージが確立した後にやるべきだ。言わば、ある程度イメージを散逸させてもダメージが少なく、実入りの方が大きいと判断したときの<回収策>である。▼何でも屋が生き残りにくいのも、思えば四騎士――GAFA――が関係しているように思う。四騎士のおかげでニッチな需給のマッチングがされやすくなった一方、彼ら自身は究極の何でも屋になろうとしている。二重の意味で、中途半端な便利屋の立ち位置が消滅しかかっているのだ。ラインナップの幅広さ、便利さ、手軽さ、安さ。そんな土俵で勝負しても勝ち目は薄い。合理的な理由がなくても選んでもらえるような「らしさ」が求められる時代である。

[3537] May 09, 2019

大掛かりなフレームワーク。設計が終わって実装に入る。出来上がったクラスの関連や処理の流れを見ると、Javaのライブラリなどで提供されている同種のフレームワークに近くなっている。▼これは車輪の再発明ではない。私たちのプログラムには私たちの必要に応じた特殊な設計が必要だが、既存の設計から演繹的に導こうとすると構造に歪みが出てしまう。帰納的に組み立てたものが「結果的に似ている」のが、この場合は正解なのだ。この方向を間違えたために、無理のあるデザインになってしまったカスタムフレームワークを今まで散々見てきた。割と重要な思考法である。▼今回のプロジェクトでは、これが最後のシステム屋さんとしての仕事になると思っている。ここから先はもう、具体的な実装とチューニングに注力しないと間に合わない。基礎設計をしている時間はない。編曲の方もそろそろカタをつけないと、動画を作る時間がなくなってしまう。――慌てず急ごう。

[3536] May 08, 2019

『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』読了。最近、どこからどこまでが本のタイトルかよくわからない名前の付け方が増えてきた。▼Google、Apple、Facebook、Amazon。現代社会を代表する四つの巨大企業に関する概論。なぜ彼らは成功したか。なぜ彼らの成功が問題視されるのか。既存の競合企業はどうなったのか。四騎士が支配するこれからの社会はどうなるのか。五人目の騎士は現れるのか。そういった疑問にひとつずつ答えていく。ビジネス本としては明快な部類に入る。▼Googleがサービスを開始した頃にはネットと付き合い始めていた私たちの世代――どちらかというとオタク寄りだった三十代〜四十代――には、言われなくても知っていること、肌感覚でわかっていることの総まとめという感じがする。新しい発見は少ないかもしれないが、ここらでまとめ直しておくのも悪くはない。もう少し若い世代は読んで置いたほうがいいだろう。基礎知識のレベルである。

[3535] May 07, 2019

子どもは大人の心情の変化を敏感に察知するという。明日から仕事だから、今日はぐっすり寝て欲しい……そんな思いを汲み取ったのか、久々に長男の夜更かしが炸裂した。午前三時半まで寝付かなかった。寝不足である。▼チームの方針で連休は可能な限り休むことになったが、プロジェクトの状態は芳しくない。まっとうなスケジュールを逆算で組んだら過去に遡ってしまう有様だ。火の手はもう足元まで迫っている。連休明けだからぼちぼちエンジン入れていきましょう、などという空気はない。フルスロットルである。▼私は私で、終盤の混乱を見越して大掛かりなフレームワークの構築に着手する。実装よりも設計に時間がかかるタイプの仕事だ。寝不足に頭脳労働。すきっ腹に酒。相性は悪い。悪酔いしそうである。▼頭痛。今もひどいので、推敲している余裕がない。手もどりなしで前へ前へ書いている。それでもそれなりの形になるのは長年の継続の功というべきだろう。

[3534] May 06, 2019

いつかのための長男おもしろ謎語録。▼「パンをもうひとついただけないか?」パンがもうひとつ欲しくて。礼儀正しい。「**ちゃんは、あのきらきらしたところに行きたくてしょうがないんだ。」横浜駅で天井の明かりを指さしながら。どうやって。「ちょっどしらべてみる。」知らないことを聞かれて。エアスマホ。「たべないたべないたべないたべる!」夕飯。反抗期なのか、必ず拒絶してから食べようとする。「あかない。これは……むりだ……!」川沿いの柵を両手でこじ開けようとして。向こう側に行きたいらしいが開いてもらっては困る。「おとうさん、これちょうだいって言って。」食べたくない野菜を指さして。高度ななすりつけ。▼GWはこれで終わり。また日常が始まる。ここからはマスターアップまでまっしぐらだ。二人兄弟、揃った後は初めての修羅場を迎える。これを乗り切れれば未来に向けて自信がつく。最適な働き方を探る試金石。気合入れていこう。

[3533] May 05, 2019

次男の初節句。兜の前で写真を撮る。例によって長男がフレームに入らない。イヤダイヤダ。散々揉めた挙句にいったん諦めて三人で撮ったが、そのあと次男の単独写真を撮っていたら絡んできたので、どさくさに紛れて集合写真も撮り直した。さいわいにして自然体でそこそこ良い写真が撮れた。▼次に、鯉のぼりの前で撮影。立ったまま抱くといつも以上にぽっちゃりさの際立つ顔になる。ちょうど、長男のときも太っていた時期ではあったが、お肉の量は次男の方が一枚上手のようだ。貫禄、たっぷりである。▼ひとりひとり見ると顔立ちはだいぶ違うように見えるが、並んだ写真を見るとやっぱり似ている。生まれたばかりのときはそっくりな兄弟だと思っていたことを考えると、顔が変わってきたというより、見慣れたことで細かな違いが自然と認識されるようになってきたのだろう。それが写真で第三者の目に戻る。また似ているように見える。そういうことだと思っている。

[3532] May 04, 2019

ズーラシアのつづき。▼暑さで寝ているライオンやサイを尻目に休憩所へ。子どもたちにエネルギーをチャージする。臨時販売のフランスドッグは高いが美味しかった。▼心と体を立て直した後、バードショーへ。鳥の滑空を見る。大人は面白かったが、二歳児には楽しみ方がいまいちわからなかったようで、途中で飽きて席を立ってしまった。ただ、鷹匠体験だけはやりたそうにしていたので、何年後かにまた来てみるのがよいだろう。▼つづいて馬に乗れる「ぱかぱか広場」を目指す。抱っこ抱っこの長男も「ゼルダみたいに馬に乗るよ!」と言うと喜々として走って行ったらしい。私は泣き喚く次男を抱えて後から追いついた。乗馬は確かに楽しそうだった。▼その後は時間の都合で日本の山里だけ飛ばしつつ各エリアをまわる。遊泳するオットセイ、様々な種類のキジ、飛び跳ねる猿、悠々たるバク、吼える虎。最後にゾウを見て正門から出た。帰りのバスは十五分で駅に着いた。

[3531] May 03, 2019

ズーラシアへ行く。▼最初からクライマックスだった。鶴ヶ峰駅からバスで十五分と聞いていたが、大通りに近づいたあたりからピタリと動かない。車、車、車。坂の向こうまで続く車の行列である。GWの恐るべき大渋滞。バス停とバス停の間で二十分近くを費やしている。牛歩すらしなくなったとき、Googleマップで調べると徒歩十三分と書いてあったので、次のバス停で降りて歩こうかと思ったくらいだ。さいわい、途中からバス専用通路に入ってくれて、そこからはすんなり進んだ。それでも到着まで四十五分である。赤ちゃんの悲鳴溢れる満員車。みんなへとへとになってしまった。▼その疲れもあってか、到着しても長男、次男ともに安定しない。片や泣き喚く、片や抱っこ抱っこ。容赦のない日差しを受けながらオモリを運ぶお仕事である。最初の休憩所に辿り着くまでは、とても遊びに来ている気分ではなかった。▼明日は外出の予定がないので、この話のつづきとする。

[3530] May 02, 2019

今日はベイクオーターからシーバスで赤レンガ倉庫へ。次男の初節句の記念品を買いに行く。妻が前に訪れたとき目星をつけていたらしい。鯉のぼりを象った硝子細工。見た目も可愛らしく良い品だったので即決した。▼赤レンガ倉庫は前にも来たが、記憶の中の印象とは随分違っていた。まず人が多い。多すぎる。1号館と2号館の間は屋台と屋台の隙間を縫う人々でぎゅうぎゅう詰めである。子ども二人を連れて移動する気にはなれない。横浜で昼ご飯を済ませてから移動したのは正解だった。▼それと、駅が遠い。行きはシーバスだったので下船してすぐに赤レンガ倉庫だが、帰りは馬車道まで思った以上に歩かされた。駅を降りて、ほどなくスケートリンクが見えて、目の前には赤レンガ倉庫――というおぼろげな記憶は全くの嘘っぱちであった。これならシーバスを使いたくなる気持ちもわかる。▼日差しは強かったが、日陰は涼しかった。同じ暑さでも本格的な夏とは違った。

[3529] May 01, 2019

今日は次男と留守番。妻と長男は東京駅へ「はやぶさ」と「こまち」を見に行った。駅は同じく新幹線を見に来たキッズで混雑していたようだが、無事、緑と赤の美しい車両を観覧し、おまけにプラレールと同じ「連結」も見られて大満足だったようだ。▼次男の方は取り立てて悪いこともしていないが、普段ほど大人しくもなかった。家事やお手洗いの都合でソファに置いて去ると、すぐに抗議の声を上げる。基本的に視線を向けていないと不満という様子である。たっぷりミルクを飲ませた後でも態度は変わらなかった。子どもながらに母親の不在を感じているのかもしれない。▼抱っこ紐に括り付けてもすんなりは寝てくれなかったが、夕方前、一時間半ほど連続で寝てくれたので座って読書も出来た。あと少し成長して自分で座れるようになったら留守番も楽になるだろう。そのうち兄弟揃ってiPadに張りつくのかもしれない。取り合いにならなければよいのだが、先の話である。

[3528] Apr 30, 2019

栞を買った。梅と猫がモチーフの布製栞。最寄りの本屋で栞箱にまとめられた数枚のうちの一枚だったが、それなりに厚みがあって、本を傷付けず、ささやかなオシャレという私の要望にぴったりだった。淡い梅色の下地も本の白から浮いてくるようで良い。▼以前愛用していた栞はどこかへ行ってしまった。たぶん、本棚の本のどれかに挟まっているのだと思う。それからしばらくは本を買ったときのレシートやポケットティッシュの広告、自分の名刺などを代用していたが、レシートや広告は薄すぎるし、名刺は文庫本に対して横幅が広すぎた。第一、味気なかった。栞の喪失と読書量の減少は無関係ではなかったように思う。▼一度だけ金属製の栞を使ったことがあるが、あれはよくなかった。特にページの上部に留めるクリップタイプは知らないうちに紙が傷ついてしまう。留めたり外したりするのが面倒なのも性に合わなかった。今回の栞は良さそうだ。また読書の旅に出よう。

[3527] Apr 29, 2019

長年の石川雄洋ファンにとっては最高の一日になった。平成のベストゲームと言ってもいいくらいだ。一軍昇格、即スタメン起用、三安打猛打賞の最後を飾ったのは決勝の2ランHR。苦しい時に頼りになるベテランは最高に格好いい。ミスターベイスターズの大活躍で、10連敗の悲しさも吹き飛ばすエキサイティングな試合になった。▼平成が終わる前に長いトンネルを抜けられたのは、選手達の気持ち的にもよかっただろう。元号の区切りに意味などないと言いつつも、やっぱり何かと気にしてしまうのが人の性である。もちろんファンもそう。大型連敗のまま令和を迎えるのとでは大違いだ。しかも明日は雨で中止の可能性大。実質ラストチャンスだったと言える。▼こういうタイプの選手は見ていて励みになる。たとえ表舞台にいなくても、いつか出番が来たときに備えて地道に訓練を続けることの大切さを教えてくれる。チャンスの瞬間に輝けるかどうかは、準備次第である。

[3526] Apr 28, 2019

音楽理論はIDEのようなものだ。▼小さなプログラムを動かすだけならメモ帳でも事足りる。けれども、プログラムの規模が大きくなればメモ帳では無理が出てくる。無理を押し通すこともできるだろうが、IDEを拒否することのメリットは見当たらない。実装速度の面でも品質の面でも「メモ帳派」が勝つのは難しい。▼だが、プログラミングノウハウを持たない初心者がIDEを使ったからといって、メモ帳時代より良質なプログラムを書けるようになるわけではない。重たい動作、大量のショートカット、独自のルール、IDE自体のバグ、ブラックボックスな諸機能……悩まされている時間に、「メモ帳派」はさっと実装を終えてしまうだろう。▼理論は武器である。武器を扱うには力が要る。技術がいる。であれば、自分の素の実力を見極めて適切な装備を選択することが最良というものだ。私はここまで素手で来てしまった。そろそろダガーくらい装備してもいいだろう。

[3525] Apr 27, 2019

パケ死の原因がわかった。「Documents」だ。▼20GiBもあるのに中旬で尽きるとは何事かと思ったが、ちゃんと理由があった。アプリが悪いわけではない。私の使い方が悪い。制作中の曲をDocumentsで管理していたのだが、Wi-Fi環境でダウンロードせずストリーミング再生している日がしばしばあった。100MiB超の音源データがモバイルデータ通信で垂れ流しになっていたわけだ。膨大な通信量である。実に通信量の六割以上が、このアプリから行われていた。▼したがって、ここ二週間ほどは外で野球を観られていない。だが、結果的には観られなくてよかったのかもしれない。ここ二週間、ベイスターズは一度も勝っていないのだから。連勝でもしたならパケ死を呪ったが、むしろストレスの種を受信できずに助かったとさえ言える。不幸中の幸いである。▼ときに、パケ死などとは古臭い表現を使ってしまった。3日後はもう令和である。ギガが足りなくなったと言うべきだった。

[3524] Apr 26, 2019

朝、長男を抱えて家を出ると、ひゅっと冷たい風に吹かれた。「寒いね」「さむい」と短い会話。それで終わるかと思ったら、こんなことを言う。「きょうはかぜがさむいわ。もうすこしあったくなってからいこっか。」▼いやいや、遅刻しちゃうでしょう、と思わずツッコミを入れる。それに、どこでそんなフレーズを憶えてきたのか。丸暗記でなく、自分でパーツを組み合わせて創作した文章だとしたら、いよいよ言語の幅が広がってきたことになる。本人も楽しいだろう。▼それにしても言い回しに不思議なクセがある。友達がおもちゃを貸してくれないので、泣きそうになりながら先生に「かしてあげてもいいじゃない?」/私に電車を渡して「おとうさん。ちょっとこっちであそんでくれないか」/自分の知らないものを見つけて「なんだろう?」と言う代わりに「みんな、これなんだとおもう?」▼取り巻く大人たちの口癖がハイブリッドされているのだろう。妙だが面白い。

[3523] Apr 25, 2019

ベイスターズが泥沼に嵌っている。たいして話題にならないのが不思議だが、八連敗はそうそうない。ラミレス監督の前向きな精神「Tomorrow is another day.」にも限界が近づいている。同じ敗北の日々を繰り返すことになりそうな、いやな流れである。▼理由はよくわからない。目に見えて投壊しているわけでも、貧打に喘いでいるわけでもない。かといって、毎試合投打が噛み合っていないと言うわけでもない。今日も九回表までは良い試合を維持していた。善戦している。抵抗している。ただ、結果的にいつも負けている。ベンチも打開策が見出しにくいに違いない。▼あっという間に最下位。これ以上負けが込むと、いくらシーズンが長いとはいえ、取り返しが効かなくなってくる。往年のマリーンズはここから10連敗もしたのかと思うと恐ろしい。仕事が忙しくなければ四月の末にでもハマスタへ行こうと話していたが、忙しくてよかったという悲しい平成の終わりである。

[3522] Apr 24, 2019

リーダーにはNoと言える能力が必要だ。きっぱりと、決然と。ただしひとつ付加条件がある。Noと言うなら、Noである理由を論理的に説明できること――だ。▼ここを疎かにしてNoを叫ぶリーダーもどきはただの独善者である。意思決定もへちまもない。ただ自分に都合の悪いことを拒否しているだけか、あるいは決定するための知識や能力がないために直感でYes/Noを断じているだけに過ぎない。正当性はどうあれ、断じることがリーダーの責務だと思い込んでいる。妄想である。▼Noと言うからには誰かの主張が黙殺される。それも時には必要なことだ。ただ、理由もわからず殺されることを良しとする人はいない。Noの理由が何であれ、せめて理由があることを知り、少しでも納得したいと思うのが人の常である。黙殺されたメンバーの溜飲を下げるための正当な手段。それが論理的な説明なのだ。▼「解説能力」こそ、リーダーに欠かすべからざる能力である。

[3521] Apr 23, 2019

勉強し始めると、勉強していなかった時間を後悔する。なんて時間を無駄にしてしまったのだろう。けれども、ひとたび勉強から遠ざかると、勉強するのが億劫に感じる。たとえ痛烈に後悔した後であっても。▼勉強には、近い距離には強力な引力があるが、一定以上離れると引力が斥力に転換するという性質がある。「やる気スイッチ」で納得したくなるが、活性化障壁の理屈では引力が説明できない。ひとたび勉強から遠ざかったときの、あの得も言われぬ気まずさは、むしろ勉強に熱中しているときの入れ込み具合に起因しているような気もする。さっぱりした付き合いより深くかかわった関係の方が、ひとたび離れると気軽には元の鞘に収まりにくいような、そういう類の反発力である。▼最適な策はひとつしかない。勉強をやめないことだ。継続は力なりとは、そういうことなのだ。もちろん、互いの了解のもと、疲れたからちょっと距離を置くというのは、また別の話である。

[3520] Apr 22, 2019

眠い。とても眠い。▼このところ長男の眠りも安定していたが、昨日は起きた。二回か三回。正確な回数は記憶にない。前に比べれば何十分も泣き叫ぶような不安定さはなくなったが、お茶を探しに枕元に来たり、顔の上に転がって来たり、私の腕を自分の身体の下に敷こうとしたりはいまだにする。朝までぐっすり寝てくれる日はそうそうない。▼会社の先輩にもお子さんが生まれた。わかっていたことだが、夜、眠れなくてつらいと言う。二時間置きくらいに起きるので長く眠れないと。生まれてすぐならそれくらいだろう。その後、インターバルが狭まっていくかどうかが分かれ道だ。以前から私の話を聞いていただけに不安なようだった。女の子だから大丈夫でしょうと励ましたが、実際のところは、男の子だろうと女の子だろうと、泣く子は泣くだろう。よく寝る子であることを祈るしかない。▼尚、今朝は起きたらなんと長男がおむつを脱いでいた。暑かったのかもしれない。

[3519] Apr 21, 2019

絵が下手だけれど面白い漫画というのは、ある。確かにある。下手といっても最低限の基本を押さえている必要はあるが、少なくとも、同じ土俵で勝負している他の作品に比べて明らかに画力が劣るのに、漫画としての出来は良いというケースは珍しくない。▼それは漫画好きなら多くの人が了承しているところだろう。あるいは描いている本人も。画力は漫画力ではない。表現力は面白さではない。面白さを支える重要な要素であることは事実だが、支えるべき面白さの根幹は表現とは別のところにある。表現技法と面白さの構築は別の技術体系である。▼この点は、音楽については小説や漫画ほど意識されないように見える。優れた技術、優れた演奏、優れた表現が、すなわち曲の面白さだと捉えられる傾向があるように思われる。築いてきた文化の違いか、それとも消費の形式が違うからか。わからない。わからないが、引き続き考察する価値のあるトピックではあると思っている。

[3518] Apr 20, 2019

自分のチームの生産性を上げるために何をすべきか、なら答えやすい。答えを捻りだすまでもなく日々考えているし、実践もしている。条件が整えば実行に移したい計画もたくさんある。そういうものを並べていけばよい。▼しかし、自分の部署が業績を上げるためにはどうすればよいか、だと難しい。チームの業績が上がれば部署の業績も上がるのは自明だが、それは問いのスコープを矮小化している。視野が狭いということになる。さらに進めて問いの対象が会社ならどうか。我が社が利益を出すために、あなたがするべきことは何か。もっと先もある。業界が繁栄するために。国が栄えるために。世界が平和であるために……。▼説得力のある回答を出すには、問いの範囲が広がるのに合わせて答えの抽象度を高めるしかない。一個人の今日明日の実践によって会社に利益をもたらすというのは夢物語である。そこは野望や抱負でいいわけだ。常に具体性が重要であるわけではない。

[3517] Apr 19, 2019

では私の基軸とは?▼はっきり定めているわけではないが、ここ数年のスタンスは変わっていない。敢えて表現するなら「凡事徹底」が近いだろうか。目指すはスーパーノービスだ。他の人には真似できないレベルまで基本を究めることでオリジナリティを獲得するのが最終的なビジョンであると言っていい。▼そういう意味では、今の私に表現すべき「自分」はない。自分の思いを形にしたいとか、自分らしさを出したいとか、そういう思考で取り掛かった仕事はないと言える。欲しいのは原理に基づく最適解であって、私らしさではない。誰がやっても「そこしかない」と言える解、つまり、最もオリジナリティからは遠い解こそが、常に私の理想なのだ。▼だから、結局のところ十年前と同じことを言っている。「やろうと思えば誰にでも出来るが、誰もやらないことをやる」ことには、誰にも出来ないことを成し遂げることと同じくらいの価値があるのだ。常に、凡事徹底である。

[3516] Apr 18, 2019

自分の中に一本筋が通っていて、判断基準が首尾一貫している状態。良いことのように思える。確固たる自分があると言える状態だ。しかし、その確固たる自分とやらの判断、メンタルブロックでないと言い切れるだろうか。人生を貫く背骨。物語。それに基づく価値判断。ブレない基軸。それらは、実は成功体験によって強烈に刷り込まれてしまったメンタルモデルに過ぎないのではないだろうか。どうやって区別するのだろうか。▼これは見た目以上に厄介な問題だと思っている。結構、多くの人が、この確信と疑惑の間を行き来しているのではないだろうか。試行錯誤の末に成功して自分が成ったと確信するも、いつしか枷に囚われている気がしてもがき始める。しかし、もがくこと自体が自分を見失った結果だと思い始め、初心にすがる。心のどこかで、ただ窮屈な牢獄に帰ってきただけかもしれないと疑いながら……。▼答えはない。行ったり来たりを楽しむしかないのだろう。

[3515] Apr 17, 2019

「コスト削減の最も効果的な方法は、活動そのものをやめることである。コストの一部削減が効果的であることは稀である。そもそも行うべきでない活動のコスト削減は、意味がない。」▼ドラッカーの提唱するコストの原則は、プログラムの高速化にも見事にあてはまる。そのまま読み替えてみよう。「高速化の最も効果的な方法は、処理そのものをやめることである。部分的な高速化が効果的であることは稀である。そもそも行うべきでない処理の高速化は、意味がない。」▼案外、これが出来ない。出来ていない。実は全く効果のない処理に数ミリ秒を占有されておきながら、関数呼び出しを削減し、命令数を切り詰め、最適なアルゴリズムを探っている。目的と手段の倒錯である。▼いついかなるときも処理そのものが不要である可能性を忘れてはならない。どんなに優れた高速化を施されたコードよりも、入念に設計されたアルゴリズムよりも、何もしない方が常に高速である。

[3514] Apr 16, 2019

鬼速で本を読み続ける。三冊目。丸暗記できるほど若くないが、重要なポイントはなんとなく浮いて来る。このへんが年の功である。▼記憶力は、認めざるを得ないが、全盛期に比べると見る影もなく落ちた。ナビエストークス方程式の導出が一目で脳に染み込んできた、あの奇跡の夜のような吸収力は、もう死ぬまで発揮できまい。憶えるだけでなく、思い出す力もガタ落ちだ。慣れ親しんだはずの物の名前が出てこない。人の名前も抜けている。代名詞、代名詞。「あれがそこにあったはずだけど、あの……あれが……。」▼だからこそ、ここから先は勘と経験とセンスで補っていくしかない。全てを憶えられなくても急所がわかる。思い出せなくても目的が果たせる。そういう方向に切り替えていくしかない。というより、今のうちにそちらのスキルを鍛えておかなければ、いずれ本格的な衰えがやってきたときに立ち行かなくなってしまうだろう。ひとつのシフトチェンジである。

[3513] Apr 15, 2019

読み終わった本が主張する30の項目から、共感度の高い項目をピックアップ。列挙しておく。▼「続けよ」「姿勢や態度をきちんとせよ」「人の話をよく聴け」「つまらなそうな顔をするな」「準備に命をかけよ」「能力以上の荷を担げ」「わかりやすく、簡潔に、印象深い話をせよ」「不安は行動によってのみ解消される」「言行一致を貫け」「言葉と心中する覚悟をもて」「声を出せ、声を出せ、声を出せ!」▼声を出せ。これはけっこう重要な指摘である。類似のビジネス本で主張されることは少ないかもしれない。先日、仕事をする上でいちばん重要なこととしてフットワークを挙げたが、フットワークが軽いということは、当然、ただ席を立ってウロチョロするということではなく、誰かの元を訪ねて声を出すことに他ならないからだ。「手を動かすことが考えることである」を一歩進めて「声を出すことが考えることである」と言ってもよい。要は身体を動かすことである。

[3512] Apr 14, 2019

お宮参り。写真撮影では一張羅を着た長男が床にゴロゴロ寝転がり、撮影となるとイヤダイヤダで大泣きし、神社へ行く前になると不機嫌が頂点に達して「立って抱っこ」の大号泣。無理やりベビーカーに放り込んで駅まで駆けたが、上から下から抜け出そうとして何度も立ち止まる。酷いものだった。その間、主人公の次男は大体大人しくしていた。単独写真はばっちりである。▼横暴の限りを尽くした長男も、神社に向かう電車の中で眠りに落ちた。その後は、儀式が終わって食事会に着くまでぐっすりである。これにはほっとした。儀式の最中は次男もぐっすり。一番大事なところは静かに、つつがなく終わったということだ。▼長男のお宮参りでは長男に手こずり、次男のお宮参りでも長男に手こずるという、わかってはいたがトホホな顛末である。次男の健やかな成長は十分にお祈りしてきた。心身ともにぷくぷく健康に育ってもらいたい。あとは長男の精神的成長が待たれる。

[3511] Apr 13, 2019

指定のレポート用紙(.pdf)を印刷する。印刷したレポート用紙に手書きで文書を書く。書いた文書をスキャナで取り込んでPDF化する。そのファイルはしかるべき人により印刷され、回覧される。……。▼手書き信仰を否定するわけではないが、それにしても無駄の多いプロセスである。手書きを指定部数だけコピーして送付してはダメなのだろうか。印刷⇒スキャン⇒印刷の過程で罫線も潰れてしまう。文書は閲覧者が読みやすいよう心掛けるようにと念押しされるが、閲覧者に気遣うならそもそも最初からデジタル一択だ。MSゴシックより読みやすい手書き文字というのは、めったにないだろう。▼ルールを課すこと自体は全く構わないが、設定したルールに非合理性があるのであれば、なぜそうしているのかの説明は最低限あってしかるべきである。この件だけでなく全ての理不尽な規則について言えることだ。欲しいのは公明正大なルールではない。意思決定の透明性である。

[3510] Apr 12, 2019

スウェーデンへ行った元同僚からオーロラの写真が届いた。綺麗な風景を撮るのが好きなアマチュア写真家だ。良いのが撮れたら送ってと伝えてから初の便りである。▼写真自体はさすがに良く撮れていた。広がる黒い台地。点在する家々の灯り。棚引くオーロラ。市販の写真集に載っていてもおかしくない。痺れるような寒さが画面越しに伝わってくるようだった。▼今日。ふと、その写真を見ようとしてラインを開いたところ、表示が消えている。ダウンロードを押すと「保存期間が終了したためコンテンツを読み込めません」と言われてしまった。そういえばローカルには保存していなかった。ラインの写真をクラウドのように考えるのは危ないと前にも思ったが、さりとて送られた写真を逐一保存するのも面倒なので、こういうことも起こる。仕方がない。▼もう一度送ってと言うこともできるが、それはしないでおこう。オーロラは記憶に美化して、新しい一枚が届くのを待つ。

[3509] Apr 11, 2019

「仕事を進める上で最も重視している能力をひとつだけ答えなさい。」こう問われたとして、何と答えるか。▼私は、フットワークと答えたい。少なくとも、今の私はプログラマらしからぬフットワークの軽さで効率を稼いでいる。フットワークが軽いから、人を巻き込む力が強い。問題解決が早い。トラブルが起きにくい。意思疎通が進みやすい。認識の齟齬が早期に見つかりやすい。無駄な仕事が少なく実装の手戻りが少ない。確認の精度が高い。……恩恵を挙げたらキリがない。▼フットワークが軽いということは他人と絡むわけで、そこにコミュニケーション能力が問われることは大前提だが、いくらコミュニケーション能力が高くても腰が重ければ持ち腐れである。意思疎通の機会がなければ意思は疎通しない。結果、聞かれなかったから答えなかったんじゃないか、などという愚にもつかない話になる。▼組織で仕事をするなら、フットワークのコスパは最強だと主張したい。

[3508] Apr 10, 2019

苦しい時に奮起してくれるのが英雄というものだ。昨晩、8−3から投壊と守乱で逆転を許し、屈辱的な敗北を喫したベイスターズを救ってくれたのは、やっぱり濱口だった。2017の救世主である。▼しばらく引きずってしまいそうな負け方を、翌日にしっかり供養した。最高の仕切り直しである。不調なリリーフ陣も、踏ん張ってくれた先発を意気に感じて奮起してくれるかもしれない。チームを助ける力投である。▼八回、ピンチを迎えた濱口の元に駆け付けた三浦コーチは、最後まで投げさせるよう監督に推すからと言って鼓舞したらしい。100球をゆうに超えて限界が近かったとはいえ、プロ初完封が目前である。この言葉は嬉しかったに違いない。最後の力を振り絞って九回を三凡で抑えた。気迫の勝利。立派である。▼勝利の余韻に浸りながら速報を見ていたら、広島が十回表に12失点。昨日の横浜が霞むような悲惨な目にあっていた。これも早期の供養が鍵になる。

[3507] Apr 09, 2019

ここの記事は原則全て「だ/である調」で書かれている。しかし、前にも書いた気がするが、私は「です/ます調」の方が得意だ。一般的に、「だ/である調」の方が語尾に変化をつけやすいと言われるが、私にとってはそうでもない。「です/ます調」は、段落の締めさえ「です/ます」系の結びになっていれば、文の途中に体言止めや終止形を挟んでも成立するからだ。「たとえば〜した場合。〜する。あるいは〜になる。そういうことも可能です。」なんの問題もない。▼一方、「だ/である調」は常に言い切る語尾しか認めない。それ故に簡潔で力強いリズムが生まれると言えばそうだが、内容次第では機械的で冷たい印象を与えることになる。そうして、それを回避するのが難しい。「です/ます」調の方が懐が広いわけだ。ではなぜ、「だ/である調」を選んでしまったのか。――これはもう思い出せない。最初の記事を勢いで書いて、それにつられているだけかもしれない。

[3506] Apr 08, 2019

動画サイトで、とある編曲者の解説付きのアレンジを見ていた。▼編曲の解説。なぜその楽器を選んだのか、なぜその構成にしたのか、なぜその音を選んだのか。つまりは編曲意図の披露である。意図を披露できるということは、裏を返せば全ての決定には完成品に先行して確固たる事前の意図があるということだ。紙を斬るという需要に対するペーパーナイフ。あるべき姿が現実の音に先行している。先に要求仕様があって、そこに実装を落とし込んでいく。▼そう。要求仕様と実装だ。そう言われれば当たり前の組み方だ。仕様なき実装、構造なき実装、デザインなき実装……まともな実装になるとは到底思えない。いくら勘が良くても、そんなものデタラメである。▼プログラムではあれほど厳格に、この構造⇒実装を徹底できるのに、編曲はいつになっても実装⇒構造の模索というデタラメから抜け出せない。同じ人間なのに不思議なものだ。意図が先行する作者は常に尊敬する。

[3505] Apr 07, 2019

来週はイベントてんこ盛り。会社の遠征大会もあれば、次男の四ヶ月検診もある。週末はお宮参りだ。決まった予定のない日は今のところ月曜日しかない。▼四ヶ月検診では、もしかしたらベイスターズから絵本がもらえるかもしれない。プロ野球界初となる絵本出版を果たしたDeNAが、その絵本『スターマン!おきてくださーい』を「2019年4月〜2020年3月の間に四ヶ月検診を受診した赤ちゃん」を対象に配布してくれるのだそうだ。検診日の綾でぎりぎり引っ掛かった形だが、次男にも権利がある。先着三万人らしいので、抽選でなく条件を満たした赤ちゃんが全員もれなく対象であれば、四月受診なのでほぼ確実にもらえそうだ。▼もっとも、もらった後のしばらくは長男の絵本になる。私にくっついてベイスターズの試合を観ていることもある長男だから、スターマンの姿にも見覚えがあるかもしれない。だが、私はタヌキと呼んでいるので、ハムスターとは思っていないだろう。

[3504] Apr 06, 2019

この頃、ちょっと脳の働きが鈍い。寝不足だからかもしれないし、考えることが多いからかもしれない。ネジを巻き直したいが、なかなかきっかけを掴めずにいる。日々、どことなくぼうっとしている。▼人はストレスが溜まると辛いものが食べたくなる傾向があると聞いた。その気持ちが少しわかる気がする。羽を伸ばすというリラックスの表現があるように、たいていのストレスは縮こまって伸び伸びできない状態を伴う。そんな、絡まった糸のように小さくなってもやもやしている自分を解すために、刺激が欲しいのだ。ピリっとしたいのだ。▼今、私も刺激が欲しいと思っている。錆びつきかけた脳を再起動するために、知的な刺激が欲しい。脳トレとか、業務上の難題とか、編曲の苦悩とか、そういう日常的な脳労働とは違う次元の体験が要る。お試しでいいから、縁もゆかりもない世界に飛び込んでみたい気がする。間違った扉を開けて肝を冷やすだけでも、いい刺激になる。

[3503] Apr 05, 2019

今日。いつも通りままごとをしている長男に「にんじんください」と言うと、不思議な行動をした。すっと立って胸元で左手を広げ、右手の指で手のひらを触りしながら「はい。ちょっとまってください」と言う。そうしてどこかへ一度消え、もどってきてにんじんを皿に乗せてくれる。急に、そんなことをやりだした。▼仕草を見るに、レストランの店員さんを真似ているのではないかと思われる。伝票に注文を取っているわけだ。であれば提供に時間がかかるのも頷ける。ただ、一連の流れを全てやってくれたのは最初だけで、その後は何かをお願いしても、無言で籠に入れて渡したり、待ってくださいの言葉だけで仕草はしなかったり、「イヤです」と言ってくれなかったりした。彼の中で、何がどうブームになっているのか。推し量るのが難しい。▼フライパンでにんじんを炒めるフリをしているとき、フライパンを返すような動きもしていた。動画の影響だろう。よく見ている。

[3502] Apr 04, 2019

朝。電車に座っていたら、かなりご年配のおじいちゃん、おばあちゃんが三人組で乗ってきた。席がひとつだけ空いていたので、三人のうちの一人が座る。私の二つ隣である。隣には中学生の男子が座っていた。私が席を立つと、その子はさっと席をスライドしてご老人たちが隣り合って座れるようにした。おじいちゃんが一人、つり革に取り残される。まもなく、中学生の向こうにいる若い女性が席を立った。中学生がまたすっと席をスライドする。晴れて、おじいちゃん、おばあちゃんは三人で席に座れることになった。▼いろいろい言いたいことはある。だが、何より悲しかったのは、そのスライド中学生の制服が紛れもなく私の母校の制服だったことだ。若いんだから君が譲りなさいとか、そんな説教臭いことを言うつもりはないが、二度もスライドして席を守り、スマホゲームに興じる遠い後輩の姿を見るのは、OBとして寂しいものがある。制服は学校の名を負っているのだ。

[3501] Apr 03, 2019

寒い。連日20℃を超える日々もあったのに、今週は朝から晩までよく冷える。もう着ないと思っていた半纏を引っ張り出して、仕事絡みの執筆業務に励む。▼しばしばまとまった量の文章を書く必要に迫られる。個人の適当な感想で済まされる「400」とは求められる質も毛色も違うが、句点を打った後に次の一文を書き出すことへのためらいのなさは活かされている。息を繋ぐことへの抵抗のなさ。これは長年の習慣の賜物だろう。▼だからといって、推敲もせずにスラスラ良い文が書けるとか、執筆習慣の無い人より良い内容の文書が作れるとか、そういうことはない。良い文章を書くのは常に終わりのない推敲との戦いだし、内容の良し悪しは習慣よりも人生に依る。たどたどしい文は敲けばいくらでも良くなるが、薄っぺらい書き手の文章を魅力的に飾り立てるのは不可能だ。結局、試されているのは私の人生である。素直に書くしかない。素直に書いて敲くのが最短である。

[3500] Apr 02, 2019

成功し、失敗し、大成功する。ブレイクからスランプを経て復活を果たした個人アプリ開発者たちの体験談には、ひとつ共通していることがある。V字を描いた理由である。▼彼らは口を揃えて言う。最初は思いつきを形にして成功した。運にも恵まれた。しかし、成功した理由を分析して他分野に応用を始めた結果、思うように売上が伸びずコストが嵩んで危機に陥った。倒れるまえにもう一度原点に立ち戻った。最初に成功した分野で正統進化を目指すことにした。やがて業績が回復した。……。▼振り返ると簡単なことだった、と彼らは言う。自分たちは強みによって成功し、強みを手放したことで失敗し、再び強みを発揮したことで復活した、と。これはもはや個人開発時代の教科書に載せるべき真理である。広く浅くでは体力のある企業に適わない。個人開発は常に突破力勝負である。一点突破。興味ごと棄てる勇気をもって、自分の最強だけを世に問うしか生き残る術はない。

[3499] Apr 01, 2019

新元号。「令和」。不思議な感じはするが、たぶん、他の何が来ても違和感はあるのだろう。ひとえに慣れの問題だ。和の字が昭和と被っているのは意外だが、令の音についてはMTSHと来てRなら納得できる。▼五月より令和元年。会社に平成生まれが入社してきて色めき立ったのもつかの間、平成は過去となった。昭和生まれなんてもう、化石のようなものだ。だが、化石には化石の輝き方がある。若さを捨てても煌めきを諦める必要はない。琥珀のように美しく結晶化していこうという気概でやっていくのがよかろう。薄皮を張り合わせるようにゆっくりと功を重ねていくのだ。▼今日は休み故、新元号の発表で職場がどう盛り上がったのかは知らない。私たちの仕事には関係のないことだし、雑談好きの誰かが生放送でも盗み見しながら「令和!」と声を上げて、微かな笑いとどよめきが起こって、それきりだったかもしれない。ともあれ、平成は終わる。最後の一ヶ月である。

[3498] Mar 31, 2019

親戚の子が遊びに来る。四泊五日。主な目的は東京ディズニーシーで、明日、妻と二人で行く。長男は保育園、次男は私が預かる。仕事は休みだ。▼この春から中学生になる女の子。絶叫系が大好きらしく、タワーオブテラーにはぜひとも乗りたいという。もちろんレイジングスピリッツも。フランダーのフライングフィッシュコースターでいっぱいいっぱいの私には見ているだけで目の眩むようなアトラクションだが、同じく絶叫系が苦手な妻は腹をくくって付き合わなければならない。頑張れ。私は家で応援している。▼明後日からは通常勤務。にわかに忙しくなった件は四月初週の末までに一山あって、次の週にもう一山あって、一旦落ち着いてから五月にピークを迎える。入念な準備が求められる。家でやらなければならないこともあるが、このたびの来訪に重なってしまったので、うまく時間を縫うしかない。まあ、やりようはいくらでもある。ここ一時、オーバークロックだ。

[3497] Mar 30, 2019

にわかに忙しくなってきた。一旦、プライベートを抑えて仕事の方に注力する。少なくとも五月の頭まで。▼といっても全くDAWを開かないわけではない。出来るだけ今までの生活リズムを保ちながら重心をシフトさせていく。一刻も早く完成させなければという気負いがなくなることで、かえって今の停滞を脱出できるかもしれない。実際、時間を割けない時の方が良いアイデアが湧いてくるものだ。万事、プラスに捉えていこう。▼閑話休題。靴を見る。今のメインスニーカーはボロボロになってきたし、色合いもこげ茶色で春らしくない。迷わずアシックスの棚へ行き、同系デザインのアイボリーと、モノトーンが鮮やかな新デザインの紺色の二種類に目をつける。どちらでもいいが、紺色は少し目立ち過ぎるかもしれない。▼今夏から運用開始するスーツも決めてきた。迷ったが、最終的には最初に目をつけた一着に。直感は正しかった。向こう数年はメインを張ってもらおう。

[3496] Mar 29, 2019

ベイスターズ、白星発進。▼開幕戦としては百点満点に近い最高の内容だった。とりわけ今永の復活は大きい。ストレートのノビも、変化球のキレも、ここぞというときの勝負強さと鋭い眼光も、全てが2017シーズンのときの今永に戻っている。いや、それ以上になっている。武者修行で何かを掴んだのかもしれない。▼開幕投手を任されたエースが完璧な内容で抑え、状態のいい相手投手から四番が決勝点をもぎ取り、期待の若手と下位打線がダメ押しの追加点を入れる。これ以上言うことはないだろう。九回に八点差でクローザーを投入しながら連打で失点してしまったのは締まらないといえば締まらないが、それは相手の意地というもの。8−1の勝利をもやもやすると宣うのはあまりにも贅沢だ。完勝と断じて良い。▼今日勝てたから良かったというだけでなく、明るい今シーズンを予感させる未来に繋がる試合であった。たとえ明日から三連敗しようと、凹んだりはしない。

[3495] Mar 28, 2019

年を取ると急に酒が飲めなくなると前の上司が言っていた。飯よりもビールが好きだったのに、三十を過ぎて鯨飲が出来なくなり、四十を過ぎるともう、一、二杯飲んだだけでフラフラになってしまうという。お酒に強い**さんはどこにもいなくなってしまった。私たちから見たら、酒が入るとすぐに泥酔してしまう**さんであった。▼年を取っても酒を飲み続けられる人、年を取ってからの方が飲める人、いろいろいるので十把一絡げには出来ないが、今、私も少しわかる。もともと強かったわけではないが、ウイスキーが好きだった頃、たかだかビール一杯くらいで頬杖をつくほど酔うことはなかった。1パイント入れたらもう呆けてしまう。あとはすべてお茶でいいやという気になる。自己防衛が働いているのかもしれない。▼今日は楽しい飲み会。送別会。ライフワークバランスの話で持ちきりだった。そこを踏まえて飛び出すのが彼の決断である。退職後の成功を祈りたい。

[3494] Mar 27, 2019

『ウマ娘』がアニバーサリーを迎えた。サービス開始一周年……ならぬ、事前登録開始一周年である。▼当初からメディアミックスを大々的に打ち出した。アニメ化もした。CDも出した。ラジオもやった。武豊騎手を大使に迎える広告も披露した。そしてゲームアプリ。「間もなく出走!」と銘打って事前登録を集めてから、リリース予定日をずらしずらしての一周年。なかなか他に類を見ない珍事である。▼課金サイクルの創出に苦しんでいるのか。権利問題の解決が難しいのか。バグ取りが遅々として進まないのか。もう他のラインに軸足を移してしまったのか。事実上の凍結なのか。公式な告知はないため、憶測だけが飛び交っている。ファンとしては凍結なら凍結、解散なら解散とはっきり伝えて欲しいところだろうが、開発としてはそうもいくまい。今しばらくお待ちくださいと言うしかない。▼私も人のことは言えぬ。凍結も解散もしないが、仕上げに時間がかかっている。

[3493] Mar 26, 2019

四月から会社の体制が大きく変わるらしい。少し前に行われた大規模な組織再編の混乱も収集していないうちにまた変えるのかと現場は冷め気味の空気だが、私はどんどん変えればいいと思う。市場の都合より社員の都合を重視して組織が硬直するより遥かにマシだ。環境は激しく変化している。であれば、企業の方も激しく変化するのが当然というものだろう。▼とはいえ、変化を歓迎しない人がいるのも事実だ。体制変更の噂がめぐるようになってから、週替わりで退職のご挨拶が届いている。いまだかつてないペースである。もちろん、体制変更だけが理由というわけでもないのだろうが、市場環境に激震が走ろうとしているとき、同じ会社の中で嵐に飲まれるくらいなら、いっそ会社ごと変えてやろうと思う気持ちはわからないでもない。飛び出すきっかけにしているわけだ。▼それもまたよし。もはやすべての変化を歓迎しよう。新陳代謝が活発なうちは、病気でも健康である。

[3492] Mar 25, 2019

便利屋さんを目指すのはやめた方がいいという話。▼これもまたひとりの後輩の話。彼はいつも無茶ぶりに応えている。なんだかんだ言いはするが、最終的には身体を張って要望を叶えてくれる。彼自身、そういう「デキる奴」を目指している。そうして、自負の通りにデキる奴でもある。▼このスタイルは、上司との関係が良好にまわっているうちは上手く機能する。何でもやってくれる、扱いやすくて頼れる存在というポジションを確保できる。だが、ひとたび配置換えや環境の変化によって信頼関係が崩れると、扱いやすさがあしらいやすさにすり替わることがある。即ち、便利に使われるだけ使われてしまうということだ。そうしていつしか、割を食っていると不満を言うようになる……。▼扱いにくいが居て欲しい人。言うがままにはならないが、確実にチームのプラスになる人。便利屋ではなく真の技術屋――。そういうポジションの方が、長い目で見れば潰しは効くと思う。

[3491] Mar 24, 2019

昨晩は午前四時まで次男が寝なかった。長男ならともかく、次男がここまで寝ないのはめずらしい。妻が一睡も出来ていなかったので、そこから私がバトンタッチ。抱っこ紐に括り付けて寝かせる体勢に入る。廊下やパソコン部屋を行ったり来たり。午前五時前にはようやく寝たが、寝室に降ろしたところでギャン泣きし、長男を巻き込んでダブル覚醒してしまうリスクを考えれば、このまま曲でも進めた方がよかろうと判断した。▼もちろん眠さが極まっているので進みは良くない。芳しくない進捗。午前六時前にはやっぱり寝室へもどり次男を置く。背中スイッチが作動する。もぞもぞうごめく。頭を左右に振る。布団をたっぷりかけて暖かくし、無理な体勢になりながらもお腹を叩く。なんとか移植に成功したようだ。長男・次男の雑魚寝で場所がないので、足元に丸まって寝る。結局、次男は三十分程度で起きてしまった。その後も多少は寝たが、危機的寝不足だ。今日は寝たい。

[3490] Mar 23, 2019

来週からいよいよペナントが始まる。▼オープン戦の結果に一喜一憂はしていない。ぶっちぎりの最下位でもない限り、オープン戦の好不調とシーズンの調子には、ほとんど相関のないことが知られている。それはそうだろう。練習試合なのだから。お互い、いろいろ探りながらやっている。炎上も貧打も、間に受けてはいけない。▼まだ実物を見れていないが、横浜スタジアムも改装工事で立派になったらしい。立派というか、設置面積を変えずに席数を増やした結果、諸々の建築が中空に張り出して要塞のような風貌になっているという。席数を捻じ込むのにそこまでしても利益が取れると見積もったからこその大改造だ。今年もハマスタは満員御礼に違いない。▼観客も増え、応援も増え、収益も増え。選手も球団もいっそう気合いが入るというもの。広島がリーグ優勝する前の三年間は3−3−4位だったそうだ。ベイスターズが今、まさに3−3−4位。今年は優勝と行きたい。

[3489] Mar 22, 2019

ひとりの優秀な後輩の話。▼彼は、報告・連絡・相談が誰よりも徹底している。曖昧なことは必ず確認するし、関係者への根回しを怠ることもない。頻繁で詳細な情報開示。丁寧なメール。読みやすくまとめられたドキュメント。さらには人柄も気さくで話しかけやすい。彼のもとには情報が集まり、彼からは情報があふれて来る。彼に任せた仕事が、知らないうちに大変なことになっているとか、勝手に意図しない方向へ進んでいるということは考えられない。たいへん信頼できる戦士である。▼しかし、思わぬ弱点もある。長所に誇りを持っているが故の弱点だ。彼は、いい加減な仕事が出来ない。「Aですか?」「Aです」と一行で確認して、さくっと実装して、齟齬があれば後から修正するというような雑な仕事の進め方ができない。故に、細かいタスクが増えると必要以上に時間がかかってしまうのだ。彼がバランス感覚を取得したら、きっと同世代で最強の戦士になるだろう。

[3488] Mar 21, 2019

シャワーヘッドを交換する。▼東急ハンズで比較検討。店のオススメとして最上段に飾られているのは高価なマイクロナノバブル式のヘッドだが、特殊設計により節水率50%とか、ナノレベルの極小気泡で毛穴汚れがすっきりとか、謳っていることが大きすぎてイマイチ選びにくい。〇〇タイプ、△△タイプと何種類もあるわりには、どれも決定打にかける似たり寄ったりな印象である。よくホテルのバスルームについているような、霧状の水が柔らかく噴き出してくるアレだろうと勝手に想像した。そうであれば好みではない。値も張るし見送ることにした。結局、選んだのは前と同じ商品である。▼塩素除去の力が復活したせいか、同じヘッドでも水の当たりが柔らかい。やはり同じでよかった。感動はないが安心がある。とはいえ、もし試せる機会があるならマイクロナノバブルとやらも浴びてはみたい。どこかで実際に水の出せる展示がないか探してみよう。次回の参考にする。

[3487] Mar 20, 2019

ランチ。行きつけの某国料理屋。いつもの店員さんがいない。店内にいるのは、ランチメニューの存在も知らず、日本語も聞き取れない、いかにも臨時の代役らしき青年だけ。客もいない。すでに不穏な空気は漂っていた。▼会計。事件は起きた。頼んだのはいつものランチメニューだが、三人分の会計をまとめて万札を出しても反応がない。やがて伝票を見せて来る。10450円。足りないというのだ。馬鹿な。一人が食って掛かるが、何しろ日本語が通じない。こちらの言うことは解さずに、セット***円、メイン***円と電卓に打ち込んでいく。セットなど頼んでいないし、それどころかセットに含まれる皿の個別価格まで二重に足している。明らかに間違った計算である。▼英語が通じたので粘り強く異議申し立て。誰かに電話で確認した後、二重加算は取り消してセット価格で妥協した。セットも誤解だが、運ばれてしまったらしいので仕方がない。なんとも災難である。

[3486] Mar 19, 2019

長男が寝ない。寝ないというより、眠らない。十時頃まではアクティブで、そこから寝ようとする素振りは見せるものの、エビぞりしたり寝返りしたり、人の顔の上に乗っかってぐるぐると身体を回したり、とにかく三十分から一時間くらい動きつづける。そうしてようやく動かなくなり、寝たかなと思って布団から抜けようとすると、敏感に察知して起きる。起きて泣く。最近は、布団から抜けようとしなくても泣く。泣いて意味のわからないことを言う。▼大体午前二時くらいまで不安定な状態が続く。二時から五時くらいまでは安定して寝ていることが多いが、このあいだも一回くらいは起きる。起こされたとき時計を見ることが少なくなった。見なくてもおおよそわかるからだ。朝まで途切れずに眠れることはまずない。睡眠事情は明らかに悪化している。▼かように眠りが浅すぎるせいで朝の機嫌もよろしくない。着替えも一苦労の暴れっぷりだ。三歳までに落ち着くよう祈る。

[3485] Mar 18, 2019

文法の難関、仮定法。今見るとそう複雑でもない。当時、何に手こずっていたのか不明なくらいだ。仮定法現在だけは全くの別物で、あとは過去・現在・未来の全ての時制で反実仮想が可能(あたりまえ)だというだけの話。直説法のセンテンスを仕上げてから時制をひとつ過去にずらして、時制の一致をきっちりやればオシマイである。▼If節は無くてもいい。WereはWasでも良い。Had/Should/Wereは倒置できる。細かい補足はあるが、どれも些末だ。本質はひとつ、時制を過去に飛ばすことで現実離れした話者の気分を表現しているに過ぎない。それがすべての文型に適用しうるから、仮定法**がたくさんあるように見えるだけの話である。▼仮定「法」という日本語が良くないのかもしれない。法と言われると堅い法則、犯すべからざるルールのように聞こえる。だが、文法における「法」の原語は"mood"である。ありそうにないなあという話者の気分を込めるのが仮定法なのだ。

[3484] Mar 17, 2019

部屋の整理。壊れたディスプレイ、要らなくなったプレッサー、二度と読まれることのない本。どんどん処分していく。▼とはいえ、ジャンク品や不用品はともかく、本を捨てるのにはいつも抵抗がある。潔く処分するようなことを言っているが、だいぶ二の足を踏む方だ。間違いなく、この先の人生で自分も、あるいは子どもたちも読まないだろうと確信できる本でさえ、装丁が立派なだけで「捨てる」コーナーに積むのを躊躇してしまう。バチがあたると思うのか。もったいないと思うのか。一種の呪縛である。▼夕方以降は昼寝を断固拒否した長男の眠気全開いちゃもんモードに振り回された。お風呂に入らないと主張して大泣きし、お風呂でシャワーを止めろと騒ぎ、私にお風呂から出るなと言い、自分もお風呂から出ないと言い張る。やっと出る段になるとタオルの巻き方が違うと文句を言う。要するに、眠いから何もかも気に食わない。我が家ではいちゃもん君と呼んでいる。

[3483] Mar 16, 2019

結婚式の二次会。披露宴から出ない二次会の参加は久しぶりで、服装に悩む。二次会だからジャケパンでもいいのではないか。ネクタイも要らないのではないか。二次会組の面々とあれこれ言い合いつつ、あまり硬くても浮くかもしれないということで、揃って緩めで行くことに決めた。しかし直前になって、会場がホテルであること、仲良しとはいえ先輩の式であること、偉い人が来るかもしれないこと……などなど可能性が私たちの脳裏をめぐり、めいめいに少しは堅めにしようということになった。▼結果。私は明るめのスラックスにジャケット&ネクタイで上を正装に。一人はスーツらしくまとめた濃紺の上下に白ワイシャツでノーネクタイ。もう一人は全体的に色味を抑えたネクタイありのジャケパンスタイル。三者三様にワンポイント抜いてきた形となったが、披露宴組も多くスーツが圧倒的多数の場でカジュアルを攻めるのは無駄に疲れる。次からはスーツでいいと思った。

[3482] Mar 15, 2019

花粉がひどい。今年は鼻や目より肌に来る。明らかに露出部分の調子が良くない。バスタオルやフェイスタオル、あるいはパジャマも、晴れていても外干ししない方がいいかもしれない。日本の春は人の国にあらず。花粉の帝国である。▼曲。進捗はない。時間が取れていないというより、折り返し地点に近づくための答えが見えていない。DAW前に座っても首を捻るばかりである。全く思いつかないとか、見当もつかないとか、そういうわけではない。目指したい形はあるが、寄せていくと理想の流れにならない状態だ。合ってる気がするのに合ってない。余計な音があるのかもしれないし、そもそも骨格が悪いのかもしれないし、単に調整の問題かもしれないし、不穏な局所最適に陥っているのかもしれない……。▼まあ、いい。たぶん時が解決してくれる。ここまで来たら焦らず鷹揚に構えるのもひとつの手だ。完成を急いで自分に嘘をつくことだけはするまい。なんくるないさ。

[3481] Mar 14, 2019

昨日の話に関連して。「要診断」と「診断不要」。つくづくわかりにくいと思うのが、この「要」の位置だ。診断が求められるときは前に「要」が付くのに、診断が求められないときは後ろに「不要」付く。外国人の日本語学習者にとっては発狂ものではないのか。なんとも不思議である。▼規格違反について補足しよう。規格違反のプログラムを正常に動作させる義務は処理系にはないが、一方、規則違反のプログラムを実行させてはならないという規則もない。規格違反のプログラムを勝手に適格な形で翻訳して実行するのは処理系の自由である。要診断の診断情報を正しくユーザーに報告しさえすれば問題はない。いつの日か、プログラマの意図を汲んで全てのバグを自動的に修正しながらコンパイルする超AIコンパイラが誕生するかもしれない。C++規格は、その日すら見越している――それは冗談だが、ともかく、C++の規格まわりは良く設計されている。現実的である。

[3480] Mar 13, 2019

構文規則違反、ODR違反、意味規則違反。C++プログラムの正常な動作が保証されない三大規則違反である。▼各違反には「要診断」と「診断不要」がある。要診断の規則違反があった場合、処理系は翻訳時に何らかの診断情報を出力しなければならないが、診断不要の規則違反については処理系には告知義務がない。故に、診断不要な規則違反を犯したコードの実行時の挙動は未定義である。▼一部の意味規則違反を除く規則違反はプログラムの正常動作を保証しない。一方、「動作未定義」は、処理系によっていかなる挙動に翻訳してもよいと定められた正常な動作である。動作未定義は規則違反ではない。▼「動作未規定」は似ているが動作未定義ではない。動作未規定とは、翻訳によって可能な処理がいくつかある場合、その選択が処理系に任されているという意味である。このうち、どんな処理を選んだかの文書化を義務付けられているものが「処理系依存の動作」である。

[3479] Mar 12, 2019

吐き気の原因が恐らく判明。昨日の昼に食べた中華の某食品、肉が半生だったらしい。一緒に行った同僚から今日聞いた。自分だけだと思って特に言わなかったらしい。胃腸をやられた話をしたら、たぶんそれだよと持ちだされた。そう言われるといつもより不味かったような気もしてくる。▼今日はお腹に来た。昨日の昼にあたったのなら、夕方から具合が悪くなって、帰り道に吐き気が酷くて、今日は腹痛に苛まれている、この不調の流れも納得だ。今は少し落ち着いている。それにしても中華とは。中華なら何でも火が通っていると思って油断していた。今度からちゃんと確認して食べるようにしよう。▼仕事は順調だが、あまり好ましくない過去のバグが発掘されて、冷や汗をかいた。最低限の機能は果たしていたので問題にはならなかったが、過去の自分による無知故のバグを後から見るのは、今ならそんなミスをするはずがないだけに歯がゆいものがある。今への訓戒とする。

[3478] Mar 11, 2019

気持ちが悪い。吐き気がする。しゃっくりが止まらない。頭が痛い。▼ウイルス性胃腸炎にかかったときを思い出す気分の悪さだった。定時で退社してまっすぐ家を目指したものの、ふらふらして足取りも定かにならない。横浜駅での乗り換えのときは、思わずベンチを探すくらいきつかった。ちょっと休んで帰ろうか、悩んだが、それなら各駅停車で座って行った方が良い。鈍行に腰かけてどんぶらこ。座っているときは楽で、着く頃にはマシになっていた。▼嘔吐こそしていないが、嘔吐感は常にあり、げっぷが止まらず、何よりしゃっくりが激しい。そこへ加えて軽微な頭痛。この三点が揃うと、脳卒中の前兆である恐れもあるという。大丈夫だとは思うが、治るまで油断は禁物だ。▼風邪という感じはしない。熱もない。花粉症とも違う気がするが、頭痛の部分だけは花粉の可能性もある。例年の頭の痛みに似ている。胃腸は、先日公園で食べた某食品があたったのかもしれない。

[3477] Mar 10, 2019

今日は自然公園へ。大きな滑り台のあるところ。▼長男。行きは家を出るのも渋る。滑り台のことを話しても気が乗らず、ぐずぐずと抱っこを要求していたが、訳を聞くと一夜越しでまだ「ピンクの魚で遊びたい」と言っている。よっぽど気に入っていたようだ。非売品である旨を言い含めつつ、なんとか公園まで連れていく。到着すると、思った通り、大いに喜んで大滑り台へ走り出した。想像上の未練も目の前に広がる楽しそうな空間に勝てはしない。▼今日は次男の守り役を交代して私も滑る。長い。速い。そして腿の両脇がビリビリ痛い。静電気。服が破けていないか心配になる痛さである。子どもなら足が側面に触れないから大丈夫なのだろう。大男が滑るようには造られていないのだった。▼午後から雨の予報もあって、人は少なかった。遠出の人があまりいないのだろう。さいわい夕方になっても降らず、気温も高く、土日続けて天候には恵まれた。今週末は子ども曜日だ。

[3476] Mar 09, 2019

晴れて暖かい。ようやく春らしい日。百貨店では額に汗も滲んだ。▼ヨドバシでままごとセットの追加をしてから病院へ。その後、ペッパーランチ、百貨店で次男の身体計測、私のチノパン探し、等々、順調に予定をこなしていったが、帰る段になって長男の様子がどうもおかしい。遊ぼうよ、遊ぼうよと駄々をこねる。何をして遊びたいのと聞くと「魚と遊びたい」。▼何のことだろう。わからないので問い質していくと、どうやらヨドバシで遊んでいた展示品のままごとセットに未練があったらしい。そのこだわりが尋常でないので、しかたなく妻&次男と別れて長男をヨドバシへ連れていく。抱っこ要求が激しく自分で歩かない。この時点で予感はしていたが、果たして六階へ着いたところで眠ってしまった。話しかけても動かない。ぐっすりである。▼行きも帰りも順風満帆とはなかなか行かない休日の外出だが、天気に恵まれたおかげで快適ではあった。明日は雨振りで残念だ。

[3475] Mar 08, 2019

仕事。今日は集中して良い成果を得られた。定時までに詰め込んでいるが、スキルアップと鬼の効率化で残業時代と同程度のパフォーマンスは出せている。▼解析からデバッグまで計五十時間ほどかかってはしまったが、これまでのプロジェクトが何時間かけても達成できなかった水準の実装を成し遂げた。未踏の領域に踏み込んでいるわけだ。単純に楽しいし、個人的な達成感もあり、チームへの貢献度も大きい。そんな上出来な仕事がいつもできるわけではないが、もっともやりがいのある部類のタスクではある。疲れも感じないというものだ。▼仕事が順調に運ぶと脳も働いてくる。帰りの電車で良いB2の展開を思いついた。同時にB1の問題点も見えてくる。37分の思いを背負ったBパート。立ち上がりからもうクライマックスなのだという認識に立つと、要求されているものもなんとなくわかってくる。こちらも上手くいけばいいが、明日はお出かけ。明後日に期待しよう。

[3474] Mar 07, 2019

プリズンブレイク。シーズン4までは一通り見た。以下、雑感。▼シーズン1は文句なく面白い。綿密な計画と予想外の困難が織りなすストーリーの綾が絶妙だ。薄氷を踏んで歩きながらも、常に冷静さを失わないマイケルの主人公らしさが輝く。登場人物の個性も皆際立っていて良い。最後の最後まで気が抜けない怒涛の展開は見事だった。▼シーズン2はいまいち。有能とされる人物たちが実際には無能すぎるのがつらい。追う方は逃がすための追い方をし、追われる方は捕まるための逃げ方をする。こういう「プロットのための行動」は好きになれない。▼シーズン3はまあまあ。設定にツッコミどころはいろいろあるが、ちゃんとプリズンをブレイクしているので楽しめる。フォックスリバーの静謐な刑務所とは正反対のジャングルのような熱気も良い。シーズン4はドラマメイン。急展開だが、3までで愛着の湧いた人物たちのオールスター協力劇は、やはり王道の魅力である。

[3473] Mar 06, 2019

レンタルサーバーから通告書が届いた。利用料が振り込まれていないという。クレジットカードに乗せ換えたはずだが、手続きがうまくいっていなかったようだ。400が消滅しては困るので、至急振り込みを行う。▼カードに紐づいていない支払いが面倒に感じられるほどにはキャッシュレスが板についてきた。昼飯、パン屋、床屋、医者。それ以外で現金を使うことはほとんどない。あっても少額だからカードケースに忍ばせた札でこと足りる。お釣りの小銭は内ポケットに入れて、帰ったらリビングの瓶にチャリン。もう、いつの間にか財布がパンパンに膨らんで重くなることもない。▼カードの請求額が跳ね上がっているのは恐ろしいが、いままで現金で払っていたものが請求に乗っているだけで、月の支出が増えたわけではない。むしろすべてが記録に残るので管理しやすくなったとも言える。二ヶ月経って問題なければ今後も大きな問題はあるまい。ひとつ人生が楽になった。

[3472] Mar 05, 2019

今週は曲の完成に神経を集中させている。64小節の大波は構築経験がないので、流れと終着点をイメージしないと、最初の8小節すら手がつけにくい。▼どこにフォーカルポイントを持ってくるかだ。いつものようにノリと勢いで出たとこ勝負にすると、あらぬ方向へ行ってしまった場合にもうリカバーが効かない。これで最後なのだから。あらぬ方向ではなく、ちゃんとゴールへ向かう必要がある。▼めったにやらないが、逆算を視野に入れてもいいかもしれない。最後の16小節を仮組みしてから両方向に伸ばしていく作戦。これをやると接続に苦しんでトータルで損をすることも多いが、確実に着地すべきところに着地できるメリットはある。あんまり見えてこないようなら試してもいい。▼設計さえ出来れば表現はなんとかなる気がしている。凝ったことをする気もない。しかしその設計が難しい。なんとなく、しかロジックを持たずにやってきた者の、最後の試練の壁である。

[3471] Mar 04, 2019

保育園の懇親会。二歳で成長したことを聞かれて、ほとんどの父母が「言葉」を挙げていた。長男も、ひとつと言われたらそうなる。二歳は言葉の爆発だ。▼以下、記録がてら長男語録。絵本でりんごとドングリを前にしたハムスターの絵を見て、「ハムスター、りんごとドングリ食べてるね。ドングリ食べてないけど。」一人ツッコミ。りんごはかじられていたが、ドングリは無傷で転がっていた。▼やわらかブロックで遊びながら、目当てのブロックを探して、「あかい小さいやつない。ちがう。あってない。……。あ、**ちゃん持ってたわ。」最初から手に握っていたという定番のボケ。まさかそれを探しているとは思わなかった。▼ままごとセットのにんじんが無くなったので探そうと言うと、ソファの下を覗き込んで、「たぶんここにあるしょー!」自信満々。しかし無い。「こまったねえ。」たいして困っていなさそうに付け足した。大人の真似が混じりこんでいて面白い。

[3470] Mar 03, 2019

順調に進んでいる。新潟競馬場なら直線に差し掛かったくらいだ。これから息の長いラストスパートに取り掛かる。64小節のクライマックス。ここで全てを歌い切れないと悔いが残る。正真正銘、最後の山場だ。▼.cprのバージョンは72まで来た。気が向いたらナンバリングを増やしているだけのバックアップなので数字にたいした意味はないが、.cprだけでフォルダ容量が2GiBを超えているのは圧巻である。こうなると興味本位で総ノート数も知りたくなるが、Cubaseでカウントする方法は調べても見つからなかった。いつかわかったら数えてみたい。▼コーダの正味の長さにもよるが、去年の十一月に見積もった三十九分強はやや甘く、僅かに四十分を超える見通し。EDを加えて四十二分に収まると思われる。長くなりすぎてしまったが、不必要な長さはどこにもないので仕方がない。やりたいことをやるのには必要な長さだったということだ。あとはこの三月で一気に畳み込もう。

[3469] Mar 02, 2019

長男に引っ掻かれて左目の淵が切れた。切れたというより抉れた。深い傷ではないが、血が出て痛い。せめても目に入らなくてよかった。▼長男の引っ掻き癖が悩みの種になっている。特に夜中、寝ぼけると首周りに手を入れて爪を立ててくるのが大きな問題だ。痛くて起きてしまうし、特定の箇所が引っ掻かれすぎて腫れあがってしまっている。強引に振りほどいて押さえつけても、今度は引っ掻かせてくれないことに逆上して大泣きする。人の首を引っ掻かなければ寝られない理由などなさそうなものだが、二歳児のすることに理解は及ばない。▼それでも今日、かなり強めに叱った後、爪を立てるとはそもそもどういう動きなのかを手の形から丁寧に教えたところ、首には手を入れつつも指の腹で撫でるような動きをして、「これなら痛くないね」と言いながら寝た。これで万事解決とは思わないが、少しだけ前進できた気がする。昼寝をしなかった分、眠りに落ちるのも早かった。

[3468] Mar 01, 2019

知らないことを知らないときっぱり言う。知ったかぶらない。わからないことは相手が後輩でも教えを乞う。相手もわからなければ一緒に考える。あるいは、知っている人を探して聞く。▼こうした姿勢は、できる/できないというより、どれくらい出来ているかという程度問題である。私も100%出来ていると胸を張るのは難しい。基本的なことを後輩に聞かれたときなど、確実に正しいとは言いきれないと自分でわかっている答えを返してしまうこともある。そういうときは後から調べて、合っていたらほっとし、間違っていたら訂正するようにしている。訂正をためらわないことが、せめてもの贖罪である。▼一人だけ、ほとんど100%に近い程度で無知の知を実践している先輩がいる。素直に尊敬する。同時に、頼りになる。知らないと言われれば他をあたるし、知ってると言われれば回答には期待が持てる。どっちに転んでも話が早いのである。そうありたいものだと思う。

[3467] Feb 28, 2019

風邪をひいた。熱は出ないが喉・咳・鼻水の基本セットが強い。オーソドックスにいやな風邪である。▼病院へ行く。風邪をひくとすぐに喉の薬を出す先生で、咳止めを出してくれないことが多いが、今回は咳がひどい、咳がつらい、咳さえ止まればなんとか……としつこいくらい念押ししたところ、ちゃんと出してもらえた。以前、別の病院でも、咳を止めたら風邪の治りが悪くなると言われて拒否されたことはある。どういうものなのか、詳しいことは知らないが、咳が止まらないだけで体力は使うし、眠れなくてつらいし、次男はびっくりして起きたり泣いたりするし、激しくゴホゴホやりながら職場にいるのも気が引けるしで、止められるものなら止めたいのがこちらの本音ではある。▼夕食後の分を飲んだ。心なしか基本セットが緩和された気がする。眠くなる薬も混じっているので、明日だけ耐えて週末で治そう。曲の進捗は3コーナーを曲がったところ。あと二三息である。

[3466] Feb 27, 2019

歯医者へ行く。取れた銀歯は十二年前に作ったものだそうだ。古くなっているし、銀歯の中も虫歯になっていたので、削って作り直すことになった。そんな気はした。▼レントゲン写真を見ると、歯の形状に対して神経が少し奥の方へ引っ込んでいた。染みたり響いたりして刺激を受けると、神経が自分で壁を作って後退していくのだそうだ。正確なメカニズムは知らないが、そう説明された。▼削る。浅いので麻酔なしと言われたが、ドリルの音が鳴り止むたび「もうちょっとですね」「もう一息ですね」「まだ出てきてますね」と言われる。だんだん不安になってくる。けっこう奥まで掘り進んでいるようだ。それでも痛くはない。痛いが、我慢できないほどではない。最初に神経が引っ込んでいると説明されたことも気分を軽くしてくれた。引っ込んでるなら、多少痛くても大丈夫だろう。そんな気分である。▼歯の治療の怖さの大部分は「わからなさ」にあると思った夕方だった。

[3465] Feb 26, 2019

昨晩は、深夜二時半まで長男に粘られた。覚醒しているわけではないが、寝入らずに泣きべそをかいて首を引っ掻いてくる。その後も朝まで一時間おきに目覚めては顔の上に乗ってのローリングを繰り返してきたので、あまりまともに寝られなかった。故に眠い。とても眠い。▼眠い日は出来るだけ、集中力を必要とし、短時間で終わり、待ち時間の少ないタスクを選んでこなすようにしている。反対は眠くなるからだ。欲を言えば、自分の不注意がビルドエラーやテストの失敗などシステムに検知されるような仕事が良い。ミスによるロスが最小限で済む。思考を最小限にして、数をこなす。機械的に些末事を終わらせていく日の存在は、きっといつか来るクリエイティブな日の助けになるだろう。▼寝不足の日を事前に想定するのはやりすぎかもしれないが、こういう日のために適正の高いタスクを取っておく手もある。後段の仕事がないなら誰にも迷惑はかからない。考え方である。

[3464] Feb 25, 2019

AppleWatchを家に忘れた。たいして困らないだろうと思ったが、案外不便さを感じた。登園中、長男を抱っこしたまま時間が見られない。園準備中、電車の発車時刻までの残り時間が確認できない。出勤中、LINEの着信に気づかない。行き掛けのローソン、いつも通り時計のApplePayで払おうとして狼狽する。仕事中、着信の有無が気になって何度もスマホの画面をタップしてしまう。どうでもいい通知にもつい反応してしまう。……。▼こんな日に限って、長男が久々に保育園を早退になった。お腹に発疹が出たという。妻が病院へ連れていったところ膿疱症らしい。程度は軽いので明日から日常生活だが、時計を忘れたときに限ってこういうことが起こる。マーフィーも真っ青である。▼AppleWatch。必需品ではないが、ひとたびつけて生活すると、元には戻りにくいと言われる所以もわかる。ただ、出来ることがもうひとまわり増えて欲しいという当初の感想は、今でも変わらない。

[3463] Feb 24, 2019

銀歯が取れた。左の上の奥歯。何か食べていたわけではないが、ぽろっと落ちた。だいぶ古い。最近、職場にリカルデントのボトルを置いたせいかもしれない。噛んでいるうちに引っ張られて緩んだ可能性がある。歯のためと思って置いたが、こういうこともあるわけだ。▼歯医者の空きは最も近くて水曜日。しかも午後の遅い時間しか空いていない。次の空きは再来週で、これまた午後の遅い時間しかないという。そう言われたら直近を予約しないわけにもいかない。歯医者も大繁盛である。諸々の事情で久々に行くので、クリーニングと小さな虫歯の治療も始まるだろう。またしばらく定期通院になる。▼取れた銀歯はティッシュに包んで財布に入れた。どこも欠けている様子はないので、そのままつけてもらえるかもしれない。奥に虫歯が出来て取れたパターンだったらいやだが、今のところ冷たいものも熱いものも染みてはいないから、たぶん大丈夫だろう。三日間の辛抱である。

[3462] Feb 23, 2019

リュックサックを見に次男を抱いて横浜へ。▼物色の結論。グレゴリーのバルトロ65を本命にしていたが、65リットルは小さいかもしれず、といってバルトロ75や85ではオーバースペック(オーバープライス)に思われる。着用感は良いが、登山と違って長時間背負うわけではないので、ここまでジャストフィットしなくてもよい。むしろ取り回しのゴツさのマイナスが強く出てしまいそうだ。とはいえ、ミレーのサースフェーやマーカムスイッチ、マウントシャスタあたりも試着したが、しっくり来ない。私の用途には合わないように思われた。▼次男が寝ているのをいいことに納得行くまで試着し、スペックを見て、店員さんと話をしたところ、オスプレーのイーサーAG70が一躍有力候補として浮上する。シンプルながらトラベルにも十分な収納力。取り外して小さなデイバッグになるトップポケットも機内持ち込みに魅力的だ。85と迷うが、暫定候補は決まりである。

[3461] Feb 22, 2019

育児休業給付金が振り込まれた。額面給与の66%、日割り計算。税金がないので手取り額としては通常の給与と大体同じくらいになる。休んでいても通常通りの給与がもらえると思えばたいへんありがたい。▼育休にまつわる給付にも様々なハックがあるそうだ。たとえば、給付額の算出は直前六ヶ月分の収入(賞与を除く)を基準とするため、育休取得が決まったら六ヶ月前から残業を増やすことで基準額を引き上げることができるとか、あるいは、育休中は各種税金が免除されることを利用して、本来の意味での取得予定がなくても賞与支給日の前後だけ育休を取得することで、賞与にかかる税金を無くして手取り額を引き上げるとか。▼制度あるところに抜け穴ありということだ。支援制度を悪用するのは巡り廻って自分たちの首を絞めることになるので好かないが、やる人はやるだろう。咎める理由もない。私も結果的には冬季は税金免除となった。ありがたく頂戴しておこう。

[3460] Feb 21, 2019

長男のわがままボーイぶりが、少しだけ改善されてきた。大好きな動画を見ていても、お風呂へ入ろうと言うと素直に停止ボタンを押して入ろうとするし、寝るときもまだ観たいと駄々をこねる頻度は減った。歯磨きも以前は歯ブラシを口に入れようとするだけで大暴れだったが、今は自分で持って右上の奥歯以外は上手に磨いている。走ってはいけないと注意しつづけてきた車道際、雨の日の道、店舗内なども、よほどテンションが高くなり限り、前ほど見境なく走ることはしない。▼一方、改善されないのが着替え。朝の着替えは十中八九泣く。脱がせようとするだけで大暴れである。あとは食事。好きなものしか食べようとしないし、お腹がいっぱいになっていないのに席を降りて、あとから追加飯やお菓子を要求してくる。良い食習慣とは言えない。「自分で病」も収まる気配はないが、これらも三歳へ近づくにつれて良化していくと信じよう。いつか懐かしくなるかもしれない。

[3459] Feb 20, 2019

他のプロジェクトから相談が来た。今月二回目。▼要約するとこうだ。どうしても原因のわからないバグがあるので助けて欲しい。二週間以上前から追っているけれども全く糸口がつかめない。正しく動いていた時もあった。何も変更はしていない。そうして、最終締め切りまではあと二日しかない。▼行って調査する。原因が見えてくる。変更がないというのは当然妄想で、あれを切りました、これを足しましたという話が出てくる。結果、正解がわからなくなる。もはやバグではなく仕様なのだ。直す以前に正解を再定義しないといけない。その時間がない。袋小路にはまってしまった。▼マスターアップが数ヶ月後なら自力解決を目指して問題を寝かせてもいいだろうが、デッドラインぎりぎりで原因不明のバグを二週間もこねくり回してはいけない。バグというと、何か原因を突き止めて直せば解決するかのように聞こえるが、原因がわかっても手遅れになることはあるのである。

[3458] Feb 19, 2019

A。何度も外で聴き直しているが、どうもよくない。時間が足りない。テンションが回復しない、乗ってこない、無理やり乗せられているような感じがする、など……言葉にするのは難しいが、要するにしっくりこない状態が続いている。偉大なるゲームデザイナーが言うように、倍にするとか、半分にするとか、テンポであれ、フレーズであれ、何か思い切った改革が必要かもしれない。▼このあたりが最後の難しさだ。途中ならノリと流れと勢いでなんとかなることも多いが、最後だけはそうはいかない。違和感や消化不良を取り戻す機会がもうないからだ。完璧主義は好きではないが、後で辻褄を合わせるわけにはいかないので、真の最後に至るまで納得の行く、破綻していない、まとめきった、結論を出した、つまりは、すべてのWrapUpである必要がある。▼正直なところ、それは今まで一度も出来なかったことだ。一度も出来なかったことをやろうとするのは常につらく楽しい。

[3457] Feb 18, 2019

またひとり後輩がいなくなる。いくつも同じチームで働き、よくご飯も一緒に食べた、長い付き合いの後輩だ。辞める理由は「うんざりした」。気性は荒いが優秀だった。彼を使いこなせなかった上司、チーム、会社に責任があると言わざるを得ない。▼そのチームでは彼だけでなく若手が何人も辞めた。病んだり、倒れたり、他の部署へ逃げ出したり。そのたびに議論されるのは、なぜ人がいなくなるのかではなく、いつ代わりの人が来るのかだったそうだ。所属していない場所のことを噂だけで悪く言うのは心苦しいが、どこから入ってくる情報も一貫して「最悪」を告げている。ロクなチームではなかったと推測するしかあるまい。▼残る問題はマネジメントの処遇だろう。中間層が責任を取って、チームのトップはお咎めなしという、お決まりのパターンになるのかどうか。今回もそうならいよいよ会社も危ないですよと彼は言っていた。他のチームながら行く末は少々気になる。

[3456] Feb 17, 2019

帰宅。いろいろあって、みんなつかれた。子どもたちも今日はぐっすり眠ってくれるだろう。眠って欲しい。体調の思わしくない妻の祖母のことも含め、さまざま思うところのある旅になった。▼岡山は暑かった。風は冷たいし、気温も高くはないが、横浜に比べると明らかに日差しが強い。寒さを貫いて太陽が強烈に差してくる。その日射が厚着の我々を汗ばませる。薄着でいいとは言わないが、晴れの国に適した服装は別にあると思った。慣れていないせいもあるが、とかく旅の装いは難しい。▼リュックは結局買わなかった。駅前に好日山荘があったので吟味はできたが、帰り道のためだけに短時間で決める決心がつかなかったし、いざ出発が近くなると時間もなかった。慌ただしく試着してみた限り、ミレーかグレゴリーの65L前後が良さそうだと思っている。次の旅までには買おう。▼長男は常にハイだった。加減を知らず、暴れすぎて何度も怒られた。次男は大人しかった。

[3455] Feb 16, 2019

いざ出発。夜はホテルだが、時間があるとは限らないので朝のうちに書いておく。▼小さなピンク色のスーツケースで行くが、こういうときのために大きなリュックサックがひとつは欲しいと思った。普段使いのリュックでは容量が少なすぎる。昔、修学旅行なんかへ行くときに使っていたような、縦にも横にも大きい大容量の旅行用リュック。移動中の邪魔にはなるが、子ども連れだと両手が空く恩恵は大きい。▼滅多に使わない品だからブランド物である必要はなかろう。そう簡単には壊れない程度に頑丈で、収納の使い勝手がよく、総容量が十分に大きければ何でもいい。ただ、以前、弟のアメリカ行きのために注文した格安の大容量リュックは、サムネイル画像からは想像もつかないほどペラペラの材質だった。それでなくても通販のリュックは安すぎる。画像は全く信用できない。▼ヨドバシカメラ横浜もリュックの品揃えは充実している。帰ってきたら見繕いに行ってみよう。

[3454] Feb 15, 2019

妻の祖母の体調が思わしくないため、今週末は急遽岡山へ。妻と次男が先に立ち、私と長男が後を追う。出発の三日前を過ぎていると、JR東海では新幹線&ホテルパックツアーの申し込みがインターネットから出来ない。新横浜支店での申し込みになった。▼妻と次男はすでに岡山。今晩は私と長男で夜を過ごす。お腹の方は芳しくないが、たっぷり遊びながら帰ってきたこともあり、機嫌は上々だ。明日に備えてぐっすり寝てくれることを祈る。▼新幹線の移動時間はおよそ三時間。以前、福岡まで行ったときの五時間はきつかったが、三時間なら動画を見せていればなんとかなる。外の風景を眺めて大人しくしている坊やではない。iPad頼みにならざるを得ない。▼だが、SIMを差していないので、Wi-Fiが使えない区間はアウトだ。あらかじめ目ぼしい動画をダウンロードしておくしかない。場合によってはiPhoneの方で凌ごう。私も本の一冊くらいは持った方がいいかもしれない。

[3453] Feb 14, 2019

世界を変える。未来をつくる。人々に新たな幸福をもたらす。あるいは、人々を苦しみから解放する。……。▼起業家は夢を語り、自分の纏うストーリーを大事にする。理由の片面は単純だ。そうした方が自分を差別化できる。なぜ自分だけが思いつけたのか。なぜ自分だけが実行に移せたのか。なぜ自分は他人と一線を画すのか。説得力のあるストーリーは、これらの疑問の明快な答えになる。▼しかし、もう片面の理由は倒錯している。投資家が投資しやすくするためだ。投資家、とりわけVCの仕事は将来利益を生みそうなベンチャーに投資することだが、未来の銭勘定は途方もなく難しい。であれば、赤裸々に採算性を主張する者よりも、人類の前進という大志を掲げる者を選んで投資した方が、格好がつく。自分が金のために働いているのではなく、人類の明るい未来のために働いているのだと信じられる。つまり、投資の後味が良いのだ。▼起業家の夢は一種の作法でもある。

[3452] Feb 13, 2019

数日前から目が痒い。もう花粉が飛んでいるというから、そのせいかもしれない。インフルエンザ、風邪、寒波、花粉。いろんなものが襲ってくる。やり過ごしたら今度は梅雨の憂鬱だろう。そうして猛暑が来る。思い返せば去年の夏はひどかった。▼なんだか、四季もへったくれもなくなってしまったと感じる。異常気象、異常経済、異常事態。言われすぎて異常の方が常のようだ。もしかしたら記憶が美化されているだけで、正常だったことなど一度もないのかもしれないが――それでも、過ごしにくい季節が立て続けにやってくるという感覚しか持てないのは、四季を誇る日本の民として些か寂しいものがある。▼ともあれ、目は痒い。一時ほど酷くはないが、慢性化する前に近々眼科へ行こう。花粉が本格化すると病院も混んでくるから、空いているうちに薬を処方してもらうのが良い。そういえば、長らく耳鼻科にも行っていなかった。歯科にも行きたい。一日通院日を作ろう。

[3451] Feb 12, 2019

新年明けてから退職のお知らせが相次いでいる。新人や若手ではない。技術の中堅を担うベテラン層だ。新陳代謝と見るか、崩壊の序曲と見るか。今はまだわからない。▼会社が大きく変わろうとしているのはわかる。前進の意欲は誰の目にも明らかだ。問題は、前進の先に目指す会社のビジョンが共有されていないことにある。経営陣は規模感と野心を語る。しかし、売上高や社員数だけで語られても労働者にはピンと来ない。知りたいのは具体的なイメージだ。要するに、どの会社に近づきたいのかである。▼もっとも、経営陣がありていに「我が社が目指すのは〇〇だ」と他社に言及するわけにはいかないだろう。ただ、はっきり言えないまでも、何かしら匂わせてくれないと推測のしようがない。経営陣が現場にビジョンを共有させたいと思う以上に、現場は経営陣とビジョンを共有したいと思っている。あとは伝え方の問題だろう。大事なことだ。お察しくださいでは通らない。

[3450] Feb 11, 2019

三連休の締めくくり。初めてのトラブルが相次いだ。▼午睡を断固拒否して遊びまくり、夕方になると散歩へ行きたい公園へ行きたいと言いだして寒い中を外出した長男が、なんとお風呂の中で寝てしまった。洗っているときから物静かで、何かがおかしいとは思っていたが、湯船の中で寝たのは初めてである。ちょうど妻が夕食の支度中、次男は大泣きという状況で、私も身体を拭く手がなく困ってしまった。てんやわんやである。▼長男を布団に移植した後。妻が先に風呂へ入り準備を終えて次男を呼んだまさにそのとき、彼がぶりっとやらかした。慌てて足を持ち片手で始末を開始する。しかし、拭き終えたときに第二陣が襲来。予備のおむつが浸食される。すかさず三枚目を敷いたが敵もさるもの、第三陣。つづいて第四陣。五陣。六陣。もはやおむつの差し替えも間に合わず、ついに決壊を許してしまったのだった。▼午後八時。長男はまだ寝ている。とんでもない兄弟である。

[3449] Feb 10, 2019

Synchronシリーズに新たな仲間。Synchron Concert D-274。待望中の待望、Stainwayである。▼サンプリングピアノ音源界に激震を与える登場だ。圧倒的なリアリティとプレイアビリティ。加えてハイエンドモデルにふさわしいカスタマイズ性。ハーフペダル、リペダルにも対応している。スペック上は非の打ち所がない。▼もちろん欲しい。欲しいが、待ちたい。ここまでピアノはベーゼンドルファーだけでやってきたVieenaである。Synchronにラインナップされないはずがなかろう。私もまたIvoryやIvoryIIの時代からずっとベーゼンドルファーだけでやってきたわけだから、どれかひとつだけ手に入れるとしたら、ヤマハやスタインウェイよりは長年の相棒がいい。待とう。急ぐ買い物ではない。▼新しい音源が出ると、新しい意欲が湧いてくる。たとえそれを手に入れていなくてもだ。自分が関わる世界の前進は、それだけで自分の活力になる。半径一歩の繁栄は常に喜びである。

[3448] Feb 09, 2019

長男が急に「ワン、ツー、スリー」と言い出した。そうして、「フォー、ファイブ、シックス、セブン、エイチ、ナイン、テン」と流暢に言ってのける。教えてはいない。いつの間にか、動画を見て勝手に10まで覚えてしまったようだ。ただしエイトをエイチと言っているのはご愛嬌。Hと混同しているのだろう。▼個人的には、外国語を学ぶ前にまず母国語に対する理解をしっかり深めるべきだと思っている。つまり、早いうちから英語教育をするつもりはない。しかし、インターネットを通じてランダムに触れる情報がこうも英語に偏っていると、子どもは勝手に英語を覚えてしまう。五十音より先にABCを覚えてしまったのも、まったくの誤算だった。▼とはいえ、深刻には考えていない。そういう時代なのだ。家にあるデバイスで自然に遊んでいるだけで、押しつけて教育しているわけではないのだから。自然が一番だ。それはきっと、時代に即した学びになっていくだろう。

[3447] Feb 08, 2019

ヒーローには困難が畳みかける。最高のプランはいつも台無しになり、最低の悪あがきだけが残される。それでもヒーローは諦めずに道を探す。もちろん、たとえ一時的には目的から遠ざかろうとも、窮地のヒロインを助けることも忘れずに。▼以前、ストーリーテリングの本で読んだのは、この「困難が畳みかける」ところでヒーローに手心を加えてしまう新米作者が多いという話だった。作者はみんな自分のヒーローが可愛い。だから、無意識のうちに彼を助けようとしてしまう。苦難がぬるすぎる。救いが早すぎる。▼それでは駄目だ。どれだけヒーローをいじめてもやりすぎということはない。とても見ていられない。神も仏もない。さすがにあんまりだ。無惨だ。誰もがそう感じるほど過酷な運命を与えなければ、強いヒーローは生まれない。とことん残酷になること。それが新米作者の最初のハードルである。▼自分のヒーローを信じよう。彼は何よりも強いはずなのだから。

[3446] Feb 07, 2019

リスニングの勉強といえば、洋画鑑賞。個人的には、映画はコンテンツへの没頭に意識を持っていかれるので、言うほど「勉強」になるとは思っていないが、通勤のお供に映像コンテンツに触れるのは刺激になるので悪くない。▼アマゾンプライムが役に立つ。適当に名作をピックアップする目的なら十分すぎるくらいだ。字幕は消せない作品が多いので、よく言われる「洋画を字幕なしで聞き流す」学習法には使いにくいが、私はむしろ英語表現と邦訳の対照を見ていきたいので、字幕はONで良い。第一、聞こえない部分が多くて試聴自体がつまらなくなっては本末転倒だ。高地トレーニングはディクテーションや問題集でやればいい。▼最初に『プリズンブレイク』を選んだ。単に、カテゴリ内で最初に名前を知っているタイトルだったので。通勤の片道がちょうど一話になるのも良い。野球が始まると帰り道は観にくくなるが、それまでにシーズン1くらいは最後まで観てみよう。

[3445] Feb 06, 2019

リスニングの弱点を把握するためにディクテーションを始めた。▼これまでちゃんとやったことはない。単に面倒くさかったからだ。しかし、そうも言っていられなくなった。聞こえない文がありすぎる。これでは長文の聴き取りなど出来るはずもない。さいわい今はプレイヤーと紙とペンの機能をスマホが全て代替してくれる。外出中でも進められるのはありがたい。▼ディクテーションはリスニング力強化の万能薬などと言われるが、私はそこまで一択の手法とは思っていない。脳内で再現できるなら、その方が書く手間がない分だけ速いし、言語習得の手法としては自然だろう。それでも敢えて書き出すことのメリットは、自分が聞こえていない音の「列挙」にあると思っている。書けなかった音のリストは、書けなかった文字として記録に残る。これがそのまま自分の弱点リストになる。故にリストが出来上がったら、そのときは他の手法を検討しても良いだろう。一択ではない。

[3444] Feb 05, 2019

誕生日。平和な誕生日。▼銀行へ行く。アメリカンエキスプレスから届いた手紙に、振替申込書の判子が銀行の届出印と相違するとの知らせがあった。▼心当たりはある。三井住友に口座開設してからしばらくの後、とある重要な書類で使った判子が実印と相違するとの連絡を受けて大慌てになったことがあった。妻と印鑑が入れ替わっていたのだった。同じケース。同じ判子である。いつから入れ替わっていたのかもわからない。恐ろしい話である。ひとまず交換して、私の実印には改めてシールを貼ることで事なきを得た。▼しかし、銀行に届け出たときにはすでに入れ替わっていたという説も捨てきれなかった。その捨てきれなかった可能性が現実になった。使われていた印鑑は妻の印鑑だった。修正しなければならない。▼新旧の印鑑とマイナンバーで登録修正は簡単に済んだ。待ち時間の方が長かったくらいだ。あとは振替申込の再送である。他に事案が出てこないことを祈る。

[3443] Feb 04, 2019

足りない。間が足りない。ちっとも足りない。▼こういう場面、やりすぎてやりすぎるということはない。自分の力量を超えるものを書こうとしているわけだから。パワー不足でホームランを狙っているようなものだ。バットを制御できる全力が100なら、120で振り抜いてラッキーなクリーンヒットを獲りに行くしかないだろう。▼ここから先、たぶんやりすぎ注意はない。常に「やらなすぎ注意」である。煽らなすぎ注意、盛り上げなすぎ注意、思い切りなさすぎ注意。▼イントロからAへの繋ぎが出来たら、大きなポイントは残り3つだ。流れに乗じてポイントを通過できればゴールが見えてくる。強い気持ちで行かないと、日和って中途半端な出来栄えになってしまうだろう。凡フライだ。それならいっそテクニカルにヒットを狙った方がマシだが、テクニックも持ち合わせていないのだから、観念して振り抜いて、外野の頭上を越えるしかない。全球、スタンド狙いで良い。

[3442] Feb 03, 2019

AppleWatch総評。▼このアイテムで恩恵を受けられる人は、ずばり「何らかの事情でスマホを使えない時間が多い人」だ。荷物や子どもの世話で両手が塞がっている人。業務中にスマホを見ているとクレームがつきそうな人。通知の確認も憚られる社風で働く人。できるだけ身軽に運動したい人。スマホをよく忘れてしまう人。……。▼ベストマッチな職業は「主婦」かもしれない。商品のイメージとは裏腹に、普段からスマホでスケジュール管理をしているようなIT系のビジネスマンが身につけても、たいした恩恵はないように思われる。▼とにかく、AppleWatchでしかできないことは何もない。だから、私の音声認識タスク管理がハマったように、スマホでやるのは面倒だが、時計で出来るなら便利という機能が最低でもひとつはないと買っても無駄な装飾品になる。ある意味、面倒を面倒と思わぬ几帳面な人ほど合わないアイテムかもしれない。まったく几帳面でない私には合う。

[3441] Feb 02, 2019

つづき。ApplePayは便利だが、端末の配置によっては不自然な格好を強いられる。背の低い人だと届かないような奥まった場所に置かれていることもあり、血圧測定のように腕を伸ばして決済音を待つ時間の気まずさは何とも言えない。店によってはスマホの方を出したくなることもある。▼音楽操作。再生・停止ができるだけでも十分ありがたいが、シークがないのはやや不満。別窓でもいいから操作できるようにして欲しい。ヘルスケアは今のところ出番なし。日常生活で心拍数を気にすることはない。電車の発車時刻。保育園での準備中など、のんびりスマホを開けているような余裕のないときに残り時間を確認できるのは非常に助かる。ただ、普段は無駄情報になってしまうので常駐に置くかどうかは悩みどころだ。▼現在のところ、やはり通知とTODOがトップ2を担う。音声認識がこれほど高い精度で使えるとは思わなかった。Evernoteのインフォグラフ対応が待ち遠しい。

[3440] Feb 01, 2019

AppleWatch、雑感。購入を迷っている人の検討材料になれば。▼想像通り便利だったのはiPhoneの通知。LINEの会話が終わってスマホをポケットに入れた直後、ブブッとバイブが鳴ったとき。これまでなら取り出して認証して通知内容を見て――なんだ、了解のスタンプか。そんな具合だったのが、さっと時計を見るだけで自動的に了解スタンプが表示される。この速度感である。ボイスが使える場面なら、さくっと声で返事も出来る。解析精度は抜群だ。また、重要なメッセージを放置している可能性がないため、いつもスマホに神経を尖らせている必要がない。この安心感も大きい。▼想像以上に便利だったのはTODOリスト。ちょっとしたことでも、やるべきことが発生したら時計に声で放り込む。自動的に、残りのタスクが最上位からインフォグラフに表示される。時計を見るたび目に入る次の仕事。忘れようがない。声と時計。手軽だからこそ習慣化できるわけだ――つづく。

[3439] Jan 31, 2019

リュックレス通勤について。デメリットをほとんど感じていないが、心理的に本を持って出かけにくくなってしまったのだけは困っている。スキマ時間の勉強もすべてiPhoneに集約しようと試みはしたが、この手の企ては今までことごとく失敗しているので、上手く行きそうにはない。本は偉大である。その偉大なパートナーを持たずに通勤するのはもったいない。▼解決案は二つ。一、ショルダーバッグ。書籍のサイズは限定されるが、リュックよりは身軽になる。ただ、背中に物を負うことに変わりはないので、どうせ背負うなら潔くリュックでいいじゃないかと言いたくなる。いざ、本格的なお出かけのときに、中身を詰め替えるのも面倒そうだ。二、手ぶらのまま本を持つ。収納場所がないからこそ、細かい時間にも読みやすいと考えるわけだ。追い込み方としては悪くはない。だが、ここまで来ると、もはや身軽になりたいのか、なりたくないのか、よくわからなくなってくる。

[3438] Jan 30, 2019

会社の部門間会議がいくつかビデオ会議に置き換えられている。▼今日も、新たに数人がインフルで会社を休んだ。午後退社した人もいて、やはり病院でインフル陽性の診断を受けたそうだ。私の部屋も隣の部屋も、インフルで休んでいる人たちは席が近い。言い訳のしようもなく、会社で感染しているわけだ。▼私の勝手な推測だが、こんな状況でも頭痛や腹痛をごまかしながら出社している人は確実にいる。インフルならもっと高熱が出るはずだ。もっとつらいはずだ。だから風邪だろうと自分で自分を騙しながら働く人たち。白黒ついてしまうのが怖かったり、病院へ行くのが億劫だったり、陽性と診断されたら出社できなくなるのが嫌だと考える社畜だったり。そうして、そういう人たちと、単に自覚症状のないウイルス持ちが、口角泡を飛ばして大部屋で議論を交わし、着々とウイルスを培養していく。鳴りやまない朝の電話。入社以来九年。これほど大規模な感染はなかった。

[3437] Jan 29, 2019

インフルエンザ。会社の同フロアで合計8人の感染が確認された。トイレのドアノブは共有である。パンデミックは避けられそうにない。▼先週のこともあり、会社では常にマスクをしている。手は頻繁に殺菌消毒。トイレの開閉はハンカチで。なんだか潔癖症のようだが、事態が事態である。小さい子どもがいるのだから万全を期していると言えば、変な顔をする人もいまい。▼それでも、たぶん、うつるときはうつる。もう潜伏していて、あとは発症を待っているだけかもしれない。そうなったときはそうなったとき。予防接種による緩和効果に期待しつつお医者さんで抗インフルエンザ薬をもらい、あとはパンデミックに加担しないよう、大人しく出社を控えるしかないだろう。▼ところで、別の部屋で感染した幾人というのが、我が家と同じく二歳差の次男が去年生まれたばかりの先輩の、まさにまわりの社員だったそうだ。どうか持ち帰りませんように。こちらは祈るしかない。

[3436] Jan 28, 2019

AppleWatch、購入。▼やはり通知に価値ありと踏んだ。仕事中、何度もスマホをタップするのは集中力の面でもよろしくない。これでダメならウェアラブルはしばらく無理という割り切りである。時計型が厳しければ眼鏡型が出るまで耐えるしかないだろう。▼時計の見た目はインフォグラフ・モジュラーの方が好きだが、少なくとも時刻表、バッテリー、音楽、日付、天気、メモの6つは常駐させたいし、欲を言えばアクティビティリングとNRCも並置したい――となると、インフォグラフ一択になる。こちらに慣れたら、後はモジュラーの方にタイマーやストップウォッチを割り当て、切り替えながら使っていくことになるだろう。▼最低一週間。使ってみて違和感がなければ常備できるアイテムになると思う。装着の煩わしさ、手首への負荷、充電の手間、などなどを上回る実用上のメリットを感じられるかどうかが焦点になるだろう。デザインや色、サイズ感は気に入っている。

[3435] Jan 27, 2019

良い生活のリズムがもどるまではイラスト探しに集中している。不安定なときは、無理にクリエイティブなことをするより、細かい時間を消費しながら着実に成果を挙げられる労働集約的な作業に没頭した方が得である。▼それに、イラスト探しは待ちに待った私の楽しみのひとつでもある。壮大な息抜きのようなものだ。これしかないという一枚を選び抜くので、数千枚の単位で見ていくが、疲れはしない。ときどき見落としていた神絵師さんを見つけて小躍りすることもあり、昔お世話になった人がまだ活動していて、経た年月の分だけ画力が上がっているのを見て嬉しくなることもある。単に好みの絵を見つけて悦に浸ることもある。いろいろである。▼全体の八割ほど仮決定した。使用を断られたら途方に暮れてしまう「これしかない」もたくさんある。また、残りの二割には第一候補すら見出せていないものもある。まだまだ探索の旅は終わらない。イラストサーフィンは続く。

[3434] Jan 26, 2019

長男がアイスクリームを食べてみたいというので、遠征。しかし、行きつけのジェラート屋でバニラを頼んだものの、初めて見るアイスを前に警戒気味。甘いよ、おいしいよ、と言って美味しそうに食べて見せても、まったく口に入れようとしない。「アイスクリーム食べたい」と言いながら「ぼくいらないの」と言う。この矛盾した感情は本人にしか理解できまい。ついに一口も食べず店を出た。アイスクリームはまた今度だ。▼AppleWatchを試着。ネットで常に評判の良いスポーツループは肌に合わず、絶賛のミラネーゼもそこまで良いとは思わない。むしろ、いまいち評判の悪いスポーツバンドが私にはいちばんしっくりきた。夏場は蒸れそうだが、長く身につけるには刺激が少なくて良い。買うならこれにしようと決めた。▼あくまで買うなら、だが。サイズは小さい方でいいと思う。通知の確認、ApplePay、ランニング記録。主要なタスクはいずれも画面サイズを必要としない。

[3433] Jan 25, 2019

セブンイレブン。日々、通っていたが、子どもが街中のアルファベットを読むようになってから、ひとつ気がついた。看板のロゴマーク「7-ELEVEn」。なんと。良く見たら最後のnだけ小文字ではないか。▼三十年以上生きてきて今まで気がつかなかったというのも迂闊な話である。ただ、この手の話、今のご時世は気づいてしまえば検索するだけ。噂が噂を読んでミステリーが生まれるとか、考察を重ねて面白い説が飛び出してくるとか、そういう可能性がなくなってしまったのは寂しくもある。▼だが、ネットならいつも真相がわかるとは限らない。なぜnだけ小文字なのか、その理由は今のところわかっていないそうだ。最後が小文字の方がデザイン的に丸くて美しいからとか、大文字だけの商標が取得できなかったからとか、所謂「諸説ある」の状態に留まっている。どっちでもおかしくないだろう。もんやりするが、こういう謎も残ってくれた方が世界は楽しいような気がする。

[3432] Jan 24, 2019

ひきつづき嵐の渦中だが、収束には向かっている。妻曰く、疲労感と節々の痛みはあるものの、昨日よりは身体が楽とのこと。熱も37度付近まで下がってきたようだ。このまま何事もなく快復してくれれば、すんなり元の生活にクロスフェードできるだろう。▼帰宅後の家事。どうしても手が空かないので、長男にはピーターラビットのアニメを見せている。「プラネットアース」に飽きてきたから、繋ぎに何か適当なアニメをと思って再生したのだが、これが大ハマリした。ストーリーものに見入ってくれればという思いを叶えられたのでほっとしている。登場人物が何かひどい目に合うと爆笑するのは、いろんな意味で大丈夫なのだろうかと不安になるが、きっとリアクションが派手になるから楽しいのだろう。▼明日を乗り切れば週末になり一段落。土曜は保育園の面談だが、インフルエンザの疑われる家族がいる場合、子どもは同伴できないという。私が単騎で行くことになる。

[3431] Jan 23, 2019

妻がインフルエンザの凶刃にかかった。▼検査は陰性だったそうだが、熱の出始めはインフルエンザでも陰性が出やすく、その医者の見立てでは陽性の可能性が高いという。熱は昨日で38度の前半、今日は38度の後半まで出た。普通の風邪ではなかなか見ない高熱である。見立て通りと思った方がいいだろう。▼菌の繁殖を抑える薬が処方されたが、この薬を授乳中に飲んでいいのかどうかについて、処方した医者と薬剤師で意見が割れたそうだ。医者は、授乳中でも問題ないと言って出したが、調合した薬剤師は渋い顔をして授乳中は避けるべきと主張したらしい。そこで意見が一致しないのも処方される側としては困ってしまうが、投薬効果の実際性・現実性を重視する医者と、定義通りの薬効を重視する薬剤師の間では、しばしば起こる乖離だという。薬の世界も難儀である。▼そんなわけで、我が家に唐突なカオスが訪れた。拡散を最大限防ぎつつ嵐が去るのを待つしかない。

[3430] Jan 22, 2019

キャッシュレスの延長線上で、お試しリュックレス。▼試験的に、鞄を持たずに通勤している。驚いたことに、これといって問題がない。お守りが鞄に入っているので、持ち歩けていないのが気になるくらいだ。一方、メリットは大きい。混雑した電車も荷物を気にしない分いたって快適だし、座るときにリュックを前に持ち直す必要もない。出社時は入室して着席、打刻。帰宅時は席を立ってそのままさようなら。何をするにも身が軽い。羽が生えたようである。▼だが、毎日これでいいとは断言しにくい。長財布を持っていない以上、各診察券がないので急な通院には対応できないし、銀行のカードもないので現金が不足した場合は打つ手がなくなる。予定外の荷物が増えたら鞄を持つ以上に手は塞がってしまうだろう。今はトラブルがないので快適さが目立っているだけのことだ。手ぶらと重装備のほどよい妥協点を探ったら、案外、ハンドバッグあたりに落ち着くのかもしれない。

[3429] Jan 21, 2019

AppleWatchが欲しくなるシーン五選、実体験版。▼一、職場で着信を確認したいとき。これは前に述べた。二、次男のウンチが暴発してヘルプを求める連絡をしたいとき。すでに足を抑えている状態ではとても携帯の操作などできなかった。三、通勤中動画を観ている最中にラインの連絡が来たとき。とくに断続的な短い応答を要求される会話が発生すると返信のたびに動画を中断するストレスに晒される。時計から定型文応答できるだけでも随分楽になりそう。四、子どもを追いかけまわしつつ連絡を待ちたいとき。たとえば外出先で次男の授乳中に長男を預かっている場合など。授乳完了連絡を見逃したくないが、長男から目を離せないので。時計に連絡が来ればどんなに楽かと思う。五、洗い物中。ゴム手袋を外してチェック&返信を行うのは実に煩わしい。▼それでも購入に踏み切れないのはやはり値段が高いから。時計自体をうっとうしいと思う可能性も捨てきれない。難しい。

[3428] Jan 20, 2019

Siriが思いのほか使いやすい。秘書もどきのお遊びと思っていたが、侮っていた。▼実感したのは昨日。みなとみらいで薬局へ行きたくなり、マークイズにあるのかどうかを調べたかったが、二人の子どもを抱えた状態でスマホの検索窓にちまちま文字を打っていくのは面倒くさい。そこで思い立ってさっとSiriを起動し、「マークイズみなとみらいに薬局はある?」と聞くと、ハックドラッグ@マークイズB2Fと出る。なんと。めちゃくちゃ簡単じゃないか。ちょっとした感動だ。▼一人だけで外にいるときは気恥ずかしいが、子どもが一緒ならSiriに話しかけても不自然さはない。子どもを連れて外にいるときの調べものには、今度から積極的に使っていこう。iPadのときはホームボタンのタップミスで立ち上がる無用の長物だと思っていたが、撤回だ。▼尚、昨日のお出かけは食事から施設廻りまですべてApplePayで完結した。これだよ、私が求めているキャッシュレスの体験は。

[3427] Jan 19, 2019

みなとみらい駅直結、マークイズみなとみらい5階。大自然を身体で感じる体験型ミュージアム「オービィ横浜」へ行く。▼長男は例によってお腹の周期が悪く、朝からべったり張り付き気味。それでも体調が悪いわけではないからとみなとみらいへ繰り出したが、行きの電車で仮眠した後も、寝ぼけているのかいまいち元気がない。オービィではロクに展示も見ず、ちょっと歩いてはすぐ抱っこ。唯一、活気を取り戻したのが展示と直接関係のないプチアスレチックで、そこだけは熱心に遊んだが、他は素通りであった。▼その後、フードコートでうどんを食べて次男の授乳待ち。寝ぼけが醒めたのか、うどんからエネルギーを得たのか、今度は打って変わってはしゃぎまくった。走る、逃げる、お茶をぶちまける。やりたい放題である。結局、今日もまた長男の激しい荒波に翻弄される一日となった。▼「オービィ横浜」のことについてちゃんと書くには、もう一度訪れる必要がある。

[3426] Jan 18, 2019

ほっともっとの業績が芳しくない、という話題になった。なんでだろう。コンビニの弁当が美味しくなって、優位性が失われたのかな。そんな話をしつつ、ぶらっとほっともっとへ行ってみる。ちょうど弁当でも食べたい気分だった。▼ところがカードの利用ができない。現金、またはオリジナル電子マネーのMyHottoMottoでのお支払いしかないという。短距離のお出かけはすっかりキャッシュレスである。先のセブンイレブンまで足を延ばしてパスタを買うことにした。▼大手のチェーンが現金のみを貫くメリットがいかほどのものか知らないが、少なくとも私の客足は遠のいたわけだ。カード不可、交通系ICすら使えない状態でオリジナル電子マネーもなかろうと思ってしまう。流行に形だけ乗っかったところで根本的な不便が解決されなければ仕方がない。業績悪化といっても営業利益率の悪化らしいので関係性は疑わしいが、一利用者として違和感はある。つぶれないで欲しい。

[3425] Jan 17, 2019

AppleWatchを見る。▼腕時計すらつけない自分にはまったく無縁のデバイスだと思っていたが、ディスプレイの常時点灯がなくなったことでスマホを持たずに各種着信を知る方法がなくなってしまい、保育園からの呼び出し、家族からの緊急連絡、銀行・行政関連の告知など、しばしば訪れる重要な連絡を長時間見逃してしまう可能性が出てきた。家なら問題はないが、職場ではそうそう頻繁にスマホを操作するわけにもいかない。視線を送るだけで着信の有無をチェックできた常時点灯は、思いがけず重要な機能だったのだ。▼その代わりとして浮上する選択肢がウェアラブルである。改めて触ってみた感想は、薄くなった最新型でもまだ分厚い、出来ることはそれほど多くない、バンドの品質が使い勝手に大きく影響しそう、とにかく値段が高い、の四つ。高価格ながら生活を劇的に変える機器ではないので、まず「贅沢品」の部類に入る。二の足を踏むには十分なハンズオンだった。

[3424] Jan 16, 2019

家の電話が鳴る。とっさには動けない状況で、立ち上がりが遅れてしまったが、呼び出しが長い。何か緊急の連絡かもしれない。慌てて駆け寄って受話器を取る。「このたびauひかり回線をお使いの方に、ご利用料金がお安くなるご案内を差し上げております。」▼この手の勧誘電話、はっきり違法になってくれないものかと思う。何十回目だろうか。あたかもauひかりから新プランが登場したとか、利用料金を一律で引き下げることになったとか、そういう語り口で話を進めてくるが、なんのことはない、NTTの名前を出さないNTT回線への勧誘だ。だから、スマートバリューや家族割を引き合いに出すと、すかさず電話を切る。▼本物のauひかりから電話が来るとも思えないので、最近はauひかりの名前を出してくる相手には、会話と無関係に「スマートバリューがありますので」と切り出すようにしている。最短終了でお互い得しかなかろう。だが、受話器を取る労力は帰ってこない。

[3423] Jan 15, 2019

トランポリンの導入を検討している。検討なので、まだ買うと決めたわけではない。子どもたちのために欲しいが、危なくないのかとか、置く場所はあるのかとか、夜に遊んだらうるさくないかとか、いろいろなことを考える。▼音については、バネでなくゴムのタイプなら、それほどうるさくはないようだ。ゴム製なら飛び上がる高さもバネより低く、安全に遊べるという。ただ、高くないといっても不安定な足場ではしゃぐことには変わりないので、足がもつれてフレームに顔をぶつけたり、勢い余って飛び出して頭から床に落ちたりする危険性はある。ほとんどの商品が対象年齢を3歳〜としているあたり、2歳5ヶ月の長男には少々早いようにも思われる。▼置く場所は和室が候補だが、仮に大人も乗るとすると、細い脚で支えるタイプは畳をへこませてしまう恐れがある。物理的に大きい買い物なので、買ってみて場所がないという事態は避けたい。地味に悩ましい遊具である。

[3422] Jan 14, 2019

どんど焼き。次男と一緒に門松と鏡餅の飾りを持っていく。置き場に添えて即退散。餅は食べなかった。▼本来の小正月は明日十五日だが、最寄りの神社は本日開催。どうも焼くのは十四日の夜でもいいらしい。どんど焼きではなく「せいと焼き」と呼ばれていた。別称のようだ。もとよりどんど焼きも左義長の一呼称。辞書を紐解くと、ここに列挙したら四百文字が埋まってしまうくらい様々な呼び名が現れる。このあたりの言語的な揺れがいかにも伝統行事らしい趣だ。▼大々的に催すところは祭の規模でやるようだが、われらが神社はちょっとした町内会の集まり程度。土俵ほどの焼き場に仮設テントがいくつか並んで、希望者が酒や肴を持ち寄ってわいわいやるという格好である。まだ参加したことはないが、元来、どんど焼きは子どもの祭と言われているもの。子どもたちがもう少し大きくなったら連れていってもいいかもしれない。せっかくだから厄除けの御祈りはしてきた。

[3421] Jan 13, 2019

何もできなかった日。長男のひっつき具合が凄まじい。誇張でなく五百回は「抱っこ」と言っている。抱っこした状態でも連呼しているのだから間違いない。千回に届いていても驚かない。▼排便のない日がつづくといつもそうだが、今日はとりわけひどかった。火でもついているかのように、床へ置くと足をバタバタ踏み鳴らして抱っこをひたすら連呼する。座っていてはダメで「立って抱っこ」を要求するのはいつものことだが、今日は立ってもダメだった。あっちへ行け、こっちへ戻れと言い続けて永久に満足しない。足が胸を駆けあがって、肩や頭の方によじ登っていく。降りる降りると言い出す。降ろすとすぐに抱っこ抱っこと泣き喚く。……。▼溜まっていたものが放出されたのは午後六時半。それまでは私か妻か、どちらかが常に抱っこの状態であった。予定していたお出かけも何もできなかった。二ヶ月の次男があきれ顔で見つめる、スタイをつけた二歳半の長男である。

[3420] Jan 12, 2019

長男、はじめてのハンバーガーを食べる。▼マジックテープでくっつけて切るタイプの木製のおままごとセットに「ハンバーガー」があった。バンズ、肉、トマト、レタス、バンズの形でくっついていて、これを木製包丁で切っていく。パーツが多くて長男もお気に入りの食材だ。しかし、冷静に考えると、ハンバーガーを素材別に切り分けていく機会などない。他の食材は切って焼いて食べるまで、それっぽいゴッコになるが、ハンバーガーだけはやっていることが意味不明である。これはよくない。ハンバーガーについての誤解を正しておかねばなるまい。▼そういう大義名分のもと、今日はマクドナルドへ行った。普通のハンバーガー。トマトもレタスもないが、バラさずにまとめて食べさせることに意義があると考えてサイズの小ささを優先する。最初は怪訝そうに遠ざけていたものの、一口食べたらもう止まらず、まるごと平らげてしまった。気に入ったようでなによりである。

[3419] Jan 11, 2019

午前二時。布団から這い出してきた。この季節、この時間に起きてくるのはつらい。▼長男の寝かしつけ。すんなり寝てくれるときはいいが、一時間も二時間も粘られるとこちらの方が先に眠くなってしまう。そのまま寝てしまうこともしばしば。インフルエンザのときでも欠かさなかった400ではあるが、つかれてまどろむ冬の夜は、正直、あのとき以上にさぼりたくなることもある。▼それでも続けているのは、前にも書いたが、続けているからという理由以外にない。ささやかな使命感みたいなものだ。使命感は、ときにこうして身体に鞭を撃たせることもあるけれど、平時には有無を言わさぬ力で業務の遂行を助けてくれる。率先して弱い心と戦ってくれる頼もしい味方でもあるのだ。▼プライベートでも仕事でも、適度な使命感はトータルで見れば私を楽にしてくれると思っている。こんなことを書いている間にまた長男が起きた。なかなかぐっすり寝てくれない兄弟である。

[3418] Jan 10, 2019

『プラネットアース』を子どもと一緒に観ている。▼アマゾンプライムビデオで無料配信されていた。動画サイトで好き勝手にコンテンツめぐりをさせるより健全だろうということで、動画を観たいと言い出したときはアマゾンプライムビデオを立ち上げるように導線を切り替えた。最初のうちは再生中の画面をタップして「その他の動画」リストが出てこないことに怒っていたが、そのうちそういうものだと諦めがついたのか、今ではおとなしく地球の大自然を楽しんでいる。被写体のいないシーンでナレーションの独白が続くと早送りで飛ばしたがるが、字幕が読めるわけでもなし、それくらいは仕方ない。▼やはりというか、魚の出てくる回がお気に入りだ。逆に、途中で放棄したのはジャングル。「ジャングルはきらい」とはっきり言った。鬱蒼と生い茂る木々の映像が、子どもの目にはやや退屈なのかもしれない。▼先日から『ブループラネット』も見始めた。大人でも面白い。

[3417] Jan 09, 2019

長男に眼鏡を破壊されたので早朝から修理へ行く。破壊と言っても鼻当ての曲がりで済んだが、担当者にはかなり曲がってしまいましたねと言われ、調整も難航しているような様子であった。ありがたいことにちゃんと元通り直していただけたが、何度もやると劣化して亀裂が入ったり折れてしまったりすることもありうると言う。何度もやられそうなだけに不安が募る。▼回避の難しい破壊は、膝に抱っこして遊んでいるとき、子どもが急に頭を上げてきた場合だ。今回もそれだった。特に、こちらが何かに凭れていると、たとえ反応できても後ろにのけぞって避けることができない。手が塞がっていたら詰んでいる。横にひねって腰でもやってしまったら、それはそれでたいへんだ。▼子どもが明確に悪いことをしているわけでもないので、言って聞かせるにしても難しいところ。後ろに人がいるときは急に頭を上げないでね、というメッセージが伝わるにはまだ時間がかかるだろう。

[3416] Jan 08, 2019

大詰め。最後の一曲への繋ぎを構築中。流れは見えているので、そんなに時間はかからないはずだ。▼繋ぎの前の「D」は難航した。予想以上に時間を取られてしまった。あっさりとは言わないまでも、仕上がりの良い「C」の流れを汲めば素直にテンションを橋渡しできるだろうと思っていたが、これが案外難しい。盛り上げるわけでも、落ち着かせるわけでもなく、ただ気持ちを切らさずに前へ推進するパート。やりすぎもだめ、やらなすぎもだめ。百点満点の必要十分が求められるようなデリケートな場所では、知識と経験値がモノを言う。つまり、もっとも苦手なところである。▼とはいえ、二回の全消しと構築用のパーツの組み換えの総当たりで、やってはいけなそうなことを炙り出しつつ、なんとか納得の行く状態まで漕ぎつけることはできた。できればこの手の苦労は多くてもあと一回か二回でラストを迎えたい。あんまり詰まるようではクライマックスの流れも悪くなる。

[3415] Jan 07, 2019

iPhoneに移行して不便になった点も記しておこう。▼一、Kindleが使いにくい。アプリ内購入できないし、操作感もイマイチ。これはAndroid版の方が優秀。二、Youtube公式アプリに「戻る」ボタンがない。戻る機能を使うには、Safariから動画を開く必要がある。これは地味につらい。三、「5ちゃんねる」系のビュアーが制限される。一部のスレッド/レスは有害なコンテンツと判断されるようだ。四、未公開のアプリをインストールできない。裏技的な方法があるのかもしれないが、少なくとも簡単な方法はない。▼今のところはこれくらいか。あとは、iCloudの容量購入を執拗に進められるのがうるさいとか。些末事である。個別のアプリについて言えば、作りかけの曲を自動でモバイルに同期するためのOneSyncがiPhoneに無いのは残念。iTunes経由で同期せよということだろうが、wavファイルが開けないのでファイル変換の手間が生じる。この一手間がちょっと面倒ではある。

[3414] Jan 06, 2019

ツイッターを再開した。四年ぶり。理由はいろいろあるが、きっかけはiPhoneになったので。操作性もいいし、もしかしたらSNSもまたひとつくらいこなせるかもしれないという期待が持てた。それに、せっかくデバイスが変わったのだから、ひとつくらいアプリとの付き合い方も新しくしてみたくなる。新しいことはしたいが、新しすぎるツールの習得にリソースは割きたくないので、旧ツールへの回帰がちょうどよかった。▼当時、辞めた理由を明確には覚えていない。たまたま呟くことがなくなってフェードアウトしたのかもしれないし、創作と無関係のコミュニケーションに時間を取られすぎるとか、もっともらしい言葉の発信によって創作欲が代替されてしまうとか、何かしら悪影響があったのかもしれない。同じ轍を踏まないように、アプリの位置もメインには据えず、ほどほどの距離を保っていこう。当時より自由な時間も少ない。いつまた辞めても構わない程度でいい。

[3413] Jan 05, 2019

120円のペットボトル緑茶に+10Pの札がついていると、たいへんなお買い得品に見える。通常は1Pしかつかないのに、なんとお茶一本で11Pがもらえるのだ。どうせお茶が欲しいのである。これを選ばない手はない。▼でも、もしこれが「+10P」ではなく「10円引き」だったら……。たぶん、たいして食指は動かないだろう。緑茶が110円。まあ、安いと言えば安いけれど。それなら業務スーパーの方がもっと安い。きっと私も110円のことは忘れて、120円の飲みたいやつを買うだろう。▼オリジナルのポイントシステムがなくならない理由もわかる。消費者心理を追求すればするほど、どうしても外せない要素になるのだろう。貯まる楽しさ、貯める嬉しさ。純粋な損得勘定を超えた所で買い物をさせる魔力がポイントにはある。▼いくら得したとか、何円分の価値があるとか、そういう次元でポイントと付き合うのはきっと良くない。ポイントは娯楽なのだ。

[3412] Jan 04, 2019

現金払いとは何だったのか。ApplePayが便利すぎて困る。▼非接触型決済の利便性は言うまでもないが、特筆すべきはローソンだ。ポンタカードをWalletに追加しておけば、支払いのときにiPhoneをかざすだけで「メインクレジットカードでの決済」と「ポンタカードへのポイント付与」が同時に終わる。クレカとポイントと、わざわざカードを探してきて二枚出しする必要がないのだ。▼実に素晴らしい。我が家からは等距離にセブンイレブンとローソンがあり、今まではセブンイレブンを主戦場にしていたが、これからはもちろんローソンに切り替える。おまけにポンタは今、ApplePay&iPhoneでの支払いでポイントが四倍になるキャンペーンを実施している。ポンタP->ANAマイルとSPG->ANAマイルを合算すると、なんとマイル還元率は3.91%となる。恐るべき還元率ではないか。▼ポイントのために無駄な買い物をする必要はないが、どうせ買うならお得なところで買う方が楽しい。

[3411] Jan 03, 2019

iPhoneXR、短評。▼iPhone/iOS自体は想像以上に使いやすい。各画面で、ガイダンスがなくても何をすればどうなるか、ある程度の想像がつく。想像した通りに指を動かすと、たいていやりたいことがちゃんとできる。Android->iPhoneよりiPhone->Androidの方が難しいと言われる理由もわかる気がする。▼心配していたFaceIDは全く問題ない。というよりも、きわめて快適に使えている。画面を見ているだけであらゆるロック画面・ログイン画面をすいすい通過していくのは実にストレスフリーだ。アカウント登録式のアプリの使い勝手は今までより遥かに良くなった。ひとたびこれに慣れてしまったら、パスワード入力だの指紋認証だのはやっていられなくなる。賛否両論あるのは知っているが、今のところ私は大いに賛成だ。ただしマスクは未解決の課題。こればかりはマスクありでも判定してくれるような進化を待つしかない。▼そうして、最高に便利なApplePayについては後日。

[3410] Jan 02, 2019

iPhoneに電撃移行した。▼最新型のiPhoneXRが正月特価で28000円。オンラインでiPhoneXがMNP限定で値引きされていることなどを材料に交渉を進めたところ最終的に12000円まで落としてもらい、さらに3日までのお年玉企画で10000ポイントのキャッシュバックを頂戴して、なんと2000円でのiPhone最新化&au出戻りを実現した。完璧である。▼iPhone移行の決定打はアメックスのAndroid非対応。au出戻りの理由は格安SIMが横浜駅の一部と昼食時に繋がらないことと、12GB利用前提では月額にそれほど差が出なかったこと、さらにはiPadを外で持ち歩かなくなりシェアSIMが要らなくなったことなど。格安SIMは通信料が少ない人でないと恩恵を受けにくい。最新型のiPhoneでネットを潤沢に使うなら大手キャリアの方が総合的に得と判断した。▼iPadで慣れているのでOSの違いはそれほど気にならない。アプリ移行は面倒だがひとつずつ手作業でやっていく。無駄を省く良い機会である。

[3409] Jan 01, 2019

新年あけましておめでとうございます。今年も400をよろしくお願いします。▼今年の抱負。大崩れせずに万事乗り切る。抽象的だが、これに尽きる。プライベートでも仕事でも、今年は重要な「承」の時期。変化や刺激を追い求めるのではなく、きっちりとステップを踏んでいく。あれこれと挑戦的なことに気を散らさない。そういう年にするべきだと思っている。▼もとより、子ども中心に生活が動くようになると、時間にせよ移動にせよ物理的な制約がとにかく大きいので大志は掲げにくい。忙しい時期ほどいろいろやろうというスタンスのつもりではいるが、0歳児と2歳児の同時進行とプロジェクトのマスターが重なる予定を前に、あれもやりたい、これもやりたいというのは無謀が過ぎる。無謀に挑んで崩れてはいけないところが崩れてしまったら、来年以降の見通しにも悪影響が出てしまう。なので、今年は安定志向である。▼仕事も、育児も、趣味も、楽しんでいこう。

[3408] Dec 31, 2018

2018年、終了。いろいろあった年だった。その分、長く感じた気がする。▼今年、こう過ごしたいという年始の思いは八割方叶えられたと思う。忙しいし、うまくいかないこともあったが、それはそれとしてよい生活が送れた。健康面に影は差したものの、重篤な病気には誰も罹っていない。それだけでも御の字というものだ。▼ただ、件の編曲を完成させるという目標は達成できなかった。どこで詰まったというわけでもないから、見積もりの甘さと言うしかあるまい。強いて言えば今現在、最後の曲に繋げる流れのところで苦しんではいるが、ドツボに嵌る前に全消しを強行したおかげで少し光明が見えている。ここが決まれば最後まで雪崩れ込めそうだ。▼だから、来年の抱負に曲の完成を掲げることはしない。これはもはや当然とする。それにしてもこんな大晦日の夜まで付き合っている趣味である。まるで悩むのが目的のようだ。死ぬまでやっているだろうとつくづく思う。

[3407] Dec 30, 2018

乾燥して指がかさついているせいか、本体側のセンサーの故障か、携帯の指紋認証がうまく働かなくなってきた。何度登録し直しても「一致する指紋がありませんでした」「画面全体を覆うようにタッチしてください」などと言われてしまう。最近のロック解除は専らPINか顔認証だ。こういうとき、気軽に端末交換に持ち込めないのはSIMフリー端末の弱点である。▼ロック解除は顔認証で事足りるが、困ったのはアメックスの公式アプリの方。10分毎に自動ログアウトされる上、パスワードの保存ができないので、指紋認証が効かないと毎回英数字のパスワード入力を求められてしまう。なるべく手軽に使用履歴やポイントを確認したいメインカードのアプリで、この利便性低下は痛い。指紋認証が直らない限り、利用額はマネーフォワードの方で確認せざるを得なくなってしまう。▼まだ機種変更する気はないが、次の端末選びのときは認証方式についても一考の余地がある。

[3406] Dec 29, 2018

ローソンでコンタクトレス決済を試す。カードで、と店員に伝えて端末にかざすと、ピッと鳴って瞬時に決済が終了した。素晴らしくスピーディーだ。IDのように、タッチしてから決済確定までの微妙な間がない。店員さんも、私も、ときどき「まだですかね?」と言ってしまう、あのラグがないのは快適である。交通系と同じ感触と言って良い。▼難点はある。最大の難点は対応店舗の少なさだが、たとえ対応店舗でも店員がコンタクトレス決済の存在を知らない可能性が高い。まさに今日のお試しでも、カードをかざそうとしたら「クレジットカードは手前の方に差し込んでください」と言われてしまった。コンタクトレスだから大丈夫だと思いますよ、とこちらが言っている間に決済完了。店員さんも訝しげである。▼何とかペイとか払いとか、案の定、日本の電子決済はガラパゴス化してしまった。最大の被害者は店舗のスタッフに違いない。全て把握しろというのが酷である。

[3405] Dec 28, 2018

アマゾンの通販サイトとしての使い勝手が著しく低下している。黎明期から長らく使ってきた身として切に思う。昔は、アマゾンで商品を探して、商品の評価を見て、商品を購入していたが、今は「購入する」のプロセスしかアマゾンでは行っていない。探そうにもスポンサープロダクトや正体不明のメーカーが出している格安品に埋もれてまともな商品が見つからず、レビューは不自然な日本語で書かれた絶賛記事ばかりで何のアテにもならないからだ。最後の最後、「買う」以外の目的が果たせない場所になってしまった。▼アマゾンに期待する機能が「買う」しか残っていないということは、即ち「買う」が他の手段で代替できるようになったらアマゾンは不要になるということでもある。収益が上がればいいというものではない。総合的な体験を誇れなくなったプラットフォームは必ず凋落していく。少なくとも通販サイトとしての顔は、ちょっと雲行きがあやしいと思っている。

[3404] Dec 27, 2018

SPGアメックス、到着。早速、銀行と口座番号を返送してから諸々の支払い情報を移し替えていく。▼毎月支払っているサービスの見直し、整理の良い機会にもなる。Yahoo!プレミアム会員。ヤフオク出品のために払いつづけてきたが、ここ最近は出品することもないし、メルカリやラクマの登場でヤフオクの必然性も薄れてきた。安めの月額だが解約も視野に入れる。ワイヤレスゲート。これはもはや使っていないので完全な無駄。即刻解約する。迷うのはDアニメストアとDAZN。後者は大きめの月額が痛い。ニコニコ生放送が引き続きハマスタの試合を放送してくれるなら、必ずしも必要とは言えない。Spotify。100円期間が終了したらどうするか、これも境界線上。▼あとはここのサーバー代など、必須または準必須と言えるサービスのみ。さいわいアメックスの支払いに対応していない月額系のサービスはなかった。ただ、メルカリやラクマで支払いに使えないのは残念である。

[3403] Dec 26, 2018

検査結果、異常なし。何も見つからなかった。これ以上のことはない。▼早朝の冷え冷えとした空気を吸いながら病院へ。到着と同時に検査衣に着替えて待合室に座る。同志は二十人から三十人。今日は午後も多いわよ、多すぎよ、という看護師さんたちの会話が漏れ聞こえてくる。それはそうだろう。椅子の数が足りていない。トイレの数はもっと足りない。ぎゅうぎゅう詰めの老若男女が、めいめいに洗浄剤をがぶ飲みしては散歩にジャンプにスクワットである。なかなかの絵面だった。▼全て完了したのは午後二時近く。合計六時間かかった。「維新商店」でがっつり空腹を満たすつもりだったが、最初の食事は消化に良いものを食べるようにと釘を刺されてしまい、苦し紛れに麺類なら大丈夫でしょうかと訊いたものの、見透かされたのか、うどんにしてくださいねと言われてしまった。言われてしまったからには仕方ない。言うことはちゃんと聞く。肉うどんを食べて帰宅した。

[3402] Dec 25, 2018

明日は内視鏡検査。▼以前に検査を受けたときは前日の飲食は全面的に禁止だったが、今回は「いつも通り食事をお取りください」と書いてある。きのこ類や果物のような繊維質の食品を採らず、消化に良い物を食べる限り問題はないようだ。方式が進化したのか、検査の種類が違うのか、よくわからないが、食べられるのはありがたい。▼検査開始は午前八時。六時には起きないといけない。午後二時〜三時くらいに終わるというから、帰りに保育園へ寄って長男を連れて帰るスケジュールである。▼ポリープ等が発見された場合はその場で切除することもできるので、ある程度の現金をお持ちくださいとのこと。あんまりたくさん見つかっても出費がつらいと思っていたが、手術保険の説明を見直すと、内視鏡検査でもポリープ切除などの処置が発生した場合は幾ばくかの金額が補填されるようである。ひとまず安心した。クリスマスケーキは明日、帰ってきたら食べることにしよう。

[3401] Dec 24, 2018

カードとコインケースを別々に持つと仄めかした舌の根も乾かぬ内に何だが、オールインワンの素敵な小型財布をみつけたので検討している。エムピウ『ミッレフォッリエ2』である。▼「ミッレフォッリエ」で検索すれば、恐らく「機能的な財布あります」というサイトの極めて詳細な1000日間使用レビューがヒットするので、財布の素敵さについてはそちらを参照されたい。これまでの名刺入れと大差のない小型サイズで、カードの収納力も高く、折りたたまないお札が入れられて、使いやすい小銭入れもついてくる。これがハマるなら敢えてカードとコインを分ける必要もない。▼近くでは横浜そごうのロフトに展示があるようだ。もう少し遠ければ日吉の東急ストア。品ぞろえがちゃんと見たければ新宿の伊東屋あたりへ足を運ぶ必要がありそうだが、『ミッレフォッリエ2』はエムピウでも最大の売れ筋商品らしいので、ロフトでも取り扱いがないということはないだろう。

[3400] Dec 23, 2018

次男の護摩を焚いてもらいに川崎大師へ行く。長男と。▼天気予報が午後から雨だったので波乱の予感がしていたが、これが大師様の御力なのか、運動したあとでなければ寝ない長男坊が行きの京急に乗ったところでコテンと眠り、護摩焚きを依頼してから受け取りまでの一時間も騒がしい喫茶店の中で眠り続け、降り始めた雨の中、大太鼓と鐘の音が響く本堂の傍へ近づいても起きることなく、とうとう帰りの京急を降りるまで目覚めなかったのだ。長男は大師様へ行ったことも知らず、横浜で寝て横浜で起きたことになる。予想よりは遥かに楽だった。▼しかし、起きてからの長男はやはりいつもの長男であった。言うことを全く聞かずに濡れた路面を爆走して滑る。転ぶ。濡れる。制止を振り切って階段を駆けあがる。そのたびにベビーカーを急停止して追いかける。まったくの制御不能、終いには担いで帰るという、いつもの流れである。起床後までは大師様の力も及ばなかった。

[3399] Dec 22, 2018

昨日、書き終えた直後に審査合格の通知が来た。落ちる要素も無くはなかったので、ひとまず安心である。▼キャッシュレス化に向けて次に欲しくなるのはパスケースだ。これまで革の名刺入れをカードケース兼小銭入れとして使ってきたが、カード枚数が増えたせいでポケットは緩んできたし、小銭の重みで本体もヨレヨレになってしまった。ここらでひとつ、小銭入れを別に持ってメインをカードのみのパスケースにしたい。キャッシュレスということは現金の使用を例外とするわけだから、別持ちの方が理には適う。▼メイン使いは三枚構成で、SPG(メインカード)、ソラチカ(パスモ)、VISA(アメックス未対応店用)の予定。Tカードやポンタはごたごたと刺さずアプリに移行する。カード本体は別途大容量のカードホルダーにまとめて鞄に常駐するのがよかろう。長財布、カードホルダー、小銭入れ、パスケースの四分割管理になるが、ひとまず今の理想形に見える。

[3398] Dec 21, 2018

SPGアメックス。まだ審査の合格メールは来ないが、今日、マリオットのアカウントにログインしたら会員資格がゴールドエリートになっていた。合否通知より先に資格が付与されるという噂もあるので、近々、期待してもいいのかもしれない。▼年会費は十分ペイできると判断した。無料宿泊の対象には横浜のベイシェラトンもあるし、ディズニーランドの「シェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホテル」もある。三年後には福岡にも待望の外資系ホテル<リッツカールトン>が開業予定だ。ここは無料対象になるかわからないが、もしなってくれれば我々にとっては最高にありがたい。▼リボを駆使したり何とかルートを通してポイント変換を繰り返したりしなくても、常に1.25%という高レートのマイルが付与される点も魅力的だ。しかもスターポイントは無期限である。あまりの好条件に人が集まっているという話も見るので改悪は懸念されるが、現時点では最適解と思う。

[3397] Dec 20, 2018

横浜駅の百貨店両雄、高島屋とそごう。もしも商品が同じ値段なら、ポイントはどちらの方がお得なのか。▼高島屋のポイントは上限2%。ポイントアップ期間なら4%。そごうは前年度の支払い総額に応じて付与率が変動する方式で、最低2%〜最大7%。ミレニアムカードセゾンで支払いした場合は最低でも5%が保証される。期間限定なら10%近くつくことも。尚、食料品や特価品など一部例外の付与率が1%なのは、高島屋もそごうも同じだ。▼これだけ見るとそごうの圧勝に見える。しかし、高島屋にはポイントカードとは別に「タカシマヤカード」がある。このカードのクレジットで支払いをした場合、最大で8%のポイントがつく。そごうの最大7%を1%上回る設定である。つまり「高島屋ポイント<そごうポイント<そごうクレジット<高島屋クレジット」というサンドイッチの形。どちらが得とも確定はできない。ちゃんと甲乙つけがたいようになっているわけだ。

[3396] Dec 19, 2018

マイラー化と同時にキャッシュレス生活も夢見て計画を立て始める。計画と言っても自分一人でどうにかなるものではない。成るかどうかは生活圏のお店の支払い環境にかかっている。▼以下、カードブランドは略号で示す。今のところ、最寄り駅内の行動範囲でVとMしか使えない店=AやDが使えない店は「業務スーパー」しかない。メインカードはAのつもりなので、残念ながら立ち寄る頻度は下がりそうだ。その他のAが使えない店ではそもそもクレジットカードが使えない。パン屋が全滅。「ミスタードーナツ」もダメ。パン屋さんの「現金のみ」率はちょっと異常だ。個人店ならともかく、大手チェーンでも導入は少ない。薄利多売に4〜5%の上納金は厳しすぎるのかもしれない。▼Aがクイックペイを終了するのは残念だが、コンビニなどでは続々とコンタクトレス決済の導入が進んでいるので、それほど困るとは思っていない。昼食以外はキャッシュレスに出来そうだ。

[3395] Dec 18, 2018

エアコンのクリーニングをする。依頼先はダスキン。ネットで検索するとダスキンよりも安くて評判の良いサービス会社はたくさん出てくるが、もはやネットの評判も汚染されつくしている昨今である。何が真実で何が嘘か、判断する時間も材料もないので、長年の企業実績を重視してダスキンを選択した。▼結果は満足している。エアコンは見違えるようにキビキビと動くようになった。カビだらけのパーツ、ホースを伝っていく真っ黒な水、バケツに溜まるヘドロのような汚水。よくもまあここまで汚れたものだと思う。汚水のバケツを持ち帰って処理してくれるサービスは非常に良いと思った。後を濁さず去っていく清々しさである。▼作業中にいくつか疑問をぶつけたところ、無愛想ながら淡々と答えてくれた。次のクリーニングは、メインのリビングなら2〜3年後、サブの個室ならもっと後でも良いと言う。毎年やった方がいいなどとは言い出さないところに実直さが見えた。

[3394] Dec 17, 2018

鍋にコンビニの半熟煮卵を落とし、さっと掬って食べると旨い。味を占めた私は、その日も鶏スープの鍋に喜々として半熟煮卵(2個セット)を落とした。▼事件は起きた。最初の卵を取って器に置いたそのとき、中腰で箸を伸ばす恰好になったのが災いして、胸元のカップラーメンを倒してしまったのだ。スープはテーブルを走り、私の服と椅子の敷物を襲った。すぐに服を脱ぎ、敷物と一緒に洗濯機へ放り込む。さいわい床への被害はなかった。敷物のファインセーブで、本件は大事に至らず収束したと思われた。▼だが、事件の本質はそこではなかった。煮卵である。二つ目の煮卵は鍋の中で完全な茹で卵と化していた。そうして最初のひとつもまた、余熱ですっかり茹で卵であった。お楽しみの半熟煮卵は消滅した。初期対応を誤ったのだ。服を脱ぐ前に煮卵を食べるべきだったのだ。仕事ならミスにミスを重ねた最悪の失態である。いかなる状況でも冷静に行動するのは難しい。

[3393] Dec 16, 2018

この頃、長男が文章を話すようになってきた。単語の乱発ではなく、ちゃんと日本語として成立する文章を話せるようになっている。現在の状況を踏まえた発言や、過去・架空の出来事についての表現も増えてきた。▼単語時代から文章時代への移行時、親は助詞について熱心に教える。「りんご、落ちた」ではなく「りんご<が>落ちた」だよ、と丁寧に説明する。「バナナ、買わない」と言えば「バナナ<は>買わないね」と言い直す。次第に子どもの方も助詞の用法を学習し、勝手に応用を始めていく。狭くて低い場所へ潜り込んでいくとき。「お父さん<は>できない。**ちゃん<は>できる。」▼反復や暗記でなく、応用として使えるようになった言葉である助詞。その助詞を強調するあまり、まさに「助詞が上がっている」のである。昨日、唐突に「助詞が上がる」件について書いたのは、そのクセがついてしまう理由を、長男のしゃべり方に垣間見た気がしたからだった。

[3392] Dec 15, 2018

他人のスピーチや朗読で、「が」や「は」などの助詞が強調されすぎていると感じたことはないだろうか。とくに気にしたことがなければ、次の機会に「てにをは」と「が」の音を意識して聞いてみて欲しい。▼助詞を強調しすぎてしまうことを「助詞が上がる」という。ボイストレーニングで指摘されやすい項目のひとつである。「あー」「えっと」「あのー」のような言葉のヒゲほどみっともなくはないが、文の発声に不自然な抑揚がつくため流れが悪くなり、どことなく「素人感」が出てしまう。▼助詞が上がらないようにするには、助詞の後ろに続く文の先頭音を意識しながら発声するのが効果的だ。「健康が何より大切ということ<に>気がついたのです」であれば、何より大切〜あたりを読んでいる時点で「気がついた」を強く読むと心に決めて、「健康が何より大切ということに<気>がついたのです」と一気に読む。助詞の後ろに読点を意識しないことがポイントになる。

[3391] Dec 14, 2018

今年のうちにマイル積み立て用のメインクレジットカードを決めようということで、いろいろ比較・検討しているが、なかなか決まらない。本来ならANA VISAワイドゴールド一択なのだろうが、ビッグキャンペーンが直前の11月末に終了していて、時期を逃した感もある。▼最大還元率を実現するためにポイントの迂回変換をしたり、リボ払いに登録しつつリボ手数料を払わないように小細工する必要があったりと、100円=1マイル以上の効率を出すためには一手間かけなければならないのも難点だ。忙しくなってきたら、忘れてしまうか面倒でやらなくなるに決まっている。▼最大の悩みどころはポイントの有効期限。マイラーたちのブログでは、いつも気にしなければならなくてストレスになるという話も出ている。そうなると、レートや年会費は損でも有効期限が無制限なダイナースやアメックスに行きたくなる気持ちも出てくる。飛び回る仕事ならスカイトラベラーでもよかった。

[3390] Dec 13, 2018

長男に引き続き、次男も便秘に悩まされている。生後一ヶ月の状況としては長男よりも悪そうだ。コンスタントに二日〜三日は間が空いてしまう。新生児の排便ペースには個人差があると言うが、「一日一回出ていれば問題はない」という基準からは大きく逸脱してしまっている。明日の一ヶ月検診で対処法を相談してみようと思っている。▼そのせいでお腹が苦しいのか呻くことも多いが、基本的には長男より寝ようと努力する子ではある。ミルクを飲んで満たされていれば一人でぼやっとすることもあり、ときどきはそのまますっと寝入ってしまうことすらある。置けば泣き、一人にすれば泣き、立って抱っこして揺らさなければ泣いていた長男のときにはなかった記憶だ。ただ、それでも一般的な赤ちゃんに比べると総就寝時間は短い。▼便秘が解消されたらもう少し寝てくれるかもという期待と、そのうち兄のように寝なくなるかもという不安が、今のところは入り混じっている。

[3389] Dec 12, 2018

親切と不親切のそれぞれに触れたが、絶対数で言ったら親切にされたことの方が圧倒的に多い。これは間違いない。▼親切にしてくれる人の属性には性差も年齢差もないように思われる。よほど小さな子どもでない限り、助ける人は助けてくれる。ただ、それでも強いて、積極的に関わろうとしてこない率の高いプロフィールを挙げるとしたら、中年男性という括りになる。▼中年男性を一概に悪く言うつもりはない。助ける人は誰であれ助けてくれる。しかし、スーツ姿のおじさんサラリーマンが手を差し伸べてくれた経験は、他に比べるとやはり少ない。同性の若造に手を貸すのはプライドが許さなかったり、単に恥ずかしくて動けなかったり、ちょっとした助けを差し伸べたことがないからどう声をかけていいかわからなかったりするのだろう。そう思っている。それは私がそうなるかもしれない姿でもある。相手が誰であれ自然に体が動いて助けられるおじさんになりたいと思う。

[3388] Dec 11, 2018

ベビーカーで電車に乗ると、いろいろ親切にされることがある。電車の昇降でバランスを崩したとき、とっさに支えてくれる若い男性。ベビーカーからこぼれ落ちた水のボトルをわざわざ電車から降りて届けてくれる若い女性。二人分の連続席を確保できるように向かいの優先席へ移動してくれるご年配のおじいちゃんおばあちゃん。小さな親切を数えたら枚挙に暇がない。▼ところが、全く不思議なことだが、ベビーカーでエレベーターに乗ると、人の不親切を感じることの方が多い。エレベーターが到着するや、さっと割り込んで中に入り、さっさと「閉」を押してしまう謎のご婦人。奥の方から降りますと声をあげても、腰を捻るだけで外に出てくれず進路を塞ぎ続ける若夫婦。扉の前に立ち尽くすベビーカーを見ても満席の優先エレベーターから降りてこない健康な青年達。不思議と言うしかない。▼それもこれも横浜駅がベビーカーに対して不親切すぎるのが悪の根源ではある。

[3387] Dec 10, 2018

コンビニ。妻から頼まれたリプトンのレモンティーが売り切れで、代わりにミルクティーを買う。ミルクティーの隣には『ロイヤルミルクティー』が並んでいた。紅茶に疎い私はわからなかった。ただのミルクティーと何が違うのだろう。▼ざっくり言えば、煮出した紅茶にミルクを入れるのがミルクティーで、茶葉を直接ミルクで煮出すのがロイヤルミルクティー、ということらしい。また、「ロイヤルミルクティー」は和製英語で、英語では通常「シチュードティー」と呼ぶそうだ。まさにリプトンが出した同名の商品によって広く認知されるようになったという。▼後日。再びコンビニへ行ったとき、リプトンの両商品を見て、アッと思った。『ロイヤルミルクティー』のパッケージは涼し気な氷入りの紅茶の絵だが、『ミルクティー』の方は紅茶にミルクが注がれている、まさにその最中の絵ではないか。ちゃんとパッケージで製法の差をアピールしていたわけだ。さすがである。

[3386] Dec 09, 2018

制作。二日前に保存したバックアップまでロールバックする。無念だが仕方がない。盛り上がりに欠けると思い抑揚のカーブを描くのに四苦八苦していたが、どう頑張っても盛り上がるためのエネルギーを充填する時間が物理的に足りない。アゲようとすればするほど無理が目立つ。ここは盛り上げるより持ち上げる感じで、緩やかに上昇気流に乗せていった方が良いと判断した。そう判断したので、盛り上げる流れの分岐ファイルとはお別れした。▼戻ってくると10:0で元の方が良い。完全に迷走していたようだ。しかし、元が良いと言っても贔屓目に見て40点である。及第点にも達していない。いまだに急所は見えてこないが、盛り上げる形の失敗から、ひとつ行くべきでない道は見えているので、総当たりの効率は上がっている。しかし難しい。淡々と行くとクライマックスに向かう推進力が得られない。持ち上げようとすると盛り上がって浮ついてしまう。バランスが要る。

[3385] Dec 08, 2018

保育園のクリスマス会。残念ながら長男は雪辱ならず。今年もお腹のコンディションがよろしくない状態で臨んだため、大泣き大暴れとなってしまった。大舞台に向けた身体の調整が出来る歳ではないので仕方がない。来年に期待しよう。▼関連する話。近ごろは長男とパン屋さんに寄るのがたいへん難しい。トングを持つといって聞かないし、トレイも自分で持つと言い張る。以前、手で支えながら自分でさせてみたが、トングはともかくトレイの方が危なっかしくてしょうがなかった。このままではパンをぶちまけるのも時間の問題だと思い、以後、トレイだけはこちらで持つことにしている。逆にトングの方は持たせていないと素手でパンを触ってしまいそうなので安全のために持たせているが、床に落としたり買わないパンを取ろうとしたりで制御は難しい。気を張ってへとへとになってしまう。▼同じ理由でパン屋を避けている小さな子連れは、それなりにいるような気がする。

[3384] Dec 07, 2018

セブンイレブン『チョコが濃厚なブラウニーサンド』。さほど濃厚でもないモコモコのブラウニーでバニラアイスを挟んだ簡素なアイスだが、これがなかなかクセになる。最近の個人的な当たり商品のひとつだ。▼商品名の誇張が上手く作用していると思う。アイスを物色するときは甘いものを食べたいと思っているわけだが、そこへ「チョコが濃厚な」とわざわざ強調されたら甘いものセンサーには引っかかりやすい。オリジナルブランドで他の商品より値段も安いし、ちょっと買ってみようか、という気になる。▼ところが、いざ食べる段になると、買うときほど甘いものへの強烈な引きは要らなかったりする。看板通りに「チョコが濃厚」であるより、むしろあっさりほどよく甘い程度でいてくれた方が手が伸びやすい。手が伸びやすければ消費も早く、リピートのサイクルも上がる。この好循環はたしかにある。▼購買時と消費時の期待は必ずしも同じとは限らないということだ。

[3383] Dec 06, 2018

21.5インチ・FullHDのサブディスプレイをひとつ、遊んでいたエルゴトロンで右側に吊って、ひとまず新環境が完成した。ヨドバシのポイントで清算できるレベルの格安品。サブなので性能は全く問わない。▼ただ、欲を言えば輝度はもっと落とせた方がよかった。というのも、常時表示するLINEに黒テーマがないので、明るさを最低に落としても輝度の高めなLGのディスプレイだと、右側からキツめの光が眼に飛び込んできて気が散るのだ。案外、馬鹿に出来ない影響力である。その点では低輝度に定評のあるEIZOを選んだ方が正解だったかもしれない。いつか余剰予算ができたら、サブの方が入れ替え候補になる可能性はある。▼その他の使用感は問題ない。32インチ4K&21.5インチFullHDの構成で今のところ完璧と思う。エルゴトロンのおかげでスピーカーにも干渉しない。古い資産を再び役立てられたのも好采配と言える。これでPCまわりは一旦完成。なるべく長く持たせたい。

[3382] Dec 05, 2018

救急車ピーポー来た、と長男が言う。たしかに救急車のサイレンが聞こえてくる。飛行機ブーン飛んできた、と言う。たしかに航空機の音が空から聞こえてくる。一緒になって見上げるとランプを明滅させた大なり小なりの飛行機が雲の手前を飛んでいく。▼救急車や飛行機の音は、私にとっては日常の背景音以上に意味を持たないが、長男にとっては耳を傾けるに値する特別な音である。だから、救急車にしても飛行機にしても、いつも私より長男の方が気づくのが早い。驚くべきはこの聞きなれた音の「聞き落とし力」である。人の脳は、慣れたものには些細な注意すら払えない。▼中級者がいちばん危ないとか、慣れから来るミスは不慣れから来るミスよりも遥かに多いとか、そういう一般論に落とし込める話だが、重要な点は、私が慣れによる聞き落としを長男の存在によって反射的に知ったということである。脳が勝手に落とした情報を認識するには他者の存在が不可欠なのだ。

[3381] Dec 04, 2018

長男、発熱。土日の暴走から動乱の月曜日を経て、ようやく今日は風呂のカビ取りや掃除に精を出せると思っていたら、登園、帰宅、台所仕事、雑務の後にすぐ電話がかかってきて、お迎えの要請である。午前十時五分。予定はご破算となった。▼迎えに行くと、そこには元気に走り回る長男の姿が。ほんとに熱があるのかと疑うほど普段通りのテンションだが、ぐったりしていたり、機嫌が悪くて喚いたり、抱っこ病になっていたりするよりはずっといい。安心したのも確かだ。▼病院では、このくらいなら様子を見ましょうと言われるのみ。予定になかった昼ごはんを買って、想定外の暑さの中、長袖とジャケットの身なりを後悔しながら坂を登っていく。昨晩は夜中に長男が寝ずに喚きまくったこともあって、半分意識が朦朧としていた。ベッドでの暴れようはハンパではない。爆竹のようなやつである。体調不良の予兆を感じて訴えていたのかもしれない。早く言葉にしてほしい。

[3380] Dec 03, 2018

ディスプレイが届いた。32Uk550、新品未開封。ドット抜けや輝点などはない。通販最安値より遥かに安い価格で良品を手に入れることができた。非常に良い買い物ができたと思う。以下、使用感をメモ。▼縦2160は感動。ピアノの最低音から最高音まできっちり画面に入る。ベロシティバーも長く表示できるので細かい調整がやりやすい。もう2K以下の縦解像度には戻れそうにない。尚、16:9は店で見ると四角く見えるが、実際に使い出すと十分横長である。今のところ横はこれで十分という気がする。▼昔持っていたASUSの4Kに比べると画質はさすがに高精細で、100%スケールでも文字の読み取りに苦労しない。すでに100%で慣れている。ノングレアだけに反射カットはOK。昼でも映り込みがなく作業がしやすい。LG全般に言えることだが、明度はやや高め。最低レベルで運用する。▼結論。圧倒的なコストパフォーマンス。格安モデルとしては不満の少ないお買い得モデルである。

[3379] Dec 02, 2018

長男、暴走。休日は忙しすぎて何もできない。何もできないので、次にディスプレイを買い替える条件でも列挙しておく。後で何か自分の役に立つかもしれない。▼一、現行機が壊れた場合。これは仕方ない。時期によっては同型の買戻しでも良い。二、何らかの理由で色再現性が必要になった場合。たとえばAdobeRGBを100%まで出したいとか。しかし実は32UK550も廉価版ながらスペック上はsRGB=100%、DCI-P3=95%と非常に優秀な数字を出しているので、写真にドハマりするとか、高度な動画編集をする必要に迫られるとか、よほどのことがない限りは色域の要求で乗り換えることはないと思われる。三、VAパネルで満足できなくなった場合。視野角がもっと欲しいとか、ギラ粒が気になり出したとか。こればかりはしばらく使ってみないとわからない。四、38インチ5K2Kが出て、かつ何らかの僥倖によりそれを買う金が十分にある場合。後者を満たすのが至難だが全く無い話ではない。

[3378] Dec 01, 2018

このたびLGから発売された32UK550-Bは、縦解像度のために32インチ4Kが欲しいものの絵作業をしないので発色も視野角もさして問わない私の需要にジャストミートした。スタンドがアーク状なのは好みでないし、ベゼルもハイエンド機ほど薄くはないが、その程度のことで32UD99やU3219Qの半額以下になるわけだから喜んで目を瞑る。今が好機。早速、注文してしまった。▼これで三年に及ぶディスプレイのお悩み沼からは一旦抜けることになる。38インチウルトラワイドに決めかけていた時期もあったが、十万を切る中古品がなかなか出回らず、待望の5K2Kも出ないとあっては仕方ない。結果的には、今年ようやく32インチ4Kが主流になり、ハイエンドが飽和してVAの格安モデルが出始めた直後、想定以上の低予算で目的を達成するという形に収められてよかったと思っている。▼あとは右手側に吊るすフルHDを適当に決めよう。これはもうなんでもいい。SXGAでもいいくらいである。

[3377] Nov 30, 2018

区役所に、会社に、いろんな書類を出す。電子化への道はまだ遠い。▼公的な手続きはプロセスの信頼性が命だ。そうして今はまだ、デジタル処理による無謬性よりも、長年それでやってきたからというアナログの実績の方が信頼性の面で勝っている。だから、紙はまだ必要だ――それはわかる。▼だが、同じ紙に何度も氏名や生年月日や住所を記入しなければならない理由はまったくわからない。百歩譲って別の紙なら理解できるが、同じ紙である。切り離して使うようには見えないペラである。ちょっと視線を動かせばわかる情報を二度も三度も手書きで書かねばならない合理的な理由などあるのだろうか。▼いまだにマイナンバーのコピーと手書きの住所氏名を同時に提出しなければならない理不尽がまかり通っている世界である。合理性など問うだけ無駄かもしれないが、もし本当に納得できる理由があるなら素直に知りたい。だが、この手の調べものばかりはウェブでも難しい。

[3376] Nov 29, 2018

長男と、少しずつ会話が成立するようになってきた。こちらの言うことのオウム返しではなく、言ったことの意味を理解して適切な応答を返せるようになってきている。▼傍から見ているとオウム返しから一足飛びに進化した感じで、どの段階から解釈と応答を駆使するようになったのかわからない。朝、登園中、イルカ、クジラ、タコ、鯛、カツオ、ジンベエザメ……と、家でよく遊んでいる海の生き物パズルの登場者を列挙してから「他に何がいた?」と聞くと、アンコウと答える。「ホカニナニガイタ?」とは言わない。質問に答えられているということだ。▼質疑応答ができるようになると、コミュニケーションの幅は格段に広がる。たとえ適切な答えを返せなくても、質問と応答という枠組みを理解してさえいれば、こういうときはこう答えるんだよと回答を示すことはできる。教師あり学習である。二歳〜三歳で爆発的に言葉が上達するのは、この枠組みのためかもしれない。

[3375] Nov 28, 2018

どうにか一周年記念イベントを迎えることが出来たロードオブダンジョン。採算が取れているのか不明だが、畳まない以上は黒で回していく目途があるのだろう。開発元も新しいコンテンツの供給に乗り出す姿勢は見せているようだ。▼さすがに一周年。大型イベントを予定しているという。これをきっかけに、配信当初の盛り上がりを取り戻すほどの華々しい復活を遂げろとまでは言わないが、ランキングの顔ぶれが何ヶ月も変わらない凪の状態からは脱して欲しい。逆に、もし今回の一周年記念イベントが期待外れだったり、あからさまな集金モードだったりすると、このタイミングで見切りをつけて出ていく人も多いだろう。継続か終了か。崖っぷちで打ち上げる大きな花火である。▼泡沫のごとく浮かんでは消えていくスマホゲームたち。水面にも出ずに消えていく泡の存在も考えれば、一周年を迎えただけでもたいしたものではある。コンテンツを育てていくのは本当に難しい。

[3374] Nov 27, 2018

名古屋のお土産、味噌煮込みうどんを食べる。うどんは好きだが、外食であれ出来合いであれ、自分から味噌煮込みを選ぶことはしない。他でもない、お土産だからこそ食べる機会のある品である。実際、口にするのは何年ぶりかわからなかった。▼味はやや濃いが美味い。本場、名古屋では味噌煮込みうどんにご飯がついてくると聞いて、炭水化物に炭水化物を重ねるとはどんな了見と思っていたが、いざ食べて見ると思いのほか味噌の主張が強く、ご飯が欲しくなる気持ちもわかってくる。味わい方としてはカレーつけ麺に近いのかもしれない。麺でも美味い、米でも美味い。二度おいしい。▼土産にもらいでもしない限り食べないけれど、食べてみれば普通に美味い。食べ物の土産はそのあたりの品がいちばん嬉しい。たいていの場合、それはご当地グルメということになるが、ご当地グルメの中でもとりわけ上記のゾーンに近いものを選ぶといいだろう。少なくとも私が相手なら。

[3373] Nov 26, 2018

マクドナルドで昼食。アイダホバーガー、ポテトS、爽健美茶。▼ところが何分待っても出てこない。明らかに私より後で注文した人たちがトレイを受け取っていく。オーダーを確かめようかと思っていたら、何人かに抜かされた後、ようやく慌てたように品が出てきた。だが、どう見てもポテトがLだ。注文したのはSですと言うと、そうだSだと言いながら大慌てでSを掬い直してくる。受け取って階段へ。しかし今度はバーガーの包みがあやしい。そっと開けて見る。ビックマックである。戻って伝えると、申し訳ありませんと奥の方へ。店員同士で何やら言い争っている声が聞こえてくる。アイダホバーガーが奥から滑り出て来る。一方、トレイから飲み物が降ろされる。どうやらこれも間違っていたようだ。レジで応対する店員が、コーラでお間違いないですねと確かめてくる。いえ、爽健美茶ですが。……。▼私の知っている昔のマクドナルドでは考えにくいお粗末さである。

[3372] Nov 25, 2018

次男の名前を明日、明後日のうちに決める。難航しているが、候補はだいぶ絞られた。あとは付加情報を考慮して選ぶだけだ。▼次男の名付けは長男の名付けより遥かに難しいと思った。次男の場合はどうしても長男の名前を意識してしまう。長男は熟考の末に我ながら素敵な名前をつけたから、次男もこれしかないという名前にしたい。さりとて、長男と被るわけにもいかず、しかし関連性が無さ過ぎても何だと思い、繋がりはあるが優劣はなく重複もしないという絶妙なラインを狙いにいかなければならなくなる。片方にだけ自分の漢字をあげたり、自分の名前の音をあげたりするのも考え物だ。名付けた側の意図に関わらず、結果的にであれ、どちらが格上という感じも出したくない。……。▼など、思考の制約が多いのである。それでも、汗をかいた甲斐はあって、制約をかいくぐる良い候補が残ってきた。願わくは本命が画数等で弾かれないことを祈る。次男の命運や、いかに。

[3371] Nov 24, 2018

そんな反抗期の長男を連れて再びお出かけ。ベビーカーで寝ているあいだにちょっとだけディスプレイを見に行った。LGの最新ラインナップがヨドバシカメラに揃ってくれたのは本当にありがたい。▼結論から言うと、DellのU3219Qが最有力候補に躍り出ている。32インチ4Kのコストパフォーマンスと安定感にウルトラワイドが押され気味だ。単純な作業領域も38UC99を凌ぐし、選択肢も多い。Dell、BenQ、LGはもちろん、ややマニアックなモデルだが、数年前にシャープが出したIGZO搭載のK321を中古で拾うと言う手さえある。あるいはEV3237。ベゼルを気にするならEV3285だろうが、これの中古はしばらく出回らないだろう。▼唯一、対抗馬になる存在があるとしたら、それは38インチの5K2Kだ。34WK95を踏まえれば来年あたりLGが出してくる公算は高い。しかし値段は20万前後だろうし、中古待ちだと何年先になるかわからないので期待して待つのは無理がある。そんな状況である。

[3370] Nov 23, 2018

長男坊、反抗期さん。▼言うことを聞かないのもさることながら、こちらの言うことがわかっていて、敢えて反対のことをするようになってきた。パズルの最後の1ピースを、嵌められるのにもったいぶって嵌めず、逆向きに置いて逃げていったり……はまだ可愛げのある方で、到着したエレベーターに乗り込もうとすると悪い顔で逃げていって、呼んでも来ないので先に行ってもらうようお願いすると、閉まりかけるドアに今度は猛ダッシュで突撃してきたりする。万事、この調子。やるなと言われればやり、やれと言われればやらない。いや、もっと正確には、やりたいことをやるなと言われればやり、やりたくないことをやれと言われればやらない。アマノジャクより頭を使っている。着替えや歯磨きを敢えてやるなと言っても、じゃあ喜んでやりませんとばかりである。▼二歳児とはこんなものらしいが、持ち前の体力と行動力が厄介さに拍車をかけている。こちらも体力が要る。

[3369] Nov 22, 2018

約一週間ぶりにDAWを開く。今日は兄弟の就寝が上手く噛み合って時間を取ることができた。▼聴くのも久しぶりなので最終章を頭から通し聴き。先入観のない耳にも不自然なところが目立ってこないので、出来ているところまでは大きな問題もないと思われる。そのまま作りかけの箇所も通過してプレイしつづけ、頭の中で展開を思い描きながら最後まで走らせてみると、三十九分をやや過ぎたところで完結となった。さすがにもう大きくは変わるまい。四十分弱を見込みとした九月九日の予想は正しかったことになる。▼最後の一曲に差し掛かったところで動画も作り始めようと最初から決めている。その方がラストのクオリティに良い影響を与えると、なんとなく感じている。ただしクリエイティブクラウドは高いので、実作業に移るのはあくまで曲が終わってから。それまでは諸々下準備である。パソコンの前にいないと出来ないことを極力短時間で終わらせなければならない。

[3368] Nov 21, 2018

LGの34インチウルトラワイド「34WK95U」が気になると二月に書いた。5KサイズでNanoIPS搭載の最新モデル。文字が見えるかどうかは不安だが、ドットバイドットなら2160の縦は魅力である。少なくとも2オクターブは広く表示できるだろう。▼ただ、シンプルに買うかと聞かれたら、残念ながら今は候補の三番手にも入らない。第一に高すぎる。映像のプロならともかく広い解像度が欲しいだけの人間にはNanoIPSどころかHDRすら要らない。そもそもVAパネルでいいのでは、という説すらある。金の掛けどころとして筋が悪い。第二に、34インチはウルトラワイドとしてはやはり中途半端なサイズと感じる。ひとつ置いたからにはマルチにしづらく、かといって38インチほど一枚で広大な面積を占めるわけでもない。100%スケールで使えない場合はほとんど旧型のWQHD+と同じ使い勝手になってしまう。それでは本末転倒だ。▼今は予算の面からも、32インチ4Kが無難と思い始めている。

[3367] Nov 20, 2018

次男ベビーが家にやってきた。ベビーベッドでご就寝。ひとまず安心である。▼昨晩は長男がまったく寝なかった。ちょっと傍を離れれば「抱っこ」、一緒に寝ようとベッドに寝かせても「抱っこ」、抱っこしても「抱っこ」。全く聞き分ける様子がない。結局、三十分置きに顔を叩かれて起き、抱っこしては寝そうになるものの、身をよじって抜け出しては再び抱っこ抱っこと泣き喚く無限ループに嵌って、ほとんど眠れなかった。いまはランナーズハイで動いている。▼さて、帰ってきて保育園の迎えまで少し眠れるかと思っていたが、今度は私がやらかした。産院の個室のカードキーを持ってきてしまったのだ。電話したところ予備はないのですぐに持ってきて欲しいという。予備があれば次の検診のときにという期待もあったが、これ一枚では仕方がない。100%自分のミスである。再び苦手なバスに揺られて届けに行き、帰りに保育園へ寄る予定だ。現在、午後一時半である。

[3366] Nov 19, 2018

産院で栄養指導という名の森永商品説明会が開催されたらしい。入院中のミルクなど無料でもらっているので文句は言えないが、申し訳ないことに我が家ではすでに明治の「ほほえみらくらくキューブ」を準備済みである。森永のネガキャンではない。単に、長男にもあげていたからという理由と、キューブの方がおでかけなどのときに使いやすいからである。ひとたび便利な経験をしていると、よほどのことがなければ変えようとは思わないものだ。▼行動経済学を引っ張り出してくるまでもなく、人間、過去をなぞるのは無条件に大好きである。変えたら失敗するかもしれない。けれども変えない場合は二者の比較にならないので、失敗という概念がそもそも生まれない。変えずに失敗したいのではない。変えないことで、少なくとも失敗だけはしたくないのである。それはそれで責められるようなことではないだろう。上手く自分をごまかして精神衛生を保つのも賢い生き方である。

[3365] Nov 18, 2018

SVL12000、レベル7まで終了。完全な既知が五〜六割、既知だが意味や用法の一部が抜けていて補足された単語が二割程度、残りは未知という感じ。わかっていたことだが日用語に抜けが多い。バケツ、小枝、パンの耳……ネイティブなら幼児でも知っている単語だが、ビジネス英語ばかりに触れているとなかなか出てこないところである。語彙力の偏りを実感するという意味で、やはり無差別な網羅を提供してくれる本シリーズはたいへん良い。▼恐らく、この分だと日用語まわりにレベル6の抜けもたくさんある。さすがにVol2を買う気はしないが、アルクのサイトでレベル別に単語のリストは確認できるので、そちらでざっと確認して知らない単語があれば辞書で引いていくのがよかろう。今はレベル8。レベルが上がって逆に既知が増えた感触がある。日用語が減り、学術的・形而上学的な単語が増えたからだろう。さくさく進む。年内にVol4突入が目標である。

[3364] Nov 17, 2018

長男、次男と対面。ハツカネズミより大きい動物は怖がって近寄らない長男らしく、最初はまったく近づこうとしない。怖がっているというほど怖がってはいないが、触ってみなよと言っても遠慮がちに退がってしまう。母親が世話をするのを嫌がる様子はない。母と父が揃ってオトウトダヨと言う目の前のこの赤ちゃんが何なのか、慎重に見定めている感じである。▼そうしてしばらくはいつもの長男らしくベッドで転がったり暴れたり、食パンをかじったりお茶を飲んだり、好き放題にやっていたが、帰り際になると慣れてきたのか促されて次男の頭を撫でたり手を触ったりもした。少なくとも怖い相手ではないと悟ったようだ。その後、病室を後にして、近くのデパートで遊びまくった。自分からもうやめると言い出すまで滑りつづけたすべり台。独り占めのボールプール。ゲームセンターの新幹線。車。トーマス。寿司屋の魚のビデオ……。疲れ果てたのか帰路で眠ってしまった。

[3363] Nov 16, 2018

11月16日午前02時15分、第二子誕生。次男。3072kg、51cm。長男よりも軽く、長男よりも大きい。兄、ちょっとピンチ。▼生後一日にして指をしゃぶり、基準量以上のミルクを所望する健啖家。最初に対面したときにはもう泣き止んでいて、大あくびをしながら手足を宙にさまよわせていたくらいである。現世に対する余裕が感じられる。なかなかの大物かもしれない。▼二歳差。いろいろたいへんと聞く。まだ二歳では弟という概念もちゃんとはわからないだろう。言ってしまえば、ある日いきなり家にやってきて、なぜか母にべったり構ってもらえる他の子である。嫉妬するなという方が無理な話だ。だから、少なくとも弟が小さい赤ん坊のうちは、なるべく兄を優先して構ってあげないといけないし、弟の面倒見に兄も巻き込んでいって、二人の宝物が二つというより、三人の宝物がまた一つという図式にしていかなければいけないのだろうと思う。ふたたび未知の生活がはじまる。

[3362] Nov 15, 2018

「Youtube Premium」なるサービスが日本でも始まった。広告再生なし、バックグラウンド再生可能、オフライン再生可能で、月額1180円。広告はともかくバックグラウンドは待望の機能である。といっても、昔はアプリの標準機能に含まれていたのだが……。ともあれ、通勤中に音楽を聴きながらゲームを立ち上げることもできるし、ラインの通知が来てメッセージを読みに飛んでも曲が中断しないというのは魅力的である。▼だが、この魅力に対して素直に月額1180円を払える気はしない。単純に金額が高すぎるのもあるし、他のサービスの多くが出来ているバックグラウンド再生くらいはデフォルトで出来て欲しいという思いもあり、いろいろ釈然としないところがある。480円なら即決、780円なら一考の余地あり、というくらいの感覚ではないだろうか。日本でどれくらい登録されるか読めないが、後々値下げしそうな気配は今から漂っている。判断保留。しばらく様子見である。

[3361] Nov 14, 2018

2009年のImperialから待つこと九年。Vienna Symphonic Libraryから待望の新ピアノ音源が登場。Synchron Yamaha CFX。ついに来てくれた。▼CFXは個人的に最高の選択だ。どんなスタイルもこなせるオールマイティーな優等生である。つまりは遊び甲斐があるということだ。こういう響きにしなければ「らしくない」というような規範めいたものもスタインウェイほどないように思われる。豊富なマイクポジション、Imperialを遥かに超えるサンプル数、喉から手が出るほど欲しかったハーフペダル。行かない理由がない。▼このシリーズが売れてくれたら、他のモデルもSynchronから出てくれるだろうか。出てくれたら欲しいモデルはいくらでもある。が、Imperialも長年付き合ってようやく使い方が見えてきたくらいだから、あまりポンポン新作が出て目移りしても使いこなせる気はしない。最低でも数年は遊んでみないと馴染んでこないだろう。今は一つ出てくれただけで嬉しい。

[3360] Nov 13, 2018

「おばけ、ないさ。おばけ、うそさ。でも、ちょっとこわいな。」▼最近、子どもがよく歌を歌う。教えた歌もあるが、知らないうちに知らない歌が歌えるようになっていてびっくりすることもある。▼覚えているところだけ歌うので、いくつかの歌は勝手に省略されて、冒頭の「おばけなんてないさ」のようなオリジナルソングになっている。キーワードが残っていると歌詞の大意として筋は通るところが面白い。▼「きらきら星」や「ぞうさん」などは歌詞通りに上手く歌えている。音もまあまあ合っているので、あとはリズムが取れるようになれば歌らしくなってくるだろう。今日は「いとまきのうた」と「おもちゃのチャチャチャ」を歌っていた。▼ついこの間まで単語をならべていた二歳児が、親の真似をするようになったと思ったらもう歌を歌い出す。あっという間に長い文章も話すようになるだろう。このちょっととぼけた日本語に触れられる時間が短いのは残念でもある。

[3359] Nov 12, 2018

携帯。ミドルレンジにも一昔前のハイエンド相当の機能が備わってきて、ハイエンドの訴求ポイントがAIアシスタントやクラウドストレージといったソフトウェア方面にシフトしてきている。▼このあたりにたいして興味がない身としては、今こそミドルレンジが絶好の狙い目なのだが、残念ながら、私が今のスマホでもっとも便利だと感じている「非接触充電」を搭載したモデルがいまだに中価格帯から出ていない。Pixel3ですら専用のアクセサリが必要だ。ミドルまで降りてくるにはあと3〜4モデルかかると思われる。それまで買い替えるつもりはない。▼非接触充電。ひとたび使えば元には戻れない圧倒的な便利さだが、充電器を一新しなければならない導入コストもあり、画面サイズや有機ELに比べると売る側のアピールポイントとして打ち出しにくいのはたしかだ。やはりカフェへの非接触型充電器の普及を待つしかあるまい。そこまで来れば標準搭載待ったなしである。

[3358] Nov 11, 2018

妻の携帯新調に合わせて久しぶりに最新の携帯事情に触れた。ウェブで字面だけはウォッチしていたが、やはり実物を見て触らないとわからないことはたくさんある。▼auが今季の目玉のひとつになりそうな「Pixel3」を新機種ラインアップから敢えて除外してきたのは驚きだ。「AQUOS zero」も外しているという。ハイエンドは売れない、あるいはiPhoneに流れるから不要という判断なのだろうか。しかし、売り場にはPixel3の取り扱いがないことに関する質問がよく寄せられるというから、読みを外しただけの可能性もある。それでなくてもこのところauのチョイスはおかしかった。我が道を行こうとして本流から逸れている感はある。▼キャリア機以外では「Nova3」が良さそうに見えた。またはMate10Proか。HUAWEIの勢いは凄まじい。妻の選択もサイズと価格を考慮して「P20 Lite」だ。これはたいへんよくまとまっている。コストパフォーマンスでは他の追随を許しそうにない。

[3357] Nov 10, 2018

遅ればせながらガールズ&パンツァーの最終章・第一話を観る。ツタヤでDVDを借りてきた。以下、ネタバレ注意。▼最終章と銘打っているので壮大なドラマを描くのかと思っていたが、案外ギャグ寄りの導入である。四十分しかない一話の中で、新たな戦いに挑む理由の提示と、新戦車&新メンバーの加入、さらにメインディッシュの戦闘シーンまで描こうと思ったら、たしかにそういう路線の入り方しかあるまい。あくまで魅力の肝は戦場の攻防だ。日常パートはこれくらいあっさりでもいい。▼相手の裏を取ってフラッグ車を殲滅しようとする大洗側の作戦を、さりげなく新入りたちに卑怯と言わせたのはうまいと思った。大洗側が非の打ち所なく正々堂々だと、フランスがただの姑息な騙し討ち集団に見えてしまうが、勝ちに行くのに卑怯などないという流れであれば、裏のかきあいでフランスが一枚上手だったという印象に変わる。こういうなにげないフォローが大事である。

[3356] Nov 09, 2018

LoDが新しいイベントを始めた。たいした時間もつかっていないので、今更中身についてとやかく言うつもりはない。しかし、三種類追加されたイベントダンジョンの名称には思わず笑ってしまった。「千年のキューブ」「億劫のキューブ」「永遠のキューブ」である。▼言いたいことはわかる。三段階のダンジョンレベルに合わせて時間表現が長くなっていくわけだ。だが、二番目はどう見ても「億劫(おっくう)のキューブ」である。なんと間抜けな響きだろうか。「非常に長い時間」を意味する仏教用語・億劫(おっこう)のことなのだろうが、それよりも億劫の漢字が持つ「おっくう」への引力が強すぎる。なんだか億劫なダンジョン。この印象はもう拭えない。▼単語の定義にAという意味があるからといって、Aという意味で受け取ってもらえるとは限らないのが言語である。優先されるのは辞書の記述でも発信者の思惑でもない。使用が規則に先立つ。読み手優先である。

[3355] Nov 08, 2018

日々、ドキュメントと図解の作成。わかりやすさと情報量を兼ね備えた図表の作成はいつも難しい仕事だ。▼教科書的な資料の作成で、いまだに強い影響を私に与えているのは卜部吉庸『化学IB・IIの新研究』である。今はどうか知らないが、当時、これに勝る化学の参考書はないと断言できる最高峰の一冊だった。化学の標準教科書の記述をベースに詳細な解説、補助的な情報を肉付けしていくスタイルは革新的で、基本を着実に抑えながら知的好奇心を満たすことのできる、まさにバイブルであった。▼まとまった量の情報を人に伝えようとするとき、この「新研究」スタイルは威力を発揮する。基本情報と拡張情報を段階的に区別して+αを浮き彫りにし、書き手のペースではなく読み手のペースで情報の深度を選択しながら読み進めていくことのできる資料、である。言葉にするのはちょっと難しいが、この肌感覚がいつも私の役に立っている。資料作成にはそこそこ自信がある。

[3354] Nov 07, 2018

SVL12000が思いのほか楽しい。着実に、漏れなく無駄なくコンプリートリストを埋めていっている感じがする。著者が選んだ特定試験の頻出語彙ではない。「これだけ覚えれば英会話は十分!」と吹聴するわけでもない。ただ、ネイティブの使用頻度が高い順に粛々と語彙を並べた12000語という、シンプルな力強さである。これを極めれば基本語彙に困ることはない。そう信じられる前提になっている。▼単語のIDが通し番号になっているのも地味に嬉しい。進めれば進めるほど番号が増えていく。現在は6500番だ。数字を増やしていく作業には強力な中毒性がある。ゲームのスコアを稼いでいるような感覚である。▼今のペースなら来年夏までに二周はできると思う。衰えたとはいえ記憶力には自信がある。二周すれば九割五分は固められるだろう。残りは長文読解で出会いながら補強していけばいい。SVL12000。今更ながら性に合う良いものに出会った。

[3353] Nov 06, 2018

症状は軽微なままで済んだが、今日は胃から腸に来た。あとは完治するだけであって欲しい。▼閑話休題。高度なスキルを持つIT人材の獲得がますます難しくなる中、わが社でも新卒一括採用にこだわらない専門人材へのアプローチを取り始めた。その手法とインセンティブには疑問符が十個ついても足りないが、なんとかしようと手を打ち始めた姿勢は前向きに評価するべきだろう。▼もっとも、人事部とて何もわかっていないわけではあるまい。わかっていてもどうしようもないということだ。給与という現実から目を逸らすことは最初から義務付けられている。そのうえでどうにかしろ、という上意下達の方針に泣く泣く従っているまでのことだ。金は出せない。優秀な人は欲しい。全ての企業に共通の本音である。▼一方、辞めていく人の話は日々聞く。先週、同期が一人去り、後輩が一人去った。R&Dでは知り合い二人が転職活動をしている。しばらくは同じ流れであろう。

[3352] Nov 05, 2018

精神的な悲しみどころか物理的な苦しみに。吐き気と頭痛でダウンした。カロナールの緊急服用で難を逃れようとするも、座っていると嘔吐感が強く、いつぶちまけるかわからないので早めに撤退。お茶漬けと里芋の味噌汁でやさしい昼食を取り、横になって、今は二錠目のカロナールで落ち着いている。▼原因不明。しかし、深夜にも頭痛で目が覚めていることを考えると、昨日の食事のどれかがあやしそうだ。食中毒、といっても、トイレから離れられなくなるほど酷い症状ではないので、仮にそうだとしてもきわめて軽い部類になる。今晩、寝たらよくなるのではないかと思えるほどには楽観的だ。風邪で胃に来たことは今までないが、風邪といってもいろいろあるので、めずらしく吐き気を誘発しただけの可能性もある。▼熱はない。カロナールで下がっている可能性もある。その他の症状は今のところなし。明日の朝、問題がなければ出社する。このまま素直に快復してほしい。

[3351] Nov 04, 2018

続きではないが、似たような話。▼私の悲しみを一言で表せば、聴きたい曲が過去にしかないという悲しみなんだろうと思う。現在と、未来に対して聴きたい曲がない。心待ちにしている音楽がない。早く発売日にならないかと切実に願う漫画はいくらかあるのに、早くリリースされないかなと期待する新曲がひとつもない。いいじゃないか、過去の音楽を発掘していくのも音楽の楽しみだ、立派な愛好家だというスタンスを否定はしないが、それは言葉通り「愛好家」となって優雅に枯れていく道だと私は思っている。過去にしか興味がないのなら、畢竟、未来において音楽が滅びても何ら構わないのだから。▼聴き放題サービスで特定のジャンルをイヤホンから垂れ流すのではなく、特定の誰かの新作を強く待ち望み、追いかける人たち。そんな人たちこそが、きっと音楽の未来を創っていく。それが前進的な情熱というものだろうと思う。未来に対して思いを寄せるのが前進である。

[3350] Nov 03, 2018

今回はこれで最後。▼確かに音楽は冬の時代を迎えているかもしれないが、音楽がコンテンツとして永久に終わってしまったわけではない。いつかまた皆で大きな物語を共有することが求められるような時代が来る。そう遠くない将来に。そのときは私も、昔は音楽より漫画の方が好きだと言っていたけれど、今は音楽の方が好きだと言っているかもしれない。あるいは、漫画にも音楽にもとってかわるような、まったく新しいエンターテイメントが生まれているのかもしれないが……。▼街の畳屋さんは今、儲かっているそうだ。他の畳屋がほとんど潰れたので。皮肉ではない。自分にしか出来ないことと、自分しかやっていないことには、同じくらいの需要があり価値がある。たとえ音楽が共感力を失い、志す人が減ったとしても、いや、減って最後の数人になったそのときこそ、私はその人たちの音楽を心から聴いてみたいと思うだろう。こうやって時代は繰り返すのかもしれない。

[3349] Nov 02, 2018

もう一日つづくと言った一昨日のつづき。▼簡単かどうかはさておき、今のご時世、自分の意見を伝えたり、人の共感を得たりしたいと思ったら、音楽より漫画である。体験した驚きの出来事。遭遇した楽しい一幕。漫画ならストレートに伝えられる。読み手の時間もたいして奪わない。SNSに流れてくる知らない人の漫画。ふと目に止まることもあるだろう。目に止まったら読んでしまう。せいぜい二十秒、三十秒である。▼そんなことは音楽にはできない。楽しかったこと、共感して欲しいこと。歌ならまだしもインストで伝えられると信じるのはあまりに楽観的だ。聴き手の時間も尺の分だけ奪っていく。SNSに流れてくる知らない人の自作曲。フルで四分。通勤電車の中で聴いてみようと思うだろうか?▼以前も書いたが、曲解を許しても生き残れるほどタフで大きな物語が共有できなくなった今、音楽に伝えられることは極端に減ってしまったのだ。もう一日だけ続けよう。

[3348] Nov 01, 2018

明確に目標を定めて英語の勉強を再開すると、やはり単語力のなさを痛感する。基本的に英単語力は長文を読み重ねて地道に身につけるスタンスだが、一定以上のレベルを超えるとそうとばかりも言っていられない。日本語だって、どんなに文章を読んでいても、出会わない単語には出会わないものである。ビジネスに特化した英語を身につけようと思ったら、ビジネスに特化した単語帳に頼ることも時には必要だ。▼八年間、勉強という形ではほとんど英語に触れないできたが、情報収集などで積極的に英語ソースに触れていたおかげで落ちてはいない。ただ、やはり単語力に偏りはある。簡易計測では7000語〜8000語程度。一年で三千語を積み増して10000を目指したい。できればSVL12000を制覇したいが、いまのところは仕事で求められているわけでもない、ただの趣味である。そこまで頑張れるかどうかはモチベーションを維持できるかどうかによるだろう。

[3347] Oct 31, 2018

明日につづく、と言ったのにラーメンのレビューに気を取られてしまった。明後日につづいたということでご容赦いただきたい。▼で、もうひとつの多数意見は「そもそも音楽の方が漫画より簡単なのでは?」という直球であった。部分から全体を組み立てていく難しさは共通しているけれど、部分の構築において漫画がスキルを要求する一方、音楽はスキルを要求しない、というのである。たとえば「瞳を描く」としたら、瞳に見えるような絵を描く技術がいるが、「Cmの和音を置く」ことは誰にでも簡単に出来る。この文脈では音楽は演奏を抜いて作曲に限定されているが、とにかく、作曲は全体構築の技術だけあればできるのだから、部分表現と全体構築の両方を必要とする他の多くのアートに比べれば難易度が低いのではないか、という見解をいただいたのであった。▼なるほど、自分では考えたことのない角度からの意見である。大いに参考になった――もう一日だけつづく。

[3346] Oct 30, 2018

「らぁめん夢」へ行く。東急東横線反町駅で下車して徒歩十分。淡麗醤油の名店ということで識者に紹介してもらった。以下、飾らない感想。▼店は狭めで煤汚れが目立つ。清潔感は低めで通向けな雰囲気。客層は年齢高めの男性客に絞り込んでいると見える。今にも壊れそうな券売機で「特製らーめん」を買い、着席。荷物を置く場所がないので膝に置いた。▼ほどなくしてらーめん到着。立ち上がる醤油の香り。盛り着けも美しく、店構えとは裏腹に上品な仕上がりだ。早速一口。薄味、と声を出しそうになる予想以上のあっさり感。しかし、この優しいスープがスモーキーな三種のチャーシューと絶妙に合う。麺も旨いが何といっても肉が旨い。三種類、ハズレなし。大盤振る舞いである。▼極めつけは別皿の注射器に込められた煮干し油。これで味変えすると、急激に煮干しの濃厚さが際立ってくる。味は濃くなるので入れすぎ注意だが、一杯で二度おいしい。たいへん楽しめた。

[3345] Oct 29, 2018

漫画が大好きで、漫画をよく読んでいる人が、漫画を描きたいと思ったとき。漫画の「理論」さえ勉強すれば漫画が描けると信じる人はいないだろう。では、音楽が大好きで、音楽をよく聴く人が、音楽を作りたいと思ったとき。音楽の「理論」さえ勉強すれば音楽が作れるようになると信じる人は――そこそこいるのではないだろうか。少なくとも、漫画の場合よりは多いと思われる。本屋に並ぶ「誰でもかんたん作曲」系の教本が、それを物語っている。▼この違いについて何人かに尋ねてみたところ、各々、面白い答えが返ってきた。共通していた見方は、漫画は実作業が絵を描くという行為であり、絵心のない人には作業を進めることすらできないが、音楽は実作業が音符を書くという行為であり、これはペンが持てれば誰にでも出来るので、理論さえ知ってしまえば作業を進めて曲を完成させられるのではないか、というものであった。そうしてもうひとつは――明日につづく。

[3344] Oct 28, 2018

いろいろな曲をかけて子どもの反応を探ってみる。▼クラシックにはさほど興味なし。嫌がりもしないが聴き入りもしない。ピアノ曲にちょっとだけ反応したのは、たまに電子ピアノに悪戯をして鳴らした音と似ていたからだろう。ジャズも同様。大人向けには食いつかない。▼キッズ向けはラインナップが微妙なこともあるが、あまり乗り気ではないようだ。保育園でよく聴く曲などがわかれば、それで喜ぶかもしれない。ゲーム音楽も反応はそこそこ。その頃にはもうiPadの方へ気が向いてしまったので、ほとんど曲は聴いていなかったかもしれない。▼もっとも真剣に聴くのは意外にもボーカルもの。ヨドバシカメラで試聴していたときもそうだった。特に女性ボーカルが好きで、ノリの良い曲だと大喜びで踊り出す。リズムは合っていないが、ジャンプと手振りで即席ダンスである。歌詞は日本語でも英語でも構わないようだ。今日は汗で髪がぺったりになるまではしゃいでいた。

[3343] Oct 27, 2018

即断即決。子どもを連れてヨドバシカメラへ行ったら、目をつけていた機体が期間限定で値下げしていたので、その場で決めてしまった。PioneerのXC-HM86にDARIのSPEKTOR1を合わせるという鉄板中の鉄板。生半可なハイエンドなら刺してしまうミドルレンジの刺客である。オールインワンのネットワークCDレシーバーシステムを構築する上では、現時点での満足/予算比の限界点と言って良いだろう。▼帰宅してセットアップ。十年以上眠っていた懐かしのクラシックCDを引っ張り出してくる。大丈夫、ちゃんと良い音で鳴っている。しかし音質以上に嬉しいのは、HM86の期待通りの万能さである。機能豊富、音質十分、大型液晶で見栄えもよく、アプリの使い勝手も悪くない。ここまでハイレベルな製品を三万以下で出してしまうと予算のある入門者がハイエンドを買わなくなってしまうのでは――事実、買う必要がないのでは――と思わずにはいられない。迷ったらこれである。

[3342] Oct 26, 2018

私生活はいろいろ波乱含みになってきたが、どうあれ乗り切るしかない。隣の同僚からうつされた風邪と、台風二十六号の影響で久しぶりに顔を出した喘息を早く鎮めて、万全の態勢で十一月を迎えよう。▼閑話休題。最後にここでネットワークオーディオの話題を出したのは2015年10月のようだ。三年の時を経て、再び構築意欲が高まっている。自分というより子どものためだ。テレビがないのでいつもしんとしているリビングに、少しばかり音の彩りがあってもよかろうと思うし、二歳になっていろいろわかってきたから音楽も聴かせてみたい。押し付けはしないが、私のコレクションの中で気に入る曲があるかもしれない。▼配置の都合上、プレイヤーはどうしても高い位置に置く。CDプレイヤーだと、子どもがかなり大きくなるまで自分で曲を選べない。その点、ネットワークプレイヤーならスマホさえ扱えるようになれば自分で選曲もできる。そんなことを考えている。

[3341] Oct 25, 2018

2018年ドラフト会議終了。藤原の三連続指名で幕を開け、一巡目、終わってみれば藤原、根尾、小園の三人だけで西武以外の11球団が競合状態になるという異例のドラフト一位指名となった。▼金足農業・吉田の日本ハム外れ一位一本釣りは、ある意味でちょうど良いところに収まったなと思う。「また雪の降るところだなと。」今年の甲子園を盛り上げた立役者。二位指名にならなくて良かった。ベイスターズについて言えば、小園を攻めて上茶谷を引き当てた流れは満点に近い。もちろん狙い通り未来の二遊間を補強できれば百点満点だっただろうが、四球団の競合では仕方がない。結果的には良いところを選んで良いところで当たりを引けたと言っていいだろう。▼DeNAのドラフト投手に外れなし。オフにしっかり調整して調子を戻した今永が加わってくれれば先発陣はセ・リーグ屈指の仕上がりになる。来年は間違いなく優勝の一点狙い。しばしストーブリーグである。

[3340] Oct 24, 2018

VR断頭台で仮想断頭されてみたところ、しばらく動けないほどの精神的衝撃を受けたというツイートを見て、ぞっとした。仮想世界だから何が起きても大丈夫という思い込みがいかに危険であるかを再認識させてくれるレポートである。▼仮想世界で首を斬られても人は死なない。刃は首に刺さらないし、頭も落ちなければ血も出ない。しかし、断頭台にくくりつけられている、刃が今にも落ちてくる、ついに落ちてきて首が斬られた――という一連の認識は、紛れもなく現実の脳が蒙る現実の恐怖である。絶命の恐怖という明らかに過剰なストレスである。ノーシーボ効果を引き合いに出すまでもなく、現実の身体がダメージを受けることは想像に難くない。▼今後、仮想現実がリアルになればなるほど、この問題は重くのしかかってくる。ゲームの中なら何が起きても……という旧世代の考え方を引きずったまま仮想世界に飛び込むことの危険性は、もっと強調されるべきであろう。

[3339] Oct 23, 2018

病院で血を抜かれ、健康診断でも血を抜かれ。いつになっても採血は慣れないが、とりわけ今日の注射は痛かった。例年の五倍くらい痛かった気がする。刺し方の問題なのか、単なる運なのか。とにかく何か別のことを考えるので精一杯だった。隣では、人が採血されているのを見るのもいやだという先輩が、すでに目を瞑りながら採血の前の血圧測定に臨んでいる。私以上に苦手なようだ。そう思うと、同志がいるような気がして、少しだけ痛みが和らいだ。▼身長、体重、視力、その他、その場で測定される数値は去年と何も変わりがない。どれも±0.1で収まっている。視力低下が毎年警告されるのはやむなしとして、あとは脂質代謝異常や糖尿病傾向など厄介な判定が出ないことを祈るばかりだ。そう考えると、採血は怖いが、一年経って急に何々病だと言われるのはもっと怖いので、四半期ごとにでも簡易検査したいような気がする。冗談でもなんでもなく、健康第一である。

[3338] Oct 22, 2018

ふたたびキンコーズへ。やはり神対応をしてもらった。前と同じスタッフさんである。向こうも覚えていてくれた。▼前回の反省を踏まえて印刷データを修正したものの、表面の方がどうしてもずれてしまうので、実際に印刷しながらミリ単位で微調整。このあたりの面倒なトライアンドエラーも快くやってくれるところがありがたい。清潔感のあるワークスペースに、親切丁寧なスタッフ。謳っているだけの企業はいくらでもあるが、実践できているケースは少ないものだ。横浜西口店。貴重な店舗である。▼印刷代を節約するため家にレーザープリンターを置く手もあると思ったが、レーザーはインクジェットより遥かに電気代がかかることと、印刷品質はキンコーズより確実に低下すること、トナーの初期投資が大きめなこと、諸々込みで計算するとランニングコストもそこまで安くはならないこと、そしてインクジェットとの二台持ちが面倒なこと――などを考慮して保留とした。

[3337] Oct 21, 2018

久しぶりに五勝手屋の羊羹を食べる。▼五勝手屋本舗。北海道の桧山郡江差町で明治より営業を続ける老舗の羊羹屋さん。祖母が北海道出身ということもあって、小さい頃によくお土産でもらっていた。赤字に白で「五勝手屋」と書かれた丸筒状の羊羹だ。高島屋などの百貨店でも取り扱っている。一本270円。ほどよい値段である。▼蓋を開けるとザラメがびしっと乗っている。ここがたいへん甘くて旨い。一本に一度きりの贅沢な一口である。筒の底を押し上げることで羊羹を押し出す仕組みになっていて、筒の側面には押し出した羊羹を切るための紐がついている。欲しいときに欲しい量だけ食べられる便利な仕様である。▼紐がすぐベトベトになってしまうのが難点と言えば難点。蓋を開けたら長くは放置せず二日程度で食べてしまおう。甘すぎず、重すぎず、個人的には味わいもベストな羊羹である。通販もあるので、まだ食べたことのない人はぜひいちど試してみて欲しい。

[3336] Oct 20, 2018

制作は順調。何が幸いしたのか、思わぬ勢いがついてきた。遠慮せず行けるところまで行こう。どうせ次に行き詰まるところはわかっている。それまでは、わざわざ立ち止まる道理もない。▼順調に進める一分より、乗り越えないと一秒たりとも進まない壁を越える方が遥かに時間がかかる。この先、そんな壁が少なくとも三つ。今までも予測を外してきたので自信はないが、この三つを通過するのにそれぞれ二週間はかかると思っている。ここへラストの畳み方に四苦八苦する時間を足し、全体を通し聴きしながら微調整を加える時間も足してみると、最も楽観的な予測なら年内に、標準的な予測なら二月頃に、悲観的なら来年のどこかで――ひとつ形がつくことになりそうだ。そこから動画作成が始まる。久しぶりのスライドデザイン。ちょっと楽しみだ。▼ゴールが見えてくると逸る気持ちもある。時間も少ない。こんなときの合言葉は常にひとつ。慌てず急げ。さあ、もう一度だ。

[3335] Oct 19, 2018

昔から、英語には「驚いた」の表現が多いなと思っていた。マニアックな単語まで引っ張り出してくるならともかく、受験英語の範疇に限っても「驚く」系の単語は驚くほど多いのだ。▼Amazed、Surprised、Shocked、Stunned、Astonished、Astounded……。思いつくだけでもこれだけある。類語辞典を引けば他にも出てくるだろう。それぞれニュアンスが違うことは理解しているが、日本語に対訳しようと思っても簡単にはできない。どんな驚き方をしたのか、ニュアンスのままで理解するか、驚きの質を形容する言葉を付け加えるしかない。ちょっとした驚き、呆気にとられる驚き、衝撃が走る驚き、びっくり仰天するほどの驚き――などなど。▼それに、例示した単語の全てが「驚かせる」方を主語に取る他動詞だという点も不思議だ。Getを使うイディオムはあるが、Getも形を変えた受動態のようなもの。驚きを表現する自動詞はなさそうに見える。驚きは外からやってくるのだ。

[3334] Oct 18, 2018

野球。リクエスト制度が導入されたことで、明らかな誤審による試合の崩壊や後味の悪い幕切れは少なくなった。接戦にもつれ込んだ後半戦でホームクロスプレーがあると、まずまずセーフだろうというタイミングでも十中八九リクエストが挟まって盛り上がりに水を差してしまう側面もなくはないが、内野安打やゲッツーでの一塁の判定と、盗塁での二塁の判定がほとんどだったので、弊害は極小と言って良い。選手にとっても観客にとってもありがたい良制度になったと思う。▼今年、リクエストによって判定が覆ったケースは全体の約33%だった。これについて審判長は「数字的には悪くないと思う」とコメントを出している。監督がリクエストを要求するようなきわどいプレーのうちの三分の一なので見かけほど悪いわけではないが、一年間で合計162件もの誤審がなされた事実はもうすこし重く受け止めてもよいのではないかと思う。機械化を免れるには技術向上しかない。

[3333] Oct 17, 2018

社会人になると腰を据えての勉強はなかなか出来ない。机に向かうどころか、本を開くことすらままならなかったりする。「今から三時間は部屋にこもって勉強!」などとは行かないものだ。▼そんなとき、脳内復習による勉強時間の上乗せが役に立つ。つまり、机に向かったり本を見たりしている間は記憶の深さにこだわらず、より多くの情報に触れることだけを目指して問題を解いたり解説を読んだりする。なるべく振り返らず、なるべく深追いしない。そうして、勉強時間が終わったら、今度は折に触れて内容を思い出すようにする。特に初見の情報について、自分なりに別の問いに直してみたり、英語なら例文を考えてみたりする。すでに忘れてしまったことは諦めて、何を忘れたかだけ覚えておく。次の日は、その情報をフォローしてから次の学習へ進んでいく。▼紙も鉛筆もなく、本もない。それでも、まだ脳に定着していない情報を脳内でこねくり回せば勉強はできるのだ。

[3332] Oct 16, 2018

総当たり方式について、もう少しきちんと書いておく。▼まず、メリットは三つ。確実に手を動かすので何かしらは前進すること。自分の引出しを超えた偶然の産物に恵まれやすいこと。知識や技術がなくても出来ること。一方、デメリットも三つ。とにかく時間がかかること。最初に発見した及第点に囚われて局所最適に陥りやすいこと。視野が狭くなりより大きな展開への想像力を失いやすいこと。▼やりたいことや大枠の展開が定まっているものの、実現するために必要なスキルが自分にないと思ったとき総当たりは威力を発揮する。しかし、引出しは超えられても想像力は超えられないため、無意識も含めた地力の壁には衝突する。この壁は超えられない。総当たりならどこまでも行けるというわけではない。▼最後に重要なこと。ちゃんと勉強して地力をつけるに越したことはない。それができないから苦し紛れに悪用している一種の外法である。効率も将来性も芳しくはない。

[3331] Oct 15, 2018

現実逃避の、もとい気分転換の甲斐あって、難所の攻略に希望が見え始めている。攻略と言っても私の制作方針は常にブルートフォースアタックなので、ロジックが見えたとかいいアイデアが浮かんだとかそういうことではなく、つまるところ総当たりを始める元気が出てきたというだけの話だ。元気があれば総当たりが出来る。総当たりすればそのうち方向性が見えて来る。知性の気配がしないブルドーザー方式である。▼時間がかかるという最大の難点に目を瞑れば、ブルートフォースは悪い手ではない。匍匐前進の心得。何がなくても手さえ動かせば前進はする。困ったときは、この前進が1ミリでも大きな支えになるものだ。知識不要。センスも不要。ただひたすら可能性を試す。完成形が見えている必要すらない。論外なものが消え、ひどいものが捨てられ、平凡なものがお蔵入りし、良いものだけが選ばれる。まるで旧式AIのようだ。▼今は思考のいらない時。手を動かす。

[3330] Oct 14, 2018

川崎大師へ行く。十ヶ月遅れの護摩焚きへ。なかなか行く機会を掴めなかったが、ようやく晴れた週末に家族三人で出かけた。▼京急川崎から大師線。毎度、参道を行くたびに折り返しまでの距離が想像より長くて困る。曲がってからは「とんとこ飴切り」。飴の試食勧誘を断りながら真っすぐ進む。おっきいダルマ。創作せんべい。肉まん、甘酒、アイスクリーム、蕎麦屋。以前見かけた一味の専門屋台は、今日は出ていなかった。▼古い護摩を納めて新たな護摩焚きを依頼。修行まで時間を潰してから本堂へ行き、はしゃぐ子どもをなだめながら新護摩を頂戴する。災厄消除、安産満足、身上安全。二人目の子どもが生まれたら、新たに身上安全を一枚増やそう。大きくなったら災厄消除で統一する。災厄のないのがなによりである。▼帰りにおみくじを引いたら、よく混ぜて引いたのに三人とも同じ五十三番の吉を引いた。ちょっとした奇跡である。大吉を越えた三倍吉に違いない。

[3329] Oct 13, 2018

一気に寒くなってきた。もう三十度を超えるような日は来ないようだ。二十度前後で安定するという。やっと秋である。▼個人的には、秋がいちばん季節を感じにくい。夏のように暑いわけでもなく、冬のように寒いわけでもない。かといって春のように花が咲き誇ったり、新学期が始まったり、花粉症に悩まされたりするわけでもない。秋を感じる最大のポイントは夏が終わって寒くなってきたことですらある。逆説的に夏を意識しているようなものだ。そうではなく直接的に秋を感じさせるもの、秋真っ盛り、という感慨を呼び起こすものが身の回りにあまりない気がする。夏が終わって冬を待つあいだ。それが秋と呼ばれている。▼読書の秋とか、食欲の秋とか、芸術の秋とか、そういう標語がつくのも、秋そのものに尖った特徴がないからなのかもしれない。尖った特徴がなく、ニュートラルで様々な挑戦がしやすいと捉えれば、それが秋の魅力であると言い換えてもよさそうだ。

[3328] Oct 12, 2018

内視鏡検査を受ける。異常はなし。ただし簡易検査なので、後日精密検査を受けるようにと言われ、流れるように予約受付へ。十二月末まで予約はいっぱいだと言うので、予定もわからないから最速の午前八時で仮予約。当日は検査代の他に処置代が発生する可能性もあるので、二万円ほどご用意くださいとのことだった。▼いろいろ調べてもらえるのは嬉しいのだが、検査代も馬鹿にはならない。ちょっとでも違和感があれば早めに受診をと言うけれど、そのちょっとした違和感で尋ねたところ、次々と検査を勧められて会計が八千円、二万円では心情的に病院が遠のいてしまう。かといって、違和感があって受診しているのだから勧められた検査を断るのもおかしな話だ。万が一ということもある。このへんはお互い難しいところだろう。▼医療に関してはどこまでいっても情報の非対称性がつきまとう。患者の自己判断は死への道。処置も検査も、提供側の良心に期待するしかない。

[3327] Oct 11, 2018

今年もペナントレースが終了した。ベイスターズは四位。もう少しでCSに手が届いただけに残念だが、一度は最下位まで落ち込んだことを考えれば、そこから巻き返して最後まで楽しませてくれたことに感謝すべきだろう。来年こそ再びAクラスに返り咲いてもらいたい。▼打力は十分すぎるほど揃っている。最強の助っ人・ソトを筆頭に、クリンナップの活躍は優勝した広島にもけっして引けを取らない。問題は投手陣だ。補強するにしろ左腕王国を復活させるにしろ、何かしらの対策は必須である。去年の投と今年の打が揃えば優勝争いも夢ではない。▼加えて、ファンとしてはさすがにそろそろ阪神対策に本腰を入れて欲しいところだ。今季、最下位の阪神相手に8勝17敗のダブルスコア。いくらなんでも苦手が過ぎる。ここ十五年を見ても、勝ち越したのはたったの二回だけだ。この偏りに理由がないはずはない。本気で優勝を狙いに行くなら避けては通れぬ鬼門の虎である。

[3326] Oct 10, 2018

順調に進んできた編曲制作だが、転換点で二つの問題を抱えたため横道に逸れる。現実逃避ではない。いいアイデアが浮かんでくるまで別の作業に注力しているだけだ。曲調により合う絵を探したり、動画編集技法のおさらいをしたり、気になっていた漫画のつづきを読んだり。戦略的迂回である。現実逃避ではない。▼逃避ではないと言い張るからにはせめて思考の中では問題と向き合わねばならぬ。手を動かすことが考えることではあるのだが、昼間のうちにある程度手の動かし方のバリエーションを模索しておかないと、夜の作業時間が無駄になる。お日様と一緒にアイデアを洗い出し、お月様と一緒に具現化していくわけだ。▼メモ代わりに書いておく。問題点は二つ。ひとつは音の薄さ。曲の切り替え時に音が薄くなることの肩透かし感を解消する必要がある。三度が使えない制約が大きな足かせ。ふたつめはテンポ。どこかで落とさねばならないが適切な場所が見当たらない。

[3325] Oct 09, 2018

時が変われば興味も変わるという話。▼昔、英語を勉強しているとき、私は文法が大嫌いだった。文法問題といえども文法知識より例文知識とフィーリングで解くのが妥当と考えていたクチである。接続詞とか前置詞とか、副詞だとか言われてもピンと来なかった。こんな使い方は見たことがないから×。この使い方はよく見るから〇。それでいいじゃないかと思っていた。▼ところが、久しぶりにTOEICの文法問題を紐解いてみると、このあたりの文法解説が不思議と面白く感じる。この単語は動名詞と取る用法があるとか、前置詞としても機能するとか、等位接続詞なので後ろに原型動詞を取れるとか、そういう今まで蔑ろにしてきた知識が何故か見ていて楽しい。自分でも説明のつかない心境の変化である。もしかしたら、ここ数年、職業プログラマとしてひたすら低レベルに潜りつづけてきたことで、人為的なルールの世界に慣れ親しんだことが影響しているのかもしれない。

[3324] Oct 08, 2018

何々イズムとか何々主義といったような、社会運動性をともなう主義主張からは全く無縁のまま生きてきた。これからもずっとそうだと思う。どんな思想もイデオロギーも、激しく拒絶はしないが受け入れもしない。近づいてきたらそっと距離を取る。そういう無関心な態度自体がひとつのイズムだと言われたら否定のしようはないが、少なくとも私はその態度を人に強要するつもりはない。▼人間は、どういうわけか等身大の生活には満足できないように設計されている。急進的な社会活動に身を置く人も、芸術に没頭して社会生活を顧みない人も、正反対のようでいて、実は、より大きな物語の中に生きていたいという切なる願いを共有しているのだ。そういう意味で、私は趣味でも仕事でも自分の実寸よりスケールの大きな世界に所属している実感を得られているから、冒頭に戻るが、イズムや主義を必要としていないとも言える。それでよかったと思う。このままの道で行きたい。

[3323] Oct 07, 2018

「Yahoo!ジオシティーズ」が閉鎖するというニュースを見た。今でこそ何の関わりもないが、私の最初のホームページ(!)はジオシティーズ産である。学生時代からウェブでの活動をはじめていたような同年代のアーリーアダプターの中には、お世話になった人もたくさんいるだろう。またひとつ、時代が終わる。▼昔はよかったなどと懐古厨になるつもりはない。ただ、ホームページ同士が相互リンクで繋がりながらローカルな輪を形成していた当時と、情報の在処を列挙するまとめサイトのようなハブだけが検索の窓口になった今とを比べたとき、今の方が情報の検索性が良いとは断言できないのも確かである。▼失われたのは主観的な信頼だろう。相互リンクの時代は、リンクの存在自体が飛び先のある程度の信頼性を担保したが、まとめサイトの記事は情報の出所も著者の素性も全く不明であるために、検索してきた自分自身が情報を信じてみようという気になれないのである。

[3322] Oct 06, 2018

どの国のいつの時代にも陰謀論に傾く人々は一定数いる。ウィキペディアの「陰謀論の一覧」ページを見ていると眩暈がしてくるほどだ。▼陰謀論が魅力的なのは、陰謀論を信じる側に立つことで、信じない側に対して反駁不可能な優越感を得ることができるからだと思っている。陰謀論は、その内容自体が一般には伏せられているという理由により、反証することができない。つまり、陰謀論を信じる人に「そんなわけないだろう」と指摘しても、彼は常に「知らないというのは可哀そうなことだね」とメタレベルで嘲笑することができる。陰謀論を信じない時点で土俵が違うと断定し、無条件で知的上位に立つことができるわけだ。▼真面目な議論の果てに正しく認められるという経験をしなかったというよりも、昔はそれができていたのに、いつからかできなくなってしまった人が手っ取り早く知的エリートに復権しようと手を出す麻薬が陰謀論――そう言っても過言ではあるまい。

[3321] Oct 05, 2018

ABCDEFG/HIJKLMN/OPQRSTU/VWXYZ。▼子どもの頃に習ったABCの歌は、こんなふうに分かれていた。恐らく、皆さんの記憶の中の歌も同じだろうと思う。しかし、このあいだ子どもが見ていた動画は違う歌い方をしていた。ABCDEFG/HIJK「LMNOP」/「LMNOP」QRST/UVWXYZ……。「LMNOP」を一息で歌い、二回繰り返している。ちょっと驚いた。▼後で調べたところ、私の覚えた歌い方は日本人向けにローカライズされたバージョンで、オリジナルは「LMNOP」を一息で歌うらしい。二回繰り返す場合と、繰り返さずにゆっくり「QRS」「TUV」と歌って、最後が「WXY&Z」になる場合の二通りがあるようだ。LMNOPが日本人には発音しにくいため変えられたのだろう。オリジナルはG/P/T/Zで韻を踏んでいるところもポイントが高い。何度か口ずさむとLMNOPの方が自然に感じてくる。

[3320] Oct 04, 2018

危険なコードとは何か。▼危険なコードとは、そのコードが危険でない理由を説明しなければ、危険でないことがわからないようなコードである。この独自定義はぜひとも広めていきたい。さまざまな尺度から定義を試みてきたが、これがいちばん真実に近いと思われる。復唱しよう。これこれこういう理由でこのコードは安全なんですよと人に説明しなければならないようなコードは、危険である。安全ではない。▼よく誤解されるが、危険なコードを書いてはならぬというわけではない。低レベル設計のように意図して危険なコードを書かねばならない場面もある。リスクに見合うリターンがあるなら、危険なコードも正当な手段だ。しかし、それは常に意図して使わねばならぬ。不協和音と似たようなものだ。意図しない不協和音が単なる耳障りであるように、意図しない危険なコードはバグ予備軍でしかない。▼自分のコードの安全性を説明したい欲求に駆られたら黄信号である。

[3319] Oct 03, 2018

深夜。緊急地震速報にざわつく。▼ちょうど歯磨きをしていたとき、充電中の携帯がけたたましく鳴った。脳内が一瞬パニック状態になり、歯磨きの手が止まる。緊急地震速報だと気がつくまでに3コールくらいを要した。気づいてからはすぐに警戒態勢である。「強い揺れに警戒してください。強い揺れに警戒してください。」大音量のアラート。こんな深夜に大地震でも来られたら、たまったものではない。……。▼ほどなくして。揺れないなと思っていたら、ラジオから「零時十五分頃、関東地方で地震が発生しました」のアナウンスが流れてきた。どうやらもう揺れた後らしい。千葉県沖で震度4。横浜はわずかに震度1。それも中区だけで、気象庁の告知に泉区は入っていなかった。つまり揺れなかったということだ。▼緊急地震速報。ありがたい仕組みだが、揺れない地域でも鳴ってしまうのは困りものだ。今回はちゃんと発生前に鳴ったのだろうか。それもわからなかった。

[3318] Oct 02, 2018

ローヤル『コロコロコースター』がいろいろ惜しいので苦言を呈する。惜しいのであってダメダメということではない。子どもが食いつく良いおもちゃではある。▼問題は大きく三つ。一、ブロック同士の接着が甘くバランスが悪い。特に起点となる漏斗状のパーツは最悪で、力のかかる面の反対側しか接着面がないために何度かボールを転がしていると必ず折れて落ちてしまう。五分も試遊すれば気づける欠陥だ。商品紹介ページの画像にこのパーツが存在しないのは意味深である。▼二、パーツの構成が雑。サンプルを組むにも必要最小限のパーツしかないので、かなり不安定な仕上がりになる。子どもが扱えばすぐに崩れてしまう。▼三、最大の欠陥――箱が小さい。全てのパーツをきれいに収めてぎりぎり蓋が締まるサイズである。子どものおもちゃでこれはない。子ども自身に片付けができないし、親もいちいち神経を使う。使う人の立場に立って設計されたとは考えられない。

[3317] Oct 01, 2018

日常の隙間時間でAfterEffectsの再勉強中。▼キャプションを入れたり、構成や演出を考えたりといったデザイン面は今までもやってきたが、今回は動画のプロジェクト管理&レンダリングも自分でやらなければならないので、操作系を頭に叩き込む必要がある。必要になってから教科書を片手に触るのではタイムロスになるし、やりたいと思った演出をすぐに入れられないとインスピレーションに逃げられてしまう恐れもある。時間のあるうちに基礎知識を詰め込んで、実践時にはある程度手が動くように準備した方がいい。▼そもそもAfterEffectsは最適なソフトの選択なのか。これも自信を持ってイエスとは答えられない。ただ、他の触ったことのない有料ソフトを購入したり、今からAviUtlの達人になろうとするくらいなら、多少なり経験のあるAfterEffectsでやるのが結果的にはコスト安と思っている。必要な効果をもたらす演出を、最短時間で作り上げられるのが理想である。

[3316] Sep 30, 2018

全窓、雨戸を閉める。廊下の窓も全閉。家のまわりのものは玄関に避難し、風呂に湯を張り、停電に備えてPCを消す。最後のは予定だ。PCが消えていてはこれが書けない。書いたら消して寝るつもりでいる。▼今回は雨よりも風が怖い。高解像度降水ナウキャストによれば、自宅付近の降雨量は心配するほどでもないが、深夜の風速は30mを超えるなど文句なく「暴風」の域。「屋外での行動は危険」で「樹木が根こそぎ倒れはじめ」「木造住宅の全壊が始まる」レベルである。怖くないわけがない。▼ただ、九州育ちの妻に言わせれば、今現在、雨戸に打ちつける豪雨も、家を揺るがす暴風も、まだまだ危険な台風という感覚ではないようだ。九州なら「台風が来る三時間前ぐらいの感じ」だという。向こうの台風は関東の比ではないから、それはそうなのだろう。であれば今夜も家が飛ぶ心配はないかと少しは安心もできる。万が一に備えて用心しつつの安心。これが一番良い。

[3315] Sep 29, 2018

台風、また台風。出かけにも行けないし、洗濯物も乾かない。降り続いた雨のあとの24号。その24号の後ろには25号がくっついてくるという。打低の年なら本塁打王争いに加われそうなペースである。やがては26号、27号。うんざりと言うしかない。▼それでも関東圏はまだマシな方だ。今年は、まるで神々が示し合わせたかのように数多の災害が日本列島を襲っているが、他の地域に比べれば関東の被害は少ない。家の中で洗濯物にまみれてうんざりなどと言っていられるだけでも十分平和である。この平和に感謝し、平和が続きますようにと祈る気持ちがあれば、日常の不都合から来る精神的な苦痛も緩和されるというものだ。▼台風。割を食うのは子どもだろう。本当なら、せっかくの休日、外でうんと遊びたかったに違いない。誕生日プレゼントのストライダーも新品のまま軒の下だ。濡れて錆びたりしないよう、今日は玄関に運び入れた。来週まではおあずけである。

[3314] Sep 28, 2018

「すべての芸術は音楽の状態にあこがれる。」今は、どうだろう。▼聴覚と視覚。比べるようなものではないとわかっているが、私自身、音楽を聴くよりも動画や絵を観る方が好きなのは確かだ。Youtubeの動画。Twitterの漫画。わかりやすく面白さを提示してくれる数々の視覚コンテンツを享受しながら、素直にそれらの表現力を羨ましく思う。▼こと共感を得るという点については、視覚に訴えるコンテンツは圧倒的に強い。百聞は一見に如かず。時事ネタ、皮肉、日常あるある、自分世代の思い出、パロディ。見ればわかる。見れば思い出す。見れば納得する。眼から脳へ。直結する情報伝達力である。これが音楽には乏しい。▼音楽を否定しているわけではない。しかし、どんなコンテンツにも共感が問われる今の時代、音楽はいささか難易度の高い表現手段になりつつあると思う。音楽だけで伝えたいことを伝えるのは、もはや破滅的に難しい。冬の時代を迎えている気がする。

[3314] Sep 27, 2018

昨日の分の投稿に失敗していたようだ。深夜二時過ぎ、眠くて目が閉じそうになりながら投稿ボタンを押したので、失敗に気づかなかったのかもしれない。後ほど記事を再現して挿入しておく。▼閑話休題。子どもが数を数えはじめた。まだまだあやしいが、調子の良いときは1から10まで数えられる。最初に変な覚え方をしてしまったのか、5の次に7と言い6を飛ばしてしまうことが多いのだが、そのうち修正してくれるだろう。このあいだは7と言いかけてすぐ、自分で6と言い直していた。▼4と7を何と覚えさせるかは戸惑うが、今はカウントアップなので「し」と「しち」で覚えさせている。ほんの豆知識だが、10から1にカウントダウンするときは「よん」と「なな」が普通だ。「し」や「しち」はまず使わない。カウントアップ専用の呼称である。もう少し数の概念がしっかりして、カウントダウンもできるようになったら、そのときは「よん」「なな」を教えよう。

[3313] Sep 26, 2018

トイレの電気が切れた。玄関の戸棚に箱なしの裸電球が転がっているので、適当に選んでつけてみる。点灯。明るいが、白い。昼光色のようだ。これでもいいかと思ったが、試しに点灯したまま便座に座ってみて思い直した。落ち着かない。電球色がいい。他の電球を探したところ、電球色相当のLEDを見つけたのでこれに取り換えた。オレンジ色の温かい光。しっくりくる。▼トイレの電気は頻繁に付けたり消したりするので、立ち上がりが速く消費電力の少ないLEDはうってつけだ。電源を入れた瞬間、ぱちっと明るくなるのは気分がいい。色は電球色が合う。トイレに落ち着きを求めるかどうかは人それぞれだろうが、夜中に起きてトイレに入ったときなどに眩しい昼光色を浴びてしまうと目が冴えてしまうと思う。アクティブで、せかされるような気分になるのもよろしくない。▼家の居心地は電球の選び方で大きく変わる。居心地の悪さを感じる場所があれば見直されたし。

[3312] Sep 25, 2018

クライマックスが近い。編曲も、野球も。▼久しぶりにベイスターズの話題としよう。正直、優勝がなくなり最下位付近をうろつき始めたあたりで興味が冷え込んでいたが、ラミレス監督の「プランB」――つまりは短期決戦でのCS出場狙い――切り替えからは再び期待を持って見守っていた。そうして、今のところは采配ズバリ。連戦連勝で三位に復活するなど、ここ一番の良い流れを作れている。まだまだ最後の順位はわからないが、どんな結果で終わるにせよ、普段ならもう個人タイトルくらいしか関心がなくなるような時期に、まだ熱く試合を見られるというだけでもありがたいというものだ。▼熱いのは三位争いだけではない。広島のM1もいつ消えるのか。優勝こそほぼ確実とはいえ、現に優勝するまでは確実ではない。第一、次のヤクルト戦でスイープされたら現地優勝が大きく遠のいてしまう。それを避けたい広島も、まだまだ必死である。熱さとは必死さに違いない。

[3311] Sep 24, 2018

湘南台から小田急線で片瀬江ノ島へ。新江ノ島水族館へ行く。▼家のまわりは終日曇りの予報だったが、江ノ島は雲一つない快晴だった。駅から徒歩三分の日差しが暑く、入館前から汗だくである。燦燦たる秋の太陽。波打ち際には若いサーファーたちの姿。湘南である。▼水族館は親子で楽しめた。子どもが興奮して次々と水槽を移動してしまうので、ラベルを見ながらゆっくりと名前を対照するような楽しみ方はできなかったが、巨大な円柱状の水槽は眺めているだけでも非日常的で面白い。思ったより広くはない館内を短時間でぐるりとまわり、魚やクラゲやペンギンや、イルカのショーなど一通り水族館らしい風景に触れて、夕方前には江ノ島を後にする。昼食込みで三時間弱。二歳児を連れていくならこれくらいがちょうどいい。▼一点だけ苦言。館内のホットドッグはいくらなんでもクオリティが低すぎる。あの値段を取るなら、もうちょっと真面目に作って欲しいと思った。

[3310] Sep 23, 2018

制作。ちょっと行き詰っている。超えられない壁にぶつかっているわけではないが、早いうちに80点が出てしまって、その延長線上に100点がなさそうな気配を感じているという厄介な状況だ。局所最適という感じでもない。ブラッシュアップできる余地はあるように思えるが、100点を目指すなら、この方向性のまま洗練しても無駄になる可能性が高い。そんな予感があるせいで、ブラッシュアップに身が入らない。身が入らないので80点から先の点数も伸び悩む……という循環である。▼考えた末、今の状態を別ファイルに保存して、ゼロベースでもうひとつのパターンを作ってみることにした。いや、ちょっと嘘。ゼロベースではなく今のフレーズを使い回しはするが、展開は一から練り直すということだ。ありがちな手法というか、普段からそうしている人も多いかもしれないが、私はめったにやらない手である。だが、今回は分岐させてみた方がよさそうだと判断した。

[3309] Sep 22, 2018

やはりインクジェットでは無理だった。大きめの文字はかろうじて読めなくもないが、地図が全く読めない。なにより、QRコードの滲みが致命傷だ。読み取れないQRコードなど何の役にも立たない。ただの小汚い模様である。▼レーザープリンターで印刷するべくキンコーズへ。実はキンコーズの前にメールボックスに寄ったが、あまりにもひどい対応をされたので鞍替えした。どうあまりにもひどいかは紙面の都合上割愛する。いつか書くかもしれない。▼鞍替えは大正解だった。キンコーズ横浜西口店は、広くて、綺麗で、スタッフの対応も素晴らしい。申し訳ないが、メールボックスとは比べるのも失礼なくらいである。それでいて値段には大差がないのだから恐ろしい。快適な環境でデータを落としてカラー印刷。だいたい望み通りの絵を印刷することができた。会員登録もしたし、これなら些細な要件でも頼みに行こうという気になる。スタッフ対応の大事さを噛み締めた。

[3308] Sep 21, 2018

ショップカードを作る。ハガキとは勝手の違うところもあり、思いのほか苦戦した。▼ハガキの場合、パッと見て要点が伝わるようなデザインでなければならないので、絵や文字などのサイズが大きくなりやすい。しかし、ショップカードは情報をふんだんに詰め込むため、どうしても細かい文字が多くなる。▼そこへ、ハガキのような光沢ではなくマットなタイプのカード用紙である。所詮は家庭用のインクジェットプリンター。まともに刷ると地図などの細かい文字が全く読めなくなってしまう。ラスタライズ解像度を限界まで上げ、印刷設定を最高品質にして印刷しても、黒の滲みは避けられない。全体的に文字がぼけている。素人の手作り感満載である。必要枚数が少ないので、印刷屋にデータを持ち込んだ方が良かったかもしれない。▼サイズが変わればスケールが変わり、働く力学もさまざまに変わる。似たような仕事と思っても、スケールが違うなら別物と思うべきである。

[3307] Sep 20, 2018

プロジェクトは今のところ上手くまわっている――我々のプロジェクトは。今日、ダメな方のプロジェクトの話を聞いた。▼久々の会話で明らかになったのは、某チームの悲惨な実態だった。若手が二人心を病んで休職し、三人目は退職、さらにもう一人、四人目は人事に願い出て部署変更を叶えてもらったという。▼以前にも片手で数えきれないほどの人が脱落していった。いまやリーダー格ですら転職を検討しているそうだ。「上」だけが変わらない。「上」だけが毎日のように会議をやって、毎日のように決定を覆し、その過程は何も伝えず、ただ新たな作業と締め切りだけを指示している。作業内容は変わるのに締め切りは変わらず、締め切りが守られないと全てが「下」の責任になる。ざっとそういう状況らしい。▼まさに理想の対極だ。アナウンスをせず、意思決定を避け、責任を取らない、ダメ上長のカガミ――だが、この手の人が昇進していくのも大組織の悲しさである。

[3306] Sep 19, 2018

子どもの語彙が目に見えて増えてきた。「タコ」しか言えなかった数ヶ月前からすれば見違えるようだ。▼成長過程を振り返ってみる。タコを筆頭に、海の生きものを指す名詞がはじまりだった。やがて、動物や食べ物、アニメのキャラクター名などが増えていく。二歳までは名詞ばかり増えていった。▼やがて「あっち」や「抱っこ」のような要望系の命令語を使い始める。「大きい」「速い」などの状態形容詞も近い時期だ。そこに「来た」「落ちた」「出た」など動詞の過去形がつづく。否定の「ない」も使い始めた。大きいない、などというように、自分で新しい言葉を発明したりもした。▼遅かったのはあいさつだが、近ごろようやく「おかえり」などが言えるようになってきた。ほぼ同時に数を数えられるようになってきたので、言葉のステージがいよいよ概念の世界に差し掛かってきたと見える。名詞、命令要求、状態や結果、対象のない概念という流れは、納得感がある。

[3305] Sep 18, 2018

仕事。プロジェクトは今のところ上手くまわっている。「正確かつ迅速で十分すぎるほどのアナウンス」を徹底するスタイルを貫いたことの賜物だろう。過去の代表的な失敗プロジェクトは、この点があまりにも疎かになっていた。▼重要な告知は、告知してしすぎるということはまずない。あるマイルストーンの締め切りがいつであるとか、その締め切りがしかじかの理由で何時に延期したとか、そういった情報は文字通りリアルタイムに末端まで流すべきである。「上の者」は、自分たちが始終そのことについて注意を払っているために、そんなことはわかりきっていることだと錯覚しがちだが、実際には、上の者同士でなされた決定や意思変更について、的確なアナウンスがなければ下の者が知る由などない。▼共有されないスケジュールはやがて不信感を生み出す。知らぬ間に〆が延期している経験が繰り返されたら、もはや誰も〆など信用しなくなるだろう。それがまずいのだ。

[3304] Sep 17, 2018

「LoD」が刻一刻とサービス終了への道を歩んでいる。少なくとも、このままではそうなる。ソーシャルゲームにありがちな「最後の集金」すら出来そうにない。コンテンツとサービスが噛み合わないチグハグな例になってしまった。投打の噛み合わない贔屓球団を見ているようで、なんとも悲しい。▼作品が予想以上にウケたとき、ユーザーが真に楽しんでいる要素は何なのかを正確に分析するという仕事はしばしば忘れられる。自分たちは良いもの、面白いものを提供したという自負があるので、当然、ユーザーが楽しんでいるのも自分たちがコンテンツに込めた面白さだと思い込んでしまう。作者が望んだ遊び方とは違うところに楽しさを見出している可能性から目を背けてしまう。こうなると、打つ手もことごとく的を射なくなる。見当違いなアップデートを、作者はクオリティアップと思い込む。人は離れていく。▼何かがウケたら、何がウケているのかをちゃんと知ること。

[3303] Sep 16, 2018

取り舵・面舵の由来が思ったより錯綜していたので、まとめ。右に行くから東(卯)の舵が転じて面舵、左に行くから西(酉)の舵が転じて取り舵という説明はどうやら不十分らしい。▼古く日本の航海では船の進行方向を簡単に知るため、十二支を北(子)に対して左右反対に配した「裏針」という羅針盤が使われていた。この裏針の北を船首の向きに固定すれば、針の指している先の干支が即ち船の進行方向となるという発明である。この裏針の西方向は酉ではなく卯だ。卯の方向、つまり左である。舵柄を左舷方向に倒せば船は右方向に旋回する。卯の方へ倒すこと、卯の舵、右への旋回。▼ここに至ってようやく卯の舵=面舵が右方向への旋回である理由がわかる。裏針と舵柄による操作が方向を二重に打ち消し合って、結果的には現代の舵輪で言うところの卯と右が一致してしまったというわけだ。なんともややこしい。ややこしいが納得できる。面白い話を聞かせてもらった。

[3302] Sep 15, 2018

運動会。見事、雪辱を果たした。▼メイン種目の障害物競走。朝から機嫌が悪く、順番待ちの間も「抱っこ」「あっち」と泣き喚く。座ってお行儀よく待機している十数人の同級生たちを尻目に、脱走して競技中の脇を客席まで逃げ込んだり、高台の上に乗せろと言って怒ったり、床に転がって駄々をこねたり。またしても注目を浴びてしまう。これは今回も駄目そうだなと、なかば諦めていた。▼ようやく回ってきた最後の順番。先生に名前を呼ばれたところ、意外にも「はい」と手をあげてちゃんと返事をした。どうやら、ここで急にやる気が出てきたらしい。スタートの笛が鳴ると、一目散にダッシュして滑り台を駆けあがり、滑って、網の下にもぐっていく。みんながハイハイで進んでいくところを、四つ足で立って爆走し、誰よりも速くゴールに辿り着いて見せた。速い、速い。ついに良い意味で会場の笑いを取ることができたのだった。ほっと一息である。めでたしめでたし。

[3301] Sep 14, 2018

明日は運動会。保育園の運動会。雪辱の運動会である。▼一年前。環境の変化に弱いかもしれないと言われていた我が子は、残念ながらその下馬評を覆すことなく運動会の本番で大泣きしてしまい、得意な手押し車をお披露目することができなかった。その後、クリスマス会でもやはり大泣き。リハーサルは元気に出来ているというから、やはり大人がたくさん押し寄せて来る「普段と違う日」が苦手なのだろう。結局、去年の行事は万事がそんな調子で終わってしまった。▼もちろん、それはそれで味である。けしからん、うちの子はもっとやれるはずだなどと言うつもりは全くない。とはいえ、去年からの成長を見てみたいという親心もあるにはあるので、大活躍などしなくてもいいから、ただ本番の空気に怯えず楽しく運動会をこなしてくれればいいなと思っている。▼運動会が終わったら、いよいよ秋である。今年も秋は短そうだ。最近はいつもそう。夏が終わるとすぐ冬になる。

[3300] Sep 13, 2018

まとまった文字数でなければ説明できない思想、表現できない思考、到達できない結論がある。あらゆる曲が二分以内で想いを伝えきれるわけではないように。▼ひとつの知識、ひとつの雑学、ひとつの出来事を伝えるだけの文章なら、四百文字は必要十分かもしれない。必要ですらなく、単に十分かもしれない。しかし、細部に踏み込んだタフな議論を展開するには、四百文字は短すぎる。まず、序章にもならない。▼毎日、四百文字を記し続けてきたことには意味があった。文章訓練として、過去を振り返る日記として、その日の思考の整理として。しかし、一方で、学生が論文を書くときのように、ひとつのテーマに対して時間と字数をかけながら慎重に論を組み立てるという練習は、長らく怠ってしまったように思われる。▼十年近く続けてきて、日記の大切さは身に染みているので、ここを止めはしない。ただ、長い文章をまとめるための場所が、別途必要だろうと感じている。

[3299] Sep 12, 2018

システム手帳の最後に白ロディアのNo16を挟んでいる。今のところ、これが手帳の本体と言っても過言ではないくらいの活躍だ。朝、今日の仕事を書き出して優先順位を振る。他にメモすることが出来たら、タスクの頁を切り離して机の上へ。この、メモ書きとノートの中間のような性質が職場ではありがたい。▼ノートにまとめて見直すほどの情報ではないが、コピー用紙の裏よりは丁重に扱いたいような情報を、ロディアなら気兼ねなく書き留めていくことが出来る。切り離した頁の中でストックしたいものがあれば、それは手帳の本領発揮で、ポケットリフィルなどに放り込んでおけばよい。情報の「強制されすぎない整理」が出来る。これが仕事のスピード感とちょうどよくマッチする。▼これはあくまで仕事だからだ。家でするような腰を据えた勉強や、簡単なアイデアの書き留めという用途には、A5型手帳は向かない。便利だから常にそれを使えばいいというものではない。

[3298] Sep 11, 2018

『累』が完結した。最後の最後まで良い漫画だった。絵に書いたようなハッピーエンドではないのに、もはやハッピーエンドのような気さえしてくる。この結末を表すにふさわしい安易な言葉はないのだろう。▼とにかく『累』は終わってしまった。購読している漫画がまたひとつ減ってしまったわけだ。ジャンプで連載中の『アクタージュ』が似た路線になるのかと思っていたが、さすがに少年誌なので『累』のようなシリアスな展開にはならなかった。あれはあれで好きだが、精神的な後釜と言うわけにはいかない。▼惰性で読んでいる福本作品と、ファンタジー成分の『ダンジョン飯』と、カジュアルギャグの『アイドランク』、あとは心のオアシス『スケッチブック』。『ウシジマくん』と『みなみけ』も惰性というか慣性の分類に入る。たしかに減ってしまった。漫画に埋もれて育った人間としては少々寂しいラインナップだ。他人の推薦もアテにしつつ、アンテナを広げたい。

[3297] Sep 10, 2018

雨の音が聞こえる。▼大雨なのは知っている。さっき、土砂降りの中をセブンイレブンまで散歩に行ったからだ。ストックの爽健美茶が尽きてしまったので、何かお茶が欲しかった。胡麻麦茶、おーいお茶、十六茶、午後の紅茶・無糖、麦茶を買って帰る。片手にこの重さ。傘を支える手が安定しない。風にあおられてずいぶん濡れた。▼出かける前に雨脚が強いことはわかっていたし、飲み物だって一晩くらいは我慢できたが、どういうわけか雨の中を出かけるのが苦にならなかった。会社の帰り道は吹き込んでくる雨粒にうんざりしながら家路を急いでいたのに、たいしたことのない目的のために自分から出かける用事となると、雨の中をふらつくのも悪くないと思えてくる。仕方なくやらされているか、自分からやろうとしているか。その違いだけだ。▼自発的な志は悪条件を緩和する。少年よ大志を抱けというのは、悪条件の降りそそぐ人生を楽しく生きるための処方箋でもある。

[3296] Sep 09, 2018

二十五分のつもりで始めた長編編曲。曲順を途中で一度変更し、最終決定した段階で想定を超えるだろうと思った。二十五分では無理。だが、三十分以内には収めよう。そんなふうに考えていた。▼あるとき、もっと展開を広げなければ到底クライマックスには繋げないと気づいた。コンパクトにあっさり行くか、ドラマティックにしっかり行くか、そこで二択を迫られた。あっさり方面なら予定通り三十分にまとまるだろう。曲想を広げる苦労もない。それでもいいかもしれない、と思った。▼しかし、納得できなかった。このままあっさり最後に雪崩れ込んでしまったら、それなりに形はつけられるかもしれないが、それはもう私の望んだベストではなくなってしまう。ここまでの流れは明らかに拡張を要求している。ならば拡張するしかない。もとより私に選択権はないのだ。▼そうして今、三十分を超えた。あと十分弱が必要十分といったところだろう。四十分弱が見込みである。

[3295] Sep 08, 2018

数日前から激しい腰痛。そこへ、二日前の早朝に攣った左足の痛みが拍車をかける。腰痛の原因は恐らく蟹のせいだ。子どもに蟹の真似をさせられたのだが、これが想像以上にウケたらしく、何度も繰り返し要求してくる。疲れたといって座ったり横になったりしたら笑顔も一瞬で泣き顔の大癇癪だ。「立って!」「もっかい!」。厄介な言葉を使いこなすようになってしまった。▼私も私で自分の体力を見誤った。無理をすれば疲れるだけでは済まないとわかっているつもりでも、つい一緒になってはしゃいでしまう。筋肉痛程度ならいいが、こう身体にダメージを負ってしまっては日常生活にも支障が出てしまう。蟹の真似をしてぎっくり腰なんて、なった日には笑えない冗談である。▼とにかく、無理はしない。三十過ぎたらこれに尽きる。無理はしない。無理が通れば道理が引っ込むのは若いときだけの話だ。今は身体がへこんでしまう。腰の回復には、今しばらくかかりそうだ。

[3294] Sep 07, 2018

8の力があって、8のものを出力する。あるいは9の出力に挑む。当然、苦しいし、時間がかかる。やがて苦しみを乗り越えて実力が9に成長したら、今度は9や10を生み出そうとして同じ苦悩の時を過ごす。さくさく楽々制作ライフなとどいう妄想は、永遠に現実のものとはならない。▼時々思う。8の力で8を生み出そうとするからだめなのだ。8の力があるなら6のものを出してはどうか。さくさく、楽々。何倍もの速度で制作は進むだろう。場数も増える。場数が増えれば成長も速くなる。8の力は9になり10になる。10になったら8を創ればよい。きっと難なくこなせるはずだ。毎日、気楽にテンポよく創作活動を楽しめるであろう。……。▼それが正しいかどうかはわからない。8の力で6ばかり作っていたら永遠に成長などしないのかもしれない。ただ、何が正しいにせよ、自分が8の力で7以下を出すのに満足できない性質である限り、どうしようもないのである。

[3293] Sep 06, 2018

二時間。まとまった時間があれば、次の曲へ行けそうな気がする。プレイバックの時間を減らせばもっと素早く先へ進めそうだが、最終章だけに細かい調整も気になってしまってなかなか身軽になれない。何度も聞いているうちに見えてくることもあり、同時に、見えなくなっていくこともある。見えなくなってしまったものは、時間によって取り戻すしかない。▼このタイムロスが思いのほか大きい。聞きすぎて大局が掴めなくなると、たいていの場合、その日はもう頑張っても大きな進展は望めなくなる。仕切り直しである。丸一日自由な日があれば瞬く間に先の先まで進めるのにと思っていても、いざ自由な一日が訪れると想像以上に進まないのは、この仕切り直し要求によるところが大きい。大局観を喪失したまま無理やりガラクタを築いても、後で補修する方が高くついてしまう。▼速度を上げるなら、再生はせずにひたすら音を置くだけの日を決めた方がいいのかもしれない。

[3292] Sep 05, 2018

システム手帳がようやく届く。巨大だが満足度の高い逸品だ。大事に育てていこうという気になる。▼手帳を持つのが久しぶりなので何から手をつけていいか迷ったが、まずは必要十分な構成を目指そうということで、先頭から順にリフター、カレンダー、月間&週間スケジュール、ビジネス用方眼メモ、プライベート用無地メモ、TODOリスト、クリアポケット、ファスナー付きクリアポケット、リフターとした。最後に、背面内側へA5の白ロディアを挟んでいる。これが書き捨てのメモ代わりになる。書き終えたページは先頭のポケットへ。要らなくなったら捨てる。残したい情報はメモリフィルへ書き写す。このルーチンはなかなか勝手がよさそうだ。▼クリアポケットにはティッシュやハサミなど小物も入れようと試みたが、肝心の書き心地が低下するのでやめて、薬など小さな備品を入れるに留めた。全部入りにしすぎようとして取り回しが悪くなるのは避けねばならない。

[3291] Sep 04, 2018

エントリーモデルのイヤホン選びでおすすめを聞かれる。予算一万円以下の低音重視、できればワイヤレスも欲しいということで、オーディオテクニカのSOLID BASSシリーズを推奨した。あれなら音質も低価格帯としては十分だし、条件にもぴったり合う。本命候補である。次点はJVCのXXシリーズ、SHUREのSE-215とした。▼エントリーモデルの場合、音質よりも使い勝手を重視すべきというスタンスなので、実のところオススメを訊かれても答えにくいのだが、今回のように傾向と要求が絞られていればAI的に「ベストマッチ」を提示することくらいはできる。あとは質問者の意図を汲みながら、検索の方針を示したりして自己解決に導いてあげるのが穏当であろう。▼ちなみに、もし無条件でベストバイをひとつと言われたら、今はセパレートタイプ以外を薦める気はしない。外では機能性に全振りしよう。音質は家で求めればよろしい。そういう回答になる。全くあてにはならない。

[3290] Sep 03, 2018

成功ではなく成長にフォーカスせよ、というのは端的で良いアドバイスだと思う。何事かを成そうとして動いたとき、成功は保証されないが、成長は保証される。大切なのは、その具体的な機会ひとつでどれだけ成長できるかだ。どれだけ成長できるかが大事なのであれば、どうすれば成功するかを考えるより、どうすればより成長するかを考えて動いた方が良いに決まっている。成功は成長の副産物として、いつかしかるべきときにやってくるだろう。▼また、最初から成功に焦点を合わせてしまうと、成功の在り方を限定してしまう危険もある。現実には成功の定義そのものがいろいろやりながら模索していくうちに変わってくることもあるのだが、最初から「これを成せば勝ち」のように思っていると、より良い道も、代わりの道も、何も見えなくなってしまう。それでは生還できない。▼成功を目指すなら、まずは成功確率を高めるステータスにベットしよう。成長は裏切らない。

[3289] Sep 02, 2018

代替医療は大抵の場合、健康保険を適用した正規医療制度より高くつく。それでいて効果の程は西洋医学ほど確からしくない。実証されてもいないし、サンプルも少ない。にも関わらず、嵌る人が後を絶たないのはなぜなのか。▼代替医療に嵌る人は、特に有名人などのセレブ層に多いという。とすれば、高いものほど良いはずだというありがちな誤解がここでも働いている可能性はある。加えて、代替医療は多くの場合、限られた人にしか公開されていない、秘匿された特別な情報という体でやってくる。一方、正規医療は万人に手のとどく一般的な制度だ。一般か、特別か。セレブなら特別を選んでしまうだろう。一般人も享受している医療なんて最低だ。スペシャルな自分には、もっとスペシャルな治療法があるはず――そう思い込んでしまうのかもしれない。▼東洋医学や代替医療の全てを否定するわけではないが、私はやはりサンプル数の多い「標準的な」西洋医学に頼りたい。

[3288] Sep 01, 2018

早朝病院へ。全身のだるさと痛み、唐突な高熱、激しい喉の痛み。このあたりを訴えたところ、喉を見る前に「たぶん扁桃腺だねえ」と医者は言った。喉を診る。やはり扁桃腺だという。抗生物質と痛み止め、トローチ、うがい薬などを処方してもらった。五日間は安静にせよとのことだった。明日は楽しみにしていた、大切な集まりがあったのだが、欠席せざるを得ないだろう。なんともツイていない。▼あまりに喉が痛くて昨晩から何も食べていなかったが、昼に飲んだロキソプロフェンのおかげで大分痛みが引いてきた。引いたというより感じなくなっただけなのだろうが、この効き目、ちょっと恐ろしいくらいである。とはいえ、おかげでようやく食事が喉を通りそうだ。普段は食べないが、栄養があって喉を通りやすいバナナを買って帰る。それと栄養ドリンク。食べるものを食べて飲むものを飲んだら、あとはひたすら寝る。非常に残念だが、この週末は何もできそうにない。

[3287] Aug 31, 2018

朝。起きたら全身が動かない。身体が痛い。本格的な筋肉痛だな、と思った。抱っこ抱っこのツケが来ている。▼昼。定食屋までの道のりが遠く感じる。節々がやたらと硬い。暑さよりも身体の軋みの方が気になる。好物のチキン南蛮も惰性食い。美味かったような美味くなかったような。あまり記憶に残っていない。▼夕方。激しく喉が痛い。ようやく気づく。風邪じゃないか。筋肉痛も本物だが、その陰に隠れて発症の時期を窺っていたようだ。ふらふらしながら定時まで仕事。ゆっくり歩く。ゆっくりしか歩けない。薬局で風邪引き用のアイテムを買い込んで、なんとか家の門をくぐる。重かった。飲み物を買いすぎてしまった。▼37度9分。あと1分で体温計がビープ音を鳴らすところだ。想像以上に悪い。ここまでの疲労の蓄積もあって頑張りが効かなそうなので、あとは全て妻に任せて一足先に布団へもぐることにした。ありがたい。▼なんとしても日曜日までには治そう。

[3286] Aug 30, 2018

革がどうとか、リング径がどうとか、留め具がどうとか。システム手帳を選ぶときのポイントを列挙した舌の根も乾かぬうちに、たいへん素敵な手帳に出逢ったので即決した。意思決定の優先順位に「デザイン」が割り込んできたわけだ。▼サイズはA5だが、望んでいたスリムサイズではなく、今のカバンにぎりぎり入るかどうかの幅広タイプ。留め具もベルトが良いと思っていたのに金属製のスナップボタン。革は馬革を志向していたがカーフレザー。リング径は公式サイトに記載すらない。言わば全てのポイントを外しているわけだが、それでも選ばせてしまうところがデザインの魔力である。得も言われぬ理不尽な引力。これぞ芸術性の極みと言える。▼もちろん、日々使うものなので、今度は持ってみて使ってみてどうかという判断になる。等身大の生活に合わなければ泣く泣く手放すかもしれない。しかし、機能より好みで惹かれた物の方が、通常付き合いは長くなるものだ。

[3285] Aug 29, 2018

今月、まさかの通信速度制限に引っかかってしまった。前月からの繰り越し分も足して合計17GBもあるのだから、さすがに使い切ることなどあるまいと高を括っていたが、なんやかんやで使っていたらしい。家でも台所ではWi-Fiが繋がらないため、LTEで野球観戦しつつ食器の片づけなどしていたが、そのあたりが積もり積もって膨大な通信容量になったのだろう。▼それにしても、動画配信系のアプリでGB単位の消費が行われているのはまだ納得できるが、Chromeの4GB消費はちょっと解せない。たいして画像の多いサイトを閲覧するわけでもないが、いったい何に使われているのだろうか。同僚は随所に現れるアニメーション広告があやしいのではないかと言っていた。たしかに最近の広告は手が込んでいて、動画並にぬるぬると動いているものもある。あんなものが毎日何十枚もDLされているとしたら、GB単位になってもおかしくはない。▼来月は対策を考えてみよう。

[3284] Aug 28, 2018

子どもが二歳になった。二歳、二歳、と言っていたら「にさい」と言った。それならアレができるかもしれないと思って「何歳?」と聞くと「なんさい」と言う。さすがに質問の意味はわからなかったようだ。大釜で炊いた米が自慢の居酒屋風料理店へ行ったら、想像以上に喜んで魚と米を食べまくった。美味い白米ならふりかけもいらないらしい。グルメなやつだ。▼誕生日プレゼントは三輪車と思っていたが、ストライダーという選択もあると思い始めた。三輪車だと、公園に向かう家の前の急な坂を自分で下りたいと言うに違いない。大人でも自転車はブレーキして下る坂。さすがに危なっかしい。であればいつでも足をついて止められるストライダーの方がまだ安全だ。公園まではてくてく歩いて、公園についたら思いっきり乗り回すという遊び方に誘導できれば、本人もさほど不満には感じないだろう。他に良い候補がなければ週末に買う。二歳児のプレゼントには多いらしい。

[3283] Aug 27, 2018

他部署との連携が上手く行かずに仕事が滞っているので、今日は割り切って「優先度は低いが手を動かせば確実に終わる雑務達」に集中した。八時間で終えられそうなタスクをリストアップして無心にがつがつ終えていく。多少、優先度の高い本タスクに進展がありそうでも、他人の作業のボトルネックにならない限りは無視。助兵衛心を出さずに黙々と実装を仕上げていく。▼緊急度・重要度マトリクスで言えば「最もどうでもよい仕事」に従事したわけで、一般的な仕事術からしたら褒められた方法ではないかもしれないが、経験的に、ことプログラミングに関しては、こうした些末な実装は重要事の合間に片手間で進めるよりも、それなりの長さの時間をアサインして集中的に終えた方が結果的に効率が良いとわかっている。脳にもキャッシュがあるのだ。創造的な仕事でない限り、重要事は重要事、些末事は些末事でまとめた方が人の脳には合う。サンドイッチは大抵悪手である。

[3282] Aug 26, 2018

長男坊、タコの次はサメが大好きになった。▼二歳の誕生日プレゼントを買いにヨドバシカメラへ行く。おもちゃコーナーを目指す途上、ソフトビニール製の大きな魚類フィギュアが置いてある棚にぴったり張り付いた。張り付いて、テコでも動かなくなった。遠くのアンパンマンや楽しげなおもちゃに促しても全くの無視である。やがて棚中の商品をさんざん見たり触ったりした後、ベビーカーに乗せて連れていこうとすると、あっちあっちの大泣き、大暴れ。結局、何度繰り返しても魚類棚を離れようとすることはなく、ロクにおもちゃを見ることもできなかったので、プレゼントは後日にして、今日は中くらいの大きさのサメを買った。大サイズは家の中では邪魔すぎる。▼これで家まではご満悦……かと思いきや、店を出るなり不機嫌モードになって、「抱っこ」と「あっち」の嵐を浴びせてきた。それはそれ、これはこれということなのだろうか。魔の二歳。二歳はわからない。

[3281] Aug 25, 2018

首を寝違えてしまって、たいへん痛い。しかも金曜日から子どもの体調が悪く、こちらの首の痛みなどお構いなしに抱っこをせがんでくる。抱っこ要求のあとは「あっち」「あっち」の行先指示だ。最近、これもどこを指しているのかわからなくなってきている。今日も言われるがままに抱っこして移動していたら、同じフロアの同じ一角をぐるぐると回らされる羽目になった。それでいて、どうせ元の場所に戻るのだからと誤魔化して来た道を戻ろうとすると怒り出す。完全に移動するおもちゃ扱いである。▼風邪にしろ、睡眠不足にしろ、怪我にしろ。小さな子どもがいると治る暇がないというのがよくわかる。何しろ安静にするということができない。負荷を避けなければならない状態でも、子どもは遠慮なく負荷をかけてくる。ひとたび健康状態を損ねたら、万全の状態まで回復するのに何倍もの時間がかかってしまう。首はしばらく痛いままだろう。徐々に治していくしかない。

[3280] Aug 24, 2018

Note8でデジタルメモ帳を手に入れたのに、なぜシステム手帳が欲しいと言い出したのか。▼最大の理由は仕事だ。会議や打ち合わせに出て仕様面に突っ込んでいく機会がこれまでより増え、管理するスケジュールの量も多くなってきたので、必要な情報を一か所に取りまとめておきたいと考えた。この用途にはNote8はもちろん、小さなメモ帳も向いていない。ちょうどアナログ回帰を始めたところで、タイミングも良かった。時機も悪くない。壮年に向かって年相応のアイテムである。▼第二の理由はプライベート。自分と家族の重要な予定を一覧したいのと、Note8に書ききれない図入りのアイデアをまとめる媒体が欲しくなってきた。読書メモや引用はNote8につらつら書いて後で写せばよいが、そのときそのタイミングで整頓された図表を書くことが思考に繋がる場合、画面の小さなNote8ではやりにくい。当然、バイブルサイズもダメということになる。

[3279] Aug 23, 2018

革について。私は革マニアではないが、各種の革の解説をするにはさすがに紙面が足りない。故に、今回俎上に上がっている革だけを比較検討する。▼手帳の革で考慮すべきパラメータは四点。丈夫さ、硬さ、重さ、手触り。手帳には一定の頑丈さを求めたいので、柔らかい材質の羊、山羊、豚あたりは選択肢から外れる。つまり、牛革か馬革だ。▼重さや手触り、それに値段のことも考えるとオーソドックスな牛革が魅力的。しかし愛用している財布が馬革なこともあり、馬に思い入れもあることから、やはり馬革に惹かれる。ではブライドルレザーかコードバンか。高級感だけで言えばコードバンだろうが、経年劣化を楽しみながら愛用するならブライドルレザーも悪くない。とにかく頑丈で、水や汗などに強く、傷もまた味になるような素材である。▼ブレイリオからブライドルレザーのA5手帳がひとつ出ているようだ。幅は広めだが見た目は素朴で良い。このへんが候補になる。

[3278] Aug 22, 2018

システム手帳を見る。▼サイズはA5。Note8があるのでバイブルサイズの選択肢はない。用途がかぶってしまう。リングは大きめの方が良い。バッグが大きいため薄さを重視する必要がないから、ここもスムーズに決まる。▼留め具が最初の悩みポイントだ。ベルトか、スナップボタンか、紐か、無しか。どれも一長一短ある。ただ、大切に使う常用手帳として「無し」の選択はなさそうだ。開始・終了の儀式がなくなってしまうのも寂しい。ベルトは抜き差しに若干の手間はあるが、ベルト長が長ければリフィルが嵩んでも無理なく留められる利点がある。スナップボタンは楽だが経年劣化による留め強度の低下が心配だ。昔使っていたトラベラーズノートは紐で留めるタイプだったが、これも使い勝手は悪くなかった。ただ、重厚感のあるA5サイズには合わないかもしれない。ベルト式が有力になりそうだ。▼最後に革。これについては余白が足りないので次の記事に任せる。

[3277] Aug 21, 2018

ピアノ。ピアノの音はいい。悲しくなったときは悲しい音色に聞こえるし、楽しくなったときは楽しい音色に聞こえる。▼野球のストレートには、ノビのある球、キレのある球や重い球といった不思議な表現が存在する。球速は同じでも重い球と軽い球があるというのだ。ボールは、ひとたび投手の手元から放たれたら、あとはただ重心まわりの回転運動と重心の並進運動を行いながらバッターの元に到達する。つまり、ボールの運動エネルギーは速度と回転で完結している。であれば、同じ球速でもノビやキレや重さに違いがあると感じられる理由は、回転しかない。回転の微妙な綾が、バッターの目線から見て、ときに伸びた感じを与えたり、ときにバットに当たった時の重さとして感じられるということだろう。▼ピアノの音もボールと同じ。ひとたび放たれたら、あとは宙を漂うしかない。けれども、その音が聴き手に与える印象は様々だ。これもまた音の回転の成せる業だろう。

[3276] Aug 20, 2018

帰りの飛行機の中でモニターに映し出された日本地図を見る。他にやることがない状況で疎い土地の地図をまじまじと眺めていると今まで意識しなかった発見がいろいろあるものだ。大分は思ったより北にあって北九州に近いとか、佐世保と長崎は案外遠く佐賀と正三角形を描いているとか、北九州と博多の想像以上の遠さとか、羽田・福岡間よりも羽田・函館間の方が距離が短いとか。……。▼それは家に居ても、日本地図をちょっとめくって九州の頁を見れば得られる知識である。ネットで検索すれば一瞬だ。「調べればすぐにわかること」。しかし、それでも私は今まで調べて来なかったし、当然、かくかくしかじかのことは知らなかった。調べればすぐにわかることと、実際に調べて知ることの間隙を感じずにはいられない。▼明日はいよいよ甲子園の決勝戦。悲しいかな、仕事である。映像は観られない。古き良きラジオ観戦だ。我が職場、音楽を聴くことは禁じられていない。

[3275] Aug 19, 2018

福岡の旅、本日で終了。明日は早朝にホテルを出てまっすぐ空港に向かう。博多ラーメンを食べる時間があればいいなというくらいのスケジュールだ。▼予定はすべてつつがなく完了した。子どものはしゃぎようといったら尋常ではなく、それに伴って大人の消耗度も尋常ではない。終日、わがまま放題に振りまわされた格好である。本人はさぞかし満足だろう。▼ホテルは、和室も良かったが、徒歩圏内にイオンがあったのも助かった。駅に近く、イオンにも近い。これだけでたいへんな好立地である。数泊程度の旅であればイオンひとつで空いた時間には困らないというものだ。食事、買い物、子どもの休憩、なんでもできる。普段の生活ではあまり縁のない巨大ショッピングモールだが、今回、その力をあらためて思い知らされた。ありがたがられる理由もよくわかる。▼旅の終わりに。帰ったら手帳を探そう。Kindleを捨てて総デジタル化を諦めたのだから、手帳を復活させたい。

[3274] Aug 18, 2018

十四日に吉田輝星投手の球が素晴らしいと書いた。その後、横浜高校はこの吉田投手擁する金足農業に敗れたので、それならばあとは金足農業を応援しようと決めて観ていた準々決勝である。▼九回裏、一点ビハインド。最後のチャンスに連続ヒットでランナーが二人出て、つづく四球でノーアウト満塁。そうして次の打者はまさかのスクイズを決行。最高の打球が三塁方向に転がる。同点に湧く球場。一塁送球。しかし、サードが自分を見ないと確信していたセカンドランナーが自身の判断で本塁へ突っ込み見事生還。サヨナラ2ランスクイズという極めて珍しい劇的な幕切れとなった。▼記事によると、金足農業はこの2ランスクイズの形を何度も練習していたらしい。その形がそっくり土壇場でまわってきた。セカンドランナーはチーム一の俊足。打者はバントの名手。練習通りにやれば絶対にいけると選手は確信しただろう。▼決定機に物を言うのは日頃の地道な練習以外にない。

[3273] Aug 17, 2018

初日で確信。確実に和室の方がいい。部屋についてほっと一息。そのとき、子どもは畳の上をごろごろ転がりながら勝手にはしゃいでいる。この気楽さである。今回の滞在で特別な問題がなければ、しばらくは和室一択になりそうだ。▼チェックイン後のエレベーターでは小学生らしき少年たちの集団と一緒になった。その集団が揃って私たちと同じ五階で降りていく。そのときは同じ階に合宿のメンバーでも泊まっているのかなと思ったが、後で飲料を買いに下の階へ降りて戻ったとき、同じように五階で大挙して降りる少年たちを見て、居合わせたご婦人二人が、きっと五階が全部和室なのねえと話していて、私も降りながらなるほどと思った。和室だから、少年たちの雑魚寝にはうってつけということなのだろう。やはり合宿の線が有力だ。良い洞察である。▼夕飯は北九州人のソウルフードだと言う「資さんうどん」をいただいた。「すけさんうどん」と読む。初見では読めない。

[3272] Aug 16, 2018

明日から福岡へ。ふたたび飛行機で行く。このたびは洋室のホテルではなく和室の旅館にした。小さな子どもがいる場合、床で好き勝手にゴロゴロできる和室の方が楽なのではないかという判断だ。布団ならベッドから落ちる心配もない。主な心配は、環境が変わって寝てくれない可能性があることと、障子を破ってしまう恐れがあることの二つ。どちらも大丈夫だと信じたい。両者の比較で特筆すべきことがあれば旅の後に書こう。▼本を何冊持っていくかが悩みどころだ。旅先でゆっくり本を読んでいる時間などないとわかっていても、もしも長時間待つようなことがあれば……と思って、つい多め多めに持って行ってしまう。ただ、冷静に考えれば、無人島に行くのではないのだから、想定外の空白時間が生まれるようなら現地で本屋に行けばよいだけの話。必要以上に荷物をかさばらせる必要はないはずだ。そういうわけで、読みかけと新規の二冊で行く。旅は忙しない。十分だ。

[3271] Aug 15, 2018

もうひとつ甲子園の話。実は、横浜高校の他に、ひっそり下関国際高校も応援校に入れていた。高校や地域には縁もゆかりもないが、何のことはない。八月九日、同僚と昼飯を食いに出かけたとき、たまたま飯屋のテレビで下関国際と花巻東の試合をやっていて、九回に追いついてからの延長勝ち越しで勝利の瞬間を目撃。これが今年の甲子園初観戦になったからだ。今年も甲子園の季節だなと思い出させてもらった。そのよしみという単純極まりない理由である。▼この下関国際、去年が初出場。そして八月九日が逆転初勝利。さらに今日。大会でも注目の西投手を擁する創志学園相手に九回二点差で負けていて、さすがにここまでかなと思っていたら、なんとまたもや逆転勝利してみせた。記者の下馬評でもそれほど評価の高くないダークホース。なかなか面白い展開である。このまま勝ち進んだら決勝で横浜と当たる可能性もなくはない。などと思いつつ今後も緩やかに応援しよう。

[3270] Aug 14, 2018

甲子園。横浜高校が去年の覇者、花咲徳栄高校を破って三回戦に進出した。張り付いて見ていたわけではないが、最後の最後まで気の抜けない見ごたえのある試合だった。その試合に呼応するようにベイスターズも中日との激戦を制している。今日、横浜には二度も楽しませてもらった。ありがとう、横浜。▼つまみ食い程度に見た中では、金足農業の吉田輝星投手がなかなかに凄い球を投げていた。あのストレートはコントロールが乗ってきたらとても打てない。そう思っていたら、奇しくも横浜の次の対戦相手である。旅行の出発日と重なるが、飛行機の中でなければぜひ生で観たいものだ。▼優勝候補は大阪桐蔭と聞いている。たしかに記録を見ると桁違いのようだ。しかし、こういう怪物揃いの学校を一本槍のダークホースが落とす番狂わせも甲子園の醍醐味である。挑戦する方も、そういう気持ちで楽しんでいると思う。残りあと一週間。今年はどこが栄冠を手にするのだろう。

[3269] Aug 13, 2018

久しぶりにゆっくり本屋を見る。ゾラの『居酒屋』や『ナナ』も今なら読めるような気がして手に取ったが、厚みに怖気づいて棚に戻してしまった。自然主義文学の長編は、やはりそれなりの覚悟がいる。今ではないと言い聞かせて心の積読リストに積んだ。▼財布にやさしい文庫中心。だいわ、河出、岩波とスライドしていく。歴史か、ノンフィクションか、科学か、文学か。こう文字にすると淡々としているが、思考のめぐりに合わせて同じ道を何度もうろつきながら、けっこう真剣に考えた。テンションとしては講談社学術がぴたりだが、文字の小ささが目につらい。一冊だけ、あれば欲しいと思っていたタイトルも在庫がなかった。▼堂々巡りの後、やはり安価な新潮に頼ろうということで、以前話題に挙げたS&Hシリーズから二冊買った。検討した時間の長さに見合わないハズレを引くのが怖くて安牌に日和ったとも言える。仕方がない。それでもいい。迷う時間が華である。

[3268] Aug 12, 2018

おむつを履かせようとしたり、着替えさせようとしたり、歯磨きをしようとしたり、取り押さえて行動を制限しようとすると暴れて嫌がることが多いので、そのたびにいつも「観念しなさい!」と言っていたら、とうとう子どもが「かんねん」と言うようになった。覚えてしまったようだ。あるときはニヤニヤしながら後ずさりして、あるときはダッシュで逃げながら、「かんねん、かんねん」と言う。つまりは口先だけである。何も観念していない。▼五十音が余すところなく言えるようになって、単語の真似をする力は飛躍的に向上したようだ。この間「あ」から「ん」まで別々に発音させてみたところ、ハ行が最も苦手でほとんどアイウエオのような音を出した。次に苦手なのはサ行のようだ。魚も「カカナ」と言っている。やはり息を使う音は難しいのだろう。段に注目すると意外にもウの段が発音しにくいようだ。どの行でもウの音があやしい。唇の締まりがまだ弱いのだろう。

[3267] Aug 11, 2018

「一直線に成功ということはほとんどありえないと思う。成功の陰には必ず失敗がある。当社のある程度の成功も、一直線に、それも短期間に成功したように思っている人が多いのだが、実態はたぶん一勝九敗程度である。十回やれば九回失敗している。この失敗に蓋をするのではなく、財産ととらえて次に生かすのである。致命的な失敗はしていない。つぶれなかったから今があるのだ。」▼柳井正『一勝九敗』読了。失敗は成功の母。ビジネスはスピードが命。実行の伴わない計画は無意味。頭のいい人ほど机上の空論を空論のままにしてしまう。経営は泥にまみれて現実と戦うことでしか学べない。成功に満足して安定を求めるようになったら、それは成功という名の失敗である。などなど。▼ユニクロの経営哲学には、ビジネスにまつわるベーシックがみっちり詰まっている。研ぎ澄まされたベーシックという表現はやはり適切だったのだ。ユニクロの歴史もわかって面白かった。

[3266] Aug 10, 2018

自分たちの言いたいことばかり言う。言いたいことを聞いてもらうためだけに、大袈裟なことをして驚かせたり、面白おかしいネタに走ったり、奇をてらったりする。世の中、目立つ作品はそんなものばかりだ。耳目に留まってなんぼ。実質は後からで良い。最悪、実質なんて無くたって構わない。そうして、飾りだらけの空箱を騒音と勢いで騙すように押し付けておいて、多くの人が受け取っているのだからこれは消費者が望んでいる物なのだと主張する。全く救いがない。▼独りよがりな作者は、受け取る人の知性を信じない。これくらいやってやらないとわからないだろうという驕りが常にある。その驕りが、本質の追求よりも表面の装飾を優先させる。しかし、真に本質を伝える表現は、視聴者を信じることなしには成立しない。言いたいことを極限まで純化し、結晶化させた表現を、きっと視聴者はわかってくれると信じて素直に提示するだけ。作品とはそうあるべきであろう。

[3265] Aug 09, 2018

佐々木正美『たっぷり甘えてのびのび育つ!3歳までのかわいがり子育て』読了。▼甘やかすからワガママになるのではない。甘やかすから自立が遅くなるのではない。児童精神科医としての著者の豊富な経験は真逆の真実を伝えている。ワガママになるのは。自立が遅いのは。キレやすい大人になるのは。思いやりのない人間になるのは。どれも甘やかしたりないのだ。▼無条件で自分を肯定し、甘えさせてくれる親がいるという安心感は、子どもの自尊心を高め、自立/自律を早めてくれる。3歳までに十分甘やかした子は、相手の言うことを受け止め、思いやりを持つことができるようになる。自分という存在の正当性を信じる基盤が自分の中にあればこそ、人は他者に気を配る余裕を持てるのだ。▼実践できていることも多いし、できていないこともあるが、主張は肌感覚に合う。その通りだろうと素直に思う。過保護と過干渉の違いは勉強になった。今後も甘やかして行きたい。

[3264] Aug 08, 2018

齊藤孝浩『ユニクロ対ZARA』読了。世界を代表する二社の方針を比較しながらアパレル業界の構図と歴史を俯瞰する。読みやすさ、わかりやすさ、興味深さ、三拍子揃った良書だと思う。先日書いた通り『上から目線の構造』のついでに買った一冊だったが、こちらの方が遥かに得るところが大きかった。全く、読書の収穫はどこからどんなふうにやってくるかわからない。▼アパレル業界のこともより深く知りたいと思うが、ユニクロやZARAそのものにも興味が湧いた。柳井正氏の経営本については新潮から文庫が二冊出ているので、早速積んである。小型でリーズナブルな新潮文庫というのがありがたい。企業の在り方としてはZARAが模範的と感じたが、自分の勤める会社の理想、在り方はユニクロの方が近いのかなと思った。国内展開の方針も、その延長としてのグローバル展開の目線も、規模は桁違いながらユニクロの発想に近いものがある。学んでおいて損はない。

[3263] Aug 07, 2018

久々に子どもが高熱を出した。土曜日から調子が悪くて、日曜日に発熱を確認。月曜日は保育園を休んで病院へ連れていき、火曜日の今日から復帰の予定だったが、まさに家を出ようとしたときだはんしたので、これはまだ駄目なのかもと思い大事を取って全日休みにした。▼朝食のあとはべったりである。やがて眠くなるも歩き抱っこでなければ寝られないようで、横になるどころか座ることすら許されない。寝入ったと思ってそっと座ると大泣きが始まってしまう。すっかり幼児返りである。おかげで昼食も立ったまま。片手に子ども、片手にソース焼きそばだ。合計何時間くらい抱っこしていたかわからない。普段使わない筋肉もフルに使った気がする。両腕がぱんぱんになってしまった。▼とはいえ、病気だから甘えるのは仕方ない。そのとき以外は大人しく、悪い子ではなかった。よく我慢していた方だと思う。▼尚、「だはん」は北海道弁である。駄々をこねるという意味だ。

[3262] Aug 06, 2018

サイモン・シンのドキュメンタリーが外れなしだったこともあり、新潮文庫の「Science&History Collection」シリーズには信頼を置いている。今日も書棚で『ケインズかハイエクか:資本主義を動かした世紀の対決』という面白そうなタイトルを見かけた。ここらで近代経済学の歴史を軽くおさらいするのも悪くなさそうだ。▼とはいえ、即購入はしなかった。先日、くまざわ書店で育児本やら磯崎新のエッセイやらを気分任せにピックアップしたばかりである。がっつり重たい本も混じっているので、ここに積読を重ねるのは得策ではあるまい。件のユニクロ本の短評もささっと書いてしまって、待ち行列も消化したら、そのとき考えることにする。▼エーコやナボコフの文学講義をまとめた文庫本もずっと気になっているのだが、こちらはしっかり読もうとしたら言及されている本も見ていくことになるので手が出しにくい。読みたい本は多数。時間は少し。選んでいくしかない。

[3261] Aug 05, 2018

自分のやりたいことを言葉で的確に表現するのは難しい。自分で納得するための表現ですら難しいのだから、人に納得させられる一文となると雲をつかむような話である。それにこれもあんまり深く考えすぎると、やりたいことをやりたいようにやった結果が何かしらの表現に結晶するのだとか、いやいや目標地点を明らかにしなければ結局はやりたいことなどできないのだとか、問題を無駄に誇大化する哲学的な話に入り込んでしまう。それでは甲斐がない。問題はもっとシンプルだったはずだ。私のしたいことは何か。▼そこまで真剣に悩んではいないが、私もときどき考える。やりたいことのふんわりとしたイメージがあるというよりは、明らかにやりたいと思える具体的な対象が何個か浮かんでいて、それらを繋ぎとめる点を見出そうとしている感覚だ。何も考えずにA、B、Cとこなしていけば、そのあとで答えは見えてくるのだろうけれど。それをただ待つのも性に合わない。

[3260] Aug 04, 2018

ベッドマットレスを探しにみなとみらいのIDC大塚家具へ行ったのが四年前。案内担当者はマットレスの蘊蓄をあれこれ語ってくれるが、どう話を進めても結局は大塚家具のオリジナルブランドに勝るものはないと言って譲らない。挙句、必要ないと明言しているのに、お買い得だという羽毛布団を執拗に勧めてくる。利益率の高い商品に誘導したい気持ちはわかるが、営業に張り付かれているようで気分はよくなかった。心ひそかにもう行くまいと思い、以来、足を運んではいない。▼大塚家具が経営難に陥り売却を検討中というニュースを見かけて、当時のことを思い出した。私のこの面白くない体験が、私だけでなく多くの人に共有されていたのだとしたら、あのときすでに凋落の兆候は見えていたことになるだろう。売りたい気持ちが前に出過ぎて余裕をなくしたブランドからは、人は離れていく。ブランドは求められるものではなければならない。押し売りは逆の発想である。

[3259] Aug 03, 2018

スターナイトで巨人に三連敗を喫したときは、これでもうベイスターズの2018年は終わってしまったと思った。しかし、今日。最高に面白い試合を見せてもらった。延長十一回裏。ツーアウト一二塁でサヨナラのチャンス。代打を告げるラミレス監督。映像が切り替わるより早く球場がどよめく。バッターサークルに姿を現したのは、なんと先発投手のウィーランドである。▼バッター嶺井に代わりまして、ジョー・ウィーランド。ウグイス嬢のコールと同時に球場が湧いた。画面越しでもわかる。この日、最高のボルテージだっただろう。誰もが見たかったその勇姿。ファンもこれを待っていた。動揺するカープ。流石に読んでいなかっただろう。勝ちに行く一手が最高のエンターテインメントになっているという、渾身の魅せる采配であった。▼無論、褒められるのは勝ったからだ。ウィーランドが選んだ四球で満塁となり、倉本のヒットでサヨナラ。総力戦は美しく幕を閉じた。

[3258] Aug 02, 2018

安価でハイスペックなパソコンを組もうとすると、最初にCPUの予算が削られる。今なら大幅値下げしたRyzen7の2700Xあたりが俎上に上がるだろう。あるいはi7-6700あたり。いずれにしてもエンスージアスト向けは選ばない。性能比で値段が高すぎる。▼次に金をかけるのはI/Oだ。NVMe SSDにしよう。Asrock『Ultra Quad M.2 Card』を選択。グラフィックボードはGTX-1070。この構成に必要十分な電源を設置すれば、格安自作ビルドマシンの完成である。▼しかしだ。i7-6700Kのレーン数は16、Ryzen7でも24。これではグラフィックボードとQuad M.2カードを同時に使うことはできないのではないだろうか。ぎりぎり足りたとしてもPCIeレーンに空きがなくなってしまうのでは……。そう思いかけたが、そもそもストレージが消費するレーンはチップセットのレーンであってCPUのレーンではないので、普通のマザーボードなら問題なく両立できるのであった。自分で一瞬混乱した話。

[3257] Aug 01, 2018

ここ数日「作りかけの曲を聴くと眠くなる病」が再発している。おかげで夜はまともに進まない。一旦、休憩しろという脳のシグナルかもしれない。▼冗談みたいな症状だが、本当にかなり眠くなる。自動リピートにして目を閉じたらあっという間に眠ってしまいそうだ。原因は全く不明だが、私自身は、冬の深夜に丹前にくるまってぬくぬくうとうとしながら悪戦苦闘した「最初の長編」のときの記憶が無意識裡によみがえってきているのではないかと想像している。あのときは、つくりながら寝落ちするのが当たり前だった。つくる。寝る。妙な条件反射になってしまった可能性もゼロではない。人の曲をいくら聴いても眠くなるわけではないから、あながち的外れでもないのではないだろうか。▼いずれにせよ、眠くなるということは疲れているということだ。疲れているときに無理をしても無理のあるものしか出てこない。今日も開始五分で寝落ちかけた。大人しく閉じて寝よう。

[3256] Jul 31, 2018

構造体のアラインメントがデフォルトで4byteないし8byteであるという妄想がどこから生まれたのかについて、後輩と語る。▼構造体のアラインメントは、構造体の各要素の中で最も厳しい制約を持つアラインメントに合わされる。つまり、16byteアラインメントの要素がひとつでもあれば16byteになるし、charしか持たない構造体であればアラインメントは1byteになる。即ち、char[5]を唯一の要素とする構造体のsizeは5である。8になったりはしない。▼勘違いは、intとcharを要素に持つ構造体のsizeが8であるところから生じているのではないかという話になった。これを誰かが、コンパイラが勝手に構造体のアラインメントを32bitデータバスに揃えるべく3byteのパディングを入れたと解釈したのではないかと言うのである。まあ、そんなところだろう。▼無論、この議論は様々な例外や詳細を切り捨てている。現代の標準的なバイトマシンに限った話と思ってもらえれば嬉しい。

[3255] Jul 30, 2018

久々に頭痛がひどい。カロナールを飲んで安静。このところ温度差アレルギーのせいで鼻をかむ頻度が極端に増えていたから、そのせいかもしれない。あるいは単なる風邪か、それとも寝不足か。いずれにしても、所詮は素人判断なので原因は不明である。▼長編制作は再び波に乗ってきた。ラストまではまだ二つ谷がある想定なのでクライマックスとは言えないが、全体の構成から見れば十分佳境である。ある意味では、三十分近い準備を経て仕上がった唯一無二の「場」がここだ。この「場」を得るために頑張ってきたと言っても過言ではない。当然、気持ちも上がってくるというもの。思う存分、やりたいことがやれる。やりたいことをやらねばなるまい。綺麗な畳み方や上手なまとめ方を今から意識する必要はないと思っている。▼あせりは禁物だが、プロジェクトが繁忙期を迎える前にカタをつけた方が良いのも確かだ。前向きにペースアップしていく。前進の勢い重視である。

[3254] Jul 29, 2018

図鑑。今日は『魚』の方を取り出してきて「タコ、いない。タコ、いない。」と言いながら次々とページをめくっていた。せっかくの図鑑もタコ探しである。どこまでタコ好きなのか。もはや何も言うまい。▼一方、親はシャチとイルカの違いについて調べてみた。サメとエイの違い――エラの位置が側面なのがサメ、下面なのがエイ――のように、シャチとイルカにも配色以外の面で明確な違いはあるのだろうかと思ったのだ。早速、クジラ族のページへ行く。▼まじまじ見比べてみた結果、図鑑でわかるような違いはないという結論に達した。そもそもイルカ自体にかなり種類が多く、カワイルカのようにイルカと比べてシャチより似ていないイルカさえいたりする。強いて言えばシャチの方が歯が大きいらしいが、さりとて歯が大きいからシャチというわけでもない。シャチはマイルカ科。広義のイルカである。違いを求めてはいけなかったのだ。▼日々発見。やはり図鑑は面白い。

[3253] Jul 28, 2018

子どもはすっかり図鑑が気に入ったようだ。何度も『水の生物』を出してきてはページをめくり、めくりめくってタコの所まで来ると「タコ、タコ、タコ、いっぱい!」と次々にタコを指さしていく。ときどき勢い余って次の項のゴカイや前の項のイカまでタコ扱いしているが、イカについてはちゃんと教えたところ「ンカ」と言うようになった。実際、イカにそっくりなタコや、タコにそっくりなイカ、しまいには「タコイカ」なるイカもいたりして、なかなか識別は難しいのだが、丸くてぐにょぐにょしているやつがタコ、頭が三角で細長いやつがンカという理解のようだ。大体それで合っている。▼『魚』も同じくらいお気に入り。こちらはどの項目が好きということもなく、気分でひらいては何を発見しているのか「あ!」と声を上げてサメやマンボウやトビウオを指さしている。色のカラフルなのが楽しいようだ。▼残念ながら『動物』と『乗り物』は今のところ不人気である。

[3252] Jul 27, 2018

携帯のシステムアップデートを行ってから挙動がおかしい。いつものゲームが勝手に全画面表示になりアスペクト比が崩れる。一件しか送られてきていないラインの通知が画面オフ時に何度も立ち上がり、連続してメッセージが来ているかのようにふるまう。ワイヤレス充電の反応が悪く、途中で何度も切断されている。ブラウジングをしていると今までより頻繁に重くなる。などなど。▼どうやら、同機種の最新システムアップデートで私と同様の現象を報告している人が一定数いるようだ。ゲームについてはアプリを再インストールすれば直るという。引き継ぎ設定をしくじると怖いことになるが、いつか時間のあるときにやらないと画面が気持ち悪くて仕方がない。ラインやワイヤレスの解決策は見つからず。頻繁に重くなるのはよくあるメジャーアップデート初回の最適化バグであろう。▼こんなことだから、みんなシステムを更新してくれなくなるのだ。パッチリリースを待つ。

[3251] Jul 26, 2018

今、ユニクロにまつわる本を読んでいる。ユニクロの服はめったに買わないが、ユニクロのビジネスモデルは嫌いじゃない。ベーシックアイテムのみに特化して品質/価格比を最大まで高めることで「価値」を創出する。このシンプルな方程式を突き詰める。徹底的に突き詰めることで競合を引き離す。≪研ぎ澄まされた基本≫という究極のオリジナリティである。私の理想とする在り方のひとつだ。▼ユニクロは、自分たちのベーシックアイテムを「変わらないベーシック」ではなく「進化するベーシック」と位置付けている。変わらないベーシックはただの平凡だ。必ず飽きられる。シンプルイズベストを逃げ口上にするのではなく、最先端のトレンドも追いかけて、取り入れられる要素は取り入れ、なおかつベーシックの品質も磨きつづける。そうしてベーシックの基準そのものを押し上げていく。言わば、ユニクロはいまや「基本」のルールメーカーとして君臨しているのである。

[3250] Jul 25, 2018

猛暑、猛暑。本日は32度。いつもより涼しいと思ってしまうのが末期的だ。十分に真夏日である。▼路面店は人がまったく外を出歩かないと嘆いている。そこへ追い打ちをかけるように今週末は台風が直撃。さりとて気温は下がりもせず、それどころか気象庁の予報によると八月上旬は猛暑日だらけにもなりかねないという。つまり、台風災害が猛暑でサンドイッチされているだけのことだ。最悪である。▼熱中症による救急搬送数は過去最多を記録したとか。夏は暑いのが当たり前、子どもは外で遊んで汗をかくべし、昔はエアコンなんてなかったのだからクーラーは甘え……などとのたまう昭和勢力も、さすがに今年の熱中症騒動で息をひそめたように思われる。昔そうだったから今もそうなんてことはないし、自分たちがつらい思いをしたからといって次の世代が同じ思いをしなければならない理由もない。二重の錯誤に貫かれた人々の目を覚ます役にだけは立った猛暑であろう。

[3249] Jul 24, 2018

「リバビリテーション」の教養解説より、二か所引用。▼「幼少のころから絵画や美術や音楽などのハイカルチャーに浸るなかで、特定のハビトゥスを相続的に備えた人間が存在する一方、事後的にそれを学習し、いわば「獲得資本」として身につけた人間もいる。前者が息を吸うように、ごく自然に鑑賞したりふるまったりするところを、後者は意識的に獲得しないといけない。もしくは、別のものでカバーする。」▼「音楽や絵画の領域で追いつけない部分を、コストの低い書物で補填なり逆転なりしようとするのが教養主義だったはずです。(中略)元手がなくても本を読んで勉強することで社会的なステージをのし上がっていくことは可能なのだという了解が教養主義モードを支えていた。そして、刻苦勤勉や自己鍛錬を尊重する修養主義を母体に出発した日本の教養主義の場合、むしろ、この努力獲得型の教養こそが評価された。たくさん読むことがよしとされたわけですね。」

[3248] Jul 23, 2018

読書哲学の件はペンディング。せっかくなので届いた図鑑の話を書く。▼やってきたのは予告通り「動物」と「魚」。食い入るように見る、というほどでもないが、興味はあるようで、巨大な本を床に置いては乱雑にめくる。最初のうちは「魚」にお気に入りのタコがいないと激怒したが、そのうちサメやマンボウやゴールデンバタフライフィッシュで満足しはじめた。タコがいたらもっと食いついていたかもしれないが、残念ながらタコは「水の生物」所属である。次に買ってあげよう。▼それにしても、なぜ「魚」の表紙を飾っているのがメガネモチノウオさんなのだろうか。いや、メガネモチノウオさんに不満があるわけではないのだが、この部長感あふれる貫禄の御姿を「魚」の顔に選んだ小学館の思惑が知りたくなる。学研や講談社と比べても攻めたチョイスだ。それとも、名前も顔もインパクトのある魚だから、私が知らないだけで魚好きの世界では人気者なのかもしれない。

[3247] Jul 22, 2018

大澤聡『教養主義のリハビリテーション』読了。こういう独善的でも衒学的でもない教養の啓蒙書は今日び少ない。文句なく良い本だった。何も言わずに星五つ。要約しないことを賛辞にしたい。▼ここ最近、つまりKindleを諦めてからの読破本をパソコンの上に重ねてみた。下から順に、読書哲学、仮想通貨、MBA、読書哲学、読書哲学、コンサル、AI、社会心理学、そして教養哲学。気ままに読んだつもりだが明確に偏りがある。残りの積読は、ビジネス技術、経済学、哲学なので、これらを消化すれば少しはバランスが良くなりそうだが、それでも幅広いジャンルとは言えない。本来興味があるはずの分野としても、AI以外の工学系や人文系、あとは歴史が抜けている。次に本屋をまわるときは、このあたりのことを意識してみても良さそうだ。▼そういえば「教養主義」の第四部にも読書にまつわる面白い表現があった。まさしくと得心の行く一節だったので、明日扱おう。

[3246] Jul 21, 2018

子どものための図鑑を選ぶ。「小学館の図鑑NEO」「講談社の動く図鑑MOVE」「学研の図鑑」が三強らしい。本屋にちょうど三種類揃っていたので、それぞれの印象と我が家の結論を書く。▼小学館は写真よりイラストが多めで情報量が多い。全体の配色が淡いので、紙面がよくまとまって見える。エンサイクロペディア寄りの図鑑と言える。逆に講談社は写真が多め。必要最小限の情報をコンパクトにまとめてインパクトのある紙面に仕上げている。ただしハイコントラストな写真の切り貼りでコントラストが高く、ごちゃごちゃした印象も拭えない。リアルなのは良いが一長一短ある。また、小学館や学研よりも本の高さが低いので、本棚にもやさしい。学研は、申し訳ないが、いちばん語る印象が少ない。両者の中間という感じである。▼初めはコンパクト志向の講談社になびいたが、妻の意見を聞いて小学館に心変わりし、これに決定した。明日、「動物」と「魚」が届く。

[3245] Jul 20, 2018

榎本博明『上から目線の構造<完全版>』読了。結局「教養主義」より先に読み終わってしまった。▼上から目線と一口に言ってもいろいろある。年長者が権威を示すためだけに振りかざす暴力的な上から目線もあれば、実際に知識も経験も豊富なベテランが後輩に助言を与えるような親心からの上から目線もある。そうして、どちらの上から目線に対してであれ「その上から目線をやめてくれませんか」と過敏に反応する若者もまた、裏を返せば、相手に対してもっと「自分を気遣え」という上から目線になっている。あらゆるところに上から目線が潜んでいる。上から目線になってしまう人、なってしまっていないかと怯える人、正当な上から目線ですら嫌悪し苛立つ人……。現代人はなぜこんなにも「上から目線」を意識し、その存在に悩まされなければならないのか――という話。▼序盤はありきたりすぎる心理学の話だが、恥と甘えの日本文化に着地する後半の展開は良かった。

[3244] Jul 19, 2018

『上から目線の構造』を買う。何度か書店で目にした本だ。現在進行中の『教養主義のリハビリテーション』が終わりそうなので、次の一冊を仕入れておきたかった。じっくり考える本の後は軽めが良い。このタイミングで手に入れてしまおうと思った。▼ときに、この本は日本経済新聞出版社から出ている。日経ビジネス人文庫である。恐らく、この文庫を買うのは初めてだ。白背景の題名部を丸みを帯びた青地が上下から支える三色刷りの背表紙。雑学系をイメージさせるライトな配色である。▼本を手にしたとき、ふと本棚に思いを馳せた。そうして、主には岩波と新潮が並び、ちくまと河出が少々、あとは講談社学術やら講談社文芸やらが数冊ずつという棚に、この新参者が独りで並ぶのは寂しいように思えた。せめて二冊あれば格好がつくのではないか。では、この隣のやつも面白そうだから買ってしまおう。……。▼こうしてもう一冊ストックが増えたのだった。これでいい。

[3243] Jul 18, 2018

ついに目当ての品をオークションで見つけた。入札。現在のところは最低価格。このまま落ちてくれればと願うものの、あまり低い水準で最終日を迎えると最後の数分で出し抜かれかねないのが心配だ。▼即決価格の問題もある。どれだけ低空飛行で粘っても、最後の最後で即決を叩き込んでくるユーザーがいたら全ては水泡だ。この即死リスクがあるせいで、即決システムはあまり好きになれない。即決で買うならラクマやメルカリのようなフリーマーケットを使う。オークションはやはり競り落としの醍醐味が基本である。冷静に入札を行う限りにおいては常に「脳内の予算以下で売買が成立する」ところに旨みがあるのだ。当初予算ではない。競りの過程のある時点で10万まで出せると決意した後、9万5000円で落札できることに意味があるのである。この見えざる精神的な勝利の価値は低くない。▼今回も予算は決まっているが、品の条件が良いので突っ張るかもしれない。

[3242] Jul 17, 2018

今日は三十五度。明日は三十六度。暑い。暑すぎて語彙も減る。思考も鈍る。あらゆる感情が暑いという直接的な感覚で上書きされていく。もはや情緒もへったくれもない。とにかく暑いのだ。暑くて汗が出るのだ。▼私が体験した日常生活中で最強の猛暑は、たしか大学一年生のときだった。板書をしていた熱力学の教授が、歩いていると氷屋の幻が見えるのは私だけかな、などと不思議な発言をし出すほど朝から蒸す日だった。授業が終わり昼。食堂の前でいつもの面子と集まると、意識が朦朧とすることに気がついた。異常な日射量。脳が茫然としていて、日陰に逃げるとか、まともな判断も即座にはできない状態になった。皆同じような状態で、ちょっとおかしくないかと囁き合った。周りも一様にとまどっていたと思う。食堂で何を食べたかは覚えていない。▼その日こそ東京で三十九・五度を記録した伝説の猛暑日だったそうだ。あれに比べれば今はまだ序の口と耐えられる。

[3241] Jul 16, 2018

ビニールプールを出して遊ぶ。▼昨日、給水用に10mホースと散水ノズルを買ったのだが、10mホースは風呂場から温水をベランダへ導くには短すぎて使えなかった。仕方なく庭の水道から冷水を注ぐことにしたものの、今度は散水ノズルの止めが甘かったのか接続部分が暴発して水浸し。結局、周到な準備は散々な結果になってしまった。思い通りにはいかないものだ。▼そうはいっても、ホースから普通に水が出て来るだけで子どもは大喜びである。あとは小さなバケツと柄杓、水に浮く海の生き物など、お風呂のおもちゃを放り込んでミニプールの完成だ。バケツで水をすくってはこぼしたり、水鉄砲を飛ばしたり、やっていることは普段のお風呂と大して変わりないのだが、やわらかいビニールプールの中で、日差しの中で、いつもとは違う場所と時間に水遊びをするというだけで十分に楽しいようだ。▼子どもは大満足の後、ぐっすり昼寝した。私も今夜はぐっすりである。

[3240] Jul 15, 2018

AIにまつわる話のつづき。AIは人間を超えられるかと問うと、そんなことできるはずがないと主張する人間過信派と、間違いなくAIは人間を超えられると主張する人間軽視派が現れる。しかし、実のところ問いには答えようがない。何しろ「超える」が何を意味するか、全くもって不明だからだ。▼過信派は、超える超えないを「人間らしさ」の評価軸上で考える。この軸上では、≪人間に出来ることを全て人間以上に上手くやれること≫が「超える」である。肉体や感情や社会性は制約ではなく特性と解釈される。故に、これらを持ち得ないAIは最初から圧倒的に不利というわけだ。▼一方、軽視派は、超える超えないを純粋に能力で考える。≪あらゆる種類の問題解決を人間より速く行えること≫が「超える」である。ここでは人間が形ある生物であることは負の制約となる。AIは、肉体や感情を持たないからこそ、人間より高精度で高次元な思考を行うことができるのだ。

[3239] Jul 14, 2018

リビングボードを見に家具屋へ行く。小田急町田駅から徒歩十五分、村内家具・相模原店である。三連休の後に大規模な改装リニューアルを行うらしく、展示品が三割〜七割引きと聞いて、週末の遠出がてら訪ねてみた。▼ショールーミングではなく、条件が合えば本当に買うつもりで行ったが、さすがに壁面型のリビングボードとなると数が少なく、予算とサイズと色の面で即決するほどの商品はなかった。とはいえ、今後、あらためてリビングボードを探す上で考慮すべき点なども見えてきたので、無駄足ではない。それに、普段見る機会の少ない家具類の物見遊山も面白かった。キッチンボードも買い替えたいと思っているし、箪笥や学習机もいつかは必要になる。そのとき、今日の記憶がよみがえって選択の参考になれば尚良しだ。▼商品探しは再びネットに戻る。実物を見ないで買うのは不安だが、型番で画像検索したとき利用者の撮った写真が出て来る商品なら不安は少ない。

[3238] Jul 13, 2018

AI界は今、二つの誤謬のあいだで揺れている。人間過信と人間軽視だ。▼過信派は、たとえAIがどれほど賢くなろうと人間にしか出来ないことが残ると信じている。人間には意志がある。意味を解する力がある。機械にはそれらがない。だから、AIは人間を超えられない。▼一方、軽視派は、人間の思考過程など全ては電気信号の連鎖に過ぎないと考える。故に、AIの情報流通量が規模の面で人の脳を大きく上回れば、もはや人間に出来てAIに出来ないことなど残らないと思っている。人は物理の奴隷に過ぎない。自由意志などまやかしである。十分に巨大化したAIは生命に等しいのだ。▼新井紀子『AIvs教科書が読めない子どもたち』読了。著者はどちらかというと前者――過信派に属していると思われる。書籍の前半にはあまり同意できないが、後半、中高生の読解力を測る大規模実験と衝撃の結果については見事な仕事である。総じて教育に関する箇所は面白かった。

[3237] Jul 12, 2018

カレン・フェラン『申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。〜コンサルタントはこうして組織をぐちゃぐちゃにする』読了。これも「読んでいない本について」と同じくジャケ買いである。三十年もコンサルタントをやってきたベテランが語るコンサルの内情暴露なんて、考えただけで最高じゃないか。面白くないわけがない。▼主張はただひとつ。職場に人間性を取り戻そうということ。何を隠そう、職場から人間性を奪った張本人こそ経営科学を標榜しながらまがい物の《ソリューション》をオイシイ売り物にしてきたコンサルタント諸氏である。そのことを著者は「本当に申し訳ない」とお詫びしているわけだ。コンサルなんて実のところダイエット食品と変わらない。簡単に痩せられる。確実に痩せられる。今度こそ本物のメソッド。誰にも教えたくない秘密の手法。しかし効果のほどは全くもって不明――この本を読めば、両者に驚くほどの共通点があることに気づくだろう。

[3236] Jul 11, 2018

シャドウバースの後釜にと、昨年の秋頃から遊んでいるロードオブダンジョン。商売下手な運営の不手際に泣かされながらも、ゲーム自体は面白いので細々とつづけてきたが、ここに来てさすがにやることが少なくなってきた。最初から存在を匂わされている新マップも一向にリリースされない。毎月の「降臨イベント」も、もはやイベントという名の日常である。そろそろ新しいコンテンツが欲しい。いつか来るかもしれない大型アップデートに期待しながらニッチゲームと心中していく人々の気持ちが、今ならわかる。▼何度も言うが、ゲームは面白い。しかも、拡張性も高い。ちゃんとコンテンツを追加すれば、いくらでも遊べるゲームになれる地力がある。課金性も上々。開発や運営にいかなる意図があるかは知らないが、こんなに稼げそうなタイトルをだらだらと腐らせていくのはたいへんもったいなく思える。私と同じような様子見勢も増えてきたようだ。夏が勝負所だろう。

[3235] Jul 10, 2018

以前のペースで本を読み、PCデスクの上から不必要なものを片づけたら、それだけでどんどん筆が乗るようになってきた。乗った筆で書くものが上出来とは限らないが、とにかく筆が動くことに意味がある。筆が動けば何かは出来る。何かが出来れば検討が出来る。検討が出来れば課題が見えてくる。課題が適切に記述できれば、筆の進みはさらに速くなる。繰り返し。いつかは納得の行く出来映えになる。だから、筆が動くことは常に前進である。▼筆が乗らないとき、どうすれば筆が乗るようになるか。文筆家や漫画家は、例外なく悩んできた。作業の時間帯を変える、場所を変える、使う道具を変えるなど、変化にきっかけを求める人もいれば、散歩をする、スポーツをするなど、身体を活性化することで脳力の目覚めに期待する人もいる。まさに人それぞれだが、私の場合は「読書」と「きれいな机」に一定の効果が認められたというわけだ。しばらくこの仮説を信じてみよう。

[3234] Jul 09, 2018

本日、ベイスターズvsドラゴンズについて。▼私は今日の試合、てっきりナゴヤドーム開催だと思っていた。試合開始前になぜかそう思い込んでいた。したがって、アウェーだからニコニコ生放送はないはずと、DAZNアプリを立ち上げて観戦を始めた。▼そして試合中。見慣れた球場のはずが、ナゴドという頭があるからハマスタであることに気づかない。ソトの勝ち越しホームランが「場外」に消えていっても、なぜかドームでないことに気づかない。中日、代打荒木のホームラン。ナゴドで打つなんてすごいなあ、などと呑気に考えている。七回裏には一挙三点でベイスターズの大逆転。しかし、スコアボードの下に刻まれた3点を見ても気づかない。そうして、九回「裏」はヤマヤスが抑えて終わりだと意気込み、アルモンテのサヨナラHRに怯えながら勝利の瞬間を迎えたのであった。真実に気がづいたのは、ヒーローインタビューになってからである。思い込みは恐ろしい。

[3233] Jul 08, 2018

外山滋比古『乱読のセレンディピティ』読了。このタイトルと、サブタイトルの「思いがけないことを発見するための読書術」がすべてを言いつくしている。精読ばかりしていると視野が狭くなって専門バカになるので、もっと気ままに乱読して思いがけない発見に出会いましょうという話だ。▼言いたいことはわからんでもないが、若い人には勧めたくない。狭く深くか、広く浅くかという二択は、何万回も繰り返されてきた問いであって、そのたびに結局は広く深くを目指すべきという正論に落ち着くのが常だが、先に広げるか深めるか、その順序は深める→広げるの方が理想的と思われるからだ。何かを深めた経験のない者は広げる速度も遅い。逆に、関連の薄い何点かの領域について深く極めれば、そのあいだは自然と埋まっていくものである。著者自身の人生についても明らかにそうなのだが、本の主張がそうはなっていないところに齟齬があると思われた。星は三つにしたい。

[3232] Jul 07, 2018

マリオオデッセイが落ち着いたので『ゼルダの伝説〜ブレスオブザワイルド』へ。本作のスゴさについてはあらゆるところで語られ尽くしているので、いまさら一般的なコメントはしない。とにかく、開始数分で神ゲーの予感しかしない出来映えである。▼マリオのときは大人しく見に徹していた長男坊が、ゼルダは動かしてみたいらしくコントローラーを寄越せと言ってきた。小さな指で左スティックをぐりぐりしてリンクが動くと、その連動が面白いらしくゲラゲラ笑う。▼しかし直後、事件は起きた。十字キーの上を押しながら右スティックを左右に倒すという高度な入力を使いこなして特殊装備をマグネットから爆弾に変え、あろうことか爆弾を取り出し頭上でリモート爆発させたのである。もちろん即死だ。一歳十ヶ月にして初のゲームオーバー体験である。その後、もういちど操作を渡すと同じように爆弾を取り出して自爆した。死なずに遊べるようになる日はまだ遠そうだ。

[3231] Jul 06, 2018

大雨。眠気を誘う雨音。早起きしているわけでもないし、ザイザルを服用しているわけでもないが、近頃は零時近くなると急激に眠くなる。どこかの不調を休めるために身体がシグナルを発しているのかもしれない。であれば、逆らわない方がよかろう。足早に今日の記録をつける。▼子どものオウム返しがようやく活発になってきた。ライトニングマックイーンのしゃべるおもちゃを怖がるので「こわい?」と聞くと「こぅわい」と言い、きんぴらごぼうを指して「ごぼう」と言えば「ごごー」と言う。覚えた言葉しか発声できないのではなく、聞いた音をそのまま復唱できる段階に入ったということで、いよいよしゃべり出しそうな気配である。欲を言えば、二歳までに二語文が出てくれれば面白い。▼しかし、怖がりなところは変化なしだ。先日園で風船遊びをしたところ、膨らんだり飛んだりする風船をたいそう怖がって先生に泣きついてしまったらしい。稀に見る慎重派である。

[3230] Jul 05, 2018

ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』読了。▼なんといってもタイトルが最高に卑怯だ。くまざわ書店で見かけたとき、一も二もなく衝動買いしてしまった。これほど引きの強い題名にはしばらく出会っていない。どうして買わずに別れられようか。天才の所業である。▼これで中身がくだらないハウツー本ならタイトル詐欺だが、どちらかというとタイトルの方が軽すぎると思われるほど真面目でディープな読書哲学である。「読んでいない本についてコメントする方法」という具体的な状況を題材にしつつ、そもそも本を読んでいる/読んでいないとはどういうことなのか、なぜ人は本について読んだとか読んでないとかにこだわるのか、読んでいない本について語ることは本当に恥ずべきことなのか、などなど、読書にまつわる禁忌とも言える謎を、豊富な例示を交えて鮮やかに解き明かしていく。スリリングな思考実験の本である。オススメ度は高い。

[3229] Jul 04, 2018

風が強い。雨戸が強風に煽られてガタンガタンと大きな音を立てている。ときどき風が止んで静まり返ると、今度はガラスに打ちつける雨の音が目立ってくる。暴雨、暴風。台風と言っては真の台風に怒られるが、平時の天気としては相当な荒れ方である。▼今日、夕方ごろから急激に腰が痛み出したのは、もしかしたら近づく雨の気配のせいだったのもしれない。2014年10月末。最初のぎっくり腰を経験して以来、ふとしたときに忍び寄る再発の影に怯えてきた。さいわい今のところ二度目の爆発は起きていないが、今日は痛み方が普段と違うので冷や汗をかいたところだ。不吉な兆候ではなく、雨のせいだと信じたい。▼帰り道、偶然一緒になった後輩も最近ぎっくり腰をやったばかりで、出社は疎か食事もままならぬ日々を過ごしたと嘆いていた。完治には一ヶ月かかったそうだ。そんなことになっては何もかもお手上げである。椅子の座り方と寝相を見直して様子を見たい。

[3228] Jul 03, 2018

子どもが早くもプラレールを組み立てられるようになってきた。角度を調節して凹凸を合わせ、接合部を親指で押さえ体重をかける。はじめは出来なかったことだ。我々の仕草をちゃんと見ている。▼閉じたループをつくるのはまだ無理だが、手押しで遊ぶ分には端があっても問題はない。自由気ままにパーツを組み合わせ、適当な長さになったところで端から端まで車両を往復させて遊んでいる。ときどき自動運転のスイッチを入れるようせがんでくるので、このときばかりは大人がつくったループに乗せてやる。やがてすぐに自動をやめろと訴えて来る。プラレールに関してはかなり注文が多い。▼他にも、脱線すると癇癪を起こしたり、自分では出来ない車両の連結・切断を頻繁に依頼してきたりと、なかなかに忙しい部類のおもちゃである。もちろん一緒に遊んでくれと言われれば遊ぶが、トラブルの場合はなるべく一人で解決できるよう、魚の釣り方を教えていかねばならない。

[3227] Jul 02, 2018

C++のテンプレートはきわめてシンプルで強力なツールだが、善良な実装者のあいだではあまり歓迎されない。何か近寄りがたい存在だと思われている。なぜだろうか。▼理由のひとつに用語の混乱がありそうだ。たとえば「特殊化」。テンプレートで特殊化と呼ばれるのは実体化と明示的特殊化を合わせた広義の実体化である。このうち実体化は明示的実体化と暗黙的実体化に分かれるが、明示的特殊化に対する暗黙的特殊化なる概念は存在しない。一方、また別の概念である部分的特殊化は特殊化には含まれない。――もはや難解な哲学書である。▼もちろん、ひとたび構文を理解してモノにしてしまえば区別はたやすいが、言語の基本機能としては少々ややこしすぎる。初心者殺しと言われても仕方がないところだろう。しかも、その先ではテンプレートメタプログラミングの深淵が静かにこちらを覗いている。危険と無縁でありたい人々から遠ざけられてしまうのも無理からぬ。

[3226] Jul 01, 2018

烏龍茶、黒烏龍茶、爽健美茶、十六茶、綾鷹、伊右衛門、お〜いお茶、生茶、からだすこやか茶W、胡麻麦茶、天然ミネラル麦茶、加賀棒ほうじ茶、ジャスミンティー、特茶、六条麦茶、やさしい麦茶、からだ巡茶、そば茶、玄米茶、黄金烏龍茶、ヘルシア緑茶。私がよく飲むペットボトルのお茶を思いつく限り挙げてみた。もし、私が飲んでいるのに名前を思い出せなかった商品が他にあるとしたら、その品は商品名かパッケージを考え直した方がいいだろう。▼それにしても、いざ列挙してみると想像以上に多くて驚く。正直なところ挙げる前はこの三分の一くらいだと思っていた。それに、思い出した順番も愛飲順というわけではなさそうだ。横浜駅相鉄線二階改札の売店ではこれしか買わないというヘルシア緑茶を最後にぎりぎりラインアップしている。薄情者である。▼記録価値のなさそうなことでも記憶だけを頼りにリストアップしてみると、多少は面白い発見があるものだ。

[3225] Jun 30, 2018

久しぶりにマリオオデッセイをプレイしたところ激しく酔った。吐き気がして、げっぷが止まらなくなる。狭い車で坂道を登ったり下りたりしているような気持ち悪さである。たまらず止めて風呂に駆け込んでしまった。▼ところで、車酔いでもそうだが、なんで酔うとげっぷが出るのだろう。いつも不思議に思っていたので、この機会に調べてみた。▼酔いはつらい。酔うと精神的にストレスがかかる。ストレスがかかると胃酸が増える。胃酸が増えると胃の中の空気が圧迫されて喉から出てくる。つまりげっぷが出る。ざっくりとこんな流れだそうだ。▼そうして、このメカニズムこそ吐き気の正体でもあるという。――いや、しかし。もとをただせば吐き気がするからストレスがかかるのではなかっただろうか。どうもチキンエッグの様相を呈してきたが、ひとまず吐き気と不快感が負のフィードバックをまわし始めるところに、酔いの恐ろしさがあるという認識で納得しておこう。

[3224] Jun 29, 2018

電子書籍を諦めて紙の本をまとめ買いし、再び昔のペースで本を読みだしてから、不思議と編曲の筆も乗るようになってきた。自分に適したリズムのようなものがもどってきたような気がする。この機は逃したくない。▼しかし、音楽とは縁もゆかりもない情報に触れているときが最も好調というのは、逆説的というか皮肉的である。私にあっては、たぶん音楽の入力は音楽にならない。むしろ、数学とか科学とか文学とか、そういうところから流れ込んできたエネルギーを譜面に発散する方が合う。この一種歪んだ循環が型として認められるなら、結局、それが私のスタイルということなのだろう。創出を第一義に据える芸術家でないと認めるのは悲しいが、かくありたいという願望に囚われるよりも自分を正しく知る方が大切である。▼次にスランプに陥ったら、適当に作家を定めて長編でも読んでみるのが良さそうだ。それまでは止まらず駆け抜ける。クイック&ダーティで行こう。

[3223] Jun 28, 2018

『MBA100の基本』読了。経営学の金言集。▼復習本である。この手の本は、読んだことがある書籍の引用なり、聞いたことがあるフレーズや逸話なりを思い出して記憶を補強するのがちょうどよい。以下、そうして思い出した見出しを列挙する。▼「分けることはわかること」「大事なのは何をするかではなく何をしないかである」「競争するのは最悪の戦略」「すぐれた経営が大企業を衰退させる要因である」「マーケティングの目的はセリングの必要をなくすこと」「顧客がほしいのは1インチのドリルではなく1インチの穴である」「相手と同じことをしようとした瞬間に負け」「私の仕事は大聖堂を作ることです」「組織は戦略に従う」「完璧よりやる方がいい」「早く低コストで失敗しろ」「量は質に転化する」「オレンジの皮か中身か」▼書名の通り、基本を押さえることに全力で取り組んだ良いまとめと言える。基本のリファレンスとして、手もとに置いておきたい。

[3222] Jun 27, 2018

「戦略は外に向けて正しいだけではなく、内に向けても正しくなければならない。」経営戦略学で聞かれる格言のひとつ。たとえ企業の外、つまり顧客や株主や社会にとって正しい戦略であっても、企業の内、すなわち従業員にとって正しい戦略でなければ、それは結局実行されずに終わる。良き戦略が実行されるためには、実行する者に知識と技術とモチベーションがなければならぬ。▼そりゃそうだと言うのは簡単だが、現場でもこれが出来る人は意外と少ない。こうすればもっとよくなると正しい理論を展開し、理論に基づく真に効果的なシステムを築いたところで、野心的な試みの多くは行き詰まる。なぜか誰もそれを採用しようとしない。知らないから、できないから、やりたくないから。しかし、それらの障壁を取り払う具体的な方法も込みで「戦略」であろう。自分は正しかったのにまわりが理解しなかったと不平を言う人は、内に向けた正しさの大切さを理解していない。

[3221] Jun 26, 2018

しゃぶしゃぶ食べ放題の店へ行く。リーズナブルな価格設定に加えて、三歳以下の子どもは無料という看板に目をつけていた。大戸屋へ行けばホッケ焼き定食と切り干し大根の小鉢を完食する我が子である。それが無料。一人前がまるごと浮くとなれば試してみない手はあるまい。しかも食べ放題である。いろいろな野菜を試してみるのにもうってつけではないか。▼さて、今日行ってみて。正直、しばらくいいかなと思った。味がいまいちというわがままもあるが、ライス、うどん、野菜、水など、肉以外の全てがセルフサービスなので、立ったり座ったりが忙しい。しかも材料を取ってきたら鍋に入れて煮えるまで待たねばならず、待ちきれない子どもが喚いてしまう。鍋に伸ばす手を押さえつけるのも一苦労だ。火傷が怖くて気が抜けない。かなり疲れる結果になってしまった。▼同じ食べ放題でもビュッフェのような形式なら問題ないだろう。しゃぶしゃぶは良い手ではなかった。

[3220] Jun 25, 2018

ヘッドフォンが苦痛なほどには暑い。梅雨も明けたし、さすがに外用のSignature DJとはお別れしよう。また寒くなってきたらよろしく頼みたい。▼イヤホン単体運用にあたってはひとつだけ問題がある。愛用機、Apollo 7のバッテリーが通勤の片道も持たなくなってきたことだ。運用当初は公称三時間に対して体感二時間半弱といったところで、家から会社程度ならドア・ツー・ドアでも余裕たっぷりだったが、この頃は会社の最寄り駅に着くともう「バッテリー・ロウ」とアナウンスが鳴り響き、到着前には力尽きてしまう。バッテリーの消耗は小型機の宿命ではあるが、早めの予想より尚早かった。▼購入当時より製品ラインナップは格段に増えたが、この欠点が解決してるとは思われない。セパレートの利便性はいくら強調してもしすぎることはないが、このように一年も経てば電源の持ちが公称の半分以下になることは、これから導入を検討する人なら留意した方が良いだろう。

[3219] Jun 24, 2018

中島真志『アフター・ビットコイン』読了。▼著者にとって重要なのはビットコインではなくアフターの方だ。ブロックチェーンという技術を用いて生み出された画期的な概念が仮想通貨=ビットコインなのではなく、ビットコインという形で実験され、日の目を見た画期的なブレイクスルーがブロックチェーンという技術なのだという主張である。主役はブロックチェーンであり、ビットコインではない。▼大筋、同意する。スウェーデンやイギリスをはじめ、世界各国で中央銀行が分散型台帳技術を用いた通貨や決済の在り方を実験しているのは知られるところだし、それもすでにある程度実用化の目途は立ってきているようだ。投機的な側面の強い民間仮想通貨よりも、国が公式に発行するデジタル通貨の方が素早く浸透するのは当然だろう。遅くとも今後数年間で、通貨の概念は大きくアップグレードされる。太古の時代より持ち運んできた貨幣が、ついにバーチャルになるのだ。

[3218] Jun 23, 2018

長男坊、プラレールで遊び始める。▼与えたのは「きかんしゃトーマス」の車両が小さな円形のレールをぐるぐる回るベーシックセット。レールと車両の他には、駅舎がひとつとカーブ用のトンネルがついてくる。表面のでこぼこした、深緑のトンネル。私が子どもの頃に遊んだときと全く同じデザインだ。レールや車両が当時と変わらないのはさして気に留めていなかったが、記憶のままのトンネルを見たときはちょっと感動した。思いがけない過去との再会である。▼最初だからと慎重になって最小セットにしてしまったが、レールを破壊したり車両を脱線させたりすることなく、熱心に走らせて遊んでいる。これならすぐにでも拡張セットを買い増してよいだろう。十数秒で一周してしまう小さな円。その真ん中に座って、目が回りそうなほど自分もぐるぐる回りながら電車を走らせる。ひたすら同じことの繰り返し。何がそんなに楽しかったのだろう。今となっては思い出せない。

[3217] Jun 22, 2018

地図をつくる。ちょっとした案内図だ。▼まず、Googleマップで地図作成したい場所に飛ぶ。周辺エリアも十分に含まれるよう位置と縮尺を調整し、終わったらスクリーンキャプチャを撮る。これを画像作成ソフトに新規レイヤーとして貼り付け、地図の最終的なサイズに合わせて自由変形で拡縮。Googleマップで疑似的に地図を完成させてみる。できたらレイヤーの不透明度を40%前後に設定。これでトレース用の下地が出来る。▼ブラシの太さを調整しながら川や道を直線ツールでなぞっていく。道幅はできるだけ比率を正確に表現した方が、メリハリがついて良い。ぐっと「本物」らしくなる。一方、カーブは緩やかなら直線で近似してしまった方が見やすい。ダイナミクスを保ったままざっくりと仕上げるのがポイントだ。▼あとは仕上げ。Googleストリートビューで歩行者の目線から周辺を確認し、目立つ建物や店の名前を書き込んでいく。完成。Googleツールさまさまである。

[3216] Jun 21, 2018

父の日のプレゼントに図書カードをいただいた。早速、今週末に欲しかった本を買うことにしよう。▼電子書籍から紙の本にもどってきて。いままで取り上げて来なかった紙の利点がまたひとつ新たに見えてきた。それは、紙の本の場合、持ち歩いたりデスクに置いたりしているだけで他の人との会話のきっかけになるということだ。装丁も大きな役割を果たす。大きな文字で「仮想通貨」と書いてある大判本が目に入ったら、仮想通貨に興味のあるチームメイトはきっと声をかけてくるだろう。▼明らかに、Kindleではこれができない。放置されたKindleの画面は黒である。他人は私が今何を読んでいるのか、窺い知ることはできない。かといって、これ見よがしに電源を入れっぱなしにしているのも不自然というものだ。▼本に、本の内容を超えた効用を期待できるのは、今のところ明白な紙の利点である。読書を通じて人と話すのが好きな人ほどKindleより紙が向くのかもしれない。

[3215] Jun 20, 2018

イーサリアムが私の知らないうちに値上がりして、知らないうちに値下がりしていたようだ。保有を忘れていたわけではないが、各ゲームの開発状況に変化がないので放置せざるを得なかった。買ったときの倍近くになったときは早めに仕込んでよかったと思ったが、ゲームのリリース後に買い増しを余儀なくされた場合はつらいと思っていたから、元の水準まで戻ってきたのはありがたい。▼開発状況に変化がないといっても、リリースが遅れているわけではないので心配はしていない。投資済みのゲームについてはおおよそロードマップ通りに進んでいると見る。もっとも期待していたCryptocitiesは着実にゲーム化が進んでいるし、インターフェースも整ってきて良い感じだ。今年中にはそれなり面白い遊び方ができるかもしれない。▼仮想通貨自体は絶賛暴落中の模様。新規参入を促すには下がってくれた方が良いが、下がりすぎても困る。今の価格をキープするくらいが最善だ。

[3214] Jun 19, 2018

シールの入稿完了。同じデザインで大・中・小の三種類と、別デザインの文字のみ版で合計四種類。小サイズと文字のみは四角裁断の最低サイズに満たなかったので、割高になるがトムソン裁断での発注になった。本当なら全て四角裁断にしたいところだったが、仕方がない。▼枚数は案外悩んだ。小口でいいので最低量と思っていたが、枚数と価格が想像ほど比例しない。たとえば100枚で4000円なら200枚で4500円、300枚で4800円といった具合である。こうなると最適な枚数を見出すのは途端に難しくなる。将来的な消費量も適切に見積もって決めないと大きな損を出す羽目になりかねない。検討した末、予算を先に決めて「大」だけは固定で200枚とし、「大」以外の三種は残りの予算で同じ枚数になるよう調整した。結果的には良いところに落ち着いたと思う。▼データはガイドを引かなければならないのが面倒だった。それ以外は朝飯前だ。今週中には出来上がってくるだろう。

[3213] Jun 18, 2018

ソーシャルゲームの起業ラッシュも、思い返せば今から七年前くらいになる。当時起業したベンチャーで、今現在、大手となっている企業はあるのだろうか。知る限り、ほとんどない。▼今、ソーシャルゲームで大きな利益を上げている企業の多くは、ブームより前に設立されている。ブームの前にヒト・カネ・モノの仕込みが終わっていて、熱狂の最高潮にありったけの資源をぶち込んだ自信作をリリースできた企業が、実績と利益を得て、その後のシェアも攫っていった。ただでさえ死屍累々のベンチャー起業である。当たり前のことだが、ブームを認めてからの後追い起業はやはり分が悪かったということだ。▼会社を建てることと、事業を興すことは違う。会社設立は誰にでも出来るが、継続可能な事業を展開するのは難しい。当時、ソーシャルゲームの流行に起業楽観論が重なってしまったのは悲運だった。今は揺り戻して、少し起業に慎重な空気が戻ってきているように思う。

[3212] Jun 17, 2018

名作家を見つけたら全集を読め、と小林秀雄が言っていた。もうひとり、誰かは忘れてしまったが、全集を読むことは最高の知的訓練だと断じた人もいた。全集を読破した者は自分の知的スケールがひとまわり大きくなっていることに気づくであろう、と。そんな表現に深く共感した覚えがある。▼この頃、本屋に行っても買うべき一冊を選び出すのが難しく、何も買わずに書店を出ることが増えてしまった。刺激的なタイトルの本は何だか疑わしく、さりとて選ぶべき古典もない。ビジネスか、科学か。歴史か、小説か。どれを読んでも良いはずだが、どれを選ぶ理由もない。かといって当てずっぽうで拾うのもためらわれる。……。▼こうして読書から遠ざかってしまったとき、「全集のススメ」が役立つのではないだろうか。なにしろ全集なら、ひとたび著者を決めることさえできれば、しばらく次の本に悩む必要がない。今の私に必要なのも全集かもしれないと、思い始めている。

[3211] Jun 16, 2018

「読みやすい文章」の条件を、いくつか書き下してみよう。▼一、表現がやさしい。難解な言いまわしが少なく、誰にでも読める言葉で書いてある。二、初見で文意が取れる。主張したい内容が明白であり、誤解の余地がない。三、音とリズムの流れが良く、つっかえるところがない。最後の句点まで淀みなく目を走らせることができる。四、文章や文全体が適度な長さである。冗長な節がなく、必要十分な文字数しか使っていない。等々。▼では「読ませる文章」はどうか。読ませる文章には、ときに難解な表現も使われる。初見では意味不明だが、あとになって真意が取れる場合もある。音やリズムが崩れて破調していることが緊迫感を出すこともある。過度な圧縮、過度な冗長さも、読ませるテクニックになりうる。▼要するに、読みやすい文章とは縁もゆかりもないということだ。読みやすいことと読ませることは違う。自分の目指す形がどちらであるかは明らかにした方がいい。

[3210] Jun 15, 2018

ひとしきり牛丼の話で盛り上がった。私を含めて松屋派が三人、すき家派が一人。吉野家派はいなかった。私も、よほどの理由がない限り吉野家へ行くことはない。吉野家が牛丼チェーン店の王者であった時期を思い起こすと、なんとも寂しい気分である。▼すき家の朝定食が最高だとか、松屋はカレー屋だとか、吉野家も牛鮭定食と牛鍋だけは美味かったとか。ありがちで平凡な談義が続く中、ふいにひとりがこんなことを言った。曰く、自分は松屋の牛丼には必ずフレンチドレッシングをかけて食べる、と。本当に、牛丼の新しい世界が拓けるほど美味いんですよ、騙されたと思って次にやってみてください、と熱弁は続く。語り口に嘘はない。▼ネットでも同意見があると某所の記事を見せられた。たしかにフレンチドレッシングが最高などと書いてある。記事の最後にビックマックのような味わいとあるのを見て、ちょっと得心が行った。せっかくだ。一度くらい試してはみよう。

[3209] Jun 14, 2018

シールの発注。用紙の種類に「コート77kg」「上質紙69kg」「透明テトロン38μ」などとある。印刷用語には明るくない。コートや上質紙や透明テトロンは良いとして、このkgやμというのは何なのだろう。気になって調べてみた。▼どちらも用紙の厚みを表す単位らしい。kgはキログラムで重さのことだが、これは「四六判連量」と呼ばれる表現で、四六判(788ミリx1091ミリ)1000枚分換算の重量を表している。つまり、四六判を1000枚刷ったら重量が77kgになるような厚みのコート紙が「コート77kg」というわけだ。▼一方、μはそのまま紙の厚みをマイクロメートルで書いたもの。「透明テトロン38μ」は38μメートルの厚みを持つ透明テトロンである。これはわかりやすい。混在している理由はわからなかったが、この業界にもいろいろ流儀があるのだろう。▼紙厚の表現には、他にも単位平方メートル当たりの用紙一枚の重量で示す「坪量」などがあるらしい。勉強になった。

[3208] Jun 13, 2018

以前に読みかけて途中でやめた本と、まだ読んだことのない新規の本があるとき。私は常に新規の方を読みたいと思う。途中でやめた本には食指が伸びない。そんなに読みたくないものかと自分で訝しくなるほど読みたくない。なぜだろうか。▼一、読みかけてやめたということは、つまらなかったり自分に合わなかったりした可能性が高い。読み直しても同じ結果になるのではという疑いが気持ちを遠ざけてしまう。一度は諦めたという烙印が引きを弱くする。▼二、時間が経ってしまうと続きから読み直すのが難しい。どこまで読んだかわからないことが多いし、たとえ栞が挟んであったとしても、その前までに何が書いてあったかなど覚えていないから、たいていの場合かなり前の方から読み直すことになる。これが案外煩わしい。いかに自分が内容を忘れているかに気づかされて失望することもある。余計な気苦労がついてまわる。▼だから私はなるべく読み切り前提で本を買う。

[3207] Jun 12, 2018

以前、海老名の進化に驚いた件を書いた。今、二俣川も熱い。自動車教習所があるというのに相鉄ライフとドン・キホーテくらいしか見るところのなかった小さな駅舎が、ショッピング&レストランモール「ジョイナステラス」をオープンして大幅進化。私にとっては散髪でもない限り横浜への通過駅に過ぎなかった二俣川だが、十分途中下車に値する便利な駅のひとつになった。正直、ありがたい。▼大手八大私鉄と言われながらも終点以外に大きなターミナルを持たず、いまひとつ垢抜けなかった相鉄線だが、ここに来て東急の成功を追うが如く再開発に力を注いでいる。もちろん、立地的に東急沿線ほどのバブルは見込めないが、相鉄沿線に住み続けて二十年以上になる身としては、地元の再開発は素直に嬉しい。二俣川の改装が人と資金を呼んで、周辺駅にも開発の手が伸びてくれればよいと思う。私の最寄り駅も十年以上変化がない。そろそろメガ進化して欲しいところである。

[3206] Jun 11, 2018

エンジニアにとっての成長とは、より多くのことが説明可能になっていくことである。なぜそうすべきなのか。なぜそうなっているのか。なぜそのように動くのか。なぜそのように動かないのか。より多くの「なぜ」に的確な答えを与えられるようになれば、より速く正確に仕事をこなせるエンジニアになる。▼では、アーティストにとっての成長はどうだろう。より多くのことが説明可能になることは、成長と言えるだろうか。なぜそれを選んだのか。なぜそう表現したのか。なぜそのように見えるのか。なぜそのように聞こえるのか。たしかに、これらに的確な答えを与えられるようになれば、より速く正確に作品を創り出せるアーティストになれそうだ。ならば……。▼いや、しかし。だからといってわからない。より速く正確に作品を創り出せるようになることは、本当にアーティストとしての成長なのだろうか。どうもあやしく聞こえる。時間をかけて考えてみたい問いである。

[3205] Jun 10, 2018

『東大読書』読了。何の脈絡もないが衝動買いで読んでみた。タイトルはともかく中身は良い。読書における姿勢について重要なことがたくさん書かれている。もし今も塾講師をやっていたら生徒にも勧めただろう。▼ただ、タイトルもそうだが、やたらと東大生を引き合いに出してリファレンス扱いしている点は危なっかしい。説得力を持たせるために敢えてやっているのはわかるが、彼らの言動を無批判に正解化しすぎている節はある。受験本ならそれでもいいかもしれないが、読書全般に亘る指南本となれば話は別だ。東大生といえども学生である。彼らは別に読書のエキスパートではない。▼もっとも、本書のスタンスからすると、この批判すら想定内とも言えそうである。本の中身を受動的に受け取るな。能動的に読め。記者になったつもりで、本に質問をせよ。主張に疑問を持て。であるなら、私としてはそこに疑問を抱いたと明言して所感を結んでも何の不都合もなかろう。

[3204] Jun 09, 2018

交流戦。ヤクルトスワローズが快進撃を続けている。十戦八勝。今日、西武ライオンズが負けたことで再び単独首位に浮上した。基本的には毎年交流戦成績が芳しくないセ・リーグの、基本的には毎年交流戦成績が芳しくないヤクルトが、ソフトバンクや西武といったパ・リーグの強豪を抑えての最高勝率である。このまま最後までトップを守り抜いたならファンにとっては「永久保存版」の順位表となるに違いない。▼物心ついた頃からヤクルトファンだったという筋金入りの燕党な会社の後輩も、日々新たな興奮を語る。曰く、交流戦が楽しいと思ったのは初めてとのこと。交流戦開催以来、総合二位なら実は二度掴んでいるヤクルトだが、彼がそういうのならウハウハと言うほど強い勝ち方で得た順位ではなかったのだろう。それに、直近五年の成績は上位半分すらなくボロボロである。楽しくても無理はない。ここまで来たらいっそヤクルトの交流戦首位も見てみたい気分である。

[3203] Jun 08, 2018

本屋。目立つ場所の平積みは、いつもビジネス書籍と自己啓発だ。▼この手の本に価値がないとはけっして言わない。むしろ自己啓発本軽視が行き過ぎていると思うくらいだ。ただ、本棚から一歩ひいて眺めたとき、ふと考えてしまう。たとえばこの棚の本を全て読破したという人がいたら。それらを本当に理解しているということもわかったら。私は、この人になら重要な仕事を任せられそうだとか、この人なら偉大な仕事を成し遂げそうだとか、思うのだろうか。▼たぶん思わない。だって、啓発本に触発されて本当に何らかの行動を起こしたなら、出来る人になるまでに本棚一つ分もの啓発本を読破する必要はないはずだ。ほとんどの啓発本の結論は「考えるより行動せよ」である。その結論に至るまでの道筋や具体例が異なるだけだ。だから、何冊も興味深く読んでいるということ自体がすでにあやしい。その人は、恐らく何も行動していない人である。故に、信頼には値しない。

[3202] Jun 07, 2018

ウマ娘。ネタ枠と思って観ていたが、想像以上に脚本がしっかりしていて良い。最初はスペシャルウィークとサイレンススズカの絡みに首を傾げもしたが、十話を観ればいやでもキャストに納得できる。スペシャルウィークの苦難と復活。事故から一年後、秋の天皇賞が快進撃のはじまり。その裏で幻の天皇賞を駆けるスズカの姿。競馬のIFドラマとしては上々の出来映えではないだろうか。擬人化モノだからと雑にならず、プロットが丁寧に組み立てられているのは嬉しい。▼一方、アプリのリリース時期がいまだに不明なのはいただけない。本来ならアニメの盛り上がりにぶつけなければならなかったはずだ。アニメが終わり、人々の興味が別の所へ移ったあとでひっそりとリリースする羽目になるのは最悪。何がリリースを妨げているのか、想像がつかないわけではないが、アニメが終わる前に時期の目安くらいは公開した方がいいのではないかと思う。私たちは冷めるのも速い。

[3201] Jun 06, 2018

400を書くとき、私は日によって異なる二つの努力をしている。▼ひとつは、情報を圧縮する努力。ときどき回を跨ぐこともあるが、400は原則一日一テーマだ。故に、たとえ千頁の本の感想でも前置きを含めて四百字にまとめなければならぬ。要約を重ね、文章を短くする。それでも入りきらないときは、泣く泣く内容の取捨選択する。四百字でなく四千字ならと何度思ったことだろう。言いたいのに言えないこともたくさんあった。非可逆圧縮であった。▼もうひとつは、情報をふくらませる努力。正直、四百字分など書くことがない日もある。何も読まなかった。何も考えなかった。面白いことがなかった。つかれている。午前二時で、もう眠たい。そんなときはツイッターの呟きひとつで足りるような内容をめいっぱいふくらませて四百字にする。中身が薄くても仕方がない。日記と思って諦めてくれ。そんな気持ちである。▼どちらの努力も、いつか何かの役に立つだろう。

[3200] Jun 05, 2018

Kindle Oasisの2017年モデルを触る機会があった。初めて手に取る。Kindleには量販店の展示がないのでありがたい。▼想像していたより巨大だ。画面のサイズ感は理解していたつもりだが、物理ボタンの配置された余白部が思いのほか広く、数値以上に横幅が広く見える。無理すればポケットに捻じ込めたNexus7とは違い、こちらはどう頑張ってもポケットの類には入りそうにない。持ち運ぶなら鞄か手持ちが前提になる。ポータビリティの点で文庫本のメリットがひとつ落ちてしまっているのは残念だ。▼重量も2016年モデルとは比較にならないほど重い。バッテリーのコンセプトを変えたこともあり仕方のない増量だが、最厚部の「錘感」はたしかにある。片手持ちで楽々一冊読み終えるかと言われたら疑問符だ。▼とはいえ、これらの不満も裏返せば期待値の高さ故。同型のタブレットに比べれば薄くて軽くてコンパクトなのは間違いない。あとは値段をどう見るかの問題である。

[3199] Jun 04, 2018

帰りの旅程と都合が合わなかったので長浜ラーメンは諦めて「博多らーめんShinShin」へ行く。天神北のバス停で降車し、親不孝通りという物騒な名前の裏路地に入ると、特徴的な青の看板と行列ですぐにわかった。三十分ほど並んで入る。オーソドックスなラーメンセットにした。▼あっさり、さっぱり、超細麺。これが地元民の言う「博多ラーメン」の基本的な姿なのだろうと思わされるシンプルな完成度だ。感嘆符が飛び出るような旨さではなく、どこか安心感のあるやさしい旨さである。人気の理由も頷ける。▼しかし、あくまで私の好みとしては、昨日の「博多だるま」の方が旨かった。深みとインパクトが一枚上手と言うべきか、穿った言い方をすれば、だるまの方が観光客を意識した味づくりをしているように思われた。毎日食べるわけではなく「ここ一番、旨い博多ラーメンが食べたい!」と望む人に刺さる味付けである。私もやられた。次もぜひまた訪ねたい店である。

[3198] Jun 03, 2018

残念ながらベイスターズは3タテされてしまったが、旅行自体は楽しかった。「博多だるま」は想像以上に美味かったし、同行したクルージングも気分爽快。とくに子どもが相当楽しかったようで、食事以外では五秒として同じところに留まらず船中探検をしてはしゃいでいた。急な階段の上り下り、船首と船尾の往復、ダッシュ、転倒、追いかけっこ。普段の三倍か四倍は体力を消費したと思う。我々も子どもも。証拠に今日は比較的すんなり寝た。いつものような、三十分も一時間も母の首回りにまとわりついてローリングする儀式はなかった。今のところぐっすりである。▼明日の便で帰宅。ラーメン探報中に乗ったタクシーの運転手さんに言われた通り、長浜ラーメンを食して立とうと思う。気のいいおじいちゃんで、ネットに載るような人気店は美味いだろうけど好み次第。それよりは長浜ラーメンを食って帰んな、と勧めてくれた。この地元民の推薦を疑うほど野暮ではない。

[3197] Jun 02, 2018

妻の用事で福岡へ。何ヶ月も前から予約していたので全くの偶然だが、ちょうど交流戦の日程と重なった。それもまさかのベイスターズ戦。極めつけに、泊まったホテル「ヒルトンシーホーク福岡」はヤフオク!ドームの隣であった。確信犯と疑われても冤罪を免れ得ない条件の揃いようである。贅沢な運の使い方だ。▼せっかくなので三塁側内野立ち見席にお邪魔してみた。8回表からという終盤参戦だったが、筒香のタイムリーあり、ロペス敬遠で満塁のチャンスあり、一点差で迎えた8回裏のピンチを凌ぐ投球あり、9回も先頭バッターが出て送りバントも決めて得点圏にランナーを進めるなど、2回分にしては見所が多かったと思う。▼抱っこ紐で同行させたベイスターズスタイの息子も試合の行方を真剣に見ていた。すぐに飽きて嫌がるかと思ったが、ゲームセットまで釘付けだったのは嬉しい誤算である。応援の音や雰囲気が目まぐるしく変わって楽しかったのかもしれない。

[3196] Jun 01, 2018

常用の抗アレルギー薬をザイザルからビラノアに変えてもらった。就寝時の対策として処方されていたが、私の場合、ザイザルだと服用翌日も眠気がきつく仕事に支障をきたしてしまう。その旨を伝えたところ、効果の切れ味が良く眠気も出にくいという新薬・ビラノアを紹介してもらえた。▼抗ヒスタミン効果はジルテック以上。それでいてお値段はデザレックス以下。いいことずくめではないか。空腹時に服用しないと効果が薄れてしまうそうだが、食後二時間以上経過していれば就寝前でもよいようなので、運用にさほど面倒はない。個人差によって副作用が出ないとも限らないので、試用として二週間分を処方してもらったが、今のところ効き目も良く眠くもなっていないので、今後はこちらに切り替えてもらおうと思う。知らぬ間によい薬が出来ているものだ。実にありがたい。▼明日から遠出。何を忘れても薬を忘れるわけにはいかぬ。現地調達できない筆頭アイテムである。

[3195] May 31, 2018

今日の楽天戦は文句なく今季のベストゲームだった。▼現時点でパリーグ唯一の防御率一点台、楽天・岸の投球はほとんど完璧だったと言ってよい。その岸のわずかな隙を捉えて得点に繋げたベイスターズの中軸。見事だった。宮崎の逆転2ラン。9回裏2アウトからの筒香の同点弾。結末は山下幸輝の殊勲打、そして涙のヒーローインタビュー。神里も攻守にわたって立派な仕事をした。桑原も土壇場で結果を出した。ルーキー東は最後まで踏ん張って試合を作り、リリーフ陣は同点を守りつづけた。お互いに厳しい場面を何度も乗り越えた。どちらが勝ってもおかしくない試合だった。醍醐味、盛りだくさんだ。現地組が羨ましい。▼明日からはソフトバンク戦。阪神をスイープして本拠地に帰る上向きのソフトバンクに勝つのは並大抵のことではないが、ベイスターズの調子もけっして悪くはない。今永も故郷凱旋登板となる。ぜひとも去年の日本シリーズの雪辱を果たして欲しい。

[3194] May 30, 2018

子どものわがままパワーが日ごとに強大化していく。スーパー二歳児への道を着実に歩んでいるようだ。最近は、朝のベビーカーを拒否するようになってしまった。無理やり乗せても座席から足を突き出してコイキングよろしくビチビチ跳ねるので、仕方なく途中まで片手に抱っこ、片手にベビーカーで連れていく。出社時間もぎりぎりである。▼上機嫌で遊んでいてもひとたび気に入らないことがあれば癇癪を起こす。爆発するとしばらく手がつけられなくなるが、大好物のゼリーを見せると大人しくなることが多い。ワンワン泣き喚いているところへゼリーの袋を見せると、けろっとして「あ!」とか「あた!」とか言う。今泣いたカラスがなんとやら。よく言われるが、目の当たりにすると笑ってしまう光景だ。▼もちろん食べるのが大好きなのだが、食べなくても持っているだけでそこそこ安心するらしい。今日は二つ握りしめてベッドに入った。しばらく頼ることになりそうだ。

[3193] May 29, 2018

マリオオデッセイ、続報。「都市の国」で遊ばせてもらった。▼酔うのは相変わらず。特に今回はマップの立体感が強いので、飛び回っていると早い段階で気持ち悪くなってしまう。これはもう、適度に休憩しながらプレイするしかなさそうだ。二人で交代しながら遊ぶのがちょうどよいかもしれない。▼「都市の国」はマリオらしからぬ異色の国。発売前のトレーラーでも話題を集めた摩天楼のステージだ。ビルとビルのあいだを壁キックで駆けのぼり、タクシーを踏み台に大ジャンプ。なんだか別のゲームに迷い込んだような感覚である。いつものマリオ、知らない世界。新鮮さが意図的に演出されている。▼コインの使い方も絶妙だ。背景に馴染んでしまったり、オブジェクトに遮られて見えにくくなっていたりする重要な経路には決まってコインが置いてある。プレイヤーはコインのならびを見れば、そこに道があると認識できるわけだ。記号的だが都合的でない良い導線である。

[3192] May 28, 2018

とっても不愉快な電話勧誘を受けた。貶す内容になるので例によって具体名は省く。児童用英語教材だ。▼開口一番。街頭で渡したサンプルを子どもに聞かせたかと訊く。これだから「アンケート」には答えたくないのだ。まだ聞かせていないというと、では今日からでもぜひ聞かせてください、今すぐにでも構いません、などと言う。そうして、英語は早いうちから耳に入れるのが大事なんです、アメリカに住んでいる子は二歳、三歳になったら英語が喋れるようになるでしょう、それと同じなんです。**君も今のうちから英語を聞かせれば、三歳には英語が出て来るんです……などと延々まくしたててくる。わかりました、しかしこちらのペースでやりますので、と言っても全く聞かない。お父さん、違うんですよ。本当に早くからが大事なんです。うちの子も食事のときに聞かせているんですが、云々……。▼結局、この電話で二度と関わりたくないと思った。営業のセンスなし。

[3191] May 27, 2018

電子マネーiDを普段使いするようになって思うこと。▼一、意外と対応していない店が多い。特にパン屋さん。中・大手のチェーンでも非対応なのは驚きだ。現金のみとなっておりますと言われたときの失望感は大きい。当然、持ち合わせがなければコンビニなど別の店で済ませることになる。機会損失は少なくなさそうだが、いいのだろうか。▼二、よくEdyと間違えられる。無理もない。アイディとエディである。AIでも正確には聞き分けられまい。発声時に「アイ・ディでお願いします」と一拍置くようにしたら、誤認されることは少なくなった。▼三、なんだかんだ言って便利。コンビニの支払いをiDで済ませるようになると、今まで現金でちまちま小銭を払っていたのは何だったのかという気分になる。あの煩わしさは完全に無駄だった。そう考えるとおじいちゃんおばあちゃんの方が導入メリットは大きそうだ。後ろの待機列に申し訳なく思って焦る必要もなくなるだろう。

[3190] May 26, 2018

良い作品とは何だろう。人に何かを考えさせる。人の記憶に残る。人に新たな視野を授ける。何らかの真理に気づかせる。人生に良い影響を与える。励ましになる。前向きな気持ちにさせる。迷っている背中を押す。希望を抱かせる。息抜きを与える。リラックスさせる。安心させる。日々の楽しみになる。憧れの対象になる。……。▼いろいろな言い方があり、どれも正解である。問題は、私やあなたがこれらのうちのどの属性をより重要だと考えるかだ。人に利するという点でたいした違いはないが、たいした違いがないからこそ並び順は大切である。私は「人に何かを考えさせる」を選ぶだろう。そのあとに「前向きな気持ちにさせる」や「息抜きを与える」を続かせる。四番目、五番目も選んで行けると思う。▼そうして、その選択はきっと、良い人間とは何かという問いに対する自分なりの答えでもあるに違いない。人としてそうありたいという願いを作品に仮託するのである。

[3189] May 25, 2018

「ウマ娘」のゲーム事前登録をしてからしばらく経つ。そろそろ配信日の告知が来ても良さそうな時期だ。アニメにも力が入っているので、期待値は高い。▼ゲームの詳細は不明だが、ウイニングライブのプレイ動画を見るに五人組アイドルユニットの育成がメインになるのだろう。アイマス系のゲームにはあまり興味がないので、遊べるかどうかはライブよりレースのゲーム性にかかってくる。ダビスタほど本格的であれとは言わないが、お飾りでないと嬉しい。▼しかし、好きな馬を五頭挙げよと言われたら誰だろう。ヒシアマゾンとダイワスカーレットは当確として、あとは競馬を始めるきっかけになった馬であるライスシャワー。残り二頭は難しい。スイープトウショウ、メジロドーベル……あたりだろうか。「ウマ娘」的には五人ともあまり好みでないのが歯がゆいところだが、育成系ならひいきはしてしまうだろう。アニメではセイウンスカイが良かった。人気になりそうだ。

[3188] May 24, 2018

『ウマ娘 プリティーダービー』アニメ視聴中。田舎育ちのドジっ子スペシャルウィークを見るのは競馬好き的に複雑な気分だが、馬同士の絡みなどは史実を適度に取り入れていてオールドファンにもおいしく仕上がっている。やりすぎず、やらなすぎず。バランスは良い。▼プロモーター・武豊も衝撃的だ。思い出の愛馬であろうスペシャルウィークがまさか女の子になって蘇るとは。さすがに想像していなかった展開に違いない。心中いかがなものか。▼ダービーのライバルにエルコンドルパサーを持ってきたのはよかった。この二人がダービーで戦っていたらどちらが勝っていたのか、当時空想した人も少なくないだろう。その幻の対決を二十年越しにアニメで実現してみせたわけだ。もちろんセイウンスカイとキングヘイローにも見せ場をつくりつつ。「スズカちゃん」のローテに天皇賞秋という不穏な設定が明かされながらも、98年を基調とした物語がふんわりと進んでいく。

[3187] May 23, 2018

とあるアルバムCDの曲を八曲聴く。その偽らない感想。▼一曲目〜五曲目は総じて曲の目的が見えてこない。言いまわしは格好良いが、何が言いたいのかよくわからないというやつだ。カタルシスもなく、悪い意味で背景音楽になっている。とにかくインパクトと納得感に欠ける。▼六曲目は別人が作曲したのかと思うほどグレードアップ。別人ではないので、別の時期に作られた曲の可能性が高い。後半の構成がいまひとつではあるが、これはなかなかと思える序中盤の出来映えだ。五曲目までとは違い、明らかに耳を引くものがある。七曲目も同じ理由で良い。まとめの「まとめていなさ」は気になってしまうが、これはもう仕方ないと諦めるしかない。かっちりまとめるには向かない作風だ。八曲目は複雑でよくわからなかった。六七の流れではあるが、質を度外視して趣味に走ったものだろう。▼後半の方が優れるのは未来があって良い。メジャーを目指して突き進んで欲しい。

[3186] May 22, 2018

久しぶりに紙の本を買った。『ヘンテコノミクス』。サンプルを見かけたときに読みたいと思ったきり存在を忘れていたが、今日、たまたま本屋で再会したので機を逃さないよう即買いしたものだ。買う前に携帯で調べたところ電子版はなかった。これがあるから電子書籍への完全移行は難しいと思わずにはいられなかった。読みたい本がない。本末転倒である。▼第一、本屋で面白そうな本を見かけるたびに電子版の存在確認をする手間も馬鹿にならない。電子版がないことを確認してからしか紙の本が買えないというだけで余計なストレスになる。加えて、アナログ世界なら気になる本を買うための手順は「今、ここで本をレジに運ぶ」しかないが、デジタル世界ではこれが「AmazonでKindle版があるかを調べ、あればレビューにざっと目を通した上で好きなタイミングで購入、電波の良い環境でダウンロードする」になる。これでは興味を惹かれた程度の本は買いにくい道理である。

[3185] May 21, 2018

ひきつづき「マリオオデッセイ」のプチプレイ感想。酔いの問題があるので、あんまり早くは進められそうにない。▼音楽は今のところ傑出した感じはない。BGMとしては綺麗に世界と調和してゲームを飾っているが、映像よりも音楽に心を奪われるほどアガる曲は見つからない感じだ。ゲーム音楽ならむしろ普通のことである。マリオギャラクシーが名曲揃い過ぎたせいで期待値が上がっているだけのことだ。それにまだ序盤。もしかしたら後半の方には、稀代の名曲が眠っているかもしれない。▼人に話しかけたとき、会話開始のAボタンでジャンプしてしまうのがストレスフル。このボタン割り当てはつらい。おかげで罪のない町人や動物を何度も何度も踏みつけてしまい申し訳ない気持ちになる。最初のうちは笑えるが、やがて単なるイライラになってしまいそうだ。▼レベルデザインは流石の一語。ステージギミックもシンプルで面白いものが多く、遊び甲斐はあると言える。

[3184] May 20, 2018

見ているだけでは何なので、私もちょっとだけオデッセイをプレイ。逆さピラミッドまでクリアしてみた。操作系がほとんど64マリオなのでたいへんやりやすい。ガイドを見なくてもすぐに自由自在な動きが出来るようになる。楽しい動きと、爽快な演出。これまでのマリオの良いとこ取りを成功させている。▼しかし、小一時間プレイしたところで問題が発生。なんとリアルに吐き気がするほど強烈に酔ってしまった。3D酔いである。この手の酔いに強い方では決してないが、スパイダーマンのように空中を飛び回るようなゲームでも耐えられてはいた。旧マリオシリーズはゼルダでも酔ったことはない。だが、今回は重症である。▼理由はカメラの仰角自動制御と思われる。意図せぬ仰角の変化はカメラ酔いを引き起こす最大の原因のひとつだ。オデッセイのカメラは制御がきつすぎると感じた。砂漠のアップダウンで仰角が目まぐるしく変わるのは最悪だ。ここだけは頂けない。

[3183] May 19, 2018

ニンテンドースイッチを購入。マリオとゼルダはやはりプレイしておきたかった。これは妻の希望でもある。二人とも遊びたいと思っているタイトルがあるなら、敢えて買わない理由はない。▼今はマリオオデッセイを横で見ている。操作と動きは「マリオ64」に近く、演出は「マリオギャラクシー」譲りといったところ。シリーズファンには嬉しいつくりになっている。キャプチャシステムも面白い。マリオ以外のアクションを駆使してワールドを攻略するのは新鮮だし、ワンワンやキラーがどんな動きをするのかは長年のファンなら知り尽くしているので、初見でも直感的に動きまわることができる。このあたりは任天堂ならではの強みを活かしたデザインと言える。▼正統続編が出るたびに思うが、マリオは常に進化している。マリオIPを蕩尽してなるものかという任天堂の強い意志を感じる。マリオを作れば儲かるんだから楽な商売――などとは、全くの的外れということだ。

[3182] May 18, 2018

ザイザル錠を服用すると効果覿面に眠くなる。眠くなるだけなら就寝前に遠慮なく飲みたいところだが、次の日も夕方くらいまで意識の晴れなくなるのが問題だ。服用翌日はどうしてもぼうっとする。日常生活を脅かすほどではないが、高い集中力を要求される業務では障害になる。全体的なパフォーマンスの低下は自覚できるレベルである。▼私がザイザル錠を服用する主な理由は就寝時の抗アレルギーだ。覚醒時の効果は求めていない。素人の無知な言い分かもしれないが、量等を調整して影響時間を短くするようなことはできないものかと思う。5mgで二十時間なら、2mgで八時間……というわけにはいかないのだろうか。▼いかないのだろう。そんな単純計算がまかり通るなら20mgの服用で向こう三日間持つという理屈になってしまう。これでは屁理屈にもならぬ。とはいえ私のニーズを満たす薬がないのも事実。半分に割って飲んでみる実験くらいはしてみてもいいかもしれない。

[3181] May 17, 2018

美しいコードとは何か。▼インデントが揃っていて見栄えの良いコードのことでないことは明らかだ。美しさとは当然、論理の美しさである。では論理の美しさとは何か。尺度は複数あるだろうが、第一に無駄がないことだ。求められた機能を必要最小限の処理でこなしているコードは美しい。余計な状態変数、冗長なチェック、不適切なアルゴリズムの適用。実に美しくない。無駄がないとは、機能的であると言い換えても良い。▼第二に未来が感じられること。プログラマは将来の仕様に備えてコードを書くべきでないとも言われるが、今、たまたまそうなっているに過ぎない仕様でしか通用しないコードはやはり醜悪である。将来の拡張性に無頓着なコードは美しくない。美しいコードは、将来に備えるという理由で余分な処理を行いはしないが、ありうる拡張に対しての正確な予見をもとに構成されている。▼第三、第四と続けるには四百字の壁が高い。今日は二個にしておこう。

[3180] May 16, 2018

プログラミングの話題、まとめ。▼最適化設計で最も重要なのは、目的を見失わないことである。パターンもアルゴリズムも所詮は手段に過ぎない。成し遂げたい「最適」とは何かを明確に定義し、そのために最も効果のある最適化だけを行うこと。言い換えれば、常にボトルネックに対して最適化を施すこと。関数呼び出しを減らすことや、命令数を減らすこと、スレッド効率を上げることは、最適化の目的ではない。では目的がスループットの向上なら命令数の減少に取り組むべきでだろうか。関数呼び出しを減らしてスレッドをフル稼働させるべきだろうか。否。その関数群を呼ばなくても同等の機能が実現できないかを検討するのが先だ。もしかしたら、そんな機能などいらないかもしれない。必須でない仕様がボトルネックになっているなら変更や削除を掛け合う価値はあるだろう。「どんなに高速化された処理より、何も処理しない方が高速である。」目的を見失わないこと。

[3179] May 15, 2018

つづき。並列化の最適化に唯一の解はない。しかし目的には唯一の解があるのではないのか。たとえばシステム全体のスループット向上。同等の仕事をより短時間で行うことは分散処理の至上命題であるはずだ。▼誠に遺憾ながら、これも正しくない。プログラムの目的によってはスループットを犠牲にしてでも特定の処理のレイテンシを短縮しなければならない場合がある。たとえばオーディオの処理。あるいは格闘ゲームの入力処理。こうした処理は他のスレッドの状態に関わらず固定時間で確実に終えなければ音飛びや入力落ちなどの不具合を誘発してしまう。スケジューリングをした結果、該当スレッドにはしばらく待ってもらうのが最適という結果になりました――では困るのだ。▼そして、可読性と保守性の問題。理論最適解が現実的な最適解とは限らない。誤差レベルの命令数を減らすために誰も読めないコードを書くのは、二重の意味で低レベルなプログラマだけである。

[3178] May 14, 2018

たまには真面目なプログラミングの話。▼並列化。最初はミューテックスやセマフォでガチガチに保護する。よくわからないけどデータが壊れては大変だから。そのうちプロセス間同期が不要な個所はクリティカルセクションに切り替える。ロックはコスト高な処理という意識が芽生えて来る。一方、この頃からスレッドの最適化についても考え始める。できるだけスレッドの実行効率を高めたい。ならばビジーウエイトなど以ての外ではないのか。スピンロックが最低の待ち方に見えてくる。だが高価なロックも取りたくない。よろしい、ならばロックフリーだ。ノンブロッキングこそ至高の並列化設計だ。アトミック変数とCASで楽々ロックフリーなリングキューの完成だ。……。▼しかし現実は非情である。ロックフリーはたいていの場合、単純なロックによる設計よりも速度が遅い。理由を書くには余白が狭すぎるが、ここが並列化の最適化に唯一の解はないと知る段階である。

[3177] May 13, 2018

弟から紹介されたインディーズ系のダンスミュージックを縦横無尽に聴く。プレイリストの共有機能は地味に便利だ。▼二十曲くらい聴いた。気に入ったのは四曲か五曲。ごった煮の個人リストでヒット率二十五%程度なら悪くはない。イントロで切った曲はひとつもなかったが、中盤がダレる曲はそこそこ。大サビが肩透かしな曲、風呂敷が畳めていない曲、畳み方に失敗している曲、畳む気すらない曲――が残りの大半を占めた。もう少し上手にまとめてくれたら面白かったのにと残念に思う曲も多い。まとめる難しさはイヤというほど知っているから責める気はないが、聴き手としてはやはりがっかりする。がっかりさせてはならないと思いを新たにさせてもらった。▼尚、一人だけ明らかにプロ級の音づくりをしている人がいた。特にキックの質が頭抜けている。なんというエモいキック。それだけで気持ちが持っていかれる。隠れプロではないだろうか。音単品の偉大さである。

[3176] May 12, 2018

人工知能搭載型スピーカーの動画広告をよく見る。「アレクサ、キッチンペーパーを注文して。」無くなったと気づいた時にすぐ注文を確定できるのは、買い忘れ防止に良さそうだ。わざわざ口頭でお願いするのは逆に面倒くさそうにも思えるが、洗剤の自動投入が思いのほか便利であったように、自分でアマゾンへアクセスして商品を検索し購入するという数手間がなくなるだけで案外快適なのかもしれない。▼他に用途の代表例としてしばしば挙がるのが音楽再生だ。曖昧なリクエストでもそれなりな選曲をして勝手にBGMを流してくれるのは便利だと言うレビューも見かける。「スーファミ時代のRPGの名曲をメドレーで流して」のようなリクエストも叶えてくれるなら台所仕事がちょっとだけ楽しくなりそうだが、さすがにまだ難しいだろう。権利の問題もある。対応する聞き放題サービスにない曲は流せまい。▼仮想通貨同様、三年後、五年後に期待して動向を見守りたい。

[3175] May 11, 2018

見なくてもわかる。喉が真っ赤だ。一日中咳をしていたせいで朝よりもさらに痛い。唾を飲み込んだだけでも思わず肩を竦めてしまう。秘蔵のアズノールとトローチでごまかしながらやっていくしかない。なかなかつらい。▼咳で体力を失っているのも困りものだ。ひとたび咳き込んで床にへたり込んでしまうと再度呼吸を整えて立ち上がるまでに時間がかかってしまう。全身から力が抜けていくような感じがする。年なのか体力低下なのか、とにかくロクな状態ではない。早いところ健康な状態にもどりたい。▼あんまり風邪をひきつづけるようだと別の病気も疑われる。毎年の社内健康診断では視力以外問題なしで通っているが、今年の冬あたりから急激に身体不調に見舞われている気がするので、去年十月の診断では安心できない。行きつけの内科では同じ薬を出されるだけだし、どこか大病院で一度診てもらった方がいいのだろうか。この風邪の治癒後に様子を見て考えてみよう。

[3174] May 10, 2018

朝、病院へ。診断としては、最後に嘔吐してから十時間以上経っているので問題なかろうとのこと。子どもの嘔吐はたいてい一日で治るのだそうだ。熱もないし、本人は元気一杯である。今日、少しずつ食べさせて問題がなければ、明日からは普通に登園できるだろうとのことだった。処方箋も出なかった。▼園に休みの連絡を入れる。ちょうど胃腸の風邪が流行り始めているのだと主任の先生が言った。やっぱり保育園経由でもらってきたようだ。今日は大事を取るが本人はいたって元気である旨を伝えると、安心した様子でお大事にと言ってくれた。▼子どもが治ったら次は大人である。保育園の先生たちも戦々恐々だろう。涎、鼻水、吐瀉物、排泄物の始末をしながら、感染するなという方が難しい。私も午後から胃の調子が悪くなってきた。昼ごはんの後は自分が吐くかもしれないと思ったくらいだ。今は落ち着いている。代わりに咳がひどい。週末は療養することになりそうだ。

[3173] May 09, 2018

子どもがウイルス性胃腸炎にかかった、かもしれない。▼顔色は良く、いつも通り飛んだり跳ねたりしていて見たところは元気だが、極端に食欲が無く、口にしたものは全部吐いてしまう。風呂上がりにミルクを吐き、寝る前にもういちどミルクを吐き、寝てからすぐに麦茶とご飯を吐き、ついさっきまたしても麦茶を吐いた。もう吐くものも残っていないだろう。吐いて水分が足りなくなるので強烈に飲み物を求めるのだが、また戻してしまうことは目に見えている。備蓄の経口補水液をちょっとずつ与えて一晩様子を見るしかなさそうだ。▼もともと風邪気味だったので最初に吐いたときは単なる体調不良と思っていたが、何度も吐く場合、ウイルス性胃腸炎の可能性も高いらしい。顔面蒼白とか、熱があるとかではないので、重症ではないのかもしれないが、二次感染のことを考えていなかったので、吐瀉物にもどっぷりと触れてしまった。今週もまた波乱の週末になりそうである。

[3172] May 08, 2018

寒い。ブルゾンを着込んでも寒かった。ゴールデンウィークは照りつける日差しが熱くて眩しかったのに。打って変わって、今週は三月並の寒さが続くという。厄介なことに、先日、衣替えのためジャケットやセーターはみんなクリーニングに出してしまった。厚手の長袖もクローゼットの中だ。戦力になるのは、念のために残した三枚の長袖シャツと、短めのブルゾン一着だけ。着まわしてなんとか凌ぐしかない。▼何度も書いている気がするが、こうも寒暖が激しくては身体も無事ではいられぬというもの。またしても一家揃って風邪引きになってしまった。子どもは鼻水、妻は頭痛、私は喉の痛み。三者三様に体調不良である。さいわい三人とも症状は軽めだが、今後悪化すればまとめて床に臥す悪夢もあり得ない話ではない。水分、栄養、睡眠をしっかり取って早期回復を目指している。▼しかし、寝る間も惜しんで創造に打ち込む趣味人は体調不良とどう戦っているのだろうか。

[3171] May 07, 2018

万人受けはしないけれど自分好みの絵柄、という画風は確かにある。嗜好に刺さるというやつだ。線のタッチが好き、キャラクターの絵柄が好き、全体の構図が好き、想像させる背後設定が好き――刺さる要因はさまざまだが、何が好きなのかを言語化できないことはめったにない。たいていの場合、なぜそれが好きなのかを言うことができる。▼ところが音楽になるとこれができない。万人受けはしないけれど自分好みの曲、という作風は確かにあるのだが、その理由を述べよと言われても、なんとなくとかフィーリングとか、しどろもどろになってしまう。せいぜい「Bメロのタメがいいよね」「サビの入りが痺れるよね」などと、肯定の対象を特定の瞬間に限定するのが精一杯だ。▼小説や映画に対しても好きな理由は言語化できる。できないのは音楽だけだ。なぜできないのかを考えてもできないものはできない。出来ている人がいる以上、得手不得手と考えるしかないのだろう。

[3170] May 06, 2018

子どもと中華屋さんで昼食を取ったときの話。▼近頃、ようやく色の概念を理解してきたので、真っ赤なソファ席を指して「これは?」と訊いた。「あか」と言う。じゃあ、と今度は着ている服の青い部分を指すと「あお」と返事。他にもいろんな赤や青を言わせてみたが、ときどきは言い間違えるものの、すぐに訂正して正しい色名を言い直す。赤と青はちゃんとわかっているようだ。▼しかしあるとき、真っ黒なテーブルの側面を指して「あか」と言った。ついに飽きて適当なことを言い始めたと思い、それは赤じゃないでしょうと嗜めた――が、嗜めた後で気がついた。たしかに、ソファの赤みが映り込んで、黒よりは赤に近い色をしている。ここだけ切り出したら赤が正解ではないか。黒だと思い込んでいたのは、黒いテーブルであるという認識に引きずられた私の方だったのだ。▼色を覚え立ての子どもの方が優秀な画家の目で世界を見ている。考えさせられる出来事であった。

[3169] May 05, 2018

一日挟んでしまったが、『シュタインズ・ゲート・ゼロ』の雑感まとめ。▼星は3.5としたい。トゥルーエンドにカタルシスがあれば4でも良かったが、トゥルーとは名ばかりの蛇足なオマケエンドだったので半分落としている。全体的に、予算不足なのか時間不足なのか、後半ほど目に見えてプロットが雑なのは気になった。黒幕との対峙も今ひとつだし、かがりをめぐる解決編も納得の行く出来ではない。シナリオに無印の水準を期待するのは酷かもしれないが、もう少し上手に風呂敷を畳んで欲しかったという思いはある。序盤・中盤が良かっただけにもったいないと感じた。▼とはいえ、無印との辻褄を合わせながら新展開を提示し、プレイヤーを再び「シュタインズゲート」らしい世界観に引き込んでくれることは、それだけで高く評価されるべきだろう。買って後悔はないし、最後の肩透かしはともかく、読後感も悪くはない。無印ファンになら勧められるタイトルである。

[3168] May 04, 2018

『横浜アンパンマンこどもミュージアム&モール』へ行く。以下、雑感。▼ミュージアムへの入場は五十分待ち。さすがはGWだ。中へ入っても人の波で身動きが取りにくい。陳腐でも芋洗いと形容するしかない混雑ぶりである。子どもはSLマンのジオラマやパンづくりのギミックに興味津々。遊び尽くした後は二階の休憩所で一息ついて、アンパンマンの歴史を紐解いたりSLマンに乗り込んだりしつつ、一階へ。ボール広場では肝心のボールがなかなか手に入らなかったが、アンパンマンの着ぐるみが登場して他の子達が一斉に群がったところで、我が子はちゃっかりボールを回収して好き勝手に遊んでいた。着ぐるみには全く興味がないらしい。▼外で昼飯の後、戻ってショッピング。ヨドバシでも買えるおもちゃはスルーして限定品のシャツやマグカップを買った。あとは会社へのお土産など。子どもは終始上機嫌で寝るまではしゃいでいた。充実した休日だったと言って良い。

[3167] May 03, 2018

『シュタインズ・ゲート・ゼロ』の今日は良い点。尚、トゥルーエンドまで攻略済みである。▼設定と導入。これは文句ない。人工知能という題材もタイムリーだ。無印ファンなら食いつきたくなる要素が散りばめられている。食いつく側としてもありがたい。序盤から中盤にかけての牽引力。無印と比べても遜色ない引き込み力だ。特に「双対福音のプロトコル」でのクリスマスパーティーからの展開には痺れた。シュタインズゲートならではの醍醐味である。比屋定真帆のキャラクター性。ちょっと物分かりの良すぎる人な気もするが、岡部倫太郎との距離感は最後まで良い按配だった。華々しいヒロインという感じではないが、新キャラとしての魅力は十分あったと思う。群像劇。続編として登場人物のほとんどを引き継ぎつつ新鮮さを提供するには、今回のような語り手のアンサンブル方式を取るしかなかっただろう。これは成功していると思う。▼明日は綯い交ぜの雑感とする。

[3166] May 02, 2018

『シュタインズ・ゲート・ゼロ』総評。悪い点と良い点を二回に分けて書く。今日はマイナスの方。▼新規CGのクオリティ。これはペケ。旧作流用との併用でさらに落差が際立つ。正統続編を謳うならもう少し頑張って欲しかった。世界線の移動演出。サウンドのせいか無印より軽い印象が拭えない。本編の、まるで自分まで世界線を移動してしまったかのような、只事ならぬ深い音響が好きだった。負の世界線に辿り着いたときのうすら寒い恐怖は忘れがたい。ピンチの演出。武装した男たちのホールドアップ一辺倒ではさすがに飽きる。ドキリともしない。携帯ギミック。RINEの発想はナイスだが、知らないキャラのスタンプを使うのはメタすぎて没入感を著しく削ぐ。加えて、携帯そのものの役割も薄かった。電話が鳴るたびに不安が胸を埋め尽くす、あの本編ほどの存在感はない。▼以上、今日は批判的になってしまったが、明日は褒め殺し。二記事合わせて判断されたい。

[3165] May 01, 2018

今日は久々に東京へ。六厘舎でブランチの後、秋葉原をめぐる。LGの新型38インチを見にツクモへ行き、ワイヤレスヘッドフォンを視聴しにビックカメラ(旧ソフマップ)へ行き、ヨドバシカメラでキーボードやオーディオを物色。買いたい品が特に無いときのお決まりのルートを辿った。▼気になった品は二点。一つ目はロジクールの「ウルトラポータブルキーボード』。薄さ、軽さ、静音性、打鍵感。どれを取っても「ウルトラポータブル」の名にふさわしい出来映えである。スタンドによる角度、打鍵の深さ、キーピッチなど、持ち運びに必要とは言いかねる要素をしっかりと犠牲にして主要目的にフォーカスしている点が素晴らしい。iPadのお供にするなら一択だと感じた。▼二つ目は紙とペンでのメモがデジタル化できるアイデア商品『Bamboo Slate』。前から知ってはいたが、iPadのペンに失望した後で触り直すと、確かにこれしかないという気がしてくる。逸品である。

[3164] Apr 30, 2018

『シュタインズ・ゲート・ゼロ』プレイ中。しばらくはプレイレポになりそうだ。▼設定と導入にいたく感心している。数年ぶりに出る「続編」の引き込み方として、これ以上の解はなかなか無いのではないだろうか。若干のネタバレになるが、公式のストーリー紹介に載っている程度なのでご容赦いただいて――要するに、プレイヤーとして数年ぶりとなる紅莉栖との会話を懐かしむ感覚が、同じく紅莉栖と”懐かしい”会話を交わすことになる岡部倫太郎の哀楽入り混じる複雑な心境に自然と重なるのだ。だから、展開的には重めの開幕でも、あるいは世界観に触れるのが久しぶりで細部を忘れていても、すんなりと感情移入しながら本編の世界に帰って来ることができる。序盤の紅莉栖とのやりとりが、いわばメタ的に物語を再展開するための原動力になっている。▼もちろん狙ってそうしているに違いない。狙ってそうしているなら思惑は成功している。私もあやかりたいものだ。

[3163] Apr 29, 2018

『シュタインズ・ゲート・ゼロ』をプレイするべく、プレイステーションストアで検索してみた。6800円。ダウンロード版はフルプライスのようだ。一方、アマゾンではパッケージが2400円で売っている。この差ではさすがにダウンロード版は買えない。プライムお急ぎ便でパッケージを注文した。▼ダウンロード版をいつまでフルプライスで売るかは難しい問題だ。本来なら、モノのコストがかからない分ダウンロード版の方が安くあるべきなので、パッケージが値下げしたならダウンロード版も一緒に値下げするのが筋だが、この場合は売り手が違うので連携は見込めない。アマゾンが下げたから公式も下げるというのは無理筋である。▼しかし、そうはいっても発売から時間が経って価格差が開いてしまうと、今回のように公式ダウンロード版の方が不当な価格に見えてしまうのも確かだ。廉価版を待つまでもなく、徐々に定価を下げていってもいいのではという気もする。

[3162] Apr 28, 2018

『シュタインズ・ゲート・ゼロ』を観る。一話を有料で、二話を無料で。来週から忘れずにウォッチしていこう。▼思い返せば最初の『シュタインズ・ゲート』にはまってから早や七年。初プレイ時の記憶は今でも輝きを失わない思い出になっている。ただ、それからは公式も非公式もコンテンツを蕩尽するばかりで、原点に比肩するような新しい感動が生み出されることはなかった。キャラクターも好きではあるが、だからといって「シュタゲブランド」が典型的なキャラ物に回収されていくのは歯がゆかった。▼そうした流れの中で正統続編と銘打たれ登場したゼロ。比翼恋理はともかく線形拘束で「正統」の主張にも肩透かしを食らっていたので、これもまた世界を使い潰す公式同人に違いないと、発売時は冷めた心でスルーしてしまった。しかしアニメを見る限り、本編と辻褄を合わせながら新たな物語を紡ごうとしていて感触は良い。これならゲームにも期待が持てると思った。

[3161] Apr 27, 2018

現在二位、貯金1。八連勝から三戦挟んで四連敗。まだ大型連敗とは言えないが、連敗継続中であることを考えると縁起でもないが大型まで伸びないとも限らない。固め打ちならぬ固め勝ち、固め負け。今年の横浜ベイスターズは早くもジェットコースターだ。▼実は横浜に限らず、今年は極端に連勝と連敗を繰り返している球団が多い。三タテしたと思ったら次のカードで三タテされるというような展開がザラにある。イケイケムードと意気消沈モードを行ったり来たりさせられて、ファンもテンションの維持が大変だ。原因はよくわからない。突き詰めれば理由はあるのかもしれないが、勝利・敗北の要因を探るならまだしも連勝・連敗の種明かしをするのは時間の無駄だ。今のところはたまたま、と言うしかない。▼GWは満員御礼での連戦となる。首位には返り咲けないまでも、悪い流れを引きずらずに連休明けまで貯金を守って欲しい。今年は交流戦もいくらか楽しみにできる。

[3160] Apr 26, 2018

漫画村が閉鎖した。コンテンツを創る側の人間としては無法の跋扈に一応の終止符が打たれて安堵しているが、ほとぼりが冷めた頃に第二、第三の漫画村が現れることはもはや避けられないだろう。それまでにはブロッキングの法整備が終わっているから脅威にはならないという意見もあるが、私は懐疑的である。技術は進化し手口は変わる。法の穴をくぐる輩との戦いは、歴史的にも常にいたちごっこであった。▼もし、今後も違法な配布が後を絶たず、有効な対策も取られないとすると、未来のコンテンツは閉鎖的なコミュニティの内部でだけ公表・公開されるサロン式に逆行していく可能性が高い。公開したものが勝手に無料にされてしまうなら、対抗手段は「公開しない」しかないからだ。コンテンツへのアクセス権をブロックチェーンのような新しい技術でしっかりと担保することができるなら、この方向の未来にも目はあると思っている。詳しくはもう一記事使って書きたい。

[3159] Apr 25, 2018

子どもにジャンケンを教える。グーと言って拳を握ると、真似して拳をつくり「ぐー」と言う。パーと言って手を開くと、真似して「ぱー」と手のひらを見せる。最初は発音があやしくて「ご」とか「ばあ」とか言っていたが、何度もやっているうちにそれらしく聞こえるようになってきた。慣れてくると、こちらがグーを出しているのに覚えたパーで返してきたりもした。つまり何度か負けてしまった。▼ところで、チョキと言ってハサミをつくると「ぶひゃひゃ」と爆笑する。言えないし手の形も難しいということだ。わかってはいた。しかし、不思議なもので、彼の「応答できない誘いに対しては笑いで返す」姿勢は昔から一貫している。これは何?――タコ。これは何?――ワンワン。これは何?――ぶひゃひゃ。カニやバナナはいつまで経っても言えないらしい。▼笑ってごまかす。悪くないスキルである。そのまま素直に磨いて、明るく愉快な奴に育ってくれれば良いと思う。

[3158] Apr 24, 2018

iPadの純正スマートカバーを買う。風呂蓋とも揶揄される三つ折りのレザーカバーだ。実際、見た目といい音といい、揶揄されても仕方のない風呂蓋ぶりではある。子どもの頃に住んでいた家の風呂蓋はまさしくこんな感じであった。パタパタしているうちに幼少期の記憶がよみがえりそうだ。▼理由は画面保護ではなくスタンド目当て。購入者の半分以上は同じ動機ではないだろうか。三角に折りたたんだ状態はiPadの面積に対してかなり小さいので、タップに対して安定するのか不安だったが、さすが純正と言うべきか、見た目以上にしっかりしていて画面上部を強めに押しても倒れはしない。立てかけて読書をするくらいなら十分に用を成してくれそうである。▼尚、購入後すぐにレザーカバーをつけて持ち歩いてみたら、表と裏で摩擦力が変わりすぎてしまい滑りやすくなっていたため、背面もソフトカバーで保護することにした。重くなったが取り回しは良くなったという所だ。

[3157] Apr 23, 2018

今日は妻が会社を休んで子どもの看病。しばしば不機嫌で癇癪は起こすものの、朝からパンを食べるなど食欲不振には解消が見られたようだ。帰宅後は久しぶりに飛んだり跳ねたりしてはしゃいでいた。寝る時間になっても遊び足りないのか寝室からリビングに帰ってくる始末。土日に比べれば元気十分と言える。完治とは言えないが、明日の保育園復帰は朝の様子を見て決めよう。▼そうして、お決まりのパターンだが今度は夫婦ともども大人の方が体調不良になってきた。症状は二人とも腹痛なので同じ風邪と思われる。子どもが唐突に泣きわめいていたのはやはり腹痛だったのだろう。心なしか食欲も乏しい。昼食も大盛りにはしなかった。とはいえ、私の方は仕事に支障を来すほど酷くはないので、たまにきりきり痛む腹を抱えつつ問題のない日常を過ごしてはいる。食欲不振もダイエットと思えば苦にはならない。普段が食べすぎという説もある。睡眠さえ取れば問題なかろう。

[3156] Apr 22, 2018

子どもの体調、戻らず。結局、週明けを迎えてしまった。明日も保育園には行けそうにない。▼大人しくしているのは外出時だけ。家にいるときは常に唸るか泣くかで、二十四時間不機嫌状態だ。食事も全く受け付けないのでゼリーと飲み物で凌いでいる。ぽっこりお腹がすっかりスリムになってしまって心配極まりない。ただ、大泣きのときも動画を見せたりミルクを与えたりして気を引くと泣き止むことがあるので、腹痛で呻いているにせよ腸重積のような重篤な症状ではないと思われる。泣き出すきっかけが母親の不在という点もそうだ。とにかく身体がつらいのでどうにかしてくれという訴えなのだろう。しかしどうにもできないのがこちらもつらいところだ。▼昨晩同様、今晩もロクに寝ないことが予想される。たいへんな月曜日になるが踏ん張るしかない。一週間は元気がもどらない可能性もあると医者は言っていた。なんとか乗り切って、倒れるならGWに倒れるしかない。

[3155] Apr 21, 2018

子どもが体調を崩した。水曜日に発熱して、木曜日、金曜日と三十八度付近を維持、土曜日になっても食欲がもどらず終始不機嫌と言う状態だ。夜は頻繁に起きて泣くし、ひとたび機嫌を損ねると火が点いたように泣いて暴れて全てを拒絶する。抱っこを求めて縋り付くのに抱っこすると全力で逃げ出し、着地するとまた足元で抗議といった支離滅裂な行動も見られた。何を考えているのか全く不明だ。二歳児に向けてわがままさも出てきているのかもしれない。▼医者によると、食べないことについては栄養を気にせず、ジュースやゼリーなど食べやすくて口にするものだけあげればよいとのこと。ただし水分だけは通常以上に摂らせるようにと言われた。お茶だけでなく野菜ジュースや薄めたポカリスエットなどが吉。言われるまでもなくそうしていたので問題はない。とはいえ、あんまり長引くようなら心配だ。週明けにはよくなるという医者の見解を信じて明後日を待つしかない。

[3154] Apr 20, 2018

ピーナツせんべいを一枚かじる。名代厚焼ピーナッツ。名代……ミョウダイ。いや、何かがおかしい。ミョウダイとは代理人のはずだ。部長の名代として参りました、というような。辞書にも確かにそうある。そして、他の意味はない。▼では、この菓子や蕎麦など食い物の主張に見かける名代とは何か。恥ずかしながら知らなかったが、これはミョウダイではなくナダイと読むらしい。「名前を知られていること。評判の高いこと。」要するに名物だ。名物なら食い物につくのも納得である。名菓、名物、名代、こう並べるとメイダイと読みたくなってしまうところだが、ぐっとこらえてナダイで覚えよう。▼ちなみにナシロと読んだ場合は「大化の改新以前の皇族の私有部民」を指すらしい。古事記に記されている言葉だそうだ。ミョウダイ、ナダイ、ナシロ。名代と書いて三つの読みと三つの意味。ナシロはともかくナダイはいつか役に立つこともあるだろう。日本語は実に難しい。

[3153] Apr 19, 2018

Aは教育理論と人の目利きに誇りを持つ優れた教師である。あるとき、Aのもとに一人の生徒希望者がやってきた。その道の経験はなく才能も並だが、やる気と素直さを持ち合わせた学習能力の高い若者である。彼は訊いた。***と同じレベルの作品を創れるようになりたいのですが、どれくらいの時間がかかるでしょうか。Aは答えた。それならXXXもあれば出来るでしょう。……。▼経験の価値を見積もりたいという要求に対して適切な問いの立て方が見つからず、あれこれ考えた末に思いついた例え話である。***のところに自分の作品が入ったとき、A――実際の教師でなくとも経験豊かな信頼できる誰か――がXXXに入れた時間は、自分の経験の価値としてきっと当たらずとも遠からずな時間換算になるだろう。▼私について言えば、XXXに入るであろう時間は私が実際に費やした時間より遥かに短いだろうと思っている。私のやり方はけっして効率的ではなかった。

[3152] Apr 18, 2018

勉強は入力、表現は出力。しばしばそう喩えられる。脳に情報を入れるか、脳から情報を出すか。▼この比喩に乗っかって話すなら、近頃、私の出力は枯れ始めて来た。意欲がないのではない。エンジンが錆びついたのではなく、燃料がなくなってしまったのだ。要するにネタ切れである。▼これぞ「勉強が足りない」というやつだ。私は今、はっきりと勉強不足を実感している。最近あんまり勉強していないな、というような自堕落への戒めではなく、出力量が入力量を上回りつづけていたことでストックが尽きかけていることを肌感覚で感じ取っているということだ。底が見えるようで格好悪いが、本当のことなので仕方がない。<表現する人>となる以前に溜めていた人生を、ここで一旦吐き出しつくしたのだ。▼よし、それじゃあ勉強だ、また書籍でも読み漁ろう、と言いたいところだが、すぐにはそちらに舵を切れない。いくらか思考の時間が要る。私に必要な入力は何だろう?

[3151] Apr 17, 2018

イーサリアム。あらかた投資が終わったので残りを放置していたら、価格水準が購入時の頃までもどってきた。短期の売却益で儲けようとしているわけではないから、日々の価格に一喜一憂することはないのだが、それでもグラフが毎日急下降を描いているのは面白くない。せっかく買ったコインの値段はできれば下落して欲しくないものだ。▼実用目的かつ長期保持前提の私でも右肩下がりの変動に危機感を覚えるのだから、デイトレードや信用取引の方々には想像を絶する心労がかかっているのだろう。FXで恐ろしいのは金を失うことではなく、心が壊れることだと誰かが言っていた。先行き不安な流れになると、食欲不振や集中力欠如など身体不良が怒涛のように押し寄せてくるのだそうだ。私は張ってすぐに結果の出ないギャンブルはやらないから、こうじわじわと真綿で絞め殺されるようなストレスには耐性がない。話を聞く限り、できれば金輪際関わりたくないものである。

[3150] Apr 16, 2018

今日は朝から喘息気味だった。咳は出ないが、気管支が細い。発作にならない程度の呼吸難である。出社から勤務まで支障はなかったが、ちょっと驚いた。何年ぶりだろうと思うほど久々の出来事だ。自分でも自分の喘息を忘れかけていたくらいである。ちょっとくらい体力がついたからって油断するな。思い出せ。きみの基本は病弱なのだ――そんな無意識からの警告なのかもしれない。▼ところで、記事内を「喘息」で検索してみると八件の該当がある。記憶にはないが2015年の9月には湿布薬のせいで軽い発作を起こしているようだ。それ以前には発作の記録も、気管支炎の記録もない。では、最後の発作はいつだったのだろう。こんなとき、物心ついたときから毎日記した検索可能な日記があったら便利だろうと思う。私の時代は無理だったが今の子どもたちなら出来る話だ。物心は言い過ぎでも、小学校あたりから書き貯めたらきっと何物にも代えがたい財産になると思う。

[3149] Apr 15, 2018

いつからか高級イヤホンの世界についていけなくなった。買う買わないの話ではなく、情報を追うのも諦めた格好である。▼原因は値段の異常な高騰だ。ほんの数年前まで、高級イヤホンのハイエンドは量販店モデルなら十万円がせいぜいだった。それ以上の価格の品はマニア向けのメーカーが通販で出すか、あるいは個人ブランドの改造品だった。数千円を妥当とするイヤホンの世界で、こだわる人が万札を投じ、その頂点に十万円クラスが君臨する。この分布は自然なピラミッドに思われた。▼しかし最近のハイエンドは毎年のように値段が上がり、今や三十万や四十万も当たり前になってきている。明らかに異常な上昇率だ。ミドルレンジとの乖離も激しく、価格を正当化する説得力も乏しい。すでにハイエンドを購入してしまった人が買い替える口実を与えるためだけに値段を吊り上げているかのような不自然さである。不自然な品を憧れの対象として見ることは、もうできない。

[3148] Apr 14, 2018

カナダドライから「ザ・タンサン」なる飲料が登場。ラベルには赤字で「強炭酸」、太文字で「STRONG」とある。どこまでが商品名かよくわからないが、そこまで言うならきっと強いのだろう。早速飲んでみた。▼炭酸の強度はマイルドな部類。「強」と殊更主張するほどきつくはない。ウィルキンソンの隣に並べるくらいだから強度に自信ありと踏んだのだが、残念、たいしたことはなかった。ただ、不味いわけではない。可もなく不可もないオーソドックスな炭酸水である。特別なアピールポイントがあるとすれば、それは恐らく値段が安いことだろう。安価でそれなりの炭酸水、というポジションを狙っているように見える。▼試飲した次の日、今度は「辛口」ラベルのついたウィルキンソンのタンサンドライなる品が陳列されていた。黒に金、ライザップのような色合いをしている。こちらは期待通り辛口と言うにふさわしい強度に仕上がっていた。やはりウィルキンソンが良い。

[3147] Apr 13, 2018

Bitpetから撤退したことで監視中のブロックチェーンゲームは3つとなった。他にも気になるタイトルは出てきているが、ここ数日はイーサリアム自体が高騰気味なので買い増ししにくい。よほど有力なタイトルが出てこない限りは動かない方がいいだろう。今はひきつづき情報収集でいい。▼ETH.TOWNが先行公開したミニゲームが破滅的に面白くなかったのは残念だった。ミニゲームだから面白くないのは当然と言われるかもしれないが、悪い見方をすればミニゲームですら面白そうに見せられないレベルのゲーム開発力であるとも取れる。ミニゲームはつまらないけど、本編は神設計などということがあるかどうか。そうあってくれと願うしかない。手のひらを返させて欲しい。▼CryptoCitiesは放置でよさそうだ。最初のゲームが出るのは二年後と言われても驚きはしない。それくらいのタイムスパンで考えた方がいい。▼World of Ehterには期待している。そろそろα版のはずだ。

[3146] Apr 12, 2018

曲。かれこれ二ヶ月近く悩んでいるところにようやく光が見えてきた。どう展開してよいかわからない期間が三割、理想の持って行き方が決まってから、その流れを成立させるための条件を見定める期間が七割。今回は後者がヘビーだった。出したい雰囲気を出せないのは純粋なテクニック不足である。こういうケースでは総当たり式の絨毯爆撃が効きにくい。いつも以上に時間がかかってしまった。▼とはいえ、それでも満足度は五割以下。繋がりの唐突なところがあり、ベロシティのおかしいところがあり、音の多いところもあれば足りないところもある。前半のリズムと後半のリズムが不釣り合いなのも未解決だ。展開と条件を明らかにしたところがスタートライン。やっと推敲の俎上に乗ったところと考えてよかろう。▼経験値の取得ペースが遅いせいで技術パラメータはいっこうに低いままだが、行き詰まった時に自分が今どのステージにいるのかを見極める力はついたと思う。

[3145] Apr 11, 2018

昼休み。ファストフードだったので久々に本屋へ行く。漫画新刊を一通り舐めた後、適当な雑学本を立ち読み。手に取るまで存在すら知らなかった本だが、読み始めると案外面白い。購入する気にもちょっとだけなった。結局棚に戻してしまったが、何かの拍子に買ってもおかしくはなかった。単に気分の問題であった。▼帰路。Kindle読書はこれが出来ないよね、という話を同僚とした。ウェブストアは検索とリンクで成り立っているため、興味のない本を「偶然」手に取ることはあまりない。読みたい本、ジャンル、最近話題の一冊など、事前に何らかの興味か情報がなければ購入ページに辿り着けないのが通常だ。しかし、ハマる読書のきっかけが適当なピックアップと気分での購入からもたらされることもけっして少なくはない。それに、検索とリンクを選定の頼りにしていると、同じ領域へこもりがちになる恐れもある。デジタルがアナログの完全上位互換になる日はまだ遠い。

[3144] Apr 10, 2018

バグらないプログラムから、バグれないプログラムへ。昨年度の私を総括すると、やはりこのスローガンになる。そのためのコーディングを自分でも徹底してきたし、思想を広めるべく様々な活動もしてきた。支持者も増え、手応えは感じている。今年度はいっそう強く推し進めても良いだろう。▼一方、それはそれとして新たな挑戦も自分に課したい。今のところ、それは「言語仕様」と「テスト」だと思っている。言語仕様の知識はだいぶ掘り下げてきたつもりだが、フォーラムに降臨する神々の説明力に比べればまだまだヒヨッコと言わざるを得ない。究極、私はコンパイラでなければならぬ。コンパイラがコードを解釈するように私がコードを解釈できるなら、それは言語仕様に深く通じたと言って良いレベルであろう。▼テストについては、とにかく語彙が少ないので文献を漁る。私たちが大きく遅れているだけで分野的には日進月歩の世界だから、情報に困ることはあるまい。

[3143] Apr 09, 2018

とある人の話。十年以上前、彼は日本に本社を置く企業の海外子会社に入社した。世はインターネット全盛期。情報化時代まっしぐらの時代である。誰もが時空を超えた融通無碍なビジネスを夢見ていた。その会社もご多分に漏れず、世界展開を目論んでいた。社のスローガンは「グローバル」であった。▼彼は慄然とした。会社方針を通達する回覧資料には「Grobal」の文字が躍る。これは失敗に終わるなと直感した。果たして、結果は失敗に終わった。その失敗が些細なスペルミスのせいかどうかは誰にもわからない。しかし、彼の直感は当たってしまった。しばらくのあいだ世界への進出意欲は鳴りを潜めた。方針にしがみつき、グローバル化と心中しなかったのはせめても賢明であった。▼十年の時を経て、その会社は再び海外で戦う意思を見せているようだ。大丈夫、今度は力がある。資料にも「Global」の文字が輝いている。やれるんじゃないかな、今度こそ。彼は微笑んだ。

[3142] Apr 08, 2018

昼間にたっぷり寝た。子どもが三時間も寝てくれたので、その間に昼寝をした形。おかげさまで夕方からは身体がよく動いた。休日らしいリフレッシュと言える。▼花粉のせいか鼻水・くしゃみ・目のかゆみは相変わらず。顔も少し腫れぼったい。昨日など、昼頃までは快調に過ごしていたのに、飲み物を買うためセブンイレブンまで散歩に出かけたら、帰るや否やひどい頭痛に襲われた。今の日本は花粉地獄と化している。そのことをあらためて思い知らされた。▼肌に付着しては肌荒れを起こし、吸引しては数々のアレルギー症状を誘発する。この花粉なるものが異常なほど飛び交う空間で生活していて、実際のところ長期的な問題はないものなのだろうか。鼻水とかくしゃみとか、そんなことを言っていられないレベルの深刻なダメージがあるのではと、だんだん不安になってくる。アメリカで暮らす弟は花粉がなくて快適だと言っていた。憂国の種が花粉とはなんとも嘆かわしい。

[3141] Apr 07, 2018

子どもにディズニーの映画を買うべくヨドバシカメラへ行く。狙っていたのはミッキーやドナルドやグーフィーが出てくるようなウォルトディズニーのいわゆる「ミッキーマウスもの」だが、店頭に並ぶのはカーズやズートピアなど最近の映画作品ばかり。古くてもせいぜい美女と野獣、あるいはシンデレラである。違う、そうじゃない。▼結局、ヨドバシカメラでは目当ての品は入手できなかった。帰りに近所のハードオフにも寄ってみたが、ここにもやはりない。DVDの品揃えは多いのに、ディズニーやどうぶつ系やドキュメンタリーが、なぜかブックエンドのラベルだけ残して在庫なしになっている。子ども向けDVDが中古ショップに売られないとは思えない。つまり、入荷するとすぐに売れてしまうのだろう。みんな考えることは同じというわけだ。▼そういうわけで、素直にアマゾンを頼る。検索したら懐かしいパッケージもいくつか出てきた。子どもの頃によく見ていた。

[3140] Apr 06, 2018

多くのブロックチェーンゲームは、遊べるバージョンが出る前にアイデアやビジュアルを公開してコンテンツのプレセールを行っている。しかし、実際にローンチするかもわからない、面白いかどうかも不明、品質もメンバーの顔写真からは窺い知れない、そんな状態の「ゲームの卵」がゴロゴロしているわけだから、金を出す対象の選定は難しい。皆、少ない情報から何とか将来性を推し量っている。▼その中でも、タイトルが信頼できる理由としてとりわけよく見かけるのが「レスポンスの速さ」だ。質問のメールを投げたら数十分後には返事が来たとか、公式チャットが活況で開発関係者が常に参加者と議論を交わしているとか、そういう事象から開発の「本気度」を見て取っている。逆に、反応が遅い開発は、やる気がないか、杜撰か、悪い意味で忙殺されていて着信すら見られないか、ともかく良くない状態にある可能性は高いだろう。定量的で信頼できるものさしだと言える。

[3139] Apr 05, 2018

マッチョは言う。筋力は全てを解決してくれると。▼実際、仕事で集中力を欠きやすいとか日常生活での消耗が激しいとか、何かと疲れやすくなったときに筋トレはきわめて効果的と言われる。当然と言えば当然だ。何かの病気でもない限り、忙殺によって疲れやすくなる理由はまず体力の低下である。毎日の仕事でヘトヘトを思っていても、そのヘトヘトは身体的・筋肉的なものではないので、身体の方はどんどん運動不足になっている。運動不足になれば体力は落ちる。体力が落ちれば身体は疲れる。効率は上がらず仕事時間が増える。悪循環に拍車がかかっていく。▼デスクワークの疲労と肉体の疲労は別物であることをどこかで強く認識して、筋トレをしなくてはならない。曲がりなりにも筋トレをしていた時の方が、確かに疲れにくかった。頭の働きが冴え、良いアイデアが浮かび、筆が進んだ。諸々の活動にもエネルギーが湧いてきた。あのエネルギーの源は筋肉だったのだ。

[3138] Apr 04, 2018

フェイクニュースの拡散が社会問題になっている。今日早朝に起きたアメリカのYoutube本社銃撃事件でも、事件後に無関係の人々が「犯人」として晒され、その嘘を信じた人たちによって拡散されてしまうという二次事件が起きた。無論フェイクであることは即座に判明したが、一歩遅れて拡散される真実が嘘を記憶してしまった人々の全員に届くとは限らない。実際、過激な嘘は真実よりも拡散性が高いことを考えると、事実の訂正は半分にも及ばないと考えるべきだろう。世界には取り返しのつかないダメージが残る。責任を取る者はいない。▼問題が深刻化した原因はリツイートの手軽さにあると思っている。自分の言葉で伝え直すなら一旦立ち止まって「これは本当のことか?」と自分に問い直す間が生まれるが、伝達に必要な工程がたったのワンボタンでは、驚きのニュースに思わず脊髄反射で押してしまうこともあるはずだ。いっそリツイートなど無くせばいいのにと思う。

[3137] Apr 03, 2018

会社で。ヒアリングのため普段行かない部屋を訪ねたら、今年の新入社員用と思われるPCが山積みになっていた。社内情報にあたるのでメーカー名は伏せるが、例年よりもひとまわりグレードアップしている。ディスプレイは見たところ格安の部類なので、こちらで予算を抑えてPC本体に回したのだろう。箱の中までは見られなかったが、刺さっているパーツの水準は大体想像がついた。▼各人に与えられるPCのスペックは数年前に比べれば遥かに良くなってきている。九分九厘がPC作業である我々の業務にとって、マシンスペックの向上がきわめて効率の良い投資だということに、上もようやく気がついてくれたらしい。辞めた先輩に聞いた話だと、昔は性能に我慢できず私物のPCを持ち込んでいた人もいたそうだ。そんな時代と比べれば十分恵まれた環境である。まだまだ不自由も多いが、理不尽なほどの不自由ではない。さて、今年はどんな新人がやってくるのだろうか。

[3136] Apr 02, 2018

タコとワンワンだけが全語彙だった我が子だが、この土日から急にいろんな言葉をしゃべり始めた。カラスの絵を見て「カーカー」と言い、ライオンなら「ガオー」と言う。ゾウも音は「ドウ」だが、ちゃんと識別して音を出しているようだ。他にも、バスのような乗り物は「ブーブー」、飛行機は「ブーン」。赤ちゃん言葉ながら名詞が出るようになってきたので、ちょっとだけ安心である。しかし、やはり最初にして最大のお気に入りが「タコ」というのは解せないが……。▼一方、毎日のように頑張って教えているサカナやカメやカニやバナナなどはちっとも言う気配がない。タコは聞かなくても言うのに、隣の魚は指を指しても「ん」とか「あ」とかしか言わない。そうして、テンションが上がると踊りながら意味の分からない奇声を発する。不思議な動作も増えてきた。大人から見れば意味不明だが、彼にとっては意味のある行為なのだろう。魔の二歳児の足音が聞こえてくる。

[3135] Apr 01, 2018

ウォッチしているDappsのひとつが、Discordであやしいキャンペーンを続々と打ち出している。詳細は書かないが、どれも何かと理由をつけてコインを付与するイベントだ。▼最初のうちはゲーム内で何々を達成したら付与といった形式で、プレイ促進の面もあったからナシとは言えなかった。しかし、近頃はゲームと何の関係もないタスクを達成した人に付与するイベントが増えている。もはや単なる現金のばらまきである。行為の是非はともかく、リリースされるゲームのクオリティは期待できそうにない。▼今の時代、誰に届いているかもわからないマスメディアに大金を投じるより、自分たちの商品に興味があるとわかっている小さなコミュニティに直接恩恵を提供する方が良い広告になるという判断は理解できる。口コミの力はいまだかつてなく強い。しかし、だからといって現ナマを配るというやり方はやはり強烈に信頼を損なう。広告で信頼を失っては本末転倒ではないか。

[3134] Mar 31, 2018

久しぶりのキドキド。子どもとめいっぱい遊んだ。▼壁に描かれた魚が好き。去年の十月頃は興味を示さなかったが、今回は魚やイルカをひとつずつ指さして名前をせがんだ。興味の対象が少々大人っぽくなった。▼ボールプールは自分で身動きが取れないので好きではない様子。他の子はボールの海に沈められると嬉しそうに笑っているのだが、我が子はすぐに苦情を言う。自分の動きを制限されるのがとにかく嫌いなのだ。そのくせプールの周囲にあるギミックは気になるので、無計画に飛び込んでは私に抱っこして連れていけと言う。明日は間違いなく足腰が筋肉痛だ。▼いちばん気に入ったのは魚の口にボールを入れるコーナー。入れたボールが下から飛び出してくる。しかし平均的身長の彼には届かない高さ。仕方なく私がボールの上に寝そべり腹の上に立たせて遊ばせた。これがたいそう気に入ってしまって、合計一時間近く遊んだと思う。明日は間違いなく腹筋も筋肉痛だ。

[3133] Mar 30, 2018

2018年のペナントレース、開幕。ベイスターズファンにとってはいろいろ思い出してしまう苦笑いの開幕戦となったが、ともあれ野球が始まったという嬉しさが勝つのでつらくはない。しばらくは勝った負けたに一喜一憂せず、主力の復帰を待ちながら会社の各球団ファンと意見交換を楽しんでいこう。▼それにしても守備の名手・大和の横浜初プレーがまさかのエラーというのは、驚いた人も多いのではなかろうか。横浜ファンのみならずぎょっとした阪神ファンもいるだろう。そもそも大和のエラー自体がSSR級。魔境ハマスタと言われる所以が何か本当にあるのではないかと思ってしまうくらいである。▼打てないよりも打たれるよりも、エラーはファンの胃痛の種だ。振り返ってみればあれが今年唯一のエラーだったなと笑い話にできるほど、ここから凡事徹底を貫いて欲しい。今日の件であらためて選手の気が引き締まったのであれば、十分価値のある一敗になるだろう。

[3132] Mar 29, 2018

イーサリアムが暴落している。NEM流出事件のときもビットコインなど他の通貨に比べると価値を落とさなかった方だが、ここに来てある意味では当然の値崩れを起こしている状態だ。黎明期の仮想通貨バブルは確実に終わったのだ。ようやくまっとうな技術としての仮想通貨のフェーズが始まろうとしている。▼ではイーサリアムの価格は今後また上昇していくのかと問われれば、もちろんそうとは言えない。むしろ、トランザクションのコストが割合で抜かれていく現状を考慮すると、少なくともゲーム利用のシーンではもっとJPY換算が落ちてくれないと使いにくい状態だ。シヴィライゼーション風の国盗りゲームも出てきたが、マスを取るたびにトランザクションで500円もかかるようでは敷居が高すぎる。しかし、これが5円なら石油王でなくても遊んでみようという気になるかもしれない。だから、近々価格が百分の一になったところで驚くべき事態ではないのである。

[3131] Mar 28, 2018

紙、紙、紙。マイナンバーカードを手に入れてから身分証明こそ楽になったが、相変わらず世間の手続きは紙ばかりである。この間も銀行で住所氏名電話番号をしこたま書いてきたところだ。身分証明にマイナンバーを提出しているのに、紐づけられているはずの住所や氏名を何度も別欄に記入しなければならない意味が全く不明である。ましてや、この銀行には私の口座がすでにあるのだ。データベースに登録済みの情報とマイナンバーとの照合よりも、私の記入する雑な文字の方が信頼できるとでもいうのだろうか。▼実際、書かせる方だってうんざりしているに違いない。処理する人だって、喜々として十人十色の汚い文字を解析してデータに打ち込んでいるわけではなかろう。無駄な労力でコストが浪費されるのは経営陣にとっても面白くない。もはや誰も幸せにならないのに、規則と習慣の慣性が大きすぎて何も変えられないわけだ。抱え落ちして滅ぶしか未来はないのだろう。

[3130] Mar 27, 2018

Discordで知らない人からメッセージが飛んできた。情報収集のために参加した某ゲームのチャンネルから辿ってきたのかもしれない。無視するのも何なので適当に応答してみたところ、聞いてもないのに様々な裏情報を教えてくれた。実際、どこにも載っていない情報なので関係者筋なのかもしれない。しかし、さらに突っ込んだ話をしているうちにやがて応答がなくなってしまった。あやしい勧誘だったのか、ただ単に情報を拡散したかったのか、それとも私から何かを引き出そうとしたのか。今となっては不明である。盛大な人違いだったのかもしれない。▼Bitpetには見切りをつけた。資産を売却して撤退。たいしたトランザクションを行っていないので傷はほぼない。Bitpetに限らないが、何をするにも手数料が高すぎて、結局は何もする気がなくなってしまうところが、ブロックチェーンの育成&売買系ゲームに共通する課題と思われる。微課金者に厳しいゲームはごめんだ。

[3129] Mar 26, 2018

四万円相当の卵が飛ぶように売れているプレセールがある。将来性は不明だが、不当なバブル感は否めない。▼投資者が元を取るにはゲームが流行ってくれなければならないわけだが、最初のモンスターを手に入れるために四万円以上を支払わなければならないゲームが果たして一般に流行り得るだろうか。大人気モンスターバトルゲームという触れ込みがあったとしても、「最初のモンスターを五万円で手に入れよう!」と言われて手を出せるユーザーがどれほどいるのだろう。▼結局、ゲームが広く流行るためには、初期投資は多くのユーザーにとって敷居の低い価格までダンピングされなければならない。逆に言えば通常の感覚で敷居が低いと思われる価格より遥かに高い値段で「標準装備」のプレセールが打たれている場合、先行者有利どころか先行者不利も覚悟しなければならないということだ。何でも先に飛びつけば良いというものではない。未来を想像する力が求められる。

[3128] Mar 25, 2018

近況。Bitpetは試してみたが様子見を経て撤退する可能性大。嫁さんも同じことを指摘したが、なんといってもキャラクターが可愛くない。可愛くないので愛着が湧かないし、育てる気にもなれない。マーケットプレイスを見ていても、レースのミニゲームのために敏捷ステータスが高いか、レアなパーツや属性を持っているペットだけが高値で売買成立している。ペットゲームとしては、いささか記号化するのが早い。▼加えて、定期レースの参加費を賞金として再分配する形式は、ちょっと賭博味が強すぎる。これなら競馬ゲームでやってくれと言いたい。(実際、今競馬でDappsを出したら生地ごとパイを持っていけそうな気がするのだが、どこかやらないのだろうか。)対戦要素は欲しいが、やはり課金する対象にコレクティブルとしての魅力もあって欲しいのである。でなければ、末端が損をする宿命からは逃れられまい。最終所有者が所有によって満足するのが理想であろう。

[3127] Mar 24, 2018

ブロックチェーンゲームで「このゲームは儲かります!」と謳っているものはプレイ候補から外している。あやしいからという理由もあるが、何より、せっかくゲーム界に訪れた千載一遇のブレイクスルーを儲かる/儲からないという利殖の視点で捉えるのはつまらないからだ。儲かるかどうかより面白いかどうかの方が何百倍も重要である。▼第一、結局のところブロックチェーンゲームはその性質上、本当に面白ければプレイヤーは勝手に儲かる。みんながこぞって遊ぶようになれば、ゲーム内資産の価値も上がり、ひいては基盤通貨の価値も増すからだ。逆に言えば、儲かることしか主張できないようなゲームが面白くなるとは思いにくく、面白くなければ長期的に見て人は集まらず儲かるはずはない。儲かるとしたら、それは開発者と先行者がなかば詐欺的に虚構の価値を売り逃げするだけであろう。詐欺が儲かるのは当たり前だ。▼求めているのは常に「面白いゲーム」である。

[3126] Mar 23, 2018

現在何らかの情報が出ているブロックチェーンゲームについては大体調べた。調査結果は自分なりにまとめている。▼とりわけ魅力を感じたのは「Cryptocities」。実在する都市を所有して探索・売買するゲームだ。現時点ではこれだけなのでゲームとも呼べないが、今後、この土地を使って何らかの遊びが設計されていくことになっている。土地がどう機能するのか、何に使われるのか、どんな戦いや取引が生じるのか、全くわからないところが逆に面白い。何に役立つかわからないものをホールドする楽しみというものは確かにある。ましてそれが実在する都市であれば尚更だ。都市には人を惹きつける力がある。このアイデアは当たりな気がする。謎のワクワク感がある。▼他に様子を見たいのはBitpetとETH.TOWN、World of Etherあたり。Bitpetは版権的に怪しいこともやり始めたので、気持ちは敬遠している。後ろの二つは楽しそうだが初期投資額が大きいので手は出しにくい。

[3125] Mar 22, 2018

Zaifの郵送による本人確認が完了。▼早速入金してみたところ、ウォレットへの出金が出来なかった。出金ページに書かれた大量の注意書きを順に見ていくと、まず新規登録から一週間以内は日に一万円しか送金できないとある。しかし送金額は一万円以下なので当たらない。次に、初めて使用されるウォレットには送金できないとある。本当なら送金は不可能だが、関連ブログを漁ったところ二段階認証を有効にしていれば問題なく送金できるらしい。二段階認証は有効なのでこれも当たらない。次に、残高の評価額がXXX円以下になるような送金はできないとある。XXXは先ほど入金した額だ。再び関連情報を漁ると、追加入金してもXXXの値が変わるだけで送金できるようにはならないとあった。つまり送金不可能だ。▼どうやらペイジーやクレジットカードで入金した場合、一週間待たないと問答無用で送金できないのがルールのようだ。マネロン対策であろう。仕方なし。

[3124] Mar 21, 2018

今日は寒かった。真冬のように寒いとは聞いていたが、平均的な真冬の日々より寒かった気がする。すぐに止んで積もらないだろうと思っていた雪も、昼過ぎには予想に反して本降りになり三月下旬の太平洋沿いを真白く染め上げた。めずらしい景色である。これで明日は十八度になるというのだから堪らない。今年の春は実に好戦的だ。花粉だけでは飽き足らず寒暖差でも殺しに来ている。▼寒いのでどこにも出かける気はしなかった。子どもと日がな家遊びだ。昼寝の時間にはたまたま見つけたピアノアレンジの演奏を聞いた。良い編曲、良い演奏と思いながらも、肝心要のサビ前の間が絶対にそれはないと断言できるしくじり方でがっかりしてしまった。技術的に優れた演奏者が明らかに不味い呼吸で要所を弾いてしまうのは、しばしば見るが不可解と言うしかない。それだけ上手に弾けるのなら、不味いことが自分でもわかっていそうなものだけれど……。首を傾げてもまた寒い。

[3123] Mar 20, 2018

どのように仕事がしたいかという問いについて、近頃、ようやく自信を持って思うところを言えるようになった。単純に「楽しければ良い」というスタンスだ。ずばり、私が楽しければそれでよい。▼それはチームプレイにふさわしい態度と言えるのか。他人のことはどうでもいいというのか。楽しさを物差しにするのはプロとして甘いのではないか。いろいろな批判が考えられると思う。その批判も間違っているとは思わない。ただ、はっきり言えることがある。もし、私のふるまいによって他人が割を食ったり、つらい思いをしたり、悲惨なことをしでかしたりしたとしたら、結局、私はこれっぽちも楽しくないだろうということだ。チームに迷惑をかけてでもエゴを押し通すことが楽しいと感じるほど、私の神経は図太くない。▼私は、私と私のまわりが平穏無事で、前向きで、活発で、明るく進歩的で、それでいて成長と成果が得られることを望んでいる。それが楽しいのである。

[3122] Mar 19, 2018

二度上に転調する必要があるとする。多分、世の中には二度上に転調するための定石がたくさんある。こういう音階を使って五度上がり、こういう進行を使って四度下がれば、ほら、簡単に二度上がり、というように。あるいは三度にも四度にもテクニックは存在するのだろう。あらゆる転調はすでに使いすぎるほど使われてきた。ノウハウの集積が存在しないはずはない。▼しかし、例によって私はそういう先人の遺産にアクセスする術を知らないから、とりあえず転調してみて、なんだかよさげになるまで総当たりでいろいろ試してみるというやり方しかできないでいる。知識は力、知恵は能力。日頃からそう説いている私が、なぜかこの種の情報にだけは辿り着くことができない。ひとたび知ればきっと明日にも使うのに。たかだか二度転調するくらいで、こんなに試行錯誤を繰り返さなくてもよくなるというのに。誰か、この辺をわかりやすくまとめた本でも出して欲しいものだ。

[3121] Mar 18, 2018

子どもをラーメン屋へ連れていく。ついにラーメンデビューだ。店は刺激の少ない塩ラーメン屋を選んだ。豚骨醤油やつけ麺のような濃い味のラーメンは、もっと消化器官がしっかりしてから食べればよろしい。君にはまだ早い。▼塩ラーメンといえども大人用。味は濃いので取り皿に分けてから氷水で薄めた。スープもすぐに冷めて一石二鳥だ。大好物のうどんとは麺の食感が違うので気に入るかわからなかったが、食べ始めて見れば旨いとわかって次々食べる。残した分をもらうつもりで大盛りにせず二杯注文したが、結局、我が子はほとんど一人前を平らげてしまった。ラーメンを食べなかったとき用の餃子もひとつ最後につまんで大満足である。取り皿にはトッピングの葉物だけが綺麗に残された。▼うどんと違って消化には良くないので頻繁に食べさせるつもりはないが、食事の選択肢にできるとわかったのは収穫だ。もう何店か、健康志向の薄味ラーメン屋を探しておきたい。

[3120] Mar 17, 2018

仮想通貨まわりの環境を構築中。取引所はBinanceへの仮登録と、Zaifの本人確認資料送付まで済ませた。ゲーム内通貨交換用のETHさえ手に入ればよいので本来ならBinanceは不要だが、弟が送金周りでリップルを使いたいと言っているし、何かの必要でマイナーコインを仲介する必要が生じたときのためにと、念のため登録したわけだ。国内ひとつと海外ひとつで二本立てにした方がよかろうという判断もある。CoinCheckのようなことがないとも限らないし、リスクは適度に分散したい。▼ゲームはどれもまだホワイトペーパーの段階なので、正直なところ見てもピンと来ないものが多い。今のところ将来性がありそうなのは「Nova Blitz」だが、モバイル対応も含めてもう少し洗練されて欲しいところ。個人的には「Etheropoly」も気になるが、これはフェードアウトの可能性も高い。最初に試してみるなら「イーサエモン」か「BitPet」あたりが無難だろう。Zaifの本登録を待つ。

[3119] Mar 16, 2018

周回遅れもいいところだが、ようやく仮想通貨に手を出す。投機的な意図は全くない。遅くはなってしまったが、NEM流出事件の後になったことで、相場に一喜一憂することなく新技術と付き合えるのはさいわいと言うべきだろう。小遣いをホールドしつつ、いろいろな方面にアンテナを張ってみたい。▼とりわけブロックチェーンゲームには非常に興味がある。長いあいだデジタルゲームの悩みであり、最大の壁であったデータ所有権の問題を、はじめてクリアできる可能性が出てきたからだ。無論、ゲームデータに売買可能な価値が生じることで発生する道の見えない諸問題も山積みなので、今後二年や三年ですぐ主流になるとは思えないが、さりとて泡沫のように消滅するとも思えない。時間をかけても何らかの形で大きなマーケットになるだろうと睨んでいる。▼であれば黎明期から触って損はない。今年はかなりの数のスタートアップが立ち上がるだろう。名作の誕生を望む。

[3118] Mar 15, 2018

なぜCIやサーバーに投資しないのか。この質問に対して、昔、辞めてしまった上司がこんなことを言っていた。予算を取る困難の他に、評価の問題がある。皆が効率よく作業できるように環境を保守・整備する人は、たしかに素晴らしい仕事をしているかもしれないが、開発者の評価軸に照らした場合、けっして高くは評価されない。作業環境が快適になることの恩恵を測る仕組みがないからだ。したがって、その仕事の扱いはどうしても「プラスアルファ」になる。故に、環境保守に追われて開発業務が片手落ちになれば、逆に評価は下がってしまう。それでもいいから自分にやらせてくれ。実装と保守の苦労を背負わされた上に評価は並以下でもいいから、ぜひともチームに快適な環境をもたらさせてくれ――そんな献身意欲の持ち主が現れない限り、環境整備をチームの「業務」として扱うのは難しい。▼大きな組織ほど評価で回る。評価軸が変わらない限りは、何も変わらない。

[3117] Mar 14, 2018

いまだかつてない量の風邪薬を飲んでいる。前回通院時、症状を問われて「喉、鼻、咳、頭痛、眩暈、節々の痛み……などがちょっとずつあります。微弱な体調不良が全部出ている感じです」と正直に伝えたところ、先生の方も正直に、対応する薬を全て処方してくれたらしい。実際、そうするしかないのだろう。微弱だろうと何だろうと、鼻水を止めるには鼻水の止まる薬を飲むしかない。▼副次的効果ではあるが、おかげさまで花粉症の症状も和らいでいる。それでもだいぶ酷いが、風邪薬を飲み始める前はもっと酷かった。特に目は最悪で、水泳用ゴーグルの着用を真剣に検討したくらいである。花粉症対策コーナーにある眼鏡型はどれも頼りなく、眼鏡の上からかけると隙間が出来てしまうようなものばかりだった。四枚で四千円もする高級花粉症対策マスクを並べているのだから、ガスマスク並に徹底された対策眼鏡を置いても良さそうなものだが、そういう商品はないようだ。

[3116] Mar 13, 2018

マグロの刺身を焼いて子どもの夕食に。彼の苦手な牛肉のような外観。やはり警戒して食べない。旨いとわかっている鱈チーズコロッケばかり貪る。これは今日も好きなものだけ頬張ってごちそうさまのパターンかなと思っていた。ところが、妻が「これ魚だよ」と言うと、魚は彼の大好物なので、そうだったのかと言わんばかりに注目して手を伸ばし、警戒しつつもついに食べた。食べればもちろん旨いので、なんだ旨いじゃないかと次々口に運んでいく。食わず嫌いがひとつ解消された。▼この出来事は、物や絵を指して名前を照らし合わせる段階から一歩先に進んでいる。彼は恐らく、焼きマグロを自分の嫌いな肉だと思っていた。それを「サカナ」と言われて自分の好きな魚なのだと認識し、食べようという気になった。人の言葉が意味する想像上の概念によって、自らの意思を変えることができるようになったわけだ。一歳と六か月。いよいよ彼も自然言語の世界に入門である。

[3115] Mar 12, 2018

面白い漫画やゲームに熱中したあと現実にもどってくると、しばらくのあいだ頭がぼうっとする。小説や映画もそう。これは多くの人に経験のあるところだろう。しかし、さっきふと考えた。どれほど興味深く熱中していても、音楽を聴いたあとに「ぼうっと」した経験は、私にはない。▼なぜか。一、音楽は上掲のコンテンツに比べてストーリー性が希薄なので、引き込まれてしまう世界がない。あるいは乏しい。音楽はあくまで現実で享受するものなのだ。故に、もどってくるというプロセス自体が存在し得ない。二、実のところ私はそれほど音楽に熱中したことがない。熱中というのは思い込みで、本当はうわべしか聴いていないので、引き込まれたときの感触を知らないだけである。三、漫画やゲームでぼうっとする真の理由は目を酷使したからで、あの感覚は目の回復過程に過ぎない。耳を中心に使う音楽で起こらないのはもっともと言える。▼さて、どれが正しいのだろうか?

[3114] Mar 11, 2018

友人から土産にもらったベルギーのチョコレートを少しずつ食べている。食べ慣れた国内のチョコとは違う趣があって面白い。▼驚いたのは箱の重さだった。片手で掴める程度の小振りな箱なのに、ずっしりと重い。箱と同じ形状のブロックチョコが詰まっているのではないかと思ったくらいだ。開封すると、百貨店などでよく見かける色も形も違う一口サイズのチョコレートがぎっしりと盛られていた。しかも二重底になっていて、上底をめくると再びチョコレートの海が現れる。三十個以上は入っていたのではなかろうか。これがブランド物なら上げ底にして四つか六つ、良心的でもせいぜいそれを二段がいいところだろう。このボリューム重視のぞんざいなぶち込み方には圧倒された。▼味の方は、良いものと悪いものが混在している。このばらつきも実に大味だ。おかげで、かえってひとつ摘まみ上げるたびに楽しみがある。まさに、ちょっとしたチョコレートのおみくじである。

[3113] Mar 10, 2018

今週は親子揃って体調のすぐれない週だった。今もまだ身体がしんどい。典型的な風邪のように高熱が出たり節々が痛んだり、咳や鼻や頭痛がひどかったりすればわかりやすいのだが、そういうわけでもない。子どもの方も、38度を超えない程度の微熱が午後になると出ることがあるという日々で、なんとも冴えない感じである。今日も医者へ行ったが、もっと高熱でなければ解熱する必要はないし、食欲もあって元気なのであれば、このまま様子見で問題ないと言われてしまった。喉にも異常はないそうだ。▼実際に有り余るほど元気なので大丈夫なのだろうが、熱が安定しないのは不安である。こんなに小さいうちから花粉の影響でも受けているのだろうか。私も、もはや風邪なのか花粉なのかわからなくなってきた。目のかゆみ、鼻水、喉のかすかな痛みと腫れ、弱い頭痛、だるさ。体調不良のジャブの嵐だが、花粉症で十分説明がつく程度の症状しか出ていないのも確かである。

[3112] Mar 09, 2018

今日も我が子は「タコ」を連呼している。お風呂で海の生き物セットを展開しても名前を呼ぶのはタコだけ。他の生き物は見ても「ん」とか「う」とか曖昧な声しか出さない。次にはっきり名前を呼ぶのは誰になるのだろう。タツノオトシゴやトビウオでないことは確かだから、やはりカメ、カニ、イカなど二音の奴らだろう。サカナはいちばんのお気に入りだが、ちょっと発声が難しそうだ。▼もっとも、日々進化はしている。昨日はバナナの絵を見て「だどぅどぅ」と言った。明らかにバナナの音を意識はしているようだ。最近は抱っこして欲しいときもタコの応用で「たっこ」と言っている。きっとTとKを極めてから次の子音に移りたいのであろう。N、D、Bもすでに言えている。故に、バナナを発声する能力は備えていると言ってよい。しかし、本来なら最初に覚えてもおかしくないMの音が出てこないのは不思議だ。マ行を飛ばしてタコから入るとは。やはり変な奴である。

[3111] Mar 08, 2018

子どもの体調不良が続いている。先週末からちょいちょい微熱が出ているのだが、なかなか治まらない。もっとも、昨日の検診でも大暴れしたように、本人はいたって普通で元気なのだが、保育園の午睡後に測る熱がやや高めに出てしまうので、親が呼び出されて早退という形になってしまうわけだ。今日もそれで緊急退社。なかなか大変である。▼その熱も、どうやら午後一が最も高くなりやすいようで、朝や夜に家で測っても常に平熱なのが悩ましいところだ。朝、普段通りに起きて朝食を食べて、平熱で元気でやる気満々な子どもを休ませる理由は乏しい。しかし、登園すると昼後の早退基準にかかってしまう。体調が悪いときはなるべく休ませてくださいね、などと言われてしまうわけだ。これは実に難しい。▼ちなみに医者はすぐに良くなるという診断で、特に風邪薬は処方しなかった。解熱剤も高熱でないと投与すべきではないようだ。つまりは様子を見るしかないのである。

[3110] Mar 07, 2018

私が体調を崩したので通院している間、妻と子どもは一歳半検診へ。ついに月齢も十八ヶ月となった。以下、伝聞による総評。▼とにかく落ち着きない。じっとしていない。他の子は静かにしているのに、我が子だけはひとり母親の膝を抜け出してどこかへ行ってしまう。これはまあ、知っていた。保育参観のくだりでも書いた通りである。▼身長・体重は平均ど真ん中。これも今まで通りの推移で変わりない。平均付近で安定している。そうして、小顔だとは思っていたが頭囲はきわめて小さく分布の下位限界スレスレの模様。保育園のレポートには体幹バランスが良くて転ばないと書かれていたが、それも頭が小さい故の安定感なのかもしれない。▼発語が少ない件は二歳まで様子見。とはいえ、ここ数週間で急激に語彙や発音のバリエーションが増えてきたので、それほど心配はしていない。その他、虫歯なし。左下以外は奥歯も生えている。身体の一部にとびひの兆候あり。以上。

[3109] Mar 06, 2018

弟からもらったアメリカの菓子を順次消化している。どれもそんなに旨くはない。弟はアメリカの方が日本より菓子が旨いと言うけれど、もともと日本でも大雑把な味の安い駄菓子を好んでいた彼だから、いっそう大味な米国菓子が舌に合うのだろう。大容量。ざっくり食べて大満足。どれもそんな感じである。▼とりわけ不味い品(本人談)として、謎の赤い棒をいただいた。茹でる前の極太パスタといった趣で、これまたたっぷり大容量。小分けという発想はないのだろうか。怖くてまだ開けていない。若い頃に外国暮らしをしていたという同僚に訊いてみると、それはたしかに不味いやつだと言う。不味いことで有名らしい。なんでそんな菓子がロングセラーになるのだろう。どこかに好きな人もいるということなのだろうか。▼唯一、クッキーのような形をしたコーンフレークはまあまあだった。これも大味ではあるが甘味が少なくトウモロコシ感が強めで良い。牛乳によく合う。

[3108] Mar 05, 2018

とあるコンサルタントが、業績ドン底のとある企業に投入される。最初に彼が手を付けたのは会計だった。たった一度しか使えない技ではあるが、適用する会計方式を変えることで来期の会計上の成績を大幅に上方修正したのである。右肩下がりだった成績は底をついて反転した。純利益の欄は去年の大赤字が嘘のような巨大な黒字である。▼何も知らない社内は色めき立った。コンサルタントが見事な手腕を発揮して、我が社を回復軌道に戻してくれたのだと歓喜した。保守的だった管理職も、この機を逃す手はないと攻める姿勢に変わった。前向きな発言や積極的な行動が増え、暗かった職場は明るさを取り戻した。全ては好転した。そうしてついに会社はV字回復を成し遂げ、コンサルタントは英雄として称えられたのだった。▼これは実話である。というより、よくある手なのだそうだ。あの有名な甲社も乙社も、こんなふうにしてV字回復を遂げていたりする。考えさせられる。

[3107] Mar 04, 2018

久しぶりに本気で耳コピをした。ほとんどの原曲メロディは頭に入っているので今さら耳コピをする必要はないが、演出的に完全な再現が望ましいと思われる場合は後ろの細かい音も完璧に取る。そうして聞こえるか聞こえないかの音を丁寧に拾っていくうち、編曲の正しい方向性が見えてくるということもある。▼実際、どの曲についても耳コピは「過剰に」している。使わないとわかっている音でもとにかく拾って置いてみる。それは即ち原曲の声に耳を傾けるということだ。原曲の声は、自らが変わり行くべき道について、私の乏しい知識や経験、創意工夫よりも遥かに多くのことを教えてくれる。だからこそ編曲前には脳が溶けるほど聴き込むわけだが、それでも足りないときは音を確定して置いてみるのが最良というわけだ。▼とはいえ今回は完全な再現のため、普段以上に神経を使いながら拾ってみた。99%合っていると思う。ここがスタート地点だ。ここから変えていく。

[3106] Mar 03, 2018

中華料理屋さん。私はわかめラーメンを頼み、妻はもやしラーメンを頼んだ。行きつけた店なので味は承知している。特別に旨いわけではないが、不味いわけでもない。安心して入れる街の中華屋さんだ。▼しかし、今日はあまり良くない体験をした。第一に、店内が異様に臭う。腐乱臭のような飲食店にあるまじき臭いではなく、消毒液のような臭いである。市民プールで嗅ぐような強烈な薬品臭だ。異変。店を出ることも頭をよぎったが、店内のどこかを消毒したのであろうと思って我慢することにした。▼しかし、異変はやはり異変の前触れなのだ。第二に、妻の頼んだもやしラーメンが実に不味かった。珍しく「あんまり美味しくない」と言うので、もらってみたら本当に美味しくなかったのだ。私のわかめラーメンはいつも通りの醤油味だったのに、わかめがもやしになっただけのはずのもやしラーメンからは、何か別の煮汁を溶かし込んだような味がした。本当に不味かった。

[3105] Mar 02, 2018

子どもの「たこ」ブームが続いている。今日もお風呂の中で、防水の絵本に載っている影絵のタコを指してはっきり「たこ!」と言った。ちゃんとわかっている。しかし、ブームが行き過ぎたのか、だんだんタコでないものにも「たこ」と言うようになってきた。先ほどはイチゴを指して「たこ」と言ったらしい。お風呂でも、タコの近くにいる白い魚を指して「たこぉ?」と言っていた。語尾が上がったのは自信がなかったのかもしれない。それでも、頑なに「さかな」とは言わないようだ。▼とはいえ、バナナを「ばぬぅ」と呼んでみたり、今までにない語彙が次々出てきているのは感じている。タコを皮切りに、ここから言葉が溢れだすかもしれない。よく、外で二歳くらいの男の子が同じ単語を何度も何度も連呼して、両親を困らせている姿を見る。我が子もあんなふうになるのだろうか。節度を守ってくれればいいが、小さな暴走タンクにそんなブレーキがあるとは思われない。

[3104] Mar 01, 2018

子どもがついにしゃべった。「はい」や「ばあ」など、特定の状況で使い分ける言葉は今までも発していたが、明確に対象の名前を認識してしゃべったのは初と思われる。その言葉とは――なんと「タコ」であった。▼お風呂で遊ぶおもちゃにタコがいる。このタコを指して「たこ、たこ」とはっきり言ったのだ。いろいろ試してみたが、亀や魚やクジラには言わない。タコを指したときだけ言う。自分で手に持って「たこ」と言ったこともあった。また、お風呂のタコとはだいぶ見た目の違う魚図鑑のリアルなタコを見ても、ちゃんと「たこ」と言う。タコをタコだと認識している証拠である。▼それにしても、好きなのはヤドカリさんや魚さんのはず。なぜよりによってタコなのだろうか。それは誰にもわからない。TとKなので言いやすかったのかもしれない。ネットの「最初にしゃべった言葉ランキング」にママやマンマやアンパンマンが並ぶ中、我が子はランク外のタコである。

[3103] Feb 28, 2018

後輩が素晴らしいドキュメントを残していたので、参考にしながらひとつ文書を作成している。私も後進のためになる情報はできるだけ文書化しているつもりだが、彼の形式の方がノウハウの記録として優れていると思った。▼「真・行・草」で言うなら、私の文書は「真」だ。正確で、誤解の余地が少なく、無駄のないように書いている。一方、彼の文章は「草」である。見出しやセクションはしっかりまとめつつも、細かい表現は個人的なメモのように砕けている。場所によっては発生した出来事や対応の一部始終、後に判明した真相などが事細かに書かれていたりする。故に、作業の風景が想像しやすく、わかりやすいのだ。▼作業記録が時系列に並んでいるだけの業務日誌のような「行」の文書はリファレンスとして使いにくい。しかし「真」もまた社内文書としては堅すぎて、読み手に論文や書籍を相手にしているような気疲れを起こさせるのではないかと反省したのであった。

[3102] Feb 27, 2018

ジャック・オ・ランタン。Jack-o'-Lantern。天国へも地獄へも行けず、永遠にあの世とこの世の境を彷徨うジャックが頼りにする唯一の灯り。悪魔からもらったカボチャのランタンである。▼ずっと疑問に思っていることがあった。「o'」は「of the」の意味だ。しかし「Jack of the lantern」というのは変ではないだろうか。「Lantern of the Jack」ではないのだろうか。A of Bと書いた場合、BはAの親であったり所属元であったり、由来であったりするはずなのだが……。▼機会あって、英語ネイティブの人に訊いてみた。すぐには答えてもらえなかったが、調べてもらった結果、あのランタンが見える=ジャックが来るぞ、というような類推のニュアンスが「of the」なのだというのが彼の最終見解であった。つまりはウィル・オ・ウィスプ(鬼火が見える=幽霊が来るぞ!)の型をジャックとランタンに置き換えたもの。ランタンを由来としてジャックが想起されるのである。

[3101] Feb 26, 2018

難しいことばかり知っていても役に立たない。基礎がしっかりできる人は難しいこともできる。基礎が大事である。基礎を疎かにして何事も偉大なことは成し得ない。▼すっかり手垢のついた学習ノウハウのひとつだが、こうベタベタに手垢がつくほど言われているということは、裏を返せば基礎を疎かにしようとする学習者が多いということだ。難解な知識や高度な技法には、分相応を超えて背伸びしたくなる見栄心以上の魅力がある。即ち、プロと呼ばれる熟練者達は、現にその難解な知識や高度な技法で自らを差別化し戦っているという実証的な魅力である。▼彼らは基礎・応用の段階を同程度に収めてしまっているので、学習曲線からすれば費用対効果の大きくない「なだらかな」領域で工夫せざるを得ないだけなのだが、これが初学者には手っ取り早い自己差別化の手段に見えてしまう。しかし実のところ、それらのひとつひとつは単に伸び幅の小さな技術に過ぎないのである。

[3100] Feb 25, 2018

六月のヒルトンを予約。登録費や年会費のない「ヒルトン・オナーズ」に入会し、キャンセル不可の早期予約割引を適用することで、公式サイトでの登録ながら旅行代理店のパックより安い料金で済んだ。常に交通手段と抱き合わせの、何が得で何が損かいまいちわかりにくい旅行パックを比較する手間が省けるので、この仕組みはありがたい。▼しかし公式サイトはいただけなさが満載だ。パスワード設定など特定のページに飛ぶと、ここから先は日本語がないので英語になると言われる。プラン詳細にも日本語と英語が混在。そのせいか、プラン名と実態が異なるなど、正確性を欠いた記述も随所に見られる。表記料金には消費税・サービス料が含まれていない。さらには、IEやEdgeで開いていると予約確定のアクセスが拒否される。Chromeで再予約して事なきを得たが、ヒルトンである必要のない人なら諦めて別のホテルを取ってもおかしくない出来だ。ウェブの二流感は否めない。

[3099] Feb 24, 2018

『金田一少年の事件簿外伝 犯人たちの事件簿』を読む。近頃のコミックス業界はリメイクやスピンオフだらけで不甲斐ないと囁かれるが、二十代・三十代あたりの黄金期のファンからすると、こうした公式の外伝はついつい手が伸びてしまうもの。下手な新作より安定して売れるので、出版社がローリスク・ハイリターンな「鉄板」商品に位置付けても無理はない。続編ラッシュを嘆く映画界隈と似たような構図だろう。その波が、コミックスの方が少し遅れてやってきたというわけだ。▼それにしても金田一少年がギャグになって帰ってくるとは思わなかった。元がシリアスな漫画だけにギャグ化は難しかったと作者があとがきに書いているが、実際、企画も含めてよく頑張っていると思う。犯人やトリックの詳細をところどころ忘れていても、思い出しながら読んでいるだけで面白い。記憶が刺激され、また原作を読んでみようという気にもなってきた。私はスピンオフ歓迎である。

[3098] Feb 23, 2018

何らかの制作が行き詰ったとき、頭の中で出来ている部分を先に作ってしまうのはアリなのかどうか。▼これは常に悩ましい問題だ。どうせ手が止まっているなら、少なくとも前進することがわかっているところに手をつけてしまうのは好手に思える。しかし、いざ先の方が出来てみると、今度はつなぎに苦労する。先の方の出来映えが良ければ尚更だ。飛び飛びになってしまった「良い部分」を自然につなぐのは想像以上に難しい。一定の自然さを担保してくれる時系列の流れが失われている。故に、本来ならしなくてよかったような試行錯誤も強いられることになる。▼他方、メリットは見かけ上の進捗率を上げられることと、常にやる気の高い状態で制作に臨めること。良いテンションで好きな場所を仕上げてしまえば、行き詰っていたところの先が見えてくるということもありうる。どちらが良いかは作者の性格にも依るだろう。リスクテイカーなら飛び飛び式も機能するはずだ。

[3097] Feb 22, 2018

子どもが相変わらず電車で遊んでいる。これはそろそろレールを買ってあげてもよかろうと思い、ヨドバシカメラへ行った。▼プラレールの、あの青い線路。二倍長あり、複線あり、踏切あり、分岐あり。基本パーツは二十年前と何も変わっていない。実際、見覚えのないパーツがほとんど見当たらないのは衝撃的だ。きっと、複雑なパーツやアイテムも発売はされたのだろうが、定着はしなかったのだろう。遊び方の本質がパズルであるような遊具では、いかなる変わり種も基本ブロックに勝つことはできない。▼最初は組みやすいやつをと思って二倍長の直線と曲線を手に取った。しかしレジへ行く前、ふとトミカの車が目に入った。もしかしたらこういう車も好きかもしれない。ブルドーザーを買ってあげたら東海道線より気に入るかもしれない。レールより先に別の乗り物も試してみた方がいいのではないか――そう思って、手元のレールを棚に返し手ぶらで帰宅したのであった。

[3096] Feb 21, 2018

本日は代休をいただいて区役所へ。マイナンバーカードの交付を受ける。四つのパスワードを求められたり、タッチパネルで入力するときに外から見られないようカーテンが敷かれたり、入力フォームが十年前と同じVB系のテンプレ色だったり、そこかしこに旧式の香りが漂っていて面白い。役所というのはいつまでこうなのだろうと思わせる。ある種の安心感ですらある。▼ともあれ、つつがなくカードを頂戴して、その足で今度は産業貿易センターへ。期限の切れたパスポートを再取得に行く。わらしべ長者のような気分だ。日本大通りから海沿いへ歩くと、センターの建物も、あたりの風景も、近くの店も、喫茶店も、写真屋も、十数年前とまったく変わらない。ここだけ時が止まっているようだ。▼平日ながら人混みの待合室で、ロードオブダンジョンを遊びながら時代の流れに思いを馳せた。あの頃にはiPhoneすら無かったのだ。変わらぬものは静かに。変わるものは激しい。

[3095] Feb 20, 2018

G502を購入。こちらの方がボタン配置がしっくりきた。▼再生・停止、横スクロールキー、Ctrl、クオンタイズ調整、三連符化、巻き戻し・早送り。このあたりのマッピングを済ませてみる。確かに良い。右手だけでここまで出来ると、気持ち的にもトライアンドエラーがしやすくなる。クオンタイズ調整はぜひとも欲しかったが、思いのほか「巻き戻し・早送り」&「再生・停止」の使い勝手が良さそうだ。調整中の箇所を何度も繰り返し聞くような場合に重宝しそうである。▼一方、難点は二つ。ひとつはマウスとしての完成度の低さ。MXMASTERに比べるとはっきり言ってちゃちい。これはMXMASTERの出来が良すぎたと考えるしかないだろう。質感や動作感のグレードは二段階くらい落ちる。もうひとつは、プロファイル設定切り替えもDAW用に割り当ててしまったので、通常使いに不便が生じること。以上の二点を踏まえれば、G502はDAW専用にするのが順当であろう。

[3094] Feb 19, 2018

子どもにプラレールを買ってあげてみた。レールは無し。電車だけ。見事にはまった。今朝も、あれだけ見たがっていたDVDに全く興味を示さず、ぶぅーん、ぶぅーんと言いながら電車を滑らせて遊んでいた。ここまで気に入ってもらえるとは思っていなかった。嬉しい誤算である。▼車両は東海道線。オレンジと緑の湘南カラーで、二階建てのグリーン車付き。まあ、そういうことを意識して遊んでいるわけではなく、両手で持って雑巾がけのように地面を滑走したり、めちゃくちゃな遊び方をしているのだが、楽しそうなので良い。先頭車両は電池で動くタイプだが、電源を入れるとすぐに掴んで怪訝な顔で回転する車輪をじっと見ている。自動走行はあまり好きではないらしい。▼なぜ「ぶぅーん」なのかは謎だが、保育園で年長さんたちが車のおもちゃを滑らせて遊んでいるのを真似しているのではないかと推測している。ともあれ試みは当たりだ。次はレールも買ってみよう。

[3093] Feb 18, 2018

左手用キーボードにせよ、多ボタンマウスにせよ。購入前に一旦、私が必要としている機能をまとめておく。括弧内は必要ボタン数の合計値。▼必須。ノート長変更(2)、自由長化キー(3)。準必須。三連符化(4)、スクロール方向変更キー(5)。希望。アンドゥ・リドゥ(7)、再生・停止(9)、指定マーカージャンプ(10)。つまり、必須だけであれば追加ボタンは3つで足りる。準必須まで含めれば5つ。希望を全て叶えるのなら10個必要ということだ。▼左手用キーボードの場合、10は容易に満たせる。マウスの場合、LOGICOOL「G502」のボタン数が左右クリックを抜いて10なので、ぎりぎり届く。SteelSeriesの「Rival 500」なら、さらに3つボタンが余る。10個のマッピングも無理のない配置が可能だ。多ボタンの代名詞「G600」はボタンが親指部に集中しすぎていて使い勝手が良いとは思えない。無線はどれも電池持ちが悪いので、有線になりそうだ。

[3092] Feb 17, 2018

左手用キーボードの導入を検討している。製品はゲーミング用途を想定しているが、マウス操作とショートカットを多用するアプリで作業効率化を目指すクリエイターの需要も意外に高い。私も昔、検討したことはあったが、まだ種類が少なく十分な機能を備えた製品がなかったことで導入を断念していた。野心復活である。▼左手用で出来ることは両手用でも出来るが、姿勢を固定できるメリットが大きい。マウスとキーボードを行ったり来たりすることなく、左手は左手用にフィットさせ、右手はマウスにフィットさせる。この形が作れるだけで良いのだ。身体が作業モードになるし、他のアプリに浮気するリスクも減る。ゲームのときにゲームパッドを持つと集中できるのと同じである。▼件のウルトラワイドと合わせて、このあたりで没入感を高めていければ良いと思っている。時間が取りにくいなら時間当たりの生産効率を上げるしかない。こうしたやりくりも楽しんでいこう。

[3091] Feb 16, 2018

保育園の先生が残したメモによると、子どもが散歩中に電車を見て「でぃんしゃ」と言ったらしい。早速、家でも電車のおもちゃを見せて「これは何?」と訊いてみたところ、自信満々に「だっだ」と言った。いつものやつだ。その後もいくつかのバリエーションで回答してくれたが、残念ながら電車に近い音を聞くことはできなかった。果たして本当に明確な意思で「でぃんしゃ」と発声したのかどうか。真相は闇の中である。▼それにしても電車のおもちゃは気に入ったようだ。この頃は登園するときにずっと握りしめている。床の上で動かして遊ぶときは、ちゃんと車輪を接地させて動かしているので、電車の何たるかは最低限理解しているようだ。そのうち、もう少し大きな電車模型を買ってあげてもいいかもしれない。▼おもちゃも徐々に部品が増えてくる。レゴやプラレールで遊ぶようになったら、片付けが大変になりそうだ。ぜひこまめに後片付けする習慣をつけさせたい。

[3090] Feb 15, 2018

効率化が社是となった今では信じられないことだが、昔は「自動化」にも推進派と反対派がいた。もっとありていに言えば、自動化反対おじさんたちがいた。彼らの言い分は一貫していた。「自動化は信用できん。人の手で行い、人の目で見なくては。」そうして、推進派のシステムがトラブルを起こすたび、やはり人が最強なのだと主張した。反面、人の手によるミスは、ただのうっかりミスとして片づけていた。▼結局、彼らは軒並み会社からいなくなってしまった。仕事のスピードアップについて行けなくなったのだ。彼らは無知であるが故に臆病だった。自動化は信用できんという言葉の真意は、即ち「自分にはよくわからないから信用できん」に他ならなかった。わかるようになるためのコストを支払うより、未知を排して安心し、経験を誇示して威厳を保つ道を選んだ。いなくなるべくしていなくなったのだ。▼不勉強をごまかしつづけることはできない。ただ勉強あるのみ。

[3089] Feb 14, 2018

38インチウルトラワイドモニタ。去年から値下がりを待っているが、まったく安くならない。よほど需要がないのか、あるいは供給が少なすぎるのか。去年秋頃にデルが10%引きセールをやっていたが、年末には元の値段にもどって、以来音沙汰ない。中古に出回ってこないのは所有者の満足度が高いのだろうと勝手に思っている。とにかく流通量の絶対的な少なさがネックだ。▼それでも今年、2018年に発売予定のラインナップとしてLGが挙げているモデルの中には、38UC99と同型の「38WK95C」がある。今後もしばらくは38インチウルトラワイドが継続すると思ってよさそうで、ひとまずほっとした。また、34インチ5Kの「34WK95U」も個人的に気になるモデル。100%スケールでの運用は厳しそうだが、38インチより物理的に省スペースで5K空間が得られるのは魅力的だ。あるいは、これらの新型投入で旧モデルの価格が下がってくれれば、それでも良し。発売後の動向に注目したい。

[3088] Feb 13, 2018

『それいけ!アンパンマン ゆうれい船をやっつけろ!』を観る。もちろん子どもに買ってきたDVDだが、横で流れているとついつい大人も観てしまうものだ。ピンチに陥ったアンパンマンが仲間の力を借りて復活し、いたずらをしたばいきんまんを懲らしめるという王道ストーリーは、いつ見ても良い意味で安心感がある。記憶の底に染み込んだ様式美である。▼一方、大人の冷静な目で見ているとツッコミどころもたくさんあって、それがまた別の意味で面白い。新しい発見もある。たとえば、ばいきんまんがジャムおじさんを呼ぶときは「ジャム」と呼び捨てにすることに、今回初めて気づいてびっくりした。たしかにジャムおじさんなどと親しみを込めた呼び方などするわけはないのだが、「ジャムのやつが」というセリフをいざ聞いてみると、呼び捨てなのかと新鮮な驚きを感じずにはいられなかったわけだ。▼アンパンマンネタは他にも山ほどある。いつかまとめてみたい。

[3087] Feb 12, 2018

洗濯機がやってきた。設置は問題なし。水道管のゴムが劣化して水漏れが起きていたので交換し、詰まり気味だった排水溝をパイプユニッシュ・プロで綺麗に洗い流して、新型機の稼働準備は完了。早速、洗濯から乾燥まで一通り動かしてみた。以下短評。▼洗剤自動投入は間違いなく便利。洗濯物を放り込んだらスタートボタンを押すだけというのは、想像以上にストレスフリーだ。計量の手間もない。パナソニックが他社に同様の機能を許すかはわからないが、許されるなら今後の主流になるだろう。オススメ度は高い。▼洗濯容量は倍増。以前はちょっと洗濯物が溜まると庫内がぎゅうぎゅう詰めで、ちゃんと洗われているのか不安になることもしばしばだったが、もはやその心配はいらない。心の余裕がありがたい。▼乾燥の仕上がりは、文句なく感動的。ごわごわのガビガビだったバスタオルも生まれ変わったようなふわふわさである。そういうわけで、今のところ不満はない。

[3086] Feb 11, 2018

横浜中華街の「横浜おもしろ水族館」へ行く。子どもを水族館に連れていきたいという思いがあって、けれども八景島シーパラダイスは遠いし大変そうだということで、折衷案として妻が調べてくれた近場の水族館である。▼奥まったビルの三階。「こんなところに水族館が?」と眉をひそめずにはいられない外見だ。エレベーターを降りると占い店や中国茶屋がひしめく雑多なフロアの一角に入場料有料の水族館がある。こぢんまりとした水槽水族館だ。八景島のような巨大施設ではないが、いろいろな魚を間近で見られて、これはこれで楽しい。子どももたいそう喜んで、次の水槽を見せろとせがんできた。明日は腕が筋肉痛だ。▼土足厳禁のエリアもある。台が水槽になっているオシャレなすべり台や、ところどころに丸水槽を配したジャングルジムがあったりする。もちろん、ここでも散々はしゃぎまわった。走って走って走りまくった。ちょっと高いが、行って良かったと思う。

[3085] Feb 10, 2018

洗濯機を買った。ついに交換の時だ。▼日立の風アイロンを予定していたが、去年パナソニックが出してきた「洗剤自動投入」モデルの魅力に勝てなかった。実際、風アイロンが乾燥機能で一強と言えたのは二、三年前までで、今は競合各社もそれなり追随できているらしい。であれば自動投入や温水洗浄など、風アイロンとは違う方向の魅力を満載したパナソニック機でも良いのではないか……と揺れていたところ、訪れたヨドバシカメラでたまたまタイムセールをやっていたのである。値引き幅もかなり大きい。洗濯機が一斉に型落ちする九月まで待ちたかったが、それまで現行機が生きているとは限らないし、ここで即決するしかなかろう。ということで「NA-VX8800L」を購入した次第である。▼ただ、安心するのは早い。設置前に計測がある。そこで搬入経路や設置スペースに問題があった場合は商品から考え直しになる。洗濯容量11kgは魅力なので、なんとか設置できて欲しい。

[3084] Feb 09, 2018

プロジェクトが一段落着いた。終わったのか終わらないのか煮え切らない状態が続いていたが、終わったの方に軸足は傾きかけている。私も、自分のタスクと言えるような仕事はほとんど残っていない。秘密裏に「次」の話も来ていて、可能なら並行で作業して欲しいとも言われている。軟着陸しながら再浮上のエンジンをふかすわけだ。新たな戦場へ。ふたたび飛び立っていく。▼次回、私に任される業務は、よりシステムに近いところ、設計の最奥部ともいうべきエンジン部分のようだ。表層から深部へともぐりつづけて、とうとうここまで来たかという感じである。もちろん歓迎だ。コーディング力の信頼を積み重ねてきた甲斐があった。そうして、あらためて信頼されたら応えなければなるまい。▼この循環がうまく回っているうちは、技術的な成長も速いし、精神的にも健康でいられる。あとはどこかで歯車が狂わないように、身の回りのことを丁寧にメンテナンスしていこう。

[3083] Feb 08, 2018

モバイルノートにLTEを搭載して欲しいという欲求は、SIMフリータブレットを使い始めてから日増しに強くなった。テザリングで十分と思っていた自分はもはや過去の自分である。スマホを意識せずにネット接続ができる恩恵は想像以上に大きい。▼二年ほど前までLTE搭載型は傍流だった。シリーズの途中で搭載を中断したモデルすらあったほどだ。しかし、去年から流れが変わった。他社に先駆けてLTE搭載を大きく喧伝したVAIOに触発され、各社、ハイエンドにはLTEを装備するよう動き始めた。2018年モデルでは、恐らく主要なブランドのほとんどがLTEを標準装備させてくるだろう。SIM分割のできる格安SIMに追い風が吹く形になる。▼目下、モバイルノートが必要な理由はない。ただ、XPS13はLTEもなく、常備するには重すぎたので、富士通かNECあたりが700gを切るLTE搭載モデルを出してくれたら、多少興味は湧いてくる。

[3082] Feb 07, 2018

センター試験で満点が出たらしい。史上初かどうか裏付けは取れていないが、私の記憶にある限りでは前例はないと思う。なかなかの快挙である。本当に現役生であれば、二次試験の合格も間違いなしというところだろう。▼少数の難問を解くのではなく、低〜中難易度の問題を数多くこなさなければならないため、センター試験の点数は満点に近づくほど点を上げるのが困難になる。八割と九割の間に大きな溝があると言われるが、九割から先ともなれば、溝の間隔は広がっていくばかりだ。うっかり忘れていたこと、たまたま知らなかったこと、ちょっとした記憶違い、出題意図の些細な取り違え、解釈の相違、計算ミス、ケアレスミス……が、たったのひとつでもあれば、満点は成らない。余人がこれらの総数を減らすために日々努力していることを思えば、ゼロは超人の域であろう。パーフェクトゲームである。▼思えば受験の日から14年が経った。四半世紀もあっという間だ。

[3081] Feb 06, 2018

新しい煮干しラーメン店へ行く。以下、短評。▼あっさりとこってりを選べる。ラーメンかつけ麺かも選択可能。気分的にあっさりラーメンを選ぶ。こう手広くやる店は味の残念なことが多いが、期待したよりは完成度が高い。ただ、煮干しの味が不自然に薄められているので、こってりの方が真の姿ではないかと思われる。恐らく、あっさりは後付けだろう。▼麺・スープ・具材の中では、麺が明らかに足を引っ張っている。安いチェーン店で出てきそうな、妙に滑りがよく、コシのない細麺である。ここはもっと頑張れそうだ。他は上々。感動的に旨いというわけではないが、たまに訪れる近場の店という立ち位置ならありがたい部類に入る。ご飯が無料でおかわり自由なのも良い。学生人気があれば、客足不振ですぐに潰れることもなかろう。▼煮干しラーメンとなると、どうしても記憶の中の「いのうえ」と比べてしまうのが難点。さすがに勝っているところはひとつもなかった。

[3080] Feb 05, 2018

誕生日。繁忙期と重なることの多い時期だが、去年にひきつづき今年も穏やかに迎えられた。チョコレート断ちと言いながら、チョコレートケーキを食べて満足している。明日からまた頑張ろう。▼去年の記録を見るとルバートに苦しんでいるとある。一年経った今もルバートには苦しんでいるが、当時の苦しみ方とははっきり性質が違うようだ。去年はどうしていいかわからずに苦しんでいた。今は思うように調整できなくて苦しんでいる。少しはレベルアップしたのではないだろうか。▼実際、第三部のラストは自分でも大いに納得のいく出来になった。今の実力でこれ以上は無理と言えるところまで詰めたと思う。無論、常にその気概で臨んではいるが、結果的にも限界を感じられるほどの出来になったところは多くない。そうして、ここから先は全てそうでなくてはならないだろう。新しいことに挑戦しながら自分の限界を更新しつづけるようでなければ、最終章は仕上がらない。

[3079] Feb 04, 2018

1928年、冬。ジョン・F・ケネディの父親が靴磨きの少年に靴を磨いてもらったところ、少年がこう言った。「おじさん、ここだけの話だけどね。今、〇〇〇の銘柄を買えば絶対に儲かるよ!」ケネディパパは戦慄した。こんな靴磨きの少年までもが相場に熱を上げているなんて、尋常なことではない。パパは相場の天井が近いと直感し、あらゆる銘柄が値を上げる絶好調のさなかに保有株を全て売り払った。まもなく1929年。ウォール街大暴落が訪れる直前の冬である。▼これは真偽のわからぬ逸話だが、その後も繰り返されてきた相場の真実を多分に含んでいる。ふだん投資に縁のない人間が投資に興味を持ち始めたら、相場は天井を迎えるのだ。ジンクスでもなんでもない。要するに、ねずみ講が末端に到達したのである。このたびの仮想通貨の暴落も逸話の流れを完璧になぞっていたと言えるだろう。暴落前夜、ツイッターは仮想通貨の話題で持ちきりだったではないか。

[3078] Feb 03, 2018

本日は保育園の面談。実際に面談するのは一人だけなので妻が行き、私は子どもと待機していた。以下、言われたことの列挙と短評。▼歩き方(走り方)がヘン。これは私たちも常々思っていた。踵からしっかりと着地せずに、つま先で飛ぶように歩く。したがって転びやすい。園でも懸念していたようだ。他の子の真似をして、安全な歩き方を覚えてくれるよう願う。▼発語が遅め。これも先日記事にした通り。親が挨拶するとき、子どもにも挨拶を促した方が良いかもしれないと言われた。来週から実践してみよう。園では本を見ながら名前を言わせようとしてるらしい。家でも日々やっている。「これは誰?」と訊いたとき、アンパンマンを指しているときと、ばいきんまんを指しているときでは明確に違う音を出すので、発語の兆しはある。▼友達付き合い云々はまだ考える年ではない。便秘は良くなっている。夕飯で着席を嫌がるのは自宅だけ、などなど。予想通りではあった。

[3077] Feb 02, 2018

相手玉の目の前に「と金」をつくる強い一手を考えたとする。詰みかどうかはわからないが、九割方攻めきれそうに思える。ところが、これをAIに解析させたら低評価を受けたとする。AIによると、正しい手は金を自玉に寄せる一手。「と金」は完璧に受け切られた場合に逆襲の可能性があり、そのときはこちらが不利になる。故にここは脇を締めるべきという判断である。▼この判断をもって、件の局面なら攻めではなく受けという勉強をしてしまってもよいものだろうか。「と金」は本当にダメな手なのだろうか。たしかに相手がAIなら、受け切られるべくして受け切られ、逆襲にあうだろう。しかし、実際の相手は人間である。動揺もすれば、ミスもする。であれば逆に、攻めずに受けることで相手が冷静さを取り戻してしまい、長期戦に持ち込まれて自分の方がミスをして、負けてしまうかもしれないではないか。▼頭の良すぎるAIの評価値を頼りすぎるのは危険である。

[3076] Feb 01, 2018

コインチェックの件は、会見こそ「炎上会見」の部類になってしまったが、自己資本での補償を打ち出したことで一旦落ち着いた。しかし問題はまだ山積みだ。本当に補償されるのか。補償されるとしてもいつになるのか。補償するほどの自己資本があった場合、これまでの申告と辻褄は合うのか。出金の凍結はいつ解除されるのか。他通貨の取り扱いはこれまで通り行うのか。金融庁への調査報告は間に合うのか。十分な情報開示が出来るような状態なのか。そして、流出したNEMを取り返すことはできるのか……。▼私自身はコインチェックと何の関わりもないので、顛末がどうなろうと所詮は他人事だ。再起しようと倒産しようと影響はない。しかし、ブロックチェーンはインターネット登場以来のブレイクスルー技術のひとつである。その技術の象徴とも言える仮想通貨の進歩自体が停滞してしまうような、破滅的な終わり方は望ましくないと思っている。行く末を見守りたい。

[3075] Jan 31, 2018

子どもがまだしゃべらない。遅くて心配というほどでもないが、前より語彙が減っている気がする。数か月前は「バナナ」に聞こえるような音や「わんわん」に聞こえるような音を発声していたと思うのだが、今はたいてい「ん!」で済ませている。本の中の動物を指しても、取って欲しいコップを指しても、なんでも「ん」だ。これで通じるからいいやと高を括ってしまったのかもしれない。▼一方、こちらに物を渡そうとするときは、はっきり「はい」と言う。また、しゃがんで顔を隠した状態から、唐突に立ち上がってこちらを驚かせようとするときは「ばあ」と言う。彼が今、明確に使い分けている語彙は以上の三つであると言って良いだろう。▼尚、こちらの言うことは明らかに理解している。本を見ながら「**はどれ?」と訊くと、一度教えたものはかなりの割合で正解してくる。コトバとモノを結びつけることはできているのだ。あとは発声と動機の問題だけなのだろう。

[3074] Jan 30, 2018

まだ日陰には雪が残っているのに、今週末は再び雪が降るらしい。毛嫌いするわけではないが、来週の頭に大きなマイルストーンが控えていることを思うと、できることなら降らないで欲しいと思ってしまう。四季の情緒より仕事の都合を優先するとは社会人も極まってしまったものだ。あまり褒められた話ではない。▼それでも、どうせ降るなら楽しく過ごす方が得策だ。木曜日、金曜日。雪が降るならその日には雪に合う音楽を聴こう。ヴィヴァルディの「冬」でもいいし、μ'sの「Snow halation」でもいい。懐古的にFF9の「聖なる地 エスト・ガザ」なんてどうだろう。そう、私の中では雪に覆われた地のイメージは、今でも「エスト・ガザ」が代表している。そんなにやりこんだゲームでもないし、そんなに思い入れのある町でもないのだが。人の記憶は不思議なものだ。▼やがて「バニラレイク」のメロディも浮かんできた。私の音楽はやっぱりゲームに支えられているのだ。

[3073] Jan 29, 2018

スマホゲームの広告を見ていて気づいたことを何点かメモする。▼一、ゲーム画面を紹介するとき、広告内で画面を映している仮想端末が動いていると非常に見にくい。3D風に格好良く見せたい意図はわかるが、ゲーム内の動きと端末の動きのズレによって視点が定まらず、肝心のゲームの内容がちっとも頭に入ってこない。見せたい情報があるなら、映像はしっかり止めるべきだろう。尚、キャプションの方は動いていても見づらいとは思わなかった。▼二、尺の短い広告の場合、ゲームの中でもルールが明確で、見ればすぐに遊び方の推測がつくようなシーンを切り出した方が良い。パズルゲームは特にそう。「三つ揃えば消える」というキャプションと共に同じ絵柄が三つ消えていく様子が映ればわかりやすいが、謎のアイテムをタップしてブロックが大量消滅する様子を見せられても意味がわからない。意味がわからなければ興味も湧かない。興味を惹けない広告は失敗である。

[3072] Jan 28, 2018

糖質ゼロ・プリン体ゼロのビールを買う。夕飯がお好み焼きなのでビールが合いそうだけれど、ここのところ食生活が乱れがちだからと心が揺り戻されて中途半端なところに落ちてしまった格好だ。魔が差した。▼はっきり言っておいしくはない。桃の天然水に炭酸とアルコールを混ぜたような味がする。無理やり酒らしくした水のようなものだ。今になって妙な頭痛もする。これなら飲まない方がよかった。もう手に取ることはないだろう。名誉を損なわないよう補足するが、桃の天然水は美味しい清涼飲料水である。▼似たような話で、巷では近頃ストロングゼロが話題になっている。アルコール度数が高く、甘味が強くて飲みやすく、それでいて値段が安いので、酔いのコストパフォーマンスは最高とのこと。もっとも酔いの質の悪さについては愛飲者も頷くほど酷いらしいが、とにかく一缶飲めば何もかも忘れて深い酔いに沈めるということで人気のようだ。こわちか、こわちか。

[3071] Jan 27, 2018

ところで留学中に勉強の傍ら仮想通貨で遊んでいた弟は大丈夫だったのか。訊いてみるとコインチェックには五千円ほど残高があったという。五千円なら安い勉強代と言っていいだろう。去年、儲けが出たあたりで自分のアルバイト代の範囲を出ない程度に遊ぶよう釘を刺しておいてよかったかもしれない。▼コインチェックの資産は失われるのか。顧客の資産はもう返ってこないのか。それはまだわからない。財団が追跡して取り戻してくれるかもしれないし、某取引所のように事業を継続しながら利益を削って最終的に弁済するかもしれない。手数料で莫大な利益は出ていたと推測されているから、サービスさえ継続できれば弁済の目もあるだろう。ただ、ここまで大事になると、その継続が難しくなってくる。ここから立て直せる手腕があれば、こんな脇の甘い事件はそもそも起きていなかったかもしれない。▼ともかく、今は「かもしれない」の嵐だ。未来は激しく揺蕩っている。

[3070] Jan 26, 2018

仮想通貨が規制と不正で悲惨なことになっている。今年に入ってから暴落に次ぐ暴落。すぐに反転すると言われながらもグラフは淡々とナイアガラを描いていった。これも技術的な成長途上に数ある波のひとつとは思うが、昨年のバブル気分は一旦冷めたということだろう。年末に賞与で参入した人たちが集中的に洗礼を受けた形になった。もっとも、去年末は仮想通貨賛成派でさえ実体を超えた暴騰だと警鐘を鳴らしていたのだから、その頃には投機性が高まっていたのは自明のこと。それを踏まえて参入した者は、賭けに負けたと言うしかない。▼2018年を仮想通貨の年にすると息巻いていた私はというと、まだマイナンバーカードが届いていないので、諸々の手続きが出来ずに何も買えないでいる。もし昨年末に準備が出来ていたら……と思えば、結果的には自分のノロマさに救われた格好だ。悪運と言うほどでもないチョイ悪運。本当に、人間万事何が幸いするかわからない。

[3069] Jan 25, 2018

昨日の夜、風呂掃除に使うバスマジックリンが残り少ないことに気がついた。明日の帰りに買わなくては。そういえばモンダミンもちょうど切れていた。薬局の開いている時間に帰れたなら、そのときは一緒に買って来よう。そうでなければコンビニでマジックリンだけ入手すればよい。そうだ、そうしよう。メモをした方がいいか。いや、それほどのことでもないか。忘れたりなんかしないだろう。……。▼面白くもなんともないが、今日、もちろん綺麗に忘れた。恥ずかしながら入浴時にも気づかなかった。浴槽を洗う段になってようやく中身がないことを思い出したのだった。なんという間抜けだろう。忘れていたことがではない。すぐにメモを取らなかったことが間抜けなのだ。忘れるはずがないと思うことを忘れるから、人にはメモが必要なのではないか。メモるまでもないことこそメモらなければならぬ。それだけがメモの存在意義なのだ。酷寒の深夜二時、静かに反省した。

[3068] Jan 24, 2018

関東地方は今年いちばんの寒さ。冷えに冷えた。件の激辛カレー屋も大繁盛である。おかげさまで我々は入ることができなかった。みんな考えることは同じだ。▼昨日、溶けそこねた日陰の雪は、かちかちの氷となって残ってしまった。家のまわりにもまだ氷がめぐっていて、気を抜いて歩くと足を取られそうになる。今日の朝も、慎重に階段を下りて安心したところへツルっと来た。バランスを取り戻して転倒は避けたが危なかった。氷の上はいつも想像以上に滑る。これくらい滑るだろうと思っている、なまくらの警戒心などあてにはならない。▼雪。冷たい雪。ふと、子どもの頃はどうやってこの雪で遊んでいたのかわからなくなった。丸めて投げたり、固めて塹壕にしたり、雪だるまを作ったり、かまくらを作ったり。よくある遊び方はひと通り経験したはずだが、今、この寒さの中で眺めていると、こんなに冷たい物でよく遊べていたなと思う。そう思うことに少し年を感じた。

[3067] Jan 23, 2018

晴天のおかげで滑り台や雪かきは杞憂になった。家の前の日陰以外は、すでにいつも通りの道である。朝の通勤電車の混乱も、覚悟はしていたが杞憂だった。ダイヤの乱れは少なく混雑も最小限。少なくとも私の利用している二社については、雪の規模からすると満点の対応だったと言える。一日の出来事ではあったが、あらためて自治体と鉄道会社の努力に感謝した。▼一方、今日は保育園で雪遊びがあったと聞いた。小さい子のクラスは外で遊ぶわけにもいかないから、室内に雪を運んできて見たり触ったりしていたようだ。ところが妻から又聞きで聞いたところ、我が子は得体の知れない白い物体を怖がって近づかなかったそうである。動かずにはいられない、動き出したら止まらない、暴走タンクのような活発さの反面、彼は案外慎重なのだ。まあ、それくらいの方が親としては安心する。あの落ち着きのなさで向こう見ずの怖いもの知らずでは気の休まる暇がないというものだ。

[3066] Jan 22, 2018

大雪。雪国の人には笑われるかもしれないが、関東地方にとっては積雪20cmは紛れもなく大雪である。電車は止まる。道は滑る。雪かきは疎ら。装備は貧弱。明日はどうやって保育園に行こうか。真剣に悩んでいるところだ。▼まっすぐ縦に落ちる雪ならまだ情緒もあるが、今日の雪は強風吹きつける小さなブリザード。ホームの中にまで吹雪が舞って駅舎はひどいことになっていた。道を歩けば服には雪片がまとわりつく。ただでさえ足元が悪いのに身体が重くなって余計に歩きにくい。足を奪い、熱を奪う。情緒などあろうはずもない。台風に風鈴の情緒がないのと同じである。これは災害なのだ。▼さっきベランダを覗いたら、手すりの上が白い蒲鉾のようになっていた。夜空は晴れている。明日になれば路面は凍りつき、坂道の遊歩道は魔の滑り台と化すだろう。正直、抱っこ紐でも子どもを連れて歩きたいとは思わない。雪かきもあるし、状況次第では午後出社も視野に入れる。

[3065] Jan 21, 2018

三鷹へ行く。初めて訪ねる土地だ。相棒の演奏会を聴きに行った。感想を書くにはさすがに字数が足りないので、行ってよかったとだけ書いておく。演奏会に行ってよかったというのは、私からすれば最大級の賛辞である。▼三鷹についての印象。中央線青梅特快が止まるというので中野のような都市駅を想像していたが、北口を出ると思ったより簡素な駅である。駅舎が品川風の豪奢なつくりだったのでギャップに驚いた。南口の方はもっと栄えているのかもしれない。▼徒歩13分と書かれた武蔵野市民文化会館まで、辿り着くのに18分かかった。表記が盛っているのか、表記通りに歩けるほど私が若くないのか。もちろん迷子も見越して早めに出たので抜かりはない。道中、コンビニが一件しかなかったのも印象的だった。地図にはサークルKとあるが、実際にはファミリーマートだ。ファストフード店がやたらと多い。どこか不思議な温度差だ。似ている街は思いつかなかった。

[3064] Jan 20, 2018

西友のオリジナルブランドに「みなさまのお墨付き」がある。当たり前だが、西友ネットスーパーを利用するようになってからよく見るブランドだ。マークはシンプルな◎。色は黒。墨のイメージだろう。インパクトもあるし、わかりやすいし、提供者目線でなく消費者目線で良い品なのだという主張が強く、なかなか良い名前だと思っていた。▼実際、このブランドがついた品は、本当に消費者のテストを合格した品しか商品化していないそうだ。商品開発の後、全国の主婦100人以上に味・量・価格を評価してもらい、70%の支持率に満たなかった場合は商品化されない。しかもこのテスト、パスしたら永久に商品として定着するわけではなく、1〜2年置きに再試験され、不合格になると商品ラインから外されるという。▼無論、この手のテストは企業側の都合でどうにでも合否を調整できるわけだが、再試験のルールには高品質なブランドを長く保ちたいという意思を感じた。

[3063] Jan 19, 2018

水臭い、の語源について話題になった。水が臭いとはどういうことか。それがなぜよそよそしさと繋がるのか。▼語源の常として諸説あるようだが、私が最も納得できた説は酒の席に端を発するというもの。曰く、自分の使った酒の盃を人に渡すとき、普通はマナーとしてさっと水で洗ってから渡すわけだが、気心の知れた間柄なら、そんな盃なんていちいち洗わなくていいよ、(酒が)水臭いじゃないか、ということになるわけだ。▼なるほど説得力はある。そうして、この説を信じるなら、もうひとつオマケがついてくる。ミズクサイ盃洗などしないで自由に盃を行き来させるほど親しい仲、もはや家族のような親しい関係が、つまりは「水いらず」だと言うのである。さらに説得力の増す綺麗な流れではないか。▼しかし、それなら漢字は「水入らず」でなく「水要らず」と書きそうなもの。表記側を信じるなら水と油の関係を人間関係に喩えたとする一般説の方が地力は高そうだ。

[3062] Jan 18, 2018

深夜残業生活も今週で終わりそうな流れになってきた。諸々の事態が収束したわけではないが、来週からは仮に残っても十時までか、逼迫した調査・修正業務を抱える人だけが残る体制になるだろう。同じく土日も今週末こそ出社を免れないだろうが、来週からは落ち着くと思われる。エンジントラブルを抱えながらのソフトランディングだが、とにかく形だけでも着地させていこうという姿勢だ。▼やりたかったこと、買いたかったもの、行きたかったところ。解放のゴールが見えてくると、スタックされたWILLが怒涛のように押し寄せてくる。優先度順にキューイングなどされていないから、うまくハンドリングしないと押し潰されてしまいそうだ。やりたいことが多すぎて、逆に何も手がつかないことはままある。せっかくの休みにそうはなりたくない。▼それにしてもWILLのところは良い日本語が思いつかなかった。このWILLは訳しにくそうだ。単語を入れるなら何が良いだろう?

[3061] Jan 17, 2018

若手が頑張ってくれた話のつづき。同僚にも同意を求めたら、まったくその通りだと力強く肯定してくれた。とりわけやっぱりあの世代が凄い。他の世代が駄目というわけではないけれど、どういうわけかあの代には優秀な社員が揃っている。素晴らしい。まさにキセキの世代だ。ゴールデンエイジだ。……。▼納得しかけたが、ちょっと落ち着こう。あの世代が優秀であることに疑いはない。しかし「ゴールデンエイジ」というのは出来の良い世代のことではなくて、運動技術が急激に発達する時期のことではなかっただろうか。そうである。単語のイメージに押し切られそうになったが、いかなるときも用語は正確に用いなければならない。▼あらためて、ゴールデンエイジとは。十歳前後、大体九歳〜十二歳くらい。ようやく自分で自由に体を動かせるようになり、身体運動と神経回路の発達が直結することで、言語化の難しい技術やセンスを自然に習得できる成長期のことである。

[3060] Jan 16, 2018

今回のプロジェクトは若手が本当によく頑張ってくれたと思っている。自分をベテランと若手のちょうど中間として見たときの物言いだ。ベテランがとりわけ不甲斐なかったというわけではないが、期待されるパフォーマンスに対して高いパーセンテージで貢献したのは間違いなく若手の方だろう。それも明らかに、特定の年次に属する後輩たちの活躍が目立った。「キセキの世代」というやつかもしれない。▼しかし、こうなると評価者は頭が痛かろうと思う。心から同情する。彼らに相対評価をつけなければならないなんて。今の私にはとてもできない。もし四人にA〜Dを振り分けよと言われたら、ほんの少しの加点要素や減点要素を無理やりにでも探し出して、CやDを理不尽と確信しつつも機械的に振るしかないだろう。▼技術職から昇進した先輩が、評価の時期になると暗い面持ちになっていた理由もわかる気がする。さっさとAI評価に移行した方が皆が幸せになりそうだ。

[3059] Jan 15, 2018

今年のインフルエンザは熱が上がりにくいと聞いた。誰かが広めた眉唾情報かもしれないし、実際の罹患者の体験が集合して出来た信憑性の高い噂かもしれない。ちょっと調べてた程度では2018年のインフルエンザの傾向に熱が上がりにくいという表現は見られないので、眉唾に近いのではないかと思っている。信用には値しない。▼さりとて、熱が出なかったからインフルエンザではないと断じるのは間違いだ。罹患する人の年齢や体調によっては熱が十分に上がらないこともある。風邪薬を服用している場合なども、通常より熱は上がりにくいそうだ。もし、インフルエンザの流行期の直前に風邪が大流行して薬の服用者が増えていれば、熱が上がりにくいという噂が出来上がる可能性もあるのかもしれない。▼ともあれ、この時期に不調を感じたら会社は素直に休んで欲しいものだ。残念ながら私の所属部屋では発症者が複数名出てしまった。万が一罹ったらえらいことになる。

[3058] Jan 14, 2018

蛸、鮹、章魚、鱆。タコにはいろんな漢字がある。▼よく書かれるのは「蛸」だが、なぜ虫偏なのか。「蛸」はもともと中国語でアシダカグモを意味する漢字。そこで八本足の連想から海の蜘蛛という意味で蛸を借用して「海蛸」とし、後に海が取れて「蛸」になったのではないかと言われている。あるいは最初から蛸と書いたのかもしれない。そこの起源に定説はないようだ。タコは虫ではないのだからということで虫を魚偏に変えた「鮹」も現れるが、先に広まってしまったせいか「蛸」が消えることはなかった。▼一方、中国で正しくタコを意味するのは「章魚」という二文字だそうだ。これを無理やり漢字一文字に仕立てたのが「鱆」ということになろう。こうして日本では「タコ」に対して四通りの漢字表記が誕生した。贅沢な奴である。▼理由はさまざまながら、中国と日本で違う生き物を指すようになってしまった漢字は他にもたくさんある。いろいろ調べてみると面白い。

[3057] Jan 13, 2018

今日は大変だったが運の良い日だった。二週間以上前に誰かが引いて以来、ただの一度も再現しなかった幻のバグ。再現を希望しながら時間だけが過ぎ、ついに今日は当該環境の〆日である。未解決の報告。長らく誰も見ていない。勝手に治ったのかもしれない。そうだ。そうに違いない。仮にそうでないとしても、もはや修正のチャンスはない。このまま闇に葬るしかないだろう――そう思っていた。▼〆の二時間前。再現が叫ばれた。衝撃が走った。しかも今度は情報が残っている。なんということをしてくれたんだ。いや、良くやってくれた。調査する。特定のタイミングでしかるべきフローに来ていないことが判明する。さらなる追跡調査と実験。そうして〆の十分前。ついに原因は特定された。なんと仕込まれたのは一年以上前だった。当時のプログラム移植者のミスである。許可を得て滑り込みの修正。怒涛の確認、再発の不安、解決の安堵……。短いようで長い一日だった。

[3056] Jan 12, 2018

贔屓のカレー屋へ行く。▼昔、私は辛い食べ物が苦手だった。「カレーハウス・リオ」でも甘口を頼んでいたくらいの甘党だった。ピリ辛〇〇と名のつく料理は好んで食べることもあったが、それはあくまで「辛いけど旨い」であった。あってもなくてもよいが、ありすぎたら食べられないもの。それが私にとっての辛さだった。▼そんな私が、生まれて初めて「辛いから旨い」と思ったカレーが、その贔屓の店のキーマカレーである。最初に食べたときは辛すぎて完食出来ず、同僚に残りを食べてもらったくらいの辛さだったが、その「辛うまさ」の衝撃は私の価値観を変えた。以来、足繫く通って、今ではもう大辛と激辛のあいだくらいなら完食できる。辛党になったわけではない。食べられるメニューを増やすため、私の舌が適応したのだ。▼今日はドライカレーを食べた。ドライカレー、ないしカレー炒飯の括りなら、世界でいちばん旨いと信じる珠玉のカレーである。旨かった。

[3055] Jan 11, 2018

「400」を書くのがしんどい日もある。たいていは仕事が忙しく、時間がなくて、眠いときだ。つまり今日みたいな日だ。そんな日はできるだけ思いつきを書き殴る。ロクに推敲もできないような状態で記事向きのネタを使ってしまうのはもったいないからだ。面白くなりそうな話は、面白く書けそうなときに書く。面白く書くだけの思考力を動員できないときは、無理に起承転結をつけようとせず、構成を度外視して妄想を陳列するか、単に事実を列挙する。自衛の工夫である。▼それでも尚、苦しいときはある。400文字に収められない苦しさだ。きちんと計画を立てて書くときは、書く前から400文字の割り振りがなんとなく頭の中で出来ているが、つれづれ書くと間違いなく文字枠が不足する。尻切れトンボになるのはいやなので、結局、そこで推敲の手間がかかる。最後の句点を打つために「400」全体の執筆にかけた時間の四割を割いたと言っても過言ではなかろう。

[3054] Jan 10, 2018

仕事を劇的に捗らせるコツは、常に何も置いていない机をひとつ、用意することだと誰かが言っていた。本で読んだのかもしれない。▼「何も置いてない机」は私の部屋にはないが、考え方には全面的に同意する。いつでもノータイムで仕事に取り掛かれる環境を常備すること。片づけなければ仕事ができない机では意味がない。仕事をするために机を片づけよう、という意思決定にかかる負荷が無駄なのだ。▼決定を下すという行為は非常に疲れるので、脳はこれを避けるべく「仕事をしよう」という気持ちを無意識の下に隠蔽してしまう。こうなると私たちは片づけようという意志を奮い起こすことすらできない。そうして、なぜか気持ちが机の方に向かないまま、知らないうちに仕事の機会を失ってしまうことになる。恐ろしい話だ。▼だからこそ、仕事に入るまでの意志決定のプロセスは可能な限り減らさなければならない。これが片付いた机を用意せよという教えの要点である。

[3053] Jan 09, 2018

「ロードオブダンジョン」にやっとまともなイベントが来た。去年はリリース直後こそ良いスタートを切ったものの、イベントに関しては打つ手がどれも悪手で裏目。何をどうしたらこうなるのかと首を傾げざるを得ない対応ばかりだったので、二ヶ月もしないうちに過疎化するのではないかと冷や冷やしたが、今年に入ってからは新年の行事を粛々と行っているので少々安心した。ゲームが十分面白いのだから、変わった動きを見せる必要はないだろう。▼アプリ運営もそうだが、何事も内容が充実しているなら淡々とした普通の営為がベストプラクティスになる。逆に内容が伴っていないなら、アピールのために斜め上の奇策を講じなければならないこともある。どちらが良くてどちらが悪いという話ではない。ただ逆でなければよい。王道には王道の、外道には外道の適性がある。力のあるものは正々堂々戦えば良い。力のないものは知恵を絞って計算高く勝利をもぎ取るしかない。

[3052] Jan 08, 2018

久々に長編曲のファイルを開いたら、最終更新日が2017年11月26日とある。つまり先月はただの一度として更新を行わなかったということだ。忙しい月だから仕方ないとは思っていたが、最終更新から一月以上経っているとはいささかショックである。そこまでさぼったつもりはなかった。時の流れは恐ろしい。▼ある曲の中間部の弛みで苦しんでいて、どうにも解決策が見えずに放置していたのだが、今日、まっさらな頭で聞いてみたら案外素直な答えが見つかった。見つかってしまえばどうということはない、平凡な手法ではある。全体から見て重要なフレーズというわけでもないが、ここがしっかり決まってくれないとサビに説得力がなくなる部分だ。最悪、良い手がなければスルーも覚悟していた。納得行く流れに出来てよかった。▼これでファイルを開こうとする気を削ぎに来る心理的な重荷も取り除かれたのではないだろうか。明日からはまた五分ずつでも進めたい。

[3051] Jan 07, 2018

西洋医学の力で体調はマシになった。頭痛は和らぎ、咳も少なめ。食欲も戻ってきたようで、夕飯はいつもの倍近く食べた。食べられるようになれば後は早い。火曜日までに完全回復できれば諸々挽回できるだろう。▼それにしてもこの年末年始はひどかった。頭痛、関節痛、眩暈、吐き気、咳、喉の痛み、鼻水、結膜炎、腹痛、下痢。まさしく体調不良の見本市だ。風邪という言葉から連想される人体の不具合を八割以上網羅している。よくぞここまで畳みかけた。今年一年の病厄を正月のうちに受け切ってしまったのだと信じたいものだ。▼おかげさまで2018年早々記事の並びも辛気臭くなってしまった。明るい話題も提供したいが、本も読まずに病気で床に伏しているだけでは、紹介するほどの知見もなければ煌めくような体験もない。目ぼしい変化は通信ツールをSkypeからDiscordに乗り換えたことくらいか。軽くて、繋がりが良くて、非常に使いやすい。概ね満足している。

[3050] Jan 06, 2018

眠い。身体が横になることを求めている。けれども咳のせいで眠れない。運よく眠れても咳で起きてしまう。眠気も咳も、きっとどちらも今の私の身体にとって必要だから起きているのだろうけれど、結果的にはそのせいで私はより疲弊してしまっている。まるで効率の悪いチームの連携事情のようだ。わざと仕事を遅滞させようなどという悪意は誰にもない。みんなよかれと思って自分の仕事をする。それらの仕事が組み合わさって、良くない結果がもたらされる。1+1がいともたやすくマイナスになる。▼管理・調整の職に就くものの責務とは、1+1を10にすることではない。1+1をせめて2にすることだ。構成員の各人が自分の実力をいかんなく発揮し、それらが純粋に加算されて結果に結びついたとき、管理者はあたかも何もしなかった人のように見える。今回の仕事の勝利は偏に自分の貢献によるものだと皆が思えるなら、それは実はひそかな管理者の手柄なのである。

[3049] Jan 05, 2018

体調不良継続中。去年末、激しい頭痛に始まって以来、長らく喉の痛みに悩まされてきた風邪だが、一昨日あたりから喉の痛みが和らぐと同時に今度は咳が止まらなくなった。さらに今日、再び激しい頭痛に襲われる。ぶり返したにしては症状が違う。治りかけた頃に別の風邪に罹ったのではないかと疑っている。2018年、まだ元気な日がない。▼頭痛の質も最初とは少し違うようだ。今回は頭全体ではなく、左側頭部から首にかけての範囲が継続的に痛む。くしゃみのせいでぎっくり腰になったときのように、咳のせいで物理的なダメージを受けたのかもしれない。今日の帰路はとくに酷かった。前を向いても痛いし早足で歩いても痛いので、強制的な俯き加減の牛歩である。深夜、ダウンコートのフードをかぶり、俯きがちにゆっくりと路地を練り歩く人物。不審者と思われても文句は言えない。▼カロナール服用で少々落ち着いたものの、痛みサインの余韻はまだ聞こえている。

[3048] Jan 04, 2018

子どもの初登園。親が遅め出勤ということもあって連絡済みの遅刻となったが、保育園側の不備で担当の先生たちが知らされていなかったらしく、今日は休みかと思って心配していたと言われてしまった。▼***くんがいないとパンチが足りないよね、という先生の言葉がすごくわかる。着くやいなや謎のステップダンスを披露し、私が準備しているところへ転がってきてはベッドメイクの邪魔をし、他の子がブロック遊びしている傍では盛大にこける。大人しかったクラスの風景が急にやかましくなる。これがパンチでなくてなんであろうか。パンチでなければボムである。摂取したエネルギーを運動量の形で炸裂させる小さなボムである。▼具合の悪いときは別れ際にひっついてくるが、調子の良いときは見向きもしない。今日は見向きもしなかったから、病気は良くなったのだろう。代わりにいつも別の子が見送りに手を振ってくれる。彼にバイバイするまでが登園の儀式である。

[3047] Jan 03, 2018

鉄道のストライキについて、迷惑だと答える人が多いのは嘆かわしいというような主張の記事を読んだ。ストライキは労働者の権利だから、たとえ公共交通機関であっても労働者の正当な権利行使には違いなく、故に煙たがるのは労働者が自分の首を絞めることになるのでよろしくないというのである。▼納得しかけたが、何かがおかしいと思った。理由はすぐにわかった。たしかに他ならぬ労働者自身が自分たちの権利行使を煙たがるようでは労働運動も報われない。しかし、そもそも一般人が迷惑だと感じるからこそストライキには意味が生じるのではなかっただろうか。もし私たちにとって鉄道のストライキが迷惑でもなんでもなく、むしろ歓迎したり応援したりする類の出来事であったら、鉄道経営者は労組に有利な条件を一刻も早く提示する必要には迫られないだろう。▼そうは言ってもひとたび起これば大混乱必至のイベント。都心で目にすることはもうないのかもしれない。

[3046] Jan 02, 2018

仕事の話から派生して妻にこんな問いを出された。「島々谷川」――この川の名前、なんと読むでしょうか。▼トトヤダニかな、と答えてみたが違った。トウトウヤだろうか、それとも全く別の発想だろうか。当てられなかったので答えを聞くと、なんと「シマシマダニガワ」だそうだ。その発想はなかった。▼島々谷川。長野県松本市を流れる信濃川水系の川。北アルプスから来る梓川と合流し梓湖に注ぐ。不思議な名前の由来は、松本市にある「島々(シマシマ)」という集落の近くの谷を流れる川であることから。それで島々谷川と書いてシマシマダニガワと言うらしい。そのまんまなのだが、なんとも不思議な読みである。▼難読地名問題を出されて漢字を安直に読んでしまうのは、問題に付き合っていないようで感じが悪い。一方、難読のふりをして解答が安直なのも問題としてはイジワルだ。しかし今回の場合は答えの安直な読み自体に愛嬌があるので、すべて許されている。

[3045] Jan 01, 2018

新年あけましておめでとうございます。今年も400をよろしくお願いします。▼今年の抱負の前に、去年の抱負が達成できているかどうかを確認しよう。仕事、家庭、趣味の三位一体をクリア出来れば御の字とある。慣れないことだらけの生活が予想される年だけに高望みはしなかったようだ。これはかなり現実的な目標を立てたのではないか。一年前の自分、あっぱれである。趣味の進捗こそ鈍いが、まあまあ達成できたと言ってあげても甘い採点ではあるまい。▼それでは去年の成功を踏まえて今年の抱負。今年は当然、長編曲の完成を挙げる。これは今後やりたいことの諸々を思えば必須の目標と言ってよい。もちろん去年の三位一体をこなした上での話である。他を犠牲にしてかかりきりにならなければ仕上げられないようなら、どのみち長くつづけることはできない。▼努力目標として長編後企画のふたつのうち、ひとつの立ち上げを挙げよう。達成出来たら褒めてあげたい。

[3044] Dec 31, 2017

寝正月より一日早い、寝大晦日になった。頭痛はまだ治まっていないが、夕方まで布団に居させてもらったおかげで昨日の帰宅後よりは遥かに良くなっている。この調子なら一月二日の出社日には間に合いそうだ。ラストスパート後半戦に向けて、これを最後の体調不良にしたい。▼病気になると思い出すことがある。「幸せな人生をおくるために大切なもので打線組んだ」というスレだ。1曰く、一、自信。二、お金。三、外見。四、運。五、周囲の人。六、コミュ力。七、恋人。八、心の余裕。九、才能。代打の切り札、努力。運じゃなくて勇気だとか、行動力も欲しいとか、いろいろ突っ込まれてはいたものの、レスの雰囲気は概ね同意といった空気であった。けれども、誰かが言った――「健康」がないなんて、お前ら本当に健康なんだな。▼そう。どう考えても健康はクリーンナップにいてしかるべき強打者だ。それに思い至らない無いものねだりを、まずは恥じねばならない。

[3043] Dec 30, 2017

あまりにも頭が痛くなって、ふらふらしながら会社から逃げ帰ってきた。喉も痛いが頭の痛さが今年一だ。割れるように痛いという表現がぴったりで、カロナールを飲んでからもしばらく治まらなかった。いまでもまだ鈍く痛む。かなり深くダメージを負ってしまったらしい。▼頭痛に連動して首や肩の筋肉も凝り固まっている。関節が軋んで腰から下にうまく力が入らず、階段を昇るのも一苦労だ。2017年は私にとって、人生でこれほど風邪をひいた年はないと言えるほど風邪や病気と付き合ってきた年だった。今、まさにその集大成を迎えている。来年、子どもが二歳になったら少しは変わるのだろうか。▼思考をまとめる力も低下しているので、つらつらと添削なしに書いている。体調が悪いと文章を書くのもつらい。昔、いつだか忘れたが、インフルエンザで寝込んだとき、夜中の四時だか五時だかにベッドから這いずり出て書いたときが、三千回中で最もきつかったと思う。

[3042] Dec 29, 2017

年の瀬。今日は寒かった。今年最後の「29」の日――つまり肉の日なので、夕飯は肉を食いに行こうという同僚の誘いで近場の専門店へ。仕事にもどるので酒を呑むわけでもなく、烏龍茶三杯を合わせておつかれ乾杯。肉屋へ来たものの料理もパンとチーズがメインになった。プチ忘年会の皮をかぶったいつもの夕飯である。気分が大事だ。▼今年は大晦日の出勤を全面的に禁止されているので、明日が2017年最後の出社日となる。残念ながら来年に持ち越す仕事も多い。数々のバグ報告も除夜の鐘で煩悩と共に消えてくれたら良いのだが、新たな発見により増えこそすれ、減ることはないだろう。それにそう、たかが108個消えたところでどうにかなる数でもない。一人頭108個の計算なら十分だけれど……。▼そんな与太話と、もうしばらくログインすらしていないシャドウバースの新カードパックの噂話で夕飯をいただいた。どれも旨かったけれど、カロリーは高そうだ。

[3041] Dec 28, 2017

自分の責任範囲で起きた問題について。もしそれが自分よりも誰か他の人に非があるとしたら、どう振る舞うべきか。▼A、たとえ自分が誤りを犯したわけではなくても、自分が責任を持つと決めた領域のトラブルに対して、いかにそれが自分の落ち度でないかを主張するのは恥ずべきことだ。問題の発生を未然に防げなかった管理不足を反省して責任を取り、次に経験を生かそう。B、いかに自分の責任範囲とはいえ、真に問題を引き起こした人物を挙げずに無条件で責任を取ることは逆に無責任だ。問題の発生経緯と責任の所在を明確にして、構造的に再発の可能性を下げよう。▼どちらが正解というわけではない。状況によってもチームによっても、またその人の性格によっても、Aを是とするかBを是とするかは異なる。ただ、AとBを都合の良いように使い分けてしまうと、信頼できない無責任なリーダーが誕生する。自分のスタンスがどちらなのかは、はっきりした方が良い。

[3040] Dec 27, 2017

しびれるように寒い。今日は暖かい方だと思っていたが、深夜になるとやはり冷え具合が違ってくる。半纏を羽織り、布団にもぐって、太陽が昇るのを待つしかない。▼暑さも耐え難いが、寒さにも独特のつらさがある。物理的に強制された孤独感とでも言えば良いだろうか。一人であるかどうかとは関係なく、寒さは、人が孤独だった頃の太古の記憶を呼び覚ます。寒いところにいるだけで、なんだか世界とのつながりが弱まったような気分になる。思考が内向きになり、陰鬱さが忍び寄る。わけもなく、もうだめかもしれないと思い出す。生気や覇気が失われていく。▼この環境の力に飲み込まれないためには、強い意志の力がいる。寒さなんかに負けてはいけない、いっそこちらが何倍も元気にならなくてはと決意する必要がある。止まったらだめだ。凍ってしまう。とにかく動きつづけるしかない。寒い時期は内省には向かないのだ。むしろ、考える暇がないほど忙しい方が良い。

[3039] Dec 26, 2017

いつもなら誕生日周辺が繁忙期だが、今年は前倒しになって最繁忙期が年末年始に直撃した。かといって誕生日を穏やかに過ごせる保証もないが、二月になっても右往左往しているとは思いたくない。それはもはや破綻である。いろいろ危うい。▼去年までの終盤と違うのは、原因不明のバグの山で苦しんでいるというよりも、物量によって時間が圧迫されているという点だ。誇張でもなんでもなく、実装・修正の作業量と確認量は以前の二倍以上になっている。そうして、作業速度が半分になることは時間が二倍で済むことを意味しない。交通渋滞の理屈と同じである。全ての工程が「ゆっくりとズムーズに」動くことは難しい。ひとつひとつの工程に時間がかかる分だけ、必ず無駄な待ち時間が発生する。それが積もれば大きな時間のロスになる。▼今回の計画には、このロスが勘定に入っていない。「やることが倍なら、かかる時間も倍でしょう?」大きな仕事はそんなに甘くない。

[3038] Dec 25, 2017

Youtuberは職業か否かという議論がどこかで進行しているらしい。何の文句もなく職業だと思う。というより、職業でないとする理由がない。「何も生み出していないから」デジタルコンテンツの全否定だ。「楽して儲けようとしているから」職業と言えるほど稼いでいるYoutuberの過酷な実態からは程遠い。「将来にわたって安定した収入が入ってくるわけではないから」自営業の人はカンカンだろう。動画を見たいと思う人がいる。その人に動画を提供して対価を得る。これを他の業態と区別することはできまい。▼恐らく、職業否定派の多くは定義を云々しているわけではないのだろう。あんなもの職業ではないという言葉の意味は、つまり、どうあれ自分は若者にアレを道として勧めたくはないという意味なのだ。そう捉えた方が真意に近いのではないか。職業とは何かといった哲学的な話ではなく、あれも立派な職だよなと認めるにはまだ若すぎると言いたい老婆心なのである。

[3037] Dec 24, 2017

有馬記念。事前の本命はクイーンズリングだったが、はっきり言って全くわからない有馬記念だったので、予想に入ると誰が来ても、誰が来なくてもおかしくないように思えてきた。キタサンブラックも死角あり、しかし他に勝てそうな馬もいない。一発があるとしたら誰か。誰でもありそうな気がする。いや、結局は誰も穴など開けないような気もしてくる……。▼そういうわけで予算を当初の想定からぐっと減らし、ドリームジャンボのつもりで大穴から流した。結果はキタサンブラックの圧勝で、紐にはまさかのクイーンズリングだったわけだが、もともと希薄な意思で選んだ馬。直前でやっぱり買わなくていいやと翻るくらいの買い目だったのだから、たいして悔しくもない。結果的には、根拠のない妄想で予算をまるごと突っ込むよりよかったのではないかと思う。▼12レースの回収も含めて十分楽しめた。来年はもっとアドレナリンの出るレースになればさらに良いと願う。

[3036] Dec 23, 2017

宝くじは、買ってから当選発表を待っている間が一番楽しい。楽しい待ち時間を買っていると言っても言い過ぎではない。競馬だってそう。これで行くと決めた馬券を購入してから、本馬場入りしてゲートインして、スタートしてから誰かがゴール板を駆け抜けるまでの緊張感こそが醍醐味だ。もし、馬券を購入した瞬間に結果と当選金が表示される仕組みだったら、何の面白みもないだろう。▼ゲームについても同じことが言える。ロード時間を楽しめるゲームは面白い。だから作り手は、ロードが長いからTipsを表示しようなどというケチな発想ではなく、そこで何を期待させるか、何を考えさせるかという視点から待ちの設計を考えなければならぬ。そうして、ロードが思考やクールダウンの時間として機能するなら、それはもはや隠蔽しなければならない瑕疵ではなく必要不可欠なゲームの要素となる。ユーザーはきっとゲームを離れてもゲームのことを考えるようになるだろう。

[3035] Dec 22, 2017

ビットコインが乱高下している。今年はつくづく仮想通貨バブルの年だった。その締めくくりにふさわしい荒れ具合と言うべきだ。▼来年はどうなるか。素直に考えれば、ひきつづきバブルが継続すると思われる。ビットコインは今のように揺れながらも高水準の価値で推移し、そのあいだに有望な「草コイン」が何銘柄か出現するだろう。この草を青田買いできれば大儲けの目もあるが、雑草まみれの大草原からピンポイントに選び出すのは実際のところ難しい。どちらかというと、仮想通貨市場全体が底上げされていくと信じて中堅どころを手広く持つ方が安定しそうに思える。テクノロジーの流れには沿っているのだから、一発逆転を狙って大張りする必要もなかろう。業界への投資くらいに考えて買うのが精神衛生上も良く、また結局は実益にも適うのではないかと思っている。▼そういうわけで、ちょっと気は早いが来年の抱負は仮想通貨との非投機的な付き合いとしておこう。

[3034] Dec 21, 2017

きっかけは忘れたが、マグマやマントルのことを調べ始めて止まらなくなった。地殻の下がマントル。その奥には液体状の外核、そして鉄やニッケルの詰まった内核。境界線はそれぞれモホロビチッチ不連続面、グーテンベルク不連続面 レーマン不連続面。地球の中へ「モ・グ・レ」で覚える奴らである。いろいろな知識が懐かしい。▼マグマと聞いて日本人が想起するのはもちろん噴火。調べるたびに思い出して怖くなり、そのうち忘れてしまうのが破局噴火のリスクだ。統計的には6700年に一度、日本列島を襲ってきた破滅的な噴火で、最後の発生からすでに7300年が経過している。ひとたび起これば死者一億人も誇張ではないと言われる「国家消滅」の危機が、数字の上では明日・明後日にでも現実になりうるわけだ。実際、向こう百年で発生する確率は1%とのこと。1%なんて普通に引いてしまいそうな確率ではないか。▼そうしていつも調べるのをやめるのである。

[3033] Dec 20, 2017

年の瀬。プロジェクトは厳しい状況が続いている。凍結まで間もない時期だが、プログラムはあちこち書き換えられ、仕様はそこら中で追加され、対応の漏れが見つかり、確認の不備が発覚し――とにかく右往左往している。これでも例年に比べればマシな方かもしれない。しかし、今回ほど入念に準備してかかっても終盤の混乱を免れられないのは、プロジェクトの宿命を見ているようで悲しい。▼今までにない規模のチームサイズだとか、今までにない数の同時並行開発だとか、理由になりそうな事情はいくらでも挙がる。けれども、きっとこれまでだってそうだったのだろう。私たちが毎度毎度混乱しているのは、ものすごくポジティブに捉えるなら、常に前はやらなかったレベルのことにチャレンジしてきた証拠とも言える。前回の反省を生かしたくらいで全てがスムーズに終了するような目標では、きっと前進が足りないのだ。ケバブを片手にそんな話をしながら修羅場である。

[3032] Dec 19, 2017

「ロードオブダンジョン」が危険な一夜を過ごした。数日前から期待を煽っていたクリスマスイベントの限定ガチャが、極めて貴重な素材や多額のゲーム内通貨を注ぎ込んで、どう見てもゴミしか出ない仕様だったのだ。最高の大当たりが出てもペイしない設定に界隈は騒然となった。二百石=二千円相当で回すガチャの確率的中央値、つまり中当たりの景品は、ショップから十石で買える品だ。残念イベントどころの騒ぎではない。文句なく二重価格による景品表示法違反である。▼返金騒ぎにもなりかねない失態は、さいわい今日中に解決された。朝、苦情を受けたものの一旦は「すでに回してしまった人が多い」という理由で景品を変更しないという奇策(暴挙)に出た運営であったが、夜には再びメンテナンスが告知され、イベントガチャは納得できる確率と景品になって帰ってきた。あるべき姿にもどったのだ。嵐は過ぎたが、少人数でまわしているらしい危うさが垣間見えた。

[3031] Dec 18, 2017

子どもがでぶってきた。お腹がぷよぷよという感じではないが、顔があきらかに幅広で丸い。そう実感したのは「るくみー」で数か月前の運動会の写真を見たときだ。今の顔に比べると遥かに細くてすっとしている。たしかに面影はある……と思ってしまうくらいには違ってきている。今の方が一歳児らしい、はっきりした顔立ちだ。しかし、同時にはっきりまんまるだ。ほっぺがこっつりしている。▼それでも信じられないほどよく動く。とくに先週末の土日は、今まで見たことがないほどノンストップで走り続けた。どたばたと左右に身体を揺らしながら、猛スピードで公園や遊歩道を駆け抜ける。いつもなら疲れてベビーカーを要求する時間になっても止まらない。いくら体重が軽いとはいえ、筋肉らしい筋肉もないぷよぷよの足でここまで走れるのは驚きである。あらためて、生物というのは恐るべき運動量生産機なのだなと思った。我が子の活発さはとどまるところを知らない。

[3030] Dec 17, 2017

子どもが動画の中のサメに反応していたことから、話が広がってクジラとサメはどちらが強いのかという話になった。獰猛さからするとサメの方が強そうな気がする。しかしクジラには重量がある。どんなに好戦的なフライ級のチャンピオンでも、ヘヴィ級の頂点が相手ではひとたまりもないはずだ。▼一般に、海中最強の生物はシャチと言われている。でかい、速い、頭が良い。自然界に天敵なしと言われる海のギャング。サメだろうとクマだろうと食い殺してしまう。まさに食物連鎖の頂点である。ではクジラよりも強いのだろうか?▼これはどうやら悩ましい問題のようだ。調べた限り明確な答えを提示している情報はない。シャチが襲うクジラは弱りかけの子どもなど体格の小さなクジラに限定されているらしく、巨大なシロナガスクジラを相手にタイマンで戦ったらどうなるかはわからないらしい。体格差を考えたら歯が立たないような気がするのだが、いかがなものだろうか。

[3029] Dec 16, 2017

『Op.24"I am AI"』を聴く。作曲者はAIVA――人ではない。曲名の通り、彼はNVIDIAが作り出したAIだ。▼お世辞にも名曲とは言えないが、ちゃんと聴ける曲にはなっている。多くの人が自動作曲という単語から想像するレベルは超えていると思う。今のAIの進化速度を考えたら、しょぼい人間作曲家は数年以内に淘汰されそうな勢いである。▼すべてのエンターテインメントが同様の危機に瀕していることは、何度強調しても強調し足りるものではない。芸術なら、人間味という曖昧な概念を消費し尽くすまではなんとか生きていける。しかし、エンターテインメントは消費者が「AI産」を選ぶようになったら、そこで終わりだ。工業製品に対抗するハンドメイドのような生き方もない。もともとブロードキャストしている複製品なのだから。▼「創造職」には、かつて札束を数えることにスキルを全振りした人びとが、工業化で職を失ったのと全く同じ道を辿るリスクが生まれている。

[3028] Dec 15, 2017

金曜日。ふと、今日はこれ以上働くのはやめておこうと思った。フラフラだったとか、頭がまわらなかったとか、そういう明らかな疲労感はなかったのだが、いつも通り十時過ぎまでフル回転することになんとなく危機感を覚えたのだ。さいわい大きな仕事がまたひとつ片付いて、明日は午後出社でも大丈夫そうだという安堵もあったと思う。気が抜けたと言えばそれだけのことかもしれない。▼しかし、帰宅後、お風呂に入る前にめずらしくソファで小一時間眠ってしまった。六十分に満たない短い時間ではあったが、久々の寝落ちである。やはり身体はつかれていたのだ。代わりに、起きたあとはすっきりしていた。心なしか手足もきびきび動く。気分爽快とまで言うと誇張になるが、頭の靄はいくぶん晴れた。▼これこそリフレッシュというやつだろう。無理に気晴らしをしたり、ただ無為にだらだらと休日を過ごしたりするより、ちょっとした寝落ちの方が休息になることもある。

[3027] Dec 14, 2017

プロジェクト。巨岩のごとく行く道をふさぐトラブルのうち、大きなものを二つ同時に片づけた。今日はヘヴィだったが実りのある一日だったと言える。気分的につかれも軽減されるというものだ。▼往路復路はエリック・バーカー『残酷すぎる成功法則』を読んでいる。エビデンス重視の成功事例集として十分面白く読み進められる一冊だ。ただ、安っぽいハウツー本のようなタイトルで損をしているように思う。本書はいたって真面目な人生とビジネスの本だ。人生における成功とは何かという哲学的な問いにもちゃんと突っ込んでいる。「これをやればあなたも人を出し抜き成功間違いなし!」というような、裏技を教えるような本ではない。そう見えてしまう邦題がやや残念である。▼閑話休題。今のところGalaxy Note8のペンが最大に活躍している場面は、面白そうなコンテンツの名前を見たり聞いたりしたときのメモである。やはりこのさっと残せる感覚は良い。抜群に良い。

[3026] Dec 13, 2017

終電に程近い電車。最寄り駅に着くまで仮眠を取るべく、角の席でうとうとしていたところ、となりに男の二人組が座った。飲み会帰りの大学生らしい。どうやら先輩と後輩のようだ。▼うとうとしていたから会話の断片しか頭には入ってこなかったが、なんだか懐かしい感じがした。「吐いたらまた飲めるじゃないっすか。吐いてからが勝負って感じっすよね」「こういうのやっぱり大学生だなあって思いますよ。すげえ大学生っぽいです」そう、私は学生時代に酒を飲むことはほとんどなかったけれど、大学生というのは、こんなノリだったような気がする。酒を呑んで吐くのが大学生。そんな馬鹿な。でも、そういう価値観もたしかにあった。今もあるのだろう。大学生のうちは遊ぶべきという”芸の肥やし”派と、大学生の本分は勉強と研究に決まっているという正統派の、相容れないぶつかり合いがあるのだろう。▼すぐ近くで話されているのに遠い世界の話のような気がした。

[3025] Dec 12, 2017

『きららファンタジア』がひどいことになっている。事前登録者数は七十万を超えるなど大きな期待をもって迎えられた大型タイトルだったが、リリース開始直後にサーバーが負荷に耐えられずメンテナンスに突入。ボトルネックを特定してプログラムを修正したとするも、再開直後にサーバーが死亡して再びクローズ。処理の分散を可能にするためにはプログラムの大幅な再構築が必要だとして終わりの見えないメンテナンスに突入した。大荒れである。▼これは実に情けない話だ。サーバーの負荷が想像以上で、落ちてしまったことが情けないのではない。負荷の問題をスケールで解決できないようなシステムになっていることが情けないのである。初動の負荷が読めないのは、もはやわかりきったことではないか。であればもとから分散によってスケールで対応できるようにしておくのが当然である。当然としか言いようがない。楽しみにしていたユーザーの一人として実に残念だ。

[3024] Dec 11, 2017

職場の先輩とポータブルオーディオプレイヤーの話になった。曰く、そろそろ買い替えたいのでオススメを教えて欲しいという。オススメと言われても、私とて何台もDAPを所有しているわけではない。故に、先輩の予算や好みを聞いて該当しそうな品を答える「診断機」として回答した。比較的低予算で、できれば国産で、味付けに個性があって、丈夫で壊れにくいSONY以外のメーカー品。これはもう、オヤイデ電気のFiiOが良いでしょうと言うしかない。今秋、X5の3rdGenが出たばかり。買い替えるには良い時期だ。▼最後の注文は、彼の経験によるらしい。SONY製品は昔から好きでさまざま買ったが、どれもすぐに壊れてしまったので、今回は外してくれというリクエストだった。国産という注文がありながら名指しで拒否されるのは悲しいものだ。個人的にはSONY製品が他社製品に比べて特別壊れやすいという印象はないが、方々から同じことを言われる程度には脆いのだろう。

[3023] Dec 10, 2017

雑務、全て完了。今週もハードな週だった。来週はもっとハードになりそうだ。▼アマゾンのサイバーマンデーは正直、ちょっと期待外れだった。欲しかった品がなかったからというのもあるが、全体的に値引額が控えめなのと、検索性が悪すぎる点に不満が残る。探しにくい中でも探し当てることにセールの喜びを感じさせようとしているなら、遊び方の設計を間違っていると言わざるを得ない。使いにくいものはただ単に使いにくいだけである。ポジティブな要素はない。▼アマゾンの価格はもともと破壊的に安いのだし、量販店のクリスマスセールや年末セールだって派手に煽っているほどは安くはないのだから、文句を言う筋合いはないと言われればごもっとも。しかし、年に一度のスペシャルウィークというイベントの格は失われたように思う。海外のブラックフライデーではシャープの4KTVが300ドルで出ていた。日本のセールにもこれくらいの刺激が欲しいところだ。

[3022] Dec 09, 2017

今日は朝から保育園のクリスマス会。泣いてしまって得意な手押し車を披露できなかった運動会の雪辱を果たせるか。▼誠に残念ながら、果たせなかった。保育園につくなり大泣きで、結局、幕が開いても一人だけ泣いてばかりいた。鈴を振るのも上手だと言われていたのに、またしてもお見せすることはできなかったわけだ。行事に弱いのか、本番に弱いのか。できれば前者であって欲しい。今のところは「いつも泣いてる子」である。リベンジはまたの機会だ。▼会が終わったあとも彼の機嫌はたいそう悪かった。喉が渇いているのか、お腹が空いているのか、それとも眠いのか。しばらくヤキモキしていたが、私がそのまま出社した後、妻からLINEで聞いた話では、どうやら眠かったらしい。昼ごはんのあとは即昼寝。そのときはすぐに起きてしまったそうだが、夕方になると異例の早さで夜の眠りについたらしい。今晩はぐっすり眠って、機嫌をリセットして欲しいところだ。

[3021] Dec 08, 2017

大人気スマホゲーム『アズールレーン』の11月月間売上が日本で23億円に達したらしい。本家中国での売上が1億円にも満たないことを考えると、日本のスマホゲーム市場の異常さが際立つ。イベント参加者から逆算されたアクティブユーザー数が20万人前後と言われているから、ARPUは約1万円、課金率を高めに10%と見積もってもARPPUは10万円ということになる。プレイヤーの10人に1人が課金し、課金者は平均で月10万円を払っているということだ。もはや大富豪の趣味である。▼もちろん、平均は平均に過ぎない。実際には、月数百万の単位で課金をする少数のユーザーたちが売上高を大幅に引き上げている。又聞きになるが、課金額ではなく課金速度を競う段階まで達してしまったタイトルもあるそうだ。より高く、速く、札束を積んだ方の勝ち。もはや青天井のポーカーである。そのポーカーの世界一巨大な賭場が、幸か不幸か日本に誕生したのだ。

[3020] Dec 07, 2017

三時就寝が続いている。寝不足でつらいが、ここが踏ん張りどころだ。▼明日からアマゾンでサイバーマンデーが始まる。午後六時から「78時間のビッグセール」。サイバーと言いつつ、売られるものはイヤホンからプロテインまで様々だ。公式サイトへ行くとラインナップの一部を先行で覗くことができる。今、ちょうど欲しいと思っている品が並んでいたら大チャンスだ。▼私の狙い目は洗濯機とディスプレイ。ただ、ディスプレイは38型ウルトラワイド限定なので、ここで登場する望みは薄い。家電も大物よりは小物が出る傾向が強いので、洗濯機も可能性は高くないが、もし風アイロンが予算以下で登場したら即決するつもりでいる。文字通りタイムセールなので、迷っている暇はない。▼とはいえ慌てないことだ。サイバーマンデーを逃しても、どうせすぐにクリスマスセールがはじまる。初売りセールも然り。二の矢、三の矢があるので、中途半端に飛びつく必要はない。

[3019] Dec 06, 2017

ハガキの印刷。インクが全色満タンであることを確認して、いつもの使いまわしの表面を印刷すると、黒で書かれているはずのロゴ文字がなぜか茶色い。それも、黒に近い焦げ茶ならともかく、茶色より黄土色に近い薄くて淡い色である。いったい何事だろう。▼何度か印刷をトライした後、元のデータをよくよく見てみたら黒に見えるが茶色の成分が僅かに含まれている。今まで黒だと思っていたのは真の黒ではなかったということだ。しかしそれでも黄土色は妙なので、試みに真っ黒な■を印刷してみたら、なんと枠だけ描かれて中の白い□が印刷されてきた。▼これはブラックインクに問題がありそうだ。表示は満タンだが怪しいのでストックと交換。ノズルの清掃を走らせて、ふたたび印刷してみると前よりも黒が濃い。やはり正しくインクが出ていなかったようだ。何枚か印刷しているうちに真の黒がもどってきた。これで無事進められる。プリンターの故障でなくてよかった。

[3018] Dec 05, 2017

羽生永世七冠が誕生した。将棋界の歴史的快挙だ。前人未踏にして、これからも誰かが踏破するとは想像しにくい偉業中の偉業である。▼羽生が七冠を達成して以来、毎年、タイトルを落としたり若手に競り負けたりするたび、ついに羽生の時代は終わったと言われてきた。羽生も年には勝てぬ、と。しかし、羽生善治は必ず不死鳥のごとく復活した。新たな世代の新たな戦術に敗れようと、次の年は自らも最新の戦法を取り入れて若手の土俵で戦い、そして捻じ伏せた。年をとろうが頭の回転が鈍ろうが、自分は頭脳で勝負しつづけるのだという不屈の闘志を見せつけてきたのだった。▼とはいえ、六十、七十になっても現役の頂点にいられるとは限らないのもまた事実。今年、この機会が最後かもしれないという思いはあったと思う。しかも相手は宿敵・渡辺明。なんとしてもここで倒さなければならない。そんな意志が漲るような竜王戦だった。8四香からの七手詰めは美しかった。

[3017] Dec 04, 2017

Galaxy Note8による新書のような縦長画面、SPenとキャプチャ書き込みでいつでも本に追記メモ、フリーハンドで閲覧可能なスタンドにもなるワイヤレス充電器。これまでになく電子読書が楽しい環境になった。利便性は一回り向上している。▼しかし、贅沢なようだが、これでもまだ総合的には五十点未満といったところだ。SPenのおかげで紙の本を僅かに上回る点も出てきたが、電子書籍が圧倒するには全くスコアが足りない。特に、アプリ側にはまだまだ山のように進化の余地がある。▼とりわけネイティブの書き込み機能は急務だ。実際、もしこれが出たら電子書籍界の覇権も夢ではない。後出しでKindleを捻じ伏せることもできると思う。そうして、書き込み実現の折には、ぜひ電子書籍形式を活かして行間に余白を追加できるようにして欲しい。原文をスクラップしたノート制作をリアルタイムで実現するのだ。▼読書の在り方も勉強の在り方も変わっていく。未来は明るい。

[3016] Dec 03, 2017

自分の現在のステータスを把握することと、成し遂げる目標を正確に定義すること。言うは易く行うは難し。▼だが、多くの人がゲームとなると異様な集中力と情熱をもって修練に挑めるのは、まさしくこの二点があらかじめ提示されているからだ。才能か努力か、あるいは努力も才能のうちか、そういう話以前に、自分の「場」が努力をしたくなるような状態になっているかどうかが勝敗を分ける。ヒトは小賢しいのだ。やる必要があり、やる甲斐があると信じられるときしか全力を出すことができない。無駄なことをしたくないという一心で、無為な時間を過ごしてしまう。実に倒錯している。▼大きな仕事を成し遂げたければ「馬鹿になれ」というよくある助言は、この枷を外すためにある。しかし、現状把握と目標定義を賢明に行えるのなら、敢えて馬鹿になる必要もないだろう。そのためには、小賢しさを越えて真に賢くならねばならぬ。彼を知り己を知れば百戦殆うからずだ。

[3015] Dec 02, 2017

クレイトン・M・クリステンセン『ジョブ理論』読了。随分前に読み終わってはいたのだが、あとがきを読むのが遅れてしまった。▼「どんな人が」買うのかではなく、その人が「なぜ」買うのかに着目せよ。従来のマーケティングで神聖視されてきたデモグラフィックは、購入者の属性と購入商品の属性の間の相関関係は示してくれるが、購入者が≪なぜ≫その商品を選んだのかという因果関係は教えない。なぜ買うのかも理解できないところへ商品を投下する。これはギャンブルと呼ばれても致し方ないだろう。事実、これまでのイノベーションは運否天賦の要素が強すぎた。それは偏に因果関係が掴めなかったからなのだ。▼これからは変わる。ジョブ理論があれば、もはやイノベーションの成功は運任せではなくなる。夢のような一攫千金を狙う錬金術は、着実に進歩を積み重ねることのできる化学に進化したのだ。これから何かを仕掛けようとしているなら、読まない手はない。

[3014] Dec 01, 2017

「ドリルを買う人はドリルが欲しいのではない。穴が欲しいのだ。」▼レオ・マックギブナが語り、セオドア・レビットが広めた、マーケティング界の金言である。あらゆる製品は客の欲しい結果を生み出すサービスとして売れている。モノの販売とサービスの販売に本質的な違いはない。客は、何かを成し遂げたくてモノを買う。故に、売る者は自分たちの商品が≪本当のところは≫何なのかを見失ってはならない。ドリルの敵は、より高性能なドリルでも、より安価なドリルでもない。穴を開けられる何かである。穴を開けられる何かの全てが競合相手になる。▼前にも書いたが、この発想をゲームや音楽に持ち込もうと思うと、どうしても避けて通れない根本的な問いがある。人は、何を成し遂げたくて音楽を聴くのか。どんな進歩を求めてゲームを遊ぶのか。楽しく時間を使いたいのか、熱中できる対象が欲しいのか。こう問えば問うほど≪本当のところ≫が見えてこないである。

[3013] Nov 30, 2017

『ロードオブダンジョン』が面白すぎる。▼『キャラバンストーリーズ』があまりにも本気のMMOすぎてスマホで続けるのはしんどいと思い始めたとき、当初から目をつけていたケイブの新作に手が伸びた。もともとカードゲーム好きの同僚を誘っていたのは『ロードオブダンジョン』の方だったのだ。けれども私がキャラバンに寄り道をしたので、ダンジョンは彼の方が先に始めることになった。昼休み。私はそれを横で見ていた。▼とにかく出来ることが多い。戦闘も、探索も、生産も、何もかもが最初は手探りにならざるを得ないが、とにかく流されるようにサイクルを進めていくと、やがてより深い理解を得ない限り先へ進めない段階に到達する。そうなって初めて自分が必要としている物やスキルに気づき、新たなプレイサイクルへと引き込まれていく。▼この感触、シヴィライゼーションにも通じるものがある。内政系のゲームが好きな人なら、楽しく遊べる可能性は高い。

[3012] Nov 29, 2017

プロジェクト終盤がつらい理由のひとつに、コードを書く時間の少なさがある。なにしろバグ調査とモニターが日の業務の大半を占めるのだから。日によってはコードなんて一行たりとも書かない。調査したり、納得したり、わからないことを再確認したり、過去の状況を再現して現在の修正を確信したり……そんなこんなで夜になると、なんだか恐ろしく非生産的な、実りのない一日を過ごしたような気分になる。これらもコーディングに劣らず重要な任務だとわかってはいても、来た時と帰る時で何も成果物に手を加えていないという現実は重い。▼そんなときは仕事の合間の待ち時間に次のプロジェクトのことを思い描いて、現在のコードの問題点を洗い出したり、修正案をひそかに蓄えたり、ふだん読まないドキュメントに目を通したり、とにかく未来を見るのが役に立つ。夢想ではなく現実的な思考なら長期的には会社の実益にもなるだろう。次にやりたいことなら山ほどある。

[3011] Nov 28, 2017

Note8のセットアップ中。主要なアプリは全て入れ直したし、APN設定も終わった。とりあえず4Gが繋がれば一安心だ。あとの細かい設定は外でコツコツやればよい。▼エッジスクリーンが想像以上に使いやすいとか、SPenが実に楽しそうとか、画面消灯時に時計を表示できる感動とか、言いたいことはいろいろあるが、すべて外での実用後にとっておく。それよりも今日から配信の始まった『キャラバンストーリーズ』が素晴らしい。個人的にはラジアータストーリーズを彷彿とさせる好みの画風に、よく作りこまれたRPG要素。自動機能も丁寧だし、今のところチュートリアルの退屈さもない。ラグナロクオンラインモバイルを待たなくても、もしかしてこれで良いのでは……と思わせるくらいには良い出来映えである。▼他に続けようと思うゲームもないし、モバイルではしばらくこちらを遊んでみようかと思う。通勤時間くらいしかないので、無課金でぼちぼち遊ぶのが吉だろう。

[3010] Nov 27, 2017

スクウェアエニックスの新作スマホゲーム『バトルオブブレイド』。本日27日リリースの予定だったが、夕方リリースという情報のみで夜になり、ついにリリース延期のお知らせが載った。スターオーシャンの武器も参戦するというから試しに触ってみようと思っていたが、意気を挫かれた格好である。今週はキャラバンストーリーズもあり、ロードオブダンジョンもあり、スマホゲームは激戦週。これら大型タイトルの中では一番手だっただけに、今回の延期はスクエニとしても痛手だろう。▼そもそも、どんな理由があるにせよ延期の当日告知はいただけない。バグが取り切れないならもっと早くに決定・告知すべきだし、リリース当日のトラブルだとしたら事前のモニターが足りなすぎる。ユーザーもこの手の不穏な空気には敏感だ。原因が何であれ、およそマトモな状態ではないなと思われてしまう。そうして、ひとたび気持ちの離れたユーザーを取り返すのは絶望的に難しい。

[3009] Nov 26, 2017

とうとうGalaxy Note8の白ロムを手に入れた。最初に買うつもりでいた中古ショップの価格より二万円近く安い。実用性重視で色もゴールドからブラックに切り替えた。今は黒の方があらゆる面で良いと思っている。猶予を取ったのは正解だったようだ。▼引き継ぎはしない。新しい携帯はゼロからセットアップした方が良いと思っている。そのとき必要なアプリや情報だけが残るからだ。私のように整理整頓が苦手な人ほど良い機会になる。興味本位で入れた使わないアプリたちともお別れだ。▼このたびは単なるスペックアップではないところに期待がかかる。それだけSPenの存在は大きい。常備する機械で新たに出来ることが増えるのは、その後の生活を大きく変えるきっかけにもなりうる。肌身離さずトラベラーズを持ち歩いていたあの頃に戻れるかもしれない。あのとき以上に快適なメモライフが送れるかもしれない。▼iPadと組み合わせ、これでノートとメモが電子で揃った。

[3008] Nov 25, 2017

『デスティニーチャイルド』も触ってみた。▼とにかく2D絵の動きが凄い。ここまでヌルヌル動くゲームは今までなかった。まるで3Dのような2Dだ。キャラクターデザインも非常に個性的で、他の十把一絡げな萌え絵にはないオリジナリティがある。完全に男性向けなのは否めないが、デザインの方向性がハマる人なら一度は触ってみる価値がありそうだ。鑑賞だけでも楽しめる。▼UXもサウンドも素晴らしいし、ストーリーやイベントの作りこみも感心するくらい良く出来ている。しかし、悲しいかな、バトルが致命的に面白くない。これはもうちょっと頑張れたのではと思ってしまう。セミオートで暇になりがちなのもあるが、基本的に操作がゲージの溜まり待ち前提なので、タップやスライドが気持ちよくできない。恐らく、ここに尽きると思う。スマホゲームの基本は、やはり「触って楽しい」なのだろう。触って楽しくないゲームは面白くない。あまりにもったいない。

[3007] Nov 24, 2017

スマホゲーム探求。昨日から今日にかけては『シノアリス』をプレイしてみた。初回の20連でリセマラ即終了リストに名を連ねるSSRが二つも来たのは法外な運だったが、肝心のゲームの方は今のところ肌に合わない。AUTOプレイが出来るせいもあるが、なんだか退屈である。世界観やストーリーも、これに惹かれてプレイしているという人たちの気持ちもわかるが、私にはちょっと露悪趣味が強すぎるようだ。歪みがきつくて、キャラクターに思い入れにくいところがある。▼次なる佳作にめぐり合うまで惰性でストーリー制覇もありはありだが、長く遊ぶ未来は見えない。であれば今日から配信を開始した『デスティニーチャイルド』を試してみるのも良さそうだ。インストールが止まるとか、SSR率が渋すぎるとか、ストアレビューは早速炎上気味だが、落ち着いてくれば遊べる可能性もある。あとは来週リリース予定の『ロードオブダンジョン』か。気にはなっている。

[3006] Nov 23, 2017

今日キャンペーンをやると事前に店員から聞いていたので、子どもを連れてauショップへ行った。狙いはGalaxy Note8の一括新規。昨日、出戻りの線は無いと書いたが、それもここでの価格次第だ。白ロムの七割なら検討、半額なら即決。そう思ってショップのドアをくぐった。▼果たして価格は定価の六割であった。見透かされたように悩みどころを突いてくる。良いキャンペーン設定だ。実際、公式ショップとしてはかなり頑張っている方ではないだろうか。定価を覚悟していた人からすれば破格である。割引率に不満はない。しかし、四割の割引に加えて20GBの高速通信と端末の故障紛失補償を得る代わりに、将来の端末・業者選択の自由を失い、毎月の固定費が倍近くまで膨み、iPadがテザリングを余儀なくされ、エンタメフリーオプションもなくなると考えると、やはり出戻りは出来ないという結論に至った。▼あとは少しでも安い白ロムを探し当てればミッション完了である。

[3005] Nov 22, 2017

本体より先にスマホケースを決定、購入。妙に思われるかもしれないが、私の中では正しい順序である。というのも本体を先に買った場合、ケースを入手するまでの間は本体は無防備になるではないか。もっとも壊れて欲しくない「買ったばかり」の時期を保護しないなら、最後まで裸で使う方がマシである。守るなら最初からだ。▼ケースも本体と同じくらい十分に吟味した。結局、安心と信頼のSpigenである。薄さと保護性能を両立し、デザインもグリップ感も優れた正統派のケースとなると、やはりこのブランドだ。キックスタンドはいらないので、タフアーマーではなくネオハイブリッドにした。色はガンメタル。バーガンディとも迷ったが、画面側の縁にも色が見えてしまうのはいただけない。▼本体は早ければ明日にも決める見通し。エンタメフリーが想像以上に優秀なので、auに出戻りする線はなくなっている。あとは色と値段と、海外版/国内版白ロムの選択だけである。

[3004] Nov 21, 2017

オーディオテクニカのATH-R70X、あらためて実用後の短評。▼低音から高音までクリアに鳴る。分離も明瞭。音場は可もなく不可もなく。同価格帯でフラットの幻想を追い求めるなら最強の一角だろう。予算が許すなら、あれこれ迷わず一択で良いと思う。私なら倍の予算でもこれを選ぶ。ハイエンドに到達するまで、これといった対抗馬はいない。▼人によってはもうちょっと鳴ってほしいと思うかもしれない。インピーダンスの数値から想像するほど鳴らしにくいわけではないようだが、直刺しだとやはり物足りなさを感じる。逆に言えば、これほど本体がバランスよく優等生に仕上がっているなら、しっかりしたアンプで鳴らせばハイエンドに匹敵する音が出る可能性もある。そういう意味でも楽しみがある。▼最後に、掛け心地。個人差があるので断言はできないが、私の中ではベストに近いフィット感である。ハウジングが小さく軽いのも良い。普段使いしたくなる質感である。

[3003] Nov 20, 2017

子どもが名前を呼ぶと手を挙げるようになった。この頃は私たちの言葉が通じているようなそぶりを見せることが増えていたが、それもだいぶ確かになってきたと言える。お気に入りの本の果物の頁を見せて「バナナはどれ?」と訊くと、ちゃんとバナナを指してくるし、「りんごは?」と訊くとりんご、「トマトは?」ならトマト、きっちり区別しているらしい。ただしりんごとトマトはときどき間違えていた。色も形も似ているので無理もない。そこは目を瞑ろう。▼こうなると頭の柔らかいうちにいろいろ覚えさせてみようと欲が出るが、ここは親のこらえどころ。子どもには子どものペースがある。あれもこれも教えようとして矢継ぎ早に情報を押し付けた結果、覚えること自体に興味を失ってしまっては本末転倒だ。今の世の中、情報なんて与えなくてもそこら中に溢れている。しかるべきときに集中力を発揮できる能力さえあれば、覚えるべきことは勝手に覚えていくだろう。

[3002] Nov 19, 2017

ドキンちゃんの声優、鶴ひろみさんの訃報はショックだった。訃報の数日前、私はドキンちゃんの声優が誰なのかを調べたばかりだったのだ。めったにそんなことはしない。ただ子どもにつきあってアンパンマンの動画を見ていると、子どもの頃は気づかなかったドキンちゃんの不思議な立ち位置、キャラクター性が気になって、たまたま調べたという程度のことだった。そうして、なるほどブルマの人なんだね、などと合点していたら、まもなく彼女は亡くなってしまった。▼第六感だとか虫の知らせだとか、そういうスピリチュアルなことを言う気はない。こんなものはたまたまというより他にない。しかし、私の記憶には確実にひとつのエピソードが刻まれた。今後、アンパンマンの中でドキンちゃんを見るたびに、私は思い出すのだろう。ふとした思いつきと行動が未来の人生のあり方を変えた。どんなことをしても未来は変わる。変わらないのは何もしなかったときだけである。

[3001] Nov 18, 2017

就寝時間が二時を過ぎるようになると、通勤電車で起きていられなくなってくる。歩いていてもウトウトする危険な感覚。身体が強制的に休息を要求してくる。二時前に寝ていたときとは眠気の次元が違うとはっきりわかる。▼かといって、追加で寝た分だけ回復して元気に仕事ができるかというと、どうやらそうでもない。時折襲ってくる薬品級の眠気は止まらないし、覚醒時でも頭の働きや手の動きがもどかしくて鈍い。たかだか三十分か一時間、寝るのが遅れただけで損している時間は二時間以上にもなるのではないか。そう思うと夜更かしも馬鹿馬鹿しい。▼二時前に寝るためには、十二時には帰らねばならぬ。十二時に帰るには、遅くとも十時台で仕事を切り上げる必要がある。つまり、無制限の終電残業をしていた頃と比べて、二時間ほど業務時間を短縮しなければならない。しかし、遅く寝て二時間の損なら生産性は同じのはずである。今期は深夜残業の削減が目標である。

[3000] Nov 17, 2017

三千。思考と執筆を合わせてひとつの記事に二十分かけたとすると、投じた時間は計千時間。たいへんな時間のようだが、「一万時間の法則」から言わせれば十倍足りない。であればきっと記事の番号が三万まで進んだとき、私は四百文字の日本語を書くことについて何らかの技術と言えるような力を身につけているのだろう。遠くまで来たようで、まだまだ道半ばだ。▼千、二千、三千と記念投稿をしてきたが、次は四千の前に2019年8月29日を祝いたいと思っている。つまり十年だ。中身はどうあれ、思いつきで始めた日記が十年も続いたらたいしたものではないか。飽きっぽい性格の中にも粘り強さがあったのだと、自分で自分を褒めてやってよいと思う。そのときはまた、向こう十年続ける自負を持って新しいことを始めたっていい。十年の実績は大きな自信になってくれそうだ。▼そうしてまた、こうしてなんでもない一日が特別な一日になるのも、400おかげである。

[2999] Nov 16, 2017

月末ナーフによって結局はテンプレートの引き合戦となってしまったシャドウバース。誰がやめようと言い出したわけでもなく、みんな静かにフェードアウトして次なるゲームを模索しはじめた。私も、あまりたくさんのゲームを遊ぶ方ではないが、ひとつは触っていた方がなんとなく落ち着く。代わりの何かを見つけたい。▼ほどなくして、他の二人はドラゴンクエストライバルズという居場所を見つけたようだ。追う手もあるが、ドラゴンクエストにはあまり詳しくないし、ちょっとカードゲームから離れたい気持ちもある。趣向を変えて、来月リリース予定の「きららファンタジア」や来年リリース予定の「ウマ娘」あたりが本命になりそうだ。▼「ジョブ理論」を読んでいると、私は、私たちは、何のためにスマホゲームを”雇用”するのだろうという疑問が湧いてくる。暇つぶしや気晴らしではジョブの説明にはならぬ。人はどんな進歩が欲しくて、ゲームを手にするのだろう。

[2998] Nov 15, 2017

横浜線。八王子駅と東神奈川駅を結ぶJR東日本の鉄道路線である。▼そう、八王子駅から東神奈川駅まで。つまり一駅、横浜駅には届かない。思えば罪なネーミングである。JR、東急、京急、相鉄、みなとみらい線に市営地下鉄まで、日本最多の鉄道事業者が乗り入れ、世界でも指折りの乗降客数を誇る巨大ステーション・横浜駅に「横浜線」が通じていないなどと、誰が思うだろうか。誰が疑うであろうか。▼最近、横浜線沿いへの引っ越しを決めた同僚が「これで横浜まで一本で出られるようになった」とふいに言った。私は反射的に、横浜線が横浜に繋がっていない旨を伝えた。東神奈川までだよ、横浜線は。彼はそれを冗談と思ったらしい。路線情報アプリでアクセスを調べ始めた。もちろんアプリの表示は東神奈川での乗り換えを示している。乾いた笑い。ショックを受けたようだ。いつか横浜駅が東神奈川まで広がってくれれば良いさと、SFのようなことを言っていた。

[2997] Nov 14, 2017

マスターアップまでは日があるが、プレマスターとでも言うべき重要なマイルストーンの締日が明日に迫っている。チーム内では第一次締日などと揶揄されているものの、納期までの残り時間を考えると、今回ばかりは例年のように第二次、第三次締めなどとは言っていられまい。チェックだけでも膨大な労力がかかる。明日で締めたら、あとは確認に徹する必要がある。安易な修正は許されない。▼予想通り十二月が最大の山場になる。これを見越して、私は十二月に具体的なタスクをなにひとつ持っていない状態を自分の「オンスケジュール」と定義してきた。追加仕様とヘルプ業務で浸食はされているが、溢れた分が真っ白な十二月を徐々に浸しているだけで、まだ致命的な浸水には至っていない。チームとしてのバッファである一月はさらに手つかずである。この状態が健全だ。いつもより希望はある。十二月が平和な水位で満たされるくらいなら、目論見通りと言うべきだろう。

[2996] Nov 13, 2017

大手キャリアの二年契約が、消費者のサービス選択の自由を実質的に阻害しているとして是正勧告を受け、三年目以降はいつでも解約可能なプランを検討するとリアクションしたのが去年。しかし、蓋を開けてみれば今年夏から始まったauの「アップグレードプログラムEX」は二年契約以上に強い拘束力を持った新プランであった。囲い込み戦略は自粛どころか加速している。総務省にはもっと頑張ってほしい。▼もし私が保証と容量と速度を考慮してauに出戻りしたとしても、このオプションは利用しないだろう。愛用機の後継機種がauから出ないとか、利用料金がMVNOに比べて相対的に値上がりするとか、今後不測の事態はいくらでも起き得るのだから、損をしないためには永久にauから逃げられなくなるオプションなど御免である。本当によくよく適用条件を読んだ方がいい。※印にとんでもないことが書いてあったりする。端末代金の半値程度で、未来の自由を売りたくはない。

[2995] Nov 12, 2017

よくよく家の中を見回してみると、壊れたとは言わないまでも、動作不良を起こしている製品がいくつかある。▼まず炊飯器があやしい。炊いた傍から米が硬く黄色くなりはじめる。次にレンジ。温まりにムラが出てきた。ときどきタイマーがキャンセルされて動作が停止してしまうなど、不安定なところも目立つ。さらに洗濯機。これは近々買い替えの予定だ。予算も立ててある。二つある掃除機のうちの一つは電源が入らなくなった。まだ原因究明していないが、お釈迦の可能性もある。▼PCまわりではディスプレイが危険。先日から上下1ドット幅が常時白く点灯するようになってきた。いつブラックアウトしてもおかしくない。また、家電ではないが有線イヤホンも右耳が接触不良。聞こえないことの方が多いくらいで、常用にはつらくなってきた。そしてスマートフォンはカメラが壊れている。▼前向きに考えよう。これだけの候補があれば、日々調査の楽しみには困らない。

[2994] Nov 11, 2017

ATH-R70X、早速自宅で試聴。とても良い。HD650と比べても全く遜色ない。それはHD650がモニターとしても優秀であるということかもしれないが、とにかく思ったよりクオリティに変化がないのでほっとしている。▼掛け心地も随分良くなった。掛けるたびに微調整しなくても頭の上に載せるだけでスッとベストポジションに収まってくれる。些細なことだが、とっかかりの気持ちよさは大切だ。ひとつ不満があるとすれば、店頭で掛けたときの印象よりはやや蒸れる。気にするほどではないが、もうちょっとすっきり抜けるかと思っていた。店と家との、空気の流れの違いだろう。今後はそのあたりも考慮に入れなければなるまい。▼左の壊れてしまった相棒は、いつか修理に出すかもしれないし、緊急時の代替機に出来るかもしれないので、ひとまず物置に眠らせておく。本当に長い付き合いだった。評判通りの名機だ。ミドルレンジで迷ったら真っ先に検討すべきと太鼓判を押そう。

[2993] Nov 10, 2017

スマートフォンより先にヘッドフォンが決まった。オーディオテクニカのATH-R70x。モニター用途なら価格も含め、総合力でこれに勝てる品はなさそうだ。同社から新しいフラッグシップ機が出たばかりなのも好材料。オープンエアなら他社には負けない、負けていられないという気概を感じる。開発にまだまだ元気がある。将来的に、リスニング用途でこのフラッグシップを手に入れれば、メーカーが揃う夢もある。なんとなく美しい。▼今の環境でちゃんと鳴るかどうかと、作りかけの曲のイメージが著しく変わってしまわないかどうかが目下の心配事。鳴らない場合はRNHPも一緒に買えば解決するが、曲のイメージが変わってしまったら厄介なことになる。ただ、どのみち完成した部分をあれこれ弄るつもりはないし、今後の調整のテイストが変わってしまったとしても、それはそれで曲の進化と捉えてもらえればよいとも言える。道具を変えても私が私であることに変わりはない。

[2992] Nov 09, 2017

ToDoリストの話。ToDoはスケジュール管理に適さない。その理由は、リストの無秩序さにある。▼リストにはあらゆるタスクが乗る。三分で片付く仕事も、二日以上を要する仕事も、調べてみないと何日かかるかわからないほど見通しの立たない仕事も、すべて同じ一項目として列挙される。たしかに、このリストを常に優先順で並び替え、最高優先度の仕事だけに注力して機械的に項目を消化していけば、効率よく正確に仕事を進めていくことができる。しかし、このやり方は自分の”時間”については、実は何も管理していない。後から差し込まれた仕事は全てToDoに乗る。項目は無限に膨張し、いつしか残り時間では優先度「高」の項目すら満足に片づけられないと気付く。優先度「中」以下の項目は永遠に処理されることなく、未完の仕事としてリストに残りつづける。▼ToDoが機能するのは、定期的に空に出来るほど小規模な雑仕事を列挙する場合だけである。

[2991] Nov 08, 2017

今月末、HuaweiのMate10Proがリリースされる見通し。iPhoneXは大人気ながら不具合も多く、早くも文鎮化が散見される模様。GalaxyS9/S9+は早ければ来月から生産開始。XperiaはXZシリーズが終了し、2018年からはベゼルレスと予想されるミライデザインに変更。中国ではASUSも18:9に参入するらしい。いよいよベゼルレス&ウルトラワイドが主流トレンドになってきた。液晶から有機ELへのシフトも加速。2018年もいろいろ楽しみな年になりそうだ。▼Xperiaが旧式の極厚ベゼルにこだわる最大の理由は、左右については側面に指紋センサーを配置しているためで、上下についてはフロントデュアルスピーカーの音質を保証するためだという記事を読んだ。たしかにベゼルレスモデルの多くは本体スピーカーの音質を犠牲にしている。かろうじて音は出るが、ちゃんと聴くならイヤホンをしてくれというスタンスだ。ミライデザインがきっとここに一石を投じてくれると期待している。

[2990] Nov 07, 2017

深夜残業なし、二十三時帰宅。いろいろ終わって、午前一時、パソコン前に着席。少しだけ曲を進めようかとか、気になったウェブサービスに登録だけでもしてみようかとか、昼のうちはやろうと思っていた諸々のことが、明日にしよう、今度にしようとなる。昼に思い描く夜の計画はいつも眠気を考慮していない。▼閑話休題。紀伊国屋書店の提供する電子書籍アプリ「Kinoppy」が、Kindleにはできない横書き変換に対応していると聞いたので試してみた。たしかにできる。ウェブサイトのように縦スクロールで読み進めていけるから、慣れた操作、慣れた感覚で読みやすい。Kindleに搭載されていない方が不思議に思えてくる。データ化された文章なのだから簡単に出来そうなものだが、なぜかそんなオプションはない。▼洋書のラインナップはさすがに貧弱だが、和書の充実ぶりはKindleにも引けを取らない。有名どころは押さえている。何冊かこちらで読んでみたい気にはなる。

[2989] Nov 06, 2017

何かを買わないと決めるとき。欲しいものが足りないから買わない場合と、要らないものが多すぎるから買わない場合がある。前者は言うに及ばず。満たしてほしい要求を満たしきれないのだから購入意欲が割り引かれても仕方ない。しかし後者はなぜだろう。希望する機能が完全に含まれているのなら、要らないものが含まれていても使わなければいいだけではないか。▼後者が不買の決め手になる理由は四つある。一、要らないものを削ったより安価な製品があるかもしれない、あるいは今後出るかもしれないと思うから。二、要らないものに大きな対価を払ったという気分を抱えたまま愛用したくないから。三、やりたいことをやるだけのことで、要らないものに煩わされたくないから。四、要らないものでも慣れてしまうと次の買い替えで未練が残り、本来なら必要十分な製品を選びにくくなるから。▼大体はどれかに当てはまるのではないだろうか。私も後者で悩むことが多い。

[2988] Nov 05, 2017

むかしむかし。その町には何もなかった。とある路線の終着駅。外へ出ると、視界に映るのは大きなパチンコ屋と小さなサティ、あとは映画館がひとつだけ。私の思い出が勝手に消し去った建物もあったのだろうが、とにかく地平線が見えそうな駅前の風景だった。殺風景だった。▼今日、十数年ぶりに訪れたその町は、何もかもが変わっていた。東口にも西口にも立派なショッピングモールを構え、そのすべてが駅直結の連絡通路で結ばれている。その通路沿いにも新たにおしゃれなテラス・レストランが工事中だ。人は多すぎず少なすぎず。ほどよい活気と賑わいの中に、さらなる発展の予感がある。どうやら見事、景観と利便性を兼ね備えた郊外都市へと生まれ変わったらしい。▼もともと目当てにしていた子どもの遊び場は期待したほどではなかったが、町――というよりもはや街――の様は予想を遥かに超えていた。過去の映像は粉々に打ち砕かれた。再開発の成功例であろう。

[2987] Nov 04, 2017

ベイスターズは負けてしまった。最後の最後でソフトバンクに追いつかれ、11回まで粘るも悪送球により併殺を取り逃したところで力尽きた。横浜の熱い2017年はここで終わった。▼しかし、あの絶望的な三連敗からよくここまで戦ったと思う。年俸差、戦力差を考えたら十分すぎるほど食らいついた。ひとつ適時失策こそあったものの、万事完璧で熟練したソフトバンクに対して、まずい守備やまずい攻撃もありながら、根性と執念でもぎ取った価値ある二勝だったと思う。今、Deファンで悲しんでいる人はそう多くあるまい。皆、今年の結果には満足しているはずだ。▼最高の舞台で、最強の球団と、全力でぶつかりあった経験は、若いチームを大きく成長させるだろう。浮き彫りになった課題もたくさんある。この敗戦を糧に、またひとつ真に実力を高めれば良い。来年こそはぜひリーグ優勝を果たして、パ・リーグへのリベンジを果たしてほしいものだ。良い一年だった。

[2986] Nov 03, 2017

宝くじの主たる価値は、当選発表を楽しみにする時間の中にある。還元率50%以下でも一枚300円の宝くじが飛ぶように売れるのは、多くの人が、そのワクワク感には150円以上の価値があると考えているからだ。彼らは当選金×確率の期待値に金を払っているのではない。購入から発表までの数日、あるいは数週間を、いつもよりほんの少しだけ楽しい気持ちで過ごせるアイテムに金を払っている。あわよくば、当たってくれればさらによい。▼昨今のエンタメに対して私が寂しさを感じる理由も、この話に関連がある。見放題、読み放題、聞き放題。昔は何十万円もしたコンテンツを月額数百円で享受できる代わりに、私たちは多くのものを失った。貴重な金を投じる先を選ぶための真剣な調査、情報交換の楽しみ。限られた数しか視聴できないが故の、好きな作品の次回作を待ち焦がれる気持ち。それらにはきっと、〇〇放題によって節約できる金額以上の価値があったのだ。

[2985] Nov 02, 2017

クレイトン・M・クリステンセン『ジョブ理論』を読んでいる。クリステンセン教授の最新刊。面白くないわけがない。▼内容は著者の独創性が生んだ素晴らしい新発見というよりも、ここ数年イノベーションやマーケティングに携わる人々が漠然と感じていた変化に対して与えられた「的確な説明」に近い。体系化された現状把握と言うべきか。『「こんなもの誰が買うの?」がブランドになる』だって主張の根幹は同じである。《典型的な顧客》など存在しない。百万人になんとなく訴求するより、誰か一人の切実な要求に答えられるプロダクト/サービスを考えよ。▼『ジョブ理論』の慧眼は、この「誰か一人の切実な要求」というあいまいな表現を、ある特定の状況で人が成し遂げようとする進歩=ジョブという概念に落とし込んだところにある。「状況」の二文字が重要だ。人を分析し、分類しても意味はない。大事なのは誰が買うかではなく、なぜ買うかなのである。つづく。

[2984] Nov 01, 2017

いつからかKindleの本文中に「蛍光ペン」という表記が現れるようになった。小さく数字が添えてある。この本を読んだ人の何人がハイライトしたかという意味らしい。「蛍光ペン・165」とあれば、その一文をマークした人物が165人いるということになる。ポピュラーハイライトという新機能だそうだ。▼デフォルトでオンなのが許せないほど邪魔という人もいるようだが、私はけっこう気に入っている。さすがは読書好きの諸氏がつけているだけあって、まあそこだよね、と納得できる妥当な場所にハイライトが多い。もし多忙なときに何らかの事情で本の内容を習得しなければならないとしたら、ハイライト数の上位だけ拾っていけば重要な主張は頭に入ってくるだろう。▼ちなみに私自身はハイライト懐疑派である。否定派というほど頭ごなしに拒みはしないが、ハイライトを引いたからといって、真意が得られるわけでも、記憶に残りやすいわけでもないとは思っている。

[2983] Oct 31, 2017

『ネイティブに笑われないクールイングリッシュ――日本人の9割はダサい英語を話している』読了。最近、どこまでがタイトルでどこまでが副題なのか、よくわからない本が増えたような気がする。二行にわたるタイトル。まるでラノベのようだ。Amazonプライム会員なら無料だというから読んでみた。無料の語学本なら読んで損はない。▼先にイヤな言い方をすると、この本を読んで学べることはかなり少ない。頁数から期待されるほどのボリュームは無いと思ってよい。ただ、だからといって540円の元値に見合わないというわけでもない。たしかに学べることは少ないが、その少ない中には他の本では学びにくいポイントも含まれている。「正しいかどうか」より「ださいかどうか」に着目して英文を評価する視点が得られるのも良い。▼いくらTOEICの点数を上げても職場の外国人と上手くしゃべれないというタイプに効きそうだ。読んでみると殻が破れるかもしれない。

[2982] Oct 30, 2017

雨の夜。肩で傘を差しながらiPadを広げて歩く。誰もいない遊歩道。人にぶつかる心配はない。▼街灯の途絶えた暗い一角に差し掛かると、画面がやんわり暗くなる。逆にトンネルのような明るい所に出ると、画面が明るく輝き出す。体感的な画面の明るさはいつも同じ。紙のような暖かみのあるクリーム色。正直侮っていたが、TrueToneディスプレイの読みやすさを改めて実感した。言うだけのことはある。単なる輝度の自動調整に留まらない丁寧な仕事をしている。▼12.9インチは並の文庫本よりも大きいが、硬い板を両手で支える形になるので、大判の本よりかえって重さは感じにくい。移動中は携帯、着席時はiPadの使い分けが妥当とばかり思っていたが、200g近い携帯を片手で持ちつづけるのも案外腕が疲れるもの。逆に移動中こそiPadがハマるのかもしれない。ちょうど地図を広げて見ながら歩いている感じだ。小さな携帯に集中しているときほど視野も狭くならなくて良い。

[2981] Oct 29, 2017

堂々たるピッチングで六回一失点の先発。その頑張りに応えて2HR・3点と奮起した打線。そして、その流れを全て無に帰す、たったひとつのエラー。凌げたはずのピンチは大ピンチに変わり、そのチャンスをモノにしたソフトバンクが順当に勝った。一度はアウトが宣告された逆転ランナー生還のホーム判定も、抗議によって覆った。解説陣はアウトと言っていたけれど、どのみち同点のランナーが帰ってきている時点で勝ち目は薄い。やはり、あのエラーの時点で終わってしまったのだ。▼さいわい明日は移動で休み。起きたことはどうしようもないのだから、イヤなムードは福岡に置いてリフレッシュした気持ちで横浜に戻ってきて欲しい。ファンの方も引きずらないことだ。真の横浜ファンは誰よりも打たれ強い。こんなことで長々と落ち込んだりしない。今日の試合の良かったことだけ思い出に、ホームでの三連勝を信じよう。私もこの記事を書いて、気持ちが切り替わった。

[2980] Oct 28, 2017

『「こんなもの誰が買うの?」がブランドになる』読了。副題は「共感から始まる顧客価値創造』」。「1440分の使い方」のあとでKindleに勧められたから読んだ。▼あなたの商品が売れていないなら。あなたの商品がブランドになっていないなら。それはあなた自身が商品開発を心から楽しんでいない証拠である。自分自身が楽しんでやること。ワクワクするようなことをすること。その熱は社員やスタッフに伝播する。取引先を巻き込んでいく。楽しさに共感した熱烈なファンを得る。あなたの商品は売り込みなどしなくても自然と拡散し、気づけばブランドとなっているであろう。▼SNS全盛の時代。一万人にゆるく届く広告より、一人の心を完璧に射抜くメッセージの方が、ゆくゆくは多くの人に伝わっていくという発想である。共感できるビジョンを掲げること。著者の勉強会のメンバーを成功事例として取り上げる向きに偏りがちではあるが、事例集としては悪くない。

[2979] Oct 27, 2017

「右手の小指の上に本体を乗せて、親指で画面上部から通知をスライドできなければならない。」この話をしたら、同僚から興味深い指摘を受けた。そもそもこの持ち方、小指に負担がかかってよろしくないとのこと。薬指側の第一関節と第二関節の間がへこみ、指全体が外側にへし折れてしまうらしい。そういわれて右手の小指を左手の小指と比べてみると、たしかに真ん中がへこんで外側に倒れかかっている。なんということだ。▼この症状は「スマホ指」と呼ばれ、ゆび曲がり症などに繋がるとして昨今問題視されている。私もそこまでひどくはないが明らかに兆候があるので、痛い思いをしたくなければ同僚の勧めにしたがってスマホの持ち方を変えるべきかもしれない。つまり、なるべく片手で持たずに両手で使う。片手持ちのときは握る形にするか手のひらの上に置く。あるいはバンカーリングを装着するなど。▼いちばん良いのは大型スマホにバンカーリングかもしれない。

[2978] Oct 26, 2017

散々比較検討した末、iPhone8/8Plus/Xも、Galaxy8/8+/Note8も、Xperia XZ Premiumも、全て選択肢から外した。つまり来年春以降を待つ。▼念入りに自分の現行機の使い方を観察し、店頭デモ機を触りまくった結果、要件は明確になった。一、片手で画面の最上部に届くこと。大型Galaxyはこれを満たさなかった。右手の小指の上に本体を乗せて、親指で画面上部から通知をスライドできなければならない。二、本体横幅は76mm以下。XperiaとiPhone8 Plusはこれを満たさなかった。私の手は76mmを超えると急激に持ちにくいと感じるらしい。逆に76mm以下なら大差はないと感じた。三、画面横幅は68mm以上。つまり16:9の5.5インチ相当以上。5.2インチは小さすぎる。欲を言えば本体が76mmで画面横幅も76mmが望ましい。▼以下、おサイフケータイ、ワイヤレス充電、デュアルスピーカー、有機EL、防水防塵の順に重要。来年発表と噂のXperia「ミライデザイン」が目下本命となる。

[2977] Oct 25, 2017

『1440分の使い方──成功者たちの時間管理15の秘訣』読了。久々にKindleで読み切った。横向きメソッド的中である。▼要点をまとめよう。一、ToDoリストは使わない。全てのタスクはスケジュールに入れる。スケジュールにない仕事は永久に片付かないと心得る。一、何事も「一度だけ触る」ようにする。つまり、全てのことは気づいたらその時、すぐにやる。それこそが最も時間を節約できる術である。「後でやる」は時間の浪費に過ぎない。一、朝を創造的に使う。最も脳が働くのは朝。朝の過ごし方が一日の生産性を決める。創造力を要する仕事は朝のうちに片づける。一、どんな仕事にも期限を定める。たとえば二十五分で仕上げると決めたら、タイマーをセットして仕事に取り掛かるようにする。一、集中して仕事を仕上げたら、きっちり休息を取る。最も仕事をこなす者とは、最も上手く休む者である。▼成功者たちの体験談が満載。シンプルな良書だと思う。

[2976] Oct 24, 2017

ベイスターズが、横浜に帰ってくる。▼クライマックスシリーズ始まって以来、セ・リーグでは史上初となる三位からの下剋上を成し遂げた。十二球団で見ても、平均年俸最下位の球団が日本シリーズに進出するのは今世紀初の出来事らしい。まさしくベイスターズというチームの力でもぎ取った勝利である。実にめでたい。▼もちろん、リーグを圧勝した広島がアドバンテージたった1勝の短期決戦に敗れて日本一への夢が途絶えるのもどうかという意見もわかる。そこは今後、たとえば二位との勝差に応じてアドバンテージが増減するとか、何かしらの修正が求められるところかもしれない。しかし、ともあれ下剋上を成し遂げた側のチームとしては、リーグ優勝からの日本一という「完全優勝」へのステップをひとつ進めたことに大きな意味がある。三位からの日本一など虚しいだけという意見は全く当たらない。▼今の勢いなら可能性はある。いざ、ラスボス・ソフトバンク戦へ。

[2975] Oct 23, 2017

成功の秘訣は日記をつけることだという「成功者の知恵」を見ると、こうして日記のようなものをつけている身としては嬉しくなる。やはりこれには意味があるんだ。熱くても眠くても、寒くても急いでいても、とにかく四百字を綴ってきたことは、きっと何かの肥やしになっているに違いない。一日一字を記さば一年にして三百六十字を得る。一日四百字を記さば一年にして……その四百倍の字を得る。▼とはいえ、この習慣を始めた当初に比べて格段に文章が上手くなったとか、表現力がぐんぐん向上したとか、そういうことはなさそうだ。むしろ昔の方が仕上がりにこだわっていて、質の高い文章を書けていたようにも思う。では、変わったのは何だろう。残念ながら、今はまだわからない。これが上手くなったと断定すれば、何を言っても嘘になるような気がする。それはきっと私が成功者になったとき、初めて明らかになるものなのだろう。そう信じて今日も四百字を絞り出す。

[2974] Oct 22, 2017

スマートフォンでの読書に何度もトライしては失敗し、結果的に読書量が大幅に減ってしまったことを反省して、そろそろ電子書籍へのこだわりからも撤退かと思っていた今日この頃、ひょんなことから発見をしてしまったので共有したい。▼そもそもなぜスマホでは読書がしにくいのか。それは文字が追いにくくて目が疲れるからだ。とりわけ改行のときに現在地を見失いやすい。しかし、日々のブログやニュースサイトは難なく読んでいるではないか。何故だろう。ウェブコンテンツは横書きだからだ。横書きで縦に進んでいくから、改行のときに目の移動量が少なくて済むのだ。▼それなら、スマホを横にしてKindleを読めば良いではないか。これは私的には当たりだった。たしかに読みやすい。行の文字数が少ないと、読む速度は落ちるが読みやすく感じるようになると言われている。それを縦書きにも適用してやればよかったのである。私の中の電子書籍は再び延命を果たした。

[2973] Oct 21, 2017

通勤用の靴がボロボロになってしまったので新調に出かけたところ、たまたま立ち寄ったアシックスウォーキングで、価格も安くデザインも良く、履き心地も完璧という、要求にピタリの品を見つけた。いつもなら何日も悩んだり調べたりするところだが、このたびは即決即断。出会って数分で購入である。▼私の足は横幅が広い。サイズは28で、幅は左が3E、右が4E。しかも小指が外に開いているので、硬い素材だと指が痛くなるし、柔らかい素材だと突き破ってしまう。故に、極端な幅広タイプか余裕のある28.5を選ぶしかないわけだが、悲しいことに多くの革靴はサイズが28までしかない。靴探しにはいつも苦労していたものだ。▼しかし、さいわいアシックスの靴のつくりは私の足形によく合う。どのモデルもゆったりしているので28サイズが窮屈に感じないし、脱ぎ履きもしやすく、気楽に履けて歩きやすい。当面、靴は全てアシックス製品で良いと思っている。

[2972] Oct 20, 2017

Galaxy S8/S8+の新品がヤフオクに出回っている。かなりの量だ。しかも安い。iPhoneXの半分程度の値段で買えてしまう。ライバル機として比較され、比較者によってはS8/S8+が勝利することもあることを考えると、買い得というより他にない。▼しかし、不思議に思う。携帯である。なぜこんなに新品・未使用品が出回るのだろうか。商品説明には「購入したけれど使いませんでした」などとある。開封すらしない携帯を購入する動機が私にはさっぱりわからない。ましてハイエンド機だ。グレードアップしようにも買い替え先などない。Infinity Displayがどうしても性に合わなかったとか、縦長ディスプレイが思いのほか使いにくかったとか、そういう理由なら理解できなくもないが、画面フィルムすら剥がしていないのである。▼どの世界にも金持ちの趣味人はいるものだから、深くは追求するまい。ただ、性能と人気を考えればコストパフォーマンスは極めて高い選択肢である。

[2971] Oct 19, 2017

保育参観、もとい保育参加。保育園の様子をこっそり陰から眺めるイベントではなく、午前だけ保育士の仕事を体験してみようという参画型の企画である。▼そうは言っても自分の子どもがいるのだから、主に自分の子どもの仕事を引き取るくらいだろうと思っていたが、いざ参加してみると案外がっつり。同じクラスの子どもたちの遊び相手をしたり、おむつ替えから着替えまで、自分の子ども以外の子の世話をしたり、なかなかハードな三時間を過ごした。▼そうしてやはりと言うべきか、我が子は保育園でもモンスターであることが発覚。とにかく動く、騒ぐ、笑う、泣く。他の子が大人しく座っていても、ひとり部屋中を走りまわっていたりする。ひと時たりともじっとしていない。おもちゃを振り回したり鳴らしたりしながら、次々と興味の対象を変えていく。お転婆な女の子と何度か衝突事故を起こしていた。保育料が保育難易度に比例しなくて本当に良かったと思っている。

[2970] Oct 18, 2017

昨日はパブリックビューイングを優先して書きそびれたが、日本茶を飲んだ日の夜は想像以上に眠れなかった。ふだんから緑茶や烏龍茶をがぶ飲みしているので、たかだか熱い緑茶の一杯くらい、たいした影響はあるまいと高を括っていたが、恐らくはそのせいで午前四時から五時くらいまで布団の中で起きていた。起きていたというべきか、浅く眠っていたというべきか。まだ寝てない、まだ寝てない……そんな自覚が延々と続く状態だ。いわゆる眠れない夜というやつである。▼結局、その後も深く眠ることはなく、午前六時に目が覚めた。寝ていないわりには眠くない。いや、眠いは眠いが目が冴えている。もはや茶の効果でもあるまい。睡眠を取らなかったことに身体が興奮しているのだ。もちろん、そのままエネルギーを使い果たすような真似はしなかった。もう若くない。限界はわきまえている。通勤中も昼休みも、隙間時間をひたすら寝て快復に努めた。今は元通りである。

[2969] Oct 17, 2017

横浜スタジアムのパブリックビューイング。行って良かった。最高に楽しんだ。以下、字数を最小限に抑えるべく箇条書きで感想を列挙する。▼想像以上に人が多い。内野席だけ見ていると試合の時と変わらない。球場内の売店・施設も通常通りの営業。グッズも販売している。球場内で実況・解説の音声が聞こえるのは新鮮。応援団がいないので、応援歌があちこちから勝手なタイミングで聞こえてくる。ただし「ZombieNation」や「勇者の遺伝子」はちゃんと曲も流してくれる。イニング間のイベントもある。ディアーナもスターマンもいた。スターマンは現地に行っていなかったのだろうか。花火もシーズン中と同じ演出。出し惜しみはない。▼ゲーム展開に余裕があったので球場を探検。ポール際から見るバッターボックスは想像以上に近く見えた。バックネット裏から見ると広く感じるのだが、やはりハマスタは狭いのだ。エキサイティングシートはぜひ座ってみたいと思った。

[2968] Oct 16, 2017

夜。あまりの急な寒さに熱い日本茶が欲しくなった。戸棚を見ると、夏に同僚からもらった聖グロリアーナ仕様のティーバッグがある。渡りに船だ。今更ながらいただこう。▼言うまでもなく普通の日本茶、普通の緑茶である。格別に味が旨いとか、そういうことはない。ただ、冬の寒さ、ささやかな暖房器具、熱い日本茶の組み合わせは、なんとなく私には落ち着く組み合わせである。寒いのは嫌いだが、寒い中で温まる感じが何か遠い昔を思い出す。こんなことが昔にもあったという程度の反応が脳の深いところで起きて、それが意識と無意識の壁に跳ね返されて奥深くに帰っていく。そんな感じである。何も思い出さないが、懐かしい。▼思えば編曲作業も長編は主に冬だった。過去二作とも夏には手掛けていない。しびれるような寒さの中、丹前にくるまって腕を伸ばし、音を打ち込んでいたときのことを思い出す。冷気と暖房と日本茶の組み合わせが、私を初心に帰してくれる。

[2967] Oct 15, 2017

ベイスターズ、甲子園での泥仕合を制してCS1st最終戦へ。とにかく雨がひどく、バントはことごとく止まり、打ち損じは内野安打となる、シーズン中なら確実に中止となっていたようなデタラメなコンディションだったが、ここ限りのCSだからということで無理を通した部分もあるのだろう。身体を冷やした選手たちはゆっくり温まって明日に備えて欲しい。▼ところで、今日の甲子園ほどではないが、私のコンディションもあまり良くはない。とりわけ頭痛がひどい。これを書いている今も、ときどき背もたれに頭を置いて休み休み書いている。風呂上がりにストックのカロナールを飲んでみたが、まだ効いて来ない。またしても子どもの風邪が伝染したようだ。▼今日勝ったことで明日はパブリックビューイングに出向く予定。しかも天気予報は相変わらずの雨である。なんとか騒げる体調にもどしたいが、万が一もどらない場合は、近くのスポーツバーも検討候補にしよう。

[2966] Oct 14, 2017

昼。自分では見ないような犬猫のおもしろ動画をテレビにキャストしていたら、思いのほか子どもが食いついた。ときどき視線を外して立ったり座ったり寝転んだりしながら、だらだらごろごろと見ている。▼これができるようになったのは、私にとってはありがたいことだ。ちょっと前までは構っているか抱っこしているか、よほど興味のあるおもちゃで遊んでいるか、とにかく欲望に熱中しているときしか大人しくしていなかった。「だらだらする」なんてことは、彼にはできなかったのだ。それが動画の力を借りたとはいえ、三十分以上もゆったりくつろいでいたのだから、たいした進歩である。▼ときに、動画の方は適度なBGMになるなら実は何でもよいのではないかとも疑ったが、ガジェット系の動画や映画の予告編に変えると飽きるのが早かった。やはり赤ちゃんにとっては犬猫は鉄板なのだろうか。本物の犬や猫と触れ合ったことはあまりないはずなのに、不思議である。

[2965] Oct 13, 2017

昨日の記事に明確な間違いがある。iPhoneXのアスペクト比は18:9ではない。19.5:9である。もっとも、縦横の実寸に間違いはないので主旨に変わりはないが、縦長のトレンドも18.5:9あたりが限界ではないかと最後に書いた私見の反例を早々に得る形となってしまった。▼形状だけ比べるとGalaxyS8の方が縦長に見えるが、上部の欠けた部分まで含めればiPhoneXの方が縦長ということらしい。ここまで細長い端末だと逆に興味が湧く。何に使うのか。どう使うのか。ブラウザやLINEなどの縦スクロール系が想像以上に見やすくなるのか、あるいは映画の上下黒帯が減ることで没入感が上がるのか。ノッチに画面を削られた状態で没入感を得られるとは思いにくいが、日々使っていると案外ノッチの部分が認識から外れて脳内で勝手に四角い画面を補完し出すのかもしれない……などなど、想像は膨らんでいく。▼個人的には来年リリースと噂の6.46インチが本命だが、迷いは尽きない。

[2964] Oct 12, 2017

iPhoneXの液晶についておさらいしよう。▼サイズは5.8インチ。アスペクト比は18:9。実寸では縦135.1mm・横62.4mmとなる。5.5インチと比較して縦は長く、横は狭い。この縦横が現行の16:9で言うところの何インチに等しいのかを知れば、体感サイズが想像できることになる。縦135mmは6.0インチ相当、横62.4mは5.0インチ相当だ。つまり、Nexus6の高さとXperia XA1の幅を併せ持つ端末と考えればよい。かなりの縦長である。▼ここ最近のスマートフォンが縦長化した理由は、シネスコサイズへの接近と言うよりも、大画面化への要求と持ちやすさへの要求が同時に加熱した結果と見られている。縦を長くしてスクロール長を稼ぎつつ、横を狭くしてグリップのしやすさ・指の届きやすさを向上させた欲張りモデルというわけだ。▼16:9超ワイドを否定はしないが、現存の映像コンテンツが16:9メインである以上、やりすぎても意味はないように思う。Galaxyの18.5:9が限界であろう。

[2963] Oct 11, 2017

近頃、オーディオブックに興味がある。▼興味があるなら試してみればいい、ということで、早速Amazon.comのAudibleに登録を試みたが、Billingの登録段階であっさり弾かれてしまった。原因は不明。カード番号も住所も間違いないが、とにかく何かがダメだとメッセージは言っている。もともと強い信念に支えられた興味ではない。急激にやる気が萎んでいくのを感じた。▼しつこいようだが、エラーが発生したなら、その原因をちゃんとエラーメッセージに含めて欲しい。エラーかもしれないから下記のアドレスにメールを送ってくれなどというのは、たとえ親切丁寧に応対するつもりであってもダメなのだ。ふらりとやってきただけの顧客は、エラーを見てメールなんか出したりしない。せめて理由らしきことが書いてあれば、原因を取り除く努力はするかもしれないが、情報がなければ諦めて去るだけである。▼登録完了まで時間はかかりそうだが、一冊くらいは聴いてみたい。

[2962] Oct 10, 2017

長編メドレーの制作進行中。ここ数日は少ない時間で大きな成果が出ている。自分の実力からするとやや上振れ気味で、たまたま上手く出来てしまった感じは否めないが、最終章に繋がる重要なパートが納得の行く出来栄えになりそうで素直に喜ばしい。運も実力のうちということにしておこう。▼ところで、まさにこれから最終章というところで、長さはちょうど前作と同じになった。もともと曲数が多いので、三部作の中で最長になる予定ではあったが、それにしても想定よりさらに長くなっている。このまま推移すると、最終章の曲数からして三十五分以上にはなりそうだ。できれば四十分を超えないようにはしたいが、どうなるかはわからない。結局は中身が要求する最小限の長さになる。流れに身を委ねるしかない。▼最終章への繋ぎは制作を開始したときから頭の中で練ってある。それでも一筋縄に行くとは思えないが、今の勢いに任せて行けるところまで行ってしまいたい。

[2961] Oct 09, 2017

今日は祝日ながら妻が出勤なので、丸一日子どもを預かることになった。予定通り、みなとみらいのマークイズ3F「ボーネルンドあそびのせかい」へ行く。どのような施設かは名前で調べていただいた方が早い。▼とにかく遊んだ。一歳児向けのおもちゃ部屋には見向きもせず、もっと大きな四歳〜五歳児の遊んでいる全身遊具にばかり興味を示す。とくにトランポリンが大好きで、ジャンプできるわけでもないのにバナナのおもちゃを握ったまま端から端までぴゃーっと走り回っていた。ありがたいことに年長さんたちも邪魔にしたりせず、明らかに場違いなチビ助をむしろ可愛がってくれたようだ。他の子がぶつかりそうになると庇って止めてくれる子もいた。なかなか出来た子たちである。▼当の本人はそんなことも知らず暴れまわり、とうとう二時間後に充電が切れた。床に横になってゴロゴロ転がり、立ち上がろうとしない。めったに見ない姿である。撤退するとすぐに寝た。

[2960] Oct 08, 2017

最近、実験的な試みとしてパスタを食べないようにしている。▼少し前、昼食で行きつけのパスタ屋から持ち帰りの生パスタを買って家で調理したところ、明らかに食後、足の甲がかゆくなった。もともと小麦粉が肌によろしくないという説は存在するし、油も豊富なパスタだから、今までは気に留めていなかったけれど、強いアレルゲンになっている可能性もある。実生活で小麦粉断ちは難しいので目を瞑っているところがあったが、ここまで明白に出ると疑わないわけにはいかない。▼その後、同僚にも協力してもらって昼飯候補からパスタを外してもらっているが、しばらく経っても体調に変化はない。本来ならもっと悪化していたところが抑えられているのかもしれないし、調理の仕方が悪くて硬いまま食べたから駄目だっただけかもしれない。あるいは単なる杞憂だったのかも。そう思うとそろそろパスタが食べたくなってきた。食べたり食べなかったりして様子を見てみよう。

[2959] Oct 07, 2017

ほんの少し、子どもと意思疎通が取れるようになってきた。食事のときは食べたいものを指で指してくれるし、おいでというとついてくる。たったこれだけのことでも、だいぶ楽になった。さすがは一歳児。いつまでも赤ちゃんではない。▼言葉のブームも変わってきている。ゼロ歳の頃は「へげー」のような意味のない笑い声だけ。その後「お!」と言いながら物を指さすことを覚え、さらには何を見ても「だっだ」という便利な言葉を使うようになり、やがて「わんわん」と言うようになった。絵本の犬を見せて練習した成果だろう。ただし犬に対してだけ言うわけではないので、まだ識別はできていない。▼特定の物を特定の名前で明確に指示するという行為はまだしていないように思う。ただ最近、大好きなバナナを指して「わんわん」と「お」の応用で「わわお」と言うことがある。これが最初の発話である可能性もある。他の物に言わないかどうか見極めているところである。

[2958] Oct 06, 2017

大雨。寒い夜。気づけば冬になろうとしている。今年も秋は短そうだ。▼10月27日に予約を開始するiPhoneX。高すぎると思う人と、5.5インチよりディスプレイの横幅が狭くなるのが許容できない人と、単に待ちきれない人はiPhone8/8 Plusを買うべしと言われてきたが、待ちきれないと思うほど先のことではなくなってきている。今、iPhone8/8 Plusに手を出す理由は、値段と横幅しかない。▼iPhoneX Plusの存在も囁かれている。リークか憶測か、出所もわからない怪情報のレベルではあるが、すでに今年頭の段階でパネル提供元のサムスンがOLEDのiPhoneは二種類のサイズが出ると仄めかしていたことを考えると、あながち無根拠な噂とは言えない。これまでのラインナップを考えても、2018年にPlusが出る可能性は十分ある。▼慎重派が次に悩むべきはこちらだろう。せっかくの四辺ベゼルレスなら既存モデルより大きな画面が良いと思う人も多いはず。心の揺らしどころである。

[2957] Oct 05, 2017

ある音楽上のテクニックについて、数年越しで真実に気づいた。▼たとえばAマイナースケール上で、F−G−E−Aという展開に対して二小節目のGを低音をFのままにしてG/Fとすると、何かこれから大きな物語が始まろうとしているような、人をわくわくさせる壮大な響きを生み出せる。私はこれをマイナーのVI−VIIで使っていた。意識して使ったのは一度だけだが、コードトーンのルート上にトライアドを置くだけで曲を進めていた私には新鮮で面白かった。▼このG/Fの響きがなぜ気分を高揚させるのか。それに気づいたのはリディアンスケールをぼんやり眺めていたときだ。明るさの極地・リディアンの特色を示す#4。その#4がG/Fにはある。Gコード内のHがそうだ。つまりこの流れ、F−GではなくFアイオニアン−Fリディアンというモードの明転と捉えることもできることになる。スケールの一時的な#化。これなら高揚の感覚も納得というものだ。

[2956] Oct 04, 2017

メモリの海を泳ぐ。シンボルもない。カスタムデバッグビューもない。聴こえてくるのはただ十六進数の息遣いのみ。普段忘れているIDEの恩恵を思い出す時間でもある。▼口癖のように言うが、メモリと向かい合うことを過度に恐れる必要はない。メモリとレジスタは情報の宝庫である。魔法のように各種の情報を提供してくれるIDEとて、裏側ではこれらの生値を解析しているに過ぎない。▼彼らが解析に失敗したとき、それは「利用不可な情報」となる。しかし、それは所詮IDEが自動解析を諦めたというだけの話。メモリを人の目で見て追っていけば、容易に復旧できる情報もたくさんある。そこへ熟練した勘と経験が加われば、総合的な情報収集能力はIDEの比ではない。▼少なくとも、そう言えるだけの解析技術を身につけなければ、人工知能どころかツールにすら負けていることになる。プロフェッショナルとしてちょっと先の危ぶまれる、情けない話ではないか。

[2955] Oct 03, 2017

保証期間内のマウスが壊れたのでロジクールに問い合わせたら、該当商品が廃盤のため新しい型番をくれた、という話を聞いた。壊れたマウスの方は返送する必要もなかったらしい。保証書の大切さを改めて思い知ったという。▼しかし、壊れた商品を送る必要がないのは悪用されそうで怖い仕組みだ。保証期間が切れそうになったら、壊れていなくても壊れたといって最新型をもらい、それを売って小遣いにするような輩がいるのではないだろうか。▼そう思っていたら、全くの偶然。今日、この手口で百万ドルを荒稼ぎした夫妻が逮捕されたという記事を見た。交換の際の返送不要を逆手にとって次々と初期不良を主張し、余った新品を裏で売りさばいていたらしい。懲役二十年とのこと。しかしこれとて規模の大きさ故に顕在化した氷山の一角に過ぎまい。バレない程度に小銭を稼いでいる転売屋の儲けを、私たち善良な利用者が少しずつ肩代わりさせられていると思うと癪である。

[2954] Oct 02, 2017

Youtubeやニコニコ動画だけでなく、AppleMusicやAmazonMusicなど音楽配信サービスを有料登録したり無料期間を使ったりして、ひたすら私の聴きたい曲を探している。残念ながらまだ見つからない。▼そんなに難しい要求はしていないつもりだ。リラックスやヒーリングといったふわふわしたBGMではなく、ちゃんと曲にストーリーがあって、激しさと静けさの抑揚があって、音と響きに深みがあって、余韻の広がる低音と、煌びやかな高音を巧みに操る、何度でも聴きたいと思えるようなピアノ曲。できれば既存曲のカバーやアレンジではなくオリジナルが望ましい。また、演奏よりは打ち込みが望ましい。▼このうちひとつでも欠けているからダメなどと厳しい基準で探してはいない。むしろ六〜七割応えてくれれば御の字だ。多少リズム隊やシンセが入っていても、ピアノメインなら目を瞑るくらいの寛容さである。それでもこの手の作品は見当たらない。あれば教えて欲しい。

[2953] Oct 01, 2017

ベイスターズが二年連続のクライマックスシリーズ進出を決めた。最後の最後までしぶとく食らいついてきた巨人を退けての三位。しかも今年は貯金が確定している。見事、前回のAクラスが単なるフロックではないことを証明してみせた。▼残念ながら二位は逃したので本拠地横浜スタジアムでの開催はお預けだが、今年もきっとパブリックビューイングはやってくれるだろう。席取りに腐心しなくてよいので、かえって気楽である。雨さえ降らなければ快適だ。屋台のつまみとベイスターズエールで彼方の甲子園に応援の気持ちを届けたい。▼さいわいプロジェクトの方も、先週末に大きな火種が消えたところ。今なら一日くらい私がハマスタに消えても文句は言われないと思われる。もっとも、スケジュールから逆算すると私の仕事に余裕など微塵もないのだが、それはそれ、これはこれ。忙しいときこそ趣味も大事にしなくては。仕事は明日から頑張ればいい。トゥモアナである。

[2952] Sep 30, 2017

身体の調子は悪いが、編曲の調子は非常に良い。デリケートな役割を担う箇所なのでいつも以上に気を遣ってはいるが、それでもこう時間をかけた分だけ仕上がりが良化するのは調子の良い証拠だ。結果だけ見れば単純にして素朴。しかし完成度はこれまでの自分にない段階に到達している。しっかり引き算の組み立てが出来ている。▼今日はひとつ、途中で却下した案がなぜ駄目なのかを自分なりに説明することが出来たのも収穫だった。「ドレーミ、レミーファ、ミファーソ」というフレーズが浮かんだので打ち込んでみたら、そこは格好良いがどうにも前と合わない。苦心の末に「ドレーミ」を「ドドーミ」にしたらぴったりハマった。前の小節からソファミレ→ドと入ってくるので、すぐに上昇すると落ち着きないというか、忙しないと感じたのだった。それで、反復性を犠牲に一音だけステイしてもらったら、いいじゃないかというわけだ。私にはあまりないことなので嬉しい。

[2951] Sep 29, 2017

シャドウバースの新弾がリリースされた。前弾「ワンダーランド」のときまでは仲間内で新弾カードの事前情報を交換したり、仮想のデッキ構築論を交わしたり、リリース前でもいろいろ盛り上がっていたのだが、そのワンダーランドが平たく言ってつまらない環境であったために、プレイからも話題からも皆、離れてしまっていた。故に、このたびは開封式なし、試験戦闘もなし。皆、もはやこのゲームを続ける気があまりない。それでもギフトチケットでカードパックを引くのは、未練というより惰性であろう。▼そうは言っても新しい環境に望みを抱いた人々が新カードを試し合い、ありふれた型通りの勝利より予想外の返しや見たことのない展開に出会えることを望んで様子を探り合う、この過渡期ならではの試合の空気はやはり新鮮味があって面白い。個人的には、今回の「星神の伝説」はなかなかの良環境だと思う。前弾でぶち壊してしまったゲームコンセプトが蘇っている。

[2950] Sep 28, 2017

鍵を失くしたり、謎の病気に罹ったり、知らぬ間に仕様が大きく変わったり。九月の最終週はたいへんな厄日ならぬ厄週であった。今年の悪いことを詰め込んだ週であることを祈る。災難だったが、悲惨ではない。この程度で最悪なら当方大勝利というものだ。▼閑話休題。今の私が意図して置ける和音は基本三和音と属七だけだが、もちろん九や十一や減七や増七や、摩訶不思議な記号を使ったトリッキーな和音への憧憬は常にある。しかし悲しいかな、使い方がわからないので意図して使ったことは一度もない。横の流れを強引に押し通したとき、たまたま縦に成立していることならあると思うが、それは横狙いのうちに仕方なく揃ってしまった縦のビンゴであって、和音を使いこなしているとは到底言えない。▼本当は、世界史の勉強と同じで、縦と横を共に意識しながら、文字通り縦横無尽に音楽を構築し理解していくのが良いのだろう。わかってはいるのだが、まだ敷居が高い。

[2949] Sep 27, 2017

風邪なのか、ウイルス性胃腸炎なのか、はたまた別の病気なのか。ひとり元気な子どもを残して一家全滅となった。このスピード。私が倒れたときにはもう手遅れだったのかもしれない。▼私は薬がよく効いて今日の気分はまずまず。通常の風邪と同じくらいの不快感で過ごせている。ただ、頭は明瞭なものの、強めの薬を飲んでいるせいか身体の方がついてこなくて、夜までは布団でぐったりしていた。少しは曲でも進めようかなどという色気を出すこともなかった。それほどダメージが大きかったのだろう。▼そもそも酒以外で吐いたのはいつぶりだろうか。記憶にないと思って調べてみると、意外に近く去年の十月八日に吐いているらしい。そうして、そこには2009年8月以来の嘔吐とある。この日に吐いた理由は覚えていないが、書かれている以上は真実なのだろう。吐瀉記録に使われるのも不名誉だろうが、記憶から消えたどうでもいい過去を漁れるのも日記の魅力である。

[2948] Sep 26, 2017

朝、激しい下痢に見舞われるも体調に不審なところはなく、きわめて元気なので出社。しかしなかなかトイレから離れられず、昼過ぎには胃のあたりが苦しくなってくる。食欲がないので昼食はヨーグルトドリンクのみ。それも午後にすべて吐いてしまった。胃の中が空になって、熱が出てきて、めまいがしてきて、ようやくこれはまずいということで病院へ。辿り着いた頃には歩くのもつらいほどふらふらになっていた。38度6分。なんてことだ。▼点滴を受ける。思えば子どもの頃は喘息でよく点滴をしていた。ちょっと懐かしい。朦朧とした意識の外から、患者のいない診察室で、先生と看護師さんの会話が聞こえてくる。巨人がCSへ行くにはなんとしてもDeNAを……うちも勝ってるんだけどDeNAがなかなかね……あの会社も凄いね、ゲームの会社だよね。今度は球場まで買ったそうだし……。どうやら先生はG党であったようだ。DeNAファンなのは黙っておいた。

[2947] Sep 25, 2017

鍵は無事交換された。最新型ではないが新品だ。事前に打ち合わせした通りの時間に、事前に聞いた通りの価格で。何のトラブルもなかった。完璧だ。▼このたびの鍵屋探しでこだわったのは次の二点。一、出張可能地域が限定されていること。全国どこでも年中無休で二十四時間対応などと謳っている会社は、まず各地元の下請けに仕事を投げているだけの紹介業者である。当然、中抜き分の価格は上乗せされるし、電話口の対応と現場スタッフの対応が異なりトラブルになるケースも後を絶たない。うわべだけ親切丁寧なオペレーターなど必要ない。信頼できる職人さんと直に繋がるのが一番である。▼二、価格が明記されていること。少なくとも、事前の連絡で上限額が決められること。最低価格だけ書いて、現場で見積もりしないと正確な請求額は出ないなどと主張している所はあやしいと踏んでよい。キャンセル無料といいつつ、いざとなったら高圧的な態度で吹っ掛けてくる。

[2946] Sep 24, 2017

大失態。鍵を失くした。しかも近所で、三十分程度の買い物の間に。たいした距離も歩いていないし、立ち寄った店も多くはない。すぐに捜索を始めたが見つからず、店にも交番にも届いてはいないという。二本差しのキーケースは小さな携帯くらいのサイズがあるので落としたら気づきそうなものだし、左ポケットの奥深くにしまい込んだ革製品がそうそう簡単に外へ落ちるとも思えないのだが、無くなったのは事実。なんともしょんぼりなことだが仕方ない。▼遠くの地で落としたならともかく、近所で落として見つからないとなると、これはちょっと怖い。良からぬ人に拾われた可能性もある。早急に鍵を交換しようということになって、夜、鍵屋を調べていた。この手の生活にまつわる便利屋は、たとえ検索で上位に出て来ようと、掲載料金と請求額が全く異なる違法スレスレの悪質な会社も多いので、決定には慎重の上に慎重を要した。その是非は明日、結果を交えて書きたい。

[2945] Sep 23, 2017

子どものために買ってきた動物園のDVDが面白かった。カバにはカバとコビトカバの二種類しかいないとか、トラは地上最大のネコだとか、ヤギはヒツジより小柄だけれど身体が丈夫だとか。モルモットってこんなに大きかったのか、とか。知らなかったり忘れていたりする動物知識が、ゆるく頭に染み込んでくる。映像の力は強い。▼電車の中で本を読んでいると眠くなってくるし、目も痛くなってくるので、最近は代わりに動画でいろいろ学んでいる。目を使うのは本と同じだが、動画は耳も使えるのが良い。上手く構成された動画なら映像を見なくても内容の多くが耳から頭に入ってくる。通勤中は乗り換えもあれば徒歩もあるので、画面から目を離しても話の連続性が保たれるのはありがたい。▼暇つぶしのエンタメコンテンツに誘惑されさえしなければ、通勤中の動画鑑賞は貴重な大人の勉強時間になる。限られたギガは出来るだけ学びに使いたい。ただし野球は例外とする。

[2944] Sep 22, 2017

自分の予約こそキャンセルしたが、せっかくの発売日なのでiPhone 8の様子を見に横浜ヨドバシへ寄ってきた。キャリア三社が声を競って客を展示機へ誘導している。同じような契約プラン。似たようなサービス。大差のない展示ブース。そうして売るのは同じ最新機種。正直、競争なんだか協力なんだかわからない。茶番感がある。▼触った感触は、とにかくガラスが硬い。史上最硬と豪語するだけのことはある。そのぶん重く大きくも感じるが、表面と裏面の質感が同じなおかげでひとつの物体を握っている感覚が強く、7より収まりはいい。デザインは十分評価できる。▼各社の在庫状況を見ると、シルバーとブラックが順当に人気で売り切れ状態。一方、ゴールドは不人気なのか、モデルによっては「在庫あり」の札が貼られている。ガラスの効果でローズピンクにも似た独特の色合いを放つゴールドが私は上品で良いと思ったが、世論は7までで慣れ親しんだ色を選んだようだ。

[2943] Sep 21, 2017

先週末から我が家で「ブラーバ」が稼働している。床拭きロボット・ブラーバ。ルンバのモップ版。フローリングならルンバより高効率で衛生的と評判が高い。実際、クイックルのシートがそのまま使える点はかなり有能で、手でかけていた手間を機械がそっくり肩代わりしてくれたという印象が強い。これが専用のシートじゃないと動かないとか、ぞうきんを装着して使用後は洗濯するとか、面倒なことを要求するようなマシンなら買わなかった。▼オートメーション全般に言えることだが、培ってきた習慣には、たとえそれが不合理であっても慣れているというだけで価値がある。20の便利と10の不便をもたらす改革よりも、5の便利をもたらす改善の方が魅力的なことはままある。何もかもを自動化して欲しいわけではない。面倒だと感じている部分だけを、ピンポイントで自動化して欲しいのだ。「ブラーバ」はこの要件を満たしていた。今のところ、仕事ぶりも申し分ない。

[2942] Sep 20, 2017

かなり悩んだ末、auの仮登録はキャンセルした。アップグレードプログラムを使ったフラットプランの場合と、毎月割を使ったデータ定額プランの場合で、それぞれソロバンを弾いてみたが、どうしても割に合うとは思えなかった。▼料金シミュレーターで計算していると、あの手この手で月額を安く見せようとしていることがわかって心地悪い。全く条件のない謎の千円割引、最初の一年間のみ。テザリングオプションがキャンペーン中につき来年三月まで無料(しかも元の価格は併記されない。)これらの期間限定割引を積み上げた上で、計算額には堂々と「最初の一年間の月額」だけが記載されている。限定割引分を差し引いて冷静に見れば、十三ヶ月目からは一万円を超える計算。それでいて端末は二年後に無料で回収される。下取り金も入ってこない。安く見えるだけで、全く安くはないわけだ。▼したがって、今まで通り自由を確保できるMVNOルートで行くことにする。

[2941] Sep 19, 2017

ソフトバンクが「ウルトラギガモンスター」なるプランを始めた。通信容量はなんと驚きの50ギガ。まさにモンスター。モバイル端末で50ギガは使い切れと言われても難しい容量だ。暇さえあればHD画質の動画を見るとか、家でも4Gを使うとか、そういう通信量消費に特化した使い方をしない限り無くならない。実質無制限プランである。▼私もあらためて過去数ヶ月の通信量履歴を確認してみた。どの月も大体7GB前後で推移している。月額料金の高さもさることながら、旧LTEフラットの7GB制限がつらくてキャリアを抜け出したわけだが、蓋を開けてみれば7GB以上使っている月はほとんどないわけだ。これなら毎月割を当て込んでauに戻っても良いような気がしてくる。モンスターの50GBはともかく、auにも今は格安の20GBプランがあるので、困ったときはプランを変えてもよい。▼仮予約の都合上、選択の期限は明日。戻り道は刺されるかどうか。

[2940] Sep 18, 2017

ある日を境にパソコンで動画が見られなくなった。どの動画サイトを開いても「エラーが発生しました」という、なんの役に立たないメッセージしか表示されない。FlashもHTML5もダメ。再起動してもダメ。これはいったいどうしたことだ?▼今日、この症状がひょんなことから解決した。Cubaseから曲を書き出して再生しようとしたところ、サウンドデバイスが他のアプリケーションで排他処理されているから再生できないと言われたのだ。もしやと思い設定を見直すと、ASIOドライバーがQUADCAPTUREからGenericに戻されているではないか。いったい誰が、いつの間に。思い当たる節は、ある日に仕掛けたウインドウズアップデートくらいのものだが……。▼ともあれ、ドライバを元に戻したら無事、動画も再生できるようになった。パソコンを起動してCubaseを立ち上げないことはないので、常に排他されてしまっていたわけだ。アプリ開発者の皆さん、エラーメッセージは正確に。

[2939] Sep 17, 2017

本日夜半は台風通過。明日の朝には通り過ぎて敬老の日は猛暑日になるらしい。寒かったり暑かったり忙しいことだ。▼風邪薬のせいで眠気は最高潮である。しかし、調べたいこともあるし、我が家の地域で降水量が最大になる一時から一時半の間は、何か酷いことが起きたりしないか見張っていたい気持ちもあって起きている。こう書いている間にも轟音のボリュームが増してきた。80mm超級の暴風雨到来だ。近くの家の雨戸が打ちつけられて悲鳴を上げている。木々の大きく撓む音。ときどき衝突音も聴こえる。▼いつもお世話になっている高解像度降水ナウキャストによると、どうやら我が家の周辺地域はかなり長い時間、かなりの強度で狙い撃ちされるらしい。もう少し東の方は悲惨で、50mm級が途切れることなく数時間つづく見通し。どうやらこのたびの台風は、今年来たやつの中では最も実力派のようだ。▼そんな今回に限って寝室の雨戸を閉めなかったことを後悔している。

[2938] Sep 16, 2017

格安MVNOからキャリアに戻るかもしれない。まだ決めかねているが、以下理由。▼一、去年よりキャリアの料金体系がマシになってきた。特に大容量プランの追加が大きい。既存のプランが詐欺にしか見えない設定である。総務省指導の賜物か、まともにしていこうという意思は感じられる。▼二、iPadの導入と陸マイラー化によるApplePayへの食指で次の機種にiPhoneを選ぶ可能性が高くなってきた。MVNOは端末代を安く抑えてこそ意味があるのであって、iPhoneのようなハイエンドで使う意味はほとんどない。月々の価格差も端末代割引で相殺される。キャリアの方が法外に高いとは言えなくなってくる。▼三、昼飯時と横浜駅という、個人的に良く携帯を使う二大スポットで通信が切れる。これは思ったより不便である。野球中継が切れるのもつらい。四、今のMVNOから来るオプション勧誘の電話が煩わしい。きっかけはこれだ。詐欺めいた勧誘が逆効果であることを知ってほしい。

[2937] Sep 15, 2017

午前中は病院で風邪の診断。午後は羽田空港へ見送りに。弟は無事旅立っていった。手荷物検査で自分のPCから引き抜いていったハードディスクが見咎められ、何やら揉めていた様子が外から窺えたが、その後は通過できたようなので無事と言っても良かろう。没収されたかどうかは知らない。▼いろいろ大変な一日だった。しかし、大変な日は立て続けにやってくる。明日は子どもの運動会。朝一で会場に向かわねばならぬ。明後日は今日の代わりの緊急出社。マイルストーン締日が近いので仕事は山積み。鼻水と喉の痛みが止まらずコンディションは最悪。嫁も同じく体調を崩して頭痛と吐き気に苦しんでいる。二人とも明日になったら熱が上がるかもしれない。▼不安要素は山ほどあるが、どうあれひとつずつミッションをこなしていくしかないだろう。アメリカ行きも現実味が出てきたのでANA VISA Suicaカードも欲しい。ついに私も陸マイラーになる日が来てしまったようだ。

[2936] Sep 14, 2017

明日、弟がアメリカへ行く。今度は短期滞在ではなく、大学院への留学。本人はそのまま向こうでの就職を目指しているので、希望通りに事が進めば日本には明日で別れを告げることになる。▼合計二十五年間も一緒に生活していたわけだから、これきりもう同じ国には居なくなると思うと寂しくはある。しかし、今は無料のビデオ通話もあればチャットもあるので、さほど大ごと感はない。野球の話もできる。奇しくも今日、最下位の確定したヤクルトを捨ててメジャーファンになっているかもしれないが、それならそれで良いことだ。▼いつか滞在先のカリフォルニアを訪ねたときは、ラスベガスにでも連れて行ってもらおうと思っている。そのためにはしっかり働いて稼がなければならない。家族で旅行へ行って少しばかり遊んで来れるような、余裕のある生活に身を置けるようにならなければならない。なかなかのハードルだ。私もひとつ、三十代の兜の緒を締め直す機会になる。

[2935] Sep 13, 2017

iPhoneの話を載せたので、本来なら有力な対抗馬であったはずのSurfacePhoneにも触れたい。2015年には来年発売の予定と言われ、2016年には年末にも登場と言われ、その年末には2017年春発売が濃厚と言われ、それからすっかり鳴りをひそめて撤退説まで囁かれたものの、iPhone新型に合わせて再び年末発売説が浮上してきている、あのSurfacePhoneである。▼私は、年末説もないと思っている。もしSurfacePhoneが本当に間もなく登場できるような状態なら、今、このタイミングで明言しない理由はない。ユーザーの多くが史上最高額のiPhoneを買ってしまった後で、高性能が売りのWindowsPhoneを近日中に発売しますなんて公表するほど間の悪い話はないだろう。あるいは、真正面からぶつけて比較されたら勝ち目がないという判断なのかもしれないが、それでもiPhone直後が悪手であることに変わりはない。▼期待はしているが、今年中に音沙汰がなければ撤退説も信憑性が出る。

[2934] Sep 12, 2017

Youtubeが閲覧できなくなった。今夜、日本時間二時から始まるAppleの新型iPhone発表イベントと何か関係があるのだろうか。▼新型についての情報は、名称からレンダリング画像に至るまで、すでに出尽くしていると言ってよい。それでも発表イベントには多くの人が期待を寄せているし、路面店には早くも新型目当てのお客さんが待ち行列をつくっている。発売予約の開始日が知らされていないどころか、まだ発表すらされていない商品のために何日も並ぶというのは、ちょっと他に例がないのではないだろうか。▼これ以上の機能はもういらないとか、進化の限界だとか、いろいろ言われながらも毎年新型iPhoneは飛ぶように売れていく。十年間、iPhoneは、iPhoneであるという様式美を満たしつつ、旧モデルよりも優れていて、便利そうで、格好良いと思わせるような、違いすぎず同じでない絶妙なバージョンアップを繰り返してきた。明日のiPhoneは、その十年の集大成である。

[2933] Sep 11, 2017

仕事には、やるべき仕事と、やるべきでない仕事がある。この二つを区別せず、全てをやろうとしている状態が第一の段階。論外である。絶対に終わらないし、まともな終わり方もしない。関わった者は全員不幸になる。▼第二に、区別しようとしているが精度が低い状態。これはマネジメントだけが区別を主導している場合に見られる。悲惨度は彼の能力に依存する。無能が船頭になれば、第一段階と変わらぬ悲劇を見る。▼第三に、各個人が両者の区別を独自に持っているものの、個人間の調整が出来ていない状態。Aがやるべきと思っている仕事とBがやるべきと思っている仕事のORをやろうとすれば、それは第一段階に近づく。しかしANDをやろうとすれば、何も成果は挙がらない。▼第四は、たとえしぶしぶであっても、メンバー全員が理解し納得できる境界線が両者の間に引かれている状態。ここに到達できるかどうかがプロジェクトの生死を分ける。最初の地点である。

[2932] Sep 10, 2017

LGの38UC99が日本で公式に発売された。Dellからも同型の38インチウルトラワイドが発売され、いよいよ念願の高解像度モニターが手近になってきている。▼タイミングを計ったかのように、私のモニターが壊れた。それも妙な壊れ方だ。点かないならわかるが、消えない。電源ボタンを押しても、PCの電源を落としても、何をしても電源が落ちてくれない。電源コードを抜かない限り動きつづける呪われたモニターになってしまった。輝度や色の調整ボタンも効かなくなっている。▼液晶自体が壊れたわけではないから、これだけを理由に買い替えるのは贅沢というものだが、もともとノングレアへの移行を目的に今年中の交換を目指していたところ。モニター環境――同じ単語でわかりにくいが、こちらはヘッドホンとアンプの方――を後回しにしてでも、そろそろ踏ん切りをつけたほうがよかろう。今なら当時より選択肢も豊富だ。32インチ4KにフルHDを組み合わせる手も面白い。

[2931] Sep 09, 2017

昨日は築地の後、秋葉原へ行った。上野御徒町から末広町を経由して歩き、eイヤホンに立ち寄ってから線路をくぐってヨドバシカメラへ。横浜には展示機のないレアヘッドホンの試聴をしたり、中古のアンプを探したり、オーディオ巡りである。その後、ZenFone4が入荷したというウェブの情報を見てイオシスへ行き、ディスプレイを物色しにツクモ本店へ行き、イケベ楽器にも行った。こんなにゆっくり秋葉原を探索したのは、学生のとき以来かもしれない。▼もちろん楽しかった。今日び、よほどマニアックな品でない限り秋葉原で買える商品の大半はネットでも買えるし、値段もネットの方が安いけれど、それでもあの街を歩くことの楽しさはある。アマゾンで検索するより、巨大な百貨店を歩き回る方が楽しいこともあるように。時間と身体の限界によって、限られた機会にしかアクセスできないときの出逢いは無条件に貴重である。歩きたいと思える街があるのは良いことだ。

[2930] Sep 08, 2017

弟と築地市場へ行く。十時過ぎに到着するも目当ての「寿司大」は待機列限界で「本日終了」になっていたので、もうひとつの有力候補「大和寿司」へ。こちらも行列は凄かったが、回転が早いおかげで昼前には入ることができた。▼高回転の秘訣は老舗の寿司屋とは思えぬほどのシステマティックな客捌き。数人のロットがまとめて席につくと、準備された茶と椀が一斉に配られて、おまかせ握りが一貫ずつ次々と握られてくる。醤油も職人さんが塗ってくれるので、こちらでつける必要はない。出てくる。食べる。茶。この繰り返し。江戸前寿司とはそういうものなのかもしれないが、なかなかにせわしない。▼とはいえ味は抜群だった。豪快なサイズで光り輝くネタの旨さは、私の短い寿司遍歴の中では最高と断じて良い。ただ、シャリも含めた「寿司としての完成度」は、数年前に六本木で訪ねた寿司屋の方が高かったように思う。つまり、楽しみ方は寿司よりも刺身に近かった。

[2929] Sep 07, 2017

掲示板やブログを見ていると、世の中には星の数ほどアマチュアDTMerがいるように見える。インターネットは音楽を創りたい人で溢れている。素晴らしいことだ。▼しかしYoutubeやmuzie、SoundCloudを漁っていると、曲を投稿している人の総数が思いのほか少ないことに気づく。自分が望んでいる曲に出逢えることも少ない。すでに誰かが創っていそうで、誰も創っていない。▼誰が言ったか、どこで見たか、もう忘れてしまったが、こんな至言がある。創作者という無限の群衆から抜け出し、選ばれた少数の者になる方法は単純だ。ひとつでも作品を完成させて、公開すること。そのとき君は、上位1%のエリートになっている。▼「創りたいと思っている」から「創っている」までの間は広い。そうして「創っている」から「創り上げた」までの距離は、さらに果てしなく長い。無いから創る。出来たら分ける。それだけのことに多くの理屈は不要だ。やったもん勝ちである。

[2928] Sep 06, 2017

通勤電車の座席でどっぷり寝ていたら、いつの間にか右耳からワイヤレスイヤホンがなくなっていた。かなり焦ったが、立ち上がって探し始めるわけにもいかない混み具合だったので、きっとシートのどこかにあるさと思って横浜まで耐える。案の定、隣の人が座っていた席の近くに転がっていた。危うく失くすところであった。▼モバイルの音質はきれいさっぱり諦めて利便性を選択したばかりだが、こういう事態が発生するとイヤホンが不安になって、ワイヤレスヘッドホンに食指が動いてくる。もちろん買う気はない。買わないが、今日まで眼中になかったワイヤレスヘッドホンのラインナップも一旦ちゃんと調べてみるかという気にはなった。▼今週末、築地へ繰り出す予定のついでに秋葉原で軽くオーディオ巡りもしようかと思っている。最新のワイヤレス音質はヨドバシかeイヤホンで確認させてもらうことにしよう。昨今のトレンドについても店員さんの話が聞いてみたい。

[2927] Sep 05, 2017

「ミツバチが絶滅すれば人類は四年で滅亡する」とメーテルリンクは言った。ミツバチがいなくなったら花は受粉できなくなる。野菜は育たず、果物も育たず、故に家畜も育てられず、経済は崩壊し、人類は混乱のさなかに栄養失調で滅びるであろう。そんな予測である。科学的・生物学的に確実な連鎖とは言い難いが、詩人の妄想と切り捨てるわけにもいかぬ程度の信憑性はあるらしい。蜂群崩壊症候群と呼ばれる、突如としてミツバチが大量死する現象の原因が未だに解明されていないことも、言い知れぬ不安を煽る。▼しかし今はミツバチの絶滅よりも、核の脅威の方が逼迫した人類滅亡の可能性だ。核ミサイルが頭上で炸裂する未来は、考えたくないが確かにある。それも遠くない将来かもしれない。そうして、その可能性が現実になるかどうかは人の手に委ねられている。私にはどうすることもできない。明日も明後日も会社へ行くしかない。力なき民は祈ることしかできない。

[2926] Sep 04, 2017

様々な思惑を巡らせた末、次のヘッドホンはHD700にしようかと思い始めている。なぜ今更、それも800ですらなく700なのか。▼そもそも私がHD650に感じている不満は二つしかない。側圧が強すぎることと、中高域がややマイルドなこと。後者は本機の優れた点でもあるのだが、ピアノメインで使うならもうちょっと煌びやかで解像度の高い中高音が欲しいと思うこともある。▼そして、実はHD700はどちらの要件も満たしている。それなら同じゼンハイザーで順当なグレードアップと言えるし、財布にも優しい700で良いのではないか。第一、オーケストラを聴いたり創ったりするわけではないから、HD800ほど広大なサウンドステージは必要ない。HD700の得意ジャンルはクラシックではなさそうだが、ことピアノに限定した場合、独特の音場と方向性が、価格帯以上に良い仕事をしてくれる可能性も高いのではと思ったわけだ。果たしてどうだろう。

[2925] Sep 03, 2017

競馬のオッズについて。昔、まだ三連複や三連単などの新しい投票法が始まったばかりのころ、高配当な単勝を持つ馬が二、三頭ならんでゴールインすれば、三連複・三連単には驚くような配当が出た。中穴・一番人気・大穴のような着順でも、数十万つくことがザラにあった。▼ところが最近は組み合わせ投票の配当が妙に低い。特にこの二〜三年で急降下した印象だ。昔の感覚で五十万近く行くのではないかと予想した配当が、たかだか十万後半ということもある。どうも、単勝の掛け算と連勝のオッズがかけ離れている。この組み合わせが来やすいという予測を正確に立てている投票が多すぎる。▼この件、私はAIマネーが流入してきたせいではないかと疑っている。こと諸条件から予想される結果を導くという仕事なら、今のAIは人の経験測など比べ物にならないほどの精度を誇る。AIの出力が、現実に来やすい組み合わせへの投票率を引き上げているのではないだろうか。

[2924] Sep 02, 2017

ヘッドフォン新調の予算が立たないので、左耳がノイジーに壊れたHD650を使いつづけている。DTMといっても音色はピアノのみ。しかも音作りや空間調整はすでに終わっているわけだから、今やっていることは音符を置いていく譜面づくりでしかない。左右のバランスが崩れているとか、周波数特性が変わっているとか、そういうことなら大問題だが、ノイズが入るくらいは我慢できる範囲だ。出力物の品質にも影響はない。▼ただ、今回の制作が終わったあたりで、「自分の環境で良く聴こえればいい」というスタンスを一度離れて、もう少しモニタリング寄りの発想で空間設計をしてみたいとは思っている。今の音はHD650で聴いている分には自分的に完璧だが、別の環境で聴くとクオリティを詰め切れていない印象は強い。いつ、どこで聴いても気分良く聴ける音なんてものは妄想だろうけれど、少しでも多くの環境で良い音が聴けるよう目指すことは悪ではなかろう。

[2923] Sep 01, 2017

小さいものも、大きいものも。基本に忠実でオーソドックスな品も、奇をてらって冒険してみた意欲作も。ちょっとしたテーマ小品から、壮大な物語を感じさせる超大作まで。そんな自由さ、懐の深さを持ったお菓子。それがケーキだ。▼中身がほとんどフルーツだろうと、成分の九割がチョコレートだろうと、ケーキのように仕上げればケーキになる。こんないい加減なことを言ってはケーキ職人に怒られるかもしれないが、消費者の立場としての素直な感想だ。ケーキには確たる貴賤もなく、決まり切った性格もない。ケーキは自由である。共通しているのは、食べた人をちょっとだけ幸せな気持ちにするという大きな目的だけだ。▼ケーキ。私は洋菓子より和菓子が好きな人だけれど、ケーキの持つ可能性には常に敬意を払っている。探求心、好奇心、遊び心を許してくれる寛大さを尊敬している。いつか、この記事の伏線が回収される日が来るかもしれない。来ないかもしれない。

[2922] Aug 31, 2017

夏が終わって、また二人。同僚が去っていった。一人は退社。一人は転職。▼先のアテが全くないまま辞める人と転職先が決まってから辞める人とでは、さすがに転職の方が数は多い。しかし、唐突に会社を飛び出して無職を選ぶ人も二年に一人くらいはいる。辞める前に私が話し得た人たちは、みんな同じようなことを言っていた。先のことは少しゆっくりしてから考えたい、と。▼これができる人は、ぎりぎり助かるのだろう。できない人はやがて正常な判断力を失い、行きつくところまで行ってしまう。少なくとも、そのリスクがある。だから、やばいと思ったら、まず離れなければならない。離れなければ冷静な判断は下せない。致命的な出来事が起こるまで、多忙と睡魔で判断を保留してしまう。そんな状態では先の計画など立てようもない。▼私はまだ、やばいとは思っていない。去年までに比べれば余裕すらある。この余裕を持ちつづけたまま歩きたい。人生を散歩しよう。

[2921] Aug 30, 2017

七月四日に保育園でプール開きをしてから約二ヶ月。七月前半はとびひの影響で入水できず、七月後半は風邪の微熱が想像以上に長引いて様子見。八月前半は関東地方全域で毎日のように雨が降り、ようやく晴れたと思ったら盆休みで岡山に。帰還後は気温の上がりすぎによりプールが開催できず、やがて曇りがちな好条件の日がやってきたと思ったら、午前中に微熱が出たので入水はしなかったと言われる。なんとまあ、プールに縁のない子だろうか。▼そんな調子で最初の夏をプールなしに通過するかと思われた我が子だが、ついに本日入水したらしい。連絡帳によると、たいそう楽しそうだったようだ。わざわざ会社帰りに買いに行った水着も、二着目の出番こそなかったが、全くの無駄にはならなくてよかった。明日がプールの最終日で、明日は雨模様の予報なので、本当に今日が最初で最後のチャンスだったかもしれない。逆境の中でもぎりぎりひっかかる強運と思っておこう。

[2920] Aug 29, 2017

再びロゴの話。▼ロゴは様々な文脈の中に置かれうる。いつ、どこで、何色の、どんな素地の上にプリントされるかわからない。したがって、優れたロゴは環境に強くなければならぬ。少なくとも、環境変化に対する回避策を想定したデザインでなければならない。黒を基調とするデザインなら、黒い背景で使う場合には白い縁取りをつけるのか、白黒反転バージョンを使うのか、白からでも黒からでも等しく色合いの浮かんでくる配色にするのか、考えてデザインしなければならない。▼ロゴ色に青と赤が好まれる理由は、ここにもある。青や赤は、黄色や緑に比べて白地にも黒地にも立たせやすい。しかも青は他の色に比べて認識の分解能が低いので、環境に合わせて色相を変えても同じ「青」として認識されやすいという利点も持つ。迷ったら青を選んでおけば、間違いは起きにくいということだ。▼次点は色調反転で二種類を用意できる二階調デザインだろう。私の好みでもある。

[2919] Aug 28, 2017

ホーム階とコンコース階をつなぐエレベーター。上部にこんな張り紙がしてある。「お身体の不自由な方、乳幼児をお連れの方、お年寄りの方にご配慮ください。」普通だ。しかしよく見ると、文面の一部は後から貼り直されている。うっすらと見える背後の文字。もとの文面はこうだ。「お身体の不自由な方、乳幼児をお連れの方、お年寄りの方がご利用の際にはご協力をお願いします。」▼大筋の主張は変わらないのに、なぜ書き直されたのだろう。文面が端的になったのは確かだが、わざわざ貼り直すほどでもあるまい。修正後の文面が意味するところは、平たく言えば健康な人は彼らに先を譲るかエスカレーターないし階段をつかってくれということだが、ご協力をお願いしますという言い方だと、乗り降りを手伝うような意味に解釈できてしまうということなのだろうか。▼「乳幼児をお連れの方」の一人として、そんなことを考えながら東戸塚駅をあとにした。答えは出ない。

[2918] Aug 27, 2017

今日は子どもの一歳の誕生祝い。誕生日は明日だが、誕生会は日曜日のうちに行う。平日ではいろいろ難しい。▼恒例儀式の一升餅と選び取り。一升餅は結んだ風呂敷のバランスが悪く立つのが精一杯だったが、その後、面白そうに両手で掴んで持ち上げていた。2kgを持ち上げるパワーは十分にあるようだ。パワフル。▼問題が起きたのは選び取り。恐らく、適当にひとつを選んで、いつも通りそこらへんに叩きつけたり捨てたりして、どれを選んだやらめちゃくちゃにされるだろうと思っていた。ところが、いざやってみると全く興味を示さない。選び取りとは関係のない絵本に熱中している。辛抱強く待って、ようやく選び取りセットの前に来たかと思うと、財布に手を伸ばしてはひっこめ、ソロバンに指を触れてはひっこめ、どれも選ぼうとしない。全くもって普段の我が子ではない。不思議な現象である。▼敷かれたレールには乗らんという強い意思表示だと解釈しておこう。

[2917] Aug 26, 2017

企業のロゴに使われている色で、最も多いのは青系だと言われている。信用できて、冷静で、公平で、知性的。青色の持つイメージはビジネスときわめて相性が良い。特に清涼感と品性の高さを併せ持つ澄んだ青は、とりわけIT系の企業に好まれるようだ。例は枚挙に暇がない。▼次に多いのは赤・橙のグループ。元気で、情熱的で、アクティブで、興奮を誘う赤系の色は、若い消費者をメインターゲットにするような企業に好まれる。恐らくBtoBには青系が多く、BtoCには赤系が多いのではないか。当て推量だが自信はある。どこかに統計を取った論文が転がっていそうなものだ。▼黄色系は少ない。ユーモアがあって、好奇心が旺盛で、無邪気で明るい。黄色の印象は企業的というより個人的である。ピタリと来る業種は限られそうだ。緑はさらに少ない。中庸で印象に乏しく、自然のイメージが強すぎて、非営利な感じがする。環境系の業種以外では使いにくい色だろう。

[2916] Aug 25, 2017

岡山旅行のとき、家を出る前に髭を剃り忘れてしまった。さすがに無精ひげでは尋ねられないので、新横浜のファミリーマートでモバイルシェーバーを購入。新幹線の多目的室で剃らせていただいた。▼刃が新品なこともあってか、思ったよりよく剃れた。この切れ味が三ヶ月持つなら、高級シェーバーの替刃を繰り返すよりモバイルシェーバーの新品を取り換えた方が安上がりなのではないかと思うほどだ。モバイルの本体は電池付きで二千円である。据え置きシェーバーの替刃は六千円前後。九ヶ月以内に交換するようなら、モバイルの方がランニングコストは安いことになる。しかも、持ち運べるし、水洗いしつつも定期的に新しくするから清潔だし、良いこと尽くめではないか。▼そうは言っても家用をモバイルに置き換える勇気は湧かないが、よっぽど髭の硬い人でなければブラウンのモバイルシェーバーは十分実用に耐える。今後は緊急用として会社にでも常駐させておこう。

[2915] Aug 24, 2017

安定を取ると精神は高揚を忘れ、気力は枯れて萎えていく。波乱を取ると精神はかき乱され、脳は刺激を求めてリスク中毒になっていく。どちらに振れても人生は危ない。適度に安定していて、適度に波乱が訪れる。そんな状態が望ましい。▼ギャンブル依存症を生み出す悪質な施設や組織を肯定する立場ではけっしてないが、私自身は、個人的な精神の高揚剤としてギャンブルを利用するのは悪くない手だと思っている。正直な話、瞬間的な熱量、集中度、脳内麻薬の出方で言えば、それなりの馬券を握っているときの最後の直線に勝る時間は他にない。ボケていた脳が強制的に動き出す。良いやる気だろうと良くないやる気だろうと、とにかく錆びついた部分が無理やり動かされて、無暗に行動力が湧いてくる。▼その快感におぼれて中毒になるのではなく、動き出した歯車の中の良い所だけに目をつけて実行力の助けにすることができれば、ギャンブルとも上手く付き合えるだろう。

[2914] Aug 23, 2017

グランドピアノを上から見たときのシルエット。何も見ないで描いてみよう。▼正解はない。ただ、描いた絵と本物のグランドピアノの写真を見比べてみると、高音部の湾曲してへこんでいる部分が、写真よりも深くなっていないだろうか。少なくとも、私はだいぶ深くなっていた。本物のピアノは、思っていたよりへこんでいなかった。とはいえ、本物のグランドピアノを上から写した写真より、私の描いた図形の方がなんとなくピアノのように見える。特徴が強調されてデフォルメになり、より強くシンボル化されたということだろう。▼フラットデザインでロゴやアイコンを創るときは、この点を意識した方が良いモノになりやすい。要するに、表現型を変えるからといって情報の総容量を減らしてはならないということだ。リアリティを妥協して細部が落ちるなら、落ちた情報量は強調によって補われなければならない。全ての表現について同じことが言える。情報量を意識せよ。

[2915] Aug 22, 2017

昨日は帰宅後、サーバーのバージョンアップによるアクセス遮断とやらで「400」にアクセスできなかった。したがって記事は今日、まとめて投稿している。▼アクセスログを放棄した今となっては、どれほどの閲覧者がいるかもわからない「400」だが、内容はともかくページのレイアウトが時代にそぐわなくなってきたとは感じている。事実、現行のほとんどのブラウザでは、正しく40文字改行に表示することができていない。もしかしたら、この記事が40文字改行を前提に書かれていて、正しく表示されれば改行部分は禁則にかからないよう配慮されていることを知らない読者もいるかもしれない。そう、もしあなたが今読んでいる記事が「40文字×10行」の箱型になっていないとしたら、それは「400」の真の姿ではないのだ。▼とはいえ、私も自分のタブレットや携帯ですら真の姿が見られない状態が続いている。そろそろバージョンアップが必要かもしれない。

[2914] Aug 21, 2017

ゆっくり準備を始めている「二つ先」の企画。長編メドレーを終えて、CD第二作目を終えた後の話だ。いまはこれがいちばん楽しみなので、自然と手元の制作も加速する。問題はプロジェクトも焦げ臭くなってきたことで、やる気と反比例して使える時間は減っていくが、これはもう残された時間に優先度をつけてやりくりするしかない。食器を洗いながらでも曲は聴ける。掃除機をかけながらでも口笛は吹ける。洗濯物を干しながらでも企画の詳細は詰められる。▼口笛はともかく、頭の中だけで出来ることなら、褒められたことではないが仕事中にでも進められる。作業の進めようがない待機時間にノートへメモやスケッチをするくらいは、息抜きの範囲として許されてもよかろう。こういうときも、紙のノートだと机の上に残してくるのが不安になるけれど、ロック付きで肌身離さず持ち歩いているiPadなら何の心配もない。常在戦場の精神で、日々思考を重ねられるのは嬉しい。

[2913] Aug 20, 2017

岡山旅行のあいだの400はすべてiPadで書いた。この程度の字数なら、打ちにくいことは打ちにくいが、ソフトウェアキーボードでも問題なく書ける。ただ、本格的にブログを更新したり、チャットツールで他人と交信したりするのは厳しい。日常的に文字を入力する道具として使うならスマートキーボードが要る。▼あまり語られていない視点だが、もうひとつ。日本語入力機能が乏しく和文を書くには適さないと評されることの多いiPadだが、これは人による。急いで書く人にはたしかに向かないが、内容を考えながらゆっくり書く人にとっては、たいしたストレスにはならない。ブログのような執筆スピードが求められる世界では「適さない」と言われても仕方がないだろう。だからといって万人に適さないとは思わない。▼スマートキーボードの購入はいまだに悩むところだが、目下、必要には迫られていないので”錘”になるのがオチという気もする。様子見を続けてみよう。

[2912] Aug 19, 2017

強烈な日射と紫外線。連日、三十五度。晴れの国・岡山から横浜へ帰還すると、そこは地獄のような大雨だった。▼最寄駅到着は午後七時十分。降水ナウキャストを見ると東京方面から南下してきた「紫色」の塊が、ちょうど私たちの真上を通過しようとしているところであった。紫色、つまり80mm/h以上の豪雨。タクシーの選択肢も考えてはいたが、暴風雨に晒された乗り場でベビーカーやらキャリーバッグやらをトランクに詰め込んでいたら傘を差さずに歩いて帰るのと大差ないほど濡れてしまう。すぐに断念した。▼実際、タクシー乗り場に並ぶ人は誰もいなかった。それどころか、開き直って豪雨の中に飛び出す人もいない。皆が揃って駅舎内で雷雨の通過を待っていた。これは、スマートフォンで雨雲の様子や小一時間後の予想を確認できるようになったため、合理的な判断を下せる人が増えたということなのだろう。ささやかにテクノロジー進化の恩恵を感じる光景であった。

[2911] Aug 18, 2017

人工知能に野球の監督をやらせたらどうなるだろう。天下分け目の大事なゲーム、その僅差の終盤に、相手チームとの対戦成績も最悪で、球場別防御率は驚異の二桁、このところは素人目にも疲労が重なって僅差のゲームでことごとく失点していた、まさに誰が見てもそこだけはないというようなリリーフを投入して逆転負けを喫するなどということがあるだろうか。▼旅先で野球の話もどうかと思うが、ご覧の通りベイスターズは今日、かなりイヤな負け方をした。采配批判をする気はないが、上記のデータは真実だ。最悪の相手、最悪の環境、最悪のコンディション。そのデータは当然、監督の頭の中にもあるわけだから、それを踏まえて指名したのであれば、もはやそこには私たち外野の知り得ない高度で長期的な思惑があったのだろうと思うしかない。▼前向きに考えれば、2位狙いへ気持ちを切り替えるには良いタイミングだった。今年はぜひCSをハマスタで開催してほしい。

[2910] Aug 17, 2017

岡山、倉敷に来ている。二度目の来訪。このたびの目的はお見舞いなので観光名所は訪ねていない。あわてて予約したパック旅行のホテルは奇しくも前と同じ倉敷ロイヤルアートホテルであった。予約時に見たエントランス天井の写真に見覚えがあると思ったが、記憶は正しかったようだ。▼0歳児を連れての旅は、なかなかにしんどい。数ヶ月前に小倉を訪れたときはステーションホテルだったこともあって行き帰りの新幹線しか移動の苦労はなかったが、今回のように駅から遥か離れたところへ行くとなると、移動する車にチャイルドシートは取り付けなければならないし、そこへくくりつけている以上移動中のぐずりをどうすることもできないし、移動先でもオムツ替えと食事・授乳の場所を探さなければならないし、そもそも誰かが常に抱いていないといけないので大人の手も埋まる。さらなる制限付き育児ゲームである。難易度は高い。▼それでは、明日の戦いに備えて寝よう。

[2909] Aug 16, 2017

横浜土産というと、横浜市外の人は何を想像するのだろうか。聘珍楼の肉まん、崎陽軒のシウマイ、ありあけ横濱ハーバー、煉瓦シリーズ、ビスカウト、などなど。このあたりが定番と言えそうだが、肉まんとシウマイ以外の菓子類はどうも私自身が好みでなく、食指が動かない。だからいつも、お土産には鳩サブレを選ぶ。こちらは鎌倉なので正確には横浜土産ではないが、関東圏外に出るなら神奈川土産として差し支えないはずだ。▼博多の明太子、岡山の桃、北海道の乳製品など、誰でもイメージできる名産品を持つ県は、土産に困ることがなさそうでうらやましい。横浜にだって中華街の肉まんがあるじゃないかと言われそうだが、肉まんは横浜の「名産」とは言いにくいし、肉まんくらいわざわざ土産にするほどでもないようなと思ってしまう。そう思ってしまうところが地元民の思考なのかもしれないが、払拭するのは難しい。▼したがってこのたびも鳩サブレを持っていく。

[2908] Aug 15, 2017

小さな寝不足の積み重ねに祟られた。二十二時頃、小一時間仮眠するつもりでベッドに横たわったら、朝の四時半であった。自然と目が覚めたのだから、実際に寝たのは二十二時半くらいだったのだろう。ばっちり六時間睡眠だ。▼シャワーを浴びて冷水を飲んで、今は午前五時。不可能な話とわかってはいるが、この時間に毎日眠気なく起きることができたら、いろいろ捗るだろうにと思う。同じ明晰な頭でも、夜の二時間より朝の二時間の方が、あれこれ出来そうな気がする。仕事時間に縛られて朝方になれないのは、それだけで人生を少し損しているようだ。▼めずらしいことに、音楽にまつわる夢を見ていた。何でも即興で弾ける天才型のピアニストが、ポップスからクラシックまで何の脈絡もないプログラムを初見で弾いていく。私はときどき鍵盤を叩こうとするが、すぐに音を間違えて元通り見学に下がる。演奏されるのは私の知らない曲ばかり。何を意味する夢なのだろう。

[2907] Aug 14, 2017

「うちより労働環境のひどいところは山ほどあるよ」という同僚の言葉に同意するも、その発言を我々の方がしてしまうのはいかがなものか。そんな話をした。▼完全なるホワイトだと胸を張って言うことはできないが、同業他社に比べれば私の職場はかなり恵まれている方である。働く者の裁量は多い方だし、急な休みも取りやすく、プライベートの事情も考慮してくれる。給与面以外の待遇は特A級と言っても良い。しかし、冒頭の発言はブラックな環境に身を置く社員が、わが身のつらさを甘えと錯覚させて、自分で自分に不当な鞭を打つときに使われる文言でもある。ここより楽なところなんてそうそうない。こんなことでは他へ行っても通用するわけがない。自分はまだ良い方なんだ。云々。▼自社への素直な感謝と帰属意識か、あるいは単なる現実逃避の錯覚か。客観的に判断できていると思い込んでいると、ゆでガエルのように知らず破滅の道へ誘われているかもしれない。

[2906] Aug 13, 2017

弟に戦利品を聴かせてもらった。相変わらず完璧な音作りだ。ミックスもプロの作品と変わらない。曲のクオリティは確実に前作より進化している。しかし、どういうわけか、どのタイトルも素晴らしい曲とは言いにくい。印象的なアルバムかと問われれば、好意的に見てもノーである。故に、具体的な名前はここでは明かさない。▼残念さの理由は恐らくふたつある。第一に、どの曲にも「なるほどそう来たか」と言える部分がなかった。予定調和的で意外性が全くないか、流れとの脈絡がなく予想不可能であるか、どちらかの展開しかなかった。「ここを聴きに来た」というポイントを見い出すことができなかった。第二に、どの曲も一曲の中に要素を詰め込みすぎていた。何でもできるが故に何でもやっている状態で、曲に制限や際限が感じられず、結果として全てが似たような印象になってしまった。▼つまり、計画的なメリハリがなかったのだ。この評価に集約してよいだろう。

[2905] Aug 12, 2017

休日出勤を半ドンで切り上げて子どものファーストシューズを買いにみなとみらいへ。土曜日のみなとみらいというだけでも大混雑必至なのに、「ピカチュウ大量発生チュウ」なるジャックイベントの余波を受けて、飯屋の大行列はもちろん、そこにたどり着くためのエレベーターにさえ長い行列ができるほどの殺人的な混雑であった。ベビーカーに汗の滴る猛暑の夕方である。▼結局、遅い昼飯には『ガーリック・ジョーズ』というにんにく料理店に入ったが、そこのにんにくパスタはかなり旨かった。シンプルなパスタに刻みにんにくとにんにくチップが惜しげもなく絡み、具材は大粒の焼きにんにく。そこに濃い味のにんにくソースがかかっている。にんにくがゲシュタルト崩壊しそうなメニューの中でもひときわにんにく度の高い一品ではないだろうか。▼にんにく好きとしてはマークすべき店を見つけられたので収穫あり。ただ、その後にまわった店の店員には申し訳なかった。

[2904] Aug 11, 2017

読書感想文のせいで読書や国語が嫌いになったという人々は一定数いる。私も、読書感想文はとりわけ苦手な方だった。どうしても提出しなければならないときは、本文の適当な箇所をコピペして、そこにありきたりな口語の雑感を添えて出した。さいわい、もともと読書になんの興味もなかったので、それで読書が嫌いになるということはなかったが、結局、大学生になるまで本を読もうとする機会はなかった。▼思うに、感想文の嫌われぶりの原因は目的の曖昧さにある。目的が文章の練習なら、想像でも実体験でも作文はできるのだから、読書という趣味を押し付ける必要はないし、目的が本を読ませることなら、文字よりスピーチが得意な子もいるのだから作文を強制する必要はない。入力と出力の組み合わせを一形式に強制して二兎を追うから、読書感想文はいまいち私たちの心にフィットしないのではないだろうか。▼それぞれ二つの宿題に分けた方がよほど良いように思う。

[2903] Aug 10, 2017

くだけた言葉遣いで、皮肉もユーモアもたっぷりあって、読者いじりもこなれた感じのテンポ良い長文ブログを読んだ。日本語の使い方もパロディの置き方も素直に上手い。格好をつけようとして、ちゃんと思惑通りに格好良くなった稀有な例だ。読んでいて楽しい文章になっている。▼それなり長い文章歴で、私はああいうしゃれた語り口を目指したことがない。くだけてやわらかい印象を理想としつつ、やってきたのはただ丁寧に書くことだけだった。ひたすら丁寧に、そして丹念に書くことを極め、それを尋常ならざる度合いまで徹底すれば、しぜんと崩れたところは他にない魅力になるだろうと思ってきた。▼根底にあるのは、自分を消すことでしか自分は現れないという思想だろう。誰にでもできることを、誰もがそうするべきで、そうするであろう形に、近づけていくということ。その行為を丁寧にやればやるほど、私は消え、そして私が現れてくるはずだ。私は丁寧がいい。

[2902] Aug 09, 2017

子どもが風邪をひいたのは先週中頃。その風邪を私がもらってきたのは先週末。以来、咳と激しい喉の痛み、それに大量の鼻水をともなうきわめてタチの悪い風邪が、家族全員を巻き込んで猛威を振るっている。熱は出ない。高熱でうなされてぐったりするような風邪でないだけに、仕事には出られるからマシと言えなくもないが、治らないことにかけては近年でも三指に入るしつこさである。今も咳。そして喉痛。うっとうしい。▼結局、子どもが保育園でウイルスを仕入れてきて、大人がそれに悩まされるという、事前に聞いていたイヤな図式が見事に完成してしまった。保育園が始まったら、こっちも風邪なんて一年中ひきっぱなしだよと笑っていた先輩の弁に誇張はなかったようだ。いや、健康なときもあるので誇張はされているけれど、時間差で順繰りに病人が出てくるから、気分は年中風邪なのである。▼プロジェクトはまもなく佳境。今回は年末年始がピークになりそうだ。

[2901] Aug 08, 2017

銀行騒動、最終章。▼平日窓口のみでの取り扱いという説明を受け、今週仕事の忙しい私は弟を代理に任命した。代理人でも通帳と印鑑があれば手続き可能であることはサポートにて確認済みである。どうあれこれで終止符が打たれるであろう。▼昼過ぎ、弟から届いたメッセージ曰く、その案件ならインターネットで処理出来るという。素晴らしい。いやちょっと待て。それはATMでやれと言われ、窓口でやれと言われ、平日が無理なら土曜日開店の支店でやれと言われ、土曜日は無理だから平日の窓口でやれと言われた案件である。なんとか平日来なくてよい方法はないかという問いに、平日昼にお越しくださいとにべもなく突き放された案件である。誰も、何も知らない。寒気がする。▼こんな経緯なので、インターネットでやろうとしたら「窓口へお越しください」と言われても、もはや驚かないだろう。ここまで来たらもう良い。記事のネタがひとつ増えると思うことにする。

[2900] Aug 07, 2017

「NotabilityがOneDriveと連携していないのはつくづく痛い。」そう書いたのが今年の六月二十五日。随所のフォーラムでも不可解なる欠点として挙げられていた問題だが、このたびのアップデートでとうとうOneDriveに対応した。最高のタイミングだ。早速自動同期先をOneDriveに変更。あっという間に全てのノートがいつものクラウドディレクトリに保存される。素晴らしい。完璧だ。▼写真・動画・書類・音楽・ノート・自炊。少なくともクラウドで保存すべきデータについては、ついに一元化できたと言える。今後ローカルに置くのはゲームと音源くらいのものだろう。とはいえマイクロソフトの目論見通り、これでOneDriveないしOfficeとは一蓮托生。よほど格安のサービスが現れない限りサブスクリプションを解約することはできなくなったが、価格も良心的な設定だし、どのみち事あるごとに見たり編集したりしなければならないOfficeである。向こう十年は問題なかろう。

[2899] Aug 06, 2017

やっぱり銀行はきらいだ。▼何度も遠くの支店まで足を運ばされた某案件の続き。最後の訪問で、残りの手続きはATMで出来るという説明を受けた。しかし、最寄りのATMに繰り出したところ、何度操作してもエラーが出てくる。備え付けの電話でサポートに聞くと、窓口なら対応できるからそちらへ行ってくれと言われる。さいわい子どもの風邪で会社を休んで平日の昼だったので、その足で駅の窓口へ。ベビーカーを揺らしながら待った末、申し訳なさそうなスタッフ曰く、この支店では取り扱いできないとのこと。では、横浜駅前支店ならどうか。あそこなら土曜日もやっているから、平日でなくても手続き可能ではないかと訊いて調べてもらうと、出来るという回答。▼後日、土曜日。再び子どもを連れて電車で猛暑の駅前支店を訪れると、土曜日に該当案件の取り扱いはないという。平日の昼に来てくれと。……。▼近い将来、銀行業務のほとんどはAIに取られるだろう。

[2898] Aug 05, 2017

コミュニケーションが苦手だと自認する人々へのアドバイスとして「人の話をちゃんと聞こう」という定型文がある。たしかに、皆から会話が嚙み合わないと言われたり思われたりしている人の多くは、自分がいかに会話を乗り切るかということに集中しすぎているのか、あまり人の話を聞いていない。ただ、コミュニケーションが上手な人から見た下手な人の印象がそうだとしても、このアドバイスは片手落ちだ。もうひとつあっていい。「人の話をちゃんと聞いたと伝えよう。」▼そうと判明する機会は少ないが、人の話をきちんと聞いているにも関わらず、まるで全く聞いていないかのようにふるまう人がいる。悪意があるわけではない。自分の中では同意したり、なるほどと思ったりしているのだが、その内的なリアクションによって勝手に応答が完了したことになっているのだ。▼どうだろう。こちらの方が、本当に相手の話を聞いていないケースより多いのではないだろうか。

[2897] Aug 04, 2017

組織再編で上司が変わったとき、これはチャンスだと思った。今まで不遇だったわけでは決してないが、環境が変わることで得られる利点が少なくとも二つあると思った。▼ひとつは、評価がリセットされること。ただし悪いイメージを無条件に清算できるというネガティブな方向ではない。むしろ逆だ。自分が積み重ねた実績に対する良い印象の履歴が無くなることで、昔取った杵柄が通用しなくなり、あらためて自分は今何が出来るのかを自分で自分に厳しく問い質さざるを得ないことの方が大きい。現在で評価される環境に身を置かないと、人は腐っていくものだ。▼もうひとつは、スキルランキングに再挑戦できること。同じ人たちの間で長く仕事をしていると、この技術に関しては自分がトップだなと確信できる時期がいつか来る。良いことには違いないが、やはり成長の止まりやすいところだ。環境の変化は、怠け者でも「俺より強い奴」に会いに行けるチャンスなのである。

[2896] Aug 03, 2017

Kindleストアが本好きの購買意欲を掻き立てにくい場所である理由を考えてみた。大きく二つ。街の本屋さんと比較しての話だ。▼一、Kindleストアは「買うべき最後の一冊」を決定しにくい。目的に沿う本を探してランキングやカテゴリから候補を絞るものの、いざ買う段になると、他にもっと良い本があるのではという思いに捕らわれてしまう。特定のフロアや本棚を見尽くして「やはりこれが一番だな」と自分を納得させることのできるアナログ本屋とは、この点が決定的に異なる。▼二、書籍の一覧性が低い。Kindleストアの検索は、すでに知っている本の特定には便利だが、新たな本の発掘には向いていない。ここも物理本棚の圧勝である。目当てのジャンルの書籍タイトルを「ざっと見れる」ことの利点は限りなく大きい。▼Kindleは早くバーチャル本屋のUXを作るべきだ。さすれば売り上げは倍増するであろう、とまでは吹けないが、少なくとも私の利用頻度は十倍増する。

[2895] Aug 02, 2017

『PLAYERUNKNOWN'S BATTLEGROUNDS』、通称「PUGB」を遊ぶ。▼ルールは単純明快。8km×8kmの島に投下された100人の中の1人として、無差別の殺し合いを生き抜き最後の1人となること。銃も防具も、回復薬も移動手段も、全て島の中で集めなければならない。まさにリアル・サバイバルゲームである。▼初プレイの感想は、かなりしびれる。島に降り立った瞬間から四方八方に気を配らなければならないし、最低限必要な装備を集めることができた後も、常に視界外からの射殺に怯えながら慎重に移動しなければならない。物資を補給するために無人と信じて侵入した廃屋も、暗い部屋の隅で誰かがショットガンを構えているかもしれないのだ。▼スプラトゥーンもそうだが、現実では実現不可能だけれど、やれるならこんなことがしてみたかった、という遊びの願望を叶えてくれるゲームは支持を集めやすい。みんながやりたいと思ってやれずにいた遊び。他にもありそうな気がする。

[2894] Aug 01, 2017

ついに東芝が東証二部に降格した。このまま東芝メモリの売却がごたついて債務超過が解消されなければ上場廃止も現実味を帯びてくる。巨艦堕つ――と言いたいところだが、実際のところ、上場廃止が即ち企業の終わりを意味するわけではない。どこにも株式を上場していない優良企業も数多く存在する。上場は本来、資金調達の一手段に過ぎないのだから、調達力が限られたという点で信用を落とすことはあっても、それが企業の価値に直結するわけではない。▼東証一部上場あるいは二部上場に無理やりしがみつくことで失う信用の大きさと、東証で株式が売買されているくらいだから大丈夫だろうという信用の大きさとのバランスが重要だ。「二部降格」や「上場廃止」といった単語に凋落のニュアンスが大きすぎるのも、かつての名門を一部上場に引き留めている一因のように思える。東芝の顛末については今年中に形がつくだろう。我が家のテレビも東芝。動向を見守りたい。

[2893] Jul 31, 2017

シャドウバースがデジタルカードゲームの末期を迎えつつある。運営がひどいとか、つまらなくなったとか、そういうネガキャンをするつもりはない。ただ、新弾で客寄せのために追加した、明らかにマナレシオ度外視のピーキーなカードを一ヶ月足らずでナーフしたり、課金アイテムの大型パックを回数限定で安売りしたりと、あからさまな利益回収策がユーザーにも見え始めたあたり、タイトルを畳むことも視野に入れての後期運営に入ったと見るのが妥当だろうと思っている。▼プレイ時間、熱中度、デッキ構築をめぐる同僚との会話、通勤時間の眠気覚まし、などなど。得られたものをひっくるめて見れば、合わせて千数百円の課金には十分見合ったゲームだったと言える。仮にプレイ時間を全てKindleコミックに充てていたら、出費は二万や三万では済むまい。だからゲームの方が良いと言うのではないが、スマートフォンゲームが金食い虫かどうかは、付き合い方次第である。

[2892] Jul 30, 2017

結局『ニンテンドースイッチ』は弟の所有となった。単に弟が『スプラトゥーン2』を遊びたくなったからという心変わりもあるが、そろそろ抽選本数も増えてきていて、アマゾンでも販売が始まりつつあることから、私がマリオを遊びたい時期には今ほど入手困難なハードでもないだろうという楽観的な予測が主な理由だ。それに先日書いた通り、今すぐ遊びたいソフトがあるわけでもない。それなら、遊びたいゲームのある人が持っていた方がいい。▼『スプラトゥーン2』のプレイを傍で見せてもらった。今風のデザイン、若者向けの雰囲気、シンプルで奥深いゲーム性。わかっていたことだが、やはりさすがは任天堂と思わせるだけの風格はある。「2」が続編としてどう進化したのかは知らないが、世界中でブームを巻き起こせるだけのポテンシャルはありそうだ。であれば、豊富な宣伝資金力がいっそうモノを言う。良いものがよく売れる。その好循環の条件は満たしている。

[2891] Jul 29, 2017

寝室で寝る前に音楽を鳴らしたいとき、わざわざベッドを抜け出して隣の部屋からCDを選び、テレビ台のガラス戸を開けてBDプレイヤーにセットするのは面倒だ。たいした仕事量ではないが、そのほんのちょっとの煩雑さが、眠いときや疲れたときに音楽をかける気力を削いでしまう。もっと手軽に、たとえばスマートフォンの音楽や動画をワイヤレスで転送するようなことができればと思っていた。▼ワイヤレスの受信機をアンプに取り付ける案や、安めのコンポを別に買うことも検討したが、結果的には、何も買い足すことなくやりたいことはできた。なんのことはない、BDプレイヤーはすでにネットワークに参加しているので、スマートフォンアプリの側からコンテンツをキャストしてやれば、音楽でも動画でも再生することは出来たのだった。Wi-Fi経由だからBluetoothのように音質が劣化することもない。これからは今まで以上にスピーカーを活躍させてあげられそうだ。

[2890] Jul 28, 2017

最近、動詞でモノを指すことが増えた。「運ぶやつ取って来よう」――キャスター。「どこへ行ったっけ、あのピッてやるやつ」――リモコン。「書くやつある?」――ボールペン。▼年を取るにつれ、複雑な名前でなくても名詞がとっさに出てこなくなる。リモコンという言葉を忘れているわけではないが、リモコンが欲しい時に頭に思い浮かべる、あのエアコンにかざして「ピッ」と温度を変えるあいつ、それが「リモ…」なんとかであることを思い出すまでの時間が、コンマ数秒遅くなっているのだ。それで、言い淀むのもテンポが悪く、先に想起したイメージの方、つまり「ピッてやるやつ」と口走ってしまうのである。伝わればそれで御の字、伝わらなければ猶予の時間に本当の呼び名を思い出せばいいというわけだ。▼そういうわけで、人は年齢を重ねるにしたがいエピソード記憶に頼る頻度が増えてくる。若いうちに経験を積んだ方がよいとされる理由の一つかもしれない。

[2889] Jul 27, 2017

プロジェクトが暗礁に乗り上げている。ここに来て中核の仕様が定まらない。ひとつ定めては問題が見つかり、最初から考え直しになっている。悪循環なのは、実装者が働くのは主に昼なので、その実装の結果を受けてコアメンバーが仕様を検証するのは夜間になりがちということだ。いい加減な仕様をつくっていると非難するつもりはないが、深夜のテンションで可能性があると思い込んだ仕様を翌日に捻じ込んで、入れてみたら既存の仕様と折り合いがつかずに頓挫する、というループが繰り返されている気がする。▼とにかく時間がない。時間がないから焦って付け焼刃の仕様を入れる。それが思うように機能しなくて、さらに焦る。スケジュールがタイトなことで生まれる良い効果もあるが、残念ながら現状はタイトなことによって諸々良くない方向に進んでいる。▼午前零時三十分。今も彼らはアイデアを絞りだしている。私に出来ることは、明日、全力で実装することだけだ。

[2888] Jul 26, 2017

夕方過ぎ。プロ野球速報を覗いたら6−0でヤクルトが敗けていた。昨日の乱戦をかろうじて制したと思ったら、またすぐに大敗するのかとライバルチームながら嘆息交じりに見ていたが、さて残業を終えて帰宅する段になると、ベイスターズの喜ばしい勝利の裏でヤクルト戦も10−10という目を疑うようなスコアになっていた。そしてまもなく、代打大松のサヨナラホームラン。大逆転勝利である。▼10点差を覆しての勝利は20年ぶりのプロ野球タイ記録。セ・リーグでは66年ぶりとなる。今回のように七回時点で10点差がついていて、そこから逆転した例はないらしい。やられた中日はたまらないが、奇跡というより他にない。▼たとえ怪我人続出で最下位を独走していても、逆転の狼煙が上がればベンチには活気がみなぎるし、サヨナラの瞬間には選手たちも全力で喜ぶ。後向きなファンが毒づくほど選手は諦めていないし、腐ってもいないとわかる。良い一幕だった。

[2887] Jul 25, 2017

高校の物理教師がよく言っていた。運動方程式を立てろと。どんな物理的状況に対しても正しく運動方程式を立てられるようになれと。それが出来なければ、どんなに難しいテクニックを身につけていようと、問題数をこなそうと、所詮、真の難問には手も足も出ないのだと。基本を何よりも重んじる先生だった。中間テストでは「F=ma」のような、もっとも単純で、もっとも当たり前の解答欄に最高の配点がついていた。▼基本が何より大事とは、誰もが強調する学習ノウハウのひとつだが、この言葉はしばしば誤解されている。基本が大事というのは、基礎的な知識を身につけることが重要という意味ではない。ただ基本的な状況を正しくハンドリングできるかどうかをもって、自分の実力を確かめよということだ。ひねりのない問題を、ミスなく、無駄なく、迅速に解いて正しい答えを出せること。それが出来ないうちは、何が出来ても実力があると勘違いするなという意味である。

[2886] Jul 24, 2017

正しさに早く辿り着く力。クリエイティブな現場は、この力によってのみ導かれていると言っても過言ではない。▼仕事が遅い人、スケジュールが遅れるチーム、運営が破綻するプロジェクト。共通しているのは、明らかに正しくないものを巡って云々する時間が長すぎるということだ。彼らは、皆でアイデアを出し合って、その中から良いひらめきがひとつ見つかりさえすれば、仕事が大きく前進すると思っている。しかし、現実には担当者やチームメンバーが単に勉強不足であるか、良し悪しを判別する感性がないために、明白な不正解を相手取って侃々諤々やっているだけの場合が多い。▼すぐに「答えのない問題」とか「複雑な問題」とか言い出すような人やチームは要注意だ。真に答えのない問題などそうたやすくは現れない。中学生には微積分も行列計算も運動方程式も、答えの見えない難題に見えるだろう。何もかもが複雑な問題に見えるなら、つまりそういうことである。

[2885] Jul 23, 2017

弟が『ニンテンドースイッチ』を買ってきた。早朝、秋葉原のヨドバシカメラで購入権の抽選に当たったらしい。以前、横浜のヨドバシカメラで普通に売られているのを横目に素通りして以来、あっという間にVRもびっくりの品薄になってしまったが、ひょんなことから再び所有する機会が巡ってきたわけだ。欲しければ定価で売るというので、買うことにした。▼今、とりわけ遊びたいソフトがあるわけではない。マリオオデッセイの発売まではブレスオブザワイルドでも遊ぶか、はたまたスプラトゥーンに手を出すか。しかしイカはどうも食指が動かない。ただ、本体の売れ行きは絶好調だし、これまでのハードと違いサードパーティーとの連携にも本腰を入れているので、そのうちビッグタイトルが出てくる可能性は高いだろう。焦って興味のないソフトを買う必要もない。▼我が家にとっては『Wii』以来となる任天堂ハード。今度こそタンスで埃をかぶることのないよう祈る。

[2884] Jul 22, 2017

銀行というのは、とにかく面倒なところだ。ある案件でやりとりしているが、かける電話は部署から部署へ転送の嵐。書類はFAXで送れといい、FAXで送った書類を支店へ郵送するから時間がかかるという。証明書ひとつ発行してもらうにも、依頼書を書きにご本人様がご来店、後日、受け取りに再びご本人様がご来店。朝九時から十五時まで。休日は営業せず。郵送は不可。オンラインで発行できても良さそうな紙一枚に、会社を二日も休めと申すか。非効率の塊みたいなところである。▼本社と支店で言うことが違うのも解せない。申し込み窓口で聞いた話を、支店担当者に問い質すと回答が食い違う。出来ないと言われたことが出来たり、出来ると言われたことが出来なかったりする。ルールを雁字搦めに固め過ぎた結果、自分たちでも何が正しくて何が正しくないのか把握できなくなってしまったというわけだ。▼どことは言わない。三井住友の対応はまだしっかりしていた。

[2883] Jul 21, 2017

ときどきセブンイレブンのチーズバーガーが食べたくなる。”濃厚”ではないの方の、昔からある安いやつだ。レンジで温めると濡れてぺしゃんこになるバンズ、もともと薄っぺらいビーフパティ、オマケ程度にとろけるチーズ。ひとつひとつ評していくとロクな文面にならないが、これらを組み合わせて完成するハンバーガーには、チープながらも他にはない独特の味わいがある。▼もしこのチーズバーガーがクオリティなんてものを追い求めていたら、きっと私のローテーションに入ることはなかっただろう。それは単なる専門店ハンバーガーの下位互換でしかない。そうではない。安価なコンビニ商品という制約を受け入れつつ、なんとかまとまりのある味にしようとしている意志に価値があるのだ。▼自分なりの良さを突き詰めた品にはいつか出番が来る。自己流を貫き通せば価値が生まれてくる。その価値を磨くのが洗練である。価値のないものを洗練してもあまり意味はない。

[2882] Jul 20, 2017

KindleアプリはSplitViewが使えないが、Safariで"Kindle Cloud Reader"を起動すれば左に電子書籍、右にノートが出来ると聞いて試してみた。確かに出来る。クラウドへの接続はやや面倒だが、慣れてしまえば気にならなくなるだろう。では早速いくつか既存の書籍を開いてみようではないか――「この本はKindle Cloud Readerでは開けません。」▼最初は、対応していない本が僅かに存在するのだと思った。けれども、二冊目も三冊目も同じメッセージに阻まれた。それどころか、ついに開くことのできる書籍はなかった。調べてみると、クラウドリーダーで読めるのは漫画か雑誌か洋書のみ、つまり「日本語の一般書籍は対象外」ということのようだ。なんだそれ。▼iPadでアプリ内購入できない件といい、フリーのリーダーにも劣る本棚の使いにくさといい、インターフェースの改善されなさといい。AmazonのKindleに対するやる気のなさこそ、目下電子書籍最大の障害である。

[2881] Jul 19, 2017

国コードについて調べていたら、ドミニカが二つあることに気がついた。ドミニカ共和国とドミニカ国。なんと、違う国だったのか。▼ドミニカと言えば「ドミニカ共和国」のことだと思っていた。イスパニョーラ島の東部に位置する国。スペイン語を公用語とし、NPBにも出身者が数多くいる、あの野球大国ドミニカである。しかし、それとは別に「ドミニカ国」も存在する。こちらは小アンティル諸島のドミニカ島を領土とし、英語を公用語とする共和制国家。ドミニカ共和国もドミニカ国も共和制なので、共和制の方に共和国の名が与えられているわけではないところが最高にややこしい。▼コロンブスの上陸なりハイチの占領なり、世界史に頻出するのは共和国の方だ。ドミニカ国にもコロンブスは訪れたし、フランスの植民地になったり英国の植民地になったりしたが、歴史の表舞台にはあまり登場しない。だからドミニカ=ドミニカ共和国の印象がついてしまったのだろう。

[2880] Jul 18, 2017

以前、正規品のインクを使って光沢紙・高品質設定でハガキを印刷していた頃は、二百枚刷るのに約五千円〜七千円のコストがかかった。カートリッジを全色1セット半ほど消費していた計算だ。▼しかし、これでは印刷のたびに金がかかりすぎるということで、画質の妥協点を探って各種設定を見直し、インクも互換品に。結局、高品質のときとたいして変わらない品質のハガキを同量の二百枚刷るのに、今度はたったの千五百円で済んだ。インクも余っているから、実質千円程度と言ってよい。▼互換インクのデメリットは、一度でも使用するとプリンターのメーカー保証が消滅すること。たしかに心許ないが、そもそもプリンターの価格が一万円以下であることを考えれば、千枚くらい刷る頃にはとっくに元が取れている。高価なプリンターならともかく、廉価品で互換インクの使用を躊躇する理由はあまりなさそうだ。▼したがって次回からはこの組み合わせで行く。節約、節約。

[2879] Jul 17, 2017

感動は金では買えない。当たり前のことだけれど、普段はやはり忘れていて、感動したとき思い出す。EVO2017。ストリートファイターV。展開も、結末も、台本があったかのようなドラマだった。そうして、今年の主人公はときどだった。Fchamp戦、板橋ザンギエフ戦、かずのこ戦、そしてグランドファイナル。決勝トーナメントの個人的なベストバウト候補は全てときどの試合である。▼ウィナーズではパンクが絶望的な強さを見せつけていた。並み居る強豪プロゲーマー達が1セットも取れずに一蹴されていく。もはや彼の優勝は確実か――そんな雰囲気が垂れこめる中、唯一、勝機があるとすればときどだけだというジャスティンの「情報」が、配信を見守る日本人勢に希望を与える。そのときどはルーザーズ。激戦・名勝負を紙一重で勝ち抜きながら、徐々に仕上がっていく豪鬼のテンション。そして迎えるグランドファイナルの逆転劇。▼久々に良い休日だった。

[2878] Jul 16, 2017

子どもをプレイグラウンドに連れて行ったら、前は気に入っていた滑り台にも興味を示さず、ひたすら手押し車を押しつづけた。壁にぶつかったら止まるかと思いきや、そう軽くもない手押し車を力任せに持ち上げて方向を変え、また逆の壁まで驀進していく。そのうち操作に慣れると、小刻みに進行方向を調整しながらプレイグラウンドの出口まで勝手に歩いて行ってしまった。やがてまた同じように戻ってくる。ときどき謎のスクワットをしながら、結局、十分か十五分くらいは歩きつづけていた。▼ここまで気に入っているなら買ってあげたいのはやまやまだが、先日は三歩、今日は夕食時に五歩か六歩、歩いたことを考えると、もうすぐ普通に歩き出しそうな気配がする。そうなっては手押し車もお役御免。軽々には買いにくい。第一、プレイグラウンドと違って自宅は床が広くない。椅子やら何やらに引っかかって思うように進めないのがオチという気もする。判断保留である。

[2877] Jul 15, 2017

綺麗なノートを取る人は頭がいいと言う話を聞く。一方、頭がいい人のノートは汚いという説も耳にする。故にノートの取り方と頭の良さは関係がないという主張も出る。どれが正しいのか。▼どれも正しくはないだろう。記憶の要諦は抑揚だ。学習する科目が何であれ、覚えの良い人は情報に自分なりの濃淡をつける術に長けている。だから、彼らのノートには記された内容に「秩序のあるムラ」が存在する。頭の良いノートとは、ムラのあるノートである。▼このムラがどのように実現されるかは問題ではない。抑揚の好みは性格に強く依存する。「強」の情報を太字で書く人もいれば、下線を引く人もいるし、ペンの勢いで表現する人もいる。言葉の抽象度で区別する人もいれば、絵で表す人もいる。抑揚の段階が増えるほど、整頓されて見えるようになる場合もあれば、元の秩序が見えにくくなる場合もある。このうち前者は綺麗に見え、後者は汚く見えるというだけの話である。

[2876] Jul 14, 2017

伊藤園『お〜いお茶』の売り上げが300億本を突破したらしい。300億本。とてつもない数字だ。1985年から三十余年で、一本100円としても3兆円を売り上げたことになる。▼『お〜いお茶』の前身である『缶入り煎茶』は、伊藤園曰く「世界初の緑茶飲料」。お茶など無料で飲めるのが当たり前と思われていた時代に、言わば缶詰の茶を売り出すという挑戦的な商品であった。「今では当たり前のように売り場に並んでいる緑茶飲料の歴史はこのときに始まり、現在の緑茶飲料市場は全清涼飲料の1割以上を占めるまでに成長しています。」▼私ほどペットボトルの茶を飲んでいる人も少なかろう。『伊右衛門』『生茶』『綾鷹』もそれぞれ個性的で好きだが、『お〜いお茶』はとりわけ最も標準的な、緑茶らしい緑茶として好んでいる。格別に旨い茶というより、喉が渇いたときに飲みたい茶である。「急須でいれた自然のままのおいしさ」にこだわり続けた成果だろう。

[2875] Jul 13, 2017

家事の中でも洗い物は好きな方だ。今日のように山のような食器・フライパン類を片づけるとなると、諸々の後始末も含めて三十分以上はかかるが、その間はスマートフォンで好きな曲を聴いていられる。洗い物は手を動かしてさえいれば思考はさして求められないので、曲の方に耳を集中していても仕事の妨げにならない。であれば、自分の部屋でくつろいでいる状態と心に大差はないわけだ。流しが低いので腰に負担はかかるが、それは掃除でも何でも同じこと。身体の疲労は致し方ない。▼今日はショパンのバラード第一番と第二番、それからベートーヴェンの『熱情』第一楽章を聴いた。前者はルービンシュタインで、後者はマウリツィオ・ポリーニ。『熱情』に限って言えばグレン・グールドの演奏が最高にクールだが、毎度毎度あの異色な演奏を聴くのもどうかと思うし、ピアノソナタ全集という形で全楽曲が整理されているポリーニの方が便利なので、こちらを入れている。

[2874] Jul 12, 2017

かなりタフなバグを追跡していたら、あっという間に五時になった。ようやく原因を突き止めて担当者に連絡。複数の小さなバグが結合した結果の遅延されたメモリ破壊というレアケースだけに、再現から状況確認まで想像以上に手間取ったが、ともあれ成果のない一日にならなくてよかった。▼実装の仕事で数時間集中することは少ない。たいてい、キリのいいところで席を立ってリフレッシュしたり、飲み物を買いにいったり、同僚と将来の仕様や実装について話したりする。しかしバグを追うときは「キリのいいところ」が少ない。とくに今回のようなタフなバグはそうだ。ひとつの手掛かりが得られると次の謎が提示されている。容疑者も証拠も山ほどあるのに、真相へ辿り着くには事件の全容を一から解き明かさなければならない。このパズルは完成するまで意味をなさない。故に休憩も取りにくい。▼没頭した後は、疲労感が一気に来る。明日は単純な実装作業に頭を使おう。

[2873] Jul 11, 2017

これまで読んだ活字の中で良かった作品のランキングを述べよと言われたら。まさに本日そんな話題になったのだが、では何位からと言われてもとっさに答えるのは難しい。三指にしても、挙げたところで大切な作品をこぼしそうな気がする。▼その場で明確な順位は出せなかった。あらためて今、熟考してみると三指は何になるのだろう。単一の作品ではないが、作品群として『寺田寅彦随筆集』は入れたくなる。しかしそれなら『銀の匙』や『カラマーゾフの兄弟』を外していいのかと言われれば悩ましい。この三作に決めれば今度は『森の生活』が入らない。『小林秀雄全集』はさすがに卑怯だろうか。云々。▼そういうわけで、やはりここでも結論は出ない。飲み会の席で「最高のオススメをひとつ」と聞かれたときは、最高とは限らないが、最近読んだ本の中でとりわけ面白かった一冊を薦めるのがよかろう。それなら『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』かな。

[2872] Jul 10, 2017

ついに難関をひとつ突破。曲制作は次の段階へ。▼この手の「壁」があと何枚あるか。恐らく、その枚数だけが必要な時間を決める。これまでの経緯を振り返っても、費やした時間と曲の再生時間には全くと言っていいほど関係がない。完成度にも関係ない。一晩で仕上げた一分の方が、二週間かけた一小節より出来が良いことはままある。筆と同じだ。進まないときは絶望的に進まない。▼それでも、その一小節がなければ曲は先へは進まないのだから、それなりの出来映えに二週間かけようと一ヶ月かけようと、とにかく何らかの形はつけなければならない。どんな壁でも、作品を完成させるには乗り越えざるを得ない壁である。乗り越えなければ完成しないのだから、どんな手を使っても、乗り越えなければならない。▼それは即ち、成長せざるを得ないということだ。あらゆる教本が上達のための大原則として「作品を完成させよ」と声高に主張する理由も、まさしくここにある。

[2871] Jul 09, 2017

仕事のノートが家のPCからいつでも見られるのは想像以上に勝手がいい。ぼんやりとPDFを眺めているだけでも職場での思考を追い直すことができる。土日にまで仕事のことを考えていたいなどとワーカホリックなことを言うつもりはさらさらないが、いまいちエンジンのかかりにくい月曜日の前夜にこうしてちょっとノートをお浚いするだけでも、心構えが出来て良い。休日からスムーズに抜け出していける。▼仕事に限らず、何かをする前に、その何かについて思いを馳せる時間をつくるというのは大切な習慣である。思考のモードを滑らかに遷移させないと、脳は衝撃を受けて疲れてしまう。準備時間を惜しんで即座に切り替えようとすればするほど、切り替えに失敗していっそう深く前のモードを引きずったり、衝撃に耐えきれず頭が混乱したり、後のモードを上手く処理できなかったりする。いわゆる切り替えが下手な人である。▼脳にスイッチはない。定常状態しかない。

[2870] Jul 08, 2017

Aプランを捨ててBプランを選んだものの、どうしても上手くまとまらない。前より良くなっていることはわかるが、やはり何かが足りない。あれを足してもこれを引いても理想と違う。もはや思いつく限りの手を試し終えたような気がしてくる。▼そんなとき、Bプランを仕上げる最後のピースは、意外とAプランの中にあったりする。変則的な灯台下暗しだ。最初に思いついたのがAプラン、それに不満を感じて練り直したのがBプランだとするなら、直感には洗練が足りず、しかし仕上げには直感の捉えた勘所が必要ということなのだろう。▼このたびも似たようなケースだと思う。BプランどころかCプラン、Dプランと改訂を重ねて来たが、どれもこれも何かが足りなくて頷けない。思い立ってAプランに戻してみると、明らかにDプランより出来は悪いが、明らかにDプランにはない、何か重要なものを持っているような気がする。そこには恐らく捨てるべからざる魂がある。

[2869] Jul 07, 2017

足が攣って起きた。この間と同じ右足、同じ攣り方、同じ痛み。前回は二日くらい尾を引いたが、今回も土日中は傷みそうな気がする。今宵はたまたま寝落ちしていたので逆に助かったが、あまり嬉しい出来事ではない。冷房で足が冷えているのかもしれない。▼閑話休題。裁断に出す本の選定は終わりつつある。やはり参考書類がほとんどだ。しかし、左側に参考書、右側にノートという構成で大画面を活かしたいという当初の目論見は外れる可能性も出てきた。いくら12.9インチとはいえ、ハーフサイズはノート側に厳しい。問題集を解くときのメモとしてなら使えるが、がっつりノートを取るには狭すぎる。であれば書き込み可能なビューワーで参考書を読みながら余白に書き込み、ノートはアプリを切り替えて取るのが、中間記憶を一旦脳に保持して勉強効率を高める意味でも良いかもしれないと思い始めている。▼このあたりの按配は、実際に運用してみないと何とも言えない。

[2868] Jul 06, 2017

いつも通りキーをずらしつつクライマックスを創っていたら、これはと思う格好良いアレンジを思いついた。打ち込んで聴いてみる。たしかに、なかなか良い。この方向で行こうと決めて、あれこれ考えた後、キーを原キーにもどして聞いてみた。……なんという気持ち悪い音だろう!▼私は絶対音感の持ち主ではないし、カラオケでキーを変えても難なく歌えるどころか、キーがいつもと違うことにすら気がつかないほど音の”絶対評価”には鈍い。しかし、このたびはそんな耳でもはっきりわかるほど気持ちの悪い音がした。複雑な和音ではない。たった三音、ミ・ソ・シからなる、ごくごく普通のEである。にもかかわらず、該当の文脈に置くと強烈に不協和なファ#の響きが聴こえてくる。試しに一音増やして「ミ・ソ・シ・ファ#」にすると、ファ#のないときとほとんど区別がつかないくらいである。ミックスの特異点なのか、音源の限界なのか。なんにせよがっかりである。

[2867] Jul 05, 2017

弟がアメリカの大学院の書類審査に合格。めでたしめでたし、と言いたいところだが、合格通知が時期的にかなり遅いため、秋の始業へ間に合わせるには各種準備を急ピッチで進めなければならない。残高証明やビザの発行、その他諸々、ひとつでも落とせば進学は叶わないことになる。もっとも、手続きが原理的に間に合わないような時期まで通知を出さない学校側もどうなんだという話だが、どうあれ決まりは決まりと言われてしまう可能性が高い。最大限努力するしかない。▼海外進学。当時、家計の事情と、はやくクリエイト職に就きたいという希望、クリーンルームを抜け出して実務の世界に行きたいという気持ちから、私が選ばなかった道に弟が行こうとしているのは面白い。自分が進学した場合と同じではないにせよ、仮想的にタラレバの世界を身近で見ることができる。今のご時世の海外進学がどういうキャリアパスに繋がっていくのか、見せてもらいたいところである。

[2866] Jul 04, 2017

台風三号、上陸。関東には深夜に直撃する見込み。台風自体の速度は速く、夜のうちに通過してくれる模様だが、明日も台風一過とはならず30%前後の降水確率をうろうろしながら終日曇りがちな天気になるらしい。日中の気温は31度。要するに、じめじめ、むしむし、である。▼思えば六月はたいして雨が降らなかった。梅雨が後ろ倒しになって気温のあがる七月にずれ込んできたような格好だ。じりじりと照り付ける日差しの暑かった五月とは違い、空に厚い雲の垂れこめた灰色の日でも昼食の散歩で汗がにじんでくる。もう暑い春ではない。れっきとした夏だ。▼保育園は今日からプール開きとのこと。残念ながら我が子はタイミング悪くとびひになってしまったので、ベビーザらスで買ってきた二着の水着もお預けになってしまった。とびひの完治期間に明確な目安はない。いつになるかわからないが、水遊びが好きな子なので、この夏のうちに一度は入れればいいなと思う。

[2865] Jul 03, 2017

さいわい息子は手足口病ではなかった。手のひらや足の裏に水疱が出来ていない場合は大丈夫らしい。とびひである。▼とびひ(伝染性膿痂疹)の原因は細菌。したがって治療には抗菌薬が必要で、抗ヒスタミン薬や抗アレルギー薬だけを塗っていても快復は見込めない。場合によっては逆効果になることもあるようだ。▼ときに、最初に訪れた小児科兼アレルギー科でいただいた診断は、栄養が足りないから玄米を喰わせろという指示と、それなり高価な馬油であった。滋養と殺菌。間違ってはいないのだろうが、すでに広がりつつある幼児のとびひの治療としてはいささか悠長な気もする。また、玄米は抗原が強く、消化にも負担がかかるため離乳食には必ずしも向かないそうだ。▼馬油もリンデロンもとびひには効果が薄く、小児科では処方しないという話もある。自然療法を進める医者もいれば、内服薬を飲み切るのがいちばんという人もいる。医者もなかなか一枚岩にならない。

[2864] Jul 02, 2017

「Scansnap ix500」が家に到着。みなとみらいの「ベビーザらス」で子どもの保育園用水着を買った帰り道、ヨドバシカメラで購入したものだ。水着、バスタオル、水泳バッグを右手に抱えて左手に商品を持ってみたところ、これくらいなら即日持ち帰りできるのではと思ったが、たまには配送を利用してみようと気まぐれを起こしたのが正解だった。結局はベビーフードや野菜類、飲料、焼き肉のたれ、その他諸々、ずっしりと荷物を抱える羽目になり、しかも高解像度降水ナウキャストには雲がないのに小雨が降り出した始末。大汗をかきながら早歩きで坂道を登ってきたのである。配送していなかったら一巻の終わりであった。▼裁断候補を決めるより先にスキャナを手に入れてしまったが、どのみち平日はスキャン作業も捗らないだろうから、何を切るかは今週いっぱいじっくり考える。本の価値は情報に違いないが、物への思い入れを見誤って後悔するようなことはしたくない。

[2863] Jul 01, 2017

終日、子どもの機嫌が良くない。昨日の夜から風邪のような症状もあったし、体温もぎりぎり標準の範囲内ながら37.5度とやや高め。肌も今までになく荒れている。食欲があるのはせめてもの救いだが、ちょうど保育園では手足口病が観測されたばかりで心配が絶えない。▼手足口病。病名らしくない病名が逆に恐ろしげなウイルス性の疾患。手足や口の中に水疱が出来ることから名づけられたという。通常、七日から十日程度で治るが、稀に脳炎などの合併症を起こし、最悪の場合は死に至ることもあるようだ。現在のところ有効なワクチンはなく、鎮痛剤で痛みを和らげるなどの対症療法で自然治癒を待つしかない。かなり厄介な疾患である。▼大人が感染した場合、子ども以上に重症化するという。しかもウイルスの種類が豊富なので、子どもの頃に罹患したからといって伝染らない保証はないそうだ。どのみち私は手足口病になったことはないので、もし感染したらアウトである。

[2862] Jun 30, 2017

某ブログのレビュー記事で高評価を受けていた裁断サービス「カットブックプロ」の利用を検討している。初回限定お試しパックは「お好きな本20冊」の裁断が返送料込みで1500円。これでハードカバーも対応すると言うのだから安い。しかも、二回目以降が急激に高くなるかというとそうでもなく、20冊で2000円、100冊で6800円と良心的だ。単純計算で500冊くらい切らないと裁断機の値段に届かない。▼本棚の前に佇んで最初の20冊を選定している。切ってしまうには立派すぎて惜しい本と、切ってまで持ち運ぶほどの価値のない本は対象外。参照頻度を考慮すると読み物より参考書の類が望ましい。コミックは書き込んだりノートを取ったりはしないので、今のところ通常の電子書籍で十分と思っている。つまり自炊する気はない。そうなると二千円前後の各種教本に白羽の矢が立つ。いちど目を通したきり再読していない教本を学び直す良い機会である。

[2861] Jun 29, 2017

シャドウバース、第五弾パック「ワンダーランド・ドリームズ」の販売が始まった。貯めたゲーム内通貨で40パックほど開封。レアカードの出方は標準的だが、欲しかった目当てのカードは確率以上に来た。▼マスターランク達成後は仲間内のルームマッチくらいしか遊んでいない。ワンパターンで勝率の高いデッキより、人があまり使わないカードを活かせるような面白い盲点デッキをつくる遊び方にシフトしている。ピーキーなカードが増えたせいでランクマッチは「犯罪ムーブ」の押し付け合いが急加速。回った相手には何をしようが絶対に勝てないという傾向が前環境以上に強くなってきている。カードゲームに詳しい何某が予言した通りの様相を呈してきた。引けば勝てる。引かれたら負ける。じゃんけんである。▼それでも、勝率には貢献しないがクセのある効果を持ったカードがいくらかネクロマンサーにまわってきたので、とんでもデッキで昼休みは楽しく遊べそうだ。

[2860] Jun 28, 2017

今年、プラグインの大家・WAVESが、イントロ価格ながら$29という破格の値段でピアノ音源「Grand Rhapsody Piano」を発売する。Garritanの「CFX CONCERT GRAND」やVI Labsの「Ravenscroft 275」、あるいは「Alicia's Keys」あたりの発売以来、やや空気の停滞していたピアノ音源界に新しい風の吹きそうな出来事だ。私はもう七年前から音源を変えていないが、会社はどこであれ、ベロシティレイヤーが十分に細かく、スタッカートやペダルの表現力に富んだSteinwayの大型音源でも出たら、乗り換えないまでも試してみたいとは思っている。ハーフペダルに対応していれば尚良い。▼ピアノらしいピアノ曲をつくるならリアルなピアノのモデリングに限りなく近いベロシティカーブが望ましいかもしれないが、私としてはfffを超えるffffやfffffを疑似的にでも表現できる機能が欲しい。どの音源もpの解像度は十分だが、fの解像度は不足していると思っている。強さが足りない。

[2859] Jun 27, 2017

富士通のスキャナ、Scansnap ix500の導入を検討中。自炊用のスキャナとして、初心者向けかつ各方面に万能の名機らしい。所詮は趣味の自炊。これより高価な品は必要なさそうだと判断した。一方、裁断機は様子を見る。つまり最初はプロの裁断サービスを利用したい。▼理由は三つ。一、自炊自体が何らかの理由で性に合わなかったとき、スキャナと違い裁断機は全くの無駄になってしまう。二、プロの裁断による仕上がりを一度は見ておいた方が、後々自分で裁断することにしたときも参考になる。三、自炊する本は、先に紙のまま読んでも構わないと思っている。電子化のメリットは本棚スペースの節約とデータの保全、そして書物資産の携帯性。つまり、読み終わってから気が向いたときに取り込んでも遅くはない。であれば、裁断機が家にある必要も薄れる。裁断機の方が邪魔という事態も防げる。▼裁断の委託は自炊の委託と違って法的にもシロ。良い落としどころだろう。

[2858] Jun 26, 2017

比例制御(P制御)の話。通常、PID制御に求められるのは迅速で安定した目標値への収束であり、そのための各係数の調整である。これは積分項と微分項のないシンプルなP制御でも変わらない。しかし仮に今、目標値へ到達するための目標時間Tが先に定められていて、ちょうどTで制御値と目標値の偏差が一定値を下回るよう係数Kpを定めよと言われたらどうするか。実装上、こんな問題に行き当たった。▼さまざま方策を探したが、本来の使われ方ではないこともあり、なかなか綺麗な手段は見当たらなかったので、単位時間dtが安定している前提でP制御の式を漸化式に見立てて解いてみた。なんのことはない。懐かしき高校数学。教科書で最初に出会う「An+1=aAn+b」型の二項間漸化式である。▼特性方程式を解いて、等比級数型に書き直して、あとは芋蔓式。すぐにKp=の形にすることが出来た。逆算しても明らかに合っている。高校数学は実にありがたい。

[2857] Jun 25, 2017

デジタルノート、きわめて快適だが誤算がひとつある。ファイル容量だ。二日で10MB。業務ノートだけで10MBだから、アイデアノートや読書ノートの運用を始めたら、一年を待たずにDropboxの無料分である2GBを使いつくしてしまう。NotabilityがOneDriveと連携していないのはつくづく痛い。▼自炊も、同じ理由でためらっている。今、ノートを除く全てのバックアップはOneDriveでまかなっているが、写真と動画に加えて書籍のデータが乗ると、1TBといえども枯渇する可能性はある。もし足りなくなったら、写真と動画だけ2TBプランのあるiCloudへ移行しなければならないかもしれない。データ保存場所の分散は悩ましいが、OneDriveの容量追加は高すぎる。▼ストレージのボトルネックが電気代がになりつつある昨今、容量制限もそう簡単には桁が上がるまい。文字から音から映像まで、何もかもをオンラインに保存しようと目論むには早すぎる。家にもデータの”書庫”が要る。

[2856] Jun 24, 2017

久々に「ちばき屋」の醤油ラーメンを食べる。とくべつ美味いラーメンとして推薦することはできないが、まさに「ザ・醤油ラーメン」とでも言うべき素朴な味わいで、つけ麺だの家系だのと凝ったラーメンに飽きた頃、おやつ代わりに食べたくなる一品だ。私の中での位置付けはカップラーメンと同じである。無論、褒めて言っている。外で食べる美味しめのカップラーメンである。▼一燈、とみ田、いのうえ、玉、三三㐂、くり山、海神、豚星、寿々喜家、鶏喰、地球の中華そば。思えばこのあたりまで前線を広げたところで足を運ぶ店が固定され、フロンティア精神を失ってしまった。しかし、遠征してでも行きたい店はまだある。目前まで訪れたものの品切れで門前払いになった「金色不如帰」。ミシュランの星で話題になった「Japanese Soba Noodles 蔦」。新宿のイベントで出張品を食べ素直に感動した「飯田商店」。たとえ子どもを連れてでも、どこかは今年中に訪れたい。

[2855] Jun 23, 2017

快適なデジタル書籍ライフを送るため、iOSアプリに求める機能が五つある。一、pdfが閲覧できること。二、書き込みが出来ること。三、右開きに対応していること。四、見開きに対応していること。五、SlideOverでなくSplitViewに対応していること。▼残念ながら全てを満たすアプリは今のところ存在しない。GoodNotes4が一、二、五を満たしているので、残りの三、四は別のアプリで充足する必要がある。▼電子書籍関連のアプリをくまなく検討した結果、「i文庫HD」と「SideBooks」が候補として浮上した。アプリの出来映えはi文庫HDの方が良いが、SideBooksはSplitViewにも対応している。読書メモがSlideOverで事足りるならi文庫HDが適任だし、ノート併用が不可欠であればSideBooksにするしかあるまい。▼いずれにせよNotabilityと合わせて三つのアプリで完結するのが望ましい。ひとつの目的に対して常用するアプリ数の限界だ。上手く行かないなら、自作も辞さない。

[2854] Jun 22, 2017

インド通の先輩が、インド料理屋で「塩ラッシー」を頼んだ。メニューにはないが、インド人の店員はごく普通に注文を承った。品が来たとき聞いてみた。塩ラッシーってどういうものなんですか。二人は口を揃えて答えた。インドでは塩ラッシーの方がよく飲まれているラッシーだよ。▼ラッシーはもともとただのヨーグルトドリンクのことで、甘くはない。日本のカレー屋で出るラッシーは砂糖が入っているから甘いのであって、これはミーティー・ラッシーという。日本専用の特別ラッシーというわけではないが、少なくとも砂糖入りのラッシーはラッシーの一種に過ぎないということだ。▼ラッシーに塩か。考えられないな。どんな味になるんだ。居合わせた面々はどよめいたが、インド人の店員と先輩からしてみれば、欧米人が鮮魚の寿司を見て「ハンバーグじゃないのか。しかもデミグラスじゃなくて、しょうゆをつけるなんて」と眉をひそめるような姿に見えたことだろう。

[2853] Jun 21, 2017

仕事のノートをiPadへ。Notabilityに書き込んだ内容はクラウドで同期される。帰宅して旗艦機からDropboxを見れば、そこには手書きのpdfファイル。感動的だ。これまで、書いてはシュレッダーにかけてきた六十余冊の配給ノートとは違う。これらはちゃんと手元に残るのだ。私の手が生み出した資産として残るのだ。▼今のところ紙のノートと比較して残念ながら不便な点は二つある。一、社外秘に近い内容が書けない。プライベートとはいえ内容はクラウドにあがるわけだから、会社にとって重要な情報を記録するのは望ましくない。未公開の新製品を撮ってiCloudにならべる危うさと同じである。ノートの中身は一般的な知識や知見、学習内容、計算、中間記録に留めるしかない。▼二、他人のペンで書けない。相手が横から書き込みを入れるには、自分のApple Pencilを渡す必要がある。ここは悔しいが、誰のペンでも等しく書き込みできる紙のノートが使い勝手で勝っている。

[2852] Jun 20, 2017

iOS版のKindleではアプリ内購入が出来ないと知った。どうやらAmazonがAppleにアプリ内課金のロイヤリティを払いたくないようだ。サービス開始からもうすぐ十周年を迎えようというのに、公式アプリのUXもフリーソフト並にひどいまま。AmazonのKindleに対する本気度も疑わしくなってくる。あるいは圧倒的な蔵書数で嵩に懸かっているか。iPhoneユーザーくらいならiBooksに取られても構わないと、本気で思っていそうなところが不気味である。▼ともかく、他に方法がないので、Kindle書籍はブラウザでAmazonサイトを訪れて購入しなければならない。ブラウザを開くくらいなんてことないとか、旗艦機で購入してiPadで読めばいいとか、たいしたことのないように思えるが、次巻や関連書籍が思い立ったときにすぐ買えないのは、実際に触ってみるとそこそこのストレスになる。KindleのヘビーユーザーでAndroidからiOSに乗り換えを検討している人は、この点に注意が必要だ。

[2851] Jun 19, 2017

dマガジンの登録は無事済んだ。早速、目当ての雑誌を落として読んでみる。快適。しかしラインナップはもう一歩、かゆい所に手が届かない。現時点では「WIRED」「東洋経済」「エコノミスト」「ファミ通」あたりが購読圏内だが、どれも買ってまで読みたいと思うほどの雑誌ではない。興味のレベルが立ち読みと大差ないのである。毎週、定期的に目を通したいと思うほどの雑誌が、私にとっては少なかった。▼しつこいようだが「芸術新潮」が入ってくれれば、それだけで月に五百円の価値はある。「ソフトウェアデザイン」「CGWORLD」、それとリットーミュージックの諸雑誌が追加されるなら、月額千円でも文句はない。dマガジンが今後、どこまでラインナップを拡充していく姿勢かは知らないが、現状維持であれば無料期間が終わり次第、一旦解約して様子見せざるを得ないだろう。▼聞き放題、読み放題。指向性のない娯楽サービスはどうも性格が合わない。

[2850] Jun 18, 2017

GoodNotes4はPDFへの注釈・編集用に採用。NotabilityとMetaMoJi Noteは最後まで迷ったが、立ち上げてすぐにメモを始められるNotabilityの手軽さに軍配を上げた。ノートづくりに蛍光ペンだのくり抜きだの、余計な機能は必要ない。▼困ったのはクラウドストレージだ。GoodNotes4はDropBoxにもOneDriveにも対応しているが、NotabilityはDropBoxの方しか対応していない。これではOffice365 Soloのボーナス容量が無駄になる。旗艦機までMacにするつもりはないのでiCloudに統合する気はないし、DropBoxの有料プランは明らかに割高だ。▼しばし悩んだ末、DropBoxに入れたNotabilityのPDFを旗艦機からOneDriveに定期的にバックアップするという、やや回りくどい手段を取ることにした。利便性は損なわれるが、オリジナルのデータがOneDriveに集約されてさえいればよいわけだから、必ずしも全自動である必要はない。主はノートそのもの。ノート制作の簡便さの方が重要だ。

[2849] Jun 17, 2017

n個の点から任意の3点を選ぶ。選び方はnC3通りだ。点にそれぞれ1〜nのIDが振られているとして、選び方の組み合わせを(1,2,3)(1,2,4)……と昇順で並べたとき、x番目の組み合わせ(a,b,c)を定数時間で特定することはできるだろうか。つまり、どれほど長くてもいいがnに対してスケールしない計算方法で特定することは可能だろうか。▼仕事上の必要でこの問題に直面した。ループや条件分岐を使えば簡単に特定はできるが、定数時間という制限が曲者だ。手ごろなやり方で線形時間にできることはすぐにわかったが、なかなか定数時間には落とし込めない。結局、三次方程式の一般解を解く前提で、nが億の単位になればペイするであろう計算方法を発見することはできたが、「仕事上の必要」ではnはせいぜい数十程度のため、まったく割にあわないことがわかった。小さなnでも線形時間より早く答えを特定する方法があれば、教えて欲しい。

[2848] Jun 16, 2017

すでに大活躍しているiPadだが、あとあと目的を見失わないよう、あらためてiPadの利用意図を明確にしておきたい。▼一、電子ノートとして使う。これが主目的。iPadをパソコンだと思わないこと。タブレットでもない。紙とペンの拡張デバイスと認識すべし。つまり、手書きの利便性を向上させるために使うと考える。二、A4用紙のビューワーとして使う。雑誌リーダーとしての用法も含まれる。ピンチイン・ピンチアウトで拡縮を繰り返さなくても雑誌大の文書が読める利点を最大限に活かすこと。論文、楽譜の閲覧にも向いている。三、ホワイトボードとして使う。すでに会社で試験運用しているが、感触は自他ともにかなり好評。ペンの色替えと消しゴム、そしてアンドゥが最高に使いやすい。ページも遠慮なく追加できるし、どんな落書きも履歴に残っているので、いろいろ話が速くなる。思考の共有も捗る。▼以上が主眼だ。映画や漫画を見るという娯楽は三の次である。

[2847] Jun 15, 2017

iPadの設定は無事完了。サポートからは要約すると以下のような回答が来た。曰く、アップルでは独自のセキュリティ保護テクノロジーを採用している。今回ストアで購入ができなかったのは、その対策の一環が作動したもの。アカウント情報を確認してこちらで必要な変更作業は完了した。もういちど購入を試してみて欲しい。▼そういうわけで、原因もわからぬまま、とにかくストアでアプリを落とすことはできるようになった。サポートに連絡してくださいと言われると、ついフォーラムやネットで対策を探してしまうが、面倒くさがらずに大人しくサポートへメールを出した方が早く解決することもあるということだ。▼使用感は快適の一語。電車でも会社でも難なく使えている。なまじ両手で持ってしまう小型より、下辺を腹のあたりに押し付けて三点で保持できる大型の方が、立って使うには楽だとすら思う。持ち運びには適さないというスタッフの忠告にはあたらなかった。

[2846] Jun 14, 2017

dマガジンにログインしようとしたら、dアカウントが必要だと言われた。ログイン画面にはdアカウントの登録へ誘導するリンクはどこにもない。docomoのトップページにすら飛べない。仕方なくアプリを落としてブラウザからdアカウントのサイトへ行き、dアカウントを開設。アプリに戻ってIDとパスワードを入力すると、今度はdマガジンへの登録が必要と言われてログイン画面に戻される。どうやらdアカウントを使ってdマガジンの契約を別途しなくてはならないらしい。▼dマガジンのサイトへ行く。必要情報を記入して登録を終えると、クレジットカード情報を入力する画面に出る。番号と期限とセキュリティコードを入力して「確認する」ボタンを押した。ジャンプ先はエラーページであった。エラーの内容はこうだ。「ただいま登録受付時間外です。」▼時間外かどうかなど詳細な情報を入力させる前にわかるはずのことだ。この頃、設計の杜撰なサービスが多い。

[2845] Jun 13, 2017

iPadが到着。本当なら初期設定を済ませて使用感をレビューしたかったが、謎のエラーに遭遇してアプリのインストールが出来ず、サポートにメールを出したところ。タブレットなんて電源を点けて最低限の設定をしたらそれだけで使えて欲しいのだが、IDがどうとか請求先情報がどうとか、やたらと情報を入力したり確認したりさせた挙句に、具体的な情報もなく「詳細はサポートに連絡してください」とだけ表示してアカウント設定が行き止まるという始末。このあたり、Appleの垢抜けなさを実感する。Microsoftには適わない領域だ。▼紙質感のフィルム貼りは風呂場で行ったものの埃が少々、気泡もそれなりでお世辞にも成功とは言えないが、気泡は使っているうちに抜けていくだろうし、埃もそのうち慣れて気にならなくなるだろうから、さほど気にはしていない。フィルムの使用感がいまいちなら早期に剥がしてしまう手もある。とにかく、まずは云々できる土俵に立ちたい。

[2844] Jun 12, 2017

深層学習が導入されて以来、機械翻訳の精度は凄まじい。こと英語に関しては、世間でそれなりに用例のある文章であれば、付け焼刃の学習者より数段マシな翻訳をする。日常的なメールの英訳程度なら、正直なところ頼りたくなるくらいだ。今はまだ和訳を使うことはないが、そのうち美しく模範的な日本語が出力されるようになったら、電子書籍の洋書をまるごと翻訳にかけて日本語で読むような日が来るかもしれない。▼こんな時代の学生は、どのようなモチベーションで英語を学習すればよいのか。これは数年前の教師なら真面目に考える必要のなかった新たな課題である。世界から情報を広く集め、世界へ情報を広く発信するためという大義名分が消え去ろうとしている今、全ての学生が学問として英語を学ぶ理由はどこにあるのだろうか。▼人工知能が世界を変える。世界が変わるなら教育も変わらねばならぬ。語学教育が惰性でないか、今一度考えてみる必要があるだろう。

[2843] Jun 11, 2017

寝る前に少しだけでもと思ってDAWを立ち上げたら、ものすごいBPMで曲が耳に流れ込んでくる。かつて、間違いなく倍速再生のバグだと思って疑わなかった、あの「眠いときに曲の体感速度が速まる現象」である。▼たしかに今日、薬のせいもあって、ものすごく眠い。つくりかけのフレーズを改良するために数分頭をひねってみて、良い案がなければさっさと寝ようと思っていたくらいだ。しかし、それどころではなかった。とにかく曲が速くて調整がままならない。音階のノリが見極められない。これはどんなにつくりこんでも、明日、明晰な頭で聴いたらがっかりするような仕上がりになってしまうだろう。そう思って、そっとDAWを閉じた。今日はもうやめだ。▼なぜなのか。脳のパフォーマンスが低下しているために情報処理が追い付いていないという説は有力なものの、風呂上がりに遅く聞こえる理由の方は説明しにくく、いまだに納得できる解説は得られずにいる。

[2842] Jun 10, 2017

納期、品質、予算。全ての営利組織が首を垂れるべき三位一体の神だ。しかし、三者を等しく祀ることのできる組織など現実には少ない。たいていはリーダーの方針のもと、どれかひとつを犠牲にするか、あるいはどれかひとつに注力している。▼私の所属するチームは、三位一体を死守する努力は怠らない前提で「納期」の旗を掲げている。納期を脅かすような品質の追求は絶対にしない方針だ。この姿勢に不満はない。ただ、いつしか納期重視が納期偏重になり、熱意や技術を軽視する傾向が育ち始めていることには不安を感じている。▼納期遵守が絶対的な評価の基準になると、より品質の向上に消極的で、より他人の手伝いをせず、より将来のことをケアしない人が良い評価を受けることになる。極端な言い方だが、すでにその端緒は見えてきている。この傾向が加速すれば、やがては「やりませんと言ってやらない人」だらけになってしまうのではなかと危惧しているのである。

[2841] Jun 09, 2017

最近、脱サラという単語を別の場所で二度聞いた。ノマドやフリーターではなく脱サラという古めの言葉になっているあたり、昭和的な社畜文化に反抗したいだけの無計画な解放勢力が萎んできて、より地に足のついた独立の話題が増えてきたのかなと思う。ゼロ年代には、独立してからやりたいことを考えるような起業家も山ほどいた。彼らは意地でも自分の選択を「脱サラ」とは呼ばなかっただろう。▼私に脱サラする気は全くない。少なくとも、今はまだない。仕事にやりがいがあり、仲間に恵まれていて、職場環境に不満が少ないのも理由のひとつだが、もっと重要なこととして、脱サラしたところで飯のタネにできるような技術がない。ふと考えてみるに残念なことだ。いくら社会人が、父親が、忙しいとはいえ、組織に属さないひとりの人間としての社会的価値の向上を怠ってきたのは大いに反省すべきである。▼勉強欲は頂点に達している。学びたいことが山のようにある。

[2840] Jun 08, 2017

iPadが発送されるまでの間、フィルムとカバーについて頭を悩ませている。▼フィルムをつけない選択肢はない。衝撃への強さや光沢は不要で、ぎらつき防止とペンの感触良化を希望する私としては、こちらはエレコムの「紙のような質感を再現するフィルム」でほとんど心は決まっている。▼問題はカバーである。2015年モデルより大幅に軽くなったとはいえ、12.9インチモデルはまだまだ重い。快適な取り回しのためには、できるだけ本体重量を小さく抑える必要がある。したがってカバーなどいらぬ、と言いたいのだが、カバーがないと机の角などにもたせかけて閲覧するとき、本体背面へのダイレクトな衝撃が気になってしまう。角に限らず、硬い面に置くときは妙に気を遣ってしまいそうだ。背面の滑りが良すぎるのも落下リスクが大きい。▼これらの事情で、本体を素持ちするには相応の覚悟がいる。決断するのは、硬い机でiPadを使う頻度を測ってみてからでも遅くはない。

[2839] Jun 07, 2017

薬を大量投与しても風邪は悪化の一途。とくに咳がひどくなってきた。痰のキレをよくする薬を飲んでいるとき特有の、あの乾いた咳がつらい。痰が絡んでいたほうがかえって楽なのではないかと思ってしまう。のどは全体的に真っ赤だそうだ。▼薬による強烈な眠気も生活を苦しくしている。昼も夜もとにかく眠い。普段から服用しているザイザル錠にも眠気の効果があるので、今はダブルパンチで効いているのかもしれない。コーディングの集中力が切れて、ふとキーボードから手を離すと、もう眠りの世界に誘われかけていたりする。▼そういうときは席を立ってベランダへ体操に出たり、トイレの洗面台で肘まで水をかけたりしている。後者の方法は効き目抜群なので、初見の人はいつか試してみて欲しい。両腕の袖をまくって、冷たい水で腕を洗う。このとき、二の腕に指が触れるほど、きちんと肘まで洗うのが重要だ。個人的には手や顔を洗うよりも目が覚めると思っている。

[2838] Jun 06, 2017

iPadPro2という名前ではなかったが、予定通り新型iPadProが発売された。9.7インチモデルは消滅して10.5インチと12.9インチの二種類に。12.9インチモデルはサイズも値段も据え置きながら、Wi-Fi+Cellularモデルが723gから692gとかなり軽量化されている。特に価格がほぼ改定後の値段で据え置かれたのには驚いた。直前に新品をストアから買っていたら確実に後悔するところであった。待っていて本当によかった。▼旧型のときも12.9インチは品切れが続いたそうなので、在庫がなくならないうちにさっさと注文。本当なら旧型を中古で拾う計画だったが、子どもによる画面の破壊リスクがどうしても無視できなかったので、AppleCare+に加入するべく新型の正規購入を選択した。重量を軽く保つ都合、丈夫なケースで運用するつもりはないので、万が一落として画面を割っても、二年以内なら安心である。この気楽さもありがたい。▼発送開始は来週末の模様。楽しみにしている。

[2837] Jun 05, 2017

朝、保育園へ預けるときに子どもが泣かなくなった。今日など、鼻水を拭くために下へ降ろしたら、年長さんたちが遊んでいるところへ一目散に駆け出して行って、ブロックを床に叩きつけて遊びはじめたくらいだ。お父さん、ご苦労。もう会社へ行ってよいぞ。▼もちろん泣かれるよりずっとありがたい。二ヶ月、三か月くらいかかると思っていたが、想像以上に早くタフになった。それだけ保育園が楽しいというのもあるのだろう。家にはないおもちゃがあって、家にはいない遊び友達がいる。このあいだデパートの小さなプレイグラウンドへ連れていったら、他の子が来るたびに興味津々で、カサカサと素早く追いまわしていた。止めるのが大変だったのですぐに引き上げてきたほどだ。保育園ではきっとこうやって年長さんと遊んでいるのだろうと思った。保母さんだけでなく、先輩方にも感謝しなければならない。▼ただ、泣かない代わりに鼻水は増えた。私もまた風邪である。

[2836] Jun 04, 2017

現地時間で六月五日、日本時間では明日の二十六時から、WWDC17が開催される。これまで噂や憶測に過ぎなかった製品群が、ようやく公式の口から発表されるわけだ。Siriスピーカー、iPhone8、iPadPro2、そしてiOS11。出るのか出ないのか、出るとしたらいつか、どんなスペックでどんな価格か。もしここで何もアナウンスがないようなら、今年中に発売される見込みは低いと考えていいだろう。▼目下、私の興味はiPadのみ。iPadの使い勝手が抜群によく、携帯との連携でQOLの向上が見込めるならiPhoneも視野に入れる。発信用の旗艦機をWindows、受信用のモバイルをiOSにするのは、さほど筋も悪くない。両者の得意分野に適っている。▼午前二時からPCに張りついて配信を観るかどうかは悩みどころだが、まだ寝不足が続いているので無理はしないと思う。朝、通勤時間にまとめを見ても同じことだ。人よりも数時間早くアップル新製品の情報を仕入れることに興味はない。

[2835] Jun 03, 2017

某所でワッフルを食べる。いつも行列が出来ているので、さぞかし旨いのだろうと期待していたが、某所とぼかしたことでもわかる通り味はいまいちであった。至って普通のワッフルに糖衣をベタベタ塗りたくって食感をパリパリにしただけの、一昔前のコンビニの菓子パンのような出来である。甘いもの好きを自認する私でも、ちょっと胃もたれするような甘さだった。▼この店に行列が出来ている理由は正直わからない。ただ、スタッフの手際が悪く、客捌けが遅々としていたのは確かだ。自分たちの前に待っていた人数から想像されるよりは遥かに長く待たされた。人通りの多い立地なので、行列が出来ていればそれだけで店は人目を引く。「行列が出来ているから入ってみよう」の連鎖で人気店のように見えていた可能性も無くはない。故意にやっているとしたら敏腕である。▼ともあれ、あまり嬉しくない買い食いをしてしまった。今度からは素直に五番街のたい焼きにしよう。

[2834] Jun 02, 2017

人工知能に芸術は創れない。それは人間の思い上がりというものだろう。まもなくとは言わないが、シンギュラリティよりは前に人工知能は芸術を創り出すようになる。今の人工知能の仕組みが人の脳と同じである以上、人にできて人工知能にできないことは早晩なくなると見るのが妥当だ。人の脳、人の創造性を過信する者は、札束を数える仕事が機械に奪われたといって一揆を起こしたおじさん達と同じ運命を辿るだろう。▼では、人工知能が万能になった世界で創作者はどう生きるのか。人に生み出せるものが人工知能によって何でも生み出せるようになったとき、人は創作をやめるのだろうか。それとも生み出すこと自体に意味があるという態度を貫いて、変わらず何かを創りつづけるのだろうか。創作の本質は、成果か営為か。人口知能が芸術を極めたとき、この問いの答えが人類史上はじめて明らかになるであろう。あるいは、そこで人類史は終わりを告げるのかもしれない。

[2833] Jun 01, 2017

女優が常に美しくいられるのは、いつも人に見られているという意識を持っているからだとよく言われる。見られていると思えば気は引き締まり、所作は洗練され、細かなケアも行き届く。▼プログラマーにも同じことが言える。良いコードを書くための最大の秘訣は何かと問われたら、人に見られることを意識して書けという答えが真理に近い。人に見られて恥ずかしくないコードを書こうとすれば、コードの質も、コメントの質も、クラスデザインの質も、API設計の質も、何もかもが向上する。自分の几帳面さに自信がない人ほど恩恵は大きい。他人に見られるかもと思うだけで、ひとりきりで書いたなら必ず手を抜いてしまうであろう場所に注意が向く。論理ではなく勘や習慣によって書いていた自分のコードに疑問を抱くきっかけが生まれる。今まで何も思わず書いてきたけど、実際のところ、この書き方はどうなんだ――?▼これが新人プログラマーに教えることの第一歩。

[2832] May 31, 2017

会社の近所に、なんだか意識の高いパン屋さんが出来た。他の店では見たことのない曲線的でポストモダンな変わり種のパン達に、どれもフランス語と思しき中点だらけの横文字名がつけられている。アルバイトで入ったら造形と名称を一致させるだけで心が折れそうだ。レジカウンターのガラスケースはオシャレなケーキの四階建て。これも皆さんフランス生まれと見える。全盛期のスターバックスを思い出させるカタカナの洪水である。▼別に悪いとは言わない。商品名に外国語を使うのも、所狭しと得体の知れぬアンティークを置くのも、店の自由である。しかし、パンそのもののつくりがユニークであるのに、名前まで似たり寄ったりの長い横文字をつけてしまったら、人に紹介するのは非常に難しくなる。「美味しかったよ、あの、なんとか・ド・なんとかいう、ぐねぐねしたやつ。」ほとんどのパンに該当しそうである。▼あまり多くにユニークさを追求しようとしないこと。

[2831] May 30, 2017

禁酒してからしばらく経つ。交流戦初戦、横浜ベイスターズが三年ぶりに日本ハムファイターズを下した快挙の日にもビールの類は飲んでいない。それが健康に貢献しているかは不明だが、少なくとも財布には貢献している。酒も安くはない。▼会社に、禁酒ならぬ断食をしている人がいる。宗教行事としての断食ではなく、健康療法としての断食だ。彼が行っているのは、ファスティングと呼ばれる酵素断食健康法。三日間から四日間、固形物を一切食べずに酵素ドリンクだけで生活する。彼曰く、四日目になると身体はきつくなってくるが、頭は冴えているし、感覚も驚くほど鋭くなると言う。「断食に治せない病気は医者にも治せない」という諺があるほど、断食は健康法として一定の評価を得ているようだ。▼体調は断食するたび上向いていると彼は言うが、傍から見ていると単にやつれているようにも見える。専門家でないので真偽は云々できないが、私なら断食はしたくない。

[2830] May 29, 2017

シャドウバースについて。五月中頃にマスターランクを達成して以来、プレイ頻度が急激に下がってしまった。▼マスターになるという盲目的なモチベーションを失うと、勝敗にこだわらなくなり、勝率よりも面白いプレイを目指した構築が多くなり、みんなが使わないようなカードを採用したデッキでゆったり遊ぶようになるので、ガチデッキには手も足も出ないし、ネタ同士の戦いでは引き勝負になり、なんとなく勝ったり負けたりで、しぜん刺激が少なくなる。楽しくないわけでは決してないが、刺激が少なくなるとアプリを起動しようという気持ちが弱くなるので、だんだんプレイから遠のいていくわけだ。もはや日に三戦もしない。ログインボーナスをもらわない日もある。▼マスターランクになったら後は辞めるだけだと誰かが言っていた。わからないでもない。それを危惧してか、運営もマスターのさらに上位ランクを実装するそうだ。その頃も遊んでいるかはわからない。

[2829] May 28, 2017

子どもがベッドから落ちて額を打った。かなり痛打したらしくタンコブになってしまったので、冷えピタで冷やして一晩の様子見。さいわい大きな異常はなく、額に青あざが出来たくらいで元気に過ごしているが、ゆくゆく大怪我に繋がってはいかんということで、床に寝るためのマットレスを買いにニトリへ行った。▼はじめは折りたためる長いクッションか小振りな子ども用の昼寝マットを想定していたが、店員さん曰く、どちらもフローリングへの直置きはオススメできないので、シングルサイズのマットレスを下に敷いた方がよいとのこと。それならいっそ大人も添い寝できるようシングルで揃えた方が良いというプロの意見を容れて、軽量三つ折りマットレスと敷きパッド、それにハーフサイズのタオルケットを買った。〆て五千円。ニトリのお手頃さには恐れ入る。▼早速設置。フローリングとマットレスを行ったり来たりするのが楽しいらしく、息子はたいへん喜んでいた。

[2828] May 27, 2017

マイクロソフトにがっかりした。New Surface Proは全くいただけない。Pro 4の発売からもう二年近く経つというのに、バッテリーとペンのレイテンシ以外、ほとんど違いらしい違いの見当たらない新作を出してきた。しかも、進化のなさを名前でカバーしようという意図が見え見えのナンバリング外しである。そのやり方も古い。次は「Surface 2018」あたりだろうか?▼現時点で公開されている仕様が全てなら、最新ガジェット好きの私から見てもNew Surface Proに”買い”のポイントはない。iPad Proの代替としてPro 5には期待を寄せていたが、見事に打ち砕かれた格好だ。よほどノマドなビジネスマンか、よほどリッチなクリエイターでもない限り、食指の動くような魅力はないと思う。行き詰ると優れた道具が欲しくなる創作者の心理につけこんで、クリエイター向けと称してさほどパラダイムシフトのない品を売りつけようとする企業の罠にかからないよう、厳しく見たい。

[2827] May 26, 2017

子どもが熱を出したので、急遽会社を休んで看病の一日。朝は豪雨の中、抱きかかえて病院へ行った。注射されると思っているのか待合室では泣き方がひどく、あやすのに苦労した。わかっていたことだが風邪という診察、処方だった。薬局で薬を受け取った後は荷物を取りに保育園へ。週の最終日はシーツなど大きめの荷物を一旦家に持ち帰らねばならない。どでかい荷物を二つ抱えて登る帰路の坂道はきつかった。大雨の金曜日とはツキがなかった。▼その後も我が子は浅い眠りと不機嫌を繰り返しながら、ほとんど終日ぐずり通した。元気なときと違って、ちょっとでも床に置いたり、一人遊びさせようとすると泣き出してしまう。さりとて布団で寝もしない。常にへばりついている。少しは曲でも進めようかと思っていたが、終わってみれば何をする暇もなかった。散歩のときに本屋で見つけた『野球観戦娘!』が面白かったので、それをせめてもの収穫とする有休消化日である。

[2826] May 25, 2017

電子書籍での読書に慣れると、電子化されていない本を買うのが億劫になってくる。たとえ本棚に余裕があっても、ふとしたときに電車や出先で読めないデメリットが頭にちらついて、買う気が削がれてしまう。本当に読みたい本、好きな本でない限り、kindleストアに存在しない本を買うことは、もうあまりないだろう。▼通勤電車内の光景を見るに、同じスタンスの人は増えてきていると思うのだが、いまだ頑なに電子化を拒んでいる出版社もある。潜在的読者の損失に気付いていないのか、古き良き紙の時代に執着する年配の重鎮たちの意向なのか、あるいは単に予算的・技術的な問題なのか。わからないが、どの理由であっても十数年後には出版社ごと消滅しているような気がする。気付いていない場合がいちばんマシだろう。気付けば舵を切る可能性もある。そうでなければ、たぶん未来はない。▼優れた者も、優れた品も、市場に届かないことの恐ろしさを侮ってはならない。

[2825] May 24, 2017

昨日の記事に二点ほど間違いがあったようだ。一、立ったとき、ふらふらはしていなかった。二、寝返りはハイハイの前。つかまり立ちがハイハイより先。つまり、寝返り、つかまり立ち、ハイハイの順。何年後かに自分で読み直したとき困らないよう訂正しておきたい。▼閑話休題。このところは毎日、数分でもDAWを立ち上げるようにしている。今の生活スタイルでまとまった時間を確保するのは事実上不可能だから、苦手でもちょっとずつ制作を進めていく力を身につけなければならない。八月あたりから仕事が繁忙期に差し掛かるので、遅くとも六月中には三部を仕上げたいところだ。その後、残業祭のさなかに脳のバックグラウンドで時間をかけて四部を練り、公私ともに大詰めを完成させていくというのが現在の理想的なプランである。▼すべてはタイムマネジメントだよ、という教授の言葉を今でも忘れていない。時間を上手に管理できれば、忙しくてもなんでもできる。

[2824] May 23, 2017

子どもが十秒ほど立ったそうだ。▼誠に遺憾ながら、私は現場を目撃していない。妻の知らせによると、何もないところですっくと立ちあがって、そのまま十秒間、ふらふらしつつも尻もちをつかずにいたという。一か月前に二秒だけ立ち上がった姿を見たことがあるから、そのロングバージョンであろう。とうとう立つようになってしまったか。▼つい先日まで寝返りも打てなかったのに、あれよあれよという間にハイハイして、そのあとで寝返りを覚えて、つかまり立ちをするようになって、そうして立った。このまま行くと誕生日を迎える前に歩き始めるのではと思ってしまうが、聞くところによると「立つ」と「歩く」の間には想像以上の隔たりがあるらしい。バランスが取れないまま歩こうとして足に変な負担がかかったり、転んで頭をぶつけたりするくらいなら、足腰と平衡感覚がしっかりしてから歩きはじめた方が良いという人もいる。私もそう思うので、急いではいない。

[2823] May 22, 2017

近所のハードオフにiPad Pro(大)が入荷した。WiFi+Callular(docomo)の128GBモデルで付属品完備、液晶保護フィルム付きで七万円。オークションを含めてもトップクラスの破格だが、値札に「注意」のシールが貼られている。曰く、画面に傷あり。▼早速、ケースから出してもらって直に傷を確認してみた。画面の右側中央とやや下部に髪の毛大の擦ったような傷が二つある。スリープ状態ではまだ視認しにくいが、電源を入れて白背景になると液晶傷特有の七色の反射が目立ってくる。なるほど、これがなかったら九万円の値札がついていても文句は言えまい。▼結局、私は許容出来なかった。オーディオプレイヤーを中古で買ったときは同程度の傷を許容したが、オーディオプレーヤーとiPadでは画面を見ている時間が違いすぎる。本を読んでいても映画を見ていても、時折きらきらした筋が視界に入る不愉快さを想像すると、ちょっといただけない。もう少し筋の良い品を探す。

[2822] May 21, 2017

正午。ベビーカーを押して散歩に出たが、今年いちばんの暑さだった。半袖でも全身に汗が滲んでくる。サンキャノピーを限界まで下げていたから、子どもの方は快適に眠っていたが、私の方はじとじとである。本屋とコンビニを中継して涼みながら、炭酸水を飲みつつ五十分ほど歩いた。炭酸水は全部汗になったと思う。▼暑い季節がやってくる。私の嫌いな、暑い夏がやってくる。夏の空気、夏の空、夏の生活は嫌いではないが、夏の暑さだけは永久に嫌いだ。猛暑の満員電車は人を殺しうる。日本社会による未必の故意の殺人である。社畜を蔑視するノマドワーカーではないが、通勤という宗教行事はさっさと無くなるべきだろう。▼オフィスも暑い。空調設備が古いのでロクに換気がなされず、室内はエアコンの設定温度以上に暑い。酸素も少ないので、夏の盛りには本当に、根を詰めていると脳が朦朧としてくる。だから夏は気合を入れすぎまいと決めている。正当防衛である。

[2821] May 20, 2017

ベイクオーターの「DADWAY PLAYSTUIO」へ行く。おもちゃや遊具がたくさんある有料の遊び場だ。0歳&1歳の部屋と、2歳&3歳の部屋が分かれている。お兄さんたちの部屋はすし詰め状態だったが、ベビー部屋は貸し切り状態だった。遊びきれないほどのおもちゃを独り占めである。▼最初は太鼓に興味を示した。撥を渡すと先端で穴をあけるように叩く。ちょっと違うが音は出ている。そのうち太鼓に飽きて、撥を持ったまま別のおもちゃを叩きはじめた。とにかくなんでも叩く。ぬいぐるみを叩き、椅子を叩き、テーブルを叩き、滑り台を叩く。いつの間にか左手にカラーボールを握って、二刀流で部屋中を荒らしまわった。本来の使われ方をしたおもちゃは、太鼓だけだったように思う。▼そのうち滑り台へと続く階段に興味を示した。高速ハイハイで近寄り、なんと自力でよじよじ登っていく。今日はこれがいちばん驚いた。七十分ほど一緒に楽しく遊んだ。汗だくになった。

[2820] May 19, 2017

明日は妻が特殊出勤のため朝から夕方まで私が子どもを預かる。母乳でしか腹を満たせなかった頃は大変だったが、今ではご飯も出来合いをぱくぱく食べるし、ストローで上手にジュースも飲める。そろそろ抱っこ紐ではなく、ベビーカーで遠出をしても大丈夫なのではないかと思っている。▼最大の懸念はトイレだ。改札をぎりぎり通れる程度の大きなベビーカーを押して、どうやってトイレに入るというのか。ベビーカーを外に放置したまま抱っこして用を足すのは、ベビーカーの盗難的にも子どもの安全的にも危ないし、さりとてベビーチェアつきの大きなトイレは女性用ならまだしも男性用には少ない。多機能トイレを探すか、デパートなどのベビー休憩室のスタッフに短時間だけ見ていてもらうしかなさそうである。つまり、横浜駅からそう遠くへは離れられないということだ。▼故に、ふたたびヨドバシを見ることになるだろう。我が子は八か月にしてヨドバシの常連である。

[2819] May 18, 2017

計測せよ――『Realtime Rendering』第三版の「最適化」に書かれている言葉である。最適化の手法はさまざまある。目指すべき地点も場合によって異なる。しかし、最初にするべきことは確実に決まっている。計測せよ。▼最適化、あるいは高速化。出来ているものを改善してパフォーマンスを上げるだけなのだから、創造性など要求されないと思ったら大きな間違いだ。最適化は、言語、ハードウェア、アプリケーションの全てに精通し、そのとき、その環境で成し得る最適解を模索しつづける高度な作業である。現環境に対する正しい洞察と斬新な着想無くしては、解には近づくこともできない。筋の悪い地道な仕事は全くの無駄になる。▼筋の良い仕事をする唯一の方法は、計測することだ。前述の通り最適化は常にワンオフの仕事である。経験値によるスキルも勘も、今の環境を計測した結果に対してのみ働く。計測なき最適化は、証拠を集めず憶測で犯人を決める探偵である。

[2818] May 17, 2017

ときどきeBayに激安のiPadが出る。中古でも八万円前後の品が、なんと新品で四千円。四万円ではない。四千円である。しかもグローバル配送プログラムで日本への送料はたったの三百円。合計しても五千円にもならない。あやしさしかない。▼出品者の履歴を見ると過去の取引では買い手も売り手も大満足している。評価もきわめて良好だ。しかし、過去に売っている商品はコインやレコードなどアナログな小物ばかりで、とてもデジタル商品を格安で売りに出すような人物には見えない。これまで何年もかけてレアな通貨を数ドルで売り買いしてきた人が、ある日、アニバーサリーセールと称して数十枚のiPad Proを捌くなんてことがあるだろうか?▼したがって、これが噂のアカウント乗っ取り詐欺かなと思っている。商品が届かなくても返金はPayPalの責務で行われるが、取引で明かした連絡先が新たな詐欺の拠点として流用されてしまうのだそうだ。じつに巨大な釣り針である。

[2817] May 16, 2017

カップのおもちゃは息子のお気に召したようだ。対象年齢は十ヶ月からとあるが、某所のレビューには六か月程度でも崩したり叩いたりして楽しく遊べるから問題ないと書かれている。私もそう思う。もっと成長したら自分で積み重ねて壊すかもしれないし、側面に書かれた数字を理解するかもしれないし、大きいカップに小さいカップを嵌めていって収納できるようになる(!)かもしれないが、今はとにかくガラガラと派手な音を立てて物が飛び跳ねる様に爆笑していれば良い。子どもの成長にしたがって異なる遊び方ができるおもちゃは良いおもちゃである。コストパフォーマンスも高い。▼とはいえ、子どもは飽きやすい生き物でもある。気に入っていたおもちゃでも、ある日を境にぱったり遊ばなくなるということは往々にしてあるようだ。次々と新しい品を買い与える余裕はないが、興味の所在を見極めるためにも、豪華さより珍しさ重視でバリエーションは増やしてみたい。

[2816] May 15, 2017

病院待ちの間に、ヨドバシのおもちゃ売り場を練り歩く。対象年齢ごとではなくブランドごとに場所が分かれているので、これという目当ての品がない人にはちょっと歩きにくいフロアだ。月齢・年齢の表記もバラバラだったり、裏面のシール以外は一切ローカライズする気のない異国の商品が説明もなく転がっていたり、全く離れた別の棚に同じ商品が置かれていたりする。まるでここだけドン・キホーテのようだ。おもちゃ屋の雑多な空気を大事にしているのかもしれない。▼ひとつは買っていこうと決めていたので、時間をかけて選定する。もとより対象年齢はアテにしていない。我が子は他の子より成長が速いはずと信じたい親心につけこんで対象年齢を繰り下げる販促と、クレームを避けるため安全性を重視して遅めに書く商品側で、一致していないことも多いからだ。日々観察していれば自分の子どもが喜びそうな玩具は目星がつく。今日の積みかさねカップは当たりだった。

[2815] May 14, 2017

毎日少しずつ、時間の隙間を見つけて四部構成の某長編を進めている。そろそろ三部のクライマックスに差し掛かろうかと言うところ。ギアは上がってきた。ここと間章の流れが上手く行けば、あとはいよいよ最終章に全力投球するだけである。全体進捗は50%くらいであろう。▼二章は、気合を入れようと思って自信満々に仕上げた一曲と、どう料理していいか見当もつかなかったので出たとこ勝負で仕上げた一曲が、結果的には優れた出来になった。意外性と印象深さという点では、後者は期待を遥かに上回っている。また三章では、これはかなり苦戦するだろう、クオリティは全く期待できないと思っていた曲が、きわめて短時間で仕上げたにも関わらず、自分の中では過去最高と言える素晴らしい出来映えになった。全く予想のつかないことであった。▼手を動かしてみると、いつも自分の思惑とは違ったものが出来てくる。私の未熟故かもしれないが、ある意味面白くはある。

[2814] May 13, 2017

ヨドバシカメラで子どものおもちゃを探していたら、「井」のような形をした柔らかいブロックのおもちゃを見つけた。見つける瞬間まで全く記憶になかった玩具だが、手に取るや幼少期の記憶が蘇る。私は間違いなくこれで遊んでいた。途端に懐かしくなった。▼商品名は、学研の「ニューブロック」シリーズ。今日初めて知った。シンプルなブロック同士を組み合わせて乗り物や建物などさまざまな形状を構築する知育寄りの玩具である。ブロックは中が空洞のビニール素材なので、積み木のように床や家具を傷つけたり、怪我をしたりする心配もない。遊ぶにはやや手の力がいるのでゼロ歳児には難しいかもしれないが、早ければ一歳から遊べる。二つ繋げて振り回しているだけでも、赤ちゃんにとっては楽しいだろう。▼積み木を経てレゴへ至る過程の前段階として、一歳の誕生日にでも我が子に買ってあげたら良いかもしれない。気に入れば、喜々として床に叩きつけるだろう。

[2813] May 12, 2017

横浜スタジアムへ行く。相手は首位にしてベイスターズがもっとも苦手とする阪神。相手投手は先月のMVPにも輝いた阪神最強の先発・メッセンジャー。偶然とはいえ勝てそうにない条件が見事に揃った一戦を観ることになってしまった。▼果たして結果は4−1の敗け。10安打1得点という拙攻に対し3本塁打を浴びてしまっては、完封されなかったとしても完敗と言うべきだろう。今回初参加となる同僚には悔しくも残念な試合を見せてしまったが、10安打で塁上を賑わすことは出来たので、チャンテも一通り流れたし、ひどい退屈はしなかったものと信じる。試合後は、今度こそ勝ちを観に行こうぜと言っていた。その通りだ。私も、今度こそは勝ちを観に行きたい。▼余談だが、阪神の本塁打は全て我々のうち誰かがトイレに行くため席を外しているときに打たれたものである。私もトイレ行列の中、モニターで福留と鳥谷のホームランを観ていた。次はトイレに行くまい。

[2812] May 11, 2017

はてなダイアリーの更新をやめてから何年か経つ。久々にはてな村を訪れたら、はてなブログというサービスが始まっていた。公式の「はてなブログとはてなダイアリーの機能比較」は、まるで同じ商品の無料版と有料版とを比較しているかのように、はてなブログの方が高性能で充実したサービスだと主張している。ブログ時代に即した「真・はてなダイアリー」ということなのだろう。基本的には移行が推奨されている。▼はてなダイアリーは、自分で試したブログ風のサービスの中ではもっとも使いやすかったが、それでも不満は少なくなかった。もし、はてなブログが本当にはてなダイアリーの弱点を克服していると言うなら、試してみる価値はある。▼何年も長い文章から離れて、ただひたすらに四百文字の日記を綴ってきた。もちろんやめるつもりはない。ただ、まとまった分量の記事を書く感覚も、そろそろ取り戻すべきではないか。そう思い始めてきた今日の深夜である。

[2811] May 10, 2017

家のゲーム機も、会社のパソコンも、ポケットの中のスマートフォンも、今はみんなインターネットに繋がっている。その先には世界がある。手のひらの画面には世界中の情報が集まってくる。親指で打ち込んだ情報は世界中に発信されていく。好むと好まざるとに関わらず、私たちはもはや世界と「常時接続」になっている。▼これは別に黎明期のネット愛好家が夢見た未来ではない。ダイヤルアップ接続の時代からパソコンに張り付いていたキッズは、むしろネットの世界に引きこもりたかった。限られた時間だけ開催される地下サロンの集会で、温めに温めた妄想や考察やアイデアを、顔も知らぬ誰かと語り合うだけで満足だった。▼「マストドン」は、そんな古き良き時代の雰囲気を醸す新たなSNSとして静かなブームになっている。体験者は口を揃えて、昔の楽しかったインターネットが帰ってきたと言う。ツイッターを諦めて久しいが、そう言われると少々気になってくる。

[2810] May 09, 2017

たいへん読みやすい文章を書くので注目していたブログの筆者が、ひとつ人生の転機を迎えて、自分の社会人生活の第一フェーズが失敗に終わったことを告白していた。捨て鉢でも恨み節でもない等身大な反省。長文だったが興味深く読んだ。▼「選択と集中」が出来なかったことをとりわけ強く自戒していたようだ。たとえて言えば、音楽で一旗揚げたいという夢を強烈に持ちながら、ポップスに憧れ、クラシックを学び、ジャズに傾倒し、EDMや現代音楽にも取り組んで、楽器を演奏したり、指揮をやってみたり、ワークショップに参加したり、ありとあらゆる音楽的な活動をこなしながら、ついに創るべき曲を見出せなかった作曲家の卵である。▼長い反省は、それでも再びチャレンジしていくと前向きに締めくくられていた。今度は上手く行くといいですねと心ひそかに言いたい。他人から見たら愚かで無謀で理不尽なほど、理由もなくしがみつける軸が見つかるといいですね。

[2809] May 08, 2017

ちょっと前、iPadを買うならローズゴールドが良いと書いた。しかし悲しいかな、12.9インチモデルにローズゴールドは存在しない。あるのはシルバー、ゴールド、スペースグレイの三色のみ。画面側のフチはシルバーとゴールドが白く、スペースグレイが黒。背面色はカバーでどうにでもなるから、事実上、このフチの白黒で悩むことになる。▼白の利点は主に三つ。指紋が目立たず清潔感があること。見た目の印象より軽く感じること。いかにもiPadらしいこと。追加するなら、電子書籍やニュースサイト、楽譜など、白地のコンテンツとは相性が良い。一方、黒の利点は主に二つ。パソコンに近い見た目なのでビジネス感があること。映像コンテンツの没入感が白よりも高いこと。▼故に、iPadを何として扱いたいかで選ぶのがよかろう。モニターやテレビのような「画面」として見るなら黒が良いし、手帳やノートのような「紙」として使うなら白が向く。私は白がいいのだろう。

[2808] May 07, 2017

「ノリ」というのはどこで学ぶのだろう。▼ノリの悪い小説は読んでいて疲れる。ノリの悪い曲はすぐに飽きる。ノリの悪い反応は会話の楽しさを半減させる。これほど重要な概念でありながら、それを学ぶ機会があまりないのは不思議なことだ。何事も教本を読んで理解しただけでは上手くいかないものだが、その上手くいかない原因の大半は、その分野でのノリを体現できないことにある、と言っても過言ではないと思う。文章術を磨いてもノリのよい小説は書けないし、音楽理論を修めてもノリのよい曲は創れない。▼ノリは体系化されていない。故に、私たちは仕方なく、すでに完成されたノリの良い何かからノリを学んでいる。創作物の質を上げたければ、関係のない分野に精通し、広く一流のものを見聞きし、なにより人生経験を豊富にせよというアドバイスが意味するところは、つまりノリを学べということなのだろう。カタカナが嫌いであれば、呼吸と言い換えても良い。

[2807] May 06, 2017

ドン・キホーテでユンケルローヤルVが60%引きになっていた。ユンケルと言うと、以前繁忙期を乗り切るためアマゾンで格安のユンケルファンティを箱買いしたものの、どうも体に合わなくて残りを栄養ドリンク好きの後輩に自己責任でプレゼントした記憶が懐かしい。ファンティの効力が強すぎたのかもしれないし、単に疲れのせいで体調が悪くなっただけで、むしろユンケルのおかげで症状がマシになっていたとも考えられる。真相を確かめるには再試行してみるしかないが、高価なので無駄遣いしたくないし、もしもまた体調を崩したらそれこそ馬鹿らしい。真相は永遠に闇の中であろう。▼ともかくローヤルVを二本購入。値段的にもリポビタンDのやや上位互換程度なので強度の心配はない。味も生薬特有のきつさがなく、飲みやすい栄養ドリンク風に仕上がっている。このあたりのグレードが無難だろう。医薬品ではないが、体験上、飲んだ方が風邪の治りは早いと思う。

[2806] May 05, 2017

風邪をひいてしまった。夫婦揃って37度超の熱。生活空間が狭いので、片方が罹れば共倒れするのは致し方ない。しかも明日は遠出の予定がある。さっさと寝て快復したいところだが、さらに、そういうときに限って明日の朝までにやるべき作業があったりする。なかなかうまくいかない。▼子どもが保育園へ行くようになると、子どもはもちろん親の方も風邪にかかりやすくなるという話を会社の先輩から聞いた。母から受け継いだ免疫力もなくなり、風邪をひきやすくなった子供たちがわんさか集う保育園ではウイルスをもらわないことの方が難しく、子どもはいつも風邪をひいているような状態になってしまう。それが親に伝染るのだと言う。たしかにわかる。子育てを始めた先輩方が頻繁に病欠するのも無理はない。▼ここから数年は、常に六割か七割の力で戦うことになる。全力という状態が望めない中、どう凌ぎ、どう結果を出していくかもまたひとつのチャレンジである。

[2805] May 04, 2017

昨日、二階のベランダに鯉のぼりを設置した。子どもの初節句にと母が買ってくれたものだ。組み立てたのは妻なので、私は何もしていないことになる。そのせいかどうか、今朝見たらお父さん鯉である真鯉が脱走して庭に落下していた。昨日は風が強かった。遠くへ飛ばなかったのはさいわいだった。▼もともと鯉のぼりは真鯉、つまり黒い鯉のみを揚げる風習であったが、そのうち赤い緋鯉を添えて対で揚げるようになり、昭和頃からは真鯉と緋鯉を父母に見立てて子どもの鯉として青い小鯉を加え、今の一般的な三色になったという歴史を持つ。最近では三色どころか紫や緑やオレンジの鯉も見かける。色に関するこだわりはなくなりつつあるようだ。カラフルで賑やかな鯉たちが空を泳いでいればよいという、ざっくりとした縁起物の飾りになっている。それもまた良し。▼明日は記念写真を撮ろう。二十余年前の弟の初節句の写真は最高の出来で、今でも良い記念になっている。

[2804] May 03, 2017

iPad Pro 12.9インチの購入を決意した私には、三つの道が残されている。AppleストアでAppleCare+付きの正規品を買うか、eBayで保証のない新品または中古品を買うか、六月のWWDCで発表される可能性の高い12.9インチの新型を待つか。▼AppleCare+は税別9400円を支払うことで高額な修理費を二回だけ4400円にしてくれるサービス。iPad Proの修理費は画面が割れただけでも本体代金の半額近くを請求されるほど高いので、加入は当たり前と言う人も多い。一方、強化ガラスカバーをつけて運用している限り、よほど手荒に扱わなければ画面などそうそう割れないのだから、AppleCare+など不要と断じる人もいる。それなら中古でもいいわけだから、価格も保証付き新品の半額近くまで抑えられる。万が一割れても追加でもう一枚買えるではないか。▼どちらの言い分にも理はある。もはや覚悟と好みの問題である。出費を最小限に抑えて様子を見るなら、eBay中古品が最良であろう。

[2803] May 02, 2017

昼は散歩。妻が歯医者のうちに子どもを預かって、いつも通り横浜へ行ったり、最寄り駅の周辺を散策したり、ニトリへ行ったりヤマダ電機へ行ったり、本屋へ行ったり歯磨き粉を買ったりした。前抱きは赤ちゃんにとって見える世界が広いので、退屈しないのか対面抱きより気に入っているようだ。ただ、こちらからは表情が見えないので、ときどき店などにある大きな鏡で様子をうかがう。そうすると鏡の中の私に気づいて笑う。なんだ、そこにいたのか――といった具合だろうか。▼二時間以上も歩いていたので帰路は足腰が軋んだが、いい運動になった。紐を再調整したことで左右のバランスが良くなり、以前ほど肩も痛くならない。8kgのウエイトをつけてどんどん歩こう。私が今より8kg軽くなれば、そのときはもう普通に歩くのと変わらないはずだ。そうして、健康上の指標によると、私は今より8kgくらい軽くなければならないことになっている。どんどん歩こう。

[2802] May 01, 2017

保育園へ行くようになってから息子の進化が加速している。今日は奇声を発しながらイグアナのような超高速ハイハイを披露してくれた。膝立ちでは追いつけない、通常のハイハイとは明らかにギアの違う速度である。そうして向かった先は台所。白く小さな木製の椅子が気になるらしい。台所は危ないからと引き剝がしてリビングへ連れて帰っても、すぐにドタドタと椅子の方へ突撃していく。どうやら我が家の部屋の位置関係は完全に把握したようだ。ついに家中の家具がおもちゃになった。▼離乳食もよく食べる。市販の袋は難なく平らげるし、器用にコップで水も飲む。つかまり立ちからの復帰も尻もちを覚えて危なげないし、傾きやすい物体を頼りに立とうとすると転んでしまうことも多少は学習したようだ。表情のバリエーションも増えた。男子三日合わざれば何とやら。目に見えて進化している。▼だが、夜に寝ないのは相変わらず。ここも人並みに成長して欲しいものだ。

[2801] Apr 30, 2017

転調確認法に次ぐ新たな曲のデバッグ法を手に入れた。名付けて低速確認法。その名の通り、20BPM〜40BPMの超低速で曲を再生し、音の鳴り方や感じ方を見る。普段と違う再生法で曲の隠れた問題点を炙り出すという点は転調法と変わらないが、こちらの方がより速いパッセージの確認に向いている。スピード感のノリにごまかされて縦の響きが疎かになりがちな中音域の細かい音符を、超低速のプレイバックで検証するのだ。▼今日、まさにそんな音符を置いていた。何度再生してもどこか妙な感触が消えなかったので、試しに超低速で再生してみたところ、許容できる不協和音と許容できない不協和音の違いが見えてきたというわけだ。元の速度でも妙な音を聞き分けられる人や、聞かなくてもロジックだけで駄目な音を特定できる人にとっては無意味な小手先のテクニックだが、細かい音の聴き取りに自信がない人にはオススメできる。転調法については過去の記事を参照されたい。

[2800] Apr 29, 2017

暖かくなってきたので衣替え。今日も外歩きにブルゾンがいらないほど暑かった。コートやジャケットを片っ端からムシューダの防虫カバーにしまっていく。クローゼットにかけるタイプも、引き出しに入れるタイプも、まとめて全部交換だ。有効期間がちょうど1年だから、今後は毎年GWにやるのがよかろう。▼明日は早い時間に遠方からのお客さんを迎える予定。九時には起きてリビングを片づけたり、お茶の準備をしたり、ケーキを買いに行ったりしなければならない。午後のスケジュールは未定だが、久しぶりに秋葉原へ行くのもよさそうだ。専有することなく長時間iPadを触るには何台も展示機のある大きな店舗が望ましいし、iPad以外のタブレットで掘り出し物がないかも探してみたい。秋葉原のヨドバシカメラはオーディオ機器も充実しているから、ヘッドフォンを再考してみるのも悪くないだろう。▼行くとしたら正月以来。本当に行くかどうかは午後の疲労度による。

[2799] Apr 28, 2017

久々の深夜投稿。帰宅後、夕食を食べたら眠くなって、風呂の前に仮眠のつもりが気付けば一時まで寝込んでしまった。連日の寝不足にくわえて体調も万全ではない。GWは無理せず諸々のイベントをこなして曲制作でも進められればと思う。まとまった時間が取れればかなり先まで進められそうな手ごたえは感じている。▼いよいよ五月。二月経てば今年の前半期も終わる。総括するには早いが、今後の予定も含めて、モノやサービスの話題よりも政治的なニュースの方が目立つ時期だったように思う。耳目を集めるような新製品や新サービスは皆無に等しかった。「凄いのが出たぞ!」という興奮は絶えて久しい。生活を変えられそうなポテンシャルを持ったガジェットだと感じたのは、六月に発売の予定されている「Xperia Touch」くらいである。▼次のブレイクスルーはやはりHoloLensに期待するしかない。私が耄碌しないうちにSFの世界が身近になってくれることを祈っている。

[2798] Apr 27, 2017

今日も少しだけ12.9インチのiPadに触れてきた。いいかげんインチ数を書くのも面倒なので今後は「大」と「小」で呼ぼう。サイズの悩みは続いている。▼でかすぎるという印象は変わらない。面積としてはクリアファイルとぴったり同じくらいなので、両手で抱えるのにさほど大きいわけではないはずなのだが、堅いからか厚いからか、A4の雑誌より二回りくらい巨大に感じる。混み合う電車内で取り出したら、まわりの人には新聞並に圧力をかけるだろう。▼しかし、でかすぎるが故に唯一無二であるのも確かだ。「小」のサイズなら、それこそASUSやHuaweiがもっと安くて軽量なタブレットを出している。それにもし買った後にペンをあまり使わないことが発覚したら、iPad Airでよかったではないかと後悔することにもなる。オンリーワンな「大」に比べて「小」は引きが弱いのだ。他の人が使わないからこそ使いたいという気持ちもある。心の針は7割方「大」を指している。

[2797] Apr 26, 2017

昨日の話のつづき。日本人が「ひとつ残し」してしまう理由は諸説あると書いたが、なかでも「毒饅頭仮説」はとりわけ面白かった。▼物騒な名前だが筋書きはこうだ。皿にたくさん饅頭が盛られている。たくさん盛られているのだから、これは自分で自由に選んで食べることのできる饅頭である。しかし、饅頭の数が三つ二つと減り、とうとう最後の一つになったとき、事態は急変する。最後のひとつは、それを取るしかない饅頭である。私が自由に選ぶことのできる饅頭ではない。無意識はこう考える――もしや掴まされたのではないか。これは毒なのではないか。▼真偽はともかく、二つ以上の饅頭が「選べる饅頭」であるのに対し、最後のひとつは「選べない饅頭」であって、両者は明確に異なる対象だという主張は面白い。もしこの仮説が正しいとしたら、「ひとつ残し」は日本人の気質ではなく、世界人類共通の本能的行動ということになるだろう。最後のひとつは怖いのだ。

[2796] Apr 25, 2017

「関東のひとつ残し」という言葉がある。お菓子や揚げ物など皿に盛られた食べ物を皆で分け合って食べるとき、誰も最後のひとつを取ろうとしない状態を揶揄した表現だ。最後のひとつにがっつくのがはしたないからとか、遠慮して譲り合っているからとか、皿が空になると場が持たなくなるからとか、理由には諸説ある。▼「関東の」というくらいだから関東に特有の性質かと思いきや、そうでもない。関西には関西で「遠慮のかたまり」という、同じく最後のひとつを取らずに残すことを表す語彙がある。それどころか「越後のひとつ残し」だの「肥後のいっちょ残し」だの、調べれば調べるほど各地方の言い換え表現が出てくる。日本全国どこでも同じということだ。▼日本人の特性なのか、世界共通の普遍的な人間特性なのか、それは各国の言語を閲してみなければわからないが、まさしく最後にひとつだけ残された小さな春巻きをめぐる居酒屋の会話としては上出来であった。

[2795] Apr 24, 2017

古いパソコンを分解したときに出たガラクタのひとつ。ハードオフへ持ち込んだら100円と言われた品だが、小遣い代わりで弟にあげたところヤフオクで8000円になったそうだ。まさに大勝利である。▼ハードオフに限らず既存のリサイクル店舗は、箱や説明書など本来の製品機能とは関係のない部分で大きく買い取り価格を落としてしまう。買い手の心情からすれば、マニュアルも箱もない店頭の中古バルク品など買いたくないだろうから、それも無理からぬ話だ。そういう品は二束三文で売り払うよりオークションに流した方がいい。ニッチな電子機器は特に需給が一致しやすいので、ヤフオク向きであるといえる。▼私も売るべきものがひとつある。問題は1円スタートにするかどうかだ。新品は現在でも10万を超える品だが、個人輸入品なのと、過去に落札記録が一件もないマイナー製品ということで、ひとりにしか見つからず1円で落ちるリスクに二の足を踏んでいる。

[2794] Apr 23, 2017

過去の自分のピアノアレンジを聴いていると、音は今より平坦でマイクに近いし、空間もあまり広がりを感じられないけれど、ふわっとした非現実的なリバーブのおかげでアタックが丸みを帯びていて、強い音符が耳にやさしい。今回は打鍵のリアルさとピアノの存在感を重視したから、高音は特にそうだが、ffが鼓膜に鋭く刺さる。ボルテージがあがると純粋に「やかましい」という感じが強くなってくる。その代わりppの表現力は段違いに向上している。悩ましいトレードオフである。▼論理的に、実力的に、予算的に、ともかく何らかの条件のせいで「全部獲り」が不可能なとき、決めることは捨てることと等しくなる。捨てられない者は決められない。泣く泣くでも捨てなければ先に進めぬ。いつか取り返しに来るという堅い決意で、捨てるというよりは一旦置いていくという気持ちで、選べるものだけ選んできた。次はぜひ、リアルさと存在感を残したまま丸みを取り戻したい。

[2793] Apr 22, 2017

北朝鮮が不穏なことになってきた。どうせいつものように威嚇だけだなんて高を括るのは無用心だが、さりとてもし本当にミサイルが降ってくるなら用心のしようもない。近くに頑丈な建物のない人はできるだけ窓から離れて身を伏せるようにとあるが、我が家には窓のない部屋などないから、みんなでトイレか風呂に籠るのが精一杯の対策ということになりそうだ。▼東京近郊の人はもちろん不安だろうが、神奈川にも横須賀があるので楽観視は出来ない。そもそも本当に最新鋭の核なら、たとえ東京のど真ん中に落ちても神奈川全域の被爆は不可避である。近代兵器の暴力の前には、もはや一個人が出来ることは何もない。フライトレーダーにでも張り付いていち早く異変を察知し、より頑丈な建物へ避難するのが関の山だ。当たり前だが、そんなことになってくれないよう切に祈る。迎撃技術が現実的には間に合わない今、すべては外交にかかっている。何事も起こりませんように。

[2792] Apr 21, 2017

芸術新潮のデジタル版が出ないことに憤りを感じている。私の中ではデジタルで毎月読みたい雑誌ナンバーワンなのだが、いっこうに出版される気配がない。このまま紙と心中するつもりだろうか。天下の新潮社が時代の流れを読めないとも思えないが、誠に遺憾である。気長に待つしかない。▼次にデジタル版がなくて悲しいのはキーボードマガジン。しかし、こちらはサウンド&レコーディング・マガジンやリズム&ドラム・マガジンが先行して電子化していることを考えると、そう遠くない将来、同じく電子化してくれることが期待できる。リットーミュージックは電子化には積極的なので安心だ。▼世間ではdマガジンや楽天マガジンなど、デジタル雑誌と言えば読み放題という風潮になっている。興味はあるが、今のところ食指はさほど動かない。ニュースのザッピングならネットで事足りるし、HBRだけでも読み込んだら通勤時間は埋まる。”読み放題”している暇はない。

[2791] Apr 20, 2017

ノートはB5ではなくA4を。モニターはフルHDではなくWQHDを。スマートフォンは片手サイズではなく両手サイズを。これまで、常に大画面を求めてきた。大きいことはいいことだ。情報の出入り口は可能な限り大きくあるべきだ。スペースの広さは思考の質を高めてくれる。アイデアのスケールも広がっていく。「必要な大きさ」を計算してはならぬ。使い切ることが重要なのではない。十分な余白こそが重要なのだ。▼そんな私だから、世間で「無駄にでかすぎる」と言われれば言われるほど、iPadPro 12.9インチは魅力的に見えてくる。恥ずかしくて電車の中で漫画も読めないと誰かがぼやいていたが、電車の中で人に見られて恥ずかしいと思うようなことをしなければよいのだ。漫画が読みたいなら自信を持って漫画を読めばよろしい。それが嫌なら日経新聞でも英字新聞でも読めばよい。▼真の問題は大きさよりも価格である。販売店で素直に買うには、まだ高すぎる。

[2790] Apr 19, 2017

残念ながら肌の弱い両親に似てしまったか、子どももやはり肌が弱そうだ。口のまわりと背中、お腹、太もものあたりなど、けっこう荒れている。小児科からはスピラゾンやアボコートといった強めのW群に属するステロイドを処方されているが、塗りつづけても良くなる気配がないので不穏な状態だ。▼V群は、私でも鎖骨から上には塗るなと厳命されている強度である。それに程近い強さのステロイドを特に説明もなく、軟膏かローションのような扱いで処方してくる医者も、どこまで信用していいかわからない。とにかく炎症がひどいから強めのステロイドで対応していくというスタンスなのであれば、せめてそう説明してくれれば受け入れられるのだが、赤ちゃんの肌荒れはこれを出しておけばたいてい治るから安心というような適当さで処方されているとしたら適わない。事実、別の医者はそんなもの塗らずに保湿しろと言う。全く不可解だ。医者の診断の正当性を測りかねる。

[2789] Apr 18, 2017

勉強したい。今、ものすごく勉強がしたい。試験前になると漫画を読みたくなるのと同じ心理が働いていると思う。痛感する。人はまとまった時間が取れなくなると、スキマ時間で出来る娯楽や遊びで日々をごまかしながら、本心では何かまとまった時間のかかることをしたくなるものなのだ。▼だから今、腰を据えてじっくり勉強したいという気持ちの方が先行していて「何を学ぶか」は後から考えるという奇妙な状態になっている。プログラミングの勉強。語学の勉強。数学も学び直したい、あるいは学び足したい。何かのテキストを読み漁りたい。難解な書籍にひたすら注釈を入れたい。……。▼人生只今三十年、プラス一年。「あのときもっと勉強しておけば」と後悔するような過去はないが、「これからはもっと勉強しなくては」という思いはいつもある。若さと老いの中間点。勇気と老獪の狭間に生きねばならぬ。勇気は心の持ちようひとつだが、老獪には知識と知恵が要る。

[2788] Apr 17, 2017

毎日、個人的な業務日誌をつけている先輩がいる。前に話し合った内容について再確認に行ったり、実装方法や問題の前例を教えてもらいに行ったりすると、よくその日誌をテキストで開いてgrepしている。体裁は独り言のような口語体で、閲覧性よりは検索性を重視した形。行数は万単位だ。しんどい作業の愚痴なども含まれていると言うが、積もり積もれば、これも仕事のノウハウの宝庫である。▼かつて別の先輩がこう言っていた。メモを取ることが必ず良いとは限らない。メモして後で探すくらいなら、すべて頭に叩き込んだ方が仕事が速いこともある。それでもメモの習慣は身につけておいた方がいい。僕みたいに三十を超えたら、君らの脳はもう君らがいま信頼しているほどの記憶力を発揮してはくれなくなる。そうなったときにメモの取り方がわかっていないと、もうおしまいだ。気がついたら、物覚えが悪い上に記録も残せないただの使えないおっさんになってるよ、と。

[2787] Apr 16, 2017

昨年五月末日の記事にこうある。「希望一位はドバイマジェスティだったが、ぎりぎり負けて去年にひきつづきハズレ選択を迫られる。」そのドバイマジェスティ産駒のアルアインが今日、皐月賞を制した。代わりのフローレスマジックはいまひとつ。やはり今年はツキに見放されたらしい。▼数年前から、馬券は次の三条件のどれかを満たさない限り買わないようにしている。現地へ行ったとき、場外馬券場へ行ったとき、POGの持ち馬が出走しているときだ。今年は持ち馬がたいしたレースに出ていないので、最後のひとつが全くない。現地へ行く時間はとても取れないし、場外へも久しく足を運んでいないから、ほとんど競馬に金を使っていないことになる。▼それはそれでよいことだ。スターホースのアプリは一瞬で飽きたが、競馬の熱が冷めたわけではない。また時間が取れるようになって、場外にでも行ければ良いと思う。東京競馬場にも久しぶりに遊びにいきたいものだ。

[2786] Apr 15, 2017

後輩が昇進試験を受けるにあたってアドバイスを求められたので、事前準備と面接の心構えについて私なりの回答をしつつ、偉大なるY先輩の持論を受け売りの形で伝えた。端的かつ有意義と信じるので、ここにも記しておきたい。▼先輩曰く、受験者に最も多い間違いは「自分が昇進後の立場になったらどうするか」を主張してしまうことだという。次の役職になったら、**を成し遂げたいです。**が求められると思っています。**を意識しなければならないと考えています。**を実践すべきだと考えています。云々。▼先輩は一喝する。会社は、昇進後の立場で仕事ができそうな人を昇進させるのではない。すでにそう出来ている人を昇進させるのだ、と。昇進してから頑張ろうとしているような人は失格なのだ。順番が逆だ。自分はすでに昇進後の立場で十二分に仕事をしているのだから、あとは昇進の方が遅れてついてくるだけの状態なのだという主張が正解なのである。

[2785] Apr 14, 2017

昼ごはんに某所でローストビーフ丼を食べる。本職肉屋のランチメニューだけあって、値段の割には質も量も良い。旨かった。しかし、私はもう頼まないと思う。▼三口目を運んだときから思っていた。味が変化しない。タレに漬かったご飯、その上に重ねられた均一なローストビーフ、そして卵。「肉のあるひとくち」を食べようと思ったら、三者が必ず同じ比率で含まれる。つまりいつも同じ味がする。以前に茶と甘味の件でも述べたが、私は自分で味の濃淡をコントロールしたいのだ。それが出来ない料理は、なかなか気に入りにくい。旨くても変化の娯楽がない。▼料理に限らず、変化という楽しさは侮れない。変化だけが楽しさだと言う人もいるくらい、変わることは心地よい刺激になる。もちろん本当なら作品そのものが変化を内包しているべきだが、それが出来ないのであれば、せめて受け取る側に変化をつける自由を残してほしい。ローストビーフが別皿なら完璧だった。

[2784] Apr 13, 2017

われらが横浜DeNAベイスターズの滑り出しが悪い。序盤戦に弱いのは毎年のことだが、内容もいまひとつ上向いてこない。打者が打てば投手が炎上、投手が良ければ打者が冷え込み、先発がよければ中継ぎが崩れて、溜めたランナーは残塁させる。すべてが嚙み合っていない状態だが、なんといっても四番・筒香の不調が痛い。現時点で打点「1」は、四番としては十二球団で単独最下位である。これでチームの勝率が上がる道理はない。▼例外もいるが、WBCに出場した選手の調子は軒並み悪い。投手のフォームも違えば球も違うので、世界基準に感覚を合わせてしまった選手ほど、日本基準に戻るまで時間がかかってしまうのかもしれない。メジャーリーガーが総力を挙げてWBCに挑もうとしない理由もわかる。結果的には離脱となってしまったが、大谷が大事を取ったのも球団としては正しい判断だったということだろう。▼明日からヤクルト戦。早期の借金完済に期待したい。

[2783] Apr 12, 2017

2017年春、テクノロジー関連のバズワードにはどんなものがあるか。考える機会を得たので、自分なりにランキング形式で5位までピックアップしてみた。もし今バズワードの試験が行われるとしたら、そこで「出そうな順」ということだ。▼1.ブロックチェーン。2.フィンテック。3.VR/AR/MR。4.IоT。5.ディープラーニング。次点はクラウドロボティクスあたりか。量子コンピューティングもいれたかったが、一般社会への浸透が足りないと判断した。ウェアラブルデバイスやビッグデータは、言葉としてはまだ生きているが少々古い。▼実際、世界中どこを見ても国や政府の信頼が揺らいでいる今、テクノロジーの世界では中央集権的な仕組みへの拒絶とも取れるブロックチェーンやフィンテックが”バズっている”というのは面白いことだ。前世紀の歪んだ権力構造から逃れるため、人々はテクノロジーに救いを求めている。その救いは、きっとあると思う。

[2782] Apr 11, 2017

今日は初めての六時間保育。長時間なので不安もあったが、報告によると離乳食はしっかり食べ、短いながらも昼寝して、ハンモックでは楽しくはしゃいでいたとのことで、安心した。心なしか登園するようになってから成長も速い気がする。よく動き、よく食べるようになった。あとはよく寝てくれれば言うことはない。▼それでも妻が迎えに行くと、ぐずって訴え泣きをするそうだ。爆発して大泣きするというよりは、不在を責めるような強く短い泣き方である。まったくどこへ行っていたんだ。こんなに長くひとりにされては困るよ。こっちは赤ちゃんなんだから……。そんなことを言いたげな風情である。▼それでも帰宅後はニコニコで、かえって機嫌がよかったりするからわからない。帰宅した私の顔を見ると身体ごと跳ねて大喜びするが、手を洗って抱っこして遊ぼうとすると、そっぽを向いて一人遊びを始めたりする。わからない。やはり早いところ喋ってもらうしかない。

[2781] Apr 10, 2017

久々に会った他部署の同僚が、最近は仕事のかたわら転職活動をしていると言った。この会社にはもう未来がないという。しかし実際に転職先を探してみると、今より給与の良いところはたくさん見つかるが、総合的な福利厚生の質が良い職場となると、悔しいが見つからないと嘆いていた。今の居場所にうんざりしていながら、より良い移住先が見つからないからという理由で惰性の勤労に囚われるのは悲しい。彼の会社に対する読みが正しいかどうかはともかく、彼に良い転職先が見つかることを祈っている。▼私は、今の会社でまだまだやりたいことがある。学べることがあるし、試してみたいこともあるし、達成したいこともある。しかしそれは裏返せば、これらが何もなくなったとき、私もまた彼と同じように転職先を探さざるを得ないということなのかもしれない。「この会社に二十年後もいると思うか。冗談だろ?」と彼は言った。それは二十年後の記事で裁かれるだろう。

[2780] Apr 09, 2017

保育園でセパレートタイプの洋服が必要だと言うから、三人揃って子ども服を買いに高島屋へ出かけたところ、たまたま今週末限りのセールが開催されていた。全品、三割程度のお値引きとのこと。運がいい。綿100%の上下を二枚ずつ買った。▼特設会場を探し当てる前に寄ったコムサフィユでは、デザインも素材も実に素敵なクリーム色のTシャツを見つけていて、高いけどこれにしようか、なんて話していたのだが、綿100%のパンツの取り扱いがないということで保留にした。それが功を奏して、まあまあ素敵な次善の品を半額以下で手に入れることができたわけだから、満足度は高い。いくら素敵といっても半年後には確実に着られなくなるTシャツに何千円もかけるのは身の丈に合わぬ。▼とにかく子どもの洋服は高い。洋服に限らず、玩具も食器も、何でもだ。可愛い我が子のためだからと、浮ついて財布の紐が緩んだ親の足元を見ている。祭の焼きそばと同じである。

[2779] Apr 08, 2017

『ライオンキング』を観る。アニメーション映画がようやく市民権を得始めた時代の、美しく滑らかな、古き良き絵柄のディズニーアニメ。今見ても現代的な3DCGに比べて何ら遜色ない。そのとき可能な表現手法で最高を目指した作品は、新たな表現手法が生まれた後もけっして陳腐化しないということだ。▼ストーリーの方は古典的な勧善懲悪で骨子にいちゃもんのつけようはないのだが、シンバの経験する苦難が少なすぎて成長に説得力がなかったり、ラスボスのスカーが想像以上に貧弱なライオンで、どうにも小物臭が拭い切れなかったり、結局、王国の荒廃と再興はハイエナを許容するかしないかの違いでしかなくて、王としての資質は関係ないのではという気がしたり、首を傾げることも少なくはなかった。『ヘラクレス』と同じく、高貴な血筋に生まれた主人公補正によって何もかも上手くいくタイプの物語である。好みの問題だが、私はそういう物語には興奮しにくい。

[2778] Apr 07, 2017

毎年恒例、新入社員歓迎会。今年は例年に比べてとりわけ人数の多い年であったから、いつもなら九時半くらいに一次会を終えて有志だけで二次会へ移る段取りのところを、今日は十一時まで一次会をやり、代わりに二次会はなしということになった。したがって普段は二次会へ行かず一次会でとんずらする私も、じつに四時間の長丁場を戦うことになったわけだ。▼過去最多と言ってもよい大人数だったので、会話できた新人は多く見積もっても全体の1/5というところ。この程度で今年の新人は傾向がどうだとか、全体について論じるわけにはいくまい。仕事の量や残業の具合などについて尋ねてくるオーソドックスな子もいれば、好きな漫画やアニメの話で盛り上がる子もいるし、学生時代に温めてきた企画の話や、入社後の野望を語ってくれる子もいる。真面目そうな子が多いのは毎年共通だが、あとは千差万別だ。私の方も盛らず隠さず、正直なところを話したつもりである。

[2777] Apr 06, 2017

今日、仕事中に妻からLINEが来た。保育園の後、子どもの泣き方が尋常でないから病院へ連れていくという。診断。今のところは何とも言えないが、腸重積の可能性もあるので様子を見るように、とのこと。七日間も排便がなかったので便秘かなと思っていたら、急に重々しい病名が飛び出してきて焦る。「小腸が大腸の中に入り込んで腸閉塞を発症する病気。小児では間欠的に泣く為、間欠啼泣と呼ばれる。重症の場合は腹膜炎を起こし、死亡することもある。」▼ともあれ病院から帰宅後、十五分置きに号泣するというようなこともなかったらしく、私が帰宅すると超大量の排便をして、少し機嫌がもどったようだ。血便ということもない。ひとつ安心した。やはり便秘が苦しかったらしい。▼腸重積は2歳くらいまでの子どもに発症しやすく、発症すると再発の可能性も高いという。発症から処置までの猶予は数日もないそうなので、よくよく観察して有事に備えなければならない。

[2776] Apr 05, 2017

投壊、守乱、貧打、不運。どれも野球ファンにはつらいが、まとめて襲ってくると逆に得したような気分になる。シーズン通してチームの全てが絶好調ということはありえないのだから、罹患すると僅差で勝利を落としかねないようなバッドステータスは、罹るなら一度に罹ってきっちり大敗して、一気にスランプを脱してしまった方がいい。惜しくもない分、かえって課題も冷静に見えてくるはずだ。▼「スランプの後は好調になる」という説は野球に限らず多くの分野で見られるが、共通する原理はこの冷静さにあるのだろう。勝負にならないほど何もかもが上手くいかないことで、ふと気持ちが勝負から離れる。重要な勝負も何か他人事のような気がしてくる。そんなとき、勝負の渦中に身を置いているうちはわからない自分の問題点や悪癖が見えてくる。相手の隙にも気づき、思わぬ妙案も浮かんでくる。ピンチこそチャンスというのは、単なる励ましの言葉ではなく真実である。

[2775] Apr 04, 2017

メモリバリアについて学ぶ。これまでのアプリケーション設計でマルチスレッドを意識することは少なかったが、今回は正面から向き合っているので避けては通れない。▼常々不平を漏らしていることではあるが、マルチスレッドは人間の脳には全く適していない。人の思考は常にリニアである。上から下へ流れていくプログラムなら順序立てて理解できるし、実行時に何が起こるかも頭の中で想像できるが、複数のプログラムが同時並行で動くとなると、これはもうスレッドがたった数個でもわけがわからなくなる。まして現実のスレッドは数十、数百だ。それらが互いに通信を行っている。因果一貫性が保証されている連絡はどこなのか。順序一貫性が保証されている関係はどこなのか。どこで誰が何に依存しているのか。もはや理解不能を超えて追跡不能である。▼だからこそマルチスレッドは信頼できるモデルに頼らなければならない。料理と同じだ。オリジナリティは死を招く。

[2774] Apr 03, 2017

三月上旬と言われていたベゼルレスの新型iPad発表は三月中旬の模様と伝えられ、何事もなく中旬を過ぎるとどうやら今年は四月四日が濃厚という別情報が現れ、いよいよ明日はその四月四日になろうとしている。通例なら遅くとも十日以上前には公式の告知があるだけに、明日、サプライズで発表ないし発売される望みは薄い。一か月前には手の込んだイベントの招待状までリークされていたが、あの招待状は何だったのだろう。▼二つだけわかることがある。ひとつはアップルの情報統制が完璧に機能しているということ。「われわれはうわさや憶測には一切コメントをしない」という態度を常に徹底する彼らだが、それにしてもあれだけ大規模な企業で内部リークすら皆無というのはめずらしい。そうしてもうひとつは、アップルの情報に詳しいアナリストとか、数々の予測を的中させてきたサイトとか、信用できる米国の情報筋といったものは、一切信用に値しないということだ。

[2773] Apr 02, 2017

抱っこ紐で子どもをあやしている間、たまたま目に止まった花村太郎の『知的トレーニングの技術』を手に取り、立ちながら読み返した。ちょうどレーニンの読書ノートを引き合いに出して勉強用ノートの作り方を解説する頁だった。▼最初に読んだ当時はノートと言えば紙のノートを想起していたが、iPadノート化計画が脳内で着々と進行している今なら少し違った読み方ができる。著者の掲げるノート術が、紙という物理的な制約を理由に甘んじて受け入れている不便を解消できる可能性があるからだ。発問・発想のためのアイデアノート、データ収集のための取材ノート、批評のための読書ノート、分析のための研究ノート、原稿下書きのための草稿ノート、などなど用途に応じた細分化をしつつも冊数が増えない工夫をすべしという点など、全く問題ではなくなる。小細工で検索性を確保する必要もない。▼いつも同じ結論に至る。後は実験あるのみ。10.5インチの発表はまだか。

[2772] Apr 01, 2017

2017年度ペナントレース、開幕。ベイスターズは初戦こそ敵本拠地で無残な大敗北を喫したものの、二戦目は逆に大勝ですぐに借りを返した形。オープン戦の様子から不安視されていた外国人投手のクラインも、今日はまずまずの安定感を見せてくれた。立ち上がりは悪くない。▼一方、阪神対広島の試合は九回裏までで両軍合わせて27与四球という歴史的な泥仕合。以前は延長十二回で達成された一試合での合計与四球数記録「26与四球」を軽々と塗り替えた。結局、5時間25分に及ぶ死闘を制したのはサヨナラ打を放った広島だが、選手も客も春先からこんなタフな試合をすることになるとは思わなかっただろう。土日で昼開始だったのはせめてもの救いである。▼私と同僚が横浜スタジアムへ出向くのは今月中の予定。夜開始で同じような展開になってしまうとゲームセットは日付をまたぐ恐れもある。あまり考えたくない話だ。週中の野球観戦で終電帰りしたくはない。

[2771] Mar 31, 2017

左の歯を二本治療するため、午後は会社を休んで歯医者へ。自分で勝手にプレミアムフライデーを取得した格好だ。尚、以前総務部に確認したところ会社として正式に実施する予定は今のところないらしい。たぶんやらないだろう。やってもあんまり得をする人がいない。▼ただ、横浜の街は思いのほか「プレミアムフライデー」を広告に掲げていた。本日だけの特価ディナー。本日だけの特別セール。働く方は冷めたものだが、売る方はしっかり乗っかろうとしているらしい。そんなお得な企画を享受しようと地下を歩く人たちの姿はどうみても労働者ではないが、月に一回、不思議な力で経済が加速するなら悪いことではないだろう。実態がなくてもプレミアムと言われればプレミアムなのだ。▼歯の方は浅い虫歯だったので麻酔なしで削ってもらった。今になってズキズキするのは神経に響いたからかもしれない。歯磨きを怠ったことはないが、昔から虫歯になりやすい体質である。

[2770] Mar 30, 2017

今日は「神々の騒嵐」開封会。昼休みに同僚と集って同時に開封した。選択権のないドラフト会議である。▼第一順、つまり最初の10パックは私の大勝利となった。ミントを含むレジェンド3枚。イスラーフィールと水竜神の巫女が同じパックに入っていたときは腰を抜かしたが、ドラゴンをプレイする予定は今のところない。その後はみんな平均的に良いカードを引き当てていって、各々、終了時には平均的な枚数のレジェンド・ゴールドを抱えることが出来た。誰かが極端に悪い目を見る展開にならなくてよかったと思う。私も満足してデッキ構築に移ることが出来た。▼事前に組んでいた仮想デッキのひとつを改良してミッドレンジを試す。魔将軍・ヘクターがとにかく強い。今までのデッキに比べて出来ることが遥かに多い。勝ち筋もひとつではなく、引いたカードと相手の状態とを考慮して自由に立ち回りを変えることができる。やはり対戦ゲームは、こうでなくてはならぬ。

[2769] Mar 29, 2017

揚げたこ焼きは関西の方では嫌われていると聞いた。なぜかと問うと、だって揚げているじゃないかと言う。つまり揚げタコの何かがダメというより、揚げていること自体がダメなのだ。邪道だということだろう。言いたいことは、わからないでもない。▼私は揚げタコも普通のたこ焼きと同じくらい好きである。それだけに地元の駅から築地銀だこが撤退してしまったのは残念だった。以来、会社から見て家とは反対方向にある某駅まで出かけるか、秋葉原のヨドバシカメラへ行ったときくらいしか、銀だこを食べる機会はなくなってしまった。▼今日はその某駅で飲みだったので、待機中に「てりマヨ」をひとつ。以前は6コ入りと10コ入りがあったが、今は8コ入りに統一されている。旨いが、重い。その後、ハングリータイガーでハンバーグを食べたが、いつもに比べれば半分も胃に入らなかった。恐るべし、偉大なり、たこ焼き。尚、飲みといっても酒は一滴も入れていない。

[2768] Mar 28, 2017

シャドウバースのランクがAAになった。先に遊んでいた同僚を追い越してしまった形だが、彼らは生粋のエンジョイ勢なのでたいして気にするまい。私の方が通勤時間が長いというだけのことだ。▼連敗も連勝も経験して、デッキの再構築や立ち回りの強化で少しずつ勝率を稼いでいった形だが、身も蓋もないことを言うなら、勝率にもっとも影響したのはプレイする時間帯であったと思っている。単純に、通勤時間帯は勝てる。深夜は勝てない。つまり、同じランクでマッチしていても、暇つぶしのために文字通り「遊んで」いるエンジョイ勢の多い通勤時間帯の方が、研究と研鑽を日課とするガチ勢の集う魔の深夜よりも、勝ち星が上げやすいということだ。あんまりわかりやすいので、もはやスマホの対戦ゲーム界では常識かもしれない。スキルを磨いて強くなりたいなら深夜に遊ぶべし。勝ちたいだけならラッシュアワーを狙うべし。▼新カードパック配布まであと二日である。

[2767] Mar 27, 2017

コードレス掃除機を物色するついでに、ヘッドフォンの試聴にも立ち寄った。いろいろ試しているうちに、先日、現行機に全く不満がないと書いたのは、ひとつ誤りであることに気がついた。側圧である。▼HD650はHD800やT1に比べるとかなり側圧が強い。それは頭にしっかりくっついて容易に離れないという点では良いのだが、残念ながら眼鏡のフレームに対してはよからぬ圧力を与えつづける。長時間かけていると耳のあたりが痛くなってくるのも主にそのせいだ。解消すべき点があるとすればこれだろう、と思い立った。▼着け心地を追求していると思わぬ逸品を見つけることもある。今日、頭に乗せた中ではK812の感触がなかなか良かった。鳴り方もきわめてハイレベルな中庸といった具合で、不満はない。ただ、重量は400g近くある。iPadほどもある重さのものを頭に乗せて作業するのがどれほどの負担になるか、私はまだ知らない。そこはまたひとつ調査を要する項目である。

[2766] Mar 26, 2017

我が家にホットプレートがやってきた。数年ぶりである。▼サイズはかなり悩んだが、吟味に吟味を重ねた末、大きい方が絶対に良いという嫁の助言にしたがってタイガーのCRV-B300にした。実際、その判断が正解で、家の食卓に置いてみると店で見るよりかなり小さく見える。今日は試しにお好み焼きを焼いてみたが、もうひとまわり大きくても困りはしないと思った。▼お好み焼きは私の数少ない得意料理のひとつである。学生時代、大学の近くにあった鉄板焼き屋さんに作り方や焼き方を厳しく学生に指導しているおばちゃんがいて、その人にいろいろ習ったのだ。キャベツは入れすぎと思うくらい入れること。混ぜるときはよく空気を取り込むこと。お好み焼きの素を鉄板に広げるときは、決して押さずにヘラを縦に使ってやさしく広げること。薄くしないこと。素早く豪快に切ること。ひっくり返すときは……云々。▼今日も旨いお好み焼きが出来た。ありがとう、おばちゃん。

[2765] Mar 25, 2017

ヘッドフォンのノイズが恒常的になってきた。いよいよ次世代を探さないとまずい。再びヨドバシカメラへ行く。▼音源同様、ヘッドフォンにも数年前から大きな動きはない。高級ヘッドフォンコーナーの顔ぶれはいつも同じだ。HD800S、T1-2nd、TH900mk2。各社のフラッグシップ機でさえ、良化とも劣化とも付かぬ味付けの変化を加えただけの焼き直しばかりである。技術の進歩が止まったというより、需要が頭打ちなのだろう。音楽製品に元気がないのは、音楽が売れないからだ。それ以上でも以下でもない。▼さて、そういうわけで焼き直しフラッグシップにもいまいち食指が伸びない。手を出すとしたら旧製品の方だろう。装着時に眼鏡への干渉が少なく、重量があまり重すぎず、かといって現行機からそれほどグレードダウンしない品。今のところ答えはないが、早いところ決めないと曲制作がストレスで仕方ない。iPadよりディスプレイより、ヘッドフォンが先になりそうだ。

[2764] Mar 24, 2017

この頃、午後四時くらいになると急に脳のスイッチが切れる。ふと集中できなくなって、気分転換に社内を散策する。冷たくて新鮮な空気を吸い、数分歩いていると、また気分がもどってくる。やはり、部屋の酸素が足りていない。▼二、三年前、エアコンの新調にともない社内に二酸化炭素濃度計が設置されたことがあった。赤ランプが灯れば危険水準と書かれたその計器はいつも真っ赤で、液晶の数値は常に「健康に支障を来すレベル」を超えていた。しかるべき担当者に現状を伝え、空気状態の劣悪さを訴えると、ほどなくして計器が取り外された。まるで観測できなければ二酸化炭素濃度が濃すぎるという事実も存在しなくなるかのように。▼そういうわけでわが社の換気はきわめて悪い。季節が違えば窓を全開にするところだが、なにぶん今は花粉症のひどい人もいるので軽々には開けられない。結局、私のクラッシュもここに起因するのだと思う。今は私が出ていくしかない。

[2763] Mar 23, 2017

無印、レモン、グレープフルーツ、コーラ。ウィルキンソンの炭酸水を一通り飲んだ。やはりコーラが秀逸な出来だと思うが、朝食後や昼など、軽くさっぱりした気分になりたいときはレモンやグレープフルーツの方が合う。さらに進んで味が要らず、炭酸の刺激だけが欲しいときは無印だ。棲み分けはちゃんとできている。▼炭酸水とはやや毛色が異なるが、セブンイレブンの「ゼロキロカロリーサイダー」も良い。ゼロカロリーながらチープで甘ったるいサイダーの雰囲気が上手く再現されている。しかも「脂肪の吸収を抑え、糖の吸収をおだやかにする」定番の機能性表示食品。そんなに虫の良い話があるか、疑わしい気持ちもあるが、爽快感より味が欲しい、しかし糖分は採りたくない、そんなときの選択肢としては上々だろう。▼いただきものの菓子類と、ときどき食べるチョコレートを除いては、だいぶ糖分離れが出来てきている。砂糖をほとんど摂らない生活を目指したい。

[2762] Mar 22, 2017

シャドウバース、神々の騒嵐。全104枚のカード情報が出揃った。毎日、新たに公開されるカードの情報を調べる楽しみも終わる。ここからは新環境で本格的に脳内仮想デッキを組むことになる。▼傾向としてはカードゲームに詳しい某氏が指摘していた通り、ジャンケンの要素が強くなってきた。デッキから引いて場に出して、相手にアンチカードがなければ即勝利となるようなカードが何枚も追加されている。特殊効果が大味になってきたということだ。終盤の戦略性は失われるが、みんながみんな終盤のパワーカードを頼りにするなら、それはそれで展開の早いデッキが勝率をあげられる可能性も高くなる。つまり環境に対するメタゲームが始まる。それもまたゲーム性のひとつであろう。▼ちなみにネクロマンサーは、残念ながら相対的に弱体化されてしまった。面白いカードもいくらか追加されたが、他のクラスのインフレにはついていけていない印象だ。苦戦の予感がする。

[2761] Mar 21, 2017

今日、昼から夜にかけてアップルストアが長期メンテナンスになった。いよいよiPadの新型発表ではないかと情報サイトもにわかに沸き立ったが、蓋を開けてみればiPad Air 2の後継機と思われる無印のiPadがトップページに登場。しかもスペックを見ると、重量も重くなり、厚みも増している。まさに廉価版という扱い。本当に廉価版なら文句を言うことはできないが、それにしても2017年度の新製品が重量アップで始まるとなると、500g以下の10.5インチモデルという望みは雲行きがあやしくなってくる。軽量化は一旦限界に来ているのかもしれない。▼あまりアテにならない”その筋”の情報によると、次に信憑性のある新製品発表日は4月4日とのこと。ここまで来たら二週間くらい平気で待てるが、今度こそがっかりするような内容であれば見切りをつけて旧型を中古で拾う。性能向上は求めていない。画面が大きく、そして軽くなればいい。電子ノートの実現、果たして成るか。

[2760] Mar 20, 2017

福岡からとんぼ返りで帰宅。福岡といっても小倉なので、九州大陸の端の方にちょっとだけ上陸して、駅からほとんど出ることなく一泊し、そのまま新幹線で帰還した形。子どもからしてみれば、どこへ行ったのかさっぱりわかるまい。さてはここが噂の東京だな、なんて思っていたかもしれない。▼その我が子、旅先でもやっぱり寝てくれなかった。ベッドが硬いからか、部屋が暑いからか、普段と違う場所に興奮したからか、理由はさっぱりわからないが、とにかく一晩中唸りつづける。二人ともロクに寝られず疲労も十倍で帰還日はグロッキーに。そんな状態で揺れる新幹線の連絡通路に交代で長時間立っていたものだから、新横浜へ着いた頃には揃って乗り物酔いにかかってしまった。眠気、吐き気、疲労、荷物。強行軍が祟ってふらふらである。▼夕食のにんにくステーキで少々回復して今はマシだが、明日は出社なので、さっさと寝ることにする。子連れの遠出は大変だった。

[2759] Mar 19, 2017

前日書いた通り、今日明日は福岡で一泊するため朝のうちに記事を書く。このところは夜寝る前に書くのが定着していたから不思議な感じだが、その昔は朝起きたらすぐ記事を書くという生活をしていた時期もあった。それがいつからか、また夜型にもどっている。村上春樹も強く朝型を薦めているが、なかなか夜型から抜け出せない。▼後輩の一人は社会人になってから生活スタイルを朝型に改めたという。朝、顔に日の光があたるようカーテンとベッドの位置を調整したことで、目覚まし時計なしでも六時過ぎになると勝手に目が覚めるようになったそうだ。そうしてさっさと家を出て、家の近くか会社の近くの喫茶店で軽食を食べながら、紅茶を片手に雑誌を読むのだという。形のベタさはともかく、うらやましい朝には違いない。▼私の朝は五月から少しだけ変わる。出社前に保育園へ行かなければならない。彼のような朝にはならないだろうが、今より少しだけ早起きにはなる。

[2758] Mar 18, 2017

明日は我が子が初めて神奈川県の外に出る。病院が横浜市内だから、横浜市からも出たことがないのではと思っていたが、年始に川崎大師へ行ったとき、ちょっとだけ川崎市にお邪魔していたのだった。よって今回は初の県外となる。行先は福岡だ。▼飛行機と新幹線で選択を迷ったが、私が飛行機を苦手としていることと、飛行機プランの方が僅かに値段が高いこと、空港より新幹線の駅の方が遥かにホテルに近いことなど、諸々の事情を考えて新幹線を選択した。片道五時間超。帰りはグリーン車しか取れなかったので、子どもがうるさくしたら連絡通路まで抱っこ紐で出ざるをえまい。慌ただしい一泊旅行になりそうな予感はすでにしている。▼一泊の良いところは、二泊に比べて荷物の量がぐっと減るところだ。土産物は全部渡してくるので、行きと帰りを同じ服で済ませれば、帰路の荷物はほとんど赤ちゃんグッズのみになる。観光旅行ではないのだから、今回は身軽が第一だ。

[2757] Mar 17, 2017

ついに"Office 365 Solo"を購読。Word、Excel、PowerPoint、OneNote、Outlook、Publi-sher、Accessの7つは、今後いつでも二台のPCから最新版を利用することができる。デスクトップとモバイルに振り分けるのがよかろう。また、おまけと言うには豪華すぎる特典として、OneDriveの容量が1TBになる。これだけでも12,744円/年をペイしてしまいそうなサービスである。▼現在のバージョンは2016。会社で2013を使っているので、2007以降で刷新されたリボン型のインターフェースにも多少は慣れている。変更当初はなんと愚かな修正をしてくれたものかと憤慨していたが、使っているうちに新バージョンの使いにくさの九割以上は「あれはどこにいった?」であり、要するに慣れの問題でしかないことがわかってきた。総合的な絶対評価なら新バージョンの方が優れている。ただ、残りの一割として「ファイル」メニューが別の画面へ飛ぶのだけはいただけない。あれは改悪である。

[2756] Mar 16, 2017

手元の筆立てに六角レンチがある。先端が六角になっていて、持ち手のところが幅広な楕円形のループになっている構造。ちょうど「T」のような形をしている。▼曲を進めるとき、今はこれを指揮棒代わりにしている。指揮棒というと語弊があるので、ノリを確かめるための棒だから勝手に「ノリ棒」とでも言っておこう。Tで言うところの下の方を持つと持ち手のループが適度に重りの役目を果たしてくれて振りやすい。短すぎず長すぎないコンパクトな全長も評価ポイントだ。昔は鉛筆やボールペンだったが、六角レンチの方が具合がいい。▼ノリ棒があると何が良いのか。実は私にもよくわからない。ただ、ノリ棒を振ろうと思うと、腕から先だけで音楽に合わせることは難しいので、椅子から立たざるを得ない。必然的に身体を使って、膝を使って振ることになる。ここでノリに身体性が加わってくる。ついでに血流もよくなって、脳も活発になる。そういうことかもしれない。

[2755] Mar 15, 2017

プライベート繁忙期、三月の山場の前半戦が終了。ちょうどWBC日本代表も最初の山場を越えたところだ。どちらも成功裏に終わったのでホッとしている。後半戦に引きずる懸念は何もない。▼仕事の方は、前に書いたちゃぶ台返しの余波が引き続きチーム内を吹き抜けている。吹き荒れるというほど荒れてはいないが、次にいつまたスケジュール調整を無にする上意が降ってくるか、漠然とした不安に包まれて前向きな気持ちに陰りが出てきている感じだ。私への被害は今のところ少ないが、ゼロではない。被害の大きいパートでは上司への信頼が明らかにすり減っている。下から上への信頼というチームの最も貴重な財産が、何も生み出すことなく目減りしていく。▼それでも、他のプロジェクトに比べれば今のプロジェクトは遥かに資産持ちだろう。これまで少しずつキャリーオーバーしてきた資産である。それが、組織再編の煽りで大部分が吹き飛ぶかもしれないのは世知辛い。

[2754] Mar 14, 2017

日が落ちてから風の強い路を歩く。寒いとは思うが冷たいとは思わなくなってきた。三月頭のように暑い昼が来ても、どうせ夜はすぐ冷え込むし、次の日は打って変わって極寒だしで、春の訪れを実感することはできなかったが、今日のように暗くなってから生暖かい風を顔に受けると、ようやく春になって、もう冬は帰ってきそうにないと信じることができるようになる。次にまた気温が下がっても、それはもう寒い春であって、冬の残りとは思わない。冬は終わったのだ。▼最近、四季の移り変わりを気温でしか感じていない。自然に目を向ける余裕がないから。あるいは向ける目の視力が悪いから。それもそうだろうが、やはり良質な感性の摂取量が足りないのだと思う。漢詩を観たり短歌を読んだり、季節感のある小説を読んだりしていないから、脳が風情を忘れかけているのだ。そういえば映画もしばらく見ていない。三月の大イベントを全て消化したら、また入力を見直そう。

[2753] Mar 13, 2017

ゲームの価格はどのように決まっているのか。これはちょっと難しい問題だ。「フルプライス」とは何をもってフルなのか。そのフルプライスとやらの金額は一体誰が決めているのか。なぜ、コンシューマーゲームの価格は二万円や二百円ではいけないのか。いつから今の六千円〜八千円が、ゲームの新品価格として定着したのだろうか。▼実際のところ明確な答えはない。昔、ゲームハードがまだファミコン一強だった頃、ソフトの価格は今よりはるかに高額だった。FF6の発売価格は11400円である。しかし、不景気にともなって贅沢品に費やせる家庭の予算が減り、お年玉が減ってくると、一万円を超える価格は子どもの手の届く金額ではなくなってしまった。そんなゲームが売れるはずもない。価格は市場原理で緩やかに下がっていき、開発コストと販売本数の見込みとを考慮して、採算の取れるギリギリのラインで平衡状態に達した。それが現在の価格であると、私は思っている。

[2752] Mar 12, 2017

日本vsオランダ戦。9回裏に同点とされ、タイブレークまでもつれこんだピンチつづきの試合だったが、十一回表の中田翔のタイムリーと、最後は牧田の回跨ぎの好投で、なんとか日本が勝利した。接戦を取ると、疲労は溜まるがテンションは上がる。選手も同じだろう。明日のキューバ戦へ向けて弾みがついた。▼恐るべきは初出場にしてここまで四戦無敗のイスラエル。対韓国の初戦を勝利で飾ったときは大金星などと言われていたが、その後の試合で純粋に強いことをアピールしてきた。実際、初出場とは言ってもメンバーの内訳はいわばユダヤ系メジャーリーガーの集い。能力のある選手は揃っていて、あと活かすも殺すも監督次第だったところへ、良い監督がついたということだろう。となれば弱いはずもない。▼万が一ではなく、ありうる未来としてイスラエル戦に敗れたときのため、明日のキューバ戦は死に物狂いで獲りたい。DeNAファンとしては、筒香の復調も待たれる。

[2751] Mar 11, 2017

子どもに野球の動画を見せるとぐずらなくなる。特にホームラン集はお気に入りで、2016年度のDeNA全ホームラン集とか、サヨナラホームラン集とか、そういう動画を見せて不機嫌を凌いでいた。たぶん、ころころ変わる映像と賑やかな実況が楽しいのだろう。いつもおとなしく見ている。▼とはいえ0歳児から野球漬けはいかがなものか。ということで今日はフラッシュカードのような知育系の動画も見せてみた。高速でカウントアップされる数字とドット。あるいは物の絵と名前。そういえば自分も幼稚園のときにこんな訓練をしていたような気がする。我が子はというと、しばらくは黙って見ていたが、すぐに飽きて騒ぎ出してしまった。動画のキャプションには0歳からとあるが、さすがにまだちょっと早そうだ。▼本人が興味を示すなら、面白そうなものは与えてみるが、こちらから知育に力を入れるつもりはさほどない。おやつにするめでもかじらせた方が良いと思っている。

[2750] Mar 10, 2017

シャドウバースの新カードパック「神々の騒嵐」についての新情報が続々と公開されている。日々新情報を確認しては仮想デッキを組み直している状態だ。レアカードの公開ペースはちょっと早い気もするが、軸になりそうなカードがさっさとわかるので、こちらとしてはありがたい。ただ、私の使うネクロマンサークラスの最高レアカードは他より早く全公開されてしまって、しかもどうやら性能は芳しくない様子。不遇の季節が来る可能性もある。▼とはいえ、誰も気づいていないカード同士の相乗効果を見つけて最強の王道デッキを出し抜くのもカードゲームの醍醐味のひとつ。新環境が始まった直後は、意外性を重視したオリジナルデッキが組みやすい時期でもある。それに定番を外れたデッキは戦略も思考も読みにくいので、案外、二番手のデッキより綺麗に刺さったりするものだ。どんな逆風の環境でも勝利を目指す道はある。小手先の小細工を弄する知恵も、時には必要だ。

[2749] Mar 09, 2017

残業開始。本格的な繁忙期はまだ先だが、今回のプロジェクトは過去最大級にタイトなスケジュール。早くから詰めるところを詰めておかないと、終盤で痛い目を見るのは火を見るより明らかだ。▼しかし、そう思って各々工数見積もりを立て、上の承認を得ていたわけだが、突然マネージャー命令により対応仕様が増加。しかも問答無用で人員が削減されることとなった。気まぐれでやっているわけではないだろうが、これでは下は何も見積もれないし、やる気も出ない。何より、経営層に対する信用が損なわれる。部下の信用は上司の最大の財産だ。この財産を削ってまで、今、組織再編を無理やり加速する必要があるのかどうか、疑問は残る。ともなう痛みは想像より大きいかもしれない。あるいは内臓へのダメージのように、あとあと致命打になるかもしれない。▼私の仕事も当初想定より確実に増えると予想される。激しい追い込みなしにやり遂げる方法を模索する必要がある。

[2748] Mar 08, 2017

最近、読書量が激減している。理由は明白だ。順番に書き下すとこうなる。▼1.読みたい本はたくさんあるが、読書に費やせる時間が少ない。2.そこで取り急ぎ優先度の高い本を買いたいが、読書環境をiPadへ移行するならKindle版を買うべきだ。今、紙の本を買うのは金の無駄であろう。3.しかし、それを言うなら家の中に眠る巨大本で、ロクに読めていない本や、読み直したい本がたくさんある。iPadが使えるようになったら彼らを自炊して楽しんだ方が経済的ではないか。4.財布の事情も苦しい今、求められているのは過去の財産の再利用だ。本棚に鎮座するあの教本たちが外で読めるなら、新しい本など無理に買うことはないじゃないか。▼つまり、読書環境の電子化への期待が読書を妨げているという、本末転倒とは言わないが少々ねじれた状態になっているわけだ。真の読書家からすれば阿呆らしい悩みだろうが、私はこういう倒錯も含めて読書生活を楽しんでいる。

[2747] Mar 07, 2017

もしこのままiPadを買うと、PCがWindows、携帯がAndroid、タブレットがiOSになる。三つのプラットフォームを併用することになるわけだ。なんて馬鹿馬鹿しい。それならPCをiMacにして携帯もiPhoneにすれば良い。そんなアップル派のため息が聞こえてきそうな成り行きだが、今の私の考えはちょっと違う。逆だ。三つのプラットフォームを併用してもスムーズに連携のできる環境を整えることができたなら、それこそが特定の環境に依存せず、安定して長く使えるデバイスの「マイセットアップ」になるはずなのだ。▼私がiPadに求めているのはApplePencilの比類ないメモ性能であって、iOSではない。必要な機能が満たされるならガワは何だって良いのだ。アップル製品がなければ生活がままならぬなどという状況には、間違っても陥りたくない。したがって不統一も大いに歓迎となる。OSが違うくらいで連携できないようなソフトに生活の重要な部分を任せるべきではないのだ。

[2746] Mar 06, 2017

定期的に作品ご愛顧のお便りをいただく。八年前、九年前の作品にいまでも感想がいただけるのは率直に言って嬉しい。素直に嬉しく思う旨を返している。緩やかなペースで進む次回作への励みにも、確実になっている。▼返信しながら改めて考えることがあった。私が細々とでもDTMを続けてこられた理由は、恐らく楽器を弾けないからだ。常々言うように私の本流は音楽ではない。音楽に全身全霊を傾けるような人ではないから、もし楽器が弾けたら、きっと演奏だけで能動的な音楽生活に満足していたと思う。それができないから、DTMで音楽と関わってきた。それしか表現の手段がなかった。だから今も楽しく続いている。▼したがってよくDTM教本に書かれている「何かしら楽器を弾けた方が絶対に良い」というアドバイスには賛成しかねる。制作の速度や作品のクオリティには良いかもしれないが、モチベーションの持続に良いとは限らない。趣味とは多面的なものだ。

[2745] Mar 05, 2017

頭が痛い。先週も似たような頭痛があった。風邪かと思ったけれど、一晩ぐっすり寝たら回復したので、寝不足かもしれない。▼しかし花粉も疑われる。たしかに先週くらいから会社の花粉症持ちがこぞってマスクで出社し始めた。同期の一人は涙と鼻水でひどいありさま。もはや花粉が大挙して舞っていることは明白だ。私は花粉症とはっきり診断されたことはないけれど、人一倍アレルギー症なので花粉に反応してないはずはない。例年、それは軽微な鼻水であったり、目のかゆみであったり、頭痛であったりする。このたびの頭痛もなんだかあやしい。風邪の頭痛にしては鈍い。▼健康なときは少しくらい体調が悪くても時間さえふんだんにあればいろいろ捗ると思い違いをしているが、いざ頭が痛くなると、考えもまとまらないし、筆を進める気にもならないし、およそまともなことは何もできない。こんなときに曲を書いても後で消す羽目になるだけだ。今日はおとなしく寝る。

[2744] Mar 04, 2017

iPadの話。ただし今日は性能や使い勝手ではなく、色について。▼率直に言って、私は買うならローズゴールドが欲しい。全色を見比べてみて、改めてそう思った。単純にオシャレだし、標準色のシルバーやゴールドに比べて、ひとまわりデザインとして完成されている気がする。ローズのニュアンスが強いので、金色特有の成金的ないやらしさもない。素敵だ。▼しかし、ことローズとなると男は素直に飛びつきにくい。実際、googleで「ローズゴールド」と検索すると、検索候補の上位に「ローズゴールド 男」が出てくる。同じような悩みを抱えている人は多いのだろう。マッチョな職場で働く人や、周囲のからかいに晒されやすい学生にとっては、ちょっと深刻な問題かもしれない。▼さいわい私はたいしたしがらみもないので、恐らく自分のセンスを信じてローズゴールドにすると思う。ただ、女性の人気色で中古の値段が高いとなれば、その限りではない。そこは実利が勝る。

[2743] Mar 03, 2017

曲制作。いつもそうだが、行き詰るとプロジェクトファイルを開くのが億劫になる。三十分やそこらでは、どうせCubaseを立ち上げても何も進まないし、今日はやめておこうなどと思って布団に引きこもってしまう。しかし、何かの拍子に時間を得てキーエディタを開くと、行き詰っているなりにあれこれ試しているうち、三十分くらいで光明が見えてくることもある。少なくとも、ノートを置いたり消したりして試聴を繰り返していれば、ほんの少しでも前進はする。あるべき姿に近づいていく。▼この活性化エネルギーの壁を取り払うことができれば制作速度は飛躍的に向上するのだが、それがなかなかできない。行動でしか人生が拓けないように、同じく行動でしか曲は進まないのだが、わかっていてもつい頭の方で考え込んでしまったり、逆に思考停止してヒットチャートを聞き流す受信状態になってしまったりする。創作者共通の悩みとは思うが、銀の弾丸はないものだろうか。

[2742] Mar 02, 2017

シャドウバースに新たなカードパックが追加される。その名も「神々の騒嵐」。いかにもビショップクラスが強化されそうな名称だ。▼一部のカードは解禁に先行して公式から情報が提示されている。新規の客を呼び、疎遠な客を取り戻すためには刺激的なカードが必要なので、この手のゲームはシーズンが変わるたびに怪物が現れてバランスを崩壊させるのが常。このたびも今までの常識を覆す完全無欠のレジェンドカードがすでにいる。雲行きは不穏だ。▼カードゲームに詳しい某氏によれば、すべての世代のパックが使える縛りのないカードゲームは、最終的には「相手にあのカードがあれば負け。なければ勝ち」というジャンケンに収束していくという。格闘ゲームで言うなら、相手の体力ゲージを100%吹き飛ばせる必殺技を、お互いが常に発動可能な状態で戦うようなものだ。どうあれ先に叩き込んだ方が勝つ。その決着の爽快感だけが、ゲームの面白さとして残るわけだ。

[2741] Mar 01, 2017

三月。気が付けば2017年も二か月が過ぎた。クライマックスシリーズの灼熱の記憶から間もないように感じてしまうが、今月からはもうペナントレースが始まる。野球の季節がやってくる。▼ひとつ、決意があるので述べておきたい。去年はベイスターズが勝ったらビールを飲んで良いことにしていたが、今年はそれをやめる。球場へ行かない限りは炭酸水だ。勝ちすぎてしまったというのもあるが、慢性的にビールを口にする習慣自体がそもそも良くない。身体を壊してはスタジアムへも行きにくくなる。本末転倒である。▼長いこと禁酒がつづいたせいか、最近ではたいして酒を飲みたいと思わなくなった。肉と油と砂糖を断っている僧侶のような先輩曰く、身体に悪いものは美味そうに見えるが、食べない期間が長くなると、ある時を境に全く食べたくなくなるという。あこがれの境地である。私はまだ肉も油も砂糖も欲しい。しかし酒なら意志で断てる。ここが手始めである。

[2740] Feb 28, 2017

『騎士団長殺し』が大々的に書店で取り上げられている。横浜の有隣堂も通路ぎわに平積みならぬタワー積みだ。村上春樹の長編としては『1Q84』以来。実に七年ぶりということで、ハルキスト達も大いに盛り上がっている。▼私はというと、文庫化した頃に気が向いていたら読んでみようか、というほどの興味しかない。ただ、もしiPadがノートデバイスとして私の生活にはまってくれて、かつ読書デバイスとしても有能だとしたら、持ちにくいからという理由でハードカバーを遠ざける理由はもはやなくなる。値段の問題は残るけれど、電車でも分厚くて巨大なハードカバーを悠々読めるようになるわけだ。コールハースの『S,M,L,XL』だって、自炊すれば楽々外で読めてしまうかもしれない。▼ハルキ・タワーを横目に通り過ぎながら、帰路、ふとそんなことを考えた。昔、通学電車でコウビルドの英英辞典を開いていた私にとって、巨大書籍が自由に外で読める生活には夢がある。

[2739] Feb 27, 2017

今日は世界中のモバイル産業が集う晩冬のイベント「MWC(Mobile World Congress)」の最新情報をつまみ食い。▼P10/P10 Plusは想定通り。当然のスペック、当然のカメラ、期待通りのHuawei正統進化フラッグシップである。ただ、相変わらず日本での発売は初期出荷に含まれていない。P9もPlusが日本未発売に終わったことを考えると、本命のP10 Plusもお預けになりそうだ。よほどライカのデュアルカメラに惹かれでもしない限り、2017年の選択肢としてはもはや弱い。▼異彩を放ったのは、このところフラッグシップにふさわしいハイエンド機を出せていなかったソニーの渾身の新作、XZ Premium。リーク情報で知ってはいたが、期待通り4Kを復刻させてきた。今度は時期尚早とは言わせない。頭脳もカメラも4Kに見合う装備を整えてきた。機体の感触もレンダリング画像を見る限り無印XZに近そうだ。防水・防塵。非接触充電を捨てても選ぶ価値はある。堂々今年の本命機である。

[2738] Feb 26, 2017

押入れの中に大きな段ボールがひとつ。中には『アカギ』『天』『カイジ』などの福本作品がみっちり詰まっている。昔はいつも何冊か、脈絡なく部屋に散らばっていて、それをふとした拍子に開いて読んだりしていた。部屋割りが今の形に落ち着いたとき、あまりに場所を取るからということで押入れに押し込んだわけだが、ときどき読み返したいと思うことはある。▼スペースフリーでストレスフリーな読書生活への夢が捨てきれず、子どもを抱っこ紐に括り付けて、またiPadを見学に出かけた。新型の発表が近いため、どこも在庫処分の値下げ札をつけている。12.9インチのモデルについては、すでに流通を止めていると聞いた。したがって上手く捌けた大手はたいてい品切れである。今、無理して12.9インチを買う理由はもはや全くない。スタイラスペンの使い心地を試しつつ、10.5インチの登場を気長に待つとしよう。いつかは福本作品も全巻デジタル版で買い直したいものだ。

[2737] Feb 25, 2017

再びカードゲームについて。▼「理不尽な死」と「勝ち筋のない試合」が遊んでいて最も精神を削られる二大要素であることは、多くのプレイヤーに同意していただけることと思う。即ち、それしかないという奇跡を相手が何度もくぐり抜け、プレイングをありえぬ強運で台無しにされるパターンと、ゲームの展開や相手のカードを全て知った上で最適にふるまっても、そもそも勝ち目がないパターンだ。そんな不運を嘆いても仕方がないと重々承知していても、こうした負け方で五連敗、六連敗となると悲しくなる。勝ち筋のない試合が十以上続いたこともあった。さすがに続ける気力はなかった。▼重要なのは、勝率が低いからという理由でデッキを組み替えるとき、勝率計算にこれらの敗北を含めないことだ。内容で勝っていた試合を勝ちと数えてデッキを修正していくと、自然に全体勝率も上がっていく。問われているのは目の前の運の良し悪しに右往左往しない冷静な心である。

[2736] Feb 24, 2017

後輩が言う。二時間と見積もった作業が一日。一日が三日。三日が二週間。もっと速くプログラムを書けるようになりたいです。▼その昔、Y先輩は言った。プログラミングの見積もりを正しく出来るようになるまでの時間は、たぶん君たちが思っているよりずっと長いよ。何度も経験を積んで、十分に盛ったスケジュールを組むようになっても、それでも足りなくなるからね。▼見積もりがどうしてそんなに重要なのか、ピンとこない時代がまず先史時代としてある。そのうち見積もりの正確さこそがチームプログラミングの要だとわかってくる。しかしここからは長い。非常識なほど長く見積もると、それは非常識に長すぎる出鱈目な見積もりになり、常識的に最長と思われる工数はなぜか常に足りない。自分が思い描く速さでプログラムが書けるようになるには、設計と実装の論理を着実に身につけていくしかないのだろう。論理をたたいて磨こう。後輩への私の平凡な回答である。

[2735] Feb 23, 2017

Xperiaの2017年モデル情報がちらほらリークされている。焦らずとも今月28日のイベントで公式に告知があるとは思うが、それでも噂を調べずにはいられないのがフリークというものだ。▼最上位モデルはSnapdragon835を採用。これは現行最強のCPUなのでさもありなん。しかし、ディスプレイ解像度が4Kである点は強烈に目を引く。かつて時代を先取りしすぎて異色の存在とされた伝説的モデル「Z5 Premium」が満を持して復活するということだろうか。もしスペックが額面通りで、XperiaXZクラスのビルドクオリティがあるのであれば、十分今年の目玉にもなりうるだろう。▼昨日、初めてスマートフォンをお風呂に持ち込んでみた。防水ではないので洗面器の上で冷や冷やしながら触っていたが、眼鏡の曇りさえ気にしなければ湯船でのんびり画面を見るのも悪くない。もし今後も常用するなら防水機能はあったほうがよかろう。そういうわけでXperiaにも食指が動いてくるわけだ。

[2734] Feb 22, 2017

子どもがちっとも寝なくなった。▼もともと夜はきまって一時間置きに起きる「超・寝ない子」だった我が子だが、今週に入って寝ない子に加えて「眠れない子」のアビリティも会得してしまった。頻繁に起きるし、起きたらなかなか寝ない。唸るし、喚くし、声も大きい。昼間でも金切り声をあげるようになって、いよいよ本格的なリトルモンスターのていを成してきた。太りすぎず痩せてもいない、ソースのような髪を戴くまるまるした顔につけたあだ名は「たこやき」。つまり今は、たこやきモンスターである。▼身長はあまり伸びないが、みるみるうちに脚が丈夫になってきて、抱き上げると始終足を動かし何かを蹴ろうとしている。仰向けに寝て抱き上げると腹を滅多打ちにされる始末。ちょっと前までは笑って「イテテ」くらいで済んだが、今は鳩尾にでも決まるとリアルに痛い。そのうち父の方が怪我をしそうである。▼寝返りとおすわりはまだできない。成長記録、以上。

[2733] Feb 21, 2017

この頃、会議後のホワイトボードをiPadで撮影して取り込み、議事録代わりにサーバーへアップロードするという形式が流行りだした。iPadで、の部分は適宜撮影機能を持った端末に読み替えて欲しい。私のチームではiPadだというだけの話である。▼小さなミーティングの議事録を新人に取らせるのは効率の悪い話だし、会議中のアイデアや表をドキュメントにまとめ直す手間も馬鹿にならないので、良い方法だとは思う。しかし、個人の所有物に会社の情報を保存することのセキュリティリスクも無視できない。端末の所有者が撮影後に写真を消しているとは限らないし、どんなに善良な人でも何かの拍子に会社を辞めればデータは自然に外へと流出する。どこでクラウドに繋がり、いつウェブの大海に放り出されるかわからない。▼今は上司の許可を得ているが、ひとたび問題が発生すれば禁止になるだろう。電子端末が例外なくウェブに繋がってしまったことの厄介な弊害である。

[2732] Feb 20, 2017

頭痛、風邪気味、お腹が緩いときて、今度は左目にものもらいが出来た。やはり体調不良は一気に来る。▼ものもらいが出来たのは、日記によれば去年の八月以来。とはいえ前回よりはかなり痛い。病院へ行きたいが明日は歯科医。様子を見てダメそうなら会社を休んで病院をはしごすることになる。いつもいつも首から上が悩ましい。▼悩ましいのは手元の曲も同じこと。落としたテンポを上げられなくて困っている。今の私の技術では低速のまま持たせられるのはこのあたりが限界で、空気を変えなければならないとわかっているのだが、その空気の変え方が難しい。どう誘導しても流れを加速に持っていけない。こういうとき、思い切ってぶった切るという選択肢を取ったことはなかったが、今回は万策尽きたので断絶の方向も模索している。ピンチはチャンス。もしかしたら新しい技を身につけるかもしれない。▼ただ、ものもらいは何のチャンスでもなさそうだ。早く治したい。

[2731] Feb 19, 2017

巷で話題の『けものフレンズ』無料公開の一話を観る。まあ、面白い。クオリティ云々で言ったら粗い出来かもしれないが、今時作品は品質だけで流行る時代ではない。それはもう各々PPAPで身に染みているはずだ。シンプルで、わかりやすく、オリジナリティがあり、語感がよく、口に馴染み、汎用性が高いこと。インターネット・ミームに上手く乗るための条件は満たしている。▼それに、こういう素朴だが肯定感の強い、絵本のような世界観のアニメは、アニメが「質」を求め始めて以来、しばらく失われていたような気もする。元気にはしゃぐサーバルを見ていると、なんだか「しまじろう」の記憶が呼び起こされるようだ。▼あとづけの考察ではあるが、『けものフレンズ』はゼロ年代からつづく高品質なアニメの追求につかれた人びとが、肩の力を抜いて懐かしく盛り上がるには格好の素材だったのかもしれない。アンパンマンだって、大人が見ても十分面白いのだから。

[2730] Feb 18, 2017

しばらくと言いつつ二日後だが、それなりプレイしたので『スターホースポケット』二回目の感想を書く。▼現在育成は四代目。初期馬補正の有無は知らないが、やはり初代が怪物級だったようで、二代目以降はそうそう勝てなくなった。もちろん素質馬の仔なので駄馬ではないしオッズも出るのだが、一番人気だろうと一倍台前半だろうと、とどのつまり勝てない。実はもっとも初代補正を疑っているポイントがここである。初代はオッズに対してあまりにも勝ちすぎていた。そうして、二代目以降はオッズに対してまったく勝てていない。自分以外の馬でしこたま馬券を買っていれば無限にメダルが増えていきそうなバランスである。もしかすると、厩舎ランキングに載っている非常識なほど巨額な馬券回収額は、同じやり方で成されたものなのかもしれない。▼とにかく課金は様子見しつつ緩やかに続けてみる。あまりに初代越えできなければ、あっさり飽きてしまうかもしれない。

[2729] Feb 17, 2017

昔は炭酸水など苦手だったが、会社の自販機に『ゲロルシュタイナー』がラインナップされたことで、好奇心から飲んでみる機会を得た。最初の正直な感想は「あんまり美味しくない」である。しかし、炭酸が抜けないようキャップをきつく締め、かつできるだけ一気飲みするように心掛けたところ、悪くはないかもと思い始めた。糖分もなく、ただ水分を補給しつつ手軽に気持ちをリフレッシュできる便利な飲料。ようはビールのような気分で飲める水であろう。▼ほどなくして、最寄りのコンビニでウィルキンソンのコーラ風味炭酸水を手に取ってみた。こちらは文句なく美味い。これなら午後の気分転換に最適と、昼飯後にウィルキンソンを抱えて会社に戻ることが増えた。お茶のようにちまちま飲まないので、開封後に二、三口でがっつり飲んで、それきり二時間以上は水分を取らないようにすることで、水の過剰摂取も前よりマシになった気がする。しばらくはまっていそうだ。

[2728] Feb 16, 2017

往年の名作メダルゲームがついにアプリ化。待望のスターホース・アプリ『スターホースポケット』を始める。▼プレイフィールはかなりアーケードに近く、行動力を馬券で増やせるメダルと同一視している点も好印象。ただ、全体的に難易度が低く、ランキングにはすでに生涯五十勝の化け物がいたり、千万枚越えの馬券を的中させた厩舎がいたりで、序盤のバランス調整はしくじっている感がある。私の初期馬もすでに桜花賞、英ダービー、秋華賞、エリザベス女王杯、キングジョージまで勝っている状態で、次は凱旋門賞に挑もうかというところ。早期離脱者を出さないよう最初にSSRを引かせて強い馬を持たせるのはスマホアプリの定石だが、それにしてもスタートダッシュが効きすぎて早々に飽きそうな気配も漂っている。初期馬を失った後は急に苦戦を強いられるとしたら、それはそれでやる気をなくしそうなものだ。▼ともあれ、しばらくプレイしてからまた感想を書く。

[2727] Feb 15, 2017

保育園の月謝引き落とし用に三井住友銀行の口座をつくる。いつものジャパンネット銀行は引き落とし可能な銀行一覧に含まれていなかった。こういうところが大手の強みだ。私も今回のことで、三井住友の方をメインバンクにしようと思っている。給与振込先も変更するつもりだ。▼もともとジャパンネット銀行を開設したのは、JRAのIPATに入金するためだったと思う。加えて当時はウェブサービスの充実した銀行はジャパンネットくらいしかなかった。今は馬券を買うこともほとんどないし、大手銀行もウェブサービスやアプリを充実させているから、ジャパンネットにこだわる理由はさほどない。それどころか今日聞いた限りでは、アプリの使い勝手や振込料の優位はすでに三井住友の方が上という印象を受けた。本当にそうなら、申し訳ないがもはや移転の一択だろう。▼カードのデザインは悩んだがクラシックな緑と灰色のツーラインに。財布の中で目立ちそうだった。

[2726] Feb 14, 2017

下唇の裏側に小さくて透明なふくらみが出来た。同じ場所、二度目である。口内炎ではないし、痛くもない。調べてみると粘液嚢胞と言う症状だそうだ。▼人によって大きさも程度もさまざまだが、通常、数ミリ程度の小さな嚢胞なら一ヶ月ほどの放置で勝手に治るという。ただ、症状が治まらない場合や肥大化した場合、あるいは同じ場所に再発を繰り返す場合は、根本から嚢胞の原因を取り除く外科的治療が必要だそうだ。私の場合、サイズは小さいものの同じ場所に二度目なので、再発を繰り返しているとまでは言えないが楽観視はできない。▼嚢胞の存在に気付いたのが寝起き。上述のあれこれを調べたのが朝。そうして一ヶ月は我慢しようと覚悟して出社したところ、ふと舌触りが朝と違うことに気がついた。トイレの鏡で見ると、嚢胞は早くも潰れていた。潰してはならぬと医者のブログは書いていたが、故意に潰したわけではない。どうか自然治癒ということにしてほしい。

[2725] Feb 13, 2017

三月に新型iPadが出るので買うつもりだ、と後輩が言った。言われてみればそんな品が出るのだった。去年いろいろ調べて、ついにiPadは買わないことに決めて、それきり忘れていた。▼しかし、いい機会なのでiPadまわりの情報を再追跡してみたところ、後輩の言う三月発売という確定情報は見つからなかった。信憑性は高いものの、第一四半期には投入が予定されているらしいという噂にとどまる。結局、去年の十一月に記事を書いた段階から、ラインナップにも投入時期にも追加の情報はたいしてないということだ。▼どんな業界も新製品が出なくなると衰退する。Windows Mobileはマイクロソフトがまだ頑張っているが、iPad以外のタブレットはそろそろあやしい。果たしてタブレット派は大画面スマートフォンで妥協し始めたのか、軽量化著しいラップトップへ回帰しているのか、それともアップルに一極集中しつつあるのか。いずれにしても命運は向こう三年で決まるだろう。

[2724] Feb 12, 2017

以前、右手の中指をばっさり切った縁の鋭いダイニングの照明で、今度は頭を切った。掃除機をかけていて、頭上に注意が向いていなかった。しばらくは衝突のショックでうずくまっていたが、やがて起きてティッシュをあてると鮮血の赤。やってしまった。▼さいわい髪のおかげで傷はそこまで深くなかった。絆創膏を貼るわけにもいかないので、ひとしきりティッシュで拭った後、油薬を塗ってごまかす。今でも触ると痛いが、一週間もあれば綺麗に治るだろう。▼ともあれ、ダイニングの電燈が危険だという認識は強固なものとなった。何かの塩梅で子どもが怪我をする前に手を打たねばならぬ。今の照明を巻き上げて位置を高くするか、今後の電気代節約を見込んで新品のLEDを買うか。嫁さんが近所の電気屋さんから持ってきてくれたお値打ち品のパンフレットには、8畳で3万から5万とある。思ったより高い。今後十年使えるなら吝かではないが、ここは慎重に考えたい。

[2723] Feb 11, 2017

シャドウバース。初心者は最初にAランクを目指すべきと言われたので、通勤時間でAランクまで駆け上がってみた。ランクマッチの勝率は七割前後。順風満帆な昇進生活だったと言えよう。▼さて、Aランクに昇格した途端、まったく歯が立たない。現在の成績は20戦4勝。相手の事故以外は全て負けている状態である。見事に上位ランクの洗礼を受けた形だ。カードが来なくて負けるなら運の偏りで諦めもつくが、カードが来ても負けているのでプレイング技術の問題と言うしかない。第一、主戦のデッキ自体は上位ランクでも通用しているレシピである。自分ではミスと思っていないが、厳密ではミスと言えるようなプレイがどこかにあるということだ。▼ただ、ランクがひとつ上がっただけで勝率が七割から二割へ落ちるのも妙だし、リプレイを見る限り、相手の引きが完璧で、こちらが未来を知って最適に立ち回っても勝ち筋のない試合が多い。悲観せず技術を磨いていこう。

[2722] Feb 10, 2017

自分が格好良いと思う絵を実現するために企画を立てる。これは何も間違っていない。大きな計画を立案して成し遂げようと思ったら、理屈より思い入れから始めた方が成功する可能性は高いだろう。しかし、ひとたびその企画の実現に一歩を踏み出したなら、いちど格好良さについては忘れなければならない。格好良いと思う絵から攻めれば、確実に失敗する。いかなる作品においても、機能の欠如した格好良さというものは作者の頭の中にしか存在しないからだ。着想は憧れからでも大いに結構、しかし実装は常に論理から始めねばならぬ。▼この鉄則を踏み外してしまうと、作者のエゴとメルヘンが跋扈するつぎはぎだらけのキメラが誕生してしまう。しかも性質が悪いことに、それはしばしば作者本人にとっては格好良く見える――自分の憧れが100%実装されているために。もはや手遅れだ。出来上がるのは退屈で、つまらない、平凡な、まさに自己満足の産物となるだろう。

[2721] Feb 09, 2017

TCGは結局引き運のゲームなのかという、よく言われる話への回答。▼もし二人のプレイヤーが期待値的に最強のデッキ「しか」組めず、確率的に最適な立ち回り「しか」できないのであれば、答えはイエス。しかしどちらか一方の条件が満たされないなら、TCGは運のゲームではない。相手のデッキに偏りがあり、相手の立ち回りに最適を逸れる意図があるなら、そこには必ず駆け引きが発生する。プレイングからデッキの構築タイプを推測し、相手の狙うフィニッシュの形を読み、裏をかくことができる。もちろん、そのまた裏をかくこともできる。これは「運ゲー」とは言えない。▼各カードが持つ特性の深い理解、特殊な戦法に対応する知識、敵の狙いを見抜く洞察力、山に残るカードの把握と確率計算。諸々すべて終えて、読みとギャンブルを経た先に、ようやく運がある。運の要素は実は最後に座っているのだ。諸々を飛ばす人には最初に運があるように見えるのである。

[2720] Feb 08, 2017

某システムのクラスを設計し終えて一息ついていたら、基底クラスが別のコンパイラでエラーを吐くと警告が来た。試してみるとたしかにビルドが通らない。原因を調査してみたら、クラステンプレートの関数宣言に(void)が書かれていて、これがmay not have valueだと怒られている。なんてこった。▼その昔、引数を取らない関数宣言を()でなく(void)と書くのは、関数の呼び出しと宣言を検索時に区別できるからだと教わった。当時はもっともだと思った。しかし、最近のコンパイラは、この書式をエラーと見なすよう変わってきている。今回はまだ通常の(void)関数宣言は許されるコンパイラだが、該当箇所がかなり複雑なクラステンプレートだったので、たまたま(void)が解釈できない状態になってしまったのだろう。▼見やすさや検索しやすさのために冗長な装飾句を書くべきでないと言われればごもっともである。これを機に直近のコードからは(void)を削除した。さらば。

[2719] Feb 07, 2017

ちょっとした必要に駆られて古い曲を二つ、倉庫ディスクから引っ張り出してピアノ音源で再生してみた。▼どちらも元々ピアノ曲ではないので、当然のように手は届かないしベロシティはめちゃくちゃ。まともに鳴るはずはないと思っていたのだが、二曲のうちの片方は案外そのままでも楽しく聴けた。弦楽器のアーティキュレーションに合わせた大袈裟なベロシティ変化も、けっして自然ではないが、こういうやり方もあるかと思わせる示唆的な仕上がりになっている。ピアノでは絶対にしない調整のあり方が、見ていて逆に面白い。▼一方、もう一曲はダメダメで、本当に元音源が曲として成立していたのか疑わしくなるほど聞き苦しかった。結局のところ、前者の方がもともと完成度は高かったわけだから、このたび元音源の調整というベールを剝がされて、出来栄えの差がいよいよ顕著に表れたということなのだろう。良曲はどんな音で鳴らしても、ちゃんと楽しく聴けるのだ。

[2718] Feb 06, 2017

『グラップラー刃牙』で若き渋川剛気が護身流合気柔術開祖・御輿芝喜平に「真の護身とは!?ご教授下さい!」と迫るシーンがある。開祖の答えて曰く「そもそも突かれたらこう躱す、蹴られたらこう捌く。このような些末な技術にとわられているようでは下の下。真の護身を身につけたなら技は無用。真の護身が完成したのなら危うきには出逢えぬ。己の危機に気付くまでもなく危機へ辿り着けぬのじゃよ。」▼これはまさしくプログラマの訓戒でもある。こんな問題が発生したらこうアプローチする、こんなバグが出たらこう直す。そんなデバッグ技術にとらわれているうちは下の下。真のプログラム技術を身につけたなら、バグには出逢えぬ。▼プログラムを「バグらない」ように書くという心がけも大事には違いない。しかし、所詮人のする事、バグらないように書かれたものはバグる。上を目指すなら「バグれない」ように書くべきであろう。これが今の私のポリシーである。

[2717] Feb 05, 2017

誕生日当日。ちょっとだけ体調を崩してしまった。といっても寝込むほど熱はなく、カロナールを飲まなければならないほど酷い頭痛でもない。身体は動く。ケーキも皆で買いに出かけられた。予定通り、ゆっくりした誕生日を過ごせたと思う。▼長らく進捗の止まっていた長編曲の方も、また緩やかに動き出した。打ち込みの天敵ルバートに散々苦しめられたが、ああでもないこうでもないと試行錯誤を繰り返したおかげで、Cubaseのテンポトラックが示す線の形状と脳内のリズム感をだいぶ合わせられるようになった。結局、あまり揺らしても曲調に合わないということで、十数か所も調整したルバートは二か所しか生き残らなかったが、その二か所はきっちり仕事をしているし、必要十分な揺れ具合に落ち着かせられたと思う。慣れない仕事と向き合ったおかげでテンポの扱いも前よりずいぶん良くなった。MIDIキーボードを使わない打ち込み屋さんとして、またひとつ成長できた。

[2716] Feb 04, 2017

明日は誕生日。▼当日を迎える前に、ここ最近は毎年誕生日に何をしていたのか気になって「Feb 05」で検索をかけてみた。去年は誕生日について触れていない。マクドナルドの北海道なんとかバーガーに苦言を呈している。一昨年は日付変更ぎりぎりの帰宅、仕事が忙しかったらしい。三十になれば特別な感慨を覚えるかもと期待した心は一年越しで裏切られている。三年前はまだビートマニアの現役プレイヤーだった模様。仕事はやや緩めのようだ。四年前、誕生日にのんびり過ごせたことはないと書いている。つまり、これ以前は毎年繁忙期と重なっていたのだろう。▼してみると私は、三年前以外は誕生日を平和に過ごしていないらしい。ならば今年は社会人になって二度目の心穏やかなバースデーということになりそうだ。しかもちょうど日曜日。今日のうちにやるべきことはほとんど片づけた。子どもを抱いてケーキでも買いに出かけつつ、ゆっくり休ませてもらうとしよう。

[2715] Feb 03, 2017

某先輩の嘆き。曰く、社会の要請、社内休職率の具合に鑑みて残業規制が入るのは、とんだ「とばっちり」である。強要されているわけでもないのに無理をして身体を壊す人が悪い。働けて働きたい人には働かせてくれよ、と。▼私は「毎日定時」を目指して働き方がホワイト化していく流れには賛成だが、先輩の言い分も理解できなくはない。やるべきときには時間を忘れて仕事に没頭したいという人もいるし、そうすることで集中力を高く保つことのできる業種も、たしかにある。先輩のように頑丈な人なら尚更だ。数年間、彼が体調を崩して会社を休んだことは、私の知る限り一度もない。そうして総労働時間は部内トップクラスである。まさに鉄の人だ。▼社会の風向きが勤労健全化に向かい、組織が働き方のルールを「最も働けない人」に合わせる時代にあっては、先輩のような人は組織を抜けて自営に行くべきという、昭和の時代とは真逆の感覚になっていくのかもしれない。

[2714] Feb 02, 2017

今年こそ有言実行の人となろう。早速、古い400のコードを解読してみた。▼原因はすぐに判明。データファイルは常に「現在の次の月」がなければ作るようになっているのだが、十二月に次の月はないので一月分だけは一月に作成している。もちろん明々白々な間違いだ。一月に一月の分を作ったら、二月には三月の分しか作られない。だから二月になるとファイルが見つからなくなる。当たり前の話である。▼そもそも次の月を作る理由がどこにあるのか。N月はN月のデータファイルを作ればいいではないか。例外処理も何もいらない。八年前の自分が何を思い、何を考えてこんな回りくどい方法を取っていたのかは思い出せないが、ざっと見た限り問題があるとは思えないので、ひとまずN月はN月のデータを生成する方式に変更してみた。問題が起こったら直せばいい。八年ぶりのアップデートである。▼ちなみにトップページの一番下に検索機能があること、ご存知ですか?

[2713] Feb 01, 2017

毎年恒例の二月一日に400がバグる問題。今年もまた忘れていて、見られなくなっていると指摘を受けてしまった。直します。直しますとも。▼しかし今回は思いがけず苦労した。というのも、パソコンを変えたときにFTPクライアントのCyberduckを引き継ぎ忘れたため、サーバーへの接続設定が失われてしまっていたのだ。ユーザーIDとパスワードはうろ覚えながらなんとか正しい文字列を思い出せたのだが、肝心のサーバーアドレスがわからない。古いハードディスクの内容をまるごと放り込んだバックアップをgrepして、しばらくしたところでようやくアドレス入りのメモを見つけることができた。実に危なっかしいアナログぶりである。▼一昔前では考えられないことだが、今のご時世、大事なデータはクラウドで保存するのが最適と言わざるを得ない。メモもOneDriveに投げ入れた。子どもの写真や動画もクラウドのおかげで失われずに済んでいる。クラウドさまさまである。

[2712] Jan 31, 2017

『シャドウバース』の2016年度売上は110億円だったという話を聞いた。凄い数字だ。パッケージゲームが同じ数字を叩き出すにはダブルミリオンを売らなければならない計算である。国内はポケモンクラスでなければ到達しない本数だ。並大抵のタイトルではワールドワイドでも厳しい。▼しかし、本家ハースストーンを除けばカードゲームアプリでは最高峰とも言えるシャドウバースで年商100億というのは、冷静に考えるとそれほどバブリーな数字でもないように思える。トップ3が根こそぎパイを攫っていく世界の勝者として十分な報酬を受けているとは言いにくそうだ。まして今のアプリは、黎明期のように数人が数週間で完成させられるような代物でもない。製作費は億単位だし、広告を含めたランニングコストも膨大である。余裕綽々の勝ち組に見える大手メーカーでも、もうひとつ課金額を上積みしたいところだろう。▼私もそれに少しは加担するかもしれない。

[2711] Jan 30, 2017

懇意にしていた服飾店の店員さんが退職すると聞いた。ビジネスバッグとカジュアルの一張羅を購入したくらいで、その後は度々のセールスにものらりくらり。スーツの上下を仕立てる話も棚上げになったままで、向こうからしたら上客というわけではなかっただろうけれど、ときどきとはいえ子どもが生まれる前から夫婦で訪れていただけに、少し寂しい気もする。最後に、五か月になった子どもの姿を見てもらった。いつもは愛想のいい子だが、眠くてお腹がすいていて、なんとも仏頂面だった。▼形式上、担当者の引き継ぎも行われたが、もう前のように訪ねることはあるまい。もとより普段使いには少々背伸びしすぎなブランドであったから、行きつけの店のランクを落とすにはいい機会になる。夏冬それぞれ一着か二着くらいは新しいシャツが買えて、必要なときに可能な予算でジャケットやコートが手に入り、コーディネートの信頼できる店員がいる店。もちろん横浜がいい。

[2710] Jan 29, 2017

川崎大師へ行く。毎年恒例の初詣ながら一月中に訪れるのは数年ぶり。久々に人で溢れる参道の商店街を歩いた。▼本日の護摩焚きは初めての三人分。つまり息子の分がひとつ加わる。我々のお願いはいつも災厄消除だが、赤ん坊には身上安全を勧められた。たしかに赤ん坊に降りかかりうる災厄のほとんどは身の上を脅かすものだろう。身上安全ならば即ち災厄なし。無事健康に育ってくれれば十分だ。▼護摩焚きの後は出店へ。たこ焼き、フランクフルト、じゃがバター、チョコバナナを食べる。他にも焼きそばや広島焼、リンゴ飴や、串焼きなど食べたいものはたくさんあったが、案外量が多くてチョコバナナのあたりで腹八分になってしまった。夕飯を食べて帰る予定もご破算になって、まっすぐ帰宅した次第である。▼それにしても土日の連続外出は足腰に響いた。明日からの一週間は負担を減らすようにゆっくり歩こう。どこかでジャケットを探しに東京へ繰り出せたら良い。

[2709] Jan 28, 2017

職業柄、仕事でフォーマルな格好をしなければならない機会は年に数度もない。あったとしても昇進試験や忘年会など社内でのイベントばかりだから、多少ヘンでも就職活動のときのスーツで事足りる。▼しかし今年はひょんなことから社外に赴く仕事をひとつ仰せつかった。しかもスーツでは堅すぎるので、カジュアル寄りな格好が望ましいという。要するにジャケットだ。ジャケットがいるのだ。昨年、あれほど丹念に調べてオーダーメイド先まで決めておきながら、ついに予算が取れず作るに至れなかった、あのジャケットである。やっぱり買っておけばよかった。▼ただ、幸か不幸か、今年は他にも「堅苦しくないフォーマルな格好」を求められるイベントがひとつある。腹をくくって一張羅を仕立てるには悪くないタイミングだ。パソコン新調と内祝いで財政難の折、財布の方のタイミングはきわめて悪いが、仕事のことだし背に腹は代えられぬ。ディスプレイが遠のきそうだ。

[2708] Jan 27, 2017

お風呂の中に赤ちゃん用のおもちゃを二つ、常備している。ひとつは黄色いあひる。口から水を吸って同じ口から水を吹く。もうひとつは青いクジラ。左右の穴から水を吸って背中から水を吹く。▼この通り、どちらも水を吸って水を吐く噴水系のおもちゃだが、遊具としての質はずいぶん違う。第一に、あひるはきちんと浮かない。自重と浮力のバランスが考慮されていないので、水に浮かべようとすると倒れて頭が沈んでしまう。こうなるとただのゴムボールと変わりない。第二に、あひるは下向きにしないと水を吹けない。身体の素材が柔らかければ直立した状態でも水を押し出せそうなものだが、実際はかなり硬い素材で出来ているので叶わない。水中で水を吸わせて、上から下へ水を吹き出す。やはりただのゴムポンプである。▼こんなことならあひるは水など含むようにせず、たんにあひるらしく水面に浮いてくれればよかったのではないだろうか。ちょっと残念な子である。

[2707] Jan 26, 2017

今月初め頃。某銀行のウェブ手続きをしようとしたところ、生年月日が違うため通らないと言われた件を書いた。その後、銀行から審査の件で電話がかかってきたので、試しに生年月日のことを問い合わせてみたところ、なんと昭和62年2月5日で登録されていると言う。私は昭和61年生まれ。口座を開設するとき、自分の生年月日を間違えて書いたとは考えにくい。オペレーターも、恐らく私共の手違いだと思いますと答えていた。稀にあることなのかもしれない。▼それなら今度から申請には62年を使いますと言うと、正しい生年月日でご申請いただかないと審査できかねますと言われた。まあ、それはそうかもしれない。しかし、電話口での修正は不可。登録された生年月日を直すには窓口までお越しくださいとのこと。私共の手違いと言うわりには手間をかけさせられる。なんだか釈然としないが、愚痴を言っても仕方がない。どこかで半休を取得して訪問せねばなるまい。

[2706] Jan 25, 2017

ディスプレイ新調戦記。吉報が舞い込んだ。LGの38UC99が国内でも正式に販売開始されるそうだ。十日前、MX38VQと比べたとき38UC99は国内販売未定なところが隙になると書いたが、これで隙はなくなったことになる。MX38VQについては、会場レビュー動画で関係者らしき人物が1199ドルと話している動画もあったので、LGよりも安価な38インチとして台頭する可能性もなくはないが、無駄なQiとVESAなしに耐えるほどの価格差ではない。▼販売開始予定日は二月十日。すでにAmazonではマーケットプレイス商品が出回っているが、正式販売後の方が価格も下がるし、たかだか二週間程度を待てずに国内正規保証を失うのは割に合わないので、いま手を出す必要はない。国内発売されれば中古品も出回りやすくなる。当初の戦略通りヤフオクでドット抜けのない新古・中古が出品されるのを待つのもよさそうだ。保証と安心。個人輸入もいいが、なんだかんだで正規代理店さまさまである。

[2705] Jan 24, 2017

摂氏一度。帰り道、ラインが来たので携帯を取り出したら、あまりの空気の冷たさに手が凍り付いた。気温以上に体感温度が低かった。風もないのにしんしんと冷える。関東というより北海道の寒さである。もっとも、その北海道は関東の比ではなく、モスクワ並の極寒だったとか。今年の冬もいよいよ全盛期だ。▼会社の大先輩がひとり辞めることになった。長らく本当にお世話になってきた上司である。先輩や同期や後輩が辞めるのは何度も見てきたし、もはやいつ誰が退職のお知らせを送信してきても驚かない心構えにはなっていたが、さすがにこれほどの重鎮の退職とあっては動揺を隠しきれない。同期の間にも激震が走った。「知ってた?」「いや……」急に決めたことではないそうだが、あまり人には話していなかったようだ。▼理由は又聞きになるが、管理職に飽きたので現場に戻りたくなったという。ありうる話だ。尊敬すべきプログラマであり、マネージャーであった。

[2704] Jan 23, 2017

『シャドウバース』をはじめる。いまやカードゲームアプリの代名詞とも言える人気タイトルだ。今更はじめた理由は実に単純。職場でよく飯を食べに行く面子が揃って遊びはじめ、ついに昼飯時まで対戦するようになったからだ。しばらくは岡目八目、二人の手の内を見比べて楽しんでいたが、そこそこルールもわかってきたし、ゲーム自体も案外面白そうなので私も乗ってみたわけである。けっして寂しかったわけではない。▼さて、遊びはじめて数時間でルールはわかり、翌日の今日、すでに楽しくランクマッチをプレイしている。基本ルールはシンプルで、複雑な要素は特殊なカードに詰め込まれているので、遊べるようになるまでのステップが非常に少ない。数字の足し算と引き算だけで白熱できるようになったら、そのあと特殊効果に手を出していくという導線がちゃんとできている。課金でしか手に入らないカードもなく、無課金勢の心も鷲掴みだ。さすがと言うしかない。

[2703] Jan 22, 2017

サブウーファーを手放すことにした。長い付き合いのようで、実際に稼働していた期間は意外に短い。A7XからSC203へ移行したことで大型のウーファーは不要になったし、それでなくとも300Wの大出力。はっきりいって普通のご家庭にはオーバースペックすぎた。音量つまみは常に最低付近である。もっと自らの力を開放してくれるスタジオで活躍した方が幸せだろう。▼英国のウェブサイトで見つけた特価品を日本に送ってもらうようチャットで交渉して手に入れた格安品なので、価格は当時より遥かに値上がりしている。ただ、どのオークションサイトを見ても中古品の販売実績があまりない。個人輸入品な都合、電源ケーブルも適当な125V/7Aを代用している品ではあるし、このさい新品の1/3程度でいいから引き取ってもらえれば御の字だ。ちなみに、近所のリサイクルショップに買取の見積もりを出してもらったら一万円と言われた。さすがに却下。新品価格の1/10では売れない。

[2702] Jan 21, 2017

研究室の交流会へ行く。毎年恒例の行事だ。繁忙期にぶつかって参加できないことも多いが、今回はちょうど余裕のある時期にあたってくれた。▼どんな人が来ていたとか、誰とどんな話をしたとか、そういうことを書くには文字数が足りないので一切省く。ただ、夕方五時半から開始して九時半に解散するまで、立ちっぱなしで会話に興じるのはいささかつらかった。立ち食いパーティーが交流会の最適なスタイルであることは認めるが、それにしても四時間は長い。二時間か、せいぜい二時間半程度で一旦区切って、あとは興味のある者同士で座れる二次会へ行くのがよいのではないか。少なくとも、自分がいつか会を主催するときはそうしようと思った。▼しかし、朝から頭が痛い。若干、体に無理を押して参加した節もある。禁酒中ゆえ酒は頑なに飲まなかったが、会話に夢中でたいした食事も取れなかった。悪化してはまずいので今日はおとなしく寝ることにする。落ちもない。

[2701] Jan 20, 2017

正面には88鍵キーボードと巨大なミキサー。マルチディスプレイは見渡す限り。その向こうには黒々と鎮座する大型の高級モニタースピーカー。そんな部屋のありように何となく憧れていた。別に、それらを使って何かをするという明確なイメージが頭の中にあるわけではない。少年がコックピットに憧れる気持ちと同じである。なんだかかっこいい。それだけで憧れるには十分だ。▼ただ、現実の私は、相変わらず88鍵キーボードではなくただのキーボードに、そしてミキサーではなくマウスに向かって、今日もちくちく音を打ち込んでいる。入力に鍵盤を使う試みは何度も失敗して、もはや諦めた。ピアノが弾ける人なら手クセで面白いフレーズが生まれたりするのだろうが、弾けない人がやたらに鍵盤を叩いたところでクリック以上に良いものができるわけでもない。どうせ時間がかかるのは構成と調整である。私は楽器弾きでも楽譜屋でもない。ただの打ち込み屋さんなのだ。

[2700] Jan 19, 2017

昼食。同僚のiPadで雑貨紹介の雑誌を見ていたら、こんなアオリを見かけた。曰く「朝のティーシーンを華やかに……」云々。▼ティーシーン。なんというパワーワードだ。思わず笑ってしまった。ティータイムならまだわかるが、ティーシーンである。朝、紅茶を飲む。凛としてさわやかなリビングで。出社までは何十分もある。ソファに腰を沈めてお気に入りの雑誌を開きながら、悠々とした優雅な時間を過ごすセレブな私――そんな価値観が透けて見えるような言葉ではないか。このティーポッド、朝のティーシーンにぴったりかも……。自らの紅茶の時間がシーンになるという客観視。まるで映画の登場人物になったような気分である。▼断っておくが、馬鹿にしているわけではない。逆だ。手放しに誉めている。この言葉の響く人が、この商品の見込み客なのだ。ピンと来ない人は、すなわち私のような冷めた人は、どうせ買う人ではない。さりげなくも秀逸な言葉選びである。

[2699] Jan 18, 2017

とあるEDMのCDを聴く。音作りは丁寧で素晴らしいが、なぜかどの曲も好きになれない。どれもこれも、どこかで聞いたことのあるフレーズを、どこかで聞いたことのある展開で、繋ぎ合わせていっただけという気がする。よく出来ているのに、面白くない。それはもちろん、話として面白くないということでもあるが、それにしてもどうしてここまで好感を持てないのか。気になったので、三周以上通しで聴いてみた。▼ひとつ気づいたことがある。各曲、作者に苦しんだ形跡が全くない。どれも短時間であっさり作り上げられたクレバーな一品に聴こえる。苦しんで、悩み抜いた結果、上手くいかなかったところがあって、それが味になっているというような、そういうところがまるでない。人間味がないのとは違う。ただ、丹念に育てられたという感じがしないということだ。つまり、愛情が感じられないということだ。作者すら愛していない品を、聴き手が愛するのは難しい。

[2698] Jan 17, 2017

良質なたんぱく質が食べたいという同僚と松屋へ行くも満員御礼で入れず定食屋へ向かった昼の話。▼良質なたんぱく質というのは、質の良いたんぱく質のことだろう。しかしそれでは――松屋がそうだと言うのではないが――質の悪いたんぱく質は「悪質なたんぱく質」だろうか。はて、どうも違う。悪質なたんぱく質と言うと、摂取したら身体に深刻な害を及ぼしそうな響きである。▼良質なプログラムは質の良いプログラムだ。しかし、悪質なプログラムはウイルスであろう。良質はシツの良いことだが、悪質はシツが悪いのではなく、タチが悪いらしい。では単に質が悪いことを言いたければ何か。もっとも近いのは「低質な」だろうが、今度は「高質な」という表現があまり一般的ではない。まさしく慣用の世界である。言語はやはり、このあたりの呼吸が実に難しい。▼そんな会話をしながら定食屋で食べたのは、たんぱく質ならぬ炭水化物満載のチーズ焼きカレーであった。

[2697] Jan 16, 2017

eBayで高額な商品を購入しようとしたところ、Paypalから「本人確認しないと10万円を超える支払いはできない」と言われた。いつからか規約が変わったらしい。そういうことなら仕方がない。パスポートも運転免許証もないので本人確認は何かと面倒だから、他で買うことにしよう。そう思っていた。▼ところが今日、eBayからメールが届いた。他ならぬ高額商品の請求書である。どうやらPaypalの決済は認められないが、eBay側の購入はすでに確定していたらしい。言われてみれば理不尽なことはないが、支払方法がPaypalしか認められていない出品である以上、詰んだことになる。▼仕方がないので相手側に事情を説明し、かなり時間がかかると言われている本人確認を待ってもらうか、申し訳ないが待てない場合は購入を取り消してほしい旨を伝えた。今後のことを考えればPaypalの確認は済ませた方がよいのかもしれない。キャンセル料を払えとか妙なことになりませんように。

[2696] Jan 15, 2017

LGの38UC99が国内販売されないか、はたまた中古でドット抜けのない品が出回らないものかと情報収集しているうちに、ASUSからLGと同じ37.5インチパネルを使ったMX38VQの発売が告知された。価格は未定だが二月発売を予定とのこと。わりあい近いが、ASUSなので三月もあると思っていい。▼パネルは38UC99と同じ型番と予想される。MX38VQの方はQi充電可能なスタンドが売りだが、オマケ程度で訴求力は低い。38UC99に比べるとFreeSync対応も失うし、さりとてG-Syncも未対応。しかもあいにく私のPCケースは天板にQi充電ポートがついているので、どちらかが無駄になる可能性大だ。さらに背面画像からはVESA非対応すら疑われるということで、ASUS側を選ぶ理由は何ひとつなさそうだが、38UC99はいまだに国内販売の目途が立たないところが隙。MX38VQがLGの並行輸入品に比べて安い価格で正規販売されるなら、欠点に目をつぶっても選ぶ意味はある。まずは価格発表を待ちたい。

[2695] Jan 14, 2017

LINEのWindowsアプリを入れてみた。PCに集中していると携帯に届いた着信を見逃すことが多いので、目の前の画面にも何か通知が来るようにしたかったわけだ。音を鳴らす設定にすれば通知に気づかないことはまずないし、スタンプを含めて基本的な応答・返信操作はアプリ上で出来てしまう。なかなか便利である。▼しかし、未だに連絡ツールの統合が果たせないのは歯がゆい。とくに悩ましいのはLINEとSkypeの共存だ。LINEを連絡手段としてはプライベートすぎると感じている人、ないし既読通知の苦手な人は、どうしてもSkypeから出てこない。一方、Skypeはスマートフォンやタブレットなどモバイルデバイスを連絡手段の要としている人からは煙たがられる。そういう人々が半径一歩に混在する限り、私は常に両方の着信をチェックしなければならないわけだ。▼いっそのこと通信連絡系のインターフェース部分だけを司るフロントエンドが出来てくれればいいのにと思う。

[2694] Jan 13, 2017

タスクバー。あなたはどこに置いているだろうか。▼私は長らく下に置いていた。デフォルトのまま変えなかったということだ。しかしディスプレイの新調にあたって、ふとここに考えが及んだ。3840x1600の登場に狂喜し、高さが160ピクセル増えたことに感涙するほど縦を望んでいるくせに、どうしてタスクバーを下に置いているのだろう。左右に置けば縦は広くなるのではないか?▼そうして早速、左と右を試してみた。左はアプリケーションのメニューを起点にして作業を広げていく感覚が自然で良い。全体に直感的だ。しかしインジケーターや時刻の位置は下配置のときと逆になる。またバー自体の主張がやや強いので、圧迫感があるのも気になる。対して右は、タスクバーをあくまで便利ツールのひとつと捉えた形。時刻の位置はデフォルトと同じだし、アプリケーションがのびのびと画面を占有できるのも魅力である。私は今のところ右が気に入った。しばらく試してみたい。

[2693] Jan 12, 2017

エラーコード4F。UEFIが起動しない。何度か試した後、電源の入れ直しで起動するようになった。不吉である。▼公式サイトのエラー表には「Problem related to memory.」とある。メモリ診断ではノーエラーと出たが、今週末、差し直しを試した方が良さそうだ。格安で手に入れた特価品だけに、相性問題だとしたら悲しい。CorsairならともかくCrucialの定格2133Hz版で起こるとは思えないが、残念ながら可能性は常にある。▼ともあれ、起動さえしてしまえば安定はしている。唐突なシャットダウンやブルースクリーンは今のところないし、ケースファン/CPUファンともにSilent設定ながら、CPU温度も20度以下で落ち着いている。セミファンレスのGPUも31.0度と良好。マザーボードに100度超の数字が見られるが、これは温度測定アプリとマザーボードの組み合わせによって起こるバグのようなものらしい。起動時だけが問題である。メモリの接触程度の不具合であることを祈る。

[2692] Jan 11, 2017

理想のディスプレイ探しをしているうちに、予期せぬ選択肢が浮上した。ウルトラワイドである。▼21:9曲面ウルトラワイドディスプレイ。よほどの好事家かコアゲーマーの買う道楽品だと思っていたが、仕事で使っている人の評価は意外にも高い。もうウルトラワイド以外には戻れないという人もいるほどなので、これは認識を改めなければと思い選択肢に入れてみた。実際、モノを見てみるとたしかに悪くない。私がウルトラワイドを知った頃は2560x1080が最大で、さすがに縦が足りないと思っていたが、今は3440x1440も主流なので縦はWQHDと変わらない。ならば、アームまで使って汲々とマルチモニターにこだわるくらいなら、サブを使わないときはメイン一枚として広々使えるウルトラワイドも十分ありではないか。▼今度、LGから3840x1600の37.5インチモデルも出る。3440x1440よりさらに広い上位版。WQHD二枚より縦が広く横が狭いのは、今の私には理想的だ。引きが強い。

[2691] Jan 10, 2017

平成31年元日より新元号となる見通し。平成が終わる。▼私は昭和61年生まれ。3歳のときには元号が変わったので、これで昭和を生きたと言い張るのは難ありだが、ともあれ形の上では三つ目の時代に突入することになる。元号が変わったからといって生活が激変するわけではないが、気持ちの上では大きな区切りになりそうだ。そうして、同じように感じる人が多ければ多いほど、実際に社会が変化を伴う可能性も高いと言える。国とはそういうものだ。▼ネットでは早くも新元号の予想大会が始まっている。「安」や「明」などの漢字が使われるのではないかとか、平成の「平」の字は引き継がれるのではないかとか。こういうときはたいてい今の世にないものが選ばれやすいから、皮肉なことだが、躍進や栄光を想起する漢字よりも、心の落ち着きを求めるような漢字になる可能性が高いような気はする。ちなみに、元旦に元号が改元されるのは奈良時代以来のことだそうだ。

[2690] Jan 09, 2017

『ファインディング・ドリー』を観る。▼「ニモ」の続編にあたる本作は、かなりの個性派キャラクターであるドリーを主役に据えてのスピンオフ。評判は上々とのことだが、私としては「いたって普通」という感想を持った。彼女を主人公にするとしたら、まあそういう話にするしかないよね、というところに落ち着いている。ストーリー展開も、クライマックスも、そこから得られる教訓も、予想の範囲内に落ち着きすぎていて、無難という印象しか残らない。魅力的なキャラクターと素敵なCG表現で瑕疵なく丁寧に描かれた普通の物語。故に星三つ。「ズートピア」が良すぎたというのもあるが、ディズニー/ピクサーの作品としてはちょっと物足りなく感じてしまった。▼今回はDVD特典の裏話を観る前にツタヤへ返却してしまったので、「ニモ」の制作時にスピンオフの構想があったかどうか知らないまま終わってしまったが、勝手に推測するなら、恐らくなかったと思う。

[2689] Jan 08, 2017

某銀行でネット完結型の手続きをしようとしたら、本人確認のところで弾かれた。エラーメッセージ曰く、生年月日が違うという。口座番号や電話番号ならともかく、生年月日が違うとは、どういうことか。もちろん今記入されている年月日は間違いなく私の生年月日だし、大切な銀行口座を開設するときに間違えて申請したとも思えない。信じられない気持ちで何度かリトライしたら、試行回数上限を超えたのでウェブサービスの利用を停止すると言われてしまった。▼サポートセンターも休日は受付なし。仕方がないのでウェブ申請の代わりに窓口申請の事前申し込みを行う。こちらは本人確認しているわけではないようで、同じ生年月日でもすんなり通った。だが、窓口申請を行う申し込みなのに、確認用メールには「申請が完了しました。結果はメールか電話で通知いたします」などと書いてあったりして、もういろいろめちゃくちゃである。銀行のウェブサービス化はまだ遠い。

[2688] Jan 07, 2017

寒波が襲ってきている。寒いなんてものじゃない。▼しかし、今日は「quite a few」の話にしよう。この表現、出会ったときから解せなかった。「quite」は動詞や形容詞を修飾して「まったく」「すっかり」といったニュアンスを付与する。対して「a few」は少数の、という意味だ。しかし「quite a few」は「相当数の」である。まったくもって少数であることが、どうして相当数になるのか。▼調べても鵜呑みにできる説明はあまりない。結局、イディオムだからという以上の理由はないのだろうが、a fewという「正確な数はわからないが何かが数個ある」状態を、quiteで最大限に強調することによって「何個かはわからないが、かなりの数がありそうだ」というニュアンスを醸すという解釈が良さそうに思える。このあたりが限界だろう。日本語だって似たようなことはある。「寒いなんてものじゃない」は非常に寒いが、「寒いなんてことはない」なら寒くはないのだ。

[2687] Jan 06, 2017

古いハードディスクからウインドウズのライセンスを救出する試みは失敗に終わった。というより、救出する意味がなくなった。弟に指摘されて調べたところ、どうやら無償アップグレードで10にした場合、PC構成を変えた場合はライセンスが無効になるのだそうだ。結局のところ新規ライセンスを買わなければならない運命だったのである。▼毒を食らわば皿まで。せっかくなので今度はPRO版にしてみた。HOMEとの相違点はネットワークを前提としたビジネス系の機能追加ばかりなので、自宅で使う分にはあまり恩恵を得られそうにないが、リモートデスクトップ機能だけはいつかどこかで役に立つかもしれない。たとえばスターバックスでココアを飲みながら、モバイルノートを使って自宅のDAWで曲づくりとか……。そういうこともあるかもしれない。▼ともあれ、これでハードウェアとデータの移行は大方終わった。後はソフトやライセンスまわりの再設定である。

[2686] Jan 05, 2017

「私がそれを読まなければならない理由は?」あるいは「私がそれを聴かなければならない理由は?」といった読者・聴衆の素朴な疑問は、常に心あるクリエイターの悩みの種である。質の高い作品をつくる職人気質なアーティストなら猶更だ。物は良い。しかし見てもらえない。▼ニコニコ動画をはじめとする動画配信サイトの黎明期が創作者にとってバブルだったというのは、本来ストーリーテリングによって越えるべきマーケティングの壁を、動画サイトのランキングが肩代わりしてくれたことによるのだと思う。ランキングは優れた作品に対して「みんなもこれを見てるから」という強力な物語を与えてくれた。それが、《作品を乗せる物語》の創造を苦手とする人々を助けた。この場所では物さえ良ければ良い。物さえ良ければ、いつかは物語が与えられる……。▼そんな時代が終焉を迎えた今、改めて作者はメタ・ストーリーテリングを真剣に考えなければならないのだろう。

[2685] Jan 04, 2017

新PC。配線を完了してOSを入れ、インターネットに繋いだ程度の完成度だが、ともあれ400を書くことくらいはできるようになった。デフォルトのUSBインストーラがUEFIインストールをサポートしていないのは誤算で焦ったが、こういうときに活躍するのがモバイルノートである。無事、イメージディスクを作って事なきを得た。▼重大なトラブルがひとつ。旧PCのメインSSDを繋ぐと、なぜかPOSTでPCが強制終了してしまうため、ウインドウズのライセンスが救出できない事態に陥ってしまった。これは痛い。ブートディスクとして認識してくれないならまだわかるが、POSTで落ちてしまうとなると原因不明である。最悪、マザーボードのデバッグが必要だが、そこまでするくらいなら7あがりのアップグレードライセンスを捨てて正規品を購入した方が早い気もしてくる。ここまでコストパフォーマンスにこだわってきただけに、無駄な出費は心苦しい。

[2684] Jan 03, 2017

セットアップ完了。今日の記事を書いたら、旧PCを部分解体して起動テストに取りかかる。一発で起動するとは思えないが、上手く行けばこの記事も明日からは三代目PCで書くことになる。もっとも、マウスもキーボードもディスプレイも変わらないので、書き手にとっても読み手にとっても、何ら今までと違いがあるわけではない。純粋に気分の問題である。▼ところで、Be quietのコーポレートカラーである黒とオレンジの配色が、卓上のEVE AUDIO製スピーカー「SC203」と同じであることに気がついた。品よく白銀があしらわれた黒の本体に、オレンジ色のくさび形ラバーパット。黒、白、橙の配色比率がTaichiの採用で白を加えた新筐体のカラーリングに見事一致する。偶然ながら、これはご満悦の美しさだ。私が知らず知らずこの色味に惹かれているのか、それとも単に鉄板のデザインなのか。たぶん後者だろうが、ともあれ作業場が統一感のある色で彩られるのは嬉しい。

[2683] Jan 02, 2017

元旦に悩み抜いてX99&Broadwell-Eを決意。初売り狙いで秋葉原へ行く。数店舗まわったところで目当ての構成の特価品を発見。結果的にAmazon価格より15%以上安い値段でCPUとマザーボードとメモリを揃えることが出来た。電車賃を払ってもお釣りが来る。上出来である。▼実を言うと今日の朝までKabylakeと迷っていた。性能の上積みはたしかに無いが、一年半もかけた最適化だし相当安定するのではないかとか、IntelのOptaneがDTMには将来的に必須の技術になるのではないかとか。しかし、Cubaseでマルチコアが効くことはわかっているし、クアッドチャンネルメモリは魅力的だし、M/Bの品質はZ170よりX99の方が明らかに良いし、Kabylakeのようなグリスではなくソルダリングなので大型クーラーなら十分に冷えるだろうし、何よりたとえ最廉価でもウルトラハイエンドを一度は組んでみたかったという気持ちもあり、i7 6800Kを選択したのである。只今、絶賛組み立て中。

[2682] Jan 01, 2017

新年あけましておめでとうございます。今年も400をよろしくお願いします。▼今年の抱負。正直なところ今年に関してはあまり高望みせず、仕事、家庭、趣味の三位一体をクリア出来れば御の字と思っているが、進行中の長編アレンジの年内完成くらいは高めの目標として掲げておきたい。この後、ペンディングし続けているCD二作目と、懐で温めつづけている二本の企画物が待ち構えている。これらも一挙年内にと胸を張りたいところだが、春以降は仕事も本格化するし、同時に子どもの保育園通いも始まるしで、プライベートな時間のなくなることは目に見えているから、現実的には着手すら請け合いにくい。来年以降になりそうな見通しである。▼とにかく今年は万事無難にこなしていくことを第一とする。リスクを取らないという意味ではないが、普通に暮らしていても例年より慣れないことが多いと予想されるので、無理に自分から冒険を求めていく必要がないのである。

[2681] Dec 31, 2016

2016年、終了。▼今年はどんな年だったのだろう。子どもが生まれたり、ツムツムにハマったり、会社の大変革で同期や後輩が大挙して辞めたり、ベイスターズが初のCS進出を決めたり、PS4Proを買って久々にコンシューマーゲームで遊んだり、三代目自作PCの構想を練って組み立て始めたりした。主に子どもの誕生で秋以降は時間の取りにくいプライベートだったが、全般には平和な年だったと言っていいだろう。▼気持ちを切り替えて来年。抱負は明日にでも述べる。ただ、今年の元旦に立てた抱負のうち、手をつけることすら出来ずに終わってしまった項目がいくつかあるのは反省すべきだ。年を取るごとに自由な時間は減っていく。あれこれ上手く捌いていかないと、目先の忙しさに追われて長期的な目標、つまり夢を追う時間は全くなくなってしまう。私は死ぬまで夢追い人でありたいので、来年も具体的なロードマップを描いていく。三台目はその足がかりでもある。

[2680] Dec 30, 2016

年の瀬。絶賛PC組み立て中。▼No.1ドライバーだけで行けるかと思ったが、強化ガラスを外すのにマイナスドライバーが必要だったり、電源の取り付けにNo.2ドライバーが必要だったりで、早くも準備不足が露呈する。さいわいどちらも借りることができたが、拡張で今後何度も分解することを考えると自前の物が欲しい。またしてもまとめ買いのお世話になりそうだ。▼SSD配置は問題なし。背面にシステムSSDを設置できるのは、他の格納庫と混ざらなくて良い。見栄えもする。苦労したのは電源部。ケース側で一旦コードを中継するので、電源側のプラグの位置次第では取り付け方に制限が出て来る。フルモジュラーケースの利点を活かして周辺を全分解し、将来大きなマザーボードが来ても干渉しない位置に設置した。ファンを下向きにするのは初めてだが、ケースの換気が下向きを想定しているなら冷却効率は良いし、ネジなどが落ちる心配もないので、上向きより良いそうだ。

[2679] Dec 29, 2016

アマゾンでNo.1規格のドライバーを注文しようとしたら、目当ての品がまとめ買い対象商品だと言われて、アマゾン配送の品を合計二千円分、一緒に買わなければならないことになった。▼まとめ買いという仕組みのあることは知っていたが、自分がこうしてまとめ買いをする必要に迫られたのは初めてだ。本当にドライバーしか欲しいものがなければ、多少高くても東急ハンズやロフトで別に買えば事足りたが、どうせ近いうち買うべきものは二千円くらいあるだろうと思って、まとめ買いの品を探してみることにした。▼PC入れ替えのとき確実に必要なエアダスターと、消耗品なので補充必至な柔軟剤をカートに入れる。残り数百円。案外、急に探せと言われると思いつかない。そこへ子どもを連れて現れた嫁の助言で、黒豆茶をひとつ追加した。これで二千円超。無事注文した。こうしてドライバーのついでに柔軟剤と茶を買わせる戦略が、アマゾンを小売の巨人にしたのだろう。

[2678] Dec 28, 2016

今のディスプレイ二枚を下取り査定に出す。古い方が12,000円。新しい方が25,000円。箱と付属品完備での値段なので、箱がない私の場合はさらに引かれると見てよい。購入当時からすると破格の安さだ。それだけWQHDモニターの競争が激しくなってきたということなので、業界的には良いことなのだが、売る身には面白くない。足して次の一枚分にもならないじゃないか。▼閑話休題。結局、メインモニターをEIZOに、隣のサブモニターをDELLにすることで自分の中での決着は着いた。輝度ムラや色ムラのない正確な発色で作業したいときはメインモニターを使えば良いのであって、サブモニターまで高級機である必要はない。長時間凝視するのも基本的にはメインモニターだけである。唯一、二枚の色味が揃わないことだけは気がかりだが、WQHDを二枚分必要とするような画像編集をすることは今後も無いと決め込んで目を瞑るしかないだろう。最小の予算で最大の満足度を狙いたい。

[2677] Dec 27, 2016

CPUクーラーが決定。ケースとブランドを揃えるべく、Be quiet!の「DARK ROCK 3」を選択した。ツクモで型落ちセールになっていたが、LGA-2011とLGA-1150に対応しているということは、LGA-1151にも無条件で設置できるはずなので、現行のソケットには大体取り付けられることになる。何に対して型落ちなのかはよくわからない。▼重量は記憶が正しければ970g程度。重量級と言ってよい重さだ。ウソかホントか、Skylake世代はHaswell世代以前に比べてマザーボードがたわみやすいなどと言われているし、たわむだけならまだしも、万が一折れでもしたら目も当てられないので、素直にサポーターで下から支えてやるのがよかろう。▼ちなみに、上から紐で吊るす場合、テグスで吊るはやめたほうがよいそうだ。重さと熱で伸びてしまって、数か月もするとマザーボードへの負担は吊ってないときと大差なくなってしまうという。私も事前にこの話を聞いていなければ危なかった。

[2676] Dec 26, 2016

年末の大掃除。今年は半日しか時間がないので、廊下の網戸と窓ガラス、台所の換気扇に焦点を合わせる。この三箇所がピカピカになれば今年はよかろうという目算である。▼網戸は外して寒空の下、錆びかけた庭の水道で洗う。想像以上に汚いが、使い捨てのつもりで用意した大量のタオル雑巾を犠牲にして、なんとかマトモな状態には出来た。一方、窓はガラスマジックリンで拭くだけだから簡単だ。たいして汚れてもいなかったので、こちらを先にやって、軽く洗ったタオルで網戸を洗うのが順番的には正解であった。次回からはそうしたい。▼換気扇は構造上、図体の大きい私では掃除できないので、比較的小柄な嫁の出番。私は流しでひたすら取り外した換気扇の油を落とす。わかっていたことだが換気扇の油汚れは凄まじい。頑固な油汚れも楽々落とす洗剤と、落とした先に現れる新たな油の層との根性比べである。歯ブラシ二本で、元の羽根の色が見えるくらいにはなった。

[2675] Dec 25, 2016

夕方。柔軟剤が切れたので最寄りのスーパーを訪ねたところ、いつもの「さらさ」が見当たらない。店員曰く、取り扱いをやめたのかどうかはわからないが、とにかく今は在庫がないとのこと。そういうことなら仕方がない。いい機会だから別の商品でも買ってみようと柔軟剤の棚を見た。――何種類かの柔軟剤の詰め替えパックが並んでいる。しかし、肝心のボトルがない。▼改めて店員を捕まえて聞いてみた。やがて、ボトルの方は取り扱いがないみたいですとの返事が来た。つまり、詰替品しか売ってないということだ。本当ですか、と思わず聞き返してしまった。そんな馬鹿な。それじゃあオリジナルはどこで手に入れればいいのだ。近くのハックで買ってくれとでも言うつもりだろうか。▼言われなくてもそうするしかない。果たしてハックドラックまで足を伸ばしたところ、ちゃんと「さらさ」の詰替を買うことが出来た。街のスーパーも、たまによくわからないことをする。

[2674] Dec 24, 2016

最近までジャンプで連載していた『トリコ』でフルコースを決めていくように、新型PCのパーツ構成を決めていく。本日、ケースと電源が決定。コーポレートカラーにちなんだオレンジのラインが美しい大型静音ケース、Be quiet!「DARK BASE PRO 900」と、抜群の安定感を誇るSeasonicのPRIMEシリーズ、SSR-750TDである。▼弟の助言には反するが、外側は決まった。問題は中身だ。6900Kに匹敵するとも言われるRyzenの登場を気長に待つとなると、対応するマザーボードがまだ出ていないのでクーラーも決められない。明日の有馬記念で良いことがあれば6850KあたりのBroadwell-Eに繰り出してもいいが、いくらなんでも皮算用というもの。当面は、せいぜいストレージの予算配分を考えるくらいしかやることがない。▼ケースは明後日配送される見込み。佐川急便が著しく遅れているらしいので、年内に届かない可能性もあるが上記の理由で別に構わない。のんびり組んでいこう。

[2673] Dec 23, 2016

三台目自作PCのコンセプトが決まった。「七年使える静音マシン」だ。▼静音。このコンセプトの片割れは二代目に対する反省から来ている。天面に20cmの巨大排気ファンを備えるANTECのケース『Nine Hundred Two V3』は、たしかに冷却面の性能は素晴らしかったが静音性には優れていなかった。しかも、この二代目の生存中、強力な冷却能力を必要とするほどの用途にPCを使うことは結局のところなかったのである。音楽制作がメインのマシンなら冷やしすぎるより静かにした方がいいだろう。▼一方、昨今PCパーツの性能向上が頭打ちになってきたことを踏まえて、「七年使える」という野望も立ててみた。メモリやストレージなど価格変動の激しい部品は必要に応じて買い足したり付け替えたりするかもしれないが、電源やマザーボードなどの心臓部は誇張でなく七年以上持ってくれればと思っている。向こう数年で大きな技術的ブレイクスルーがない限り、現実味はある。

[2672] Dec 22, 2016

BIGLOBEのデータSIMをひとつ解約。12GBでデータ通信量が足りないときのためにサブ契約していた音声通話オプションの無い方だが、三ヶ月ほど使ってみて12GBを超えることは一度もなかったので、無駄と判断してやめることにした。実際、ペナントのない季節は半分以下でも十分である。冬だけはより容量の少ない低額プランに移行した方がいいかもしれない。▼解約手続きは難航するかと思ったが、案外あっさり辞めさせてくれた。サイト内に解約ページすら存在せず、メールで問い合わせても理由を聞いてきたり割引を提示してきたりと、なんだかんだで解約させてくれなかった某経済新聞紙よりはるかに善良だ。さすがは古参の大手である。もちろんSIMカードは送り返さなければならないが、封筒に住所を書いて郵送するだけなので、たいした手間ではない。▼もし夏の間も低額プラン一本で足りるなら、auの頃より六割近く安い月額でスマートフォンを運用できることになる。

[2671] Dec 21, 2016

SeaSonicのフラッグシップ電源、80PLUS-TITANIUM認証の最高峰「SSR-850TD PRIME」。変換効率はもちろん静音性も安定感も折り紙つきで、どこのレビューサイトを見ても満点近い最高評価が与えられている。文句なく頂点の逸品だ。▼さて、この850Wモデル、国内販売価格は約四万円である。650Wモデルでも三万円。正直電源ユニットにかけられる金額ではない。しかし、Amazon.comやeBayを見ると、Saleとはいえ$189とある。今の円高気味な為替で換算しても約半額という計算だ。▼この差はちょっと無視できない。Active PFCなので海外流通品でも何の心配もなく日本で使えるはずである。つまり、この二万円の上乗せ分は日本語マニュアルとサポートということだ。さすがに割に合いそうにない。それにここまで価格差が大きいと、転売屋が現れてもおかしくないような気がするが、何か見落としている落とし穴があるのだろうか。爆発物扱いで輸入禁止品目とか。そんな馬鹿な。

[2670] Dec 20, 2016

将来、会社を引退したら喫茶店を営みたいという後輩がいる。チェーンではなく個人経営の小さなお店だ。趣味の品を店中に飾って、高級スピーカーでジャズなんかを流して、とにかく採算度外視でコーヒーでも挽きたいというのである。彼のことだから、きっと不定期に店を閉めて旅行にでも行くのだろう。絵に描いたような悠々自適だ。▼一方、私に引退後のプランはない。潤沢な資金があれば書斎を兼ねたスタジオを立てて好き勝手に小説を書いたり曲を創ったりしたい気持ちはあるが、引退後の悠々自適の生活と言われて思い浮かべるような夢でもない。案外、ガジェットを買い漁っては詳細なレビューを公開する有志のレビュワーにでもなってるかもしれぬ。今でも、レビューサイトや動画めぐりをしていると、もしも仕事になるならこういうこともやってみたいなと思うことがあるくらいだから。▼何かについて完璧な知識を持つのは楽しい。それを人に伝えるのは尚楽しい。

[2669] Dec 19, 2016

デスクトップPCの本体をどこに置くかは常に悩ましい。机の上に置けばインテリアとしては美しく、本体に対する各種の操作もしやすいが、ファンの騒音は近くなる。机の面積が狭くなるのも難ありだ。一方、机の下に置くと操作性が悪く、何より底面から埃を吸ってしまう。まして最近流行っているサイドパネルが強化ガラスのタイプでは、ガラスの静電気が埃を吸い寄せて悲惨なことになる。せっかくのスケルトンも、埃まみれでは形無しである。▼それでも床に置きたい場合、本体底面を床から8〜10cm以上持ち上げてやるだけでだいぶ埃から解放されるという話を聞いた。20cm以上離せれば、ほとんど机上と変わらない衛生状態になるらしい。持ち上げる台は安定性が高ければ何でもよいそうだ。ケースがフルタワーの場合は難しいかもしれないが、ミドルタワー以下の場合は、埃が気になるなら試してみる価値はある。レンガなどが良いスタビライザーになるだろう。

[2668] Dec 18, 2016

二年くらい前に、ROLIのSeaboardが気になっているという話を書いた。すでに発売されたことは知っていて、これから新しい入力機材として広まっていくのかなと他人事のように思っていたが、思いのほかメジャーな商品にはなっていないようだ。思うに、多くの人が私と同じ理由で他人事のように感じているのではないかと思う。つまり、高すぎる。▼たとえば88鍵が必要なら選択肢はGRANDのFirst Editionしかないが、こちらお値段は8888ドル。廉価版モデルの卓上MIDIコントローラ、49鍵モデルでも1200ドル。とてもアマチュアに手が出る価格ではない。まして弾きやすいかどうかも全く未知数なソフト鍵盤。気後れするのも無理はない。▼ビブラートやピッチのスライドが鍵盤上で出来ること自体は素晴らしいが、どちらかというとリアルタイム奏者に益する魅力である。DTMでは成果物に与える影響に乏しい。もう少し安い後続品が出てこないと、なかなか普及しなさそうだ。

[2667] Dec 17, 2016

パナソニックのヒーターレス気化式加湿器・FE-KXM05を買う。▼部屋の隅に置きやすい真四角のデザインと、小さな筐体の割に高い出力、そして気化式故の圧倒的なランニングコストの安さが受けてか、今年の加湿器市場は本機の独壇場であったらしい。私も、暖房で乾燥する冬の寝室を潤すにあたって、たいして悩む間もなくこの商品に決めた。他を選ぶ理由がさほど見当たらなかった。▼ただし、ヒーターレス気化式が寝室に向くかと言われると一概には言えない。ハイブリッドやスチームに比べて遥かに時間単価が安いので安心して朝まで点けっぱなしにできる利点はあるが、一方で、湿った空気を吐き出すのにファンを使っているため他のタイプに比べてうるさいという懸念もある。時計の針の音が気になって眠れなくなるようなデリケートな人は注意が必要だ。我が家はたいして誰も気にしないので、そこには目を瞑ることにした。朝起きて喉が痛くなくなっていることを祈る。

[2666] Dec 16, 2016

いつものようにPCケースの情報集めをしていた通勤電車内。あるPCケースが私のハートを完全に射止めた。Be quiet!の『DARK BASE PRO 900』である。▼倒立マザーボードにもできるフルモジュール型という特性が最大の売りながら、私に響いたのはなんといってもサイズとデザイン。フルタワーより少々小さめで、ミドルタワーの限界サイズともいえる60cm弱の高さと奥行き。天板に穴がなく上部サイドのメッシュから熱を逃がす斬新なエアフローのおかげで掃除もしやすい。底面と前面の吸気部はフロントからフィルターの取り外しが可能。完璧である。▼気持ち的にはほとんど決定した。残る問題は、側面に強化ガラスを採用したモデルにするか、通常のスチール板モデルにするか。本格水冷にするわけでもなし、中を魅せる必要はないので、わざわざ高価で危ないガラスにする必要もあるまいとは思うが、格好良くは見えてしまう。実用を取るかロマンを取るかの選択である。

[2665] Dec 15, 2016

同僚がGTX1080を買った。MSIのGAMING X。焚き付けたのは私だが、正直羨ましい。私だって潤沢な予算と、巨大なケースと、動かせる電源と、良い使い道があれば欲しかった。どれもなかったので選択肢から外したまでだ。欲しいのはクリエイターマシンである。ゲーミングマシンではない。グラフィックスカードよりディスプレイやストレージに予算を回すのが筋というものだろう。ちょうどサムスンからNVMeの960EVOも出る。システムディスクにはうってつけだ。▼閑話休題。今日ドスパラで見たケース、ENERMAXのGravitoは想像以上に出来がよかった。剛性の高い機能性重視の外枠、掃除のしやすい天板、横から取り外し可能な前面ファンのフィルター、必要十分な内部のスペース。それでいて安い。帰宅後に価格comで調べたらIN WINの805に次いで満足度ランキング二位に君臨していたが、妥当な評価だと思う。ケーブルのすし詰めが嫌いなミドルタワー使いには最高の品だろう。

[2664] Dec 14, 2016

電子機器の話ばかりだが、今は興味の中心がそこなので仕方がない。次のディスプレイが決まりつつある。▼今のWQHDにも作業領域的に不満はないが、毎年健康診断のたびに視力が低下している原因のひとつに、このまばゆいばかりのグレア液晶があるのではないかと疑いを抱き始めたのだ。会社のモニターがノングレアになって以来、退社時の目の疲れはたしかに和らいでいるので、家のモニターからも光沢を取り除きたいのである。できればデュアルモニター向きのフレームレスが望ましい。▼候補は二つ。EIZOのEV2750か、DellのU2717D。値段は倍以上違うので、コスパだけを追い求めるなら確実にDellだが、今後も長く使うことを考えると耐久性に不安はある。目への優しさも、積極的にアピールしているのはEIZOの方だ。ただ、ナナオ神話も液晶時代は当てにならぬという話もあるし、Dellのモニターは原価ぎりぎりを攻めているという噂も聞く。これといった決定打に欠ける。

[2663] Dec 13, 2016

Dell「U2717D」のパネルはSumsungのLTM270DL11。EIZO「EV2750」はLGのLM270WQ4-SSA1。ASUSのゲーミングモニターフラッグシップ「PG279Q」、EIZOのエンターテイメントモデルフラッグシップ「FORIS FS2735」は、いずれもAU Optronics製のパネル。ディスプレイのメーカーは様々あれど、液晶パネルの生産元はほとんど韓国や台湾になっていることがわかる。▼もちろん、モニターの質はパネルだけで決まるものではない。フィルター、コーティング、基盤、バックライト、スタンド、フレーム、あるいはソフトウェアなら調整項目の豊富さ、メニューのユーザビリティ、自動調節機能の有無など、違いを出せる場所は枚挙に暇がないほどある。実際、FS2735とMG279Qは全く同じAUOの「M270DAN02.3」をパネルとして使っているが、この二枚を見比べて同じ画面だと言う人はそういないだろう。液晶モニターの性能は総合的なものである。あまりパネルばかりにこだわらない方が良い。

[2662] Dec 12, 2016

プリンターを買うべくヨドバシカメラを散策したが、私の要求を満たす品が全くないことに驚いた。というより、はっきり言ってどれもこれも同じである。まさに画一化。コンパクトで、インテリアにもなって、写真が素早く綺麗に印刷できて……。▼私が欲しいのはもっとオールドファッションな筐体でいいから、紙詰まりの頻度が減り、給紙の回数が少なくて済み、ランニングコストの安いプリンターだ。要するに、最小限の手間で大口の業務を着実に遂行してくれる家庭用マシンである。業務用ではない。業務用を置く場所のある家庭などそうはない。▼無骨だがキャパシティが自慢の「仕事人」的なプリンター。昔はこういう性格のラインナップも今よりあったように思う。結局、家庭用プリンターの役割は、写真を写真屋さんへ行かずに家で綺麗にプリントしたいという要求を満たすところに九分九厘収まってしまったのだろう。どこかに旧時代の生き残りがいるといいのだが。

[2661] Dec 11, 2016

新PC構想の一歩目がケースで止まってしまったので、スペックを先に決めようとしている。もし要件にベストマッチする品があれば、このさいBTOを視野に入れてもいい。自分で組みたい気持ちはあるが、コストパフォーマンス優先である。▼決定事項はシステムをNVMe-SSDにすること。256GBか512GBかは決めていないがBTOだと前者くらいしか見当たらない。システムでリード2000MB/sを確保しつつ、メインデータとよく使う音源に通常のSSDを割り当て、残りの古いデータをまとめてHDDに放り込む。この三台に全て集約させたい。メモリは最低16GB。ただ、32GBにしてもたいしてコスト増にならないので切り詰めるところではない。▼問題はGPUだ。GTX1080が名機であることは認めるが、決して安くはない。それなら大人しくVega10を待つ方が、HBM2のロマンもあるし、自作PCらしくて良いように思う。当面はGTX960で凌いで、ディスプレイだけ先にFreeSyncにするのも手だ。

[2660] Dec 10, 2016

蕎麦屋へ行ったとき、知っているけれど題名や歌詞の思い出せない曲が流れてきた。子どもの頃に聴いたことがあるような、どこか懐かしい童謡風の曲である。▼後日、あれは一体何という曲だったのか調べる機会を得た。私はまるでとっかかりがなかったが、嫁が記憶を頼りになんとか「峠の我が家」という題名まで辿り着いてくれたので、さて動画を探して聴いてみると、確かにこれだということになった。アメリカの民謡だったのか。なるほど、なるほど……。▼しかし、どうもしっくり来ない。特にサビが違う。高音に駆け上がっていく感じがない。私の記憶に残る曲がアレンジバージョンなのだろうか。もやもやした気持ちで納得できずに情報を探していると、何やら「浜辺の歌」という雰囲気の似た曲があるという。早速聴いてみると、果たして、やはりこちらであった。それにしても凄いそっくり具合である。知られている限り関係はないらしいが、ぜひ聴いて見て欲しい。

[2659] Dec 09, 2016

久しぶりにデザインのプチ仕事。クリエイティブクラウドの体験版フォトショップを立ち上げる。どのみち来年には正式なサブスクリプションをする予定なので、後ろめたくはない。最新版の体験である。▼UIが灰色基調になったのは知っていた。思ったより見やすいし、使いやすい。細部の挙動も洗練されていて、各々の操作がより直感的に行えるよう工夫されていた。それでいて「どこに行けば何がある」「何を押せば何が決まる」というような基本的な操作感はCS以前から何ひとつ変わっていないところに、古参ユーザーを大事にする姿勢が伺えて良い。体感的な一貫性。後方互換性。つまり、以前出来ていたことが出来るということ。これは常に重要な新製品の魅力のひとつである。▼残る課題は価格だけだ。フォトショップはまだいいが、アフターエフェクツはちょっと高すぎる。プロならともかくアマチュアにはつらい。機能制限の廉価プランが登場してくれると嬉しい。

[2658] Dec 08, 2016

ディスプレイモニターについて。WQHDか4Kかの選択については、私は、家であれ職場であれWQHDに軍配という結論をすでに下している。ここは揺るがない。4Kはどうにもデメリットの方が多い。サイズはパソコンスペースの大きさによりけりだが、23インチ〜28インチが通常であろう。よほど距離が取れる人なら32インチでもいいかもしれない。▼問題はリフレッシュレートと応答速度である。最近のゲーミングモニターは144Hz・1msも当たり前になってきたが、作曲、動画編集、Officeなど、ゲーム以外の用途がメインの場合、どこまで数字を追求すればいいのかわかりにくい。こればっかりは店頭で比べてみるわけにもいかないので、ある程度推測も含んでの判断にはなるが、リフレッシュレートは高くて損はなく、応答速度は6ms以下なら十分、という線がひとつ基準になるだろう。60Hzと144Hzの違いは案外大きい。一方、ミリ秒を争う応答速度はあくまでゲーム向きであると思う。

[2657] Dec 07, 2016

一昔、二昔前。つまり私がPCの自作を始めた十余年前。自作の最大のメリットはカスタマイズ性よりも値段の安さだった。百貨店に並ぶ既製品はソニーや東芝、NEC、富士通のような国産メーカーしかなかった時代である。そうして、メーカー品は高かった。ミドルレンジでも二十万超えはザラだった。▼時代は下って今日。自作の価格はもはやBTOに勝てなくなった。i7-6700KにGTX1080を積んだメモリ16MBのSSD+HDDマシンが二十万円以下で売られていたりする。グラフィックボードだけで八万以上するのだから、個別に組んだら残りのパーツで十万ちょっと。CPUとSSDとメモリで既に苦しい。特売品を使えばぎりぎりマザーボードも入るが、電源、ケース、ドライブあたりは置いてけぼりである。クーラーも、ケーブルも。▼そういうわけで、自作の優位性はもはやカスタマイズ性の高さのみとなった。頻繁にパーツを組換えたい人でない限り、BTOを選んだ方がいいだろう。

[2656] Dec 06, 2016

忘年会。忘れたいことよりは忘れたくないことの方が多かった実り多い年。不安なことはたくさんあるが、きっとなんとかなるのが来年であろう。▼今年の趣味生活を総括するなら、読書を抑えて実戦を増やし、ガジェット購入を通じて電子機器の最新情報にキャッチアップした年と言える。特にオーディオビジュアル、ノートパソコン、スマートフォン、ゲーム機あたりは膨大な情報量をインプットした。各種ハードウェアのトレンドもおさらいしたし、知識の足場はだいぶ固まったと思っている。仕事に直結はしないが、いつの間にか社内でもハード系の質問が私に集まるようにはなってきた。訊かれたことに答えられないのは悔しいので、それでさらに詳しくなる。互助関係である。▼語学はそこそこ。秋口から数年ぶりに勉強を再開したので勘を取り戻すまでに時間がかかる。入社以来一度も受けていないが、来年の夏あたりにひとつTOEICでもやってみようかと思っている。

[2655] Dec 05, 2016

それなりに親しい後輩、同期、先輩が同時期に退職する運びとなった。▼年の瀬につづけて退職のお知らせが届くと物哀しい気持ちになる。それぞれ事情はあるだろうけれど、残業が少なくなったり収入が減ったり、業界の未来が明るくなかったりということで、少なくとも彼らにとっては、ここはもう居続けたい場所ではなくなってしまったということだろう。つまり会社を見限って出ていくのだ。▼転職先の決まっている人もいれば、先のことはしばらくしてから考えるという人もいる。同じ業界で社を変える人もいれば、二度とこの業界には戻りたくないという人もいる。そうして、音信不通になった者を除けば、会社を辞めて別の仕事についた知り合いから、辞めなければよかった、前の方がよかったという声を聞いたことはまだない。それが何を意味するのか、端的に決めつけるのは軽々だろう。ここではないどこかへ行くこと。それ自体が幸せということも人生にはままある。

[2654] Dec 04, 2016

寝室のカーテンを新調すべく新横浜のショールームへ行く。▼今のカーテンは深くて暗い青。窓は南西に面していて、レースはない。なので眩しくなる昼から夕方はカーテンを閉めざるを得ず、どうにも陰気臭い部屋になってしまっている。大人だけならともかく、これでは子どもの発育にもよろしくないということで、新調の運びになった。部屋の印象をがらりと変えるチャンスである。▼要件は、寝室ゆえの遮光と西向きゆえの遮熱で、家具のほとんどを占める焦げ茶と、壁のアイボリーに馴染むトーンで、気持ちの明るくなるような色。遮光カーテンは黒糸を織り込んで遮光を実現するため明るい色になりにくく、くすんだ地味なカラーのラインナップが大半を占めたが、根気よくサンプルを探していたら抜群に良い一枚を見つけることができた。遮光一級、薄い象牙色、落ち着いた遊びのある模様、そしてお値段はほどほど。これに似合う波模様の遮熱レースを選んで決定である。

[2653] Dec 03, 2016

新しいPCを組むかもしれない話。▼現行機の挙動があやしい件はたびたび書いた。唐突なブルースクリーンや起動エラーの頻度は少なくなってきたが、いつ完璧にクラッシュしてもおかしくない健康状態ではある。ならばせめて被害の少ないよう、現行機が生きているうちに次世代機を横にならべてしまうのがよかろうという結論に向かっている。▼思えばパーツの流用で転生を繰り返してきた我が家のPC、完全新規で組み直すのは何年ぶりかわからない。最初の関心事はもちろんケース。今どき全く流行らないと知りつつ、時代に逆行してフルタワーに行くか、無難にミドルタワーでまとめるか。フルタワーを選ぶなら十年と言わないまでも最低五年、転生で七年以上は戦えるPCにしたい。狙い目はメンテナンス性と外見が最高にクールなCosmosIIだが、70cmを超える高さではテーブルの下側に入らない恐れがある、などなど。▼この冬の楽しみはパーツ構成の検討になりそうだ。

[2652] Dec 02, 2016

PS4の音を今のスピーカーで聴くためのルートとして、ひとつ妙案をいただいた。妙案というか冷静になってみれば至極まっとうな話だが、テレビにはイヤホンジャックがついている。HDMIからは映像も音もデジタルでテレビへ送られるのだから、何も別系統で光デジタルを出さなくても、テレビからステレオミニプラグでアナログ音声をもらってくればいいではないか。たしかにそうだ。イヤホンジャックの存在を忘れていた。▼問題になりそうなのは、D/Aコンバートがテレビで行われる分、「PS4−光デジタル−DAC−RCAケーブル−アンプ」の構成に比べてにノイズが乗りやすそうなことと、イヤホン用に持ち上げられた音が入ってくるので音割れの可能性があることか。とはいえ最近のテレビは設定で出力モードを変えられるらしいので、スピーカー用の設定に切り替えて試してみる価値はある。試験費用もケーブル一本・千円だけ。これで済んだら安いものだ。

[2651] Dec 01, 2016

PS4、開封の儀。といっても本体とコントローラとケーブルが梱包されているだけの簡素な箱である。早速テレビ台の中へ鎮座させた。▼電源を繋いでスイッチオン。HDMIケーブルをテレビに繋げば映像は出る。しかし厄介なのは音声だ。なにしろ我が家のアンプはAVアンプではなくプリメインアンプである。光デジタル入力なんて洒落た端子はついていない。HDMI入力も言うに及ばず。ちゃんとスピーカーから音を出すには、D/Aコンバーターを咬ませる必要がある。▼加えて悲しいことに、散々検討して最適解と確信したテレビ「Z10X」が、実は4K+HDRに対応していないことがわかった。たしかに機能表を見ると4K+HDRはひっそりと非対応であることがわかるが、後発とはいえ廉価モデルが対応しているのにフラッグシップ機が未対応なのはひどいということで、苦情が多発しているらしい。アップコンバートで対応してくれればいいが、望みは薄そうだ。

[2650] Nov 30, 2016

シャープの携帯を使っていたとき、私はよく端末を地面に落としていた。ポケットから取り出す際に手から滑り出してしまうことが多かったようだ。ひどい時など数メートル先に墜落したこともある。二年もしないうちに外装はボロボロだが、それでも正常動作していたのはさすが国産と言うべきだろう。▼ときに、今のZTEのAxon7はどこのレビューサイトでもconsに「滑りやすさ」と書かれるほど丸くてすべすべした端末である。Slippyさでは他の追随を許すまい。しかし、それでは携帯を落とす頻度が上がったかというと全くそんなことはなく、危なげない毎日を送っている。自分でも不思議だが、理由は二つありそうだ。▼一、シャープの携帯が小さくて軽すぎたから。重量感がないので逆に手の中から飛び出てしまうことが多かった。二、滑りやすい方が逆に意識してちゃんと持つから。両手で支えるシーンも増えた。▼「落としやすさ」と「落とす回数」は比例しないのである。

[2649] Nov 29, 2016

学校帰りの弟と合流しての帰宅途上、ヨドバシでPS4Proを見ていかなくていいのかと訊かれた。まっすぐ帰るつもりだった私は、つい二日前に覗いたばかりのヨドバシカメラ六階をわざわざまた訪れる必要もないだろうと返したが、ああいうものはゲリラ入荷するから毎日見ないと駄目だと言う。昨日の今日でそんなわけはないと思いつつ、大した寄り道でもないし、仕方なく行ってみた。▼まさかの展開だが、あった。レジ前は長蛇の列。緊急入荷を声高に告げる店員。これは買うしかない。まだ在庫はありますかと訊くと「お並びください」と促されたので、早速ならんで手に入れた。ゲリラ入荷万歳。弟に感謝しなくてはなるまい。入手困難を嘆く記事も少々勇み足だったようだ。▼もちろんソフトはまだない。嫁の希望する「人食い大鷲のトリコ」が最初のソフトになりそうだ。気になるのはウォッチドッグス2とペルソナ5か。FF15は評判を見てから決めようと思っている。

[2648] Nov 28, 2016

PS4Proがなかなか手に入らない。Amazonマーケットプレイスならすぐにでも届くが、定価に何割も上乗せされている。食指は動きにくい。▼正直なところ、画質という点ではプロとノーマルに大差はない。グラフィックに一家言ある人々が目を凝らしてようやく影や境界線にジャギがあるとかないとか言うレベルの差異である。離れてプレイしている分には違いなどわからない人の方が多いだろう。▼しかし、それでも今、ノーマルを買うことにはやはり抵抗がある。プロにしておけばよかったと後悔する可能性はある。なぜなら、プロの開発各位が画質をほどほどに諦めて強化された演算性能をフレームレート向上に全振りした場合、こちらは大きな差の出る見込みがあるからだ。たとえば、ノーマルでぎりぎり30fpsのアクションゲームがプロで60fps固定になるとしたら、断然プロの方が気持ちよく遊べるだろう。だからこそ、品薄に悩まされながらもプロを望んでしまうわけである。

[2647] Nov 27, 2016

洗濯機の買い替えを検討している。今のモデルに性能面での不満はないが、人数が増えたこともあり、小さなドラム式では洗濯が追いつかなくなってきた。狭い洗面所に入りさえするなら、洗濯容量10kg級が欲しい。▼冷蔵庫と同じで、調べれば調べるほど各メーカーに味というか戦略がある。皆で生き残るために談合しているのでは、と邪推したくなるくらい目指す方向性が違っていて面白い。売り文句だけをつらつら見ていて、とりわけ興味をそそられるのは日立の「風アイロン」シリーズ。洗濯機ながら乾燥機能に焦点を絞っているのはユニークだが、洗濯物の悩みと言えば何を置いても雨続きの日の乾燥なので、これさえあればアイロン要らずの仕上がりなどと言われたら忙しい主婦の心は揺れる。世の中の流れを踏まえた良い戦略だと思う。▼実際、動画で見ると思った以上にシワは伸びていた。ズボン類はさすがにアイロンなしとまではいかないが、シャツなら及第点だろう。

[2646] Nov 26, 2016

英語の辞書アプリを探していたら、あまり好ましくない真実を知ってしまった。ロングマンの英英やランダムハウスの英和大辞典など、良質な辞書アプリはほとんどがiPhoneにしかないのである。WindowsPhoneならともかくAndroid/iPhone間ならサードパーティーアプリのラインナップに差はないだろうと思っていたが、甘かった。立ち寄ったヨドバシカメラで、ついiPhoneを手に取ってしまうほど心揺さぶられる事案である。昨日までの私には考えられないことだ。▼さいわいPlayストアにもジーニアス英和辞典があるので最低限の要求は満たせるが、英英辞典と中辞典以上の大規模辞書が致命的に不足している。使い勝手が良く掲載数の豊富なアプリが手に入らないなら、今どきオフラインで携帯を使うこともないのだからWeblioがあれば十分ではないか――そう言われたら、今はとても反論できない。今後の辞書の拡充に強く期待する。▼尚、WindowsPhoneの品揃えは論外であった。

[2645] Nov 25, 2016

大編成の曲で楽器の奥行き感をどう表現するかはひとつの課題である。これを諦めて全楽器をゼロ距離に貼りつかせると、たとえパンを広げたところで音響不足か音符過多のいずれかに陥ってしまうのは昨日述べた通りだ。▼では、ミキシング的にある楽器が「奥にある」とはどういう状態か。調べれば専門的な知識はたくさん出て来るが、端的にまとめればこうなる。一、ハイカット。遠くの音ほど高周波は落ちる。EQで適度にローパスするだけで音源は奥に行く。二、アタック。遠くの音ほど立ち上がりは鈍い。ディレイの調節で奥行きを表現する。三、リバーブのプリディレイ。遠くの音ほど反射音に埋もれてこもる。プリディレイが長すぎると原音が立って来て奥にあるように聞こえない。▼そうして最後に、音量。単純なことだが、遠くの音ほど相対的に小さく聴こえるはずだ。ミックスに凝ると忘れがちになるポイントかもしれない。あとは終わりなきバランス調整である。

[2644] Nov 24, 2016

私は作曲や編曲については無学だし、楽器の演奏経験も人一倍乏しいけれど、音作りだけはいつもこだわりを持ってやっているつもりである。綺麗に聴こえる音が作れれば仕事の半分は終わりと思うくらいだ。▼もともと音楽に心得のある人にはわかりにくい話かもしれないが、私のように慣れない人が手探りで音符を配置すると、「聴いてみてなんとなくしょぼいから音符を足す」というようなことをしばしばやってしまう。たとえ理論上は音符が飽和していて、もうこれ以上足すべきでないとしても、聴こえてくるサウンドが物足りないので、ついつい音符を足してしまうのだ。▼事実、この緩やかに編曲をつづけてきた数年間で私に進歩した点があるとすれば、それは最初によりよい音のセッティングをすることで、昔よりも少ない音符で満足できる響きを生み出せるようになったことかもしれない。上達の道としては完全に外道だが、私は今でも音楽より音の方が好きなのである。

[2643] Nov 23, 2016

寒風吹きすさぶ中、お宮参りへ行く。▼本来は生後一ヶ月の行事だが、我が子は生後三ヶ月での参上。実際、徒歩圏内に神社のない地域では、まだ首も座らず慌ただしい時期に赤ちゃんを連れまわすのは現実的に厳しいので、あとまわしにされるのもめずらしくはないようだ。最近子供の生まれた同僚も生後百日の節目に行こうかと言っていた。それくらいがちょうどよいと思う。▼手水舎で手を清め、二礼二拍手一礼。初穂料を納めて野菜や果物が奉納された小さな社殿で待つ。七五三シーズンながら他に客はなく、ご祈祷のときは事実上の貸し切りとなった。お祓いを受け、祝詞を賜り、これにて神事はすべて終了、という段になって、それまでずっと大人しくしていた赤ちゃんから「ブリブリブリ」とお礼の音が鳴り響いたのは、まあまあ、良い土産話である。▼スタジオでの撮影もした。あまり一般的でないマイナーな行事を除けば、あとは五歳になるまで大きな神事もあるまい。

[2642] Nov 22, 2016

私がバッハのダブルコンチェルトをよく聴くのは、第一楽章から第三楽章まで退屈なところが全くなく、気分良く、心地よく、流れるように聴けるからだ。もっとも第二楽章は昔は飛ばして聴くこともあったくらい苦手だったが、八分の十二拍子だということを知ってからはゆったりと息の長いリズムを感じられるようになって、今では気に入っている。メタ情報が有益に働いている例である。▼同時に、バッハはヴァイオリン版(BWV1042)よりチェンバロ版(BWV1062)の方を先に構想していた、と私は勝手に思っている。もちろん番号が示すように史実とは異なる。しかしどうしても私にはこの曲はチェンバロ版の方が真の姿、原初の姿のような気がしてならない。もしかしてそういう可能性もあるのではないか……と疑いながら二曲を交互に聴くのもまた面白かったりする。妄想で拵えたものとはいえ、これだってメタ情報が楽しみ方に影響を与えている好例だろう。

[2641] Nov 21, 2016

久しぶりに『最強伝説黒沢』が読みたくなってKindleストアへ行くと、1巻〜3巻がアンリミテッドで読み放題になっていた。アマゾンの思惑通り、一ヶ月無料キャンペーンに申し込んだまま解約せず、なし崩し的にメンバーになってしまった、あのアンリミテッドである。この三冊だけでも月額分はペイしているので、許せないこともないと思ってしまうあたりが術中のようで憎らしい。▼『最強伝説黒沢』で思い出すのは、大学の同期の一人が「読んだら即ゴミ箱に捨てたくなるほどつまらない漫画」と唾棄した日のことだ。私は当時も「黒沢」は個性的で面白い作品だと思っていたので、同意しかねる旨をやんわりと伝えたが、実際、尖った作品の評価は人によって異なるものだなと思った。もっとも彼が読んだのは一巻だけなので、「黒沢」が単なる悪趣味なダメ人間の観察日記のような漫画だと勘違いしてしまったのだとしたら残念なことだ。あれは一読の価値ある作品である。

[2640] Nov 20, 2016

ディズニーシー感想編、番外回は食事。▼素晴らしき夢の国にひとつだけ欠点があるとしたら何か。それは食事だと言う話は事前に識者から聞いていた。レストランに入るくらいならひとつでも多くアトラクションで遊んだ方が良いと。客は味など気にしていない、だからレストランにコストはかけぬ、そういうスタンスなのだと。▼ありうる話とは思いつつも、天下のディズニーともあろうものがまさか……と半信半疑でいた。さて、全信か全疑かを決めるため近くの店へ入ってみると、果たして某識者の言う通りであった。実に高い。そして全く旨くない。▼ディズニー全体がぼったくりとは思わない。ポップコーンの値段は良心的だし、アイスもまあまあ、ペットボトルの値付けも縁日並みの低水準だ。しかし、レストランだけは別格の低コストパフォーマンスである。少なくとも私たちはそう判断した。童心あふれる夢の国に飯を食いに来るなというメッセージなのかもしれない。

[2639] Nov 19, 2016

ディズニーシー感想編、第三回はアトラクション。▼最初に乗ったのは「フランダーのフライングフィッシュコースター」。絶叫系は常に拒否してきた私だが、これくらい小ぢんまりした初心者向けなら大丈夫だろうということで景気付けに選んでみた。カーブでかかる横向きのGは慣れない分さすがに酔いが来るが、速度と高低差は案外平気。次は「センターオブジアース」にチャレンジしてみたい気にはなった。成長である。▼最も並んだのは「トイストーリー・マニア!」の100分待ち。ファストパスは入園前に売り切れたので地道に並んだ。結果的には最も面白いアトラクションだったが、もういちど100分並んで遊ぶかと言われると首を縦には振りがたい。これとタワーオブテラーに人気が集中しすぎている節はある。▼混み具合と気持ちよさのバランスが良かったのは「ジャスミンのフライングカーペット」か。想像以上に人力の「タートルトーク」も新鮮で楽しかった。

[2638] Nov 18, 2016

ディズニーシー感想編、第二回は外観。▼入場して最初に「おや?」と思ったのは、愉快な音楽が柱の上に括り付けられた黒くて四角くてごつい、業務用スピーカーでございますと言わんばかりの押し出しのスピーカーから流されていること。鏡を排するほど徹底した非現実感の演出で有名なディズニーが、この想像以上に現実的な物体の存在を許しているのは意外だと思った。▼あちこち回っていると、そういう妥協した外観が案外多いことに気づく。洞窟の隅には排水口があるし、地下王国には非常口があるし、要塞にはエレベーターがあるし、何よりアトラクションの看板には現実感満載のスポンサー企業ロゴが貼り付けてある。要するに、思ったより外観の制御は緩い。▼無理やり隠そうとすればするほど非常口のように「致し方ない」部分が目立ってしまうので、割り切って脳内補正に任せる道を採ったのだろう。妥当な戦略ではないかと、二人でそんな話をしていた。つづく。

[2637] Nov 17, 2016

ディズニーシー感想編、第一回は総評。▼十分、面白かった。十時前に到着して二十時半に去るまで、ほとんど休憩らしい休憩を取っていない。並んでいるかアトラクションに参加しているかのいずれかで、夕方以降は足が鉄の棒になった。疲れ果てるまで遊べるというのは大人になってからはそう得られない貴重な機会だ。譲り受けた無料券に盛大な感謝を捧げたい。▼ディズニーリゾートの中でもディズニーシーは少々大人向けだ。心身ともに大人になった今だからわかるテーマパークとしての完成度、奥行きのようなものが確かにある。それが魅力の根底になっている。なので、高校生の(しかも精神的には小中学生程度であった)私にわからなかったのは当然だ。中学生にブルックナーの交響曲を聴かせるようなものである。▼ただ、あのとき解散を決めたアラビアンコーストの広場が、ひと目見てそれとわかるほど見事に当時のままだったことには少なからず感動した。つづく。

[2636] Nov 16, 2016

メタ情報によって芸術の価値は左右されうるか、という議論はときどき起きる。音楽のタイトル、小説家の半生、絵画の社会的背景、建築の経済効果、ゲームの設定資料集。挙げればキリがない。▼イエス派もノー派も同じくらいの勢力だと思っているが、私の答えは今のところ次の通りだ。イエスかノーかと問われればイエス。ただし、価値の中に占めるメタ情報の割合が大きくなるほど、芸術はエンターテイメントに近づいていく。▼両者が地続きであって、しかもその尺度は貴賤ではないという考え方は特異でも目新しくもないが、作者が定めた作品という枠の中の価値と、メタ情報による価値の配合比率こそが横軸であるという定義はあまり見たことがない。これを私だけが辿り着いた真実などと吹聴するつもりはないけれど、作品のメタ情報という視点によって、自分の立ち位置がよりはっきりとする可能性はある。私はメタ情報を込めるのが好きだから、芸術家ではないのだ。

[2635] Nov 15, 2016

参考書・問題集による学習効果を飛躍的に高める3つの方法。某まとめのような見出しをつけてみる。▼一、索引に必ず目を通す。単語帳であれ資料集であれ、索引ほど記憶の強化に適したコンテンツはない。キーワードだけを一覧し、記憶を頼りに内容と結びつけていく作業は、記憶の強度と寿命を大幅に引き伸ばしてくれる。しかも、万が一忘れていたときには頁数を見て即座に再確認できるという優れものだ。端書きは飛ばしても、索引を見ずに本を閉じるべきではない。▼二、選択肢問題を解いたら「ハズレの選択肢がハズレである理由を自分で自分に述べて」「他にも正解になりうる選択肢をひとつ提示してみせる」クセをつける。これをやらずに千問解くより、これをやって百問解いた方がいい。特に高難易度の問題に対する対応力の伸びしろが違ってくる。▼三、その日学んだことの中のひとつでもいいから、誰かに話しておく。教える必要はない。話すだけで十分である。

[2634] Nov 14, 2016

今週、嫁とディズニーランドへ行く。目下、絶賛計画中。▼最後に訪ねたのは何年前か全く覚えていない。たしか高校の行事か何かでディズニーシーへ行き、午前中は班ごとに決められたルートを見学、午後は解散して自由行動と言われたので、いつもの面子と早々に舞浜を抜け出して別の場所(恐らくゲームセンター)へ遊びに行った記憶だけある。お察しの通り、欠片も興味はなかった。▼それから十余年。ディズニーの映画もそれなりに観たし、大人になった今ならそんなことはない――と胸を張って言いたいところだが、正直なところ、訪ねてみるまでどう思うかわからないというのが本音だ。楽しみではある。つまらないという予感もしない。ただ、遥か昔にバックレた記憶が凍ったままの場所に舞い戻ったとき、自分がどういう感情を抱くか想像しにくい、という感じはする。夢の国が青臭いと思うほど枯れてはいないつもりだ。どうなるか。答え合わせは木曜日を待つべし。

[2633] Nov 13, 2016

Apollo7、購入。想像以上に快適なので、想像通り良い点と、予想外に良い点を書いていく。▼想像通り良いのは紐のない開放感。音楽を聴きながらでも紐の存在を気にせず携帯を動かせるのは素晴らしいの一言だ。耳より手が楽になる。音楽を聴くことと携帯操作が完全に分離される。▼予想外に良いのは、第一に曲を聴きながら携帯を手放せること。家の中くらいならよほどのことがない限り接続は切れない。ベッドサイドに携帯を放置したまま家事をしながら曲やラジオを聴くこともできる。IPX5防水なので、気をつければお風呂の中でも聴けるだろう。恐るべき自由度だ。▼第二に、ケースの出来。充電器を兼ねているのにかっちりセットする必要がなく、放り込むだけのような感覚で仕舞える。細かい使用感を大事にしている開発の姿勢がうかがえる。最後は、本体側から曲送りや一時停止が出来る点。しかもマイク内蔵なので、ハンズフリーで通話応答すら可能だ。恐れ入る。

[2632] Nov 12, 2016

利便性には時として機能や性能以上に金を払う価値がある。XperiaXZの話ではない。ワイヤレスイヤホンの件である。▼数ヶ月前、アーリーアダプターになりたいという欲求を抑えてEARINを見送り、最も有望そうだった別の製品に目星を付けた。それが「Apollo7」という商品。途中で頓挫することも、どこかのマグカップのように延期に延期を重ねることもなく、この九月に晴れて発売の運びとなった。ここでも慎重を期してすぐには飛びつかなかったが、レビューを見る限りユーザーからもプロからも評価は極めて高い。完全ワイヤレスタイプの黎明期の完成形という声も聞かれるくらいである。▼さすがに試着してから買うが、私も手を出すことに決めた。バッテリーが三時間しか持たないところは不満だが、これは他の製品群も軒並み同じである以上、現行技術の限界と思って割り切るしかないだろう。両耳から垂れる紐のない通勤ライフという新世界。価格に見合う価値はある。

[2631] Nov 11, 2016

昨日の記事、XperiaXZに対してややネガティブに見えるので、そうでもないということを補足しておこう。▼第一に、手に持った感触が良いと書いたが、これは本当に良い。私も何百と店頭で携帯を握ってきたが、これほど手に馴染んでくる機体は稀である。側面の丸みや大きさなど要因はさまざまあるが、最大の要因は重さだろう。近ごろの端末は薄さと軽さを追求しすぎていて、手に取っても物体を握っているという感覚に乏しい。携帯のサイズに切り抜いたコピー用紙が持ちやすいかという話だ。▼第二に、性能が物足りないと書いたが、フラッグシップの標準となってきたメモリ4GB・Quad HDは、九割超のユーザーが持て余していると思われる。完全にオーバースペック。ならば余計な性能を積んでさらに値段を高くする必要などない、という発想は、実はユーザー目線で見てもそう間違っていないのである。私は、XperiaXZはバランスの良い隠れた銘機になりうると思っている。

[2630] Nov 10, 2016

性能、デザイン、ステータスの三位一体を見事に実現したアップル。高価ながら先進技術を惜しみなく注ぎ込んだモデルを次々と発表するサムスン。ハイエンド機に匹敵するほどの性能を格安で提供する中国メーカー達。激化するスマートフォン市場の中で、このたびソニーが打ち出したフラッグシップ「XperiaXZ」に複雑な思いを抱いた。2016年末に出たあのXperiaの最上級モデルが、メモリ3GB、フルHDである。定価にして半額以下のAxon7がメモリ4GB、Quad HDということを思えば悲しいスペックではないか。▼ただ、持ったときの感触の良さ、親しみやすさ、質の高さは感じる。価格競争には全くついていけていないが、スマートフォンを機能と見ず持ち歩く物として見るのであれば、Xperiaにもまだ独自の価値があると思った。Xperiaブランドが誇るのは他の追随を許さぬ性能ではなく、何か物としてしっくりくるという、職人の手作り的な魅力に変わりつつあるのかもしれない。

[2629] Nov 09, 2016

仕事のついでに朝から大統領選の行方を見守っていた。開票直前までは多くのニュースやメディアがクリントン有利と伝えていたし、支持率調査の数字などもそれを裏付けていたのだが、いざ開票してみると想定外にトランプの勢いが強い。クリントンサイドの死守州はことごとく接戦に持ち込まれ、昼頃、フロリダまでトランプに落ちた。このときはさすがにフロアからも歓声と嘆息が聞こえてきた。▼結局、フロリダのみならず、当選ジンクスのあるオハイオ、ノースカロライナ、ペンシルバニアと、ほとんどの「激戦区」を失った民主党に道はなかった。共和党の完全勝利。トランプ大統領の誕生である。私は政治に疎いし、まして国際政治となるとさして知ったかぶることもできないが、自分の会社や業界に、ひいては私の給料に、何かよからぬ影響がありそうだということはわかる。キャンペーン中に吐いた彼の数々の暴言が、票集めのためのビッグマウスであったことを祈る。

[2628] Nov 08, 2016

予告通りApple Pencilについての雑感を書く。▼遅延について。いまだかつてないほど反応は良いが、全く遅れがないというほどでもない。違和感なくメモを取れるという点では実用に値するが、「紙とペン」に錯覚するほどのレスポンスを得るためには、もうひと頑張りレイテンシを詰める必要がある。▼触感について。人によっては気にならないのだろうが、硬い表面に硬い筆先を滑らせるのは思いのほか書きにくかった。つるつるして筆先が止まらないので、どうしても字が乱れる。また、筆先の浮かしが足りないせいか、あらぬところが繋がってしまったりして、書道で書くような漢字になってしまうのも面白くない。はっきりいって、手書き入力はまだ圧倒的に英語向きである。日本語を書くには無理がある。▼ペンそのもの。丸すぎるし滑りすぎる。もうちょっと普通のペンに学んでもよかったのではないか。本体に収納することもできないので、管理しにくい印象を受けた。

[2627] Nov 07, 2016

昼休み。さっそくiPadを触りに行く。▼まずは12.9インチのサイズ感を確認。でかい。当初は重さがネックと思っていたが、実際に買うかもしれない前提で触ってみると重さよりデカさに怯む。ノートであれディスプレイであれ大画面が好きな私でさえ、ちょっとためらう大きさである。膝の上で使うならともかく、左手に本体、右手にペンを持って文字を書く格好では、とても長い時間は耐えられそうにない。ノートよりもホワイトボードに近い感覚だ。▼一方、9.7インチ。これは手にしっくりくるが、ディスプレイの実面積は約291.4平方cmしかない。A5の紙が約310.8平方cmなので、それより小さいことになる。したがって、こちらはノートよりもメモ帳に近い感覚。勉強ノートとして十分な情報量を確保できるかは疑問が残る。▼公式によると来年に10.5インチの中間モデルが投入されるそうなので、待ってみるのも手かもしれない。ペンの手触りについては明日の記事に回す。

[2626] Nov 06, 2016

受信用デバイスひとつ。送信用デバイスひとつ。このアイデアは今でも正しいと思っている。しかし今、ここに無視できない別の需要が現れた。勉強用デバイスである。▼ふいに外で時間が出来て、さて勉強の続きでもしようかと思ったとき、書籍は手元にあるがノートが無いので、どうもやる気が起きない――そんな状況はしばしばある。とくに章立ての参考書などでノートを取っている場合、外で章を進めてしまうとノートが飛び飛びになってしまう。これは地味に不愉快だ。▼したがって、学生の頃から親しんできた、B5よりA4の方が好みだと言ったばかりの、あの「ノート」こそが、デバイスとして仮想化されるべきなのではないかと思い始めてきた。EvernoteやOneNote、手製PHPのオンラインメモなど、何度も何度も挫折してきた道のりだが、時代が早すぎてデバイス性能の方が追いついていなかったという事情もある。第三のデバイスを検討する日が来たのかもしれない。

[2625] Nov 05, 2016

せっかくラップトップがあるので、Civ6が起動できるか試してみた。性能はともかく解像度は3K。プレイに支障はないはずだ。▼結果。起動できるし、プレイできるが、二つの理由でつらい。一、ターン終了から次のターン開始までが長すぎる。さすがに演算能力が追いついていないということか。最初からラップトップでプレイしていれば気にならないのかもしれないが、先にデスクトップでプレイしていると待ち時間の長さに少々げんなりしてしまう。二、爆熱。予想の斜め上を行く熱量。CもGも全力で稼働すると、ここまで熱くなるのかという発熱ぶり。これからは冬なので膝は構わないが、本体側の寿命は確実に削られている。そこまでして外で遊びたいかと問われれば首肯しがたい。▼結論。外ではシヴィロペディアを見て勉強する程度がよかろう。やりたいことをいつでもやれるようにするのではなく、適した時間に適した行為を行うことこそタイムマネジメントである。

[2624] Nov 04, 2016

血液検査。大きな異常はないが、尿酸値が高いと言われた。前に検査したときも同じことを言われた覚えがある。とすれば、ここのところ明太子を食べすぎたから、とばかりも言えまい。慢性的に尿酸値が高くなっている可能性がある。ただでさえ満身創痍なところへ痛風などまっぴらごめんだ。▼ラーメンの頻度は以前より減らしているし、甘いものを完全に断つことは出来ないので、ひとつ取り掛かりやすいところから――ということで、しばらく禁酒令を出す。せっかく旨い酒をもらったところだが、ひとつ二百円もするロックアイスを買ってきてまで堪能したし、山崎の方はすぐ駄目になるものでもない。運動と禁酒で種々の数値を取り戻した後、自分へのご褒美として改めていただくのがよかろう。もちろん節度を持って。リバウンドしては意味がない。▼勉強もしたい。運動もせねばならない。子どもとも遊びたい。無論、仕事も大事。三十代とはかくも大変な時期であるか。

[2623] Nov 03, 2016

動くに動けない一日。ぼちぼちCiv6を遊んでいたら、なんだかんだで神難易度もクリアしてしまったので、改めて高難易度を総括する。▼観光出力約700での文化勝利。隣のアラビアが宇宙を狙っていたが、全都市に散らせたスパイで妨害しつづけた結果、パーツが完成することはなかった。自分の勝利を盤石にするため武力に訴えるという行動を取らないところが、今回の終盤のAI最大の弱点だと思う。序盤こそ好戦的だが中盤以降は非難声明ばかりでちっとも攻めてこない。こちらの勝利を潰しにも来ない。勝利を目指す気概に欠けている。▼都市拡張さえ上手く行けば、不死や神でもスコア差や研究力差以上に勝機があると見て良いので、挑戦中の人がいたら諦めずに最後まで戦ってみて欲しい。宗教勝利さえ警戒していれば科学勝利はある程度妨害できるので、時間を稼いで先に宇宙に逃げるも良し、文化で押し切るも良し。楽勝とまでは言わないが、前作ほどきつくはない。

[2622] Nov 02, 2016

座業の宿命か。臀部に違和感を覚えたので病院へ行くと、軽度ながら痔であった。正式名称、血栓性外痔核。要するに血豆である。皮膚の中にあるうちは良いが、皮膚の外に出てくると日常生活もままならないほど痛くなるらしい。日帰り手術を推奨されたので、それではお願いしますということで、危なっかしい血栓にさっさと別れを告げた。軽度なうちに処置できたおかげで、想像ほどは痛くなかった。▼しかし、術後に麻酔が切れて来るとさすがに痛い。歩くのも痛い。痛み止めはもらっているが、幼児期に喘息を患っているためロキソニンが処方できないということで、安全だが少々心許ないいつもの痛み止め、カロナールである。しかも体験者の話を聞く限りでは、術後の排便は手術を後悔するほど痛いとのこと。なんとも不安な駆け出しだがメスを入れてしまったものは仕方がない。明日の祝日と土日を活かして安静にさせていただく。とんだ経験値を積んでしまったものだ。

[2621] Nov 01, 2016

会社で使う「業務ノート」が六十冊目に到達。この恐るべき冊数はメモをこまめに取るからではなく、人に何かを伝えたり、考えごとをしたりするとき、いつもノートに落書きをするクセに起因している。いくつかの丸と線が大きく書かれただけのページ、唐突に現れる謎のグラフ、頭の中身をぶちまけたような文字だらけの一角。控えめに言って、九割はもはや解読不能である。解読不能なものを残しておいても仕方がない。なので、定期的にシュレッダーにかけている。▼六十冊目から趣向を変えてA4ノートにしてみた。学校や家ではA4派だが、会社ではデスクスペースの都合上B5ノートを使っていたのだ。しかし、六十冊目で今更感はあるが、B5はやはり絵を書くには狭い。フローチャートを書くにしても、対岸の相手に見えるほど大きく書くには広いA4の幅が適している。ついでにペンも青ペンに変えてみた。これはまったくの眉唾だが、リラックス効果があるらしい。

[2620] Oct 31, 2016

思っていたよりあっさりではあるが、宣言通り不死難易度をクリアしたので、勝利目的のヘビープレイを一旦終わる。ここからは難易度を再び落として内政・戦争の研究をするのがよかろう。一度も使ったことのない政策、一度も生産したことのないユニット、まだまだ山ほどある。▼AIについて。はっきり言って頭は悪い。もともと高難易度は出力が高いのだから、あまり小賢しいことをせず科学特化、戦争特化で得意分野に注力すればそれだけで厄介な存在になるはずだが、そういうわけでもなく、どの指導者も中途半端に全方面で立ち回ろうとする。そのせいで終盤の勝ち切る力が妙に弱い。皇帝、不死、ともにしんどいのは最初の蛮族と初期宣戦だった。中盤まで生き残れれば勝算は高い。▼これだけゲーム要素が増えてくると、賢いAIを作ろうとしても上手く立ち回れず裏目に出るのだろう。戦争もあまり上手いとは言えない。Civ4の頃の方がAI指導者は強かった印象だ。

[2619] Oct 30, 2016

Civ6、ひとまず皇帝難易度をクリア。中国・始皇帝での科学勝利。序盤の蛮族対策こそ大変だが、中盤以降は科学と文化だけでも気をつけて最適化していれば、安定しない難易度ではなさそうだ。ただ、恐らく数ターンの差でスキタイの宗教勝利が危なかった。文化勝利同様、気づいたときにはもう止められないタイプの勝利なので、宗教大国は侮らず先手の対策が必要だ。要するに、滅ぼしに行かなければならない。▼続いて今は、不死難易度で勝算四割程度のゲームを進行中。文明競争する以前に蛮族があまりにも酷いので、序盤を安定させるためシュメール・ギルガメッシュを使っている。彼以上に高難易度で序盤をこなせる指導者はいないだろう。目指す勝利の形は決まっていないが、基本的には科学勝利が厳しければ文化勝利という二段構えの戦略で行く。時間もあまり取れないので最高難易度クリアにこだわるつもりはないが、せめて不死くらいは安定するまでやってみたい。

[2618] Oct 29, 2016

最近、ディクテーションやシャドーイングに興味がある。学生の頃と違って机に向かう時間があまり取れないので、通勤中、つまり歩きながらや電車に乗りながらの勉強が求められるわけだが、揺れる車内で単語帳や参考書の活字を追うよりは、耳での学習の方が集中しやすい。▼ディクテーションは通勤と相性が悪そうだが、ラップトップを活用すると捗るという話を聞いた。聞き取った文章をタイピングで打ち込んでいくわけだ。スペルミスの訂正がしやすく、スクリプトの参照などもラップトップ内で出来てしまうため、意外とノートに書き出すより効率が良いらしい。理にはかなっている。▼シャドーイングはこそこそ声で。さすがに電車内で独り言を言うわけにもいかぬ。妙な発音のクセがついてしまう可能性はあるが、得られるものも大きいので目を瞑ろう。イヤホンをして、ラップトップに何かを打ち込みながら口を動かしている怪しい人がいたら、それは私かもしれない。

[2617] Oct 28, 2016

お風呂とストーブの季節になってきた。ついに今年も冬である。▼毎年、冬と言えば繁忙期であったが、今年はプロジェクトの立ち上げに重なったおかげで、比較的ゆとりのある年末を迎えられる。子どもとも遊びたいし、曲も進めたいし、Civ6も神難易度とは言わないまでも不死くらいはクリアしたいし、英語の勉強も継続したいし、やりたいことは山のようにあるから、ゆとりはあっても暇することはないだろう。もちろん飲み会も増えてくる。疲れ方は全く違うにせよ、仕事が繁忙でなければプライベートが繁忙になるだけという見方もありそうだ。▼ときに、こう実際に肌寒くなってくると、子どもの夏生まれが親孝行と言われた理由もわかる気がする。お風呂のときにいちいち脱衣所を温めておく必要もないし、広い場所で悠々と着替えも出来る。ミルクを作りに台所へ行くのも、冬の寒い夜に比べればなんてことはない。暑さを嫌う暑がりな私だが、今年は夏に感謝している。

[2616] Oct 27, 2016

Civ6では斥候が犬を連れている。アイコンも犬のマークだ。ところが、この斥候を戦士や投石兵で倒すと、斥候は倒れて死ぬのに犬だけは無傷のまま残り、何のモーションもなくゆっくりとフェードアウトで消えていく。よく見ていないと気づかないが、確かに犬は死なない。▼実は馬も同じである。騎兵に跨っている兵士は落ちて死ぬが、馬は死なずに画面の外へ逃げていく。明らかに意図的だ。動物愛護団体からのクレームを警戒して、ゲーム中では決して動物を死なせないという方針を取っているのだろう。そういえばCiv4には蛮族の前哨戦としてライオンや熊などの動物がいたのに、前作からは登場しなくなってしまった。動物なんて、出さなくて済むなら出したくないというのが本音かもしれない。しかしだとすれば、わざわざ斥候が犬連れである必要こそない気もするが……。▼声の大きい人たちのためにゲームの表現や仕様が捻じ曲げられていくのは、あまり面白くはない。

[2615] Oct 26, 2016

prevent、hinder、hamper、deter。ニュアンスは違うが、全て「妨げる」という訳が可能な単語である。▼単語帳や辞書だけで勉強している限り、これらの単語を使い分けることは難しい。しかし、だからといって「妨げる」という表現がしたいとき、どの単語も発しないのでは本末転倒だ。たとえ文脈に適切でなくとも良いから、どれかひとつは口に出したい。そういうとき私たちが口にするのは、候補の中で最初に習った単語ではないかと思う。上の四つならpreventを選択する人が多いのではないだろうか。なぜならpreventは受験英語に頻出だが、他の三つはどちらかというとTOEICやTOEFL寄りの語彙である。受験から社会人英語というありがちな道を辿ったなら、必然的にhinderやdeterよりpreventの方が口に出やすいということになる。▼教育の順序が発話に影響する。つまり、初学者の話す英語の語彙は、実は国によってけっこう個性があるのではないか。そんな雑談をした。

[2614] Oct 25, 2016

Galaxy Note7が今も各地で火を吹いている。サムスンは原因の特定に手間取っているらしく、後継機も爆発の可能性を秘めたままリリースされるのではないかと懸念されるような状態だ。スペック上は現時点で最強クラスの名機。予算さえ潤沢にあれば買っていたかもしれないだけに、人生何がさいわいするかわからない。▼一方、予算がないことで選ばれた私のAxon7は日々順調に働いてくれている。ローンチ価格の399ドルは破格と言うしかあるまい。敢えて難点を挙げるなら、GPSの掴みが悪いことと、カメラのカバーガラスが外れやすいこと。それから一部のアプリからは脱獄済みと見なされてセキュリティに弾かれてしまうことがある点も、購入を検討するなら考慮に入れた方がいいだろう。ポケモンGOやツムツムをプレイすることがメインの人にはオススメできない。むしろ動画と音を楽しみたい人に向いている。バックドア云々が気になる人はもとより買わない方が良い。

[2613] Oct 24, 2016

しばらくはCiv6の雑感を定期的に投下していく。今回は不満点について。▼指導者、難易度などのゲーム作成設定が保存されない。同設定で何度もやり直すのはよくあること。なぜ毎度設定しなければならないのか。どうして前作まで出来ていたことが出来なくなっているのか。▼ユニットの自動選択。特定のユニットを行動終了すると、ワンテンポ遅れて別のユニットが自動的にアクティブになる。自動選択自体もいらないが、遅れのせいで他のユニットを移動させようとしたら別ユニットにアクティブが移って労働者や開拓者があらぬところへ行ってしまう。まさかオフにするオプションすら存在しないとは。テストプレイで何も思わなかったのだろうか。▼高難易度の蛮族とAIがやたらと好戦的。これはCiv5の初期〜中期もそうだった。第二都市を建てたばかりの頃に騎兵ラッシュなどされても困る。対応の手がほとんどない。「神」難易度はリセット祭りになる予感がしている。

[2612] Oct 23, 2016

出産祝いに獺祭・等外23と山崎18年をいただいた。どちらも大好きな酒である。ありがたく頂戴する。▼等外とは等外米を使用した酒のこと。等級米と違い粒が不揃いな等外米は通常酒造りに適さないと言われているが、旭酒造は敢えてこれを「獺祭」ブランドの新たなラインナップとし、従来の「獺祭」に使う等級米と、この新商品に使う等外米を同時に買い取る約束を結ぶことで、山田錦生産者の歩留まりを向上させ、一方で常に品薄な獺祭を待ち望む消費者には、訳ありだが手頃に獺祭の味を楽しめる選択肢を提供したわけである。三方三様得の妙手と言えるだろう。尚、瓶にも記されている通り、等外米の注意点は味の劣化が早いこと。生産から一ヶ月以内には飲んで欲しいと書かれている。もちろん味はちゃんと獺祭なので、さっさと飲んでしまう人には魅力的な選択肢だ。▼山崎18年の方はどうか。これは言うに及ばず。文句なく旨い。響21年が超えられるかどうか。

[2611] Oct 22, 2016

アシックスのスニーカー、二代目を探している。ランニング用に購入した初代は思いがけず履き心地が良く、ちょっとした外出や休日出勤などで活躍してくれた。スニーカーとは横幅が狭く私の足には合わないモノ、という若い頃からの思い込みを一蹴してくれたメーカーである。とにかく横幅が広くて痛くない。▼アシックスのランニングシューズには2E相当の「レギュラー」と4E相当の「スーパーワイド」がある。いつも横幅で靴を諦める身にとって後者の存在はありがたいが、同じ型番でもSWになるとデザインが変わってしまうのは痛手だ。気に入ったデザインが片方しかなかったりすると悩みの種になる。実はSWも4Eと言うほど広くはなく、どのみちシームレスなので2Eとそこまで履き心地に差はないのだが、少しでも締め付けが強ければそれだけ足も靴も痛みやすい。28のSWか、28.5のレギュラーか。ABCマートで試着をしながら私も目下検討中である。

[2610] Oct 21, 2016

CivilizationVI、ついに到来。時間は少ないが、早速プレイしてみた。指導者は適当に選んだクレオパトラ。以下、雑感。▼とにかく情報量が多い。常に多方面へ気を配らないと文明の成長速度に大きな差が出る。傑作や宗教といった前作終盤の要素をまるまる残したまま、設備、住宅、政府の要素が追加されたことで、序盤といえども最適解を探すことが極めて難しくなっている。時は中世。すでに頭がパンクしそうである。▼グラフィックはリアルからトゥーンへ。また、都市の表現力が大きく向上した。建設物によって様相が変わるので、アップで見るとそれなり楽しめる。▼UIと操作感はまずまず。ただ、探索済みエリアと視界内が明確に色分けされているのはありがたいが、探索済みかつ視界外と未探索エリアの色味が似すぎていてややこしい。前者は灰色とかにしてもよかったのではないか。▼まとめ。シリーズ最難と言ってもよい難易度。慣れるには時間がかかりそうだ。

[2609] Oct 20, 2016

英単語学習について。同じ未知の単語でも、何故かすんなり覚えてしまう単語、いつも意味を勘違いしてしまう単語、何度見ても忘れてしまう単語、さまざまある。どれも意味づけと反復によって定着させていくことに変わりはないが、初見であっという間に覚えたきり永久に忘れることのない単語がいくつもあることを考えると、全てそう上手く行けばいいのにと思わずにはいられない。▼覚えやすさの差が何に起因するか、明確な理由はわからない。ただ、些細なことでもいいので、単語にひとつTipsを紐付けておくと記憶には残りやすいだろう。たとえばrebateは「払い戻し」と訳せるが、refundが全額の払い戻しであるのに対して、rebateは一部の払い戻し、つまり割戻金に近いニュアンスだという知識にまで手を伸ばしておけば、rebate=払い戻しと暗記したときより長く記憶には残るはずだ。覚えやすい語は、頭の裏側でこういう紐付けが勝手になされているのかもしれない。

[2608] Oct 19, 2016

いくつか面白いポッドキャストを見つけたので、最近は会社の行き帰りに日替わりで聴いている。映像モノと違って、乗り換えのときにいちいち止める必要がないのはたいへん勝手が良い。▼リスニングはポッドキャスト、ボキャブラリーは単語帳、テスト対策は「特急」シリーズ、リーディングはKindle Unlimitedで読めるハリーポッター英語版、それとこのところ時間がないことを言い訳に読んでいなかったHBR。各方面、無理なく習慣化できるアイテムが揃ってきたように思う。強いて言えばスピーキングの強化は抜けているが、これは独学独習がもっとも難しいところ。英語カフェのような「話せる場所」へ足を運ばなければならないが、そこまで本腰を入れるつもりは今のところない。仕事と趣味の両方で、英語での情報収集やフォーラムへの投稿がスラスラ出来ればこと足りる。話す力は喫緊の要求ではない。▼一日二十四時間。使える時間は限られる。有効に活用したい。

[2607] Oct 18, 2016

満を持してのPSVR。社会現象とは言えないまでも、転売屋が跋扈する程度には動きがあった。ブームの兆しはある。あとは兆しが光になるかどうか。▼VRの「酔い」については、酔う人、酔わない人がはっきりとわかれる。大丈夫な人は小一時間没頭しても何事もないが、駄目な人は五分で吐き気がしてくる。残念ながら私は後者。それなり練りこまれたと思われる製品のカメラでも、到底十分以上耐えられる気がしなかった。先日、車酔いで吐いたときと全く同じ症状である。胃に空気が溜まったような感覚がして、やがて強い嘔吐感に襲われる。▼さらに苦しいのは、この吐き気がVRをプレイしているときだけでなく、VRから現実にもどってきたときも再現してしまうことだ。つまり、今度は現実のビューイングが気持ち悪く感じるのである。体験者の中で二番目に重症だった私は、完全回復まで二時間かかった。これが本当に流行るのか。今のところ極めて懐疑的である。

[2606] Oct 17, 2016

TOEICの参考書を見ると、本の名前に「860」や「990」といった数字がやたらとついている。そうして、試みに某990と名付けられた本の裏面を見ると、小さく「対象レベル:スコア730から」と書いてあったりする。▼もちろん、今現在730点の者が990点を目指す本、と捉えても間違いではあるまい。しかし「990」の名前を冠しつつも、コンテンツのレベルはせいぜい800点前後しかない本が溢れているのも事実である。▼なぜスコア表記が誇張されるのか。理由は二つありそうだ。一、学習者は自惚れ屋であるので、目標を高く持つという大義名分のもと、高いスコアの記された本に手が伸びやすい。立ち読みしてみて「これなら行けそう」と思えば、つい買ってしまう。二、学習者は見栄っ張りなので、どうせ同じ程度の内容なら、より高いスコアの記された本を公共の場で広げたいと思っている。その方が格好がつく。▼さて、果たして邪推かどうか。

[2605] Oct 16, 2016

会社の健康診断。詳細なレポートはまだ来ないが、その場で測定された視力については気がかりな結果となった。眼鏡をかけた状態で、左が0.7、右が0.3。去年の測定では左が0.5、右が0.4だったが、今更視力が良くなるとは思えないので、単にコンディションが悪かったのだろう。しかし右目は明らかに見え方が悪い。▼試しに室内で片目ずつ、遠くの文字を読もうとしてみたら、左目なら楽々読める貼り紙の文字が、右目では全く滲んで見えなかった。残念ながら0.7/0.3という測定値は体感に合っている。どうして右ばかり悪くなってしまったか。心当たりはない。▼調べた限りでは、一、効き目は酷使するので視力が落ちやすく、二、両目の視力に差が出ると悪い方の目は使わなくなるため、さらに視力が悪化してしまう傾向がある、とのこと。一と二がそもそも矛盾しているような気もするが、私の効き目は左なので一は当たらない。今後は二が不安である。

[2604] Oct 15, 2016

横浜DeNAベイスターズのシーズンが終わった。敗退は悔しいが、クライマックスシリーズ初出場、しかも三位でファイナルへ駒を進められたのは素直に上出来と思う。無得点での敗退も阻止し、最後の最後まで食らいつく意地を見せてくれた。間違いなく良いチームになっている。優勝の年も遠くはないだろう。▼さて、ここからはストーブリーグの季節である。最大の関心は山口俊。果たして残ってくれるかどうか。くわえて残留が気になるのはエリアンとモスコーソ。財布だけでなく外国人枠とも相談になるが、個人的にはどちらにも残って欲しいと思っている。▼他方、投高打低と言われながらも全体的にレベルの高いドラフトは、例年通り投手中心で攻めるのか、それとも今年の高山のような活きの良いルーキーバッターを見出しに行くか――。そんな諸々をファン同士、あるいは球団の垣根を超えて云々し合う、見えざる冬のリーグが始まる。試合はなくても野球は忙しいのだ。

[2603] Oct 14, 2016

sleek。なめらかな、流れるような。sober。地味な、落ち着いた。▼最近単語帳で覚えた形容詞だが、どちらも覚えてから二日以内に動画で耳にした。sleekはAxon7のレビュー動画で「sleek design」だと言われ、soberは同じくスマホのレビュー動画でgoogleのPixelが「sober design」だと評されていたのである。どちらも知らなければ聞き流していただろう。聞き流しているうちは、sleekやsoberの意味はなかなかわかりそうにない。単語力がリスニング力に直結することを実感した一幕である。▼もうひとつ。「近いこと」を意味するproximityも単語帳で見た名詞だが、こちらはいまいち意味がわからなかった。近いことって何だ。こんな単語に出会うことがあるのだろうか。訝しんでいたら、あっさり数日後に出会った。これもスマホのレビュー記事。proximity sensorによって自動的に通話モードに切り替わるという文脈であった。つまり、近接センサーということであろう。

[2602] Oct 13, 2016

これまでさまざまなディスプレイを趣味用、仕事用ともに使ってきた。そのささやかな経験から、ベストなディスプレイについて暫定的な結論を下しておく。▼第一に、27インチ以上か未満か。これは画面までの距離による。手を伸ばしても手首が届かないくらいの距離まで遠くに置けるなら27インチ以上も可。そうでないなら25インチか23.8インチを検討すべし。▼第二に、解像度。27インチ以上はWQHD、未満はフルHD。動画制作など特殊な作業を除けば4Kは通常不要。「拡大」設定に対応していないアプリが多く、文字の大きさ・太さのばらつき、キャプチャの不具合など、悩みの方が多い。▼第三に、光沢の有無。観賞用ならグレア、作業用ならノングレア。テレビ代わりに使うのでなければ、ノングレアの方が目には優しい。▼最終的には、家を27インチWQHD二枚、会社をWQHD一枚と支給品のSXGA一枚のデュアルにしたいと思っている。ただし、ヘッドフォンよりは後回しである。

[2601] Oct 12, 2016

子どもが泣き止まない。▼私もかつてはそうだったらしいが、とにかく泣く。いつも起きて泣いている。ひとりで機嫌よく横になっているということがまずない。酷いときはまるまる一日中起きていて、お腹がいっぱいだろうとなんだろうと泣きつづける。一般に、赤ちゃんが泣き止まないときは一に空腹、二におむつ、三に室温、四に体調を疑えと言われているが、今も大泣きしている彼は、満腹でミルクも飲もうとしないし、おむつは綺麗だし、室温はいつも通り適温だし、体温は平熱である。そうして抱っこしていても尋常じゃない泣き方をしている。かれこれ二時間くらい泣いている。▼二ヶ月くらいになると「理由もなく」泣きたいから泣くこともあるそうで、あまり無理に泣き止ませようとしない方がいい、とも言われたが、そうは言っても心配になるのが親心というもの。朝まで泣き通されてはこちらの気力も持たないし、もうひとつ、何かヒントが欲しいところではある。

[2600] Oct 11, 2016

愛用のヘッドフォン、ゼンハイザーのHD650。しかしこの頃、左耳から異音がするようになってきた。とくに椅子から身を起こしたときなど、物理的に移動したときは激しいノイズが聴こえてくる。ダイヤフラムの異常か、あるいはコイルの不具合か、何の検討もつかないが、六年間も酷使してきたので、そろそろガタが来てもおかしくない時期ではあるだろう。買い替えが近い。▼次の機体候補は現状三つ。一つ目は再びHD650。長い付き合いだが不満は欠片もないし、掛け心地も良い。変えて失敗するくらいなら安牌である。二つ目は素直にグレードアップさせてHD800。予算捻出は至難だが、新世界が開ける可能性はある。HD800Sは価格差ほどの価値を見出せないので見送ることになりそうだ。最後に、三つ目はベイヤーダイナミックのT1。聴くジャンルにも合うし、以前からテスラドライバーには興味があった。セカンドジェネレーションである必要はない。

[2599] Oct 10, 2016

クライマックスシリーズ、ファーストステージ最終戦。素晴らしい試合だった。贔屓の眼鏡を外し、初出場のCSという文脈から切り離しても尚、名勝負と言うべきだろう。今年のベストマッチと言っても過言ではない。最初の大舞台でこれだけの熱闘を披露してみせたベイスターズは、もう胸を張っていいと思う。▼標準的なハイライトはロペスの先制2ラン、阿部の同点2ラン、関根の犠牲フライ、村田の同点ソロ、そして最後のバッター阿部のライトフライというところだろうが、私の選ぶベストシーンは9回ウラ、ノーアウトランナー1塁で投じた田中健二朗の牽制だ。巨人の切り札、盗塁成功率100%を誇る走塁の天才・鈴木尚広を見事に刺した値千金の牽制アウト。これがなかったら延長戦を待たずに試合終了だった可能性は高い。シーズン中には決して見ることのできなかった、しびれる場面である。▼とにかく両チーム死力を尽くした総力戦だった。勝利できて嬉しい。

[2598] Oct 09, 2016

早朝。ちょっとしたトラブルで大雨の横浜を走り抜け、昼前に帰宅してから再びハマスタへ。同僚と連れ立って、赴くは特設の球場外ビアガーデンである。▼雨上がりの芝。三十分前に到着するも、ビニールシートエリアは当然のように満員だった。千人をゆうに越えると思われる立ち見客。その列に加わって、ベイスターズラガーと屋台の(あまり美味しくはない)軽食をいただきながら、現地の中継を観る。ミットに球の収まる音が鋭い打球音に聞こえるようなスピーカーの具合に誑かされて、外野フライがことごとくホームランに思えたため、梶谷、ロペス、筒香、宮崎。何度もぬか喜びさせられた。最後の最後、下園の鋭い打球もしかり。打った瞬間立ち上がる千人超――そして落胆する千人超。▼負けはしたが見ごたえのある試合ではあった。とくに七回を二安打で抑えきったあの今永の勇姿は、深くファンの心に刻まれたことだろう。明日はファースト最終戦。絶対勝ちたい。

[2597] Oct 08, 2016

吐いた。十年ぶりくらいと思う。少なくとも「400」を開始した2009年8月以来はなさそうだ。記憶にも記録にも残っていない。▼ところで、食べたものをほとんど全て戻してしまった後、ふと考えた。今日は明らかに食べすぎてしまったが、消化される前に吐いたのだから、これは結局カロリーを摂取していないことになるのだろうか。▼答えはイエス。何にせよ身体に吸収されていないのだから、端的に言えば摂取カロリーにはカウントされない。しかし恐ろしいことに、それなら食べたらすぐに吐いてしまえという「嘔吐ダイエット」なる危険な行為があるそうだ。当然、高確率で摂食障害の引き金になり、進行すればうつ病、身体的にも食道炎や胃炎を引き起こし、免疫系も疲弊し……と心身ともにロクなことがないので、ダイエットなどと呼べる代物ではなく、ほとんど自傷行為である。好きなだけ食べたいが運動せずに痩せたいという歪んだ要求の成れの果てであろう。

[2596] Oct 07, 2016

ドラマや映画の視聴はリスニングの強化にあまり効果的でない。そんな英語学習ノウハウの記事を見た。その真偽を云々できるほど私はリスニングに通じていないので、立場はあくまで中立だが、的を射た指摘も多いので要点を摘んでおく。▼一、束縛される時間に対して、英語を聴いている時間が実は少ない。ストーリーものには「地の文」にあたる無言のシーンが不可欠だ。一般に、二時間の映画で英会話を聴いている時間は一時間以下だという。二、ドラマや映画の英語は自然な英語ではない。ちょっとした会話でも気の利いた表現やユーモアが散らされすぎて、全く意味がわからなかったり、自分で使いこなすには難しすぎたりする。三、映像を見つづけていなければならないため、時間を強力に拘束される。つまり「ながら聴き」が出来ない。通勤中に観るとしても、乗り換え中は止めざるを得ないだろう。▼通信量を著しく消費するという「四」を足してもいいかもしれない。

[2595] Oct 06, 2016

先日病院で盗まれた軽量の80cm傘を再購入して、ひきつづき愛用している。足が濡れない雨は素敵だ。もっと早くに買っていれば、疎ましい気持ちで形成されてしまった雨の心象風景も、今とは違ったものになっていたかもしれない。▼ときに、この傘を出勤路でたまたま一緒になったシンガポール出身の先輩に自慢したところ、「そう、私はこれが傘って思う」と予想外の返事が帰ってきた。曰く、シンガポールから日本に来た人がみんな驚くことのひとつに、「傘が小さい!」という感想があるのだそうだ。高温多湿、雨季は毎日が雨模様で、乾季もスコールに見舞われる彼の国では、日本で標準的な60〜70cmの傘など役者不足も甚だしいということだろう。土地がなく道の狭い日本では、大きい傘が迷惑になりやすいという事情もあるかもしれない。▼ただ、私が購入を見送ったメガブレラ――90cm傘については、サイズ感を手で伝えると、それはさすがに大きすぎ、と笑っていた。

[2594] Oct 05, 2016

本格的に通勤で新携帯を使ってみて。▼第一の感動は、行きと帰りでフルに動画を見ても耐えられるバッテリー。会社で充電しなくても帰宅時に30%は残っている。充電は夜だけでいい。第二は、本当にオーディオプレイヤー要らずの高音質。クラウドストレージ経由で曲の確認が楽々出来るのはありがたい。もちろん、動画を見るに際しても嬉しいポイント。第三は、ウェブ閲覧時の視認性の高さ。調べ物をするのが億劫にならない。一度大画面を使ったら戻れないと言われる所以もわかる。次の端末も5.5インチ以上になりそうだ。▼難点はポケットの中での存在感と、通信量か。大容量プランを選んだとはいえ三日間ですでに2GB以上使用している。月間20GBペースである。ただ、ここ三日は実験的に動画ばかり見ていたが、本を読んだり将棋をしたり、寝たりする日も当然あるのだから、工夫すれば12GB以内に抑えてメインSIM一枚で運用することも可能だろう。

[2593] Oct 04, 2016

既存コードの視認性を高めるべく、テンプレートで小細工が出来ないかどうか諸々試すデバッグコードを書いていたら、ビルドエラーの嵐になった。先輩と喋りながらちょこっと書いてはビルド、といういい加減な手順でやっていたとはいえ、単純に返り値が抜けていたり、ただ括弧がなかったり、テンプレート特殊化の構文が間違っていたり、なんとも凡ミスだらけである。コーディングも英語と同じ。長く使っていなければ、かくも鈍るということだ。▼もちろん、こんななまくら刀では仕事にならぬ。慣らし運転はさっさと終えて、真剣な作業に入らなければならない。勤続六年、ようやく巡ってきたシステム最下層の完全再設計チャンスである。私のコーディングスキルを信頼してもらえたことは嬉しいが、今作のみならず今後の品質も左右する大仕事。責任は重大だ。十分なリサーチと執拗なテストで、最高に頑健な、そして必要十分な、可読性の高い基礎クラス群を作りたい。

[2592] Oct 03, 2016

来年。忙しくなると予想される時期が大幅に変更された。九月あたりから年末にかけての秋冬と思われていた最繁忙期は、半年ほど倒しされて三月から八月となる。特にピークは五月以降だろう。▼忙しくなって潤うのは願ったりだが、最大の悩みどころは保育園。嫁の育休が短くなるリスクをとっても、立地の選びやすい来年四月を入園時期の第一候補に考えていたが、まさにその時期から繁忙期とあっては、二人とも働きはじめると同時に慣れない保育園通いが開始、しかも私は遅くまで帰らないという唐突な修羅場が訪れてしまう。一方、育休を一年に伸ばして八月までとすると、今度は保育園の選択肢が減る。しかも下手をしたらマスター直前という時期に、保育園探しに奔走しなければならないかもしれない。そうして、万が一入園できないとなったら……。▼よって、一年半延長も視野に入れつつ再検討を行う。依然として来年四月が有力とは思うが、軽々には決められない。

[2591] Oct 02, 2016

本日は「すた丼」にチャレンジ。豚肉、にんにく、あらびきブラックペッパー。休暇明けの仕事始め、ひとつ景気をつけるにはちょうどいい。▼味のことだけ考えればしゃぶしゃぶ肉で作りたいが、財布とも相談してアメリカ産の豚ロース(徳用)二割引を選択。みりんと酒と味覇とおろしにんにくとを適宜混ぜ、湯通しした豚肉に炒めたネギを絡めて塩コショウで軽く味付け。味付け海苔を乗せた硬めのご飯にこれらを投下し、最後に温泉卵とたくあんを添えれば完成である。▼さて、味は。うん、とても薄い――我が家は基本的に薄味志向なので、このたびは敢えて本家「すた丼」のような濃い味にすべく、入れすぎと思うくらい各種調味料を入れてみたのだが、全く足りなかった。いったい店ではどれほど塩分を入れているのか、空恐ろしくなる。薄いなりにまとまった味ではあるので、無理に店味に寄せる必要はないのだが、平凡な肉ご飯になってしまったのはちょっぴり悔しい。

[2590] Oct 01, 2016

第2期叡王戦、本線第一回戦、羽生三冠vs山崎八段の棋譜を見る。横歩取りから開戦した空中戦、相手の喉笛を狙い合う桂馬の飛び合い、終盤に入っても尚詰め切れず、起死回生の角から精算して仕切り直し、161手の激戦を制したのは、やはりというかなんというか、来る年も来る年も衰えつづけて未だ全盛期の羽生三冠であった。かなり見ごたえのある棋譜である。▼現実味を帯びてきた羽生さんと将棋AIの真剣勝負だが、私は見たい気もするし見たくない気もする。正直、今のAIが何の制約条件もなく全力を出したら、どうあがいても人類では勝てない。もはや人間vsAIの思考ゲーム対戦は、AI側にどういう枷をかけるかという段階まで来てしまっている。ディープラーニングはデータ量と階層を増やせばいくらでも強くなるのだから、勝負の結果がどうあれAI側が「全力」でない以上、誰をどう褒め称えるべきか、戸惑う結果になってしまいそうな気がするのである。

[2589] Sep 30, 2016

今日PCを立ち上げたら、ウインドウズに大きな更新が適用されたらしく、「ただいま準備しています……」というインストール時のような全画面ガイダンスが流れた。そうしてトップページに辿り着くと、まず目についたのはEdgeブラウザ。私は諸事情により今でもIEを常用しているので、タスクバーの左端はIEに設定していたのだが、これがなぜか勝手にEdgeブラウザにすり替わっている。不穏な空気が漂う。▼次に、スカイプアイコンが消えている。どうやら統合版が勝手に優先されているらしい。さらには前に無効化したはずのCortanaが復活している。他にも、WebとWindowsを検索ボックスが消えた。eLisencerが起動時にライセンス読み込みに失敗するようになった。管理者権限を持たないアプリからライセンスを認識しなくなる現象が発生するようになった、等々。▼要するに何もかも余計なお世話である。マイクロソフトがナルシズムから脱却できる日を心待ちにしている。

[2588] Sep 29, 2016

「!」。感嘆符、通称ビックリマーク。今日では小説にも違和感なく登場するほど言語に浸透してきた記号だが、この「!」について、ふと疑問に思ったことがある。書き順である。▼私は常に上から書く。線を引いて、点で止める。しかしそう書いてながら、不思議なことに正しい書き順は点からなのだと思っていた。点から発したエネルギーが!と上に跳ね出すイメージである。実際、上から派と下から派、どちらの流派も一定数はいるようだ。では、本当のところはどうなのか。▼実は感嘆符の明確な起源はわかっていない。ただ有力な説は二つある。一、叫びを意味するラテン語"INCLAMATIO"を略して最初と最後のIOを縦に書いたとする説。二、ラテン語で感情の高ぶりをあらわす間投詞io(イオー)を同じく縦に書いたとする説。いずれにしても線はi、点はoであるらしい。とすれば書き順は上から下が正しそうである。イメージが文字化されたのではなく、略語だったわけだ。

[2587] Sep 28, 2016

赤ちゃんの微笑みには生理的微笑と社会的微笑の二種類がある。たとえば私の子どもは生後一ヶ月になったところだが、つついたりあやしていたりしていると、ときどき何の脈絡もなくニヤッと笑う。これは生理的微笑で、赤ちゃんの意志とは関係なく無意識に行われる微笑みである。両親にいっそう関心を寄せてもらい、より世話をしてもらうために、自分の可愛さを本能でアピールしているわけだ。▼生理的微笑は一ヶ月から二ヶ月くらい経つと徐々に減り、代わりに社会的微笑みが現れ始める。これは、微笑むことでより自分にとって嬉しいことをしてくれる、自分にやさしくしてくれるということを学習した赤ちゃんが、私たちの働きかけに対する反応として行う微笑みである。こちらの献身に対して笑顔という報酬で答えてくれるので、この段階になると子育てが一気に楽しくなるという人もいるようだ。▼ちなみに、大人になるとここに新たな笑いが加わる。愛想笑いである。

[2586] Sep 27, 2016

週刊少年ジャンプで連載中のダンス漫画、横田卓馬の『背すじをピン!と』に、金龍院貴正というライバルキャラクターが登場する。三強の一角として描かれる彼の持ち味は、抜群の安定感で踊る基本足型。その太ましく特徴的な容姿とは裏腹に、ただひたすら基本型だけを磨きつづけた技術は本物で、「基本を突き詰めれば誰にも真似できない唯一無二の「業」になる」と学生チャンピオンの咲本譲治も評している。▼別段、好きなキャラと言うわけではないが、親近感はある。ブランクを挟んで七年近くも編曲をしていながら、今でも使えるのは基本三和音のみ。とがった音使い、壮大な展開、自分らしさ、独特の持ち味……そういうものに惹かれつつもついに近寄れず、蓋を開けてみれば基本以外のことは何ひとつ出来ずに来た私にとって、それでも極めればいつかは何者かになれると主張する彼の存在は励みになる。研ぎ澄まされた基本型という到達点も、目標としては悪くない。

[2585] Sep 26, 2016

「これだけ暗記!君も簡単に小説が書ける五百の単語」とか「泣かせるクライマックスで使いたい、ちょっとオシャレな掛け合い集」とか、そういう馬鹿げた本は見たことがないし、あってもすぐに馬鹿げているとわかる。けれども、たとえば小説を音楽に、単語を和音に、掛け合いをコード進行に変えると、あら不思議。そういう本は山ほど見たことがある。なぜだろう。▼作曲家の方が物書きに比べて楽観的で作業的だ、などというつもりはない。心ある人ならどちらだって、単語や和音のような部品をかき集めただけで作品が仕上がらないことくらい重々承知しているはずだ。では改めて、なぜか。実は、現段階では問題提起にとどまる。音符と言語の記号性の違いや、アナログ情報の解像度の差、あるいは再利用性に関する文化的な側面など、いろいろ考えてみたが、明確に言い切るのは難しいと判断した。今日のところは本当に不思議に思っただけである。解決次第、別に書く。

[2584] Sep 25, 2016

「家系ラーメンが美味しいと思えない」と言われたので、私もそう思うと答えたら、「それなのにどうして食べるの?」と訊かれた。明確な回答はある。しかしそれを披露する前に、まずは寿々喜家について書かねばなるまい。▼家系と言えば長いこと壱八家で満足してきた私だが、ちょうどつけ麺の方で一燈やとみ田に行脚し始めた頃、家系も頂点を食べてみたくなり、上星川の「寿々喜家」へ行った。辺鄙な立地、古びた店舗。しかし肝心の味は下馬評通りで、家系の型に則りながらここまで旨いラーメンが作れるものかと感動さえした。▼ただ、同時に家系の限界も感じてしまった。家系は、たぶんこれ以上は旨くは出来ない――いや、これ以上旨くしたら家系ではなくなってしまう。家系とは、要するにジャンクなのである。「旨い、旨い!」と息を切らせて食べるような絶品ではありえないが、だからこそたまに食べたくなるのだ。夜中のカップラーメンと同じジャンルである。

[2583] Sep 24, 2016

やっとクーラーの要らない気候になったと思ったら、今度は途端に肌寒い。「暑さ寒さも彼岸から」なんて揶揄されているほど、こう夏と冬の境目がばっさりだと身体も壊しやすくなる。ここ二週間で何度か頭痛にも見舞われた。あんまりカロナールで誤魔化していると耐性が付きそうで怖い。▼せかせか働いているせいか、外傷も目に見えて増えた。先述の仙骨打撲に加え、右足の内側に少々深い突き刺し傷、左足の爪損傷、右手の親指と左手の薬指にはそれぞれ切り傷がある。メッシュ状になって耐水力の上がった新生ケアリーブをペタペタと貼り付ける毎日だ。ただ、生傷はいろいろあれど、とりわけ痛いのはやはり仙骨。立ったり座ったりがすっかりおっかなびっくりになってしまった。▼ぎっくり腰のときにも痛感したことだが、腰、首、頭、要するに脊髄の周辺は、三十過ぎたらしっかりいたわってやらないとロクなことにならない。体が物理的に脆くなるのはいやなものだ。

[2582] Sep 23, 2016

将棋ウォーズが「棋神解析」なる課金サービスをはじめた。これは、任意の対戦ログ(棋譜)の特定の手番で、どんな一手を打つのが正解だったのかをコンピューターが解析して教えてくれるサービスである。有利に進めてきたゲームで最後に詰めきれず負けたときなど、「どうしてもここで良い一手が思いつかなかった!」という場面は対戦の中で数え切れず出て来るもの。そこへ事後的にそっと手を差し伸べて、もやもやを解決すると共に棋力向上を促してくれるというわけだ。▼この新サービス、かなりクリティカルな課金要素だと思う。従来の課金要素である「棋神が五手代わりに指してくれる」権利なんてちっとも欲しくならなかったが、今度の棋神解析は、フェアだし、棋力向上にも繋がるし、純粋に知りたいことが知れて面白い。なにより使って後悔する余地のないアイテムである。課金して後ろめたさがなく、気持ちが晴れること。課金の基本はこうでなくてはならない。

[2581] Sep 22, 2016

一週間ほど前。赤ん坊の世話をしているさなか、腰を落とした場所が不運で椅子の背板の角に尻を打った。椅子の背後に立ったとき、自然と両手をかける位置に突き出した、あの左右の突起である。ぶつけた瞬間も相当に痛かったが、それからというもの硬いところへ座るたびに尾骨のあたりが痛むので、先日、不安になって整形外科に行ってきた。▼先生の言葉を要約すると、以下の通り。その位置のレントゲンは気安く撮れない。撮ったところで折れてようが折れていまいが治療法に差はない。痛み止めを塗って我慢しろ。痛みが引くまで長ければ半年はかかると思え。一ヶ月で治れば運がいい。とくべついたわる必要はないが、痛みが強くなるような体勢や運動は避けること。最後に、そこは尾骨じゃなくて仙骨。▼以上の流れで、痛み止めを処方されて帰ってきた。だんだんと痛みが強くなってきているのが不安だったが、そういうものらしいので、納得して我慢することにする。

[2580] Sep 21, 2016

このところ洗いたての衣服が少々臭うのは、台風による雨つづきで生乾きの洗濯物が増えたからだと思っていが、どうやら洗濯機の状態も良くなかったらしい。槽洗濯モードを選んで酸素系溶剤で十一時間、塩素系溶剤で十一時間、まるまる二日かけて黒カビの徹底除去をした。内部の汚れがどれだけひどかったかは排水フィルタの具合で事後的に判断するしかないが、お世辞にも褒められた衛生ではなかったようだ。▼ときに酸素系と塩素系はいわゆる「混ぜるな危険」であって、連続して使うのは大丈夫かと思われるかもしれないが、今回のような徹底した掃討作戦では、この順番での二段構えが技ありらしい。端的に言えば、酸素系で剥がして、塩素系で溶かす。それぞれが持つ除去力と分解力を最大限に活かすわけだ。もちろん、前段の酸素系溶剤が排水フィルタの前で詰まっていたりしないかどうか存分の注意を払う必要はあるが、慎重にやれば問題はない。効果は抜群である。

[2579] Sep 20, 2016

荒れ狂う台風の中、出生にまつわる書類提出のため臨時出社。「子どもが生まれたら必ずしなければならない7つのこと」のような情報サイトで、ドミノ倒し式に書類をもらったり提出したりする手順を見るたび、どうせ必須の手続きなら最初のひとつに集約してくれればいいのにと思う。▼とりわけ戸惑ったのは健康保険証の発行だ。区役所配布の手引きには出生届のコピーが必要と記載されているが、提出してしまった出生届のコピーをもらう方法は事実上存在しないらしい。つまり、あらかじめコピーしておかなければ二度と入手はできないということだ。デバッグ不足のゲームのバグじゃあるまいし、そんなものが後工程で必要になるのはおかしくないだろうか。▼結局、必要な書類は(これも少々理解に苦しむが)人によるらしく、私の場合は母子手帳のコピーだけで足りた。一刻も早くマイナンバー制度が普及して、複雑怪奇なプロセスがすべて背景化してくれることを祈る。

[2578] Sep 19, 2016

我らがベイスターズ、球団初のクライマックスシリーズ(CS)進出を決めた。まずは盛大に喜びたい。▼2007年にCSが創設されて以来、セ・パ12球団でただ一人、ベイスターズだけはCSへ駒を進めたことがなかった。セ・リーグ優勝も目指すべき夢には違いないが、それ以前にCSへの出場が悲願だったわけだ。実際、野球ニュースでは軒並みトップページを飾り、公式サイトには動画付きの特設ページが現れ、サンスポは号外を配り、ノジマはCS進出セールを開催するなど、まるで優勝したかのような騒ぎである。ここまで来たらいっそ、優勝チームの目の前で胴上げでもして欲しかった。笑いとともに盛り上がったかもしれない。▼ともかくあとは残り四試合、きっちり勝ち切って二位の座を奪い、横浜スタジアムでの開催を目指したい。二位・巨人との試合はもう二試合しかないので自力の二位は無いが、ゲーム差はたったの2.5。十分まくれる位置につけている。

[2577] Sep 18, 2016

うどんをすする音で赤ちゃんが泣き止むという、にわかに信じがたい記事を読んだ。実験してみたところ、十人中九人が本当に泣き止んだとか。いつもならホントかいなで済ませるところだが、さいわい今の私には確かめてみることができる。やってみた。▼朝。目覚めて腹が減ったのか大泣き。ミルクをつくる間にうどんのすすり真似をしてみる。ピタリと真顔になる。昼。理由もわからず泣く。またすすり真似をしてみる。泣き顔が一転して普段の顔に戻り、体の動きが止まる。本日、計五回実験してみたが、死ぬほど腹ペコだったらしいお風呂後を除く四回は全て泣き止ませることに成功した。まさか本当だったなんて。今年最大級の衝撃である。▼どんな赤ちゃんでも確実に泣き止むとまでは言えないだろうが、これほど有意な効果がある以上、赤ちゃんが胎内で聴いていた音に周波数が似ているとか、何かしら科学的な根拠はあるのだろう。これからも便利に使わせていただく。

[2576] Sep 17, 2016

私は紅茶に砂糖を入れない。ましてミルクなんか天地がひっくり返っても入れない。しかし、たとえばストレートティーと一緒に練乳ミルクアイスをいただくとしたら、これは大歓迎である。なぜか。▼感覚ではわかっているつもりでも明確に理由を説明できなかったので、晩御飯の後、まさにこの組み合わせで試してみた。弟がアメリカ土産に買ってきてくれた80パック4ドルの紅茶と、ローソンで買ってきた新作のリッチミルクアイス。さて、どうして私はこれらの組み合わせを旨いと思うのか。▼答えは出た。つまり、私が好んでいるのは、ミルクアイスによる口の中の甘みを、紅茶の苦みでかき消していく瞬間だということらしい。アイスと紅茶の配分を自分の意思で制御しながら作り出す、甘い状態と苦い状態の落差にカタルシスを感じているわけだ。とすれば、最初から甘みの平均化された砂糖入り紅茶やミルクティーでは、この要求を満たすことは全くできないのである。

[2575] Sep 16, 2016

数日前、ヨドバシカメラの地下で病院の順番待ちをしていたら、リュックを背負ったガタイのいい初老の男性に話しかけられた。「そのスマートフォン、どういうことに使うんだい?」▼「ほとんど遊びですね。ゲームとか、将棋とか。」「そうなんだ。ニュースとかは見ない?」「あんまり。たまに見ます。」「そうか。僕はね、市立図書館で外国の新聞を読んでいるんだ。」話はすぐに彼の自己紹介になった。「英字新聞ですか?」「それもだけど、中国語、ロシア語、フランス語も。十ヶ国語くらいやってる。」そうして、白い紙に太い鉛筆で書かれた筆記体の英語のメモを見せ、私のスマートフォンでBBCニュースの中国語サイトを見てみろと言い、英語の勉強法についての講釈を行い、自分の過去を語って、そのうち帰っていった。▼落ちも何もないが、暇つぶしにはちょうどいい、面白いおじいさんだった。退職後のこれから、ジャーナリストになるのが目標なのだそうだ。

[2574] Sep 15, 2016

いま手がけている曲のEQやリバーブ、コンプレッサなどの設定は、簡素ながらクセのある値になっていて、ひとつバイパスしただけでも相当に違う音がする。▼遥か過去の自分が何を思ってこういう音作りにしたのか、今となってはあまりよく覚えていないが、全てオフにしたときの音と比較してみると、低音の重さを犠牲にして中高域の伸びを取り、複雑な響きよりは明瞭で力強いアタックを好み、サステインの減衰を抑えてロングトーンが映える、そんなバランスにしたらしい。そのせいで今、困ることもあるのだが、そこは当初の思惑を尊重して設定には手を付けないでいる。どのみち、何かを立てれば何かが立たないだろう。▼特に、ロングトーンの伸び方が尋常でないのは、弦楽器の音に憧れていた当時の私が、なんとかピアノでもロングを良く聴かせたいと苦心した結果だろう。今、同じ設定を再現できる自信はないので、集中力と粘着力を傾けた過去の自分に感謝したい。

[2573] Sep 14, 2016

スマートフォンのフロントスピーカーがグレードアップしたことで、食器を洗うときやミルクをあげるときなど、手すきの時間にちょこっと動画を見たり曲を聴いたりするのが当たり前になった。どちらもこれまではモバイルに期待していなかった行為である。こだわりがない限り、端末性能が向上すれば純粋にやれることも増え、やることも増えていくということだ。▼今後しばらくはモバイルやウェアラブルに生活の機能が集中していくだろう。私は全くおサイフケータイを使いこなせていないが、先駆者たちはすでに財布を持たない生活も始めている。「スマートフォンを落としたら全てお終いじゃないか」という人もいるが、同じく落としたら破滅感のある財布と違って、拾った他人がそう簡単には利用できないスマートフォンの方がセキュリティ性は遥かに高い。指紋認証付きの端末に全て詰まってくれた方がありがたいのである。今となっては私もそうなることを願っている。

[2572] Sep 13, 2016

キーを上げ下げしてゲシュタルト崩壊を防ぎつつ、思わぬ瑕疵を見つける手法についての補足。かなり昔、この手について公に話したところ、実際にどれくらい上げたり下げたりするのかという質問をもらったことがある。私の答えは今でも変わらない。プラスマイナス「3」である。▼4以上を聴かない理由は単純だ。上下幅が3を超えると、響きが違いすぎて違和感がアテにならなくなってくる。妙な場所を見つけるための手なのに、どこもかしこも妙に聞こえてきては困る。一方、ときに3まで上下させる理由は、プラス3やマイナス3が、ちゃんと「高すぎてキンキン」したり「低すぎてドロドロ」したりするのを確認するためだ。プラス3が普通に聴けてしまうとしたら、オリジナルの音域が低すぎる可能性がある。そして逆もしかり。3はほとんど音域確認用である。▼時折+1の方が断然良く聴こえる場所があったりして悩ましいが、差し引いても有効な手だと思っている。

[2571] Sep 12, 2016

広島が二十五年ぶりに優勝した。広島ではテレビの視聴率が60%を超え、優勝の瞬間は70%に達するなど、二十五年前に次いで二位を記録したそうだ。大騒ぎである。▼私はもちろんシーズンを通してベイスターズを応援してきたが、広島が頭ひとつ抜けてきた夏以降は、このまま広島に優勝してもらっていいのでは、と周りに言っていた。今年の広島は文句なく強いし、新井がいて、黒田がいて、これでリーグ優勝となれば、いちばん綺麗にまとまるだろうと。少なくとも巨人の逆転優勝なんて面白くもなんともない。それよりは断然、広島優勝が見たい。新井や黒田の胴上げが見たい。▼そう思っていたら、あれよあれよという間に優勝が決まり、望んでいた場面も見ることが出来た。よほどの広島アンチでない限り、野球ファンなら感動のシーンである。二十五年間、このときを待ちつづけた広島ファンの心中はいかほどか。はらはら泣いて立ち尽くすファンの姿も美しかった。

[2570] Sep 11, 2016

曲の盛り上がる所を創るのは楽しいが、ちょっと苦手だ。盛り上げ方がどうこうというより、何度もプレイバックしていると耳や頭が痛くなってくる。そのうち音がゲシュタルト崩壊して、何もわからなくなってくる。こうなるとしばらくお手上げである。▼同じ場所を聞き過ぎて良し悪しが判断しにくくなってきたとき、よく使う手はキーを上下させてみることだが、キーを変えてもフォルテはフォルテ。この問題は解決しない。では単純に音量を小さくするのはどうか。これは当たり前の手に思えるが、やってみると案外上手く機能しない。キーを上げ下げしてフレーズの特徴や問題点を炙りだすのとは正反対に、いろいろなものが聞こえなくなってしまうからだ。聞こえ方が変わるだけでなく、情報量が落ちてしまうのである。▼したがって、今のところ「我慢する」以外に方策がない。うまい手を見つけた暁には書きたいが、いつになることか。解のない問いではないことを祈る。

[2569] Sep 10, 2016

打ち込みピアノで高速トリルを作るとき、音符をきっちり揃えてしまうといかにも機械音な感じがして気持ち悪いので、そこだけスナップなしのモードに切り替えて少しずつ前後にズラしている。昔はキーボードでリアルタイム入力した音符を元にしていたが、最近は慣れてきたのでマウス打ちでもいけるようになった。▼ただ、どうやらトリルの出口が重要な音である場合、つまりアウフタクト的な役割をさせるトリルの場合、最後の方だけはテンポに揃えた方が聞こえが良いらしい。今回、一小節まるまるのトリルを何通りか作ってみて聴き比べたところ、「最後までバラつかせている<全て揃えている<最後の一拍だけ揃えている」の順で格好良かった。何故かは知らないが、確かにそう感じた。▼この結果を支持してくれるような理論があるとは思えないが、ピアノらしくないピアノの打ち込みにも、良く聴こえるための小細工というか、工夫のしどころはあるものだなと思った。

[2568] Sep 09, 2016

子どもは名前も正式に決まり順調に育っているので、並べて事もなし。よって連日携帯の話とする。▼BiglobeのSIM、データ通信12GBプランを契約した。音声通話の契約には件の証明書類が必要だが、データ通信ならクレジットカードひとつで即日開通する。音声通話はFREETELの従量課金か、または同じBiglobeの最低容量のプランを契約してデュアル運用するつもりだ。大容量のデータと小容量の音声通話。最低のコストで最大の通信量を得るための均衡点を探り続けた末の結論である。▼運用初日。思わぬ自体は早速起きた。なんとツムツムがプレイできない。どうやら端末が脱獄(Root化)状態扱いされて、不正を働いているとみなされているようだ。Xiaomiの端末ではRoot化しなくても同じエラーが出るという報告を見たが、残念ながらAxon7も同様であった。有志が公開しているAPKを使ってチェックをバイパスする方法もあるが、出来れば穏やかな方法を探したいところである。

[2567] Sep 08, 2016

運転免許証がなく、パスポートの期限も切れている今、「顔写真付きの身分証明書」が私にはない。そうして厄介なことに、これがないと携帯の通話SIM契約が出来ない。仕方がないのでマイナンバーカードの申請に着手する。どうせいつかはやらなければならない作業である。▼手段は三つ。通知カードに必要な情報を記入して郵送する方法。自分でデジタル写真を撮影してインターネットで申請する方法。マイナンバーカードを申請可能な証明用写真機を使って撮影と申請を同時に行う方法。このたびは本気なのか、役所仕事がネット申請に対応しているのは驚きである。▼私はというと、スマートフォンで自分を撮影して証明カードに耐える写真になるか自信がなかったので、区役所へ行ったついでに申請可能な写真機について窓口に尋ねてみたのだが、そんな機械は知りません、申請は郵送かネットの二つだけじゃないですか、と一蹴されてしまった。やっぱり役所仕事である。

[2566] Sep 07, 2016

多くの動画配信サービスには、ユーザーの通信速度に合わせて画質を自動で調整するオプションがある。このオプション、速いときは高画質、遅いときは低画質に切り替えて、音と映像に途切れがないよう動画を見させてくれるので、一見素晴らしい機能に思えるのだが、無配慮に使うと危険な一面もある。通信量である。▼最近の「高画質」はたいていHDを意味する。そうして、動画フォーマットの違いこそあれ、HDの視聴に必要なデータ量は約900KB。単純計算で二時間の映画を観ると6GB消費することになる。キャリア三社の通信速度は昼や夕方などのピークでなければ10Mbps以上は出るので、迂闊に映画など観ようものなら月の通信量制限を一瞬でオーバーしてしまうわけだ。HDならまだしも、フルHDや4Kが選択可能な動画など、ドラマを一話うっかり観ただけでおしまいである。通信量テロである。▼そういうわけで自動設定は推奨しない。中画質あたりが無難である。

[2565] Sep 06, 2016

去年の七月、つまり一年以上前、玄関先にヤモリの家族がいると書いた。大きいヤモリと小さいヤモリ。帰宅すると外灯の近くからするりと降りて来る。おかえりのつもりなのかなと笑っていたが、どうやら私の気配に驚いて身を隠していたらしい。毎夜夕飯の邪魔をしていたわけだ。▼その二匹のヤモリ、不思議なことにまだ我が家の玄関にいる。よほど居心地がいいのか、あるいは餌が良く取れるのか。ヤモリがご飯を食べられなくては困るからと、日々欠かさず外灯を点けていた甲斐(?)があったのかもしれない。去年は小さかった方も、心持ち大きくなった。▼ヤモリの寿命を調べてみたところ、長ければ十年以上生きるとか。彼らが今、何歳か知らないが、あと数年はいてもおかしくないということだ。別に飼っているわけではないし、彼らのおかげで玄関に虫がいないというわけでもないのだが、こう付き合いが長くなると、いなくなったらいなくなったで寂しい気もする。

[2564] Sep 05, 2016

「こち亀」がコミックス200巻をキリに終わるらしい。ジャンプを読み始めた頃からの長い長い付き合いなので寂しい気もするが、このところは勢い重視の濃いキャラクターが増えすぎて、話自体より人物の存在感で魅せる一発漫才のような、ちょっと混沌とした様相になっていたので、ここらで踏ん切りをつけるのは良いタイミングかもしれない。今のところ候補はいないが、同系列の後釜が育ってくれることに期待しよう。▼この頃は読む作品が少ないなと言いながら惰性で読み続けるのが週刊誌というもの。**しか読まないなんて言ってる人に比べれば、私はけっこう読んでる方……と思っていたが、改めて目次を見てみると、意外にも半分以上は読んでいなかった。原因は単純だ。要するに、萌系はけっして嫌いじゃないが、ジャンプで読みたいわけではない、ということ。それはしかるべき別の場所に求めるから、もっと熱をくれ。同じ状況の人は多いのではないかと思う。

[2563] Sep 04, 2016

朝起きたらバッテリー残量が30%になっていた。寝る前には70%以上あったはずである。バッテリードレインだ。▼二日前までは確認できなかった現象なので、原因は特定しやすい。電源管理システムは時計ウィジェットがあやしいと示唆してきたが、さすがにそんなわけもなく、二日前からインストールしたアプリや変えた設定を思い出しながら辿っていくと、果たして真犯人はGPSであった。高精度GPSがドレインを起こしていたらしい。端末が届いた当初はちゃんと遊べたポケモンGOが、この頃「GPS信号を探しています」のエラーばかりで遊べないので、試しに設定を高精度にしてみたのだが、これがスリープ中もひたすら電源を食い尽くしていたのである。形を変えたポケドレインだったわけだ。▼改めて省電力設定。スリープ状態を三時間継続しても100%からバッテリーが減らないことを確認。スナドラ820の力かもしれないが、電源は優秀な端末である。

[2562] Sep 03, 2016

映画・ドラマの視聴サービス遍歴。U-NEXTは月額が高く観たい作品も少ないので、一ヶ月のトライアルが終了次第辞めてしまった。huluは本命だったが、いざアカウントを作成してスマートフォンで視聴を始めると「不明なエラーが発生しました。」の一言。再起動や再インストールも試したがダメ。エラーコードのひとつも出ていれば自分で調べる気にもなるが、何の手がかりもないので諦めた。どうやら同じ症状の人が多い様子。退会者のおせっかいだが、huluは一刻も早く対策した方がいいと思う。▼そういうわけでNetflixに落ち着いた。月額が千円以下で、問題なく再生でき、しかもフルハウスの一期がある。最高だ。前評判ではhuluの方がドラマに強いという話だったが、Netflixもそう大きく負けてはいないように見える。何しろ言わずと知れた大手。これからどんどん追加してくれるに違いない。▼尚、資金は最近あまり聴いていないDigitally Importedの解約で賄った。

[2561] Sep 02, 2016

人生でいちばん楽しかった時期と、いちばん充実していた時期と、いちばん身になった時期と、いちばん自分らしかった時期は、それぞれ違う。上の四つの時期、あなたはどうだろう?▼いちばん**だった時期が、**が良いことであれ悪いことであれ、あまり被らないとしたら、人生が多彩であることに感謝すべきなのかもしれない。逆に言えば、何もかもが上手く行っている時期はないし、何もかもが上手く行っていない時期も、じつは言うほどないということだ。もしかしたらそれらは、たとえあっても思い出に残りにくいのかもしれない。▼全てをどこと述べる気はないけれど、「いちばん自分らしかった」時期は、今よりもっと積極的に文章を書いていた頃だ。少しでも良い文章を書くために、いろいろなことを調べて、研究して、挑戦していた、物書きがメインの時期。あの頃にもどりたいというわけではないが、やはりあれが私の気質であり原点なのだと常々思っている。

[2560] Sep 01, 2016

到着したAxon7に挿すSIMカードを物色している。OCNモバイルONE、mineo、Biglobeの三候補が主軸。現在の7GB制限だと最終週は毎月のように残り通信量を気にしているので、最低でも10GBは欲しい。使い放題プランは実測サイトを渡り歩いた後で諦めた。使い放題の恩恵を受けたい場面とは、たいていの場合は動画視聴である。その動画視聴がまともに出来ないほど速度が安定しないのなら意味がない。▼10GB最安のOCN、公衆Wi-Fiに加え魅力的な12GBプランを擁するBiglobe、通信安定感とフォーラムの充実が評判のmineo。今のところどれも決め手に欠ける。ただ、通信力は時とともに大きく変わるので、今現在の速度よりこれまでの回線強化実績の方が重要だと思っている。そういう意味では最大級のユーザー数を支えてきたOCNか、回線強化の規模と時期と明確にし、積極的に行っているmineoが一歩優位。後は使ってみないとわからない領域なので、決め打ちで飛び込んでみよう。

[2559] Aug 31, 2016

まだ名も無きベイビーが退院してきて初日。迎えに行って、寝床をつくって、オムツ替えやらミルクやらと何やかんや世話をして、新たに必要だと判明した品々を買い出しに出かけ、あっという間に遠方から新携帯が国際配達で届き、そのうちに頼んでいたベビーベッドも届いて、組み立てて、グズりだした王子様をお風呂に入れて、着替えさせて、云々かんぬん。怒涛の一日だったが、環境づくりや新携帯のセットアップなどやりたかったことはいろいろ出来た。満足している。▼赤ん坊のことは追い追い書くとして、優先順ではないと断りつつ、携帯については付記しておこう。ZTEのAxon7。信じられないくらい使いやすい。もしグローバル版と大差のない値段でキャリアから正式に出るなら、今冬の目玉になるだろう。画面の美しさ、フロントスピーカーの音質は想像を越える。唯一の課題と言われていたUIまわりはNovaLauncherで綺麗に解決するから、今のところ不満は一切ない。

[2558] Aug 30, 2016

今期は「ジョジョ」しか定期視聴しているアニメがないので、さすがに一本では寂しいからと『NEW GAME』を見始めた。180度毛色は違うが、それもまた良い。▼内容はゲーム会社の職場を題材にした女の子だらけのほのぼの4コマ漫画。作者は実際にゲーム会社で勤務した経験があるらしく、時折業界特有の自然な社畜感も描かれる。しかし、そう頻繁に「あるある」と頷けるかというとそうでもなく、ヒロインたちの楽しげな雰囲気に引きずられて「こんな職場が現実にあるか!」と突っ込みたくなるようなマイルドな仕上がりになっている。まあ、社畜感満載で可愛い女の子たちがリアルに病んでいくシナリオもオンリーワンでよかったのかもしれないが、きららキャラットの世界には合わなかったということだろう。辿り着く先は今の路線しかあるまい。▼まだ評価には時期尚早だが、面白くなくはないので見続ける。気持ちの休憩にはちょうどいい。明日も一日がんばるぞい!

[2557] Aug 29, 2016

挙動不審な台風10号のせいで空模様も読めなくなっている。夕方、病院から買い出しでコンビニへ出るとき、空は見事に晴れていたし距離も近いからと一旦は手ぶらで行きかけたが、お守り代わりと思ってお気に入りの80cm傘を持って出た。お守りといういささか神秘的な思考の習慣、あるいは第六感に感謝するべきだろう。果たしてコンビニから出ると豪雨であった。▼そんな豪雨でも足元が濡れない80cm傘、購入後はずっと愛用してきたのだが、悲しいことに今日、面会時間を終えて出ると傘立てから消えていた。要するにパクられていた。そう大きくない病院である。傘立ての中でもひときわ長く大きく目立つ特殊な傘を、まさか堂々と持って帰る輩がいるとは思わなかった。迂闊だった。▼お気に入りだっただけにショックは大きい。紛うことなき窃盗・犯罪なのに、傘と自転車だけは盗んでもたいした悪ではないと思っている連中がどうしているのか、心の底から疑問である。

[2556] Aug 28, 2016

平成28年8月28日、午後8時22分。2と8しかない日時に第一子が誕生したのでここに記す。男の子。名前はまだない。▼趣味に偏る記事の都合、ここまで家庭のことはあまり書かないで来たが、子どもとなるとそういうわけにもいくまい。しばらくは生活資源の多くを持っていかれることかと思う。関連記事も増えるだろう。それなりしっかりした大人として、仕事、家庭、趣味の三本立てを上手にやっていきたい。▼本当なら子どもの写真を撮るために新しいスマートフォンを間に合わせたかったが、先日書いた通り発送は月曜日。ちょっと遅かった。今日のところは旧式のカメラでパシャパシャ撮っている。これを機会に一旦アマチュアカメラマンにジョブチェンジするのも良いだろう。絞りがどうとかフレーミングがどうとかそれらしいことを言い出したら、凝り出したと思っていただいてよい。▼今日のところは病院に泊まる。子どもは新生児室へ。明日から忙しくなる。

[2555] Aug 27, 2016

仮予約したという記事の翌日に予約キャンセルの旨を報告するのも筋が悪いが、毎日のようにeBayで粘着していたら、とうとうグローバル版の出品を見つけたので、そちらに流れた。一足先に手に入ることになる。▼もともと日本への発送はできない設定だったが、出品者にコンタクトを取って送料の上乗せや関税等々について話し合った末、海外発送にトライしてもらえることになった。こういうときのための英語力である。ドット落ちがないこと、傷や汚れがないこと、正常動作確認済みであること、それにグローバル版を証明する部位の写真など、面倒な要求にも丁寧に答えていただいた。特にドット落ちの有無を確認できたのは大きい。Expansysでは三点以上のドット抜けがないと交換には応じてもらえないので、どんなに目立つ点でも二点以下では泣き寝入りになる。それを思えば少々割高でも文句はないだろう。▼発送は月曜とのこと。遥か西、バルカン半島からやってくる。

[2554] Aug 26, 2016

ZTEのAxon7がExpansysで仮予約を開始した。待望のグローバル版で、価格は47,845円。海外定価は$400だが、いつもの「日本価格」が適用されれば六万超えもありえたので、この価格は良心的といえる。しかも入荷時にキャンセル可能な仮予約をするだけで、さらに一割引だ。申し込まない手はない。▼HuaweiのP9と最後まで悩んだ。正直に言うと今でも悩んでいる。画面解像度(QHD)、グラフィックス性能、音質はAxon7に軍配が上がるが、見た目の美しさ、サイズの小ささ、軽さ、カメラ性能はP9が勝る。値段はeBay価格なら大差はないので、見てよし触ってよし、薄くて軽くて高性能なP9は最高の選択肢にも思えるのだが、まさに極薄であるが故に机から持ち上げにくいのは、いろいろなところに端末を置きたがる私にとって致命的と思われた。そこが決め手になった。▼故に今のところ、仮予約が本予約になればそれでよし。あまり遅いようならP9で妥協する、というプランである。

[2553] Aug 25, 2016

『ファイアボール』と『ファイアボール チャーミング』を観る。▼『ズートピア』の感触が非常に良かったので、次の作品に変なバイアスが掛からないよう、小休止のつもりで借りた。二期「チャーミング」は初見だが、一期は七年か八年くらい前に観ている。2010年7月の記事にドロッセルお嬢さまのfigmaを探している件があるので、その周辺だろう。▼内容は、近ごろ観直した『ウサビッチ』と同じようなシュール系のショートアニメ。ただ、本作のほうが言葉遊びがふんだんでパロディ寄りである。「日本国内で制作された日本人スタッフによる作品」というだけでもディズニーとしては異例なのに、それがテレビやインターネットで無料公開されたとして、実験的だと話題になった。▼ゲデヒトニスの不思議な言葉遣いやドロッセルお嬢さまの動きは相変わらず面白い。二期はややネタ切れ感があり、お嬢さまの造形も好きではなかった。人に薦めるなら一期である。

[2552] Aug 24, 2016

『ズートピア』を観る。今年公開されたばかりのディズニー・アニメーション・スタジオ最新作。ツタヤで二泊三日の貸し出しが始まっていた。▼文句なく傑作。今まで見てきたディズニー&ピクサー作品の中でも指折りである。動物たちが進化して人間のような文明を築いた社会の話、という着想自体は非凡ではないかもしれないが、その着想を演出的にも技術的にも120%活かしきっているところが素晴らしい。ズートピアは、その住人が動物たちでなければ意味をなさない街である。どでかいキリンとちっちゃいネズミが、そのサイズを保持したまま共存するために設計された街である。本当にそういう世界だったら、こんな街だろうなと思えるような街なのだ。▼もちろんストーリーもキャラクターも非常に良かった。ジュディもニックも、ディズニーというよりハリウッド映画の主役のようだ。そして「そこで回収するのかよ!」と叫ばずにはいられない衝撃のオチ。星五つ。

[2551] Aug 23, 2016

「絶賛」という単語を見ていてふと思った。日本語を学ぶ外国人にとって、この「絶」という漢字はどう理解されるのだろう。▼たとえば「絶望」と「絶賛」では絶による修飾の意味が正反対に思える。絶望は望みのない状態だが、絶賛は賛辞の嵐だ。あるのかないのか、何なのか。▼成り立ちを調べてみた。絶は糸と刀と卩から成る会意文字。卩はセツと読み人がひざまずく姿を表す。つまり、人が膝をついて刀で糸を切ることを意味する文字であり、タツことが原義である。ここから転じてタツという行為がタエルという状態になり、タエルは程度が昂じてカケハナレルとなった。「絶海」は陸から遠くかけ離れた海を言う。これが尋常から良い方へかけ離れることになれば、優れている、並大抵でないという「絶賛」寄りの意味になるわけだ。▼わかりきったことのようではあるが、見知った単語でもこうして各々漢字の原義から辿リ直すと、あいまいさが整理されてすっきりする。

[2550] Aug 22, 2016

『アーロと少年』を観る。原題は"The Good Dinosaur"。▼率直に言って、そこまで面白くはなかった。ダメではないが……と言う感じ。素晴らしい出来栄えの作品が多いディズニー/ピクサーにあってはどうしても落ちる。『インサイド・ヘッド』の方が良かったと思う。▼誇張された恐竜の動き、卓越した水の表現、人語を解さない少年の感情表現、言葉の一切ないクライマックス。やりたいことは伝わってくるし、特に水の表現などは「最近のCGは本当に凄い」などと月並みな感嘆を漏らして唸るしかない仕上がりにはなっているのだが、マクロに見ると脚本や展開は、いわゆる成長モノのテンプレに当てはめた印象が強い。クライマックスに向かう道程のほとんど全てが予想の範疇に収まってしまった上、ラストもあっさり終わってしまった。私が最後に発した言葉は「おや、これで終わるんだね。」である。残念ながら、いま一歩何か欲しかったと思わせるタイトルであった。

[2549] Aug 21, 2016

スマートフォンのレビュー動画をひたすら見ていると、なぜかdecentという単語をよく耳にする。"build quality is decent."とか"Battery life is really decent."とか。某英和辞典によるとdecent自体はTOEIC470点程度の単語で、学校的にも高校三年生レベルとあるから難易度の高い語ではないのだろうが、これまで読んできた文章ではほとんど出会ったことがなかったので、こう短期間で何十回も浴びると不思議な気がしてくる。▼しかもこの単語には「見苦しくない、ちゃんとした」という意味と「かなりの、相当な」という意味があって、バッテリーライフがdecentだと言われても凄いのか凄くないのかよくわからない。ただ話者のニュアンスからすると、べた褒めではなく一歩引いた賛辞という印象で、まあそれなりだよね、必要な分はあるよね、悪くはないよね、という意味で使っているように感じる。言葉より声や表情で意味が汲み取れるのは動画サイトさまさまである。

[2548] Aug 20, 2016

『インサイド・ヘッド』を観る。去年公開されたばかりのピクサー作品で、今まで観た中ではもっとも新しい。原題は"Inside Out"。童話原作でもなければ続編でもなく、何かのパロディでもない、完全オリジナル作品である。▼主人公は11歳の少女ライリー。彼女の頭の中には、ヨロコビ、カナシミ、イカリ、ムカムカ、ビビリという5つの感情たちが住んでいる――。このへんまでパッケージを読んだときは、ターゲット年齢低めのキャラ物かと思っていたが、どっこい本格的な冒険ファンタジーで予想を裏切られた。設定も話もよく練られているし、ライリーの行動が常に感情たちのやりとりに先取りされているところも捻りがあって面白い。オリジナルとしては渾身の一作だと思う。▼感情たちの名前で「ムカムカ」はやや浮いているようだが、Disgustingと言われると五人衆に仲間入りしているのも頷ける気がする。うんざりして嫌なものと距離を取りたくなる気持ちである。

[2547] Aug 19, 2016

携帯電話のバッテリーは充電回数500回が換え時の目安。換えられない場合はこのあたりから目に見えて使い勝手が悪くなる。もちろんバッテリーの劣化は充電回数だけでなく熱にも大きく依存するので、負荷の高いゲームを遊びながら急速充電して毎日のように本体を爆熱化していたりすると、平均より遥かに早くお釈迦になる。▼バッテリーが劣化すると、単純に言って総容量が少なくなったように見える。今、使用開始から二年二ヶ月の間、毎日のように複数回充電を繰り返してきて瀕死の淵にある私の携帯は、フル充電まで数十分しか要らない反面、ウェブ閲覧とゲームと動画再生を適度にしていたら二時間も持たない。700mAhくらいしかバッテリーとして機能していない状態なのだろう。一日に四回も五回も充電するのは当たり前になってきた。文鎮の一歩手前である。▼現世代機といえども、このあたりの運命は変わらない。ひとつ次元の違うバッテリーの登場が待たれる。

[2546] Aug 18, 2016

ディープラーニングを用いた自動翻訳が成る日は近い。これは妄想どころか予想ですらなく、人工知能界隈の現状から必然的に導き出される未来である。▼実際、人間と同じように思考し翻訳するマシンは、もうほとんど出来上がっていると言ってもよい。最新の人工知能には次の二つのことが出来ている。一、自然言語を入力して対応する画像を出力すること。二、画像を入力して対応する自然言語を出力すること。調べていただければ、これら二つの処理がすでに驚くべき精度と柔軟性で機能していることがわかると思う。画像化が困難と思われるような抽象的な言説にも対応しつつあるのだから驚きだ。認識能力と言語化能力はすでに赤ちゃんよりマシかもしれない。▼そうして、一と二が出来ているのだから、一を英語で行い、二を日本語で行えば、これはもうそのまま翻訳である。逐語訳でも統計翻訳でもない、まさしく「意訳」である。あとはチューニングの問題でしかない。

[2545] Aug 17, 2016

今週はディズニー週間だ。千年前のスコットランドを舞台にしたお伽話、『メリダとおそろしの森』を観る。▼スコットランドの空気感、皮や脂肪の弛む動きまでリアルな熊のアニメーション、その熊が気品溢れる仕草をしてみせる滑稽さ、そういう制作の細部に傾けられた情熱には唸らされる一方、脚本を含めた映画としての完成度は、言葉を濁すようだが玉虫色の感触がした。うん、まあ……無難に面白かったね。そんな感じだ。首を傾げる筋書きも少なくない。どうして魔女がいつも人を熊にばかりするのかとか、なんでメリダは一人でタペストリーを取りに行かなかったのかとか、散々な目に遭ったとはいえエリノアは最後まで謝っていないけれど、それで良いのかとか。疑問符を残したまま感動するのは、不可能ではないが難しい。▼メイキングは興味深く観た。12人のアーティスト総勢でスコットランド視察に出かけたとか、相変わらず羽振りの良さは妬ましかったけれど。

[2544] Aug 16, 2016

『シュガー・ラッシュ』を観る。ゲームのキャラクターが主人公のアドベンチャー・ファンタジーという位置づけだったので、どちらかと言うとネタ系かなと思っていたが、いざ観てみると想像以上に面白かった。版権はオマケ。オリジナルだけでちゃんと成り立っている。▼本編については、フェリックスが良い奴過ぎず悪い奴過ぎず、妙に人間くさい名脇役に徹していた点と、ヴァネロペが最後までしおらしくせずに生意気娘を通したところが好評価。小悪魔が感情を見せて良いのはラストだけと相場が決まっている。ストーリーは大体先が読める展開つづきで良く言えば王道。良く言って良いと思う。▼感心したのはボーナスコンテンツのメイキングビデオ。お菓子の家を本当にお菓子で作ったとか、コーラの泉にメントスを落下させる実験を実際にしてみたりとか、本編の表現をリアルにするための努力を全く惜しんでいない。羨ましい予算、いや、あやかりたい実証精神である。

[2543] Aug 15, 2016

まだまだ携帯のことを調べている。技適とバンドの問題さえクリアしていればOnePlus3で即決なのだが、どちらも目を瞑りにくい案件だ。健康増進法レベルで形骸化した法律とはいえ、法は法なので後ろめたいし、Band19の非対応も社屋が半分地下であることを考えると危なっかしい。Band1とBand3があるので東名阪エリアなら大丈夫……と信じて飛び込むには高価な買い物である。軽々には飛べない。▼技適とバンドをクリアしつつ、性能要求も満たす5.5型となるとZTEのAxon7がぴたり該当する。2560x1440は過剰気味ながら、音質にこだわりの逸品で趣味的にも申し分ない。OnePlus3に劣る点は(恐らく3D-Touchのせいだと思うが)同サイズで17グラムも増してしまった重量くらいか。個人的には指紋認証は背面ではなくOnePlus3のように前面にあったほうが嬉しいが、代わりにOnePlus3と違ってイヤホンジャックが上面にあるのはありがたい。まさに帯に短し襷に長し。決まらない。

[2542] Aug 14, 2016

『ファインディング・ニモ』を観る。初出は2003年とかなり古い作品だが、『ファインディング・ドリー』の影響でレンタル人気が高いからか、三泊四日の貸し出しになっていた。さすがにツタヤ。ちゃっかりしている。▼グレートバリアリーフに住むクマノミのお父さんが、ダイバーにさらわれた息子を探して旅する話。一方、過保護で頭の堅い頑固親父が波瀾万丈な冒険を通じて自らの頑なさを反省し、信じることを学んで子離れする教訓譚でもある。今までに見たディズニー/ピクサー作品の中では、かなりモラル色の強いタイトルだと思った。▼日本語版だと全くわからないのは、作中何度か出てくる「クマノミならジョークが上手いはずだ!」というやりとり。これはクマノミがその派手な色彩になぞらえてクラウンフィッシュ(道化師の魚)と呼ばれることから来ている。英語ならクマノミの部分が「Clown Fish」と発音されるからピンと来るわけだ。言語移植は難しい。

[2541] Aug 13, 2016

リオ五輪。テニス男子シングルス準決勝。錦織vsマレーを観る。一試合でも解説付きで見れば、大体ルールがわかるのはテニスの良い所。遥か昔、錦織の試合をネット中継で見たことがあったので、このたびも苦労なく試合に入っていけた。▼さて、以降は試合結果のネタバレを含むので注意して欲しい。展開を丁寧になぞるほどは覚えていないが、二セット目の5−4で迎えた最後のデュース。マレーは取れば決勝進出、錦織は落とせば準決勝敗退、ともに死んでも取りたいポイントを巡る壮絶なラリーは息も出来ない緊迫感で、見応え抜群の応酬だった。最後の最後、体勢を崩されたマレーが返した片手のショットがインに落ちたときは、誰もが「技術」より「執念」という言葉を脳裏に描いたことだろうと思う。まさに勝負を決する一撃であった。▼世界ランキング2位の壁は厚かった。けれども、銅メダル獲得のチャンスはまだ残っている。明日の3位決定戦もしかと見届けよう。

[2540] Aug 12, 2016

十年以上の長きにわたり、一度も開けられることのなかった扉をひらく。家の裏手に通じる台所の扉である。▼そこは2m級の古く高い棚に阻まれて、幾年も大掃除をくぐり抜けてきた禁断の領域だった。人の住まう家の中で最も廃墟に近い地だ。案の定、俄仕込みの文章では形容しがたいほどの汚さで、もはや漂白剤も薄めている場合ではなく原液での活躍となった。黒また黒。ウエスが山のように積み重なっていく。▼台所をまるごと磨き上げたときは日も落ちていた。朝から調子が悪かったこともあってふらふらになったが、床から壁までピカピカになったのは気分がいい。大掃除を妨げていた巨大な壁も取り払ってしまい、寝室で使っていた小さな本棚を代わりに据えたので、今度からはこまめに掃除も出来ると思う。五歳からの付き合いで心情的に捨てにくかった白い本棚に、食器棚としての第二の人生が拓けたのも良かった。夏休みのオトナの宿題、まずはひとつ制覇である。

[2539] Aug 11, 2016

相変わらず次のスマートフォンに悩み中。GSMArenaのスペック表は見尽くしたと言って良いくらい見た。「こんなのがあったならこっちを買っていたのに!」という台詞だけは吐きたくないと常に思っている私である。知らない端末など、ひとつたりともあってはならない。▼Kindleとウェブ閲覧を主目的とするなら、5.2inch〜6.0inchが希望。最大サイズの6インチなら"mate8"は最有力候補だが、これまで幅63mmしかないSERIE miniを使っていた人間が、超狭ベゼルとはいえ80mm以上の横幅を持つ機体に乗り換えて、日々の運搬にストレスを感じないかは不安が残る。5.7ならDeluxeを待つかNexus6Pか。5.5ならmateSまたはOnePlus3の二択。実用上、帯域に問題ないようなら後者の一択である。ここはさらなる実体験調査が必要だ。▼たいした差がないなら多少割高でも日本製を選ぶ心づもりはあるのだが、残念ながら今のところ心躍る国産品は皆無である。この現状はいささか悲しい。

[2538] Aug 10, 2016

夏季休暇に入る。やることは主に曲のつづきと家の掃除。古い戸棚を片付けて、本棚を整理して、網戸を水洗いして、台所の奥を綺麗にする。さらっと書いたが最後がいちばん大変だ。鍋類を並べる巨大な棚の、その裏がどうなっているかは誰にもわからない。蜘蛛の巣くらいで済めば良い方かもしれない。▼外壁、玄関、庭、ベランダ、網戸、物置、家の中……と順番に掃除していくと、全て終わった頃にはまた外壁が汚くなっている。甲斐がないわけではないが、終わりも見えない堂々巡り。老後はマンションに住みたいと願う人が増えている理由もわかる。▼昔、隣の家に入った庭師がぼやいていたそうだ。今どきの若者は、こういう面倒をみんな金で人にやらせて解決する、と。しかしどうだろうか。昔は一軒家のメンテナンスも一種の道楽だったのだろうが、現代人はたとえ金があっても時間がない。つまり道楽の余裕がなくなっているだけではないのか、と思わないでもない。

[2537] Aug 09, 2016

眼科と皮膚科へ行く。例によって眼科はものもらい。アレルギー体質なので罹りやすいのは仕方ないが、両目とも傷んでいて日常生活がしんどくなった。いつもの薬をもらう。眼圧に異常はないが、念のため次回は眼底検査するとのこと。▼皮膚科は夏季休暇に入る前の薬補給。とくにザイザル錠がなくなるのは困る。事前予約ができるだけ良いが、診察に二時間、薬の処方に四十五分かかった。病院は混雑しているからわかるものの、薬局は閑散としていて私の他に二人くらいしか人がいなかったのに、どうして一時間近く待たなければならないのか、不思議で仕方ない。誰も呼ばれない十五分から二十分のあいだ、窓口の向こうでは何が行われているのだろう。▼待ち時間にノートパソコンで携帯のスペックを調べる。Deluxeの日本価格予想に失望しているところへ、ZTEの「nubia Z11」やHuaweiの「Mate S」あたりが視野に入ってくる。向こう二年は付き合う相棒。後悔したくない。

[2536] Aug 08, 2016

『塔の上のラプンツェル』を観る。相変わらずおてんばな女の子が大好きなディズニーらしく、向こう見ずで怖いもの知らずで、それでいて優しい心を持つ、長い長い髪の王女様が主人公の、ドタバタアクションとラブロマンスである。▼いつも通り、そんな長い髪で洞窟を走れるわけがないだろうとか、いくらなんでも馬が賢すぎだろうとか、そういう野暮なツッコミは無用だが、ひとつだけ、どうにも感情移入しにくい点があって困った。つまり、赤ん坊の頃からこんな生い立ちをしてきたら、こんな明るくて元気な娘には育たんだろう、と思わずにはいられないのである。こういう納得の行かなさは、時として車が喋る世界より受け入れがたい。▼童話「ラプンツェル」の設定と、ディズニーが理想とするキャラクターとが、それぞれ別々にあって、繋ぎ目が考慮されないまま組み合わされてしまった感は残る。しかしまあ、ラプンツェルは可愛いし、語も面白いので良しとしよう。

[2535] Aug 07, 2016

保険に入る。二十代はたいした保険にも入らずリスキーな人生を送っていたが、三十代となってはケガも病気も一気に現実味を帯びてくるので、このままではいかんと一念発起した。ただでさえ少ない月収から保険料が引かれるのは深刻だが、人生の必要経費と割り切るしかないだろう。▼評判など諸々調べた結果、店舗が近く馴染みのあるアフラックにした。寄らば大樹の陰、大企業の元。内情に詳しい人からは情弱と言われてしまうかもしれないが、これだけ長いあいだ多くの顧客を集めて運営が成り立っていること自体がひとつの安心材料でもある。いざというときのバックアップを頼む存在。格安でも不安な相手には任せにくい。▼病気、ケガ、生命保険、ガン、給与サポート。全てひっくるめて月二万に収めたいという要求に合わせてカスタマイズしてもらい、満足いく形にできた。あとは資金がショートしないよう頑張って働くまでである。保険料を払うために働くのである。

[2534] Aug 06, 2016

大学の研究室のOB会へ行く。最初の誘いを見逃していてリマインダで気づき、やや駆け込み乗車気味の参加になってしまったが、さいわい快く受け入れてくれた。あまり詳しいことは書けないが、後輩たちがいろんな分野で活躍している話を聞くのは楽しい。教授もますます時の人である。▼私は学部と修士で研究室をまたいでいて、今日の会は修士の方だが、こちらでは一期生になる。つまり、先輩はいない。知っている人は教授本人と、ひとつふたつ下の後輩くらいである。一方、学部の方では最年少なので、同じOB会でも全く毛色が違ってくる。どちらにも気兼ねなく参加できるのはありがたい。▼帰りは池袋の三省堂に寄った。蔵書数はかつての渋谷ブックファーストや新宿の紀伊国屋より少なそうだが、空間づくりが上手いのか印象が良い。かつて、引っ越しのために池袋で本屋めぐりできなくなったことを嘆いていた文人がいたが、その気持ちがわかったような気がした。

[2533] Aug 05, 2016

某所のカンファレンスに部署の代表として出席したときのこと。服装にスーツ着用の指定はなかったので、フォーマル寄りのビジネスカジュアルで出向いたが、道中、崩しすぎではないかと不安に思っていた。服装は自由と言いながら、本当にカジュアルを着てくると場違いになるという、あの企業面接のような暗黙のルールがあったらどうしよう……さて着いてみて。ちょっとしたカルチャーショックを受けた。Tシャツに短パンのおっさんがいる。たくさんいる。▼休日のだらしないお父さんか、虫捕り少年の心を持ち続けているやんちゃな中年か。ドレスコードもへったくれもない格好の人々が、正規の参加者札を首から提げて、クーラーの効いた会議ホールでアチーアチーとうちわを扇いでいる。もはやビジネスカジュアルが堅すぎて浮いている――とまでは言わないが、なるほどこういうこともあるのかと呆気に取られたことを、明日のOB会に着ていく服に悩んで思い出した。

[2532] Aug 04, 2016

TOEICが今年から新形式に変わっているらしい。問題形式が大幅に変更されたわけではなく、あくまで「現代の英語コミュニケーションに即したアップデート」であり、旧形式と新形式でスコアの意味に変わりはないという。それはそうだろう。そうでなくては困る。▼TOEICの傾向は毎年少しずつ変わっているので、古い参考書で勉強するのは良くないと識者は言うが、私の蔵書と今の新刊にそこまで差があるとは思わない。彼らも商売なので、たまには新形式と大々的に打ち出したいし、その新形式に対応した最新の参考書という形でテコ入れを図りたいというのが本音ではないかと思う。▼第一、学ぶのは言語である。言語の本質が数年単位でコロコロ変わるはずはない。高得点を取ることだけが目的ならともかく、英語力を測るためにTOEICを利用するつもりなら、古きを捨てて最新式を追いかけるのは金の無駄というものだろう。何事も流行に流されてはいけない。

[2531] Aug 03, 2016

横浜スタジアムへ行く。四月二十八日、惨敗だった中日戦以来。「次はもっと声を出すべく外野席に行こうと二人で決意した」その決意の通り、外野席へ行った。▼スタジアムに近づいたとき、五番・原口の応援歌が聞こえてきたので嫌な予感はしていたが、やはり一点先制されていた。入場したのはちょうど一回裏。これは厳しい戦いになるかもしれないと思っていたら、席に着くや否やデッドボールとエラーで同点に。さらには梶谷と筒香の連続HRであっという間に4−1である。開始早々大盛り上がりで、弁当も食べないうちから満腹になってしまった。▼外野席の熱気はとにかく激しい。攻撃のときは立ちっぱなしの叫びっぱなしで、八回裏には酸欠で足元がふらついてしまった。もちろん喉はガラガラである。隣の人が言っていたように、こうして大声を出して応援すること自体が楽しいのだ。踊って歌って盛り上げる。観戦ではなく応援の楽しみが、外野席の持ち味である。

[2530] Aug 02, 2016

XPS13-9350の購入からしばらく経つ。バッテリーを長持ちさせるため毎日は充電していないが、もともとロングバッテリーが売りの機種なので気にせず使えている。届いた日からバッグに入れなかった日は一日もない。役に立っている証拠である。▼とくに役立っているのは外よりも家の中だ。帰宅してすぐにリビングテーブルへ愛機を出せば、軽い調べ物やネットサーフィンのためだけにパソコンルームへ行かなくて済む。画像を見せて相談しながら決めるような買い物にもたいへん便利だ。さしずめ子機である。セカンドメインとして十分活躍してくれている。▼外出中の勉強やニュースサイト閲覧に、送受信各一デバイスのポリシーを破ってタブレットが欲しくなることもあるが、三台目を持ってリズムを崩すよりは、インプットを紙の本に頼ったり、大きめサイズの携帯でカバーするなど別の道を探したい。何度も失敗してきた流れだ。受信端末を増やすのはもうこりごりである。

[2529] Aug 01, 2016

最初のロングメドレーを仕上げたとき、学生だったこともあり、実働時間はほとんど深夜だった。ヘッドフォンを被ったまま椅子の上で寝てしまったことも多々ある。当時はまだHD650なんて上等な代物ではなく、確かビクターのRX900だったはずだ。キャスターの故障で去年廃棄した焦げ茶の机に向かって、半分寝ながら創っていた。▼八年近く前の話だが、そのときの後遺症とも呼べる反射が今の私にも残っている。ヘッドフォンをつけて自分の創りかけをプレイバックしていると、急激に眠くなってくるのだ。抗いがたい眠気が襲ってきて、気づくと再生バーが終端小節の右端を叩いている。さして眠くない昼間でも変わらないので、当時の灼熱の記憶が私の身体に影響を及ぼしていると見るのが妥当ではないかと思う。▼ただ、曲が不快な状態では眠りにくいので、寝るようになったら現在のパートがそこそこ仕上がってきた証拠でもある。これは良い指標になっている。

[2528] Jul 31, 2016

オーディオマニアを名乗るほどの財力はないにせよ、苟もイヤホンやヘッドフォンの良し悪しを云々する人間なら、今年はとうに触れてなければいけない商品があるはずだ。世界初の完全ワイヤレスイヤホン、"EARIN"である。▼もちろんKickStarterの頃からマークはしていた。なにせ耳栓のような小さなユニットを左右の耳に入れるだけでリスニング・スタンバイという夢のようなシロモノである。耳から垂れる重たい紐を毎日のように疎ましく思っている私が、まさに待ち望んでいた製品そのものではないか。▼さて、しかし発売からしばらく経った今でも、私はまだ本品を購入していない。装着感は良好で値段は想定の範囲内、音質は無線ゆえ推して図るべしだが、許容できないのはバッテリーである。いくらケースが臨時充電器になるとはいえ、公称ですら三時間という稼働時間はとても毎日の使用に耐えると思えない。せめてもう一声――と改良版の登場を待っているのである。

[2527] Jul 30, 2016

風呂場にムカデが出た。出たというより、入ったらすでに居た。どこから侵入したのか知らないが、浴槽に入ったものの滑りが良いせいで外に出られず困っているらしい。同じところをぐるぐるまわっているので、虫取り網で掬ってビニール袋に入れ、家の外へ逃がしてやった。▼最初に見たときの感想は、やはり君は足が気持ち悪いな、であった。すばしこく逃げまわったりのたうち回ったりするゴキブリと違って、動きは緩やかで行き先の予測もつくし、「ここから出してくれー」と言わんばかりの必至な様子も伝わってくる。飛べないところも安心だ。しかし如何せん足が気持ち悪い。致命的に気持ち悪い。▼それにヤスデやゲジと違って、ムカデは益虫でも不快害虫でもなく、神経毒持ちのれっきとした害虫である。まだ咬まれたことはないが、咬まれたら相当に痛いらしい。故に、やはり好感は一切持てない。我が家に巣食う雀たちに賃料代わりで始末して欲しいところである。

[2526] Jul 29, 2016

今、私が発売を待っているZenFone3は、無印もDeluxeも「デュアルスタンバイ」に対応している。日本版で削除されない保証はないが、国内でも使えるとしたら最高だ。▼現在流通しているデュアルSIMはシングルスタンバイがほとんどで、二枚SIMを挿せると謳っていても現実には手動でアクティブなカードを切り替えなければならず、物理的に挿し替える手間が省ける程度のものでしかない。しかしデュアルスタンバイなら二枚同時に待ち受けが可能だ。つまり、もし3G/4Gの同時待ち受けが出来るなら、MNO3社の音声通信で旧来の電話機能を賄い、データ通信は格安のMVNOを使うといった運用で月額費用を大幅に抑えられることになる。▼実際、私もここ数ヶ月は四週目になると必ず7GBを超えて速度制限を受けている。テザリングも出来なくなってたいそう不便だし、常にMAXで課金される料金も馬鹿にならない。待望のデュアルスタンバイ対応機に期待大である。

[2525] Jul 28, 2016

庭の蛇口からホースをひいて、二階のベランダを掃除する。十年くらい雨ざらしにされていた場所だけに、どこもかしこもすこぶる汚い。漂白剤に浸したデッキブラシで青カビを落とし、煤や木屑は水圧で掻き集めて捨てる。雀の巣のせいか、手摺にはいくつも鳥の糞がこびりついていた。これを拭うのがまたけっこう大変な作業だったりする。日の落ち始めた夕暮れ時の水仕事である。▼潔癖とは思わないが、人並み以上に虫や汚れが苦手な私にとって、入り組んだ場所のドロドロやベトベトは見るのも嫌な存在だ。ただ、見るのも嫌だからこそ、それを自分の手で駆逐していける清掃作業というのは案外楽しい。ピカピカになった場所を眺めて悦に入るというよりは、まっさらな表面に突き出した不規則な凸凹を削り落として、生理的な快感を得るような感じである。瑕疵のない完成品を鑑賞するよりも、不快感を削ぎ落としながら制作を進めている最中の方が楽しいのと同じである。

[2524] Jul 27, 2016

今月末から弟が再びアメリカへ行く。行くのはいいが、普段使いのリュックサックが小さすぎて、前など帰りは洋服を紙袋に入れて帰国してくる始末。これはいかんということで大きめのリュックを買うことにした。▼折しもアマゾンはバッグセールの真っ最中。最大70%オフの恩恵を受けて、通常価格16000円の40L型を5000円で買うことが出来たのだが、届いてみるとこれがどうにも小さい。高さも幅も奥行きも今までのと同じくらいに見える。しかもバッグの表記はなぜか「45L」で、いろいろ辻褄が合っていない。素材も雨で溶けそうなペラペラのナイロンである。安かろう悪かろう。▼かの偉大なるゲームクリエイター、シド・マイヤーはこう言っている。ゲームのパラメーター調整には二種類しか方法がない。半分にするか、倍にするかである、と。我々もまたそうすべきであった。30Lで不足と思うなら、まずは60Lの品物から検討するべきだったのだ。

[2523] Jul 26, 2016

ポケモンGOの影響で久々に初代ポケモンの音楽が聴きたくなり、戦闘曲だけでもと思って一通り聴いた。ちゃんと聴くのは十何年ぶりだが、今でも全く色褪せない必要十分な音づくりに改めて感動する。この低音の少なさは神がかり的だ。同時発音数という厳しい制約の時代が生んだ名作たちの列に連なる曲である。▼ノリや激しさを出すとき、私などはどうしても低音やフォルテに頼ってしまうが、実際、本当に優れた曲は想像以上に少ない音数、最小限の打楽器、高い音域、早すぎないテンポ――で「熱い」フレーズを作り上げている。全ての強拍でシンバルを打ち鳴らすような真似をしなくても、音色の調合と和声の展開によって、聴衆に手に汗握る感覚を呼び起こすことは出来るのである。▼音数は迫力の前提ではないという当たり前だが忘れがちな真実を思い出すには、やはり90年代のゲーム音楽がうってつけである。懐古趣味とはまた別に、まだまだ研究する余地がある。

[2522] Jul 25, 2016

数日前、茨城県周辺で震度4程度の地震が相次いだ。たとえ規模が大きくなくても、こう近い場所で地震が頻発すると、首都圏に生活する者としては東京直下型の影に怯えてしまう。あんまり無闇に怖がっても仕方のないことだが、最低限の備えはしておかなければと思ってしまうのが人の心である。▼しかし、リュックをまるごと売るタイプの「防災セット」は、売り出し文句の派手さに比べてレビューのテンションが低い。イメージ写真とは似ても似つかないビニール製の袋が送られてきたとか、ほとんど壊れかけの中国製の品物ばかり詰まっていたとか、中身に対して値段が高すぎるとか、苦情はさまざまである。いずれにしても、防災を人任せにする横着代は高くつくということだ。▼なので、私たちは自分でつくることにした。数多ある防災セットの広告は、買い揃えるべき品の参考リストとして有効に活用させていただく。リュックも自分好みに出来て良いことずくめである。

[2521] Jul 24, 2016

Cubaseを起動したら、ViennaEnsambleがエラーを吐いた。ロード中にプラグインの生成に失敗したという。昨日起動したときは何ともなかったのに、音源からエフェクト類まで何ひとつ動かなくなった。プリセットもロードできない。ホールの設定からミキシングの具合まで、前の状態を再現できる自信はとてもなかったが、フォーラムの類似質問を辿りながらアレコレ再インストールや設定弄りを繰り返していたら、結局はなんとか元の状態で動作させることができた。▼ソフトウェアバージョンを更新した覚えは全くないが、どうやらEnsamble側から古い音源プラグインが読み込めなくなっていたらしい。後方互換しないアップデートを告知もなくやらせるのもどうかと思うし、エラーメッセージも要領を得ないあたり、少しVSLへの信頼を損なった出来事ではある。Windowsの復元コマンドのように、いつでも昔の「動作状態」に戻せるようなメメント機構があればいいのにと思った。

[2520] Jul 23, 2016

ひきつづきポケモンGOの話。私の携帯は目下話題のシャープ製で、今から二年前に購入したSHL-24。Androidバージョンは4.2が上限で、ポケモンGOには対応していない。それで私はプレイを諦めていたのだが、弟の指摘で気がついた。そういえばNexus7を持っているじゃないか。▼Androidは5.1。2013年モデルなのでRAMも2GB。必要条件はぎりぎりながら満たしている。それでもGooglePlayには「端末が対応していない」とにべもなく蹴られてしまったが、APK 0.29.3を公式から落として直接インストールしたら問題なく動作してくれた。これで私も一足遅れてポケモントレーナーである。▼プレイ感想は追い追い。携帯の買い替えを急ぐ必要がなくなったので、日本国内では九月から十月とも言われているZenfone3(Deluxe)の発売をじっくり待てるのも助かる。余談だが、GPSの精度が粗いせいで稀に家の中からポケストップにアクセスできるのも嬉しい。蕎麦屋さまさまである。

[2519] Jul 22, 2016

午前中に「ポケモンGO」の日本配信が始まったとき、社内で「ポケモン来たぞ!」と声があがった。昼食で外へ出ると、スマホを掲げて練り歩く人が視界に必ず一人はいる。駅周辺にはPokemon!とアクセントを弾ませながらはしゃぐ外国人たちの姿もあった。適当に選んだ飯屋の席に着くと、後ろから「ポケモンが……」と会話が聞こえてくる。会社へ戻ると、すでにポケモンを捕まえた駆け出しトレーナーたちが何人か談笑に興じていた。社会現象だな、と肌で感じた。▼あとはこのブームがどれだけつづくかだ。あのイングレスとて「最高に面白そうなゲーム」でありながら「すぐに飽きる」という欠点からはついに逃れられなかった。ポケモンGOも、プレイヤーたちの姿と画面を見ていると、よくもこんな面白そうなゲームを作ったものだと感心しつつ、しかしすぐに飽きそうだなという思いもよぎる。この課題の継続性をどう克服していくか。任天堂の腕の見せどころだろう。

[2518] Jul 21, 2016

スマートフォンという受信機と、ノートパソコンという発信機を得て、バックパックの重量もそれなりになってきたところ。受信端末と発信端末をひとつずつという配分は、紆余曲折の末に辿り着いたモバイルの結論でもある。これ以上は持ち歩けないし、バッテリー管理も出来ない。私には二台が限界である。▼しかし、ひとつ浮いたアイテムが出来てしまう。音楽プレイヤーだ。AK120-IIは音質も大満足で長いこと活躍してもらったが、ハイレゾブームが個人的に”寒い”こともあり、またスマホ側の音質もサイアクというほどではなくなってきたので、存在意義が少しずつ薄れてきている。三台目の端末なので充電も疎かなことが多く、家に置いて出る日も増えてきた。潮時なのかもしれない。▼オーディオも受信に分類するなら、スマホにまとめた方が賢くはある。WindowsPhoneでさえなければElite-x3も視野に入ったが、そうでなければZenFone3無印かDeluxeが落とし所だろう。

[2517] Jul 20, 2016

XPS13-9350が到着。まっさらな状態のわけあり品で、BIOSからドライバインストールまで諸々手動で出来る人限定の販売ということで、格安で入手することが出来た。もちろんこの手の初期設定は朝飯前だ。二時間弱で全ての設定が終わって、問題なく動作するところまで来た。▼これからしばらく使い込んで、タッチパネルありモデルの選択が正しかったのかどうか、やはりSurfaceProにすべきだったのかどうかなど、いろいろ考えていくことになる。クラムシェル型だとタッチは不要どころか害悪という派閥も強いが、私はすでにセットアップの段階で相当触っているので、とても不要とは思えない。パネル搭載分の値段上昇と、バッテリー持ちの悪化に耐えられるかどうかだろう。こういう要素は長いあいだ使ってみないとわからない。▼PCIeだけあって起動速度はまずまず。3K解像度は少々オーバースペックだが、拡大表示で文字など美しいのは嬉しい。本格稼働させていこう。

[2516] Jul 19, 2016

明日からポケモンGOが日本でも配信されるらしい、とリーク記事が流れている。ポケモンは赤・緑をやったきり、まったく疎遠に生きてきた私だが、正直、ポケモンGOの企画力には脱帽しているところだ。心ひそかに配信開始を待っていた。▼イングレスが世に出たときからARには絶大な可能性を感じていた。VRよりよほど未来がある、という主張もいつかの記事に書いたと思う。ポケモンGOはこのARの力を完璧に活かした。ゲームのコンセプトを聞いただけで「これは面白そうだ!」と確信できる作品が、近年どれくらい出ただろうか。もちろんゲームの真の評価はリリース後の運営、アップデート、バグの量やバランスの設計などに大きく左右されるだろうけれど、現時点で世界が抱くワクワク感は計り知れないものがある。▼しかし、残念ながら私の携帯はAndroid4.4に対応していない。スペック的にはもう少し長く使える端末だが、悲しいかな、ここでお別れである。

[2515] Jul 18, 2016

買い物への道すがら、やけに雀が多いなと思った。小さな雀がそこら中を、文字通り飛んだり跳ねたりしている。ちゃんと避けてくれるので歩行の邪魔にはならない。巣立ちの季節かな。そんなふうに思っていた。▼ところがそれどころではなかった。いつものPC部屋。エアコンのダクトを通すために開けた壁の穴に、外から雀が巣を作っていたのだ。よく聞くと壁の中から鳴き声がする。これは一大事である。▼鳥獣保護法によると、雀などの巣は雛が巣立ってからでなければ除去してはならないらしい。しかし、巣は私たちの天敵と言っても良いダニを無尽蔵に繁殖させるため、時間が経つと家の中まで大量のダニが湧いてきてしまう恐れがある。そうなったらせっかくダニの撲滅に尽くしている日々の努力が台無だ。まさしく喫緊の死活問題である。▼目下、取り付け工事業者に落ち度の有無を確認依頼中。除去作業には十万以上かかるらしい。財布の方もだいぶ死活問題である。

[2514] Jul 17, 2016

ディズニー好きの同僚に勧められた作品『ヘラクレス』を観る。▼ギリシャ神話をベースにしつつも、半神半人ではなく最初から神として生まれていたり、その母がアルクメネではなくヘラであったりと、ほとんどオリジナルと言えるほどの近い改変ぶりで、公開当時は賛否両論を呼んだらしい。しかし、いかにもディズニーらしくミュージカル風に仕立てられたストーリーは、破綻もなく勢いも良く、観ている者に細かいことを言わせない迫真さがある。”重箱つつき”を黙らせる威風堂々の佇まい。この評価は私がディズニーに与える常の評価になりそうだ。▼ストーリーラインの特色は、ヘラクレスの受ける苦難が少なく期間も短いところだろう。地上の英雄となった完全無欠のヘラクレスは、映画の王道展開なら不運か宿命によって一度は地獄に落ちるところだが、本作では結局パーフェクトなまま全て丸く収めている。カタルシスは弱めだが消化の良い順風満帆の英雄譚である。

[2513] Jul 16, 2016

数日前からスマートフォンの万歩計機能を有効にしている。ひょんなことから自分の日々の歩数を確かめてみたくなったのだ。しかし、計り始めて早々、思いもかけないことが起きた。▼計測初日。帰りのヨドバシカメラでふと、この標準的な通勤の行き帰りでどれくらい歩いているのかなと思い、歩数を確認してみると、なんと7777歩であった。くだらないようだがけっこう驚いた。長く続けていればそういう日もあるだろうが、初日の出来事である。幸運を感じても不思議ではない。▼そうして二日後。いつも通り漫然とツムツムを遊んでいたら、これもまた全くの偶然から、所持コイン数が777777枚になった。今度は思わず声が出た。万歩計の事件があったから尚更である。この短い間に私は7を10個も並べてみせたわけだ。▼単なる偶然の一幕で片付けてもよかったが、せっかく心の大義名分を得たので、十数年ぶりにサマージャンボ宝くじを買ってみた次第である。

[2512] Jul 15, 2016

紆余曲折あったが、DellのXPS13(QHD+Touch)に決めた。2in1は諦めた形になる。▼決め手はキーボードに尽きる。通い詰めて何度も打鍵感を確認したが、Surface Pro4のベコベコ感は文章書きとしてどうしても許容できなかった。これにElite x2のキーボードがついていたら即決なのに、と何度思ったか知れない。マイクロソフトには是非、高級感のある手触りを追求する前にキーボードの剛性を追求して欲しいものだ。▼もうひとつの判断材料は、携帯。次に買い換えるときは大画面にしようと考えているので、ここに2in1が重なるとタブレット的な端末が二台になってしまう。これはいかにもセンスがない。受信機は携帯、発信機はラップトップと住み分ける方がシンプルだ。今や候補はクラムシェルに絞られた。▼あとは好みの世界である。通信感度やサポートの質など悪評も少なくないが、デザインも性能もちょうどよくスッと気に入ったので、ここはひとつ直感に託してみたい。

[2511] Jul 14, 2016

社員食堂のチープなうどんを食べる。▼数ある食堂メニューの中でも、私はとりわけこのうどんが気に入っている。典型的な関東風の濃いつゆに、スーパーで売っていそうな格安麺を投入、おばちゃんの気分で茹で加減が決まり、わかめとかまぼこが申し訳程度に添えられた三百円の素うどんだ。これに七味唐辛子を多めに入れる。濃い味の汁に辛さが絡んでいっそうジャンキーな味わいになる。関西の人はきっとこれをうどんとは認めないだろう。うどん風の何かである。しかし、なぜか妙に旨い。▼客観的に見て美味でない食べ物が主観的に旨いと感じられる場合、その人はその品を小さい頃から食べつけていた可能性が高い。出身地方を遠く離れてきた人々が、口を揃えて故郷の飯ほど旨いものはないと主張するのは、単に過去が美化されているばかりではないということだ。▼私にとってもこのうどんもどき、昔どこかで食べたことのある味である。この記憶の遡行が美味なのだ。

[2510] Jul 13, 2016

川崎市市民ミュージアムで開催されるマンガ展のポスターを見た。銃を構えて臨戦態勢でこちらを見つめているのは「ゴルゴ」と「よつば」。なかなか味のある共演である。シンプルながら人目を引く、センス良い広告だと思った。▼ふと思い出したのは、東京オリンピックの公式アニメグッズだ。あまりのダサさに大不評だが、いざこうして「センスのある」絵を見てしまうと、あのTシャツやうちわに対して「センスがない」と評するのはお門違いではないかと思えてくる。センスがないというのは、真面目に作ったものに対して尚、何か美的感覚が欠如しているさまを表す言葉であろう。あれらのアニメグッズはどう見ても真面目にデザインされたとは思えない。「真面目に作れ」が先である。そのあとでセンスの問題が立ち上がる。▼いくら巧妙に隠しても手抜きはたいてい悟られてしまうものだが、悟られる以前にあからさまだとしたら、それはまだ評価の俎上にすらないのだ。

[2509] Jul 12, 2016

いまさらながらDX11の基礎知識を学び直すべく『Practical Rendering and Computation with Direct3D 11』を買った。発売から五年近く経つが、未だに日本語訳は出ていないらしい。▼本の存在は前から知っていたが、仕事の綾でDX11に直接関わる機会がほとんどなく、機会がなければ必要ない、必要なければ学ばないという典型的な惰性で真面目に取り合わずに来た。しかしここへ来てDX11の実装に携わり、よりハードウェアに近いところで基礎的な知識の不足が露呈。これはいかんなと思って即注文したのである。本は注文の翌日に届いた。毎度のことながら、このスピード感は恐ろしい。▼描画を生業にする者なら本書の内容は基礎も基礎だろうから、面白い内容を見つけて記事にするようなことは出来ないだろう。記事にしにくい本を読み始めると、安易に読書へネタを見いだせなくなるので自然と日常生活に意識が向く。実体験を解剖し始める。これはこれで良いことである。

[2508] Jul 11, 2016

これから何を勉強したらいいですか、と後輩のプログラマに訊かれた。「これから何をしたいかによるね」というのが正直な答えだが、月並みすぎるし、はぐらかしているようで気に食わない。もう少しマシな言い方を考えて答えてみた。「それはあなたがどんなバグと戦いたいかによるね。」▼どんな分野だって、自分で考えて自分で実装して、物が出来上がっていくあいだはそれなりに楽しい。しかし終盤、バグと戦う時期が訪れたら世界は変わる。自分の意志など及びもせぬ想定外の現象を前に、ただこつこつと時間と労力をかけて原因を解明し修正を加えていく、そういう地道な仕事をしなければならない。その仕事の質が気に入るものを選んで勉強していくのがよかろう、と私は思う。▼バグを追うことに楽しみを見いだせる分野があるなら、その分野に飛び込んでいくのが幸せだ。その飛び込みの準備運動としてバグの追い方を学んでおくことは、間違いなく役に立つだろう。

[2507] Jul 10, 2016

野球が好きな人の中には、数字が好きなので野球が好きという人が一定数いるらしい。打率、打点、本塁打、盗塁、OPS、防御率、与四球、奪三振……ペナントレースは数字の宝庫だ。誰々の打率が何厘上がって、一位との差が何分になったとか、数字の上がり下がりを見ているだけで楽しいという気持ちはよくわかる。贔屓の球団や目をかけている選手の数字だけを追っていれば、試合自体は見ていなくてもかまわないという人がいても不思議ではない。▼今日はそれに近い気持ちで参議院選挙の開票速報を見ていた。残り十数議席を残して自民の単独過半数や改憲派の三分の二が成るか成らずかというところ。個々の政党が掲げている政策がどうであるとか、実際に自民が過半数を達成したら国がどうなるとか、そういう興味が全くなくても、各政党の候補が数字を伸ばしたり落としたりしている様子には何か純粋な楽しさがある。子どもでもわかる子はわかる。数字の魔力である。

[2506] Jul 09, 2016

『シンデレラ』を観る。ディズニーが挑む傑作童話の実写版ということで、どちらかというとCG合成寄りの変わり種かと思っていたら、想像以上に「実写映画」として良く出来ていた。良い脚本、良い編集、良い演技。実に気合いが入っている。▼意地悪な継母とその姉妹、健気に働くシンデレラ、魔法使いのおばあさん、カボチャの馬車、ガラスの靴、階段、真夜中の鐘、花嫁を探す王子様……。私たちが「シンデレラ」と聞いて思い浮かべるシーンの全てを削ることなく実写に仕上げつつ、一方、王子の人柄や継母の心境といったような、原作ではあまり触れられることのない要素も描いてみせる。盲目的な原作崇拝でも陶酔的なオリジナル志向でもない、まさに理想のアレンジ作品といったところ。潔い直球勝負である。▼BDのボーナスコンテンツで見る主演のリリー・ジェームズも、なんだか作中のシンデレラとそんなに変わらないような、不思議な魅力があって素敵だった。

[2505] Jul 08, 2016

日常性を妨げる困難に直面したとき、人は即座に代わりの緊急ルートを探す。たとえば卑近な例では朝の電車。乗り換えの駅に到達したところで人身事故が発生し、先の通勤路が断たれてしまった。さて、どうすればいいだろう。▼いろんな選択肢がある。復旧見込みを駅員に問い詰めて、徒歩の方が早そうなら歩いて行く。タクシーが拾えそうなら拾う、あるいは携帯で呼んでみる。別路線の乗り継ぎで辿りつけないか検討する。この駅まで行けば近くに繋がるバスが出ているはずだ、等。そうして私たちは最小限の遅刻で会社に辿り着く。情報収集力を駆使して最適な選択肢を選び出した手腕である。▼しかし、ここにはひとつ大切な視点が抜け落ちている。本当に大切な視点だ。即ち、出社を諦めるという選択肢である。実際、たとえ電車が遅れなくたって、会社に行かないという選択肢は常にあるのだ。そういう自然な発想が出来なくなるほど追い詰められないよう気をつけたい。

[2504] Jul 07, 2016

三十六度の猛暑。烏龍茶を片手に日傘を差して東京の道を歩いた。こんな日和に出張研修である。▼地下道から地上へ出たとき、あまりに眩しい陽の輝きに思わず目を瞑った。路面もビルも白く煌めく大手町である。近くのピロティに逃げこんだら、同じように日差しを逃れてか、ちょっとした人だかりが出来ていた。影つづきの先にフローズンの看板を掲げるローソンが見える。甘いものを食べる気もしない暑さだが、砕いた氷の誘惑にレジは長蛇の列だった。商品を片手に汗だくの人々がドアから出てくる。ちゃちいプラスチックカップは、日向に出たら氷よりも先に溶けてしまいそうだ。▼七月の頭に連続で三十度超えを記録したときも予感したが、今日で確信に変わった。今年は文句なく猛暑だろう。繁忙期から今の今まで何だかんだで振替休日をほとんど使っていないから、ここぞとばかり八月は自宅警備をさせてもらおうと思っている。部屋でフローズンでも食べたいものだ。

[2503] Jul 06, 2016

私は車に乗らない。目が悪いので運転が怖いし、そもそも免許を持っていない。今後、強烈な必要に迫られれば考えを改めるかもしれないが、今のところ車を持つ気持ちも予定もない。公共交通機関が便利な地域にいることの甘えでもある。▼よく、ハンドルを握ると人格の変わる人がいる、と言う。そうして実は、その人格はその人の本性なのだという話を聞いた。曰く、普段は自分が弱いことを知っているために乱暴な本性を抑えている人でも、人間に比べれば圧倒的に強くて速い車に乗ると、まるで機械の身体を得て自分が強くなったような気になるので、急に柄が悪くなったり、舌打ちをしたりするようになるのだそうだ。▼納得の行く話ではある。しかし舌打ちに関しては、運転中は両手両足が塞がっていてストレスを発散する普段の動きの癖が制限されてしまうので、自由に使える舌でいらだちを表現するしかなくなるのではないか、という別の解釈もありえそうだと思った。

[2502] Jul 05, 2016

隙を見てはIntelのCPU性能比較表を見ている。出来合いのコストパフォーマンスも十分にあがってしまい、自作の魅力がそれほどなくなってしまった昨今、性能表を穴が開くほど見つめる機会は少ない。しかし、m3-6Y30とi5-6300Uの違いは如何ほどかとか、m7-6Y75のポテンシャルはどうかとか、そういう疑問に自答できないのはファッションギークとしても癪である。この際、知識を整理し直したいと思い立った。▼デスクトップ向けとモバイル向けの混合表を見ていて思ったのは、想像していたほど両者の性能差は小さくないということだ。「Surface Bookがi7を搭載する!」と聞けば我が家のデスクトップマシンが追い抜かれたように感じるが、実際には同じi7でもBookのi7-6600Uと家のi7-4770Kの間には倍以上の性能差がある。i5やi7と言っただけでは性能は測れないのだ。モバイル系の広告が種別ばかり強調して型番を明記したがらない理由もこのあたりにあるのかもしれない。

[2501] Jul 04, 2016

『カーズ2』を観る。105分、楽しめたので文句を言うつもりはないが、はっきり言って前作『カーズ』ほど面白くはなかった。失敗とまでは言われない続編のしぼみ感。奇抜な本編が絶妙なバランスで完成しているとき、起こりがちな事態ではある。▼「ラジエーター・スプリングス」のトリックスター。お馬鹿だけど愛嬌のあるレッカー車のメーターを主役に据えて、伝えたいメッセージがある、やってみたいことがある――そういう作者の思いは理解できるのだが、その目的が先行しすぎてストーリーにもキャラクター性にも歪みが出ている。その歪みが要所要所で引っかかって、こちらはまだもやもやしているのに、本編は構わず大団円を迎えるという具合。しかもその大団円を導くのは、肝心の主役の「お馬鹿で愛嬌」な性質をちょっと無視した強引な展開である。視聴後にすっきりとはできなかった。▼あれだけたくさん作品があればこういうこともある。次に期待しよう。

[2500] Jul 03, 2016

千回に到達したときは、さすがにキリがいいなと思っていた。百回は続かないだろうと予言されて始まった「400」だけに、その十倍続いたことは快挙だと思われた。そこで打ち切って終わりにする考えもないではなかったが、やめることはいつでも出来るからと思い、構わず先に進んだ。その後、二千のキリを迎えて、さあ次は三千だ、と息巻いていたのだが、私にとっては二千五百も捨てがたいマイルストーンであることに、ついさっき気がついた。百万字である。▼何度も話題に出して恐縮だが、私は「400」が何か区切りを迎えるたびに、遥か昔に見た名前も思い出せないサイトの、名前も思い出せない管理人の言葉をいつも思い出す。「とにかく五十万字も書いた、そのことを嬉しく思う。」あれから何年経ったか。考察で五十万字を埋め尽くした彼に比べて、私の雑文の重要度は比べるべくもないだろうが、しかし私は、とにかく百万字も書いた。そのことを嬉しく思う。

[2499] Jul 02, 2016

リュックサックの肩紐に取り付ける小さなポーチのことを何と呼べばいいかわからなくて困っている。近い形状の物があまりないならgoogle画像検索を活かせるが、このたびは物自体がただのポーチなので、検索してもガジェットポーチやらバッグインバッグやらが出てきてしまって正解に辿りつけない。「これ」と思う品をクリックしてみると、商品カテゴリには「リュックにつける小さなポーチ」と書いてあったりする。もしかしたら名前なんて無いのかもしれない。▼こういうとき、さっさと知恵袋や教えてgoo!で教えを請うのも立派な手のはずだが、いまだにそれが選択肢として頭に浮かんでこない自分のことを不思議に思う。この期に及んで人に訊くのが億劫だとか無知を晒すのがイヤだとか思っているわけではないはずだが、なんとなく、自力で調べてわかるものなら時間をかけてもいいから自分で完結したいと思っている自分がいる。この気持ちの出処はいまだに謎である。

[2498] Jul 01, 2016

またしても前日の記事をドラフトにしてしまった。起き出してきた午前三時。寝ぼけてはいなかったが、目が霞んでいたのでロクに見えていなかったのだろう。それに自分しか使わないUIとはいえ、投稿ボタンの隣にドラフトチェックがあるのもよろしくない。もう何年もまともに使っていない機能だし、削除してしまった方が良いかもしれない。▼閑話休題。ここのところよくヨドバシカメラへ行く。各種ラップトップのスペック表は諳んじるほど見て飽きたので、必要なスペックの方はCorem3/4GB/128GBで良しと定めて、残りは実機の感触で決めようという段階だ。Surface Pro4で決まりかけていた案件だが、要求性能を上記のように定めたことで「Yoga 700」が強力な対抗馬として浮上してきている。カスタマイズ性を捨てて必要十分な機能を盛り込み、コストパフォーマンスを追求した本製品は、まさにミドルレンジの傑作。あとは解像度と、ペンを使うかどうかが焦点になる。

[2497] Jun 30, 2016

新人のプログラマが課題を仕上げてきた。成果物はもちろん、ソースコードも皆に見えるよう公開されている。貴重な機会なので時間を拝借して一人ひとり見ていった。▼コードの質について、書き方がどうとか、センスがどうとか、そういう野暮なことを言うつもりはハナからなかった。興味があったのは彼らのバックボーンである。課題の期間が短いおかげで、表面上はC++でも、実際には彼らの書き慣れている言語の匂いが強烈に残っていることが多いのだ。▼見てみた印象は例年と大差なし。C言語しか触ったことのなさそうな子が二人、明らかなJava使いが一人、プログラム自体あまり書いたことがなさそうな子が数人、残りはそつなくC++を使いこなしている感じである。意外だったのは11/14使いが一人もいなかったこと。大学の情報系の授業がまだCやJava寄りであることの証左かもしれない。▼彼らはこれからC++の闇と戦っていくことになる。いよいよ実戦開始である。

[2496] Jun 29, 2016

後方不注意でサボテンにぶつかった。砂漠を歩いていたわけではない。狭い雑居ビルの屋上へつづく階段に、大きなサボテンが置かれていたのだ。ちょうど人を避けて後ろ向きにあがったところ、ちくりと太ももを刺されたのである。薄暗闇の中に潜むサボテン。視界のみならず意識の外でもある。刺されるまでは気づかなかった。▼踏み込みが浅かったので大きな怪我はないが、ズボンの裏側が何箇所か貫かれてしまって、指で触るとわかる程度のほつれが出来てしまった。今はまだ小さいが、洗濯で広がらないか心配だ。ポケットに穴が開いたりチャックが閉まらなくなったり、今度はサボテンに貫かれたりで、今年は信じがたいほどのズボン厄年である。▼腰回りのサイズが変動する都合、上と違って下にはあまり金額をかけない主義だった私が、はじめて少々奮発してみたズボンの初週の運命が、よりによってサボテンとは。小説にしても現実味がなさすぎて使えないネタだろう。

[2495] Jun 28, 2016

メインの財布を二つ折りから長財布に切り替えて以降、簡易財布代わりに名刺入れを使っている。PontaカードやTSUTAYAカードなど使用頻度の高い数枚と、昼食程度の金額を入れておくにはちょうどよいコンパクトさだ。▼唯一の問題は、間違えて小銭の入っている方を手前に開いてしまうと中の小銭を盛大にこぼしてしまうこと。これを解消すべく、同じようなサイズ感で小銭入れの部分にチャックのついている品を探し始めたのだが、探せども探せども一向に見つからない。なんのことはない、カード数枚と小銭少々を小さく持ち運びたいというだけなのに、このニーズに答えてくれる品が百貨店の財布コーナーに全く無いとは驚きである。▼全く無いとは言いすぎで、ランバンに一点、ポールスミスに一点はあったのだが、どちらも微妙に目的を外れていた。あっさり見つかると思っていただけに、まさかという思いである。なんでもありそうな世の中だが、ありそうなものが無い。

[2494] Jun 27, 2016

ひきつづきディズニー。『カーズ』を観る。カタカナのタイトルを見ても何の話かピンと来ないが、原題は"Cars"。車が主人公の物語である。▼車が主人公と言うだけなら他にもありそうな設定だが、この作品の面白くも奇妙なところは、人が車にすり替わっているだけでなく、牛や虫までもが車になっているということだ。哺乳類だろうと昆虫だろうとおかまいなし。生きとし生けるものはみな車なのである。道中、トウモロコシ畑の描写が出てくるが、あのトウモロコシは一体誰が食べるのだろうか。▼モンスターズ・インクのときも思ったが、ディズニーはいつもぶっ飛んだ設定の上に物語を組み立ててくる。世界観の構築スケールが大きいというか、アイデアの活かし方が旨いというか、とにかくエッジの効き方が半端じゃないのだ。このあたりあらためてさすがと言わざるを得ない。勉強のために見ているわけではないが、ゲームづくりのためにも学ぶべきところは山ほどある。

[2493] Jun 26, 2016

お中元を買う。こういうとき横浜で高島屋に比べてそごうの優れている点は、地下食品売り場が格段に歩きやすいことだ。混雑のわりに通路の狭すぎる高島屋に引き換え、そごうはとにかく店舗間の余裕をたっぷり取っている。エスカレーター前にどでかいゆるキャラの着ぐるみがいてもさして通行の邪魔にならないほどだ。お中元を選ぶときなど、あちこちを見て回る場合には、こうした余裕が必須になる。人混みをぐるぐる歩き回る気にはなれない。▼そんなこんなで、そごうのミレニアムポイントカードを作った。前年度にそごうで買い物をした金額に応じて次年度のポイント%が決まる仕組みだが、この基準金額を家族のカードなら合算できる点がありがたい。ただ、登録は実に面倒だった。どうして同じカードの登録に名前や住所を三回も四回も書かなければならないのか。ひたすら手書きで書類を埋めていく担当の姿を見て、百貨店はまだ二十世紀なんだなと思ってしまった。

[2492] Jun 25, 2016

南半球から一時的に帰国した元同僚と話す。半年間滞在してみた感想は、と月並みなことを訊くと、ゆったりしたところがすごく肌に合うと答えた。実に意外な答えである。なにせ彼女は日本にいたとき、まったくゆったりはしていなかった。▼曰く、たとえば他人が待ち合わせに遅刻してくるといったような、日本にいたときは出くわすたびにイライラしていた出来事が、向こうではあまりにも日常的に起こる。そうなるともはや怒るのも馬鹿らしく、他のみんなも笑って済ませているのだから、自分だけカリカリするのも無意味ではないかと、良い意味で感化されたのだという。他にもいろいろエピソードを語ってくれたが、要するに「世界は大らかなんだな」という感慨が、彼女のトークに響く通奏低音であった。▼日本はあまりにもせせこましすぎる。間の文化などといいながら空白の時間を極度に嫌う国民性は、やはり島国根性と言うしかないのだろう。彼女は楽しそうだった。

[2491] Jun 24, 2016

中華屋さんで昼ごはんを食べていたら、備え付けのテレビでイギリスのEU離脱が確実との速報が流れた。七割方開票が終わった段階で離脱票が残留票を3%近く引き離していたので、残りの地域が残留派だったとしても巻き返しはつらかろうなと思っていたが、やはりの結果になった。▼これからどうなるのだろう。経済アナリストの分析やブログを読んでいても、可能な未来がたくさんあるとわかるだけで、どの道に入っていくかはさっぱりわからない。ただ、多くのルートでイギリス貧困層の未来はあまり明るくないようだ。この手の大きな決定が、たいてい窮地にあるものの窮状を加速するのは不思議である。敗者に巻き込まれたくない人々の勝ち逃げ狙いと、地獄を見つめて生きるのに疲れた人々の死に急ぎが、言わば同時に弱者を殺す方へ作用してしまうのかもしれない。▼何にせよEUにはヒビが入った。修繕が成るか、あるいは大破か。不穏なことにならなければと願う。

[2490] Jun 23, 2016

「昼のラーメンは上手に付き合っていくのがまるそうだ。」六年前の記事の結びだが、この「まるそうだ」という表現についての一幕。角が立たない、無難である、といった意味合いで形容詞「まるい」を使っている場面だが、造語とまでは言えないまでも一般的な用法ではない。辞書を引くと「円満である」とあるので、このあたりから転用したスラングだろうという結論に落ち着いた。▼しかし驚いたのはここからだ。なんと、マルソウダという名前の魚がいるらしい。調べてみると本当にいる。スズキ目サバ科ソウダガツオ科の海水魚である。ソウダガツオとは変わった名前だが、「騒々しく騒ぐ鰹」の意味であるとか、「鰹だそうだ」を倒置した洒落であるとか、語源には諸説あるらしい。同じソウダガツオ属であるヒラソウダと合わせて鯖系・鰹系の中でもとりわけ旨いらしいが、鮮度落ちが激しいため産地での消費が基本。一般のご家庭の食卓にならぶことは稀なのだソウダ。

[2489] Jun 22, 2016

会社のアドレスに不思議なメールが届いた。題名は「Windows8.1へようこそ!」。差出人はマイクロソフト公式。マシンは10にアップグレードしたばかりである。▼メール本文ではWindows8.1がいかに素晴らしいOSであるか説かれていた。「個性を輝かせよう!」と題されたセクションでは、デスクトップのカスタマイズ方法が紹介されている。個性を輝かせたいと思って壁紙やテーマカラーを変える人がどれほどいるのか知らないが、これぞマイクロソフト流の大言壮語である。文面のそこかしこに迸る自信、Windows8.1を選ばないなんてありえないと言わんばかりのビッグマウス。なるほど、フィッシング詐欺でもウイルスでもなく、れっきとした公式のメールであるようだ。▼あんまり不意打ちだったので考えなしについ最後まで読んでしまったが、まっとうな商品紹介の最後には見事なオチが用意されていた。「いますぐWindows10にアップグレードしよう!」なんなんだ、君は。

[2488] Jun 21, 2016

『醸し人九平次』を飲む。副題に「human」と名付けられた山田錦の純米大吟醸。humanとは風変わり。「国境や文化、すべての境界を越える酒でありたい。」そんな思いが込められているそうだ。▼九平次ブランドは全てそうだが、ボトルは明らかにワインを意識している。その筋に詳しい後輩に話を聞くと、多くの蔵元が今、日本酒をオシャレな高級品としてワインに匹敵する地位に押し上げようと力を入れているらしい。ボトルとラベルで高級感を出すとなると、必然風合いも似てくるわけだ。▼わけても「醸し人九平次」ブランドの蔵元である「株式会社萬乗醸造」は国際派の旗手らしく、蔵元自らフランスへ出向いて高級レストランに販路を確立。「別誂」と名のつくフラッグシップは、今や三ツ星レストランでも採用されるほどの人気ぶりだとか。今回のヒューマンはそれよりもカジュアル寄りだが、フルーティで旨いことは間違いない。獺祭よりは独特の癖があるように思う。

[2487] Jun 20, 2016

将棋。最近は三分切れ負けルールの方でよく遊ぶが、劣勢のときの戦い方について、ひとつ会得したことがある。簡単な思考ルーチンだ。「相手の攻めに押されて手が止まってしまったら、敵陣――つまり相手側の三段目までのどこかに歩を打ち込めないか検討してみる。」▼将棋は攻め合いのゲームだが、敵の猛攻を浴びて自陣が危険に晒されると思わず反撃を忘れてしまうものだ。しかし、当然ながら相手は猛攻のために防御を犠牲にしているはずである。そうして、その脆い部分には案外『歩』がいちばん効く。相手の攻めが飛車の睨みを頼りにしているなら、飛車の横へタダで捨てる歩も十二分に働いてくれるだろう。こうした「攻めの形の守り」は意識の埒外に置かれることが多いので、私のような初心者は決め事にしてしまうと良いわけだ。手が止まったら、歩の検討。▼悩んだときに取るべき反射的な行動を定めておくことは、将棋に限らず全般に有効なテクニックである。

[2486] Jun 19, 2016

『カールじいさんの空飛ぶ家』を観る。好奇心の塊なおじいさんがあれやこれやと手を尽くして我が家を空に飛ばしてしまう――そんなポップでコメディな物語かと思っていたら全く違った。けっこうシリアスでドラマティックなファンタジー冒険譚である。私の評価は高い。▼たかが風船で家がまるごと空を飛んでしまったり、それが一昼夜のうちに北アメリカから南アメリカへ辿り着いてしまったり、階段の登り降りもままならないご老体がテーブルマウンテンの密林でハリウッドばりのアクションを繰り広げたりと、ツッコミどころは満載なのだが、そのツッコミをギャグではなくシリアスで回避しようとしている点は面白い。ありえない出来事をさもありなんと思わせるために、その無茶ごとを主人公たちの真剣な動機と行動の中に埋め込んでしまうやり方だ。真剣に妻の夢を叶えたいと願う男が風船で南アメリカを目指すなら、それは間違いなく馬鹿げたことではないのである。

[2485] Jun 18, 2016

ファスナーが壊れてウエス行きとなったズボンの代わりを買いに行く。もともと春夏秋のスリーシーズンを白二枚と灰色一枚の計三枚で着回していたので、ここで灰色に脱落されるのはつらい。合わせやすいオフホワイトとはいえ、一色でのコーディネートには限界がある。▼事前の狙い目はずばり紺。先日、鉄紺のカーディガンを仕入れたので、これに合わせるのがよかろうと目論んでいた。しかし買ってきたのは初めてのカーキ色。カーキは上級者向けで難しいと思っていたのだが、店舗内のさまざまなポロシャツを合わせてみると、茶系はかなり広義に相性が良く、白もピンクもいける。奇をてらわなければかえって万能な色なのだと知った。▼肌の都合で綿90%以上、シワの都合で綿98%以下を求めていたが、この要求もぴたりと満たす。ここまで条件が揃ったなら、当初の予定からは外れるが、ひとつ挑戦してみるのもいいだろう。こうして新たに一色が加わったのである。

[2484] Jun 17, 2016

ひきつづきバグ調査のためGPUの解析。浅い部分でミスがあることを期待したが、とうとうシェーダのネイティブコードまで辿り着いてしまった。該当のバグが発生する状況下でindefiniteな値を持つレジスタを見つけたので、そこから芋づる式にアセンブラの動作を追っていく。どうやら全く別の場所のゼロ除算で発生したinfiniteが、ずっと後の工程で不定形に化けたものらしい。しかも特定のレアな条件を満たさない限り、この不定形レジスタには後で必ず0が乗算されるため、通常時は何事もなかったかのように正しい挙動をしてしまう――これが真相であった。▼こういった問題が「原因不明」の一言で片付けられてきた過去を考えると、チームとしても個人としても、かなりよくバグが取れるようになってきてるとは思う。プログラムが量子的な振る舞いをすることはないのだから、究極的には原因不明なバグなんて存在しえないのだ。ひとえに解く側の能力の問題である。

[2483] Jun 16, 2016

所属していた部署が解体されて事実上の社内吸収合併となり、直属の上司とさらにその上の上司は二人とも異動してしまったので、新たな直属のマネージャーが少しずつ私たち漂泊組の顔と名前を一致させていく、さながら外様の状態である。▼かたや長年付き合ってきた信頼の置ける仲間たち。かたや実力のほどもわからず素性も知れぬ謎の集団。これでは正当に評価などされないのではないかと後輩が心配していた。誰でも感じる不安ではあるだろう。しかし、無理やりポジティブに捉えなくとも外様はそう悪い状態ではないと私は思う。かえってチャンスでもある。▼実際、外からやってきた人というのは、既存のメンバーより良い仕事をすると、何か新鮮で底知れぬ感じがして過大な実力者に見えるものだ。悪い仕事をすればこんなものかと見限られてしまう場合もあるが、それは古い仲間とて同じ条件である。だからここ一年、最初はいつも以上に気合を入れよう。そう答えた。

[2482] Jun 15, 2016

このごろ飛蚊症に悩まされている。昔から視力はひどかったし、多少の浮遊物は認めるところだったが、いつからか白い壁や青い空を眺めたときのゴミの量がたいそう多くなっていることに気がついた。強い近視だと若いうちから自覚しやすいと言うし、加齢で仕方ない部分もあるが、別の病気の前兆という可能性もあるので早めに検査はしたい。飛蚊症自体は治らないにせよ、網膜はく離のような致命的な症状に繋がる危険が避けられれば良しだ。▼網膜はく離の前には「網膜裂孔」という網膜に小さな穴や亀裂が入ってしまう状態が先行するが、浮遊する黒い影が目を動かした時についてくるようなら、それはまだ網膜裂孔まで至っていない可能性が高いようだ。素人判断は危ないが、安心するための材料にはなる。眼鏡を外して何度か試したが、今のところ全ての影はちゃんと目の動きについてくるようだ。ちなみにルテインも症状を緩和してくれるらしいが、さほど信じていない。

[2481] Jun 14, 2016

各所のベンチマークを覗いてみると、SurfacePro4のm3タイプはSurfacePro3のi5に迫る数字を出している。迫るだけでさすがに負けるが、i5の15Wに対して4.5WのTDPはかなり魅力的だ。グラフィックス性能も大差はない。性能をそこそこに電力消費を抑えたければm3は良い選択肢になりうる。▼第一、とにかく安い。海外通販のアウトレットも視野に入れれば六万円程度でキーボードまで揃ってしまう。128GBと少なめなストレージとメモリ4GBの心許なさは否めないが、メイン機にする野望をなかば諦めてテキストワーク主体のポータビリティ重視に切り替えるなら、価格の面でほとんど一択になってくるだろう。▼データ管理にはOffice365に付属する1TBのOneDriveも有効に活かしたい。重いデータや秘匿性の高いデータは自宅のメイン機に。閲覧頻度の高い情報や、消えては困る大切なデータはクラウドに。こうした小回りを効かせるためには、スキマ時間で作業のできる端末が要る。

[2480] Jun 13, 2016

スマートウォッチを始めとするウェアラブルの市場には、今のところ健康管理を売りにした品が多い。広告も、スポーティな老若男女が郊外の広々とした通りを走り抜け、いい汗を拭いながら手元の端末をにこやかに眺める動画ばかりだ。彼ら彼女らはきっとスマートウォッチなんかなくても健康だろう。みんなが憧れ、しかし実践はしないヘルシーな生活がそこにはある。▼心拍数、脈拍はもちろん、走行距離から歩数まで、さまざまな値を測定できる多機能モデルも出ているが、もっともみんなが測りたいであろう「体重」を測れる商品はまだないね、という話になった。どうやって測るのだと言われたら難しいが、難しいからこそビジネスチャンスはありそうだ。腕を振り回したときのトルクから逆算するか。水分と脂肪量と骨密度から割り出すか。あれこれ空想をめぐらした後、辿り着いた結論は無難な「靴」だった。後で知ったことだが、スマートシューズは目下開発中である。

[2479] Jun 12, 2016

はじめて月島へ行く。地上へ出て最初に感じる印象は、下町の上にすっぽりと観光地のガワをかぶせた町。看板にも柱にも、よく見ると至る所に英語のガイダンスがある。これがジャパニーズ下町ですよと、まるで町ごと観光客に「展示」しているような風景が特徴的だった。▼オタク街秋葉原も然りだが、ある街がひょんなことから何かで有名になった結果、その何かをより良く体現するよう街の方が書き換えられていくという流れはめずらしくない。これを拝金主義に敗北した歪な街のあり方と見るか、商業を求心力とする本来の街のあり方と見るかは、食べものの好みと同じくらい意見のわかれるところだろう。ダシの効いた深みのある味が好きか、強い調味料で味付けされた味が好きかの違いだ。▼もんじゃ焼きの主流は恐らく後者であろう。濃い味をぱりっと焼き上げて大雑把に食べる。味の深みを云々するのは粋じゃない。食べる。うまい。それでいい。そんなおやつである。

[2478] Jun 11, 2016

頭痛がひどい。このところ健康一途であったので、もしや風邪でもひいたかと早めに寝込んでみたが、深夜に起きて今、少しは楽になっているので一過性と信じたい。会社でお互いに伝染しあって休んでいた面々も、頭が痛いとは言ってなかったはずだ。私の番というわけではなかろう。▼怪しいのは肩だ。二日前、早朝から尋常ではなく肩が痛かった。ふだん肩こりに悩んでいるわけではないので、寝違えたかな、くらいに思っていたが、鞄を片側掛けにしてから徐々にダメージを受けていた可能性も否めない。それがついに爆発して肩→首→頭と来ている可能性はある。▼もともとはスーツに合わせる鞄がないという理由で買った鞄だが、カジュアルでも行けそうということで使い出したら、ほとんど常用になってしまった。しかし持ち物が増えるにつれて肩への負担が増してきたのなら、これはいよいよ楽さ重視のバックパックも必要であろう。モバイルノートが来たら尚更である。

[2477] Jun 10, 2016

SurfacePro4とYoga900sで悩んでいるうちに、X1Yogaという新星が候補に現れた。1.3kg超と少々重いが、14型の大きなディスプレイと打鍵感のしっかりしたトラックポイントつきキーボードの魅力は捨てがたい。もちろんYogaなので各種タブレットモードも充実している。▼なにより付属のペンが本体に収納できる点が素晴らしい。もちろんその状態で充電もできる。落ちないし、失くさない。磁石で本体にくっつけるタイプより便利なのは明白だろう。900sと違ってキーボードも本家ThinkPad仕様。打鍵感も弾力ある手応えで、ノートとは思えない仕上がりになっている。なかなか隙のない製品だ。それでも最大の壁はやはりタッチ時の画面の揺れ。これらメリットの合計に匹敵するデメリットである。▼そこで浮上するのが、SurfacePro4にThinkPad仕様のBluetoothキーボードを組み合わせるという奇策。実は正規のタイプカバーを買うより割安である。目下、最右翼の案ではないか。

[2476] Jun 09, 2016

牛歩がどれくらい遅いかというくだらない話から、動物一般の走る速度の話になり、いろいろ調べた。全ての陸生動物で瞬間最大速度を競うなら言わずと知れたチーターがいちばんだが、日本に生息している動物に限定すると野うさぎが時速約72キロで最も速いらしい。サラブレッドやグレイハウンドがこれにつづく。ヒグマやロバ、キツネ、イノシシなども50キロ付近で十分速い。▼この手のランキングは珍しくもないが、視点を瞬間最大から持久力に変えると面白い情報が出てくる。中距離から長距離へと走行距離が伸びたときに走破が速い動物は誰かということだ。答えは、意外にも「ヒト」である。てっきり馬かと思ったが、フルマラソンのような長距離になるとヒトに軍配が上がるらしい。他のどんな陸生動物と比べても群を抜いた持久力を誇る。さすがに厚く重たい毛皮を脱ぎ捨てただけのことはある。▼ちなみに牛は走っても時速20キロ程度。さほど速くはなかった。

[2475] Jun 08, 2016

「累」という漫画を読む。これで「かさね」と読む。有隣堂で長いこと展示されている特集で知った。展示の規模が大きいのもさることながら、一枚絵とキャプションにセンスを感じたのでkindleで一巻を買ってみたわけだ。▼そうして気づけば八巻まで読了。ここ何年かで読んだ新作の中でも指折りと言って良いほど面白い。久々に衝動買いの漫画で当たりを引いた気分だ。口紅というたったひとつのファンタジーを軸に展開するリアルな心の葛藤劇。リアルと言っても、けっして登場人物たちの性格や立ち振舞いが全て現実的なわけではないのだが、そこにリアリティを感じさせるのがフィクション作家の腕の見せ所なのは言うまでもなかろう。まさに本作の重要な主題のひとつである「真実よりもほんとうらしい嘘」である。▼明るい話ではないため、合わない人もいそうなストーリーではあるが、それを言い出したらキリはない。それも踏まえて高評価である。九巻が待ち遠しい。

[2474] Jun 07, 2016

自宅のメインPCが危うい事実を承けて、これまで蓄積してきた情報のクラウドベースな整理とマルチデバイス化を目指し、持ち運び用の端末を検討している。検討自体は何ヶ月も前からしているが、予算が立たぬこととモデルを決めかねることから先延ばしになっていた。特に最後の二択が難攻不落である。SurfaceProかノートPCか。▼SurfaceProの魅力は、なんといってもキックスタンド。これのおかげでタッチ時にも画面が揺れず操作がしやすい。2in1系のノートは軒並みここがアウトである。特殊な形状にしない限り触るとすぐに画面が揺れる。揺れてタッチが上手くいかないこともある。安定感はSurfaceProの圧勝だ。▼しかし私を悩ませる最大の欠点は、キーボードを掴んで本体を持ちあげられない仕様にある。カバー型の宿命だが外で使うには取り回しが悪い。あくまでタブレットであり、真にノートではないのだと痛感させられる、私的には譲りにくいポイントである。

[2473] Jun 06, 2016

それほど関わりは深くなかったが二言三言は言葉を交わしたことがある二つ上の先輩が、このたび長期休職になった。違うチームなので詳しい顛末は聞いていないが、多くの休職者がそうであるように、やはり心の問題らしい。一方、その先輩よりずっと親しい同僚の一人も、このごろ週の半分以上を体調不良で欠席している。間もなく来なくなるかもしれないというマネージャの見立ては、たぶん正しい。ちょっと前、彼は転職先を必死に探していると零していた。もう一人は別のプロジェクトの後輩で、意気盛んな頑張り屋だったが、与えられた職務を重荷としてか心身ともに怪しい状態だという。▼梅雨。この手の話は例年いろんなところから出てくるが、毎度ながら私には為す術がない。突き放すわけではなく、つらいと思うなら一刻も早く転職先を見つけて辞めた方が良いのだろう。合わない人には合わない職場である。そんな職場に合うことが良い事とも限らないではないか。

[2472] Jun 05, 2016

どんちゃん騒ぎをやる。そう形容するのがもっともふさわしい、大義名分もなく、上下関係もなく、面倒な一人語りもない宴である。私もまた、ご縁があったので参加させていただいた。▼酒と鍋を囲んで思い思いに駄弁るだけ。「〜せねばらなない」という義務が限りなく皆無に近い状態は、怠惰と言われても仕方はないが一種心地良い。飲み会と名のつく行事をさほど好む私ではないが、日ごろ義務に縛られて窮屈な心が宴によって解放される、そのメカニズムのようなものは体感できた気がする。▼明日を犠牲にしてでも全ての責務を今いっとき、忘れてしまいたいと願う心が人を酒に駆り立てる。そういう人が集まれば、自然と宴になる。ただし、それを自ら求めるようになってしまっては危険だ。恒常的に発散が必要な心の状態がつづくようなら、もはや発散は適切な治療ではない。発散を強いる要因を取り除く方が先である。このあたりのバランスを間違えないようにしたい。

[2471] Jun 04, 2016

『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』を観る。ちょっとシュールなミュージカル人形劇だ。わかるようなわからないような、筋道よりもノリと勢いを重視しているような、それでいて何かを示唆しているような。シュールとはたいていそういうものだが、観る人が思い思いに自分なりの教訓や感動を引き出せるタイプの作品だろう。▼私はというと、素直に「餅は餅屋」というメッセージを受け取ってみた。人気者でもあり実力者でもある魅力的な人格者が、もはや成功することのわかりきっている自分のフィールドにふと飽きてしまい、刺激的だが自分の天性にはそぐわない新たな領域へと全力でダイブして大失敗をしてしまう。なるほど失敗も経験ではある。が、やはり餅は餅屋。せっかく活躍できる場所があるのなら、そこで輝いていた方が誰にとっても良いことなのだと、我が家の居心地を確認し直す旅だったのではないかと、そんなふうに本作のストーリーを解釈してみた。

[2470] Jun 03, 2016

高速化という名のゲームで終日遊ぶ。バンド幅の違うメモリにそれぞれ何をどう乗せ換えればGPUが最速に駆動するか。ひたすら試行して錯誤してフレームレートを詰めていくのは、パズルゲームでハイスコアを追求するのと同じ感覚だ。ミリ秒の単位で詰められなくなると、マイクロ秒の最適化余地を探す。さすがにナノ秒単位での計測はしないが、本当に無駄があって、また本当に求められているなら、いつかやらなければならない日も来るだろう。▼冗談でも皮肉でもなく、私はこういう仕事が好きである。頭をフル回転させて遊んで帰って給料が貰えるとは素敵じゃないか。ルールの中でとある数値を改善していくことに没頭し、取り組み始めたら全く時間を忘れてしまうという点、比喩ではなく本当にゲームで遊んでいるのと変わりはない。就活生諸氏はぜひ、時間の進みが早く感じられるような作業を主とする仕事に就く、という視点も持ちあわせてみてはいかがだろうか。

[2469] Jun 02, 2016

これまで私のスマートフォンではKindleで漫画が読めなかった。ダウンロードしようとすると「このコンテンツはサイズが大きすぎるためダウンロード出来ません」と断られてエラーのマークがつく。解せない話だ。今どきたかだか50MBのファイルが大きすぎるわけはないし、第一、テザリングならタブレットの方ではダウンロードできるのだから、親機で無理というのは筋が通らぬ。設定が間違っているのではないかとか、メモリが足りないのではないかとか、今日まで悪戦苦闘していた。▼結果的にはアプリを更新したら直ってしまったので、何が真の原因かはわからずじまいである。それほど古い状態で放置していたわけでもないから、最近発生し、また最近修正されたバグなのだろう。似たような症状に苦しんでいる人がいたら、ベタだが更新は試してみた方が良いかもしれない。▼ともあれこれでまたも携帯の大画面志向が強まってしまった。5インチ超へ乗り換えの日も近い。

[2468] Jun 01, 2016

早寝早起き、と言うにはちょっとどうか。現在午前四時。三十分ほど仮眠のつもりが五時間近く寝てしまったものらしい。喉が乾いて目が覚めたのだった。▼このまま朝まで起きていれば私も健全な朝型の仲間入りだが、そんな胆力もないので記事を書き終えたらきっとまた寝てしまう。実際、偉人伝を読んでもっとも感嘆し、また落胆するのは、偉大なことを成し遂げた人は共通して朝型であるという、彼らの早寝早起きぶりを紹介するくだりだ。▼村上春樹と小澤征爾の対談本でも早朝仕事の重要性については触れられていた。朝四時に起きてランニングし、小説を書く村上春樹。同じくらい早くに起きて、楽譜の読解をする小澤征爾。仕事が捗るのは朝ということで二人の意見は一致を見る。年をとったからではなく、昔からそういう習慣らしい。▼朝四時なんて、私にとってはそろそろ寝るかと思うような時間だ。たしかに眠くなってきた。偉大なことを成し遂げるにはほど遠い。

[2467] May 31, 2016

いよいよ今季は試練――そんな言葉で結んだのが去年のこと。結局、試練は乗り越えたと行ってもよい成績にはなった。今年も恒例、POGの記録を母名で残す。楽しく振り返る日も来るだろう。以下、母名のみ指名順。マジックストーム、ハッピーパス、ミュージカルロマンス、ナスカ、アビラ、レディアルバローザ、エポキシ、フラニーフロイド、タイキクラリティ、ジンジャーパンチ。▼希望一位はドバイマジェスティだったが、ぎりぎり負けて去年にひきつづきハズレ選択を迫られる。牝馬候補筆頭のマジックストームが拾えたのは不幸中の幸い。ただ、素直にドバイマジェスティと行ければ次は牝馬のラヴズオンリーミーという大成功の一位二位も可能だったが、一位の牝馬が枷になって牡牝のリズムは崩れてしまった。そのせいもあってルーラーシップが三頭もいる。新種牡馬としてはリスキーである。下位指名も例年とは毛色の違う感じになってしまった。命運や、いかに。

[2466] May 30, 2016

ジャンプを電子版へ移行した。月額900円で読み放題、バックナンバーは登録月の全てと前月最終週の一巻を閲覧可能。三週間ほど前から移行の心づもりがあって紙版を買っていなかったので、五月分が読めるうちに急いで登録を済ませた。▼今は適当な端末がないので閲覧はスマートフォンから。ブラウザ版はスライドするたびに画面が揺れて使い勝手がお話にならないので、すぐにアプリ版へ移動したが、やはり操作感はKindleに比べるべくもない。「ジャンプ漫画が『無料で』読めるアプリ!」という触れ込みも、当然ながらジャンプが無料で読めるわけではないので、いわゆる「嘘は言っていない」という釣り文句。このあたりのチグハグさ、一愛読者としてはなんだかなと思ってしまう。▼とはいえいつもの分厚い紙を縛って捨てるもったいなさと手間を考えれば、デジタル版の存在はありがたい。今は長所と短所が釣り合ってトントンというところ。今後の改良を待ちたい。

[2465] May 29, 2016

『アナと雪の女王』を観る。字幕で見たのでタイトルは『Frozen』だった。めずらしいことだが邦題の方が素敵だと思う。日本人の感覚かもしれないが、あの内容に『Frozen』はちょっと堅苦しい。▼例の歌のシーンなど有名なところは動画や何やで観ていたから、そこは感動を新たにするまでもなかったが、案外あっさりとまとめたストーリーのなりゆきと、何よりアナの性格が想像とはだいぶ違った。頭より先に体が動く、絵に描いたような向こう見ずのおてんば姫。それでいて繊細で素直なところもある、なかなか魅力的なキャラクターだ。個人的にはけっこう好きな描かれ方である。▼それもあって「アナ」が明記されている邦題の方が良く感じるのかもしれない。とにもかくにも90分の楽しみとしては上等だった。シーンのところどころ、画面を華やかに彩るレンダリングの手法が、あれは何、これは何と目についてしまうところは残念ながら職業病。それもまた一興である。

[2464] May 28, 2016

数を絞ってでも一流のみを摂るべきか。それとも二流三流をたくさん摂るべきか。アウトプットの質を高めるために、どういうインプットが望ましいかについて、三人で軽い議論を交わした。私以外の二人の意見は、一致して後者の「二流三流でも手数」であった。論拠もはっきりしている。失敗学の見地からすれば、成功のパターンはさまざまだが失敗のパターンは共通しているので、悪いものだけを多く獲って同じ轍を踏まぬようにすることは確実な効果を見込めるというのである。▼なるほど利のない意見ではない。しかしどちらかというと前者の「一流を少量」派の私からすると、失敗学の援用は逆にも解釈できると思う。なぜなら失敗、つまり二流三流のパターンが共通しているとしたら、それをいくら採ったところで自分の引き出しは全く増えないからだ。さまざまな成功の形がありうるからこそ、可能性を探るためにも、語彙を増やすためにも、一流が必要なのではないか。

[2463] May 27, 2016

今週末はダービー。レベルが高くて誰が勝つのか全く予想も出来ない。全く予想も出来ないときは純粋な観戦に楽しみを見出して、無理に馬券を買わないのが正道だ。穴は狙うべくして狙うもの。わからないから穴狙いなんて、ロクな結果にはならない。▼ダービーが終われば新たなPOGが始まる。今年も戦略はいつも通り。「二人以上の目利きが、同じところを褒めている馬を優先して獲る。」基本線は常にここである。私は、二歳馬に対する自分の判断をさほど信用していないし、オーナーや調教師の売り込み文句も額面通りに受け取りはしない。毎年のように「兄弟の中ではいちばん」と言われながら、愚にもつかない凡走で未勝利の季節を終える馬が何頭いることか。▼しかし二人、三人のプロたちが別の紙面でこぞって同じ長所を認めているなら、本物である可能性が高いだろう。褒めている「内容」が一致すること。あとは多少フィーリングでも構わない。まぎれも楽しい。

[2462] May 26, 2016

三島由紀夫『金閣寺』読了。まとまった感想は読書ノートに記すとして、ここには断片的な雑感を重ねておく。濾過されていない分、純な感想である。▼暗い。とにかく暗い。言葉が美しいせいでいっそう暗い。表現力は見事。平明といえば嘘になるが、古典的ながら現代人にも十分通じる無理のなさ。知らなかった熟語の意味をいくつも発見した。名作らしく多面的な解釈が可能で、またそうした解釈を誘う。美について、狂気について、人生について、どんなに俗っぽく浅い考えであれ、ひとまず自分で考えてみずにはいられなくなる。こういう自己の特殊性を守るために肯定する心理、高校生くらいのときに一度は通るよな、と頬杖をついてみることだってそう。つまりは術中である。私は金閣寺をあまり美しいとは思わないが、恐らくこの小説にとって、金閣寺は別に金閣寺でなくともよかった。言わば金閣寺を出汁に、自分の美学をふんだんに盛り込んだポットシチューである。

[2461] May 25, 2016

DeNAベイスターズの躍進が凄まじい。最大で11あった借金をあっという間に2まで返済した猛烈な追い上げもさることながら、それをフロックとは感じさせない投打の厚み、いよいよチームとして本格化した気配がする。さまざまな実験を試みて四月に払った授業料も、いま思えばけっして高くはなかったのかもしれない。▼このあいだ「贔屓球団を持つことの楽しさは?」と訊かれてとっさに答えが出なかった。今なら何と答えるか。勝敗と順位の一喜一憂もあるが、それぞれに違う長所・短所を持つ選手たちが、監督の采配のもとチームとして完成していく姿を見るのが心地よいというのもたしかにある。適材が適所へ収まっていくという純粋にパズル的な楽しさ。その結果として勝利が得られれば言うことはない。▼ベイスターズが勝った日は隔日制限を設けつつビールを頂いている。文字通り夢なかばに終わった昨シーズンの悔しさを晴らすべく、このまま勝ちつづけて欲しい。

[2460] May 24, 2016

花村太郎『知的トレーニングの技術』は、先日も書いた通り独習者のための良きバイブルになりうる本だが、三十分の曲に喩えるなら、強く感銘を受けるイントロに始まり、独創的なモチーフを展開しつつ十五分頃にクライマックスを迎え、名曲の予感を漂わせたところで急激に多義的で難解な引用句の海に沈んでいくといったところ。実際、読み終えて最も印象に残っているのが「はしがき」というのは、読んだ私としてもモヤモヤするところがある。知的ノウハウの伝授は難しい。▼「必要以上に知的生産のシステムを複雑にしたり、情報の精度を追求したりして、知的創造のために「考える」時間を奪われないようにすること。情報のメモ魔・整理魔になってデータの山にうずもれ、しまいに何のための情報整理かわからなくなってしまう(中略)はっきり言ってこれは、情報整理ごっこでしかない。永遠に準備体操をつづけるようなものだ。」創造という目的を見失わないように。

[2459] May 23, 2016

モバイル端末用の国語辞典アプリ。どちらかというと電子化に力を入れている三省堂は決まりとして、「新明解」か「大辞林」かで悩んでいた。収録語彙数で言えば圧倒的に大辞林だが、新明解国語辞典の楽しさは言うに及ばず、文字数足らず。「新解さん」の魅力をご存じない方は、すぐにでも検索されたい。ネタ方面ばかり取り上げられがちだが、現代の用途に即した人間味のある解釈という哲学は大いに好感が持てる辞書である。▼しかし本日、小説中「狼藉たる花」という表現の意味がわからず、これは好機とばかり本屋で両方引いてみたところ、気持ちは大きく大辞林に傾いた。狼藉は「乱暴」の意の名詞で使われることが多いが、タリを伴い「物が乱雑に取り散らかっているさま」という意味の形容動詞にもなる。この点の明記、用法の詳細さ、さらには出典の有無。やはり数倍近い質量の違いは大きいと実感してしまったのだ。▼大辞林有利。最終結論は近日中に出したい。

[2458] May 22, 2016

小林秀雄は文芸時評を辞めた後、「省みると何をしていたかわけがわからぬ」と言っている。「人を説得したと自惚れたり、文学を指導したと妄想したりしていたのだからね。四十にもなると自分のリミットというものがおぼろげながらわかってくる。」今まで無茶なことをやっていたと思って呆然とするという小林秀雄に対して、横光利一の答え。「僕はリミットが分りすぎて困ってしまった一人だ。も一度見失ってしまいたいものだ。」▼三十、四十と若さを失うにつれ、私たちは「リミット知らず」ではいられなくなる。一度リミットを知って絶望したら、何かに取り憑かれて我を忘れない限り、もうリミットは超えられなくなる。老いて後のなお弛まぬ前進に必要なのは、努力でも気概でも覚悟でも根性でもなく、無謀な行動が賢明な思考に先立つほどの愚かさであろう。▼進みたいならば賢明であることをやめよう。何をしていたか、わけがわからぬくらいでちょうどよいのだ。

[2457] May 21, 2016

とある日、あまり忘れたくない日にハンカチを忘れたので、午後からの用事ということもあり、行きがけに高島屋で新しいのを求めた。惹かれたのはアイロンがいらないという触れ込みの一枚。眼鏡も拭けるというモコモコした手触りや、麻のようなパサついた素材など、私には好ましくない代わり種が並んでいる中で、この実用的な謳い文句は訴える力が一段強い。デザインもメーカーも様々だが、同じ「アイロンいらず」シリーズならどれでも、という気持ちで適用に斜めチェックのやつを買った。▼さて、洗濯して干して最初の一日。果たして本当にアイロンはいらないのかと広げてみたら、他のハンカチと変わらずヨレヨレである。失望半分、予想通り半分。さして落ち込みもしなかったが、明くる日また洗濯してみたところ、今度は見違えるほどパリッと仕上がった。要するにシワが出来るかどうかは干し方によるのだ。「綺麗に干せばアイロンは不要」が広告の真意であろう。

[2456] May 20, 2016

高校の時の古典教師がよく言っていた。作家にはそれぞれ適齢期があると。退職の折の送別会でも同じことを言った。俺の年ではもうミシマやダザイは読めん。お前らの年だってどうか。十代、せめて二十代でなければ。読んでいても照れくさい。▼三島、太宰は私が意識して避けてきた作家の代表二名である。もちろん食わずぎらいだ。読書初めの頃、二十世紀生まれの作家はひとまずやめようと決め込んでいたので、それこそ三島の恩師にあたる川端が1899年生まれでぎりぎり。そこから先は触らずで済ませているうちに、適齢期を過ぎてしまったのである。▼しかし今、やっと三島に手を出す決心がついた。気まぐれも込みで理由はいろいろある。適齢期云々についても、ここ最近の経験で私の精神は他人にちょうど十年ほど遅れていることがはっきりとわかったから、それなら十歳差し引いてぴったりだ。立ち読みでも拒否反応はなかった。今なら読める。そう思うのである。

[2455] May 19, 2016

教本や講座の類に、よくこんな前書きがある――これはあくまで私のやり方です。答えに辿り着く道はひとつではありません。他にもいろいろな方法があることを肝に銘じてください。云々……。▼しかし実のところ、初学者の心構えとしては逆の方が良いのではないかと私は思う。つまり、いまここで言われていることこそが、唯一無二の絶対的な方法なのではないかと、まずはそう思い込んでみるほうがよかろうと思うのだ。本気の学習は得てして盲信から始まるものである。▼第一、まだ取り組んだ経験もないものに「やり方はいくらでもある」という態度を取るのはいかがなものか。ちょっと急だったり泥濘んでいたりで行きにくい道に出会うたび、山頂への道は他にもあるさ、などと迂回していたら、永久に頂へは辿りつけはしまい。だが、ひとたび山頂へ辿り着いたなら、落ち着いて景色を見渡して、いろんなルートを探してみるのもよいだろう。話は登ってからなのである。

[2454] May 18, 2016

『測量野帳』を使い始めてから一週間。ここらで使い勝手を評価しておく。▼野帳と言うだけのことはあり、野外、つまり机のない状態での書き心地は◎。背面の固さは折り紙つきだ。防水性能の恩恵は今のところ受けていないが、急な大雨で鞄ごとびしょ濡れになるようなことがあればきっと役に立つだろう。▼カバーについて。何日か運用したら専用カバーを購入するかどうか決めようと思っていたが、現時点での私の答えは「不要」。もともと丈夫に出来ていて保護する必要はないし、細い隙間にもすんなり入る薄型・小型の利を捨てるのは惜しい。二百円というお買い得感もカバーが数千円では霞んでしまう。ペンが本体に装着しにくいことと、余裕のある空間に入れておくと頁が勝手に開いてしまう問題とを我慢できるなら、敢えてノーカバーで運用するのもひとつの正解だろう。▼結論として。値段を考えれば星五つ以外の評価は不可能。大特価十冊セットの購入が急がれる。

[2453] May 17, 2016

独学、独習に関する書籍をまとめ読みしている。ハウツー系の本は数冊を一気に読んだ方が影響を受けすぎなくて良く、自分なりの方法論も立てやすい。▼現在、苅谷剛彦『知的複眼思考法』と、花村太郎『知的トレーニングの技術』を読了したところ。細かい書評は割愛するが、どちらがお勧めかと訊かれたら後者と答える。ただし前半部のみ。たいへん良い本には違いないが、話の視程が大きくなる後半部は偉人の思想の切り貼りと寄せ集めに終始していて、正直あまり面白くない。特定の章を堺に、何年も執筆の間があいたのではないかと思うほど、別人のように衒学的になる。あるいは詩人になったり知識人になったりする。そういうのはいらなかった。▼独学は諸刃の刃である。よほどの興味と覚悟とに支えられた独学でなければ、たいていは地道で着実なトレーニングを避ける口実に過ぎない。独学を単なる甘えにしないためにも、自分にシビアな独学論を持たねばならない。

[2451] May 16, 2016

文学者の全集は目次を見ているだけで面白い。小説作品のみならず、評論から小品、書簡まで収めている本物の「全集」なら尚更だ。本当なら、それでも作家の「全て」では到底ないのだけれど、少なくとも読者を想定して公開された文書の全て、つまり「作家としての彼」の全てがそこにある、と思うと、最初から最後まで読んでみたいと思う気持ちはいやが上にも高まる。不揃いの中古全集が一気に値落ちする理由でもある。▼全集を読みたいと思うライトファンにとって、最大の障壁は価格よりも大きさであろう。もしも志賀直哉や里見クの全集が文庫で出てくれたら、私は間違いなく買うし読む。志賀直哉全集はいまだに我が家のガラス戸に守り神として鎮座しているが、読み直したいと思って開けるたび、重量に圧倒されて元に戻してしまうのだ。▼そういうわけで私は「ちくま日本文学」シリーズのようなノリで、作家の全集を次々と文庫化してくれる企画を待ち望んでいる。

[2450] May 15, 2016

ベイスターズのエースは井納か山口か――それはさておき、野球でチームを牽引する優れたピッチャーをなぜ「エース」と言うのか。私はこれまで当たり前のように、ピッチャーの守備番号が「1」だからか、トランプのエース、つまり切り札のことだろうと思っていたのだが、ふいに調べてみて仰天した。なんと由来は人名らしい。1869年に69戦65勝を記録した怪物ピッチャー「エイサ・ブレイナード」にちなんで、「エイサのような奴だ!」が「エース」になったとか。▼そんな馬鹿な。エースパイロットのエース、トランプのエースとは全く別語源だと言うのか。よくある都市伝説の類かと思ったが、いくつかの出処を辿ってみても、それなり信憑性のある説らしい。ブログや掲示板を転々とした後、今更のようにウィキペディアを見ると、エイサ・ブレイナードの記事には『切り札選手をあらわす「エース」の語源と言われる選手。』とある。信じがたいが、そうらしい。

[2449] May 14, 2016

私は身体が大きいので、洋服は必ずXL(2L)サイズを求める。一目見て「Lは厳しいかも」と思わせるくらいには大きいのだが、これだけ多くのショップがあると稀にはひどい店員もいるもので、以前などたまたま手にしていたMサイズの服を「大変よくお似合いです」などと月並みに煽てた挙句、そのまま買わせようとした輩もいた。試着していたら袖も通らなかっただろう。モラルも何もあったものではない。▼気をつけなければいけないのは「外国のLサイズなので大丈夫」という説得だ。これはけっこうひっかかる。実際には肩幅が問題になって外国だろうとアメリカだろうとLでは窮屈なのだが、これは日本で言うXLサイズですよ、などと言われるとXLサイズを求めた手前ばっさり否定もしにくいのだ。インナーはもう二、三着、これで窮屈なものを買ってしまっている。最悪の場合は弟にあげるしかない。当然過ぎる結論だが、店員が何と言おうと試着は必須である。

[2448] May 13, 2016

紀伊国屋へ行く。筑摩書房から出ている文庫版の漱石全集が一巻だけでも試し読みできないかという目論見がもともとであったが、その希望は早々に挫かれたので、残り時間は著者にこだわりなくゆっくり文学棚をめぐってきた。▼速読ブームが静かに去り、あらためて遅読・精読の重要さが説かれるようになってきた昨今。昔も速読したわけではないが、精読とは言えないスピードであっさり通り過ぎた作品たちを、今いちど読み返してもいいかなという気持ちになってきた。漱石然り、荷風然り、小林秀雄然り。しかし同時に、いざ再読と思うと猛烈に腰が重くなるのも確かだ。▼実際、気に入った音楽は何十回でも何百回でも聴くのに、気に入った本を二度読むのが億劫とはどういうことなのか。時折考えてみるものの明確な回答を出せずにいる。再読に時間を割くなら「他に読みたい本」がいくらでもあるのに大して、「他に聴きたい曲」というのはあまりないからかもしれない。

[2447] May 12, 2016

スマートフォンを見比べている。三年前モデルまで圏内に入れるとして、2013年モデルから2016年モデルまで、条件に合う機体をウェブで探してざっくりとした自分用のカタログを作り、ヨドバシカメラや中古ショップで実物に触れる。▼とにかく実物に触れる回数を増やすことが大事だ。スマートフォンの持ち心地や使い心地はスペックで見てもほとんどわからない。同じ5インチでも背面のカーブの具合で手のひらへの馴染み方は違うし、同じ解像度でも液晶面の反射率やライトの具合で見やすさは変わる。重さも要注意だ。スマホのような機器は、重量が軽いほど軽く感じるわけではない。感覚としての軽さには重心の位置が大きく影響する。鉛の棒をスマホの上端か下端につけたら、明らかに上端の方が重く感じるだろう。▼今のところ候補は何台かあるが、月額7000円を超える支払いを無駄とみて、SIMフリーへ移行するかどうかが目下最大の悩みどころである。

[2446] May 11, 2016

漱石の本を探していたら、Kindle版の「全作品集」がたったの二百円で売られているのを見つけた。青空文庫があるとはいえ、あの夏目漱石先生のありとあらゆる著作が詰まって二百円である。悲しいやら嬉しいやら、なんともわからない。▼Nexus7で読む電子書籍は全く快適だったが、どうしても二つの端末を管理するのが面倒で、鞄を変えるときに移し忘れたり、バッテリーが切れたりと、読書行為の外側で煩わしいことが多かった。こうなると、大画面のスマホを買うしかない、となる。画面サイズは5.5inch〜6.4inchが理想的だ。前から大画面スマホの否定派だったが、今こうしてやむなく肯定派に回ったとき、世間のトレンドは大型を避けて小型スマホに移行しているというのだから、なんとも皮肉である。▼auキャリアの現世代機には金額面であまり良い候補がない。2016夏モデルに期待する手もあるが、出来れば「XperiaZUltra」あたりを安く拾って差し替えたいところだ。

[2445] May 10, 2016

本日は、漱石が芥川龍之介に送ったという激励の手紙より孫引きスクラップ。▼「牛になる事はどうしても必要です。吾々はとかく馬になりたがるが、牛には中々なり切れないです。僕のような老獪なものでも、只今牛と馬とつがって孕める事ある相の子位な程度のものです。あせっては不可せん。頭を悪くしては不可ません。根気づくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えて呉れません。うんうん死ぬ迄押すのです。それ丈です。決して相手を拵えてそれを押しちゃ不可ません。相手はいくらでも後から後からと出て来ます。そうして吾々を悩ませます。牛は超然として押していくのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません。」▼偉大なる明治の知性が、新進気鋭の若き天才に贈る牛歩のススメ。こういう格好良いことを気取らずに言える素敵な文化人になりたいものだ。

[2444] May 09, 2016

筆箱やメモ帳についていろいろ調べているうちに興味を惹かれるアイテムを見つけた。知る人ぞ知る有名ノート、コクヨの『測量野帳』だ。▼その名からわかる通り、もとは測量士のために作られたという小さな手帳型ノートである。ポケットサイズ、頑丈な表紙、百八十度まで見開きできる柔軟さなど、まさに野外での使用を想定したつくりで、発売から半世紀以上を経た今でもデザインが変わらないという見事なロングセラー商品だ。有隣堂で手にとってみたが、たしかに感触は良好で、二百円という安価からは信じられない安心感がある。▼モレスキンからロルバーン、ロディアまで、いくつもの定番を乗り換えてきたというメモ帳マニアが、ついにこの「測量野帳」を永遠の愛用品としたらしい――そんな話を読んでいよいよ感心し、つい一冊買ってしまった。この商品をこよなく愛する人々は巷で「ヤチョラー」と呼ばれているらしいが、果たして私も仲間入りするのだろうか。

[2443] May 08, 2016

筆箱。学生の頃は必携だったのに、いつの間にか持たなくなってしまった。タブレット端末の進化で急なメモを紙に取る必要がなくなったからかもしれないし、書き物の主戦力がシャープペンシルと鉛筆の複合兵科からボールペンオンリーへと変わり、消しゴムなど雑多なアイテムを持つ必要がなくなったからかもしれない。いずれにしても筆箱の出番は昔に比べて減った。▼試みに高級筆箱の売り文句を見てみたら、このデジタル時代だからこそ「敢えて手書きを重視する人のために」とある。この文言には少なからぬショックを受けた。今の御時世、筆箱はもはや公式にカウンターカルチャーなアイテムなのだ。折しも今朝は全国の小中学校で無線LANの配備が着々進んでいるという記事を新聞で見たばかり。やがて学校でもタブレットペン以外の筆記用具を使わなくなるとしたら、筆箱は本当にマニアだけの携帯品になってしまうかもしれない。そう思ったらひとつ欲しくなった。

[2442] May 07, 2016

ド・ゴール将軍は、常に寸暇を惜しんで「ボンヤリ」していたそうだ。ボンヤリすることの大切さをよく知る者の逸話として、端的で仕上がりが良い。▼塾講師時代を思い返してみると、真面目で頑張り屋だが勉強のコツを掴めず成績を伸ばせない子は、この「ボンヤリ」が下手だったように思う。意識という脳の表側が苦手とする情報の体系化は、それが得意な無意識という脳の裏側に任せた方がよいのだが、自分の脳のはたらきに十分な自信が持てないと、意識から消すこと=記憶が失われることだと怯えてしまい、いつまでも無意識を稼働させることができないのだ。言わば部下を信頼出来ない上司のような状態である。いくら真面目で頑張り屋でも、それでは仕事は上手くいかない。▼脳の使い方も適材適所。意識だけで出来ることには限りがある。意識の力で関心のある情報を集めるだけ集め、分類し、分析したら、後は寸暇を惜しんでもボンヤリしなければならないのである。

[2441] May 06, 2016

街行く人のバッグを観察していると、女性のバックパック率が高いことに気づく。一昔前のバックパック――リュックサックは、機能性のみを追求する学生や、実用第一の登山家のためのガジェットという印象だったと思うが、今や日々の荷物も背中に背負うスタイルがオシャレということになっているらしい。たしかに時代は変わっているようだ。▼色はカーキ色からネイビー、ベージュ、模様入りと様々。昔ながらの黒リュックを背負っている子も多い。メーカーも工夫しているのか、どれもけっしてダサくはないし、小柄で華奢なハンドバッグよりアクティブで健康的に見える節もある。ただし、真面目な社会分析の方向に今は話を広げたくないので、あくまで個人的な感想としておきたい。四百文字はいつだって、ジェンダーを扱うには狭すぎる。▼ともあれ、私と同じようにバックパックから長らく離れていた人は、改めて選択肢のひとつに、今年あたり見直してみてはいかが。

[2440] May 05, 2016

某所でオールシーズン用のビジネスバッグを買った。雨の日も使うので革は避けてナイロン。スーツに合わせるわけではないから機能性重視で差し支えない。▼気に入った品に店頭在庫が無く取り寄せと言われ、さて後日、電話を受けて出向いてみると、届いたバッグは脚の一部が欠けていた。これには店員も真っ青である。こちらとしては他の用事もあったことだし、どのみちGWに要るわけではないから連休後で十分、と伝えたのだが、それでも平身低頭、大袈裟なくらいに謝られた。さして怒るような話でもなし、この程度のことは笑って済ませたい性分なのだが、なかなか相手が悲壮モードから折れてくれないこともある。このあたりの呼吸は客商売の中でも難しい部類だろう。▼余談だが、こういうとき良い具合に気さくな感じで詫びのオマケを要求できる人は凄いと思う。けっして図々しい態度ではなく、相手から自発的にサービスを引き出すような話術。一種の才能である。

[2439] May 04, 2016

久しぶりのラーメン開拓。幡ヶ谷の金色不如帰へ行くも、ぎりぎり午前の部に間に合わず撤退。進路を変えて新宿の塩ラーメン「麺屋海神」へ。某所の情報には夜の部が四時半からとあったが、三十分前に訪ねたら運良くすでに開いていたので、待ち時間なしで滑りこんだ。▼トッピングは全部入りで、基本の「あら炊き塩らぁめん」を注文。魚のアラを炊きあげて取る出汁が絶品と評判だが、入荷する魚は毎日違うらしく、カウンター正面には「本日の魚」が貼りだされている。本日は真鯛、平目、穴子、関八、平政の顔ぶれ。この組み合わせだからこの味が、などと私にわかるわけではないが、たしかにスープは魚介の旨味が上品に溶けこんだ薄味の逸品だった。▼評判に違わず旨いは旨い。しかし辛口で言うなら、薄味好きの私でも味のパンチがやや物足りないかな、と思ったのは事実。そこは恐らく辛味が合いそうなので、次はぜひ「辛塩らぁめん」の方を食べてみたいところだ。

[2438] May 03, 2016

今日、ホコリまみれで屋根裏の掃除を終え、電灯を付け替えるべくヨドバシカメラへ足を運んだら、帰りのエスカレーターで不思議な言葉を聞いた。売り子さんの声だ。「作りたての天然水はいかがでしょうか?」▼はて。今のはなんだろう。確かめる間もなくエスカレーターは下の階へ進んでしまったが、聞き間違いでなかったことは確かだ。作りたての天然水。作りたての「水素水」ならまだわかるが、作っているのに天然水とはいかに。気になって仕方がないので、次の機会にもういちど確かめてみようと思っている。▼それにしても昨今の水素水ブームは勢いが凄い。コンビニの清涼飲料水コーナーにもしっかり場所を占めて、いよいよ私のような「興味ない勢」の目にも止まらざるを得ないほど生活に侵食してきた様相だ。水素水。マイナスイオンと同じで、今更オカルトとかニセ科学とか言う方が野暮と思える系譜である。各人が自由に判断して飲みたければ飲めばよろしい。

[2437] May 02, 2016

接続詞を適切に使うと文章の論理は明確になっていく。ここでの「接続詞」は品詞としての接続詞よりも広く取って良い。「もうひとつ例を挙げれば」とか「そうした状況にも関わらず」とか、前の文章を承けて次の文章の役割を明確にする類の繋ぎは全て、論理の流れをわかりやすくする力を持っている。▼しかし、全ての文章同士を適切な接続詞で繋ごうとすると、くどくて読みにくい冗長な文章になってしまう。そこで、論理の流れを読者が暗黙の内に汲み取ってくれるであろう接続詞は省く。省いて前後の繋がりが曖昧になるようなら省かずに残す。▼この二段階の推敲を経て生まれた文章は、若干の機械臭を残しつつも案外とさっぱりしていて、わかりやすく流暢な文章になっていることが多い。即興性を重視する時はやらないが、長文を要する仕事のメールなど、かたい場面では稀に使う手法である。すっきりと文章をまとめるのが苦手な人は、ぜひ一度は試してみて欲しい。

[2436] May 01, 2016

毎週映画を観るのもけっこう大変だ。本と違って、常にまとまった二時間を要求されるのは厳しい。百円で一枚、BDを借りては七日以内に見られず、「またこれを貸してください」と何度もやってしまった。長期レンタル料と思えば高くはないが、少々間抜けではある。▼最初に借りてから数十日、ようやく『モンスターズ・ユニバーシティ』を観る。あの『モンスターズ・インク』の続編である。続編と言っても未来の話ではなく、マイクとサリーの出会いを描く過去の話。成功作の過去編なんて、ちょっとお察しかな……と期待値は気持ち下げていたが、しっかり良い意味で予想を裏切ってもらった。▼特にCGの出来栄えは圧巻。十二年の時を経て、3D技術もここまで進化したかと思わされる。ゼロ年代のレンダリング技術の進化を比較するにはちょうどいい材料かもしれない。前作の映像を今見て楽しめる人なら文句なくオススメだ。期待に応えてくれること請け合いである。

[2435] Apr 30, 2016

イギリスの高級ファッションブランド「ダンヒル」は、もとは馬具の会社だった。その馬具専門の家業を子供のアルフレッド・ダンヒルが受け継ぎ、今の私たちがイメージする衣類やアクセサリー会社としての「ダンヒル」になったという。馬具とファッション。意外なようだがロンドン創立ということを考えればわからないでもない。▼アルファベットが縦に長く伸びるダンヒルのロゴは、初めて見たときは「よくこんなロゴが思いついたものだ」と驚嘆したものだ。独創的だが変ではない、絶妙なデザイン。描いた人も凄いが、これで行こうと決めた人も凄い。大きく飾る看板向きというよりは小さく記す刻印向きのデザインにも見えるので、もしかしたら馬具の時代から使っているのかもしれない。▼最近追加されたという新ロゴは一文字分の複雑な文様で、バッグなどについていると、これはこれでオシャレなワンポイントになっている。なかなか不思議で素敵なブランドである。

[2434] Apr 29, 2016

昨今、熱狂著しいVRだが、私は今のところゲームの世界でVRにあまり明るい未来はないと思っている。平たく言えばVRゲーム否定派だ。理由はいくつもあって、これが最大の原因と言い切ることは難しいが、開発の難しさが作品の面白さに見合わないこと、という言い方が最も近い。コスト高なわりに、面白そうな「新しい遊び」が生まれてきそうに思えないのだ。▼VRの未来は、もっと別の業界にいくらでもある。たとえば建築。現在でも3DCGによるプレゼンは一般的だが、VRならこれをさらに推し進めて、施工前に体験できる仮想プロトタイプを提示することも可能になるだろう。ライティングも予定地の条件に合わせれば建てずして様々な調整・修正もできるようになる。こちらの方がよほどありうる未来ではないか。▼あるいは医療……と進めたいところだが、それは紙面が足りない。前向きな意見で締めるなら、ARには大いにゲームの未来があると思っている。

[2433] Apr 28, 2016

深夜残業と早朝出勤が功を奏して、なんとか定時退社で横浜スタジアムへ。今日は会社の同僚と中日戦の観戦である。▼運悪く雨の日にあたってしまったが、夕方以降の降水確率は50%ということで、中止にもならず、小降りに降られる程度でさほど難なく観ることができた。ビニールポンチョを着たのも初めてだ。いつもこうでは困るが、濡れるに任せて半ばやけくそで声を出すのも案外楽しい。▼試合の方はベイスターズの悪いところが出てしまって散々だったが、完封されたわけでもないし、桑原のHRも見られたし、新たなアイドル・ザガースキーの勇姿も良かったし、それなり騒げたのでまずまずといったところ。気になるのは筒香の途中退場だが、これはもう座して続報を待つしかない。心残りと言えば、一度くらいはチャンテが歌いたかったことか。あの盛り上がりは現地ならではの醍醐味。次はもっと声を出すべく外野席に行こうと二人で決意した敗戦の帰り道だった。

[2432] Apr 27, 2016

「あなたがこの会社で成し遂げたいことは何ですか?」そんな質問をもし社員全員に投げかけたら、少しばかりの人は熱心に夢を答え、多くの人が惰性と似たような意味の答えを返し、残りの少数が、はて、考えてみれば自分が今の環境で成し遂げたいことなどあるのだろうかと、改めて疑問を抱くだろう。そうして疑問が氷解した暁には、会社を辞めてしまうかもしれない。▼自分に対して「この人生の意味は?」と問いつづけると、魂が抜けていくような錯覚を抱くことがある。実際、「あなたがソコに所属する意味は?」という問いかけは、ソコがどんな場所であれ相手をソコから離脱させる力を持っている。家族から、学校から、社会から、国から、あるいは現世から。だからもしあなたが今いる場所に留まりたいなら、そこにいることの意味を問い過ぎるのは危険である。問えば問うほど泥沼に嵌まる可能性が高い。はっきりさせようなんて考えないほうが人生良いこともある。

[2431] Apr 26, 2016

最近、頭の体操を兼ねてアルゴリズム系のパズルをちまちま解いている。秤で偽コインを見つける問題とか、狼と山羊とキャベツが川を渡る問題とか、数字あてゲームとか、懐かしい題材もたくさんあるが、それはそれで懐かしみながらサクサク解くのも良い。本気の難問が相手ではかえって消耗してしまうので、今は仕事に支障を来さない程度に脳みそのバックグラウンドを回せる初中級くらいが適任だ。▼久々に問題紹介。難しすぎずに面白かったものをひとつ。正方形を3つL字型に繋げた3マス分のブロックで、次の盤面を隙間なく埋めることは可能か。(1)一辺が「3のn乗」マスの正方形盤。たとえばn=2なら9☓9マスの盤面。(2)同様に一辺が「5のn乗」の場合。(3)「6のn乗」の場合。(4)一辺は「2のn乗」だが、一箇所だけ角の1マスが欠けている盤。▼肩の力を抜いて、通勤・通学時間にでも頭の中で考えてみて欲しい。紙があると少々楽になる。

[2430] Apr 25, 2016

急激に暑くなってきた。「サンバリア100」の出番も近い。そうして、こう暑くなってしまうとジャケットを着る気も萎え、それよりは新しいシャツを何枚か……と夏のスタイルに惹かれはじめる。一旦間を置いて、ジャケットのことは秋まで伏せておくのも悪手ではなかろう。▼それに、急を要する別の買い物も出来てしまった。普段使いのバッグがなかば壊れてきたのだ。良い機会でもあるので、濃紺か黒のビジネスバッグをひとつ、そう値の張らない範囲で仕入れてみようと思ったが、これまた形状も機能も様々、素材も革からナイロンから種々あって、ジャケットに劣らず難しい。中身が重くなりがちなので本体が軽いこと、雨でも使えること、丈夫なこと――あたりの要求を満たすならナイロンかと思うが、最近の革は案外ナイロンに匹敵する利便性を備えていたりするので侮れない。ともかくも機能性重視で、奇抜よりはクラシックに、良品を探してまたも調査祭りである。

[2429] Apr 24, 2016

仕事で評価されない人、とりわけ仕事が出来ないために評価されていないと本人が気づいていないタイプの人に共通する考え方は驚くほど似ている。たまたま二人揃ってクダを巻いているところに出くわしたので、痛切にそう感じてしまった。彼らの主張は二段階から成る。一、自分は人より献身的に仕事をしている。二、それなのに評価されないという理不尽な処遇を受けている。▼彼らは常に、いかに自分が他の誰よりも「頑張って」仕事をしているかということを強調する。誰かがどれくらい頑張っているかということはチームにとってたいして意味を持たないし、チームがメンバーに期待しているのはアウトプットだけなのだが、自分は成果に貢献したのか、他のメンバーに満足してもらえる仕事をしたのか、次回も信頼してもらえるに足るパフォーマンスを見せたのか、そういう第三者からの視点が決定的に欠如しているために、周りからの評価は全て理不尽に見えるのである。

[2428] Apr 23, 2016

ご祝儀で悲鳴のあがる四月ではあったが、結婚式ラッシュもついに最終章。今日は挙式から二次会まで終日参加する久々の機会だった。素敵な式で満足したが、朝から挙式、披露宴とつづいて、二次会までの待機時間は炎天下の銀座六丁目を歩行者天国でぶらつき、二次会、三次会とつづいて、今、深夜三時となると眠気も最高潮である。引き出物を云々する間もなく今日は寝たいところだ。▼しかし、同僚の結婚式であれば回数も少なく限られるからよいが、部下に呼ばれるようになったら大変だろうなと思う。まして最初の一人を受諾したら、他の面々に対して断るわけにもいくまい。ご祝儀は飛ぶし、休日はなくなるしで、呼ばれる嬉しさを差し引いてもつらいものがあるのではないか。あるいは本人より先に上司の嫁が怒りそうだ、などと思索をめぐらせつつ焼き菓子を食べ、ベイスターズの快勝を喜び、ぼんやりと良い気分に浸りながら布団にフェードアウトしたい時分である。

[2427] Apr 22, 2016

昼食。某博多ラーメンの店へ久々に足を運んだら、入口付近に大きな業務用の釜が置いてあって、紅しょうがや高菜、ゆでたまごと共に「好きなだけ食べてください」と手書きのポップが添えられていた。紅しょうがはともかく、米と高菜とゆでたまごがあればそれなり箸は進むから、事実上ラーメンを一杯注文すれば、あとは腹一杯になるまでたらふくご飯が食べられるという学生には嬉しい仕様である。たしかに客層も運動部系の学生寄りになっていた。▼数日前に訪ねた別のラーメン屋では、以前は無料であったご飯が五十円とはいえ有料に変わり、学生の姿が激減していたことを考えると、学生街でラーメン屋を営むにあたってメインターゲットの機嫌を損ねないことがいかに大切かよくわかる。どちらの店も大きく味を上げたり落としたりしたわけではないが、客の入り方は明らかに以前とは逆の様相であった。ラーメン屋が無料ご飯で命運分けるとは、客商売の難しさである。

[2426] Apr 21, 2016

第二ロットを買う時期になってきたので、サプリメントの現状を報告する。▼飲み忘れると当日中に不調を感じることもあるほど効いているのがルテイン。ブラックカラント入りの方が効果はてきめんだったが、ランニングコストが高すぎるため通常のルテインカプセルに切り替えた。これでも夕方の目のかすみは大幅に軽減される。▼次に外せないのはアルギニン&オルニチン。日々一錠の運用だが、朝の目覚めは比較的爽快。飲んで帰った日は寝る前に三錠ほど飲んでいるが、これまで二日酔いには一度もなっていない。▼ビタミンCは肌の調子に寄与していると思われるが、飲まなかったからといって大きな問題はないので保険代わり。マルチビタミンも同様、あくまで栄養欠損の埋め合わせを期待している。EPAとユビキノールに関しては、効果を「実感」することは全く出来ないが、長期的な健康を維持するための成分という性質上、信じるより他に仕方がないと思っている。

[2425] Apr 20, 2016

「職業プログラマの魅力は何ですか?」プログラマ志望の子はもともとプログラムが大好きなことが多いので、あまりそういった質問をしない。プログラムを書くのが楽しいのだから、プログラマも楽しいに決まっている。そう信じている節がある。▼しかし、当然だが自分一人で自由に書くプログラムより、制約も理不尽も多く、時におぞましいほど汚いコードを読み、またそんな身の毛のよだつコードを自分で書かなければならないような事態に陥る職業プログラマの方が、純粋なコーディング作業は楽しくない。では改めて、職業プログラマの魅力とは何だろうか。▼私は、独力で業務効率を何倍にも出来るという、能力開発の伸びしろの広さだと思っている。スーパープログラマは凡人の十倍仕事をすると言われるが、これは全く誇張ではない。他の職種に比べて、自分の成長がアウトプットの増加に反映されるスピードと比率の高い点が、プログラマの面白いところではないか。

[2424] Apr 19, 2016

去年か一昨年の新人には、どういうわけかお茶好き、カフェ好きが多かったが、今年は音楽好きとラーメン好きが多いらしい。どうして毎年一定の傾向があるのか知らないが、趣味の欄に音楽を選択する人が多いのは嬉しいことである。▼ただ、趣味の「音楽」は「読書」と同じくらい幅広い。実際、音楽を趣味と自称する者同士で会話が弾むケースはそんなに多くないのではないだろうか。聴く人、観る人、作る人。同じ聴くでもジャンルが違えば異国同然。しかも読書より領域間の垣根が深いので、オールマイティにこなせる人は稀である。まるで大学の専門教育のようだ。実際、内に籠ろうとする閉鎖性の高さは共通している気がする。▼趣味なんて所詮プライベートなものなのだから、そもそも他人と語らうことに楽しみを見出そうとするのがズレているのさ。自分一人で楽しめばいい――そんな斜に構えた意見も、こと音楽に関しては正しいように思えてくる今日この頃である。

[2423] Apr 18, 2016

ツムツムからの流れで、ディズニーの作品を観てみようキャンペーンを実施中。『モンスターズ・インク』を観る。十五年近く前に公開されたピクサーのCGアニメーション映画である。▼これまでに観たピクサーの作品は『トイ・ストーリー』と『バグズ・ライフ』の二本だけだが、当時、どちらもそれなりに楽しんだ記憶があった。モンスターズ・インクは名前だけ知っていて、インクというくらいだから何かペイント系の遊びが入ったCG作品なのかなと思っていたが、このたびあらすじを見てinkではなくincなのかと納得。紛らわしくはあるが、「モンスター株式会社」ではまるきりセンスがないので、カタカナ邦訳も仕方なしというところだろう。▼で、面白かったかと言われれば、面白かった。ピクサーのCG長編に期待する面白さが期待通りに得られた。誰がこんなの考えついたんだと思うほど突飛なアイデアを、さすがの手腕できっちりストーリーに仕立てた作品である。

[2422] Apr 17, 2016

今年も新人名簿がやってきた。詳細なプロフィールが配られるのはまだ先だが、こうして人の名前をずらりと一覧する機会はあまりないので、ひとまず順番に見ているだけで面白い。めずらしい苗字も攻めた名前も様々だ。▼我が社が殊更、特殊な名前の子を採用しているのではないとしたら、この五年間でファーストネームのトレンドは大きく変わったと思う。キラキラネームとまでは言わないまでも、私と近い世代ではほとんど見ることのなかった漢字やよみがなが急激に増えた。逆にオーソドックスな名前の方が目を引くくらいである。個性派曰く「無個性」な名前をつけた方が目立つというのは、何か皮肉めいている気もする。▼もちろん私は古い人間なので堅めの名前の方が安心できるが、さりとて個性的な名前も時代の流れ。否定する気はさらさらない。ただ、誰も彼もオンリーワンに見えるような世界にあっては、並大抵のひねりでは浮かんで来れないなと思うだけである。

[2421] Apr 16, 2016

「美意識高きリラックススタイル」という単語が脳裏から離れない。とあるファッション雑誌の煽り文句に使われていたフレーズだが、アイタタと思いつつも何か訴えてくるものがある。リラックスとは気を緩めることではない、美意識を高く持って脱力せよ。そんな啓示が詰め込まれた一文だ。なるほど、写真のナイスミドルはイスラエルの砂漠を背景にばっちりキマっている。ただし着ているジャケットは云十万だ。パンツと合わせると百万を超える。気高き美意識は相応の値段も求めるのであろう。▼メンズファッション雑誌のコーナーには、こんなもの誰が読むのだろうと思うようなターゲット不明の一冊がときどきある。百万以上する上下をポンと買えるような層が街角の本屋で千二百円の雑誌を立ち読みするのかどうか、私の預かり知る所ではないが、ハイソサエティの世界を覗いて富豪気分だけ味わうにはちょうどよいから、主にそういう用途で売れているのかもしれない。

[2420] Apr 15, 2016

晒し、叩き、ヘイト、拡散……。思えば十代初めにインターネットへ踏み込んでから、その成長と足並みを揃えるように青春時代を過ごしてきた私だが、二十年後の今、この世界は絶望的に息苦しくなってきたと感じる。滅多なことは言えない。まともなことも言えない。馬鹿も出来ない。真面目なことも出来ない。まるで、あらゆる領域に「壇」が誕生してしまったような煩わしさだ。もちろん文壇の「壇」である。▼今、何か「インターネット壇」とでも呼びたくなるような不可視のもやもやが現れている。それもたくさんだ。何かを発信する誰かはもはや重要ではなくなって、代わりに「壇」と「壇」がやりあっている。もはやインターネットで何かを発信することは、自分とは縁もゆかりもない「壇」たちが罵り合うための材料を与えているに過ぎないかのようだ。しかも「壇」はもやもやであって、そこに帰属意識を抱くことは出来ない。実に空虚な、ないがしろの世界である。

[2419] Apr 14, 2016

現実の貯金は苦手だけれど、ゲームの世界で仮想通貨を貯めるのは楽しい。そんな人、それなりいるのではないだろうか。もちろん私もその一人だが、ツムツムでコインを蓄える傍ら、その理由について考えてみた。▼考えてみた結果は実に当たり前の答えだ。一、現実世界の欲望はゲームの世界より遥かに幅広い。今、手元にいくらかの金があれば、出来ることは山のようにある。つまり、散財に対する辛抱が難しい。二、仮想世界には予想外の出費がない。ゲームのお金は自分が使いたいと思った時にしかなくならない。我慢して貯めたのに病気の治療費でパアになることもない。つまり、安心して貯められる。銀行が倒産するリスクは、ゲームの運営が終了するリスクと差し引きにしておこう。▼我慢しやすく安心して貯められる未来の快楽へのカウントアップ。現実でもそんな心運びができればいいのだが、それが出来ないからこその代償行為であると言ってもいいかもしれない。

[2418] Apr 13, 2016

ヨドバシ横浜店の地下にあった『カレーの市民アルバ』が、レストランフロアの全面改装に伴い閉店して『ゴーゴーカレー』になった。ゴーゴーカレー。学校帰りの秋葉原でよく見かけるたび一度は食べてみたいと思いながら機会を逸し続けてきたのだが、数年の時を経て、ようやくそのときが訪れたようだ。早速食べてみる。▼カレーの種類はアルバと同じく金沢カレー。金沢カレーとは、ルーが濃厚で、キャベツの千切りが乗り、ステンレスの皿に盛られ、フォークや先割れスプーンで食べる、ソースのかかった黒いカツカレーである。アルバのときから私は好きだったが、ゴーゴーカレーもやはり旨い。ロゴのゴリラに象徴されるように、味付けも店舗の雰囲気も気取った風がなく、ざっくりとしたところが魅力である。▼お土産にはレトルトカレーを買って帰れるようだ。もう何回か通ってみて家でも食べたくなったら購入を検討してみよう。尚、トッピングはチーズがオススメ。

[2417] Apr 12, 2016

生まれて初めて自分のためにファッション雑誌を買う。「自分のために」というのは、服飾・デザインの勉強がてらに見るのは好きなので、自分が着るということを完全に度外視した購入を抜きにすれば、ということだ。生活に役立てる情報として仕入れたのが初ということになる。なんであれ初は良い。▼この手の本、モデルが格好良すぎて全く参考にならないという話はよく聞く。たしかに服の着こなしや体型に依存するシルエットはそうかもしれない。けれどもインナーとジャケットの配色や、三十代に似合うネクタイの柄などモデル本人に関わりの薄いユニバーサルな意見については十分参考になる。要するに、写真の品の良し悪しを見るのではなく、一段階抽象化したレベルの良し悪しを見ていけばいいわけだ。▼もっとも品物をクールに見せたい一心で外人を使うのは反則スレスレとも思うが、雑誌本体を安くするための広告も兼ねているのだから、ある程度は仕方あるまい。

[2416] Apr 11, 2016

「優しい人」には何種類かのタイプがある。本当に心根が優しくて、他人の悲しみが自分のことのように気がかりになる人。心のなかには穏やかでないものがありながら、優しくしなかったときの険悪さが嫌いなので優しくする人。いざというとき人に優しくして欲しいから、人にも優しく接する人。他にもあるだろうが、ここでは大別して三種類としてみた。あなたが優しい人だとしたら、どれかにあてはまるだろうか。▼不思議、あるいは皮肉なことだが、どのタイプの人も生きていくのに苦労はしそうである。最初の人はいろんな不幸を背負い込んで心の休まる暇がないし、二番目の人は和を尊ぶに自分を殺していかなければならないし、三番目の人は、いくら他人に優しく接しても、いざというときにはつらく当たられて悲しい思いをするだろう。そうして、各々それを損とか不公平とかとは思えないところに苦労がある。苦労しながら生きていくのが性格というだけに過ぎない。

[2415] Apr 10, 2016

携帯の充電器を買う。我が家ではいままでひとつの充電器をみんなで使いまわしていたのだが、私が携帯と携帯の携帯充電器を両方充電するために――つまり、携帯本体だけでなく持ち運び用のバッテリーまで家のコンセントから充電するものだから、需要過多になってきたのである。獅子奮迅の働きを見せる旧充電器様の前に、充電待ちの行列が出来ることもあったくらいだ。▼さて、新しいタイプは2.4A出力なので給電が非常に速い。最近人気の急速充電を謳うタイプだが、充電される側に余計な負担がかからないのかどうかは気になるところ。某所には「電極活物質の不動態化」「過電圧によるガス発生」「電解質の分解」などにより電池性能を低下させる恐れがあると記述されているし、そもそも体感的に急速充電の方が本体温度があがるので、これだけでも電池にかかる負荷は大きい気がする。時間に余裕があるなら、低出力・低速版と使い分けた方がいいのかもしれない。

[2414] Apr 09, 2016

銀座から新橋まで歩く。銀座とひとくちに言っても広いもので、東京メトロ東銀座駅からJR新橋駅までたっぷり歩くと三十分近くかかった。▼このあたりを歩いていて面白いのは、目も眩むような眩しさの新しい建物と、何十年も前から放置されているような古い建物とが、あたりまえのように共存しているところだ。銀座四丁目から、有楽町と新橋を結ぶ「近道」まで歩いてみればわかる。この景観の移り変わりは、ちょっと他では見られない奇妙なものだ。まるで数分の間に何十年もの時を遡行したような錯覚を起こす。「ユービック」の世界である。▼流行を追う先端の街でありながら、東京であるという理由だけで焦る必要もなく、したがって古いものは遠慮無く古いままにしておける、そんな余裕の現れかもしれないと話していた。今日は新橋で乗車したが、浜松町まで足を伸ばせば、全く違う町並みが現れる。この「ごった煮感」が、いかにも東京である。東京でしかない。

[2413] Apr 08, 2016

某掲示板の不毛なクオリティ戦争を俯瞰しつつ、生地のメーカーや型番、風合いの違いや特徴などを調べている。なるべく知識優先でコストパフォーマンス等々は後回しにするつもりでいたが、どうしても相場が目に入ってしまうので、伊勢丹の価格を思い出すにつけ百貨店の宿命ともいえるロイヤリティの重荷を感じてしまう。企業か個人か、大手か中小か。このあたりの取捨選択はいつも難しいところだ。▼「銀座山形屋」と「テーラーフクオカ」は今のところ気になっている二店舗。伊勢丹ほど価格付けが高くはないが、激安を謳っているわけでもなく、代わりにオーダーのレベルを何段階かで指定できる方式を採用している。つまり、金額の分だけきっちり仕事をしますよ、というスタンスだ。私のような初心者は低い水準から初めてみて、いつか目が肥えて不満が出てきたら徐々にレベル上げていくという使い方もできる。融通が良さそうなのは間違いない。近々訪ねてみよう。

[2412] Apr 07, 2016

昔、我が部署にはスーパープログラマと呼ばれた人がいた。いかにも天才肌らしく、夏場は半ズボンにTシャツの装いで、マスターアップ直前のとある昼に突然失踪したと思ったら、なんとちょっくらヨドバシカメラまで買い物に行っていたという猛者である。残念ながら、私の入社後すぐ別の会社へ転職してしまった。給料が三倍になったと言っていたらしい。▼彼のソースコードは実に特徴的だ。コメントが一切ない。あるのは一行目の署名だけである。彼はこう言っていた。コメントが必要なコードなんて、書き方が間違っているのだと。ちゃんと書かれたコードは、ただ読んだだけで意図も挙動も伝わるものなのだと。そうして五年後の今。コメントは親切につけることを心がけてきた私にも、ようやく彼の主張がわかりはじめてきた。たしかに、正しく、美しく、即ち、必要十分に機能を満たした最小限のプログラムは、それ自体が全てを語っている。もはや注釈は不要なのだ。

[2411] Apr 06, 2016

プログラマが売っているのはロジックである。ロジックがしっかりしているという信頼である。したがって自分の責任下にあるコードの中に、どうしてそう書かれているかを説明できない行など一行たりともあってはならない。あればそれは失態である。流用だとか納期だとか釈明候補は山程あれ、有効に機能する言い分は無いに等しい。説明不能な処理がひとつでも含まれたプログラムは、致命的な欠陥プログラムでありうるからだ。説明不能に柱が一本抜かれた家など住みたいと思う人はいないだろう。▼とりあえず動いているプログラムは、とりあえず建っている家と同じくらい不安で、信頼できず、実用性に欠けるシロモノである。完成形がこのようになるだろうという示唆を与えるプロトタイプとしては役に立つかもしれないが、それに壁紙を貼ったとしても家になるわけではない。それはほとんど詐欺師の所業である。取りも直さずプログラマにも詐欺師がいるということだ。

[2410] Apr 05, 2016

ユザワヤへ行く。生地が見たかったのもあるし、あまり知られていないがオーダースーツの歴史もそれなり長い大型チェーンである。▼横浜ベイクオーター店は新宿や蒲田に比べると品揃えは少ないと聞いているが、それでも屋内の二階仕立てで十分広い。大仰な花の柄がついた生地や、アニマルプリントなどの格安生地が入り口付近にごろごろと転がっているあたり、ブランド物の高級品というより使い手のよい日用品を手頃な価格で提供する店舗に見える。▼実際、規模の経済をフル活用した圧倒的な安さはイージーオーダーでも評判だ。キャンペーン中とはいえ、通常価格22万円のゼニアのスーツ上下が59800円。ダンヒルやロロピアーナも軒並み同じような価格で売られていて、なかなかのブランド価格崩壊ぶりである。柄も型も真面目な傾向なので、カジュアルジャケットを注文するというよりは、本当にビジネススーツを誂えるときの心強い味方といったところだろう。

[2409] Apr 04, 2016

腹回りの脂肪を落とすと銘打つ運動・ストレッチは調べれば山程あるが、思うに、山程あるせいで、どれにも手をつけずに何もやらない人が多いのではないか。私も大概な怠け者だが、怠け者だからこそ腹部に肉もつくわけで、そういう怠け者が六も七も手順があるような運動をいくつもこなせるわけがないのだ。最初だけ妙に頑張って、やがて細かい所を忘れてやらなくなるのがオチである。▼怠け者が一定の成果を出すには、理不尽でもいいから自分なりの制約を決め込んだ方がいい。言わばルート弾きに徹底したベースのようなもので、変に動かすよりは安定する。私がスピーカーや洋服のメーカーミーハーから入るのも似たような理由だ。そういうわけで、今回のダイエットメニューについても、ジョギング、プランク、スクワットの三種しかやらないと決めている。決めているから続けられるわけだ。「より効率のよいやり方」という響きに流されない意志も時には必要である。

[2408] Apr 03, 2016

高額商品購入前の凝り性がさいわいして、だいぶ生地メーカーに詳しくなってきた。これまでの人生でまったく関わってこなかった領域だ。品質の評判が良かったり、名前の感触が気に入ったり、ロゴがかっこよかったり、印象は様々だが、調べれば調べるほど音楽のジャンルほどに千差万別で恐れ入る。▼圧倒的に見る機会が多いのはエルメネジルド・ゼニアだが、これは価格帯的に論外となる。生地サンプルを触ってみた感触と評判、名前の感じ、そしてなによりチョコレートのようなロゴが好みなのはロロピアーナだ。近視眼から遠目で見てもすぐにわかる特徴的な色合いが素敵である。▼それにしてもオーダーで生地を選ぶときの、あの生地見本帳が実に欲しい。メーカーごとの見本を手に入れて、家でじっくり型番を見ながら触って比べてみたいものだ。あいにく、調べてみたら一般消費者は購入できないものがほとんどらしい。通い詰めて記憶を頭に叩き込むしかないようだ。

[2407] Apr 02, 2016

村上春樹の流れから世界史に気持ちが移って以来、また文学から疎遠になりつつあるのだが、世界史に強い中公文庫の棚を見ていたら、ドナルド・キーンの『日本文学史』が気になった。▼世界文学から日本文学に移動してきたときの私は、なんとなくのミーハー心からラフカディオ・ハーンやドナルド・キーンを無意識に避けていたように思う。今なら素直に読めそうな気がするし、なにより立ち読みしただけで既に面白い。どうしても読みたい一人の文学者が見つからない時は、俯瞰的な列伝を読んでみるのがいちばんだ。欲しい服がないときにカタログを眺めるようなものである。▼その系統で最後に読んだのは『文壇よもやま話』だろうか。あれも随分多くの「名前は知っているが、どんな人か、どんな作品を書いた人はよくしらない」作家について多くを知るきっかけになった。『日本文学史』は比べればかためだが、同じく示唆に富んだ香りがする。欲しいものリストに追加。

[2406] Apr 01, 2016

病院で二時間半待ち。昔なら嘆息ものだが、今は外出して喫茶店にでも入り、ネットから診察番号を確認していればよいので、ずいぶん楽になった。病院側だって狭い待合室に所狭しと不機嫌な人々が詰め込まれているのを良しとはしないだろう。ささやかながら技術がもたらしたウィンウィンである。▼待機中には近くの高島屋で再びジャケット巡り。ただ、デザインと値段とフィット具合が全てハマる商品がそうあるはずもなく、同僚が言っていたように、デザイナーに強いこだわりがないならオーダーで作った方が良いのかもしれない。オーダーなんていかにも高そうだが、調べてみるとパターンオーダーやイージーオーダーなら同品質の吊しと値段は大差ないようだ。オーダーメイドに金を出すか、デザイナーブランドに金を出すかの二択なら、私は喜んで前者を取る。▼そういうわけでしばらくはジャケット制作奮闘記も日誌のラインナップ入りだ。初夏までには完成させたい。

[2405] Mar 31, 2016

年度末の夕方に百貨店へ行く。紳士服の六階は閉店間際で人も少ない。悠々とジャケットを見て回る。▼長らくスーツとジャケットは別物だと思っていたが、正確な区別はないらしく、もともとはスーツの上のことをテーラードジャケットと呼んでいたらしい。それが今で言うジャケットのようなカジュアルなタイプもテーラードジャケットと呼ばれるようになり、紛らわしいので呼び名を譲ってスーツはスーツ、ジャケットはジャケットになったということだ。慣用的には、ビジネス寄りで肩を出し生地もつややかなフォーマルタイプがスーツ、普段着寄りで丸みがあり生地のふんわりしたカジュアルタイプがジャケットとなる。それ以外の違いはデザインの問題であろう。▼私が求めているのは、「できるだけフォーマルよりのジャケット」だ。できればドレスコードの緩い社外の行事にも着て行きたい。したがって、裏を返せば「カジュアルに着られるスーツ」でも良いことになる。

[2404] Mar 30, 2016

競馬にかこつけた話。競馬で勝てるのはどんな馬だろうか。純粋に脚の早い馬。折り合いのつく馬。根性のある馬、などなど。競馬ゲームでいうところのスピードやスタミナに該当する能力値が想像されるところだろう。しかし、たとえ全てを備えていても、毎回大きく出遅れていてはハイレベルなレースで勝ちきることは難しい。▼出遅れ。これは単なる能力の低さではなく、他の能力の高さを無効化してしまうバッドステータスである。それでは私たちの仕事にも当てはめてみよう。つまり、仕事が早く、コミュニケーション能力が高く、追い込みのど根性があっても、そもそも仕事を始めるのが遅い人はどうなのだろうか。「いつになったら準備が出来るの?」と言いたくなるような人、あなたのまわりにはいませんか。▼何か新しいタスクが舞い込んできたとき、「その仕事を開始できるようになるまでの時間を最短化する」という意識を素早く持てるかどうかは案外重要である。

[2403] Mar 29, 2016

久しぶりの代理配信。三時間とはいえ実況と解説の一人二役で喉がカラカラだ。実況プレイをリアルタイムでソロ配信しているゲーム実況者は改めて凄いと思う。とても真似できそうにない。▼ゲーム実況者になるつもりはないが、上手くしゃべる方法についてはいつも意識している。小林秀雄は落語を聴いて勉強したそうだ。私は、なかなかこれと教師を決められないでいるが、呂律を意識する、助詞を上げない、文意が伝わりやすい語順で話す、重要なことは繰り返すなど、数点のポイントはマイクの前で注意している。発声より内容にまつわる後半の二つはとくに大切だ。いくらアナウンサーのような美声でハキハキしゃべっても、語順がデタラメでは中身が頭に入らないし、聴き手の注意の問題で重要な単語が聞き落とされることもある。▼指先ばかりでしゃべっていると、思いのほか口は回らなくなるものだ。人前で一方的に話す機会は、無理にでも定期的に持ったほうがいい。

[2402] Mar 28, 2016

招待されて「ツムツム」を始める。ワンテンポ遅れて流行りものに手を出すのはいつものことだ。最近のスマホゲームでは王道とも言えるスワップ型パズルである。▼どっぷりハマるかと言われたらハマらないと思うが、ちょっと触っただけでも設計上の優れた点がたくさん見つかる。見つかるというほど探さなくても目につくぐらいだ。ゲーム内通貨の獲得やプレイ資源の回復にまつわる諸々のルールは、友達との連携も含めて相当に練りこまれていて、「製作者のさせたいことをユーザーがしたいと思うようにする」という、ゲーム設計におけるひとつの至上命題が高い水準で実現されている。似た作品が学ぶべきところは山ほどありそうだ。▼とはいえ、継続プレイへの誘導力は認めるが、ゲームの自体は単純なので、キャラクターの解禁欲とハイスコア競争のどちらにも浸からなければ飽きが来るのも早いかもしれない。私もやはり、いつもの「詰む詰む」の方が性にあっている。

[2401] Mar 27, 2016

開幕戦を勝利で飾ったベイスターズも、カードが終わってみれば一勝二敗で負け越し。相手の投手が良かったからと言っていいかどうか、安打の割に得点力もなく、二敗はどちらも終盤の逆転負け。しかも三戦目は先発の石田が二安打無失点に抑えた直後、中継ぎ二人が六失点するという悔いの残る戦いとなった。▼とはいえ試合は始まったばかり。中継ぎだって良い時もあれば悪いときもある。石田も二安打ピッチングとはいえ明らかにスタミナが切れていたし、厳しいファンが言うほどラミレス監督の継投采配ミスとは言えないだろう。ルーキー柴田の活躍もあり、ロマックの器用なバッティングもあり、しっかりワンバウンドを止めてくれる待望の鉄壁マスクあり、筒香の打った瞬間にわかる綺麗なHRありで、前向きになる要素はいくらでもある緒戦三戦であった。▼当日記は今年もDeNAベイスターズを応援しています――ただし競馬と同じで、記事にするのは時折にとどめたい。

[2400] Mar 26, 2016

最近、書店の売上ランキング上位に心理学の本が多い。もちろん学術的な本ではなく、ビジネスの成功哲学なり自己啓発なりを心理学の衣に包んで紹介するタイプのライトな読み物系である。真面目に心理学を研究している人が、こうした書籍に心理学という学問の名前をアテていることについてどう思っているか知らないが、想像するにあまり歓迎はしていないであろう。▼こうした「心理学」を習得するメリットは、自分の感じ方や考え方が万人のそれではないということを再確認できるところだ。たとえば四魂を知って自らの個性の所属を見つけたとき、他の象限に属する人たちは物事をそんなふうに捉えるのかと驚くこともあるだろう。その驚きが成果である。しかし、これを他人に適用して対人関係を上手く運ぼうとするのは危険である。次の鉄則は心に刻んでおくべきだろう。「心理学を駆使して人の好感を得ることは可能だが、それがバレた場合には問答無用で嫌われる。」

[2399] Mar 25, 2016

思わぬ事情で仕事中に待機時間が生まれる。差し迫った仕事も少ない。修羅場の前から書き溜めていたノートを取り出し、オリジナルゲームの企画を詰めていく。半年前に書いたメモは今見返すと大体色褪せているが、中には当時と同じ期待感をもって眺められる仕様や設定もあるので、褪せる項目は褪せるに任せ、いつ見返しても鮮やかに浮かんでくる部分だけを残していけば、いつか瑕疵の少ない佳き企画になるであろう。力を得た暁には自分で作れればいいなと思うくらいの、のんびり長期戦である。▼こういうのがもし世に出たら「構想○年」とか煽りが入るのだろう。実際、ゲームに限らず娯楽にまつわる作品には、かたや時期を逃しては魅力が激減するので一気呵成に仕上げるべきタイプがあり、かたや時代の趨勢と面白さの本質にほとんど相関がないのでじっくり練り上げるべきタイプの二種類がある。私が書いているのは後者である。今のところは後者にしか興味がない。

[2398] Mar 24, 2016

明日はプロ野球、開幕戦。賭博問題でペナントリーグもどうなることかと思ったが、無事開催されるようで何よりだ。横浜DeNAベイスターズ。今年こそ優勝できそうな勢いにケチをつけられても困る。控えめに言ってもAクラスは狙えるだろう――毎年、優勝の可能性も最下位の可能性も同じように秘めているのがベイスターズの不思議な魅力である。そうして、どうにでもなりうるのなら悲観する手はないだろう。優勝、Aクラス。期待して当然というものだ。▼さいわい今年の春から夏にかけては、私の所属するチームで残業祭りは開催されない予定になっている。であれば、定時の日を決め打って最速でハマスタに駆け込めば、プレイボールには間に合わないものの、恐らく1回裏までには球場に入れる計算だ。去年の夏から秋にかけて、肝心なときに応援に行けなかった悔いを今年こそは少し晴らすことにしよう。ついでに球団醸造のオリジナルビールも飲めれば言うことはない。

[2397] Mar 23, 2016

22日の記事がドラフトになっていた。まあ、たまにはミスもいいだろう。毎日ちゃんと人間が手で更新していることがわかっていただけると思う。▼閑話休題。久々にセンスの良い音MADを見つけて唸っていた。場面場面で音と映像の相性が非常に良い。思うにそれは、音楽のメロディが持っている大きなラインを映像選択に活かしているからだ。旋律を聴いているとき無意識に動く首や顎の動きとでも言うべきか、リズムとメロディの組み合わせで生まれる「線」にきっちり合わせて映像を切り貼りしている。だから観ていて気持ちがいい。聴いていて気持ちがいい。▼これ、言うは易しで、ちゃんとできている音MADは意外に少ない。たいていの作品はリズムの方に合わせてしまっている。音MADを作ったこともないのに偉そうなことを言うのは躊躇われるが、音と映像のリンケージが高ければ高いほど良作である世界にあっては、このライン、ぜひ大切にして欲しいものだ。

[2397] Mar 22, 2016

最近、「ステラおばさんのクッキー」でクッキーの詰め放題というやつをやってみた。小さい頃、ここのチョコチップクッキーが大好きで、贅沢なお菓子としてお土産にもらったときはたいそう喜んでいた記憶がある。それが今や、大人になって詰め放題だ。ちょっとしたロマンではないか。▼専用の袋に詰められるだけ詰めてよく、落とさない限りは上にはみ出してもOKという気前の良さがイベントの趣旨らしい。袋はかなり小さいので、すり切りで入れたら量り売りと同じくらいの金額分しか入れられない。実質、どこまで上に積めるかが勝負になる。袋の口から上にクッキーが6〜7枚溢れるほど入れてみたが、880円の詰め放題に対して1200円分だった。▼ネットの特集記事などを見ると、私の3倍近く積んでいる猛者もいる。まるで袋の上に巨大な花が咲いているようだ。枚数自慢のツイッターもちらほら。溢れて良いという寛容なゲーム設計の成し得た話題性である。

[2396] Mar 21, 2016

ウィリアム・H・マクニールの『世界史』を読んでいて思うこと。たしかに名著。「読むシヴィライゼーション」というレビューをつけた某人には拍手喝采を送りたい。それほど文明発展の流れを簡潔に、わかりやすく、的確に説明している。しかし、ではこれから世界史を学ぼうと思っている人に薦めるかと言われると疑問符がつく。二冊という分量の宿命だろうが、文明の興亡が駆け足すぎるのだ。多分、初学の人が読んでも、国名と人名を追いきるのが難しかろうと思う。▼上巻をそろそろ読み終える。頁をめくっていると、すでに知っていること、忘れていたこと、断片的だった知識、そういう諸々が一筋の物語にまとめられていく。間違いなく、マクニールの「世界史」はふりかえりのための名著であろう。中学でも高校でも独学でも漫画でも、一度は学んだことがあって、しかし記憶がおぼろげだという人にこそ、ぴったりハマる著作である。残りの中公文庫既刊も楽しみだ。

[2395] Mar 20, 2016

私の探していた洋服は、アパレル用語でヘンリーネックと言うらしい。用語なんて言わなくても、知っている人は普通に知っている言葉なのかもしれないが、疎い私には初耳の単語である。したがって探すこともできなかった。ちょうど一週間前の、音楽について知りたいと言ってきた人の気持ちが、まさによくわかったのである。▼さて、ヘンリーネックで探してみたら、すぐにとは行かなかったが、納得の行く候補を何点か見出すことはできた。あとは値段と生地の相談。私は都合上、綿100%でなければ常用できないが、安価な品は大体綿95%で、痒いところにあとちょっと手が届かない。私のように100%にこだわる人も少なく無いだろうし、5%くらいケチらなくてもと思うのだが、そこは綿にしにくい場所があるとか、作り手にも安く仕上げるための事情があるのだろう。とにもかくにも、二時間ほど見まわって一件落着。めったに買わない分、洋服選びは骨が折れる。

[2394] Mar 19, 2016

訳あって、とある条件の服を探す。半袖で、白無地で、襟がないポロシャツ。いや、襟がないポロシャツは矛盾している。ポロシャツのようなシャツで、ボタンの留めはあるが襟がないものと言うべきだ。やや特殊だが、柄物でもないしさくっと見つかるだろう――そう思ってブランド店からユニクロ、無印良品と渡り歩いたが、条件を全て満たす品が絶妙に無い。白無地のポロシャツというだけで数店舗に一枚の有様だ。事前の想定にピタリと来る商品を見つけ出すのは難しい。▼それにしても百貨店の洋服探しは、ちょっとでも店舗に脚を踏み入れると店員さんが話しかけてくるので、条件モノを探しているときは少々厄介だ。助けは不要ですよという空気を醸すだけでにこやかにすっと離れてくれる出来た人もいるのだが、中には全く空気を読まずに条件に外れた品の商品説明を始めて来る人もいる。マネキンのレベルも様々だ。気楽さを求めてユニクロへ行く人の気持ちもわかる。

[2393] Mar 18, 2016

たいした量ではないが、殴り書かれた英語を和訳するという、ちょっと経験のない仕事を片手間にしてみて、カンマの万能さを思い知った。▼これまで訳してきた英文は、勉強であれメールの翻訳であれ、原文はちゃんと思考と主張が整理されていて、正しく訳せば正しい日本語の文章になるはずのものばかりだった。しかし、このたびは原文がすでに文法も内容もあやしいので、目指すべき正解の存在が疑わしい状況。こうなると難易度は一段上がる。口語体の混入もさることながら、カンマが頻繁に現れては主題を飛ばし、文法を薙ぎ倒していくのだ。とはいえ訳出語の文章は自然に見せなければならないから、ときどき意訳が火を吹くことになる。こういうとき物書き時代に蓄えた言い回しや語彙の引き出しは頼もしい。▼昔、生徒にもよく言ったことだが、和訳に必要なのは英語力より日本語力である。英単語の意味を繋げて流暢な日本語が浮かんでくれば、訳は自ずと成るのだ。

[2392] Mar 17, 2016

一、とにかく穴熊に組む。二、どれだけ駒損してもいいので、飛車角を切ってでも相手の玉周りに絡みつく。三、可能な限り王手や詰めろを続ける。以上、3ステップで完了。コレをやられると十中八九、時間切れで敗ける。なんともひどい。▼この頃、あまりに連続して別の人に同じ手を食った。隠れた定石になっているのか知らないが、はっきり言って面白くないし、やってるほうだって面白くなかろうと思う。まあ、勝てば官軍と割りきっている一派には関係のない話かもしれないし、ルールの中で勝利を収めているのだから汚いと言われる筋合いもない、真の上級者なら時間がなくても穴熊くらい崩せるだろう、悔しければ勝ってみろということになるのだろうが、これが相対してみると勝ち切るのはかなり難しい。ただ、十分将棋の超急戦棒銀や右四間飛車のように、こんな手法が三分将棋の一級、二級周辺の定番になっているとしたら、将棋ゲームとしては悲しいことである。

[2391] Mar 16, 2016

三十代になると水を飲んでも太るという。もちろん太りやすくなることの喩えではあるだろうが、たしかに脂肪の付き方がぐっと変わってくる実感はある。まあ、三十代にもなれば、のうのうと生きていてはいけないということだろう。一種、人生に新たな深刻さが持ち込まれるわけである。▼肌の調子も良くなってきたので、しばらく封印していたジョギングを再開。先にスクワットで脚を補強したせいか、前のように最初の上り坂で即リタイアということにはならなかったが、どこが最初に悲鳴を上げるかと思ったら、なんと喉が痛くなった。三月とはいえ、深夜はまだ寒すぎるのだ。吸い込む空気が冷たいことばかりは、いくら着込んだところでどうにかなるものでもない。冬場にジョギングやランニングをしている人がどう対策しているのか、ちょっと聞いてみたいものだ。▼ともあれ、本日の成果は緩やかなアップダウン込みで3.6km。しばらく健康マニアになってみよう。

[2390] Mar 15, 2016

深夜。パソコンの前に座ってふと思い出したのは、去年の夏、欲しくて仕方がないのに全く入荷されないとある品を、冬になって在庫が出来たら来年のために買っておこうと決意したこと。半年越しの決意なんて、よほど深刻でなければ忘れてしまうものだ。それがふいに思い出された理由は全く不明だが、その「とある品」とはサンバリア100という日傘である。▼その遮光力と品質の高さから、夏はいつも品切れになるほど人気らしい。実際、私の狙っていた大判の男性用フロスト柄は、暑い時期が終わるまでついに在庫が復活しなかった。そのときはそれで諦めて、年末にでもなれば確実にストックが出来るさ、くらいに思っていたら、こうして三月になっていたわけである。思い出したが吉日、資金は乏しいが必ず必要になるものなので、思い切って注文した。折りたたみと迷ったが、日傘の折りたたみは段数に関わらず相当面倒。私のような無精者はやはり長傘タイプである。

[2389] Mar 14, 2016

何気なく文庫本まわりを周遊していたら、『2分間ミステリー』という懐かしいタイトルを見つけた。ミステリー。がっつり読みたいと思ったら青背だろうが、それほど入れ込みたくない、けれどちょっぴり探偵気分が欲しい……そんなときにうってつけのクイズ本風味なつまみ食いミステリーである。うっかり長く立ち読みしてしまったので、申し訳ないから購入した。帰り道のぱらぱらにちょうどいい。▼この手の本、各話の出来栄えは大別して四種類ある。「これはやられた!」「普通にわかった」「納得いかん」「意味わからん」。このうち面白いと感じるのは最初だけなので、実際には3/4くらいモヤモヤした気持ちで読んでいるわけだ。逆に言えばそれくらいの期待値で読んだ方がいい。上質な謎解きのアハ体験がお望みなら、横着せずにちゃんと名作中編や長編にあたったほうがいいだろう。ペーパーバックの雑学本と同じ。暇つぶしである。だが、良い暇つぶしである。

[2388] Mar 13, 2016

音楽について知りたいという人がいた。私が音楽について教えられることが特別あるとは思わないけれど、たとえば何が知りたいのかと訊くと、少し小首を傾げたあと「聴いただけで曲のジャンルがわかるようになりたいです」と答えた。ジャンルがわかるようになりたいとは、また何故。それで何か役に立つことがあるかねと訊き返す。「もっとこういう曲が聴きたいと思ったとき、探せるじゃないですか。」なるほど、もっともな答えが返ってきた。▼音楽のジャンルなんて無限にあるので、細かく覚えてもキリはないし、大雑把すぎても用をなさない。彼の必要を満たすにはどんな用語を教えるべきだろう。目下、回答を保留して考え中だが、わかりやすいのは懐の広いハウスを利用して、○○ハウスの○○の部分を並べていくことかもしれない。ハウスという一定の基準を与えた上で、○○が付くとこういう雰囲気になるよ、と言えるのは助かりものである。よし、それでいこう。

[2387] Mar 12, 2016

今日はじめて名前を知った「まむし指」。一万人に一人の確率で発症するという遺伝性の性質で、先端の関節だけがマムシが鎌首をもたげたように曲がることからそう呼ばれるという。爪先が押しつぶされてひしゃげたような形になるため、コンプレックスを持つ人も多いのだとか。なるほど、全く知らなかった。昔から左手の親指だけ妙に短くて潰れているなとは思っていたけれど。どうやら私も一万分の一で隔世遺伝を引き当てたらしい。しかも右手は普通の形状、これはいっそうレアだという。▼三十年間、生活に困ったことはない。左手でスペースキーがちょっと押しにくいくらいか。調べてみるとまむし指の人は器用だとか金運が高いとか、いろいろ良いことも書かれている。いいじゃないか。特別な仕事でない限り見た目以外に支障はないので、素直に名称の判明と思わぬレアリティを喜んでいる。ただし、残念ながら現在のところ器用さも金運も身についてはいないようだ。

[2386] Mar 11, 2016

『Effective Modern C++』を読み進めている。伝説的C++教本『Effective C++』の正統続編にあたる著作だ。C++11/14対応。スコット・メイヤーズの言語仕様に関する深い理解と鋭い洞察は相変わらずだが、これまでピアソンエデュケーションから出ていた三冊と決定的に異なるのは、ずばり翻訳の読みやすさ。メイヤーズの文章がもともと読みにくいのではと疑っていた諸氏は反省すべきである。日本語として自然な文章、誤訳の少なさ。この二点が守られていることのありがたさ。ついつい忘れてしまう輝きだ。▼今、autoにまつわる章を終えたところ。まだまだ序盤だ。テンプレートメタプログラミングの経験がないと読みにくいところもあるが、ある程度テンプレートの仕組みがわかっていれば理解はできるので問題ない。とにかく何度も言うようだがC++11/14はこれまでのC++98/03とはもはや別の言語と言ってよいほどのバージョンである。勉強なしに習得できるものではない。

[2385] Mar 10, 2016

研究や仕事以外でこんなに多忙な月はなかった。打ち上げ、送別会、納会、約束だった後輩への奢り、約束だった先輩からの奢り、あるいは同期同士の飲み会、さらには結婚式の二次会が二つと、重なりまくって平日から休日までイベントだらけになっている。四月にはもうひとつ結婚式と、新人歓迎会が控えているというのに、早くも財布がパンクしそうな勢いだ。飲みの少ない平和な職場ではあるが、今月は全く例外である。▼もちろん、ほとんどの会は楽しく過ごせるので、仕事がピークだったときに比べてつらいとは微塵も思わないが、もしこれが楽しくない会もあり、かつ毎月のように連れまわされるとしたらとても堪らない。つくづくそんな業界に入らなくてよかったと思う。些細なプライベートで飲み会を断る最近の若者。それはそれでけっこうなことじゃないか。飲みニケーションにも理はあるので否定はしないが、酒なんて飲みたい人が飲みたい分だけ飲めばいいのだ。

[2384] Mar 09, 2016

買い物でちょっと後悔してしまった話。「もういちどくらい着れる服」や「明日着ていく服」を掛ける専用のハンガースタンドが欲しくて探したところ、候補が二つ残った。ひとつは底面に簀の子のような板のついた、シルエットが三角形の品。オシャレ重視でさっぱりとした仕上がり、しかし耐荷重は少々弱い。もうひとつは底面だけでなく上面にも天板のついた四角形シルエットの品。ダークブラウンの天板と銀色のアルミフレームが寝室にはやや重厚すぎるが、がっちりしたつくりで耐荷重は強い。▼両者、比べた結果、値段が安く頑丈そうな後者を選んだのだが、最大の誤算は上部の天板であった。組み立ててみると私の目線にちょうど天板があたってしまい、肝心のポールに近づきにくいのである。洋服をかけるには腰をかがめた変な姿勢にならざるをえない。全く、家具を買うときは想像力をフル稼働して、脳内で実物を部屋に置いてみないと痛い目を見るという好例である。

[2383] Mar 08, 2016

ようやく追加分のサプリボトルが届き、当初予定していたラインナップが完成した。自分なりに深く研究した末の選択。愛着の湧きようはまるでPOGの指名のようだ。したがってこちらもメンツを記しておこう。▼主力はMegaFoodのメンズとビタミンC。ビタミンとミネラルはこれで十分。眼のためにルテイン。今回はお試しでブラックカラントの抽出物をブレンドした上位版も頼んでみた。大差ないと感じれば次からは安いルテインのみのボトルで事足りる。EPA&DHA。もはや鉄板のオメガ3脂肪酸。アルギニン&オルニチン。一日1〜6カプセルとあるが平常時は1錠で運用する。ユビキノール。特殊な高吸収タイプ。これも1〜3錠の指定だが1錠で様子を見る。▼以上、6ボトルとしばらく付き合ってみることにする。リピートしない可能性がもっとも高いのは効果を検証しにくいユビキノールだろう。ルテインやアルギニンは単価が安いので続けやすい。値段も重要だ。

[2382] Mar 07, 2016

最近、サプリメントもさることながら出費過多で節制していることもあって、高いわりにすぐ読み終わってしまうビジネス書籍を買いにくくなってきた。さすがにキャッチーなタイトルをつけているだけあって、書店を歩いていると一読してみたい本は溢れているのだが、いかんせん一冊二千円以上が当たり前のジャンル。ソフトカバー、二千円、三百頁以下となると、とても出費に見合う気がしない。▼ここで図書館という選択肢も浮上してくるが、あいにく通勤路には図書館がないし、大学も今のルートからは逆方向。中途半端に悩ましい状況ではある。電子書籍もあと一歩進んで、動画サイトでのアニメ視聴のように期間制限つきの割安閲覧が出来るようになればいいのだが、今のところはマイナーな雑誌や個人出版がメインのサブコンテンツ止まりだ。月額課金でアマゾン書籍が読み放題なんてサービスが始まったら、五千円くらいまで払えるという人も多いのではないだろうか。

[2381] Mar 06, 2016

「憧れのタワーマンション」というフレーズがいつからか聞かれるようになった。金持ちとしてのステータス。その到着点が豪邸でなくタワーマンションなのは、生半可な収入では豪邸など建てられないが、郊外のタワーマンションならそれなりの収入でもなんとか行けるのではないかという現実的な落としどころを見ているからだろう。不景気は妄想にも格下げを要求する。▼タワーマンションにさほど憧れはないが、本屋で雑誌を立ち読みしていたとき、高層からの美しい夜景を背景にしたオーディオルームの写真を見て、これならアリかなと思ってしまった。ハイソサエティに興味はないが、より趣味に直結した快楽と組み合わさると、ガラス張りの窓に広がる都会の夜景は得も言われぬ魔力を持っているように思う。ただ人の趣味はそれぞれなので売るほうも何とも言いがたく、故にタワーマンションの広告には具体性がなくポエミーな言葉が多いのだろう。そんなふうに思った。

[2380] Mar 05, 2016

一年間、自治会の持ち回り班長を終えて。毎月の定例会議に出席し、回覧板をつくり、各戸配布物を配って回り、アンケートを集計し、催し物の提出物を取りまとめ、夏祭りの設営や防犯パトロールなど定期的に訪れる雑務に参加する。ハードというほどの分量ではないが、現役で働いている人間が並行でやるには少々荷が重い。進んでやりたがる人はいないだろう。まして役員ともなると猶更だ。来期、役員として残留することを希望した今期の班長はいなかった。▼どの自治体も今は運営が極めて困難になっているという。どこも現役を退いたばかりの六十五歳から七十五歳あたり、時間はできたが体力はまだそれなりにあるという世代を頼りにする他なく、したがって居住者の世代交代が行われないうちのような町では、平均年齢が上がるにつれて七十五歳以上の世帯か空き家しかなくなるというわけで、自治会もなかば消滅してしまうのだ。生命力とは即ち、若い人口なのである。

[2379] Mar 04, 2016

本当に効き目があればすぐに効く――。マルチビタミン&ミネラルを飲み始めてちょうど一週間、明らかに変化のあった点について記録を残す。▼一、間食が減った。特に昼食から夕食のあいだに摂取する余計なカロリーが減っている。理由は単純。栄養はもう十分足りているという意識があるので、栄養ドリンクやカロリーメイトのような糖分入りのお菓子を食べなくなったからだ。あるいは栄養はもう十分という身体の信号もあるのか知らないが、前に比べてさほど食べたくないという気もする。食事の時のサイドオーダーも少なくなった。▼二、水分の摂取量が減った。何の栄養素が足りたことでそうなったか見当もつかないが、以前ほど喉が渇かない。それでも常人より多めだが、今は3リットル/日程度に落ち着いている。三、この一週間、ムズムズ脚が発症していない。ただし元の頻度が週に一度あるかないかなので、本件は少し早計かもしれぬ。今のところはこれくらいか。

[2378] Mar 03, 2016

ほとんどのユーザーはゲームをプレイしているあいだ、カメラを勝手に動かさないで欲しいと思っている。一方、自分が操作した結果とはいえキャラクターが物陰に隠れて見えなくなってしまったり、戦いにくいカメラアングルになってしまったりするのもやめて欲しいと思っている。動かさないで欲しいが、動かして欲しい。インタラクティブなカメラ設計の難しさはここにある。▼上質な解決策はひとつしかない。ユーザーに気づかれることのないよう、さりげなく動いてプレイを助けることだ。ゲームカメラは、特別なことは何もしていない、平凡なカメラだと思われなければならない。周到に準備し、計画し、配慮しつつも、何もしておりませんがという涼しい顔をしていなければならない。ゲームカメラの心とは、まさしくおもてなしの心である。▼存在を感じさせないことに全力を尽くすのは寂しいようにも思えるが、プログラマの挑戦としてはやりがいのある分野であろう。

[2377] Mar 02, 2016

身近なところに意外な存在。同じ部署内でもっとも仕事ができる人の一人、と私が思っているシンガポール出身の先輩が結構なサプリマニアであった。なるほど三十代後半には全く見えない若々しさと疲れ知らずの働きぶりもサプリの支えるところありかと勝手に合点が行く。ともかく経験値は高い。▼そんな先輩からのアドバイスをまとめる。最初にマルチビタミンを選ぶのは間違っていない。ただ、並行してピンポイントな栄養を補給するサプリも探りながら採った方がいい。二日や三日で明らかな効き目のでる品に出会ったら常用に加えていき、マルチビタミンを弱くするか、あるいはいつか止める。なんとなく気分がよくなるとか安心するという曖昧な効果なら採らない方がいい。などなど。▼そんな先輩の「明らかに効く」オススメは、ルテインとオルニチン&アルギニン。目の弱い私はルテインが気になっていたので、こちらは即注文。残りのこぼれ話は次の機会にまわそう。

[2376] Mar 01, 2016

楽しい飲み会。けれども、またひとり同期が辞めていくことになった。半分、予測していたことではあるし、ポジティブな辞め方ではあるので、まあまあ、これも笑って送り出せるところではあるけれど、久々に「仲良し」が辞めるだけに寂しさも多くある。同部署内で言えば、残り五人。なんだか『バトルロワイヤル』の住人になったような気分だ。最後まで生き残っても生還とは限らないバトルロワイヤルだ。▼出て行っても不透明、残っても不透明。先行き不透明というのは決して悪いことではないが、出ていく方が環境が変わる分、最初の一年、二年は急勾配の学習曲線を登っていけるので、当の本人は大変かもしれないが、外から見ると羨ましくもある。ボケ防止のコツは何を置いても「慣れないことをしてみること」。慣れたことだけやっていては、人間、成長しないし頭も鈍る。慣れないことに飛び込もう。ひとつ、革新をもたらす腹案を上司に提案するときが来たようだ。

[2375] Feb 29, 2016

ツタヤに『バタフライ・エフェクト』がない。▼本当にないのだ。ケースは4つある。いつも空だ。毎週月曜日に、あるいは不意打ちで水や木に、土日の買い物ついでに、覗いてみるのだが一本たりともあった試しがない。いつも4本の空ケースが並んでいるだけである。対照的に、あまり出来がよくないと評判の「2」や「3」は山盛りだ。これだけ見れば「1」は大人気で返却されるたびに即貸し出されると考えるのが妥当だが、なにしろ二か月近く通いつめて店頭にあるのを一度も見たことがないのだから、もともと在庫がないのではないかと疑いたくもなる。あと数回訪ねて手に入らなければ店員にこう尋ねてみよう。本当にこれ、在庫あるんですか?▼二か月前、「1」と間違えて「3」を借り、そうと気づかないまま観終わってしまって以来、なかなか観られないでいるシリーズ最高傑作である。三部作で最初の作品が最高傑作と言われるのは何とも残念だが、観てはみたい。

[2374] Feb 28, 2016

もう少しサプリメントの話題。今回、MegaFoodに決めた理由はいろいろあるが、なかでもウエイトが大きかったのはセレンの含有量が少ないことだ。LEMやAliveなど多くの人気海外サプリは200mcgとなっているが、成人男性の摂取推奨量が一日30µg程度であることを考えると明らかに多い。含有量が推奨量を上回るのはオーバードーザーにとっては当然のことかもしれないが、セレンは上限量も低めなので、日常生活でも魚介類から随分な量を採る日本人にとっては容易に過剰摂取となりうるのだ。▼一方、MegaFoodのMensは20µg。これなら、まぐろや明太子を食べつつ飲んでも、セレン過剰にはならない程度に抑えられていると言える。セレンの過剰摂取は爪の変形や脱毛を引き起こすらしいので、頭髪が気になる人は特に要注意だ。セレンのみならず、一般にミネラルの過剰摂取は諸々問題を引き起こすので、サプリ選びでは第一に注意したいポイントである。銅、亜鉛も警戒対象だ。

[2373] Feb 27, 2016

サプリメント、さっさと決着。家用にディアナチュラの「ストロング39アミノマルチビタミン&ミネラル」を、会社用にMegaFoodの男性用と追加のビタミンCを、それぞれ購入した。家でだらだら過ごすときは安価で手軽な国産品、がっつり働くときは飲みにくかろうと効力重視で安全な高級海外サプリメントというコンセプトだ。▼後者は、方々で評判の良いライフエクステンションミックスと最後まで迷ったが、月当りの価格が高すぎることと売り切れの多さで継続性と将来性が不安になり、同じくらい評判の良い、かつ販売が安定していそうなMegaFoodを選んだ。こちら、栄養成分量は海外製品らしからぬ控えめさだが、極めて信頼性の高いホールフードとのこと。スポーツマンでもあるまいし、そこまでばりばりオーバードーズする必要もないので、それならより安心できる方が精神的にも良いと思って選んだ。臭いも他の合成モノほど酷くないらしい。実物の到着が楽しみだ。

[2372] Feb 26, 2016

久しぶりの本屋廻り、本棚廻り。今日は制御工学のコーナーで立ち読みに耽る。次回、さらにカメラの挙動を改善するための一歩目として、フィードバック制御の基礎は洗い直したかったのだ。もちろん、理想的な制御関数が用意できればそれで全てが上手くいくなんて思ってはいないが、どんな回路で変数や関数が影響し合っているのか本人でさえわからないまま対処療法的に条件分岐の山を築いていくよりは、ある程度記述可能なシステムでことを進めていく方が、より頑健な振る舞いを期待できるだろう。▼ただ「はじめての制御工学」から「現場で役立つフィードバック制御」までいろいろざっと読んでみたが、入門書としてしっくりくる一冊に出会えなかったので、今日はおとなしく引き下がる。あまり専門的すぎると学習意欲がそがれてしまうのは当然だが、逆にあまり入門すぎてもウェブの情報で事足りてしまうと思ってしまうのは悩みどころだ。昨今の参考書籍は難しい。

[2371] Feb 25, 2016

ネイチャーメイドのサプリメント・栄養成分比較ページを見ていて思ったこと。たしかにバランス良くビタミンやミネラルを補給できるように見えるが、どれも絶妙に含有量が少ない。もちろん、人はサプリメントのみにて生きるにあらず、三食も普通に食べることを見越しての含有量ではあるだろう。しかし、ある特定の栄養素が決定的に不足している場合、その欠如を埋めるほどの摂取はできないということになる。マルチであるが故に、何粒も食べれば他の栄養素が過剰摂取になってしまうからだ。▼サプリメントは薬ではなくあくまで「食品」。決定的な栄養不足を単体で補うには荷が重い。それだけの摂取で食事にビタミンが要らぬということではなく、摂取の底上げ程度に考えるのがよいだろう。そういうわけで、私の偏った食生活にピタリと嵌るサプリメントを探しているが、期待をかけすぎないよう安くて手軽で飲みやすい、つまりは続けやすい品にしようと思っている。

[2370] Feb 24, 2016

20世紀映画の傑作『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズ三部作を観る。どれも傑作の傑作たる所以がよくわかるテンポの良い作品だった。▼当たり前と言えば当たり前だが、注意して観れば観るほど随所にハリウッドの脚本術が詰まっているのは面白い。主人公たちはいつも時間に追われているし、一見ストーリーに関係のない小道具やアイテムは後で必ず役に立つ。アクションを伴わない状況説明は最小限しかないし、物語を前に進める力のない場面は全て大胆にカットされている。試みに「脚本術」の表題を見ながらお浚いしてみたいくらいだ。たぶん、ほとんどの大項目が何らかの形で実践されているだろう。▼もちろん、なぜそこで時間ぎりぎりに飛ぶのかとか、どうしてあれを持っていかないのかとか、細かいツッコミはいくらでもできるが、そんなツッコミをする方が野暮だと思えるような作品を名作と言う。こと面白さにかけては構成とテンポに勝る要素はない。

[2369] Feb 23, 2016

品は旨いが店員の質が残念な寿司屋の話。味は値段なりに良いと思うので何かの折には訪ねてみるが、いつも店員の対応にがっかりする。今日の出来事は以下の通り。▼一、最初の注文。呼び鈴を鳴らすと遠くから「はーい」と声がするものの、誰も来ない。これが二回。仕方なく声をあげて挙手で呼ぶも返事のみ。次の大声でようやく来たが待たせたという様子はない。二、お茶の交換。お待ちくださいと言って下がった店員、そのままどこかへ消えて二度と来ず。三、三十分待ってようやく最初の寿司が来る。しかし寿司と同時にお願いしたお椀はなし。催促してもしばらく音沙汰なく、やっと来たのは寿司を全て食べ終えてから。四、紙に書いて出しているのにオーダー漏れ。帆立の串が通っていない。さすがにキャンセル。▼帰り際、隣の席のおじさんが「もう二度も確認してるんだぞ。いい加減にしてくれ」と店員を叱りつけていた。つまりそういう店なんだろう。実に惜しい。

[2368] Feb 22, 2016

将棋ソフトと八枚落ちで対戦。いくらなんでも八枚落ちで負けはしないだろうと思っていたら、玉と金しかいないのにとんでもなく守りが硬い。開始の時点で5000だった評価値は徐々に下がり、2000をうかがったあたりで形勢が怪しくなる。10秒将棋で考え無しに打っていたからと言い訳をしても仕方ないが、タダで桂馬と銀を献上してしまったところで評価値が逆転した。あとは当然のように寄せ切られて負けである。本気のソフトは恐ろしい。▼あとで検討したことだが、八枚落ちなら龍で相手玉を後ろから押さえ、自陣は金銀と馬で固めて、あとは桂馬を早めに跳ねていけば、そうそう不利な形にはならないようだ。しかし、六枚落ちとなると今のところCPUとメモリをフル稼働させたソフト相手に勝てる気はしない。たとえ龍や馬を相手にしても、歩の配置と玉の位置次第で少ない駒でも硬く守れるということを痛感させられる。ソフトとの駒落ち戦も勉強には良い。

[2367] Feb 21, 2016

毎週日曜夜の買い出しに、この頃はほとんど出かけていない。西友のネットスーパーを使い始めたからだ。いつでもどこでも思いついたら注文できる手軽さに加え、重い思いをしなくても配達してくれるありがたさ。さらに値段も地元のスーパーより安い。さすがに四割引きで冷凍食品を買い溜めるようなことはできないが、定価は十分割安である。食品類の質も良い。もちろん、ティッシュペーパーや洗剤のような日用品にも対応している。そこは通販の強み、そこらの大きめなスーパーにある一般品はたいてい揃っていると思っていい。▼利用時の注意点は、難点は配送時に必ず誰かが家にいなければ置いていってはくれないことくらいか。問題ともいえないくらい些細な問題ではある。また、注文の品が売り切れなどで無かった場合、代わりの商品を届けてくれるよう設定することも可能だ。値段的にはこちらが得をする交換しかされないので、場合によってはいっそうお得となる。

[2366] Feb 20, 2016

私は、喫茶店でアイスティーを飲んだときグラスの底に残るような一口大の氷を見ると、ついつい齧って食べてしまう。細かい氷なら猶更だ。身体に熱がこもりやすい体質だと漢方の先生に言われたので、なるほどこれは無意識に身体を冷やしているのだろうと、そう長いこと思っていた。▼ところが、まさか先日の話に繋がるのだが、今日の飲み会で聞いたところによると、氷を食べたくなるのは鉄分が不足している証拠らしい。ムズムズ脚症候群に続いてここまで条件が重なってくると信憑性も相当だ。もっとも、この氷を食べたくなる病気「氷食症」は、鉄が欠乏した場合に起こりやすいとは言われているものの、正式な原因は解明されていないので、氷が食べたい=鉄分が足りないと端的に言うことはできないが、条件が絡んであやしいのは確かである。▼健康診断で鉄不足を指摘されたことはまだないが、氷が食べたくなったら別の機関で血液検査をした方がいいかもしれない。

[2365] Feb 19, 2016

ストリートファイターVのアマゾンレビューが荒れている。辛口評価者の言い分は大体同じだ。なぜアーケードモードがないのか。なぜオンライン対戦でしか遊ばせてくれないのか。フルプライスで発売しておいて、あれもこれも未実装ですは酷いじゃないか。未完成品を売らないでくれ。▼一方、海外のレビューやメタスコアは軒並み高評価である。この態度の差は、少なからず海外と日本のゲーム像の違いにも起因しているのだろう。発売後のアップデートで「進化していくゲーム」というパッケージのあり方を受け入れられる層が、日本ではまだマイノリティだということだ。まして古参ファンの多いタイトルの正統ナンバリング。買ったらすぐに盛り沢山で遊べるというイメージを持ってしまっても無理はない。▼ゲームの詰まったディスクという商品を買うのではなく、これから始まるサービスに登録料を払うという認識。果たして今後、日本でも多数派になってくるだろうか。

[2364] Feb 18, 2016

ふと思い出した話。入社してまもなく配属が決定、その配属先の部署と立食パーティーをしていたときのこと。どちらかというと和気あいあいとした歓迎の会という雰囲気だったが、そんな中、ガツガツと偉い人に絡んで行って、「自分、ドMなんでキツイのは大歓迎です!」「根性だけが取り柄ですから!」と自己アピールに勤しむ同期が一人いた。積極的な売り込みが出来る人は凄いな、と遠巻きに見ていた記憶がある。▼ただ、彼はもう会社にはいない。主に上司と馬が合わないという理由で早々に辞めてしまったのだ。本人の主張に曰く「理不尽な」指示や叱責が多いことに耐えられなかったらしい。しかし、客観的に見ても彼のメンタルは常人より脆かった。在りし日のアピールが、果たして不安の裏返しだったのか、本当に自覚がなかっただけなのか、今となってはわからないが、元気や根性の売り込みはいまいち信用しにくいと思うようになってしまったエピソードである。

[2363] Feb 17, 2016

私は極端に寝つきが悪く、眠りが浅い。理由はさまざまあるのだが、大きな理由のひとつが、布団に入ると足が「なんだかぐあーっと」して眠れないというものだ。こういう表現しかできない妙な感覚で、痛くも痒くもないのだが、とにかく足を動かしていないと嫌な感じがするのである。▼しかしこの症状、血行が悪いのだろうくらいに思っていたら、なんとれっきとした病気であった。通称・ムズムズ脚症候群。ドーパミンの機能障害及び鉄代謝異常によって引き起こされるという。脚を動かしたいという不快な強い欲求、安静にしているときに発生、運動によって改善する、日中より夜間に悪化、という四つの診断基準を見事に満たしているので、まず間違いはないだろう。▼「この症状を悪化させる生活習慣」の項を見ると、ひとつ心当たりもある。カフェインの過剰摂取だ。平均して一日二リットルから三リットルの緑茶ないし烏龍茶を飲んでいる私なので、ありうる話である。

[2362] Feb 16, 2016

とんでもないドキュメントを見た。よろしくない話なので詳細は伏せるが、遺憾の意が伝わればさいわいだ。▼とある公開ツールの拡張機能を使うべく、拡張用のプラグインをインストールしたところ、「機能を有効にするための手順」なるドキュメントが同梱されていた。手順も何も拡張プラグインなのだからインストールすればすぐに使えるのが普通ではと訝しみつつ、さて開いて読んでみると、pdfにして39枚の大作である。chmでも30を超えるページ数。手順1、次のパスから○○というタグを含むファイルを見つけ出し、タグの名前属性を確認する。手順2、次の内容を持つ設定ファイルを作成する。手順3……と延々つづく説明だが、恐るべきことに、これらの「手順」のほとんどはプラグインのインストーラーが自動で行っているのである。本当に私がやるべき作業は膨大な手順のうちのごく一部に過ぎない。その一部を知るためだけに、全てを読まされるのだ。最悪である。

[2361] Feb 15, 2016

昔から「課金合戦」はどこにでもある。最近のあくどいと称されるアイドルやガチャの商法も、一皮剥けば伝統的な搾取の手法と何も変わりはない。ただ、搾取される方がより強くわかりやすい散財の刺激を求めるようになったので、搾取する方は手口を隠したりオブラートに包んだりする意味がなくなってしまっただけのことだ。散財せよ。さすれば汝は幸せになるであろう。この神託で事足りるようになったのだ。▼なぜそうなったのか。馬鹿自慢。それもあるだろう。しかしそれだけではない。合理性が神のように尊ばれる現代社会にあっては、不合理に身を委ねること自体が得がたい快感になりうる。そうして、その手口が露骨になったということは、それだけ社会が私たちを合理性で縛ろうとする縛りの強さが増してきた証拠でもある。合理性が重要な社会であればあるほど、不合理な散財をする者の快感は強くなるのだ。彼はしきたりから解放された人間、解脱者なのである。

[2360] Feb 14, 2016

東西教会、和解。ローマ法王とロシア正教最高位の会談が実現したという。さらりと告げられたニュースではあるが、1054年に大分裂して以来、ローマ・カトリック教会と東方正教会が繰り広げてきた長い戦いを考えれば、結構な出来事である。▼融和のきっかけはもちろんISILだ。東西教会、言い換えれば欧州と東欧・ロシアの緩衝地帯をめぐるいざこざを棚上げしてでも、まずはイスラム過激派組織のキリスト教への攻撃を協力して跳ね返そうという主旨である。皮肉にも――あるいは当然の成り行きでもあるが――イスラム原理主義の活動が、キリスト教における最大の亀裂を繋ぎ合わせようとしているわけだ。▼今はまだ教会のトップ会談が実現したに過ぎないが、政治はいつも会話から。国家を超えた影響力を持つ両名の、条件つきではあるが友好的な宣言を受けて、世界政治が大きく動く可能性もある。今年はどうも世界の経済と宗教にとって波乱の年になりそうだ。

[2359] Feb 13, 2016

暖房なしでも深夜が過ごせるくらい暖かい。この週末は馬鹿に気温が高くなるそうだ。ついさっき玉ねぎを買いに外へ出たら、初夏の夜を思い出すような優しい風だった。今日は晴れたが、明日は雨。最高気温は二十三度になるという。▼若い頃は寒さに強い私だったが、近頃は変温動物かと思うほど外気温の変化に弱く、布団を抜け出してトイレに起きただけでも、もどってくると手足の先が冷たくなっていたりする。症状からすると「末端冷え性」というやつかもしれない。手のひらを開いたり閉じたり、あるいは爪を横から揉んだり、手足の血行を良くすることで改善はできるが、根本的な治癒のためには何より筋肉を増やすことが求められるようだ。筋肉がなければ血は上手く廻らない。故に、身体の末端が冷えていく。▼しかし、血行の悪さが原因だとすると、夏になると今度はすぐに熱を帯びて高温になる私の身体反応には反している。やはり私は変温動物なのかもしれない。

[2358] Feb 12, 2016

故・米長永世棋聖が昔、大盤解説で言っていた。将棋は人なんです。盤面だけ見るんじゃないんですよ。この人ならどう打つかということを私は常に考えてるんです、と。▼卑近なところに持ち込ませていただこう。人を見て先を予測する。対戦ゲームでは俗に「人読み」と呼ばれる技術だ。Civ5のマルチプレイも、この人読みが楽しい。たとえば、シングルプレイの内政をやりこんでいる人なら、自分の美しい研究ルートが乱れることを嫌うので、自分から他国に手を出してこないし軍備も疎かになりやすい。一方、短期決戦マルチでいつも遊んでいる戦争狂は、序盤さえ遠交近攻で抑え込んでしまえば後半戦の科学競争について来れず勝手に脱落してくれる、などなど。▼他にも、好きな遺産や目指しやすい勝利、テクノロジー選択の指向、外交の誠実さ、裏切りの頻度、挙げればキリがない。人を読むという無限の大海。これぞマルチの醍醐味である。一度ハマったら抜け出せない。

[2357] Feb 11, 2016

二年くらい前の話。オシャレというほどではないが、フォーマルな恰好をもう少しブラッシュアップしてみようと新宿の伊勢丹を訪ねたことがある。予算はほどほど。ジャケットの一枚でも良いものが見つかれば御の字と思っていた。さて、しかしぐるぐると各階を周回した後、私は手ぶらで帰りの電車に乗った。理由は至って単純だ。ここで洋服を買うなら頭からつま先まで全部揃えないと意味がない――そう感じたからである。▼着古したTシャツに薔薇を差しても逆効果にしかならないように、オシャレも全体の釣り合いが取れていなければ滑稽となる。これを転じて音楽畑に話を移してみれば、私の苦手とするテンションやアボイドのようなオシャレコードも、かっこいいからと言って安易に真似たり捻じ込んだりすれば、前後から浮きに浮いて間抜けな音にしか聞こえないだろう。積み上げたお膳立てがあっての「かっこよさ」である。部分的に取り入れることはできないのだ。

[2356] Feb 10, 2016

定期健診のついでに視力検査と眼圧検査。眼圧の方はぎりぎり正常値らしいが、視力は二年前からかなり低下しているとのこと。現在の眼鏡に買い替えたのは2014年の6月だが、そのときは0.7に合わせて度を決めたはず。それが今、左0.5の右0.4ということで、古い眼鏡の矯正視力0.2に大分近づいてしまっている。毎日のパソコンワークが祟っているのはわかっているが、わかったところで仕事柄どうにもならない。あと二年もしたら、また町中の看板の文字は読めないのが当たり前という生活に慣れてしまうかと思うと怖くなる。▼それでも、三か月以上私を悩ませている瞼の疾患については、徐々に良くなってきているらしい。今日から抗菌剤のクラビットは外された。右目が大きく開かなくなって、鏡で見ていても少し人相が変わってしまったが、根気よく治療していくしかない。文字が見にくいせいで、読書と執筆がしんどくなったのが一番の困りものである。

[2355] Feb 09, 2016

甘い食べ物は大好物だが甘い飲み物は滅多に飲まない私が、ふと気が向いて購入した炭酸ジュースをこぼしたときの話。飲みなれてないせいか喉を通るときにむせてしまい、まだ半分以上残っている缶を勢いよくテーブルにたたきつけてしまった。もちろん缶の口から盛大にジュースが弾け飛ぶ。▼本やノートがなかったのを幸い、濡れた布でちまちま掃除をしていたが、どうも「炭酸ジュースをこぼしてしまった」ことの絶望感が抱いていたイメージほどにない。つまり、あんまりベタついていないのだ。昔、それこそ人工甘味料なんてなかった時代には、炭酸をこぼしたら何回拭いてもベタつきが取れないほど酷い思いをしたものだが、最近は純粋な砂糖でない甘味料が進化しているのだろう。砂糖でなければベタつきもしないというわけだ。なんとも時代の変遷を感じる掃除であった。▼全くの私事だが、私の「滅多に飲まない」には砂糖ゼロ系の飲料も含まれる。お茶が一番いい。

[2354] Feb 08, 2016

横浜駅には駄菓子屋がある、という話を前にも書いた。相鉄線の一階改札から地下へ降りて伊勢丹の奥、しかもフードコートへ繋がる広い通りとは反対側の隅に位置するお店なので、少し見つけにくいかもしれないが、某漫画のブームもあって、この頃は店内も若い人で賑わっている。今日も気分転換に懐かしのアイテムを求めていったら、町の駄菓子屋さんと同じくらいしかない小さな空間の中に、十人以上の老若男女が集まっていた。老若といいつつほとんど若である。老は老夫婦が一組だけだった。▼品揃えは良いが少々値段が高いのは難点で、気分的には三百円から五百円のつもりが会計になると七百円と言われたりする。十円も命銭の子どもたちには少々手が出しにくい。まさに大人のための駄菓子といった価格付けだ。今日は頼まれもので、私が見たことも聞いたこともなかった「ウメトラ兄弟」という一品を買って帰った。生産終了品だが、そこそこ有名ではあったらしい。

[2353] Feb 07, 2016

もっともセンスのあるラーメン屋の名前は何か。そんなくだらない話題でいっとき盛り上がった。ラーメン屋の名前。家系はたいてい○○家だから、センスピカイチを見つけ出すのは難しい。同じく店長の名前をそのまま店名にしているつけ麺系もチャンスは少なそうだ。ではどこがいいか。ありきたりな名前がいくつか挙げられたあとで、「これだ!」と言う店がひとつ飛び出した。横浜西口、『豚そば秀吉』である。▼意味はともかく、このインパクトは凄い。初めて見かけたときから名前が脳裏にこびりついて離れない。何が凄いのか、何が覚えやすいのか、確たることは言えないが、「豚そば」というぶっちゃけた食べ物に太閤秀吉の御名を冠するギャップの強烈さと、ブタソバヒデヨシと8ビートに乗せたようなリズム感の良さが特筆なのであろう。もちろん、センスとインパクトは別物だが、ラーメン屋なら人に覚えられる名前こそセンスの賜物だ――などと宣う休日だった。

[2352] Feb 06, 2016

ピアノ連弾とピアノ二台は似ているようで異なるコンセプトだ。最近、非常に優れたピアノ連弾のアレンジ作品を聴いて、改めてそう感じた。妙なことを言うようだが、ピアノ連弾はやっぱりピアノなのだ。その作品も、二台ではなく連弾として、つまりピアノとして譜面を作り、弾いていた。あれがもし二台というコンセプトのもとに動いていたら、今と同じ完成度が得られていたかどうかはわからない。▼ピアノ連弾はピアノ。ではピアノ二台は何なのか。これ、とはっきり言えるわけではないが、私のイメージは室内楽かバンドである。連弾も二台も音は同じピアノ、しかし音響の発信源がひとつのピアノという物体でなくなると、ソロで弾かれるときのあの凝縮された輝かしさは薄れ、大勢がそこにいるかのような華やかな性質の方が強くなってくる。つまり、なんだか賑やかになるのだ。だからピアノを連弾でなく二台で使うなら、やはり定位はきちんと分かれていた方がいい。

[2351] Feb 05, 2016

マクドナルドの傍を通りかかったら、大きなポスターに少しばかり美味しそうなバーガーが描かれている。たまには食べていくのもありかな。そう思って商品名を見てみると「北海道産ほくほくポテトとチェダーチーズに焦がし醤油風味の特製オニオンソースが効いたジューシービーフバーガー(仮)」とある。また昨今のラノベのような、面倒くさい話題づくりをしたものだと呆れつつ、適当に北海道ポテトバーガーとでも呼んでやろうと考えていたら、目に飛び込んできたのはこんなフレーズだった。「あなたがつけたい名前で注文してください。」▼もちろん昼食は松屋にした。まだ食べたこともないバーガーにつけたい名前なんてないからだ。いい案が思いつかないので今日はスルー。この心理、私だけではあるまい。昔あったメニュー撤廃の件といい、移ろいやすい顧客の心を自ら突き放す企画を次々打ち出してくるのはどういうわけなのか。不思議なお店になったものである。

[2350] Feb 04, 2016

古典的なクラシック音楽が崇拝していたドミナントモーションによるV−Iの終わり方に付きまとう「わざとらしさ」を回避するため、近代ポップスが編み出した汎用技法のひとつが、V4−V−Iというsus4からの流れを作った上でVを抜いてしまい、その代わりVsus4の持つi音をI△7のviiやI9のiiに繋げてしまおうという荒業であった。これをトニックへの解決と呼ぶかどうかは別にしても、実際、Vsus4の亜種であるIV/v->I△7やIIm/v->I9がなんとなく私たちの耳に「わりと新しめな感じ」として馴染んでくるのは確かだ。▼こう考えると小難しくて面倒な音楽理論も世界史のようでちょっと楽しめる。コードネームだのスケールだの意味記憶的に覚えていくのは苦手だが、背後に人間的なエピソードが見出せれば、それはエピソード記憶として脳に多少は残ってくれる。今回の小噺はブログ由来の話だが、こういう流れ重視の理論本はまだ見たことがない。誰か書いてくれないだろうか。

[2349] Feb 03, 2016

ノロウイルスの感染者が現れてしまった。曰く心当たりはあって、先日、生ガキを食べたらしい。食品衛生の資格を持つ某人に言わせれば、ノロが怖いなら生ガキだけは口にするべきではないとのこと。昨今流行りのオイスターバーも、衛生を知る人からすればロシアンルーレットで遊びに行くのと大差はないようだ。昔のフグと同じで、覚悟のあるものだけが食するべき品である。私はカキが苦手でひとまずよかった。▼ノロウイルスの感染経路は飛沫。風邪ほど周辺者を巻き込みはしないが、うつったときの破壊力がすさまじいだけに身構えてしまう。インフルエンザで出社停止になるなら、ノロでも出社を差し控える会社的な決まりが欲しいくらいだ。特にトイレは、その人が前に入っているかもしれないと思うと怖くて入りにくい。そんなこんなで仕事はゆったりしつつも戦々恐々の職場である。もしあなたも生ガキが食べたくなったら、ノロのことも少しだけ思い出して欲しい。

[2348] Feb 02, 2016

弁証法。テーゼとアンチテーゼの衝突からジンテーゼに至る。これは西欧大陸が辿り着いたひとつの統一的自己分析でもあった。何かにつけて対立させることで、より優れた結論を生み出すというやり方は、こうひとくくりにしては怒られるかもしれないが、西欧文化的な気質の代表格である。彼らは戦うことで高次元に進むのだ。▼そこへ行くと、私たち日本人の使う言葉に「落としどころ」という単語があることは興味深い。ジンテーゼの砕けた日本語訳としては悪くないと思われる。そうして、何より注目に値するのは、彼らが対立の末「上へ」行くのに対し、私たちは対立を避けて「下へ」落とすところである。大陸がぶつかって山が出来るイメージとは対照的に、「落としどころ」の文化では、対立する二者はお互いの距離と速度を測りつつ、いい感じに自ら折れて下向きに融合点を探っていくのだ。▼まあ、適当きわまりない言葉の文化論だが、言いたいことは伝わると思う。

[2347] Feb 01, 2016

ここまでの作りかけを通勤時間にヘッドフォンで聴いていて、どうにも納得の行かないところが二つあった。ひとつは、ミキシングやリバーブをいくら調整しても、低音付近がもわもわして聞こえること。もうひとつは、低音と高音の定位が作り出すステレオの広がりに面白みがなく、単調に聞こえること。▼そうして今日、首をひねりながらあれこれ弄っていたら、ようやく不満の原因に気がついた。今まではピアノ二台を低音が中央に、高音が左右の端に来るような向きに配置していたが、この向きがよくなかったのだ。曲を安定させるために低音を真ん中に配し、音高をなるべく左右で均等になるよう振り分けるのは定石のひとつだが、二台ピアノでは必ずしも正しくなかったのである。いや、正しいか正しくないかはわからないが、少なくとも私の耳には気に入らなかったのだ。▼今はこうだろうと思える妥当な配置に行きついている。聴こえも悪くない。あとは調整あるのみだ。

[2346] Jan 31, 2016

毎年のことなのに、二月に入るとログファイルの生成バグでアクセスできなくなることをすっかり忘れていた。もはやこのバグを見るたび「ああ、もう二月なのか。」と一年の経過を実感するようになっている。去年も時間が出来たら直そうと思っていたけれど、結局直さないまま来てしまった。今年もそうなるような気がする。年に一度、サーバーへの管理者アクセスが出来ることを確かめるのも悪くない。▼そうして今日、二月分のログを生成するためにサーバー上のファイルをあれこれしていたら、アクセスログが1MBを超えているのに気がついた。アクセスログなんていう機能がついていることすら忘れかけていたが、中を見てみると年間で約二万ページビューが記録されている。ユニークアクセスではないので実際の閲覧数はもっと低いと思われるが、なんの飾り気もない個人の日記帳にこれだけ足を運んでもらえるのは嬉しい。変なキリではあるが、今年もどうぞよろしく。

[2345] Jan 30, 2016

ようやく休日の時間が出来たので、かなり久々にCiv5のマルチを遊ぶ。チャットに入るのすら数か月ぶりだが、常連の顔ぶれはそこまで変わっていない。▼さて、あれほど戦略を研究したりデータを詰め込んだり、ときには解説をしたりして遊びこんだゲームだが、いざ数か月離れてみてプレイするといろんなことを忘れていてびっくりする。たいていの要素が理詰めで最適化できるCiv5にあっては、上手いプレイとは要するに「しまった」を出来るだけ少なくするプレイということになるのだが、やるべきことや定石を忘れていれば注意の行き届かぬところが増えるのも道理、ルネサンス入りする頃にはミスの連発で完全に後進国となってしまった。もはや挽回は難しい。▼それでも、遅れた国は遅れた国はなりに面白い立ち回り方をしてみせることができる懐の広さもCiv5マルチの魅力である。最後まで諦めないで戦えば、たとえ勝てないまでも、結末の姿を変えることはできるのだ。

[2344] Jan 29, 2016

今、フロアを最も踊らせる男――アヴィーチー、ことティム・バークリングのデビューアルバム『トゥルー』を聴く。なるほど、世界は今、こういう音楽で踊るのか。▼どの曲も想像より遥かにシンプルな構成で、キックも背景に溶け込んでいったような穏やかな主張しかしていない。最初、すべてがまろやかに流れすぎていて少々物足りないような気もしたが、しばらく聴いているうちに、こうしてヘッドフォンで聴くのではなく実際にフロアで身体を揺らして踊るためには、これくらいのまとまりがちょうどよいのではないかと思い始めた。逆に、踊らないことを前提に作られた視聴用のダンスミュージックの、あの原音のエッジが効き過ぎたつくりの方が不自然なのかもしれない。▼もとよりダンスは刹那的な快感が本懐だ。そこは、記憶に残る名曲という迷信からも解放された世界である。この「刹那のエネルギー爆発」を生み出せる力こそ、名DJには求められているのだろう。

[2343] Jan 28, 2016

ガールズ&パンツァーの劇場版を見る。いつか見なければと思いつつ迎えてしまった最寄りの上映最終日。疲労も抜けきらない中、足を引きずって観に行ったが、全くもって苦労が報われた気分である。文句なしに最高の出来だった。アニメ版できっちり作り上げた作品を劇場版で再びここまで仕上げてくれたことは尊敬に値する。素直に嬉しい。▼多くはネタバレになるので語れないが、主要キャラクターに均等なスポットライトがあたっている点には感心した。あてるべくしてあてたという嫌味さがなく、誰にでも自然に「その子らしい」見せ場が用意されている。上手く配分したものだと思う。また、ストーリーも気張って妙なことをせず王道一筋。おかげで凝った交戦シーンやキャラクター同士の掛け合いに集中できるというわけだ。▼単なる萌えアニメの一派と思って遠ざけている人がいたら、もったいないのでまずはアニメから見てみた方がよいと月並みな推薦をしておこう。

[2342] Jan 27, 2016

「オーケストラ」と銘打ったCDを一枚レンタルしてきた。横文字と文章の多用された曲名リストからはどことなく現代的な匂いも漂ってくるが、よくある地雷の「オーケストラ風」というわけでもなさそうなので、期待してオーディオプレイヤーに取り込んでみたのである。▼さて、一曲目。最初から毛色がおかしい。エレクトロばりの尖った電子音が聴こえてくる。もしかして電子音がオーケストラのように構成されているのか?――そうでもない。ただのダンス音楽だ。しかもあまりパッとしない出来栄え。インポートするCDを間違えたのだろうか。疑ってみるもプレイヤーに表示される曲名は残念ながらジャケットの記載に一致する。つまり、オーケストラでもなんでもないのだ。▼私自身、何かオーケストラに強い思い入れがあるわけではないが、こうも誤用というか悪用されているのを見ると釈然としない気分になる。誇大広告も時には結構。しかし真っ赤な嘘はいけない。

[2341] Jan 26, 2016

つい先日、CDプレイヤーを買うためにヨドバシカメラへ行ったら、CDからスマホ系の端末に直接リッピングができるという機械が推されているのを見かけた。これを使えばいちいちPCにインポートしなくてもCDから音楽を吸い出せるというわけだ。音楽は基本スマホで聴く、という人にはうってつけのアイテムである。▼しかし、こんな便利アイテムが出回ってはCDレンタル業も大変だろう。なにせレンタルされたCDがその場でスマホにリッピングされてしまうわけだから……そう思いながらツタヤへ足を運んでみたところ、ちょっと仰天した。店内POPで大々的に広告されているのは、先ほどのリッピング装置ではないか!▼もちろん、わかっていたことではあるが、レンタル店が公式に取り込みを推奨している光景を目の当たりにすると、彼らがコピーガードの手法を血眼で探していた黎明期の絵とは隔世の感がある。時代の流れは強く、我々の適応力もまた強いのだ。

[2340] Jan 25, 2016

制作中の曲について、リバーブを以前使っていた空間にもどしてみた。たしかに今の深いリバーブはコンサートホールをよく再現できているが、音の輪郭がぼやけている分、イヤホンやスピーカーで聴いたときの硬さが足りず、どうにも難解な印象を受ける。平たく言えば、聴いていて楽しくない。▼一般に、リスナーの視聴環境を考えて音作りを変えるのは愚策だと言われるが、私がいちばんよく聴く環境で楽しくないというのは、そもそも私が楽しくないのだから問題外である。即ち、騒々しい街角や電車内で、ヘッドフォンから聴こえる音が、粒立ちよくはっきりと聞こえて曲を楽しめること。これは作品の出来栄え云々以前に、私の曲を私が聴いて楽しむための必要条件なのだ。▼そんなわけで少し硬めの音に戻してみたが、さすがに前のプリセットのままでは楽器が近すぎるので、今のプリセットと良いとこ取りをすべく細かい調整を進めていく。微調整も制作の醍醐味である。

[2339] Jan 24, 2016

この週末は何十年かに一度の寒波が来ると脅かされていたが、土曜日はわりあい涼しくも例年の域を出ず、今日もまた暖かい日差しが部屋に差し込んでくる穏やかな日和。結局は毎度お馴染みのボジョレー・ヌーボー的な大言壮語かと呆れていたが、さて夕方、日が落ちて八時過ぎ、買い物のために外へ出るや猛烈な反省を強いられた。なんという凍てつく寒さ。北国の空気である。買い物へはロシア人のような恰好に着直して出発した。▼それから今の深夜まで、家の中の大気は温度を下げつづけている。暖房を全て切ったら床から冷気が侵入してきて、たちまち凍り付いてしまうのではないかという『デイ・アフター・トゥモロー』な妄想に駆られたりしつつ、上も下も二枚重ねでなんとか耐えているところだ。▼寒がりにして暑がりな融通の利かぬ私だが、ここ数年で寒さの方が暑さより苦手になった気がする。体調、思考力、やる気。寒さは全てを奪っていく。恐ろしい敵である。

[2338] Jan 23, 2016

再びディスプレイの話。売れ筋から見ると最近のトレンドはフルHDか4Kの二択だが、マルチモニター派にはまだWQHDの需要がそれなりある。広い作業領域が欲しいからこそマルチにしているのにフルHDでは三枚並べても4K以下で情けないし、さりとて4Kを複数表示するにはグラフィックボードの性能が足りない。こうなるとWQHDを二〜三枚揃えるのが最も理に適っているわけだ。▼そんな需要を満たすためか、海外では25インチワイドのWQHDモニターが次々に作られている。ドットピッチの小さすぎる23.8と、物理的に場所を食い過ぎる27インチの中間解だ。まことに残念ながら、日本向けのカタログに全く載ってこないのは不思議だが、パネル生産の都合か何か、ともかく我々には窺い知れない事情があるのかもしれない。国内販売ありで選択肢になりうるのはDELLの格安WQHDモデル「U2515H」あたりか。不具合も多いと聞くが、安価でVESA規格対応の条件つきならほとんど一択だろう。

[2337] Jan 22, 2016

EIZOの27W型、フルフラット・フレームレスのディスプレイ「FlexScan EV2750」が相当に良い。まだ買っていないので使用感ではなく店頭での印象だが、WQHDでマルチディスプレイ環境を組むなら一択では、と思えるほどに素敵な仕上がりになっている。ネックは価格だけ。他社の安めなWQHDに比べて倍近い値段をどう捉えるかである。少なくとも、現行のヨドバシ価格10万越えでは若干割高感は否めない。▼対抗馬はテレビパネルの流用で価格が急激に下落してきた4Kシリーズだろう。125%〜150%表示で運用すれば文字の細かさも気にならないので、どうせ同じような値段なら4Kを……と考える気持ちはわからないでもない。ただ、28インチではどうあがいてもオリジナルサイズでの使用は不可能なので、結局は低解像度で使うなら、グラフィックボードに負荷のかからないWQHDを選ぶのが無難という節もある。この辺はもう各人が環境の最終形を見据えて判断するしかないところだ。

[2336] Jan 21, 2016

家電量販店へ行くと、LANケーブルはたいてい「高速」と称してカテゴリー7がおすすめされている。カテゴリー6や6Aとの違いも小さく貼り出されているが、そんなものに視線を移す暇もなく、カテゴリー7の棚に掲げられた大きな「迷ったらコレ!」につられて買ってしまう人も多いだろう。▼端的に言って、現在、カテゴリー7は九割以上の家庭においてオーバースペックである。各社が貸し出している最新のルーターラインナップを考えれば6Aすら怪しい。我が家のauひかりも5eが限界だ。そのあたり、調べる人なら良いが、ケーブルだけ高速化してもルーターがボトルネックになっていたら意味がないのだという点を注意せず、初心者をカテゴリー7へ誘導するのは少々フェアさに欠ける気もする。▼将来を見据えて最高速を買うのも結構だが、どうせそのときはそのときで換えの効くパーツだ。利便性を向上したいならケーブルの形状に気を使った方がいいだろう。

[2335] Jan 20, 2016

ひょんなことから「なかなか」という言葉について考えだした。なかなか、とはどういう副詞だろうか。▼肯定的な述語を伴う場合、なかなかよく出来ている、なかなか良い状態だ、などの「なかなか」は、最高とは言えないが上出来という程度の位置づけに物事を評価している。否定的な述語を伴う場合も、なかなか厳しい、なかなかつらい、など、形容詞を強調しつつ極端ではないことを匂わせている。一方、否定「〜ない」を伴う場合、なかなか進まない、なかなか出来上がらない、なかなか調子が出ないといったように、事の進捗具合が思わしくないときに使われている例が多い。▼これら三通りの例から考えてみると、中々という漢字からもわかるように、極端ではないが、と前置きするようなニュアンスを伴う程度の強調、とくに、「私が思っていたよりは」とでも言いたげな、主観的な評価の空気を醸すために用いられる副詞だと言えそうだ。明日、広辞苑でも見てみよう。

[2334] Jan 19, 2016

肉を食べる。ひたすら肉を食べる。肉を食べるパーティー。分厚いステーキはそれなり旨いのが幸か不幸か、2ポンド近い塊を6人テーブルに追加し放題、食べ放題。ほとんどやけくそである。結局、肉は一人頭1ポンド以上食べた計算。ここにポテトなど揚げ物、マカロニサラダ、ガーリックライス、ご飯二杯、デザートに杏仁豆腐とプリン、パイナップルが加わる。大食漢でもなんでもない私にとっては狂気の沙汰だ。喉まで何かが出かかるほど物を食べたのは数年ぶりである。▼ともあれ、そんな羽目を外した宴をもって、今回のプロジェクトは一段落ということになった。作業的にはまだまだやることは山積みで段落もなにもついていないが、それはそれ、これはこれ。ひとまずは区切りである。期間が長かっただけに、プライベートでやりたいこと、やらねばならないことは随分溜まってきた。大仕事の後こそ、でだらけてはいけない。なすべきこと、きびきびこなしていこう。

[2333] Jan 18, 2016

オーディオプレイヤーにそれなりこだわってきたが、一周まわってポータブルCDプレイヤーが欲しいと思い始めている。理由は最近足を運ぶようになった通勤途上のツタヤ。だいたい映画を借りるために立ち寄るのだが、棚には一度聴いてみたいと思うCDが溢れている。そうして、恐らくは一度で満足するであろう。であれば何で聴くのが良いかと言えば、借りて即、帰りの電車で聴ききれる、ポータブルCDプレイヤーに越したものはないわけだ。▼同じ理由で画面のついたポータブルDVDプレイヤーにも惹かれたが、こちらはまだ軽いタイプでも1キロ超とあまりに重いし、映画を見切れるほどの乗車時間もないので早々に諦めた。それに、通勤時間でスクリーニングするのはハズレが多いと思うからであって、映画DVDならそうそう駄作を引くとも思われぬ。宝探しをするならやっぱり玉石混交のCDめぐりがうってつけだろう。▼早速、今週中にも購入を検討してみたい。

[2332] Jan 17, 2016

マルチスレッド。古典的なプログラマにはわかりにくいと嫌われるが、私は、たとえ性能が十分余っているとしても、現在あるプログラムのマルチスレッド化を真剣に考えることは様々な役に立つと思っている――思い始めている。理由を以下に述べよう。▼一、マルチスレッド前提で組まれたコードをシングルスレッドでオーバーヘッドなく動かすことは簡単だが、その逆は至難である。つまり、性能や環境がいざマルチスレッドを要求したとき、あとから対応するのは極めて困難である。▼二、マルチスレッド化による性能向上を達成するには、とりもなおさずシステムが綿密に設計されていなければならない。言い換えれば、マルチスレッド化にしにくい箇所は、システムとして悪い設計がなされている可能性が高い。そういう場所を炙り出して、適切な設計を考えるきっかけになる。▼三を書くつもりで始めたが余白が足りないようだ。とにかく、考えてみて損はない技術である。

[2331] Jan 16, 2016

マーラーの交響曲第2番「復活」を聴く。指揮者はパーヴォ・ヤルヴィ。レナード・バーンスタインの薫陶を受けた人物のひとりとして小澤征爾と村上春樹の対談の中で名前が出ていたので覚えていた。派手さや豪奢さはないが、堅実で丁寧な印象を受けるナイスミドルである。頭に光る汗が美しい。▼しかし、滅多にないことではあるが、実は聴きながら途中で寝てしまった。第三楽章の途中でうとうとしはじめて、第四楽章の声楽が出てきたあたりから記憶がない。意識を取り戻したのは拍手が聞こえてきたときだ。通常、くだらない音楽やつまらない演奏で眠ることは難しいので、よほど眠かったのでなければ、よほど名演だったということになろう。そういうわけで後半こそ聞き逃したが、曲と指揮者への好印象は加点された。次は目覚めて明晰なときに聴きなおしたい。▼尚、同指揮者にはベートーヴェンの交響曲全集もあるが、こちらは新品の販売は終わっているようで残念。

[2330] Jan 15, 2016

死ぬほど大変だったプロジェクトがマスターアップを迎えた矢先、死ぬほど面倒な事態に巻き込まれている。もっとも、具体的なことを書くつもりがないので、せめて後で自分でこの記事を読み返してみて、ああ、あの当時はもうダメかと思ったけれど、結局はなんとかなったなあ、なんて思い出話のひとつになっていることを祈るばかりである。祈って記事に託すばかりである。▼そんな曖昧模糊とした悲嘆では四百文字の半分も埋められないので、ひとつ苦しくも楽しかった今回のプロジェクトを振り返ろう。スタートアップは一昨年で、私の参入が四月。まだ前の戦いの熱気も冷めやらぬ時期から、タイトな日程に悲鳴をあげる期待のメインストリームに突っ込まれた。七月から深夜残業開始、八月からは休日出勤も開始。夏休みも返上した。冬の三ヶ月は公私共に怒涛のような時間を過ごして憔悴の極み。そうして今、ゴールテープを切った先に新たな試練が用意されているとは。

[2329] Jan 14, 2016

セグメント化違反とバスエラーはどうも混用される節がある。試みにひとつ、簡潔に違いをまとめてみよう。▼正確ではないが最もわかりやすい憶え方は、セグメント化違反は仮想メモリに対するアクセス違反、バスエラーは物理メモリに対するアクセス違反という分け方だ。言い換えれば、セグメント化違反はメモリそのものに対する不正ではなく、メモリを扱う機構が用意した保護システムに対するバイオレーションである。書き込みできない領域に書き込もうとした、物理メモリにマップされていない領域が指定された、などで言われる「領域」とは、いずれも仮想アドレスのことだ。そうして、この仮想アドレスによる保護機構を正しく拔けることが出来たものの、さていよいよ物理メモリの0か1を読み取ろうとしたら、何らかの理由で読み取ることができなかった――これがバスエラーである。▼尚、よく聞く間違いだが「セグメント違反」という言葉はないので注意したい。

[2328] Jan 13, 2016

わけあって、久々に手書きの手紙を書く。論文やレポートならともかく、私信となると手書きなんて何年ぶりかわからない。▼普段から文章を書き慣れているおかげか、とくに手紙の作法やらテンプレートやらを参照しなくても一発書きでそれなり整合性のある手紙の体裁になるのは助かるが、字の汚さばかりはどうにもならない。汚いというほど汚いとは思っていないが、まあ、お世辞にも綺麗とは言えない癖字である。さりとて、字というやつはどういうわけか、せめても丁寧に書こうとすると余計にギクシャクして読みにくくなるので、雑にならないくらいにさらさらと流さないといけない、その力加減が久方ぶりだと実に難しいのだ。▼結局、指がこなれないうちは何をどうやったって書けやしない。最初の一枚は捨てるつもりで書いた。なんとか二枚目でモノになってくれたのは儲けものだが、つくづく、文字ひとつ書くだけでも長い時間が空くと危ないなと思った一幕である。

[2327] Jan 12, 2016

IK Multimediaの『Miroslav Philharmonik 2』について情報収集。オーケストラ音源としてはGarritan同様安価ながら、その可能性はVienna Symphonic Libraryにも匹敵すると囁かれた名作の後継機である。果たして真価はいかに。▼サンプルの聴き歩きからざっくり判定すると「VSLに匹敵する」は煽り過ぎと思うものの、標準的なオーケストラを揃えるだけでも50万近くかかるVSLに対して、オールインワンで6万円の値段は破格と認めざるをえない。シンセサイザー風のエディット画面もデジタル音楽制作に慣れた人ならかえって扱いやすいだろう。実際に使わないうちから使いやすさを云々するのも気は引けるが、インターフェースを吟味する限りでは、ユーザビリティはMP2に軍配があがりそうな気配もする。▼ともあれ、オーケストラ音源も群雄割拠になるのは良いことだ。毛色が違えばそれだけ曲風への向き不向きも吸収できる。選択肢は大いに越したことはない。

[2326] Jan 11, 2016

「――静寂は人の心に安らぎをあたえ、美しさを感じさせる。音楽はまず、このような静寂を美しいと認めるところから出発するといえよう。作曲家は自分の書いたある旋律が気にいらないとき、ただちにそれを消し去ってしまうだろう。書いた音を消し去るということは、とりも直さずふたたび静寂に戻ることであり、その行為は、もとの静寂のほうがより美しいことを、みずから認めた結果にほかならない。音楽は静寂の美に対立し、それへの対決から生まれるのであって、音楽の創造とは、静寂の美に対して、音を素材とする新たな美を目指すことのなかにある。」芥川也寸志より。▼ここで言われる静寂とは、けっして無音のことではない。音楽の終わった状態、つまり私たちの日常において、とりたてて誰も大きな音を発していない状況――それはたぶんに小さな音響の渦を含んでいる――が静寂だ。つまり、静寂を破るものという点では、無音は音と何ら変わりないのである。

[2325] Jan 10, 2016

元旦にひいた「おみくじ」をテーブルに見つけた。大吉に満足して、それきりだったありがたい紙だ。冒頭に歌が付してある。「冬かれて休みしときに深山木は花咲く春の待たれけるかな」つまり、騒がず時を待てということだ。大吉にしては随分辛抱を要求してくるアドバイスではある。▼「商売」の項目には「利益少なし時を待て」。まさかまさか、今回のプロジェクトは売上面では失敗に終わるのか、などと不安になってみたり。面白かったのは「失物、近くにあり」で、ちょうどおみくじを引いた日の朝、めったに見失うことのない携帯電話がどこにあるかわからなくなってしまって、家中くまなく探したのだが見つからず、かなり時間が経ってから見つかったのが、なんとバイブでさえ振動音を鳴らせないほど枕元の隙間にすっぽり嵌っていたという珍事であった。まさに失せ物、近くにあり。▼そんなわけで当たりそうな気配もするから、今年は慌てずの精神で行くとしよう。

[2324] Jan 09, 2016

安倍総理の「妻がパートに出れば月収25万円」発言を受けてのプチ騒ぎ。人々の反応は大きく5通りに分けられそうだ。▼「1.安倍総理は庶民感覚が全くわかっていない。最低だ!」「2.庶民感覚がないのは困るが、たとえ話の中で出した数字にたいした意味なんてないだろう」「3.どんな文脈であれパートで25万なんて数字が浮かんでしまうことこそ庶民感覚の無さを裏付けている。嘆かわしい。」「4.不適切な例示で反感を買ったのはまずいが、そもそも貧困対策をする人に庶民感覚なんて必要ないだろう」「5.言葉の揚げ足取りなんて無意味だ。心底どうでもよい」▼もっとも反射的で感情的な反応が1。それを諌めるのが2。諌める立場に反論する深読み派が3。1〜3が前提とする庶民感覚の必要性を疑うのが4。完全に無関心なのが5。私の立場は4に近い。生活体験と政策設計は全く別領域の話である。神学を修める人が無神論者でいていけない理由はない。

[2323] Jan 08, 2016

自分の与えているものが相手の欲しいものとは限らない。言葉にすれば当たり前のようだが、みんなけっこう忘れている真実でもある。だから、真に相手のことを考えているのではなく、単に「何かをしてあげている自分」が大好きな人は、自分の「親切」を拒否されると猛烈に怒る。「冗談じゃない。こんなにしてあげてるっていうのに、何が不満だって言うんだ!?」▼<大変な自分>をアイデンティティにする人は、仕事はこなすので作業的に重要な人物にはなり得るが、どうしても人からはあまり好かれない。たとえ普段は明るく振舞っていても、それが「無理して明るく振舞っている」ことがバレてしまったらオシマイだ。明るく振る舞うのも彼ら彼女らの考えるサービスの一つということになる。こちらはいつも明るくしてあげているというのに……。▼マイペースで、出来ることだけをこなし、無茶はしない。そういう考え方もあると知らなければ、彼らは孤立してしまう。

[2322] Jan 07, 2016

テキサスホールデムではショーダウンでツーペア以上の手が成立していることはあまりない。たいていは対子系の勝負になる。ペアが決まれば一安心、ツーペアに伸びれば勝負も出来る、スリーカードなら自分から大勝負に打って出ても良い。そんな具合だ。▼とはいえ対子系を極めたスリーカードも、ストレートやフラッシュという側面攻撃には常に脅かされている。ストレートは、言わば強さのルールが変わるポイントだ。誰かがストレートやフラッシュを成立させれば、数字の重複という世界での序列はたちまち意味を失ってしまう。▼しかし、ここがポーカーの絶妙なところだが、成立すればほとんど負けなしに思えるフラッシュにも天敵がいる。立ちはだかる対子の亡霊、フルハウスである。ポーカーの面白さはフルハウスという役の位置づけをここに置いたからこそと言っても言い過ぎではないだろう。誰もが強者の幻影を払いきれないからこそ駆け引きが成立するのである。

[2321] Jan 06, 2016

もらい物で、久々に「うさぎや」のどら焼きを食べる。やはり旨い。好きな品のひとつなので、何が良いのか考えながらアピールしてみよう。▼まず、箱の重さ。これは「うさぎや」のどら焼きを買ったとき、思う人は最初に思うかもしれないが、枚数から想像する以上に重い。手首にずしりと来る。濃厚でなめらかなどら焼きを支える中核としての、あんこの密度を端的に示しているといえる。十勝産の小豆だ。▼次に、皮の柔らかいしっとり感。しかし、矛盾しているようだが、食感は案外さくっとしている。そのパサパサしない不思議な弾力は「生感」とでも言うべきか。実際、作りたてを食べると、何か生き物を口にしているような気分になる。生地に加えられている蜂蜜がそう感じさせるのかもしれない。▼最後に、甘い。甘さ控えめも悪くないが、やはりどら焼きは甘くてなんぼだ。とろけるような甘さが嫌味にならない按配こそ匠の技である。街角で見かけたらぜひどうぞ。

[2320] Jan 05, 2016

3つのコアに、詰めて詰めて。もはやプログラマとは呼べぬパズル職人な日々。とにかく更新内容を細分化して、参照に気をつけながら重ねていく。トライ、計測。まだ隙間がある。ここに詰め込める内容はないか。感と経験を頼りにコードを探していく。この値の更新は先に回しても良いのでは。全ての計算は無理でも、他の値に依存しない部分だけは先行して計算してもいいだろう――高速化という名のマルチスレッド地獄である。▼徹底的に隙間を埋めていくこの感じ、iPodの開発にまつわる噂を思い出した。曰く、これ以上の小型化は絶対に無理だと主張する開発陣に対して、ジョブズはiPodを水槽に落としてみせたのそうだ。ブクブク。泡が出る。ほら、まだ隙間があるじゃないか。埋めればいけるだろう?▼そういうわけで我々もまた、遊休CPUという泡を無くすために昼夜最適化に追われている。技術力の問われる仕事を任されるのは良いことだ。いよいよ終盤戦である。

[2319] Jan 04, 2016

弟の買ってきたクラブミュージックの塊みたいなCDを聴いている。出来は良い。かなり良い。同人CDとしては出色だ。何が良いって、とにかくキックの音が良い。定位は完璧で、脳幹と視床の繋目にザクザク刺さる。芯があって、力強くて、それでいてもわもわしてなくて、「これぞキック」と言うべき素晴らしいショットに仕上がっているのだ。もし自分でキックを仕上げることがあったら、絶対にリファレンスにしたい。そう言わしめる出来栄えである。▼で、実を言うと、ウワモノや展開については、まあまあという渋いコメントになってしまうのだが、それでもトータルの点数としては星四つ以上をつけたくなるのは、とにかくキックの感動的なハマり具合ゆえ。キックを前提とする曲では、当たり前だがキックが命なのだ。当たり前だが、誰にでもは出来ないことだ。出来ていることの方が少ないことだ。一にも二にも命。命が生きていれば他は多少ナンでも良いのである。

[2318] Jan 03, 2016

最近、外へ出ると涙が止まらなくなるし、しきりに目は痒いし、それが長いこと続いているので素人調べしてみると、症状はピタリ「眼瞼炎」というやつに該当するらしい。それもどうやらあまりよろしくない状況。一刻も早く眼科へ行きたいところだが、明後日にならないと開いていないので予約だけして明日は様子見になる。▼最初にガタが来るのは首から上だろうと思っていたが、眼となると元から風前の灯なだけに危機感はいっそう大きい。恐らく、年末から年始にかけて集中状態が続いたせいで、モニターから顔を背ける休憩時間が思っている以上に少なくなっていたのだろう。これはいけない。身体の中で大事でない器官などひとつもないが、眼を失ってはプログラマも何も出来たものではないのだから、診察はマスターアップより優先させていただこう。▼このプロジェクトが終わったら、口から鼻、耳も含めて、一度しっかり首から上の病院めぐりをしたいところである。

[2317] Jan 02, 2016

飯にでも行くか、といつものノリで繰り出したものの、町は明かりもなくシャッターばかり。最近は百貨店なんかが張り切って元旦から商売するので、三が日なんて無いも同然だと思っていたが、こう小さな駅前の飯屋となるとさすがにお休みである。▼営業中なのは牛丼や「てんや」のようなチェーン店か、博多ラーメン屋か、あるいは中華。チェーン店が休まないのは知れたことだし、中華は正月を休日とする理由を見出していないかもしれないが、ラーメン屋の中でも博多ラーメンだけが営業している理由はわからない。しかし夕食に博多ラーメンというのも物足りないので、大人しく中華にした。五目焼きそばに餃子。なかなかの油である。▼実際、こう判で押したような仕事生活を彩る唯一の変わり映えは食生活だ。ここがいい加減になってしまったらいよいよ心も腐る気がする。今日は何を食べたと日々書き留めるだけで、案外、鬱気味な精神も救われるのではないだろうか。

[2316] Jan 01, 2016

あけましておめでとうございます。今年も変わらず400文字の運営、よろしくお願いいたします。▼やっぱり、ですます調の方が性に合うのだが、である調より文字数を食うので仕方がない。ただ、もう少し硬軟織り交ぜても良いかなとは思う。『雑文集』で村上春樹がそんな文体を使っていた。あの、堅い文章の中へ急に現れるですます調は、最初は面食らってしまうが、慣れてくるとリズムが変わって面白い。ねじ込んでくるタイミングも絶妙なので、そうなんですか、とこちらまで思わず丁寧になってしまう。▼もちろん、あれは熟練されたプロの技であって、素人がむやみに真似をしても、たどたどしく一貫性のない文章が出来上がるだけ。柔らかさを求めるなら、まずは単語の選び方から工夫するのがいいだろう。柔軟さ。今年の抱負を言うなら、この言葉がいい。柔らかく行こう。柔軟な心がけでいこう。ふわっとして芯があるというのは、私の理想とするイメージである。

[2315] Dec 31, 2015

毎年、大晦日や元旦は記念日の感慨ばかりでたいしたことは書いていないが、自分で過去を振り返るには便利な習慣だ。去年はホロヴィッツのインポートに勤しみ、一昨年は珍しく仕事がなく、その前の年は職場の会議室でやかましい面子と蕎麦をすすっている。記憶の中では一昨年の印象がいちばん鮮明だ。超大型連勤の最後の日。「野郎ども、蕎麦を食うぞ!」会社に出前の無茶をして蕎麦を奢ってくれた豪快なリーダーは、今はもういなくなってしまった。▼当時、渦中のときは「楽しかった」なんて言いにくい疲労困憊のさなかだったが、こうして過去の出来事になってしまえば、多少の美化は考慮しても、充実していた日々という名の良い思い出の一ページになっている。過去なんてそんなものだ。人生の中に占めた意味や価値は、そのとき感じる印象とはズレていることもままある。自分の身に起きたことは常に、判断保留、あとで考える、くらいがちょうどよいと思うのだ。

[2314] Dec 30, 2015

本日は会社に宿泊。宿泊といっても寝るわけではない。もちろん徹夜でバグの調査にあたる。まともな大晦日を過ごせる年は遠い。▼宿泊つながりで最近知ったことをひとつ。後輩の一人が外で年越しをしたいと宿を探していたが、観光名所の温泉旅館には断られることがしばしばあったという。彼はそれを「予想通り」ダメだったと言うが、私にはどうして一人の客を断るのかピンと来なかったので訊いてみると、なるほど合点がいった。つまり、この時期に人里はなれた観光地の旅館へ一人でふらりとやってくる客には、平たく言えば自殺者が多いので旅館の方も警戒しているというのである。なるほど。▼結局、彼は都心の豪奢なホテルで年越しをすることに決めたそうだ。そこまでして年の変わり目に外で過ごしたい理由は私にはわからないが、ここぞとばかりに遠くへ旅行する人も多いというから、新年を変わった場所で迎えたい気持ちには、何か共通する心理があるのだろう。

[2313] Dec 29, 2015

年末のゴルゴ13巡業は滞り無く5巻へ。通しで読んでいると作品の巧いところが目についてきて面白い。とくに作中の時間の流れ方。序破急のテンプレートをなぞるようなブレない構成と、ゴルゴの仕事に与えられた不可能スレスレの時間制限、これだけで一定の面白さは約束されているようなものだ。▼ハリウッドの脚本術も口うるさく指摘しているように、読者の興奮を掻き立てるシナリオには必ず時間制限がなければならない。『ゴルゴ13』は忠実にそれを守っている。いつ狙撃してもいいようなターゲットなんて絶対に出てこない。いつでも脱出できるような窮地に置かれたりもしない。デューク・東郷に与えられる猶予の時間は、僅か数日であり、僅か数時間であり、ときには僅か数秒である。つまり、いつも僅かである。「いつも僅かである」ということだけが重要だ。時間の多寡は関係ない。読者にそう感じさせるお膳立ての巧さこそが、即ち話作りの巧さなのである。

[2312] Dec 28, 2015

世の風は仕事納め。もっとも、このご時世、28日にきっちり仕事を納められる人も少ないだろうし、逆にそういう余裕のある人は土日を良いことに26日から冬季休暇に入っているだろうから、今日を今年最後の出勤とする社会人はそう多くないのかもしれない。休暇入りを祝うはしゃいだ空気は、夕飯に訪ねた近くのハブにも見られなかった。それにしても年の瀬にカジュアルバーを尋ねて、さんざん食い漁った挙句、烏龍茶だけ飲んで職場に帰るとは。なんとも言いがたい。▼現在のところ大晦日と元旦だけは会社方針で全員休日になる予定だが、当然ながら「緊急時を除き」という文言は生きている。毎日が緊急事態なので、緊急の上にも緊急なら致し方なしと解釈すべきであろう。今年もいろいろなことがあったな、なんて淡い回想に浸る時間はないが、来年は今年より忙しくなるだろうという確かな予感はある。予感というより、もはや明白なる予測である。来たる年に乾杯。

[2311] Dec 27, 2015

午後四時。有馬記念にも関わらず仕事場に束縛された私のもとへ、強烈な画像が送られてきた。「大勝利」――単勝、ゴールドアクター、10万円。相変わらず豪快な競馬を遊ぶ我が友人からの勝利報告である。おまけに、きっちりサウンズオブアースを紐に据えた馬連流しも添えられてきた。正確に弾いていないが、二百万〜三百万のあいだの勝ちであろう。いやはや、なんとも豪快。▼かくいう私はたいして面子に思い入れもなく、細々と遊んでかすりもせず。まあ、携帯で買って仕事場でそっと結果を知るだけの競馬なんて、当たっても外れてもさほど面白くないものだ。ギャンブルと利殖は違う。ギャンブルは熱狂が本懐である。金を賭けるのは汗をかくためのスパイスに過ぎない。冷静に買って冷静に当たっても、それは幸運な臨時収入というだけだ。まして外れた暁には何が何やら、それこそ金の無駄遣い以外の何物でもない。今日は少々無駄遣いであった。次回は燃えよう。

[2310] Dec 26, 2015

将棋をしたりポーカーをしたり、ここぞとばかりに遊びまくる通勤の行き帰りだが、ひとつ思いついたことがあって実行に移してみた。電子書籍でやってみたかったこと。今こそゴルゴ13を全巻読んでみたい。▼途中で挫折する気もするが、とにかく思い立ったが吉日、1巻を購入してみた。ところが、携帯で落とそうとするといきなりエラーメッセージが出現。「ファイルサイズが大きすぎます。Wi-Fiに接続してください。」LTEだから何の問題もないのに、なんというおせっかいだろう。さいわい本命の端末側では、携帯からのテザリングで落とすことが出来た。無意味な警告である。▼さて、1巻のゴルゴは、私の知るデューク・東郷とはちょっと違っていて新鮮だ。この頃のゴルゴはまだ、今ほど無口ではないし、焦ったり、慌てたり、舌打ちしたり、ドヤ顔をしたりする。つまり、人間味がある。これからどんなふうに変わっていくかも見つつ、細かい薀蓄を楽しんでみよう。

[2309] Dec 25, 2015

「日本人はどうしてクリスマスにチキンを食べるんだ?」チームの外国人3人に不思議がられたのは、クリスマスツリーでもケーキでもプレゼントでもなく、チキンであった。実際、コンビニからスーパーまで、日本のクリスマスが売り出す食品はこれでもかというほどチキン一色である。あれがさっぱりわからないらしい。▼私の率直で勝手な回答は「日本ではターキーが手に入りにくいから、その代わりでは?」だった。確かにそうかもしれないね、と3人。あやしい説だが納得していただけたなら何よりである。それより、私たちがクリスマスと言えばこれだよ、といって見せてもらったのは、白、赤、緑の三色で織られた杖状のミント飴であった。なるほど見かけたことはある。白赤の二色は通年売られているが、ここへ緑が加わるとクリスマスらしくなるそうだ。はて、緑とは。雪の白、サンタの赤に加えて緑といえば、クリスマスの飾りとしては定番の柊のイメージであろう。

[2308] Dec 24, 2015

メリー・クリスマス。サンタさんからの素敵なプレゼントは、明日までに必ず直さなければいけないGP∪クラッシュだよ。▼毎年のことながら会社は大盛況だ。今年はいつにもましてサンタさんを称するあしながおじさんも多く、棚にはたくさんのお菓子が並べられていた。八つ橋、カントリーマアム、チョコクッキー、ドーナッツ。脳には糖分が必要だからとコテコテの言い訳をして甘味を貪る。人が羽目を外すには大義名分が必要だ。社会的行事なんて、ほとんどは大義名分のためにあるようなものである。ハレがなくてはケも映えない。▼しかし、この土壇場で確定ハングアップというブラックサンタの贈り物のせいで、今年はあわやクリスマスに泊まりこむところだったが、さいわいホワイトサンタの起こしてくれた奇跡が終電五分前に我々にクラッシュの原因を教えてくれた。「クリスマスミラクル!」と奇妙なテンションで一同叫び、走って部屋を出る。そんな会社である。

[2307] Dec 23, 2015

内容に関係なく、タイトルだけの面白さ、美しさを表彰する「日本タイトルだけ大賞」の2015年王者が決まった。「やさしく象に踏まれたい」。なかなかの貫禄である。詩集のタイトルだが、これだけで著者の詩的センスがうかがえるようだ。▼世の中にはキャッチーなフレーズを題にした作品がたくさんある。名前が面白いというだけで一世を風靡してしまう場合もある。一見、そうしたインパクトとは無縁に思える学術の世界だって、優れた名前の論文はよく読まれ、よく讃えられ、よく引用されたりする。だからこそコピー屋さんは職業として存在できるのだ。フレーズを考案するだけで対価が貰えるなんて、考えてみれば凄いことではないか。▼ところで、私が最近見た中で個人的に大賞をあげるとしたら、初出はやや古いが土橋章宏の小説「超高速!参勤交代」をあげたい。この引きは強烈である。初めて見かけたらどうしたって手に取ってしまう。唸らずにはいられない。

[2306] Dec 22, 2015

WSOPのアプリを入れてみた。いつかカジノへ行きたいと常々思っている気持ちを少し現実へ近づけるため、そろそろテキサスホールデムでもやりこんでおいて損はない。通勤時間の読書も疲れた脳に染みてこなくなったし、そういうときはゲームで気分を変えるのも大切だ。▼さて、本格ポーカーが楽しめるという言葉通り、ビジュアルからレスポンスまで実によく作りこまれた良作だが、運営側の責任でないとはいえ、実際には何も賭けていないので、すぐに場を荒らす参加者が現れてしまうのが悩みどころだ。トーナメントの初戦だというのにプリフロップでオールインしてきたり、毎ターンごとにビックブラインドの倍々でレイズしてきたり、失うものがあれば到底やりそうにないことを平気でやってくる輩がいる。もちろん長い目で見れば彼らはカモなのだが、初期クレジットの限られているゲームを遊ぶには邪魔な存在だ。架空のギャンブルゲームを設計する難しさである。

[2305] Dec 21, 2015

バーンスタインが振るマーラーの交響曲のDVD全集、タワーレコードで見かけたときは三曲つづセットのバラ売りで、合計二万円くらいの価格付けだったが、アマゾンで調べてみたら9枚組ボックスが八千円で出ていたから、これはこちらがお値打ちだろうと注文してみた。在庫・納期のところには「クリスマスイヴまでに届きます」なんて洒落たことが書いてある。残念、誰かへのプレゼントではありませんよ。▼さて、どうせ深夜しか暇もなし、今年の年末年始の映像面はこれで困るまい。あとは音楽面だが、せっかくユニバーサルプレイヤーを揃えたのでブルーレイオーディオなんかも聴いてみたものの、凄いと言われれば凄い気もするし、実はただのCDだよと言われても納得してしまう気もする程度の感想で、「さすがブルーレイオーディオだ!」と叫ぶにはまだまだ耳の解析能力が足りない。しばらくは古いCDの聴き直しでも間が持ちそうである。整理にもちょうどよい。

[2304] Dec 20, 2015

一口におせち料理といっても構成は様々だ。一般には、黒豆や伊達巻、栗きんとん、紅白かまぼこといった祝の肴と、酢の物、煮物、焼き物というラインナップだが、こうした縛りの中でも高級品を作ろうと思えばいくらでも作れるもので、組重から飛び出さんばかりの海老を配してみたり、しきたりなんてなんのその、黒毛和牛のローストビーフを重ねてみたり、フォアグラを酒煮にしてみたり、とびっこの代わりにキャビアを散りばめてみたり、案外やりたい放題である。▼百貨店で扱うデリバリーのおせちは、二段組なら通常一万円から十万円、三段組以上で高級店なら十万円を超える品も出てくるというオーダーである。勝手な推測だが、二万円から四万円の一家族用が売れ筋ではないかと思う。しかし前述のような贅沢を極めた最高級品だと、二百万近くする品もあるようだ。四段組、フレンチワイン付き、金百八十万。もはや金を使うために金を使っているような世界である。

[2303] Dec 19, 2015

後輩が一人と同期が一人、あるいはときどきもう一人。いつも昼飯と夕飯に出かける面子は決まっている。三人または四人。飯屋へ行くには少なすぎず多すぎず、ちょうどよい人数だ。ときどき誰かが休んでも一人になることはない。▼さて、固定した面子に問題はないが、固定した飯屋には問題がある。行き先の選択肢に挙がるのは、どこもかしこも最近行ったばかりのような気がする店だけだ。実際、こう毎日ぐるぐる同じ土地をまわっていると、どこへ行っていて、どこへ行っていないのかわからなくなってくる。店を登録して訪ねた記録をメモしつつ、知らぬ間にご無沙汰な店や、最近食べ過ぎなジャンルのリストをみんなで共有できるアプリがあればいいのにという話になった。▼残念ながら軽く探した限りでは該当するアプリはない。エクセルでも共有すれば話は早いが面倒だ。こんな内輪の不満から生まれてくるサービスが、ときどき成功して人気になったりするのだろう。

[2302] Dec 18, 2015

私は基本的に自堕落な人間である。だから、終電で疲れて家に帰ったらもう何もかもやりたくなくて、洋服のままベッドにダイブしてもおかしくないのだが、そうしないのはこの400があるからだ。どんなにへとへとでもそのまま寝るわけにはいかないので、眠気を吹き飛ばして風呂や着替えや歯磨きを終え、あとは日誌でも自説の展開でも常々感じていることでも、とにかく思いつくままに記事を書いて寝ることになる。この一連の流れを促す強制力はもはや習慣という生ぬるい名前では呼べまい。私の始めた気まぐれが、何年もの時を経るにつれ、いつの間にか私の生活を乗っ取ったのである。▼自堕落な人間が何かを継続させたかったら、やろうと決意するとか、気持ちを駆り立てるとか、そういう自発の努力だけでは不十分だ。有効な方法はただひとつ。やらねばならなくなるしかない。やらねばならなくなるまでは何の疑いも持たずに続けることが、何かを続ける秘訣である。

[2301] Dec 17, 2015

同僚のひとりの精神状態がちょっとまずい。もともと仕事が(本人の基準で)上手くいっていなかったところへ、結婚の話も出ていた彼女と八年付き合った末に宗教上の理由で別れざるを得なくなったというダブルパンチ、いつにもまして煙草の消費量も増え、傍目にもへとへとになっている。俺に向いてる仕事って何だと思う、と聞かれた私は、せめてもの誠意として真面目に向いてそうな仕事を挙げてみた。ありがとう、食事時にすまんと彼は言った。▼仕事を辞めたい、転職したいと考えている人にたいして、そういう経験のない私がたいしたアドバイスをできるはずもないが、真面目すぎる彼の性格を考えると、次が決まらないうちにとりあえず今の会社を辞め、つなぎでアルバイトやフリーターをするようなことは絶対にしない方がよいと思っている。そういう趣旨のことだけははっきりと伝えた。俺もそう思う。俺はたぶん、そうなったらもどってこれない。そう彼は答えた。

[2300] Dec 16, 2015

マーラーの第一番、どのへんが「巨人」なんだろうと思って調べてみたら、ジャン・パウルの小説『巨人』に由来するらしい。なるほど、別に巨人が目覚めて動き出すような話ではないわけだ。しかもマーラー本人は後にこの表題を撤回している。ベートーヴェンの月光と似たような事情だろう。わかりやすい愛称は一旦広まると回収は難しい。▼私はいつも曲には題名や愛称がついていてほしいと思っている。無名の曲より覚えやすいし、何より自分なりの解釈をあてはめて「こんなストーリーを表現した曲かな」と想像しながら聴くのは、それが合っているか間違っているかとは何の関係もなく楽しいものだ。妄想はこちらの勝手である。たとえば、私が「巨人」の第一楽章を聴いているときに思い描いている情景は、さしずめ「ワンダと巨像」のような世界観だったりするのだ。淡色のファンタジー。そこから壮大な巨人幻想小説が生まれたからって、マーラーも私を恨みはしまい。

[2299] Dec 15, 2015

マスターアップぎりぎりだというのに、ご多分に漏れず最後の最後でクオリティを追求する勢力が発言権を得て、とある仕様を捩じ込むことになった。過去の製品で実績があるからと、まっさらなら二週間かかるところをなんとか三日でやってくれという。よっぽど断りたかったところだが、どうやら実装は不可避だし、ちょうど去年じっくり研究したところでもあったから、妨害なしのフルタイム三日ならという条件で請け負った。▼さて、早速過去の実績とやらを見てみなければなるまい。時間もないのでモジュールの完全流用も視野に入れてコードを紐解いてみる。たしかに実装のあとが残っているようだ。しかし、これでは動かないような気がするが……。数時間後、悪寒は現実となった。実績なんてなかったのだ。仕様はかつて一度取り掛かられ、ひっそりと諦められ、みんなが実装されたと思い込んだまま、実は全く機能していなかったのである。期限まで残り二日となった。

[2298] Dec 14, 2015

色相が立てば彩度が立たず、彩度が立てば明暗が立たず、明暗が立てば色相が立たぬ。あれこれいじくり回してようやく全てが上手くいったと思ったら、今度はコントラストの強さが合わない。ガンマ補正した画像を元にグレーディングを施して、さらに逆ガンマ補正をかけたときに正しく見えるような絵をつくる、そのとき生成されたルックアップテーブルへのアクセス座標をカラーに見立てて再びガンマ補正をかけるという、何を言っているのかわからないような複雑怪奇な操作を経て、ようやく正解と思われる絵面が現れてきたのは、終電が発車する僅か十分前のことであった。▼色調整にまつわる面倒事は山のようにあるが、ガンマ補正ほどシンプルでわかりにくいものはない。色を持ち上げるのか抑えるのか。数値を増やすのか減らすのか。階調が潰れてしまう条件は。ガンマ補正した結果今の色空間は何になったのか――2.2がゲシュタルト崩壊しそうな今日この頃である。

[2297] Dec 13, 2015

リビングボードを組み立てる。こんな大きな家具の組み立ては久しぶりだが、さすがはハヤミ、ひとつひとつのパーツにちゃんと見分けのつく形状をつけて、それでいて全体のデザインと機能性を崩さない部品構成なっている。二流の会社がコスト削減のために組み立て式の商品をつくってもこうはならない。わけのわからない板と似たり寄ったりなネジと不親切な説明書で買い手を混乱させるだけである。不器用な私でも迷う余地のない7工程を淡々とこなして完成品に出来るのは、ひとえにハヤミの持つ組み立て式ノウハウのおかげだろう。▼アンプとブルーレイプレーヤーをすんなり収められる内寸の商品をと思って選んだわけだが、結果的には色合いもスピーカーのウォルナットに近くて馴染み、大切な機器をしっかりと守るガラスカバーの存在も頼もしい。予算と重量は想定を超えたが、十分満足行く買い物だったと言えるだろう。良い品、長く。最低でも十年以上は使いたい。

[2296] Dec 12, 2015

観たい映画はアマゾンで、聴きたい曲もアマゾンで。欲しいものはクリックひとつで何でもすぐに手に入る。データだけではだめ、どうしても物が必要となっても、たいていの場所には即日即時お届けだ。お坊さんで話題になったように、サービスさえアマゾンで注文する時代である。▼個人の生活という単位で見れば、もはやアマゾンで出来ないことはなくなっていくのだろう。そのうちアマゾンで習い事ができるようになるかもしれない。学校や予備校が出来るかもしれない。アマゾンで仕事が発注・受注できるようになってもおかしくない。ゆりかごから墓場まで。やがてアマゾンという単語が生活を意味する一般語に昇格される、そんな未来もありうるだろう。無いとはいえない勢いである。▼カードの明細がアマゾンで埋め尽くされていているのを見て、そんな時代の流れをひしひしと感じてしまった。アマゾン七割。ここへヨドバシドットコムを足せば、出費の大半を占める。

[2295] Dec 11, 2015

CDを二枚買った。ヨドバシカメラでアンプを試聴していたとき気に入った曲があったので出典を調べ、その曲が入ったアルバムを購入したのが一枚。最初のCDを検索しているときにオススメされた同ジャンルの作品が一枚。どちらもバイオリンだ。▼結論を述べよう。まさか同じバイオリンでここまで差があるとは、と驚かされる体験になった。ヨドバシの一枚はとにかく音と音楽が噛み合っている。演者が自分の出す音の性質をわかっていて、どういう音楽づくりをすればいいのか理解しているからこそ生まれる完成度だ。ミックスの質も良い。▼しかし、もう一枚は期待を全く裏切られる形になった。演奏自体は巧いが、バックの音作りからミックスまで演奏以外の要素がことごとく壊滅的で、せっかくの良いところが何も聞こえてこない。興味のないことを疎かにした結果、誇るべきものがスポイルされてしまったのだ。対照的な二枚。尚、良い方は宮本笑里さんのCDである。

[2294] Dec 10, 2015

HDMIケーブルが足りないことに気がついた。必要なのはHDMI2.0準拠で18Gbpsの転送速度を達成できるケーブルである。はて、HDMI2.0とは何だったろうか。ケーブルも2.0専用でなければならないのか。▼調べ直してみたら案外面倒くさいことになっていた。ケーブルには全て後方互換性があり同じHDMI規格であれば何でも繋ぐことはできるが、どれくらいの転送速度を実現できるかはケーブルによるというのである。つまり、たとえば巷でハイスピードと呼ばれている「カテゴリー2」のケーブルは公称10.2Gbpsと謳っているが、これは前の規格であるHDMI1.4の限界転送速度に合わせて表記しているだけで、HDMI2.0機器に繋いだら、あっさり18Gbpsを達成するかもしれないのだ。もちろん、しないかもしれない。だから「ケーブルによる」のである。▼現在、公称で18Gbpsを達成すると表記しているケーブルは高価で少ない。いっそ旧規格の高級品で賭けに出るか、悩ましいところだ。

[2293] Dec 09, 2015

夕食は松屋のカレギュウをかきこんで、残りの休憩時間を仮眠室で寝る。ひとときの不眠症に比べれば今の夜はぐっすり眠れているが、寒いせいか朝方に起きてしまうようで、睡眠時間はそう長くない。帰宅、シャワー、日課を淡々とこなしていても三時をまわってしまう日々が続く。残念ながら来年まで続く。▼社会人になって六年目。思い返せば精神的にも肉体的にも今年よりきついプロジェクトはたくさんあったが、今年より修羅場の期間が長かったプロジェクトはひとつもない。たいてい、ある月に深夜残業が始まって、次の月に休日出勤が始まって、そこから二ヶ月か三ヶ月でマスターアップに雪崩れ込むのが通常だった。長くても五ヶ月というわけだ。それが今年は七月から深夜も出ている。すでに五ヶ月が経過している。▼最近決まったスケジュールによれば、この旅は七ヶ月目をもってついに終わりを迎えるそうだ。あと少し。全力で走り切るためにも、油断はできない。

[2292] Dec 08, 2015

寒い。凍えそうなほど寒い。今年の冬は暖冬なんて、毎年言われている気がするけれど信じられない。真夏に着るような薄っぺらい寝間着で過ごしているのが悪いのだが、諸事情により私の冬服は大幅に失われてしまったのである。新しいやつを買うか夏用と半纏の組み合わせで一冬凌いでしまうか、ここはひとつ考えどころだ。▼しかし、そこまで寒いならハロゲンヒーターでも新調すれば良いものを、結局、この冬の収入を叩いたのはアンプとプレーヤーとスピーカーであった。それもこのたびは全く制作には関係のない純粋な趣味観賞用ということで、ああだこうだと言い訳する余地は全くない。趣味である。癒やしである。▼構成は恐らくミドルレンジのやや下、エントリークラスの上位あたりか。もちろんピュアオーディオな人々になる気はないので、年単位で見て当分は今のままで良いと思っている。この世界はとにかく対数なのだ。身の丈を超えたらすかさず痛い目に遭う。

[2291] Dec 07, 2015

マランツによるエントリークラスのプリメインアンプにPM6005がある。価格は実売で4万円前後。一方、USB−DACに付加価値を見出さない人にとって7005は対象外だから検討するひとつ上のモデルは8005ということになるが、こちらは実売で9万5000円といったところ。実に倍以上の開きがある。▼6005は欧州で人気を誇る名機6004の後継機ということもあって、根強いファンも多いらしい。実際、それぞれの型番で検索をかけてみると、海外のフォーラムなどでは8005との優劣を争う板があったりする。これだけ価格差のある品同士で「vs」スレが立つのは凄いことだ。6005の能力の高さが伺える。▼あとはあくまで私の聴き比べた感想。B&Wのそれなりのスピーカーなら6005でも十分鳴るが、8005の方が音に芯があってクリア。中域のもわもわした感じもない。対数的に値段の高くなる世界にあっては、妥当な価格付けと言える。

[2290] Dec 06, 2015

木造の二階建て。二階にはどれくらいの重量まで家具を置けるのだろうか。ざっくりと調べてみた。▼もちろん広さと配置と築年数にもよるが、一般的な木造家屋なら少なくとも八畳の部屋で2tくらいはいけるらしい。2t。2000kg。50kgのリビングボードを上げるのは重すぎるだろうかと心配していた私にとって、この数字はちょっと意外だった。適切に荷重が分散してさえいれば、通常の家具配置で二階の床が抜けることを心配する必要はないということだ。▼それでも特に注意せよと言われていたのは、重量が大きいにも関わらず四脚で支えるようなタイプの家具と、水槽やウォーターベッドである。水はいつも想像以上に重い。2tを導く計算は1m四方に180kgだが、そこへ高さ50cmの水槽を置いたら500kgの荷重となってしまう。リビングボードの重さなど比ではない。水の次に気をつけるべきものがあるとすれば密集した本だろう。文庫本でも4000冊あれば合計1tになる。侮れない。

[2289] Dec 05, 2015

職場でインフルエンザが猛威を振るっている。といっても、インフルエンザが蔓延しているわけではない。今年は妙なことに、インフルエンザの予防接種でダウンする人が続出しているのだ。重篤な体調不良者を出さないために、軽症な体調不良者が量産された格好である。▼そもそも注射の時点で例年よりなぜか痛いようだと噂にはなっていた。ウイルスの種類を増やしたことで注射が痛くなる理由はあるのだろうか。詳しくは知らないが、私も注入時はいつもより痛くて、「注射きらいですか?」と女医さんに訊かれたくらいである。きらいですけどどうしてですかと訊き返したら「身体が逃げてますよ」と笑われた。無意識に注射針から遠ざかろうとしていたらしい。▼結果、私は頭痛だけで済んだが、他の人は肌の腫れ、吐き気、発熱などなど、重い人は一足先に寝込んでしまった。インフルエンザとのイタチごっこも一体いつまで続くのか。せめて人類が敗北しないことを祈る。

[2288] Dec 04, 2015

今年のPOG指名はボロボロかなと思っていたら、下位でひょっこり拾ったドレッドノータスが予想外の活躍をしてくれている。ハービンジャー☓ディアデラノビアなんて、どうしてこんな下位まで残っているんだろうと思って何気なく指名した子だ。あとで聞いてみたら、だいたい皆、遅いのではないかという見解だったらしい。間に合えばモノになるかもしれないけど、それにしたってハービンジャーではどうかな、という勘定だろう。蓋を開けてみれば見事モノになっていた。▼京都二歳。タイムは平凡だが、大味に捲くるのではなくじわりと伸びて差し切るハービンジャーらしからぬ競馬は、柏木先生も将来性ありの太鼓判だ。実際、道中さんざんかかっての競馬なので、そのあたりがまともになってくれば大化けの余地は十分ある。今のところはまだ大器の可能性止まりだが、今は可能性でも大歓迎だ。可能性の獣。二着のリスペクトアースともども出世してくれればよろしい。

[2287] Dec 03, 2015

今日の帰路はマーラーの第二番「復活」第一楽章の後半、不安を孕んだppから突如ティンパニが豪快に鳴り響きffに転じるところで、寒い風に吹かれた足元の木の葉がザザザと前に流れていった。そのぴたりと曲にあって格好いいことと言ったら。よく出来た映画の一幕を観ているような、あるいはその映画世界の一員になったような気分である。環境音楽信奉者の気持ちがわからないでもない。▼マーラーの曲は多調的で並行的で分裂症的だと言われるが、私には彼の曲はどうにも現代映画的に聞こえる。映画音楽のようだというのではない。無関係のようでいて、しかし聴衆にはなんとなく意味の繋がりがわかる、いつかどこかで重要なプロットに結びつく気がする、そんなシーンを織り交ぜてひとつの巨大な物語を作り出す手法が、いかにも映画くさいのだ。モンタージュ的と言ってもいい。美味しいところの盛りだくさん、味わい方はお好きにどうぞ――そんな現代的感覚である。

[2286] Dec 02, 2015

寒くなってきた。このところは毎日ワインレッドのダウンジャケットを羽織って行く。暑すぎず、寒すぎず、堅苦しくなく、軽薄すぎもしない。便利なのでお気に入りだ。さらに寒くなれば、初年度に張り込んだカシミアコートの出番になる。▼コート、セーターといえば怖いのは虫食いだ。我が家ではいつも「ウール食べる虫」の愛称(?)で呼ばれている奴に、今年も一着やられていた。ナフタリンなど物ともしないタフな一族が住み着いているのかもしれない。▼ときに、いつも「またウール食べる虫がいた!」などと言われている彼の正式名称は「ヒメマルカツオブシムシ」。ヒメ・マル・カツオブシムシと読み分ける。鰹節に似ているカツオブシムシの、マルくて小さい幼虫というところだろう。繊維質ばかり好んで食べるれっきとした害虫だが、タンパク質を食べて骨は食べないという性質を利用して、骨格標本を作るのに利用されるなど、役に立っている一面もあるようだ。

[2285] Dec 01, 2015

会社を辞めた元同期の一人が海外に旅立っていった。場所はオーストラリア。先のことはわからないが、向こうで暮らすことも視野に入れるという。旦那になるべき人の仕事がどうなるか、それ次第ということだ。本人にそんな感慨はないだろうが、傍から見ているとなかなかドラマチックな話ではないか。▼オーストラリア。私の貧弱な想像力ではカンガルーやオージー・ビーフ、せいぜいシドニー・オペラハウスが関の山だ。それくらい、かの国は私の生活にとって縁遠い。どんな食べものが美味しいのか。どんな音楽が流行っているのか。どんなファッションが主流なのか。要するに、どんな国なのか、全然知らないということだ。帰国時の土産話が今から楽しみである。▼自分のことを思い返せば、最後に国から出たのは研究室の合宿で行ったグァム。社会人になってからはきっぱり国内にひきこもっているわけだ。七年目の来年、ひとつ飛行機の羽を伸ばしてみるのも悪くない。

[2284] Nov 30, 2015

小澤征爾の次は『1Q84』に手を出してみた。六巻組の単行本。まだほとんど読んでいない。▼ちょうど折よく、村上春樹が小説を書くための極意を披露したというので、記事を読みに行ったらカキフライの話が出ていた。『雑文集』の最初の一遍もカキフライについての話だ。よほどカキフライが好きなんだろう。▼記事の引用する彼の言葉によれば、彼の奥さんは揚げ物が嫌いで自分のためにカキフライを揚げてはくれないので、好物を食べるためには自分で揚げなければならない。ときに、朝四時とか五時に起きて一人でもくもくと小説を書くのも、自分が好きだから書いているのであって、してみればカキフライを揚げているようなものだ。自分の小説を書くという気持ちでいると上手く言葉が出てこなくなるが、カキフライを揚げているんだと思えば気持ちが楽になって、筆もすらすら進んでいく。小説を書くのは、カキフライを揚げることなのだ、と。そういう話であった。

[2283] Nov 29, 2015

ベートーヴェンの弦楽四重奏がiTunesに残っていたので何曲か聴いてみたが、ジャズを聴いたときと同じような「よくわからなさ」を感じた。よりによってジャズとは。一体どういうことだろう。唸ってみたがわからない。交響曲にしろ弦楽四重奏にしろ、ちゃんと聴くにはレベルが足りないということなのだろうか。レベルなら経験値で上がるからまだ良いが、「聴く素養」とかそんなものがもしあったらお手上げである。▼とにかく、よくわからないので今は心地よい背景音楽として耳に当てるしかない。取り立てて弦楽器の音が好きなわけではないが、ひとつの音にクレッシェンドをかけられるのは魅力的だ。刻んでいく弦もきらいじゃないが、それならピアノのスタッカートでもと思ってしまうので、私にとってはやはり息の長いロングトーンが弦楽曲の醍醐味になる。よく歌う楽器だ。歌える音だ。これに比べるとピアノで歌うのは難しい。ピアノにはおしゃべりの方が似合う。

[2282] Nov 28, 2015

小澤征爾☓村上春樹『小澤征爾さんと、音楽について話をする』読了。いつか読んでみたいと思っていた本だったので、このたびの村上春樹流れに便乗して読みきった。▼頁数に比べると扱うトピックスは少なめで、語られているエピソードの量とか俎上に上がる曲目の数とか、そういうことを言い出したら物足りなく感じるかもしれないが、宇多田ヒカルの顔が濃いかどうかについて意見が分かれる一幕のような、対談というよりお喋りの記録とでも言うべき雰囲気には和まされる。小澤征爾とはこういう人なのね、とわかった気になるためには十分だ。いや、お腹いっぱいである。▼対談に触発されて聴いてみたいと思い始めたのは、前述のブラームスもそうだが、主に弦楽四重奏だ。正直、あまり意識して聴いたことがない。CDも全然ない。交響曲より関心の薄かった領域である。なので、どこからとっついていいかもわからないが、調べながら有名ドコロのCDを漁ってみよう。

[2281] Nov 27, 2015

SC203には同軸デジタル入力がない。一方、クアッドキャプチャには光デジタル出力がない。所詮1m程度のケーブル、アナログにしたところで大した問題ではないが、微妙に噛み合わないのは残念だ。▼SC203を手に入れてから早や一週間だが、「今週こそ正念場」が毎週続いている今現在にあっては、深夜二時近くに帰宅して爆音を鳴らすわけにもいかず、ウインドウズの起動音とシステムアラートくらいしか発声させてあげられていない申し訳なさである。試聴のときに聴いた弦は素晴らしかったので、早いところピアノも聴いてみたい。この近さでどこまで奥行きが見えるか、あるいは見えなくなっているか、確かめてみる必要がある。▼そういうわけで、良い物を手に入れたにも関わらず、相変わらず音楽を聴けるのは通勤時間だけ。新規開拓も疲れるのでマーラーの『巨人』ばかり聞いていたら、第二楽章のメロディが頭のなかでぐるぐる回るようになってしまった。

[2280] Nov 26, 2015

ブラームスの1番はベートーヴェンの10番と評されるという話を、村上春樹と小澤征爾の対談で読んだ。誰が評したのか。簡単に調べた限りではビューローだそうだが、確かな出典は確認できていない。ただ、説得力のある喩えではある。真面目にブラームスが聞いてみたくなった。▼それにしても小澤征爾のしゃべり方が、なんだか我が親友にそっくりな気がして、音楽の素養と素質に優れた人間は話し言葉にも似たような洒脱さを持つのだろうか……などと思う。軽快にして簡素。真にものごとを極めた人の話には独特のリズムがある。そういうリズムに乗せられた話というのは、それ以上何も飾らなくても身を乗り出すほど面白いものなのだ。▼ベートーヴェンの交響曲第十番と言われたら、今まで興味はなかったが、ブラームスが聞きたくなってくるというもの。しかしあいにく手持ちのCDがないので今日はマーラーの一番を聴いて帰った。マーラーはフォルテが多くて良い。

[2279] Nov 25, 2015

最近、スマートフォンで人のブログを読むことが増えた。同じような話題、同じようなネタしか繰り返さないニュースサイトやまとめサイトに飽きてきたというのもある。ひとつのサイトに投稿される4本の記事を毎日見るより、一週間に一度しか更新されないブログのブックマークを28コ持っていた方が、話題が多彩で面白いということだ。少なくとも今はそう感じられる。それで、いろいろとブログを漁っている。▼興味のある話題を扱うブログを探すのはわりあい簡単だ。興味のある言葉をいくつか並べて、その後ろに「ブログ」「blog」を追加して検索すればいい。馬鹿馬鹿しいようだが、ブログはなんといっても文章が主力なので、検索の元になるワードプールは広い。「興味のある言葉」が限定的だったり長かったりしても案外ヒットしてくれる。▼知りたい情報を探しているさなかに偶然たどり着くことの多いブログだが、たまには意識的に探してみるのも楽しいものだ。

[2278] Nov 24, 2015

一日中メモリと向き合った。文字通り一日中だ。朝、ついたら騒ぎになっていて、原因不明のハングアップがあるという。私がそれを追いはじめた経緯は省略するが、アセンブラの解読だけでは不十分であることがわかったのは昼過ぎで、そこからはデュアルディスプレイにメモリを映しだしてひたすら破壊者を探しだす作業である。該当のメモリは、かなり悪質な壊れ方をしていた。▼根を詰めること十二時間、ようやく辿り着いた答えは二重解放であった。全く、時間差の二重解放ほど厄介なものはない。グラフィックスアロケータに投げられるフリーの先頭アドレスを何百も監視していて、ふと同じアドレスが寄越されているのに気づいたのがさいわいだった。もう少し眠くてぼんやりしていたら、この問題は明日に持ち越されていただろう。▼脳みそがくたくたとはこのことだ。目もしぱしぱする。今日はもう、余計なことは考えるまい。本も読まずに、アニソンを聞いて帰った。

[2277] Nov 23, 2015

さて、村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』読了。じつは結末は『雑文集』でさりげなくネタバレされていたから知っていたのだが、そのせいで面白みが半減したということはないと思う。むしろ、その結末に向かっていくことを知っていたおかげで混乱せずに読めたかもしれない。どうしてこの物語が面白いのか、この物語の何がそんなに私を引っ張っていくのか、説明は出来ないが面白かったというしかない。▼彼の小説が興味深いのは、小説の中に出てくる何かを暗示していそうな事物が、いかにも作者の計算によって拵えられましたという感じがなくて、あたりまえのように物語世界の中に登場してくるところだ。全ては登場すべくして登場しているので、こちらとしてもいちいち、これには意味がある、意味がないと考えたり疑ったりする必要がない。全てがありえそうだと思えてしまう。これこそありえない世界を描くファンタジーの醍醐味であろう。

[2276] Nov 22, 2015

『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読み進めている。下巻の後半。もうすぐ終わるところだが、まあ、控えめに言ってもそんじょそこらのファンタジーよりだいぶ面白い。ただ、『雑文集』を読んだ後だと思うところもたくさんある。何より「ハードボイルド・ワンダーランド」の方の主人公があんまりにも作者その人過ぎて、シリアスなシーンでも笑いをこらえきれないところがあるのだ。陰鬱なシーンで街を歩く「私」が目にするのは、中日対ヤクルトの試合結果である。ヤクルトは6−2で負けていた。もちろん村上春樹は熱心なヤクルトファンである。▼他にも、『雑文集』で書いていた趣味の諸々が、みっちりと「私」の趣味になって小説中に散りばめられている。他の作品はどうか知らないが、設定年齢が近いこともあるし、恐らくこの「私」こそが村上春樹本人にいちばん近いのではないか。作者も遠慮無く自分を憑依させられたのではないかと思った。

[2275] Nov 21, 2015

ピアノに刺すべきプラグインについて嗅ぎまわっている。打ち込みにおけるピアノの不人気から推して知るべしだが、やはり情報が少ない。加えてピアノという楽器はとにかく音域の広い楽器である。音域も広いし用途も広い。つまり、こうすれば良いピアノの音になるというミキシングの方程式が他の楽器に比べると提示しにくいわけだ。あらゆる音域について、削った方がいいこともあればブーストした方が良いこともある。▼一方、リバーブについては意見が分かれているようだ。音源付属のリバーブがもっとも馴染むという人もいれば、あんなのはおもちゃのようなもの、やはり専用プラグインを刺した方が断然という人もいる。また専用プラグイン派も派閥はそれぞれで、Altiverbが最強という大樹の陰から聞いたこともないフリープラグインの組み合わせを賛美する声まで色々だ。▼しかし、要するに正解はないのだろう。自分だけのピアノは、自分の耳で勝ち取るしかない。

[2274] Nov 20, 2015

偏愛か、バランス感覚か。この選択はちょっと難しい。真に良いものは偏愛からしか生まれないと言っても過言ではないし、いやいや、真に良いものはバランス感覚からしか生まれないのだと言い返しても言い過ぎではない気がする。尖るのか、広がるのか。スペシャリストか、ゼネラリストか。仕事のキャリアや趣味の洗練や人生の楽しみ方について、ほとんどの人が悩んでいるのは大方この二択なのではないかと思えてくる。▼もちろん正解なんてない。正解なんてないが、二択を提示されたら常に別の可能性を探る捻くれ者であることも得てして大切だ。たいていの場合、二律背反は疑わしい。いろんなものをバランス良く偏愛するという欲張りな態度があってもいいし、バランスという状態をひたすら偏愛するマニアックな性格があってもいいではないか。そうして開き直ってみると、私はたしかに三番目の選択肢――バランスの良い偏愛――がいちばん性に合っている気がする。

[2273] Nov 19, 2015

『雑文集』を終えて、次は『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読み始める。チョイスに深い意味はない。適当に良いサイズの長編を選んだだけだ。▼いつも通り会社のデスクに置いていたら、読書好きで競馬好きのおじさん先輩から「今度は村上春樹かあ。これは面白いぞ」と、いかにも結末を言いたそうな顔で言われた。曰く、海辺のカフカとねじまき鳥に次いで自分の中では第三位、らしい。私には海辺のカフカはよくわかりませんでしたよと言うと、あれがわからんとこっちはもっとわからんかもなあと親身らしく唸った。▼別の人には「なんで今さら村上春樹を?」と悪気なく訊かれた。村上春樹は昔から苦手だが、『雑文集』を読んで好感を抱いたから、好感が消えないうちにさっさと代表作を読んでしまおうと思い立った、というのが私の飾らない回答である。「ハルキストになるんですか」という追加の問いには、ならないと思うよとシンプルに答えた。

[2272] Nov 18, 2015

村上春樹『雑文集』を読んでいて思うこと。私が村上春樹を「なんか苦手」と思う理由のひとつに、この人の文章がなぜ読みやすいのか、そのワケがわからないからという不気味さがあると思う。言葉が平易だから読みやすいとか、日本語の使い方が巧いとか、音楽的だとか、そういうことはちっとも感じないのだが、とにかく読みやすい。ワケもわからず読みやすい、その「ワケのわからなさ」がそっくり、村上春樹=ワケのわからない作家というイメージに変換されてしまっている気がする。失礼極まりない話だ。▼そろそろ読み終えるところだが、率直に言って面白い。眠い朝の電車でも読んだし、雨がちな昼休みにも抱えて出たし、仕事中もトイレに持ち込みたい気持ちを我慢して手元に置いていたくらいだから、けっこうハマっていたのだろう。勝手に嫌って勝手に気に入って、まこと身勝手な話ではあるが、距離を詰める気になっただけでも書店のフェアに感謝すべきだろう。

[2271] Nov 17, 2015

「The Hammersmith」というKONTAKTのピアノ音源が凄いらしい。3万以上のサンプル数にマイクポジションは6種類、ベロシティレイヤーはIvory IIを越える21段階だとか。しかしこう数字を並べられても、1鍵盤あたり1200サンプルを擁するViennaImperialがある以上、もはや驚異的とは言いにくい。であれば音で感心させて欲しいものだ。昼休みにデモを聞いてみた。▼たいした視聴環境ではないので信頼度は低いが、思ったより着色の少ない簡素な音質で、高音域も低音域もすっきりと伸びていく印象。音圧を上げてもモコモコしたりぼやけたりしにくそうなので、押し出しの強い楽器と合わせてもリアルなまま張り合えるであろう魅力がある。VIに比べるとさすがに音は薄いが、そこは調整でなんとかなるかもしれない。とにかく値段以上の価値はありそうなサンプルである。▼ピアノ音源界もVI以降は停滞気味なので、ここらでひとつスマッシュヒットが欲しいところだ。

[2270] Nov 16, 2015

村上春樹の『海辺のカフカ』を読んだとき、私の感想は「面白いけどよくわからない」であった。文体や語り口の柔らかさは性に合うし、物語にもそれなり納得できたのに、なぜか苦手な作家のような気がして、それ以来は小説を読まなかった。惹かれるものは多く嫌いなところはないのに、なぜか遠ざけてしまう作者。ある意味では不思議な関係性とも言える。▼ならば小説でなければどうか。ちょうど、村上春樹『雑文集』が最寄の書店で平積みだったので、ちょっと立ち読みしてみたところ、やっぱり面白い。いや、少し記憶にある印象よりも回りくどいかな、などと思いつつ、たしかに雑文なら抵抗なく楽しめそうなので、ちょうどしばらく軽い読み物を読んでいなかったから、ブームに乗せられた感はありつつもさっくりと買ってみた。▼特に理由もなく、一方的に距離を保っていた作家との奇妙な再会。もしかしたら村上春樹の小説にちゃんとあたれるいい機会かもしれない。

[2269] Nov 15, 2015

片山杜秀『音盤考現学』読了。いや、これは凄い。こう言ってはなんだけど、これこそ知性ではないか。あまり馴染みのない社会学的な分析から、全く知らない日本の作曲家の考察まで、本当なら興味を失いそうな題材なのに、なぜかスイスイ読めてしまった。これは文章が巧いのだろう。こうもぎゅっと凝縮されていて、しかしわかりやすく説得力がある文体というのは、なかなか稀有である。あやかりたいものだ。▼ただし、音楽に歴史に人の名前から曲の名前まで縦横無尽に固有名詞が飛び交うので、西洋音楽にも邦楽にも、あるいは時代劇にもさっぱり通じないとしたら、さすがにとっかかりがなさすぎるかもしれない。各ジャンルについて少し下調べをしてからの方が、確実に片山杜秀ワールドを楽しめるだろう。▼とにかく久々に痛快な本を読んだ。早速続編を注文している。もしアマゾンレビューに星を四捨五入の小数でつける機能があるなら☆5.4をつけたいところだ。

[2268] Nov 14, 2015

久々に仮眠室で一夜を明かす。相変わらずの盛況で、私が訪れた午前五時にはもう寝床が二つしか空いていなかった。あちこちの二段ベッドから位相の違うつかれた寝息が聞こえてくる。ひときわ目立つ高鼾はカーテン付きのベッドからだろう。こんな騒音の中で眠れるだろうか。心配したが、疲労が勝ってくれたらしい。靴下を脱いだ記憶の次は、もう目覚ましに起こされた。▼八時起床、やりかけの仕事を少し進めてから病院へ。診察によるとひとまず快方には向かっているとのこと。とはいえ薬局では両手で抱えるほどのお土産をどっちゃりもらってしまったが、薬で治るなら安いものだ。健康は金には換えられないと主張するくらいの余裕はまだある。▼のっぴきならない状況は今夜も泊まりを要求しているが、主要な実装は終えたことだし、健康上の都合により今夜ばかりは戦略的撤退を選択しよう。一か八か、睡眠中に脳の深いところで良い解決を考えてもらうのも悪くない。

[2267] Nov 13, 2015

ベッドシーツには「スレッドカウント」という仕様項目がある。省略してTCと書かれることも多い。意味は、1インチ四方に何本の糸が使われているか、つまり糸の密度を表す指標である。「240TC」と書かれていたら、それは1インチ四方に240本の糸が交差しているということだ。▼一般に、スレッドカウントが大きければ大きいほど、シーツは肌触りが良く滑らかになる。二千円くらいの汎用シーツなら200TCくらいだが、物理的な防ダニを謳う商品であれば300TC以上、マイクロコットンなどの高級品になると350〜500TC、あるいは数万円クラスのエジプト綿になると650TCなんて代物も出てきたりする。糸自体の質もあるのでTC=品質とは限らないが、シーツメーカーがこの指標を仕様項目として重要視していることはわかるだろう。▼ダニの通過を気にする人は、ひとつ購入前にTCが300以上かどうかを確認してみると良いかもしれない。

[2266] Nov 12, 2015

優れた物語は、国ごとにローカライズされたり、現代風に翻訳されたり、あるいは演劇のように形式を変えたりしても、その魅力が失われることはない。名作を名作たらしめているのは核となるアイデアであり構造であって、些末な皮相ではないからだ。傑作には強い可塑性がある。ちょっとした改変などに負けたりはしない。▼ところで編曲をめぐる世界には「原曲原理主義」とでも呼べる一派が存在する。彼らは編曲という行為を原曲に対する冒涜と考えている。いかなる編曲も原曲の劣化に過ぎない。原曲というオリジナルこそが唯一の至高であって、編曲なる二番煎じは全て一聴だに値しない駄作だと彼らは主張する。原曲万歳。▼なるほど、であれば原曲原理主義者とはつまり、原曲の価値を最も低く見積もっている人たちであると言えそうだ。皮肉なことだが、そういうことになる。我らが神は病弱なり。イデオロギーが本質に先行して本来の敬意を見失った形の好例だろう。

[2265] Nov 11, 2015

私は、毎日をそれなり合理的に生きている。綿密ではないとしても、自分の将来を論理で組み立てることができる。人生設計という言葉が意味を成すような生活をしている。つまり、私の人生観はまだ論理と構築に比重がある。一方、これだけ荒んだ世の中、将来の計画どころか来週の住処もわからぬという、一寸先は闇を地で行く生活を送る人も少なくない。そういう人にとって、人生は暴力的で刹那的な出来事の点描か、変化もなく出口もない無限に続く麻薬的な通路に映るだろう。▼人の好みは人生観を反映する。今どき西洋近代音楽が流行らないのは、もしかしたら時代の流れが論理の人生を否定する方に向かっているからかもしれない。人生が抗えぬ偶然との衝突だと思えばトータルセリーやトーンクラスターが、変化なき無限回廊だと思えばサイクリックなクラブ音楽が、それぞれ流行っていくということにもなる。現代音楽も伊達ではないのだ。いまや論理は少数派である。

[2264] Nov 10, 2015

許光俊『クラシック知性主義』読了。18人による評論の寄稿集だが、はっきり言って相当な玉石混淆。興味深いもの、面白いものもあったが、酷いのは本当に酷い。ある意味では「知性」の意味を考えさせられる本である。▼「美術とクラシック」「演奏解釈と法解釈」「クラシック音楽にとって知性とは何か」「クラシックと会計学」「クラシックと社会学」このあたりは私にとっては当たり。夢野久作をパロディにした「缶詰の地獄」も嫌いじゃない。その他、つらつらと関連する知識を披露してくれる列挙系の何編かも、知らない知識を補充してくれるという点では読んでよかったと思う。▼「良かった」と「まあまあ」のどちらにも入らなかった数編については、ほとんど記憶に残っていない。もっとも、書き手にも読み手の記憶に残そうという意志はまるきり感じられないので、それでよいのだろう。世の中には、発信しさえすれば受け手が誰もいなくても満足する人はいる。

[2263] Nov 09, 2015

アーロンチェア、到着。シミュレーション通り、ドアは無事通過することができた。早速稼働している。▼座り心地云々もあるが、なにより研究室時代を思い出して懐かしい。やはり他のシリーズに浮気しなくてよかった。「思い出の品」補正による満足度の底上げは想像以上に大きいのだ。最初、全くリクライニングしないので戸惑ったが、調整ノブを何十周もマイナス方向に回しつづけたら徐々に背もたれが柔らかくなって、昔の感覚に近づいてきた。押し戻してくる弾力が素晴らしい。▼そう、座っていて改めて思うが、アーロンチェアは決してくつろぐための椅子ではない。仕事をするための椅子である。休もうする身体をしなやかに受け止めつつも「もう少し頑張りなさい」と体幹を前に押し出しれくれる善意のお目付け役なのだ。今はやるとき。やるときはやる。リラックスしたくなったらちゃんとベッドで寝てきなさい。そんなメリハリが、アーロンチェアの持ち味である。

[2262] Nov 08, 2015

新しいベッドの厚みは30cmある。ところが、「ダニゼロック」のボックスシーツは厚みが25cmの品しか売られていない。たいていのメーカーが30cm、あるいは25cm〜40cmで選べるようにしている中、この25cmへのこだわりは理解しがたいものがある。実際、そのせいで私もダニゼロックを諦めて別のメーカーのパッケージを探そうとしているのだ。それなり大きな機会損失になっている気がする。▼そんな客を狙い撃ちしているかのように、アマゾンで見つけたのが「ダニブロック」のスーパーガードIIだ。ダニゼロック同様、綿100%であることを売りにしていて、ダニを通さない超極細云々の文句も同じ。そうしてきっちり30cm厚のボックスシーツを取り揃えている。おまけに値段は少しだけダニゼロックより安い。正直、胡散臭いので即決は出来なかったが、今の私には魅力的な選択肢に映るのも確かだ。こうして客を逃さないためにもダニゼロックはぜひ30cm厚の開発をしてほしい。

[2261] Nov 07, 2015

火事を防ぐには湿度が大事。それはそうかもしれない。しかし、ひとたび火事になったら加湿器を点けている場合ではないだろう。速やかに消火しなければならない。ぼんやりしていたら何もかも灰になってしまう。▼私たちの身体に起こる炎症というのも、まさに身体が火事になっていると言ってよい状態である。伊達に炎を名乗ってはいないわけだ。したがって対処の意識も予防から鎮火に移らなければならない。ことあるごと、口癖のように「暑い、暑い」と言い始めた時点で、呑気に保湿剤なんか塗っている場合ではなかったのである。▼もちろん、ステロイドは優しい万能薬ではないのだから、鎮火が終わったら頼るのをやめ、再び予防の意識にもどらなければならない。II群は大人に対して連続使用は一週間が望ましいとある。まさに短期決戦。使うべき時はきっちり使って、ストレスを減らし、十分な睡眠を得られるようにして、戦闘体勢を整えてから改めて自立するのだ。

[2260] Nov 06, 2015

6年前の悪友と再開。といっても人ではない。ステロイド外用剤だ。▼絶交してから長い間、一人でも上手くやってきたつもりだったが、この10月、どういうわけか体調が猛烈に悪化した。仕事が忙しいなんて何年間も同じだったので理由にはなりそうもない。医者曰く、理由を探しても仕方がないそうだ。特別な理由なんかなくても、悪化するときは悪化する。そういうものだと。▼ステロイドに関する多くの「恐怖勧告」が誤解に基づく過剰反応であることはわかっているが、それでも当時、文字通り必死の思いで手を切った薬品に手を出すのは気が進まない。しかも処方されたのはU群。ベリーストロング。新たなステージだ。よほど悪化していたらしい。自分ではまだ保湿剤でなんとか戻す気でいたのが恐ろしくなる。▼とはいえ手遅れというほど遅くもない。短期間で卒業して、さっさと前の無難な調子に戻そうではないか。包帯ぐるぐる巻きが学生時代を思い出して楽しい。

[2259] Nov 05, 2015

AKAIのRPM3が到着。配置換えによりスピーカーを失ったキーボードから、とにかく音を出すためにと選んだ即興の品だが、これが見た目も音も見事にハマってくれた。赤いコーポレートカラーはキーボードのLEDにマッチして美しく、取り立てて味付けのないフラットな出音はピアノの表現にうってつけ。小さくても凄いやつだ。値段も予定より低く抑えられた。セッティング成功である。▼他で候補に挙げていたのは前にも書いたタンノイのReveal402やPreSonusのEris4.5だが、前者はやはり奥行きが大きすぎ、後者は使用者の評価こそ高いが情報不足で敬遠した。これらを退けたあと、FostexのPM0.3やPM0.4も急浮上したが、RPM3に比べると少々音がこもり気味だったことと、黒一色のキーボードへ乗せるにはデザイン的に華がなくてやめてしまった。スピーカーは音質が良ければ良いというものでもない。インテリアでもあるのだから、気分が乗ってくる見た目というのも重要だ。

[2258] Nov 04, 2015

今日の帰路はベートーヴェンの「月光」巡り。ホロヴィッツの「月光」も久しく聞いていなかった。▼グールド、ブレンデル、バックハウス、ルービンシュタイン、ポリーニ、その他、月光のラインナップもかなり増えたが、今でも第三楽章はホロヴィッツが最も良いと思う。確かに冒頭フレーズのsfの独自解釈は賛否両論だろうが、全編通しての面白さという点では他の追随を許していない。当時の印象が鮮烈だったせいか、あれからしばらくホロヴィッツの全集を聴きまくっていたせいか、歩く歩調と「間」がぴったり合って気持ちがいい。引き伸ばしたあとの強拍が「ここで来る」というのがなんとなくわかる。それに合わせて足を踏み出す。踏み出したときにはもう後戻りできないわけだから、大地に足が着くタイミングと強拍が見事に一致したなら、文句なく予測成功なのだ。イヤホンの向こうと息の合う感覚が楽しい。▼せっかくだから明日は「熱情」巡りでもしてみようか。

[2257] Nov 03, 2015

描画、レンダリングとは不思議な領域だ。人によっては、描画ほど「ゲームをつくっている気がしない」仕事は無いと言う。たしかに、シナリオやアクションのようなわかりやすいゲーム要素に比べれば、「ゲーム性に関わる描画」を想像するのは難しい。グラフィックスの追求をゲームの進化と結びつけて考えないタイプの人にとっては、描画を詰めるのは煩わしい手間でしかないだろう。▼しかし一方で、アクションの無いゲームや、シナリオのないゲームはいくらでもあるが、描画のないゲームというと考えにくい。ゲームが何らかの画面上で展開する以上、描画はあらゆるゲームに必須の技術である。キャリアの側から言えば、描画の技術は「潰しが効く」ということになるだろう。▼だから転職に有利などとせせこましいことを言うつもりはないが、どのみち一人でゲームを作るなら必須の技術であることは間違いない。チャンスがあるなら、積極的に参画した方が良いと思う。

[2256] Nov 02, 2015

前日の件、アーロンチェアのCサイズ在庫があるという椅子専門店『ワーカホリック』さんにメールで事情を説明し、万が一の場合は取り替えてもらえないかと相談してみたところ、稀に見る「神対応」を受けて感動した。次に要約するのは、深夜に送ったメールに対する翌日昼の回答である。▼「アーロンチェアのCサイズについて、店頭で64cm幅を通すシュミレーションをしてみた。」「ぎりぎり通るという結論だが、ドアをこするかもしれないので注意して欲しい。」「ドアを外した68cmであれば問題なく通る。」「廊下など扉以外の狭い部分はないか確認を。」「長く使うものなので、(不安で小さいサイズを買うくらいなら)適性サイズのチェアをお薦めしたい。」▼最後には、それでも通らなかった場合はご相談ください、とある。至れり尽くせりではないか。特に店頭シミュレートはポイントが高い。安心したので早速注文してしまった。専門店の鑑と言うべき対応だろう。

[2255] Nov 01, 2015

私の部屋の扉は横幅が68cmしかない。ドアがあるので、ここを通れる物の上限という意味では64cmとなる。普段使いでは「少し狭いな」くらいで不自由はしないが、輸入物の家具を買うとなると慎重に寸法を見なければならない。大きめサイズだと物理的に通れないこともある。▼アーロンチェアのCサイズが、まさにその瀬戸際で大いに悩んでいる。脚の幅66cm、アーム間の距離70cm、座面68cm。直方体で包んだら確実に通らないが、脚から座面までが細くなっている分、ひねって希望があるかないか、微妙なラインである。先に背もたれを通して、アームの部分を傾けて、座面を通して……と脳内でシミュレートしてみると九割方いけそうだが、確証はない。▼ショップの但し書きによると、返品は未開封のものに限り、開封済みの場合はキャンセル料を半額いただくとのこと。こんな高額な品の半額をみすみす払いたくはないので、購入直前で再検討となった。なんとも障害が多い。

[2254] Oct 31, 2015

たとえば、自分のやり方に強い自信があり、かつ自信を裏付けるだけの高い能力も持ち合わせる若手がいるとする。彼は上司から仕事を与えられるとき、手法まで細かく指図されることを嫌うだろう。それよりは「やり方は自由でいいから目的を達成してくれ」と信頼して任せてくれる相手の方が合うはずだ。▼さて、そんな彼が上司になったとする。彼はどんな上司になったのだろうか。彼は昔と変わらず自分のやり方に自信を持っている。成果も挙げてきた。彼の自信は間違っていなかったのだ。であれば、彼はもしかしたらこんな上司であるかもしれない。「この仕事なら、やり方はこうしたほうがいいよ。」▼未来の自分が、今の自分にとって理想の上司であるとは限らないということだ。学習と指導のスタイルは、必ずしも噛み合わないのである。相手が誰であっても、その長所を伸ばしたいと思うなら、自分の癖がそれぞれどうであるかについて、よく知っておく必要がある。

[2253] Oct 30, 2015

本を読んでいたらショパンの『葬送行進曲』が出てきた。フレーズのドレミ音階付き。しかしどうも記憶に残る「葬送」のメロディとは違う気がする。そういえばバッグの中のプレイヤーにはホロヴィッツ演奏の「葬送」が入っていたはずだ。▼第一楽章から順に聴いていったら、件のメロディは第三楽章だった。葬送の顔は第三楽章なのだろうかと不思議に思い調べてみたら、そうではなくて、そもそもこの第三楽章こそが「葬送行進曲」という作品であり、ピアノソナタ2番とは「葬送行進曲付きソナタ作品35」のことなのだそうだ。▼余談だが行進曲のWiki、最終段のエピソードが秀逸である。「1933年5月、ドイツ、フランクフルトにおいて、ユダヤ人の著作物を焼く焚書の祭典がナチスによって実施された際、ショパンの葬送行進曲が演奏される中、本は火の中に投げ込まれた。焼かれた本の中には、ショパンと交友のあったハインリヒ・ハイネの著作もあったという。」

[2252] Oct 29, 2015

久しぶりに名刺の受け渡しなんぞを練習した。あなたがたも社会人として六年目、七年目のベテラン。もう名刺交換くらいは慣れたものですよね。指導役の言葉が苦笑を誘う。入社してこの方、業務で誰かと名刺を交換したことなど一度もない。同窓会でも数えるほどだ。プログラマとはそんなものである。▼たいして難しい技術でもなし、さっさと復習を済ませて雑談に入る。名刺も近いうちにデータが主流なって、新人はスマホの取り出し方をマナーとして学ぶようになるかもしれない。実際、役職が変わっただけで名刺を交換し直すくらいなら、名刺へのリンクだけ交換して転職や昇進の情報が相手の画面でもリアルタイムに変わればいいではないか。マイナンバーのように機能してくれればこれほど便利なことはない。いや、それはもはやフェイスブックでは。云々――。▼もっとも、この議論には落とし穴がある。交換相手の中には近況を伝えたくない相手もいるということだ。

[2251] Oct 28, 2015

EVEAudioのSC204、タンノイのReveal402もかなり評判が良いな……などとモニタースピーカーの後継者探しをホクホクやっていたら、衝撃的なことに気がついた。冷静になって測定してみると、これらの4インチスピーカーは、私の脳内に描いていたより遥かに大きいのである。横にすればディスプレイの下に収まる。それはそうかもしれないが、左右に並べたらディスプレイの下の空間は埋め尽くされてしまうほどのボリュームだ。▼物の大きさを頭に思い描くとき、頼りにするのは高さ・幅・奥行きの表記だが、この長さというやつが曲者で、高さはまあまあ、幅もそれほどない、奥行きは許容範囲などと個別に考慮していると、十中八九「体積」を小さく見誤る。パントマイムで見積もろうとしたって、手のひらは勝手に直方体の角を小さく丸めているのだ。まあまあの高さと、それほどでもない幅と、許容範囲な奥行きを持つ直方体は、あなたが思うよりずっとドデカいのである。

[2250] Oct 27, 2015

エルゴトロンのツインアームは上々に機能しているが、ひとつだけ問題が発生した。27インチのWQHDと28インチの4Kを横に並べるにはアームが短すぎるのだ。どちらかがどちらかの上に重なってしまう。それでは意味が無い。延長アームなる便利な品も売られているが、軽い方のディスプレイでも7kg近くあるので、耐荷重は大丈夫でも机にかかるモーメントが心配になってくる。▼将来的に24インチのWQHDトリプルにすることでも夢見て、ここはもうひとつシングルのアームを買うしかあるまい。元からシングル二本にすればよかったので痛い出費だが、もしも机が割れればアームやディスプレイまで巻き込んで、PC環境に修復不可能な傷を負ってしまうかもしれない。こればかりは避けるべきリスクである。▼ツインアームを検討している人は、くれぐれも横並びの可不可に注意されたい。エルゴトロンは奥行きも食うので、想像以上に最適配置はシビアである。

[2249] Oct 26, 2015

とうとうベッドの注文を確定する日が来た。流行りものへ気移りしたり、高級品に目が眩んだりしつつも、最終的に選んだのはオーソドックスなフランスベッドのライフトリートメントである。しかもソフトタイプを選択した。ベッドは硬い方が良いという思い込みが間違っていることをショールームの体験で痛感したのである。▼ベッドの「柔らかさ」には二種類ある。ひとつは、低反発の詰め物が多いマットレスに見られるような、身体の形状に合わせて表面が沈んでいく柔らかさ。もうひとつは、バネの反発は硬く身体は沈まないが、表面の感触は弾力がありやさしく感じる柔らかさだ。ライフトリートメントのソフトは後者にあたる。そうして、寝てみてわかったのは、私が忌避していたのは前者の柔らかさであって、後者の柔らかさではなかったのだ。▼しっかり身体を支えてくれるのなら感触はやはり柔らかい方がいい。ささやかながら体験によって得た価値観の変化である。

[2248] Oct 25, 2015

新宿付近へ私用のついでに「大つけ麺博」へ行く。ラーメンとつけ麺の名店が大久保公園の仮説会場に五店舗ずつを出し合い、味の評価を競う一大イベント。今日は、私の行きつけ「くり山」も参加する白熱の最終週・最終日である。▼購買は食券式。八分盛りのラーメンとつけ麺がそれぞれ食べられる「食べ比べセット」の券を買って、ラーメンは飯田商店、つけ麺はMENSHOへ行く。そうして、まさしくこの飯田商店の塩ラーメンこそ、私がこれまで食べた中で最も旨いと言い切って良い見事な出来栄えであった。▼一口目こそ「薄味なんだな」くらいの印象だが、二口、三口を進めるたびに「いや、これは完成度が高いぞ」と深みのある味わいに惹きこまれ、麺が尽きてスープを飲む段になっては「こんなに旨いスープに浸っていたのか!」と思わず飲み干す感動。食後に満足度が頂点に達するという、ぐうの音も出ない設計である。つけ麺派の私もこれには恐れいった。絶賛したい。

[2247] Oct 24, 2015

爪切り「関孫六」を買う。長いこと「匠」シリーズを使ってきたが、さすがに切れ味が落ちてきたし、足用に大きいサイズを買ってしまって手の爪には使い勝手が悪かった。同じ匠の小型でもよかったが、展示されていた関孫六のサンプルを触ってみると、感触がなかなか良いので乗り換えてみたのである。▼劇的に変わったとは言わないが、新品ということもあってさすがの切れ味。硬い親指の爪もさくさく切れる。一方、難点は付属の爪やすりにあった。前評判では爪やすりの性能も申し分ないと言われていたが、細いやすり地がラバーに深く埋まっているタイプなので、私のように深爪をする人だとラバーに邪魔されて爪がやすりまで届いてくれない。ここに届かないほど深爪してはいけないよという暗黙の警告なのかもしれないが、こちらはこちらで事情があって深爪しているので、残念だが余計なお世話ということになる。やすりは今まで通り、単体の品を使うしかないだろう。

[2246] Oct 23, 2015

研究室で愛用していた記憶とブランドを信じるミーハー心から、新しい椅子はきっとアーロンチェアにしようと決めていたが、いざそろそろ買い換えなければという段になって心が揺れている。アーロンチェアが高級オフィスチェアの代名詞になってから何年も経った今、競合各社がもっと良い品を作っているのではないか。そんなブランドへの言われ無き不信も沸いてきて、オカムラのバロンやコンテッサ、あるいはスチールケースのリープやジェスチャーの評判を調べはじめたのだ。▼調べた結果、アーロンよりこちらがいいと明確に断言できる品には出会ってないが、調べるうちに自分の内なる要求への疑惑も浮かんできた。本当にメッシュ素材でいいのか。ヘッドレストはなくてもいいのか。あるいは逆に、布素材だと夏は暑くないか。エクストラバックだとヘッドフォンに干渉して邪魔にならないか、等々。ついに妄信は覚め、買い物前の熟考モードに移ってしまったのである。

[2245] Oct 22, 2015

どうもこのたびのプロジェクトは情報の流量が少ない、と嘆き合っている。皆、同じように感じているらしい。重要なことが、気が付くと決まっていたり、気が付くと無かったことになっていたりする。ちゃんとした最新情報を手に入れるためには、かなり足繁く自分で聞き回らないといけない。チーム開発では大きなロスだ。▼メールの履歴を検証してみると、もう少し突っ込んだ分析が出来る。このチームは、全体的に情報の流量が少ないのではなく、特定の情報だけが流れてきていないのだ。つまり「これから○○をします」という告知はあるが、「○○はこうなりました」という報告がないのである。だから、様々なことが進行中だとは知りつつも、皆、それがどう落ち着いたのか知らないのだ。▼人に情報を伝えるときは過去・現在・未来を意識せよという。ほうれんそう――報告・連絡・相談は、そのままこの時系列に当てはまる。今のチームは過去を軽視してしまったのだ。

[2244] Oct 21, 2015

エルゴトロンのセットアップに難航する。ただ組み立てるだけかと思ったら想像以上に難しい。なにをやっても根本が曲がらないし、どこのネジをどう回せばどこの関節が緩むのか、まったく直感的に伝わってこない。こんなに要領を得ない説明書は久しぶりだ。昔のMSDNを思い出すほどである。▼ディスプレイの足を分解してから二時間弱かけて、ようやく「モニタアーム環境」と見られる姿には辿り着いた。それでも、ディスプレイが左右方向にロールしてしまう問題を解決するためのネジが、分解不可能なパーツの裏側に隠れていてドライバーが使えなかったり、図面では「ここに嵌める」とある部品が、寸法を間違えたのではないかと疑うほど見るからに嵌らないサイズだったり、延長アームがないと求める高さにならないが、延長アームありだと机を相当壁から離さなければならないなどなど、問題は山積みである。憧れの空中モニター環境。簡単には辿りつけないらしい。

[2243] Oct 20, 2015

二年ほど前に神経を抜いた歯が痛むので、歯医者に行くと根元が炎症しているかもしれないと言う。レントゲンを撮ってみても判定が微妙らしい。詰めた薬と歯のあいだにもすき間があるし、もしかしたら良からぬことになっているかも……こう言われては治療しないわけにも行かず、かぶせ物を外して再治療にかかった。▼初日は古い薬を抜いて根元への道を確保。神経を抜いているから痛くないという理屈はわかるが、細い針のようなもので歯の中をゴリゴリ削られると、心理的にも痛いし、他の場所に響いているのだろう、物理的にもそこそこ痛い。さりとて麻酔をしてくれと言うほどでもないし、耐えるしかない嫌な治療だ。▼神経を抜いた歯の再治療はこれで二度目になる。激痛から逃れるために最後の手段を取り、もはや枯れ木と化した歯にもメンテナンスは必要なのだ。朽ち行くものの保守は空しく悲しいが、来年、三十になったら身体はもうそんな所だらけかもしれない。

[2242] Oct 19, 2015

注文していたエルゴトロンのモニターアーム(ツインタイプ)が今朝、出社前に到着。開封はしたが組み立てている時間はなかった。それに、組み立てる前に必要なものがあるのだ。モニターアームをもう何本も折っているという店員がアドバイスしてくれた。「シングルだろうと、ツインだろうと、当て木は絶対にしてくださいね。地震でぽっきり折れますから。」▼エルゴトロンクラスのしっかりした品でも、地震のような強い揺れでは根元の保証はできないらしい。早速、今日の夕飯にホームセンターへ行く。調べてみたら会社の近くにあった。これは今後の朗報だ。既存品では良いサイズがなかったので、とりわけ丈夫そうな木材を選んで切り出してもらった。見た目は無骨だが、確かに頑丈な木片である。巨大なカッターが動くのを見るのも久しぶりだ。▼あとは深夜に帰宅して、モニターまわりを組みなおす元気が私にあれば、今日中に新環境は整う。記事はまだ借りPCだ。

[2241] Oct 18, 2015

休日出勤の夕食休憩は、いつ取るか、どれくらい取るかについて、常識の範囲内で社員の裁量に任せられている。もちろん、席を離れた時間は正確に休憩時間として計上することを前提としての話だ。つまり、人より早く出社して、その代わり夕方付近に二時間ほど外出して遠出の用事を済ませ、人と同じか少し遅い時間に帰る、といった融通が効くのである。▼これは地味にありがたい。もとより休日出勤していてありがたいというのも変な話だが、繁忙期にはとうてい食べられないラーメン屋にも行けるし、どうしても店舗でなければ手に入らない品を買いに行くこともできる。出勤して仕事を進めつつも、それなり自由があるという状態は、忙しい折にはけっこう嬉しいのだ。▼以上より、教訓。人に余分な仕事をさせたければ、その仕事をしているときにしか得られない特別な自由も一緒に提供しよう。気分を変えるきっかけに、喜々として受け入れる人も出てくるかもしれない。

[2240] Oct 17, 2015

私は交響曲をあまり聴かない。聴き解くのが面倒だから、真剣に聴くのは難しいからというのもあるが、なにより大きいのは、私が音楽を聴くのはほとんどポータブル環境だからである。交響曲はダイナミックレンジが大きいので、喧しい電車内や雑踏の中では、静かなパートがほとんど聞こえないのだ。だから、「今日の通勤音楽」を選ぶときは自然とアタックの強いピアノに惹かれるわけである。▼私がそうである以上に、最近のリスナーは音楽を聴くと言えば外や移動中であることが多いだろう。そうなるとダイナミックレンジの広い曲はいよいよ敬遠されていく気がする。ちょっとまわりがうるさくなると何も聞こえなくなるクラシックより、急に周囲の騒音が増しても四つ打ちだけは安定して聞こえるクラブの方が良いというわけだ。そんな傾向まで意識してミックスのバランスを決めるかどうかは自由だが、私はいつも自分で聞くことを考えて少しだけレンジを狭くしている。

[2239] Oct 16, 2015

「諸君、脱帽したまえ。天才だ!」シューマンによる有名なショパンへの絶賛の言葉である。しかし、評されたショパンの方はシューマンほどロマンティストではなく、むしろ現実的で冷めていたらしい。彼の「作品二」がいかに幻想的で絵画的な描画に満ちているかを事細かに解説するシューマンのエッセイを読んで、ショパンは「このドイツ人の想像には本当に死ぬほど笑った」と友人への手紙に書いたそうだ。▼卑近な例で言えば、現代文の読解問題に似ている。「著者の考えとして適当な物を選べ」という選択肢の正誤は、実際には著者の思惑となんの関係もない。問題制作者にとっては、そう読み取れるということが重要なのであって、本当にそんな思いを込めたかどうかはどうでもよいのだ。シューマンとて仮に機会があったとしても、ショパンに真意を確かめる気はさらさらなかっただろう。自分が見た幻想風景を思うがままに書き連ねることは、もはや新たな創作なのだ。

[2238] Oct 15, 2015

ひょんな理由から小型でパワフルなモニタースピーカーが必要になった。アームで持ち上げたディスプレイの下に入るサイズ。〜25cmの高さが望ましい。3wayを横に置く手段も考えたが、横幅とて無制限ではないので今回は見送る方針。やはり小型と銘打って販売されている品の中から選ぶことになる。▼これまで大型ばかりフォローしてきたので小型モデルにはあまり詳しくなかったが、自宅ミュージシャンが増えた影響もあってか、ここ数年でニアフィールドモニターの需要はどんどん小型化しているらしい。「過去最小」と主張する新作を発売しているメーカーも見かける。マシンの方もタワーですらなくノートPCだったりするので、いよいよ10kgを超えるようなスピーカーは居場所がなくなってきたわけだ。▼いろいろ調べた結果、EVE AUDIOがSC203というパッシブラジエーター搭載の超小型モデルをこれから販売予定らしい。グッドタイミング。現時点での最有力候補である。

[2237] Oct 14, 2015

「言葉の無力について雄弁にまくし立てる」とは、これまで聞いたロマン派の総括として最も優れている。皮肉にも後世からロマン派と名付けられてしまった彼らは、もとより歴史上最もロマンなき場所と時代に生まれ、現実逃避を余儀なくされた人々であった。現実を越えていくには、現実との因縁深き言葉の力を逃れる必要がある。言葉なき世界に死んだ神は居る。▼しかし同時に、彼らの時代は大衆文化の花盛りでもあった。生きていくためには大衆に受け入れられる必要があった。言葉は無力、言葉は無力と独り沈思黙考しながらも、リクエストに応じていれば飯の種を寄越してくれるパトロンはもういない。故に彼らは自分たちの美学を売りに出す必要があった。言葉の時代ではないのだ。言葉を超えた世界を信仰するのだ。我々の音楽こそが、つまりそれである――。▼言わば「沈黙」が大々的に売られたのである。語りえぬ芸術のロマンという模範はこうして生まれたのだ。

[2236] Oct 13, 2015

ある事情で特許関連の文書を読む。難解なテキストは慣れているつもりだったが、これは規格外だ。読んでも意味をわからなくすることに全力を投じているような、難解さのための難解さである。ちょうどよいので識者に話を聞いてみると、やはりそういう側面があるようだ。彼はそれを特許の防御力だと言った。これからやろうとしていることに関係ありそうだが、ちょっと読んだくらいでは意味不明な特許が出されていたら、誰だって脚が鈍るだろうと言うのである。▼敢えて意図を隠蔽したり、本命を悟られないようジャブを混ぜたりと、倫理的な良し悪しは知らないが、特許の駆け引きは実にメタ的で面白い。もちろん、特許の本懐は強い新規性を持つアイデアや技術の保護であって、こんな小手先の陣取り合戦ではないのだが、さりとて空白の緩衝地帯が出来る以上、そこを奪い合いに行くのはマネーマシンとして当然であろう。難解な文書もまた、前線の特許戦術なのである。

[2235] Oct 12, 2015

栄養ドリンクの飲み過ぎは寿命を縮めるとよく言われる。科学的真実なのか副作用の妄想なのかは知らないが、「ここ一番の頑張りに」などと言われると、将来を売り渡すブーストのような気がしてくるのは確かだ。ビタミンはともかく生薬の中には常用が好ましくないものもあるだろう。人によっては過剰摂取が毒になる成分もないとは言えない。▼ユンケルシリーズがあれほど膨大なラインナップを抱えているのも、生薬の配合を変えることで、そうした「個人的に合わない製品」を任意で弾けるようにしようという思想があるような気がする。そうでなければ、ロイヤル黄帝だの黄帝ロイヤルだの、もはや名前の区別もつかないような酷似品を作っていく理由もあるまい。消費者が効き目で使い分けているとは、ちょっと思えないほどの紛らわしさである。▼そんな私は先日の効き目に味を占めて、ユンケルの箱買いを検討中。この手の商品はたいてい箱買いの割引率が大きいのだ。

[2234] Oct 11, 2015

ネットワークオーディオ構築のためにNASを組まないといけないなと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。最近の機器はPCさえ点いていればウインドウズメディアプレイヤーから曲を転送できるようだ。もちろん、使い勝手は劣るが、何万もする高価なNASを組んで見る前に運用してみる手はあるだろう。それで問題がなければ、何も追加予算を費やすこともない。▼この頃、暇つぶしに音楽史の軽い本を読んでいるおかげで、聴いてみたい曲はいくつか溜まっている。曲自体にも作曲家にも時代背景にもさほど興味はないが、本当に各々の著者が言うようなコンテンツがそこにあるのか、ちょっと確かめてみたい気分なのだ。そういう気分になったなら、がっかりしても別にいい。稀代の演奏と讃えられては全く納得のできない解釈であったり、究極の美しさと言われては繊細なだけの力ない音に過ぎなかったり。煽り文とは裏切られることも醍醐味のようなものである。

[2233] Oct 10, 2015

とあるシェーダをつくるべく昼夜設計に勤しむ。トリッキーな要求を含んでいるので、素直に組んでもダメだということには早くから気がついていた。いくつかの問題回避アルゴリズムを噛ませる必要がある。▼数時間後、我ながら画期的なアイデアを思いついて実行に移した。あまり綺麗なやり方とは言えないが、理屈は完璧に合っているし、計算結果も正しくなる自信がある。ペンと紙でロジックの正当性を確認した後、実に泥臭いゴリ押しのプログラムを書いてみたところ、数回の修正で九分九厘動いてしまった。なんという良い仕事だろう。▼しかし、残る一厘の問題解決がどうしてもできないまま時間が過ぎていく。ここに来てようやく私は、ヒントを求めて過去の文献を漁りはじめた。もちろん落ちは想像通りである。私の会心のアルゴリズムと全く同じ手法が、すでに論文で紹介されていたのだ。オマケに一厘の解答付き。十年前の論文である。また車輪を作ってしまった。

[2232] Oct 09, 2015

クラシックとポピュラーは印象で言われるほど対立はしていない。実際、二十世紀以後に勃興した様々な音楽流派を並べてみると――現代音楽、十二音技法、ジャズ、ミニマリズム、クラブミュージック、等々――ポピュラーミュージックほど色濃くクラシックの流儀を受け継いでいる領域はない。第一、クラシックは十九世期末、すでに十分「ポピュラーな」娯楽だった。それがいっそう大衆に浸透し、多様化しただけのことである。世界はまだ、言うほど西洋音楽の系譜から逸れてはいないのだ。▼テオドール・アドルノは、かつてポピュラー音楽を「エヴァーグリーン」と呼んだ。常緑樹のようにいつでも新しく見えるが、しかしいつでも同じものである、そんな皮肉である。しかし、あらゆる木々が立ち枯れていく砂漠化のシーンに常緑樹の栄える一角があるのなら、それはけっこうなことではないか。同じもので満足しつづけられる時期もある。今は繰り返して待つ時期である。

[2231] Oct 08, 2015

フォルツァ6の映像を見る。実写動画と見紛うほどのクオリティを期待したが、思いのほか遠景や建物はマットでのっぺりしている。対して視点の中央、車内カメラで見るところの「フロントガラスの向こう側」は、フォルツァ5より明らかに進化した。特に太陽と水の表現は圧巻である。美麗なグラフィックスを誇りつつも、1080pで60fpsをキープするために力の入れどころを絞ってきたということだろう。よりよく見えるところだけに注力するアプローチはハイエンドの王道である。▼一方、色合いの表現は少々ハイコントラストを意識した絵作りになっていて、たしかに美しくは見えるが、リアリティを追求するならフォルツァ5の方が好みという人もいそうだと感じた。光と影の表現に新鮮な衝撃を与えるためか、太陽光にはケレン味を持たせてあるように思う。誇るポイントを意識的にとがらせた物理表現というハイブリッドな売り方は、今後の主流になってくるかもしれない。

[2230] Oct 07, 2015

もうひとつ和音の話。私は四和音をまったく使いこなせない。意識して使う四和音はたぶんX7だけである。四和音のように聞こえる音があったとしても、それはメロディの動きや内声の進行など横向きの動きが要求した一時的な響きに過ぎない。つまりたまたまである。意識して置ける和音は三和音だけだ。▼いつかは四和音を使いこなせるようになりたいと思ってきたが、結局、身につかなかった。入れどころがわからない。使いようが察せない。気まぐれで入れてみても流れを阻害してしまうのが常で、あれこれいじった挙句に第四音を抜いてしまう。三和音以上に複雑な世界の響きが、手にも頭にも馴染んでこないのである。▼第四、第五の音、テンションノート。知性の世界。使えれば武器にはなるだろう。けれども私が長らく、これらの音とは無縁でやってこれたのも事実。興味がないなら無理やり覚える必要もないのではないか。X7さえあれば、なんとかなるものである。

[2229] Oct 06, 2015

ドミナントモーションとサブドミナントモーションについて、つまりはX−TとW−Tの違いについて。自分のためのメモ代わりに書く。▼X、X7はダイアトニックコードの中では緊張度が最大の和音である。緊張度は最大だが、調性感はかなり強い。Xの音は、今の調がTの調であることを強く意識させる。T−Xと進んでも、Tに戻ってくる気しかしない。だから、X−Tは「緊張が解けて」安心する。そういう解決になる。▼対するWに緊張感はそれほどない。緊張感がないのにW−Tが成立するのは、Wがかなり調性感の薄い音だからだ。T−Wと進んだら、それはW調でのドミナントモーションのようで、Tに戻ってくるか自信がない。Wの音は、今の調が本当にTの調であるかを疑わせる。だからW−Tは「調が確認できて」安心する。やはりTであったか、よかった。そういう類の安心である。▼W−X−Tが鉄板の進行なのは、両方の安心を同時に得られるからだろう。

[2228] Oct 05, 2015

プライベートでも会社でも「人に何かを説明するための文章」をそれなりたくさん書いてきたが、いつも図や絵の強さに打ちひしがれる。真に読み手のことを思うなら、文章だけでわからせようなんて傲慢もいいところだ。たいていの場合、わかりにくいところは文章を練りに練るより、パワーポイントで適当につくった一枚の図を貼った方がわかりやすくなる。明解な絵と端的な文章の組み合わせこそ、古来最強の情報伝達手段であった。▼しかしだからこそ、専門性の高い考察や抽象的な議論をわかりやすく、平易に文章だけで展開しているサイトやブログを見ると、感嘆してついブックマークに入れてしまう。太字や赤字すら使っていない所など芸術の域だ。お世辞にも見やすいとは言えないが、文章だけで納得させられたときに特有の満足感はひとしおである。そう、文章に出来て図表に出来ないことがあるとすれば、この腑に落ちる感覚とでも言うべき説得力の深さなのだろう。

[2227] Oct 04, 2015

買う買う詐欺でちっとも買っていないベッドだが、災い転じて福となり、今は興味の対象が別の商品に移っている。「欲しい」と思ったものを、すぐに手に入れられてしまうのも考えものということだ。予算は少なければ少ないほど無駄遣いが減る。少数、ならば精鋭である。▼メーカーはフランスベッドに絞っているので、狙い目は「こんにゃくマットレス」か、リハテックブランドの「ブレスエアーエクストラ」。前者は今使っている枕、テクノジェルに近いコンセプトの商品で、体圧分散と通気性の良さが売り。後者は今流行りのエアー系素材をスプリングの上に敷いた一体型マットレス。エアー系ブームの火付け役はエアヴィーヴだが、単体商品では薄すぎて不安だし、地面に近いのも埃の吸引が気になるところ。ならばと目を付けたのがブレスエアーエクストラ。フランスベッドと東洋紡のコラボレーション商品である。▼近々、時間を見つけて展示会へ。寝てみた感想は後日。

[2226] Oct 03, 2015

以前から調子の悪いPCだが、このたびはスイッチオンから「回復」ブルースクリーンに直行するなど、もはや復旧不可能な気配を見せている。ごく稀にログイン画面より先に行けるが、スカイプのサインインすらディスクIOで失敗する始末。メインのSSDが物理的に壊れているといったところだろう。SSD換装とウインドウズの再インストールで片がつくなら、面倒ではあるが安いものだ。▼もし、便乗して他に変えたいパーツがあるとしたらケースである。ファンも大きく冷却性能と静音性に不満はない現行機だが、いかんせんHDDベイがディスクドライブと平行な向きをしているタイプで、側面から差し込めないのがつらい。せっかくのミドルタワーも、ここまで電源ケーブルでごわごわになると内部の余裕が台無しだ。フルタワーも視野にいれつつ、もっと大きくてHDD横向きのタイプがいいなと思っている。自作家の行き着く先は巨大ケース、とはよく言ったものだ。

[2225] Oct 02, 2015

艱難辛苦を乗り越えて、ようやく将棋の一級に到達した。毎日、通勤の行きと帰りに気が向いたらスマホでネット対戦するだけの努力を艱難辛苦などとは片腹痛いが、何度も80%に到達しては記録的な連敗を繰り返してふりだしに戻るという、理不尽極まりない仕打ちを受けていた時間の長さが苦労を大袈裟に言わせるのである。昇格という人参を目の前にぶらさげて、延々走っていたわけだ。▼巷で言われる「二級の壁」もこれで超えたことになる。ではこのあとも打ち続けていたらやがては初段かというと、そんな気はまるでしていない。いくら勝てることがあるといっても、基本的には太刀打ちできない初段や二段の連中と毎度互角の勝負をしなければならないのだから、今の私にとっては二級の壁より分厚い「一級の壁」が見える状態である。ここから先はずっとそんな調子だろう。少年ジャンプでも将棋漫画の連載が始まって、将棋人口もじわじわ増えていきそうな気配である。

[2224] Oct 01, 2015

たいして気にも止めていなかったが、マイナンバー制度が始まる。私のような会社務めは言われるままにマイナンバーを会社へ通知するだけだ。▼給料よりも副業で稼いでいるようなサラリーマンがいたら、今ごろ恐々としているかもしれない。私はつい同人で荒稼ぎしているような人々を思い描いてしまったが、そんなマイノリティとは比較にならないほど大捕物になるのは、ホステスのような夜のお仕事だろう。収入も大きいだけに、そうやすやすと脱げる二足わらじでもない。▼さりとて給料は下がりつづけているのだから、副業はやめましょうと平和裏に収まるはずもないだろう。逆に、働くものたちの切実な需要に押される形で、副業禁止の業務規程を強く打ち出すような会社は就職人気が無くなっていくのかもしれない。壊れえぬ籠の夢は、どのみちもう覚めている。二足、三足、器用にわらじを履き替えられる人の方が、かえって安定していると見られる時代になりそうだ。

[2223] Sep 30, 2015

今でこそ「芸術家」や「作品」は主張して当然の概念であり、尊重されてしかるべき名誉と思われているが、少なくとも絵画や音楽について言えば、ほんのルネサンス以前までは作者自らが自分の作品を「私の作品」だと声高に主張するような風習はなかった。彼らはまだ芸術家ではなく、職人だったのである。職人は、質の高い品を創りだすことを名誉とする。自分の創り出した製品に自分の名を刻むことを誇りにする人々ではない。▼そんな人々が自分の名前を売ること、残すことに興味を持ち始めたのは、「私」という自我の発達云々という哲学的な理由よりも、恐らくはメディアの普及によるところが大きい。要するに、名前を売るための経路が充実したから、名前を売りたい人が増えたのだ。インターネットの普及によって、ラーメン屋の店主からブログ主まで「私」をアピールし始めた今日のことを思えば、かなり確からしい推測と言えるだろう。皆、名を残したいのである。

[2222] Sep 29, 2015

文章術を指南すると称する書籍は、ここ数年で飛躍的に増えた。それも昔とは明らかに傾向が変わっている。美文・麗文を書くための作法は急激に鳴りを潜めて、わかりやすく読みやすく、人にメッセージを伝えられる文章、共感を得るための文章を教える本が主流となっている。これらの書籍の読者層が、小説家の卵から、ブログやフェイスブックの著者へと移っている証拠だろう。▼黎明期には日記のデジタル版か、公開されたマニアックなメモ帳くらいの位置づけであったブログが、いつしか「私」をわかってもらうための主要な道具になった。ブログをまずく書くことは、「私」をまずく理解されてしまうことに繋がる。それはいやだ。読者には「私」を上手くわかって欲しい。そのためには文章力を磨くしかない――こういう流れで、目下、教育が頑張っても身につけさせられなかった文章力を、皆が自発的に鍛えようとしているわけだ。「私」以上の学習動機はないのである。

[2221] Sep 28, 2015

昔、何かの将棋の本に書いてあった。序中盤で駒得を重ねて圧倒的な優位を築き、もう相手には攻撃の手段がないから守りを固めるだけで勝てる――そういう状況になっても、自玉のまわりに金銀を貼り付けるような真似をせず、最小限の駒で守り、最小限の駒で攻めきることを考えていないと、将棋はなかなか上達しないと。▼当たり前のようで含蓄の深い助言である。確実な勝利を危うくしてまで修行に務めなくてもいいじゃないか。そういう攻防は序中盤で圧倒できない互角な相手とやればよい。そんなふうに考えてしまうのが通常だ。しかし、その感覚がすでに間違っているのである。序中盤で圧倒できる相手を最適に詰めきれる棋力がないと、序中盤で圧倒できない相手には全く歯が立たないのだ。この「ぎりぎりを読む力」の有無を隔てる壁は確かに存在していて、相当厚い。勝てる相手と勝てない相手がきっぱり分かれるようになってきたら、思い出してもよい真理である。

[2220] Sep 27, 2015

古いタンス。古い机。古い本棚。ありとあらゆる古い物を裏庭に叩きだした。物置を二部屋、空にしようというのだから当然といえば当然だが、うず高く積まれるゴミの量は想像を絶するものがある。加えて、45リットルのゴミ袋に詰めて出した家庭ごみが全部で12袋。そんなつもりはなかったが、結果的にはゴミに囲まれて暮らしていたわけだ。今は憧れの断捨離である。▼何百回と階段を登り降りして、このたび得た教訓は、大きな家具は絶対に分解可能なモジュール式のものを買うべし、ということだ。継ぎ目のない木目に心酔する気持ちもわからないでもないが、いざ捨てるときは心の底から恨めしい。せめてこの板が外れてくれれば、と思う板が外れないばかりに、とんでもない苦労をして階段を回す羽目になるのだ。「買うときは、捨てるときのことも考えて。」味気ない教訓ではあるが、快適な生活は小さな気遣いの積み重ねから。人生の知恵なんてそんなものである。

[2219] Sep 26, 2015

かつて三十年間、ハーバード大学の総長をつとめたチャールズ・W・エリオット博士はこう言った。「紳士淑女の教養として、これだけはぜひとも身につけていただきたいと常々考えている知的財産とでも言うべきものが一つあります。それは、母国語を正確に美しく使いこなす能力です。」▼それでは、誰よりも言葉を「正確に美しく」しかも独創的に使いこなしてきた名作家や名演説家たちは、どのようにしてその能力を身につけたのか。さいわい、彼ら自身がその秘訣を明かしてくれている。要点はどれも同じだ。一流の作品に触れること。辞書を読み込むこと。自分で使ってみること。▼ただ、スティーヴンソンの回答は面白い。曰く、重要なのは模倣だが、模倣する相手は「まねようとしてもまねられないお手本」でなければならない。いくらでも真似てよいが、失敗が目に見えている、そういう相手だけを真似つづけるべきなのだ。失敗こそが成功への唯一の王道なのだから。

[2218] Sep 25, 2015

ブックオフから査定結果が届いた。書籍47点。コミック262点。お値段のつかなかった商品465点。合計七千円とのこと。買値なら軽く二十万は超えるコミックの山が、書籍分を抜いて約四千円で買い取られたと思うと、もはや買い取りというより処分代行に近い。今回はそのつもりで投げているから不満はないが、新品に近い大判コミックも多数含まれていたことを思うと、なかなかに冷徹な査定である。▼点数から見るに、ジャンプコミックスなど小型の単行本は恐らく全て、ないしほとんど「お値段がつかなかった」と見るべきだろう。もしかしたらのつもりでダンボールに入れたハーバードビジネスレビューのバックナンバーも、入れただけ申し訳なかったが、買い取り拒否ということか。逆に意外なのは、十年以上前のプログラミング書籍を押し込んだ「書籍」に三千円もついているところ。古い本とはいえ、現役のC言語であることが幸いしたのだろう。御の字である。

[2217] Sep 24, 2015

同じく『話し方入門』より、ジェスチャーに関する指摘も面白いので紹介。当たり障りないようでいて、本当に古典かと思うほどひとつひとつの指摘が独創的で面白い。スピーチにジェスチャーを用いるとき、初心者の陥りやすい問題のひとつが、「動作が短すぎること」だと言う。▼著者はジェスチャーの多用、ないし意図的な使用には否定的だが、それでも一度繰り出したからには、その動作は思っている以上に長くしなければならないと指摘する。強調したい思想や言葉に添えられたジェスチャーが短いと、自分では意図していない身体の動きにも、まるで意味があるかのように思われてしまうのだ。聴衆の意識は散漫になり、やがて誰もジェスチャーに注意を払わなくなってしまう。▼長く、ゆっくり動かねばならない。重要なことはゆっくりとする。これは基本中の基本である。言葉もそうだ。重要なことはゆっくり言う。決して「大きく言う」ではないところに注意されたい。

[2216] Sep 23, 2015

「だれにもスピーチの能力はある。もし私の言葉が信じられないなら、自分で試してごらんになるとよい。たとえば、あなたの知っている一番礼儀知らずの男をいきなり殴り倒してみなさい。彼は立ち上がると、たぶん何かまくし立てるだろうが、その言い方はほとんど非の打ちどころがないほどみごとなものだろう。あなたが聴衆の前で話す時も、それと同じくらい自然に話していただきたい。」▼『人を動かす』が期待以上だったので、つづけて『話し方入門』に取り掛かる。いかようにも取れるざっくりした題名だが、引用した文章からも、人を説き伏せ雄弁を振るうためのテクニックが書かれているわけではないことがわかっていただけるだろう。性格的に向いていない、あがり症、口下手などなど、理由あってスピーチを苦手とする人でも、同じ目に遭わされたら不意に立派なスピーチが出てきそうなものである。人前で話す訓練とは能力の開発ではなく、心の枷の除去なのだ。

[2215] Sep 22, 2015

「北風と太陽」は、世界中で愛されている数少ない童話である。たとえ自分で読んだことはなくても、そのあらすじと結末を知らない人はそういないだろう。しかし、ときどき不思議に思うことがある。それではなぜ、世の中にはこんなにも、声を荒げ怒鳴り散らすことで人に言うことを聞かせようとする人が多いのだろうか。▼それだけ自分に自信がないからでしょう、とは夕食を共にした後輩の弁。たしかにそうかもしれない。自分に自信がない人は、力を誇示したくなるものだ。彼らの目的は、旅人にコートを着せることではない。自分がいかに強い風を吹かせられるかを知らしめたいのだ。威張るとはそういうことなのだろう。自分のエネルギーを信じられない人は、太陽でいることなどできない。▼そんな話題を食卓に乗せたのも、今日読んだ本が素晴らしかったからである。デール・カーネギー『人を動かす』読了。星五つ。自己啓発の原典にして頂点。本当に良い本だった。

[2214] Sep 21, 2015

「冷たい会社を温かくするには、一つの方法がある。人の名前を覚えることだ。重役たちの中には名前が覚えられないという人もいるが、つまりは重要な仕事が覚えられない、すなわち仕事の基礎ができていないことを告白しているのだ。」テキサス・コマース・バンクシェアズ会長、ベントン・ラヴの言葉。▼古来、偉大な将は部下の名前を覚えることに多大な時間を割いてきた。それが彼らを喜ばせ、献身を引き出す最良の方法だと知っていたからだ。私たちは、自分で思っている以上に自分の名前に誇りを持っている。まさか自分の名前を憶えているなんてと思うような人に名前を呼ばれれば嬉しいし、逆に名前を間違えて呼んでくるような人など信用出来ない。王も、貴族も、科学者も、芸術家も、商人も、なんとかして自分の名前を後世に残そうと苦心しているのは、彼らが世俗的だったからではない。名前が大事だったのだ。名声も、つまるところは名前への誇りなのである。

[2213] Sep 20, 2015

狙っているB&W684S2を改めて試聴。プリメインアンプはマランツに決めているので、低予算で我慢するPM6005、最適解と思われるPM8005、最上位モデルのPM11S3をそれぞれ試してみた。結論としてはやはりPM8005で良い。ここからスピーカーをCM10S2にグレードアップした場合とアンプをPM11S3に変えた場合とで聴き比べてみたが、スピーカーチェンジの方が圧倒的に影響が大きかった。全く、CM10S2のすっきりとした力強さは素晴らしい。遠くない将来、辿り着きたいものだ。▼同じマランツで揃えてネットワークオーディオを組むか、ソニーの力を借りてHDDオーディオへ行くかは決めかねている。楽曲運用の利便性だけならネットワークに軍配を上げたいが、ソニー製品はスマートフォンやタブレットから簡単に操作できるのが魅力だ。長期的な運用を考えれば、よりメンテナンスや操作のストレスが少ない方を選ぶべきなのかもしれない。予算獲得まで、しばらく模索はつづく。

[2212] Sep 19, 2015

左肩の痛みを止めるために慌てて塗った薬が最悪だったらしい。塗った箇所が激しくかぶれたのみならず、その薬のついた手で触ったと思われる箇所まで肌が荒れて、ひどいことになっている。喘息は回避したのに、思わぬ副作用だ。合わない薬の恐ろしさを思い出した。▼しかも最悪なことに、肩こりは一向に治っていない。薬の効き目があるうちは楽になったが、切れてみると悪化しているようにすら思える。加えてこのところは痛み方が特殊で、忘れた頃にビシッと痛みが来てしばらく疼痛がつづき、やがて収まって……を繰り返すという奇妙な状態。痛い場所も一定ではないようで、変な生き物でも住み着いているのではないかと思ったこともある。徹底して左肩のみなのも不気味だ。▼ここまで書いてきて、肩こりとばかり思ってきたが筋をやっている可能性もあるなと思い至った。そんなことになったら最悪だ。厄年ではないはずだが、なかなか難儀な秋を過ごす年になった。

[2211] Sep 18, 2015

孫氏曰く、「兵は拙速なるを聞くも、未だ巧久なるを睹ざるなり。」物事、多少拙くても速やかに事を進めた結果上手く行くことはあるが、完璧を期したとしてものろのろと事を進めて成功することはない。何事もスピードが命。数ある孫氏の中でも上位五指に入るお気に入りだ。▼しかし同じく孫氏曰く、「勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝を求む。」あるいは「未だ戦わずして廟算するに勝つ者は算を得ること多きなり。未だ戦わずして廟算するに勝たざるものは算を得ること少なきなり。算多きは勝ち算少なきは勝たず。況や算無きに於いてをや。」つまり、ちゃんと勝算が見えるまではきちんと準備してから事に臨めとも言っている。▼この二つはいつも両天秤に乗せて憶えた方がいいだろう。要するに、勝算が見えるまではじっくり計画し、勝算が見えたら速やかに行動せよということだ。これはイケるという直感を大切にすべき所以である。

[2210] Sep 17, 2015

C言語カルトクイズ。「int x[3] = { 1, 2, 3 }」のとき、次のコードが意味する処理は何か?「int y = 2[x]」▼単純なわりに、意外と正答率の低い問題ではないだろうか。実用性がほとんどないところも、カルトな感じで良い。正解は、「int y = x[2]」と同じ処理である。そんな馬鹿なと思う人は、operator[]が二つのオペランドに対してどのような処理を行うか、考えてみると腑に落ちるのではないだろうか。ptr[n]とは、*(ptr+n)である。とすれば、n[ptr]は*(n+ptr)であり……これらは全く同じアドレスを指しているではないか!▼そういうわけで、2[x]は普通にx[2]の代わりとして通用する。こうした変わり種について考えてみるのも、より深い言語理解のためには役に立つだろう。言語規約レベルまで煮込んだC言語のカルトクイズ集なんて、あったら面白いかもしれない。堅くて分厚い本より学習が捗りそうだ。ディープな世界を探検するには、遊び心が不可欠である。

[2209] Sep 16, 2015

「誰もがいつかは想定外の不調に陥る。勝ち組と負け組の差は、後者は自分の状態を不公平だと思っていることだ。」クレイグ・ハートマン。▼ギャンブルに関する数多のアドバイスのうちでも、上位にランクインさせたい至言ではないだろうか。不運自慢ほど、負け組ギャンブラーの大好きな話題はないだろう。「僕のツイてないことたるや、ちょっと他人には真似できないね。なにせ、ほとんど奇跡に近いほど低確率の裏目を引き当てたんだから。嘘じゃない。計算してみてくれよ。僕の引いた裏目が出る確率は、数千万分の一しかないんだぜ。」▼その計算は正しいかもしれない。ただし、引きうる裏目のパターンが何万個でもありうることは忘れられている。何千回と試行する中で、彼は偶然ひとつを掴んだに過ぎない。だからこれだけ世の中に「逆奇跡」が溢れているのだ。せめて劇的に負けることで神に選ばれたと思いたがるようになったら、ギャンブラーもおしまいである。

[2208] Sep 15, 2015

数日間に及ぶ頭痛・腹痛地獄のどこかで肩をやってしまったらしく、激しい痛みに悩まされている。激しい痛み、なんて言葉が優しく見えるほど痛い。黙っていても仕事に支障を来すほどなので、たまらず市販の湿布薬と塗り薬をあてがったが、今度はこれが喘息を連れてきた。最近の湿布が喘息に厳しいのは知っていたが、甘く見ていたというか、油断していたというより他にあるまい。発作にならなかっただけマシである。▼したがって現在は頭痛、腹痛、肩痛、喘息の四重苦に責められる形となった。災いは重なるものとよく言うが、考えてみれば甲が乙を、乙が丙を導いてきたわけだから、不運というより因果の必然である。こんな調子で座れない終電をうとうとしていたら、次はどんな災厄を宿すことになるかわかったものではない。▼目下、最悪なのは肩痛であるから、とにかくこいつをなんとかしよう。身体の調子が悪いと何も考える気が起きぬ。不健康な話しかできない。

[2207] Sep 14, 2015

最近、プログラマの美点を強調する本をよく見る。私も、プログラマとしては自画自賛だが、大体同意する。プログラマの性質には、秀でた人間力や仕事力に繋がる良いものがたくさんある。▼ときに、プログラマの悪い点としてよく槍玉に上がるのが「なんでも論理的に考えようとする」だが、これには異論を唱えておきたい。実のところ、彼らが人間関係でトラブルを起こすのは、感情を否定して論理で押し通そうとする場合よりも、「少し見方を変えれば破綻していない論理を、破綻していると言い張る」場合の方が多いように思われる。つまり、皮肉だが、論理力不足による問題なのだ。▼もっとも、感情というものを高次元化された論理と解釈すれば、他人の無意識ではあるが高度に抽象化された論理に対して、自分の意識的な低次元の論理が反抗する形になるので、結局は「感情の否定・論理の賛美」となる。どちらにせよ、論理的すぎることが問題になるのではないわけだ。

[2206] Sep 13, 2015

狼男のことを英語ではウェアウルフ、ワーウルフと言い、フランス語ではルー・ガルーと言う。ウェアウルフは、男性を意味する古英語の「ウェア」に「ウルフ」なのでわかりやすいが、ルー・ガルーの方は少し複雑だ。ルー(loup)はフランス語で狼の意味だが、ガルー(garulf)の方の由来はフランク語のwarwolfであり、つまりはウェアウルフであるので、ルー・ガルーは狼・狼男ということになる。意味だけからすると、実は頭のルーがいらないわけだ。▼とはいえ今となっては狼男に「ガルー」では逆に何か物足りなく感じる。間違っているにも関わらず時を経ても訂正されなかった言葉には、何かしら人を魅了するパワーがあるのだ。ましてウェアウルフが狼男として普通に通用する中、敢えてフランス語を使おうというのだから、ルー・ガルーというこの短く韻を踏んだワンセンスには多分に中二病的なかっこよさがあるのだろう。ドイツ語の「リカントロープ」も根強い。

[2205] Sep 12, 2015

文字通り三日三晩うなされたので、三日三晩同じ話題とする。結局、内科の診断はウイルス性胃腸炎であった。バナン、ハイペン、ガスロン、アレジオン、このあたりの薬が軒並み無意味だったことになる。どうりで治らないわけだ。▼今日の夕方には高熱もようやく落ち着いて37度台まで下りてきた。処方薬も正しい物になったし、やっと快方の兆しが見えてきたところである。暖かくして安静にしていれば来週からは出社できるだろう。忙しい時期にとんだ穴を開けてしまった。迷惑をかけてしまったのもそうだが、期日までに実装したかった機能がいくつか抜けてしまう、そのことも悔やまれる。▼この三日、布団の上で覚醒しているときは、携帯でアンプのことを調べていた。プリメインアンプ導入にあたって、無駄銭を出さないためにも知っておくべきことはたくさんある。明日以降、気が向いたらまとめてみよう。ただし結論は、結局のところスピーカーとの相性に尽きる。

[2204] Sep 11, 2015

二日つづけて病気の話とは色気も何もないが、相変わらず熱が引かない。比較的低温が出る朝でも38.5度分。昼には39度を記録した。昨日は頭痛にばかり意識がまわっていたが、カロナールで頭の痛みがそれなり収まってみると、どうやら本当に痛いのは腹の方だと気づく。時すでに遅し。たっぷり糖分を取ってしまったあとだ。当然、腹痛に糖分はよろしくない。▼こうなると普通は食事をしたくなくなるものだが、空腹でも満腹でも痛みはたいして変わらないし、幸か不幸か食欲があるので、消化に良さそうなものをたらふく食べる。昔から病気をしても食欲が落ちない性質で、風邪をひいたらニンニクとねぎを山盛り食べれば治ってしまうと意気込んで来たが、今回ばかりは頭痛も腹痛もあんまりひどくて参ってしまった。ニンニク療法が通用する相手でもなさそうだ。妙な成人病にでも罹っていたら困るので、明日の朝も駄目なら這ってでも近くの内科へ足を運んでみよう。

[2203] Sep 10, 2015

朝。自治会主催の敬老会の招待状を配るべく、大雨の中を歩きまわる。寝不足なところへ早起きしたせいか、なんだか歩くのがつらくて、もしかしたら今日は体調が悪いかも、くらいに思っていた。▼昼。明らかに頭が痛くなってきた。息切れもひどくて、くらくらする。これはいけないということで、会社を早退して病院へ行くと、果たして熱が38度8分もあった。どうりでつらいはずだ。咳もしていないし、喉も痛くないし、鼻水が出ているわけでもないが、とにかく頭が痛い。まさかとは思ったが、さいわいインフルエンザのチェックは陰性であった。さすがに季節が早すぎる。▼最寄りからタクシーで帰宅。こんなにつらいのは何年ぶりだろうというくらい、死にかけで布団へ潜り込んだ。カロナールを飲んでも頭が痛いというのは、よっぽどである。現在二十三時、こうして文字を書ける程度には回復したが、熱はいっこうに下がる気配がない。今晩で治ってくれればよいが。

[2202] Sep 09, 2015

十年以上テレビのない生活をしてきたが、ディスプレイをモニター代わりにゲームをするのも面倒になってきたし、コンテンツ業界に身を置く者として映画もロクに見られない自宅環境もどうかと思い、このたびテレビの購入を検討している。検討しているだけでいつになるかは不明だが、少なくとも、家電量販店ではよくテレビコーナーを見て回るようになった。十年以上、素通りしつづけてきたフロアである。▼メーカーによる画質の違いは正直よくわからない。わかるのは主張の違いと、消費電力などの明記された数値だけである。それでも強いて言えば、ブラビアは画面の透明感が良く、レグザはコントラストに秀でている印象で、シャープは色合いが好みに合う。他のメーカーに大きな印象はない。このあたり、デモの出来にも依存するところだろうが、今のところは同じ値段とサイズなら手が伸びるのはシャープだろう。会社はいろいろあるが、品物は良質であると信じたい。

[2201] Sep 08, 2015

企画書とひとくちに言っても、流儀やフォーマットはさまざまなので、文字は少ないほうがいいとか、いや絵に頼り過ぎるのはよくないとか、コンセプトだけをアピールすべきとか、いやいや具体的な計画が命だとか、正反対のアドバイスはいくらでもありうるが、それでも共通した定石として、次の一点だけは守るべきだろう。複数のプランを選択肢として提示しないこと。▼企画書を受け取る側にしてみれば、選択肢が存在するのは不思議である。「別に私がやりたいわけではない、君がやりたいんだろう。で、君がやりたいのはどれなんだ。」という話だ。企画書に何らかの選択肢が存在するとしたら、それは企画を詰め切れていない証拠である。あるいは過度の心配症だ。本命のプランAの代わりに、妥協案Bなら通るかもしれないと思ってBを入れる。心配ご無用。本当に企画自体が魅力的なら、都合を合わせた妥協案くらい、受け取る側がいくらでも真剣に考えるものだから。

[2200] Sep 07, 2015

本棚の一番下に、ケーブルをまとめた紙袋がある。HDMI、D-sub、LANケーブル、MIDI変換コネクタ、電源コード……なんでもござれの塊だが、いつか何かに使うかもと思いつづけて早や数年、結局、この紙袋から何かを取り出したことは一度もない。▼要するにゴミなので、整理もせず紙袋のままハードオフに持ち込んだ。古いディスプレイと、ゴム部が溶けてベトベトになった十年前のスピーカーも一緒に売却。フルHDのディスプレイはそこそこで、スピーカーは格安、ケーブル紙袋は無料買い取りかと思っていたら、なんと紙袋は「ケーブル類」という括りで紙幣と交換してくれた。ハードオフ、なかなか侮ったものではない。▼部屋のスペースも資産だと思えば、ゴミに近い品物を抱えておく馬鹿らしさも際立ってくる。物に未練を残しがちな性格の私だが、このたびばかりは断捨離の掟が優先だ。曰く、手にとってときめかないものは捨てよ。わかりやすい整理整頓の至言である。

[2199] Sep 06, 2015

『鋼鉄と火薬』を遊ぶ。文明の強化をモチーフとしたデッキ構築系のカードゲームで、大枠の説明とテストプレイの一回で十分遊べるシンプルさが魅力。「どんな効果のカードがあるか覚えきれないうちは勝てない」ということもないので、頭を使えばやりこんだ人を相手に初心者が一杯食わせるのも不可能ではない。触ったらすぐに遊べる。愛されるゲームはこうでなくてはならぬ。▼兵士、騎士、通過、哲学、畜産、火薬、大砲、電撃戦、インターネットなどなど、Civilizationによく似たテクノロジーが登場するものの、それぞれのカードの効果はさほど表題と結びついていない。違うテクノロジーが同じ効果を持つ場合もある。その他、世界遺産にも固定得点以上の効果がないなど、モチーフとの繋がりの弱さに関しては物足りない部分もある。目を瞑れる範疇だが、敢えて悪いところを挙げるならそこだろう。本格派よりはパーティータイプ。ライトファンに薦めたい品である。

[2198] Sep 05, 2015

オーディオとホームシアターは似て非なるものだ。予算に限りがあるならば、両者の追求を同時に行うべきではない。つまり、良いステレオを目指すか、良いサラウンドを目指すかは、最初に決めるべきだということだ。金に糸目をつけている以上、2chに5.1chの代わりは務まらないし、5.1chで達成できる2ch音質はたかが知れている。どちらにしても、全く予算の無駄なのだ。▼ホームシアターという単語が見事に示している通り、映画館の空気が欲しいなら、迷わずサラウンドを選ぶべきである。昨今流行りのビーム効果については詳しい言及を避けるが、配置や配線が煩わしいなら一考の余地はあるだろう。逆に、映画はあまり見ないというなら、よほど臨場感を重要視するゲームのようなコンテンツのヘビーユーザーでない限り、音質を求めるならステレオ一択である。要するに、チャンネル数は音質の延長線上にある概念ではないということだ。はっきり異なる二軸なのである。

[2197] Sep 04, 2015

とんでもない逆転負けを受けて動揺したり、大金を勝ち取れるチャンスが訪れて興奮したり、ひどいブラフに騙されて激昂したり。きっかけはなんであれ、こうした要因で心が乱され最高のパフォーマンスが発揮できなくなった状態を、ポーカー用語で「ティルト」という。▼プロのポーカープレイヤーは、ティルトこそが自分のポーカーを破滅に導く悪魔であることを知っている。ポーカーで勝ちつづけるためには、自分の身に起きた理不尽について無関心でなければならない。めったにない不運を希少な情報と捉え、長期的な収益の期待値を高めてくれる新たな材料だと考える。短期的な出来事など全て他人事だ。一種の悟りである。▼かっとなるだけがティルトではない。焦りも、恐れも、悲しみも、全てティルトである。自分が本来の能力を発揮できていないと思ったら、ひとつ熟練ポーカープレイヤーにでもなった気持ちで、自分の近況、身の上について無関心になってみよう。

[2196] Sep 03, 2015

ここのところ、帰宅すると玄関先にヤモリがいる。それも決まって、私が玄関に辿り着くと、軒先天井の右端からするすると床まで降りてくるのだ。降りてくると、そのまま動かなくなる。こういうことが二日つづいて、近くに巣でもあるのかなと思っていたら、三日目はなんと小さなヤモリが同伴で、足並みよろしく二匹するすると降りてきた。ヤモリ家族に違いない。▼今日は大きな方が一人で降りてきた。これは歓迎されているのかも、と気を良くして「ただいま」と手を振ってみたが、全くの知らんぷり。一旦降りたあとはぴくりともしない。まあいいさ、愛想はいいから明日も張り切って家の害虫を食べてくださいな。ときどきアシダカグモも見かけるし、我が家は他力本願で盤石なのである。▼ちなみにヤモリは臆病で人には近づかないと言うが、無理に捕まえると噛まれることもあるようだ。ただし、ヤモリの方が顎を痛める程度である。お互いのためにも争う必要はない。

[2195] Sep 02, 2015

最終意思決定者が稀にしか関わることの出来ないプロジェクトは崩壊する。これもまたよく言われる一般則である。▼ここ数ヶ月、同じことの繰り返しで、コアメンバーが目に見えて疲弊してきた。このようにせよという指示、それを実現するための実作業。七日ないし十四日経ってからの「そうじゃない」。そんなことは指示していない、こうしろと言ったのだ。それを実現するための実作業。再びNG。「こういうところからやり直さないと仕上がるわけがない」。あらゆる納期に追われながらのスクラップアンドスクラップ。そろそろ神の意を汲む時間も気力も失われつつある。▼しかし、何が悲しいかといえば、言い訳のしようもなく、明らかに神の言葉が正しいのである。我々は正解に辿り着いていないのだ。そうして、正解に辿りつくことがいかに困難で、たとえ不可能であっても、君たちは正解に辿りついていないと判断を下すことが、意思決定者の正しい役目なのである。

[2194] Sep 01, 2015

五輪エンブレムの取り下げが決まった。頑として盗作を否定する態度を取りつつも、次々と露呈する過去の失策、権利管理の甘さを逆に突かれ、不利な世論が形成されつつある中での決着である。▼私も早くからエンブレム問題には関心を寄せていたが、アイデアが盗作かどうか、選考が出来レースかどうか、あるいは利益のキックバックがいかほどかということよりも、とにかく現行案のダサさだけが気がかりであった。プリミティブなデザインを否定するつもりはないが、それにしてもかっこよくない。そう、かっこよくないのである。▼恐らく、こういうもやもやした気持ちが大勢の中にあったからこそ、あわよくばデザインが変わらないかと暗い期待にも後押しされて、火の勢いに歯止めが効かなくなったのではないか。そんなふうに思っている。たとえ諸々の疑惑があっても、原案がずば抜けてクールなエンブレムだったなら、こんな結末にはならなかったのではないだろうか。

[2193] Aug 31, 2015

弟からサンフランシスコの写真がスカイプで送られてくる。「超美味い」という朝食のフレンチトーストは$9、昨晩の夕食に食べたステーキは$20だそうだ。食べものの物価が高いとは聞いていたが、想像以上に高くて驚いている。▼とはいえ東京も負けてはいない。最近、ラーメン屋も開き直ったのか原価がつらいのか知らないが、平気で基礎値に800円や900円をつけてくるようになった。海苔と味玉を足しただけで1000円を超える計算である。ラーメン一杯にこれだけの対価を払う民族はそういまい。▼会社の先輩が言っていた。体に悪いものは美味いのだと。俺は絶対にそんな誘惑には負けんと断言して、その言葉通り、毎日健康的な粗食で過ごしている。私の見てきた中でもぶっちぎりでストイックな人物だ。さすがにそこまでにはなれないが、高いのは事実だし、体脂肪にも当然良くはない。この誘惑物を断ち切るのは、私が取り組むべき課題のひとつであろう。

[2192] Aug 30, 2015

kindle生活、満喫中。紙の本に未練はあるものの、思ったより馴染んでいる。使ってみて感じた利点を追加で列挙しておこう。▼一、いつも鞄の体積が同じ。これは想像以上に快適だ。読んでいるのが分厚い本でも折り畳み傘やペットボトルを諦める必要がない。「読み終わってしまったとき対策」に二冊、三冊入れることもしなくてよいので、総重量も軽くなっている。▼一、本屋に行かなくていい。本屋好きの私としては利点という名で挙げたくはないが、日付が変わってからでないと会社を出られないような残業続きでも、新作や話題作を探して読めるのは魅力である。kindle以前は、本屋へ行くためだけに慌ただしく早め退社しなければならないことがあった。▼一、案外手が疲れない。膝でも鞄でも机の小物でも、立てかける場所さえあればフリーハンドでスライドできるので、大きい本なら紙を開くより楽である。ハードカバーのビジネス本など間違いなくkindle向きだろう。

[2191] Aug 29, 2015

『進撃の巨人』全巻読了。今更感はあるが、未だに話題沸騰の作品でもあるし、早いうちに読んでみたいとは思っていた。kindleのおかげで、移動中でも次々読んでいけるのは嬉しい。▼さて、作品は、とにかく面白い。面白いというか、息もつかせぬというか、とにかく先を知りたいと思わせる力がある。そうして、ストーリーなんてそう思わせてしまえば、他がどうであれ勝ちである。十五〜十六巻で展開された政治劇は、少々あっさりしすぎていて茶番感も拭えなかったが、最新刊で再び殺伐とした戦闘パートに舵を戻してきたのでほっとした。せっかく他に類を見ない腕力をもった作品だから、政治よりも戦闘で、思想よりも行動で、瑞々しく描かれたキャラクターたちを見たいのである。▼ついでながら『寸劇の巨人』も買ってしまった。現在、全二巻。人物像を崩すことなく可愛いギャグを展開していて、こちらも大いに満足している。他のスピンオフにも手を広げてみよう。

[2190] Aug 28, 2015

アプリ「Q」を遊ぶ。よく練られたお絵かき頭脳ゲームだ。シンプルな画面とシンプルなルールに奥深い攻略要素がある。スマートフォン/タブレットの長所がダイレクトに活かされているのもいい。▼プライマリと呼ばれるグループ60問をひと通りクリアした。正直、何度も「これはクリア可能なようには出来ていないのでは」と疑いかけたが、しばらく放置して他の面を遊んでいると、書き損じや偶然、ヤケを起こした適当描きから新しい着想が見つかって、それを糸口になんとか攻略できるのである。▼そう、このゲームの設計で最も優れている点を挙げるとしたら、まさに新ステージの開放が1面ずつでないところであろう。選択可能なステージの何割かをクリアすると、次の10ステージがまとめて開放される仕組みである。この仕組みがなかったら、私も20面すら行かないうちに投げ出していたはずだ。解禁処理ひとつとってもセンスを要求されるのがゲーム設計である。

[2189] Aug 27, 2015

松尾豊『人工知能は人間を超えるか 〜 ディープラーニングの先にあるもの』読了。角川EPUB選書はとにかくkindle版が安いのでありがたい。人工知能の現状について、これほどわかりやすくまとめられた本は今のところ他にないだろう。AIに憧れる初学者や、関連分野の研究を志す中級者は、文句なく必読である。▼私にとっては懐かしい話ばかりだ。学生当時、多層ニューラルネットワークを用いた教師なし機械学習に、まだディープラーニングなどという格好良い名前はついていなかった。自分の基礎研究の延長線が発展していくのは嬉しいものだが、一方、自分が離れた後に花咲いて、商業的にも研究的にも全盛期を迎えようとしているのは寂しくもある。後を継いだ後輩たちは、大挙してgoogleに取られてしまったとも聞いた。国からすれば国内に留まって欲しいところだが、資金とデータを無尽蔵に抱えるgoogleほど研究しやすい環境もないだろうから、無理からぬ話だろう。

[2188] Aug 26, 2015

最近、脳が萎縮している感じがする。なにかにつけて思考の焦点が合いにくいし、演繹力も低下している。脳は二十を過ぎたら衰えるばかりと言われるが、それからさらに十年も経っていることを考えると、全盛期の脳力とは比べるべくもないだろう。特に入力系統はがっくり落ちる。このことに例外はなさそうだ。年をとって物覚えが良くなったと主張する人に会ったことはない。▼こういうとき、いつもある大学教授の言葉を思い出す。君たち、年をとって今より脳が衰えたら、利発さでは勝負できないんだよ。若い子には絶対に勝てないからね。僕らのような老人の武器は、老獪さだ。老獪さを身に付ける術を学ばなきゃ、遅かれ早かれ役立たずになる。そのための「経験」だ。老獪になるために経験値を貯めると考えたまえ――老獪、というキーワードは今も私の心に残っている。労少なくして有利を築く立ち回り。ここで言われる老獪さとはつまり、大局観のことなのであろう。

[2187] Aug 25, 2015

何を隠そう、私はしじみが大好物である。とんかつ屋で出されるような、赤出汁で味の濃いやつが良い。炊きたての御飯と美味いしじみの味噌汁があれば、それだけで満足の行く食事になる。多少、とんかつが不味くても許せるというものだ。▼家にはインスタントのしじみ汁を常備している。深夜仕事で疲れて帰ったあとの一杯は最高だ。しじみ成分が身体に染み渡り、疲労を癒してくれる気がする。もちろん、ロマンのないことを言えば実際は塩分を摂取しているだけなので、「暴飲」にはくれぐれも注意しなければならない。週に二、三杯が妥当であろう。▼味噌汁の味ではなく、しじみの持つ豊富な栄養が目当てであれば、塩分を採らなくても済むサプリメントの方が良い選択肢だと思う。さいわい、しじみを「ダシ」にしたサプリのラインナップには事欠かない。「にんにくしじみ」などとという私の好物をさらに足した品もあるようだし、いつかは試してみる手もあるだろう。

[2186] Aug 24, 2015

仕事を頼んでもやってくれない怠け者は、きっとみんなに嫌われるだろう。みんな大変な思いをしているのに、なんだあいつは、ひとりだけ楽をして。そんなふうに陰口を叩かれるかもしれない。しかし、プロジェクトにとって真に大きなリスクは彼ではない。本当に怖いのは、頼まれた仕事をなんでもやってくれる人である。▼二人が期待通りに仕事を終えてくれたとき、何も問題は起こらないだろう。しかし、もしどちらかが倒れたりパンクしたりしたらどうなるか。当然、人の仕事までこなしてくれていた働き者が抜けた穴の方が遥かに大きい。しかも働き詰めている彼の方が、予期せぬ不幸に見舞われる可能性は高いのだ。▼逆にプロジェクトがどん詰まりになって、いよいよ破滅だとなったとき、怠け者という「余力」は計算外の力になる可能性を秘めている。彼だってプロジェクトと心中したくはないだろう――これこそ最も管理の難しい概念のひとつ、バッファなのである。

[2185] Aug 23, 2015

物置と化した角部屋を片付けるべく、漫画の整理に取り掛かる。棚から溢れ、溢れ、平積みにされたコミックを掻き集めて並べる作業は一苦労だ。そうしていざ、どうしても残したい本とそうでない本を選り分ける段になると、思っていた以上に存在を忘れていた本が多い。そういえばこんな本、あったな……と表紙を眺めても、主人公の名前さえ出てこない作品である。優先的に「売り確」ダンボールへ詰め込む対象だ。▼Kindleでいつでも買い戻せる安心感のおかげで、昔よりは手放す決断も下しやすい。これでも数年前に半分以上始末しているはずだが、このたびも改めて6箱の「ブックオフ行きダンボール」が誕生した。整頓はまだ終わっていないので、もう数箱増えるかもしれない。よくもまあ、こんなに買ったものだ――Kindleで漫画を買うのが当たり前になれば、こんな感慨にひたることも今後はあるまい。明日は昔好きだった漫画について、紹介がてら短く喋ってみよう。

[2184] Aug 22, 2015

私の好きなフレーズを検索にかけたら、十年近く前のブログが見つかった。よく削除されていないものだ。せっかくなのでトップページをつらつら読んでみる。黒歴史かと思いきや、文章もしっかりしていて悪くない。難しい日本語の操り方は今より上手である。いつからか、しゃべるように書く路線に切り替えてからは、随筆のような文体はすっかり不得手になってしまった。▼検索したフレーズを紹介しないのは、ブログを発見されたくないからである。有名な文豪の言葉なので、私の他に誰一人としてウェブテキストに起している人がいないのは驚きだった。小説や随筆の引用なら格言系のサイトに山ほど転がっていそうなものだが、実際は書籍や他サイトからの孫引き・ひ孫引きばかりで、「格言としてそもそも有名なフレーズ」以外は取り上げられていないようである。猫も杓子もコピーの世の中だ。自分の言葉で素直に語れば、オンリーワンになるのは案外簡単なようである。

[2183] Aug 21, 2015

それなり有名だが、こんな問題がある。地球の表面にぴったり沿うよう、赤道のまわりにロープを張って、端と端を結ぶ。このロープの長さは赤道と同じ長さになるだろう。それでは今、このロープを上に持ち上げて、地球上の全ての点で1mの高さに浮かせたいとする。ロープの全長はどれくらい伸びる必要があるだろうか。▼途方も無い長さが必要なように思える。赤道の長さは4万kmもあるのだから。しかし答えはたったの6.28mである。円周の長さは直径にしか比例しない。その直径が2m増えたとしても、円周の長さは2πしか増えないのである。▼モンティ・ホールのジレンマ同様、人の直感を欺くタイプの問題だ。しかしこの問い方だと、まともに計算せざるを得ず、計算すれば正しい答えが出てしまう。ひっかけ問題として出題するなら、四択にしてどれがいちばん答えに近いかを当てさせるのがよいだろう。数十mという答えですら直感的には選びにくいはずだ。

[2182] Aug 20, 2015

ギャンブラーとは。ギャンブラーとは楽天家である。確かなことはわからないが、きっと未来は自分にとって良いようになるだろうと信じている人々である。大切なものを賭ける瞬間に、それを失って落ち込んでいる自分ではなく、より素晴らしいものを手にして喜んでいる自分の姿が浮かんでくる人々である。手痛い敗北のことは綺麗に忘れ、勝利の美味だけを鮮明に憶えている人々である。▼要するに、彼らは成功のイメージが上手い。成功しかイメージ出来ないのだ。未来が自分の思い通りに確定する瞬間を想像する術に長けていると言い換えてもいい。ギャンブラーは、理由もなく自信満々である。そうして世の中には、理由なき自信を持てずに悩んでいる人がたくさんいることを考えると、ギャンブルも捨てたものではないと思えてくる。もちろん現実は厳しく、中毒者は身を滅ぼすだけだが、成功体験と自信のループを垣間見たければ――試しに馬券でも買ってみてはいかが。

[2181] Aug 19, 2015

「King and Queen」は「王と女王」ではなく「王と王妃」と訳さねばならない、という件について、五年くらい前にここで記事を書いた。改めて今日、何かの拍子にこの話になって、それではもし本当にクイーンが女王だったとして、女王の旦那はなんと呼べばよいのかという展開になった。女王の旦那。配偶者。呼び名はあるのだろうか。▼調べてみるとちゃんとある。「王婿(オウセイ)」と言うそうだ。そうして、これにあたる英単語を探してみると「prince consort」が見つかる。一見、直訳すると皇太子妃かと思ってしまうが、princeは後ろから修飾されているようだ。またprinceは皇子の意ではなく、国家元首の夫になった者に与えられる称号としてのprinceと思われる。▼ひょんなことから複雑な世界に踏み込んでしまったが、ともあれ、つまるところ王妃にあたる英単語はなさそうである。女王であろうと王妃であろうと、彼女の権力に変わりはなかったのかもしれない。

[2180] Aug 18, 2015

二点P、Qがあり、|PQ|=mである。また、∠PXQ=θとなるような点の集合について、その点Xから線分PQにひいた角の二等分線とPQとの交点をY、PQとXYの成す角をφとする。このとき、|XY|を、m,θ、φを用いて表せ。▼差し迫る中間期日を前に、昨日、慌てて解いた問題のひとつ。中線定理と正弦定理を使えば答えは素直に出るが、式はそれほど綺麗にならない。特定の状況下で、カメラの理想的な位置を算出するために立てた問題だ。中線定理、正弦定理、あるいは余弦定理、こういう諸々の道具が頭に浮かんでくることのありがたさをひしひしと感じる。つくづく、頼りになるのは数学なのだ。▼最近は数学の重要性を強調する本も増えてきた。数学がビジネスに効くという売り文句を書店で多く見かけるだけでも、学生の意識は変わってくるかもしれない。数学だけは頭の若いうちに基礎を積んでおくべきだと、改めて年寄り臭いことを言っておこう。

[2179] Aug 17, 2015

「どんなプロジェクトでも簡単に破綻させる方法がある。それは、彼らに十分な時間を与えることだ。」▼悲しいかな。世の中のプロジェクトがどれもこれも「時間がない」と悲鳴を上げているのには、そういう訳がある。逆説的だし、認めたくないが、ある種の真理である。こんな空想をしてみれば了解できる。「もし再来月にマスターアップを迎える今のプロジェクトに、あと三年の猶予があったらどうなるだろう?」▼当初計画は何度も練り直されるだろう。皆、今の答えが満点ではないとわかっているので、当然、ブラッシュアップのための会議を開くだろう。多方面に意見を求め、関わるメンバーを増やし、何通りもの仕様を試すだろう。あれもやろう、それもやろう、こんなことだって出来る――混乱を極めた怪物が誕生する。やがてプロジェクトが再び「二ヶ月前」を迎えた頃には、とても収拾のつかない未曾有の事態になっているであろう。時間とはそういうものである。

[2178] Aug 16, 2015

壊滅的なインターフェースを見た。某大手チケットサイトの登録画面。クレジットカードの情報を入力する段で、有効期限の項目が何度やっても通らない。入力欄はただのボックス。記入例も何もない。"03/20"や"03.20"などいろいろな記入法を試してみるも、エラーは「月/年を記入してください」の一点張り。しかも、このメッセージは完了ボタンを押すまで出ない。入力頁にもどるには端末の「戻る」を押すしかないが、間違えて二回押すともれなくそれまでの入力内容が全て破棄され、トップページに飛ばされるという仕様である。▼誰が作ったんだ、こんなIF。思わず呆れてしまった。自前ならIFを馬鹿にしすぎだし、外注だとしたら詐欺にあっていると思う。まともな登録画面を作るという仕事は、多少の心得があれば難しくないはずだが、大手でもこの有り様では、技術者もまだまだ売り手市場かもしれない。正しい有効期限の入力方法は結局最後までわからなかった。

[2177] Aug 15, 2015

入社以来、捨てずに取っておいた会社の「業務ノート」をシュレッダーにかけた。全四十二冊。メモ、計算用紙、アイデアノートの役割を一身に担ってきた偉大なる紙の堆積である。▼退社するからではない。単純に、四十二冊のノートを保管する場所がなくなってきただけだ。それに私は昔から紙類をすぐボロボロにしてしまうクセがあるので、どのノートも端がぐちゃぐちゃで、水に漬けたあと乾かした本のような、ごわごわで酷い有り様になっている。保存する気がハナからないのだ。いつか見直すかもと思ったこともない。今まで取っておいた方が不思議なのである。▼とはいえ、裁断口が薄く割かれたノートを飲み込んでいるあいだ、過去の落書きをしげしげと眺めてみたりもした。業務の全てがここにある。小学生の頃、全教科を一冊のノートで賄っていたせいで、宿題を提出すると他の科目が板書できなくて、先生に怒られたのを思い出した。性格は変わらないものである。

[2176] Aug 14, 2015

私と同じく電子書籍派に啓蒙されたという先輩の一人が、最近、そのせいで本が読めなくなっているという。今の私には興味深い話だ。▼曰く――初めは自分も取り置きたい本は紙で、読み捨てる本は電子書籍でと主旨を分けた運用をしていたが、そのうち線引きが難しいことに気づき始めた。電子書籍でまとめ買いした本を紙で二重買いしたり、逆に紙で買うまでもなかった本が床に積み上がったりして、後悔することがしばしばあった。そんな経験が溜まるうちに、だんだん本を買うこと自体に抵抗を感じるようになった。紙で買うべきか、電子書籍で買うべきか、ためらうのが億劫になってしまった。▼電子書籍で購入した本の二冊目にして、「これは棚に置きたかったな……」とプチ後悔している私がいるだけに、気持ちはよくわかる。電子版を所持している本は紙版も格安で買えるというよう連携が定着するまで解決しない問題だろう。ひとまずは迷ったら紙の方が安全そうだ。

[2175] Aug 13, 2015

ランドール・マンロー『ホワット・イフ?』読了。電車で読んでいて、笑いを堪えるために下唇を噛まなければならなくなったのは、かなり久々だ。三省堂の人気ランキング棚で見かけたとき、今日は買わないが、近いうちに必ず読むことになるだろうと思った私の直感は正しかった。翌日、購入。翌々日、読了である。▼「野球のボールを光速で投げたらどうなるか?」と言う副題がついている通り、馬鹿げた疑問に科学と数学を駆使して大真面目に答えるという「空想科学読本」的なテイストが基本線。その手の本なら類似品がいくらでもありそうなものだが、本書が突出して面白いのは話の持って行き方である。展開が斜め上というか、そう来るとは思わなかったというか、真面目なサイエンスと思わせて結論はジョークという、その匙加減が絶妙だ。顔のない線画の人物たちも、洒落た台詞から表情が見えてくるようで、なんともじわじわくる。第一印象以上に楽しめる本である。

[2174] Aug 12, 2015

文章、あるいは曲について。アマチュア作品の鑑賞をしていると、それなりの頻度で「偉人の傑作を部分的に引用した作品」に出会う。例外なく印象は悪い。上手く馴染ませたと思っているなら浮いているし、隠蔽できたと思っているならモロバレである。▼唐突な引用は、会話中にいきなり声色を変えるようなものだ。言われている内容など二の次で、その怪訝さに気が向く。作者への不信感が生まれ、その後の話も素直には頭に入ってこなくなる。▼「その引用がなければ作品が成立しない」ほど根の張った計画でない限り、傑作の部分的引用はやめよう。引用したくなる気持ちはたいてい、失敗しそうだから予防線を張りたい、いつもの語彙が尽きた、内容に自信がないから作者の知識を披露したいというような、ロクでもない欲求から生まれてくる。そんな横着心を捩じ伏せて、最初から最後まで自分の言葉で語ることこそ創作の醍醐味だ。褒められたときの嬉しさも一入である。

[2173] Aug 11, 2015

その昔は覚せい剤も、物によっては巷で普通に売られていた。今日では健全にもレッドブルとモンスターエナジーを日替わりで嗜んでいる我々だが、時代が違えばヒロポン片手に昼夜闘う企業戦士になっていたかもしれない。幻の九蓮宝燈が見えないうちに、マスターアップを迎えられればよいのだが……。▼もちろん、現在ではアンフェタミン系の精神刺激薬は覚せい剤取締法によって譲渡、所持、使用が厳密に制限されている。古き除倦覚醒剤は、薬効的に害の少ない「エナジードリンク」に取って代わられたわけだ。▼しかしこうなると、麻薬、覚せい剤の取り締まりが厳しさを増すにつれ、今度はエナジードリンクの過激さが増していく未来が想像できる気もする。世界中を虜にするレッドブルが「栄養ドリンク」の呼称を頑なに避けるのも、栄養ドリンク扱いになると、国や地域によっては医薬品として販売規制を受けてしまう可能性があるからだと言われるくらいなのだから。

[2172] Aug 10, 2015

読みたい本をアマゾンで検索すると、Kindle版は無いことが多い。しかし、最近日課にしている「各カテゴリのランキング上位の逍遥」をしていると、そこそこKindle版が購入可能になっている。つまり、こういうことだ。世のトレンドは電子書籍に向かっている。そうして私の好みは、世の中のトレンドに逆行している。▼ともあれ、Kindle版は価格も安いし、電子が紙に勝るポイントをいくらか持っているのも事実。以前、Nexus7で電子生活を試みたが諦めてしまったのは、まさに趣味にあたる部分、主要な読書を急に電子化しようとしたからだろう。所持していたい気持ちが薄く、読み返すつもりもなく、さほど人に貸そうとも思わないが、目は通して置きたい、なんとなく読んでみたい――そんな本にはやはりKindle版がうってつけかもしれない。▼このように意識を変えた上で、Nexus7を再活用してみよう。いつも充電切れした鞄の中の重たい板に、もういちど輝くチャンスを。

[2171] Aug 09, 2015

ビスマルクは老年、健康のために医者から水分の摂取を制限されていたそうだ。太るから水を飲むな、というのである。▼カロリーのない水を飲んで太る、いわゆる「水太り」が本当かどうかは、素人がちょっと調べてみたくらいでは真実がわからないほど意見が分かれている。しかし、太る、太らないは別としても、摂り過ぎが身体に良くないという点では見解は一致しているようだ。常日頃、絶えざる喉の渇きに悩まされる私としては、最も気になる健康上のトピックのひとつである。▼摂取の適量は一日2リットルまで。野菜などに含まれる水分を含むため、液体として摂るべき水分量はさらに少ない。私が液体で飲む水の量は平均して日に4〜5リットルなので、完全に超過している。とはいえ喉が渇くのはどうしようもないので、最近は塩分を控える方向にシフトして様子を見ているところだ。ジャンクフード、塩分、水の順で控えていけば、結局は肥満の防止にもなるだろう。

[2170] Aug 08, 2015

インターンで二ヶ月ほど、サンフランシスコに行っている弟から写真が届いた。到着からしばらく安否のメールすら寄越さなかったので心配したが、どうやら今のところ問題はないらしい。ミディアムを頼んだら特大サイズの甘いコーラが出てきたというので、早速食文化の違いに直面しているようだ。当人、初海外である。▼かくいう私も、海外は大学入学時に旅行でいった数日間のニューヨーク滞在のみ。それも直前に飲みつけない市販の風邪薬を服用したせいで連日副作用に悩まされ、発熱と化膿で体調は最悪。朦朧とした意識で日本食を求めて暗いビルの影を彷徨った記憶しかない。それに比べれば遥かに良い海外経験になるだろう。▼初海外、初仕事、単騎特攻。働いている今だから思うが、こういう無茶というか、無謀なことも学生のうちしかできない。年寄り臭い台詞かもしれないがつくづくそう思う。後悔はしていないが、私の学生時代は少々保守的過ぎたかもしれない。

[2169] Aug 07, 2015

ちょっと前、おみやげにスルメを頂いた。私は昔からスルメが好物のひとつ。物心付く前からおやつにはスルメを齧っていたらしい。そのときの記憶があるから、今も好きなのだろう。三つ子の魂百まで。▼ところがこのスルメ、大袋ということもあって、そのままではあまり美味くない。仕方ないので、顎を鍛えるにはちょうどいいかと、味は気にせず食べていたが、ふと思い立って炙ってみると、なかなか良い薄味に仕上がった。タッパーに移しかえて部屋に常備し、夜のおやつに少しずつ食べていたのである。▼しかし火を通したことで、味はよくなったが、私の方が油断してしまった。焼いたスルメが悪くなることなんてないだろうとタカをくくって、記録的な猛暑日のつづく今週、机の上に放置していたら、すっかり危険物に変わってしまったのだ。気づいたのは身体に異変が起きてからであった。▼真夏の食べものには注意してしすぎることはない。生物以外も要警戒である。

[2168] Aug 06, 2015

シャワーを浴びるとさっぱりするのは良いことだが、私は昔からどういうわけか、浴室から出ると酸欠状態になっている。シャトルランをやりきった人のように、しばらく床に打ち上げられて動けない。夏は特にそうで、身体が冷えるまでのあいだにかなり体力を消耗してしまう。ふらふらである。▼もともと下が50台、上も100に乗らないほどの低血圧なので、血管が拡張するとさらに血圧が低下し、本当に脳へ酸素がまわっていないのかもしれない。こうした酸欠は脱衣所と浴室の温度差が激しい冬場に起こりやすい症状だと言うが、体温の過渡応答が長く、脱衣所でも高血圧の状態になりにくいであろう私の身体のことを考えれば、夏に起こっていても不思議ではないだろう。▼とにかく、すぐに身体を冷やして血圧を上げている。子供の頃は冷蔵庫に顔を突っ込んだりしていたものだ。こと体温調節に関しては難儀な身体ではあるが、大事故にならないよう気をつけていこう。

[2167] Aug 05, 2015

鳴っていたい、いつまでも鳴っていたいと願いながら、鳴り止みたい、もう鳴り止みたいとも心のどこかで思っている。そんな曲が聴いていて好きだ。ダンスフロアのような執着力と、交響曲のような結末の希求力を、出来ることなら併せ持っていて欲しい。全てを聴き終えたとき、最後まで辿り着いたことへの強烈な満足感と同時に、ああ、もう自分はこの曲について何も聴くものが残っていないんだという、無力感とでも言うべきものが押し寄せてきて欲しいのである。▼もうこれ以上聴くものがなくて苦しいから、仕方なく同じものを聴く――リピートにはそんな動機もあるのではないだろうか。本当にすべてが語り尽くされていたら、二度目を体験したい気分にはならない気がする。鳴り止みたいと思う心を汲んで聴き終えた曲の、今度は、鳴り続けていたかったという思いを汲んで、再び聴き始める。そういう浸り方が性に合う。好き嫌いとはつまり、そんなぐだぐだであろう。

[2166] Aug 04, 2015

西武ライオンズが歴史的な苦境に立たされている。球団記録を塗り替える十三連敗。ライオンズファンの闇は、十二連敗で辛くも踏みとどまった我々ベイスターズファンより、もはや深い。▼パ・リーグはそこまで詳しくないが、ダントツの打点王を抱えて絶好調だったはずの打線が完全に湿気ているのは見ていてわかる。加えて、運にも恵まれない。打てば守れず、守れば打てず。投打が咬み合わないとはまさにこのことだ。誰か一人の活躍では、チームは勝てない。野球がチームスポーツであることを否応なく思い出させる事件である。▼チーム。口にするのは簡単だが、捉え所のない、悩ましい存在だ。チームの調子とは何なのか。どうすればチームとして結果を出せるのか。いつかリーダーとして大きなチームを率いるとき、嫌でも考えなければならないことだが、今のライオンズベンチにかける言葉が見当たらない私は、将来、チームの危機で苦労することになるかもしれない。

[2165] Aug 03, 2015

後輩からの質問。聞く上で、一番好きな楽器は何ですか。私の回答は、ちょっと悩んだ末に本命の「ピアノ」。それに対して、後輩がこんなことを言う。ピアノって、変な言い方ですけど、工夫の余地があんまりないんじゃないですか。叩く強さしか変えられないですよね。聞いてて飽きたりはしないんですか。彼はピアノを貶したかったのではなく、純粋のピアノという楽器の「簡単さ」を疑問に思っていたようだ。▼以下、私の回答を要約する。その通り、こと音を出すということに関しては、ピアノに工夫の余地は少ない。木管と違って、猫でも弾ける。弦楽器と違って、素人でもプロと同じドの音が鳴る。しかしだからこそピアノは、音を出すことではなく曲を弾くことに工夫を凝らす。簡単に音が鳴るという特性が奏者を曲の表現に集中させてくれる。曲、ストーリー、そのレベルだけがピアノの工夫しうる表現だ。ピアノは音を出す楽器じゃない。ドラマを弾く楽器なのだよ。

[2164] Aug 02, 2015

大圖衛玄『ゲームプログラマのためのコーディング技術』読了。数日前の記事で、チームプログラマがコーディング技術を磨くことの悲哀を説きはしたが、かくいう私もやはり個人としてはより良いコードを書きたいと願っている者なので、この手の良書はいつも歓迎である。▼位置づけとしてはリーダブルコードの延長線上といったところ。「ゲームプログラマのための」とあるが、技法がゲームコーディングに特化しているわけではなく、著者のキャリアと具体例がゲームプログラミングであるに過ぎない。誰でも読めるという意味でプラスに捉えるべきだろう。▼傾向は、とにかくコード行数とネストを減らすことに特化した圧縮主義。ラムダ式とSTLによる自己説明的なプログラムを目指す姿勢は徹底していて、そこまでやるかと思わせる原理主義ぶりは嫌いじゃない。巨大なプログラムは自然言語的であることが求められる。条件分岐とループでゴリ押す時代は終わったのだ。

[2163] Aug 01, 2015

早朝、小学校。ぎらぎらと夏の太陽が照りつける炎天下の校庭。町内会の班長業務のひとつ、夏祭りの本部設営である。▼できれば曇ってくれという祈りはどうやら神様の不興を買ったようで、今日の空は雲ひとつない快晴となった。立っているだけで汗が滴り落ちる猛暑の中、軍手越しにもジリジリ熱い金属製のテントを組み立てていく。組み上げたテントだけが唯一の日陰になるので、天蓋の布を張ってから次に取り掛かるまでのあいだが休憩時間だ。暑さと汗はどうにもならない。せめて水だけは浴びるように飲む。▼机を並べたり、椅子を担いだり、飾り物をつけたり、太鼓を動かしたり……雑務をせっせとこなしていたら、なんとか昼には片付いた。一旦帰宅。シャワーを浴びて汗を流し、扇風機の前で身体を休めて、いざ出社――。数十秒で汗だくが帰ってくる。垂直な日光が重たい。出社前に疲れ果てるような日はそうそうないが、案外、仕事ははかどるから不思議である。

[2162] Jul 31, 2015

ウインドウズ10へのアップグレード、完了。帰宅したらアップグレード可能のバルーンが出ていたので、どうせいつかはやらなきゃならんと、スケジュールではなく即実行を選択。即の名に違わぬ早さで、あっという間に「10」のロゴが表示された。あれほど面倒だったOSの更新が、今やワンボタンで完了とは。良い時代になったものだ。▼前評判が好評なのは知っていたが、ざっと触ってみた感触は、アップグレード直後ということを考えると今まででいちばん良い。XPや7のときでもこうすんなりとは馴染めなかったように思う。8でインターフェースの変化に慣らされたのが効いているかもしれない。少なくとも劣化した部分は見当たらないので、常用のアプリケーションが起動しないのでもない限り、8を使い続ける意味はなさそうだ。▼さあ、いよいよ「次」のない時代に辿り着いた。マイクロソフトの新たなる展望、サービスとしてのOSがどうなるか。見物である。

[2161] Jul 30, 2015

耳コピについて尋ねられたので、簡単に私見を述べた。ちゃんとした意味での耳コピはもう長らくやっていないが、訓練のためにするというのであれば、こうしたほうが良いだろうという見解は私にもまだある。▼主張は二つ。一、メロディではなく低音から耳コピすること。低音が取れていればメロディ聴取の助けになるが、メロディは低音の耳コピを助けてくれない。第一、よほど複雑な曲でない限り、メロディの耳コピはもっとも簡単である。もっとも簡単だからと最初に手をつけてしまうと、コードや低音に差し掛かった途端つまづいて、その曲を諦めての繰り返しになり、全く練習が積もらない。▼二、好きな曲よりやりやすい曲を選ぶ。好きでやりやすければ最高に良い。なにしろ耳コピは仕上げなければ力にならない。「取れる所だけ取る」の繰り返しは、得られる経験値がかけた時間の割にあわないと知るべし。人を成長させるのは、十の未完成品より一の完成品である。

[2160] Jul 29, 2015

コーディング技法を扱った本は総じて出来が良い。平易でわかりやすく、書かれていることは正論だ。しかし、この手の本がいつも故意に触れていない真実がある。本が主張するような優れたコードを書くための様々な原則を「全て守っているコード」が最良だとしたとき、最悪なコードは、それらの原則を「全く守っていないコード」ではない。最悪なのは「中途半端に守っているコード」「守りかけて諦めたコード」「守っていたところへ守らない人が手を入れたコード」である。この順に悪くなっていく。▼恐るべき現実との闘いを予感させる真実だ。なぜならこれは、チームプログラミングにおいては、各人が良いコードを書こうとすると、その努力が至らなければ毒になり、また誰か一人が技法を完璧に極めたとしても、そのことによってチームとしての品質は向上するどころか低下する恐れがある、ということを示唆しているからである。逆説的だが、これが悩みの種なのだ。

[2159] Jul 28, 2015

タスク管理、スケジュール管理の出来なさを嘆いている後輩がいる。▼真面目、誠実という柄でもないが、かといっていい加減な性格でもない。なんとかしなきゃと思いつづけてなんともできないタイプである。詳細な予定を立ててはいるが、結局は間に合わなかったり、重要なことが後回しになったりしているのは、恐らく彼が詳細な予定を立てることに向いていないからだろう。▼直接伝えたことの繰り返しだが、いくら世の中で名作と言われるタスク管理ソフトを使っても、自分の性に合わなければ意味が無い。タスク管理とは要するに、自分の性との付き合い方だからである。成功するには「絶対にTODOを使え」と言う人と「絶対にTODOは使うな」と言う人がいる時点でお察しではないか。▼メモを取れば取るほど物忘れをする人もいるということを、メモ信者は決して理解しないものだ。ことこの手の話題に関しては、他人の言い分を鵜呑みにしても百害あって一利なしである。

[2158] Jul 27, 2015

18ヶ月の時を経て、ようやくマグカップが完成したらしい。▼遡ること2013年の暮れ。キックスターターに出ていた「The Temperfect Mug」に出資した。コーヒーを注いですぐは熱すぎて飲めないが、冷まそうと思って放置するとすぐにぬるくなってしまう、そんな苦い経験を元に作られるというマグカップの売りは、「注いだコーヒーが適温まですぐに冷め、その後は温度が下がりにくい」というものであった。価格は40ドル。完成予定時期は2014年7月とあった。▼それからずっと、メールには「もう少しで完成なのだが、予想外の困難が……」という報告が毎月届き続けていたのである。物を完成させるのは本当に難しいものだ。邪推だが、キックスターター企画の多くは立ち消えているのでは……とさえ思ってしまう。マグカップは一年遅れとはいえ完成してよかったが、果たして満足行く仕上がりかどうかは使ってみるまでわからない。到着予定はまだ不明である。

[2157] Jul 26, 2015

Cubase8がけっこうひどい。▼今まで出来ていたことが出来なくなる、いわゆる後方互換性のないソフトウェアは、少なくとも目立つ告知なしに作られてはならないし、たとえ告知があってもそうそう許されるべきものではない。過去のプロジェクトから読み込んだVEのサーバーが立ち上がらない問題を、新しいプロジェクトで立ち上げたVEにこつこつパラメータを移植することで解消していたら、今度はノートの編集にバグが発生した。複数のノートを選択してベロシティーなどを編集すると、ときどき他の遥か離れた小節にある別のノートを無条件に巻き込んで、一律に同じ値を設定してしまうバグである。▼このバグの恐ろしいところは、発生したかどうかが事後的にしか確認できないところだ。通しで聞き直していたら妙に音量のちぐはぐな音を見つけたので、連続アンドゥしてみたら気づいたというレベルである。最悪だ。パッチはまだない。さすがに苦情を検討中である。

[2156] Jul 25, 2015

忙しく仕事をしていると創作する時間がないとか、会社の地位で自尊心が満たされてしまうために意欲がなくなるとか、真の芸術家になるためには勤めの時間は無駄だとか、エネルギーがあるのは若いうちだけだから、年老いる前に芽が出なければもはや成功の目はないとか。▼ときに焦ることもあるだろうが、ここはひとつ晩成の作家、サミュエル・スマイルズの言葉に学んでみよう。「私が若者に言いたいのは、せっせと努力を続けよということだ。失敗したら、やり直せばいい。まじめで誠実にこつこつとやっていれば何事も最後はきっとうまくいく。」▼「いいかね、私は四十五歳で初めて売れる本を書いたんだ。それでも、著作よりビジネスマンとしての素養や習慣のほうを誇りに思ってきた。私には二十一年間の鉄道会社勤務の経験があり、物書きとしてよりも精力的で時間厳守のビジネスマンであることを誇りにしてきた。今、振り返ってみると、すべてが夢のようだよ。」

[2155] Jul 24, 2015

自分をアピールする文章を書く時、慣れていないとやってしまいがちなのが、自分の「機能」を並べることだ。私はこういうことが出来ます。こういうことに秀でています。こういうことなら誰にも負けません。等々。▼優れた販売員なら、購入を迷う客相手に商品の機能を並べ立てたりはしない。代わりに商品の「効用」を強調するだろう。ベネフィットと言い換えてもいい。要は、この商品を買えば、こんなに良いことがありますよ、という話だ。▼自己アピールも同じである。書くべきは聴き手をうんざりさせる自分本位な能力自慢ではなく、その能力のおかげで私はあなたに何をしてあげられるのか、私がいればどんなに良いことがあなたに起こるのか、あなたにとって何が可能になるのか、そういう話であるべきだろう。そういう話こそ、まさに聴き手が聴きたい話だからだ。▼自分の言いたいことではなく相手の聴きたいことを話すこと。読み手の意識。基本中の基本である。

[2154] Jul 23, 2015

私の文章はよく漢字を開き過ぎだと言われる。ここの記事がそうでないのは、つとめて閉じているからだ。本当ならもっと開きたい漢字はたくさんあるが、記事という体裁を意識して常識的な漢字濃度を選んでいる。しかし、同じように意識しているはずの文章でも、たまに「素」が出てしまうらしい。小論文を査読してもらったら、これがひらがななのはどうだろうと首を傾げられた箇所がいくつかあった。指摘されて読み直すと、たしかに論文としては柔らかすぎる印象である。査読者のセンスも素晴らしい。▼小説やエッセイのように自由が効くところなら、読みにくくない限りは遠慮なく開いていく。単に重たくなるのが嫌いだからかもしれないし、目が悪くて密度の濃い文章が嫌いだからかもしれないし、ひらがなのほうが形の好きな単語があるからかもしれないし、中勘助の散文に影響を受けているせいかもしれない。漢字の開きグセ。今となっては出処の不明なクセである。

[2153] Jul 22, 2015

私はどちらかというと新国立競技場の計画見直しに安堵している方だが、それは2500億があまりにも巨額の損失だと思っているからではない。単純に、当初の計画から予算が膨れ上がり過ぎていることに裏を感じるのと、このままでは最終的にいくらになるか検討もつかないことが主な理由だ。▼絶賛炎上中の「たった2500億」発言も、この建築物が国家プロジェクトであることを考えれば、そう大きくは間違っていないと思う。なにしろ2015年度の社会保障予算は110兆円だ。無駄だらけと言われる社会保障費を一年だけ、たったの0.5%削れれば、今よりさらに見積りが倍増しても余裕で箱が建つ計算である。▼そう安易な計算が出来るものでもないことは重々承知だが、「何を基準に高いと言うのか」とぼやきたくなる気持ちも少しはわかる。しかし、費用を絶対値として見ている推進派と、相対値として見ている反対派が妥協することは恐らく出来ないのだろう。

[2152] Jul 21, 2015

初夏から体調は悪化の一途。こう二時帰りの三時就寝がつづいては仕方ないが、今までの繁忙期とくらべても身体へのダメージが大きいのは、今が夏だからだろう。これまで夏に忙しさのピークが来ることはなかった。熱帯夜。加速する睡眠不足。疲労の取れる隙がないということだ。まして8月に向けさらに忙しくなるのだから、戦々恐々せずにはいられない。▼それでも隙を見て、久々の曲計画を楽しんでいる。とにかく聴いて聴いて、聴きまくって、面白いアイデアが浮かんでくれば良し、浮かんでこなくても音楽を聴いているだけなので損はないというわけだ。エクセル片手にあれこれ並べ替えるのは仕事を彷彿とさせるマウスワークだが、2013の「条件付き書式」が死ぬほど使いにくいことを除けば、エクセル作業はもとより嫌いじゃない。どうせ暑くて眠れない夜だから……とつい夜更かしする心を宥めるのが難しいほど、今は気分が乗っている。体力を気分で補うのだ。

[2151] Jul 20, 2015

小論文を書く。文章は書きつけているつもりでも、いざ人に評価される文章をきっちり仕上げるとなると、そうすらすらと言葉が出てくるわけではない。ただ、パラグラフひとつ分の主張さえ決まってしまえば、段落の頭から終わりまでは文法的にも内容的にも一貫性のある文章が書けるのは、日頃の訓練のおかげと言えそうだ。▼いつの間にか書き方も変わっている。以前は冒頭から文字を詰めていくスタイルだったのが、今は主張だけ先に箇条書きや乱暴なスラングで書き出して、細かい言い回しや文章を後から整えるというスタンスになった。いまだに音楽の方が前者の「最初から詰めていかないと整合性が確認できない」段階にいることを考えると、何事につけ、熟練するにつれて後者の手法に移っていくのかもしれない。▼指定はA4で2枚。つまり展開できる大主張は3点から4点。かぶらないように、しかし関連性を失わないように、練り込んでいく作業はいつでも楽しい。

[2150] Jul 19, 2015

ヘヴィなバグをひとつねじ伏せた。フレームレートが安定していて、かつステージをX軸方向に横切らないと起こらないカメラの振動である。▼ワールド座標が影響するあたり生半可なバグでないことはすぐにわかった。しかし現象発生のログを出してみても、個々の姿勢制御パラメータに不都合な箇所は見つからない。距離も、角度も、それぞれがリニアに変化するベース値を元に、独立してバネダンパで制御されている。微振動が発生しているタイミングをジャストで取ってみても、周辺のパラメータは穏やかなままだ。▼変数の遷移を全て吐き出し、エクセルに貼り付けてグラフに起こして、眺めること十時間。ようやく判明した原因を記すには余白が無さ過ぎるが、手短に言えば、従来のカメラシステムでは、各々のパラメータが正常でも、複数のバネダンパが特定の状態を取ると視点位置の振動が起こりうるという根の深い原因であった。たまには前提を疑うことも必要である。

[2149] Jul 18, 2015

ラーニングピラミッドを頼るまでもなく、受動的な学習よりも能動的な学習の方が憶えのいいことは経験的にわかる。同じように趣味もまた、受動的なものより能動的なものの方が没頭しやすいと言えそうだ。受動的な趣味、つまりインプットを中心とする趣味に広く手を出している人が、能動的な趣味、即ちアウトプットを中心とする趣味に打ち込んでいる人を見て、自分にはあれほど熱中できる趣味はないから羨ましい、と言うのを何度か目にしたことがある。▼もしより充実した趣味の時間が欲しいなら、今ある受動的な趣味を能動的な形に変えてみよう。アニメを観る行為は受け身だが、実況スレで実況したり、設定を考察して語ったり、二次創作をしたりすれば立派な能動態になる。野球観戦は、実際に野球を遊べないまでも、バットの素振りをしたり、キャッチボールをしたりすれば能動的だ。受動的趣味の代表格、読書であれば、やはり文章を書いてみるのがよろしかろう。

[2148] Jul 17, 2015

新国立競技場の見直しが決まって、ちょっとほっとしている。私は本件、世間で言われるほど森喜朗元首相が悪者だとは思っていないが、経緯がどうあれ円安も手伝って予算が膨らんでしまったことだけは事実。まして世論が騒ぎ出した現段階の金額で収まるはずもないのだから、収拾がつかなくなる前に撤退できたと言うべきだろう。▼とはいえ、それでは代わりに旧国立競技場の焼き直しを低コストで作ろうとか、実現性の高い伊東豊雄案に切り替えようとか、そんな単純な話でも上手くは行きそうにない現状。決して延期のできないオリンピック開催という納期に向けて、国際社会を納得させつつ現実的な予算で竣工まで漕ぎ着けるかどうか、今度はそちらの不安がよぎってくる。▼せっかくだから世界に誇れる競技場にして欲しい。けれども、莫大な負債を抱えて未来に禍根を残すようなことはして欲しくない。悩ましくもわがままな理想との闘いがついに始まる。戻り道はない。

[2147] Jul 16, 2015

棋聖戦第四局。度肝を抜かれる一手を見た。▼後手・豊島七段の6二金に対して叩いた先手・羽生棋聖の6三歩。手駒に一枚しかない貴重な歩を放っての強気な攻めだが、これ自体は驚くような手ではない。事件が起きたのは豊島七段がこれを取らずに6一金と引いた後。三十分近い長考の末、羽生棋聖が指したのはなんと、6二歩成であった。▼思わず目を疑った。馬鹿な!と叫びそうになるほど、羽生の手としては驚愕である。6三歩と叩いて6一金に6二歩成ということは、同金で一歩丸損。一手前に自ら叩いた歩の完全否定ということだ。結局、打ってみてから活路のないことに気づいて、すかさず反省したということだろうが、羽生さんクラスの人にもこんなことがあるのかと妙な息が漏れた。▼しかし、貴重な歩をタダで捨てる羽目になっても、結局は勝ち切るあたりが最強棋士の面目である。6二歩に対する勝負後のコメントは「恥ずかしいのですが、仕方がない」だった。

[2146] Jul 15, 2015

講義を受ける…5%。読書する…10%。視聴覚教材で学習する…20%。実験教材でデモを見る…30%。グループで討論する…50%。自ら実際に体験する…75%。学んだことを他人に教える…90%。平均学習定着率、ラーニングピラミッドと呼ばれる学習効果のランキングである。▼といっても、こうして眺めていて特別直感に反する項目はないだろう。「講義を受ける」から「デモを見る」までが受け身の学習方法、「討論する」から「他人に教える」までが主体的な学習方法であることからも分かる通り、この表が示唆しているのは、学習に対して主体性が果たす効力の大きさである。▼要するに、十倍良い講義を受けるより、五倍良い本を読むより、一度でも自ら体験してみた方が学習効果は高いということだ。効率の良い勉強法とは、主体的な勉強法に他ならない。百聞は一見に如かず。もちろん、この「見」とは視聴覚の視ではなく、伝聞を挟まぬ眼前の体験を言う。

[2145] Jul 14, 2015

家電は新製品を売るために、旧製品より高く売るために、無理矢理でもアピールポイントをつけなければならない。メーカーの思惑というよりは家電量販店からのプレッシャーである。量販店とてこのご時世、型落ちの割引品しか売れないようなメーカーに割くスペースなど持てない。▼熱帯夜を安全に過ごすため、扇風機を物色に会社傍のヤマダ電機へ出向いて「無理矢理感」を久々に痛感した。涼しくなるための扇風機を買いに来た私に、特価品二万の値札を下げたメーカー各社が胸を張ってくるのは、空気清浄効果であり、衣服の匂い取りであり、1/fゆらぎによる自然な風であり、3D首振りの画期的な動きであり、クールなデザインであり……。▼裏側の通路には三千円のアナログボタン式扇風機が並んでいる。涼しくて、シンプルで、願ったり叶ったりの品だ。そんな過去の優秀な自分自身を出し抜くとっておきの殺し文句が、どうも空振りしているように思えるのである。

[2144] Jul 13, 2015

「講演をするってことが作家にとっては危険きわまりないんです。やってるうちに、えらそうな賢者ぶりが身についてしまいましてね。初めは、一応のたしなみがあれば、講演はいやだとか何とか言うんですけれども、いずれは自分の声に惚れていくんです。うっかりできませんよ。感性が荒れてきます。人前でしゃべりたがるのは人類共通みたいですけどね。ふだんは臆病な人が、でんと構えたりして。とくに意見なしだったはずが、いざ聴衆を前にすると天下のご意見番になります。」▼アメリカの作家、ウィラ・キャザーが、グランドセントラル駅で列車の時間待ち中、アメリカの作家にとって最大の障壁は何だと思うか、と訊かれて。彼女の答えは、商業主義でも、禁酒法でもなく、ずばり講演病。「何ならやってごらんになれば? 日曜学校とか、身よりのない子供の学級なんてところで、一席ぶつんです。大人物になったような気がしますから。すぐ味をしめます。ご用心。」

[2143] Jul 12, 2015

Cubase8でViennaEnsambleProが接続できない。どちらも最新のアップデートを適用してみたが、インスタンスを立ち上げると、ロード直後に落ちてしまう。利用可能なインスタンスの一覧は増やせるが、肝心のインスタンスはどこにもない、あるいは接続できないという状態だ。新規作業が出来ないのみならず、古いファイルもプレイバック出来なくなっているので困るどころの騒ぎではない。▼同様の報告を探すと、有力な日本語ソースは見当たらないが海外のフォーラムでは似た症状を訴えている質問者が数人見つかった。日付はそこそこ古いので、バージョンアップ直後から発生している現象と思われるが、スタインバーグ公式には何の言及もないし、パッチも来ていないようである。最終的に解決していそうなスレッドも今のところ見つからない。▼万策尽きたら、しかるべきところへメールを出す心算。すんなりと後方互換できないメジャーアップデートはやめて欲しいものだ。

[2142] Jul 11, 2015

本を読むのも自己投資。セミナーへ出席するのも自己投資。旅行へ行くのも自己投資。エステに通うのも自己投資――実際、多くの「浪費」が「投資」という耳障りの良い言葉で誤魔化されている。▼浪費と投資の違いを見分ける基準について、わかりやすい話を聞いた。たとえばエステ。自分も美しさを保てるし、旦那も喜んでくれるから、これは自己投資だと主張する奥様について、次のように尋ねてみる。「ではエステに使う金額を十倍にしたら、旦那さんは十倍喜びますか?」▼「お金をかけたら見返りがある」だけでは投資ではない。「お金をかけた『分だけ』見返りがある」のが投資と呼ばれるべき行為であると彼は言う。そうして、投入と回収が比例しているかどうかには、万人が納得できる客観的な基準がなければならない。私は十倍幸せだ!と主張しても、他の多くの人がそうは思わないのであれば、それはやはり投資行為ではなく、趣味への浪費に過ぎないのである。

[2141] Jul 10, 2015

まとめてインタビューばかり読みつづけた後の雑感。インタビューを受けた人々の職業は作家、記者、学者、宗教家、活動家、発明家、政治家と多岐にわたるが、率直に言って政治家がもっとも面白く、作家がもっともつまらなかった。当初想定していた序列とは真逆だが、読後の今にして思えば、即興で人を感化するだけの口が回らなければ政治家は務まらないし、作家の本懐は時間をかけて言葉を煮詰めることであるから、この結果は妥当なのかもしれない。▼言うなれば自らの思想を態度で示すようなメタ的な受け答えはインタビュー向きではなく、事実と、その事実に対する見解を端的に述べてくれる方が、記者の質問に噛み合っている感じがして気持ちが良いということだ。読んでいて人柄も伝わってくる。私としては、第一巻ではビスマルクが最良だった。政治の世界などまるで興味のない私だが、そんな私でも唸らせるほどのカリスマが当時の人々を惹きつけたのであろう。

[2140] Jul 09, 2015

アメリカ先住民シャイアン族の族長<トゥ・ムーン>までの面子に加え、レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ、W・T・ステッド、クリスタベル・パンクハースト、ウッドロー・ウィルソン、グリエルモ・マルコーニ、G・K・チェスタトン。以上、ブリガム・ヤングより二十八名をもって、クリストファー・シルヴェスター編『インタヴューズT〜マルクスからトルストイまで』を読了。▼個々の感想はいずれ個々に述べるし、全体の感想は全三巻を通読するまで保留ということで、いよいよ世界大戦の立役者たちが待つ焦臭い第二巻へ歩を進めるというくらいだが、ひとつ初めて知ったこととしては、文春学芸ライブラリーの紙質が好みに合う。中公文庫より薄く幅を取らず、河出文庫よりさらりと手触りが良くて、新潮文庫よりは厚いがしっかりしている、持ち運びにはちょうどよいタフネスと繊細さだ。無駄に硬い紙を選ぶ傾向のある学術文庫系の中では、一番読みやすいと思う。

[2139] Jul 08, 2015

ギリシャの破綻危機、中国の株価暴落、国内では東芝の不適切会計。経済のビッグニュースには事欠かない年である。もとより普段から債務不履行だの粉飾決算だのと金融にまつわる不誠実な単語が聞かれない日はないが、こと最近のトピックスはどれもこれも規模が大きい。疑惑が疑惑を読んで次々不正が暴かれ、破綻、煽りの不況、自暴自棄……とドミノ倒しが続いたら、実際、どうなるかわかったものではない。第三次なんとかにならないとも限らない不穏な世の中である。▼そうしてこんな惨事の裏には、必ず巨額の富を儲けている人々がいるものだ。まして偶然の機会に便乗して儲けるだけならまだしも、今回のギリシャの一件が少なからずそうであるように、自ら将来の破綻を誘導する手口を繰り出してくるのだから堪らない。ウィルソン大統領の言葉を借りれば「パニック製造人」とでも言うべきヘッジファンドの存在感は、成した悪事と引き換えに日々増すばかりである。

[2138] Jul 07, 2015

誰もいない室内。机の上にコーヒーカップがある。その机から目を逸らして背を向け、もういちど机の上を見たとき、カップが無くなっていたら誰でも驚くだろう。現実のことかどうか疑うに違いない。▼リアリティのある世界とは、予測を充足する未来がやってくる世界のことである。そうしてその予測を立てるための前提となる法則が、物理法則や論理法則のような直感的に覆しにくい法則であればあるほど、予測への裏切りはリアリティを損なう結果になる。重要なのは物理法則そのものではない。物理法則によって物が動く世界に慣れ親しんだ私たちが、予測した通りに物が動いてくれることが重要なのだ。▼リアルな仮想世界の構築は予測ベースのアプローチで行うのが良い。現実世界の諸法則を順に組み込んでいってもリアルに近づいていくとは限らないが、我々の予測に近い動きをするよう実装を進めれば、たとえ牛歩でも少しずつ、目指す世界に近づいていくはずである。

[2137] Jul 06, 2015

またしても将棋の話。仕事も立てこんできて、いよいよ終電帰りも睡魔と同居するようになってきた。ふらふらの頭では手筋も見えない、定石も間違えるというわけで、しぜん勝ち星から遠ざかる。達成率も大幅に下がってしまったので、良いキリだと思って対戦相手の設定レベルを下げてみた。中央からひとつ上。「やや強め」である。▼やや強め。基本的には苦戦を強いられるものの、熟考熟慮すれば勝利も見えてくるような、上達には最も良いとされるレベル。これまで「かなり強め」と闘って負けこんできた身としてはそんなイメージだったが、果たして、2級の私に今日、選ばれた「やや強め」な相手は連勝中の四段であった。先日は五段ともマッチしている。当然、二試合とも目も当てられない圧敗だった。「やや強め」とは一体。▼レベル設定はプレイヤーの自尊心にとってセンシティブな項目のひとつ。慎重にデバッグして理不尽のないようにデザインしたいものである。

[2136] Jul 05, 2015

ダイソン。吸引力の変わらない、ただひとつの掃除機。吸引力が変わらないのは初めから吸引力が低いからだと揶揄されることもあるが、目詰りを起こしやすいサイクロン式でありながらメンテナンス性の高い掃除機を提供しつづける技術力は確かなもの。実際、ダイソンが犠牲にしているのは明確に「騒音」と「排気」であって、この二点を許容できるなら選択肢としては申し分ない。▼布団からダニを駆逐すべく、ダイソンのV6マットレスを購入。比較実演でもダイソンのパワーは頭ひとつ抜けていたので、ダニの殲滅という目的には最も叶っていると判断した。唸る爆音と強烈な排気は、かける時間帯さえ弁えれば目を瞑れる。早速、先日カバーを取り替えたばかりの、見た目はそれなり綺麗な布団を往復させてみたが、ダストカップ内につもる埃とダニの死骸の量には正直引いた。まわし者のような台詞になってしまうが、もはやこれをかけずに安眠することはできないだろう。

[2135] Jul 04, 2015

ウィリアム・ハワード・ラッセルから、サミュエル・スマイルズ、エミール・ゾラ、アンリ・ロッシュフォール、オスカー・ワイルド、ポール・クリューガー、ヘンリク・イプセン、セシル・ローズ、トゥー・ムーンまで。欧州色の強かった第一巻前半に比べると、南アフリカの両雄からアメリカ先住民の英雄といったところまで、地図的に対象が広がってきている。日本人の選出があるのかどうかはまだ知らない。▼インタビュアーの方ではエドマンド・ギャレットが好印象。「ケープ・タイムズ」の編集長として彼が手がけた南アフリカの政治に関する二編のインタビュー、ポール・クリューガー及びセシル・ローズとの対談は、アフリカにも、政治にも興味のない人でさえ語り手の言葉に惹き込まれるようなつくりになっている。インタビューに逐語的な正確性を求める立場からは演出過剰とも言われてしまうかもしれないが、ライトな読み手としては、面白いに越したことはない。

[2134] Jul 03, 2015

最高の将棋の翌日は、最高の野球になった。逆転サヨナラが劇的なのは常にそうだが、交流戦以来めっきり冴えなかったチームが、交流戦前の絶好調期と同じような展開、粘り強く最後まで諦めず、最後の最後は逆転して締めるという「成功体験」を取り戻せたのは大きい。これがV字回復のターニングポイントになってくれれば良いと思う。▼さて、ときにセ・リーグ全体は異常事態だ。交流戦でパ・リーグに負け越し、かつ首位から五位までたった0.5ゲーム差という凝縮ぶりが創り出した、史上初、全球団が借金という状況である。勝率五割以下で首位。なかなか凄い光景だ。▼こんな異例の出来事が起こるシーズンなら、12連敗したチームが優勝したっていいだろう、と言いたくもなる。非常時には非常識な出来事が重なるもの。ひとつでも通例に当てはまらない状況が発生したら、他のまっとうな予見は疑ってかかるべきだ。こう、少し幅の広い教訓にまとめて形としよう。

[2133] Jul 02, 2015

素敵な将棋を遊んだ。相手は格上の二段。序盤、お互いに角道を閉じての相矢倉かと思われたが、向こうが変化してきたのでこちらも即席で合わせ、矢倉崩れ同士の睨み合いとなる。もちろん、矢倉崩れくらいは何度も指しているが、今回はどうやら両者の呼吸がよく合っていて、守っては危うく、しかし攻めては攻めきれず、玉型と攻めの布陣に気をつけながら一進一退する中盤戦が実に「互角」という風情で、自分的には過去最高と言ってよい名勝負であった。▼残念ながら最後は時間切れを意識した私の突破がぎりぎり無理攻めとなり敗北を喫したが、たとえ負けても勝負後の余韻を楽しめる、そんな試合があるということを改めて思い出したのである。昔、某格闘ゲームのネット対戦でも一度だけ似た体験をした。こちらの刀も向こうのナイフも、紙一重で当たらなかった。永久に舞っていたくなるような、息ぴったりのダンスの如き真剣勝負に、ときどき出逢える楽しみがある。

[2132] Jul 01, 2015

従軍記者の人生は壮絶だ。銃弾で死にかけては記事を書き、病気で死にかけてはまた記事を書く。生涯に赴く前線の数ということでいえば、本職の兵士以上かもしれない。▼ウィリアム・ハワード・ラッセル。1820年、アイルランド生まれ。1843年に「タイムズ」入社。現代における従軍記者の嚆矢。他人の筆で語られる自伝のようなインタビューを読んでいて、昔、バタイユの本で引用されていたエルンスト・ユンガーの戦争描写を思い出した。▼戦争の記録はいつも恐ろしい。戦争の恐怖を醸すには、グロテスクな筆致など全く要らない。発生した事実を淡々と羅列し、目の前の光景を端的に述べた記録こそが最も恐ろしい。脚色されない生の言葉は、戦争という地獄をそっと私たちの傍へ置いていく。私たちの生きる世界が、呼吸する空気が、生活が、ほんの少しの不穏を帯びるという恐怖。親友の不気味な変化こそ最高の恐怖と述べた安部公房の感覚に近いかもしれない。

[2131] Jun 30, 2015

ディスプレイが不安定な理由は、グラフィックボードではなく電源ケーブルだった。つまり、諸々手を突くしてもディスプレイ突然死の現象が収まらないので、映像出力に関係するパーツをひとつひとつ抜き差しして正常なディスプレイとの比較検討をしたところ、電源ケーブルを別物に換えたときにようやく挙動が安定したのである。なかなか悩まされたので気分は良くないが、中古品でこの程度の不具合ならわざわざクレームをつけることもあるまい。▼グラフィックボードの換装は勇み足となってしまったが、HD7770からGTX960への乗り換えなら純粋に性能向上の恩恵が大きいので無駄ではない。ディスプレイポート3基は拡張性の面でも十分だし、三枚同時に動画を再生しても不安定にならない馬力は魅力的である。GTX970が孕んでいる3.5G問題を考慮すれば、コストパフォーマンスは実質現行最強と言ってもいいだろう。良い機会になったと思っておく。

[2130] Jun 29, 2015

『インタヴューズ』の第一巻を読み始めた。これは面白い。題もまた簡潔で良し。二十世紀を生きた偉人たちのインタビュー集である。▼インタビューの歴史、意義、道徳、功罪にまつわる長い序文の後、ブリガム・ヤング、カール・マルクス、チャイニーズ・ゴードン、シオドア・ローズヴェルト、ヘンリー・スタンレー、ロバート・ルイス・スティーヴンソン、マーク・トゥエイン、トマス・エディソン、リリー・ラングトリー、サー・アーサー・サリヴァン、ビスマルク、ウィリアム・ブース将軍、ラドヤード・キプリングまで読了。数人、初見の人もいるが、さすがのラインナップ、誰も彼も二十世紀を代表する名手ばかりである。▼インタビューぎらいが度を超えて、これを犯罪行為と断じ、記者に罵声を浴びせて追い返す一連のやりとりが「インタビュー」となってしまったほどのキプリングが、まさにマーク・トゥエインのインタビュアーであるなんて――最高ではないか!

[2129] Jun 28, 2015

めずらしいミスをやらかした。競馬人生始まって以来かもしれない。▼4Kディスプレイの表示が不安定な原因をグラフィックボードの馬力不足と決定し、GTX960への乗り換えを決意した今日。早速ドスパラへ行こうと家を出る直前、宝塚記念の馬券を買ってから行くべきかどうか逡巡した。しかし、どうせグラボの換装で電源を落とすのだから、点けるだけ面倒なこと。行きの電車でスマホから購入しよう。これが結論となった。▼ところが外へ出ると予想外に暑い。あまりの暑さにくらくらきて、冷たい飲み物をひとつ一気飲み。そうして冷房の効いた車内に入ると安心して、汗がひくまで本でも読もうと文庫本を開いてしまったのである。あとはご想像通り。人間、「**で何かをしよう」と場所を決めて決意したことは、その場所を逃すともう思い出せないものである。果たして買うはずだった馬券は見事的中していた。買う額が控えめのつもりだったのが不幸中の幸いか。

[2128] Jun 27, 2015

同僚の結婚式・二次会へ出席するついでに東急ハンズで爪ヤスリを買う。現在のステンレス爪切り、カット性能には満足しているがヤスリ部分の面積が小さく、かつパワーもないのでつめ先の丸みに粗さが残る。右手は爪の方を動かして削るからまだ良いが、左手はヤスリの方を動かして削るため、本体が無駄に大きいのも悩みの種だった。そこで専用の爪ヤスリである。▼買ったのは表面が強力な荒削り用、裏面が繊細な整形用という使い分けのできるタイプで、荒削り側のパワーはなかなかのもの。鋭く尖った爪先がみるみる丸くなっていく。しかし裏面の整形力は期待したほどではなく、荒削りした凸凹を均すまでにはかなり時間を要する。表面で大きな尖りを省いたら、あとは布でも掻いてしまった方が早いかもしれない。▼二次会は他部署の同期も勢揃いで、豪華絢爛、楽しかった。すでに退職した面々とも久しぶりの顔合わせになる。出席率は高い。みんな元気そうであった。

[2127] Jun 26, 2015

スペインがインカ帝国を征服できたのは、銃、病原菌、鉄のおかげであった。しかしなぜ当時のスペインにはそれらがあり、インカ帝国には無かったのか。なぜアメリカ先住民が旧大陸より先に銃や病原菌や鉄を持ち、ヨーロッパを征服するという歴史にはならなかったのか。なぜ、現代社会にはかくも富と権力の不均衡があるのだろうか。▼ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』下巻読了。個々の歴史について深くは掘り下げない代わりに、巨視的な論理の流れはとにかく単純明快。ユーラシア大陸が覇権を握り、南北アメリカ大陸とアフリカ大陸が富と権力の点で後塵を拝しているという、その格差が何によって生まれたのか、どこでどう差がついたのか、遡って遡って、ついには人口、食料生産の開始時期、栽培可能な植物の分布、家畜化可能な大型哺乳類の数、大陸の形状という解答に辿り着くまでの、壮大な想像力の物語である。話題の本が素直に面白いのはめずらしい。

[2126] Jun 25, 2015

途中で終わっていたマレイ・ペライアのCDインポートを続行。ショパンのバラード四曲が収録されたCDまで頑張ってみた。早速、バラード第一番の聴き比べ。これで同曲の比較は五人目になる。▼端的に。好きか嫌いかで言えば好き。ポリーニよりドラマティックで良く、ホロヴィッツよりは面白みに欠ける。五人の中ではちょうど中央だが、中央値でも平均値よりは上といった印象。第一番に限らず、二番も、三番も、四番も、どれも無難にこなしているのが逆に凄みと言うべきか。間の取り方が誰よりも長い。これをリリカルと形容するのかは知らぬ。四曲の中では三番が最も好みだった。▼とにかくペライアは安心して聴ける。録音状態も新しくて良いので、当然ステレオだし、古い録音にありがちな耳障りなノイズも聞こえない。表現は奇をてらうこともなく、かといって平々凡々でもなく、安定株のポジションへ落ち着きつつある。箱物の価格でいえば、確実にお買い得だ。

[2125] Jun 24, 2015

食洗機工事を申し込み。古いキッチンなので基本工事費用だけで賄えるとは思っていないが、追加費用ありならたいていのお宅には取付け可能ですという力強い売り文句が実に頼もしい。取付不可能と判明した場合は無条件でのキャンセルが可能だという。それだけ工事力に自信があるということだろう。なんだかんだと難癖をつけて、法外な追加費用を請求されない限りは安心だ。▼例によって高い買い物、下調べは過剰なくらいしている。予算が無限にあればミーレが良さそうだったが、工事代行会社の割引が全く適用されないので、本体費用が何倍にもなってしまう。となると、大容量かつ前開き式の選択肢はハーマンのモデルしかない。食洗機を検索して最初にかかるパナソニックの新型は各方面の評判も良いが、引き出し式は絶対に食器の出し入れが面倒だと思っている。横から入れられないことの煩わしさはシミュレーション済みだ。後は戦々恐々、見積もりを待つとしよう。

[2124] Jun 23, 2015

広島カープが史上最多タイの残塁数を記録する激戦を引き分けたり、セ・リーグが首位すら貯金を持たない時代に突入したり、波瀾万丈の「セ界」だが、ベイスターズファンにはありがたいことに、交流戦からつづく悪夢のような連敗がついに止まった。12連敗。交流戦後の監督の弁ではないが、本当によく負けてしまった。▼これまでシーズン中に10連敗以上して優勝したチームはない。そういう意味ではジンクスを2試合も通り過ぎてしまったが、では今季はもう絶望かというと全くそんなことはなく、首位巨人とのゲーム差はたったのひとつ。調子さえ戻っていれば十分首位争いという、近年稀に見る混戦ぶりである。▼いよいよ試合ごとに目の離せない時期になるが、仕事の方もあれやこれやで加熱ぶりが凄まじい。標準報酬月額の増加も気にしていられない初夏の残業祭である。今回はもう、マスターアップまで落ち着くことはないだろう。この予感にはかなり自信がある。

[2123] Jun 22, 2015

ドスパラの中古棚にたったひとつ、ぽつんと置かれていたASUSのPB287Q。安価ながら応答速度1msにDP接続で標準60fpsと、価格に見合わぬ高性能を叩き出すゲーマー御用達の型番だ。唯一、視野角の狭さが難点と言われているが、安いディスプレイに慣れた身なら、それほど狭いとは思わない。まして私のように作業領域の広さだけが目的ならスペックは十分上等だ。▼その掘り出し物が三万三千円で売りに出ていた。中古のバルクとはいえ、そのまま別のショップへ運んでもお釣りが来かねない値段である。ドット抜けチェックまで出来るのだから試さない手はない。即金にて購入。希望より小さい28インチだが使ってみて我慢できれば良し、どうしても駄目なら売りにだすのも一考、そう考えて使い始めたものの、想像以上に文字が小さくて粗いのと、ときどき謎の轟音と共に画面が壊れ、その後しばらく映像を受信しなくなる症状が早くも不安である。夢の4K、現実は厳しそうだ。

[2122] Jun 21, 2015

ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』の上巻を読了。朝日新聞の「ゼロ年代の50冊」で第一位に輝いたことで話題になった本。その後、同著者のシリーズは累計100万部を突破している。▼本書のレビューは賛否両論だが、そうなるのもわかる。「〜と思われる」「〜はずがない」という語尾の多さは流し読みでもわかるほどで、データに基づいていない妄想と批判される余地はあるし、「ある研究者はこう言っているが」などと不明瞭な反論者を設定し、論破していく形の自説の補強方法はフェアとは思われない。▼しかしそれでも、本書は良書であると私は思う。たとえ細部が正確でなくとも、これほど明瞭な筋道を立てて文明の興りを解説してくれる著書は稀だし、同じことを何度も問い直す冗長さも、とにかく主題を読者の頭に刻み込むという点では成功している。文明の興りがどんなものであったか、「なんとなくわかる」という緩さこそが、本書の魅力なのである。

[2121] Jun 20, 2015

ピエール・ルメートル『その女アレックス』読了。本屋へいくたび、宣伝タグと帯の面積が増えていって、前代未聞、空前絶後、史上初……とたいそうな売り文句が重ねられているものだから、いいかげん気になって読んでしまった。ジャンルとしてはミステリに属する犯罪小説である。▼短評。展開の先を読ませない妙、読めたと思いきや裏切られる舵取り、想定外のラストなど、たしかに新しく面白いが、設定も含めて少々悪趣味なのは否めない。真に迫るリアリティというよりはインパクト重視だし、読後にメインテーマから考えると序盤の牽引力を担当する初期設定が蛇足のようで、いかにも「釣られた」という感じが残ってしまう。そういう意味でも清々しい読後感とは言いにくい。面白くても読後感の良くない品は、なかなか強くは人に薦めにくいものだ。▼などと不満はありつつも、テンポの良い筆致と登場人物の豊かな個性をもって、十分楽しめたので星は四つとしたい。

[2120] Jun 19, 2015

駅前には若い子たちで賑わう小奇麗なマクドナルドがあり、昼休みのサラリーマンが肉を喰らいに集まる吉野家があり、それらの向かいには「うまい中華そば390円」の看板でお馴染み、日高屋がある。私の職場付近の実地図だ。日高屋の近くにはいつもマクドナルドと吉野家がある。偶然ではない。マクドナルドと吉野家が既にあるところへ店を出すのが、日高屋の成長を支える出店戦略である。▼この戦略、コバンザメのようで触りは悪いがメリットはかなり大きい。第一に立地調査の費用を節約できる。マクドナルドや吉野家が商売を成立させているスポットなら、ファストフード店を運営していける見込みはあるということだ。第二に、ハンバーガーと牛丼にラーメンの選択肢を足すことは、無目的に安い食事を求めて繰り出した人々の足を、より強力に引き込む力になる。タダ乗りされた方にも得はあるということで、角を立てずに穏やかな共生関係へと持ち込めるのである。

[2119] Jun 18, 2015

昼食後、『アンナ・カレーニナ』を探しに御用達の本屋へ。新潮文庫では想像以上に分厚い上中下の三冊がお出迎え。近くの『戦争と平和』まで共謀して、私に長編嫌いの過去を思い出させてくる。ついでに、大の海苔好きが期待して頼んだ生海苔蕎麦の、海苔も蕎麦もスポイルされたがっかりな結末が胃から迫り上がってきた。どうもいけない。▼気分が合わないときは無理して買うこともなし。それより今は中公文庫にならぶ歴史系や戦争戦略系の本が私の気をひく。塩の本も面白そうだ。砂糖も読んだし、塩についても理解を深めるのは楽しそうではないか……等々。▼しかし結局は諸々の積読もあるので購入は見送り。多忙な時期は昼寝との天秤に揺れる昼休みだが、アレジオンの副作用で眠くて仕方ない午後も、出来るだけ耐えて外へ繰り出し、太陽の光を浴びたり、本棚めぐりで頭を楽しませたりしている。つくづく、本屋が入場料を取らないことに感謝しなければならない。

[2118] Jun 17, 2015

「幸福な家庭はどれも似たようなものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。」トルストイ『アンナ・カレーニナ』の冒頭。実は本書、まだ読んでいないので引用するのはためらわれたが、現在読み進めている『銃・病原菌・鉄』に言及があったので孫引いてみた。▼トルストイによれば、結婚生活が幸福であるためには、互いに異性として惹かれていること、金銭感覚が一致していること、子供のしつけについての考え方が同じであること、親類への対応、宗教観など、共同生活にまつわる意見が上手く一致していること――などが必要だという。これら全てを満たすことが「似たような幸福」を生み出すのであって、どれかひとつでも欠ければ不幸になる。何が欠けるかで不幸がの形が変わる。だから不幸の形はたくさんある。▼成功とは、数多ある失敗の要因を全て回避した後に得られるもの。成功観としてはかなりシビアだが、現実はそんなものかもしれない。

[2117] Jun 16, 2015

食洗機導入を検討中。我が家のキッチンは旧式だが、工事可能なら据置型ではなくビルトインが良い。どこを見ても据置型の使いにくさを嘆く批評は目につく。最大の難敵は、ただでさえ狭いキッチンのどこに、あの巨大な筐体を据えるのかということだろう。実物を見ると、そのサイズには圧倒される。▼それならば棚を整理して引き出しタイプのビルトインに改造してしまいたいものだ。バスルームを取り替えるような大掛かりな工事ではないため、予算は十万円程度で良いという。程度と言えるほど私にとっては安くないが、リフォームほどの大出費ではないし、得られる恩恵を考えれば割には合う。長期的に見れば水道代・洗剤代が節約できるという点も加算ポイントだ。▼家電製品の充実は最もベタなQOLの向上也。身が楽になれば仕事にもいっそう身が入るということで、ひたすら延期されるベッドと椅子の恨めしい視線は心の背中に冷ややかだが、どうか勘弁して欲しい。

[2116] Jun 15, 2015

「こうした厳しい欲求や、決定的な法則が正しいということをもっともよく証明してくれるのは天才です。生まれながらの才能をもつ者こそが、それらを最初に理解し、もっとも喜んで守るのです。生半可な才能に限って、自分の局限された特殊性を、無条件に完全なものだと考え、自分の間違ったやり方を、抑えることのできない独自性だとか、自立性だとか言って美化したがるのです。」▼「天才は、芸術は自然でないからこそ芸術だということを理解しています。天才は尊敬することに慣れています。それどころか、月並みと呼ばれるものにさえ敬意を払います。というのは、月並みと呼ばれるものは、もっともすぐれたひとたちが、一致して最善のものと考えている、必要なもの、不可欠なものにほかならないからです。」天才に関するゲーテの見解。シェンカーによる引用を孫引きした形だが、強く共感するので転載しておく。ゲーテの言葉はいつ読んでもわかりやすくて良い。

[2115] Jun 14, 2015

野球と将棋がぴったり連動していて面白い。予言したかのようにベイスターズが交流戦史上最低勝率を飾っての泥沼10連敗となった今日、将棋の方も全くの泥沼で10連敗を喫している。達成率80%までが1割、そこから先が9割というこのゲームバランス、誰が得するのかわからないが、あまり気分のいいものではない。以前達成した41連敗の大記録を破ることは二度とないだろうが、80%まではせいぜい4〜5連敗で刻んでいた勝敗も、ここへ来ると10連敗、15連敗が当たり前になってくる。▼三段クラスの突進など咎める方法も捌く方法もさっぱりわからないので、十数手指して敗北確定の投了とは、正直かなりつらいのだが、つらいとぼやいていても仕方ないので、とにかく惨敗率を下げるべく序盤の手筋を勉強するしかない。現在、総合成績は247勝732敗。いつの間にか1000試合が近づいてきた。できればそのときは勝率2割5分で迎えたいものである。

[2114] Jun 13, 2015

カメラ、そしてベクトル。空間認識の苦手な私が正しく3Dカメラの方程式を立てるためには、ひたすら三平面に落とし込んだ幾何学と、記号化された数学に頼るしかなかったので、最近の業務用メモ書きノートは見直すと円や矢印や記号だらけ。今となっては意図を思い出すこともできないような、数ページにわたって描かれるひたすら歪んだ円や直方体は、知らない人が見たら少々狂気じみていると思うかもしれない。字が汚いのも災いしている。▼私は昔から幾何学が大の苦手。特に、空間が三次元になると全く駄目で、例えば数学の問題文などに「正四面体Tに内接する球Sがある」などとあると、その姿は思い描けないし、図形的解釈をするために絵を描こうにも描けないしで、解く手がかりを見つけるのに苦戦したものである。それが今では空間を自由に飛び回るカメラの挙動をプログラムしているのだから、奇妙な御縁だ。そのおかげさまで、今は昔ほどの苦手意識はない。

[2113] Jun 12, 2015

二日前に復活を祈願したばかりだが、二試合残してベイスターズの交流戦最下位は確定した。四球と暴投は見たくないという希望から、決勝点を捧げるワイルドピッチ、三連続四球からの満塁ホームラン被弾、本日はサヨナラ暴投という内容の直近三試合。8連敗の結果を嘆く前に検討すべきことが山ほどありそうだ。六月頭の時点で、二位の19球を遥かに上回るチーム暴投数41は異常である。異常事態と認識した方がいい。▼暗い話題はここまで。明るい話題もある。しとしと雨の降る日も夜遅くまで悪戦苦闘を重ねた結果、ようやくカメラのプログラムが安定してきた。バネダンパに拘らず、ゴムをモデルにした柔軟な計算式を立てた甲斐である。回避ロジックはいささかトラブルシューティング的で汎用性は高くないが、ゲームにおける衝突の先読みという点では、想定される状況が限られているので、それでも十分安定するのである。あとはレアなケースのバグ修正が難題だ。

[2112] Jun 11, 2015

リムスキー=コルサコフはかつて、クラシック楽器の中で長く聴いていても飽きない音の筆頭は弦楽器だと言った。逆に、最も飽きるのが木琴で、次点が鉄琴、チェレスタとなっている。記憶の中で、私はこのチェレスタの場所へ勝手に「ピアノ」を置き換えていたのだが、改めて原典を見ると、コルサコフはピアノフォルテの序列については言及していない。ピアノの音色はどこに挿入されるべきなのだろう。マレイ・ペライアとヴェンゲーロフを交互に聴いていると、どうしても私はヴァイオリンの方が先に飽きてくる。であれば弦楽器より上位に置きたいところだが、果たして客観的にはどうか。▼一点。木琴が飽きると書けば語弊があるが、コルサコフは木琴の音も旋律的で美しいと評価している。ただ音色が特殊な響きを含有しているために、度々聴くと疲労が溜まってしまうから使い方に注意せよと警告しているのである。逆に言えば、それだけ印象的な音ということなのだ。

[2111] Jun 10, 2015

連敗が連敗を呼ぶ。将棋の話でもあるし、ベイスターズの話でもある。将棋については毎度恒例、達成率八割越えからの対戦相手の急激な偏りがあるので、昇段試験みたいなものと思って受け入れているが、ベイスターズの方は言い訳も見当たらぬ、目を覆いたくなる酷さである。現在、勝ち星はたったの3つ。もし残り4試合を全て落とすと、2007年度の交流戦で広島が記録した歴代最低勝率を下回ることになる。壊滅的敗走である。▼もちろん、どんなチームにも調子の悪い時期というのはあるのだから、負けたから腹立たしい、もう見たくないなどということにはならないが、全力で闘って食らいついて及ばないならともかく、毎度毎度、自ら死地に赴いて自滅するような負け方では納得できない。四球と暴投で決勝点を差し上げる展開は、もういい加減にしてくれというのがファン共通の見解ではないだろうか。▼自分の将棋も、贔屓のチームも、劇的な立て直しに期待する。

[2110] Jun 09, 2015

この二日間で書いたコードを全消しすることになった。インターフェースを担当していた頃は、仕様変更に伴う表示部分の作り直しなど日常茶飯事だったので、スクラップ&ビルドは当たり前と思っていたが、グラフィックス畑に来てからというもの、シェーダの挙動をコロコロ変えることはありえない都合、賽の河原の鬼たちとは無縁であった。そして再びカメラの今。ともあれ作ってみなければわからない――そういう世界に帰ってきたのである。▼不要になった計算式やコードを、未練からか横着からか、定義で切ってファイルに残してしまう人をたまに見かける。気持ちはわかるが、絶対にやめたほうがいい。そういうコードは一旦コミットしてバージョン管理にログを残すか、自分のローカルなテキストファイルにでも無造作に貼り付けて、公式の最新コードからは跡形もなく消すようにしよう。私もそうしている。可読性は損なうし、バグの温床にもなるし、良いことはない。

[2109] Jun 08, 2015

二週間ほど前、記事にした「食べものの数え方は、食べたときに残される部位で数えるのだ」という噂話について、食べたときを死んだときと読み換えれば、人もまた一名、二名で然りだなと、そんな合いの手を受けた。なるほど、人は死んで名を残す――これは座布団一枚。▼関連してひとつ。ノリの良さとは何か、という話になった。テンションの高さとは違うという私の主張から生じた疑問である。事実、同僚に一人、テンションは極めて低いがノリは大変に良いという子がいる。彼女が私の反論の論拠になっている。物静かという点では他の追随を許さないが、ノリの良さもピカイチだ。▼私の考えるノリの良さとは、誰かが場を面白くしようとして言葉を発したことに気づいたら、その内容を云々するより先に、いっそうその場が楽しくなるように拾ったり返したりすることを考える、そういう気質である。だから対義語はきっと、ローテンションではなく「マジレス」なのだ。

[2108] Jun 07, 2015

去年からの悲願であったイーモバイルの解約を無事済ませた後、サンシャイン60の59階、高層展望のスカイレストランで中華を食べる。長いのでサンシャイン59とでも呼んでおこう。窓の外は見渡す限り高低差のない平らなビルの連続で、いかにも関東平野という趣きのパノラマであった。忘れがちだが、関東は他の地域に比べれば異例なほど平野なのだ。地上交通網が発展しやすい所以でもある。▼坂を下って東口の傍、タワーレコードでCDを物色。池袋ということで勝手に壮大な品揃えを想像していたのだが、残念ながら横浜店より小規模だった。少なくともクラシックCDについては、横浜店は相当力を入れているのかもしれない。7階のイシバシ楽器も、やはり横浜ダイエー店の方が広々している印象だ。▼最後に地下2階のニコニコ本社も訪れてみたが、失礼ながら、ここは何をしているのかよくわからなかった。中継をしているらしい若者が一人、いたくらいである。

[2107] Jun 06, 2015

本を読んだ成果かどうか、確かなことはわからないが、「十分将棋」の勝率は目に見えて上向いてきた。二段相手でもヒケを取らない、とは言い過ぎかもしれないが、勝負にならない圧敗の形はぐんと減り、時々は勝利も拾えるようになっている。胸を借りるつもりで挑んでいた初段も、今はハナから勝てる気だ。▼以前までと大きく変わったのは、自玉の安全度を測る力だろう。今読んでいる週刊将棋の『将棋・必殺の決め手』が繰り返し刷り込んでくることだが、「自玉はあと何手で詰むのか」と「何を渡しても自玉は詰まないのか」を把握さえしていれば、カウンターを恐れずガンガン攻め込んでいけるし、王手に拘らず必至の形を作りに行く余裕も出来てくる。巧く攻めれば守り駒も出来てくるというわけで、まさに攻撃は最大の防御也。▼相変わらずうっかりミスでの即死もやらかすが、それでも着実に成長している感触はある。有段者への最後の階段、一級まであと残り僅か。

[2106] Jun 05, 2015

凄腕プログラマにカメラロジックについての良い文献がないか訊くと、前にGDCで見た気がするといって席に戻るや、何本かのペーパーをくれた。読んでみると案の定、今組んでいるシステム、ないしこれから組もうとしているシステムの上位互換のようなアルゴリズムである。またしても車輪の再発明をするところだった、危ない、危ない。▼もちろんそのまま適用しても良い結果は得られないのだが、そこを自分たちの都合にあわせて再構成することこそ私の仕事。そう、仕事であって研究や勉強ではないのだから、偉大な先人の成果を盗んで効率的に実装することが私の会社での使命なのだ。もし、その分野に習熟することが後々会社の利益になると確信するのなら、実装が終わった後で存分に学べばよい。▼この割り切りが出来ないと、仕事は巧く回らなくなっていく。割りきらなければ実装は進まない。そうして結局、実装が進まない限り意味ある勉強など出来はしないのだ。

[2105] Jun 04, 2015

最近、通勤の朝には決まってシューマンの「ダヴィット同盟舞曲集」を聴いている。玄関で第一曲の再生を始めると、第四曲の内声にある持続音の連打が拡がっていくタイミングが、ちょうど私の眠気が晴れていくタイミングに重なっていて、心なしか最寄り駅に着く頃の気分が良いからだ。曲のコンセプトがそうであるように、「動」と「静」が繰り返す短いスパンの変化に富んだ構成も、寝惚け頭にはわかりやすくてちょうどよい。▼「いつの世にも喜びは悲しみと共にある。喜びにはひかえめであれ。悲しみには勇気をもって備えよ。」これはダヴィット同盟曲集の冒頭に書かれているという古い格言。明暗の交互に現れるこの曲集にはぴったりの引用だ。ちなみに「ダヴィッド同盟」というのは、芸術に対して保守的な人々を相手に闘う新しい時代の創作者集団――という設定でシューマンが創り出した架空の団体らしい。シューマンという人は、そういうことの好きな人だった。

[2104] Jun 03, 2015

表皮効果という現象がある。交流電流が導体を流れるとき、導体の表面ほど電流密度が高くなる――つまり、交流電流は導体の表面を流れやすいという法則だ。この現象による交流抵抗の増加は大電流を扱う場合は無視できないロスとなるため、直流送電の方が有利とされる理由のひとつとなっている。▼さて、例によってオーディオ業界もこの法則に目をつけた。捻り合わせた導線全体を絶縁体でコーティングする従来の方式ではなく、各導線を別々に絶縁することで表面積を稼いだ「リッツ線」により、今まで以上に優れた音質を得られるというのである。オーディオ信号も交流信号であるから、この理屈は科学の説明するところにピタリと当てはまりそうだ。リッツ線は瞬く間にハイクオリティケーブルの常識となった。▼サイエンスとオカルトを駆使して商品を売り込む彼らの手腕には、全く頭の下がるものがある。余談だが、表皮効果はかなりの高周波数でなければ効果はない。

[2103] Jun 02, 2015

この文言すら毎年恒例のPOG指名大会。三年続いた好調を維持できるかどうか。▼今年度の布陣は例によって指名順(母名のみ)で以下の通り。タンタスエルテ、ドバウィハイツ、ローブデコルテ、アビラ、ハッピーパス、コケレール、ランフォーイット、ディアデラノビア、Believe、River's Player。▼母ラヴズオンリーミーは過去最多の指名被りで引けるわけもなく、あっさり競り負ける。ハズレ一位で牡馬を取る手もあったが、目ぼしいところが軒並み一本釣りされたので、それならばと一位に牝馬で奇襲をかけたが、二位でも引き負け、リスト上位の牡馬はことごとく消え、結局、三位まで全てが牝馬となってしまった。その後も狙いの馬を直前で取られる展開が続き右往左往。今年の自己採点はせいぜい20点といったところだろう。有望株は少ない。▼帰り道、リアルスティール骨折の知らせを見た。これで後半戦も苦しい戦いになる。いよいよ今季は試練かもしれない。

[2102] Jun 01, 2015

今年は持ち回りで町内自治会の班長を担う。回覧板の作成、告知類の配布、自治会の集金や臨時の集会など、正直、繁忙期には殺人的な重荷だが、今はまだぎりぎり両立可能。今日は町内へ会費の集金にまわる。▼善良な町内なので、居留守を使ったり、自治会費を拒否したりする悪質な住民はいない。支払いの延期や分割を申し出る人もいないので、柄の悪い町の集金業務に比べれば楽な方ではあるだろう。それでも移動と記録の手間は想像以上で、半分の世帯から回収するのに二時間弱もかかってしまった。青々と緑の生い茂る玄関先では、腕を縞蚊に刺されるオマケ付きである。▼事務的な集金といえど、金銭をやりとりして終わりではなく、一言二言は雑談も交わすあたりが、冷淡すぎない緩やかな町内の繋がり。領収証の発行に手間取ってもいやな顔ひとつせず、暑いのに大変ですね、おつかれさまですと笑顔で声をかけてもらえるのはじつにありがたい。残り半分はまた後日。

[2101] May 31, 2015

大平武洋『ネット将棋攻略! 早指しの極意』読了。タイトルだけではいかにも三分切れ負けや十秒将棋で時間攻めするための姑息な技を伝授する本のようだが、中身は至って健全、優良。初心者向けの将棋講座として読みやすくまとまっていると思う。早速、いくつか実践投入してみたら、すんなり上手く運んだテクニックもあった。こういう経験が筋の良さとテンポの良さを磨いてくれる。定石を身に付けるための最大の近道は、つべこべ言わずに定石にしたがって何局も指してみるということに尽きる。▼早指しとは時間を節約すること。時間を節約することとは思考の拡がりを制限すること。下手な考え休むに似たりとはよく言ったもので、考えている時間が長いということは、どうしていいかわからずに途方に暮れているだけの状態と紙一重だ。有利な未来への道筋を素早く少ない本数へと絞り込めることが、将棋に限らずなんであっても、熟練者になるための第一歩であろう。

[2100] May 30, 2015

昨日の今日で、敢えてケーブルにまつわる個人的な話。現実とオカルトの境界線上を彷徨うことで見えてくる世界もあるものだ。▼夏用のイヤホンを「雷切」にリケーブルしてからというもの、課題であった低音域〜中音域のこもりが改善されたことと引き換えに、かなり衣擦れの音が気になるようになった。実際、徒歩の振動でケーブルが服に触れただけでも「ドン、ドン」と耳障りな打撃音が鳴る。こうなるとケーブルの材質が硬いのも裏目である。バランスを備えたMMCXリケーブルで一万円を切る価格は魅力だが、FX-850のようにシュア掛けをしないタイプであれば尚更、ケーブル本体へのノイズが増幅すること、接続部がストレートであること、ケーブルの硬さと重みでイヤホン筐体にかかる下向きの力が増すことなどは、後悔しないうちに検討した方が良い。▼ただし、非バランスからバランスへの移行による音質の向上を踏まえて言えば、それでも私の意見は「買い」である。

[2099] May 29, 2015

その昔、とあるオンラインマガジンでこんな企画があった。5人のオーディオマニアを部屋に集めて目隠しをし、良質なスピーカーでジャズを順に流していく。そのあいだ、参加者には知らされていなかったことだが、企画側はスピーカーのケーブルを某有名メーカーの高級ケーブルと、針金ハンガーを捻ってハンダ付けしただけの代物とでランダムに交換していた。そうしてあるタイミングで音質の良し悪しを訊ねると、全員「素晴らしい音質だ」と答えたという。もちろん、接続されていたのはハンガーであった。▼名誉のためにここでは伏せるが、公式には公開されていた某社の高級ケーブルと、針金ハンガーのどちらで音楽が再生されているか、少なくともそこに集合したオーディオマニアたちでは最後まで全く判別できなかったそうだ。この小実験の結果をどう捉えるかは自由だが、私は昔から、音響機器はブラインドテストで販売するのがWIN−WINだと言い続けている。

[2098] May 28, 2015

序盤は奇数筋の歩を突けと言う。直接的には角道の風通しをよくするためだが、最近、もうひとつの格言にも絡んでいる手筋ではないかと思い始めた。案外これができていなくて中盤戦を競り負けることが多いのだ。「桂馬の利き筋、歩の突き捨て。」▼桂馬の初期位置は2筋と8筋なので、打ち駒でない限り、二回跳ねた桂馬の利き筋は奇数筋である。一回跳ねただけの桂馬が攻撃に参加することは稀なので、歩を突き捨てるべきはやはり五段目にいる桂馬の利き筋であろう。矢倉崩しの鉄板である2五桂からの3三歩も、3筋の歩を突き捨ててなければ成立しない。序盤に突いた奇数筋の歩が、中盤に一手素早い攻撃を可能にするわけだ。勝敗分かつ貴重な一手である。▼歩の突き合いは戦略の探りあい。歩の形を見れば、どこに銀を上げたいのか、どこから飛車先を突破したいのか、どこへ桂馬を跳ねたいのか、相手の腹積もりも見えてくる。手のうちの絶妙なるさらし合いである。

[2097] May 27, 2015

「夢なき者は理想なし。理想なき者は信念なし。信念なき者は計画なし。計画なき者は実行なし。実行なき者は成果なし。成果なき者は幸福なし。幸福を求める者は夢なかるべからず。」澁澤榮一、夢七訓。▼プロ野球選手になりたいとか、声優になりたいとか、そういう未来の職業に関する希望が、果たして「夢」なのか「欲」なのか、というジレンマはよく聞かれる。夢を追っているのか。欲にしがみついているのか。自分でもよくわからなくなったら、澁澤翁の言葉を見直してみるのも良い。理想はあるだろうか。信念はあろうだろうか。計画は。実行は。成果は。――七訓を辿っていって、夢があればあるはずのものがないように感じられるなら、出発点は夢ではなかった可能性が高いだろう。▼それにしても最後の一文がいかにも実業家らしい。成果なき者は幸福なし。なかなか厳しい言葉だが、たいていの場合は真実だ。成果を軽視すれば、遅かれ早かれ不幸の中に堕落する。

[2096] May 26, 2015

贈答用の日本酒を買いにクイーンズ伊勢丹の日本酒棚へ行く。ウイスキー党の私にとって日本酒の良し悪しはさっぱりだが、「純米」やら「大吟醸」やらが何を意味するかは前にきっちり調べたのでわかる。この機会に短くまとめておこう。▼「米」と「米麹」だけで出来ていれば「純米」がつく。醸造アルコールが足されていれば「純米」はつかない。また、雑味の元となる米の外側を削り落とす度合いによって、普通、特別、吟醸、大吟醸などと分かれる。ただし「吟醸」「大吟醸」は精米歩合だけでは付かず、低音でゆっくり発酵させる製法を取ったものでなければならない。この製法を取り、かつ精米歩合が50%以下であれば「大吟醸酒」の名を冠することができる。その他、50%〜60%で「吟醸酒」。60%以下だが通常の製法なら「特別純米酒」あるいは「特別本醸造酒」。70%以下なら「純米酒」または「本醸造酒」。その他、規定のない分類が「普通酒」である。

[2095] May 25, 2015

今年もPOGの季節がやってくる。五月は仕事のどんでん返しとベイスターズの絶好調にかまけていたらあっという間。本来であればもうリストは出来ていて、あとはネットの直前情報で健康状態を確認しなければならないフェーズだが、遅れに遅れてまだ二番指名も決まっていないありさまである。慌てていつもの本を仕入れて情報チェック。今年も下馬評さまざまだが、目下好調なのでロジックは変えたくない。▼さて有力馬の並びはというと、今年こそディープインパクトの一強時代と言うにふさわしく、いよいよ投げる変化球がなくなってきた状態。二番手以下で一発を狙うならヴィクトワールピサあたりは狙い目だが、同じ思考に辿り着く人が多く、案外上位で消えていきそうな気配もする。上から順に王道で良血を埋めていくのがもっとも見栄えのする勝ち筋という、なんとも光のない状態ではあるが……。珍しく海外馬にも食指は動かない。今年の二歳馬事情は実に難しい。

[2094] May 24, 2015

阿久津主税『矢倉・角換わりの教科書』読了。実践で上手く行くことは今のところあまりないが、矢倉型を相手にするときの急所を見抜く力はつく。実際、矢倉を学んだ方が良いと判断した理由の半分以上は、自分が矢倉に組みたいからではなく、矢倉に組んでくる相手が有意に多いからだ。もう半分は四間飛車と言いたくなるほど四間飛車も多いが、ともあれネット将棋は切れ負けな都合、時計的な意味での速度が命。オーソドックスな矢倉囲いくらいは呼吸するように崩せなければ話にならない。▼将棋ウォーズは2級が壁と言われるのも、このあたりから皆、基本に忠実な戦法を駆使してくるからだと思われる。囲いの形を勝手に変えないし、中盤までは定跡を間違えない。序盤で多少のミスをしても、教科書通りの堅陣に相手が攻めあぐねるようなら、緩急つけた攻守の手で時間勝ちを狙えるというわけだ。そんな相手に負けるのは癪なので「対矢倉○」を習得すべく勉強である。

[2093] May 23, 2015

逃げて、逃げて、ついにこれ以上は逃げられない正念場で負けるべくして負ける。戦わずして負けるのは、数ある負け方の中でも最悪の負け方だ。もちろん今日のベイスターズもそうだし、野球に限らず人生の勝負事はなんでもそう。難局に全力で立ち向かう気概がなければ、正しい引き際も見極められないし、土壇場の馬鹿力も出てこないし、なにより運が味方しない。運に見放されたら、神に見放されたも同じである。勝利は望めない。▼そんなとき、逃げてしまった選手に憤り、芳しくない監督の采配を嘆くくらいなら、いやな気分を飲み込むように内へ向けて、このさい自分にもあんなふうに逃げていることがないかどうか、反省してみるのも悪くないだろう。年始に立てた目標ノートでも引きずり出して、未達成だったり、着手すらしてない項目を見直してみるのも良い。そうして強い語気で自問しよう。なぜそこで勝負しない。そいつらは全く、怖がるような相手ではないぞ。

[2092] May 22, 2015

食べ物の数え方について語る晩酌の卓。生きている魚は「一匹、二匹」だが、食卓にならぶ死んだ魚は「一尾、二尾」だという難癖に始まり、嘘か真か、動物を食べ物として数える場合には、食べたときに残される部位で数えるのだという話になった。即ち、魚を食べれば尾が残る。牛を食べれば頭が残る。鳥を食べれば羽が残る。▼兎を食べても羽が残らないのは、古の僧侶が獣類を食べる口実に、二本足のウサギを鳥類と見なしたから――なんて俗説もあるが、また別の話。いずれにしても眉唾だが、昨日はいくつ食べた、一昨日はいくつ食べたという記録のための助数詞と考えれば、残った部位で数えようとする気持ちもわかるというもので説得力はある。しかし反論側に立てば、小動物は食卓に並ぼうと一匹、二匹で「匹」とはなんぞや、家畜を引くヒモではないかという主張もあり、そもそも英語などは数詞をつけるだけではないかと言われれば、これもまた頷くより他にない。

[2091] May 21, 2015

本日遭遇したミーティング中のプチ修羅場に対する雑感。▼進退窮まる状況下、ある仕様が根本的な作り直しを余儀なくされた。緊急会議。関係者各位が顔を合わせて、満たすべき要求側から新仕様を組み立てる。侃々諤々の後でまとまった提案を聞いたリーダーはしばらく渋い顔をして、やがて「勝算がない気がする。何か気持ち悪い。」と言った。つまり却下である。▼ベテランの一人が牙を剥いた。完璧な解決策が望めない中、出し合った知恵で合理的に辿り着いた結論を「気持ち悪い」で却下されてたまるか。納得できるはずがない。そういう主旨である。リーダーは、この直感を蔑ろには出来ないと反論。激しい応酬の中、私は、恐らくリーダーの直感は正しくて、しかし彼のやり方は間違っていると感じていた。チームプレイを牽引する人物には、危険な仕様を嗅ぎつけるセンス以上のものが求められるのだ。自らの直感を分析し、言語化し、メンバーを説得する能力である。

[2090] May 20, 2015

矢倉研究二日目。今の時代、ネットでいくらでも棋譜は手に入るが、それでも手元に一冊くらいは教本を置くべきだろうということで、阿久津主税八段の『矢倉・角換わりの教科書』を購入。先のA級順位戦では不本意な結果に終わってしまった阿久津八段だが、前にニコニコ生放送の大盤解説を聞いていたとき、この人の説明はわかりやすいなと好印象を持った記憶があったので、棚に数ある矢倉教本の中から選んでみた。尚、角換わりも玉の囲いが矢倉型であることから含まれている。▼十秒将棋で駒組みなど試しつつ、右銀の活用から端の打診、あるいは三筋の攻めと、戦術の移行ポイントを掴んでいく。先入観の贔屓目はあるかもしれないが、やはり阿久津八段の説明は簡明で良い。ひとつひとつ要所を抑えれば、付け焼き刃で矢倉の型真似をして対応に苦しんだ右四間飛車と矢倉中飛車も撃退できそうだ。▼将棋の型は崩すべからず。型に至る定跡もまた、自己流はありえない。

[2089] May 19, 2015

矢倉の勉強をはじめる。その美しさ、戦略の広さ、発展の多彩さから将棋の純文学とも言われる「矢倉囲い」だが、私はなぜか形も名前も銀冠のほうが好きで、今まで自分で組むことも対策することも避けていた。しかし右玉と銀冠の一辺倒にも飽きてきた最近、居飛車の囲いを改めて洗いなおしていたら、菱矢倉のような格好いい矢倉もあると知って、こういう変化が試合中に出来るなら矢倉も楽しそうだと思い至ったのである。▼さて有隣堂で矢倉の教科書を何冊か立ち読みし、序盤の組み方と中盤の伸ばし方を覚え、十秒将棋で実戦投入。崩壊、また崩壊。恐るべし矢倉。なんという脆さだろう。もちろん私が扱い方を知らないせいなのだが、テンプレのように同じ攻められ方であっという間に落城してしまう。今までまともに戦えていたのも慣れた囲いがあればこそというわけか。対策も研究されている戦法だけに、指しこなすにはきちんと攻防の型を習得する必要がありそうだ。

[2088] May 18, 2015

横浜駅構内に駄菓子屋があるとは知らなかった。ちょっとした甘いモノを目当てに地下のクイーンズ伊勢丹を抜けると、大きな駄菓子屋が居を構えている。駄菓子屋と言っても情緒は二の次、店内の雰囲気は伊勢丹の流れを継いだシンプルなものだが、品揃えは充実していて、少なくとも私にとっての「懐かしの駄菓子」はたいてい見つかるという豊富さである。爪楊枝で食べる小さな餅、凍らせても美味しいチューブ入りのドリンク、カップ入りのふわふわしたクリーム、タバコの真似が出来るココアシガレット……。▼小さな頃は宝の山に見えたものだが、こうまじまじ見ると、とくに液体モノはいかにも身体に悪そうだ。この「うへえ」というなんとも言えない気持ちは大人になってしまった今、取り返しがつかない気がする。自然、カゴには固形ものばかり放り込んだ。財布は社会人。気分は少年時代。味の記憶も美化されていて、あんまり期待して食べるとがっかりするのだが。

[2087] May 17, 2015

元気溌剌としたロングトーンの明るさが魅力なのに、クラブ系のダウナーなお姉さまボイスを出そうとして作りもの感がひどくなってしまったり、語りかけるような落ち着いたスピーキングトーンが売りなのに、幼げで可愛らしい声を捻り出そうとして中途半端に媚びたニュアンスになってしまったり。▼具体的に誰がどうと書くと要らぬ戦争が起こりそうなので書かないが、インディーズに限らず有名アーティストでもそう感じるあたり、やはり自分の天性、持ち味と違うことをしても表現というのは違和感がついて回るものだなと思う。表現する側はだんだん自分に飽きてきて手を変え品を変えたくなるが、享受する側は、いつもその人の”最高”を変わらず供給してくれればいいのにと考えている、そんなミスマッチがあるのかもしれない。自分の殻を破るために敢えて持ち味を無視した内容に挑戦すべき場合もあるが、長期的な勝算なく多角化するのは無謀ということなのだろう。

[2086] May 16, 2015

数年前、同僚がカラオケで歌った曲のサビ入りの転調が格好良くて、その場で曲名を教えてもらったのだが、以来ちゃんと調べることもせず忘れていた。昨日今日とひょんなことからいろいろな曲のイントロを聴いてまわる遊びを初めて、そういえば……と存在を思い出したのである。▼あらためて探してみようにも、すでに肝心の曲名は覚えていない。朧げな記憶は「テイルズの何かの曲」と証言しているが、動画サイトでOP集・ED集をまとめ聴きしてもいっこうに見つからなかった。聴けばすぐにそれとわかる自信はあるのだが、音符を置いてみろと言われてもわからないという、絶妙に解された宙ぶらりんの記憶が恨めしい。上昇しそうなベースラインが予想を裏切り下がっていく、その転調が実に格好良かったのだが……。▼こういう微かな思い出を頼りに曲をつくると、蓋を開けてみたらパクリと言われても仕方のない瓜二つ、なんてことになるのかなと思った次第である。

[2085] May 15, 2015

ひきつづきペライアをラベリングしながらヴェンゲーロフのリスニング。単純作業を良曲の発掘で彩る一石二鳥の横着だ。しかし今日は、どちらかというと完全新規の獲得ではなく、耳馴染みのある曲ながら作者やタイトルを知らないものについて、出自を確認する方に重きを置いてみた。▼クライスラー『美しきロスマリン』、ドヴォルザーク『ユーモレスク変ロ長調Op.101-7』、マスネ『タイスの瞑想曲』がとくに驚いた三曲。フランスのオペラ作曲家、ジュール・マスネに至っては、その名を小耳に挟んだこともなかったが、メロディは初見でも鼻歌でついていけるほど知っている。不思議なものだ。どこでそんなに聴いたのだろう。こういうとき一般的に有力な仮説はCMだろうが、我が家にはもう長いことテレビという家電がないのである。▼なんにせよ『タイスの瞑想曲』は良い曲だ。揺れ動く半音階からタイスの葛藤が浮かんでくる。単純かつ美しい旋律に勝るものはない。

[2084] May 14, 2015

スチュアート・アイサコフ『ピアノの歴史』読了。本編を読みきったところで満足してしまい、補遺と解説だけ残して放置していたので片付けた。タイトルから想像されるほど楽器の進化史ではなく、ピアノ成立の契機と逸話にはさっと触れた後、本題はピアニストたちの物語に移る。▼もっとも印象に残ったのは、我々が今はCDのアーティストとしてのみ知るような一流ピアニスト達が演奏の機会を得るため、そして自分の名声を高めるために行うコンサートの巡業がいかに大変なものであったかという話だ。解説の文章を借りれば、「通行不能な道路にガタボロ馬車、悪徳税関、疫病、海賊、追いはぎの難がピアニストたちを待ちかまえていた。十七世紀には、ツアー演奏家は旅先で無縁仏として葬られることも珍しくなかったという。」▼ピアノ。かつて人間が作り出した最も重要な楽器。デジタルピアノ、物理モデリングと形を変えて、今も進化しつづける不朽の発明品である。

[2083] May 13, 2015

マキシム・ヴェンゲーロフのCDで、何曲か気に入った曲をピックアップしてみたら、これまで寡聞にして知らなかった人の名前が二箇所に見られたので、これはけっこう周波数が合う人なのではと思い調べてみた。名はヘンリク・ヴィエニャフスキ。十九世紀ポーランドのヴァイオリニスト・作曲家である。▼ピアノからクラシックに入った人には馴染みが薄く、ヴァイオリンからクラシックに入った人には有名なのだそうだ。彼の生誕100年を記念して創設された「ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクール」は、ヴァイオリニストの登竜門なのだとか。ショパンに通じるところもあるポーランドの気風、わかりやすく軽やかなリズムと情緒あるメロディが聴いていて楽しい。▼選んだのは『華麗なるポロネーズ第1番ニ長調』と『伝説曲』の二曲。ポロネーズは繰り返し立ち戻る主題の華やかさと技巧に富んだ演奏が魅力。伝説曲はゲーム音楽を思わせる感覚が面白かった。

[2082] May 12, 2015

夜。台風の中、買い物へ。想像以上の突風に煽られて傘を一本ダメにする。威力を舐めていたわけではないが、荒れ狂う台風がビルのすき間を抜けてきたときの瞬間最大風速は計り知れないものがある。身体ごと飛ばされるかと思ったほどだ。▼帰宅後は、ヴェンゲーロフと一緒に買ってきたマレイ・ペライアの箱物を開封。アメリカのユダヤ系ピアニストにして指揮者。まだご存命だが、このたびの箱物は『The First 40 Years』というサブタイトルで、現在までにソニー・クラシカルで録音されたレーベルを紙ジャケットにて再現したアニヴァーサリー・ボックスになっている。その豪華さとは裏腹に価格は極めてリーズナブルだが、アマゾンでは品薄で値段も上がりはじめたので、タワーレコードの箱物棚から急いで確保してきたというわけだ。▼ペライアは、ホロヴィッツの演奏するピアノを聴いた最後の人物でもあるらしい。二人の箱物はクローゼットに並べて保管しておこう。

[2081] May 11, 2015

タワーレコードで『Recordings 1991-2007 Complete Maxim Vengerov』を購入。タイトル通り、当世を代表するバイオリニスト、マキシム・ヴェンゲーロフの十七年間の名盤を集めたソニーオリジナルジャケットの箱物である。CD19枚組。▼某全集のように百枚を越える枚数でなければインポートも終わりが見えて良い。帰宅早々、取り込みと簡単なラベリングだけ済ませて、気になる数曲を聴く。もっともまだ、このバイオリニストはやはり凄いとか、何が素晴らしいと言えるほど何もわかりはしないのだが、それでもジャズより良し悪しは嗅ぎ取れるようだ。▼最初に真剣な耳で聴いたバイオリンのDSDサンプル音源であり、以来バイオリン演奏の好みを図る試金石にしているモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第四番も収録されていたが、残念ながら最初の”弾き人知らず”なフリーサンプルを越える演奏にはまだ出会えないようだ。その他の曲をゆっくり聴き進めていこう。

[2080] May 10, 2015

石川不敗伝説にウキウキしたり、母の日でささやかな親孝行をしたり、タワーレコードで欲しい箱物を物色したり並び替えたりしつつ、今日も今日とて整理中のホロヴィッツをつまみ聴く。メンデルスゾーン「スケルツォ・ア・カプリッチョ嬰ヘ短調」とショパン「舟歌嬰ヘ長調」が今回の掘り出し物。こういうバイキング的な楽しみが出来るのも、全集箱物のおかげだ。▼バイオリンではハイフェッツ箱に手を出す前に、やはりモノラルよりはステレオがいいからという理由で、今どきのヴェンゲーロフを狙っている。どのみちまだ好みの傾向も何もわかっていないのだから、それなら巷で絶賛されている人から入るのが堅い。俗手は好手である。ピアノ、バイオリンと手を広げて、管弦楽や交響曲に趣味が届けばいいが、昔から長編小説が大の苦手であることを考えると、長大重厚な作品を満喫する度量は、もしかしたら私には無いかもしれない。とにかくいろいろ聴いてみることだ。

[2079] May 09, 2015

「今は本気でやりたいことがないから、いつか役に立ちそうなスキルの習得に時間を使いたい。」こんな話を、短い間に二回も聞いた。別の人からだ。今、本気でやりたいことしかなくて、いつかなんて将来のことを考えている度量の無い私とは正反対の悩み、あるいは模索と言える。助言も難しい。▼私はいつも、好きなことに熱中する以上の学習効率を得ることは不可能だと思っている。だから、わがままを承知で言えば、身の入らない勉強はしたくない。言い換えれば、そのとき最も身の入ることだけを集中的に勉強したい。気が向いたらやるし、気が向かなければやらないというわけだ。それでは済まされない緊急事態もあるだろうが、そういうときは緊急事態という状況がやる気を燃やしてくれるので心配無用である。▼いつか役に立ちそうなスキルなんて、魅力的なようで素性のあやしい存在に釣られるくらいなら、今に殉じて楽しいことを極めたほうが良いと思うが、如何。

[2078] May 08, 2015

午前中から歩いて、歩いて、汗だくのまま横浜スタジアムへ。ゴールデンウィークのひとつの楽しみ。午後六時から始まる巨人戦。プレイボールの直後に太陽がビルの向こうへ沈んで、にわかに肌寒くなる。外野から沸き起こる応援歌に合わせて、カンフーバットを叩き、声を枯らして、応援、応援。▼井納が崩れて四点のビハインドになったときは、ここまでGWのヤクルト戦を絶好調で勝って来たのに、よりによって私の観戦日にこんなことにならなくても……と暗い雲行きに肩を落としたが、井手のタイムリーで一点を返してからは逆転に向けて応援にも熱がこもり、チャンスのたびに叩いて歌って、ゲーム展開に没頭しているうちに、あれよあれよの大逆転劇である。前言撤回。この試合を見に来れて本当によかった。▼五月初旬のナイターは浜風も涼しく気分がいい。せっかくレプリカ含め応援グッズも揃ったことだし、何かの折にはまたぶらりと足を運んでみることにしよう。

[2077] May 07, 2015

70枚から成るホロヴィッツの「コンプリートオリジナルジャケットコレクション」を徹底的に整理すべく、全ての曲にディスク番号とトラック番号、日本語の曲名をつけていく作業に没頭した。オンラインから回収した曲名が数字だけだったりアルファベット一文字だったり、そもそも間違っていたりで全く使い物にならないので、同梱のライナーノーツとYouTubeを頼りに照合しながらタギングを進める。怪しいなと思ったらすぐ、YouTubeで真偽を確認できるのはありがたい。▼バーバー、スクリャービン、メンデルスゾーン、ブラームス、シューマン、フォーレなど、普段あまり聴かない作曲者の曲もついでに聴いてみる。この中ではシューマンが思ったよりも面白い。CD30まではモノラル録音なので音の狭さは気になるが、ノイズがない限り案外いけるものだ。それでも、ステレオ録音に変わるや、耳への心地よさは段違いになる。ステレオの発明はつくづく偉大だったのだ。

[2076] May 06, 2015

ランナーの盗塁を阻止するために、キャッチャーは捕球した球を正確に、素早く、力強く塁に投げなければならない。そうして重要なことは――かつての名捕手・古田敦也の教えだが――この順番、順不同ではないということだ。確固たる優先順位がある。何よりも正確に投げること。次に、素早く投げること。最後に、力強く投げること。▼正確に、素早く、力強く。どれも必要な要素には違いないが、間違った方向に全力投球された球は単なる暴投、無意味どころか有害だ。また送球が正しくても、ゆっくりしていては肝心の事に間に合わない。そうして、正確で素早く行っても尚、力強さがなければ最後の成果を導くことは出来ないだろう。まさしく、ピーター・ドラッカーの教えにも通じる万能の合言葉である。▼「開拓者、草分けなどと言うが、草を分けるだけならシャベルがあれば誰にでも出来る。重要なのは、その道が正しい目的地に向かって伸びているかどうかである。」

[2075] May 05, 2015

暑くなってきたので布団を冬用から夏用へ。あまり融通の利かないことに、我が家には真冬の極寒に使う分厚い掛け布団と、真夏の熱帯夜に使う薄い掛け布の二種類しかない。まだ初夏と言うのも気がひける皐月の頭、こんな薄布で大丈夫だろうかと最初の夜は足元に厚い方を併用してみたくらいである。朝になったら布団は床に落ちていた。よほど暑かったらしい。▼それでも怖いのは夏風邪だ。想像以上に冷えて、目が覚めたら寒気がしたり喉が痛かったり、なんて体験を繁忙期にしたくはない。予算と電気が無限にあれば、冷房を最強にして通年で分厚い布団を使い、湿度は加湿器でカバーするという贅沢極まりない生活も可能だが、財布的にもエコ的にも全く褒められたものではないし、そういう自然に真正面から逆らうような暮らしは、やっぱり身体にも悪いのではないかと不安な気持ちが拭え切れないのも事実である。手元で保温力の変えられる掛け布があれば最高なのだが。

[2074] May 04, 2015

まだ補遺を読み進めている途中だが、『ピアノの歴史』の目玉は、近世のピアニスト・作曲家を四大元素になぞらえて分類してみせたところだろう。もちろん、全ての人が型に嵌るわけではないし、嵌めるつもりもないがと前置きした上で、本書はピアノアーティストを次のように分けている。火、燃焼派。風、錬金術師。土、リズミスト。水、メロディスト。▼燃焼派の始祖はベートーヴェンだ。起伏する激情を原動力とする音楽である。その精神はリストに受け継がれた。錬金術師はドビュッシーやスクリャービンように、和音の新たな可能性を追求した不思議な響きを魅力とする「音の魔法使い」たち。リズミストの多くは打楽器としてのピアノの可能性を押し広げたジャズ・ピアニストだ。そうしてメロディストは、シューベルト、シューマン、ブラームス、メンデルスゾーン、ショパンにラヴェルといった、美しく印象的な主旋律をもって曲と人を後世に覚えられる人々である。

[2073] May 03, 2015

久々に母校を訪れる。ここ数年で順次改築したとは聞いていたが、敷地を区切る建築やグラウンドの形状、配置、何もかもが様変わりしていて、懐かしい駅から学校までの道のりとは正反対に、もはや校舎に当時の面影はなかった。広々とした食堂、多目的の中庭、階下から仰ぎ見るテラス、教室を支える雄大なピロティ、その向こうに広がる人工芝のサッカー場、右手の屋上にはテニスコート、ガラス張りの立派な職員室。高等学校にして大学のような佇まいである。全く、見事な校舎になった。▼人の変化より場所の変化の方が隔年の思いを強くする。先生たちの頭には白髪が混じり、あるいは抜け落ち、見事に「年を取ったな」と思わせる風貌をしていたが、自分たちも老けている分、それほど強烈にタイムスリップの感覚は生じない。しかし校舎のような場所の記憶が失われると、途端に過去が遠い存在に思えてくるのである。▼学び舎は消えた。記憶の彼方へ。若い未来のため。

[2072] May 02, 2015

先見の明にあふれた偉大な音楽家――『4分33秒』が単なる奇異な作品としてひとり歩きしてしまったために、なにかと誤解されることの多い天才、ジョン・ケージは、学生時代、伝統的な西洋音楽の習得を苦にしていた。「わたしには昔から……和声のセンスがなかった。そのためにいつも壁にぶつかるのだと、シェーンベルクに言われたよ。」そのことが、やがて彼を音楽体験の本質を考察する道へと導いた。▼ミニマリズムの嚆矢と言われるスティーヴ・ライヒも、西洋音楽のテクニックを学ぶのには手こずったらしい。だからこそ彼は、音楽をより抽象的な空間の中に求め、インドの古典旋法やアフリカの打楽器演奏からも多分に影響を受けた。そうして、ゆるやかに変化しつづける構造というアイデアに至った。▼ふたりとも、自らが弱点だと認めたところに強みを築いている。短所を長所に変えるとは、まさにこういうことだろう。無理やり認識を捻じ曲げることではない。

[2071] May 01, 2015

「どんな小さなアメリカの町にも、ウォルマートとブーランジェの教え子がいる。」フランス人の音楽教師、ナディア・ブーランジェの影響はとにかく甚大であったらしい。よほど優れた教師だったのだろう。そう思わせる逸話があった。▼二十世紀の始め。まだタンゴが「みだらで不道徳」という不名誉な評判を得ていた時代。作曲家のアストル・ピアソラは彼女に自作の交響曲やソナタを見てもらっていた。「良く出来ているけれども、ピアソラがどこにもいない」というのがいつもの評価だった。やがて彼女がピアソラの本質を探るべく私生活について尋ねると、初めのうちはタンゴとの関わりを隠していたピアソラも、とうとう自分がキャバレーでタンゴを弾いていることを告白した。▼「彼女は目を開けて、わたしの手を取って言った。『おばかさん、それがピアソラよ!』わたしは十年のあいだに自分が作曲した作品を全部取り出して、二秒のうちに地獄に送ってやったよ。」

[2070] Apr 30, 2015

ラギンと呼ばれた黒人たちのクロックダンス。その打楽器的なリズムをピアノ演奏に取り入れたスタイルは、はるばるニューオーリンズに辿り着いて「ラグタイム」になった。それは、ステュアート・アイサコフの表現を借りれば「規則正しい伴奏を続ける」左手と喧嘩する間違ったアクセントであり、「リズムの精神分裂症」であった。ダンス、スウィング、アクセントの崩壊。ラグタイムとは、ジャズとは、ピアノ世界におけるリズミストたちの台頭だったのだ。▼ジャズ、という言葉の意味については、意外な人物が現地からリポートしている。シンシナティから公害を避けてニューオーリンズへ移ってきたギリシャ生まれのジャーナリスト、我々には小泉八雲の名前で親しいラフカディオ・ハーンによれば、jazzとは「ものごとのスピードを上げたり、面白くしたりする」という意味で南部の黒人たちによく使われていた言葉なのだそうだ。ジャズとはまさにそんな音楽であった。

[2069] Apr 29, 2015

麻雀の筒子を1から9まで9枚、合計18枚を戦士に数の大小で戦うゲーム「ナイン」では、相手より大きい数字を提出できればそのセットを取り牌を2つ回収できるが、最終的な勝敗は9セット終了時に回収した牌の合計点で決まるため、セット単位で見れば「試合に勝って勝負に負けた」ということもある。たとえば自分の提出した「1」が、もし相手の「9」に負けたのだとしたら、これはほとんど勝ちに等しい。相手はたった1点を取るために最強のカードを消耗してしまったのだから。▼期待していたわけでも、諦めていたわけでもなく、ただ中立な立場で今日のベイスターズ戦の成り行きを見ていたが、結果的には「山に谷をぶつける形になったのだから、まだ良し」と言われてしまっても仕方のないような内容になってしまった、先発の高橋尚成である。大一番のミスは即、致命傷。なにも野球に限らない。いつでも我が身だ。プロというのは、つくづく厳しい世界である。

[2069] Apr 28, 2015

「聴衆には三種類ある。ひとつ目は世間の目を気にする人たちだ。アーティストが有名だから見逃してはならないと思い、やってくる。これが最悪だ。最初から最後まで眠っていて、演奏のことは何も記憶にない。次は専門家たちで、演奏者が間違わないか、音だけに耳を澄ます。音楽は聴いていないのだ。」▼「三番目が最高の聴衆だ。わたしを聴きたくてやってくる。わたしを信じてくれていて、最高の音楽を聴きたいと望んでいる。時には最高の演奏ができないこともあるが、その夜は本調子ではなかったと知っているので、また来てくれる。」▼「聴き方でどんな聴衆かわかる。――彼らは音楽を聴いている。ただ音だけ聴いて、速過ぎないかとか、遅過ぎないかとか気にするのでなく。そんなことは二義的でしかない。そんなものは評論家が自分の知識をひけらかすためのものだ。記憶に残るのは芸術性だ。」ホロヴィッツ、聴衆について。音楽を知らない音楽家は山ほどいる。

[2068] Apr 27, 2015

その昔、恐らくは聖歌だろうが、歌を歌うということだけ考えたとき、考慮すべき最低音は「ラ」だった。したがって、理論家はこれをAと名づけた。そこから音がひとつ上がるたびに、ABCD……とアルファベットが増えていく仕組みである。▼やがて旋法が整理され、長調や短調といった概念が確立してくると、C――今で言うところの「ド」――を基準にした方が、何かとわかりやすかろうということになった。しかし今まで使われていた呼称を変えてしまえば諸々問題も出てくる。表記の方はそのままでよかろう。こうして中途半端なCから始まる「ドレミファソラシド」が生まれた。さらに、アルファベットのAをいろはの始点にした結果、日本語表記の「ハニホヘトイロハ」も生まれた。▼システムの変更時、変え損ねてしまった表記法。現代の音呼称は、言わば音楽のレガシーコードというわけだ。「シ」をめぐるドイツ式とアメリカ式の喧嘩といい、面倒なことである。

[2067] Apr 26, 2015

ストーリーにまとまりを持たせ、読後感を充実させるテクニックのひとつに「フレーミング」がある。物語の冒頭で見せた人物や舞台の構図を、そっくりそのまま最終シーンにも配置する技法だ。最初と最後をお揃いにすることで、この話は「ここで始まり、ここで終わったんだ」という枠組みを読者に意識させることができる。そうして外枠がかっちり決まると、中の絵もよくまとまって見えてくる。▼音楽でもしばしば見られる、イントロのアレンジでアウトロを組み立てるやり方は、このフレーミングに該当するだろう。映画や小説に比べて音楽の方が「すぐに繰り返し聴く」機会が多いことを考えれば、単にまとまりをつけるのみならず、冒頭への郷愁を駆り立てるという意味でもいっそう効果的かもしれない。アウトロがイントロへ、欲求的に繋がる仕組みである。定番とはいえ破壊力は抜群。より良い風呂敷の畳み方が思いつかなければ、さくっと頼ってみるのもありだろう。

[2066] Apr 25, 2015

6+3=8。7+2=8。不思議な数学。答えは――音程。▼音程表記では、六度と三度を足すと八度になる。同じ音同士が「一度」なので、足し引きの関係となると数字がひとつズレるのだ。「長六度と短三度で完全八度」という字面も、慣れた人なら当たり前に見えるのかもしれないが、初見ではなかなかに納得しがたい世界である。なぜユニゾンを零度と言わなかったのだろう。▼面倒な音程表記の世界だが、半音の数でN度を定義するのは危なっかしい。完全四度と完全五度だけを丸暗記事項として、完全五度を三度+三度に分割したとき、長いほうが長三度、短い方が短三度と導くべきだろう。あとは八度から短三度を引けば長六度が導けるし、長六度と完全五度の間が長二度――と、短や長を0.5のように見なした式で芋づる式に呼び名の判断がつく。完全N度や長短N度をさらに半音増減したければ、文字通り増N度、減N度というわけだ。なんともややこしい話である。

[2065] Apr 24, 2015

将棋、名人戦が一進一退の盛り上がりを見せる中、個人的な成績は芳しくなく、相変わらず初段相手に序盤・中盤は駒得かつ形勢有利、しかし詰め切れずに逆転負けのパターンを繰り返している。将棋の恐ろしいところは、相手を詰め切れないと、攻めに使った駒が全て敵に回ってしまうこと。2アウト満塁で3者残塁のままイニングを終えたら、次の相手の攻撃はノーアウト満塁から始まるようなものだ。先に仕留めた方が勝つ。容赦なき殴り合いである。▼こうなると、有利なのに詰め切れないというよりは、「有利だから詰め切れない」というケースの方が目立ってくるのが面白いところだ。将棋は逆転の起こりうるゲームだから、形成は有利でも自玉のまわりが不穏になってくると、今の有利を嵩に「決め」たくなってしまう。敵の猛攻を受けきる自信がないから、これほど有利なら「たぶん行けるはず」という不確定な読みに身を預けて、無理攻めの特攻をしてしまうのである。

[2064] Apr 23, 2015

「『第二次世界大戦が始まった』ではダメだ! 『ヒトラー。侵攻。ポーランド』で始めなさい。」バーンズ・アンド・ノーブル書店の編集ディレクター、リズ・シャイアーが大学時代に教授から教わったという掴みの秘訣。シンプルかつ強力なので、受け売りでもいいからまるっと暗記する価値のある素晴らしいアドバイスだ。▼物語の最初では、読者が興味を向けるべき対象を出来るだけ早く提示しなければならない。最もわかりやすいのは人物だ。人物なき物語はない。「ノー・ピープル、ノー・ストーリー。」だから、主要な人物がいるなら、真っ先に彼のことを書くべきなのだ。そうして、次には彼の起こしたアクションがつづくべきだろう。その後で場所や時代背景など、次第に大きな世界を見せていく。あらためて。『ヒトラー。侵攻。ポーランド。』完璧ではないか。▼玄人風味よりインパクトを選びたいもの。静かに立ち上げる誘惑に打ち勝って、最高の掴みを書こう。

[2063] Apr 22, 2015

好調あれば不調あり、不調あれば好調あり。一時は夢の単独首位に立ったベイスターズも投打噛み合わず七連敗で、最下位も見える不穏な位置まで落ち込んでしまったが、七連敗と云えども最近は復活の兆しも見えていた。あとは時が来れば――という、まさにその時が来たのをきっちり捉えて連敗脱出の貴重な勝利である。ようやく旨い酒が飲めるというわけだ。▼不調のスパイラルを断つのは本当に難しい。不調、つまり勝利の不在は、人の言葉を荒ませる。人への呪詛も自暴自棄も、最初は言葉から生まれてくる。その言葉がやがて無言の思考になって、思考が悪い行動を導いて、その行動が心を蝕んで、蝕まれた心は敗北の未来を描いてしまう。「負け癖」とはまだ優しい表現だ。現実の負け癖は呪いである。解くまで未来を目指せない呪いである。▼だからせめて、誰にでも訪れる不調な時期に深淵へと転がり落ちない戒めをするなら、徹頭徹尾、言葉に気をつけることである。

[2062] Apr 21, 2015

『砂糖の歴史』読了。紀元前よりニューギニアで栽培され、北上してインドへ。やがてアラブ世界で発展し、十字軍に連れられて欧州世界へ。大航海時代に乗って西インド諸島へ渡り、アンティグア、ハイチ、ドミニカ、キューバとプランテーションの乱反射。そのうち新しい土壌を求めてアメリカ大陸はルイジアナ、フロリダと支配を広げ、ブラジル、クイーンズランド、モーリシャス……。▼気がつけばぐるりと文字通り世界を一周した砂糖の歴史は、砂糖と言いつつ、ほとんど「奴隷制の歴史」である。甘いモノをめぐる欧州と北米の文化史が二割、砂糖業界の利権主義と健康被害、バイオ燃料への展望など現代的な話題が一割、残り七割が奴隷制や年季奉公制度など強制労働にまつわる話だ。まさに血まみれの砂糖である。痛ましい記録の数々ではあるが、情報量は豊富で、長く楽しめる優秀な読み物だった。歴史本は分厚いに限る。小さなことにどっぷり浸かるのが魅力である。

[2061] Apr 20, 2015

実況・解説することで、初心者にも面白さが伝わりやすい対戦ゲームとはどのようなものか。二十三時の夕食テーブル、いつもの二人で討論となる。▼真夜中に得た怪しげな結論は以下の通り。一、対戦している二人が達人であると素人目にもわかること。また、わかるような解説をすること。いくら解説が熱く戦況を語っても、対戦者たちの何が凄いのかがわからなければ興味は生まれない。ニ、達人の繰り出す「スーパープレイ」が身体性に結びついていること。リアルタイムな凄みであること。裏の取り合いが熱く感じられるのは「裏」や「表」の何たるかを理解している識者に限る。観客が湧くタイミングにズレが生じると、大切なところで盛り上がりを欠く。三、勝負に負けても楽しめそうな雰囲気を醸していること。勝利の味こそ醍醐味というタイプのゲームはそれだけで心理的な障壁が高い。必ずしも運やランダムは必要ないが、まぐれの効きそうに見える方が感触は良い。

[2060] Apr 19, 2015

弟が久しぶりに喘息の発作を起こした。それもかなり重度で、普段なかなか病院に行きたがらないのも祟り、折り悪く吸入薬も切らしている。これはいけないということで、救急にかかるべく近くの総合病院に電話すると、今日は喘息担当の先生がいないから対応できないと言う。緊急だから吸入だけでも、という申し出も却下。別のところへ行ってくれとのことであった。▼私も昔、正月にインフルエンザで39度超の熱を出してその救急を訪れたとき、たぶん風邪ですねとにべもなく追い返されそうになった恨みを忘れてはいないが――なんのための総合病院なのか、わかったものではない。治療の機械だけご立派に陳列して、しかし本当に使いたい人が使いたいときには使えない。ハードウェアだけピカピカに揃えて、ソフトウェアの部分は利用者のことなどまるで無視したボロボロの状態というシステムづくりは、日本の伝統的悪癖である。代替医療に客を取られる所以もわかる。

[2059] Apr 18, 2015

何をやっても上手く行かない絶不調期、スランプは誰にでもあるものだ。それを乗り越えた経験のある人は、絶好調期とスランプは交互に訪れるものだから、諦めないで粘り強く戦うなり、別のことを考えて気晴らしするなりして時を待てと助言することが多い。▼今日、野球の解説者が端的に良いことを言っていた。「スランプは考えることから始まりますからね。」そうしてなぜ考えてしまうかというと、まさに昨日まで全てが上手く行っていたからなのだ。▼人は好調が続くと、何が自分に好調をもたらしているのかとか、このまま上手くやりつづけるにはどうすべきかとか、もっと高みに上り詰めるには何をすればいいかとか、諸々の雑念を抱いてしまう。しかし悲しいかな、その思惑が期待通りに推移することはない。どう手を尽くしても、自然の摂理で調子は落ちてくる。いろいろ考えていた分、自分の分析に自信がなくなってくる。この悪循環がスランプの正体なのである。

[2058] Apr 17, 2015

シンガポールの某社の社長が日本語で挨拶するのを聞いて驚いた。たどたどしくも破綻はしていない日本語の発音が、チームにいるシンガポール出身の先輩とそっくりなのだ。まるで先輩がしゃべっているように錯覚してしまうほど、子音と母音の癖や、音を伸ばすところ詰めるところ、ぴたりと一致するのである。「シングリッシュ」が、聞けばすぐにそれとわかる独特の英語だと言われる所以もわかる気がした。▼日本人の話す英語にも日本人だとすぐにわかるような癖はありますか、といつものカナダ人に聞いてみると、シングリッシュほどは無いと思うが、ときどき日本人しか出さない音、しない言い回しはあるという。日本全国を旅する某趣味人は名古屋出身の顔立ちだけはすぐにわかると言っていたし、耳の肥えた人はロシア人のバイオリンなら聴き分けられるというし、どこまでハッタリかわからないが、地理柄、国柄というのは拭いがたく染み付いているものなのだろう。

[2057] Apr 16, 2015

体調もいささかすぐれない。少し早めに上がれたので、『砂糖の歴史』を読み終わらないうちから後釜を探すべく本屋へ行く。歴史棚、前に見たときは「○○の歴史」が唸るほど並んでいたように思ったが、どうやら記憶違いだったらしく、砂糖の他に食指の動くタイトルはなかった。それならちょっと前に話題になったジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』あたりはどうだろうと探してみるも、草思社文庫が見当たらない。なかなか嵌らないハズレ日もある。▼昨日、恐らくは新入社員に向けた特設コーナーの一冊に「できる人はなぜ本屋で待ち合わせをするのか」というような煽り文句を見た。煽り文句ではなくタイトルだったかもしれない。中は開いていないが、機会あらば本屋へ足を運ぼうとする、そのちょっとした習慣の積み重ねが物を言う的な本であろうか。待ち合わせをすることの是非はともかく、本屋の散歩は安価な出会いが多いので、私も薦めるところである。

[2056] Apr 15, 2015

『砂糖の歴史』をこつこつ読み進める傍ら、中東の歴史全般について詳しい先輩と道中雑談をする。砂糖がヨーロッパで大衆の消費財になったのは十七世紀以降であるという「新しさ」に驚いたという話をしたところ、先輩曰く、アラブ人は昔から砂糖が大好きだったはずなので、十七世紀ということはない、もっと古い歴史があると思うと言う。▼まさしくご名答で、ポリネシアからインドへ、インドから中東へと伝わった砂糖は、蜂蜜が甘味の主流であったヨーロッパより一足先にアラブ世界で開花していた。それを御多分にもれず十字軍が持ち帰ったという流れである。▼大衆の嗜好品となるために足りなかったのは製糖の技術であったようだ。さらに言えば大量生産という概念、あるいは大量生産するために必要な、西インド諸島のような植民地環境――奴隷貿易も含めて――を待たなければならなかった。こうした条件が揃ったとき、砂糖は歴史に猛威を振るい始めたのである。

[2055] Apr 14, 2015

残業後、同期に誘われて珍しい酒場へ行く。ウイスキー五種類の飲み比べに誘われて、辿り着いたのはアットホームなガジェット・バー。本棚のラインナップは思想系ばかりできなくさいが、同居している懐かしのカードゲームやボードゲームが中和している。ウイスキーボトルとバックギャモン。大人の遊び場、というにはやんちゃな感じで、童心の同居した空間が心地よい。▼いくつかゲームを転々としながら飲んでいたら、次第に常連と思しきお兄さんがた、おじさんがたが増えてきて、新規さんなんて珍しいねと女性マスターに言う。そのうちみんなでオススメのボードゲームでも、という流れになったが、残業後ということもあって時間も遅い。終電も近いので再訪を誓って店を出た。ショットグラスで五杯のウイスキーに連れはカクテル。チョコレート、柿ピー、追加のおでん。ひっくるめても居酒屋より安い。仕事が落ち着いたら、ゆっくりモノポリーでもやりたいものだ。

[2054] Apr 13, 2015

五手詰みが見えなくて二段相手に時間切れの敗北。こんなに悔しい思いをしたのは久しぶりだ。残り時間30秒とは言え、棋譜を見直してすぐに気づくような玉頭の銀成くらい見えてもよさそうなものだが。これが実践で見えないからいつまでたっても弱いのだ。詰んだ将棋に玉を凡手で逃がすのは愚の骨頂。大いに反省する必要がある。▼反省しつつもポジティブなことを言えば、ちょっと前はこういう「勝ち将棋を勝てない」試合が1級以下相手によくあった。とすれば二段相手に勝ち将棋を挑めている時点で進歩していると考えてもよさそうなものだ。あとは優勢と勝利の巨大なキャズムを乗り越える必要がある。有利であることと、勝利することの間はかくも広いのだ。▼将棋。直接何かの役に立つ趣味ではないが、いろんなことを教えてくれる。楽しんでいる時間より悔しがっている時間の方が長いのに、それでも続けてしまうのが真の娯楽というべきだろう。研究も忘れずに。

[2053] Apr 12, 2015

アート・テイタム。ジャズ・ピアニストの誰もが憧れる、真のヴァーチュオーゾ。あのホロヴィッツが始めて彼の演奏を聞いたとき、「彼がクラシックピアニストだったら、我々の仕事は無くなってしまう!」と感激し、その後は一週間続けてバードランドに聴きに来たという伝説も。まあ、この絶賛を都合よく曲解して、ホロヴィッツが「恐れを感じて逃げ帰った」などと書いてしまう某歴史家は物書きとしてどうかと思うけれど……。▼そのテイタムのCDを手に入れて、ここしばらく流している。そうしてわかったことは、私にはやはりジャズピアノの良し悪しが全くわからないということだ。本当なら「私も感激した、やはりテイタムは最高の演奏だ」とか格好いいことを言いたいのだが、良いも悪いも好きも嫌いもなくて、ただ難解な哲学を読んでいるように「わからない」のである。耳か心が大人になればいつかわかるんだろうか。苦いコーヒーが、いつしか旨くなるように。

[2052] Apr 11, 2015

とあるハリウッドの映画脚本家は、新しい映画の脚本を書き始める前に必ず「自分が書こうとしている作品のジャンルを決め」「そのジャンルの既存作品を洗い出し」「もっとも優れた作品を越える努力をする」という。他人の類似作品を調査する行為そのものは珍しい習慣ではないが、こう三段階に分けると取るべき行動がいっそうわかりやすい。サボりぐせが勝つと最初の一歩からして怠けてしまう。「ジャンルなんて決めなくていいよ。そんなものはあとから見えてくるさ。」▼某プロダクションに配属されたサウンドクリエイターの体験談で、駆け出しの新人として職務にあたったとき、自分でもなかなか良い仕事が出来たと思って提出した初版をリーダーに見てもらったところ、当時、表現技法の最先端であった映画『マトリックス』のDVDを渡されて、「これより良くしてくれないと困る」と言われたというエピソードは印象的だった。そういう厳しさがなくてはならない。

[2051] Apr 10, 2015

「リアルタイムカメラ」を借りて読む。値段が高いので手を出しにくかったが、同僚が貸してくれたので渡りに船だ。このたびは熟読ではなく、知りたい情報を得るためにざっと目を通しただけだが、書籍の醸す印象ほど数学についての記述はないんだなと思った。どちらかというと企画者向けのカメラ概論か。カメラにはこういう種類があって、こういうパラメータがあって、こういう要件があって……という知識の集成に近い。▼理想的なカメラが何たるかはわかった。「それで、どうすればそれを実現できるの?」という実装者の要求に答える本は、今のところ出版されていないように思う。洋書も探したが無いようだ。抽象度が上がるとカメラというより制御工学になってしまう。インタラクティブなカメラプログラムの設計という視点ではない。▼今はまだ、場合分けによる力技が最適解なのだろう。恐るべきは自然な振る舞いに見えるまでケース文を書き続ける愚直さである。

[2050] Apr 09, 2015

ポジる――根拠もないのに無駄にポジティブになること。やたらポジティブに球団を応援すること。▼横浜ファンは、今夜のセ・リーグ順位表をきっと画像で保存するだろう。ポジるなら今のうち、とばかりに単独首位で湧き立つベイスターズである。もっとも、今夜の順位表が永久保存されるような刹那の輝きでは困るのだが――貯金生活などとは欠片も縁のなかった横浜ファンにとって、想像だにしない好調がもたらした首位という聞きなれない響きは、いささか贅沢な戸惑いを誘うのである。首位。このポジションは住みにくいんだよね、と監督も苦笑いだ。「野球がこんなに楽しかったなんて。」ファンの言葉にもこれまでの苦労が忍ばれる。▼とはいえ、シーズンは始まったばかり。四月に独走した球団が終わってみればBクラスなんてザラにあることだ。好調な滑り出しの惰性も過ぎ、いつか訪れる不調の時期に、応援する側も落胆で崩れないよう気を引き締める必要がある。

[2049] Apr 08, 2015

将棋ウォーズ、長いこと二級昇格がお預けになっている。90%を越えてあと一勝で昇級というところまでは何度も来るのだが、そのたびに「二段」としかマッチングしなくなるので、6連敗〜10連敗して達成率を落とす。また相手が一級レベルになってくると勝ち出して、90%を越えると……の繰り返し。数百戦しているが、まだ二段に勝ったことは一度もない。達成率の上下割は変わらないが、勝てない相手には勝てないのが将棋。これをやられてしまうと辛いのである。▼手筋と詰将棋で中盤戦を予習・復習。序盤の陣形づくりは慣れてきたものの、右玉に囲ったとき、どうしても受けられない浮き飛車&棒銀の攻め筋がある。ネットで調べているが今のところ有効な対策がない。相手がその攻めで来ると読んだ時点で、受けられる銀の形に組み替えるようなバリエーションが必要なのかもしれない。なんにせよ、二段にも勝てるようにならねば昇格はいつまでもお預けである。

[2048] Apr 07, 2015

本気で歌手を目指したいと言う人が同年代から出てきて、なんとはなしに嬉しく思っている。この歳になると「何かになりたい」なんて情熱は聞かなくなるものだ。成功の可能性云々は度外視で応援したくなる。現状の実力からすればかなり険しい道。正攻法では難しいかもしれないが、死力を尽くしていれば思わぬ裏道が見えるかもしれないし、その道程で別の才能に目覚めるかもしれないし、一生を変える誰かに出会うかもしれない。あるいはいいことなんてひとつもなくても、消費する時間は充実するだろう。▼何かに全力を出して悪いようにはならない。やりたいと思うことがあれば、やってみればいい。そういう素直な話なのだが、ときどき、こう実現の難しい夢について語ると「君には無理だ」と頑なに主張する人達も出てくる。彼らの否定が謎の確信に満ちているのは、なぜなら僕には無理だから、という根拠に支えられているからだ。そういう輩は笑顔で無視すればいい。

[2047] Apr 06, 2015

派手に動き回るタイプのアクションゲームでは、プレイヤーが立ち止まったり歩いたりしているとき、操作キャラクターをカメラの左側に捉えて見せることが多い。右側に敵や話し相手を配置する格好だ。理由はさまざまある。三分割の法則により、真正面にキャラクターを置くより絵的に見栄えがするから。戦闘を含め、一対一のやりとりが左対右でわかりやすく提示できるから。などなど。▼けれどもこの配置、逆はない。実際、右に主人公を置くようなカメラワークを見たことがある人は少ないだろう。これは恐らく、映像表現における方向の作用が関係している。映画では一般に左から右への移動がポジティブで自然な動きと見なされるため、ヒーローであり正義であるプレイヤーのアクションはこの向きに起こるべきなのだ。逆に言えば、もし主人公が右から左への移動を強いられるとしたら、それはまさしく惨事へ向かっているという不穏な兆候でなければならないのである。

[2046] Apr 05, 2015

蕁麻疹にかかる。病気に「恐らく」はよろしくないが、状況的に考えて恐らくは食べつけない魚のどれかに反応したものだろう。昨日、口にした物の中で思い当たる候補は、エビの頭、おこぜ、アカムツ、うに、きんき。白身魚はわりあいアレルゲンが少ないことを考えれば、はっきり言って怪しいのはエビの頭である。食べつけないところをチャレンジ精神で無理やり食べてみたのが祟ったか。甲殻類の殻は要注意だ。▼昔使っていた抗ヒスタミン剤は無くなっていたので、今日のところは一旦放置。明日ひどくなっていたら病院へ行こう。それにしても蕁麻疹とは、高校生の頃に寒冷蕁麻疹を患って以来か。あのときは慢性の寒冷蕁麻疹になってしまって、汗はかけない、薄着で外には出られない、熱い風呂には浸かれないと、治癒に半年近くかかる大変な騒動だったが、食べ物由来なら通常は数日で引くというからそう願いたい。見た目が気持ち悪いのはともかく、かゆいのは困る。

[2045] Apr 04, 2015

生まれてはじめて生の茄子を齧った。どうぞ、そのまま食べてくださいと差し出されたツヤツヤのなすびに半信半疑ではあったが、しゃくっと噛んだらまるでりんごのような甘さと水々しさである。旨い野菜の生は本当に旨いと言うが、まさか茄子まで。認識を改めさせられる食体験だった。皮ごと食べて文句なし。▼このご時世に都会生まれの都会育ちともなると、新鮮な野菜を口にする機会もそうそう無くて、生野菜即ちサラダか何かという考え方になってしまう。しかし、もし田舎ではどれもこれも野菜があれほどの味わいを自ら持っているのだとすれば、なるほど肉だの揚げ物だのと油や脂に頼らなくてもやっていける理由がわかるというもの。音源のクオリティが高ければ、闇雲にエフェクタを刺さなくても生のままOUTに送って遜色ないようなものだ。会社の近くにも、新鮮で旨い野菜を手頃な価格で出してくれる店があればよいのだが。願いつつ、またラーメンであろう。

[2044] Apr 03, 2015

今年も新入社員を迎える時期になった。毎年、新しい風が吹き込んでくるのを楽しみにしている。若いエネルギーがないと職場も活気付かない。若手にだらしない姿を見せないよう気張るのも大切なのだ。尊敬できる先輩と、信頼できる後輩。そういう王道な職場にしていきたい。▼飲み会の席では諸々質問を受けるわけだが、残業や賃金についての詳細は赤裸々に語れるものの、派閥とかはありますか、という問いには少々答えにくい。無いと断言したいし、そうあって欲しいが、自分の周りはともかく、あるところには致し方なくあるのが派閥であり政治である。くだらない、興味ないでは済まされないこともあるのがほとほと面倒で、会社にとっても百害あって一利なし、いったい誰が得をしているのやらと思わずにはいられない害悪である。必要悪とも言いたくない。不必要悪である。大きな組織とくだらない諍いは抱き合わせ販売なところもあるしね…‥という回答が精一杯だ。

[2043] Apr 02, 2015

将棋に名局あれば、野球に名試合あり。延長12回の激闘を見事に制し、見事暫定の首位同率に咲いたDeNAベイスターズである。去年は苦戦を強いられた宿敵カープに、まさかの3タテを決めた本拠地開幕戦。上位打線が完璧に機能していた。いくつもの逆境を凌いで追加点を許さなかった投手陣も頼もしい。今年のベイスターズは走りだしからして違う。グリエルのことは残念だったが、好調なチームの流れを崩さないという判断も、恐らく今は正しいのだろう。▼昼休み。本屋で見かけた『熱湯!野球女子』を買う。この手の生活感あふれる題材をデフォルメした4コマシリーズを何と総称するのか知らないが、衝動買いには適した素材だ。この前はSE女子の本を買った。なんとなく読んで、なんとなく可愛くて、なんとなく面白い。そういうゆるい楽しみが心地良い。レジへの道すがらには「ベイスたん」の公式書籍もあった。今日の快勝は、手に取ったご利益かもしれない。

[2042] Apr 01, 2015

弟と、今年の将棋大賞・名局賞がどの試合になるかを予想していた。ふたりとも、全てのタイトル戦を見ているわけではないが、知っている中ではやはり羽生善治王座に豊島将之七段が挑んだ王座戦の第五局が名局であろうということで意見は一致した。▼さて本日発表された名局賞は、なんとドンピシャの王座戦第五局。あんまり綺麗に一点読みが的中したので笑ってしまった。もちろん異論はない。文句なしの名局だ。予言の証拠というわけではないが、去年の記事「1882」に試合の素晴らしさを語った回があるので、興味があれば私と一緒に振り返ってみて頂きたい。手元に棋譜があると尚良いだろう。最近は棋譜の参照も検索ひとつで実に便利だ。▼最優秀棋士賞は20度目の受賞となる羽生善治四冠。言うまでもない棋界のラスボスである。優秀棋士賞は、劇的なる竜王奪取で話題を呼んだ糸谷哲郎竜王。豊島さんも56局の対局数をマークして最多対局賞に選ばれていた。

[2041] Mar 31, 2015

こう毎日のように文章を書いていると、自ら文章を書き慣れないと称する人の添削くらいは出来るようになる。自惚れるわけではないし、頼まれなければやらないが、てにをはの使い方や文章のリズム感はそこそこ身についているようで、粗を探してやろうなんて気がなくても読んでいるだけで目についてくる。細かい修正はざくざくと、論理の甘さは解決案まで織り込んで、軽めに赤ペンを入れて添削の出来上がり。▼人の文章を読んで意見を言うというのは危なっかしい仕事である。前にも書いたかもしれないが、文章を否定するということは、人格を否定することと紙一重なのだ。誰しも、それこそ文章を書き慣れないと自認する人たちさえ、不思議なことに文章への攻撃は人格への攻撃と見做す傾向が強い。こちらが添削の言葉を間違えれば傷つくし、そうなればもう素直に忠告を受け入れてはもらえなくなる。添削まがいのことをするときは、いつも心得ていた方が良いだろう。

[2040] Mar 30, 2015

アステカの帝王モンテスマはチョコレートを飲んでいた。嗜好品ではなく神聖なる神々の飲み物として。ホットココアのように甘くはない。カカオ豆をすり潰して唐辛子を加えたドロドロの苦い液体である。アステカの人々にとって、この飲み物は不老長寿の薬と思われていた。▼これをコルテス将軍がスペインに持ち帰ったのも、炎症に効き、解毒作用があり、疲労回復にも役立つ素晴らしい薬としてであった。チョコレートが今の甘ったるいイメージを持つに至ったのは、あくまで砂糖を加えて後のことである。チョコレートドリンクがあっという間に上流階級から労働者階級まで広まり、コーヒーハウスの定番となったのは、チョコレートが苦くてまずかったからではないかとさえ言われているのだ。十七世紀は砂糖革命の真っ只中。人々は砂糖を舐める口実に、《健康に良い》チョコレートを甘くして飲んだのではないか――。▼『砂糖の歴史』緩読中。なんとも苦い歴史である。

[2039] Mar 29, 2015

『ベスト・アメリカン・短編ミステリ2014』読了。バックナンバーも買いたくなる良質のアンソロジーだった。▼ランドール・シルヴィス「インディアン」。暴力と暴走。兄弟モノは登場人物同士の距離感が見所だと思っているが、その点でも満足できた。パトリシア・スミス「彼らが私たちを捨て去るとき」。日本でそれなり上品な生い立ちを持つとこういう《クズ息子》を想像するのは難しいものだが、結末に納得できるだけの主人公への共感は得られる。挿入詩の力も強い。ベン・ストラウド「シナモン色の肌の女」。これは無し。探偵物なのにさしたる推理もなく、オチも只々気味が悪い。ハンナ・ティンティ「二つ目の弾丸」。筋書きよりも空気とアクションが魅力の活劇。好きな人は好きかもしれない。モーリーン・ダラス・ワトキンス「束縛」。しつこいくらいに引っ張って、これはダレたかと思わせつつ、最後のオチはなるほどと思わせる。語り口もユニークで良い。

[2038] Mar 28, 2015

ダウンコートが必須な冬日から、ジャケット一枚でも熱いくらいな春日へ。毎年、この時期は三寒四温に悩まされる。冷やしたり温めたりの繰り返し。何度もレンジにかけ直した野菜炒めのように、身体もダメージを受けていく。油断した薄っぺらい寝間着で寒夜を寝込もうものなら、あっという間に朝はくしゃみと鼻水だ。そうならないように、いまだに厚い布団で寝ている。だから暑い夜は真夏のように寝苦しい。体温調節の効きにくい身体なので、一旦暖まったら布団を剥いでもすぐには冷めてくれないのである。このところの寝不足はそんな具合に説明できるだろう。▼極限まで寝不足に追いやったラットは、神経に異常を来すことはもちろん、食欲が何倍も過剰になり、しかし体重は激減していくのだそうだ。寝不足で疲弊しているとき、食欲があるから大丈夫という言い訳は通用しないことになる。痩せるのとやつれるのは別物だが、ときどき誤解している人がいるのは怖い。

[2037] Mar 27, 2015

酩酊度八十で書く短編評。▼デニス・マクファデン「ケリーの指輪」はアイルランド観光周遊路の名を持つ魅惑のリングをめぐる物語。正直、後味はあまり良くない。登場人物の人格に少々納得が行かない。マイカ・ネイサン「獲物」は子どもが主役のサスペンス。小さな兄弟が狂気の世界をくぐり抜ける話は、淡々としているほど奥深い。結末はあっさりだが道中の緊張感はある。ジョイス・キャロル・オーツ「いつでもどんな時でもそばにいるよ」はわかっていても背筋の寒くなるストーキング・ホラー。扉の作者コメントで結末をネタバレしているのは頂けないが、付きまとわれる女の子の方の心理がとにかく秀逸なのだ。これは凄い。ナンシー・ピカード「電球」は好みに合わず。どうにもクライマックスが見えない。ビル・プロンジーニ「弾薬通り」は、主役の探偵二人が活躍するであろう他の長編推理小説への誘い。消化不良の最後も、そう考えれば納得できる。広告である。

[2036] Mar 26, 2015

飲み会。飲み会。年度末とはいえ打ち上げ、納会の類が集中する。いくらなんでも連日飲んでばかりでは体が持たない。どさくさの烏龍茶は偉大だ。▼隣のカナダ人とこんな話をした。酔っ払うと、どうも英語がしゃべりにくくなる。日本語は発音できるが、英語の発音は酩酊状態では難しい。舌を使うからではないか。彼、答えて曰く、たしかに自分も酔うと日本語を話し出すことが多い。それに、イングリッシュ・スピーカーは酔うと訳のわからない声を発するイメージがある。レロレロレロ……まさに呂律が回らない状態。▼なるほど日本人も酔えば訳のわからぬことを宣うものだが、それは話の「内容」が支離滅裂なのであって、「音声」が聞き取れなくなるわけではない。何を言っているかわからないほど酔っている状態は、ほとんど前後不覚の重症だ。日本人が平然と人前で酔える理由のひとつに、音の意思疎通が途絶えにくいからというのもあるのかもしれない、と思った。

[2035] Mar 25, 2015

ベストアメリカン短編ミステリ。分厚いので総評を二回に分けよう。「後日の災い」以降で読了したところまで。▼クラーク・ハワード「道は墓場でおしまい」は現在のところベストワン賞。畳み掛けるようなサスペンスと読めない最後、そしてタイトルの魅せ方が秀逸。アンドレ・コーチス「越境」は冬山の脅威を描いて美しい。ただ、同行者たちの名前と性格を一致させるのには少し時間がかかった。ケヴィン・ライヒー「イリノイ州リモーラ」は刑務所建設で復興を果たす街の人と経済を捉える社会派の物語。語り手が「われわれ」と複数形なのは珍しい。ニック・ママタス「シャイニー・カー・イン・ザ・ナイト」は残念ながら私には合わなかった作品。散りばめた言葉のユーモアが邦訳で失われるタイプかもしれない。エミリー・セイント・ジョン・マンデル「漂泊者」は詩的できらきらした文体が魅力のスプリント。この中ではいちばん素直な、そして静かに悲しい話である。

[2034] Mar 24, 2015

スターダスト・クルセイダース。ジョジョ第三部のアニメもDIOに迫って大詰め。前回はダービー兄との戦いだが、承太郎のタバコに対する処置に苦しさが見て取れた。なにかと煩い昨今、現場で様々な葛藤があっただろうと推察される、承太郎の口元の執拗な黒塗りである。▼白熱のシーンを悪い意味で白けさせてしまったことの賛否はともかく、黒塗りの向こうで明らかにタバコを咥えているにも関わらず、吸っている根本の描写はないから証拠がないのでセーフという現行の基準も如何なものか。喫煙行為がかえって目立っているほどだ。形骸化。正直、作り手の問題とは思えない。▼残虐行為はNG。口汚いセリフもNG。セクシャルな表現などもってのほか。漫画・アニメの表現をめぐる「事なかれ主義」の議論も、かつてドラえもんの土足を指摘したPTAを笑えないところまで来ている。潔癖世代の子どもたちが健康に育つかは知らないが、一抹の馬鹿らしさは否めない。

[2033] Mar 23, 2015

デイヴィッド・エジャリー・ゲイツ「後日の災い」はミステリーらしいスリリングな短編だった。良質な物語は想像力をほどよく刺激する。ジグザグに落ちて行くスタッカートを刻みながら、実は旋律線が上昇していくエッシャーのだまし絵のような、素敵なイントロが頭に浮かんできそうだ。だまし絵。知性を装う粗暴、あるいは粗暴を装う知性。▼書棚をふらつく自分の足取りからして、どうやら歴史物に興味が出てきたらしい。数年のブランクを経て再びサイクルが巡ってきたのだろう。「それは今の目的に直接寄与しないのでは?」という誰かの声を強引に押しやって、気ままな心に逆らわないよう何冊か注文してしまう。迷うくらいなら飛び込んだ方がなし。これぞギャンブラー式の処心術、と胸を張れるような稼ぎではないが……。▼無性に目的を立てたくなっては、立てた目的を無視して随意にしたくなる。自由人のようでいて、根底にあるのはやはり怠け者の精神だろう。

[2032] Mar 22, 2015

一晩寝て。枕の調子は極めて快調。狙った効果は完全に発揮してくれた。この枕、感触の良さもさることながら、とにかく重いのだ。▼この頃、寝付けなくて深夜に目を覚ますとき、自分がよく枕を探していることに気がついた。寝相があまりよくないらしく、小さな枕はすぐにどこかへ行ってしまう。酷いときはベッドの下に落ちてしまっていることもある。そうして枕がなくなると、首元が傷んで起きてしまうという流れだ。このパターンに何度も出くわした。▼つまり枕が重ければいいのだ。この着想、案外馬鹿にしたものでもなく、たしかに今朝起きたとき、テクノジェルは夜に置いた通りの場所へしっかり鎮座していてくれた。もちろん枕探しに目覚めることもなし。感動。これで不眠症もどきの寝不足生活も少しはマシになるだろう。▼テクノジェルシリーズにはマットレスも出ているそうで、春限定の割引キャンペーンが進行中。こちらは予算不足だが、気にはなるところ。

[2031] Mar 21, 2015

角不成で大波乱の電王戦第二戦、その幕引きの顛末を携帯で見つつ枕を買いに行く。今の枕は小さいし、長年使い込んだせいでボロボロになってしまった。この頃、眠りが浅いのもそのせいかもしれない。ベッドに先立って新調すべき日常アイテムだったのだ。▼テクノジェルを選択することは早いうちに決めていた。現金が不足している今、ヨドバシのポイントで精算できるのはありがたい。店頭で触ったときは少々気味の悪い感触だと思っていたが、カバーが掛かると思いのほか弾力があって悪くないのである。枕好きからの評判も総じて良い。▼悩んだのは高さ。標準タイプは165〜180cmにオススメだが、こう言われると182cmの私は凄く困る。オススメから2cm過ぎただけで「高め」を選ぶのも危険だ。標準なら万が一のときは誰かに譲ることも出来るので、結局、冒険はしなかった。果たして使用感はどうか。少なくとも、想像以上に冷たいのは既に最高である。

[2030] Mar 20, 2015

トム・バーロウ「覆い隠された罪」、マイクル・コナリー「細かな赤い霧」、オニール・ドゥ・ヌー「重罪隠匿」、アイリーン・ドライヤー「写真の中の水兵」まで読了。ここまで読んで確信したが、これは江戸川乱歩の「ミステリ傑作選」の「ミステリ」とはだいぶ区分が違う。圧巻の推理、奇抜なトリック、大どんでん返し、という推理小説的な要素は少なく、単純にミステリや犯罪を扱う短編小説の選集である。今のところの四作も、犯罪を巡る人々のドラマを描き出す社会的な作品という印象だ。切れ味よりは、味の深みで勝負している。▼訳の軽快さもあって重たくはない。文庫本に換算すれば900ページはありそうなボリュームだが、短編好きならさくさく読んでいけそうだ。今日の散策で他に気になる本が出来てしまって、こちらを最後まで読み通すか少々悩んだが、途中放棄と積読はなるべく避ける主義。しばらくは二冊携えて肩の痛みに耐えよう。贅沢な悩みである。

[2029] Mar 19, 2015

脚本系の本のストックが尽きたので、有隣堂の文学コーナーへ行く。紀伊國屋に比べると所蔵は遥かに少ないので、映画・脚本の棚も見たことのある題ばかり。今ひとつ食指の動かない気分で近くの海外文学棚を漁っていたら、思わず二度見してしまうタイトルの本を見かけた。『ベスト・アメリカン・短編ミステリ2014』。普通に面白そうな短編アンソロジーだ。しかし、併記してある原題は「THE BEST AMERICAN MYSTERY STORIES 2013」である。2013なのか、2014なのか。▼もっとも、そう訳されたのにはそれなりの事情があるはずで、こちらが煩くこだわるようなことではないのだが、結果的にはその違和感が功を奏して私は本書を手に取った。手に取って、ぱらぱらと中を見て、昔読んだミステリ傑作選のようで楽しそうだと思ったから買ったのである。一生かかっても読みきれない本の中、些細なことでも心に掛かるフックがあるということの重要さを思い知った。

[2028] Mar 18, 2015

カール・イグレシアス『脚本を書くための101の習慣〜創作の神様との付き合い方』読了。一流の脚本家22人による、脚本家の卵へ向けたアドバイスのまとめ。会話体とはいえ活字みっちりの濃密な380頁は大満足。インタビューの回答がテーマ別に編纂されているところも目新しい。▼パート5はハリウッドという歪なシステムの中で脚本家として成功し生き残るための「売り込み」テクニックの章で、一見、ハリウッド志向でもなんでもない日本の読者には関係のなさそうなところだが、芸術家とビジネスマンの間で絶妙なバランスを取ることに日々苦労する”師匠”たちの姿は、クリエイティブな仕事についている人なら強く共感するだろう。もちろん、その長年の苦労から得た知見に学ぶところもたくさんある。逆説的だが、ある意味、パート5が本書の中で最も「万人受け」する章かもしれない。▼技巧の本ではないが、脚本関連ではスナイダーに続いて星5つとしたい。

[2027] Mar 17, 2015

ベイマックスの映画を見たとき、予告編で「ストロボ・エッジ」が流れた。なんか見たことあるなと思いつつ、コカ・コーラZEROを片手にぼんやり。キャッチフレーズは耳に残るが、どんな映画なのかを思考する頭は回らない。ベイマックスはまだ始まらないのだろうか……。▼そうして今日。会社の帰り、最寄り駅の床面にどでかいピンク色の広告を見つけた。『ストロボ・エッジ』。なるほど、ここに飾ってあったから「なんか見たことある」と思っていたのか。よく見ると改札にもステッカーが貼ってある。もういちど床面を見る。「この映画は当駅を舞台に撮影されました。」なんだって。▼そういえば緑園都市でも南万騎が原でも、ちょっと前によく何かの撮影をしていたな……と今更のように思い出した。深夜帰りのとき、機材を撤収している姿も見かけたことがある。画像を探してみると、なるほど十数年慣れ親しんだ駅のシーンだ。最近、こんな驚きが多い気がする。

[2026] Mar 16, 2015

仕事力とは何か。技術力とは何か。プログラミング力とは何か。社会人五年目の終わりを迎えて再び自問する。プロジェクトをひとつ越えるたび、内省して成長の軌跡を確認するのだ。重要なのは昔の自分と考え方が変わったところ。職業プログラマになる前と今。最も変化した価値観はなんだろう。▼原理主義的なところは丸くなったかもしれない。最初から破綻しない設計を心がけるのも大切だが、かろうじて動いている継ぎ接ぎだらけのプログラムにバグが生じたとき、瞬時に問題を特定して必要最小限の改修で水漏れを塞ぐ能力も、たしかに立派な「プログラミング技術力」だと思うようになった。▼綺麗なコードは読めて直せて当たり前。ときに意味不明で、意図も謎で、非論理的で、汚くて、全く宗教の合わない他人のコードでも、さくさく読めて直せなければ仕事にならないのだ。そういう「力仕事」をきっちりこなす先輩たちの腕前を見てきて、自分では腑に落ちている。

[2025] Mar 15, 2015

フィリーズレビュー、コートシャルマンは惨敗に終わる。二歳の星と思われていたティルナノーグとコートシャルマンだが、ここが競馬の難しいところ、その後は順調さを欠いて不本意な結末に終わっている。ふたりとも根本的な立て直しが必要だろう。クラシックの夢を、現実的な賞金加算の目標で塗り替えていかなければならない。▼これにかこつけてひとつ。夢が敗れたときに現実を直視せず、過ちを認めないまま夢想と心中するのは敗北だとよく言われる。それはその通りだと思う。しかし、その言い分はいくらか悪用されている節もある。夢を求めて上手く行っているうち、あるいは多少失敗をしても取り返しがつくうちは、せっかくの《非現実的なまでに》高い志を、現実的な目標などにすり替えるべきではないだろう。▼夢を思い、夢を語るということは、意識と言葉で自分を限界の外へ引き延ばそうと努力することである。夢のない人に成長はない。多忙な現実しかない。

[2024] Mar 14, 2015

初めて神楽坂を歩く。牛込神楽坂で降りてから、閑散とした住宅街をうろうろして、なかば迷いながらも神楽坂上の交差点へ。現在地の印がない不親切な地図版に眉をしかめ、古き良き左右の街並みにそぐわない唐突なパチンコ屋に戸惑いつつ、空きっ腹でメインストリートを下っていく。そうして神楽坂下へ抜けて出ると、そこはかつて、大学からの帰り道に「今日は数駅歩こう」と友人達を巻き込んで散歩をしたとき、しばしば徒歩の終着点にしていた飯田橋駅であった。私は全く知らなかったのだ。神楽坂とは、ここのことだったのか。▼名前だけは聞いたことがあるものの、どういう場所かはよく知らない、どこにあるのかも朧げ、しかし印象だけは人づてに聞いている、そんな土地を歩くのは出不精の私でも楽しいと思う。今回のように二束の電流が繋がるような体験は稀だろうが、何かしら思わぬ発見はあるものだ。山盛りの荷物を肩に下げて、帰路は懐かしき南北線である。

[2023] Mar 13, 2015

世間の流行に遅れること数ヵ月。「ベイマックス」を見る。アクションと感動物の良いとこどりなヒーローアニメーションで、派手な動きと迫力の効果音による押して押しての急展開が魅力の快作だ。脚本術から見れば、基本構成に必要十分なパズルのピースを、多少唐突だろうが強引だろうが一通り捩じ込んで、押さえる所はきっちり押さえました、あとは我々製作陣の注力したキャラクターとアニメーションを存分にお楽しみください、と言わんばかりの清々しい割りきりようである。甲斐あって、とにかくテンポは抜群だ。▼グラフィックスもさすがのディズニークオリティで、近未来のロボット工学が浸透した世界の街並みや暮らしをクールに披露してくれた。ヒーローコスチュームには少々疑問符を浮かべたものの、エンディングでアメコミ原画のデザインを見て納得である。諸々、細かいツッコミはいくらでもできるが、勢いが全てに勝った見ていて気持ちの良い作品だった。

[2022] Mar 12, 2015

高山博『ポピュラー音楽作曲のための旋律法』を再読。サンプル音源の都合上、家に長くいるときしか読めないので、こういうときにさらっと復習したい良本だ。▼基礎をさくさく辿りつつ、きらりと光るアドバイスが多い。「内なる唱和」と「同調」の考え方は、こと歌声を意識する曲づくりでは重要だろう。チェストボイスを越える高音域、たとえばA3よりも上の旋律を聴かせるとき、その旋律が反復される順次上行などでわかりやすく誘導されていれば、聴く人は心の中で歌いながら聴いている状態になりやすく、その高音フレーズは「苦しげに」聴こえる可能性がある。▼一方、小節の頭などフレーズの途切れた後で急に現れる高音に対しては、聴き手が同調する時間がないため、自分の外にある芸術品を眺めるような気持ちで聴くことになる。このときは苦しげなニュアンスは付与されず高さの技巧が際立ってくる、という考え方だ。同じ高音でも聴かれ方が変わるのである。

[2021] Mar 11, 2015

「――まあ、その前に脚本を書く時に気をつけなければならないことと言えば”初稿展覧会”にならないことかな。”思いつき”だけで書かれたことが見え見えの原稿を人に読ませるのは感心しない。そういう原稿から何がわかるかというと、書いた人は自分が書いたものを読み返しもせず、推敲もせず、よりよい表現を探しもせず、ただ思いつきを書いただけの怠け者だ、ということだよ。」▼秋葉原の本屋で見かけたとき、これは面白そうだと思って以来、目をつけていた『脚本を書くための101の習慣』を買う。やっぱり面白い。私は脚本家になりたいとはさらさら思っていないのだが、どういうわけか創作指南系の本を読み物として読むなら、脚本家の言葉、脚本術の本がいちばん楽しい。彼らに物事を難しく見せようとか、格好をつけようという気配が全く無く、気さくで愉快で変な人たち(もちろん良い意味で!)が多いからだろうか。とにかく、なんだか明るいのである。

[2020] Mar 10, 2015

音楽理論のような面倒ごとは極力避けて行きたいと思いつつも、いろんな本やらサイトやらをさらさらと読みたければ、基本的な用語の習得は避けられない。その基本的な部分については、ようやく調べなくても理解できるくらいにはなってきたと思う。属七やら副七やら、いろんな「七」はときどきごっちゃになって、何のことやらわからなくなるが、昔はローマ数字やアルファベットが出てくるだけでげんなりしたものだ。▼言葉をいくら覚えたところで実作に寄与することはないのだが、それでもやはり言葉は世界のルーツである。言葉が身についていれば、その世界のより深い概念、より面白い関係、より興味深い概念をすんなり理解できる。理解して、新たな言葉を脳内の「言葉玉」にくっつけることができる。そうしていつしか、その雪だるまが放っておいても勝手に膨れ上がっていくほど大きくなったとき、あらゆる人生の一時が学習也――という達人の境地に達するのだ。

[2019] Mar 09, 2015

先輩からヘッドフォンのオススメを訊かれる。予算は三万円だが、こだわりたいので物次第では超過も辞さないとのこと。デザインは二の次で音質を求めるとのことだが、話を聞く限り家使いの音楽鑑賞がメインのようなので、よほど音質に差が無いのであれば装着感を重視するよう推奨した。恐らくSHUREのオープン型がちょうど良いだろう。ミドルレンジで予算周辺が何点かある。▼ハイレゾコーナーで試着したというソニーのMDRシリーズは、個人的に音の軽さが好かなかったらしい。正直、三万帯なら音質より装着感に注力した方が後々良いと思うのだが、音の傾向が気に入らないなら尾を引く可能性があるので無理に薦めない。装着感の好みとしては側圧の強さを嫌っていたので、デザインを度外視するなら頭の上にやさしく乗るオーディオテクニカのラインナップも合いそうだ。とにかく、人の言葉を取りまとめてぴたり合う品を薦めるのは難しい。店員は偉大である。

[2018] Mar 08, 2015

昔、高校時代の恩師が餞に来れた言葉を思い出す。「なんでもやりたがる好奇心は良いけれど、お前が大きく失敗するとしたら、それはお前の本筋と関係の無い横道に入れ込み過ぎたときだと思う。お前の持ち味はそこじゃないよ。」▼「そこ」と言うのは、私が大学で勉強してみたいと話したラテン語のことを指している。たしかに当時はラテン語に限らず古い諸外国語に興味があった。けれども、今思えば先生の方が私のことをよく理解していたのだろう。結局、それらは一過性の興味に過ぎなかった。やがて語学のことは忘れていった。代わりに文学と哲学にのめり込んだ。数学や工学も楽しかった。そのうち音楽に出会った。そんなクリエイティブな諸々の方が、自分の芯に近い実感があった。▼今、また少しずつ興味が拡散している。こういうときはいつも冒頭の餞を思い出す。面白そうだと思う全てを極めるには、個人の人生は短すぎる。一過性の興味に引きずられないこと。

[2017] Mar 07, 2015

帰宅して、真っ白なノートが机に広がっているのは本当にありがたい。若いころならひと目で覚えられたような物事も、年を食うとなかなかそうはいかないので、こうして白紙に図や文章でまとめていく必要がある。そうできる環境が準備されているのが肝要だ。記憶という行為が億劫になった――そんな人には是非、A4無地ノートを常に広げたまま部屋に置いておくことを薦めたい。▼将棋は右玉を研究中。BEはテクノロジーウェブを書き出して技術名と解禁建造物と効果を暗記。音楽はプロットをスケッチにするため恐る恐る文字を音符へ。企画はひたすらキーワードと文章の羅列。生煮えのアイデアを図にしたり絵にしたりした、他人には読めない謎の暗号。アセンブラやGPUの勉強は会社でも使うので別のノートへ。こうして諸々並行して手を出せるのも、ノートという中間記憶があればこそだ。もともときれいな字を書く人間ではないから、落書きくらいがちょうどいい。

[2016] Mar 06, 2015

初段を目指すには序盤力と終盤力をつけよ、と言う。序盤力とは即ち、安全に強い型へ向かうための定跡を身につけること。戦法や囲いだけ覚えても、組んでいる途中で急戦を仕掛けられてガタガタに崩れ、囲う前に詰んでしまうということはままある。そうならないよう、相手の手と睨み合いながら陣形を進化させていく序盤の攻防を手癖にしなければならない。▼終盤力とは即ち、相手の玉を詰ませる力。将棋とは、駒を得することで優位を築きつつも、最後は歩が二枚あれば相手の玉が詰んでしまうゲーム。目的を「有利」から「勝利」へと切り替えるタイミングが必ずある。その仕掛けの後、きっちり勝ち切ることが出来なければ圧倒は出来ても勝利は出来ない。▼この二点をしっかり押さえれば、その間の「中盤力」は後回しでも良いのだそうだ。どのみち中盤は手も広く、数をこなすことでしか地力のつきにくいところ。意識して勉強するには向かないということなのだろう。

[2015] Mar 05, 2015

文章作法の説明に「半終止」という言葉が使われているのを見た。結論めいたことを匂わせておいて、本当の結論は後回しにするという、元の意味通りのテクニックである。映画なら主人公の目標が見かけ上達成されて、何も失うことなく帰路に着こうとした、まさにその時か。「偽終止」の方が名前的には似合うかもしれない。▼ここらで終止形の用語について、自分のためにも一旦まとめておこう。「正格終止」は基本的なT→D→Tの終止形。T→SD→Tなら「変格終止」、二つの混ぜあわせであるT→SD→D→Tは「混合終止」、またT→D→Tだが最後のTにT以外の代理和音、特にYを用いるものが「偽終止」と呼ばれる。▼楽句・楽節の終わりがDで終止したかのように落ち着く「半終止」は大きな目で見ればいつかはTに帰るので、正格終止の途中版といったところ。終止感の強いDである。正格で最後のTが基本形なら「完全終止」、転回型なら「不完全終止」だ。

[2014] Mar 04, 2015

九ヶ月ぶりにメガネの調整。ちょっと前、冷蔵庫の扉に正面から顔を強打してしまい、緩衝材の役目を果たしてくれたメガネのノーズパッドが歪んでしまったのだ。しばらく我慢してかけていたが、折よく東京メガネさんから催促のハガキも来たので、紀伊國屋へ行くついでに足を運んでみた。▼ヒンジの緩みとテンプルの曲がりを修正。側圧の強いヘッドフォンを常用しているので、このあたりに歪みが出るのは仕方ない。ノーズパッドはかなりの度合い左右でズレていたらしく、調整後はメガネを新調したときのように足取りがくらっとした。もちろん、今までの見え方が悪かったのだ。心なしか遠くの文字がくっきりと見える。▼久々の紀伊國屋は二時間ほど背表紙を眺めてうろうろと。いつもの本屋とは取り揃えている本の傾向が違うので簡単には飽きない。文芸棚に平積みされた久生十蘭の特集が懐かしく、河出書房のジュラネスクをほしいものリストに追加したところである。

[2013] Mar 03, 2015

分島花音ファーストアルバム『ツキナミ』を買う。ノリの良いバイオリン曲を探している中、たまたま見つけた「Killy Killy JOKER」を気に入って、それがきっかけでアニメの方もひと通り見終わったところ、タイムリーにタワーレコードでたまたまアルバムを見つけたのである。JOKER以外では「サクラメイキュウ」「world's end, girl's rondo」が好み。この手のスタイルで出来の良いアニソン作品は久しく聞いていなかったので、ひとまず三周して満足した。▼一方、アニメの方は面白かったが突っ込みどころも多々ある、なかなか評価の難しい出来。とにかく牽引力とインパクトを重視した結果、プロットやキャラクターがぐらぐらしてしまったというところか。自分では楽しんだのでハズレと言うつもりはないが、人には薦めにくい。タイトルが覚えにくいのもあわせて、なにかともったいない作品である。アニメ好きの同僚に聞いたら、案の定タイトルで切っていたそうだ。

[2012] Mar 02, 2015

個人的な名曲の分析中。展開がドラマティックな曲、何故かフレーズを覚えている曲、とにかくかっこいい音があると記憶していた曲、などなどお気に入りの曲を、聞き流しでなく主要なコードくらい取ってみたり、遠くのシンセアルペジオを拾ってみたりする。最高にクールだと思えた進行が、ただのコードにばらしてみると味気なくなってしまうということがしばしばあった。▼世の中、スパイシーで独創的であっと驚くコード進行を追求する教本は多いが、こうしてみると進行そのものが大切とは思えない。同じコードでも左手にトリルを選んだだけで印象は激変する。しかも片方が最高で、片方が微妙となると、これはもうコードなんて奇妙でなければ好きなようにすればよろしい、ただコードを表現する音色や奏法の選択を間違えなければ良し、ということなのではないかと思えてくる。そんな簡単な話ではないだろうが、同じ王道の進行にも無限のバリエーションがあるのだ。

[2011] Mar 01, 2015

将棋界で一番長い日。休日にあかせてA級順位戦リーグ最終局のライブ中継をどっぷり視る。たった今、佐藤九段と深浦九段による入玉模様の大激戦に決着がついたところ。敵陣に成り駒で囲いも囲った佐藤九段の堅陣であったが、持将棋などあってはならぬ、詰め切る深浦九段の執念が上回った。▼三浦九段と阿久津八段は降格が決定。対局前は三浦九段にも降格を避ける目があったものの、単独名人挑戦権を賭けた行方八段が負け、さらに悲願の一勝を賭けた阿久津八段も手痛い逆転負けを喫したことで、勝敗決着前に降格確定となってしまった。来期に即復活出来るかどうかが肝になりそうだ。▼結果的に挑戦権を賭けてのプレーオフは、渡辺二冠、久保九段、行方八段、広瀬八段の、なんと四人ということに。誰が挑戦しても名人戦は初挑戦。最終局以上に熱いプレーオフになりそうだ。良い棋譜を見ていると自分のヘボ将棋もまともになる気がして、気持ち前向きになってくる。

[2010] Feb 28, 2015

ブレイク・スナイダー『SAVE THE CATの法則』読了。フィルムアート社の本は何冊か読んできたけれど、こと脚本術系の本に限って言えば、これが今までで一番良い。同系列の本が好きな人なら自信を持ってオススメできる。あんまり書評で「オススメ」はしないと宣言したこともあったが、文句なしの五ツ星なら広めても世界に損はなかろう。▼値段と頁数から言って、情報量はそこまで多くない。名言も引用句もそんなにない。けれども、読んでいるうちから本当に脚本が書きたくなってくる。思うに、金言や法則を並べ立てて読者を「名脚本家になれそうな気分」にする教本は、本書のような「とりあえず脚本が書きたくなってくる」教本には、どこか一歩及んでいないのだ。▼スナイダーの言葉は、こうすればいいよ、という語り口ではない。僕はこうするよ、もちろん、その方が面白いからね。結果はご覧の通り――というわけだ。自分の実績に物を言わせた見事な構成である。

[2009] Feb 27, 2015

ルールを知らないゲームで遊ぶ。フリーのアプリをダウンロードしてゲーム開始を押すだけで、そんなことも出来てしまう良い時代だ。「あなたのターンです。」手渡された将棋風の画面には、全ての駒が裏返しになった敵陣と、きっちり対称に組まれた自陣の駒。将官、佐官、尉官、騎兵、スパイ、タンク、地雷、ヒコーキ……。軍人将棋である。▼駒に優劣や相性があり、ぶつかり合うと強い方が生き残る点や、相手の本陣に将官を送れば勝ちという勝敗条件など、名前こそ軍人将棋だが将棋とは全く別物だ。相手の駒は全て裏返しなので、自分の駒をぶつけた結果や動きから、駒にアタリをつけて有利になるよう陣形を組み替えて行くのである。▼トランプゲームにありそうな運と推察の遊び。しかしこれらのルールは決着後に知ったもの。実際は闇雲にタンクを敵陣に送って地雷に捕まるまで佐官や尉官を薙ぎ倒すという乱暴なプレイであった。たまには手探りの遊びも悪くない。

[2008] Feb 26, 2015

今日、寝不足解消のため昼食をコンビニで済ませて昼寝をした。雨の日は駅まで食べに出るのも億劫だ。十分で食事を済ませて机に突っ伏すと、なんだかやたら低く感じる。これは家の75cm机の効果に違いない。▼キーボードを叩いているときは気が付きにくいが、伏せるために腰を曲げてみると相当無理をしていることがわかる。身体がガラケーのごとく折りたたまれてしまった気分だ。今回のプロジェクトでは意識して昼寝をしないようにしていたからよかったものの、続けていたら確実に腰を痛めてしまう。やはり70cmは私には低いのだ。▼家の机は、デスクスタンドもあわせて極めて良好。久しぶりにノートを取るのも楽しくて、ついつい遅くまで書き物をしてしまう。A4の無地はアイデア重視の自由帳、B5の6ミリ罫線はまとめ重視の勉強帳。これは高校生のときから変わらないスタイルだ。色やサイズを使い分けると見分けが便利だし、気分も変わる。反射の応用である。

[2007] Feb 25, 2015

「これからつくろうとしているものはどんな作品?」と聞かれれば、たいていの人は思いの丈を語ることくらいできるだろう。ログラインなどと難しいことを言うまでもなく、この質問にまともな回答が返せないようでは、何かをつくろうとしているとはとても言えない。しかしこちらはどうか。「これからつくろうとしているものに、いちばん似ている既存の作品は?」▼かなりクリティカルな質問だと思った。たぶん、これからは毎回必ず自問することになると思う。自分が目指す作品に、最もよく似ている作品。これが挙がらないということは、作品のジャンルを定められていないということだ。理想が先行してあれもこれもでふわふわしているか、あるいは似ている作品など存在するはずもない斬新奇抜な世界初のオリジナルという妄想に囚われているか……。▼ジャンルを知ること。これからつくる料理の名前も言えない人がキッチンにいたら、私ならその料理は食べたくない。

[2006] Feb 24, 2015

書店の世界史棚に立ち尽くした。行きつけの書店では、よく足を運ぶ理工学系や創作系のセクションを越えて、入り口から最も遠いところまで潜らないと歴史・社会学の棚へは辿りつけないのだが、今日は比較的時間に余裕があったので、全階、全棚をぐるりと周回したのである。▼はっきり言って、世界史の棚には他のどの棚より興味を惹くタイトル、題材の本が多い。それなのに私はあまり世界史の本を読まない。このギャップはどういうわけなのか。大判の本が多く、価格のことは本棚への収まりを考えてしまうから。どれも面白そうなので、ひとつを選べないビュリダンのロバ状態だから。ハードカバーが多くて持ち運びに不便そうだから――理由はいくらか思いつくが、決定打はない。興味があることと好んで手に取ることのあいだには、もう一枚、薄いヴェールがあるのだろう。▼今の積み本が消化できたら、久しぶりにディープな世界史の破片をかじってみるのも悪くない。

[2005] Feb 23, 2015

「アウトラインから書く小説再入門」「ストラクチャーから書く小説再入門」の二冊をぴかぴかのデスクにならべて、読み直しつつメモし直しつつ、まずは言う通りに組み立てて行く。「小説再入門」を見ながら曲を組み立てていくのも不届きというか、著者の想定範囲にはなさそうな筋合いだが、こと曲について構成を練るという行為をしたことのない私にとっては良い手引きになっている。▼二冊分、手順を終えたところで、結局、メモやアウトラインは放り出して普段通り好き勝手に作り始める可能性もあるのだが、そういう無為を恐れていては新しいことはできぬ。興味が出たときに後先考えずやってみるのが私のスタイルでもあるので、たまたま構成に興味が湧いたのなら生かさない手はない。それに人間、自信のないことは計画したがらないものである。熟練者が勘で行くのとは違う。計画したこともないのに計画を避けているようなら、それは自信のなさがそうさせるのだ。

[2004] Feb 22, 2015

配置の都合上、机は部屋の電気を背にする形になってので、書き物が暗くないようデスクスタンドを買う。濃木目のボディが、それよりもやや薄い茶系の天板に同系色のアクセントを添えて、われながら写真でも載せたいくらい見事に嵌ったデザインである。メカメカしいデジタルワークのPCサイドに比べて、木材メインで温かみのあるアナログワークの書き物サイド。これはセンス◎だ。素晴らしいじゃないか。▼自画自賛もほどほどに。俄然テンションも上がってきたところで、新プロジェクトのまとめにかかる。メモ帳は使い潰したので大学ノートへ企画のまとめをつらつらと。もっとも、こう書くとばりばり下準備をして捻り出したアイデアのように聞こえるが、実際には考えていることをペンで紙に走らせているだけで、二回同じことを思いつかないよう制御した思いつきに過ぎない。実際、紙の最大のメリットはそこだろう。年を取ると思考が同じところを回りがちだから。

[2003] Feb 21, 2015

注文した、の次の日に「届いた」と書けるのも凄い時代だ。あっという間に机はやってきた。天板の箱と脚の箱。組み立てもシンプル。ひっくり返して勉強机の出来上がり。部屋のインテリアが少しまともになる。▼上下昇降脚はデフォルトで75cmに設定されていたから、人間工学の言う理想的な高さに近いのでそのままにした。やはり体感は高い。座面の高さが45cm、天板の高さが77cmにせよと数値は言うが、測ってみると私の座面は約50cmである。それで高いと感じるのだから、座面を下げたら尚更高くなるが……。▼個人差はあるだろうから、椅子の高さはそのままに、しばらく75cmで慣れてみようと思う。もしかしたら今までの私の「机はこれくらい」と思う基準高が低すぎただけかもしれない。書き物をしていてあからさまに疲れるというほどではないから、数週間して身体に支障が出なければ問題なかろう。広い机は想像力の源。落書き帳をつくって自由にペンを走らせたい。

[2002] Feb 20, 2015

念願の机を注文した。「fantoniGX」のGX-167H、幅160cm*奥70cm。将来性を考慮して書き物机としてはやや広めに選んだ。大きさを感じさせないフレームの軽さが良い。デザインもMEシリーズの次にお気に入りだったので、価格を考えれば一択となる。▼最も悩んだのは高さだ。私の測定では、会社の机と今のサイドテーブルがちょうど70cmなのだが、理想的な机の高さと身長の関係を調べると、私の背丈では75cm〜77cmくらいが最適らしい。とすれば普段の座り方が悪いのか。しかし座高も影響するだろうから、私の場合は75cmでは高すぎるということもあるかもしれない。▼同シリーズには奥行きに応じて高さが72cmと75cmの二通りしか選べないので、どちらもぴったり嵌るとは思えなかったから、結局、やや予算に無理を言って上下昇降脚のオプションをつけた。これで調整可能となる。製品使用者レビューの「上下昇降もつけておけばよかったと後悔しました」が決め手となった。

[2001] Feb 19, 2015

その筋では有名らしいが、私は寡聞にして全く知らなかったピアニスト、シプリアン・カツァリスのショパン「バラード」と「スケルツォ」集を買う。その隣に並んでいたアシュケナージのバラードは、なぜか定価2500円の品が1000円になっていたので、合わせて籠に入れた。ルービンシュタインを超える、あるいはせめて近づくレパートリーが欲しいところで、バラード1番とスケルツォ3番は探索中なのだ。▼アシュケナージはまだ聞いていないが、カツァリスはかなり良かった。残念ながら私にとってルービンシュタインに及ぶことはなかったが、これならようやく「好みの問題」と言えそうなラインだと思う。一拍目のもったいの付け方と、要所要所の音の跳ね方が性に合う人なら、ぴたりと来るかもしれない。私にはどうもそこが合ってこない。▼この頃は手を伸ばしてバラード2番とスケルツォ1番も楽しく聴いている。他のナンバーはまだ耳に通しているくらいだ。

[2000] Feb 18, 2015

飽きっぽい。心移りが激しい。何かを思い立っても長続きしない。そんな私が二千などとという数字を拝めるとは。これもひとえに、つらいときは日記にも満たないような適当な記事でも自分を許して来たおかげである。許し方が正解だった、と言うべきだろう。「一日くらいすっぽかしても良い」という形で緩めていたら、一欠けして二欠けして、そのうち穴だらけになって諦めていたに違いない。これは間違いないと思っている。▼時事ネタあり、雑感あり、書感あり、豆知識あり、チラ裏もあればスクラップブックもあり。偉人の名言をメモしたり、先輩の教えを受け売りしたり、なんでもありで守ってきたのは四百文字、書き溜めなしで毎日書くという、ただそれだけ。当初の目的であった文章力の向上に寄与しているかは未だに確信が持てないものの、何か言いたいことがあるとき、一文目を書くことに抵抗がなくなったのは確実な成長だろう。二千の賜物である。次は三千へ。

[1999] Feb 17, 2015

なるほど、処女作が抜群に良く出来て好評を取り、その流れで二作目を出したら些か蛇足気味になってしまったパターンか。そう一人合点してしまうくらいの一冊。K・M・ワイランド『アウトラインから書く小説再入門〜なぜ、自由に書いたら行き詰まるのか?』読了。一昨日の本は、これの続編にあたる。▼地図は嫌いだし、構成を練るのも好きじゃない、かなりの「パンツァー」な私だが、これを読んだらアウトライン派に転向したくもなるもの。諭されての回心というより、地図嫌いには地図嫌いなりに楽しめる、そして役に立つアウトラインの手法があるのだという柔軟な主張に賛同する形だ。かっちりとロードマップを定めてから創作するのは気に入らないけど、そういうことなら私もたしかにやるべきだな、と思わせる説得力がある。そして、そうしなければならないという強迫観念がない。▼押し付けがましくない教本は良い。心もひらきやすいというもの。太陽である。

[1998] Feb 16, 2015

Cubaseのアップグレードをすべく、7から8へのアップグレードパッケージをオンラインで注文。まもなく小包が届いた。中にはCDが一枚。「CUBASE 7.5」のラベル。▼まさか注文するものを間違えたかと青くなったが、同梱されていた用紙によると「これは8への無償アップグレード権利がついているバージョンだから、インストール後にウェブから勝手に8を落としてきて再アップグレードしてくれればOKです」とのこと。結果的に同じものが手に入るので不満はないが、漂う在庫処分感がなんともいえない。▼KONTAKT5がレジストリに不正な値を残したまま死亡したり、古いVSTiが認識されなくなったり、レイアウトカラーが大幅に変わってしまって気持ちの整理がつかなかったり、いろいろ問題は孕みつつ目下移行中。最近はDAWのアップデートも激しすぎるので、アドビのように購読式にして欲しいと切に思う。継続客がついて収益も安定すると思うのだが、どうだろう。

[1997] Feb 15, 2015

K・M・ワイランド『ストラクチャーから書く小説再入門〜個性は「型」にはめればより生きる』読了。前から欲しいと思っていた本――の横にたまたま並んでいたので、立ち読みしたところ軽くて面白そうだからという衝動買いで手に入れた一冊。読後感は期待通りのあっさりで、要点は飲み込めたからよかったかな、というさっぱりしたものだ。▼小説と映画を一緒くたにしすぎている気はするが、シーンとシークエルの連続でプロットを繋げていく定番手法の紹介などは端的でわかりやすい。具体例は作品が絞られすぎていてやや無理やり感もある。「それでは名作がどうなっているか見てみよう」といっても、長編作品から一部を抜き出して型に嵌めようとすれば、たいていなんとでも言えるものだ。この本の持ち味は、恐らく例示にはない。▼読みやすい、わかりやすい、心に留めておけばいつか役に立つかもしれない。その手の読み物としては満足している。良い薄味である。

[1996] Feb 14, 2015

共同通信杯にPOG馬が二頭出る。リアルスティールとティルナノーグ。一枠一番と二枠二番という見事な内枠ぶり。人気は現在それぞれ三番人気と七番人気だが、ドゥラメンテとアヴニールマルシェの二強が崩れない以上、リアルスティールの三番人気は動かなそうだ。前走、前々走の大敗に目を瞑れるなら馬券的にはティルナノーグの方が妙味あり。頭は面白いかもしれない。▼毎年のように”怪物”が出るご時世だが、先週もルージュバックという牝馬三冠候補が誕生したばかり。このあたりで牡馬の三冠候補も片鱗を見せて欲しいところだ。94年以降、共同通信杯でキャリア一戦の馬が勝った事例はない。勝った事例どころか成績は0−0−0−11、つまり複勝率すら0%という散々な結果なのである。もしキャリア一戦のリアルスティールが勝つようなことがあれば、私としても大いに期待せざるを得ない。あるいはティルナノーグの大復活でも歓迎だ。さて、どうなるか。

[1995] Feb 13, 2015

CPUの性能向上も家庭用についてはi7あたりから進化が緩くなった。CPUのホットな話題は今、モバイル向けの低電力コアとウェアラブル用の小型モジュールである。コアなユーザーのゲーミングPCにしても注力するのはGPUになっているので、もはやCPUの性能向上は求められていないということだ。▼処理速度などいくらあっても足りないと嘆く動画製作者やDTMerはもはや、少数派である。スケールアップの道を捨てて真剣にスケールアウトについて考えるべきだろう。並列で駆動するハードウェアDSPはこれから流行るであろうひとつの解だが、値段的にアマチュアユースとは言いにくい。VEの力を借りて、NASないし共有HDDにセットアップした音源を安物のBTOパソコン数台で立ち上げる……というような設計が現実的だとは思っている。▼ハイエンドは高くつくから、スケールアウトの方がコストにもやさしい。唯一の弱点は消費電力であろう。

[1994] Feb 12, 2015

「作家が犯す最大のミス? 登場人物に対して、また、読者に対して手加減し過ぎることです。」ロリ・デヴォーティ。▼もうすぐ読み終わる本の章頭の引用句より、気に入ったものを並べたい。「最初の一文は、著者に知性があることを読者に信用させるための担保である。」チャック・ウェンディグ。「変化についての物語を書いて下さい……すべてのストーリーは『毛虫と蝶』だから。」ブレイク・スナイダー。「……小説を書き上げるコツと、ストーリーを語り終えるコツとはまったく別物だ。」アン・ライス。▼ストーリーとはなんだろう。プロットとはなんだろう。そういうことを今一度、頭の中でまとめ直すには良い本だった。構成への絶対的信頼、断定的な主張、そして平易な語り口。わりあい好みである。明日は書評になるだろう。▼E・M・フォースター「『王が死に、王妃も死んだ』はストーリー。『王が死に、王妃は悲しみのために死んだ』がプロットである。」

[1993] Feb 11, 2015

ただいま絶賛、延長戦中。掘り起こされていないリスクの大きさを考えると、今までかつてないほど危機的状況ではある。しかし同時に、このままなんとか終着を迎えられそうでもある。その判断が出来ない。あまりにも判断材料がない。ただひたすらデバッグをつづけて確からしさを高めて行くことでしか安心に近づけない状況とは、想像以上に堪えるものだ。▼「少なくとも**に関しては、これでもう確実に大丈夫」というセーフティラインを積み重ねていくことの重要性を痛感させられるプロジェクトではあった。全く新しい企画的な試みも、予算の壁を突破する優れたハッキングも、比較的良好な他部署との人間関係も、いろいろ出来ていながら、チーム全体として足りなかったのは、そのラインの構築に対する意識ではないかと思っている。▼変革と改善への熱量を損なわないまま、安全を確保していく態度を養うバランス感覚が求められる。私にも、これからの後輩達にも。

[1992] Feb 10, 2015

ひょんなことから久しぶりに、自分の過去作品を読み返した。部分的には今より良い文章を書いているなと思う反面、いやに窮屈そうな言い回しも目につく。分不相応な借り物のフレーズが多いとでも言い換えようか。▼流れの中で浮いている「その人のオリジナルではなさそうだ」という一角は、書いている人には何度読み返してもわからないが、読んでいる人には一目でわかるという厄介な性質を持つ。ただ、わかるにはわかるが、受け手も違和感を明文化できないので、なんだかちぐはぐな感じがする、というもどかしい評価に落ち着いてしまう。落ち着いて過去の自分を見直してみない限り、是正される機会が少ないということだ。▼もっとも、そういう引用や真似が力をつけてくれるのだから、過去の自分を非難しているわけではない。偉大な他人の「格好良さ」を臆面もなく借りるのも重要なスキルである。どうやら音楽では、それが出来なかった。成長の遅さの所以である。

[1991] Feb 09, 2015

サイモン・シン『代替医療解剖』読了。宇宙創世、暗号解読、フェルマーの最終定理につづく科学シリーズ第四弾は、これまでの数学ドキュメンタリー流れからは大きく外れる代替医療の話。サイモン・シンの医療本とは、それだけで意外性満点だが、これこそ「信用買い」に値するというものだ。ことこの人に限って、ハズレをひく気配はない。▼ネタバレを避けて詳細は述べない。ただ、一人でも多くの人に読んで欲しい本だとは思う。この本に書いてあることが唯一の真実であって、この本の内容に反する信念を持っている人は啓蒙されて考えを改めるべき――とまでは思わないが、通常医療が敵視されすぎている嫌いのある昨今、改めて代替医療をめぐる最近の研究事情に常識的な範囲内で通じておくのも悪くはあるまい。▼昔、我が家にはアロエがあった。火傷のときにはよく塗ってもらったが、思えばあれは、薬効ではなく冷やしていたのだろう。氷のない時代の知恵なのだ。

[1990] Feb 08, 2015

山口哲一監修『DAWで曲を作る時にプロが実際に行っていること』読了。自己啓発本にいくらでもありそうな胡散臭いタイトルだが、同氏の前作、前々作は、ミュージシャンが語る教則本とは毛色が違って面白かったので信頼買い。事情通によるアンソロジーものは昔から好きな方だ。▼「DAWの利点としてよく”いつでも前に戻ることができる”ということが挙げられますが、これは裏を返せば”いつまでも進んでいない”と同じことだとも思っています。肝心のキックが決まっていなくて、「これもアリかな」「あれもアリかな」という状態では、すべてが曖昧で、何も決まっていないようなものです。」これは第三章よりWatusiさんのお言葉。正直に言うと、本書のメインである第二章は、プロの現場を覗く企画にありがちな高級プラグインの宣伝祭りになっていて、貧乏人としては少々げんなり。それよりは一流人の考え方が素直に読める第三章の方が読んでいて楽しかった。

[1989] Feb 07, 2015

CPUがわからねば機械語はわからぬ。不足するCPU知識を補うため、スキマの時間でざっくりと「後藤弘茂のWeekly海外ニュース」のバックナンバーに目を通す。ウェブで読める記事としては比類ない詳しさで、数ヶ月も遡れば、たいていの旬な話題にはついていけるスグレモノだ。優秀なテクニカルライターにはいつも頭が下がる。▼CP∪調査で乗り出した記事漁りだが、やはりというべきか、昨今の話題はHBMに傾いている。HBMはGDDR5の後継機にあたる超広帯域メモリの規格で、帯域幅がボトルネックとなって進化の止まりつつある高性能プロセッサの世界に一石を投じてくれると期待される存在だが、TSVインターポーザのコスト問題が未解決であった。そこへ、インテルが実用に耐える可能性の高い独自の技術「EMIB」を引っ提げてきているというのだから、2015年はいよいよ……とボルテージが上がっているのである。しばらく動向に注目したい。

[1988] Feb 06, 2015

恐らく将棋ウォーズ史上でも、真剣に勝負している人の成績としてはトップクラスの連敗数ではないかと思うが、四十一連敗という歴史的大敗を喫した後、なんとか悲願の一勝をもぎ取った。その相手が、滅多にあたることのない過去の対戦者の一人で、格上だが前回もこちらが勝っていた。つまり彼には二戦二勝というわけだ。よほど私の戦い方が苦手なのだろう。▼ともあれ貴重な勝ち星を頂戴したが、次の試合は再び負けてしまった。一級相手。相変わらず序中盤は圧倒していると感じたのだが、本当に圧勝しているのか、そんな気でいるだけではないのかという弟の助言に従い将棋所で棋譜を解析にかけてみた。結果、中盤以降は評価値4000の圧勝で、なんと私の投了時には向こうの詰みがあったという状況であった。とんでもなく終盤が弱い上、残り時間二十秒とはいえ、五手詰みすら見えてないということだ。相手の投了シーンで自分が投了していては勝てるはずもない。

[1987] Feb 05, 2015

誕生日なので少し早めに帰宅させていただいて。そうはいっても日付変更ぎりぎりではあるが、なにはともあれ二十九となった。三十になると特別な感慨があるというから、それはそれで楽しみとしておこう。ビールを一杯。久々で脳に効く。▼ひょんなことからデータベースの勉強を始めることになった。C系の言語を主戦場にしてきた私にとって、SQLは完全に未知の世界だ。次の仕事で使う言語がSQLになったわけではないが、これからやろうとしているデータ構築環境の改善には、もはやデータベースの導入が必須との判断を下したところである。ここはひとつ、来年度あたり、構造改革の先駆者として新時代の礎作りに励みたい。▼もっとも本格的な大規模データベースを高水準の安定性で継続運用するような厳しさはないのだから、そう気構えるほどのこともない。せめて明らかな設計の落とし穴に嵌らないよう、事前に定石と流儀を身につけようというくらいの勉強だ。

[1986] Feb 04, 2015

微調整、と修正履歴に書かれたリソース。納品日は〆当日。滑り込みで流れてきた小さなデータ群の中のひとつ。もはや申請の無い修正は不可、という時期に調整を加える特別な許可が上から降りたところであった。そうして、それはバグっていた。▼人は失敗する余地があれば失敗する。たとえそれがどんなに軽微な「微調整」でも、事前に引いたセーフティラインを超えるような変更に安易な許可を与えるべきではなかった。許可を与えたのは私ではないが、私も、その修正ならまさか既存の挙動を壊すようなバグは仕込んでくるまいと思っていたのだから同罪である。やらかす人はやらかすのだ。担当者は向こうさんの若手であった。▼ともかく、仕方がない。ただ、こういう苦い体験を多く通過して、安牌しか切れない人間不信気味の仕事人になってしまうのはダメだろう。他人の仕事に対して慎重になるのと、他人を信用しないのとは違う。そこはこちらの心構えの問題である。

[1985] Feb 03, 2015

岩波文庫が堅くて好きになれないという後輩に、私は講談社学術文庫の方が高いからイヤだと言うと、どうして同じような本なのに値段が大きく違うんですかと訊いてきた。どうしても何も……と言いかけて、たしかに明確な答えが自分には無いことに気がついた。出版社が違うのだから、値段が違うのも当たり前だと思っていた。しかしどうして同じ『荘氏』の値段が倍も三倍も違うのか。▼頁数、発行部数、印刷・運送費、等々、本の価格を決める要因はいくらでもあるが、出版社ごとに抱えている計算式はたいてい企業秘密らしい。気になってちょっと調べてみたくらいでは、出版社による値段の違いを正当化する理由は見当たらなかった。実際、競合他社との比較に意味はないのかもしれない。私の中では講談社学術文庫と講談社文芸文庫がとにかく高い印象だが、それというのも学生時代に読みたい本が講談社にしかなくて、出費のかさんだ思い出が強すぎるのもあるのだろう。

[1984] Feb 02, 2015

一段落つく。楽になったわけではない。段落が終わって句点がついただけだ。戦いは続いている。▼今日もやってきたハングアップのダンプファイル。この頃はARMのアセンブラ解析も楽しくなってきた。まして後輩に教えるとなるといいかげんな理解度ではいられないので、細かいことも調べて固める癖がつく。教えるとは教わること。教える相手のおかげで勉強しているようなものだ。▼とあるクラスの内部で参照されたであろうデータのIDがわかれば、過去に修正したハングと同じかどうかわかるとのこと。二通りの方法で攻める。ひとつは定番、スタティックメンバからのオフセット。これは手間と時間はかかるが正確に辿れば鉄板だ。もうひとつはスタックポインタの履歴からIDが格納されているはずのアドレスを直読みすること。IDに予想がついているなら正確なアドレス計算もいらないから話は早い。案の定、予想通りの16進数が数カ所に確認された。ビンゴだ。

[1983] Feb 01, 2015

体調が悪いのか、星のめぐり合わせが悪いのか、将棋の方は十九連敗中である。こんなに勝てなくなることがあるものかというくらい勝てない。内、十二戦は時間切れ負け。そのうちのさらに半分は、評価値なら四桁は確実な圧倒的優位からの、詰め切れない時間切れである。これが勝ち星にならないようでは話にならない。▼一級と二級で、試合数が多く勝率の高い人に共通しているのは、序盤は「ハメ手」をよく選ぶことと、詰みそうになると損得勘定なしの王手連打で時間切れを狙いに来ることだ。ようは格下をカモにして勝利数を稼いでいると言えばよろしい。▼初段になるとこういうタイプがぐっと減って、序盤から終盤まで安定して隙がなくなってくる。初段を目指すには、言い方は悪いが姑息な手はきっちり咎めて、不安なく勝ち切るだけの棋力が要るということだろう。現在の勝率は二割四分程度。これを三割まで持っていければ、ひとまずは二級・一級が見えてくるか。

[1982] Jan 31, 2015

ARMのアセンブラを、すらすらとは行かないまでも抵抗なく読めるくらいには勉強していた甲斐があったというべきか。シンボル情報の取れないダンプファイルの追跡も去年よりは格段にやりやすくなった。メモリの直読みとアセンブラからのコード推測は、素早いデバッグには必須のスキルである。▼メモリの直読みについては、最初こそ16進数の壁に圧倒されるが、慣れてしまえば案外ウォッチウインドウより見やすいものだ。常にとは言わないが、そういう場合もある。深いところにポインタを辿っていく場合など、ウォッチウインドウの矢印をちまちま開いたり、正しく情報を解釈してもらえるようキャストしたりと手間をかけるくらいなら、メモリに保存されたアドレスを見て飛んだ方が楽々というものである。▼デバッガは便利だが、頼りすぎると地力が身につかなくなる。高級な開発が賛美される時代こそ、低レベルの解析力がプログラマとしての付加価値になるのだ。

[1981] Jan 30, 2015

雪は融けて路は雨の跡。遠くうねるアスファルトの坂道が、街灯の白を柔らかく照り返している。靄にまぎれて曖昧な風景。このノイジーさが現実の”ウリ”であろう。リアル系ゲームグラフィックスが目指しているのは、この乱雑であるが故の情報量だ。アナログ特有の豊かさだ。▼こう考えると、ゲームグラフィックスと打ち込み音楽の軌跡も被るところが出てくるようだ。デジタル音の最大の弱点は、波形が綺麗すぎるために音が薄っぺらく、貧弱に聴こえるところであった。理論通りに写りすぎて現実味のないフォトリアルグラフィックスの黎明期と同じだ。その後、アナログ的な倍音の揺らぎを生み出す装置が研鑽されたおかげで、ようやく今はソフトウェアシンセでも楽器に近い迫力、説得力をもたせられるようになってきている。▼雑味こそ魅なり。人は目の前の実在から出来るだけ多くを引き出したいし、また多くを仮託したいのである。まさしく想像力の生き物である。

[1980] Jan 29, 2015

三十六計逃げるに如かず。後輩が本屋で『孫氏』を買ったとき、このフレーズの故事を思い出した。もっともこの故事、孫氏の兵法三十六計とは無関係である。しかも三十六計には「走為上(ニゲルヲ上ト為ス)」、つまりやばくなったら逃げるが吉との教えもあるので、その点では三十六計の方が有能であって、逃げるに如かずと切り捨てるのもいかがなものか。▼屁理屈はさておき、人は往々にして撤退という有益で正しい選択肢を取ることができない。コンコルド効果などと言うまでもなく、負けの込んだパチンコでどうしても席を立てないのと同じレベルの話である。今までの苦労を無にするくらいなら、なんとか形にさせてください――そうして弄くり回した結果、ダメージは無実の隣人へと拡大していく。▼こうすれば解決します、ダメでした、この場合はこうするべきでした。そんなやりとりを二回、三回繰り返したらもう諦めた方がいい。それはダメな方の「計」である。

[1979] Jan 28, 2015

ニアフィールドとミッドフィールドは用途が違うという。そこまで大きくない音量で鳴らし、歪みを見つけ詳細を聴き分ける分解能特化の小型スピーカーがニアフィールド。ひとまわり上の音圧で部屋全体を鳴らし、大音量の印象でミックスの方向性を決めていく中型がミッドフィールド。▼だから、六畳一間や広くて十畳でも、音量だけで言えばニアさえ鳴らしきれないレベルだが、だからといって自宅や自室でDTMを遊ぶ人がミッドを必要としないということにはならない。ニアは強めに、ミッドは弱めに設定して、両方置く意味はある。お互いの存在意義は被っていない。▼八畳あればミッドフィールドも置いて問題ないそうだ。今の環境ならぎりぎり及第する。もっとも、私にとっては完全にオーバースペックなので、言うほど導入意欲はないのだが、もし潤沢な予算と持ち、シビアなモニター環境を求める猛者がいたら、ニアとミッドの併用は検討してみる価値があるだろう。

[1978] Jan 27, 2015

波はいつも悪用される。目に見えないからだ。有害な波動から人々を守るのが使命の教団あり、運気向上の波動を発しているかもしれないパワーストーンあり。波動と言えば、なんでも中くらいの説得力を持つ。胡散臭いと思いつつ、明確に主張を否定することはできない。▼オーディオがオカルト視されやすいのも同じ理由による。百聞は一見に如かずという慣用句が伝えるように、人は、目の言うことは怪しくても信じるが、耳の言うことは確からしくても信じない。画質は実在する。音質はまやかし。特に根拠の無い価値観が流布していく。音質を聴き分けられるのは訓練されたプロだけで、”普通の人”には音の良し悪しなどわからないと、自称”普通の人”達が口を揃えて言うのだ。プロ側がそう主張するわけではないところが面白い。▼吹く人も多い世界、真贋見極めるのは難しいが、音に詳しくない自分にはわからないもの、と安易に突っぱねられるのは悲しいものがある。

[1977] Jan 26, 2015

落ち込んでいる。仕事でミスをしたわけではない。一手詰めを間違えて初段との試合に負けたのだ。馬で寄れば詰んでいたのに、金を上がってしまった。金の死角に逃げられて時間切れ負けである。▼二枚飛車に攻めこまれて、格上相手にぎりぎりのところまで追い詰められた後、攻防一体の角を頼りに守り抜き、一転攻勢、怒涛の攻撃を仕掛けてついに相手の玉を追い詰めたところで、残り時間は三秒。必至をかけた。相手が適切に受けてきた場合の即打ち手順は出来ている。反応の早さが勝負――待ち構えていると、相手は受けを間違えた。つまり、馬の寄りで即詰みの形になってしまった。▼結果的にはそれが私の仇となる。間違いとはいえ意表を突かれた私は、三秒という残り時間に追われて詰みにもならない愚手を放ってしまった。初段故の粘り勝ちというところか。私のテンションは最悪だが、時間を使いすぎた自分が悪いのである。この数秒を詰めないと、先には進めない。

[1976] Jan 25, 2015

自分ひとりで管理するプログラムなら、設計を見直す手はいくらでもある。継承をやめて集約にシフトしてみるとか、テンプレートプログラムに軸足を移すとか、外部ライブラリを多用してみるとか、思い切って言語を変えるとか。▼ところがチームプログラムとなるとそうはいかない。抵抗勢力などという次元の話でもない。ベテランから新人までスキルレベルの異なる人員で構成されるチームにあっては、どんなに優れた設計をコアメンバーが組んだとしても、精密に噛み合うことで最適に動く歯車を、悪意はなくとも破壊してしまう未熟練工が必ず出てきてしまうのだ。よほどの精鋭部隊でない限り、それは避けられない。▼全体の底上げは教育との戦いだが、つまるところチームプログラムにおける理想的な設計とは、”根性プログラム”のような労働集約的な組み込みでもコミットができる柔軟な設計であろう。善良なる無知が成果をあげられないような土壌は現実的ではない。

[1975] Jan 24, 2015

企画に関する妄想と、将棋に関する煩悶と、GPUクラッシュへの憤りの、三本柱に支えられて生きる。一月はそれで駆け抜けるしかない。▼机については、ガラージのデスクCL(ダークウォルナット柄)がちょうどよいと思っている。GFやGTに比べるといかにも廉価版というつくりではあるが、ここのシリーズは天板がしっかりしているので、大きな耐荷重を求めない限りはシンプルなデスクでも十分だ。ニトリのダイニングテーブルも頑丈さと材質では負けていないが、一介の小部屋には荒削りすぎるデザインと、値段に難がある。ニトリがお値段以上なのは認めるが、奥行き70cmでも2万円を切るCLのコストパフォーマンスには勝てない。▼机、文房具、ノート。追加のディスプレイは物置に眠る旧型でOK。企画以上に妄想だが、将来的にS3Xがもし配置されることになったらどうするか……などと考えながらスペースの埋め方を決める。もちろん、実行は二月だ。

[1974] Jan 23, 2015

アイデアをまとめるのにそろそろメモ帳では追いつかなくなったので、マインドマップめいたこともしていきたいし、早急に大きいノートと机が要る。今月の残業代は机になるのだ。▼なんてことはない思いつきが成長した姿に、私の十年来の夢が詰まっている。つきまとう常識や打算を捨てて「こういうのが好き」だけを掻き集めたら、面白いほど「これがやりたかった!」な内容に仕上がった。錯覚なのかどうかはやってみなければわからない。だから尚更やってみたい。▼アイデアトピックの中には、十年来どころか十六年前の懐かしい思い出が貢献しているものもある。それがまた妙に嬉しかったりする。数百の言葉を書き連ねた末に、生き残ったキーワードはたったの三つ。けれども、慎重に真剣に絞り込んだこの三つからなら、今度は世界を広げていけそうな気がする。あとは時間と人生との戦い。たとえ大筋が変わっても、どうか頓挫せず、お披露目する機会が来ますよう。

[1973] Jan 22, 2015

給与明細がいらした。二十五日が土日なので明日の支給、そして通知は支給日の前日である。十二月の残業祭りが数字になる、悲しくも嬉しい、嬉しくも悲しい瞬間だ。基本給がこんなでも、三倍すればそれなりというもの。税金も一緒に膨れ上がるのは癪だが、有意義に使われていると信じて文句は言うまい。なんだかんだで、この数字に生きるも死ぬもかかっている。利根川先生風に言えば、人生を薄めて売っている実感だ。▼ただ、明日も出社しなければ給料が貰えなくなるという恐怖で出社したことは未だに一度も無い。体調が優れなくても意地で行くのは、そうしなければバグが直せないからで、バグを直したいと思うのは直さなければ怒られるからではなく、直さなければ自分の仕事に納得が行かないからだ。働く人間としては、かなり恵まれた部類にいると思っている。客観的にはどうあれ、存分にこだわりを傾けられる仕事というのは良いものだ。自分を騙す必要がない。

[1972] Jan 21, 2015

「問題を解決しています……。」▼この小さな窓が立ち上がった後、本当にウインドウズさんが問題を解決してくれたことは一度もない。レポートをマイクロソフトに送信しますか、と訊かれるまでの流れ作業だ。再起動なんて試みなくていいから、すぐに終了して欲しいのだが。▼システムやツールの製作者が心がけるべきことは、バッドデータに対してエラーにならないセーフティを張ることではなく、エラーが発生した理由と対処法を速やかに、正確にユーザーへ伝えることである。ユーザーは怪しげな自分の設定に対してシステムがなんとか動いてくれることを期待しているわけではない。動かないならそれはなぜなのか、そしてどうすればいいのかを知りたいだけだ。▼滅多にないからと横着して強制終了を選ばないこと。将来、山のようなレアケースから問い合わせが飛んでくる。リードミーの充実も悪手になりがちだ。あんなものを熟読してくれる聖人なんてそうはいない。

[1971] Jan 20, 2015

「深夜は頭が冴える」という口上は、どうやら将棋で化けの皮が剥がれるようだ。たしかに尋常の眠さを越えると逆に頭が研ぎ澄まされていくような気がすることもあるが、昼と同じようなレベルで将棋を打ってみれば錯覚であることはすぐにわかる。酔拳のごとくふらふらの脳味噌で繋いでいく手。惨敗を喫するのがオチだ。▼そんなデータはないが、時間帯別の勝率を取ったら恐らく深夜帯の勝率は悲惨なことになる。ちょっくら論理的な常識を引きずり出せば、深夜は相手も深夜なのだから昼と夜で勝率が変わることはあるまいという屁理屈にもなるが、そこはこちらが無理して打つ憔悴の夜に対して、相手候補は平均的な夜鷹だと思えばよろしい。▼将棋に「勝ち将棋を勝て」という格言がある。負ける試合はするなという意味ではないのだが、実力で勝てる相手にはきちんと勝ち切れ、という意味に捉えれば、自分の調子が良いときを選んで戦うのも大切な見極めかもしれない。

[1970] Jan 19, 2015

徹夜で終盤に大きく体力を消耗してしまったものの、朝方になんとか全ての致命的なバグを回避し終えて、ぎりぎりではあったが最後のマイルストーンを乗り切った。私はまだ良い方で、メインプログラマは二徹だったから、もうひとり二徹気味の後輩と合わせて、集中力の限界に挑む夜のプログラマ三銃士である。不運も見越してスケジュールを立てるのは本当に難しい。▼回避と書いたのは、問題の根本的な原因はわからなかったからだ。メモリの破壊者を特定することはできなかったが、破壊されては困る領域をあらかじめ別のメモリに乗せ、最近ライブラリに更新のあった機能をカットし、エフェクトについては最近の調整こそ無駄になるが安定していた時期のデータをロールバックすることで安定性を確保。後追い確認でもハングは見られず、結果的にはかなりステイブルなバージョンをつくることができた。あとは本当の原因探しと修正だ。目星はついているが時間が少ない。

[1969] Jan 18, 2015

やはりカードは切る羽目になった。まあ、切り札は文字通り切るためにあるものだ。ここで切らなくていつ切るというタイミングなので良しとする。攻めの契機に角を捨てて飛車先を突破するようなものだ。▼もちろん、泊まった以上、タダ捨てになることだけは避けねばならない。さいわい龍に成る道は見えている。山のような頂点バッファとメモリ配置をバイナリエディタで眺めつづけた一日、もうへとへとだが詰めをしくじらないようミスなく確認を終えなければならない。ここからは二次バグと再現が出ないことをひたすらに祈る時間だ。▼人が少なくなるとビルドに時間がかかる。待機時間にこうして記事を書いたり、憧れのS3Xスピーカーを写真で眺めたりできるのはせめてもの救い。こういう瑣末ごとを許してくれない職場なら、頑張ろうという気も起きないだろう。とにかく今日の峠は頂も近い。きっと良い気分で朝日を拝んで、朝食に博多ラーメンでも食べにいこう。

[1968] Jan 17, 2015

GPUクラッシュ。▼描画同期待ちのまま無限ループに嵌る。コンピュートシェーダがあやしい。しかし原因が特定できない。先週まで安定して動いていたバージョンが、この重要な二連休に動かなくなる悲劇。やはり悪夢は、悪夢にとって都合の良いタイミングで起きるのだ。タイトすぎるスケジュールも自分の首を締めに来る。リソースとデータの駆け込み編集が多すぎてクリティカルな修正を探し出せない。何百というリビジョンの藁のどこかにGP∪を突き刺す針がいる。▼一旦解散、明日は総力戦で原因の特定に動く。最悪の場合は、今回こそ徹底的に避けようと心に決めた泊まり込みのカードを切ることも覚悟しなくてはなるまい。ここまで帰宅できない日をつくらなかったことの方が奇跡的ではある。あと一息というところで舞い込んだ大童。今日はモーツァルトのレクイエムでも聴きながら寝ることにしよう。朝の通勤にはテンションの上がるコテコテのアニソンが良い。

[1967] Jan 16, 2015

スイスフランの歴史的大暴騰。こんな形のチャートは見たことがない。明日は誰か、会社に来なかったりするのだろうか。株に染まった彼は運悪くFXに手を出していないだろうか。あるいは逆に勝ちすぎて働く気を失くした人はいないだろうか。FX長者で引退するなら、せめて現存する山盛りのバグは直してから辞めて欲しいものだ。▼もっとも、そんなドラマな話は不思議と身近では起きないもの。きっと明日はスイスフランの話など食卓にも上がらず、バグまたバグを見つけては潰す地味な土曜日になるのだろう。いや、地味で結構。バグ取りとは地味でなければならぬ。華々しいバグフィックスなどまるで信用に値しない。慌てず、騒がず、言い訳せず、粛々と必要最低限の修正を加えていくのが習いあるプログラマの手筋というものだ。▼レバレッジという毒花に誘われて奈落に落ちるのも、一発逆転の甘美さに抗えないからこそ。苦しいときこそゆっくり進む勇気が必要だ。

[1966] Jan 15, 2015

プロ棋士は十手先、二十手先まで読むという。では我々ヘボ棋士は何手読むべきか。何手読めれば勝てるのか。▼切実に今、「三手」だと思っている。九割がたの七手より完璧な三手なのは当たり前だが、それにしてもどうしてこんなに三手が読めないのか。三手と言えば三歩先の未来まで考えているような口ぶりだが、自分、相手、自分の三手であることを考えれば、三つのうち二つは自分の意志であって推理している手はたったのひとつに過ぎない。そうして、それが出来ない。未来ではなく妄想を信じてしまう。▼打つ。打たれる。しまった。これがなくなれば立派な有段者ではなかろうか。可能な相手の手がたかだか数手しかないのに劣勢につながる変化を見落としてしまう三手の罠は、自分に都合の悪い現実から目を逸したがる人間の無意識の特性を見事に反映している。相手の意識と一戦交えているようで、実は自分の妄想癖と戦っているようなものだ。現実はそう甘くない。

[1965] Jan 14, 2015

失くなるはずのないものが立て続けになくなる不穏な運勢の中、ショパンのポケットスコアが届いた。バラードとスケルツォだけ欲しいと思っていたら第四巻はお誂え向きの「バラード&スケルツォ」である。バラード第一番とスケルツォ第三番だけ、行きの電車で読み聴きしてみた。▼読み聴きといってもそう読めるわけでもないので、毎度おなじみ、音符の上下する形を便りに現在地を探りながら聴いていくのだが、ショパンの楽譜はどうやらハンドフリーで聴くより簡素な印象を受けた。逆に言えば、それだけ楽譜から味付けしている奏者が凄いということにもなるのか。▼それにしても八曲ざっと眺めてみたが、どれも手首の移動が多い、弾くには骨の折れそうな曲である。私が弾くことはないのだから心配するには及ばないが、親指小指のオクターブ弾きが多くて手の小さい人には大変そうだ。ショパンが好きだと言った同僚の手はオクターブもぎりぎり。ままならないものだ。

[1964] Jan 13, 2015

本を失くした。状況を考えると人生で初めての経験かもしれない。帰りの電車で読んでいた『羽生の法則2』、最寄り駅で降りる直前まで読んでいたのは覚えている。さて、暗い夜道を歩いて帰り、家について風呂に浸かり、就寝前にもう一条くらい目を通しておくかとダウンジャケットの周辺を探したが、どこにもないのである。そんなバカな。▼いくらなんでも家にあるだろうと、次の日、出社前に探してみたがやはりない。つまり駅から家のあいだ、歩く以外に何もすることのない道のりで、文庫本とはいえ四百頁超の分厚い物体が忽然と消え失せたことになる。▼落としたらいくらなんでも気づくだろう。駅に着いたときまで読んでいた本を電車に忘れてくる道理もない。手持ちは常用の鞄のみ。鞄にはこの後にひかえているサイモン・シンの『代替医療解剖』が一冊だけ。困り果てて三巻を先に読んでいるところだが、解せない話である。意識への信頼感も揺らいでくる年頃か。

[1963] Jan 12, 2015

たとえば病気をしたとする。病気になってしまうなんてツイてないと、我が身の不運を呪いながらやさぐれた病床生活を送るとする。彼は病から回復したとき不摂生な病床生活のツケを払うことになるだろう。病気は治ったのに、まだこう思うことになるのだ。「病気になんかなって、本当に自分はツイてない。」▼さりとて、病床で病気を喜ぶなんてことは出来ないものだ。忙しいときに風邪で寝込み、咳と鼻水で身体をやられたら、つらいものはつらい。それを無理やり前向きに捉えるのは自己欺瞞というものだろう。ではどうするか。▼病気のときこそ、ふだん面倒がってやらないことを片付けてしまうのがよい。身体の無理はいけないが、気持ちの無理は通してしまう。健康を取り戻した暁には「病気は不運だったけど、あれが片付いたし良かったかな」と思えるようになる。真のポジティブシンキングには布石がいるのだ。前向きな未来は自分で創るもの。尚、私は健康である。

[1962] Jan 11, 2015

無印良品でメモ帳を買った。文庫本メモという文庫本に似た体裁のメモ帳で、そこそこの紙質に簡単ながらスピンまでついて140円。久々のメモ買いに、モレスキンかロディアかそれとも……と悩んでいた私は、ひとまずこれに目をつけた。日用品たるもの、とりあえず使ってみないと何が自分の需要にぴたりと合うかはわからないもの。それならはじめは安物でいいじゃないか。▼使い始めて数ページで、ふたつの問題が明らかになった。表紙の硬いタイプではないので、頁の浅い「薄い側」に書きにくいこと。喫茶店や研究室でメモを取っていた昔と違って電車使いの多い今、見開きタイプのメモ帳は合わない。もうひとつはジェットストリームのボールペンだと裏写りすること。それほどひどくないが文字被りは気になる。そういうわけで、文庫本メモを使い切ったら縦開きタイプのリングメモに切り替えようと思う。少なくともソフト型のモレスキンを買わなかったのは正解だ。

[1961] Jan 10, 2015

このところショパンと将棋ばかりだが、今日は二本立てで近況としよう。▼第三番はかなり聴きこんできた。最初は独特のメインモチーフに引っ張られるが、繰り返し聴いていると本曲の白眉はドラマティックな締めに尽きるのではないかと思えてくる。実際、このまとめ方はかなり凄い。序盤、中盤、終盤、こんこんと語ってきたことがきっちり総括されていて、ごくごく短い人生を駆け抜けてきた後の走馬灯のような趣。それでいて転調は新たな未来も予感させる。最後はモチーフの変形で締め。鮮やかだ。お気に入りクラシックリスト行きは確定である。▼将棋については、銀冠一辺倒ではどうにも差しこなせないので、飛車先を突く相手と四間飛車には無理に組まず、多少防御が疎かでも速攻で相手に形を作らせない普段のスタイルを織り交ぜているところ。勝率も悪くなく、初段への勝ち星もあげて好調だ。一局、銀冠に組んだら見事に十数手で詰まされた試合は要検討である。

[1960] Jan 09, 2015

銀冠を主戦囲いにしようと四苦八苦した挙句、囲いが完成する前に攻められ中盤戦を待たずして敗北の連続、十四連敗を喫して目標の初段も大きく遠ざかってしまったが、ひとまず完成のさせかたには慣れてきた。ただ、やはり相手が飛車先を突いてきたときは角の前があがらなくてつらい。そういうときの定石は、別の組み方にシフトすることなのか、それともお互いに歩を交換しあって組み直す法があるのか、どうか。▼そのあたりの詰めは追々やるとして、やはり銀冠、玉頭にも横にもそつなく硬い。玉を二段目のどこかへ適当に置いて自由気ままに攻めるのとは安心感がまるで違う。攻撃は最大防御ならぬ、防御は最大の攻撃だ。▼しかし将棋上達のためには、硬くして戦えば良いというものでもないらしい。初心者は穴熊を避けるべきとはよく言われる。玉に意識なく広い場所で大駒を振り回すことに慣れてしまうと、諸々筋が悪くなるのだそうだ。中盤力がつかないのである。

[1959] Jan 08, 2015

ショパンのスケルツォ第三番は個人的に懐かしい。中学生くらいだったか、誰かがピアノの発表会で弾いたのを、イントロ直後のメインモチーフが「超魔界村」みたいだと言って面白がっていた。メロディラインだけ見ると実は全くそんなことはないのだが、当時の私には――といいつつ、今でもそう思うのだが――どこか雰囲気が似ていると感じられたのだろう。「スケルツォ第三番」のフリーMIDIデータをどこからか手に入れてきて、音色をオルガンにして鳴らしてみたりしたものだ。ほら見ろ、やっぱり「超魔界村」じゃないか。▼思い出補正はさておき、スケルツォ全四曲の中では第三番が良い。二番の方がとも思っていたが、ああ言ってみたりこう言ってみたり、なんとも定まらない起伏の激しさが聴いていて面白く感じる。バラード第一番には及ばないが、ドラマ性も十分だ。それにやはり、思わず口ずさみたくなるモチーフの力は素晴らしい。名曲とはそうでなければ。

[1958] Jan 07, 2015

手筋を憶えたからといって勝てるわけではないように、プログラミングの読本を読んだからとて、良いプログラムが書けるわけではない。知識だけでは職業プログラムの何たるかはわからないものだ。上達は骨子をどれだけ早く腑に落とすことが出来るかにかかっている。何年もかけていたら後輩に追い抜かれてすぐに用なしだ。競争社会の中の競争社会である。ただしそれは、助けあう競争社会である。▼終盤、解決できない問題を抱えたままデッドラインを越えようとしていた後輩がいたので、自分の作業も逼迫極まりない状況だが、どのみちこのままでは火がつくところ、二日は捨てても仕方ないと助けに入った。先輩風を吹かせたいからか使命感からか、自分の問題を解決するより遥かに手早く仕事をこなしていけたのが不思議な面白さであった。人間、人を助けるときに最も良く力を発揮できるのかもしれない、なんて思ってみたり。だとしたら、素晴らしい生き物じゃないか。

[1957] Jan 06, 2015

『羽生の法則』「金の手筋」編を読了、これで一冊。中盤の攻撃力を鍛える銀の手筋に比べて、やはり金は詰将棋に似た最後の一撃、ないし玉を支える守りの要として、居るべき位置を考える手筋が多い。▼著者の言う通り、将棋を始めたばかりは歩はもちろんとして桂馬や飛車角など大きく動く駒ばかり動かしたがるもの。それというのも、派手に動かす楽しさだけでなく、そもそも銀や金はどこにどう置くのが正着かわからないので、動かす気になれない、動かすだけで一手損したような気分になる、というところが大きいのだろう。だからこそ逆に、銀と金の手筋を修めていれば、初心者が「なぜか勝てない」と思うような中級者の位に上がれることになる。銀と金の心得は、つまり攻防の基本を知ることだ。▼などと偉そうに言ってみたものの、本を読んだくらいでは実践で立ち回れるわけもなし。場数をこなして指先に慣らしていかないと、熟考の末にとんでもない凡手を打つ。

[1956] Jan 05, 2015

通勤時間だけが大切なプライベートタイム。思索も勉強もアイデアの練り込みも、すべてここにかかっている。そう思えば集中力も一入、寝てなんかいられない。酔っぱらいと吐瀉物を避けて二号車に乗り、まばらな空席を見ながらドア傍で仕事を進めるのだ。座ったら寝てしまうし、寝てしまうと寝過ごしてしまう。寝過ごしたらタクシーだ。時間もお金もあんまりもったいないではないか。▼『羽生の法則』「銀の手筋」編を読了。二十項目ほど進んだら実践を挟む形で進めている。実際に力がついているのか、あるいは自信がついたおかげか、格上相手でも序盤から中盤にひるまなくなった。前なら為すすべなく自陣に龍や馬を捩じ込まれていたレベルの相手に、互角の構えから桂馬得で中盤戦を迎える場面も。思わず頬が緩む。▼最後の敵はやはり時間。戦績を見直しても勝勢での時間切れ負けが圧倒的に多い。勝勢は勝ちに非ず。限られた時間で結果を出さなければ負けなのだ。

[1955] Jan 04, 2015

鉄火場を「修羅場」の意味で使っている文脈に出くわしたが、鉄火場とは賭博場のことであって、尻に火がついたような急場のことではない。ギャンブルの如く生死を賭けて燃える心で事にあたっているのなら、それは鉄火場と言えるかもしれないが……。▼さて、プロジェクトもいよいよ正念場。今週の作業次第で何が入るか、何が入らないかの実装が完全に確定し、残りの二週間でバグフィックスを含めたクオリティが決まる。時間がないとか終わらないとか、誰が悪いとか何が悪いとか、喚いたところで仕上がる品に変わりはないのだから、最終盤こそやるべきことを淡々と。なすべきことを粛々と。これがなかなか難しい。▼プライベートでは机とメモ帳と将棋のことを真剣に考える。机の件は今年まるまるかけての一大関心事だ。私にとっては数学の未解決問題にも匹敵する”キーボード前後問題”をなんとしても解決せねばならぬ。賞金は出ないが、解決のメリットは大きい。

[1954] Jan 03, 2015

将棋連盟文庫より『羽生の法則1』「歩の手筋」編読了。「歩の手筋」「金銀の手筋」の二冊を文庫化にあたって一冊にまとめた大ボリュームが嬉しい。▼読み進んでいくと、いかに自分が歩を使えていなかったかを痛感するばかりだが、そこはしっかり学習するとして、予想外に面白いのは言い回しだ。「これで後手はしびれている」「玉頭だけに迫力満点」などなど、短いセンテンスで盤上の空気を伝える文章のセンスに唸る。そんなところが勉強になるとは思わなかった。▼格言の引用が多いのも助かるところ。事例のあとで格言を紹介してくれるから、知らなかった格言の意味も自然と流れで腑に落ちる。字面だけでも暗唱して損がないのは、「王手は追う手」「王は下段に落とせ」「敵の打ちたいところに打て」「大駒は近づけて受けよ」「焦点の歩に好手あり」「三歩あったら継ぎ歩に垂れ歩」「両取り逃げるべからず」あたり。どれも実戦の場面で、とっさの判断に役立つ。

[1953] Jan 02, 2015

1965年、ニューヨークのカーネギーホールにて。1968年、同じくカーネギーホールでTVコンサート。1982年、ロンドンのロイヤルフェスティヴァルホールにて。ホロヴィッツのバラード第一番、ステレオ演奏をポータブルに入れてぐるぐるまわす。さすがに同じ曲だけ延々ループすると精神異常になりそうなので、1972年のニューヨーク、コロンビア30番街スタジオでのステレオ録音による「熱情」と「ワルトシュタイン」を挟んだ。▼その答えとして、やはりホロヴィッツは史上最高に素晴らしいピアノ・プレイヤーだと再実感しつつ、ルービンシュタインのショパン・コレクションをアマゾンで購入したのである。ことショパンに関しては。そうして、ショパンはこれで終いにして、またベートーヴェンに戻ろうと思っている。全集に数多あるスクリャービンとスカルラッティも気になっているが、ピアノソナタ32番の”熟聴”もまだ途中、将棋の勉強も……時間が無限に欲しい。

[1952] Jan 01, 2015

あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしく。▼去年も言及した初詣代わりの大勝軒参りだが、寒い寒い雪模様の中をはるばる行ったところ、なんと明日からの営業であった。元旦営業はやめてしまったのか。がっかりして手ぶらで帰る。初日から目論見の外れる年とは、なんとも幸先が悪い。▼ボードゲーム「プエルトリコ」で遊んだりしながら、スキマの時間で『素数の音楽』を読了。素数とリーマン予想をめぐる数学者のドラマはたいへん面白かったが、音楽に対する比喩が執拗すぎるあまり、逆に数学的な説明の厳密さを欠いているところが散見されて、気持ち的に読みにくいところもあった。難解過ぎると文句を言ったり、厳密さが足りないと文句を言ったり、全くひどい読者だが、そうそうピンポイントで好みに合う本など、何千にひとつもありはしないと知っての狼藉である。ジグソーパズルのかけらを求めて濫読するのも、また読者の勝手であろう。星四つ。

[1951] Dec 31, 2014

ホロヴィッツ・オリジナルジャケットコレクションのインポートを完了。電王戦リベンジマッチを見ながら、なんとか残りの58枚を取り込んだ。尚、この記事を書いている午前一時半現在、森下九段とツツカナの激戦にまだ決着はついていないが、森下九段がかなり優勢ではある。あと一息、人間の底力を証明して欲しい。▼それにしてもホロヴィッツがショパンの『バラード第一番』を六回も演奏しているのには驚いた。モノラルが二つ、ステレオが四つ。ありがたいというほかない。今のところ1968年のTVコンサートバージョンがいちばんお気に入りだが、言うほど聴きこんでいないから判断は保留。しかしそれでもルービンシュタインの演奏には勝てない気がする。あの演奏の完璧さは空恐ろしいくらいだ。曲をひとつのドラマに仕上げようという鋼鉄のような意志……。▼そういうわけでショスタコーヴィチを聴く暇はなかった。交響曲というのは、どうも長くて苦手だ。

[1950] Dec 30, 2014

『素数の音楽』にこんなことが書いてあった。曰く、「ショスタコーヴィッチの前衛的な音楽が登場した後で、いくらモーツァルトのような古典派の交響曲を作曲し演奏してみても、たとえそれが完璧な作品であろうと、聴衆にはたいした感銘を与えることができないのである。」何言ってんだ、こいつ。▼さほどモーツァルト好きでもない私とはいえ、古典派をまるごとコケにされたようで聞き捨てならないが、それはそうと私はまだショスタコーヴィッチの曲というのをマトモに聴いたことがなかったので、批判する前にせめて代表作くらいは聴いてみようと、バーンスタイン指揮の交響曲第5番を買ってみた。▼こう来ればレビューがつづきそうなものだが、命からがら逃げ出して終電にありついた深夜の今では、新しい人の曲など真剣に聴く気にもなれないので、ここはひとつ試聴は明日にまわしたい。ホロヴィッツの全集のつづきもインポートしたいし、やることは山ほどある。

[1949] Dec 29, 2014

年の瀬を感じるためにせめて寿司でも食べに行こうぜという同僚の淡い希望は、雪崩れ込んできた怒涛の仕事に呑み込まれて消えた。公式に大晦日の出社が禁じられたことで、逆に明日はみんないつまで仕事をするつもりだろうという気配である。大晦日に出社する人は誰もいないが、三十日の三十時過ぎまで働く人は多そうだ。▼クリスマスもコミケも知らぬ間に過去。毎年のことで冬は諸々あきらめているが、賑やかで楽しい冬の休暇を満喫している人々を身近に見ていると、ただあくせく働くだけの我が身に思うところがないでもない。今日は初段に二連勝できたとか、楽しいことはいくらでもあるのだが、そういうことを余人は大切に思わないようだ。▼月明かりは暖かくない。食べられもしない。夢とか希望とか目標とか、憧れとか、そういうものに惑わされていない人たちの方が現実を上手く生きているように見えるのは、六ペンスなら暖も取れるしパンも買えるからだろう。

[1948] Dec 28, 2014

海外のサイトで公式無料配信されていたDSD音源のサンプルの中に、非常に感銘を受けた名曲があった。タイトルも、作曲者も、演奏者も、何もわからないが、とにかくこれは素晴らしい。とくに最後の長いソロが最高だ。それにしてもいったい、なんという曲なのだろう――もやもやする期間は長くもなく、タワーレコードの店内放送であっさりと素性を知ることが出来た。それはモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第四番だった。▼どうやら有名な曲らしく、それはそれでがっかりなのだが、ともかくちゃんとしたCDを買ってみようと良さ気な奴をピックアップ。しかしいざ聴いてみると、肝心のソロがまったく違う。弾き方もさることながら、譜面すら違うじゃないか。アドリブ・ソロという概念に慣れていなかった私は、こうしてふたたびがっかりすることになったのだった。結局、DSDサンプルにあったお気に入りの演奏は誰の手によるものなのか、まだわかっていない。

[1947] Dec 27, 2014

昔々、新潮クレスト・ブックスというシリーズで見かけた、とある本。凄く面白そうだけど、失礼ながらサイズと想定のバランスが何だか絶妙な地雷臭を醸し出していて、数千円もはたいて買う気にはなれなかった。▼そうして、そんな本の存在すら忘れていたのだったが、このたび「S&H」の棚でばったり再会したのがマーカス・デュ・ソートイ『素数の音楽』である。持ち運びやすい文庫サイズに、900円という手頃な価格。私に読んでもらうためにそうなったと言わんばかりの風体だ。ならば読まねばなるまい。『シンメトリーの地図帳』を後回しにして読み始めた。その後で知ったのだが、ポアンカレ予想やケプラー予想とまとめ買いした「シンメトリー」も、デュ・ソートイ著、冨永星訳で完全に同じ組み合わせである。▼現在途上。ようやくラマヌジャンが出てきたあたり。数学的要素は少なめだが、訳と文が素晴らしく数学者列伝としては格別の仕上がりになっている。

[1946] Dec 26, 2014

今日、初めて「三手詰め」の修行が生きたと実感する勝ち方をした。中飛車の圧力を相手に二筋へ回した飛車からの突貫、と金づくりから交換した角打ちまで大きなミスもなく追い詰めて行くと、相手の王に硬い逃げ道が見えてきた。あの金壁の向こうに逃げられたらカウンターで今度はこちらが砲火を浴びる。残り時間は二分五秒。持ち駒は三枚。絶対に詰みがあるはずだと思って、三手詰めのつもりで必死に解いた。残り二十秒――それは大駒を捨ててのぴったり三手詰めだった。三手詰めというキーワードで自分を縛らなければ間違いなく見えなかった道である。▼土壇場で直感的な選択肢を増やしてくれる、身の丈にあった小さな反復。それが今の私にとっては三手詰めの詰将棋だった。大駒は捨てるもの、という詰将棋界のセオリーが染み付いていたおかげで、飛車を切る道も二分のうちに検討できたのである。ささやかな進歩ではあるが、ちょっと前に進んだ気がして嬉しい。

[1945] Dec 25, 2014

ここまで進化していたとは。恐れ入りました。▼Pianoteq 5、開封してまだ二時間だが早くも感動のポイントが3つある。どれも今までの音源にはなかったものだ。一、鍵盤の硬さが調整できる。しかもp,m,fの打鍵それぞれについて、鍵盤ひとつひとつに設定可能なのだ。このパラメータだけで相当な度合いまで自分好みのピアノ感を追求できる。曲によって変えられるのも魅力だ。二、ペダルが連続変化する。この楽しさ、想像以上というか、破壊力抜群だ。ハーフペダルすら無かったところへ、踏み方次第で無断階に変わるサスティンペダルの登場である。一旦ペダルを上げて、すぐに降ろしたときの残響の挙動も完璧だ。三、軽い。ロード時間なんてほとんどない。実に素晴らしい。▼逆に難点は、リバーブとの相性が悪いところだろうか。音が純すぎるせいで響きの豊かさが増幅されにくいのだと思う。リバーブ前に、サチュレータなんかを噛ませるべきなのかもしれない。

[1944] Dec 24, 2014

メリークリスマス。現在、深夜二時なので間違ってはいない。終電で脇目もふらず直帰ならクリスマス気分なんて視界にも入らないくらいだ。上司の素敵な差し入れだけが、唯一の記念日成分である。▼ロビン・ウィルソン『四色問題』読了。解かれる前までは「四色問題」だが、今日では「四色定理」と呼ぶべきものだ。「四色あれば、どんな地図でも隣り合う国が同じ色を持たないよう塗り分けることができるだろうか?」百年の時を越え提出された答えは「イエス」であった。そうして、提出したのはコンピュータだった。▼ケプラー予想より二十年も早く、数学界に「コンピュータによる虱潰しの証明」という爆弾を投げ込んだのが、この四色定理の証明である。この全く美しくなく、複雑で、しかし間違いなく真でありそうな証明は、単純な論証で確実な真理を導き出すこと数学の真髄だという数学者たちの信念を大きく揺るがしたのだった――S&Hの中では読みやすい一冊。

[1943] Dec 23, 2014

「テクスチャの解像度や描き込み度をひたすら上げていくことにより得られる美麗なグラフィックスのゲーム」と「エネルギー保存則を前提に物理的・光学的現象をシミュレートすることで説得力のあるリアルな映像を提供するゲーム」は、ちょうど「サンプリング音源」と「物理モデリング音源」に対応づけられる。同じ流れを汲んで言えば、「実写」に対応するのが「生演奏」となる。▼もちろん三者三様、それぞれに得意なところと苦手なところがある。サンプリングであれ物理モデリングあれ、よく「生」には表現力が到底敵わないという言い方をされるが、表現力という単語も曲者で、表現したいことを忠実に表現する能力の高さが表現力の高さであるなら、生らしくない映像や音、生身の人間では不可能な挙動を表現したい場合には、「生」の方が表現力は劣るということになる。甲が乙を目指しているわけではないし、上下関係があるわけでもない。タイプが違うのである。

[1942] Dec 22, 2014

はじめてピアノの物理モデリング音源を聴いたとき、面白い試みだが実用はまだまだ先かなと思っていた。それから五年。まさに五年一昔である。MODARTT「Pianoteq5」の音は十分以上に私を納得させた。ここまで来たらサンプリング音源を離れてもいいだろうと、長らく親しんだ形式を捨てさせるだけの説得力がある。未来を感じさせてくれる。▼純粋に今現在の音の善し悪しを比較したらサンプリング型の現行上位音源にはまだまだ敵わないが、調律からハンマーの硬さまであらゆるパラメータが調整可能なカスタマイズ性の高さは強い魅力だ。これは容量に物を言わせる「力技」には難しい芸当で、「原理」側の最大の売り文句でもある。▼リアル楽器の容量合戦も、家庭用ストレージの横ばいで今は頭打ち気味。物理モデリングに乗り換えるなら、ちょっと早めと思える今くらいがちょうど良いのかもしれない。「鬼調整」で、自分だけのピアノを組み立ててみるのも楽しそうだ。

[1941] Dec 21, 2014

朝。足の小指を本棚にぶつけた。ぶつけた、のであればまだよかったかもしれない。それならありふれた冗談で済んだ。しかし現実はぶつけたというより衝突したと言うべき勢いであった。激突と呼んでも良い。爪が割れた。小指は真っ赤になった。▼それでも骨折などしなかったのはありがたいことだが、ふたたび歩きづらくなってしまった。思えばこの一年、フットサルで親指を怪我したことに始まり、足の裏の腱の炎症、人生初のぎっくり腰、そして規模は三者に劣るが今日の小指騒動と、不気味なほど集中して歩行を妨げる足腰の怪我ばかりしている。▼オカルティズムなら何か不吉な暗示というところ、リアリストなら寄る年波と運動不足の祟りというところ。私ならやはり後者を取る。実際、身体の末端まで注意力が回りきらなくなっているとは思うし、歩きづらい足腰が余計に危険を増すので、怪我の連鎖が形を変えて続いているのではないかと思う。皆様、足腰は大切に。

[1940] Dec 20, 2014

400年の時を越え、ケプラー予想は解かれた。四色問題で物議を醸した力技で。プログラムによる「虱潰し戦略」によって。他の数学定理の礎になるわけでもなく、幾何学的真理の組み合わせから導かれるわけでもなく、人が検証することもできない証明から我々は何を得るのか。これはまたひとつ、数学界の厄介な問題である。▼ゲーデルには証明すべき定理そのもの以上に、わかりやすい敵や味方がいた。クロネッカーの亡霊に苦しめられたり、フォン・ノイマンというトリックスターに助けられたり、ヒルベルトというラスボスを倒したりした。証明をめぐる事実そのものがドラマティックだった。それと比べればケプラー予想の証明にはクライマックスがない。▼しかし、それでも一冊の本を読ませる力が著者の「物書き力」である。地味で地道な結末といえども、答えに至る過程と解説と詳細な付録は面白かった。やはり、数学ドキュメンタリーはこうあるべきだと思うのだ。

[1939] Dec 19, 2014

パソコンを起動するたび、しつこくアップデートを薦めてくるので、どうせいつかはやるのだからとアップグレードボタンを押す。「次へ」を連打しようものなら、あやうくBingをデフォルトの検索エンジンにされるところであった。「もうすぐスカイプがよりよいものになります。」▼なんというウソツキだ。安易に流行りを追求した会話調のチャットログは前より遥かに見づらいし、SMSより長文投稿の機会が多いスカイプにあっては連続投稿が勝手にひとつの枠の中へくっつく機能も邪魔である。デザインもPOPすぎて殺風景なデスクトップに似合わない。明らかに焦点はタブレット型のライトユーザーだ。オールドユーザーは切り捨てられてしまった。▼尤も、不満を並べ立ててみたところで継続利用することに変わりはないから、今日のところは言いたいことを言ってみただけだ。せめてクラシック表示の機能だけでも用意してもらえれば、よろこんで適用するまでである。

[1938] Dec 18, 2014

ふいに自分が何次元に存在しているのかわからなくなった。三次元に近いところを漂っている感覚はあるが、二次元にへばりついているような気もするし、四次元に融けていく気もする。三次元の立方体がどんな形だったか、あやふやで自信がなくなって、心のなかですら座標軸が描けなくなったとき、目が覚めて、焦点が直交するXYZにくっきりと一致した。帰宅後すぐ、寝てしまっていたらしい。▼そんな妙な夢を見たのも、当然、ここ二冊の数学本のおかげなのだろう。夢はこの上なくミーハーな存在だ。私は見た夢を覚えている方ではないが、覚醒時でも影響を受けやすい質ではあるので、現実世界のインプットは夢に相当効いてくる。面白い夢、ないし夢現の体験がしたければ、うとうとしてしまう程度に疲れているところへ、普段と違う知識を流し込んでやれば良い。ただ、建築物に関する夢を見た憶えは一度もないので、なんでもかんでもというわけにはいかないようだ。

[1937] Dec 17, 2014

CD70枚から成るホロヴィッツの全集、届いた初日に12枚目までインポートして聴いている。全てモノラルなのでサウンドステージはいささか味気ないが、ステレオまで辿り着くだけの余裕がない。なんとか12枚まで頑張ったのは、そこにショパンの「バラード第一番」があったからだ。▼これでバラード第一番はポリーニ、ルービンシュタイン、ホロヴィッツと三音源が集ったわけだが、まったくもって迷う余地もなくルービンシュタインの圧勝である。ホロヴィッツもさすが、魅力というか魔力というか、不思議な磁場を放つ演奏を繰り広げているが、やはりルービンシュタインの演奏が完璧にこのバラードを語り尽くしている。ポリーニはかなり残念であった。▼もともと演奏というタームないしスキームが好きではない私が、こうして名演奏を漁っているのはなんとも逆説的だが、これは読書のときと同じことが起こっているのだと思う。敵を知り、己を知ればなんとやら。

[1936] Dec 16, 2014

『ケプラー予想』には一風変わった面白い数学者の伝記が出てくる。その男は、数学者としてそれなりの才能に恵まれたが、後世から見ればさしたる成果を残すことが出来なかった。その理由は、本人さえ自覚していたように、徹底して他人の仕事を調べるのが嫌いだからであった。彼はいつも車輪を再発明していた。それなりの証明を行い、それなりの論文を書き上げてから、過去に類似の研究がないか助手に調査させるのである。彼の書いた少なからぬ論文の大半は二番煎じであった。参考文献はほとんどなかったという。▼他人の仕事を軽んじる者に大きな成果は残せない。巨人の肩を引き合いに出すまでもなく、これはもう、いつの時代でもなんの分野でも動かしがたい真実である。人の作品が自分の想像力を損なうなどと考えて孤高を気取っているうちは、既に世の中にある物の劣化版を吐き出す哀れな存在にしかなれない。人間、自分で思っているほど想像力などないものだ。

[1935] Dec 15, 2014

『ポアンカレ予想』を読了して、400頁の本を読んだわりには読書の愉しみも数学への興味も含めて得るところは少なかったかな、とS&Hシリーズ全体への信頼を失いかけるほど落胆気味だったのだが、『ケプラー予想』を読み始めて諸々不安な気持ちがすっかり吹き飛んだ。そうだよ、こういうのが読みたかったんだよ。▼難解だから悪書、易しいから良書と言う気はさらさらない。岩波の「不完全性定理」本は極めて難解だが感動的な仕上がりだった。それでは何が差かといえば、これはもう著者の物書きとしての力量の差と言うしかないのだと思う。この人の話はなんだか面白くないとか、あの人の話は凄く引き込まれるとか、そういう類の文章版だ。▼優れた数学者が優れた数学の教科書を書けるとは限らない。まして読本、ドキュメンタリーとなれば、求められる能力はまるきり別物である。ノンフィクション衝動買いの折には、著者の経歴にも目を通した方が良いだろう。

[1934] Dec 14, 2014

忙しければ忙しいほど健康になる――繁忙期健康論を持論とする私としては、いよいよ最高に健康度が高まってきたところである。やせ我慢でもなければ苦し紛れでもない。披露と不健康は似て非なるものだ。実際、忙しさもピークに達すると、十分な睡眠時間とは言えないにしろ規則正しい就寝と起床のリズムにはなるし、昼食や夕食は切実に健康的な食品を選ぶようになってくるし、時間が惜しいので行き帰りは自然と早足になるし、風邪をひかないよう予防に細心の注意も払う。純粋に生活だけで評価したら、定時帰りの日々よりも遥かに健康的なのだ。▼もちろん忙しさも度が過ぎれば猛毒になる。睡眠時間の決定的な不足、食事の暇がないほどの束縛、会社への泊まり込み、等々。したがって、この繁忙期健康論を持ってしても不健康に陥る兆候が見られたら、そこが臨界点と考えるべきだろう。多忙で徐々に具合を悪くするタイプでは、実際に倒れるまでその見極めが難しい。

[1933] Dec 13, 2014

終電。眠さでぼんやりとしながらヘッドフォンと詰将棋。同じ車両では泥酔した中年が盛大に吐瀉物を撒き散らす。出来事を理解していたというよりは反射的に悪臭を避けて隣の車両へ移った。どこかの駅でキリをつけて、ご迷惑おかけして申し訳ありませんと乗客に謝罪しながら車内の清掃をするのだろう。理不尽至極。実に大変な仕事だ。▼渡辺明『爽快!3手詰トレーニング200』は、米長さんの「1手3手」より遥かに難しい。初心者向けの詰将棋解説、頭の体操というわけにはいかないようだ。本気で考えないと一手目からして浮かんでこない。▼極論、3手読めれば何手でも読める。読みきった先から再び3手繋げればよいのだから。これは言い過ぎにしても、自分の手に応じる相手の手を真剣に想像し、それを受けて再び自分の手を決めるという思考過程こそ読みの基本形である。3手詰こそ、あらゆる局面で最悪の未来を思い描く反射的な悲観を養う格好の訓練なのだ。

[1932] Dec 12, 2014

1手詰め61問、3手詰め139問。合計200問の詰将棋をざっと解く。通勤時間や外食の待ち時間にはちょうどよい頭の体操だ。故・米長邦雄永世棋聖による一風変わった題名のマイナビ将棋文庫『1手3手の詰将棋』である。▼1手詰めなんてつまらない、次の駒で終わりじゃないかと侮る無かれ。解けないことはないにしろ、予想外に時間を使ってしまったり、思わぬ駒の効きが見えていなかったりする。しまったそこは角が効いていたなんて、実践では手遅れもいいところである。そういう軽率なミスをなくすためにも1手詰めのエクセサイズは有効だ。意識改革に、単なる頭の体操以上の意味がある。▼とはいえやはり3手詰めの方がパズルとしては面白いので、駒の動きを軽く見ないぞと心構えができたら本番は3手詰めである。3手。これはもう十分に実践的な手数だ。ちょっとした手違いでいとも簡単に詰みを逃してしまう。早指しの終盤力向上にはうってつけである。

[1931] Dec 11, 2014

某書、八割型読了。やはりサイモン・シンは凄かったんだなと。思い出補正を考慮して割り引いてもそう言える。面白いエピソードと難解な数学をただサンドイッチにしただけではドキュメンタリーにならないということだ。大学の教科書に偉人の逸話コラムが挟まれているようなちぐはぐさは、どうにもバランス感に乏しい。個々のトピックスは面白いのだが、他人に薦めるかと言えばノーである。▼もっとも題材が題材だけに、万人受けする面白い本を書けという方が無理な注文なのかもしれない。ただ、「高校時代に習った幾何学を少し覚えている程度の人々」を想定読者と主張するのは無理がある。明確に無理がある。「リーマン曲率テンソル」「立体トーラスを3−球面から切り出す」「多様体の基本群が単位元でありながら」などなど矢継ぎ早に言われても頭痛のしてこない人でなければ人物列伝としても推奨はできない。期待が大きすぎたのかもしれないが、残念ではある。

[1930] Dec 10, 2014

ホロヴィッツの全集はないかと尋ねては「在庫はありません」と言われるやりとりを、ありあまる期待から二回ほど同店舗で繰り返した甲斐か、忘年会の帰り道、ぎりぎり滑り込んだタワーレコードでクラシックコーナーの全集棚にストンと「オリジナルジャケットコレクション」が鎮座していた。▼財布と会議。数々の古い録音。マスタリングの品質が悪いのはわかっている。モノラルなのもわかっている。とくに聴きたいと思わない未知の曲が山ほどあるのもわかっている。しかし、とりあえずは買ってしまった。ひとたび入れ込んだら負けである。▼ジジジジジ、という耳障りなノイズの向こうで小さく鳴るピアノの音はたしかに心地よいとは言えないが、そういうものだと脳に思い込ませてしまえば耳もノイズに慣れるもの。ある程度は演奏の妙味を味わうこともできる。それでも録音に満足できなければ、あとで必要な物だけ揃えればいい。まずは目録に目を通したいのである。

[1929] Dec 09, 2014

帰路、駅で妙な人を見た。その妙な人がもし見ていたら、妙な人呼ばわりして申し訳ないのだが、終電が去り降車した人も改札の向こうへ捌けた無人に近い深夜の駅、階段の踊り場で垂直に立ち止まり、私には目もくれず無心でポテトを貪り食う姿は、なにしろ妙としか言いようがなかったのである。足元には食べ損ねたポテトの残骸が散らばっていた。危険な感じさえする光景だ。▼私はただ、黙って横を通り過ぎただけで、振り返って顔を見ることもしなかった。触らぬポテトに祟りなし。しかし、その後、遊歩道に出るや闇夜に輝く白のヘッドフォンを装着し、だいぶ打鍵の呼吸を覚えてきたルービンシュタインのバラード第一番のビートを顎で刻みながら、指揮棒代わりにホット十六茶のペットボトルを振り回して歩く男の姿は、これまた第三者から見たら十分すぎるほど不気味であっただろう。そういう私にポテトの巨人をとやかく言う資格はあるまい。彼もまた長身であった。

[1928] Dec 08, 2014

家の鍵を失くした。あちこちに物を忘れたり落としたりする私だが、鍵だけは失くしたことのない元・鍵っ子である。そうそう落としたりはしないので、家だか会社だか洋服だか鞄だか、どこかに紛れているには違いないのだが、未だかつてないクレイジーな忙しさに見舞われて、探している時間すら無いのが困りモノ。今のところは夜更かし気味の弟頼みだが、万が一寒空に取り残されては仕事にも支障が出るので、ほんとうの意味では失くしていない可能性を残しつつも、さっさと合鍵を作るべきかもしれない。そう思いつつ、合鍵を作る時間も取れていない現在である。▼純粋な就業時間合計ではまだ一昨年に比べても少ないはずだが、やはり責任が大きい分なのか、疲弊度は著しく高い。適度な休憩が大事、とも言っていられない緊急事態が立て続けに起こると、デスク・ワークも突如として猛烈なフット・ワークに化けるもので、物理的にもしんどい日々である。頑張れ、自分。

[1927] Dec 07, 2014

臨時収入を良い機会にS&Hシリーズを買う。忙しい時期にまとめ買いすると積読に陥りやすいが、本は機を逃すと急に興味を失うもの。在庫と予算があるうちに本棚へ並べておきたい。▼しかしラフマニノフのような直近の前例もそうだが、面白いかどうかもわからないうちに決め打ちの大量購入は危険である。ならば最もエキサイティングな題材を選んでみて、ダメそうなら他に期待するのも酷であろう。こう考えて「四色問題」「ポアンカレ予想」「ケプラー予想」を選んだ。このクリーンナップ、異存はあるまい。▼あとは著者の質による。サイエンス・ドキュメンタリーはそもそも内容が難解で堅いため、下手にやると事実や事件を時系列に列挙しただけの年表になりがちだ。ノンフィクションに嘘を書いて欲しいとは思わないが、脚色を避け、素材を調理しない美学を持ち込んでくるのは趣味の読者としてはありがたくない。このたびの精鋭たちは、果たしていかがなものか。

[1926] Dec 06, 2014

ラフマニノフを聴く。演奏者はホロヴィッツ。作曲者として、ピアニストとして、互いに理解者であり友人であったふたりのコラボレーション。いい感じに狂っている。狂気と芸術はいつも背中合わせだ。▼ラフマニノフ。かなり昔に自作自演のCDを聞いたことはあるが、たいして興味もなかった時代のことで曲風すら覚えていなかった。今、あらためてベートーヴェンやショパンの流れの中で聴いてみると、残念ながらさほど惹かれない。名曲を選りすぐったベスト盤なので、ショパンのときのようにチョイスが悪いというわけでもあるまい。アシュケナージ演奏のピアノ曲全集を買うか相当な時間迷ったが、早まらなくてよかったと思う。やはり初見の全集投資は危険だ。▼ラフマニノフはこれで一旦置いて、次の新規開拓はまるで知らないスカルラッティあたりが良いかと思っている。一方クラブ系の音源は、ネットで容易に入手できる分、CDを買いにくいのが難しいところだ。

[1925] Dec 05, 2014

あと一歩のところで詰め切れなかったとき、そうして逆転負けや時間切れ負けを喫したとき、すぐに棋譜を振り返り「詰めはあったのだろうか」と自問するようになってきた。そうしないと成長しないところまでは来た。こうすれば詰んでいたのに、という試合もそれなりある。この取りこぼしが着実に勝利へ繋がれば、今のクラスでの勝率も上がってくるだろう。目指せ初段免状。▼もっとも、聞いた話、三段以前は道場のレベルによりけりなので、ひとくちに初段と言ってもピンからキリまで、ある道場の二段や三段が下手をしたら他の道場の初段にまるで歯がたたない、なんてこともあるらしい。統一リーグで成績を残さない限りは目安の域を出ないというわけだ。とはいえ、初学者がやる気を出すためには折にふれて「強くなっている」という錯覚を得るのも大切なこと。その拠り所に公式免状という人参はなかなか魅力的である。通勤時間のにわか将棋、どこまで行けるだろう。

[1924] Dec 04, 2014

手持ちのショパンを何周も聴いてみて、今まで触れてきたショパンの曲はどちらかというとあまり好みでない曲ばかりだったことに気がついた。明るい曲はあまり……と言っていた同僚が正しいように思う。たしかに彼の明るい小品は私も好かない。暗めの要素がこもる中長編の方が性に合う。▼「バラード第一番」は特に聴き応え抜群だ。ルービンシュタインの演奏も神がかっている。ショパン以外では圧倒的にホロヴィッツ推しとなった私だが、ことショパンに関しては今のところルービンシュタインの方が良い。他に有名なショパン・プレイヤーというと誰がいるのか、今のところまだ調べられていないが、探してみたいと思うくらいには、ショパンへの意識も改善された。▼名演奏様々と言うべきか。実際、好きな曲を拙く演奏されるくらいなら、嫌いな曲を美味しく演奏してくれたほうが遥かに聴いていて楽しいものである。お気に入りの曲には波長の合う偉人を探してみよう。

[1923] Dec 03, 2014

健康診断の結果が返却されてきた。油分の多い昼食・夕食の暴飲暴食に、デザートと称する糖分過多、デスクワークの運動不足、体脂肪率は増加傾向……などなどあらゆる不健康ファクターを備えていながら、CだのD2だのという阿鼻叫喚を尻目に、私は例年の如くオールAである。もちろん視力は除く。これは言われたところでどうしようもない。度が強すぎるのも考えものだ。▼体感では不健康だが、血液検査等々の科学的手法によると私はまだ健康体らしい。もっとも、年々確実に不摂生ポイントは貯めているだろうから、どこかで爆発しないとも限らないので油断は禁物。いましばらくは「身体に悪そうなことをしたら、その分だけ良さそうなこともする」という縛りの、プラマイゼロを目指した緩い体調管理をつづけていく。加速する激務。運動不足と睡眠不足の二台巨塔はいつもそこに聳えている。美味しいものを食べて、十分栄養を取って、頭脳をフル回転させていこう。

[1922] Dec 02, 2014

夕食休憩の帰りはいつも皆で本屋へ寄る。たいてい誰も何も買いはしないのだが、新刊のタイトルや帯の煽りにツッコミを入れながら、雑談歩きするのが何とはなしに忙しい時期の息抜きになっている。ライトノベルみたいな周りくどいタイトルのビジネス書籍が増えてきたこととか、「ショパン」の表紙にでかでかとラフマニノフの名前が書き並べてある不思議な絵面とか、新潮にしては珍しいロックフェラーの回顧録……。▼そう、今日ふと吸い寄せられた本は、この回顧録であった。失礼かもしれないが、良くも悪くも新潮文庫らしくないチョイスである。それだけに物珍しさがあった。恐らくはサイモン・シンの科学シリーズがきっかけかと思うが、「Science&History Collection」という新しい文庫内ブランドが出来ていて、その新刊らしい。このSHラベルのついた一角は、なるほど、ズルいくらい牽引力のある題材ばかりである。ペンディング中のドラッカーの次は決まった。

[1921] Dec 01, 2014

冬の恒例、体調不良者も出始めたデスマーチ直行の師走どき。通勤時間はシグDJの奏でるショパンとオンライン将棋で使い尽くして、めっきり本を読んでいない。その将棋とて今日は格上相手に勝てる試合を二つも落として悔しい思いをした。かたや序盤中盤を完全に制圧したにもかかわらず、無理攻めと終盤の軽率なミスで逆転を許し負け。かたや九割がた詰んでいたのに逃げ粘られて詰め切れず時間切れ負け。後者は棋譜を見なおしたら簡単な詰みがあっただけに痛い。これこそ「詰めが甘い」というものだ。▼プロジェクトも詰めの時期に来ている。オンライン将棋なら棋譜を見直して「次こそは」で済むかもしれないが、仕事となればそうはいかない。良かれと思って一手進めたつもりが、結果的に二歩後退を余儀なくされることもある。早め早めの部分凍結。全体の挙動を変える変更は最上位の慎重さで。王手、王手と安牌で繋いで、マスターアップという詰みに向かうべし。

[1920] Nov 30, 2014

短所のない完璧超人はいない。長所の方が多ければ十分優れた人格者、短所と長所が同じくらいの人が通常で、あまりよろしくない場合には、僅かな長所に後は短所ばかりという人もいるだろう。▼では人格者ばかり掻き集めて仕事をすれば上手く行く、なんて人事計画を立てようものなら採用担当者も逃げ出すというものだ。人をまとめようとすれば、不思議と良、可、悪が2:6:2くらいのバランスで集まるものである。▼ここで、2割の良が仕事をこなして利益を上げ、残る8割がそのおこぼれに預かるという図式を想像すれば、悲観組織論となる。「出来ない人間」が「出来る人間」にたかるためのシステムが出来上がってしまう。しかし、可や悪には不得手なことを全くさせず、僅かでもいいから優れた点や得意なことを活かしてそれだけに専念してもらえば10割が良となる。これ以上に経済的な人的資源の活用法は無い。不況のときほど尖った人が重宝される所以である。

[1919] Nov 29, 2014

プライベート・メモの「買うものリスト」の中に、もはや買うべきでない項目がいくつか残っている。そのうちのひとつ「BEA-1788+SE846」は、DAPもヘッドフォンも揃えた今となっては全く意味のない消し忘れだが、この呪文のようなメモを見ていると不思議な気持ちになる。この覚書、煮詰めて煮詰めてようやく出した結論を書き留めたはずだが、結果として私の手元にはBEA1788ケーブルもSE846イヤホンもないわけだ。これぞ唯一の回答だと信じて出した答えは、唯一でもなんでもなかった。▼膨大な汗の果て、某かの答えに辿り着いたら、意図的にそれを選択肢の中から排除してみると良い。これしかないという確信をわざと崩して、他に目を向けて、もっと面白い選択がいくらでもあるじゃないかという経験を積んでみる。こんな馬鹿げた修行でも、繰り返しているうちにどんどん視野が広くなっていく。軽率な勇み足が減っていく。最初の解を捨てて困ることもあまりない。

[1918] Nov 28, 2014

マウリツィオ・ポリーニの全集が届いた。早速、三大ソナタから聴く。なんだこれは。凄い。▼癖がないのに味がある、というと褒め言葉になるか不安だが、このクオリティでこの価格でベートーヴェンのピアノソナタ全集というのは、ちょっと破格なのではないだろうか。これは多くの人にとって、決定版候補待ったなしの逸品ではないかと思う。どれも録音の品質が高いところも好評価だ。残念だったのはオンラインのトラック情報がぐちゃぐちゃだったことくらいである。▼それでも、あくまで私の好みで言えばホロヴィッツの次にはなる。先日の順で言えばホロヴィッツとルービンシュタインのあいだ。しかしホロヴィッツにはピアノソナタの演奏は少ないから、私にとってもやはりポリーニの存在は文句なく貴重である。どれも名演奏ないし面白い演奏ばかり。とはいえグールドの16番にブレンデルの32番は譲れないところ。全ナンバーにベストワンを見つけたいところだ。

[1917] Nov 27, 2014

最初に疑うのはデータである。次に、自分のコード。つづいて外部クラスの動作。それでもダメならライブラリ、SDK、コンパイラ……と低レベルに遡り、最後にハードウェアであろう。良心あるプログラマなら、冗談でもない限り最初から機材やコンパイラの故障は疑わないものだ。▼そもそも疑っていてはキリがない。たいていの場合、バグと呼ばれるものの原因の9割は不正なデータで、9分はコードのミスである。9厘ほどはライブラリのバグもあるだろう。長いプロジェクトで9厘は、そこそこ引く確率だ。▼しかし、こんな短い間にSDKとコンパイラのバグで二回も悩まされるとは思わなかった。原因を砕いて砕いて、ついに到達したアセンブラコードの振る舞いが、恐らくはコンパイラの最適化による生成ミスであろうということが判明したときの達成感と脱力感は凄まじい。些細な違和感から始まった探偵業も、往々にして想像以上に長い旅を強いられるものである。

[1916] Nov 26, 2014

ホロヴィッツのCD、やや変わったトラックが2つある。ひとつは、曲の最後に盛大な拍手が入っているもの。コンサートの録音ならめずらしくないかもしれないが、他には無いのにこの曲にだけ「ブラボー!」の大喝采が入っている。よほど名演奏だったのか拍手の始まりが曲の最後に被せ気味なので、自然にカット出来なかったのではないか、拍手の途中で切れるくらいなら喝采も全部入れてしまえという判断だったのではないかと勝手に推測している。▼もうひとつは最初から最後まで咳が収録されているもの。仕方ないとはいえよくこれを製品CDに出したなと思うほど、押し殺してもいない「ゴッホゴホ!」という盛大な、恐らく同一人物によるものであろう咳が絶え間なく曲をぶった切っている。自分の咳で不快にさせた総人数ならギネスにでも乗れそうな彼が、コンサート会場を出た後でどんな目に遭ったか知らないが、歴史的録音にはこういうこともあるとひとつ学んだ。

[1915] Nov 25, 2014

将棋にもいろいろな型がある。戦法があり囲いがある。長年、フリースタイルで下手の横好きをしてきた私だが、このところ通勤時間の「将棋ウォーズ」が楽しい。これは本当によく出来ている。▼狙ってであれ偶然であれ、対戦中に戦法や囲いを完成させるとカードが集まる。「原始棒銀」「右四間飛車」あるいは「天守閣美濃」「ミレニアム囲い」などなど。古の定番戦法から最近編み出された新しい戦術まで、かなりの数を網羅していて飽きない。空欄がなかなか埋まらないと、フリースタイルのつもりでも自分がいかに決まりきった型しか通過していないかがよくわかり、勉強する気を掻き立てる。▼単純な囲いなら仕方はないが、私はしょっちゅう「いちご囲い」を通過するようだ。形が苺に似ていることから名付けられたそうだが、どこをどう見ても苺には見えない。王は左に寄せるので左美濃の形になりやすい。右四間飛車に滅法弱い。一手損角換わりはしない。等々……。

[1914] Nov 24, 2014

閉店ぎりぎりに駆け込んだタワーレコードのクラシックコーナーで、普段は新進気鋭の若手バイオリニストやらドラマで使われた曲の有名人カバーやらがラインナップされる売上ランキングの1位に、ベートーヴェンのピアノソナタがランクインしていた。マウリツィオ・ポリーニがついにピアノソナタ全集を完成させたCDだというので話題になっているのだそうだ。先週の発売である。▼これと、アシュケナージの全集があれば、ブレンデルと合わせて全集三本柱になるだろう。フリードリヒ・グルダも「これこそ至高のピアノソナタ」と絶賛する人がいるほどなので聴いてはみたいが、モノラル録音というのが若干気になっている。名演奏にモノラルもステレオも関係ないと言われてしまいそうだが、リスニング趣味人としてはどうしてもモノラルは少々味気ないと思ってしまうのだ。などと言うと今度はサラウンド党に鼻で笑われるので、適度が一番である。オーディオ沼は深い。

[1913] Nov 23, 2014

マズルカ。ポーランドの舞曲。同じ3拍子の舞曲であるポロネーズよりは一般的にテンポが早い。一拍目が付点リズムになり、アクセントは二拍目以降に置かれる。▼ショパンというと「子犬のワルツ」や「華麗なる大円舞曲」を思い浮かべることが多かったが、このところルービンシュタインとホロヴィッツのマズルカやポロネーズの有名どころを繰り返し聴いていて、これならショパンも面白いかなと思うようになってきた。ベートーヴェンのピアノソナタほどの中毒性はないが、シンプルであるが故に、感情から演奏への綾がダイレクトに聞こえてくる気がする。▼ショパン好きの同僚の女の子が、ショパンは暗い曲が楽しいと言っていた。明るいショパンは嫌いなのだそうだ。その基準で行くと、当然ながら「英雄」も明るい部類に入ってしまうらしい。どちらかというとショパンが苦手な私でも、あれは愛聴に値する名曲だと思うのだが――なかなか好みとは難しいものである。

[1912] Nov 22, 2014

寒い寒いと震えながら起きたら、内側の薄手な毛布を残して、本命の厚手布団が床に落ちていた。いつからか知らないが冷えきっている。大切な時期にやらかしたものだ。さいわい風邪はひかなかった。尚、毛布はかけるより敷く方が暖かいらしい。▼師走並みの寒さがつづく晩秋だが、外使いのヘッドフォンは想像以上に防寒具としても優秀だ。遮音性もほどほどなので、スマホをいじりながら歩くというような愚かな真似をしなければ、音量を小さくするか音を切れば危なくない。片耳使いの可能なDJモデルだけに、すぐ着脱できるのも魅力である。▼まして電車内なら安全万端――とタカをくくっていたら、オンライン将棋の白熱戦に入れ込んでいるうちに、ルービンシュタインの華麗なるショパンがアナウンスもかき消して、終電を乗り過ごしてしまった。完全起床状態での乗り過ごしは久しぶりである。残業代はタクシー代に消えた。仕事は進んだのがせめてもの救いである。

[1911] Nov 21, 2014

チームで仕事をするとき、自分の作業効率を格段に高め、かつチーム全体のアウトプットにも貢献する重要なスキルがひとつある。未知の問題が発生したとき「それは自分が対処すべき仕事ではない」という真実を一刻も早く提出する力である。▼仕事が遅い人の言い訳には定形がある。そのひとつが「今日も関係のない仕事に追われて自分の作業が出来なかった」である。彼らはいつも自分の仕事を先送りにして、頼まれてもいない他人の尻拭いをする。謎の問題に直面して、時間をかけて調べ上げ、ついに責任は他の誰かにあったことが判明したと、いかにも嫌そうに武勇伝を語る。勘違いである。その問題が、より迅速にそれを始末できる当該者のところに回らなかったことが罪なのだ。▼症状を一見しただけで直感的に自分の職分ではないことを悟る力は、長年の経験が培う貴重な専門技術である。人の仕事はなるべくしない。なぜなら、それは人の方が速く処理できるのだから。

[1910] Nov 20, 2014

せっかくだからしゃべる興味の引かないうちに「Signature DJ」の感想を記す。▼予想通り元気で華やかなアニソンが見事に合う。とくにシンセ系のバッキングがあると最高に良い。声質的にも相性が良いのかfripSideがかなりハマる。逆に大人しくしとやかなバラード系統は苦手。とはいえ水樹奈々が楽しく聴けるので、私的にはアニソン方面に全く不満はない。▼得意ジャンルは「打ち込み系」と総括して良い。低・中・高の音域が綺麗に住み分けられているので、全方面に音が溢れている洪水系でもひとつひとつの音がちゃんと拾える。しかしクラシックがダメかというと意外にもそうではなく、マーラーなどは想像以上にうまく聴ける。低音がしっかりしているから、ティンパニの鳴り響くような迫力系は問答無用で好評価にならざるを得ない。その他、カントリーからピアノソロまでさまざま試したが、アニソン、打ち込み、迫力系クラシックがベストスリーになりそうである。

[1909] Nov 19, 2014

「白」を購入。何度も試聴を繰り返したモデルなので装着感から音の出方まで最高なのは言うまでもないが、それでも展示品と商品で聞こえ方が違うということはある。繋いでみるまでは不安だったが、問題なかった。音漏れチェックも問題なくクリア。これでようやくポータブル環境が完成したわけだ。▼気分によってヘッドフォンを変えたり、新モデルが出る度に乗り換えたりするほどの余裕はないので、これもまた外使いの相棒として長く大切に使うことになるだろう。故障以外でオーディオ機器を無駄に浮かせる気はさらさらない。想像通り夏場は使えそうにないので、イヤホン「S2」にもまだまだ働いてもらうことになる。▼ひたすらに明るい音。元気の出るノリ。力強くも品の良い低音。見た目より広めの音場。各音域の清々しい分離感。HD650とは異なる性格の持ち主で、今までの曲もなんだか新鮮に聴ける。黒には悪いが、君にしてよかった。よろしく、シグDJ。

[1908] Nov 18, 2014

そう多くはないが、今プレイリストにいる人達だけで、ひとまず「月光」第三楽章の聴き比べをしてみた。もはや巧拙を論じるような面子ではない。当然、以下、好みについての評価である。▼ホロヴィッツ>>ルービンシュタイン>グールド>ブレンデル>>バックハウス>ケンプ。ホロヴィッツは、ちょっと他とは比較にならないくらい、抑揚の付け方からペダルの踏み方まで何もかも性にあっている。他の演奏でも、あの極限まで引き伸ばされたトリルの小節がないと逆に物足りないくらいだ。ルービンシュタインは第一印象ほど嫌いではなかった。ところどころバスのラインを強調する弾き方が、ふだん聞こえにくい音を教えてくれて面白い。グールドの超高速月光は、これはこれでひとつの完成形。ブレンデルはやはりオーソドックスな弾き味だ。そうして残念ながら、最後の二人は合わない。とくにケンプは何もかも合わない。広いピアニスト界、そんな御縁もあると学んだ。

[1907] Nov 17, 2014

いましばらく音響機器の話。どうしてもシュア掛けに耐えられない私の耳に合う良いBAイヤホンはついに見つからず、身体的に痒みを耐えるかヘッドフォンの外使いに手を出すかという二択まで来て一旦判断を保留。仮にヘッドフォンなら……とふたたび試聴生活に入って出した結論もやはり二択であった。とある機種の「黒」と「白」である。▼かたや全音域でバランスに優れどんなジャンルでも上手な優等生の黒、かたや中高域から美しく分離したタイトで強烈な低音が魅力のジャンルを選ぶじゃじゃ馬の白。よく同シリーズでここまで出音を変えたものだ。▼総合点数をつけるなら明らかに黒が上だが、私はたぶん白を選ぶと思う。黒はたしかに優等生だが、家使いなら上位互換がいくらでもいそうなものだ。しかし白の個性、クラブ系やアニソンにはとびきり合いそうなハマリ系の魅力は替えが利かない。したがって白に軍配。自分の意志ながら、なにかと示唆深い選択である。

[1906] Nov 16, 2014

あんまりヨドバシカメラの試聴機を聞きすぎていたら、とうとう据え置きプレイヤーの全20曲を聴き尽くしてしまった。いまだにヘッドフォン/イヤホンは買えていないので今しばらくは冷やかしで申し訳ないのだが、その20曲の中に1曲、かなり素敵な曲があったので、洋楽だったが歌詞を思い出し検索。曲名がわかったのでタワーレコードでCDを買ってみた。ヴァネッサ・カールトンの「A Thousand Miles」という曲である。▼名曲らしいが詳しくは知らない。ただ、彼女の声はたいへん良い。ピアノも綺麗だ。ついでながら、fripSideの「only my railgun」とスクリレックスの1stアルバム、それとラブライブのアルバムを購入。今更CDを買うのも不思議な気分だが、昔、友達がCD漁りに明け暮れていたころ、そういうことに全く興味のなかった私だから、例によって十年後の今、こうなっていても不思議はない。ただラブライブだけ音質がいまひとつなのは残念だった。

[1905] Nov 15, 2014

夜。吹きさらしの大通りを同僚と歩きながら、競馬の必勝法について話していた。下馬評もネットで見るご時世、本気で予想なんかせず、プロの印を鵜呑みにして買う人も多いだろう。鵜呑みといかないまでも、参考にはしていたり、あるいは無意識に、心のどこかで安心材料にしている可能性は高い。「印も厚いし、これなら来るかも……。」▼であれば長期的に見て、プロの印がつかない、あるいは薄い馬を自動的に買い続ければ、相対的に期待値は高くなるのではないか、というのである。データマイニングで馬柱を拾ってきて分析すれば、フルオートで期待値の高い馬券を買うことができるではないか。与太話ではあるが、もしも「予想のプロ」と呼ばれる人たちが、一人ひとりはともかく寄せ集めて平均すれば的中率が人並みにしかならないというのであれば、この手法はかなり優秀だと思われる。▼何のことはない、私のフーラブライドに予想外の厚い印がついた鬱憤である。

[1904] Nov 14, 2014

写真が趣味だというカナダ人が、カメラほど金のかかる趣味はそうないと言うので、いかにオーディオが金食い虫かについて解説を加えつつ、私にはひとつ納得のいかないことがある、という話をした。折にふれて思うことではある。写真が趣味の誰かが十万のカメラを買うと、「本格的な趣味だね」と肯定的な感嘆で迎えられるのに、音楽が趣味の誰かが十万のイヤホンを買うと、まっとうな金銭感覚のないクレイジーだと言われるのはなぜなのか。▼カメラでもイヤホンでも、安物と高級品の違いはたいてい判別できる。素人には違いがわからないという理由は妥当ではない。しかし、違いがあってもそれを歓迎できない、たいして嬉しくないという感覚は、眼よりも耳の方が強いのではないか。眼は同時に二つの写真を比較できるが、耳は同時に二つの音楽を聴き比べることはできないから、片方に慣れればそれでいいという妥協が生まれやすいのではないか。そんな結論を出した。

[1903] Nov 13, 2014

巨匠のピアノ演奏動画でこんなコメントを見た。曰く、ミスタッチが多すぎるから、自分のピアノの先生の方が上手いと思う、という。煽りというより、どうにもピアノ学習生の素朴な意見である。▼ピアノ演奏に対するミスタッチの指摘は良からぬ風物詩のようなものだが、先生の巨匠に対する恐縮はさておき、彼は今、正確に弾くことが即ち上手いという物差しでピアノを測っている。そうしてその価値観は、他のコメントが親の敵の如く叩いているほど責められるべきものでもない。▼成長には段階がある。ミスをしないことが素晴らしいという物差しのもとでストイックに練習した方が良い時期もあるだろう。型から外れたいと心底願うまでは、型に嵌っている方が近道ということはよくある。最初から天才的な演奏を目指したところで、自分だけが独創的で芸術的だと信じるひとりよがりな演奏が身体に染み付くだけだ。”大人”な意見を頭ごなしに浴びせるのも如何なものか。

[1902] Nov 12, 2014

ヘッドフォン女子なるものが某所で紹介されたらしい。それも、あんまり良い紹介のされ方ではなかったようだ。ファッション感覚で音楽通のフリができるとでもいうような、本当に良い音、良い音楽が好きな女の子が聞いたらがっかりしそうなレッテルを貼られていたようである。外にヘッドフォンを持ち歩くのは想像以上に骨が折れる。音楽通のフリでやるにはいささかつらいし、長続きするとも思えない。少なくとも私はそういう人を知らない。▼ヘッドフォンの外使いを思い留まらせる要因は多々ある。まさにこういう偏見というか世間の目もそうだし、コードの取り回しが難しく、使わないときの始末に困る。混雑している場所では邪魔になるし、遮音性が高すぎて危険なこともある。夏場など暑くてつけていられないかもしれない。しかし、同価格帯のイヤホンでは到底実現できない音質や音場の広がりという、デメリットを補ってあまりある恩恵が、人を悩ませるのである。

[1901] Nov 11, 2014

標準的な価格のBDドライブと、倍近くするリッチなBDドライブがぽつんと二つ並置されていたので、率直に「何が違うんです?」と訊くと、率直な「艶ですね」という答えが帰ってきた。「艶ですか。」「そうです。手触りが良いんです。あとは付属するソフトなんかも違いますが、ドライブとしての性能は大差ないですね。多少は静かですが。」「ありがとうございます。」安い方を買って帰る。高額新商品を差別化するべく、メーカーも大変だ。▼早速、新しいCDをライブラリに加えていく。しかしウィルヘルム・ケンプは好きな人には申し訳ないが全く好みに合わなかった。今までで最も肌に合わない悲愴、月光、熱情の三大ソナタである。どうももったいぶった感じがするというか、ねっとりとして重たいというか、格調高いと言うべきなのかもしれないが、ことごとくノリが一致しない。相性の問題なのだろうか。文章にもそういうことはママある。しかし残念ではある。

[1900] Nov 10, 2014

フライング気味だが、ホロヴィッツの月光は素晴らしいと思う。これまでグールドの演奏が最も理想に近かったが、今ではホロヴィッツの演奏がいちばんいい。第一楽章、第二楽章、第三楽章、全て通して◎である。とくに第三楽章は、出だしから駆け上がり着地点のスフォルツァートを完全に無視して広く広く抑揚の幅を取ったり、ところどころに強烈なスタッカートを混ぜてフレーズに勢いを与えたりと、他に類を見ない独特なアレンジングが圧倒的である。「なるほど。とにかくなんか凄いぞ、これは!」▼32番のように、正統派の解釈でまっすぐ弾くことが最高の演出になるようなナンバーもあるが、月光に関しては逆に、解釈のオリジナリティと派手さが活きてくるような気がする。それは激しい第三楽章に限らず第一楽章にしても、極限までシンプルだからこそ、どこかに大胆な試みやハッとするような指使いがないと飽きてしまうのではないか。そう思わせる名演である。

[1899] Nov 09, 2014

iTunesを捨ててWindowsMediaPlayerの元へ意気揚々と帰還したのは良いが、今度はDVDドライブが完全に故障した。足の裏といい腰といい、iPodといい、最近、身の回りであまりにもいろいろなものが壊れすぎだと思う。身体以上に高価なものはないが、いくら買い戻せる機械製品でも、これ以上高額なものに逝かれると財布が持たない。PCや携帯は勘弁してもらいたいものだ。▼手持ちCDの再取り込みができなくなったので、ドライブは外付けで追加購入。現在、ブルーレイの再生環境がないので、このさいブルーレイディスクを備えることにしようと思うが、新品のBDドライブを数百枚のCDで消耗させるのも馬鹿らしいので、旧音源については諦めて今までのファイルを使い回し、これから購入する音源だけWMP+OneDriveの新環境で運用していくことにする。後は常用アプリケーションがクラウド管理できるようになれば最高だ。ハンドフリーのPCライフに期待がかかる。

[1898] Nov 08, 2014

ゲームのエフェクトと聞いて多くの和製ゲームのプレイヤーが思い浮かべるのは、攻撃魔法の炎や回復効果のキラメキなど、ゲーム意味と彩りを添えてくれる賑やかしかつ記号的な存在だろう。これらのエフェクトは付加的な存在だから、通常のプレイ画面を邪魔することのないよう半透明になる。▼しかし、こうした「アニメ的」なエフェクトは、昨今のトレンドであるディファードレンダリングとは極めて相性が悪い。物理的に正しい表現しか認めない世界における正しいエフェクトとは、光源やフォグなど現実世界でも起こりうる光学現象だけである。▼ここに、日本が海外技術に追従するべくフォトリアルを取り入れつつ、アニメ的表現も保存しようというハイブリッド戦略を取る場合のバッティングポイントがある。リアルでなければ世界に馴染まない。しかしリアルなエフェクトでは記号的効果が果たせない。アニメ表現に郷愁を抱くクリエイターは必ず直面する難問である。

[1897] Nov 07, 2014

ベートーヴェン全集を買ったとき、自分のベートーヴェン・リスニングはとりあえずここから始まるんだと思った。1枚100円にも満たない投げ売り価格の廉価版、演奏もたいしたものは収録されていないだろう。それでもいい。全曲をいつでも聴けるようになるのだから安いものだと思っていた。▼あれからしばらくして、様々な奏者のピアノソナタをそれなりには聴いてきたつもりだが、ついに投げ売りのブレンデルを超える演奏は、少なくとも29番と32番に関しては出会えていないのである。廉価版なんてとんでもなかった。オーソドックスの天才。全集というリファレンス的な商品にとっては最高の人選ではなかろうか。他の一癖も二癖もある演奏を知っている今なら、尚更そう思う。▼他人の追随を許さないところまで極めれば、基本に忠実であることもまた最強の個性である。この先、”好みの奏者”はいくらでも見つかるだろうが、ブレンデルへの敬意は変わるまい。

[1896] Nov 06, 2014

右耳の調子がどうも良くない。何を聴いても僅かながらパンニングが左にズレていると感じる。イヤホンなら、左耳のヘッドを耳から軽く離して、密着していない状態にすると音の配置がちょうど中央に聞こえる具合だ。イヤホンが壊れているのではと疑いたいところだが、逆にかけてみても形が上手くあわなくて正直よくわからない。家のヘッドフォンでもごくごく左が強く聞こえるという気はするが、確証は持てないでいる。▼突発性難聴については発症日が明確にわかるケースが多いらしく、今回のように気づいたら片方がやや弱く聞こえる、そんな気がする、という程度では可能性は低いらしい。ただ、小さい頃に患った前庭神経炎もあり、右耳の荒れには悩まされてきたところであるから、身体的にも思うフシは大いにあるわけで、微々たる症状でも不安にはなるわけだ。そんな現実から逃げるように、ホロヴィッツとルービンシュタインのピアノソナタをカートに投げ入れた。

[1895] Nov 05, 2014

非常に複雑な手順を辿るとハングするバグを夕食前に報告されて、難航しそうな気配をひしひしと感じつつ、腹が減っては戦はできぬ、BMIが微増していたり、上は92から下は58しかない低血圧だったり、あまり成績の良いとは言えない健康診断の速報に後ろ髪を引かれながらも、がっつりラーメンを食べて帰還した。さて、取り組んでみるとこれが予想以上に重い。▼未解決なのでなんともいえないが、八割方特定した原因としては、歴戦のプログラマなら「ありがちすぎる」と一蹴するかもしれない定番中の定番、不正なポインタの勝手なバックアップと勝手な再利用によるヌルポインタアクセスである。しかしコードがアプリケーションとライブラリを行き来しながらメモリを破壊していくようなバグはとびきり追いにくいので、ほんの些細なミス、不注意、ライブラリと利用者の思惑の違い、その定番が修羅場のプロジェクトを殺しに来る。開発末期。イナゴの襲来である。

[1894] Nov 04, 2014

仕事の脈絡からSteamの話題になり、たまたまトップページにCivが表示されていて、本当にひょんなことから、このプロジェクトで一緒に仕事をしている外国人の先輩がけっこうなCiv5プレイヤーであることを知った。ひとしきり盛り上がった。昨日、BEの最高難易度をクリアしたばかりだと言うと、クレイジーだと笑っていた。▼夕飯時には別の同僚たちとポケモンの話題で盛り上がった。初回、イーブイは誰に進化させたかとか、四天王って誰だっけとか、アニメのサトシはどうして観る度に違う女の子を連れているのかとか、実に他愛ない話ではあるが、たしかに夕飯を旨くしていた。大人になると忙しくてなかなかゲームなんてと言いつつも、なんだかんだで自分のまわりはかなりの度合い、ゲームの話で繋がっている。▼大勢とゲームで遊んだ。ゲームについて語り合った。ゲームを通じて知り合った。ほとんど私という一人格を築き上げたようなものだ。なんとも偉大である。

[1893] Nov 03, 2014

20時間で最高難易度の牙城は崩れなかったBEだが、30時間よりは前に塵と化してしまった。純血アフィニティーで「約束の地」勝利。「オウチ デンワ」という実績がアンロックされた。"Phone Home, It's Me -- God," という、かの約束の地をめぐる宗教関連の記事のヘッドラインが元と思われる。▼AIが弱すぎるという報告は各所から上がっているようだ。たしかに弱すぎる。内政も出来ていないし戦争も弱い。しかし開発を擁護するなら、これはゲーム設計上ある程度仕方がない気もする。前述の通り切り札をぶつけあうタイプの勝負なので、「人読み」や「賭け」など尖らせた戦略を要所で取らなければならないが、これはAIの苦手とするところだし、逆に本気でやりすぎれば、積まれた牌の中身から、こちらの手牌まで知り尽くされている麻雀のように、文字通り「クリア不可能な」難易度になってしまう。だから、強者と戦りたければ、マルチを遊ぶしかないのだ。

[1892] Nov 02, 2014

2011年6月14日。三年以上前の記事に燦然と輝く「スピルバーグ」の名前。天皇賞秋を制した彼は、私にとっては少々活躍するのが遅すぎたようだ。去年の1000万下を契機に連戦連勝で着実に力をつけてきた彼は、重賞未勝利のままG1・天皇賞の大舞台を獲ってしまった。大金星と言うほどの人気薄ではないが、躍進目覚ましい絶好調の新星である。▼重賞未勝利と言えば、菊花賞のトーホウジャッカルもそうだった。この一年、振り返ってみると一番人気が人気通り勝利したG1がほとんどない。実際、桜花賞のハープスター、安田記念のジャスタウェイ、宝塚記念のゴールドシップ、以上の三頭だけではなかろうか。並べてみれば見事に凱旋門賞組である。日本を代表する実力者の威光を除いては、コパノリッキーに始まる今年2014年は、大舞台が波乱する運命にあったのかもしれない。しかし、綺麗にまとめるつもりがミッキーアイルを思い出した。ご愛嬌である。

[1891] Nov 01, 2014

流れに乗って最高難易度「アポロ」も軽くクリア――とは行かなかった。さすがにプレイ開始から20時間も立たないうちに崩れるような「クリア不可能なほど難しい難易度」では困る。スラブ連邦との超越競争に数ターン差で負けてしまったのだった。ただ、Civ5の創造主に比べればクリアは圧倒的に近い。あと数回も挑めば簡単に取れてしまいそうな気配である。バランスの問題か。▼UIの拙さは散々指摘があるらしいので敢えて触れはしまい。目下最大の問題点は、交易ありきのゲームなのに、交易先を選ぶ行為がゲーム中でもっとも面倒くさくて苦痛であるところか。交易先の変更頻度が高過ぎるし、大量の候補都市からひとつを選ぶこと自体に大した差が見いだせないところも「ただの面倒な通過儀礼」感を助長している。最終決戦中など、どこでもいいからオートで適当に送ってくれと叫びたくなったのは私だけではあるまい。さて、最初のパッチでどこまで改善されるか。

[1890] Oct 31, 2014

イヤホンと腰の話ばかりでマンネリも甚だしいところ。ひとつ気分を変えてゲームの話としよう。Civilization: Beyond Earth、ついに稼働。▼どちらかというとアルファケンタウリの続編と言われる本作だが、あくまで公式の主張する通り、Civ5の続編と見て比較してみると、最大の違いはソロプレイのつまらなさとマルチの”面白そうさ”である。まだマルチプレイしていないので面白いとは断言できないが、確実にマルチでやれば楽しそうだという確信が持てるゲームバランスになっている。明らかに、AI相手に遊ぶゲームではない。▼内政と軍事で相手を出し抜く点はCiv5と共通だが、BEの場合は国力で出し抜くというより、切り札の読み合いという印象が強い。切り札がハマれば科学も国力も無関係に蹂躙できるが、ズバリ読まれれば手痛い反撃は避けられない、そういう戦略の絡み合いが随所に仕込んであるのだ。▼だからAIが弱い。さっくり”不死”を至高で解放勝利した。

[1889] Oct 30, 2014

明日起きれば今日よりは良くなってるよと言われたものの、いざ起きてみると容態は悪化していたのだった。本当に治ってくれるのだろうか。▼疑っても仕方がないので痛み止めを飲んで寝る。痛み止めを飲んでいても痛い。これは参った。寝てばかりもいられないので必要な作業をしたり、椅子に座ってみたりもする。そのうち、ひとつ面白いことに気がついた。▼肘掛け椅子の左肘掛けに左肘をもたせかけて前屈みになる体勢と、床に直接膝立ちになって背筋を伸ばす体勢。この二つ、どちらも良い姿勢とは言えないが、痛みのない体勢だった。普段の姿勢の中でも特に悪い姿勢を再現すると楽になるということは、変な癖がついてしまっているか、その姿勢でいるための筋肉が発達しているか、何かしら理由はあるのだろう。長い目で見れば良いことではないが、今日だけはこれらの姿勢に頼らせてもらった。痛くないなら負担もかかっていまいという前提が正しければ良いのだが。

[1888] Oct 29, 2014

朝起きたら歩けないほど悪化していたので整形外科へ行く。以前、足裏の腱が炎症したときお世話になったところである。ぎっくり腰という病気があるわけではないんだ、という説明を受けつつ、低周波治療器をあててもらって、簡易コルセットと痛み止め、それに特大の湿布を処方された。痛み止めと湿布の効果はまだわからないが、コルセットはきつく締めているとさすがに腰を固定してくれるので良い。すたすたとは歩けないまでも座った体制でじっとしていれば激痛が走ることはなくなった。▼とにかく安静にすること。安静にしていれば嘘のように治る。人にもよるが三日から一週間、それ以上過ぎても痛みが引かないなら別の病気も疑った方がいい。そういうわけで私の使命は、いかに安静に仕事をするかということになる。実際、デスクに着いてしまえば家のPCに座るのと大差はないだろうが、ここで九十分通勤の難点が出てくるわけだ。通勤ラッシュ時間帯は外したい。

[1887] Oct 28, 2014

生まれてはじめてぎっくり腰になる。風邪気味のせいか、はたまた秋に飛び出した妙な花粉のせいか、朝方の特大くしゃみが引き金になった。ギシギシと痛みはじめた腰まわりは昼から夕方にかけて硬くなり重くなり、夜にはもはや動かし得ぬ激痛の塊へと変わってしまった。身体を引きずるように家へ向かう。石造りの階段をあがり、二階に店を構える地元のカイロプラクティックは、無慈悲にも「定休日:火曜日」の札を下げてシャッターを閉めていた。なんともタイミングが悪い。▼人によっては一歩たりとも動けなくなるほど痛いというから、よろよろとは言え足で帰宅出来た私はまだ軽傷と言うべきだろう。とはいえ、ぎっくり腰というのも素人判断、神経痛もさまざまだから「数日安静にしていれば治るだろう」などとタカをくくるのは危険というもの。やはり本業の人に診てもらわなければ安心できない。あとは明日の朝、起きてみて今より悪化していなければいいのだが。

[1886] Oct 27, 2014

このあいだ、ちょっとした遠出の前に本屋へ寄ると、「かりあげくん」の新刊が出ていたので思わず買ってしまった。たかだか数十分、電車に揺られるお供だが、これがなんともちょうどいいのである。だから家には飛び飛びの「かりあげくん」が何冊かある。何の脈絡もなく、17巻や41巻が転がっている。▼今日は夕食休憩のとき、「とある日常のいんでっくすさん」が平積みされていたのでこれを購入。最近は、あずまんがのような日常系でもなく、きらら系列のようなバリバリの萌え系でもない、ただひたすらにカワイイを目指したスピンオフ四コマが流行っている。「咲日和」もそうだろうか。ファンがサイトに日替わりで上げていくショート漫画の<プロ版>寄せ集めとでも言うべき、二次創作に限りなく近い公式ライトコンテンツ。四コマ=ギャグという図式すら成立しない、不思議な世界である。▼私はその手の作品も大好きだ。言うまでもなく、可愛いは正義である。

[1885] Oct 26, 2014

Civ5史上最高の名勝負を見させてもらった。▼新作が発売されたことでCiv5コミュニティの住民も次第にそちらへ移り始め、名残惜しいもののCiv5のマルチ全盛時代は終わりを告げようとしている中、古典的ながら最後の蝋燭の炎の如く、次々と激熱の試合が繰り広げられるコミュニティローカル大会である。ウィナーズファイナルはこれぞ長期マルチと呼ぶに相応しい究極の白熱戦であった。これ以上、文字で内容を書くのは難しいのが悔やまれる。▼これがあるから**はやめられない、という中毒性を浮き彫りにしてくれるコンテンツに出会うと、それを心から楽しんでいる反面、自分もそういうものを作り出したいものだといつも思う。優等生じゃなくてもいい。シェアNo.1じゃなくてもいい。最高傑作じゃなくてもいい。ただ、誰かが「これがあるからやめられないんだ。かけがえがないんだ」と思ったり言ったりしてくれるようなものが生み出されば、それに勝る報酬はない。

[1884] Oct 25, 2014

ウエストンのイヤホンを試聴する。ここばかり取り立てて言うわけではなく、各社のイヤホンも隙あらば定期的に視聴しているのだが、とりわけウエストンの音は気に入った。ダイナミックからバランスドアーマチュアへの移行で音質の変化が楽しみでもあり不安材料でもある中、UM-50Proは現行機に近い感触を出してくれたし、W60を筆頭に置くWシリーズの上品な音も聞く音楽によく合う。▼以前、某カメラでShureのSE846を視聴したとき、いくらフラッグシップでもこんな低音の出方では……と、バランスドアーマチュア全体への信用さえ失いかけたが、あるとき別の店でもういちど視聴してみると、別の商品としか思えないほど、均整のとれた素晴らしい音を披露してくれた。今でも最初の機体は壊れていたのではと疑っているが、何にせよイヤホン類は買う前に同一機種でも別の店で視聴してみたほうがよさそうだ。思わぬ発見があるかもしれないし、聴きすぎて損なことはない。

[1883] Oct 24, 2014

私がイヤホンを楽しみに毎日楽しく過ごしている中、プロジェクトはいつも通りの修羅場へ向けて着々を歩を進めているようで、体調を崩したり、元気のなくなる人もちらほら出てきた。もちろん、忙しければ気持ちの萎える人が出てくるのも仕方のないことではあるが、元気すぎるほど元気で豪胆だった後輩のひとりが、かなり精神的に追い込まれている様子なのが気がかりではある。パートが遠くて直接のサポートは難しいが、話を聞く限り上司との関係に難があるようだ。体力は十分、仕事量もまだまだいける、それでもつらいという。そういうこともあるんだなと私が思う以上に、本人が驚いている。▼私は、そういう人間関係で苦しんだことがない。宝くじは当たらないが、人運だけは昔から本当に良い。今までトラブルに遭遇しなかったのはありがたいことだと思う。願わくば今後も巻き込まれたくはないものだ。ただ、いざというとき免疫がないのは危険なのかもしれない。

[1882] Oct 23, 2014

後手5六角から先手8八桂までの中盤から終盤の流れは最高に熱かった。攻め手がなくじりじりと歩を集めつつ形成を整える序盤、やがて開幕した右辺の戦いでは「と金」を許して押し込まれた後手が苦しくなり、そこから次第に先手優勢の声が強くなる中、突如として先手玉を脅かす角の効き。後手9八飛車を先手が桂馬で抑えたときは、もしや大逆転もあるのかと、視聴者にも解説者にも思わせた。▼名局である。しかし逆転はなかった。一分将棋になってからの羽生王座は鬼神のごとく強かった。豊島七段の凌ぎも凄まじかったが、暴走かと思われる捨て飛車から9一銀、ここからの歩の釣り出しは圧巻である。どこからどこまで読んでいたのか。全くもって”最強”の壁は厚い。▼アンチ羽生でもなんでもないが、豊島さんのように若い世代が将棋界に新しい風を吹き込んでくれた方が、私のような「動画勢」には面白い展開になりそうな気がする。月次だが、がんばって欲しい。

[1881] Oct 22, 2014

シェーダが想定外の挙動を示したので、計算ミスでもしたかと思って追い始めたのが夕食前の午後四時。挙動の様子からして真っ先に浮動小数点の計算誤差が疑われたので、その線でデバッグコードを書いて確かめると、予想は的中していそうな変化が見られたもののやはり正しくは動かない。それどころかデバッグコードが詳細になればなるほど不可解な出力になっていく。そんな馬鹿な、と思わず声が出る。▼今日中に答えが出たのはさいわいだった。現行SDKバージョンにおけるコンパイラの最適化バグであった。吐き出されたアセンブラコードが、シェーダコードの意図した計算と違う。符号計算が正しく行われていないのだった。しかも次の更新を待てるかどうか、わからないので仕方なく、醜いことこの上ないハッキングコードに五行の長文コメントを添えて回避策を取る。終電前に解決したのは運が良かったのかもしれないが、なんとも不毛なデバッグにげんなりである。

[1880] Oct 21, 2014

イヤホンも量産品から高級品、はては各社のカスタムIEMまで、本体について手に入るメジャーな情報を調べ尽くすと、ほどなくしてケーブルに至る。リケーブル。素材。銀の音色。銅の音色。オーディオオカルトに踏み込んだ世界かと思っていたが、猛者たちが自信を持って「別世界」と断言する様子を見ていると、なんだかそれが当たり前のような気がしてきてしまう。私はまだ、リケーブルによる「絶大な音質の向上」は体験したことがない。▼眉唾かどうかは自ら試して知るのがよかろう。そういう意味でも、今回は最初に備品のケーブルでしばらく聞いてみて、それから狙いのケーブルに付け替えるという段階をちゃんと設けることにしている。ただ、イヤホンとケーブルにも相性があり、組み合わせ次第では悪化するケースもあるというから、各所で高評価を受け、すでに実績のあるペアを候補に選んでいる。玄人気取りより資金が大事。ここは初心者らしく、安牌を切る。

[1879] Oct 20, 2014

ここらで一度、イヤホンの基礎知識をひとつまとめ直しておこう。ダイナミック型とバランスドアーマチュア型について。▼機械的、専門的な話を省いて言えば、ダイナミック型は低音から高音まで広い周波数帯域をカバーしつつ、特定の帯域を強調するのにも長けた形式。低音派や高音派など帯域の好みがはっきりした「原音再現より演出重視」のタイプに適している。比較的安価で生産可能。ハイエンドも存在するが、リーズナブルな価格帯の主流がこちら。▼バランスドアーマチュア型は原音再生力に優れているが、ひとつのドライバで出せる周波数帯域が狭い上に高価なため、よほどのハイエンドでない限り特定の帯域が犠牲になる。ただし元の音を忠実に出力する能力の高さ、それによる音の粒立ちの良さから、フラットに曲を聴きたい人やモニター用途に適している。▼私はダイナミック型しか使ったことがない。バランスドアーマチュア型もひとつ、欲しいところではある。

[1878] Oct 19, 2014

日曜日は来週に備えて家で休もうと決めていたのに、やっぱりいろいろ気になって視聴の旅に出掛けてしまった。晴れて気分の良い日に引きこもるのがイヤだったという理由もあるが、最大の理由はやはりオーディオプレイヤーの不在である。いつまでも初手の打てない将棋はつらい。▼ひとつだけ言えることは、最初に思いついた構成をそのまま購入する財力が無くて本当に良かったということだ。現在、最適と思われる構成の中に、当初思い描いていたデバイスはひとつもない。熟考しないうちに「これがいちばん」などと決めつけてしまうと痛い目を見る。喉の火傷も良き思い出にしてしまう。▼どうせたいした耳があるわけでもなし、あんまり凝りたくはなかったが、ヘッドフォンを諦めてイヤホン路線に切り替えたところで、バランス出力へのリケーブルだけはせざるを得ないだろう。しかし、プレイヤーとリケーブルイヤホンだけの組み合わせなら、シンプルそのものである。

[1877] Oct 18, 2014

とにもかくにも新しい外出用再生環境が要る。将来的な拡張も見据えて様々なルートを検討した結果、選択肢は数本に絞られた。絞り込んだ選択肢をさらに絞る。一本の紐になるまで絞り切る。知恵熱で風邪の症状が加速する。オーディオプレイヤーとポータブルヘッドフォン。薬の副作用で眠い脳に、出来るだけ多くの組み合わせを流し込んだ。▼得た知見と感想は多いが、いちばん予想に反していたのはハイエンドのプレイヤーがインピーダンス高めのヘッドフォンを直挿ししても、かなりの音圧とクオリティを叩きだしてくることだった。AKの上位機ともなると、下手なポータブルアンプなど挿そうものなら確実に音質は劣化しそうである。TH900レベルが素で鳴らせる携帯機。大人気も頷けるというものだ。▼外出用はフットワークが命。面倒くささは機器数の三乗に比例する。ライトニングケーブルが軒並み短いことも手伝って、i+アンプルートは消失の見通しである。

[1876] Oct 17, 2014

iPodが大破したと書いた。あれから数日、調べてみると全く同じ症状の人が質問掲示板に見つかって、どうやら自力での修復は不可能な故障と判明した。公式サポートセンターへ行くしかない。最寄りの所へ駆け込んでみる。▼「本日の受付は終わりました。」受付終了時間の一時間前だった。曰く、待機中の客で閉店を迎えてしまうから、新規の受付は打ち切りになったという。もっともである。では明日、何時に来ればよいかと聞くと、「開店と同時にいらしても三時間は待たれるかと」との回答。三時間待たなければ見積りも取れないサポートセンターとは。憤慨どころか噴飯モノである。▼大人気御礼、なんてドヤ顔をしている状況ではないのではないか、案内員さん。全体の出荷数が多いとはいえ、これだけの故障を叩きだしておきながら三時間も待機するような窓口しか用意しないというのでは、あまりに悲しい事態ではありませんか――iにまたひとつ失望した日であった。

[1875] Oct 16, 2014

隣の人が風邪をひいた。いつも通り仕事をしていたら、夕方、急に喉が痛くなったと訴えて早めに帰宅した。そんなこともあるものですか、しかしお大事に。マツモトキヨシがまだ開いていますから薬か栄養ドリンクなど仕入れて帰ると良いと思います。そう見送った翌日、私が風邪を引いた。夕方、何の前触れもなく、急に喉が痛くなった。鼻水が出てきた。熱があるらしい。頭も痛くなってきた。▼さいわい、今週いっぱいとメドをつけていた仕事が早めに片付きそうなので、明日、深夜ぎりぎりまで残ることはしなくてもよさそうな運びではある。きちんと毎食後に風邪薬を服用していれば大事にはなるまい。ならないで欲しい。同じ風邪かわからないが、不意の病気という意味では綺麗に席を横へズレて順々に連鎖反応を起こしている。衝立すらない開けた大部屋で何十人もが仕事を共にしていれば、それも仕方ないことだろう。集団生活の宿命である。次は私の隣かもしれない。

[1874] Oct 15, 2014

44.1kHz/16bitのCD/DAスペックを何らかの点で超えているオーディオ解像度のことを「ハイレゾリューション」と言う。停滞気味だったオーディオ各社が必至で普及に努めたこともあり、対応プレイヤー、対応ヘッドフォンも増えてきたことで、ようやくハイレゾの愛称が浸透してきたわけだが、そんな「超解像度」にどちらかというと早いうちから否定的であった私も、アイリバーが贈る新たなフラッグシップ「AK120 II」については認めざるを得ないと思った。この音質、ポータブルでは頭ひとつ抜ける。▼他のハイレゾ再生機を聴く限り、ハイレゾだから良いというわけでもあるまい。ハイレゾの旗手としてもてはやされる某社の製品も、これならまだ乗り換えはいいかな、とためらう程度であった。そこへ来て「AK120 II」の出来は、新時代へ移行したい気持ちを駆り立てる何かを孕んでいたことは間違いない。問題は価格である。気持ちは湧いたが、買えるのは当分先であろう。

[1873] Oct 14, 2014

人気のラーメン屋、夕食時は混みあうので店内に立って並ぶ。細い、狭い店に待ち人がずらり八人。手ぶらで来たので暇になり左右を観察すると、八人中六人がスマートフォンを手にしている。そうして、かろうじて見える限りではそのうち五人が何らかのゲームで遊んでいる。待ち時間はゲーム。当たり前じゃないか、と言わんばかりに画面へ集中、指をスライドする。▼先日、夜遅い満員電車の中で、まわりから押し寄せる人波を押し返しては舌打ちし、舌打ちしては押しのけて、周囲の冷たい視線を物ともせずスマホゲームに熱中している四十代くらいのおじさんがいた。その近く、小さな英語教材を遠慮がちに広げている予備校生らしき青年が、電車の揺れでスマホおじさんの方へ流されると、スマホおじさんは今にも怒鳴り出しそうな剣幕を向けて、身体全体で青年に強烈なタックルを浴びせていた。何駅ものあいだつづいていた。あの悲しい光景をふいに思い出したのである。

[1872] Oct 13, 2014

ハロウィン特別企画につられて久しぶりにマクドナルドへ行く。本当に久しぶりで、本当に驚いたのは、昔なら四人席を探すのに苦労していた時間帯にもかかわらず、席なんか選び放題のがらがらで、店内に誰もいないことだった。あれだけ群がっていた学生とファミリーはどこに行ってしまったのだろう。待機レジの前でメニューを眺める。早く注文してくれと言わんばかりの、笑顔の視線がかゆい。▼普段、大企業の赤字が発表されても影響を身近に感じることはないが、今回のマクドナルドばかりは、まさしく企業の逼迫した状況が現実に伝わってくるシビアな光景を見てしまった気がした。値段をコロコロ変えるのが良くなかったとか、100円マックがダメだったとか、高級路線が失敗したとか、巷ではいろいろ言われるものの、真の原因は私たち外の人間にはよくわからない。しかし原因はわからなくても結果はわかる。この客の居なさ、尋常ではない。立て直しはあるのか。

[1871] Oct 12, 2014

革命とイノベーションは違う。似て非なるどころか、全く別のものである。イノベーションは、どんなにささやかなイノベーションであれ、社会の富の産出量や共同体の総幸福を増加させる。一方、革命は社会のパワーバランスを劇的に変える。誰が強者で誰が弱者かをひっくり返す。それが革命である。トランプゲームの大富豪を考えればわかる。誰かが4枚のカードで「革命」したところで、皆に良いカードが入るわけではない。立場が逆転するだけである。▼ピーター・ドラッカー名著集五巻『イノベーションと企業家精神』読了。イノベーションという言葉につきまとう「破壊的」なイメージを捨てて読んだほうが良い原点の書。実際、五巻まで読んできて、現在のところ本巻が頭ひとつ抜けていちばん面白い。全部読み終えたら三巻くらい「読みなおすべき巻」を選ぶつもりでいるが、今のところ筆頭候補である。企業であれ個人であれ、イノベーションがなければ明日はない。

[1870] Oct 11, 2014

社会人生活はRPGよりシューティングに似ている。ただストーリーを進めていってもレベルは上がらない。意識してトレーニングしなければ、永久にタスクという弾を処理して立ち回れるようにはならない。▼仕事とシューティングの不心得は似ている。一、反射神経が鈍い。目の前の弾が見えていても処理できない。回避も対策も間に合わない。二、視野が狭い。自機の近くばかり見て動こうとする。そうして逃げ場のない死地に追いやられていく。運が悪かったと嘆く。三、些事にとらわれる。画面端から現れるザコ敵の列を最後まで倒しきりたいという勝手な欲求から、中央に現れた真の強敵を後回しにする。気づいたときには手遅れなほど弾幕が張られている。四、抱え落ちする。ボムという切り札があるにもかかわらず、もったいなさやプライドから使うのをためらう。実力で難局を抜けることにこだわりすぎて、より大きな力に頼ることを忘れ、大事なライフをふいにする。

[1869] Oct 10, 2014

前日の、市場志向であることの尊さについての例は枚挙に暇がないが、最も印象深い実例をひとつだけ引用したい。本当に示唆深い話である。▼「第二次世界大戦の直後、インドのある小さな会社がヨーロッパからライセンスを買って原動機付き自転車の生産販売を始めた。インドにはうってつけの製品に思われた。しかしあまり売れなかった。ところがその会社のオーナーはある地方から原動機だけの注文がかなりあることに気づいた。初めはそうした注文は断りたかった。あの小さな原動機で何ができるというのか。だが好奇心から一応その地方へ出かけてみた。そこで彼は農民たちがその原動機で灌漑を行っているのを見た。この会社は、今日では灌漑用小型ポンプの世界最大のメーカーとして年間数百万台を生産販売し、東南アジア全体に農業革命をもたらしつつある。」▼読書が充実しているときは引用で十分。それにつけても「ちょっと好奇心」のなんと偉大なことだろうか。

[1868] Oct 09, 2014

「ベンチャーが成功するのは、多くの場合、予想もしなかった市場で予想もしなかった客が、予想もしなかった製品やサービスを、予想もしなかった目的のために買ってくれるときである。」▼改革を志すものは目的を持っている。革新を実現できるだけの情熱を傾けるからには、確固たる信念を持っている。故に、多くの場合、自分の世紀の発明が、目的と異なる領域で歓迎されると不機嫌になる。不愉快だと感じる。腹を立てる。場合によっては自らその「正しくない」使用を妨害しさえする。しかし、真に改革を目指すなら、それは傲慢である。▼たいていの場合、改革は、革新は、思い描いた未来を思い描いた通りに達成することよりも、全く予期しない展開を受けて、全く予期しない方向へ方針を変えることでもたらされる方が多い。必要なのは判断力と適応力である。予期せぬ誰かにウケたなら、そこが最大の機会である。間違いなく彼らはそれを心待ちにしていたのだから。

[1867] Oct 08, 2014

「○○するための3つの方法」「△△にならないための7つの心得」など、「短いセンテンスで表現された目的+具体的な項目の数」をヘッドラインに据えるブログ記事やコラムはいつからか急激に増えた。このあいだ読んだ記事に至っては「成功者からアドバイスをもらいやすくなる3つの方法」である。アドバイスをもらう方法というアドバイス、メタアドバイスだ。健康ブームの次に来たのは、もしかしたらアドバイスブームなのかもしれない。▼メタアドバイスの3項目はここにメモしておこう。「ファーストコンタクトを恐れないこと」「質問を具体的にすること」「返事がなければ再連絡すること」。大物相手だからといって物怖じする必要はない、失うものはないのだから聞きたいことがあるなら聞いてみればよい。ただ、相手が答えやすい質問の形にすること。そして、返信を忘れている可能性を考慮して、返事がなければリマインドを送ること。至ってシンプルである。

[1866] Oct 07, 2014

Civ5のテクノロジーツリーの中に「銀行制度」がある。技術、と言われると小首を傾げるが、否定する程でもない。「ペニシリン」とならんで微妙な立ち位置である。そのペニシリンについては前日触れたので、銀行制度についても書いておこう。▼この銀行制度、時代的にも不思議な位置にいる。何しろ「火薬」「活版印刷」と同列だ。火薬の発明を工場による本格的な運用が開始した時期と考え、活版印刷もグーテンベルクとすれば、いずれも15世紀前後である。ルネサンスの始まりである。とすればこの銀行、現代的な銀行制度の幕開けとして引き合いに出される1694年創立のイングランド銀行ではあるまい。欧州初の公的為替銀行であるアムステルダム銀行も1609年創立でやや下る。一体、何をもって銀行制度であろうか。▼気になって調べてみると、西ヨーロッパ初の紙幣導入が1483年だそうだ。時代は完全に一致するので、これを銀行制度の黎明と見ているのかもしれない。

[1865] Oct 06, 2014

台風、暴風雨。朝からレインコートを着込んで区役所へ行く。今後の日程を考えると、今日中にどうしても取らなければならない書類である。吹いている方向さえわからない竜巻のような風雨の中、駅にたどり着くと、出掛けにウェブでチェックしたときは「平常通り運行」していた電車が全線運転見合わせとなっていた。「運転再開は台風通過後の見込みとなっております。」タクシーで行く。▼到着。いつ来ても時間の進み方が緩やかな区役所で所定の手続きを終え、町へ出ると真夏のような日差しである。強力、強烈。長袖長ズボンの上に着込んだ上下のレインコートと、大雪の中にも分け入れる長靴が、蒸して蒸して容赦なく身体を殺しにくる。さっき冷たい雨風を避けて歩いていたばかりなのに、今度は汗だくになりながら脱いだコート片手に坂道を登っていく。こんな平凡な日に、平凡な日の半日足らずに、降って湧いた二重苦とは。連日の睡眠不足が加わって三重苦である。

[1864] Oct 05, 2014

期待を馳せた凱旋門賞、今年も日本は勝つことができなかった。前に、前にと言われていたレースだが、ゴールドシップもハープスターも結局は最後方から行ってしまった。そうして前残りになった。結果論と言えばそれまでだが、勝つためにと期待されたレース運びが出来なかった上、それがために負けてしまうというのは悔しい結果ではある。ハープスター6着、ジャスタウェイ8着、ゴールドシップ14着。▼勝ったトレヴもやはり強かった。強かったし、今回の流れの中では理想的な競馬が出来たと思う。オルフェーブルの惜敗につづく今年の結果を受けて、来年から日本の凱旋門賞挑戦の機運はどういう方角に向いていくだろうか。トレヴのような競馬が出来なければ獲れないタイトル、ならば外人騎手に託すという一手に出るか、それとも凱旋門賞にこだわる必要もないとすっかり諦めるか。後者も懸命かもしれないが、ファンとしては来年も夢を見させて欲しいものである。

[1863] Oct 04, 2014

iPodがお亡くなりになった。▼開発機材に繋いで充電していたら、あるとき機材が相当なローレベルのエラーでハングアップした。再起動すら受け付けない状態だったが、マニュアルを見ながらシステムの初期化を行うと、さいわい機材は復旧してくれた。しかし、騒動が収束したころ繋いでいたことを思い出したiPodの画面を見ると、まるでセーフモードのようなシンプルな背景に、見たことのないフォントでエラーが吐かれていた。▼復活の儀式をさまざま行ってみたものの、うんともすんとも言わない。パソコンに接続するとパソコンの方がビジーになる始末である。素人修理できるレベルではない状態まで壊れてしまったらしい。しかし、OneDriveとの連携を考えると携帯機での音楽再生に切り替えたいと思っていたところでもあるし、最近このタイプのiPodが生産中止になって中古の価格は高騰しているというから、それならいっそ修理して売ってしまうのも手かと思っている。

[1862] Oct 03, 2014

猫も杓子も物理ベース、マテリアルベースでリアル志向のご時世だが、パラメータの持ち方に細かな違いがあるとはいえ、基礎理論は同じ現実の物理学・光学である。つまり目指す見た目は究極的に同じものだということだ。リアルな解像度。リアルな質感。リアルな反射。▼しかし、物体についてのリアリティはかなり確保されてきた。しかるべき解像度で見れば、すでに現実と区別のつかない動画も出来つつある。ここからは、リアリティに乗せる「プラスアルファ」を何にするか、その選択と追求がオリジナリティに直結する時代に突入するだろう。▼このアルファ、まだまだ開拓の余地は十分にある。多くの海外勢は人間の仕草や表情に宿る知性の再現に尽力しているし、逆にトゥーンレンダリング、ノンフォトリアルと物理ベースの融合に機会を見出そうとしているところもある。レイトレの未来は如何。VRは。ARは。考えることが山のようにある業界、嬉しい限りである。

[1861] Oct 02, 2014

ドラッカー名著集第四巻『非営利組織の経営』読了。▼本書で言われる非営利組織の定義はかなり広い。大学、学校、ガールスカウト、心臓協会、救世軍、教会。異なるミッションを持つ、さまざまな組織が議論の対象となる。しかし心臓部は次のように総括できるだろう。利益という尺度のない世界で、成果とはなにか。成果をあげるにはどうすればよいか。なぜ成果をあげなければならないか。▼非営利組織のマネジメントは、大儀に奉じているという意識から、しばしば成果を軽視しがちである。しかし、非営利組織に働く人の多くは無給のボランティアであり、彼らは給与を得ない代わりに仕事の充実を対価としている。仕事の充実とは成果に他ならない。成果をあげることが彼らの義務であり目的なのだ。非営利組織こそ企業にもまして成果を重視しなければならないのである。▼非営利組織を部活動やサークルと読み替えても楽しく読める、実はシリーズ中でも柔らかい一冊。

[1860] Oct 01, 2014

彼らは細菌学者だった。細菌を研究する化学者だった。細菌を研究するには、細菌の培養基を作らねばならぬ。これが大変だった。培養にはいつも天敵がいた。培養基が育つ前に細菌を殺してしまうカビだった。同業者の間では広く知られた頭痛の種だった。「またやられたよ。」「うちもだ。」▼しかし、それこそ我々の求めているものではないのか。気がついた一人が世紀の発見者となった。つまるところ、アレクサンダー・フレミングが発見したのはペニシリウムの「存在」ではなく「価値」であった。細菌に対抗しうる存在を探すために細菌を抹殺するカビと戦う日々に、彼は別の機会を見出した。そのときからペニシリウムは障害ではなくなった。類稀な資源へと姿を変えた。人類を救う貴重な財産となった。▼石油しかり、穀物しかり、世の中、元から資源であった物はない。最初はみんな厄介者だ。厄介者が価値を生んだとき、資源に化ける。手持ちの頭痛を数えてみよう。

[1859] Sep 30, 2014

「何によって憶えられたいかね。」ドラッカーは十三歳のとき、宗教の先生フリーグラー牧師に授業でこう聞かれた。教室の誰も答えられなかった。「答えられると思って聞いたわけではない。でも五〇になっても答えられなければ、人生を無駄に過ごしたことになるよ。」▼シュンペーターは若いころ、同じ質問に対して「欧州一の馬術家として、欧州一の美人の愛人として、偉大なる経済学者として」と答えた。亡くなる直前、再び同じ問いに答えたとき、馬のことも女性のことも言わなかった。インフレの危機を最初に指摘した者として憶えられたいと言った。そして、彼はそのように憶えられた。▼「これは、自己刷新を促す問いである。自分自身を若干違う人間として、しかしなりうる人間として見るよう仕向けてくれる問いである。」彼に限らず、私は偉大な牧師の言葉が大好きだ。毎日ではなくても、毎年いちどは問い直したい問いである。いつも、今でもそう思っている。

[1858] Sep 29, 2014

オリエンタルランドでは、公式のスポンサー以外がディズニーランドやディズニーシーのチケットを景品として提供することは認めていない。だから小さな書店くじの一等賞や町内商店街の大当たりには、「浦安のテーマパーク・ペアチケット」などと婉曲に書いてある。浦安に他のテーマパークがあるわけではない。いや、恐らくそうに違いない、と私も言うべきだろう。大人の事情である。▼そんな按配で浦安のテーマパークチケットが当たる抽選会の広告をひらひらさせながら、他の施設も婉曲表現したらどんなふうになるだろうかと言い合って遊ぶ昼下がり。東京近郊のドーム型球場だとか、富士山の見える遊園地だとか、わかりやすいんだかわかりにくいんだか、名作から迷作まで生んでは忘れ、生まれては消えて、本気で笑いを取りに行くわけでもなく、顧客に訴求するキャッチコピーを考えるでもなく、だらだらとただ刹那的に行う言葉遊びの楽しさを思い出したのである。

[1857] Sep 28, 2014

細かいスキマ時間を見つけてはベートーヴェンのピアノソナタばかり聴いていたら、久しぶりにDAWへもどって自分のピアノを聞いた時、ありがちなこととはいえ、あまりの落差にげんなりしてしまった。張り合おうとか、比べるとか、そんな話ではなくて純粋に気分の問題だが、趣味は気分の問題こそ核心の問題である。なるほど、良いものばかりを聞くというのも良いことばかりではない。▼単純な音、単純な和音、単純な構成、凝ったところは不出来というのも不名誉なものだが、呆れ返るほど単純に出来ている。こんなものなら誰にでも出来そうなものだが、誰にでも出来そうなものでも、誰もやっていないものを作るのが面白くもあるので、そこは自分でも納得している。人が納得するかは別問題だが、あんまり意識しすぎると深みに嵌ってしまうから、敢えて考えないようにする気安さも必要だろう。それにこう、いろいろ思うフシがあることこそ趣味の醍醐味なのだから。

[1856] Sep 27, 2014

Civ5大会二回戦。とくに良いところも無く敗けてしまった。目指していた戦略を発揮できる時代まで生き延びられなかったのは残念だが、ラッシュの時期があわなかったので仕方がない。次はがんばろう――と言いたいところだが、次回作"Beyond the Earth"の発売も間近なので、Civ5の長期戦を本気でやる機会はもうないかもしれない。そう思うと力を出しきれなかったのはちょっと残念ではある。▼もっとも、BEが最初から優れたゲームであるとは思わない。恐らくは、最初のバージョンはCiv5より面白く無いゲームになるだろうと思っている。しかしそれはCiv5とて同じこと。最初のバージョンは前作より面白くないと散々言われたものだ。それでも無印から今のパッチまで進化し続けて、今では序盤から終盤まで駆け引きの楽しめる最高の作品になった。BEもそんな道を歩んでくれるだろうと期待するなら、人柱上等、初期からしっかり遊び尽くしていきたいと思うのである。

[1855] Sep 26, 2014

私が常用している歯磨き粉は第一三共ヘルスケアの「クリーンデンタル(マイルド)」である。しかし、このたび何箱目かを購入してきて、常用している癖に効能も成分も確認したことはないなと思って、いちど捨てた箱を拾い上げてみた。何に効くのか。何が入っているのか。▼効能。歯周病の予防。歯槽膿漏の予防。歯石の沈着を防ぐ。口臭防止。虫歯の発生及び進行の予防。歯を白くする。タバコのヤニ除去。口中の浄化。口中を爽快にする。要するに口の中に良いことのほとんどである、と主張している。最後の一項目が浮いて見えるのは気のせいだろうか。▼成分。マクロゴール400、LSS、IPMP、ゼオライト、βグリチルレチン酸、εアミノカプロン酸、塩化ナトリウム、ビタミンE、フッ化ナトリウム、等。順に平たく言うと、軟膏基剤、界面活性剤、殺菌成分、吸着剤、消炎成分、塩、ビタミン、フッ素である。なんというまっとうな成分だろう。一安心である。

[1854] Sep 25, 2014

ビジネスとは人間関係にまつわる問題の解決法を探る先駆的な分野である。二十世紀のはじめ、ビジネスが社会に与える恩恵を予見していた偉大な経営哲学者、「マネジメントの予言者」ことメアリー・パーカー・フォレットの見解をひとつ。意見の違いがあるときには誰が正しいかを考えてはならない。何が正しいかさえ考えてはならない。全員の答えが正しいと考えるべきである。「ただし、違う問題に対してである。全員が違う現実を見ている。」▼対立意見とは言葉の綾で、実際に意見同士が真に対立していることはあまりない。ただ、彼らは違う現実を見ている。同じ症状に違う問題を認識している。正しいことは何かを各々が真摯に考えた結果、意見の対立が生じることは素晴らしいことなのだ。それは私たちが結果的に、チームとして、問題を多角的に見ることができていることの証拠なのだ。逆に言えば、全会一致は誰も問題について真剣に考えていないのと同義である。

[1853] Sep 24, 2014

社会の利益を会社の利益に。会社の利益を”私”の利益に。そのためのマネジメントである。全二十九章と結論から成るドラッカー不朽の名著『現代の経営』読了。原題は直訳すると「経営の実践」であり、こちらの方が意図に近い気もするが、邦訳の方が重厚な教科書的響きがある。ただし意訳とともに忘れてはならない。経営とは良き意図ではない。常に「するもの」である。つまり実践である。▼本文中に何度も(恐らく何百回も)出てくる「経営管理者」という単語はやや馴染みないが、今ならマネージャと読み替えても差し障りは無い。ただ誤解の余地もある。経営管理者であることは、マネージャと呼ばれる地位についていることとは関係ない。自分を、仕事を、プロジェクトを、マネジメントする全ての人間が経営管理者である。半世紀以上前、すでに”国民総経営者”が社会の要請であり急務であることを叫んでいた先見の天才がいたわけだ。二十一世紀の達成率は如何。

[1852] Sep 23, 2014

「若干誇張していうならば、今日大学で教えている科目のうち、経営管理者の準備として最も有効な職業教育は、詩を書くことと短編小説を書くことである。自らの考えを表現する方法、言葉とその意味、文章を書くことを教えることである。」▼ドラッカーは膨大な著作の中で、いろんなことをいろんな側面から「大切だ」と言っている。何が大切かは状況によりけりという当然のことを、当然のままに済ませることなく、ひとつひとつの具体的な状況と、そのときに大切なことが何かをコツコツ営々、紐解いていったことこそ彼の偉業だったからだ。▼だから、部分を切り取るとあらゆる「○○が大切」という主張をドラッカーの名のもとに引き出すことができる。これが「まとめ本」の怖い所だ。マスコミばりの手腕で捌いていけば、経営管理者に必要な素養は、情緒でも、数理的手法でも、それこそ「詩」にでも出来てしまう。故に、豊富な原著を解いてみるのが最も安全なのだ。

[1851] Sep 22, 2014

電王戦タッグマッチをダイジェストで見る。初戦と決勝戦だけはフルで視聴、三浦先生と藤井先生の振り飛車・居飛車談義は楽しかった。▼「森下九段&ツツカナ」コンビと「中村六段&習甦」コンビの決勝戦は、短い時間ながら大激戦で、将棋観戦の醍醐味がみっちり詰まっていたと思う。序盤から終盤まで評価値もほとんど互角のまま、30秒将棋にもつれ込んでからは怒涛の攻防、そうしてまさかの詰み逃しも。絶体絶命の窮地を逃れた中村六段、一転攻勢に移るも、見事捌き切って馬の良手ひとつから牙城を落とした森下九段の粘り腰は凄かった。▼こうしてコンビ戦を見ていると、コンピュータは中盤に強いという定説の意味がわかってくる。広すぎる序盤は人の経験と勘で形づくりを進め、限定された可能性の中に良手と悪手が入り混じる中盤ではコンピュータの正確さが物を言い、良型の陣よりも王の詰みを優先する終盤では再び人の知恵が活きてくる。そんな具合である。

[1850] Sep 21, 2014

数日前、ベートーヴェンのピアノソナタで今まで見逃していた面白い曲というのが、第5番であった。私のiPodにはグレン・グールド、バックハウス、ブレンデルのピアノソナタがそれぞれランダムな順番で格納されているのだが、たまたまあまり聞かないゾーンに突入してぼんやり会社への道を歩いていた朝、これはけっこう楽しいのではと気がついた曲のトラック番号を覚えて、帰宅後に聴き直してみたら5番の第3楽章だったという次第である。▼そのあと数回聴き直してさらに面白いと思った符牒は、後に熱情や運命で大ブレイクするあのフレーズ、ででででん、が曲の中盤に潜んでいるところだ。奇しくもこちらも5番である。大家もこうやって小さな動機を何度も何度も使い慣らしながらいつか名曲を仕上げるのだなあと思うと、個人の歴史の重みと同時に、時間をかけて仕上がっていく人間存在としての偉人の身近さを感じる。ゆっくり成長することなら私にもできるのだ。

[1849] Sep 20, 2014

海風のよく通る街は道幅が広い。風を通すためか、海沿いの立地が低地価なために表面積を広く使えるためか、わからないが、どこも贅沢な区画の作り方をする。オフィスビルにも敷地の広さに物を言わせて奇妙なデザインを押し出した「エゴ型」が多い。意味なく迂回する通路。誰にも使われないデッドスペース。迷路のようなショッピングモール。利用者のために作られたとは到底思えない芸術的なイコンである。▼建築物に限らないが、利用できる空間・時間・リソースが過剰に多く与えられると、人はロクな仕事ができないようだ。何事も限界ぎりぎりまで切り詰めて、かつかつにまわすのがプロジェクト運営として正解というものだろう。実働部隊としては苦しくとも、投入対生産の割合は確実に最適化されている。金がないから良い仕事ができない、良い作品ができないと嘆いている人に予算をふんだんに与えたところで、良い物があがってくる見込みはあまりないのである。

[1848] Sep 19, 2014

東京ゲームショウ、ビジネスデイ。目玉タイトルの不在はここ数年いつものことで、もはや嘆くようなことでもない、市場の流れである。いよいよ群雄割拠が板についてきたということだ。グリーやDeNAがややおとなしくなって、代わりに艦隊これくしょんを擁するDMMゲームが一躍存在感。海外勢はいつものメンツといつものラインナップでさして変わりなし。ごく小さなところを除いては、ひと通り全てのブースをまわった。▼それにしても毎年ゲームショウに来るたび、オンライン情報の豊富さにまいってしまう。二日目ともなるとメーカー側がよほど極秘にしてない限り、文章なり画像なり動画なりが高解像度で即日アップロードされてしまう今日、足を棒にしてビジネスデイを調査するメリットは漠然とした業界空気の感得しかない。撮影禁止の札を掲げるブースも多いが効果はどこまでというところ。大規模なオフラインイベントの発展と継続の難しさをひしと感じる。

[1847] Sep 18, 2014

追いにくいバグの話をすればキリはない。そのわりには、こういうバグは追いにくいから作らないように心がけよう、という「失敗学」的なプログラミングの教科書をまだ見たことがない気がする。実例つきで「追いにくいバグ100選」なんてどうだろうか。かなり需要はあると思うのだが。▼今日は、100選が実現されればどちらもノミネートされるであろう二つのバグに出くわした。両手に華である。ひとつは王道中の王道、未初期化ポインタへのアクセスによる遅延ハング。もうひとつは邪道、今日までコンパイラを騙してビルドエラーを阻止していた箇所の、最適化レベルを変更にしたことによる意図しない処理の変更。▼前者については、忘れずに初期化してくれとしかいいようがない。確実に呼ばれるクラスの関数内に、デバッグ定義で全メンバポインタへの無意味なアクセスでも試しておくと良いと思う。後者は、コードハックには勇気とメモが要るという教訓である。

[1846] Sep 17, 2014

またひとり貴重な人を見送ることになって。「社外に知り合いが増えてラッキーと思え馬鹿野郎。」▼ずいぶん長く居た。もう社内で出来ることはやり尽くした。このままナンバリングを作り続ける俺なんか見たくないだろ?とうそぶく大先輩の顔はいつも通り笑顔である。言葉は悪いが、いつも笑顔である。だからこのたびも、ただ楽しそうなことがみんな会社の外にあるから、当たり前のように飛び出していったように見える。実際にどんな思惑・事情があったかは知らない。▼しんみりしているわけではないが、戦力はやはり落ちるなという実感がある。組織論曰く、不可欠な人間はいない、どんなに必要だと思う人でも抜けた後は必ず埋める人が現れると言うが、仕事の上ではたとえそうでも、人格はそうもいかない。ああいう人格の持ち主が職場にいるというだけで、面白い仕事が生まれてくるということもある。そういう気配の消失が惜しい。次の職場でも大成功しますよう。

[1845] Sep 16, 2014

ベートーヴェンのピアノソナタで、彼自身の命名かどうかに関わらず一般に通称のついているものは、8番「悲愴」12番「葬送」13番「幻想曲風」14番「月光」15番「田園」17番「テンペスト」21番「ワルトシュタイン」23番「熱情」26番「告別」29番「ハンマークラヴィーア」である。▼名曲だから通称がついたとか、通称がついていると名曲とか、必ずしもそういうわけではないのだが、やはりこう番号のみと愛称持ちが並んでしまうと、聞かれるのはいつでもどこでも愛称持ちの方ばかりとなる。人気ランキングまでは知らないが、悲愴、月光、熱情あたりの知名度は抜きん出ているだろう。▼最近、他のナンバーも意識して――つまり「この曲がこの番号」と思い出しながら聞くようになって、愛称持ち以外にも気に入るナンバーが増えてきた。当たり前だが、いい曲・面白い曲がたくさんある。手軽に発掘したければ、やはり全曲通してみるのが一番だろう。

[1844] Sep 15, 2014

人を成長させようとする人がいちばん成長する。「それどころか、人の成長のために働かない限り、自ら成長することはない。経営管理者が自らに対する要求の水準を高めることができるのも、人を成長させようとする努力を通じてである。」▼名著集第二巻。『現代の経営』上巻を読了。『経営者の条件』に先立つこと十二年、後のあらゆる著作の礎となるドラッカーの源泉であり、現代を生きる経営者たちの必読書でもある。経営者でもなんでもない私が読んで面白いのだから、彼らが読まない理由はなかろう。▼「あらゆる職業において最高の仕事をする人たちとは、自らが訓練し育成した者たちを、あとに残す最も誇るべき記念碑と見る人たちである。」かなり多くの頁が明日の人材を育成する手段について割かれている。カーネギーが自らの墓碑銘に刻ませた言葉など、二度紹介されたほどだ。「おのれよりも優れたものに働いてもらう方法を知る男、ここに眠る」勲章である。

[1843] Sep 14, 2014

どうして野球の球団なんて応援するのか、自分にはそういう一喜一憂がないからよくわからないという人に、最近、こういう回答をした。ドライな言い方をすれば、応援とは気分の投資である。▼この投資、嬉しい事にゼロサムではない。たいていの場合、負けたときの「がっかり感」より勝ったときの「うきうき感」の方が大きい。それはいつも負けてばかりのチームでも変わらない。そういうチームが勝ったときの喜びは負けの累積鬱憤を帳消しにしてくれる。帳消しどころか、ファンの心のなかでは、黒字として帳簿がつけられる。均してみれば誰も不幸にならない気分の投資場。それがスポーツ、ひいてはエンターテイメントというものではないかと。▼もちろん、普段からこんな覚めた心持ちで試合を見ているわけではない。終盤に追いついてサヨナラ勝ちした日は、仕事が手に付かないこともある。うかれて後輩に奢ってしまうこともある。しかし、こんな見方も面白かろう。

[1842] Sep 13, 2014

誰かが間違ったことをしたために生まれたバグは直しやすい。発見が速ければ尚更だ。異変に気づいた人が、すぐに「誰か」の更新差分を見て、原因を特定すればいい。これほど容易な仕事はない。▼誰かが正しいことをしたために生まれたバグは、これよりもやや難しくなる。正しいことをしたために、これまで隠れていた不正が別の場所で顕在化してしまうパターンだ。更新差分に悪いところがないので嵌ってしまい、真の原因へ辿り着くまでに時間がかかる。バグの発生した領域が更新箇所と離れていればいるほど、検出は困難になる。「そんなところのコードは、最近誰も触っていないが……。」▼そうして最悪のバグは、みんなが正しいことをしたために生まれたバグである。みんながいっせいに正しいことをして生み出されたバグは国籍を持たぬ怪物のようなものだ。原因、対応、もはやすぐには何もわからない。わからないがとにかく倒すしかない。そんな天災の類である。

[1841] Sep 12, 2014

将棋、このところGPSとの対戦がメインになってきた話をしていると、面白そうだとは思うが自分はやはり将棋のような「思考物」が苦手だから、釣りの方がいいと言う。かくいう私の方は釣りなどしたことはないわけで、今度は話者交代、釣りの魅力について聞いていると、どうも目指しているところは変わらないのではないかという説が出てきた。ひたすら考え尽くすことと、ひたすら何も考えないこと。たまの休日、どちらも雑事を離れて無我を得る二つの道ではないか。▼経験のない釣りについて深くは語れないが、少なくとも将棋に関しては、こと接戦の終盤戦にあっては、この桂馬を打てば優位を築けるかどうかが世界の全て、それ以外の思考を脳が一切目指さない、受け付けない――そんな時間が必ずある。腕の良し悪しと関係なくあるものだ。そのとき脳は、煮詰めているようで実は解放されている。悩ましく答えの出ないつまらぬ煩悩から自由になっているのである。

[1840] Sep 11, 2014

ダイヤモンド社よりドラッカー名著集1巻『経営者の条件』読了。▼なぜ今更ドラッカーか。答えは四つある。久々に小林秀雄を読んで自分の中で原点回帰の気持ちが湧いてきたこと。いつか制覇しようと思っていたワイン色の小ぶりなハードカバーの感触が『学生との対話』にそっくりだったこと。ささやかながら値の張る買い物を可能にするだけの臨時収入があったこと。そうして最後に、ドラッカーに今更もなにもないことである。▼『経営者の条件』はかなり昔に洋書で読んだ。数年経って、働いてみて、受け取り方が劇的に違うかと言われると、そうでもない。ただ、仕事と成果という、たった二つの単語について深く考え直すためには最良の材料だと改めて思う。本文より、あまりにも有名なフレーズを残しておこう。「成果をあげることは習慣である。したがって、他の習慣と同じように身につけることのできるものである。そして身につけなければならないものである。」

[1839] Sep 10, 2014

良い仕事をする秘訣は優先順位をつけることだと誰もが言う。物事に優先順位をつけ、上位から順番に片付けていく、これを淡々と繰り返すことが秘訣だと。しかし、誰もが言うにも関わらず、実践できる人は滅多にいない。これについては、ピーター・ドラッカーの至言が限りなく正解であろうと思っている。優先順位をつけるのは簡単なこと。真にやらねばならぬことは、劣後順位をつけることなのだ、と。▼仕事に劣後順位をつけるということは、延期する項目、つまり間違いなく断念することになるであろう項目を明らかにするということだ。捨てる品を決めることだ。たとえそれが、他の誰かのお気に入り、最優先事項であったとしても、捨てなければならない。そうしなければ真に優先度の高い仕事に集中することはできない。▼良い仕事をする秘訣は、今、もっともなされるべき仕事だけをすることである。そのためには、なされえない仕事は最初に捨てなければならない。

[1838] Sep 09, 2014

夜中、驚いて飛び起きた。右の親指、爪が半分吹き飛んだらしい。もちろん、吹き飛んだというのは体感で、現実には剥がれかけが毛布の繊維にひっかかって、その毛布を蹴飛ばした拍子に爪が持って行かれたのだろう。とにかく、驚いて飛び起きた。▼もう数ヶ月も前にフットサルで怪我をして、黒ずんだ爪が根本から伸びてきた。それがちょうど爪の半分まで来たところで、生えてきた新品の爪から戦力外通告を受けたのだろう。少し早すぎる気もするが、ともあれ怪我の後はこれで綺麗になくなった。あとは正常な爪が伸びきるのを待てばいい。▼皮膚を傷つけないようにという配慮もあって手の爪は頻繁に整える方だが、足の爪は案外ノーマークで、放ったらかしの伸び放題にしていることも多い。吹き飛ぶ前にちょっとでも刈りこんでおけば、毛布にかかることもなかっただろう。こういう小さな反省をルーチンワークに足していくライフスタイルを定着させたいと思っている。

[1837] Sep 08, 2014

昨日のスクラップブック、引用のあとにひとこと添えようと思ったら、思いもかけず綺麗に400字でぴたり、収まってしまったので、自分の言葉がゼロという回に前例はないがこれはこれでとそのままにした。語るべきことなしという賛辞。これは誰かの文芸評論のようではないか。小林秀雄『学生との対話』読了。▼終生、もっともな理由から自らの講演を録音で流布することを嫌い、書き起こしの制作をNHKにすら許さなかった小林秀雄だが、この国民文化研究会をはじめ、様々な人々の思惑が積み重なって、彼の貴重な声は今、CDにも文章にもなっている。故人の意に背く非道の業ではないかと言う人もいるかもしれないが、私はやはり、こうして尊敬する人物の肉声と聞いたり読んだりできることが正直に嬉しい。この本もまた、ごくごく純粋に、私と同じような時代を超えたファンのために、その一心で刊行されたものだろう。感謝千万。ありがたく読ませていただいた。

[1836] Sep 07, 2014

「やっぱり天才というものはあるのですよ。僕らは天才じゃないから、天才のものを読んでみますと、自分がたいへん情けなく思えるのです。それは誰にでもあることで、そんなことを僕ら凡人はあまり気にしてはいけません。「僕は感受性を持っていないのではあるまいか」などと考えてはいけない。そうではないのです。」▼「僕ら凡人は、そんなことをくよくよ思っちゃいけない。俺には感受性がないんじゃないか、そんな余計なことを考えちゃいけない。感受性はみんな持ってます。感受性が非常に鋭い人と鋭くない人はあるかもしれないけれど、あんまり鋭いと気が狂うからね、それはそれでかわいそうだ。ちょうどうまい具合に育てばいいけれどね。▼ただ、諸君が持っている感受性を、学問で、あるいは生意気な心で、傲慢な心で、隠してはいけない。諸君の感受性は、傲慢な心さえなければ、どんどん育つのです。そういうふうに考えたほうがいいのではないですかな。」

[1835] Sep 06, 2014

「つまりね、君は客観的にはなれるが、無私にはなかなかなれない。しかし、書いている時に、「私」を何も加えないで「私」が出てくる、そういうことがあるんだ。君は、自分を表そうと思っても、表れはしないよ。自分を表そうを思って表しているやつは気違いです。自分で自分を表そうとしているから、気が違ってくるんです。よく観察してごらんなさい。自己を主張しようとしている人間は、みんな狂的ですよ。そういう人は、自己の主張がどこか傷つけられると、人を傷つけます。」▼「本当にいい音楽とか、いい絵とかには、何か非常にやさしい、当り前なものがあります。真理というものも、ほんとうは大変やさしく、単純なものではないでしょうか。現代の絵や音楽には、その単純なものが抜け落ちています。」久しぶりに小林秀雄スクラップブック。彼の言葉は、自分で余計な注釈や考察を挟まなくてもスルリと腑に落ちるので、頭と胃にやさしい。休日の友人である。

[1834] Sep 05, 2014

『PLOT05 伊東豊雄:建築のプロセス』読了。多摩美術大学の図書館につづいて杉並区立杉並芸術会館こと「座・高円寺」、最後は「台湾大学社会科学部棟」と三建築を追う。▼いつも中間フェーズにストラクチャー・スタディと施工現場の声が挿入されている構成が素晴らしいと思った。現実に建物を建てる過程を飛ばさなかったおかげで、建築家が建築哲学とアイデアを語ったと思いきや、次の章ではご覧のとおり、思惑通りの建物が建ちました……という白々しさがなくなっている。豊富な実物の写真が全て章末に置かれているつくりも心にくい。いやはや、書籍もやはり展開の妙こそ肝よ。▼個人的な好みとして、高円寺の屋根はひと目でクールだと思った。最初にフラットルーフが検討されていたことの方が信じられないくらい、これしかないという形状をしている。台湾大学の図書館については、建築は好きだが読書姿を外から見られるのは嫌だなとわがままを思った。

[1833] Sep 04, 2014

毎年恒例、今年もCEDECへ出る。仕事の都合上、参加セッションは例年の半分以下とかなり絞った。少数精鋭。ダイレクトに響いてきそうなトピックスをつまみ食い。▼いつもウェブの記事や書籍でお世話になっているが、西川善司さんのセッションを受講したのは初めて。今回はパネルディスカッションの司会ということで進行役に徹していたが、2014年現在のグラフィックス事情について中級者向けの総まとめも、ご本人から聞いてみたいところである。物理ベース、レイトレーシングも包括した上でまたひとつ、現行機の最新技術を書籍化してもらえたら嬉しい。▼最近は、良くも悪くもセッションの多くが記事になったり動画になったりで、熱心な学習者ならパシフィコ横浜まで足を運ばなくても講演のエッセンスを存分吸収できるようになっている。現地組もうかうかしてはいられない。参加数が少ない分、出来る限りのフォローはきちんとしておこう。勉強あるのみ。

[1832] Sep 03, 2014

『PLOT05 伊東豊雄:建築のプロセス』まずは多摩美術大学八王子キャンパス図書館の章を読み終える。90,000Rのディテールにかける職人達の誇りとこだわり。当事者の言葉から、施工当時の写真から、あるいは初期案と実施案の平面図比較から、計画と思考の変遷が浮き彫りになる。▼そう、こういう本を求めていた。読本シリーズも好きだが、こちらの方がいっそう性に合う。ひとつの建築物に充てる頁数が浅すぎず深すぎずでちょうどいいし、形状や構造の選択について最も肝心な、最も知りたい「なぜそうしたのか」がはっきりわかるようになっている。紙の向こうを見通す神の目がなくても、わかるように紙面が読者を導いてくれる。これも本のコンセプト勝ちだろう。▼私がいつもいつも音楽の世界に足りないと言っている<書籍>とはまさにこれのことだ。ある楽曲について作者自身も巻き添えに制作のプロセスを検証する試みを、私はまだ一冊も知らない。

[1831] Sep 02, 2014

「様々な苦闘のプロセスは、すべてモノに転化されて必ず表出してきますからね。」施工過程で現れてくる様相を逆に隠蔽しようとするかのような、情熱で押し切りたいがそうし切れない台北現場のもどかしさを総して曰く、伊東豊雄の弁。産みの苦しみに苛まれたときは思い出してみたい言葉だ。▼しかし夜道にフレーズを反芻していて、ふとこの言い分がどうしても通らない身近なカテゴリがあることに気がついた。染み込んだ汗の量、悪戦苦闘の個人的な軌跡が成果物の出来栄えに現れてくれない無慈悲な領域。プログラミングである。▼「プログラムは思い通りには動かない。書いた通りに動く。」至言。想いを込めても仕方がない。ただ正しくあれば良い。最初から正しく書かれたプログラムが、最も良いプログラムである。私的な四苦八苦という形で埋め込まれたコード・ノイズは、どう間違っても芸術作品のように好解釈をされる余地がない。ただの疵、ただのバグなのだ。

[1830] Sep 01, 2014

やや気は早いがプロジェクトが終わって休暇を手にしたら、学生のとき趣味にしていた国内旅行が久々にしたいと後輩が言い出した。ミスリーディング承知の出だしだが、まさか旅行嫌いの私が言うはずもない。アテもなく北から南までまわるのもいいが、今回は世界遺産をいちどに制覇するのも楽しそうだと言っている。私もそれは楽しそうだと思う。いいじゃないか、それがいいと素直な後押し。これまた気の早い話だが、来年の春夏は土産話にこと欠くまい。▼旅行が羨ましいのは、出発してしまえばよほどのトラブルでもない限り完遂するより他にないところだ。いくら壮大な計画を立てても自宅で出来る「コツコツ系」は軟弱な精神では厳しい。三日もすれば自堕落に流されてしまうというものだ。始まれば後は否応なく、自分以外の力に引きずられて大きな経験を成し遂げられる旅行という形は、休暇の過ごし方としてひとつの完成形なのかもしれない。憧れるが苦手である。

[1829] Aug 31, 2014

三浦俊彦『思考実験リアルゲーム』読了。「思考実験とは何か」をテーマに、様々な哲学的パラドクスを解き明かしていく物語仕立ての思考実験論。▼いつも通り氏の作品は面白かったのだが、正直、タイトルの「リアルゲーム」は謎だし、サブタイトルの「知的勝ち残りのために」も何か違う。本書を読み終えたからといって現実社会で知的な生き残りが図れるようになるわけではない。そういうタイプの本ではない。そのあたりの煽り方に残念さを感じる。柄谷行人と隣り合うような社会棚のど真ん中に並べた書店にも罪がないとは言えまい。▼量子不死と2封筒問題の連結も少々突飛に思えた。理屈はわかるが、あの流れで得心の行く読者はあまり多くないのでは……と余計なお世話の心配を抱く。どうにもやはり、具体的な「誤謬者諸氏」への反駁という大目的の元に突き動かされていた印象が拭いきれなかった。爽やかな続編が出てくれればいいなと思う。どのみち買うは買う。

[1828] Aug 30, 2014

一昔前、たとえばアマゾンがまだ通販の覇権を握る前の時代、オンラインの通販という仕組みそのものが「上級者向け」だった。得体の知れない”ホームページ”の入力欄に、クレジットカードの番号を晒すなんてありえない。無事入金できても物が届くかどうかわからない。物が届いてもちゃんとした商品かどうかあやしいものだ。インターネットで安全安心に買い物なんて、遠い未来のことのように思えた。▼十年経って。いまや高額商品のみならず、日常的な品物まで海外からさくさくと送られてくるようになった。どういう経路で輸入されているかわかる間もなく、わずか数日で当たり前のように手元へ届く。国境の壁の薄らぎを痛切に感じる変化である。▼では今現在、可能ではあるが、なんとなくやりたくはないなと自分で考えていることは何か。あの昔の通販に対する思いに似た気持ちを抱いている対象は何かと問うと、案外、クラウドワーキングが近いように思っている。

[1827] Aug 29, 2014

直感に反する真実を持つ点で、二封筒問題の貫禄は素晴らしい。しかも未開封バージョンから開封バージョンへ歩を進めることで難易度が跳ね上がる、飛天御剣流も真っ青の二段構えである。問題設定の詳細については「二つの封筒問題」などで検索して欲しい。開封バージョンが見当たらなければ、追加すべき記述はこうだ。封筒を交換するかどうかは封筒を開封してから決めることとする。――自らの手札が定数になった状態での期待値計算が導く結論は実に美しく悩ましい。▼それにしても三浦先生、過去作で紹介した二封筒に対する読者の反応で、何かよほどいやなことでもあったのだろうか。この問題を未解決問題にしたがる輩や、無限の概念を持ちだして数学的な詭弁を弄するペテン師に対する怒りと呆れが文章に滲み出ている。紙面を通じて作者の興奮が伝わってくる。過剰演出のように振る舞う一種の本音のようなものか。しかしどうか不理解者にも寛容であって欲しい。

[1826] Aug 28, 2014

楽しみにしていた全三巻の考察本が、最終巻だけ先に単独で送られてくるという嫌がらせを経てついに揃ったので、ようやく紐解く時が来たと鞄に詰め込んで帰路に期待していたところ、たまたま立ち寄った馴染みの薄い本屋で三浦俊彦の新刊を見つけてしまった。出版は今年の頭なので新というほど新しくはないが、見落としていたらしい。『戦争パラドクス』『論理パラドクシカ』以来と思うとかなり久しぶりである。もちろん即購入。心待ちにしていた考察本は後にしよう。▼三浦俊彦の論理本シリーズには昔から世話になっている。本気の論理学では堅すぎてつらいし、さりとてクイズ本のような軽さでは分析が浅すぎる、そんな間隙を絶妙に突いて「深いが軽くて面白い」を体現したシリーズはまさに理想の「論理遊び」本であった。まだ途中だが、本作は今までより設問数をぐっと減らして代わりに思考実験をより丁寧に行うストーリーものの様相。休憩気分で読み進めたい。

[1825] Aug 27, 2014

アーロンチェアへのあこがれを捨てきれないまま、椅子探しの旅をつづける。彼の覇権からはもうかなり時間が経っているから、名目上はリーディングカンパニーでも、使い勝手や座り心地の費用対効果ではとっくに他へ冠を取られているかもしれない。そんな不安とも期待ともつかぬ状態。▼椅子の評価というのは難しいものらしく、アマチュアがアマゾンにつけた評価を見ても、プロのレビュアーが書いた実体験に基づく記事を読んでも、肝心の「結局、良い椅子なのかどうか」は見えてこないことが多い。ある人が完璧な椅子だと褒めて星5をつけても、別の記者がレビューで酷評していたりする。どちらの評価文も具体的な指摘がされているだけに不気味である。椅子の「良さ」は、他の家具や機材と比べても、人に応じてあんまり違いすぎるのかもしれない。▼現行の椅子はリクライニングが壊れてきた。安物である。そのうち怪我をしそうで怖いのだが、次の目処がつかない。

[1824] Aug 26, 2014

「社会との接点を持つことこそ、表現になる時代になってきたと思う。篠原一男の『住宅論』は「拒否の時代」の典型的なテキストで、ぼくの『10宅論』は「拒否の時代」を茶化したわけです。今や、自然体で社会と接することがそのまま表現になる時代に、やっとなってきたのではないでしょうか。」▼Wood/bergみたいな別荘がいつか持ちたいものだと思いつつ、隈研吾『住宅らしさ』読了。GAのインタビュー本は本当にハズレがなくていい。断面図、立面図、アクソノメトリックが場違いなほど詳細で、大判の写真と余白の多い文章に紛れて良いアクセントになっている。製図に詳しい後輩に見せたら、自分とは線の引き方や記号の付け方が違うと面白がっていた。▼「日本の建築家」を読んだ時、この人の話・哲学は面白そうだとアタリをつけていたので、恐らくは読本シリーズの亜種と思われる本書も読んでみた。GAの出版物も残り少なくなってきて、少々寂しくもある。

[1823] Aug 25, 2014

ハープスターのことを書く機会もやや増えてきた。愛馬、世界へ。▼オークスの惜敗から夏を越えて、じつに良い方向へ成長してくれたようだ。展開に恵まれたことを差し引いても札幌記念のパフォーマンスは素晴らしかった。猛然と追い込んでくるゴールドシップを退け、他の重賞常連勢を5馬身以上離しての快勝。仕上がり途上なら文句ない内容だ。いよいよ凱旋門賞が見えてきた。▼私は凱旋門賞至上主義を賛美する立場ではないが、それでも陣営の決めたことなら素直に応援したい。もちろん、洋芝、距離延長と不安材料はいくらでもあるが、負けたら悔しくて怒るほどの確勝級でもなく、さりとて勝利の可能性など皆無というほど絶望的でもない、今のハープスターくらいの状況がいちばん応援しがいがあるのではないか。そんなふうに思っている。▼ロンシャンでは川田騎手が手綱を取る予定とのこと。外人の方がと言う声もあるが、勝ったときの感動を思えば、これでいい。

[1822] Aug 24, 2014

定期演奏会のチケットを頂いたので、久しぶりにオーケストラを聞く。感想は二つ。ファゴットのソロがものすごく格好良かったこと。そして毎度のことながら、木琴・鉄琴担当の人が素敵だったこと。長い休みのパートでも絶えず体全体でリズムを取っている姿が楽しげでたいへん良い。叩きながら自分も聴衆としてコンサートを満喫している風。見ている方も飽きないというものだ。▼一方、素人なので真実はわからないが、前回・前々回と同じく弦楽器がなかなか響いて来ないなと思った。プログラムの中間くらいから徐々に大きく聞こえ始めたので、ホールの問題というわけではないのかもしれない。アンサンブルにもスロースターターがあるのだろうか。▼それにしても、コンサートの良さは認めつつやはり家で録音を聞く方がいいなと思ってしまうのは――客席では踊れない。これに尽きる。体を揺らすのも憚られる空気。手のひらくらいしか動かせない。それが不満なのだ。

[1821] Aug 23, 2014

デトロイト出身のビートメイカー、サディークからサウレコ読者へのアドバイス。「すべての音楽のジャンルを学んで、感謝することだね。感謝することで、異なるスタイルの音楽を学べる。」「自分のパレットを広げて、違ったスタイルの音楽に耳を傾けるんだ。それから楽器を学んでおくといいと思う。」「楽器を弾けるからこそ聴こえてくる音/作れる音楽があるし、武器になると思うよ。」▼このアドバイス、インタビューの末尾としては一見ありきたりだが、妙に気に入った。言い回しの細かい所と小綺麗なラボラトリーの写真から率直らしい人柄が伝わって来たからかもしれない。感謝、パレット、武器。ひとつひとつのキーワードから、彼が音楽/楽器をどう捉えているかのイメージが立ち上がってくる。戦場の興奮。充実した銃器ボックスを漁る幸せ。自分の戦い方を編んでいく楽しみ。こんなにいろいろあるんだ、ありがたく使わせてもらおうぜ――そんな眩しい気概。

[1820] Aug 22, 2014

信じれば、ウソもマコト。それは虚を真実と言い張り退かぬ強情な捏造でも、深く願えばいつかは叶うと無責任な標榜をする楽観的なロマンティシズムでもない。創作に対するひとつの現実的な態度である。信念の力でフィクションをリアルに変えること。それこそが想像力の仕事である。▼今日は前後編。冒頭の句にはいつかふたたびお出ましいただくことにして。『月刊少女野崎くん』の公式ファンブックを買う。単行本サイズでありながらここまで気合の入った公式ファンブックにはなかなかお目にかかれない。既存漫画の切り貼りに、読者なら誰でも知ってる情報を書き添えただけのスクラップをファンブックと称して発売する邪悪な出版社諸氏は、本書を読み込んで深く反省していただきたい。▼こちらも人に薦められて好きになったシリーズだが、漫画原作もアニメも実にキュートな仕上がりで微笑ましい。何の邪念もなくハマれる”かわいい”コンテンツとしてオススメだ。

[1819] Aug 21, 2014

陳腐化という言葉は長いライフサイクルを想像させる。なにごとも栄華の時期が存在すればこその衰退だ。いつか「あれはもう古いよね」と言われる作品を生み出すことも芸術家のひとつの夢ではあるまいか。▼昨今のコンテンツは完成の瞬間から風化が始まり、誰かの分析を待たずして世の中から消える。風化の速度が速すぎてライフサイクルすら描けない。作品は制作途上でカテゴライズされ、完成と同時にコモディティ化し、消費の重力に晒されてデータベースの中に埋没していく。これこそ自らの思想を体現する作品だと主張する暇もない。消費、制作、消費、制作……脅迫的な永久連鎖がつづく。▼「誰もいない部屋で鳴る音楽に価値はあるか。」そんな哲学に興じているうちは平和だったのかもしれない。「誰かの耳元で鳴る音楽に価値はあるか。」音楽の価値を誰も想像できなくなったとき、音楽は終わる。ストーリーテラーの次に失権するのはアーティストかもしれない。

[1818] Aug 20, 2014

めずらしく人から借りた本を読んだ。『虎よ!虎よ!』を貸したら二冊になって返ってきたのだ。とにかくひどくて面白いから読んでみろと言われ、半信半疑で表紙をめくったのが今日の朝。裏表紙に辿り着いたのが帰りの電車。とにかくひどくて面白かった。なるほど鬼才だ。思わず貸したくなる気持ちもわかる。▼『野アまど劇場』読了。最初の行を読んでいるうちはまだ真面目な短篇集かと思っていたがとんでもなかった。常識破りの短編遊びだ。いわゆる「ぶっ壊れギャグ」に属した見かけでいながら、展開づくりと筆の運びはいたって冷静。緩急こそが笑いの源、まさに計算尽くの壊れ方だ。驀進するノリとテンションだけでは上質なギャグは生み出せないという好例である。▼さんざ好き放題やっておきながら最後の方は小綺麗な秀作で固め、なんだか心温まる良い作家だったな……という改竄された印象を残そうとする、短篇集そのものの編み方もじつに姑息で素晴らしい。

[1817] Aug 19, 2014

キーボード・マガジン夏号。日本音楽界を牽引したカリスマ二名、小室哲哉と冨田勲のシンセサイザーをめぐる対談で、冨田氏が面白い喩えを披露してくれた。初音ミクを評して曰く、人形浄瑠璃のようなものだと。人形自身は演じていないが、あやつる人間の感性によって生きている人間よりすごいものを出す。その電子版だと。▼今、どうしてシンセサイザーが人を集められるのか。アナログインターフェースを持つソフトシンセが人気を博している意味は何か。これから音楽はどこへ向かうのか。本来、そんなに深い話はしていないはずで、シンセサイザーにまつわる個人的な雑談の域を出ないのだが、小室哲哉氏の軽妙な語りはザクザク核心をついていると思った。やはり天才か、と心のなかで呟く電車内。六頁の対談を二周。▼シンセサイザー特集というと、どうにもVCFだLFOと基礎的な解説に偏りがちだが、楽器としての意義について深く考察した文章も読んでみたい。

[1816] Aug 18, 2014

問題。日本ベッドは、日本のベッドメーカーである。では、フランスベッドはどこの国のメーカーか。▼オーディオ機器のブランドとして名高いDENONが実はデンオン、すなわち「電音」であり日本企業であるように、すぐには日本企業とわからない、あるいは外国の企業だと誤解してしまう会社がある。恥ずかしい話、私はローランドも長らく日本の会社ではないと思っていた。ヤマハに対抗するドイツかどこかの老舗ブランドという勝手なイメージを抱いていたのである。誤解の由来がどこにあるかはわからない。▼しかしとりわけわかりにくいのは、やはりフランスベッド株式会社だろう。こちら、れっきとした日本企業である。「欧米のベッドをそのまま真似て作ったのではいけない。日本人に合うベッドづくりが必要だと確信した」という彼らが聞こえの良さを重視して自らの看板にフランスの名を借りた心境は察しかねるが、おかげでブランドの確立には成功したようだ。

[1815] Aug 17, 2014

セブンイレブンの牛たんビーフシチューが旨いというので、「超熟」と一緒に籠へ積み込み夕飯代わりに食べてみた。たしかに旨い。五百円近い値段にしては量が少ないものの出来は極めて良好、パンにもよく合う。コンビニで贅沢という矛盾めいたフレーズも、あながち絵空事ではなくなってきた。▼年末に懸賞やら引き換え券やらで大放出するにも関わらず、PONTAカードに現在6500ポイントが溜まっているほどのローソンユーザーではあるが、オリジナルブランドのレトルト・冷凍食品系はセブンイレブンは頭ひとつ抜けて良いクオリティを保っていると思う。アイスクーラーの中にならぶ、そっけない包装のつけ麺やらお好み焼きやらは、正直、どれも値段以上に味が良い。こうした「準インスタント食品」を悪く思わないようになると、善かれ悪しかれ食生活も変わる。頼りすぎて自炊等をしなくなるのも問題だが、かたくなに選択肢から排除するほどの下策ではない。

[1814] Aug 16, 2014

『劇場版魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』を観る。長らく観たいと思いつつ上映中は機会を逃し続けていた本作。ホットな時期には乗り遅れたが、さいわい誰にもネタバレはされていなかったので、最後まで新鮮な気持ちで楽しませていただいた。▼もちろんそれは、鑑賞後の気分が新鮮・爽やかであったかどうかとは別問題である。賛否両論の問題作という噂もちらほら耳にはしていたが、なるほど、噂の湧いて出てくることには合点のいく内容だ。出来栄えの良し悪しはともかく、展開と顛末に納得出来ない人もいるかもしれない。▼私はといえば、話の行き先に目処がついてからは、ストーリーより背景や小道具などアーティスティックな詳細に気を取られていたし、スクリーンで再びさやかの勇姿が見られたので十分満足している。伝説的な数字を記録した本編のブルーレイ売上が支えた予算の賜物か、アニメの続編劇場版としては文句のない作り込みの深さだった。

[1813] Aug 15, 2014

昔、中学生のころ、どちらかと言えば教師に従順でないワルガキどもに連れられて、下校時に制服のままボウリングへ繰り出したことがある。制服のまま遊びに出かけること自体は禁止とはいえ珍しい行為ではなかったが、そのときはひとりでは決して選ばないガラの悪い地区へふらふらと舞い込んだところが少し特別であった。▼そうして、そう遠くない地でありながら、以来訪れることのなかった思い出の中の幻を十数年ぶりにたまたま歩いた。煤けた黄色の看板、ところどころ閉まるシャッター、乱立する小さなパチンコ屋、築数十年の商店街、綺羅びやかを装いつつ埃臭さを隠し切れない雑食な町並み。驚くべきことに、町は記憶の彼方で霞んでいた当時の印象と何ひとつ変わっていなかった。ほんとうに何も変わっていないのだろう。頓挫したとはいえ、未来に向かって開発の進められた海側の変化に比べればゼロに等しい。発展の「済んだ」町の有り様を感じた瞬間であった。

[1812] Aug 14, 2014

かたや難しい語彙に長け、日本語独特のイディオムを使いこなし、まるで日本人のように流暢な日本語をあやつるが、話す内容はいつも中学生の雑談にも見合わぬつまらない定型句ばかりの外国人。かたや発音は聞き取りにくく語彙も貧弱、ときどきは間違った日本語も使ってしまうが、話の中身は他のどんな友人からも聞けないくらいスリリングで面白い外国人。さて、どちらと会話したいか。どちらと友達になりたいか。▼英語を勉強するとき、日常会話から攻めていくスタイルは間違っていない。ちょっとしたキャッチボールができるようになれば、英会話のハードルが下がるし達成感も得られる。定型句の復唱で送受信の感覚を掴んでいくのも大切だ。けれども先の例は恐らく、英語ネイティブの側から見たって同じことなのだ。英語がペラペラな日本人。だからどうした。俺だってペラペラだよ。そう一笑に付されないだけの人間力がなければ、敢えて英語を話す甲斐に乏しい。

[1811] Aug 13, 2014

建築好きになったもともとの動機が芸術新潮で読んだフィリップ・ジョンソン特集だったか、それとも庭にまつわる小説を書くために濫読した庭園系の書籍だったか、覚えていないがたぶん両方だろう。ほどよく和洋折衷、違うテーマをささやかに共有していたのも手伝った。どちらか一方では足りなかったかもしれない。▼SS作家とはいえ物を書いていると興味の範囲はひとまわりもふたまわりも広がっていく。没頭することで逆に守備範囲の広がる趣味というのは、実はなかなかないものだ。文章書きはそれだけで十分報われると思っている。▼だからもちろんいつでも書きたい気持ちに溢れてはいるのだが、さてそれではまとまった長文を、となると腰は重い。怖いのは、それなら出来るだけ自分の「足し」になるものを……という、正に本末転倒な選択をしてしまうことだ。手段と目的のなんとやら。絶対にダメだ。その奈落にだけは落ちないよう、慎重にテーマを選っている。

[1810] Aug 12, 2014

そろそろ足の指がつりそうだ、と事前にわかることがある。親指が意思と関係なく手前に浮いてきて、制御が効かなくなる感覚。放っておくと間もなくつる。さいわいにも発症前に気づいた場合は、手で指を手前に思いっきり引っ張れば回避できるようだ。フットサルで全力疾走中に足をつったとき、すかさずケアしてくれた元サッカー部の手際の良さが印象的だった。▼昨日、やたらと右足の親指をつるので、糖尿病やら何やら、変な病気の前兆ではないかと不安にもなったが、タネが割れてみればなんということはない、曲の制作中、無意識に右足の親指でリズムをとっていたらしい。それが長時間に及んだので筋肉が疲弊して、夜になると悲鳴をあげだしたという具合であった。▼このこと自体は笑い話に過ぎないが、実際、日々の仕事など恒常的に長時間を費やす場所での良からぬ癖については把握しておく必要があるなと思った。変だと思う自らの身体の動き、観察してみては。

[1809] Aug 11, 2014

諸説あるとは思うが、弦楽器音源の現行御三家というと、EW、LASS、VSLということになるだろう。EWがいよいよハリウッドの最上位もCCCで値引き始めて他社もうかうかしていられない折、休日を利用してデモ音源を片端から聴き比べてみた。尚、いつものことながら買う気はない。▼LASSはとにかく楽器としての弦のニュアンスが強くて、それが良し悪し。他の楽器と絡むにはやや主張が強すぎる気もする。もっとも、だからこそLASSはオーケストラ音源ではないのだが。EWはハリウッドの名に違わぬ迫力ある重厚なサウンド、とくに金管系のアタックの強さが魅力。比べて、VSLは繊細という言葉が似合う。正直、どちらがよりクラシカルということもないと思う。使い分けの問題だろう。▼ともあれ寡占状態さえならなければ悪いようにはなるまい。各社、切磋琢磨してクオリティを上げつつ、できれば値段もいいところに落としこんで欲しいなと思う。

[1808] Aug 10, 2014

野球は昔からどこのファンでもないのだが、最近はニコニコ生放送で試合が見られることもあって横浜を応援している。横浜という育ちの街が好きなついでに地元球団を応援するのは珍しくもない。勝敗に一喜一憂するほどのコアファンではないが、勝ち負けの試合なら肩を持つ。今年はAクラス入りも夢ではない。素直に頑張って欲しい。▼そうそう多いケースかどうかわからないが、私のように生放送から入る人が増えてくれば進出した甲斐もあるというものだろう。エンターテイメントは今、露出場所の選択が非常に難しい時期にある。テレビCMを打てば鉄板、街看板と新聞見開きでさらに良しという安直な時代は終わってしまった。それでもいまだにテレビCMの力は圧倒的に強いのだが……コストパフォーマンスという視点では、徐々に他の「賢い選択」に負けつつある。安く人目を引けるメディアはどこか。未来の投資家、若者の集うコミュニティはどこか。鷹の目が要る。

[1807] Aug 09, 2014

将棋。将棋。ひたすら将棋を打つ。といっても、今日は「どうぶつしょうぎ」でも通常の本将棋でもなくて、安南将棋やオセロ将棋に代表されるような、ローカルルールの色物将棋である。「将棋ったーβ」で面白そうなルールをいくつか試してみた。▼色物系には通常の将棋力が効いてくるタイプと、全く別の思考回路を要求されるタイプがあるが、将棋の面影を残した前者の括りでなかなか奥が深いと感じたのは「コイン将棋」と「核分裂」のふたつ。シンプルでありながらハチャメチャにならない適度な外伝ぶりが良いスパイスになっている。▼全て遊んだわけではないので他にも掘り出し物はあるかもしれない。209種類の駒がある「大局将棋」という古将棋はいつか打ってみたいが、ルールの把握だけで一日以上かかりそうだ。うわさの「量子将棋」は駒を動かすと内部エラーになってしまい、遊べなかった。リアルでは実現の難しいルールが気軽に遊べるのは嬉しいことだ。

[1806] Aug 08, 2014

気圧の変化か、気管支の調子が若干よくない。ゆっくりした台風がやってくる。エボラウイルスの良からぬニュースといい、荒れつづける天候といい、海外も国内も盆休みの旅行組は渋い顔だ。▼熱中症の大バーゲンと言われる快晴が象徴的な夏コミも、今現在の予報では雷雨になるらしい。私は、都合で行けない可能性も出てきたので今のところはなんともだが、参加するとしても午後からだろうから気は楽だ。去年のサークル参加から早や一年。早やと言いつつ、この一年は妙に長く感じた。あちらこちら、いろいろ手を出したからかもしれない。のんびりしつつも多くの進展はあった。▼二枚目のCDはまだ一曲目だが終わりは見えてきた。雛形だけは最後まで打ち込んである状態。もっとも、ここからが最高に大変なのだが、最高にテンションが上がるところでもあるので、一気呵成に片付けたい。片付けるのはタダだ。予算もない身、旅行などに出ている場合ではないのである。

[1805] Aug 07, 2014

建築家が自らを分析するとロクなことがない。だから自分の手法については論じない。藤森照信氏、曰く。「例えば、喋らなかった時の菊竹清訓さんは本当に凄かった。それが、周りにいた「しゃべくり」の黒川紀章さんや磯崎新さんに、どれだけの脅威を与えていたか。彼らがぐちゃぐちゃと喋っていることを、菊竹さんは線一本でやり遂げてしまう。一方、菊竹さんも、彼らに劣等感を持っていたから、何とか理論を出そうとしたのだと思います。」▼何を言うかに劣らず何を言わないかも大切な言葉の使い方である。銀と金で優劣をつける必要まではないかもしれないが、語る言葉に自分自身が引きずられてしまうくらいなら、敢えて言語化しないという選択を取ることも時に必要だ。だから彼は「自分の造形については言語化しないようにしてきた。聞かれたり、言われたりすることに納得しながら、他人が鏡のように写してくれることによって、自分の像を探しているのです。」

[1804] Aug 06, 2014

もういちど「どうぶつしょうぎ」の話。電車の中、開く本もなく暇していたのでアプリを起動しCOM戦をやってみた。対戦相手と難易度は最もやさしいところから順に進まないといけないらしい。面倒ではあるが、眠たいので雑魚狩りくらいがちょうどいいと、試合開始。ひよこを前に出す。王手。さてCOMはというと、王の眼前、ひよこ兵を無視してキリンをひとつ前に動かしたのだった。勝利である。▼ゲームを「簡単にする」のは意外と難しい。麻雀ゲームの黎明期、開発者が苦労したのはいかにCOMを上手に負けさせるかであった。途中まで本気で計算してテンパイ直前になるとランダムでツモ切りというありがちなロジックでは、接待感が強すぎてゲームにならないのだ。どうぶつしょうぎの最弱COMたちは、その後もこちらの射程にライオンを突っ込ませてくるなど、大胆な接待を繰り返していた。「弱さの追求」がなされていなかったのは、ちょっと残念ではある。

[1803] Aug 05, 2014

クローゼットの奥深くにしまわれた将棋盤を引っ張りだして、久々に弟と将棋を打つ。最近、電王戦の煽りを受けて「どうぶつしょうぎ」など遊んでいたが、せっかく立派な将棋盤があるのだから……と思い出してアンティークを復活させたのである。数年ぶりの陽の目。駒入れを閉じる輪ゴムは溶けていた。持ち時間20分の真剣勝負は一勝一敗。電王戦研究のおかげか、二人とも数年前よりはかなり強くなっているようだ。終局の形がいかにもそれらしい。▼ところで、「どうぶつしょうぎ」も非常によく設計されたゲームなので紹介したい。3X4の小さな盤面で、1マスしか動けない歩、角、飛、王の四種類の駒を用いて戦うミニ将棋。しかし、これがなかなかどうして面白い。将棋の戦略、そのエッセンスがみっちり詰め込まれている。終盤の詰めろ探しに使う脳みその回転数は盤面のシンプルさからは想像できないだろう。公式アプリもあるので、友人との暇つぶしにも良い。

[1802] Aug 04, 2014

サブカルチャー社会学の本は、申し訳ないが総じて読みにくい。間違いなく平易な日本語で言い換え可能な単語の横文字化、もやもやするスラッシュの嵐(自己/他者)、紙面を埋め尽くす膨大な量の特殊括弧。まっとうな批評であろう、かたい論文であろうとする努力が文章に注ぎ込まれすぎている気がする。単にそういう因習なのか、所詮サブカルと言われないための無意識の自己防御なのか……。▼ちなみに「スラッシュ」は社会学に限らず批評系の文章では定番。私は「または」か同義語の意味でしか使わないが、普通はそういう意味ではなく、逆に対義語や反対語を高次に融合するため用いられる。対概念がいつでも入れ替わり可能な状態、ともに融け合うことでどちらとも捉えられる新たな概念。平たく言えば、一文字でなんとなくジンテーゼを調達できるお手軽記号である。そうして調達された新概念がクリシェよろしく使いまわされ、世の中に/が氾濫するというわけだ。

[1801] Aug 03, 2014

足を怪我した。歩くたび足の裏が猛烈に痛い。指の付け根あたりが軋む感じだ。症状は酷くなるばかりなので、さすがに整形外科へ行く。触診。レントゲン。等々。▼さて先生の見解はなんとか腱の炎症ということで、病的なものではなさそうだから消炎剤をこまめに貼り替えて大人しく歩いていなさいという診断であった。歩けば歩くほど悪化したり、取り返しのつかないことになるような事態でないとわかるだけで安心する。痛いくらいなら多少は我慢すればいい。安心のための医者、侮るべからず。▼消炎剤はよく効いてくれて歩けないほどの痛みではなくなった。それにしても解せないのは、心当たりがまったくないことだ。医者にも訊かれたが、最近は激しい運動も長時間の歩行もしていないし、足に強い衝撃も加えていない。朝起きたら痛かったというだけだ。ということは、寝ているあいだに何かあったことになる。まさか夢遊病で歩きまわってでもいたか。そんな馬鹿な。

[1800] Aug 02, 2014

GAスタジオ・トークシリーズ『日本の建築家』読了。副題は「22人の建築家の、ここだけの話」。構造エンジニアの佐藤淳さんがいたり、家具デザイナーの藤江和子さんがいたり、やや広い意味での建築をめぐる人選ながら、顔ぶれはまさしく豪華絢爛。これは実にありがたい。▼メモした文章、考察を加えたい哲学、反論したい意見、山盛りで記事単体にはとても書ききれないが、とにかくこうして自分も何かを言いたくなる本というのはすべて良書である。読み手の中で触媒として働く書籍は貴重也。このたびはゆっくり読んだこともあって、いろいろ考えさせてもらった。謙虚でひかえめな人が多いなとか。音楽家なら、これほど繰り返し「社会」と言う言葉は使わないなとか。情報化の先について考えたり語ったりする人は、やはりまだいないのだなとか……。▼567頁のボリュームも大満足の一冊。GAの本はいまのところどれも当たり。既刊は順番に制覇していきたい。

[1799] Aug 01, 2014

みんな新しい表現を模索したい。しかし予算がない。予算がなければ工数が立たない。技術的野望は一蹴される。アーティストの願いは駆逐される。制限こそ創作などと言えないところまで追い詰められる。逼迫、汲々。もはや最適解は何もしないことだ。二周遅れ上等。ともかく体力を使うことは一切したくない……。▼これは、予算のないプロジェクトの悲哀ではない。悲哀と呼ぶには感傷主義が行き過ぎる。企業のあり方の問題だ。これが金欠業界の現実なのだ。売上目標が伸びなければ予算の立ちようがない。前提からして詰将棋。▼石山修武氏が語る、ロンドンAAスクールの話。「アラブ人の学生がドローイングした実現不可能であろう建築に対して、「こんな建築は立たないだろう」と言っても、「パパのお金で建てられるよ」と言い返される。教師は何も言えなくなるよな。これもアラブ人のリアリティだからね。」金のある所とない所では、物の捉え方が根本的に違う。

[1798] Jul 31, 2014

批評家の不在が創作者の不幸という考え方は、漠然と理解していたものの、案外言語化された明快な主張に出くわすことがなかった。西沢立衛氏のコメントから。▼「すごい批評家がいると、建築家は緊張する。そっちから光を当てられると、自分の建築はどう見えてしまうんだろう、自分はどんな言葉に置き換えられてしまうのか、そういう具体的な緊張があるはずです。」「逆に、批評家の言葉は人を解放もします。ぼくらは言葉で勇気づけられる。でも、批評家のいない社会は平等で、なんとなく建築家として快適にいろいろ提案できてしまう。批評家不在の時代というものは、創作という意味ではむしろハンディだと思います。」▼ニュースサイトのヘッドラインを斜め読みしただけで万事を了解したかのように振る舞う解説者が氾濫するこのご時世、創作者は抑圧から解放されて自由になりすぎたのかもしれない。どこかで誰かが痛いところをつかなければ。真の批評家が要る。

[1797] Jul 30, 2014

思い切った値上げで物議渦中の一品、松屋の「プレミアム牛丼」を食べる。290円から380円へ、30%超の価格アップ。飲食店のメニューとしては破格である。チェーン同士でパイを食い合う不毛な「10円価格競争」から一抜け宣言といったところ。苦し紛れに映るとは言え、中途半端な値上げにするくらいならと付加価値をつけて高額化に許しを請う形は潔い。▼さて、食べてみると、松屋とは長い付き合いになる私としては、これだけがらりと味が変わるなら値上げも「アリ」だと率直に思った。ブルジョアを気取るつもりはないが、290円という価格は少々「安すぎて気持ちがわるい」と思っていたくらいなので、食後感と支払いが正しく釣り合うところまで来たとも言える。折しも世は賞味期限切れチキン問題で、限界を超えた安かろう悪かろうの存在に辟易してきたところ。ジャンクでも出来る限りの安心を。<庶民のプレミアム>を追う一手は正しいかもしれない。

[1796] Jul 29, 2014

「ぼくは、「お金がたくさんあるから、良い建物になる」なんて信じていません。建築とは、発明と発見です。お金が一〇〇円しかなくても、五〇〇〇円の価値を発明すればいいのです。うまく行かない時もパッと切り替えて、別のことを考える必要がある。」「モノを作る人は、上手くなくても、最低好きじゃないと困る。そして、美しいと思う感受性がないと駄目だと思う。実際に手を動かす際にも、「デザインをする」という気持ちはあっても、「発明する」という気持ちがない。デザインは少々器用であればできるけど、発明には、時間も労力もかかる。なのに、器用にデザインする=建築をつくると勘違いしているんじゃないかな。」▼二川幸夫氏による山本理顕氏へのインタビューより抜粋。インタビューする人の方に目が行くのも不思議だが、二冊目にして私は二川幸夫氏の建築観ないし創作観はなんとなく、良いな、と思っている。なので、自然にメモの量が増えていく。

[1795] Jul 28, 2014

生徒に英語の重要性をわからせるにはどうしたらいいかという悩みを受けて、あれこれ月並みな案は出したものの月並みの域を出ず、どうしても「役に立つ、楽しい、世界が広がる」などありふれたキーワードに回収されていくふわふわした議論になんとか錨を降ろしてみたのが「検索ゲームをしてみてはどうか」という提案だった。▼内容は単純明快。用意した問題にgoogle検索を用いて回答するゲームである。別にbingでも良い。ただし出題に仕込みをひとつ。難易度があがるほど、ウェブ上に日本語ソースのないトピックを問題に選ぶこと。▼要するに、デジタル・ディバイドを肌で感じてもらう目論見である。ググればなんでもわかりそうな今の御時世、しかし他人を出し抜く有益な情報を得ようとしたとき、悲しいかな、いかに日本語が貧弱なツールかということを理解してもらうには手っ取り早いのではないか。少なくとも、手がかりにはなるのではないか。そんな話をした。

[1794] Jul 27, 2014

サビのダブステップに飽きてきた。ばっさりした言い分だが率直な感想だ。ブロステップでも同じこと。使い勝手が良すぎたか。彼らは蕩尽されてしまった。▼作りこまれたダブステップはたしかに格好いい。問題は曲の中にそのイディオムを埋め込むためのパターンが少なすぎることだ。執拗なリピート。細分化するビート。突然のミュート。そして始まるダブステップ風のサビ――なんというワンパターン。がっかりするほどの定型句。しかも曲が終わってみると、たいていの場合、あそこはダブステップである必要があったのかと思うような使い方しかされていない。流行りだから捩じ込んでみました、というスタンスで手垢をつけられすぎてしまったのだ。▼かの有名な「死亡フラグ」だって当初は真面目なセリフ技法だった。乱用の結果、失笑を誘うクリシェに堕ちてしまっただけだ。ダブステップの件は、音楽のイディオムも容易に同じ道を辿りうるというひとつの例である。

[1793] Jul 26, 2014

技術翻訳の難しさは想像に難くない。こと情報速度の早い領域の技術本は、何はさておき一刻も早い上梓が求められる。洒落た日本語訳を悠長に模索している時間もないので、仕方なく直訳気味の不格好な訳になってしまう。初訳の技術本に読みやすい日本語を求めるのは酷というものだ。▼とはいえ、それだけは駄目だろうと言いたくなるがっかり訳もある。わけてもつらいのが専門用語の過剰訳だ。カタカナの英語呼称が通称の言葉を無理やり訳されると非常に読みにくい。もしも頂点陰影機とか三角形準備とか言われたら、グラフィックスパイプラインの理解もガタ落ちである。影マップ。なんのことだ。なんだシャドウマップか。たしかに影マップと呼んでいた時期もあるが……。▼意訳しすぎと言われない線を守りつつ読みやすい翻訳を書くのは難しい。翻訳が拙くて読みにくいという評価を技術本に下すのは避けようと思いつつ、やはり今の本はところどころつらいなと思う。

[1792] Jul 25, 2014

暑い。暑い。昼飯は積極的に人を誘い外へ出かける主義だが、猛暑の夏だけは例外だ。焦げてしまうよ。今日はコンビニで済ませます。朝のうちに購入済み。告知してエアコンの社内にひきこもる。席にいるとどうしても仕事の話が舞い込んでくるので、とりとめのないディスカッションをしたり、新規プロジェクトのヒアリングに対応したりする。肩の力が抜けた時間は案外良いアイデアが出るものだ。▼一方、プライベートのこと。県内最強と言われる旨いラーメン屋まで、遠い駅からさらに徒歩三十分。はるばる出掛けた結果が率直に言って職場近郊の某店の下位互換、がっかりして帰路を歩いていると、ちょうど悩んでいた曲の「転」についての良い構想が浮かんできた。ある小節数について、8か12か、なぜ16がダメなのか……と右往左往していたところへ、「10なのでは?」という素朴な思いが浮かんできたのだ。早速打ち込んでみると、はたしてこれは正解であった。

[1791] Jul 24, 2014

SSAOを実装する。頭の中のロジックをコードに放り出してコンバートしたら、最初からそれらしい絵が出たので安心した。モデルの周辺にゴーストめいたアーティファクトが浮かんだが、アウトラインを忠実になぞる薄い線を見るにつけ、サンプリングのためのレイをランダマイズするためのノイズ法線テクスチャがないからだとすぐにわかる。Gimpでさくさく色ノイズを生成してセット。想定通りの点描画が描かれる。▼これだけでも遠目には綺麗に映るが、さすがにニア付近は汚れて見えるので、セオリー通りガウスブラーをかけて補正。さらに独特の色みを出すためHSV空間で明度と彩度をいろいろいじり、大方納得行く見た目に近づいてきている。目的地の決まっている実装は実に楽だ。▼このごろはリアル系であるなしに関わらずAOはシャドウ強化の必須テクニックのようになってきた。SSだから実装コストも処理コストも安い。偉人誰だか、良い発明をしたものだ。

[1790] Jul 23, 2014

磯崎新&鈴木博之による建築批評対談『二〇世紀の現代建築を検証する』読了。▼豪華絢爛な写真とともに鳥瞰する戦前・戦後の世界の建築批評。あるいは建築写真をめぐる意見の衝突。「あとしまつ」と題したあとがきで磯崎新氏が言うように、聞き手であり写真の撮り手でもある二川氏が「オレが撮った写真をお前ら二人で裏付けろ」と対談の体で二人に語らせた企画だと解釈しても成立しそうな内容である。名建築と名おしゃべりの取り合わせとでも言うべきか。読んでて楽しい写真集。▼自分について言えば、バウハウス前後の戦前欧州は良いが、南米や西海岸、あるいはCIAM崩壊以降の戦後世界、そしてなにより日本についての知識は弱いなと思った。社会がどうだ思想がどうだと論じる側に回る気はさらさらないが、文章中で名前の挙がる建築家のバックボーンくらい知らないと貴重な対談も楽しみが薄れてしまう。建築物の「乱読」がまだ足りていない状態かなと思う。

[1789] Jul 22, 2014

注文から長い月日を経てようやくGP∪PROが届いたので、予定していたデイリー論文消化期間を昨日から始める。日課にしては少々重く2本目にして疲弊気味。なんとか1巻収録分の40本くらいなら持つのではないかと無根拠に信じる。そのまま2巻に雪崩れ込むかどうかは未定だ。▼英語のレベルはやさしいので困らないが、論文調の文章を見ること自体が久しぶりすぎて構成に慣れない。論文というものの性質上で執筆者の罪ではないが、大真面目に字面を追うと重複した主張なり文章なりも多いなと思う。このあたり脳内ですらすら流し読めれば読破効率もあがるだろう。▼読後メモは頑張り過ぎると続かないので本当にメモ程度。もし理解できない数式などにあたったら、ここに記して後で時間のあるときに検証すればいい。所詮はただの栄養補給。カロリーメイトの如く、気楽にいただくのがよろしかろう。唯一。移動中に読みにくいハードカバーなのはつくづく残念だ。

[1788] Jul 21, 2014

建築家という職業が注目を集めだしたのは、他の芸術に比べれば遥かに最近のことだ。十七世紀以前の著名な建築家と言われてもピンと来ない。”建物もつくった芸術家”という括りでなければ、語りにくいところがある。▼コルビュジェにしてもミースにしても、近代建築家として名を残した巨匠たちは皆、自分の売り込みが旨かった。世の中にプレゼンスを示していく能力に長けていた。つらつら名を上げてみても、近代建築の名手にひきこもるタイプの芸術家はいない。ライトはそれが上手く出来なかったと言うが、上手く行かなかったということは果敢にトライしていたことの裏返しでもある。結果的に彼は、壮大な公共事業とは別のところ、郊外邸宅の世界で高名を得ることになったわけだ。▼職業としての”建築家”のデビューはマスメディアの勃興と時代を同じくしている。自分は建築家として社会に何をコミットできるか。そのアピール能力も含めて彼らは建築家なのだ。

[1787] Jul 20, 2014

普段なかなか取り上げないトピックのまわりで会話がヒートアップして、この二日の自由時間を使い尽くした。結論が出る類の話でもなし、思うところはいろいろあるが、不得手な領域について議論するのも悪くないものだ。頭の絞り方がいつもと違う。得意分野の饒舌が、いかに怠惰な行為か改めてわかる。▼とはいえ、身内の会話なら不慣れ不得手のぐだぐだでもよかろうが、不特定多数に価値ある情報を発信するとなると、やはり人は知悉した事柄について語るしかないのだろう。プレーンテキストで思惑を保存する試み。今まで何度もトライしては失敗してきたが、ようやく計画に現実味が出てきた。ここまで来ると一生をかけた夢のひとつだ。得意なこと、頑張って勉強したこと、苦労して習得した知識……なんとかわかりやすく次の人に伝えたいと思う気持ちは、たぶん二十年前から変わらない。▼ワンノートをもう少し使いこなしたら、ひな形の作成に取り掛かってみよう。

[1786] Jul 19, 2014

「期限内に終わらせることはマストだが、期限内に理解することはマストではない。」Y先輩の基本哲学だ。会社は僕らの勉強に金を払うわけではない。旺盛な知識欲を持つ人間が陥る罠を、先輩もまたそうであるだけに誰よりも心得ているのだ。▼目の前の技術的問題を「理解」しなくても、結果としてたまたま「解決」することはある。ここで「それではいけない。根本的な原因を理解しなくては」と何の検証もなく逸る行為の愚かさを、冒頭の言葉は戒めている。求められているのはアウトプットだ。そこでインプットに走るのは、君のエゴではないのか。▼理解を追うな、というのではない。理解することがチームへの貢献に繋がることを、周りに納得させられるだけの根拠が必要だというのである。ここは抑えておかないと必ず終盤で余計に時間を使います。私がここをわかっておけば今後の作業の短縮が見込めます。等々、しかと言えて後の「時間の前借り」が筋なのである。

[1785] Jul 18, 2014

贔屓の店で「トリッパ」のカレーを注文。一緒に行く同僚がそればかり食べるので、よほど旨いのだろうと思っていた。▼ベースは辛口のチキンカレー。柔らかいチキンと噛みごたえのあるトリッパが絡み合う。絶妙な触感だ。半分くらい食べたところで、満足気にスプーンを進める同僚に、私は訊いた。「ところで、トリッパって何?」▼イカか何かじゃなかったか、と言うので、イカとチキンとはまた面妖なと思いつつ、ときどき適当なことを言う彼のことなので……と手元のスマホで調べてみた。トリッパ。「イタリア語で家畜の胃を食用に切り出したもののこと。」衝撃。私の嫌いなもつじゃないか。途端、なんだか急に食欲が萎えてしまった。心なしか味まで落ちた気がする。正体がわかって旨くなる料理などそうないのだから、食事中に調べ物などするものではないなと思った。▼尚、問い直すと「胃か何かだってオレ、言ったよね」と同僚。なるほど、それは私の耳が悪い。

[1784] Jul 17, 2014

寝酒はよく眠れる、という迷信は、全く迷信以上のものではないらしい。私もそれを聞いてから寝る前に酒を容れるのは止めた。止めたら睡眠が深くなった、と言えるほど劇的な変化はないが、知らないうちに貯めていた無駄なつかれは解消されているのだろう。そちらを信じたほうがよほど健康的だ。▼眠りを深くするための技術ないし習慣づくりに関する助言は巷にあふれているが、正直なところ、「寝る前にパソコンと向き合わない」という難題がクリティカルな要因であるために、なかなかその他の悪習を潰していく気になれないところ。寝たいならパソコンを点けなければいい、そうは言っても諸々の事情、あるいは依存からして点けないわけにはいかない。現代人の慢性疾患だ。▼ブルーライトカットでマシになるだろうか。ひとまず朝方まで寝付けない日々は過ぎた。平均五時間確保できれば生活に支障はないだろう。この不眠症もどきとも長い付き合いになりそうである。

[1783] Jul 16, 2014

GAJAPAN、なかなかいい本をつくる。書籍のサイズもちょうどいいし、写真の多めな組版も魅力的だ――『ル・コルビュジエ読本』読了。▼鈴木恂、入江経一、青木淳、林美佐、千代章一郎、隈研吾、井上章一、鈴木了二、吉阪隆正、平田晃久、高間三郎、米田明、佐々木睦朗、伊東豊雄、磯崎新、槇文彦、原広司、月尾嘉男、横山禎徳。十九人の語る十九様のコルビュジエ。住宅のコンセプトから見る哲学と人柄、後期の傑作「ロンシャンの礼拝堂」「ラ・トゥーレット修道院」をめぐる大家晩年の考察、そして、チャンディガールに見る都市計画のあれこれ。コルビュジエをざっと概観する教科書としては、ライトでスリリングで文句なしだ。▼単純な脳で恐縮だが、今までどちらかというとミース寄りだった私も、各氏のコルビュジエ熱にあてられてだいぶ彼が好きになった。3Dパース全集で文章と写真から起こした建築物の粗を補完しつつ、もう少しフォローしてみたい。

[1782] Jul 15, 2014

「この人、ボケて昔の原理を忘れちゃったんじゃないの?」という程度になって、初めて「応用」と言えると思う。(笑)「応用」とは、それ位の果敢さがないと駄目なんだということを、ぼくはコルビュジエのメッセージとして受け取るんだよね。コルビュジエから抜け出せない人間の言う「応用」は、単なる「模倣」でしかない。」「「原理」とは、こんなに豊かなモノを生み出せるという「タガの外れ方」が、コルビュジエ最大のメセージだと思う。」「ニーマイヤーの建築を見ていると、「巨匠! オーガニック・フォームで好きにデザインしてください」という前提を、ヒシヒシと感じてしまうでしょ(笑)下手すると、老境ってそうなってしまう。」▼建築家・隈研吾氏の、コルビュジエを評して曰く。真から出でて行を通り草に至る老境への長い道のりを、ボケるくらいじゃないと、と言い回す面白さに感心した。ニーマイヤーへの言及も至極納得できる。今日は引用まで。

[1781] Jul 14, 2014

EVOの決勝戦を観る。今年は決勝トーナメントが日本時間にして平日朝から昼の開催となり、社会人殺しになってしまった。昼はイヤホン。夕方は即帰宅。会社でのネタバレを慎重に避けてタイムシフトに飛びつく。ありがたい時代になった。▼今大会も、悔しいところはいくつもあれ名勝負連発の素晴らしい大会だった。もっとも格闘ゲーム経験に乏しく「動画勢」の誹りを免れない身としては、誰々のどの試合が良かったとか悪かったなどと批評するつもりはない。ただ、去年も同じことを書いた気もするが、ウル4はやはり解説が素晴らしかった。初心者の疑問には的確な先回り、選手の心理や目論見も推察しつつ展開を簡潔にまとめていく。無駄な薀蓄の披露やダメ出しに終始する情けない解説とは一線を画す手際である。▼悪い解説は良い試合を台無しにする。良い解説は良い試合をさらに何倍も良くする。こういう大会では、事後的にもっと解説力も褒められていいと思う。

[1780] Jul 13, 2014

マーティン・レディ『C++のためのAPIデザイン』読了。最近のC++系書籍の中では三指に入る当たり本。ただし後半が役に立つかどうかは読者がどういうプログラマ職に就いているかによる。▼7章まではC++プログラマなら誰にでも役に立つ。役に立つというより、ここに書いてある知識を知らずに職業プログラマとしての中級者の壁を越えるのは不可能と言ってもいい。APIを磨くということ。自分の世界だけで完結する趣味のプログラミングでは意識を徹底するのが難しい。▼8章以降は本格的なライブラリ作成者のための具体的なアドバイスになる。後方互換性、バージョン管理、ドキュメント、自動テスト、スクリプト、プラグイン拡張性の確保、などなど。縁のない人には縁のない内容だが、もし社内ライブラリを使用してプログラムを書いているなら、彼らがどういう苦労の末にそのライブラリを創り上げたかを理解し、仲良くやっていくのには役立つはずだ。

[1779] Jul 12, 2014

最寄り駅前の商店街は屋根がレンガ色に統一されている。今日、そのレンガとレンガのあいだにぽかりと見事な満月が見えた。あまり情緒があるとは言えない汚れた赤とならんで浮かぶ丸い発光体は、やはり情緒があるとは言えなかった。なんとも見すぼらしい絵に見える。▼道路へ抜けて、今度は白いアパートが満月の付き添いになる。見栄えはするが感動はない。毒にも薬にもならぬ凡庸なアーバン・ムーン。環境音楽に似ている。そうしてさらに歩くと、今度は黒い家と庭の木立が背景に。これは素晴らしい。途端にぴたりと絵が出来た。緑の影、群青の空、白い月。▼世阿弥風に言えば、月の美しさというものはなく、美しい月があるだけだということになろう。けれどもこうしてみると美しい月というものもやはりなく、あるのはただ「月が美しく在る」という按配のみ、とも言えそうではないか。しかし、それでは美しい音があるというのは……。この指摘にはしっぽを巻く。

[1778] Jul 11, 2014

雨つづきで外の本屋へしばらく通えなかったから、今日はゆっくり本棚を眺めてきた。つい先日、神保町で建築関連を仕入れてきたばかりなので、このうえさらに積読を重ねるつもりはないが、EDMブーム以来めっきり触れていなかった音楽系の読み物など、ひとつはあると気分が向いたら助かるだろう。そう思って、久々にバッハに関係のある文章でも流し込んでみようかなと「作曲家」ラベルの棚を漁り始めた。ショパン、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン……。▼バッハの名を含んだ本は一冊もなかった。一介の音楽棚としては巨大といっていい品揃えの中、バッハはどこにもいなかった。バッハ、かくも不遇なるものか。意気消沈して建築棚へ行くと、そこは二列を埋め尽くす充実の所蔵である。この格差。楽譜という暗号化文書の世界だから仕方のないことではあるが、それにしても「読める音楽」の少なさは群を抜いていると思う。文章とは相性が悪いのだろうか。

[1777] Jul 10, 2014

ブログの延長線上にある意見交換サイトや記事まとめサイトでは、消え行く新聞へのレクイエムをこのごろよく見かける。「新聞はもう終わった。」▼もともと新聞を読まないのでピンと来ないが、新聞各社の売上減少率は、数字だけ見ると本当に「消え行く」と言う表現が的確なほど酷い。絶対数で毎年このまま減ったら、私がお爺さんになる前に購読者はゼロになる。そういう減り方だ。紙からウェブへゆるやかに移転しているのでは、とも思ったが、残念ながらデータは「新聞セクション」のものであった。ウェブの売上も含んでいる。▼ただ、ことさら新聞ばかりに一言物申そうという風潮が強いのは、有名サイトで記事を書く人に元新聞記者やジャーナリズムの関係者が多いからではないだろうか。さらば新聞、というのはつまり、彼らの回顧、反省、あるいは復讐だったりするわけだ。新聞に限らず、既存メディアは今、どこだって苦しい。消え行く業界、明日は我が身かも。

[1776] Jul 09, 2014

読書をして得た内容をまとめようとすると、「紹介文」か「内容の反復」か、いずれかになりやすい。ちゃんと書かれればどちらも有益な文章であることに違いないが、些かもの寂しいところもある。紹介。オススメですと結ばれた他人の感想文を見て、読んだ本が今まで何冊あっただろうか。両手が必要か、あやしいものだ。▼解説。真に解説できるほどの力量もないのに解説らしい格好をつけようとすると、主張も言い回しも何もかも、引用のオンパレードになる。アマゾンレビューには後者のタイプがかなり多い。読者の文章と作者の文章が入り交じる、堅くて柔らかいちぐはぐな文章。自身は読んだこともない第三者の批判。専門用語の洪水。▼読書をした。それについて何か書きたい。けれども上のどちらにもなりたくないなと思ったとき、私にいちばん気安いのは「読書にかこつけて」何か書くことだ。本はきっかけ。せっかくだから何か書いておこう。そんな書き方がいい。

[1775] Jul 08, 2014

数学者として、作家として、そしてなにより組版システムTexの開発者として有名なドナルド・クヌースが残した教訓は数多いが、わけても駆け出しの開発者にとって有益なコメントはこれだろう。「未熟な最適化は諸悪の根源である。」▼パフォーマンス・チューニング病。どんなに気をつけても罹る人は罹る。最適化という言葉の響きが美しすぎるからだろうか。UIのパーツモジュールを最適化しました。ネットワークまわりを最適化しました。描画プロセスを最適化しました。「最適化しました。」と言うだけで、高度に技術的な仕事を成し遂げたような錯覚が得られてしまう。最適化。自分酔い。中二病。だから病なのだ。▼適切な最適化は、安定したシステムに対して、客観的な計測と共に、システム内外の全容を知り尽くした人間が注意深く行うものであって、不確かな未来の予測に基づき自分勝手に進められるような仕事ではない。局所的な最適化は、ただの害悪である。

[1774] Jul 07, 2014

完璧主義者にも二種類いる。一、自分に完璧を求めつつ、相手にも完璧を求める潔癖主義の系譜。二、自分には完璧を求めるが、他人には寛容な修行僧の系列。▼想像通り、前者の方が迷惑である。付き合いにくい。肩が凝らないかなどと訝しもうものなら反撃の説教で肩が凝るのはこちらである。「不真面目かつ誠実に」をモットーに生きる私にとって完璧などというものを要求されるほど面倒な話はない。さいわい私の半径一歩には同じ完璧主義でも後者のタイプが多いようだ。彼らもまた、ときどき息の詰まるようなことを言いはするが、こうしろ、ああしろと言うわけではないから直接の害はない。逆に、行き過ぎたストイックを諌められたら素直に聞き入れる柔軟さも持ちあわせている。これはこれである意味「完璧」な人格というものだ。▼ともあれ潔癖型には近寄らないに限る。人には完璧を押し付けて、自分には甘いという怪物さえしばしば居るのだから。地雷原である。

[1773] Jul 06, 2014

ひきつづき神保町での話。岩波「青」を読み始めた後輩に、日本人の著作で哲学寄りのオススメは、という漠然とした質問を受けたので、ちょうど岩波の棚にいたこともあり、これはよい機会と『寺田寅彦随筆集』を推した。じつは遥か昔、数年前にも彼に推奨したことのある品だが、彼は覚えていないだろう。冊子を手にして適当に開き、皆そうだが、活字の小ささに眉を顰めて閉じる。困ったことだ。▼傍に平積みで『柿の種』が並んでいたので、それなら手始めにこちらはどうかと言うと、こちらは素直に受け入れてくれた。随筆集と比べれば圧倒的に読みやすい版組だ。寺田寅彦氏がいかに素晴らしいか、説得する言葉に乏しい自分もイヤだが、この手の名著に人を寄せ付けぬレイアウトを当てはめるのも大罪ではないかとつくづく思うのである。▼余談だが、昔、血眼になって探していたが見つけられなかった古語訳の新約聖書が岩波から出ていた。ごく最近の品だ。近々買う。

[1772] Jul 05, 2014

同期・後輩と神保町へ。家を出るときはざんざん降られたが、到着してからは晴れた。水の滴る傘を提げて入店するわけにもいかない都合、予定の立て直しをしなくて済んでありがたい。目当てその1、ジークフリード・ギーディオンの『空間・時間・建築』は、合本の在庫がなく旧版も第一巻のみしか置いてないということで断念したが、もうひとつの目当て、『調性音楽のシェンカー分析』は手に入れた。同じ店にコルサコフの『管弦楽法原理』も見つけたが、こちらは上下巻で三万五千円。さすがに予算外だ。▼その他、建築系数冊と音楽系数冊を両手に提げて、ランニングの人たちと向かい合いつつ皇居の外側をぐるり、有楽町を通過して銀座から新橋へ。ひよわな腕がしびれて痛い。足は丈夫な方だが手に持つ荷物があるとからきしダメだ。後輩オススメの店で旨い鰹のたたきを食べて、払いは諸事情により全て私。まあまあ、たまには良いでしょう。明日は筋肉痛に違いない。

[1771] Jul 04, 2014

クラスTがクラスSを継承するならば、現存するSは既存のコードを破壊すること無く全てTに置き換えられるべきである。クラスを継承させるかどうかの判断に強力な材料を提供してくれる「リスコフの置換原則」だ。▼例えば楕円クラスを継承して円クラスを作るかどうかの判断。円は楕円の特殊形なので派生可能に思えるが、楕円には長径Aと短径Bを設定する関数が公開されているだろう。これを派生クラスがどう扱えばよいか。公開をやめて直径の設定関数のみとすれば、原則に違反するのは明らかだ。▼故に、これらは残さざるをえない。代わりに、各々の設定関数が内部的に直径Rを更新するような設計にしたとする。こうすると、今度はA≠Bを確認した後で楕円を生成したはずのクライアントが、B/(A−B)を計算したところでクラッシュしてしまう。これは立派な既存コードの破壊行為だ。つまり、円クラスは楕円クラスを継承してつくるべきではないのである。

[1770] Jul 03, 2014

昔から、靴を買うのは一仕事だ。あちこちまわって良い品を見つけても、十中八九「サイズがない」と言われる。悲しいかな、日本の百貨店は28cmを入れてくれない。バーゲンになると尚更で、たいてい27か27.5までしか在庫がないと言う。靴ばかりは履きもしないものを買うのは躊躇われるので、それならけっこう、となってしまう。せめてあと0.5cm小さければなと思う。デザインと機能要求とサイズ。ぴたりと合わせるのが格段に難しい。▼海外サイズに直すと、私の足はアメリカ表記で「10」、イギリス表記では「9.5」、フランス表記では「43」となる。米英で同サイズの表現が0.5ズレているところが実に紛らわしい。輸入物を買うときはメーカーの国に注意したほうが良さそうだ。結局、スイスメーカーの43サイズで良さ気なスニーカーを見つけたので、今回の探索は成果まずまず。いつか海外でも出掛けた折にまとめて買ってしまいたいものだ。

[1769] Jul 02, 2014

すでに管理職となった元プログラマの大先輩から、C++という言語すらなかった時代の開発風景を詳しく聞く機会を得た。C言語、さらに遡ってFORTRAN。すべてのアプリケーションコードはワンオフで書かれていた。再利用という考え方はなかった。それでも、そのタイトルに特化されたローレベルな設計には、それはそれでバグは少なく高速に動作していた、と先輩は言う。▼破滅が訪れたのは、C++の導入期であった。それまで無秩序という安定に仰臥していた開発陣は、秩序、構造化の壁にぶち当たり、粉々に砕けてしまった。部分的に構造化されて過剰包装となり、誰かがそこに適当な穴を開けて便宜を図り、構造化に組せぬ反骨派が従来のやり方を捩じ込んで……リアルに職場から「逃げ出した」プログラマもいたという。▼それから十数年、先輩も含め、歴戦の生き残りたちが整えてくれた今のコード。でも、まだまだこれからだ。進化させるのは私たちである。

[1768] Jul 01, 2014

「珊瑚礁」のレトルトカレーがたいへん美味しかったので、これはレトルトも侮れないなと認識を新たにした。そのついでに、もうひとつくらい当たりが引きたくて、いかにも旨そうな「鳥肌の立つカレー:キーマカレー」を購入。旨そうというのは、パッケージがとか名前がというのでなく、値段が他の倍くらいするからであって、ブランドに騙されやすい人のようだが、こういう品物、無駄に価格はつかないものだ。▼試食。鳥肌が立つ。なんという辛さ。鳥肌の立つカレーとはこういうことなのか。珊瑚礁のカレーも辛さの指標は「5」だったはず。全くアテにならない数字だ。ともかく、甘いものと水で辛さを宥めつつクーラー全開でスプーンを進めてみると、たしかに旨いは旨い。辛い、辛い、の中に時折、キーマカレーの旨味がにじみ出る。キーマ好きならいちどは食べてみても後悔しないのではないか。総括、冷凍食品と同じく、レトルトカレーも良い速度で進化している。

[1767] Jun 30, 2014

体力に余裕があることをアピールするため、タバコを吸う。経済力に余裕があることをアピールするため、高価な時計や服飾を身に付ける。よくある話だ。それでは、思考力に余裕があることを示す、なんてことがあるだろうかという話になった。▼もしかしたらそれは、時事ネタや国際情勢について語ることなのかもしれない。日々の仕事に追われているばかりではありません。私はより広く社会のことを観察し、世界の行く先を考察するだけの余裕を持ちあわせているのです。▼穿ち過ぎかもしれない。しかし、教養の枠を遠く越えて、ときに自身の職務に関連する領域も越えて、新聞や本で読んだことの復唱をささやき交わすとき、それはやはりタバコや時計に類する習慣ではないかと思えてくる。余裕を見せるのは結構なこと。格好つけるのは一向にかまわない。けれども、身の丈を越えたアピールをしたとき、たちまちそれは嫌味となり、笑いの種となる。そういう性質である。

[1766] Jun 29, 2014

『映画脚本100のダメ出し』は前半がストーリーテリング、後半がライティングに関する教本となっている。脚本フォーマット、ト書きやセリフの削り方など文章作法に焦点を当てた後者については映画ないし脚本特有の作法が多く、一般の応用は効きにくいかもしれないが、だらだらした文章を削り、ストーリーの速度を保つテクニックからは学べるところも多いだろう。それに、英語の映画脚本など書く機会は一生ないなんて、決めつけるのも早計ではないか。▼気に入った条文を列挙してみようとしたが、感想と考察も付記すると四千字を越えるのでここではやらない。最近導入したワンノートか、懐かしのエバーノートにでも書きなぐることにする。たまには長文が読みたいです、という嬉しいメールを受けてブログの再開にも乗り気だが、秋からまた忙殺されて更新が止まると思うと萎縮してしまう。著者のアドバイスを活かすなら、書きたいときに書けばそれでよいのだが。

[1765] Jun 28, 2014

「奇妙なものだ。作曲家はハーモニーや音楽理論を学ぶ。画家は必ず、デザインを知っている。建築家も、基礎の習得が必須である。なのに、文章を書こうとする者は、学ぼうとしない。紙に文字を書きさえすれば、作家になれると考える。」▼ウィリアム・M・エイカーズ『映画脚本100のダメ出し』読了。ただし冒頭の引用は著者ではなく、ツルゲーネフの発言。本は、非常に良い本なので読後感想は二日に分けたい。全く別の本を買うつもりで棚に立ち寄り、タイトルに惹かれて立ち読み。早く帰りたそうな同僚の隣で悩みに悩んだ挙句、衝動買いした。▼覚えやすい見出しと理解を促す印象的な引用。穿ったことを言わない率直で実用的なアドバイス。ユーモアのある文章、読みやすい翻訳。教本としても立派だが、馴染みのないハリウッドの作法、脚本家という仕事の実際が垣間見れるエピソードの数々も面白かった。名著という堅い肩書きの似合わぬ、楽しい読み物である。

[1764] Jun 27, 2014

「演出」を表すクラスや関数にどんな名前をつけるか、いつも頭を抱える。ゲームプログラムではとくに難題だ。Staging、これはステージと紛らわしい。Renderingは描画を意味する用語だし、Effectは当然エフェクトと解釈される。Sceneも同じ理由でダメ。bitは論外だ。Productionでは意味が広すぎる。Renditionはあまりに馴染みがない。theatricsではいかにも大げさだ。何を選んでもすっきりとハマらない。▼この話題、定期的に自分で悩んだり相談されたりするのだが、いまだにきれいな答えが返せない。日本人として日本のチームでプログラムの仕事をする場合、英語が正しければ良いというものではなく、英語が苦手な人でも得心のいく平易な単語を選ぶ気づかいも求められる。こうなるとますます難しい。かんたんな単語は意味が被るからダメ。難しい単語は意味がわからないからダメ。困窮の極み。演出、演出……。ここで募るのも何だが、妙案があれば教えて欲しい。

[1763] Jun 26, 2014

私は格言や金言の類が大好きだ。昔はよく格言集の引用元に興味を持って、身の丈に合わない難読書を読んだ。今でも小説に飽きたときはときどき格言集を見る。▼暗唱や信奉が目的ではない。感心した格言でも、ほとんどはすぐに忘れてしまう。ただ、残りの一割は長く心に留まる。人生について、処世について、創作について――真理というより、実践を見据えた警告とでも言うべき示唆を含んだ言葉たちだ。脳裏に焼き付けておけば自分のためになると、無意識が訴えている簡素な文章だ。▼百本、格言を見て一本でも血肉にできれば御の字ではないか。短い文章なら、千本読んでもたいして疲れはしない。毎日一本ずつより、一気にまとめ読みをお勧めする。今現在、深く関心のある事柄についての傑作を探そう。それでは今日の格言。「"The first draft of anything is shit."――何を書こうが初稿はゴミである。」アーネスト・ヘミングウェイ。初稿はスタートに過ぎない。

[1762] Jun 25, 2014

『コンピュータアーキテクチャ技術入門』読了。「コンピュータのしくみを理解するための本」としては最良クラスだと思う。取り扱う情報がやや古めだった『プロセッサを支える技術』に比べ、こちらは第四世代以降のCPUやDDR4メモリへの言及もあるほど事例も新鮮。この鮮度でプロセッサのみならず、メモリ、ストレージ、周辺機器、さらにはデータセンターやスーパーコンピュータなど複雑なシステムの構成までひと通り学べるのはありがたいの一言だ。▼残念ながら、技術評論社から同著者による著作は、今のところこの二冊しか出ていない。新刊が出れば迷わず買うつもりだ。「プロセッサ」に比べて情報密度はさらに向上しているが、その分、前著では詳しく解説していた用語も基礎的と思われる項目については一切の説明を省いている。要求される基礎知識はそれなり広くて深い印象だ。ウィキペディアを何十頁も通読したような心地よい疲れ、気分の良さである。

[1761] Jun 24, 2014

海外旅行が大好きな先輩の弁。自分は英語の勉強が好きではないが、とにかく旅行が好きなので、旅行(楽しい)→勉強(つらい)→旅行(楽しい)→勉強(つらい)……を途切れなく交互に繰り返すことで、海外旅行に必要な英語力をキープしているという。この勉強をすれば何々が出来るようになる、という夢や目標ベースのモチベーション維持ではなく、「つらい」の後に必ず挿入される具体的な「楽しい」によって、構造的に気分水位を保っているところが面白い。▼成功体験に引きずられた勉強も、努力と成功のサイクルが都合よく回転しているうちはいいのだが、どこかが崩れて上手くいかなくなると、いつしか怠惰と失敗のサイクルに嵌ってしまうという恐ろしさがある。努力はするが、その成果とは関係なくひとまず楽しいイベントを起こし、それによって努力の意味を事後的に炙り出そうという先輩のやり方は、自分に甘いのではない、自分にやさしい手法なのである。

[1760] Jun 23, 2014

後輩と電車で話した雑談の延長線。▼私は、読書感想文の大嫌いな子どもだった。読書も大嫌いだったが、それに輪をかけて感想文が嫌いだった。だから、坊主憎けりゃなんとやら、原稿用紙も大嫌いだった。そこに埋められるべき文字が嫌いだった。漢字も言葉も興味がなかった。そういう諸々が、めぐりめぐって一巡し、さらに読書嫌いを助長していたように思う。小学校の夏休み、宿題に出された読書感想文では、休み中に暗記できたところまで円周率を書きなぐって規定枚数を埋めた。忘れられない思い出の一頁だ。▼後輩も読書感想文が吐くほど嫌いだったらしい。それが今ではふたりとも好きで本を読む。私は感想文どころか好んでレビューを何本も書いている。他人から強制されない読書とは、表現とは、実に素晴らしいものだ。そう実感できるのも、押し付けられた読書の体験があればこそだろう。学校の言う「読書」が嫌いだった人こそ、読書好きになる可能性がある。

[1759] Jun 22, 2014

眼鏡は決まった。前述のローデンストック、R184の53サイズ、色はブラウン。地味目だが側面の控えめなロゴマークも嫌いじゃない。掛け心地の良さは文句なしだ。また十年以上使えるよう、大事にかけよう。▼当日の測定で、乱視が入っていると言われた。ものすごく強いというほどではないが……という言い回しに、そこそこの乱視は進んでいるというニュアンスを感じる。眼球の形状はそうそう変わるものでもあるまいし、ここでひとつ乱視も矯正できるオーダーメイドレンズにした方が、という商売文句はこのさい頭から信じることにして、予算を超えつつ乱視用にする。▼視力測定のときにかけた眼鏡の視界があまりにもクリアで、今の眼鏡はもうボケボケに感じる。遠くの文字なんて、見えないのが当たり前だと思っていた。矯正後で0.2だそうだ。見えない生活に慣れてしまうと、矯正限界視力そのものが低下してしまうらしい。0.7までもどして様子見しよう。

[1758] Jun 21, 2014

燻製専門店へ行く。いろいろツッコミどころはあるが、主に二点、勉強した。▼鶏肉の燻製、串の燻製はたしかに旨かった。しかし、店の売りはどちらかというとその他の変わり種で、豆腐、サラダ、柿の種、牛タン、シュウマイ、すべてに「燻製の」と接頭辞がついている。そうして、悲しいことにこれらが良ろしくない。ふつうに各々食べるのと比べたら、ただ口の中が煙たいだけだ。王道は良、邪道は悪。教訓その一、応用力がないのなら王道に徹するべし。▼さらに、ありとあらゆるメニューが「燻製の」であるために、次々煙たい品が現れて燻製味から開放される暇が全くない。燻製に自信があるのはよくわかるが、その自慢の燻製を味わうためにも、たまには燻製でない品を口に入れないと舌がつかれてしまう。まるで休符のない音楽みたいだ。教訓その二、伝えたいことは小出しにするべし。飽きられては元も子もない。尚、良い話題ではないので店の具体名は伏せておく。

[1757] Jun 20, 2014

地道な布教活動が実を結んで、ようやく同僚のひとりがCiv5を始めた。昼飯どきも質問に答える形でアドバイスしつつ共通の話題に花が咲く。ボードゲーマーなので飲み込みも早いし、既存の戦略などよく調べて基礎パターンを固めるタイプなので、ノーリロードで皇帝はすぐにクリアできそうだ。▼そんなふうに喜んでいたら、なんともうひとりの同僚もCiv5を買ってしまった。この時期、なぜ急にバタバタと布教に成功したか。飯の話題についていきたくてという可能性もあるが、消極的には、新世代の据え置き機に魅力的なタイトルが出ていないから、とも言える。ハードを買ったはいいが、遊ぶゲームがない、ならばいつも楽しそうに話しているCiv5とやらをやってみようかな……。▼なんにせよ私にはありがたいことだ。偉そうに助言するのはいいが、腕が落ちていたら怖いなと思い、久々にシングルもやってみた。創造主、かろうじてスペイン宇宙勝利。一応、大丈夫そうだ。

[1756] Jun 19, 2014

3Dゲームの黎明期、主人公級のキャラクターはたいてい兜や帽子をかぶっていた。主人公は戦士ないし冒険者だ。プレイしている人が、それらの”被り物”を不審に思うことはあるまい。新たな表現を追求するゲームの開発は、常にこうした「凌ぎのアイデア」に助けられてきた。技術と仕様の二人三脚だ。彼らが一様に頭部を隠していたのは、デザインの要求ではない。初期のグラフィックエンジンでは、まだ髪の表現が上手く出来なかったからである。▼技術や予算の足りないところを工夫で乗り切るのは一般的な戦略だが、設定変更で乗り切るという、根本的な”ちゃぶ台返し”に目がつきやすいのは、熟練ゲーム開発者の強みではないかと思う。そういうことに長けていなければ、オリジナリティ溢れるゲームの企画者はつとまらない。鳴かぬなら、鳴かなくてもいいんじゃないか、ホトトギス。「出来ない我々」をいち早く認めて迅速に代案を提出するのもまた開発力である。

[1755] Jun 18, 2014

今日、ひょんなことからピタリな眼鏡を見つけた。なんだかすごく素敵な眼鏡があるなと覗いた一角。まだ聞いたことのないメーカーのコーナーで、ブランド名を調べているときにも行き当たらなかった名前だが、デザインは保守的で私の好みに合い、装着時の軽さもフィット感も素晴らしい――やや値は張るが、この出来栄えなら欲しいと思って、近くに居た年配の店員さんに訊いてみた。どういうメーカーなんですか。▼要するに、私が無知であっただけで、かなり有名な老舗らしい。その名をローデンストック。「イマドキではないし、流行を追うタイプではないが、長年の愛用者は多い機能性重視のブランド」なのだそうだ。最近の、こってりとした「いかにも眼鏡」な若者向けがどうも肌に合わないと思っていた矢先、オーソドックスで素朴な味わいの良品が見つかったのは嬉しい。単に私のセンスが「おじさんくさい」だけかもしれないが。ここはひとつ自分を信じてみよう。

[1754] Jun 17, 2014

会社のエアコンが新しくなった。それと同時に、部屋の中の二酸化炭素濃度をモニターする小さな機械もついてきた。危険度を示すランプが灯っている。緑だ。「黄色になったら警戒です。赤になることはめったにありませんので。」二週間が経過した。ここ数日、赤いランプしか見ていない。▼数値は1700ppm付近を指す。労働環境基準は3000ppm程度なので危険水準以下ではあるが、調べてみると1000で既に「健康被害は無いが不快感を感ずる人が出るレベル」とあり、2000では「眠くなる人が多くなるなど体調変化が出てくるレベル」とある。道理で毎日眠いわけだ。▼こうして、私たちの職場がデスクワーク環境としてはよろしくないことが数字で判明して以来、プラシーボ効果で余計に頭痛がする。こんなことならモニタリング機械などなかったほうがよかったかもしれない。現在のところ社は沈黙。赤いランプが付いたからとて、なにか対策を講じてくれるわけではないようだ。

[1753] Jun 16, 2014

大きな買い物をするたびにブランド名を覚えていく時期、今回はメガネ。次の収入で、次の収入で、と問題の先送りをつづけた結果、度が合わないメガネをかけつづけること二年以上である。傷も無視できないほど多くなってきた。さすがに買い替えだ。現行機とは十年以上の長い付き合いだった。▼十年のあいだにメガネもずいぶんオシャレになった。明らかに市場は機能性重視からデザイン重視に軸足を移しきっている。レンズ込みで四桁金額という驚愕の激安メガネも浸透した。ここからはブランドと大量生産の殴り合いだ。ベタ足インファイト。消費者が得をするならなんでもかまわない。▼黒縁が似合うとは言われたが、顔がきつく見えるし何よりフレームが強く視界に収まるのが苦手で、恐らくは銀縁か茶系を選ぶ。レンズの厚さも最大級ゆえ、細い金属フレームは難しいだろう。文字通り「お眼鏡に適う」ブランドを探し当てるため、しばらく放課後の店舗めぐりがつづく。

[1752] Jun 15, 2014

アレンジをつくるにも、いろいろな「ハマリ」がある。いちばんよくあるのが「和音」ハマリで、これは正しい和音が分からない状態。トライする組み合わせが少ないので比較的すぐに解決する。「強弱」「つなぎ」のハマリはときどき厄介。「調性」や「展開」のハマリはしばしば小節の全消しを伴う恐怖のハマリだ。しかし、私にとって最大のハマリはやはり「テンポ」を置いて他にない。▼テンポ、リタルダンド、揺らし、等々。無限に時間を食う上、改訂版が前より良くなることはまずない。理由は明白。正解がわからないからだ。正解がわからないのでは試行回数が意味をなさない。とくに揺らし方は、これはもう演奏のセンスであって、私には全く期待できないものである。ブルートフォースが基本戦略の人間に、理屈とセンスは求められない。▼さて、今、まさにテンポハマリ。ぐねぐねしたテンポトラックを見るのは苦痛以外の何者でもないが、しばらくはお付き合いだ。

[1751] Jun 14, 2014

わけあって30曲ほど初見(初聴?)の曲をレビューしていた。読書レビューほどたいそうなものではないが、ひとつひとつ大雑把な評価とコメントをつけていく。ローカルなものであって、どこかに公開したとかではない。▼最先端ではないが、現行のトレンドを盛り込んでいるはずの新曲たち。しかし、はっきりいってどれも「古い」印象を受けた。正確に言えば、出来と不出来の差が激しく、不出来なものほど先行する優れたアーティストの良くない模倣に終始している。どこかで聞いたことがあるどころではない。オマージュという言葉を盾に、臆面もなくパクりすぎではないか。まして曲としての完成度が高いならともかく、使いドコロも使い方も間違えて、せっかくの遺産をメチャクチャにしているとは……。▼マガジンのアマチュア投稿作品や、動画サイトの新作を見ている方が楽しめるのは確かだった。学べるところだけしっかり持ち帰って、後のことは綺麗に忘れよう。

[1750] Jun 13, 2014

『プロセッサを支える技術』にひきつづいて同著者の『コンピュータアーキテクチャ技術入門』を読んでいる。メイントピックは同じで、四年後の新刊。扱うテーマがストレージやデータセンターなどクラウドを意識した領域や、前著より詳しいGPUの解説など、時代に則して広がりを見せている。▼まだ途中だが、「プロセッサ」とは何かを解説するための<流れ>を重視していた前著に対して、こちらは各用語や概念の<詳細>を重視している印象だ。プロセッサユニットの内部構造、アダーの動作解説、キャッシュコヒーレンシのプロトコル、高速化技術からマルチプロセス化技術まで、前著で説明不足だった箇所を補っている。痒いところにちょうど手が届いたようで、非常に嬉しい。▼同シリーズの他の本が全てこの本、この著者と同じクオリティを提供しているなら、関連の薄い分野の本でもひと通り読んでおきたいくらいである。技術評論社、このたびたいへん見直した。

[1749] Jun 12, 2014

E3で発表されるゲームをちらほら見ている。まとまった時間は確保していないが、そのうちまとめ記事にも目を通すつもりだ。相変わらず既存作のナンバリングが多い中、任天堂は新作ないしスピンオフにかなり力を入れていて、少なくとも公表の段階では目論見は成功しているように見えた。端的に言って、どれも面白そう、である。あとは「本当に面白いかどうか」「売れるかどうか」の試練をくぐり抜けるかどうか。▼面白そうにすること、わかりやすいこと、気軽に遊べそうなこと、ちゃんと進化すること。今にして思えばここ数年のソーシャルブームは、コンシューマー開発者の足元に火を放つという意味でも業界に良い貢献をしてくれたと思っている。逆輸入できた発想や技術も多かった。見知ったライバルと練習試合をしているよりも、未知の強敵と力を合わせて戦うほうが、得るものは大きいということだ。復活の狼煙をあげよう。どうか宣伝詐欺でありませんように。

[1748] Jun 11, 2014

Hisa Ando著『プロセッサを支える技術 −果てしなくスピードを追求する世界』読了。ソフトカバー実用書系にして、この情報密度。このわかりやすさ。素晴らしい。▼アセンブラ、高級言語、オブジェクト指向、ミドルウェア……機械語から離れに離れて、プログラマとプロセッサの仲は絶望的なまでに疎遠となってしまった。あまつさえ、CPUの内部構造なんか、興味のある方がマニアックで気持ち悪いと言わんばかりの風潮だ。「プログラムなんて動けばいいんだよ」そんな言葉に言いようのない反感を覚えたら、悪いことは言わない、ぜひ読んでみよう。▼後輩には確実に読ませたい一冊。ただ、とにかく情報の密度が高いので、ある程度の基礎知識は必要だし、ひとつひとつの項目をきちんと理解するには時間がかかる。しかし、この本が優れているのは、それでいて難解ではないところだ。解説のツボを見事に押さえている。図表の配置だけが残念だが、許容範囲であろう。

[1747] Jun 10, 2014

非常によく仕事のできる若手の後輩に、グラフィックスのことで相談があると承って調査に乗り出した。全画面に特定のステンシル値を埋め込んだ後、特定の画面領域にのみ新たなステンシル値を上書きしようとすると、すべてのピクセルが後者の値で塗りつぶされてしまうという症状だ。▼ドローコールの周辺を見て、数分で解決すると思った。ところがどう見ても全画面に上書きされる筋合いがない。値を変えて、関数を変えて、テスト、テスト。意図通りにならない。なぜだ。二枚目は画面中央にしか描画していない。こんな症状は見たことがない……。首を傾げること数十分。ふと、手癖でサーフェスの描画情報を確認するウインドウの端を摘んだ。動く。画面が拡大していく。やがて現れたのは、一枚目で埋め込んだ「正しい」ステンシル値の色を示す、画面の周辺領域。▼二人とも二度と同じミスはするまい。前提は疑うべし。常識は捨てるべし。笑いごとで済んでよかった。

[1746] Jun 09, 2014

いまだに「ザ・インタビューズ」から定期的なメールが来る。数年前に、ほんのひととき流行ったきり、私のまわりではパタリと利用者を見なくなったサービスだ。▼開始当初はユニークで、人心のツボをついた面白いサービスだと思った。事実、僅かの間とはいえ私も利用していた。しかし、ある出来事をきっかけに、突如として興味を失った。同じ理由でやめた人も多いのではないかと思う。つまり、ユーザーからの素朴なインタビューに紛れて、運営からのあたりさわりない「質問」が届くようになったのだ。▼利用者の少ない頃、ユーザー同士のやりとりだけでは質問と回答のサイクルが足りなかったのかもしれないが、とはいえ、これをやられては興ざめも甚だしい。「好きな食べ物は?」「最近見た映画は?」回答する方が虚しくなるというものだ。冒頭のメールも、やはり運営からの質問であった。「身近な人でザ・インタビューズを使ってもらいたい人は?」答、いない。

[1745] Jun 08, 2014

オリジナルストーリーを映画化すべく脚本を書いてプロダクションなり監督なりに送るとき、その脚本につける表紙の書き方について、面白い話を読んだ。とくに頷かされた二項目を紹介する。ただし、ハリウッドの話であって、日本映画界の話ではない。▼一、日付を記入してはならない。早速、眉が寄る。ふつう、作品には制作日時を記すものではないのか。しかし理由を聞けば納得できる。映画の脚本はとにかく鮮度が命。いちど送った脚本はいつどこで誰に発掘されるかわからない。もし、数年後にたまたま某監督の手に渡ったとき、五年前の日付が記入されていたら、間違いなく採用されないだろう、というのである。▼二、共著者を"and"で繋がない。映画脚本においてWritten by A and B.という表記は、Aが失踪したかクビになったか、ともかく途中で制作をやめて、Bがその引き継ぎをしたという意味になるそうだ。「&」で並べるのが正しいという。全く知らなかった。

[1744] Jun 07, 2014

「お食事、ラストオーダーの時間になりました。」とある和食屋さんで、お決まりの追い出し文句を聞かされたので、腹もまだ七分か八分であったし、それでは茶漬けとつくねをくださいと追加注文を出した。果たして数分後、ふたたびにこやかに近づいてきた店員さんが、笑顔に陰を作りつつ言うには、「申し訳ありません、私どもの手違いでラストオーダーをいただく時間が遅くなってしまいまして、板前さんがもう帰ってしまったので、お料理お出しできないんですよ。」▼その頃は腹もかなりこなれてきて、追加を悔いていたところでもあったので、わたりに船と快く申し開きを聞いていたのだが、それにしてもラストオーダーを拾うやいなや、板前さんが帰ってしまうものなのかと、そこには少し驚いた。板前さんの給与形態は知らないが、ここで大量にオーダーが入ったら、サービス残業をする羽目になるのだろうか、などと笑いあう。ささやかながらあまりない体験である。

[1743] Jun 06, 2014

朝ごはんはぜひとも食べるべきだ、と私は思っている。脳に栄養が、とかそういう即日的な話ではない。もう少し長い目で見た、物理的な理由と精神的な理由である。▼朝ごはんを食べない理由をばっさり次の二つとする。一、朝ごはんを食べられるほどお腹が空いていない。二、朝ごはんを食べている時間がない。▼もし一なら、そういう腹具合になる食生活ないし生活習慣を見直すべきだ。私も朝の食欲が湧かない時は稀にあるが、たいていは生活がバッド・サイクルに落ち込んだ時期にそうなる。ここで「食べない方」に振れると、朝の食欲不足が連鎖して慢性化してしまう。少量でも、食べた方がいい。▼二、時間がないから朝ごはんは食べないのだという主張は、寝坊助という自分の自堕落を正当化する心の傾向である。削れるものは削ればいい、朝ごはんなど食べなくても死にはしない――こうして、常にバッファというバッファを削り尽くす「余裕のない人」になっていく。

[1742] Jun 05, 2014

「”ステキ”がギュッとつまった、長く使えるコンパクト。」▼約三年半、使いつづけたスマートフォン「IS03」も、ブラウザは三割の確率でフリーズする、電話が鳴ってもタッチ反応が凍っていて取れないことがあるなど、あちこちにガタが来ていたので、いよいよ携帯を変えた。「AQUOS PHONE SERIE mini SHL24」。直前までアルバーノのつもりでいたのだが、軽さといい小ささといい画面の綺麗さといい、このアクオスフォンがあまりにも要求にジャストフィットしたので、急場で心変わりしてしまった。ポケットへの収まり具合が素晴らしい。▼春モデルなので、夏モデルの予約を開始している現在にあっては、一応これも型落ちということになる。新作ほどの値段もしない。それでいて、新作にすらこれほど琴線に触れる機体はないので、最高に良い買い物をしたと言えそうだ。LTEもあることだし、あとはイーモバイルを捨てられれば完璧である。よろしく、スマホ二号機。

[1741] Jun 04, 2014

アルフレッド・ベスター『虎よ! 虎よ!』を読了。昨日、途中でやめるつもりが午前四時近くまでかけて最後まで読みきってしまったので、今日は仕事がつらかった。三百頁を過ぎてから途中でやめるのは不可能だ。▼今、SFを一冊だけ貸してくれと言われたら、やはりそれでも『ユービック』を貸すだろうが、二冊目があるならこれを渡したい。復讐の炎に焼かれる主人公の心のまま、結末まで引きずりまわされる、じつに暴力的な作品である。いいぞ。もっとやれ。ここまできたら徹底的にやってしまえ――怖いもの見たさの野次馬根性もくすぐられるようだ。それだけに、唯一不満があるとすれば、それまでの単純明快な流れを突然打ち切り、文章的にも状況的にも錯綜した終幕付近だろうか。あそこで置いてけぼりを食らう読者は多いと思う。▼技巧的にはテンポの良さが特筆。特にシーンの切りかえが上手い。映画化を待つまでもなく、映画を見ているような読み口だった。

[1740] Jun 03, 2014

毎年恒例、もはや説明なし。去年はハープスターとロサギガンティアを抱えて大勝利の様相、さて今回は。短評つきで母名を羅列。指名順。▼ラヴズオンリーミー。ラングレーの全弟。引き続き期待の出来る血統には違いない。バイコースタル。まさか二巡目まで無傷でいてくれるとは。コートアウト。今年の成績を見てからのハーツ*名繁殖とはいかにもミーハーだが、ここは王道で。上位に牝馬も欲しかった。スペリオルパール。こちらは牡馬のハーツ。須貝厩舎。アジアンミーティア。上位にリストしていたが、なかなか指名が入らないので牝馬枠を削ってここで指名。ミスティックリバー。キングカメハメハは母父サンデーの構え。ワシントンシティ。牝馬の二番手。ファビラスターン。想像以上に早くハービンジャーが上位で消えた。ここでなんとか一頭だけ確保。スターリーロマンス。ここも母父サンデー。最後はクルソラ。牝馬を増やし、ディープインパクトで締めてみた。

[1739] Jun 02, 2014

「虎よ! 虎よ! ぬばたまの夜の森に燦爛と燃え、そもいかなる不死の手、はたは眼の作りしや、汝がゆゆしき均整を」▼ディックの『ユービック』を読んでからこのかた、これ以上面白いSFにそうそう出会えるものなのかと訝しんでいたが、そんな小心者の心配をよそにSFの世界はまだまだ奥が深いようだ。三割ほど、読み進んできたが、後半へ向けて加速度的に緊張感の増してくる『ユービック』の破壊力に対して、こちらアルフレッド・ベスター『虎よ! 虎よ!』は、起承転結の起き抜けからして紙面が緊迫に満ちている。プロローグからトップギアだ。たぶんもうスピードが落ちることはないだろう。このまま<驚愕の結末>まで強引に手を引いてくれることを祈る。▼小説以外では、目下、映画のカメラ演出に関する優秀な基礎教材を探している。コンピューター・アーキテクチャは技術評論社の二冊で十分。音楽と建築からはやや身を引いている。今は時期ではない。

[1738] Jun 01, 2014

先輩からの「退職のご挨拶」の末尾に、メールアドレスではなくLINEのIDが記されていた。LINEは持っていないんですと別途告げると、残念そうにしていた。とある飲み会の後もメールアドレスを交換する会はなく、代わりにLINEのIDを、持つ者たちだけで交換していた。今日もまた、しばらく連絡を取っていなかった友人から声をかけられる。「LINEやってないか?」▼ライン、ライン。ポケベルからメールを経て、ラインがなければ連絡する手立てなどないと言わんばかりの全盛期。もしかすると、若い世代を相手にしたら、メールアドレスを教えるなど、私たち世代の感覚で言えば、手紙のために住所を教える行為に等しいのかもしれない。なんでそんな面倒なこと。なんでそんな危ないこと。この流れに反抗したら、いよいよ頭の「親父化」が進んでしまう気がして、気に入らなくてもIDくらいは手に入れるべきかどうか、現在進行形で頭を悩ませている。

[1737] May 31, 2014

レイ・ブラッドベリ『華氏451度』読了。サイエンス・フィクションというより純粋な心理小説に近い気がする。ここには何の目新しいテクノロジーもない。度肝を抜くような社会制度もない。どれくらいの未来なのかもわからない。ただ、本は焼かれていく。人の心を惑わす悪魔として。存在してはならない物として。「華氏451度――本のページに火がつき、燃え上がる温度……。」▼想像以上にテンポが良くて面白かった。本文は二重丸だ。しかし、その内容にちなんで、若者が本を読まない現代にあっては、人の心に対しても読解力のない人間が量産されているという解説者の言い分には同意できない。書籍など太古の昔から存在していたわけではなかった。私たちの子孫は、互いに心を理解できない野蛮な生物だったとでも言うのだろうか。本の素晴らしさは本好きなら誰でも同意するところだが、読まない人間に心の綾を認めたがらないのは行き過ぎた悪癖であると思う。

[1736] May 30, 2014

茶しゃぶの店で美味しくほうじ茶をいただきつつ「澪」を追加で頼んだら、店員のお姉さんが「今、山口県のお酒で非常に希少な――」と切り出した。「獺祭というお酒が入ってまして、よろしければ」「もちろんください。」どこへ行っても品切れで、なかなか巡りあえなかった獺祭に、ひょんなところで出くわした。▼磨き三割九分、1100円。磨き二割三分、2300円。磨き二割三分の遠心分離が3400円。価格付けは正直ふつうより高いなと思ったが、店では滅多に出会えるものでもない。財布と相談しつつ、給料後ということもあり二割三分をいただいた。▼蔵元では最近「二割三分」を越える究極の酒として「磨き その先へ」という最高級品を展開している。精米歩合は非公開。価格は公式サイトで32400円。もはや道楽で呑めるレベルではないが、いかにも職人気質な商品紹介からは自信のほどがうかがえるようだ。いつか口にする機会があれば面白いのだが。

[1735] May 29, 2014

駅を降りると暗闇が明滅していて、スーパーマーケットの建物がカメラのフラッシュでも浴びているように見えた。バスターミナルを照らす、命の消えかけた街頭がひとつ、ちかちかと高速で光の波を放っているのだ。いつもはさして存在感のない灯りが、このときばかりはと声高に、見慣れた世界の様子を変えていた。静寂の中にカタカタ鳴る細かな振動音が耳から離れてくれないように、この特殊な光も建物の白壁から木立の表面へ、やがて空へと伝染して、じわじわと瞳に馴染んでいく。▼高速かつ一定周期の光の明滅という現象は、機械以前の自然界には存在しなかっただろう。この光景に対する警戒心と恍惚の中間めいた感情は、いかにも太古の記憶に根ざしているようなふりをしながら、じつは経験に根ざした思い出のフラッシュバックと、めずらしい光学情報に対する生理的な反射にすぎないのだ。背中に残してきた瀕死の電灯を思いながら歩道を行く。空は紫一色である。

[1734] May 28, 2014

Getting Things Done.「GTD」と略されるナレッジワーカーの仕事術。デビッド・アレンが提唱するライフハックの一である。▼GTDの詳細についてはここでは触れないので興味のある人は各自調べて欲しい。どちらかというと、整理整頓が苦手な「非几帳面」の人々に向いているとだけ主張しておこう。ここで紹介したいのは、タスク管理ツールをことごとく試しては諦めてきた私が、会社のPCへ定住させて以来ついに年の月日をともに過ごした見事なフリーソフト「GeeTeeDee」である。▼その名の通り、GeeTeeDeeはGTD手法を元につくられているが、そういう由来を抜きにしても、この軽量さ、このシンプルさ、この使いやすさ。ポストイットのような感覚で使えるインターフェース設計は絶賛に値する。会社のデスクが付箋だらけになってしまうPCワーカーは、ぜひ試してみて欲しい。あまりの簡素さに入れた直後は戸惑うかもしれないが、そのうち常駐になるだろう。

[1733] May 27, 2014

よく遅刻をするとか、時間を守らないとか、飲み会で泥酔するとか、上司が部下の信頼を失うシーンはさまざまある。同じく、他人の失敗にやたら厳しいとか、仕事の出来映えと無関係に部下を贔屓するとか、面倒な仕事はのらりくらりとやりたがらないとか、上司が部下に嫌われるシーンもいろいろある。が、これらの要因を越えて「信頼もされず嫌われる」上司の典型があるとしたら、それは緊急時にパニくる上司だろう。▼「大詰めに弱い人間は信用できぬ」と兵藤会長が利根川を切り捨てた言葉は重い。管理は出来ても勝負の出来ぬ男。ピンチは凌げずチャンスは逃す。とても人の上に立つ器ではない――矢継ぎ早な責め句も痛烈な正論だ。この度も傍で見ていて切に思う。上司にはうろたえて欲しくない。絶望的でも余裕に見せて欲しい。「中間管理職と真のリーダーシップの微妙な半歩の違いは、プレッシャーの下で優雅さを保てるかどうかだろう。」ジョン・F・ケネディ。

[1732] May 26, 2014

常に帰宅一番の耳が欲しい。▼ここ最近、iPodを充電出来ずに製作中の曲を外へ持ち運べず、朝起きてから初めてつくりかけを聴くのは帰宅後の夜、という日がつづいていた。そうして、今までも薄々感じていたことではあるが、このとき初めに聴く耳が、いちばんよく利いた正しい耳であることがわかってきた。チャンスはジャスト1回。2回目以降はもうさほど変わらない。▼帰宅して聴く。いやなところが耳につく。結果論で言えば、その耳についたところが現在の瑕疵に等しい。否、瑕疵を余すところなく拾えているわけではないが、少なくとも前日の夜に救いそこねた修正点は炙りだされる。昨日には最適と思われていた音だったり強弱だったりも、しばしば勘違いであったことが発覚する。▼とすれば着想を得るために「製作中」を持ち歩くというのは逆効果なのではないだろうか。優れた人々がこの耳を長く多く持つ人なら、せめて私はこの1回を有効に活用すべきだろう。

[1731] May 25, 2014

優駿牝馬。私の指名馬ハープスターは、1.3倍の人気を背負って負けてしまった。敗因は諸説あるが、強いて言えば距離かと思う。残念には違いないが、周りが囃し立てるほど「勝利確実」と思っていたわけでもないので、落胆はそこまで大きくない。▼松田調教師も「あれで負けたなら仕方ないです。いちばんいい競馬をしてくれました。」とコメントしている。これを契機に凱旋門賞への挑戦も本当に無謀でないかどうか、陣営が考えなおして彼女に負担のかからない、不本意な結果にならない道を改めて敷ければそれに越したことはないだろう。▼さて掲示板には、一世一代の馬券が外れて怒鳴る人もいるが、それと同じくらい、最強への幻想が崩れたことを嘆いているファンも多い。この子は誰にも負けないんだと自分の見定めた存在に土がついてしまう悲しさはたしかにある。それでも二着。これしきのことで最強争いから脱落させるのは原理主義が過ぎるというものだろう。

[1730] May 24, 2014

IndexとIDについての話。▼Indexは"Idx"と略されることもあり、字面も似ているせいでことプログラム中ではよくIDと混同される。もちろん両者は似て非なる概念であり、意識して区別しなければならない。その性質の違いをまとまるとこうなる。Indexは0から(または1から)順に数え上げられる索引のための数字列。IDは連続しているとは限らない固有の数値。▼つまり、for( int id=0; id<0; ++id ) というコードはすでに何かが妙なのだ。IDは増えたり減ったりする数字ではなく、参照されるデータに割り当てられた「識別子」である。Indexという索引をもってIDにアクセスするべきなのだ。つまり、繰り返し文の中でアクセスされるのは、順当に言えば、DataID[Index]であって、DataIndex[ID]ではない。仮に後者で書いてあれば、それは順序の変動するデータが格納された配列の要素全てを取得するコードには見えないのだ。このあたりの気遣いも忘れないようにしたい。

[1729] May 23, 2014

根気強い布教の甲斐もあり、同僚がまたひとりCiv5の世界に取り込まれた。休日にやるつもりだと豪語していたインファマスも手につくまい。チュートリアルレベルを終えて操作方法と流れを掴んだ彼は、いよいよ最初の関門「国王」へ行く。国王・皇帝の安定期に辿り着いてから、創造主に打ち勝つまでも道のりは長く険しい。▼昼飯時に尋ねられたら適宜アドバイスなどしつつ、感想もいろいろ聞く。Civ5プレイに求められるのは頭の回転ではなくて「段取り力」だよね、という言い分は的を射ていると思う。ターンタイマーのあるマルチプレイでは素早い交渉力と機転も大いに求められるが、シングルプレイは無限に時間のある将棋のようなものなので、どこまで先のことを考えて計画通りに事を進められるかが勝敗を分ける。とすれば、自他ともに認める計画力のない私にあっては著しく不向きなゲームということになるのだが――そこはそれ、どういうわけか相性はいいらしい。

[1728] May 22, 2014

フョードル・パーヴロヴィチ・カラマーゾフは強欲な地主でカラマーゾフ家の父。その長男ドミートリイは女性をめぐり父と争う直情型の人物。次男のイワンは理を重んじ世界の不合理を嘆く知的な青年。三男のアリョーシャは、云々……。ひたすらに人物の境遇や性格を紹介していく。これが上巻。▼その後、彼らのあいだに横たわる様々な関係――良き関係も良からぬ関係も――が次々と明らかになり、やがてひとつの事件を契機に彼らを取り巻く世界の全てに変化が訪れる。誰がどうなるとはネタバレになるので詳しくは書けないが、これが中巻。▼そうして真実は明かされ、上巻で見た人物の全員は、皆、この壮大な物語の歯車であったことを読者は思い知らされる……これが下巻。上中下は新潮文庫の分け方に過ぎないが、これが見事に「提示部」「展開部」「再現部」に対応しているということで、ソナタ形式の説明には良い題材なんじゃないかと、そんな馬鹿話をしていた。

[1727] May 21, 2014

久しぶりに寝過ごして数駅先まで進んだら、電車の窓の外からとてつもない異臭が漂ってきた。この臭いは嗅ぎ覚えがある。以前も同じように寝過ごして、現在地の近くの駅で降りたとき、遠くで薬品事故でもあったのではないかと疑いハンカチで口元を押さえるほどの臭気に出くわしたのだ。まさに、その悪臭である。▼嘘か真か、人が新たな空間に進入したとき最初にそこへ飛び込む器官は鼻であり、故に臭気こそ危険を察知するための最大の信号なのだと言う。まして出処のわからない刺激臭など恐怖以外の何者でもない。寝過ごしつつも当該駅で降りるのはやめて、さらに二駅先の終点で折り返した。帰りは窓の閉まった車両を選んで乗った。▼さて、答え合わせは偶然出来た。知らなかったのだが、あの近くには養豚場があるらしく、しばしば風向き次第で臭気が路線の方に突風となって襲い掛かってくるのだそうだ。わかってしまえばなんだというあっけなさ。しかし驚いた。

[1726] May 20, 2014

部内の情報共有戦略が、シニアリーダーたちのあいだで明らかに相反している現状がたいへん気になっている。▼とくに大きなプロジェクトを率いる二名の同格リーダーは、かたや全の有益な情報はドキュメントにまとめて公開すべきだという知識の「形ある蓄積」を推進し、かたや文書をまとめると口頭で情報を伝える努力をしなくなるし、どうせ書き殴られたアーカイブなど誰も見るわけがないので、大切なことは対面で話して伝えるべきだという「口頭による伝承」を啓蒙している。どちらも真実の側面を照らしているだけに、いずれを踏襲しても怒られる下の立場はつらい。▼私は、どちらに与するとも言いたくないが、対面で話して伝えるのが好きで、文書を書くなら徹底的にわかりやすく、構造化されたものを残すというスタンスを保っている。高コストなのは百も承知だが、伝達手段の多様を憂えて「何も伝えない」というシニシズムに陥るくらいなら、苦労も上等である。

[1725] May 19, 2014

絵が上手くなる人の特徴――とにかく描く。暇さえあれば描いている。ときには出来映えも気にせず、ただ描くのが好きだから描いている。必要があれば他人の意見にも素直に耳を貸す。不要な煽りは笑顔で迎えて、脳には通さない。▼上手くならない人の特徴――自分で描くことよりも、人の絵を分析と称してダメ出しするのが好き。より隙のない指摘を浴びせるため、次々と知識を蓄えていく。より良い絵を描くためにはどうすべきか、いつも真剣に考えている。少なくとも、真剣に考えていると公言している。▼こうした揶揄的な比較は、すでに「耳が痛い」の反応まで含めて真剣味のない様式美となりつつある。当たり前すぎて言うにも及ばないというわけだ。そうしてまた「描かない理由」が溢れてくる。やがてそれは他人への怨嗟になる。あいつには時間があった。運が良かった。環境に恵まれていた。最後に「くだらない」という言葉を吐き出したとき、彼の寿命は尽きる。

[1724] May 18, 2014

某所にPS4のCPU性能改善に関する記事が掲載されていた。簡潔にまとめると、アセンブラ命令を使ってサーフェスのタイリングを最適化すれば、処理速度が10倍〜100倍近くも向上するという報告だ。▼しかし「やはりサンプルコードはあてにならない、アセンブラによる高速化こそ開発者の技術力だ」と考えるのは、この記事の読み方としては間違っている。「サンプルコードは必ずしも処理速度の点で最適なものではない」という解釈に留めるべきだろう。アセンブラで埋め込まれたバグの検出は致命的に難しく、可読性の低い入り組んだコードは次回作に引き継げないエンジンを産む。どんなに時間と予算をかけても最高のパフォーマンスを発揮するゲームを作るのが目的なら、それでもいいかもしれないが、未来のことを考えてコードの保守性を守り、小さなコストで面白いゲームを作りつづける力もまた「技術力」なのだ。常に速さだけが正義、というわけではない。

[1723] May 17, 2014

絶賛した矢先に「パクリ疑惑」で炎上、なんとも言いがたい展開ではあるが、アニメの出来映えを賞賛することと、オマージュとは呼べない構図と台詞回しの「流用」を擁護するかどうかは、全く別の話である。かつて、J・S・ミルは、音符の組み合わせが有限である以上、音楽の楽しみもまたいつか潰えるに違いないと妄想して苦しんだが、アイドル物語の演出オリジナリティが消尽するにはまだ早すぎるだろう。▼それにしても、パクリ疑惑といい同棲疑惑といい、こうも発見力、追及力が向上してくると、だんだん心安らかでなくなってくる。明らかな悪事を暴いているだけのうちはまだいいかもしれないが、正義が難癖になり、いつか誤解が冤罪になっても、責任を取るべき追及者はどこにもいないのだから、集団側の「いびり得」ということにもなりかねない。不毛な世界。ここがこの洋楽の旋律と同じだなどと、音楽まで魔女狩りに遭う時代がいずれ来てしまうのだろうか。

[1722] May 16, 2014

「自分の仕事の具体例を顧みると、批評分としてよく書かれているものは、皆他人への賛辞であって、他人への悪口で文を成したものはない事に、はっきりと気付く。」「批評とは人をほめる特殊の技術だ、と言えそうだ。人をけなすのは批評家の持つ一技術ですらなく、批評精神に全く反する精神的態度である、と言えそうだ。」▼「ある対象を批判するとは、それを正しく評価する事であり、正しく評価するとは、その在るがままの性質を、積極的に肯定する事」「論戦は、批評的表現のほんの一形式に過ぎず、しかも、批評的生産に関しては、ほとんど偶然を頼むほかはないほど困難な形式である。」「批評は、非難でも主張でもないが、また決して学問でも研究でもないだろう。それは、むしろ生活的教養に属するものだ。学問の援用を必要としてはいるが、悪く援用すればたちまち死んでしまう、そのような生きた教養に属するものだ。」久方。小林秀雄の批評感覚を食い直す。

[1721] May 15, 2014

今期の新人プログラマ全員と話す機会を得たので、あくまで飲み会の朗らかな空気の流れの中で、同じ質問をぶつけてみた。「君のプログラマとしてのこだわりは?」▼一人目の答えはC#を普及すること。言語はより高級であるべきだ。関数型万歳のタイプ。なるほど、これはこれで新しい風に違いない。業務のC++地獄に耐えられれば、きっと多角的な視点を持った良いプログラマになるだろう。▼二人目は特になし。プログラマ志望でありながら、特定の言語で実装してきた経験がそこまでないので、こだわりもないまっさらな状態だという。その言葉だけなら不安要素だが、それが強みですと軽々言い切った前向きな彼の伸び代に期待したい。▼三人目は我が部署にようやく二人目となる女性プログラマ。こだわりはユーザーインターフェースの出来映え。UI実装経験のある、貴重なユニバーサルデザイナーだ。去年に比べて全体に元気のいい今年の面々。さて実力やいかに。

[1720] May 14, 2014

ダイエット、ダイエット……。▼年の大小を問わず、会社は肥満に対して警告的・啓蒙的な態度を強めている。私も気を抜いたらすぐに体型が崩れてしまいそうなので、食欲と運動のコントロールは苦手なりにつづけているが、それにしてもあんまり皆がダイエットという単語を口にするので、もうその話はうんざり……と嫌気が差す人もいるらしい。気持ちが先にリバウンドしてしまった形だ。「今日はダイエットの話をします。」飛び出してくるのは目新しさのない地味で耳タコな方法論。またか、と溜息が聞こえる。▼そこへ救世主が現れた。彼女は――客観的に見て全くダイエットの必要などないと思われる標準体型だが――自らの生活改善努力を称して「ウエイトコントロール」と呼んだのである。以来、部署内でダイエットという単語を発する人はいなくなった。別表現が概念のイメージを見事に払拭したのだ。▼減らすだけが能ではない。重要なのは体重の「管理」である。

[1719] May 13, 2014

久々、ニ年ぶりに執筆の誘いが来たので、書きたい話もたくさんあることだし、仕事の都合は見ないふりして二つ返事で受けた。逃げ道を残すのは良くないが、ありうる事態としての事情の急変による不参加は承知していただいた上で、計画の一端に噛ませていただく形になる。水を向けられこそしたが、個人誌を出す体力は今のところない。▼さて、本当なら文章勘を取り戻すべく、翻訳小説や実用書よりは古の小説に読書週間をもどすべきなのだが、あいにく、このごろ技術評論社の”WEB+DB PRESS plus”シリーズが気になっていて、少なくとも三冊を消化せずには物語系にはもどれそうにない。この企画、表紙こそ初心者向けのオーラを纏っているが、拾い読みしただけでもなかなかコアな内容に突っ込んでいて、トピックの知識を整理するにも深めるにも、相当優秀な読み物の匂いがしている。難しすぎず、浅すぎずというところか。その後ゆっくり、鏡花でも再読し始めよう。

[1718] May 12, 2014

とある人のこと。昔からとにかく筆の早いタイプで、クオリティなどなんのその、思いついたらすぐ書いて本にまとめて、ときにはあっけらかんと締め切りを破りつつ、趣味人としては驚異的なペースで自作小説を上梓している人がいる。思い切りの良さとスピードだけはピカイチだ。そんな彼の作品を久々に読んだら、驚いたことに、一年前まではリズムも悪く無駄の多かった文章が、見事良い方向に洗練されて、素朴ながらも軽快で読みやすい文章に変わっていた。恐れ入る。▼とにかく「無駄が綺麗に落ちた」と言うしかない進化の形だ。新しい表現を取り入れようとか、華麗な言葉遣いを駆使してみようとか、そういう「プラスの努力」で得られる文体ではない。それだけに競争敵も少なく、この方向で量産を続ければ近いうちに無二のポジションを獲得できるかもしれない。本人にも、調子に乗らない程度にやんわり伝えたが、まさに継続は力なりを地で行く良き成長譚である。

[1717] May 11, 2014

第10回博麗神社例大祭に参加。直前まで一般参加するつもりもなかったが、今週の頭くらいに売り子の誘いがあったので、そういうことならと手伝いに出た。自分の作品が一切絡まない純粋な売り子はたぶんはじめてだが、休日に外出したくないと言い張る重い腰を動かす口実があればなんでもいい。待ち合わせは早くつきすぎて、近くのベローチェで紅茶を飲みながら眩しい朝日にぼんやりしていた。店内のクラシックが贅沢な朝と勘違いさせてくれる……。▼イベントそのものの感想は省略する。とくべつなことはなかった。待機時間と定型句の繰り返し。挨拶まわりもほどほどに、5月にしては暑すぎるような海辺の光を仰ぎつつ、のんびり過ごした。今日のワンポイントがあるとすれば、帰りに売り子の依頼主と二人で飲みに出かけたとき、見つけた大崎のビール屋だろう。アクセスがいいのに駅と立地でイベント帰りの人目にはつかない穴場である。次からの根城が決まった。

[1716] May 10, 2014

声楽系の用語をまとめよう。▼アリアは叙情的、旋律的な独唱曲。アリエッタは小規模なアリアのこと。カンタータは歌に器楽の伴奏が付いたもの。合唱と管弦楽のための声楽作品という趣きが強い。オラトリオは道具や衣装のない無芝居オペラ。主題を宗教とする点で教会カンタータと類似。コラールは単純な旋律を持つ賛美歌。リートは歌曲。歌曲ないし歌謡曲は芸術歌曲と通俗歌曲に分かれ、このうち通俗歌曲の仏名がシャンソン、伊名がカンツォーネ。日本ではポップスと呼ばれる一群。▼オペラは大衆向けの小規模なものでオペレッタとなり、よりクラシックからポピュラーへ近づくとミュージカルとなる。ドイツ語による大衆演劇には特にジングシュピールの名も。ヴォードヴィルはショービジネスの色が強い米国の形式。後にトーキーの浸透により衰退……。以上、アリエッタについて調べたことのおさらいまとめ。それでは、教会カンタータでも聴いて寝ることにしよう。

[1715] May 09, 2014

「ダメなときは何をやってもダメ。」麻雀が教えてくれる最大の経験は、恐らくこれに尽きる。▼麻雀、ひいてはギャンブルが、人にタフネスを授けてくれるというのは決して嘘ではない。どうあがこうと為す術のない「運の奈落」、打開しようとすればするほど打つ手が全て裏目に出る、吐き気のするような時期。経験者ならイヤでも身にしみているだろう。麻雀打ちは何度もこの奈落に突き落とされる。そうして、やがて知る対処法とは、つまり「歯を食いしばって耐え忍び、ひたすらチャンスを待ちづつける」である。▼どうにもならない時もあるもんさ。この前向きな態度は、頭ではわかっていても、いざ胃液が逆流しそうな逆境で自然と選択するのは難しい。運の女神は気まぐれで、ときに陰湿でさえあるということを、麻雀は思い知らせてくれる。とことん運に見放されたとき、慌てず騒がず、不平も言わず、ただ顔を伏して流れを待つこと。これこそメンタルの強さである。

[1714] May 08, 2014

二周目、三周目というのは、それまで気が付かなかったような細かいところに目が行くものだ。現在、同時並行で二つの鑑賞物に対して、それを実感している。ひとつはラブライブ。もうひとつはベートーヴェンのピアノソナタOp.111。▼後者については第二楽章までフォローし終えてから改めて記事にするとして、ラブライブのアニメも繰り返し観るに耐えうる細部のこだわりが面白い。キャラ視点になったときのカメラの動かし方や、被写界深度・光の表現などポストエフェクトの効果が独特で、同系のアニメではあまり見られない使い方をしている。音楽も素敵だし、背景、風景、小道具への配慮も忘れていない。これならシナリオが王道でも――というよりベタベタだからこそ――嫌味なくディティールを楽しめるというものだ。▼そういうわけで、作り手にこだわりのある作品は、数回以上の視聴をオススメする。じつは私の数年前の信条には反する結論だが、別日にまわそう。

[1713] May 07, 2014

「他山の石、以て玉を攻むべし。」▼連日、プログラムの話になるが、いろいろ言いたくもなる。言いたくなる気持ちを宥めつつ、他山の石、他山の石……とせめて自己の研鑽に役立てるべく唱えている。「だらしない人がプログラムを書くとこうなる」という、まさに見本のような殴り書きコード。毎週のように看過されたバグが見つかり、毎日のように新たなバグの元が見つかる。▼せめて後輩だけは、こうはなりませんようにと想いを込めて、ビルドの合間にコードライティングの基礎をまとめた文書を作っている。これを読めと押し付けるのではなく、説明のときに自分で引いて使うつもりだ。まとめなおしてあやしいところはすぐに調べる。調べて書き出してまとめる。そうこうしているうちに、ぼんやりしていた知識がどんどん形を得ていくのがわかる。創作のことも、誰かに教える機会があればよかったのになと思いつつ――まだまだしばらく、どぶさらいがつづきそうだ。

[1712] May 06, 2014

ある人づてに、仕事をやめてプロの作曲家を目指しているという人の活動ネームを教えられ、投稿した曲を聴いて何か意見が欲しいという話を承った。さて、探し当てて去年度の作品群を聴いてみると、どう世辞を繰り出してもプロを目指すには厳しい出来で、何をコメントしたものかと思っていたが、世代を遡って最近の曲になると、たった一年で見違えるほど成長していて、現状ではまだ遠くとも、この加速度で修行を積めば夢も適うのではと思わされるほどだった。▼気がかりなのは二点。ひとつは、「クラシックを取り入れたポップス」という典型的な型に嵌っていること。数年前、どこかで聴いたバッキングの焼き直し、という感覚がどうも強い。もうひとつは、三分より長くなるとたいてい物語が破綻していること。新しい作品になるほど時間が短く単発モノの習作が増えているのはさらに心配だ。このあたりを素直な感想に添えて、伝えてみようと思う。自分も頑張らねば。

[1711] May 05, 2014

輸入物の”黒船”に憧れて、華麗なる謳い文句と豪奢な見た目に吸い寄せられ、これがいいかもと思いつつも、商品自体のことをより深く、詳細に調べていくと、最後には様々な諦念を抱いて国産に走る。この一連の流れはミーハー心のある人なら誰しも経験があると思う。ブランドという名の高額商品。海外という、それだけで何か特別な付加価値がありそうな響き。▼しかし当然、輸入物であるからには輸入コストと輸入業者のマージンが乗るわけで、そこに税金も加われば品質との乖離は推して図るべし、となる。まだ迷っているので偉そうなことは言えないが、前述のシーリーやシモンズの所謂「高級ベッド」に憧れる、とくにその高額さに安心を覚える人は、海外の通販サイトでその型番にいくらの値がついているか、いちどは実金額を目の当たりにしてみた方がいい。わかりきったことであれ、文字通り桁の違う数字を見せられると愕然とするものだ。eBay活用術の一である。

[1710] May 04, 2014

みなとみらいのIDC大塚家具でベッドマットレスを体感してきた。この頃、とにかく朝起きると肩が痛くなり、整体に行くも改善が見られないので、この硬いベッドもいつかはと思っていたところであるし、買い替えの候補を見繕い。今は財布も空だが、夏の臨時収入で予算はぎりぎり立つだろう。まずは恒例、見て調べて触り尽くして、購入前の知識と経験の補充である。▼シーリー、シモンズ、キングスダウン、レストニックあたりを中心に見たが、フレームを今のもので使いまわしたい都合等で、早々にレストニック以外は候補から脱落した。そのレストニックも、日本ベッドのシルキーポケットに比べるとやや劣る。ウェブ上の情報が極端に少ないのも不安だ。後ろ髪を引かれるのはフレーム込みで50%OFFという破格の展示品だが、いくら安くても必要のないフレームまで買うのは贅沢というもの。97cm幅で厚みもなるべく薄くしたいとなると、日本ベッドが適任らしい。

[1709] May 03, 2014

ひょんなことから『ラブライブ!』を見始めた。そうそう財布も回らないので、原理主義には反するがひとまず2期から。よく知らない身には失礼ながら「アイドルマスターのような何か」という認識でしかなかったが、改めてちゃんと観てみるとこれはけっこう面白い。(もちろん、アイドルマスターがつまらないという意味ではない。)特に、私服のデザインが良く出来ていて、ついつい静止画でいろいろ見てしまった。▼似たような業種に身を置く者として、こういうディティールの出来映えに優れた作品を見ると、こだわりを実現するだけの予算が立つのは羨ましいことだと思ってしまう。人気、収入見込み、高予算、ハイクオリティのフィードフォワードが、綺麗に回り始めればもうウハウハ――とまではこのご時世に言えないだろうが、作り手も受け手も幸せになるのは間違いない。真価問われる続編の時期。アイマスやけいおんに匹敵するキラーコンテンツになるだろうか。

[1708] May 02, 2014

OpenSSLにつづいてIEにも脆弱性が発見され、世界中で大きな混乱が生じている。我が社でも――業務でインターネットブラウザを使うことはさしてないはずだが――正式な対応パッチがマイクロソフトから提供されるまではIEの使用を控え、以後は告知に従い各自対応すること、という【重要】なお知らせが全社に通達されていた。もっとも、ネットサーフィン組はクロームを使っていたようで、だから俺は問題ないねと得意顔をしていた。なるほど、パンがなければケーキを食べれば良いということか。本気なのか冗談なのか、いまいち顔色が読めない。▼脆弱性、と言われても、私たちはもう、その脆弱の脆弱たる所以を知ろうともしなくなってしまった。私もしていない。原因も対策も、あまりに複雑で個人の理解を越えている。問題が発生して改めて気づく、この無批判な依存性の高さである。カードの番号が抜かれることより、本当は遥かに憂慮すべき問題なのかもしれない。

[1707] May 01, 2014

5月一杯のVSLのスペシャルオファーは「お得なまとめ買い」となった。新たにバンドル名を設けているが、要するにシンフォニックキューブやスーパーパッケージに類するライブラリセットのバンドル価格と考えて良い。これまで単発製品のプライスダウンや学割など比較的少額を前提としたディスカウントに徹してきた期間限定企画だが、ついに高額商品の登場である。ディメンジョンストリングスも完成したし、いよいよシリーズの収穫期を匂わせる動向だ。▼実は会社の台所事情が厳しいという風の噂も聞いていた。ディメンジョンシリーズのアーリーバードオファーは、たしかに少しでも早い段階で資金を回収したい焦りとも深読みできるが、ごく一部の製品とはいえ、愛用者としては単なるアンチの邪推であって欲しい。パッケージ販売からダウンロード販売に軸足が移って、ソフト音源も大規模なセールを銘打たないと、なかなかユーザーの目には止まりにくいのだろう。

[1706] Apr 30, 2014

よほど酷い演奏なら、さすがに下手だとわかる。けれども、それなり上手い人の演奏になると、そこから先の良し悪しはわからない。これが良い演奏、こちらが悪い演奏です、と言われて動画例を渡されたが、たしかに両者が著しく違う演奏をしていることはわかるものの、どちらが良いのかを判断する能力は、私にはなかった。たぶん、アドレスを逆にされても何も思わなかっただろう。▼鑑賞の目利き、鑑識眼というものは、経験が物を言う以上に思い入れが物を言う。どうせ主観と客観の二軸のモノサシ、そこに情熱があれば真実などさておき「わからない」とは言わないだろう。誰に反対されてもこちらがいい、あちらがいい、と選びつづける姿勢こそが、いつの日か本物の「見る目」を与えてくれるのだ――こう考えたとき、私がいつも自信をもって甲が良いだの乙が悪いだのと断言してきたのは、文章とデザインだけであることに気がついた。やれやれ、じつに音楽は難しい。

[1705] Apr 29, 2014

筆が紙へ音符を書き始める前に頭の中で曲が完成していたというモーツァルトのような天才はさておき、私たち凡人はとにかく音を置いてみなければどんな曲に仕上がるかわからない。ちゃんとソルフェージュの訓練を積んだ音楽家諸氏なら、局所的な旋律や和音の響きは演奏前/再生前に脳内で完結できるのかもしれないが、私には今のところ二音以上の再生機能はないので、とにかくDAWを頼りにノート・オンとプレイバックを繰り返すしかない。▼長いブランク、ないし修行期間を経て、久しぶりに音をならべはじめたが、このあたりの遅さ、時間のかかり具合に変化はないようだ。人が人なら三分かそこらで書けそうな16小節のイントロに三時間以上かかる。つくづく、これで飯を食う稼業でなくてよかったと思う。雇われ人なら初月でクビは必至だ。そうでないから、まだ気楽に時間がかけられる。置いてみて、聴いてみて、置いてみて……気がつくとこうして深夜になる。

[1704] Apr 28, 2014

ワイン、焼酎、日本酒、胃の中でちゃんぽんを醸成しつつ、うつろな脳味噌を電車の振動に揺らしながらハインリヒ・シェンカーを読んでいた。読んでいたといいながら文章も全く意味が入ってこないので、ベートーヴェンのピアノソナタ第32番を聞きながら文字織りのタペストリーを眺めていたに過ぎない。耳と目が塞がれたので、降りるべき駅も通りすぎてしまった。バックハウスの熱演が一息ついて、アリエッタが始まる……。▼ワルトシュタインが若き日々の冒険譚、アパッショナータが壮年の燃える想いなら、第32番は人生への憧憬だ。私にはこれはもう、回顧ではなく感謝に聞こえる。ありがとう、なんだかこの人生は、ほんとうにいろいろあって楽しかったよ。そんな音に聞こえる。演奏者がそういう想いを込めて弾いているのか、譜面に封じられた作曲者の心なのか、私の思い込みに過ぎないのか。トリル。長くやさしく美しい高音のトリル。家が見えてきたようだ。

[1703] Apr 27, 2014

昨日のつづき。人に服を選んでもらうとはいえ、ただ選択の結果だけを受け入れるのでは私に何も成長がないので、もちろん、ちゃんとその選択に至る経緯、二人の脳内で考えていることを訊きながら、足を棒にしてぐるぐる店舗を巡り歩いたのである。そうして気がついたのは、ファッションの「センス」という表現に含まれている要素のほとんどが、案外理詰めだということだ。シンプルで、基礎的で、わかりやすい「理」が八割。しかしそれを自然体で修めるのが難しい――なんだ、いつものことじゃないか。▼そう考えたら気持ちは少し楽になった。しかし、ほんとうなら、服飾も気にせず過ごしやすく柔らかい普段着でのんびり日向に本でも繰る生活を送りたいわけで、こうなると仕事に私服が許されているのもかえって面倒なものだなと今更にしてスーツ姿が羨ましく思われる。高校生の頃、私服校の生徒達が似たようなことをぼやいていたような、そんな朧げな記憶が蘇る。

[1702] Apr 26, 2014

洋服を買いに行く。オシャレな二人の同僚に、私の服を選んでもらうという、ちょっと突拍子もない企画を立ててみた。さいわい二人とも乗り気であったので、わざわざ休日に集まってもらったわけだ。あちらこちらと物色したのち、無事、素敵なアイテムを手に入れた。二人の選択には反対しないという約束付きだったが、反対するまでもなく素晴らしいと思う。それでいて間違いなくひとりでは、この結論には辿りつけなかった。▼人の手を借りなければ到達できないが、いざ到達してみれば自分でもそれが最良だと思う、そういうことはままある。自分の先を行く人、自分より優れた人がいくらでもいる世の中なのだから、手の届くところにいる人が喜んで助けてくれるというのなら、助けてもらう、教えてもらうに越したことはないだろう。私も何か、人の助けになることができれば、そのときは進んでそうしてあげたいと思う。人間、ひとりで出来ることは、ほんとうに少ない。

[1701] Apr 25, 2014

プログラムも、身なりを大切に。前任者に伝えるべき事柄をまとめてみた。▼一、無駄なインクルードをしない。ましてビルドを通したいばかりにヘッダから極低レベルなヘッダを呼び出すなど言語道断。一、誤解のない関数名をつける。何も生成しないのにCreateなどという動詞を選択してはならない。一、長すぎるファイルは分割する。ヘッダファイルが数百行に達したら不穏さを感じるべきだ。恐らく、その設計は解決すべき問題の細分化に失敗している。一、不要なメンバ変数やどこからも呼び出されていない関数はこまめに削除する。部屋がごみの巣窟になってからでは遅い。まして掃除を他人の手に委ねるなど不道徳極まりなし。一、拡張機能のマクロを切り過ぎない。ディレクティブはコードの可読性を著しく低下させるので、必要最小限に留めるべき。一、書式を統一する。一貫性のない表現は理解もしづらく検索もしにくい。一、コードは心をこめて、丁寧に書くこと。

[1700] Apr 24, 2014

コードが「汚い」とよく言うが、その汚さには3つの異なるレベルがある。先に文章で喩えよう。1.内容が汚い。2.日本語が汚い。3.字が汚い。▼内容とはつまり、コードの動作であり、意図であり、アルゴリズムである。ここが汚いと、そもそもプログラムはバグだらけである可能性が高い。完成品の品質という点で、看過できない採点のポイントである。日本語が汚い、これはコードの意図を実現する表現手法が危うい状態。その書き方では別の意図に取れてしまう、読み手にコードの目的が伝わらない、利用者に誤解を招く、等々。そして、字が汚いとは、テキストのレイアウトが醜いことを言う。インデントが論理レベルに一致していない、ネストが深すぎる、スペースが統一されていない、無駄な空行が多い、これも挙げればキリはないが、内容や表現とはまたレベルを異にする問題だ。コード品質を問うときは、自分であれ他人であれ、この三視点を明確に意識したい。

[1699] Apr 23, 2014

SF、教本、もろもろ、堅い本がつづいたので砕けたものが読みたくて、今日は軽めの本を衝動買いした。これまでも書店でぱらぱらと立ち読みはしつつ、ちゃんと読んだことのなかったヲノサトル『作曲上達100の裏ワザ』を読了。▼フレンドリーな語り口と、ゆるいイラストと、少ない文章でさくさく読める「おもしろアイディア&ヒント集」。しかしこれ、アドバイスのひとつひとつはかなりツボを押さえていて、非常に良い本だと(立ち読みしていたときから)思っている。新発見こそ少ないが、つまったときに、忘れた頃に、思い出したい「こうしよう」が満載で、脳みその焼き直しにはちょうどいい。初学者よりもスランプに陥りつつある中級者諸氏に向けた助言という印象だ。▼「そうそう、こういうところを自分はもう少し頑張らないといけないんだよな」と響いてくる箇所も人によりけりだと思う。題目だけでもさっと眺めて、気に入りそうなら通勤のお伴にいかが。

[1698] Apr 22, 2014

その昔、『やさしいC』に苦言を呈したことがある。この題名を持つ書籍そのものにではなく、親切丁寧なチュートリアルがなければ何事もチャレンジする気になれないというライトゲーマー的な風潮に対して、である。少ない情報をかき集め、憶測と試行錯誤で摩訶不思議な状況を切り拓いていく冒険者の気概は失われてしまったのか――そんなふうに嘆いていた。▼しかし最近、どうやら揺れもどしが来ている。書店に行くと『本当は怖いC言語』や『苦しんで覚えるC言語』が、冗談ではなく棚に並んでいて、恐らく売れているのであろう、良い冊数、良いロケーションを確保しているのだ。内容も入門書としてはかなり突っ込んだところまで書いていて質が高い。知識礼賛。頭脳原理主義の復権。つまるところ、基礎の基礎すら理解しないまま、とりあえずはそれらしく動くコードを書くことのできる「にわかプログラマ」が増えすぎた結果への反省であろう。時代はくりかえす。

[1697] Apr 21, 2014

絵を模写するとき、図柄を見ずに地を見て描くと上手に描けるという。正しく写すことが目的であれば、地に注目して絵から意味を剥奪した方が、先入観や思い込みに基づく手先の狂いを逃れやすいからだ。▼一見縁遠いようだが、実はプログラムにも同じ原理があてはまる。その言語、そのライブラリ、そのシステムで「何が出来るか」ではなく、「何が出来ないか」に着目することで、熟練度が飛躍的に向上するのだ。境界線の外側を知ることは、境界線の線たる所以、その意味を改めて問いなおすことである。これこそ大人が忘れがちな学習の肝――常識の再確認という基礎固めに他ならない。▼地を見て図を知ること。いつの間にか当然視していた図への問いかけとして地を見ること。絵とプログラムとに限らず、汎用の骨としてアタマに留めて置きたい。それでは音楽の地とは何かという類推をすぐには思いつけなかったのが悔やまれる。閃いたら別のトピックで書いてみたい。

[1696] Apr 20, 2014

「手元にリアルなタッチの鍵盤が欲しい」「手元をなるべく省スペースに収めたい」という二つの要求は、ある程度の大きさがなければリアルなタッチを実現できないという制作側の技術的な都合により、今のところ完全に矛盾している。私の頭痛の種だ。カワイのMP10はそれはそれは優秀な名機で、私としても愛着があるから手放す気はさらさらないのだが、このでかさは全ての机上計画を台無しにするほど破壊的である。40kgの図体が頼もしくも憎らしい。▼キックスターターにも期待をかけて検索を繰り返すが、パラダイスデスクのような夢のあるDTM机が提案される気配は微塵もない。本物の作曲家のように機材が山盛りになっているわけではないが、鍵盤とディスプレイとスピーカーの三者を按配する目的だけでも、満足に叶えるためには自作しかないのだろう。制作支援サイトで情報を集めつつ、レッツトライ――さて、日曜大工でどうにかなるシロモノかどうか。

[1695] Apr 19, 2014

火曜日にようやく、修理の完了したライトスピーカーが帰還するらしい。修理費用は送料込みで19,000円。中枢は無傷のまま電源ユニットを交換しただけと考えると、想像より高くついた。購入当時の単体価格が約5万円なので、なんと40%近く取られた計算になる。「よくある故障」だというから、ますます腑には落ちない。▼とはいえ、自分で修理する技術がない以上、そうして買い換えるよりは安くあがる以上、文句を言う筋合いはあっても甲斐はない。ドイツの本社まで送り返さなくても、国内で直してくれる場所があるだけありがたいと思うべきだろう。病んだ右耳も、示し合わせたように快方に向かっている。また制作が始められる。▼音楽に関して、あるいは機材に関して、目新しい話題はないが、ROLIのSeaboardは気になっている。価格は割に合わなそうだが企画自体は面白い。音源方面ではEmbertoneのCelloが非常によく出来ている。100ドルは破格だろう。

[1694] Apr 18, 2014

我が社の独自ライブラリは、すでに新しいフレームワークへの移行が始まっていて、メンテナンスも人手不足、既存の枠組みを使いまわしつつアドホックに各部署の要求を反映するので、刻一刻と渾沌に近づいている。テンプレートで汎用性を高めたコア部分は、それぞれの特殊ケースに答えるべくオーバーライドが繰り返され、恐らくはライブラリが優れた開発環境として提供された当初より可読性も遥かに落ちている。だからこその移行かもしれないが、移行中に旧ライブラリを頼る身にはつらい。▼私はテンプレートをまだあまり使わないが、つくづく、継承と仮想関数による透過性の確保とは相性の良くない設計だと思う。かたやクラスを増やして基底型で操作、かたやクラスを減らして複製はコンパイラ頼みということで、思想は真逆と言えば真逆である。異なる設計戦略がぶつかる臨界面の問題は、本質的には改善のしようがない分、常に妥協と背中合わせの胃痛の種なのだ。

[1693] Apr 17, 2014

最近良く「**はNG」という記事を見かける。男から見た女の何がダメ、あるいはその逆など、記事のテーマは男女関係が多い。首肯できる内容かどうかは記事次第だが、それにしてもなんだか、それくらい好きにすればいいのに、させればいいのにという枝葉末節の些末事が多い気がする。どこまで社会は個人を抹殺するんだろう。これらの記事を忠実に守る刺のない中庸人間など、想像するだに面白くない。全部当てはまる人の方がいくらかマシに思える。▼グローバル化で地域や国の文化差異は消滅するかに思われたが、淡い期待も淡いままに儚き夢。広大なウェブの世界で自分はいくらでも考え方の異なる人々に触れられるのだという状況証拠を盾に、実際は殻を補修し強化して、フィルターバブルにどっぷり漬かっている私たちである。国どころか性も越えられない今日この頃。気に食わない欠点をあげつらう記事ばかり読んでいると、長所を探せない脳になるかもしれない。

[1692] Apr 16, 2014

前髪が伸びてきたので散髪へ。いつもの店で、いつも通り、「立たない程度にお願いします」という決まり文句でお願いした。わかりましたという丁寧な返事。ここ最近、担当してくれた人ではないが、なにしろ十五年も通いつづけている床屋だ、複雑な髪型にするわけでもなし、誰であれ問題ない。そう思って目を閉じた。▼洗髪前になって、どうもまだ頭が重いような気がした。面倒なので余程のことがない限り口出しはしないようにしているが、前髪を触ってみると明らかに長い。これではすぐまた来ることになりそうな、と思いつつも、気が向かないので今日のところはやはり黙っていた。髪を洗って、カミソリをあてて、乾かして……。▼帰り道、やはり言うべきだったなと後悔した。鏡で見た長さは明らかに「立たない程度」の短さではない。たぶん、推測だが、彼には「整える程度にお願いします」と聞こえたのではないだろうか――たしかに形は整っていた。やれやれだ。

[1691] Apr 15, 2014

この頃、完全に生活リズムが朝方に固定されてしまい、夜は十時過ぎまで起きていられなくなっている。眠れない眠れないで深夜まで起きていたときに比べれば体調は遥かに良いし、本来あるべき姿だとも思うが、なにしろ早朝四時台や五時台に起きても出来ることは限られているので、こうして執筆を朝回しにしたり、始発にほど近い電車で出発して喫茶店で本を読んだりという、有意義だがぼんやりとした時間の使い方になっている。深夜テンションは、あれはあれでなかなか偉大なものだ。▼そんなわけで本は進み、ふたたびハヤカワ新装版の”黒背”より、フィリップ・K・ディック『偶然世界』を読了。ディック初の長編小説だ。『ユービック』ほどの破壊力はないが、相変わらずの弾け飛んだ設定とガジェットの数々を、脳内で一貫性のある世界に組み立てていく作業は楽しい。またもや最後には首を傾げたものの、これはこれでひとつの哲学的な、訓示的な終幕なのだろう。

[1690] Apr 14, 2014

『パラークシの記憶』読了。▼前作の倍近い分量を感じさせない推進力は変わらず。しかし総合評価としては『ハローサマー、グッドバイ』に比べると今三歩足りない印象だ。作品は優秀な前史を持つと苦労する。あるいは、この続編自体がファンサービスに近い位置づけだと考えた方がしっくり来るような気もする。もう少しだけドローヴとブラウンアイズの星で物語を楽しみたい人へのプレゼント。▼前作に比べると遥かにミステリー色の濃くなった恋愛SF。主人公とヒロインは美男美女同士の一目惚れ――というコーニィ持ち前のラノベ的展開は相変わらずとしても、このたびはガールの方が強すぎて、恋愛小説としての持ち味も薄くなっている。物語の謎に手を引かれながら頁を繰りつづけ、気がついたら終着点、というさらりとした読み口が魅力なのだろう。そういう意味で、訳者の功績も大きいのではないかと思う。最後にひとつ。間違っても続編の方から読まないように。

[1689] Apr 13, 2014

さすがに今日はこれを書かないわけにはいくまい。第74回桜花賞。ハープスターが見事な豪脚で大外一気、期待に応えて勝利した。土曜日から下がりつづけた単勝は、私にすら過剰人気と思えるほどの1.2倍。2歳女王レッドリヴェールの方がチャレンジャーかのような前評判だ。こんな桜花賞、なかなか見られるものではない。▼1分33秒3。上がり3ハロン32.9。4角ではフクノドリームが綺麗に逃げていたので、ハイペースとはいえ生きた心地がしなかったが、エンジンが掛かってからは「これなら届く」と信じさせてくれる、新潟2歳、阪神JFのあの猛烈な加速感だった。圧倒的。レッドリヴェールも内容では決して遜色なかったが、あの追い込みの凄み、インパクトの違いとでもいうべきものには、贔屓目ながらどうしても才能の隔絶を感じてしまう。レース映像を振り返るたび、思い出すのは祖母ベガの俤ではなく、昔、私が惚れ込んでいたヒシアマゾンだった。

[1688] Apr 12, 2014

今日は小さなイイコトが二つあった。たまには凡々たる話にする。▼ひとつ。外出前に食料を補うためコンビニでパン類とお弁当を買うと、会計後にレジの向こうでバイトの二人が何かがやがやした後、カゴへ入れてもいないフルーツガムのボトルを出してきた。何かと思えば、一定額以上購入者が引ける期間限定クジの、まさに最後の一枚がアタリだったらしく、寂しい箱に手を入れる手順を省略してくれたということらしい。プチラッキーである。▼ふたつ。先日絶賛した『ハローサマー、グッドバイ』には続編があるらしいと解説に聞いていた。これの翻訳がなかなかされず、件の神林さんも「布教活動が足りないのか?」と嘆いていたが、ふと本屋で河出文庫へ足を運ぶと、なんとその続編『パラークシの記憶』がハローサマーの隣に並んでいるではないか。ついに翻訳されたらしい。これは読まないわけにはいかないだろう、三冊目に困っていたところへ渡りに船というものだ。

[1687] Apr 11, 2014

どんどん行こう。フィリップ・K・ディック『ユービック』読了。不朽の名作、この中盤の牽引力、まさに比類なし。▼面白いSFはとにかく睡眠時間が減って困る。眠気を押しても先へ進みたくなる「どうにでもなれ」な真夜中の驀進力とSFはどういうわけか相性が良い。疲れた脳が仮想世界を拒みにくくなるのだろうか。筋金入りのリアリストも、ふいにガードがゆるむ危険な時……。▼結末には疑問符がつかないでもないが、それを割り引いても掛け値なしの傑作だ。しかし背表紙のネタバレは重罪である。情状酌量の余地なし。『バーナード嬢曰く。』で神林が吐き捨てた悪態に完全同意しておこう。「「重要なのは物語ではない…?」押しつけんな!バカ!!」余談ながら、台詞の詳細を思い出すべく漫画を開いたら「人に貸すときカバー外してんだぞ!」と神林が激昂していた本は、なんとこの『ユービック』であった。笑ってしまった。私もさすがにそうするよ、これは。

[1686] Apr 10, 2014

せっかく久々にSFへ来たことだし、もうひとつ次を読んでみようと目星をつけはじめたが、ここで適当に選んでハズレをひいたらせっかくのSF流れが切れてしまう。そんなわけで評判を踏み固めていくと、『幼年期の終わり』とか『1984年』のような古典の傑作にも「つまらなかった」「退屈でした」というSFマニアの意見がちらほら見えて、少数派とはいえ人は選ぶのかもしれないと一歩引いてしまった。そういうコアなファンにも受けのいい、万人向けのオススメはないものか。▼ひとつ見つけた。某所のレビューもブログの評価も軒並み高く、絶賛する人こそいれども貶める人は見つからない。見つけられていないだけかもしれないが、これならちょうどよさそうだ。そういうわけで栄えある二冊目はフィリップ・K・ディックより。サスペンス風のSF長編をチョイス。題名はまたまた読了後にまわそう。ディッキアンのブログを逍遥していたわけではないのでご安心。

[1685] Apr 09, 2014

マイクル・コーニィ『ハローサマー、グッドバイ』読了。心ひそかに的中させた人は、ぜひ喜んでください。▼SF好きに薦められるか。それはわからない。しかしファンタジーにほど近く、海をめぐる爽やかな一青春小説としてなら、自信を持って推薦できる。物語としての出来映えは素晴らしいというよりない。▼実を言うと、全く個人的な好みではあるがヒロインが苦手なタイプだったので、コテコテの”ボーイ・ミーツ・ガール”として楽しむことはできなかった。たぶん作者に罪はない。加えて、下馬評では最後のどんでん返しが醍醐味と聞いていたが、私には意外性よりも「そうきたかあ」というような、静かな納得感の方が強く感じられた。この作品の白眉はそこではなく、盛り上がるのにクライマックスがないという構成の独特さにあると思う。物語は起き、ゆっくりと昇り、そのまま上がり尽くして、尽くして、すっと薄く消え去るのだ。雪の中へ溶けていくみたいに。

[1684] Apr 08, 2014

最後に読んだSFが何かと言われると題名が出てこないほどSF離れしていた私は、いま新鮮な気持ちで名作SFの最新訳を進めている。70年代英国SFの最高峰と言われる作品、という紹介だけでわかる人にはわかるのかもしれない。読了次第レビューする。そうだそうだ、SFというのはこんなふうに世界へ没入していくんだ、この想像力の沈み込み具合が独特なんだ――と物語に溶け込んでいく自分自身を面白く思いながら、眠い目をこすりつつ頁をめくる。小説自体、久しぶりかもしれない。▼SFは嫌いではない。嫌いではないが、コミュニティの閉鎖性には少々参る。1000冊読まずにSFを趣味と語るなという文言は、誇張された冗談以上に趣味人の本音が透けて見えるようだ。この選民的排他性、どこかに似た世界があったような……。▼閑話休題。情報時代の渦中、もはやフィクションの塊と化したこの現実を相手に、SF作家の想像力が追いついてくるかどうか。

[1683] Apr 07, 2014

急速に成長したければ、新たな道具を生み出すしかない。▼よく、他の動物に比べて人間の秀でている点は「道具を使うこと」だと言われる。実際、これは間違っている。猿はもちろん、鳥も、亀も、蟻でも、道具は使う。人間の卓越性は、断じて道具の「使用」にはない。では道具を「制作」することか。惜しいが違う。チンパンジーのように、原始的とはいえ道具を作る動物はいる。では、こと道具という点について、人間だけが行う独自の行為とは何か。――道具が必要になる前に道具を作るすること。つまり道具の「準備」である。▼準備は、使用や制作とは圧倒的に次元の異なるアクションだ。使用や制作は発生した現実に遅れて取る行動だが、準備には未来の想像を要する。想像の根拠は過去の記憶だ。道具の準備、ないし「保存」こそ、人間の複雑な脳が可能にした新境地であったと言うべきだろう。では、翻って。私達は今、日々の困難に正しく準備できているだろうか?

[1682] Apr 06, 2014

例の春風邪が長引いて、ぶり返して、その繰り返しで一向に何も手がつかない。この土日は最悪だった。本を開く気力もないので大人しく布団にこもる。有意義なことは電王戦の鑑賞くらいしかしていない。ツツカナの棋譜は見事だった。▼病気特有の思考回路かわからないが、昔のこと、とくに昔訪ね歩いたサイトのことをよく思い出した。ホームページという呼称が主だった時代の、ファンサイト全盛期、あるいはチャットサイト、ゲームコミュニティ、等々……あのころ「は」楽しかったなという回顧にならなかったのは救いだが、当時の非現実的な、隠れ家的なネットの享楽はもうなくなっているように思う。どこが区切りだったか、と考えてみると自分の中では明らかで、メッセンジャーとスカイプの登場がまさに転機だった。あれ以来、ネットは現実と深く繋がりすぎて、ネバーランドの魅力を失ってしまったのだろう。今の十代達は、どこにUGを見出しているのだろうか?

[1681] Apr 05, 2014

「エンジニアリングは現実よって報われる」という謂がある。これは本質をついたやわらかい表現だと思っている。工学とはIdealizationではなくRealizationなのだ。Realizeしない工学はない。机上の「実論」さえ、まだ工学ではない。▼エンジニアは、報われるために人工的な報奨を必要としない。自らの手で創り上げた現実が「動いた」という、その一事ですでに十分報われているからだ。その「動いた」ものが社会の役に立てば、プラスアルファの見返りとして給料や名声がもらえる。実際、そう考えて生きているエンジニアは多いと思う。経済的な余裕がなくて生きていくのがぎりぎりでも、彼らの魂はまっすぐ現実へ向かっている。人工的な見返りだけが快感でものづくりをしている人に、私はまだ会ったことがない。▼これはなかなかありがたい世界なのだ。天道是か非か、なんて悩みながら問う必要もない。何かが出来たらそれで嬉しい。出来ることが増えていけば良い。

[1680] Apr 04, 2014

優れたプログラム設計とは何かについて、後輩に話した内容を一行に要約。優れた設計とは「事前に定めた設計戦略を実現している設計」のことである。立てた戦略が正しい選択であれば完璧だ。しかし、仮に間違った戦略を選んでしまっても、その戦略が余すところなく実現できているのなら、戦略なき設計よりはまだ良いと私は思う。▼教本めいた言い方をすれば、少なくとも次の五本柱は互いに牽制しあう戦略だという認識が要る。五本とは即ち、安全性、保守性、可読性、高速性、拡張性。▼可読性が高いゆえに保守性が良いということもある。安全だからこそ拡張しやすいこともある。ひとつの戦略の追及が必ずしも他を阻害するわけではない。しかし、相容れないケースが多いのも事実だ。だからこそ選んだ戦略を正しく実現できているかどうかが設計の優秀さを決める。新人に保守させるべきワンオフのコードに、高速性と拡張性を追及した完璧な構造化――ただの害悪だ。

[1679] Apr 03, 2014

某レンタルサーバーからプロバイダサービスの新規申し込み勧誘メールが来た。余程のことがない限り開きもしない準スパムだが、このたびは表題に目を疑うあまり、ついつい開封してしまったのである。緊急企画と題して曰く「今、WiMAXを契約すると、Nexus7 32GBが無料!しかも2台!」2台……?▼企画特設は「2台」をしきりに強調する。「2台あると楽しいインターネットライフ!」「2台あれば楽しさは2倍以上!」しかし恐るべきことに、どれひとつとして2台の強みはない。冗談抜きで1台のときと変わらぬ内容である。あらかた完成した頁に後から「2台」という企画を捩じ込んだかのような違和感。ついには「2台もらえるのに毎月3,591円!」の煽り文句まで。それはそうだろう、WiMAX端末は1台しかもらえないのだから……。▼なんだか、なりふり構わなさすぎる誘導広告が増えたなと思う。クリックしたから負けなのかもしれないが。だからなんだというのだ。

[1678] Apr 02, 2014

新年度早々、春風邪に倒れて仕事が進まない。自宅待機で勉強――とも行かないほど衰弱していたので大人しく三十時間ほど布団で過ごした。良くはならないが、薬の力で症状の緩和は見られる。しかしとにかく喉が痛い。▼大掃除のつもりで3月末に主要なタスクと席の引っ越し、その他もろもろ片付けてきたのが幸いして、会社の方は復帰後すぐに巻き返しにかかれそうだが、肝心の家の方はなにひとつ手がついていなくて、これはもう後伸ばしを決め込んでゴールデンウィーク前後にでも始末するしかないなと思っている。あれもこれも、やらなければいけないことだらけだ。頭の中のTODOリストを検査するとうんざりする。だからせめて頭の外に出さない。ひとつふたつ忘れようが、リストにまで追われたくはない。▼ふいに地図のことを思い出した。紙面が足りないのでこれについては別日にあらためて書こう。今日は終日布団にしかいなかったので、経験値の加算はない。

[1677] Apr 01, 2014

以前、コナミのアーケードメダルゲーム『アニマロッタ』について、その露骨なまでの報奨・協調路線を称える好意的な記事とレポートを書いた。レポートの方では、今後はさらに協調の方向を推し進め、チャット機能を持つメダルゲームも出てくるだろうと結びに代えて予言で締めた。▼さて、今は少しばかりドヤ顔をしてもいいだろう。アニマロッタの継承続編となる新作『カラコロッタ』が稼働を開始した。実はハイローラー向けの設定であったアニマロッタをよりカジュアルな作りにしたような、中規模ボール抽選ゲームである。そして、チャットと言うほど大層なものではないが、SPトライやジャックポット抽選の際など、有事には他人のサテライトにショートメッセージを送る機能がついているのだ。「どきどき!」「がんばって!」「ありがとう!」▼この程度の予言もどきで大きく胸を張るわけにはいかないが、大まかな流れの分析を外していない証左にはなるだろう。

[1676] Mar 31, 2014

つづいて『日本人のためのリズム感トレーニング理論』を読了。以前、同じ著者の『大人のための音感トレーニング本』を読んで、これはちょっと……と渋い思いをしたので発売後も躊躇していたが、評判がいいのでリベンジしてみた。結果は、やはりいくつか難はあるものの、リズムにまつわる理論、口伝、エピソードをわかりやすくまとめている点で好評価。これなら友達にも十分オススメできる。▼難は三つ。一、引用と薀蓄が過剰すぎて食傷気味になる。人の著書、ブリタニカ、ウィキ、その他文献からの引用文の量が半端ではない。余計な情報が多すぎる。ニ、付録CDのつくりが趣旨と真逆。本文で体よく弁護しているものの、これだけ「生きたリズム」の重要性を説いて、そのための訓練CDが打ち込みとは。三、主張の核心が「とにかくイメージすることが大切」という、教本あるあるに回収されている点。それが出来れば苦労はしないと突っ込みたくなること請け合い。

[1675] Mar 30, 2014

昨日の内容を受けて。たしかにそんな「書物」は無いかもしれないが、そんな「技術」ならよくある話だ。身に付けるだけで、それだけで立ち位置も見える世界も成長速度も、何もかもが一段変わる「ツボ」――プログラマにとっては、リバーシング能力がまさにそのひとつであろう。インプレスジャパンより『リバースエンジニアリングバイブル〜コード再創造の美学』を読む。▼逆アセンブルのアプローチをこれほどわかりやすく解説した一般書籍はいままでなかった。中級コーディング能力とアセンブラ言語についての基礎知識は前提として要求するが、細部についてくどくど書かずに、セキュリティ/ハッキングの攻防で役に立つ現場的で実践的なテクニックをピンポイントで分析する本書の方針は、些末事の暗記に追われて断念する人が多いリバーシングの領域では特筆すべき思い切りの良さである。ステップインデバッグに頼りきりの初学者にはぜひとも学んで欲しい技術だ。

[1674] Mar 29, 2014

「友人と二人で書店に訪れた君は、音楽棚の片隅に鎮座する本書に気づく。気づいて手に取ると、恐るべき巨大さ、膨大さ、そして高価さだ。君は苦笑する。『こんなものを読む奴がいるのかね。』友人はつられて笑う。しかし笑いながらも、その表情にはためらいの色が浮かんでいる。悩んでいるのだ。まさか、と絶句する君から逃げるように、友人はなけなしの金を投じて本書を買う。君は友人が追い詰められてとうとう正気を逸したのだと考える……。だが近い将来、君は目の当たりにすることになるだろう。想定より早く本書を読み終えた友人は、もはや君と同じ言葉を使ってはいない。君と同じ物の見方をしてはいない。そして、その背中はもう、君よりはるか先へと駈け出している――君は取り残されたのだ。」▼現実には存在しない架空の書物について紹介文を書いてみた。徹夜明けの気まぐれ遊びである。常々、そういう本があったらいいのにな、とは思っているのだが。

[1673] Mar 28, 2014

金管楽器と弦楽器は仲が悪い、とある金管奏者が言う。私は楽器演奏に縁がないので現実がどうかは全く知らないが、理由を聞く限り不仲なことがあってもおかしくはないなと思う。弦の主張はこうだ――金管はとにかくうるさい。自分たちの音が聞こえなくなるので爆音で自己主張するのはやめて欲しい。一方、金管の言い分。自分たちが響かせられないのを人のせいにしないで欲しい。気持ちよく音を出したいのに、なんで控えなければならないのか。▼もちろん、不和のままでは技術的に良い楽団とは呼べないのだろうが、互いの言い分だけ聞く限り気持ちはわからないでもない。演奏に求める快楽のスタンスが違うのだろう。オーケストラとは、楽団とは、みんな同じ目的を共有して、ひとつの方向に向かって――少なくともその内側に於いては常に――清く正しく美しく集合芸術を謳歌しているのかなとぼんやり見ていた門外漢の妄想は、いささか的外れだったのかもしれない。

[1672] Mar 27, 2014

今からちょうど10年前、偉大なる技術者曰く。「公平に言ってパーソナルコンピュータは、人類が今まで作り出したものの中で最も強力な道具だ。コミュニケーションの道具であり、創作の道具でもある。そしてなにより、ユーザがこの道具の形を決めていくことができる。」▼あまりに巨大であったために、そしてジョブズというライバルが築いたクールな功績のために、「野暮な商人」として語られることの多いビル・ゲイツだが、彼の成してきたことを検討すればとんでもない話である。ソフトウェアから金を稼ぎ始めた張本人――しかし、企業による推進力がなければ、90年台にあれほどまで爆発的にPCが普及することはなかったのではないか。▼人々は、オタクの友人に難解な手順を訊きながら無料の環境を導入するより、CDを入れるだけでゲームの遊べる有料のパッケージを選んだのだ。「窓」はまだまだ進化していく。彼の嫌儲との闘いを、あらためて賞賛しよう。

[1671] Mar 26, 2014

デザインパターンの勉強を諦めてしまう原因について、いくらか書籍やサイトを渡り歩いた後、新たに思うところが出来た。今回、レポート形式にまとめる都合、かなり多くの文書に目を通したが、多くに共通しているのは次の問題点だと思う。「説明が比喩に傾き過ぎていて、そのデザインパターンがオブジェクト指向の視座から見てどういう意義を持つのかという肝心な点が、逆にわかりにくくなっている。」▼説明のみならずコードサンプルもそう。身近な例で喩えようとするあまり、詳細を失ったり、ときにはパターンの本質さえ外して、形だけパターンを踏襲したような実装が載っていたりする。これではいくら勉強しても骨が掴めるはずはない。▼無論、的を射た優良書籍も多く出ているが、そういう本ほど今度は解説が充実しすぎて重たい傾向にある。必要なのは要点を簡潔にまとめた復習用の手引きだろう。有益な知識とは、最小限の本質を最大限に反復して得るものだ。

[1670] Mar 25, 2014

消費税率8%まであと一週間。百貨店、スーパー、薬局までもが「増税前セール」の幕を垂らして、値札上は別に安くもない普段通りの品を、未来の価格より安いというので割り引いたことにして捌いている。なんとも、商魂のたくましさというより、パニックに便乗したあざとさだ。ただの改装を閉店と騙って、毎月のように閉店売り尽くしセールを開催している某衣服チェーンを思い出した。ああいうやり口、何かの法にひっかかりはしないのだろうか。▼閉店と言えば、すき家の「パワーアップ改装」も話題になっている。アルバイトのシビアな労働環境に対する集団ボイコット説、ないし人員不足をゼンショーは公式に否定しているが、生活環境の変わりやすい年度の切れ目に人が減るのは当たり前という理屈は、その「当たり前」を吸収しきれず現実に多量のクローズドを出してしまったあたり言い訳にはなっていない。どこも大変だ。いっそのこと、早く10%になればいい。

[1669] Mar 24, 2014

昔から、子供の頃から、歩き方が変だといろいろな方面から言われてきた。変と言っても日常生活に支障を来すほどではなく、変だと気づかない人もいるくらいだと自分では思うが、気づく人曰く、口を揃えて「跳ねるように」歩きすぎだという。「どうしてもっと足を曲げて歩かないの?」▼とはいえ癖の範疇、たいして気にもしていなかったが、ひょんなことから先日知ったのは、この歩行法、どうもアフリカ大陸のそれに近いらしい。黒人的な歩き方とでも言うべきか。筋肉の使い方と脚の運びが詳細に記されていたので真似してみると、ふだんと大差なかったということだ。意外や意外。▼知る限り黒人のルーツは我が家にないので、たまたま似ているか、似ているだけで別物か、なんにせよ私に黒人のような優れた運動能力や優れたリズム感覚があるわけではないので、結局、歩き方が何か変という以上のラベルしか私にはもたらしていないのだが、私的に面白い発見ではある。

[1668] Mar 23, 2014

ホワイトノイズの「ホワイト」たる所以は、音の周波数成分を色のスペクトルに例えたとき、低周波(赤)から高周波(紫)までが等しく分布している、つまり光の色で言うところの白に該当する音だから、というところにある。▼ピンクノイズ、通称1/fノイズも同じ由来で、より低周波数が強調されるブラウニアンノイズがレッドノイズと呼ばれることから、その中間という意味を込めてピンクと言われている。ブルーノイズ、パープルノイズなど、色の名前がついた雑音はすべて同じだ。周波数スペクトルの形がどの色に似ているかで名付けられている。▼これらを総称して「カラードノイズ」と言う。こんなことを言うのは、DIのエレクトロハウスによく曲を寄稿しているDJノイズ・コントロールが何をどうコントロールしているのかという馬鹿らしい雑談を始めたついでにカラードノイズを解説する必要に迫られたからで、他のうんちく記事同様、取り立てて意味はない。

[1667] Mar 22, 2014

スピーカーを梱包するため、エアパッキンを東急ハンズで仕入れてきた。いわゆる「ぷちぷち」にあたる気泡の細かいタイプをぐるぐる巻のメートルで、もうひとつは巨大な気泡の緩衝材。合わせて1200円。▼修理に出すためのダンボールなのだから、新聞紙を詰めればよいのだし、別にいらない布類でくるんでもいいだろうと言われはしたが、高級なものだから出来る限り大切に扱いたいという思いと、加えて修理の人が開けてみたときにあんまりぞんざいなパッケージではげんなりするだろうという、とても気遣いとは言えない妙なこだわりによって、財布にはつらい道を選択することになった。これが友人や同僚の言う無駄遣いという悪癖だとしたら、一生治りそうにない。▼とはいえ、そんな私でもこの空気を詰めた部材が千円超というのは、言い方は悪いがいい商売だなと思う。こんなものが売れるなんてと嘆いている町工場のおじさん達もいるだろう。企業は偉大である。

[1666] Mar 21, 2014

サウンド&レコーディング・マガジンの4月号。中盤のMASCHINE特集に心動かされるものがあった。MASCHINEそのものは持っていないし今は買う気もないが、見開き14頁に及ぶ特集がじつに読みやすい。文章、説明というより、レイアウトのなせる技だ。これがまだ電子媒体には出来ない。▼レティーナ・ディスプレイなら紙より解像度が高いのだから同じことが出来るはずだと理屈の上では言えるのだが、レイアウトを視界に収めて情報の入り方をじっと感じていると、どうも解像度の問題ではなさそうだと思われてくる。文字と画像が織り成す雑誌の見開き特集は、たぶん、この物理的サイズがぎりぎりなのだ。画面で同じ読みやすさを実現するには、同じサイズのディスプレイが要る。▼電子書籍に押されて紙媒体が消えていく中、最後まで残るのは案外、雑誌だったり、危機に瀕していると言われている新聞の方なのではないか。MASCHINEのかっこよさに惹かれつつ、そう考えた。

[1665] Mar 20, 2014

イタリア人テクノ・アーティストのドナート・ドジーが、インタビューに答えてこんなことを言っている。「ちなみに僕がこのアルバムで一番気に入っている音は、飼っている猫がスタジオの壁にぶつかった音なんだ(笑)。音楽を作るときも真剣になり過ぎず、笑える部分を残しておくことが大切だよ。」▼アルバムにはフィールド・レコーディング素材も多用しているという、彼らしい懐の深さというべきか。笑える部分を〜のくだりも肩の力が抜けていて好きだが、それ以上に気に入ったのは、彼が自分の曲に、一番気に入っている「音」があると断言しているところだ。これが素晴らしい。素晴らしく私の好みに適う。こういうことを言うアーティストはなかなかいないものだ。「音楽」の信奉者は、展開や和声や旋律を褒めても、音そのものを褒めはしない。▼ただの音。音楽から解放された音。そんな音が好きな心ひとつで行く。「ノー・アイディアがベストプランなんだ。」

[1664] Mar 19, 2014

モバイルゲームの「なりふり構わなさ」にユーザーがまだついてきているのは、ぎりぎりというか奇跡というか、開発各社も少し甘えすぎなところがあると思う。▼あくどい課金方式や、ゲーム性の拙さについて言うのではない。自分で積み上げたものを自分で台無しにする自虐的な態度に辟易しているだけだ。中世洋風ファンタジー、日本戦国時代、あるいは近代世界戦争――そういう、ゲームの世界観を、用語設定やイラストでコツコツ営々と創りあげて置きながら、メインメニューに「ガチャ」と書いてある悲哀に耐えられないのである。そうして、集めたものはなんでも合成し、強化し、進化させ……。▼顧客の誘導性から言えば、課金のアイコンと化した「ガチャ」という言葉を使うのは避けられないのかもしれないが、ゲームの世界観に全く合わないその言葉を見つめたときの、何もかもぶち壊しな感じには心が冷える。自分で創りあげた物くらい、大切にしてあげて欲しい。

[1663] Mar 18, 2014

ラッパークラスの別名に過ぎないアダプター。それ以外に抽象クラスを使う用途があるのかと言わんばかりのテンプレートメソッド。もはやパターンの域を出て標準APIとなりつつあるイテレータ。オブジェクト指向プログラミングの結晶たるデザインパターンの中には、もう少し平たく考えた方がわかりやすいのでは、と思われる「パターンもどき」がいくつかいる。▼その数、23。「もどき」にも大真面目に頁を割いて、物流だのパーサだのという馴染みの薄いコードサンプルで延々だらだらと説明を重ねてしまうから、書籍でも講座でも物量が肥大化して、皆、デザインパターンの勉強をあきらめてしまうのではないか。そんなふうに考え始めた。計23名、よくよく吟味すると酷い格差社会の中に生きていて、三行の説明で必要十分な使い手の少ない化石から、理解に数頁を要するが必修のウルトラCまで、じつに玉石混交なのだ。学習には大いに抑揚をつけるべきだと思う。

[1662] Mar 17, 2014

甘党か辛党かと訊かれたら、間違いなく甘党と答える。洋菓子、特にクリーム系は苦手だが、和菓子なら大好きだ。緑茶かほうじ茶があれば尚良い。▼同僚に一人、とにかく辛いモノの好きな男がいる。飲食店で無料の唐辛子があると、傍で見ていてこちらの目が痛くなるほど振りかけるので、舌が壊れているのではないかと思うのだが、それでも美味い不味いはわかるらしい。しかし、彼が「辛党」を自負するのは、言葉に五月蝿いことを言えば間違っている。▼この手の言葉談義をするときは、デファクト・スタンダードを認めた上で「もともとは」という枕詞をつけるのが暗黙の習わしだが――もともとは、辛党とは甘いモノより辛いモノが好きな人のことではない。甘いモノより「酒」が好きな人のことを「辛党」と言う。酒を飲むくらいなら甘味がいいなあと思う人が甘党だ。花より団子の比較級である。何より甘い酒が好きな人を甘党と言うか辛党と言うか、それは知らない。

[1661] Mar 16, 2014

将棋電王戦。有明コロシアムで行われた先日の初戦は、竹内章氏開発の「習甦」が菅井五段を破り、コンピューターソフト陣営の初白星をあげた。<羽生>の文字をその名に擁し高みを狙うプログラム、前回は無理攻めが祟り、最後まで攻めきれずに逆襲の敗北を喫したが、今回は防御力の高い試合運びで、プロを相手に雪辱を果たした。▼次戦を戦う「やねうら王」には、開発者のプロフィールといい、直前の「バグ修正」が呼んだよろしからぬ波紋といい、何かと話題は尽きないが、とにもかくにも賽が投げられた後は、禍根の残らぬ良い試合を望みたい。プロが負けた場合の修正に対するクレームは、少なくとも外野からは必至だろうが、どういう結末にせよイベントそのものの意義や面白さを損なうごたごたは見たくないものだ。▼尚、今回は、ロボットアーム「電王手くん」の存在感も大きかった。解説からは「動きは可愛いんですが、指し手は厳しいんですよね」の褒め言葉。

[1660] Mar 15, 2014

どんなに好きなことでも、褒め言葉や反響、フィードバックがなければ長くは続かないという意見に、これまで私はどちらかというと賛成の態度を取ってきた。褒められるのは嬉しいし、反響があるのは楽しいし、フィードバックがあれば成長できる。行為とインタラクションの好循環が、気持ちを前に進めてくれるのは間違いない。▼しかし、あるメールをきっかけに、ふと身近な例外に気がついてしまった。目の前にある。この400は、開始以来、この記事の内容が面白かったとか、もっとこう書いた方がいいとか、そういう感想をもらったことはほとんどない。身内がたまにコメントをくれるくらいのものだ。もちろん誤字指摘等は純粋にありがたいが、執筆の推進力とは言いにくい。では、このやる気の出処は。▼文章を書くのが好きなだけ。習慣を断ち切りたくない意地。ありそうなことを並べても今は真実に近づけない。ただ冒頭の主張にも、疑う余地はあると思い始めた。

[1659] Mar 14, 2014

衝動買いで面白い漫画を見つけたので紹介したい。『バーナード嬢曰く。』電子書籍と一緒の袋に入れて買ってきた。物理的な本だ。あてもなく書店を歩いていたら、表紙がツボだったので思わずレジに運んでしまった。あるある、というより、なんだか凄くわかるのだ。舞台は学校の図書館。教科書に出てくるような歴史的著者を読み耽り、古今東西の名著・名言に鋭いメスを入れる読書家――のフリをしたい、女の子が主人公だ。にわか、ここに極まれり。▼だいたい、なんで本を読むのに肩を張る必要があるのだろう。彼女や彼女の周囲に集まる三者三様の「読書好き」が織り成す、破天荒だが案外これが私たちの日常じゃないかと思わせるような小話は、堅苦しい<読書>に対する警戒心をほぐしてくれる。真面目に読むのは面倒くさい。でも知った風に格好つけたい。そんな「ド嬢」のドヤ顔は、要するにこう言っているのだ。いいんだよ、本の楽しみ方なんて。こんなもんで。

[1658] Mar 13, 2014

電子書籍、体験雑感。洋書を二冊購入した。▼良――購入から読み始めまでのステップの少なさ。怖い側面もあるがとにかくスピーディ。文字は想像以上に読みやすい。長押しで英英辞書がスライドインする。これが洋書では破壊力抜群の便利さ。頁めくりの負担は紙より少ない。タップで次へさくさく進める。適当なところに立てかければ、ほとんどハンズフリーでも読み進められる。これは文庫本では難しい芸当。そうして当然ながら、二冊になっても重さは固定。充電さえ切れなければ、いつでも”あの本”が読める。クラウドの真骨頂。▼悪――遠い頁の参照が遅い。最初にぺらぺらとめくって全体像の検討をつけることができない。これが思いのほかつらい。明るさを落としても尚、明るすぎて目の疲れが速い。可視領域が狭いので情報が脳内で断片化しやすい。等々。最後に、良でもあり悪でもあるのは「夜道でも歩きながら読める」ところか。遊歩道以外ではやりたくない。

[1657] Mar 12, 2014

とうとう恐れていた事態が起こってしまった。どうしても読みたい本に、紙媒体での販売がない。電子書籍を買うしかない。▼紙至上主義。ぺらぺらめくる感じが好き。紙の視認性に如くものなし。本棚に積まれていく読後の満足感。他人に貸せる気安さ。指の運動と重量感を伴う記憶力の向上。云々。散々、まさに老害の如く、古い人間の代表の如く、紙本の素晴らしさと電子書籍の(少なくとも私に対しての)訴求力のなさをアピールしてきたが、そもそも紙で出ないと言われてしまっては無条件降伏するしかない。印刷して自前で製本。それはもはや原理主義も過激派の域だ。そうまで時代に逆らう気概はない。軽量タブレット待ったなし。▼例によって調査を重ねた後、ネクサス7に決めた。去年版で最安の16GB。低価格で軽く、スペックも高い。エントリーモデルとしては申し分ない性能だ。携帯電話との画面二台持ちは癪だが仕方がない。ちょっとだけ時代に追いついた。

[1656] Mar 11, 2014

卓上ラックのついでに、ふと見かけて衝動的に購入した二段構えの四角いアクリルペン立てが良い仕事をしてくれた。両手で鷲掴みに出来る程度の小物だが、汚らしい机の印象を強固にする散乱したペン類やテレビのリモコン、インデックス、薬のチューブ、その他もろもろ細かいものをひとつところに集めて尚、殺伐とした白いデスクに凛と涼しくいい味を出している。▼卓上ラックもそうだが、こうしてささやかにでも片付けをすると、そこに収まらない残りのものは、キャビネットにでも封印してしまおうという、一種の踏ん切りがつく。限られたサイズの収納箱に物を整理するということは、つまり何を入れるかの優先順位をつけるということで、瑣末にも関わらず生活領域を知らず侵食していた事物を炙りだしてくれるのだ。――どや顔で言うほどのことでもない。整理、整頓術の類はいつだって当然のことばかり書いてある。その当たり前を実行するのが難しいだけのことで。

[1655] Mar 10, 2014

机のまわりに論文が溢れてきた。紙類が散らばるので今はクリアファイルにまとめているが、そのクリアファイルがそろそろ散乱しつつある。几帳面な後輩を見習って、たて型の卓上収納ラックでも置くことにしよう。私自身は几帳面ではけっしてないし、整理整頓は大の苦手だが、几帳面な人の猿真似をして身繕いするのは嫌いじゃない。自分よりきちんとした人の所作は、まるごと模倣するのがいちばん楽だ。▼さて、仕事場はそんな調子として、しかし家の机まわりは近くにロールモデルがいないので散らかり放題である。随分前からもう私のメインチェアの前にはデスクと呼べる平面がないので、鍵盤を土台に機材やヘッドフォン、キーボード、果ては書籍類など、バランスの取り方も次第に上手くなって、あれこれ積まれている状態だ。誰かを参考にしようとしても、鍵盤ありきで機材類を上手に整頓している部屋の写真はなかなかない。ガレージ部屋はごちゃつく運命である。

[1654] Mar 09, 2014

かつてはC言語も「高級言語」「高水準言語」と呼ばれていたが、今のご時世では無印のCも低級に分類される存在であろう。メモリの意味がわからなくても、開発環境さえ動かせればゲームプログラマとして食べていける時代だ。低級礼賛派でさえ機械語に近い言語は「理解しておくに越したことはない」余剰知識として考えはじめている。コーディングはどんどん職人芸になっていく。▼無論、高級な開発環境を渡り歩いているうちに本質を掴んでいくこともあるので、そういう風潮を嘆きはしない。しかし環境が変わるたびにワンオフ仕様に精通し直すオーバーヘッドはなかなか大きいものだ。これからのプログラマは、プログラムへの理解を深める垂直型の努力だけではダメで、各高級層、ないしミドルウェアが何を重視し、既存のどのシステムに近い機構を目指しているかという、言わば水平型の考察力を磨かなければならない。コードが書けるだけのプログラマは死んでいく。

[1653] Mar 08, 2014

四世紀末。テオドシウス帝がローマを東西に分離した後、西はまもなく滅び、ローマ本土から切り離された東も、名前こそローマ帝国を名乗りながら、ギリシア的な文化とキリスト教の圧力により、徐々に合理性と技術を重んじる古代ローマとは全く別物の国となっていった。▼暗黒時代の到来。ローマの輝かしい土木・建築技術は悪魔の所業として排斥され、ヨーロッパはふたたび神秘主義の蔓延る光なき時代へと突入する。人類にとって幸いだったのは、失われゆく技術の文献を、ビザンチンの修道院がしっかり伝承しつづけていたことだった。だからこそ1543年、オスマン帝国がコンスタンティノープルを陥落したとき、脱出した伝道師たちが古典復興の意気盛んであったイタリアへ技術を伝え、ローマの栄光は千年の時を経て蘇ったのである。▼今は存在の疑われる暗黒時代とルネサンスに関する歴史理解の、定説としての要約。イスラム世界に触れていないのは片手落ちか。

[1652] Mar 07, 2014

月曜日からカレーが食べたいと言い続けてついに今日、目的の店に入ることが出来た。月曜満員、火曜は臨時休業、水曜定休、木曜満員……ついこのあいだまでは、昼だろうと夜だろうと入れないことはなかったような、隠れ家的な名店だったのだ。それが、地元の紹介雑誌に取り上げられて以来、この大盛況である。今日も、滑り込んだ後から何人もの人が、扉を開けては残念そうに去っていった。細いビルの側面から、非常階段のように狭い階段を登って、三階まで辿り着いた先にある小さな個人店舗とは思えない。▼もちろん味を猛プッシュしていた身としては、多くの人が店を知って、気に入ってくれて嬉しい気持ちもあるが、そのせいで自分が食べられなくなったのは純粋に悔しい。いつでも道端で演奏していた大好きな地元のアイドルが、全国で大ブレイクして全くチケットの取れない歌手になってしまった気分とは、こういう感覚だろうか。隠れ家の発掘も良し悪しである。

[1651] Mar 06, 2014

急遽、打ち上げに”超”偉い人が来ることになった。多忙を極めて普段は出席されないのでありがたくも貴重な機会である。▼彼と呼ぶのも本来は烏滸がましいが、そこは記事の都合で失礼して、今日は彼の興味深い諌言をひとつ。説教と言うほど厳しい語気ではないが、あるとき話の流れで「お前はちゃんと仕事できてるのか」と訊かれた先輩が、「仕事はちゃんとやってる自信あります」と答えたところ怒られた。参加者の中では頭抜けてデキる人で、周りも認めるし、彼もそれは認めるところであるが、それでも答え方が不味いという。「自分で仕事が出来てるなんて言うやつはだめだ。」▼では正解は。曰く「チームメイトが十分に評価してくれているので、自分はちゃんと出来ていると思います。」仕事は一人でするわけではないのだから、他の人が自分の仕事に満足しているという事実の反射をもって、それを論拠に、初めて自分の仕事に自信を持てというのである。成る程。

[1650] Mar 05, 2014

たとえば。身の丈に合わない高級な時計を買うとする。腕に煌めく貴金属の輝きに見惚れつつ、ふと我が身我が服のあんまり見すぼらしいことに気づく。これではいかんとスーツと靴を数ランク上のものに新調する。完璧な着こなしだ。しかし、この服装でこんな軽自動車に足を任せるのは釣り合わなくないだろうか。高級車が欲しくなる。ローンで高級車を買う。今度は外面と部屋が合わぬ。こんな家具では友人も家に招けない。骨董品も飾った方がよかろうか。……。▼人は、とくに消費で自己表現をするタイプの人は、生活の中にひとつでも身の丈を越えた品がもたらされると、他のすべてをそのレベルに合わせたくなり、連鎖的に分不相応な購買行動を繰り返す。これをドニ・ディドロ氏の逸話にちなんでディドロの法則という。生活水準は、上げられても下げることは難しいと言われる所以の一である。逸話と同じく、最初の契機は人からの贈り物でも成り立つ点に注意したい。

[1649] Mar 04, 2014

「優れたソフトは、なべて開発者の個人的な悩みの解決から始まる。」オープンソース開発の英雄、エリック・レイモンドのこの言葉は有名だ。しかし、彼が提示した「教訓」は他にもたくさんある。今日はその選りすぐりを見てみよう。▼「良いプログラマは何を書くべきか知っている。偉大なプログラマは、何を書き直すべきか知っている。」「公開は素早く、頻繁に。そして顧客の声に耳を傾けよ。」「十分な数の目さえあれば、たいていの課題は速やかに特定され、カタがつく。」「賢明なデータ構造と間抜けなコードの組み合わせは、その逆よりも上手く行く。」▼最後に。レイモンドは私の大好きなこの言葉も引用して自身の「19箇条」に組み込んでいる。サン=テグジュペリの至言。五年前の記事<30>と同じ締めにしてみよう。「これ以上付け加える物が無くなった時でなく、これ以上取り去る物が無くなった時こそ、作者は信じ得るだろう――これで完璧だ、と。」

[1648] Mar 03, 2014

右耳の荒れがようやく治まってきた。三十日くらいかかっただろうか。実にしつこい症状だったが、ようやく治療に屈してくれたようだ。明日からまたモニタリングヘッドフォンがかけられる。スピーカーが壊れている今、イヤホンもヘッドフォンも長時間の使用ができないのはつらかった。▼さて、久しぶりにそのMDRーCD900STで、ここ数日のあいだに調整した種々の音を聴いてみたところ、交互に比較していた頃より鮮明に、そのモニター能力の高さに驚かされた。正直、愛用のHD650の方が遥かに値段は高かったので、言い切るのは後ろ髪を引かれる思いもあるのだが、ことモニターに関してはやはりMDRの方が一歩格上だと思う。掛け心地の悪さは否めないが、こと性能を求める購入検討者は、値段の「安さ」に戸惑わないよう注意したい。▼高かろう良かろうは、ある程度の確率までは真実だが、可能性の突端、最適な解には得てして適用されないものである。

[1647] Mar 02, 2014

不朽の名著『リアルタイムレンダリング』の第三版が今朝届いた。あんまり値段が高い上に第二版を持っているので何度も購入をためらったが、某技術部署の先輩から確実に購入価値ありと強く背中を押してもらったので、その日のうちにワンクリック・オーダーしたものだ。舞台は2002年から2008年へ――。「6年の月日をかけてレンダリングは急速に進化した。」イントロの文言にたじろぐ。これすらも、すでに今から6年前の書物だとは。▼まだレビューも何もない、届いた報告程度の話だが、目次を見る限り内容は広範囲で一新されている。第二版とまるで別物とはいかないが、PS3も挟んで、DirectX10の存在も視野に収め、トピックスは遥かに「現代」だ。最終章に近いハードウェアの解説もより詳細になっている。懸念点は邦訳がないことだが、英語自体はかなり平易なので、基礎的な単語さえ押さえていれば「洋書を読む」という重苦しい感覚はさしてないだろう。

[1646] Mar 01, 2014

行列ぶ並ぶこと40分あまり。美味しいスペイン料理を食べる。▼前菜は生ハム、主食はパエリア、サイドオーダーにアヒージョ、飲み物はサングリア、デザートはカタラーナという、なんともべたべたな構成である。普段は居酒屋で、名前と体裁だけ借りてきたような油っぽい品ばかり見る面々。ちゃんとしたところで食べると、当たり前だが味の広がりが全く違う。深みというより広がりだと思った。いろんな味が喧嘩せずに混ざっているところがないと、このパエリアの楽しさは出てこない。ただ塩辛いのとはわけが違う味の濃さ。濃厚系ラーメンの旨味に通じるところがある。▼最後に苺のスパークリングワインもいただいた。苺の赤よりずっと紅い、ピジョンブラッドのような色。――こう、書いてみて思う。味とは。色とは。じつに安直ではないか。文章書きとしては、形状、香り、音さえ駆使して、食べ物の美味さを別の五感で明確に表現できるようになりたいものである。

[1645] Feb 28, 2014

仕事中、午後、人待ちの時間が出来たので、ちょうどいい機会と思ってハードウェアのマニュアルを熟読していた。単純な機械なら内部は分解して知るべしだが、もはや「単純なる生物」と呼んでもよいほど複雑化した現代の機械は、中を開けてみたところで素人には何がなんだかわからない。内部構造や動作のフローの詳細は、マニュアルを信じて覚えるしかないわけだ。▼さてしかし、わかりやすく図解され、かつ情報に過不足のないマニュアルを作るというのは、並大抵の仕事ではない。非設計者が制作を担うこともザラで、こうなると執筆に気合も乗らなければ、ユーザーが勘違いしやすいツボも心得ていないなど痒いところに全く手の届かない駄本となる。その点、グラフィックス関連の仕様書ないし書籍類は、図解は簡明で用語も統一されていて、学ぶ人に優しい、良い文化を築いてきているなと思う。こうでなければ分野は発展しない。今日は並大抵以上の仕事に感謝した。

[1644] Feb 27, 2014

『MEIKO-V3』――初代ボーカロイドの「メイコ」にバージョン3が登場した。初音ミクの大ブームにも動じること無く、静かにファンを増やしてきた「姐さん」の新たな面目躍如というところ。メタル、ロックなど芯の要るヘヴィボイスならお任せ、という触れ込みながら、ウィスパーボイスと英語もカバーしてマルチプレイヤーぶりも魅せている。新たな領域を開拓したいPには嬉しい仕様だ。▼メイコの声は、個人的にはパッケージビジュアルよりもかなり低く感じる。歌のサウンドとしてはぐっと外人寄りな印象で、それだけに日本人のJ−POP女性シンガーを想定したメロディラインだと低みが映えない。では英語ボイスならいけるかというと、そういうわけでもないので、基本は日本語で歌いつつもどこか異国感を出していく、その異国感の補強に英語を使うという戦術がプラクティカルなのではないかと、傍観者なりに思っている。さあ、次はどんな名曲が生まれてくるか。

[1643] Feb 26, 2014

ニコ・メレ『ビッグの終焉』読了。近未来を予言すると銘打つ社会学系の本は、目につくと読みたくなる。ラディカル・コネクティビティ(革命的なつながりやすさ)がもたらす新たな社会の未来とは。帯のようなデザインの表紙が、ビッグな文字で叫ぶ。「未来研究者による緊急提言!」▼結論から言うと、これは煽りが悪い。未来、未来と言いつつ、内容はここ最近のネット関連事項の議事録に終始している。各章の最後には「未来がどうなるか、それはまだわからない。」「よりよい社会の姿を一緒に考えていこう。」などと書かれている。現状、こういう良いこと、こういう悪いことが起こっているので、さあどうしましょうねという、言わば思考材料の提供である。▼そんな視点で読めれば内容のまとまりと議論の道筋はわかりやすい。ラディカル・コネクティビティはナードの快哉でも権力者の悪夢でもないという穏健な中立の立場から、ゆっくり社会の未来を考えてみる書。

[1642] Feb 25, 2014

雪がまだ街路に残っている。優雅さの欠片もない黒ずんだ雪。岩壁にへばりついたでこぼこが、巨大な生物の瘡蓋に見える。なんとも気持ちが悪い。▼雪が美しいのは静かに降るあいだだけだ。限定された美しさだ。儚さの代名詞にするには、なんとも去り際がよろしくない。時間と共に汚れていく、かつて綺麗だったもの。恋や愛を仮託するには全く不向きだと思うのだが、それでもそうした詩文が絶えないのは、彼らがロマンチストではなくリアリストだからなのだろうか。▼一軒家。駐車場に天蓋を失ったかまくらの残骸があると、この家には小さな子どもがいるんだろうなと思う。そう思って、ある家の手前でふと二階を見上げたら、ちょうどそのとき小さな窓の明かりが落ちた。なんだか拒絶されたようで心寂しく思いつつ、そのまま行き場のない視線を空に向けると、この夜にいちばん明るい星があった。その星のせいで、特別落ちも教訓もない、この記事を書く気になった。

[1641] Feb 24, 2014

著名なコンポーザーが、新製品のソフトウェアを使ってものの数分でトラックメイクをしてみせる動画を見た。もちろん製品の販促動画だが、内容に反則はない。ちゃんとクールなトラックができている。商品クオリティだ。▼実際、近頃のトラックメイク系ソフトの進化は信じられないほどめざましい。リズム感のある人なら、いくつかデモ版を落としてきてプリセットを足し合わせれば、あれよという間に顎が縦に踊り出すだろう。速く、速く。誰よりも速く。よろしい、その願いを叶えましょう。▼数分で完成するプリセットのマッシュアップ・グルーヴ。私はふいに、なぜ二次創作が魅力的に見えるのか、その逆説的な理由を見出した気がした。逆説だ。つまり、二次創作であることが、すでにあるメロディを忠実に再現しているのだから、出来合いプリセットの単なる足し算で作られたものではないというオリジナルの証明になる――そういう、得も言われぬパラドクスなのだ。

[1640] Feb 23, 2014

懐メロ、というと普通はある世代が共有した流行歌を指すが、今日、私が浸っていた懐メロはそれではなく、もっと個人的なものだ。懐かしのメロディ。それを聞くと、当時の記憶や体験がまざまざと思い出されるような曲――思春期の頃、ハマリにハマったアニメやゲームの曲を漁っていた。▼どんなにマイナーな曲でも、どんなに世間から忘れ去られても、私という一個人の記憶の中では時代を越えて不朽の名曲枠を堅く占めている、そんな作品がいくつかある。いつか、そういう曲を簡単にでもいいので、まとめてアレンジして世に出せたらいいなと思っていたが、「いつか病」にかかって大作を夢見ていると、永久にそんなものは完成しないので――音源の調整ついでに、サビだけ記憶を頼りに再現してしまった。3トラックの極小構成。数十秒のサビが数個ならぶ、ささやかなひとつのファイル。JASRAC管理曲なので迂闊な場所には出せないが、どこかに上げて置きたい。

[1639] Feb 22, 2014

昨日の問題、この記事を見た友人も手伝ってくれたが、試行錯誤の末にも「汚い結果」以上のものは得られなかった。であれば、この汚い結果こそ真実なのかもしれない。現実世界では綺麗に見えるオブジェクト、綺麗に見える配置でも、数学的に解いたら複雑な式になることは珍しくない。▼それにしても、仕事でここまでがっつり数学を使うことになるとは思わなかった。思わなかったというと言い過ぎで、いつか使う日が来るかもしれないと期待はしていたが、期待以上に早く必要に迫られたと言うべきだ。定番の、懐かしいフレーズがよみがえる。「数学なんて、社会に出てから何のために使うんですか。」それでは君は、社会に出てから何を使うつもりでいるのか。▼英語、数学と、立てつづけに受験科目的な素養を求められる場面に出会って思う。学生時代にちゃんと基礎教養を積んでおいてよかったなと。たとえ当時ほど頭は回らなくても、語彙がわかるだけで楽なものだ。

[1638] Feb 21, 2014

ひたすら円錐の方程式と格闘していた。ノートが数式で埋まる一日。▼y軸上に頂角2θの円錐を置く。先端を下にして、頂点の位置を(0,Ay,0)に。漏斗をごろんと転がした格好だ。したがって、中心軸とy軸は一致していない。ここが厄介なところだ。中心軸はベクトル(0,cosθ,sinθ)となる。▼この円錐を真上から見たとき、円錐表面上の点(x,y)を通り、円錐の底面に並行な切断面=円と、y軸との交点(接触点)Syを求める、というのが数式化された今回の課題だ。これが解ければシェーダの実装は成る。成るのだが、これが意外と解けない。▼解けないというと嘘で、円錐表面を表す方程式から強引にパラメータを消去してSyを導くことは出来たのだが、恐ろしく汚い数式になるので、妥当性も検証できず本当にそれでいいのか悩んでいる状態だ。幾何学的にはシンプルな設定なので、よりスマートな解があるように思えてしまう。さいわい明日は休日。紙と鉛筆でリトライだ。

[1637] Feb 20, 2014

「広告に使っている金の半分が無駄になっているのは知っている。問題は、どちらの半分が無駄になっているのか分からないことだ。」近代広告の父、ジョン・ワナメーカーはこんな至言を残している。何がどう効果を挙げているかわからないが、削減すれば削減した分だけ売上が減り、全てを失くせば商売にならない。しかし明らかに過剰とわかるほど湯水のように資金をかけている……。頭の痛い問題である。▼さて、後に明らかになったところでは、ワナメーカーはそれでもかなり広告に譲歩していたようだ。現在では、広告費の99%は無駄になっているという報告さえある。数人の主犯格が潜んだ街に10cm間隔で焼夷弾を落としていくようなものだ。疑う余地なく暴挙である。しかし、暴挙の他に戦果を挙げる方法がない。▼インターネットやソーシャルという新たな広告媒体でも、このあたりの事情に大差はないそうだ。この広い世界、人に知られるというのは本当に難しい。

[1636] Feb 19, 2014

レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』読了。「この書を読まずして現代建築を語るなかれ」とは磯崎新の煽り文句。この評価が正しいかどうか、門外漢の私にはわからないが、ここ数年で最大級の知的興奮を誘う書物であったことは間違いない。分厚いちくま学芸文庫が漫画に思えた。頁をめくる手が軽い。▼私にとっては、最近の主題であるグリッド・ミュージックについての考えをまとめる上でも大いに役だった。なんといってもマンハッタンほどグリッドを基礎として築き上げられたメトロポリスは他にない。畢竟、本書は「グリッドとは何か」から「だからどんな街が出来たのか」までの論証を、マンハッタンという事例を元にやってのけた快挙なのだ。淡々とした論証である。▼「だからどんな音楽が出来るのか?」摩天楼の地下に封じられたボザールは、停止した時間の上で、鼓動の復活を待ち詫びるバイオリンの叫びになるのだろうか。――文句なし。星5つである。

[1635] Feb 18, 2014

数日前にブレーカーが落ちたことを書いた。あれ以来、家の主たる電気系統に支障はないが、どうやらファクシミリが壊れてしまったらしい。ブレーカー復旧の直後から、定期的にこんなことを言い出すようになった。「ファックスを送信したい場合は……」▼延々とつづく音声ガイド。受話器を外そうが、キャンセルを押そうが、オプションを操作しようが収まらない。止まりはするが、数十秒後に同じことを喋り出すのだ。試しに一周、アナウンスの終了を待ってみたら、言い終えると同時に最初から繰り返しはじめた。うるさくてとても電源を繋いでいられない。▼スピーカーのスイッチが壊れた件でも同じ感想を抱いたが、こんなことで家電がひとつ使えなくなってしまう儚さ、虚しさ。つくづく脆弱な生き方をしているなと思う。再起動もダメ。叩いてもダメ。音量をゼロにすると今度は電話が鳴らなくなるので用をなさない。未だ直らぬスピーカーとならべて頭痛の種である。

[1634] Feb 17, 2014

受験英語のリスニングで、私が生徒たちに教えていたひとつの極意がある。極意などと大風呂敷を広げたが、中身はどこのリスニング教本にも書いてある平凡なことで、質問文は冒頭の一単語を絶対に聞き逃してはならないというだけの話だ。しかし、これは徹底する価値のある訓練で、たとえば難易度の高いリスニングCDの質問文冒頭だけをリピートして、5W1Hだけは誰がどんな早口で喋ろうと絶対に聞き逃さないという自信と経験を積んでおくことは、実践で非常な威力を発揮する。▼このごろ意思疎通を図ることの多いネイティブのチームメイトとの会話で改めてこのことを痛感した。彼の英語はスピードも早く発音も聞き取りにくいのだが、なによりもつらいのは、冒頭の句が口にこもって全く聞こえてこないのである。リスニングと違って、質問文なのかどうかすらわからない。最初の一語に全神経を注いでようやく全文が見えてくる。やはり冒頭の聞き取りが肝である。

[1633] Feb 16, 2014

「健康はアゴから。」くろがねより、「堅パン」なるものを食す。堅い。堅いというより硬い。ちゃんと側面に注意書きがある。「たいへん堅い商品ですので、歯の弱い方は、ご注意ください。」歯が欠けるかもしれないので、前歯で噛んではいけないという、聞いていた前評判は正しかった。▼非常食にもなるという本商品、もともとは大量生産できてかつ保存が効くようにと極力水分を減らした結果、鉄(くろがね)のように堅くなったものだという。発祥の地は北九州の八幡製鉄所。昼夜休憩もなく工場で働く従業員のために凝縮された糖分と栄養を届けようという、今風に言えばブラックなのかホワイトなのかわからない配慮から生まれた素敵な品である。練乳入りの優しい甘みが嬉しい。▼甘くて美味しい乾パンといったところ。幼少期の主食=スルメで鍛えた私の顎ではあるが、年とともに脆くはなっているので、堅パンを噛んでしばらく往時の筋肉を取り戻すことにしよう。

[1632] Feb 15, 2014

久々に刃牙を読んだ。カタカナになる前の、フルネームになる前の、グラップラーの刃牙である。愚地独歩のスピンオフ「拳神」がきっかけで、ちょうど彼が最高に輝いていたころの作品を読み直したくなった。こういうとき漫画喫茶はありがたい。花山薫の登場から地下闘技場トーナメントまで、懐かしく読み切った。強さがそれほどインフレする前の時代。次々と現れる強敵の「こいつには勝てないかも」という感覚が生きている。▼刃牙が後半に至って劣化したと言う気は毛頭ない。やはり初期が最高だよね、などという創作者殺しのセリフを吐くのは問題外だ。けれどもやはりこう、未熟な主人公が激戦の数と共にみるみる成長していく姿というのは、自分もそうありたいと願うからだろうか、見ていて読んでいて純粋に気持ちがいい。チート能力を持つ主人公が対立者を蹂躙していく、最近流行りの「最強物」とは、やはり一線を画する原始的な高揚感があるなと思うのである。

[1631] Feb 14, 2014

ブリザードだよ、これは。猛然と襲いかかる強烈な向かい風の、吹雪をしなる傘で受け止めながら、何度か心のなかでそう思った。皆、ビル風が吹き抜ける遊歩道を嫌ったか、踏み固められた道がほとんどない。足元は視界の限り分厚い新雪。ところどころに申し訳程度の足あと。自分が獣道を作るんだ。そんな気分で、なるべく足あとと足あとのすき間を押し付けて歩いた。そういう、大袈裟な気分で歩いていないと、風邪がまたぶり返してしまいそうなほど寒くて冷たくてつらい。▼家に逃げこんで暖房をつける。冷たい風が出てくる。いつまでたっても部屋の温度は低いまま。都会育ちの彼にはこの豪雪、まるで歯がたたないようだ。着込んで、着込んで、その上から半纏で。しまいには布団に逃げ込みたくなる。天候の荒れた夜は多少大きめでも構わない。左側だけの音楽を鳴らしてこもってみる。悪くない。だが寒い。明日は大雨が降るという。なんとまあ、泣きっ面に雨とは。

[1630] Feb 13, 2014

「ユーチューブにあがってない曲なんて、もはや世間的には存在しないも同然だよ。好むと好まざるとにかかわらず、僕たちは曲を広めるために動画を作らなければならなくなっている。」▼動画と音楽が融合して新しいエンターテイメントが産まれる――そう夢見ていた素朴な時代は終わり、単に音楽の生産現場はモーションピクチャーという新たな負荷を課されてしまった。「映像のない音楽なんて、いつ聞くんだい?」移動中、と答えそうになって逡巡する。今はもう、みんな移動中すら端末で動画を見ながらイヤホンを震わせているではないか。眼と耳の分裂症は、本当に完治してしまうのかもしれない。▼一枚絵という特殊な動画の存在は、ちょうどアルバムを眺めながら音楽を聴く疑似体験を提供する如く、この流れの緩衝材になってきたのだと思う。私もそれにあやかったひとりとして改めて感謝すると共に、さて次はどうやって動くものを創ろうかと、考えない日はない。

[1629] Feb 12, 2014

スピーカーが壊れた。といっても深奥の内部構造が大破したわけではなく、単にスイッチの機構がどこか外れたらしい。分解してみると、表面に出ているON/OFFのトグルボタンと、それに連動して回路を弄るための金属部品が数点。さて、なんとか自分で直せないだろうか。▼スイッチの構造をネットで調べつつ、四苦八苦してようやく元の構造と同じ組み合わせにすることはできたが、肝心要のトグルボタンを嵌めこむ工程がどうしてもできなかった。奥側の部品は、スピーカーの背を下にしていないと落ちてしまい、ボタン側の部品は、その逆でなければ分解してしまう。工作ではよくあることじゃないか、そんなこと――そう思っていろいろ試してみても、こんな単純な問題を乗り越える手段が、私にはなかった。あっけない。▼近所の電気屋さんに駆け込んでみよう。それでもだめなら出張サービスでも依頼するしかない。風邪のだるさと相まって無力感は数割増しである。

[1628] Feb 11, 2014

日本の音源系ソフトウェアで販売代理店というと、「クリプトン・フューチャー・メディア」「メディア・インテグレーション」「フックアップ」あたりの名前があがってくると思う。もちろん他にもあるが、取り扱いブランドはそれほど多くない。DL製品がなく日本の店舗からパッケージを取り寄せたとき、上記以外の代理店のサポートチラシが含まれていると驚くほどだ。▼けれども、忘れがちとはいえ、世界には販売代理店などついていないメーカーもたくさんある。そういう言語障壁の向こう側にいる優良ブランドを置き去りにしてしまうのは悲しい。NAMMのレポートなどチェックしていると、いかにたくさんの優れた機材や優れたソフトウェアが、どういう力学か知らないが、取り立てて日本に紹介されず、多くのクリエーターに知らされないままでいるかがわかる。代理店のブログには、売れ筋の情報しか書かれないのだ。検索ワードを半角にして広く情報を集めよう。

[1627] Feb 10, 2014

発熱。喉痛。鼻水。咳。見事に弟の風邪をもらってきた。週末企画を急遽代理で放送するなど部屋にもずいぶん侵入していたので、正直、わかりきっていたことではあるが、いざ罹るとつらい。症状の度合いが同じなら長引くだろう。水曜日、万が一休んでもいいように少しばかり残業してきた。明日の休日はありがたく布団で全休させていただこう。節々の痛みもまだ取れない。▼風邪どうこうという話と直接関係はないが、ここ二日のあいだにブレーカーが二度も落ちた。たしかに電気の使用量は多めなタイミングだったが、ふだんならピークと言えるほどの消費量でもない。土曜日の大雪が何か関係しているのだろうか。さいわいどちらも制作物への影響はなかったが、二回目はちょうどレースの録画を見ていたときで、「4コーナ回って最後の直線、先頭は――」ここでプヒュウンと画面が落ちた。何かの演出かと思うほど見事なフリーズ演出である。贔屓の馬はちゃんと勝った。

[1626] Feb 09, 2014

雪を掻いても雪を掻いても見渡す限りまだ雪原。早朝より町内総出で雪かきをする。人の群れには明らかにおじいちゃんと、母親と、子どもが多い。旦那様は休日出勤か、寝ているかのどちらかだろう。私の同年代はほとんど見当たらなかった。▼風が強かったせいもあって吹き溜まりとそうでないところの積雪傾斜が大きく、いちばん手こずった交差点は腿まで埋まりそうな柔雪の山になっていた。端へ、端へとスコップで寄せていく。ちょうどそのとき、小学生くらいの女の子が傍で雪だるまをつくっていたのを見て、なるほどと合点がいった。雪だるまとは単なる子どもの遊びではなく、なかなか実用的な除雪の手段でもあったわけだ。みるみる雪が減っていく。▼スコップを使う筋肉が疲れたので一緒になって雪だるまをいくつか作った。もちろん作業はスコップの方が早いが、やることを変えて気分と体力を回復するのも大切だ。夕方には撤収。ようやく歩きやすい道が出来た。

[1625] Feb 08, 2014

雪。雪。深夜から降りつづけて朝にはやはり銀世界。雪かきをすることもできない吹雪が街の姿を刻一刻と変えていく。ベランダの手摺りには見事な白い堆積層。20cmある私の小指の先から親指の先まで広げた幅より長いので、25cmないし30cmはあるだろう。とんでもない積雪。ここに越してきてから、たぶん初めて見た。▼十年ものの豪雪という予報は完璧に仕事をしたわけだ。夕方に見たら手摺りの雪は風に煽られたのか端だけ残して内側に崩れていたが、見渡す道路と遠い屋根屋根の色は完全に消え失せて、きっと雪国の冬景色はいつもこんなであろうと思わせるような、白また白の、立体感のない表面を晒している。▼ふだん見ている町並みの一枚絵に雪のテクスチャを貼り付けたような外観だ。職業病というわけでもないだろうが、目が悪い私には、こういうぺらりとした景色がいっそう表面的に映るのである。窓を開けずに覗き上げる雪空の色は、意外にも汚い。

[1624] Feb 07, 2014

髪がとにかく伸びてきた。今日、風呂場で気がついたが、自分の毛先に焦点を合わせられるほど長くなったのは初めてかもしれない。そうして髪の毛というものは、こう近眼の焦点でまじまじと塊を見ていると、なかなか気持ち悪いものだと思う。黒い線の集合体。虫や触覚を思わせる何か。だんだん禍々しい物体に見えてくる。▼さて切りたいのはやまやだが、明日は十年に一度の大規模な豪雪があるというので床屋の予定を警戒しているところ。目が覚めたら窓の外は銀世界、なんてことになっていたら、子ども心に白雪を喜びつつも、せっかくの休日に雪かきで身体を痛めなければならないのもやるせない。せめて外出時には降り止んでいてくれたら……と思い、ふと深夜の窓の外を見やると景色の色は氷のように冷たくなっていた。おとなしく上着を羽織って暖房をつける。弟は一足先に風邪をひいてしまった。散髪して身が寒くなったところへ悪い菌がつかないことを祈りたい。

[1623] Feb 06, 2014

必死の思いで組んだシェーダがかなりの低コスト・高効果を見込めるということで、ひとまず各部署から承認された。ディファードライティングとの相性が致命的に悪いので、次世代機での表現方法が課題として残るが、これはこれでひとつの新しい表現が現実的なリソースの範囲内で出来たと思う。着任以来、最初の仕事を上々にこなせてまずは信頼を得られたところ。新領域への挑戦は出だしが肝心だ。▼修羅場に差し掛かっていないからそんな悠長なことが言えるのだ、とも言えるが、現在のところシェーダの仕事は肌にあっていると思う。プログラムを書いている時間が長く、数学をフルに活かせて、かつ各部署との折衝機会も多いので、おしゃべり好きには嬉しい。表現力向上と高速化という矛盾を常に抱えている点も、頭脳を停止する必要がないので好印象だ。時間に追われすぎることなくぼんやりしている時間を極力減らすには、考察事項の尽きないことがいちばんである。

[1622] Feb 05, 2014

誕生日を平和に過ごした。これで28歳。もうすぐまたひとつ、大台。▼仕事を終えて同僚たちと食事へ、誕生祝いでもなんでもない普通の夕食を取って、ゲームセンターへ。IIDXの十段が解禁されているかもしれないというガセメールに惑わされて段位認定を開くと8段しかない。「今日は新曲追加だけらしい。」プレイ後に追記のメールを見た。なんともタイミングが悪い。▼寒くて手がかじかんでいるのでスコアも伸びない。100円2クレジットサービスのおかげでワンコインで遊べた。ポップンをフェイル抜けしたもうひとりを拾って本屋へ。目当ての漫画だけ購入してささっと帰るつもりが、あまりにも充実したイラスト教本の一角が面白すぎて、ニッチすぎる描き方本や構図集のシュールな絵面に爆笑しつつ、ときに悪書を貶し、ときに良書を褒めつつ、五十分近くもああだこうだと言いながら立ち話をしていた。外は刺すように冷たい。誕生日はかくも平和に過ぎた。

[1621] Feb 04, 2014

細工は流流、仕上げを御覧じろ。仕事の過程はさまざまあるのだから、小うるさいことを言わず出来上がりを見てから云々してくれという、ごもっとものような言い訳のようなことわざである。「故事ことわざ辞典」には「部長、完成するまでは黙って見守っていて下さい。細工は流々仕上げを御覧じろですよ」などと用例が出ているが、現実世界で吐ける台詞とはとても思えない。生意気を通り越して言語道断――そう感じるのは、一概に私が古い人間だからでもないだろう。▼世の中、結果こそが全てと断じる成果主義の人もいれば、運を孕んだ顛末よりもプロセスにこそ真価が宿ると考える人もいる。しかし、どちらを相手にするにせよ、自分から「過程をとやかく言うな」と怒るのは好かない。とやかく言われるような過程には、何か問題がある危険性――転じて、もっと上手くやれる可能性があるからだ。たとえ途上の横槍でも、他人の言葉には出来るだけ素直に耳を傾けたい。

[1620] Feb 03, 2014

本来は出席する必要のないミーティングに出席した。新たに入る外国人戦力――相当出来る――を迎えたので、要するに通訳が欲しいという話であった。▼果たして隣に座って同時通訳もどきを申し出ると、たぶんわかるからかいつまんでで大丈夫という回答だったので、少々拍子抜けしつつ(ついでに、完璧な同時通訳など出来るはずもないので無茶を言われなかったことに胸を撫で下ろしつつ)ダイジェストで状況を伝えていった。▼このところ喋っていなかったので思うように単語が出てこないのは無理もないが、何が出ないといって難しい単語よりも助詞・助動詞の類と正確な文法が出てこない。結局、キーワードを並べるようなぎこちない発話になってしまったのが悔しかった。意思疎通は取れたので業務として差し支えはなかったが、せっかくの語学というささやかな武器、いつでも携えていると油断して、いざ抜いてみたら錆びたナマクラでしたでは恥ずかしいし情けない。

[1619] Feb 02, 2014

『TM BOX』に登録する。ツイッター連動型の音楽投稿サービスで、とにかく堅苦しさのない気軽さが売り。「ノリでつくってみた」だろうと「ちょっと試してみた」だろうと、なんでもいいから気負いなく好きなモノを上げ給えという、サービス側とユーザー側の懐の深さで成り立つコミュニティである。合計容量も無限大なので、アップロードする側も遠慮なく次々上げていけるわけだ。ここまで大らかな態度を取ってくれるところはなかなかない。逆に長期の存続が心配されるくらいだ。▼本来、完成品以外を衆目に晒す意味はないはずだが、実験についてのフィードバックを不特定多数から求めたいという欲求、あるいは自分は水面下でいろいろ画策しているという存在証明、などなど、創作者のまっとうな実利から少し離れたところにもプラスアルファな需要がある。『TM BOX』はそこに上手く応えた。この気安さよ、どうか大規模化しても失われないでくれと祈るばかりである。

[1618] Feb 01, 2014

いくつか動画を見たり、音楽を聴いたりする。面白いものは面白いし、つまらないものはつまらない。しかし出来映えの良し悪しを差し置いて、何よりまず何か突出したもの、その人ならではの個性的な要素がわかりやすく提示されていると、これはいいなと思ってしまう。画面上の小さなフレームの中に切り取られた世界の独創性を前にしては、安易にクオリティを云々する人の方が野暮であるように思われる。そう思わせる力がある。▼あるいは私が個性や面白さを偏重するのは、よく言われるようにそれが自分にない資質だからかもしれない。人生全般に関しては同種の他者に比べると通りいっぺんでない、それなりユニークな生き方をしている自覚はあるが、こと制作物、出力された成果物の方にほとんど個性は見られないのが不思議というか残念というか、なんにせよ現実である。さりとて出来映えがどうと言うつもりはないが、さてさて――やはり独創的な作品には惹かれる。

[1617] Jan 31, 2014

毎年恒例の2月1日バグに遭遇した。なぜか2月のファイルが生成されずに3月のファイルが先取り生成されて、トップページが表示できなくなるいつもの不具合。風物詩というには不快だが、毎年直すと言いつつ直さない自分に完全な責任があるので文句を言う筋合いもない。いつか直そうと思っているバグなど、永久に直らないのである。来年も慌てふためいているだろう。そのバカさ加減が案外きらいじゃないのもたちが悪い。▼サーバーもずいぶん増えた。現在、このサーバーは400のためにしか稼働していないが、ファイル保存用に別のサーバーを二つ借りている。クラウドも充実してきたし、格安とはいえ無駄な出費に思えてきた。ここだけ残して整理もありかと思っている。ここ即ちシーサイドネットはサポートも手厚く安定性も高く、値段はそこまで安くないがなんだかんだで長い付き合いだ。切るなら他を切る。それくらいはオススメできるレンタルサーバーである。

[1616] Jan 30, 2014

「僕が最近、月日の経つのが早いと感じるのは、他のどんな事実より『けいおん!』からもう5年経ったってことだね。」ある先輩の言に全くもって同感する。新世紀エヴァンゲリオンからもうすぐ20年と言われても「そんなものだろうな」くらいの感慨だが、まだ記憶に新しい「最近のアニメ」のような気がする『けいおん』――その後も取り立てて古典化することなくふわふわと、アニメそのもののようにのんびりと時を刻んできたあの作品が、もはやハーフ・ディケイドも過去まで遡るという、衝撃。▼アニメを見る方か見ない方かと言われれば、1クールに平均2本程度なので、見る人から見たら見ない人、見ない人から見たら見る人という、謎かけ言葉のような位置取りだと思う。『けいおん!』がとりわけ好きなアニメだったわけでもないが、光陰の指標として説得力を持っているように感じるのは、一大ブームを形成した後の緩やかなフェードアウト具合に拠るのだろう。

[1615] Jan 29, 2014

曲を創りたいのでフリーで使える制作環境を教えて欲しいと言われたので、そういうことならと喜んで対応を買って出たものの、簡単な曲だが実は今週末までに仕上げたいと聞かされて大いに焦る。3日程度ではMIDIの音がちゃんと出るかどうかもあやしい。とにかくノートが打てるようになるまでということで、Studio One(無料版)の立ち上げをスカイプの画面共有でサポートした。▼案の定、起動してすぐに音が出るなんていう運の良いことはなく、オーディオデバイスのプロパティをいじったりエクスクルージブを解除したり内蔵音源をロードしたりと、あれこれあたふたした挙句、なんとか音が出るところまでは漕ぎ着けた。曲を創るといっても作曲ではないので、あとは譜面をノートに起こしていくだけだ。▼物事は時間に余裕をもって計画を、などと月次な感想を言う気はない。それよりも金銭的負担を排して尚、曲制作環境の敷居の高さを改めて実感した次第である。

[1614] Jan 28, 2014

"STORYTELLER MEETS GRID SYSTEM."▼昔、誰かが優れた都市計画に曲線は不要だと言っていた。必ずしも賛同しないが、アーバニズムとグリッドシステムが切っても切れない関係にあるのは確かだ。グリッドは個の最大単位をセルに押し込めることで、特定の誰かが特別な意味を持つことを拒否する。「我々は何でも受け入れるが、しかしそれは君でなくてもよい。」それがグリッドシステムだ。曲線という交換不可能性の強い要素は、確実に相性が悪い。▼都市は摩天楼によってグリッドを空へと拡張した。しかしEDMはまだ大地を増殖させる術を手に入れていない。ビートという単位に乗せて音のモジュールを貼り合わせていく平面は伝統的な音楽平面と同じである。曲線は排除されただろうか。物語は抹殺されただろうか。我々のシステムはまだ黎明期なのかもしれない――だから、冒頭の文句は、私がいま額に書いておくべきテーマなのだ。未来に背中を見せるのはつまらない。

[1613] Jan 27, 2014

舌の裏側に口内炎が出来た。部位でいうところの舌下小丘にあたるところ、球形の表面に白い炎症が見える。数日前から気になり出したが、今日見たら米粒大の大きさになっていた。煽りを受けて周囲の舌下ひだが腫れていて実に感触が悪い。唾石ではないと思うが素人判断ほど危険なものはないので近日中へ耳鼻科へ行くことにする。それまではケナログを塗って様子を見よう。▼口内炎の原因は疲れ・ストレスのような漠然としたものから栄養不足・物理的刺激のように定量的なものまでさまざまだが、今回の場合は明らかに寝不足が原因だろうと思う。ここ最近の就寝周期はちょっとひどかった。楕円形の白い潰瘍として現れるこの手の口内炎は、恐らく最も多くの人に馴染みの深いタイプで、とくにアフタ性口内炎と呼ばれているが、ベーチェット病という原因不明の自己免疫疾患に拠るケースもごくごくまれにあるらしいので、なんにせよ医者にはちゃんとかかったほうがいい。

[1612] Jan 26, 2014

ある人が、このシンセは素晴らしい、とくにリードはいい音が鳴ると言う。他の人が、こちらのシンセはベースが太くで最高だと言う。別の人が、今度の某社の新製品はどれも独特の音色で画期的だと言う。……。▼内輪で情報が飛び交っているうちは、たぶんまだよかった。信頼できる友人筋からの情報だけ信じて、あとは雑音としてシャットアウトすることもできた。けれどもこうウェブ上を「これがよかった」「あれがよかった」の声が数多往復していると、ツマミとの格闘につかれたノイローゼ寸前の音屋が、藁にもすがる思いで他人の感想を鵜呑みにして次々と新しい音源を求めていく、その気持ちがわかるような気がする。▼新製品に感動して購買意欲を煽る善良な市民にステルスマーケティングの意図はないにせよ、彼が本当に旧製品を十分使いこなしていたかどうか、ただ飽きて乗り換えただけではないのかどうか、無駄な買い物をしないためにはよく考える必要がある。

[1611] Jan 25, 2014

真っ暗な中で休日を過ごすと、それが精神生活的には充実した一日であっても、なんとなく時間の使い方を間違えたような、何か致命的な間違いを犯してしまったような申し訳ない気持ちになる。要するに、昼間外に出ないと気が滅入る。▼ふだん、どんなに眠い時でも出来るだけ三食は遠くの飯屋へ食べに出かけるよう心がけているのは、寝不足に加えて太陽の光を浴びないまま午後の仕事に取り掛かることの危険性、顕著な効率の低下とメンタルダメージを理解しているからだ。社会人になって四年、何をいちばんよく学んだかと言えば、体調管理というありふれた名称の中に、どれだけたくさんの意識的な行動が含まれているかということだろう。▼分刻みに仕事が積まれる生活の中で体調を崩さないことは、絶対に負けられない麻雀でドベの時に平常心を保つくらい難しい。昨日今日はずいぶん夜更かしをしてしまった。自戒の意味で、ここに”早寝早起き”の標語を刻んでおく。

[1610] Jan 24, 2014

若くしてベンチャー企業を立ち上げ、大成功とは言わないまでも計画倒れの重力からは脱出して軌道に乗せ、複数の異なるプロジェクトを「その筋では有名」な中くらいの成功に導きつつ今も奮闘をつづける社長さんに面白い話を聞いた。▼ビジネス論の研究者でもある彼は、成功した同業他社ベンチャーのデータには、黎明期に乱高下していた事業成績がある時を境にまっすぐ右肩あがりの直線へと変貌する瞬間があることに気がついた。これは確実にここで何かロジックを掴んだに違いないと、機会を得て彼らにインタビューをしてみたところ、驚くべき答えが返ってきた。▼でも彼らの言うことが正しかったと今はわかるよ、と社長は言う。「本当に不思議なことだけれど。あれこれ戦略を練って状況的にも論理的にも明らかな好手を打っているあいだは、なかなか業績が安定しなくてふらふらするんです。でも、地道に営業を頑張ると、何故か線がまっすぐ伸びていくんですよ。」

[1609] Jan 23, 2014

BYOD――Bring your own device.ビヨッドと日本語で発音するかどうか知らないが、今のところはビーワイオーディーと読んでいる。「私的デバイス活用」などと訳されることが多いようだ。要するに、自分の電子端末を会社に持ち込んで、それで仕事をした方が使いやすいし楽だしいいじゃないかという機運である。▼反対派の主な題目はセキュリティに関する危険性。しかし社員が会社の端末でメールを確認したり、ドキュメントをクラウドから落としたりしている昨今、自分の端末を仕事に利用したくらいで社運に関わる重要な情報が漏洩するような状態では、遅かれ早かれ秘密は飛んで行くだろう。であれば私的な端末利用を前提として、より強固な情報管理体制を組み直した方が未来のためかと私は思う。'Bring Your Own Disaster.'などとは少々穿ち過ぎではないか。▼我が社はITのふりをした町工場なので当分は無縁だが、国内の動向くらいはちゃんと確認しておきたい。

[1608] Jan 22, 2014

次から次へとSNSが乱立しては事実上のサービス停止に追い込まれていくソーシャルメディアの戦国時代に、どこが使いやすいか、誰が覇権を握るか、などなど地図のことばかり考えて、忘れられがちな懸念事項が記憶容量の問題だ。どんなに下らないブログポストも、投稿するや否や数多のハードディスクにキャッシュされ、恐らく未来永劫、この広い世界のどこかに、電力を要する”データ”として残りつづける。▼ましてそのほとんどは多人数が享受するバイラルなネタ、つまり自己複製されたコピーにすぎない。数日、数ヶ月でブームの去る流行語のエンティティが何億個も保存されていく、そんな馬鹿らしいことをするくらいなら、いっそ出現頻度の高い文字列にグローバルなアドレスを与えて、保存はポインタでしてはどうかと思う。近い仕組みはもうあるかもしれないし、中射程の未来に実現するかもしれないが、これはひとつの提案、ないし私のひそかな未来視である。

[1607] Jan 21, 2014

ピアノ曲やオーケストラのようなクラシック曲は、登場する楽器セットを定めてから譜面を書くことがほとんどだと思う。まず使える音の組み合わせが限定されていて、そこから音符の配置と動きと奏法でヴァリエーションを創造していくわけだ。だから教本の類もいかにして差異を創出するかを主眼に置いている。変える手と品のストックが制作者の語彙になる。▼ところがシンセサウンドとなると、マシンスペックが許す限りあとから音色を追加できるので、かえってここの自制が問題になる。フレーズに新規性を出すとき、安易に新しい音色を追加して難を逃れようとする欲求に打ち勝たなければならない。この判断が難しい。想像以上に難しい。なにしろ音色を追加することが正解の場合もあるのだ。鼓膜に穴が開くほどいじりまわした挙句、違う音色がぴたりとハマった時の、得も言われぬ安堵と脱力。癖になるとも言えるし、修羅場ではこれほどつらいこともあるまいと思う。

[1606] Jan 20, 2014

データを転送するとき、情報がロストする可能性は常にある。こうしたビットの欠落を補うために、水平・垂直のパリティチェックから巡回冗長検査まで、様々な検査手法が考案されてきた。計算コストを削減し復元性を高める飽くなき情熱のおかげで、私たちの便利なインフラが支えられていると思うと、感動さえ覚える。▼スウィズル・フォーマットという、メモリ上にRGBA値を特定のロジックで並び替えて配置する特殊なテクスチャの形式があるが、このスウィズルという手法も、情報通信の「バースト誤り」に対処する有効な手段である。つまり、ビット位置が入れ替えられているので、集中的な欠損で失われる意味量を抑えられるのだ。たとえば"My First Name is Jack."から連続する四文字が欠損したとき、このままの順ではJackが削られてしまった場合、彼の名前を復元する手段はないが、"My F**st N*me is J*ck."であれば、ジャックであろうと推測は立つのである。

[1605] Jan 19, 2014

先々週にPCを変えたとき、ハードディスクは据え置きのままマザーボードを換装したせいで、ソフトウェアライセンスのオーソライズにトラブルが生じた。その中で、とびきりユニークな対応を寄越した会社があったので紹介したい。▼ヘルプによると彼らの製品はマシン単位でライセンスを管理しているため、急にPCを移行した場合は復旧の手段がひとつもない。これはお手上げということでテクニカルサポートに助けを求めると、こんなメールが帰ってきた。「俺が君をオーソライズしておいてあげたから、もういちど試してみてよ。」▼言葉通り試してみると、たしかに起動する。ぽかんとしてしまった。これを神対応と呼んでいいものだろうか。礼の返事に添えて「ありがとう。でも今後もPCを変えるたびにあなたにメールを出さなければならないんですか」と訊くと、「その通り。でも我々は、いつでも喜んであなたをアシストするよ!」だそうだ。不思議な会社である。

[1604] Jan 18, 2014

ゲームのFPSですらAIMの定まらない中級者がリアルのサバイバルゲームで遊ぶ。会社の同僚数名と、他部署の後輩と、「友達の友達」つながりの見知らぬ人たち数名の構成で夜まで撃ち合った。▼元・銀行だという小じんまりとした室内フィールドは、ところどころに配置されたベニヤの衝立と土嚢の重しで想像以上に手作り感がある。重装備でも汗をかきすぎないよう寒くて暗い。網目のフルフェイスをしているので自分の撃ち出した弾がどこに着弾したかわからないのは不便だったが、殲滅戦ともなると細かいことはあまり関係ない。敵のいる方へ撃ちまくるのみだ。▼FPSとサバゲーは全然別物だと思っていたが、ちゃんとマップを研究して、射線の通らない場所をマークして、要所を抑えて味方と連携して……と、FPSと同じように警戒した立ち回りをしていれば、武器の扱いは素人でもスコア的にはかなり活躍できる。このパーティーなら次があればまた参加したい。

[1603] Jan 17, 2014

昨日は3時くらいまで起きててさ……。5万円くらい損しちゃってさ……。7時間くらいかかったんじゃないかな……。▼ウソとは言わないまでも、数字が曖昧で適当なことを言うとき、人は偶数よりも奇数を選ぶ傾向が強いという。まさか、と思ったが案外あてはまる事例が多い。逆に言えば、根拠のないフカシをこくときには意識して数字に偶数を選べば真実味が増すということになる。「まったく、6億円の商談がふいになったよ。」どうだろうか。▼奇数はodd numberの直訳。「奇」の字には、一本脚で不安定な、正当性を欠く片割れのもの、転じて不吉の意味もある。対して、偶とは二つで一つの対を成す完全体の人形だ。とっさに出てくる偶数に真性なニュアンスが付与されるのは、こうした言霊の力に拠るところが大きいのかもしれない。睡眠時間の少なさをアピールしたければ、謙虚に2時を主張するか、大胆にサバを読んで4時まで起きていたことにしてはどうだろう。

[1602] Jan 16, 2014

なんでも出来る便利なミドルウェア、という非常に不便な代物がある。ましてその開発者が社を離れていようものなら悲惨なことだ。九分九厘、メンテナンスを担う人はいなくなる。秘伝のタレは腐り、遠からず耐え切れない異臭を放つようになる。▼「なんでもできるシステム」ほどシステム設計の初心者が陥りやすい罠はない。自分が創る仕組みを未来永劫、誰も編集する必要は生じないだろうという妄想は、システムの自由度を増やしカスタマイズ性を減らしていく。200種類のファイル入力形式に対応したアプリケーションのヘッダ解釈部分に微修正を加える必要が生じたとき、編集者が強いられるのは恐らく200箇所を超える修正だ。あれにもこれにも対応しているシステムを拡張するのは極めて難しい。▼プログラムの開発者に求められるのは、「あれもこれも」ではなく、「これだけできる」と「あれだけできる」とを上手に組み合わせて問題を解決するセンスである。

[1601] Jan 15, 2014

理系の同僚と餃子屋でゆず餃子を囲みながらフラクタルについて議論を交わしていた。主眼はつまり、なぜフラクタルの発見はここまで遅れたのかという話。宇宙物理学のように技術・道具の進化を待たなければ原理的に見つからない類のものではないはずで、中世の数学者がどうして国境や海岸線の長さに思いを馳せなかったのかという、まったく詮ない素人トークを繰り広げていたわけだ。餃子のにんにくが香ばしい。▼結局、彼らも国境や海岸の鳥瞰図を得るためには飛行船の発明を待たなければならなかったのではないかという信頼度の低い説に落ち着けて店を出ると、誰かが自転車のかごの荷物でもぶちまけたのか、巨大なブロッコリーが道でぐちゃぐちゃに潰れていた。そのとき二人して顔を見合わせたのは、つまり、仮に鳥瞰図がなくとも数学者たちはまず身近なブロッコリーを当たるべきではなかったかという、馬鹿馬鹿しくも的を射た考察である。哄笑して駅を離れた。

[1600] Jan 14, 2014

トレーニングウェアにも流行を追う人びとがいるというのはありがたいことだ。店としてはそろそろ冬物在庫も気になる季節。2013年モデルがついに半額ということで、冬のジョギングウェアを手に入れた。この機を逃す手はない。▼本当は上下ともにウインドブレーカーで揃えたかったが、割引品の中にたまたま合うサイズが無くて諦めた。デザインがちぐはぐになるのも嬉しくはない。仕方なく上は風を通すインナータイプ。フードがついているので耳は守れるが、とにかく寒い。二十分走って体が熱くなっても体幹はきんきんに冷えている。▼三十分過ぎたところで寒すぎによりリタイア。沸かしておいた風呂に駆け込んだ。真冬のジョギングは未経験だったが、夏とは全く別の意味でつらい。空気が氷のように冷たいので気管支への体感ダメージも大きく、無茶すると体を壊しかねない本末転倒である。ガイドラインを調べつつ、明後日はもう少し暖かい格好で試してみたい。

[1599] Jan 13, 2014

私の職場では直属の上司も部の管轄上司も、その上司にあたる執行役員の偉い人も、みんな趣味でパチスロを打つ。直属の上司は演出の研究だというが、話を聞いている限り趣味の香りが強い。ただ全員に共通しているのは、あくまで趣味であって、金はもとから捨てる気でやっているということだ。それもそのはず、パチスロでいくら勝っても負けても役員報酬から見たら誤差にしかならない。▼私にパチスロを打つ趣味はないので、代わりによく公式の実践動画を見ている。当事者ほど熱は入らないにしても「演出の研究」にはなるし、金は減らないし時間もかからないしでありがたい。特に動画内の演出についてコメントが見られるのは重要で、こういう演出がいらないとか、腹が立つとか、あるいはここが熱いというような、裸の意見が周辺視野で回収できる。演出の違いだけで短期・長期にわたり客を惹きつけ真剣にさせるノウハウについて、彼らから学べることは非常に多い。

[1598] Jan 12, 2014

人に意見を求めて、批判的/否定的なことを言われたとき、自分でも「たしかにこれは良くない」と思うところを直すのは簡単である。相手の言葉通り素直に修正すればいい。難しいのは、自分で気に入っている箇所をダメ出しされたときだ。▼よほどのことがない限り絶対に直さない、直す必要がないという信念の人はそれでいい。自分の印象を何よりも大切にするというのは、それはそれで貴重な信念だ。しかし、こらえて次のより良い解を探しに行くタイプの人には、ひとつ注意すべき落とし穴がある。「未練は悪化しか生まない。」▼なまじ気に入っていたフレーズだったり台詞だったりすると、修正するにしてもなんとか流用しようという未練が湧いてくる。けれども、この心を断ち切って我が子を一旦”抹消”しない限り明るい未来が訪れることはない。転生した新たな命に面影が宿っていれば僥倖と割りきって削除する。それが出来ないなら修正は止したほうがいいだろう。

[1597] Jan 11, 2014

スペインとポルトガルの国境沿いにオリベンサという村がある。曰く「世界一平和な領土紛争の地」なのだそうだ。両国はときどき紛争・戦争をしつつも歴史的には極めて良好な関係を築いてきた。今の日本には羨ましい話かもしれない。▼それでもあれだけ長い辺で国を接していれば国境絡みで揉めることはある。「そもそも我々の国境線はどれくらいの長さがあるのか?」測定して見た結果、スペイン側は987km、ポルトガル側は1214kmだと主張した。二者で共有している線の長さが異なるはずはない。どちらかが測定を間違えたのだろうか。▼パリにいたブノワ・マンデルブロは、この問題を徹底的に追及した。彼が数学者としての人生を賭けて研究し、ついに到達した概念こそ、フラクタルという世紀の大発見であった。国境線の長さは測定に用いるマップの縮尺によって異なるのだ。この一見素朴に見える指摘が、後に数々の数学の”不思議”を産んでいくのである。

[1596] Jan 10, 2014

「CG表現がリッチになります」と謳うとき、リッチという形容詞は必ずしもフォトリアルであるということを意味しない。まるで現実のようなディティールは、逆説的に虚構の世界へチープさをもたらすこともある。写真のような砂煙が舞う中で、カメラを動かしても全く光沢が変化しない、のっぺりしたキャラが接写されている様子を想像してみて欲しい。世界の嘘っぱち感は、砂煙を簡素なアニメエフェクトで描いたときよりも遥かに強くなる。▼想像力に訴える世界では、リッチさとはリアルさの平均値ではない。仮にリアルを追及している場合でも、計測には分散を引かなければならない。印象にばらつきがある状態は、特殊な表現効果を狙ってデザインされている場合を除いては、ばらつきの最低値だけで成り立つ場合より劣悪だ。架空の世界について、私たちはその世界の中での不整合に違和感を覚えるのであって、現実との差異に眉をひそめているわけではないのである。

[1595] Jan 09, 2014

諸事情によりCPUとマザーボードだけ換装した。新調計画とか関係がないので、完全に繋ぎのPCということになる。▼昨日まで活躍してくれた"Phenom II X6 1055T"は非常に優秀な製品だった。オーバークロック適正の高さに定評のあるモデルながら、ついぞたいして性能を引き出せなかったのは心残りだが、価格の安さとパフォーマンスのバランスではトップクラスだったと思う。それだけにAMDさんの凋落に心を痛めつつ、今回はインテル系への移行を先に済ませてしまった。"Core-i7 4770"へ。▼オーバークロックをしなかった使用実績を踏まえて無印モデルとした。DAW上での性能は約40%向上。CP∪温度はフル稼働でも50度に達しない。メモリが完全に据え置きなのでロード効率は変わらないが、いろいろ最適化されている恩恵で立ち上がりも出力も速くはなった。高速化が目的の換装ではないが、プレイバック時のノイズ発生率が下がるのも精神衛生には良い。

[1594] Jan 08, 2014

とんでもない建築物を歩いた。▼雨。駅から屋根つきの高架通路を伝って屋内へ入る。ブティックや飲食店が並ぶ室内を通り抜け、上の階に上がろうと一人幅のエスカレーターに足を乗せた直後、事件は起きた。信じられないことに、上から雨が降ってくる。吹き抜けである。▼前後に人がいるので傘もさせない。どんな設計だよと苦笑いしながらみんなでコートを濡らし、辿り着いた四階で目にしたのは、同じく局所的な吹き抜けのためにそこだけ雨ざらしとなった休憩用のベンチであった。ベンチのまわりだけが濡れている。しつこいようだが、室内である。▼「いえ、これは”外”と”内”の境界を排除したシームレスな建築で……」などという薀蓄を聞きたくはない。少なくとも商業施設で、これほど利用者の便宜を損ねてまでデザインを優先した建物を私は他に知らない。屋外仕様のエスカレーターは防水設計なので壊れないと主張したところで、だれが幸せになるのだろうか?

[1593] Jan 07, 2014

ポストエフェクトで空間表現をするためにささやかながらカメラの勉強をする。大手カメラサイトの基礎講座が案外充実していることに驚いた。最後に押したシャッターは何年前の使い捨てカメラだろうと言うくらいカメラに興味のない私が、露光や絞りや被写界深度のことを真剣に調べているのはどこか可笑しい。絞りとシャッター時間の関係などCGには何の関係もないが、資料が豊富にあるのでついつい調べてしまった。▼楽しい教養かせぎの次はもちろん実践数学。まだまだ基礎段階なのでせいぜい可変パラメータも画角と焦点くらいのもの、楕円の連立方程式が解ければあっという間にスクリーン座標というわけで数学味はあまりしない。加えてゲームの表現では数学的・物理的な正しさよりも見た目の説得力が重視されるので、厳密を極めても無駄なコストという面もある。それよりは面白い外観、派手なビジュアルを追及すべきだろう。実験値は閾値くらいがちょうどいい。

[1592] Jan 06, 2014

「1ヶ月に30曲、多い日は1日で5〜6曲創ることもある。」今朝の日経新聞に、人気作曲家ヒャダイン氏のインタビュー記事が載っていた。今は音楽も次から次へと消費される時代、とにかくたくさん作れない音楽家に需要はないと言う。このスピード感も彼独特の刺激的な作品を生み出す土壌だろう。プロの世界の競争は日に日に激しい。▼では同人音屋も多産にならなければ生き残れないかというと、そこは全く話が違う――もとい、真逆でさえあると思う。プロが時間をかけられないなら、アマチュアは時間をこそかけるべきではないか。▼プロで通じる必要のない趣味人だからこそ、一曲に半年を捧げることもできる。半年を捧げて初めて成し得ることもある。スキルアップの手段として多産を利用するならともかく、プロの真似事・後追いで制作を焦る必要はあるまい。「劣化プロ」に流れ着くくらいなら、彼らの持たざる資産を存分に使って面白い物を創ろうじゃないか。

[1591] Jan 05, 2014

初めてアドビのイラストレーターを使用する人がいちばん戸惑うのは「ラスタライズ」という概念ではないかと思う。ベクタグラフィックスと呼ばれる点や線などの情報を、ピクセル情報に変換する処理である。▼ベクタであるうちは目に見える形状も方程式の集合に過ぎないので、拡大や縮小、回転などのベクター操作がかなり自由にできる。しかしピクセル情報=ドット色の集合になってしまうと、画像の「部分」が持つ意味は全て失われてしまうので、イメージ全体にかける効果以外の処理はしにくくなる。その代わり、表示に式の解釈を伴わないので、誰がどんなふうに表示しても大体同じように見える。画像としてはより「正確な情報」だ。▼この関係はそっくりMIDIとオーディオの関係にも当てはまる。なので私はオーディオへの凍結を勝手にラスタライズと呼んでいる。オーディオFXはポストエフェクトというわけだ。妙な言葉遣いを見つけたら、容赦してやって欲しい。

[1590] Jan 04, 2014

DJ、あるいはクラブミュージックという文化がアンダーグラウンドからオーヴァーグラウンドへと遷移してきた昨今の事情は、あるいはその道の専門家よりもゼロ年代に十代を生きてきた若者の方が、自分たちの青春期に身近であった”音の遊具”を思い出して見れば実感できるのではないかと思う。ビートマニアも黎明期は「なんだかよくらからないけど面白い音が鳴るゲーム」ではなかったか。▼太いキックの4つ打ちは、もはやポップスの中で隠蔽されるアレンジャーのテクニックではなくなった。映画でもCMでも喫茶店でもブティックでもアニメ・ゲームの専門店でも、「私です」という顔つきで闊歩するようになった。フレームワークとして利用され、文脈として解釈され、グッズとして蕩尽されていくDJミュージックの現在はじつに「音のメルティングポット」の様相を成して痛快だ。そうしてライト・ファンが坩堝を飲み干していく。注がれる次の飲料は何だろうか。

[1589] Jan 03, 2014

競馬で大勝するたびに高価な洋酒を買い込んで家にストックしているという剛毅な友人がその秘蔵の一本を提げてはるばる家へ遊びに来た。外でよく顔を合わせていた身には意外だが、実に二年ぶりくらいの来訪。すっかりミュージックステーションへと様変わりした私のデスクに驚いたり、弟を懐かしがったりしていた。▼さて、持ってきたのはバランタインの30年。近頃は値下がり気味だが、そうそう気楽に手が出る酒でもない。ロックで頂いて、ストレートでも呑んだあと、ウイスキーの味わいを細かに感じるには最も良いと言われる1:1の冷水割りでも試してみた。▼私の中では最高峰の山崎18年と比べて遜色ない芳醇さ。芳醇、という単語の正体をはっきり掴んでいるわけではないので、多少ごまかしている節もあるが、要するに旨い。43度とは思えないほどするすると喉を抜けていく。ややもすれば軽々ボトルも開けかねない危険な酒――今はその酔いの渦中である。

[1588] Jan 02, 2014

茶封筒を一枚出して、筆ペンで汚い文字を書く。要約すると「新しいそパソコンのためのへそくり」である。今年こそパソコンを新調するべく積み立て計画を開始した。こつこつ貯めるなんて柄にもないが、少々高額になる見通しなので、ちゃんとした予算を組まないとつらい。▼いよいよAMDにも別れを告げる。目指すはメモリ128GBマシン。秋にリリース予定のHaswell-Eを待つ。IvyBridge-Eで中途半端な発熱機を構成するくらいなら、多少割高でも最新モデルに照準を合わせたほうが良いだろうという判断だ。現行のマザーボードでも128GB以上のメモリに対応する品はあるが、残念ながらx79系しかない。あるいは64GBマシンならいくらでも組みようはあるが、こうなってくると目的と手段がもはやあやふやである。無理して高価な16GBメモリを捩じ込むのも馬鹿らしい。▼使えるパーツは使いまわす。増えすぎたハードディスクもここらで整理したい。予定通り予算が立つかどうか。

[1587] Jan 01, 2014

去年の元旦、私は断捨離の真似事ていどに部屋の整理をしていたらしい。忙しいときは掃除をしたくなるという例の心理だろうか。今年は余裕があるので片付けにあまり精が出ていない。毎年恒例のゲン担ぎに大勝軒を食べに行く。昔、元旦に空いている飯屋を見つけて感動した頃に比べて今では初日から店を開ける飲食店も多い中、さすがは大勝軒、午後三時でも満席だった。▼元旦から出費があるとその年は財布から金が逃げていく、と言い含められていたにも関わらず、祝祭ムードに弱いこともあって、私は年末年始に高い買い物を済ませてしまうことが多い。それでも今年はウインドウショッピングに留まった。どこの福袋も吟味すると世相を反映して割引額が世知辛い。在庫処分袋という揶揄の言葉が現実味を帯びてくる。あんまり格安だと転売屋のカモになるので、これくらいの祭り気分がちょうどいいのかもしれない。初売り大セールあり、平常運転あり。街は元気である。

[1586] Dec 31, 2013

今年は大晦日に仕事が無いというめずらしい年。スケジュールに感謝して家族でゆっくり年越し蕎麦を食べようとしていたが、思わぬトラブルに見舞われた。▼毎年予約はしていない地元の蕎麦屋がどういうわけか今年は大繁盛で、早くも席が取れないという。第二候補の寿司屋も閉店。常用の天ぷら屋は店じまい。ひとり奔走してようやく席のあるカプリチョーザで夕食としたのだった。もっとも皆で食べることが重要なのであって、食べるものがなんであれたいしたことはない。長いものならいいじゃないか。イタリア蕎麦ということで、ここはひとつ。▼昼過ぎ、歩いて数十秒の弁当屋では油缶を誰かがぶち撒けたらしく救急車騒ぎになっていた。夕食の席からは一心に馳せていく消防車を見た。普段はそう見ない救命の車たちを大晦日にまとめて見たわけだ。心中、彼らの無事を祈りつつ、この2013年も私たち家族に何事もなかったことを感謝したい。さあ、次は2014年。

[1585] Dec 30, 2013

Malice supplies the age.(悪意は年齢を補充する。)たとえ未成年者であれ、相手を害する目的のもとに成人のそぶりで行動したなら、彼は重罪の罪も認められるべきであるという、ローマ法に由来する格言である。行為は故意がなければ有責とせず。しかして故意かどうかは、年齢によってのみ決まるものではない。▼少年による凶悪な犯罪が増えるたび、法制度は少年犯罪の厳罰化を迫られてきた。たしかに大規模な組織犯罪で無差別殺人に加担する未成年が責任能力のない少年とは言いがたく、そういう「小さな悪人」が無条件で罰から守られている社会はどこかおかしい。大人よりもはるかに自立した、故に明確な詐害の意図をもって犯罪行為を行う少年はたくさんいる。▼だから少年でも関係なく罰するべきだという暴論を主張したいわけではない。ただ私たちも肝に命じておく必要があるということだ。時に応じて防御も要るということだ。悪意を持つ子どもは大人である。

[1584] Dec 29, 2013

職業プログラマは孤独な仕事だ。別に朝から定時まで無言で画面と対面しているわけではなく、和気あいあいとした職場で楽しく仕事はしているが、こと仕事内容に関しては作業が高度にモジュール化されていればいるほど、他人との接触面は小さくなる。理想のプログラムを目指していくと、必然的にプログラマは孤独になっていく。▼その方が心地よいというタイプの人がプログラマ志望者には多いので、気にされにくいことではあるが、真面目にキャリアパスを設計するなら、自分が他人と折衝したり後輩を指導したりする経験を得るチャンスが極端に少ない職種についていることをきちんと意識した方がいいと私は思う。そうしてもし機会に巡り合ったら、多少無茶をしてでも飛びつくべきだ。▼誰かにモノを教えることは、間違いなく自分で学ぶより数倍難しい。この莫大な経験値の得られる経験を手にしにくいところこそ、プログラマが育ちにくい構造的課題のひとつである。

[1583] Dec 28, 2013

ふつう、店先に並んでいる商品のタグに制作者の肩書きを書く人はいない。買う人のことを考えれば、その商品が何であるか、どんな品物であるか、どういうところが売りか、中身について書くのが当然だろう。どうしても書きたいとしたら、包装の中に同封した小冊子にでも記載すればいい。知りたい人は探してくれる。▼そんなことが知りたいわけじゃないのに……という情報を最初に提示してしまう作り手のエゴと、製品の質を追及する素晴らしい精神である職人気質は、しばしば混同されている。職人気質万歳。だが、完成した傑作へのアクセスを、自分が軽く見られたくない一心で隠蔽しようとする行為は、単なる買い手への冒涜である。▼見てもらう努力、知ってもらう努力を捨てることが芸術家的な態度だという誤解はどこから来るのか。優れた職人には気難しい人が多いという怪しい印象を論拠に、命題論理さえ間違えて先に気難しくなろうとするのは実に馬鹿馬鹿しい。

[1582] Dec 27, 2013

これだという音を探してプリセットを探索している限り、けっして意中の音には出会えないと誰かが言っていた。数に限りのあるプリセットの中に、ジャストミートなど存在しない。そうではなく、いまある音に合う「素養」を潜在的に持つ音色を探すこと。そうしてその素養を自分好みに育てあげて、自分の世界に染めてあげること。このあたり、実在の楽器を模したアナログ音源とは勝手が違う。シンセの音色探しは、まるで企業の新人採用のようだ。▼鳴らしてみて「合う」「合わない」なら私の耳でもそれなりにわかるが、素養と言われると急に難しくなる。この音をあのパラメータで明るくしたらあんな音になるだろう、という推測の引き出しをたくさん持っていなければ、そもそも予測の立てようがない。なるほどセンスと経験が物を言う世界だなということが身に染みてわかる。私には明らかな背伸びだ。背伸びして、背筋を伸ばして、まずは姿勢を身に付けるところから。

[1581] Dec 26, 2013

「味のあるイラスト」という言い方がある。イラストに限った修飾語ではないのだが、視覚の喩えは万人にわかりやすい。構図、パース、色合い、塗り、線……どの要素を取り出しても決してプロのクオリティではないが、どこか味があるという感覚。プロの丁寧なフルカラーよりも、ある好みの絵師の雑なラフの方が、好きでいつも見てしまう。そういうことがしばしばある。▼素人くさいが故に人を楽しませるというこの逆説的な現象は、何かの道を究めんとする人の前に立ちはだかり、その誰もが迂回する究極の謎である。勉強して、練習して、耳目が肥えて、直感が冴えて、やがて自他ともに認めるハイクオリティを実現したころに、前の素朴な出来映えを懐かしまれて愕然とするという努力の無慈悲な全否定を、私たちは他愛無い回顧主義者の意見として無視するべきなのだろうか。それとも素朴を取りもどす第三の道を探すべきなのだろうか。味のある作品とは何なのだろう?

[1580] Dec 25, 2013

「もはや守る必要はないが、守らないことで罰を受ける可能性がある。」そんなルールはあなたの職場にあるだろうか。あるとしたら、いくつあるだろうか。その数は、そっくりそのまま労働環境の黒さに繋がっているかもしれない。▼形骸化された規則の存在が悪なのは、ひとえに冒頭の文句の句点以前と句点以後の適用対象が異なるからだ。守る必要がないと開き直るのは先輩であり、守らないことで怒られるのは後輩である。そう書かれてはいないが、強きを守り弱きを罰する規則。責任の所在が曖昧な、全員が共犯の、薄いパワハラのようなものである。▼理不尽が野放しにされればされるほど、いつか抜くべき理という伝家の宝刀は錆びていく。守る必要のないルールならない方が良い。それは定めた人が悪いのでも、最初に破った人が悪いのでもなく、そういう廃れた規則を惰性で残している全員に非があると考えるべきである。コミュニティの検査を怠らないようにしよう。

[1579] Dec 24, 2013

言っていることがコロコロ変わる上司は信用できない、と人は言う。けれども私は、一概にそうも言えないと思っている。コロコロ変えた挙句に結論まで右往左往して、ついに何も決断しないまま責任を部下に放り投げるような有り様では困るが、時が変わるとダブルスタンダードを華麗に駆使して以前と違う結論を力強く下す、そんな人であれば信用してみても良いと思うのだ。まして、実績があれば尚更。▼彼らは決して、闇雲なチャンスオペレーションに全てを賭けているわけではない。ただ気分に正直な人間なのだ。少なくともその可能性はある。時々刻々と変わる状況、それを受けての気分というものが、まっすぐ結論に影響してくるので、同じ現象を目の当たりにしても意見を変える。どちらも素直で真摯な感想だ。物の見方が異なる二人の人間に批評を乞うているようなものである。まさしく一石二鳥――あとは黙して「いいとこ取り」をする覚悟がこちら側にあれば良い。

[1578] Dec 23, 2013

「ハウス・ミュージックはキックに始まりキックに終わる。」この言葉が至言であることをようやく思い知った。▼キックの作り方を検索すると、先人たちの試行錯誤の記録が湯水のように湧き出てくる。いかにしてクールなキックを創るか、ブログは「連載」の体を取るほどだ。巨大掲示板は嘆きで溢れている。「キックが硬くならない……。」彼が代わりに嘆いてくれたので、私は何も書き込まずに済んだ。▼ぴたりと来るキックを求めて二週間も悩んだという人の日記を見て、さすがにここまでやると本末転倒というか、やりすぎの感があるとも思うが、適当な音源の「Kick」を拾ってきて、適当にコンプやEQをかけたくらいではなかなかどうして、思い描いたビートが立ち上がって来ないのも確かに事実である。こういうことも手を出してみないとわからないことで、久しぶりに「イライラしつつも楽しい」という、目標に届きそうで届かない煩悶の内に過ごした休日であった。

[1577] Dec 22, 2013

出来が八分仕上がり。もう全盛期ほどの力はない。外国帰りで衰えている。すでに世代は交代した――そんな数々の「本命消し」下馬評を物ともせず、オルフェーブルは今日、ラストランの有馬記念を勝利した。▼4角の時点でモノが違った。先頭に変わった直線ではもう誰一人寄せ付けない、近づける気配さえ見せない脚色で、千切る千切る8馬身差の圧勝劇。あんなパフォーマンスをされては、馬券を外した穴党も賞賛を送るしかない。たしかに怒号も嘆きも聞こえてこない、素晴らしいゴール後のWINSであった。「これは強すぎる。」「素直に褒めるしかないわ。」モニターの向こうと一体化する拍手。▼そんな言葉が漏れてくるとき、間違いなく皆、競馬がギャンブルだということなど忘れているのだ。競馬を単なる金儲けだと謗る人にこそ、外れた人たちが笑顔で拍手を送るという、彼の論理では説明できないこのシーンを見て欲しい気がした。年の瀬に感動をありがとう。

[1576] Dec 21, 2013

結婚式の披露宴に行く。二次会も合わせると出席はこれで三回目になる。みんな同じ街で育った旧友たちだ。幾人か小学校の同級生にも会えた。他にも同窓が来ていないか名簿で確認するものの、女の子は苗字が変わっているともう誰だかわからない。さすがに下の名前までは覚えていない。テーブルには見知った顔ばかりが並んでいる。▼池袋の地下迷宮で迷ったり、道が大混雑でタクシーが遅れたり、ご祝儀を間違っていちどクロークに預けてしまったりと、三回目にも関わらずあたふたした立ち回りで辿りついた会場ではあったが、さすが披露宴の方は見事な華やかさ、晴れやかさ。結婚式というものはどうしてこうも記憶に焼きつくものかなと改めて不思議に思うくらい、人の姿も、部屋の様子も、かかる音楽も、細部に至るまでちゃんと覚えているのは、やはりそこに特別な思い入れがあるからだろう。であれば当人たちは一入に違いない――さて、自分の番は来るのかどうか。

[1575] Dec 20, 2013

某所でデザインについて指南してきた。試作サイトのコンセプトがどうも上手くない、改善案を教えて欲しいというので、仕事の後にはるばる尋ねて深夜まで。我ながら好き勝手言い過ぎだろうと思うほど大枠から細かいことまであれこれ指摘してきたが、具体性のない曖昧な助言は一切していない。自分で言うのも自画自賛ながら的確な指示ができたように思う。最終的に辿り着いたラフは、それだけでもう現行のプロトタイプより数段出来映えがいい。▼仕事にも創作にも、直接的には全く寄与しないデザインの勉強を、それでも好きだからというだけでつづけてきた。それがめぐりめぐって自分のためになるとは信じつつも、もっと即時的なことを学ばないとライバルたちに置いていかれるのでは――なんて、不安に駆られることがなかったわけではない。そんな折に、こんな小さなことでも自分の言葉が役に立つと、安心する。安心して、また<無駄なこと>に時間を使えるのだ。

[1574] Dec 19, 2013

「それは俺も時間があればやろうと思ってたんだ。」仕事ができない人の常套句は、なんといってもこれに尽きる。<その発想はあった>という主張を繰り返して、なんだかんだと理由をつけて自分の手は動かさない人びと。偉人の自伝を読んで「考えていることがまさに自分と同じなんだ」などと言うようなもので、なんとも寂しい。▼やろうと思っていることと、現実にやることのあいだには大きな隔たりがある。そうして、より重要なことだが、現実にやることと、それをやりきることのあいだにはさらに巨大な溝がある。絶壁めがけて勢いまかせで飛び出して、向こう岸にたどり着くのは案外たやすいものだが、二段ジャンプとなると成功率はぐんと下がる。マリオブラザーズの8面である。絶壁。1ブロックの地面。絶壁。▼あなたの頭の中にある「面白いこと」を、実現できる人は世に山ほどいる。取り掛かる人もそこそこいる。そうして、完成させる人は、ほとんどいない。

[1573] Dec 18, 2013

長編小説の感動的な筋書きより、音と形の輝く綺麗な単語に感動する。壮大な教会の天井画より、高級な絵の具のブルーに感動する。巨匠の人生を賭けた交響曲より、消え行くピアノの一音に感動する。たぶん、宇宙の真理を解き明かす数百頁の数学的な証明が現れても――たったひとつの公式の方が感動する。▼除菌された研究室の理屈なら、きっとこういう言い分は正しくて、世のあらゆる「構成」は、美しいもの同士を組み合わせて鑑賞に耐えないものを生み出していくという呪うべき”芸術家”の所業ということになる。しかし、実際、私たちはばい菌だらけの現実に生きているので、理想状態で完璧だった美学はなかなかどうして通用しない。自己啓発の文句が決して悩める若者を救わないのと似たようなものだ。▼綺麗事という日本語は好きになれないが、短く的を射ていると思う。綺麗な遊びは終わり。我々の存在こそがエントロピーだ。美しい世界を台無しにしていこう。

[1572] Dec 17, 2013

「それは努力ではないよ」という先人の主張に縛られないこと。▼この記事にはタイトルというものがないので、ときどきこうして短いセンテンスをタイトル代わりにしているのだが、表題というのは恐ろしいもので、あんまり正しく付けてしまうと本文が全て蛇足になってしまう。蛇足というのがイヤであれば補足である。私の今日の主張は、あらかた終わった。▼否定形の助言に有益なものが少ないのは、結局のところ、否定形で語られる言説は彼らが挫折したり遠ざけたり興味が無かったりしたものについての言説であるからだと私は思う。彼らがやってみて意味のあったことを推奨されるなら気持ちも乗るが、手を出してみて意味がなかったことを「それは無意味だ」と言われても、真偽は極めて疑わしいのである。▼勤勉な後進は、何をすべきかについて積極的に教えを請い、返答に混入してくる何をすべきでないかについては耳を貸さないという要領の良さを持ちあわせたい。

[1571] Dec 16, 2013

親の心子知らず、しかし親は子どものことを充分に知っているという関係は、ひとつの健全な家庭のあり方である。そうして、同時に、健全なシステムのあり方でもある。ふたつのオブジェクトが親子関係を持つとき、親は子の振る舞いを制御するが、同時に子となる概念は親――上位の某のことを、あまり詳しく知るべきではない。▼理由は単純。細部構造が全体について過剰に多くを知ると、今の位置・関係性のまま動作を最適化しようとして、逆に「部品」としての交換性を低めてしまうからだ。現実と違い、システム部品としての子どもは開発者の都合でいつでも親をすげ替えられてしまう。親を深く知り愛着を持たれては困るというわけだ。大名鉢植え策である。▼音楽には当てはまるのだろうか。ラスタライズ前に部分、即ちフレーズを最適化しすぎてしまうと、かえって全体構造の柔軟な改良作業を妨げてしまうのではないだろうか。――まあ、戯言も積もれば記事となる。

[1570] Dec 15, 2013

ピアノを叩けばこつんと鈍くハンマーの音がする。ペダルを踏めばかつんと硬く接地の音が鳴る。どんな楽器でも、特定の音高・音価を持つ「音符」を出そうとしたら、目的の音の他にノイズが鳴る。その宿命は歌声も避けられない。かろうじて免れているように見える楽器があるとしたら、接触のノイズそのものが目的音である打楽器族くらいのものだろう。▼不思議なことにデジタル音響の世界は、この発音ノイズを再現する方向に努力してきた。アナログの世界では避けられない「ノイズ」という本来イヤなものを、容易に除去できる可能性を持ちながら、そうしなかった。より「リアルなノイズを持つデジタル」という倒錯した理想を目指して邁進してきた。一方でサイン波という究極の純粋に向かいながらも、人はとうとう、ノイズ、複雑さ、豊かさ、再現の難しさ、解析不能性――そういう現実の表現欲と虚栄心から逃げ切ることが出来なかったのだ。ノイズこそ音楽である。

[1569] Dec 14, 2013

ついに「とみ田」へ行く。今日はその感想のみ。▼昼、上野に集合して、相変わらず遅延上等の常磐線で予定より二十分遅れて松戸に着く。時刻は十三時半。店の前は評判通り長蛇の列で、用意された席を埋め尽くしても溢れる蛇行した人の行列である。ゲームをしたり本を読んだりで寒風に吹かれながら待つこと二時間二十五分。ようやく店内に入ることが出来た。▼麺はこれまで入ったどの店よりも旨い。つけ麺にありがちな、杜撰で崩れた盛り方ではなく、きちんと寝かせて整えられた盛り付け方も食欲をそそる好印象。それではスープはというと、こちらはまさに「特濃」で、私には少し味が濃すぎるかなというところ。麺の1/3を浸して食べるとちょうどいい具合である。ここが人を選ぶポイントかもしれないが、少なくとも濃厚魚介系のファンにはたまらないだろう。▼「一燈」とは毛色が違うので比べにくいが、この系統ではナンバー1。お土産を二人分買って帰宅した。

[1568] Dec 13, 2013

辛いモノは大の苦手のこの私が、好んで食べに行く数少ない激辛カレー屋がある。明らかに私の舌には「辛すぎる」辛さだが、無闇に唐辛子や人工調味料で辛いのではなく、他の店ではちょっとお目にかかれない珍しい本場のスパイスが幾重にも利いた、新陳代謝を誘う「旨い」辛さなのだ。この感覚が合うので、舌への刺激は我慢して食べている。オレンジジュースかアイスクリームがあれば、二辛までは怖くない。▼その店が期間限定で「カレーうどん」を出していた。ここの本格カレーでカレーうどんをつくったらどうなるのだろうと興味が湧いたので、四辛というまだ見ぬ領域の辛さながら、うどんで多少は味も薄くなっているだろうという楽観で挑んでみた。――旨い。ほんとうに旨い。うどんに隣のカレーをかけただけの学食の児戯とはモノが違う。感激したが、同時に辛さは私のキャパシティを超えていたらしい。胃をやられてしまった。刺激をともなう贅沢はほどほどに。

[1567] Dec 12, 2013

先週にひきつづき音楽雑誌ラッシュ、今日はキーボード・マガジン冬号に目を通す。こちらは季刊ということもありボリュームは充実。ページの大半を占めるシンセ・キーボードの広告も、購入意欲こそ欠片もないがラインナップを見ているだけで面白い。▼開いてみて気づいたことだが、今回の「匠の履歴書」第40回は、私の青春時代のゲーム音楽ライフを支えた最重要アーティストのひとり、桜庭統氏である。敬愛すると明言しにくいのはこのたび初めて顔を見たこと、しかもサクラバ「モトイ」と言う読みであることを知らなかったという私の寡聞に拠るところだ。▼「転機になった作品は何でしょうか」というインタビュアーの質問には『テイルズ・オブ・ファンタジア』ですねと答えている。やはりここからRPGの制作が増加したらしい。私の思い出はトライエース作品群に寄りがちなのでスターオーシャンへの言及がないのは悲しかったが、この特集だけで充分満足した。

[1566] Dec 11, 2013

今月のDTMマガジンにどうも咬み合わないものを感じる。特集は『リアルさ倍増打ち込みテクニック』だが、良い例と悪い例の打ち込みを比較しつつも、いちばん聴き比べてみたいこの特集がDVDデータ連動していない。ギターらしい奏法を可能にするテクニックの紹介頁の最後に「ギター専用音源があれば面倒な打ち込みテクは不要!」とちゃぶ台を返すような商品紹介、しかも『Real Guitar 2L』を掲載しつつ、ギター専用音源打ち込み術はP.50へ!と誘導された先で使用している音源はprominyの『V-METAL』である。頭がぴよぴよしてくる。▼この頃の打ち込みは音源の挙動依存度が高いので共通テクニックというのはなかなか難しいところだ。別の企画では、基礎勉強中の身として、先月号から連載を開始したMASSIVE特集がありがたい。MASSIVEだけでいくらでも曲がつくれるんじゃないかと思うほど高性能なシンセだけに、なるべく早く使いこなしておきたいところである。

[1565] Dec 10, 2013

ルートはどこでもいいので、ひとつ音を叩く。叩いた音の上で、三度上の音と六度上の音をそれぞれ全音トリルする。この3旋律の関係を保ちながらルートの音を上下に動かしていくと、豊かできれいな響きが聞こえる。豊かでありながら安心できない、どこかミステリアスで落ち着かない美しさでもある。▼トリルしている2音の関係は4度なので、神秘性はこの4度関係から生じているのかもしれない。加えて、トリルが高速になると次第に1・3・7の響きが聞こえてくる。五抜きのセブンス・コード。これがいかに豊かさと寂しさの同居した不思議なサウンドであるかについては別の場所で詳述した。7がさらに上の3に飛びたがる心理もアタリがつく。ここには2と5がいない。▼誰かのいない昼食がその人物のうわさ話やら欠席裁判やらで盛り上がるように、キャラクターはしばしば不在になることでクローズアップされる。徹底して誰かのいない世界を演出するのも面白い。

[1564] Dec 09, 2013

一連の菊地成孔シリーズのつづきとして慣性の命ずるままに『スペインの宇宙食』まで手を伸ばしたが、端的に言ってこれは好かない。好みの問題と言われればそれまでだが、彼は自らの人並み外れた人生を武勇伝風に語るより、音楽の過去と現在と未来についてとりとめもなく喋っているときのほうが、私には遥かに輝いて見える。▼私は露悪趣味に人生のエッセンスがあるとは思わない。平和で穏やかな生活を上っ面と称し、人生の真実は薄汚い舞台裏にこそ溢れていると思い始めたら、そして言い始めたら、遅かれ早かれ行き着く先は「より狂人ほど真実に近づく」という秘教じみた精神病である。インナーサークルもかくありやという泥沼に沈んでいくだけのことだ。▼どん底のきらきらした体験を否定するのではない。ただ、あまりに毒の抜けない私的な煌めきは心のうちに留めて、より素直でまっすぐな人生を目指したほうが、――結局は、私の好みだというだけの話である。

[1563] Dec 08, 2013

どうしようもない制約条件を課せられたとき、すぐに匙を投げてしまうのは忍耐力のない軟弱モノか完璧主義者のどちらかである。忍耐力は鍛えればよいが、完璧主義は治療するのが難しい。シカクいアタマをマルくできるかどうか。▼制約と戦うコツは「目標を擬似的に達成する」という妥協地点に素早く到達することだ。要するに、無茶を要求してきた人間がそれで納得するのであれば、厳密な意味で課題を達成しなくてもよい。真の達成とゴマカシのあいだに誰が見ても差異を認められないのなら、敢えて真の達成を選ばない選択肢さえ天秤にかけるべきである。▼仕事で「妥協」とか「いい加減さ」という、あまり表彰されそうにない言葉が良い意味でまかり通るのはこういう事情が大きい。「実はこのへん、言われた通りにはなってないんですけど、まあこうして見てたらわからないから別にいいですよね?」その地点に辿り着いてさえいれば、あとはイエスと言わせるだけだ。

[1562] Dec 07, 2013

災害時助け合い計画という名の町内会イベントに出席する。有事のときには支援者が要支援者の安否を速やかに確認し、事の次第によっては救助を行うという、どこの町内にもあるであろう一般的な互助システムである。こういうローカルな助け合いの仕組みはもちろんあってしかるべきで、休日の早朝を割くのもまったく吝かではない。▼さて、配布された資料をもとに二人の「協力支援者」を呼びに行く。住所を頼りに家へ行き、インターホンを押したところ、誰も出ない。留守では仕方がないのでもう一人の邸宅に旦那様らしき人を訪ねると、きょとんとした奥さんが現れて、あら今日でしたっけ、あいにく主人はまだ……という色の悪い返事であった。▼支援要請の印を提げた玄関先でおばあちゃんと会話を交わす。全ての手続きを終えて家にもどるまで、この広い町内で、たったの二人としかすれ違わなかった。朝の寒風が身に染みる。この町は、こんなことで大丈夫だろうか。

[1561] Dec 06, 2013

馬券の当たらないおじさまがいる。▼自分では馬券を買わずに競馬を遊ぶようになって久しいが、そのおじさまこと部の大先輩は自分で買う手段がないらしく、GIのある週末になると私に金を掴ませて買い目を頼んでくる。頼まれたら私は携帯で買うだけ。たいして手間もかからないので、話の種にもなるしと一年のあいだ延々頼まれていた。そうして今年のGIも残すところあと三戦だけというこの時期に――まったく奇跡としか言いようのない事態だが――彼の年間回収率は、0%なのである。▼一番人気の単勝を買えば二着になり、二番人気と三番人気の複勝に散らせば揃って四着五着でゴールイン。本人にとっては笑い事ではないが、笑いの神が降りているとしか思えない。もはや「絶対に当たらない占い師」のごとく貴重な存在である。願わくばどうかこのまま小さな当たりなど拾わず伝説を築いて欲しいものだ。明後日はいよいよ可憐なる少女たちの祭典、阪神JFである。

[1560] Dec 05, 2013

歩く名言Y先輩が席替えで隣に来た。そうして移動後の初日、大きなプロジェクトを終えてしばらく休暇に入る同僚が、意気揚々と私のところへやってきたところで捕まった。先輩は面倒見が良く、本当に面倒見が良いので、ときどき面倒見が良すぎて思わぬ爆撃を始めることがある。本人は軽いアドバイスのつもりで話しているのだが、三十分、ときに二時間に及ぶ”講義”は、聞き手にとっては完全に降って湧いた説教である。▼もっとも説教の内容については完全な正論で、彼にとってもぐうの音も出ないほど正しくタメになる話なのだが、正論を聞く元気もないときというのはあるもので、そういう意味では同情する。今日の語録から、職業プログラマなら心に刻んでおきたい一節を切り出そう。「いちいち文句を言うプログラマ。昨日までと同じことしかできないプログラマ。言われたことしかやらないプログラマ――こういうプログラマは、本当に要らないとぼくは思うよ。」

[1559] Dec 04, 2013

付属CDの音源が(音楽的な意味でもサウンド的な意味でも)がっかりする教本ほど悲しくなるものはない。実力主義、結果主義の世の中である。せっかく哲学的で実践的で豊富な経験と思考に根ざしたクールなことを書いていても、それではトラック12を再生してくださいと言われて鳴らしたデモの出来映えがイマイチでは、何の主張も信じられなくなる。▼そんな明らかに全力で取り組んでいないサンプル音源が跋扈する教本の中、燦然と輝く最近の”当たり”は村井研次郎『常識を越えるベース・ラインの思考法100』である。トラックからは――最高にかっこいいベースが聞こえてくるじゃないか!これだけ巧くベースを弾く人の言うことだから信じてみようと思う気にもなるというもので、そう思い込んでしまえば後はしめたもの。教本のサンプルはこうでなくては困る。▼実績は口以上に物を言うのだ。読了後に調べて見たらこの著者、やはり凄腕のベーシストであった。

[1558] Dec 03, 2013

ある音源で、チュートリアルの手順を踏んでも空のアラートが表示されるばかり、目的の操作が行われないという不可思議なエラーを引いた。トラブルシュートを見ても同様の症状は見られないし、ビデオチュートリアルと全く同じ動きをしてみても、画面の中では上手く行くのに自分のPCは無言のダイアログウインドウを出すばかり。解決の糸口がなく埒が明かないので公式のフォーラムに質問を投げた。▼こういうことはソフトウェアにはありがちなので解決すればさほど文句はないが、空のエラーメッセージが表示されてしまうというのはよろしくない設計である。間違ったエラー報告というのは、しばしばハングや無反応より人を困らせるものだ。今回の場合は空なので救われた方だが、まかり間違えて別のメッセージが表示されでもすると、それならこうしてみれば……などと無益な試行錯誤を繰り返すことになってしまう。バグトラップのバグは、残念ながら下の下である。

[1557] Dec 02, 2013

最近、ニコニコ動画のランキングが妙なことになっている。旬な動画がランクインするはずの「毎時」や「毎日」の動画一覧に、近頃投稿された動画がほとんどいない。代わりに居るのは見かけた顔ばかり。誰も彼も数年前、ニコニコ動画の黎明期に流行した<β時代の英雄>たちである。▼これがある日ある時だけの短い騒ぎであれば、ときどき顔を出す回顧趣味のお祭り騒ぎとしても片付けられるが、こう連日ではさながら亡霊の決起集会という意気で気味が悪い。我々はもう、過去の作品を新たな世代に「転売」して糊口に糊するしかないのではないか。後ろ向きなテレビディレクターの言葉が脳裏に蘇る。▼同じ回顧趣味でも、新古典主義なら「新」と付いているだけマシと言うべきだろう。しかしてそういう哲学でもなく単純に、新たなコンテンツに期待を寄せず、昔日の思い出を広げて語り合うことが至高の楽しみになりつつあるのであれば――こんなに恐ろしいことはない。

[1556] Dec 01, 2013

聞き慣れない言葉ばかりで記された膨大な説明書を隅々まで熟読しながら、未知のソフトウェアを試行錯誤の手探りで動かしていく。こういう時間を楽しいと感じる人はエンジニア向きである。私は今日、この日に限り、熟練のエンジニアだった。▼弦楽器のときに経験済みなので対処法はそれなり心得ているが、新しい楽器の音源を調査するときにいちばん困るのは奏法や部位を表す知らない単語である。今回は、かつての反省を活かして、音源を手にするまでの猶予期間にしっかり楽器の解説書を読み込んでおいた。本屋さんはさぞかし多くの楽器を弾く人だと思ったことだろう。実際には何も弾きはしない。▼結局は日本語と英語の表記ゆれに苦しめられたものの、準備の甲斐はさすがにあって前ほどの苦労なく全てのアーティキュレーションを出音と操作の関係で頭に入れることができた。早速数秒ほどのデモをつくってみる。なかなかいい感じじゃないか。今日はご満悦である。

[1555] Nov 30, 2013

最近ようやく言葉にまとめたことだが、私は、音楽制作の能力/興味を次の三項目に大別して考えている。1.サウンドメイキング。2.ノートコーディング。3.ストーリーテリング。▼1は音そのものの質を創る能力を表している。アナログシンセの人が主に奮闘している領域だ。2はその音をどう配置するか――和音、リズム、メロディなど、音韻情報のアレンジメント能力を指す。3はそうして配置された音の連続が創りだす物語の面白さを評価する項目である。1〜3に向けて視野がミクロからマクロへ移っていると考えれば外していない。▼これらの柱について、実力などというふわふわしたものを数値化しようと試みるのは不毛だが、「興味」であれば確かな主観値は得られるので、自分を見直してみるには良い物差しになると思う。私はそれぞれ「5」「2」「9」というところ。音韻への配慮が足りていないので、目下、多少は興味を持つ努力をしているところである。

[1554] Nov 29, 2013

『憂鬱と官能を教えた学校(上・下)』『アフロ・ディズニー』『アフロディスニー2』『東京大学のアルバート・アイラー(歴史編・キーワード編)』と立てつづけに菊地成孔&大谷能生コンビの著作を6冊読み終えて、すっかりイズムに染まったかと言えばそうでもなく、六割は同意、四割は疑問という、ちょうどよい塩梅の読書感を得られた。特にアフリカのリズムに関する論考は、私の頭のなかでもやもやしていた感想を綺麗にまとめてくれていたのでありがたい。▼「東大アイラー」の後期ダンス回では野田努氏が講演している。当時、受講しておけばよかったと微かに後悔したが、まだ音楽のオの字も知らないあの頃に聞いたところでちんぷんかんぷん、かえって音楽嫌いになってしまったかもしれないと思えば、ジャズに興味の出始めた時期に出会えた幸運に感謝すべきだろう。一ヶ月前に書店で受けた神託というのは、この連鎖の入り口たる「憂鬱と官能」のことである。

[1553] Nov 28, 2013

恐ろしい思いをした。民家に程近い線路沿いの一角、「鳥」の看板を提げた古き良き昭和風の居酒屋でお通し代わりに蛙の唐揚げを食べ、これは鳥と魚の中間という歯ごたえで案外旨いと思いつつ、先輩方と鍋を囲んでいたところ、ふぐを噛んだところで強烈な痺れに見舞われた。こめかみを中心に右半身が痛い。立って外へ出て、吐いて深呼吸。酒も入れてないのにぐるぐる目眩がする。▼テトロドトキシンの致死量はごく少量。症状が現れるのも摂取の直後ではなく数十分くらいしてからのはずで、さすがにフグ毒ではないという確信はあったが、いざ現実に動悸がしていると疑う気持ちもないではなく、異様に感覚の鋭い右の二の腕を抑えながら、怖い気持ちで夜風にあたっていた。やがて症状も少々収まり、これは蛙か鴨かフグかわからないが、何かでアレルギーを起こしたかなと思って、その後は烏龍茶のみ。無事に済んで何よりだが、真剣に身の危険を感じたのは久々である。

[1552] Nov 27, 2013

リディアン・クロマティック・コンセプトや下方倍音列によるラングメソッドのことを入り口ばかり調べてまわって、非常に興味深くスパイシーな香りにときめくと同時に、なるほどこのあたりが<理論の泥沼>だなという、啓蒙書から宗教書へのグラデーションの途上に立ったような、自分の実人生に対して危害を加えうる領域への本能的な萎縮を感じたのである。いかに面白くて役に立つとしても、深入りしないほうがよいことも世の中には多々あるものだ。▼「鈴を使い始めたら危ないですね」とは晩年のコルトレーンを評した菊地成孔氏の言葉だが、部屋で、ストリートで、パーティーで、居酒屋で楽しく音楽を弾いていた人が、真実を追い求めて、研鑽を渇望して、やがて独自の理論を創りあげ、世界とか宇宙とかコンセプチュアルなワードに囚われて行く。素晴らしい生涯だと素直に感心しつつ、憧れ得ない学究の姿だとも思う。私は、平穏無事に楽しく生きたい俗物である。

[1551] Nov 26, 2013

出来る人が他にいないからという理由だけでしばしば私に振りかかる担当業務外の仕事を今後も愛想よく引き受ける余裕があるとは思えなくなってきたので、このプロジェクトを機にスキルを後輩へ引き継ぐ決意をした。▼能力はあるがおっとりしたマイペースなタイプ。直属の上司を交えてこの話を持っていったときも、わかりました、頑張ってみますといういい返事で、たいへん素直なのだが、さて一筋縄では行かないことがわかりきっている数々の壁にがつがつ取り組んでくれるか、不安なところもある。先輩たちがどんな気持ちで後輩にパートを任せていたか、少しわかるような気がする。▼彼にとっては難仕事になるかもしれない。けれどその仕事が、今後もタイトル立ち上げの度に求められる重要な役割になるのは確実だ。ぜひとも頑張って結果を出してくれればいいなと思う。そのためのサポートであれば、可能な限りしてあげたい。良い勉強のさせ方を、勉強しなくては。

[1550] Nov 25, 2013

ロシアの通販サイトにある品で、たまたまセールの情報を探していたら、過去の特売かどうかわからないが、トップページからは辿ることのできない「オールドプロダクト」という簡素なページに該当商品が40%オフの表記を見つけた。トップから正式に商品ページまで行くと通常価格である。これは終わったキャンペーンだろうか。しかし、カートに登録してみるとちゃんと追加される。▼不気味なのでサポートにメールを出してみた。「この冬、自分はこの商品を買う予定でいますが、たまたま下記のセールページを見つけました。このセールはまだ有効でしょうか」という趣旨で送ると、果たして数分後には公式から返信が届いていた。こんな内容であった。「恐らくグーグル検索などから来られたかと思いますが、それは我々がもうすぐ行うクリスマスセールとなっています。正式にメールでご案内差し上げますので、今しばらくお待ちください。」過去どころか未来であった。

[1549] Nov 24, 2013

予定通りミリタリーショップへ行く。数十分くらい見歩いて帰るつもりが、あんまり物珍しくて2フロアの狭い店内に四時間もいた。四時間いて、何も購入せずに店を出たのは申し訳ないが、今日はもとより下見なので仕方がない。同僚に聞いた詳細と、試射した感触と、ひきつづき集める情報で総合的に判断して決めたいところだ。――勿論、買うとも限らない。▼世の常ではあるが、これは良いなと思うモデルほどSOLDOUTで実に歯がゆかった。サバゲーにも新規参入者が急増したというこの頃、軽量路線のMP5KやMP7A1はどちらも入荷未定の大人気だという。MP5SD6は気に入ったが、中庸なサイズが如何とも判断しにくい。使い勝手の1kg台、ロマンの1m超級、どちらにも属さない感じでためらわれる。エアコッキングのショットガンは硬すぎて問題外、ではガスはというと初手はできれば電動がいいな、などと迷いに迷って大いに楽しんだ逍遥日だった。

[1548] Nov 23, 2013

忙しくなる年末に備えて大掃除を先取りすべく、ブラシで家の窓と壁をガシガシ磨く。ふだん目が悪いせいで気がつかないが、改めて顔を近づけてみると汚れや青カビがあちこちに群生していて、力を込めて磨けば磨くほど落ちていく。こうなるとあれも落ちそう、これも流せそうと随所の汚れが気になりだしてキリがないので、今日の所は目立つ場所だけ7分仕上がりで引き上げた。▼夕方。湯に浸かって寝間着に着替えて、「鳥飼」をロックに注いでAVARSTをゆっくり観戦する。進めたい本があるのに、家にいるとどうしても手が伸びないので、明日は東京まで遠出をしよう、いつでも声をかけてくれと言っていたサバゲーマニアの同僚に声をかけて、上野のモデルガンショップを案内してもらおうなどと珍しく予定など立てつつ、ぶらぶらと音源めぐりをしていた。▼平和な一日。贔屓のクランは負けてしまったが、貫禄の王者と新生古参がぶつかる決勝戦はやはり楽しみだ。

[1547] Nov 22, 2013

ワイド文字列とマルチバイト文字列が完全に混在するレガシーコードのビルドに苦しみながら、今日、数日前から疑問に思っていたテクスチャフィルタリングに関する極めて基礎的な仕様について、ようやくの解決を見た。▼疑問の内容は些細なことで、テクセルの最近点サンプリング時に生じる浮動小数点の誤差をめぐる素朴な、現実では出会うことのないであろう潜在的な問題への不安だったのだが、いかんせんあまりにも基礎的すぎる内容につき、書店の棚の上から下まで関連書籍を解いてみても、該当の仕様に関する記述は当然のこととして説明がない。そんな迷える子羊に救いの手を差し伸べてくれたのは、灯台下暗しとはこのことだが、MSDNライブラリであった。▼それ自体の解読にヘルプが必要なほど意味不明なMSDNという遥か昔の印象を引きずっていた私は、今日、疑問点にわかりやすく答えてくれる別人のように優しい彼の、その進化ぶりに感動したのである。

[1546] Nov 21, 2013

ジャズの何が苦手なのか。ひとつに、濁った音を「知的なサウンド」とか「複雑な感情の発露」とか言われても心底納得出来ない、どうしてもそういうふうには聞こえないのに識者は皆そう言うので、仕方なくそうですかと頷くしかない、そんな不満に根ざしているところがある。▼全くもって腑に落ちないのは、例えばコードノートにCとあれば基本的には「ド・ミ・ソ」であるところが、レ#を置いて「シャープ9thです」と真面目な顔で言い、ラbが来ても「これはフラット13thですから」と言うような、要するに何を置いてもいいんじゃないかという規則の散逸ぶりである。「敢えて」と言えば許されてしまう奔放。作文なら赤の入れようもあるが、ポエムでは添削も難しい。その「難しい」が転じて難解=複雑となり、ひたすら批判不可能性へと逃げていく難解なる堆積物を好き放題に褒めたり貶したりしているのではないかと――言うなれば、不安に駆られるのである。

[1545] Nov 20, 2013

40年代以前のスウィング・ジャズから50年代のモダン・ジャズを経て、フリージャズへと至る歴史の流れと実地の曲を追いながら、徐々にジャズへの謂れ無き誤解を解きつつ興味を持ちはじめてきた。▼と同時に、今日の昼食屋でかかっていたジャズを、これはコルトレーンに似ているな、いやもっとモーダル寄りだろうかなどと全く詮ない素人考えを巡らせながら聴いていたとき、ふいに気づいたのは、私は今までに聴いたジャズの曲、傑作と言われるものもそうでないものも含めて、何回も繰り返し耳にした曲でさえ、ほとんど覚えていないということだった。そのとき注意を寄せていた昼の曲のフレーズひとつさえ、今はもう思い出すことができない。楽器はなんだっただろう。▼これはジャズの性質に拠るのだろうか、それとも私の性質に拠るのだろうか。即興性とは記憶も印象も即興のうちに消えていくものなのだろうか。――私はまだ、ジャズの音色が好きにはなれない。

[1544] Nov 19, 2013

焼酎「鳥飼」を買う。熊本県人吉市の米焼酎、25度。近所の酒屋で買いかけたがアマゾンの方が50%安かったのでそちらにした。地元商店街には申し訳ない気もするが、数百円差ならともかく倍近い差となると、さすがに同じ消費物なので安い方で買わざるを得ない。ローカル店舗の苦しさがよくわかる。▼味は上々。モンドセレクション金賞などなど定型句はどうでもよいが、蔵元の言う「トロピカルフル−ツのような優しい香りと柔らかな味わい」は確かにあると思う。かなり甘いと感じるが、前に甘いと評した酒を日本酒通に「それは辛口」と評されたので、こと甘い辛いについて私の舌はアテにならないかもしれぬ。少なくとも、私にとって、数日前に仕入れたイカに合うのは間違いない。▼後輩が急な帰省の土産にくれた日本酒が旨かったので――といってもこれはほとんど私の口には入らなかったのだが――久々に夜の勉強のお供に焼酎が欲しいと思い試した次第である。

[1543] Nov 18, 2013

杉山泰『コード分解式アレンジ・テクニック』を読了。『リハーモナイズで磨くジャンル別コードアレンジ術』『作曲エクセサイズ40』につづく杉山先生のリットーミュージックシリーズ第三作は、和音でもメロディでもなく、アレンジ全体の音の配置をコードの分解という視点から見る「総合編」である。▼なんとかしてわかりやすく書こう、詳細に書こうという心遣いが伝わってくる一方、その裏返しとして必然的に頁数比の体感内容量は少ない。少ないというより、貴重な視座、重要な助言の数々が言葉と実例で物理的に薄められている印象だ。さくさく読める、初心者でも順を追って理解できるという意味では良いのだが、欲を言えばこのテーマの延長線上に応用例があと数曲欲しかった。三章〜五章だけを拡張した「実践編」のような拡張版が出ないかなと期待する。▼助言が具体的であるところも氏の教本に共通する長所だ。このあたり哲学に堕しない実用書の面目である。

[1542] Nov 17, 2013

ボードゲーム『シティビルダー』で遊ぶ。弟の友人を交えて三戦プレイした。シンプルなゲームだが最後の最後、それこそラストターン終了後にまで逆転要素があるので熱狂度は高い。▼ただしサイトや箱の触れ込みは「市長になって、目指せ100万人都市!」という文言だが、シムシティのように「都市を育てている」という感覚は皆無に近く、都市の見栄えや形状などはどうでもよくて、純粋に勝利へ近づくタイルを選んで最適な場所へ貼り付けていくという、収入と人口の計算によるせめぎあい、数と数のぶつかり合いという感の強いゲームである。数字合わせに都市というラベルがついたに過ぎない。▼手札系のゲームにありがちな、隠し手札がゲームを通して最初に配られる二枚しかなく、それも最初に確認すれば修了まで事足りる伏せカードなので、気軽にプレイヤーの背後を行き来できる気軽さもいい。プレイ時間は90分程度。初心者でも楽しめるのでオススメしたい。

[1541] Nov 16, 2013

リコーダーの音をよく聴いている。ソプラノ、アルト、テナー。音域のオーバーラップが想像よりだいぶ大きい。昔、中学校でアルトリコーダーを吹いていた頃はソプラノより随分低い音を出す楽器というイメージがあったが、ソプラノがC管、アルトがF管なので、実際には五度しか変わらない。バスリコーダーでも使って四重奏でも、と思うものの表現可能な音域が予想以上に狭くて弦楽のようには出来ないらしい。全く別の想像力を要するということだ。▼リコーダーの音色は「甘い」と形容されることが多いようだが、味覚の比喩はともかくどこか長閑でのんびりとした印象は付きまとう。加えて少年少女時代を彷彿とさせるのは音楽教育の名残りだろうか。アニメ『のんのんびより』でれんちょんがリコーダーを吹きながら田園風景を歩いているとき、たとえ自分は都会育ちでもデジャヴュ的な懐かしさを感じた人は多いだろう。楽器にまつわる幼少期の記憶がなせる技である。

[1540] Nov 15, 2013

言葉は、それが論理として示している内容以上のものを人に伝える。ニュアンスと呼ばれることもあるが、ここでは発話者が意図的に込める言外の意味というより、読み手が言葉面からその言葉が「どういう思考からの写像なのか」を推測しようとする行為から生まれる、意思疎通の道具としての言葉が持つベクトル性である。▼たとえば人に遅れて数学を志し三角関数を勉強中の大学生に「それ、普通は中学でマスターするものだよ」と言う場合、その「普通」という単語は正規分布の中央という位置だけでなく、明らかに負の方向への射程を孕んでいる。だから、この言葉が伝える内容は「あなたは普通ではない」ではない。内容が平易な事実に過ぎない分、聞き手の意識はベクトルの指す先へ飛ばされ、結果として「軽蔑・嘲笑」のシンボルが伝達されることになる。▼伝えるという行為の責任は、自分の意志を言葉に託しただけで終わるものではない。何を言うにも言い方ひとつ。

[1539] Nov 14, 2013

Vienna、VIR2、Best Service、Native Instruments、etc...。加えてクリプトンとメディア・インテグレーションも。日本語か英語で閲覧可能な音源配信/購入サイトは、年末でなくても定期的にチェックしているが、十二月も中頃になると本格的にウインターセールが始まるので、そろそろ探訪頻度を高めにしようと思っている。▼早く見つけることで特別いいことがあるわけではないが、もしあなたがセールを狙っているなら、少なくとも本家サイトは念入りに見ておいた方がいい。日本の輸入代理店が必ずしも全ての割引を適用するとは限らないからだ。割引の形式次第では、どうしても国が違うと適用できない場合がある。▼1ユーロは只今135円。今年の大幅な価格改定で、ドル及びユーロの商品は送料を考慮すると軒並み日本円の方が安く買える状態である。ダウンロード製品はまだ直販の方が安上がりだが、サポートなど諸々考えると敢えて迂路を取る必要はないだろう。

[1538] Nov 13, 2013

とある楽器の音源について、さまざま評判を検索した後、候補AとBで迷っていた。Aは常用してきたシリーズのひとつで手持ちの既存音源とは音がよく混ざるし、空間系のプラグインも馴染ませ方は同じなので調整しやすいが、「激しく爽快な」という目的には少々合わないジェントルな音色しか出ない。Bは今までの楽器の中では浮いてしまうが、まさしくイメージする通りの荒々しいアタックが売りで、巷でもどうやらジャンル随一の評判を誇っている。価格はほとんど同じ。▼悩んだ末、一度はBに振れた心を完全にAに振り戻してしまう出来事が起きた。音源名を伏せているのはその出来事のせいだ。BはAと違い認証が甘くデータがあれば動いてしまうため、違法アップロードされたファイルがあちこちに出回っていたのである。いかな自分は正式に購入するとはいえ、そういう状況のものを愛用する気にはさすがになれない。無念。認証システムの甘さが生んだ悲劇である。

[1537] Nov 12, 2013

スティーブ・レイク『Music for 18 Musicians』を聴く。ミニマル・ミュージックの嚆矢と言われる巨匠の、演奏時間一時間に届こうかという大作。集中して聴いているとものの数分で飽きてしまうので、エッセンスを逃さないよう耳に注意は払いつつ、作業をしながら通して二周ほど聴いてみた。▼もともとミニマルという概念はアートの批評界で使われたもので、黒で塗りつぶしただけの絵画や、箱を並べただけの彫刻に見られるような、内容からの脱出=芸術のための芸術を追求する運動だった。以来、最小限のマテリアルが織り成す美しさというものが審美されていくことになるのだが、テクノ以外では始めてミニマルを聴いた素朴な耳からすると、音楽の方は絵画や建築のそれとは違い、些細だからこそ小さな変化を敏感に感じ取れるという意味での内容が健在で、だからミニマルを掲げつつも、その実は環境音楽に繋がる「音響の一形態」に過ぎないのかなと感じたのである。

[1536] Nov 11, 2013

貴重なスタディ期間、環境構築しながら勉強もできるので、ありがたく描画まわりの予習と復習に勤しんでいる。シェーダ言語のマニュアルを読みながら、ワールド、ビュー、射影の変換行列など懐かしみつつ、もう記憶も朧げだしこのあたりちゃんと式を導出できるようにしておこうと思い立ったところで、ふと気がついた。「クォータニオンは、どうしてこれが回転になるんだっけ。」▼式はわかる。回転軸と角度から組み上げた四元数とその共軛で挟み込んで、それがジンバルロックのない任意の軸周りの回転を実現できるという論理もわかる。しかし、その式――ぱっと見たところ、目標角度の半分だけ何かの処置を施して、算出した行列に対して改めて目標角度のもう半分だけ何かの処置を施すというプロセスが意味する3次元空間上の「回転」とは何なのか。じつは、日がな調べても今日中には辿りつけなかった。意外にもきちんと説明できない箇所である。早々に埋めたい。

[1535] Nov 10, 2013

菊地成孔&大谷能生の名コンビが数年前に東京大学でジャズの講義をひらいたとき、講義は好評で、当人たちは単発と思っていたところが、予想に反して大学側から来年もぜひという声がかかった。そういうことなら我々も、と頷きかけたところで、こう言われたという。来年もぜひまた同じ講義を――同じ講義だって。それはつまり、毎年毎年、駒場の門をくぐってくる新入生たちに、レコードのように同じ内容を繰り返せということか――こうして二人はしばらく行方をくらませた。▼どこまで盛られているかわからないが、こんなエピソードを読んだ。事実、東京大学での講義が再び行われることはなかった。彼らが教壇に立つのはほとぼりが覚めた頃、慶応大学でのことである。学問とアートの摺り合わせの難しさ、文化の違い、時計の相違をひしひしと感じるささやかな逸話だ。同じことを二回なんてやってられるかというこの態度、私は非常に好感が持てる。そうでありたい。

[1534] Nov 09, 2013

「カタチから入る」というのは、子どもの特権である。現実がどうであるかは気にも止めずに、こういうのがかっこいいのだという直感だけを信じて、見よう見まねで完成形の枠だけを先に整えていくという、この自由奔放なやり方を、私はいつまでも失いたくないと思っている。そんなのは大切なことじゃないんだよと、言いたい大人には言わせておけばいい。かっこいい枠を創ってしまえ。▼これをコドモスタイルとすると、具体的な内容をこつこつ積み上げていくのはオトナスタイルとでも呼べそうだが、個人的な好き嫌いはともかく、オトナスタイルにも利点はある。彼らは気分で立ち止まったりはしない。気が乗らないからと創造を放棄するだらしないアーティストのようなことを言わず、経験と理論にしたがって黙々と目の前の作業を片付けていく。足取りが天啓に左右されないこの実践力は凄まじい。こうでなくては仕事は片付かぬ。両立出来れば最高なのにといつも思う。

[1533] Nov 08, 2013

『和文英訳の修行』という名著がある。大学受験の参考書で、昭和時代を思わせる古い字体で綴られたストイックな「修行」の書。定型句を暗記し、型に嵌めて応用していく、それをとにかく数をこなすことで手と脳に刷り込んでいくという、極めて実践型の、砕けた言い方をすれば脳筋型のトレーニング本である。▼これが名著たる所以は、その修得効果の大なることと、全て修了したときの「こんなこともう二度とやるか、俺は英語の本でも読むぞ!」とでも言うべき反発の気分にある。ダメじゃないですか、という反論にいつも私は真顔で答えてきた。私は素直に、そういうものこそ良書だと思う。嵌っているときはひたすら信奉でき、信奉しているときには実りをもたらしてくれ、そうして、全てを終えたときには、もうここにはいられないという強い焦燥、真逆の方向へ飛び出す反抗心というエネルギーを与えてくれる。そういう灰汁の強さにこそ、私たちは耽溺すべきなのだ。

[1532] Nov 07, 2013

よっちゃん食品工業が販売している乾燥ゲソ「けんこうカムカム」を買う。幼少期のおやつといえばスルメとめざしだった私にとっては、この手の硬い、ひたすら硬いイカは、いまだに大好物である。駄菓子屋にあるような透明角柱・赤い丸フタのボックスに40本入りで1980円。近所の業務スーパーに売っていたので衝動買いした。アマゾンで調べてみると60本入りが1500円程度なので、割高ではあったらしい。▼硬いイカであればよかったので味にはさほど期待していなかったが、さてこれが案外に旨い。自然の旨みというよりは調味料で味付けした旨みだが、それがくどすぎずきつすぎず、ほどよい甘みと辛味を添えて、飽きない味に仕上げている。「1本」の単位も足一本などというケチなものではなく旨みのたっぷり染みこんだ付け根の部分も合わせて1本。3本食べたら一食抜いてもいいほどのボリュームである。回し者では決して無いが、オススメできる逸品だ。

[1531] Nov 06, 2013

あれを読んだり、これを読んだり、やや忙しない読書生活をしているので、まとまって書ける内容に乏しい。誰も歌わないボーカル。誰も踊らないダンス・ミュージック。誰も演奏しないオーケストラ。シェーダーの勉強をしながら、歌と踊りと音楽のことを不真面目に考えている。▼これから冬にかけて、我が社には珍しいことだが、プロジェクトの交代期が訪れる。チームメンバーがシャッフルされるのだ。このたびは立ち上げメンバーの一角になったこともあり、誰を取るか、取らないかという、これまで触れることのなかったMTに末席ながら参加した。別チームの若手について、寸評を行うベテラン二人。そんなところまで見ているのかと驚くようなところまでちゃんと見ている。そうしてその寸評の意図するところも、恐らく外してはいない。無闇な人事ではないわけだ。▼過渡期が最後のチャンス。ぐらぐらする私生活に早いところまとまりをつけて、仕事に打ち込みたい。

[1530] Nov 05, 2013

一生懸命がんばって、それでも成果が自他共に認めるような微妙な具合だったとき、湧いてくる気持ちには明確に二種類ある。かたや、努力が報われなくてつらかったり、人に疎んじられて悔しかったりする負の思い。かたや、それでも自分は自分なりに満足しているという達成感。混在することはあまりない。▼どうせなら常に後者でいたいものだ。しかしいくら自己満足だ、自分よければ全て良しだと決め込んでも、あるいは失敗からも学ぶことがあると前向きに達観しても、それでも、悲観から逃れられないことはある。それはそれでよいのだと思っているが、問題は、同じ失敗作に対するに、その気分の正負はどこで分かれるのかということだ。▼私は、それは、その失敗作が信念を持って作られたかどうかに拠ると思っている。あらかじめ思い描いていた何かを達成した作品であるなら、出来栄えに関わらず誇らしいものなのだ。コンセプトとは、未来の自分への保証でもある。

[1529] Nov 04, 2013

ブギウギという音楽ジャンルがある。言葉は耳にしたことがあるし、なんとなく曲の雰囲気もわかるのだが、何がブギウギなのかと言われると説明が難しいので、たどたどしいながらも調べたり弾いたり譜面に起こしたりしてみた。▼声やギターで音程の揺らいでいたブルースが、ピアノという離散空間で演奏されたもの――という解釈が近似値としては近いらしい。加えて、同じ形を繰り返すシンプルな左手フレーズが右手のメロディを引っ張るという、リズムの勢いで曲を進行させていくスタイルが特徴。スピーディーに跳ねる四拍子、ドラムの打ち方は、ロックンロールに通じるところがある。▼ブギウギを聴いていると必ず思い出すゲームがある。小さい子どもが遊ぶような、ミシン大の黄色い筐体に車のハンドルがついていて、附属の紙芝居をめくると画面が連動して物語が進んでいくという、今思えば不思議なドライビングゲームである。名前を思い出せないのが悔やまれる。

[1528] Nov 03, 2013

レイ・マンザレクの『ハートに火をつけて』を聴く。レイの、という言い方ではドアーズファンに怒られるかもしれないが、とくに予備知識なく彼の記事を追う流れで聴いた顛末なので堪忍して欲しい。そして、なんだろうこの曲は。凄い。▼名曲だよ、と言われて聴いて素直に凄いと感心するほうが珍しいのだが、これは気がついたら兜を脱いでいた次第で、なんというか、こういう曲の在り方もあるんだなと思わされた。キャッチーで牽引力のある4度上昇イントロと不思議な着地、Aメロ歌い出しの意外な短三度降下、そして長い長い病的に長いマイナー7th平行移動のソロ――イントロ、世界がもどってきて、声がついて、思い出して、瞬く間に大サビ、それもシンプル極まりない王道進行と王道展開で素直に聞かせて、この世界に引きずり込んだ張本人たる魔術的なイントロで締めるという、いやはや、これは恐れ入るよ。生半可に真似たらソロが退屈なこと請け合いである。

[1527] Nov 02, 2013

サウンド&レコーディングに限らず、音楽関係の雑誌やスタジオの紹介サイト、それに類する画像・動画を見ていていつも楽しくなるのは、部屋を埋め尽くすように積まれた膨大な数の機材である。機材が好きだからではなく、この機材がどんなふうに使われているのか、あるいは使われていないのか、思いを馳せるのが面白いのだ。88鍵のキーボードが6台もある意味が、私にはまったくわからない。▼未知への純粋な興味半分、商業主義への皮肉半分。ああいう画像を見て「なるほどやはり良い機材がたくさんなくてはプロにはなれないんだな」と思う後進が、なかば騙されたように機材を次々揃えていく、その負の連鎖なのか。逆に「プロになればこんな機材も揃え放題だよ」というような、企業の役職者が高級な時計やブランド者を身につけているのと同じ理屈なのか。後の頁で紹介される高級機材がずらり。大学教授の撮影で本棚を背にするような、独特の空気を醸している。

[1526] Nov 01, 2013

自分自身を伝達する努力と隠蔽する努力のあいだを彷徨いつづける不器用な魂は、どうしたら救われるのだろう。自分ひとりでは抱えきれない、文章に書きたいし、誰かにしゃべりたいけれど、万人には曝け出したくない――そういう要求に対して、今の時代「公開の程度」を図ることが難しくなっている。ウェブに載せれば全世界、載せなければ私の秘密の日記帳。このくらいまでなら知られてもいいかな、という知られ方が出来ない。だから伝達が曖昧になる。固有名詞を避けて、一般化された話しかできなくなる。伝えたい核心部分がぼやけていく。▼面倒だなあと思うタチである。かといって完全なるオープンもクローズも選択はできない小心者である。フェイスブックやツイッターが次々と乗り換えられていくあたり、同じ悩みを抱えて広大なウェブ砂漠を放浪する同志も多いのではないだろうか。あるいはそう点々と落ち着かないでいることしか、解答はないのかもしれない。

[1525] Oct 31, 2013

かなり久方ぶりにCubaseを開いたら、本体やプラグインがもろもろ更新されていて、いくつか昔のファイルが再生できなくなっていた。つくりかけのまま放置していた作品があることを思い出して、あわてて更新、再設定。なんとか鳴るようになったこの音は、恐らく昔と同じ響きではないだろうが、そこはきっと今の調整の方が良いに違いないと信じて目を瞑る。▼ついでにリハビリがてらその「つくりかけ」に手を入れていると、最後に根をつめて打ち込みして以来、あれやこれやさまざま勉強してきたような気がするのに、いざ次の手に困ると、これが笑ってしまうくらい身についていないというか、役に立たないというか――もとより役に立つ立たないで勉強しているわけではないが、それにしてもあまりに実地に反映されないので悲しくなる。曲の毛色が違いすぎて適用の余地がないという言い訳もあるが、寄る年波か、覚えた側から忘れているという可能性も否定はできない。

[1524] Oct 30, 2013

機能和声とはコロケーションである、という類推に辿り着いた頃、私はもう充分に思考実験を楽しんでいたので、結論の妥当性について真剣に考えはしなかった。音楽理論の特徴は、他の学問領域とのあいだに類推が成立しやすく、しかしその類推から具体的に役立つ定理が得られないところにある。音楽は言語だ。音楽は建築だ。音楽は教育だ。音楽は哲学だ。まあ、要するに、なんとでも言えるのである。▼それでも私が最近の入力から得た着想をパズルのように組み合わせて機能和声≒コロケーションという、まあ嘘だろうなと自分でも思うようなカルトな近似式に辿りつくまでにふらふらした道程は、今この空疎な目的地から振り返り見ても、なかなかにかけがえのない有意義な獣道に見える。歩いたのだから。脳はそれだけ運動をした。▼類推の世界にもどっても、言えることはひとつだけだ。機能和声に始まる二十世紀音楽理論は、読点や句点の打ち方だけは教えてくれない。

[1523] Oct 29, 2013

二つの四度堆積和音でチャーチ・モードをマスターする。ものすごく汎用性が高い、有意義な覚え方なのに、ついぞ今までスケール関連の書籍では出会うことがなかった。当然のこととして退けられたのだろうか。もう少し早く気がついていれば、いろいろ楽しかったのにと悔やまれる。▼次の通り。イオニアン:T△7&Um7。ドリアン:Tm7&Um7。フリジアン:Im7&Ub△7。リディアン:T△7&U7。ミクソリディアン:T7&Um7。ロクリアン:Tm7(b5)&Ub△7。鍵盤の網羅性を諦めればイオニアンはI△7&W△7、ドリアンはTm7&W7、リディアンはT△7&X△7、ミクソリディアンはT7&W△7と言うべきか。なんにせよ軸音から上記二和音を弾けば構成音がすぐにわかるというわけだ。▼順番に鳴らしてみるだけで、各モードのサウンドのキャラクターもぼんやり感じられる優れもの。今まで知らなかったのが不思議なくらいである。

[1522] Oct 28, 2013

帰宅してから今までずっと――といっても二時間くらいではあるが――久々、鍵盤に張り付いてみた。道中、コーダリティ/モーダリティについて学んだことのほんの少しを咀嚼するため、どうしても頭の中ではよくわからなくて、明日に備えて早く寝たい気持ちを殺して指に頼る最終手段である。▼反ヨーロッパ、対コーダリティとしてのモード、という歴史的文脈まではスムーズに理解できるが、ではコーダル・モーダルとは何かというところへ来ると途端に”音感”の無さが響いてきて、頭の中で音を鳴らせないので、たとえばC△7とDm7をCのペダル・ポイント上で交互にしばらく弾いた後、これを突如、Cペダルを維持したままCm7とF7の交代に切り替えると、なるほどイオニアンからドリアンへのモード遷移が感じられてくる……。▼眠気でくらくらした頭には、きれいな言葉が紡げない代わりに感覚が生のまま染み込んでくるという恩恵がある。現在、それに近い。

[1521] Oct 27, 2013

オクターブを聞き分けられない子どもたち、というフレーズに少し立ち止まった。これはけっして若者の堕落というような文脈ではなく、巷に「オクターブを含んだ音」というプリセットをデフォルトの発音とするデジタル楽器が増えてくるにつれ、小さい頃からそういう音で慣らされてきた子どもたちは、恐らくオクターブの重音を「二つの音」として認識することはないだろう、という話である。▼荒唐無稽な妄想ではないと思う。まったくもってありそうなことなのだ。私たちがふだん「単音」と認識している音だって、さまざまな周波数の合成であり、それを経験と直感に基いて適当にCだのAだのと記号化しているに過ぎない。同じようにドミナント→トニック解決も、幼少から耳にするあらゆる曲に仕込まれているため、彼らにはもはや「当たり前のように繋がっているひとまとまり」として認識されてしまい、何ら解決感を与えてくれないという説も、説得力はあると思う。

[1520] Oct 26, 2013

美味しい京料理を食べる。珍しい食事ツアーとは別の催しで、メニュー自体は金目鯛や鰤の刺身、きんぴらごぼう、ステーキなど標準的な固有名詞がならぶ。締めの「白米」はある意味珍しいかもしれない。佐渡の日本酒「北雪」が甘くて旨かった。▼もちろん、こんなものは非日常のつかの間の夢。実際、日常生活は肉と油にまみれている。それは、私がそういう食べ物を志向しているのではなくて、近隣が学生街な都合、もれなくどこの飲食店も肉たっぷり、油たっぷりの大盛り定食を売りにしているからである。社員からはいつも悲鳴が聞こえる。「ダイエット」の文字が全社の告知掲示板にあがるほど、今やささやかながら深刻な問題である。▼この頃、新たに一件のラーメン屋がオープンした。二郎インスパイアの肉食系ラーメンだ。つい先月にもラーメン屋が新装開店している。そんな荒んだ日々の食生活を補償するべく、せめてときどき、上品で健康なものが食べたくなる。

[1519] Oct 25, 2013

スランプと言うほと手を動かしていないが、心持ちスランプである。目指すものがぼんやりしていて――などとサボリビトの常套句のようなことを言うつもりはないが、曖昧でない代わりにどれを選択すべきか、三叉路の交点で立ち竦んでいる状態だ。どれにしようかな……と首を傾げるビュリダンのロバ。▼私が定期的に昔の自分の作品を見たり聴いたりするのは、過去の自分に学ぼうというよりも、それらを見て何に不満を覚えるか、自分自身がすでに飽きている要素がそこにないか、つまり、粗を探しに行く意味合いが強い。私もオーディエンスとまったく同じように、避けようなくぴったりと時代に寄り添って生きてきたのだから、私が今、過去の自分に「ありきたりだなあ」「もう飽きたなあ」という感触を持つ要素は、即ち世界が飽きはじめた要素にどこかで通じているはずだ、と、そんなふうに思うのである。無数の人間が織り成す巨大な世界は、欲望の驀進力に過ぎない。

[1518] Oct 24, 2013

このごろ「Whatの消失」ということをよく考える。人びとは何を大切に思っているのだろう、と考えて、いろんな方面から考え詰めていくと、別々の出発点からしばしばここに辿り着くのである。そんなに哲学的な話ではない。つまり、何が、何を、という情報の価値が昔に比べて、明確に言えば”ゼロ年代”に比べて、下落しているという感触だ。コンテンツよりもラッピングという嘆きも、恐らくはここに含まれている。▼音楽の例だけ書き留めておこう。端的に記述すれば「何が鳴っているか<どんなふうに鳴っているか」ということになるだろうか。エレクトロニカとMIDIを経て、今や誰しも、チープな音でなる素晴らしい譜面には飽きてしまった。小さな電子箱からいつでもどこでも聴こえてくる音列情報なんてうんざりだ。それよりは、きれいな音色を、感動的な残響を、圧倒的な音量を、音楽の<体験>を――求めて、いま、ライブや生演奏はふたたび脚光の元にある。

[1517] Oct 23, 2013

『遊学』や千夜千冊に関するコメントをしていたら、そのうちのひとつをイシス編集学校の公式アカウントにお気に入り登録された。エゴサーチも万全という構え、さすが編集学校を名乗るだけある。自身の商品に関連するコメント、そのコメントを発信したユーザーは、徹底的にアーカイブする方針なのだろう。付随する情報をあわせて保存し「編集」すれば、新しいサービスの形も見えてくるかもしれない。▼この編集学校、実はかなり昔に門を叩いてみようかという気概――とは明らかに言い過ぎだが、素性を調べてみようと情報を集めたことはある。結局、校長こそ畏怖していたものの、私塾のサイトから例外なく漂うあの独特のカルト感にまっとうな活動を信じきることができず、そのときはそれきり遠ざけてしまった。後悔もしていないし、ほっともしていない、まあそれはそれでというくらいの感慨であるが、こんな形でも、数年ぶりに眼前してみると懐かしい思いがする。

[1516] Oct 22, 2013

閉店ぎりぎり、「本日はまことにありがとうございました。またのご来店を……」のアナウンスを浴びながら、店には申し訳ないと思いつつ、執拗に河出文庫を物色する。探しものではない。岩波・青の目当てを手に入れて、レジへ向かう途中、なんとなく天啓が差したとでも言うべきか。河出に掘り出し物があるかもしれない。そんな気がした。▼これだけ切り取るといかにもスピリチュアルな危ない人だが、河出と定めた根拠はあって、私は近頃、ダンスミュージック関連の「最高にクールな」一連の書籍群を超える素敵な音楽読み物を求めていて、そういう心が音楽系エッセイに強い河出を脳裏に引き寄せたものと思われる。そうしてそんなあやふやな印象に身を委ねるには、人のいない二十三時のあおい書店はうってつけだ。▼果たして、掘り出し物はあった。私の鑑識眼が正しければ、恐らくA級品である。「思いのほかつまらなかった」などと書く日が来ないことを祈りたい。

[1515] Oct 21, 2013

ユイスマンス。フレイザー。ツィオルコフスキー。ラフォルグ。ドビュッシー。HGウェルズ。鈴木大拙。泉鏡花。シェーンベルク。寺田寅彦。トロツキー。クレー。ミース。折口信夫。ヴィトゲンシュタイン。三枝博音。ツァラ。バタイユ。ダリ。▼『遊学II』はあまりにマークすべき人が多いのでフルネームを避けた。ここまで時代が下るとさすがに知らない人は少ない。この71人のラインナップに寺田寅彦やミースが採用されているのは嬉しく思う。折口信夫は、どうしていままで看過していたのだろうと不思議なくらい触れておくべき掘り出しものだ。ユイスマンス、バタイユあたりは、今こそもういちど真剣に読み直せば、得られるものは大きい気がする。▼最後に、巻末の高山宏氏の解説で、サイモン・シャーマの『風景と記憶』に言及していてどきりとした。昔、大学生協で何日も眺めては高額に手が出ず、ついに読まず終いの名著である。これを機に紐解いてみようか。

[1514] Oct 20, 2013

敵役に名言の多い福本漫画だが、会長や利根川、班長の「説教」ばかりでなく、主人公が相対する強敵たちの台詞にも光るものが数多ある。『アカギ』に登場する代打ち・浦部がニセアカギ相手に放つ、このモノローグもそのひとつ。「ぬるいで兄さん。手が来とるときはガメらんかい! そんなええかっこしいの麻雀じゃ相手にプレッシャーは与えられんし、流れも呼び込めん。細いんよ、おどれの麻雀は。わいは太くいかしてもらおう!」私のお気に入りだ。▼チャンスが来たら恥も外聞も捨てて泥臭く行けという、よくある箴言のバリエーションではあるが、麻雀という文脈のわかりやすさと砕けた関西弁が相まってその真髄がストレートに伝わってくる。ここぞというときに格好を気にするようでは敗色濃厚、それが真剣勝負というものだ。だから、ときどき自問する。私はいま、浦部に「細いんよ、おどれの**は」と言われてしまうような、賢しい生き方になっていないかと。

[1513] Oct 19, 2013

楽しみにしていることがひとつでもあると日々の生活にハリが出てくる。反面、楽しみなことばかり考えて物事に集中できなくなるという側面もある。それはそれ、これはこれと切り替えの出来る頭なら苦労はないが、私はそういう器用なことが出来ないので、今月末にひかえている「楽しみなこと」のせいでいろいろなことが手についていない。真面目に通常運営しているのは仕事くらいだ。▼楽しみなことというのは、楽しみにできるというそれだけで価値がある。実際には楽しくないかもしれない。それどころか時間と金と精神の無駄使いに終わるかもしれない。けれども、どうなるかわからないという期待を抱ける出来事であれば、当日がどうであれ、当日までの毎日を良いものにはできる。そこに意味がある。▼昔、休日の予定がカラだと深刻な不安に襲われるという女の子がいた。さすがにそれでは本末転倒というものだが、その気持ちの発端なら、今は理解できる気がする。

[1512] Oct 18, 2013

Windows8.1のアップデートを入れてみる。ファイルをダウンロードしただけなのに突然の強制終了宣言、十五分猶予の後は「あとで」の選択肢もなくオンラインゲーム中に完全なる「強制」シャットダウンを食らい、いつもより長い窓付の起動画面を経てブラックアウト。十分近く反応がないまま放置していると、しれっと「設定しています……」と更新を再開し、あれこれの事情で待たされたまま今に至る。フリーズしているようだ。更新はまだ完了していない。▼7から8への変更で削除され大不評を買った「スタートボタン」が復活し、そこから右クリックで再起動やシャットダウンができるようになる、などなど更新内容自体はインターフェースまわりの仕様変更とバグ修正で至ってまっとう、気にすることは何もないが、全自動更新のわりには予期せぬエラーへの対応が足りていないように見える。レアケースとはいえ、不安なら報告が揃うまで待機した方が安全かもしれない。

[1511] Oct 17, 2013

玉虫色。なるほど、この色がよく似合う。なかなか物事を決めてくれない、イエスかノーかがわからない、要するに何をすればいいのか明言しない、こういう曖昧さを全て備えた稀有な人物と初めて仕事を共にする。二週間ばかりの短い付き合いなので、些細なことをあれこれ言うつもりはないが、本来のパートナープログラマはつらかろうなと思う。丸投げしてくれる人の方が遥かに嬉しい。▼物腰だけは異常にやわらかく丁寧というところがかえって応対を難しくしている。よろしゅうございます、と静かに言うその言葉の、何がよろしいのかがまるでわからない。先週、そうしないことに決まりませんでしたか――ええ、そうです、もちろん私としてはよろしゅうございますが、やっていただけるのであればそれはどちらが嬉しいかというと悩ましいところでありまして……。▼報告メールがまた届く。美しい玉虫色。ところで「iridescent」のことを覚えている人はいるだろうか?

[1510] Oct 16, 2013

ラルフローレン、オロビアンコ、コーチ、バーバリー、ポール・スミス、フジタカ、カルヴァン・クライン、ハンティングワールド……。興味がないうちは本当に無関心だが、例によって高い買い物を機にいくらでも調べる気持ちが湧いてくる。百貨店を歩き尽くしてバッグを見た。二代目が壊れたのと、後に述べる事情で世代交代である。▼正直な話、ここに挙げたブランド名など二つくらいしか聞いたことはなかった。そういう、私にとっては通り過ぎる風景に過ぎなかったものが、比較するのが楽しくなるような個性ある存在として捉えられるようになる、この認識の転換はいつも面白いと思う。モレスキンやマクレガーまでバッグを造っているとは知らなかった。▼財布とも相談の上、ポール・スミスからショルダーとボディバッグをひとつずつ。このたびの騒動の発端である「バッグがでかいんだよ」という厳しい一言をくれた同僚からも、無言でグッド!の親指を頂戴できた。

[1509] Oct 15, 2013

原則出社、しかし当日朝に各自様子を見て適宜判断を下すこと。ボジョレー・ヌーヴォーのごとく未曾有の台風と喧伝される56号、直撃が予想される明日の朝は地獄である。いくら会社が「適宜」と自己責任・自由意志の出社を求めてみたところで、様子を見てから出るわけもない。あらかじめ午後出社させていただく旨を伝えてきた。安心して目覚ましは九時。雨上がりを待つ読書の朝が予想される。▼東欧宗教に詳しい社内の先輩に、ミルチャ・エリアーデの『世界宗教史』をもしかして所持していないかと休憩時間に訊いてみたところ、持っていないが興味はあるという。私が『金枝篇』と何冊かの音楽関連エッセイを終えたあたりで交換できれば嬉しいが、どうなるかわからない。しかしこういう縁も旬モノなので、時が訪れたときにこちらの準備がまだできていないで機を逃すのはあまりにもったいない。だから、ここは台風に感謝して、頁をめくるのである。あと二十一人。

[1508] Oct 14, 2013

遊学の合間に久しぶりのFPSを起動。長いあいだ放置していたのでサービスポイントやらゲーム内通貨やらがこんもり溜まっていた。もともと余らせているライトプレイヤーにはたいして必要のない資源だが、そこは持ち前の貧乏性で回収に行く。節約の苦手な貧乏性という性質の悪いやつだ。▼知り合いは誰も入っていなかった。マウスをFPS用に変えるのも面倒なので、どのみち新規ステージの試し程度、普段使いのトラックボールで遊び部屋に挑んだ。親指の真剣勝負。観戦カメラで見たら初心者も驚きのぐらぐらのエイムである。▼活躍ぶりはもちろん散々だった。目の前にいるよそ見のスナイパーが倒せないほど上手くいかない。チームには申し訳ないが、もともと遊びの部屋なので許してもらえると信じよう。勝手に課したハンディキャップのおかげで、私としては充分楽しめた。怒らないで欲しい。こうして自由にルールを変えてみる融通こそゲームの本質ではないか。

[1507] Oct 13, 2013

先輩の結婚式、二次会へ出席する。二次会のみならず三次会、終電後の四次会まで参加した。いつもなら三次会で帰るところだが、今日はその自制も無粋と思うほど明るくて楽しかった。羽目を外しすぎない、さりとてまじめすぎない、いい按配の日和であった。こう書いて見ると、先輩の人柄そのものなのが面白い。▼そうして恐らく永久に私の記憶に刻まれるであろう衝撃は三次会である。新郎新婦不在のまま集結したカラオケルームで右往左往する立ち上がりこそ不安であったが、そんな経緯を吹き飛ばす最高のショーを見ることができた。圧倒的な熱量。新婦友人のひとりによる創作ダンスである。▼ずっと踊っていた。人の歌でも踊っていた。その動きが真剣そのものなので、私も歌は耳半分、踊りの方をよほど真剣に見ていた。巧い下手は知らぬ。しかしこの時この場所で、自らは真摯に踊りながら場を湧かせる度量に肝を抜いた。生身の人間に感動したのはいつぶりだろう?

[1506] Oct 12, 2013

待望の名著『金枝篇』、ついに我が手に――。昨日の今日で早すぎはしないだろうか。ご名答、これには深い訳がある。コレクターアイテムを勇んで注文したものの、実は上巻のみで価格も定価よりかなり高く、下巻をどうして手に入れようと悩んでいたところ、偶然も偶然、なにげなく立ち寄った有隣堂の文庫棚に上下揃いの彼を見つけたという、深い深い訳である。即購入。申し訳ないが、件の注文は帰りの電車でキャンセルさせていただいた。承りましたという丁寧な返事であった。▼予想より早く手中に収めてしまったので急いで『遊学II』を消化しなければならないが、これはこれでさっと通り過ぎれるような薄い本でもなく、腰を据えてじっくり当たりたい気持ちもある。家で本を開くのは好きになれないが、こういうときくらい布団で十数分、読書をしてみるのもいいだろう。移動時間にしか書を紐解かない癖は相変わらず健在である。会社の近くに越す気はさらさらない。

[1505] Oct 11, 2013

澁澤龍彦の訳で読んだ『さかしま』を思い出す懐かしきユイスマンスから、クラインの幾何学とローレンツの電子主義を経てジェームズ・フレイザーにたどり着いたとき、私は本文を読み始める前に「しまった!」と思った。どうしてこんなに大切なことを忘れていたのだろう。私はずっと前から『金枝篇』が読みたかったのだ。読みたくて、しかし当時そのあまりの値段の高さと難解さに挫折したのである。大学生の頃、いまにもまして財布は汲々としていた。▼ところがこのたび調べ直したところ、つい一昨年に講談社学術文庫からメアリー・ダグラスとサビーヌ・マコーマックによる簡略編集版『図説・金枝篇』の文庫本バージョンが出版されていることを知った。なんという僥倖。歓喜である。アマゾンに在庫はないが、コレクターアイテムの出品があったので迷わずカートに放り込んだ。エリアーデの『世界宗教史』も奨められたが、こちらは懐事情により渋々見送る形となる。

[1504] Oct 10, 2013

難解で、連続的で、主観的な、偉人たちのウィキペディア。松岡正剛『遊学I』をようやく読み終わる。これで半分。改めて興味が湧いた人、別の側面を見出した人たちの名前を一度まとめておこう。▼ヴァスバンドゥ。ヤン・ヴァン・アイク。ウィリアム・ギルバート。フィリップ・パラケルスス。イマニュエル・スウェデンボルグ。ピエール・シモン・ラプラス。グスタフ・テオドル・フェヒナー。ミハイル・アレクサンドロヴィッチ・バクーニン。ウィリアム・モリス。ピョートル・アレクセイヴィッチ・クロポトキン。▼アマデウス・ホフマンをめぐる謎の人物「S」と「M」の対話は鋭い示唆を含んでいる。「真の独自性とは「いかに真似しやすいか」にあるのではないのかね?」あるいは、私の好きなヴィリエ・ド・リラダンが、これほど壮絶な人生を送った劇的な伯爵であることなど知らなかった。これは読書というより、他人のメモを見て発見を拾い上げる愉しみに近い。

[1503] Oct 09, 2013

BFD3のダウンロードライセンスが届いたので遊んでいる。いきなりこれで曲を創る甲斐性もないので、本当にただ音を鳴らして遊んでいるだけである。▼起動直後、すでにBFD2とはまったく違う面構えをしている。バージョンアップには賛否両論がつきものとは言うものの、これは素直に改良ではないかと私は思う。プラグインの立ち上げとアンロードはBFD2よりも軽いし、キットの構成を選ぶのに別ウインドウを表示する必要がないのも好感だ。全体的にナビゲーション文字の視認性も向上している。はじめてなのに使いやすい。不思議な触感。▼キーマップを見ると奏法はさらに拡充されている。ハイハットの奏法だけで二桁数を誇る、異常な容量のサンプル群。はっきり言って使いきれる気は欠片もない。BFD3の売りは公式サイトでは「大容量」のようだが、その裏で密かにユーザビリティを磨いて来たのだろう。シリーズの怠慢に堕ちなかった姿勢を評価したい。

[1502] Oct 08, 2013

年に一度、偉い人から現状への不満や将来の抱負を訊かれる「社員調査」のようなものがある。形式的とはいえ、人事考査には反映させないと明言している場で上層部に意見をぶつける貴重な機会だ。誇張もせず、遠慮もせず、不満については述べた。デスクの環境には不自由なく、人間関係も良好であるが、設備の老朽化が目立ってきたこと。仮眠施設の拡充を希望していること。可能であれば社内の物販、とくに飲食物類を多少でも揃えて欲しいこと。▼抱負については、出来るだけ偽らざる素直な心中を記録しようという思いから毎年その場の感覚で書いているが、今年は少しだけもやもやしていた目標――「描画まわりのスペシャリストを目指したい」という言葉を形にした。次の大型プロジェクトで担当が予定されていることもあり、仕事人として究めたい気持ちが急激に湧いてきた分野である。曲がりなりにも積んできたアーティスティックな素養を活かせればいいなと思う。

[1501] Oct 07, 2013

弟が建築の授業を熱心に受けているらしい。今日はフランク・ロイド・ライトが出てきたという話をして、もうひとり、「ライトがいなければ三大巨匠に入れてもよい」と教授が言う人物が出てきたという。誰でしょうと聞くので、ヴァルター・グロピウスだろうと答えると果たして正解であった。そういう数え方で言うなら妥当な回答である。▼ドイツが誇る世界遺産『アールフェルトのファグス工場』は、彼と彼の同志アドルフ・マイヤーが築いたモダニズム建築の嚆矢である。偉そうに言うものの写真でしか見ないが、どこの記事にも引用される写真はさすがによくこの建築の意義を象徴している。ガラスとスチールのファサード、支柱のない角の軽やかな優雅さ。大量生産のための、大量生産による機能美とでもいうべきか。▼しかしライトの代わりにグロピウスが入ると、三大巨匠は揃ってペーター・ベーレンスの弟子衆ということになる。恐るべき建築事務所があったものだ。

[1500] Oct 06, 2013

夢破れ、悲願はまた更なる悲願となる。仏ロンシャン競馬場、凱旋門賞。欧州競馬の最高峰をいざ獲るべく遠征した日本の二頭は、ふたたび世界の壁に跳ね返された。オルフェーヴルは去年と同じ2着、キズナは4着。完敗だった。▼デインドリーム、ソレミア、トレヴ。ここ三年というもの、凱旋門賞の栄誉を手にしているのは皆牝馬である。自分より5キロ以上軽い斤量で戦う無敗の強敵、文字通り荷が重いのだろうか。しかしこのたびはキズナも出た。出て敗れた。いくらでも言えることはあるが、競馬の真実は変わらない。流れも運も条件もすべてが実力である。▼第92回を数える今年の凱旋門賞まで、日本勢は16頭を送り込んだが勝ち星はまだない。それでもここ最近はエルコンドルパサー、ナカヤマフェスタ、そしてオルフェーブルと2着がつづいている。惜しいところまでは来ている。詰め寄っている。あと少し。そのほんの少しを飛び越える名馬の出現が待ち遠しい。

[1499] Oct 05, 2013

本棚から撤去した本を順次もとに戻している。やっていることは物の位置を変えているだけだが、こう手を動かしているだけで普段は考えないことを考えるから面白い。読みかけてやめた本を拾い上げたとき、今度こそ読んでみようかと意気を出して頁を開いてみたりする。棚の深いところに眠っていた本たちが、数年かけて趣味がどんどん変遷していることを教えてくれる。もちろん、探していた本が見つかるというベタな恩恵もある。▼漫画は遅かれ早かれ電子化する方針に決めているので、今回は出来るだけ活字系の本を優先的に棚へならべた。しかしもともと漫画のような重量の軽い本用に作られた安物の棚であるから、密度の高い大判ばかり乗せるとフレームがみしみしと音を立てて、今にもこちらへ倒れて来そうな気配である。奥行きが短く重心が後ろへ寄るような文庫本を上の方へ、その他を下方へ配置してみたものの落ち着かないので、ここは別途検討を要するところだ。

[1498] Oct 04, 2013

職業の都合、ポップスとオーケストラの譜面を数多く見てきたという永野光浩氏が、その著書『DTMオーケストラサウンドの作り方〜実践的作編曲のテクニック60』で語る両者の違いが面白い。ここにささやかなメモとする。▼その1、五度のルートがオーケストラの質感をつくる。ベースの順次進行が分数コードを成すとき、ポピュラーは好んで三度をルートによく置くが、オーケストラがしばしば使う五度のルートはほとんど見られないという。これは鳴らしてみれば言わんとするところがすぐに了解される。この響きは、ポピュラーでは聴かない。少なくともよく聴くとは言えない。F、C7/E、Dmのような下降の方がいかにもポップスである。▼その2、オーケストラ系の曲はポップス系の曲に比べて休符から始まるフレーズが多い。これも言われればなるほどと思う。厳密にはアウフタクトとの関係で考えなければならないだろうが、頭で思い描く印象としては正しい。

[1497] Oct 03, 2013

カットオフとレゾナンスを演奏する。この表現を見たとき、なるほどその通りだと強く膝を打った。機械波形はいくらLFOで加工しても、アナログ楽器のようなロングトーンの表情を出すのが難しい。だから、音の変化が乏しいからこそ、パラメータを変化させるのだ。その最たるものが冒頭の二大つまみである。同じ音の中で世界が変わっていく転回感とも言うべき効果。"SOUND VOLTEX"は上手いことを思いついたものだと思う。▼もちろんリアルな楽器による旧式の「演奏」を信奉する人びとは、断固としてこれを演奏とは認めないだろう。しかし言葉の定義はどうでもよいことだ。生演奏以外は音楽ではないと言い張る人を相手にデジタル処理の意義を言い争うのは馬鹿馬鹿しい。第一、機械を演奏するという発想自体は、もうさして新しくもないのだ。しかし、パラメータを演奏するという意識で種々の調整を行うその心構えは、きっと私たちの役に立ってくれると思っている。

[1496] Oct 02, 2013

午前から小雨と曇りをくりかえす情報不安定な空模様。けれども午後三時、強烈な日差しが来て路地の彼方へ虹が出た。地上からすうっと直角に伸びて、最後にやや首を傾げたような、アーチを描かぬ置物のような虹である。各色も鮮やかに塗り分けられて、お手本のような虹の色を披露していた。後ろではご婦人が二人、高周波の歓声をあげながら携帯で写真を撮っている。「子どもたちも呼んできてあげて!」▼それから始まるであろう大規模な鑑賞会に参加するほど緩やかな散歩でもなかったので、写真も撮らずに印象だけを網膜に残して立ち去ったが、それにしても虹なんてまともに見たのは何年ぶりだろう。けして大袈裟ではなく本当に長らく見ていなかった。どうして見ていなかったのか。昼に外へ出る機会が少なかったからか、雨降りの日に傘なして散歩する気まぐれを失くしたか、遠くの空を見晴かす余裕がなかったか――虹のオブジェを脳裏に描いて空想に坂を降りた。

[1495] Oct 01, 2013

テクニック99シリーズのひとつ、『クリエイターが教えるシンセサイザー・テクニック99』を読む。これで同シリーズはひと通り目を通したことになる。小技集のようなタイトルをしているが、位置づけは初心者の基礎固めに最適な「入門の手引き」だ。二日やそこらで用語と実例に数多く触れられるのは嬉しい。▼WavesのElementで遊んでいる。同書で扱われるNoiseMakerとは多少仕様が異なるのでパラメータの呼び名の違いやつまみの感度の差に困惑しつつも、大枠の動作にはそう隔たりがないので、きちんとレシピ通りに設定を進めていけばサンプル音源に近い音は出せるようだ。いまのところ再現できないのはフィルターのレゾナンスによる自己発振だけである。フルテンにしてもサイン波が出てくれない。▼プリセットのキックを覗くと基本の音はオシレーターで出しているらしく、ここのロジックはソフト次第で異なるのかもしれない。つまみとの闘いはまだまだつづく。

[1494] Sep 30, 2013

ディスプレイとPCを繋ぐケーブルが破壊されてしまった。ちょうどぐらついていた接続口に嫌気が差していたところなので、HDMIケーブルを求めてドスパラへ行くと、なんと1m500円という破格で売られている。昔、会社でHDMIが足りなくて二人でひとつを共有するなど実にひもじい思いをしていたころ、部で買い足してもらえないかという切実な提案に「高いから駄目だ」と却下された、その値が今や500円である。時代は変わった。▼さてしかし、安物買いに凱旋して接続してみると、果たしてそれはWQHD未対応の代物であった。古いHDMIなら無理もない話、そこまで頭のまわらなかった私が悪いのだが、なんとも反省すべき無駄な買い物をしてしまったものだ。結局、今まで通りディスプレイポートとミニディスプレイポートを変換する特殊なケーブルを数千円で買い求めるしかなかったのである。WQHD解像度はいまひとつ主流になりきれないようだ。

[1493] Sep 29, 2013

沖野修也『DJ選曲術』を読了。ただし二章はミックスCDの分析なので、ここは聴いてみなければ始まらない、あの手この手で可能な限り仕入れてみよう。「何を考えながらDJは曲を選び、そしてつないでいるのか?」▼汎論と各論はまあそうだろうなという常識的な主張にとどまるが、ひとつ面白い意見を見たのでスクラップした。DJはどうやって現場の空気を感じ取るべきか。曰く「実は現場には、「その日のキー・パーソン」というものが必ずいます。その人を見つけ出してください。特に日本人は、まだまだだれもいないダンス・フロアで人目を気にせず踊れるほど勇気を持っていませんから、早い時間からノリにノっている人はそう多くないと思いますが、踊ることに対し、ほかの人よりも比較的アグレッシヴな人を見つけ出すのです。そしてその人が何に反応しているのかをチェックします。」▼システム開発のペルソナ想定手法に近いものか。説得力ある知恵である。

[1492] Sep 28, 2013

島村楽器へ行く。横浜ビブレの6階、あるとき縮小移転したと思ったら、じわじわと規模を拡大しつづけていつの間にか移転前より大きくなった、品揃えも価格も対応もなかなか優れた良店である。今日は本を探しに行った。▼昔はなかったWAVESのプラグインバンドルがならべられていて、ここでも扱いはじめたんだなと興味深く眺めていると、はじめて見る店員さんに声をかけられた。何かお探しですか。音源まわりの本を。それでしたらこちらに――。▼目当ての本は見つかった。感心したのは、その店員の接客の上手さである。話し方、誘導もさることながら、こちらが商品を見ているときに黙ったりアドバイスを挟んできたりする、そのタイミングが絶妙に良い。訊かなくても訊きたいことには答えてくれるが、余計なおしゃべりはしないで客の声を待つときは待つという、ベテランのマネキンさんさながらの手腕である。学生バイトのような若さに見えたが、恐れいった。

[1491] Sep 27, 2013

整理整頓は苦手、掃除もきらいな方だが、片づけるとなったら半端にやるより徹底的に完了させた方がよいと思っている。せっかく汗水垂らして整頓したのに「片付いたかどうかわかっていない一角」が存在するのはどうも癪だ。本に次いで、収納という収納を空にすべく奮闘した。次々に出てくるのは、いらないもの、いらないもの、そうして、どう見てもいらないもの。▼今はもう存在しないゲームセンターで、かつて乱獲した手鏡が二十枚ほど出てきた。恐らくは無許可の品であろう、公式の絵ではないアニメキャラクター物の景品である。クレーンの設定に穴があって、とある狙い方をすると百円で確実に獲れたので、バイト帰りに日課のように落としては溜めていたのだ。実際、それなりちゃんとした鏡なので、ひとつひとつの使い手はある。ただ、使うかと言われれば間違いなく使わないわけで、もったいない話ではあるが、数枚の思い出を残して燃えないゴミとなるだろう。

[1490] Sep 26, 2013

松岡正剛の『遊学』を中古で買う。ひょんなことから『花鳥風月の科学』を読んで、これは思っていた以上に面白いじゃないかということで、巻末に紹介された同氏の他タイトルにも手が伸びた。▼ではなぜ今ごろ「花鳥風月」を読んだかというと、千夜千冊をつまみ食いしていたころに興味本位で購入したものの分厚さと見かけの難しさに気圧されてしばらく本棚の片隅に眠っていたところ、このたびの大整理で紙袋に詰め込まれ、そのときたまたまいちばん上へ積まれて目についた、それをターン制ゲームの待ち時間にちょいと拾い上げて読み始めたら、とうとう止められず読了したという具合である。日をまたいだとはいえ、四百頁超をここまで持続した集中力で読みきったのは久しぶりだ。▼他愛のない言い方だが、以前は興味を持てなかったものも、寝かせておくといつか自分の精神にぴたりと来るタイミングで楽しめることがある。書の方もまた時機を待てということである。

[1489] Sep 25, 2013

満員電車に揺られながら考えた。人口過密な都会で生まれ育ち、はや中学時代から鮨詰めの電車で毎日通学してきた私のエルボーディスタンスは、果たしてちゃんと機能しているのだろうか。▼エドワード・ホールのプロクセミックス理論では、人が見知らぬ人間に対して嫌悪・排斥の感情を抱く密接距離は約45cm、すなわち肩から肘までの距離であると定義している。これがエルボーディスタンスである。さて、しかしどう考えても私や私の身のまわりにいる都会人たちは、来る日も来る日もこの縄張りに赤の他人を許して生きている。だからだろうか、私たちが嫌がるのは、なれなれしく肩を組んでくるようなフィジカルな接触ではなく、臆面もなく私生活に踏み込んで来るメンタルなアプローチであるように思う。地方から来た人の方が、この点には逆に鷹揚である。▼それでは、個人距離も社会距離もないネットの世界に於ける近接学とはなんだろう。考察は後日に譲りたい。

[1488] Sep 24, 2013

間が悪い、という言葉がある。処世術に於ける高等テクニックである。▼間が悪いというのは誰が悪いのか。文字通り「間」であり場である。つまりそのへんの空気が悪いのである。これは「私」と「あなた」の中間部分に責任を投棄するという素晴らしい技術だ。なんでもかんでも間が悪いといって責任を引き受けない人も困り者だが、不定な空間に責任を投げ捨てられない人の方が、過剰に責任を背負い込んで周りを気疲れさせたり、自分に非がないと確信した途端に相手が悪いと決めつけてかかったり、とにかく付き合いづらいことが多い。▼「水に流す」の現在形と言ってもいいだろう。ただし、責任の所在を曖昧にするわけではないところに注意したい。曖昧にするというのは、互いに相手が悪いと思いつづける可能性も孕んでいる。それではだめだ。宣言しなくてはならない。これはどうも間が悪かったね、と。私もあなたも悪くはなかったという、確認と同意が必要なのだ。

[1487] Sep 23, 2013

格に対して破格、様に対して異様、礼に対して無礼。定まり収まった権威に荒々しい未熟がぶつかることで新たな歴史は拓いていく。しかし破格にしろ異様にせよこれまで誰も挑戦していない方法で物事を試してみるには新たな「自由」がいる。ここが時代に縛られるところではあるが、思想的な禁忌禁則や素材・技術の不可能がひとつ覆されたところでいち早くその自由で遊んでみるアーリーアダプターたちが、九の失敗の上に一の成功を築いてきたのは間違いない。▼破格とは反抗心と好奇心の相の子であろう。どちらが欠けても格を破るのは難しい。だからこそ、長く権威側に馴染んで反抗の理由を欠き、好奇心も褪せはじめた「熟練者」にはなしがたい事業というわけだ。駆け出しの徒、多数派と折り合わぬ性分を歓迎すべし。けれども自分よりも新しいことに手が伸びていないなら、それはただの偏屈である。私は今、エンベロープがいじれるという自由に無頓着すぎると思う。

[1486] Sep 22, 2013

「アクシス・ムンディ」で検索すると、実にさまざまなトピックスが出てくる。コンサートライブのタイトル、ネックレスのブランド名、ゲームの技名、サイト名、曲名、などなど。あまり響きのいい言葉とは思わないが、言葉の意味する概念の壮大なスケールが使いたい気にさせるのだろう。世界(ムンディ)の軸(アクシス)。宇宙の重心。あらゆるイメージの根源。▼ルーマニアの宗教学者ミルチャ・エリアーデは、世界中の神話には「世界木」に代表される<中心>のシンボルが存在し、神話の発生起源に重要な役割を果たしていると指摘した。須弥山が、はたまたユグドラシルが、まさしくそれである。軸への希求。地域を問わない信仰の形だ。人間の精神とは常に軸を求めるものらしい。▼シンボル化された中心は必ず、何かを求めてそこへ辿りつくための目印として使われている。自分の中に抱く「心の軸」も同じであろう。確固たる中心の存在が私たちを安心させるのだ。

[1485] Sep 21, 2013

とある事情で部屋を空にせざるを得なくなり、七時間かけて本棚の本をすべてダンボールへ押しこんだ。いつかのためにと保存していたスピーカーの巨大箱が大活躍、それでも足りないので紙袋を持ちだしてきて、降ろすこと詰めること数百冊。扱いの困る大判の本はまとめてウーファーの底辺に敷いた。文庫本は細長いキーボードの箱へ。部屋の外は大惨事である。▼しかし本が終わればそれまでで、日が暮れたころにはなんとか掃除もカタがついた。分類しそこねた小物類は明日以降にやればいいだろう。つくづく本とPC以外に何もない部屋だと思う。他の人の部屋がどんなふうか、あまり他人の家にあがることがないのでうかがい知れないが、数はともかく、もう少し雑多な、いくつかの趣味を思わせる物品が飾ってあったり並べてあったりするのが普通ではないのかと、つい勘ぐってしまうほど物がない。物だらけなのに物がない。倒錯した現代人のイコンみたいな部屋である。

[1484] Sep 20, 2013

生まれてはじめて「ふぐ」を食べた。物心つく前に食べていたかもしれないが、それは数えなくてもいいだろう。ふぐのサラダ、煮凝り、刺身、唐揚げ、焼きふぐ、ふぐ鍋。ふぐだらけのコースで三千円と、想像していたほど高くはない。刺身を前に、テトロドトキシンの成分が脳裏を掠める。口に運ぶときは自分でも馬鹿らしいと思いつつも、ついびくびくした。飛行機に乗るとき、落ちたらどうしようと心配するようなものだ。▼切に食べたいと思っていたのは唐揚げなのだが、刺身も聞かされていた「味気ないよ」という評価とは裏腹にポン酢が効いて旨かった。鯛やヒラメより楽々いける。白身魚の刺身では初めて美味しく食べられた部類だ。唐揚げも身がつまっていて、添えられたじゃがいもと交互に食べていると、なんだか高級なフィッシュアンドチップスに思えてくる。第二回、食べたことのないものを食べてみようの会。満足の行く結果となった。次は珍獣かもしれない。

[1483] Sep 19, 2013

東京ゲームショウ2013、今日はビジネスデー前半戦。入り口ゲートを抜けると目の前には目当てのひとつ、EAのバトルフィールド4がかなり広い敷地を確保している。演出のためか、もうもうと流している霧のせいで、ホールはどうにも写真映えのしない異様な見栄えである。▼待機列はどこもさほど長くない。出店社数は過去最大といえども、未発表タイトルの少なさ、プレイアブルの小粒さ、国産ゲームの目玉の少なさ、どうにも規模感のない年であるのは間違いなさそうだ。コナミやレベル5など、常連大手の不在も気にかかる。ソーシャル各社も前年までに比べると勢いを失ったようで、グリーとガンホー以外にあまり目立つところがない。▼全世界で7000万人が熱狂と豪語する鳴り物入りの戦車ゲーム「ワールドオブタンクス」はきっちり試遊してきた。さすがにものの十数分で全容は掴めないが、リアルすぎないスポーツ感と戦略の拡張性はうかがえる作品である。

[1482] Sep 18, 2013

玄関の前にそれはそれは大きな蜘蛛の巣が出来た。角に張るタイプのつつましい網ではなく、ドア上部の何もない平面から反対側の垣根へ伸び、まるごと通路を横断する複雑な形状の大作だ。昔、遊歩道の左右にある標識と電灯を跨いでかけた超大作に次いで、これはでかいと感嘆する大きさである。▼ところが大きすぎたのが仇で、これが私の頭にぎりぎりひっかかってしまった。ある日あるとき、外で出かけようとすると文字通り後ろ髪を引かれるような感触がして気がついたのである。腰を低くしてかがんで出た。帰りも同じようにした。しかしどう始末したものか、ちょっと頭を悩ませている。▼変な話、私は昔から蜘蛛を邪険に扱うのが苦手だ。箒で払えば良いだけのことだが、せっかく頑張って張り上げたものを崩してしまうのもな、ともったいない気持ちにもなる。残念ながら君は張る場所を間違えた――そっくりそのままどこかの自然へもどしてあげられたらよいのだが。

[1481] Sep 17, 2013

日本酒ならとにかく「獺祭」が旨いよという日本酒通がいて、私に奨めかつ自分も注文したが、ちょうどその日は大人気のため在庫が切れていた。かくして獺祭は私の中でささやかながら幻の日本酒となり、もし日本酒を好きになるとしたらぜひとも「獺祭」を飲んでみるべきなんだろうと思っていた。そうして数カ月後、私はその幻の酒と奇跡的な再会を果たす。ふつうにそこらの居酒屋で注文できたのだ。▼値段から想像はついていた如くなんのことはない庶民的な日本酒ではあったが、通が旨いと言い切ったその太鼓判と、しばらく出会うことのなかった醸成期間で数割増には良く感じられたと思う。もとより私に日本酒の良し悪しなどわかるわけもないのだが、たしかに獺祭なら飲めるね、これは旨いよなどと人にも言い出す始末で、人間、ことの好き嫌いも多分に他人の言葉と事の成り行きに左右されるものだなと思うのである。今日は鳥屋で徳利を一本だけ、いただいてきた。

[1480] Sep 16, 2013

月刊のベース・マガジン8月号と、季刊のキーボード・マガジン9月号。第一線で活躍するプロたちの言葉を読んで、その道を極める人がいかにいろんなことを考えているか、考えながら研鑽しているかを思い知る。思い知って真似できるものでもないが、のらりくらりと好きなように過ごしていては到達できない境地というのもあるなと、定期的に心に刻んで置くのも悪くはあるまい。今年の冬は例年よりも時間が多い見通しである。ぼんやりしていたら、きっと来年の忙しい冬に後悔する。▼ひとつ、今後の活動のありようについて答えを出さなければいけない課題がある。気分屋にとって、気分の問題は避けて通れない。興味がない人に、声を無理やり届けるような真似はしたくないのが本音である。押しつけのために貴重な時間を潰しているわけではない。楽しいことをして、それを楽しいと思う人のところに届けるという、シンプルなことを実現する方法こそ考えたいのである。

[1479] Sep 15, 2013

キズナがニエル賞を制し、オルフェーブルがフォワ賞を圧勝した。本丸、凱旋門賞へ向けて日本勢の好スタートである。去年の無念を晴らしたい。▼競馬界の狭い世間的には当面この二頭が話題の的になるだろうが、私としては同じく今日、四ヶ月休養明けの鉄砲でズブズブの重馬場にも関わらず、不安一辺倒の下馬評を蹴散らし直線しっかり差し切ったデニムアンドルビーに喝采を送りたい。ペースにも恵まれたが、それを差し引いても強い試合だった。期待以上だった。▼夏の成長の真価を問われるローズS。発走前、掲示板はいささか荒れていた。一番人気を背負うほどの実力はないのではないか。そこまで強い馬ではないと思う。器用さが足りない。どうせ出遅れて終わりさ。危険な人気馬。来ても掲示板まで――応援派すら「不安視」していた板が、レースのあとは手のひらを返したような勝戦ムード。参りましたの一言が光る。御託をだまらせるには、ただ勝つしかないのだ。

[1478] Sep 14, 2013

どうしたらそんなに怒らないでいられるの、という素朴な質問をいただいた。訊いてきたのはいつかここでも勝手に触れた、常に何かに怒りを向けている、そんなふうに見えてしまう同僚である。曰く、最近いらいらすることが多くて、自分のまわりで上手く物事がまわらないのだそうだ。▼こう素直に答えてみた。たしかに職場も聖人君子ばかりではないから、先輩に嫌味なことを言われるときもある、それはひどいだろうという上司の物言いもある。けれど、そういうときはいつも「まあまて、普段どれだけこの人に世話になってると思ってるんだ」と自分に問うようにしている。そう考えたら、たかだか言葉の端が気になったところで、減点して余りある加点があるんじゃないか、そういうときこそ逆にありがたみを思い出して感謝すればいいんじゃないかと。▼それはたいしたもんだね、と彼女は笑っていた。実践してくれるかどうかは知らないが、実践できれば結果は保証する。

[1477] Sep 13, 2013

ミロのチョコレートが流行っている。近くのコンビニやマツモトキヨシで種類豊富に陳列されているせいもあるが、部内のデスクを見渡すと数人は常備している模様。かく言う私も懐かしい味に惹かれてビタミン剤補給のついでに買うことはある。チョコレートとも言いがたい、ミロの粉を固めたような触感が独特だ。▼ミロは好きだったし、チョコレートの方も好きなので、悪しざまに言いたくはないのだが――しかしこのシリーズ、どうにも栄養成分表示がいただけない。板チョコの方は鉄分が「一日必要量の不足分の半分を補える」と書き、ボールの方は「103kcal(1/2袋当たり)」と書く。ちゃんと読めば意味はわかるが、消費者としてはどちらもミスリーディング狙いとしか思えない。▼自社製品を少しでもよく見せようとする企業努力の一幕も、水面下でそっとやるからこそ意味があるので、意図が露骨にバレバレでは逆効果になりかねない。私たちは静かに騙されたいのだ。

[1476] Sep 12, 2013

文章、手を動かしてとにかく書く。これは能動的なアクション。デザイン、本を読んで勉強する。これは整理された情報の効率性。音楽、あれこれ雑誌をつまんで刺激を得る。これはフラグメントの楽しみ。仕事に忙殺されながらも、我ながらここのところ趣味の三軸は三方良しで、上手くまわっている実感がある。出したり入れたり散策したり、それぞれで違うことをしているのが効いているのだろう。▼ときどき思う。こうして異なる勉強に打ち込めるのも、どれひとつとして私の仕事ではないからだ。仕事にしているからこそ打ち込める深度というのもたしかにあるが、逆に、そういう状態であればあるほど、隣接領域には手が伸びにくい側面がある。昔、会社員から自営業に転じた人がぼやいていた。自営業になって労働時間が増えたことは何の苦でもないが、労働以外のことをするのが苦痛になった、それがいちばんつらいかなと。気楽さというのは得がたい貴重な資源である。

[1475] Sep 11, 2013

セブンスやテンションコードにつく「都会的」という形容詞が、今まで私にはどうしてもわからなかった。都会的とは何なのか。何が都会的だというのか。トライアドが田舎くさいとでも言うのか。▼けれどもこのごろデザインの勉強にどっぷり浸かって、意外なところからこの言葉の意味が見えてきた。たしかに、ブルーベースの色使いやコンプレックスハーモニーのデザインは「都会的」だと感じられる。しかし、このときUrbanはRuralの対義語ではなく、Naturalとの対で考えるべきUrbanなのだ。陽のあたる葉は黄色い。陰の葉は青い。そんな素朴な世界に遍在するありふれた何かに飽きて、人工的な複雑さを求める現代人の倒錯した志向こそ、都会的と呼ばれるべき趣味なのだろう。▼1を歌うバスの隣で7や9を重ねるソプラノはいない。「こんなもの自分の故郷にはなかったぞ。」だからこそ惹かれる。オシャレだから都会的なのではない。都会的だからオシャレなのである。

[1474] Sep 10, 2013

このごろタッチ感度が悪くて、スワイプに反応せず電話に出られないことさえあった私の初代スマートフォンに、昨日異変が生じた。画面の左側に今までなかった妙な斑点が浮いている。斑点の中央に小さな穴が空いたようになっていて、それが縦にふたつ。見るからに気持ちが悪い。▼しかし精査してみると、どうやら画面の保護シートが小さく破れて空気が入り、斑点を形成していたというのが正体らしい。それならもう機体自体古いのだしそろそろいいかということで、保護シートを剥がしてしまった。ピカピカキラキラ。購入時以来の無傷の画面が光沢で眩しい。こんなに見やすかったのかと思い、触ってみると感度も実に良好。どうやらシートの方に問題があったようだ。▼シートを破いた傷は、彼がいなければこの画面に取り返しのつかない傷をつけていただろう。自分の寿命の最後に身代わりになってくれたというわけだ。感謝して、残りの時間も傷つかないよう使いたい。

[1473] Sep 09, 2013

先の夏コミで販売したCDの委託在庫が切れたらしい。通販分が売り切れただけで店頭にはまだ全体量の三割ほど並んでいると思われるが、自分たちの活動形態上、恐らくはサイトから注文する人が多かったと読んでいるので、ここからの販売数はじわじわと言うところだろうと思う。▼委託をめぐっては紆余曲折あったものの、なにはともあれイベントの外でここまで捌いてくれたので、趣味の活動とはいえコストが回収できなければ長くは続かない以上、少しでも売上を伸ばし、かつ多くの人の手元に作品を届けてくれる委託先というのは同人作家にとってありがたい存在である。▼同時に、我が身ひとりでは、将来のファンにさえなかなかリーチできない現状が、なんとなく「どこか違うな」という印象を私に抱かせつづけている。本職のクリエイションと感覚が違うのは、かたや趣味だからという話ではあるまい。こういう直感が肌に来るときは、きっと他に面白い道があるのだ。

[1472] Sep 08, 2013

ファーストデザインという、イラストやデザインの発注先を探すサイトを見ていた。特注の3DCGなど、個人で必要なときはどういう形でどこに依頼するのかなと思って調べていたら見つけたサイトだ。登録アーティストは約7000名、実働が約2000名と、そこそこ規模の大きいポータルのようである。▼発注者が手軽にコンペを開催できる仕組みが面白い。「たくさんの作品から選びたい場合や、一度に複数のイラストを調達したい場合にも活用できます。」こればかりは個人のツテでは限界のあるところで、主催がいなければ成立しないスタイルだ。単価もかなり安いので、実績のほとんどない謳い文句だけのサイトを広げた怪しい企業に依頼するくらいなら、コストパフォーマンスもよさそうである。▼流行りのクラウドソーシング、自分が技術を流せる身ではないので、せめて利用する機会があれば折に触れて使ってみて、その特色、文化、空気を直に肌で感じてみたい。

[1471] Sep 07, 2013

『アニマロッタ2』というメダルゲームがある。今年から稼働したコナミの新作で、「アニマ」と呼ばれる可愛い動物たちのアバターを育てながら、中央のルーレットで抽選される数字で配当を競うゲームである。昔からあるバラエティビンゴの類型だ。▼このマシンが徹底していて素晴らしいなと思うのは、隙あらばプレイヤーを褒め、励まし、祝福してくるところである。不出来な筐体なら、「残念でした」「LOSE」という正直な告知をする状況で、『アニマロッタ2』はそうはしない。賭けた枚数より少ない当たりでも「すごい、やったね!」とアニマが言い、ジャックポットの挑戦が外れ小銭を手にすれば、即座に「メダル獲得、おめでとうございます!」とナレーションの声援が飛ぶ。気持ちを前向きにするためなら何でもすると言わんばかりだ。「ユーザーはいくら褒めても褒めすぎるということはない。褒めて褒めて褒めまくれ。」これこそゲームニクスの極意である。

[1470] Sep 06, 2013

新しいブログの準備を着々と進めている。文字だけで記録を残すのも楽しいが、写真や楽譜や数式やソースコードは、どうしてもこういう記事形式で、文章だけで表現するのは難しい。紙に言葉という旧式のメモリーが私の存命中になくなることはないと思うが、得手不得手があるのは確かである。音、画像、映像、コード。デジタル世代のメディアが、デジタル世代の技術と相性がいいのは、考えてみれば当たり前のことだ。▼逆に、記録する素地が整うと、記録したくなるという心も働くもので、これまで写真などあげたこともなかったが、いざあげられるとなるとデジカメと言わないまでも、次の携帯はそれなり精度のいいカメラがついているモデルにしようかなと考えるくらいにはなってきた。日記帳がテーブルにあるから日記を書くのと同じ心理である。そういう意味も込めて、文章以外のあれこれも少しまとめておきたくなった。これもひとつの年齢のあらわれかもしれない。

[1469] Sep 05, 2013

色を表現するパラメータには「色相」「明度」「彩度」の3つがある。これらの値にしたがい色を空間上に配置したものが「色立体」と呼ばれる三次元の球だが、紙上の情報を扱うことに慣れた私たちの脳は、事物の分類に三次元を使うのはいささか苦手なので、できれば有用性を失わないよう二次元に落とし込みたい――そうして生まれた分類体系が、明度と彩度をひとつの属性「色調(トーン)」で表現する画期的な色マップ、PCCS表色系(ヒュートーンシステム)である。▼PCCS表色系の優れたところは、色調がそれぞれイメージワード(ブライト、ダル、ソフト、ビビッド等)を持っているおかげで、三次元のパラメータ群で表現される色よりも、その色がどんな特性を持つ色であるかを直感的に理解しやすいことだ。色相環が心理四原色に基づく配置のため、指定されたパラメータから色を脳内で復元しやすいのである。PCCSが配色デザインの基礎たる所以である。

[1468] Sep 04, 2013

『光の螺旋律』を聴く。ローゼンメイデン・トロイメントのエンディングテーマで、数年前の曲をなぜ今頃という唐突さではあるが、このあいだ読んだ『職業作曲家への道』でアニメソング枠を担当していたアイウィルの佐藤純之介氏が「エレクトロニカとオーケストラの融合で、ジャンル名を言えないような、唯一無二の音楽」と絶賛していたので、聴いてみたくなったというわけだ。▼感想としては、不思議な世界観、面白い構成、アニメのストーリーを良く汲んだハイセンスな劇伴――しかし同時に、良い意味でアニソンもどんどん陳腐化していくなという思いがした。当時は確実に「唯一無二」だったであろうこの音は、今ではだいぶありふれた、ありふれてすでに置き去りにされたジャンルのようにも思われる。あれもこれも貪欲に取り込んで成長をつづけるアニソンの先端速度は加速をつづけるばかりだ。それだけに、いちばん勉強しがいのある音楽カテゴリだと思っている。

[1467] Sep 03, 2013

『キノの旅』というライトノベルがある。紹介風に言うのがためらわれるくらい、かなり名の知れ渡った名作だ。執筆は時雨沢恵一、イラストは黒星紅白こと飯塚武史。氏がイラスト全般を担当するゲーム『サモンナイト』シリーズには、私もここから入ったクチである。シミュレーションRPGをやるようになったのはそれからだ。▼加えて同作は、とにかく本を読まない学生だった私が、はじめて自分で活字を読もうと思って読んだ本でもある。これが楽しめたので、案外文字も面白いじゃないかと、それからも本に手を出すようになった。あらためて考えてみるとかなりの部分、今の私を導いている原点のような作品である。▼今でも覚えている。あのとき、ふだんは行かない有隣堂の小節コーナーで『キノの旅』1巻を手に取ったのは、紛れも無く表紙のキノが言いようなく可愛かったからでしかない。人間、何がきっかけでどんな道に進んでいくか、つくづくわからないものだ。

[1466] Sep 02, 2013

長らく「はてなダイアリー」を使い続けていたら、いつの間にか「はてなブログ」という新しいサービスが始まっていた。はてなダイアリーがそもそもブログのようなものだと考えていたので、同じ会社がわざわざ別に登録の要る似たようなサービスを始める意義はなんだろうと疑問に思い調べてみると、ひとことで言えば「はてなダイアリーを軽量化していまどきのブログスタイルに特化したのがはてなブログ」という感じである。▼はてなダイアリーが始まった頃はまだブログという概念――ブログとはこういうものだ、こういうのがスタンダードだ――という基準がなかったので、ダイアリーはウェブに日記をつける上で便利そうな機能を詰め込みすぎて肥大化してしまった。Wordpress.comやFC2に比べると、ただブログをやりたいだけの人には面倒な代物になってしまったのだ。新規サービスを装う軽量版のサービス切り出しといったところか。この足の軽さは評価すべきだろう。

[1465] Sep 01, 2013

将棋の駒で何がいちばん好きかと言われたら、香車と悩んで桂馬と答える。香車の使い勝手も素晴らしいが、桂馬の奇想天外さ、神出鬼没さ、ポジション取りのいやらしさ、展開の決定力、銀とならんで未来を切り拓く勇気――まあ、いくらでも言いようはあるが、他の駒にはちょっとない変わり者の風情は魅力的だ。タテとナナメをともに駆使して、敵駒の壁もなんのその、不思議な位置にひょいと飛ぶ身の軽さである。▼動きの制限がきついというのも逆に良い。安易に動けないからこそじっと機を待ち、時来たれば一気に間合いをつめていく。その点、チェスのナイトは動けすぎて逆にせわしなく感じる。とはいえ桂馬とナイトはどちらもその動きの面白さ故に初心者が好みやすい駒ではあろう。私もまた素人として素直に彼らの動きが好きである。強者を他に立てて、任せて、我が道を行く自由さ。目の前のことにとらわれず、どこかへ飛んで行く勇気が面白い盤面を創っていく。

[1464] Aug 31, 2013

ヘマというほどでもないが、マスターアップ直前も直前にひとつミスをした。発見されたのが明日でなくてほんとうによかったが、なかなか思うところのある、経験してみないとわからない類の反省点なので、後学のために、他の誰かのために、要約を残しておこうと思う。▼端的に言えば二次バグである。三日前に入れたバグへの対応が、別の場所で新たなハングを引き起こしてしまった。しかし、ふつうの二次バグと毛色が違うのは、私の入れた修正は「正しかった」ということである。コードは正しくなった。そして、悲しきかな。これまでずっと、そこに流れてきていたデータは間違っていた。▼間違ったデータを書いた人は、それはそれで悪いかもしれないが、疑う余地もなく、今回のバグの責任は私にある。たとえどんな事情であれ、凍結直前の時期にあっては、それまで動いていたものを動かなくしてしまった人間が明確に悪なのだ。チームプログラミングの難しさである。

[1463] Aug 30, 2013

「記者と読者の関係は単純だ。記者は、読者が行けない現場へ行き、見られないものを見て、聞けない話を聞き、本当のことを書く。能力や時間やお金を費やせば、誰でも記者になれる現代だからこそ、新聞記者はそんな基本に立ち返ることが大切だと思う。ごまかしはきかない。」▼ネットの「アンチ・マスコミ」を、私はいつも複雑な心持ちで眺めている。組織として好きになれないのは事実だが、昔から、ジャーナリズムというものに憧れがあったし、本当のジャーナリスト魂を持つ個人のことは今でも十分尊敬している。新聞記者なんて事実を捻じ曲げる悪い奴ばかり、なんてことは微塵も思っていない。▼時代の問題だろう。売上の減少で予算減につぐ予算減。金が無ければ人が減り、人が減れば取材の時間も吟味の時間も減る。ネットの速報性という「新兵器」に破れ、負のスパイラルに落ち込んだ産業に力がないのは、そこに属する個人の責任、資質の欠如ではないと思う。

[1462] Aug 29, 2013

新しいことをするときは、万事思い切りがつくように、そこまでの流れを引きずらない方が良いということはままある。大きく流れの変わる「つなぎ」は、だらだらと曖昧に、自信なさげにクロスフェードするよりも、心機一転、がらりと雰囲気を変えた方が、魅力的になる場合が多い。▼私にとっては、それはハンドルネームの変更だったりする。別に今日から某と名乗りますのでよろしくというわけではなく、今日までの自分を黒歴史にするつもりでもなく、ただ、まったく新しいことにトライするときは、まったく新しいラベルをつけて、自分なりに気分転換したいのだ。DJが音楽のジャンルごとにさまざまな「別名」を持っているのと意味はそう変わらない。▼はじめのHNを決めてから、指折り数えてみたら現在は5つ目であった。恐らくは今の名前がいちばん長いが、もともとは実名の苗字を添えて人名風にするつもりだったのである。それを略したのがMSというわけだ。

[1461] Aug 28, 2013

「WWWWWWWWWWWWWWWW」何も真顔で草を生やしているわけではない。これはれっきとしたノウハウである。ユーザーデバッグのプロフェッショナル、某D社はこのPSNアカウントを誰よりも速く取得した。16文字制限。埋め尽くされたW。遊んでいるわけではない。▼Wは通常、アルファベットの中でもっとも横幅が広い。つまり、プロポーショナル・フォントをサポートする海外向けのゲームで、オンラインプレイ時に表示されるユーザー名の表示領域が十分に確保されているかどうかをテストするには、まさしくこのアカウントでログインすればよいということになる。いかに任意の文字列が使えるといえども、W16文字より横幅の長い名前は存在しないのだから。▼私はここに「ノウハウ」と呼ばれるものの本質を見る。予見するには地味すぎて、予見できれば大きな有利を得る、そんな小さなテクニックの集積こそ、真にノウハウと呼ばれるべきものだろう。

[1460] Aug 27, 2013

イノベーションは危機から生まれるという。私はここに一文字足りないと思う。なにしろこう言われると、革新的なアイデアやビジネスは、安全、安心、あらゆる正道を離れて身を削るような博打を生きている人にしか生み出せないように聞こえてしまうが、そんなことはないだろう。歴史をちょいと紐解けばわかることだ。▼革新なくば明日の生活費なしという窮状も危機には違いないが、たとえそんな現実はなくとも、自分について、家族ついて、友人について、地域について、社会について、国家について、世界について、真理について――なんでもよろしい、つまりは、何が関心の対象でも、このままではいけないと切に思う心は、どこにでも持ちようがある。革新が芽を吹くのはそういう深淵に他ならない。▼足りない漢字は「感」である。イノベーションは危機感から生まれる。危機は現実の尺度だが、危機感は心の深度である。心の深度は、財布の中身や家柄とは関係ない。

[1459] Aug 26, 2013

競馬の話。ハープスターが昨日、新潟2歳Sを圧勝した。覚えている人は覚えているかもしれない今年5月28日の記事で紹介した「今年度の布陣」第二位、ヒストリックスターの娘である。デビュー戦から高い素質の片鱗を見せていたが、二戦目のパフォーマンスは想像を遥かに超える「怪物級」だった。圧勝しつつもゴール前は騎手が抑えているほどのポテンシャル。まだまだ良くなると思わせる。▼故障さえなければ今年度の目玉級の逸材とはその通りかもしれない。しかし、いつものことながら、その故障さえなければというのが何よりも難しい狭き門なのだ。まして新潟での上がり3Fは32.5。脚への負担は大きい。「なによりもまずは無事に」と祈る陣営の気持ちがよくわかる。▼祖母は名馬ベガ。繁殖牝馬としてはハープスターの母しか牝系を残せなかった。その孫娘の、この快勝だ。「ベガの忘れ形見が、素晴らしい子を産んでくれた。強さは見ての通りでしょう。」

[1458] Aug 25, 2013

Digitally Importedで久しぶりにClub Dubstepを聴いていたら、ふと懐かしい曲が流れてきた。"DJ Fresh - Louder (Doctor P & Flux Pavilion Remix)"である。▼なんてことはないふつうのダブステップだが、私がダブステップというジャンルそのものを初めて耳にした、というよりも認識したのは、このリミックスである。ダブステップのエッセンスを詰め込んだ、シンプルで力強いミックスだ。▼そうして、それまでもダンサブルな曲は好んでいたけれど、「ダブステップ」という音楽ジャンルを認識したことで、その他のダンスミュージックの分類も気になりだして、歴史から最近の流行までひと通り調べたのである。ダブの時代からディスコ・ハウス・テクノを経て、アシッド・ジャズなんかも巻き込みつつ、この頃はようやく現代に戻ってきた。もともとさして音楽を聴く方ではなかったが、好み幅が少し広がったという意味では、"Louder"には今でもひそかに感謝している。

[1457] Aug 24, 2013

晴天。深夜の藍色。終電の二十分前に判明した新仕様をリポジトリに叩き込んで、疲労困憊ながらも清々しく会社を抜け出した私の頭上には、湿り気の強い夏の星空が広がっていた。今日は帰宅後にやることがある。朝まで眠れないかもしれない。とにかく急ごう。終電に飛び乗る。酔っぱらいの集団と同じ車両だ。▼二つ目の中継駅を降りたとき、異変に気がついた。明らかに駅のものとは思われない轟音。読書と仮眠の中間を漂う頭で解釈すると、どうやら豪雨であった。誰かの悲鳴が聞こえる。特大の雨粒が地面を白く塗り潰している。▼タクシーを待ってもよかった。コンビニで傘を買ってもよかった。けれどもどうしてか今日、私は、たまには濡れてもいいかと思った。タオルを頸へ。これだけは濡れてほしくない大切なオライリーの新刊を守るため、古雑誌でトートバックの入り口に屋根をつくる。雨の中へ。濡れ鼠になりながら、道中、靴も脱いでくればよかったと思った。

[1456] Aug 23, 2013

"Attention: Payment Overdue."――ハーバードビジネスレビューの定期購読からINVOICEが届いた。登録していたクレジットカードの期限が切れたらしい。もちろん、以前デフォルトの実績もある身なので、速やかに新しいカードの登録を済ませたが、それにしてもこの催促の文章、いかにも米国らしいというか、日本の企業は逆立ちしてもこんなものは書かないだろうなという「払う気になるメッセージ」で感心した。▼並の対応なら、速やかにお支払いください、さもなければ購読は停止、場合によっては訴訟も考えますなんて脅し混じりが関の山だろうが、彼らは違う。「今はまだ、我々だけが提供できる優れた洞察の数々を失うべきときではありません。HBRは必ずやあなたのキャリアを磨き、会社の成長を助けます。25年に及ぶ膨大な過去の記事にアクセスできることもお忘れなく。まずはぜひご連絡ください。次の一部を必ずお届けいたします。」どうですか、この自信。

[1455] Aug 22, 2013

Jean-Francois St-Amour氏による「Rendering Assassin's Creed III(アサシン・クリードVにおけるレンダリング)」を聴講する。さすがに掻い摘んではいるが、ゲーム世界のリアリティを損なうことなく数千にも及ぶ膨大なNPCを描くための技術と工夫を開発者の口から聞けて、いろいろ納得である。CPUに限界がある以上、「技術力」というのは即ち、割り切るべきところをいかに上手く割り切るかということなのだ。それを改めて実感した。▼さて、3講義受けたが、残り2つはタイトルも紹介しない。正直なところ、目眩がするほど忙しい時間を割いて出たのをつくづく後悔したほど、目的も希薄なら内容も不出来であった。さすがにそんなことはないだろうが、会社の名前を売るために出ているのではないかと邪推してしまうくらいである。これが素晴らしかったというものはなんでも、他の人が到達できるように誘導したいが、ひどかったものの名前を晒したくはない。

[1454] Aug 21, 2013

同じ部署の、別のプロジェクトの同僚が、このごろご飯時となると、部屋を出たそのときから注文を待つあいだ、会社への帰路までほんとうに休みなく、四六時中チームメイトの愚痴をこぼしているので、「あまり仲間のヘイトスピーチをするもんじゃないよ。言う人の気分がいちばん暗くなるんじゃないか」と少し強く言うと、「たまには愚痴を言うのも大切だからさ」と言ってきた。この頻度、この密度をたまにと言い切る臆面のなさには感心するが、それにしてもこの応答は<禁じ手>である、と私は思う。▼「こどものしたことですから」という台詞が、被害を被った側が寛容な心で相手を許すときに使う物言いであって、けっして粗相をしでかしたこどもの親が吐くべき台詞ではないように、上述の台詞もまた、愚痴を言う人が、本当は言いたくないのに思わず言ってしまうことを気に病んでしまったとき、聴く側がかける言葉だろう。免罪符とは自分で発行するものではない。

[1453] Aug 20, 2013

毎年恒例のCEDECが明後日から開催される。今週末がソースコードの凍結ということもあり、本来ならとても参加できる立場ではないが、無理を言って、朝出社、即出発、選りすぐりの三講義だけを聴いて、そのまま会社にもどって残業――という落とし所で認めてもらうことができた。残りのバグを考えると出ないで直したい気持ちも強いが、ここは将来への投資を優先する。▼講義のレベルがどうとか、顔ぶれがどうとか、開催のたびに云々されることではあるが、質と傾向の変化はともかく、なによりもまずこうして定期的に大規模な「勉強会」が開かれるということ自体が、業界に活力を吹き込んでくれる。毎日の業務に埋もれていると、会社の外にある世界のことを忘れてしまうし、未来志向の弓矢もどんどん射程が短くなって、明日より今日の種籾を食い散らかす不健康な生活に落ち込みかねない。クリエイターの劣化とはそういうものだろう。だから、推して外に出る。

[1452] Aug 19, 2013

六年前。大学院の面接試験で、ずらりと居並ぶ御歴々の教授方から「就職はどういうところを考えているのか」と訊かれたとき、私は「ゲーム会社です」と即答した。唯一、事前にそれを知る卒論の担当教授以外は、みんな顔を見合わせて驚いた。エンジニアでも金融会社でも、研究職でも商社でもないとは。沈黙がいやなので、勝手につづけた。「できればどこかで編集者も経験したいです。記者、編集者、デザイナー、このあたりに関わりつつ、最終的にゲームがつくれればと思っています。」▼あとで教授に訊いた話では、そもそも筆記試験の時点で合格点に達していたので面接は参考程度、件の発言も単に面白がられたり不思議がられたりしていたらしい。そうして結局、本人の顛末はといえば、横道に逸れることは叶わずまっすぐゲームクリエイターとなったわけだが、あのとき提示したもろもろは今も趣味の心に息づいていて、やりたい気持ちは消えてないなと実感している。

[1451] Aug 18, 2013

ここのところ立てつづけに何冊か、アーティストをめぐる音楽配信の未来を語る「音楽ビジネス本」を読んだおかげで、じゃあこちらはこちらでアマチュアだから、こういう手もあるんじゃないか、こうしたら面白いんじゃないかと、次から次へと楽しいアイデアが湧いてきた。湧いて消えるだけではもったいないので、ひとつ決心として確定したものもある。本職の修羅場が終わり次第、キックスタートするつもりだ。▼いつも言っていることではあるが、ビジネス本、業界本の良いところは、内容の信憑性や有用性というより、希望に満ちたプロの世界――しかもたいていはポジティブな言葉で書かれている――を覗くことで、みるみる自分にやる気が出てくることにある。人間、好きなことをして輝いている人を見るときほど前向きになることはない。形而上のレトリックだけで紡がれた啓発本より、実例だらけのビジネス書籍のほうがずっと薬になるというのが、私の持論である。

[1450] Aug 17, 2013

松本拓也氏による一節に頷いたのでクリップ。「あらためて重要だと感じたのは、曲のプロモーション以前に、アーティストのプロモーションターゲットを、目に見える、実感できるトライブとして設定できているかどうか? 初期のコアトライブはどこで、どうやって周辺のトライブに拡大していくか? の仮設設定の重要性です。」▼原文は『ソーシャル時代に音楽を”売る”7つの戦略』から。批判するつもりはないものの、この本自体が対象読者トライブをどこに据えているんだという気もする「業界寄りかつライト」な本ではあるが、趣味人でもソーシャルと音楽の関係性に興味があるなら読んでおいて損はないと思う。タイトルの「売る」というのも、儲けるという意味ではなく普及させるという意味合いが強い。▼プロの世界で地道に確実にファンを獲得してきた仕事人たちの足跡を辿り、もっと知られれば売れるのにという馬鹿馬鹿しいトートロジーから脱却してみよう。

[1449] Aug 16, 2013

「例えば私は、最初のころはあるディレクターさんからは面白い曲を発注され、別のディレクターさんからは恋愛ソングを発注されていたんですね。人それぞれが、私をそういうものを得意だと思っていて、発注してくれていた。」▼全体的なクオリティは後でもなんとかなる。重要なのは自分にしかない切れ味だ。強みを見つけろ。それを活かせ。オリジナリティを爆発させろ――多くの寄稿者が似たような「個性売り込み型」を勧める中、こだまさおりの意見は少し角度が違って面白いと思った。自分の良いところは人が決めてくれるという考え方である。▼なんでも好き嫌いせずにチャレンジしてみよう、という強気の言い分には、そうは言っても……という弱い気持ちの反発が付き物だが、自分の長所を他人が決めてくれるという発想は、それよりずっと柔らかい。まあまあ、そう自分を決めつけずに、頼まれるなら、頼まれたことを、いろいろやってみればいいじゃないですか。

[1448] Aug 15, 2013

山口哲一氏の監修する『職業音楽家への道』をデスクの傍らに置いて、音楽とは何の縁もないオンラインプログラムの実装とバグ取りを進めている。読めるのはほとんど電車の中で、会社にいるとき開けるのは休憩時間のほんの数ページに過ぎないが、趣味の世界が近くにあるだけで少し安心するとでもいうべきか。ぬいぐるみでもフィギュアでも同じことだ。修羅場には癒やしが要る。▼内容については後日触れるとして、音楽にせよゲームにせよ近頃の書籍に思うのは、どうもこの手の「現場人のインタビューをたくさんまとめて監修した本」が増えたということだ。批判しているわけではない。いろんな人の意見を聞いてみたい人間としては嬉しいくらいだ。しかし同時に、この傾向には、ひとりの強烈な才能がアートを引っ張っていく時代ではなくなったことを切に感じさせるものがある。自分が、自分は、自分には――エゴも大切な資質だが、それだけではもう、生き残れない。

[1447] Aug 14, 2013

グーグルやツイッターなどの検索で、自分のハンドルネーム、本名、サークル名などを検索し、自分についての評価・批評を探すことを「エゴサーチ」と言う。エゴサーフィンという呼称もある。どちらにしても、他力本願な自分探しの旅である。▼聞きたくもない話を耳にしてしまう勇気があるならしてみるもよし、手元に届けてくれるエール意外は聞く耳持たぬと敢えてしないもよしであるが、行為の善悪はさておき、エゴサーチがしやすい名前としにくい名前というのはたしかにある。ハンドルネームなら尚更そうだ。意味のない文字の羅列は強いが、一般語なら純粋なエゴサーチは難しい。私も、いろいろな文章の断片に登場するので難しい部類である。▼難しいなら難しいでしなければよいが、もしもこれから自分のブランドやサークルを立ち上げて、その評判を追いかけて行きたいという思いがあるのであれば、命名にはエゴサーチのしやすさも考慮に入れてみたほうが良い。

[1446] Aug 13, 2013

とある企業の、不誠実きわまりない対応に頭を悩ませている。かいつまんで言うと、数日以内に回答するという質問のメールは7日以上も放置したあげく、発生しているトラブルについて、こうしてはいただけないかという提案のメールには「できかねます」という旨のコピペメールを3時間で返してくるという、ダメ企業の見本のような対応である。そこには担当者の名前すらない。最初の質問に対する返答も、まだない。▼あまりにひどくて企業名を挙げるのもはばかられる。今後の対応次第ではいろいろ考え直さなくてはならない。今回、CDプレスにあたって事前のやりとりから当日の対応、ケアまで、完璧な「神対応」を見せてくれた『もえCDプレス』さんとは雲泥の差である。とにもかくにも返事がないことにはこちらも身のふりようがない。せめて返事はいつになりますという連絡くらい欲しいものだ。困った状況に変わりはないが、仕事の反面教師にでもするしかない。

[1445] Aug 12, 2013

ビックサイト。月曜日開催のせいか明らかに人は少なかった。データ上も1日目、2日目の連日21万人に対して3日目は17万人と明らかに落ちている。さらにこの人の少なさが5度近く落ちた気温の恩恵と合わさり室内の温度はそこそこ止まり。3日間の中では恐らく最も快適な日となった。▼参加の感触は、頒布状況だけで言えばまずまずというところ。初参加としては素直に上出来だと思う。失敗譚や反省点など、いろいろ考えるところも書きたいところもあるが、せっかくの初参加、ひとまず小賢しい考察は捨て去ろう。祭りの余韻に御託はいらない。楽しかった。またやりたい。次はもっとがんばろう。これで十分だと思う。実際、私はもう次やその次、あるいは別の何かと、未来のことを考えるのが楽しくて仕方ないのである。やりたいことは山積みなので、すべてはタイムマネジメントだよという教授の言葉を思い出しつつ、まずは待望のコミケ参加、これにて終了――。

[1444] Aug 11, 2013

コミックマーケット84。連日40度近い猛暑の中、今年も平常通り開催されている。毎年、さまざまなジャンルが生まれたり萎んだりしていくサークル絵図だが、今年ひときわ眩しい光を放つ新星は、なんといっても艦隊これくしょん――「艦これ」だろう。▼今年4月にリリースされたばかりのブラウザシミュレーションは、あれよあれよという間に口コミで大ブレイク。とうの昔に申し込みが終わっているはずの夏コミにも、最初の予定を破棄して「艦これ本」を出すサークルが現れるなど、抜群の人気ぶりを見せている。ソーシャルで搾取のイメージが染み付いた「ガチャ」を採用しなかったことも、ターゲット層には潔さと映ったようだ。▼急成長の分、急縮退しないことを祈る。しかしガルパンからつづくこの流れは、近頃の右傾化・レイシズムなんかと関係しているのかもしれないねという冗談みたいな話をしていたが、さてまるで関係ないと言えるかどうかはわからない。

[1443] Aug 10, 2013

アルファブロガーという和声英語がいつの間にか死語になり、代わりにブロガーという単語そのものが職業を指す言葉になってきた。ブログを書くという行為が、体系化されたアフィリエイトのシステムにより生計を立てる手段となり、とりわけアテンションを集められる人気の書き手はブログ書きの「プロフェッショナル」になったわけだ。▼サラリーマンに比べれば収入の多寡はまだまだ比べるべくもないと言われるが、文章が生き甲斐の人たちにとって、その文章で食べていける手段が新たに出来たのは素直に喜ぶべきことだと思う。一昔前までは、至極当然、日記で食べていける人など存在しなかった。存在しないのと難しいのでは、可能性は雲泥の差だ。▼今はまだ、ウェブの「目」は虫の如く火の手のあがるところに群がっているが、新しいコンテンツの黎明期はいつもそう。気にするまでもなく、そのうち良質な蜜を求めて散りゆくだろう。文章のプロが増えるのは嬉しい。

[1442] Aug 09, 2013

試聴用タブレット、同じく試聴用のヘッドフォン、CD展示ラック、卓上スタンド、ロゴポスター、テーブルクロス、値札POP、などなど。イベント参加に必要なものをあらかじめリストしておいたおかげで、二日前の現時点で余裕を持って準備はできた。本業の修羅場はまったくもって想定外だが、想定外を見越して計画を立てていた自分は褒めてあげてもよいと思う。これでもう体調以外、当日に破綻しそうなものはない。▼制作も、制作以外の準備も、頭で描いていたよりも数倍たいへんで、これを毎年、あるいは年に何回もこなしているベテランサークルは本当にすごいなと、つくづく驚嘆している。慣れてしまえば流れ作業になる仕事も多いのだろうが、それにしてもやることの物量は多い。あちらに連絡、こちらに告知、つくって揃えて考えて。目の回るような思いをしたが、準備の目眩は楽しいもので、追い詰められるほど次々に面白いアイデアが浮かんでくるのである。

[1441] Aug 08, 2013

プログラミング能力とは何か。これにはふたつの答えがある。ふたつの異なる能力があると言うべきかもしれない。プログラムを自分で書く能力と、他人の書いたプログラムに手を加える能力である。▼両者の能力値は、意外にも相関があまり大きくない。新たな実装をゼロから組み立てることにかけては天才的でも、中途半端なプログラムという他人の愚行に折り合いをつけて、過程はどうあれ期間内に求められる振る舞いを達成することはまるで苦手という人はたしかにいるようだ。もちろん逆もいる。▼優秀な研究者と、優秀なビジネスマンの相違に近い。理想で戦う沈思黙考の策士と、現実で戦う満身創痍の戦士とでは、どちらが良いでも悪いでもなく、そもそも求められる素養が違うのだ。そうして忙しいプログラマは、両者の業務をいつも兼任しているようなものである。自分がいまどちらの帽子をかぶっているのか、常に正しく理解していなければ、理想か現実に殺される。

[1440] Aug 07, 2013

「歌えないベースラインは、悪いベースライン。」格言というほどではないが、心に留めて置くと何かと役に立つ言葉だ。多くの場合、たしかにその通りである。しかし、当然ながら、そうでない場合もある。「このラインはものすごく格好いいけれど、とても歌うことなんて出来ないぞ?」▼そういうはぐれもののために、冒頭の主張を崩さない言い方がある。「歌うようなベースは素晴らしい。」歌える/歌えないという可能性ではなく比喩的に表現している点、こちらの方が基準がゆるい。なるほど。しかし、16分音符でバシバシ音を飛ばすファンキーなラインにも佳作はあるのだが……。▼そういうわけで、私がいいなと思う落としどころは「歌心のあるベース」である。文字面を変えてどうするのかと思うかもしれないが、スローガンは得てして脳に刻む言い回しが大切だ。「歌える、歌うような、歌心のある。」この順で目指していけば、きっと良いラインが出来るだろう。

[1439] Aug 06, 2013

あんまり眠くて、集中力もつづかなくて、このさい帰宅時間を遅らせてもいいから一眠りしたい、と思うことはよくある。終電より遅い帰宅時間はないので忙しいときほど叶わぬ願いではあるが、どうしても眼が閉じて仕事にならなそうなときは、机でだらだら寝るよりは良いと、夕方の食事休憩に仮眠室へ行くことがある。十七時に清掃が終わるので実はいちばん綺麗な時間だ。▼目覚まし時計は鳴らせないし、さりとて確実に起きなければならない重圧もあって、そうそう熟睡はできないのだが、数十分暗いところで横になっているだけでも眼と頭脳は多少回復する。というより、比べてみると案外、眠りに落ちてしまわないほうが良いようにも思う。布団でしっかり眠ってしまうと、這い出すコストが大きすぎて、部屋にもどっても体が仕事についていかない。朝のあのつらい時間をもういちど繰り返すようなものだ。小休止はあくまで小休止。深く休めば良いというものでもない。

[1438] Aug 05, 2013

ツイッターの普及以来、ネットスラングを日常で聞く機会が非常に増えた。かつての「2ch語」の比ではないように思う。短文発信ツールが由来だけに、込み入った感情や状況をきわめて短い語数で表現できる便利さがそうさせているのだろう。「激おこ」「つらたん」など、文字や音が可愛らしく聞こえるものも多い。使いたいとは思わないが、使っている人はしばしば見る。▼しかし、敢えて邪推してしまうのは、こうした苛立ちや悲しみを可愛らしく表現する習慣は、SNSの闇と表裏一体かもしれないということだ。「そこでは誰もが幸せに見える。」ありふれた愚痴や憤慨など、誰からも「いいね!」とは言われないから。支持されない呟きは消えていく。誰も真に暗いことは言わなくなる。そうして、嫉妬にならない程度の明るい話題だけが残っていく。可愛い言葉。幸せそうに見える義務。どんな鬱憤も悲しみも茶化してしまう、茶化さざるを得ない、素敵な世界である。

[1437] Aug 04, 2013

青春よりやや幼い時期、小学校のはじまりから終わりまで、私が情熱を傾けていた漫画と言えば、間違いなく『魔法陣グルグル』である。あまりにも好きすぎて、なけなしのお小遣いはほとんどぐるぐるのグッズやビデオに費やしていた。今でも特別な箱の中、大切にしまってある。▼『魔法陣グルグル2』の単行本を買う。絵柄、とくに表情のデフォルメの仕方など、ずいぶん変わってしまったが、根本的な表現のセンスは昔のままだ。それだけでも安心する。思い出補正の懐古厨にはなりたくない。前作前提の展開はやや駆け足にも感じるが、このテンポの良さもまた魅力である。▼グルグルの何が良いか、残り四行で語れる気はしないが、ひとつだけと言われたら――子供のような直球の、飾り気のないストレートな言葉が胸を打つ、その素敵な台詞の数々を挙げる。「勇者のあかしなんてなくていいよ。魔法も能力もなーんにも持たないで走る勇者様がいちばんドキドキするよ!」

[1436] Aug 03, 2013

フィネガンズ・ウェイクのような、文章自体が読めないものは別として、私は今まで読んだ本の中で、物理的な文字の表現方法のせいで、最も読みにくかった本を挙げることができる。岩波文庫・青より、フォイエルバッハの『将来の哲学の根本命題』だ。▼なぜ読みにくいか。本屋で立ち読みしてみればわかる。すべての文字が太字のような濃さな上、尋常ではない量の傍点が打たれているのだ。冗談ではなく、過半数の文字に傍点が打たれている節さえある。ありとあらゆる文が強調されている。つまり、結果として、何も強調されていない。▼傍点は、楽譜でいうところのアクセント記号に似ている。曲の始まりから最後まで、強拍も弱拍も関係なく、ただ少し力の入りそうな音のすべてにアクセント記号が振られた曲のうるささを想像してみて欲しい。曲想の壮大さ、メロディの美しさ、そんなことを考える以前に黙って耳を塞ぎたくなるだろう。私も当時、目を閉じたくなった。

[1435] Aug 02, 2013

レガシーコードとは何か。理解しにくいコード。構造が複雑すぎるコード。変更の難しいコード。プログラマはいつも偉大なる諸先輩方に敬意を払いつつ、その中の誰かが残した過去の遺産(Legacy)に殺意と憎悪を抱いている。レガシーコードは、まさにそのような汚らわしい継承物を総称する俗語として使われている。「これはいやだと思うコードのすべて。」▼マイケル・C・フェザーズの定義はもっとシンプルだ。「テストのないコードはすべてレガシーコードである。」どれだけうまく書かれているか、美しいか、カプセル化されているか、これらはすべて関係ない。ただテストがありさえすれば、私たちはそのコードの振る舞いを変えることなく、機能の変更や追加を速やかに行うことができる。これこそ”遺産を受け継ぐもの”が求めていることではないか。美しいコードに見惚れることは、編集・ビルド・祈禱を繰り返す不毛な徹夜の作業を補償してはくれないのである。

[1434] Aug 01, 2013

ギターやベース、ドラムのようなバンド楽器の「教本」は、わかりやすさを重視した比較的ページ数の少ない良書が、ほとんどリットー・ミュージックの出版とはいえ、内容かぶりも上等と言わんばかりたくさん出ている。ところがブラスやウッドウインドは、こうした「初心者向け」の本が、一般書店の棚にはまずない。薄型で大判の、楽譜と同じ体裁をした堅い「教科書」ばかりである。絶対数も少ない。▼奏者が少ないから当たり前。そうなのだろうか。部活動の活発な中学・高校なら、吹奏楽部があるのはめずらしくない。それほどメジャーな楽器であっても、もともとクラシックに慣れ親しんだ人が足を運ぶような店にしか教本がないのだから、弾いてみようかなと思い立つ初心者も少なく、故に奏者が少なくなるのではないかという気もする。レッスン経験前提の「入門」という敷居。あえて高くしている事情もあるのだろうが、別の興味で調べる身にはいささか面倒である。

[1433] Jul 31, 2013

「理想的なフィルインとはなんだろうか。」もちろん、このフレーズだよ、と具体的なものを提示できるはずもない。主人公の性格も、世界観の設定もなしで、最高の台詞は何かと問うようなものだ。しかしそれでも汎用的な答えを目指すと、こんな定義が浮かんでくる。「ちょっと『らしくない』ことをする。」――許される範囲で。▼クールを貫いてきた主人公が、状況に追い詰められてとうとう大声でヒロインへの愛を叫んだら、それは最高の台詞になるかもしれない。ルート弾きに徹していたベースが、サビの直前で急にオクターブの壁を超えて高いリフを叫んだら、それは最高のフィルインかもしれない。どちらにしても共通しているのは、その「らしくなさ」が「らしくない」と瞬時に感じられるほど、ふだんは「らしさ」に徹しているということだ。いつも決め台詞を言うことばかり考えているキザな主人公は、どんな名言を連れてきても、有事にクールな台詞は吐けない。

[1432] Jul 30, 2013

これまで長いあいだ、理想のブログ、ひいては理想の読書・勉強記録について模索し、実践してきたが、どれもこれも更新が面倒になるか、飽きてしまうか、ともかく途中で価値が感じられなくなってしまって、うまくいかなかった。しかし今日ふいに、新たな光明を得たので備忘代わりに記録しておく。「勉強の軌跡に読書の記録を残すなら、<一冊につきひとまとまりの記録>という形式からは解放されるべきである。」▼この本はこういう内容で、こんな感想を得た、という手法を当たり前としてきたのは、恐らく文学ばかり読んでいた頃の名残りであって、目的のある読書の記録には向かないように思う。目的があるなら記録の方が目的に即した形で体系化されるべきであって、個々の本という物体に縛られるべきではない。平たくいえば、本の下に得た知識がずらずらと並ぶのではなく、得たことひとつがトピックで、その最後尾に、本の名前がいくつか列挙されるべきなのだ。

[1431] Jul 29, 2013

曲制作のオペレーションで、プロとアマチュアのあいだにある差は「トラック数」だという。それなら自分も、と真に受けてトラック数を増やしまくるのもどうかとは思うが、トラック数と曲の出来映えに関連があるという説、理には適っている。▼トラック数が多いということは、それだけ制作途上の仕事を細分管理しているということだ。全体を聴いてなんとなくこのへんが悪そう、と闇雲に手を入れていくのではなく、問題の箇所を素早く洗い出して、副作用のないよう修正していく。そのための準備処置である。プログラムで言えば、テストハーネスのサイズが小さく、必要に応じて高速な単体テストが可能だということだ。▼レイヤー1枚で世にも美しいイラストを描き上げる人もいるのだから、優れたものを生み出すには必ずしも細分化しなければならないというわけではないが、限られた時間で粗のない結果を出すべきプロの仕事としては、細分管理は王道と言えるだろう。

[1430] Jul 28, 2013

二年くらい前の話。今はもう独立して会社にいない同僚と、残業前の日課に定食屋へ行ったときのこと。思い返せばそのころから脱サラのことを考えていたのだろう、ふだんは陽気な冗談ばかり得意な関西人が、我が社の行く末とか、将来のこととか、まだ見ぬビジネスチャンスのこととか、未来のことを、茶化しつつも真剣に話しはじめた。そのとき「自分はなに目指してるん」と訊かれて、ううんと小沈黙の後、私が答えたのは「最強」という一言だった。▼「いや、めちゃくちゃ『らしい』わ」と彼は言った。私も、冗談で答えたわけではなく、ワンピースのゾロの真似をしたわけでもなく、かなり真剣に、心中まさにここという一言をシンプルに答えたつもりだったので、そうでしょうと真面目な相槌を打った。最強って何。定義は。手段は。現実味は。そんな無粋な質問を繋いでこない彼の感覚的な受け取り方が気に入った。迷ったとき、あのやりとりをいつも思い出す。最強。

[1429] Jul 27, 2013

今日、予定通り、夏コミで頒布するCD収録曲の先行公開放送を開いた。とくべつ準備もしていなかったので、文字雑談交じりに曲を順番に流していくというだけの、試聴会と呼べるようなたいそうなものでもなかったが、流しているまさにそのときダイレクトかつリアルタイムに感想がもらえるというのは、動画ともまた違い新鮮で面白かった。リスナーの数も、こちらがひとりでも会話が成立するくらいで、ちょうどいい。▼あまりにもつくるのが遅いので今はまだ実現しないが、つくって公開してのサイクルを、こういう即時的な手段を使って、日々、意見交換の種に出来たらよいのにな、とは常々思う。「実はこういうことやってました」のサプライズも嫌いではないが、「実は今こういうことやってます」の方が、最終的に仕上がる物も、その道の行く末も、前者より良くなるような気がしている。自分に取捨選択の力があると信じるなら、人の意見は容れれば容れるほど良い。

[1428] Jul 26, 2013

Cubase7の登場から半年、待望の解説書『Cubase7 Series 徹底操作ガイド』がついに発売された。圧倒的な詳しさとわかりやすさ。やりたいと思うことをやるためのリファレンスとして考えれば、項目間で内容がオーバーラップしている冗長さも気にならない。もっと早くにこれを知っていればと悔やまれる操作もたくさんある。マニュアルを読まない自分が悪いとはいえ、本家のマニュアルは見る気にならない。▼あくまで「操作ガイド」であり、対象読者は初級〜中級者向け。上級者が度肝を抜くような技が書かれているわけではないが、なんとなくで愛用してきただけの人なら、いちどは目を通してみると思わぬ便利な機能が見つかるかもしれない。サイクルの保存機能やカーソルの上下ドラッグによる拡大縮小、クロスフェードの自動作成機能など、使わずに済んでしまうものほど機能は埋もれがちなものだ。さくさく覚えて、創ること以外になるべく脳を使わないようにしよう。

[1427] Jul 25, 2013

いままでに使ったことのない音を調整しはじめた。やはりこのときがいちばん楽しいと感じる。私は真の意味で音楽好きではなく、単なる「音好き」なのだろう。いまさら言うまでもなくわかっていたことだ。単音でもいい。画面の中の棒から、思い通りの音が鳴るのは楽しい。▼ミックスの教本には、パラメータを最大限に利用して耳に心地いいサウンドを創りだすテクニックがいくつも紹介されている。実現不可能な音の洪水。魔法みたいで楽しいが、耳には聴きやすくても、人工的にミックスされた音楽という印象が強くなるので、私はあまりそちらに寄りたくない。それよりは音の発生源がどこにあるか、聴いてわかるような配置感を重視したいと思っている。▼これはリアリティの追求ではない。全く逆で、リアリティが足りないからこそ、音楽が催されているという演奏感を聴き手の想像力で補完してもらうために、できるだけ音の焦点を分解しておきたいという思いなのだ。

[1426] Jul 24, 2013

あるシステムアーキテクト(SA)のもとに顧客が駆け込んできた。曰く、サービスのメインサーバーが原因不明の障害を起こしてダウンしているので、今すぐ修正してほしいという。「わかりました。」淡々と答えると、頼まれたSAは顧客が駆け込んでくる前と同じ姿勢でPCに向かい、当時の最新技術であったリモートコントロールを使って復旧作業に取り掛かった。ひとつひとつ、丁寧に問題を片付けていく。▼ところが間もなく、顧客は大声で怒鳴りはじめた。「なにをしてるんだ、早くなんとかしてくれと言ってるじゃないか!」彼はSAに作業を期待していたのではない。自分の焦りを見て、SAが直ちにサーバールームへ駆け込んでくれることを期待していたのだ。困っている人は、してるかどうかもわからない実作業より、してるように見える態度を求めている。SAはせめて自分の画面を顧客に見せ、これらのバグをこうして直します、と説明すべきだったのだろう。

[1425] Jul 23, 2013

なかなかレアで面白いトラブルに出食わした。別のチームの人が、開発中の実機で遊んでいると、なぜか「じゅわぁ」と熱の滲むようなサウンドエフェクトが、自分のところでだけまったく聞こえないという。他の人は聞こえるのに、自分だけが聞こえない。しかも他の音はちゃんと出ているのである。とうていプログラムのバグとは思えない。▼そういう経緯にたまたま呼ばれて聴いてみると、たしかにそのSEだけが鳴っていない。が、音量を最大まであげるとかすかにうごめく音が聞こえる。鳴ってはいるのだ。ヘッドフォンを外してみる。BOSEのロゴに赤いランプ。▼真実はこうであった。その人の使っている私物のヘッドフォンはノイズキャンセリング機能がついていて、該当のSEがノイズ扱いされていたのだ。たしかに周波数成分はノイズに似ているかもしれないが、ここまで綺麗に除去されると、ふつうには無音と聞き分けがつかない。冗談みたいなトラブルである。

[1424] Jul 22, 2013

選挙へ行く。投票自体はさして特筆すべきこともない。入れたい候補、入れたい政党の名前を書くだけだ。このごろはウェブを通じた投票の「カミングアウト」も流行りのようだが、政治の話はそもそも疎いのでやめておく。どうしてそこに、なぜ彼に、という押問答に費やす時間はやや惜しい。▼しかし、選挙に関わる事前事後の表話や裏話がネットで流れるようになり、盤外戦は確実に面白くなったと思う。ウェブアピールがどんどん有効化して、やがて街頭の喧しい舌戦が消えてくれれば言うことなしだ。ついでに恫喝の凄みで豪腕気取りの記者も市民も、古き佳き時代の産物はどんどん褪せていくといい。▼新しいものについていけなくなると守りに入るのか、守りに入るから新しいものについていけなくなるのか、このあたりの鶏と卵はわからないが、政治に限らず、仕事も、創作も、何でもそう。若い世代と折り合いがつかなくなったらそのときこそ、冒険はおしまいなのだ。

[1423] Jul 21, 2013

連日Civ5の話になるが、この日曜日はこれに費やすつもりでいたので、他のネタはなにもない。賞味期限が切れる前に、新鮮な感想をもうすこし付け足しておこう。▼午前中、まずはポーランドで不死外交勝利。199ターン、他に勝利をうかがう文明もないのでかなり余裕残しと言える。採用したのは伝統・文化後援・合理主義、思想は自由。新しい時代ごとに社会制度が無償でもらえるということは、他の文明よりツリーまるまるひとつ分以上も埋まるわけで、古典・中世でさくさく伝統が先行できることも考えると正味反則級の性能である。▼金出力にボーナスのある文明で不死の外交勝利は安定しすぎるため、次は科学勝利を目指してモロッコでリベンジ。こちらは朝鮮の存在で追い抜く立場ではあったものの、終わってみればやはり余裕の宇宙逃げ。スコラ学による研究加速が安定しすぎているきらいがある。本気で勝ちに行くなら、不死で内政勝利はあまり困りそうにはない。

[1422] Jul 20, 2013

CD制作の追い込みのために封印していたゲームをふたたび始める。とくにCiv5の最新拡張版"Brave New World"(BNW)は、出るまで非常に楽しみにしていた分、封印は苦渋の決断だったと言える。家では弟から新要素のいかに素晴らしいかを聞き、会社では同僚から興奮のプレイレポートを聞くという、じつにもどかしい日々を送っていたわけだ。解放された今、やりたくもなる。▼そういうわけで、少し羽目を外しすぎではあるが、いま午前六時半まで不死で新文明「モロッコ」をプレイしていた。結果は、あとひとつの都市国家に出会えず世界の指導者まで1票が不足、宇宙に逃げる朝鮮に2ターンという紙一重で敗北したが、どの文明も科学勝利、文化勝利、いろいろな勝利を視野に収めていて、現代戦の緊張感は今までとは比較にならない。文化も軍事も科学も外交も、さまざまな圧力をいなしてやりこめて、ついに自分の勝利を得る達成感が後半に生まれたのは大進歩である。

[1421] Jul 19, 2013

夏コミ頒布CDのクロスフェードデモを作成した。どこをどう切り出すかはぼんやりと外で考えていたので、帰宅して三十分ほどで即席に仕上げたが、だいたい狙い通りできていると思う。とにかく出し惜しみしないこと。多少ネタバレしてでも、美味しいところはみんな詰め込んだ。▼サンプルなんだから大サビは購入後の楽しみに取っておくのが常道という定石も重々わかるが、かなりたくさんの他人のデモを聞いてきた私が、誰がどこにサビをどう配置していたかなんてことは、欠片も覚えていないわけで、とすれば自分が面白いと思うところを素直に出してあげるのがよかろう、というのが私のスタンスだ。▼良い物を探したい一心であちこちのデモを聴きまわるリスナーは、サビはお楽しみとか、後半は聞かせないとか、そういう打算めいたことについて、恐らくは制作者ほど気にしていない。一度聞かれたら二度目はつまらないと思われるかも、というのは過剰恐怖であろう。

[1420] Jul 18, 2013

オンラインの同期に使うパケットには、ロストしてはならないもの(リライアブル)とロストしてもよいもの(アンリライアブル)がある。たとえばストラテジーゲームなら、相手の位置や体力は全員が完全に同期していないとゲームの行方が変わってしまうためリライアブルでなければならないが、他人のキャラクターが技を繰り出したときのエフェクトはいちどくらい出なくても進行に支障はないのでアンリライアブルでも良い、ということになる。▼リライアブルが増えればそれだけ負荷が増える。いかに「これはロストしてもいいだろう」と妥協しつつ、ゲームの進行を保証し、プレイしている人間に理不尽な感じを与えず、奇妙な印象を持たれないようにするか。この削減がバイト単位でパフォーマンスを左右する。いらないベクトルはないか。失われても見栄えに影響しないフラグはないか。こういう最適化のためのコーディングもまた、ひとつのゲームデザインなのである。

[1419] Jul 17, 2013

静岡大学出身の後輩が語るところによると、静岡のコンビニや生協では、あるとき見たこともないような新商品が陳列され、半年くらい売られた後に、忽然と姿を消すということがよくあるそうだ。今は定番となった堅焼きチップスもまさにそうで、学生からはたいへんな好評を博していたのに、半年ほどで棚から消え失せてしまったという。いったいなにが起こっているのか。▼実はこれ、メーカーによる発売前の試験販売なのだそうだ。私は初耳だが、静岡県の人びとは東日本の平均的人格を持つと目されていて、そのために事前の調査ではこっそりと、あるいは公に、よく静岡の地が活用されるらしい。後輩が発売前によく食べていたという品のラインナップを聞いてみると、それがほんとうであれば、たしかにメーカー側もわかってやっていると考えてよさそうである。ちなみに西日本の平均はどこかと訊くと、広島と答えた。静岡より信じがたいが、否定する材料もとくにない。

[1418] Jul 16, 2013

シンプルで爽快な曲が出来た。なにも難しいことをしていない素軽さが素敵だよね、というコメントをしたら、なんということか、素軽いという言葉は競馬用語らしいよと言われた。風船の浮くような軽さではなく、とんとんとスムーズな足運びで軽快な様子を表現するのにしばしば用いていたが、まさかの専門用語だったわけだ。「素軽い:馬の動きが軽快で、しなやかに走っている様子をいう。調教時の評価によく使われる言葉。」▼当たり前に通じるつもりで通じない言葉というのはよくある。しかし、略語やカタカナ語ならともかく、まっとうな形容詞に見える日本語で出食わしたのは初めてかもしれない。辞書入りの正式な言葉しか使わないなどと主張する堅物になる気はないが、一般語でないならせめてそうと知りつつ使いたいものである。▼件の曲はつくる手もかろやかで、他の曲なら五秒に相当する程度の時間で出来た。毎度のことだが、かけた時間と出来は比例しない。

[1417] Jul 15, 2013

チェロの音だけが異常に大きくなるというバグに見舞われて、まったく原因がわからず右往左往したあげく、古い音源プロジェクトファイルを引きずりだしてなんとか事なきを得たのが先週の話。今にして思えば、そのときにバグの原因を究明しておくべきだった。昨晩、再発。そうして今度は、ロールバックしてもいっこうに治らない。DAWを再起動しても、OSを再起動してもダメ。チェロだけが倍近い音量を出している。▼あらゆるデータやパラメータが正常に見えるのに、いくらリロードしてもチェロの音が大きい。しかも目に見えてバグが起きているならともかく、現象はほんとうにそれだけで、他はなにひとつ変わったところがない。ちょうどチェロ頼りのフレーズを検討していたところなので看過するわけにもいかず、何度もロールバックを試すこと朝方まで、ようやく治ったもののついにその原因はわからずじまいである。今のところは再発しないことを祈るしかない。

[1416] Jul 14, 2013

「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」のアニメ放送が始まった。まさかアニメ化するとは思わなかったが、単行本初刊から愛読しているだけに、ひそかに楽しみにしていたタイトルである。▼もともとは海外の掲示板で人気になり、うわさがうわさを呼んで国内でもじわじわとファンを増やした。主人公のリアルな「ダメさ」が心をついたり共感できたり、とにかくエピソードの現実味が強いところが魅力である。読んでいて、これは明らかに実体験から来ているだろうと戦慄せざるを得ない言葉、描写、どれも鋭くて素晴らしい。▼嘘か真か、原作者の青春時代はさらに悲惨で、漫画は実体験より数段穏やかに描いているという。コミックス巻末にはアニメスタッフとの打ち合わせがつらすぎて途中から欠席した作画担当の裏話がさらりと語られていて、見えるようで見えない、想像できるようでしきれない、リアルな舞台裏が面白い。アニメの出来も十分オススメできる。

[1415] Jul 13, 2013

サーキュレーター頼みの制作も限界が来た。午後、常軌を逸した室内の気温に危険を感じてベランダから外へ出ると、三十度をゆうに超えるはずの、かんかん照りの屋外が透き通るように涼しい。そよ風が吹けばそれだけで、サーキュレーターから吹き出る温風を浴びているより数段さわやかである。▼もしかしたらあのとき、部屋の気温は四十度近くに達していたかもしれない。どうせ壊れてしまったエアコン、修理に出すくらいなら電気代のことも考えて、今年はエアコンなしでいけるかもと思っていたが、よりによってこの記録的猛暑、体調を崩す前に根を上げた方がよさそうだと判断した。▼早速、サポートセンターに電話して修理の予約を取り付ける。正確には、修理のアポイントを取るための折り返しの連絡をもらう約束を頂く。再稼働という目的へのこの遠さ。メダル落としでジャックポットへとつづくチャンスクルーンに、ようやくひとつ球を転がしたような気分である。

[1414] Jul 12, 2013

関数名も、変数名も、すべてが基本は英語。何かと英語圏が強い印象のあるプログラムの世界だが、私は常々、日本語開発ならではの決定的な強みがひとつあると思っている。コメント文である。▼いかに開発環境が色を変えているといえども、英文プログラムに挿入された漢字とひらがなほど強烈な識別子はない。日本語で書かれるプログラムはないわけだから、普通に母国語でコメントを書いていくだけで、私たちはコードの「説明」と「実体」を明確に区別できるのだ。これを同じ英語で書かれると、コメントだけを拾い読みしていく行為は、異国語であることを差し引いても、明らかに難しくなる。▼故に、海外とやりとりするプロジェクトならともかく、日本人だけで構築することが明らかな場合、気取って英語でコメントを書く必要はないどころか、害悪であるとすら思っている。例外があるとすれば、まさしく「重要でないコメント」こそ、英語で短く書けばいいのである。

[1413] Jul 11, 2013

高級で、高尚で、由緒ある、意味に即した言葉を選り抜き、比喩、誇張、緩徐、あまたのレトリックで装飾を施した美麗な文を綴る。物書きの誰もが憧れるような、格調高く、難解で知的で文章が生まれる。さて、これらをまとめて「凄い」とでも呼んだとき、凄いことと話の内容が面白いことのあいだには何の関係もない。凄いことの効果は、いかにもたいそうな内容が語られているという暗示、たいそうな人物が書いているという印象を与えることにある。▼無論、それが目的であれば全く非難には当たらない。そういう目的がよこしまだとも思わない。しかし、人に楽しんでもらうことを切望しながら、面白くもないストーリーをなんとかして「凄く」しようと手を尽くし、結果、受け入れてもらえないことを嘆くのは、なんとも滑稽な話ではないか。人の笑顔を見たい心が、人をしかめ面にしてでも、自らの凄さを誇示したい心に負けている。そういう人は、自分にも笑顔がない。

[1412] Jul 10, 2013

「型破りな奴は、型破りであるという一事だけを持って評価しなけりゃならん。評価する側が、成功した型破りだけを評価するような姿勢でいたら、会社にイノベーションをもたらす人材は永久に現れない。俺には、あいつがマイナスかプラスかはわからないが、あいつは間違いなくこの会社にはいないタイプの型破りな人間だから、博打も含めて俺はあいつを評価してるんだ。評価とはそうあるべきなんだ。」ここでよく話題にあげるY先輩とならんで尊敬するF先輩の力説を要約するとこうなる。繰り返し、繰り返し、今日の飲み会でなんども主張していた。全面的に同意したい。▼結果を出した「型破り」を評価するやり方は、結局のところ、型破りな彼を守りに入らせてしまう。「結果を出せばいいのなら、何もここまでリスクの高いやり方をする必要はあるまい……。」潜在的イノベーターの仕事の対する性格が変化してしまうことは、目には見えにくい巨大な損失なのである。

[1411] Jul 09, 2013

数ヶ月前、苦労して苦労して、ようやくなんとか形にしたものの、あまり出来はよくないなと思ってがっかりしていた編曲を、マスターデータのために最終調整を施すべく聞き直したら、思っていたよりずいぶん良い仕上がりに思えた。これなら調整もさくさく進みそうである。気分は儲けものだ。▼さてしかし、ふつうは逆のことが多いのではないだろうか。深夜に仕上げたきり放置して、久しぶりに触れてみたら、入れ込んでいたときは良く見えたり聞こえたりしたものが、思いのほか微妙、あるいは正視に耐えがたい劣悪な出来であることもある。これら正反対の現象はなぜ起こるのか。▼思うに、当時は、なんとか曲の中に「良いところ」を創ろうと苦心していた。そのせいで、すでにある長所が見えなくなっていたのではないかと思う。逆に、欠点を気にして修正に血道をあげれば、二次被害には目もくれなくなるというわけだ。なるほどいずれも近視眼の良からぬ影響だろう。

[1410] Jul 08, 2013

8月12日。C84コミックマーケット夏。初のイベント参加に向けて、マスターアップに大忙しである。気がつけば家でも会社でも、マスターだ、焼きだと言っているのがなんだか可笑しい。万が一、私が欠けてもミスをしても、最終的に物は出来るであろう会社に比べると、私がコケたらそれでおしまいのCD制作の方が緊張感は強い。落とすつもりはさらさらなくても、間に合わなければ落ちるのだ。当然、許されることではない。▼とはいえ、肩を張りすぎてもロクなものは出来ないので、焦っているようでマイペース、残り二曲の詰めをぼちぼち進めている。目算では、火事場の馬鹿力を見込んでも納期にぎりぎり。バッファはほとんどない。プロジェクトでこんなスケジュールを立てたら、上司に張り倒されるレベルである。マスターデータの納品は7月25日。平日は残業の可能性大なので、最悪でも21日の日曜日には焼かなければなるまい。残りあと12日。全速前進。

[1409] Jul 07, 2013

「夜熱依然午熱同、開門小立月明中。竹深樹密蟲鳴處、時有微涼不是風。」▼じつは一昨年も引いた句である。中国の、まして森林部の夏の暑さは日本の平野より遥かにひどいと思われるが、夏が暑いことを呪う漢詩は意外にも少ない。あまりに過酷な現実だから、想像の世界、うたの中ではせめて涼しくあろうという心なのか。ありふれた生活人の恨み事では名句にならないので、後世に伝わらないだけなのか。寂寥感から思い出を誘う冬の寒さに比べて、暑さは思考を鈍らせるので、暑いという感覚以上に詩想の拡がりが持てないのか。▼最後の説を擁護する、こんな話を思い出した。あるひまな研究者が、遊びがてらにWikipedia(Japan)の編集者数を大学別にランキングしてみたという。そうして、少なくともその集計時期では、断トツで北海道大学が多かったそうだ。寒くて家に閉じ籠るしかない日々が、彼らに記事を書かせるのだろうと研究者は言う。詩も同じかもしれない。

[1408] Jul 06, 2013

三冠同士の頂上対決、「棋聖」羽生善治vs「竜王」渡辺明の激戦を観る。全五戦のうち今日は第三戦。ここまでニ連勝の棋聖に王手がかかる注目の試合で、生放送も最高にヒートアップしていた。以下、過程と結果のネタバレを含むので、これから録画や棋譜で楽しもうというつもりの人は注意して欲しい。▼中盤、一気に飛び込んで攻めた羽生が有利な展開を保ち、このまま三連勝かと思われる幕もあったが、最後の最後、わずかに寄せ切れず竜王のカウンターを受け、持ち駒ぴったりで詰まされるという見事な逆転劇。王手という抹殺権が行ったり来たりの熱戦で、解説の先崎学八段も思わず唸る場面が続いた。とくに竜王の「2二銀」は、本試合の頂点であろう。その直前、「この手が良いのでは」と打つ前にコメントで指摘のあった「4三角」も、結果的には素晴らしかった。▼非参加者として一喜一憂するなら、超一流同士の真剣勝負に勝る娯楽はない。第四戦も楽しみである。

[1407] Jul 05, 2013

開発の時系列を「1、2、3」の順として、「1」の新装版を「3」から移植する短期プロジェクトに従事している。数年前、まだC++すらない頃につくられた「1」に、去年完成したばかりの「3」のコードを繋ぎあわせて行くのだ。縫合、また縫合。まさに移植手術である。▼Cしかない時代に書かれた大規模なコードを見ていると、勉強になることが非常に多い。明らかにレジスタを念頭に置いた組み方が、特別なことではないと言わんばかり随所に鏤められている。美しくもない、読みやすくもない。ただひたすらに完成体の速度と合理性だけを追求した、原始的な開発の姿。オブジェクト指向以前のスペシャリスト達が、みな一様に高度な技術を会得している理由もわかる気がする。▼とはいえ、Cから勉強した方がいいなどというギークの勧めは、今どき到底、素直に聞かれるものではない。そう考えれば今回のプロジェクトは、大変だが、ありがたい機会ではあると思う。

[1406] Jul 04, 2013

WholeTomatoSoftwareが提供するVisualStudioのアドイン、VisualAssistXの年間契約が切れたので、更新申請を行った。あくどい契約方式の多い今どきにしては珍しく自動更新ではないらしい。更新催促のメールを更新完了のメールと勘違いしていちど期限切れしてしまったくらいである。価格も、初年度こそ250ドルと便利系プラグイン系にしてはかなり高いが、契約継続なら二年目からは年間50ドルとリーズナブル。もちろん、使い勝手の良さは折り紙つきである。▼何をしてくれるソフトなのかは、ここで文字を連ねるより検索してサイトから動画を見た方が遥かにわかりやすいので割愛する。要はVisualStudioの操作や表示・検索を効果的にしてくれる補強系である。やたらと重いIntelliSenseはオフにできるし、シンボルの検索も高速で無駄な待ち時間が節約できる。このごろは正規の機能も充実しているので相対的に重要度は下がり気味だが、まだまだ便利には違いない。

[1405] Jul 03, 2013

徹夜をいちど挟んだことで、就寝時間がずれてしまった。このごろ朝は四時から五時のあいだに起きている。しばらく文章を書いたりブログを読んだり曲を進めたりして、ふだんよりもゆっくり朝食を食べ、出社は部内の誰よりも早い。もっとも、限度はあるが早く出社したぶん早く帰宅できるシステムなので、他の人より長く働いているというわけではない。タダ働きなどまっぴらごめんである。▼そういうわけで、就寝時間がそっくり数時間前倒しになっただけなのだが、夜更かしをしていないせいか身体が非常に軽い。急に生活習慣が変わった分、違いが顕著にわかる。睡眠の質は人生の幸福の半分を左右するとまで言われるが、あながち嘘ではないと感じるほどだ。――と、さも感動したように言っているが、現実は「思い出した」に近い具合で、こう何度も「やはり夜更かしは良くない。早寝早起きをしよう」と決意しては、いつしかもどるダメ人間を繰り返しているのである。

[1404] Jul 02, 2013

人は何かが禁止されているとき、強烈に理由を求めるものだ。闇雲に「こうしてはならない」と言われても納得できないが、根拠さえ示されれば、守るかどうかは別としても反抗的な心は薄らぐだろう。▼そういう意味でも、基本的に「禁則」から成る対位法の教本でその理由が書かれていないと、よほど賢明で十分な学習者でない限り、いくら読んでも合点がいかないことになる。平行五度の禁止。何故。直行で完全音程に達するのは禁止。何故。自分で鳴らせば変だと感じるだろうと言われても、変だと感じない耳もあれば、変だと思わないと答える意地もある。▼私が上記二点の理由を明確に見たのも、文言を知ってから随分後のことだ。平行五度は、五度上の別の調を同時に感じさせてしまうから、直行での完全音程は、歌手が跳躍を順次進行で埋めたときに平行五度が生じてしまうから。故に、片方が半音進行のときは減五->完全五になるので例外的に許可されるというわけだ。

[1403] Jul 01, 2013

EVE Audioというメーカーの名前をよく見かけるようになったのは、去年、よくメディアインテグレーションが特集を組んでいたからだ。<モダン・テクノロジーからの回答>と題された新世代のモニタースピーカー。当時、モニタースピーカーとはなんぞやということがまだ理解できていなかった私は、なんだか凄そうなスピーカーが売られているな、くらいに思っていた。▼そうしてこの冬、やはりADAM Audioのスピーカーが良いなと決めて購入したとき、はてこの形状、どこかで見たことがあるなと思った。リボンツィーターからウーファーの形まで、見た目が何かに酷似している。そう――アダムとイヴ。すぐに気がつくべきだったのだが、調べてみるとEVE Audioは、ADAM Audioの元CEOが独立して立ち上げたメーカーなのだそうだ。なかなか洒落の効いた良い名前である。余談だが、行きつけの機材屋さんスタッフもこれを知らずに、雑談交じりで知らせたらびっくりしていた。

[1402] Jun 30, 2013

親切心。それは他人の使うシステムやモジュールを設計するときに、なくてはならないもののように思える。しかし、現実は、あったほうがいいものですらない。たいていは無い方がよいものである。少なくとも、そう思って組んだ方が良い。▼設計者はいつでも、親切心という名の自己満足に囚われているものだ。こういう人のためにこんなインターフェースを用意しよう。ああいう人のためのあんな機能を用意しよう。しかし、いざ運用がはじまった後、それら全てについてほんとうに終身サポートする気があるだろうか。ないのなら、そんな機能は無い方がマシである。こういう使い方も出来るようにしました、でもその用途の場合は予想外なので、正規の使い方をしてください、なんて、馬鹿馬鹿しいではないか。▼システムと同列に論じるのは危険だが、モジュールとは、唯一の、いつまでもサポートすべき正しい使い方をしたとき以外は、徹底的に使いにくいべきなのである。

[1401] Jun 29, 2013

夜食の冷凍パスタを食べようと冷凍室を開けたら、筐体の下からさささと大きな影が現れた。これは久々のご来訪。家の守護神、アシダカさんことアシダカグモである。▼大きな音に驚いたのだろう、しばらく左へ右へとあたふたしたあと、じっと動かなくなった。体長は8cm程度でアシダカグモとしては平均的。前に部屋で見た奴とほとんど見分けがつかないので、めぐりめぐって帰ってきたのかもしれないと思った。なんにせよ、彼がいてくれれば我が家の台所も安心である。しばらくはよろしくお願いしますということで、ひとつ拝んで来た。▼それにしても、蜘蛛ほど苦手な人と平気な人の差が激しい生き物もなかなかいない。蜘蛛がダメな人には、アシダカグモがどれだけ人に無害で、清潔で、害虫駆除能力に優れていて、見た目が格好いいかを説明しても、ダメなものはダメである。そういう私もハエトリグモが可愛いとはあまり思わないが、アシダカさんは慣れたものだ。

[1400] Jun 28, 2013

夏の風物詩。上司奢りのありがたいビアガーデン。したたか飲んで飲まされて、苦手なソウルマッコリがよくなかったらしい、久しぶりにまっすぐ歩くのがしんどいほどの頭痛と共に帰宅した。飲酒量は年々減っているが、酔うまでの許容量もそれ以上に減っている気がする。学生時代はウイスキーを一晩で二本も空にした酒豪が、三十過ぎたらビール三杯でへべれけになるというから、そのあたり、衰える人は衰えるのだろう。私もまた、老いて益々の方ではないと思われる。健康には良いかもしれない。▼ベイクオーターに予約なしで雪崩れ込んだが、誰もいない待機列のロープに並んだとたん、後ろにずらりと十人以上の行列で、タイミング的にはぎりぎりだったのだろう、なんとか空席にありつけた。さて、それで口に入るものはそこらの飲み屋と変わらないが、ただ空が見える、風が流れてくる、それだけで実に気分がいい。肌寒くなる頃には、身体のほうがあったまっている。

[1399] Jun 27, 2013

まだその人が誰かを知らない頃、流れてくる歌を聞いて感動した人が三人いる。宇多田ヒカル、宝野アリカ、水樹奈々。▼聴いた曲はそれぞれ「Can You Keep A Secret?」「月蝕グランギニョル」「ETERNAL BLAZE」だった。ETERNAL BLAZEだけは街中で聴いたわけではなく、たしか人の紹介によるものだが、宇多田ヒカルは記憶が定かならばマクドナルドの背景音で、宝野アリカは大学のキャンパスで聴いたはずだ。これは何の曲なの、誰が歌ってるの。初見で興奮したことを覚えている。▼自分の審美眼(審美耳?)をどやるつもりはないが、その後、曲や歌をよく聴いたり調べたりするようになって、逆にこういう「知らないけれど凄いと思う」経験というのは少なくなってしまった。売る側もまずは露出優先なので、いやでも有名な人の声と名前が耳に入ってくる。だからといって音楽の感動が減るわけではないが、情報に疎い時というのも、それなりの楽しみ方があるなと思った。

[1398] Jun 26, 2013

二拍子と三拍子は呼吸なんだよ、と言われて、はじめはなんのことかわからなかった。二拍子が呼吸のリズムというのはわかる。吸って吐く、寄せて引く。満ち欠けを繰り返す根源的な拍子である。しかし、三拍子が呼吸に由来するとはどういう意味か。▼曰く、それは休息時の呼吸であるという。人間は、寝ているときの呼吸は吸気よりも呼気の方がおよそ二倍長くなる。三秒で吸ったら、六秒で吐く。吸う動作は弱拍(アウフタクト)にあたるので、逆に読み替えて、呼気の二拍と吸気の一拍でひとつの三拍子を形成するという解釈である。これによって作曲家がアダージョに三拍子を好む理由もわかるであろう、とまで言われるとすぐには同意しかねるが、筋は通っている。▼この他、三拍子では飛んだり跳ねたりという躍動的な動きを表現するため、最後に来たる跳躍のための準備拍があるのだという説も捨てがたい。二種の三拍子それぞれに別の説を適用してもよさそうである。

[1397] Jun 25, 2013

ひょんなことから確率の話になったり微積分の話になったりする。話がかんたんなうちはいいが、そのうちおしゃべりでは解決できない式や問題に突き当たる。「それってどう証明するんだっけ?」▼こういうとき、たとえ内容はくだらなくても、夜な夜な紙と鉛筆を取り出して証明を始める。わからないままにしておくのは気が済まない性格もあるが、なにより、こういう地味で小さな、パズル的ですらない数学の問題を、「本腰入れればできるだろうけど面倒くさいからいいや」と投げるようになったら、理系人間としての私はオシマイのような気がしているのだ。▼昔はばりばりの理系で鳴らした人も、数学なんかとは無縁の仕事に追われていると、そういう「わからなくなってしまった基礎」にそっぽを向くようになってくる。加法定理の導出なんて、そんな、体力を浪費するだけの、何も得られない、無駄なことを、今更――そうして、いつかなにもかもわからなくなっていく。

[1396] Jun 24, 2013

深夜。サンダルに着替えてコンビニへ飲み物を買いに行くと、品物を掻き集めている最中に、とつぜん右の素足が冷やりとした。なんだろうと思ってみると、何か茶色くて細長くべたべたしたものが右足に貼り付いている。なんでこんなところにソース焼きそばが。先日のラーメンをかけられた件といい、どうも運に恵まれないなと思いつつ、会計を済ませて外へ出てみると、長ズボンだったので気がつかなかっただけらしい、左脚の裏にも短いのが何本かついている。▼なんとなく触るのもためらわれて、ビニール袋でつまんでコンビニ表のゴミ箱へ捨てた。そのとき、いちばん長いやつが入り口にひっかかって、ぬるりと吸い込まれていく様子に、どうも無生物らしくない動きを感じたのだが、案の定、帰宅後にズボンを脱ぐと貼り付いた痕が白くベタついていた。茶色くて細くて長い生き物。恐らく、かなり昔、家の風呂場で見かけたコウガイビルだったのではないかと思っている。

[1395] Jun 23, 2013

昼、一風堂でからか麺を食べていたときのこと。ご飯と餃子を追加オーダーしたとき、耳元で叫びが聞こえた。どうやら隣の客がラーメンの器をぶちまけたらしい。テーブルの上を覆い尽くすスープに唖然としているときには、私の左脚はもう大惨事になっていた。とんこつに浸る靴下。唐辛子まみれの靴。▼彼は終始申し訳なさそうにしていたし、咎めたところでどうにかなるものでもなし、にこやかにその場は収拾をつけたものの、なにもこんな日にこんなところで、と内心ちょっぴり憂鬱ではあった。なにしろこれから遠路青砥まで、友の指揮するコンサートを聴きに行くのである。▼幻想郷交響楽団による『幻想郷世界』の演奏を聴いた。アマチュアコンサートもここまでいけると言わんばかりの、濡れた足元を忘れるくらい良い演奏会だった。曲目については馴染みも馴染み、いまさら解説することもない。感想、仔細は彼に直接述べるとしよう。記事としては日記程度である。

[1394] Jun 22, 2013

Civ5のゲーム終盤、外交勝利者を決定するため国をひとつ選んで投票する国連投票パネルに「票の取り消し」というボタンがある。選んで押すタイプなので取り消すものなど何もない謎のボタンだが、実際にはこれは「投票」ボタンである。要するに誤訳だ。しかし何をどう誤訳すれば意味が真逆になるのか。▼たいていの誤訳は何をどう取り違えたか想像できるが、これはかなり難しい。だが、あるときあたりがついた。真相はこうだ。国連の投票を決定するボタン、国連、即ちUnited Nations――”UNVote”。なるほど、たしかに「票の取り消し」である。▼馬鹿な、と思っても、こういうことはゲームでは得てして起こり得る。ことゲームのローカライズでは、翻訳が必要な文章をデータにまとめて翻訳担当の部署あるいは外部に発注する形を取ることが多いため、翻訳者はゲームをプレイしてはいないのだ。COD2の有名な誤訳「殺せ、ロシア人だ!」も、致し方ないところである。

[1393] Jun 21, 2013

久しぶりの素直なスクラップブック。この言葉をメモ帳に書き留めて、大切にしている人はかなりいるんじゃないかと思う、名言工場・岡本太郎氏の至言。「みんなから歌がうまいと言われるヤツだって、自分はうまいけど、やはりあの人には劣っていると思っているものだ。そういう人の前で、平気で下手に、明るく歌を歌ってやればきっとうらやましがられる。ひとつ、いい提案をしようか。音痴同士の会を作って、そこで、ふんぞりかえって歌うんだよ。それも、音痴同士がいたわりあって集うんじゃだめ。得意になってさ。しまいには音痴でないものが、頭をさげて音痴同好会に入れてくれといってくるくらい堂々と歌いあげるんだ。」▼でも、と反抗的なコメントも添えておこう。同じように朗々と下手な歌を歌っていても、いろんなものがついてくる人と、何も手に入らない人が出てくるものだ。同好の中で新たに生まれた格差を受け入れる精神力はどうやって養うのだろう。

[1392] Jun 20, 2013

E-Mobileの契約時、通過儀礼のごとくワイヤレスゲートの定額プランと電話サポートプランにも本体割引のための必須項目として同時加入させられた。同時加入割引トラップの典型なので、いまさら文句もない。案内の人の「不要でしたらこちらの電話番号からいつでも解約できますので」という言葉をタテに、さっそく電話をかけてみた。▼ところがまさかの二重トラップ、この電話が全く繋がらない。繋がらないのでお待ちくださいというわけでもなく、間隔を置いて何度も掛け直す羽目になり、とうとう営業終了の18時まで電話口の向こうに人が現れることはなかった。▼別にそういう作戦というわけでもなかろうが、埒があかないのでメンバー登録を済ませサイトの中から解約手続きを進めている。こちらはさほど込み入った導線にはなっていないので、退会させまいという悪意はなさそうだが、いいやいいやで解約作業を怠る顧客狙いのやり口は、なんともいやなものである。

[1391] Jun 19, 2013

悩みに悩んだ末、とうとうタブレットPCを購入した。後継機の発売で型落ちキャンペーン中、非常に手ごろな"Surface RT"である。スペックはいらない、ウインドウズが使える必要はないが8スタイルの方が望ましい、できるだけ軽い方がいい、予算があまりない、画面は11インチが理想――見事に要望を叶えていたので思い切って選択した。キーボードがついているのもうれしい。▼タブレットを持つのは初めてだが、タブレットを持ったことよりも、E-Mobileに契約したことの方が生活を変えるのではないかと思う。外にいても室内と大差のない環境でネットがつかえるというのは、思っている以上に勝手がいい。こんなことを言っていたら若者には時代遅れと笑われてしまうかもしれないが、メールも確認できるしFTも読める、調べ物もスマートフォンの小さな画面より圧倒的に楽々だ。この記事も外から書けるようになった。今日は、記念すべきタブレットからの初投稿である。

[1390] Jun 18, 2013

確率の話が少し広がった。パチンコは300回〜400回に1回くらいの確率で当たるというが、前者を300回まわすのと、後者を400回まわすのでは、どちらの方が当たりやすいのか。思考実験だけなら簡単で、1/2の筐体で2回まわしたときと1/3の筐体で3回まわしたときの当選確率を比べてみれば答えはすぐにわかる。しかし、それではこの確率、いくつに収束するのだろうか。即ち、Pn=1-{(1-1/n)}^nの極限値は何か。▼これが案外一筋縄ではいかない。(1-1/n)^nがe^-1つまり1/eへ変換できそうなことは目星がつくが、実際に式変形しようとすると、極限の飛ばし先の符号が逆転してしまい上手くいかなくなる。例えば、n=-mなどと置こうとすると失敗する。しかし、エクセルで計算してみるとn=10^8程度で完全に1-(e^-1)へ収束していることから、あては正しいらしいと信じて頑張ってみた。数分。気づいてしまえば簡単なことである。n-1をtに置いてみれば良い。

[1389] Jun 17, 2013

母親が赤ん坊に話しかけるときの言葉は、日常生活で発する言葉とは違う、独特の抑揚を帯びた音楽的な言葉になる。このような幼児向けの喋り方は、国や文化に関わらず世界中に存在していて、母のMotherに接尾辞-eseで「マザリーズ」と呼ばれている。▼マザリーズの特徴は、@ピッチが高く、A抑揚が大きく、B速度が遅く、C繰り返しが多い。いずれも乳幼児が好んで聞こうとする音の特徴である。こうした口調で何度も何度も赤ん坊に話しかけることが、情動の発達を促し、親子の関係を強化するという。マザリーズを聴かずに育った子どもは自閉症になりやすいと報告する研究もあるほど、幼児期に重要な役割を果たしているようだ。▼多くの母親は、こうした根拠を知らなくても、自分の子どもにマザリーズで話しかけている。だからそれはいい。しかし、男性――恐らくそうした本能に乏しい男こそ、育児に携わるつもりなら、これは特に心に留めておくべき知識だろう。

[1388] Jun 16, 2013

「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る。」井上靖の名言である。これは自己啓発の文言というより、自己警告のために覚えておくべき呪文だ。直近の自分の発言を寄せ集めてみて、計画や希望のような未来の話よりも、愚痴や不満のような過去と現在の話が多ければ、それはなによりも現行の努力が足りていない証である。▼さて、こういう話を見たり読んだりして、「実際に」発言の記録を寄せ集めて見る人と、なんとなく記憶を呼び起こしてみて満足したり自戒したりする人の二通りがいる。もとよりこの手の話に興味がなければ後者でもいい。しかしそうでないなら、後者は常に他人の名言に感銘を受けつづけ、ついに何も得られないタイプであろう。駄目だ。努力とは思索ではない。行動である。思索が行動に先立つ限り、現実の出来事は永久に何も始まらない。「人生が終わってしまうことを恐れてはいけません。人生がいつまでも始まらないことが怖いのです。」

[1387] Jun 15, 2013

二回目のフットサルへ行く。この春に参加した同窓会のフットサルより楽々な、遊びの集まりでほっとした。これなら定期的に参加してもよいと思う。嵐の予報は見事に外れて真夏日も驚きの快晴であった。二時間のあいだに、スポーツドリンクが三本は汗に変わっている。水分補給のつもりで糖分も採っていることに注意しなければならない。▼やんごとなき球蹴り会ではあったが、いちど全力で走っている最中に右足が釣ったので、これはまずいと思っていたら、サッカー経験者が足首を持ってぐいぐいと筋を伸ばし、すぐに治してくれた。そんな方法でこむら返りが収まるとは知らなかったので、ひそかに感動ものである。▼シューズもランニングシューズの代用で、よく滑る人工芝のこと、ゆるいプレーとはいえ滑って転んで、右手と左手を擦りむき、右足から出血、太ももは打撲と、大怪我こそないものの、あちこち気になる満身創痍で帰路についた。無傷で終えたことがない。

[1386] Jun 14, 2013

感動的なロジックを見る。ASCIIの0〜fを入力Xとし、これを16進数に変換する処理について、命令数を極限まで減らした効率的なコードを書くとしたらどうするか。0から9はコードの48から57、aからfは97から102なので、まずは2^6のビットを持つかどうかをx&64で判定して数字かアルファベットかを場合分けし、数字が0〜9に、アルファベットが10〜16に対応するよう、差分を引いてやればよい。即ち、x-(x&64?87:48)となる。▼常識的にはそう書くであろう。「しかし私は『return x%87%48』と書きたい」――とH・S・ウォーレンJrは言う。常識の計算には3命令を要するが、彼の手法は2命令だ。このコードが目的を達成できることはすぐにわかる。無駄な条件分岐をしていない分、論理もよりスマートだと言うべきだろう。恐るべき発想である。▼ビット、論理、そして数学。そこにはプログラミングの日常生活では出会うことのできない秘宝が、まだまだたくさん隠れている。

[1385] Jun 13, 2013

音楽原理主義も行き着くところまで行くと、純正律が失われた時点で音楽の美しさは失われたのだと喚くようになる。平均律の三度など汚くて聞くに堪えない、そんなもので音楽教育をしているなんて嘆かわしい、と言うのである。それなら自然の音色でも聴いて過ごせばよろしい、とでも呆れていたいところだが、主張の是非はともかく、そんな彼らに朗報な新技術がある。Cubase7の"Hermode"だ。▼これは設定された調にしたがい、ノート情報のピッチをリアルタイムに微調整することで「平均律の長所を犠牲にすることなくピュアな調音を実現する」機能である。3・5・7度だけが調整の対象だが、耳が感知できる範囲を考えれば十分だろう。転調と純正律の響きが両立できるというわけだ。残念ながら原理主義者には生演奏以外は全て雑音に過ぎないというスタンスの持ち主が多いようなので、所詮はデジタル世界の産物と臍を曲げるかもしれないが、私は大いに期待している。

[1384] Jun 12, 2013

初期ドラゴンクエストのセーブ方式として名高い「復活の呪文」について、雑談交じりに話していた。情報量はIであればひらがな20文字。50の20乗と言えば膨大にも見えるが、現実には濁点や半濁点を入れて64文字(2の6乗)を20個分と考えても、わずかビットフラグ120個分に過ぎない。ここからプレイヤーの名前やチェックディジットを差し引くと、データ保存用のスペースは半減する。アイテムと装備品のフラグ、所持経験値、所持ゴールド、ゲームの進行フラグ……山ほどある保存すべき情報を、よくもまあこれだけ短いところに詰め込んだものだと感心する。▼実際、呪文内には1bitの余裕もないようだ。計算式で算出できる値は全て根となるパラメータから再計算するよう設計されている。現在のHP、そんなものは復活時に全回復すればよかろう。動的な値の保存を極限まで削るための”漢仕様”も随所に光る。レトロゲームの熱意から学ぶところは多い。

[1383] Jun 11, 2013

E3 2013にとんでもないゲームがあらわれた。Ubisoft渾身の新作、オープンワールド型のオンラインカーレーシング「The Crew」である。▼クラウドを利用した大規模なオープンワールドマップによる多人数参加型のレースゲーム。これだけ聞くとさして目新しくもないように思えるが、プレスカンファレンスの概要では、なんと「アメリカ全土を走りまわることができる」という、度肝を抜かれるような風呂敷の広げ方をしている。実際、公開されているデモムービーを見る限りでは、オフロードも含めて本当にリアル・アメリカを駆けまわることができるかのようだ。――まさか、そんなバカな。冷や汗混じりに苦笑しつつ、もしも言葉通りに実現したらと期待せずにはいられない。▼Forza5は従来通り、車体と走りのリアリティに注力しているので、圧倒的な規模を売りにする食い合わない路線の選択はユーザーとしてもありがたい。来年に向けて、楽しみなタイトルがまた増えた。

[1382] Jun 10, 2013

シヴィライゼーション5、今度の拡張版で追加される新しい文明をあれこれ予想していたが、ことごとく外れて二つの候補が明らかになった。ショショーニのポカテッロと、ヴェニスのエンリコ・ダンドロである。▼正直、ショショーニ族インディアンが選ばれた理由はまったくと言ってよいほどわからない。ハイアワサがアメリカ先住民枠ではなかったということだろうか。指導者の名前も、申し訳ないが欠片も存じあげない。詳細は起動時の解説文を俟つが、チョイスへの疑問は残る。▼一方、ヴェネツィア共和国のエンリコ元首は、これは遥かに有名で納得できる。都市国家からの格上げになるが、近ごろの拡張では珍しくない。新システム「交易」に関与する文明特性を持ち、開拓者を作れず制服都市も得られないという強制OCC特性もこれまでになく、新鮮な使い勝手が期待できる。既存文明ではオーストリアの系統か。非戦の鑑。内政強化版の看板役といったところだろう。

[1381] Jun 09, 2013

夜、炭水化物を摂取すると太りやすくなる。寝ているあいだ、脳も筋肉も使わない状態で血糖が余るため、インシュリンによって次々と脂肪に変えられてしまうからだ。ついでに成長ホルモンの分泌が阻害され、つかれが取れにくくなるというオマケつきである。睡眠前の炭水化物には、とにかく碌なことがない。▼そうとわかっていても、しかし、夜食が食べたいときはあるものだ。であればせめて炭水化物を避け、代わりにタンパク質を摂るようにしてみよう。そのためには何を食べるべきか。何を食べないべきか。かんたんに調べてみた。▼ラーメンやうどん、砂糖類は論外として、ついつい食べてしまうせんべいも赤信号。白米よりも炭水化物含有量の多い栗や芋もなるべく避けたい。推奨されるのは納豆や豆腐、魚類、鶏肉など。それなら腹持ちを考えて肉類全般も良さそうだが、フランクフルトやビーフジャーキーは意外と炭水化物が多く要注意。油との兼ね合いも考えたい。

[1380] Jun 08, 2013

ジェフ・ミルズをはじめて写真で見たとき、これはただものではないという印象を一瞬のうちに瞳から受けた。いま、改めてまじまじと見つめても、その衝撃がどこに由来するのか的確に指摘することはできない。ただ、ぱっと、凄いやつだと確信した。それから意識が彼の言葉を拾いはじめた。人が人に魅了されるときは、得てしてこういう順序であることが多い。▼「ひとの長い一生のうちのその曲に触れる数分間で、そのひとのものの見方がその後永久に変わるかもしれない。しかも願わくばポジティヴな方向で。だからこそ、ぼくにとって音楽をやることには価値があるんだ。それがもっとも重要なことだ。<アクシス>よりも、URよりも、ぼく自身よりも」この続きを、自分を表現し、受け入れてもらうことにしか関心のない人々に捧ぐ。「ひとびとの理解や意識のほうがよほど重要だ。それがぼくのやろうとしてることだ。だから、音楽以外の方法もいつも模索している。」

[1379] Jun 07, 2013

絶対音感は、なにか特別な才能のように思われている。事実、たしかに音を単体で判別する能力は希少である。しかし、なぜ音に限りそんな物々しい「才能」があるのだろう。私たちは色を見て何色かを言い当てるとき、通常、ほかの色など必要としない。赤を見れば赤とわかる。青を見れば青とわかる。しかし「絶対色感」は才能ではない。少なくとも特別な才能とは思われていない。人間の他の五感と比べれば、特殊なのはむしろ相対音感の方なのだ。▼レの響きだけではそれがレとわからないが、続いてドが鳴りそれがドであると告げられれば、途端に最初の音がレだったとわかる――この現象は、赤い色を見ても赤だとわからないが、続いて青を見せられそれが青だと教えられるやいなや、先の色が赤だとわかるというようなものだ。音も色も器官がなにがしかの周波数を感知するという知覚の構造は同じなのに、片や言語ラベルの割り当てに比較を要するとは、奇妙な話である。

[1378] Jun 06, 2013

予告通り、遠路はるばる「一燈」へ行く。新小岩駅を出て店の方角へ歩き出すと、場所を特定する前に路地へあふれる待機列でわかった。相当な待ち時間を覚悟したものの、平日の夜だからだろうか、思いのほか回転は早く一時間もかからず店内へ。「特製濃厚魚介つけ麺」をいただく。▼想像とはだいぶ違う味。濃厚魚介という言葉から想像するほど濃くはなく、とろみがあってまろやかで、鶏の風味がかなり強い。麺、スープ、ともに文句なく、思わず言葉も少なに黙々と中盛を平らげたが、なにより驚いたのは、つけ麺にありがちな「冷めると不味くなる」という弱点を完全に克服していること。冷めてからの方が旨いのでは、と思うくらいに最後の麺の一本まで旨かった。▼「これはうますぎる!」という瞬間最大風速なら他の店に劣ることもあるかもしれないが、若者だけでなく年配の方にも気に入られそうな上品な味と、ムラのない安定感で、総合点は一枚上手という評価だ。

[1377] Jun 05, 2013

昔から、どういうわけか、私は身体の不調が「片側」によく出る。このたびは数日、左耳が聞こえにくく、左目が見えにくく、鼻の左側が荒れ、左肩が腫れて痛み、左手の人差し指と中指には絆創膏を貼っている。あんまり体内感覚が違うので、坐しているとまるで左半身と右半身が別々の身体のようだ。ときどき、左側がどろどろ溶けていくような錯覚を覚える。『ダイの大冒険』のフレイザードにでもなった気分だ。▼右脳を酷使しすぎたからだろうか。しかし、右脳と左半身、左脳と右半身がリンクしているという話も、神経的にはそうかもしれないが、だからといって(病気でもないのに)まとめて半身に不調が来るとは考えにくい。右側のこともあるので、利き手は度外視である。そのほか考えられるのは、最初の瑕/不調はあくまで偶然によるものだが、一旦悪くなるとその側が気になりだすので、加速度的に悪化するという説。しかしこれでは足腰が痛む理由はわからない。

[1376] Jun 04, 2013

仕事帰り。ジムでジョギングの予定が、同僚に誘われて急遽ワールドカップ予選のオーストラリア戦を観に串カツ屋へ行く。酒場がどこもごった返していて入れない中、テレビを備え付けたその店が、とくべつに無音のテレビを音付きにしてくれた。終始、素晴らしい対応で、全く感謝に尽きる。▼後半40分前、オアーのクロスがゴールに吸い込まれたときは、それまで日本のシュートがことごとく惜しいところを掠めていただけに、厳しい展開になってしまったと思ったが、「サッカーは10秒で点が入るスポーツだ」と息巻く同僚の熱に呼応するごとく、アディショナルタイムでコーナーキックのチャンスからマッケイがまさかのハンド、それまで見たい人だけが静かにテレビを見ていた店内もにわかに歓声の嵐となり、最後は本田の勝負度胸が光る見事なPK同点弾。拍手。大歓声。気まぐれで出向いたにしては、じつにいい試合を見れて得をした。二時間もあっという間である。

[1375] Jun 03, 2013

最近、近所や通勤路の旨いラーメン屋はさすがに食べ尽くしたということで、いよいよ食の手を近隣他県に伸ばそうと、ラーメンデータベースをよく見ている。レビューサイトを含め、ウェブの評判を鵜呑みにするつもりはないが、自分の個人的な評価とランキングの平均点が大体一致しているあたり、そこはラーメン通の集いであるから、大局的には信頼しても良いと思っている。少なくとも、旨いラーメン屋の評価は良い。▼さて、それでは未開拓の名店を……となれば普通は通勤路の近くから攻めるのが定石だが、せっかく全国ランキングがあり、その栄えある暫定一位がかろうじて閉店までに辿り着ける場所にあるので、今週、出向くことにした。名は「一燈」、所は新小岩。大勝軒、とみ田の系譜にある比較的新しいつけ麺屋で、店長は元々フレンチのシェフだという。もっともらしいことを言ったが、それ以上のことは知らない。あとは食後の感想で、徒然語ることにしよう。

[1374] Jun 02, 2013

小並感というネットスラングがある。「小学生並みの感想」の略で、すごい(小並感)のように、補足的に使われる言い回しだ。たいして有名でもない、出ては消える泡沫のようなスラングのひとつに過ぎないが、私はこの言葉が気に入っている。この言葉の用途が気に入っている。▼ありていに言えば、これは免罪符だ。たいしたことは言えませんが、月並みな感想ですが、そういう枕詞が後ろの括弧に収納されただけである。しかし、まさしくこの「後ろに」というところが肝なのだ。後ろだからこそ、まずは何か言うことができる。言ってから、言葉足らずかもしれないなと思ったら、事後的に自分でフォローを入れることを許している。この素軽さ。▼凄いことを凄いと言い、格好いいことを格好いいと言う。大人になるとどうしても、そういう素直な、小学生のような感想を言うことに怯えてしまうことがある。それでも言うべきなのだ。大丈夫。きっと小並感が助けてくれる。

[1373] Jun 01, 2013

3分間、壇上に立って見知らぬ聴衆にスピーチをせよと言われたら、いくつのことを伝えられるだろうか。喋るだけなら5つでも6つでも違う話はできるだろうが、ちゃんと自分の思惑を伝えるとしたら、せいぜい1つ、多くて2つではないだろうか。それも互いに関係のある2つの主張。恐らく、3つは難しい。▼当然、音楽でも同じである。3分間の曲で伝わることは1つか2つしかない。ところがいざ曲をつくるとなると、ちょうど話し慣れていない人があたふたして取り留めのない話を次から次へとしてしまうように、あれもこれもで詰め込みすぎてしまうことが多い。気がつけば3分のあいだにCメロ、Dメロとつづいていく。駄目だ。人は、急に言われたことをそんなには覚えられない。▼巷で人気の短い曲は、たいていAメロとBメロだけから出来ていることに注意しよう。言うべきことは2つだけ。そして2番がある。「大事なことなので二回言いました」というわけだ。

[1372] May 31, 2013

忘れられない日記がある。いや、正しくは、しばらく忘れていたが、読んでいる本に触発されて思い出したというべきだろう。真剣に小説家を目指しているという、ある女子高校生の日記である。▼内容は、彼女の学校で開催された作文コンテストについての恨みごとだった。テーマのない自由課題。彼女はここぞとばかり、全身全霊をかけて<素晴らしい作品>を書き上げたが、大賞の名誉に与ったのは別の女生徒だった。公開された大賞作品は、数日前に死んでしまった著者のおじいさんについて生前の思い出を語るという、涙をさそう、そして、<あまりにも平凡な作品>。「くだらない。そんな特別な体験出されたら、勝てるわけない。許せない。私にも特別なことが起こればいいのに。あんなのでいいなら、うちの爺だって、死ねばいいのに。」▼狂気、執念、あまりに幼い誤解。読んで背筋が凍ったのを覚えている。彼女は今、何者かになっているのだろうか。私は知らない。

[1371] May 30, 2013

「音楽が私の頭のなかで、何度も何度も繰り返し流れる……いつまでも。」モーツァルトのような作曲の天才でなくとも、多くの人が、よく知っている歌や曲を頭の中で流すことが出来る。しばしば、それはほとんど外界の音楽と区別がつかないほど精巧な演奏だ。脳神経科医のオリヴァー・サックスは、音楽好きの友人ジェローム・ブルナーが体験したという面白い逸話を語っている。曰く、あるとき彼は大好きなモーツァルトのレコードを回転盤に乗せて、しばし「楽しい気分で耳を傾け、裏面をかけるためにレコードをひっくり返しにいくと――そもそも再生していなかったことがわかった。」▼ある実験では、被験者のよく知る曲を、限りなくゼロに近いボリュームで、あるいは口ではかけると言いつつ実際はかけなかった場合さえ、その曲がちゃんと聞こえたという被験者がいたことを報告している。音楽体験とは、私たちが想像する以上に自己補完的なものなのかもしれない。

[1370] May 29, 2013

ここ数ヶ月、ハードウェアトラブルが頻出していたマイPCだが、今日はいよいよ起動しなくなっていた。十数回、条件を変えながらリトライして情報を集めた末、どうやらウインドウズ8がディスクチェックを要求していて、そのプロセスの開始部分が死んでいるらしいと判明。復元も効かない。しばらく途方に暮れた後、ひとつ思い出した。Dドライブは今こそデータの墓場に過ぎないが、前世はCである。ウインドウズ7のシステムが生きているのではないか。▼案の定、ハード構成を変えてブートしたら、7の方からディスクチェックが正常にリクエストされ、何のデバイスもないボロボロのウインドウズが起動した。ここで電源を落として構成をもとにもどし、リブートするとウインドウズ8がディスクチェックをスルーして正常起動へ。ひとまず突然死という最悪の事態からは逃れられたわけだ。しかし、手の施しようがなくなるのも時間の問題である。乗り換えの日は近い。

[1369] May 28, 2013

毎年恒例、POG会議の日がやってきた。あれからもう一年が経ったとは信じがたい。光陰矢のごとし。キズナも驚きの末脚である。▼今年度の布陣は指名順(母名)で以下の通り。ラヴズオンリーミー、ヒストリックスター、ピンクカメオ、Starlight Dreams、ワンフォーローズ、ドルチェリモーネ、フェアリーバラード、ゴールデンドックエー、ターフローズ、ロスマリヌス。▼先に取られたのはシーズオールエルティッシュとIce Mintの二頭。取り負けたのは2位指名のラヴアンドバブルズ。けれども1位のラヴズオンリーミーはクジ勝ちなので、肝心のLoveは手に入れたから不満はない。ターフローズは予定外だが9位まで残るという破格に加え、直前で予定の馬が取られたので急遽指名した。今ではこちらの方が良いと思っている。満足行くラインナップである。尚、現行年度はデニムアンドルビー(母ベネンシアドール)が頑張ってくれているおかげで、なかなか良い成績だ。

[1368] May 27, 2013

仮面ライダーは悲しみのヒーローである。敵である悪の組織に改造され、仮面を被り闘いつづけなければならない改造人間としての悲しみ。それは垂れ下がる眼の形や、涙線と呼ばれる眼の下に縦に引かれた涙の痕などで表現されている。「仮面ライダーは泣き顔でなければならない。」格好良さを重視する造形にシフトした平成ライダーでも、このコンセプトは失われることなく受け継がれた。▼しかし二作前の『仮面ライダーフォーゼ』でこの<悲哀の感情>は姿を消す。次のライダー『仮面ライダーウィザード』にも、涙線をはじめ悲しい表情は見あたらない。なぜか。その理由はフォーゼ放映の半年前、3.11の大地震に由来するという。未曾有の大災害でかつてない混乱に陥る日本。そんなとき「ヒーローが泣いている場合ではない。」――三度の飯より仮面ライダーが好きな同僚が、昼飯どきにこんな話をしてくれた。嘘か真か。しかし面白いエピソードなのでここに残す。

[1367] May 26, 2013

自分の行動にわざわざネガティブな理由をつける必要はない――またしても偉大なるY先輩の語録を残す。自分では名言を吐いているつもりなどさらさらなくても、言うことがひとつひとつがためになる、じつにありがたい存在である。▼どういうことか。こういうことだ。たとえば「今年は新人があんまり出来ないので、しばらくは自分が面倒を見ていこうと思います。」という台詞。ありがちだが、こういう物言いこそ悪癖だとY先輩は指摘する。「今年は積極的に新人のサポートをしていこうと思います。」これでいいではないか。やることは何も変わらないのだから。▼ネガティブな理由付けは他人からの印象を損なうばかりではなく、自分の気持ちにも悪影響を及ぼす。仕方なくやっているのだという気持ちでやると大変な仕事でも、自分が進んでやっているのだという意識でやれば、思わぬ楽しさが見つかるものだ。繰り返す。「自分の行動にネガティブな理由はいらない。」

[1366] May 25, 2013

うどんすきを食べる。読んで字の如くすき焼き風のうどんで、創業以来200年を誇る老舗「美々卯」の登録商標らしい。いかにも和風な店内のつくりにテーブル中央の巨大なIHがやや不釣り合いだが、温度の匙加減が楽で理には適っている。巨大な鍋になみなみと注いだ鰹節の出汁が葉物によく滲みて美味かった。▼ところで、200年前を「江戸時代からつづく」と言われても「古いんだなあ」という月並みな感想しか浮かばないが、世界の歴史からすると、じつにナポレオンがフランス皇帝に即位したあたりである。ナポレオン1世の誕生パーティーが豪勢に開かれていたとき、この店はもう客にうどんのすき焼きを出していたわけだ。そう考えると歴史の重みが急に増してくるのは、私が日本史よりも世界史に明るいせいだろうか。▼200年の出来事を詰め込んだような満載の鍋を箸でつつく。うどんより何より、いちばん旨いと思ったのは、普段あまり好まない湯葉だった。

[1365] May 24, 2013

調性を再考するため、c-mollからf-mollまで半音ずつ高さを変えてファイルを出力して聴き比べてみた。こういう融通はデジタルワークならではの恩恵である。▼まもなく、当初の予定であるc-mollがダメな理由は、暗すぎるからだということに気がついた。何もそこまで深刻にならなくても……と言いたくなるような、不釣合いな重さがミステリアスな曲想に合わないらしい。事実、これより暗かったのはesだけで、これは選択肢の中では最悪であった。というよりも、esのおかげで暗い方向に未来がないと悟ったという因果関係が正しい。そういえば、どちらもフラット系である。▼もっとも適合したのはd-moll。なぜと問われて答えられる語彙はないが、調性の印象というよりも、メロディの跳ね返される高音の位置が、ぎりぎり気持ちの開放されない高さであることに拠るという気がする。ピアノの音域的にも、最低音が属音として使えるのでありがたい。ひとまず仮決定である。

[1364] May 23, 2013

今日は久々に集中力を発揮して、六時間PCにかじりついた末、素晴らしいゴミ箱の肥やしを創りあげた。ファイル名に没とつけて別のフォルダに叩きこむ。代わりに、まっさらな新規スコア。もういちどよく考えるチャンスだ。▼改善を諦めて早急に捨てたのは、それが局所最適だという確信があったからである。選んだ方向ではいちばんいいものが出来た。だからこそ、捨てるに値する。低い山に登頂してしまったと気づいたとき、そのままあがくのは山を降りる分だけ時間の無駄だ。可及的速やかに「地上へもどる」という素敵なオプションを選択した方が良い。▼生産物はゴミ箱へ消えたが、何がダメだったかという新たな情報は得られるので、かけた時間は無駄ではない。そのあたり、作る前から予想できるようになれば苦労はないのだが、その域に達するには残念ながらセンスも経験も不足している。いつものことだが、人の何倍も試して、ブルートフォースで補うしかない。

[1363] May 22, 2013

イゴール・ストラヴィンスキー曰く「私にとって作曲とは、特定の音程関係に従って、特定の数の音を順に並べることである。」もちろんそれは機械的に配置されるものではないだろう。規則が芸術を創るわけではない。並べ方の主体性こそが全てなのだ。作曲とは時間の組織化である。少なくとも、組織化のための青写真を提供する行為である。<自動作曲>という概念は、原理的に可能かどうかという以前に、根本的な動機を欠いている点が気持ち悪い。▼しかし、大真面目に考えると、<感情を表現する技術>という言葉も同じくらい気持ち悪いと私は思う。こうすべし。ああすべし。芸術の能書きが受け継いでいるのは、たいていの場合<感情を隠蔽する技術>ではないのだろうか。自分を表現したい心が、いつの間にか自分を偽るための技術を探して彷徨っているのではないか。そうして幾千の修辞法を極め、巧みな弁舌で人を泣かそうとする。ただ素直に吼えればいいものを。

[1362] May 21, 2013

現在、午前三時。平日のこの時間は、夜更かしが得意な不健康人でもたいていは床につく最後の大型就寝帯である。ツイッターのタイムラインを見ているとよくわかる。英語圏からの呟き数が国内からの呟き数を上回るのが、だいたいいつも三時過ぎなのだ。フォローしている人の数は日本人の方が圧倒的に多いので、実際には二時頃から人は急激に減り始めていることになる。二時から三時。いよいよ最前線の兵も沈黙する。▼言うまでもなく二時や三時まで起きているのは身体にも脳にも良くない。十二時ですら本来、就寝には遅いのだ。にもかかわらず多くの人が――とくに若者が、夜更かしをしてしまう心理は何なのだろう。識者の発言を紐解けばさまざまな考察はあるものの、これだと思える決定打がない。▼夜更かしをすれば生産性が落ちることも、健康を害することも、明日がつらいことも、みんな知っている。知っているけれど「敢えて」――禁忌への反抗なのだろうか。

[1361] May 20, 2013

鉄は安価で丈夫で加工しやすい優秀な材料だが、錆びやすいという弱点を持つ。この弱点を補うべく、鉄に「錆びにくい」というプラス属性を付与する処置がメッキである。ひとくちにメッキといっても用いる金属や手法は様々だが、対象となる材料が鉄で、かつ装飾にこだわらない場合は通常、電気亜鉛メッキが選ばれるようだ。▼ところでメッキとカタカナで書いてきたが、本来は「めっき」と表記するのが良いという。なぜならめっきは鍍金という漢字を持つ純粋な日本語であり、外来語ではないからだ。仏像にめっきを施すとき、金を水銀に溶かしてアマルガムをつくるが、これがあたかも金が水銀に溶けて消滅していくように見えたので「滅金」と呼んだのが元だという。鍍はこの一文字でめっきを意味する言葉であり、あとからあてられたものだろう。たまたま見つけた一節に「金もて物に鍍(ぬ)るなり」ともあり、このように訓読みで塗布の意に用いることもあるようだ。

[1360] May 19, 2013

すでにあるものをよりよく変える方が、なにもないところから新しいものを創るより難しいこともある。ましてその元となる物を創りだしたのが昔の自分であれば尚更だ。長い年月で成長した分、直したいところが山ほど出てくる。一方で、今は失われた堅さや粗さがいい味を出している場合もある。何を変えるか、何を変えないか。あるていど制限を設けて置かないと、質の悪い「別物」を再生産する羽目になる。▼五年前の自分の編曲をリアレンジしている。リアレンジ、あるいはリミックスという行為自体はさしてめずらしくもないが、自分でやるのは初めてで、勝手がわからず思った以上に難しい。想定リスナーにも「元の作品が既知でリメイクとして聴く人」と「元の作品を知らずに新しい曲として聴く人」の二通りがいて、直したいところを直そうとすると、ここで衝突を起こすこともある。完成品のことだけを考えればこうした方がいいけれど……煮え切らない苦悩である。

[1359] May 18, 2013

紙がいつもタブレットPCより使い勝手が良いとは限らないように、長く使われていたという実績だけで、楽譜が音楽表現の最も完成された形式であるとは私は思わない。ここ最近の新しい表現形式であるキーエディタにも、楽譜――スコアエディタにはない独自の強みがある。▼キーエディタ最大の長所は、音のラインが広範囲にわたり正確に鳥瞰できることだ。楽譜は段が変わると視覚的に線が断絶されるし、音部記号の存在により同じ段でも音の連続がわかりにくい。正確な音価もしばしば演奏者の感覚に委ねられてしまう。曲の「形状把握」という点では、拡大・縮小・スクロールなど各種の機能を備えているキーエディタに分がある。▼一方、楽譜の長所は音や旋律の「意図」が表現できることだ。たとえば、キーエディタではCisとDesの区別はつけられない。また、演奏上の詳細が記号や標語の解釈に隠蔽されているので、音楽の全体像を概観しやすい点も挙げられるだろう。

[1358] May 17, 2013

エミール・ゾラは学生時代、仏文学も独文学も修辞学も全て落第した。キップリングは文章がでたらめ過ぎると叱られて新聞社を首になった。アンデルセンの童話は出版時、こどもにはふさわしくない読み物として酷評された。極貧時代のピカソは自分の絵を燃やして暖を取った。セザンヌは美術学校の入試に落ち、56歳でようやく初めての個展をひらいた。パデレフスキは幼少期、中指が長すぎるのでとても一流のピアニストにはなれないと言われた。若きベートーヴェンは、音楽の先生たちからまるで見込みが無いと思われていた。▼そういうわけで、歴史が見事に示している通り、いま、あなたが何歳でも、他人に何を言われていても、やりたいことを極める価値はいくらでもある。これらの事例は、強烈なコンプレックスこそが天才を生み出すという図式ですらない。得られる教訓はただひとつ。世間一般の試験や凡人の言うことは、まったくあてにならないということである。

[1357] May 16, 2013

「引用しすぎに気をつけなさい。いくら立派な言葉で鋭い意見が書かれていても、記事のあちこちがワイアードへのリンクだらけだとしたら、誰もそんなものを読みたいとは思わないでしょう。」昔、とあるブログの書き方を指南するブログで、こんなアドバイスを見た。稚拙でもいいから自分の言葉で語りさない。それが著者の一貫したブロガーとしての哲学だった。もの書きとして、この態度はもちろん正しい。▼しかし、この記事から数年が経ち――ウェブはリンクブログで溢れた。記事の引用元にリンクを貼るどころか、リンクそのものが記事であるという新しいスタイルさえ生まれた。「私」という発信点の特徴は、もはや接続先の組み合わせで決まる。自分で言葉を添える必要などない。利用可能なコンポーネントはいくらでもあるのだから。▼他人の頭脳で物を考え、他人の言葉で意見を表明する生き方は、好むと好まざるとに関わらず現代人の習慣になりつつあるようだ。

[1356] May 15, 2013

人間の可聴範囲は20Hzから20kHzだが、年を取るにしたがい17kHz帯より高周波の音が聞こえなくなる。「聞こえにくく」なるのではなく「まったく聞こえなく」なる。こうした超高周波音をモスキート音という。▼数年ぶりに検査したら、私もやはり衰えたらしい、昔は検査用動画の上限値まで聞こえたが、今では17kHzも聞こえない。16kHzは明確に聞こえるのに、17kHzは完全な静寂というのがなんとも不気味である。人によっては14kHz帯も二十代で落ちるというから、まだマシな方だろうか。▼モスキート音はその性質ゆえしばしば推理物のトリックにも用いられるが、効果に個人差がある上、同じ人でも体調や時間帯で聞こえ方が変わるため、やや偶有的で粗末なネタと言える。この現象を有意義に使うなら、たとえばmp3やaacなど高周波帯をカットすることで容量を稼いでいる音楽ファイル形式について、大人向けの音楽ほど高周波帯の圧縮率を上げるという判断はどうだろうか。

[1355] May 14, 2013

我が部署には、人に気を使えない奴は良くないと強く主張する人が二人いる。A、Bとしよう。たしかに彼らは人に気を使う。しかし、二人は互いに相手のことを「彼は人に気を使えないから良くない」と思っているのだ。何が起こっているのか。▼傍で見ているとわかる。単純な話だ。二人とも「そこは気を使うべきだと思っていること」については人並み以上に気を使うが、「そこに気を使う必要なんかないと思っていること」には、とんと無頓着なのである。Aはときどき自分の都合を優先しすぎて他人のペースを考えず、Bは自分の不始末を他人に委ねたときの対応がやや非常識――そんな実例が、指折りいくつもある。▼つまり冒頭のスタンスも、適切な言葉を補えば「(自分にしてみれば気を使うべきだろうと思っているところで)気を使えない奴は良くない」という、少々エゴイスティックな憤りであり、だからこそ、その定義域が反対な彼らは互いに相容れないのである。

[1354] May 13, 2013

反省は進歩の礎。たしかにそうかもしれない。しかしソフトウェア開発の世界では、製品やシステムの出来栄えがもっとも危険に晒されるのは、往々にして二度目のプロジェクトであると言われる。なぜなら彼らは一度目の開発で、先行きの見えない不安から、技術的な限界から、設計の見通しの甘さから、多くの「実装し得た仕様」を泣く泣く切り捨てているのだ。大丈夫。もうわかった。次は絶対に上手くやれる――反省の名のもとに次々と新仕様が盛り込まれていく。▼そうして出来上がったシステムは、機能は豊富だが複雑で扱いにくい、飾りだらけの見掛け倒しであろう。初めての試みで痛い目を見たばかりの技術者が集う大規模開発は、ことごとくと言わないまでも、完成品は出来損ないに終わっている事例が多い。三度目の正直という慣用句は、こうした経験に裏打ちされた知恵なのだろう。フレデリック・ブルックスは、これを「セカンドシステム症候群」と呼んでいる。

[1353] May 12, 2013

ひょんなことから調べはじめて、今現在はライフワークになりつつあるクラブカルチャー及びダンスミュージックの研究。いろいろ聞いて、いろいろ読んだが、どちらかというと音楽そのものよりも哲学からたくさんの示唆をもらった。ここ数日で書き写した”インタビュー”の数は計り知れない。今後の記事にも、ことあるごとに彼らの言葉が引用されるだろう。四百字を超える名言は、原理的に紹介できないのが残念だ。▼音楽的な背景を持たずに音楽の世界へ飛び込み、音楽をつくり、音楽を変えた彼らの生き様に私が共感するのは当然だが、この並々ならぬ敬意は単なる僭越な仲間意識ではなく、偉大な哲学者の理念に対するものと同質だと思う。彼らは、偉大な反抗者たちは、いつも未来の音楽に現在の音楽以上の姿を見ている。彼らの目指す音楽は、過去の定義の延長線上にはなく、それでいて、どこにも存在し得ぬ妄想のようなものでもない。彼らは新たな現実を創るのだ。

[1352] May 11, 2013

「そりゃ、誰もが創造性を使って金を稼げるわけじゃないさ。だからこそ、それをやっているひとはなおさら社会のことを考えていなくてはならない。月曜から金曜までハードに働いているひとに対して、つまらないDJを聴かせるわけにはいかないよ。来てよかったと思えるようなものにしなくてはならないと思う。彼らを退屈させたら、何のためにDJをやっているのかわからないからね。」▼「ぼくたちは生存競争のために生まれてきたのではないのだから」とセオ・パリッシュは言う。だからこそ自分を表現すること、創造性を発揮して自分で考えること、そういうことのできる人が社会に必要なのだ。野田努『ブラック・マシン・ミュージック』は、自分の、自分たちの、過去と、現在と、未来を表現するために死闘した黒いデトロイトの記録である。肉声である。クラブ・カルチャー史の決定版『そして、みんなクレイジーになっていく』とあわせて、いまいちど推薦したい。

[1351] May 10, 2013

「新茶淹る数日つづく雨憂くて。」俳諧には頻出する茶だが、鎌倉時代に宋より伝来したものであり漢語であるから和歌に作例はない。新たに仕入れた鹿児島新茶を数口。ここらで茶についてまとめ直しておこう。▼摘んだ茶葉を完全に醗酵させれば紅茶、醗酵を途中でやめれば烏龍茶、蒸気の熱処理で醗酵を阻止すれば緑茶となる。同じ緑茶でも存分に日光浴をさせれば煎茶、新芽が出た頃から日光を遮り渋みを抑えたものが玉露、逆に採取時期を遅らせて真夏の日光で渋みを増せば番茶となる。そうして、これら煎茶や番茶を焙煎したものが焙じ茶、玄米を混ぜれば玄米茶、遮光した若葉を乾燥させて粉末状にしたのが抹茶である。▼煎茶は湯冷まし80℃、急須を覗いて、茶葉の開きを待つこと約1分。玉露はさらに冷まして約2分。いずれも最後の一滴まで注ぐべし。焙じ茶、玄米茶は沸騰した湯のままで良い。待ち時間は、短気な人には嬉しい30秒。玉露玄米は少し冷まそう。

[1350] May 09, 2013

同僚の結婚祝いパーティーを開くことになり、プレゼント選びに付き合った。予算は二万円。なかなか良い品が買える値段だけに、決め手に欠けて難航する。もとより主催にこれという思惑もないらしいので、口に入るものと形に残るものの合わせ技として「日本酒と晩酌セット」「玉露と湯のみセット」の二案を出した。酒は獺祭、茶は緑茶が好きだという新郎のプロフィールを活かしている。▼(自分では選ばないが)贈り物の選択には何かと厳しい女性陣にも打診して、最終的に「玉露と湯のみセット」が当選した。100グラム5000円の玉露。高級茶が好きな私でも飲まない。人に贈られない限り自分では手を出さないが嗜んではみたい品である。湯のみセットは夫婦用にペアのもの。二つに分かれるアイテムは縁起が悪いと言われるが、引き出物ならともかく同僚からのプレゼントでそこまで慎重になる必要はないだろうという判断だ。さて、明日、喜んでくれるかどうか。

[1349] May 08, 2013

リテイリングの世界でオムニチャネルという単語が流行り出した。流行り出したと語るにはやや遅いが、何気なくクロールしたブログでも見かけるようになってきたあたり、目に触れる機会は格段に増えている。去年の急速なタブレット普及に合わせて、小売の対応がいよいよ本格化してきたと見ていいだろう。▼概念をひとことで表せば、焦点を商品から顧客に移したクロスチャネルの進化系である。何をいくらで、どこでいつ売るかという4Pではなく、ひとりの顧客というペルソナを重視する戦略。ここでは出来るだけ多くの人に、いつでもどこでも自分たちと関わってもらうための物語づくりが求められる。押し付けるのではない。参加してもらうのだ。▼フランク・ローズ『のめり込ませる技術』でもジャンルは違うが近いことが語られている。端末の進化にしたがい、行動の即時性と選択肢が増えるほど購買行動をめぐる物語は多様性を増す。今や主人公は「買う人」なのだ。

[1348] May 07, 2013

ダンベル。dumbbellと綴る。dumb(物言わぬ)bell(鐘)の意で、形は教会の鐘に似ているが音が鳴らないことから、あるいは昔は本当に鐘を模した器具で筋力トレーニングをしていたことから、その名が付いたと言われる。鐘を引くことで筋肉が鍛えられることはダンベルの登場以前にも広く知られていた。そうして、これを直訳したのが唖鈴、転じて差別漢字を排した亜鈴というわけだ。鉄アレイの「アレイ」である。断じて、何かの配列ではない。▼やがて両端の重り同士を棒でつないだバー付きのダンベル「バーベル」も生まれる。重りは円盤状で、もはや鐘の面影はどこにもないのに、言葉の中だけでベルが独り歩きする様はなんだか面白い。文字と音の両形態を持つ言葉は、使う人の都合次第でかなり自在に変わりゆく。胴の長い犬に似たダックスフント・ソーセージも、スペルを調べるのが面倒な漫画家の横着により、「ホット・ドッグ」とごまかして紹介されたのだった。

[1347] May 06, 2013

ゴールデンウィーク。数十時間の孤独な闘いに良い形で鳧がついた。三ヶ月近く悩んでいた数小節に、曲がりなりにも形がついて一安心である。もちろんまだまだ粗いので手直しの必要は無限にあるが、無から有を生み出すのと、すでに有るものを磨くのでは、苦しさの度合いがまるきり違う。締め切り直前に話が出来ていなければ原稿は絶望的だが、残すところが文章の推敲と洗練だけなら望みは十分あるだろう。▼作り直しも考えたほど散々悩んだ挙句、仕上がりは初めに思い描いていた姿とたいして変わらない。どうして素直にここへ辿りつけないのだろうとつくづく思う。少ない経験からひとつ言えるのは、到達に長い時間がかかる場合、そもそも思い描いている理想が優良でない場合が多いということだ。完璧でない姿へにじり寄せていくというのは、案外難しいのかもしれない。▼最初から完全無欠な作品を脳裏に描けたら苦労はしないが、見切り発車が危険な理由にはなる。

[1346] May 05, 2013

新芸術――アール・ヌーヴォー、ひいてはその先駆たるアーツアンドクラフツ運動は、機械生産による無機質で、工業的で、《想像力の枯渇した》製品の氾濫に対する嫌悪感から生まれた。科学技術と合理主義が驀進する社会の中で、市民はゴシック・リヴァイヴァルの懐古趣味に浸る。カルチャーあるところにカウンター・カルチャーあり、である。▼こうしたメインストリームに対抗するアンダーグラウンドの活動が、デザインの世界ではあまり「地下的」でなく、権力による抑圧とは比較的無縁なのが面白い。大量生産が提供する製品のつまらない見た目にうんざりして身近なインテリアに装飾を施すことは、大衆ラジオが届ける退屈な音楽に飽きてレイヴ・パーティーでトリップすることよりも安全なのだ。グラフィティアートが公共空間の侵害という俎上に乗せられるまで、デザインの問題が市政の頭痛になることは、少なくとも音楽の場合より少なかったのではないかと思う。

[1345] May 04, 2013

ここのところ分厚い本ばかり読んでいる。これはぜひ読みたいと思う本が、偶然にも全て厚いのである。昔は、学生の頃は、こんな何百頁もある本は絶対に読めなかった。読みたいと思う気持ちが本の厚みに殺されていた。それが今は読める。単に読み慣れたのか、気持ちが勝つほど強くなったのか、ほんとうのところはわからない。▼成長と考えていいのかと訝ることもある。人は熟練するほど、年を取るほど長さを求めるものだ。読書に限らず表現もそう――薄い本で自分を伝えられなくなる。小さなキャンバスで世界を描ききれなくなる。短い曲でドラマを作れなくなる。それはより大きな構造を求めるようになったと言えば聞こえはいいが、切れ味、集中力、そういうものを失って、鈍く、老獪になっただけとも言える。▼このごろ四百字で何かを伝えきるのが難しいと感じるのも、そういう老いの悪さかもしれない。だらだらするくらいなら、刻んでいこう。短く、短く、短く。

[1344] May 03, 2013

Model500名義の「No UFO's」「Night Drive」、Cybotron名義の「Techno City」、その他いくつかのホアン・アトキンスの作品や、デリック・メイの人気作「Beyond the dance」「Strings of Life」など、デトロイト・テクノ黎明期の古典を聴く。ダンス音楽めぐりも時代を下りながらついにここまで来た。▼デリック・メイの哲学は非常な尊敬に値するし、ホアン・アトキンスの細部へのこだわりも素晴らしいが、ことテクノに関しては、二千年のキッズ――「現代の人」の方が良い作品をつくっているなと素直に思う。思いながら巨匠の古典を長らく聴いていた。繰り返し聴いていた。確かに、彼らの功績は新しい道を切り拓いたことにある。▼ジェシー・サンダースがハウスで大儲けしたとき、追随者たちは「これなら俺の方が上手く出来る」と確信して大挙した。先駆者の資質に必ずしも完璧であることは必要ない。それどころか、未来のためには邪魔になる場合さえあるのだ。

[1343] May 02, 2013

明日から4連休。ひとり旅へ行く人も、連日飲み会へ出る人も、家に閉じ籠る人も、ただの土日とは違う意気込みで何かをしようとしている。そういう「ここでは何かをしてみよう」というきっかけになる連休はいいものだ。毎日あくせく働いているつもりでも、黒字ばかりのカレンダーは知らず知らず惰性のうちに過ぎている。▼さいわいなことにGWは私も4日、赤字の休日を手に入れた。世間では10連休という声もちらほら聞かれるが、さすがにそれは望み過ぎだろう。それに私は「家に閉じ籠る人」だから、10日もあると心身が堕落してしまう。▼4日。日に7時間作業して、28時間の臨時作業時間と大まかに考えている。平日に平均して1時間程度しか時間が取れないことを考えると、1ヶ月分に相当する巨大なコア・タイムだ。読書も、ゲームも、外遊もしない。ただひとつのことだけをするという連休の使い方。缶詰という用語で知られた、ライフハッキングである。

[1342] May 01, 2013

『STEINS;GATE 線形拘束のフェノグラム』をプレイする。トロフィー収集はまだだが、隠しシナリオまで含めてひと通りは舐めた。本編の主要キャラクターたちを主人公にした別視点もののアンソロジーである。▼前宣伝がやたら本格的なので正統続編かと期待していたが、「シリアス版『比翼恋理のダーリン』」くらいに考えるのが妥当なようだ。シナリオ同士の関連は限りなく薄く、世界線もそれぞれ、キャラクターの性格もそれぞれ、ものによってはシナリオ自体あまりいただけない……ということで、昔『比翼恋理』について書いたように「公式同人と思って楽しむくらいが気楽」な作品である。▼出来栄えはどうあれ、あの声で、あの絵で、あの関係で、シュタインズゲートのキャラたちに会いたいと思うファンには嬉しい続編に違いない。オフィシャルであるということは、それだけでかけがえのない価値である。稼ぎがしらの大役で、世界が使い潰されないことを祈りたい。

[1341] Apr 30, 2013

研究者、銀行員、教師、医者、弁護士、検察官……。高校卒業以来9年も経つと、博士組まで行く道が定まってくる。みんな立派な堅い職業ばかりだ。酒が入ると言いたくもなるのだろう、稼ぎの話、貯蓄の話。そんなちょっと絡みにくい話題の中へ、昨日、一陣の清風が舞い込んだ。同期から、プロの芸人が現れたという。▼「ついにやったか!」一同声を上げた。流暢な関西弁をあやつる吉本系ではまったくなく、標準語の低い声でゆっくりとしゃべる、しかしその一言が強烈に面白いという大人しいタイプの芸人だ。なにか言葉を発するたび場が爆笑に包まれる。そんな彼が、ついに数年勤めたシステムエンジニアを辞め、天性を活かす道へ飛び込んだというニュースに、なんだか嬉しくも誇らしいような気持ちになる。▼安定の日常を捨てて夢に飛び込んだ人を応援したくなる気持ちは、自分もいつかはそうしたいという気持ちの発露なのだろうか。彼の今後が楽しみで仕方ない。

[1340] Apr 29, 2013

生まれてはじめてフットサルへ行く。集まるのは高校時代の同級生。詳しい経緯は知らないが、同窓会の代わりに企画されたものらしい。私以外はみんな運動部の人たちだが、懐かしい顔ぶれも多いので、せっかくだからと参加した。社会人の休日、そうそうハードな試合にはなるまいという思惑である。▼現実は、想像以上にきつかった。走りこみの成果か、さすがにすぐさま戦線離脱とはならなかったが、基礎体力が違うので試合の後半はまわりの動きになかなかついていけない。心肺よりも足腰に限界がくる。膝も擦りむいて足首は捻って、痛いしつらいしの二重苦だが、さすがスポーツとは偉大なもので、プレイ中は笑顔が絶えない。なんだかんだいいながらも大いに楽しんだ。▼同僚にもかなり前から休日のフットサルに誘われていて、そのたびにしんどそうだからと断っていたが、これくらいならいちど出向いてもいいかなと思う。短時間で密度の高い運動が出来るのも良い。

[1339] Apr 28, 2013

年にいちどのバーベキュー。学生時代働いていたバイト先で開かれる。去年は外せない用事で欠席したが、今年は晴れて参加できた。▼久しぶりに会う生徒たちは驚くほど成長していた。男子三日会わざれば刮目して見よとは言うが、朗々として、はきはきして、ほんとうに素晴らしい青年になっている。昔の彼にも片鱗がないではなかったが、当時より遥かに洗練されている。何段も成長の階段を飛び越したかのようだ。▼私の影響がどうこうに関わらず、教え子が立派になっているのを見るのは素直に嬉しい。そういう彼らが私の昔の授業について、私も忘れていたような細かいことを覚えているのはさらにありがたいというものだ。あのころ感じていた「これくらい聞いてくれているだろう」という感触は間違いだらけで、生徒は実に細かいことまで見て、聞いて、覚えてくれている。かけがえのない経験だなと改めて思いますよと話したら、すっかり社会人だねと塾長に笑われた。

[1338] Apr 27, 2013

「退屈な男になる簡単な方法は、なにもかも喋ることだ。」出典は忘れたが、こんな言葉がある。「秘すれば花」に通じる理屈だ。あれもこれも喋ればその場は愉快になるが、その分だけ自分は退屈な男になる――まるで愉快さが消費されるものであるかのような考え方だが、不思議と座りは悪くない。前の彼氏と別れた理由を「話が底をついたみたいだから」と呆れ顔で零していた研究室時代の秘書のお姉さんを思い出す。▼その基準に照らせば、私は喋りすぎである。日記まがいの記事のみならず、放送まで始めて語る内容はさらに増えた。毎日「退屈な男」に近づいているわけだ。もちろん、それは我慢ならない。だから、愉快資源の枯渇から逃れようとして次々と新しいものに手を伸ばす――さて、我が身の喋りたがりと知りたがりをこんなふうに評してみて、なかなか大胆な考察いかがかしらと誰にともなく誇るのである。にわか自己分析というやつだ。部屋には問う鏡もない。

[1337] Apr 26, 2013

部内成績や売上など、去年度の厳密な数値が公表された。一年前の予想に反して国内の伸びが悪く、逆に海外の反応が期待以上に良い。あるプロジェクトは海外だけで予想の三倍を売り上げた。グローバル病を治癒した途端にこういう結果が出ると、なんだか痒いようでもあり、がつがつしているうちは上手くいかないという定説も浮かんでくる。▼とはいえ、不景気の御多分に洩れず全体の会社業績は振るわないので、今年も見返りはそうそう期待出来ない。せめてもの救いは、こうわかりやすく危機に瀕しているので、若手から中堅まで大半の社員が、「自分がなんとかしなくては」という使命感に燃えていることである。もちろん私もそうだ。会社のために助力は惜しまない。▼メンバーの内にV字回復を祈るこころざしが宿っているあいだは、結末はどうあれ、希望はある。登り坂がきつければそれだけで速度が落ちることもあるだろう。馬の死期が近いことを悟るのはまだ早い。

[1336] Apr 25, 2013

十二歳から数年間、つまり中学校へ進学して間もない頃、マジックに凝っていた時期がある。カードゲームではなく手品の方だ。高島屋の手品コーナーへよく遊びに行っていたのでそのうち、実演のお兄さんと顔見知りになった。はじめは子供だましのようなトリック玩具で満足していたが、そのうち彼の得意なトランプマジックを志し、私もバイシクルのトランプを買い揃えて練習に励んだ。▼しばらくのあいだ、どこにでもトランプを持ち歩いた。歩きながらでも切っていた。電車の中でばら撒いたこともあった。やがて基礎的な技術が身につくと、同級生くらいはあっと驚かせられるようになった。驚かせられるようになったその後、必至で習得した手先の技術の熟練度より話術や心理操作の方が大事だということがわかってきた。けれども、毎度似たような口先三寸で煙に巻くのに飽きて、そのうちやめてしまった。あれほど熱中した遊びも、いまはすっかり昔とった杵柄である。

[1335] Apr 24, 2013

明日のパンのためだけに名曲を生み出す人もいれば、芸術の真髄を究めたい一心で名画を描く画家もいる。実際、偉人と呼ばれる歴史上の人々にはどちらも等しくいるように思われる。月と六ペンス。だが、対極にあるように見える彼らのあいだにも共通点がある。どちらも余念がないということだ。▼手許の作業に注ぎ込んだ集中力の多寡が、そっくり名作の礎となる。目的の貴賎は関係ない。才能の枯渇よりも、気持ちの多角化が人を堕落させる。金銭を目的とすることが問題なのではなく、金銭にまつわる余計な思考が問題なのだ。信念の分散。イギリスの初期ハウスDJ、デイヴ・ドレルはこう憤る。「みんなより数フィート高いところにいるだけで、雲の上にいる気分になっちゃう奴もいる。いきなりDJは妙な考えを起こす。フェラーリを買わなきゃ、ポルシェに乗らなきゃってね。そしてレコード・ボックスを持って群衆の中を王様みたいにのし歩く……勘弁してくれよ!」

[1334] Apr 23, 2013

「暇で暇で仕方がないから、日曜日は一日中ごろごろしてた。」そんな台詞を聞く。あれもやらなくては、これもやらなくてはと意気込んでいた君なのに、どうして暇があるんだいと訊くと、やることがあるのに暇だという状態もあるじゃないかという。そんな状態は知らないと答えると、わからない顔をしていた。私はもうかれこれ十数年、今日は暇だと感じた日は一日もない。▼暇で居ることが楽しみなら好きにすればいい。しかし望んでもいないのに倦厭を感じてげんなりするのは馬鹿らしいことだ。小人閑居してと言うまでもなく、閑暇は人に喧嘩をさせ、勇気を奪い、怠け心を育てる人類の大敵である。バードランド=ラッセルが指摘したように、「人類の罪悪の少なくとも半分は、退屈を怖れるあまり犯されるもの」なのだ。友人の日曜日を断罪する気はさらさらないが、やることがあるならやればいいし、やりたくないなら休めばいい。休養を暇と数える必要はないだろう。

[1333] Apr 22, 2013

価値観が同じであれば相性がいい。ほんとうにそうだろうか。▼「笑いのツボが同じであること」を重視する人Aがいるとする。相手が笑うときは自分も可笑しく、自分が楽しいときは相手も笑う、そういう関係を理想とする考え方だ。時を同じくして笑えなければ良好な関係は築けない。立派な価値観である。▼しかし、Aとその価値観を同じくする人Bがいたとき、果たして彼らは相性が良いのだろうか。無論、否。「最悪」であるケースさえ考えられる。もし笑いのツボが完全にずれていたら、早晩、互いが互いに我慢できなくなるだろう。▼譲れないことが同じであるが故に衝突することはままある。たいていの場合、重要なのは価値観ではない。何を是と考えるかという空想上の理念でもない。AやBのような人たちとって真に大切なのは、「笑いの同期」という身体反応の出力結果だけである。人の相性は、一緒にいてみなければわからないことが多いという説の一例だろう。

[1332] Apr 21, 2013

最低気温2度。積雪の銀世界、ターフビジョンも白く霞んだ福島競馬場。季節外れの天候に今日の福島競馬は中止となった。誰の踏み跡もなく、上品な生チョコレートのように白い粉を戴いた雪の競馬場はなんとも美しい。▼花が咲いてはまた吹雪。富士山をめぐる各地では地震が頻発し、どうにも危険な匂いがする。気温に海流が多大な影響を与えるとすれば、海流に影響を与える大地の運動が関係していないとも限らない。二年前、直接の被害無く済んだ運の良い地域は、そろそろあの恐怖を忘れつつある。▼来るかもしれない地震に怯えてびくびくするのは甲斐のない杞憂だが、万が一に備える対策が疎かになっていないかどうか、いちど身の回りは点検しておいたほうがいいだろう。加えて地域の災害対策にも関知した方がいい。指定の集団避難場所をまだ訪ねたことが無いのなら、ここはひとつ胡散臭い記事に騙されたと思って、GW中にでも一見しておくことをおすすめする。

[1331] Apr 20, 2013

空が青い。午前五時。特に理由もなくこんな時間まで起きていた。時期柄にもなくあんまり寒いので逆に寝付けないということもたまにある。布団はもう冬ほど厚くない。部屋の暖房は壊れている。ストーブは片付けてしまった。この寒さと戦うには、せめて半纏でも着るしかない。真夜中の鍵盤は温度以上に冷たく感じる。▼最近の音楽シーンを漁りながら、デザイン系のニュースにも目を通していく。2013年。今を知りたいという欲求は日に日に強いが、その気持ちに反抗するかのごとく、音も絵も、なにもかもが散漫として捉えにくい。今がわからねば未来の予測など立てようもない。「未来がわからなければわからないでいい、ただ技を磨いていれば。」そんなふうに思いきれる腕に自信の人々がときどき羨ましくなる。▼配られたカードで勝負するしかないのさ、とはスヌーピーの名言だ。私の手持ちはどうにもトリッキーなカードばかりである。闘い方を間違えたくない。

[1330] Apr 19, 2013

クラシックのステージと客席のあいだには明確な「線」がある。高い段差という物理的な境界と、「奏者」と「聴衆」と隔てる概念的な境界だ。そこに溶け合う融通はない。しばしば聞かれる「演奏はコミュニケーションだ」という主張も、常に奏者からなされるものであることに注意しよう。実感の伴わない哲学の衣を脱ぎ捨てたとき、ほとんどの良き聴衆にとって、コンサートの視聴は対話ではないはずだ。(そうでないというのなら、私が間違っている。)▼わたしたちは演奏する人、あなたたちは聴く人。選民思想にも似た意識の強い一部の人々にとって、演奏とは守られた聖域に腰掛け浸る排他的なデカダンスなのだろう。どんな形式のコンサートにも当てはまることだが、とりわけそれはクラシックの世界で顕著なように思う。嫌なことだが、反面、サンクチュアリを頑なに守り抜いてきたからこそ、巨大な商業主義に取り込まれることなく生きつづけているのかもしれない。

[1329] Apr 18, 2013

スポーツジムの定期検診で体組成を測る。身長182.5cm、体重72.5kg。内蔵脂肪レベル6.6の体脂肪率19.5%、基礎代謝は1631kcal/日。ありとあらゆる標語に「標準」「適正」と打たれた非の打ち所ない結果に見えるが、体幹の筋肉が少なく脂肪総量はやや多め。グラフには現れない隠れ運動不足予備軍である。いまのうちに骨格筋量を増やして太りにくい身体にしなければ、遅かれ早かれメタボリックシンドロームなり生活習慣病なり、大挙して襲われることになりそうだ。▼もっとも、それをわかっているからこうしてジムに通っているのである。筋肉質な身体にさほど憧れはないが、見た目の面でも実用面でも、しっかりした身体であるに越したことはない。終日デスクワークの現場で身体の管理を怠けた人の行く末を、毎日のように目の当たりにしているとさすがに危機感を覚えるのだ。先輩方には申し訳ないが、典型的な反面教師というやつである。身も心も引き締めていきたい。

[1328] Apr 17, 2013

『咲 -Saki- 阿知賀編 episode of side-A』後編の動画をまとめて見る。7日視聴はやや割高だが、見逃していたので仕方がない。▼本編もそうだが、咲のアニメシリーズはとにかく盛り上げる演出が上手い。ダンスフロアで客を踊らせるコツを熟知しているDJのように、エフェクトと音楽を駆使して視聴者の心を踊らせてくる。麻雀という名前のついた作中のゲームはもはや麻雀ではないが、アニメ「咲」においてそんなことは瑣末事だ。だからこそ、麻雀を知らない人も知る人も楽しめる作品に仕上がっている。▼咲のスタッフがどこから「盛り上げ」のテクニックを仕入れているかはわからないが、昨今、パチスロの演出技術を参考にしている映像エンターテイメントは少なくない。客の興奮こそが飯の種である彼らは、期待を煽る「安価な」見せ方を研究し尽くしている。香辛料のレシピを学ぶにはうってつけなのだ。こういところで技術を研究してみるのもたまには悪くない。

[1327] Apr 16, 2013

ソーシャルゲームには少数の課金ユーザーと多数の無料ユーザーがいて、ゲームデザインの都合上、たいてい無料ユーザーは「良きやられ役」となる。彼らの存在が課金ユーザーを満足させ、強者への憧れが無料ユーザーに課金を促す。設計されたヒエラルキーが富を生み出す構造である。▼しかし世の中、好き好んで負け役に甘んじつづける心のタフな人ばかりではない。対戦優位やコレクションの自慢だけでなく、ゲームプレイそのものが自分との闘いになるような面白さを持たなければ、課金するつもりのない無料の人々は遅かれ早かれ次のゲームを探しに行くだろう。▼現在のソーシャル業界には、こうした大量の無料ノマドたちが交代でヒエラルキーを支えている側面がある。ピラミッドの下層部だけが絶えず流動するのだ。「素性は不明だが常に一定数いる負け役」という存在。であれば運営者と課金者にとって彼らは架空の存在でも良いのではないか。そんな話をしていた。

[1326] Apr 15, 2013

新企画のブレインストーミング。企画書にチェックを入れて質問を飛ばしていく。あんなことは出来ないか。こういうことが出来たら面白いのではないか。思いつくままに臆面もなくアイデアを飛ばすのは私の十八番だ。喋りすぎても許して欲しい。ブレストとはそういうものなのだから。▼とはいえ、ベテランが多いとどうしてもアイデアは潰される方向に動く。潰されるような意見をたくさん出しているので、彼らも決して見境なく出る杭を叩いているわけではないのだが、新企画のスタートアップで長らく酸いも甘いも経験している人たちが集まると、出来ることと出来ないことの分別がつきすぎていて思考の嵐が起きにくい。それを掻き乱すのは若手の仕事だが、もとより手堅くまとめたいのなら、このチームは若輩者の意見が通らない場所だという恐怖が無闇に浸透しないよう、中途半端にブレストを標榜せずにはじめから「詰めるミーティング」だと宣言した方が良いだろう。

[1325] Apr 14, 2013

1960年、パリ。夜遊び娘のレジーヌ・ジルベルバーグがナイトクラブ<シェ・レジーヌ>をオープンしたとき、彼女は最初の月、開店して間もなく「満員」の札を出した。新しい店が出来たのでと足を運んだ客は例外なく門前払いにされた。店の中からは楽しそうな音楽が漏れ出してくる。そうして次の月、通常通り店を開けた日、あっという間に店は人で埋まった。▼人気のない商品を引く手あまたに魅せる手法は不動産に限らず手垢のついたやり方だが、レジーヌの手口はそういう定番の手法とは一味違う。称賛されるべきは空の店に札を出し続けた度胸だろう。ハッタリがバレたらどうするのか。「本当の」初日に客がまるで入らなかったらどうするのか。いくらでも考えられる未来への恐れをものともせず淡々と虚勢を張り続ける肝の座り方に、畏敬の念を感じずにはいられない。よほど成功を信じてなければ出来ないことだ。下積み娘の、現場の直観に根ざした執念である。

[1324] Apr 13, 2013

「敵」によって自らを規定するような生き方は良くない、と『7つの習慣』は指摘している。自分と敵対関係にある誰かがああするから、自分はこうしなければならないのだという考え方は、主体的に反抗しているようで実はあやつられているに過ぎない。怒りと恨みを餌に踊らされる、誰のために生きているのかわからないような憑依された人生。復讐を誓った男の未来は暗い。▼しかし、明確な敵がいる状態というのは、それはそれで恵まれているとも言える。怨嗟や憤怒は確かに好ましからぬ感情だが、復讐――と呼ぶと刺激が強すぎるなら「反抗」でも良い――が強い努力の動機になることは否定できない。闘争心という名の、近視眼的で爆発的なドラッグに近い推進力。自分との闘いだけでは燃えられぬ人のためには、着火してくれる「敵」が要る。きっかけを待ち詫びてぼんやりとした毎日を過ごすくらいなら、いっそ勝ち目のない闘いに身を委ねてみるのも良いと私は思う。

[1323] Apr 12, 2013

サンフォード・クインターはレムについて言う。「彼の建築は面白いんだけど、彼の本、オフィス、活動はもっと面白いんです。デザイナーやデザイン的な知性の応用範囲が並外れて幅広い。一体デザイン的思考がどこまで到達できるとレムがとらえているのか、そこが重要なんです。多くの建築家が彼を嫌うのは、彼らがデザインは「〜すべき」と大袈裟にとらえているところを、レムはデザインなら「〜できる」と当たり前のように考えるからです。」▼レムは実現という目的に誰よりも貪欲だ。私も彼のように<クリエイティブな戦略家>になりたい。今日は久しぶりに引用で枠を埋め尽くそう。クインターと同じく私もまた、レムの創作に対する態度を非常に尊敬している。この言葉も然りだ。「レムが何年も前に言った言葉で、僕が非常に尊敬しているのはこれです。『もう建築には関心がない。建築をやるより人生を楽しめるよう、事務所の組織を考え直したんだ』ってね。」

[1322] Apr 11, 2013

新しいことがしたい。面白いことがしたい。私は常にそういうスタンスで動いている。出来栄えなど二の次、三の次だ。新しくもない佳作、面白くもない傑作は、ハイクオリティを信条とする他人がいくらでも生産してくれる。作品を「誰が制作したか」に皆さほど興味がない今の時代、ブラッシュアップはいっそ彼らに任せてしまうのが、誰も損をしない理想的な互助関係というものだろう。さいわい、私には磨く力はない。▼自分にとって新しいこと・面白いことを追求している人はたくさんいる。もとより、自分で面白くもないと思いつつ創作する者はあまりいないだろう。しかし、私は「みんなにとって」新しいこと、面白いことを求めたいのであって、自分にとってどうかは問題にしていない。強いて言えば、みんなが面白いと思うものを探り当て形にしたときが最高に面白いのだ。一種の性癖である。そんなのは自己表現ではないよと言われても、そうですねと頷くしかない。

[1321] Apr 10, 2013

ランニングマシーンを体験する。傾斜3度の坂道で、時速7.0kmの設定。隣の小柄な女性が9.0kmで軽快に飛ばしていたので、途中真似てみたが速すぎてとても持ちそうにない。傾斜もついていることだしゆっくり長く走ろうと決めて元の設定に。休憩なしで60分弱、走りつづけた。走破距離は6.7km。消費カロリーは450kcal。濃厚系のカップラーメン一杯分である。▼流れる風、変わる景色、ランダムな勾配、さすがに外を走る方が諸々楽しいとは思うが、室内でも思ったほど退屈ではない。深夜の屋外のように危険もないので、次からは音楽でも聴きながら走れるなと思った。製作中の楽曲だけ入れたプレイリストを流して、次の展開や修正点でも考えていれば、時間のロスにもならず一石二鳥だろう。▼浴場はさほど広くない。シャワーの待ち行列が出来るくらいだ。クールダウンの後はラウンジで本でも読んでみようか――いろいろ楽しみ方を考えている。

[1320] Apr 09, 2013

テレビをつけてソファに寝そべり、ごろごろと芋のように転がるだけの若者たち。その姿をカウチポテト族と揶揄された怠惰で贅沢な人びとは、マスメディアにとって理想の消費者像であった。そうして、テレビ全盛期の時代、たしかに理想は現実と「たまたま」一致していたのである。▼ワイアード誌の創立者のひとり、ケビン・ケリーは、かつてABCの役員にこう窘められたという。「消費者は受身に決ってるだろう。インターネットがあるからといって、消費者が積極的に何かをするようになるわけがないじゃないか!」この「常識」に則り、世界中の家庭に転がる芋をどうやって掻き集めてやろうかと策を巡らせつづけたメディアの凋落は語るまでもない。▼作者と読者の境界線は、いまや脆くあいまいである。大人はそれを社会学から学び、子どもは肌で感じている。だからだろうか。新しい常識を前にしても、作者という概念にこだわっているのはどうやら大人の方である。

[1319] Apr 08, 2013

読者の生き方が多様化し、人生について共有する前提が乏しくなったとき、短編小説は衰退した。同じ思想・態度・目的を抱く人でない限り、短編のような短い「切り抜き」では著者の主張が見えてこないからだ。▼それから幾十年。人生は「個」を単位とするほど多様化し尽くした。そうして、もはや人々は長編小説でさえよくわからなくなった。なんであれ「ひとつの作品」では人生についての洞察を得るのに不十分だ。次々と複数の作品を消費して、ようやく見えてくるものがある。消費のポートフォリオが、自分に何かを教えてくれる……。▼こうして消費が高速化すると、重厚長大な作品の価値が相対的に失われてくる。たくさん消費しなければならない現代人にとって、出来の良い大作は「凄いが通過しにくい何か」に過ぎない。では、今求められるハイクオリティな作品とはなんだろうか。少なくとも、よく売れるゲームの「クリアに必要な時間」は年々減少しているのだ。

[1318] Apr 07, 2013

「空求人」という言葉がある。カラキュウジン。企業の側に、ハナから採用する気がない求人のことだ。求人広告会社との付き合い上、人事課が上司の顔色を窺うため、あるいは有効求人倍率引き上げを目的に職安から依頼されて……など、空求人が出される理由はさまざまだが、正規の求人と見分ける方法がなく、時間とお金をかけて選考・面接を行うにも関わらず結果は確実に不採用という、求職者にとっては腹立たしい求人である。茶番という言葉がふさわしい。▼空求人を取り締まるのが難しいのは、「限りなく空に近い」正規の求人もありうるからだ。企業側の要望をすべて満たした超人のみ採用する求人は、ほとんど空求人と変わりないが、企業としては真面目にそういう人材が欲しいということもある。一方、落とされた方も不採用の理由が「空求人だから」と確信するための材料はない。求人を出すだけで誰かが得をする仕組みが潰えない限り、解決されない不毛だろう。

[1317] Apr 06, 2013

今のモニタースピーカーには、サブウーファーからオーディオケーブルを繋いでいる。そうしてサブウーファーには、低音周波数の入力が15分以上ない場合、自動的にスリープ状態になる機能がついている。この仕様上の組み合わせが予期せぬ事態を生んだ。時間が来るとスピーカーの電源も切れてしまう上、クロスオーバー周波数以下の信号がない限り復旧しないのだ。スピーカーを覚醒させるために、わざわざピアノの低音鍵盤を叩くことになる。▼これだけでも面倒な仕様だが、くわえてサブウーファーには電源をON/OFFするためのリモコンがない。音量と周波数設定を弄るリモコンはあるにも関わらず、である。つまり低音信号が送られ得る状態でスピーカーを無音にするためには、左右スピーカーの前面電源を両方切り、かつサブウーファーの音量をリモコンでゼロにしなければならないということだ。メーカー側で「理想的な組み合わせ」と標榜するには、随分甘い。

[1316] Apr 05, 2013

新人歓迎会、一次会と二次会ともに参加する。ビール片手にひとりで二人三人を相手にしていたので喋りすぎてすっかり喉が枯れた。▼和食の立ち食いという珍しい二次会では新人だけのかたまりをことさら選んで割り込んだ。気持ちはわかるがもったいない。酔いに任せて楽しそうなところへ絡みに行く飲兵衛には違いないが、話しかける勇気がないならこちらからという老婆心でもある。話しながら歩きまわる渡り鳥。もっとも、綺麗な六角形で完璧に固めた女子会六人を崩すときだけ多少は気後れした。あれを解散させたのは本日の金星かもしれない。▼今年の新人は、と偉そうなことをひとこと述べられるほどの材料はないが、元気がいい、社交的などなど世辞めいた若者評はさておき、総じて現状に何かしら「思うところ」のある子が多い印象だ。なんでそうしてるんですか、こうしてみたらどうですか。新人たちの素朴で鋭利なつっこみが咲き乱れる新年度であることを祈る。

[1315] Apr 04, 2013

さまざまな指標の県別ランキングをまとめたサイトで、神奈川県のベスト/ワースト項目を見る。▼インターネット利用率、スマートフォン普及率、家庭内無線LAN普及率などが軒並み一位とデジタルには強い反面、人口10万人当たりの書店数、図書館数は最下位でアナログには弱い。この好対照は不気味なくらいだ。教育事情に目を向けると、小中学生の通塾率一位に対し不登校生徒数も総数・人口比ともに一位で、危うげな面が感じられる。そもそも人口あたりの小学校数、中学校数、高校数が全て最下位で、これはじつに不名誉な三冠。不名誉ついでに人口あたり病院数も最下位だ。それだけ人口が多いとも解釈できるが、東京都や大阪府が居る以上、堂々と申し開きはできまい。▼食べ物ではジャムとしゅうまいの消費量が全国一位。後者は崎陽軒の賜物だろう。他で気になるのは睡眠時間。451分で最下位である。デジタルの順位と関連付けると腑には落ちるが悩ましい。

[1314] Apr 03, 2013

鈴木賢志『日本経済の鉱脈を読み解く経済指標100のルール』を読む。企業活動、研究開発、雇用、消費、資源、政府の6大項目を、さらに詳細な30のテーマで語る日本経済の「やさしい教科書」。よくこんなふうに言われているけど、データ(指標)を読み解くとこうなっている、つまりこれはこう解釈するべきではないか、とあいまいな物の見方や雰囲気だけの解釈を打ち砕き、日本経済の現状について読者をより正しい理解に導くのが本書の役目である。引き合いに出される100の指標そのものは重要ではない。▼各方面の専門家なら分析は「甘い」と言いそうだが、日本の農業はおしまいだとか、ものづくりには未来がないとか、うわさの上に塗り固められた素人の思い込みを正すには十分だと思う。新卒雇用の意味や農業自給率の定義など、私もいくつか本書読んで誤解を解いた。内容はまさしく基礎の基礎。なんとなくでしか指標を読めない安直な頭をほぐしてくれる。

[1313] Apr 02, 2013

主人公や彼に関わる人物たち、あるいは敵対者など、物語の登場人物にとっては重要極まりないキーアイテムだが、作品の構成上は他のものに置き換え可能であり「それがそれであること」に特別な意味のない要素を「マクガフィン」と言う。サスペンス映画で有名なアルフレッド・ヒッチコックが、自身の映画作品を説明する際によく用いている。▼彼が言うように、泥棒が盗み出すものはネックレスでなくてもいいし、スパイが狙うものは機密文書でなくてもよい。そうしたものはマクガフィンであり、いくらでも置換の効くものだから、細部の描写にこだわるべきではない、というのである。▼マクガフィンの考え方は「細部にこだわるべきか否か」というありがちな議論にケリをつけるとき効果的だ。細部と一括りにするのではなく、それが作品の構成上置換できるものかどうかを把握してから作りこみの度合いを決めるのが正しい態度だろう。小説・楽曲にも同じことが言える。

[1312] Apr 01, 2013

出社。表玄関の方に足を運ぶと、新入社員たちがロビーで記念撮影をしていた。わいわいがやがや、中身の聞き取れない喧騒が洩れてくる。リクルートスーツに身を包んだ姿はさすがに皆若い。このうち何人かは自分の部署に配属されて、そのまた何人かはチームメイトにもなるだろうと思うと、素直にわくわくする。▼しかし、私には信じられないことだが、先輩の中には新入社員を快く思わない人もいるようだ。役にも立たないのに手間ばかりかかる奴を、ただでさえ予算も時間もないチームに入れるのは嫌だと言うのである。これには全く同意できない。自分だっていつかはそんな新入社員で、先輩たちの世話になりながら一人前になったのではと、あまりにも月並みなことを言いたくなる気持ちを抑えて相槌を打つ。▼なにより私は単純に新しい人とチームを組めるのがうれしい。教えたり教えられたりである。ときに手を焼きながら仕事をしたら、また違う景色が見えるだろう。

[1311] Mar 31, 2013

東京メトロの各路線で、一日あたりの輸送人数が最も多いのは東西線、対して最も少ないのは南北線である。もちろん東西線が30.8kmに対し南北線が21.3kmという路線距離の違いも考慮するべきだが、輸送密度まで踏まえても南北線の利用者は他のメトロに比べて多くない。地図上を左右に動く人が多く、上下に動く人が少ないと見ると、なにやら示唆深いデータに思えてくる。▼東京メトロのホームページで「企業情報」へ行くと、運輸事業の紹介から「駅別乗降人員順位表」へ飛べる。2011年度から更新されていないので最新の情報ではないが、現在も大勢に影響はなかろうと思うほど池袋が圧倒的だ。大手町、渋谷、新宿を抑えて断トツの一位である。丸ノ内線、有楽町線、副都心線という有力株三線が停車している強みはあるが、JRに強力なライバルがいることを考えると立派な数字ではないだろうか。二位の北千住は意外だが、ここは逆に取り合う相手がいないのだろう。

[1310] Mar 30, 2013

池袋から西武池袋線で富士見台へ。遠路はるばる二時間かけて、秘境の焼肉屋「牛蔵」へ行く。価格は超高級店ほど高くないのに、味の方は絶品で、電話予約は何週間も先まで満席、当日予約も二階の店舗から階段を伝い外まで行列が出来るという。私と同じように首都圏の人々がこの店のためだけに馳せ参じるのだ。もっとも私はこのたび予約済みのところへ誘われた身である。深く感謝していただく。▼紙面の都合、詳細なグルメリポートはしないが、叙々苑の半分以下の値段でほとんど同程度の肉が食えると思って良い。肉そのものも安くて旨いのに、ドリンク類はすべて百円という優しさで、小食・中食の三人とはいえ腹を満たして万札にも届かなかった。交通費を差し引いても満足である。▼人気の肉は事前予約でも売り切れるほどだが、今日は運良くざぶとん、カイノミ、リブロースをいただいた。肉の味がしてかつとろけるように旨いリブロースが全会一致の一番星である。

[1309] Mar 29, 2013

"staggered work hours"という英語は「時差出勤」を意味する。時差出勤とは、会社の定める範囲内で働く人自身が出勤時間を決められる制度のこと。フレックスタイム制や裁量労働制に似ているが、時差出勤では一日の労働時間を短縮・延長することは出来ない。文字通り出勤時刻に「時差」をつけられる制度である。▼「よろめく」「よろめかせる」を意味する"stagger"は、"stagger the imagination"で「想像力を刺激する」という意味合いも持つ。受け身で使えば「動揺した」にもなるだろう。意味範囲の広い語だが、なにものかの安定を奪う(あるいは奪われる)という本質は変わらない。奪う相手が誰か次第で訳語が変わるだけだ。▼そう考えると、想像力が安定を奪われて「刺激される」というのは、なんとなく面白い感覚である。ちくちくと鋭いもので刺されるより、ぐらぐらと根底から揺らされたほうが覚醒するのかもしれぬ。芸術は、安全な地べたからは生まれない。

[1308] Mar 28, 2013

夜の帰り道、いつもの遊歩道に満開の桜が白く輝いていた。花のひとつひとつが咲きながら輝いているというような、その世にも美しい光景を作り出していたのは、桜の中に埋め込まれた真新しい街灯である。▼もちろん事の順序は逆で、街灯のあるところへ桜が枝を伸ばしてガラスの球ごと包み込んだのだろうが、それにしても洒落た意匠だと足を止めて感心した。左右に視線を走らせると、薄暗がりに色を失った桜並木が街灯へ近づくにつれて桜色を取りもどし、やがて眩しいほど白くなる。その人工の光が自然の色と溶け合う滑らかなグラデーションが、空想で描かれた絵のように非現実的で美しいのである。▼しばらく立ち尽くして印象を心に留めていた。本当の桜の鑑賞とはそういうものではないよと誰かの声が聞こえる気がした。本当の鑑賞とはなんだろう。どうして放っておいてくれないのだろう。歌の練習をしないのなら、歌うべきではないといきり立つ人々の声である。

[1307] Mar 27, 2013

自衛官や救助隊員など、支援活動のために災害や事故の現場に赴く人が、被害地の凄惨な光景を目の当たりにして受ける精神的なショックを「惨事ストレス」と言う。「不眠、強い無力感や自責の念に駆られたりするほか、過度な興奮やフラッシュバック現象、感情の麻痺などのPTSD症状となって現れる場合もある。」▼ジャーナリストの世界でも、惨事ストレスは慢性的な職業問題である。東日本大震災のとき、取材・報道のため地震後即座に現地へ駆けつけた記者の多くが、津波に飲まれていく人々を眼前にしながら助けることも出来ず立ち尽くすしかない状況に圧倒された。その記憶のために一線を退いた例も少なくないという。▼実際には安全であるはずの「救助する者」や「見る者」が、被害者と同じか、ときにそれ以上の心理的な衝撃を受けてしまう。人間の共感の凄まじさを思い知るが、現実には悲惨な現場を訪れ、助け、伝える人が必ず必要な点、深刻な課題である。

[1306] Mar 26, 2013

スウェーデンでは大学の学費が無料である。のみならず、単位さえきちんと取得していれば生活費が貸与されたり補助金が支給されたりすることもあるという。日本では考えられない至れり尽くせりだ。▼しかしそれなら誰でも喜んで大学へ行くかというと、そういうわけでもない。どうせタダだからという悪い心理も働くし、そもそも大学を出てもさほど給与が上がるわけでもなし、単位も厳しいので……と、途中で辞めてしまう人が多いのだそうだ。スウェーデンの学歴事情は「新卒が命」の日本とは毛色が異なる。大学や大学院に対して抱く意識も違うのだろう。▼無償で高等教育が受けられるかわりに、大学を出た高給取りには高い税金を課す。こうした制度の下では、ほんとうに好きで勉強したい人だけが時間を消費して大学へ通うことになる。なるほど合理的だが、大学を「勉強するところ」と見なしていない学生が大半を占める日本には、少々不釣り合いな話かもしれない。

[1305] Mar 25, 2013

西川善司『ゲーム制作者になるための3Dグラフィックス技術』を読む。グラフィックスのテクニカルライターといえばやはりこの人。こなれた解説はわかりやすいことこの上ないし、難しい数学的な手法には惜しみなく図や絵を注ぎ込んで数学嫌いを困らせない。よく出来た授業のスライドまとめのようである。▼この二月に増補改訂版が出た。ここ数年の各社タイトルの実績や、最新エンジンの技術にも触れている。とくにDirectX11/GPGPUでいよいよ注目の高まるテッセレーションについて、新たに章を割いている点は大幅な加筆修正だ。選ぶならこちらが良い。▼最近のタイトルほど複雑で「頭の良い」手法を用いているのは当然だが、それにしても『ソニックワールドアドベンチャー』は当時、他に比べて斬新・高水準で、今更ながら非常に挑戦的なタイトルだったのだなと痛感する。動的オブジェクトのリアルタイム影描画のアイデアなど、シンプルながらじつに素晴らしい。

[1304] Mar 24, 2013

代々木公園で桜を見る。週明けから日曜日は雨の予報で延期も懸念されたが、当日はさいわい曇りながらもぎりぎり晴れて、若干の肌寒さは忍びつつ良い花見日和となった。陣を構えたのは人気の場所から距離を置いてやや疎に植えられた所、噴水の側で見晴らしがよく枝のない真上の空からは弱めの陽光が直に差し込んで暖かい絶好の位置取りである。酒とつまみが瞬く間に消えて、カードゲームに興じる三組が出来た。▼桜ひとつも見応えはあるが、その桜をかこんで奥に深緑のある方が、眺めとしては優れていると感じた。色の対照が鮮やかに浮かび上がるし、なんといっても桜の存在が手前に押し出されて来る。映像に立体感が出るのだ。これは私の眼が極端に悪いせいもあるかもしれないが、桜のように細かい花びらの群れだけを長いあいだ見つめていると、どうも平坦な絵のように見えてきて味気ない。他の花見客もまた、点々と奥行きを与えてくれるありたがい存在なのだ。

[1303] Mar 23, 2013

今日、ヨドバシカメラで片端から各社のタブレットを触り尽くしていたら、これまで欲しい欲しいと思いつつ買いそびれて来た理由にわれながら合点が行った。iPadMiniで朝日新聞のデジタル版を観覧していたときのことだ。なるほど、これは受信専用の端末なんだなと思った。▼ページの拡縮や移動、情報の保存と管理。タッチパネルの機能はほとんどが閲覧に特化している。タブレットの利用者を思い浮かべてみよう。それは明らかに「読んでいる人」ではないだろうか。喫茶店で紅茶片手に記事のひとつも書き出しそうなノートパソコンの持つ印象とはだいぶ違う。タブレットで何かを発信するのは難しい。▼メールを見る。ニュースを読む。写真を眺める。音楽を聴く。ゲームで遊ぶ。まさしく消費専用の端末である。いつでもどこでも、検索と表示のストレスなく、より好みに叶うものを受信するために進化してきたツールだ。消費が充分間に合っている私にはあまり必要ない。

[1302] Mar 22, 2013

海外の第一線FPSを見るたびに、ふたつ思うことがある。ひとつは画像の美しさ。かき分けていく草木の枝葉、岩肌に滴る雨水のディティール、現実かと見まごうほどの照り返しと映り込み、どれも数年前とは比べ物にならないほどよく出来ている。選りすぐりの静止画などほとんど写真のようだ。映画を目指すゲーム。フォトリアルの追求はとどまるところを知らない。▼二つ目は、生物の動きのチープさである。人間らしくない人間に、動物らしくない動物。どれだけ映像が現実を模していても、悲しいかな、ゲームの中に知的な生命を見ることはまだない。否、映像が迫真である分だけ、かえって不自然さを覚えるのだ。主人公に銃口を向けられても眉ひとつ動かさない敵兵士は、いよいよ生理的に気持ちの悪い描画物となりつつある。▼眼は満足した。だが脳が満足しない。これからのゲーム制作が追い求めるのは、そんな類の欲求の充足であろう。精巧な人形に命を宿すのだ。

[1301] Mar 21, 2013

方程式が直線や曲線を表すという数学の科目を習うとき、こんなことになんの意味があるのかと思ったり、口に出して訊いたりする生徒は多い。たしかに、方程式は数学の基礎である。方程式がわからなければ後の高等数学は扱えない。しかしこと方程式と曲線そのものについて――つまり「y=3x^2」がひとつの下に凸な放物線に対応しているということについて、その重要な意義を説明できるだろうか。「これはすごいことなんだよ、なぜならね……」▼答えはいくつもあるだろう。とりわけ私の挙げたい大きな意義のひとつは「情報の圧縮」である。下に凸な放物線という無数の点情報が、3と2と二次方程式の僅か3つの情報からいつでも復元できるという事実。これこそ方程式の恐るべき性質だ。この解釈の下では、数式は言わば情報の多すぎる現実をあいまいに理解するためのデコーダーとして働く。式を自在に繰れば繰るほど、世界はより小さな情報へと整理されるのである。

[1300] Mar 20, 2013

愛用のヘッドフォンがどうにもへたれてきたので、三年目にしてイヤーパッドの交換パーツを購入した。薄いスポンジ一枚と楕円形の耳あてパッドが一組で六千円は足元を見過ぎている気もするが、本体ごと買い換えるよりは安いので仕方がない。自分で換装できる仕組みなだけありがたいというものだ。▼ヘッドフォンは音を出す機械だが、身体に触れるのは耳あてというスポンジのみなので、ここが新しくなると使用感はほとんど新品同様になる。音の劣化など仮に多少あってもわかりはしない。プロの音響家にも、ヘッドフォンは音質より性能より、かけたときの心地よさを第一に考えるという人も多いそうだ。仕事で終日使うなら、長時間の装着に耐えない品はいくら高性能でも意味がない。▼聴覚は心理的な影響もかなり大きくうける。自分の環境をどこまで調整するかは趣味次第だが、イベントのデモなどで設置するヘッドフォンの耳あてには、気をつけたほうがいいだろう。

[1299] Mar 19, 2013

雇用の継続が保証されない不安定な企業では、若手はいつも将来を不安に思いながら覚束ない日々を過ごしている。年功で給料が上がる見込みもない。いつクビになるかもわからない。そもそも会社がいつまであるか……。実力主義という名の体のいい賃金頭打ちに苛まれている人も少なくないだろう。▼しかし終身雇用が当たり前の社風にも、それはそれで別の問題がある。黙っていても勝手に昇給するので、努力する意欲が沸いて来ない。年だけ重ねた技術もやる気もない上司に指導される。ひょっとして、飼い殺しにされているのでは――これもまた形の違う将来の不安であろう。▼無変化が人を不安にさせる。置かれた状況が不安定か安定かはあまり関係がない。安定を求めてみたり、冒険を求めてみたり、たいした意志も野望もなく不安に駆られて右往左往する人は、いつまでも腰を落ち着けることができない。目的なき旅人は永久に旅人である。あるいは、転職病と呼ばれる。

[1298] Mar 18, 2013

どんなに長い綴りでも、いちど辞書を引いたきり忘れない単語もあるし、綴りは短くて単純なのに、繰り返し引いても覚えれられない単語もある。「琴線に触れる」の逆版とも言うべき、脳のいかなる糸にもかからない言葉というものがあるのだろう。私にもいくつかある。代表的なのは、まさに昨日、忘れてふたたび辞書を引いた「茄子」である。▼いつも「何か茄子らしくない……」と思い出そうとして思い出せないが、Eggplantと聞くとすぐにピンと来る。過去にピンと来た幾回の記憶と同時に、Eggplantというスペルの割り切れない不思議な感触がよみがえる。▼また忘れるだろうなという予感がしたので、いっそ記事にした。こういう厄介な奴は語源も覚えておくと良い。日本人には茄子というと紫がなじみ深いが、Eggplantはもともと白茄子を指した言葉で、形と色が鵞の卵に似ていたことから「卵植物」と名付けられたのだそうだ。さあ、これでもう忘れることはあるまい。

[1297] Mar 17, 2013

今日、久しぶりに「もののけ姫」が見たくなった。急な気分だが、いちど見たくなるとなかなか見るまで収まらない。さいわい休みで時間はあるから、DVDでも借りて見ようと決心したところで、ふいに最寄りのツタヤが閉店したことを思い出したのである。今はもぬけの殻だ。▼歩いて一分の地点にある便利なツタヤだったが、滅多に映画を見ないので利用したことがほとんどない。あるときは要らず、なくなると入り用になるという、世の常の典型を地で行く出来事に苦笑した。▼もののけ姫はこれまでに三回か四回見たが、繰り返し見たのは子どもの頃で、成人してからは一度も見ていない。見ていないのに頭ばかり小賢しくなって、構成の批評やら物語の解釈やら表現の分析やらは出来るようになってしまったから、はたして素直に集中できるかわからなが、そこは作品の魔力で有無なく感動させてもらえることを祈っている。いや、それが出来るからこその「名作」であろう。

[1296] Mar 16, 2013

人混みの横浜を歩きながら、ふとこんなことを考えた。ゲームグラフィックスの進化は本物に近づくための擬似手法開発の歴史である。動的に落ちる影、人の肌や瞳、互いに反射し合う環境光――あるときは数学を引き出して近似し、あるときは心理学を駆使して誤魔化し、有限なメモリと処理速度の中でなんとかリアルを再現しようとしてきた。▼ところがゲームのサウンドは早々に本物であることを捨てている。現実世界は騒音に満ちているが、ゲームでは人混みを歩いても歓声と会話のブレンドが聞こえてくるわけではない。現実より遥かに静かである。▼なぜだろうか。いろいろ考えられる。たとえば画面と違い音響設備は人によって違いすぎるため、実装側でいくら努力しても割りにあわないこと。あるいは描画物が増えると情報も増える映像と違い、音は発音源が増えるとある点から急激に情報量がロストすること――こういうところで耳と眼の違いを考えてみるのも面白い。

[1295] Mar 15, 2013

人間の眼は、中心よりも周辺視野でより強く危険を感知することが研究で明らかになっている。恐怖を喚起する映像や物体は、真正面に見据えるよりも視界の端に紛れ込んだ場合の方が、我々の身体を素早く緊張させるようだ。遠方に獰猛な動物を察知するための野生の名残かもしれない。ただし注意力が中心に集中している場合は別である。描画位置は周辺でもいいが、意識は視界内に分散している必要があるということだ。▼スマートフォンが流行り出してからというもの、人混みが歩きづらくなったのは、案外そのせいかもしれない。いわゆる「ガラケー」は機能とボタンの物理的な配置が固定化していたので、画面にあまり注意しなくても必要な作業を果たすことが出来たが、タッチ操作のスマホでは動作のトリガーがアプリケーション依存なので、どうしても画面そのものに視線を向けざるを得ない。これが周辺視野の鈍化を招き、人との衝突を生んでいる――という説である。

[1294] Mar 14, 2013

クリエイティブ・クラウドへの登録を本格的に検討している。フォトショップのみの単体サブスクリプションで、月額2200円。月ごとに停止可能なアカウントなら月額3300円である。イラストレーターを捨てることになるのは不安だが、さすがに全製品版は必要ない。使う時期も限られるので月ごと停止の形態でも良いと思っている。固定費は出来るだけ切り詰めたい。▼このサービスが魅力的なのは、購読しているといつでも製品の最新バージョンが利用できることだ。毎年のように更新されるバージョンのアップグレードを買いつづけるとしたら、固定購読料でもたいして出費は変わらない。月ごと停止なら運用次第でコストダウンにもなる。ユーザーのスタイルに合わせてさまざまな無駄を削減してくれる画期的な仕組みと言っていいだろう。▼尚、全製品利用可能版は、年登録で月額5000円、月ごと停止の場合は8000円である。かなりのコアクリエイター向けだ。

[1293] Mar 13, 2013

複数の異なる本で指摘されていたことだが、バンドメンバーから作曲者やアレンジャーになる場合、ベースの出身が多いという。低音のラインをつくるためには他のパートがどういう音を弾いていて、それが曲の流れの中でどういう意味を持っているかを理解している必要があるので、視野が「音楽全体」に広がりやすいからだそうだ。対位法的な知識もしぜんと身につくのだろう。▼逆に言えば、ルート音を連打するだけの単純なラインならともかく、客を痺れされるようなベース・ラインを考えるためには、かなり広汎な研究が求められるということだ。音域の近いドラムとの兼ね合いも意識しなければならない。メロディともリズムとも絡んでくる、実にテクニカルなパートである。▼音づくりで低音に頼りきるのは悔しいものだが、心が物理的に震えるからだろうか、低音の焚き付けられた曲は問答無用で熱い。まっすぐ心臓に突き刺さるクールなベースは、音楽そのものである。

[1292] Mar 12, 2013

青島広志『究極の楽典』を読んで、楽譜のいろはを学ぶ。内容も素晴らしいが、これほど自信に満ちた「まえがき」もなかなか見ない。「この書物は、現在考えられる同種の出版物の中で、最も知識量が多く、正確な情報を記載することに務めました」――「既刊の楽典関連の書籍もすべて研究した上での仕事でしたから、「究極の」と冠することを自他共に認めたと申しましょう。」▼同種の刊行物を知らないので比較はできないが、内容の充実度と読みやすさを考えると、この自負もあながち自惚れとは言えまい。第6課「和音について」だけはさすがに平易とは行かないが、これは素材上仕方のないことだろう。門外漢への配慮もあるので、少なくとも進めていて苦にはならない。▼良書である。あとがきで蘇る自信も嫌味にならない。「筆者はこれまでに、多くの売れなかったであろう楽譜を出していただいた恩返しに、最高の名著であるこの『究極の楽典』を世に問うのです。」

[1291] Mar 11, 2013

今日、うとうとしながらとある曲を聴いていると、別の箇所で二度、これは不味いなと思うつくりに出くわした。取り立てて言うのは、それぞれ何が不味いのか珍しく聴いた時点で把握できたからだ。どちらもキックに関する問題である。▼ひとつは唐突に現れ二度と聴くことのなかったキックのリバース。もうひとつは何度も執拗に繰り返されるキックのフィル。どちらもそれ自体は優れたアクセントだが、明らかに曲の中では良い効果を発揮していない。抱く感想は「今のなに?」と「もうわかったよ」である。▼アクセントは洒落のようなものだ。唐突に発してそれきりで意味が伝わらないくらいなら言わない方がいいし、何度も補足解説されるとうんざりする。この塩梅が洒落の妙である。聴衆の呼吸を読んで、ちょうど良い「間」を狙うこと。そのためには自分の発するフレーズのひとつひとつが場の空気にどんな効果を及ぼしているか、細大漏らさず把握している必要がある。

[1290] Mar 10, 2013

学生時代の師について、あなたは何を覚えているだろうか。勉強の方法論だろうか、試験の難しさだろうか、あるいは授業中に披露した人生に対する哲学だろうか。▼私がいちばん覚えているのは、彼らの独特な口調である。立ち振る舞いである。――同意してくれる人は多いのではないだろうか。好きだった先生の口癖、しゃべり方、語尾の上げ方、よく使うフレーズ、たとえ話……そういう記憶がまず先に来て、次にその所作で語られた「重要な言葉たち」が思い出されるのである。▼模倣の教育性はここにある。人は、誰か他人の言動を真似た記憶をそう簡単には忘れないものだ。だから学習要領の良い人は、ある人から何かを学ぼうとするとき、その人の顕著な特徴に注目して真似ることから始める。尊敬すること、共感を形成することが、学習の効率を著しく高めることを理解しているからである。口癖のひとつも身についた頃には、彼の語る真実が脳裏に染み付いているのだ。

[1289] Mar 09, 2013

三月から動けることを方々に伝えていたので、さて三月になると想像以上に休日を確保され、そこそこの過密スケジュールになってしまった。このままでは四月まで予約されそうな勢いである。休日出勤より人と会う方が何倍も楽しいには違いないが、人と会うと言えば聞こえはいいものの、内実は飲んだり食べたりして遊ぶわけで、羽目を外しすぎると健康も何も損ないかねない。休みが取れるようになったら……と後回しにしてきた諸々のプライベートも片付かなくなる。いいところで自重は必要だ。▼誰かと話す時間が少しずつ回復する一方、年々、知らない人に会う機会が減り気味なことを懸念している。繰り返し会う「知る人」が増えるので自然な成り行きだが、考えなしの継続は開拓を拒む惰性でもある。億劫なわけでも人見知りなわけでもないので積極的に出て行きたいところだが、あいにく今のところは攻める城がないので立ち往生。地域の近い人を探すのが案外難しい。

[1288] Mar 08, 2013

天声人語の栗田氏は言う。「文をつづって興に乗ると、しゃれた表現を試みたくなる。野心的なのは大いに結構だが、しゃれた表現=不正確な表現になってはいけない。」▼氏の本でこんなエピソードが紹介されている。井伏鱒二が文化勲章を受けたときのこと、自宅を訪ねた記者が「ご感想は」と聞くと、彼は「晴れがましい気持ちです」と応じたが、すぐに「いや、ちょっと待って」とメモを取る記者を制して広辞苑を引いた。そうして「晴れがましい」の項目に見入り、「うーん、違うな。僕のは晴れがましいというよりも、もうちょっと照れくさいという感じなんですね。」と言った。▼大作家でも疑問があればすかさず辞書を引く。いや、そういう習慣の身についた人物だからこそ大作家である。なんとも教訓に富んだ話だ。尚、この節を踏まえて広辞苑の次版には、井伏の表現しようとした「照れくさい。きまりがわるい」の意味合いが追加されたそうだ。大作家、恐るべし。

[1287] Mar 07, 2013

『ピアニストのためのジャズ・コードBOOK』からいくつか、和音の響きにつけられた形容詞を抜粋してみる。「おしゃれな」「哀愁のある」「都会的な」「さわやかな」「刺激的な」「スピリチュアルな」「光を放つ」「ジャジーな」「重厚な」「悲しい」「浮遊感のある」「和風な」「ミステリアスな」「やりきれない」「こわれそうな」「繊細な」「のんびりとした」「エレガントな」「憂いを伴う」「落ち着きを感じる」……。▼コードの紹介では、一項目につき、これらの形容詞が複合的に充てられている。たとえばCm△7(9)なら「暗く不協和なエレガントにさらなる輝きを持つコード」という具合だ。私はこの手の言葉表現、人が使うのを見て常々わからないと頭を抱えていたので、ひとつひとつに言語表現が割り当てられているのはありがたい。自分から使うことはなくても、定量的な表現と定性的な表現の橋渡しが出来れば、それだけ人の言葉は汲みやすくなるものだ。

[1286] Mar 06, 2013

「問いかけをして初めてイメージが湧いてきます。演奏というのは決して何もないところから生まれるものではないのですね。神童と呼ばれる人はそのような回り道を必要としないとよく聞きますが、それは決して神童だった人の口からではなく、神童になりたくてもなれなかった人の口から聞くものですから、真実かどうかはわかりませんよ。」ゲルハルト・マンテルの指摘はあくまで楽器演奏に関するものだが、文中の「演奏」の部分は他のあらゆる技術・技能に置き換えても良いだろう。▼天才は泥臭い「問いかけ」などすることなく一足飛びに本質を直観する、と凡夫は信じたがる。自分が適切な方法を実行していないことを認めるくらいなら、才能の有無に帰着させたいと考える傾向。ありがちだが不思議なことだと思う。持って生まれたものには取りかえがきかないが、問いかける姿や方法なら、今日からでも真似できるのだ。非凡な人たちが発する問いに耳を傾けてみよう。

[1285] Mar 05, 2013

職業柄、さらに趣味柄、面白いとは何かということを昼夜考えている。面白いとは――しかし、ここで述語に哲学的な言葉を並べ立てても無駄だろう。宇宙を意志と呼ぼうが神と呼ぼうが宇宙のことがひとつもわからないのと同じように、測定できない概念を言い換えてみたところで得られるものは何もない。「面白いとは、面白いことである。」右辺を翻訳しつくせば、どのみちここにたどりつく。▼面白さの正体に近づくためには、概念自体をこねくりまわすのではなく、手もとの作品という具体物がより面白くなる方法を考えるしかない。案外、人はその思考実験のためだけに物をつくるのかもしれぬ。あと一人、多くの人を喜ばせるにはどうすればいいか。あと一息、その人の笑い声を大きくするために何が出来るか。作品は、こうした「現実的な手立て」を考えるための材料になる。いわば面白さという得体の知れない概念に至る中間式として、形を与えられた外部記憶なのだ。

[1284] Mar 04, 2013

期待・予想・裏切りは展開を形づくる重要な要素である。しかし「予想は裏切り期待には応えよ」と口先では唱えていても、何をどうしたものやら、実際に作品へ反映するのは難しい。そこで前述の名言とともに「2.5」という数字を覚えておこう。期待・予想・裏切りの構造を瞬時に生み出す魔法のレシピである。▼人は欲張りなもので、素敵なフレーズは素直にもういちど聴きたい/見たいと思う。純粋な反復への期待である。この期待に応えるのは至極簡単、形を変えてフレーズを繰り返せばいい。さて、繰り返すと今度は予想が成立する。もういちど来るだろう――ここで、その予想を裏切る。繰り返したように見せかけて違うことをするのだ。「2.5回繰り返す」のである。この単純な行為には期待・予想・裏切りの全てが内包されている。反復する内容さえ期待に値するものなら、それだけで展開が成立するのだ。有名なトルコ行進曲のメロディなど思い起こしてみよう。

[1283] Mar 03, 2013

アーメン。賛美歌の最後に唱えられる定型句は、アー(F)→メン(C)という進行で出来ている。ダンス系の音楽には欠かせないサブドミナントの音は、ここに由来するのではないか。堀越昭宏氏はこれを「IVへの偏愛」と呼んでいる。ゴスペルで終止の前に繰り返される執拗なIV。「そしてこのIV-I進行はブラック・ミュージックの基本の一つとなり、ソウル、ファンク、ディスコを通じてハウスやヒップホップなどの打ち込みクラブ・ミュージックに伝わったはずなのだ。」▼私はこの説、かなり確からしいと思っている。これはオシャレだと思うクラブ系の進行には、IV-I/I-IVの基本型を小節に細分し個々のコードを四和音や7sus4(9)などで洗練したタイプのものが多い。II-V-Iよりは圧倒的にIV-Iのイメージなのだ。ドミナント進行より終止感が薄い分、いつまでも踊りつづけられる継続感も相性が良いのだろう。何より、偏愛の精神性を持つ芸術は例外なく美しいものである。

[1282] Mar 02, 2013

起床。頭の痛い数人を引き連れ宿を出て、歩いて箱根湯本へ。まっすぐ帰る人は帰り、観光組は観光組で集まった。ゆっくり見てまわる時間もないので、定番だけ巡ろうということで、箱根登山鉄道で強羅・早雲山へ。さらにロープウェイで大涌谷まで足を伸ばす。立ち上る煙。強烈な腐乱臭。「ここから先、気管支の弱い方はご遠慮ください」の立て看板に怯んだが、距離が短いので強行した。▼登れば登るほど硫黄臭がひどい。道中、二回も犬連れとすれ違ったのには驚いた。犬の嗅覚でこの地帯は酷ではないかと思うのだが、明らかに嫌がるプードルを見てその思いを深める反面、コーギーの方は平気そうな顔をしていたので、まったく不思議である。犬にも個人差があるのだろうか。▼硫化鉄で黒々とした卵を食べて、下山。移動して小田原城へ。工事中の城址を抜けて天守閣に入ると、中はすっかり博物館である。赤レンガ倉庫の内部を覗いたときと同じ種類の寂しさを感じた。

[1281] Mar 01, 2013

ありとあらゆる酒を浴びるように飲みつづけて前後不覚が若干名。家の風呂より四度くらいは熱そうな温泉で血行を良くしたところで、ひかえめに飲んだつもりの私も正気があやしくなってきた。この記事を書いている理性がぎりぎりである。それとてパソコンもなくスマートフォンのミクロな画面でロクに推敲もできないまま左から右へ。禁則の位置さえわからない。明日の細部手直しは必須だろう。▼ビールは安物に違いないが、サトウキビの焼酎は適度に甘くて旨かった。ロックと水割り、どちらも試したが、せっかくの甘味を活かすならロックが良い。格安の旅行なのでもともと料理に期待は抱いていなかったが、それを差し引いても鍋に鳥のからあげが浸されていたのには閉口した。そういう料理もたしかにあるが、ご当地グルメほど作り込まれていないので、単なる「濡れたからあげ」である。他の品も予想通りで、良い意味でのサプライズはなし。明日の観光に期待したい。

[1280] Feb 28, 2013

明日からチームでプロジェクト終了記念の箱根旅行へ行く。――私も当初はそう思っていたのだが、いざ蓋を開けてみると旅行とは名ばかりの「場所を変えた宴会」である。出社して通常通り仕事し、夕方からサロンバスで二時間移動、ほろ酔い気分で着いた頃には間髪入れずに飲み会の予定。温泉。夜にかけてまた酒が入るだろう。どれだけ酒を回す気なのかと訝しむ飲兵衛たちの計画帳だ。参加を決めたときに想像していたような「おつかれさま会」のイメージは欠片もないらしい。▼そうして、夜が明けて朝の十時には現地解散という清々しさ。観光をしたい人はどうぞご自由にしてからお帰りください、という放任のスタンスである。この点、見たくもないスポットを連れまわされるより気楽で良いのだが、物見もなく電車で直帰したとしたら、間違いなく旅行とは呼べない代物になる。荷物も下着の替え以外、ふだんの出社と何も変わりない。悲しい哉。実に高い酒盛りである。

[1279] Feb 27, 2013

私が古い人間だからか、皆そうなのかわからないが、紙と鉛筆をないがしろにしているといつの間にか勉強時間が減る。手を動かさない学習の効率がどうという話ではなく、物理的な絶対量として勉強に充てる時間が減るのだ。手を動かしていないときは、別のことが出来るからだろう。ノートに文字を書いていれば、勉強以外のことは出来ない。▼プログラマブルシェーダの勉強を本格的に始めた。ここの知識なくしてスキルの飛躍は望めないと断じたのである。来年の割り当てについても、シェーダ関連を希望と強くアピールしてきた。きつい仕事になるだろうが、叶えばいいと思う。▼仕事絡みではランタイムライブラリなどローな部分の学習も並行するつもりだ。プライベートでは、ミキシング関連の理論的知識を詰め込んでみようと思う。数字がたくさん出てきて面白いのだ。近ごろ疎かな漢詩の写経も取りもどしたい――なんにせよ純粋な音楽に割ける時間は多くなさそうだ。

[1278] Feb 26, 2013

月の黒い影をうさぎとする日本の風習は、中国の伝承「白兎薬を擣く」に由来するが、伝承の本家中国では、兎の代わりに蟾蜍が棲んでいる。そうして臼の代わりには、高さ五百丈の巨大な桂樹が聳えているそうだ。どちらも仙薬、薬の代表格。月という再生のシンボルにふさわしい配役である。ローレルが中国で「月桂樹」と書かれる所以だ。和名ゲッケイジュは、この漢字をそのまま読んだのである。▼なにかと神秘的なイメージの強い月桂樹。その枝を編んでつくられる月桂冠は、古代ギリシャでは勝利と栄光の証であった。花言葉はそのまま「名誉」「勝利」である。戦地では薬となり、帰還後は褒章となる、なんともいいこと尽くしの植物だ。世界に散らばる数々の伝承・言葉を見ても、人は薬となる自然物に良い印象を与える傾向がある。医者もない時代、苦しみを癒してくれる存在にいつも深く感謝していた証拠だろう。しかし――花そのものの花言葉は「裏切り」である。

[1277] Feb 25, 2013

数行コードを書いてはビルドを叩く。何十件ものエラー。手当たり次第に書き直してリビルド。エラーは前より少ない。インテリセンスに頼りきり、該当箇所を赤線のないよう修正していく。ビルド。エラーひとつ。潰して、ビルド――成功。「やれやれ。しかしコンパイルは通ったんだ。何の問題もないだろう。」さて、このプログラマは大成するだろうか。信頼に値するだろうか。▼結果的に、納期を守り実装を提出したとしても、次の仕事を彼に託すのはかなり不安である。彼の「成功」には再現性が無いからだ。バグを正しく認識し、正しく修正する能力はプログラマの必須要件だが、それだけでは不足である。最初に書いたコードが正しい必要はないが、最初に書いたコードがそうである理由は説明出来なければならないのだ。失敗の修正が成長に繋がるわけではない。はじめに抱いていた意図が間違っていたことに気づいた場合のみ、人は失敗から学ぶことが出来るのである。

[1276] Feb 24, 2013

少し前のサウンド&レコーディング・マガジンで、音楽制作者のプライベート・ルーム公開大特集が組まれていた。国内外のビッグアーティストがいったいどんな環境で作品を創り出しているのか、同好の士諸君はミーハーとも野次馬心ともつかない逸る気持ちで読んだことだろう。私はどちらかというと後者である。▼思いのほか簡素な環境から、想像通りの機材マニアまで、やはり部屋の様子はさまざまだが、私が注目したのは彼らを取り囲んでいる物体の「向き」であった。どうやら皆、自分を中心にして放射状に物が広がっていく配置である。▼アマチュアの環境は机が主役なため、前面へ板状に敷かれていることが多い。しかし、効率と便利が求められる世界では、手の届く範囲にひとつでも多く機材やスイッチが必要なのだろう。環境はインテリアであることを捨てて円を描くのだ。そう考えれば部屋が「ごちゃごちゃしている」というのは、その究極の形なのかもしれない。

[1275] Feb 23, 2013

県民性マンガ『うちのトコでは』1〜3巻を読む。日本の各都道府県を擬人化し、それぞれの地域特有の文化や風習をネタにした四コママンガである。キャラクターの個性で魅せるほのぼのした作品だが、話のつくりや取材はしっかりしていて、各県のメジャーな文化を楽しく勉強できる。国勢調査やアンケートに基づく枠外のデータ・豆知識を見ながら進めるといっそう面白い。▼「県民性」は普通、「国民性」ほど意識されない概念だ。神奈川県民だからこんな性格、などと意識することは私もまずない。けれども、子どもの頃から当たり前に感じていた風習・言動が、作品中で立派に「ネタ」として成立しているのを目の当たりにすると、これは他県の人から見たらネタになるほど特殊なことだったのかと思いのほか驚くのである。逆に私が享受した他県のネタの中にも、彼らは全国共通と信じている件がたくさんあるのだろう。ステレオタイプで覗く県民性。値段以上に満足した。

[1274] Feb 22, 2013

キーボードやパッドのような機器からMIDI信号が入力され、オーディオドライバを経由して制作環境の音源処理やエフェクトを通過し、再びドライバを経由して再生機器から出力される。このリクエストから応答までの一連の処理にかかる所要時間を「レイテンシ」と言う。潜在、潜伏、ひいては隠れている待ち時間を指すようになった英単語、Latencyに由来する専門用語である。▼一般に、オーディオの世界では、レイテンシは短ければ短いほど良い。入力を演奏、出力を音とすれば、レイテンシ「ゼロ」でようやく現実の楽器演奏と同じ状態である。実際、その感度はかなりシビアで、いかなる楽器でも100ミリ秒以上の遅延は生理的に耐えがたい。ピアノなどの鍵盤系は20ミリ秒でも相当の違和感を覚える。8ミリ秒以下でようやく許容できるレベルだ。そうして、この数値はIFとCPUの性能に依存する。到達しえないゼロへ。オーディオ界に投資が尽きない所以である。

[1273] Feb 21, 2013

数日前、部屋の電灯を電球タイプからナチュラルタイプに変えたとき、かなり見た目が変化したと感じた。やんわりとした光を運ぶ電球タイプに比べ、ナチュラルは光線が鋭く強いので、良くも悪くも壁や床が細かく見えるし、色味の違いで家具や小物の印象もがらりと変わる。ワット数は同じでも、以前は読書に適さないほど暗かったのが、今は夜など目が痛くなるくらい明るい。白昼のような明るさである。▼クール、ナチュラル、電球。パルックプレミアの三種類。どれを選ぶかは個人の好みとセンスに拠るが、昼に近い色ほど前向きで活動的な精神を刺激し、夕方に近い色ほど心を落ち着かせ安定を与えるのは、誰であれ同じである。完全な暗闇よりも、夕方色の方が鎮静効果は強いようだ。現代の日本ではもはや失われた習慣だが、夕方とは即ち眠りへの準備であった古き時代の名残であろう。これも考慮に入れて、居間は白昼タイプ、寝室は電球タイプと使い分けるのが良い。

[1272] Feb 20, 2013

私は暗算が得意な方である。算盤の経験がなくても滅多なことでは電卓など使わない。インドの天才のようにすらすらと三桁の掛け算など出来はしないが、二桁の掛け算くらいなら簡単だ。逆に言えばその程度、威張るほどのことでもない。クラスに数人はいる、「計算の得意な子」である。▼暗算が得意になるいちばんの方法は、なんといっても数と友だちになることだ。物心つく前の私は、おもちゃに見向きもせずカレンダーでばかり遊んでいたという。数そのものが好きだったのだろう。▼数が好きで日頃からいじり倒していれば、暗算の中で使いドコロがわかる。あの数は確か7の倍数だから……この数は3倍すると綺麗だから……そういう蓄積された知識が結合して、計算を正しく素早く答えに導いてくれる。2のべき乗を64乗まで覚えていれば、2にまつわる計算など朝飯前なのだ。友だちになるとは、意味もなく相手のことが好きだという状態になる、ということである。

[1271] Feb 19, 2013

年度末は社内席替えの時期でもある。そのとき毎度よくあるトラブルが、ディスプレイやパソコンの電源ケーブルを抜いて混ぜたが最後、どれがどれだかわからなくなるという事態だ。何度か見た。▼解決から言えば、12A・125Vと書かれたケーブルをパソコンに、125V・7Aをディスプレイに挿しておけばまず問題はない。それどころかたいていの場合――パソコンの消費電力が700Wに達していないのなら――逆でも危険なく動くのである。彼らが主張している額面は運ぶ電気の内容ではなく、運べる電気のキャパシティに過ぎない。▼だから電源ケーブルはジャンクコーナーでも定格ごとに分けられたりしていない。ひとまとめにされている。接続部の型さえ適合すれば、あとは国/地域と機器の最大消費電力だけ注意すればよいということだ。変圧トランスでも噛ませていない限り日本に住んでいれば100Vは不変なので、実際はAが充分かどうかだけ見ればよい。

[1270] Feb 18, 2013

親の代は北海道。東京の真ん中で生まれ、物心つく前は二十三区を転々とする。一桁齢の幼い時期は埼玉で過ごし、十になると家庭の事情で横浜へ。短い間、バラックのようなアパートに住み、やがて祖母のマンションに暮らし、マンションの中でも番地を引越し、大学に入ってからはマンションを出て今の家へ。これも仮住まいなので、また近々どこかへ家族で越すことになる。▼こんな調子で生活してきたので、私には「マイホーム」という感覚が持てない。ひとり暮らしはもっと……ともよく言われるが、私にしてみれば世界のどこかに不動の「実家」があるだけで、充分それが拠り所になるのではないかと思う。どんなに実家嫌いの跳ね返りでも、実家という言葉を口にするときはどことなく嬉しそうなものだ。あこがれとまで言わないが、人と感覚の折り合いにくい点ではある。▼今のところそんな甲斐性は微塵もないが、いつか自分の家を手に入れたとき、どう思うだろうか。

[1269] Feb 17, 2013

同じ意味の文章でも、言葉を変えれば印象は変わる。逆も然り。同じ言葉でも、並べ方が違えば文章の質は変わる。この関係は、和音の選択とボイシングの関係に似ている。同じドミナントの意味を持つ和音でも、音の選択次第で聞こえは変わるし、同じ構成音で組んだ和音でも、堆積のさせ方が違えば響きは変化する。▼同様のことが文章と段落の関係にも言えるだろう。文章がコード、段落が進行にあてはまる。そうして次にもう一段、スケールを大きくすれば、段落も進行も「展開」を構成する。ここに至って同じ単語に集約するが、ばらばらの要素も単語は違えど概念はよく似ている。細部の連結が効果を生む点は変わらない。▼こう音楽のアナロジーで自分の文章作品を見ると、実にモーダルな世界だと感じる。私はバッハが好きなので勝手に機能和声タイプかと思っていたが、身にならないし性に合わないし、どうも上手くない。好きなことと自分の素質は違うのかもしれぬ。

[1268] Feb 16, 2013

病気もせずに働きつづけた反動の如く、マスターアップが承認されるや否や、綺麗に寝込んだ。恐るべき喉の痛み。止まらない鼻水。だるい身体。模範的な風邪である。▼いつも以上に水分を取る。今日だけで2リットルのペットボトルが2本空いた。風邪のときはポカリスエットなどスポーツドリンクが定番だが、あれは実際のところ砂糖水とたいして変わらないので、たくさん飲むには別の面で都合が悪い。古い人間のような言い分だが、温かいほうじ茶なんかがいちばんいいと思う。▼こんなとき、高島屋で購入した特大の急須が役に立つ。幅広で長い胴を持つ、見るからに重量級の品で、一般的な湯のみなら二杯か三杯は満たしてくれる。これになみなみ湯を注いで部屋にこもり、だんだん濃くなりゆく味の変化を楽しみながら、これまた高島屋で同じときに仕入れた特大の湯のみで飲み干していく。病気のときは風流より実用重視。脇に据えたサイドテーブルも一躍活きてくる。

[1267] Feb 15, 2013

音楽のプロデューサーも、過去は自ら何かの楽器を演奏していた人であることが多い。演奏者としても音楽に詳しいのは結構なことだが、ミックスエンジニアの立場で困りものなのは、こうした「上司」がしばしば自分の楽器を贔屓したがることだという。「もうすこしギターソロの音量を上げてくれないか。」▼言われるがままに音量を上げてしまっては全体のバランスが台無しになる。しかし要求を無視するわけにはいかない。「わかりました」と答えて何もしないという老獪な手段も気がひける。そんなとき、効果的なのが「トラックの頭だけ音量レベルを上げる」というテクニックである。▼どんな楽器でも、歌い出しが強いと後のフレーズでも音量が大きく聞こえる。この錯覚を逆手に取るのだ。そうすれば全体の音量を上げすぎることもなく、楽器間のバランスも壊すこともなく、リクエストに答えることができる。聴かせたい音を聴かせるための優れた技巧のひとつである。

[1266] Feb 14, 2013

プロジェクトからプロジェクトへ、代々受け継がれてきた「秘伝のタレ」の中には、文字通り秘伝と呼ぶにふさわしい優れたノウハウもあれば、味が合わなくなるたびに継ぎ足し継ぎ足し、とりあえずその場は我慢できる味に直しつづけてきた結果、ついに異臭を放ちはじめた壺もある。その中でもひときわ悪臭を放ち、猛威をふるいはじめたのが文字コードの扱いだ。▼春のスキマ時間で、ここの大改修を買って出ることにした。データの形式は日本語も欧州文字も中国語もごちゃまぜで、ExcelのUnicodeを一律でSJISに落としこんだ後、足りない文字は定義外の値に当てはめて無理やり解釈させている始末。一部のコンバート環境に至っては、UTF-8とUTF-16の違いすら意識されていない。エラーが出るたびに急場凌ぎの対応をつづけてきたのがよくわかる。そのことを非難する気はさらさらないが、今後のためにもここらで壺を割り、整備された仕組みを注ぎ直す必要があるだろう。

[1265] Feb 13, 2013

"You have the following shipments due to be despatched to you." ――発送通知が届いた。発送元はイギリス。チャットで直接交渉して手に入れたとある品が、遠路はるばる運ばれてくる。重量10kg、送料は保険込みで£80。これで2〜3営業日で届くというから驚く。▼気になったのは、メッセージ内の単語despatch(急送する・発走する)である。普通ならdispatchと綴るところが、英国スペリングになっているのだ。運送を担うフェデックスは、アメリカのテネシー州に本拠地を置くれっきとした米国企業なので、このメールはフェデックスを利用するUKの会社から送られてきたのだろう。▼そんなことを思案していると、なんだか推理モノの掌編を地で行くような一幕で、自分ごとながら可笑しかった。明らかにやる気のないスパムメールも、送り手の事情を推測する気持ちで目を通してみると、面白い想像がいくらでも浮かんでくる。安楽椅子探偵さながらである。

[1264] Feb 12, 2013

オレンジジュース、牛乳、木苺のシロップ。シェイクして注ぐと「コンクラーベ」が出来上がる。▼今朝、法王ベネディクト16世の退位を知った。高齢のため職務遂行が難しくなったという。法王が自ら退く形を取るのは、教会大分裂の終焉時にやむなく辞任へ追い込まれたグレゴリウス12世を除外すれば、1294年に退位したチェレスティーノ5世以来。しかし彼とて現実的には後任に退位を迫られたのであり、職務のまっとうが困難と感じて自発的に辞めたのとは少々事情が違う。前例のない出来事なのだ。▼後任を選ぶ会議は、システィナ礼拝堂で行われる。この後継者選定の集会が、冒頭のカクテル名の由来でもあるコンクラーベと呼ばれているものだ。日本語の「根競べ」にも似ていて、どことなく難航が予想されそうな、侃々諤々たる物々しい会合を想像してしまうが、実際にはあまりに期間が短いため出来レースにならざるを得ず、形骸化しているとも言われている。

[1263] Feb 11, 2013

中唐の詩人・白居易は、政治批判の代償として江州の司馬に左遷された。その白居易を深く学び入れた菅原道真は、無実の罪で太宰府へ左遷された。ともに左遷の身を詠じる歌がある。「遺愛寺の鐘は枕を峙てて聴き、香炉峰の雪は簾を掲げて看る」とは白居易。「都府楼は僅かに瓦の色を看、観音寺は只鐘の声を聴く」こちらが菅原道真。▼道真が白居易を学んだのが、同じ左遷された境遇だからなのか、単純にその時代の定番教師だったからなのかは知らないが、絶景を誇る山のふもとに隠居所をつくり、寺の鐘と雪の眺めに悠々自適の生活を送る白居易と、無実の罪と知りながら忠誠心を貫き、自ら謹慎しつづけた道真のあいだには、心情に大きな差異がある。その差異が言葉の上にもよくあらわれているようだ。▼どれほど深く学び真似ても、真剣に造られた作品の中身は必ず自分の資質と境遇に拠る。技巧や形式の模倣など、読み手からしたら瑣末ごとに過ぎない。好例である。

[1262] Feb 10, 2013

海外の電子音楽を流してくれるウェブラジオで、アンビエントのカテゴリに「スペースドリームス」という不思議なジャンルがあった。視聴してみると、たしかに森や川というよりも「宇宙」というイメージの強いアンビエントである。広大無辺なリバーブ。ほどよくサイバーな音。▼他にも「コズミック・ダウンテンポ」というジャンルがあって、これも字義通りに解釈すれば宇宙を感じさせる低速音楽ということになるのだろう。正直なところスペースドリームスと同じような形容詞しか浮かんでこないのだが、何かが違うと言われればわからないでもない。そんな差異である。▼宇宙の夢。開放感のある夢が見られそうな気がして、昨日はこれを流したまま寝てみた。結果はいまひとつ。電子音だけに、合わない曲を引いてしまったときの覚醒感が強いのだ。くわえて無料版なので定期的に広告ボイスが入り、これが眠りを妨げて来る。三時間ごとに目を覚ましていた。失敗である。

[1261] Feb 09, 2013

時間のある午後はよく、音源のサンプルを聴き歩きして遊ぶ。買うとか買わないとか、使うとか使わないとか、そういうこととは無縁に、ただ珍しいメーカーや新しい製品のオーディオデモを流していくのだ。作り手からすれば、デモこそ消費者を説得するためのいちばんの材料なので、どれもこれも気合が入っている。だから面白い。▼音源のデモには大きく分けて三種類ある。最も多いのが、その音源を用いて作られたミックス。次に、その音源のみを鳴らしたソロ。最後に、ときどき見かける、その音源の製作時に録音された生演奏。▼三番目が詐欺に近いのはもちろんだが、いちばん多いミックスについてもグレーではないかとよく思う。良くない素材でも、一流の技術で化粧をすればそれなりには聞こえるものだ。まったく同じサウンドを再現するには何十万ものプラグインが必要、なんてこともありうる。最終トラックにひとつでもいい。やはり、ソロのデモが欲しいものだ。

[1260] Feb 08, 2013

Civilizationのボードゲームを遊ぶ。Civ4とCiv5のあいだに発売された品で、絵柄や要素は最新作寄り。プレイ時間は二時間弱で手数も少なく、それでいて商業・都市運営・研究など重要な要素が上手く簡略化されている。深さでは本家にとても及ばないが、「シヴィライゼーションの雰囲気」を味わうには良いゲームだ。▼1ターンに1プレイヤーが行わなければならない手が少なく、かつ取りうる戦略の幅が広い――このバランスが優れているボードゲームはたいてい面白い。戦略の定量化は難しいが、手数の上限目安は「5」と考えていいだろう。たとえば『桃太郎電鉄』なら、「サイコロを振って移動する」「カードを使う」「物件を買う」「ランダムイベントを引く」の4つしかない。▼上述のCivボードゲームは、戦闘込みで5つであった。本家の自由度を考えると、このウェイトダウンは称賛に値する。ただ、強いて言えば、都市圏内に人口を配置できないのは残念だった。

[1259] Feb 07, 2013

「さえかえり山風あるゝ常盤木に降りもたまらぬ春の沫雪。」▼春めいたかと思いきや寒波が寄せてふたたび寒気がぶり返す。今年は模範的な余寒の図である。今週の土曜日などは、夏着でも通じる暖かさだった。▼冴えるという言葉には冷たさのイメージが伴う。もとは「澄み通る」と「透き通る」と合わせたような、色や光の混じりけのない鮮やかさを表現する言葉だが、冬の寒さにそうした光景が目立つためだろう、凛とした冷たさの意もまた「冴える」の中に含まれた。温度の低さで輪郭が強調されるという関係は、不思議なことだが直感的である。寒さは身を引き締めるからだろうか。暖かさは朧月や陽炎を想起させるからだろうか。▼<さえかえり>とは、冴えに返ることなので、一度は暖かくなっていることを表している。溶けなやむアワユキの、春になりきらない情緒。大雪の懸念された昨日はみぞれに終わり、いまこの地に雪はないが、路地はまだ雪道のように冷たい。

[1258] Feb 06, 2013

ソフト音源の販売代理店「クリプトン」で、とある期間限定セール中の製品を二つカートに入れた。購入するためというより割引後の金額を見るためで、合計の値を見てみるとやはり予算的につらい。見送るのが賢明か、と思ったところでふとセールページを更新すると、選んだ二つの商品がリストから消えていた。▼カートに入れたら消えるのだろうかと思ったが、消えない商品もあるのでそうではないらしい。悩んでいるあいだに売り切れたのかもしれないと思うと、焦りが出てきてつい「どうしても欲しい方」だけを単品で注文した。▼さて真相は、購入を迷う客に引く手あまたを装う不動産流の手口――というわけではなく、要するに私がカートに入れたことで、その商品が売り切れたようだった。現に購入しなかった方はリストに復活している。注文状況で表示を変えるのみならず、カートまで考慮するとは、余計なトラブルが発生しないよう、よく考えられているなと思った。

[1257] Feb 05, 2013

スカイプで人に「おめでとう」と言われるまで、今日が誕生日であることを完全に忘れていた。忙殺とはこのことであろう。誕生日。のんびりと過ごせたことはない。▼それでも今日の忙しさは趣味もある。家に帰るとホームエレクターから机のパーツが届いていたので、ご近所さまには申し訳ないが、深夜に控えめな金槌の音を響かせ、さくさくと組み立てた。▼選んだのは網目状の金属シェルフ。これならコード類が見苦しく机の上を這うこともなかろうという目論見で、見た目の良い木の天板より優先した。うまく隙間を縫わせたりポールに絡ませたり、工夫してみるとコードの存在感は著しく減退したので、この計画自体は正解だったが、誤算もひとつあった。ディスプレイやスピーカーにあわせて黒色を選んだのだが、壁が白いので視界に黒白のストライプが写り、チカチカして目に痛いのだ。本を並べたり物を置いたりで緩和していくしかない。完璧にはいかないものである。

[1256] Feb 04, 2013

動画投稿サイトが拓いた有益なコンテンツのひとつに「チュートリアル」がある。有志による知識の披露である。▼ウインドウズ黎明期の頃、プログラミングや画像編集ソフトの初心者向け教科書は、ページのほとんどが画面のキャプチャで埋め尽くされていた。設定フォームのボタンをひとつ押すたびに、次はこんな画面になりますよ、ここに何々を入力してください、と指南していくのだ。いま考えると、涙ぐましい努力である。▼言うまでもなく、この手のインタラクティブなソフト解説は動画の方が圧倒的にわかりやすい。ボタンの意味は説明してくれるし、便利なショートカットキーも教えてくれる。無償とは思えないほど至れり尽くせりである。くわえて動画には「とりあえず同じように弄ってみよう」という行動を喚起する利点もある。ソフトの使い方は、文字で知るより触っているうちに覚えていく方が多いものだ。これも時間の寸断された書籍には出来ない芸当である。

[1255] Feb 03, 2013

プロジェクト末期になると、プログラムの中には悪魔のコードが生まれてくる。論理的に正しくないコード。必要な処理が完遂できていないコード。冗長で何重にも同じことを繰り返しているコード。当初は絶対にそんなものは書くまいと誓っていても、枯れなめこの如くいつの間にか生まれてくる。▼六時間後に凍結される新仕様をシステムに埋め込まなければならないとき、理想的なコードなど書いている余裕はない。しかし、それでも我が子を悪魔にしたくないとなれば、せめてステートについては厳密に設計すべきであると強く感じた。▼ニクラス・ニルソンが指摘しているように、オブジェクトの内部状態についての記述が不正確または冗長であると、その瑕は時間とともに増幅していく。未来の自分は既存の状態を頼りに新たなコードを記述するからだ。不完全な判定はより不完全な判定を生む。そうして宴もたけなわの頃、看過できない不完全さとして顕在化するのである。

[1254] Feb 02, 2013

トラックボールマウスを買う。作業領域縮小のための模様替えにともない、マウスの可動領域が確保できなくなったので、動かさなくて済むトラックボールが適任であった。親指でころころ動かすやつだ。▼思っていたほど使いにくくはないが、無線なのでときどき反応が悪いのと、左右の微調整がしにくいあたり難所である。慣れるまで小さなボタンを押したりフォームにカーソルを合わせたりするのは時間がかかりそうだ。長所としては、手首を動かさない分、つかれにくいように思う。▼キーボードの位置は高くて遠いし、マウスは不安定な位置にあるし、なにかと使い勝手は悪くなってしまったが、ある程度の利便性と引き換えに、理想の「コンパクトワークステーション」は出来上がった。上から見たら今までの半分くらいしかない面積に、いろんなものが所狭しと敷き詰められている。この、なんにでもすぐ手の届く感じは悪くない。モニタースピーカーの配置も完璧である。

[1253] Feb 01, 2013

「興味がなければ買わなくて結構。」――宣伝からして敢えて短所を打ち出し、顧客を撥ね付ける挑戦的な商品が、ブームを巻き起こすことがしばしばある。媚びない姿勢が職人気質の「本物さ」でも感じさせるのか、あるいは撥ね付けられると興味が出てくる人間共通の天邪鬼を利用しているのか、いずれにしてもやや斜めを行くブランディング手法のひとつである。「ホスタイル・ブランディング」という。▼最近の日本なら、ラーメン二郎はその典型だろう。健康に悪い、カロリーが高い。だからどうした、文句があるなら食べなくてよろしいと言わんばかりの強気である。そうして、ファンはそれらのデメリットを重々承知で食べに来る。▼タバコの論理に似ているところがある。ともなう危険が行為の価値を光らせるのだ。万人衆知のデメリットを受け入れてまで通い詰めることで、自分自身にも他人にも、自分がその商品の強烈なファンであることを納得させているのである。

[1252] Jan 31, 2013

何百万の車に乗っている。何坪の家に住んでいる。年収が何千万ある。あるいは、直近の作品が何枚売れた。何冊捌けた。何人のファンがいる。▼こんなふうに物や数字で自信を養う習慣は、確実に早い段階で行き詰まる。上には上がいるからだ。拠り所が数字しかないので、より上の数字を突きつけられるとぐうの音も出なくなる。自信を取り戻すには相手の数字を超えるしかないが、現実にはそうそう超えられない壁があり、誰かとの差は依然としてマイナスのまま。自分で敷いたルールに敗北の烙印を押され無力感に苛まれることになる。▼とはいえ、こういう数字競争に興味が無さ過ぎて、逆に物や数字から手を放しすぎてしまうのも困りものだ。すべての世人が数字に興味のない目で他人を見るわけではないので、ゼロが過ぎると過剰に貧窮した思いをすることもある。数字に縋らず、しかし上手に背中を押してもらう、それくらいのバランスが良い自信に繋がるのではないか。

[1251] Jan 30, 2013

建築物としての一軒家、他人の旅行の計画話、楽器演奏に関するあれこれ――私には嫌いなものがたくさんある。ものによってはどうして嫌いなのかもわからない。昔、自分は郵便ポストが苦手だと言う人がいた。なぜだか怖くていやなのだという。その気持ちがよくわかる。いろんなものが意味もなく好きで、いろんなものが意味もなくつらい。▼性格や物の考え方、あるいは食べ物なら合う合わないもあるだろうが、「家」が嫌いな理由など自分の中にはまるで思い当たらない。完全に謎である。深層心理に原因があるのかもしれないし、何か別の憎いものを仮託しているのかもしれない。▼旅行の計画話は、同意してくれる人もそこそこいるのではないだろうか。土産話なら喜んで聞くが、自分が行きもしない場所の空想・期待を語られるのは苦痛である。楽器演奏はいちばん単純で、趣味がら興味はあるが経験がないので、話に混ぜてもらえないからである。僻みのようなものだ。

[1250] Jan 29, 2013

一年間、インターフェースのコーディングを担当して、ああすればよかったと思う反省点も、こうしてよかったと思う好材料も、自分の中でたくさんできた。どちらも次に活かせれば良いと思う。▼好材料の方でとりわけ自賛できるのは、不規則なデータの例外処理を徹底してデータ側に一任したことだ。ここばかりは頑なに引き受けるのを拒んだ。私がやりましょうと率先して言うのは雑用だけでよい。多少面倒がられても、それはそちらでお願いしますと頭を下げた。理想と現実の境界面を、表示側に設けてはならない。これは鉄則である。▼案の定、終盤ぎりぎりでデータの不整合が露見し、いくつもの仕様修正に見舞われることになったが、そのためにインターフェースが破綻したりフローが崩れたりすることはほとんどなかったのである。そうして、この「ほとんど」の覆い切れなかった部分にこそ実は反省点の方があるのだが――その詳細を語るのは、また別の機会にしよう。

[1249] Jan 28, 2013

バグ発見、報告、修正、テスト。ぐるぐると繰り返す。▼なにより難しいのは、テストによって発見されたバグとその修正が、しばしばそれまでのテストを無に帰してしまうことだ。致命的なバグを直すために加える<たった一行の条件文>で、それまで動いていたものが動かなくなるかもしれない。少なくとも、動いていたという事実はなくなる。直せば直すほど、システムは「動かないかもしれないもの」だらけになっていく。▼テストに早くに手をつければつけるほど再確認の労力が無駄になり、遅くなればなるほどクオリティの向上が間に合わなくなる。コーディングは今日の定時まで、ここからはテストしかしません、というわけにはいかないのだ。確実なところから確実に確かめて、徐々に全体をFIXしていく、そんな絶妙のクロスフェード。そうして、いちどテストフェーズに移行したら、どんなに楽々修正できる情けないバグでも、安全のために受け入れる胆力がいる。

[1248] Jan 27, 2013

会社の近く、ホームセンターの二階に手芸品店を見つけた。私は今日、ある理由で切実に紐が欲しかったので、この遭遇には天の恵みと感謝した。よりどりみどり。理想的な紐を手にして昼休みを終えられた。「先輩、それ、なんですか。」「2mの紐がぜんぶで4本だね。」「わかりますけど、何に使うんですか。」スピーカーを固定するのだ。▼三点支持のスピーカー本体はどうしてもぐらつくので、地震・衝突対策には、締め付けすぎない程度に紐で固定する方法を選んだ。さいわいスタンドにノブがついているので、これに結びつける形でぴしっと収まる。見てくれは少々どんくさいが、背に腹は変えられない。実用重視である。▼ようやく高さを得た本体。深夜なのでごくごく小さい音で鳴らしてみると、ほんとうに真ん中の音が真ん中から聞こえるので、これには驚いた。定位感というやつだろう。点音源の存在を忘れるような音のひろがりである。早く音量を上げてみたい。

[1247] Jan 26, 2013

休日出勤の夕方に抜け出して友人の結婚式二次会へ行く。携帯電話を家に忘れたので、荷物もなにもないコートひとつの素軽さである。中高時代は毎日のように遊んでいた近所の仲だが、たまたま会場の入口ですれ違ったとき、会ったのは数年ぶりであった。何も変わらなくて安心した。向こうも、どうやら同じ感想だったようだ。▼三百人は居ようかという大所帯、ポップスとクラブミュージックが大音量で鳴り響く豪奢な地下の会場。耳元に口を寄せなければ会話できないような賑やかさの一角で、小さな同窓会が開かれた。名前も顔も、みんなお互いよく覚えている。▼新郎ともなんとか言葉は交わせたし、卒業以来の懐かしい顔にも会えたし、楽しいことばかりだったが、とりわけ嬉しかったのは、誰に会っても会話の折々、意外にも職業を肯定されたことだった。ふだん身近にはあまりよく言われないだけに、人の目など関係ないと強がりつつも、やっぱり嬉しかったのである。

[1246] Jan 25, 2013

泊まり確定と思われた今日、奇跡が起きて寝間着も無駄に家へ帰ると、ついに念願の品物が届いていた。しかも驚くべきことに、組み立てられていた。不器用な兄に代わり、弟がぜんぶやってくれたらしい。じつに殊勝で献身的――というわけではなく、もちろんきっちり駄賃は要求されるのである。助かるしすぐに使えて嬉しい手前、払わないわけにもいかないこちらの心理を利用しているのだ。ましてや給料日である。▼とにもかくにも完成したスピーカースタンドは想像以上に底辺が大きい。一介の部屋には不釣り合いなほど面積を占めているので、よほど机の構築を工夫しないと収まらないと思う。重量は充分、本体はきわめて安定しているが、インシュレーターの上のスピーカーは思ったほどしっかり乗らない。手で押したら落ちてしまいそうなくらいだ。音質を気にしないなら、スタンドは本体より天板の安定性を重視したほうがいいのかもしれない。地震対策を考えている。

[1245] Jan 24, 2013

「刺身は醤油を舐める言い訳。」発言者は忘れたが、こんな言葉を覚えている。本物の刺身好きには怒られるかもしれないが、言い得て妙だと思う。いちど聞いたら忘れられないフレーズだ。たぶん、どこかに真理が潜んでいる。▼私はよくカップラーメンを食べる方だが、これもどうやら「海苔を食べる言い訳」にしている節があるなと気がついた。蓋を開ければ数枚はいれる。半分食べたらまた入れるし、食べ終わったら海苔でスープの味を楽しむ。大判を一枚と数えたら、二枚、三枚はザラである。カップラーメンより海苔の方が高いかもしれない。▼大袈裟なようで大袈裟でもない。もちろん、毎回そんな贅沢をするわけではないが、今日は海苔が食べたいなと思うと、麺に興味はなくてもスープの美味しい製品に湯を注ぎ始めることはよくある。そうして、こう自分のことを観察してから刺身と醤油の関係を思うと、冒頭の句はあながち的外れでもないなと思えてくるのである。

[1244] Jan 23, 2013

久々に、心から素晴らしいと思える言葉を見た。ぜひとも記録に残しておきたい。▼正月過ぎのタイムラインは賑やかに、皆の抱負を流していた。今年こそはあれを試そう。今年こそはこれをやり遂げよう。そんな中、こんな<今年こそ>が来た。今年こそ、この縁結びのお守りが無駄にならないようにがんばろう――この言葉も良い言い方だなと感心していたが、そこへ届いたひとつの返信に傍観者ながら感動したのである。「縁結びのお守りには、悪縁を結ばない効果もあるんだよ!」▼過去も今も未来も、まとめて肯定している素敵なエールだと思った。今までもそれでよかったんだし、これからもきっと上手く行くよ。そんな優しい思いが伝わってくる。これが悪かったんだ、それがダメなんだ、あれを直さなきゃ話にならん――落ち込んだ人はここぞとばかり蹴飛ばす<否定形の人々>が多い中、じつにきれいな一行だと思った。こういう言葉がしぜんに出てくる人でありたい。

[1243] Jan 22, 2013

経営が危なくなると企業はなぜコミュニケーション力の高い人材を欲しがるのか。これについて、かなり腑に落ちる説明を見た。▼即戦力になるからというよくある解答は説得力に欠ける。口下手でも技術力の高い即戦力など山ほどいるからだ。ではなぜ、しばしば専門技能にも先立つくらい「コミュ力」が求められるのか。▼コミュニケーションを取れば仕事の手は止まる。そうしてまで情報を交換するのは、そうしなければならない事情があるからだ。つまり活発なコミュニケーションの絶えない職場とは、仕事が上手く割り振られていない現場であるとも言える。わかりやすく言い換えれば、上司が無能である可能性が高い。▼「どんなに上司が無能でも、部下たちのコミュ力が高ければ仕事はなんとかまわっていく。」そうして、そういう環境ではコミュ力の高さがいちばんに評価され、無能な人でも次々昇進して上司となる。あとは自明の話だろう。ふりだしに戻るだけである。

[1242] Jan 21, 2013

今年は今までのプロジェクトでいちばん忙しいが、いちばん健康的に働いているという気もする。風邪ひとつ引かないし、肩も腰も痛くない。睡眠こそ不足しているが、頭痛や腹痛に悩まされることもないようだ。「働けば働くほど健康になる」を目標に、ライフハックならぬワークハックをつづけてきた成果かもしれない。▼このスローガンは何も、そう思い込んでいれば健康になれるというような単なる暗示ではない。標語とは、<無意識の方針>である。行動の自動化である。ひとつの言葉を頭の中で何度も繰り返せば、その言葉は脳の奥底に沈殿する。沈殿し、凝固し、そこから少しずつ溶け出す成分が、常に行動の行く末を左右してくれるのだ。(今日は何を食べようか。なんだかそろそろ野菜が食べたいな……。)▼毎日ストレッチをする。定期的に背筋を伸ばす。栄養のバランスに気をつける。こういう律儀で面倒くさいことは嫌いなタチので、無意識に任せてしまいたい。

[1241] Jan 20, 2013

起こりうる悪夢は起こる。マスターアップを目前にして、ついに我がプロジェクトにも大魔王が降臨した。私のパートメンバーがひとり、インフルエンザの凶刃に斃れた。▼昨日まで食事を共にしていた仲間だから、私の身体にも潜伏している可能性が高い。そういうときどうしたらいいかわからないのだが、せめてもと栄養補給は日頃より念入りにしている。効果があると信じる心も、どこまで役立つかはわからない。▼今週の残りタスクを考えると、端的に言って悲劇である。彼は優秀だが、どちらかというと仕様の確定を待つタイプであった。最後まで流動していた大きな仕様の塊に、またどうせ変わりますからと手をつけないでいた。それがまるまる残されてしまった。奇しくもおとついの話をなぞる形になるが、こういうことなのである。この数日間、彼が片付けていた小さな仕様とバグの数々は、他のパートの人たちにも小さな時間があれば出来たのだ。今、それが出来ない。

[1240] Jan 19, 2013

泊まりがけから帰ったばかりで、明日も始発かその次くらい、疲れ果てていてまるでよくは見れていないが、今年のセンター試験、評論は小林秀雄であったという。しかも彼の趣味と語り口を凝縮した名掌編「鐔」であるというから嬉しい。周波数が合わなければ展開が頭に流れてこないあの文章は、ほとんどの受験生には苦しい難文だったろうが、幾人かは小林秀雄に興味を抱いたかもしれないと思うと、思わず一人で頷いてしまう。▼そういえば元旦の部屋整理で、小林秀雄全集の二十五巻と二十六巻が二冊ずつ見つかった。あちこちの本屋から買い揃えた時期に被って、被った片方が長らくどこかに埋もれていたのだろう。新品同様なのでこのまま眠らせておくのも忍びない。興味のある人に差し上げたいと思っているが、そういう機会があるかどうか。ここで募るわけにもいかないが、春先にでも良い貰い手を探してみようと思う。図らずも、いわゆる「布教用」になったわけだ。

[1239] Jan 18, 2013

仕様修正は誰にでも来る。変化の激しい製品ならなおさらだ。けれども、そんな仕様修正を苦にしていっこうに仕事の進まない人と、あっという間に修正を組み込んでさくさく仕事をこなしていく人と、職場にはたいていどちらも存在する。彼らの違いはいったいなんだろうか。▼実装能力やスピードの違いではない。決定的に違うのは、「後で変わると知れているものをどこまで仕上げるか」に対する態度の違いである。<どうせ変わるのだから完璧には仕上げない>人は苦しみ、<ひとまず今の仕様で完璧に仕上げておく>人は楽になる。純粋な作業量は後者の方が多いにも関わらずだ。▼80%出来ているものに加える修正は、100%出来ているものに加える修正より遥かに難しい。未完成なものの改変というのは、恐るべき労力を費やして大量のバグを生み出す最悪の仕事なのだ。だからこそ、先を見越したつもりで怠ける人より、逐一物を仕上げていく人の方が強いのである。

[1238] Jan 17, 2013

机のサイズは広すぎるくらいがちょうどよいとよく言う。どんなに機能性を追及したデザインでも、ただ一枚のひたすら広い天板には適わない。便利そうに見える段差、棚、サイドテーブル、収納……そういうものが活躍するのは、新たな家具に想像を膨らませているときだけである。たいらな空間こそ最強なのだ。▼この感覚はよくわかる。私も机は広すぎるくらいがちょうどいいと思っている。しかしそれは、無限の空間を持つ部屋があればの話である。現実の部屋には壁があり、布団があり本棚があり、雑多な諸々の生活必需品がある。▼それでも、こうした物々の占有を差し引いて残りの空間を机に充てるという発想は、どうしても机の面積を小さくしてしまう。机の上に物があふれてきても、机の下にベッドの端が入り込んでも、まずは机のサイズを最大限にすることから配置を決めるべきなのかもしれない。そんなことを考えながら、新しい机の寸法をいまも決めかねている。

[1237] Jan 16, 2013

いつからか「社畜」というスラングが使われはじめた。自分たちが自虐したのか、まわりが蔑称に使い始めたのか知らないが、ともあれ馬車馬のごとく働くハードワーカーを揶揄する言葉である。社畜。▼私はこの単語が出るたびに、自分は社畜ではなく戦士だと強く主張している。社畜仲間ですね、などと言われようものなら断固として反対する。冗談ではない。そういう弱い言葉は、いつも受け身で仕事をしているような人が自分で自分に使えばいいものだ。たとえ馬車馬のように働いていても、私は、馬車馬として飼われた覚えはない。▼つらければつらいと言うし、理不尽なら理不尽だと不平もこぼす。けれどそれでも、いつだって自分で選んでいるのだ。"I choose to do."――"have to"で忙しくしたことなどいちどもない。他人からはなんと言われようと思われようと、たとえ現実には間違っていようとも、この結果は私が選択したのだということだけは、胸を張って言える。

[1236] Jan 15, 2013

長く緩やかな氷の坂。通勤路がアスレチックになった。▼ガードレールにつかまりながら恐る恐る徐行する社員の群れである。こんな大行列は滅多に見られない。アスファルトの氷は見た目以上に滑るので、油断した人から転倒していく。私もこのあたりなら大丈夫だろうと加速したところで、何度か足を横に引きずられた。よい方のコートを着てきたのは失敗だった。▼チームだけでも転んだ人、三名。全社的には相当だろうし、中には冗談では済まない怪我をした人もいるだろう。雪遊びに興じていられる子供はいいが、面倒な処理を負う大人はつらい。雪が迷惑に感じるのは年を取った証拠かね、と同僚が呟いた。降られた回数だよ、と答えた。毎年降る雪国の人には、ただの天災だろう。▼このたびの雪は、どうもあまり詩情の湧かない光景に思えた。それより音が気になった。破片を砕く音の車庫に満ちる残響。深々とリバーブをかけた一打。こんな大胆な音もいいなと思った。

[1235] Jan 14, 2013

こんこんと降り、激しく注ぎ、雨になって、氷水になって、また細かい雪となる。このたびの降雪は、一日のあいだにずいぶん姿を変えた。そのせいだろう、遊歩道が面白いことになっている。▼歩きながら、雪を踏む音の種類を数えていた。場所によって積もり方も雪の質も違うので、ルートを変えると違う音が鳴る。ざくっと雪に踏み入る音、がりっと氷を壊す音、べしゃっと水を潰す音。ぎゅうっと圧縮する音、ぷちぷちとノイズのような音、べこべこ。しゃりしゃり。ぱきぱき。……。▼楽器よりも多彩な音色の変化を数えていると、電子音楽の歩みというものは、生活音のバリエーションを音楽に取り入れようとする試みだったのではないかと思えてくる。人工的で自然な音。自然で人工的な音。混ぜたり変えたり、ひねくりまわして音の基礎をつくるのは、今日の空が手を変え品を変え降らせた雪のありさまと同じではないのか。そんなことを考えて、二十以上の音を聞いた。

[1234] Jan 13, 2013

昔から不器用で図工や工作がなにより苦手だったが、予算と時間が許すなら、今年中にどこかでひとつ自作してみたいものがある。机だ。▼長らくPCデスクには食卓机をつかっているので、収納には困らないが、いかんせん周辺機器との相性が悪い。ましてや音楽機材が増えてくると、スペースが有効活用されていないこと甚だしく、もったいない気持ちになる。じき狭いところへ引っ越さなければならない都合、とにかく作業スペースをコンパクトにまとめたい。ここまで来ると、自作しかないような気がしてくる。▼さいわい自作デスクの情報は多い。こういうときネットの先達はじつに頼りになるのだ。しかるべき単語で検索すれば、次から次へと「例」が出てくる。設計図から、組立工程の画像、完成図まで懇切丁寧。説明文は素材販売サイトへのリンクつきだ。不器用でも、レシピ通りにつくればひどいものにはならないと思う。まずはよく勉強して、近々、挑戦してみたい。

[1233] Jan 12, 2013

会社の仮眠室がなかなか開かない。仮眠室というより熟睡室である。開かないことを見越した繁忙プロジェクトの面々が、それなら出来るだけ早く寝床を手に入れようと終電前に駆け込んで、早朝起きて仕事をする……というサイクルが出来ているのだ。本来の用途を考えると本末転倒で嘆かわしい。▼会社に泊まることはよくあるが、仮眠室を使うことはそこまで多くない。布団は快適だが部屋は乾いているし、人のいびきはうるさいし、音を立てないように気を使うので目覚ましは使えないしで、不便も多いのである。机に突っ伏して寝るのと、どちらの方が体はより休まるのか。測りかねている。▼睡眠時間と疲労回復のトレードオフも難しい。硬い天板で申しわけ程度に眠るより、始発でスカイスパに行き、体を綺麗にして高濃度炭酸水に浸かりながらうとうとしたほうが、体にはいいかもしれないのだ。多忙を極めたとき、人は自分の健康を保つ手段を真剣に考えるようになる。

[1232] Jan 11, 2013

巨大な箱。ついに待望のスピーカーが届いた。届いたことを電話で聞いていたので、今日はそのためだけに家にもどった。開封して、セットして、出来ることなら小さな小さな音でも、鳴らしてみたいと思ったのである。▼付属品は電源ケーブルだけという簡素さ。こんなこともあろうかと、XLRは二本仕入れてある。3mで300円。クラシックプロの格安ケーブルだ。今の配置ではオーディオIFにとどかないので、キーボードから直接つなぐ。念のため音量をゼロにして、電源を入れようとした刹那、気がついた。背面につまみがある。「100V-60Hz」と「220V-50Hz」――我が家は関東。100Vで50Hz。▼なんということか、アップトランスが必要なのだ。海外製品であることも、海外製品にそんな制約があることも、すっかり忘れていた。さすがにトランスなど用意していないので、それなりのワット数だと値段も高いが、追加で買うしかない。少々予想外の、手痛い出費である。

[1231] Jan 10, 2013

クリエイターたるもの、しつこいほど記号に敏感でなければならない。これは私のささやかな持論でもあり、ここ数年で強化された実感でもある。なにかを選択したとき、「それはどんな記号になるのか」をかならず考えること。今加えたこの変更は、どんなシグナルとして受け止められるのだろう。どんなシンボルとして解釈されるのだろう。何を期待させてしまうだろう。▼ユーザーをあやつる「意図」とかんちがいしてはならない。ちゃんと意図したものはたいてい、それが良かろうと悪かろうと、意図した通りに働いてくれるものだ。良くない予想外を生み出すのは、意図して織り込んだ伏線ではなく、偶然の記号である。意味もなくたまたま膨れただけの音が、意気地のないクレシェンドと解釈されてしまうことに問題があるのだ。だから、常に手許の仕事を振り返るのである。ぼんやりと加えたこの言葉は、この線は、この音は、展開は、いったい何の記号になるだろうかと。

[1230] Jan 09, 2013

プロジェクトもいよいよ佳境。データ凍結を控えて、製品良化を目指す企画者たちの命とひきかえに、いろいろな追加仕様が生まれ、いろいろな無茶となって、いろいろなパートに降り注ぎ始めた。もちろん、私もその集中砲火の一角を担う。ある程度はあらかじめわかっていたことである。ここからが正念場。▼素直な話、けっこう嬉しかったりする。まわりを見ているとよくわかることだが、無茶というのは「あいつならこれくらいの無茶は大丈夫だ」という信頼のある人のところにしか降りてこない。たしかに、いくつかのパートは早々に良化が諦められるのだ。諦められて、もうみんな話題にしなくなる。▼上の立場からすれば当然で、出来ないところに出来ないものを投げてもバグしか生まれないのだから、「無理でもやれ」と押し付けることに意味はない。無茶の降り方が分散するのは合理的な判断なのだ。これを理不尽と考える人のところには、そのうち仕事は来なくなる。

[1229] Jan 08, 2013

今年の抱負には一足遅いが、一大決心をした。一大決心をして、しかしあまり大事に思わず、毎週、その心を貫きつづけられるかどうか、楽しんでみようと思う。2013年の大晦日、私がどんなふうにこの記事を読んでいるか。出来たか、出来ないか、報告くらいはしたいと思う。▼曖昧なことを言うのは隠しているのではなくて、人に言う意味がないからだ。私が決めて、私がやる。結果、損をしたり得をしたりするのも私なので、ほんとうに私的なことなのだ。プレイ時間365日の、一人用ボードゲームである。▼決意をしたら「物」にするのは私の好きなやり方で、決意を貫くためにおすすめしたいやり方のひとつである。飾りでも本でもなんでもいいが、部屋の中の目に触れるところへ置くのが本来の居場所であるような、そういう代物がいちばんいい。裏切りたくないと思うほど愛着が湧けば最高だ。そうして、今回の私の決意は、モニタースピーカーに託されたのである。

[1228] Jan 07, 2013

ファイナルテスト版の〆日。ぎりぎりの仕様追加とバグ対応の二足わらじに慌ただしく日は暮れ、なんとか予定通り定時に締めた。チームの優秀さというよりも、リードプログラマーの決断力のおかげだと思う。またひとつ名言が刻まれた。▼締め後、バグが発見された。仮テクスチャの先祖返り。誰もが気づく、テスト版としては情けないバグで、差し替えればすぐに直るものだった。しかし、それでも彼は締めた。まだ時間にはぎりぎり猶予がある。二次バグの可能性も極めて低い。なぜその選択が出来るのか。▼「直したら、二番が一番になるだけのことだよ。」彼は言った。皆、いま一番気になるところを直したいだけなのだ。これだけはと思って直したところで、次は影に潜んでいた「二番目」が浮上してくる。それが一番気になるバグになる。だから、どこかで区切りをつけなければならない。そうして、それならはじめに決めた区切りこそ最適ではないか。実に最もである。

[1227] Jan 06, 2013

あんまり待ち遠しいので、会社のパソコンの壁紙を待ちかねているモニタースピーカーにした。仕事柄、個性的な壁紙は多いが、負けていないと思う。フォルムの完璧さとデザインの美しさなら最強だ。いまにも画面から音が聞こえてきそうである。▼元旦、大掃除の後にヨドバシカメラへ出かけたとき、オーディオコーナーを見ていて痛感したことがひとつある。スピーカーというものは、どういうわけか写真で見るより実物の方が大きいということだ。ヤマハのMSPStudioシリーズ、フォステクスのNF-1A。「でっか!」と思わず声が出るほど巨大に感じた。▼どうもデザインが関係しているように思う。サイズの写真映えとでも言うべきか。写し方の差ではなさそうだ。フォーカルはとくに写真で小さく感じる。アダムはそれほどでもない……。比較対象がなければ大きさなどわかりようもないと思っていたが、想像されるサイズが一律な方向へ的はずれなことには、いささか驚いた。

[1226] Jan 05, 2013

「ユンケルは本当に元気が出るって言いますね。コンビニに置いてるようなのとは、さすがに別格らしいですよ。」開発末期らしく、栄養ドリンクの話で盛り上がっていたのが昨日の話、それから眠らずに働いて今日の早朝、出社した先輩が差し入れてくれたのは、三本の『ユンケルD2』だった。▼強烈な味。飴を溶かしたような濃い甘みである。喉がぴりぴりする。お世辞にも美味しいとは言えない。ちびちび口に含みながら仕事をしていると、たしかに夕方頃の眠気は徹夜明けとは思えないほど軽い。夜更かしした次の日くらいのテンションで働けている。成分表を眺めて、たいしたもんだと思う。▼栄養剤に頼り始めたらいよいよ仕事も心も荒んでくるようなイメージはあるが、身体に必要なものが凝縮されているのはたしかなので、そう印象で毛嫌いせずに、つかれているときは試してみるのもいい。素直に効くと思えば尚更効く。残りは二本。明日は始発。頑張れる気がする。

[1225] Jan 04, 2013

今日も会社に泊まる。なにもかも泊まらないと片付かない。せめて風呂と着替えに始発で帰れればと思うものの、往復の三時間が惜しくてつい残りがちになる。こういう修羅場のときほど、家の近い人が羨ましい。午前四時。みんな仮眠を取りにどこかへ行ってしまった。私もどこかで二時間くらいは寝たい。健康の負債は貯まる一方だ。▼こんなふうにつらいとき、いつも思い出す言葉がある。修論提出が近づいてきた頃の教授の言葉だ。「君たちね、僕もいろんな人を見てきたけれど、ここで踏ん張れないような人は、一生たいしたことは出来ないよ。これはね、ほんとにそうだ。」▼あのとき教授は、修論が君たちの人生を決めると断言した。つらいときに投げ出す人間は、などというような一般化はしなかった。そのとき、その言葉を信じて頑張り抜いたからこそ、今も思うのだ。人生の鍵を握っているのは、架空の「つらいとき」などではない。いつも「目の前のこれ」である。

[1224] Jan 03, 2013

朝早く出勤して、昼ごはんを食べに出ると、悲しいかな、どこも店が開いていない。「三が日だからね、これがあるべき姿だよ。」なるほど、その通りだろう。商店街をぐるりとまわって、駅ビルの高そうなイタリアンへ入る。他に良い候補もなかった。昼から夕方にかけての限定営業。商売が上手い。▼ランチセットのビーフシチューを頼んだら、三切れの肉にシチューソースの添えられた上品な皿が来た。上品な、と我ながらいい言葉を選んだのに、要するに少ないってことでしょと容赦のない横槍が入る。もちろん少ない。三倍でも足りない。腹ペコ会社員の来るようなところではないのだ。▼味は上出来で文句はない。けれどもこれならつけ麺屋でたらふく食べた方がよかったなと思うあたり、まだまだ胃は若いのだろう。ナイフとフォークで食べるビーフシチューなど、昼から食する柄ではない。君はこういう店、案外好きなんだろうと茶化したら、チームメイトは笑っていた。

[1223] Jan 02, 2013

新しいものを買うときはかなり悩む方である。あんまり悩んで、何度も何度もスペック表を見比べて、原理を学び、数値の意味を知り、改善の歴史を辿り、フォーラムを巡り歩いて、プロの意見を読み……と右往左往しているうちに、だいたいは最初の直感へ立ち戻るのだが、とにかくにわか程度に詳しくはなれる。なけなしのお金を使うということは、じつに熱のこもることなのだ。熱のこもるときに勉強しない手はない。▼オーディオ系はとくに海外のフォーラムが役に立つ。日本より一足早く、いろんな環境で、いろんなジャンルの人々が使っている、その意見がワールドワイドに交換されているので、見方が偏りにくい。なにより量の豊富さが圧倒的だ。悩んでいるふたつの商品を「vs」でつないで検索すれば、たいていは議論しているスレッドがある。詳しい人がそれぞれの特長を述べている。支持も不支持もぜんぶ鵜呑みにして知識が肥えたら、後は気分と好みで決めるのだ。

[1222] Jan 01, 2013

元旦。じつに数ヶ月ぶりの休日。部屋の掃除と片づけに費やした。▼プロジェクトが終了してからでもよかったし、そうすればいいのにと弟にも言われたが、私はなんとしても今日やりたかった。今年はこうして過ごすんだという意気込みを現実にしたかった。今を逃したら決意まで薄れていく気がした。形から入る主義なのだ。たとえ明日から地獄の日々でも、やりたいことはやりたい。▼徹底的に物を捨てた。作業空間を出来るだけコンパクトにまとめたいと思った。書籍は始末できないので、ダンボールにまとめていく。箱類はもったいなくても潰してゴミへ。中身さえあれば問題ない。結局、時間がなくて途中のままだが、配置の目処はついた。あるものが、あるべき場所へ。あとはモニタースピーカーが届くまで、そこが空白のまま放置される。この空白が何かを期待させる。つかれて帰る私を元気にしてくれる気がする。無とは違う。空は、無限の可能性をはらんでいるのだ。

[1221] Dec 31, 2012

今年も会社で蕎麦を食べる。天ぷらの買い出し役。てんやが大晦日の特別パッケージを路上で売り出していた。揚げたてどころか外の寒さで冷えきっているが、年越しそばなどノリと気分なので気にしない。買い込んでもどる。海老は誰にあたるだろう。▼去年より静かな空気。笑いと静寂が交互に来るあたり、みんなだいぶつかれている。とくにメインは負担が大きいのだろう、いつもなら人一倍騒ぐところが、今日は静観気味でいた。決まりきらない仕様、迫る締め切り。苦労は察して余りある。実働部隊がてきぱき動いて、頭痛の種を減らしたい。▼恒例の蕎麦屋は「忙しすぎるので出前は出来ません」とのこと。別の店を立てた。日本の風習などまるで興味のない若者たちも、何を食べるアテもなければ蕎麦でも食べよう、せっかくだから……ということになるのだろう。こういう無意識の選択に、伝統と習慣の根強さを感じる。蕎麦を食べて、お茶を飲んで、来年もがんばろう。

[1220] Dec 30, 2012

朝になったが、まだ会社にいる。このまま年の終わりまで仕事をつづけることになる。仲間がいるから寂しくはないが、それでも朝方の空気は落ち着かない。半分寝ている人がいる。バグが取れなくて頭を掻いている人がいる。気分転換にチョコレートを食べている人がいる。私はついさっき「退社」したので、今こうして記事を書いている。書き終わったら「出社」するつもりだ。▼残っているメンバーは家が近い人ばかりで、いざとなれば歩いて帰ることができる。始発で帰るという人もいる。私がそんなことをしたら、家に着きしだい家を出る羽目になるので、とうてい帰れるはずもない。こういうときは寮住まいが羨ましく思う。けっして楽だとは思わないが、三時や四時に連れ立ってタクシーで帰る集団を見送るときは、いいなと思うのだ。時刻は午前六時。あと三時間もすれば出社組が来るだろう。朝ご飯を食べに外へ出たいが、あいにく今日はカードキーを忘れてしまった。

[1219] Dec 29, 2012

ずらりとランク「A」がならんだ壮観な成績表に、最低から数えて二番目の不名誉極まりない「D」がひとつ。去年は「C」だった。事態はさらに悪化しているらしい。試験の名前は健康診断。落第したのは視力である。▼矯正して0.1、おまけされて0.2。近いところばかり見ていられる仕事だからいいが、画面から離れてコードを追うとしばしばつらくなる。これ以上強い眼鏡の度もあまりなくなってきたが、さすがにそろそろ変えなければならない。▼そういうわけで今年の冬は、大きい買い物をすると決めていた。身に付けるものにこだわりはしないが、眼鏡だけはいい品が欲しいと思う。服とは感覚がまるで違うのだ。ファッションではない。これなくしては生活できぬ大切な体の一部である。子どものころ、左肘を骨折したときはえらい苦労したが、もしも同じだけの回復期間を要するなら、眼鏡のフレームを折るほうが、腕の骨を折るより困るかもしれないとさえ思う。

[1218] Dec 28, 2012

年賀状、紅白、格闘技、年越し蕎麦、除夜の鐘。大晦日近くの語彙とも疎遠になった。二年前は社会人の初年だしと気合で誤魔化し、去年は忙しいプロジェクトだからと自分に言い聞かせて、今年三年目。自分はもう、こういう言葉たちとは無縁の生活を送りつづけるんだなということがようやくわかってくる。手を張り付けて覗いていたショーウインドウは、有刺鉄線になっていた。▼明けたら正月、初詣。そういうこともあるまい。冷たいだけの季節。凍れる泥沼で淡々と「死の行進」をつづける。ただ、栄養に気を使っているおかげで身体は元気だし、笑顔を絶やさずにいるので毎日はそれなりに楽しいし、仕事はいつも本気なのでうんざりもしないし、前進している感触はあるからげんなりもしない。与えられた状況で全力を尽くしていれば、そのうちいいこともあるだろう。もとい、いいことなんかなくても構わない。性格の問題である。ただ全力を尽くさないのが嫌いなのだ。

[1217] Dec 27, 2012

疑問に思っていたことがある。私は私の作品を自分のスピーカーやヘッドフォンで聞きながら作っているが、当然、リスナーはそれぞれの再生環境を持っていて、それぞれの音で聞く。それでもいいか、とりあえず自分の環境でよく聞こえれば……と趣味なら思っていられるが、そうも割り切れないプロ達はどうしているのか。とびきり良いスピーカーを使うのか。しかし、モノがよければよいほど、かえって聞く人の環境からは遠ざかっていく気がする。▼この点に関しては、さいわい私が無知なだけであった。スタジオモニターという「原音再生」に特化したスピーカーがあるようだ。質はピンキリだが、あるミックスのプロ曰く、オーディオの専門家でもない限り<原音を聞く>という用途を満たすだけなら型落ち品でも充分らしい。今後は使うアテもあるし、出来るだけ安いもので一組揃えておこうと思う。発売時期にはこだわらないので、中古店で優良品でも拾えれば上出来だ。

[1216] Dec 26, 2012

最近のシンセサイザーはプリセットが充実しているので、オシレーターから音を作り出すような知識がなくても「曲」は出来る、と言う。たしかに何万ものユニークな音の図鑑があれば、一から創る必要などなく組み合わせて音楽ができてしまいそうだ。事実、ダンスミュージックの歴史とはそういうものである。既存の音の組み合わせが新しい音を生み出してきた。▼しかし、根っこのところを知らないままでいると、終盤で苦労する。このあたりはプログラムに極めてよく似ている。「バグ対応」できないのだ。この音がどうしてもベースに合わないと感じたり、ミックスの段階でもう少し音色を理想に近づけなければならないと感じたりしたとき、どのパラメーターをどういじればいいのかわからなければ仕上げようがない。ライブラリに頼りきりでロークラスの仕組みは露知らず、右往左往してしまう駄目なプログラマのように、バグバグしいものばかり創るはめになるのである。

[1215] Dec 25, 2012

競馬には不思議な点がひとつある。子と子で投資金を取り合うギャンブルであるにも関わらず、ある特定の人々が選んで不利な状況を受け入れているということだ。馬券を買うタイミングである。▼言うまでもなく、最適解はレース直前である。馬の体重や気性、騎手の調子、乗り替わり、天気、馬場状態……発走数分前なら、予想に必要なあらゆる情報が出揃っている。数時間前には手に入らなかった情報だ。自分の予想に自信があるなら、情報は多ければ多いほど良いはずである。早く買えば買うほど倍率が高くなるというのであれば話は別だが、前日購入でも直前購入でも単勝二倍は等しく二倍なのだ。▼それでも先んじて腹を括る人がいるのは、余計な情報に惑わされたくないという自分の予想力への不安か、直前で決意を翻して痛い目を見た経験から来る臆病さであろう。早く買うことで勝率を高める「ロジック」はない。心理的に不公平が創りだされている面白い賭博である。

[1214] Dec 24, 2012

今日の記事は、食事中の方や良い気分で日を終えたい人には後日を推奨する。数年前、記憶も遠く遥か昔のこと。▼二駅ほど離れた場所にある丼物屋さんで、よく出前を頼んでいた。釜飯が一人前で800円程度だったように思う。そこまで安くはないが、味もまずまず良いので愛用していた。弟と、夕飯に使うことが多かった。▼ある日、いつものように釜飯が届いて、食卓で食べていると、テーブルに蟻を見つけた。びっくりして布切れで始末すると、一匹どころではない、次々と蟻が見つかる。掃除機の出動。それでも完全にいなくならない。どこから――と導線を辿ると、釜飯の土台の中に夥しい数の蟻が巣食っていた。▼すかさず電話。担当員が引き取りに来て、新しい釜飯をひとつ、まったく同じものを置いていった。申し訳ないと謝るでもなく、ではこれでという軽さである。以来、二度と利用することはなかった。客に心理的な傷を与えるミスは、一度でも命取りである。

[1213] Dec 23, 2012

会社に長く居ることは必ずしもいいことではないが、常駐力の高い人は、パートナーからするとありがたいのは真実である。発生した問題に対する対処が早いからだ。大詰めになればなるほど、「居ない」ということは大きなマイナスになる。正しいか、正しくないかに関わらず、居て欲しいという空気は色濃くなる。▼居て欲しいというみんなの気持ちが純粋であれば、そういう場所は居心地がいいので、疲れていても休日でも、来て仕事をしようと思うようになる。しかし、これが居ない人間を非難するようになると、途端に居心地が悪くなる。休日に居ないのは個人の自由だという、非難のない時代には誰もが当然と考えていたことが、逆に過剰な権利の主張や言い訳のように聞こえてくる。▼みんなが正当な権利を受けられて、かつ物事が上手くまわる、そういう環境は、各々が権利の一部を進んで譲歩してもよいと思えるような、居心地のいい、非難のない世界にしか宿らない。

[1212] Dec 22, 2012

連日連夜の連闘で、さすがに疲れ果ててきた。席でのストレッチを欠かしてないので腰には来ていないが、眼と頭が痛い。見て考えることをしないわけにはいかないので、どうしても休まらない部位である。狭い室内で、眺める遠くもない。▼ときどき、電車の中で働いているときの気持ちを分析してみる。税金を納めて国のために働いているという意識はあんまりない。会社のため、これはそこそこある。部のため、チームのためとなると、肯定度はかなり大きい。家族のため、もちろんそうだ。この同心円を限りなく小さくしていくと、最後は自分のためになる。▼食べていく、欲しい物を買う、協調性を養う、スキルを身につける。諸々の「自分のため」は、働くという行為の主たる目的ではないかもしれないが、それがあるから頑張れる「ご褒美」ではある。報奨か、つらさに見合わぬ補償金かは人によるだろうが、私にはまだ、嬉しいものに思える。ぎりぎり、そう思えている。

[1211] Dec 21, 2012

ちっとも愛想がなくて、ぴしゃりとした物言いをして、いつもきびきび動いて、人を寄せつけない気迫を出していて、学生時代は弓道と合気道を修めていたという女の子が、いつもなにやら可愛らしいアイテムばかり身につけているので、仕事場とは思えないほど和やかなモコモコのスリッパをきっかけに、そんなギャップの話をしていたら、こんなことを言った。「私って、話しかけにくいでしょ。自分から話しかけるのも苦手だし。だから出来るだけ話の糸口になるような可愛いもの使って、触れてもらってさ、そこから話が広がればいいなって。」▼なるほど、そういうこともあるのかと素直に感心した。話しかけにくいとわかっていても、話しかけやすくしようとは思えないし出来ない、そんな自分の気質を飲み込んで尚、前向きに努力しているのがよくわかる。気難しそうにしていても内心は打ち解けたい人もいるんだなと実感した。当たり前のようで、案外わからないことだ。

[1210] Dec 20, 2012

ハリウッドの定番、プロフェッショナル御用達、そんな謳い文句で定番のオーケストラ音源「EWQL」シリーズが、ウインターセールで大安売りしている。特に、過去の名作から製品を選んで組めるバンドル製品「Complete Composers Collection HD」の割引率は凄まじい。4500ドル相当が1000ドルになる。ハードディスクで送られてくるというのだから至れり尽くせりだ。▼残念ながら私は買う金もないし買うつもりもないが、EWQLにあこがれていた人や買いあぐねていた人がいたら、願ってもいない巨大キャンペーンだろう。新製品が出たとはいえ、木管・金管・弦だけで50万弱の高価さにはそうそう手が出るものでもなし、型落ちでも充分ハイクオリティであることを考えると、その道の人には一考の余地ありかと思う。尚、それ以上は詳しく見ていないが、販売店の方には詳細が見当たらないので、もしかしたら本家サイト限定で打ち出している話かもしれない。

[1209] Dec 19, 2012

関数を呼び出したきり応答が止み、しばらくして値が返る。未初期化の変数がループに使われているなと思う。基底クラスが仮想関数を呼び出したところで停止する。メモリクリアで誰かが仮想テーブルを破壊しているなと思う。エラーメッセージの種類を見るや、セミコロンを打ち忘れたであろう場所が浮かぶ。等々……。▼どれも数ヶ月前は原因探しに四苦八苦していたものばかりだ。それが、あんまりいつも悩まされるので、だんだん慣れてきて、しまいに飽きてきて、零れた水をティッシュで拭き取るように、苦もなく処理できるようになった。▼さっと見て、さっとわかって、手が動く。この応答性の速さが「経験」だなと、このごろ感じる。月並みな表現だが、こればかりは本を読んだだけではなかなかわからないことなのだ。今日もひとつ、どうしても原因のわからないバグに四時間も手を焼いた。まだ解決していないが、これも肥やしになると思えば前向きに取り組める。

[1208] Dec 18, 2012

シンセサイザーひと筋何十年というベテランが、こんなことを話していた。自分はシンセサイザーを使えばたいていどんなサウンドでも創り出せるが、どうしても再現できない音がひとつだけある、と。それは、「ハンドクラップ」なのだそうだ。▼意外に思うかもしれない。私も意外に感じた。けれども、頭の中で何度か理想的なクラップを鳴らしてみると、たしかにこの音を波の合成や変形から生み出すのは至難の業に思えてきた。そもそも波として想像することすら難しい、かなりカオティックな音だ。しかも、綺麗と思えるクラップはひとつではない。いろんな音色がある。▼ハンドクラップと言いつつ、あの音はひとりの拍手ではないので、実情はハンドクラップスである。複数人が同じ音を違う強さで、違うタイミングで、違う音色で発した響きの総合計である。言わば出自からして、無数の相違を内包している音なのだ。カタカナで擬音を書くのも難しい。奥深い音である。

[1207] Dec 17, 2012

久しぶりに終電を寝過ごした。タクシーも来ないので、歩きでの帰宅を試みる。雨が降りだしたので、コンビニでビニール傘と温かいほうじ茶を買った。深夜一時。音は無く、道は暗い。▼線路沿いに進んでいたつもりが、いつの間にか離されて、そのフェンスの向こうにあると信じていた線路は、二十分もするとどこかへ消えてしまった。急な上り坂に差し掛かる。地図の記憶が確かなら、山をひとつ挟んでいるので、これは正しい方角に向かえているらしい。しかし、人の気配はない。明滅する黄色いランプ。赤い鉄塔。▼GPSも頼りにならない。いくらマップを更新しても、現在地の矢印は近隣の中学校の校庭で方向だけを変えつづけている。なんだか何かに引き寄せられているようで気味が悪い。距離もわからないほど遠くで明滅するランプが、黄泉への招き灯に見えてきた。とうとうその正体を確かめることなく家に着けたが、あれはたぶん学校のある方角だったように思う。

[1206] Dec 16, 2012

それはわくわくするものか。イエス。それはわくわくしつづけられるものか。ノー。ここにコンセプトの生死を分かつ分水嶺がある。▼よほど暗い思考をしていない限り、楽しげなアイデアはいくらでも頭の中から生まれてくる。心配しなくても、人間の脳味噌はそういうふうに出来ている。しかし、楽しげなアイデアを具現化したはずのものが、ちっとも楽しくないということがしばしばある。なぜか。答えは簡単、楽しげであることと楽しいことのあいだには大きな違いがあるからだ。即ち、静的評価か、動的評価か。▼たいていは作品に触れる前の、ある特定の時間で評価が定まる「楽しげ」と異なり、「楽しい」かどうかの判定は作品の鑑賞中に刻々と変化していく。ある作品が楽しいためには、それは楽しく<ありつづけなければ>ならない。パッケージ詐欺のような誤魔化しが効かないのである。どこへ包丁を入れても、楽しい絵が現れること。最後まで継続すれば文句ない。

[1205] Dec 15, 2012

最近のフィナンシャルタイムズには、しばしば日本の選挙に関する記事が出ている。なんとなく、珍しいなと思う。ヘッドがころころ変わる日本の政治事情にふだんはあまり関心のない欧米諸国も、自分たちの展望がよろしくない今日、大震災後の日本の動向は気にかかると見える。凶と出るか、吉と出るか。▼この天秤で「凶と出ることもある」ことを教えてくれた前回の政権交代は、ある意味で良い刺激であった。どうせこの一票では国なんか変えられないよとうんざりしながら投票所へ向かう、そんな足取りは以前よりも少ないだろう。▼明日は投票してから会社に来るという人が圧倒的に多い。どうしても朝から出る同僚のひとりは、ちゃんと期日前投票していた。ある三十過ぎの先輩は、生まれてはじめて投票に行くよと笑っていた。そのこと自体はどうかと思うが、そんな彼の決意からもいつにない「選挙熱」が感じられる。私も出社前に行く。ならぶ人の様子も見てみたい。

[1204] Dec 14, 2012

音楽には変化が必須であるとよく言われる。単調になることは音楽の死だ。そう考えるから、皆、強弱を変えてみたり、音の厚みを変えてみたり、音色を変えてみたりする。ひとくちに言えば、やはり<変化をつける>のだ。しかし、ここでひとつ、例外的に変化させてはならぬものがある。情報量――豊かさである。▼やたら詳しい頁とたいした内容のない頁が混在している、そんな書籍が読みにくいように、情報量の変化する音楽は聴きにくい。音の数が減ったとき、それまで感じられていた豊かさまで減るようでは困る。内容は失われてはならない。音が少なくなればなるほど、技巧と表現による「一音色あたりの情報量」は増えるべきなのだ。▼情報量保存則。エネルギー保存則のように、曲全体に成り立つ原則として意識していれば、それだけでどこか物足りない、肩透かしのような楽節は少なくなるだろう。無音が担うべき情報の多寡を考えれば、濫用できない理由もわかる。

[1203] Dec 13, 2012

先週の木曜日から、マフラーが見当たらなかった。よく物を失くす私とはいえ、巻いて家まで辿り着いた鮮明な記憶があったので、部屋のどこかに紛れ込んだに違いないと決め込んであまり真剣に探さないでいた。▼一方、ちょうど同じ頃、会社の遺失物掲示板にマフラーがあがっていた。ボルドーと紫と紺の縞模様。横文字でブランド名のロゴがついているという。この時期身に付けるものは失くしやすいものだなと思った。▼それから一週間経った。掲示板の落とし主は見つからなかったし、私のマフラーも見つからなかった。もちろんご明察通り、そのマフラーこそ私の愛用品だったのである。巻いて家に到達した記憶があまりに鮮明だったので、色まで教えられてもまったく気が付かなかった。▼最近の研究から、記憶の鮮明さと正しさのあいだにはあまり相関のないことがわかっている。難儀な話だが、我々は自分の鮮明な記憶こそ、用心深く疑わなければならないようである。

[1202] Dec 12, 2012

欧州人は教会を捨てることで世俗化したが、アメリカ人は教会そのものを世俗化した。イギリスの宗教社会学者、ブライアン・ウィルソンの主張である。▼二十世紀、アメリカにおけるキリスト教の原理主義色――聖書を字義通りに解釈し、現世より来世を重んじる態度――は大幅に減退した。二十一世紀現在、アメリカ宗教人たちの関心は、ほとんど現世に移行していると言ってもいい。彼らが教会に行くのは、もはや神を賛美するためではない。日常生活の喜びのためであり、精神の充足のためであり、あるいは出会いの場として利用しているだけである。▼こうして宗教の宗教性が褪せると、対立する宗教への寛容も生まれてくる。それで心が休まるなら、自由に好きな信仰を持てばいいじゃないか、というのである。実際、五十年前のアメリカでは圧倒的多数を占めていた「キリスト教こそが唯一絶対の宗教である」と主張する信仰者の数も、いまは三割にも満たないのだそうだ。

[1201] Dec 11, 2012

ファミレド・シラソファ・ミ。下降音を想像して欲しい。中点が小節の切れ目だ。ミが白玉なら三小節分ということになる。ここにベースで白玉を3つ置くとしたら、まずはやはり三度の響きを絶やさないような置き方がスタンダードでいいだろう。「レ・ソ・ド」である。いわゆる、ニゴイチ(II-X-T)進行というやつだ。▼ジャズの歴史からリニアフレーズを追求した洋書のある頁でこの説明を見かけて、私は逆にこれこそニゴイチ進行がスタンダードであることの理由である気がした。「四度上行は安定するものだ」と頭ごなしに教えられてもよくわからないし、それを感じ分ける頭が私にはないが、これなら腑に落ちる。締めくくりにふさわしく、歌いやすい四分音符の下降を三度で支えるルートのならび。レ・ソ・ド。▼難しい音楽理論はさっぱりだが、こういう「しっくりくる」分析を見つけるのは楽しい。自分で考えたことだから、出来合いより大切にするというものだ。

[1200] Dec 10, 2012

深夜一時過ぎ。毎日、同じ時間にセブンイレブンへ入り、梅おにぎりをひとつ買う。ときどき温かい十六茶も添えて、220円。銀色二枚、銅色二枚、いつもより小さく見える硬貨を置いて、ビニール袋を指にひっかける。自動ドアが開いたらもう寒い。おにぎりの封を解いて外のゴミ箱に捨てる。裸の海苔を掴んで、ひとくち。暗く、長い坂を登りはじめる。あんまり暗いので、誰も見えないし、誰からも見えやしない。遠慮無く食事も出来るというものだ。▼この奇妙な「梅おにぎり」が始まると、いよいよ年末だなと思う。そういうことでしか年の瀬を感じられない自分を悲しくも思いつつ、考える力も少ないのでオリオン座を見ながら梅を味わう。梅。子供の頃、梅おにぎりが大嫌いだった。そもそも私は梅があまり好きではない。それでも梅おにぎりを食べるのは、そうすることで明日も元気に働ける気がするからである。だから<奇妙な>おにぎりなのだ。まだまだ先は長い。

[1199] Dec 09, 2012

専門領域や関心分野を共有し、切磋琢磨し合う少数精鋭のブレーン集団「ポッセ」。弱い絆で結ばれ、さまざまな情報伝達を行う緩やかで大規模な人のネットワーク「ビックアイデア・クラウド」。バーチャルな付き合いにつかれた心を癒し、安らぎと活力を与えてくれる現実世界の友人「自己再生のコミュニティ」。リンダ・グラットンは未来の人間関係をこの三種類で捉えている。▼<健康的な人生>のために三種がバランスよく必要であることは、昔から変わらないのかもしれない。しかし、手に入りやすさ、増えやすさの比重は確実に変化している。たとえば、今となっては構築にさほど手間のかからぬビックアイデア・クラウドに比べて、自己再生のコミュニティを保つのは明らかに難しい。家族や隣人が、ときには嫌でもその機能を果たしていた過去は終わった。アイデアはそこかしこから湧いてくるが、安らぎは自分から求めなければ手に入らない貴重品になったのである。

[1198] Dec 08, 2012

遙かに看る、漢水鴨頭の緑。恰も似たり、葡萄の初めて醅を醗するに。此の江、若し変じて春酒とならば、塁麹すなはち築かん糟丘台。――遥か遠くで鴨の頭のような緑にかがやく漢水が、なんだか醗酵した葡萄酒に見えてきた。この川の水が全部酒に変わってくれたら、麹で展望台でも立ててみたいものだ。▼少し前の話、シュラスコ食べ放題のお店で皿に積まれた肉また肉に、食べる速度が追いつかなくなったときのこと、スタックが溜まり過ぎてきたよと洩らしたら、それは職業病だよと笑われた。あんまり自然に口をついた言葉だったので、一緒になって笑ってしまった。その頃はちょうど、とあるスタックの構造設計ばかり考えていたように思う。▼百年、三万と六千五百日。毎日三百杯を傾けたいと願う酒仙の夢想に似ていると感じたが、彼の不幸な役人生活からの逃避と違い、私は毎日プログラミングに追われる仕事生活が現実に投影されているのだから、実は逆であろう。

[1197] Dec 07, 2012

昼休み、あまりにも睡眠時間が足りないので、ご飯も食べずに仮眠室へ駆け込んだ。四十分でも寝たい。昨晩の利用者たちが抜けだした後の乱れたベッドに、手付かずの一組を見つけたので、さいわいと滑り込んだ。携帯のアラームをマナーモードでセットして、胸の上に置いて寝る。寝過ごすわけにはいかない。▼いくら眠くても慣れない環境で寝るのは難しいもので、はじめの十分ほどは起きていた。起きていると、仮眠室のドアが空いては閉じ、開いては閉じる音が聞こえる。私と同じく昼の眠りを求めて来たが、満室を見てしぶしぶ引き返しているのだろう。そういう人が意外に多くて驚いた。▼起きてから知ったことだが、そのうちの一人は予備の布団を引きずり出して、勝手に床に敷いて寝ていたようだ。仮眠室は夜の部屋、昼に寝るなら部屋で突っ伏して寝るものと思っていたが、案外みんな愛用しているようである。時間通りに目覚められさえすれば、やはり布団がいい。

[1196] Dec 06, 2012

"Cubase Studio 5"から"Cubase7"へのアップグレードはダウンロードで済んだ。箱の置き場に困るだけの無駄なパッケージがなくなってたいへんありがたい。インストールしたところで来年二月までは触る暇もないが、とりあえず必要最低限のセットアップだけは済ませておいた。プラグインの移行もとくに問題ない。旧バージョンで誤作動を起こしていたいくつかのじゃじゃ馬も、正しく動作するようになっている。良い。これでこそ最新バージョンだ。▼色調がダークになって、印象はがらりと変わった。カスタマイズ出来る要素なので、7の特徴と言うのもどうかと思うが、デフォルトのカラーイメージは白から黒へ転換している。高級感が増した感じだ。てんこもりの新機能は8が出るまでにいくつ試せるやら、つくるものが偏る都合ほとんど使わずに終わるものばかりだが、それではもったいないということで、来年は遊びがてらCubaseらしい使い方もしてみようと思っている。

[1195] Dec 05, 2012

朝、通勤に急いでいると、みんなの党の候補が駅前で選挙活動をしていた。演説している本人のまわりで、遊撃部隊が候補者の名前を声高らかに繰り返しながらビラ配りをしている。「**をよろしくお願いします!」そうして私のところへ来ようとしたので、受け取る気もなし、軽く会釈して手で制止すると、彼は「**を」まで言いかけたところでぴたりと言葉を止めて、不機嫌そうに踵を返したのである。これには驚いた。▼当然、印象は最悪である。もともと選ぶつもりがないからいいものの、心象第一の政治家にこのやり方はない。昔、化粧品メーカーの路上アンケートに答えて、最後の住所欄に記入を拒んだとき、「プレゼントなどもらえますから……」と勧誘するのを制止したら、唐突に声色を変えて「あっそ」と立ち去ってしまったお姉さんを思い出した。票田以外は徹底的に無視する効率主義は、どこまで「効率的」なのだろう。定量的な実験があっても面白いと思う。

[1194] Dec 04, 2012

二人の先輩が今日、電子書籍をめぐって意見を戦わせていた。ただし、紙媒体を賛美するアナログ派と利便性を崇めるデジタル派のよくある喧嘩ではない。ふたりとも、紙も電子も好きなのだ。主張の相違はスタンスにある。「まず電子書籍で読んで、気に入ったら紙で買うか。それとも先に紙で読んで、気に入ったものを電子書籍で買うか。」▼前者の言い分はこうだ。嵩張らない電子でたくさん読んで、真に手元に置きたいと思うものだけを触れられる存在として本棚に飾ればいい。対して後者の言い分はこうである。消費するときは手に馴染む紙媒体で心地よく読んで、心に残ったお気に入りだけを、電子で永久保存すればいい。▼どちらの主張も理解できるが、この食い違いは心的なものというより、お互いの家の本棚スペースの余りに根ざしている気がする。二人とも、金と場所が許せばどちらも買いたいのだ。紙至上主義の私は、何も口を挟まず最後までやりとりを見ていた。

[1193] Dec 03, 2012

大学の頃、スピーカーづくりを趣味にしている同期がいた。暇さえあれば材料を買い集めて組み立てる。出来るだけ安い費用で高いクオリティを追求するのが楽しいのだと言っていた。自腹で購入した数千円、数万円、数十万円の既成品と聴き比べて、自作品をランク付けしていたという。なかなか有意義な金持ちの道楽である。▼費用の相場を尋ねてみたときは、モノによると付言しつつ、希望小売価格で十万円程度のスピーカーなら大体八千円でつくれると豪語していた。機械部に高度なテクノロジーが詰め込まれているタイプの高級品は難しいが、構造や箱そのものに金をかけている類なら、万札一枚でまず負けないという。同期に常連客もいたようだ。▼ついに彼から「十万円相当の品」を買うことはなかったが、あれ以来、私はあまり高いスピーカーに興味を示さなくなった。値段より好みを優先するようになった。そういう意味では、良い影響を与えてくれたと言えるだろう。

[1192] Dec 02, 2012

クラブ・ミュージックの本を読んでいる。教習本ではなく、歴史や特徴を軽くまとめた入門書のようなものだ。成り立ち、進化の過程、生まれた名盤の数々、そして現在の姿。リフやオケなど、知らない言葉がたくさん出てくるので面白い。素材を波形ごと切り貼りして、ときには元素材をそのまま皿に置くことも許されるような、コラージュの世界独特の感覚も新鮮だ。なるほどと思うことがたくさんある。▼わけても、クラブで多用されるという「平行移動によるコード展開」の生い立ちが興味深い。和音の音程間隔を変えずに音の高さだけを動かしていくバッキングはよくあるが、これはもともと、サンプリングする音源中で種々の楽器が奏でる和音を「そのまま」チョップして基音にし、ピッチをずらしてコード展開に利用したのがはしりだそうだ。ただ和音の音階を変えるのとは違い、音程を上下する過程で波形が拡縮されるため音色が変わって、不思議な効果を醸すのである。

[1191] Dec 01, 2012

昼頃に外へ出たら、厚い雲が果てまでつづいて夜のように暗かった。強風に煽られて銀杏の葉が肩越しに私を追い抜いていく。まっすぐ、長い下りの坂道、グレーの背景に黄色い点描。久しぶりに絵になる風景を見つけた。銀杏の葉を踏んで歩く感触に、つい学生時代を思い出す。農学部のあたりは、積もりすぎた銀杏が霜で濡れて滑りやすかった。工学部に向けてかかる橋を、いつもゆっくり歩いたのが懐かしい。▼夜は夜で、また素敵な月が出ていた。あんまり目が悪いので、実はもう形もわからないのだが、皓々とした丸い光の立派さは伝わってくる。同じ道なのに、昼とは打って変わって明るい二十四時。群青寄りの紫に秋の皎月も名風景には違いないが、見上げて歩きながらどこなに物足りなさを感じていると、飛び出した街路樹の枝が視界にかかって、これだと思う絵になった。なるほどねと納得して、立ち止まらずに通りすぎた。もう絵画にはならない空を見るのもやめた。

[1190] Nov 30, 2012

少々、御しがたい新人が臨時で下についた。同じチームで組んでいる、じつに頼もしいひとつ下の後輩とはだいぶ勝手が違う。ひねたところはないし、素直で真面目な子ではあるが、割り当てられた仕事が「間に合わない」ということについて、自分の責任という意識が極めて乏しい。▼その日の作業が遅れても、それは他に臨時の仕事を積まれたのだから仕方がない、あるいは週のタスクが間に合わなくても、それは毎日定時に帰る前提で仕事がアサインされていないのが悪いので仕方がない、どうもそういう考え方である。リスケジュールさえすれば、仕事がどこかへ消えてなくなるような感覚だ。▼残業したくない人が定時に帰ることを止める権利はない。残業見込みでアサインするのがご法度だ。しかし年中毎日定時に帰りながら出来る仕事など、この部署には存在しないのもまた事実だ。正義の御旗で自分都合のスタンスを貫き通すと、居場所がなくなるということもままある。

[1189] Nov 29, 2012

「俺は型にとらわれないから。」いかにも駆け出しのワナビーが言いそうな台詞だが、意志の強弱はともかく、ダンスミュージックの面白いところは、こういう人々を綺麗に嵌めこんでくれる「型」が存在することだ。「その他」と括るのとは少し違う、<型にとらわれないという型>。集合論の自己矛盾パラドクスに出てきそうな話だ。しかも日進月歩の世界ゆえ、恐ろしいことにその型が「古い」なんて言われてしまう。抜けだした先に部屋がある。▼型にとらわれない型のいいところは、旧式の典型から逃れている点、まとまりかけたルールの根底を揺がす刺激を与えてくれることと、しかしあくまで型であるがゆえに、シンプルでわかりやすく理解が早いところにある。型にとらわれない型とは、言い換えれば、古典から一歩を踏み出すためのロジックなのだ。残念ながら、本人たちが信じているほど我流の無形というわけではないが、姿勢の崩し方が学べる贅沢な教科書である。

[1188] Nov 28, 2012

あまりにも久しぶりに、それもかなりの長い時間、英語で話をしていたら、頭の中がぐるぐるしてきた。そちらの言語に集中できればよかったのだが、諸事情により日本語でも真剣にものを考えていなければいけなかったので、言葉は乱れるし、思考の焦点は定まらないし、ロクなことがない。▼幼児期に無理やり二ヶ国語を叩き込むと、その後の学習能力が低下するという話を聞いたことがある。子供の脳発達を促進する最大要因のひとつである「内的思考」で、用いる言語が定まらないために思考の焦点が合わなくなるからだそうだ。まさにさっきまでの私の状態である。たしかに、あんなぐるぐるした頭では、とてもしっかり物を考えられそうにない。実に説得力がある。▼なんでも早いうちからやればいいというものではない。かえって早いうちの空白が、遅咲きの布石ということもある。遅れを遅れと思わないことだ。そんなもの、相手がタカをくくっているほど遅れでもない。

[1187] Nov 27, 2012

宅録。私はやらないが、ミックス環境がラップトップに収まり、ギターの空気録音も必要ない今の御時世、手間はずいぶん少なかろうと思う。しかし、機材の進化ではどうしてもなくならない悩みの種があるそうだ。ボーカルである。声帯に直接プラグを繋ぐわけにもいかない都合、こればかりは音を出しきらねばならない。▼門外漢にはカラオケの個室などよさそうに思えるが、どこの部屋からも歌の聞こえてこない時間帯など現実的にはほとんどなく、自宅のほうがよほど静かだという。完全防音の部屋を備えたカラオケに足を運ぶくらいなら、格安のスタジオでも借りたほうがマシだろう。また、家庭にあるアイテムでは最強の防音設備と言われる「布団」も、かぶって歌うと思うように声が出ず、満足行く仕上がりになりにくいらしい。それでも何枚かあるのなら、布団を壁に貼るのが効果とコストの妥協案だという。ハイテクの時代と思っていたが、まだまだたいへんのようだ。

[1186] Nov 26, 2012

「Visual Studio 2010」の拡張プラグインには、スクロールバーを横に拡張してソースコードの輪郭を表示してくれる非常にユニークで便利な機能がある。使い始めてすぐには恩恵を感じにくいが、知らず知らず頼りつづけていつの間にか手放せないツールになっている、そういう性質の道具だ。単語のハイライト機能と併用すれば、情報へのアクセスの速さは段違いである。▼もうひとつ、このツールは「劣悪なコード」をいち早く嗅ぎつけることにも威力を発揮する。危ないファイルを開いた刹那、ランダムにぎざぎざしたコードの海岸線が、ある領域だけ規則的に整列しているのがわかるのだ。それはちょうど、ヨーロッパの地図にアフリカ大陸の国境線が紛れ込んだような不自然さである。巨大な港町に立ち並ぶ無機質な倉庫のように、同じシルエットを持つブロックの塊が、定期的に繰り返す風景。ジャンプするまでもない。おぞましい悪臭を放つ、恐怖のコピペコードである。

[1185] Nov 25, 2012

統計は信用しないが、データを眺める分には面白い。自分に関係のあることならなおさらだ。とくに、思いがけない発見をしたければ、何かの情報を調べようとして統計を見るのではなく、「統計」だけ、あるいは思いつきの単語を横にならべてグーグル検索をかけてみると良い。こんなくだらないものにも統計があるのかと思うほど、いろんな情報がまとめられている。価値はなくても貴重である。▼「年齢別の平均貯金額」を見ていた。20歳では約40万、私の年齢だと130万程度らしい。たいしたものだと感心しながら、推移は関連データを見る。二人以上で暮らす家庭の平均貯蓄額は1200万――これは「信用しないほうがいい」統計の方だろう。統計は嘘をついていないが、誤解を狙った表現である。「450万程度」という中央値なら、常識的な庶民感覚とは一致するのではないだろうか。勝者総取りの世界では、平均と標準は同じことを意味しないという好例である。

[1184] Nov 24, 2012

一日、二時間の生活。例年通り、この時期、人生と呼べるのは通勤時間だけだ。電車の座席は心地よく座ると間違いなく寝てしまうので、すこしでも勉強時間を稼ぐよう出来るだけ立つようにしている。それでも、立ちながら寝てしまうこともある。そういう日は仕方がない。もともと存在しなかった日なのだと思って諦める。▼デザインの勉強、プログラミングの勉強、経営学の勉強、気が向けばなんでもやるけれど、音楽の勉強だけはどうにも好きになれない。何かと楽譜で書かれても頭の中で音に出来ないし、初心者向けでも用語は複雑だし、なにより読んでも理解できない。自分でも不思議なくらい、つくづく音楽向きな頭はしていないと思う。▼そういう不得手を埋めるのに、苦手を克服するよりは得手から攻めるのが好きな横着者だから、音楽に関係しないことで音楽の素養を磨ける調子のいい何かはないかと、無関係な本をめくりつづけている。そんな二時間の往復である。

[1183] Nov 23, 2012

今日はブラックフライデーである。ブラックマンデーを思わせる言葉面の悪さから、不吉な日のように感じるが、もちろんそんなことはない。感謝祭翌日の金曜日。クリスマスセールの開始で小売店が軒並み黒字になることが由来である。ただでさえ円高で海外製品がありがたいところへ、"Save 97%"のような投げ売り同然の割引率に象徴されるアメリカ特有の気前のよさでセールの嵐が訪れる。ウィンドウショッピングとはいえ、通販サイトをサーフィンするのも面白い。▼ところで、黒に不吉な空気が漂うと書いたが、黒色がバッドラックを表現する文化圏は、実は日本だけである。欧米圏でも死や悪魔を連想させる色であることに違いはないが、「不吉」「不運」というニュアンスはない。「権威」や「永遠」のような、どちらかというとソリッドな概念に用いられているようだ。そういえば日本語にも「黒帯」という表現がある。あれも権威である。帳簿も黒を良しとする文化だ。

[1182] Nov 22, 2012

優れたゲームデザイナーは常に新鮮な企画を十個は頭に描いているという。そうして、ひとつ実現するたびに数を増やすのだ。二十くらいになったら使えないアイデアを選んで捨てる。それくらいでなければ企画者は務まらないということだろう。▼今、私には大きくやりたいことがふたつある。どちらも音楽に関係することだ。そろそろこの記事も会社で書かなければ追いつかないほど仕事も佳境に入り、とても計画を実行に移せる身分ではないが、電車の中でも考えをまとめるくらいのことは出来る。どうすればもっと面白くなるか、考えている。▼構想はふたつしかないので、せめてその構想のバリエーションを十も二十も揃えてみよう。十分差別化された案がそれだけ並べば、中には私にとっても、ユーザーにとっても、世界にとっても、最初の案より面白いと思えるアイデアがひとつくらいはあるはずだ。そうしたら、またまわりに案を並べていく。案外かんたんな仕事である。

[1181] Nov 21, 2012

ハウス、テクノ、ヒップホップ、エレクトロ……。ダンスミュージックのジャンルはとにかく多い。型が出来ては型破りの繰り返し。あるときは互いにリスペクトし合い、裾野を被らせながら、世界中で小さな山をたくさん形成している。オルタナティブ・ロックのように、どこにも分類てきないことがやがて分類名になることもザラだ。どれだけ混沌としているか、いちどウィキペディアで「音楽ジャンル一覧」を引いてみると良い。▼そんな名前たちの広大な海を泳いで、有名どころの特徴を押さえるべく簡単な表をつくりはじめた。解説を読んで、サンプルをいくつか聴けば、なるほどと思うことがいくつもある。たとえば、ダブステップの特徴がポリリズムだと知ってから改めて曲を聴くと、16ビートを刻むハイハットの上で唸るウォブルベースの三連符を聞いて「たしかにこれこそが魅力だな」と感じられるようになる。そんな発見が欲しくて、特徴を整理しているのである。

[1180] Nov 20, 2012

Wavesの年末大型割引は恒例らしい。特定の単体プラグインを購入すると、100ドルのバウチャーがついてくるという。バウチャーとは引換券や割引券を意味する言葉。要するに次の好きな買い物で金額分を割引いてあげようというクーポンである。その特典付きプラグインの価格が99ドルなのだから、もとより買い物をつづける気でいた人には嬉しいサービスだろう。▼こうした流れでバウチャーという言葉の意味を弟に教えていた矢先、生活保護の現物支給=引換券化が取り沙汰されたり、かつては日本に教育バウチャー制度を導入するべく奮闘した安倍元総理が復活してきたり、言葉に関係のある事象が次々と舞い込んできた。こじつけと言われればそれまでだが、そんなにメジャーな単語でもないのに不思議なものだと感じて面白がる。言葉のまわりに世界が広がる感覚である。▼尚、競争原理で教育が良くなると素朴に信じられないので、私は教育バウチャー制度には賛成しない。

[1179] Nov 19, 2012

昼休みに立ち読みした音楽雑誌の特集記事で、私の知らない有名なアーティストがこんな言葉を寄稿していた。曰く「(音楽制作にハードウェア機材ではなく)プラグインを利用するようになって、良くない仕事しか出来なくなった知り合いが多い」という。その理由を、彼は「リコールが簡単にできるから」と説明している。▼どんな設定にしたらどんな音になったかを記憶して比較できることは、多くのデスクトップ作曲家がデジタルワークの「魅力」と感じている点である。そこへ真逆から斬り込んだ短評が興味を惹いた。彼はリコールの出来ないハードウェアに固執している。その音は、まさにそのとき限りの音であるという意識が常にないと、集中力が散漫になるからだそうだ。一期一会の精神と言えば月並みで安いが、この手の集中力が生み出す奇跡の「設定」は馬鹿に出来ない。かくいう私も、プラグインに標準装備の保存機能を使ったことはない。いつも再設定している。

[1178] Nov 18, 2012

iTunesのプレイリスト移行に失敗したので、iPodの中身をはじめから構築しなおすことになった。この忙しいときに手痛い時間のロスだが、移行手順を詳しく調べずにOSを差し替えてしまった以上、仕方がない。前のプレイリストには自分で使いにくいと感じるところも大いにあったので、これを機にせめて改善を図る。▼しばらく運用してみて痛感したのは、ポータブルな再生機器のプレイリストは、曲のカテゴリよりも聴き手のシーンで分けたほうが良いということだ。アルバムやアーティスト、ジャンルの区分にこだわり階層化と細分化を進めても、いざ再生するときには曲に辿り着く操作が煩わしいだけで意味がない。それよりも、たとえば私なら音楽を聴くのは通勤の75分☓2に限られるので、適度に変化と統一感のある一時間強のプレイリストを数本、綺麗なセレクションとして用意しておいた方が断然良い。前回も結局はSelection-#1と#2以外、ほとんど聴かなかった。

[1177] Nov 17, 2012

近年指折りの「極悪」に数えられた隣のプロジェクトも、来週中にはようやく決着を迎える。未曾有の物量をありえないスケジュールに詰め込んで、仕様は変更に次ぐ変更。決めない指揮官と、反抗的な実働部隊の織り成す泥沼の人間関係。立ち寄ると瘴気が目に見えるような空間だった。凄惨な光景。明日は我が身かもしれないが、今はおつかれさまと声をかけるくらいしか出来ない。近々、数人は辞める人が出るだろう。▼緊縮財政の最中で効率を追い求めると、究極的には「育てるくらいなら使い潰した方が効率的」という局所解にたどり着く。潰される方も他に行き場がないので、体力の続く限りは文字通り「身を粉にして」働かざるを得ない。やがてそういう状況に慣れてくると、過酷な環境の生き残りはいずれ精兵になるさ、という無根拠な楽観主義が古株のあいだでまかり通るようになる。老朽という言葉がこれほど似合う出来事もない。その片鱗を見て、危機感を覚えた。

[1176] Nov 16, 2012

とある会社の製品を楽天市場やオンライン通販で立て続けに購入していたら、以来、どのサイトを見ていても、上部や側部に表示される広告たちが、明らかにわかるほどその会社の製品だらけになった。日常的になにげなくサーフしている視覚空間が、いかにパーソナライズされているかを思い知って、感心しつつ恐ろしくなる。▼グーグルが検索結果を個人の趣向に合わせて変えるようになったときから、ウェブは共有空間としての特性を急激に失いはじめた。もはや誰もが同じ情報にアクセスしているわけではない。皆が各々の興味を求めて巨大図書館を巡り歩く時代は終わった。今はプライベートな書斎がオンラインで強化されているような状態である。▼AR技術など待たずとも、今のウェブはほとんど拡張現実のようなものなのだ。黎明期を特徴づけていた、人の興味を開拓するような役割はもう持ち合わせていない。ツールとしてのウェブ。殻に閉じ込められている気がする。

[1175] Nov 15, 2012

上にボーカルを乗せること前提でつくる曲、いわゆる「歌モノ」のオーディションで、審査員はしばしば、あるタイプの候補に悩まされるという。それはけっして初心者の作品ではない。出来のいいメロディ。素晴らしいグルーヴ。完璧なミキシング。破綻なく稼がれた音圧――。そう、もはやそこに「歌」の入る隙がないのである。▼初心者の作品ではないと書いたが、その道のプロからすれば、こうしたひとりよがりな自己主張をするようなクリエイターは、どんなに音楽的な知識と経験を持ち合わせた人物であれ、初心者と呼ばれるべきなのだろう。完全に、目的を見失っている。▼作者が一人でも複数人でも、頭の中に完成形のイメージがないとき、こうしたことが起こりやすい。完成形が見えていないから、ひとまず手元のサウンドを完璧と思えるものに近づけることがクオリティアップだと考えるようになる。埋めるべきでないところまで、粗を探しては埋めていくのである。

[1174] Nov 14, 2012

知らないと意外なことだが、「読みやすいこと」と「早く読めること」のあいだには、実は違いがある。▼横幅が可変なブログの記事を想像してみよう。どういう幅にすると読みやすいと感じるだろうか。多くの人は、一行が文章として意味を成す程度であれば、出来るだけ横幅を短くするという。海外のニュースサイトなどを見ると、確かに記事全体は縦長のものが多い。逆に、一行がやたらと長い横長のサイトを見かけると、なんだかうんざりしてくる。非常に長い文章を相手にしている気分になる。▼しかし、研究によると、文章は横長の方が明らかに時間あたりの「読破量」が多くなるのだという。ほとんど誰でもそうなのだそうだ。このことを実感するのは、いちど横長で表示した文章を幅を狭めて縦長にしたときである。縮んでいくスクロールバーを見て、「こんなに長かったのか」と思うのだ。それだけ横長には文章が圧縮されていることになる。感覚と現実の乖離である。

[1173] Nov 13, 2012

『ゲームクリエイターが知るべき97のこと』『ゲームを動かす技術と発想』を読む。前者はオライリー定番の「97」シリーズにあやかり、CEDEC運営委員長の吉岡直人氏が独自に編纂したもの。そのため人のチョイスはCEDEC講演者に偏りがちだが、職種はアートディレクターから、コンポーザー、プログラマ、システム開発、企画、プロデューサーと、幅広くバランスがいい。▼後者はバンダイナムコスタジオの描画プログラマによる、ゲームプログラミングの<基礎の基礎>。ディスクリードからメモリ配置、アニメーション、3Dグラフィックスまで、コードなしでここまでわかりやすく、かつシンプルにゲームプログラミングを説明している書籍は稀有だと思う。データや描画に明るくないゲーム業界の新人は、職種を問わず必読と言える。二年、三年を経て中堅に差し掛かりはしたが、担当以外のことを曖昧のまま手付かずにしていた人の「おさらい」にも格好だ。

[1172] Nov 12, 2012

3Dグラフィックス関連の勉強を少しだけ始めようとしている。始めようとしている、なので始めているとは言い難いが、その道の先輩に書籍の貸し出しをお願いするなど、動けるところで動いてはいる。▼テクニカルアーティストたちの活躍に感化されたわけではない。ゲームが視覚的なもので在りつづける限り、3Dグラフィックスの知識に負うところは増える一方だということを改めて考え、プログラマとして基礎から応用くらいまでは固めて置きたいと思い立ったまでだ。単なる思いつきである。ジャストアイデアである。そういうとき、思いが立ち消えにならないよう、すぐに動くのが私の習慣だ。▼先輩に本の貸し出しまで頼んだら、次の日に興味が薄れていても読まないわけにはいかない。勉強しようと思う、と他人に吹聴して、何も知らない調べない、という情けない始末になりたくないと焦ればこそ、脳は興味を持続させてくれる。持続時間のことは後で考えればいい。

[1171] Nov 11, 2012

カップラーメンが出来るまでの待ち時間に、ミニマリズム建築の写真集を見ていた。60年代アメリカの「必要最小限」志向。徹底的にピュアでシンプルな線と立体の織りなす建築物は、複雑な曲線に満ちた自然の中にぽつんと置かれると妙な美しさを放つ。都会には似合いそうにない。▼傑作は傑作である。こんな家に住んでみたいと心底思うような作品も多い。しかし、音楽のミニマリズムもそうだが、ミニマルの駄作には独特の駄目さがあるとつくづく思う。主観を排して最小にするセンスがないというより、最小にしようとするアーティストの努力がうるさく感じるのだ。「この単純極まりない美しさを見よ!」したり顔の顔写真が添えられそうな家。ミニマルの本懐ではない。▼策士策に溺れるとでも言うべきか。形式を追い過ぎること自体が形式から逸脱するという、自己矛盾的な失敗がそこにはある。座禅を組んで心で念じる「煩悩を無くそう」という声もまた煩悩なのだ。

[1170] Nov 10, 2012

閃いた、けれどもまだ吟味していない。そんな「ただの思いつき」を、ジャストアイデアと言うらしい。ずいぶん格好良く言い換えたものだ。横文字にすることで、ただの思いつきよりも長所がありそうに見えてくる。事実、ジャストアイデアには、熟考されたアイデアにはないメリットがある。▼分けてもいちばん良いのは、隙がある分、他人が口を挟みやすいところだろう。ブラッシュアップ段階で他人に参画してもらえる意味は大きい。自分ひとりで完璧に練りあげてしまい、誰かに不備を指摘されても吸収できない、あるいは指摘されそうな箇所を先手を打ってごまかしてしまう、そういうことはままある。形式だけは完全というやつだ。一方、練度の低い状態なら、突っ込みどころも豊富だし、何より発案者たる自分に思い入れがそこまでないから素直に助言を受け入れられる。受け入れないまでも、何か言われてそこから思いつくこともたくさんある。いいことばかりである。

[1169] Nov 09, 2012

ここ数年、ゲームクリエイターの中で「テクニカルアーティスト」と呼ばれる職種の地位が高まっている。アニメーターの美学とプログラマーの技術を併せ持ち、双方の橋渡しをしながら理想と現実の妥協解のクオリティを底上げする役目である。▼昨今のように、高品質なCGを短期間で生産しなければならない環境下では、技術に迎合できない、あるいはゲームデザインにそぐわない無駄なアセットの制作に費やせる時間は欠片も無い。だからこそ、あらかじめ最適なアート制作を計画できるTAが道を拓き、現場をリードすることが重要になっている。▼それぞれの分野は本職に及ばなくても、両方を知らなければ実現できない仕事というものが増えてきているのは、ゲームの世界に限らない、考えてみればDTMもまた、芸術と技術の接点にある趣味だろう。アナログで楽器を極めた人に表現力は勝てないかもしれないが、DTMの知識がなければつくれない音楽もたくさんある。

[1168] Nov 08, 2012

「ブロゴス」が私怨と私怨の戦場になって久しい。はじめからそうではなかったが、いつの間にやら茹でガエルである。よく練られた上質な考察や、経験に裏打ちされた品のいい随筆は数を減らし、代わりに感情と主張に満ちた攻撃的な怒号が増えた。ときどき、達観したような砕けた口調の雑文が色味を添えている。▼こう言うと堕落を嘆いているようだが、私は今の姿も嫌いではない。いいところを見せてやろうという下心で「設計」された自慢気なレポートより、それなりに説得力のある論の上で展開される感情的な脊髄反射の応酬の方が、官能的で面白いとも言える。肉声というやつだ。なりふり構わぬ切実さが伝わる分、嫌味が抜けている。▼目的が議論や教育では困るかもしれないが、エンターテインメントとしては今の形の方が優れていると感じる。ここがまさに「面白さ」の面白いところだ。あまりにも隙のない完璧な好青年が、案外人に好かれない現象によく似ている。

[1167] Nov 07, 2012

アメリカ大統領選挙が閉幕した。終わってみればロムニー氏は接戦州のほとんどを制することが出来なかったわけで、残念ながら意味の上では大差ということになるだろう。他にいないから仕方なく選んだのか、カムバックの熱いエールか、アメリカ国民の心中ほんとうのところはわからないが、こう不安と混乱の中で「指導者チェンジ」のカードが競り負けた意味は大きいと思う。どこかの国には出来なかったことだ。▼世紀末の破滅思想さながら、つらいときにはなんでもいいから変わりたいと願うのが人の常である。「地獄を見つめて生きるより、希望を追って死にたい。」現状から針が振れれば半分の確率で助かるだろうという、末期的な皮算用だ。もちろん、失恋後の散髪のように、それが前進のために功を奏することもあるが、大多数の集団が無思慮な変化を望んだときは破滅する。意志に貫かれた前進でもなければ、自信に満ちた猛進でもないのだから、必然の結末である。

[1166] Nov 06, 2012

破滅へと向かうプロジェクトには「死臭」がある。典型的な例は、あちこちから聞こえてくるこの台詞だ。「私はちゃんとやっているのに、あの人がやらないんです。」▼上流工程は仕事を流したつもりでいる。下流工程は流された仕事をこなしたつもりでいる。しかし、このような流し流されの関係になっている時点で、「知的労働者集団」としてのチームは破綻しているのである。▼優れた下流工程者は、上流工程者が仕様を決定する機械ではなく、悩める人間であることを理解している。だから決定が滞りそうなときは、自分のセンスと裁量で先んじて動くものを実装するのだ。それを見せて議論すれば、大いに決定の助けになる。逆に、優れた上流工程者は、下流工程者が作業を消化する機械でないことを理解している。どうすれば下流工程者が作業しやすいか、気持ちよく作業できるかを考えて優先順位を意図的に組み替える。必要な順に仕事を発注するようでは、無能である。

[1165] Nov 05, 2012

ピボットが図形の中心しか扱えないような回転関数しか用意されていない環境で、これを用いつつ任意の点を中心に多角形の回転を行うにはどうしたらいいか。実はかんたんな問題だが、ベクトル演算で筆を止めるという情けないことになった。若いころには感じることのなかったブランクの魔である。▼コーディングの最中に、達人が止まらないところで手が止まる理由は、思っているよりもたくさんある。システムの抽象化やクラスの設計のようなプログラミングのスキル「以外」にもあるのだ。高度な数学を要する定式化、複雑な関数の直感的な命名、重い総合開発環境の操作、単純なタイピングの速度。こうしたいろんな要素が、合算されてプログラマの「生産性」を決定している。▼小さな改善を積み重ねて偉業を成し遂げるのは、何も古き良き日本企業ばかりではない。派手な技術の習得よりも、地味なスピードアップの方が効果的ということは、個人にもよくある話である。

[1164] Nov 04, 2012

この週末、恐るべき掘り出し物をふたつ見つけた。ひとつはここで型番をならべても仕方にないようなソフトウェア製品。欲しいが手が出ないと思いつづけていたら、なんと定価の70%引きで投げ売りされていた。アマゾンよりオークションより、価格コムの最安値よりはるかに安い。何度も説明文を見直したが間違いないので、即決で注文した。水曜日に届くらしい。▼それでさえ本当に届くかどうか半信半疑でいるが、もうひとつはさらに疑わしい代物である。タブレット端末の価格破壊と名高い「ネクサス7」だ。定価の199ドルですらタブレット殺しの破格と言われているのに、束の間イーベイにリストされた彼の価格はなんと30ドル。おまけに日本への発送も無料である。あまりにも怪しいが評価の高い出品者なので、さんざん悩んだ挙句、詐欺も覚悟でオーダーした。これに至っては、届いた方が驚きである。どちらも偶然見つけたものだが、滅多なこともあるものだ。

[1163] Nov 03, 2012

サンプリングCDのデモを逍遥していた。ふだん聞かないような音楽ジャンルのライブラリを渡り歩いていると、自分の知らないサウンドがたくさん見つかって面白い。ときどき大衆小説を読むと、純文学だけが文学じゃないなと思えるように、シンセ系の名品を聞くと、アナログな楽器だけが音じゃないなと実感できる。デジタルにはデジタルの優れた表現がある。▼何十、何百と耳に通していると、そのうち得手不得手も見えてくる。私はどちらかというと素直な音を好むらしい。メロディがばりばり叫んだり、うねうね揺れたりしていると、なんだか作者のセンスが浮き彫りにされているようで不安になる。曲自体のクオリティがモノを言う正統派ダンスミュージックの方が安心するようだ。▼自分ならどんなふうに使うだろうと想像しながら、何年もデモばかり聞いて暮らしている。贔屓の音源は記憶済みだから、いつか手を出すことになったとき、選ぶのに苦労はしないだろう。

[1162] Nov 02, 2012

プロジェクトは今日、社内から評価とフィードバックをもらうためのバージョンをリリースした。頂戴する評価内容も重要だが、やはりマイルストーンとしての役割が大きい。担当チームとしての進捗は上々、全体では平均並、遅れているのは何々のパート、上流工程で納品ペースが鈍いのは何処の班……という具合に、否が応でも現時点での足並みを確認することになる。動くモノとして出来ていないのだから、遅れていれば、遅れていることはわかりやすく白日の下に晒される。▼実際に動く半分出来のリリースは、動かない七割出来のリリースよりも、ビルドの通らない九割出来のコードよりも、価値がある。実装とは、<問題なく統合できると妄想されているパーツ>を完成させていくことではない。このあたりの感覚は、創作にも大いに通じるところがある。キャッチーなイントロ、独創的なAメロ、クールなサビ、感動的な締め。これらを思いついた時点の進捗はゼロである。

[1161] Nov 01, 2012

ほとんどロックインに近い状態での「愛用」だが、私の音楽制作環境はCubaseである。たいした機能は使わないため廉価版でも機能過多なくらいで、操作面や性能面で別段不満はないが、ひとつだけ「機会があればやめたい」と思わせてしまう、強烈な不満の要素がある。アップグレード版が異常に高いのだ。▼最新のバージョン6を例にとっても、通常版が79800円に対してアップグレード版はなんと69800円。廉価版も差額が万札を超えることはない。更新のたびに、新規のような価格で購入させられることになる。音系で他のソフト群を見渡しても、六万台の製品でアップグレードは二万程度、安ければ一万台も散見される中、圧倒的なコストパフォーマンスの低さである。▼開発に金がかかるのはよくわかるが、既存顧客を失いかねない路線はいかがなものだろうか。当然、現行機で満足している以上はしばらく様子見である。そうしているうち、誰かに浮気しかねない。

[1160] Oct 31, 2012

『今日の5の2』『みなみけ』で大ヒットを飛ばした桜場コハル先生の現行連載『そんな未来はウソである』に、江口という女の子が登場する。主人公のクラスメイトで、多くの読者にはそこまで強い印象を残さないであろう良き脇役だ。けれども、私は初めて読んだときから彼女に非常な共感を覚えている。完全に私と同じ属性を持ち合わせているのである。彼女は、食べ物をシェアすることで親愛の感情を表現する。▼今日、昼食後に仕入れたチョコレートを近くの同僚・先輩に配りながら、改めてそのことを考えた。私にとってそう安くない三百円で購入してきたお菓子達は、たとえ甘いモノが食べたいときでも、自分で食べるよりは誰かに渡すことの方が重要な意味を持つ。振る舞うのが好きなのではない。同じお菓子を食べている、その時間・空間の存在が好きなのだ。食いしん坊な江口さんと同じように、「お菓子あげる」は間違いなく私の標準的な親愛表現のひとつである。

[1159] Oct 30, 2012

なにもできなくなってきた。文字通りなにもできない。なけなしの通勤読書も、眠気に阻害されてままならなくなりつつある。もはや年末の風物詩である。▼世界に置いていかれるのは怖いので、コンパイル中に世界のニュースのヘッドラインに目を通し、ぎりぎり時事のことは把握している。ペンギンとランダムハウスが合併して出版界の最大手が誕生したとか、たとえばそんなことだ。もちろん、これには驚いた。どちらにも少しは世話になった身である。▼通勤中、読書が駄目なら音楽でもと思うものの、寝てしまうし気は散るし、あまり集中は出来ない。識者によると、こと音楽を「ちゃんと聴く」という行為については、電車の中など論外なのだそうだ。しかし、そうは言われても、論外な時間しか生活の時間がない人間としては、なにかしなくてはならぬ。風変わりな曲を聴いたり、小説のプロットを考えたり、中吊り広告のデザインを勉強したり、未来を案じたりしている。

[1158] Oct 29, 2012

誰かがやらなければ明日が困る、そんな仕事を帰宅間際に引き受けて、予定より一時間長く残業した。急いで目当ての特急に乗り、駅について急行に乗り込んだところで放送が流れた。人身事故。復旧の目処は立たないという。▼十五分ほど待機していたが、頻繁に振替輸送を口にするので、これはしばらく発車しないだろうとホームを離れた。改札口は大量の人でごった返している。どよめき、ときどき怒号。精算を求めて並ぶ長蛇の列を横目に、JRで近くの駅を目指した。▼バスはすでに最終が出ていた。タクシーは寒空に待ち行列だが、ここに並ぶよりほかに帰る道はない。薄着を後悔しながら並んで、ひたすら待ちぼうけた。やがて車が来る。曖昧な住所だけ告げて、体をシートに投げ出した。慣れない道が視界を過ぎていく。それとわかる景色が見えたときには、料金はもう二千円に達していた。善意で時間とお金を失う理不尽――けれども、私は次も残る方を選ぶ気がする。

[1157] Oct 28, 2012

ハードディスク整理とデータ移行に一日費やした。搭載しているHDD/SSDもすでに全部で5つ。200GBあり、500GBあり、2TBあり。増設した当時はどれも「大容量」だったに違いない。ムーアの法則を身近に感じる。しかし、SATAケーブルが埋まってしまったので、次の増設時はどれかを外さなければならない。そういうことも考えながら、データを分類していく。▼いつもながら、放置されたデータを発掘するのが面白い。修論時代の資料や大学時代のレポートがざくざく出てくる。何年もプレイしていないフリーのゲーム。音楽は一括管理なので時の推移はないが、画像フォルダの中身を眺めていると、確かに趣味の移り変わりが感じられる。メモ帳に殴り書いた書評の数々。集めていた英語のジョーク集。脈絡のないアイデアの羅列。節操のない歴史である。いちばん古いディスクの階層深くには、なんと三世代前のウインドウズ設定ファイルが残っていた。

[1156] Oct 27, 2012

SSDを換装し、ウインドウズ8を入れてPCを復旧した。マザーボードの障害ではなくて助かったところだ。システムドライブの容量も三倍に増えたので、しばらくはスペースづくりに苦心することもないだろう。面倒なのは必要なアプリケーションの再インストールと再設定だ。オプションを作りこんでいるとこういうときに困る。個人設定も、そのうちクラウドに保存するようになるだろう。▼ウインドウズ8はかなり好感触である。しばしば初見では操作のわかりにくいところもあるが、覚えてしまえばどれも使いやすい。新しいスタートメニューも、カスタマイズ性と汎用性を上手く両立している。IE10も含め、全体的に動作も高速化しているので、7に比べて不満がない状態だ。通常、乗り換えてしばらくは嫌なところが目につくものだが、そういうところもなくすでに親しめているあたり、相当研究されていると感じる。今回のバージョン革新は成功ではないだろうか。

[1155] Oct 26, 2012

産業革命と工業化は、食を生産する直接の手段である「農業」の時間を大幅に短縮することで、人類全体に膨大な余暇を提供した。工業化以後の発明や進化命は、その余暇を利用して人々が考えたり試したりした結果生まれたものである。第二次産業革命も然り。言わば人は暇になることで、新たなイノベーションを起こしてきたのだ。そうして、そのイノベーションが再び余暇を生み出したとき、革命は次の段階へと進む。▼情報革命は間違いなく、人類に大量の余暇をもたらした。しかし、この現象が第三次産業革命と呼ばれるためには、情報革命はその影響をビットの世界だけでなく、アトムの世界――物質と物流の世界――にもたらされなければならない、とクリス・アンダーソンは指摘している。余暇が生み出された「だけ」の状態では、産業の革命とは呼ばれないのだ。情報技術による製造の飛躍は、まだ始まっていない。それは、まさにこれから始まるトレンドなのである。

[1154] Oct 25, 2012

リスポーンのたびに数秒でヘッドを撃ち抜かれ、いらいらのあまり頭を掻いたり、最高のレース運びをしていたのに、最終ラップで詰めをしくじって負け、コントローラーを放り投げたり、同キャラ対戦でどうしても友達に勝てず、悔しくて眠れない夜を過ごしたりした――そんな経験はないだろうか。ゲームプレイヤーなら間違いなくあると思う。なぜなら、そのいらいらこそがゲームをゲームたらしめている要素だからだ。▼ゲームの本質はストレスである。ストレスの有無こそ、心躍るシナリオ、壮麗なグラフィック、美しいサウンドなど、芸術の単なる総計と「ゲーム」を隔てている垣根に他ならない。ゲームプレイの快感とは、自らの力で負荷を乗り越える快感なのだ。だからこそ、ゲームの設計者はゲーム以外のところにストレスが存在することを過剰に嫌わなければならない。使いにくいUIなどもってのほかである。ゲームは生まれたときからストレスに満ちているのだ。

[1153] Oct 24, 2012

リンダ・グラットン『ワーク・シフト』に登場するエピソードの中で、ひときわ考えさせられるものがあった。欧州企業幹部を対象にした私生活調査で、子どものいる幹部は男性がほぼ100%に対し、女性は60%ほどしかいなかった。二人以上の子どもとなると30%まで落ちる。そうして、そういう人生を意識的に選択した人はごく少数に過ぎなかったという。▼「自分が子どもをもたずに生きることになるとは思わなかった」と語る女性幹部たちは、その生き方を選んだ時点では、自分がどういう選択をしたのか、その選択により何を得て、代わりに何を諦めることになるのか、明確にはわからないまま決断を下したのだ。働き方のように生き方を大きく左右する選択の結果は、予期しないものであることが多いし、現実となるまでにはしばしば取り返しがつかないほどの時間がかかる。だからこそ、何を得て、何を失うのか――選択の報酬と代償を、深く考えなければならない。

[1152] Oct 23, 2012

イヤホンを外しているとこんなこともある。深夜、最寄り駅を降りて人のいない道を歩いていると、背後から若い男の声が聞こえてきた。住宅街に響き渡る大声。目上が相手なのだろう、丁寧語で話している。某ファーストフード店でバイトをしているらしい彼の武勇伝は、こんな内容だった。▼「たとえば1050円の払いに万札出してきたらチャンスなんすよ。レジ開けて、お釣り先に渡して。そうすると小銭が多いからしまうの大変じゃないですか。そのタイミングで『レシート要りますか?』って聞くと、絶対要らないって言いますから。そしたらあとは取り消し押すだけっす。これで1050円まるまる自分のもんすよ。客の多い日は、かなり儲かりますね。」▼言うまでもなく犯罪である。しかし彼の明るい口調からは、自分は天才的な手口で稼いでいるという誇らしさのようなものしか伝わって来ない。そんな若者が、この町のどこかに住んでいる。さすがに悲しくなった。

[1151] Oct 22, 2012

リチャード・フロリダが『クリエイティブ・クラスの世紀』を出版したのはもう五年以上前のことだが、いまだに衰えない引用頻度の高さには驚く。クリエイティブ・クラスという言葉自体がすでに定着した向きもあるし、いまさらではあるが、改めてビジネス書籍の殿堂入りは間違いないだろうと思う。▼ところが、散々概念には世話になりながら、恥ずかしいことにまだ原著を読んだことがない。そんな話をしたら、みんながみんな「シュレディンガーの猫」の論文を読んでるわけでもなし、気にすることかねと言われたが、私は自分のことならやはり気になる。加えて、純粋に読んでみたい気持ちも強い。▼建築に傾きかけた心が、少しビジネス関連にもどりつつある。もしかしたらオーバーランしてどこか別の場所へ行くかもしれない。それはそれで楽しいだろう。パソコンが死んだ今、読書に使える時間はほんの少しだけ普段より長い。30頁の上積みで、本の消化を進めよう。

[1150] Oct 21, 2012

ついにパソコンが大破した。突然のフリーズ、画面の崩壊。再起動してもウインドウズは起動せず、スタートアップの修復は「原因不明のエラー」で中断され、なんと再インストールすら「インストールに失敗しました」という身も蓋もない言葉で拒否される始末である。そうして何度か電源のオンオフを繰り返しているうちに、とうとうバイオスも起動しなくなった。残念ながら、三年来の愛用機も終焉である。▼今日は弟にラップトップを借りて書いているが、そう長く借り続けるわけにもいかない。記事は会社の残業後にでも書くとしよう。しかし、その他の日常作業は著しく停滞する。新しいものを買う経済的余裕もない。可処分所得以前に、全財産を投じてもCPUひとつ買えない有様である。しばらく臨時収入が入る見込みもないし、修理にトライしつつ、他の手を考えるしかあるまい。

[1149] Oct 20, 2012

1962年。「エコノミスト」は極めて大胆な予測を打ち出した。曰く、日本は戦後の復活を通じてアジアの経済大国になるであろう――。世界は驚愕した。まさか、そんな。だが、予測は見事に的中した。エコノミストが描いた日本のサクセスストーリーは、ほとんど現実となった。▼そうして今、ふたたび上梓された予測の書『2050年の世界』を読んだ。常識・教養の社会系書籍では、久しぶりにまともなものを見つけた気がする。全二十章。塾講師時代なら迷わず生徒たちに読ませていただろう。向上心のある子なら高校生に、よほど社会と無縁でない限りは大学生に、ぜひ目を通させたい。▼新興国経済から女性の機会、言語、文化、宗教、温暖化、戦争、高齢化、ソーシャルネットワーク、貧富の格差、景気循環、科学、情報技術……と予測の対象は幅広い。目を見張るほど斬新な説はないが、どれも堅実で説得力に富んだ知見ばかりである。訳も非常に読みやすくて良い。

[1148] Oct 19, 2012

元気なつもりでも、「休日」という概念がなくなると心身は徐々に疲れてくる。たとえ私生活が忙しい場合でも、オフの日だという意識が身体を休めてくれるのだ。果たして365日フル稼働している政治家や芸能人のような人々は、どのようにして休息を得ているのだろうか。上手な自己暗示があるのか、慣れれば休息など必要ないのか、それとも必要だが物理的に無理なので、日々、破滅へのロシアンルーレットを回しているのか。▼南米生まれの同僚がいる。眠い午後の日、うちにもシェスタが欲しいねと冗談で言うと、南米にいた頃はどこもふつうにあったと言う。三十分ほど寝るのかと聞いたら、一時から三時半くらいまで寝ているのだそうだ。みんな働かないからね、と彼は苦笑する。寝て起きて昼前に仕事を始めて、昼は寝て夕方に働いて日が落ちたら帰る。かたや午前二時に家へ着いては仮眠のように眠り、朝から再び仕事漬け。まいどながら、いろいろ考えさせられる。

[1147] Oct 18, 2012

携帯電話の新機種を見る。現行のIS03にそこまで不満はないが、二年経つのでそろそろラインナップくらいは見ておこうという心算である。さすがは最新世代、立派な製品ばかりで目移りするが、いざ触ってみると、メールと電話をたまに使う程度の身にはどれも機能過多に思えてくる。ウェブが検索できて、GmailとTwitterが見られて、ワンセグが映れば文句なしである。こう考えると、あまり変える意味がない。▼それよりも、今ようやく欲しいと思うのがタブレットPCだ。自分の行動から電子端末を使いうるタイミングを洗い出してみると、ほとんどが着席時であることに気がついた。持ち歩いているバッグは非常に大きいし、ポケットは財布その他でいつもいっぱいである。端末がコンパクトである必要がまったくないのだ。今すぐではないにしろ、入手を検討することにしよう。MSの「サーフィス」に日本での発売予定がないのは残念だが、気長に国内正規を待ちたい。

[1146] Oct 17, 2012

デバッグをしていて、メモリが壊れていると判明したとき、C++なら配列のオーバーアクセスほど疑わしいものはない。外部データから取得した「15以上のはずがない」データをセーフティもなくインデックスに叩きこんでローカル定義の配列から値を取得するという愚行。これをやられると、コールスタックが破壊されて酷いことになる。本日、帰り際の悶着も、ちょうどそんな事例であった。▼この手のバグが追いにくいのは、症状が発見される場所と病原の位置が著しく異なるからである。こめかみのあたりがきりきり痛んで仕方がない、側頭に触れると針が刺したような刺激が来る……こんな訴えの原因が、もしも脚の血行不良にあったしたら、よほど原因究明は遅れるだろう。メモリ破壊はまさしくそんな現象だ。循環系のどこかで生まれた爆弾が、いつどこで爆発するかは爆弾しか知らぬ。恐怖である。コンパイラという健康診断も見逃す危険物。くれぐれも注意したい。

[1145] Oct 16, 2012

「一位、経済的な太陽光発電」「二位、核融合によるエネルギー供給」「三位、清潔な水の確保」「四位、脳の解析」「五位、個別学習の進歩」「六位、炭素分離法の開発」「七位、科学的発見のツールの考案」「八位、都市インフラの保全と改善」「九位、医学情報の進歩」「十位、核脅威の防止」▼2008年、全米技術アカデミーによるエンジニアへの調査で、21世紀の「偉大なる挑戦」とされたトピックの上位ランキングである。エネルギーが金銀を独占、意外にも情報通信技術に関する項目は少ないが、十二位と十四位にはバーチャル・リアリティの進化とサイバースペースの安全がある。脳、学習という言葉が五位圏に見られるのも興味深い。人工知能再燃の確証だ。▼偉大なる挑戦とは、裏を返せば現在の「偉大なる課題」でもある。人類の課題。項目を眺めて、自分の仕事や興味との関わりを探してみよう。解決するのは誰かえらい人ではなく、鏡の中の私たちである。

[1144] Oct 15, 2012

さあ名言を読破するぞと意気込んで「名言集」を読んでも、たいして心に残る言葉は多くない。残っても、せいぜい誰々がこんなことを言ったという知識くらいだ。ショウペンハウエルが指摘したように、言葉は食と同じである。こちらが食べたいと思うときに食べなければ、味も不味いし消化もされない。▼逆に、心が言葉を受け入れる準備を終えていれば、名言はいともたやすく記憶に焼きつく。ある本の検索サイトでビジネス書籍めぐりをしていたら、検索とは関係のない囲みにスライド形式で名言が流れてきた。二秒。ほとんど意識もしないうちに、その言葉は流れて消えた。けれども、私は全文を正確に覚えていた。”No one can make you feel inferior without your consent”▼エレノア・ルーズベルトの言葉だそうだ。私はこの文章を前に考える。咀嚼しきれていない感銘がたくさんある。言葉の正しさ。そうして、この言葉が名言でなければならなかった理由について。

[1143] Oct 14, 2012

平均という神話はいつも幻のように私たちを惑わす。平均的な顧客、平均的な友人、平均的な考え方、あるいは平均的な人生……。そんなものは存在しないが、あたかも存在するかのように見えるので、難しいことを考えるとき、つい無意識に「平均的な」代名詞に頼ろうとする。たとえば自分の作品を見知らぬ他人が評価すると想像するとき、どんな人物を想像するだろうか。こういうジャンルが「好きな人たち」……何らかの意味で平均的でないマスなど、そうはたやすく想像できない。▼顔の見えないお客さんを平均化する誘惑に負けそうなとき、私は数人の<ペルソナ>を作ることにしている。二十五歳、文学部に通う大学生で、火曜日は一限と五限しか授業がない。空いた時間は学生会館でタブレットを開き、とくべつな目的もなく動画サイトをサーフィンしている――その彼が、さて私の作品を見てどう思うだろうか。こう考え始めることは、神話を相手にするより数段いい。

[1142] Oct 13, 2012

「なにか新しいものを市場に送り出すパイオニアになろうとするなら、お手本もなければ地図もない。だから、できることは試してみるだけだ。なにが起きるかは誰にもわからない。試して発見して、早く学べば学ぶほど早く進むことができる。」ネスプレッソを成功に導いたCEO、ヘンク・クワクマンの言葉である。▼最近紹介したリーン・スタートアップも主張していることだが、「早く学ぶ」は製品開発の流行語になりつつある。早く知ると言い換えてもいい。製品の完成形がどうなるか、何を品質と定義すべきか、誰が顧客になるのか、私たちはもはや何ひとつわからない世界で物を作りつづけている。▼こうした事情の中でチャンスを見つけようと思うなら、わかりやすい方法は「かもしれない」を探すことだ。「かもしれない」が検証されたとき、それはそのままビジネスチャンスになる。検証抜きでは、たとえ些細なことでも、それが確かだと誰にもわからないのだから。

[1141] Oct 12, 2012

「実例」という視点から見ると、ビジネス書籍は四種類に分類できる。▼一、実例がないもの。理屈だけで読者を説得しようとする哲学書タイプ。データに頼らない分だけ考察は深いが、屁理屈と思い込みの域を出ないような駄作も多い。二、実例が自分。あらゆる主張を経験で裏打ちしている。見聞きした材料の質と量がモノを言うため、現または元コンサルタントが著者の場合に良作が多い。三、実例がひとつ。ある企業や製品の黎明期から成功までを追うことで、そのあらましを理論展開の骨子とするドキュメンタリー形式。ドラマが仕立てやすいので、優秀な読み物になりやすい。反面、一冊から得られる知識は少なめとなる。四、実例が豊富。調査とインタビューで主張を補強していくタイプ。ひたすらに具体例を重ねるので説得力は極めて高いが、都合のいいサンプルを掻き集めただけのケーススタディにもなりがち。気軽にビジネスの舞台裏を覗いてみるにはちょうどいい。

[1140] Oct 11, 2012

「こうすれば良いという固定のプロセスはない。その場に合わせてより良いプロセスを継続的に生み出していくフレームワークが重要なのだ。」アジャイル開発もリーン・スタートアップもそうだが、最近、こういう基本理念に基づく「ビジネス・マネジメント」が多い。多様性が高く変化の速い時代だから無理もないだろうが、一抹の不安も感じる。もうこのあたりが「手法」と呼べるぎりぎりのラインなのだ。▼もうひとつ段階を進めてみるとわかる。「これを採用しさえすればいいという固定のフレームワークはない。その場に合わせてより良いフレームワークを継続的に生み出していく」――精神が重要なのだ。そんな主張にならないだろうか。風土と言い換えてもいい。これも曖昧な点、精神の集合体と解釈して差し支えないだろう。まさしく、行き着くところは精神論である。だからぎりぎりなのだ。ビジネスと自己啓発が書店で併置されている理由もわかるようではないか。

[1139] Oct 10, 2012

牛乳を無菌状態で保存するにはどうしたらいいか。ルーベン・ラウジングは考えに考えていた。1930年代。市場に出回る牛乳は、巨大な缶や重たい瓶ばかりで、生産者にも消費者にも非常に不便だった。無菌・密閉にさえできれば、もっと軽くて小さな容器で陳列するに越したことはない。しかし、細菌に触れないよう牛乳を密閉容器に流しこむ方法がどうしても思いつかなかった。▼あるとき、この問題について食卓で妻と話し合っていると、彼女はこう言った。「チューブに牛乳を流しつづけて、そのまま封をすればいいんじゃない。」かくかくしかじかの理由で、それはとても無理だと彼は言ったが、妻は反論した。「試してみたことはあるの?」実験室に戻り、言う通りにしてみると、懸念していた問題も起きず、きちんと封をすることが出来た。アイデアの基礎は固められたのだ。こうして、革命的な食品容器「テトラパック」が誕生した。示唆に富んだ実話の物語である。

[1138] Oct 09, 2012

小学校二年生のとき、学校の紙飛行機大会で優勝したことがある。▼当日まで、どんな素材で、どんな形に折れば、ふわふわと長く飛んでいくのか、体育館で何度も追求した。けれども不器用な私の飛行機は、数mも飛ばないうちに風の抵抗を受けて、ひらりと身を反転して落ちてしまう。風に乗ることが出来ない。抵抗が飛行機を落としているんだ――そう見えた。▼私は、与えられた折り紙の中で最も重く、滑らかな素材の一枚を選んで、それを細く、細く、限界まで細く折った。空気抵抗はほとんどなかった。当日、逸品を全力で投げると、投げた力の分だけしゅーんと飛んだ。そうして、体育館の反対側の壁に突き刺さったとき、それが最高記録だった。▼いちばん飛距離の長い作品が勝ち。そんな単純すぎるルールのもとでは、紙飛行機とは呼べないような、おかしなものが「優勝」してしまうこともある。全力で挑んだ「変なもの」がたまたま勝ち取った不名誉な勝利である。

[1137] Oct 08, 2012

有隣堂の「経営戦略」「チーム」「リーダーシップ」「広告」「マーケティング」あたりのコーナーで、延々一時間以上、あることを試していた。平積みと目立つ棚の本を取り出し、帯と推薦文と要約を見たあと、奥付の初版発行日を見て戻す。これを繰り返しているだけで、ひとつのことがわかる。経営学の書籍自体が、ブランド戦略の対象にされているということだ。▼発行日が新しくなるにつれ、帯と推薦文の仰々しさが増して行く。なんとかの再来だとか、なんとかを越えた名著だとか、なんとかの新たなバイブルだとか。そうして、その面子が数年前にベストセラーを飛ばしたビジネススクールの教授連だったりする。世代間マッチポンプとでも言うべきか。なんともやるせない。▼だからといって推薦の控えめな本が名著だとは言わないが、売れる本と良い本のあいだに乖離が生じ始めたジャンルの一角と認識しておいたほうがいいだろう。真の名著は目利きで探すしかない。

[1136] Oct 07, 2012

「あなたね、いちどコミットしたことは絶対にデコミット出来ないんだよ。」教授が何度か言っていたのを覚えている。あるパーティーのとき、研究室の特任教授が「今度、みんなまとめて赤坂のとびきり高い店へ飲みに連れていってやる!」と酔った勢いで言ったとき、学生が俺も俺もであんまり群がるものだから、さすがに酔も覚めて冷や汗混じりのところへ、教授からその言葉が飛んだのである。笑いながら、しかし言葉に嘘はない。見た目以上に含蓄は深いと私は思う。▼一般常識として、約束は守らなければならないが、諸事情で守れないこともある。しかし、それと約束の「取り消し」は別であることを、冒頭の言葉は警告している。何があっても「あの約束はなかったことにしてくれ」と言ってはならぬ。コミットしたら、デコミットは出来ない。行く末は、約束が履行されるか、最大努力の末に仕方なく不履行になるかのいずれかしかない。そうでなくてはならないのだ。

[1135] Oct 06, 2012

母校の後輩と会話する機会を得て、今の状況をいろいろ聞いてみると、変わらないこともあり変わることもあり面白い。時期柄、進学振り分けの話をしていたが、点数分布の具合も七年前とはかなり違うようだ。工学部系の足切りが軒並み低く、例年厳しいラインを保持していた薬学部なども、今年は底割れしたという。文系では法学部も危ういらしい。全体的に平均点が低下したのだろうか。▼つい最近、図書館の利用がてらキャンパスを散策したが、卒業してから出来た立派な建物のおかげでかなり景色が変わって見えた。三年のときに常用し、授業のないときはいつもそこで本を読んだり誰かと話したりしていた三号館のラウンジは、新築のため建物ごと取り壊されていた。はじめて知り合いの書いた小説の原稿を読んだのも、卒論の原稿を仕上げたのも、そこである。なにもかも懐かしい。懐かしいが、そこに縋るような気持ちが薄いのは、私が前を向いている証拠かもしれない。

[1134] Oct 05, 2012

手痛い失敗だが、いい勉強になった。定番の前向きなフレーズだが、こういう発言を過大評価してよいものか。エリック・リースはこう窘めている。「「学び」というのは遂行を失敗したときの言い訳としてもよく使われる。約束した成果が出せなかったとき、管理職はそのひと言で言い逃れようとする。成功のプレッシャーが強くかかるアントレプレナーは、何を学んだのか言いつくろうのが驚くほど上手である。自分の首やキャリア、評判がかかっているとなれば、誰でも上手な言い訳が出来るものなのだ。」▼過去を反省して失敗の中から未来の成功に繋がる種を見つけようとする努力は正しい。しかし人は失敗からのみ学ぶわけではない。勉強になったという理由だけで、失敗を正当化したり過大評価したりしてはならないのだ。ルソーにこんな名言がある。「逆境や苦難は確かに人間を成長させるだろうが、しかしその授業料は余りにも高く、払った値に見合う事は殆ど無い。」

[1133] Oct 04, 2012

アントレプレナーというと、研究室で磨いた新技術を誇りに会社を設立する学生や、就職した大企業を飛び出して起業する熱意の若者が想像される。ベンチャー企業のイメージである。しかし、たとえ大企業の中でも、会社から独立したチームが全く新しい領域へのチャレンジを託されたとき、これはほとんど起業も同然である。彼らは企業内起業家――イントレプレナーと呼ばれている。▼若者のスタートアップを支援する活動の成果がそれほど芳しくない中、起業家のための書籍や講習が人気を博している理由のひとつに、広義のイントレプレナーがある。「社内で、新しいことを始める人々。」彼らは自分たちのプロジェクトを成功させるため、他でもない、起業家のための情報ソースを頼りにしているのだ。不確実で、不安定で、スピードが速くて、絶えずイノベーションが求められる、そんな世界が、人ごとではない、普通の企業の中にも浸透してきている証拠だと考えている。

[1132] Oct 03, 2012

コールハースは、美しさについて語るのが嫌いだった。何事も理詰めの彼が、美しいものを前にしては無言になる。「美しさは目的として追い求めるものではなく、副産物として生まれる」というのが彼の理念らしい。だから、偶然現れた言いようのない美しさを前にして、ふたたび理詰めの頭が蘇るのだろう。なぜこれは美しいのか。けれども、そうそう答えは出てこないので、無言になるしかない。▼美しいものを美しいと感じて感嘆する感性は、人間という生物の生存確率にどう関係してきたのだろう。これは、考えても考えても難しい問いである。なにしろ副産物なのだから。シンプルで美しい。バランスが良くて美しい。複雑怪奇で美しい。なんとでも言える。溶岩の湧き出る噴火口のような、命の危険を感じるような光景さえ美しいのだ。そんなものに見惚れて息を呑むような個体は、美しさなど感じない個体よりも死にやすそうではないか。今はまだ私に確たる答えはない。

[1131] Oct 02, 2012

手を動かすことが即ち、考えることである。これだけはいつでもどこでも変わらない。変わらない原則だと思っていた方がいい。言うまでもなく、会社はアイデアを考える場所ではないのだ。そんなものは電車に揺られているとき、歩いているとき、シャワーを浴びているときにでも考えればよろしい。会社という場所にいるときは、そうして考えた末に選ばれた秀逸なアイデアを実現するために手を動かすのだ。▼いろんな反論を見越した上でやはりそう思う。プロセスをないがしろにして良いと主張するのではないが、会社は私たちのアウトプットに対価を払っているのであり、効果も不確かな瞑想に金を出しているわけではない。このことを意識している人としていない人では、手の動かし方がまるで違って来る。手の動かし方が違ってくると、出力が違ってくる。「自分の方が上手く物を考えているはずなのに、何故あいつの方が仕事が速いんだ?」よくある的外れな愚痴である。

[1130] Oct 01, 2012

敬愛まではしなくても、尊敬は心から出来る、そういう人もいる。今日はそんなY先輩の名言を要約してお届けしよう。▼「口頭で言う、文書化する、記録に残す、僕はこれらのことを徹底するのが好きじゃない。だって、伝え漏らしがあれば怒るんだろう。なら伝えないよ。伝えないこともあると日頃から皆に思ってもらわなくちゃ困る。そりゃあ「言わないことは知らないしわからない」というスタンスを取れば、言わなくてもわかると思ったとか、言い忘れていたとか、そういうありがちなミスの頻度は減るかもしれない。でも頻度が減る代わりに、発生したときのインパクトは跳ね上がる。当然でしょ。「まさかあの人がこんなことを言わないなんて」夢にも思わないわけだから。それで取り返しのつかないことが起きたりする。冗談じゃない。そんなことになるくらいなら、相手と状況を見ながら推測したり確認したりして、日々些細な誤解を調整していく方がずっと健全だ。」

[1129] Sep 30, 2012

数年前に「クラウド家電」というスローガンを聞いた。これからは、全ての家電がクラウドで繋がる。そんな構想である。しかしその後、ITの世界でクラウドが持て囃されているうちに、いつの間にか家電の方は下火になってしまった。いまだに「構想」止まりでいる。静かな継続。▼なぜ失敗したのか、と言うには時期が早いが、構想がなかなか実現しないのは技術のせいではない。需要についてはあまり詳しく知らないが、各社クラウドの夢を諦めていないのだから、まるきり無いわけでもないのだろう。問題は、クラウド家電という存在が生まれ持つ導入障壁の高さにある。▼見回してみて欲しい。家の中に、同じメーカーの家電が何台あるだろうか。親戚に勤め人でもいるか、あるいは古株のファンでもない限り、家電のメーカーなどそう意識的に揃えるものではないだろう。クラウド対応製品がいくら出たところで、数を揃えて意味のあるシステムである。食指は動きにくい。

[1128] Sep 29, 2012

非常に良くない設計の例を見たので紹介したい。人入りの激しい会場で、スタッフが来場者に記念スタンプを捺している。薄いクリアパックの配布物の中に、パンフレットと一体化したスタンプ台紙があるらしい。その台紙が最下部にあるので、スタッフが張り付いて開きにくい袋からわざわざパンフレットを取り出している。取り出すと、挟んである広告やはがきがパラパラと袋に落ちる。▼台紙が薄いので空中では捺しにくい。袋に落ちた硬めのはがきを板に捺している。そうして今度は、袋に戻そうとするとペラやはがきに引っかかってしまってうまく戻らない。結局、それらもすべて取り出して、パンフレットに挟みなおして元に戻す。▼たかだか記念スタンプを押すのに、毎回この騒ぎである。無駄も甚だしい。間違いなく、この配布物の設計者は、「空中で台紙にスタンプを捺す」という行為を一度もしていないだろう。杜撰な準備がオペレーションの悲劇を招く好例である。

[1127] Sep 28, 2012

かなりつらい。締め切りに必要な作業のため仕方なく出社はしたが、朦朧として仕事にならないので、最低限必要な機械的作業だけ淡々とこなしていく。こんな状態でロークラスの設計などに手を出したら、どんなバグを埋め込むかわかったものではない。データの打ち直し、リソースのコンバート、机まわりの整理、このあたりである。手を動かせば進む仕事だけやる。▼体調不良で二日以上休んでいる人間の数は恐らく今年最多だろう。場所的にも、奥のラインから順々に休んでいくのが、感染のリアルを感じさせて恐ろしい。セルオートマトンの感染実験を見ているような気分になる。三日前まで、右隣の先輩は寝込んでいた。次は私の左隣だろうか。この土日で耐えて欲しい。▼部屋の違うチームはピンピンしているところを見ると、やはり風邪の感染、物理的な空気の共有に負うところはかなり大きいようだ。近くに風邪の人がいたら、注意して欲しい。この風邪はだいぶ重い。

[1126] Sep 27, 2012

「ジャグリングの技では、決まった動きのパターンを維持するために、多様な非線形変数(両手、ボール、そしてその軌道)が柔軟にコントロールされる。そのためには目をボールから<離して>おくしかない。つまり、体の生物学的シェマの奥深くにある手の感触、記憶、そしてさらに重要なことに、自然でリズミカルな(振動現象と対をなす)物を引き付ける所作に、動きの調整を引き受けさせるのである。」▼高度で複雑なパフォーマンスを可能にするのは、ひとつひとつの変数に対する観測精度を高めることではないと、サンフォード・クインターは指摘している。空中戦でパイロットが無数の計器が示す数値を解釈していたら、考える前に死んでしまうのだ。ジャグラーにとってはボールが、パイロットにとっては飛行機が、文字通り体の一部とならなければならぬ。靴と地面の接触面を常に凝視していなければならないとしたら、ぶつからずに歩くこともままならないだろう。

[1125] Sep 26, 2012

久々に重たい風邪をひいた。このところ気温が急激に落ちたし、アテンドスタッフも半袖でやらされたものだから、体が参ったのだろう。それにしても急に来た。今日の朝、なんともなくて、元気に出社して、いつも通り仕事をしていたら、3時10分頃、突然喉が痛み始めたのである。時間まで覚えているほど意表をついた来訪だった。▼あとは30分もしないうちに鼻水が出て、寒気がして、頭がぼんやりして、咳が出て――という具合にトントン拍子。さすがに残業は出来ないと、八時以降の予定をすべてキャンセルするのに定時までを費やした。▼明後日が期限の大きな仕事がふたつある。降って湧いたチャレンジクエスト。なかなかの窮地だ。明日の午前は病院へ行き、薬を処方してもらって、安静にしよう。安静にしつつも指だけは動かして書類仕事を片付け、数学的な問題は頭の冴えたときだけ取り掛かろう。水分を取る。部屋を暖かくする。まあ、楽しく風邪を過ごそう。

[1124] Sep 25, 2012

ムービング・ターゲット。たまには未来の自分を描いてみるのも悪くない。仕事に焦点を当てて、三年後の理想の姿を想像する。▼一年に一言語を習得せよという『達人プログラマー』の教えを守り、現在の興味がつづいていれば、HaskellやScalaなどの基礎を身につけている。プログラムも担当分野だけでなく全体像を把握し、誰がどこでどんなコードを書いているか、それ故にどういう準備やアプローチが必要になるか、そういう開発のダイナミクスを理解して行動できるようになっている。▼ベテランの仕事を盗むことで、過剰実装に傾きがちな悪い癖も抜けてきた。構造の美学だけではなく、可読性の高さや、再利用のしやすさ、拡張のコストなどを重視して「他人のために」コードを書くという方法を覚えている。非公式の勉強会も二十数回目を迎え、後輩も参加して充実一途。意義のある意見交換とコミュニケーションが出来ている――三年もあれば出来そうなことばかりだ。

[1123] Sep 24, 2012

隣のチームのプログラマが、午前中、妙に不機嫌でいる。軒並みテンションが低い。昼を食べていても浮かない様子である。ただでさえ火のついたプロジェクトで、また一悶着あったらしい。聞いてみるまでもなく、同期が原因を話しはじめた。朝、出社したら、プログラマ全員に、こんなメールが届いていたという。▼「このごろ休日の出勤も遅めで、スケジュールも遅れ気味、プログラマの頑張りが足りないようだ。真面目に取り組んで欲しい。」ここ数カ月、ほとんど休みなく、度重なる仕様変更と無理難題をこなしながら、この土日も朝方四時まで働いていた、そんなプログラマにも送られていた。「苦しいけれど頑張ろう」というような、前向きな言葉はひとつもなかったという。▼どう解釈すればいいのだろう。一方的な情報だから中立的な判断は出来ないが、真実がかけらでもあるならあんまりな話である。せめて前向きな言葉があれば……と、ただ彼は肩を落としていた。

[1122] Sep 23, 2012

東京ゲームショウ、今日は一般日。ビジネスデイとは比較にならぬ人の渦だが、連日のスタッフに訊ねると土曜日よりはかなり少ないという。周囲に限らず全体に密度が薄い印象だというので、早朝から降り続いた大雨の影響だろう。それだけ、来る気でいたのに天候を見て思い留めた人たちがいると思うと、少し残念な気もする。人を集める稼業の宿命である。▼腹ぺこの帰り道、前から行こうと思ってついに一度も行くことのなかった「東京ラーメンストリート」へ行く。東京駅の駅ビルに、旨いと評判のラーメン屋が数点、集結した一角である。少なくとも紹介文にはそういうことが書いてある。ぐるりと写真を見てまわると、どれも美味そうだ。これ以上は悩んだところで味がわかるわけでもない、列の中くらいなところを選んで「斑鳩」へ入る。独特の弾力がある麺、こってりしすぎない薄油な魚介スープの深み。後味も悪くない。が、残念ながら私の好みではないようである。

[1121] Sep 22, 2012

「目標は、目標を決めないことです。ですから、ウェブサイトのデザインもすれば、建物のグラフィックスの仕事もし、本や雑誌のデザインもする。動画関連のタイトル回りのデザインもします。つまり、スタジオとして「これを専門にやっています」という状況にならないよう、できることすべてをやっているということです。」▼ニューヨークのデザイン事務所、2×4(ツー・バイ・フォー)の設立者のひとり、マイケル・ロックの台詞である。もし同じようなことがつづいたら、似た仕事はしばらく受けないようにするとまで言う徹底ぶりで、慎重に自らの惰性を排除しながら「彼らは何々である」のようなあらゆる定義をすり抜けていく。▼自分の脳味噌をフル稼働しなければ太刀打ちできないような仕事に取り組むのは常に面白い。深く、広く、異なる領域の知識を総動員して、それでも足りないからなんとか枠の外に手を伸ばそうとする、この体験。知のストレッチである。

[1120] Sep 21, 2012

小説でもそうだが、優れたドキュメンタリーは時間を忘れさせてくれる。あまりにリアルな世界が文字から立ち上がるので、向こうの世界に時間軸を奪われてしまうのだ。緊迫したシーンでは、秒針さえ登場人物と共有しているような感覚になる。行頭に翌日と書かれれば、私の夜も明けたような気分になる。三年後、と書かれたときだけ、少しだけ紙面を離れて冷静になれる。そんな没入状態である。▼ノンフィクションでそこまで感じさせてくれるものはあまり多くない。書かれている対象への興味の度合もあるだろうが、サイモン・シンのシリーズ以上に没頭できるドキュメンタリーにはまだ出会えないでいる。そんな中、今読んでいる瀧口範子『行動主義 レム・コールハース ドキュメント』はかなり感触が良い。文章のリズムと表現の素軽さが、耳に意識を集中する必要のないダンス・ミュージックのように、楽な頭でリアルな世界を読ませてくれる。なかなかの好印象である。

[1119] Sep 20, 2012

東京ゲームショウ・ビジネスデイへ行く。各大手渾身のPVを見てまわったり、レベルファイブの新作をプレイしてみたり、とくにこだわりなく見てまわったが、体験版を遊んだ中でひときわ異彩を放っていたのは『メタルギアライジングリベンジェンス』ではないかと思う。▼「これは切れるけどあれは切れない、こうは切れるけどああは切れない。そういう制限を無くしたい。」そんな思いから生まれた「自由切断」のコンセプト。この壮大な看板には、想像以上に偽りがなかった。サイボーグの敵はもちろん、樹木、柱、壁、スイカ……なんでも切れる。どんな角度にも切れる。さらに、切ったものはちゃんと切られた形のオブジェクトとして、倒れたり崩れたりする。ゲームというよりモデリングソフトで遊んでいるような、これまでにないゲーム体験である。▼切るのが楽しいのは間違いない。あとはゲームデザインがどこまで作り込まれているかで飽きの早さが決まるだろう。

[1118] Sep 19, 2012

地震保険について、こんな話を聞いた。一般に、火災保険に加入している人は多いが、地震保険は少ないという。噴火や津波は火災保険では支払われないのに、どうしてそれらをサポートする地震保険が少ないのか。もちろん、火災保険は強制加入の場合も多く、家あれば当然ついてくるものという認識が強い側面もある。が、それに加えて、地震保険に加入していると<公言する>人が少ないのではないか、と関係者は言う。「地震保険に加入していることは、あまり他人に言わないほうがいいですよ。」▼何故か。火災の被害は局所的だが、地震の被害は全域的だ。地震で家が全壊するような被害が出れば、あたり一帯は同じく壊滅状態になる。そんなとき、地震保険をかけていることがまわりに知られていると、「あの人は保険があるから大金が降りる」などと、やっかみの対象になりやすいのだそうだ。いくら保険は降りても、それでは被災生活がつらい。なるほどな、と思った。

[1117] Sep 18, 2012

轟音、落雷。停車していたプラットホームの灯りが落ちた。三十秒もしないうちに、豪雨で窓ガラスの外が見えなくなる。情報が入るまで、しばらく運転を見合わせます……繰り返すアナウンス。不安げな乗客の顔。数人が暗いホームに下りた。改札への階段を登っていく人は、タクシーでも拾うのだろう。空が光る。間髪入れず、音。車さえ不安になるほど、雨も雷も激しい。▼9両目の弱冷房車を離れて、7両目に移動した。意味があるかわからないが、パンタグラフを避けたのだ。あんまり急なことなので、落ち着かなかったのかもしれない。冷静に考えると、よくそんなことを思いついたものだと思う。危機感に呼び起こされた注意力は強いものだ。果たして、運転も再開し、電車への落雷もなく、無事に最寄り駅へ着いた。着いた頃にはもう止んでいたが、青天ならぬ紫天の霹靂で、雨もないのに何度も頭上が輝いた。その光を目指しているような、影の行進。綺麗だと思った。

[1116] Sep 17, 2012

木戸に立ちかけせし衣食住。代表的な話題のとっかかりを表したアクロニム(頭字語)である。気候、道楽、ニュース、旅、知人、家庭、健康、世間、仕事、衣食住。これらの話題の引き出しに、新しい種がひとつずつでもあれば、出会い頭に困ることはないし、話の途中でつまることもない。そういう便利なラベルである。▼ただし、大切なのはこれらのトピックを考えるとき、常に「私」を中心とする同心円を意識することだ。雨に降られてどんなに苦労したか。どうしても欲しい本がある。ハードディスクの価格が去年並に回復してよかった。来年ドイツへ行くつもりだ。知り合いがこの冬に結婚する。祖母が傘寿を迎えた。夏風邪をひいた。デモの煽りで近所が不穏だ。仕事がますます忙しくなる。初めてジーンズメイトで買い物をした。▼世界や宇宙のようなスケールの大きい話をするときも、身の回りの「木戸〜」に絡むような視点を探そう。それだけで話はぐっとよくなる。

[1115] Sep 16, 2012

福本伸行『カイジ』の一話で、ヤクザの遠藤がこう説いている。「おまえはベンツを見て欲しいと思っても、真っ直ぐ自分の「もの」にしようと考えられない。ハナっからあきらめて、あげくケチな悪戯をして回る。誓ってもいいがもしおまえが今1千万持ってたら、あんな悪戯なんかしねえよ……!」▼本格化する大陸の暴動。日本には何の関係もない高級品店まで襲われだした。噴き出した富裕層へのルサンチマン、なんて、そんなありがちな論を展開することに興味はないが、そうとしか説明のつかない側面もある。怒りの激しさが、貧窮の深さを物語るようだ。「国民性」には片付けられまい。▼かの件は正当に鎮静することを祈る。ただ、私には少し思うところがある。どんな形であれ、持たざるものの遣り場のない悔しさを、「なんだそんなもの、くだらない。」――そんな風にあしらい出したとき、関係は崩れていかざるを得ないのだ。正義がどちらにあるかとは関係なく。

[1114] Sep 15, 2012

ラフ・コスターが、こんな思考実験をしている。井戸のような形状のガス室を使った大量殺人ゲームについて考える。プレイヤーは、あらゆる格好と大きさをした、罪のない犠牲者をガス室の中に突き落とす。彼らは底まで落ちると、互いにつかまって井戸の頂上に達しようと、人間ピラミッドを形成していく。どうにかして井戸から抜け出すことができれば、ゲームは終わり、プレイヤーの負けとなる。しかし、すき間なくぎっしりと犠牲者を押し込むことができれば、底にいる一列はガスに屈して死んでしまう。▼社会問題に発展すること請け合いの、とんでもないゲームである。誰もこんなもので遊びたいとは思わない。方々から糾弾されるだろう。しかし、ここで問題視されるべきなのは、ゲームの中軸であるデザインではないのだ。演出という、ただひとつの要素の失敗が芸術作品を台無しにしているに過ぎない。実際、これは、我々のよく知るテトリスというゲームでもある。

[1113] Sep 14, 2012

ベートーヴェンの月光ソナタを聞いて、月光という題も知らぬ人が、なんだか青白い夜の森を全力で駆け抜けていくような曲だと言った。▼終電を失くしたので、朝まで同僚と飲んでいた。始発まで五時間、取り留めのない、淀んだ、退廃的な時間。明け方にはもうあんまり眠くて、ときどき何もしゃべらない三分や五分があった。そういうときは、流れに任せて楽しく沈黙を舐めていた。表情しかやりとりするものがない時間。だらだらという音がよく似合う。▼外に追い出されても夜はまだ明けきらず、見上げた空に鋭い光の金星が見えていた。こんな学生のようないいかげんな時間の過ごし方を、いくつになっても出来るといいのだけれど。でも、体力がついて来なくなるのかな。そういえば、飲み屋のおじさんたちは、すぐに酔いつぶれるか、寝るかしてしまうね……。速度の遅い会話のあいだを、心地良い朝の風が流れていく。青白い空。月光ソナタを聞きながら帰路についた。

[1112] Sep 13, 2012

残業の度合いで成果へのコミットを測る悪癖はいつになれば無くなるのだろう。「残業したくない。公私のメリハリをつけて、プライベートの充実も両立したい。そんな甘いことを言っているようでは、到底やっていけない部署ですよ。」新入社員研修で、こう、誇らしげに語るマネージャもいる。大抵、蓋を開けてみると、想像を絶する管理能力の無さと石器時代のようなプロセスの非効率で、無駄な残業ばかりして予算を食いつぶしていたりする。▼クリントン・キースがこんな思い出話をしている。サミーがセガに吸収されたとき、サミースタジオを残すかどうか、上層部は判断を迫られた。そうして、このスタジオがどれほど本社に貢献するかを確認するため、毎晩、夜中に駐車場の車の数を数えはじめた。当時、他に先駆けて効率的な開発手法を導入していたサミースタジオでは、残業も少なく、車の数は少なかった。「だめだな、これは。」こうして、スタジオは閉鎖された。

[1111] Sep 12, 2012

檻の真ん中に高い梯子がひとつ、上にバナナが置いてある。檻には五匹の猿がいて、バナナのために梯子を登っていく。しかし檻の仕掛けにより、誰かが梯子の上の方に到達すると、残りの四匹に冷たい水が噴射されるようになっている。冷水を嫌がる猿は、梯子に登ろうとする猿を叩き落とし始めた。やがて、誰も梯子を登ろうとはしなくなった。▼ここで実験者は、猿のうちの一匹を新しい猿と入れ替えた。新参猿がバナナを取りに梯子を登ろうとすると、他の四匹は今まで通り彼を叩き落とした。やがて彼も梯子を登らなくなった。二匹目の交換でも、同じことが起きた。三匹目、四匹目、そして五匹目が檻に入れられたとき、冷水の仕掛けを知る猿は、もう檻の中にはいなかった。けれども、五匹目が梯子を登ろうとしたとき、彼はやはり叩き落された。五匹はただ互いに牽制しながら、梯子の上のバナナを見上げていた。誰ひとり、そうしていなければならない理由も知らずに。

[1110] Sep 11, 2012

ラフ・コスター『「おもしろい」のゲームデザイン』を読む。同シリーズの『「レベルアップ!」のゲームデザイン』とはまったく毛色が違う。ゲームはなぜおもしろいのか、という根源的な問いに真っ向から取り組んだ哲学書である。岩波・青で出ていてもおかしくない。▼七章で結論は出ている。ゲームを楽しいと感じるのは、予測不可能なものから新しいパターンを学べるからだ。人は、脳は、新たなパターンを学習するという楽しい行為のために、予測不可能なものを好んでいる。しかし、この現実の環境下では、予測できないものに取り組むのは敷居が高い。「それこそが、そもそも、ゲームが何のために必要とされるかの理由になります。予測不可能なものを1つにまとめて、危険が存在しない時空間の中で経験を学ばせるためにあるのです。」▼ゲームは、ただひとつのパターンを提供する。意味を、状況を変えて、くりかえしそれだけを学ばせる。良質な音楽に似ている。

[1109] Sep 10, 2012

Facebookに登録する。登録した途端、大学時代の同期から友達のリクエストが来た。まだなんのプロフィールも入力していないのに、どういう方法でサーチしているのだろう。入力したのは名前だけだ。名前を入力して、登録ボタンを押したら、二分後に申請のメールが届いた。まさかFacebookに新規登録した人間を全員チェックしているわけでもあるまいが、さりとて彼が何を監視していたのか、私にはわからない。▼実名でそこまで書くこともないので、プロフィールも早々に切り上げて、アカウントだけ用意した状態。そんな人も多いのではないかと思う。やってみないとなんとも、の意気で手を出したはいいが、私のように、写真も撮らなければ旅行にも行かない、会社と家を往復しているだけの人間には想像以上にやることがないのだ。せめて英語でときどき日記でも書いて、外人さんの目に留まるようにしてみようか。なんともである。やはり私にはいつもの世界が心地いい。

[1108] Sep 09, 2012

夕方。電気を消して、カーテンを閉めて、暗い部屋の中、フローリングの床に背中をつけて大の字で天井を見上げていたら、急に部屋が小さな箱に思えてきた。私の周りを取り囲む壁から「家」という名前の纏う立派さが剥ぎ取られて、ただの薄汚い直方体の容れ物になる。気の進まない引越しをしてきたばかりのときの、がらんとした空間を見て、こんなところで生活するのかと絶望するような、あの感覚に近い。▼建物は、そこに包まれている人の思考を左右することがわかっている。人の思考、感情、感じ方……どこへ行きたくなるか、何を見たくなるか。凄腕の建築家は、かなり細かいところまで鑑賞者の心を操作できるという。建築は作者の思い通りに楽しまれ、その結果として名建築に感じられるのだ。床に寝て天井を眺めるというのは、そういう誘導を振り切ることでもある。絵を裏から透かして見るようなものだ。意味のあやふやになった家は、だから、こんなに寂しい。

[1107] Sep 08, 2012

久しぶりにたくさん喋ったので、喉が枯れてしまった。対談相手のいないラジオスタイルの場合、日頃の会話やスカイプと違い、ひとりで話しつづけるから何倍もつかれる。ときどきトーンダウンしたり、いつも以上にゆっくり声を出したり、間を置いたり、定期的に水を飲んだり。いろいろ工夫が要る。慣れないことだから、内容も進め方も難しい。手探りでやるしかない。この不案内な感じが楽しいと思う。▼脳は、いつも学習が大好きである。世界に新しいパターンを見出すと、喜んでそれを習得しようとする。ところがここで喧嘩が起こる。人間という生き物は、慣れないことよりも慣れ親しんだことをしていたいと考える怠惰な動物だからだ。やったことがないし、よくわからない。「だからやめておこうかな」となる。一度そう考えたら、理由をつけるのは簡単だ。他に興味のあることがあるから。時間がないから。才能がないから。儲からないから。まあ、なんでもござれ。

[1106] Sep 07, 2012

設定、キャラクター、映像、音。すべてにリアリティを持たせたいと願う、そんなアニメ監督が手がける作品では、音響制作のとき、ある揉め事がしばしば起こるという。花火である。▼花火を見たことのある人なら誰でも知る通り、花火の音は光の炸裂より遅れて聞こえる。通常1秒程度だ。「リアル監督」はここに目をつける。アニメーションと音をずらしてくれ、と指示が出る。ところが音響さんは「それは変ですよ」と言う。何が変なものか、リアルにするんだ。とにかくやってみてくれ、と言われて、しぶしぶずらしてみるとやはり変になる。編集ミスで音がずれたようにしか聞こえない。例外なく「やはり元にもどしてくれ」という顛末になるそうだ。▼デフォルメされた表現形態でリアリティを追求すると、どうあがいても変になることがある。音響さんは長年の経験でそれを知っているのだ。リアルを忠実に模倣することと、リアルに見せることはまったくの別物である。

[1105] Sep 06, 2012

要求定義、概要設計、詳細設計、開発、テスト、運用。プロジェクトは厳密に定められたフェーズの順番で進められ、前の工程が終わり次第、次の工程になだれ込んでいく。後戻りはしない。滝のように、完成という着地に向かって一直線に驀進する。このような開発モデルを「ウォーターフォールモデル」という。▼最近はアジャイル開発手法の対比として引き合い出されることが多い。もともとはウインストン・ロイスの論文が初出と言われる。論文中、ウォーターフォールという単語は使われていないが、明らかにそれを連想させる概念が提唱されている。▼反復型の開発手法が注目を集める今でも、滝を捨てきれない企業は多い。かくいう私の現場もそのひとつ。アジャイルの利点をつまみ食いしつつも大枠は冒頭の手順と同じである。滝の魅力は承知の上だが、それでは外界の変化についていけない。折衷案を経由して反復型へ近づいていくよう、働きかけていくつもりでいる。

[1104] Sep 05, 2012

プログラムの世界では、「そうなるはずがない」と「そうなりようがない」の間に天と地ほどの差がある。後者の堅牢さは信頼に値するが、前者は身震いがするほど脆い。ほとんどのバグは「そうなるはずがない」から生まれてくるのだ。事後、なぜそうなったのかを説明するのは楽な仕事である。▼社内のコードを見渡していると、無駄なメンバ変数が多いことに気がつく。別のクラスにセットしたきり、二度と変更しない値を自分でもメンバに格納していたりする。どこかで値がズレたら動作の保証はできない設計だ。「その変数には初期化後一度も値を代入していないから、値がズレるはずはないよ!」だが、何も知らない誰かが、適当な場所で不正な値を代入することは簡単である。簡単だし、十分ありうる事態ではないか。▼単純な話。そんな変数はいらない。変数がなければ、誰ひとり値を「変えようがない」。これで初めて堅牢と言える。他人の善良に期待してはならない。

[1103] Sep 04, 2012

索引を読むという遊びがある。真剣な遊びである。やり方は簡単、これは内容が豊富で面白いなと思う本があり、かつ充実した索引が巻末にあれば、それを本文同様にありがたく読むのだ。わからない単語、知らない単語があったら、指定の頁に戻ろう。本文中でも言及無く使われていて意味のわからないものは調べてみよう。遊び終えた頃に得ている知識と理解の量が、想像以上であることを保証する。▼かなり時間のかかる遊びなので、はじめの一度くらいは生真面目に全項目を舐めてもいいが、そのうち自分なりの手の抜き方も考えてみて欲しい。私は、あんまり人名が多いときは飛ばしている。申し訳ないが、思い入れもないマニアックな人々についてのプロフィールを覚える趣味はないのだ。ただし好き嫌いで取捨選択するのはオススメしない。Wikiで調べても書いてある内容が理解できないようなら、初心者向けの説明を探そう。いまの御時世、見つからないことはまずない。

[1102] Sep 03, 2012

ジンをベースに、オレンジの香味ホワイトキュラソー、レモンジュースを加えて完成。ホワイト・レディを飲む。柑橘の風味が強くて、かなり甘い。同席者のひとりはバラライカを頼んだ。指運で頼んだものだが、これはホワイト・レディのウォッカベースである。こちらは癖のない爽やかな風味。▼ふだんカクテルは飲まないが、今日の店は品揃えが豊富な上に、バーテンダーが積極的にカクテルを薦めてくるので、それならと一杯注文した。カクテルは全世界で通用する飲み物ですから、と彼は言う。「いつかお気に入りのカクテルが見つかるでしょう。そのとき、その人の人格がわかります。カクテルは人の表れる飲み物なんですよ。」▼あの手この手で配合を変えては、洒落た名前をつけていくというイメージの強いカクテルだが、これだけの品目が世界中で通用するということの強い文化性には素直に感心する。ワールドワイドな知識。勉強する気概も湧いてくるというものだ。

[1101] Sep 02, 2012

駅でガムを踏んだ。まだ吐き捨てられたばかりの白いやつだ。電車に乗り込む一歩前、左足が地面から離れなかった。迂闊だった。▼公共の空間にガムをお見舞いする感性は到底理解できないが、もうどこかへ逃げおおせてしまった彼を非難しても仕方がない。問題なのは、ガムの粘度が異常に高く、こすりつけて取ろうとしても無駄に伸びるばかりで離れないことだ。そのうちガムの面積が広がって、えらいことになってしまった。ティッシュで拭き取るしかない。▼さて、電車に揺られて考えていたのは、日本人のモラル低下でもなく、理不尽な後始末をさせられた憤りでもなく、ガムの粘度についてであった。恐るべき粘りを味わった。とにかく千切れない。正しく引き伸ばしたら、誇張なしに数十メートルには達しただろう。噛んだガムを飲み込んでも、大人の人体であれば害になることはないらしいが、そうだとしても、あんなものを胃や腸に入れたくはないとつくづく思った。

[1100] Sep 01, 2012

レム・コールハースの建築物を写真で見ていた。中国中央電視台の本社ビルは、いちど見たことがあれば誰でも覚えているだろう、直方体をねじ曲げたような、特徴的な形をしている。かなり昔からあるような気がしていたが、完成は2009年で新しい。三年前。そのときニュースか何かで見たのを覚えていたのかもしれない。シアトルの中央図書館に通じる形である。▼古本屋で仕入れてきた「建築家の講義」シリーズには、コールハース、ミース、コルビュジェの他に、ルイス・カーン、サンティアゴ・カラトラバがいる。全五人。それなり詳しい人から辿って、深くは知らない人にまで興味の範囲を広げられるのがシリーズものの良いところだ。▼自分で建築を設計する機会があるでもなし、あまり深入りしても仕方ないのだが、今は学べることがたくさんあるので、もう少しいろんな建築家の作品や考えに触れてみたい。いつも日本人が後回しになるのは申し訳ないことである。

[1099] Aug 31, 2012

駅舎から出て、何かが変だと思った。読みかけの本に指を挟んで遊歩道へ入る。人は少ない。つい四方を見回してしまう。見つからない。歩いて行く。この過ごしやすい夏夜のどこが妙なのか、ようやく気がついたのは、ふと上を見たときだった。青い。明るい。とてもPM10時の光量ではない。▼本をぱらぱらやると、街灯もないのに文字が読めた。異様な明るさの原因を探してみても、煌々と輝く満月以外には見当たらないので、あれがこんなに夜を明るくしているのかと納得して驚いた。見上げながら歩く。たしかに今まで見たことがないほど強烈な光を放っている。雲に覆われても一向に衰えない。▼もし月に大気や水があったら、その明度は現在の6〜7倍にもなるという。「月の海」がなければさらに白く輝いていただろう。そこまで明るくなくてよかったかな、と甲斐のないことを思う。ひかえめなお月様。星空が見える程度に自分を抑えてくれたのはありがたいことだ。

[1098] Aug 30, 2012

最近あまり音楽を聞いていない。iPodが電池切れで、充電していないからだ。計画的な人なら、毎夜の充電を忘れはしないだろう。通勤時間に音楽を聞くのが楽しみな人は、切れたとわかればすぐに充電するだろう。私は、どちらでもない。電池切れのiPodが鞄に入っている。だから、いつか充電するまで音楽は聞けない。聞けないので、聞かない。▼iPodの充電くらい、こんな記事を書くより簡単なことだ。鞄から出して、PCから伸びているUSBに繋げば、明日の朝には終わっている。それでもやらないのはなぜだろう。ものぐさだからだろうか。▼否定はしない。けれども、私は「電池切れのiPodが鞄に入っている生活」に何かを期待してもいる。音楽を聞かなければ、代わりに何か見たり聞いたりするはずだ。それに価値がないとも限るまい。考えてみて欲しい。iPodを持ち運んでいるからには毎晩充電しなければならないなんて、思い込んでいる方がおかしいとは思わないか。

[1097] Aug 29, 2012

バーチャルな体験は、リアルな体験に劣るなんて、誰が言い出したのだろう。観光名所だからという理由だけで、たいした動機もなく足を運んでは、あくびをしながら面白くもない建築・オブジェを見てまわること。待ち望んだアップデートの日を迎え、期待を胸に仲間を連れて新たなバーチャルの世界へ旅すること。その感動を、そう単純に比較できるものだろうか。▼私はもう、しばらく旅行へ行っていない。首都圏からも出ていない。いつも友人の旅話を羨ましく聞いている。通勤電車の中、楽しかった外出の記憶がほとんどないことを考えていると、ふいに昔遊んでいたMMOでスキーイベントが開催されたときのことをまざまざと思い出した。画面の中の銀世界。そのときも、これまでも、なんら特別な体験だとは思っていなかったのに、「楽しい」「旅行」という言葉で連想されたイメージはそれだったのだ。なんとなく頬が緩んだ。もちろん、どう解釈するかは自由である。

[1096] Aug 28, 2012

よし、とびっきり難しいゲームを創るぞ。こう決意したとき、たとえチャレンジングなゲームづくりが目的でも、九分九厘、彼は道を間違えている。難攻不落の拠点をつくる。とてつもなく強いボスを配置する。”けっして解けなくはない”難問パズルを仕込む。「さあ、全身全霊をかけてクリアを目指してください!」当然、誰もそんなものをプレイしたりはしない。世の中には、他に楽しいことがいくらでもある。▼高難易度のゲームを創るとき、作者はプレイヤーに挑もうとする。頭の中で<作者VSプレイヤー>の構図を思い描く。しかし遊ぶ人間は作者に勝ちたくてゲームをプレイするのではない。「ゲームに勝ちたくて」プレイするのだ。歯ごたえのあるゲームは、必ず<ゲームVSプレイヤー>である。そこに勝ちたいゲームがあるから、「難しさ」が「挑戦」に感じられるのだ。この前後関係を履き違えている限り、自称チャレンジングな作品は、ひとりよがりで終わる。

[1095] Aug 27, 2012

粒度。パーティクル・サイズ。複数の鉱物で構成される岩石の、主要な鉱物粒子の大きさを表す。粒度が大きければそれだけ粗い岩石であり、逆なら細かい。粗粒、中粒、細粒などと分類したりする。▼プログラミングの世界にも粒度という言葉はある。コードが「どれくらい粒か」を表す用語で、一般に、粒度は高い方が良い。コードがより「粒」であるということは、それだけ機能や問題点がプログラマにとって拾い上げやすいということを意味するからだ。ひとつの問題解決には、一括りのスニペットを割り当てる。保守もしやすい。▼粒度は「凝集」と「分離」により高める。凝集は、単一の機能を無駄に分割せず一連の手続きにまとめること。分離は、機能を関連ごとに整理し、複数の機能を同じ手続きに盛り込まないことを意味する。三粒のいびつにくっついた粒があるなら、機能を見極めた上で、潰して一粒にまるめるか、割って三粒にするか、どっちかにするべきなのだ。

[1094] Aug 26, 2012

私がキャプションなどのデザインをするとき、たいせつな情報が見る人に届きやすいかどうかを確かめるために、よく使っているやり方がある。少し画面から離れて、目を細めるのだ。目の悪い人は、文字の内容が読める範囲でメガネを外してもいい。とにかくぎりぎりまで細くする。もうこれ以上は目を閉じてしまう、という瞬間、目に飛び込んできているのはどこか。結論、それが「届きやすい場所」だ。▼最近読んだ『「レベルアップ」のゲームデザイン』で、この手法が「細目テスト」として紹介されていた。目を閉じる瞬間に注目する場所が「明るいところ」であるという点以外、やり方は同じである。クラッシュ・バンディクーやアンチャーテッドを手がけたデザイングループ「NAUGHTY DOG」に学んだものらしい。プロでも通じる三秒の試験法。道具も何も必要ない。特設サイトのデザインなど、絵コンテ段階で使ってみると、仕上がりはぐっとよくなるだろう。

[1093] Aug 25, 2012

四百字詰めの原稿用紙は、何度書いても文字数について不思議な感触を与える。書く前には多すぎるように感じ、書き始めるとあまりに足りなく感じる。原稿用紙の縦一行はいつも、想像以上に文字数が少ないのだ。この記事の、横一行のちょうど半分である。半分しか入らない。▼原稿用紙に手紙の草案を書く。時候の挨拶、自分の近況、話の前振り、本題、横道、閑話休題、締めの挨拶。四百字に収まるかと思いきや、筆を置いてみるとゆうに六百を超えてしまった。四百の文字数感だけは鍛えられていると思っていただけに、悔しい気分になる。手書きと打ち込みの違いを痛感する。▼出来上がった原稿の出来も心なしかあまり芳しくない。まわりくどい表現が目立つ。余計な言葉が多すぎる。本心とは裏腹に、文字数を稼ごうとしているかのような言い回し。改めて要約するつもりで書き直すと、こんどは一枚にも足りない。半分以下だ。完全に手書きの腕がなまっているらしい。

[1092] Aug 24, 2012

宗教戦争よりは一歩手前の話。私は、クラスの中で出来るだけ「ローカルステート」という概念を使わないようにしている。モードAだからこの関数が呼ばれる、モードBだからこの変数の値が変わる……というようなやり方だ。メインの関数には列挙型のケース文が立ちならぶ。あちこちが論理型のメンバ変数を埋め込んだif文で括られる。そういう実装である。▼理由は簡単。ローカルステートを多用すると、処理の流れが実行するまでわからなくなるからだ。20個の列挙型ステートがあり、それぞれに対応する処理がケースの中に書かれ、その中でもステートが変わるようなコードを想像してみれば、書いた人間以外――あるいは当人すら――保守できないのは明らかである。▼論理型のメンバで条件分岐させたくないのも同じ理由だ。どんなときでも、そのフローに「いつ入るのか」が直感的にわかるのが望ましい。分岐条件の参照透過性は可能な限り高くするべきだと考える。

[1091] Aug 23, 2012

神保町を歩いて、ほとんどの書棚という書棚を見尽くしてわかったことは、古本はちっとも安くないということだ。▼昔はそうでもなかった、とある年配の人は言う。そうだろうと思う。いまは古本もウェブに巨大なデータベースがあるので、貴重さや希少さがすぐにわかる。つまり、店が値付けを間違えない。だから、掘り出し物もない。掘り出して嬉しいようなものには、ちゃんと法外な値段がついている。▼古本屋は、読書家のコスト削減や、貴重・希少な本を探す場所ではなく、出会いの場になっている。こんな本は見たことがない、しかし非常に面白そうだ、そういう本に出会える可能性がある。本屋の似たようなラインナップ、アマゾンの画一的なランキングに飽きた人々を興奮させる「代わり映えのする本棚」である。▼余談だが、もし読みたい本を相場より安値で仕入れたいなら、カバーのない商品を探すことだ。こればかりは状態が良くても値札の額面は控えめである。

[1090] Aug 22, 2012

フランスの伝説的俳優、イブ・モンタンには、レストランのメニューを読んだだけで聴衆を涙させたという逸話がある。まさに弘法筆を選ばず。しかし、メニューは文章よりも人を感動させる力に乏しいと誤解してはならない。余分な言葉をすべて配した列挙の持つ説得力は、ときに饒舌な名文でも敵わぬことがある。▼アニメーション、人類学、建築、ブレインストーミング、ビジネス、映画撮影法、コミュニケーション、クリエイティブ・ライティング、経済学、エンジニアリング、歴史、マネジメント、数学、音楽、心理学、演説、サウンドデザイン、テクニカル・ライティング、ビジュアルアート。▼ジェシー・シェルは、ゲームデザイナーはこれらの分野を理解している必要があると主張している。こうしたリストに接すると、他に何を言われなくても、私はどこまで出来ているだろうかとしみじみ考えさせられるのだ。もっと勉強しなさいと、力強く迫る「メニュー」である。

[1089] Aug 21, 2012

CEDEC2012、二日目を聴講した。去年より人の入りは少ないように感じる。来場者にレッドブルを配るお姉さんの姿も見えなかった。▼特筆すべきことはない。ためになるものはなるし、ならないものはならない。詳細はCEDECのレポートサイトを見た方が早いだろう。しかしひとつだけ、名誉のために演題は伏せるが、信じられないほど無意義な講演があった。▼講演が、つまらなかったり、わかりにくかったりすることはよくある。しかし、無意義になることは少ない。たとえ講演者の自慢話が延々つづいても、体験に根ざした情報があれば、聞いている方でそれを拾い上げることはできるからだ。無意義な講演とは、ずばり情報のない講演である。ネットで検索すればものの3分でわかるような話を、長時間、お金を払って聞く意味はかけらもない。それでいて、プレゼンばかり凝っているから可笑しいというものだ。良い反面教師が見られたと思って諦めるしかない。

[1088] Aug 20, 2012

多くの男は、同性からも異性からも、たいてい上の名前で呼ばれる。社会的な立場等々考えれば、この理由はわかりやすい。しかしどうして女性は、女性同士は、**さん、**ちゃんと、下の名前でお互いを呼び合うことが多いのだろう。今日、話の流れで、他ならぬ女性に聞いてみた。▼彼女の答えが全女性を代表しているかどうか、私には到底わからないが、説得力はある。こう言うのである。「女の子は、結婚したら苗字が変わるじゃない。だから、上の名前より下の名前にアイデンティティがあるの。結婚したら急に呼び方変えるのも嫌でしょ。それがわかってるから、下の名前で呼ぶんだよ。」▼好きな男の子の苗字に、自分の名前を繋げて妄想に耽るようなこともするくらいだから――こんな話もおまけで聞いて、このあたり男の私には想像も出来ない世界だとつくづく感じた。なるほどなと心底思った。男の書く女の子がなかなかリアリティを帯びない理由もよくわかる。

[1087] Aug 19, 2012

私に出来ることは誰にでも出来る。いつも口ぐせのように言う。誰にでも出来るが、誰もやらないから私がやるのだ。もちろん、あまり字面通り受け取られても困る。必要な時間や労力をかけなければ、誰がやろうと出来ないものは出来ない。卑下や謙遜というより心構えの問題だ。誰にも出来ないことだけをやろうなどと思い始めたときから、創作者は死人になるのだから。▼誰にでも出来ることを、ただ適切に成し遂げること。それだけで十分だ。この信念を裏付けるように、最近出会った言葉を引こう。「私の計画は、それが適切であることによって影響を与える。誰もがそのように計画することができるだろう。うまく成し遂げるためには、あまり多くの空想をもちすぎないことだ。ただ、知恵を絞ればよい。結局、誰もができることとは、そういうことなのだ。」なんとまたもやミースの台詞である。もしかしたらこの記事群では、小林秀雄の次に引用の多い人物かもしれない。

[1086] Aug 18, 2012

「うさぎとかめ」の寓話は世界中にある。話の顛末は微妙に違うが、動物の選択と「亀が勝つ」という結果は同じである。寓話の教訓――即ち、勝つために必要なものが違うだけだ。よく知られた日本バージョンでは、「こつこつまじめにやること」で、亀は兎を追い抜く。真面目さ、ひたむきさ、誠実さの賛美である。▼世界がこの寓話に問うているのは基本的に同じ疑問だ。「遅れた者に希望はあるか?」あるなら教えてくれ、というのである。そうして、兎がカメと同じ資質を備えていないという前提を頼りに、各国が各国の賛美する概念を答える。▼しかし「遅れたからこそ何かが出来る」という視点はないのだろうか。カメが見つける宝物――そんなものはない、と言い切る人間は意外なほど多い。塞翁が馬の故事さえ、現実には絵空事だと信じているかのようだ。ナンセンス。兎には荒唐無稽に思えても、カメにしか見えない景色が役に立つこともある。私はそう信じている。

[1085] Aug 17, 2012

青、白、赤。フランスの国旗トリコロールには、陸上用と海上用がある。模様はもちろん同じだが、三色の比率が違うのだ。陸上用が三等分に対し、海上用は30:33:37の配分である。微々たる比の差に思えるが、見てみると明らかに赤の広いことがわかる。三等分と間違えることはない。▼なぜ不等分なのか。自由(青)や平等(白)は少なくて良いとでも言うのか。もちろん、そうではない。海上で赤が大きいのは、青側が旗竿に結ばれるため、外側の赤は海風によるはためきが大きく、見えにくいからである。ゆれて表面積が小さくなるのを補っているのだ。実用を考慮した、粋なはからいと言える。▼ところで本件を調べるまで知らなかったのだが、三色がそれぞれ自由、平等、博愛を表すというのは俗説らしい。青と赤はフランス革命軍の帽子に由来するパリ市の色、白は王家の象徴白百合に由来する色で、この三色をもってパリと王家との和解を表しているのだそうだ。

[1084] Aug 16, 2012

シャルル・エドワール・ジャンヌレは、あるとき、絵画の展示をぱたりとやめた。1923年のことだ。その後は、絵の仕事をまったくしなかった。画家としての名前が広がりすぎていて、これから精魂を傾けるべきジャンルで素人呼ばわりされることに耐えられなかったのである。ジャンヌレは名前を捨てた。そうして、近代建築の礎となる名著「建築芸術へ」を世に出し、建築の仕事を始めた。▼何か新しい存在として世に認知されたいと思うとき、それまでに築き上げた成功・名声が足をひっぱることがある。別の分野で活躍したい、けれど「あの人が**なんて、ロクなものじゃあるまい。」出る杭を打たんとする世間の的外れな偏見は、いつの世も変わらないのだ。有無を言わさぬためには、言われる前に、さっと結果を残すしかない。人の口を塞ぐのは具体的な成果だ。ジャンヌレが絵をやめて十年後、ル・コルビュジエという建築家の名を知らないものはいなかっただろう。

[1083] Aug 15, 2012

「しばしば、「もし誰かがあなたを模倣したら、どう思いますか」と聞く人がいる。それは、私にとって全く問題ではない、と私は答えている。誰もが使えるような何かを見つけることこそが、我々が仕事をしている理由なのだ。人が、それをうまく使ってくれることだけを、期待している。」▼明快であること。明晰であること。ミース・ファン・デル・ローエが求めたものは、時代であった。時代の表現であった。個性の完全な発露などではなかった。私は彼の理念が好きだ。ぜひいろんな人に聞かせたい。いろんな創作者に聞かせたい。▼「誰にでも使うことのできる構造的解法を開発したいと思った。決して、個人的な解法を追求しようとはしなかった。良き構造的解法を追求したのだ。誰かがそれを用いたとしても、我々は傷つくことはなかった。誰かが、それをうまく使わないとしたら、傷ついただろう。私には、直接の生徒よりも、はるかに多くの知られざる生徒がいる。」

[1082] Aug 14, 2012

神保町で洋書を買う。小説数冊に、貴重な建築の書籍も仕入れた。買いたい本は山ほどあるが資金は小粒なので、選んで買わなければならない。その制約が楽しいと言えばそうかもしれないが、残してきた本たちが売れずに待っていてくれるかどうか、不安になる。一冊、こんなことがあった。▼地下の建築本コーナーに、ミース・ファン・デル・ローエの講義本があったので、昼頃、一章を立ち読みした。その後、他の店をぶらぶらしてから夕方前にふたたび訪れると、なんとその本だけがすっぽりないのである。棚の隅、いかにも売れなさそうな薄い本。他の配置はそっくりそのまま。いったい誰が買っていったのだろう。▼「ミースの講義本、売れちゃったんですか。」店員に聞いてみると、今日は売れていないという。まさか盗まれたか。店員と一緒になって慌てたが、なんのことはない、別の目立たない場所にもどされていただけだった。せっかくなので、これも購入してきた。

[1081] Aug 13, 2012

歩き尽くした。20kmは歩いたと思う。スマートフォンに歩数計の機能があることを途中で知ったので、明日は初めからつけて歩こうと思う。今週はとにかく歩くつもりだ。たくさん歩くことが目的ではないが、たくさん歩かざるを得ない。週末までに100kmは行くだろう。▼日傘を買う。あまりの強烈な日射しに耐え切れなくて、近くのスポーツ用品店に駆け込み、ゴルフコーナーで買い求めた。銀傘ではなく、ふだんから使えるタイプのメッシュの日傘。柔軟で、ほとんど重さを感じない。レジで気づいた6000円という高額には閉口したが、ひらいてみるとそれだけの価値はある。涼しい。▼軽いだけに風が吹くとぐんぐん曲がる。折れない素材とは知りつつ、あまりに曲がるので怖くなって閉じる。湾曲した持ち手がないので、たまに柄が手から抜けて前に飛ぶ。紫外線カットは嬉しいが、この日傘、ひと癖もふた癖もある。それだけに、愛用品になりそうな予感がする。

[1080] Aug 12, 2012

どうしてもやらなければならないことがある。出来るなら、やりたくないことだ。しかしやらねばならぬ。難易度は最高。頑張れば巧くやれることでもない。それなのに結果は重たく響く。こういうとき、ここいちばん気合いを入れようなんて思っていると、逆に上手く行かない気がする。難しく考え過ぎない、舐めてかからない。ほどよい緊張感と、ほどよい柔軟性を併せ持つこと。要するに、平常心が試される。▼心の静穏が欲しいとき、ニーバーの祈りを唱えるのは有効だ。何度か口に出していると、次第に気持ちが落ち着いてくる。この祈りには、忘れがちな真実がしっかり詰め込まれているのだ。「神よ。変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。」

[1079] Aug 11, 2012

コミックマーケット82へ行く。国際展示場の駅そばが旨い。▼コミケは降らないという伝説通り、今日も夕方から雨の予報を出しながら、開催中は晴れときどき薄曇りの良い気候に恵まれた。風もあり、気温は猛暑とも言えぬ夏の平均。しかしやはり会場内は人で暑い。目に見える白い熱気が渦巻いている。砕いた氷を仕入れてきたのは正解だった。この差し入れは、夏はいつも喜ばれる。▼会いたい人には会い、欲しいものは買い、後学のために観察と視聴を繰り返しながらひとりで長らくぶらついた。西館の喫茶店で休んでいる時間がいちばん和む。昼過ぎには今まであまり足を運んだことのないコスプレ広場も訪ねてみたが、あまりにも人が多いのと、ちょうど日射が強く差し込んできたので、長居は出来なかった。想像していたよりも狭い印象だ。わざわざ広場まで行かないときには、これはと思う衣装にひとりくらいは出会うのに、そういえば今日はいちども出会わなかった。

[1078] Aug 10, 2012

ロングブレス・ダイエットなるものを知った。名前の通り、長く呼吸するだけの実にかんたんなダイエットだ。二分で終わる。どんなにつづかない怠け者でも、場所も道具もいらない二分の「呼吸」の時間がないとは言い訳できまい。やろうと思えば必ずつづく。そこに魅力がある。▼三秒で吸い、七秒で吐く。吸って吐くだけではなく、体勢から筋肉の使い方まで、ちゃんとしたやり方があるので詳細は調べて欲しい。試してみたが想像よりはるかに体を使う。たった二分どころか、二分でも汗だくだ。少なくとも、つらくもないのに痩せると謳うような、あやしい呼吸法ではないように思える。▼これからますます忙しくなると、ジョギングも毎日と言うわけにはいかなくなるだろう。その点、歩きながら行う「ロングブレス・ウォーキング」は、深夜の帰路なら気楽に出来るし、そうでなくても風呂前に二分、呼吸するだけでいい。効果検証も兼ねて、ぜひ日課にしてみようと思う。

[1077] Aug 09, 2012

羊の肉を食べる。十年ぶりだ。高校生のとき、修学旅行の北海道で食べたジンギスカンはあまり旨くなかった。あれ以来、羊は不味い肉だ、少なくとも私には合わない肉だと思い遠ざけてきた。臭みがあるとか、癖があるとか、人を選ぶとか、そんなふうに囁かれるほど、食べてもないのにますます苦手になった。▼当然、旨い肉は旨い。そんなことは羊に限らず牛肉でも豚肉でも、当たり前のことなのだ。今日の羊は当たりだった。食べ放題という看板の醸す、いやな予感を吹き飛ばすほど良質な味がした。明日からは、誰かがジンギスカンでも食べようと言い出ても、嫌な顔をせずついていけそうだ。根拠のない苦手意識が裏返る。▼いい反転だ。しかし、いつもそうなるとは限らない。たまたま旨い羊にありつけたから良いものの、またしても外れならどうだったろう。運もある。本当なら苦手意識の克服には、あたって砕けろの博打より、成功する確率の高そうな初手を選びたい。

[1076] Aug 08, 2012

炎上している。社内のいろんなプロジェクトが、大火に見舞われている。納期がぎりぎりなのはどこも同じだが、焼け野原必至の大火となると多くはない。混乱した現場。下がる士気。上がらないクオリティ。形ばかりのスケジュール。そんなプロジェクトに共通しているのは、話を聞いている限り、どうもひとつである。「チームの人間関係が上手くいっていない。」▼書籍にはいくらでも書いてある。チームワークが大切だと。だが、チームワークというのは便利な言葉だ。今は発揮できていないが、ひとたび発揮すればみるみる仕事が捗るはず――そんな魔法の呪文である。奇跡を願う心である。▼人間関係が良好でないというのは、チームワーク云々の話ではない。ただ互いが互いを知らないのだ。気に入らないのだ。仲が良くないのは、仲良くなる努力をしないからである。話すこと、遊ぶこと、戯れること。個々人の努力の話だ。チームワークなどという、魔法の話ではない。

[1075] Aug 07, 2012

ギークの主たる特徴は何か。すべてをシステムで考えようとする。物を創り出すのが大好きである。結果よりも上達の過程を楽しむ。好奇心が旺盛である――いろいろあるだろうが、中でも多くのギークにあてはまる定義は、これではないだろうか。「ひとつのことに集中すると、頭の中がそのことでいっぱいになる。」▼どんなときでも、ギークは頭の中にひとつのランニング・プロジェクトを抱えている。焦点の合う主要な関心ごとは、常にひとつである。関心ごとに合わない情報はすべて耳を素通りしていく。だから「人の話をきかない」などと言われる。その実、聞かないのではない。聞いて不要と判断しているのだ。▼今日、私を一言で形容するなら何かという問いに、同僚の二人は「ギーク」と答えた。オタクでもナードでもなく、ギークがぴったりだという。いま抱えている主要な関心ごとの他は、心底どうでもいいと感じている私には、耳が痛くも納得できる慧眼である。

[1074] Aug 06, 2012

猛烈に頭が痛いので、あまり文章が考えられない。目から来ているらしい。左目に大きなものもらいがある。そこから派生して、眼窩全体が痛い。奥がきりきりする。突き抜けて後頭部が痛い、という具合である。もちろん、明日は眼科に行く。▼失敗したのは、今日もランニングに出てしまったことだ。走り始めてすぐ、体の上下と着地の衝撃につれてずきずき痛むことに気がついたが、引き返すわけにもいかないと思い、いつも通りのコースを走り抜けてしまった。なにがなんでも毎日走ると決めたわけでもなし、素直に引き返すべきだったのだ。反省である。▼矢が降ってもやらなければならないような日課は、負担の軽いものがいい。本を10頁だけ読むとか、新しい音楽を20分だけ聴くとか、フリーテーマで400文字だけ書くとか。「だけ」が味噌である。「以上」にすると、やる気のある日に引きずられて、最低限しか満たせない日の見栄えが悪い。そのうち億劫になる。

[1073] Aug 05, 2012

週末はどうも、未返信のメール処理に翻弄される。返信する手間が膨大というより、返信するかどうか確認しなければならないメールの数が多すぎるのだ。先月、要らないメーリングリストやメルマガを解約し、スパムもどきを片端から迷惑メールフィルタに登録したものの、桁は変わらない現状である。既読にするだけで大変だ。▼ある外資系の大手金融企業では、新入社員のはじめの一年間は、「メールの振り分け」が主な仕事だという。日に数百は届くメールを、素早く分類し、管理し、対応する方法を学ぶのだ。しかしこれが外部との折衝ならともかく、ほとんどが内部の連絡メールだというのだから、褒められた話ではない。▼ふと気がつくと、メールでなくてもよいものまで、メールに押し付けられていたりする。その連絡はほんとうにメールが最適か、よくよく考えたほうがいい。いまや代替ツールはたくさんある。たとえば周知範囲が広いなら、掲示板だって優秀だろう。

[1072] Aug 04, 2012

ネットスケープ・コミュニケーションズには、毎週水曜日、カフェテリアでブリッジを遊ぶ四人がいた。チーフエンジニア、プラットフォーム開発メンバ、マネージャが二人。なんの変哲もない社員たち。しかし他ならぬ彼らこそ、ネットスケープのブラウザ仕様を決定し、企業文化をつくりあげた四人だったと、かつて社の一員であったマイケル・ロップは言う。▼ロップがネットスケープを退社したのは、ブラウザのシェアがIEに奪われたときよりも早かった。彼は会社の滅びを予見していた。予見は大袈裟でも、予感はしていた。なぜか。ブリッジのメンバーがひとり、会社を辞めたのだ。▼猛烈な躍進を遂げる企業には立役者が存在する。黎明期の原動力。彼らは今ある企業の文化そのものだ。彼らがいなくなれば、企業はかつてと同じではいられない。私たちも、そんな不可欠のピースを探してみよう。彼らの動向に目を見張ろう。企業の変化を感じ取る安価なやり方である。

[1071] Aug 03, 2012

電子書籍を手に入れた後輩が、このごろ読書に目覚めたらしく、ぜひ名の知れた古典を読みたいという。本屋へ行き、選りすぐりのオススメを広く浅く紹介した。▼過去に読んだ小説で、ほんとうに面白いと思い、かつ人に勧められるものというのはそう多くない。退屈なものは論外、難解なものもダメ、よほどの魅力がない限りは人を選びそうな作品も除外していくと、残るのは味のある無難な佳編である。背表紙を見ながら指運・気分で選んだら、こんな具合になった。▼国内からは谷崎潤一郎『春琴抄』、中勘助『銀の匙』、夏目漱石『草枕』、志賀直哉『暗夜行路』。外国からはドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』、モーム『月と六ペンス』、『O・ヘンリ短篇集』を厳選。小説以外では谷崎潤一郎『陰翳礼賛』、『寺田寅彦随筆集』、H・D・ソロー『森の生活』を推した。もちろん小林秀雄の紹介も忘れていないが、永井荷風や泉鏡花と同じく人には勧めにくいものだ。

[1070] Aug 02, 2012

アントニオ・ストラディバリは天才だった。彼の制作したバイオリンはどれも三百年の歴史に残る名作となった。けれども工房の寿命は短かった。弟子は誰ひとり、彼の天才を受け継ぐことが出来なかったのだ。一挺・数億円の楽器を生み出す稀代の工房は、ストラディバリの死とともに滅んでしまった。▼弟子の中には息子も二人いたという。技の伝授をためらったわけではあるまい。彼は惜しみなく、教えられることは何もかも教えた。しかし重要なことは全て、教えられないことの中にあったのだ。天才の暗黙知は、天才自身の努力にも関わらず、ついに伝承されなかった。発見には次の天才を要するだろう。▼彼のような天才に限らず誰でも、自分の成功を説明することは想像以上に難しい。私の成功はこれに由来しているだろうと思うものが、ほとんど的外れであったりする。過去の栄光の分析は、ときに危険なのだ。ましてそこに立脚して、次のことを成そうとしているなら。

[1069] Aug 01, 2012

崩壊。ありがちなコミュニティ消滅の序曲を見る。▼はじめは趣味の集まりだ。同好の士が気の合う仲間を集めて、面白いものをつくろうとする。これならいける。頑張ろう。――執念が実り、素晴らしい作品が世に出る。名前は売れた。反響は大きい。どこかで凄腕集団なんて呼ばれ出したりする。自慢のクオリティが認められて嬉しくなる。加熱していく期待に応えたくなる。▼そうしてある日、声の大きい人が、不意に外から人を連れてくる。知り合いの実力者、スカウトした有名人。その道の名うてばかりだ。「次はこの面子で挑もうと思う。もちろん加わりたいものは加わるといい。」まさしく寝耳に水の「戦力増強」である。既存のメンバーには、もとから新参たちと仲良しな人、名前だけは聞いたことがある人、なんら知りもしない人、いろいろいる。ついていく人、いかない人。道が別れる。愛着がなくなる。心がバラけていく。コミュニティは消え、ただの集団が残る。

[1068] Jul 31, 2012

授人以魚不如授人以漁――人に魚を与えても一日で食べてしまうが、釣りを教えれば一生食べていける、という訳で親しまれる、老子の格言である。近ごろ熱い社会保障と職業訓練の文脈で引かれることは多いが、本来はより広く教育の重要性を唱えたものだ。知識を与えるのではなく、知識の得方を与えよ。▼けれども、このあたりの「本質」が生徒と先生のあいだで共有されていないと、教室は悲惨な発言で溢れかえることになる。こんなイソメやゴカイなんて、腹の足しにもならないものはいりません。それより美味しい魚をください。「三角関数なんて、社会で何の役に立つんですか。」▼勉強を楽しくするというとき、楽しげな遊びに勉強を織り交ぜて、糖衣に包んでも仕方がない。魚が旨くて、よく釣れれば、これはもう釣り自体が楽しいはずなのだ。ときどきは魚を与えて旨味を思い出させつつ、釣り自体の技術と楽しみを教えていく。このバランス感覚に教育の肝がある。

[1067] Jul 30, 2012

「<潜在的なニーズを満たしたり、抱えている課題を解決したり>したい。<対象顧客>向けの、<プロダクト名>というプロダクトは、<プロダクトのカテゴリー>である。これは<重要な利点、対価に見合う説得力のある理由>ができ、<代替手段の最右翼>とは違って、<差別化の決定的な特徴>が備わっている。」▼ジョナサン・ラスマセンは『アジャイルサムライ』でこれをエレベーターピッチと呼んでいる。<>の変数に言葉を代入する。商品企画の目的や価値を明確化するためのテンプレートである。面白いので、目下の制作に適用してみた。一部省略する。▼「キャラクターの性格を全面に押し出した編曲を提供したい。気軽にクラシカルを楽しみたい人向けの、**というプロダクトは、弦楽アレンジである。これは既存の重低音主導なハードコアとは違って、弦楽器ならではのピアノ/フォルテの落差によりキャラクターの極端な感情変化を表現することができる。」

[1066] Jul 29, 2012

達人、という言葉がある。職人技を極めた人間のことだ。たとえば鍛冶の達人になりたいとする。どうすればよいかと尋ねたら、達人はなんと答えるだろう。哲学的な心構えを説くか。実践的なアドバイスをするか。いずれにしても、達人になる方法を明確に言語化することはできそうにない。▼しかし、言語で表せないことが出来るから達人なのだと考えたとき、私はひとつ、見逃していることに気がついた。達人プログラマになる方法は、かなり言語化されている。言語化されているが、なりがたさは職人と変わらない。あまりにもやるべきことが多いからだ。しかもそれらを「当然のように行い」「よりよい策を不断に考えつづけ」なければならない。気が遠くなる。▼言語化できたところで、事情は変わらないのだ。鍛冶の達人も、プログラマの達人と同じように、心の持ちようから筋肉ひとつひとつの動きまで、言語化は可能だが膨大な処理をこなしている。故に、達人である。

[1065] Jul 28, 2012

ジョギング。横断歩道の白線を跨ぐとき、その幅を覚えておく。だいたいそれくらいの歩幅で走るのが、私にはちょうどいいらしい。狭いストライドは脚への負担が少ない。競馬の世界にもよくある、ピッチ走法というやつだ。テイエムオーシャンやアストンマーチャンが懐かしい。▼ピッチ走法に比べてストライド走法は脚への負担こそ大きいが、スピードを出すには歩幅を大きくするしかない。タイムを競う競技なら、このトレードオフを考えて自分の走法をコントロールする必要があるだろう。しかし、急ぐ必要のないジョギングでも、歩幅は狭ければよいというわけではない。▼競走馬に得意走法があるように、人間にも足の長さや筋肉・フォームの違いにより、各人の「最適ピッチ」が存在する。走りながら靴の大きさを単位にして歩幅を変えてみるとわかりやすい。エネルギーロスの少ない「しっくりくる」幅がある。これを意識してから、より楽に長く走れるようになった。

[1064] Jul 27, 2012

MITのある研究室では、学生がデバッグに悩んだとき、先生に相談する前にまず、学生部屋のテディベアを頼らなければならない決まりがあったという。ぬいぐるみのくまを相手に、問題のコードについて、何を意図したものか、本来どう動くべきか、どのように何を処理しているか――を説明するのだ。そうして、ほとんどの問題は、忙しい先生を煩わせる前に解決したという。▼無機物が相手でもいいから、自分が何をしようとしているのか、口に出して説明してみること。このやり方を、アンドリュー・ハントは「ラバーダッキング」と呼んでいる。ゴムで出来たあひるのおもちゃを机に置いて、彼にプログラムを説明するのだ。上手く言葉に出来ないところがあれば、それが問題の核心であろう。おばあちゃんにもわかるように話さなければ理解できたことにならない、とはアインシュタインの弁。あひるにもわからない説明では、コードが正しく動く見込みなどないのである。

[1063] Jul 26, 2012

非常に美味いが非常に辛いと評判のカレー屋に挑戦した。あまりにも遠慮がちな、小さくて目立たない看板。探し当てた入り口から、狭いビルの階段を三階まで潜る。扉を開けると、小汚いビルが嘘のような、東南アジアテイストの洒落た店があった。なるほど、隠れた名店だろう。▼味は、評判通り、美味いがあまりに辛い。私はとくべつ辛いものに弱いので、途中から会話する余裕もなく、舌の刺激を和らげる工夫と滝のような汗の始末に追われていた。そんなにつらくても独特の風味が良いなと感じるほどだから、辛いものが好きな同僚はさぞかし喜んだことだろう。▼いつもの夕食メンバーも、さすがにこの頃は社のまわり、最寄り駅近くの飯屋には飽きてきた。どこを選んでも「またか」という空気が漂う。しかし食べログなどでちゃんと調べてみると、まだ半分も制覇していないことがわかるのだ。慣れ親しんだ土地にも、知らない店はたくさんある。たまに開拓してみては。

[1062] Jul 25, 2012

とにかく掃除の苦手な子がひとりいる。実際に見たわけではないが、当人談によると部屋は漫画と服とで散らかり放題、片付けようにも所定の場所がないから片付けられない。置ける場所にはなんでも置いてあるというありさまで、このごろはベッドにも雑誌が侵食しているという。想像に難くない、いわゆる「汚い部屋」だ。▼ところが面白いことに、その子はいつもみんなから「部屋がキレイそう」だと言われるのだそうだ。たいてい笑ってごまかすものの、実情を知る友人が近くにいると爆笑されるという。印象とは恐ろしいものだ。何を隠そう、私も部屋の話を聞くまでは、完全に「綺麗好きタイプ」だと思っていた。▼敢えてここでは言わないが、私もかなりの確率で誤解される「〜そう」がある。詳しく知らない人はまず間違える。だから、当人が聞いたら苦笑するしかない事情もよくわかるのだ。人間の印象判断はヒューリスティクスである。あまりアテにしてはいけない。

[1061] Jul 24, 2012

ついに待望の品物が届いた。畳を模した消しゴム大の支え、膝をついた白い人形。顔の前で合わせた両手と、頭上の切れ目で名刺やメモを支えてくれる、このユニークなスタンドは、ヒューマニアの「白刃取り失敗カードスタンド」――いつも変わらぬ私のトレードマークである。▼人気か不人気かわからないが、長いこと品切れがつづいていた。このごろ再入荷したらしい。すでにわが半身である。生放送も始めたことだし、そのうちカメラで何か手元を映す機会があれば、よいシンボルになると思う。▼ヒューマニアは、DECOLEという雑貨ブランドの商品企画である。「顔はないけれど、表情豊かなヒューマンたち。デスクを飛び出しキッチン、洗面などあらゆるところに進出開始!!」残念ながら実用にはいまひとつと評判だが、そのユーモラスなフォルムは「見ていてどこか暖かく、『ホッ』と心が和む」というコンセプトをちゃんと体現している。遊びのワンポイント雑貨である。

[1060] Jul 23, 2012

お決まりのランニングコースは、駅の方へ坂をくだること10分、信号で折り返して今度はのぼる。この折り返した後がきつく、一往復で足も呼吸も限界だった。初日は坂の中盤で諦めかけたのを覚えている。それからしばらく同じコースを走っていたが、ある日、ふとした気まぐれで道を変えてみた。坂をくだりきる前に脇道へ逸れて、10分ほど平坦な迂路を走ったのだ。いつもより10分遅れて坂をのぼりはじめたことになる。▼ところがそれが、今まででいちばん楽なのぼりであった。足は進む。呼吸も苦しくない。調べてみると、走り始めてしばらくは体が上手く酸素を摂り入れられず、運動に必要な酸素量を確保できないために苦しく感じるが、やがて体が運動に適応すると酸素の受給が一致して楽になる――これを「セカンドウインド」というそうだ。現象もありがたいが、名前の爽快な印象がなんとも素敵である。英語では、そのまま「元気回復」の意味に使えるらしい。

[1059] Jul 22, 2012

部屋の掃除をした。いちどやり始めたら中途半端には終わらせたくないので、あちらの汚れもこちらの埃もと奔走していたら、いつの間にか大掃除でもないのに箪笥の角へ雑巾がけである。きれい好きな人は雑巾くらい毎日かけるものだと主張するが、私にそんな習慣はない。▼収納の多さをいいことに、断も捨も離もなく集積されたがらくたの数にはわれながら辟易するが、大掛かりな掃除の常で、懐かしいものもちらほら出てくる。三年前に入れ込んだ玩具。五年前に故障した機材。十年前のキャンパス・ノート。▼「十年前」という単語を、私は今日だけで二度使っている。オススメのライトノベルとして、橋本紡の『毛布お化けと金曜日の階段』を紹介したところ、これの初版が2002年であった。十六歳。高校一年生。あの輝きに感動したのが「十年前」とは、にわかに信じられない思いがする。なんと年を取ったものだろう。掃除するたびに、十年前が見つかりそうで怖い。

[1058] Jul 21, 2012

新しいサーキュレーターを置いてから、部屋がかなり涼しくなった。こちらに向けなくても部屋の空気が回ってくれるので、扇風機のように露骨な風を浴びて具合が悪くなる心配もない。うるさいのだけが難点である。▼このごろは「扇風機・サーキュレーター」と書かれた商品まで出回っていて、両者の違いはあまり強調されなくなった。もちろん定義は別物だが、仕様次第でどちらにでもなりうるほど境界は曖昧である。イルカとクジラ、鷹と鷲のようなものだ。▼風を送る機械のうち、前方広範囲・短距離に特化したものが扇風機、前方直線上・長距離に特化したものがサーキュレーターと思えばよろしい。だから前方の僅かな範囲に僅かな風しか送らないポンコツは、扇風機ともサーキュレーターとも言えないし、遠くまで広範囲に強い風を送るツワモノはどちらとも言える。あさっての方に向けて運転させても部屋全体に効果があるなら、サーキュレーターと呼べばいいだろう。

[1057] Jul 20, 2012

西日本出身の人は、東京人は「喋りが弱い」と言う。きまって「弱い」という単語を使うのだ。私はもう、違う人から何回も聞いた。私に対して言うのではない。東京人、ひいては関東人全体に言うのである。なんだか、なよなよしていると。▼そんなもの人によるだろう、と言い返すのはかんたんだが、平均的な印象となると無碍に否定もできない。もし博多、広島、大阪、名古屋、東京の五人がならんだら、どうにも東京が喋り負けそうである。直感的にそう感じる。▼そのうえこんどは世界を見ると、日本は韓国、中国、アメリカに「喋り負ける」ことが多いというのだから、東京人というのは世界でもっとも「喋り弱い」人々なのではとさえ思えてくる。けれども、だからこそ、ふだんは良い聞き手に収まりながらも、ほんとうに主張したいことを通すには有無を言わさぬ内容で勝負、そんな文化が生まれているとも思うのだ。東京人ほど中身に重きを置いて喋る人々は稀である。

[1056] Jul 19, 2012

飲み過ぎた。過ぎたとはっきり言い切れるほど飲んだのはいつ以来だろう。数年前、上野の居酒屋で笊と飲み比べをしたときのことを思い出した。前後不覚寸前で、ふらふらしながら家まで辿り着いた記憶がある。今日もまっすぐは歩けない。脚が覚束ないと感じるのも二回目だ。危うく寝過ごして終電を逃すところだった。▼ヤケ酒ではない。話があんまり楽しいので、グラスを傾け夢中でいるうちに、いつの間にか摂取量が度を越えていたクチである。「次も別のオススメを」という言い方ひとつで次々新しい酒が出てくるものだから、見えるところに珍しいボトルが並んでいるのも手伝ってキリがない。初見のウイスキーは出来るだけ飲みたくなるのだ。▼それでも杯を重ねながら、いまどれくらいの酔いかを自覚するだけの頭は常にある。だから酔いつぶれはしない。興味本位で、誰にも迷惑をかけない形ならいちどは潰れてみたいと思うものの、なかなか機会が訪れないでいる。

[1055] Jul 18, 2012

「ハ行」は健康のバロメーターだと言う。ハヒフヘホがきれいに発音できないとき、それは身体がつかれているのだ。喉の奥から出てこない、弱々しいハ行の音はため息に似ている。力のなさが滲み出る。▼言葉を発するとき、冒頭の「ハ」が強く出ると、文章全体が活き活きとしてくる。「はりきって行きましょう!」と意気込むとき、はじめの「ハ」が弱くては何の檄にもならない。呼気を伴う「音としてのH」をしっかり意識しないと、舌先で音色をつけただけの、掠れたハ行が出る。この行は難しい。▼一般に、発音の難しい行としては「サ行」「ハ行」「ラ行」が挙げられる。腹から喉へ、そこから前へ「音を飛ばす」意識がないと、空気ばかり洩れがちで芯のない声になる。子音が落ちて曖昧な母音だけが溢れる、響きもしない、くぐもった嫌な声になる。全ての音に気を使う余裕はなくても、「サハラ」を含む言葉のときは、速度を落として慎重に話してみてもよさそうだ。

[1054] Jul 17, 2012

去年の十二月、いちど貶したものの名誉を回復しておきたい。クナイプの「ミント」である。クナイプについての説明は当時の記事かサイトを参照していただきたい。▼今日はとみに気温の高い日で、帰宅すると歩いてきただけなのに体中が焼けるように暑かった。こんな日にジョギングをしたら、火照ってたいへんなことになるのでは。そんなことを弟と話していたら、今こそあれを使うときだよ、と言う。それが、半年前に買ったきり封印していた入浴剤「ミント」である。▼果たして汗だくでジョギングからもどり、軽くシャワーを浴びて身体を流し、ミントを入れた湯船に飛び込んだ。岩塩が底に沈んでいる。39度の湯をなみなみ張った浴槽は、なんと、冷たかった。沈んだ岩塩に触れた皮膚がとにかく冷たい。次第に腰のまわりが冷えてくる。顎まで浸かりつつ、ひやり涼しい入浴。まさしくこれが本来の用途であろう。冬に使用したのがすべての間違いだったというわけだ。

[1053] Jul 16, 2012

ダンカン・ワッツ『偶然の科学』を読む。なぜあるものは流行り、あるものは流行らないのか。書名からも想像できるように、ワッツの答えは「たまたま」である。私たちはある重大な出来事の原因を考えるとき、それが重大であるという理由だけで「偶然」という原因をあまりに軽視しすぎているのだ。▼主張そのものに社会学として目新しいものはあまりないが、豊富な具体例が読み物として面白いのでオススメする。ウェブコンテンツをめぐる最新の動向にもアプローチしているので、ウェブを舞台に創作活動をしている人間にはとくに役立つ知見も多いだろう。皆に賞賛される「最高の音楽」がどのように生まれるかを観察する<ミュージックラボの実験>など、私にはじつに興味深かった。▼ただしワッツは、成功など偶然の産物に過ぎず、すべての計画や努力は徒労だ――とは結論していない。計画や努力に対して、成功を期待しすぎることへの警鐘を鳴らしているのである。

[1052] Jul 15, 2012

生放送に興味があると書いてからちょうど四ヶ月。テスト配信ながら、ようやく生放送という仕組みの中でリアルタイムに言葉を届けることが出来た。放送を開始するまでも開始してからも、なにしろリテラシーがかけらもないのでトラブル頻発に苦労したが、テスト配信にも関わらず視聴に来てくれた方々に助けられて、ひとつひとつ問題を解消しながらなんとか形に出来た。不恰好ながら、初めの一歩である。▼次に何をするかも決めていないが、音と文字が伝えられるなら出来ることはたくさんある。漫然と楽曲制作風景を公開してもよし。近況報告代わりにつかってもよし。ここの記事には収まらないような広い話題に一枠を費やしてもよし。読んだ本の感想や解釈を開陳しても良し。個人的なお気に入りの動画を紹介して行くもよし。ふだん交流の少ない人たちと雑談に興じるもよし。マイクが使えるようになれば、さらに出来ることは増えるだろう。いろいろと考えてみたい。

[1051] Jul 14, 2012

高精度の工作機械については、軍事への利用を懸念して、政府行政指導により海外での販売規制がある。基準は対象国によりまちまちで、たとえば中国やタイ、ミャンマーなどは北朝鮮の絡みから「ブラック」として特別に強い規制を敷いているという具合だ。ビジネスとしては自縄自縛であり、チャンスはいくらか潰れるが、戦略物資の流出と考えれば政府としては当然の制限である。▼これだけならまっとうな指導にも思えるのだが、どこまで考えているのか疑わしくなるような事実を今日、知ってしまった。驚くべきことに、ロシアは「ホワイト」だと言うのだ。両国の軍事的脅威をどう見積もっているのか知らないが、中国の方が市場的には圧倒的に「熱い」ことを考えると、これは妙な話である。その中国にしても、結局はドイツから日本製に匹敵する機械を仕入れているわけで、なにがなにやらわからない。製造業で世界を獲ると意気込む割には、どうもちぐはぐさを感じる。

[1050] Jul 13, 2012

あるシンポジウムでタイムキーパーをしていたときのこと。一人10分の持ち時間を守らせるべく、大きなパネルに「あと2分」「あと1分」「時間です」「1分経過」「2分経過(赤太字)」と小刻みな警告を用意し、ストップウォッチを見ながら最前列で提示していた。▼それでもみんな守らない。3分あまって間の持たない人も居れば、2分経過を揺らしてみても早口で続けようとする人もいる。たいていは足りない方なので、スケジュールはどんどん後ろに押していく……そんな中、ひとり、私に強烈な印象を残した人物がいた。鈴木特許庁長官である。▼タイムキーパーとしては唖然であった。講演中、私の方をいちども見ないのだ。時計も見ないで淡々と、スライドの内容を説明していく。オーソドックスな講演。そうして「ご清聴、ありがとうございました。」と言い切ったところが10分00秒。感服した。あのときもっとも真摯な拍手を送っていたのは、私に違いない。

[1049] Jul 12, 2012

アジアチャンピオンを決めるFPSの国際大会で、ひいきの日本チームが決勝戦に臨んだときのこと。あるとき、中核を担う狙撃手がめずらしく敵のひとりを仕留めそこねた。互いに姿を確認しての早撃ち戦、一撃で仕留められることの方がそもそも神業だが、この人にしては珍しいなと思っていると、ちょうどそのとき、湧き立つ観客席に向けて解説が試合前に聞いたという彼の言葉を紹介してくれた。言葉の記憶は曖昧だが、中身は忘れられない。▼「**さん、俺は撃ちますよ。たとえ当たらなくても。クリックしないで負けるのだけは、絶対に嫌ですから。」なんという強い台詞だろう。スクリーンの前に立ち尽くし、彼の活躍を見つめながら、胸の内が沸騰するような気がした。最強にして、この信念あり。至言である。俺は撃ちますよ、という一言に込められた「当然感」は、いままでに聞いた似たようなまわりくどい似非名言の重みを遥かに凌駕している。座右に刻みたい。

[1048] Jul 11, 2012

ひきつづきバックハウスを聴く。オーソドックスで安定感のある演奏はブレンデルに近いものもあるが、何かにつけて間の取り方が独特だと感じる。そこで溜めるか、というようなところで溜めるし、そこは止めないのかと思うところを走り抜ける。溜めるも溜めないも局所の演奏技巧としてではなく、全体でひとつのテンポを形成しようとしているような感じがする。▼ところで、恥ずかしながらこれまで、プロが録音版として残すテイクにミスタッチはないのだろうと思っていたが、そんなことはないようだ。いくつかの音符がもつれて聞こえる。バックハウスに限った話ではなく、どんな有名ピアニストがスタジオ録音を繰り返したところで、難易度の高い曲にミスタッチはつきものらしい。それでもたいていの場合、私の耳にはどれがミスタッチがわからないので、いつもは素通りしているに過ぎないということだろう。当然と言えば当然のこと。機械が弾くのではないのだから。

[1047] Jul 10, 2012

バックハウスのベートーヴェンピアノソナタ全集がついに届いた。CD8枚組。取り込みは早い。▼ブレンデル、グールドとは違う、ベーゼンドルファーの音色が耳に新しい。音源では聞きなれた音ながら、演奏されているのを聞くのは初めてだと思う。硬く重くきらめく音だ。単音がとくに美しい。その美しさが曲の良さを引き立てることもあれば、これはスタインウェイの方がいいなと思うこともある。けれどもたいていは色違いとでも言うべきもので、どちらも素敵と感じることにためらいはない。▼驚いたこと、思ったことを書いてみよう。悲愴のグラーヴェがやたらと速いが、その後の加速はあまりしない。月光はやや遅く感じる。テンペストは迷わずグールドに軍配。ワルトシュタインは音が映えてじつに綺麗。第三楽章は今まででいちばん良い。熱情は思いのほか音が向かないのだろうか。本人死去のため、ハンマークラヴィーアだけモノラル収録なのが心の底から残念だ。

[1046] Jul 09, 2012

日本語の、ガ行の音には二種類ある。濁音と、鼻濁音だ。▼ふだんは同じガギグゲゴと書かれるので意識しないが、「音」としてはこのふたつ、明らかに違うものである。ガッコウのガと、マンガのガを比較してみるとよい。喉から強く、堅く音を出すガッコウに比べて、マンガは鼻に抜けて柔らかい。用語ではそれぞれ破裂音・通鼻音と呼ばれる。GとNGと思えば音のイメージはつきやすい。▼この音を頭の中で意識して発声するとスピーチが変わるというので、早速試して録音すると、なるほどこれは非常に具合がいい。破裂音をことさら強調する必要はないが、鼻濁音の方は、それが鼻濁音であることを考えながらゆっくり、ちゃんと音を出すようにすると、助詞の「ガ」や鼻濁音のガ行を含む単語が聞き取りやすくなる。そうして、文の途中にある「ガ行」はたいてい鼻濁音なので、その音をなあなあで無意識に通り過ぎないよう、注意して口に出すと言い換えてもいいだろう。

[1045] Jul 08, 2012

会社の同僚たちと連れ立って、電車で富士山の頂上へ美味しいつけ麺を食べに行く。ところが帰り道、電車が止まって下山できない。明日は出社だ。ここで再開を待つわけにはいかない。みんなで力を合わせ歩いて下山しよう――そんな夢を見た。▼のっけから設定は支離滅裂だが、体験に飛躍がなく、かなり現実味の強い「夢とは思えない夢」の部類であった。電車が出ないと知ったときの焦り。下山を決意したときのわくわく感。醤油つけ麺の味まで思い出せそうだ。▼目覚めてみて面白いと思ったのは、夢の中では誰も彼も、私が同僚たちに抱いている印象が、純粋な形で発現していたことだ。この人は頼りになると思う人はじつに頼れる先導役だし、気遣いが出来ると思う人は皆の手助けをしていたし、いつも場を和ませてくれる女の子は、下山のつらさを話と笑顔で紛らわせてくれた。その他も然り。人の印象の再確認。なんだか、そのための夢だったんじゃないかとさえ思う。

[1044] Jul 07, 2012

サンディエゴの花火「ビッグ・ベイ・ブーム」を動画で見た。吹き上がる閃光。夜景に映える巨大な火の球。装置が誤作動を起こして開始前に着火、それがすべての花火に引火したものらしい。五十万人を動員したイベントは、わずか三十秒で終了した。▼符号ひとつの間違いで国家的なプロジェクトが破綻する。クリックの手違いで数千億が飛ぶ。組織はもちろん個人でも、失言・失態ひとつで大炎上。うつ病にまで追い込まれることも珍しくない。事故を誘発する行為の規模と、事故が引き起こす惨事の規模は、いよいよかけ離れてきている。▼フェールセーフが機能していない。風が吹いたら桶屋が儲かるような複雑な環境では、どの引き金がフェイルなのか事前に知ることができないからだ。そうして事後的に「悪の蝶々」が特定される。うかつには何も出来ない――しかし誰もが安全策で守りに入るときこそ、同時に、不運を省みない人が強くなるということも忘れてはならぬ。

[1043] Jul 06, 2012

自分の声が、どこまで届くか。創作をしていると、そんなふうに思うときがある。こうしてみよう、ああしてみようという工夫の目的が、いつのまにか「飛距離」になっている。パワースイングにあこがれる時期。▼ゴルファーがドラコンへ出場するように、野球選手が長打ばかり練習するように、いつかはそうしたわかりやすい「力」を目指してみるのもいい。けれども、全力を込めて球を打てば、当然、ていねいさは失われる。ていねいに伝えることを忘れた大声は、はじめこそ驚いてもらえても、次第にうるさがられて、ついに耳を塞がれる。▼熱量は人を惹きつける。が、惹きつけた人を遠ざけもする。熱がなければ人は来ないが、ただ燃えていればいいわけではない。長く親しみ、愛着をもってもらうには、ときどき涼しい風が吹くような、そんな気づかいもいるだろう。飛距離とコントロールのバランス。このあたりの呼吸には、どうもスポーツと芸術に共通するものがある。

[1042] Jul 05, 2012

作文の良し悪しは大別してふたつある。文章が拙い。内容が拙い。▼たとえば誤字脱字が多い、これは文章の拙さだが、文法的に粗はなくても、言葉選びがよろしくない、読みやすいリズムがない、語彙が著しく乏しいなど、このあたりもまた文章の拙さと言える。要するに「止まる文章」だ。眼が止まる、耳が止まる、頭が止まる。こういう文章は、まちがいなく読みにくい。▼一方、内容が拙いというのは、文章の巧さに関わらず中身がつまらないのを言う。これはとても赤ペンでは添削のしようがない。曖昧で、難解で、具体性がなく、主張もなく、笑いどころもなければ、新しい発見もない。興味を惹かないどころか、読んで損したとさえ思えるような面白くなさ。筆者の体験に根ざしていない文章は得てしてこうなりがちだ。これも作文の悪である。習作でも避けるべき悪である。両輪並んでようやく良し。練習なら中身はどうでもよいという感覚では、作文の力は磨かれない。

[1041] Jul 04, 2012

最近、同じ本を何度も読んでいる。たとえば「咲」を二十回、「HERO」を十回、「孫子」を三回。回数は大体だ。なぜそんなことになるかというと、至極明瞭な話、これらの本がもう長らく、カバー付きのまま机に置いてあるのである。いちども棚へしまわれていない。棚がいっぱいなのもあるし、カバーを外さなければ棚へは置かないが、外すのが面倒なので仕舞われないのである。正体不明の書籍群。▼カバーがしてあるから、これはどれかなという小さな興味で手に取る。そうして読み始める。「孫子」はサイズが小さいからわかるけれど、手元にあれば拾い上げて頁をなぞりたくなるのが指癖というもの。あとは気づけば栞が先へ。二週目、三週目になる。昔から、同じ本は繰り返し読まない性格の私が、カバー付きのまま置いてあるというだけで、こんなにも再読している。それというのも食指を誘う準備があればこそ。人がどれほど環境に動かされるかの良い見本である。

[1040] Jul 03, 2012

レバ刺しの流通が禁止になるから、最後にひとくち食べたいという人たちのあいだで、先月末「駆け込みレバ刺し」が頻発した。私はレバ刺しどころか内臓系は焼いても駄目な大苦手なので、頼まれても食べたくはない代物だが、先輩や同僚は「こんなに旨いものはないから」と特上肉より楽しみに注文していた。テーブルにつき二皿までという。どうぞ私の分も食べてくださいと言うと、喜んで食べた。▼焼肉店のユッケ食中毒事件から一年あまり。生食用牛肉の新基準も出来て、加熱殺菌やトリミングのコストは急増、生肉を手頃な価格で客に提供できる店はほとんどなくなった。私はよくても、生肉ファンの方々にはつらいことかもしれない。規制緩和はあるのか。鳥の生肉はどうなる。こう、規制関連の情報を集めていると、レバ刺し風こんにゃく『マンナンレバー』なる商品を見つけた。見た目も味も触感もレバ刺しにそっくりだという。そこまでして食べたいか。唖然とした。

[1039] Jul 02, 2012

帰宅、着替えて走った。軽めに2km。良い靴は走りやすい。そうしてたしかに、白がいい。たった2kmのランニングでも四人とすれ違った。これが黒ならぶつかるかもなと思うほど軽快な速度で飛ばしてきた。逆方向で四人だから、同方向も数えたら八人は同時に走っているかもしれない。▼走ると疲れるのは、血中に乳酸が溜まるからである。溜まり方は運動の強さに依存するが、線形ではなく指数関数に近い。酸素の需要量と供給量のバランスが崩れたとき、途端に値が上昇するのだ。あまり疲れずに長く運動できる、ぎりぎりの運動強度。この閾値を無酸素性作業閾値(AT)という。▼ATを超えないことはもちろん、ランニング初心者はもっと速度を落としてもよいらしい。最高でも時速6kmが目安と言われる。さらに遅くすればスロージョギングになるが、これもれっきとした有酸素運動であり、健康には良いらしい。読書と同じだ。まずはゆっくり。歩くように走る。

[1038] Jul 01, 2012

深夜。二十三時を過ぎたころから、遊歩道には走る人が増えてくる。軽快なシューズ、白いランニングウェア。初老と女性が多い。稀に、本気でマラソンに挑んでいるのではないかと思わせるような、ストライドの大きい本格的な走りも見る。アディダスのマーク。やはり白い服を着ている。▼ランニングウェアのコーナーにはやけに白が多い。黒に比べて汚れが目立ちそうなものだが、どうしてだろう。人気なんですかと聞いてみると、人気ですね、という答え。そうして曰く、夜に走るような人は白じゃないとダメなのだとか。闇で目立つ色をしていないと、ぶつかったり轢かれそうになったり、とにかく危ないのだそうだ。わざわざ反射鏡を提げて走る人もいるという。▼なるほどそれでみんな白いのかと納得した。遠目にも目立つ色。ランニングをしている人が、いまここにいるんですよと道行く人にわからせる色――ならばと私も白を選んだ。白同士、ぶつかることもあるまい。

[1037] Jun 30, 2012

「外界のことを思い煩う勿れ。先ず自己に力を得よ。さすれば外界のことは自然と解決がついて行く。」座右の銘は何ですかと聞かれたら、いつも島崎藤村のこのフレーズと、夏目漱石の言葉「人の毀誉にて変化するものは相場なり、値打ちにあらず」を答える。正確には、そのときの気分次第でどちらかを答える。主張の位相は違っても、私の中に占める座の大きさは相並んでいる。▼思い煩うような「外界のこと」の中には、人の毀誉褒貶に関わることも大いに含まれているだろう。そんなとき、それは値打ちを言うのではないと達観するか、それを考えても仕方がないとひきつづき鍛錬に邁進するか。気にしないという点は同じでも、処し方は反対のように見える。どうするか。▼私の中での優先順位はこうだ。毀については藤村が勝つ。誉については漱石が勝つ。所詮、毀誉は相場と割り切りつつも、貶されれば恥じて努力せよ。良い占いだけ信じる人と、似たような態度である。

[1036] Jun 29, 2012

「故に勝を知るに五あり。戦うべきと戦うべからざるときとを知る者は勝つ。衆寡の用を識る者は勝つ。上下の欲を同じうする者は勝つ。虞を以て不虞を待つ者は勝つ。将の能にして君の御せざる者は勝つ。此の五者は勝を知るの道なり。故に曰わく、彼れを知りて己れを知れば、百戦して殆うからず。彼れを知らずして己れを知れば、一勝一負す。彼れを知らず己れを知らざれば、戦う毎に必ず殆うし。」▼孫子の有名な一文を含む、謀攻篇第三の五。あらゆる物事を知り尽くすことで「戦わずして勝つ」ことは孫子の最も推奨する戦の要諦である。己れを知れ、しかし片手落ちでは「勝利の五」はわからぬ。勝利を確かなものにするためには、己れのことのみならず敵のことも充分に調べ尽くしたまえ――当然の訓戒だ。当然の訓戒だが、勝利を焦るあまり己も敵も知らず戦を始めてしまうことがままある人には、なんどでも復唱するに値する一文だろう。知れ。そして勝ち戦をせよ。

[1035] Jun 28, 2012

モビルスーツの名前。ライダーの変身ポーズ。マクロス、巨人の星、ジョジョ、エルシャダイ、アイドルマスター、アンジェリークにときメモ。クトゥルフ神話はもちろん、昭和ゲームの台詞から声優のメタネタまで、わかる人だけわかればいいさ、これでもかとパロディを詰め込んだ「這いよれ!ニャル子さん」は、今季のアニメでもかなりの異色を務めた。元ネタの量は挙げつづければ四千字でも足りない。▼日本人は昔から「わかる人だけわかるマニアックなネタ」を仕込んだ作品が大好きである。横井也有の「鶉衣」もその典型だ。話は話で軽妙に面白いながら、じつは息つく間もなく一行ごとにネタが仕込んである。源氏、平家はもちろん、中国の逸話から、出典を聞いてもわからないほどマイナーな物語、日記、和歌、果ては民間伝承まで、かけられるものはなんでもかけてやろうと言わんばかり。ニャル子さんの楽しみ方に、きわめて似ていると言えるのではないだろうか。

[1034] Jun 27, 2012

地球温暖化対策税の導入、給与所得控除に上限設定、個人住民税の増税、所得税の復興増税、消費税の8%化、再び個人住民税の増税、2015年には消費税10%。今後の「増税スケジュール」を見た。▼シムシティでも国庫がつらくなれば増税ボタンを押す。少しくらい人口が伸び悩んでも、あるいは減っても、未来のためなら仕方ない。そんな気持ちで押す。そうして急に各方面の赤字が黒字へ転換し、いろいろなことが出来るようになると嬉しくなる。なるほど、未来のためだ――もう少し増やそう。▼国政とはそういうものだから、いまさら愚痴を言うつもりはない。不自由・不具合・不合理は承知の上で、決められた通り納税しつつ、つらいという意思表明だけはしておこう。ちなみに消費税10%時の年間負担増を表で見ると、300万から350万の世帯年収を持つ家庭がいちばん割りを食うらしい。総数も多いだろうし、人ごとではないだけに、この偏りは疑問である。

[1033] Jun 26, 2012

たとえば200ドルの商品に、もれなく20ドルの商品がついてお値段据え置き200ドル――となればお得に違いなく、200ドルを単品で出すよりも売れそうに思える。ところは現実はそうならない。消費者は同系列の高額・定額商品がバンドルされると、もともと価値のある方まで「安価なもの」と見なすようになるからだ。▼抱き合わせ販売という言葉がいい意味を持たないように、私たちは、セット販売されるものの価値をより低く、単品で高額なものの価値をより高く見積もる傾向がある。二本で500円の栄養ドリンクよりも、一本で500円の方が「効きそう」に思えるのと同じ構造のヒューリスティクスだ。▼「チーズバーガーだけを食べるよりも、サラダのついたチーズバーガーセットの方が低カロリーに感じてしまう。」これは逆の例である。動物時代の「信頼出来る」発見法が脳に根付いていればこそ、人の価値判断は容易に曇ることを考慮しなければならない。

[1032] Jun 25, 2012

1988年、第8回ジャパンカップ。アメリカから遠征してきたペイザバトラーが、タマモクロスを差し切り優勝した。祖国での惨敗つづきを返上する快挙。凱旋門賞馬・トニービンも、日本のアイドルホース・オグリキャップも下して、9番人気から見事な勝利を収めた。▼そのレースで実況を担当した元アナウンサーと話したとき、レース動画を見て彼の実況を聞きながら、翌年のホーリックスにも思いを馳せつつ、「しかし、ペイザバトラーはすぐに亡くなっちゃいましたね……」と言うと、そのことは知らなかったらしい。そうだったのか、と悲しそうな顔をした。私が覚えていたのは、よしだみほの漫画で、ペイザバトラーを偲ぶオグリキャップが強く印象に残っていたからだ。▼外国馬にして日本でしか走らなかった、日本馬たちの好敵手。ただ一世代、種牡馬として活動したのち、急逝した。その一世代のあいだに、パルブライトを残せたのは、彼の幸運というべきだろう。

[1031] Jun 24, 2012

ソニーのニューヨーク本社ビルが売却されるという。正確には検討段階で、今のところ交渉は難航しているが、そのうち実現する可能性も充分ありそうだ。37階建て。ヨーロッパのモダニズム建築をアメリカに紹介した功労者、フィリップ・ジョンソンがAT&Tビルとして設計した、ポストモダン建築だ。シーグラム・ビルのような箱型と思いきや、頂上には古代神殿建築の三角破風が可愛らしい。▼フィリップ・ジョンソンは、私が多少なり建築に興味を抱いたきっかけでもある。なので、彼の設計したビルの代表格がふたたび売りに出されると聞くと、なんだか複雑な思いがする。修正案である部分売却の話がまとまった暁には、ブラックストーン・ビルとでも名前が変わるのだろうか。通信、エレクトロニクスと来て、ついにファンドの手に渡るというのは、時代の趨勢を反映しているようで面白い。時代の覇者へと受け継がれていくビル。そんな伝説になるのも、悪くはない。

[1030] Jun 23, 2012

昼寝をした。昼寝できるだけの平和な日が来るのは久しぶりかもしれない。昼なのに眠いということ自体は、たとえ不眠の代償に過ぎなくても、あれをやらねば、これをやらねばに追われることのない午後があるというだけでしあわせというものだ。年間カレンダーを年末まで舐めてみても、こんな穏やかな日はもうあるまいと思う。▼そんな穏やかさに任せて、ほとんど何もしなかった。仕事らしい仕事は、明日、ゴミに出すダンボールの整理くらいだ。緊急性のない外出の用事は全て平日の勤務帰りに押しつけた。DAWは立ちあげない。メモ帳も開かない。メールワークも最小限に。読書もしない。曲も聞かない。難しいことも考えない。そうして「意識的に何もしない」ということの、案外疲れることを知る。▼筋肉は隔日で鍛える方が良いという。超回復があるからだ。脳はどうだろう。休脳日をつくることは、脳の健康に寄与するのだろうか。答えは知らないが、気分はいい。

[1029] Jun 22, 2012

「あくせくせずに悠々と、自分の運命に従って進んでいく。その生涯は、強く正しく、幸福なものである。」松下幸之助ほどの人が言うなら、その通りに違いない。慌ててどうなる。運命には逆らえない。いつか良いことがあると信じて、今まで通りのんびりやればいいのだ――。▼こうしたマイペース論は、窮地の人間にとって実に安価で割がいい。確からしく、縋りやすいからだ。天命を信じる穏やかな心には、たしかに何か幸運が訪れそうな気がする。加えて、特別ことを考えなくても良いとなれば、これほど楽な話はない。そうして、そのペースで来たからこそ窮地に陥ったという事実から目を背けていく。▼ゆっくりやれば大丈夫、という人の言説を信用しすぎると、出し抜かれることも世の中にはたくさんある。では、失敗した、失敗と気づいた、そんなときどうすべきか。マリオRPGのサージェント・パターは至言を残している。「あわてずいそげ。さあもういちどだ!」

[1028] Jun 21, 2012

私は虫が苦手だ。虫と呼ばれる類の生き物はたいてい苦手だが、よく嫌われる連中に敢えて序列をつけるなら、ムカデのようなでかい多足類が真っ先にだめ、次いで動きの素早いゴキブリ、うねうねした毛虫やミミズ、ヒル……嫌われものの中でも、いちばん許せるのは蜘蛛、という塩梅になる。▼ムカデが出た。小さくて、すばしっこいので捕まえるのに苦労しながら、ふと気がついたことには、私は、止まっているときの虫を気持ち悪いと感じながら、動いているときは案外それに愛着を持っているらしい。どこかへ行こうとしている虫を見ると、変に「頑張れ」という気がして来る。▼虫の移動に「頑張れ」と思うのは、犬や猫の行動に人間的な意味付けをしようとする誤謬の一種かもしれない。けれども私には、彼らはやはり何かを頑張っているように見える。「たとえ人には甲斐のない努力に見えても、あがいている存在」――そういうものに、親しみが湧いているのだと思う。

[1027] Jun 20, 2012

R・ドーキンスの本でこんな実験が紹介されている。「ひとつの大きな檻に、強いブタと弱いブタを一頭ずつ入れる。檻の右端には餌の出てくる穴がある。左端にはブタが鼻で押せるようなボタンがついている。このボタンを押すと、右端の口から餌が出てくる。」さて、どうなるか。▼「強いブタが弱いブタにボタンを押させて、餌を独り占めする」と予想されるが、そうはならない。餌場の強ブタを排除できない弱ブタは餌にありつけないのだから、苦労してボタンを押す意味がないのだ。そのうち弱ブタは働かなくなる。強ブタは餌のため、自分でボタンを押しに行く。▼こうして弱ブタは、強ブタがボタンを押しに行く間、餌にありつくことができる。強ブタは帰還すれば弱ブタを押しのけるだろう。しかし、お互い餌にありつきながら、実際に働いているのは強ブタなのだ。「進化的に安定な状態」――強弱の意味は環境で変わる。どこか身近で見ているような光景ではないか。

[1026] Jun 19, 2012

台風四号。後ろには五号も控えている。雨降りは当たり前の六月だが、梅雨に台風が来るというのは、実に八年ぶりだそうだ。▼深夜に向けて風雨が強くなるというので、部内には残業不許可の通知が出た。夕食も軽食で済ませて、濡れ鼠で帰る。屋根付きの駅のホームにまで水飛沫が舞い込んでくるほどの大雨。最寄り駅へ着いた頃には風も強く、高い傘が壊れるよりマシと無防備に走り出す人もいた。大人の手段、タクシーも大繁盛の行列である。▼帰宅して、風呂を済ませてからは、ずっと部屋が揺れている。今、震度3か4程度の地震が来たとしても、とうてい区別はつかない。壁も心配、床も心配、ハードディスクも心配だ。けれども、こういう自然の猛威にさらされるたび思うことだが、余程のことがない限りは安全な私に比べれば、風の気まぐれ次第で、何もかも失うかもしれなかった古代人の不安は想像するにあまりある。だから風が強くなると、私は家に感謝するのだ。

[1025] Jun 18, 2012

ポツダム宣言の全文を読んだ。突然、歴史解釈の必要性に迫られたわけでも、政治的意識に目覚めたわけでもない。たまたま手元の本に「いちどは読んでみるといい」と薦められたので、その通りにしてみたまでだ。日本語と、英語でそれぞれ読んで、ニュアンスの違いなど比べて楽しんでいた。▼ときに**宣言というからには、てっきり必要十分な文言で構成されていると思っていたが、これはとんでもない誤解であった。強調語彙の多いこと多いこと。「三、蹶起セル世界ノ自由ナル人民ノ力ニ対スル「ドイツ」国ノ無益且無意義ナル抵抗ノ結果ハ日本国国民ニ対スル先例ヲ極メテ明白ニ示スモノナリ」など実に顕著である。▼日本語の方でわざといかめしく訳しているのかと思いきや、そういうわけでもない。「破壊」や「壊滅」の前にはアンドで繋がれた形容詞たち。忠実な訳とさえいうべきだろう。ついでに内容解釈のサイトもひとめぐりしたが、ここで触れることはしない。

[1024] Jun 17, 2012

個性とは、意識的に発揮するものか、無意識に溢れ出るものか。澁澤龍彦は、一流の人間は皆、例外なく一流のスタイリストだと言う。「滲み出る何か」など信用しない、徹底した前者の立場だ。私もそれに倣いたいと思いながら、後者の存在も否定できずにいる。もしかしたら澁澤も、溢れ出るものを押さえつけたり飼い馴らしたり、そういうことの出来る人をスタイリストと呼んでいるのかもしれない。それならば両立する。▼意識的に発揮する個性も、溢れ出る個性も、共通していることは、それが個性であることを知るためには「標準と比較して何がどう個性的なのか」を判別する知識が必要だということだ。即ち標準とは何かがわからなければ、個性もまたわからない。いかにも性格や天性に由来しそうな個性も、こと他人のそれを感知する段階に於いては知識ベースなことがほとんどなのだ。他人と自分を比較するにも知識が要る。何事もある程度までは、知識ありきである。

[1023] Jun 16, 2012

炊飯器を買う。長年使ってきた五合炊きも、釜が傷ついたせいか、炊いては黄ばみ、炊いては硬くなりで限界だった。買い換えるなら今しかない。▼家電は特にそうだが、「新製品を控えた品」すら大幅値下げが始まるご時世、型落ちは量販店からの値下げ圧力が強すぎて、近頃、メーカーは旧型をあまり目立つところに置きたがらなくなった。つい最近まで華やかにディスプレイされていたフラッグシップも、気がつけば地味な値札をつけられて、他メーカーの品と一緒に隅の棚へひっそりと置かれている。▼その末路を思えば悲しいかぎりだが、買い手からすればこれこそ狙い目だ。バージョン更新のためだけに新機能を捩じ込まれたような、倍額の花形など要らない。カタログを見て厳密に性能を比べてみれば、ほんとうに大差ないのである。三菱機の「炭炊釜」。想定予算の六割程度で、満足行く品を買えた。形が四角い変わり者。白が基調のキッチンに、ワイン色がよく似合う。

[1022] Jun 15, 2012

昔、記事の430で、コンコルド効果を「人間社会の普遍的な光景」と書いた。今更退けるかという不合理な決断は、見栄や意地という社会的・文明的産物に支えられた人間特有の行動に思えたからだ。ところが今日、驚くべきことを知った。コンコルド効果は、動物や昆虫にも見られる、生物一般の普遍的な心理なのだという。▼たとえそれを諦めた方が得でも、苦労して得たものであればあるほどそれを守り抜こうとする心。これは社会的意識の暴走による合理的判断の無視ではなく、それどころか、本能の残滓である。なぜならそもそも「これを諦めた方が良い」という判断の出来ない生物にとって、苦労してまで得ようとしたものは、結局、苦労するだけの価値を有している可能性が高いからだ。経験的に当然である。▼つまりコンコルド効果の誤謬たる本質は、人間が「諦めた方が合理的」だという判断が出来てしまうことの方にある、ということになる。面白い側面だと思う。

[1021] Jun 14, 2012

ひょんなことから自分のことについて、自分の物の考え方について――あまりにも意外な事実を知ると、びっくりして、笑ってしまって、ついにリアクションを取るのが難しくなる。他人のことや世界のことならともかく、他ならぬ自分のことなので、いまだ知らぬ側面を見つけて楽しくなるような、これまでの自分に裏切られてがっかりするような、実に複雑な思いがするのである。今はただ新味を噛み砕くしかない。▼あまり具体的に話をかけないとき、気持ちばかり先行して曖昧に過ぎることがある。今日もそんな塩梅だ。自分で後から読み返して、そうか、この日だったのかと懐かしむためにある、そんな個人的な記録のひとつ。たまには日記もいいだろう。ときどき詩でも書いてみようかと思うことがある。もっと感情的になればいい。今日、私は、良くも悪くも、驚いて、動揺して、感動している。妙な気持ちでいる。それだけでも伝われば、文章冥利に尽きるというものだ。

[1020] Jun 13, 2012

ある処理が想定外の事態に遭遇したとき、取りうる選択肢は次の4つしかない。1.少なくとも有効な内部状態であることを保証して次の処理へ遷移する。2.想定外の事態が発生する以前の状態にもどす。3.処理を中断して状況を告知し、続行・終了の判断機会を与える。4.破綻を告知せず、処理の内部で飲み込んでしまう。このような想定外に対する保証の度合を、処理の「例外安全性」という。▼1〜4のどの実装が優れているかは場合によるが、通常、4は推奨されない。例外を握りつぶすことで、システムが後々深刻な誤作動を起こす可能性があるからだ。そのような誤作動は原因がわかりにくい。しかしより重要なことは、例外安全性の高さはシステムの中でもっとも弱い部分に依存するということだ。部分的に例外安全なシステムというものは存在しない。ひとつの処理を通過して例外に対する挙動が4ならば、それを呼び出した処理全体の例外安全性が4なのである。

[1019] Jun 12, 2012

数多あるデザイン領域の中でも、ユーザーインターフェース(UI)は少々扱いが特殊である。▼昔、天声人語の執筆を長年務めた人の回想録を読んだとき、こんなことが書いてあった。曰く、段落区切りを示す「▼」マークが横に並ばないように、読点の位置に偏りが生じないように、最後の余白が不恰好にならないように、――狭い欄のこと、文の内容だけでなく、そういう見栄えの美しさにも気をつけているという。しかし、そういう配慮は、読者に特別な感銘をもたらしはしない。出来ていれば誰も気に留めないし、出来ていなければ不快を感じるだけだ。▼UIも同じである。使いにくいもの、見にくいものはすぐに嫌だとわかるが、ちゃんとつくられたUIは使い手の意識を素通りする。素通りするということが、即ちUIの出来栄えなのだ。使うためのデザインという機能美。余計な感銘を与えないことこそ、優れた作品であるという、不思議な性質を持っているのである。

[1018] Jun 11, 2012

本格的にプログラムを書かない人でも、エクセルやアクセスのデータワークに追われてVBAを使いたい、というケースはよくある。そういう人が、長期的に見てVBAに習熟するための要点は次の3つだ。「OptionExplicit」を宣言すること。省略記法を使わないこと。「マクロの記録」で勉強するのをやめること。▼VBAマクロの難点は、初歩的な用途に限り、適当な書き方・本来そう書くべきでない書き方でも動作してしまうところにある。上述の3点はすべてその戒めだ。順番に、こう言い換えてもいい。変数を型宣言する癖をつけること。オブジェクトの概念を理解して書くこと。論理的に正しい記述をすること。▼要するにプログラミングの基本中の基本だが、その基本を疎かにしても良い初心者向けの実装が、皮肉にも「中途半端なVBAユーザー」を量産している。今日を限りの作業ならともかく、明日も来年も使うものなら、はじめから基本通りに勉強しておきたい。

[1017] Jun 10, 2012

ノイローゼ、うつ病、自殺。紙面には毎日、就職活動の厳しい現実が絶えない。四月、五月の激戦期が過ぎて、いまちょうどそんな時期だ。つらい人は、つらい。生きていく分にはなんとでもなる、何も死ぬことはないだろう――というのは健全な傍観者の無責任な感想に過ぎぬ。▼面接での罵倒。不採用の連続。くすんでいく自己像。就職というまっとうと思われていた道が、いまや命さえ脅かしている。こんなことなら、「俺はアーティストで食っていく」と夢を追いつつ人生を満喫している人の方が、成否はともかく心は安全に思えてくる。けれどもそうは簡単に逃避できない。またひとつ、葛藤が増える。▼安らぎの度合いは希望の輝きで決まる。どこもかしこも希望が煤けていると、何をしても癒されない。暗くなる。いちど暗い道へ入り込んだ人間には厳しい社会だ。今日も暗闇の中で嘆く人々に、誰かが明るいところから、よくまわりを見て考えないからだと説教している。

[1016] Jun 09, 2012

先週から、月・水・金で放課後の勉強会を開催している。あまり遅くまでは残らないようにという注意つきで、上司から会議室の利用を許可された。場所を使うにも本来ならお金がかかるところ、無料で使えるホワイトボード付のスペースがあるだけありがたい。▼ひとつのテーマで四十五分。バッチファイル、エクセル、VBA、正規表現、文字コードなど、プログラム不要のデータ処理技術ついて、何が出来るか、何が出来ないか、概要だけ説明する。詳細は自学自習だ。▼ささやかな会ながら、企画は今のところ好評だ。必要だとわかっていても、日々の業務に追われていると勉強するきっかけがないのでありがたいと言う。そうしてこの勉強会、じつは教える側もありがたい。四十分で重要事項をわかりやすく説明しきるには、曖昧な部分をしっかり詰めて、自分でまとめなおす必要があるからだ。おかげさまで、なんとなくで済ませていた知識も確実になった。一石二鳥である。

[1015] Jun 08, 2012

もう数年前から家にテレビはないが、まだテレビがリビングを支配していたころ、ゴールデンタイムに番組を変えると、しばしばよくわからないドラマが流れてきた。原作も知らなければこれまでのあらすじも知らないし、キャストが誰かも知らない。話がわからないのでつまらない。けれども、なぜか誰もチャンネルを変えない。三文芝居を小馬鹿にしながら、最後まで見ている。▼つまんないなあ、と思いながらもなぜか最後まで見てしまうという経験は、ドラマに限らず誰にでもあると思う。そういうとき、視聴者の心を運んでいるのは、リズムである。リズムは問答無用で人を「次の拍」に連れていく。リズムのよい映像や文章は、内容とは無関係に「次」を期待させるのだ。ただノリの良い曲が流行るのと同じ道理である。リズムは人を誘う。内容はあるがリズムの無いものと、内容が無くてもリズムが良いものなら、あなたに特別興味のない見知らぬ人は、後者を選ぶだろう。

[1014] Jun 07, 2012

二十数年、ジャーナリスト育成学校で文章指導につとめてきた文の達人が、こんな話をした。「あるとき、就職で作文があるから見て欲しい、と生徒が言うんですね。それで、片端から行間に赤を入れていくんです。何をするかというと、漢字を開く。所、等、程、何もかも漢字で書いてある、こういうのはやめなさいと。そうして添削したものを返すと、こう口を尖らせるんです。『これじゃ、私が馬鹿みたいじゃないですか。』」▼「あなたね、馬鹿が書いた文章なら、馬鹿みたいで当たり前でしょう。だからって、馬鹿を隠そうとするんじゃない。馬鹿なりに、わかりやすく書けばいいんです。漢字は馬鹿をカモフラージュする道具ですよ。」▼難しい漢字を使うと、文章がかっこよく見える、頭がよさそうに見える、そういう誤解は「誤解」としての認識もそれなり強い。しかし、音楽の方はどうだろうか。難しい和音、複雑な展開。意味もなくひらかれていない音はじつに多い。

[1013] Jun 06, 2012

今年のE3は期待の出来るタイトルが多い。去年に比べてどこがどう良いか、言葉にするのは難しいが、これまで実験的に模索されていたゲームの形式がいよいよ本格的に始動して、新しい感動が得られそうな、新しいプレイ感覚が味わえそうな、そんなワクワク感がある。▼マリオ、ピクミンをはじめとした任天堂の新作連にも期待は大きいが、他社作品で動画を見た中では、WatchDogsとForza Horizonが気になっている。特に前者は、新規IPだけに期待が大きい。GTAと同系列に見えるものの、究極の情報化社会という現実的な近未来を想定したコンセプトは、オープンワールドの世界にマッチする可能性が高いと思う。フォルツァもまた、既存シリーズからは外伝という扱いになるかもしれないが、カーレースゲームとしては一皮剥けた印象がある。毎度ながら、世界が美しい。▼その他にも「これはやってみたい」と思えるタイトルが目白押しで、今年は素直に楽しみである。

[1012] Jun 05, 2012

遥か昔、とあるオンラインゲームをしていたころ、読めない名前の人がいた。もう正確なスペルを思い出すことも出来ないが、Fで始まる無秩序な英字のならびであったことだけ覚えている。単語としての発音は不可能だ。けれども、呼び方を訊くまでもなく、知り合いは彼のことをハルさん、ハル君、と呼んでいた。綴りをぼんやり眺めていると、そんな音が浮かんでくるからだそうだ。月姫のNrvnqsrChaosを思い出す。あれをネロ・カオスと読ませるようなものだろう。▼ハルと読めそうだからハルさんにしよう――きっと、誰かがそう言い出したのだ。私はこの愛称が、きっとこんなふうに生まれたんだろうと想像するのが、なんとなく好きだった。今でも素敵な名前だと思う。誰かが、何かの特徴を捉えて、人に渾名をつける。それが広まって、いつしか「ハル」という人になる。その人の存在そのものが、人と人との交流の賜物という感じを帯びる。それを、羨ましく思うのだ。

[1011] Jun 04, 2012

ゆっくり、時間をかけて、試行錯誤しながら、当たり前の音を探している。とくべつな音が見つかることはまずない。見つかるときはいつも、ふつうの答えが見つかる。同じものを、まったく同じものを――それどころか、もっといいものを――人が人なら五分で探し出すだろう。私にはそれが出来ない。どうしても、時間がかかる。▼考えることに意味がある哲学ならともかく、完成品に意味のある制作の世界では、どうせ同じ答えに辿り着くなら早いほうが良いに決まっている。しかし、もし何かゆっくりなことにも良いことがあるとしたら、なんだろうか。▼「愛着」――私は、人が聞いてもなんということはない平凡な音に、執拗な愛着を抱くことがある。これはゆっくりの賜物かもしれないと思う。たいしたものとは思えないが、と一刀に斬り捨てられる出来損ないこそ、いつか助けてあげるべき存在のように感じるのだ。残念ながら、理解してもらえたことは今のところない。

[1010] Jun 03, 2012

芸術、創作、そういう自己表現は、確かに承認欲求で説明可能かもしれないが、口に出すのはどうかと思う。そんな話をした。▼承認欲求――近頃、妙にこの言葉を目にする。そうして、たいてい良い気持ちはしない。「承認欲求の充足のために作品をつくる」「承認欲求が満たされたので満足した」という自己言及は、言わば《「承認欲求」と言えば表現行為を説明し得た気になる状態》を皮肉るメタ的な発言である。私は知っていてやっているのです、とでも言いたげな、周到な予防線。▼加えて、自己批判の形で展開される「自分の行為は承認欲求の具現である」という主張は、実は「だから似たようなことをしている君も同じなのだ」という、間接的な他人批判でもある。要するに、承認欲求のためにやっているんだろう、と言われて言い返す志のひとつもないから、それが公然の常識になるよう、やんわりと働きかけているわけだ。だから、非常な気持ち悪さを感じるのである。

[1009] Jun 02, 2012

慶応内では、早慶戦のことを慶早戦と呼ぶらしい。「しかし、雌雄を決するという言葉からもわかるように、日本語は古来弱い方を先に持ってくるものだから、慶応優位と見たいなら早慶戦こそ正しいのだ」という意見を聞いた。なるほど、と思いかけたが、考えてみると、どうも変な話である。▼第一に、雌雄は漢語である。そうして、黒白を争うと言えば雌雄と同じく漢語的だが、これは和語なら「白黒つける」であり、強いほうが先に来るのだ。古来の日本語ルールを雌雄だけで論じるには無理がある。第二に、たとえ漢語にしても、勝敗、優劣、善悪、是非――と、強きが先んじる例は枚挙に暇がない。▼かつて東芝と松下は、ディスプレイ製造の合弁会社設立にあたり、どちらの社名を先にするかで揉めている。くだらないことのようで、やはり人間、心情的に「遅れを取る」のは嫌なのだろう。彼らのような大企業さえ、名前の順序を交換した二社の並立で解決したのである。

[1008] Jun 01, 2012

唐突なドイツ人の来訪。「誰か、ドイツ語のわかる人はいませんか!」と慌てるスタッフに、私が、と進み出る男がひとり。気遣いもなく流暢に話すドイツ人の言葉を、ふんふんと楽々聞いて、こう言った。「たしかにドイツ語です。」▼なんのショートコントか忘れたが、さりげなく言語理解の真髄に触れている。実際、ある言葉を聞いて「それがドイツ語であるとわかる」人より、ドイツ語で「こんにちは」「ありがとう」は言えるものの、喋られてもそれがそうだとわからない人の方が、必ずしも理解度が高いとは限らない。それどころか、ただ聞いたり、読んだりして、意味はわからずとも「何語であるか」ならわかるというのは、意外に実生活では役立つ機会の多い、貴重な能力である。▼ちなみに、ある文章が何語であるかを見分けるもっとも手軽なやり方は、その文章をグーグル翻訳の翻訳元欄に貼り付けることだ。推測した元言語を表示してくれる。凄まじい機能である。

[1007] May 31, 2012

先日の披露宴会場で、手洗いに行ったとき、「紳士用」の表記が桃色だったことを覚えている。しばらく入室をためらったくらい、それは見事なピンクのフォントであった。紳士用、と黙読してからそっと扉を開ける。見慣れた男子用の光景が見えたときには、思わずほっとした。▼変わって今日、寿司屋で湯の注ぎ口に警告文が書かれているのを見た。緑色の地に白のくり抜きで「触るな、火傷の恐れあり」とある。ふと顔を上げると、回転するレーンの近くにも警告がひとつ、こちらは白地に緑文字で「触るな、怪我の恐れあり」と書かれている。統一感も、緊張感もない色彩。眉をひそめた。▼どこであれ、なんであれ、色彩が正しく使われていないと、文章の意味するところはピンと来ない。カラーインフォメーションの大切さが改めて身に沁みた。しかし、披露宴の手洗いについては、色打掛にも青はあるので忌み色ということもなかろうが、さて、どうして桃色なのだろうか。

[1006] May 30, 2012

「彼黍離離、彼稷之苗。行邁靡靡、中心揺揺。知我者、謂我心憂、不知我者、謂我何求。悠悠蒼天、此何人哉。」▼あれほど栄えた宮殿も、今は見事に耕されてただ広々とした黍畑。切なくて立ち去るに立ち去れず、ぐずぐずと足を止めて見ていると、実って垂れる黍の穂のざわめきのように、心中もざわざわと揺れ動く。事情を知る者には心の憂いもわかるだろうが、知らぬ者には何かを求めて彷徨うだけの迷い人に見えるだろう。見上げれば青天だけが変わらずに在る。――ああ、かつての都は今何処。▼この詩から、亡国の悲しみを「黍離の嘆」という。「此何人哉」は訳さなかったが、「どうしてこうなった」くらいのものだ。ところで国の滅亡など、今の日本人には縁遠いことのようながら、ふと気づくと、私も、私の周りの誰かも、私が歩いて出会う人々も、皆、その憂いがわかるか、何かを求めて彷徨う迷い人か、そんなふうに見える。滅んだのは何だろう。――此何人哉。

[1005] May 29, 2012

今日は一年にいちどの集会へ。POG――ペーパーオーナーゲーム、2012−2013である。▼近頃はギャンブルとしての競馬より、持ち馬を応援する楽しみとしての競馬に軸足が寄りつつある私にとって、この選択は一年の楽しみを左右する重要なポイント。今年もリサーチを重ねてドラフトに挑んだ。結果、一番指名の一本釣りも叶い、二番指名の籤に引き勝ち、順当に目当ての子をラインナップ出来たと言える。▼相変わらず、わかる人にしかわからない話題で申し訳ないが、稀のこと、堪忍していただきたい。去年、馬名ではわかりにくいという指摘も受けたので、今年は母名のみ列挙する。わかる人だけ、なるほど、そんな面子かと納得していただきたい。今年の布陣は、指名順で次の通り。ニキーヤ、ムーンレディ、ベネンシアドール、アドマイヤサンデー、Heavenly Romance、ハニーローズ、Belva、Wonder Again、Fortunate Event、カーラパワー。外国馬に要注目だ。

[1004] May 28, 2012

小説の中に一文字の誤字があるとする。気づいてしまえば、それは小説の世界に没入している人間を強制的に現実へ引き戻す記号になる。場所によっては、興が覚めること甚だしいだろう。しかし、二読目、三読目なら、そこに誤字があることを知ってさえいれば、そう煩わしいものでもない。重要でない箇所ならさらりと読み飛ばせばいいし、目を流していれば一文字くらい気がつかないものだ。▼ところが音楽となると、そうはいかぬ。どんなに良い曲でも、ひとつ短いノイズが混入していれば、聴き直すたびに嫌な思いをすることになる。人は曲を「聴き飛ばす」ことは出来ないのだ。▼だから、音楽の制作においては、詰めの甘さが文章以上に響いてくる。聞きたくない場所のある曲は、即ち、聞きたくない曲になるのだ。文の誤字は質を下げるが、音の誤字は作品全体を殺す。ノイズに限らず「嫌な音」がないかどうか、神経質なくらい聴き直してもやりすぎということはない。

[1003] May 27, 2012

とある文士の集まりに参加した。洒落た恵比寿のダイニング「ark-PRIVATE LOUNGE」。サイトの紹介写真は何十年前の完成当時かと思うほど、使い込まれてじぶたれた家具たちにかえって味がある。値段は相応。味はそこそこ。とにかく隔離された空間で、のんびり内輪で騒ぐ分にはちょうどよい。▼このところの体調不良が祟って、特に腹痛は昼過ぎから絶え間なく、なかなか元気に絡んで回るような真似は出来なかったが、二次会で夕食用の薬を飲んでからは少し落ち着いた。酒と一緒に服用するのはあまり良くないものの、胃薬や心臓薬でもなし、第一、どちらも飲まないわけにはいかぬ。▼とはいえ落ち着いた頃には引き上げる時間で、夜風に吹かれてホームに出ると目当ての電車は十七分待ち。ぶらぶらしていたら、珍しい、本の自動販売機を見つけた。「恥を書かない日本語」「大人の日本語基礎」――そういえば、今日はさすが、みんな日本語が達者だったなと思い出した。

[1002] May 26, 2012

作者が伝えたいと考えていることをその通りに受け取り、作者の希望通りに作品内容を理解し、作者の期待通りに反応し、感じてくれる、そのような読者を「超読者」という。あるいは「理想的読者」。いずれにしても"Ideal Reader"の訳語であろう。▼差延に絶望して意思伝達を諦めた作品か、ほんとうに何の意図もなく書き連ねた文章でない限り、作者はいつも、自分の表現がどのように読まれるかを想像しながら筆を進めていく。このときの、こう読んで欲しいなという漠然としたヴィジョンが超読者である。そうしてまた、彼は作品の初めての読者でもある。▼作品が出来たら、彼の言葉に耳を傾けてみよう。彼にとって読みにくい箇所は、一般的な読者には理解不能な箇所である。彼に冗長なら、他の読者にはまったくの無駄だろう。――しかし、彼はものさしではない。彼が「完璧だ」と唸っても、同じく完璧だと感じる読者は、もう他にはひとりもいないかもしれないのだ。

[1001] May 25, 2012

経験とは――「人がその愚行と悲哀に与えた名前である。」これはフランスの、アルフレッド・ド・ミュッセ。「各人が自分たちの愚行に与えている名前だ。」とはアイルランドより、オスカー・ワイルド。「愚者たちにとっての教師である。」古代ローマ、ティトゥス・リウィウス。▼経験は素晴らしい、と述べるたくさんの格言を掣肘するように、こんな恨み言も古今東西に存在している。光あれば陰あり。けれども、どんな偉人か知らないが、見ず知らずの死人がこういう言葉を残したからと言って、経験を後ろ暗いものに感じる程度の精神では、生き人はやっていられまい。▼好意的に考えよう。経験した、「だからどうした」というところに、重きを置くなというのだ。ゲーテは言っている。「同じ経験を繰り返して話す人に言えることだが、彼らは経験すべきことの半分も自分が経験していないことを、いつまでもわかっていない。」さあ、まずは二千の土を踏みに行こうか。

[1000] May 24, 2012

千を迎えて第一に、私が驚いているのは、三日坊主の私がこれを千日間も続けられたことではなく、千日のあいだ「ただの一夜もネット環境のないところでは過ごしていない」という事実である。研究室でも、泊まりの仕事場でも、ネットカフェからでも、書いた。一日くらい書けない日もあるだろうと見込んでいたら、とうとう物理的に書けない日は存在しなかったのだ。ウェブ依存度の高さに恐ろしくなる。▼四十万字書いた。「400」を始める直前、ある考察サイトで、大学四年間を通じてひたすら同じテーマの考察を書き続けたブログを見たとき、管理人が大学卒業に際して「とにかく五十万字も書いた、そのことを嬉しく思う。」と綴っていたのを覚えている。ほんとうのことを言えば、当初は、私にもそういうものが欲しいな、という気持ちで始めてみたのだ。そうしていま、彼の気持ちも少しわかる気がする。もう誰かもわからぬその人に、ひとりごとながら感謝したい。

[999] May 23, 2012

私は、グールドの演奏を聴くまで、テンペストの第三楽章や熱情の第一楽章にそれほど興味があったわけではない。ブレンデルの演奏では、言わば耳を「素通り」していて、良いとも悪いとも感じていなかった。だから、グールドを聴いていると、同じ曲でもこんなに違うものかと思わされる。▼ところが、それならグールドのハンマークラヴィーアなどさぞかし感動するだろうと思いきや、これには初見で「あれ?」という印象を受けた。何度か聴いて比べてみても、どうしてもブレンデルの方が好みに合う。これは凄い演奏なのではないか――図らずも、彼の正統・堅実な魅力を再発見したのである。▼比較してはじめて比較先の良きがわかり、比較元の魅力がわかるということもある。新人の皆、いまは近くの先輩にばかり世話になっても、慣れてきたら臆さずに、億劫がらずに、ぜひたくさんの先輩方と話をしてみて、真似すべき長所を見つけて欲しい。今日は、そんな話をした。

[998] May 22, 2012

何かが「論理的に正しくない」ということへの嫌悪感が薄い人間は、残念ながらプログラマには向かない。気をつけるとか、努力するとか、そういう文言が出てくるようでも危ない。恐らく、強烈な嫌悪を感じる人間よりも、現実に追われて妥協するタイミングはひとつもふたつも早いだろう。あとは壊れ窓理論の赴く通り、早晩、論理の窓は割られ、抽象化の壁は崩れていく。▼しかし、それでは非論理性を徹底して許さない正義の人なら良いかというと、そうとも限らないところにアンビバレンスがある。理由は主に二つ。ひとつは、納期というものの存在である。正しい実装では間に合わないが、正しくない実装でも要件を満たして動作が保証されるというケースはいくらでもある。もうひとつは、多人数プロジェクトならではの人的要因。即ち、論理的に正しい実装が、正しくない実装よりもチームメンバー全員に理解しやすく、保守しやすい実装とは限らないということである。

[997] May 21, 2012

あと三日しか猶予がない。以前も書いた通り、この400のシステムは千件以上の投稿に対応していない。そんなにつづくと思わなかったからだ。このまま千件目を投稿したらどうなるか、予想もつかぬ。「000」と表示されるかもしれない。番号がズレるかもしれない。過去ログが消えるかもしれない。どれも御免なので、早急に対応が必要だ。999件目を以って終了するには惜しい。▼とにもかくにもつづいてきた。日記のような、メモ帳のような、落書きのような、スクラップブックのような、エッセイのようなものを一括りに「記事」と呼びならわして、好き勝手にいろんなことを書いてきた。思いもしないことは決して書いていないから、どんなに雑多で、ときに矛盾が垣間見えても、これがそのまま私の思考の系譜である。▼後の千の感慨は千を達成した日に書くとしよう。三年近く前のプログラムを書き直す作業のつらさはあまり想像したくないが、やらねばなるまい。

[996] May 20, 2012

昨日の時点ではまだ未来のことだから、結婚式に出席する――と冷静に喋ってはいたものの、今日こうして実際に出席してみると、実に思わぬ楽しいこと、面白いこと、感動的なことがたくさんあった。とても語りきれないので、ここに逐一書くことはしない。個人的な感想は、後日、個人的に本人まで伝えることにする。とにかく素敵だった。素敵で、立派で、秀麗だった。晴れ姿とはこのことか、と唸る新郎・新婦の眩しい姿は二度と忘れようもない。▼挙式前やお色直しの待機中には、新郎友人と思われる、私の知らない集団に絡んで歩いた。いつのご友人ですか、と訊くと、中学・高校だという。披露宴の後で絡んだのは大学時代の友人らしい、新郎の昔話を肴に受付前でゆっくり話し込み、二次会でもあれこれのんびり談笑したおかげさまで、初対面とは思えないほど打ち解けることが出来た。私の図々しさ・慣れ慣れしさを受け入れてくれた彼らの寛容に感謝するべきだろう。

[995] May 19, 2012

明日は親友の結婚式に出席する。結婚式なるものに出席すること自体はじめてなので、まるで勝手もわからないが、わからないなりに好奇の目でいろいろ見ながら楽しんでこようと思う。心も身体もきっとそのために合わせてくれたのだろう、ここ数日、体調がもどっているのはありがたい。▼今日、式のことを考えながら帰りの電車に揺られていると、ドアの広告に「フォトウェディング」と書かれているのを見つけた。スタジオパセラとあるので、パセラグループの枝だろう。写真で挙げる結婚式――チャペルスタジオで、あるいは開放的なロケーションで、記念の一枚をプロが撮影します、という触れ込みだ。▼私は昔から写真があまり好きではないので、アルバムもほとんど残っていないが、こういう節目に印象的な一枚を創るのは悪くないなと思った。写真「でも」挙げる結婚式ならさらに良い。きっと形ある思い出になるだろう。もっとも、いまのところいらぬ心配ではある。

[994] May 18, 2012

データ処理を自動化するための諸手法について、会社の放課後に勉強会を主催することになった。もともとは同期から教えてほしいと個別に言われていたことを、それなら勉強会でもやろうかと雑談していた話だが、予想以上に「やってくれたら真面目に聴く」という声が多かったので、それならということで開催の運びとなった。完全に非公式な内輪の集まり。会議室で夕食でも食べながら、知識をシェアしようという試みである。▼今回は私の講義だが、入社以来三年、めいめいがめいめいの業務をこなして成長したのだから、そのノウハウが共有されないのはいかにももったいない。しかし、現実には誰かがこうして言い出さなければ共有の機会は生まれないのである。人間は実に活性化エネルギーの大きい生き物だ。決して始まらないが、始まれば乗り気で有用、というイベントは山ほどあるのである。このたびはひとつ、その発掘が出来た。第二回以降もぜひ企画していきたい。

[993] May 17, 2012

前を向いて走りだしたついでに毒を食らわば何とやら、勢い頼りに無謀な勇気も出してみるものだ。会社帰りに、同僚三人で餃子屋へ。久々に他人と楽しい話をした。真剣だけれど深刻にならない、いかにも気さくな大人の会話。なにより二人とも真面目に聞いてくれたのがほんとうに嬉しかった。▼真面目でありながら陰鬱にならない距離感もこういうときにはいいものだ。彼と彼女にしてみれば、私にとくべつ気をつかう必要もないので、話が面白い限りは根掘り葉掘り訊ねてくれるし、こちらの言葉を聞いてもくれる。私も私でただの会話だから、できるだけ辛気臭くならないような言い方をする。だから、話がどんどん楽しくなる。▼興味を示したり、同意したり、茶化したり、慰めたり――問題解決のための本筋とは関係のないシグナルが、会話を、気分を、ひいては物事をよい方向に運んでいく。これこそ単独の思考や一方通行の情報収集では得られない、人間の妙味である。

[992] May 16, 2012

二十七度。本格的に暑くなってきた。出勤に上着は要らない。夜はシャツ一枚でも汗が出る。扇風機が欲しい。布団はそろそろ薄手のものでいい。遊歩道には虫が増えてきた。あまり嬉しくない夏の風物詩。▼蒸し暑い夜を押しての新人歓迎会は、定番のビュッフェで楽しく飲んだ。会食の後、ふらりと訪れた二次会の飲み屋は、百円で買えそうな安いトルティアチップスのお通しが一皿二千円。見た目はふつうの飲み屋ながら、なかなかのボッタクリである。偉い人がみんな払った。これだから偉い人は偉い。▼ぐでんぐでんの先輩に別れを告げて、方面の違う私は電車にひとり。もう五十回は聞いたグールドの熱情を聞きながら鈍行に揺られていく。ぬるい空気。空いていく座席。眠くなる頭。それでも不思議なもので、降りるべき駅につくと半睡でも足はちゃんとホームに降りている。遊歩道からのぞく街路の、ナトリウムランプに照らされた橙色の空間が、なんだか懐かしかった。

[991] May 15, 2012

最近少しニコニコ生放送に興味がある。視聴する方ではなくて、配信する方だ。規則正しい生活もしていなければ家にいる時間も短いので、定期的な雑談を披露するようなつもりはないが、伝えたいことをダイレクトに伝える場としては面白い。毛嫌いせず何かに利用できないか、どうにか楽しめないかと、しばしば考えている。▼では明日からやろう、と思い立ってすぐに始めるにはやや重たいところに参入障壁はあるが、個人が情報を発信する手段として、文字ではマイクロブログが試行錯誤し、音声ではウェブラジオが静かなブームをつづけてきた、その長い期間を経た後の「生放送」は、ひとつの新しい到着点であるように思う。配信者の「喋り」と「映像」が伝わり、反応は「文字」で見られる――これほど効率のよい個対多のインタラクションモデルはそうあるまい。データが残るため失言は水に流しにくいが、そのリスクに目を瞑れば、活用の仕方はいくらでもありそうだ。

[990] May 14, 2012

「悲しいから泣くのではない、泣くから悲しくなるのだ。」人は心理的情動の認識よりも生体的な反応が先行するものだという、ジェームズとランゲの「情動の末梢神経説」である。果たして情動が生理反応の確認から来る認知的なものなのか、視床の興奮から起こる脳神経の反応なのか、あるいは身体反応の原因を説明するため状況を考慮してつけた解釈のラベルに過ぎないのか。結論はまだ出ていない。▼感情起源論争はさておき、冒頭の理論をもじった面白い研究を、今月のハーバードビジネスレビューで読んだ。「疲れているからコーヒーを飲むのではない。コーヒーを飲むから疲れるのだ。」▼仕事中の休憩は疲労回復もしなければやる気も取り戻してはくれない、それどころか実際は逆効果であるという、マイクロブレイクの悪影響を論じた短い記事だ。終始元気に仕事をしたければ、休憩中は仕事に関係のあることをせよ。直感には反するが、少なくとも私は正しいと思う。

[989] May 13, 2012

ベテランのシニアマネジャーなら、トップダウンで方針を定めて、部下に命令し、統率を取りながら仕事を進めてよいように思える。逆に、新米の若手マネジャーはしゃしゃり出たことをせず、先輩メンバーに意見を伺いながら、参加型でプロジェクトを進行した方が上手く行くように思える。ところが実験によると、直感に反して事実はまさに反対であるという。少なくとも新米は指示型を選んだ方が、成果も効率も良かったのだそうだ。▼理由は、メンバーの心情にある。たとえば「たいして出来やしないだろう」と思われている新米が、先輩とはいえ部下であるメンバーに伺いを立てるようなことをしていると、やはり駄目そうだな、と偏見を助長してしまう。一方、自ら目標・方針を定め、積極的に指示を出して行くようにすれば、思ったよりやるな、と事前印象の見直し機会をつくることができる。その信頼が礎となり、プロジェクトを成功に導くチームワークが得られるのだ。

[988] May 12, 2012

三ヶ月ぶりに気分がいい。頭が晴れている。前向きで、胆力があり、ただ未来へ驀進するだけの私が帰ってきている。▼なにかきっかけがあったのかというと、そうではない。逆で、きっかけを待っている自分に嫌気が差したのだ。このままでは取り返しのつかないことになるという線まで来たとき、弱気、卑屈、ネガティブでいることに強烈な危機感を感じて心が引き返したのである。自衛本能というものかもしれない。▼ウェブを通じて誰とでも容易に繋がる現代、他人との比較にどんどん意味がなくなってきている。ゲームにしても、クラスで一番、地域で一番と歩を重ねていくのは難しく、ただ全国何万位という無慈悲な数字が与えられ、小さく増えていくだけだ。自分より幸福な人間がいるかどうかは自分の幸福と何の関係もなく、自分より悲惨な人間がいるかどうかが自分の悲惨と何の関係もない、強烈な自分完結型のこの世界で、弱気はすぐに死へ繋がる。これまで以上に。

[987] May 11, 2012

ついに新人が配属された。去年はひとりしか来なかったし、態度も大きく貫禄もあるハキハキした後輩だけに、ほとんど同期の仲間のような感覚で付き合ってきたが、今年は片手に余るほど。なんだかようやく三年目という実感がする。▼そのうち我らがチームのデスマーチに参加するフレッシュマンは二人。先輩風を吹かせるつもりなどないが、教えてあげたいことは山ほどあるので、できれば学習意欲の高い子ならいいなと思っている。もちろん、こちらが教わることだってたくさんあるかもしれない。そういう関係ならいっそういいと思う。▼私はかなり好きな方だが、合わない人には合わないのだろう、数々の新人を撃墜してきたスパルタの大先輩も、大量撃破を咎められた去年頃から少しだけ丸くなりはじめたらしい。新人が潰れて去るのは悲しいので、厳しいところは厳しくしつつも楽しいところは楽しくやっていけるよう、年の近い先輩として、極力サポートしてあげたい。

[986] May 10, 2012

ひきつづきグールドを聴いている。家に帰るのは遅いし、眠れないし仕事も多いし、心は落ち着かないしで、まったく腰を据えて聴ける機会はないが、歩道を歩きながら、電車の座席で、会社の昼休みに――耳が空いていればいつでも聴いている。▼生演奏の視聴経験がほとんどなく、CDもそうたくさん聴いているわけではない私には、何がいい演奏で何が悪い演奏なのかを判別する力はないが、思ったところを素直に言えば、どうも万人ウケはしない演奏という印象を受ける。「ゴルトベルクは世界的なベストセラーになったじゃないか?」と言われればその通りだし、たしかにそこまで灰汁の強い演奏でもないが、そこには何か別の事情があるような気がしてならない。▼ある人はグールドの熱演に「畳み掛けるような感じ」と眉をひそめた。私はその嫌な「感じ」も正しいという気がする。部分と部分を華麗につないで全体にしようという気は、恐らく、彼にはさらさらないのだ。

[985] May 09, 2012

「自我こそが芸術家の素養として最も重要なものなのです。たとえそれに基づいて間違いを犯したとしても、その間違いはある意味で、絶対的に正しいのです。」▼グレン・グールドの演奏は恐ろしく個性的だ。悲愴に唖然とし、月光に面喰らい、熱情は聞いていて息が出来なかった。どれも「こんな演奏がありうるのか」と耳を疑うほどである。耳を疑いながら、素晴らしいかどうかわからないが、少なくとも私には周波数が非常に合うと感じた。分析は出来ない。ただ「わかる」という直感。態度が好きだという感覚。小林秀雄に対して抱いている印象に近い。▼全作品集ではないので、ワルトシュタインもハンマークラヴィーアも収録されていないのは残念だった。後者は別売りのCDがあるのでいずれ買うことになるだろう。前者は別売りも見当たらないが、ルービンシュタインの全集にワルトシュタインを見つけたので、また残業地獄の折にでも手に入れてみたい気はしている。

[984] May 08, 2012

家へ帰るとドイツ語で書かれた明細の貼られたダンボールがひとつ。待ち焦がれていた荷物が届いたらしい。国際輸送で、もともとは六月下旬に配送予定だったが、なにかの事情で早期出荷されたものだろう。支払いのことは忘れた頃に思い出して楽しもうと思っていたら、支払い確定よりも先に届いてしまった。早いに越したことはないので、嬉しい誤算ということにしておこう。▼今月と来月の節食を覚悟してまで購入したその代物は、グレン・グールドのCDである。アルフレッド・ブレンデル以外のベートーヴェンピアノソナタが聴いてみたくて、性に合いそうな人物に手を出した。名演と名高いバッハのゴルトベルク変奏曲も、私としてはピアノの音で聴けるだけで御の字である。▼初期のCDはさすがにホワイトノイズが強く、ゴルトベルクやピアノソナタ32番の演奏に集中できないのはやや残念だが、発売当時に返品問題で騒がれたノイズ混入のCD37は無事であった。

[983] May 07, 2012

会社に行くと、午前休と全休が数人いる。風邪だという。部屋にもところどころで苦しそうな咳の音。頭痛と吐き気で早退する先輩をマスク越しに見送りながら、私も早く仕事を切り上げたい思いに駆られていた。なかなかに破滅的な大流行だ。▼破滅つながりでもうひとつ、きな臭いのはソーシャルの「コンプガチャ」にまつわる措置である。違法の方向らしいと報道され、株価は敏感に反応して滝をつくり、消費者庁は決定事項ではないと否定し――もはや見慣れた光景だ。株やFXに縁のない私のところまで届く話題としてはスイスフラン以来の事件である。▼否定というのも報道が「時期尚早」というだけで、まるきりお咎めなしとはいかないだろう。ただ、射幸性が高いから、やりすぎだからという私怨まがいの圧力でなく、青少年の被害が拡大していることに釘を刺す意味での暫定措置なら、訴訟がどう転ぶかわからないが、これ一件でソーシャルの終焉となるかは疑わしい。

[982] May 06, 2012

ピアニストは芸術家かどうか。当然、と言う人がいる。まさか、と言う人がいる。「難しい問題だ」と言う人がいる。あなたはどの立場だろうか。▼萩原朔太郎は、音楽の演奏者一般について、彼らは芸術家ではなく劇俳優と同じ「技芸家」だと言った。「なぜといって彼らは真の「創作」を持っていないじゃないか。」これは「まさか」の立場である。一方、次のニーチェの言葉は反対の主張を感じさせる。「ある巨匠の作品を演奏するピアニストが、その巨匠を忘れさせて、まるで自分の生涯の物語を語っているとか、まさに何かを体験しているように見えたとき、最も上手く弾いたことになろう。」▼音楽は芸術である。作曲は創作である。しかし、楽譜は人の耳に届かない。演奏家なくして音楽を聞くことは不可能なのだ。この点、冒頭の問いは、平家物語を語る琵琶法師は芸術家かという問いよりも複雑である。私は、職人も極まれば芸術家と変わらぬという中庸案に逃げたい。

[981] May 05, 2012

こんなに体調が悪くなるのは何年ぶりだろう。ゴールデンウィークは何ひとつ出来るでもなく寝込んで過ごした。仕事が休みでよかったと前向きに考えることも出来るものの、恐らくは今年最後の三連休であることを考えると実にやるせない。頭が働かないので、本も読めなかった。▼ただの風邪にしてはかなりの重症である。鼻水から始まって喉が痛くなり、発熱、乾いた咳、長引くだるさ……と続くタイプで、とにかく完治に時間がかかるのが特徴らしい。一ヶ月近く引きずっている人もいるというから、忙しい五月の予定を思うと頭痛でなくても頭の痛くなる話である。▼にんにくを食べよう。ねぎを食べよう。のりを食べよう――そうしてこれらの食品に野菜、カロリーを摂取できるものとなると、実はラーメンが手頃であったりする。だから、風邪をひいたらラーメンを食べに行くのだ。研究三昧で体調が崩れかけたときなど、よく大勝軒でにんにくの瓶を空にしたものである。

[980] May 04, 2012

私にガーデニングの趣味はないが、草花の図鑑を見たり、ハーブの本を読んだり、石の目録を見たり、造庭・造園の知識を仕入れたりするのは、どういうわけか昔から嫌いではない。もっともささやかな机上の知識に過ぎず、実物を見たり触れたりする機会もほとんどないので、道端で見つけた花がなんであるとか、このお茶の匂いは何のハーブだとか、そういうことはまったくわからない。▼実際にやってみる興味は沸かないし、趣味にするつもりもないが、調べるのは好き――という分野が他にもいくつかある。こうした「趣味とは言えない趣味」が、あまり広くなりすぎると頭でっかちの器用貧乏にもなるが、いくつか持ち合わせがある分には、ちょっとした話の彩りに、あるいは文章の飾りに、役立つことが多い。本格的な趣味と異なり自身に思い入れがない分、無駄な薀蓄をひけらかすような衒学味もなく、聞いている人がふうんと思う、そんな一味を添えられるというわけだ。

[979] May 03, 2012

FPSの世界には怪物がたくさんいる。昔、東風荘で対局回数が「数万回」のアカウントを見たときにも戦慄したが、まだはじまってそう年数のないFPSオンラインで、一試合5分から10分かかる対戦を「何千勝何千敗」している人がいるのだから恐れ入る。文字通り達人と呼んでいい。▼そうした達人たちのプレイは魅力に満ちている。先の先まで考えて戦略的・戦術的に立ち回り、瞬時に状況を判断して的確に指示を出し、相手の思惑を読み取り罠にかけ、有利な状況でも決して気を抜かず、敗戦濃厚の単騎になってもあきらめずに活路を探そうとする。まさに「スーパーマン」だ。▼もちろん、彼らは別に小さな頃から過酷な戦闘訓練を施されてきたわけでもなければ、みんながみんな策謀のエリートというわけでもない。ただ、この数年ひたすら同じゲームに打ち込んだ集中力と、積み重ねてきた経験がそうさせているのだ。極めることの美しさ。大いに見習うところがある。

[978] May 02, 2012

久々に大きな風邪をひいた。これまでほとんど健康で来たものが、精神的につらいことが立て続いたところであっさり寝込んだあたり、つくづく病は気からと実感する。症状は頭痛、喉の痛み、鼻水、体のだるさ……と全部入りの大物だ。プロポリスドリンクで喉を潤して、ゴールデンウィークは大事を取ることにする。▼思えば四月の終わりごろ、激しく咳をしながら、あるいはだるそうにしながら、しきりに鼻をかみながら、仕事をしている人たちが会社にたくさんいた。彼らから直接に感染したかどうかはともかく、同じ種類であることは間違いない。▼救急の扉をこじ開けるほどのことでもなく、かといって病院も開かないので、古い薬で処理しようと悪いことを試みたが、あいにくこのまえ一斉処分したので手持ちがもうない。三年前のメジコンやムコソルバンがどういう危険物になるのかわからないが、賞味期限切れのカップラーメン以上にあやしい物体なのはたしかである。

[977] May 01, 2012

ポリフォニー/多声的という言葉を、音楽の世界から文学の世界へはじめて転用したのはミハイル・バフチンである。彼は、一人称モノローグによくあるような作者の意識・声のみが鳴り響くモノフォニックな小説に対して、複数の異なる意識やイデオロギーが作中で同時に展開・衝突するような小説構造をポリフォニー的な小説と称した。ドストエフスキーの長編など、まさにそうした構造を持つ小説の代表格である。▼小説は作者の語りに終始するものではないから、あらゆる散文小説は多声的な要素を孕んでいるとも言える。しかし、たとえば主人公にある立場を描き、反主人公に別の立場を描き、読者の共感はどちらに向かってもよいというようなつくりはポリフォニックとは呼べない。多声音楽がそうであるように、ポリフォニックな小説の面白さもまた旋律同士の絡みあいにある。個々の旋律からは予期できない発見・共感を読者に与えてこそ、旋律交叉の本領というものだ。

[976] Apr 30, 2012

本格的に緊縮財政を敷かなければ生活がままならないので、しばらく控えるところは控えていく。夏を過ぎて、秋になればまた生活を失う代わりに収入は少し増えるだろう。こういうトレードオフに悩まされていると、つくづく「人間は命を薄めて金を得ている」という利根川の言い分が真実のように思えてくる。もっとも今はまだ薄めれば得られる機会があるだけありがたい話、それさえいつどうなるかわからない。▼だから有事のために金は貯めておこう、ということになる。ところで、貯めている人が口を揃えて言うところによると、金というものは貯めれば貯めるほど貯まるものらしい。たくさんあればその分気楽に使いたくなるのでは、と私のような貯められない人間は考えてしまうが、普段から意識を高くして貯金を積み重ねている人が感じる百円の価値は、浪費に暇がない人のそれよりもはるかに高いのだそうだ。借金と同じく、貯蓄もまた雪だるま式であるということか。

[975] Apr 29, 2012

マックス・エルンストの絵画を見る。青と緑の色遣いが非常に良い。森とリングを主題とする一連の作品群は、ふつうに出来のいい絵として楽しめた。中央に完璧な蝕のリングを配する「最後の森」など、とくに秀逸である。▼エルンストは鳥のモチーフに生涯こだわりつづけたが、なかでも鳥籠の描かれたものはきわめて印象的だ。なにしろどの鳥も籠の手前、つまり檻の外にいるのである。自由を求めて深い森の様子をうかがう霊体のような白い鳥は、鳥籠から森に焦がれているようで、実は籠に執着している。「なぜなら、そこが居場所だからだ。」▼あるいは「怒れる人々」の形相には、どこか『魔法少女まどか☆マギカ』に登場する魔女のような雰囲気がある。他にもいくつかディティールが似ている絵を見た。別位相の世界を表現するのに、こうしたシュルレアリスムのアーティスティックな表現を利用しているのだろう。作品の方向性ごとに、いろいろ楽しめる画家である。

[974] Apr 28, 2012

ベートーヴェンのピアノソナタをひと通り聞いた。どれが何番か、聴いて即座にわかるほどには聴き込んでいないが、ひとまず耳には入れたということになる。▼とくに好んでくり返し聞いたのは熱情、ハンマークラヴィーア、ワルトシュタインの三作品と、名前なしから32番。悲愴や田園、月光、テンペストも捨てがたく、やはり名前のあるものはいいなと思ってしまうのは、思い込みなのか、良品だから名前がついたのか。そのあたりの事情は寡聞にして知らない。▼いちばん好きなのはハンマークラヴィーアだが、こちらが局所的に好きな箇所が多いのに対して、ワルトシュタインは第一楽章から第三楽章まで通して聴くとはじめて良いと感じる。初めて聴いたときはピンと来なかったので、私の中ではいわゆる「スルメ曲」ということになる。元来、堪え性が無い性質なので、第二楽章のアダージョが短くまとまっているのもよい。ただし32番のアリエッタだけは別腹である。

[973] Apr 27, 2012

別のクラスからコピー・ペーストしたものの、名前の変更を忘れてそのまま放置された関数が、本来そこからアクセスしてはいけないデータを受け取り、そこへ渡してはいけないデータを渡そうとしている、それが特殊な条件下でたまたま動作してしまい、ついに気づかれぬままマスターに焼かれた――そんなコードを見つけて騒然とした。DRY原則どころの騒ぎではない。▼それが今日、実にありえぬ挙動を起こして顕在化したのである。時間がなかったから仕方ないと開きなおる犯人に、いくらなんでもこれはひどいと非難の矢が集中した。あまりに追い込まれて構造化の暇がない事情もわかるが、さすがにいちどでも見なおしていれば気がつくレベルの雑さである。▼それもまた元を正せば論理構造の欠片もないコードが原因だ。「動けばいい」のスタンスで早々に抽象化を放棄して、パッチワークにつぐパッチワーク。壊れ窓理論を地で行く優秀なケース・スタディと言えよう。

[972] Apr 26, 2012

英語の勉強をするとき、とくに英作文をしているとき、「こういう言い方はしないのだろうか?」というドツボに嵌ることがしばしばある。「しない」と断言するために必要な努力は甚大だ。ネイティブに聞ければいいかもしれないが、それとていつも正しいとは限らない。ヘンペルのカラスである。▼文法的に正しいから、あるいは意味が通るからという理由で、この表現でも大丈夫と言い張ることは出来る。詩とはそういうものだ。けれど学習者にとって、これほど危険な思想はない。調査を尽くして「ここに同じ表現があるから間違いではない」と開き直ることは、検索全盛の現代、極めて容易である。▼こんな言い方はしないからダメ、こんな使い方はしないからバツ……とあまり無慈悲に赤を入れすぎたとき、こうした魔が差しやすい。そんなときは、存在しない表現を「修正する」のではなく、「よりオーソドックスな表現で書いてみる」という目的意識で添削をしてみよう。

[971] Apr 25, 2012

同じ綿100%でもなぜ安物はすぐよれよれになるのか。質が悪いからだよ、と答えたくなるが、それでは質の悪い綿とは何なのか。質が悪いとなぜよれよれになるのか。なぜほつれてくるのか。▼シンプルな回答は、綿の「長さの違い」である。安い綿は短い。短いということは、長く着ているうちにやがて擦れて解けてくる。その解けたものが毛羽立ちになり毛玉になるというわけだ。したがって繊維そのものが長ければ長いほど、編まれた洋服も経年劣化しにくいということになる。▼このように長さが品質に直結するため、綿はその平均長さに応じて最高級の「超長繊維綿(平均35mm以上)」以下、長繊維、中長繊維、中繊維、短繊維(平均21mm以下)と五段階にランク付けされている。ペルーで栽培されている「ピマコットン」なども超長繊維綿に属する品だ。あまりにも肌触りが違うため、いちど体験するとふつうの綿は着られなくなるとさえ言う。贅沢な話である。

[970] Apr 24, 2012

塗り絵をするとき、こうすると上手く塗れるよと教えてもらったのは、まず色鉛筆で縁をなぞり、そのあとで中を塗りつぶす方法だった。線の内側を補強することで言わば境界線を太くしているのだから、そのあとは色鉛筆を倒して多少雑に塗りつぶしても食み出さなくなる道理だ。▼DTMの初心者教本も、まずメロディラインとバスを書き、そのあとで内声を埋めていく方法を薦めている。論文もあらかじめアウトラインを決めねば上手くは書けない。庭づくりの作法にさえ、次のように書かれている。「まず手前を造り、次に奥を造り、最後に中央の空間を埋めていく手順を取ること。」そうしなければ、どこまでも広がっていく自然を閉じ込めることが出来ないのだという。▼人間、枠のないところでは上手く振る舞えない。ことのはじめに外側の線を仕上げてエントロピーの増大をふせぐのは、基本中の基本である。問題領域も定めぬうちから、問題解決など出来るはずもない。

[969] Apr 23, 2012

競馬好きなら誰もが訝しんでいるであろう、今年は異常なほど週末に雨が降る。今度こそは良い馬場で走らせてあげたいと思う気持ちも虚しく、また土日は雨かと肩を竦めるばかり。――競馬好きばかりではない、花見やハイキングが取りやめられて悲しい思いをした人も多いだろう。雨が嫌い、悪いとは言わないが、このまま梅雨になると思うと少しやりきれない。▼やりきれないと思う気持ちがよくないことを集めてくるのか知らないが、このところどうも不運がつづいている。いやに不運が重なるねと嘆いた傍から、では次をどうぞと不運が積まれて積荷もぐらつくありさまで、いいかげんうんざりしているところへ今日も巨大なコンテナがまたひとつ乱暴に積み上げられた。どう処理してよいかもわからず頬被りである。ほとんど手遅れのジェンガに近い。慎重に解体する心労の大きさを考えたら、いっそできるだけ被害のないよう崩してしまう方法を考えた方が賢いかもしれぬ。

[968] Apr 22, 2012

"baskin robbins"――BRから生まれたサーティワンアイスクリームは、31日にダブルコーンとダブルカップの値段が31%オフになる。なかなかの値引き率だが、これがさりげなく巧い。なにしろ毎月値引きしているかのような印象を与えつつ、実は該当する日は年に七日しかないのだ。差分の五日が果たしてどれだけボトムラインに影響するかはわからないが、企画の立て方としては優れものである。▼そうして今日はもうひとつ、面白いことを知った。今までまったく気がつかなかったのだが、サーティワンアイスクリームの価格はオープンプライスである。つまり、店舗によって違うのだ。たしかに「3個で500円」のようなサービスを年中常設しているところもあれば、スタンプカードを実施している店もある。簡単に調べてみると、価格もちゃんと十円単位で違うようだ。家電製品ならともかく、ファストフードなどフランチャイズ系ではあまり見ない珍しい方式である。

[967] Apr 21, 2012

話の中にさりげなく、特定の漫画を読んでいなければわからないマイナーなネタや、世界史のある小さな事件を知っていることが前提の比喩や、最新の技術用語に頓智を効かせた言い回しなど、とにかく「わからない」言葉を混ぜてくる人がいる。それは何のこと、と尋ねる頻度があまりに多いので、そんな知らない話を細かく挟まれてもやりにくいよと伝えると、実はわざとなんだよねと言う。▼曰く、ふだんから各方面のマニアックな知識を自然に挟んで反応を見ることで、その人のツボを探っているのだそうだ。この人は時事通だ、あの人はアニメトークについてこれる、などわかってくるという言い分である。なるほどやっていることはわかるが、極めて危険である。相手に意味の通らない言葉で話しつづけていると、次第に人は理解するのを「諦める」ようになるからだ。諦めて、愛想で頷くようになる。話し手は流暢に話しているつもりでも、実際には無視されることになる。

[966] Apr 20, 2012

バッハは子供のために、弟子のためにインヴェンションとシンフォニアを書いた。その目的は三つ。二声・三声を弾き分けるポリフォニックな奏法を身につけること、個々の声部を心の中で歌いながら演奏するカンタービレの手法を習得すること、すぐれた主題・楽想の「展開」を知り、音楽の仕組みを理解すること。▼長男ヴィルヘルム・フリードマンのために書かれたインヴェンションの初稿は、今のインヴェンションより小節数が短く、曲目も異なっていたという。後にバッハ自身がこれに手を加え、三十曲まとめて清書したものが現存の姿というわけだ。▼インヴェンション・シンフォニアを聞いていると、たとえ対位法という用語やその内容には明るくなくても、複数の旋律が同時に進行していくということの意義、意味、美しさは明瞭に伝わってくる。「なんだか凄い音楽。」メロディが重なりあうということはこんなにかっこいいのか――気づくにはまず格好の素材である。

[965] Apr 19, 2012

物語を五幕に分けると、次のようになる。時代設定や登場人物の紹介など、作品の理解を助ける情報を読者に伝える「提示部」が一。その設定・人物関係をもとに衝突や対立が起こり、主人公をめぐる世界が興奮を強めていく「上昇展開部」が二。それら衝突・対立の有利が不利に、あるいは不利が有利に転じ、主人公の運命が突如として動揺する「クライマックス」が三。勝敗が定まり予想された終末に向かう緊張が描かれる「下降展開部」が四。そして大団円または破滅が確定する「結末」が互。▼提示部と結末に物語はない。物語と呼ばれるべき起伏は上昇展開部、クライマックス、下降展開部である――これを「フライタークの三角形」という。三角形を「展開部」とひとまとめにすればソナタ形式になるし、上昇部は緩やかに、下降部は急激に、という原則は、東洋的な序破急の概念に通じるところもある。起承転結の四区分とあわせて、覚えておきたい汎用的な五区分である。

[964] Apr 18, 2012

悲愴の第一楽章なら232小節目の最高音「ファ」、月光の第三楽章なら130小節目の最高音「シ」、あるいはハンマークラヴィーア第一楽章なら233〜234小節目で主題の和音が大きく変わるところ。ベートーヴェンのピアノソナタには、必ずひとつ「聞きたい場所」がある。ほとんどの場合、聞きたい「単音」ですらある。それほど局所的に、コレという箇所がある。▼どこになるかは人によりけり、皆が同じ音を気に入るとは限らないが、私などは極端に言えば、そこへ辿り着くために他のあまり好きではない部分を我慢している節さえある。逆に言えば、そのためなら多少の我慢してでも繰りかえし聞きたくなる。▼全体に工夫を凝らして飽きさせないのもよいが、飽きる気持ちを我慢させるほどの魅力をひとつところに凝縮するやり方もある。私はその方が好きだ。そうして、私はどうもこれの出来る人が少ないように思う。巧い人ほど、どこもかしこもよく出来ている。

[963] Apr 17, 2012

治療行為の過程で、痛みや目眩など不快な身体反応が生じることを「効いている証拠」であるとする、「好転反応」と呼ばれる言い訳がある。もともとは東洋医学の用語だが、現代で正しく好転反応が起こるような治療はほとんどないと考えてよいので、敢えて言い訳と書いた。代表例たる按摩の「揉み返し」も、未熟者が患者の筋肉状態を見誤り過度なマッサージを施したために生じるもの、つまりは施術失敗とする説が有力のようだ。▼スキルアップの根性論にも、好転反応の兄弟分がごろごろいる。ピアノやテニスで毎日腕が痛くなるまで練習しろと言われ、肩甲骨を痛めたり、腱鞘炎になったりする。幻覚が見えるまで暗記しろ、眩暈がするまで勉強しろと言われて本当に頭をやられ、勉強嫌いになったりノイローゼになったりする。先達の言うことを聞くのは大切だが、実は運良く奈落を通過してきただけの人間が自信を持って薦めてくる「好転反応」にはよくよく注意したい。

[962] Apr 16, 2012

明晰夢をどうしたら見ることが出来るか、議論は耐えない。皆、夢のなかで自由に振る舞いたい願望があるのだろう。夢でしか出来ないことがあるのだろう。「寝る前に見たい夢のイメージを定める」「毎日夢日記をつける」「頻繁に『これは夢だろうか』と問いかける習慣をつける」など、よくある精神修行的な「手法」に加え、最近では明晰夢を誘導する化学物質の研究まで行われているらしい。▼明晰夢の中で訓練した内容は現実のスキルに反映されるのか。これも古くから賛否両論絶えない議論の領域だが、自分は夢の中だけでスノーボードを極めた、夢の中で復習して辞書を丸暗記したなど胡散臭い個人研究も多い一方、最近の大規模な実験では、特に繊細な身体のコントロールを要求するようなタスクに関して、明晰夢で訓練を重ねたグループに有意な上達の加速が見られたという話もある。夢の中でも脳が筋肉に信号を出しているのは事実なので、信憑性の低い話ではない。

[961] Apr 15, 2012

ピアノについて。子供は手が発達途上なので、練習すればするほど指がなめらかに動くようになり、「指が動く」ということに関してはメキメキ上達していく。一方、大人は手の構造が既に完成していて筋肉もしっかりしているので、ピアノを弾くという慣れない動きにすぐには対応できない。が、一定以上練習するとちゃんと子供同様動くようになる。ただこの最初の「壁」が存在するために、子供のように上達しないと諦めてしまう人が多いという。▼表現力についても、子供はものをあまり考えず言われた通りに弾くので、得てして「ただ音符を叩くだけ」になりがちだが、大人はいろんな曲・演奏を聞いて来ているので、こう弾きたいというイメージをちゃんと持っていることが多い。適切な助言があれば表現力の上達は大人の方が速いのだ。始めるのが遅れた上、練習の時間も多くは取れないなど、引け目はあっても、大人に「なってから」ピアノを始める強みもちゃんとある。

[960] Apr 14, 2012

百貨店では万引きが耐えない。とくに洋服やアクセサリーなどの盗難は後を絶たないという。あたかも自分の持ち物であるかのように持ち出せるので、一見して盗難が盗難とわかりにくいのだ。中には商品の毛皮を着て堂々と立ち去る輩もいるらしい。▼また、無用なトラブル防止のためだろう、販売員が現行犯を目撃しても「返してください」のような台詞を客にかけてはいけないという決まりのあるところも多いようだ。盗難を摘発するのは販売員ではなく保安員の仕事だというのである。しかしそうそうすぐに保安員が駆けつけるはずもなく、素早い犯人を捕まえるのは難しい。▼とはいえ、打つ手がないわけでもないようだ。こんな話を聞いた。ケース外の指輪を嵌めたまま持ちだそうとした怪しい人物に、近くで販売員をしていた別のショップのベテランが、こう声をかけた。「お客様、そちらでお決まりでしょうか?」犯人は苦い顔になり指輪を突き返して立ち去ったという。

[959] Apr 13, 2012

CSRは企業の重荷かどうか。これを確かめよう、という面白い研究を見た。ステークホルダーとて本当は誰もCSRなど望んでいないのではないか、利益を重視したほうがいいのではないか、という疑惑を解消するための研究といえる。結果はシンプルだ。CSRに注力している企業ほどプロダクトラインの数も多く、全体として企業活動が活発であったという。▼ここには活発な企業ほどCSRに尽力する余裕もあるという循環が潜んでいる気もするが、その点を不問に付せば論拠に説得力はある。つまり、企業がCSRに対して真剣に取り組むということは、業界のトレンド、経済の動き、社会の要求など、嫌でも会社の「外部」に意識を向けなければならないということで、結果、インターナルなリソースばかりに頼りがちな傾向を打開できるというのである。リスクを恐れて殻にこもり、いつしか悪臭の漂いはじめた自家薬籠を整理するいい機会になっているということだろう。

[958] Apr 12, 2012

文章の始め方にもいろいろある。このように主張の一部から始めたり、小説なら思わせぶりな名詞のみを置き去りにしたり、事件のレポートなら日付と場所を事細かに書き連ねたり。始め方がそうなら続け方も終わり方も同様。場所にもよりつつあらゆるシーンに「定型」は存在する。▼定型を知らねばジャズは弾けない、という。即興のセッション、他人のアドリブというパスを受け取り返すために必要な技量は定形の素早い選択と改変だ。アドリブが苦手な中級者の多くはセンスの不足に悩んでいるが、指導すると単に定形の「索引不足」であることがほとんどだと、あるジャズピアニストは言っている。▼だからこそジャズのコーナーには「フレーズ集」があふれているのだろう。ひたすらフレーズだけを集めた教本が山のように出版されている。基礎練習が大事とわかっていても、通常ここまで割り切るのは難しい。即興芸術のために生まれた思いきりのよい文化のひとつである。

[957] Apr 11, 2012

問題児Nは仕事を抱えすぎていた。自分が始めたものは途中で手放したくないとヘルプを出さずにいたが、ここに来て中間バージョンに間に合いそうにないとなり、上司から仕事をひとつ同期に回すよう命が下った。回された方も忙しいが、断るわけにもいかずしぶしぶ了承したのである。▼ところが蓋を開けてみると手付かずもいいところ、断片的なデータばかりでまとまった資料すらない。「こんな感じにするつもりだから」と口頭で着想をペラペラ話し、あとは実現よろしくと言わんばかりの態度でいる。「申し訳ないが、よろしく頼む」――そんな一言さえなく、何かと理由をつけては詳細も作らない。▼こんな経緯でいま隣のチームが揉めているそうだ。甘い仕事の見積もり、杜撰なアフターケア。よくあるタイプの火種である。相手のことに気の回らない、鈍感でサバサバした性格もあるだろうが、それを免罪符に「こうしてもらって当然」という態度でいるのは論外である。

[956] Apr 10, 2012

春眠不覺曉、處處聞啼鳥、夜来風雨聲、花落知多少。寝坊の言い訳に便利だからと「春眠暁を覚えず」の部分だけがあまりにも有名になった孟浩然の「春暁」である。春だから眠いよね、と言いつつこくりこくり目をこすりながらデスクでパソコンに向かう現代人の姿は花鳥風の自然が織り込まれた情緒には程遠いが、目は覚めても布団から出られない冬に比べ、暖かくなると目そのものが覚めない、ということはたしかにある。▼たしかにあるのだが、冒頭の句自体は春だから「起きられない」のではなく、春になって夜明けの時刻が早くなったので、暁に「気がつかない」という解釈が妥当らしい。いつも通りに起きるともう明るくて、ところどころ鳥の声さえ聞こえている。いよいよ朝が早くなったな、というのである。もしその解釈がほんとうなら、孟浩然は暖かくなっても毎日同じ時間に起きていたわけだ。二度寝の正当化にばかり使われて草葉の陰で嘆いているかもしれない。

[955] Apr 09, 2012

ヨドバシカメラの店員と長いこと話をしていた。当の買い物に関係のあることからないことまで疑問に任せていろんなことを聞いていたらすっかり長話、一時間以上付き合ってくれたように思う。なんでも答えてくれる知識の豊富さには恐れ入るが、説明の仕方もまた上手い。レジに立つより喋る方が楽しいですから、と言わんばかり、セールストークどころか商品が売れなくなるような裏話まで披露してくれる。▼電子機器系はその道のギークがバイトを務めていることも多く、とにかく正しい情報、役立つ情報を惜しげもなく教えてくれる人がいる。今の話を伺う限り、このモデルは割高になりますね。こちらは高いですが機能が特殊ですから、このあたりはどうでしょう――その言葉が信用できればこちらの判断もあやふやにならず、逆に自信を持って清水の舞台から飛び降りることも出来るというものだ。インフォームド・コンセントではないが、正直はときに最良の戦略である。

[954] Apr 08, 2012

仕事のデバッグで必要になるため、ふたたび文字コードを勉強している。出来ることなら関わり合いになりたくないが、知っていて損はない魔界である。グレーブアクセントやウムラウトのついた文字が、もとのアルファベットと記号の複合コードと、専用のコードの両方で二重定義されていることをたまたま知っていたおかげで助かったこともあった。たまたま知らなければどうなっていたことか。▼半角カナはこのへんか。このコードは前にも見たな。そんなふうにデバッグを進めていると、次第にいろんな文字の表記を覚えていくのが楽しくなる。頽廃的な面白さ。覚える必要などないが、覚えているといちいち検索したり参照したりしなくて済むので、バグを追うのが楽になるのだ。面倒を失くすための努力は惜しまないのがプログラマというものである。▼文字の闇はまだまだ深い。ウィキペディアのUNICODEの一覧表など実に狂気である。編集者には本当に頭が下がる。

[953] Apr 07, 2012

二人が同時にしゃべったら、何を言っているかわからない。三人なら尚更だ。たとえ時々声の被るような激しいディベートの場でも、複数人が同時に声を立てるシーンというものは少ない。同時に喋るのは、相手をやりこめるときだけだ。それとて聞く人には不快に違いないだろう。そう考えると、音楽に言う「斜進行」の価値が少し見えてくる。▼片方の声部が保留されているうちにもうひとつの声部が動くことを斜進行という。反進行とならんで好まれる進行の基本だが、会話の例を考えれば、なるほど一人が喋っているときはもう一人が黙ってあげるという他の独立を尊重した気遣いであることがわかる。聞く人にも聴きやすい。▼ここでは彼女が喋ろう、彼は黙ろう。こうしたリズムの補充的な推敲はやがて係留やシンコペーションを生む。そうして緊張感がもたらされ、弛緩が求められ、抑揚群が形成され、全体の統一感が意識され――まとまりのあるひとつの曲が出来ていく。

[952] Apr 06, 2012

その昔、ローランドの電子ピアノは鍵盤のつくりなどリアリティの面でそれほど評判がよくなかった。なんといってもクオリティの高さで売っていたのはヤマハである。高級ブランドの本丸として君臨し、カワイやローランドが独自のカラーを持つ中堅を、カシオがコストパフォーマンスのよいローエンドを支えていた。▼それから数年。今の電子ピアノ情勢はどうなのか、調べてみると地図模様がそこそこ変化したようだ。とくにカワイの「グランドピアノ感」への注力ぶりと躍進は凄まじく、最新モデルCA93の打鍵感は完全に他社を圧倒しているという。試弾してみたが、そこらのアップライトピアノより遥かに弾き心地がよい。▼一方、ローランドの軽く硬質な鍵盤も進化を遂げて、独自のファン層を築き上げている。クオリティの面では横ばいのヤマハに対し、貫くツノを各々が手に入れたということだろう。カシオの10万帯も、もはやローエンドとは呼べない出来である。

[951] Apr 05, 2012

会社の近くのゲームセンターが潰れて廃墟になった。小ぢんまりとして古びたところではあったが、この近くでは唯一と言ってもいいほどの遊び場だっただけに、通り掛かるたび物寂しい感じがする。天気のいい昼、駅の近くでごはんを食べて、誰に何の用があるでもなく覗いてみる賑やかな場所。いまはただの空き家でしかない。まだ外されていない原色の派手な外装が痛々しい。▼古株の話を聞くと、かなり昔にもこの近くでゲームセンターが潰れ、騒がしい場所のない静かな街になってしまったことがあるという。そうしてまもなく件の新しい店舗が開店したのだそうだ。娯楽施設というものは、あればあるで風紀を乱しているように見え、なければないで活気が失われた感じがするので、こう絶対数の少ないところでは街の気分に応じて出来たり消えたり、明滅を繰り返すことが珍しくないようである。どうか近々、新しい店舗が開きますように。それまでは本屋が代わりになる。

[950] Apr 04, 2012

マーラーの交響曲第九番を聴く。第一番ではなく第九番から聴いたことにとくべつ理由はない。たまたま指が九を押しただけだ。▼笑ってしまった。こんな音楽もあるのかと思わず涙が出るほど笑ってしまった。なんだこれは、という言葉にしか出来ないのは音楽的語彙の貧困さ。けれども素晴らしいとか、美しいとか、感動したとか、そういう言葉はふさわしくないようだ。どれもそうは思っていない。ただヘッドフォンをかけたまま、フィジカルに「笑ってしまった」という事実だけが、今のところ自分の反応について自分で分析しうる限界である。▼今日、三回通して聴いた。他の番号には申し訳ないが、あとの楽しみにして、もう何回か聞いてみたい。たぶんまだ何もわかっていないのだ。百回聞いてもわからないかもしれない。良いかどうかも、好きかどうかもわからない。あまりにも独創的な小説を読んで、これは実に面白いねと熟考無しに言うときの、あの感覚に似ている。

[949] Apr 03, 2012

凄まじい日。春の台風と呼んでも差し支えない巨大な暴風雨が吹き荒れた。予想された通り、都心の交通は壊滅である。早めの帰宅命令が出た企業・学校も多い。午後三時には歩くのも危ないくらいになっていたというから、忙しい部署などは夜になってから帰宅したり、会社に泊まったりしたようだ。▼豪雨は止んだが、いまも雨戸が怖ろしい爆音を立てて止まない。あまりひどくなると窓だけではなく床が揺れはじめるので、いよいよ家ごと崩れるのではないかと思うときがある。現にあちこち穴は開いているのだ。今度は柱が折れないとも限らない。▼今日だけでかなりの傘が飛んだだろう。看板も倒れただろう。並木が折れているかもしれぬ。寒さ続きで桜がまだあまり咲いていなかったのはせめてもの救いである。気温も急に上がったことだし、春一番代わりのこの風に乗じてそろそろ花開く頃かもしれない。さて、台風もどき一過、朝の街並はどんなふうに見えるのだろうか。

[948] Apr 02, 2012

多くの図書館には「複写」というありがたいサービスがある。通常有料だが、据え付けてあるコピー機で館内の資料をコピーできるのだ。このサービスについて、図書館は張り紙でこう主張している。「一、一人一部に限る。二、個人利用に限る。三、書籍の一部に限る。その他、最新雑誌及び書庫内の古書については複写禁止。」▼いかにも禁則のようだが、悪くどく読めば何も禁じられていないに等しい。ほとんどが利用者のモラルに委ねられている。第一、書籍の「一部」とはなんだろうか。文庫は文章の半分、絵画は同じく一枚の半分……などと細かく設定している図書館もあれば、ただ一部としか記していないところもある。▼公的な場所に設置された複写機なら複写可能という著作権的「特例」は現在移行段階にあり、いわば暫定的なグレーゾーンなのだそうだ。図書館自体が突き詰めれば灰色な存在であるだけに、複写はいっそう利用者にモラルが要求されるところだろう。

[947] Apr 01, 2012

世界中、これだけ多くの国で習慣として行われていながらも、エイプリルフールの由来について正確なところはわからないという。嘘ではない。調べてみてもウィキペディアにあるような「諸説」の焼き直しと眉唾ものの話ばかりで有力な説はなさそうである。いつからか始まり、知らぬ間に定着した稀有な例だろう。▼このような発祥も定かでない風習が文化を越えて広く根付いていることは、逆に「嘘をつく」という行為が平常時には決して許されざるものであるという、その罪の重さのユニバーサルな感覚を浮き彫りにしているようにも思える。▼他人を陥れるための悪質な嘘、自らの良心を庇うような「嘘はついていない」という類の嘘、内心そう思っていないのに、ここはそう言っておくのが正解だろうという方便の嘘。残念ながら世にはまだ嘘が満ちている。嘘なんか全部四月朔日にだけ言われればいいのに。エイプリルフールには、そんな願いがこもっているように感じる。

[946] Mar 31, 2012

いかにも三枚目の噛ませ役が吐きそうな捨て台詞に「覚えてやがれ!」がある。言うまでもなく「仕返ししてやるぞ」という意志を示す、半分負け惜しみに近い台詞だが、面白いことに英語では"Remember this!"とは言わない。なんと言うか。"I'll remember this"である。つまり、日本語では「相手」に覚えていてもらうのだが、英語では「自分」が覚えているぞ、決して忘れないぞと言うのである。▼こんなところにも自分が主体たらんとする意志の強さの違いが垣間見えて面白いね、と夕食どきにそんな話をしていたが、あとあと詳しく調べてみると英語でも"Don't you forget it!"という「相手」が覚える言い回しを使わないことはないらしい。ただ、英語では通常、否定形は肯定形に比べて意味が弱まるというから、暗示される復讐の決意は薄まるのかもしれぬ。ネイティブに聞いてみたらたいした違いはないよと言われそうだが、辞書の用例は「I'll」の方が多いようである。

[945] Mar 30, 2012

明日は休みを頂いているので、今年度の営業は本日で終了となる。二月に若干のインターバルを挟んだとはいえ、最終日にまたも深夜の風に吹かれて帰路を行くと、今年はまるごとこんな年だった……と思えてきてよろしくない。今日に限って陽が落ちてもなまぬるい風が何かを暗示しているようだ。何かよくないことの前触れのようだ。現実には、そう感じる心だけが「何かよくない」実体である。▼悪夢を見ている人間に、その悪夢は幻だよと諭すことの無意味さは、みな頭で理解していても、なかなか身に染みてはわからないものだ。なにしろ喉元過ぎればなんとやらで、諭す頃には自らの悪夢の記憶は風化しているものだから、ありもしない幻覚を創りだして苦しんでいるなど自分で自分の首を締めているようにしか見えぬ。その手を離せばいいのでは?――そうだね。けれども風は止まないので、指は食い込んでいくばかり。剥がそうとする努力に全て抵抗する知恵の輪である。

[944] Mar 29, 2012

エフェクトの多い音楽を聞いていると、上手いものほど「フィルターが途切れる瞬間の高揚感」をよく心得て利用していることに気がつく。霧が晴れて湖がひらくような清々しさと心地よさ。単調になりがちなジャンルの弱点を救ってもいると思う。▼「全体」で何かを表現したいという古典の壮大な楽曲に比べて、現代の電子音楽からは「瞬間」を乗りこなしたいという思いが伝わってくる気がする。感動するのは1/2拍でもいいから、聞いて欲しい音が、空白がある。そのための歌詞。そのためのエフェクト。そのための音づくり。あるいは、そのための作曲。▼そうして、そんな伝えたくて仕方のないことを、背後にざわめく雑音の中に隠している。これも健気さ、いじらしさだろうか。私は押し付けないから、出来ればどうか拾い上げて欲しい――言いたいことは上手く言えないけど、という空気を醸す巧さ。キャラクタライズされた音楽。まるで現代の人間を見ているようだ。

[943] Mar 28, 2012

勉学でも、創造でも、なんでもそうだが、人は経験を積むほど細かいところにも気がつくようになる。言い換えれば、些細なことにも面白さを見出すことが出来るようになる。凡夫が見れば何の変哲もない茫漠たる風景でも、一流カメラマンには無限の興趣があるというわけだ。▼楽しむ側であるとき、これは非常に喜ばしいことである。しかし、楽しませる側であるとき、この豊富な経験はしばしば首を締めに来る。なにしろ細部の妙味というものは、わかるものにとっては捨てがたい魅力を持つので、凝り、こだわり、固執し始めたらもう最後、このディティールの美しさがどうしてわかってもらえないんだろうと悲嘆に暮れるようになるまで、そう時間はかからない。▼梁の裏へ刺繍を施す前にやるべきことがいくらでもある。眼が近すぎると思ったら一歩引いて、全体を見直そう。そのための簡単で信頼出来る手法がひとつある。何も知らない人に率直な意見をもらうことである。

[942] Mar 27, 2012

アルノルト・シェーンベルクは、ダグラス・ムーア教授に宛てた作曲の基礎技法をまとめんとする意志を伝える手紙の中でこう語っている。「大学生と接触してみて、学生にとってもっともむずかしいことは、インスピレーションなしにどのように作曲するか、その方法を見つけることである、ということがよくわかった。その答えは「不可能」ということだ。」▼ベルリン芸術大学で教鞭を取り、まだ経験もなく才もない若き生徒たちに触れてはじめて、彼は、四十年のあいだ発展させてきた自らの考えを大きく変更せざるを得なかった、と言っている。その結果が現代に残る優れた著作の数々であるなら、後世われわれは弟子たちに深く感謝しなければならない。「それにも関わらず学生たちは作曲しなければならないのだから、助言が必要になる。役に立つただひとつの方法は、問題の解決法はひとつではなく、非常にたくさんあるということをわからせることであるように思う。」

[941] Mar 26, 2012

頼られたり、与えたり、尽くしたり、教えたり。世の中にはときどき、そういうことに極めて優れた人たちがいる。彼らは、知識など形にならないものも含め、自分の持ち物を他人にふるまうことに使命を感じている。生きがいを見出している。あるいはなにひとつ大袈裟なことを言わず、単にそうすべきだと感じている。「何か出来ることがあるなら、してあげたいし。」▼こうした誠実で謙虚な人々は、人から好かれるという点について一分の隙もないように見える。ところが現実はそうでもない。私も、そんな人々の中にしばしば苦手な相手がいる。なぜか。彼らはもらうことが不得手なのだ。なにも受け取ってくれない相手は、それだけでつらい。自分は何もいらないから、と言われる苦痛もある。「感謝して受け入れることができないと後悔するわよ。パイをもらうことで、相手に喜んでもらえることだってあるんだから。」エリザベス・キューブラー・ロス博士の至言である。

[940] Mar 25, 2012

想像してみて欲しい。大好きなカレーが新聞紙に乗せられて来たら、あなたはいつものように美味しく食べられるだろうか?▼北大路魯山人の言葉と記憶しているが、ともすれば料理の本質ではないと思われがちな「食器」の効能について、これ以上なく強力な擁護である。魯山人には、本番フランスの料理屋でソースが不味いと罵倒した挙句、持参したわさび醤油で自ら味付けして食べてみせるという実に奔放なエピソードがあるが、外見ばかりに気を使いすぎるフランス料理にこう腹を立てる一方、食器というものの及ぼす効果については、陶芸家として譲れない美学を持ち合わせていたらしい。▼味か、見た目か。何をしていてもしばしば陥りがちな二択から、冒頭の言葉は私たちの意識を呼び戻してくれる。何のために料理をふるまうのか。客を楽しませるためだ。客の心眼を満足させるためだ。そういう「もてなし」の心を忘れているから、味と見た目が二択に思えるのである。

[939] Mar 24, 2012

YAMAHAの店舗を通りがかったついでにCP5の様子を見に行った。相変わらず25万円の札をつけたまま売れないでいる。売れているのだろうけれど、ディスプレイの品はいつも同じ姿で同じものが置かれているので、つい売れていないで残っているように感じてしまう。今日も買えないけど、様子を見に来たよ。トランペット少年ほど純粋ではないにしろ、ついそんな気持ちになる。▼通常の電子ピアノを置く場所はないし、過重も危ないのでいつかステージピアノを……と思っているが、調べれば調べるほど実用に関してステージピアノが劣る点はない。鍵盤のタッチもCP5なら大差ないし、音色は豊富、PCとの連携機能も抜群だ。こちらはスピーカーが別売りである点だけ、内臓している電子ピアノに軍配が上がりそうだが、逆に言えば自分好みのスピーカーで聞けるとも言える。配置も工夫できるだろう。定番・立派・高額が、常に最良の選択肢とは限らないのである。

[938] Mar 23, 2012

歯医者へ行く。だいぶ歯が傷んでいるらしい、初期治療で済ませられるところは今のうちに治しておきましょうということで、またあちこち体を削られることになる。どんな治療でも体に不可逆の処理を施すのは気が進まないものだ。▼日に日に狭くなる視界もそろそろつらいが、レーシックなど手術を受けたくない理由もやはりそこにある。体験者の声は希望に満ちた推薦ばかりだが、どうやらあなたには問題があるので元に戻しましょうとは行かない以上、ふんぎりがつかない心理も一概に臆病とは謗れまい。眼鏡の生活が不可能になるまでは待機になる。▼花粉症こそ症状は弱いものの、年がら年中のアレルギー鼻炎はいっこうに良くならないし、耳の調子もよろしくない。遺伝的には年と共に右耳が弱るかもしれぬ――こういうわけで、脳味噌が萎めば首から上は全滅ということになる。それだけはなんとか避けたいと思いながら、老化しないよう日々刺激的な思考を求めている。

[937] Mar 22, 2012

計画を立ててこつこつとやる。辿るべき道筋は事前に把握し、懸念点があれば洗い出して整理、進行に問題が生じたら速やかに症状を確認、病原を特定して正しく対処する。目標を小刻みに設定し、ときどき冒険をして新たな方向性を試して、得られた知見を経験値として還元する。自己の系譜も等閑にせず折を見てはふり返り、いまに役立ち未来へ繋がる優れた種を拾い出す。全ての出来事は忘れぬよう詳細に記録して……。▼「なるほど、それなら上手く行きそうだ!」と納得しつつも、今までそうしてきたことのない人は、綺麗に諦めた方がいい。諦念で言うのではない。それはあなたのやり方ではないのである。こうした丹精で美しい「進化の法則」は、誰でも使えそうな万能ロジックに見えて、実際には誰かに似合うひとつのやり方に過ぎぬ。枠に嵌らず、理屈に拠らず、自然体で進化する天才が自分にあると信じるなら、検査も記録も時間の無駄だ――そういうやり方もある。

[936] Mar 21, 2012

「知識への投資には、必ず最高の利息がついてくる。」ベンジャミン・フランクリンはこんな名言を残している。▼もし知識が利益を生み出すような仕事をしているなら、知識への投資はプロとしての義務である。会社にとっての自分の価値は、自分の知識で計られることになるのだから、日々蓄えることに邁進し、定期的に方針を見直し、陳腐化した知識を見極め――言わば知識を「管理」しなければならない。▼システム開発の名著『達人プログラマー』では、これを「知識ポートフォリオ」と名付けている。そうして、投資家の管理する金融ポートフォリオがそうであるように、プログラマーは「習慣的に定期的な投資を行い」「長期的な成功のために分散投資を試み」「投資対象のリスク特性を見極めてバランスを考え」「出来る限り安く買い、高く売るよう心がけ」「見直しと再配分を怠らない」べきだとしている。全五項目。自分の現在について、一度吟味してみると面白い。

[935] Mar 20, 2012

「学術をポケットに入れること」が、講談社学術文庫の自負するモットーである。少年の心を養い成年の心を満たす学術が、万人のものになるように――という願いが込められている。「こうした考え方は、学術を巨大な城のように見る世間の常識に反するかもしれない。また、一部の人たちからは、学術の権威を落とすものと非難されるかもしれない。しかし、それはいずれも学術の新しい在り方を解しないものと言わざるを得ない。」▼それから三十五年、学術を身近にという講談社の願いは叶えられた。叶いすぎたくらいかもしれぬ。今や学術は、どこからどこまでが学術かもわからないほど人の耳目に触れるようになった。識者のブログが、有志の動画が、2chまとめサイトが、一昔前なら学術論文にしか書かれていなかったような知識を解説している。そうして、そんなものは学術ではない、実に嘆かわしい、と憤る「一部の人」が現れたところで、時代は正しく一巡である。

[934] Mar 19, 2012

風呂場にコウガイビルが出た。頭部のT字型が特徴的な平たいワームで、漢字では笄蛭と書く。ヒルと言いながらヒルの仲間ではなく、英名ランド・プラナリアとあるように、どちらかというとウズムシに近いらしい。ウズムシ綱ウズムシ目である。▼中指ほどの長さの黒く細長い個体で、伸び縮みしながらゆっくりと移動していたが、天井の隅で動かなくなり捕獲するのに苦労した。うねり、うねり、とにかく遅い。こんな体でカタツムリやミミズを捕食するというから驚きである。▼こうした生き物はとにかく気持ち悪い、気持ち悪いと言われて可哀想な気もするが、害虫でないとわかっても生理的に受け付けない人にはまるでダメだろう。私も虫は全般に好きな方ではないし、さすがに素手で触りたいとは思わない。ただ、湿気を求めてさまよう頭部の動きや、のろいすべりを見ていると、多足類に比べればまだ愛嬌がある方だと思う。虫好きのあいだでは、ひそかな人気者らしい。

[933] Mar 18, 2012

ジャン・コクトー、ウィリアム・ブレイク、チャールズ・ディケンズ、レイ・ブラッドベリ、レオ・トルストイ、あるいはゲーテ、ポー、スティーブンソン……。独創的な着想を得るために、眠りから覚めたばかりの「入眠状態」を利用したと言われている作家の一覧を見た。抜粋だが、それでも有名人ばかりだ。▼音楽家や科学者のリストもあり、あのアウグスト・ケクレも名を連ねている。現在では創作説が有力とはいえ、連なりうねる蛇のような原子が自らの尾に噛み付きながらぐるぐる回る夢を見て、ベンゼンの環状構造を思いついたというエピソードは有名だ。他の項目、音楽家にはブラームスがいる。画家にはダリがいる。▼椅子にもたれてうとうとし、はっと眼が覚めかけたらすぐに筆を取る。それだけで、覚醒時には考えも及ばないようなアイデアが生まれるのだそうだ。それも天才の所業というわけではなく、誰にでも出来ることらしい。試してみるのも面白いだろう。

[932] Mar 17, 2012

初心忘るるべからずという格言は、あまりに手垢がつきすぎていることもあり、どうも青臭い響きがする。そうかんたんに忘れるものかと思ってみたり、心は変わるものと斜に構えてみたり、重要なのは哲学じゃないと嘯いてみたりする。そうしていつしかけろりと忘れている。忘れて、道に迷って、嘆いたり、地図にケチをつけたりする。▼昔、中学生の頃、パソコンの壁紙を自作したことがある。「打倒**!」と黒太字のどでかいフォントで白紙に殴り書いただけのシンプル極まりない壁紙だ。ある日、打倒されるらしい本人が家に遊びに来たときは苦笑していた。▼最終的には「打倒」したのだから、壁紙にもなにがしかの効果はあったのだろう。毎日嫌でも見るものだから、潜在意識にはずいぶん刷り込まれたに違いない。いまいちどあのときと同じように「初心」と書いた紙をどこかに貼ろうと思う。忘れてしまうからというよりも、ただしばらく眺めていたい気がするのだ。

[931] Mar 16, 2012

母国語ではない言葉で日記をつけたり、何かしら意思表明をしたりすると、はじめて間もなく面白いことに気がつく。とにかく語彙が少ないので、言えることが限られ、そのおかげでかえって言うべきことだけをストレートに言えるのだ。▼自分の思いを伝えようとして日本語をこねくり回していると、「要するにこれが言いたいんだ」という一文が知らず埋もれてしまうことがよくある。板についた言い方をしたい、一端の大人らしい格式で書きたい、知的な比喩を挟みたい――こう数々の抗いがたい誘惑に負けて、一文は最後の最後に現れるだけ、あとは全部おまけの文か、ひどい場合には言いたいことを隠蔽するための煙に過ぎないことさえある。▼母国語でなければ、こういうことは「できない」。できないので仕方なく言いたいことだけを書くわけだ。それに、母国語でないのだからと思えばできないことを気に病みもしない。朗々と、ださい文章が書ける。それが魅力である。

[930] Mar 15, 2012

Architektur ist erstarrte Musik.――「建築は凝固せる音楽」。凍れる音楽、と別訳して、遥か昔にここでも引用したことがあるが、そのときは出典を明記しなかった。端的に言うと諸説ある。シュレーゲルの著作、シェリングの講義、あるいはゲーテの書簡。いずれもドイツ人であることから、古き国語的比喩ではないかとする見方もある。少なくとも音楽を建築のような統合物として考える思考の方法は、彼らドイツロマン主義の美学に即したものだ。▼私はシェリングの講義『芸術の哲学』を初出とする説を支持しつつ、空間と時間の関係を考慮するというこの時代特有の哲学観により、識者のあいだでは広く用いられていた表現でもあったと考えたい。彼ら以前には見られず、以後には建築家や詩人のあいだで同じ表現が氾濫していることを考えれば、全員が原典を引用していたと言うよりも、空間美学を表すひとつのクリシェ化していたと考えるほうが自然ではないだろうか。

[929] Mar 14, 2012

リーマン・ショック以来、「金融」という言葉はみるみる人口に膾炙した。多くの書店で金融コーナーの棚が拡充され、時事ニュースには金融用語が氾濫した。いまやビジネスパーソンならどんな業種の人間でも、金融の知識くらいなければ明日の身銭もままならないかの言われよう――それは大げさでも、現代人なら基礎知識くらいは仕入れて置きたいところである。▼なんのためか。利殖のためではない。二十世紀、PCやインターネットの登場で、社会における「空間」や「距離」という物理的概念が崩壊したように、このさき大きく概念の揺らぐ可能性のある社会的領域が「カネ」だからである、と私は思う。十年前、二十年前に電子空間をよく理解していた人々は、いま情報化時代を確実に人より上手く泳いでいるだろう。大波が来てから波のことを知るのでは遅いのだ。ならばこれから変化が来ると思しき世界のこと、少し労力を傾けて知るくらい損にはならないはずである。

[928] Mar 13, 2012

芸術家、音楽家、科学者、教育者、デザイナー、プログラマー、研究者――このようないわゆる「専門家」の職業層を、現代における経済成長の原動力として、リチャード・フロリダは「クリエイティブ・クラス」と定義している。彼らは住み心地の良い都市に集結する性質があるので、そういう都市はめきめき発展していく――というのが大雑把なクリエイティブ都市論の概要だ。▼現在、クリエイティブ・クラスとされる労働者の単純な人数は、アメリカで3000万人、日本で500万人程度という。雇用人口に対するクリエイティブ・クラスの比率はアメリカが20%、日本が8%となり、その比は5:2。純粋な人数差に加え、割合でも倍以上の開きがあることになる。もちろん、これだけで何かを論じることは出来ないが、ひとつの成長係数として見ることは出来るだろう。これらの数字を意識した都市開発プロジェクトが、日本でもいくつか進行しているのは確かなようだ。

[927] Mar 12, 2012

寝る支度を始めると急に眠気が飛び、布団へもぐる頃にはもう冴え冴えして眠れぬ、そんな夜の経験は誰にでもあると思う。陽が沈んでは眠り、朝の鳥が鳴いては起きるというあたりまえの生活から外れると、頭の芯がいつもぼんやりして、間歇的に眠気が襲い来る厄介な身体になる。▼昼夜逆転を一夜にして取り戻すべく、今日ばかりは徹夜で乗り切り明日や早めの就寝と決めても、うつらうつらで昼夕過ごしてさて夜になるとまた眠れなかったり、眠れても次の日になるとすっかり逆転の頃の感覚がもどっていたり、甲斐のないことが多い。いちど乱れた生活は乱れていくばかりだ。▼悲しくも五時になる生活に慣れてしまったら、次の日は四時を心がけよう。それが出来たら三時――と、少しずつ戻していくのが身体には良い。何時に寝たから何時に起きよう、ということは気にしないほうがよいようだ。とにかく寝る時間だけ決める。そうして出来るだけ早く起きる。これでいい。

[926] Mar 11, 2012

自分について、考えうる最悪の履歴書を書いてみる。私に猛烈な悪意を抱く人間が私を評したかのような、それでいてたしかに正しい代物が出来上がる。逆に、自分について考えうる最高の履歴書も書いてみる。自分のことをあまりにも過大評価している信奉者が思い込みで評しているような、これはこれで直視しがたい、それでいてまるきり嘘ではない代物が出来上がる。▼ふたつを並べてみる。あまりにも内容の違う、しかしたしかに同一人物を指す履歴書が並ぶ。”最悪”には良いことが書かれていないし、”最高”には悪いことが書かれていない。減点法と加点法だ。▼こんなにも違うものかと感心した後で、二枚の紙を左右にずらし、距離を離して置いてみる。そうして、世の人々は自分のことを、恐らくこの幅の中のどこかで考えているのだろう――と考えてみると、左を見ても右を見ても怖ろしくなり、自分というものが喪失したような、実に不気味な思いがするのである。

[925] Mar 10, 2012

「MBAを取得したばかりの新卒エンジニアが、企業の採用面接を受けた。面接の最後に面接官は質問した。「初任給はどれくらいと考えていますか?」男は答えた。「年収1250万くらいですが、福利厚生にもよります。」「弊社の福利厚生は有給休暇五週間、医療保険、年金。営業車は二年ごと新車にモデルチェンジします。そうですね、コルベットの赤はどうでしょうか。」エンジニアは興奮して言った。「冗談でしょう!?」「もちろん冗談です。でも、最初に冗談を言い出したのはあなたですよ。」▼このジョークに見られるユーモアの精神には、ひとつ大切なものがある。「相手の言うことを否定せずに、面白いことを言い返すべし」――会話型ジョークの鉄則中の鉄則だが、日常会話でも大いに役立つ。なにか面白いことが言いたいと思ったら、まずはこの一点だけに気を使ってみるといいだろう。カウンターは相手の力を最大限に利用してこそ威力を発揮するのである。

[924] Mar 09, 2012

先日、ある備品が欲しくて、ヨドバシカメラへ足を運んだ。あいにくちょうど品切れと言われたので、取り寄せるほどのものでもなし、日を改めることにしたのだが、後日、また何かの用に立ち寄ると、やはり置いてないという。これでは仕方がない、アマゾンで注文しようと思い、商品ページを見つけて購入確定の直前までページを進めた。▼ところがここで何かの邪魔が入り、しばし席を外して戻ると、別用でブラウザを閉じてしまったのである。心の中では注文を済ませた気でいた。そうして、またしばらく備品のことは忘れてしまった。▼「お買い忘れはありませんか?」と、その商品のメールが数日後、届いたときにはさすがに感心した。まさに買い忘れていたわけだから、量販店で済ませていたかもしれない顧客を、見事に取り戻したわけだ。本来の目的は関連商品の紹介に過ぎないのだろうが、こういう役目を見込んでいないこともないだろう。アマゾン恐るべし、である。

[923] Mar 08, 2012

「味がありますよね」と、創作物についてよく言われる。賛意には違いないのでありがたいが、「味がある」という言い回しは、取り立てて褒めるべきことがないときに用いられる代表的な口上でもあるので、聞くたび自分の未熟を感じる思いもする。「味がある」で片付く実力者はいないのだ。▼誰にでも持ち味はある。その持ち味が不快でなければ、なにがしか「味がある」ということになる。だから、その味をよくしたいと思うなら、自分の持ち味がどんなものか知らなければならない。これが難しい。自分ではまるでわからない。あなたの言う味とは、どんな味ですか。▼文章について、なるほどと思う答えを返してくれる人がいた。私の文章は、良くも悪くも「中途半端な翻訳調」なのだという。外国語を翻訳したような、それでいて日本語のような――言われて読み返してみると、たしかにそう思われる箇所が散在している。なるほどね、と頷きひとつ。把握が具体的になる。

[922] Mar 07, 2012

成績の上がらない生徒に「勉強しなさい」と言うことは無意味である。少なくとも、教え導くことにはならない。アドバイスですらない。どちらかというと具体的な指示が思いつかないか、真面目に取り合うのが面倒なときに発される言葉である。「だって、勉強しなきゃ成績が上がるわけないじゃないか。」本人は正論に溺れつづけて腹を立てる。生徒はただ、つらそうな顔をする。▼導くとは道を引くことだ。行く先を示すことだ。ゴールはどのあたりにあるのか、だから次にどこへ行くべきか――必要なのは、地図を描く俯瞰力である。描写力ではない。自分の見てきた世界の地図しか書けないようでは、自分の知らない世界で立ち尽くす人の助けにはなれないのだ。相手が見ている世界を想像し、自分の見ている世界との位置関係を把握しながら、より高く、詳細に俯瞰すること。アラスカの荒野を彷徨い歩く旅人に「シャンゼリゼ通りの歩き方」を渡しても意味がないのである。

[921] Mar 06, 2012

読めば読むほど鮮やかな表現を覚え、聞けば聞くほど絶妙な言い回しを知る。書けば書くほど覚えた表現は手に馴染み、話せば話すほど言葉遣いは自然になる。入力は拡張、出力は強化。言語習得は、目、耳、手、口の全てを用いて行うべし、である。どれかひとつが欠けていても差支えが出る。▼母国語は良いが、外国語となると途端に少なくなるのが出力のふたつ、「手」と「口」である。手の方はまだ日記や作文でどうにかなるが、口の方は外人の友達でもいなければろくに機会もなく、ウェブでは喋っているつもりでも所詮文字、指は饒舌でも口は寡黙で、いざというとき舌が回る気はしない。▼しかし英会話スクールは高いしな……と思う人たちのあいだでは、最近スカイプチャットを用いた格安個人授業が流行しているらしい。マイクとカメラさえあれば家にいながら友達感覚で教わることが出来るので、思いのほか続くし楽しいという。実態はどうか、調べてみる気でいる。

[920] Mar 05, 2012

「タコは非常に頭のいい生物である。外界に反応して自在に体色を変化させたり、触手で道具を用いたり、記憶した過去の映像から簡単な推論をしたりと、無脊椎動物の中では異例なほど知能が高い。これらの飛び抜けた頭脳が海底生活で必要に応じて進化したものとは到底思われず、どこか別の場所で進化したものが海底に移り住み退化したと見るほうが妥当であろう。別の場所とはどこか。火星である。故に、火星人はタコなのだ。」▼ひとつひとつ確からしい理屈を積み上げていくと、最後には多少無理をしても辻褄を合わせたくなるものだ。そうして、どんな種類の話でも、情報が断片的であればあるほど辻褄を合わせるのは簡単である。100%ではなく99%で物を考え始めたとき、思い込みでさも当然のように虚偽を語る厄介な人物が誕生する。彼らの共通点は、高い推論力と、高い構成力と、大詰めの杜撰である。それなりに詳しい素人レビュアーの危険性はここにある。

[919] Mar 04, 2012

ステレオタイプの功罪は繰り返し語られてきた。要約すればこうだ。「便利である。しかし現実に合わぬ。」こうして人間のステレオタイプ化は議論のための便宜に過ぎず、実用することは悪であるという固定解釈が蔓延ることになるのだが、もちろんそんなことはない。人がそうしがちであるということの裏には必ず意味がある。私たちの気がつかないところで、ステレオタイプは実用に供されている。▼「冗談」もそのひとつ。気心の知れた友人や同僚と、相手をからかうような冗談を言い合うとき、私たちはよくステレオタイプをからかう。**はみんなこうだよな、とか、これだから**は……という語り口だ。英語によくある「弁護士ジョーク」「**人ジョーク」などもわかりやすい例だろう。相手個人を直接からかえば角が立つところを、標的をずらして相手の属している「典型」をからかうことで、「君に対する悪口ではないんだ」という意思を暗に示しているのである。

[918] Mar 03, 2012

「人生における悲劇は、目標を達成しなかったことにあるのではない。それは人生に目標を持たなかったことにある。」ベンジャミン・メイズはこう言っている。「人生が長かろうと短かろうと、その価値は何を目的に生きたかということによる。」これはデイヴィッド・ジョーダンの言葉。▼目標を持つ――このことを薦める格言は山のようにある。なぜだろうか。目標を持つことが反論の余地なく素晴らしいことだからだろうか。しかし、それなら膨大な格言など待つまでもなく、皆そうすればいいだけの話だ。偉人がわざわざ格言を残してくれているのは、それが凡人には難しいからである。▼夢を持つと、夢が叶わない苦しみに襲われる、ましてその夢が大それたものであるほど叶う可能性は低いのだから、もう夢など抱くのはやめよう――こういう後ろ向きな考え方にいちども囚われず生きていくことは難しい。難しいから、乗り越える勇気を貰いに行くのだ。偉人様々である。

[917] Mar 02, 2012

「今日は何時ですか。」「四時に行きます。」さて、待ち合わせ場所へ五時半に到着したところ、相手の人がかんかんに怒っている――という相談を受けた。怒っているからどう謝ればいいだろう、という相談ではない。「四時に行く」というのは、自分は四時に出るという意味で言ったのだ、「行く」を辞書で引くとちゃんと「出発する」の意味があるのだから、自分は正しいと思うがどうか、というのである。▼開いた口はいっこう塞がらないが、世の中にはこういう人もいるのだと諦めた上で、ひとつ考えたいことがある。「この情けない事件の病原は何か。」一見すると言語の慣用に対する不理解に思えるが、恐らくそうではない。言葉を改め「四時に出発します」としてもダメなことに変わりはないからだ。相手が知りたいのは「私は何時に待ち合わせの場所へ行けばいいのか」ということなのだから、「五時半に着きます」と言えないところに回答者の身勝手があるのである。

[916] Mar 01, 2012

理屈と感情のジレンマに苦しんだとき、理屈が感情に勝つ人と、逆な人と、どちらでもない人がいる。理屈勝ちな人は感情を御する手段を理屈で考え、その答えが合理的なら身体を鞭打ってでも行動しようとする。感情勝ちな人は理屈の忠告を不自然な物と見なして撥ね付け、じっと坐して気持ちの整理を試みる。本当にそれが自分に適したやり方なら、どちらを選んでも上手くいくだろう。取り残されるのは「どちらでもない人」だ。▼彼らは真にジレンマを苦しむ種族である。感情が理屈で抑えつけられるときはそれを暴力的で窮屈に感じ、逆のときは感情を無根拠で信頼できないものと見なす。理屈を言う人は理屈でなんでも解決できると信じている堅物に見え、感情を語る人は深い思慮もなく無責任なことを言ういい加減な奴に見える。疑心暗鬼ここに極まれり、というわけだ。沼から抜け出すには、腹を括って「どちらか勝ち」になるしかない。ビュリダンのロバは飢えて死ぬ。

[915] Feb 29, 2012

参加したプロジェクトを振り返り、自分が「どれほどのタスクをこなしたか」を計ることはそれほど難しくない。日々の事務処理から従来手法の改良、新規的なプロセスの提案まで、指折り数えていけば多いか少ないかくらいのことを見誤りはしないだろう。しかしこれが「どれほど上手くチームワークをこなせたか」となると、誰しも自己評価の難しいところである。▼上司や同僚の評価と正確に揃えるのは厳しいかもしれないが、周囲の評価の平均からさしては外れないであろう判断を下す方法はある。次の問いに答えてみることだ。「自分はこのプロジェクトで、何回チームメイトを驚かせただろう?」▼あまりの仕事量に驚いたというのならともかく、通常、業務を通じて仲間を「驚かせる」ことがあってはならない。それはチームワークのミスと数えるべきだ。こういう考えである。この反省法なら次に活かすのも簡単だ。「驚かせないためには、どうするべきだっただろう。」

[914] Feb 28, 2012

「読書万巻を破り、筆下せば神有るが如し。」万巻の書物を読破して筆を取れば、詩文創作も神の助けあるが如くすらすらと進む――杜甫はこう書いている。万巻読んだと歌いきるあたり自らの勉強量への絶対的な自信が伺える。松尾芭蕉も敬愛した詩聖もまた努力の人であった。▼読まねば書けぬ。読めば捗る。こういう感覚はプロ・アマチュアを問わず物を書く人間には共通したものらしい。剽窃しようという気などさらさらなくても、文章を頭の中へ放り込んで、こういうのが書きたいと思うと急に意欲が湧いてくる。あるいはこういうのは書きたくないと考えることも刺激になるので、どちらに転んでも筆は進むというわけだ。たくさん読んだし良いものが書けるはず、という自信も大きい。▼けれどもその杜甫とていつかは進士の試験に落第し、あんなに読んだのに、とつらい心境を韋済に書き送っている。上手く行ったり行かなかったり。このあたり偉人も凡人も変わらない。

[913] Feb 27, 2012

「こちらローストビーフの付け合わせとしてイギリスでは伝統的なヨークシャー・プディングになります。」こう言われてようやく、ローストビーフが数少ないイギリス料理であることを思い出した。肉の横には野菜のほかに、シュークリームの皮のようなふわふわしたパンが添えられている。これが「ヨークシャー・プディング」らしい。グレイビーソースに合うから浸してどうぞ、と言う。▼このレストラン、前菜もスープもローストビーフも文句なく旨いのだが、これだけはどうにもあまりよろしくなかった。ヨークシャー・プディングとはあまり旨くないものだという認識がついてしまいそうで怖い。しかし調べてみると貧しい家庭で高い肉料理を節約するために生まれたものだというので、とすればそもそも旨い旨いと食うものではないのかもしれぬ。やはりあくまで「付け合せ」。肉でがつがつ腹を膨れさせる品の無さを思えば、小麦粉と卵を口に含むくらいがちょうどいい。

[912] Feb 26, 2012

このところの体調不良に重ねて持病の不眠症が再発している。眠れないと思うほど眠れない悪循環に、暗闇の無為な時間がつらくて、それなら床にいる必要もあるまいと抜けだしてくるのが更に悪い。電気を点けて漫画のひとつでも手に取れば、もう朝までだらだらしているより他ないのである。▼もちろん、人間、無睡眠で活動できるはずもなく、昼や夕暮れに思い出したように眠くなるのは夜ふかしの症状と変わらない。それならそのときなんとか我慢して夜まで粘ればよかろうと思うかもしれないが、眠い身体を引きずり引きずり夜になると、とつぜん眼が冴えたりするのだ。人体の不思議である。▼午前五時半。まだ明ける気配はないが、方々からときどき朝の音がする。昼夜逆転の生活なら修論時代を思い出して懐かしくもなるが、綺麗に逆転しているわけでもないので、不摂生の三文字を充てるしかない堕落である。医者にかかるか、自分で治すか。なんとかせねばなるまい。

[911] Feb 25, 2012

松屋のカレギュウが大好きで、仕事が忙しくなるとよく食べに行く。いちばん好きだった豚丼はこの前終わってしまったので、いよいよ注文はカレギュウ大盛りばかりになり、牛丼屋で牛丼を消費しない日々がつづいていた。安くはないが旨い。旨いものを食べれば元気が出る。カレーなら栄養もあるし……という思考である。▼ところが今日、カロリーを調べてみて驚いた。たいした量もないので800くらいかとタカをくくっていたら、1200とある。マクドナルドでたらふくLLセットを食べるのと大差ないわけだ。実に見積りが甘い。▼これを機に、ふだん食べているもののカロリーをいちど洗い直してみた。恐ろしいことに、もっとも高いカロリーを摂取しているのは、健康に気をつかっているつもりの寿司であった。食べ放題が災いして数が増え、2000に達している計算。食と健康はカロリーだけで語れるものではないが、認識の相違は定期的に潰しておく必要がある。

[910] Feb 24, 2012

読書家は眼が悪くなりやすい。そう思われている。たしかに、近い距離で小さな文字を見続けていれば近視は促進されるだろう。しかしこの因果関係は必ずしも正しくない。大学で眼科を専攻していた精神医学者アルフレッド・アドラーは、眼の病気を持つ患者ほど読書熱心になるケースが多いことを発見している。この着眼は後に、アドラー心理学のひとつ「優越コンプレックスの理論」として結実することになる。▼人は、自分が「劣っている」と感じる精神的・身体的特徴に対しては、非常な努力を払ってもこれを克服しようとする。なんとかして弱点を補強しようとし、それが難しければ別の何かを磨いて弱点を補おうとする。聴力を失い、身体で振動を感じる力を身につけた晩年のベートーヴェンが格好の例だろう。▼ここから導き出せる結論は簡単だ。弱点を弱点と認めること。常に弱点の補償を目指すこと。疲れたら、別の力を蓄えること。――それを逃げと思わないこと。

[909] Feb 23, 2012

「名声は、それを求める者から逃れ、それを無視する者を追う。いかんとなれば、前者はその同時代の趣味に安住し、後者はこれに反抗するからなり。」スペインの聖職者、オロシウスは「名声論」でこう述べた。なぜ無視すると手に入るのかが明示されている点、よく言われるような「名声は後からついてくるもの」とは一味違う説得力がある。▼現在何がウケるかを考えて行動するのも大切だが、そればかりに専心しては時代の変化に適応できない。世人の趣味が変われば用済みである。自分が研鑽を積んでいる領域の、時を通じて変わらぬ力とは何なのか。これを見極め、五年後、十年後を見据えて能力を磨かなくては、ビジネスマンでもアーティストでも一流とは言えないだろう。私はこれを単純に「地力」と呼んでいる。▼すぐにウケない地力の増強は、リスクである。しかし変化の早い時代には、リスクを取らないことこそ最大のリスクである――これはザッカーバーグの弁。

[908] Feb 22, 2012

ストレージサーバーを契約したので、ようやく作品群の再公開が出来る。ただ、せっかくなのでこの機会にいちどアーカイブを作り直そうと思い、連携サービスのアカウントを取得しつつ作業を進めている。だらしない性格だからかもしれないが、いつも時間が経つと自分の管理範囲が増えていくのでよろしくない。拠点が分散していていいことなどひとつもないのだ。折に触れて一元化していく必要がある。▼情報の分散がいやだから、と使用を控えてきたサービスもある。YouTubeもFacebookも利用していないし、Twitterもろくに活用しているとは言えない。その気がなくても出来る限り先端のトレンドにはついていきたいと思うので、どこかに軸足を定めつつ、いろんなサービスに身を浸してみるのに、今回のアーカイブ再構築は良いきっかけになるだろう。――こう新しい試みに心躍らせながら、ストレージ移転という面倒な仕事をこなしているわけだ。ひとつの仕事術と言える。

[907] Feb 21, 2012

売れる企画に必須の「3T」と呼ばれる要素がある。タイトル、ターゲット、タイミングである。題名、購買層、時期と読み替えてもいい。出版業界の鉄則と聞いているが、どんな世界の企画にも適用できる話だ。この三点を検証して穴がなければ、少なくとも「話にならない」ような論外の企画にはならない、という。▼さて、これとは別に、優れた報告書に不可欠な「3R」がある。リサーチ、リザルト、リスク――調査、結果、危険。どんな調査をしたのか、結果はどうであったか、そこから読み取れる潜在的な危険は何か、の三点を盛り込んでいれば報告書はまず及第点以上にはなる、という。▼人がこうしてプラクティスを3つの頭文字にまとめたがるのは、「覚えやすく」「忘れない」で常に実践を続けていけるからだ。このやり方を利用しない手はない。創作のような型に嵌らぬ特殊な仕事にも、必要な要素を工夫して名付け、自分なりの3某をつくってみるといいだろう。

[906] Feb 20, 2012

ヴィクトル・ユゴーは「レ・ミゼラブル」を発表したとき、その売れ行きがあんまり心配なので、出版社に問い合わせの手紙を出した。なにしろこの作品は、ユゴーの作家生命を賭けた作品だったのだ。出版社は直ちに返答を出した。それを見たユゴーの表情はさぞかし緩んだことだろう。発売日、書店には長蛇の列が出来た。心配もなんのその、後世に残る大ヒットである。▼このときの手紙にひとつ、逸話がある。曰く、このやりとりは「世界でもっとも短い手紙のやりとり」なのだそうだ。ユゴーが記した手紙にはただ一文字、こう書かれていた。「?」――出版社の返答は、こうだ。「!」▼どさ、ゆさよりも二文字短い、しかし完璧な意思疎通である。文字や言葉が意思を伝える道具であり、道具は使い方次第でいくらでも工夫が効くという、当たり前のことを思い出させてくれるエピソードだ。押しつぶされそうな不安のさなかに紡ぎ出したユーモア。作家はこうでなくては。

[905] Feb 19, 2012

あるテーマについて調べたいとき、伝統と格式あるひとつの確実な手段は、図書館で関連書籍を片端から集め、紐解いていくことである。複数の意見に目を通すことで対象を多角的に評価できるし、リンクを辿る要領で参考文献が参考文献を呼び、いつか思わぬカテゴリに関連情報を見つけることもある。偶然の賜物だけに、そうした発見は調査の出力に人が真似しがたいオリジナリティ、意外性を与えてくれるだろう。「広く見る」は調査の基本中の基本である。▼ただしそれは時間が無限にあれば、である。少ない時間で結果を出すには「狭く絞る」センスも必要だ。重要な情報は何か、要らない情報は何かを見抜く眼力と整理する技術である。これらは修練で養うれっきとした「能力」であり、ただ漫然と大量の情報に接していて身につくものではない。与えられた時間が少なくなると仕事が杜撰になる、というタイプの人は、どこかで一度真剣に取り組んだほうがいい課題である。

[904] Feb 18, 2012

国税庁のホームページへ行き、「路線価図」と書かれたリンクを辿ると、全国の路線価図を見ることが出来る。「路線価」は地価の一種で、相続税や贈与税の計算に用いる値。日常生活で調べる機会はほとんどないが、上記の手段で手軽に知ることができる。私も自分の住居を調べてみた。▼少々見方に癖はあるが、丁寧な説明があるので問題ない。該当箇所を読み解くと、1平方メートルあたり18万円、借地権割合は60%とある。一般的な郊外住宅地の数字である。戯れに東京都中央区へ飛び、銀座六丁目あたりをうろついてみると、借地権割合90%が標準で、1平方メートルあたり1500万を超えるところも見かけられる。同じ銀座でも数分歩けば何倍も値が変わるところが面白い。▼サイトデザインが時代遅れで簡素なため、なかなか探索する気になれないが、国税庁のみならず公的機関のホームページには意外と楽しい情報が満載されている。暇な時間にはお勧めである。

[903] Feb 17, 2012

「尾籠な話で恐縮ですが……。」艶話、あるいは俗に下ネタなど、下品な話題を持ち出すときに置かれる前フリのひとつ、尾籠(びろう)。どうも漢字にそれらしい下品さ、下賎さが見当たらないので調べてみると、もとは古語の「をこ」に漢字を充てたものがいつの間にか音読みされるようになったものらしい。をこ、は痴と書き、愚かさや見苦しさを表現する言葉。をこがまし、と同じ語源ということになる。▼公前で不潔、わいせつな事柄に言及するのを婉曲したいと思う心が、「をこ」であるというそのこと自体も意識させないようついに音を消させたものだろうか。あるいは、尾籠などという言葉の使い回しをする人が人前で品のない話を披露することは少ないので、日常でなかなか聞かれないレアな単語になり、発音の正確さが失われたものだろうか。調べてもわからないが、こういう独特の遍歴を持つ言葉というのはあまりないので、好き勝手に事情を推し量るのも面白い。

[902] Feb 16, 2012

机は三つ用意せよ、と言う。ひとつは読み物や書き物など作業一般のための机。ひとつは資料が山積みにしてある調べ物の机。ひとつは常に何も置かれていない綺麗な机。こうすることで、どんなときでもすぐ仕事に着手でき、あれこれ迷うことなく目的を遂行できるようになるという。綺麗な机はバッファと言ったところだろう。▼もし「勉強法」などと題する自己啓発・ビジネスノウハウ本にこんな記述を見つけたら、ほとんどの読者は大いに憤慨するのではないだろうか。机を三つ。どこにそんな場所と金がある。こんなものは貴族のやり方じゃないか。▼配置の例として示された広い書斎の写真の中で、勉強法の始祖が得意満面、豪奢な机の三並びを見せている。写真のために汚されたような作業机、分厚く絵になる選び抜かれた資料の山、塵ひとつないフラットな机。やれやれ、とても真似できぬ――せめて机上の領域を三分割してみてはどうかと思い立ち、少し整理している。

[901] Feb 15, 2012

そういう夢を見ることもあるのか、と思うような面白い夢を見た。内容はさして面白くもないが、あんな世界でも夢の中では現実と信じている自分の心理が、振り返るにつけなんとも可笑しくなる。▼意識は何もない平原の真ん中で始まる。岩場と山を除けば、視界はぐるりと地平線。よくある原始時代のイメージよりひどい何も無さだ。それでも、生きていくためには食糧や道具の材料を手に入れなければならない。「開始点」を覚えて何かありそうな方へ動き出す。太陽が照りつけている、と思えば月が出る。▼不思議なことにはどうやらこの世界、移動距離と時間経過が完全に等価らしい。ゆっくり歩くことも、急いで走ることもできない。あそこへ行くまで、こんなに時間がかかってしまうのか。戻るのは間に合うだろうか。そんなことばかり考えている。ときどき他人に出会う。物を交換したりする。延々、ただ探索の旅が続く……私には何の夢か、もうはっきりわかっている。

[900] Feb 14, 2012

横浜駅東口の回転寿司「まぐろ善」へ行く。まぐろ一筋、扱いつづけて数十年という老舗まぐろ問屋で、ふつうの赤身から本まぐろ赤身、中トロ、大トロまで、三貫盛り、六貫盛り……とあの手この手でまぐろを薦めてくるあたり、自信のほどが伺える。他のメニューはなんのその。何を置いてもまぐろが売りらしい。▼本まぐろ赤身は330円とやや高めながら味は文句なし。回転寿司としては今までのどこよりも旨い。ふつうの赤身も味はよく、なにより二貫で130円は破格である。ひとつの商品に自負のある専門店のいいところは、リーズナブルに高品質なものが食べられる点だ。えびに浮気しつつも、まぐろばかり食べていた。▼それでも食べたのは十に満たない数皿。ここ最近まるで食欲が戻らないので、消化云々はともかく状況に応じて量を変えられる回転寿司はありがたいが、今日の食事はこれで終了。いま倒れてもつまらないし、栄養だけはサプリメントで補給したい。

[899] Feb 13, 2012

数日前、ハードディスクを増設したとき、PCの中の埃が気になった。けれども深夜なので、すぐに掃除機をかけるわけにはいかない。明日やろう。明日の昼にでもかけよう。そう考えて、その日はケースカバーを外したまま運用することにした。昨今のPC、よほどのことがない限り、内部機構が剥き出しでも支障はない。▼その裸の状態が、今もまだ続いている。埃は付着したままだ。たかがこれくらいのことでも放置されるとは……あとでやろう、の恐ろしさを身に染みて感じている。「今日出来ることを、明日やろうとしないこと。」▼期限のない仕事を「明日でいいか」と感じる心理は、必ず明日に継続する。一晩ぐっすり眠ったくらいで自制心の強い立派な人間に生まれ変われれば、誰も苦労はしないのである。どうしても今やりたくない仕事を後回しにするときは、必ず期限を決めることだ。「何日の何時までにやろう。」それが出来なければ、今すぐに実行すべきである。

[898] Feb 12, 2012

滅多に利用しないのだが、ときどきアマゾンの「欲しい物リスト」を見直すと面白いことがある。昔の自分はこんなものを欲しがっていたのか、すっかり買うのを忘れていた、いつの間にか値引きされている、などなど。▼とくに過去の自分がリストに追加した品を見て行くのは面白い。2004年には木下さくらの画集が数冊、2005年には物語論に関連する書物が大量に、2006年には短篇集ばかりが追加されている。2007、2008……移ろうジャンルと調査の密度。自分の興味の変遷が浮かび上がる。▼こうした「本人には記録する気のない記録」は、いまやウェブ上の至る所にある。ミクシィやフェイスブックなどSNSを利用していればなおさらだろう。こうしたものを掻き集めていくと立派な日記がわりになる。無意識まで反映されている点、日記以上である。こうした情報から、いつかグーグルが「日記を自動生成」するサービスを始める日が来るかもしれない。

[897] Feb 11, 2012

横浜に長く住んでいても、横浜の観光名所を知り尽くしているとは限らない。往々にして地元のスポットは把握が疎かになりがちなものである。知人に横浜みなとみらいを案内すべく、ランドマークタワーと赤レンガ倉庫へ行った。▼ランドマークタワー最上階の展望台、スカイラウンジでは都市・横浜を海も陸も一望できる。想像以上に高い。遥か遠くの地形が見える。途中、ガラスから手の届きそうな近くを、巨大なカラスが左へ右へ悠々と滑空していった。こんな高さまで飛んでくるのか、と人間たちはガヤガヤ仰天。写真を撮ろうとする人もいた。▼赤レンガ倉庫は情緒のある建物だが、情緒があるだけだろうと甘く見ていると、暮れかかる冬の暗さに濃い赤の照明で、感嘆するに十分な情緒。これは失敬と侘びを入れる。中に入るとエスカレータあり、エレベーターあり、至る所がショッピングモールに改造されていて、これには少し残念な気がした。情緒は外見だけのようだ。

[896] Feb 10, 2012

スティーブン・R・コヴィーはタスクの優先順位付けについて、緊急性と重要性の二軸による四分割を推奨している。緊急性も重要性も高い、心臓発作のようなタスク。重要だが緊急性の低い、心臓発作を予防する運動のようなタスク。重要でないが緊急性の高い、電話などの割り込みタスク。重要でも緊急でもない暇つぶしのようなタスク。▼最初と最後の優先度は誰もが理解している。ここの並び替えを間違える「良心的人間」はいない。しかし真ん中のふたつ――「予防運動」と「割り込み」の優先度は往々にして逆にされることが多いという。▼なぜか。どんなオフィスにも、溢れているのは割り込みのタスクだからだ。更新のたび新着メールが真っ赤に染まる。電話のベルは鳴り止まない。会議を早めに切り上げ次の会議に向かう。こうした割り込みが、一見「のんびりした」仕事のように見える予防運動の時間を圧迫する。その結果は、ご想像の通り。心臓発作の多発である。

[895] Feb 09, 2012

リベラルアーツの役割は何か、と問う。基礎学力を高校で勉強してきたんだ、不要なものじゃないか、と言う。専門を学ぶ前に哲学を学んで人間的に成長させるなんて、そんな効果が期待できるのか。他に効率的な教育方法があるのを、考えようとしないだけではないのか。▼リベラルアーツは効果なし、と断ずる人々の主張には、それらが最良の教育方法でないことに対する異常な攻撃熱がこもっている。たしかに最良ではないだろう――全ての学生に対しては。専門を学ぶ前に広く教養を修める意味は、人間的成長などにあるのではない。そこに痛恨の勘違いがある。▼期待しているのは、学問の習得ではなく創造である。創造のための破壊である。専門という道をただまっとうする人間でなく、あまりに自身の体積が大きいため、そこを破壊しながら歩いて行くような人間を育てたいという意思なのだ。だから、誰にでも良いとは限らない。限らないが、どこかに必要なものである。

[894] Feb 08, 2012

チャンスを拾い上げてモノにした人がいる。その人にチャンスを見せてもらう。とてもきらきらしたものに見える。輝いている。あまり素敵で羨ましいので、私の道にもそういう輝きが落ちていないだろうかと、目を凝らして歩くようになる。どこにもない。どこにもない。首を捻りながら、チャンスの原石を蹴飛ばして行く。▼チャンスの神様は前髪しかないという諺はあまりにも有名だが、この言葉はややチャンスを美化しすぎているきらいがある。チャンスはモノにしたから輝き出し女神にも見えるのであって、モノにしないうちは襤褸をまとった地味な神様に過ぎない。気づいたときには遅い、というのはいい方なのだ。ほとんどは気づいてもいない。▼磨き上げられた宝石があんまり高くて買えないからこそ採鉱に出ているのだ。そういう事情の中で、原石を原石と見抜く目利きがないのは致命的である。原石かもしれないものは、拾い上げて見ること。間違えたら捨てること。

[893] Feb 07, 2012

「笑顔は万言に勝るインターナショナル・サインである。」▼企業の重役や経営者の中には尊敬する人物に中村天風を挙げる人がやたらと多い。やたらと、と言うのは、そのことについてあまりいい印象を持たないからだ。天風が成功哲学の偉人であることは疑い得ないし、彼のひたすら前向きな名言の数々に心打たれる人は多かろうが、どうにもこうこぞって天風だ、天風だという神経の向こう側に、そういう信条でいさえすれば天風に師事した多くの偉人や、天風を仰ぐ既存の成功者と肩を並べる凄い人物になったかのような自負が透けて見えるのである。▼この邪推はつまらないだろうか。しかし今のところ、自分の師匠は中村天風だと豪語する「偉い人」に、尊敬できる人物がひとりもいないのは確かなようである。名言の理解や崇拝と、その実行はまったく異なるものだ。天風の崇拝者がみな天風の言葉通り生きていたら、日本は数倍住みやすい世界になっているのではないか。

[892] Feb 06, 2012

気がつくとiTunesに当てているパーティションの空き容量が数ギガバイトしかなくなっていた。モーツァルト全集も届いたことを考えると確実に残りが足りないので、これを気にいちど音楽ファイル全般を整理しようと思い立った。頭の回らない時期には機械的に出来る作業が嬉しい。▼この時期に買うのは高くて癪だが2TBのHDDを新たに購入、増設して「音楽ディスク」という単一パーティションにした。アップルロスレスならバッハ全集が二十も三十も入る。これで足りなくなるようなら何かが間違っているのだ。そのうち他のファイルが間借りに来そうで怖いが、当面容量の心配はない。▼iTunesのライブラリ登録も全部削除し、モーツァルト全集から改めて入れなおすことにした。グループなどこまめに整理していなかったので、ぐちゃぐちゃになっていたのだ。復元には時間がかかるものの、整理された使いやすいライブラリが出来てきている。たまの整理が大切である。

[891] Feb 05, 2012

誕生日を基準に一年を四等分して死亡率を測ると、誕生日直前がもっとも低く、誕生日直後がもっとも高くなるという有意な統計があるらしい。かなり前に読んだ話で出典も信憑性のほどもわからないが、この年まで、この日までは生きたいという心の支えがあるかどうかで、体の健康が左右されることは十分ありそうに思える。▼誕生日なんて、もうお祝いもしないしたいして興味がないよ、という人でも、今日で自分が満何歳かをふと考えた瞬間に、ふだんは考えないようないろいろのことを考える。頭の中に年齢の数直線を描いて、未来のことや過去のことを考える。それがどれほど明るく見えるかは、現在の明度によるのだろう。▼記事を見返してみると、去年も一昨年も私は誕生日を緩やかに迎えていないらしい。平和に、穏やかに、心安く誕生日を過ごしたいという私のささやかな願いは今年も叶わなかった。今年がいちばん叶わなかった。二十六。来年はどうなるのだろう。

[890] Feb 04, 2012

起業に旅立つ友人と飲み交わしたとき、これまでは選ばれる側、配置される側だが、これからは人材を選ぶ側になるね、という話をした。そう、まさにそれが難しいんだ、と彼は言う。信頼の置けるパートナーと二人で駈け出したときは良い。しかしやがて手が足りなくなり、あれを任せる人が要る、これをやらせる人が要るとなったとき、三人目、四人目を誰にするのかは、小さなベンチャーには死活問題である。▼「とにかく、重要なことは全て自分たちで考えるから、あとはその忠実な実行者が大量に居ればいい。」「その実行者もやはり自律的に行動する良い人材である方がいいんだろうか。」「いや、生半可に考えられるのは困る。一緒に物を考えるのは自分達だけでいい。」「考える仕事が増えたら仲間も増やす必要があるね。」「仲間と実行者か。でも、部下はいらんな。なるほど、ついにわかったよ。俺は仲間と、奴隷が欲しいんだ。」この極言に何を見るかは人による。

[889] Feb 03, 2012

出かけよう。買い物をしよう。去年やり残したことをしよう。曲も書き始めよう。出来るだけ本も読もう。様々な予定を携えて、去年の休日出勤を贖う代休休暇が昨日から開始した。開始したのだが、今日、唐突にメールが届いた。「至急、連絡されたし。」▼電話をかけると、どうやらデータ関連のトラブルらしい。処理の仕方がわかるのは私か直属上司の二名だけで、上司の方は今近くにいない――とテンプレそのものの事態である。とにかく来て欲しい、と言われたら、とにかく行くしかない。▼そのトラブルがもうひとつトラブルを呼ぶ。そのトラブルを解決出来る人が今はいない……とあとはお決まりの芋づるである。プロジェクト「終了後」にありがちな狼狽の典型だ。早くも体験できたのは、ありがたいと思うべきだろう。来週も出社の必要がある。それも可能なら早朝から、というわけで、休暇にはまだ入れそうにない。いや、記録上は休暇なのである。それが恐ろしい。

[888] Feb 02, 2012

MEGAUPLOADがサービスを停止したらしい。これまで長らくストレージサーバーとして利用していたので、急な知らせに驚いた。スカイドライブの不安定さに耐えかね乗り換えてからずっと問題なく稼働してきたが、とうとう終了である。法律関係で揉めていたようだが、詳細は知らない。▼これに伴い私の公開しているファイル類は全てダウンロード出来なくなった。代わりのストレージサーバーを見つけなければならないのだが、無料では良いのが見当たらないし、現行のレンタルサーバーでは容量が足りぬ……ということで、新たにストレージ用のサーバーをひとつ、借りる案が浮上したのである。▼調べてみると、そういう「倉庫」としての使い方を自ら推奨しているところもあるようで、トラフィックは恵まれないが容量は大きく月額は安い、というプランがいくつかある。今後も安定してファイルは提供していきたいし、ここらでひとつ、投資もよいかと思っている。

[887] Feb 01, 2012

前回、今回とプロジェクトを共にした派遣の人が、来月、正社員登用試験を受けることになった。なにかにつけてセンスがよく、ほんとうに仕事の出来る人なので、上司ともどもぜひ合格して欲しいものだと話しているのだが、当の本人は暗記・試験が大の苦手だというので、なかなか思惑が咬み合わない。▼人間、覚えたくないものを覚えるという作業は若いうちにしか出来ないものだ。若いうちならまだ刷り込まれれば覚えてしまうが、大人になると興味がなければそれまでである。だから、大人になったらきっとやらないであろう、けれど一般的に必要とされる科目を若いうちに修めなければならないのだ。▼取りこぼした分を後から覚えるには、興味を持つか、必要に追われるしかない。私も速度標語が覚えられず苦労したが、ある曲をラルゴにすべきか、レントか、アダージョかと悩んでついに三つの意味を習得できた。二十過ぎての暗記はこういう手段に頼ることが多くなる。

[886] Jan 31, 2012

私のバッハプレイリストは、頭を見て曲がわかるように作品番号で管理されている。くるくるとスクロールしていけば、目当ての曲をすぐに見つけられるということだ。しかしこのやり方、自分で選ぶ分には不自由しないが、ひとつだけ問題がある。曲を聞いても曲名がわからないのだ。▼これは曲について人と話すとき、えらく不便である。いつも聞いている1043が素晴らしい名曲だからと薦める段になって「1043と言われてもね」という応答に出くわし曲名を調べる羽目になる。『2つのバイオリンのための協奏曲』、通称ドッペルコンチェルト。こう言うと、それは有名な曲じゃないか、と言われたりする。▼いずれは曲名でも紐付けしたほうが良いには違いない。けれども膨大な数のカンタータなど、題名をくまなく覚えても、ちゃんと曲と対応させられるかは怪しいものだ。数字の方がまだわかりそうなものである。必要に迫られたらそのつど題を追加していくのがいいだろう。

[885] Jan 30, 2012

プロジェクトを無事終えたので、担当パート以外のシステムや作業フローを後学のために浚い始めた。まだまだ改良の余地があるところもある。が、驚くのは、余地どころではない、原始時代のようなゴリ押しの仕組みで動いているところが見つかるのである。詳細は言えないが、いろんな等比級数の第百項を求めるのに、地道な掛け算をつづけて悲鳴を上げているようなものだ。▼無論、この悪習を打破しようと試みた人間は過去にもいたらしい。しかし、そのとき新たな仕組みの流れた理由というのが、思わず耳を疑う、ある部課長の台詞である。「この年になって新しいことを覚えるのは大変だからねえ。」▼新規性を求めて挑戦しつづける、という全社スローガンのもと、こうした人間が努力も忘れて管理職にのさばる現実は、どこの企業もそれほど変わらないのかもしれないが、鬱然たるものである。ああはなりたくないと思う。なりたくないと思われても、当人は平然だろう。

[884] Jan 29, 2012

これは素晴らしい、と心の底から感嘆する出来事に出会して、それをぜひ創作の種にと何かの言葉にまとめてみると、頭の中では上手くいく。口に出してみるとさらにそれらしく響くので、さて意気揚々と原稿に挿し込むと、途端に出来事の命が死んでいることに気がつくのである。▼拵えたときと一言一句変わらぬ会心の言葉が紙面の上で死んでいる。原稿を書いたことがある人なら、誰でもいちどはそういう体験をしたことがあるのではないだろうか。文章とは有機体なのだから、というありふれた比喩では到底説明のつかない突然死に見舞われて途方にくれたことがあるのではないか。▼なんだか、物書きというのは原稿にすると死んでしまうものを、なんとか生き返らせようと文章を捻くりまわしているようなものだ。逝去した「素敵な言葉」を書いたり消したりしながら、そんなふうに考えた。音楽も同じだ。絵画も同じに違いない。創造というより、どうも蘇生の仕事である。

[883] Jan 28, 2012

空港や電車でよく流れる英語のアナウンスについて、面白い話を聞いた。▼ある外国人英語教師が日本での給料の少なさについてぼやいていると、同じ外人でも時給が何万円にもなるような凄いやつもいる、という話になった。その彼はアナウンスの仕事をしているという。▼日本語を英語で追従するあの仕事が、塾や教室で英会話を教える講師よりも儲かるのか、というのも驚きであったが、なによりその彼を知る人曰く、成田空港の中や東急の車内など、日本にいるといろんなところで彼の声を聞くのだという。場所も会社もばらばらだ。英語アナウンスをしている人の数というのは、あまり多くはないらしい。▼そう言われると似たような声ばかりだ、という気がしてくるが、スピーカー経由で流れる声にアイデンティティを認めるのは難しい。抑揚も殺しているし、車掌の声が皆同じに聞こえるのと同じ理屈である。同一人物と信じるには、よくよく耳を澄ませてみる必要がある。

[882] Jan 27, 2012

私は比較的飽き性である。飽き性で、かつ、勉強しても勉強してもあまり実技が身につかない操縦性の低さも否めない。そういう自分のことを熟知しているので、常に何か気にかかることを勉強するようにしている。今週はA、来週はB、来月はC。ぐるぐるまわっているうちに元のところへ戻ることもある。身についていないものをもういちど学ぶ。知識が上書きされて、少しはましになる。▼当然、効率は悪い。しかし効率を高めるには、心が求めていない修行を自らに課さねばならない。精神に適合しないものを無理に詰め込む自分への過酷を果たさなければならない。恐らく、ここにひとつのジレンマが生じるのである。「何かを極めるには、常にそれを好きでいて、楽しみ続けているべきなのか。それとも、時につらいと思いながらも精進しなければならないのか。」そうして、私のように後者と信じながら前者を選択している人間だけが、怠け者と呼ばれるに値するのだろう。

[881] Jan 26, 2012

ここ二日で立てつづけに二度、ブレーカーが落ちた。今回は夜中だったので、部屋の中は正真正銘の暗闇である。どうも壊れた暖房の代わりにつけている電気ストーブがよろしくないらしい。▼エアコン、ホットカーペット、ハロゲンヒーターなど、暖房器具の種類はさまざまだが、こと電気の消費量においては電気ストーブが群を抜いている。最近の省エネタイプであればエアコンの消費電力は毎時500W程度に留まるが、電気ストーブは大抵600〜1000W。たとえハロゲンヒーターを強でつけてもキロワットは出まい。電気ストーブは、とにかくコストパフォーマンスの悪い器具なのだ。▼それではどの暖房器具が効率に優れているか。調べてみると、納得の「こたつ」であった。消費電力もCO2の排出量も他の器具より遥かに少ない。電気で温め、布団で保温。流石は伝統と格式の知恵である。ただし、乾燥や低温やけどなど人にやさしいとは限らないので注意されたい。

[880] Jan 25, 2012

ソーシャルトレンドを追い、札束の内輪を夢見て一人の同僚が起業した。いつも食事を共にしていた仲良しだけに、来月からはもうあの面白おかしい談義も出来なくなるかと思うと寂しいが、遅かれ早かれ独立の意思は見せていたし、これで今生の別れというわけでもなし、素直に応援することにしている。同じ辞めるでも希望の退職なら送り出す方も気分が良い。▼能力は申し分ないし、資金も潤沢、やろうとしていることも時流の只中であるから、これ以上ない好条件の滑り出しだが、なによりのリスクは時流の早さである。いまや起業リスクはほとんどがそこに集約していると言っても言い過ぎではあるまい。こればかりはどうにもならないこと、せめて悪を成さぬことである。「君子は義よく備え、小人は徳儲ふる無し。善を積まば余慶有り、栄枯は立ちどころに須つべし。滔蕩たるはまことに大節なり、時俗は拘はる所多し。君子は大道に通ず、世儒と為るを願ふこと無かれ。」

[879] Jan 24, 2012

見覚えのない英文の広告が二通、郵便受けに紛れ込んでいた。ひとつは経営者のための短期集中講座の勧誘。イリノイ州で開催とある時点で日本も日本の我が家へ送りつけてくるのはどうかと思うが、授業料も数週間で云万ドルと法外である。さすがは「経営者のための」講座だ。▼もうひとつは最近創刊したビジネス雑誌の購読を八割引きで提供するというオファーである。姉妹雑誌を定期購読している特典らしいが、年間五十冊で正規価格五万円のところを一万円に、とこう書かれるとなかなか魅力的である。諭吉一枚で五十冊なら悪くない、とついつい捨てずに置いた。相手の思惑通りで悔しい気もする。▼この広告に限らないが、英語圏で割引のときに使われる常套句の「Your Price」は非常によい表現だと思う。今だけの特別価格などと言われても胡散臭いばかりだが、あなたの価格と言われると、どうやら他人より自分が得できそうだという邪な優越感が立ち上がるのである。

[878] Jan 23, 2012

「京菓子の歳時記第一番位」と胸を張る正月の名菓「花びら餅」を食う。白小豆の味噌餡に牛蒡、人参と、自然の彩り豊かな花やぐ餅である。材料は京風の雑煮を見立てているらしい。「梅や桜の花びらに見立て、初春を祝う餅菓子。たっぷりめの、大福茶でお祝い下さい。」残念ながらそう気の利いた茶もないので、いつもの焙じ茶で済ます。▼夕食は雛鮨で寿司を頂いた。新入りの三崎まぐろはどうも筋が硬くて口に合わないので、やはりいつものまぐろがいちばん、それに季節物の平目と味の良い寒ぶりを数貫。あとはなかなか貝類が食えるようにならないので、今日こそはと思いながら、ついに口へ運ぶのは躊躇われた。▼こうしてみると実に豪奢な一日を送ったようだが、雰囲気は申し訳なく台無しながら昼はコンビニのパンを流し込んでデスクで仮眠したばかりである。終日に慣らしてそれでもやや贅沢というところ。こうして時々は素敵な食事の機会を作りたいと思うのだ。

[877] Jan 22, 2012

祭りの準備は楽しい。もちろん祭りそのものも楽しいが、その準備を殊更楽しいと感じることの出来る能力は、まさしく動物の中でも人間特有のものだろう。中間計画を重ねることで高次の未来を想像し、中間部を具体化していくことで未来の絵図を書き換えていく作業が楽しいのである。あたかも現実を理想的な姿に塗り替えているような気分になり、その万能感に夢見心地なのだ。▼計画を立てるには中間記憶が必要である。中間記憶の数が多ければ多いほど、人は遠くの未来に壮大な計画を立てることが出来るようになる。だからこそ、中間記憶を脳の外側に「一時保存」出来る紙の発明は、人類の進化に大きく寄与したのだ。それがPCのメモ帳に変わっても本質は同じである。計画とは書いていくことだ。書くことが考えることである。長期的な計画を立てられる人は必ず、記憶を失くした未来の自分がそれを見つけてふたたび計画に取り掛かれるような中間記憶を残している。

[876] Jan 21, 2012

「たとえばある仕様を追加したことで顧客の数や課金率が増えたとしても、それが単なる時期的効果やトレンドに過ぎないのか、あるいはほんとうに仕様自体が優れていたのかはわからない。けれども、これだけ多くのソーシャルゲームが出回っているのだから、それらが実装している仕様と成功度を入出力にして、仕様の定量的評価を下せるようなシステムを人工知能でつくれないだろうか。」▼難しいだろう、という答えを返した。システムの構築が難しいからではなく、アプローチが間違っていると感じたからだ。ゲームに限らず芸術やビジネスの成否を決める戦略の差違は、王道と準王道を核にして、そこへ人々を誘導するための釣り針の精巧さが決めていると私は思っている。だから、もし上述の手段で「売れる戦略」を定式化しようとすれば、先端部分は削り取られ、出力画面に表示されるのは、そんなことわかってるよと言いたくなるような、常識的王道だけになるだろう。

[875] Jan 20, 2012

不安定な音とはなんだろうか。たとえば、ドミナント・セブンスはダイアトニック・コードの中でもっとも不安定な音だという。不安定な音なので、安定を求めてトニックへ解決する。どんなコード本にも必ず書かれているV→Iの基本である。▼しかし、安定していない音を不安定と呼ぶのであれば、不安定な音など他にいくらでもある。適当に十の指を鍵盤に置いてみれば、とても安定とは呼べない音が鳴るだろう。にも関わらず、恐らくその音はIのような安定を求めはしまい。では、V7がとくべつ安定を求める不安定である理由はなんだろうか。▼「不安定でありながら置いた人間の理性を感じさせるから」という、あまり音楽的ではない回答がひとつ考えられる。たしかに不安定だが、豊かな響きを有していて、適当に置かれたとは思えない。そのことが、聞いている人間に「なぜその音を置いたのか」についての説明を要求させるのだ。説明不可能なものに、指向性はない。

[874] Jan 19, 2012

春近しといい、春浅しといい、春淡しとも、春遠からじとも言う。春めき、春きざし、春間近とまで言い出すほど春を急ぐ言葉の多さに驚くのである。「言葉の風景」では、これらをまとめて「春待ち言葉」と呼んでいた。春待ち月にかけたものだろうか。響きのよい言葉だと思う。▼同じ頁で「光の春」がもともとロシア語であることに触れている。「ロシアではまだ気温が低い春先、日脚が延びて空が少し明るくなり、屋根の雪が水滴となって落ちる最初の一滴を「光の春」と呼んで、小さな喜びを感じるそうです。」極寒の地で春を期待する、もこもこした厚着の姿が浮かんでくる。▼夏が来なければいいのに、冬が来なければいいのにと思う暑がり寒がりの人はそれなりいても、春が来なければいいのにと願う人はそういない。明日の春といい我が世の春といい、とにかく何か良いことの起こりそうな予感を抱かせるのが春である。春から初夏へと通じる、あの生暖かい風である。

[873] Jan 18, 2012

随分前に、部屋の床板が抜けて椅子の近くに大穴が開いたことを書いた。実は、いまでも開いたままである。ときどき椅子の足が嵌り込んで非常に危ないし、長々この上で生活しているといつ貫通するかわからない。しかし修理する金も無ければ時間もないということで、今度の休日、部屋の模様替えをすることにした。穴の上にベッドを移動しようというのである。▼「床に穴が開いている」という当初の問題は解決していない。しかし、穴が開いているので「危険であり」「不便である」ことが気に食わないのだとしたら、ベッドを移動すればもはや不自由はない。床に穴が開いているということが、問題ではなくなったのだ。これは一種の先送りであり問題のすり替えだが、解決するには力の足りない厄介な問題を無力化する最良の手段である。「〜で困る」という現状に対し、なぜ困るのかを問い続けることで、妥当な問題に落とし込み解決を図るのはビジネスの常套手段である。

[872] Jan 17, 2012

偉大な発明の数々は尋常ならぬ集中力が生んだ賜物であり、一方重大な失敗の数々は集中力の欠如がもたらした悲劇である。集中力。この貴重な資源を得るためには、なにより睡眠が大切だ。寝不足の脳内では生成されないリソースなのだ。だから、ほんとうにデキる人間は徹夜などしない。残業だってしない。だらだらと会社に居残り仕事をするくらいなら、きっちり帰って毎日七時間の睡眠を取るのだ。▼要約すると、大体こういうことが書かれた「お知らせ」が衛生委員会の掲示板に貼られていた。長時間労働で疲れがたまっていませんか。ストレスが溜まっていませんか。その原因はずばり寝不足です。毎日七時間寝れば解消するのです――読みながら苦笑した。毎日七時間寝られる生活なら疲れもストレスも溜まらないのは当たり前だろう。この明々白々な堂々巡りが、定期のやっつけはでなく、過重労働者を気遣い真剣に書かれたものだとすれば、なんとも凄まじい話である。

[871] Jan 16, 2012

個人的な事情から少しマイクについて調べはじめた。小説にしようというわけでもないので本格的な資料集めをしているわけではないが、録音というものが開発されて以来、録音技法もまた工夫に工夫を重ねて進化してきたのだという当たり前のことを、つい今日まで完全に失念していたのが恥ずかしくなったのである。▼ここで調べたマイクの種類や構造や仕組みを開陳することはしない。ただひとつだけ驚いたのは、アラン・ブルームラインがベル研究所でステレオ・サウンドを研究していたとき、則ち1930年代にはすでにロンドンフィルの演奏がステレオで録音されていたという意外な発明時期の速さである。以来八十年、このもっとも古典的なステレオ録音の方式は、錆びつくことなく実用に供されてきたらしい。▼つくりはシンプルながら、音の左右をきれいに分離してくれる特性がクラシックの需要に応えたものだろう。この方式でなければ、というファンもいるようだ。

[870] Jan 15, 2012

「あたたかく暮れて月夜や小正月」と岡本圭岳の作にある。望から望へ一月を定める古代の暦では今日一月十五日は年始めにあたるので、朔旦年始の大正月に対して今でもこれを小正月と呼んでいる。▼山本健吉は小正月について、「大正月が上層の儀礼的性格を持っているのに対して、これは本質的に農民的性格を持っている。――小正月の行事はすたれて行く傾向にあるとは言え、旧暦を用いる農民の生活には農耕儀礼の予祝として深い根をおろしている。」と書いている。▼暦の違いもあるには違いないが、上層の祝辞が農民の労苦に拠るならば、我々は我々で後日……と、どこか仕切り直すような気持ちもあるのではないか。私も、私の周りも、大正月はほとんど会社で過ごしてしまったので、いまになって少しは正月らしいことがしたいと洩らしている。こういう事情にも小正月という望の習慣が根を張りつづける拠り所があるように思う。遅れ馳せながら乾杯、というわけだ。

[869] Jan 14, 2012

今日明日は毎年恒例、センター試験である。速報評判を聞く限りでは、難易度が低く平均点の高かった去年度に比べても、それほど難易度は上昇していないらしい。▼英語の問題をぱらぱら見ると、アクセントや文法問題は例年並みに思えるが、文章量はいつもより少し多そうである。ここ十年、大学受験の英文量は全体的に増加していく傾向にあるが、それを受けてのことだろうか、センター試験も次第に多読を要求するようになってきているようだ。普段から読みつける地力が求められる。▼国語の小説は井伏鱒二の掌編『たま虫を見る』。あまり有名でない作品、という評価ならまだしも、某所でマイナー作家呼ばわりされているのには驚いた。教科書にも名を連ねているとは思うが、世間の評価は辛いものだ。小林秀雄の同人にも参加していたというのに……と言い始めるとキリはないので止めにするが、国語は現代文、古文、漢文ともに例年並みのようである。ハザードはない。

[868] Jan 13, 2012

プログラマーの不平と苦労はつまるところ仕様変更に集約する――ということが明らかになって以来、いわゆるアジャイルソフトウェア開発手法は大いに喝采を浴びた。仕様変更は予定された出来事となり、綿密な事前計画は無用の長物になった。なによりエクストリーム・プログラミング(XP)は、週四十時間以内の労働を推奨しているではないか。SEはついに週百二十時間労働から解放されるのだ。▼しかしこれについて面白い記事を読んだ。どうもこの週四十時間という数字、短期間で集中してやる方が効率がよいから仕事は適度に切り上げよう、という話ではないらしい。現実は「週四十時間以上はとても出来ないほどつらい」のだという。▼ペアプログラミングで常に監視され、全員が全体に責任を持ちつつ他人のコードまで修正し、ことあるごとにテストを繰り返す心労と頭脳の疲弊は並大抵ではないようだ。ハイレベルな人材が揃わなければ破綻するケースの方が多い。

[867] Jan 12, 2012

白紙とペンを用意する。上から下まで、ばっさり縦に線を引く。そうして左側のスペースに、いま自分にとって良いこと、嬉しいことを箇条書きで書いていく。「安定した収入がある」「毎日しゃべる相手がいる」「目標に近づいている」「日々健康である」などなど何でもいい。そうして右側には反対に、悪いことや悩みごとを書いていく。「いつ解雇されるかわからない」「勉強する時間が取れない」「貯蓄がない」▼思いつく限り欄を埋めていくと、案外右側の項目が少ないことに気がつくという。自分の人生、悩みだらけで良い事なんか何もない――という強迫観念が抜けていき、ほんとうに悩ましい事柄にしかと向き合うことが出来るのだそうだ。実際、簡単にやってみると、左側を大まかに書いてせいぜい数が揃う程度のものである。深刻で解決のつかない悩みの項目もこちらを睨んでいるが、すぐ隣には救いがならんでいることに気づいて冷静になれる。よい方法だと思う。

[866] Jan 11, 2012

時間が出来て、かつ今手がけている作品がないので、ここがチャンスとばかりに各種音源の再調整を始めた。DAWに対してまったく最適化されないまま、その場しのぎの継ぎ足し差し引きだけでやりくりするのは限界である。楽器がピアノひとつであることに甘えてこれまで疎かにしていた空間も、弦楽器の登場で粗が目立つようになってきたので、そろそろ本格的にやらなければならない。▼読み散らかされた巨大な図書館の書物を並べ直すような作業で、時間はかなりかかったが、どちらも満足行くステップアップが図れたと思う。特に空間の方は副産物ながらピアノひとつに適用しても効果大で、これまでも何度か調整はしてきたが、今回、はじめて横だけでなく奥への拡がりが得られた。「スタッカートがシャープに聞こえるように」というのが私の当初からの悲願であったが、それもようやく実現出来たと思う。残る課題は次回として、いよいよ待ち侘びた創作の季節である。

[865] Jan 10, 2012

ほんとうに久しぶりで本など開いた。棚の中で寂しそうにしている函本たちが、そろそろ読んでくれないか、時間も少しは出来たのだし……と訴えるように輝く背表紙を向けているので、他にやることもあるのだが、とためらいつつも手にしてソファへ沈んだ。活字に対すること三十分ほど。▼読むのが遅くなったな、と感じた。解釈力が落ちているとは思わないが、細部をより咀嚼しながら進むようになったのと、縦書きに上手く眼がついていかないのとが原因と思う――こう書いてみて、なんとも年寄り臭くてかなわない、二十五の吐く台詞ではないなと苦い顔になる。▼若いうちは若いものを読め、早くから老年趣味のものばかり漁ると活き活きした精神が枯れてしまう、と小林秀雄は忠告していた。彼の忠告なら私はなんでも大切にしたいと思っているのだが、手元の村松梢風を見るとどうも若者趣味とは言えなそうである。これはよくない。若い書物も近々探しに行こうと思う。

[864] Jan 09, 2012

どういう経緯か知らないが、最近、外国人からのメールをよくもらう。ただの感想から譜面をくれというものまで内容は様々だ。そうしてこの中に、私は日本語がわからないのでと前置きをして、グーグル翻訳で訳した日本語だけを貼りつけてくるものが少なからずある。▼驚いたことに、こうした翻訳日本語から送信者の真意が読み取れないことが一度や二度ではないのである。向こうは親切のつもりでやったことかもしれないが、原文をくださいという返信を挟んで二度手間になり、結果は双方によろしくない。はじめから原文を併記してくる賢い人たちのやり方が正着手と思う。▼ここ数年で機械翻訳の精度はかなり向上したが、現実にはまだまだ読みにくいものだと実感した。どうしても機械翻訳を用いてメールを送りたいなら、相手がこちらの言語に通じているかどうかに関わらず、原文は併記するべきだろう。相手は相手で、うまい具合に正しく解釈してくれるかもしれない。

[863] Jan 08, 2012

ソフトウェア操縦のスキルの多寡を計ろうと思ったら、ほとんどはインターフェースの扱いにどれほど通じているかという尺度で片がつく。私たちは慣れないソフトウェアを使う時、やりたいことと、それを実現する方法がわかっていても、実際にそうする「手順」がわからないという躓き方をする場合が多い。▼だからソフト開発者は皆々GUIの充実に力を入れるのだが、GUIは金も時間もかかるので、需要の少ない領域ではどうしてもメニューバーやプルダウンなど、よりCUIに近い操作形態が支配的になる。使う方も長年それに使い慣れてくると、熟練者はもはやGUIなど不要と本心から思うようになる。愛顧者にそう言われて開発者は、それなら……とコストを削減する。▼こうしてある領域では長いあいだ、操作性の悪いソフトウェアしか開発されないということが起こる。寡占であるとないとに関わらず、蛸壺化しやすい芸術系では未だに散見されるのがもどかしい。

[862] Jan 07, 2012

予算の逼迫、事態の収束、諸々事情はあるにせよ、ついにプロジェクトも深夜残業を禁じて二十二時以降の残業は認めないことになった。認めないだけで居てくれる分には大いに結構ということもあるだろうが、それについてはとやかく言うまい。燃え盛る終盤を抜けて、そろそろ着地点が見えたので手仕舞いの準備をする、という一手を打つ余裕があるのは嬉しいことだ。▼夜はそれなり早く帰れる。休日の見通しも立った。半年ぶりに日常を取り返せるこの感じは、遠方の海に出た漁師が遠くの港灯りを望む気持ちに近いものがあるように思う。巨大な鮪を持ち帰るわけでもないし、体が鍛えられたわけでもないし、誰かが出迎えてくれるわけでもないが、我が街に帰れるというそれだけで極まる感情を昔から郷愁と呼ぶので、そうなら高々半年とはいえ今の私の気持ちも小さな郷愁と呼んでよかろう。負傷はしたが、無事に帰れて何より。毎日、必ず記事を書けたのも何よりである。

[861] Jan 06, 2012

今日はせんべいをしこたま補充していこうとせんべい屋を覗くと、生にんにくせんべいという、たいへん食指の動くものを見つけたので買ってみた。袋を開けるとにんにくの香りがする。醤油の堅焼きで、かなり旨い。割れ目にもにんにく味が染み込んでいて、にんにく好きなら堪らないと思う。もっとも、初見の旨いもの話は三割引くらいに聞いたほうがいいかもしれぬ。▼ぬれせん、ごませんはもちろん、三度漬け醤油せんべいという珍しいものから甘口の味噌せんべいまで、長い楽しみにいろいろ仕入れた。せんべいはできる限り硬いものが好きなので、揚げせんべいなどは好まない。ふわふわしたやつもあれば摘む程度。海苔はあってもなくても良い。▼しかし、美味しいからと言って食べ過ぎるとお腹が苦しくなる。今まさに苦しくなっているからこういうことを書くのである。カロリーも塩分も想像以上に高い菓子なので、冬の茶にあわせて食べたい人はどうか注意されたい。

[860] Jan 05, 2012

管楽器が自然描写なら、弦楽器は心理描写という気がする。気がするだけでなんの裏付けも出典もないが、通勤電車の中でランダム再生の音楽を聞きながらそんなことを考えていた。では金管はどうなんだ、打楽器はどうなんだと畳み掛けられたら答えられない程度の思いつきである。▼徳富蘆花のように自然描写に自然描写を重ねて美しい一篇を拵えることもできるには違いないが、大抵の場合、長く長く読んでいても飽きないのは心理描写を連ねた方だと思っている。人間、上等に語られる心理に対する興味は尽きないものだ。そうでなければドストエフスキーの長編は誰も通読に耐えない。▼あらゆる楽器の中で弦楽器の音がいちばん長時間の視聴に耐えやすいという知見も、もし本当なら、どこかそういう事情に通じるところがあるように思う。もっとも、情景を思わせる弦がないわけではないので、粗い雑感に過ぎぬ。音楽を知る人には常識なのかもしれないが、私は知らない。

[859] Jan 04, 2012

マスターアップの日が刻一刻と近づいてくる。それにつれて観測されるバグも深刻度が減り数が増してくる。致命的なバグでなければ心労も低いかというとそんなことはなく、必死の思いで猛禽類を仕留めたら今度は次から次へと蝿が湧いてくるようなもので、比較には耐えない。どちらにしても地獄である。街につくまで戦いは終わらない。▼あがる、潰すの繰り返しならまだしも、恐ろしいのは二次バグである。バグを修正することで生まれる新たなバグのことで、通常、元のバグよりも発見が難しい。全員が修正作業にかかりきりなため見つかるのが遅れがちで、見つけた頃にはロールバックを試みても既に別の修正が被さり元に戻すことさえ不可能なこともある。怪物の誕生である。こうなると途方に暮れるしかない。▼二次バグを産まない最も確実な方法は一次バグを修正しないことだ。許容できるバグには手をつけない。出来る限り直さずに品質を高める。そういう力が要る。

[858] Jan 03, 2012

この小説が面白いよ、と人に薦めたうちの何割が実際に読まれているだろう。この曲が素敵だよ、といって聞かれた数の半分にも満たないように思う。面白いからという言葉だけで人に読書という積極的な行為をさせるのは難しいし、言葉を足せば足すほど読書自体の楽しみが損なわれる。この二面性が書物の推薦を難しくしている。▼あらすじに魅力のあるミステリーや推理モノは特にその傾向が強い。レビューサイトやブログを見ても、「どんでん返し」「奇想天外のトリック」「衝撃のラスト」などなどありふれた形容が並ぶばかりで、半信半疑の域を出ない。書いている本人が思っているほど薦められていないのが現実である。▼薦めた本は読まれていないと考えた方がいいだろう。どうしても人に読んで欲しい本があるときは、必ずその本の実物を貸すことだ。そうして、貸したその場で最初の数頁を読ませるといい。表紙をめくるかどうかで先が読まれる確率は大きく変わる。

[857] Jan 02, 2012

どうも情報がリークしたらしい。会社全体に影響を与えるほど大きなものでもないし、顧客に不利益を与えるわけでもないので、誰が損するということもない些細な漏れだが確かに漏れている。明らかにプロジェクトの資料から抜粋したと思われる情報が晒されているのである。内容は軽微ながらやや物議を醸した。▼こういう件を見るたび不思議に思うことがある。匿名掲示板で、匿名の誰かが小さな情報をリークすることに何の意味があるのだろう。晒された方も半信半疑であまり相手にされていないし、晒した本人も匿名なら、情報を流したことで感謝されたり名が知れたりするわけでもない。目立ちたい一心から過激なことをするのとも違うし、会社に損害を与えたいわけでもない。無論、個人攻撃でもない。なんの意味のないその行為を眺めていると、なんだか「私はここにいるんだぞ」というメッセージのように思えてくる。歪んで原型を失くした自己主張なのかもしれない。

[856] Jan 01, 2012

元旦。三ヶ月ぶりに休日を手に入れて意気揚々と買い物へ出ると、去年の元旦には開いていた目当ての店が休業していた。とんだ無駄足だが、無駄足もまた自由な時間があればこそ。遠出のついでに買うべきものは買い込んで、夕方過ぎに帰宅した。▼元旦から金を使うのはよくないと昔から言われる。初日から金が出ていくようでは、その年は散財して過ごすことになるからだそうだ。その謂もわからないではないが、私は毎年正月にいちばん高い買い物をする。高い買い物をしたから、今年一年はその恩恵で楽しもう、これ以上高い買い物はすまいと決めるのである。▼そうして去年も正月のコート以上に高い品はひとつも購入していないから、この計画はまずまず成功していると言っていいだろう。節約しているつもりがついつい無駄遣いで年の暮れには何もない、ということにならないためにも、慢性的辛抱の効かない性格の人なら、得る物を得て先に絞って置くのは良策である。

[855] Dec 31, 2011

帰宅して間もなく書いている。もう年は明けているが、12/31と題された号で新年の挨拶はしたくないので白々しくも大晦日の夜ということにしておこう。年末年始のテレビ特番のようなものだ。▼人生のほとんどを捧げている仕事が依然デスマーチの真っ只中なので、まだ今年を振り返るキリという気もしないが、一言で言えば酷い年だった。私はもちろん、ほとんどの人にとってもそうだったのではないかと思う。2011年が素敵な年として記憶される人は、どちらかと言えばレアケースだろう。▼それでも前向きに生きるなら、来年が今年以上に酷いなんてことはあるまい、と信じて来年を迎えるのが良い。人生山あり谷ありと言うが、絶対的な高度に関わらず谷の次に来る起伏は必ず山と呼ばれるものなのだ。人生で最悪の時期に、普通は見過ごしてしまうような小さな出来事に感動した時、芸術家は貴重な傑作のヒントを得ることが多い。ようは山も谷も使いようである。

[854] Dec 30, 2011

「いいかげん社員をコスト扱いするのやめようよ。なんで面と向かって人間をモノ扱い出来るんだ。あれでMBAホルダーなんて、とても信じられん。」ある先輩のプログラマが今年のはじめ、賃金漸減という名のコストダウンを得意満面で話す前社長を評して毒づいた言葉である。▼経営者と労働者の距離が離れれば離れるほど、労働者は人間的扱いを受けなくなると言う。しかし、どうもこの事情は逆のような気がしてならない。大規模組織の経営者として人間を工数だと割り切るためには、末端で働く生身の人間の近くにはいられないのではないだろうか。▼階層的な距離を取る。物理的距離を取る。遠近法で人間は点になり数字になる。こうしてようやく安心する。見えないものには何をしても心は痛まないからだ。こういう自然の傾向が雇用側にあるからこそ、ビジネス教本は「労働者が人間である」という当然のことをあれほど繰り返し、しつこく説きつづけているのである。

[853] Dec 29, 2011

帰りの電車、深夜零時、ちょうど時計に零が並んだ頃。忘年会の帰りで呑み過ぎたのだろう、泥酔状態の青年がひとり、盛大に吐瀉して角に崩れ落ちた。大惨事である。▼あいにく私はそこで降りたから顛末は知らないが、大惨事とはいえ終電の世界では日常茶飯事でもあるのだろう、粛々と片付けられたに違いない。それが証拠に、「ただいま車内を清掃しております、いましばらくお待ちください」のアナウンスをこの数カ月で何十回聞いただろう。今日はたまたま居合わせだだけだ。▼崩れ落ちた張本人は爆睡していた。このあとは揺り起こされて目を覚まし、自身のかけた迷惑など知らず、覚束ない足取りで家に帰るのだろう。この年末深夜に酩酊して帰るくらいだから、明日は休みなのだろう。忘年会があり、騒げる場所があり、酔い潰れる機会があり、恐らくは帰る家のある彼は幸せである。こうなりたいとは思わない幸福な生活というのも、世の中にはたくさんあるものだ。

[852] Dec 28, 2011

どんなデータでも読み込んで処理してくれるのが優れたプログラムだという勘違いは甚だ根が深い。詳細のない、破綻だらけの夢みたいな仕様を「こんな感じ」といい加減に記述して、これを動くものにするのがプログラマの仕事じゃないか、と丸投げされることに心底呆れているプログラマは星の数ほどいるだろう。あまつさえ仕様の不備をバグと呼び出す人さえいるから救われない。▼しかし私は、こうしたSE界の悪癖も今後は解消に向かうと信じている人間である。理由はいろいろあるが、大きなものは二つ。ひとつは、言語が高級化してきたことで仕様と実装の間隙が狭くなっていること、もうひとつは、SEの増加によりSE経験者としての仕様作成者が、言語は自然言語しか知らぬという旧来の仕様書きを駆逐しはじめていることだ。プログラム主体のプロジェクトを、プログラムを知らない人間が指揮するケースは少なくなっている。「こんな感じ」仕様撲滅の日も近い。

[851] Dec 27, 2011

業務のことでウィキペディアを参照していると、たまたま飛んだ先の記述で、プロジェクト・グーテンベルクの楽譜版とも言えるようなサイトがあることを知った。国際楽譜図書館プロジェクト「ペトルッチ楽譜ライブラリー」通称IMSLP。バッハ全集の網羅プロジェクトに始まり、いまでは広くパブリックドメインの楽譜を非営利で公開している。楽譜の数は曲にして約五万、冊数にして十五万。膨大なライブラリだ。▼試しに楽譜の欲しかった曲を探してみると検索ひとつでいくらでも見つかる。趣味で音楽を聞いているだけだと、自分で弾いたりしない限りなかなか楽譜など買い求めようとは思わないものだが、こうしてPDF化されていれば、PCで流すときにも気が向いたら画面の片隅に置いて眺めつつ聞くことができる。使わない手はないだろう。楽譜の登録数は現在進行形で爆発的に増えつづけているという。著作権切れの楽譜が完全網羅される日も近いかもしれない。

[850] Dec 26, 2011

小説の書き方を知りたければ、本を百冊読んでから来いという。音楽の作り方を知りたければ、曲を千曲聞いてから話を聞こうという。その分野で活躍している人たちはたいてい積み重ねて来ているし、積み重ねてきたことが血肉になっていると実感しているから、後の人にもそれを伝えようとしてこういうことを言う。ところがこれは、体のいい門前払いでもある。暗にこう言っているのだ。「積み重ねていない人お断り。」▼だから、人に遅れて何かを始めようと思う人間は、こういう聖域に土足で踏み込むふてぶてしさを持たなければならない。勉強が足りないから来ないで欲しいな、という顔をされても、そうですね、ではここでたくさん学ばせて頂きますと、しれっと言える度胸が要る。そんな時期から始めて僕らに追いつけるはずないじゃないかと信じているのは彼らだけだ。彼らがそう信じたいだけである。本当に自分を信じる人間にとっては、どうせ追いつく勝負なのだ。

[849] Dec 25, 2011

いつからか、「ハハのキモチ」というシリーズのパンがファミリーマートにならびはじめた。いかにもハハらしいデフォルメの線画に、健康を気遣うコメントが寄せてある。「どうせなら、ちゃんと食べても、カロリー抑えめの十勝つぶあんぱん。母より」「緑黄色野菜も食べなきゃダメでしょ。かぼちゃとレーズンの蒸しケーキよ。母より」▼下宿の学生や寮暮らしの新社会人には訴えるもののある、いいコンセプトだと思って見ていた。しかし、ひとつどうしても看過できないものを見つけたのである。「こんなに大きいのに、カロリーは少なめらしいわよ。うずまきデニッシュ。母より」▼キャプションを見た瞬間に違和感が走り、すぐに理由を得た。なぜ伝聞系なのだろう。らしいわよ、というと、ひどく人事のように感じるし、真心込めて作ってあげたという感触さえ欠片もない。これではコンセプトが台無しではないだろうか。何を売りにしているのか、見失ってはならない。

[848] Dec 24, 2011

外食するとき高級な夕食といえばいくらまでか。飲み会の費用はどれくらいが妥当だと思うか。こういう質問は、ふだん身近にいる人たちに聞いても生活水準が似たりよったりなのであまり答えがブレない。学生的感覚の延長線上を生きる若い社会人なら、千円を超えたら高い、特別なときは二千円くらいでもいい、焼肉なら三千円、飲み会は四千円を超えて欲しくはない……とこのあたりで推移するのが標準的だろう。なので、店の方もそういう価格にしている。▼ところがやはり世界は広いもので、社会人なりたてでも夕食の外食は一万円でもいいとか、飲み会は五千円では安すぎるとか、そういう感覚を持ちあわせて日本を生きている人もいる。そうして、そんな彼らが千円を一日の食費とする人々と同じ吉野家で食事をしていたりする。日常の生活はそこまで大きく違わないのに、ただ貯蓄額が異なる。こういう「見えにくい金銭格差」が、世界に比べて日本には多いのだそうだ。

[847] Dec 23, 2011

クリスマス・イヴ、午前五時。木曜朝から働き始めて、気がついてみれば労働も四十四時間目になる。いったい何十時まで働けば終わるのだろう。クリスマスくらい家に帰れるだろうか。こんな調子で一月末まで持つのだろうか。よもやここまで来てまた脱落者が出るようなことはあるまいと思うが、いよいよ大詰めというにはあまりにも手探りな大詰めである。皆、目の隈がひどい。▼「みんなが遊んでいるときに勉強するんだ、なんて肚でいるから、みんなが楽しんでいるときに働いて、みんながしあわせなときに働いて、みんなが安らかなときに働く羽目になる。」誰の言葉かは覚えていない。ただ、この言葉は不労所得者に対する羨望以上のものを含んでいる。たとえば、楽しんだり、幸せだったり、安らかだったりすることが、労働の対価としてしか得られない場合があり、そうでないときもあるということ――休憩を終えて仕事に戻る。街は明日、ひときわ明るくなるだろう。

[846] Dec 22, 2011

夕食、あるさして高くもない中華料理屋に行く。四人がめいめい主菜を決めて、あとは好き放題に小皿大皿を頼んだ。麺類がふたつ、炒飯がひとつ。三人が先に箸を取る。そのうち小皿が運ばれてくる。店員が済んだ皿を下げに来て、大皿を置いていく。しかしどうも変だ。一人、主菜のない人がいる。炒飯が来ない。▼「もしかしてオーダー通ってませんか?」案の定、炒飯が一皿洩れていた。お待ちください、と奥へ戻るや否や厨房から平謝りの声が聞こえてくる。そうして、しばらくしてから運ばれてきた炒飯が、ひとつ物議を醸したのである。▼それはいかにも急いで作りましたと言わんばかりの盛りつけで、お椀も正規の四角いものでなく丸皿に盛られていた。遅れたし急拵えだしで、注文主の小さな不満は遣る方無い。オーダーの取り違えという些細なミスを、明らかな負の印象に変えてしまう典型的な悪手である。ミスしたときこそ、リカバーは慎重にしなければならない。

[845] Dec 21, 2011

エアコンが壊れたらしい。室外機がものすごい唸りをあげている。いろんなものが奪われて来て、とうとう暖房までつけられなくなるかと思うとどうにも悲しい。帰宅して寝るまでの一時間しか稼働しなくても、寝るその時が温かいというのはありがたかった。▼修理に出す暇が出来る頃にはもう気候も暖かくなるだろうから、春に直して夏にまた機会があれば冷房として再起動、ということになる。身の毛のよだつような税金だらけの明細にもさすがに残業の数字は強く、諸々年末の出費を差し引いてもエアコンの修理代くらいは残るだろう。▼今年一年、国も個人もいろいろなものを失った。その影で大きく得た人間もいるにはいるだろう。けれども誰かの悲運は誰かの幸運とは限らないので、今年の総収支もやはりゼロサムではあるまいと思う。そう考えれば世界中が激しく負に偏る最中、エアコンが逝くくらいなんということはないだろう。これで済んでくれ、という思いである。

[844] Dec 20, 2011

ふくよかな方が良いという多くの男の声にも関わらず、女の子はなぜ躍起になってダイエットをするのか。これについて、なるほどと思う話を聞いた。みんながみんなそうとは思わないが、あてはまる例も多そうである。▼曰く、ダイエットに勤しむ彼女たちに「ふくよかな方が可愛いのに」などという言葉は「余計なお世話」なのだそうだ。男の好みに合わせているのではない。可愛い洋服を可愛く着たいのだ。店頭のマネキンよろしく、スリムな自分でおしゃれを楽しみたいのだ。それでモテるかどうかは別の話――こう言うのである。▼なるほどな、と素直に感心した。たしかによく通る地下街の店頭を見ても、細さへの希求を煽るような、タイトに着せられた非現実的な姿のマネキンが目につく。ふわふわした洋服も腰元はしっかり締まっているし、細くなければ似合いそうにない。これを毎日見ていたら、それはより細くと願いもするだろうな、と思うようなものばかりである。

[843] Dec 19, 2011

ニートになって気づいたことは何か、という問いに対する答えに「何も忙しくないのに時間がないと感じる」というものがよく聞かれるという。これを聞いたとき、どういう心理だろう、と首を傾げた。だらだら過ごしていたら一日が速く過ぎていくのではないかという月並みな想像とは、どうも違う表現である。▼忙しいときも経験したことのある人に言わせると「信じられないかもしれないが、ほんとうに忙しかったときと同じように、何をするにも時間が足りないと感じる」のだそうだ。そんな馬鹿な、一日中やることがなければなんだって出来るじゃないか、例えば今すぐにでも……こう考えるのは外で見ている人だけである。彼の世界で刻んでいる時計は、外の世界とは違う時計なのだ。▼絶対時間というものは案外信頼できないリソースの単位である。ついつい騙されがちなことだが、何時間かけたか、何日かかったか、何年費やしたかは、何事の本質にもそれほど迫らない。

[842] Dec 18, 2011

世の中運が全てだ、成功するかどうかは運が決めるのだ。そういうことを言う人に努力の重要性を説くのは難しい。が、実はこの「成否を決めるのは運」という考え方、それほど悪いものではない。運を否定することが成功の秘訣だと考えている人の方がかえって危ないのである。▼他人の成功を「運がよかっただけだ」と思えない人には二つのリスクがある。たまたま今回は失敗した自分と、たまたま成功した他人を比べて自分の才能の無さや努力の足りなさを責めてしまいがちなこと。実は方法は悪手であったが、運良く成功しただけの人のやり方を真似てしまうこと。▼その成功は本当に運かもしれないのだ。そう信じたとき、大切なのは、その人にとって「何がグッドラックだったのか」を見分ける力である。運の良し悪しは単なる結果ではない。彼は何かが幸運だったのだ。それを見分ける力がなければ、自分に同じ幸運が訪れたときも素通りするか、逃がすことになるだろう。

[841] Dec 17, 2011

その昔、大切なものを守るためには二つの方法しかなかった。肌身離さず持ち歩いているか、頑丈な金庫にしまい込んで置くか。前者は自分が強くなければならぬ、後者は金庫が鉄壁でなければならぬ。どちらにしても絶対安全には程遠く、しばしば人は大切なものを否応なく失ってきた。▼ところがデータ時代になり、人の手に渡ることと失うことが同義でなくなると、まったく新しい方法が現れた。則ち「他人に持っていてもらう」ことである。いまや大切なデータの保管方法として、これより確実なものはない。ある動画データを失いたくないなら、高級な外付けHDDに入れ込んで耐震金庫に安置するより、YouTubeにアップロードした方が遥かに安全だ。他人の目に晒したくないような大切さなら自ら管理するしかないが、単純に失いたくないだけのものなら世界に移譲するのが賢明だろう。またしてもPCが逝きかけたので、データの保存について思いを巡らせていた。

[840] Dec 16, 2011

午前六時四十分。ようやく仕事を終えて、まだ会社にいる。今日は九時から出社だがデスクにいるので出社という気もしない。人は疎ら、室温は良好。空気はやや不良。手を伸ばせば棚には差し入れの栄養ドリンクが置いてある。いよいよ年末に向けて徹夜も辞さないシフトである。▼過剰労働が生産効率を下げるという統計は山ほどあれど、それを知りつつ遂行される過剰労働も山ほどあるのは、生産効率が意味を成さぬようなスケジュールが組まれているからであり、一方、追い込まれなければ効率を上げようとしない人間本来の自堕落さが、組織という集団で増幅されることの証左でもある。全体の効率を最適化してスケジュールを組めるのは、そのスケジュールを遂行しない人だけだ。▼だから予定は他人に組んでもらい、他人に管理してもらうのがよい、とする方法論もある。主体性には欠けるが、実戦では上手く動くことの多い、コストパフォーマンスに優れたやり方である。

[839] Dec 15, 2011

冬山の写真を見ていた。霜枯れの木立、冬ざれの大地、吹雪く枯野の向こう側。そのまた向こうは雪も凍てつく氷の世界で、氷柱や樹氷の鋭角がきらきらしている。冴え冴えとした夜空に白一色の氷を敷いた、きりきりと張り詰めたこの空気に、誰が「りん」の音を当てたのだろう。素晴らしい音だと思う。死に絶えた虫の代わりに冷たい空気が鳴いているようだ。▼都会に豪雪が降られては生活の都合で困ることもあるが、除雪の必要もない山の冬ごもりを見るのは写真でも楽しい。今のところ写真でしか見る機会がないだけで、金と時間があれば何を差し置いてもやはり氷の世界を見に行きたいと思うのである。そのいつかのために氷や氷に関する言葉をたくさん仕入れて、憧れの世界をぴたりと来るいい言葉で表現してやろうと思うのだが、いざその世界に立ったら、寒いだの、冷たいだの、月並みな言葉しか出てこない気もする。ことは単純なものだ。雪暮れの函館は美しかった。

[838] Dec 14, 2011

「行くぞ!」「頑張れ!」日本語で自他を奮い立たせるとき、大抵このあたりの言葉が選ばれる。行こうでも進めでも、バリエーションはたくさんあるだろう。ところで英語なら何がふさわしいか。たとえばそれは「GO!」ではないだろうか。▼日本語なら三音節以上を必要とするところを、GOの力強い一音で前向きの推進力が得られるところに、向こうの国の大胆さや、無謀さや、力強さを感じるのである。連呼できるところも窮地は力で切り抜けようというスタイルに近い。日本語なら「せっ!せっ!」というような掛け声や囃子言葉が、とうとう標準語の檄となるには至らなかったところに、独特の精神が関与している気がする。▼このごろは自分への励ましに長い理屈や言葉をかけなくなった。ただ「GO!」と一声心のなかで、そうして奮い立つことが増えた。そのことにふと気がついてこんなことを考えながら、終電の遅延アナウンスが響く横浜駅の壁沿いを歩いていた。

[837] Dec 13, 2011

夕飯の時間を使って最寄りの電気屋に行き、加湿器を買った。仕事場の湿度が30を下回り喉がやりきれないのである。去年もひとつ、ペットボトル式のものを買ったが、あまり使い勝手がよくないので部屋が変わるついでに置き土産してしまった。▼今回は小さめの炊飯器くらいの大きさで、1リットルタンクのスチーム式である。超音波は水の中の諸々も一緒くたに吐き出してしまうので、掃除をしないとかえって細菌が舞いやすいという話を聞いたし、部屋でないから不意に触れて危ないということもなかろう、それならスチーム式がいちばん用途に適うということになった。▼夕飯から戻り、デスクに置いてスイッチを入れる。ポコポコ沸騰音が鳴る。温かい煙が出てきて、漂う間もなく強力な空調に巻かれてどこかへ消えて行く。この出力では部屋全体の湿度は0.1も上がるまい。それでもつけていれば私の周りくらいはちょっとだけ湿っぽくなるだろう、そんな期待である。

[836] Dec 12, 2011

帰路、寒空を歩きながら梅おにぎりを食べる。このところ、文字通り毎日欠かさずそうしている。帰宅したらすぐに服を脱ぎ、筋トレとストレッチをする。ストレッチは風呂上がりの方が本当はいいのだが、風呂から出ると動く気になれないのでそうしている。風呂から出たら歯を磨く。そうしてこれを書く。ここまでが「日課」になっている。▼なんのことはない、こういう七面倒な習慣は私の場合、自衛から生まれている。運動に縁なく生きてきた私が筋トレなんぞしているのは、そうしなければ体力的に死んでしまうという本能的な反射であり、フィジカルなマチズモに目覚めたわけではない。ストレッチもデスクワークで腰を痛めないように。それだけだ。▼私はこれを「働けば働くほど元気になるおまじない」と呼んでいる。ただの自己暗示ではない、どうせ変化のない毎日なら身体にいいことを織り込んでやろう、気がついたら健康になっていてやろう、そういう下心である。

[835] Dec 11, 2011

どんな研究をしたか。どんな結果が出たか。その結果からどんなことがわかったか。ここまではみんな書くし言う。きちっと決まっていれば文句なく及第点に達する模範的エントリーシートだが、哀しいかな魅力がない。必須ではないが大切な要素が欠けている。「それはどんな挑戦だったのか?」▼この問いにハキとした答えがなければ、セレンディピティを誇る学術論文でもない限り、それは「やらなくてもよかった研究」や「やらされた研究」である。卒業のための、修了のための、論文のための研究である。そもそも、何にも挑んでいないような研究はエッセイと呼ばれるべきだろう。▼一年、二年を費やして素晴らしい随筆を仕上げました、ということがアピールになると信じる人でない限り、自分が何に挑んだのか明示するのを忘れてはいけない。過程と結果はどちらも挑戦の武勇伝として聞かれる素朴な事実に過ぎないのである。今を闘う就活生達の一助になればさいわい。

[834] Dec 10, 2011

二十三時。会社の屋上へ出て、三人で皆既月蝕を見た。非常階段をあがり寒い風の吹きぬける屋上で見上げたときには、もう右下に鋭い光の縁を残して月全体が鈍い影色に染まろうという頃で、もう少しでなくなる、もう少しで、と五分ばかり言いつづけていた。マイクロソフトのプログレスバーみたいだ、と誰かが言った。「仕方ない、プログレス側はクロージングにかかる時間にまで責任は持てないんだから……。」「そのうち少し戻ったりしてね。」▼心配をよそに、まもなく月は光らなくなった。紫の夜空に浮かぶ巨大な物体は、今まで見たことのない色をしていた。私はそれを、落ちかけの線香花火みたいだと言った。隣は、醤油をかけた卵みたいだと言った。もうひとりは何も言わずに石畳みの上へ大の字に寝た。数十秒、みんな黙って頭上を見ていた。こうしてみるとほんとうにただの石ころだ、石ころが遥か頭上に浮いているんだ、ひとりそんなことを考えつづけていた。

[833] Dec 09, 2011

ふだん仕事をしていると、手はひとつのことしかしていない。文書を作成しているか、メモを取っているか、データを打ち込んでいるか、プログラムを書いているか。しかしだんだん忙しくなるとスピードが早くなり、あるとき限界速度に達すると、急に手がふたつあることに気がつく。よくよく考えてみると、左手ひとつでも出来る作業、右手ひとつでも出来る作業、というものがいくつかあることがわかる。▼今、私は仕事中、だいぶ左手と右手で違うことをしている。そうでもしないと間に合わないからそうするので、いつもこんなことはしない。ただ、締め切りに間に合わないという外部的要因に尻を蹴られ、意思とは無関係に手が分業を始めて私の知らない効率化を進めていくというのは、なんとも見ていて面白い。左手の親指と小指が別のデバイスを操作しだす始末だ。それでちゃんと動いているのだから、ふだん両手でしっかり握っているのはなんなのだろう、とさえ思う。

[832] Dec 08, 2011

継続は力なり。これはもう言うまでもない常套句だが、時間軸を生きる主体からすると継続とは反復なので、反復は力なりと言い換えた方がわかりやすい。反復なくして物事の上達はない。しかしここでひとつの疑問が生じてくる。では具体的な明日からのプランは修練か、それとも実践か――どこの世界にも必ず「基礎をこつこつ修行派」と「御託はいいから実践派」がいる。▼反復の見地からすると、繰り返すという意味では前者の方が純粋な反復に近い。ところが人間という生き物は不自由なもので、単調な反復を嫌うように出来ている。よほどの思い入れ、意味づけ、実感がなければ純粋反復など耐えられないのである。そこに意味や面白さ、やりがいなどの糖衣をコーティングしたのが後者と考えていいだろう。実践は反復を隠蔽するのだ。弱点は純粋反復よりも試行に時間がかかることである。こう考えれば、「基礎練習に飽きたら実践」という王道が望ましい理由がわかる。

[831] Dec 07, 2011

その昔、グラクソとウエルカムは合併してグラクソ・ウエルカムとなった。一方、米国スミスクライン・ベックマンは、英国ビーチャムグループと合併してスミスクライン・ビーチャム社となり、これとグラクソ・ウエルカムが合併して今のグラクソ・スミスクラインが誕生した。▼これでもだいぶ簡略化している。合併に合併を繰り返して巨大企業が誕生する、その優秀なる見本である。産業興る時、切磋琢磨して成功を収めた企業が、今度は安定した研究への長期投資を図るために合併する、この競争と協調の経路は何も珍しい道ではない。昨今のソーシャルゲームの台頭と、それに伴う既存ゲーム業界の再編もまた同じ道を行くようである。▼好くと好かないとに関わらず仕方のない流れだし、よいこともあるので一概には言えないが、こうして黎明期が終焉したことを知ると何か冷える思いがする。日本のエレクトロニクスも、遅かれ早かれ同じ道を行くことになるだろうと思う。

[830] Dec 06, 2011

『クナイプ』というバスエッセンスを愛用している。商品名は自然療法で有名なセバスチャン・クナイプにちなんだもの。「自然は、私たちが健康を維持するために必要なあらゆるものを豊富に与えてくれます。」彼の言葉が象徴するように、クナイプは岩塩とハーブのエッセンシャルオイルで出来ている。昔ながらの天然派である。▼推薦はするが回し者ではないので紹介はこれくらいにしよう。ところで、ふだん私は肌に良いオレンジ・リンデンバウムや気管支に効くユーカリを使っているのだが、今回補充を弟に頼んだらミントを買ってきた。これがよくなかった。▼「ミント:主成分はメントールで爽快感・清涼感のもととなります。」これが凄まじい効き目で、四十二度のお湯に沈んでも寒くて仕方がないのである。湯からあがると体中が冷え冷えする。とても冬に使うものではない。春先まで封印して、別の香りを仕入れよう。ただやはり効き目のあることだけは痛感できた。

[829] Dec 05, 2011

本日、ようやくプロジェクトの最終日程が定まった。詳細を公表するには及ばないが、大晦日も元旦も休日にならないことは良くも悪くも予想の通りであるようだ。今月で限界まで創りこんだら、年越しは詰めて詰めてデバッグしての地獄絵図が目に見える。完全解放は二月になるだろう。▼完全解放といっても蓄積しすぎて崩れそうな代休の山を手放しで消化させてもらえるわけではないらしい。現状では、他のラインでも人手が足りないからということで若手はヘルプに回される可能性が高いという。もちろん、代休を消化しきれないという理由で怒られ、査定に響くオマケつきだ。憤る気も起きない。▼CIVでもそうだが、奴隷制の利点は人を磨り潰して、短期間で物と利益を得られることにある。先行き不安で四半期の利益がなにより大切な現代中小企業の統治スタイルとしては最高のものだ。溜まる不満は潰して補給の連鎖でも、残業代というグローブ座でも、いろいろある。

[828] Dec 04, 2011

詳細まで詰められた設計に1/3、コーディングに1/6、小単位のテストに1/4、統合システムテストに1/4。フレデリック・ブルックスは「人月の神話」で自らの体験に基づきシステム実装の理想的なスケジューリングをこのように定義した。この配分は砕いて言えば、設計を含む実装――則ち「動くものが出来るまで」にかける時間と「動くものを確かめる」のにかける時間を1:1にせよ、ということでもある。▼守られているプロジェクトを見たことがある人はかなり良い職場で働いていると自信を持ってよい。九割以上のプロジェクトはテストに1/3の時間すら割いていないのが現実だ。そんなことでは余計に時間がかかるか、破滅するかの二択になることは、数多ある失敗例からもはや自明であるはずなのに、現在の、未来のプロジェクトがこぞって自害しようとしているのを見るのはなんとも不思議である。プロジェクトは生来的に、破滅が好きなのかもしれない。

[827] Dec 03, 2011

あんまり忙しくしていると否応なく友人たちとは疎遠になる。それは仕方がない。しかしそういうつらいときこそコンタクトをとってくれたり、心配してくれたり、愚痴を聞いてくれたり、仕事の話に付き合ってくれたりしてくれる人だけが本当の友達だ、こちらの忙しさが他人ごとで気にかけてくれないような人は親友ではないのだ――という気持ちに逸るのはよろしくない。▼相手も人間なら、性格がある。忙しい忙しくないに関わらず他人にあまり関心の持てない、そんな良き友もいれば、心のなかでは心配しつつどうしてあげることもできないし、上手く言葉に出来ないから余所余所しく見えてしまう、そんな不器用な良き友もいる。そういう人たちを忙しさに乗じて友達から外そうなど実に不心得である。何かを試金石に友を計ろうなどという考えは悪い結果しか産まない。友達はただ互いに友達だと思っているうちがそうなのであり、それ以上でもそれ以下でもないのである。

[826] Dec 02, 2011

年に一度の昇進試験に合格すれば年収が倍になり、失格すれば会社を去る。終身雇用しか知らない人には「そんな馬鹿な」と思える仕組みだが、ここまで極端ではなくても、昇進できないなら辞めるしかない「アップオアアウト」の文化は外資系コンサルティングファームなら珍しくない。▼非情なようだが、自らの適性を見極め、合わないと感じたら別の道を探す選択肢が若いうちに与えられるのはかえって良いようでもある。就職してみたものの自分には向いてないかもしれない、そう感じながらも僅かな昇給を餌に名ばかり管理職への道をじわじわ歩まされる、そんな飼い殺しよりは優しいのかもしれない。▼大企業の伝統は変わらないが、日本でも中小企業のスタイルは前者に傾きつつある。ここ最近の転職市場の賑わいは、よりよい待遇や給料のためというよりも、より適性のある仕事、より楽しめる仕事を求めているイメージが強い。「マッチオアアウト」とでも言うべきか。

[825] Dec 01, 2011

凍えるように寒い師走の始まり。昨日は最高気温が十七度もあったのに、今日はたったの五度しかなかったという。気温差十二度とは凄まじい。暑い暑いでコートを脱いだ翌日にはセーターを着込んで雨に震える今日である。手がかじかんで鍵もまともに持てない。部屋の中まで冷たくて仕方がない。息が白い。▼このあたりでは例年だいたい五度前後、寒くても氷点下にはならない程度で冬の気温が推移している。そう考えると、とくべつ寒冬になるとも聞いていないから、今日の寒さはしばらく「この冬いちばんの寒さ」になるかもしれない。▼寒い寒いと不平を言いつつ、私は暖冬よりも歓迎している。身が引き締まるし、服を着込んで暖かくする楽しみがあるし、PCのせいで暑くなりがちな会社を冷ましてくれるのもありがたい。ときどき廊下の窓を開けて、冷たい風を招き入れると気分がよくなる。焦る頭を冷やしてくれる。気分転換に屋上で運動などしても、汗をかかない。

[824] Nov 30, 2011

救いようのない酷さだが滅びては皆が困る、そんな瀕死の自分自身は強力な外交カードになることを国は昔からよく知っていた。ブリンクマンシップ――瀬戸際外交と呼ばれる背水の脅しである。▼自分の腹へ巻きつけた爆弾に匕首をつきつけて、いいのか、死ぬぞ、死んでやるぞと皆が口を揃えて叫んでいる。死なれたくなければ金を貸せ、というのである。その手は今にも腹を突きそうだ。そこで死なれては我々も諸共、これでは致し方ないと苦渋の救助がつづく。救助しつつ、巻き込まれないよう後退りをしている。▼主要な援助主が安全地帯まで退くのが先か、自爆予備軍が匕首を降ろすのが先か。経済界は毎日こんな緊張のうちに身を浸しているわけで、波及に波及を重ねて不利益を被るような人々が肝を冷やしているのだから、直接関わる当事者たちは生きた心地がしていまい。汚染を食い止める特命を受けて前線で戦う金融戦士に、今こそ踏ん張ってもらいたいものである。

[823] Nov 29, 2011

椎葉氏の印象深い台詞にこういうものがある。「ソーシャルで、ユーザーは何にお金を払っているか。友達付き合いにお金を払っているんだよ。例えば彼女に飽きることはあっても友達に飽きることはないし、喧嘩して別れた友達はいても飽きて別れた友達というのはいないだろう。」友達をつくり、維持していくことはソーシャルユーザーの「目的」である。決して飽きない友達付き合いという目的、その目的のためにゲームをしているのであり、ゲームにフレンド機能があればより楽しいのではない。▼ただ自分のために、自分の友達関係維持のためにユーザーが駆けずりまわる、その行為がそのままプラットフォームの利益になる、そういう仕組みを考えなければ儲からない。だから、どのような過程を辿らせてユーザー同士をより仲良くさせればいいか、その関係を強固なものにする手段は何か、ということが頭になければ、儲かるソーシャルゲームはつくれないと言うのである。

[822] Nov 28, 2011

いつ頼んだわけでもないのに、グーグルメールの迷惑メールフォルダには、気がつくと何かを「特別に教えてあげましょう」と謳うメールが積もっている。時々気まぐれで開いてみると、本当にいいことが書いてある。共感できる人がほとんどだろう。まるで中身も具体性もないので、否定できる要素が見当たらない。▼つらつらと書き並べた後には、脱サラして三年で年商二億円、その方法とは――と、出来の悪いあらすじのようにダッシュを引いて、URLが貼られている。メールのあらゆるところには、隙あらば返金保証の文字が散りばめられている。「内容に自信がある。だから返金する。騙されたと思って申し込んでみて欲しい。」▼騙される人がいるので成り立つ商売だろう。しかし、送信者か会社名で検索をかければ、今の御時世、すぐに素性はわかる。完全な詐欺であり、返金された試しはない、とウィキペディアにすら書かれている始末である。もはやゴリ押しである。

[821] Nov 27, 2011

「やってみるのさ。やってみれば、何が巧くて、何が拙いかわかる。わかったところでもういちどやってみる。ここでもし自分が前にやったようなことを繰り返していることに気がついたら、そのときは諦めればいい。」▼ある有名な建築家の言葉である。一見、よくある実践主義の試行錯誤・猪突猛進型に見えるが、よくよく読んでみると、そうではない知見が見え隠れしている。ただ手をつければいいと言うのではない。彼はさりげなく重要なプロセスを二つ、明記している。現状把握と、撤退条件である。▼やってみるのさ、と言う。何故やってみるのか。有効な手立てと、そうでない手立てを判別するためにやってみるのだ。そうして戦略が立ったら、今度は岩をも通す一念で「やってみる」。さて、それではいつまでやるのか。隘路に陥るまでだ。どうやって隘路を見抜くのか。行為にデジャブを感じたときだ――こういう、実に着実な猛進なのである。頑健な行動哲学である。

[820] Nov 26, 2011

ウィキペディア創設者――ジミー・ウェールズからのお願いがつづいている。ほんとうに運営費用が足りず存続の危機であるなら、ウェブ時代を代表する集合知の見本も共有地の悲劇に見舞われたことになるだろう。失くしてしまうという話にはなるまいと思うが、今より使用者に優しい形で落ち着くことはなさそうだ。ローカルコモンズに解消する道もない。広告か、管理か。▼昔、子供の頃、百科事典を読むのが大好きだったという生徒がいて、まだ中学一年生にも関わらず大人顔負けの知識を披露していた。その興味が大人になるまで続いていけば、きっと博覧強記の見本になりそうな、そんな子供だった。▼下心なく知識を吸収する楽しみを身につけていると、学習に抵抗がなくなり視野も興味も広がってくる。ウィキペディアのような、身近で、膨大で、誰にでも使える百科事典が存在することは、負の側面を差し引いても子供たちの幸せに違いない。一口、募金をしておいた。

[819] Nov 25, 2011

先月、ある先輩が給与明細を見るや激昂して財務部に内線を入れた。怒りの内容曰く、私の厚生年金算出に使われている標準報酬月額の計算が間違っていて、いくらいくら高い金額を取られていると思われる、どう考えてもおかしいので至急調べて欲しい、恐らく四月に誤支給された某の分が計上されているはずだ。こう言うのである。▼何かが変だ、と気づいてから計算機を取り出し、自分の正しい標準報酬月額を計算して内線を入れるという一連の行動は驚くべき速さだった。そもそも、給与明細を一目見ただけで異変に気づける普通の社員もそういないのではないか。▼果たして計算は間違っていた。しかもなんと全社的に間違っていたようで、多くの人に厚生年金の過払い分を返金する旨のメールが届いた。かくして今日、私のところにも五千円が返金されたのだが、彼が気がつかなければこれらの払いは闇に葬り去られたかもしれない。税金の計算くらい通暁しておこうと思う。

[818] Nov 24, 2011

たとえばこういう計画を立てたとしよう。残業して貯金して、とにかくなんとか二百万円を貯める。その二百万を元手にギャンブルをして千五百万にする。千五百万を留学費に充てて海外で経営学修士を取ろう。さて、人はなんというか。ほとんどの人が苦笑するだろう。「なんていい加減な、荒唐無稽な計画だ。」「どうしてそう思う?」「肝心のところが運頼みじゃないか。」▼こうした人々がふだんは口々に、人生肝心なのは運なのだと威張っているから面白い。アンビバレントな主張はたいてい反射から来るものだ。この計画を無批判に笑う人は、あまり長期的な計画を立てたことのない人である。実現が困難な事柄に対する長期の計画で重要なのは、目標が明確であること、目標に近づく手順になっていること、次の一歩に手が届くこと、実はそれだけなのだ。二百万貯めたとき、改めて計画を立て直すという選択の出来る人にとって、冒頭の計画は荒唐無稽でもなんでもない。

[817] Nov 23, 2011

CDの裏側を眺める訓練をしていると、見ただけで大体どのくらいの容量が使われているのかわかるようになる。凄いことだ。それなら、さらにその力を磨いたら、どんなデータが入っているかわかるようになるかもしれない――こんな話を読んだ。敢えて馬鹿らしいことを書いているのだが、論点は非常に面白い。技術を磨くということが何を意味するのか、改めて考えさせてくれる小話である。▼ラッダイト運動のことを思い出した。「私は工場の誰より袋詰めが速かったのに、機械のせいで仕事がみんな奪われてしまった!」しかし、彼は本当に袋詰めが生きがいだったのだろうか。ある意味では、袋詰めを機械がやってくれるようになったおかげで、本当にやりたいことが出来るようになったのではないのだろうか。人間、既に出来ることや、出来てすごいと言われることばかり磨きがちなものである。何を、何のために磨くのか。磨く意味は。問いつづけなければ、いつか陥る。

[816] Nov 22, 2011

「地位とか名誉とか、そういうこともあるけどね、なんたって目上の人に先生と呼ばれる人たちは傲慢になるよ。どんどん浮世離れして、威張るようになる。若いころは気性のいい人でもさ。」もう何年も前に聞いた老人の言葉が忘れられない。聞いた時、真実だと思った。何度か反芻した今でもそう思う。▼どこの世界にでもいる「ほんとうにえらい人たち」はさておき、ふつうの人間にとって傅かれることの魔力は強烈である。目の前に頭を垂れる人よりも自分が偉いと思い込むのは、これはもう性格や嗜好という人間的、新皮質的な枠組みより遥かに原始的な反射のひとつだろう。▼それでも多くの人は、大抵目上の人に従い、後輩には従われるという形で、同じくらい頭を垂れたり垂れられたりする。長く社会の中で生きるうちに平均化され、錯覚が解消していくのだ。だから、冒頭の言葉は真を突いている。該当する職業を探して列挙し眺めてみると、思うところがあるだろう。

[815] Nov 21, 2011

水源のある活き活きした水の上では水草も清らかに浮いているが、水源の無い濁った沼では蓴菜さえ汚らしく見える、こういう喩えがある。命の源としての水の重要さを説いた言葉でもあり、同時に、流れていくものの清潔さを表現した謂でもある。新鮮は動に宿り腐臭は静に絡む。「転石苔を生ぜず」を悪い意味に用いる日本でも、流動の途絶えること則ち淀みは悪であった。▼淀みのなかから醸成される何かに価値があると信じるときだけ黙して坐せ、そうでなければ動け。これは日本のみならず、古今東西に共通する古く深い暗黙知のひとつだと思う。人間が人間である以上、死の表現が静止であることに変わりはないからだ。そう考えれば金銭的にも精神的にも安心・安定している人の方が、かえって芯から死の恐怖を感じるのかもしれぬ。これでもう自分は終わりなのかもしれないという不安に駆り立てられて、傍目には不安のない人生から芸術を織り出した人々は少なくない。

[814] Nov 20, 2011

秋山公良『よくわかる作曲の教科書』を読む。大学の「線形代数」などにありそうな、いかにも教科書という体の飾り気のないシンプルな装丁だが、基礎の基礎が非常によくまとめられていて、文句なしに良書と思う。左に本文、右に譜例というスタイルも読みやすくていい。初心者にはやさしく、中級者にも得るところはあるだろう。▼立ち読みで買うのを決めたのは、各章の表題が端的に真理を突いていると感じたからだ。たとえばこんな表題がある。「10秒にいちど何かが起きる」「エンハーモニック転調は甘美」「テンションコードが生まれる理由」「音には進みたい方向がある」「1番いいところ=1番高いところ」「曲の長さは短め厳守」▼こうしたトピックひとつに対し、見開き一枚を使って譜例と共に解説を加えていく。その説明のスタンスが、こうしてはならない、ではなく、こうするともっとよくなる、という視点に終始しているところにも、建設的で好感が持てた。

[813] Nov 19, 2011

Waxing and Wanding――晦朔は環を循るがごとく、月盈つれば已にまた魄し。栄枯盛衰、有為転変、光と闇の行ったり来たりを月の満ち欠けに例える言葉は多い。しかし、たとえば黒と白、光と闇のような、相反するものの調和を象徴する概念はたくさんあっても、そういう「相反する」という現象を直接指し示す語彙が無いように思う。いつも欲しいと思いつつ、考えれば考えるほどない。正負、明暗、東西、呼吸、大小、高低、表裏、昼夜、男女……。浮かぶのは象徴ばかりだ。▼日本語でなければ「コントラスト」がいちばんしっくりくる。これこそ、相反すること自体が求められているような、弁証法的要求を満たしてくれる綺麗な言葉だと思う。対照ではどうにも弱い。世の中、いろいろなことに意味や価値や面白さが生まれてくるのはそこにコントラストがあるからだ――こんなふうに言える、確かな相反の概念である。そうして具体例を求める段になれば、候補は尽きない。

[812] Nov 18, 2011

ランチメニューはとにかく安い。家族経営のパスタ屋が提供するサラダ・スープ付きの800円ランチは言うに及ばず、叙々苑のような高級店でも一人前で1200円という価格帯を用意するくらいである。話によると、高級店であればあるほど、ほとんど利益は出ていないのだそうだ。よくてトントン。昼のメニューは文字通り破格である。「それなら夜では手の届かない高級品は、昼に食べればいいのでは?」▼手の届かない高級品でもないが、同僚と連れ連れ昼に寿司屋へ行った。回る寿司だが普通に食べれば控えめでも2000円は下らない。ところがランチメニューは軒並み880円均一。マクドナルドやサブウェイでも贅沢すれば消費しかねない金額で、マグロ重に味噌汁までついてくるのだからお得である。食べ終わってちょっと一皿、250円を追加したあたり店の術中かもしれないが、十分満足できた。社食に飽きたら、昼は昼らしくない店を探してみるのも悪くない。

[811] Nov 17, 2011

欧州金融危機という文字を毎日のように見続け、紙面にイタリア緊縮財政、スペイン国債利回りの言葉を見ない日はなく、欧州の吐息ばかり聞こえてくる、そんな経済ニュースの中に、米金融株急落という言葉が紛れ込んできた。世界が揺れている。ゲームも真っ青のパンデミックが始まるかもしれない。▼もちろん始まらないに越したことはないが、米金融が揺らぎ始めたというのは、どうもECBやEFSFの苦心だけでは済まない事の大きさを予感させる。なにしろ米金融機関が保有する欧州債券の額は半端ではないのだ。PIIGSとフランスと運命を共にする、その彼らが危なく見えることのインパクトは相当に大きい。何をかいわんや。▼崖はすぐそこにある。足取りは覚束ない。その背で不安になるなという方が無理な話だ。それにしても世のアトムが何か変化をきたしたわけでもないのに、何かのきっかけで誰もが不幸になる、経済というものの不思議さ恐ろしさである。

[810] Nov 16, 2011

Cuisine: A characteristic manner or style of preparing food.▼さほどレアな単語ではないが、これを割烹と訳している例を見て驚いた。割烹というと、割烹着のあれだろうか。調べてみると、割烹――伝統的な料理に対する総称、とある。「主に、会席料理、懐石料理、精進料理といった料理に対する呼称として使われる。「割」は包丁で切ること、「烹」は火を使って煮る調理法。」つまり割くと煮るだ。だから、割はお造り、烹は煮物の象徴になる。▼白いエプロンこと割烹着でしか知らない言葉であったが、割烹店と言えば飲食店や料理屋を指すし、割烹家という言葉もあるらしい。「銘酒の池、牛肉の山、酔はざる者無く歌わざる者無し。割烹家の繁盛知る可き也。」食物の調理、料理に関することはたいてい、この言葉に集約できるようだ。Cuisineもまた料理、料理法、厨房など食と調理に関するの意味を持つ単語である。割烹と訳した人の手腕はたいしたものである。

[809] Nov 15, 2011

仕事では数字ばかり見て、通勤では洋雑誌ばかり見て、あとは僅かにアニメをみたり動画を見たりと映像ばかり、私生活から日本語の活字が消えつつあるのを危惧している。書いている方がはるかに多い。吸収量が足りぬ。といって、焦り何かを読もうとしても身にならないのが活字というものの厄介な性質でもある。▼なんでも読んでみれば得になるものさ、と悠長なことが言えるのは、機会損失を無視できる時だけだ。貴重な時間に値する書物がどこにあるか――こういう視点で探しだすと、しかし、なにひとつ読めなくなるから参る。改めて、世にくだらぬ書物のあまりに多いことを知るのだ。▼書物は人間の呪いである、とベンジャミン=ディズレーリは言う。「現存する書物の90%はくだらぬものであり、気のきいた書物は、そのくだらなさを論破するもの」に過ぎないからだ。「人間にふりかかった最大の不幸は印刷の発明である。」ただし皮肉屋の言なので割引はしたい。

[808] Nov 14, 2011

アイデアを創案しコンセプトを考える段階ならば、できるだけ多くの要素を掻き集めて頭の坩堝でことことやるのもいいだろう。しかし物事を決める段になったらそれでは上手く行かない。等しく重要なことがいくつもあっては、相反する要求一組で容易く袋小路行きである。ではどうするか。実はそれほど難しい話ではない。私たちは既に、数多くの判断を経て必ずひとつの答えを返す機構を知っている――プログラムを書くことだ。▼どんな入力に対しても、IFELSEの集積と例外処理を通せばただひとつの返り値が得られる。物事の決定なら型はブールがいいだろう。その決定、イエスかノーか。知りたければ「決定判断プログラム」を構築し、考えうる全ての決定を放り込んでみよう。「大前提を満たしているか?」「顧客の要件を満たしているか?」「付加価値は十分か?」……。関数が厳しければ全てノーになるかもしれないが、そのときは、よりIFを通過した入力が解である。

[807] Nov 13, 2011

今月のハーバードビジネスレビューにこんなコラムがあった。人はブランドに弱い。贅沢なブランドにはついつい過剰な金を払ってしまうし、ウォルマートのような倹約ブランドでは必要以上に節約する。それは大方予想と変わりない。しかし、研究によると、スローガンに対する人々の反応はこれと逆なのだという。「あなたにふさわしい贅沢を」などと言われると、かえって財布の紐を硬く閉じてしまうのだそうだ。▼ここには、消費者の反抗心理がある。彼らは、スローガンというキャプション化されたものに透けて見える企業の意図が気にくわないのだ。文章の「説得感」が強すぎるのである。贅沢するにも自分の意思でしたいのであり、金を使わせようとしているな、と思えば使いたくなくなるのが人情だ。実績のない企業がブランドを創りだそうとして口当たりのいい文句に頼ろうとすると、思うように行かない所以でもある。ブランドとスローガンは似て非なるものである。

[806] Nov 12, 2011

「余は弱冠前後、鋭意書を読み、目、千古を空しゅうせんと欲す。中年を過ぐるに及び、一旦悔悟し、痛く外馳を戒め、務めて内省に従えり。然る後に自ら稍得る所有りて、此の学に負かざるを覚ゆ。今は則ち老ゆ。少壮読む所の書、過半は遺忘し、茫として夢中の事の如し。稍留りて胸臆に在るも、亦落落として片段を成さず。益々半生力を無用に費ししを悔ゆ。今にして之を思う、「書は妄に読む可からず、必ず択び且つ熟する所有りて可なり。只だ要は終身受用足らんことを要す」と。後生、我が悔を蹈むこと勿れ。」▼偉大な人物に私のような行いをして後悔するなと言われ、その言葉を額面通りに受け取る人も少なかろうと思う。もし老年の当人が後悔しているとしても、彼の充実はその迂路に由るのではないのか。そんなふうに考えてしまう。書物は撰ぶべし。これは間違いないところだが、若いうちしか濫読も出来ぬ。熱に任せて偏食してみる盲目の驀進も悪くはなかろう。

[805] Nov 11, 2011

大地震、大不況、大洪水。災害と名のつくものは凡そ出尽くした気がする今年の悲惨さは誰もが痛感するところだろう。ここまで来たらもう来年は何も起きまい、きっといい年に違いない、こう思う心が、赤、赤、赤の次に黒を希うギャンブラーの誤謬でないことを祈るばかりである。▼さて、しかしゲーテの言うように逆境こそが最大の教師なら、今年は大躍進の年でもあるはずだ。雨降って地固まるとはよく言ったもので、たしかに企業も個人も、明日が今日のつづきでないことを胸に刻んで今後のプランを立て始めている、そういう動きが随所に見られる。実によいことだと思う。▼変化の激しい世界で、変化しなければ生き残れないと口では言いながら、私もまた、生き残れないという切実な現実感には乏しかった。それが今年の諸々で随分考え方を変えられたように思う。ああ、ほんとに死ぬんだな、という実感と共に、世間の言う「安定」がようやく幻に見えてきたのである。

[804] Nov 10, 2011

いいアイデアは思いついたときにメモしておかないとすぐに忘れてしまうとよく言われるが、これについて興味深い研究記事を見た。「すぐに」忘れてしまうというのは、思いついてからの経過時間ではないと言うのだ。ではいつか。何らかの「出入り口」をまたいだときだ、と言う。▼なるほどこれなら帰り道に思いついたことが、帰宅して机に座ると急に出てこなくなることも頷ける。家のドアと部屋のドアで、最低でも二つの出入り口をまたいでいるわけだから、アイデアも無事では済むまい。考えてみると、同じ室内に留まっている限り、こうした「無念な忘却」を起こすことは少ないのではないか。▼確証はないが、位置記憶法にも通じる確からしい説に思える。人間、何かを考えているときは、知らず風景とあわせて記憶しているものだ。ということは、風景のリセットを意味する「出入り口」の通過と共に、脳が勝手に記憶のリフレッシュを行なっていても不思議ではない。

[803] Nov 09, 2011

会社帰りに立ち寄ったファミリーマートで旧友に会った。店員だった。あったかい焙じ茶をカウンターに置くと、彼はそれをレジに通しながら、近況を尋ねて来た。他に誰ひとり客がいないので、ひとことふたこと――概ねはご覧の通りの有り様で――と伝えると、レジ袋を差し出しながらこんなことを言う。俺は先月結婚してさ、会社辞めたんだ。公務員になろうと思ってる。▼それまでの、繋ぎのバイトなのだそうだ。結婚相手の名前を聞いた時は、なにしろ小学生のころよく遊んでいた懐かしい名前なので驚いたが、当時の仲間うちにひとつまた三角形が蘇るようでいい気持ちがした。もっとも、彼女の方にはもう十年以上会ってないから、そこらですれ違ってもわからないだろうと思う。飲み会に誘われたが、断らざるを得ない我が身は悲しい。それにしても、四年就職からの公務員とは。二人になって、安定を求める心がそうさせたのだろうか。思案に暮れつつ、帰路を歩いた。

[802] Nov 08, 2011

「矢が弓の弦から離れるや否や、その矢は射手のものではない。ことばは唇から離れるや否や、ましてや、それが何枚も印刷された後は、もはや話し手の自由にはならない。」ましてや、それが何千とプレビューされ、何万とリツイートされた場合には、自由になる望みなど欠片もない。▼ウェブ時代の私たちは、どうもあまりに矢を撃ち合いすぎているようだ。一本だけ放ったはずの矢は、空で無限に複製され、狙い澄ました相手のみならず誰彼構わず降り注ぐ。もはやどこに落ちるかもわからないのだ。そうして、予想だにしないところへ撃ち込まれてしまった矢の応酬が、今度は我が頭上に降り注ぐ。▼冒頭の引用はハイネの言葉だが、発された言葉が話し手の所有物でないことを示唆する名言は古今東西問わずたくさんある。人が言葉に抱く畏怖の心は変わらない。こういう謂も山ほどあるのだ。「言葉は、それが語られたと言うだけで、すでに宣伝であり、精神的な鎖となる。」

[801] Nov 07, 2011

「落葉如雨といふ事をよめる 木の葉散る宿はきゝわく事ぞなき時雨する夜も時雨ぜぬ夜も」『後拾遺集』にある源頼実の歌である。▼山本健吉氏によると、落葉が冬の題と定まったのはつづく『新古今集』でのことらしい。「ただし「落葉」の題で、「木の葉散る」「木の葉流る」「うづむ木の葉」「正木散る」などと詠んでいて、「木の葉」を大方「落葉」と同意、同イメージで詠んでいる。」やがて落葉は朽葉にもなり時雨にもなり、落葉の題で落葉をそのまま詠むことの方がかえって少なくなっていったようだ。題が定まれば他に言いようのあるものは、ひねりを加えていきたい人心もあるだろう。▼木の葉と落葉の別は、まだ梢に残るものを木の葉といい、散りつつある、または散って積もり流れゆく葉を落葉という、という見解のようだ。ただし秋から冬にかけての木の葉は、木の葉というだけでやがて落ちゆく様を想像させるので、その身に落葉を内在しているとも言える。

[800] Nov 06, 2011

日曜日。デスクに向かう先輩――三十後半の大先輩である――が、いちど帰るわ、と手ぶらでドアに歩き出した。その格好で、どうしたんですか。尋ねると、子供をお風呂に入れなければ、と言う。それは大変ですね、いってらっしゃいませ。疲れ気味の背中を見送りながら、前にもこんなことあったな、と考えていた。▼家庭のある社員は少ない。ほとんどの先輩は独身である。こんな生活ではそれもそのはずだろうと納得するものの、家庭があればあったで土日は家と会社を往復しなければならぬ。そういう光景が自分の中で日常化していることが怖くなる。▼そんな背中を見て育つ後輩は、家庭を持ちたいと思わなくなるだろう。たとえ持ちたくても、持てない人がほとんどかもしれない。統計は独身の若者が増えているという。もっともらしい「社会的分析」など俟つまでもなく当たり前のように思える。負の連鎖は硬い。IT業界では四十代で結婚するのもよくある話だそうだ。

[799] Nov 05, 2011

自分が何かについて上達しているかどうか考えるとき、たとえばそれが創作なら、明確な目安になるのは「無理」と「無駄」である。▼無理が少なくなってきたと感じたら、それは理想に対して不足しているところが減ってきたということだ。一方、無駄が減るのは過剰な要素が取り除かれたということになる。作品にとって、言いたいことが過不足なく表現できている以上に理想的な状態はないので、当然といえば当然の結論だが、それでは順番に解消するとしたらどちらから手をつければいいか。▼私は、無駄の方から手をつけた方がよいと思っている。無理は、何がどう無理なのか、どうして無理に感じるのか、初学のうちはわかりにくいし、何より無駄がたくさんある状態ではどこが無理なのか見分けがつかないからだ。それに対して無駄、即ち過剰というのは、冷静な目で見れば特定は比較的容易である。無駄を探し、間引いていくのは、いちばん手軽で確実な推敲の一である。

[798] Nov 04, 2011

昨日の記事で書いたこととは裏腹になるが、今日、エコノミストの最新号33頁に日本のTPP騒動に関する記事が掲載されているのを見た。"Japan's free-trade dillemma"という見出しの下に、"Yes, it should"の副題。ヘッダだけで中身の分かる、記事のお手本である。▼BLOGOSのようなブログ総集編に載る記事と比較して、エコノミストやフィナンシャル・タイムズの方が情報の質が高いなどと言えるほどの知識はないし、必ずしもそうは思わないが、ブログの方が、情報の内容そのものよりも、情報を発信している意図が臭いがちなのは確かである。にっくき論敵の的外れな私見に無知な民衆が扇動されては困るから啓蒙しよう。私の特異な体験から、何も知らない君たちに舞台裏の真実を教えてあげよう。そういうものが目立つように思う。こうしたトリビア式の情報源は、流行れば流行るほど逆説的に意味を失う性質を持っているので、次第に飽き飽きしてくるのだ。

[797] Nov 03, 2011

国際的な話にも関わらず、日本では騒がれていて、海外紙はまるで取り上げないというのは、逆に比べると珍しいように思う、という話をしていた。日本のTPP参加についてである。ニュースサイトを見ても新聞を見ても、TPPのTの字もないあたり、どうも海外諸国はあまり関心ないのでは、というのだ。▼日本が参加すれば日米自由貿易協定に等しいとも言われるTPPについて、アメリカが無関心ということもないだろうが、記事がないのは単純に参加表明について騒いだり煽ったりするような必要がないので、読み物にならないだけだろうと思っている。というよりも、日本国内のニュース記事やブログポストにはメリットやデメリットの一側面だけを取り上げて声高に煽り立てているだけのものが多く、意味も意志もないところで不必要に薪がくべられている感が強い。せめて環太平洋戦略的経済連携協定のウィキペディアにくらい目を通してから話して欲しいものである。

[796] Nov 02, 2011

将来は作家志望だというある女の子が、こんなことを言っていたのを覚えている。曰く彼女の高校で、学校誌に掲載された投稿小説の優秀作品が、学期末の講堂集会で発表されることになった。その発表作品に、彼女の掌編は選ばれなかった。代わりに、おじいちゃんが死んだことの悲しさを綴った別の子の作品が朗読された。▼どこまで本気かわからないが、こうぼやくのである。いつもそうだ。身内が死んだり、事件が起きたり、そういう特別な出来事に見舞われた人ばかり選ばれる。私の周りはふつうだから、誰も死なないし何も起きない。不公平じゃないか。▼とんでもない邪だと言い切れる人はそれでいい。けれども言い切れない人は、いつか似たような悩みを抱えたことがあるだろう。異常な人々がせめて平凡でありたいと願う傍ら、異常でないことに不平をかこつ平凡な人々がいる。幸せなのは僅かに、平凡を素直に享受している人と、異常を矜持にしている人だけである。

[795] Nov 01, 2011

混み合う駅のホームで危ない一幕を見た。終電につきものの酔っぱらいが、ふらふらと縁を歩いていたところ、なだれ込んできた階段からの集団に押されて肩をぶつけた。その衝突は混雑にはよくある軽いもので、たいした問題ではなかったが、相当腹に据えかねたらしい酔漢が、ぶつかってきた男を睨むや思い切り背中に蹴りを入れようとしたのだ。さいわい、酔っていてもつれた足は空を切った。▼さらに立腹した酔っぱらいが前の男を追いかけて喧嘩になったら事だと冷や冷やしていたが、そういうことにはならずその場はそれで収まった。けれども、もし入っていたらホームに落ちてもおかしくない全力の蹴りである。深夜の人身事故はこういうふうにして起きるに違いないと思うと、自分ばかり正気であれば危なくないとはやはり言い切れないので、いつ突き飛ばされるかわからないホームの縁は、高層ビルの屋上縁と同じくらい危ない場所であることを改めて感じたのである。

[794] Oct 31, 2011

土産に山崎18年を頂いたので毎日少しずつ飲んでいる。流石に格の違う味わいで、大瓶のジャックダニエルも置き去りである。響17年より旨いかもしれない。▼身の丈に合わぬ高い酒ばかり飲んでいると財布が泣き出しそうで怖いが、もうだいぶ舌が慣れたせいで安酒は口に合わなくなりつつあるし、そう大酒飲みでもないので、無ければ飲まないまでである。大体、安いなら安いでウイスキーなど色気を出さずに黒ビールでも飲んでいれば十分楽しめるのだ。▼つまみも昔ほど求めなくなった。旨い酒に旨いつまみも垂涎だろうが純粋な酒の味が掻き消されるのもつまらないので、よほど上等なものでなければわざわざコンビニのイカや豆を仕入れる必要もない。上等のものでなければ――とばかり言うと贅沢者に聞こえるが、よくよく考えれば不要なものを極力排しているわけで、こういうのは金の節約になる分贅沢とは言わぬ。量より質、機会を絞った貧乏者の贅沢気分である。

[793] Oct 30, 2011

昨日分の記事が投稿失敗していることに今ごろ気がついた。今回はシステムのバグではなくヒューマンエラーである。馬鹿馬鹿しい話、投稿のためのマスターパスワードを間違えていたらしい。情けない話だが、ここはひとつ、その場合でも念のため記事全文を保存する機能をつけておいた自分を褒めておくべきだろう。▼フールプルーフとフェイルセーフはしばしば混同されるが、こういう機能はフェイルセーフに分類していい。ところで、システム設計の世界では常用語になっていたこのフェイルセーフという言葉、最近あまり用いられなくなっているそうだ。▼理由は単純だ。このシステムはフェイルセーフです、と言い切れるほど、あらゆる誤作動・障害に耐えうるような小規模システムを設計する機会が少なくなったのである。そうして、システムを「部分的にフェイルセーフ」であると表現する積極的な理由もないので、それなら誤解を生む言葉は避けようという話だそうだ。

[792] Oct 29, 2011

アーンスト・アンド・ヤングの発表によると、インドの成長率は2013年に中国を上回るという。長期的な見通しのようで、実にもう再来年のことじゃないか、そんなふうに驚いた。▼けれども、この記事をどこかのニュースサイトで見た後、たまたまアーンスト・アンド・ヤングの発表本文の一端を見る機会があり、読んでみるとどうも上のように言い切っているわけではないらしい。要約するに、今後二年間、ありとあらゆる経済事情がインドに対して有利に運んだ場合にはそうなるというのである。そうして、その前提の中には上手く行きそうにないものも無くはない。▼「二年後、インドが中国を上回る」と聞かされるのとでは大違いである。ニュースサイトが意図的に訳し落としたわけではなく、文字通り要約したに過ぎないのだろうが、文面通りには鵜呑みに出来ない二次情報の恐ろしさを改めて知る形になった。近頃流行りのまとめサイトなどにもよくよく注意されたい。

[791] Oct 28, 2011

千人に一人、才能と余暇を合わせ持つ若者が全力で作品を創り上げたとする。制作十二ヶ月の最高傑作だ。そのクオリティは、納期に追われ二週間で形にしなければならなかったプロの作品では太刀打ちできない。実際、注ぎ込んだリソースが膨大なら、アマチュアがプロを出し抜くことなど普通にある。▼こうした傑作は、実績も信頼もないために、大抵は静かなブームを巻き起こして消えるのが常であった。しかし、冒頭の千という母数が十万になると事情は大きく変わってくる。同じ割合で推移したとて、生み出される傑作の数は今や年に百もあるのだ。いよいよ埋もれるのはプロの作品の方になる。▼大袈裟な話でもない。現に今、創作を生業にするプロはたいへんつらい立場にいる。数の暴力に怖い思いをしている。単発の嵐に呑み込まれて消えるのは、早や明日かもしれないのだ。個人が才能で輝く反面、大衆が個人を押し潰す、そんな二重の側面が共存しているように思う。

[790] Oct 27, 2011

消費税が10%になる見通しと聞いて、ようやくか、と思った。もちろん待っていたわけではないが、来るべきときが予想よりは遅れて来たなという思いである。▼消費税は、税金の中では珍しく平等な税である。たくさん買うほど免除されるというような特例もないので、富裕層にも低所得者層にも同率で額が決まるし、物が売れなくなる売り手にも、支出が増える買い手にもつらい。消費税が何にどう使われるかはさておき、良い意味で誰も得しない税金である。▼だから、金の無い私個人はつらいが、必要なら増やせば良い、くらいに考えていた。10%でも足りないように思う。以前、大学の講義で経済学の准教授が、消費税だけで考えるなら最低でも40%にしなければとても日本は救われない、と話して、教室が笑いに包まれたときのことを覚えている。「冗談じゃないんですよ、本当なんです」と彼は真顔で諭していた。冗談でもないし、空想でもないという気がしている。

[789] Oct 26, 2011

小林秀雄は林房雄についてこう書いている。「憎まれ口は利くが腹には毒はない、などという男は、そこいらにうじゃうじゃ居るので一向興味が持てぬ。腹に毒もない癖に、憎まれ口だけ余計な様なものである。林の腹にはいつも信念があって、それが燃えているのが透けて見える様なのが、僕には楽しいのだし、又、感心もしているのだ。」▼人の口にはいろいろなタイプがある。現実的なことしか言わない人も居れば、言うこと言うことロマンに溢れる意欲的な人もいる。どちらでも構わないのだ。そこに信念があれば、リアリストもロマンチストも興味の対象たるに足る。ただ、腹に毒もないのに毒持ちのふりをするのが気に食わない、というのである。▼信念のないリアリストは感傷家だ。信念のないロマンチストは空想家だ。彼らは、喋る口の多い処に行けばいくらでも見つかる。十分過ぎるほど世にあふれている。そうして、どうもお互い、興味のあるらしいふりをしている。

[788] Oct 25, 2011

駅を降りるとガサガサガサと大きな音がした。何かと思うと強風に煽られて硬くなった街路樹の葉がまとめて舗装路に叩きつけられたのだった。落葉の音もこんなにけたたましくなるものか、と思った。▼それから音にばかり気を取られて歩いてきたが、大通りに出たところで車の音しか聞こえなくなった。深夜だというのにエンジン音の聞こえない一分というものがない。しかも車の姿が見えるとも限らないのである。恐らくは、遠くのどこかを走っているであろう自動車の響き。これはもう立派な自然音と言っていい。▼こんなことを考えた。楽器の成立は人間が自然界の環境音を模したことに由来する。聞き慣れた音色が聴きたいのだ。それならエレキギターの音色が流行るのは、流行る世界の子供たちが幼少から環境音として自動車の音を聴きつづけてきたからではないだろうか。トンデモ説には違いないが、自分で納得しそうになるほど、車の音は迫力と物量を兼ね備えている。

[787] Oct 24, 2011

胡散臭い表題には違いないが、たとえば「サラリーマンが十分な副収入を得る方法」というそこそこ信頼できる講座があるとする。面白いことに、この講座に応募してくる人の八割近くはサラリーマンではなく、起業家や経営者なのだそうだ。会社に仕えて賃金を得るという発想の外に実収入を求めている層が、そういう金の匂いに釣られてくるという、考えてみれば当たり前の話だが、なんとも皮肉な様相を呈している。▼ただ、これをもってサラリーマンは脳天気であり危機感がない、などと表現するには当たるまい。この話を紹介した人は残念ながらそう断じているが、危機感がないのは失敗のケースに目を瞑り、一攫千金を夢みて飛び出す若手起業家の方かもしれないのである。危機感に対処するプランの建て方が違うだけだ。脱サラ目指して二足草鞋に掴まんとする「副収入」と、一心に働き昇格昇給を試みる両道を天秤にかけたら、大半は後者に傾くというだけのことである。

[786] Oct 23, 2011

健康診断の結果が各人のデスクに送付された。視力以外はオールAで問題ない。なんだかんだで健康体のようである。血圧がCだったり、コレステロールがCだったり、肝臓がDマイナスだったり、穏やかでない評価を貰った人も同期の中にはいたようだ。学生時代は健康だったのに、という言葉からは、ハードワークから来る疲れと、食生活の乱れが感じられる。▼項目評価は様々ながら、どこからも聞こえてくる悲鳴はやはりBMIと体脂肪率である。こればかりは社内で時系列グラフを作ったら、間違いなく右肩上がりになるだろう。入社から僅か一年半で、体脂肪率が5%増えたという人もいる。見た目に変化がないから、内臓脂肪の類だろう。デスクワークの恐ろしさである。▼私は出来るだけ平均体重を外れないよう毎日体重計に乗っているだけあり、相変わらず標準体重を維持は出来ていたが、身体の硬さと筋力の無さが課題である。ストレッチくらいは強化していきたい。

[785] Oct 22, 2011

音感を鍛える本、というのを買ってみた。理論編と実践編に分かれていて、今は実践編の内容を覗き見つつ理論編を半分ほど読み進めてきたが、基礎知識の重要性とその暗記の必要性を強調していることには好感が持てるものの、話の方向性や主張には残念ながらあまり期待できそうにない。純粋に付属CDで音程を素早く聞き分ける修行をするための本と割り切り実践編に注力するのがよかろうと思っている。▼クラシック畑から来た人はこうかもしれないが、ジャズ畑では……と、こういう解説は違いを知るにはありがたいが、それを起点にジャズの世界では調の色彩など無意味と断じられると首を傾げてしまう。そういう意識は捨てた方がよいとまで言いかねない勢いだが、クラシカルな意識でジャズに取り組んではいけないのだろうか。同じ音の遊びである音楽の世界で、両者にそう本質的な違いがあるとは思われない。こう疑問を抱くと、なかなか理論編が素直に読めなくなる。

[784] Oct 21, 2011

ふいの宿泊はつらいが事前の用意があれば心やすい。けれども、こう泊まるつもりで会社へ泊まるようになると、いよいよプロジェクトも地獄街道大通りと一段気合が入るようでもあり、ランナーズ・ハイに無理やりごまかされているような末期的な自分を感じるようでもあり、布団に入れば眠るまでは生活が消失した人間の意義を考えたりして、精神の健康状態はオールグリーンとも言えなくなる。「気持ちの問題」にも限界はある。▼限界はあるが、限界が来たところで誰かが助けてくれるわけでもなし、頼れるものは我が身のみであれば、心の方も出来るだけ長持ちするよう自分で工夫しなければならない。その工夫のひとつにストレッチはなかなか効果的だ、とここ数日実感している。不具合が劇的に改善するわけではないが、気分と体調に寄与するところ大きく、心身の持続力を向上させる儀式のようなものと思えばよい。なにより、この記事よりも短い時間で出来るのは良い。

[783] Oct 20, 2011

「詩は果して現実の認識手段として小説に劣るのか。何故に今日、日本に限らず世界中で詩の衰弱という現象が見られるのか。ことに日本の文壇では何故にかくも極端に詩が軽蔑を受けているのか。問題はそういうところにあるのだ。」小林秀雄が「詩の問題」でこう書いてから七十五年経ち、果してどのような解決を見たかと考えると、どうやら問題は解決せずに解消したようである。▼今日、詩は小説に比べて軽蔑もされなければ、崇拝もされていない。詩的でない小説と、より詩的な小説と、純粋なる詩の区別を、もはや個人は趣味の問題くらいにしか捉えていないように思われる。作者の意図を汲み取るのにどれほどの想像力を要するか、というところに読者の論点がないのだ。実生活から、世界にはあまりにもたくさんの切り取り方があることを既に理解した人々の前では、ナイフの入れ方そのものが意味を成すような、そんな奇抜な切り口はほとんど残されていないのである。

[782] Oct 19, 2011

まるごと辞典を暗記してやろう、という衝動にいちどでも駆られたことのある人は少なくないと思う。そうして、国語辞典や英語辞典は荷が重いから、もう少し暗記量の少ない分野にしよう、こう考えて行き着く先には定番がある。そのうちのひとつ、王道とも言える雑学路線の一が、ハーブである。▼ご多分に漏れず私も昔、ハーブ辞典を覚えていた。いまでも愛用の本が書棚に残っている。その知識で美味しい紅茶を入れてやろうとかそんな気はなく、ただこんな都会の生活で見ることの出来ぬ植物たちの多彩な効用に感心していたように思う。レモンバームはシソ科メリッサ属の多年草、和名は香水薄荷。神経性消化不良と頭痛に効き、ストレスの軽減作用がある……。▼こんな具合に諳んじれた項目も記憶の残りは多くないが、日々出会うハーブの名前が未知の言葉に聞こえないというだけでも、他人の知らない楽しみを見つけられる嬉しさがある。無心の暗記をまたしてみたい。

[781] Oct 18, 2011

集団格差の時代、デモの目的はより豊かな集団の打倒であり、明確だった。ところが今日のように格差が主に個人格差となると、奇妙な現象が起こってくる。平等を訴えるデモの内部が既に平等ではないのだ。参加者の中には無職の人もいれば、年収500万のサラリーマンもいる。このままでは希望のない失意の壮年もいれば、割り合い未来のある若者もいる。不平等で不均等なクラスターが平等を叫ぶ。▼では敵は誰なのか。この問いに答えるのは難しい。難しいので、やがてそれは暴利を貪る巨悪という曖昧なものになり、国というわかりやすい言葉になり、もはや言葉も必要としなくなると、敵のように見えるものは片端から攻撃していく鬼火になる。真の危機は仮想敵が失われていることなのだ。『めだかボックス』で西尾維新が主人公から仮想敵を奪い去り、残された面々が存在証明のための戦いに巻き込まれていく展開も、こうした世情と無関係ではあるまいと思っている。

[780] Oct 17, 2011

絵の練習がしたい、と同僚が言い出して、その場で面白い話を聞いた。曰く、彼は昔も絵の勉強をしたことがあり、そのときは人の顔など良さげに見えるくらいには上達したのだが、いかんせん表情に生気がなく、誰のどんな表情を描いても描いた自分が気に入らない代物になるのでやめてしまったという。表情に生気。その壁がどうにも超えられない、というのだ。そこで、もうひとりの同僚がこんなことを言った。「絵の巧い人は、表情は形で描こうとしたら駄目だと言ってるね。表情は光で描くものだって。」▼どんなに可愛らしい、凛々しい、活気あふれる表情でも、下からライトを当てると不気味に見える。表情の陰翳は文字通り光と影で生み出されるのであり、形ばかり正しく描いても生気は宿らない。こういう話である。なるほどこれはたしかに意識しなければ難しい壁だろう。いつも表情を見ているこの世界と違い、紙の上では意識しない限り光は差していないのだから。

[779] Oct 16, 2011

きのこの山とたけのこの里、どちらが美味しいかという論争はもはや様式美になりつつあるが、その気はなくてもしばしば食事の歓談に紛れてくることがある。▼どちらでもない派はさておき、きのこだ、たけのこだと主張する人の言い分を聞いていると、自分の支持する方が優れていると言うよりは、やれオリジナリティがない、やれ持ちにくいと、相手の方に不満があるらしい。頑なな原理主義者というのは、たいてい敵の方に戦う理由を持つものである。▼戦いつかれて、コアラのマーチが美味しい、パックンチョのいちご味がいい、そんな話に落ち着いてきたところで、それではコンビニレベルでいちばん美味しいチョコレートは何だろう、ということになった。めいめいが思いついたチョコの名前を自信なさげに呟く中、『紗々』じゃないか、という声に卓上の空気が同意した。たしかに嫌われる要素は少ない銘菓である。私も好きだが、その他ならダースのビターも推したい。

[778] Oct 15, 2011

つらい痛みや苦しみに耐え、不屈の精神をもって難局を乗り切る。そんな「歯をくいしばる」ような行為を、英語で”bite the bullet”と言う。戦争のとき、負傷した兵士が鉛製の弾丸を噛んで手術の痛みに耐えたことが由来だそうだ。鉛製なら、思い切り噛んでも歯が欠けなくて済む。▼逆境に挫けず足をひきずりながらも少しずつ前進する、そんな状態をなんと表現するべきか、ある必要に駆られて調べていたとき見つけたものだ。面白いのは、日本語では何も噛まず、英語では弾丸を噛むが、ドイツやオランダなどヨーロッパでは酸っぱいものを囓むことで通じている点である。それも大抵リンゴのようだ。語源は同じかもしれないが、よほど酸っぱいリンゴに悩まされているのだろう。▼ともあれ、国が違えど、つらいときには歯に力を込めることに変わりはない。裏を返せば、そうすることで心身が助かるという、世界中の先人による偉大な知恵でもある。歯をくいしばろう。

[777] Oct 14, 2011

会社のタイムカードシステムには、休憩時間を記入する欄がある。昼食や夕食など強制的に休憩と換算される枠に加えて、自分で取った休憩も合計してから記入してください、という注意書きが、登録時に必ず表示される欄である。(もちろん、休んでいない休憩時間を引きなさいとは決して言われない。)▼さて、この欄を正直に記入する以上、休憩は好きなように取ってもいいはずだ、と主張する人々の存在が問題になる。夕食へ行ったきり八時になっても帰ってこない。床屋へ行っていたといい、本屋へ行っていたといい、いちど家に帰っていたという。「すべて休憩時間につけるから、問題はない。」▼問題ないはずないのである。夕食時間帯に休憩を長く取るということは、それだけ深夜残業に換算される時間が増えるということだし、何時まで席を外しているのか、残された人には把握も出来ぬ。いつなんどきでも休憩していいという発想は、協働する社会人のものではない。

[776] Oct 13, 2011

久々に別部署の同僚と帰りの電車が同じになった。お互いプロジェクトの納期が来年二月と近いので、忙しさを共有しているのかもしれない。そんなふうに思っていると、案外そんなこともないらしく、明後日も明明後日も出社はしないのだという。それどころか、カットオーバーまで土日はいちども出勤しない覚悟なのだそうだ。どんな危急のプライベートかと聞いてみると、握手会とライブの予定で埋まっているのだという。▼誰のイベントかは触れまい。とうとう近くにも見つけてしまった、という名状しがたい感慨である。会社も休日出勤を強制することは出来ないから、こう開き直られたらどうにもしようがないのだろう。それに、平日で終わらない仕事は全部断るよ、と笑顔で語るその姿は、労働のあり方として欠片も間違ってはいないのである。▼先月の給料はすべてCDに消えたそうだ。今月分も消費のアテは決めているらしい。彼より自由な同僚は、今のところ見ない。

[775] Oct 12, 2011

たったこれしきのルールも守れないのか。小学校や中学校、あるいは高校、大学、会社でさえも、教育というものが存在する現場からは、いつもそんな溜息が聞こえてくる。「廊下を走るな」という、廊下に貼られたただ一枚の張り紙が剥がれるような勢いで、今日も子供たちは走っている。▼守らせたい規則を守らせる方法はひとつしかない。その規則がどれかわからないほどたくさんの規則を用意することだ。木の葉を隠すなら森の中。ひとつやふたつ破られても、それさえ守られればいいものが守られれば御の字である。▼そういうわけで、世の中は過剰なほど規則や条約で縛られているというわけだ。サミュエル・バトラーはこう書いている。「世の中が悪くなる一方だと言う人は大きな間違いをしている。地球上の戒律がたった一つだったとき、アダムがそれを破ったのだし、全世界を分け合う人がたった二人しか存在しなかったとき、カインが弟のアベルを殺したのだから。」

[774] Oct 11, 2011

本の虫にとって、新しい本を買わないという制約は禁酒よりもつらいことだ、とあるコラムニストが独白している。本と書類で溢れかえる棚や床に耐えかねて、向こう十二ヶ月の新規書籍購入を禁じたものらしい。そうして、仕事上のやむを得ない理由がない限り、古い本の再読や積読の消化に費やそう、と誓いを立てたのである。▼賢明な読者には彼がその後どういう生活を享受したか、ある程度想像がつくに違いない。これまで見過ごしてきたものに多くのものに目を留め、再読したものに当時の感動を呼び起こされ、要するに、ふだんの生活では得られないものをたくさん得たのである。▼たいていは必要に負われて嫌々そうするものだが、日常というゲームに縛りを入れてみると、思いも寄らぬ発見をする。さらに進んで、こういう発見をしたいから、こんな縛りを入れてみよう、と制約を楽しめるようになると、人生が何倍も楽しくなる。プラス思考とは一味違う積極性である。

[773] Oct 10, 2011

旅にはいろんな目的がある。違う言い方をすれば、時によって、人によって、旅に求めるものは変わってくる。観光巡りが目当てのこともあれば、名産品や食べ物に期待することもある。自然散策が楽しみなこともあれば、知人との交流が第一のこともある。目的のない旅もある。▼目的のない旅をエスコートするのは難しいが、そうでないなら遠方の友人を迎えるとき、その人がその旅に何を求めてくるのかはあらかじめ把握して置いたほうがいい。美味しい料理を楽しみにしているのに、観光地ばかり引きずりまわした挙句、昼食は現地の出店でいい加減に済ませる、そんなことではがっかりしてしまう。▼また別の話だが、私は旅人を迎えるのに地元の観光地というのも考えものだと思っている。住んでいる本人さえ行かないようなところに連れて行くのが、なんだか騙しているようで気が引けるのである。相手が特別所望しない限り、自分から観光名所へ行こうとは言い出さない。

[772] Oct 09, 2011

突然の大雨に最寄り駅で立ち往生していたら、「こんばんは」と背後から話しかけてくる婦人がひとり。イヤホンを外し声の方を見ると、以前教えていた生徒の母親だった。××の母です、と紹介した名前のところは雨音に掻き消されて聞こえなかったが、覚えているので問題ない。▼車で送りましょうか、と言う。次の駅まで足を運んで買い物をして帰ろうかと思っていたので遠慮すると、それなら傘を差し上げます、とビニール傘を手渡された。これはどうも、助かります。ありがとうございます。それじゃあ車まで一緒に行きましょう――。車まで、借りた傘を貸して別れた。▼偶然の出会いに感謝しつつ、靴だけ濡らして歩きながら、こんなことを考えていた。同じ最寄り駅を利用していて、最後に会ってから二年間、恐らくいちども見かけなかったわけではあるまい。ただ雨に困る姿をきっかけに声を掛けたのだろう。そう思えばどこで誰に見られているか、わからないものだ。

[771] Oct 08, 2011

グーグルで検索することを、いつからかググると言うようになった。現代人はドジを踏む代わりにドジったり、デコったり、キョドったり、写メったりしている。「る」さえつけていれば動詞に違いない、というのである。▼日本語では、こうした造語が辞書に載るほどの正式さを獲得することは少ないが、英語の辞書にはこのような動詞造語がそこそこある。-ity, -iveといったような、動詞を形容詞や名詞に派生させる方法で、存在しない動詞を創り出すのだ。▼たとえばsedateには「(主に鎮痛剤で)落ち着かせる」という他動詞の意味がある。"sedate a child"なら、子どもを落ち着かせる、である。ところが、もともとsedateという動詞はない。あったのはsedative(鎮痛剤)という名詞である。ここから逆に連想して、sedativeに派生しそうな動詞、sedateが創られたのだ。このような造語法は、一般にバックフォーミングと呼ばれている。「〜る」によく似たやり方である。

[770] Oct 07, 2011

ビジネスパートナーにするならどんな人がいいか、どういう人柄が理想か。こういう話はよく聞くが、どういう人を避けるべきかのリストは意外にも少ない、とルーク・ジョンソンは言う。言い訳ばかりする人、酒と薬物に溺れる人、批判ばかりする人、浮気な人……見ていくと「当然」な項目ばかりだが、ときどき立ち止まって我が身を考えてしまうようなものもある。▼他人に仕事を任せられない人、ユーモアのセンスがない人、会計のリテラシーがない人。最初の例には知らん顔でも、このあたりに差し掛かると耳の痛くなる人は多いのではないだろうか。あらゆる対立を避けたがる人、仕事以外に趣味がない人、仕事以外のことに重きを置きすぎる人、喋りすぎて人の話を聞かない人……。▼たしかにあまり多く該当する人と協力して仕事はしたくない。この人と仕事がしたい、と思われるような人になるには、一介の技術者や職人には求められないような人格が必要なのである。

[769] Oct 06, 2011

巨星墜つ。そんな見出しで書かれるブログも今日はひときわ多そうだ。スティーブ・ジョブズ氏が亡くなった。▼今日はジョブズと検索すれば、訃報に添えられた彼の輝かしい形跡をどこでも見ることが出来る。ビル・ゲイツ、セルゲイ・ブリン、ラリー・ページ、オバマ大統領、あらゆる人が、心からジョブズを惜しむコメントを寄せている。アップルファンは号泣している。そうして、ふだんはアップルが気に食わないとぼやく人さえ、ジョブズはやはり惜しいと残念がっている。▼ジョブズの次の一手は何だろう。ファンもライバルも関係なく、いつも人々はジョブズの動向を見ていた。今度は何をしでかすか、気になって仕方がなかった。正しい選択だからではない。ただ楽しみにしていたのだ。彼の打つ手はすべてオリジナルで、誰の借り物でもなく、ジョブズ以外の人間から生まれ得ないものだと誰もが納得していたからこそ、皆、彼の退場をこれほど惜しんでいるのである。

[768] Oct 05, 2011

アメリカ人、フランス人、ドイツ人、インド人、日本人……どこの国にも、自然と外国人ばかり集まる居住区というものが出来てくる。そういう国際的なアパートメントで、ふいに雑談が「辛い食べ物の話」になると、集まっているメンバーに関わらず、いつも不思議なことが起こるのだそうだ。その管理人曰く、決まってどこの国の人間も「自分の国の食べ物がいちばん辛い」と主張し出すという。▼どういう理屈でそうなるのかはわからないが、主張したくなる気持ちはわかる気もする。要するに、どこの国の誰であれ、いちどくらいは自国の料理でとんでもなく辛いものを食べた経験があるということだろう。その経験が言わせているのだ。さて、それでは本当にいちばん辛いのはどの国かという話になると、当然ながら決着はつかない。君のところのそれは確かに辛いね、いや君の方こそ、と認め合って終わるようだ。国を人生に、からいを「つらい」に置き換えてみると面白い。

[767] Oct 04, 2011

「パソコンがあるから家でも出来るなんて、そういう考えは実に甘い。研究は研究室でするもんだ。学校に来て、研究室の机に座るってことだよ。それで研究が始まる。で、そうしていれば、もう研究室になんか居なくても研究できるんだ。」ビジネスでも、研究でも偉大な成果を残したプロフェッショナルが、そう言うのである。しかし、この言葉の真意を測るのは難しい。▼研究は、研究室の机に座ってするものだといい、研究室になんか居なくてもいいという。この純粋な対立を免れるには、恐らく言葉の順番を変えてはいけないのだろう。朝、早起きして学校へ行く。研究室へ入り、机に向かう。こう、当然のように、研究は研究室でなければ出来ないという前提のもとで行動している人だけが、はじめて研究室の外でも研究し得るのだ。なぜと問われても明確には答えにくいが、仕事や勉強に置き換えてしまうと当てはまらない気がする。恐らく、研究という営為の特性である。

[766] Oct 03, 2011

定期購読雑誌を四冊減らし、二冊増やした。四冊も読んでいる時間がないから、と言いたくはなくて、もう少しコストパフォーマンスがよく、得られる知見の幅が広がりそうなものにシフトするのが目的だ。泣いて馬謖を斬る。あれもこれもで慌ただしく、実り少なく過ごすくらいなら、思い切りよく選択と集中を行いたい。▼相変わらず通勤時間だけが読書の時間になっているが、もう少し余裕を見つけて会社のデスクで雑誌を広げられる時間がないかを探っている。着席してから打刻するまで。PCの立ち上がりが遅いほど、この時間は有効だ。昼休みの終わり際。あるいは、打刻した後の浮き時間。掻き集めて掻き集めて、二十分くらいは作れそうに思う。▼二十分が七日あれば二時間以上になるので、週刊誌がひとつ読めないこともない。とすれば、通勤時間と合わせて二冊だろうか――こんな皮算用で、二冊への絞り込みを決めた。精神生活を切り詰めるのも致し方なしである。

[765] Oct 02, 2011

起句は歌い始めに感動の背景を述べ、承句は叙述を重ねて背景を深め、転句は場面の転換で感動の手がかりを伝え、結句は感動の中心を述べて結ぶ。五言絶句でも七言絶句でも変わらない構成の基本であり、起承転結と呼ばれて久しい原則だが、こうした大原則というものは、手垢のついたクリシェと思わず真摯に立ち返るといつでも新しい考察が得られるものである。▼転、について考えていた。言うまでもなく、転、というのはびっくり仰天のテンではないが、起承転結で転が話題になるとき、どうもドンデン返しばかりが転と思われる節がある。しかし、原則に倣えば感動のきっかけを与える変化が転なのであり、穏やかに語りだした歌が神経の昂ぶりと共に顛末へ向かうのも、鋭く歌い出したものがこまやかな心の機微に変わるのも、どちらも転だ。こういう転があればこそ、起と結と、同じ主題が違う景色に見えて人は感動するのである。読み返してみたくもなるというものだ。

[764] Oct 01, 2011

学習の基本は反復だとよく言われる。人は同じことを六回言われないと覚えないという話を前にも書いたが、反復が記憶を強化することは脳科学的にも疑いない。ただし、正しい反復ならば――とノーマン・ルイスは指摘している。▼今言ったばかりのことに矛盾するようではあるが、実のところ単純な反復は大して記憶を強化しない。意味のない、新しい刺激のない反復は脳にとって次第に雑音となり、最終的にはほとんど認識されなくなるからだ。これは慣れではなく無視である。パーティー会場で耳が自然と遠くの会話をシャットアウトするのと同じである。▼ではどうするか。ここでまたしても差異と反復の原理が登場する。反復の基本は差異なのだ。反復に差をつけること。これが繰り返し学習の原則である。例えば英単語を覚えるなら、単語全体を眼で見て、声に出し、手で書き、一部を隠してスペルを埋め、異なる文脈で読み、違う意味の側面を知る。そういうことである。

[763] Sep 30, 2011

同窓会や忘年会で、ぎりぎりで店のチョイスに文句をつけたり、やたらと個人的な注文が多かったり、平気でドタキャンしたり、幹事に頭痛をもたらすような参加者は間違いなく幹事を経験したことのない人だ、という。幹事を務めたことがあれば、これには同意出来るのではないか。▼全員がリーダーになるわけでもないのに、どうして皆にリーダーシップを求めようとするのか、という問いに対するこの答えは面白い。実に単純な話で、よいメンバーとはよいリーダーなのである。リーダー経験のない人間は、自分自身がメンバーとして上手く振る舞えないのみならず、チームのリーダーシップを妨害するのだ。▼リーダーとは必ずしも声を大きく張り上げて、英断と主張で突き進む存在ではない。見守るのに長けたリーダーもいる。仕事の割り振りが巧いリーダーもいる。いろんなリーダーがいるが、しかしリーダー経験のない人だけはすぐわかる。彼らは、総じてわがままである。

[762] Sep 29, 2011

自分がやれば多大な時間を消費するが、先輩がやれば短時間で終わる。あるいは、若輩者が動けば他部署との軋轢を生じるが、先輩に動いてもらえば万事丸く収まる。そういう類の仕事が少なからずある。▼さて、チームとしてのスループットを考えれば、このような仕事は先輩に任せるべきだろう。しかし、そうした事情を説明して泣きつくような真似をしてはいけない。できないからお願いします、難しいので頼みます、こういう要請に社会は特別厳しく出来ている。では、どうするべきか――正しくはこうだ。「この仕事と交換しませんか。」▼仕事には種類がある。先輩がやっても、自分がやってもたいしてかかる時間に差のないような事務仕事もあれば、若輩だろうと得意分野で先輩よりも早く出来る仕事があるかもしれない。そういう仕事を先輩の手持ちに見つけて、交換を持ちかけること。それでこそチーム互助というものだ。私はこれを「仕事の司法取引」と呼んでいる。

[761] Sep 28, 2011

「人は人、自分は自分だよ。」実にさわやかで、前向きで、よく言われる、私の大嫌いな言葉である。▼前向きさに嫌なところはないが、この言葉の発される状況がどうにも好かない。他人と比較するのは無意味なことだと自分を諌めるのに使うならともかく、人が人にこれを言うときは、決まって上から下に投げられる、そういう言葉である。(上とか下とか、そんなものはないだろう、という継ぎ句も常套句である。)▼比べたところでなんの益もないじゃないか、羨んで立場が変わるわけでもなし。こんなふうに達観して見せるとき、彼はもう、自分は自分の道を行くことで満足し、あんまり幸せで、相手のことは何も考えていない。なぜ比較したくなるのか、比べたくなるような気持ちはなんなのか、そういうことには頭が回らない。回らない頭でそれらしいことを言う手合いほど苦々しいものはない。そういう意味で嫌いなのである。繰り返すが、言葉はたいへん前向きでよい。

[760] Sep 27, 2011

ここまで健康でやってきたが、β1版直前のこの月曜日、風邪をひいてしまった。夕方ごろから頭痛と鼻水に悩まされたが、なんといっても風邪などひいている暇はないので、十二時間以内には治したい。今回も物量作戦に頼ることにした。▼まずは夕食に2500kcalほどの献立を掻き込む。二千円くらいかかったがそこは仕方がない。根拠はないが、体調不良のときは日に4000kcalくらい摂取しておくと、それを使って身体が身体を治してくれるという気がする。プラシーボ効果かもしれないが、それならそれでまた良い。▼あとは栄養ドリンクとアスコルビン酸でビタミンその他を補給して、帰宅後は熱い風呂を張り汗をかく。どっぷり疲れたところでいつもより厚い布団の中へ。きっちり六時間の睡眠を経て目が覚めると、風邪はどこかへ消えていた。人間、ある程度のことは気合でどうにかなるものだ。病は気からと言うが、逆もまた真なりである。心の芯をへなへなさせないこと。

[759] Sep 26, 2011

たった十円でも、千万人から貰えば一億円になる。百円ずつなら十億円だ。――子供のころ、そんな皮算用をしたことのある人は少なくないと思う。▼大人でも考えつづける人はいるらしい。ある日、これを地で行く作戦を決行した銀行員が逮捕された。彼は職権を濫用して銀行のプログラムを改竄し、数多ある口座へ支払う利子の「小数点以下の金額」だけを、こっそり自分の口座へ転送しつづけたのである。当時、不審に思う人は誰ひとりいなかった。▼この天才的な手口は「サラミ法」と称された。一本のサラミを盗めばすぐにバレるが、たくさんのサラミから薄くスライスして集めた一本分を盗んでも、これはなかなか気づかれにくい。そんな発想から来ている。▼ソーシャルゲーム全盛はこのサラミ法に抱く感じと似ている。ただ、集金のシステムを仮想通貨で実現したために、犯罪ではないという点が前代未聞なのである。今のところ、夢の集金システムと言うより他にない。

[758] Sep 25, 2011

書店の洋書ワゴンが撤去され、新たに洋書コーナーが復活した。並んでいる大半はどう見てもワゴンから蘇ってきたゾンビたちだが、値段はいっぱしの新品である。こういう例はあまり知らない。▼安売りのうちは買う気もしないが、新品となると物色したくなるのは私の妙な性格である。広くもない棚をつらつら見ていると、まだ見たことのないボキャビルの本を見つけた。手元にはすでに三冊。今日は全部で四冊買おうと思っていたので、これも何かの縁と思って購入した。▼どうもまた語源系のボキャビルである。30のセッションにつきひとつの語幹を解説し、そこからワード・ネットワークを広げていこうという典型的なやり方だ。「語源で覚える」系の単語帳は日本にも多く、語源、語源と皆持て囃すけれども、さてしかし新しい日本語を覚えようとするとき、語源で覚えようとした記憶があまりない。効率がいいのは認めるが、最高のやり方ではないと直感的に思っている。

[757] Sep 24, 2011

世界中の言語を究めんとするほどの、ある英国の著名な言語学者がこんなことを言っていたらしい。「私は英語にはどうも興味が持てない。」▼昔、ドイツに暮らしながら、日本のことが熱狂的に好きなドイツ人の彼女を持つ、そんな男の記事を読んだことがある。彼女の情熱は、日本人の男からすると「少し引いてしまうくらいの」日本熱で、世界中に日本ほど素晴らしい国はないと信じ切っていて、髪も真っ黒に染め、早く日本で暮らそうとせがむのだという。▼知らないものだから、未知のものだから、輝いて見えるということは多々ある。外国語もそうだろう。ネイティブや帰国子女は当然、英語がペラペラかもしれないが、英語にそれほど興味を持てるかどうかは怪しい。日本人で国文学に興味を持つ人が少ないことを考えればわかる。実はノンネイティブこそ、ネイティブも疎かにするようなことまで勉強して、綺麗な英語を身につけるチャンスを持ち合わせているのである。

[756] Sep 23, 2011

31、30、31、それに7。全部足して99。なるほど、もし元旦が休みになるとしたら、あと99日働けば休日になるわけだ。帰りの電車で気がついた。高校時代、センター試験まであと何日、と黒板に刻んでいた日々が懐かしい。99日なら、いよいよ100日を切ってもう余裕がないと思っていたくらいだから、このたびもあっという間だろう。ただし去年は年越し蕎麦をしこたま頼んで仕事場で食べたというから、元旦の件もさほど期待はしていない。▼誰しも週休二日、少なくとも一日は休まなければ疲れが取れないかのようなことを言うが、ほんとうにそうだろうかと最近思う。もしそうなら数多いる自営業の方々はやっていられないわけで、休めるに越したことはないが、休まなければ体調が持たないなどというのは実際の処、だらだらしたい甘えに過ぎないのではないか。少なくとも数十日くらい終電帰りがつづいても、睡眠さえ気をつければ案外身体は平気なものだ。

[755] Sep 22, 2011

これは茨の道だ。難しいのは承知の上。しかしそこそこいいものが出来れば、他にロクなものはないから成功するだろう――こういう動機で前人未到の地へ踏み出すと、たいていの場合失敗に終わる。原因はしかし、単なる態度の甘さではない。もう少し理屈の通る説明がある。▼難しいからこそ他にロクなものがないわけで、そういう世界を歩いて行くことは覚悟にも増して難しい。ときに難しいということは、時間がかかるということだ。茨の道を掻き分けて進むのは、舗装路を悠々歩くよりも遥かに長期戦である。「時間がかかる。」ここに失敗する最大の原因がある。▼世の中の流れは早い。早いということを勘案してもさらに早いのが世の常だ。そんなとき、たとえどんな茨の世界でも、二年前、三年前に思いつくような「そこそこの物」を作ったところで、もはや時代遅れの可能性大だろう。茨の道に分け入る覚悟と言えば聞こえはいいが、これは絡め取られているのである。

[754] Sep 21, 2011

全社帰宅命令から五分。荷物をまとめて社屋を出ると傘が消し飛んだ。ビル風混じりとはいえ、これほど強い瞬間風速に出くわしたのは何年ぶりだろう。自分の身体が吹き飛ばなかっただけ良かったが、電車が止まる止まらぬ以前にこれでは会社を出られない。いちど社内へ戻り対策を立て直す。▼ゴミ袋を貰い、鞄に被せる。なにがあっても本は濡らしたくない。骨だけ残った傘は廃棄。家を出るときタオルは二枚持って出たので、このさい自分はいくら濡れてもいいと腹を括り決然と出る。豪雨、暴風。物が飛んでこないかひたすら警戒する。▼風呂上りのようなびしょ濡れで駅に辿りつき、よくこれで動くなと感心する東横線で横浜へ。降りた途端に全区間で運転見合わせとなり、動いている電車もなく駅構内で待ちぼうけになった。こんなこと三月くらいにもあったな、と思いつつ開いている店を徘徊して回る。災害は畳み掛けるのが常とは言うが、いくらなんでも今年はひどい。

[753] Sep 20, 2011

仕事の真剣さというものは並大抵ではない。アルバイトでもそうだが、「それで金を得ていた」というようなスキルは後々まで身について離れないものだ。最近、趣味の方も仕事ならもっと上達が早いだろうに、と思うことがある。本当かどうかはわからない。▼趣味だろうと仕事だろうと、真剣であれば身につき方は同じはずで、あとはそういう技術を駆使している時々、追い込まれてどうしようもないという状況になり無我夢中でやらざるを得なかったときがあるか、ないかの違いだと思う。▼仕事人は常に何らかの強制力を浴びている。明日までにやれと言われて、今の自分ではとてもできないことなら出来るようになるしかない。そう思えばネットで検索する手も早くなる、情報の吸収も早くなる。即座にアウトプットもする。何度も確認して、テストして、ようやくこれで大丈夫と安心したところへ次の仕事が来る、というわけだ。情報を捌く力は昔に比べて遥かに高くなった。

[752] Sep 19, 2011

「位置ゲー」と呼ばれるソーシャルゲームが流行しているらしい。恥ずかしながら知らなかったので調べてみた。▼「4Square(4sq)」や「MyTown」などのアプリが有名らしい。自分の現在位置を「チェックイン」することで、その位置に応じてポイントや称号が貰えるという、ゲーム形式のSNSサービスである。▼このようなロケーションベースのゲームで遊ぶことには、バーコードバトラー以上の意味がある。例えば頻繁に訪れる店でチェックインをつづければ、その店からのクーポンが届くようになるなど、ゲーム内の行動がリアルの生活に変化を及ぼすのだ。▼人間、同じゲームを遊び続けるには何らかの変化を必要とするが、「位置ゲー」は自分自身のリアルの行動が変化していくため、ゲーム側で変化を用意しなくても、ゲームのリアクションは日々変わっていく。継続を誘う仕組みがゲームデザインの中に織り込まれている点、秀逸な設計だと感心した。流行るのもわかる。

[751] Sep 18, 2011

ソーシャルゲームのブランド化が進んでいる。▼早くから予見されていたことだが、古参からベンチャー、果ては大企業まで入り乱れての製品競争で、ソーシャルゲームの世界もようやく釣りと農場のコピーゲームでは立ちゆかなくなってきたらしい。日本ではまだ動きは少ないが、アメリカを始めとするフェイスブック圏では、着実にブランド組が覇権を握りつつある。人気テレビ番組とのコラボレーション、スポーツのスタープレイヤーをフィーチャーしたゲーム、有名ブランド協賛のバーチャルグッズ。▼ブランド化のトレンドで苦しいのはベンチャーだ。いかに衆目を引くかの競争になれば、既存のブランドを活かせる大手はやはり強い。市場に出る、出てから認知される、認知されてから利用してもらうという数段階を、逆風に晒されながら駆け抜けなければならない。黎明期の単騎逃げ時間は終わったのだ。ソーシャル系ベンチャーは、来年が生き残りの正念場になるだろう。

[750] Sep 17, 2011

出張と立ち仕事で足が棒になる。デスクワークばかりだからたまには運動にいい、とも思いたいが、そのデスクワークがあんまりだと気楽なことばかりも言われない。手揉みマッサージくらいでどこまで回復するものか。▼私のように立ち慣れていない人からすると、立ち通しというのは歩き通しよりもつらい。それでも、朝から晩まで立ち通しの職業があることを考えれば、立ち方にも良し悪しがあるのだろう。少し調べてみた。▼魔法のような裏技は見つからなかったが、いくつかヒントは得た。まず、足が痛くなるのは体重の負担というよりも、血行が悪くなるからだという。だから「定期的にかかとを上げたり下げたりして血の巡りをよくする」「ときどき数歩でも歩く」「靴の中敷きを柔らかいものにする」このあたりの手段は有効だ。姿勢も影響する。余計な重みをかけないように、上半身は腰で支える気持ちでまっすぐ立つ。慣れてくると、長時間でも随分楽になるそうだ。

[749] Sep 16, 2011

あるアメリカのディレクターがこんな話をしている。プロジェクトの当初、素晴らしいアイデアをいくつも思いついたので、早速文書とプレゼンでメンバーに伝えてみた。ところが誰も良い反応を示してくれない。動こうとしてくれない。▼困り果てた彼は、それなら自分たちで考えてみてくれ、とチームにカウンターアイデアの立案を任せてみた。出来上がったアイデアは、もとのアイデアとほとんど変わらないものだった。にも関わらず、メンバーはいよいよ乗り気になり、立ち往生のプロジェクトも動き始めたという。▼チームワークでは、アイデアそのものが優れているかどうかより、アイデアを出し合い鍛えていくというプロセスを共有したかどうかの方が重要になることが多い。人はアイデアに「一枚噛みたがっている」のだ。自分が選び、その一部を創り上げたアイデアであると思えばこそ、こうしよう、ああしようという自主性も生まれ、俄然やる気も出てくるのである。

[748] Sep 15, 2011

「何が欲しいかと顧客に尋ねていたら、『足が速い馬』と言われたはずだ。」かのヘンリー・フォードは、こんな言葉を残している。▼アメリカの大規模組織では、データ・ドリブンということがしつこく言われる。アイデアを検証するにはデータがなければ話にならぬ。この発想は、分散型意思決定の行きつくところとしては正しい。どの部署の誰もが判断権限を持っているとき、ひとつのアイデアをデータもなしに云々している暇も理由もないからだ。▼しかしこうしたデータ偏重は、大切なものを見逃す危険を孕んでいる。フォードの言葉は言い換えればこうだ。「市場の声、顧客の願望からイノベーションは起こらない。」こんなものが欲しかったんだ、という絶賛は、物が出来てはじめて湧く。「顧客がそれを欲しがっている」というデータが取れないからという理由で、前人未到の大ブレイクに繋がるかもしれないアイデアを捨てることは、プロとしての想像力の欠如である。

[747] Sep 14, 2011

昔話になる。研究室に配属されての歓迎パーティー、宴もたけなわになり、それぞれ順番に自己紹介をしたときのこと。なんとも凄そうな先輩がいた。▼話によると彼は、なんとか会を主催し、なんとか委員長として活躍し、いまもなんとかチームでリーダーシップを取っているという。次々と名前の挙がる人脈も凄そうで、持っている資格も凄そうで、困ったらぜひ自分を頼ってくれ、と結んだその自己紹介はいかにも凄そうだった。なんだか凄そうな先輩だな、とうわさ話をしたものだ。▼「しょうがないな、俺がなんとかしてやるよ!」快活に携帯電話で話す声が思い出される。本当に、思いだせば思い出すほど、そういう言葉をよく聞いた気がする。けれども、なぜ、誰が、何を彼に頼ろうとしているのかは、いつもわからないのだった。▼そうして彼は凄そうなまま研究室を後にした。私も卒業した。何もわからずじまいである。凄そうであることは案外簡単なのかもしれない。

[746] Sep 13, 2011

「聞かれるなら答えます。」そんなキャッチフレーズでここ最近、急激に利用者数を伸ばしているサービス「ザ・インタビューズ」。登録すると、匿名の誰かから質問が来る。それに答える。シンプルなサービスだが、質問者が決してわからないという一点にコンセプトが集約されている。「面と向かっては聞きにくいことも、これなら聞けそう。」▼使われ始めた頃はツイッターのタイムラインがインタビューで埋め尽くされて、見ている側としては嫌な感じがしたものの、仕組み自体はよく出来ている。▼「インタビュー」と銘打って、いかにも「訊きたい」を叶えるような体裁にしつつ、実際には「喋りたい」人間にフォーカスしているところも面白い。とにかく発信したくてフェイスブックやツイッターに入り浸っている人からすれば願ってもいないサービスだろう。ひとつ欠点があるとすれば、その人がザ・インタビューに登録しているかどうか、知る手段がまだ少ないことか。

[745] Sep 12, 2011

帰路。今宵の月は皓々として秋らしく見事に美しい。しかしその月から目が逸れてしまうほど珍しいものを傍に見た。途方もなく細く、長く、はっきりとした飛行機雲。▼自然の雲ではないだろう。西の山から東のビルへ、南の空を真一文字に切り裂いて、くっきりとした輪郭にムラもなく、すうっと極細に伸びている。ほかにはひとつも雲がない。青褐色の背景、白い一条、皓々たる月。これで夜空のすべて。▼ずっと見上げながら歩いてきたたが、あんまり素晴らしいので写真に撮ろうと、家の前でスマートフォンを傾ける。かしゃりとやると、手がブレたらしい、月光が太い筆を押しつけたように尾を曳いた。撮り直そうと思ったが、眺めてみるとこれはこれで面白いので、そのままポケットに仕舞う。気分物は撮り損じたらそれまでだ、とも思うのだ。一息ついて、ベッドで出来損ないを眺めてみる。こういうものを芸術と呼びたくなる前衛芸術家たちの気持ちが少しだけわかる。

[744] Sep 11, 2011

「僕の批評文は、今まで主観的、独断的、心理的、非合理的等々様々な形容詞を冠せられた。形容詞である限り、恐らくどれも当たっているのだろうと思う。ただ自分に確かな事は、いつも僕は同じところに止まっている、何処かに出掛けて行っても直ぐ同じところに舞い戻って来る事だ。同じところとは批評が即ち自己証明になる、その逆もまた真、というそういう場所だ。」▼批評方法など全ては批評家の纏う意匠に過ぎぬ。小林秀雄はそういう態度で批評文を、批評的雑文を書きつづけてきた。雑文というのは謙遜して言うのではない。本当に雑文であると信じているのだ。意匠を脱いだ批評文が、雑文でないはずがない。彼は、自分の系譜がどんな形容詞でも修飾できるような批評的雑文に満ちていることを確認して安心している。そして、その逆もまた真――批評を通じてしか現せない自己があり、自己証明とは批評そのもの――この境地に至れば、何々家もこれ以上あるまい。

[743] Sep 10, 2011

二次元で考えてみよう。半径1の円の体積、即ち面積はπ、その円に外接する正方形の面積は4である。三次元ではどうか。半径1の球の体積は3π/4、その球に外接する立方体の体積は8になる。▼どんな次元でも、中心からの距離が等しい点の集合である「球」や、(±1,±1,...,±1,)を頂点として距離2の点同士を線で結んだ「立方体」を定義できる。それぞれ超球、超立方体と言う名がある。▼敢えて二次元の面積を体積と書いたように、どの超球、超立方体にも体積がある。興味深いのは、この超球/超立方体の体積比が次元の増加と共に減少していくことだ。二次元で約0.8であった比は、三次元では約0.5まで落ちている。この比は無限に減少していき、∞次元では0になる。つまり超高次元世界では、ほとんどの単位空間内の点は「端っこ」にあるのだ。単位空間を格子状にサンプリングする場合、この性質は非常に厄介である。いわゆる「次元の呪い」である。

[742] Sep 09, 2011

500円玉を1枚だけ持つ人と、1000円札を1枚だけ持つ人が同じ人数だけ居て、ぐるりと輪をつくっている。会費回収者であるあなたは、彼らから500円を回収して回らなければならない。このとき、手持ちの硬貨/紙幣がゼロ――つまりお釣りの持ち合わせがない状態――でも、ある人から回収を始めて輪をひとまわりすれば、釣りが払えなくなることなく全員から会費を回収できることを証明せよ。▼夕飯時、クイズやパズル好きの同僚と蕎麦屋に出て、いくつか面白い数学クイズをもらった。そのとき、こちらが考えているあいだに彼が暇しないよう提供した問題である。難解すぎず、安直すぎず、シンプルながらなかなか骨のある問題で、自明と思われるところまでは辿り着くのに、そう簡単には証明完了と書けないところにじれったい楽しみがある。数学好きには楽勝かもしれないが、証明タイムアタックにでも挑戦して欲しい。もちろん、総人数に関わらず成立する。

[741] Sep 08, 2011

動きにキレがない、という言い方をする。トークにキレがない、とも言う。なんにでも使える表現かもしれないが、あまり濫用すると、言った方はそれでいっぱしの駄目出しが出来た気になるし、言われた方はなんだか曖昧に納得してしまう。そんなことではよろしくない。「キレ」とはなんだろうか。▼メリハリがあるとか、緩急がついているとか、言い方を変えてみても始まらないので、ちゃんとキレの要点をまとめてみると、こんなふうになると思う。「弛れないようリズムよく進行つつも、印象的なシーンには充分な時間を割いていること。また、そのようにデフォルメされていること。」▼キレは自然に備わるリアリティではなく、人工的な強調のデフォルメである。だからこそ、キレのあるダンスを踊るのは大変なのだ。キレがない、という言葉には、単に抑揚が不味いということ以上の意味が込められている。魅せるべきところを魅せきれていない、演出技術の不在である。

[740] Sep 07, 2011

今日はCEDEC2日目。午後一から国際ゲーム開発者協会(IGDA)のエグゼクティブ・ディレクター、ゴードン・ベラミーの講演を聴く。IGDAとは何か、どういう活動をしてきたか、これから何をするつもりか、どちらかというと説明寄りの講演で若干退屈もしたが、質問の時間ではメンバーの方々が活発なメッセージを発信してくれたので楽しめた。IGDAは、ここ三年で飛躍的に成長した「世界でもっとも活発なコミュニティのひとつ」である。来年の活動予定も満載だ。まだまだ成長していくだろう。▼夕方からはマネタイズとゲーミフィケーションに関する講義、パネルディスカッションを聴講。どちらもノートはメモであふれたが、特に最後のディスカッションは今のところいちばんの当たりだった。「基本無料」が当然の世界でマネタイズに成功してきたプロたちは、どんなことを考え、実行しているのか。聞く機会のなかった話をたくさん聞けて満足している。

[739] Sep 06, 2011

CEDEC2011を聴講した。明日も聴講するので総感を書くには早いが、たいていのカンファレンスがそうであるように、役に立つ情報を仕入れられたものもあり、既知の内容ばかりで退屈したものもあり、あまり感銘を受けない講義もあり、興味深いセッションもあり。もちろん、こちらとしては良いところだけ聴いてくればいいので、なんにしても参加して損はない。▼ライアン・ペイトン『僕の海外ゲーム開発ストーリー++ 〜日米両方でAAAゲーム開発をして分かったこと〜』は特に面白く聴いた。抽象的な文化比較に堕していなく、話のトピックのところどころに「実感」がある。「僕はリスクテイクが大好きなんだ!」と語るとき、聴きとるのに苦労するほど早口で熱のこもった調子になるあたり、芯からクリエイター気質なのだろう。そんな彼の説くクリエイションの冷静と情熱は、現実的で、希望的で、実践的で、哲学的で、いい講演に共通する楽しさがあった。

[738] Sep 05, 2011

人間の思考様式で問題となるのは「頭に浮かんだ考えについて、良い/悪いの判断を早期に下しすぎることだ。」クリエイティブ思考などで有名な、かのエドワード・デ・ボノ博士は言っている。思いついたら即、良さそうダメそうと言わず、ちょっと落ち着いてみよう。そんな一息から創造性が生まれるというのである。▼しかし、そうはいっても思いついたものをなんでもかんでもキープしておくわけにはいかない。そんなことをしていたら頭の中はあっというまにゴミ屋敷になってしまう。何を残すかについて、良し悪し以外のものさしが必要になるだろう。私はそれが「良くも悪くもないが、面白そうだ」という嗅覚だと思っている。▼嗅覚、即ち未来への想像力だ。「その種は、どれくらい大きく育ち得るだろうか。」言わばイエス・ノーという二択形式を、連続値の評価に落とし込んでいるわけである。拾い上げる物を決める線引きは、鞄の余裕に応じて好きに決めればいい。

[737] Sep 04, 2011

今日、休憩がてら会社の屋上に出ると、どこから迷い込んだのか白猫が佇んでいた。これは珍しい客だと思って近寄ると、さっと逃げる。寄っても寄ってもすぐに逃げてしまうので、とうとう顔もよく見られなかったが、時刻は午後五時頃、暗みはじめた雲空の背景には遠巻きの姿が似合っていた。▼猫のことは気にせず、屋上へ上がる非常階段の真ん中に腰掛けて、しばらく雲を見ていた。東西南北、ぐるりと見回すと、どこの雲もまるで形が違う。遠くの群雲は微動だにしないのに、その手前にあるらしい薄い雲の層は手の届きそうな距離を滑るように動いていく。遠方は暗く、雲間は明るい。頭上は雲のあいだに無数の青い亀裂が走ったようになっている。背後にこんもり、塊の雲がある。▼僕は雲がいちばん好きだ、と言うボードレールも、いつかはきっとこういう変幻自在の空模様を見ていたに違いない。自分には雲さえあればいくらでも詩想が湧いてくると感じたことだろう。

[736] Sep 03, 2011

庭に関することを様々調べている。庭といってもガーデニングではなく、庭園の方だ。図版を眺めたり、庭造の哲学を調べたり、石や樹木の名称を調べたりしている。思ったより得るところが多く、面白い。▼「意匠を起こすに当たって第一番目になすべきは、庭中の主題を定めることである。守護石、真木の位置がそれである。次に、築山の高低・遠近、泉水の広狭・屈曲を考え、さらに樹石・燈籠・垣牆等の配置を工夫すべし。」「池に水を引く前は、近くの築山は高く見える。しかし、いったん水を引き入れてみれば、意外に山は低く感じるものだ。これをあらかじめ計算に入れること。」▼こんな作法のあれこれをいくつもいくつも見ていると、プロの仕事というものは本当に何気ないようでよく考えつくされていると痛感する。絵画や音楽にも通じるところが多々あって、具体的なロジックを音づくりに転用したらどんなふうになるか――いつの間にかそんなことを考えている。

[735] Sep 02, 2011

こんな言葉のドメインを取る人もいないだろう。そんな興味で「ドメイン検索」をかけてみると、よほどどうでもいい言葉まで.comが取られていることに唖然とする。.netや.orgが空いていても、.comだけは埋まっているというありさまだ。しかも肝心のアドレスに飛んでみると、使われていなかったり、別のサイトに飛ばされたりする。維持費も無料ではないのだから、実に無駄なことだ。ドットコムバブルの残滓を見る思いがする。▼もうひとつ、ドットの後につづく文字列も無闇に増えすぎた。ずらりと並ぶ二文字の無意味な組み合わせ。アドレスは短ければ短いほどよいと信じられた時代の残骸である。このサイトも人のことは言えないが、検索サイトから辿ることが当然になった今、ドメインが三文字であるか二文字であるかに本質的な違いは何もあるまい。持て囃されるものは、何が前提で持て囃されているのか、その前提が崩れることはないか、よくよく考えたほうが良い。

[734] Sep 01, 2011

「そう、slithyは滑らか(lithe)で粘っこい(slimy)ってことさ。……まるで旅行かばんのようだろう?」▼こうした合成語が「かばん語」と呼ばれるようになったのは、『鏡の国のアリス』作中におけるハンプティ・ダンプティの台詞が元だと言われている。「ふたつの意味が、ひとつの言葉に詰め込まれているから」旅行かばん。これだけだとややピンと来ないものもあるが、ときにはもっとたくさんの言葉を混ぜあわせてつくることもあるから、ごちゃまぜの感じを出すにはちょうどよい。▼言葉には、表しうる意味の限界がある。こうした言葉の「外郭」がときどき作家を真剣に悩ませる。殻同士がぎりぎり触れ合う程度の、微妙な二単語の中間が欲しいとき、ふたつとも記して置くという妥協が出来なければ、かばん語を使わずにはいられないのだ。誰だか忘れたが、かばん語を「言葉のアンチエイリアス」と表現した人がいた。これは巧いことを言う、と思った記憶がある。

[733] Aug 31, 2011

「400」を始めたのも二年前の八月末だが、どうも私は、夏の終わりに何か新しいことを始めたくなる性格らしい。今日からまたひとつ、新しい習慣を始めた。英語マイノートの作成である。▼何の変哲もないコクヨの6mm掛け、30枚綴りの薄いA5ノート。メモ帳ほど雑然と使う気はなく、学生のノートほど整然と纏める気もない。ただ、日々何か触れた言葉や面白いフレーズを手癖程度に書きつけて、一冊が埋まったら読み返してみるのも面白かろうと思っている。それくらいの気軽さで使いたい。▼持ち運ぶのもなしにして、いつも会社に置いておくつもりでいる。なんといってもほとんどの時間は会社に居るのだし、なにより私が自分に携帯を義務付けたものは長く続かない。続けることより持ち運ぶことが面倒になり、そのうちバッグの底でくしゃくしゃになり、どこかに忘れてくる未来が眼に見えている。朝の電車で知った言葉を、打刻前に書きつけたりして遊びたい。

[732] Aug 30, 2011

グーグルストリートビュー風の画面で街を辿り、探偵として事件を解決する。そんなゲームがあるらしい。教えてくれた友人曰く、これがなかなか凄まじい「リアリティ」だという。ゲームの詳細は聞けなかったが、この発想は面白いと思った。▼もともと、グーグルストリートビューは街の映像という現実を、ウェブ配信に即した形で断片に切り取ったアプリケーションである。現実を現実以上によく理解するための道具ではないし、現実以上にリアリティのある映像でもない。▼ところが、日々ストリートビューを使いつづけているうちに、やがて「このインターフェースで体験する映像は現実のものだ」という認識が刷り込まれてくる。自分の家の周りを、最寄りの駅前を、旅先の思い出を、まだ見ぬ外国の道を、そしてゲームに登場する架空の街を、同じインターフェースで見るのである。少なくともストリートビューのヘビーユーザーにとって、リアルに感じるのも無理はない。

[731] Aug 29, 2011

「謙譲は賞賛を求めるときの唯一の確かな餌である」とチェスターフィールドはある手紙に書いている。「謙遜は、人の称賛を嫌がるように見えるが、その実はもっと称賛されたい欲望に過ぎない。」これはラ・ロシュフーコーの箴言。「過度に謙遜な人を真に受けてはいけない。ことに、自分で自分を皮肉るような態度を信用してはいけない。その背後には、たいがい虚栄心と名誉心の強烈な一服が潜んでいる」とはヒルティ。▼敢えて邪推に近い意見を集めればこうなるのも当然、とはいえ、やりすぎた謙遜や謙譲が考え深い人の目にどう映るか、「どう映るかもしれないか」を知るには充分である。謙譲が良心の美徳かどうか、論じてみても意味はあるまい。謙譲とは態度であり、態度とは処世である。相手がなければ処世はない。「謙譲であれ! これは人の機嫌を損ずることがいちばん少ない一種の高慢である。」概念的なことをあれこれ思うより、ルナールのこの言葉が易い。

[730] Aug 28, 2011

「位置法」という記憶術がある。ランダムにならべられた言葉や出来事を、自分のよく知る道筋に「目印」として配置していき、思い出す時はその道筋を辿っていく、というものだ。「あの角を曲がったところに「猫」がいて、路地を抜けると「太陽」が……。」少なくとも短期記憶であれば、覚えるものがどんなものでも格段に記憶力が向上すると言われている。▼海馬周辺に備わる「出来事を記憶する能力」は、もともと「自分の位置を記憶する能力」から進化したものだ。動物にとって、広大な世界のどこに自分が立っているのかを把握することは生き死にの問題である。そうして自分の位置をより正確に知るためには、自分がちょっと前どうしていたか、どんな意図で今に至ったか、これからどこへ行こうとしているのか、という前後の文脈が重要になってくる。自分の足取りを知る手がかりとして生まれたのが「記憶」なら、位置法が効果的なのも脳科学的に当然というわけだ。

[729] Aug 27, 2011

「若い頃はバイトや仕事で時間を使うのも惜しまれたので、ただひたすら自分の趣味に邁進しました。毎日何枚も絵を描いて、映画をたくさん見て、メモを取って……。」そういう鍛錬がようやく実を結んだんだと思います、とこの手の回顧録は結ばれる。なんだかいつも読んでいて複雑な気持ちになる。▼人から見ればまるで自堕落な生活に見えるかもしれないが、真剣に勉強していたんです、という言い分はよくわかる。熱意も伝わる。安心もなく、定職もなく、日々修行に打ち込んで過ごすなんてこと、中途半端な覚悟では出来まい。しかしこのエピソードは、たとえば「自分もあなたのように」と憧れる若者に、いったい何を残すのだろう。▼こうした武勇伝を語る成功者は、一流になりたければ私のようにやりなさい、などと言いはしない。しかしどことなく「そうしなければ成功は望めないんじゃないかな」という空気を漂わせているのも事実である。出来ない人にはつらい。

[728] Aug 26, 2011

上田万年は幼い頃から斎藤緑雨と付き合いがあった。少年時代は回覧雑誌をつくり遊んだ仲だという。そんな上田万年に、あるとき辰野隆がこんなことを言った。「先生もかつて一度は文学少年だったのですね。」万年先生、愉快そうに笑ってこう答えたという。「こう見えても、いまだって文学老年なんだぜ。」▼芸術は子供の頃にしか成らない。青年の頃にしか磨けない。社会に出れば時間もなくなる。歳を取れば感性も古くなる。「もう遅すぎる。」――いまだって文学老年なんだぜ。これは、そんな溜息をひといきに吹き払う痛快な言葉である。▼文学少年でありたかった、文学青年でいればよかった、そんなことを言っているうちは文学壮年にも文学老年にもなれない。今、そうありたい人だけがそうありうるのだ。こんなことにも興味があったけれど、という過去への羨望は、今の自分にも夢があふれているようで心地良い、が、その夢を見るために現在の時間を捨てている。

[727] Aug 25, 2011

コンセプトとは全体を包含する枠のようなものではなく、体積を持たない点である。そう考えたほうがよいのではないかと最近思っている。▼コンセプトが内部に空間を持つ枠であるという発想は、知らず知らずにいろんな未来を殺している。何か新しいことを思いつくたび「これはコンセプトを逸脱していないだろうか」というバリデーションがかかる世界では、くっきりと枠に嵌った調和的なものは創れても、華やかで、多彩で、独創的な作品を創り上げるのは難しい。▼そうではなく、コンセプトは点である。こう考える。アイデアはその点から植物のように伸びていくのだ。そこでは、コンセプトに「収まる」という概念は存在しない。それでいて、全てはコンセプトに「繋がっている」ことが保証される。そうして、自由自在に伸びきったあとで、最後に全体の調子を整えるべく、あまりにも不自然な部分を刈り取るのである。芸術の思考とは、そういうものではないだろうか。

[726] Aug 24, 2011

365日パスタを食べよう、と看板を掲げた店でパスタを食べる。大言壮語するだけあってなかなか美味しい。ランチでも千円、夕食なら千五百円と、値段は張るが、それ相応の食後感は得られる。リゾットを頼んだ女の子にも味はたいへん好評だった。▼ところでスパゲッティを食べるとき、フォークに麺を絡め、スプーンの上でくるくる巻くというやり方は、どうも正式な作法ではないらしい。私は面倒なので箸が使えれば箸、なければフォークだけで食べてしまうのだが、そのフォークだけで食べるというのが本来正しい食べ方なのだそうだ。スプーンを添えるのは、不器用な子供が「仕方なく」そうするという、大人としては感心されない食べ方だという。▼また、パンでスープをすくって食べるのは是か非か、これも地域によって異なるものの、基本的には「非」と思っていた方がよいらしい。本場イタリアでは許容されても、イギリス・フランスでは確実にご法度なのだとか。

[725] Aug 23, 2011

「思い出せ。スーパーサイヤ人は自責の念から生まれるんじゃない。怒りだ。怒りで覚醒するんだ。自分がダメだと思うなら、責めるな、ダメさ加減に怒れ。」私が言われた言葉ではないが、背中にこんな叱咤を聞きつつ、なかなかの名台詞だと思った。あんまり名台詞すぎて、もし本人がこれを見たら、自分のことだと気がつくかもしれない。▼自分はダメなやつだ、と思うことと、自分はこんなことじゃだめだ、と思うことのあいだには大きな隔たりがある。小さな言葉尻の違いが、思考を閉じたり開いたりするものだ。自分がダメであるという(少なくとも当人にとっては)動かしようのない現実を、せめて熱に転じることが出来るか、出来ないか。決定的な違いである。▼そうして熱に出来るなら、それこそ現実を受け入れることの恩恵である。自分のダメさから眼を背ける人間は怒ることも出来ない。覚醒もしない、奇跡も起きない。偽りの万能感で進める距離は限られている。

[724] Aug 22, 2011

美術館に行きたい。このごろは眼で見る芸術にちっとも触れないので、絵画でも彫刻でもとにかく何か素晴らしい物を見に行きたいという気持ちが強くなっている。来年、休みが取れたら東京にでも出てみよう。そうぼんやり思いながら、いまは数十年前の画集を開いて満足する。▼私は絵を描かないが、デザインは今でも必要に応じてする。そのとき、何かロジックに従ったり、基となるデザインを参考にしたりはしない。そこまで本格的にやる必要がないからという理由もあるし、まっさらな状態に「なんとなく」物を配置していくのが好きだからというのもある。▼美術品の観賞は、この「なんとなく」の置き方にささやかなセンスを養ってくれる。本職の絵描きなら本物から受ける印象の方が遥かに重要かもしれないが、ささやかなセンスの醸成くらいなら写真でもいいのだ。なるほど、と合点のいくような発見はなくても、脳の奥には優れたバランスの記憶が静かに沈んでいく。

[723] Aug 21, 2011

誰かの実用に供するため、わかりやすさと細部の表現に凝る。基本的には定められた形式に従い理論的に創り上げていくものだが、表現手法の選択により作者の哲学を織り込む余地もある。音楽における楽譜制作のこの楽しみは、建築における詳細設計の楽しみに似ているのではないかと思う。▼物事の楽しさはやってみなければわからないと相場が決まっているものだが、それにしても楽譜作りがここまで楽しい作業だとは思わなかった。地味で退屈なルーチンワークを想像していた私には驚きである。音の「意味」にまで気をつかうということは、DAWの音階画面ではあまりない。▼楽譜にしてみてわかることもたくさんある。細部のニュアンスまで決定できる打ち込みに比べれば、指示できることが圧倒的に限られてくるので、このフレーズの本質的な特性は何か、最低限守ってほしい奏法は何か、そういう持ち味のようなことも考えるようになる。流石、楽譜は音楽の教科書だ。

[722] Aug 20, 2011

厳密な理論や形式、評価基準による作品の分析よりも、その作品からどのような感じを受けたかという印象の側面の記述を重視する批評の方法を「印象批評」という。印象批評は客観的で分析的な理論武装を纏う代わりに、作品という個性を批評の個性で捉えることに意味を見出す。自然科学的な態度とは相反する概念だ。言わば、批評という形式を通じて批評家が個性を発露するのである。▼こうした印象批評は自然科学の興隆につれて客観的批評に代わられた、と批評の歴史は言っている。しかしどうだろう、世の中はふたたび印象批評の支配する世界になりつつあるのではないか。ブログのレビューやニュースサイトの記事は、執筆者の印象で埋め尽くされている。情報を受け取る側も、もはや過去の新聞が提供していたような客観的・分析的事実などではなく「誰々さんの印象批評」見たさにお気に入りのサイトを巡回している。良し悪しはさて置き、印象批評世に再び、である。

[721] Aug 19, 2011

1ドル76円。戦後最安値も更新された。円高ドル安は留まるところを知らない。▼バークレイズ銀行、JPモルガン・チェース銀行、主要な投資家の集う大手ストラテジストの発言には、ネガティブなシナリオにもポジティブなシナリオにも「ドルが買われる」未来がない。「米債務問題はどう転んでもドル売りだ。」リスクを取る投資家にも取らない投資家にも、いまとなってはドルを保有するに何の魅力もないらしい。▼経済学がどう理屈に辻褄を合わせているか知らないが、借金の返済を借金で行うというポンジ・スキームのようなやりくちが国レベルでまかり通っているというのは恐ろしいことだ。国債とはそういうシステムなんだと言われたところで、常識や直観はこれを尋常でないと訴える。国家という重量級が、超高速で走らせる自転車操業。ブレーキはついていない。唐突に地面が傾いて、下り坂になり、傾斜はきつくなるばかりだ。しかしかごには国民を乗せている。

[720] Aug 18, 2011

楽譜の書き方をよく知らないので、待ち時間を縫って基礎知識を仕入れている。絵や文章や音楽には日常生活の最中に触れることがあっても、楽譜というのが必要がなければ見ることもないものだ。耳で弾く習慣がついていると、日々楽器を演奏していてさえ遠ざかる代物である。▼そんな調子なので、編曲して置きながらそれもどうかと言われつつ、わからないものはわからない。手持ちの楽譜と照合しながら演奏記号や発想記号のリストを眺めて、とにかく情報を吸収する。何事も、やりはじめたときがいちばん効率よく学習できるので、最初からトップスピードで身を投じることが大切だ。▼書く方も、ソフトの扱いが非常に厄介なので、同時に慣れていくことにする。やったことがないことをやるというのは、常に脳がフル回転してくれるので嬉しい。既修者から見たら、何をそんな些細なことで……と思うようなことで真剣に頭を抱える。それが心に良く、頭にも良いのである。

[719] Aug 17, 2011

方々から挙式二次会のお知らせが来た。ある日、メールを開いたら、唐突にたくさん来ているので面食らってしまったが、なにより日程の都合上、どれにも参加できそうにないのがつらい。仕事で行けないんだ、と淡白な返事を返すほど冷たい仲でもなく、さりとて行けないものは行けそうになく、返信を書く手が何度も止まる。これほど悩ましい逡巡もなかなかない。▼仕事で……と断りばかり入れているうちに、中学高校時代の友人とも疎遠になりがちだとしたら、こんな悲しいことはない。あいつはいつも忙しいからな、と思われることほど不名誉な話はないのである。寛容な友人ならそれでもまだいいが、三ヶ月後の日曜日に仕事で不参加の断りを入れる文化のない世界では、そんな日に「仕事で」など建前以外の何にも見えない。知らず知らずつきあいの悪い人間像が浸透していく。こういうことを考えだすとやはり怖いので、メールの文章にもついつい神経質になってしまう。

[718] Aug 16, 2011

楽譜作成ソフト「Finale2011」を購入した。これでようやくパソコン上でも譜面が作れるようになる。▼データの作成はこれまで通りCubaseで行うとして、それを譜面化するときにFinaleでMIDIデータを読み込むことになるのだが、読み込んだデータをヒューマンプレイバックで再生してみたいという興味もあり、いろいろ設定に腐心してみた。ところがどうやら読み込めない。調べてみると、手持ちの音源には対応していないようだ。楽曲作成環境ではなく譜面作成ソフトなのだということを改めて思い知る。▼その代わり譜面を作成するというただひとつに機能については、愛好者曰く「出来ないことはなにもない」と言う。そうだろうなと直観せずにはいられない、恐るべきツールボックスの山が左右上下に密集している。使いこなすには相当の時間を要するだろう。ピアノ譜あたりから形にして、徐々に書き込みを増やしていきたい。これを使った面白い事もひとつ、考えている。

[717] Aug 15, 2011

悩んでいる、と言葉ではひとくちに言うが、悩んでいる状態には大きくわけてふたつの異なる状態があるように思う。「悩みに苦しめられているとき」と、「悩みについて考えているとき」である。▼苦しめられているとき、文字通り張本人は苦しい。どうしていいか何もわからず、ただ痛みが引くのを待つしかない。やがて痛みが引くと、次第にものを考えられるようになる。なぜ悩んでいるのか、何に悩んでいるのか、どうすれば解決できるのか。そういう思考が頭を巡る。▼この段階で、はじめて人に相談できる。人は慰めもするだろうし、説教もするだろうが、苦しんでいるときにはどちらもたいして役には立たない。自分自身で冷静に悩みの輪郭を考えられればこそ、はじめて人の言葉を容れる余裕があるのだ。悩みは苦しみと思考を躁鬱の波のように繰り返す。放っておいても悪化して心を蝕むばかりだが、相談のタイミングを間違えると傷を深くする。実に厄介な毒である。

[716] Aug 14, 2011

何か険しく新しいことをはじめるには、関連する道の専門家から意見を収集することが欠かせない。しかし、ここで早くも間違えることがある。収集すべきは「意見」であって、「事実」ではない。事実の収集なら、専門家を俟つまでもないだろう。▼専門家が専門家たる所以は、ある現場に対して即座に独自の意見を持つことができるからだ。「こんな判断が望ましいのではないか」「これは〜がもっとも大きなリスクになりそうだ」「ここに大きなチャンスがありそうだ」それが出来なければ、彼は専門家ではない。過去の出来事を喋りつづける「専門家まがい」である。▼そもそも事実とは、ある確固とした意見のもとに現状を眺めたとき、はじめて獲得し得るものだ。こちらの態度も決まらぬうちに何の事実もありはしない。専門家を集めてまずやらなければならないのは、誰の意見に従うべきかを決定することである。その前に架空の「事実」など分析しようとしてはいけない。

[715] Aug 13, 2011

”First Things First”――いちばん大切なことからやりなさい、という意味のイディオムである。▼何事も集中力が大切だ、とよく言われる。こういう言い方をされると、脳の回転力が決定的なパフォーマンスの決め手のように思えてくる。しかし、何も瞬間風速だけが大切なわけではない。集中するということは、選んでいるということだ。やるべきことが三つある状態で、人は手元の仕事に集中などできない。▼もっとも効率よく多くの仕事をこなす方法は、ひとつのことしかやらないことだ。ひとつのことしか出来ない自分であることだ。なぜあの人はあんなにたくさんのことが出来るのだろう、と見える人に思いのほかマルチな人間はいない。彼らの多くはシングルコアである。リニアな仕事の積み重ねが、結果として多岐にわたっているだけなのだ。全部いちどに真似て、とても真似できないと絶望して、才能の差に理由を押し付けるのは、行動の修練が足りない証拠である。

[714] Aug 12, 2011

「愛や憎しみ、あるいは恐れの場合、我々は万人を愛するわけではないしすべての人間を憎むわけでもないし、誰も彼もが恐ろしいわけでもない。ところが怒りに触れられぬ、怒りの攻撃を受けぬものはない。敵に対してばかりでなく友人に対しても我々は怒るし、子供にも親にも、それどころか恐れ多くも神々にも動物にも、さらには心のない器具にまで腹を立てる。」▼怒りは数ある人の感情の中でも異様な存在である。それは感情であり感情ではない。怒りを帯びた欲望も、喜びもあるのだ。欲望であれば相手をなんとかして追いつめよう、打ち負かそう、罰してやろう、という低俗な欲望となり、喜びであれば罰せられて不名誉や怪我を蒙った相手を見て感じるような醜悪な喜びになるだろう。言わば全ての感情の最低にあるものが「怒り」であると言ってもよい。怒りはすべてを台無しにする。いっそ台無しにした方が良いという稀な場合を除いては、怒りで得することはない。

[713] Aug 11, 2011

「いにしへより聖賢はことごとく貧賤、何ぞ況んや我輩の孤にして且つ直なるをや。」これは作者の鬱々たる心情だが、貧しくも正しいと信じる我が身を過去の偉大な人々になぞらえて安心しつつ、一方で「貧すれば鈍する」という真理と折り合いをつけるのに苦労する、そういう心は世に溢れている。貧乏の方が圧倒的に多く、鈍している人間の方がやはり多い、そんな昏い符号は何をか言わんやだ。▼「労働は貧乏という原罪に対する贖罪だよ。俺は貧乏という原罪を背負ってないから働く必要がないんだ。」こういう実に印象的な台詞を現代の貴族から聞いた。面白い言い方をすると思った。原罪と言われては、これはもう太刀打ちする術がない。必要がないと断言しつつ、事実、必要のない人間にかける言葉はないものだ。聞いて私は笑ったが、皮肉で笑ったわけではない。純粋に「そりゃあそうだ」と思って笑った。こういう奴は鈍することもないだろうと頼もしくさえ思った。

[712] Aug 10, 2011

箱一つに収まらないほど大量の本がアマゾンから届いた。これでギフト券も無事期限内に使い終えたので、積読にならないようしばらくは消化期間に入る。通勤時間だけでも読書に宛てれば日々十頁は読めるだろう。▼読書、読書で仕入れてばかりいるときには気がつかないが、こう生活上の理由で嫌々ながらも制限されてみると、「読書とは人に物を考えてもらうことである」というショウペンハウエルの言葉が身に沁みてわかる。たしかに文字を読んでいるあいだは物を考えられない。しかし、読んでいるのはよく考えられた文字なので、それを追っているとだんだん自分で考えているような気分になってくる。熟考の末、脳は著者と「同じ結論に辿りついた」ようなフリをする。▼こうして「アームチェア思想家」が誕生するというわけだ。読書を否定する気はさらさらないが、たまには本を読めない自分の生活について真剣に考えてみよう。読書習慣がいっそう輝くかもしれない。

[711] Aug 09, 2011

ある大手広告代理店の企画会議では、全会一致で賛成となった企画は没にするという。皆が諸手を挙げて乗るようなアイデアは、既に他社でも検討されている可能性が高く、後手を踏む危険が高いからだそうだ。しかしここにはもうひとつ、意思決定という行為に関して重要な意味がある。▼全会一致の決定が間違っていた場合は話にならないが、仮に正しかったとしよう。しかし、いかなる決定も永遠に正しくありつづけるわけではない。事情の急変でプランが実行不可能になったとき、外界の事件で最初の決定がもはや正しくなくなったとき、待ち受けている現実は、誰一人反対意見を持っている人もいなければ、カウンターアイデアについて考えたこともないという破滅的な現実である。▼不和を通過しない決定に懐疑的であること。どんな世界でも変わらない長生きの秘訣だ。勝算に張ろうと慎重に賭けようと、ただひとつの決定に身を委ねる行為は、例外なくギャンブルである。

[710] Aug 08, 2011

着想や雑学を詰め込んだメモ帳も宝の山には違いないが、完成された過去の自分の作品は宝物庫である。宝物庫だからといって宝物ばかりしまってあるわけではないのだが、物置の整理がてらときどき訪れてみるといいことがある。ビギナーズラックが引き当てた偶然の賜物も、改めて調理し直すと化けることがしばしばだ。▼数年を越えてさらに古い作品には共通して言えることがひとつある。素晴らしいパーツなら稀には見つかるのだが、全体としてのクオリティが低いのだ。要するに、コーディネート力が足りていない。ここまでがどういう流れだったか、次に何を配するべきか、どのシーンをもういちど読みたくなるか、どの音をもういちど聴きたくなるか……。こういうことは完成品をいくつか仕上げてみないとなかなか意識に登らないものだ。そういう佳句や名和音を拾い上げて、素敵な流れのうちに蘇らせてあげるのが、過去の自分に学びつつ進歩するということでもある。

[709] Aug 07, 2011

読み始めた小説の最初の頁に「iridescent」という単語があった。ふだんあまり辞書を引きながら読まないが、たまたま辞書の使える環境だったので調べると「虹色の」「玉虫色の」とある。なるほど、iris/iridか、と単語については納得したものの、ふとならんだ二つの言葉が気になった。▼たしかに変化する不定の色調という点で虹色と玉虫色は同じものかもしれないが、私はなんとなく虹色の方が七色のグラデーションに固定されているイメージがある。玉虫色はぎらぎらと定まらず落ち着かず、色と呼べない渦巻く色の印象だ。だからこそ曖昧な状態を言う言葉にもなる。説明を見る限り、「iridescent」はどちらかと言えば後者の意味が強いらしい。虹色はやはり「rainbow-colored」と言うべきだろう。▼余談だが、次の日”FreeDictionary”のトップページへ行くと、日替わりの単語紹介が、まさかの「iridescent」だった。単語の総数を考えると、奇跡的な確率である。

[708] Aug 06, 2011

「夜熱依然午熱同、開門小立月明中。竹深樹密蟲鳴處、時有微涼不是風。(楊万里「夏夜追涼」)▼「夜熱依然として午熱に同じ。門を開いて小立す、月明の中。竹深く樹密にして虫鳴くところ、時に微涼有るもこれ風ならず。」昼の熱を引きずるようになると、真夏の夜もいよいよたまらない暑さになる。夕方ふと涼しくなったかと思うと、陽が落ちてから巻き返してくるこの湿っぽい暑さはどういう仕組みなのだろう。都会では虫の代わりに風鈴が鳴く。しかしこれも風ならず。ベランダに出てさえ涼しくない。▼午前四時。ぬるいシャワーを浴びて体を冷やす。節電の代わりに水を消費してもつまらないので、長々とは居ない。部屋の気温に代わりはないが、体の方が落ち着けば、少しはゆっくり眠れるだろう。ダメ押しに冷たい水を飲む。天河只在南楼上、不借人闊齠H涼。蒸し暑い外界に一滴の涼味も零してくれない天の川に比べれば、ウォーターサーバーは本当にありがたい。

[707] Aug 05, 2011

あらゆる仕事には作業的側面と創造的側面がある。作業的側面は、時間があればあるほどよい。単純に時間のかかる仕事であり、たいていは仕事全体の大部分を占めている。この側面を進めることは、仕事の「完成率」に貢献する。一方、創造的側面は、進行に集中力を必要とする。集中力が閾値を越えない限り、まったく進まないことも珍しくない。この側面は仕事の「完成度」に貢献する。▼あまりに自由な時間がありすぎると、常に集中力の低い状態でいるために、しばしばこの「集中力の壁」が越えられない。越えられないので諦めたり迂回したり妥協したりして、創造的な側面のクオリティを落としてしまう。人間、時間が無ければ無いほど集中力が高まるように出来ている。時間が無ければ、完成率の進みは遅れるものの、微妙な物をつくる余裕もないので、手の抜き所がなく出来が良くなる。忙しく働く社会人にとって、あまりにも「時間がない」ことの利点はここにある。

[706] Aug 04, 2011

ニューヨーク市大停電のとき、ニューヨーク・タイムズ紙は緊急に地方の印刷所で次の日刊を刷ることに決めた。ふだんと変わらぬ大量の発刊要求。応えるためには、印刷は一刻を争う。▼ところが与えられた猶予の時間が半分を過ぎても、印刷はまだ始まってすらいなかった。編集長とそのアシスタントは目下「重要な問題」をめぐって議論を交わしていたのである。つまり、ある単語について「ハイフンを入れるかどうか」で意見が分かれてしまったのだ。揉めに揉めて、結局、刷られた部数は予定の半分だったという。▼本当かどうか定かではない逸話の類だが、これはけっして愚かしい類の話ではない。部数を半分に減らしてでもハイフネーションを論じなければならなかったのは、ニューヨーク・タイムズ紙がアメリカの文法模範として機能している自負があればこそだ。そんな些細なことより早く印刷機を回すべきだという軽率な判断を下すことは、必ずしも速断力ではない。

[705] Aug 03, 2011

資料を見ながら物を書いてもついてまわるのは孫引きの誤りで、事実を違えることはしばしばある。書籍でさえそうなのだから、ウェブの二次情報、三次情報など危険極まりない代物だ。こういう意見は数年前頃にいちばん活発だったように思う。今、あまり聞かないのは、信頼性が増したわけではなく、誰も頭から信じるつもりではいないからだ。皆、情報が面白いから見ている。共有されているから参加している。本当かどうかは二の次、三の次の関心になる。▼そういう態度で読まれていることを書き手側も充分知っている。それなら書くのも本当かどうかは二の次、三の次だ。面白いことを書こう。センセーショナルなことを書こう、と思い出す。無理からぬ話である。多くはその価値なりに消費され消えて行くので無害だが、もっともらしい理論武装を纏うと手に負えない。私の気分で私の思うところを書いただけです、という後付けの開き直りが堂々とまかり通るわけである。

[704] Aug 02, 2011

私の人工知能研究を本格的に引き継いで、目下論文執筆中の学生がいるらしい。夏恒例の研究室OB会を兼ねた集会へ、残業後の深夜電車で家とは真逆の大学まで漕ぎ着けて、教授と懐かしい話をしつつ、当の学生と会って話をしてみた。▼人工知能研究は変態中の変態でなければ務まらないというのが教授の変わらぬ持論だが――私のことはひとまず置いておこう――その点、充分及第していると感じた。変態というのは言いようで、やるべきことが基礎研究の部類だから、工学系研究にありがちな「何に使えるだろう」という視点をあまり早くに持ちすぎる人には不向きということだ。脳とは何だろう、知能とはなんだろう、そういうことを年がら年中悩みつづけて卒論や修論が不安にならない飄々さ、よく言えば胆力がいる。▼自然言語系というから言語解析に偏りがちにならないか心配もあるが、基礎固めはコーパスの豊富な言語まわりでやったほうが、習熟は速いかもしれない。

[703] Aug 01, 2011

芸術に限らず何をするにあたっても、つまらなくやってやろうと思う人はいない。いたらよほどの訳ありか酔狂だ。誰だって同じことをやるなら、面白くやりたい気持ちはあるだろう。けれども物事が面白いかどうかの評価は難しい。出来上がったものの評価でさえ難しいのだから、デッサン段階で面白いかどうかを見分けるのは至難の業だ。▼このアイデアは本当に面白いだろうか。こう疑心暗鬼に駆られると、「人に訊く」という解決に縋りたくなる。そのとき、貴重な辛口の友人がどういう台詞を吐くか、よくよく注意してみよう。「それ、どこが面白いの?」「それ、ほんとに面白いか?」▼似ているようで、まるで違う反応である。信頼する二、三の友人に前者の反応をされたら、本案は脈なしと信じていい。転じて、後者なら一考の余地がある。少なくとも「面白さにしようとしているものが何であるか」が伝わっているからだ。丁寧に育てれば面白くなる可能性は十分ある。

[702] Jul 31, 2011

曲創りはアウフタクトが全てだ、と教わったことがある。もちろん全てなわけはないのだが、言わんとすることはよくわかる。「かっこいい八小節のフレーズ」を創るのは、想像以上にかんたんなのだ。もしも曲が八小節のフレーズ4つで構成されるとしたら、何ひとつ考えなくても、またたく間にかっこいい4つのフレーズと、それらを繋ぎあわせたちっとも痺れない曲がひとつ、出来上がるだろう。▼さあここからかっこいいぞ、と盛り上がりに向かうとき、これから何が起ころうとしているのか、創っている人間にはよくわかっている。ところが聞いている人にはそれがわからない。わかってなければ助走もなしに山場を提示されても、唐突な展開に面食らうだけだ。小説でも、映像でも、音楽でも何でもそうである。クライマックスへ駆け上がるにはエネルギーがいる。エネルギーが溜まっていなければ、視聴者は山を登れない。呆然と立ち竦んで、やがて引き返していくだけだ。

[701] Jul 30, 2011

1925年、ウォルター・グリフォードがベル研究所を設立したとき、その目的は当時の最先端技術を研究することではなかった。ベル研究所が目指していたのは、未知の未来である。研究が成就した暁には、研究所を抱えているAT&Tさえ脅かすかもしれない、そんな破壊的な技術の探求である。▼では今もそうなのかというと、必ずしもそうではないらしい。AT&Tもいまやアメリカ合衆国を代表する一大企業である。R&Dにかける予算は当然、自社の利益に繋がるものでなければ推奨されまい。利益に繋がるものでも即効性に乏しければやはり疎ましがられるだろう。大切なのは今。”Defensive Research”ばかり成されていく。▼成功すればするほど守りに入り、守りに入れば入るほど息が詰まり衰退していく。そんな歴史の循環を、人も組織も嫌というほど繰り返してきた。巨大化即ち愚と化す組織存在に循環は免れないが、せめて自分ばかりは陥りたくないものである。

[700] Jul 29, 2011

若きキックスターターたちを応援する、そんな仕組みをウェブで実現するべく、クラウドファンディングサービスなるものが走りはじめている。面白そうなことをやろうとしている投稿者を見かけたら、訪問者がその人に金銭的な援助をするのだ。本来、ベンチャー投資など個人に出来る額ではないが、クラウドならマイクロペイメントも積もり積もって巨額の資本に化ける。言わば「寄付」の形式をベースにした投資である。▼自分の研究を発展させてベンチャーを立ち上げようと決意しても、そうかんたんに資本が手に入るわけではない。多くの場合、ベンチャーキャピタルにリーチすることさえできないだろう。そういう「やってみたい」人達にとって、クラウドファンディングは大きな助けになる可能性を秘めている。真面目な投資家だけでなく、投機感覚で投資するミドルクラスのギャンブラー達を惹きつけられれば、人も資本も増えて、綺麗に好循環が回りだすかもしれない。

[699] Jul 28, 2011

地下から地上へとつづく長い螺旋階段を登る。「はしごが欲しくなるよね。」隣を行く友人が、疲れた声で出し抜けにこんなことを言う。私は眉をひそめた。「梯子じゃ余計疲れないか?」「そうか。そうだ、意味ないんだ。いや、今のは忘れてくれ。」かつかつとまた登る。友人が口を開いた。「マインクラフトと勘違いしてたんだ。」▼冗談か本気か真意はわからないが、彼はこのところ自由な時間のほとんど全てをマインクラフトに費やしている。気がつけばそんな人がまわりに数人いる。プレイ動画も日に日に増える。個人製作の有料ゲームでここまで爆発的な広がりを見せたのは久々だ。さまざま動画を見ている限り、感じる魅力は一言で言えば「夢のレゴ」だが、ただでさえ遊び方の無限にあるあのレゴで、ここまで自由に遊べたら面白くないはずはない――こう見ている者に思わせるあたりがもう「勝ち」である。制作者のペイパルがパンクしたという話も嘘ではあるまい。

[698] Jul 27, 2011

有効なタイム・マネジメントは、抱えている作業に正しくプライオリティを定めることから始まる。優先順位がなければ次に取り掛かるべき作業もなく、そういう状態で成される散発的で分散した「所作」は結局何事も成さないからだ。まずはひとつの作業に全力を傾けなければ、膨大な仕事は終わらない。▼抱えている仕事に優先順位をつけるのは簡単である。どちらがより大切か、比較していけばすぐにカタがつく。そうして出来上がったリストは上から順に消化しなければならない仕事のリストだ――と考えるから、多くのリストが誤用されることになる。▼出来たリストは、二番目の次に消化すべきは三番目であることを示すものではない。何故なら、二番目を完了した時点での仕事の優先度は、リストを作成した時点での優先度とは確実に異なるからだ。臨機応変という言葉が固定されたリストに呑み込まれ、状況判断を見失うようなことがないよう、注意しなければならない。

[697] Jul 26, 2011

上司への報告は必ず一枚にまとめたメモやメールで渡しましょう。こう原則化して得々としているビジネス書は少なくない。そんな習慣のない新社会人は早速言われた通りに実践する。はじめのうちは上手く行くが、だんだん上手く行かなくなる。上司がメモを見ていなかったり、こんな紙切れで報告になるかと怒鳴られたり、いろんな諭され方をして、そのうちメモ報告のことを忘れていく。▼上司も人間である。人間である以上、報告の聞き方にも得手不得手がある。それこそ一枚のメモで簡潔に読みたい人もいれば、分量を問わずしっかり内容を書き込んだ文書で読みたいという人もいる。必ず本人の口から聞きたいという人もいれば、フィードバックをしながらでなければ駄目だという「しゃべり派」だっている。報告という重要な情報伝達に、誰が相手でもこのようにさえしておけばOKという万能薬など存在しない。相手を知り、それに合わせて行動する柔軟さが求められる。

[696] Jul 25, 2011

久々に横光利一の短編が読みたくて本屋を探したが、品数の少ない講談社文芸文庫を除けば単行本に収録されている作品では未読のものがほとんど無かった。あるとしても一冊の中に二篇程度で買うには惜しい。そうして、異常な価格の講談社文芸文庫を買うくらいならいっそ全集を買った方がお買い得、と思うとこれもなかなか買うに買えない。本ひとつ求めるにも妙なジレンマに遭う。▼歓迎こそすれ文句など言う筋合いはどこにもないのだが、このジレンマには「安すぎる全集」という魔がある。思うに、叩き売りされている全集ほどコストパフォーマンスの良い買い物はそうそう他にあるまい。生涯をかけて書きためた数千頁が数千円とは、今は亡き著者達も喜んでよいか悲しんでよいかわからない始末だろう。横光利一全集も今は三万円程度である。とても価値には釣り合うまい。価格というものが、供給量に対する需要で決まっていることを痛感する材料としては最適である。

[695] Jul 24, 2011

中学、高校、大学、そして今もまだ毎日通り続けている長い付き合いの横浜駅で、中央階段付近にふと喫茶店を見つけた。天井のそれほど高くない空間で、売店の二階の窮屈そうなスペースに張り出していて角度的に見つけにくい。こんなところに喫茶店が出来たとは知らなかった。今度入ってみようかな。そんなことを話したら、出来たも何もずっと前から在るよと言われて仰天した。たしかに別の店があった記憶はない。▼まったく別の話だが、つい一昨日もお湯の沸騰を待つあいだ、目的もなく食器棚をぼんやり眺めていたら、いつもうどんや肉じゃがを入れる深めの食器が、ふと目線の高さにあった。そうしてよくよく見ると、ただの柄だと思っていた外側の模様が「へのへのもへじ」であることに気がついた。これもまた何年も愛用してきた食器である。立て続けの出来事に認識の信用ならなさを改めて痛感した。他にも延々と見過ごしている驚きがないかどうか、探している。

[694] Jul 23, 2011

米焼酎「野うさぎの走り」を買う。あんまり高いので、危険を冒さずいつも通りのウイスキーにするか悩んだが、前評判と瓶のデザインの美しさに抗えなかった。装丁の好みでどうしてもある本が欲しくなるときと同じ気持ちである。▼ウイスキーならまずはロックと行くところだが、これは透明感が良いので水割りにしてみた。なかなか美味い。薄く甘くまろやかな味がする。きめ細やかというよりも、舌に溶けていくような感触で、度数の割には飲みやすい。以前どこかで飲まされた安焼酎とはえらい違いである。▼ワインも昔そうだったが、最初に安物を口にすると「何々は不味いもの」という認識が出来てしまって良くない。食わず嫌いに近いものはこうして出来る。日本酒が今、私の中でその状態にあるが、焼酎もあまり好みでないかのような印象を持っていたので、良いものなら案外いけるのかもしれない。財布に怒られるので無茶はできないが、機を見て挑戦はしていこう。

[693] Jul 22, 2011

「何事も、珍しき事を求め、異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ。」▼王道の力は素晴らしいと誰も口にしながら、気がつけばみんな脇道に潜り込みたがる。脇道の何がそんなに魅力なのだろうか。珍しいものがありそうだからか。誰も知らない自分だけの秘法を探しに行くのか。それとも、ただ王道を行こうとしないのは、その道があんまり多くの人に窮め尽くされていて、見通しがよく、眩しく、初学者が大手を振って歩くにはつらいからだろうか。▼王道を正しさと解するなら、これもまた「正しいことをする」ことの難しさであろう。人間、物事を正しく行うのは得意なものだが、正しいことを行うのは苦手なものだ。考えれば考えるほど、やがて「正しいとはなんだろう」という気味の悪い問題に嫌気がさして、それなら目の前の道を正しく行こう、となる。これなら心安い。誰にも出会わぬ獣道を自分なりに巧く歩いていく方法を考えるのは気安く、楽しいものだ。

[692] Jul 21, 2011

神がかっている、と私が思うビジネスモデルのひとつに、福武書店の進研ゼミ「赤ペン先生」がある。▼進研ゼミの主なコストは赤ペン先生の人件費である。そうして赤ペン先生のコストは、教材を利用している生徒がこれを先生に生徒が送らなければ発生しない。ところで、進研ゼミを子供に買い与えるのは親である。これに申し込み、定期的に送られてくる教材を子供に与えることで、親は教育的義務を果たしているという満足感を得られるのだ。しかし、こうして進研ゼミを買い与えられた子供のどれほどが、果たして赤ペン先生に答案を送っているだろうか。▼このモデルが真に面白いのは、売っているものがサービスでありながら、「購入したい人/する人=売上の源」と「コンテンツを享受する人=コストの源」が別であるところにある。親は買う行為に満足するが、子供は必ずしもその利用を求めているわけではない。このギャップが大きいほど利益が大きくなるのである。

[691] Jul 20, 2011

印刷、印刷。空調もないコピールームで、終日ひたすら刷りつづけた。500枚の用紙を10回は取り換えたから、累計5000枚は刷っただろう。原稿を取り換えることと、出来たものを運ぶくらいしか動きが少ない分、汗だくだくでも「いい汗をかいた」とは言いにくいところがいっそう恨めしい。▼それにしてもこう大量の紙が吸い込まれ、吐き出されしているのを見ていると、もったいないというよりも実に馬鹿らしい気がしてくる。どれもこれもいちど見たら捨てられる使い捨ての原稿コピーだ。内容確認用の予備、これなど目を通されるかどうかも怪しい。PDFデータでも用を為すのに、なぜここまでして印刷しなければならないか。そういう慣習だからだ。データで送るという発想がないのではない、データで送るという形式がないのだ。形式のために消費される紙また紙。コピールームの壁には「コストダウンの徹底」と張り紙。組織とは、かくも矛盾した機構である。

[690] Jul 19, 2011

マネジメントの行き届いた「良い」工場と、そうでない「悪い」工場を、生産に関する予備知識無しに一目で見抜くこと。コンサルタントをはじめたばかりのピーター・ドラッカーは、この方法を知りたいと考え、数多の工場を観察した。そうしてまもなく気づいたのは、「良い」工場は、押しなべて「静かなところ」だということだった。▼訪問者の眼前でドラマティックな場面が繰り広げられるような工場は”poorly-managed”だ、と彼は言う。”well-managed”はその逆だ。良く管理された仕事場はただ静かで、見ていて退屈でさえある。目を疑うような事件、刺激的な作業風景、スリル満点の修羅場――そんなものはどこにもない。すべての起こりうる難局はあらかじめ把握され、作業ルーチンの中に組み込まれているので、仮に起きても「想定の範囲内」であり、慌てるような問題ではないのだ。我が身の環境を見抜くため、いまいちど身の回りの慌ただしさに注意してみよう。

[689] Jul 18, 2011

昔、ビートマニア上達のためのガイドラインで、達人がこうアドバイスしていた。「何故かどうしてもクリアできない曲を抱えている人や、譜面の認識、指の動き、皿の反応に壁を感じている人は、一ヶ月くらい実機に触れるのをやめ、ウォークマンで原曲を聴き込みましょう。」▼言わばイメージトレーニングをするわけだが、一ヶ月ものあいだ実機に触れるなという理由は別にある。曰く「どうしてもクリアできない曲」があったり「壁を感じたり」するのは、指の動かし方に変な癖がついているためにそうなっている可能性が高く、それをリセットするには三十日程度離れた方がよいのだそうだ。▼ビートマニアに限らず生活でも仕事でも、なんでもそうだが、慣れると同時に悪い動きや考え方が板についてしまうことがある。たまには休んでみるのもいい。今日は久々に編曲をはじめたら、以前よりずっとスムーズに音を置けた。これも何か良くない癖が抜けた証拠かもしれない。

[688] Jul 17, 2011

三万語の語彙があると、書籍から新聞、ニュースサイト、専門用語の少ないジャーナルあたりまでは、辞書も推測もなしでスラスラ読めるようになるという。逆に言えば、三万語に足りない状態では、読めているようでもある程度は流れと推測に頼った粗い読み方になっているということだ。それでも意味は汲めるだろう。しかし、そうした読み方をつづけている限り「中上級者の壁」は越えられない、と土屋雅稔氏は指摘する。▼まずは三万語をしっかり暗記せよ。『中上級者がぶつかる壁を破る英語学習最強プログラム』の主張はこうだ。単語主義か、とはじめは否定的に思ったが、読み進めてみるとなかなかそうは一蹴できない説得力がある。たしかに、わからない単語が含まれている文章を読むと、わかるわからない以前にあまり楽しくない。読む気を失くさずになんでも読みにいける、という積極的な気持ちを持てる状態が「三万語」なのだという話には、頷けるところがある。

[687] Jul 16, 2011

逆光の使い方が美しい写真を何枚か見た。私たちがふつう取るような写真は、特別な意図がない限り被写体に対して順光を選ぶものだが、その写真は明らかに目的を持って逆光を選んでいる。それがどれも成功している。不思議に思ったので、しばらく眺めてその理由を考えてみた。どれにも理由は見つかったが、ふたつくらい取り上げてみよう。▼逆光の中、被写体が後ろを振り返る一枚がある。この意図は明白だ。被写体の顔の部分にだけ順光を当てることで、光と闇のコントラストを強調し、明るさや希望を表現している。よくある構図である。もう一枚、今度は画面全体が暗く、光が被写体の背後にしか落ちていない。暗い影の中、一人の男の子が手前の子に手を差し延べている。これは静止画の中に過去の動きを内包させているのだ。「たったいま明るい場所からこの暗い場所に入り込んできたところ」だという情景設定を、背後にだけ光を落とすことで説明しているのだろう。

[686] Jul 15, 2011

事実に基づいて判断し、行動する。こう言うと何か冷静で合理的で、正しく実行される限り良い指針のように思える。ビジネスの世界なら余計にそう感じられる。事実は動かしようがない。堅牢だ。しかし、この堅牢さは、実は別の大切な何かを犠牲にしている。時間である。▼ある出来事が「事実」と呼ばれるためには、その出来事が発生したことを誰かが認識しなければならない。現象は認識されて初めて固定され、名前をつけられる。サブプライムローン破綻という「事実」は、サブプライムローンの破綻という出来事が認知された後にしか、それに基づけるような形では存在しなかった。▼言うなれば事実とは「出来事が終わった後」の出来事の呼び名である。とすれば、機を見るに敏であることが命のビジネスにおいて、事実に基づく判断では遅すぎる場合がある。今起こりつつある出来事を観察し、事実に拠らない直観の意思決定に踏み切ることも、時には大切なことである。

[685] Jul 14, 2011

巨大な布きれくらいしか資源のない服飾店で利益を上げることを考えてみよう。今より多くの服が作れる裁断の仕方はないか。仮縫いの時間を短縮する方法はないか。よりよいプロセスを模索し、改良するのは「効率的」を目指すアプローチだ。一方、「効果的」を目指すやり方もある。たとえば、余った生地でお揃いの柄のスカーフをつくり、セットにしてみたらどうだろう。▼なにかやれと言われて効率的にしようとするのは案外かんたんなものだ。ダメなところを見つければとっかかりが出来るし、ダメなところはそもそも人目につきやすい。たいへんなのは、効果的な案を考えることである。付加価値を見出すというのもその好例だろう。石ころを売れと言われたら、素敵な絵のひとつでも描いて露店にならべるような頭がなければ「物売り」の世界で生き残るのは難しい。しょぼいリソースにはしょぼいなりの魅せ方があると知ることが、手持ちの資源で勝負する切り札になる。

[684] Jul 13, 2011

リスクマネジメントには広辞苑よりも厚い専門書がたくさん出ているのに、どうして私たちは日々手遅れのプロジェクトを目の当たりにしなければならないのだろう。唯一無二の担当者が病気で倒れた。代わりはいない、どうしようもない。もうダメだ。耳を澄ませば今日も悲鳴が聞こえてくる。▼企業の話ばかりではない、あなたの手元の小さな企画にも必ずリスクは存在する。目を瞑らずに、必ずそれを見積もろう。起こりうる悪夢は起こるのだ。想像力を働かせ、うなされるかもしれない辛い夢を考える。リストが出来たら、質問すべきは次の三つだ。これらは「どの程度のリスクだろうか」「回避できるだろうか」「制御できるだろうか」▼制御不能なリスクはハザードとなる。回避も制御も出来ない危険度大のリスクがあればあるほど、プロジェクトはギャンブルに近づく。それでよいかどうかは時と場合によるが、ギャンブルであることを事前に知っていることが大切である。

[683] Jul 12, 2011

言葉がどれほど記憶を左右するか、証明を試みた心理学の実験がある。数グループからなる被験者に車同士が衝突する事故の映像を見せ、その後証言を集めるのだが、このときグループごとに質問の言葉のごく一部だけを変えるのだ。車が「激突したとき/当たったとき/接触したとき」――車はどれくらいのスピードで走っていましたか。また、窓ガラスは割れましたか。▼回答結果は大きく分かれた。速度への質問は「激突」のグループが平均時速65キロ、「当たった」が時速55キロ、「接触した」が時速52キロだった。また窓ガラスへの質問では、割れていたと答えた人が「激突」では三割以上に及んだが、その他のグループでは一割前後に収まったという。実際の映像では、窓ガラスは割れていなかった。たったひとつの動詞を変えるだけで、記憶はいともたやすく曖昧になる。法廷証言の信憑性を検証する実験としては、設定にも結果にもそれなりの説得力があるだろう。

[682] Jul 11, 2011

『デスマーチ』の著者、エドワード・ヨードンは、デスマーチプロジェクトのスタイルを二軸に基づき四分類している。境界不定の分類だが、予算条件や政治的要因により、大体はどれかひとつへ向かって収束していくそうだ。自分の属するプロジェクトはどれだろうか。頭に(成功率/満足度)を示す。▼(高/高)スパイ大作戦型。マネジャーはハンサムなヒーロー。メンバーは超一流の技術屋と天才少年。いつも互いを信頼し、困難への挑戦を楽しんでいる。(高/低)モーレツ型。マネジャーは冷血漢。メンバーを墓地に送り成功を祈願する。「本物のプログラマは眠らない!」(低/高)カミカゼ型。破滅する運命にはあるが、メンバーは参加できたことを誇りに思っている。今回のことは次への教材になればいい。(低/低)自滅型。メンバー全員が死滅の運命にある。成功しないことは最初から承知している。参加する理由はただひとつ。「そうしないとクビになるから。」

[681] Jul 10, 2011

売るために書くのか、ただ楽しみのために書くのか。「金のために書くなどという動機は芸術に似つかわしくない不純だ」とある人は言う。「金のために書いたことがなければ執筆の真剣味などわからない」とある人は言う。決着をつけるつもりはないのだろう、まるで言い合うことが目的かのように、なんどでも繰り返されて来た議論だが、中にはこんな格言も存在する。「文学は商売と芸術とが半々であるときに最も栄える。」▼ヴァレリーは『文学論』でこう説いた。「文学は興味・教訓、それに説教とか宣伝、自分のための修練、他への刺激との間を往来する。」往来する、というところが味噌である。すべてないまぜにした複合品であるとは言っていない。文学に志していると、あるときふいに「自分は畢竟このために書いているんだ」というひとつの究極を定めたくなるものだ。その究極は、金にもなれば叫びにもなる。そう変わりつづけるのが文学である、というのである。

[680] Jul 09, 2011

アニメのブルーレイディスクがよく売れている。厳密には「売れているアニメがある」というだけなのだが、単価の高いブルーレイで数万枚のタイトルがいくつも出ているのは快挙と言うべきだろう。今後、ブルーレイの再生環境がより多くの家に整うことで、さらに売り上げの上がることを期待している。製品が売れて、資金が出来て、面白いアニメが増えるに越したことはない。▼それにしてもアニメのパッケージ販売は不思議な商売だ。初見がどれくらい買うのか知らないが、多くの視聴者は放送を見てからパッケージを買うのだから、本で言えば図書館が販売も兼ねているようなもので、どうしても二度見たいと思うものしか売れないということになる。「二度読む価値のない本は一度読む価値もない」という格言があるくらいで、二度見たいというのは、よほど優れたコンテンツでなければ実現できない欲求だ。生半可なつくりでは売れないと言うに等しい。タフな商売である。

[679] Jul 08, 2011

世にもわかりにくい報告を受けた。さいわい、途中で助け舟が入り事無きを得たが、あのまま最後まで説明をつづけられたら何ひとつわからなかっただろうと思う。本人も説明が下手だという自覚はあるらしいが、いっこうに変わらないあたり、問題を正しく認識できていない可能性が高い。▼何がわかりにくかったのか。「さっきお願いした件ですが」で始まる。これも怪しいが何の件かはわかっていた。「こちらでやってみたところ」とつづく。「〜をしてみたんですが」上手くいかないことがあったらしい。試してみた作業の内容が語られる。「ちょうどこれが今私の方でやっている〜と」どうやら別件との絡みがあるようだ。「他の担当者にも訊いてみたところ」これこれこう言われたので、それに対して――句点を聞いた覚えがないままに、ここで助け舟が出た。▼さっきお願いした件ですが「やらなくてよくなりました。」この一言が先に出るかどうかの差は、かなり大きい。

[678] Jul 07, 2011

にんじんと大根、きゅうりとトマト、こういう食べ合わせは栄養学的によくないと言われる。にんじんやきゅうりに含まれるアスコルビナーゼが、大根やトマトのビタミンCを破壊してしまうからだ。▼しかしこう軽々しく「破壊」というが、ビタミンCも化学物質なので、粉々に砕けて化学物質でなくなったりはしない。何か別の物質に「変化」するだけである。この場合は「酸化」が正しいようだ。ビタミンC、即ちL−アスコルビン酸は、アスコルビナーゼによって酸化され、L−デヒドロアスコルビン酸になる。▼ところが実はどちらもビタミンCである。人体や食物に存在する多くのビタミンCが前者であることは確かだが、L−デヒドロアスコルビン酸は摂取後に体内でL−アスコルビン酸に変換されるのだそうだ。要するに破壊されてもビタミンCであることに変わりはない。ただ、酸化後は加水分解によりビタミンC活性のない物質になりやすいため、多少の損失はある。

[677] Jul 06, 2011

「袋はご利用になりますか?」「いえ、結構です。」「200円になります。」▼レジでのこういう会話に出喰わすのは何も今日にはじまったことではないが、いつ聞いても気持ちのいいものではない。こちらの返答などなかったかのような、完璧に機械的な進行。たしかに機械を相手にしているのと何ひとつ変らない。コールセンターに繋いだときの自動応答システムを思い出す。▼会計の前に「袋の有無を聞きましょう」というマニュアルに対し、「はい」なら袋にいれる、「いいえ」ならそのまま会計へ、という手順をバイトとして忠実に遂行しているに過ぎないことはわかる。ただ、近ごろとくに腹立たしく思うのは、そういう「マニュアルでございます」という意識を隠そうともしない態度が常態化してきたことだ。「嫌々のバイトなんです。わかるでしょう。」そんな暗黙の理解を相手に強要するような空気。マニュアル人間の問題は、どうやら次の段階に進もうとしている。

[676] Jul 05, 2011

「われわれが新しい知り合いを好むわけは、旧知の人びとに飽きたとか、目先を変えるのが楽しいからというよりも、むしろ、われわれをあまりにもよく知っている人たちからは十分に誉めそやしてもらえない忌々しさと、彼らほどよくわれわれを知らない人ならもっと誉めてくれるだろうという希望のせいなのである。」▼管理職のための研修では、「もっと部下を誉めましょう」という話が再三説かれるという。どうもそれは、部下は誉めた方が叱るよりも伸びるからという一般論ではないらしい。最近、叱るばかりで褒めるのを忘れていませんか。そういう話なのだそうだ。▼冒頭のラ・ロシュフーコーの箴言は相変わらず辛辣だが、見方を変えれば、私たちが付き合い慣れてしまった相手をいかに誉めなくなるかを言い当ててもいる。今更口に出さなくても、そんなふうに思ってしまうのがよくない。誉められて嬉しくない人はいないのだ。そう思っているくらいでちょうどいい。

[675] Jul 04, 2011

仕事の話である。チームで「これは仕方がない」と称して、かなり時間のかかるルーチンワークを強いられている件があった。私も当然それに時間を費やすことになったのだが、本当に無駄な反復であれば御免被ると思ってオートメーションの可能性を調べてみた。調べてみたところ、どうやら可能性があるらしい。早速、簡単な自動化システムを作ってみた。ひそかに使い出すと、なんということはなく実用に耐える。▼これは良いということで早速チームに配ると、どうやら他のチームにも需要があるというので、欲しい人には誰彼構わず渡していた。ところが「これなら普通にできる。俺はいつもやっている。」こんなふうに言う人がいて驚いた。やっていることは私の作ったものと同じだが、彼曰く、いままで誰も訊いて来ないから教えも配りもしなかったそうだ。自分用ツールと思って使っていたに違いないが、同僚にまで技術提供を惜しむというのは釈然としないものがある。

[674] Jul 03, 2011

俳人、藤田湘子は初学者に俳句を教えるとき「はやく一千句作りなさい」と説いた。面食らう数だが、毎日一句でたかだか三年半である。同じ三年半なら月に三十句を目指してもよい。とにかく千に達すること。「千句も作れば俳句という器がどんなものか、おぼろげながら輪郭が見えてくるものです。そうすればまた、俳句の作り方にも楽しさや欲が加わる。」▼運動部の走りこみだ。バットの素振りと同じことだ。ピアノのハノンだ。画家のクロッキーだ。多作。駈け出した初学者の頃は忠実に守れても、いい物を創ろうという意志と板挟みになる時期がつらい。「もっと狙い澄ましてもいいのでは……。」しかし寡作という言葉は、初学、初心の人にはまったく縁のない言葉だ、と彼は言う。「寡作、多作どちらがいいかという問題は、実績ある人が論ずること。作句の初めの数年は、ただひたすら作る。とにかく作るということが大切なのです。」つらくても寡作には逃げるまい。

[673] Jul 02, 2011

「決して巧いとは思わぬが、なんとなく惹かれる文章がある。むろん、巧くても一向にかまわない。しかし、巧いから惹かれるというのではいかにも底が浅い。巧さは知性のレベルであり、知性のレベルを出ない。だが、わけもなく惹かれるのは人間存在がまるごとまいることなのだ。」▼名文とは人をまるごとまいらせる文章だ、と中村明は言う。人目を引く文章、これは注意を向けさせることであり、知覚のレベルに過ぎない。人を引きつける文章、これも人間的興味を喚起することであり、まだ認識のレベルである。まるごとまいるというのはそういうことではない。▼感心を煽り、興味を惹く、そんな感覚や知性のレベルを超えて名文は在る。人はあの技術やこのテクニックに惚れ込むわけではない。名文はもっと全人格的なものだ――。こういう論調は、最終的にその魅力ある何かを「雰囲気」と呼ぶしかない。品格でも風格でもなく、ただその文章が発散している空気である。

[672] Jul 01, 2011

会社帰り、駅ビルの本屋に寄る。その本屋には社会学のコーナーがないようで、長らく不信に思っていたが、今日、意識的に探してみたところ、経営・経済・政治を過ぎたあたりに「数学」「社会」と書かれたプレートが二枚、所狭しとひとつの棚に貼られているのを見つけた。▼場所も妙なら取り合わせも妙でひどい扱いだと思ったが、社会学が無いというのはこちらの誤解でどうやらあるらしい――さて目当ての本を探しはじめたところ、棚の左上から右下まで、理数系の本で埋め尽くされているのである。無論、真ん中にも社会の社の字もない。線形代数の教科書がびっしり並んでいる。これには閉口した。▼要するに当初の見込み通り、社会学は一冊もないのである。昔はあったのかもしれないが、知らぬ間に理数需要に押されて消えたものだろう。近くの政治や経済に溶け込んだのかもしれない。とくべつ社会学に思い入れがあるわけではないが、なんとも寂しいばかりである。

[671] Jun 30, 2011

以前、アスパルテームについて、肥満を促進するかどうかはわからないが、糖分でないものを脳が甘いと認識して摂るのは危険な気がする、と書いた。それからもこの人工甘味料については公的機関の研究も含め様々な論争がなされつづけているが、今月「ダイエット清涼飲料の飲みすぎは禁物、胴囲の増加が飲まない人の6倍に」と題する記事をネットで見た。人工甘味料はダイエットに有効な手段ではない、と記事は言う。▼そういう主張はこの記事を待たずとも山とあるが、それらの多くは論拠が短期的な投与実験と化学成分的分析であり、詳しく説明されればされるほど素人にはわかりにくい。専門用語が並ぶのは煙に巻かれているのだという頭があるから、尚更眉唾に見えるのだが、今回の記事は約10年の追跡調査による統計である点が面白い。ダイエット清涼飲料をよく飲む人は肥満傾向にあるよ。それだけだ。どんな第三因子があるにせよ、告げられた結果は単純である。

[670] Jun 29, 2011

「奥さんとのなれそめは?」「ちょうど、トラックを運転していて。」「彼女をひいたんですか?」「いや。むこうは納屋の中で――」「あなたがトラックを納屋の中に突っ込ませた?」「ちがいます。いいですか、あいつは農家の娘でね、その前からよくニワトリを狙われるもんだから――」「ニワトリのほうが魅力的だった?」「ちがう、とられるんです。そこで納屋の庭にライトをつけてあったんだがね、ある晩わたしがトラックで七面鳥を受け取りにいくと、おやじさんが七面鳥は納屋の中にいるということで――」「で、あなたは七面鳥と結婚した?」「ちがうちがう。」▼茶化してる方が喋っているのはロクでもないことばかりだが、何故か会話は弾んでいく。内容の吟味はともかく、「あなたの言うことを聴いていますよ」というサインを発することが、会話を促進するのだ。交感的言語使用という。会話はレオ・ロステン『グルーチョ』より。井上ひさしが紹介していた。

[669] Jun 28, 2011

岩波文庫には硬い栞がついてくる。これがなかなか重宝する。当の本を読み終えても、次の本で栞のついていない本を読むときに、その栞を流用できるのだ。ぺらぺらした安っぽいものだとすぐに折れたり縒れたりして使い物にならなくなってしまうが、岩波の栞は十冊渡り歩いてもそのまま使える頑丈さである。唯一の難点は、頑丈なだけにしばしば緩く仕舞われた本からは滑り落ちてしまうことだろうか。バッグの底で見つけたことが何回かある。▼対して、新潮派がいる。本に付属している紐タイプの栞である。たしかに使い勝手の良さはこちらのほうがよい。無くすことは絶対にないし、両手で本を開いたまま、フライパンを返すように手前に返すと、紐がぱたりとこちらに来て、そのまま本を閉じれば栞になる。開くときも下に食み出した紐を手前に引けば勝手に頁が開くというわけで、案外よく考えられているのである。ただし紙栞のように他の本には使えない。一長一短だ。

[668] Jun 27, 2011

福沢諭吉が面白いことを言っていたので、小林秀雄「福沢諭吉」から引きたい。曰く、人間品性の不徳を現す言葉の多くは、見方を変えればすぐに徳を現す言葉にもなる。たとえば「「驕傲」は「勇敢」に、「粗野」は「率直」に、「固陋」は「実着」に、「浮薄」は「穎敏」に、という具合に切りがない。ところが、絶対的に不徳を現して徳には転じないものが一つある。それが「怨望」という言葉である。」▼「「詐欺」とか「虚言」とか言われるものも、ずい分根本的な不徳を現しているように思われているが、よく考えてみると、詐欺も虚言も怨望から生ずる結果であって、怨望の原因となるほど根底的なものではない。実に「怨望は衆悪の母」であり、その「働の素質に於て全く不徳の一方に偏し、場所にも方向にも拘はらずして不善の不善なる者」と福沢は主張する。何故か。彼は、一言で片付ける。「ただ窮の一事」にある、と。」怨望家の不平は満たされることを知らぬ。

[667] Jun 26, 2011

「玩具は人類の思想感情の表現されたものである事は、南洋の蛮人の玩具が怪奇にして、文明国民の想像すべからざる形態を有するに見ても知るべきである。概して野蛮人は人を恐怖せしむるが如きものを表現して喜ぶ傾向を有するのである。」▼古物収集家で有名な淡島寒月による玩具についての私見。玩具というものは、ある一人の人間の思想が表現されたものではない。ひとつの文化に暮らした人間たちの生活が、集まって濾されて形になったものである。だから「後世全く無意味荒唐と思われる玩具にも、深き歴史的背景と人間生活の真味が宿っている」。夢から個人の心理がわかるように、玩具から人類の文化がわかるのだ。▼多くの子どもがコンテンツという触れられない玩具で遊ぶようになったいま、玩具の手触りという生活の系譜は、後に残らぬ視覚の記憶に置き換えられている。大量生産された顔のないデジタルな玩具たちに、後世の人々はどんな文化を見るのだろう。

[666] Jun 25, 2011

昔ラグナロクオンラインをやっていたんだけど、という誰かの発言を受けて、僕もやってましたよ、と誰かが返す。私も一時期……と誰かが切り出して、私にはわからない用語でしばらく盛り上がる。誰も彼も当時を懐かしみつつ、どこか黒歴史のように扱う態度が見て取れる。そういうシーンに出喰わすたび、今はその誰もがプレイしていないという事実の方を考えて、オンラインゲームの栄枯盛衰を実感する。▼アイテム課金という長期戦に向かない集金モデルの出現、メッセンジャーやスカイプなど新たなコミュニケーションツールの浸透、ファイナルファンタジーのような大手タイトルのユーザー引き継ぎ失敗、ソーシャルゲームとスマートフォンの台頭。MMORPGが桃源郷の座を追われた原因はいくらでも挙がる。こうした多くの原因が、まとめて負に作用した結果としての衰退なのだろう。そうして当時の人間関係という資産だけが残った。せめてもの幸いというべきか。

[665] Jun 24, 2011

ステープラーことホッチキスを発明したのは、Hotchkissというアメリカ人で、彼は機関銃を発明した人でもある。という話を読んで、興味もあり調べてみると、すぐこんな記述に行き当たった。「ホッチキスの名は、機関銃を発明したベンジャミン・バークリー・ホッチキスの発明品であり、E.H.ホッチキス社は彼の弟が起こした」という俗説が広く流布しているが、実際には、B.B.Hotchkissはホッチキスの発明者ではなく、これは機関銃とホッチキスの弾送りの機構が似ていることによる都市伝説の類である。」▼出典問題というのは極めて難しい。いま、仮にこの説を信じることにしても、またすぐに違う説が出てきそうで、いつまで経っても安心できない。「〜という説がある」と語尾をつけて人に話すのも馬鹿らしく、うかうか雑学も語れないということになる。そのうち起源などどうでもよくなって、いっそ俗説や伝説の方が、どうして生まれたかを考える方が楽しくなる。

[664] Jun 23, 2011

会社の先輩にひとり、至極ユニークな人がいる。ユニークなだけでなく仕事も出来るところが流石と思う所以だが、今日、私とその先輩が属するチームとは違うところで巻き起こったトラブルについて、二人で話していたとき、こんなことを言った。「とにかく俺は勉強も学習もしない奴は大嫌いだ。で、学習はよほど阿呆じゃない限りするんだから、勉強しろ、勉強。」そこで、訊いてみた。「先輩は、いつもどういうふうに勉強してるんですか?」▼つまり何を買っているか、という質問なのだが、彼は三本指を立てて、仰々しい喋り方で答えた。一、売れてるもの、人気のあるもの。二、技術が盗めそうなもの、参考になりそうなもの、三、個人的に好きなもの。お前は三はいいよ、問題ないだろう、二は知らん、が、一が足らん。知らないうちに感覚鈍るぞ。こう言われて、ぐうの音も出ないのである。今売れてるものは何か、知ってはいても、買っていないところに弱みがある。

[663] Jun 22, 2011

この感動をわかってくれる人がどうやらまわりにいないので、ひとり舞い上がりつつ寂しいところもあるのだが、横井也有『鶉衣』が岩波・黄で復刊していたらしい、岩波コーナーで平積みになっていた。一も二もなく上下巻購入。注釈も充実している。これはかなり嬉しい。▼今まではウェブで断片を探しつつ、拾い拾い僅かな数篇を知るばかりであったが、こうして前編・後編・続編・拾遺とまとめて刊行してくれたとあらば、この機に全て読まずにはいられない。高雅にして軽妙、いやいやその評もまだ堅い、也有の文章は遊戯である。言葉遊びではなく、遊びの心で綴られる味わい深い文章である。▼急いで読む必要もない。一日三篇を読み暮しても、ゆうに三ヶ月は楽しめる。序文で締めよう。「あやしくはへもなききれぎれをあつめつづりたるを、「うづら衣」とはいふなり。げにその鶉ならば、ただふか草のふかくかくろへて、かりにだも人にはしらるまじきものにこそ。」

[662] Jun 21, 2011

毎週、一千語も一万語も書くというプロのライターが教える執筆術をブログで見る。この8つを守ればあなたの筆もきっと進むでしょう、というトピック方式なのだが、特に面白いと思った項目がふたつあった。「五分だけやってみる」「タイマーをセットする」。これらは即効性がある。▼前者は心がけの問題だ。五分だけやってみようか、と自分自身に言い聞かせて、どんなに気分が乗らなかろうと、疲れていようと、とにかくドキュメントを開き、向こう五分だけはやる。ときには五分以上続けたいと思うこともあるだろう。続ければいい。筆は確実に進んでいく。▼後者はさらに実践的だ。三十分なら三十分とタイマーをセットして、時間が来るまでひたすら書く。書く以外のことはしない。どれだけ書けるか試すつもりで書くのだ。限られた時間で自分に何が書けるのかを知り、執筆と時間の関係について習熟するためのトレーニングである。そして、確実に何かが出力される。

[661] Jun 20, 2011

「私は、壺というものが好きである。人間が泥を捏ねて、火で焼く工夫を始めた時、壺を作ってみて初めて安心したに違いないと言った感じを与えてくれるからである。皿でも茶碗でも徳利でも、皆、実は壺に作られて安心したかったと言っている風がある。どうも、焼き物の姿というものは、中身は何んでもよい、酒でも種子でも骨でもよい、ともかく物を大切に入れて蓄えるという用を買って出たところに、一番、物に動じない姿を現すようである。」▼私は焼き物になどまるで不案内だが、この小林秀雄の感慨はよくわかる気がする。昔、我が家にも巨大な壺があった。子供の小さな手で叩くとずっしりと重い感触がして、低い音が鳴る、その手応えに妙な安心を覚えたものである。箱でも球体でもないあの独特の形状が持つ安定感。重力を受け止め、蓄えて、立つという機能をいちばんよく視覚化しているフォルムが、見るもの触るものに重さ以上の重さを感じさせるのだと思う。

[660] Jun 19, 2011

顰蹙のないところに個性的な表現はない、と言う。言い方は悪いが、ある程度の真理は含んでいる。なんといっても中身のないものこそ、もっとも顰蹙を買いにくいに決まっているので、ある表現が誰からも顰蹙を買わない、反発されないということは、恐らくそこにたいした中身はないのだ。たいした中身がないということは、たいした主張ではないということである。▼中堅の脱落、才能の枯渇、そういう現象の理由も、思うにこのあたりにある。華々しくデビューし、多かれ少なかれ衆人の期待が肩にかかるようになると、完成する前から評価が気になり始める。好評の獲得を夢見つつ、ぼちぼち囁かれはじめた悪評のことが気にかかる。そうして「評価を気にする」気に仕方の天秤は、知らず悪評の回避へ振れていく。なんといっても貶されることほどつらい体験はないので――棘と中身が削られていく。主張しないことが目的になる。無個性でつまらない品の出来上がりである。

[659] Jun 18, 2011

"Stories about history's most famous murders at the Crime Library. "こんな英語が新聞にも使われるようになった、と言って嘆いている記事を見た。新語法の波は英語にも押し寄せているらしい。ニュアンスの喪失。"Famous Murders"が紙面に闊歩していたり、Wedding Bellが"toll"しているような世界で生きていくのは、たしかにあまり気持ちのいいものではない。▼日本語でも同じようなことは言われてきた。しかしこうした語彙の退廃は、しばしば言われるように、必ずしも思考や感情や言語能力の退廃を示すものではないだろう。複雑な感情を言いうる術を失ったのではなく、感情が複雑さを失ったのでもなく、ひとつの単語で複雑な意味をやりとりできるほど、現代人は多くの人と言葉をやりとりし過ぎているのだ。この状況で、こんなふうに言う人が、どんなニュアンスを込めてその言葉を使っているのかがわかってしまうほど、言わば文脈に馴れてしまったのである。

[658] Jun 17, 2011

「之ヲ思ヒ、之ヲ思ヒ、之ヲ思ツテ通ゼズンバ、鬼神将ニ之ヲ通ゼントス。」▼ひたすらに我が身ひとつでものを考え、考えに考え抜いてついに取り澄ますことのない思索。こうした驀進型の探究は、かつてはそのまま学問でさえあった。しかし、今となってはそんな方法を採る学問などほとんどないし、個人的にものを考えるレベルに限っても、力技の思惟は日に日に避けられつつある。誰も軽んじてはいないのに、誰もそうしない、あるいはしたがらない。▼考えるという行為が、後に表現し、表明することを前提として為されるようになったのだなと、改めて思う。表明を、目的にしないまでも見据えているから、思考は行く末を知らぬ驀進型では都合が悪い。事に通じるとはその事をよく表現できるという意味に代わり、そうなると人を圧倒する知識も欲しい、煙に巻く饒舌も欲しいで、我が身ひとつなどと言っていられない次第になる。思索もどきの氾濫。鬼神の出る幕はない。

[657] Jun 16, 2011

人に貸していたXBOX360がようやく我が家にもどり、あらためてPCの横に落ち着いた。同時に、今日はアマゾンから小さな包みが届いている。開封、中身は以前記事で紹介したゲーム「シュタインズゲート」のスピンオフ作品『STEINS;GATE 比翼恋理のだーりん』である。ちなみに、パッケージを見るまで気がつかなかったのだが、比翼「連」理ではないようだ。▼内容について触れる気はないし、良かったとか悪かったとか個人的な評価を披露するつもりもない。どのみちまだクリアしていないのだから、総合評価を下す権利もないだろう。ただ、こうした「真面目な本編」と「弾けたスピンオフ」という二段構えの常套商法では、基本的に三弾目を視野にいれなくてもいいため、前評判での売り抜けに走りやすいという共通点はある。コスト削減もいよいよ叫ばれるところで、ボリュームやクオリティには期待できないのが常だ。公式同人と思って楽しむくらいが気楽である。

[656] Jun 15, 2011

千鳥足で歩くお爺さん方を避けながら、いつもより賑やかな繁華街を歩く。いつもより賑やかなのは、目にも耳にも本当にそうなので、月末の金曜日かと思われるほど。気のせいではあるまい。濃紺のスーツでいかにも新人らしい社会人の一団が「笑笑」の前で大声をあげている。どこからでも聞こえてくる間歇的な哄笑。道の左右に点々と控える勧誘の黒服。列を成す大通りのタクシー。▼隣の芝が青く見えるのも、我が庭があればこそだ。思うに他人の幸福を羨めるのは、それなり幸福な人間に限るのであり、不幸な人にとって幸福な人々を眺めるのはただつらい。逆もまた然りで、私怨なきシャーデンフロイデなど穿ち過ぎたまやかしに思われる。だからこそ明暗分かつ特別なときには、明と暗は静かに棲み分けるのだ。皮肉で言うわけじゃない。そういう棲み分けができないところに、悲劇は起こる。今日、街は明かりにあふれていた――それ以上なにを言う必要があるだろうか。

[655] Jun 14, 2011

毎年恒例POGドラフト集会に参加。分かる人にしか分からない話ではあるが、競馬の話をするのも年に数回あるかないかということで、ご容赦願いつつ今日は指名の結果を振り返りたい。▼スピルバーグ、シェイクスピア、エポキシ、ウィケットキーパー、ラブラドライト、フェアリーダンス、アダムスピーク、アドマイヤオウカ、カジノロワイヤル、ラスヴェンシュラス。指名順に馬名で示すとこうなる。▼一位候補のジョワドヴィーブルはさすがの人気で籤に引き負けたが、負けたうちでは最高の籤を引けたので、マトゥラーと悩んだ挙句、牡馬一番手のスピルバーグを指名した。牝馬はエポキシをカバーできたので結果的にバランスも悪くない。二位はディアデラバンデラにすべきだったかもしれないと後悔気味なところもあるが、そんな馬こそ走ったりするから楽観的に期待する。ウィケットキーパーを四位で確保できたのは拾い物、下位も堅実どころは抑えられていて上々だ。

[654] Jun 13, 2011

昨日の今日で江戸川乱歩『世界短編傑作集5』を読む。やはりこのシリーズの面白さは折り紙付きだ。久々の短評群。▼ベイリー「黄色いなめくじ」子供の異常心理を題材にした作品。推理小説としてはやや冗長なきらいもある。ディクスン「見知らぬ部屋の犯罪」当時はともかく、今となっては類似の筋が多いか。コリアー「クリスマスに帰る」オチの切れ味が全て。リズムがいい。アイリッシュ「爪」この短さでこの効果は肖りたい。凝縮されたサスペンス。Q・パトリック「ある殺人者の肖像」推理要素は薄く、少年の心理内訌を描く文学作品という印象。ベン・ヘクト「十五人の殺人者たち」これは恐れいった。まさかこんな読後感を味わわされるとは、という形の裏切りは貴重である。ブラウン「危険な連中」サスペンドした物の扱いが秀逸なサスペンス。スタウト「証拠のかわりに」面白く読めたが、幕切れにやや不満が残る。D・C・クック「悪夢」恐怖描写という一作品。

[653] Jun 12, 2011

今年もまた修羅場が予想される大晦日を先取り、本格的な夏日を待たず大掃除をしてしまおうということになった。そうと決まれば貴重な週末休みを消費するのだから徹底的に掃除したい。部屋の随所に積まれたプリント類、パンフレット、ノートの端、CD、謎のおもちゃ、洋服……倉庫や物置きも聖域なき立入検査で、特大のゴミ袋が十枚以上なくなった。小綺麗なようで潜んでいる無駄の多さ、特に紙類の溜まりやすさに驚く。▼なくなったと思っていたものもいくらか出てきた。なんでこんなところに、と首を傾げるしかない不思議な発掘もあり、そのうちひとつが江戸川乱歩の『世界短編傑作集5』である。かなり以前に全作品短評をシリーズ4冊目までやっていたのに、最終巻である5巻だけいつまで経ってもレビューがないのを、訝しく思っていた人も中にはいるかもしれない。誠に申し訳ない次第で、単純明快、斯くの如く、無くしていたのである。読んで完結させたい。

[652] Jun 11, 2011

小林秀雄の「物のあはれの説について」より「あしわけ小舟」で本居宣長が詠歌の意義について論じているところ、考えさせられる一節があった。長いので適度にまとめて晒したい。▼詠歌の第一義は心を鎮めて妄念を払うことにある。しかしこの心を鎮めるというのがそう簡単ではない。鎮めようと思う端から妄念が起こり心は散乱していくばかりだ。だから、妄念を退けてのち案じにかかるのではなく、妄念は起こるに任せて差し置き、歌の題や趣向の拠り所、辞の端や縁語など、少しでも手がかりらしいところに手をかけ、心のうちに浮かべておけば、次第によく物が考えられるようになっていくのだ。▼「歌といふ物は、程よくとゝのひて、あやあるをいふ也。」言葉は心の動きに秩序を与える。そのまま放置すれば散乱して妄念となる情は、言辞に救われ歌となる。「情詞につきて、少しの手がかり出来なば、それにつきて案じゆけば、をのづから心は定まるものとしるべし。」

[651] Jun 10, 2011

執筆に関するジョン・D・マクドナルドの言葉は、いつもまっとうで説得力がある。名言というほど名言らしく見えなくても、必ず素朴な実行的価値がある。たとえば、こんなことを言う。「読者というものは、本を読んでいるということを意識させられるのを好まない。あちこちに散見するきらびやかな文章、革新的で手のこんだ構造、ありえそうもない主観的な独白など――これらすべては『君、わたしが書いているのを見たまえ』と言っているようなものである。」▼言って終わりならただのまっとうに過ぎないが、終わらないところに彼の非凡がある。曰く、こうした作者の押し付けを回避する解決策として、筆を擱いたら自分の作品を「誰か別の人間が、君のスタイルを下手に真似、君の欠点を誇張して書いたもの」と見做して読んでみよ、というのである。実に目覚しい方法だ。名状しがたい不快感が払拭するまで推敲するには、相当の時間がかかることに気づくはずである。

[650] Jun 09, 2011

主人公の複雑な心情を描いているときは、筆も乗り気合も入り、真実味も諧謔もあるような深く味わいのある一節を書ける人が、ちょい役の描写に思いもよらぬ躓き方をしていることがある。文章は巧いのに、読んでいてあまりに退屈で平板なのだ。作者はちょい役も風景のひとつと思ってさらりと書いているつもりなのだろうが、このさらりというこなれた器用さが、恐らく毒である。▼手腕に優れた作者は、しばしば主人公より器用に物を見てしまう。器用に見て、器用にそれを書く。そうして読者が真に知りたいこと――主人公が何を目に止め何を見過ごすかという選択の情報――は見捨てられてしまう。しかし読者はその選択にこそ主人公の特別な経歴や環境、性格、心理を見るのであり、そもそも見せるためにちょい役が要るのではなかったか。主人公が物を見るに愚であれば、作者もまた愚に見て愚に書かねばならないときがある。世界の下手な眺め方も知る必要があるのだ。

[649] Jun 08, 2011

眼鏡屋が他店の商品でも眼鏡の調整をしてくれるように、無料・有料の別はあれど、貴金属・アクセサリーのお店でも指輪類の「お直し」をするところがある。そのときお客様から大切な指輪を預かることになるわけだが、バイトの店員などに預かりの作業をさせるとき、ひとつ特別な注意が要るのだという。「誰から何を預かったということを紙に……」「ちゃんと記録しておく?」「書いちゃダメだってこと。」▼たとえば何々様からサファイアお預かり、とこう書いたとする。さてその何々様が受け取りに来て、預かった宝石を渡すと「これはサファイアじゃないわ」と言い出した。鑑定してみるとただの青い石である。私はたしかにサファイアを預けたのに――記録にもあるでしょう――石ころを返して寄越した、とんでもない店だ。こういう話である。外国などでよくある詐欺の手口なのだそうだ。だから「何々様より青石お預かり。」これでよい。確証のないことは書かない。

[648] Jun 07, 2011

エドマンド・ウィルソンの『アクセルの城』を読んだとき、形式主導型の文学批評にもやりようはいろいろあるものだなあと感心した覚えがある。▼W・B・イェイツ、ポール・ヴァレリー、T・S・エリオット、マルセル・プルースト、ジェイムズ・ジョイス……こういう十九世紀末ないし二十世紀頭の”定番”な面々を各章の主題に連ね、第一章に「象徴主義」と掲げる本書は紛うことなく象徴主義文学論なのだが、何々主義を総括すると銘打つ批評にありがちな、主義という「鋳型」への嵌めこみ感がほとんんどない。作品内容を支える経験への考察、観察眼と文章表現のあいだに働く力学の分析、そうした批評の詳細が、かえって各人の個性と象徴主義と呼ばれる何物かとの乖離と相違を浮き彫りにしていく。そういう事態を良しとしている。象徴主義がまさに完結しようとしているき、「やはり象徴主義という人物はいなかった」ことを改めて確かめたような小気味良さがある。

[647] Jun 06, 2011

現行プロジェクトの正式タイトルが本会議で決定し、社内秘ながらチームメンバーには暗黙の了解で通達された。なるほどそう来たか、と思ってニヤリとする。もちろん、ここで言うわけにはいかないが、プロジェクト名に「仮」がついたままよりやる気も出るというものだ。▼あるミステリー作家は作品のアイディアの見つけ方について、こんなふうに言っている。「いいタイトルを思いついたおかげでテーマまで思いつくという場合も、時々ある。書き上げたあとで丸一日かけてタイトルに四苦八苦する、なんてことをせずに済むところが特にいい。」▼名は体を表す式の格言は世界中に存在する。どうせなら何か一つ名のもとに行動したいという願望はどうやら人類に共通のものらしい。はじめに決めたタイトルがその後の成り行きでしばしばお役御免になるとしても構わないのだ。たびたび口にするその名が、私は今これに尽力しているんだという確かな感触の礎になるのである。

[646] Jun 05, 2011

不況を跳ね返し、経営を軌道に乗せるにはどうしたらいいか。どこもかしこも口角泡を飛ばして議論していることだろう。節電のためエアコンが切られた陰鬱なミーティングルーム。開発部長は何を置いても資金だと言う。とんでもない、それよりも中途の運用と社内人財の効率的な教育だと人事は言う。いやいやこんなご時世だからこそ、セキュリティの強化とリスクヘッジが優先だと管理は言う。コンプライアンスだと法務は言う。タイアップだと広報は言う。馬鹿言うな、社員ひとりひとりのやる気だと社長が喝を入れる。群盲は象の触診に忙しい。▼セクショナリズムの弊害がもたらす悲喜劇ではあるが、ことあるごとに「It's none of your business」を刷り込まれて育った社員たちが、そんな演目を演じていても無理はない。部門の垣根は露天風呂の壁よろしく超えるべからず、覗こうものなら叱られる。それでいて困ったときばかり、自由闊達な人財がいないとは笑わせる。

[645] Jun 04, 2011

人と人とのあいだに生じる仕事上のトラブルで、「言った言わない問題」ほど面倒なものはない。その悍しさ悩ましさは、誰しもいちどは経験があるだろう。一方が誤魔化そうとしているときもあるし、どちらも本気で言った/言ってないと信じているときもあるが、ひとたび問題になれば関係ない、同じくらい厄介である。▼全ての契約を文書化するのはコストを考えると必ずしも合理的でないが、何事にも「ここで開き直られたら堪らない」というクリティカルなシーンというものがある。内部で処理のつかぬ外部との契約、大規模なアルバイトグループとの連絡、命運を分けるような重要な言伝の依頼……。▼ふだん開き直りが横行しないのは「次」があるからだ。クリティカルなシーンではその「次」が「今」と天秤にかけられる。そうして、ここさえ取れば「次」などどうでもいいというとき、裏切りが最良の選択肢となる。あとの違いは選ぶか、選ばぬか、無意識に選ぶかだ。

[644] Jun 03, 2011

「的な」という方法で名詞から形容詞がほとんど自由に創りだせることは、現代日本語の強みでもあり、弱みでもある。しかしその成立の経緯や利便性を云々する以前に、私がいつも残念に思うのは、「的な」でつくられた形容詞+名詞の言葉が、英語のal接尾辞に比べて美しくないことだ。拙い邦訳本でしばしば乱用され、文章の読みやすさを著しく欠いている。▼「何とか的な何とか」という言い回しは大抵イマジネーションを欠く。理由は知らないが、思うに名詞がなにひとつ形を変えないので、堅いニュアンスが引き継がれて説明的な形容になるからではないだろうか。たとえばフーガを相方の調性的な応答と見るか、"tonal answer"と見るかのあいだには、本質的な違いは無くても膨らんでいくイメージに差異がある。調性という言葉の堅さを浮かべたところへ「的な」とぼかされてしまうところに、tonalという言葉の新たな感触ほど想像力を刺激するものがないのだと思う。

[643] Jun 02, 2011

時に「めき」がついて「ときめき」、花について「花めく」という言葉もある。他にも古めいたり、夏めいたり、めくるめいたりする。「めく」は、何かが特によく見える様子を表す接尾語だ。肌でも耳でもなく、目の表現である。見ていて目移りしてしまうほど、次から次と色彩や感覚が目に飛び込んでくる、そういう状態が「めいている」ので、夏めくというからには、蝉が五月蝿いのではない、うだるように暑いのでもない、ただどこもかしこも、夏としか思えない光景に満ち溢れているはずだ。▼だから、風景描写をひとくちに済ませたければ「めく」は便利すぎるほど便利な表現である。ただ光景を説明したい場面で、精密な書き込みに意味もなく、描写に仮託したい思惑もなく、なにより読者と作者のあいだにイメージの乖離がないと信じるなら、夏めくという言葉ひとつで十分に夏を感じてもらうことも出来るのだ。文字を連ね、描写めいていればいいというものではない。

[642] Jun 01, 2011

時間をかけて面白いことを考えるのと、面白くすることに時間をかけるのは、似ているようでぜんぜん違う。そうして、いつ始めてもよい趣味の制作ならともかく、納期や締切の存在するプロフェッショナルの仕事では、当然、後者が求められる。翻って言えば、後者の視点を獲得しない限り、趣味の制作は安定しない。プロの企画とアマチュアの「アイデアマン」の間にある、大きな意識の壁である。▼面白くすることに時間をかけるということは、ただブラッシュアップに時間を割くのではない。それは着想がまだ駆け出しの段階で「時間をかけること=クオリティが向上すること」であるような企画に仕立てるということである。「時間をかけずに面白くなりそうなことを考える」のだ。配牌や序盤の数順でひたすら捨て牌に悩むのは素人の所業だろう。速やかに手配の完成形を見据え、安全性と拡張性と将来性とを全て考慮に入れながらもすばやく行動できるのがプロの業である。

[641] May 31, 2011

別部署の同僚が余暇にアンドロイドアプリを作っているという。開発プロトタイプを見せてもらったら、機能面はそこそこ形になっていた。着想があまり他に類を見ないので、魅せ方を工夫すれば面白いアプリになりそうだ。いくつか表現方法と改良点についてのアイデアを話すと、早速試しに実装してみるという。そのアイデアが我ながら確かに斬新なことを思いついたものだと後で思って、名品の誕生を予感する。▼しかし、わかっているのだ。出来ることが限られているアプリの世界で真剣に面白いものを創ろうと思えば、それなり面白いものにはなるのである。アイデア勝負で鎬を削るこの土壌、難しいのは売り抜けでない継続的なマネタライズなのだ。永久無料のサービスがあふれる中、どうやって有料を正当化するか。金を出すに値するかしないかという以上に厄介な、マイクロペイメントの障壁をどうやって取り払うか。販売を目指す開発者の悩みの種はいつもそこにある。

[640] May 30, 2011

2083という数字を聞いて何を思うだろうか。インターネットエクスプローラで使用できるURLの文字数上限。たしかに2083文字だが、それとはまた別の話である。ファミコン誕生からちょうど100年を見据えて、ゲーム音楽の世界に「2083年計画」と呼ばれるプロジェクトがある。▼趣旨はこうだ。「ファミコン誕生から100年後、ゲーム音楽は市井に広く認知され、演奏され、さながら現代のクラシック音楽になっているであろう。」プロジェクトの概要からは、どちらかというと「そうであって欲しい」という思いが汲み取れる。▼ゲーム音楽がクラシック音楽となる世界。そんな来るべき未来のために、ゲーム音楽で遊ぶアーティストたちに自由で創造的な活動の場を提供したい。これが活動のメインコンセプトであろう。今年から四年に一度、オリンピックのようにコンサートも開催していくそうだ。第一回は今年九月三十日。興味があればチェックされたし。

[639] May 29, 2011

知識と経験、持ち合わせた分野の猛者達が集い、先端的なアイデアを俎上に乗せて議論する。そういうコミュニティでは当然、中途半端なプレゼンは許されない。データに裏付けされ、論理的に筋の通った、現実的で、少なからず実用的な話でなければ相手にされないだろう。必然、発表のクオリティは高くなる。▼一方、もう少し敷居の低いコミュニティのタイプもある。権威や実績の有無に関わらず、分野に興味のある人間が無造作に集い自分の経験や考えを披露する。発表のクオリティは低く、視聴者の中にはこう思う者さえ出てくる。「馬鹿な。俺ならもっといいやり方を知ってる。」▼しかし、そういう人が自説を開陳してくれることこそ、実はこの手のコミュニティの本懐である。稚拙な発表は「誰かもっといいやり方を知らないか?」という、発表の形をした質問なのだ。質問に答えてもらう最良の方法は、半端に知ったかぶることである、という処世術の体現なのである。

[638] May 28, 2011

Gメールに「重要マーク」なる妙なものがつくようになった。昔の「スター」マークの自動版みたいなものだろうか、こちらでつけてもいないのに勝手についている。「このスレッドに重要なメッセージがあります。」ところがそれがダイレクトメールばかりなので腹立たしい。送り主が【重要】と主張しているだけで、私にとっては重要でもなんでもないものにばかり印がついている。まるで役には立ちそうにない。▼フィルターが上手く働いていないのか、広告メールを目立たせるための故意なのか、新サービスの真意はわからないが、早くも印付きの方が重要でないメールのように見えてきているので困る。こう眼が慣らされるとほんとうに重要なメールに重要マークがついていても、ついているせいでかえって見逃してしまうかもしれない。要りそうで要らない余計な機能が増えてきたように思う。以前流行らないと断言したグーグルバズも、今つかっている人はいるのかどうか。

[637] May 27, 2011

なんの変哲もない作業風景――突然、画面が明滅して、現れたのは青地に白文字のエラー文書。ついにブルースクリーンをひいてしまった。▼セーフモードで起動してシステムを数日前のポイントに復元、いまはこうして落ち着いているが、解決したかどうか確かめる方法はない。前回のポイントからの更新点はウインドウズの自動更新しかないので、もしこれで直るようなら地雷を掴まされたことになる。ついさっき、弟のPCも異常なフリーズをしたというから油断ならない。▼甘いのはファイルのバックアップである。事故に備えて大切なファイルはサーバーにもあげているが、容量の都合上、全部が全部というわけでもない。外付けHDDもないし、レイドを組んでいるわけでもないから、雷が落ちてPCが逝けばサーバーにないデータは取り返しのつかないことになる。この機会にいちどデータをどこかへエクスポートして、OSを再インストールしたほうがいいかもしれない。

[636] May 26, 2011

これは美味しい。そう思って袋を裏返すと「モンドセレクション金賞受賞」とある。ダイヤモンド地下街を歩いていると、右にも左にもモンドセレクション金賞の謳い文句がならんでいる。そしてときどき「最高金賞」などと書いてある。いったいどれほど金賞があるんだろう、受賞の基準は何なんだろう。そんなふうに訝しんだことがあるのは私だけではあるまい。▼モンドセレクションはベルギーの民間団体による食品の「技術的認証」である。つまり、必ずしも味を保証するものではない。審査の主なものさしは、例えばパッケージに正しく情報が記載されているか、衛生面の管理は適切か、材料はどのような物を使用しているかといったことであり、この点数に応じて「賞」という名の認証を与えているのだ。だから、こと食品に基準の厳しい日本で製造された商品は、申請すればほとんどが金賞を受賞するという。ちゃんとした製品ですよ、という以上の意味はないわけである。

[635] May 25, 2011

山頭火とは長い付き合いになる。はじめて食べに行った頃はいなかったと思うが、いつからか良いバイトの店員がいることに気がついた。オーダーを取るとき、ラーメンを置くとき、何かにつけて愛想がよく、丁寧で、気が効いて、会計のあとには「いつもありがとうございます」と、棒読みでない感情のこもった言い方をする。厨房にいても仏頂面など欠片も見せない。もしもあれが作り物の営業スマイルだとしたら、プロの女将さん顔負けと言わざるを得まい。▼いまどき珍しい好青年などというと年寄りくさいので、接客業のお手本みたいだと思ったその素晴らしいお兄さんが、あるとき「副店長」の札をつけているのに気がついた。やはりな、と内心嬉しく思ったものである。そうしてその彼が、つい先日とうとう「店長」になっていた。塩ラーメンを啜りつつ、無言で安堵する。よくしてくれた人の出世を喜ぶのもそうだが、まっとうな社会の在り方を見つけた嬉しさでもある。

[634] May 24, 2011

「あの店員さんの着てる服、素敵だな。あれが欲しい。」こんなふうに思ったことはあるだろうか。あるとしたら、それはスタッフの勝利である。実際、スタッフの着ている服というのはもっとも売れ筋な商品のひとつなのだそうだ。やはり皆、生きたマネキンが着こなしているものには惹かれるらしい。服装が動く様子を第三者的に見ることで、自分が着ているところをイメージしやすいからだろう。▼店の方もそれを知っているから、後ろ向きな例では売上の個人ノルマを達成するため、スタッフ自身が売れ筋の商品を自分で買って着るようにするし、前向きな例では店自体がスタッフに良い商品を与えて着せる。関係者のひとりに聞いた話というだけで、どこもかしこもそうしているかは知らないが、思えばアパレル系でスタッフが制服というのはほとんど見ない。それならば私服を自由に着させるよりも、お客様にアピールする商品を着させた方が、販売戦略としては上等だろう。

[633] May 23, 2011

大学時代、学科混合のシンポジウムである発表をしたときのこと。会後の座談会で経済学部の友人に怒られた。なかなかいい発表だったね、でも、と切りだして、こう言うのである。「データに平均を使っていたね。統計的データを論拠にするような主張で平均という言葉が聞こえたら、僕はもう話を聞かないよ。平均は特徴を相殺するために使うものだからね。個の抹消だからね。平均したってことは、要するに何か都合が悪いことを隠蔽した印じゃないか。」▼生活保護制度とか、ワーキングプアとか、所得の高齢者移転とか、この頃そういうことをよく調べている。どんな立場を擁護し批判する主張も、行き着くデータはきまって平均だ。三十代の平均年収、公務員の平均所得、業界の平均残業時間。平均を見下ろす立場の人が無邪気に集めた平均同士の比較検討。すべての実情が隠蔽された殺風景な論拠を見て、どうりでいつまでたっても実態は把握されないわけだと肩を落とす。

[632] May 22, 2011

個性的という言葉は死んだ。死んでなくともその意味は希釈され尽くして、今やなにも意味しない瀕死の形容詞である。どうしてそんなことになってしまったか――時代性でも言語の退廃でもない、私は純粋に、ある個人がリーチできる人間の数が増えすぎたからだと思っている。人が多すぎる。見える人間が多すぎる。あらゆるものが、確かにその人に根ざしているという意味で個性的であり、どこか他にもありそうだという意味で個性的ではない。▼「いちどで強く印象に残るほど変わっているが、変わっていることで成功している。」みんなで選ぶ何々のランキングを見ていると、上位にならんでいるものにはこんな共通点があるように思う。individualisticなだけではダメなのだ。idiosyncraticである必要がある。個性の発露では足りない――選択と集中の戦略がここにも登場する。自らを分析して、個性のうちでも成功する可能性のある個性を尖らせていくことが求められる。

[631] May 21, 2011

アメリカの探偵作家、ミリアム・リンチの言葉はこうだ。「うまくいかないから書きやめるのではなく、次の数ページに何を書くのか分かっているから書きやめるのなら、再び机に向かう熱意もあろうというものである。もしどうにもならない障害に行き当たったら、最後の数ページを破棄して、うまくいっていた部分まで戻り、そこから再スタートすべきである。緊張と悩みは、いっそうひどい障害をもたらす。」▼行き詰まったところでペンを置くくらいなら、うまくいってたところまで戻ってペンを置いた方が、再び机に向かう意欲も湧きやすいだろうというのである。第一、どこをどう変えても上手く行かなくなったということは、もはや微調整で解決するような話ではない。目の前に展開している「問題部分」の存在に根本的な無理があるのだ。そこは袋小路で、行き着いたこと自体が間違いだったのである。スムーズに物を創る技術とは、迷路の気配を感じられることである。

[630] May 20, 2011

長崎の土産だと言って、「一口香」なる菓子をもらった。特に変哲のないボーロ風の焼き菓子に見えるが、持ってみるとやたら軽い。あんこものではなさそうだ。「さて、何が入ってると思う?」「なんだろう。甘い、お麩みたいなやつかな。」一口、食べてみて驚いた。何も入っていない。▼いっこうこうと読むこの長崎の郷土菓子は、なんといっても中が空洞という独特なつくりで有名なのだそうだ。「からくり饅頭」とも呼ばれるとか。初見には一杯食わされた土産である。外は小麦粉と水飴の皮、中は溶けた黒糖で、味はかなり甘い。裏返すと、底には胡麻がまぶしてある。文字通り香りがよい。▼方々からの頂きもので、それなり頻繁に全国各地の土産物を食べる機会はあるのだが、この「一口香」ほど印象に残る品はなかなかない。私としてはあんこものの方が好きなので、好みには適わなかったものの、軽妙な名前、味の上品さ、ユニークなつくり。面白い土産菓子である。

[629] May 19, 2011

ウィキペディアにこうある。「後代にルネサンス期の技法を検討した理論書として、フックスが1725年に著したGradus ad Parnassumが特に有名である。(中略)対位法の実習の際に注意すべき規則が厳しく定められており、その規則に縛られながら課題をこなすことによって、正統的な対位法的感覚を身につけることができるとされる。」▼邦訳は絶版で古本も高価だが、英訳版なら安価で手に入る。『The Study of Counterpoint』、早速入手して読んだ。対話編、演習形式のペーパーバックで、とっつきやすいが見た目よりは遥かに重い。対位法の技術解説も充実しているが、ちょくちょく鏤められた音楽的考察がとりわけ面白く、繰りかえし読んでいる。▼同じ訳者の『The Study of Fugue』も注文したが、こちらはまだ発送できないとのこと。こんなこともあろうかと――あるいはアマゾンの策略に乗せられて――いくつか同時注文した類書を読みつつ、ゆっくり待つとしよう。

[628] May 18, 2011

単音にもテンションの高い音と低い音がある、という話を聞いて以来、たびたびピアノの鍵盤をひとつ、叩いてテンションを感じてみる。ファ#がもっともテンションが高く、つづいてソ#だと言われたが、このふたつの明確な違いは私にはわからない。ただこのあたりに気分の高揚を感じるのは確かである。地味な音では決して無い。音域による違いもある。あくまで私見だが、私は極低音ではド#が、極高音ではファが、かなりかっこいい音だと思っている。▼同じ音の組み合わせでも、音の距離によって様々なテンションがあるのも探してみると面白い。極低音と極高音ではミとラ#は冴えないトライトーンだが、中音域に近づけてみると案外使いどころのありそうな響きを出す。レとソ#は逆に開いていくと魅力を増すように感じる。そこにどういう力学が働いているのかはわからないが、一音、二音にも語り尽くせないほど多くの感覚があるということは、心に留めておきたい。

[627] May 17, 2011

端正という言葉がよく似合う、そんな爽やかにまとまりのある作品をさくさく創れるようになったとき、ふいにこんな批評に出喰わすことになる。なんだろう、という煮え切らない反応。そして、「涼しいけど花がないね。」▼花がない。観阿弥世阿弥に言わせればそれは芸のもっともたいせつなものを欠いた状態だ。思うにこれは技術的な出来栄えとは無関係なところにある。非の打ち所が無いものにも花のあるなしはたしかにあるので、こういうことを二人以上の人に言われるようになったら、自分の創作行為そのものをメタ的に見直す良い機会だと思う。▼人は成果を褒められると、自分の手にしている技術や能力にばかり頼るようになり、新しいことや難しいことに手を伸ばすことを躊躇い嫌うようになるそうだ。ほんとうによく出来てますね、完成度が高いですね、こういう冷静な賞賛の言葉はひとつの警鐘である。花はもっと無言で人を感動させる。言葉より溜息が先に来る。

[626] May 16, 2011

司馬光曰く、子を養いて教えざるは父の過ちなり、訓導の厳ならざるは師の怠りなり。父は主として師を択び、師は主として教導す。二者兼ねて尽くすとき、努めてこれを学ぶは子の責なり。」▼たいへん理想的な教育環境に見える。昔の人々はきっとこうした教育のガイドラインを忠実に守り、日々師弟の育成に尽力していたのだろう、と詩韻に浸りつつ考えてしまうわけだが、そこでもう一歩考えを進めてみると、はてなと思う。こういう訓戒の詩が詩人に詠まれて残る世界、みんながみんなそうしていたら何も心に響くところはあるまい。要するに、昔だってそんなことは出来てなかったんじゃないか。▼詩文の末に曰く、こうして子が学問に励まなければならないのは「科挙に合格して名を挙げ、良家の美女を嫁にするため」だそうだ。当時の社会に照らしてみれば致し方ないとはその通りだが、言辞の立派さに引きかえ何だか脱力する思いもある。美しき過去の幻想ここにあり。

[625] May 15, 2011

「福岡のカリフラワー、沖縄のカボチャ、高知のナス、宮崎のピーマン、東京のウド、佐賀の絹さや、熊本のベビーリーフ、長崎の新じゃが、青森の牛蒡、高知のミョウガ、鹿児島の空豆、栃木のクレソン、佐賀の新玉ねぎ、北海道のたまねぎ、徳島の人参、北海道のジャガイモ、津軽のフキノトウ、津軽のタラの芽。……韓国のパプリカ、ニュージーランドの玉ねぎ。」▼ある知人が連休旅行で、山梨県は八ヶ岳のスーパーマーケットで見たという食品産地の並びはかくの通りだったという。よくもまあ全国各地から集めるものだと感心する一方、フードマイレージはどうなっているのだろうか。各々の県が名産品を安く売り込んだ結果のサラダボウルといった感が強く、生産のエネルギーとマイレージを最適化した結果にはあまり見えない。価格の安さ即ちエネルギー消費量の低さではないところにフードマイレージをめぐる最大の課題がある。その課題の具体的な形を見た気がする。

[624] May 14, 2011

一号機は恐らくメルトダウン、二号機も三号機もメルトダウンしているかもしれない、なんだと、それじゃあ三基同時メルトダウンじゃないか。等々。あまりにもしばしばメルトダウンという言葉を眼にするようになってきて、だんだんゲシュタルト崩壊に近いものを感じ始めている。茹でガエルになったのだろうか。そうでもあるまい。要するに、メルトダウンという現象の詳細がわからないのだ。▼炉心溶融と漢字で書いても、ウィキペディアを調べてみても、では「一号機がメルトダウンしているかもしれない」という情報がどれほどの危険を示唆しているのか、正直なところまったくわからない。現在進行形でチェルノブイリ型の放射性物質の拡散が起こっているわけでもないし、だから安全というわけでもない。定義が広いから、定義が違うから、などと言いつつ専門家たちはメルトダウンという言葉を好き放題に解釈しているように見える。肝心なところが何も見えてこない。

[623] May 13, 2011

アポストロフィーは省略の記号である。英文中に’があれば、そこにはかつて何かがあったのだ。I'm, You're, He's, She'll, They oughtn't. いずれも一文字か二文字のアルファベットが省略されている。Overがo'erと書かれれば、文字と音節は省略されて、発音はオーヴァではなくオァになる。口語で発音されなかった音も表記は’だ。themは'em に、becauseは'causeになる。略記もそうだ。governmentはgov'tと略記される。▼それでは所有格の’はどうかというと、実はこれも省略である。古英語では、所有格の語尾は'sではなくesで表された。ここからeがひとつ省略されて’となり、現代英語の所有格用法となったのだ。規則は崩れていない。しかし’が省略の記号であることに唯一例外があるとすれば、「a's」や「i's」など単文字の複数形だろう。これらの例では、’は単にasやisとの混同を防ぐために挿入されているだけであり、何かの省略を示しているわけではない。

[622] May 12, 2011

原油価格の高騰、欧米失業率の増加、そして東日本大震災による影響。「強烈な変化に晒されたことで経営環境が悪化し――」云々。多くの企業は無念にも平成23年3月期決算短信をこんな頭語で始めている。報告内容は通年赤字だ。減収、減益。来年はかくかくしかじかの戦略で黒字に転ずる見込みである、と草々。▼我が社と業界各社の財務諸表を見ていると、売上高は落ち、販管費は減少し、なんとか例年通りの営業利益を保ちつつ、経常利益が減少して、純利益は若干落ち込むという、ある程度共通した形が見えてくる。もちろん上手くいかなかったところは営業利益もガタ落ちで大赤字にはなっているが、業界人が危惧するほど全滅気味でもない。▼危ない、となると販管費が下がる。この数字が直接純利益を救う。コストカットの雄叫びが有事の業界に鳴り渡るのも無理はない。不況は耐える時期。信じて株だか株主だかを守りつつ、大ヒットの兎を待つ。今年はどうなる。

[621] May 11, 2011

とにかく付き合う人間がやたらと寿司を食いたがるので、もう生魚がダメなどと言ってもいられない、いっそこれをいい機会にと、友人の奢りも含めて数日寿司屋に通いつめ、とにかく慣れるために食べる、食べる、ある夜は二人で八十貫。そうしてついに赤いものなら食べられるようになった。▼マグロはトロよりも赤身の方が美味いと思う。ビンチョウマグロはさらにいい。ウニや貝類は相変わらずダメで、白身の魚も食べつけない。癖のあるものはまた後日だ。結局、注文候補として増えたのはマグロとサーモンくらいのものなのだが、エビや玉子ばかり食べていた頃からしたらたいした進歩である。▼とにかくこれでまた食べられるものが増えた。食べて嫌いならともかく、食べず嫌いに近い生魚はなんとか克服したいと思っていたので、今回のことは実にありがたい。いいネタを出してくれた寿司屋と、奢ってくれた友人とに感謝しつつ、ぜひまた奢ってもらいたいものである。

[620] May 10, 2011

Inverted Pyramid Style. 逆ピラミッド型記述。記事などを書くとき、重たいこと――つまり重要なことから先に書くべきであるという定石である。もっともたいせつなことを提示し、先へ進むにつれて徐々にどうでもいいことへ移っていくのだ。▼このスタイルが情報伝達の一定石として確立したのは、十九世紀の戦時中であると言われている。電信で戦地の情報を送る記者たちは、いつ通信妨害によって伝達が遮断されるかわからないため、もっとも大切で伝えるべきことをとにかく早く送りたかった。そういう事情から発展したものだという。▼なるほど、しかしそれでは通信妨害などない現代、そんなスタイルはもはや無意味なのではないか?――そんなことはない。現代には戦時中よりも遥かに強力な情報遮断の機会が転がっているのだ。あまりにしばしば行われる読者のALT+F4やブラウザバックに抗う術はない。伝えたいことは早めに言うに越したことはないのである。

[619] May 09, 2011

閉店近くにたまたま寄った紀伊國屋書店で、洋書二割引セールをやっていた。本日の午後八時までとあるから、閉店したら終わりということだ。いいタイミングである。ちょうど数冊購入予定のものがあったので、渡りに船でまとめ買いした。もともと高価な洋書に二割は大きく、有隣堂やアマゾンで買うよりもずっと安い。▼一昔前に比べれば、書店にも洋書はかなり増えた。新刊が入れば平積みもされるようになったし、店員のポップも充実している。それでもまだまだ洋書は入手しにくい。雑誌など、法外に高く感じる値段もそうだが、なによりどこへ行ってもラインナップが決まりきっているので面白くない。三軒もまわれば目新しい本はなくなる。▼では売れ筋がその辺なのかというと、海外のベストセラー・ランキングなどを見る限り、そうでもない。それが不思議である。書店のピックアップが必ずしも海外のトレンドに一致していないのは、どういう事情があるのだろう。

[618] May 08, 2011

これを見てごらん、あれを読んでごらん、こういうふうに考えてごらん。聴き手の求める情報について、その在り処を指示するような情報提示をInformativeな提示という。たとえば概要のみ添えられた外部リンクの集合から成り立つような記事がそうだ。対して、そこに書かれた文章や、発話された言葉自体が意味を持つような情報提示をPerformativeな提示という。たとえば「約束します」という言葉は、それが発されるということ自体に約束という行為と、その意思の表明が含まれている。▼「あなたがもし"Wired"にリンクを貼っているとしたら、何かがおかしいと思いなさい。」よりよいブログを書くために、ある人はこうアドバイスしている。Informativeな情報提示は、優れた編集がときに優良なコンテンツを生むことはあれど、原則的に何も生産していないことを忘れるな、と言うのである。人はそこにしかない情報を求めて、あなたのところへ来る。"Be Performative."

[617] May 07, 2011

ある日のスピーチ、壇上で熱弁をふるう一人の米国政治家、アベンジという単語が強調されていることに気がついた。それはそうだろう。アメリカにとって、あるいは全世界にとって、テロとの戦いは私怨のリベンジなどではなく、正義のアベンジなのだ。万が一にも勘違いされるわけにはいかぬ。▼あれから十年、ウサマ・ビンラディンは逝き、アベンジは果たされた。祝勝に湧くホワイトハウス、しかし米国内には温度差もあるというニュースが、ここ最近さまざまなソースから流れてくる。ニューヨーク・タイムズの片隅さえ飾るようになった。▼「ウサマ・ビンラディンって誰なのさ。」ツイッターでそう呟く米国の若者も多いという。社会問題の意識の低下、モラルの堕落。そうかもしれない。それも正しかろう。ただ自国民にさえ「誰なのさ」と言われてしまうような人間ひとりを葬ることが国家の一大ミッションであるというこの不気味さには、何か額面以上のものがある。

[616] May 06, 2011

午前四時でも空が明るむまでになってきた。長袖の寝間着では寝苦しくなってきたし、布団もそろそろ薄手のものに替えたい。どんどん暑くなる、と同時に、クーラーの使えないこの夏を思うと、どんどん憂鬱にもなる。関心ごとはただひとつ、いかに電気を使わず涼むかだ。気休めでない涼みが欲しい。電池で動く扇風機などアテにならない。▼アイスノンの量産は現実的な策のひとつと思っている。冷蔵庫が動いているうちに大きめのアイスノンをいくつか凍らしておき、停電したらビニール鞄に入れて、部屋の隅に置いておくのだ。アイスバッグのアイスノン版である。以前、あまりに蒸し暑い夜、ふたつかみっつの常備アイスノンを体のまわりにならべて寝たときは、たしかに気持ちよく涼しかった。あのくらいの涼味を部屋全体に運んでくれるなら御の字だ。ちなみにベッドで使うときには結露で水浸しにならないよう、タオルに巻くなどの対処が必要なので気を付けて欲しい。

[615] May 05, 2011

「為楽當及時、何能待来茲。」(楽しみを為すはまさに時に及ぶべし、何ぞ能く来茲を待たん。)楽しいことをするなら、それが出来る時――今この時にこそするべきだ。どうして来年など待っていられるだろう。人生の享楽思想を詠うこの短い句は、古詩十九首・其十五に見えるも無名氏の作。宵越の銭は持たないであろう彼が、もとより句に名前など残そうはずもない。▼今日できる遊びは今日したい。同じ理由で今日できる勉強は今日しておきたい。とっさに思い立ったことを、思い立ったそのときに本気で学ぶ。どうせすぐ飽きる癖に、と人は言うけれど、私はそれでいいと思って来た。飽きる癖にと言って何もしないくらいなら、すぐに飽きると知りつつも、まだ興味のあるうち全力投球しておいた方がいいに決まっているのだ。いつかぐるりとひとめぐりして、また興味がめぐってこないとも限らない。そのときに少しでも先の方へいられるよう、いまこそ頑張るべきなのだ。

[614] May 04, 2011

こういうミスはありがちだけど、正しくはこうなので気をつけましょう――この手の表現正誤集、プロなら必携だが、初学者にはかえって持たせるべきではないという。勉強になりそうなものだが、なぜだろうか。▼思うに理由はふたつある。ひとつは、まだその道の語彙に親しんでいない状態では、正誤の「誤」の方を見ても、たしかにこれが間違っているという判断ができない。そうして「誤」の例も「正」の例と同じか、場合によってはそれ以上多く目にしてしまい、誤った語彙が定着してしまう恐れがあること。▼もうひとつは、正誤表現の「誤」は、規則の上では誤りでも、実用に於いては必ずしも誤りとはいえないかもしれないということだ。こういう表現は間違いだから出来ない、という規則に縛られて表現の柔軟さを失うことが初学者にはなにより危険である。自由な試行錯誤の先立つ方がずっとよい。よくある間違いなどは、よくするになってから知ればいいのである。

[613] May 03, 2011

ずいぶん長いあいだネットブラウザにはルナスケープをつかっていたが、昨日ついに「インターネットエクスプローラ9」を導入した。数年ぶりのIEである。▼もともと速度や性能面で劣ると言われ敬遠されてきたIEだが、最近のバージョンではそうでもないらしく、たしかに使ってみた感触はかなり速い。いつぞやのもっさりした反応の鈍さはなくなっている。デザインはあいかわらずのウインドウズ・スタイルながら、枠まわりのインターフェースはすっきりした。▼お気に入りやメニューなど、自分設定を整えつつ二日間試用してみたが、マウスジェスチャが使えないこと以外は不満もない。ウインドウズ7がそうであったように、IE9も競合ブラウザのいいところを取り入れながら、シンプルかつ機能的に設計されていると見ていいだろう。CSSのデザインを確かめるときなどはゲッコーとウェブキットも必要になるが、常用のブラウザはしばらくIEに落ち着きそうだ。

[612] May 02, 2011

専門用語を数多く有するラテン語や、その姉妹言語であるフランス語やイタリア語を除いても、英語にはまだまだたくさんのローンワード――外来語がある。世界各地から借り入れた言葉のならびを眺めていると、いままでそうと知らずに使っていたものがいくつもあって驚いた。ペットはスコットランド語、ピストルはチェコ語、カレーはタミル語、ボルシチはウクライナ語、サウナはフィンランド語……という具合である。▼もっとも、食べ物や動物の名前が現地由来になるのはわかりやすい。原語の音を尊重すればそうなる。しかし、たとえば"launch"や"compound"など、使い慣れた言葉を外来語リストに見かけるとやはり意外な感じがした。これらはマレー語由来だそうだ。カタカナのおかげで、よほど器用な漢字が宛てられていない限りは外来語かどうかがわかる日本語に比べて、同じアルファベットに落とし込まれる英語では、知らず馴染みきってしまったものもあるだろう。

[611] May 01, 2011

ピーター・ドラッカーは生涯に数えきれないほどの文章を書いた。数十冊、一万頁をゆうに越える膨大な著作のうち、いったいどれを読めばよいのでしょうという読者からの質問にはいつも悩まされたという。それでも敢えて――「数多の作品のうち、もっとも誇れる一作はどれですか?」若き記者に訊かれて、齢九十四のドラッカーはいささかも躊躇わずこう答えたという。"The next one. "▼いかにもドラッカーの人柄が窺える逸話だが、このエピソード、私は以前、チャップリンのものとして聞いたことがある。彼もまた自身の最高傑作を尋ねられたとき、次回作さ、と気さくに答えたそうだ。恐らくどちらがどちらの剽窃でもあるまい。常に新しいものを求めて創りつづけ、学びつづける人にとって、それは当たり前の感覚なのだろう。集大成、金字塔など、周りが勝手に拵えるものに過ぎない。そんなものが過去に見当たらなければこそ、創作者は驀進しつづけられるのである。

[610] Apr 30, 2011

成功している企業には次のような共通点がある。したがってこれこそ企業が成功するための要因である。――こんなふうに言われると正しい気など欠片もしないが、多くの成功企業のケース・スタディは上記の論理を骨にしている。「成功している起業家の特徴は、どこかでいちど手痛い挫折を経験していることです。失敗しても最後まで諦めないことが成功に繋がったのです。」では失敗に失敗を重ね、ついに散っていった起業家たちはどうなるのだろうか。▼なんとも教科書通りの選択バイアスによる母集団の偏りだが、最近またしてもこの手の統計詐欺的な成功分析がやたらと増えてきた。リーマンに次いで今度は大地震と、落ち着くところを知らない不況の中で、縋る藁を求める人に藁を送らんと、マーケティングコーナーには「XXはなぜ成功したのか」の類が山積みである。選択バイアスという強力な誤謬の痛手が喉元過ぎた頃、わらわらと湧いて来て、そのうちいなくなる。

[609] Apr 29, 2011

招かれたパーティーの席で、とんでもない菓子を食べた。それはどこにでもありそうな狐色のクッキーで、ビールやジュースやポテトチップスのあいだに、いかにも摘まんでくださいとばかり、小綺麗な籠に積まれていた。メイプルシロップの味がしそうだ。ビールを片手に、ひょいとひとつ頂戴する。▼さくっという音もなく、もさりと口の中で崩れた。しけきったカロリーメイトのような食感で、こんがり焼けたかのような見た目にちっともそぐわない。そしてなにより驚いたのは、ひたすら辛いのである。ぴりぴりと後から舌に来る辛さで、飲んでも飲んでも刺激が取れない。不味いの一言に尽きる。▼後でやんわりと訊いてみたところ、世にも珍しいペペロンチーノ味のクッキーなのだそうだ。ペペロンチーノの味とも思えなかったが、しかしなんというアフォーダンスの悪い菓子だろう。全体的に赤くするなり、赤い粒を仕込むなり、辛いなら辛いと主張して欲しいものである。

[608] Apr 28, 2011

昨日、明らかに外耳炎とわかる症状で、両耳が激しく痛み出した。左は耳周りが熱く、右は耳鳴りがひどい。これは時間に治癒させるのも危ないと思い、抗生物質とネオメドロールEE軟膏を手に入れるべく、退社後に耳鼻科を求めて彷徨った。▼ところが水曜日は行きつけの耳鼻科が休みである。携帯で近くの耳鼻科を探してみるも、軒並み水曜日が定休とあって埒があかない。最寄り駅をひとつ超えた大病院は既に受付終了で、当然と言えば当然だが、明日また来てくださいとあしらわれた。▼とにかくこれほど水曜日に医者が見つからないのには驚いた。診療所の定休日はふつう木曜日だと思っていたが、耳鼻科や内科はそうでもないらしい。もっとも、木曜日が定休なのは、一週間のうちで木曜日がもっとも統計的に患者の数が少なく、それ故医師会の会合が多く木曜日に設定されているためだというから、次いで患者が少ない水曜日を定休日とする科があってもおかしくはない。

[607] Apr 27, 2011

勤務時間の開始から終了まで、パソコンをつけていない社員はひとりもいないと言えるほど電子機器に頼りきったある会社で、さてこの夏命じられている25%の電力消費量削減をなんとか達成しようと、四月を通じてあれこれ策を練った。サーバーを局所化する。開発機材は必要なときしか立ち上げない。長時間席を離れるときはディスプレイの電源を落とす。昼休みはウインドウズをスリープモードにする……。▼様々な試行錯誤の結果、驚くべきことが判明した。パソコンまわりで苦心するより、エアコンの温度を下げた方が圧倒的に電力消費を抑えられたのだ。さらに調査してみたところ、これだけ機材が犇めく社内でも、全社の電力消費の凡そ半分はエアコンであった。犇めいているからこそ空調が必要なのかもしれないが、驚きである。「エアコンの温度を一度下げましょう!」ささやかな節電運動どころではなく、夏の電気を助けるための非常にクリティカルな行動なのだ。

[606] Apr 26, 2011

英作文上達の秘訣は何かと訊かれたら、私はこれまで教えてもらった「秘訣」の中からそっくり受け売りさせてもらって、こう答える。「Be動詞を使わないこと。」ひとこと添えたほうがよかったかもしれない。「出来る限り。」いずれにしても次回から実行可能な心構えである。かなり実践的な秘訣のひとつではないだろうか。私は初めて聞いて以来、愚直に守ってきたつもりでいる。▼Be動詞は文章の生気を損なう。宣言したい内容が曖昧になるのだ。しかし気づけば氾濫している。意識しなければ、あちらこちらへ無尽蔵に現れる。便利だが、便利だからこそ冗長に使われやすい。これは日本人に限らず、ネイティブでもそうらしい。多くの英語版「文章力向上Tips」の類には、Be動詞の頻度を減らすことと、そのための方法が書かれている。英語のプロさえ頭を悩ましている問題なのだ。ハムレットの苦悩、ここにもあり、である。"To be, or not to be: that is the question."

[605] Apr 25, 2011

夕方近く、机に紙カップを山と積んでいる人がいる。毎月給料日はコーヒーやココアの販売機がすべて無料になるのだ。それにしても六、七杯は飲んでいるだろうか。七百円浮かした計算だろうが、私なら七杯は頼まれても飲みたくない。よほどカフェインが好きなのだろう、本人は嬉々としている。▼最近の研究で、カフェインを嗜好するかどうかは「CYP1A2」と「AHR」というふたつの特異的な遺伝子によって決まることが明らかになった。発表したのは米国立癌研究所。これらの遺伝子に「高消費」遺伝型を持つ人は、「低消費」遺伝型の人に比べて平均で一日あたりコーヒー1/3杯分カフェインの摂取量が多かったという。▼喫煙やアルコールの消費が遺伝子と関係していることは以前から指摘されていたが、カフェイン消費に関連する遺伝子は今回の研究ではじめて同定されたようだ。嗜好が遺伝子レベルで説明されていくのは怖くもあるが、医療応用の期待も高い。

[604] Apr 24, 2011

何ヶ月かぶりで弟の友達が家へ遊びに来た。補給ついでに菓子と飲み物を買ってきて差し入れに行くと、なにやら不思議なボードゲームをやっている。さて、ルールを聞いてみるとなかなか面白そうなので混ぜてもらった。▼舞台はロンドンのテムズ川周辺。様々な乗り物を駆使して逃げまどう怪盗を、警察側が知略を尽くして捕まえるというターン制のゲームである。ストラテジック・チェイスとでも言ったところか。怪盗の姿はときどきしか警察に見えないため、怪盗側には包囲網をすり抜ける度胸が、警察側には怪盗に逃げ場を与えない理詰めの戦略が求められる。もちろん相手の思考を推し測りあやつる洞察力も必要だ。▼ゲームバランスは上々だが、警察が合理的に散開と収束を繰り返す限り、恐らく勝ち負けは怪盗の方が不利だと感じた。マップの小ささと偏りが、鉄板となる基本戦略を与えてしまっている。そのあたりを練りこんだらもっと面白くなりそうなゲームである。

[603] Apr 23, 2011

「語でも概念でもないもの」――「差延」。ジャック・デリダの造語である。ひとたび辞書を参照すれば、ややこしい定義や成立の経緯などがしこたま書かれているものの、要するに「どんな言葉にも実証的な意味というものはなく、あるのはただ他の言葉との差異から生じる効果だけなのだ」ということを示すために導入された造語のようだ。黒が無ければ白の意味はわからない。▼言葉だろうと概念だろうと、ある「なにものか」の意味を定めるためには、それより先に存在している「なにものか」が居なければならない。逆に言えば、すでに言葉や概念として表現されていて意味があると思われているものも、それ自身が意味を持っているわけではなく、何とどのように違うのか、あるいは同じなのかという形で、他の表現を参照しつづけているのだ。自己決定のために差異を求めて、永遠に次の記号へ遅延しつづける意味という効果。だから、差延。決定不可能性のひとつである。

[602] Apr 22, 2011

アマゾンである本のセットを注文したところ、在庫品薄のため配送は五月上旬になると連絡が来た。気持ちはなるべく早く欲しいものの、どこの本屋にも置いてはいないし、緊急に必要なわけでもないから、仕方なくそれでよしと注文を確定した。▼あとは到着を楽しみにするばかり、ならよかったのだが、先日、ふだんは決して行かないような珍しい本屋へ立ち寄った折に、たまたま店頭で本を見つけてしまったのである。どれもこれも品薄のはずが、綺麗に三冊揃っているではないか。訊けばどれも最後の在庫であるという。いちもにもなく購入した。▼さて、こうなればアマゾンの方の注文はキャンセルするばかりだが、帰宅してメールを見ると数時間前に「ご注文の商品を発送しました」の通知。五月まで配送されないはずの商品ステータスがちゃっかり「配送済み」になっている。たしかに早まることがあるとは書いてあるが、それにしてもほんの数時間差で嫌な迂闊であった。

[601] Apr 21, 2011

「トロコイドの媒介変数を消去したいんだけど、やり方わかる?」午前中、同僚から突然聞かれた。ひょんなところで懐かしい関数に出会うものだ。何に必要なのかと訊けば、頂点が振動している座標系で、動きの軌跡を計算するのに使うらしい。水面シェーダーを自分で作ろうとでも言うのだろうか。プロジェクトもまだ序盤で二年目の仕事とは思えないから、スタディがてら好きでやっているのだろう。▼サイクロイドと同じで、逆余弦関数を使えば難しい話ではない。しかしこの関数表記をしたところで、それをどう実装しようというのか、それは私の預かり知らない話である。不完全楕円積分がどうのという話も出たが、厳密な計算が求められるところでもなし、別の方法で近似した方がコストは低い気もする。とはいえ、こだわりがあるなら時間の許す限りやりたいようにやるのがいいだろう。事務仕事ばかりで錆かけた頭には、たまに数学の話を振ってもらえるのも悪くない。

[600] Apr 20, 2011

このところあまりにも花粉がひどい。私はそこまで鼻や目に来る性質ではないが、肌が荒れたり眼の調子が悪くなったりと、別のところでバロメーターはあるので、ひどさならよくわかる。外も職場もマスク一色で、実に殺風景だ。まして節電対策でいよいよ空調がまわらなくなり、どこもかしこも窓を全開にしているから、屋内も花粉だらけということになる。殺風景どころではない、地獄絵図である。▼冬の寒さ夏の暑さで、日本の過ごしやすいのは春か秋かと言われてきたが、花粉ひとつで今ではすっかり春こそ最悪ということになって、昔の人々の無邪気に春の麗らかさを詠んだ詩も、現代人には軒並み説得力を失いつつある。季節を問わず「外へ出たくない」と誰も彼もが言い出すところに、SFの近未来設定にありがちな地下と人工太陽光の生活も、空想と思い切れない切実さがある。かつて、大気が猛毒だった時代に戻るのだ。そうして電脳の便利さがそれに拍車をかける。

[599] Apr 19, 2011

何の天麩羅が好きかと聞かれたら、私は舞茸と答える。海老よりも鱚よりも蓮根よりも舞茸がいい。珍しい天麩羅でもないから、行きつけの蕎麦屋の野菜天麩羅蕎麦にもついてくるし、「てんや」の野菜天丼にもデフォルトで入っている。衣がよく絡むので、家であげても不味くなりにくいからいっそう素敵だ。▼皺の効いたサルノコシカケという見た目の通り、舞茸はサルノコシカケ科の茸である。秋から冬にかけてがいちばん美味しい。ビタミンDなどの栄養が豊富で、腸内をきれいにし、血糖値やコレステロール値を低下させるという「βグルカン」も他の茸に比べて多く含まれている。▼ところがこのβグルカンを調べてみたところ、どうも人体で分解・吸収することはできないらしい。βグルカンと血中の様々な指標濃度については、あまり有意な相関関係はないようである。残念至極。それでも食物繊維として働くことは確かだから、腸をきれいにするというのは本当だろう。

[598] Apr 18, 2011

仕事で東京へ出る。新橋近くで解散したのが六時半頃、せっかくだから久しぶりに東京の丸善へ行こうと思い立って、京浜東北線の線路沿いをずうっと歩いた。やがてハトバスの待合所が見えてくる。ここを曲がると始終工事の丸の内だ。相変わらずどこもかしこも白いパーティションで区切られている。▼あちこちで工事の黄色いランプが、くるくるまわりながら明滅している。そのあいだを縫うように、赤い光点が道の向こうへ流れていく。賑やかな地上から見上げると、聳えるビルの灯りはモノクロのモザイク模様で、白と黒と不規則にならんだ様子はセルオートマトンのように見える。▼もう少し歩いて行くと、急に視界のひらけるところがある。巨大なビルとビルのあいだに通る一筋の平たい視界。ちょうどそこだけ何もない。丸の内の不思議な一角である。変な話だが、思うに東京駅の風景というのは、どこか東京の風景らしくない。有楽町や銀座の方がよほど東京に見える。

[597] Apr 17, 2011

人の話に耳を傾けることと、自分を貫き通すこと。修行者はいつも、この相反する概念の線引きに苦心している。どこで耳を澄ませばいいのか、どこで驀進すればいいのか。そうしていつか懊悩に疲れたとき、誰の言うことも聞かないエゴイストか、他人の意見ばかりに振りまわされるパペットになる。そんなのは御免だ。だから私はケジメのつけ方を、もうずいぶん前から変えていない。要するに技術と美学の区別だと思っている。▼「言いたいことが言えてないよ。」こういう指摘はいくらでも素直に聞きたい。言えてないのだから、言う方法を知らなければならない。土下座してでも教えを乞う。けれども「そんなこと言ってどうするの?」と言われる筋合いだけはないのである。言いたいことに突き動かされているはずの自分が、ここを譲ったら何が何やらわからない。もっとこういうことを言わなくちゃ。そんなふうに諭してくるのは、十中八九、良き師ではなく詐欺師である。

[596] Apr 16, 2011

発売当初から名作と名高く、最近アニメが開始したことでいよいよ評判の沸騰した『シュタインズゲート』。前から興味はあったものの、なかなか手を出す機会がなかったが、これまたアニメ話題に触発されてであろう、プレイしたという同僚から「アドベンチャーの最高傑作」とまで言われて、そこまで言うならと買ってみた。▼久しぶりに飛び切り面白い作品だと思った。同僚と同じく、さっそく知り合いに勧めている自分がいる。衒学的になりがちな想定科学を親しみやすい雰囲気に仕上げながら、科学的な説得力も失っていない。軽い風味に、確かな充実感がある。▼ゲーム性としてのインタラクティビティの魅せ方やキャラ創りも巧いが、やはり光るのはストーリーメイクだ。特に序盤で世界へ引き込んでからの、中盤のつくりこみと牽引力は素晴らしい。分岐前の「承転」がだれ気味になりやすいアドベンチャーでは会心の出来と思う。はじめから終わりまで素直に楽しめた。

[595] Apr 15, 2011

夜も厚着できる季節ではなくなった。首や肩の汗が気持ち悪い。あまりにも暑くて辛抱ならず、シャワーを浴びる午前五時。外は明るい。▼眠いときは何時間寝ても眠いのに、いちど神経が昂ると、いくら起きていても眠くない。あまりにも忙しいとき、しばしば不眠症気味になることはあったが、いまはそれとも違う。眠くないのではなくて、布団に入っていないのだ。ただ無理して起きている。それで気がつけば朝になっている。堕落した大学生気分。▼深遠な哲学を巡らしているわけでもない。本を読んでいたり、ゲームをやっていたり、ぼんやりしていたり、ときどき思い出したように外を見たりする。ネットはぜんぜん見ない。いつもパソコンの前にばかり居るから、違うことがしてみたくなるのかもしれない。そうして頼んでもないのに次々と面白いことが思いつく。アイデアが滾々と湧く。夢のような一過性の思考。けれどもこういう化学反応で生きているという気がする。

[594] Apr 14, 2011

「プランやデザインを考える人間は、常に現在案に対して代替案を考える習慣をつけなければならない。」その通りだ。しかし、この言葉は半分誤解されている。もう他に考える得る案はないか、捻り出せる奇抜はないか、可能なアイデアのプールを埋め尽くすまで発案をやめるな――そうではない。この言葉が警告しているのは、現在検討されている案と案とを比較することの危険である。▼「案を比較するな。」なぜだろうか。よりよい方を取りつづけた先が最良ではないのか。そうかもしれないが、この発想はユーザーの立場を忘れている。これとこれならこっちの方がいいな、と考えることができるのは、ただひとり作り手だけなのだ。ユーザーは最終案がありとあらゆる比較検討の上に選り抜かれた選択であることなど知った事ではない。彼らにとって、それはただひとつの初見の一案に過ぎない。比較の癖は、その案が「初見で良いと感じられるかどうか」という視点を殺す。

[593] Apr 13, 2011

我が家にもついにウォーターサーバー「アクアクララ」がやってきた。この震災で導入を固めた家は多いらしく、契約取りにてんやわんやと聞いているが、どういうわけか水分の消費量が異常に多い私はもとより設置を検討していたので、ちょうど水も手に入りにくくなったところ、機に乗じたのである。▼一般的なミネラルウォーターに比べるとやや独特な味わい。しかし温度は思ったよりずっと冷えている。赤いコックを捻ればお湯もでるが八十度程度で、緑茶にはちょうどいいものの、カップラーメンはつくれそうにない。ボトルは12リットル、リッターあたり126円。レンタル料もかかるのだから、必ずしも安くはない。▼手間と安心を買うようなものだろう。もっとも、水で金を取るなんてさぞかし儲かることだろうと誤解されがちだが、烏龍茶などの飲料に比べてよほどコストが高いのだという話を聞いたし、製造工程を考えれば事実そうだろうと思うから、不満はない。

[592] Apr 12, 2011

幸福は不足するものだろうか。この問いは少し難しい。シアワセでない状態はたしかに幸福が不足しているように感じる。けれども不足という言葉を使うことで、思考は知らず知らずひとつの考え方に縛られて来る。行き詰まっているのは、足りないからだ。正しい知識、効率的なやり方、具体的な経験、良き友人、豊富な金――何かが自分には欠けているのだ。だから、シアワセになれないのだ。▼しかし、人は捨てることでも充実できる動物である。人の価値は、その持ち物ではない。たくさん持てば持つほど幸せになるとは限らない。中村天風曰く「心が空になったとき、人間はいちばん強くなる。」ミニマリストの考え方である。そうして見ると物が多すぎる現代、持たざる者が充足を得るため旅をするという古典的な物語の構造が流行らないことの意味は大きい。今は、現実のある側面を切り捨てた世界が好まれるようだ。空想の世界で、幸福不足と物不足が切り離されていく。

[591] Apr 11, 2011

アメリカ史上最高のプレイヤーとも評されるプロゴルファー、ベン・ホーガン。現役時代は敵なしと言われた腕前で、飛び抜けて練習熱心でもあった彼は、あるとき本屋に頼まれてゴルフ上達のための理論書を書いた。長年の実地経験から編みだされたスイングの秘訣は、余すところ無く文章のうちに凝縮された。書籍は大成功であった。▼ところがこの理論書を書き上げてからと言うもの、彼自身の球のほうは、ぱったり巧く飛ばなくなってしまった。思いがけないスランプ。立ち直るのに、一年以上もの時間がかかったという。なんとも皮肉な話である。▼それでも彼は自分の仕事に満足していたらしい。理論は理論として正しかったのだろう。ただ肉体の修練によって培った動作の真髄が、理論的な分析のメスを摺り抜けてしまったのだ。ゴルフだけではなくあらゆるスポーツに、あらゆる「達人」を持つ遊戯に起こりうることでもある。アタマとカラダは、どうにも仲良くしない。

[590] Apr 10, 2011

横浜駅東口、ポルタを出てスカイビルを横切り、歩くこと十分、二十分。新高島の駅を過ぎ行くと、みなとみらいの街に出る。今日もまた仕事のための調査だが、このあたりを歩いたのは数年ぶりで、見渡す風景が昔とはだいぶ変わって見えた。行きは気持ちのいい浜風に慣らされて歩きやすい一本道だが、帰りの暗がりで高い歩道橋から見渡すと、なんとも言えない寂寥感がある。胸が透くような風が吹く。▼氷河を見るとき、こんな気分になるのかもしれないと思った。どこか冷たい。しかし人工の冷たさというよりは、疎にならんだ建築物のあいだをゆっくり流れる風通しの冷たさである。何もかもがまばらに配置された、充実感の乏しさである。草原にひかれた道のように、まっすぐ区画された幅の広い道路が、点在する曲線的な建物に似合わない。海辺のおしゃれな街として、まとまりを持たせたように見えながら、計画と想像力がときどき喧嘩している。そういう印象である。

[589] Apr 09, 2011

はじめは無心にやる。そのうちいろいろ考えるようになる。考えて悩んで、ときどき道を間違えながら、少しずつ文体が出来てくる。そうしてこれはと思う自分の文体が見つかったとき、ようやく考えた甲斐があったと思って、ほっとして無心になる。たいていの修行の道はこんな心のループを辿る。▼いつまでもぐるぐるまわっていればいいのだ。ところがそこには危険な出口がふたつある。ひとつは、考えすぎて思考に囚われ無心に戻れなくなること。もうひとつは、素朴やわかりやすさの味を占めてしまって、無心から出られなくなること。▼あっさりとそれなりのものが生み出せるようになったとき、いつわりの自然体に逃げたくなるものだ。「ある作家の心境がいよいよ磨かれて、作品を作ろうとする時材料に贅沢を言わなくなる、ごく平凡な人物、些細な情景があれば足りるという風になる、だがこれは又良心はあるが才能は貧弱な多くの作家の辿るあり来りの道でもある。」

[588] Apr 08, 2011

『婦系図』が鞄の底に眠っていたので、帰りの電車、何とはなしに読んでいた。久しぶりに泉鏡花の文章を読む。相変わらず綺麗だなと思った。目で追い頭で考えると急に進まなくなる、ただ口に出さないまでも頭の中で音読しているとすらすら入ってくる、読みだすと読めなくなるという、奇妙な文章。▼「それが味さ。」――しかし、闇雲に難解という評価もそろそろ免れにくくなってきた。言葉のひとつひとつがあまりにも現代人の生活とかけ離れていて、すらすら読んでも音を味わう以上に情景が味わえない、味わうためにはほとんどそのためと言ってもいいような単語への理解が要る。ただ美しいことだけがわかるというような、無理解な音楽への感動めいたところに落ち込んでいく。▼最寄り駅について本を閉じたとき、どうも他言語の上等な小説を読んでいる気分に近いと思った。ふつうの読書とは別の遊びだと感じた。好きか嫌いかはともかく、やはり鏡花は特別なのだ。

[587] Apr 07, 2011

褐藻綱コンブ目チガイソ科ワカメ。和布とも若布とも書く。古くは「布」または「海布」とも詠まれた。どちらも読みは「め」である。「海布」はいまでも食用の海藻類の総称だが、その代表格でもあり、冬いちばんの若い時期に収穫したものが格別おいしいので、若布(わかめ)と呼ばれるようになった。▼酢の物も好きだが汁物に入れるのが大好物。うどんやラーメンには汁が少なくなるほど入れる。乾燥わかめは切らしたくない。外食のラーメン屋でも、あれば必ずトッピングする。海苔の次に注文率が高い。昔よく通っていた瀬佐味亭では、いつも美味しいワカメの酢の物を出してくれた。▼美容健康によいと言われ、肥満や高血圧など現代病にも予防効果のあるサプリな海藻。もちろん、それが目的というわけでもなく、ふつうに好きだから食べるのだが、海中のリンや窒素を取り込んで、海水をきれいにする効果もあるというから、なんとも素敵である。海の植物は実によい。

[586] Apr 06, 2011

目に映るもの耳に聞こえるもの、匂うもの感じるもの――その場にあって使えるものから立ちどころに詩を創りだす人のことを即興詩人という。ならば、ありあわせの素材や道具を用いて新しいものを創りだす人は「即興職人」であろう。レヴィ・ストロースはこのような人たちをブリコルールと呼んだ。批評用語にしばしば出てくるブリコラージュは、ブリコルールがするような即興的な仕事を指す。▼レヴィ・ストロースは、密林のインディアン部族のフィールドワークからこの概念を得た。彼らブリコルールは森の中で何かを見つけると、たとえそれが何かはわからなくても「そのうち役に立つかもしれない」と思ったら袋の中に放り込む。その判断はまったく観察と直観に任されていて、あとでどう役に立つのかが明確であるかどうかは、彼らにとって素材の選択条件にならないのである。即興という知的活動。芸術にしろ技術にしろ、現代の先進社会から失われつつあるものだ。

[585] Apr 05, 2011

四月から新たに配属されるプロジェクトのため、代休を利用してサーベイに出かけた。準備期間に少しでも多く情報を集めることが第一歩である。もっとも職業柄、具体的なことは何ひとつ言えないのだが、それにしても家族にさえ言えないのはつらい。つらいというのは精神的につらいのではなく、物理的につらいのである。情報収集のために関連書籍を買い集めることもできない。ひたすら外で読まざるを得ないことになる。▼外出中に長時間の読書をするとき、電車の次によく利用するのはネットカフェだ。六時間コースで1380円。喫茶店を二時間ずつ点々とする代わりと思えば、禁煙室で、チープとはいえマッサージチェア付きの個室、ネット環境も整っていて、それほど高く感じない。持ち込んだ本を読んではいけないという決まりはもちろんないし、ときどき外へ出て散歩することも許されている。何も尽くしてはくれないが、その分仕組みが至れり尽くせりなのである。

[584] Apr 04, 2011

過去は教訓の宝庫である。最近でも「失敗百選」や「失敗の本質」が脚光を浴びているように、いつの時代でも過去の失敗を収集したデータベースの構築は試みられて来た。失敗することがわかっている失敗などしたくない。そういう思いのもと、人類は自らの手痛い体験談に惹きつけられつづけてきたのである。▼しかし惹きつけられることと、収集したものを有効に使えるかどうかは関係がない。「過去の失敗は組織の知的財産として未来に活用するべきだ。」見識ある指導者はこう唱えながら、目の前の失態を握りつぶすことに焦心している。▼重要な情報を隠蔽して取り返しのつかないことになった失敗の事例がいくつあるだろうか。それはわかっている。誰しもわかっているが、隠さなければ明日の我が身に馬鹿を見る囚人のジレンマに、もう囚われきっているのだ。英国の歴史家ジョン・アクトンは言う。「人間は歴史から何ものをも学ばないということを、歴史から学ぶ。」

[583] Apr 03, 2011

山本山で茶を購入した。ひとつは、静岡の煎茶。もうひとつは、山本山オリジナルのほうじ茶。ふだんは煎茶しか買わないのだが、「上ほうじ茶」とありながら値段がそれなり安かったのと、そういえば家でほうじ茶を飲んだことないなと思って、物の試しに買ってみた。あわせて二千円。▼煎茶用とは別の急須で淹れる。ほうじ茶は葉が粗いので、いつもの急須では網が合わない。煮沸直後の湯を直に注ぐ。熱々で美味しく飲めるのも煎茶と違う魅力である。手作りの小さな湯呑み。和食屋で食後に出されるような、控えめで上品な味がする。ほうじ茶は全般にそうだが、とにかく主張が強すぎなくてよい。▼煎茶よりもカフェインが少ないから、夜にも遠慮無く飲める。胃への負担も少ないため、乳幼児や老人の水分補給にもよいそうだ。それでも抹茶や煎茶よりも「格下」扱いされるほうじ茶が可哀想でもあるが、そこは実用の世界と格の世界はまた別ということだろう。仕方ない。

[582] Apr 02, 2011

少しずつここの記事でも小出しにしているが、いつかどこかで「小林秀雄全作品」の、文字通り全作品レビューをちゃんとやりたいと思っている。いちどならず公開形式と場所の準備までしたのだが、ついにはじまらないのはここと並行する余裕が無いからかもしれない。うまく両立できる方法を考えている。▼考えてみると、読書レビューはアマゾンをはじめ様々なところに溢れているが、ある一人の作家の全集を片端からレビューしていったブログやまとめサイトというものをあまり見たことがない。たいへんだからだろうか。需要がないからだろうか。引用などに何か問題があるのだろうか。教科書の記述に対して事細かに補足を加えることでひとつのユニークなコンテンツとなっている参考書のように、好きな作家の全集を読んで、その個々の作品に対する感慨をひたすら綴りつづけた記録があっても面白いのではないかと思う。松岡正剛の千夜千冊の全集版のようなものである。

[581] Apr 01, 2011

クラシックの音楽を聴くと頭がよくなる、という説が囁かれる。もとはモーツァルトの音楽について言われたことなので、「モーツァルト効果」と呼ばれている。発祥はそれほど古くない1990年代。火付け役は1993年の「ネイチャー」誌に投稿されたレターらしい。▼だから十年前くらいにいちばんよく耳にしたのだが、最近それほど盛んに聞かなくなったのは、つい数年前から本格的に反証の研究が進み、現在では主要な研究者のあいだで「効果なし」とする説が有力となっているからのようだ。似非と言い切るかどうかはともかく、二十年経って何の根拠も得られなかったのは事実である。▼くわえて尾ひれ背びれで拡大解釈されすぎたところもあるだろう。いい音楽は脳に何らかの好影響を及ぼすかもしれない――こういう言葉ならまだぎりぎり信じられないこともないが、酒や味噌に聞かせて味がよくなるという話を、謎の「波動理論」を根拠に信じろというのは難しい。

[580] Mar 31, 2011

人の引越しに乗じて、捨てられる予定の本棚を貰い受けた。さっそくリビングの、いまある本棚の反対側に備えつける。いただいておいての言い草で申し訳ないが、素材もつくりもちゃちいので、重めの本を並べるとすぐに渡し板がひのってしまった。奥行きも全集大の本が二冊まるまる収まる長さで、まっとうな本棚としてつかうには難がある。捨てられるにも訳があるというわけだ。▼それでも本棚の上でぎゅうぎゅう詰めにされているより本にとってはいいだろうと、永井荷風全集、志賀直哉全集、中勘助全集、このあたり天井付近の古本数十冊をまとめて移転した。何冊か、出払っていて箱だけのものがある。そのときに思ったのは、箱入り全集の本棚への並べ方は、箱の口をこちらに向けたほうがよいのではないかということだ。本そのものの装丁がならんで美しいし、どの巻が出払っているのかすぐにわかる。実用的である。問題は、箱の隙間に埃がはいりやすいことだろう。

[579] Mar 30, 2011

空間系エフェクトは悩みの種である。コンプレッサーやリミッターの後にかけると、音圧を底上げされた音にリバーブがかかり場合によっては音が割れてしまうし、そうならないように調整すると、後で音圧を上げたときよりも最終的な音圧が小さくなる。しかし私達がふだん聴いているような、空間を通じて鳴る楽器の音を再現したければ、残響はあらゆるエフェクターの後にかけるべきなのだ。▼エフェクトのかけ方や順番にも、何を優先して何を犠牲にするか、見せ所のトレードオフがある。「自然な音」を目指すのか「聴き心地のいい音」を目指すのかでイコライザのかけ方も違ってくるし、ダイナミックレンジをどこまで小さくするかも聴かせる曲のジャンルによる。定石もあるにはあるが、王道が多すぎてどれが正道かわからない。あてにするのは自分の耳より他にないということだ。かける。聴く。考える。直す。出力と再生の無限ループ。PDCAならぬ、DCAである。

[578] Mar 29, 2011

以前、寝起きに曲を聴くとテンポが妙に早く聞こえるということを書いた。あれからいろいろ人にも訊ねてみたが、同意する人もあれば、そんなことはないという人もいる。しかしプレイヤーが壊れたかと思うほど早く聞こえるこの現象が、ある個人に特有とはどうにも思えないのである。▼さて、これも前に書いたことだが、人間が自ら体内で刻んでいるリズムの主なるものは心臓である。したがって外部のリズムに対する「体感テンポ」があるとすれば、これは心拍数との差分で検出している可能性が高い。そこで次のような実験をしてみた。「ある曲を聴いて、思い切り運動してからもういちど聴く。」▼結果は予想通り、異常に遅く聞こえる。段階的に運動して心拍数を高めていくと、徐々に遅く聴こえてくるのがわかる。あまりに大雑把な実験なので、体温などその他のパラメータに連動していない保証はないが、心拍数連動説の確からしさを強化するにはそれなり有効だろう。

[577] Mar 28, 2011

明確な概念にならない漠然としたイメージを、現実の身近な物に託して語る。ならんだ言葉の数々は、なんとなく自分の言いたいことを表現していそうだ。そうして込み入った心理の輪郭を描き得たと思い込む。聞かされた方は聞かされた方で、まるでわからないなどと言うのは申し訳ないから、なんとなくわかると相槌を打つ。どうやらうまく行ったらしい――悪循環になる。▼複雑なものを正確に語る義務がないとき、あんまり複雑だから少しくらい誤魔化してもいいだろうと、表現者は容易に嘘を付く。小林秀雄は言う。「どんなに複雑であろうとも、孤独な人間の心理を描出するのは容易である。なぜかというと、人間が自分の錯雑した心理を表現する術を知らない時、而も好都合にも外部からその表現を強いるものがない時、彼は夢を見ていると同然だ。彼の行為というものが問題ではないのだから、この場合、彼を取扱う作者は、又彼同様に、夢見心地で文字を織ればよい。」

[576] Mar 27, 2011

ペイパルに登録した。これから海外と金のやりとりをする事情もあり、手軽で安全にクレジットカードの使えるのが通販にありがたくもあり、ペイパル決済しか認めてくれない急務の買い物がありである。セキュリティはそこまで心配していないが、ワンクリックで支払いが完了するクレジットカード決済という手軽さの方は怖いので、使った金額はメモを残しておくことにする。羹に懲りて膾を吹くきらいもあるが、いちどデフォルトを起こしている身としては慎重にならざるを得ない。▼ひとつ怖い話を聞いた。「グーグルクローム」の利用規約には、ブラウザの画面上に表示された情報はグーグルが自由に利用しても構わないという一文が含まれているそうだ。決済画面でフォームに入力したクレジットカード番号も一応「ブラウザに表示された情報」である。不正に利用されても文句は言えない――もちろん、現実にそんなことをするはずはないだろうが、不気味は不気味である。

[575] Mar 26, 2011

「人事の叢集するは落葉の如く、之を掃えば復た来る。畢竟窮まり已むこと無し。緊要の大事に非ざるよりは、則ち迅速に一掃して、遅疑す可からず。乃ち胸中綽として余暇有りと為す。」佐藤一斎「言志晩録」にこうある。つまり、仕事は手早く処理せよというのである。目下の仕事が遅々として進まない折、やや耳が痛い。▼それでも「緊要の大事に非ざるよりは」と付言されているところを掴まえて言い訳するなら、いまやらなければならないことは私にとって随分大切なことなのである。さくさく進めることが手を抜くこととは限らないが、少なくとも慎重には進めたいのだ。▼物事の終盤に焦りは禁物である。しかし世界の作者は残酷なサディストなので、ここぞとばかり焦らせる事情を必ず用意してくる。この罠にかかると、画竜点睛を欠く羽目になる。同じく佐藤一斎にして、こう言わしめる所以である。「凡そ事、初起は易く、収結は難し。一技一芸に於いても亦然り。」

[574] Mar 25, 2011

「人々は絵を見て、まるでほんとみたいだと感心する。その癖ほんとを見て、まるで絵みたいだとうっとりする。小説だって同じ事だ、小説がまさしく小説にみえては皆んな退屈する。現実が、何等かの意味で小説にみえなければ、身がもてないのである。」▼小林秀夫は「小説の問題II」でこう言っている。指摘されているのは、《ほんもの》と《にせもの》のインタラクティビティである。ある小説について、現実性や具体性を云々することは、実は現実の小説的な要約を語るのと同じことなのだ。小説的錯覚。しかしどちらが錯覚か、わかったものではない。▼「現実を眺めて、これを小説に要約しようとする。小説を読み読み、これを現実に還元しようとする。この二つの精神傾向から生ずる紛糾、これも亦私達の逃れられない微妙な愚劣の一つだ。」いろんな読者によって小説が読まれている如く、現実が読まれている。そういう理解の上に小説がつくられるという構造である。

[573] Mar 24, 2011

適当に合わせることがなにより得意の聞き上手や、言葉のあちこちを弄り廻して反駁するのが生業の論争家は、喋る人間を満足させたりへこませたりすることはできても、黙る人間をどうすることもできない。そうして仕方なく、思想の陳述をやめた人間はその場にいないかのように振る舞う。「……」でしか沈黙を表現できない世界には、ひときわそうした悪癖が染み付いているようだ。▼書き込みと呟きの渦で生活していると、誰が何を喋っているかばかり気にしてしまいがちである。しかし、言われていないことにも十分注意を払ってみよう。そこに居るが、誰にも何も言うつもりはない、そういう人間の頑なな沈黙には、しばしば単なる蚊帳の外や無関心以上のものがある。彼らは沈黙することによって誰かに何かを伝えようとしているのだ。「饒舌に聞き手が必要であるように、沈黙にも相手が要る。そして恐らく饒舌よりも相手を選ぶものだ。」沈黙を拾える耳目を持ちたい。

[572] Mar 23, 2011

昨日につづいて寒い日。真冬のコートを着て、糠雨の中を出かける。区役所と、霞ヶ関の東京地方裁判所。▼指定の切手と収入印紙を買いに地下の売店へ行くと、「誠に勝手ながら3月24日をもって閉店させて頂きます。」と張り紙がしてある。明日だ。そうすると今度から印紙類はあらかじめ揃えてこなければならなくなるのだろうか。――そんなはずはあるまい。新しい売店が出来るに決まっている。▼時刻は午後4時45分。地方裁判所は役所の御多分に漏れず午後5時で閉まる。ぎりぎりですべての手続きを終え、閑散としたフロアを後にしようとしたとき、女性の怒鳴り散らす声が響いた。「冗談じゃありませんわ。わたくし、明日も来られるような身ではありませんのよ。いいこと、とにかく帰らないでください。」上品な身なりで、たいそうな剣幕である。悲鳴に似た怒号。それにしても、まるでドストエフスキーの小説に出てくる夫人のような話し方をするなと思った。

[571] Mar 22, 2011

大きな物語の中に、小さな物語。このような入れ子構造を、文学批評用語でミザナビームという。「深淵に入る」という意味のフランス語で、もともとは大きな盾形の紋地により小さな盾形の紋地が描かれている紋章のことを差した、紋章学の用語である。▼外側の構造とよく似たものが内側に含まれている二重構造の物語は、シェークスピアの『ハムレット』やアンドレ・ジイドの『贋金つくり』など有名どころにも多くあり、それらは入れ子構造であることに物語としてのれっきとした意味がある。しかしこれが三重、四重となり無限後退するようになると、しだいに眩暈遊びの色が強くなる。合わせ鏡を眺めているときの、あの感覚を模すようになる。▼実際、ミザナビームという言葉は、脱構築批評ではシニフィアンの戯れからくる意味の不安定性による眩暈を表現するために用いられるのだそうだ。入れ子は常に眩暈の感覚を伴っている。まさしく、深淵を覗き込む眩みである。

[570] Mar 21, 2011

不要な文章なら削ればよいし、不要な音なら鳴らさなければよいが、デザインにおいて不要な要素はいつも削れるとは限らない。例えばタイトルの文字列があらかじめ定められているとき、表示領域がどんなに窮屈でもそこに詰め込まねばならぬ。「せめてこの三文字がなければよいのに。」▼こういうとき、余計な要素をなんとかまわりに馴染ませようと苦心するのは嵌る道である。大原則として、「無くてもよいものは無いに越したことはない」のだ。浮いた三文字をどう自然に見せようとしても、絶対に上手くはいかない。違和感が消えることはないだろう。では、どうすればよいか。▼最良の方法は、調和を諦めることだ。つまり、もっと浮かせるのである。これがあるおかげで面白いよね、と思わせるようなアクセントに仕立て上げることで、「無くてもよいもの」を「無くてはならないもの」に変えるのだ。違和感を妙味として利用する。これこそ優れたデザインの技である。

[569] Mar 20, 2011

容易には表現しづらい複雑な感情も、言葉を尽くせば輪郭を描くことはできる。しかし何かが「ない」という感覚を表現することは極めて難しい。あるいは表現できたとしても、それを相手に傾聴させることはいっそう困難だというべきだろう。虚無感について語るのは至難の業だ。▼虚無感というのは、何も感じていない状態ではない。それでは「強烈な虚無感」など存在しようがない。虚無感とは、中身のないからっぽの感情である。無を感情の枠でくるんでいるから、無という文字がつかわれているものの、その実態は無よりも空に近いかもしれない。実態のない情動である。▼これは表現しようとする者にとって実に条件が悪い。言葉は、実態のないものを表現するような方便は持ち合わせていないからだ。仕方なく、夢の中で聞くような漠然とした言葉を並べ立てる。そうして他人の夢の話がつまらないように、こうした表現は例外なくつまらないものになってしまうのである。

[568] Mar 19, 2011

行きつけのラーメン屋が「日本初、全席IH調理器完備で冷めないつけ麺!」とのぼりを立てていた。どこをどう調べて日本初を標榜しているのか知らないが、これは面白いことを考えると思って、入って見ると全席お手元に小さなIHが備えてある。その上で金属製に変わった器のつけ汁をことこと温めながら食べるのだ。麺の最後の一本まで熱々の汁で食べられるのも嬉しいが、なにより煮えたぎる濃い目のつけ汁へ、ご飯を入れて締めのおじやは旨いの一言。最高だった。▼誰でも冷めるよりは冷めない方がいいだろう。私はそう思い込んで、さてどうして今までこのアイデアをどこも採用しなかったのだろうと小首を傾げたが、この件を弟に話したところ、つけ汁を温め直すなんてつけ麺をまるでわかっていないと言われてしまった。なるほど通には通のこだわりがあるらしい。冷める過程で味が変わっていくのを楽しむのもつけ麺の楽しみ方なのだそうだ。客商売は実に難しい。

[567] Mar 18, 2011

起こりうる悪夢は起こる――マーフィーの法則は端的にこう言える。人生に一度か二度あるかどうかの災難がふたつ同時に降りかかり、その処理に奔走している最中の大地震、そうしてつづく今日、十年近く使いつづけた愛用の眼鏡が壊れた。▼鼻当てが取れていることに気がついたのはヘッドフォンを外したときで、さいわい足許に鼻当てそのものは見つけたものの、留めるための小さなネジを紛失してしまった。可及的速やかに眼鏡屋へ駆け込まねばならない。停電の影響で開いているかどうかわからないが、散髪も兼ねていちかばちかである。▼スペアはないのか、と訊かれて、そう言われれば両眼とも0.01もないのに、よくスペアもなしで十年間も生活してきたと思った。外で壊していたらだいぶ危なかったわけで、そうならなかったのは不幸中の幸いだ。ではこれを機に反省してスペアもつくるかと言われると、やっぱり二の足を踏む。度が強くなるとどうにも値段が高い。

[566] Mar 17, 2011

「地震があるといやな風が吹くよね。どうもこれが嫌いでさ。」金曜日の帰り道、同僚の一人がこう言った。たしかにそのとき、強くも弱くもない、なまぬるく、どこか遠くへ吹き抜けていくような風が巻いていた。そのうちにわかの雨が降って、からっと晴れて、変な色の空になった。雲の形もどことなく変わっている。▼気のせいと言われるかもしれないが、まるきりヨタ話とも限らないだろう。もしもこの世が決定性有限オートマトンのようなものなら、地震は自然界へのとてつもなく巨大な入力であり、状態にどんな変化が起きても不思議ではない。地震によって空や雲や風の気配が変わる可能性は、風が吹いて桶屋が儲かるよりは高い気がする。▼いろんなものが変わった。社会はもとより、ご近所さんの動向も変わった。ふだん見ないような人が近くのスーパーに並んでいたりしないだろうか。もしかしたらその人は、数年ぶりに始発終電生活から解放されたのかもしれない。

[565] Mar 16, 2011

人間を模したロボットは、それが適度にデフォルメされているうちは何の感銘も与えないが、表現のリアリティが向上し表情や仕草などが人間らしさを獲得するにつれて、より好感を与える相貌になっていく。ところがそのリアリティがある一線を越えると、今度は一転、強烈な嫌悪感を抱かせるようになる。「説明できないがなぜか気持ち悪い」状態である。これを「不気味の谷」現象という。▼あまり似ていないうちは、似ていない中にも人間らしさを探そうとして、それが自然と目につきやすくなるが、違いがわかりにくくなってくると、かえって微妙な違和感の方が強調されてしまう。病人や死人など「人間が正常な状態でなくなったもの」を想起させることも、生理的な拒否反応を誘発する要因になるようだ。不気味の谷現象はロボット工学の概念だが、ロボットに限らず音や絵などの現実を模した表現全般に言えることで、リアルであればあるほどよいとは限らないのである。

[564] Mar 15, 2011

「だぁれもだぁれも知らない、お前の名前はトム・チット・トット!」語感と耳触りのいいフレーズは、子供の頃に読んだのを覚えている人もいるかもしれない。昔、絵本が流行したイギリスの童話である。モチーフはグリム童話の「ルンペルシュティルツヒェン」と同じで、「なんでも願いを叶えてやる代わりに、はじめて生まれた子供をもらう」という小人の悪魔との契約を「名前を当てる」という行為によって解消する物語である。▼ルンペルシュティルツヒェンが名前を言い当てられてしまったのは彼の落ち度だが、名を知られたくらいで悪魔の契約が破棄されてしまうところからも、童話誕生の当時、名前というものがどれほど重視されていたかがよくわかる。召喚の魔術にも、手引きを見ると、しつこいくらいに対象の名前を唱えるものが多い。悪魔にとって名指しされることは支配されることに等しかったのだ。名付けるということは従えることである。無論、作品も然り。

[563] Mar 14, 2011

節電の努力も甲斐があったと見えて、今日のところ広域停電は回避されたようである。今に切れるから、と思いながらパソコンの電源を落とし、窓際で本を読んだり、布団へ横になって瞑想まがいの睡眠を取ってみたり、なんだか久しぶりに大学時代のもっとも暇な時期を思い出すような時間の過ごし方をした。▼近くのスーパーやコンビニの棚はどこもかしこもカラカラである。水やお茶など影も形もない。かろうじて、甘いお菓子と炭酸ばかりが残されていた。食べ物に困るほどではないが、トイレットペーパーなどの生活必需品は、街から消えつつある。▼会社は公式休暇になる旨が朝、連絡網でまわされた。交通網が想像以上に混乱していて、本社へ辿りつける人が少なかったからだろう。それでも明日は全体午礼のため全員出社せよとのお達しである。電車がなければバスを乗り継いでもいかねばなるまい。遅刻厳禁、早起き早出が必須である。取り乱した生活がつづきそうだ。

[562] Mar 13, 2011

輪番停電が始まる。東京電力からはピーク時の電力需要削減と想定外の事態に備えて、出社や登校を出来る限り差し控えて欲しい旨が通達されているものの、多くの社会人は「そんなことを言われても」という状態ではないだろうか。会社からは何の連絡もない。なければとにかく出なければならぬ。▼社のある区域の輪番停電の該当時間帯を見ると、ちょうど昼過ぎから定時前である。ほんとうに電気が使えなくなるとすると、四月末まで午後は仕事にならないわけだ。午前と深夜のシフト勤務などと言い出すかもしれないが、それでは節電の意味もないので、企業もどう対応するか悩みどころだろう。▼一昨日、街中の灯りが落ちたときにも痛感したが、つくづく現代社会の生活は電気がなければどうにもならないところまで来ている。頼りすぎなどと言い出すには遅すぎるのである。生活する個人としては、せめていつどこで電気がなくなるのか、しっかり把握しておく必要がある。

[561] Mar 12, 2011

複数人が集まってひとつの事前に定められたテーマを共有し、各々がそのテーマにしたがって作品をつくり出す「合同作品」や「合同企画」は、ある程度の規模のものを小さな負担で生み出せるという生産の組織論的な側面もあるにはあるが、それだけではなく参加している個人のスキルアップから見ても、かなりよい側面があると思う。つまり、しぜん持ち味に艶が出る、ということだ。▼それなりの人数が同じ主題で書くのだから、自分にそれなりの個性があると自負する作者であれば、出揃っていてそこに似ているものがあって欲しくないという心情が起こるのは当然だろう。そこで、ふだん自分ひとりでやっていると、どうしてもそこへ吸い込まれてしまう「全体的によくまとまった作品」よりも「自分の色がよく出ている作品」を目指すようになる。独自の雰囲気を絞りだそう力が働くわけだ。交換可能な物が存在しかねない場でなければ、なかなかできない貴重な練習である。

[560] Mar 11, 2011

マグニチュード8.8。とうとう恐るべきことが起こってしまった。▼強烈な揺れ、関東周辺の全域停電、公共交通機関は完全に麻痺。どうすることもできなくて、即時解散のあとは会社から家への道のりをひたすら歩きつづけた。ひとりになってからはグーグルマップだけが頼りである。横浜まで辿りつくと、未だかつてみたこともないような人数が駅周辺を彷徨っていた。▼そのとき既に午後九時。携帯の電池はあとわずか。日が落ちて、暗くなって、寒くなって、それでも家には帰らねばならぬ。深夜の八王子街道強行軍も覚悟した。途中、最寄り駅へ向かう路線が奇跡的に復旧したのに救われて、なんとか日付変更前には家に辿りついたのである。あちこちへ無事の連絡と、現状把握の情報収集。知れば知るほど想像以上の大災害で、どうにも手の施しようがない。せめて限りある電気を無駄にしないよう、この言葉を最後に寝るのみである。どうか余震にも細心の注意と対策を。

[559] Mar 10, 2011

いちど話し出すと気さくにしゃべってくれるのに、そうとわかっていても、どうにも話しかけにくい人がいる。いつも怒っているように見えたり、不機嫌そうに見えたり、なんとなく近寄り難いオーラを放っているのである。ところがそういう人に限って、誰よりも親身になって相談に乗ってくれたり、真剣に悩み事を考えてくれたりするのだから、こんなにもったいないこともない。▼オーラなどというと宗教めいて胡散臭いが、たとえ背後でも近くに人がいると「気配」がわかるように、人間にはそれぞれ纏う空気がある。それも声や表情や仕草ばかりではない。背中からさえ発せられる、何かとしか形容しようのない何かである。これが人を惹きつけるものならカリスマとも呼ばれるが、逆に人を寄せつけない方へ振れていると、とかく人の多い現代社会の中で生きていくには損になる。気をつけてどうかなる話でもないが、せめてひとりで佇んでいるとき、背中にも気を配ること。

[558] Mar 09, 2011

最高の小説にはどこかに「忘れられないひとこと」がある。そうして思い返してみると不思議なことに、それは必ずしも格好いいことを言っていないし、独創的な哲学を語っていないし、美文名言でもないし、まわりの流れと調和してすらいない。けれどもたしかに記憶に残っている。こういうものを私たちは仕方なく「印象的」と呼ぶ。▼優れているものはなぜそれが優れているのか、ちゃんと分析してみればすぐにわかるが、印象的なものはなぜそれが印象的なのか、いくら考えてみてもわからないことが多い。強烈な存在感、訴えかける何か、非凡なオーラ……言うに窮して、曖昧な言葉をならべていく。どれも正しいようで、しかし役には立たない。▼食いしん坊は言う。「この世には食べられるものと食べられないものの二種類しかない。」これに倣えば世の中には、印象的なものとそうでないものの二種類しかない。そうして、印象的でないものから順番に、忘れられていく。

[557] Mar 08, 2011

知識を二重化しないことは、可読性と保守性に優れた良質なプログラムの基礎である。二重化とはつまり、同じ機能を実現するための実装や、その表現が二箇所以上に存在するということだ。「こちらを直したら、あちらも一緒に直さなければいけない。」どう考えてもバグの温床である。二重化の禁忌を犯してはならない。この戒律を「DRY原則」という。"Don't Repeat Yourself."である。▼今はもう懐かしいY2K問題のとき、合衆国政府の社会保険管理システムには、住民の保険情報を登録・編集するというまったく同一の機能を持ったコードが10000個近く存在していたという。理論的にはたったひとつのコードで済んだにも関わらずである。二重化どころの騒ぎではない。恐るべき無駄な労力がミレニアムバグの修正に費やされた。これほど極端な例はないかもしれないが、油断していると実装の詳細は、すぐに自分のコピーを作り出す。細心の注意を払う必要がある。

[556] Mar 07, 2011

オライリー・ジャパンの「詳説・正規表現(第三版)」を見て、正規表現ってこんなに語ることあったっけ、と弟が言った。とんでもない話である。正規表現は凄いのだ。あらゆる言語に跨って縦横無尽にデータを扱う強力無比なツールである。それがいまだに「文字とかを扱うよくわからないもの」の地位に甘んじているのは不可思議の一語だ。実力のわりには大いに不遇をかこっていると言わざるを得ない。▼卒論生だった頃、先輩が膨大な特許情報の整理に苦しんでいることがあった。今にして思うと、エクセルと正規表現を組み合わせて簡単なコードを組めば二日もかからない仕事(しかもそのほとんどは勝手にマクロが仕事をしている時間である)だが、当時、彼は二週間も研究室にこもりきりでデータを整理したのだった。中間発表には間に合わなかった。研究の基盤となるデータにはミスが散在していただろう。悲しい哉、正規表現の使い方を知らなかったが故なのである。

[555] Mar 06, 2011

世の中はライト化したと見せかけてへヴィ化している。テキストが絵になり、絵が音楽になり、音楽が動画になっていったウェブコンテンツの事情は、綺麗にその傾向を説明している。ライト志向と呼ばれるものはコンテンツのライトではなく、享受するスタイルのライトなのだ。与えられる情報量が多いということは、それだけこちらで物を考えなくてもよいということだからである。▼面白いのは、かつて作者によって記号化されたものが、ふたたび作者自身の手でデコードされている現状だ。漫画にしろ電子音楽にしろ、もともとはリアルな世界で存在していた情報を、表現の形式や要求にあわせてデフォルメし記号化したものだった。そういう世界で積み重ねられてきた技法を駆使して、今や必死で「よりリアル」にしようとしているのである。デコードは読者の仕事ではなくなったのだ。それが想像力の欠如なのか、想像力に頼る必要がなくなったのか、判断する術はあるまい。

[554] Mar 05, 2011

傷口に消毒液を塗ると治りが早くなるとか、運動前にストレッチをすると怪我をしにくくなるとか、どこで誰が言い始めたのかわからないが、広く知られ実践されるようになってしまった迷信というものがたくさんある。それはときどき、あまりに真実らしく語られすぎて来たので、迷信と言い立てる説のほうが迷信なのではないかと疑いたくなるほどである。「いや、一概に迷信とはいえない側面もあってね……。」▼人間の脳にはプラシーボ効果というものがあるので、なんでもかんでも疑ってかかるよりは、ひたむきに効き目を信じて縋っているほうが、外傷や心の病も治りやすいということはたしかにあるので、二言目にはお守りの科学的効果を云々することほど科学に理解のない話もないのだが、そうは言ってもまた胡散臭い託宣を無批判に受け入れてしまうほど動物的な盲目もない。何を信じて何を信じないか、それを決めかねる難しさが「不安」と呼ばれるものなのだろう。

[553] Mar 04, 2011

"The early bird catches the worm."――早く起きた鳥は虫にありつける。日本語で言うところの「早起きは三文の徳」である。英語に限らずどこの国にも似た言葉はあって、朝型の方が物事がうまく運ぶというのは、そこそこ世界共通の信念らしい。戒められるのはいつも夜更かしの方である。▼たしかに、夜鷹にいいことはない。しかし、たかだか三文の徳なら、今日はぐっすり昼まで寝てる方が大事、そういう度量や図太さも時には必要なのかもしれない。朝寝坊で有給使いの午前休など言語道断と息巻いてみても、それでうまくやっていけているのなら、自分の体調を弁えた賢いやり方でもあるだろう。▼ゆったりとしたリズム、焦らない生き方、どんと構えていたほうがいいこともある。無駄に急くのがいつでも最良の選択肢とは限らない。昔から、急いてはことを仕損じるとも言う。それに、「早起きした鳥は虫にありつけたかもしれないが、早起きした虫はどうなったか?」

[552] Mar 03, 2011

あらゆる物語には上昇と下降のタイプがある。上昇の物語は、誕生と発展のストーリーである。そこでは主人公は自分や家族を知り、社会を知り、世界を知り、神を知る。足りないものを補いながら成長していく姿は、いま同じ局面に立たされているかもしれない読者を勇気づけてくれる。物語はきっと、ハッピーエンドで終わるだろう。▼対する下降の物語は、剥落と終焉のストーリーである。主人公は神から、世界から、社会から、そして家族や自分から疎外されていく。滑りつづける奈落への道である。結末は恐らく悲劇になるだろう。そこに希望や憧憬はない。ただ、読者の心に現実を思い出させてくれる。一種の刺激剤である。▼人生、山あり谷あり。そういう起伏に合わせて、読みたい物語のタイプも変わってくるし、書きたいものも変わってくる。私は喜劇作家、悲劇作家などと決めつけないほうがいい。小賢しいレッテルではどうにもならない、抗いがたいリズムがある。

[551] Mar 02, 2011

サントリーの響・17年が届いていた。かなり前に注文した品だが、ようやくである。冷凍庫の底に残った氷をつまんで、グラスに注いで風呂の中に持ち込んだ。人のいない仕事場、満員の電車、終電後のホーム、遊歩道の寒風、暗い家。そういうつらさを、みんなまとめてくつろぎのカタルシスに変えてくれる。庶民らしい贅沢である。▼こだわりがあるわけではないが、はじめて飲んだときからオン・ザ・ロックで、水割りはしない。洒落たロックグラスを使うでもなく、紅茶を飲むような別用の細いグラスに、冷蔵庫附属の製氷機で乱暴に固めた氷をがらがら、そこに原酒をかけて飲む。それだけである。愛酒家の人にはあまり見せられない。▼といって、酒なんて自分がおいしいと思う飲み方で呑めばいいんだ、他人がとやかく言う筋合いはない、というような、食と嗜みの唯我独尊もあまり好きではないのである。ただ筋を通す面倒さが、私に杜撰な飲み方をさせているだけだ。

[550] Mar 01, 2011

人材には大きく三種類あるという。ばりばり仕事が出来、会社に利益を生む「人財」。マイナスにこそならないが、給与を払えばプラスにもならない、ただそこに居るだけの「人在」。まったく利益を生まず、かえって居るだけで会社に害を及ぼす「人罪」。困ったことに、どれも一様に人材と呼ばれている。▼企業が「人財」を求めていることは言うまでもない。居ても居なくても変わらないトントンの存在は、見せ掛けの巨大さを繕うにはいいが、企業がそのぶん複雑化している点はマイナスである。そうして、かつては給料泥棒と呼ばれ、今はぶらさがり社員とも呼ばれる「人罪」をどう裁くか、経営者はいつも頭を悩ませている。▼ところが居なくなるのはいつも人財が最初なのだ。次に人在が人知れずいなくなる。人罪だけが最後まで残る。分に合わない恩恵を受けているのだから、残りたいのは当たり前だろう。永遠に合わぬ雇用者と被雇用者の利害のジレンマがそこにある。

[549] Feb 28, 2011

新人一年の総決算として、もういちど短い研修がある。内容は代わり映えのしないマナーやグループワークだが、部署が別れてしばらく会うことのなかった同期と顔を合わせる貴重な機会でもある。ほんとうに研修で別れて以来、見ていない顔もいるだろう。▼しかし哀しいかな、参加者名簿の最後に振られた数字は、入社当時にいつも耳にしていた新人総数の数字よりずっと少ない。博士を取りに大学へ戻った者、人間関係が上手く行かずにいつしか会社に来なくなった者、あまりの激務に耐え切れず辞めた者、会社に失望して起業した者。未来はそれぞれである。▼たかだか二十の半ば。どんな選択が正しいかはわからない。新しい世界に飛び出したい気持ちを抑えこみながら、鬱々とルーチンワークをこなして安定した日々を得ることが、今の自分には必要かもしれないし、そうでないかもしれない。ただひとつ、仕方がないと自分に言い聞かせることだけはしたくないものである。

[548] Feb 27, 2011

重く軽く、民族楽器風の心地よいリズム。高く低く、繰り返されるフレーズ。異国情緒たっぷりのスワヒリ語で歌われる讃美歌は、いちど耳についたら離れない。「廃人たちの聖歌」――シヴィライゼーション4の主題歌「Baba Yetu」が、グラミー賞を受賞した。世界で最も権威があると言われるこの音楽賞が、ゲーム音楽に与えられるのは史上初。素晴らしい快挙である。▼どうやら海外ではコーラスで歌われることが多いようだ。そのために人口に膾炙したところもあるのだろう。ゲーム音楽だったものは、いつかゲームを飛び出し、ひとつの名曲として世界に知れ渡った。昔のゲーム音楽はハードの制約上クオリティの高い音素材を使えなかったから、その他の音楽領域とはだいぶ異なる独自の世界で独自の進化を遂げるしかなかったのだが、今となってはフルオーケストラも珍しくない。音楽は音楽として、生まれた場所に関わらず、素敵なものが評価されるようになったのだ。

[547] Feb 26, 2011

仕事なんかなければいいのに。趣味の作家はいつも嘆いている。「読書は閑暇なくては出来ず、いはんや思索空想また観察においてをや。」それでも喰うためには働かなければならない。生活のためには、どんなにまっとうな仕事でも、人生、七分の五は返上しなければならぬ。「されば小説家たらんとするものはまづおのれが天分の有無のみならず、またその身の境遇をも併せ省ねばならぬなり。」▼金がないなら仕事せよ。仕事に従事することも、また小説家への正道である。「一たん正業に就きて文事に遠ざかるとも、やがて相応の身分となり幾分の余裕を得て後再筆を執るも何ぞ遅きにあらんや。平素その心を失はずば半生世路の辛苦は万巻の書を読破するにもまさりて真に深く人生に触れたる雄篇大作をなす基ともなりぬべし。」古今東西の文豪も「一代の文豪終生唯机にのみ向ひゐたる人にはあらず。」これをランティエの荷風が言うのである。いよいよ複雑な気持ちになる。

[546] Feb 25, 2011

人間、必要に迫られるといろんなことを勉強する。今日は昼過ぎに帰ってからずっと、音空間創りのための基礎知識を学んでいた。用語を仕入れ、イディオムを覚え、達人たちのメモを見る。自分のした苦労は人にさせたくないと言わんばかり、惜しみなく手管を公開してくれる先達がたくさんいるのは、ウェブならではの恩恵だろう。なんにも知らない身には、動画のチュートリアルなどもたいへんありがたい。▼知識は使って磨く。いろんなプラグインを逍遥しつつ、片端からパラメータを動かして空間の特性を調べてみた。たしかに覚えなければいけないことは多いが、遠くで聴くと高音が減衰しやすい、中域の音をカットするとボーカルが映える、などなど直感に反するようなことがないので意外に覚えやすい。イコライザの多彩な用途も、スライダーをぐりぐり動かして、何をどう削ればどんな音になるか聴いてしまえばいいのだ。百知は一聞に如かず。実践に勝る学習はない。

[545] Feb 24, 2011

何かのためにスペースを汚したら、もとあったよりも綺麗に片付ける。これが部屋や机をつねに清潔に保つ秘訣であるという。なるほど、ジュースをこぼせばテーブルはいっそう綺麗になるし、来客があれば部屋は前より整頓される。アクシデントをチャンスと捉える素敵な考え方である。▼なんであろうと使ったら乱れるこの世界、場所や物を提供する側としては、前よりも綺麗にとまでいかなくとも、せめて前と同じ程度にはして欲しいものだ。特にプログラムではそうである。呼び出したメソッドがオブジェクトやデータを書き散らしたまま、エラーで強制終了したときの腹立たしさは計り知れない。▼メソッドが読み書きする不変でないオブジェクトやデータは、よほどコストがかからないかぎり、エラーの発生時には呼び出された時の状態に戻すのが望ましい。「最悪の場合はせめて何もしない」ことで、二次被害が抑えられる。このような性質を、エラーアトミック性という。

[544] Feb 23, 2011

絵でも音楽でも骨董でも、鑑賞眼の教育は一流品ばかり見せることから始まるという。二十世紀以前の名立たる芸術家に貴族のお坊ちゃんやお嬢さんが多いのは、幼少時から一流品を眼に耳にすることが多かった、そういう環境のせいもあるのだろう。▼「いいものばかり見慣れていると悪いものがすぐ見える、この逆は困難だ。惟うに私達の眼の天性である。」小林秀雄の言葉である。シェフなどはこの手の教えを遵守するそうだ。悪い物を食べればそれだけ舌の利きが悪くなる。古今東西のいいものを食べ歩くことが即ち修行なのだ。▼しかし逆の例も聞いたことがある。冨樫義博は修行時代、とにかくB級C級の映画を観るように編集から勧められ、実行していた。そうして百、二百と数を重ねるうち、どこにどう手を入れたらその作品がもっと面白くなるか、勘所が見えてくるようになったという。悪所から学ぶこともある。どちらの態度が正しいか、一概に言えない所以である。

[543] Feb 22, 2011

たしかに面白かったけれど、現実にこんなことがあったらこうは思わないよね。冷静に分析すると、そんな感想を持ってしまう名作は多い。そう思うのも無理からぬ。物語というものは、現実の有りうる出来事の中から、好奇心を駆り立てるような側面や構造だけが抽出されているものだ。乱雑に入り乱れた多種多様な現実の感情から、ある特別な感情群を取り出して純化し、強調し、拡大することで、読む人見る人に感動という娯楽を与えているのである。娯楽は分離によって生まれる、という言葉の所以である。▼こうして焦点を当てられた、物語の内包する心地よさ――娯楽のことを、シュガー・コートという。それは苦い薬や菓子を包む甘い衣であり、わかりにくい人生の真実を感情的で楽しい体験に置き換えるものだ。まさに日用英語でのシュガー・コートが意味するように、「難しいことを簡単な言葉で言い換えること」こそ、娯楽としての物語の本質を成しているのである。

[542] Feb 21, 2011

このごろ妙に掲示板が荒らされる。スパムをシャットアウトするためにパスワード制にしたところへ、どうやって書きこんでくるのかわからないが、文字化けしたHTMLの羅列が定期的に訪れるのである。正規の送信プロセスを踏まずに書きこんできているのか、ブルートフォースでパスが割れたのか、まさかの手動か、何もわからないが、あんまりつづくようでは削除の手間も馬鹿にならない。閉鎖せざるを得ないだろう。▼個人サイト全盛期の頃、掲示板は来訪者と管理人が交流する唯一の場所だった。サイトは充実した内容が全てだという生一本な職人気質の管理人も居たけれど、交流を主とする個人ホームページにとって、荒らしによる掲示板の閉鎖はサイトの存亡に関わる一大事だった。しかしいまとなっては掲示板を置くサイトの方が珍しい。メールもあり、ツイッターもあり、スカイプもあり、交流過剰なくらいである。なくてもいいのかもしれない。どうにも悩ましい。

[541] Feb 20, 2011

Jack Daniel's、Chivas Regal、Johnnie Walker、Bowmore、Laphroaig...。酒好きなら冒頭でわかるだろう、このラインナップはウイスキーである。ふだんあまり酒を飲まない私だが、ミニボトルを買ってきてならべ、飲み比べてみるのは楽しい。どんな酒でも、ひとくち飲んだことがあるというだけで話の種にはなる。美味しいと思うものがあったら大きな瓶を買えばいいのだ。さいわい、酒屋が近い。▼消毒液のような、きつい匂いが独特だというLaphroaigはまだ飲んでいないが、そのほか四本の中ではJack Daniel'sがいちばん気に入った。オーソドックスなウイスキーらしさがある。前に飲んだサントリーの山崎よりも、こちらのほうが合いそうだ。Chivas Regalはややまろやかすぎるし、他は匂いと口当たりがあまり好きになれない。氷で充分薄まれば気にならなくなるが、やはり注いだ直後でもいい感じに口の中を冷たく、熱く、刺激してくれる方が楽しみ二重でありがたい。

[540] Feb 19, 2011

思えばここも二日かそこらの突貫でつくったものだから、今までバグの出なかった方が不思議ではある。それが、ここに来てまともに動作しなくなりはじめたのだが、動いたり動かなかったり、どうにも原因がわからない。ログが重過ぎるのだろうか。そろそろ頁の切り替えも導入せざるを得ないだろう。記事の番号が三桁にしか対応していないのもいずれは悩ましい。▼十八ヶ月前のコードを手直しするのは骨の折れる仕事だが、毎日使うものだけにやらなければならない。こういう必要に迫られたとき、それに見合う時間さえあればいっそもっと使い勝手のいいものを……という気にもなるのだが、あいにく毎年なぜか切羽詰まった二月のこと、そんなだいそれたものを構築している余裕もない。悪い考えではあるが、とにかく動くものを、である。ちなみにこの記事は、データベースに直接書き込んでいる。今日で直らなければ明日もそうするより他にないだろう。面倒極まりない。

[539] Feb 18, 2011

三全音、増四度、または減五度。ドに対してファ#にあたる、トライトーンと呼ばれる音程である。その昔、悪魔の音程、音楽の悪魔などと呼ばれて忌み嫌われていた。教会音楽の即興演奏でうっかり解決しないトライトーンなど叩こうものなら、そのオルガニストは即刻解雇されたとまで言われている。当時の宗教まわりの状況を思えば、満更後世の創作逸話でもあるまい。▼この音程が「悪魔」とまで呼ばれ、主に声楽の世界で伝統的に嫌われてきたのは、歌いにくいから、つまり正確な音の高さが取りにくいからである。試しに何かでドの音を鳴らして、ファ#を歌おうとしてみるとわかる。ファやソよりもずっと声が出しにくいはずだ。特に歌いやすい完全四度と完全五度とのあいだに位置しているために、そこへ引きずられて安定しないのだろう。もちろん、現代ではこの和音を叩いたからとてクビになることもなく、減五度や半オクターブとして、随所で有効に使われている。

[538] Feb 17, 2011

「ビジネスのセンスというのはね、皆で具材を持ち寄る鍋の席に、ネギではなくパイナップルを持ってくる、そういうセンスなんだよ。」こんなことを言ったコンサルタントがいた。聞いたとき、なんだかよくわからないことを言うな、と思った。それなのに今の今まで覚えているのは、どこか頷けるところがあるからかもしれない。▼「ビジネスはセオリーではない。」暗示めいた言葉の真意をこう推してみる。儲け話という鍋の席――世の中は、とにかくネギに溢れているのだ。ネギ、ネギ、ネギと来て、次は何を入れようかというそのときに、旨い旨くないに関わらず、もうネギなど見たくないのである。「パイナップルなんか持ってきたのか、お前。」▼美味しいかどうかは食べて見なければわからないが、ネギに嫌気の差した頃、パイナップルならぎりぎり鍋の中には入れてもらえるような気がする。参加できるのである。はじめの一歩を踏み出せるという一事が、大事である。

[537] Feb 16, 2011

UIや操作性を微塵も考慮しない仕様設計。その場しのぎで工数を削るためのプログラムの手抜き。拡張性のないプロトタイプの上に積み重ねられたアドホックな修正の数々。こうして生み出された、複雑きわまりないユーザー・アンフレンドリーなソフトウェアを動かすため、我々は必要に駆られてその不毛な謎仕様を必死で暗記する。そうして、暗記した暁には初心者に披露する薀蓄の種となる。写経的苦行が継承されていく。「バッドノウハウ」である。▼こうしたバッドノウハウを「奥が深い」ものとしてありがたがり、あまつさえ喜んで覚えてしまうようなマニア気質を「奥が深い症候群」と呼んでいるのは面白いと思った。バッドノウハウは開発者の怠慢だけではなく、その修得を熟練と思い込むユーザーの態度からも生み出されているのだ。思うにソフトウェアばかりの話ではない。なんのためにやっているのかわからないようなことをありがたがる「玄人」は、よくいる。

[536] Feb 15, 2011

ここ最近、まるいクッションでリフティングをよくやる。やわらかいので指先にひっかかったり、蹴っているうちに形が変わってだんだんあらぬ方向に飛んだりして、サッカーボールのようにかちっとした正攻法のないところが面白い。狭い部屋で壁や天井に当たるとアウトになるのも鬼門である。▼はじめのうちはちっともつづかなかったが、こんな遊びでもやはりコツというものはあると見えて、次第に回数が安定してきた。ブレの少ない弾があがるようになり、イレギュラーバウンドのあとの「もどし」が正確になり、左足や膝も使えるようになり、跳ねの少ない蹴り方で時間あたりの回数を稼ぐ……。▼何かのために始めたわけではないが、こんなささやかな遊びにもいろんな発見があって、習熟するにつれ何がネックになっていたのかが見えてくる。「遊び感覚」という言葉がいい意味に使われるのは、思うにこういうときだろう。遊んでいるうちに大切なことがわかってくる。

[535] Feb 14, 2011

つい二日前に「降らないとぼやけば雪が降る」と書いたばかりで、今夜のこの大雪には驚いた。眠気眼で先頭車両から降りてみると、降りかかる雪、雪、雪である。屋根のあるところまで走り抜けた。眠気もすっかり飛んでしまった。▼二本ある遊歩道の裏道の方へ回ると、降り始めたばかりと見えて、誰の足跡もないまっさらな白い道である。もちろんそれを期待して裏へ行ったので、普通の靴で這い上がるのは骨が折れたが、傘をときどき叩きながら、仰ぎ見、振り向き、うろうろふらふら帰ってきた。稀の雪というのが、ほんとうに好きなのだ。▼深夜、窓の外を見る。膝までとは行かないが、靴くらいはすっぽり埋まりそうである。明日はあちこち歩きにくくなるだろう。電車が止まるかもしれない。鑑賞には素敵な反面、実害は雨以上に多いもので、稀にと副詞をつけたのも、北国のように毎日毎日降られては、いくら雪好きの私でも辟易しそうだからである。稀だから、いい。

[534] Feb 13, 2011

二人以上で仕事をすることのメリットは、正しく能力が組み合わされた場合に限り、完成物のクオリティが一人の場合の限界値を超えることである。少しでもよいものを創ろうと思ったら、要求される能力ごとにタスクを小分割し、それぞれに長けた人の手を借りなければならない。これが分業の基礎である。▼しかし、こと趣味のレベルの話では、そうはいかない。たとえば必要な絵や音楽を依頼したとする。ところが完成間近になってもっとよい表現手段が思いついた。さて、創ってもらったものは不要になりました、などとちゃぶ台を返せるだろうか。よほど信頼関係がなければできないし、できたとしても相当な禍根を残すことになる。▼多くは仕方なく昔の路線に妥協する道を選ぶだろう。そうして自分が満足するために始めたはずの創作に、最後の最後で消化不良を残してしまう。このリスクは軽視されがちなようだ。人の手を借りるかどうかは、よくよく考えたほうがいい。

[533] Feb 12, 2011

横浜は雪が降りにくい。都心が降ると報じられても降らずに晴れることがある。だから毎年「今年は降らないかもしれないね」と決まり文句のように言うのである。そうして、言うと降る。▼雪遊びできるほどは積もらないが、路面と屋根くらいは真白くなる。それでも気温はそれなりあるので、表が凍って滑りやすい。薄く残る南の雪の危なさである。アイスバーンの坂道を注意して歩く習慣もないから、そこかしこで転ぶのだ。まもなく転倒するだろうと思うような走り方で、自転車が遊歩道を飛ばしていく。▼夜、二時頃、散歩に出た。夕方にぱらぱら来た雨で、雪はもう跡形もなかった。飲み物を買いに最寄りの自販機へ行くと、いつも何かしら声をかけてくれるダイドーの機械がサントリーに変わっていた。「暑くなってきましたね。冷たいお飲み物はいかがですか?」「それでは、よいお年を。」実はけっこう気に入っていたので、無音になってしまって、だいぶ寂しかった。

[532] Feb 11, 2011

――ダッシュ。文中に挿入句を挟んだり、直前の言葉に情報を追加したり、呼吸を置いて意外な切り替えしをしたり、文末に感情や余韻を持たせたりする、文章のサスペンダーである。なにかと便利でよく使ってしまうのだが、アクセントというものは多用すると例外なく腐るのでよくない。せいぜいこの四百文字にひとつ程度がキリだろう。冒頭にあるので、もう使えないことになる。▼日本語のダッシュはひとつしかないが、英語にはMダッシュとNダッシュというふたつのダッシュが存在する。Mは「―」と横に長いが、Nはそれよりもやや短く、ハイフンよりは長い。それぞれの長さがちょうど大文字のMやNにあたるので、その名がついたのだという。Mダッシュの用法は日本語のダッシュと変わらないが、Nダッシュは値の範囲を示すときに使うのが慣例で、たとえば時間や生年・没年を「13:00-16:00」「1986-1901」などと書いたりする。ハイフンで代用されることも多い。

[531] Feb 10, 2011

弟の本試験が近い。もう勉強を見るという時期でもないので、こなした試験のリハーサルをときどき採点してやるくらいの手伝いである。その採点の手伝いも、解答だけでは点数のつけにくい記述問題や、数学の証明論理を調べる程度で、手間というほどのこともなくやっている。理科や社会など暗記物はつらいが、国語や英語の記述課題を解くのは現役の時よりもさらに早くなった。▼昔、これほどすらすらと文章を読んだり、解答例を思い浮かべたり出来たかというと、そんなことはなかったように思う。どれほど難解そうに見える文章でも文意は明らかに見えるし、要約や英作文は熟考というよりも反射である。思考が淀みなくなった、というべきか。遊んでいるように見えた大学時代も、気づかぬうちにそれなり勉強はしていたということだろう。しかし工学部、工学系研究科と理系畑に籍を置いてきて、その六年で進化したのが国語やら英語やらとは、何とも因果な話ではある。

[530] Feb 09, 2011

形状を見てもわかるように、人間の目は縦よりも横に動きやすいよう出来ている。ということは単純に考えて、縦書きよりも横書きの方が読みやすいということだ。実際、パソコン上の情報はほとんど例外なく横書きに書かれるし、パソコンに慣れないお年寄りでも縦書きは眼が疲れて良くないという人がしばしばいたりする。それなのになぜ日本語は縦書きで来たのか。▼これと決まる単純な理由はないらしい。アルピノの眼振から製紙技術以前の紙に代わる媒体まで、生物的・文化的な要因を引き合いに、さまざまな説が横溢している。就中、漢字圏では手紙などに竹簡が使われていたため、横よりも縦の方が書きやすかったという、日常的な使用の便宜に関する説は説得力が強い。横に詰めて書かなければ単語の視認性が悪くなるアルファベット系の文字と違い、漢字は正方形がもっとも見やすい文字だから、諸外国語に比べて、縦に書くことの不利はそれほど大きくないのである。

[529] Feb 08, 2011

優れた辞書は優れた読み物でなければならないという。その真偽はさておき、文字が文をなして全体が意味を持つように羅列されているという点から見れば、辞書もまた読み物であると断じていいはずだ。とくべつなことは何もない。ミステリーや私小説など多くの文章作品に構成のルールがあるように、辞書にもまた表題が五十音順にならぶという共通した枷がある、というだけのことである。▼もちろん、こう言ってみたところで、辞書を読み物として読むことはやはり一般的ではないし、これからも一般的になることはないだろう。辞書は必要に応じて必要な頁だけを参照するリファレンスであり、巻頭から巻末まで順々に読んでいくものではない、という認識は変わらないだろう。けれども、二千頁分の本を読むことは珍しくないのに、千頁分の辞書を読むことがどうしてそこまで妙なのだろう、とはいつも思うのである。手頃な大きさであれば、実はそれほど重たくはないのだ。

[528] Feb 07, 2011

バッチ作業を効率化するため、ファイル分割ソフトや高機能テキストエディタが必要だとする。ところが社内ではフリーソフトの利用が許されていない。こうなるとウインドウズ標準装備のアプリケーションか有料の市販ソフトウェアしか選択肢がなくなり、結局自動化は断念される。▼ところで企業は何のためにフリーソフトを禁止するのだろうか。もちろんそれはウイルスの感染防止や、情報漏洩のリスク軽減のためである。しかし冒頭のように、作業効率化の余地が充分にあるところまで禁止が持ち込まれているのは、要するに厳格な管理を装った管理怠慢ではないだろうか。▼一元管理は楽である。ルールも一極化すればコストは少ない。しかしこうしたバッドノウハウは、必要以上に生き残る性質がある。なんとすれば変えようとする相手にはデメリットやリスクを強調し、なんとか活性化エネルギーを高めようとするからだ。怠慢が嵩じて、自分で自分の首を締めるのである。

[527] Feb 06, 2011

いままでかつてないほど真剣に「名前」のことを考えた。いまもまだ考えている。ほんとうに骨の折れる仕事である。会社や子供に名づけるのはこの比ではあるまいと思うと、そういう折に当事者たちが衰弱しきってしまうのもわかる気がする。言葉のルーツを探ってみたり、語感の良さを比べてみたり、縁起をかついでみたり……。▼面白いのは、これはいい造語を思いついたと思うとき、語呂のいいものはたいてい誰かがもう考えているということだ。なるほど、日用語に根差したバリエーションは探索しつくされている。一味も二味もひねりを加えなければならない。▼定型に堕するのは致命傷、けれども多くの人にわかりやすく理解され、語感も、視認性も、意味もよくならなければいけない。なんという無茶な要求だろう。新商品が出るたびに贈る言葉を捻り出すコピーライターの苦労が少しだけわかる。こういう真剣な語探索をするのは、つらいはつらいが、実り多くていい。

[526] Feb 05, 2011

二月五日。毎年なにかと忙しない今日のこの日は、私にとってはいつもと同じく誕生日であり、今年の弟にとっては高校の卒業式である。横浜駅にある崎陽軒本店で、珍しく少し華やかな外食をした。▼中国では今がちょうど正月にあたるからと、お正月特別コースが用意されていたのでそれにした。お雑煮代わりの餃子スープまでついてきて、なかなかふだんは見ない品揃い、通り一遍でない中華料理が食べられたのはよかったと思う。もっとも「今が中国の正月」とは少し語弊があって、一月一日も正月には違いないのだが、中華圏では旧暦正月を春節として新暦正月よりも盛大に祝賀するのである。▼日本にもクリスマス商戦やお盆商戦があるように、中国にも「春節商戦」がある。日本の商売はちょうど二八で暇な時分、御菓子業界以外はさぞ羨ましいことだろう。そういえば、コンビニをはじめとするバレンタインの煽り方も年々露骨になってきた気がする。どこも必死である。

[525] Feb 04, 2011

足をつった。昨晩、仮眠がてら横になっていると、あまりにも唐突に左脚のふくらはぎへ激痛が走った。飛び起きて触ると、何の感触かわからないが、ふくらはぎにあるとは思えない異常な硬さの一筋が痙攣していた。いつもならしばらく耐えていると収まる痛みもいっこうに和らぐ気配がなく、とうとう二十分ほどうずくまっていた。痛くて痛くて仕方がなかった。▼足がつるのはどうしてか。栄養不足だとか、運動不足だとか、いろいろ言われているが、どうも正確なところはわかっていないらしい。つりやすい人がいるのは遺伝的なものだとする説から、水分バランスの崩壊による脱水症の一とする説、血漿電解質濃度の異常、神経系の反射誤作動などなど、いずれもまことしやかに言われていて、どれが原因でもおかしくないという気がする。しかし、原因がわからないことには対処のしようもない。そうつりやすい体質でもないが、こんなことが頻繁にあっては困る。まだ痛い。

[524] Feb 03, 2011

シーケンサーが誤作動を起こしたので、仕方なくソフトを再インストールし、この機会にとプラグインまわりを整理した。必要なデータだけを残して不要なものを削除する。綺麗になった。ところがいざ元通りに立ち上げてみると、同じ音楽ファイルの音が前と同じように鳴らないのである。▼ホールリバーブの設定値はすべてメモしてあったし、過去のファイルを開けば設定がそのまま残っている。しかしこれをインポートしてもやはり前と同じにはならない。妙に部屋が小さく感じる。反響がこもっている。音量が大きい。低音域が歪んでいる。楽器のバランスが崩れている……。▼かなり時間は取られたが、あらためてパラメータを再調整し、前と同じ聞こえに仕上げた。原因不明が不気味だが、いまのところは仕方ない。それにしてもソフトやプラグインをどれだけ充実させ、どれだけ仕様にこなれたところで、結局はブラックボックスに過ぎないことを痛感させられたのである。

[523] Feb 02, 2011

泉鏡花「作物の用意」は短いが鏡花の創作態度を凝縮した掌編である。現代の風潮はどうあれ自分は書きたいものを書くだけだ。好いたものでなければ興味が湧かぬ。興味が湧かなければ胸中に幻想することもできないから、人物を書こうとしてもついに其の人にはならないだろう。こういう考え方がいかにも鏡花らしい。想像上の人物を自由に遊ばせていくことで作品を創るタイプの作家は、いつの時代でも世間や文壇の風潮に阿らない傾向があるように思う。▼人物でもなんでも、心にしかと幻影を思い描くことができれば「私が日頃みて居る以上によく描けると思ふ」と鏡花は言う。洗練された想像は現実を凌駕すると、はっきり言っているのである。現実に旅をしなくても、絵葉書を眺めて千枚の小説を書ける作家の心意気だ。幻想作家としては当然のことかもしれないが、小説は現実の切り抜きと信じてリアリティばかりを追究していると、なかなかこういう覚悟には至れない。

[522] Feb 01, 2011

その昔、ロンドン近郊にグラブ・ストリートという通りがあった。そこには名声を渇望するものの、さっぱりうだつのあがらない作家や詩人たちが集い、しょぼくれた出版社と本屋が彼らの本を細々と扱っていた。ローエンドな芸術家たちの小町である。▼多くのローカルなコミュニティがそうであるように、グラブ・ストリートもまた、蔑称であると同時に三文文士たちにとってはユートピアでもあった。グラブ・ストリートがグラブ・ストリートである限り、当世を代表するような名作家が現れて、彼らの世界を踏みにじるようなことはありえないのだ。日の目を見ない創作生活のうちにも、小さな内輪の楽しみがあったに違いない。どこか我が身の境遇を思わせる。▼この通りはもう存在していない。しかし”GrubStreet”という単語は今でも、三文文士連や他愛ない作品を指す言葉として辞書に残っている。hack writersとその世界――若干、軽蔑的な響きのある言葉ではあるが。

[521] Jan 31, 2011

全集のような値の張るものはさておき、私はめったに古本を買わない。図書館から本を借りてくることもない。そのくせ読みたい本は安くもなく、迷いに迷って数千円を何冊も買うと、その月は汲々とするのである。「そんなもん、図書館に行って借りればいいじゃないか。」何度も言われた。▼買うことにこだわる哲学があるわけではない。図書館が家の隣にあったら、たぶん毎日行くだろう。あいにく近くにないからそうしないのである。遠くなると、そこへ足を運ぶ機会コストが生じるから嫌なのだ。機会コスト。もうすこしひらたく言えば、面倒くさいのである。▼しかし、面倒くさいというだけで金を無駄にしていては恰好がつかぬ。それなり理屈らしい理屈もあるので披露しよう。つまり、古本屋で手に入れた一冊50円の襤褸本と、他の何かを犠牲に大枚叩いて手に入れた新品と、どちらが最後まで肝入りに読み通すかということだ。同じだと言う人は古本屋が向いている。

[520] Jan 30, 2011

紙のプリント廃止を目論む学校が増えてきた。学習用具の電子化である。生徒は学校から配布されるiPadのようなデバイスを持ち、教師の送信するファイルを通信で受け取る。ノートを取る行為は、そこにタッチペンやソフトキーボードで上書き入力することにより代替される。小テストであれば答えを記入して返信すればよい。マーク形式なら採点も一瞬である。先生の負担も軽くなる。▼数年前はまだ夢物語だと思っていたが、気づけば今日か明日かの現実である。何がどうなるか見当もつかないが、少なくとも反対派の唱えるような、夏休みの宿題がまるごとコピーできてしまうといった批判にはあたるまい。それはあまりに融通の利かない極論というものだ。既にウェブテストが正しく機能しているのだから、既存の認証の仕組みで十分対応可能だろうし、なんなら宿題に限り紙で出せば良いのである。過渡期は新旧織り交ぜながら、やがて近い将来、教室から紙は消えるだろう。

[519] Jan 29, 2011

人は膨大な利益を実際より過大評価する傾向があるという心理学的仮説を根拠に、競馬で穴狙いが好まれる理由を解説している本やサイトをしばしば見る。ほんとうにそうだろうかといつも思う。そういう要素もないではないが、本当の事情はもっと現実的かつ数学的な事情ではないだろうか。即ち「投資可能な手持ちの金が限られているとき、純粋に穴狙いの方が回収期待値が高い」のだ。▼競馬の第一控除率は18%である。これだけ聞くと宝くじよりもずっと割のいいギャンブルに思えるが、競馬は当選した金額を次の週に賭けることができる。この再投資の回数が増えると、再投資の回数だけ82%が当選期待値に乗算されることになり、最終的な回収期待値はどんどん下がっていく。したがって小銭を当てながら再投資を繰り返すよりも、始めから捨てるつもりの金で稀に大当たりを拾っていく方が、当選金を注ぎ込んでいない分だけ再投資のリスクを抑えられているのである。

[518] Jan 28, 2011

旧暦八月十五日は十五夜。旧暦九月十三日は十三夜。月の鑑賞にうってつけと言われる伝統的な二日だが、江戸時代の遊廓などでは、十五夜か十三夜のどちらか一方しか月見しないことを「片月見」と称して縁起の悪いものとし、そのような客を嫌っていたという。そうすると客の方も遊女に嫌われたくはないので、十五夜に招かれたら十三夜にも来なければならない。だから、八月十五日に上客を誘うのは常套手段であった。▼かえって縁起の方が上客のリピートを狙って生まれた風聞かもしれぬ。こうした縁起と習慣は、いつもどちらが先か定かなことはわからない。どれほど多くの神仏に関係する縁起や迷信が、ただ夜を明かして遊びたいためのこじつけとして考案されてきたことか。人は古代の昔から自分たちの欲望について、神や世間に対する言い訳を縁起に託してきた。それを担いで合法的に気持ちのよい生活を送ることは、処世に長けた人間のひとつの技なのかもしれない。

[517] Jan 27, 2011

「ツールバーに使う青の色を決めるために41種類の青をテストしたり、罫線を3ピクセルにするか4ピクセルにするかで討論したりするような環境では、とてもデザインなどできない。」グーグルで三年間にわたりデザインのチームリーダーを務めたダグラス・ボウマンは、社を去るときブログでこう語っている。直感的な芸術の領域が、工学的プロセスに回収されていくことが耐えられなかったのかもしれない。▼ところで「41種類の青をテストする」とあるが、このテスト、実はインハウスのテストではない。テストしているのは私たちユーザーである。グーグルは微妙に異なるデザインをそれぞれ別のグループに提示し、もっとも反応のよい――検索結果であればクリック率のよい――パターンに合わせてデザインを自動的に修正しているのだ。牛の体重を推し量るには、一人の専門家の予想より大衆予想の平均値の方が遥かに現実に近いという集合知の理念を地で行っている。

[516] Jan 26, 2011

「言葉はいつもネクタイに紐靴の正装である必要はない。小説の役割は文法の手本を示すことではない。」「語彙に関しては、真っ先に浮かんだ言葉を使うという鉄則を忘れてはならない。」「書くもの書くものが全部支持されるということはあり得ない。」スティーブン・キングは自身も比類なく優れた作家であるが、彼のようになりたいと願う若き作家志望者のためにも様々な名言を残している。▼数々の名言を傍らに、彼はとにかく実践を薦める人であった。彼の言葉を注意深く読めば、ほとんど全てが書くための気構えではなく、書くときの気構えであることに気がつくだろう。作家志望者は最低でも一日に千文字以上書かねばならないという箴言も、それだけの文章練習を自分に課しなさいという意味ではなく、その程度も書かないようでは作家になどなれないと暗に示唆しているようである。手を動かせ。あくまでも心よく書け。「楽しくなければ何をやっても無駄である。」

[515] Jan 25, 2011

たまたま雑学本コーナーへ立ち寄った。いかにも読み捨ててくださいと言わんばかりのペーパーバックが500円でずらりと並んでいる。ひとつふたつ見てみると、どこかで読んだことのあるような項目がつらつら……。似たようなタイトルのものは中身もほとんど変わり映えがしない。ワンコインの暇つぶしには悪くないが、一冊か二冊読んだら飽きてしまいそうな気がする。▼時々見ていて思うのは、諸説あるはずの起源や解釈について、いちばん面白そうなものを抜き出して他説には触れていなかったり、そもそも既に誤りであることが判明している項目を載せていたりすることがあるのは、実に危なっかしいということだ。鵜呑みにするのが危険なくらいは読む方も承知の上だからよいのだけれど、他の項目もそうなんじゃないかと思わされてしまったら興醒めである。ここも他人事ではないが、雑学めいたことを書いたり語ったりするときは、よくよく注意した方がいいだろう。

[514] Jan 24, 2011

「クリエイターのためのライフハック」と題されたページで、素晴らしいアプリケーションを見つけた。「DARKROOM」という執筆用フリーソフトである。▼このソフトの機能は極めてシンプルだ。起動すると、タスクバーさえ残さず全画面をテキストエディタで包みこんでしまう。それだけである。あとは外観の設定が少々。たったこれだけの省機能設計でありながら、比類ないテキストエディタに仕上がっている秘密は、このエディタがPCの余計な情報をシャットアウトしてくれることにある。▼たしかにパソコンは強力なツールだ。しかし締切の迫るクリエイターにとっては、恐るべき誘惑でもある。執筆に集中したいのに、ついメールを見てしまう、ツイッターのクライアントを立ち上げてしまう……そんなこんなで無駄になる時間は計り知れない。要らない機能はフタをして、PCをただのテキストエディタにしてしまおう。それだけで驚くほど集中できる。いちどお試しあれ。

[513] Jan 23, 2011

寿司屋へ行くと湯呑に魚の漢字が書いてある。子供の頃、あれを注文の待ち時間に眺めているのが好きで、一通書けるようになるまで覚えてしまった。鰍、鯔、鱧、鮗……なぜハタハタは魚の神様なんだろう、などと不思議に思った記憶がある。▼さて、ついこのあいだ久しぶりに回らない寿司屋へ行って、ようやく魚湯呑にめぐりあった。食べ放題は来るのが遅い。懐かしい待ち時間に湯呑をくるくる回していると、知らない漢字が出てくる出てくる、書くのはおろか読むのも怪しい体たらくで、ほとんど忘れていたのには我ながら閉口した。▼まったくもって言葉も刺身と同じナマモノである。どんどん鮮度は落ちていくのだ。漢字に限らず日ごろから使い慣れていると思う言葉でも、言うことも書くこともなくなって忘れられた言葉は、意識しているよりもずっと数多くある。定期的に辞書を読みたくなるのはそのためだ。新しい言葉を知りたいのではなく、思い出したいのである。

[512] Jan 22, 2011

Veni, vidi, vici. 来た、見た、勝った。世界中で知られる代表的な「省略法」の名文である。省略法の中でも特に接続語省略あるいは断叙法と呼ばれるレトリックで、ムーナンの『言語学辞典』によれば、その定義は「等位関係にあるふたつ以上の語彙的ないし統語的要素のあいだに形式的連結が欠けていること。」欠けていることでリズムが乗る。カエサルの手紙の簡潔は、まさに戦勝の勢いである。▼アリストテレスは『弁論術』で、この手の省略法を「とりわけ話し言葉の効果のための技法」とし、書かれた言語表現にはあまり適さないとした。たしかにこうしたスタッカートが最大限に効果を発揮するのは演説だろう。しかし小説のような文章中でも大いに効果を発揮する技法であることは、数多くの好例によって知られている。圧倒的に書き言葉の多い現代は、古代ギリシアとは事情が違うようだ。書かれた文章は暗黙裡に音となり、著者の言葉となり、演説となるのである。

[511] Jan 21, 2011

不本意にもデフォルトを起こしたクレジットカードの処理に奔走したことについて、かなり前にいちど書いた。今回もまた必要に駆られて、クレジットカードの調査と申込みに夜中まで情報収集である。三井住友銀行と提携するジャパンネット銀行のVISAカードがあるらしいので、ひとまずこれに申し込んだ。▼ウェブサービスはクレジットカードの所有を前提にしているものがとにかく多い。それが世界のトレンドなら仕方ないが、昔からクレジットカードというものはあまり好かず、できれば持ちたくないと思っていた。大人になればそうは言っていられないよ、と言われて来た意味を感じている。▼カードの勧誘や詳細を見ていると、実用以上にステータスを煽ってくるところが面白い。たしかにアメリカンエキスプレスのページなどを見ていると、デザインもなかなか素敵で、いつかは持ってみたいなと思ってしまう抗いがたい誘惑がある。見栄に訴えるのも良い商売である。

[510] Jan 20, 2011

その都市で何分間労働すれば、ビッグマックをひとつ買うことができるか。イギリスの経済雑誌『エコノミスト』が考案・発表したこの数字は「ビッグマック指数」と呼ばれ、都市の経済力を比較する指標のひとつとなっている。単価を労働賃金で割ることにより、生活における労働の「割の良さ」を図ろうというのである。▼ビックマックという商品が総合的な購買を代表していれば、これは金融工学にいわゆる購買力平価である。国単位のビックマック指数を見れば、どこの国の通貨が過大評価あるいは過小評価されているかが一元比較できることになる。▼もちろんこの比較が正当に成立するのは、為替レートは自国通貨と外国通貨の購買力比率によって決定されるという購買力平価説を受け入れればの話である。さらにビックマック指数はファストフードの競争事情などにも影響を受けるのだから、冗談交じりの指標ということになろう。現在、シカゴが一位、東京がそれに次ぐ。

[509] Jan 19, 2011

「動物や無機物をつかってやさしい言葉で教訓譚を書けば、それだけで童話になると思っている人が多すぎる。」児童文学の編集部か、個人の児童文学者の言葉か、どちらか覚えていないが、前に雑誌でこんな嘆きを見た。数年前、ライトノベルの編集も似たようなことをこぼしていたと思う。どこも似たり寄ったりである。▼教訓を教え込むために書かれた物語を、子供は徹底的に好かない。一見、大人が見ても名童話とそれほど違いのないように見える「童話もどき」も、子供はその敏感な感性ですぐに見抜くという。読んでもつまらなそうに聞くし、二度と興味を示さない。モラルを刷り込もうとする作者の「下心」に気づくのだろう。▼誰にでもできそうに見えるものほど、そうはたやすくできない。それほど無駄なく洗練されているという証拠なのだ。サン=テグジュペリが「星の王子様」を書いたとき、その傍らには大人と子供に関する考察の大学ノートが積みあがっていた。

[508] Jan 18, 2011

Javaの仕様書を読んでいる。既存のクラスがどのように設計され、どのようなドキュメンテーションが添えられているかを見ていると、それだけでなんだか面白い。実用的にはなんの意味もなくていいのだ。言語仕様を探検する楽しみは、漫然と辞書を読んでいるときの楽しみに似ている。▼辞書と言われると、分厚くてつまらない勉強用の本、というイメージが想起されてしまうのは、学校での国語や英語の授業の功罪だろう。大型書店で辞書の棚をぶらぶらすれば、辞書というものがそんなつまらない括りで語られるような書物でないことはすぐにわかる。凄まじいバリエーションだ。▼同じ国語辞典でも、単語の定義は全然違う。その個性たるや、個性を出そうと苦心した末の個性のように強烈である。たとえば新明解国語辞典の訳が面白いのは有名だ。「清廉」の項目にこうある。「心が清くて私欲が無いこと。役人などが珍しく賄賂などによって動かされない時などに言う語。」

[507] Jan 17, 2011

創作はすべて自分のやりたいようにやればよいと悟りきった大器の芸術家はさておき、良心的かつ成長途上の創作者はしばしば「どうしたら自分の作品をもっと楽しんでもらえるだろう」ということを考える。そうして「ユーザーのために」あれやこれやをしてみようと思い立つ。▼しかし、この「ユーザーのために」という言葉は曲者である。ほとんどの場合、これはユーザーフレンドリーに偽装した自己満足に過ぎない。この枕詞を置いてみたところで、創作にはなんの制限も加わらないことに注意しよう。依然として、後には何でも続けられる。「ユーザーのために、ここのデザインは徹底的にこだわろう。」▼見る人聞く人を楽しませたいという思いを作品の内に実現するには、ユーザーの「ために」ではなく、ユーザーの「立場で」考えなければならない。ここにこだわられてどうだというのだろう、という疑問を自ら差し挟めてこそ、真に「ユーザーのために」なるのである。

[506] Jan 16, 2011

センター試験が終了し、早くも解答・解説がネット上に公開されはじめた。新聞速報を待つまでもなく、自己採点が可能な時代である。弟も帰ってくるなり河合塾の解答を参照して採点していた。結果は上々と言っていいと思う。少なくとも二次に向けて心配するようなことはない。▼大手塾各社の見解では、今年は去年に比べてほとんどの科目が易化しており、平均点はそこそこ高くなる見通しだという。採点の付き合いがてら国語と英語の問題を解いてみたが、たしかに難しめとは言えないようだ。とくに評論はストレートに一択まで絞れるものが多く、二択ハマリがない分かなりやさしい印象を受けた。▼リスニングが追加されたり、物理IBが削除されたり、私がセンター試験を受けた7年前とはだいぶ形式も変わってしまったが、それでもこうして問題を見ていると、日々の継続的な基礎学習と、その安定感という、根本的に問うている能力は変わっていないことがよくわかる。

[505] Jan 15, 2011

ツールの性能を徐々に進化させていくことの恩恵は、どうにも歯痒い制約条件にぶつかることで、上位ツールの恩恵を経験的に正しく知ることができるところにある。はじめから全てが利用可能な状態では、あまりにも多くの利用可能な機能がどう役立つのか、ピンこない。▼しかし、たとえばCGデザインをするのに、ペイントとマウスしかない環境と、フォトショップにイラストレーター、さらにペンタブレットのINTUOS4まで揃っている環境では、いくらなんでも生産性に差がありすぎる。鉛筆で絵も描いたことのない人が後者の設備をはじめから用意するべきだとは思わないが、制作では往々にしてツールが最大のボトルネックになるということは、よく注意しなければならない。▼弘法筆を択ばずというのは、どんな筆でもそれなりの仕事ができるという適応力を讃えて言うのであって、好きな物を使ってよろしいと言われたら、弘法だって大いに筆は選びたいのである。

[504] Jan 14, 2011

省電力かつ高機能な半導体がこれほど求められた時代はなかった。スマートフォンはいまや、かつてのノートパソコンよりも早いスピードで普及しつつある。インテルは今年から半導体事業の軸足をモバイルに移すそうだ。当然の判断だろう。これを受けてというわけでもないだろうが、ウィンテルの片割れウインドウズも、次世代バージョンはARMホールディングスのアーキテクチャに対応する。より多くの携帯に「採用された者勝ち」の気配がいよいよ濃く漂う。▼ハードウェアばかりではない。ここ数年、ゲームの売れ筋が据え置き型からポータブル型へ徐々に、かつ確実にシフトしてきたように、ソフトウェアコンテンツもモバイルに載せた方が遥かによく拡散する、そういう認識が業界全体に浸透しはじめている。スマートフォンだ、ソーシャルだ――2011年は、かつてないほど皆でわいわい騒ぎ出す年になるだろう。開発者としてはぜひとも乗り遅れないようにしたい。

[503] Jan 13, 2011

文章でもデザインでも音楽でもプログラムでも、なんでもそうだと思うが、白紙の上に作品を組み立てていくとき、そこに「なにがあるべきか」を知るのは難しい。それこそ知識と経験に裏打ちされた試行錯誤が物を言うところで、熟練したプロフェッショナルの技である。▼しかし、人間の眼というは不思議なもので、「そこになくてもよいもの」はそれなりぱっとわかるようになっている。邪魔な物はとにかく眼につくのだ。「これはいらないんじゃないかな」という助言は、「こういうのがあるといいんじゃないかな」という助言よりも、的確であることが遥かに多い。▼そこにあるべきものがなければ、それは私の力不足である。けれども私が未熟であることは、ある必要のないものまであっていい理由にはならない。あってもなくても同じなら、ないほうがいいに決まっているのだから、いらなそうなものを捨てるにあたっては、やりすぎるくらいでちょうどいいと思っている。

[502] Jan 12, 2011

多くの受験生が初詣に馳せ参じて合格祈願をしたことだろうこの正月に、こんなことを言うのも野暮ではあるが、ちょっと神様の立場になってみよう。「神様、どうか合格させてください!」そう言いながら一心不乱に手を掻き合せて祈る人を見たら、ちょっと頼りなく見えないだろうか。不安な感じがしないだろうか。恐らく、真剣に祈っていればいるほど、傍目には危なっかしい感じに見えると思う。▼これはけっこう深刻なことだ。他人から見て不安に見えることは、自分だって自分に対してひとりの他人なのだから、間違いなく自分でもいくらか不安になるのである。頼み方ひとつで心的姿勢が浮き彫りになってしまうというわけだ。▼ポジティブシンキングは他力本願の中にもあるのだと、私はいつも思っている。神頼みをするときは、ぜひとも神様から見て頼もしく見えるような言葉を選ぼう。たとえば受験生はこう祈ってはどうか。「神様、どうか全力を出せますように!」

[501] Jan 11, 2011

Java/Eclipseか、C++/VisualStudioか。スマートフォンのアプリを作ってみようと思い立って、アンドロイドアプリの開発環境をどちらで構築するが悩んだが、実績と汎用性を考えると今はJava/Eclipseの方がいいらしい。去年から対応が始まったとはいえ、過去のコードを流用しないなら、C++/VisualStudioを使うメリットはまだまだ少ないという。いつかウインドウズフォン7にシフトするときも、Javaで困ることはないだろう。▼宗教的な理由によりJava/Eclipseはあまり使いたくなかったが、幅広い言語にキャッチアップしておくのも大切なことだと思って、いまいちどJavaに触れてみようと思う。どのみち小規模なプログラムを書くだけなら、JavaもC#も大差はない。ただしObjectiveCは御免蒙る。スマートフォンならぜひiPhoneアプリを作って欲しいと頼まれたが、マック機も持っていないし、そもそも私の携帯がIS03なのだから、さすがに勘弁と、その話は断ってしまった。

[500] Jan 10, 2011

「大学時代に書きためた五十万文字の記録は、今でも役に立っている。」こういう感想を昔、ある人の日記で読んだ。何を書いたか、どんなふうに書いたか、そこでは語られていなかったが、ただ凄いと思った。五十万という数字には、それほど私を圧倒するものがあった。▼それから数年。今、二十万文字である。五十万には遠く及ばないが、一日分の記事を私的な記念碑に費やしてしまってもいいだろうと自分で納得できる程度の、ひとつの巨大な数字である。四百文字に限定したことで、こうして折々文字の合計を数えられるのは、ささやかな恩恵だと思っている。▼荷風の日記『断腸亭日乗』は、42年つづいた。背中も見えない年月である。もちろん向こうは「晴れて涼しい」だけで一日分にもなるのだから、比べられても困ってしまうが、それにしても気の遠くなるような数字である。一生の仕事である。これから42年、物を書きつづけられたら、少しは巧くなるだろうか。

[499] Jan 09, 2011

久々に修羅場である。原稿の修羅場はあまり体験しないが、どんなものが相手でも修羅場というのは、精神と肉体を削って物を仕上げ自身も大幅に成長するという、漫画やゲームで言えば修行の「奥の手」のようなところがある。いまも現在進行形でかなりいろんなことを学んでいるし、こういう抜き差しならない状況になってみなければわからないことも拾えている。これで物も仕上がれば万々歳というところだろう。あとはとにかく時間に余裕がないだけだ。▼時間のなさで逼迫したとき、学生の頃と決定的に違うのは、やはり休日開けての出勤を常に意識していなければならないことだと思う。これはほんとうに枷にも薬にもなる。月曜日を思えば無茶できないと思ってしまう心のブレーキングが、ようやく乗ってきた深夜の筆を失速させるし、決して体調を崩せないというプレッシャーは、二徹三徹などという、後々まで尾を引きかねない無謀を抑制してくれる。良し悪しである。

[498] Jan 08, 2011

どういうわけか知らないが、いちばん風邪をひきやすいこの真冬の時期に受験がある。受験生たちはよほどいい迷惑だろう。日本の解せない不思議のひとつである。大雪が降って交通機関が麻痺したり、大規模な風邪が予想以上に蔓延したり、毎年のようによからぬことが起こっているにも関わらず、時期だけはちっとも変わる気配がない。二学期制を導入する前にこちらを検討すべきじゃないか、そんなふうにも思えてくる。▼今年はさらに過酷な条件になりそうだ。新年明けて、新型インフルエンザが流行しはじめたらしい。これに罹ると残念ながら、去年の予防注射は効果を発揮してくれないという。センター試験を間近に控えた今、あろうことか感染力の高い咳の風邪も同席していて、外出するのが躊躇われるほど病気のリスクは高まっている。警戒してしすぎることはないだろう。本丸が二月下旬の国立ならば、試し受験と称してあんまり多くを受験するのさえ考えものである。

[497] Jan 07, 2011

原典主義か、解説主義か。コーディングにおける諸文法の如く、既に宗教の域に入りつつある話ではあるが、依然としてこれらの相反する作品への態度は存在している。どちらでもよいという折衷主義もまたひとつの主義なので、あわせて三者三様の鼎立状態というわけだ。▼今はそうでもないが、昔の私は若干原典主義寄りであったと思う。哲学などは特にそうで、初見の分野でも解説書から手をつけることはきらい、原典を読むことが多かった。もっとも外国文学は原典でなく訳本で充分と信じていたのだから、体のいい折衷主義だったかもしれない。▼解説主義もまた是と思うようになったのは最近のことだ。何々は甲が最高、乙は亜流などと言われていても、それは一流人から見てそうなのであって、経験少なく才劣れる身には卑近なところから世話になった方がよいこともある、そういう謙虚さが出てきたことで、広汎な勉強が出来るようになったのはいいことだと思っている。

[496] Jan 06, 2011

創作者って、満たされると消えていくものじゃないの。認められたらもう、それだけであとが嫌になっちゃうところ、あるんじゃないの――。ある日の午後、助教のひとりがこう言った。その日の天気と、助教の不思議そうな表情だけよく覚えている。▼以来「満たされたいと願いながら永遠に満たされないことを愛せること」が創作者の適性だと思わされる出来事になんども出くわしてきた。このことは少しずつ真実として私の肚に据わりつつある。ちょっと創作に手を出してはやめていく人が多いのは、飽き性だからでも諦めたからでもなく、案外すぐに満たされたからかもしれない。▼丹羽文雄は言う。「作家ッちゅうのは何か一つねえ、泣き所をもっていると。つまり、金銭で非常に苦労するか、肉親関係とか恋愛とか、何か一つ泣き所を持ってるもんだッちゅうんだ、作家はね。何一つ不自由もないちゅうところからは、作家ッちゅうものは生まれて来ないッちゅうんだなあ。」

[495] Jan 05, 2011

兎年は飛躍の年という。これにちなんで今年は大いに業績を飛躍させていきましょう、と意気込む新年の挨拶・抱負は多かったのではないだろうか。意気込みはよし。あとは飛躍を実現するイノベーションを起こせるかどうか、現実に起こす気があるかどうかが問題である。起こす気がないなら耳障りのいいスローガンに過ぎまい。▼飛躍とは文字通り飛ぶことである。現在の地点から浮き上がり別の地点に立つことである。したがって、良い意味を込めて飛躍という言葉を使うにしても、これを「急激な成長」と混同するべきではない。急激な成長なら誰だってしたいのであって、それを目標に飛躍をがなり立てても叶わぬ夢を吐露する以上の意味はないのである。飛躍すると言うからには変化しなければならない。「たゆまぬ努力」や「継続的改善」の先にブレイクスルーはない、くらいの覚悟で自身の変化に努めなければ、上手くいってもスキップ程度で着地することになるだろう。

[494] Jan 04, 2011

ゼンハイザーのHD650を購入した。ハイエンドの開放型ヘッドフォンとしてはひとつの完成形と名高い名器である。HD800が存在する以上、フラッグシップモデルとは呼べないが、圧倒的な価格差を考えればHD650のコストパフォーマンスは桁外れだ。人気を博している諸々の背景を知ったのも、ヨドバシカメラで視聴可能なヘッドフォンをすべて視聴して、確実にこれが頭ひとつ抜けていると確信してから調べたものだから、自分なりに信頼性は高い。▼耳の感度には天性と経験による個人差があり、眼に見えるものより形にも残しにくいため評価が下しにくい。音響機器のレビューというものが書くのもアテにするのも難しい理由である。しかし「自分の耳で聴き分けられない性能を求めることには意味が無いから、聴いて歩く以外に方法はない」とは一概に言えない。機器そのものが、今は聴き分けられないが後々耳がよくなればわかる、そういう成長のボトルネックになるかもしれないからだ。先達を信じて投資するというのも、悪い選択ではないだろう。

[493] Jan 03, 2011

外国語はふたつ同時に学ぶと効率がよいと言う。それを聞いてはじめはイタリア語とスペイン語のように、それなり近い言語のことだと思っていた。ところがそういうわけでもないらしい。言語の似ている似ていないに関わらず、ふたつ同時というのはバラバラにやるよりも効率がいいそうだ。▼異なる言語でも言語は言語であり、そこには必ず言語ならでは共通部分がある。二言語を同時並行に学ぶことで、言語というものの根底に流れている必須の要素、暗黙のルールを知らぬ間に習得できるのだろう。とすればかえって似ていない言語を同時に学んだ方がよいのかもしれない。▼急にこんなことを言い出したのは、締切の近付いている原稿と編曲を同時にやっていると、別々にやっているよりも創造的障壁を超えやすいような気がしたからだ。片方が行き詰まったらもう片方に手を出す。どちらも遅れられないという緊張感が程良く作用して、二足草鞋が上手く機能しているらしい。

[492] Jan 02, 2011

クリアランスセールでコートを買う。高島屋の紳士服コーナーを延々歩きまわって、店を決めたあとも片端から袖を通していった。値段に誑かされたくはないので、値札は見ないで着ていくと、これとこれとこれがいい、と並べていったものはやはり金額が上から順という次第。「お洋服では無駄にお値段を頂戴しているということはございません。」とマネキンさんが自信を持って言うのも頷ける。▼着心地とデザインと値段がわかっても物色を続けてしまうのは、貧乏性や優柔不断というより本屋で本を見繕っているときの感覚に近いと思う。同じ本でも角川文庫と岩波文庫で装丁が違うように、同じようなカシミア100%のコートでもブランドによって何かが違う、その何かを見極めたくてうろうろしているのだ。たぶんどっちを買っても満足度に大差はないのだが、それでもハズレを引きたくない一心で、見究めた挙句の選択というのは、本人には気持ちのいいものなのである。

[491] Jan 01, 2011

水晶のアクセサリをもらった。寅年なので、虎が水晶を抱いている。シンプルながらなかなかいいデザインである。▼水晶というものは、指に挟んで眺めているだけでは硝子玉と区別がつかない。見分け方はいくつかあるが、偏光板などを用いない即席のやり方としては、玉越しに髪の毛を覗き込んで二本に見えれば水晶、一本にしか見えなければ硝子玉というものがある。ただし、これにもいろいろ落とし穴があるのだ。▼まず、玉の高さを調整して斜めから覗き込めば、髪の毛は硝子玉でも二本に見える。これは両目で見ているからそうなるのであって、水晶の特性とは関係がない。「二本に見える」というのは髪の毛と水晶が密着した状態で、極細の線がすらりと並行に二本並んでいるように見えるのである。また水晶を溶解して固めたいわゆる「練り水晶」でも髪の毛は二本には見えない。天然水晶と見分けるのには役立つが、必ずしも硝子玉だと断じることはできないのである。

[490] Dec 31, 2010

新年明けましての早朝は、ひょんなことからアムランを聴いて過ごすことになった。演奏動画巡りである。ハンガリー狂詩曲第二番のカデンツァは「自動演奏ピアノのためのサーカスギャロップ」を思い出すような行ったり来たりの超絶技巧。これを弾きこなすアムランの神業に改めて感心する。ラ・カンパネラの編曲譜面も面白く見た。▼私はふだんあまり演奏動画を見ない。たまにピアニストの技が見たくなるくらいで、それとて何かを盗もうというわけでもなく、それこそサーカスの達人芸を見にいくような子供心で見る。かっこよければそれで満足してしまう。▼ピアノ演奏者、ピアノ編曲者、あるいはピアノに限らず音楽に真剣な人はたいてい音楽鑑賞が好きだ。少なくとも私の知る人たちは、生であるなしに関わらず、コンサートの映像を見たり録音を聴いたりするのが大好きである。そんな真摯な世界から一歩さがって、いつまでも私は淡いディレッタントでいるんだろう。

[489] Dec 30, 2010

奥の部屋から丹前を出した。袢纏だけでは足元が寒いから、その上に羽織るのだ。歩くときに裾を引摺るのは部屋中を掃除して歩いているようで難有りだが、前を合わせて上から下まで包まればさすがにぬくぬく暖かい。これなら朝まで働ける。午前五時……粛々と宛名を書きつづける。▼ときどき白湯を入れに階下へ降りる。これをやりはじめるといよいよ本格的に真冬という気がする。秋には緑茶が美味しいが、冬には白湯の方が口に合うのだ。理屈はわからない。紅茶は年中飲んでいる。とくべつ好きでも嫌いでもない。コーヒーは何を入れても飲みつけないから、たまに缶を買うくらいだ。▼今年も年末年始は表の自動販売機にたびたび世話になるだろう。去年となにも変わらない。激動の一年が終るというのになにも変わらない平凡な生活が心やすくも馬鹿らしくもある。ここまで乾ききった人生に潤いなどかえって毒かもしれない。気安く皮肉れるほど、からっと乾いている。

[488] Dec 29, 2010

グーグル翻訳は長い文章が苦手と言われるが、和英/英和はそうでも、他の言語についてはまったくそんなことはない。仏英/英仏をつかっていて、これほど高い精度で翻訳できるものかと驚いた。ビジネス文書のようなかっちりしたものは朝飯前、散文に限らず詩文さえ扱える。逐語訳的に訳してもそれなり形になるのだから当然といえば当然だが、数年前はここまで凄くはなかった。▼こういうツールの精度が向上するにつれて、英語を学ぶ意義も加速度的に増えてくるだろう。10の言語が完璧に英語翻訳できるなら、英語を読めるというだけで、10の言語が読めるのだ。単純だが恐ろしく便利である。今回も、仏語の文献を漁ってはグーグル翻訳のテキストボックスに放りこんで読んでいた。辞書を使うより圧倒的に楽々だ。仏語の勉強を進めない怠慢といえばその通りだが、急いでいるときや大量に情報を集めたいときは非常に助かる。さらなる翻訳精度の向上に期待しよう。

[487] Dec 28, 2010

ひとつの端末に機能が集中すると、その端末が安定して動くかどうかは死活問題になってくる。連絡も情報収集も記録も娯楽も、すべてを兼ねたスマートフォンを使っている人にとっては、その電源メーターこそ生活のなかでもっとも重要なリソースかもしれない。ここにリソース配分問題が生じてくる。▼スマートフォンでは今後ますます「いちどに多量の電源を消費するアプリケーション」は流行らなくなってくるだろう。「命の機械」の安全かつ効率的な運用を考えれば当然のことだ。朝の通勤電車でずっとゲームをしていたばっかりに、午後のビジネスで取引先への連絡が出来ないなんて、そんな羽目には誰も陥りたくないのである。▼思い出した頃に短時間のクリックを繰り返すだけで成立するソーシャルゲームが勢いを増してくるのも当然の流れかもしれない。ライフスタイルの問題ばかりではなく、生活機能の一局集中が引き起こすトレンドでもある。そんな気がしている。

[486] Dec 27, 2010

クリスマスも終わり、忘年会も終わり、いよいよ年末のイベントも残すところ大掃除と大晦日くらいのものになった。ひきつづき忙しい人は忙しいかもしれないが、もうやることがなくてあとはのんびり……という人も出てくる頃だろう。もっとも私はといえば今年は訳ありで、ゆったりした年末など過ごせる目途はない。追われるように仕事と執筆の日々である。二月までは休めない。▼「二月までは休めない。」この言葉は今日聞いた言葉である。ついこのあいだまでは「十二月までは休めない」と聞いていた。十ニ月は始終「来年頭まで休めない」と聞いていた。要するに「二月迄」の言明にもまるで信憑性は無いわけで、それでも信じようとする側と、信じさせようとする側の涙ぐましい相互欺瞞がつづいていくのである。遣る瀬無い気もないではないが、改めてこういう人参式のやり口の強力さを痛感させられる。生物たるもの、やはり従うところは最小努力の原理あるのみか。

[485] Dec 26, 2010

年賀状をつくる。根から筆不精で年賀状などここ数年出していなかったのだが、今年は社会人になったということで、ひとつの区切り、お世話になった人と上司にくらいは出そうと思う。素敵な兎のフリーイラストを探して、和紙テイストの背景を加工して、「謹賀新年」の文字入れで完成。平凡ながら、なかなかハイセンスな仕上がりになったと自画自賛する。もっとも、せっかく個人宛のものだから、もう少し冒険したデザインでもよかったかもしれない。▼さてリアルの知り合いにはこれでいいが、お世話になったというならウェブ上のお付き合いでもお世話になった人はうんといる。そういう住所も名前も知らない人に、物としての年賀状はがきを送ってくれる「ウェブポ」というサービスがある。相手のメールかツイッターIDがわかれば、オークションと同じような仕組みでハガキ送付を代行してくれるのだ。面白そうなので、今年はこれもつかってみる。いろいろ試したい。

[484] Dec 25, 2010

セカイカメラで火がついたかに思われた拡張現実は、いっとき影をひそめてしまった。なぜ流行りきらなかったか、デバイスの普及率が悪かったためにタグの密度が薄すぎた、拡張現実側から現実に干渉する手段がないため飽きるのが早かった、などなど様々な揣摩臆測がなされたものの、決定打はない。「私は単純に……だと思う」式の言説がどれもこれも物足りなく見えるあたり、複雑かつ複数の要因があるのだろう。▼それでも日の目を見る可能性はある。3Dテレビや3DSをはじめとする3Dブームは衰えていないし、拡張現実を表現するための表示技術も、2010年だけで相当進歩した。動画を見ると驚くほどである。拡張現実という言葉を聞くようになったばかりのあの頃から比べれば、まったく別物だと言っていい。「見晴らしの数だけ街がある」とかつてライプニッツは言っていた。これからは「拡張現実の数だけ街がある」とでも言うようなことになるのだろうか。

[483] Dec 24, 2010

クリスマスである。クリスマスらしい話は何も無いが、クリスマスのイベント用に頼まれたハガキ広告のデザインをしていて、ちょっと衝撃的な事実を知った。雪降る公園に少年少女が寄り添う可愛らしいイラストに、文字枠をアイボリーで象ったエレガントなフォントの「Merry X'mas」を注文通り書きこんでいたのだが、どうやらこの「X'mas」という表記、誤表記らしい。現在の英語圏には「X'mas」という表記はなく、「Xmas」「X-mas」と綴るのがふつうなのだそうだ。▼英語圏のクリスマス画像をいくつか見てみたが、たしかにアポストロフィを綴っているものはひとつもなかった。「X'mas」はEngrishだったのである。19世紀頃の英語圏ではしばしば「X'mas」表記が用いられていたというから、それを輸入した結果の今なのだろう。もっとも真実を知ったところで、デザインとしてはハイフンよりもアポストロフィの方が据わりがよくて、とうとう直す気にはなれなかった。

[482] Dec 23, 2010

あの人は文学者というより……という冠で語り出される文学者たちの中で、私がもっとも敬愛するのは吉村冬彦――寺田寅彦である。大学生になりたての頃、あまりに長い夏休みに茫然として、硝子越しの真夏日を背中に浴びながら、ソファに足をもたせた酷い恰好で随筆集を読み耽った。とにかく字が小さかったので、目の悪い私は散々苦労して読んだ記憶がある。それ以来読み返していないのは、活字の大きさが悪いのだ。▼随筆集も人に貸してそれきりになってしまった。それも含めて、いまふたたび寅彦を読み直したいと思っている。ところで当時はまだ貧乏学生だったから、新装版が出たばかりの高級な全集などとても手が出なかったのだが、今なら古本で六万円程度に落ち着いているところ、給与の恩恵もあって買えないことはない。それを小一時間悩んでいる。今日の忘年会で同僚が明日、神保町へ鏡花全集を買いに行くと言っていた。それに比べれば、安いものなのだが。

[481] Dec 22, 2010

「筆は一本、箸は二本」という言葉がある。斎藤緑雨の言葉だ。稼ぐための筆は一本しかないのに、食べるための箸は二本ある。どうして稼ぎの追いつくはずがあるだろう。こう作家の貧窮を皮肉る言である。全文はこうだ。「按ずるに筆は一本也、箸は二本也。衆寡敵せずと知るべし。」▼斎藤緑雨という人は生まれながらの詩人であったらしい。その毒舌と皮肉に富んだ軽妙でユニークな物言いは、バーナード・ショウを思わせる物がある。上田万年がこんなことを言っていた。「或時、斉藤から珍妙な手紙を貰ったことがあるんだ。巻紙の初めが拝啓で終りが草々と来るのに別に変りはないのだが、肝心の本文に当る場所には何も書いてない。まん中が白紙なんだよ。」どういう意味だかわかるかい、と訊かれ、若かりし頃の辰野隆がしばらく考え込んでいると、万年先生は笑いながらこう言ったという。「用件は言わないでも判ってるだろう。『金を貸して呉れ』という手紙さ。」

[480] Dec 21, 2010

カラオケへ行く。ほんとうは明日の予定が、参加者の都合で急遽今日になった。寝不足続きで早く帰ろうと思っていたところに降って湧いた話でためらったが、その会を企画した同僚が半年間延々とカラオケに行きたいと言いつづけていたこと、プロジェクトの渦中でいつもそれが叶わなかったこと、今日は皆々解放されて久々にチームメンバーが揃い定時に帰れること、なにより今日が彼の誕生日であることを勘案して、予定変更もやむなく三時間ほど遊んできた。▼私も彼と半年前に行ったのが最後になるから、日々歌など歌う機会もない世知辛い都会のこと、歌うという行為自体が半年ぶりで、さっぱり良い声の出ないことに辟易した。歌声は健康のバロメータだ。健康な歌声が出ないことは、それだけでもう不健康な印なのだ。声は二週間で錆びるというから、よっぽど声を使う仕事にでも従事していない限りは、もう少し定期的に通った方がいいかもしれないとつくづく思った。

[479] Dec 20, 2010

『文壇よもやま話』を読む。会社の近くの小さな書店でたまたま平積みになっているのを見かけ、ぱらぱらとめくって小林秀雄の名前があったから買ってみたのだが、これがあんまり面白くて一気に、ゆっくり、読んでしまった。▼内容は文人諸氏との対談集。昭和34年に放送されたNHKラジオ番組の教養特集で、池島信平、嶋中鵬二のふたりが、当時の名立たる作家たちに砕けた雰囲気で話を聞いていく。聞き上手が本当に聞き上手で、上下で900頁超の大ボリュームを感じさせない仕上がりだ。参考までに登場する人物の一覧を示そう。ひとりでも好きな人が居れば、買って読んでみる価値はある。▼正宗白鳥、佐佐木茂索、山本有三、江戸川乱歩、石川淳、長与善郎、村松梢風、小林秀雄、久保田万太郎、吉川英治、尾崎士郎、丹羽文雄、佐藤春夫、石坂洋次郎、瀧井孝作、中山義秀、野上彌生子、谷崎潤一郎、獅子文六、川端康成、井上靖、室生犀星、舟橋聖一、大佛次郎。

[478] Dec 19, 2010

曲の話に耽っていたら、月曜日前というのにたいへんな時間になってしまった。もうなんども語りつくした曲たちの話なのに、よくまあこれほどしゃべることが残っていると自分でも思う。だいたいは前と同じことを繰り返しながら、ときどき何か新しい発見をするのだ。これも「差異と反復」の恩恵だろう。▼音楽の話に限らないが、語っているとしぜんに評価の軸が「巧い」「拙い」と「好き」「嫌い」の二軸になってくる。巧いがどうも好きになれない、拙いかもしれないがなぜか好き、いつもそういうグループが出てくるところが面白い。▼こういう不思議なことになるのは、巧すぎるものへの反発心や、「ヘタウマ」のような、ある種の拙さへの親近感に依るところがあるのだろう。巧拙を見分けられない未熟さばかりがそうさせているとは思えない。人の好き嫌いが複雑な所以だ。好かれなければ商売にならぬ、そういう物を創らなければならない人たちの苦労がうかがえる。

[477] Dec 18, 2010

努力はすればするほど不足を感じる。経験はすればするほど満足を感じる。そういう性質を持っている。だから大人になるにつれ出来ることが増え、経験の味を覚えてしまうと、なかなか努力に戻って来られない。そうしてわかったような顔で「何事も経験だよ」などと言い出すようになる。▼人間、たしかに何事も経験がモノを言う。ただし、何事も経験だよ、と言っているうちはなにひとつ身につかない。相応の努力が先立たなければ、ほんとうに有意義な経験は得られないからだ。満足を追い求めれば追い求めるほど、真の満足から遠ざかる。ひとつの逆説である。▼努力する才能。変な言葉だが、もしそんなものがあるとしたら、それは不足を愛せる才能だろう。足りないと感じることに幸せを感じられる人は強いのだ。「及ばざるは過ぎたるより勝れり。」不満、不平、無念――そういう感情のうちに生きることが嫌になったら、たぶん二度と努力することは出来ないのである。

[476] Dec 17, 2010

小林秀雄曰く、作家志願者の最大の弱点は、なによりも文学に誑かされていることだという。学殖をひけらかすようなペダントリーのことを言うのではない。「文学の世界から世の中を眺めるから文学ができるのだ」という勘違いを戒めているのだ。そうじゃない、逆なんだ、文学など知らない純粋な人間の眼が、ある時ある特別な感慨とひらめきをもって世界の姿を見たときに文学が出来るのだ。文学が出来てから文字に起こされて、そうして文学作品になるのだと。▼誑かされると何もかも見えなくなる。事の本質はますます見えなくなって、見えなくなるから、批評の方言ばかりが達者になっていく。「文学に憑かれた人には、どうしても小説というものが人間の身をもってした単なる表現だ、ただそれだけで充分だ、という正直な覚悟で小説が読めない。巧いとか拙いとかいっている。何派だとか何主義だとかいっている。いつまでたっても小説というものの正体がわからない。」

[475] Dec 16, 2010

表現の自由はつまるところ程度問題に過ぎない、という立場に立って考えると、では程度とは何をものさしに言うのか、となる。ものさしのないところに程度はないからだ。ところで表現のものさしとはなんだろうか。ことに最近話題になっている非実在青少年にまつわる不健全な表現について、程度問題の程度をどう考えればいいのだろう。何なら、どこまでなら、許されるかの前に、巻尺はなんだというのが気になるのである。▼文学の歴史においてもエロティシズムの行き過ぎが取り沙汰されたことは往々にしてあった。文壇が瓦解し、週刊誌の興隆とともに文学が大衆化した戦後などは、特にその氾濫が嘆かれた。槍玉に挙げられたのは、主に品性とユーモアの不足である。不健全な表現のものさしにそれらの言葉が選ばれたわけだ。この過去の議論から”品性”と”ユーモア”いう言葉だけ持ち帰り、もういちど現代を考えてみたい。何かひとつ新しい見方ができるかもしれぬ。

[474] Dec 15, 2010

正宗白鳥の本をいつか読もう、読もうと思いながらとうとうひとつも読まずに来た。しかし『文学よもやま話』を読む限り、やはりこの人は私の好くような何かを持っている人間らしい。今まで以上にそう思うようになった。たまたまアマゾンで高額な本を注文するついで、とうとう意を決して『作家論』を一緒に注文してみたのである。小説じゃないのは気分に過ぎない。講談社文芸は馬鹿に高くつく。▼どんな文章を書くのだろう。楽しみにしている。それにしても驚くのは、あれでなかなか現代好きだということだ。「今の方が面白いでしょ? 今の日本の政治の……なにもその人がそれほど偉くなくても面白いし、それから自分の周囲の人のことの方が面白いもんな。昔の徳川時代だの、紫式部時代にこうこうだったッてなこと……それより今のある人間の、周囲にあることの方が、大抵の人に面白いでしょ?」まさか正宗白鳥の言葉に、行過ぎた懐古趣味を反省させられるとは。

[473] Dec 14, 2010

相当久しぶりに長い物を描き始めたら、驚くほどひとつひとつの文章が圧縮されていて驚いた。二年前の長文と比べれば一目瞭然である。いい感じに無駄がない。次へとつづくリズムがある。それでいて言うべきことは言っている。原稿用紙一枚分に所感を敷き詰める訓練も無駄ではなかったらしい。▼引き締まる、という動詞はどこの世界でも良い意味につかわれている気がする。文章でも、スポーツでも、ビジネスでもそうだ。だらだらゆるゆるしたものに美学的な意味での好感を抱かないのは、人間の天性なのかもしれない。引き締まるということは、力が入るということで、どこか原始的、動物的な機能美を感じさせる。▼しゃきっとしなさい、胸を張りなさい、気を引き締めなさい……親や先生は子供たちをこう嗜める。だらだらしていると「みっともない」と言われたものだ。見てもらうことが本懐の文芸で、みっともないほど論外な評価もないだろう。引き締めて行きたい。

[472] Dec 13, 2010

風邪をひいた。インフルエンザにばかり気が入って、万病の元に警戒が足りなかったかもしれない。こう本格的に寝込むのは、社会人になってからは初めてである。プロジェクトが終わって気が緩み、社内外で寒暖の差が激しく、薄着の部屋に夜更かしも過ぎて、ちょうどひきそうなときにひいたわけだ。健康管理は甘くない。▼かかりつけの医者にもご無沙汰していた。こちらの顔を見るや、どことなく嬉しそうな表情をして見せる。前に会ったときよりも随分おじいちゃんになったな、と思った。診察は通りいっぺんの風邪手続きで、薬は何が欲しいと訊くから、咳は出ていないのでメジコンはいらない、それよりも鼻が酷いのでムコダインとポララミン、それから発熱と頭痛用にカロナールを二週間分お願いした。カルテの記入が終わると、就職先のことやら、これからの日本のことやら、なんやかんやと熱心に話し込んだ。話してくるからだ。今日はいつもほど混んでいなかった。

[471] Dec 12, 2010

小さな子どもがテレビ越しに野球のホームランを見るとき、彼はたぶんそのホームランが試合に与える影響など知らず、ただバッターをかっこいいと思うだろう。もしかしたらそれは大量得点の後釜で、大人の観客たちは終わらない攻撃にうんざりしているかもしれない。大差負けの九回裏に放ったやけっぱちのソロホームランかも知れない。それでも、そんなことを彼は知らないだろう。眼をきらきらさせている。▼大人になるにつれて、単純にかっこいいことを成し遂げた人に憧れを懐いたり、かっこいいと思うことが難しくなってくる。成し遂げた結果の後ろに、いろんな意味の厄介事が纏わりついてくる。そういう意味ばかり追いかけている人々が大挙してやってくる。「凄い凄いというけれど、君は本当に意味がわかっているのか?」そうして何がどう凄くないかの解説が始まる始末だ。放って置いてくれないか。人の感動に茶々を入れるのは、例外なく野暮というものだろう。

[470] Dec 11, 2010

風物と思いたくはないが、今年もまたインフルエンザの季節になった。我が家は毎年予防注射が習わしで、家族全員注射を受けなければ冬を迎えるべからずの体制なのだが、会社で訊いてみると、これまでに受けたことがないという人もちらほらいた。どうやらいちども罹ったことがないらしい。予防に気を配るようになるのは、やはりあのつらさを体験してからだろうか。▼インフルエンザと医者にはちょっと嫌な思い出がある。昨年から持ち越した39度の高熱に苦しむ正月の日、耐えかねて救急病院へ行くと、風邪ですねと一蹴された。どう素人目に見ても風邪ではないので必死に病状を訴え、検査を頼むと「検査なんてできるんですか」と看護婦さんに訊く始末。出来ますよ、と言って30分くらいで済ましてくれた。「ああ、やっぱりインフルエンザですね。タミフル出しておきます。」こういういい加減な医者が患者の目に触れるから、大多数の真摯な医者たちが報われない。

[469] Dec 10, 2010

スマートフォンを手に入れたことで、ほんとうに取るに足らない呟きはスマートフォン経由でのツイッター、継続的に短くまとめていきたいことはこの400と、棲み分けがクリアになってきた。こうなるとやはり足りないのは長文である。ここでは原則連載もしないから、何かについてまとめて語るということができない。「久しぶりに長いものも読みたいです。」そういうありがたい声も聴いた。▼いちどならず二度も三度も途中でやめたものだけにあまり気は進まないが、こういう事情も受けて、近々ブログもどきを再開しようと思う。時系列的にまとめていきたい考えもやはりあるのだ。ただし棲み分けをきっちりやらないとまた投げ出してしまいそうだから、ここにはとても書けないような長文だけを扱うことにして、日常的な雑事など話の広がらないものは全てシャットアウトする。継続的な更新はこちらが担えば、たとえしばらく放置しても後ろめたい気持ちはないだろう。

[468] Dec 09, 2010

編集者は三十五年でオシマイだ。諸君、うちの専務は佐々木君ひとりで充分なんだ。君らがいつまで居たって佐々木君になれるわけじゃない。とにかく早く辞めたまえ――文藝春秋社の社長を務めていたころ、菊池寛は若い社員にいつでもこう告げていたという。「とにかく早く辞めたまえ。」社長にしてこういう言葉を公言するのが、流石は人柄で鳴る菊池寛である。▼「諸君才能があるなら、社を踏み台にして、ほかへ行ってくれ。ここは踏み台なんだから……。」謙遜やお為ごかしで言うわけでもないのだろう。仕事の手が広げられないとき、人ばかり増えても仕方がない。折しも週刊誌興隆の時、作家崩れの編集者志望は山ほどいた。山ほどいるのに人が辞めなきゃ、新人を容れる謂れがない。ならば編集以外の才能持ちはさっさと自分の道へ行けばいいじゃないか。こういう素朴な感想なのだ。転石賛美の風潮が訪れた今の時代、菊池寛の思惑はいまいちど熟考してみるに足る。

[467] Dec 08, 2010

初心のうちはひとつでも多くのデータを覚えていくことが最良である。少なくとも最速である。ところがこういう話になると途端に方々から悪態が出る。曰く、いちばん大切な流れを理解しないで物だけ覚えていくなんて、何のために勉強しているのか。そんな勉強ならしなければいい――暗記の忌避、理解の崇拝。彼らにとって博覧強記などということはもはや軽蔑の対象でしかないらしい。星座の中に位置づけなければ星の光など意味をなさぬ。そんなことさえ言い出しそうだ。▼けれども初心の人にとって、流れというのは説かれてわかるようなものではない。わかるとしたら、それはやはり流れを暗記しているに過ぎぬ。時に相矛盾する素材を集めて煮詰め尽くした先に、ようやく見えてくるのが線であり流れである。やがてそれが空間的に展開することもあるだろう。点から描き出すのがすべてのはじまりなのだ。点の美しさを忘れてしまった人間に、線など紡げるはずもない。

[466] Dec 07, 2010

来年からJRAが新たな馬券「5重単勝」を開始する。一口100円で、指定された5つのレースの勝ち馬を予想し、全て的中した者に配当が与えられる方式だ。最高払戻金は100円につき2億円。的中者がいない場合や、最高払戻金を超える金額はキャリーオーバーとなる。▼100円につき2億円。この上限、何もJRAが独自に定めているわけではない。一枚200円のロト6でも、キャリーオーバーには4億円の上限がある。この200万倍という数字は、当せん金付証票法の第五条で定められているものだ。曰く「当せん金付証票の当せん金品の最高の金額又は価格は、(中略)二百万倍に相当する額を超えない範囲の額とすることができる。」▼中略の部分には特別な条件が付記されているが、ここでは省略した。競馬やロト6はこの条件を満たしている。ただ従来の馬券では配当が200万倍を超えることなどありえなかったため、制約を考える必要がなかったのである。

[465] Dec 06, 2010

フランスの社会学者ロジェ・カイヨワは、著書『遊びと人間』で遊びのカテゴリを四種類に大別している。競争(アゴン)、偶然(アレア)、模擬(ミミクリ)、目眩(イリンクス)である。▼彼曰く、遊びに内在しているこれらの要素に人は熱中する性質があるという。かけっこでいちばんになることだけが目標の少年は「競争」に、明けても暮れても賭け事のギャンブルジャンキーは「偶然」に、休日のお出掛けは演劇か映画と決まっているお姉さん方は「模擬」に、スピード狂いのドライブ後はダンスホールが根城のお兄さん方は「目眩」に、それぞれ夢中になっているのだ。▼以前、オンラインゲームはこれらの四要素をすべて兼ね備えているなと思ったことがある。最強を目指してレベルアップを他人と競い、ときどきの幸運を心待ちにしながら、ゲームのキャラクターになりきって、仮想世界の中を夢見心地で冒険する。なるほど、だからあれほど中毒性が高いのかもしれぬ。

[464] Dec 05, 2010

「若いうちはとにかく金をつかって遊べよ。」私は、こういうありがちなアドバイスを頭から信じることにしている浪費家である。そのくせ貯まらないことは嘆いている。あんまりお金が貯まらないので、方々から小遣い帳をつけるよう勧められても、つければきっと使えなくなると思って、やっぱりはじめないのだ。これまでの人生、金の無心で散々苦労してきたわりには、節約という言葉がどこにも刻まれていないらしい。▼裕福に育った人ほど吝嗇になると言うが、周りを見る限りこれは正しいように思える。しばしば金銭感覚に疎いことはあっても、彼らはめったに無駄な消費をしない。金を貯めるということの力を熟知しているのだろう。私のようにまとまった金を手にしたことのない人には、今日も明日もつらい思いをして、銀行口座にひとつ、またひとつ、札束を積んでいくことの現実的な力がわからないのだ。――言い訳もここまでそれらしくはできるという見本である。

[463] Dec 04, 2010

パソコンワークやテレビゲームにどっぷり集中したあと、椅子を立ってひと息ついたそのとたん、どっとつかれが来たり、眼が痒くなったり、節々の不調に気がついたり、異常に喉が乾いたりする。残念ながら人間の集中力リソースは無限ではない。使いきってしまえば、その分どこかが消耗するように出来ている。▼したがってなにごとも集中力と割り切る前に、「いつ」「何に」集中するかというリソース配分問題が重要になる。これは看過されやすい問題のひとつだ。目の前のタスクは本当に集中する必要のあることだろうか。その先にもっと集中力を要する創造的な問題が控えてはいないか。こうした冷静な判断を交えずに長期的な計画を立てることはできない。猪突猛進型が失敗する理由はしばしばここにある。▼ただしどこまで手抜きと区別できるかは、自分自身の実直さのみにかかることだ。自分が信頼できないようなら、確実に意味ある布石以外は置かないようにしたい。

[462] Dec 03, 2010

風邪を引きやすい時期になった。風邪をひいたらどうするか、もちろん可及的速やかに医者へ行くべきだが、仕事や学業の都合上そうも言っていられないときがある。そういうときの「瞬間回復法」をふたつ聞いた。▼ひとつは「にんにく注射」である。にんにく注射と言ってもニンニクのエキスを注射するわけではなく、ビタミンB1を主成分とする栄養素の注射で、ビタミンB1の吸収を促進するための硫化アリルがニンニク臭を放つことからそう呼ばれている。血液に直接注入するため、全身にまんべんなくビタミンB1が行き届き、新陳代謝の改善と疲労回復にきわめて効果が高いという。▼もうひとつは「酸素カプセル」。一時間程度入っているだけで十時間快眠したかのような快癒効果が得られるそうだ。そんなサービスをする店があることを初めて知ったのだが、なんと会社の近くに存在しているらしい。ほんとうにつかれたときは、興味がてら脚を運んでみることにする。

[461] Dec 02, 2010

ある安くないソフトウェア製品をメールで注文したところ、注文を確定しましたメールの付記に、「お客様の注文された商品は、現在開催中のこちらのキャンペーンをご利用になると、対象他製品の購入により無料でプレゼントされます。ぜひご検討ください。」という一文が添えてあった。▼キャンペーン内容を確認すると、たしかにちょうどうまいこと私は条件にあてはまっている。注文機会に乗じていらないものを売りつけるやり方でもなく、むしろ本来より安くもともとの注文商品を手に入れることもできるようだ。非常に親切な会社であると思った。こういうよい印象は末永く残る。▼さてプラスワンをどうしようか悩んだ挙句、不要なものを注文しても仕方がないので、前から余裕があれば手を出したいと思っていたソフトを注文して、キャンペーンを適用した。結局注文の金額は倍近くになったものの、嵌められたという気もしていない。久々に気持ちのいい買い物をした。

[460] Dec 01, 2010

グーグルメールは世界中の衝撃だった。いまでも憶えている。それまでウェブメールといえばとにかく容量が少なく、すぐに整理を迫られる使い勝手の悪いものだった。メールの主役はまだまだプロバイダメールだった。どこのフリーメールも容量を増やそうとメガバイト単位で苦しんでいたそのとき、どうしてひとりグーグルメールだけが、数ギガバイトという破格の容量を提供できたのだろうか。▼それは現実的なギャンブルだった。グーグルメールがサービス容量を提示したとき、もし利用者の全員がその容量を一瞬にして使いきれば、グーグルのサーバーはパンクしていただろう。しかし「そんなことは起こりえない。ユーザーがメールを溜めていく速度よりも、単位容量あたりの価格下落の方が早いだろう。」グーグルはこう読んだのだった。ストレージの値段は下がりつづける。これからは大容量の時代だ――こういう認識は誰にでもあった。無かったのは、ただ洞察である。

[459] Nov 30, 2010

本日、会議室への集合アナウンスがあって、プロジェクトが正式に終了したことを告げられた。これにて開発の仕事はすべて終了。やり遂げた雰囲気がやり遂げた事実に変わり、ようやく平穏が訪れた。私は訳あってひきつづき関連する仕事に従事するが、明日から代休を消化しはじめる先輩も多い。一月中旬まで来ない人もいるだろう。部屋の空気が変わっていく。▼「逆境は最大の教師である」とゲーテは言ったが、修羅場もまたこれに劣らぬ優秀な助手だろう。ひとつの製品をつくりきるということのシビアさ、過酷さを体験しなければ俯瞰できない現場のノウハウというものがいくつもある。マネジメントが何を宣おうとKKDはまだまだ生きているし、それなしには乗りきれない緊急の場面というものが次々現れてくるのだ。外乱につぐ外乱、その大規模なカオスを捩じ伏せるのは、しばしば理屈よりも剛腕である。そういう按配が、死線をくぐってようやく腹に据わってくる。

[458] Nov 29, 2010

どうすればかんたんに英語ができるようになりますか。やっぱり単語ですか、文法をやるべきですか、それともリスニングですか、本を読むのがいちばんですか。受験英語は実践で役に立ちませんよね。英会話教室に通ってもできるようにならないと聞きました。外国に住まないとだめでしょうか。外人の友達がいないと厳しいでしょうか。――いちど深呼吸して、どうすればかんたんに絵が描けるようになるかを考えてもらう。▼毎日電車でクロッキーをするか、ひたすら巧い人の絵をトレースするか、それとも写真や絵画を模写するか、あるいは静物画のデッサンに取り組むか……もしどれがいちばんいいですかと訊かれたら、人は自分のやり方をそっくり教えるか、ただ沈黙するしかないのではないだろうか。学問に王道なしとは違う。もっと話は単純で、英語が「できるようになる」という言葉の意味が訊き手の中でもはっきりしていないから、訊かれた方も答えらないのである。

[457] Nov 28, 2010

今日開催された競走馬の祭典「ジャパンカップ」。断然人気の四歳牝馬ブエナビスタがまたしても波紋を呼んだ。昨年の秋華賞につづき、二年連続でのG1降着。彼女の勝利に期待していた人や、彼女を頭に馬券を買っていた人の多さを考えると、ため息が聞こえてくるようで、やりきれない気持ちは強い。▼降着とは、競走中に他の競走馬になんらかの不利や妨害を与えた馬の着順を被害馬の下に繰り下げる制度である。直線コースに差し掛かったとき斜めに走ることで他馬が前に出ることを妨げてしまう「斜行」などが、代表的な進路妨害のひとつだ。▼今回もそれだった。パトロール映像を見ると、たしかに直線で馬体が内へ切り込んでいる。内側の馬が妨害された形になる。それがこうして競争後も議論されるのは、どこまで寄せれば斜行扱いになるかの明確な基準がないからだ。すべては審議の判決に委ねられる。このあたりどのスポーツも変わらない。永久に悶着の種である。

[456] Nov 27, 2010

農民が圧政に耐えかねて嘆願書を出せば、たいていの場合、君主はそれを反逆と見なして責任者を処罰しただろう。ところで嘆願書に大量の署名がある場合には誰を処罰したのだろうか。とんでもない暴君であれば全員皆殺しにしたかもしれない。しかし多くの場合は数名の「リストの上の方に名前があるもの」が主犯格として処分された。こうなると嘆願に参加する農民としても、できれば上から十人には入りたくないと考える。▼そこで彼らの考え出した方法は、署名をぐるりと円状にしたリボンに書き連ねることだった。こうすれば「主犯格」はいなくなり、人数に関わらず全員を平等に裁くしかないはずである。やがてフランス語の「リボン」は訛ってロビンとなり、処理や責任を平等に分散して何かを行う方法のことを、現在ではラウンドロビン方式というようになった。たとえば音の切り替えを譜面から判断して内部的に行っている音源は、ラウンドロビン式の音源と言える。

[455] Nov 26, 2010

C言語は関数の集まりだが、C#言語はオブジェクトの集まりだ。いわゆる構造化プログラミングとオブジェクト指向プログラミングの違いである。オブジェクト指向でなければ言語にあらずという風潮さえ漂う昨今では、何かを極めたい人間でない限り複雑な問題解決をわざわざ構造化言語でやろうとは思わないだろう。人間にとって、何にも仮託されていない巨大な関数の集まりを読み解くのは容易ではない。▼しかしこの両者の狭間に位置するC++言語を考えてみると、メンバ関数というC#でいうところのメソッドに相当するものがありながら、誰のメンバでもないただの関数も許可されていたわけで、こういう一様でない仕様を平然と使いこなしていたのは今思えばとんでもないことである。「人の書いたプログラムが読みにくい」という強制観念は、もしかするとこの時代に培われたものではないのだろうか。理解しやすいC#のコードを手許に、そんなことを考えていた。

[454] Nov 25, 2010

いろいろなところから年末飲み会や忘年会のお知らせが来る。すべて参加したいのはやまやまだが、ひとつしかない我が身のこと、取捨選択はしなければなるまい。▼しかしふだんから会える人は、なにも年末の忙しい時期にわざわざと思っても、せっかく休みを迎えて会えるところで無碍に断るのも忍びなく、逆にあんまり縁遠い人たちは、そういうときでなければ会えない気がして誘いのメールを放置はできぬ。と思えば、ちょうどその真ん中あたりの知り合いこそ、とくべつ会を設けてまで必要があるだろうかなどと考える。だいたいみんなそうして悩んだ末に、先約という言葉の便利さ頼みで早い者勝ちに任せるのではないだろうか。▼それなら誘うのは早い方がいい。もう先約があるからと断られては堪らないから……こういう理屈で一ヶ月も前に連絡が来るのかもしれない。私は滅多に幹事役などやらないが、参加率だけは仲間内でも高い方である。できるだけ足を運びたい。

[453] Nov 24, 2010

箱根にある美術館で、絶えず人のあふれる名所があるという。美術館内部の一角に大張りのガラスがあって、そこからはるか足元に望む芦ノ湖の景色が素晴らしいのだそうだ。なるほど、つまり人だかりは美術館の展示品に出来ているわけではない。▼そんなことでいいのかという危惧が当事者たちにあってもいい。しかし美術品で集客するのが美術館の本分とはその通りだが、内部に見晴らしのよいスポットを設けて人を集めるのもまた戦略である。誰が後ろ指をさせるだろうか。建物のロケーションを利用した付加価値で、ひとりでも多くの来訪客を集め、彼ら彼女らに満足して貰えるなら観光スポット冥利につきるではないか。誰も損をしているわけではない。▼芸術家の本懐が芸術の素晴らしさそれ自体を認めてもらうことだとしても、付加価値をつける努力を怠る理由にはならない。見向かれもしないで消えていくのが末路である。できる工夫はすべてしよう。話はそれからだ。

[452] Nov 23, 2010

スタッフとして半日立ち尽くした。案内と説明で喉は枯れたが、もともとしゃべっているのが好きなので、ときどき来客と冗談など言いあいつつ、楽しく過ごさせてもらった。どんなイベントでもハレはハレ。気分はいい。▼りんかい線沿いを歩いていていつも気になるのは、国際展示場をはじめとするビル群の独特な形状である。三角形と曲線を多用しているわりにはポストモダンを意識したようにも見えない、資金だけが潤沢で総合的な都市計画は皆無というような節操のなさに移る。バブルの賜物だろうか。吹き抜ける風の角度がいつも違う。▼シムシティでも海沿いは商業地区で埋め尽くすのが鉄板だが、ここも同じく人が集まるより先に商業地区を敷かれた地域である。臨海副都心と銘打って都心へのアクセスをアピールしてもなかなか思うように発展しないのは、商業と住宅の需供が噛み合わないこと以前に、そういう不自然さが横溢しているところにもあるのかもしれない。

[451] Nov 22, 2010

最近運動不足かもしれない。そう思って今日、体重計を買ってきた。我が家には数年間なかったものだ。▼知らないうちに肥満傾向へ乗ってしまわないようチェックするのが目的なので、体脂肪率やら統計グラフやら、機能がたくさんついているものは必要なく、数字だけわかればいいのだからアナログでもよかったのだが、量販店の都合上そういうものは置いていない。台幅が十分大きくて、あとはいちばん安いのを選んだ。▼78kg。私の身長だと標準体重は75kgくらいだそうだから、あと少し絞った方がよさそうである。体重が変わりやすいのか、それほど荒んだ大学生活だったのか知らないが、大学入学時が80kgで四年時に66kg、いままた78kgというわけで、食生活もたいして変えてないところ、減らそうと思えば減るだろうが、楽々減らせるのは二十代前半までだと言う。体力キープのためにもジム通いは必須だろう。行く行く詐欺にならぬよう、早めに入会手続きを済ませたい。

[450] Nov 21, 2010

同僚がアイスランドへ旅行に行っている。私は私でそれとは関係なく、たまたまアイスランド在住の方と連絡を取っている。地熱と暖流に恵まれた氷の島。いつか行ってみたいと思う。旅行するなら人に溢れた観光地よりも、とにかく氷の見えるところがいい。見渡す限りの氷。▼どこで雪山や氷河への憧憬を抱いて来たのか知らないが、私はかなりの氷河好きである。アーダルベルト・シュテイフター『水晶』など、精緻で透明な雪山の描写を何度も読み直しては感動した。漫画やゲームの世界でも、例外なく水や氷の妖精が好きにになる。フーケーの『水妖記』については以前言及した。▼こういう趣向からフロイティアンたちに何かを拾ってこられてもつまらないが、自分ながらどうして氷が好きなのかはいっこうにわからない。それこそ深層心理や記憶の井戸の片隅になにかのきっかけがあるのかもしれぬ。スピッツベルゲン、イエローナイフ。まだ見ぬ北の地を呟いては、遊ぶ。

[449] Nov 20, 2010

頭の中で想像する取り留めのないぼんやりとしたものを、日本人はイメージという言葉に託しすぎている。そういう話を見た。和製英語の罠に嵌っているわけだ。そう思って我と我が身を振り返ると、たしかによくイメージという言葉を使っている。そのほとんどは英訳しても"image"や"imagine"にはなるまい。ほかにどうとでも言える。▼英語ならいくらでも言いようがあるものを、母国語たる日本語でいつもイメージと書いている。そうして意味がぼけている。たくさん書けば書き慣れると言うが、こういうのは明らかに悪い慣れだろう。習慣の恐ろしさを感じる。▼菊池寛は小説家を志望する若者に、少なくともひとつ以上の外国語に精通せよと助言をした。現実的・具体的・効果的と三拍子揃えているところ、今も昔もこれに勝る助言はないと思っている。しかしこうして母国語の妙を忘れるようでは本末転倒だ。自分の国で異邦人にならないよう、行ったり来たりした方がよい。

[448] Nov 19, 2010

また部屋の中が異常に冷える季節になった。去年つかっていた丹前も、もこもこの靴下もなくて、新しいものを買うまではたいして暖かくもないトレーナーとスリッパで代用している。以前雑誌で見かけた羊のスリッパが欲しいと思っているが、さて今年は買う余裕があるかどうか。たしか随分値段が張った。▼暑いからあれが欲しい、ということはそんなに無いが、寒いからこれが欲しい、ということはよくある気がする。ひもじさと寒さのイメージはたしかによく結びついているが、服飾に限らず物欲も冬の方が増すのかもしれない。サンタクロースはそういう物欲のメルヘンチックな現れかもしれぬ。▼そんなイベントや季節柄につけこんでの年末商戦がいよいよはじまる。私の仕事も、この十ニ月を逃しては機会損失は莫大だろう。冷え込みすぎて買い物にも出たくないと思われても困りものだが、程良く冷えて、今日はあれを買って来て家にいよう――そんなふうになればいい。

[447] Nov 18, 2010

地震、雷、火事、親父。自然災害で恐ろしいものを語呂の良いようにならべた、日本人にはそれなりに馴染み深いフレーズである。一見して台風がないのは不思議なことで、その不思議さからか、親父は「大山嵐(おおやまじ)」の変化したものであるという説も現れたが、民俗学や語源学でも議論された挙句、これにはまだ決着がついていない。もっとも水害も入ってないところを見ると、すべての災害をならべようと言う意図はなくて、たんなる古人の洒落だったのかもしれぬ。▼ともあれ日本人にとって、地震こそもっとも恐ろしい天災であることに変わりはなかっただろう。ハリケーンの被害は風速の三乗に比例するが、いくら三乗が強力な増幅でも、地震のもたらす被害は非線形である。まったく無事かもしれないし、あたり一帯が全壊するかもしれない。いつ来るかもわからなければ、揺れたあとどうなるかも見当がつかない。不安感は抜きん出ている。不可知の恐怖である。

[446] Nov 17, 2010

不運や不幸に沈んでいる人へ、叱責や評言を与えるのは意味がない。素直にそれを受け入れるだけの余地がないからだ。痛みに耐える人間は「それどころじゃない」ので、何を言われてもかえっていらいらするだけに終わる。自分が悪いのはわかってるけど、いまはとにかく痛いんだ――そういうことがわかっていないと、よかれと思ってかけた言葉もただ反感を買ってしまう。▼「幼児が転んだ時、乳母は駆けつけて叱りはしますが、まず抱きかかえて汚れを落としてやって、着物をきちんとしてやって、それから叱りつけ罰を与えるでしょう。」ほんとうに相手のことを思うなら、つらいときにはいたわりがなければならない。そういう言葉が反射的に出てくるはずである。人の失敗と、その良からぬ結果につけ込んで、もっともらしい教訓譚を言う人は、おせっかいですらない、ただの独りよがりなおしゃべりだ。よく見分けてみよう。「だからあのとき、そう言ったじゃないか。」

[445] Nov 16, 2010

ウェブの普及により、他人を批評するという行為は極めて一般化した。そこにはもう批評言語の混乱というような文壇的問題もない。批評は日常の言葉で語られ、日常の出来事と一緒にブログの一角へ貼りつけられる。感情的な反応と分析的な反論がコメント欄に入り交じる。来訪者がブログの著者に噛み付けば、別の来訪者が横槍を入れて、口角泡を飛ばす侃々諤々がはじまる。誰もが自由に何かを論じている。▼しかし一方で、ひとつだけ出来なくなったこともある。それは恐らく、批評としての「何も思わなかったという意思表明」である。見たもの聞いたもの読んだものへの批評を求められて、「何の感慨もなかった」と切り出したきり後へも続かず切り上げる、こういうことのできる人はもうほとんどいない。何も言わなければ沽券に関わると思っている。そうして、沽券に関わることを言うのも嫌だからと、黙る努力と喋る努力のあいだを彷徨っている。そういう混乱はある。

[444] Nov 15, 2010

オブジェクト指向プログラミングの真髄は、オブジェクト指向が持つ情報隠蔽の性質やポリモーフィズムを最大限に活かすようなクラスの設計にある。しかし、解決すべき問題を解くコーディングの方法は山ほどあるから、漫然とした独学だけでは真に最適なクラス設計を身につけることは難しい。そこで役立つのが「デザインパターン」である。▼デザインパターンはひとことで言うと「よく出会う問題と、それに対するスマートな解決策」である。プログラムの設計者が、いつでもどこでも出会ってきた問題に対する設計デザインのリファレンスだ。▼さまざまなデザインパターンを熟読玩味していると、なぜそのデザインが秀逸であるのか、根本的な構造と機能のアヤが見えてくる。「ひとまとめにできそうなものをひとまとめにする」という素朴な設計思想から脱却し、真に必要十分な機能提供を保証するスマートなクラス群の構築を目指して、貪欲に勉強してみるのも悪くない。

[443] Nov 14, 2010

今月発売のスマートフォンIS03を思わせるような、黒・白・橙の鮮やかな三色。雀よりも少しだけ大きな体躯。アカヒゲ(赤髭、Erithacus komadori)はわかりやすく可愛らしい、日本固有種の鳥である。コマドリ(駒鳥、Erithacus akahige)に似ているが、写真を見比べてみると、駒鳥の方が背中の赤みは黄色に近いようだ。どちらもツグミ科コマドリ属の鳥類である。▼ところで括弧で括った学名は、私が取り違えたわけではない。アカヒゲの学名はエリタクス・コマドリであり、コマドリの学名はエリタクス・アカヒゲである。アカヒゲの生態を日本で観察・整理したのはシーボルトだが、彼の送付した資料を受け取ったテミンク(ライデン国立自然史博物館の初代館長)が、見た目そっくりな両者を取り違えてしまったらしい。あるいは送付の途中でラベルが剝がれ、貼り直されたとき逆になってしまったとも言われているが、なんにせよ形に残ってしまった笑い話である。

[442] Nov 13, 2010

秋夜、三更、月光移。清冷、星稀、蟲語悲。孤坐、不眠、粟生肌。小斎、散帙、読書時。閲古、口誦、風聲急……。▼ちゃんとした漢詩をつくろうと思えばたいへんだが、漢詩のパーツをならべてことばのイメージで遊ぶのはかんたんだ。ルールはひとつ、同じ漢字をつかわないこと。とりとめのない想像をつらつらと、ありきたりな言葉に流し込む。ナンバープレイスよりもゆったりと、クロスワードよりも落ち着いて、紙と鉛筆だけで楽しめるパズル遊び。▼こういうゲームが詩壇や中国にあるかどうかは知らない。勝手に私が考えたものだ。だんだん苦しくなっていくところがいいと思っている。少ない材料で苦心して物を仕上げるのは楽しいし、窮したところから斬新なイメージの組み合わせが生まれてくるということもままある。自由な発想などたかが知れているのだ。がんばって400字埋め尽くしてみてもよかったが、それではなにがなんだかわからないから途中で止めた。

[441] Nov 12, 2010

ブラックサンダーアイス、ミルクココアサンドアイス、グビックル。近頃、既存のお菓子や飲み物のパッケージを借りた「コラボレーションアイス」が増えている。コンビニのアイスコーナーを見ていてそう思った。入れ替わり立ち代わり、「何々アイス」のオンパレードだ。▼よく見ると、アイスばかりに限らない。ありとあらゆるジャンルで「見たことのある新商品」が増えている。マッシュアップで価値を創造することが主流であった、一時期のウェブトレンドとまるで無縁とも思えない。ついにアトムの世界にも露骨な「合成製品」が出回りはじめたようだ。▼適者生存。けれども世界が小さくなって、適者の門は狭まった。小さな企業がひとりで事をなすのは日に日に難しくなっている。逼迫したジリ貧の群れたちは、めいめい手持ちのIPを出し合っていいとこ取りをすることでしか利益をあげられなくなっている。街角のクーラーボックスにもそういう苦しい事情が伺える。

[440] Nov 11, 2010

「閭は小女を呼んで、汲立の水を鉢に入れて来いと命じた。水が来た。僧はそれを受け取って、胸に捧げて、じつと閭を見詰めた。……」▼森鴎外のこの一節を『文章読本』で三島由紀夫が絶賛していた、それをよく覚えている。漢文のセンスは描写に切れ味を出すというが、三島が就中絶賛する「水が来た」という一句などはまさしくそれであろう。こういう漢文的教養に裏打ちされた「簡潔で清浄な文章」こそ、鴎外の文章のほんとうの味であるという。▼「これが一般の時代物作家であると、閭が少女に命じて汲みたての水を鉢に入れてこいと命ずる。その水がくるところで、決して「水が来た」とは書かない。まして文学的素人には、こういう文章は決して書けない。このような現実を残酷なほど冷静に裁断して、よけいなものをぜんぶ剥ぎ取り、しかもいかにも効果的に見せないで、効果を強く出すという文章は、鴎外独特のものであります。」心掛けるだけでも、引き締まる。

[439] Nov 10, 2010

未読メールが1000件を越えてしまった。迷惑メールやリマインダはともかく、本当なら目を通さなければいけないものにもちらほら触れていないように見える。それでも今はどうしようもないんだ、プロジェクトが終わるまではなにもかも待ってくれと言いたくなるのだが、それを言うには返信が要るというわけで、どうにもならず手がつかないままになる。この調子だと、2000件は積もりそうだ。▼以前「携帯世代」の生徒たちに、未読メールがあるなんて信じられない、というようなことを言われた。その頃も論文末期で忙しくて、500件かそこらは溜めていたと思う。彼女たちにしてみれば、メールは読むために届く以外のなにものでもないのだから、それを見もしないということは理解出来ない、ありえないことだったに違いない。たしかに、何のためのメールだろう。こればかりは彼女たちの感性が正しい気がする。便利なツールは、こうしてしばしば目的を見失う。

[438] Nov 09, 2010

彫刻や盆栽のように、足し算を許さない芸術はいくらでもあるが、引き算を許さない芸術というものはあまり聞いたことがない。絵画はそうだろうか。しかしこれも、材料の都合で仕方なく足すことしかできなかったという気がする。たとえばCGの世界では、いくらでも引き算の修正が許されているだろう。▼けれども足し算は不思議と好まれるようだ。とんとんとならんだ四分音符がひとつの白玉に置き換えられることと、塗りつぶされた超絶技巧に化けることのあいだに編曲としての本質的な違いはないが、どうも人は墨を入れたくなるらしい。変化がわかりやすいからだろうか。▼引き算、引き算と、私はつい言いたくなる。もちろん引き算がすべてじゃない、きっと足し算の美学も、もしかしたら掛け算や割り算の美学もあるのだろうけれど、私にはどうも何かの美しさというものは、漠然とした表現からいらないものを取り去ったあとに立ち現れる風姿と感じられるのである。

[437] Nov 08, 2010

「われわれには自分の生涯というものが、過去においても、可能な未来においても、どんなにそれを引きのばしてみても、非常に短く思われる。……しかし現実では、ただの一日も、ただの一時間も、どんなに長いことだろう! この違いはどこから来るのか?」フォイエルバッハはこんな疑問を呈している。▼答えはこんなところだろう。即ち、意識の作用のないところでは時間は長さや量として機能しない。想像する時間が短く、体験する時間が長いのは、表象の中での時間は量ではなく「はじめと終わりの二点」を表す記号に過ぎないからである。▼現実の生涯は充実した時間だ。それは持続として感じられる時間である。「今」という意識すべき対象があるから、時間は持続になるのだ。そこには「あらゆる種類の困難の山が今と別の地点との中間によこたわっている。」そういうもののない生活は、宇宙を何億年という単位で表現するときと同じように空虚なものになるだろう。

[436] Nov 07, 2010

「メニューからAを選び、オプションにBを指定して、Cモードで起動したところ、システムが停止しました。同様の手順を10回試行しましたが、すべて停止しています。再現性は100%です。」▼しっかり時間をかけて再現確認をしている。なるほど言うことに間違いはなさそうだ。しかし、本当にこれは”素晴らしい”報告だろうか。なにか見落としていないだろうか。例えば、オプションがDだとどうなるのだろう。開発室が検証したところ、どうやらそもそもCモードが機能していないことがわかった。AやBの検証に費やした時間はすべて無駄になった。▼なにか仮説を立てたとき、真実へ辿りつくには、通常それを反証しようと努力する方が近道である。ところが人は自由に情報が集められるとき、自分の立てた仮説が正しいことを証明しようとする。このような心理傾向を「確証バイアス」という。過去の体験に求めればわんさと見つかる、実に嵌りやすい誤謬である。

[435] Nov 06, 2010

わがままな私は、私の精神にあわない言葉が大嫌いだから、手にも口にもそういう「気分じゃない」言葉は使わせないことにしている。多分、覚えてもいない。どれほど多くの表現に触れても、私の語彙の総数はちっとも変わらないようだ。ひとつ好きな言葉を覚えれば、いちばん要らない言葉が消えていく。私はいつも好きな言葉ばかり使っている。偏食である。▼したがって書き言葉と喋り言葉も似通ってくる。堅かったり柔らかかったりはしても、言葉の集合、漂う空気、定形の切り出し、そういうものは変えていない。変えようと思っても変えられない。いつかほとんど何も変わらなくなればいいと思う。そう思いつつ、見比べてみるとやっぱり違うものなんだな、と思えるくらいの違いが出てくると望ましい。そうしてついに一致しない両者を見比べて、味とか風采とか曖昧なことを言いながら、やはりパロールとエクリチュールは違うね、などと澄まして居ればいいのである。

[434] Nov 05, 2010

そこにないものを見せるのがイリュージョンなら、そこにあるものを見せるのがアリュージョンである。引喩と訳されることの多いアリュージョンだが、語義的に同源でないとはいえ、私はこの言葉にどうも喩という漢字よりリュージョンという響きに濃いニュアンスを見る気がする。見える人には見えるし、見えない人にはなにも見えない。そういう性質のものである。前提された知識や伝統を持たない人には、そこに言及のあることさえ気がつかない。▼引用・言及はなんでもそうだが、アリュージョンも巧くやらねば単なる剽窃である。技法としての我が国の代表的アリュージョン「本歌取」も、正式な表現技法として認められることもあれば、「盗古歌」と言われ批判に晒されることもあった。三十一文字のうち半分以上まったく同じ字面の歌を見せられたら、戸惑う気持ちもわかる。だからこそ、そこにあるものをどう魅せるかが技になる。人に我を忘れさせる幻視の力が要る。

[433] Nov 04, 2010

「年会費を納入してください」というメールが来たので、何かと思ったら学会誌のようである。申し訳ない話だが、卒業以来、頭の片隅にも無かった。何かの都合でなかば強制的に入会させられたものの名残で、退会手続きをしなければならないことも忘れていたのである。今回の請求はちゃんと払って、これ限りにしてもらおう。▼こんなふうに語るのだからもちろん本腰を入れた学会ではなかったのだが、いちどだけ発表にも参加したことがある。またしても申し訳ない話、とても発展の余地があるとは思えない、形式主義の凝り固まったような研究ばかりでうんざりしていたとろこへ、ひとりだけ音楽の形態素解析とでもいうような研究を発表している若いドクターがいて、これは面白く聞いた。研究としては荒削りで、データも乏しく結果もあまり出ていなかったが、人に心地良い曲とは何かという哲学的な話を上手く工学に落とし込んでいて良かった。それだけの思い出がある。

[432] Nov 03, 2010

液晶はひとたび壊れると取り返しがつかない。二ヶ月前は、落とした拍子に画面右下へ薄く通った小さなヒビだった。そのヒビが黒い裂け目になり、じわじわと広がって、いまやとうとう画面の半分近くを埋め尽くしている。メールが読めないどころか、いま打ち込んだ電話番号も見えないありさまで、しぶしぶ買い替えを決心した。機械の故障は、やはり傷口のようにはいかぬ。▼幸か不幸か、ちょうどこの冬、auにも待望のスマートフォン「IS03」が登場する。スマートフォンに憧れつつもアイフォンにはどうしても手が伸びなかった私としては、考えて見ればこれほどいい機会もない、前評判の賛否両論に構わず衝動的に予約した。喉から手が出るほど欲しいわけでもないから、期待外れの出来でもメールと電話が出来ればいい。あとはその他の機能が満足に動けば言うことはない。新しい機械にはとにかく触ってみること、それが技術者第一の心得だと、誰かが言っていた。

[431] Nov 02, 2010

『リーダーにふさわしい話し方』という講演の後、樋口裕一は、視聴者の一人からこんなことを言われた。「先生のお話を聞いて、どんな話し方をすればリーダーにふさわしいかはよくわかりました。しかしこちらがどんなに知的な話をしても、相手がバカでは伝わらないと思います。私たちがふだんもっとも苦労しているのは、バカな部下にどう対応するかです。私たちは会社でバカに囲まれています。バカとどう付き合っていくのかが、もっとも大事なのです。それを話してほしかった」▼人をバカだと見下すバカがいる世の中である。なんとかバカに、かんとかバカがいて、もう誰がバカだかわかったものではない。込められたニュアンスもあまりにまちまちだ。『「自分以外はバカ」の時代』という本がちょうど本屋で平積みになっていた。自分も含めておいた方がよさそうだ。バカとかバカじゃないとか言いあうのがバカらしくなってくると、ようやく少しは道理が見えてくる。

[430] Nov 01, 2010

イギリスとフランスが共同で開発した超音速旅客機「コンコルド」は、商業的には破滅的に失敗した。ところで開発者たちのほとんどは、このプロジェクトが商業的に大赤字となることを早くから見越していたという。それでも開発は中止されなかった。たとえ絶対に回収できないとわかっていても、投資に掛けたコストがまったくの無駄となるのは耐えられなかった。そうして、巨大な金が消えた。▼つまらない、面白くない、もう引き上げた方が賢明だと自分でも信じながら、それまでに傾けた労力が惜しくてやめられない。このような心理現象を「コンコルド効果」という。日常の些末事から企業の一大プロジェクトまで、どこにでも見られる人間社会の普遍的な光景である。辛い現実を見つめて生きるのが、人にとっていかに難しいかを物語っているようだ。負け戦と悟るや総員玉砕を叫び出す、そういう根性が自分の中に仄見えたとき、死なないためにはぐっと堪える心が要る。

[429] Oct 31, 2010

動画が流行することと社会の情報化には、少なからず科学的な縁がある。社会の情報化とは、人間がより脳に頼るようになることであり、脳に頼るようになることは、すなわち眼に頼るようになることだからだ。眼は、暗い脳蓋に閉ざされた脳の代わりに、外界に触れる脳の一部分である。発生学的にも、眼は脳が発達して伸びてきた機関であると言われている。▼わかりやすい脳への刺激を求めて、情報化社会に生きる人間たち。こうした人々にとって、『初音ミク』のようなポップでキュートなバーチャルアイドルが歌う電子音楽は、「眼にわかりやすい歌」という、まったく新しいタイプの音楽だったのではないだろうか。彼女の歌は、私が描き見る彼女以外に、なにひとつ余分な情報を含んでいない。生活も、性格も、ありとあらゆる人間の殻を捨ててきた、純粋な一枚絵の歌である。「なぜボーカロイドが動画サイトで興隆を究めているのか?」そんな話をしていて思い立った。

[428] Oct 30, 2010

XMLの利点はデータを構造化できることである。こういう単純な定義がXMLというものの本質をいちばんよく捉えている。そうして、その他に言われることはほとんど蛇足である。しかしXMLに限らず、蛇足を本質のように解説しているコンピューター関連書籍はどうにも多い。▼ソフトや言語の解説書というものは、扱う題材の機能、つまり「何ができるか」に焦点をあてる。したがって、それがサポートしている機能で出来ないことは書けない。《親切な》参考書なら、サポート外の機能を要求するような設計には不向きであるとまで断ってくれるだろう。▼しかし、必要に迫られれば工夫の余地などいくらでもあるのだ。エクセルのインターフェースを持ち、簡素なVBAで改良可能な、C#のラッパーを持つ、XMLデータベースだって、求められるなら構築できる。これはこういう理由で、こういうことしかできない――こういう「できない理由」は信用しない方がいい。

[427] Oct 29, 2010

ある准教授が言っていた。スタンフォード大学のドクターで研究をしていたとき、いまの自分の研究スタイルを築き上げた忘れられない出来事があるという。▼当時、同じ研究室にテーマの近い後輩がいた。成果物は似たものになると予想されたから、表向きは歩みをあわせるようでも、実際のところ研究は彼と競うように進んでいった。ところで、研究に要求されるあらゆる技術・知識、それらを扱う経験値やセンス、そして頭の良さでも、准教授は後輩に「勝っている」と確信していた。何もかも自分の方が上じゃないか。素直にそう思っていたという。▼ところが研究報告のたび、研究は後輩の方が進んでいくのだった。どうしてか、ほんとうにわからなくて、ついにしばらく後輩の観察を決め込んだ。そのうち自分との決定的な違いがわかってきた。単純なことだった。自分が斬新な考えを進めているあいだ、後輩はたったひとつのアイデアに取り組んでいたのだ。手を動かして。

[426] Oct 28, 2010

ボキャブラリービルディングが懐かしくて、埃をかぶったウェブスターのボキャビルペーパーバックを数冊持ち出してきた。「ちょっとした時間に読んでいるだけでも楽しく語彙がつきます」こう序文に書いてあるのを、学生の頃はお決まりの売り文句としてしか見ていなかったが、いまこうして電車の待ち時間や乗換の移動中に読んでいると、なるほどニッチタイムに楽しく読めるよう設計されていることには驚く。その本は学生向きじゃないかもな、と教師が笑っていたのを思い出す。▼単語帳よりは百倍面白い。百倍語彙もつくだろう。単語帳で語彙をつけようというのが、そもそも無謀だと思っている。よく生徒に言っていた。いまでも学生の多くが英語の勉強に単語帳を必携しているのは不思議なことだ。敢えてつらい方法を選ぶのも、まわりがそうしているからという、いかにも日本人的な理由以外になにもないという気がする。学習は、楽しくなければ何かが間違っている。

[425] Oct 27, 2010

猫は人間を飼いならすという。猫というのは、そういう動物なのだそうだ。ポール・ギャリコは『猫語の教科書』で、そんな猫の視点から「私に尽くす人間たち」の姿を描いている。猫にとって人間は、住み心地のよい家についてきた無料の執事に過ぎない。▼そういう媚びない不遜さが、かえって気楽に可愛がられる秘訣でもあるのだろう。欺瞞や打算のはびこる人間の世界では、見返りのない愛情を振りまくのも一苦労だからだ。どれだけ可愛がってもなんの益もないところに猫の可愛がり甲斐がある。感情移入しやすい犬にはできない相談だ。猫と犬との可愛さとは別物である。▼私も昔から猫は好きだ。ただ見ているのが好きなだけで、近寄ったり、撫でたりはしない。じっと遠巻きに見ている。重度の猫アレルギー持ちなので、あんまり近寄ると目鼻がやられてしまうのだ。大学のキャンパスにも名物の猫がいた。よく飽きず窓から眺めていた。しなやかな置物だと思っていた。

[424] Oct 26, 2010

薄いジャケット越しに刺さる今日の寒さは実に晩秋らしいが、晩秋というのはもう秋も終わりそうだという感慨なのに、つくづく始まった覚えもなくて、これではとても行く秋などとは言えまい、来なかったものをどうやって惜しもうか、思えば今年は冬と夏のあいだも無かったし、こうしてまた夏と冬のあいだも無いのなら、日本もいよいよ二季制か、暑いと寒いしか不満を言わなくなれば、この国の人心もいよいよ世知辛くなるだろう、などと徒然思いながら、冷たい遊歩道を歩いてきた。▼夜中はコートさえ欲しい寒さだが、日中はまだ暖かい。今日は室内で汗もかいた。冬と秋とでしばしば秋の方が肌寒く感じるのは、この較差によるのである。そうしてぐっと気温の下がった夜のひやりが朝まで伸びてくると、ぬくい布団が恋しくなり、朝食に吸い物が欲しくなり、硝子越しの陽の光がうれしくなる。冬こそ暖かみの風情である。「朝寒の膝に日当る電車かな」とは、柴田宵曲。

[423] Oct 25, 2010

ギリシアの片隅。ある教師が「弁論術が身についたら受講料を支払う」という契約で弟子を取っていた。講義の腕は確かであった。ところがこの弟子、いつになっても受講料を払わない。やがて教師の方が訴訟を起こした。そうして曰く「君が裁判に負ければ判決に従って受講料は支払わねばならぬ、しかし君が勝てば契約に従ってやはり受講料は支払わなければならぬ。いずれにしても君は受講料を払わなければならないのだよ。」▼このように、どちらの道を選んでも同じ結論になるのだから、導かれた結論は真実であると迫る論法を「両刀論法」という。選択肢を「もれなく」吟味するところに説得力はあるが、使い方を間違えるとしばしば不完全なものになるので注意が必要だ。弟子は言った。「でも先生、私が勝てば判決に従って受講料はチャラ、私が負ければ契約にしたがって、なにも支払う必要はありませんね。」見事な切り返しだけに、やはり受講料は支払うべきだろう。

[422] Oct 24, 2010

いま購読している雑誌さえまともに読めていないのに、またも定期購読雑誌を増やしてしまった。好奇心はいつも本人のキャパシティを越えてチャレンジングである。いいかげんどれか切り捨てていかないと捌き切れないが、厳選の末に定期購読しているのだから切り捨てられるものがあるはずもない。面白くなさそうな号は読み流すという贅沢流が現実的になる。洋服を選ぶように今日の雑誌を選ぶ。それもまた乙かもしれない。▼ジャンルは定番の顔触れだが、音楽はどこにもない。月刊のピアノ譜雑誌を取っていたこともあったが、すぐにやめてしまった。流行りの曲を弾くのがちっとも楽しくなかったからだ。思えば音楽ほど、私が知識を仕入れてくることに頓着のない領域は他にない。だからいつまで経っても進歩がないんだと言われても、抽斗の多さは確実に実力の下地になると自分で知っていても、まったく興味が湧かないのだから仕方がないのである。そういう私である。

[421] Oct 23, 2010

長い文章を締めくくるための、短くて印象的な言葉を「感嘆結語」という。結びとしては洒落たもので、手紙や演説には付きものだ。緩んだ読者の注意を覚ます、文末に添えられたビックリマーク。”exclamatory sentence”である。▼言葉はギリシャ語のレトリック用語「epiphonema」を訳したもので、もともとの意味は「気の利いた言葉」。巧い文章は例外なく気が利いているものだ。ささやかな気遣いとして、込み入った話に簡素な要約を与える目的で使われることもある。優れた結語は立ち所に、難解な主張を合点の行くものにしてくれる。▼小説の冒頭には行く末の全てが暗示されていなければならないとポオは言う。その筋で言うなら、擱筆にはすべてが凝結されていなければなるまい。広げた風呂敷の中身を包み損ねないように、鏤めた大小の主張をひとつひとつ拾いあげていく。そのうち込み上げてくる感嘆があるだろう。抜かりなくやれば、それがしぜんと結語になる。

[420] Oct 22, 2010

あるアメリカのシンポジウムの夕食会で、大江健三郎は、文学作品に描かれた人物と、実在の人物とで生まれ年が同じ組を挙げていくという遊びに興じていた。そのとき著名なコロンビア大学の教授が自らの名を名乗り、つづいてある長編作品の女主人公の名をあげようとした。「それにぴったり唱和したことで、私はかれと永年続く友情を結ぶことになった。」――Lo.Lee.Ta.▼ロリータは、1935年1月1日生まれである。私は、自分が読んだ本の著者の生まれ年は覚えることにしているが、作品に登場する人物について暗記を意識したことはない。失敗したと思う。架空の人物のプロフィールを覚えていく遊びは実に楽しそうだ。暗記は意味がなければないほど面白いものである。たとえばそう、ロリータは12歳のとき144cm、13歳で150cmだった。そうして4フィート10インチ(147cm)で靴下を片方だけ履いた彼女は、運命のH・H氏に出会ったのである。

[419] Oct 21, 2010

今年は熊がよく出るという。この夏は稀に見る猛暑だったから、森に食料が少ないのだろう。冬眠前の親熊が、家探しにやってくる。▼都会で熊が出れば大騒ぎだ。ところで狐はどうだろうか。熊のニュースを聞いて、私はふと狐という動物の不思議さについて考えはじめた。犬や猫を都会で見ても特別な感慨はないし、熊や猪を見れば大事件だが、狐だと妙な感じがする。六本木ヒルズには似合わないが、ちょっと手入れの届いていない郊外の林になら居てもいいという気がする。少なくとも、そんな自然を背にした絵姿がよく似合う。そうして「ここから先は人間の世界ではない」と警告でもするように、じっとこちらを見ている。なるほど狐はしばしば人里へやってくるが、その狐の逃げていく先は必ず異世界なのだ。多くの狐伝承はそういうつくりに仕上がっている。人を化かすという、遠いようで近しいような扱い。その絶妙の距離感。狐は「境界の生き物」なのかもしれない。

[418] Oct 20, 2010

はじめて読んだ岩波の本はミシュレの『魔女』だった。青本だ。つづいてショウペンハウエルの『読書について』、次がニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』だったと思う。その先は覚えていない。▼当時の私がこれらの本を読みたくて読んだかといえば、まったくそんなことはなかった。ニーチェは授業で聞いたくらい、ミシュレなど名前も知らなかった。ただ岩波の世界名言集に名言が載っていて、それを眺めているうちに、こういう言葉が載っている本というものに興味が湧いてきたのだ。▼それまでの人生で本らしい本を読んでこなかった私にとって、もちろんミシュレは重かった。章の半分ごとにノートをまとめていくほど重かった。本の読み方を知らなかったから、そういう苦労が当たり前のものだと思っていた。そうして苦労して読み終えたあとには、巻末に付属している「その他の岩波文庫」のラインナップを眺める。ただ眺めて、それが意味もなく楽しかった。

[417] Oct 19, 2010

「……というところがあいつらの悪いところだ」と、それなりの規模がある集団に対して愚痴を言うとき、よくよく考えてみるとそれは悪いところでもなんでもなく、社会的に成功するための彼らなりの戦略であることに気づく。気づいた経験はそう多くないが、多人数がそれでうまくやっている優れた戦略に、ときどき思わぬところでいらついている人がいることを考えると、どうやら一般の心理のようである。▼ドーキンス風に言えば、この世はいつでも生き残りたい遺伝子たちのプールに過ぎない。そうして生き残るための最善策は人によって、時代によって、刻々と変わっていく。《そういう生き方もある。》生き残りたい私たちは何よりも、誰かへのカウンターストラテジーを持っていないことに焦るのかもしれない。教室の片隅と片隅で、互いに嘲笑し合う趣味の合わない学生たち。いまや教室は蜘蛛の巣になった。指の差し合いはつづく。ところで、誰が愚かなのだろうか。

[416] Oct 18, 2010

つくりかけの曲の速度を半分にしてみると、ゆっくりゆっくり聴かされるから、出来の悪いところが際立ってくる。思い出したころにやってみる方法だ。「なんとなくよくできているのに満足しきれない」出来のときなど、とくに効果的である。漫画家が原稿を裏から透かしてみるのと同じことかもしれない。以前もどこかでそう書いた気がする。▼企画にしろ文章にしろデザインにしろ曲にしろプログラムにしろ、どこが悪いかを炙り出す方法は山ほどある。問題は「なんとなくよくできているのに満足しきれない」状態をよしとしてしまう心の姿勢である。自分が心から心酔できないものに、心酔してくれる人は絶対にいないのだ。自分がよければそれでよし、というエゴイスティックな姿勢がしばしば良い作品をもたらすのは、この正しい姿勢の裏返しになっているからだろう。完全に手許へ集中すること。ほんの少しでも不満が残っているならば、まだその手を離す時期ではない。

[415] Oct 17, 2010

ひとりのリーダーが現状を解釈し、成すべきことを定義して、メンバー全体の行動を指揮するような組織形態を「オーケストラ型組織」という。一方、個々人が状況に合わせて判断し、他のメンバーと言語/非言語コミュニケーションを通じて行動を創発していく形の組織を「ジャズコンボ型」という。▼この頃はすっかりジャズコンボ型が持て囃されるようになった。オーケストラ型は古い組織形態だと言うのである。しかし、オーケストラ型は頭さえ優秀であればしばしば上手くやっていけるのに対し、ジャズコンボ型はメンバー全員に素質が求められる。ひとり未熟なドラマーを抱えたバンドが、アドリブだけで名演奏を繰り広げるのは難しい。創発過程は複雑だが、カオスではないのだ。初期因子のクオリティは如実に出る。創発に頼って成功している企業のほとんどが、メンバーを出来る限りの天才で埋め尽くそうとしていることを考えてみよう。ことはそれほど簡単ではない。

[414] Oct 16, 2010

野菜の中で何がいちばん苦手かと聞かれたら、私は文句なくトマトである。ところがトマトソースは好物だし、ピザに紛れているようなトマトならいける。フレッシュトマトカレーは松屋の最高傑作に違いない。頷いてくれる人も少しはいるのではないだろうか。こういうところが、たぶんトマト嫌いをわかりにくくしている。火が通って、どこかからトマトはトマトじゃなくなるようだ。▼同じことが魚にもある。昔からずっと生魚が食べられなくて、寿司屋へ行くたび苦労していた。ボイルしたエビと穴子、玉子やいくらで食べつなぐ。涙ぐましい努力である。マグロやトロなど人がおいしそうに食べてるのを見ると羨ましいと思うのに、いざ自分が箸にひっかけて眺めていると、絶対に口へは放り込めないという気がする。脳が食べ物だと思っていないのだ。それではぎりぎりの線はどうかと炙りトロに挑戦してみたが、なんともいえない気分がした。味を見ている余裕はなかった。

[413] Oct 15, 2010

仕掛けを打つなら、仕掛けを打ったとはっきりわかるようにせよ。これは鉄則である。ありとあらゆる制作に必須のスタンスである。違いのわかる男にしかわからないような違いはまったく無用だ。あとになって、実はこんなトリックを仕込んでいたんですと解説しなければいけないことほど惨めな話はない。誰にも気づかれないネタを仕込みたいなら、せめてそのときは、気づいた人にははっきりとわかるようなものにすることだ。▼わかりにくい仕掛けは面白くない。はっきり言って面白くない。このことはもっと意識されていいと思う。4ビートのリズムを刻んできたバスドラムが、フレーズの終わりに三拍目だけ弱く叩いたことなど誰が気づくだろうか。気づいたところで、誰がわくわくするだろうか。仕掛けは見せ場である。作者渾身の仕掛けが見たさに、なんどでも来てしまうような作品こそ傑作だろう。ここが聞きたい、そんなフレーズが三秒あれば、百回以上聞くに足る。

[412] Oct 14, 2010

優れた道具にはたいてい穴があいている。もうすこしちゃんとした言い方をすれば、内部に空間を持っている。身のまわりの道具を見回してみよう。椅子にも、爪切りにも、ペンにも、それぞれ構造のどこかに空間らしいものがある。「皿」でさえ上部の空間を意識させるものだ。これが矢尻や石斧など原始的なものになると、次第に空間的な部分は少なくなっていく。道具はせいぜい応用の利く「物」になる。▼物を応用することと、道具を製作することのあいだの飛躍はここにあるという気がする。道具生成とは、独自の有益な空間を創りだすこと、つまり「無」を「空」に変える試みだったのではないだろうか。「空は完全な無と混同されやすいが、実際には無限の可能性を蔵している。」こう鈴木大拙は言っている。可能性とは、高次の推論を立てられる生物にのみ意味のある概念だ。道具を創ることは、空間という可能性を創り出す、古代人の知的な遊びだったのかもしれない。

[411] Oct 13, 2010

手許のリポビタンローヤルを見る。有効成分11種類配合と謳う通り、「成分」欄にはちょうど11の得体のしれぬ化学物質がずらりと並んでいるが、その中からふたつ「塩化カルニチン」と「シゴカ」が表のラベルにピックアップされていた。ニコチン酸アミドを差し置いてなかなかの出世である。ところでどんな作用があるのか。▼塩化カルニチンは胃腸薬によく配合されている物質で、そのまんま胃腸機能の増進作用を持つ。胃腸が無事なら、どんな病気もたいてい治りは早いものである。食欲もないほどぐったりしてきたときには効果的だ。シゴカは古くから薬草として知られる薬用植物で、主に抗ストレス作用がある。鬱病にも効くらしい。▼なるほど体も心もサポートしてくれるわけである。文字通り「滋養強壮」といったところだ。こうして成分の意味をちゃんと知ると、たかだか400円程度の安物でも、プラシーボ効果が手伝って、そこそこしゃきっとするものである。

[410] Oct 12, 2010

仕事には二種類ある。集中力を必要とする仕事と、手さえ動けばいい仕事だ。ある人はこれを「やっつけ仕事」と「創造的仕事」と呼んでいる。事務的仕事と芸術的仕事と表現することもあるが、これは好かない。事務の中にも創造的な仕事はあるし、芸術の中にも機械的な作業はあるからだ。要するに冒頭の定義に立ち返る。集中力を要する仕事と、そうでない仕事がある。▼やっつけ仕事の効率は集中力に依存しない。したがって仕事がやっつけ仕事のとき、「今からやっても間に合わないものは、絶対に間に合わない。」一方、創造的な仕事は集中力に比例して捗るが、ある一定以上の集中力を発揮しなければまったく進まない。つまり「今からやっても間に合わないが、追い込まれれば間に合うかもしれない。」修羅場になってはじめて目処が立つのだ。創造的仕事に従事する人々が凝りもせず締切に追われる所以は、ぐうたらだからではない。仕事がそういう性質だからである。

[409] Oct 11, 2010

夢を見ていた。しばらく夢など見ていなかったこのごろ、椅子の上の眠りは浅い。夢のなかで出会う景色や言葉は、何もかも輪郭がぼんやりしていて、ふつうすぐに忘れてしまうけれど、不思議と目覚めてもはっきり覚えているのは建物である。現実に訪ねたこともないような建築物が、外観から内部構造まで手に取るように思い出せるのだ。七階が駅舎とつながっていた。右手のコンサートホールがトレードマーク。▼一方、夢のなかで音楽を聴くことはまずない。知っているものも、知らないものも――どうやら私の夢に音の入ってくる余地はないようだ。視覚と違って聴覚の刺激は即覚醒に繋がりそうだから、もともと夢というものが音を容れる性質のものではないのかもしれない。それにしても「建築は凍れる音楽である」という言葉を思えば、この対照はなんだか面白い。夢の世界で耳が音楽を聴けない代わりに目が建築を見ているのかもしれぬ。あの建物は何かの音楽なのか?

[408] Oct 10, 2010

「好きなことばかりやって生きていけるほど社会は甘くない。つらいことでも辛抱してやっていかなければならないのが仕事なんだ。」たしかに、こういうスローガンが出回っていた時代は平和な時代だったのかもしれない。つらいことを辛抱して勤務時間を過ごしていると、ものの弾みで容赦なく過労死するような現代にあっては、どうやって好きなことに尽力しながら生きていくかが課題になる。そういう人生設計が求められている。▼世間をぐるり見回して見ると、月500時間働いてもそれなりに元気な人はいる。かと思えば毎日3時間やそこらの残業で、もう精神的に音を上げている人もいる。根性の違いだろうか。仕事の重さの違いだろうか。どちらでもないだろう。楽しんでいるかどうか、そうなるように生き方を設計したかどうかである。だからみんな考えている。多くの考えていない人を救いに、考えている。目眩のするような時代だ。原始時代に近いのかもしれない。

[407] Oct 09, 2010

「こういう生活をしてみたい」というような生活が、私にはたくさんある。たくさんあるが、いまのところひとつに落ち着いている。なにしろ、わが身はひとつしかないので。しかしいつか別の生活に移ってやろうなどとという意気地もないから、いまある生活以外は永遠に空想だろう。もちろんいつなんどきどうなるかはわからない。予期せぬ未来は誰にでもある。不測の事態。そういうとき、せめて私のしてみたかった生活のどれかになるといいと思う。▼人間、いろんな生まれ方ができないように、いろんな死に方をすることはできない。しかし、いろんな生き方をすることはできる。ここに生活の面白さがある。変な言い方をすれば、人生よりも生活の方が興味深い。何十年もまじめに働いたあげく、ある日いきなり芸術家や放浪者に変貌する人たちは、魔がさしたのでも気が狂ったのでもなく、きっと生活に興味が湧きすぎたのだろう。ほんの一瞬、人生のことを忘れるくらい。

[406] Oct 08, 2010

「ひやひやいう鳥の声」と書いたことがある。以来気に入っている音のひとつだが、私はそのとき、何も考えずにこの擬音をつかったと思う。なぜひやひやと思ったのだろう。そう改めて考えたのは、今しがた電車を降りて遊歩道へ出ると、虫の音がイヤホン越しに聞こえてきたからだった。びぃびぃ、ぴぃぴぃ、そういう音である。ふとひやひやと比較してみたのだった。▼鳥の声に比べれば、虫の音は実にリズムだ。いつまでつづくのかと思うほど、機械かなにかのように同じ音程を繰り返している。びぃびぃ、ぴぃぴぃ。ところで、ひやひやという音は音程を変えなければ発声できないのだ。無理やり同じにすれば、それはもう鳥の声の擬音にならない。なるほど鳥の声は音程か、メロディか、だからひやひやいうのか、そんなふうに思った。メロディの美しさに魅入られて、律動の原始的な力を疎かにしていたこのごろ、ふいに反省した。虫がいなければ、鳥は生きては行けない。

[405] Oct 07, 2010

平均して六人辿れば誰でも世界中の人へアクセスできるという、あの有名なネットワーク理論の手紙実験は、知り合いの知り合いの……と辿っていけば次第に数が爆発して、いつか目的の相手に辿りつける、そういうイメージを抱かせる。しかし、実際には多くの人にとって、友好関係のネットワークは閉じたものだ。友達の友達はたいてい友達である。見知らぬ二人が繋がるのは、大量の知己を持つ「ハブ」を介してに他ならない。▼もし人脈という言葉を任意の人との繋がりやすさと解釈するなら、人脈とはどれだけ多くの人と知り合っているかではない。どれだけ多くのハブと知り合いであるか、あるいはどれだけ多くの人脈を持つ人物を、知り合いに持っているかである。ネットワークの中心的「ハブ」にたどり着くのが早ければ早いほど、その先への拡散ステップは減少する。人類の半分と直に知り合うよりも、全人類と知り合いである親友がたったひとり居ればいいのである。

[404] Oct 06, 2010

研究室の泊まり時代、持ち込んで世話になったのは枕よりも急須である。緑茶に目がない私は、眠気覚ましと飲料代節約の一石二鳥でほくほくしていた。徹夜を理由にいくらでも飲んでいいんだと、言い聞かせていた節さえある。気がつけば一晩で二リットルもあけていた。空焚きのポット。眠くならないわけである。▼急須は置いてきた。今ごろ誰かが粗茶で使っているかもしれない。もちろん、私のこだわり高級茶葉は引き上げた。こんどいよいよ会社にも、ひとつ急須を持って行こうと思う。自動販売機の無料茶はあるが、いかんせん質がよくない。われながら贅沢を言っているが、それくらいの贅沢は許されてもいいはずだ。▼ついでながら枕よりもと書いたものの、実は枕など持ち込んだことはなかった。いつも板敷の机をならべた上で「週刊ジャンプ」を枕に寝ていた。そう思えば仮眠室があるのはありがたい。ありがたいが、しばらくは椅子の上で寝る。まだ気安さが勝つ。

[403] Oct 05, 2010

1つの大災害の背後には29の軽い事故があり、そのまた背後には300のニアミスがある。この1:29:300の比率は、災害防止のグランドファーザー、ハーバート・ハインリヒにちなんでハインリヒの法則と呼ばれている。一見すると「小さな異常を無視するな」という、極めて常識的なメッセージに見える法則だが、その意味するところはもう少し深刻だ。▼どんな異常も大災害の種になる。それはもちろんだ。しかしハインリヒがことさらに指摘しているのは、軽微な異常は確率的に災害へ発展するというよりも、平均して300の異常が集まったとき、恐らく大災害は起こるべくして起こるのだという統計的事実だろう。パチンコではない、スタンプカードのようなものなのだ。ヒヤリ・ハット・スタンプを300個集めると、もれなくハザードがやってくる。だからこそ、異常は異常のうちに、事件は事件のうちに潰さなければならない。そういう明確な警告なのである。

[402] Oct 04, 2010

いちばんおいしいところから考えはじめると、いちばん効率よくものが出来上がっていく気がする。そういう気がして、漫画ならクライマックスのシーン、小説ならかっこいい決めセリフ、曲ならサビのクライマックス、このあたりから手をつける。たしかにさくさく進んでいくが、ひとつだけ、共通の落とし穴があるらしい。曰く、イントロを作るのが大儀になる。▼たしかにその通りだ。しかし、それじゃあ最後に作ればいいかというと、そうでもない。初めにつくるのも終わりにつくるのも難しい。この難しさは、理屈の難しさよりも遥かに直感の難しさであると思う。出だしは、出だしであると同時に全てでなければならない。それはちょうど論文の題名が、短いフレーズのうちに目的も、手段も、結論さえも、暗に全てを説明していなければならないのに似ている。「カデンツははじめから予感されている」のだ。ラプラスの魔が見ている。どうか、彼に納得の行くイントロを。

[401] Oct 03, 2010

「どうか死なないでくださいね。」忙しい人にかけるエールとしてはどうかと思うフレーズだが、この頃は会う人ごとに言われる。それだけ死にそうな生活を送っているように見えるのだろう。死にやしないさこれくらいで、それにこっちだって死にたいと思ってやってるわけじゃない、まあまあ健康には気をつけますよと、こちらもお決まりの言葉を返すしかないところ、定型句の域を出ない。▼それでも面白い物言いに出会った。冗談交じりにこんなふうなことを言う。君が死んだらね、でっかい棺、特注になるよ。183cmの棺桶なんて、もう見ただけで悲哀を誘うじゃないか。せめてもう少し縮んでからじゃなくちゃ……。随分リアルな想像をされたものだが、それだけ生活の匂いがして恐ろしくも身に染みもした。こう言われると、そうだね、死にはしなくたって、いま体を壊したらなんにもならないよね、とこちらもしみじみ思ったりする。表現というのは不思議なものだ。

[400] Oct 02, 2010

「400」は400回目を持って終わる、そういう話もあった。あるいはいちど掲載を休んで、改めていつか再開するというプランもあった。しかしどうもまだつづけることになりそうだ。こんなところで終わっても仕方がない。終わる理由もない。淡々と、明日も401がつづく。▼あるときは研究室で、あるときはグアムで、あるときはネット喫茶で、そしていま午前四時半、はじめて会社から書いている。いよいよ泊まらざるを得なくなったこの修羅場に、まさか今日がちょうど400回目とは思いもしなかった。それにしても携帯から書いたことはないから、400日間ネット環境のあるところで過ごして来たということで、それも考えてみると恐ろしい。▼ネットのない氷山や氷河へ旅に行くときはどうしようか。いま、そんなことを考えている。書き溜めはしないのが決まりだが、そういうときくらいは仕方あるまい、自動で投稿してくれるシステムでも組み込んでおこうか。

[399] Oct 01, 2010

「どうすれば小説家になれますか。」作家のタマゴが相談に来ると、ル=グウィンは決まってこう答えたという。「まず書くことです。」タマゴは憤慨して言う。「でも何か書くためには、経験を積まなくちゃ……」グウィンは嘆息する。ジャーナリストになりたいのならそうかもしれない。けれど小説家に必要なものは、ただひとつ「想像力」だけ。経験という言葉を持ち出すのは、書くのが恐ろしいための言い訳にすぎない。▼そうかな、経験が支える想像力もあるじゃないか――こう言い出したら、たぶんこの話は有耶無耶になる。けれども「書くことです」という彼女の言葉が、物書きにとっていちばん恐ろしい真実であることに変わりはない。暇さえあればノートに落書きをしていたような人は、やはり巧い絵を書くものだ。巧いから描いていたのか、描いていたから巧いのか、わからないが、ただ描いていたという事実だけがある。そして彼は、絵描きになれるかもしれない。

[398] Sep 30, 2010

好きでか惰性でか知らないが、ウイダーinゼリーには大体毎日世話になる。食事の代わりにしているわけでもなく、野菜ジュースで賄っているつもりの栄養を補給するためというわけでもなく、口さみしいと手にとっている。ここまで来るとファンと言ってもいいのかもしれない。▼青と紫はめったに飲まない。大抵ビタミンの緑である。ピンクパッケージはコラーゲン、ゴールドパッケージはローヤルゼリー。このふたつは変り種で、味に変化が欲しいときは手が出る。乗り換えていけば飽きない。ロングセラーと同時にマンネリ化した製品は、こうしてしばしばバリエーション戦略で息を吹き返す。▼リポビタンDシリーズのコンビニクーラー占拠率も凄まじい。大正製薬のホームページには「リポビタンD博物館」なるものまである。つける数字や記号を変えて、あの手この手で高級品をつくっては、自己完結した見かけ上の差別化を生み出している。「当社比」と同じ戦略である。

[397] Sep 29, 2010

日本人の二十代平均労働時間は200時間強――帰りの電車で隣の人が読んでいた雑誌にこんなことが書いてあった。国際機関の調査によると日本人の一人当たり平均年間労働時間は2000時間程度だというから、さすがに若い人たちは平均よりも働いているということらしい。それにしてもドイツやノルウェーの1500時間、フランスやイギリスの1750時間と比較してこの数字は有意に高いようだ。数字だけならアメリカも日本と同じだが、向こうでは有給休暇分が労働時間として含まれている。▼現代人は働きすぎだという。現代人がそうなのか、日本人がそうなのか、日本にしか住んでいないと本当のところはよくわからない。そう思うだけで、異国で暮らしてみたい気持ちも募ってくる。生活の充実と労働時間は必ずしも比例しないが、どの残業の10分がラクダの背に乗せる最後の藁にならないとも限らない。家が立つか墓が立つ、もはや冗談にもならぬ世の中である。

[396] Sep 28, 2010

印刷業者にデジタルカラー印刷を依頼する場合、表現方式には大抵CMYKを用いる。CMYKカラーモデルとは、シアン(藍色)、マゼンダ(深紅)、イエロー(黄色)、ブラック(黒)の四色からなる色空間のことだ。RGBが発光で色を表現するディスプレイ向きであるのに対し、CMYKは塗料、つまり印刷に適した形式である。▼描画ソフトやHTMLでそこそこなじみ深いRGBに比べて、その筋の仕事にでも携わっていない限り、CMYKを日常的に使っているという人はあまりいないだろう。直感的にも数値と色の対応が取りやすいのはRGBだ。CMYKはあくまで印刷というタスクに特化している。例えば原理的にはCMY三色の配合比率ですべての色を表現できるが、敢えて黒という次元を持っているのは、CMY三色をいくら混ぜても実際の紙面上では完全な黒になりにくいからだ。黒色を独立して持つことで、漆黒を低コスト・高品質で表現しているのである。

[395] Sep 27, 2010

イヤホンをかけていたら、出会い頭の「おはよう」がいつもより大きかったようだ。こんな毎日言いつづけているフレーズでも、耳が利かなくなれば音量が覚束ない。いかに人の声というものが、口と耳とで正と負のフィードバックを絶妙にコントロールしながら、ようやくちょうどいい音量、調子、抑揚に仕立てているかを改めて思う。ボーカロイドに触ったことのある人なら、あの音を人の声らしく調節するのがどれほどたいへんか知っているだろう。▼巧まざる自然はない。というよりも、自然は無限な巧みの結果である。無限な巧みが折り畳まれて、ついに見えなくなったものだ。「忘れられるまで習慣化された偽善としての道徳」のようなものである。ライクアスワン、秘すれば花。こうしたことばには、隠すこと自体を美徳とする精神にくわえて、花はおのずから隠れたるものであるという信念がこもっているようだ。自然さとは、不自然さを誰にも気づかれないことである。

[394] Sep 26, 2010

家電量販店などでガラスケースにならんでいるような高級イヤホンには、大きく分けてダイナミック型とバランスド・アーマチュア型の二種類がある。振動板を駆動する仕組みが違うのだ。振動板に直接コイルを取り付けるダイナミック型は、音に量感があり低音域に強いが、高音域が低音に埋もれてこもりやすい欠点がある。一方、振動が繊細で感度のよいアーマチュア型は、細かい音の表現が得意だが、空気の振動量が少ないため再生帯域が狭くなってしまう。▼高級イヤホンは何が凄いのかと訝る人がいる。あれだけ価格差があれば、訝るのも当然という気がする。音質という曖昧な表現を避けて言えば、ダイナミック型の高級なものは高音域の埋もれをなくすように、アーマチュア型の高級なものは再生帯域を広くするように努力していると言うことだ。どちらも目指すものは同じである。ただしダイナミック型は小型化が難しいため、超高級品はほとんどアーマチュア型である。

[393] Sep 25, 2010

プロトタイプの上にものをつくることは、プロトタイピングという手法においてもっともやってはならないことである。完成版はプロトタイプの横につくらなければならない。試しにつくってみたものを基礎にするなど、とんでもないことなのだ。よく管理されたプロジェクトであれば、α版のコードは一行たりともβ版には引き継がないだろう。コードは事実上破棄されるのが通常である。▼とりあえず動いているように見えるものを補強していけば、いずれ完成品になるというのはありがちな幻想である。しかしその幻想に、私もまた知らず掛かっていたことに気がついた。大雑把な構成と展開を見積もるためにつくった曲の「α版」が、遅々として進まなくなっていたのである。それなりに聴けるからという理由だけで、いつの間にか骨子になっていたのだった。試行錯誤に時間はかけてしまったが、惜しい気持ちは仇になる。見通しという収穫を手に、白紙の二週目をはじめよう。

[392] Sep 24, 2010

どうやらウイルス性腸炎が流行っている。流行っているといっても身のまわりだけかもしれないが、感染者の数は日に日に増えているようで、社内は警戒心を強めている。極端にひどくなれば入院騒ぎにもなりかねない腸炎だ。集団感染などしてしまったら、プロジェクトによっては死活問題である。▼同期のひとりが魔の手に掛かった。さいわい自宅療養で健康を取り戻したものの、ここ数日はまったくおかゆしか食べられなかったそうだ。慣れない一人暮らしで食料補給もままならず、土地鑑もなくてやつれた体で病院探しに苦しんだという。常日頃から有事の備えをしておく大切さが身に染みたと言っていた。▼私は昔から胃腸が丈夫で、病気になったら食べて治すが信条、わりと健啖無事な生活を送っている。しかしウイルス性となると気合でどうにかなるものでもなし、罹ってしまえば食事も制限せざるを得ない。感染源はそこかしこだ。くれぐれも予防は万全にしておきたい。

[391] Sep 23, 2010

シビライゼーション5のデモプレイが可能になっている。もうすぐ製品版がプレイできることを考えると時期的にそこまでありがたみはないが、前夜にちょっと覗いてみて期待感を高めるのもいいだろう。▼パッと見の感じでは、タイルがヘックスになったからだろうか、より一枚の世界地図を見ているような感覚が強くなった。あるいは地形の複雑さがそう思わせるのかもしれない。遺跡や都市国家など、お菓子小屋要素もバリエーション豊かになっている。そのかわり、資源の種類は少なくなった。削るべきところは削り、増やすべきところは増やしてきたという印象だ。▼序盤の展開は緩やかで、デモ版の制限である100ターンでは6都市は疎か4都市もままならない。曲で言えばAメロまでを聴かせてもらったくらいのもので、まだまだ「新たな面白さ」は見えてこないところだろう。前作の課題であった終盤戦の退屈さを克服出来ているかどうか、AIの進化にも注目である。

[390] Sep 22, 2010

人の霊魂を「魂魄」という。魂魄はひとつの概念ではなく、魂(こん)と魄(はく)が合わさったものだ。魂は「みたま」であり、心の統制を司る霊魂の精神的な側面である。魂は宿主を成長させていく。仕事や作品に込める「たましい」はこれであろう。魄は「みかげ」であり、身体の様相を司る肉体的な側面である。魄は人の姿形や容貌を整える。落魄とは見てくれが落ちぶれることだ。「落魄江湖載酒行」も身分の零落ばかりを表現しているわけではないだろう。▼魂魄は表裏一体である。魄を疎かにすれば魂は荒み、魂のつかれは魄のやつれに現れる。心は見えぬというが、なんのことはない、見えない心の代わりに顔色があるのだ。ただ自分では窺いにくいから、大抵の場合、鋭敏な他人に見つけてもらうのである。「最近、元気ないね?」そのとき彼は、たしかに見てくれを見ている。見てくれしか見ていないに違いない。そうして人は、自分が落魄していることを悟るのだ。

[389] Sep 21, 2010

色と音はどちらが文章に近いか。▼河上徹太郎がこんなことを言っていた。色と文章は視覚的である。音楽は空間的である。こういう対比からは、色の方が文章のように近そうだと思える。「赤」や「青」は純粋に言葉そのものだが、ヴァイオリンの音色とか、「中央のド」とかいうものは、概念の力を借りなければ表現できない。けれども音は流れることに意味がある。言葉もそうだ、流れて文章となるところに命がある。してみると流れるという状態を本質とするところ、案外音のほうが言葉に近いのではないだろうか?▼光のない世界にも言葉はあるかもしれないが、音のない世界に言葉は生まれない。そんなふうに思う。音楽はもともと歌であった。文章もまた声であった。言語の黎明期、これら口を通じて思惑を表現する手段に明確な隔たりはなかっただろう。流れていくような文章を音楽的な文章だと言うのは、ただその言葉面から生じた安易な連想というわけでもあるまい。

[388] Sep 20, 2010

アマゾンブックストアからのオススメメールで、学研辞典編集部『大きな字のカタカナ新語実用辞典第2版』が紹介されてきた。以前は『見やすい漢字表記・用字辞典』、その前は『新明解日本語アクセント辞典』である。よくこうも懲りずに辞書ばかり勧めてくるものだと思う。第一、大きな字で読まなければいけないほど老眼でもないし、日本語のアクセント辞典が必要な身でもない。まだまだレコメンデーションエンジンを磨く余地がありそうだ。▼日本語、語学、人文、思想、辞事典、年鑑、海外雑誌。アマゾンが私に勧めてくる本のジャンルは大体このあたりである。理系モノや小説・随筆系を勧められたことはほとんどない。では本人は前者に傾倒しているかと言えばそうでもなく、家にある本はどちらかと言えば後者の方が多いのである。なぜそうなるか。私にしてみればかんたんな話で、つまりすぐに読みたい本ほどアマゾンではなく本屋で買うというだけのことである。

[387] Sep 19, 2010

ずっと前の出来事になる。大学の生協あたりでクラスタ分析についての話をしていた。同級生が研究でクラスタ分析を使いはじめたものの、うまく応用できるモデルが見つからなくて相談に乗っていたところである。▼詳細は忘れたが、どうもクラスタ間の境界付近でうまくいかないことがあったようだ。それならクラスタを規定するときに境界をぼかしてみてはどうか、と提案したのだが、私はそのときファジィという単語を使ったらしい。あとになって、君はファジィクラスタリングのことを言ったんじゃなかったのかと意外そうに言われて驚いた。もちろんそんなつもりはなかったし、そんな理論があることも知らなかった。▼ある領域の話をするとき、その領域の用語を知っておかなければならない理由はここにもある。なんのつもりもなく使う言葉が、その世界で規定されている意味に抵触してしまうことがあるのだ。英語で話すときなどは、とくに注意したほうがいいだろう。

[386] Sep 18, 2010

なんの因果か、エリック・サティのヴェクサシオンを聴いている。まったく聴くに耐えないと二週目で投げ出す人も入れば、いや聴き出すとどういうわけか離れられなくなる、などといって延々聴く人もいる。私はいま繰り返しているが、どうやら単純に繰り返すということの気持よさだけでそうしているらしい。不思議な魅力などというものは一切ないと思う。なんのことはない、正真正銘の嫌がらせである。▼「このモチーフを840回繰り返し演奏するにはあらかじめ、深い沈黙と真剣な不動の姿勢で心の準備をすると良い。」サティは作曲ノートにこう付記しているそうだ。そこには、まったく同じように繰り返せという指示はない。深い沈黙と真剣な不動の姿勢で臨めとあるだけだ。サティがもしヴェクサシオンに嫌がらせ以上の意味を込めたなら、これを演奏することの真価は、まさに演奏前の瞑想にあるのだろう。音となる前に真価のある稀有な曲、と考えてみても面白い。

[385] Sep 17, 2010

とにかくはやく結果が欲しい――早期出世を目論む新任マネジャーは必死である。けれども成果を出すことに躍起になればなるほど、成果は遠ざかっていくものだ。このようなパラドクスは特にクイックウィン・パラドクスと呼ばれている。▼「隘路に入り込む」「批判を否定的に受け止める」「威圧的である」「拙速に結論を出す」「マイクロ・マネジメントに走る」ある研究によると、この5つがパラドクスに陥る主な原因だそうだ。どれも焦る人の狼狽えた行動に見える。もうひとつくらい追加してもよさそうだ。「自分にはひとつもあてはまらないと言い張る」▼かりかりしないことだ。かりかりするから視野は狭くなる、謙虚さはなくなる、威嚇的になる、浮き足立つ、大掴みにものが考えられなくなる。こんな具合に処世訓的言辞へ言い換えられるあたり、実はパラドクスでもなんでもあるまい。のんびり屋が巧くやっていくのと、正直者が馬鹿を見るのを混同してはならぬ。

[384] Sep 16, 2010

東京ゲームショウ2010へ行く。ビジネスデイへの参加は初になるが、思った以上に人の密度が薄く、盛り上がりや熱狂を感じるシーンはあまりない。待たずに試遊できるのはいいが、冷静なる視察といった趣で、祭前のリハーサルを見て回るような気分である。もちろん、それはそれで面白い。▼モンスターハンター、龍が如く、HALO、このあたりのラインナップ、いずれも相変わらずである。技術ブースの閑散は少々寂しいものもあるが、いくつかのソフトウェアと、アマチュアコーナーの作品群は興味深く見た。ぐるりと一周すれば、ありとあらゆるジャンルのゲームが揃っている。群雄割拠を直に感じる思いがする。▼一風変わったディスプレイに工夫を凝らすブースも多かった。その凝り具合と中身とがしばしば釣り合っていないのには目を瞑ろう。工夫そのものに感心することもある。個人的には、ファントム・ブレイブのオンラインゲーム化は嬉しい知らせであった。

[383] Sep 15, 2010

「昔去るとき、雪、花の如し。今来たれば、花、雪に似たり。」この暮らしではもう昔のようにのんびりと詩を読んだり書いたりできないな、とつくづく思って、帰りしなに漢詩大辞典をぱらぱらめくった。懐かしい字面に出会っては、こんなものもあったなと思うばかりで、書き下しも解説も頭に入ってこない。漢字の上を視線がなぞっていくばかりだ。そうしているうちに、冒頭の五言絶句が見えた。范雲の作である。▼あらためて素直にいい句だと思った。自分が素直に感心する珍しさを知っているから、素直に感心することはいちばん深く感心することだと、そう思っている。こういう単純実直な比喩は、言葉だけの世界からはなかなか生まれてこないものだ。自然の見所をうまく捉えて、そのまま結晶している。職人技である。もっとも、しばらくぶりに漢詩に触れて、ちょうど彼と似たような気持ちを抱いていたなら、その分だけ贔屓目に見ていたところはあるかもしれない。

[382] Sep 14, 2010

「小説は日常の雑談にもひとしきものなり。どういふ話が雑談なるや雑談は如何にしてなすべきものなりやと問はれなば誰しも返事にこまるべし。」返事にこまるべし。たしかに困る。どうやって雑談すべきかなんて、そんな作法があるとは到底思われない。しかしそれなら小説だって同じことだ、と永井荷風は言う。小説の巧拙論がどこまでいっても堂々巡りを出ないのも、このあたりに根がある。▼なにを、いつ、どこで、どんなふうに。雑談には様々な要因がある。そういう環境の中で聴くものが雑談である。雄弁に語るのがいいか、滔々としゃべるのがいいか、それはひとつのハウに過ぎない。題材と場の機嫌を取り損なえば、どんなに巧みな話術もついには観客の失笑に終るだろう。環境、背後。その機微を知るのは難しい。難しいから、文は人なり哲学が幅を利かせてくるのだ。「談話の善悪上品下品下手上手はその人に在り。学ぶも得易からず。小説の道亦斯くの如きか。」

[381] Sep 13, 2010

「少女コレクション」という秀逸なタイトルを考え出したのは、自慢するわけではないが私である――澁澤龍彦の『少女コレクション序説』はこう始まる。たいした開会宣言だと思うが、実際、このタイトルは秀逸である。▼古来、人間を模したドールのほとんどは少女のかたちを取った。それが成熟した女性でも少年でもなかったのは、少女こそ人間のなかでもっとも生の感覚から遠い存在だからだ。「コレクションに対する情熱とは、いわばオブジェに対する嗜好であろう。生きている動物や鳥をあつめても、それは一般にコレクションとは呼ばれないのである。」▼集められた昆虫も貝殻も、みな乾いている。それは生命ではなく標本である。活気あふれる少年でもない、自覚に満ちた大人でもない、自らは動き出さぬ冷たい存在としての少女だけが、理想の世界で標本たりえた。だからこそ少女蒐集は世界中で、ただ空想の世界においてのみ、究極のコレクションだったのである。

[380] Sep 12, 2010

暗い夜の遊歩道を上ってくると、突然こつんと何か硬いものが足元に投げ込まれた。驚いて見ると、それは薄緑色をした植物の実であった。かがみこんでみることもせず通り過ぎたから、暗がりの中で何の実かはわからなかった。▼私はあるひとつのことが気になっていた。実は投げ込まれたのではなく落ちただけであったことにほっとしたあとで、何にほっとしているのかよくわからなくなったのだ。たしかに誰のいたずらでもなかった。我が身を脅かす危険人物もいなかった。けれども何かの実はたしかに放り込まれたのではなかったか。何かの植物によって。▼ふいに四方を取り巻く植物の群れが恐ろしいものにみえた。幻覚病者はしばしば、身近なものが自分を脅かしに来る錯覚を見るそうだ。私はいつも、植物の形ほど不気味なものはないと思っている。なんて気味の悪いやつらだろうと思っている。だから仕返しをされたのかもしれない。そう思って、少しだけ帰路を急いだ。

[379] Sep 11, 2010

何々について――あなたはどういう考え方が好きですか。こういう質問をしても、あまり身のある答えはもらえない。質問された方も困る。適度に濁ったお茶が返ってくるのがオチだ。ある社会学の研究によると、相手の価値観を訊き出すのに効果的な質問形式はこうらしい。「あなたがどうしても許せない考え方はなんですか」▼絵を書くコツのひとつに輪郭の外側を意識するというテクニックがある。図ではなく地を見るわけだ。地は図よりも意味に乏しく、注視しても脳が勝手な像をつくりあげない。そのぶんだけ正確な模写ができる。▼何にしても、まわりから攻めた方がうまくことは多々ある。変化球の精神である。「しかし君はどうも、ものごとを影の方から考えていくのが好きみたいだね。」「臆病心だよ。不意に影へ落ちるのは怖いから、影のなかから光へ飛び込むように徹底してるんだ。」「明るいとこにいるより、明るいとこへ入りたいんだね。」「そういうこと。」

[378] Sep 10, 2010

自分の作品を飽きもせず見たり聞いたり読んだりしているとき、私は別に、つくづくそれがいいものだと思って鑑賞しているわけではない。ただ他人の作品からは得られない不思議な気持ちがあるのだ。ポール・ヴァレリーはこんなことを言っている。「自分の作品を眺めている作者とは、ある時は家鴨を孵した白鳥、ある時は、白鳥を孵した家鴨。」たしかに私はいつもこんなふうに自分の作品を眺めている。▼創作という行為の面白さは、慣れないことをやってのけた結果のあたりまえな不連続にある。物を作りつづけるとは、家鴨を発見してあっけに取られる、その感覚の延長をひたすら重ねていくことだ。小林秀雄は言う。「家鴨は家鴨の子しか孵せないという仮説の下に、人と作品との因果的連続を説く評家達の仕事は、到底作品生成の秘儀に触れ得まい。」それでも人は飽きもせず、いつでも白鳥や家鴨を品評している。この肌の白さは、いやこの風変わりな顔付きが、云々。

[377] Sep 09, 2010

強烈に叩かれたピアノの低音は何かを破壊している、と同時に何かを創造している。何かとはなんだろう。音楽的な何かだろう。極低音ピアノのロングトーンで終わる曲が使い古された定形ながらも心地良いのは、終了の宣言と同時に何かを創造しているからという気がする。倍音を無限に含んだ主音が響く。譜面にないその先が聞こえる。聴こえないものが聞こえてくる。▼曲の向こうへ連れていくような音。そういえば理想的な小説の終わり方は、小説の外への加速度を持った終わり方だと何かで読んだことがある。文章についての話で、長い小説の最後へいかにも完結した動作を持ってくるのは、まずよろしくないピリオドの打ち方だというのだ。「ぐっとアクセルを踏み込んだ。」なるほどたしかに、行く末を想像させられるものがある。結果のない動詞は、読者を話の外へ連れて行く。終わらない低音は、聴き手を曲の外へ連れて行く。秀逸な最後は、そっと手をとってくれる。

[376] Sep 08, 2010

全集十五巻の、小林秀雄を囲む座談「コメディ・リテレール」をたいへん面白く読んだ。十五巻までの小林秀雄が人の口を借りて少しずつ顔を出している。それに十五巻の、つまり44歳の小林秀雄が答えている。「それは僕が未熟だからですよ。」▼随分いろんなことを考えた。触れたものがあんまり素敵だと、もうあれこれ感想や注釈を挟みたくなくなる。そういうときは引用で済ましてしまう。無闇にカットの腕を振るう必要もない。「やはり何でも仕事は労力が要るんだね。石で造った建築の方が、堀立て小屋よりもいいですよ。だから、石が物を言うことがある、僕が物を言わなくたってね。僕だけで何かうまいことを言えばいいわけじゃなくて、材料が物を言う、僕の知らないことを語ってくれることがあるでしょう。そうすると、材料を沢山持って、労力をかけた方がいいものが出来るんですよ。そういう意味です。何もそういうものにたよるわけじゃないけれども……。」

[375] Sep 07, 2010

「或る楽句の上方音部と下方音部の間に、中間のオクターブが充填されずに大きな距離が空けられることは非常に稀である。ただしその結果生じる不思議で異常な音強が、幻想的な効果のために利用されることは出来る。」▼音楽的なこと以外の着想から音楽を縛ろうとすると、しばしばどうしても定石を守れない場面に出くわす。そういうとき上のような「但し書き」は助けになる。どうしても空いてしまう中間部なら、工夫次第で効果的に出来ないか。やってることはいつも通りだ。制約条件が人にものを考えさせる。▼上のようなリムスキーの金言集も、自分に縁があるとは思われずながら律儀にメモしておいた甲斐あって、このところ読み返す分には役に立っている。知識として眺めているのと、実用のためにヒントを探すのでは、受け取り方も違うものだ。違うものだとわかっていても、なお違うものである。心に響いたら、まず残してみる。考えるのは、あとで考えればいい。

[374] Sep 06, 2010

スカイプの調子が悪い。なにかしゃべろうとすれば凍るし、部屋を変えようとすれば落ちるし、グループ会話は1秒で切れる。ここ数日にはじまったトラブルなのでウインドウズ7のトラブルではなかろうと踏んでいたが、どうやら私だけではないらしい。同じ症状を訴え出した仲間がちらほら見える。▼スカイプが使えなくなると、皆IRCやツイッターに流れていく。このご時世、スカイプひとつ使えなくなったくらいでコミュニケーションには困らないとでも言いたげだ。実際、困らないのである。ウェブはもはや心もとなく辿っていくような細い糸ではなくなった。飛び込めばどこへでも電流通じる、そんな雲のような存在になった。▼クラウド、クラウドと騒がれるのもよくわかる。それでもクラウドバブルにならず、着実に歩みを進めているのは、よほど私たちも全世紀末のITバブルへの幻滅に鍛えられたものらしい。雲は雲らしく、もくもくと少しずつ大きくなっていく。

[373] Sep 05, 2010

遥か昔、もう六年以上前になるか、ニューヨークへ行った帰りに免税店で買ったGIVENCHYの財布を今でも使っている。いいものはきっと長持ちするだろうという理由で買った150ドルの(当時の私にはそれでも大金だった)財布である。手荒に扱ってきたわりにはまだまだ現役、目論見は一応当たったわけだ。ただし最近傷が目立ってきた。じぶたれて風情が出るというほどの品でもなく、あまり見栄えがしない。▼特に財布を痛めているのは札入れへ無造作に詰め込んだカードの山である。いらないポイントカードの類は極力つくらないし、もらっても片端から抽斗へ放り込むようにはしているが、それでも不思議と日に日に増えていく。保険証や診察券など薄いものはまだいいが、量販店とコンビニとゲームセンターだけで硬厚のカードが十枚近くあるのは考えものだ。カード入れを別に持つのも癪なので、行きそうにない店のカードはやはり抽斗行きになる。電子化が待ち遠しい。

[372] Sep 04, 2010

3、4、7、8。なんの変哲もない4つの数字ではあるが、整数遊びの好きな人ならこの数列の意味するところがもうわかっているかもしれない。私はこれを切符遊びと呼んでいるが、そう呼んでいるのは切符の端に4つの数字があって、よくこれをつかって遊んでいたからだ。世界中で有名な数字パズルである。「+、−、×、÷ををつかって、4つの数字で10をつくれ。」▼数字というのは実に不思議極まりないもので、数字の方に悪意はないのだが、必ずこういう厄介なやつがひとつはいる。何が厄介かは、冒頭の4つで10をつくろうとしてみればわかるだろう。このタイプの数字群は、数字がすべて違うものではこれひとつしかないと証明されている。某所で受験にも登場したそうだ。有名な難問である。ちなみに同じ数字が含まれているものでは「1、1、5、8」などもなかなか手強い。この手の問題に慣らされていても、少しは悩まされる。ぜひトライしてみて欲しい。

[371] Sep 03, 2010

零時を過ぎても街に人はあふれている。駅辺のベンチでは、散歩途中らしい親爺さんが茶色い大きな犬と見つめ合っている。反対側では段差程度の石段に腰掛けて、スーツ姿の男が携帯電話に向かって怒鳴り散らしている。リュックサックを背負ってふらふらと歩いていく男の背中が見える。コンビニの中では電車を降りたばかりの人たちが、夜に似合わぬ忙しなさで買い物をしている。▼なぜだか急に、久々、ほんものらしい人間の絵を見た気がした。ふだんの人間がにせものというわけじゃないが、昼の人間図の美しさはこれにくらべれば遥かに機能美だ。それは働いている人間の美しさである。狩りをしている動物の美しさである。そういう機能美とは違う、いかにもこれが人間というような絵。▼空は藍一色に星一点、ああいうのを一点というのだ。ほんとうにひとつだけ、ぽつんと穴の開いたように黄色くちらついていた。それを、野人と罪人の相の子めいた気持ちで見ていた。

[370] Sep 02, 2010

芸術と体系という言葉はどうも似合わない。似合わないといっても、芸術を体系的に論じたり解釈したりすることが悪いわけじゃない。ただ解剖学が無闇に流行り出したとき、芸術に端を発したブームは必ず廃れる。体系化という言葉が興味もないのに耳へ入ってくるようになったら警鐘だ。そこにはもう健全な創作の風土はない。代わりにリバースエンジニアリングの幻想が致命的に蔓延っている。▼世阿弥は言う、花の美しさというものがあるのではない、美しい花があるのだと。その通りだ。しかし美しい花の美しい所以を分析していくと、きっといろんなものが見つかる。見つかって大喜びする。そうして素晴らしいものがを見たり聞いたり、経験したり直感したりして、得々とするようになる。傑作究め尽くしたり。けれども集めたピースをいくら貼りあわせてみても、なぜか傑作にならない。沈黙する。そうしてただ沈黙するのも格好が悪いから、色んなことをしゃべりだす。

[369] Sep 01, 2010

プラトン主義的な考え方では、物事は「現実的なもの」である前に「可能的なもの」として存在しており、それが実在を獲得することで現実的なものになる。しかし可能性、可能的なものとは、既に実現したことを過去に投げ返したものに過ぎない。時間と空間の取り違えが生じていないか。時間を空間のように可逆的なものと見なしてしまうがために、本来不可逆な時間を遡って可能性と事象性の関係を見誤ってしまうのではないか。▼ベルグソンは『可能性と事象性』で、「可能的なもの」と「現実的なもの」の関係をこう論じている。こう論じているからどうだと言う気はない。執筆中の話に関係があって、思い出したのでスクラップブックから探してきた。たしかに時間は不可逆である。不可逆であればこそ、回想という行為は人にとって甘美なものになるのだろう。回想とは過去を思い出すことではない。そうでありえたかもしれない過去について、思いをめぐらすことである。

[368] Aug 31, 2010

埃をかぶった真っ白なデザインノート。五年前くらいの品物だろうか。はじめの頁には左隅に「夏目漱石」と殴り書き、どこかで見たことのある文が無造作にならべてある。「自然とくぼむ二畳ばかりの岩のなかに春の水がいつともなくたまって静かに山桜の影をひたしている。」これは草枕だろうか。雰囲気はそれらしいが、出典は書いてない。▼文章も作品も格別これが好みというものはないが、なんだかんだで感心しながら文学論から日記まで読み通したのはひとえに漱石先生の人柄によるものだろう。そういえば当時は漱石先生と口でも呼んでいた。▼漱石を先生と呼ぶ人の作品ばかり読んでいたからだ。しかしふと、中勘助あたりは漱石にあんまり関心がなかったなと思った。自分はいっこう漱石の作品に興味が湧かない、けれども人としてはきらいじゃない、たしかそんなようなことをどこかの随筆で書いていた。これも気がするばかりだ。古い記憶はことごとく曖昧である。

[367] Aug 30, 2010

「よいゲームとは興味深い選択の集まりである」とシド・マイヤーは言っている。興味深い選択とは何か。プレイヤーが「どちらも選んでみたい」と悩むような選択のことだ。したがってそこにはふたつの強力な前提が求められる。選択によって得られるのがメリットであることと、プレイヤーが意思決定の結果を理解できることである。▼結果を理解出来ないような選択の機会を与えられても、ふつう楽しくはない。「戦闘がどのようなシステムで、それぞれのステータスがどう機能するか知りもしないのに、どうやってバーバリアンとパラディンから職業を選べばいいのか?」まったく意味のわからない選択肢に首を傾げながら行った適当な意思決定で、それまでのプレイを台無しにされてしまったら、どんなに忍耐強いプレイヤーもハードを窓から投げ捨てずにはいられないだろう。興味深い選択とは覚悟を伴なう選択だ。覚悟があるから選択というギャンブルが成り立つのである。

[366] Aug 29, 2010

「鳩は軽快に空気中を飛びまわる。けれども空気の抵抗を感じるので、真空の中でならもっとうまく飛べるのにと考えるかもしれない。しかしもし空気がなければ、うまく飛べるどころかそもそも飛ぶこと自体が不可能になるであろう。」▼『純粋理性批判』を読んで私が手元に書き取ったのはこの一節だけだ。他のことは忘れてしまった。当時、読みながら電車を降りたせいで借り物のノートパソコンを網棚に忘れたほど没頭していたような気もするが、そのわりに身は入っていなかったのかもしれない。とにかくこの一節だけが手元に残った。▼数年たって今日、嬉しいことがあった。小林秀雄が「伝統」のなかで同じ箇所を引用していたのである。彼もそうそうカントなど引く人ではないから、この一致は稀有なことだ。またひとつ周波数の合っていることを確認できて、ただそれが嬉しいのである。偶然のお揃いに運命を感じるありがちな話。ただし向こうは嬉しくもなかろうが。

[365] Aug 28, 2010

「幸せは歩いてこない、だから歩いてゆくんだね。」一日400、三日で1200。三稿書いては二個捨てる、そんな365歩のマーチである。▼一年前、なにを思って書き始めたのか、もう正確なところは覚えていない。これをつづけていれば云々という下心さえ、いつのまにか綺麗さっぱりなくなってしまった。ただ途切れるのもバツが悪いからつづけてきたわけだ。そんなものかもしれない。▼インフルエンザで寝込んでいても、手元のメモに書きつけて朝方に這いながら打ち込んだ。真冬の折、夜中の四時に布団から這い出して書いたこともあった。敢えて頁を分けなかった一枚をつらつらと眺めていると、中を読まなくてもどれがどれだかわかる。ふつう「日常」と呼ばれて消えていくささやかな記憶が、いちどはその上を流れていって、いまは一編一編に滴っているようだ。こう眺めてみて、日記よりもいいと思う。「あなたのつけた足跡にゃ、きれいな花が咲くでしょう。」

[364] Aug 27, 2010

大学はパーティー学を真面目に検討した方がいい。教授はいつもそう言っていた。規模の大小に関わらず、パーティーは素晴らしい勉強の場だ。ただし適切に参加できれば、である。乗りこなし方を知らなければ、パーティーもただの贅沢な食事に過ぎない。▼私が在学中の度重なるパーティーで学んだ要訣は、「飛び込む」「加わる」「離れる」をテンポよくこなすことだ。当たり前じゃないかと思うかもしれない。しかしこの中で、意識していないと難しいのは、実は「離れる」である。▼パーティは誰もが対等な目線で話すことのできる場だ。皆そういう気持ちで来ているから、勇気を出せば飛び込んでみることはたやすくできる。問題は、離れる機会の掴み方である。ここだと思うタイミングで、ふっと消えられること。これが出来ないと、限られた時間で多くの参加者と有意義な会話をして回るのは難しい。つい居心地のいいところに留まりたくなる心を、掣肘することである。

[363] Aug 26, 2010

新人が皆で分担する棚卸しの作業を、ついにやらないことになったチームがある。もっとも暇なチームである。彼らの何十倍も忙しい中、残業・休日をあててまで棚卸し作業をしている人もいるのだ。表向き笑い話に拵えてはいるものの、その実、同期からの反感は甚だしい。どうしてこんなことになったか。▼きっかけは些細なことで、棚卸しの取りまとめ役が「まずは明日までに」と振った作業をやらなかった。本締切りは来週だし、自分たちは暇だからいつでもできると高をくくっていたらしい。それが翌日、プロジェクトの仕様が急変し、ちょうど棚卸しの期間だけ忙しくなった。そうして彼らのチームの上司が自分たちのメンバーを棚卸しに使うなと言い出した。取りまとめも新人、上司に出られては退がるしかない。こんな顛末である。同期に頼まれた雑務をたった一日蔑ろにしたばかりに、名誉挽回の機会もなくとんだ不評を買うことになる。不測の事態の恐ろしさである。

[362] Aug 25, 2010

情報を用意しすぎて怒られることはない――本当だろうか。逆説的な物言いだが、プレゼンテーションではしばしば情報を詰め込みすぎて情報不足になることがある。大切なものが抜け落ちるからではない。情報不足を指摘される恐怖心から、大切そうなものをなにもかも詰め込んだ結果、聴き手が「さらに足りないもの」の存在に気づきやすくなるからである。このことを意識しているプレゼンテーターは少ない。▼スライド一枚につき必ずひとつ頭の中で質問を拵えろ、と教育されるコンサルタントもいる。そういう人間がいればどれほど入念に用意しようが突っ込まれるところは突っ込まれる。言わなければいいものを、言ったばっかりに薮蛇など珍しいことではない。重要なのは情報の関心をコントロールすることだ。あらゆる突っ込みに備えるのではなく、突っ込みたいという気持ちを起こさせないほどテーマに対して明確で、明瞭で、シンプルな説明をして見せることである。

[361] Aug 24, 2010

讃め殺しという言葉がある。徹底的に讃め倒して、かえって相手にバツの悪い思いをさせるようなときに使う。しかしこの言葉に「殺す」という文句が使われいる事情には、なかなか深刻なものがあると思う。讃め過ぎることは、即ち殺すことなのだ。多くの倒産したベンチャー企業もいちどは軌道に乗っている。軌道に乗ったところで経営の才能や洞察力や実行力や人柄や――方々から、文字通り讃め殺されている。▼「才能というものは、ほんとうに人間が育ってくると重荷になるものだ。楽に使った自分の才能が楽に使えなくなるものだ。そういう時機が必度来て才能とは何物であるかを教えてくれる。この時機を知らない人は、自分の才能に食われて終る。」才能は飼いならすものだ。飼いならすには人の毀誉褒貶など役に立たない。「まだそういう経験を知らぬ人の才能をあまり讃め上げることはよいことではない。然し世間は讃める事によっても人をいじめるのかも知れぬ。」

[360] Aug 23, 2010

「このアイデアは素晴らしいアイデアだから、誰にも言わずに胸の中へ秘めておこう――そう思った瞬間にアイデアは死んでいく」とガルシア=マルケスは言う。アイデアは晒して鍛える。いかにも彼らしい一言である。▼思いついたアイデアを叩き台と見なして仲間に晒し、議論を重ねることは、確実にアイデアをより優れたものへ昇華する。けれどもこの習慣が過ぎると、人は次第にアイデアをコミュニケーションの中へ求めるようになる。思いつきにもならない妄想や言説を振りまわして、拾えるアイデアを待つようになる。空論が増えてくる。▼アイデアの創造という仕事はしばしば孤独である。孤独でなければならないことがある。ガルシア=マルケスの冒頭句とともに、ロロ・メイのこの言葉も胸に刻んでおく必要があるだろう。「想像力を自由に羽ばたかせるには、孤独を建設的に利用する力を持たねばならない。独りになることへの怖れを、乗り越えなければならない。」

[359] Aug 22, 2010

整理されず、無秩序で、出来事は予期できず、特殊なケースが山とある――そんな乱雑な現実世界をプログラムに落とし込むとき、もっともやってはならないことがある。例外をデータに散在させることである。▼たとえば「通し番号」として定めたものに、48番が「例外的に」二種類になったからと言って、48Aと48Bなどという値を持たせたらどうなるか。現実世界ではわかりやすいラベルかもしれないが、通し番号が連続した数値であることが担保されなくなった以上、プログラムにとって「通し番号」というラベルの持つ意味はまったく失われてしまうだろう。▼プログラムは「理想の世界」でしか動かすことはできない。「現実の世界」の乱雑さは、すべて現実とプログラムを繋ぐインターフェースが吸収しなければならない。すべてだ。プログラムが扱うデータは常に論理的にクリーンなものである必要がある。データ構造はそのデータを扱うシステムの命なのである。

[358] Aug 21, 2010

どんなに先鋭的なデザインを凝らした家でも、四方の柱がてんでんばらばらな素材で出来ている家は不自然である。区分けの意図が全く成されていない、種を好き放題撒いただけの庭は、塀と家の隙間にある「草地」に過ぎない。設計者の哲学の不在は、被造物にどこかちぐはぐな印象を与える。見る人は表現の出来不出来よりも、まずこのちぐはぐさにひっかかる。▼てんこ盛りの概念集のような本は、どこか読んでいてぎくしゃくする。作品が差し出してくる諸観念が、どうも巧く集められていないという気が終始する。こう考えた、ああも感じた、こんなことも思いついた……それで結局君の信じる信念は何なんだと訊きたくなる読後である。訊きたくなるということは、それについての説得が、あるいは説得力がどこにも無いのだ。あれもこれもとおいしいところを脳の中から巻きあげてやろうというのは、いかにもがさつなやり方である。きれいな綿菓子をつくるには棒がいる。

[357] Aug 20, 2010

ニューヨークを走っている車の四割は駐車場を探しているという。走っている車の目的は止まることだけなのだから、ちょっと考えれば別にそこまで妙な話でもないのだが、捻くれた物言いをしなければ、この観察はそれだけ都市に駐車場が足りていないことを物語っている。車はとにかく、停めている時間が長いのだ。この時間を何かに使えないか、皆そう考える。▼そこで関心が及ぶのは電気自動車である。電気自動車の駐車となれば、当然充電の需要が容易に予想される。駐車中に充電できるということは、自動的にガソリンを補給できるようなものだ。都市圏に電気自動車のための大規模な充電インフラが敷設されることを想定して動き始めているビジネスさえある。充電した自動車は夜間には家庭用のバッテリーとして使うことができるようになり、自動車が巨大な電池として機能することになる。生活における電気の使われ方そのものに、変化が起きるかもしれないのである。

[356] Aug 19, 2010

”Most Advanced Yet Acceptable.”Raymond Loewyのデザイン哲学「MAYA」である。Autodeskの3D描画ソフトではない。▼進歩的であることを説く芸術家の心得は山ほどある。しかしそんなことは人に言われるまでもなく、現代に生きる芸術家魂を持つ人々は皆わかりきっているのだ。時代の中で創作に身をやつしているとき、関心は既に一歩先にある。つまり表現が進歩的でなければならないとき、私たちはどこまで行くべきなのだろうかということだ。▼彼の言葉はこの疑問に一筋の光を曳く。行けるところまで行け、しかしそれでも”Acceptable”であれ。この精神は美しい。受容されないものは全て認められぬという単純極まりない原理の中に、ぎりぎりを煮詰める芸術の精神が生きている。消極的な姿勢はどこにもない。攻めろ、攻めろ、さあカードをひいて、なんとしても21をつくるんだ――ただしこれだけは頭に入れておけ、バーストしたら無条件で負けなのだと。

[355] Aug 18, 2010

哲学というのは歩いて歩いて歩きまわって、考えに考え尽くした末に「なんだそんなことか、それなら知ってるよ」と誰もがいうところに着地する、そういうものなんです。だから人にはつまらなく見える。仕方のないことです。――以前まだテレビがあったころ、野矢茂樹がそんなことを言っていた。ヴィトゲンシュタインの論理哲学論考、論理学関係の本数冊、そして大学時代に科学哲学の授業後、ヘンペルの鴉についての質問に長々メールで答えてもらったのを覚えている。▼哲学は哲学の結果を云々するものではない。少なくともそのためのものではない。思考の道筋が即ち哲学という営みである。文字通り「考えることに意味がある」のだ。幸運にも小洒落た表現を手に入れた誰々の何とか哲学は、金言になったりサウンドバイトになったりする。幸運にも、だ。見栄えのいい結果を捻り出すためになされる思考は哲学ではない。哲学とは、あくまで「難しい常識」に過ぎない。

[354] Aug 17, 2010

白紙の五線譜あるいはスコアエディタに向かって曲を打ち出すのは、まっしろな原稿用紙に向かって小説を書き出すことと変わらない。もちろん白紙の上にも自由闊達な筆でさらさらと名小品を物せる人はいる。けれども作品が長く込み入ってくればくるほど、そういうセンスに任せたやり方では難しくなる。▼作品のタイプにも依る。表現で魅せる作品なら、詳細な理詰めのプロットはかえって邪魔になるかもしれないが、構成が物を言う作品なら、リスナーをどこでどうやって釣り込むか、そういう面白さを煮詰めた念入りな設計はクオリティを大きく左右するだろう。▼音楽も文章も、これまでは設計なしで取り組むことが多かった。けれども近頃、構成をしっかり考えるようになっている。設計を重視しはじめたのではなく、家にいる時間が少なくなって設計にしかかけられない時間が増えたからだ。お陰さまでひとつ新しい視点を学んでいる。人間万事塞翁が馬とは言うべきか。

[353] Aug 16, 2010

人々がゲームに熱中するのは、それがゲームだからではなく、ゲームというものが本質的に人を熱中させるようにデザインされているからである――これがゲームニクスの第一に掲げる前提だが、すべての芸術品にも同じような指摘はできる。ゴッホの名画が愛されるのはそれが名画だからではなく、人々が愛するような要素が鏤められているからであると言っても、破片を拾い集めて何かに応用できるわけではない。▼数多くのインターフェースにエンターテイメントの極意が取り入れられ、なにごとも「遊び感覚で」提供しようという機運が高まるにつれて、ゲームニクスを体系化する試みは激化していく。面白いものとして爆発的に普及したテレビゲームを、「なぜ面白いのか」とこのあたりでリバースエンジニアリングしてみようと言うのである。しかし中を覗いてみると、どうも骨抜きにされた「やさしい金言」がならんでいる感は否めない。今は好意的に発展途上と見ている。

[352] Aug 15, 2010

人生初の「夏期休暇」が終わり、明日から通常業務に戻る。やっと休みが終わってせいせいするなどといっては罰当たりで、もちろんバケーションに越したことはなく充分に満喫したのだが、どこか心の張りが緩むような、心身ともに弛れる気持ちがないでもない。きっとこんなときによからぬ病気でもするのだと思う。夏真っ盛り、ここから二週間ほどは極めて慎重に体調管理をする必要がある。▼大学時代は事実上二ヶ月間の休みがあった。あの頃はこの休みが僅か七日になると思うと……そんな人並みの憂鬱を感じることもあったが、七日になってみればなってみたで、とくべつ外国旅行に行きたいわけじゃなし、二ヶ月も欲しいとは思わない。それどころか、あれだけの休みをよく持て余さなかったものだと感心する。この七日、たしかに生産性は低かった。贅沢極まりない話ではあるが、やはりそろそろ休みが欲しい、と思ったときの休みこそ、意味ある最高の休みなのだろう。

[351] Aug 14, 2010

一日二枚で医者要らずとは言うものの、やはり食べたときの満足感から言って海苔は割高につくなと、ふと昼飯のラーメン時に思った。数枚添えてほうれん草やメンマと肩を並べる価格なのだから、満腹感だけ考えれば頼みにくい。▼それでも多くのラーメンで海苔が定番トッピングなのは、もちろん麺やスープに「合うから」という理由もあるには違いない。しかしつくづく海苔を眺めて食べ方を考えてみたとき、私はどうもラーメンの味を変えたいときに海苔を浸していることに気がついた。海苔がスープに馴染んでいくと、スープの風味がほんのり変わる。▼ラーメン通の人がどう言うか知らないが、こういう「変化をつける具」というのは面白いと思った。変化は飽きを解消する。今時はやりの大盛り系ラーメンで、中盤どうしても味に飽きが来たときなど、きっと役に立つだろう。もちろんそう使うべしというのじゃない。ぱりぱりやっても美味いものだ。食べ方は自由である。

[350] Aug 13, 2010

本好きと一緒に本屋へ行くと、本棚のまわりをぐるぐる廻りながら、しばしば積読の話になる。この本は買ったけど読んでない、そういえばあれも置きっ放しだ……云々。私は学生の頃まで積読というものを作らない人だったが、社会人になって金銭的に余裕ができるにつれ少しずつ積まれてきたように思う。積読は贅沢なのだ。▼しばらく購入しない時期をもうけて消化しよう、などと心に決めても財布が許せば欲しいものは買ってしまうのが自堕落な人間の典型というもので、そういう典型に類する人は無限に存在する「読みたい本」を永遠に買いつづけることになるだろう。それはそれで幸せなことだが、手に入れてしまうことで満足し、かえって中身に興味を失うようでは困る。「書物を買いもとめるのは結構なことであろう。ただしついでにそれを読む時間も、買いもとめることができればである。しかし多くの場合、我々は書物の購入と、その内容の獲得とを混同している。」

[349] Aug 12, 2010

お風呂の栓を抜くと、最後の水が流れていくときに渦ができる。北半球なら時計回り、南半球なら半時計周りにできるものだと、しばしばコリオリ力をもって説明されるこの渦だが、家庭内にあるような小さなものに及ぼされるコリオリ力は微々たるもので、実際にはほとんど関係ないと言ってよい。体が浸かっているときに半時計周りの回転が湯にかかっていれば、その角運動量によって反時計周りに回ってしまう程度のものだ。▼けれどもより大きな要因は別にある。即ち浴槽で栓を抜くと渦ができるのは、渦ができたほうが排水が早いために、もとより渦を起こすように設計されているからである。どうして排水が早いかは一升瓶に水を入れて逆さまにし、流しでぐるぐる回してみるとわかるだろう。この設計の規格が統一されていれば、回転方向も統一されるというわけだ。栓を抜くときの初期回転よりも設計が勝っていて、半時計周りに回そうと頑張っても回らない浴槽もある。

[348] Aug 11, 2010

マイクロソフトが無償で提供するVisual Studio 2010 Express Editionシリーズは、無償としては考えられないほど優秀な開発環境だが、このたびAjaxとjQueryの勉強も兼ねての新しいサイト構築にと、ASP.NETのWeb Developerもインストールしてみた。早速使ってみると期待通り、これまで手打ちでやっていたのが馬鹿らしくなるほど使い心地がよい。慣れてくればやりたい放題といったところだろう。▼その他のウェブサイト構築ソフトとしては、有料だがAdobeのDream Weaverが定番である。現在はCS5が発売されている。デザイン画面との併置、インテリセンスやスニペットなど、機能としてはVSが備えているものを大体サポートしており、デザイン構築インターフェースはVSよりも直感的で、単純なウェブデザインに関しては一枚上手といったところ。もちろんそれだけの値段はするのだから当然だ。天秤にかける人も多いが、私としては手始めならフリーのVSがオススメである。

[347] Aug 10, 2010

里見クは『文章の話』で「火」という言葉の起源について、まだ言語を持たぬ人類の祖先がはじめて火に触れたときに発した「ひい!」という悲鳴が音になったものではないかと推察している。その根拠として、人が熱いものに触れたとき発する声はハ行の音であること、さらに世界中で火を表す単語にハ行の音をあてている言語が有意に多いことを挙げている。なるほど説得力らしいものがある。▼私は正確な起源を知らない。しかしいまひとつの考え方をすれば、火は陽であると考えることもできる。火に限らず「ひ」の音は、多く太陽の「ひ」に由来している。霊の字に「ひ」の読みがあてられたのも、陽は神であり霊であるという太陽信仰に基づくものだし、そうした素晴らしい太陽の力を授かりますようにとの思いを込めて、古くから男子はヒコ、女子はヒメと名付けられたのだ。天上の神が人類の叡智となって地上に発現したものが「火」であったとしても、おかしくはない。

[346] Aug 09, 2010

久々に頭を抱え尽くした一日だった。PCから音が出ないのである。▼正確に言えばオーディオデバイス周辺で不具合が起こっているらしく、DTM環境がスピーカーに音を回してくれない。あるいは音が出たと思っても、他のアプリケーションが凍ったり、オーディオデバイスが応答しなくなったりする。そのうちまた音が出なくなる。症状に再現性のないのが恐ろしい。▼上手くいくときといかないときがあり、再インストールなどの初期化から時間が経つほど上手くいかなくなるあたりメモリリークの疑いもある。誰かがメモリ制御にしくじっているのだ。そうなると「ネイティブ対応」と謳いはじめてからしばらくアップデートを繰り返しているところ、杜撰さの伺えるシーケンサーがいちばん怪しいということになる。64ビットへの移行である程度の不便は覚悟していたが、作曲のための環境で音が出なくては話にならない。連休はバグフィックスに費やすことになりそうだ。

[345] Aug 08, 2010

新人研修ではスーツ姿のまま通路のソファーで爆睡し、課題ではあまりに破天荒な解答で経営陣まで困惑させ、配属後の歓迎会では酒に酔って他の客に絡み(上司が平謝りに謝ったという)、二年目になってからは後輩をバーに連れまわし、自分はぐでんぐでんに酔いつぶれて後始末は後輩の世話になる――そんな鳴り物入りの「問題児」がこの夏長期休暇を取っているというので不審がられていたが、いつの間にか先月末付けでの退職が受理されていたようだ。▼他を圧倒する存在感があっただけに、どこか風の通るような感じである。とくべつ個人的な干渉があったでもなし、さびしいわけでも物足りないわけでもないが、彼をめぐるざわざわした感じがなくなることに、やはり喪失感があるのである。誰しもトラブルはごめんだといいながら、身近に立っていた波風が急に穏やかになれば、やはりそう思うものらしい。良しも悪しも表裏一体、存在感というのは不思議なものである。

[344] Aug 07, 2010

今日からウインドウズセブンの世話になる。8GBのメモリ――将来的には16GBにするつもりで4GBを二本差した――を活かせる64ビット版で、お値段は手頃なホームプレミアム。XP互換モードを使うつもりはないので、アルティメットはいらないと判断した。もし後々必要になれば、プロパティからいつでも更新可能である。▼VISTAとはうって変わって評判のよいセブンだが、なるほどマイクロソフトに久々の巨益をもたらしただけのことはある。デザインは上々、シンプルかつスタイリッシュをここに至ってようやく実現しつつ、ごてごてしない多機能でかゆいところに手が届く親切設計。凄いところはたくさんある。極端に何かの仕事が楽になるというわけでもないのだが、ひとつひとつの作業に感じるストレスが知らず知らず少なくなっているのだ。これこそまさにユーザーインターフェイスの本懐だろう。史上最高のOSと持て囃される理由もわかる気がする。

[343] Aug 06, 2010

昔の自分を貶すことは褒められた話じゃないが、貶したくなるときがないでもない。褒めてやりたくなるほど感心するときもあるのだから、たまには貶したってどっこいどっこいだろう。それでは何を貶したくなるかと言えば、よくもこんな読みにくい文章を書いてくれたなという話である。プライベートな日記や雑文、評論や論文などの印刷物、物によっては投稿していたエッセイまで、なかなかひどい。▼過去の自分の名誉を守るなら、なかなかひどいものがある、といった方が正しいだろう。今とさして変わらないものもちらほらある。ただ、そういうものはよほど集中力をつぎ込んでいなければ書けなかった。練りに練った文章だけが、ようやく読むに耐えた。それがこう毎日毎日、短いとは言え文章を書いていると、いやでも淀みなく書かざるをえない、少なくとも左から右に読んで意味の通る文章にはなっているのである。ささやかな習慣のささやかな成果としては上出来だ。

[342] Aug 05, 2010

たまたま講義のなくなったときなど、よく冒険気分で大学の書庫に潜っていた。学生証を入室キーにじぶたれた錆階段を登っていくと、薄暗い書棚が遥かな涯までつづいている。そうして私のまわりだけ、小さく灯りが点くのだ。いつお化けが出てもおかしくないなと思っていた。怖がりの私が唯一ひとりで歩けた暗がりでもある。▼もともと本を借りるのが嫌いで、滅多なことでは図書館など行かない私だったが、大学図書館にだけはさすがにいろいろお世話になった。値段の張る全集や超豪華本は言うに及ばず、絶版になって久しく買うに買えない本というものもある。そういうものは出来るだけ入れるうちに読んでおこうと思って、潜入のたびに「戦利品」を紙袋へ詰めてきたものだ。今でもしばしば行きたいと思う。今度行ったら卒業生カードを作ろう。あるかないかもわからない神田界隈を足を棒にして歩くくらいなら、あるとわかっている書庫から借りてきたい無精者である。

[341] Aug 04, 2010

エクセルVBAには、セルに数式が入力されているかどうかを判定する関数がない。値かどうか、文字列かどうか、空白かどうかなどを判定する関数は用意されているのに不思議なことではある。もちろんさっそく「IsFormula」関数を拵えた。言語に用意されていない機能は速やかにエミュレートするまでだ。▼複数の言語を使っていると、ある言語が他の言語でサポートしている強力な機能を備えていないことにげんなりすることがある。なんだ、列挙型もないのか。そういうとき、定数で代用して済ませてしまうような仕方をスティーブ・マコネルは『コードコンプリート』で、言語の「中で」のプログラミングと呼んで戒めている。真に列挙型がコードの複雑さを低減すると信じるなら、速やかにグローバル変数と命名規則を用いて列挙型をエミュレートするべきなのだ。言語の機能的な制約に縛られてはならない。優れたコードは常に、言語の「中へ」のプログラミングである。

[340] Aug 03, 2010

失敗談をひとつ。今日の午後、兼ねてから準備していた海外に発送する機材の下準備が整い、梱包・運搬の手配に明け暮れていた。巨大で高価な機材をひとつひとつ検査し、割り当てられたシリアルナンバーをメモしていく。この番号が事前に申請してあるものと異なれば、税関で弾かれる可能性もある。慎重にやらねばならない。確認を終えたものから緩衝材を詰めて、ダンボールにしまってテープでとめる。ひとつひとつ仕上げていく。▼すべて梱包し、宛名を書き終えたとき――同じミスをしたことのある人ならもう想像できるに違いない――ダンボールの向こうに機材の部品がひとつ、てんと落ちていた。さて、どれだ……身の凍る思いである。「部品が取り残される機会のあった箱」を記憶から無理くり呼び起こして、さいわい僅か数個目に足りない箱を引き当て事無きを得たが、梱包のような逆工程に労力を要する仕事は、最後にまとめてするのが吉と身をもって学んだ次第。

[339] Aug 02, 2010

TOEICはたしかに間違い探しパズルのようなものだ。少なくとも点数を取るという観点からすると、リスニングもリーディングも変わらない。ただ耳で探すか眼で探すかの違いである。そうして見つけてしまえば終わりそれまで、さっとマークして次の問題に備えるだけだ。内容をほとんど聞かずに、あるいはほとんど読まずに正しい答えを書くことも実は可能である。そんなふうにできている。▼けれどもこうしたところをもってTOEICなど英語力とはなんの関係もないと息巻くのは短絡的な物言いだろう。パズルゲームが思考の大切な基礎訓練であるように、TOEICにも言語としての英語能力を鍛錬するエッセンスはたしかに詰まっている。ほとんど聞かずに/読まずに正しい答えが導けるのなら、それはパズルゲームに精通したと同時に、言語情報の渦の中から「真に大切な情報は何か」を瞬時に判断するという、極めて有益なスキルを習得したことにもなるのである。

[338] Aug 01, 2010

「さまざまな民族の習俗について何がしかの知識を得るのは、われわれの習俗の判断をいっそう健全なものにするためにも良いことだし、またどこの習俗も見たことのない人たちがやりがちなように、自分たちの流儀に反するものはすべてこっけいで理性にそむいたものと考えたりしないためにも、良いことだ。」デカルトに限らず、書物を旅に喩える名言は多い。▼読書が旅なら、過去の書物を読むことは他の世紀の人々と交わることだ。いまはなき幻の国を旅する、読書という仮想のファンタジー体験――などと大仰なことを言うつもりもないが、しかし放浪趣味でもない限りは旅に出たきり帰らないわけにもいかぬ。「いま・ここ・わたし」に還元できない読書は無駄だとショウペンハウエルは言った。あまりの楽しさに我を忘れて、ただただ楽しいということにはならないようにしたい。「けれども旅にあまり多く時間を費やすと、しまいには自分の国で異邦人になってしまう。」

[337] Jul 31, 2010

ペプシNEXをガブ飲みしている人が言う。カロリーゼロなんだから太りようがないし、人工甘味料にも悪いものはひとつとしてない。砂糖の入ったジュースを飲むよりよっぽどいいじゃないか。対する反対派の意見は弱い――いや、そんなに都合のいい話はあるものか、となる。アメリカでは長くアスパルテームについて激論を戦わせてきたが、いまだに決着がついていない。人体への悪影響は「まだ見つからない」状態がつづいている。ほんとうに人工甘味料の隙はないのだろうか。▼近年、アスパルテームに対して別方面から危惧する意見があるようだ。曰く、人が甘いものを好んで摂るのは糖分つまりカロリーを摂取するためだが、人工甘味料の入った甘いコーラを飲めば、実際には取っていないにも関わらず脳はカロリーを取ったと錯覚する。この錯覚が人体に退っ引きならない影響を与えるというのである。影響の種類はわからないが、たしかにひとつ、怖い盲点かもしれぬ。

[336] Jul 30, 2010

電車の座席はとにかく眠い。しかし、ふつうなら座って数秒で眠り込んでしまうようなグロッキーでも、有無を言わさず到着まで読みつづけられる本が三種類だけある。とりわけ面白い四コマ漫画、プログラミング教本、そして小林秀雄全集。▼漫画やコードはわかるとしても、小林秀雄全集が眠気を誘わない理由はわれながらいつも不思議である。寝てしまってもいいやくらいの気持ちで読み出すのに、気がつくと降車駅についているのだ。よほど周波数が合っているらしい。▼木田元が『なにもかも小林秀雄に教わった』という本を書いている。私もそんな感じである。といって、なにもかも小林秀雄に倣おうというのじゃない。内容については賛否こもごも、ただその誠実さを信頼しているのである。思ってもないことはひとことたりとも書いていないと、心の底から信じさせてくれる何かがある。小さな嘘を見抜く努力のいらないものは、それだけで読んでいて気分がいいものだ。

[335] Jul 29, 2010

ちょうどいまから六、七年前だろうか。ファストフードを中心とする飲食チェーン店で、かなりやかましく衛生問題の騒がれた時期があった。大手各社の杜撰な食品管理がこれみよがしに暴露され、必要以上にクローズアップされた「舞台裏」は、ここぞとばかりアンチ・ファストフードの機運を燃え立たせた。ところがある研究によると、この時期に多く駆逐されたのは安飯チェーンではなく、むしろ家族経営の飲食店であったという。▼衛生問題が騒がれる背後で「夫婦で営むパスタ屋さん」のような店がしばしば閉店に追い込まれたのは、要するに人々の食に対する猜疑心が、手作りという概念に安心できないところまで追いつめられてしまったためらしい。そのうち大手のアピールし始めた「衛生管理」にほだされて、みんながいつも平気な顔をして食べている物の方が信頼に値すると、なびいていったものだろう。今の世なら仕方ないとも思えるが、ひとつ皮肉な結果ではある。

[334] Jul 28, 2010

「三分の一の法則」はデザインの汎用的な指針として重宝されている。私もパワーポイントでマスタースライドをつくるときなど、決めあぐねたらまずグリッドを表示して、画面を縦横に三分割する線が作る四つの交差点に、なにか目を引くワンポイントを置いてみることにしている。そこから全体のデザインを決めていくと、調和の取れたものになることが多い。▼三分の一、つまり1:2には、対比構造が「刺なく」浮き彫りになるという魅力がある。同じ対比でも1:1はもっとうるさい。平等に並べられたふたつの空間が対比されている、その構図自体に何か意味があるかのような印象を与えてしまう。それぞれの持つ味や意味にも頭がいかない。喧嘩している二人を見れば、何故喧嘩しているのかが気になってしまうようなものである。それに比べれば1:2は遥かに静かな対比だ。主人とその従者を見るような、落ちついた雰囲気が漂う。安定感抜群の汎用的構図なのである。

[333] Jul 27, 2010

最近また少し研究時代を思い出して、人工知能の設計図など頭の中に描きはじめている。卒業して基礎研究から自由になったことで、ある意味では理論的に正しい「設計」から実用的な目的を見定めた「実装」のフェーズへ移れる時期でもある。研究生時代にしっかり固めたロジックをもとに、社会人として優れたシステムを完成させる人は少なくない。成果を焦らなくてよいのも、半面魅力である。▼この前あらためて研究室を尋ねたところ、新四年生が私の研究を引き継いでくれたらしい。自然言語、脳科学、数学、プログラミングなど、必要な能力は十分備えていて、なかなか優秀だという。是非ともあの基礎研究を現実世界に適用可能な形で実現してください、とOBらしい伝言を残した。世界初の人工知能もいつかはあのラボで完成するかも知れない。しかし、それはそれとして私はただ私の人工知能が欲しい、そんなふうに思っている。実はもう名前まで決めてあるのだから。

[332] Jul 26, 2010

マイルストーンのないシルクロードはきっとやりきれないだろう。進捗を細かく告知することのメリットは、進捗状況を共有できることももちろんだが、なにより自分が嬉しいことである。長丁場の大規模プロジェクトでは、モチベーションを維持するために成果物をできるだけ小さく定義して「ゴール」を小刻みに区切っていくことが欠かせない。▼この方針を徹底して、あらゆる変更を逐一メンバーに周知し、ことあるごとにバージョンの数値を更新していくやり方を「小石マイルストーン戦略」という。ウインドウズライブメッセンジャーがあれば、試しにバージョン情報を見てみよう。とてつもなく細かい数字が並んでいるはずだ。これがビルドナンバーである。新しいコードが追加されるたびに小さな更新を反映してビルドを繰り返す、その日々のスモークテストで流した汗の結晶。日々の仕事はつらくとも、この数字が増えていくのを見るのは、きっと嬉しかったに違いない。

[331] Jul 25, 2010

長らくインテルにはお世話になったが、次の世代から実験的にAMDへ乗り換えることにした。価格が安くなることもあるが、いちどは使ってみようという好奇心が強い。▼CPUは未定だが、恐らくPhenomIIのX6-1055Tになるだろう。マザーボードはアスロックの880Gを購入。メモリはひとまず8GBを予定しつつ、16GBを視野に入れる。システムにはSSDを採用し、電源、ハードディスク、グラフィックボード、サウンドカード、ディスクドライブは現行のものを流用する。ケースはアンテックのハンドレッドシリーズ600。その他の小物は財布と相談だ。▼全部込みで十万円はかからない。それでも資金の都合上すこしずつパーツを揃えていく形になる。できるだけ値下がりしないものから順に買っていかなければならない。ウインドウズ7が最初の一手、バンドルとしてマザーボードを先取りする形になった。来月の給料日には、CP∪とメモリが追加されるだろう。

[330] Jul 24, 2010

味の素で一躍有名になり、今も「うまみ成分」として広く知られるグルタミン酸。鏡像異性体としてDグルタミン酸とLグルタミン酸があり、人間にうまみとして感じられるのはLグルタミン酸だけである。自然物に含まれているのはすべてLグルタミン酸だが、人工合成で作られるものはDとLがそれぞれ半分ずつ。しかも正確には、アルカリ溶液で中和したグルタミン酸ナトリウムである。調味料と自然物では、やはりいろいろ違う。▼栄養素のように語られることもあるが、実際には摂取する必要はまったくない。脳内の神経伝達物質であることから、頭のよくなる栄養素としてもてはやされたこともあったが、もちろんそんなこともない。GABAのときにも取り上げた脳の関所「ブラッドブレインバリア」が全部弾いてしまう。脳内に存在するグルタミン酸は全て脳内のグルコースから合成されたものだ。美味しくてしかも頭がよくなるなんて、そんなうまい話はないのである。

[329] Jul 23, 2010

あるシンポジウムで日本の各大学から経済・経営を専門とする学生を集め、大々的な産学連携の意見交換会を行った。そこでは司会の導くテーマについて、若い学生たちが口角泡を飛ばして議論するはずであった。▼しかし開始からしばらくたっても、意見はぽつりぽつりと単発ばかり。どうにも進行が鈍いのを見てとった司会は、あるとき「名前と所属を明かさなくても結構です」と告げた。発言の前には、自分の名前と所属を名乗ることが義務付けられていたのである。会場はまたたくまに湧いた。▼匿名の議論が活発になるのは当然だが、この場合、個人が特定できるかどうかという恐れは関係がない。顔は見えている。何回も発言すれば「またあいつだ」ともなるだろう。それにも関わらず、自分の情報を明かす必要がないというだけで、一言目への障壁がぐっと下がるのだ。広く意見を集めるときには、まず意見提出に対する潜在的なプレッシャーを取り除くことが肝要である。

[328] Jul 22, 2010

くすんだ藍色の空に、線香花火みたいな月が浮かんでいた。雲のない夜だった。これだけなら詩のひとつでも読めそうな寂しい絵面、そこへふと視界を遮ったのは深緑の街路樹である。一転、南国の音楽でも聞こえてきそうな雰囲気になった。深緑、藍、線香花火の三色は、実に取り合わせがいい。▼三色塗り絵は色のセンスが如実に出る。カラーデザインの基本はなんといっても三色である。様々なシーンを彩るための「三色の組み合わせ」辞典があるほどだ。センスの悪い三色が同居すると、画面はとたんにうるさくなる。今日はひとつ、自然の姿から配色を学んだ。▼ところで線香花火みたいな色というが、どんな色かと言われるとちょっと表現につまる。英語ならメロンイエロー、日本語なら枯草色とでも言うだろうか。どうしても再現したい人のためにカラーコードを用意すれば、さしずめED9くらいの色である。線香花火はもっと橙だって。それは真夜中に見るからだろう。

[327] Jul 21, 2010

DeMacroとTimothyListerは、その著『Peopleware』でオフィススペースが生産性に与える影響を定量的に分析している。プログラマを対象としたその研究結果では、生産性の高い上位四分位――下位四分位の三倍弱の生産性がある――の一人当たりの専有面積は平均して7平方メートルあり、対する下位四分位では4平方メートルにとどまったという。手を伸ばして考えてみると、この数字のあいだには確かに決定的な差がある。▼その他の要因も細かに数字を見ると面白い。静かな環境かどうかについては影響が少ないが、私もうるさい方がかえって動じぬ集中力が養われると考えるタイプだから、このあたりは個人差がある。一方、電話の呼び出し音などの無駄な割り込みは、プログラマが特に嫌う要素である。また上位四分位では、自分のスペースをプライベートなものだと感じている傾向が強い。手広いプライベートデスクで生産性が三倍になるなら、安い投資ではないだろうか。

[326] Jul 20, 2010

目覚めてから朝食あわせて500。行きがけに350。午前中に500。昼食から定時までに1000。帰りに350。寝るまでに1000。単位はミリリットル。私が平均して飲む一日の水分である。▼カップの緑茶やエスプレッソなど小さなものは入っていない。コンスタントにこれだけのペットボトルを消費している。摂り過ぎだと医者にも言われたし、自分でもそう思う。ほとんどがお茶か水なので糖分過多にはならないが、水分の過剰摂取はたいへん健康によろしくない。なんとかしなくてはならぬ。▼一日に四十本以上の煙草を数十年吸い続けたというあるマネジメントの教授が、たった一年で完全な禁煙に成功した自身の方法論を語ってくれたことがある。曰く、煙草をいつどこで吸っているか、すべてメモを取ってエクセルにまとめ、データから最も削るべき「惰性の一本」を探すのだそうだ。合理的なやり方である。私の水なら、まずは帰りの350が惰性の口慰みか。

[325] Jul 19, 2010

もっとも確実で強力なデバッグ手法のひとつに「ブルートフォースデバッギング」というものがある。たいそうな名前だが、要するに総当りである。考えうるすべての条件をひとつずつ順番に確認し、それでも駄目なら全部消して一から書き直すのだ。もちろん冗談ではない。二時間かけて書いたコードは大切かもしれないが、六時間かけてもデバッグが終わらないとしたら、全消去・書き直しは妥当な手段と言えるだろう。▼プログラミングに限らず、仕上げてしまったものにこだわるあまり手が進まなくなることはよくある。「そこそこ形になっている」ことがかえって修正の視野を狭め、自分でも徒労にしか感じられない謎の微修正に終始してしまうのだ。そんなときは思い切ってブルートフォースに頼ってみよう。読みにくい文章、聴くに堪えない旋律、動かないコード、そんなものに愛着を持っても仕方がない。中間成果物に対してクールに構える態度も、ときには大切である。

[324] Jul 18, 2010

「急に上司がインド人になったら、君たちどうする?」別にどうもと思う人はもしかしたら想像力が足りないし、そんなことあるわけがないと思う人はもしかしたら危機感が足りない。ただ笑っている人たちは、冷や汗の向こうでいくらか真剣になっている。NTTに務めていた彼は、ある日突然上司が外国人になった。年下の女性で、ハーバードのMBAホルダーだったそうだ。仕事は何もかも変わってしまった。▼野村ホールディングスがリーマン・ブラザーズを買収したとき、リーマンの若く優秀な人材は次々と新たなリージョナルマネージャーに着任した。野村の部下達にしてみれば降って湧いた「ある日突然」である。そんなとき今のご時世、英語は知らない、日本以外の文化はわからないでは到底済まされない。好きと嫌いとに関わらず、もはやグローバルは日常なのだ。常に海外を意識する心構えもさることながら、いざというときに切り抜けられるだけのスキルは欲しい。

[323] Jul 17, 2010

大学卒業以来初となる恩師の誕生日会へ、代官山まで夏の甘味を提げていく。相変わらずよくよくデザインされた街並みで、駅前などは改めて観察すると、土地の起伏を上手につかってオシャレな作りに仕上げてあるなと思う。すぐ近くの渋谷とも表参道ともまったく違う独特の空気が漂っている。喫茶店でしゃべっているだけの人々が、誰も彼もクリエイティブな人に見えてくるような錯覚だ。▼現金一括で買ったという伝説の今も生きる、云億の邸宅へ入る。六十五歳になる教授は表向きこそすっかり好々爺になったものの、口も体も至極健啖。ふとした近況の会話から、横道に逸れた先の汲めど尽きせぬ「雑談」を、五十の社長も二十五の新人も、皆学生時代に還ったような気持ちで聴く。こういう強力なリーダーシップを持つ人の帝王学で後継者は育っていくのだろう。自分の誕生日を、義理でも惰性でもなく、毎年必ず参加したい「パーティー」に仕立て上げている凄みである。

[322] Jul 16, 2010

ここいちばんの暑さと語り合う日がつづく。来る日も来る日も昨日より今日が暑い。そう思わせるのはたぶん、気温よりも日差しである。木洩れ日の縞はいよいよくっきりと美しく、140円の充実野菜を片手に早足で歩く朝は夏一色。汗こそかくが、心にも体にも健康にはよさそうだ。▼昼休みになると、今日は日差しがいいから外へ食べに行こうというグループと、今日は日差しが強いから外に出るのはやめようというグループにはっきりわかれる。私は前者で、天気のいい日は出来るだけ陽のもとを歩きたい。そうして揉めたときは大抵、あいだを取ってぶらぶらとコンビニ飯を買いにいく。▼夕方の気だるさはまた一種独特だ。空調で冷やされた肌寒さとは違う天然の涼しさをもとめてバルコニーに出ると、居心地がよくてついついくつろいでしまう。これはよくない、と思えば上司もやっぱりくつろいでいる。煙草をふかし、ストレッチをして、今日はこんなもんだな、と笑う。

[321] Jul 15, 2010

犬に比べれば、人は圧倒的に鼻が利かない。何故か。ひとつ、ダーウィニズムに則った面白い考え方ができる。▼自然の生活で、匂いが残るのは主に地面である。多くの動物がそうしているように、匂いの追跡はふつう地面を這うことで行われる。しかし人間は二足歩行をするために、顔を地面から遠ざけなければならなかった。このとき、鼻のいい個体と鼻の悪い個体は、どちらが速やかに二足歩行へ進化したか。恐らく後者に違いない。鼻のいい個体は地面が気になってしまい、いつまでも地べたを這っているうちに、やがて進化した「人類」に淘汰されてしまっただろう。▼もちろん真実はわからない。しかし筋は通っている。何かが「ない」ことは素晴らしいことだ、それは確実にチャンスなのだ――私はいつもそんなふうに言っているが、なかなかピンとは来てもらえないところへ、この話は都合がよさそうである。能力のあるものは、しばしば余計なことにかかずらっている。

[320] Jul 14, 2010

擬似コードプログラミング(PPP)を使うようになってから、コーディングエラーが驚くほど少なくなった。設計にかける時間は増えたが、デバッグにかける時間は圧倒的に減り、くだらないケアレスミスや構成エラーに悩まされることがなくなる分、精神的にも実にスムーズなプログラミングができる。この威力は体験してみないとわからない。▼PPPの最大の効果は、恐らくそのコメント規則を遵守するところにある。「擬似コードもどき」の設計はこれまでも自己流でやっていたことだが、ひとつのコメントに対して実装するコードの量や種類はさまざまだったし、コメント中にプログラム上で意味を持つ言葉を決して使わないというルールも守っていなかった。これらの制限はルーチンが複雑になればなるほど効いてくる。擬似コードの「人間コンパイル」を習慣化すれば、杜撰な設計の上にアドホックな修正を繰り返した悲惨なスパゲッティコードはきっと姿を消すだろう。

[319] Jul 13, 2010

「君は按摩ができるか」と松下幸之助は訊く。「できません」「お父さんやお母さんの肩を揉んであげることはないのか」「はあ、あまりしたことありません」「それでは君は、あまり出世できんぞ」▼怪訝な顔をする青年社員に、幸之助は笑って言った。「たとえば君が課長と一緒に夜遅くまで残業したとする。君は若いから元気でも、年輩の課長には疲れが感じられることもあるだろう。そんな時に、『課長、ひとつ肩でも揉みましょうか』ということが言えるかどうか――もし君がそういうことを一言、ふっと言ってあげたら、それはどれだけ課長の慰めとなることか」▼研究室にひとり、気の利き過ぎるくらい利く後輩がいた。傍で見ていても感心するほどで、今でも心証は抜群にいい。なるほどそういうものだなと思う。あくどく見えないか、クールに構えていた方がいいのではないか、そんなことを思い悩む一瞬の隙に、目上の人を助ける手がさっと伸びることの人間らしさ。

[318] Jul 12, 2010

文章には字形の評価がある。夏になると路端に咲くあの黄色い花を「タンポポ」と書くのと「蒲公英」と書くのでは随分イメージが違うし、「住処」と「住み処」では後者の方が「すみか」という読みの閃きやすい反面、表現としてはやや砕けた雰囲気を醸している。複合語はさらに複雑だ。「めぐりあい」は果して何通りの表記が可能だろうか。▼一方で語調の評価がある。めぐりあいをどう表記するかより前に、出会い、めぐりあい、邂逅、いずれを選ぶべきかということであり、あるいは死した人間を死体(したい)と書くか屍(しかばね)と書くか亡骸(なきがら)と書くかということであり、つまりは実際に文を発声してみたときの口当たりのよさを比べてみることである。▼視覚と聴覚。文章を読むにはどちらの働きも必要だ。人は黙読しつつ音読している。書くものは時と場合によって内容や意味そのもの以上に、文章の見た目と読みを重視しなければならないことがある。

[317] Jul 11, 2010

こんな話を読んだ――夫の家族に代々伝わる料理法では、ポットローストをつくるとき、肉に塩とこしょうをまぶしてから肉の両端を切り落とし、鍋に入れて蓋をして焼く。そう母親から教わったのだという。「どうして肉の端を切り落とすの?」妻が尋ねると、「わからない。いつもそうやってるからさ、母さんに聞いてみよう。」夫はそう言って母親に電話した。「わからないわ。いつもそうやってたからよ。おばあちゃんに聞いてみましょう。」母親はそう言って、祖母に電話した。祖母は言った。「どうしてそんなことをするの? 私がそうしていたのは、肉が大きすぎて鍋に入らなかったからよ。」▼環境が変われば事情も変わる。いつもそうしていたからという理由ほど危ないものはない。なにかの制約を乗り越えるための先人の涙ぐましい努力も、時が変わればもはやまったく無駄なものになっているかもしれないのだ。常に考えよう、なぜこんなことをするのだろうかと。

[316] Jul 10, 2010

ある手法が「科学的」であることの恩恵は、その効果が担保されるかどうかということよりも、戦略立案や選択肢の決定に自信が持てるところにある。ことの遂行にあたっては何よりもブレるのがよくない。ブレるのは不安だからブレるので、手法そのものが確実でないことにためらっているわけではないのだ。そんな心持ちに「科学」という言葉は、怪しげながらも一本軸を据えてくれる。▼何も打つ手が思い浮かばないときは、徹底的に科学的フレームワークに頼ってみるのも決して悪くない。そうして手続き的にやっているうちに、戦局を左右するキーの変数や、状況を一変させるトリガーや、重要なファクターが見えてくるということもままある。あるいは最初から科学的手法に頼ってみるのもいいだろう。ことにあたってはじめから方法論を持っている人は、なんと言っても仕事が早い。いわゆる「ダメ元」の当たり方を知っていれば、少なくとも何がダメかはわかるのである。

[315] Jul 09, 2010

キャリアマネジメントは100%自己責任である。どんなに成功したキャリアの持ち主でも、それが真に自分のやりたいことでなかったとき、必ず後悔しているものだ。「たいことをたいせよ」の難しさをいつか君たちも知るでしょう、けれどもそれがなにより大切なことなのです――里見クの言葉がいつも思い出される。▼人間、時流や一般通念にあわせているうちは気持ちがいい。だから自信が持てず気持ちに迷いが生じると、ついつい「まともな考え方」に負けてしまう。五年もたたずに時流が変わったそのとき、確実にひどい後悔がやってくる。▼ピアプレッシャーを鵜呑みにしないこと、ピアの人々もまた迷いの中にいる同類であるということを心得ることだ。自分の信念とスキルを見極め、向かうべき道へ踏み込む。たとえ不実に苦しむときがあっても、いつかは必ず勝つという気概を持ちつづけること。キャリアもマネジメントするものだという意識を忘れないことである。

[314] Jul 08, 2010

今月の芸術新潮はオルセー美術館大特集。88作品+1の写真満載で送る190頁の大ボリューム、納得の1600円版である。視点はクールで話し方は気さくな、わかりやすく読みやすい高橋明也氏の解説も良い。▼個々の絵や作家について語るには、四百どころか四千でも足りない。お気に入りの作品に短評を添えていくつかならべてみよう。マネ『すみれの花束をつけたベルト・モリゾ』フラット画法の何たるかが一目でわかる。二次元絵のエッセンスを凝縮したよう。瞳の色が印象的。ゴッホ『星降る夜』これを見て一瞬でも視線を止めない人はいないと思う。名作中の名作。ドガ『観覧席の前の競走馬』素人目にも抜群に巧い構図。奥にいる駈け出した馬の存在感が素晴らしい。ヴュイヤール『ベッドにて』寝ている女の子の可愛さ。その心地よさが伝わってくる。ヌンク『夜のブリュッセル王立公園』青と緑のあいだで揺れる色使い。この色は夜の研究室暮らしで何度も見た。

[313] Jul 07, 2010

アーキテクチャを推敲することはソフトウェア開発における極めて重要なプロセスだが、パソコンに向かってキーボードを叩いていなければプログラミングをしているとは認めない人もいる。WIMP症候群と呼ばれている。(Why Isn't Mary Programming? なぜメアリーはプログラムを書いていないのか?)こんな人が上司になったらどうすべきか。ひとつの答えは、さもコーディングしているかのように設計を進めることだ。▼世の中には表面的な現象が自分の意志に沿っていることをなによりも重視する人々が山ほどいる。「そう見せる」ということは、物事を自分の進めたいように進めるための処世術である。隠蔽し果せば相手も満足するのだから、一石二鳥だろう。私はよく、生徒にこんなことを言っていた。「人の話を聞くときに、等しく大切なことがふたつあります。ひとつは、ちゃんと話を聞いていること。もうひとつは、ちゃんと話を聞いているフリをすることです。」

[312] Jul 06, 2010

故あってダイヤモンドの鑑定書など読んでいた。はじめて見たが立派なものだ。鑑定機関と鑑定者の書名にはじまり、詳細に定められた評価区分にしたがって、色、形、純度、カット、艶、光度など様々な要素を評価している。この評価次第で価格が一桁も二桁も違ってくるのだ。それぞれの判定基準と簡単な評語を興味深く見ていた。▼色は透明に近ければ近いほどよく、黄色味が混じるにしたがって落ちる。DからZまでのアルファベットで評価され、Dに近いほど透明度が高い。Sを過ぎると茶色みがかってくる。形・カットはシンメトリカルなほどよい。純度・艶・光度は言うに及ばず、もちろんきらきらつやつやしているほどよいのである。▼ちなみに鑑定書を読んでいた故というのも、英語が読めないから代わりに読んで欲しいと言われただけで、別に私がダイヤモンドを買ったわけではないのであしからず。たいしたものではなかったが、それでも銀行残高が二桁足りない。

[311] Jul 05, 2010

「完全五度の和音だけで進行する音楽が不愉快なのと同じ理由で、完璧に仕上がった素晴らしい文章だけで出来ている小説は、恐らくまったく心地良いものではないでしょう。小説と、それを構成する文章には「濃度」があります。どこが肝要な点で、どこがそれを引き立てるための「飾り」に過ぎないのか。まずはそれをしっかりとイメージしてから、あらためて肝心な箇所をしっかりと、わかりやすく、アピールできるように心がけて推敲する。そうすることで無駄なエネルギーは少なく、効果の高い推敲ができるのではないかと思います。」▼PCの故障に伴うデータ整理で、近頃懐かしいものに触れる機会を得ている。くだらないガラクタばかりだが、たまについつい読みなおしてしまうようなものもあって、これもそのひとつ。六年前の自分にしてはまともなことを言っていると思った。根本的な考え方が変わっていないあたり、それなりには筋を通して来たことがうかがえる。

[310] Jul 04, 2010

朝から蒸し暑さはここ一番。何もこんな暑い日に遠出の予定がなくてもいいと思っていたら、突然ざんざん降りになった。小さな折りたたみ傘を差していく。横浜までは大雨だったが、東京の方は晴れていた。朝から何も食べていなかったので、ここより美味い坦々麺はないと日頃から豪語する名店・瀬佐味亭で久々に金胡麻を賞味。さすがの味に心身ともに生き返る。▼研究室は折悪く、ほとんどがイタリアの学会へ出張中だった。後輩のひとりにご挨拶のあとは、ぐるりと東京をひとめぐりして吉祥寺へ。兼ねてから約束していた同僚のライブを見に行く。私を含めて三人の予定だったが、残りの二人は体調不良で来れなくなったそうだ。地下のライブハウスに潜るとスモークがわんさと焚いてあり、はやくも熱気の渦が凄まじい。演奏、喧騒、そうして同僚の楽しそうな表情。あの賑々しさに比べれば、DTMはなんて孤独な仕事だろう。ちょっと学生時代の音楽室が恋しくなった。

[309] Jul 03, 2010

ちょっとした事情があってフィギュアをひとつ買うことになった。さっそくヨドバシカメラの玩具コーナーに立ち寄り、生まれてはじめてフィギュアコーナーを見てまわる。キャラクターから機械まで、こんなにたくさんあるのかと正直驚いた。天井まで山積みにされた絢爛豪華な箱の山は圧巻である。▼欲しかったのは、シンプルながら要所を押さえた精巧な作りが評判のFigmaシリーズ「ドロッセル」。ディズニー・ジャパン制作のCGアニメーション『ファイアボール』に登場する、主人公のお嬢様ロボットである。一時期動画が話題になった。▼尋ねる前に探して歩く。ガラスのケースには非売品がずらり。洗練された色とポーズが美しい。非売品なのに値札がついているのは、参考価格ということだろうか。手のひらサイズで、とんでもない値段のものもある。結局ドロッセルは売り切れらしく、帰ってアマゾンで注文したが、滅多に見ない人形廻りはなかなか楽しかった。

[308] Jul 02, 2010

PCケースは様々なトレードオフをなんとかやりくりしながら造られている。凝ったデザインにすれば無駄な曲線が増えて、直方体に比べエアフローは悪くなるし、冷却性能を高めようとすればファンの回転数は増加、静音性が損なわれる。実際、ハイセンスなデザイン、高い冷却性能、静音の三つを同時に実現するのは至難の業だろう。▼しかしもしデザインを捨てるのであれば、冷却性能と静音を同時に誇る巨大ファン搭載モデルが理想に近い。ファンの回転数を大幅に抑えることができるからだ。我が家でも数年前から25cmのファンを二機搭載した白色モデルを使っている。いまだに健啖で、なかなか重宝している。▼ところでもうひとつの姉妹モデルは黒色である。これは不思議な話だ。どうして冷却性能重視のデザインでありながら、本体を黒色にするのだろう。夏の西日差す部屋にあってはせっかくの巨大ファンも、吸収した太陽熱を冷やすのに精一杯というものである。

[307] Jul 01, 2010

スイッチをつけたらその日の気分にあったゲームをその場で構築してくれるアプリがじきに出来るかもしれないね。AIに絡めてそんな話をしていた。▼全自動コーディングはまだまだ未来のものに思えるが、脳内をデコードする技術の方は思いのほか進んでいる。BMI・BCIなどの研究分野では、既に単純なものは実現しているし、fMRIとニューラルネットワークを用いた視知覚のデコーディングでは、たとえば縞模様が右に傾いているか、左に傾いているかといったような視覚的二者択一の判断は、ほぼ完璧な精度で脳からデコードすることに成功している。マインドリーディングに関する実験は、そこかしこでなかなか順調のようだ。リアルタイムで脳内の情報を操作・管理する「干渉」は難しいかもしれないが、単に脳を読むというだけのオフライン処理であれば、確実な精度を持ったデコーディング・システムが近い将来現れてもおかしくはない。十分、現実的である。

[306] Jun 30, 2010

塾講師時代の配布プリントから大学の試験対策資料まで、数年前につくったPDFプリントの山を見ていた。毎週の英語テストから物理・化学の授業用、数学演習から小論文指導まで、どれもよくよく書き込んであって、われながら随分献身的にやっていたものだと思う。試験対策資料のほうはその場しのぎもちらほらあるが、制御工学や科学哲学などはいま読んでも参考になるほどよく書けている。このフォルダもなかなか一財産だ。▼しかしなにより、一夏休みを費やしてつくった200枚の英単語プリントをハードディスクのクラッシュで失ったのは返す返すも悔やまれる。日本語はいっさい使わず、同種の単語を英英事典よりもいっそう語源寄りに説明する形のもので、約2000単語をフォローしていた。わかりやすさと効率はきわめて好評で、私自身、受験以来忘れかけていた単語をかなり取りもどした気がする。いつか機会があれば、もういちど作りなおしたいものである。

[305] Jun 29, 2010

ボードレールの散文詩は、きれいに病んだ形而上学である。読みたいと思ったとき以外には読まないでくれ。君の精神に迎合しなければ、たぶんただ鬱陶しいだけだから。そんなふうに囁いているようだ。「この人生は一の病院であり、そこでは各々の病人が、ただ絶えず寝台を代えたいと願っている。ある者はせめて暖炉の前へ行きたいと願い、ある者は窓の傍へ行けば病気が治ると信じている。」▼二十一世紀このかた十年、互いに互いを病人と罵り合う傾向は加速しつづけてきた。それは島宇宙が群島宇宙になったところで変わらない。ただ近頃、その言葉に刺が立たなくなった。言いすぎて言われすぎて、もう各々が自分を何らかの意味で病人であると素直に自覚しているのかもしれない。とうとう寝台を変える気もなくなったのだ。罵り合いはもはやただのじゃれあいに変わりつつある。俺もお前も病人だよなと笑い合うところに、自分の足場を見出しているような感覚である。

[304] Jun 28, 2010

はじめての有給を使って、銀行その他の平日用事を消化した。主なタスクは昨年デフォルトを起こしたクレジットカードの処理である。これが厄介な話で、友人のノルマ寄与に入ったカードをまったく使わず仕舞っていたものが、何かの月額が引き落とされていたらしい、いつの間にか残高不足になっていたのである。ちょうど修論の忙しいさなかで、家に届く郵便物にもあまり目を通していなかった。▼「カードに鋏を入れてお持ちください」そう言われたのが随分前、それからしばらく放っておいて今に到る。解約、再加入、なにかと時間は取られたが、思っていたほど面倒な手続きはなかった。三週間後には無事再発行されるという。今度はいくらか初期残高を作っておかねばなるまい。それにしてもデフォルトを起こしたと事情を説明する相手に、ゴールドカードの再発行を促す勧誘体制もどうかと思った。再発行の検査も怪しいときに、年会金が一年無料などと言われても困る。

[303] Jun 27, 2010

もとはと言えばVBからはじまって、ビジュアルスタジオつながりでC、C++、C#と浮気をしながらふらふらし、ときどき嫌々Javaのコーディングをしつつ、Perlには正規表現でお世話になる。データベースはmySQLだ。最近ではもっぱらエクセル業務を一手に受けて、VBAアプリケーションの開発である。どれもこれも深くやりこんではいないが、書こうと思えば書ける言語は随分増えた。▼多くの言語に精通したとき、はじめてみえてくるプログラミングの精髄があるとスティーブ・マコネルは言っている。最近それが少しわかってきた。棚に並んだプログラマーのための教本を、面白そうなものだけ選んで業務の合間に読んでいるが、必要に迫られて読むわけでもないから、言語を問わず実装も気にせず、意味するところをじっくり読み込めるのだろう。プログラマーにならなかったことで、かえってプログラミングの全体像を掴む良い機会になっているようだ。

[302] Jun 26, 2010

相変わらず昼飯ラーメンばっかりだなと言われて、週に七度はラーメンを食べていた学生時代を偲びつつ、健康管理もたいせつになってくることだし少しはラーメンも控えようと思っていた。ところが金曜日の昼は社食でラーメンを食べ、今日は弟の学校帰りに呼び出されて、何を奢らされるかと思ったらやっぱりラーメンである。明日こそ明日こそと思いながら大して食生活が変わらない。▼ひとくちにラーメンと言っても麺よりはスープと野菜が好きなたちなので、栄養分が不足する心配はしていない。偏るのは確かだが、エネルギーには優れてもいるのだ。へばっている夏などは蕎麦やうどんよりもラーメンの方がいいくらいだと医者も言う。ただし痛風には気をつけて――と添えられた言葉は鋭いが、さいわい酒をあまり飲まないので今のところはそれほど危険もない。できるだけ朝と夜にバランスのよい食事を心がけつつ、昼のラーメンは上手に付き合っていくのがまるそうだ。

[301] Jun 25, 2010

計画は決してスムーズに進まない。規模が巨大になればなるほどそうだ。何度かプロジェクトを経験した結果、もはや起こること自体は不測ではない「不測の事態」に懲りている人なら、事件の生じることはあらかじめ計画の中へ織り込んでおく。こうした予防策はコンティンジェンシープランと呼ばれる。「何事も余裕を持って」という言葉は、不測の事態に「バッファ」をあてがっておくという、緩やかに記述された汎用のコンティンジェンシープランとも言える。▼エンパイアステートビルの建造計画では、すべてのトラックの移動時間は通常の想定よりも15分長めに取られていたそうだ。これなどはバッファが効果的に機能した好例である。余裕の取り方は計画によって様々だが、上の例のような、時間と共に被害が拡大する逐次プロセスに対しては、まとめて余裕の時間を見積もるよりも出来るだけその場で被害を食い止めるバッファ式のやり方が適していると言えるだろう。

[300] Jun 24, 2010

休憩時間には体操とスクワットくらいするが、それでも書類作成にプログラミングとデスクワークが続くとさすがに体が鈍ってくる。同僚も定期的に水泳をはじめたらしい。運動不足が解消される程度の運動に、そろそろ近所のフィットネスクラブも使いどきかもしれない。▼ランニングマシンか水中歩行か。いずれにしてもジム通いして本格的に筋肉など鍛える気はさらさらないが、ひとつだけ興味があるとすると、地味ながら握力の強化である。ピアノをつづけているおかげで、こればかりはそこまで落ちていない。日常的に役立つことが多いので、ちまちま鍛えるようにしている。▼これもそう本気で取り組むつもりはないが、ただいちど専用の器具を使ってみたいと思っていた。「握力王」ジョン・ブルックフィールドが親指を鍛えることの重要性について語っていたのを見て以来、ピンチグリップマシンなどは特にあこがれを持ってもいたのである。見かけたら、触ってみよう。

[299] Jun 23, 2010

ゲームにおいて欧米が追求してきた映像表現は映画のようなリアリティ、つまりフォトリアルである。この追求の終点はリアルの再現だ。しかし、物理シミュレーションや描画エンジンを含め、実はフォトリアルそのものの技術は既にある程度やりつくされて、数年前から徐々に頭打ちとなっている。漸進しつつも停滞していると言っていいだろう。▼こうした事情を受けて昨今の欧米各社は、いよいよゲームデザインを真剣に考え始めている。「どう遊ばせるか」である。3DS、move、キネクト等、先日のE3で発表された体感ゲームの数々は、確実にこの流れの上に乗っているものだが、まだまだこれらインターフェースの模索だけが唯一の解とは考えていないだろう。▼日本のゲームクオリティが欧米に抜き去られてから、既に五年は経った。映像表現の分野では依然として歴然たる差を保たれているさなか、この風向きの変化はひとつのチャンスでもある。ぜひ物にしたい。

[298] Jun 22, 2010

「自分が人から笑われる愚行を演じないためにも喜劇を見ておく必要がある。」プラトンはこんなふうに言っている。私たちは自分の中に潜む悪徳について、警句によってよりも喜劇によってよりよく気づかされるようだ。作中の滑稽な人物を笑っているさなかに、ふとその彼が自分と似たような行動を取っていたり、全く同じ物の考え方をしているさまを見るときの冷や汗は、じわりと冷たく身にしみて来るものがある。▼アリストテレスの弟子、すなわちプラトンの弟子の弟子にあたる、アリストテレス学園第二代学頭テオプラストスは、その著『人さまざま』でこのような喜劇的悪徳について、その気質とやり口を詳細に語っている。どれも過去から現代に通じる人間の普遍的な姿である。ひとつとして該当しないという超人はいまい。詳述される描写のどこかににやりとする、にやりとしつつひやっとする、そんな自分の悪徳を垣間見たことへの反応を、噛みしめてみると面白い。

[297] Jun 21, 2010

「ここのところ少し文章が読みにくいね」と言われた。どうしたことかと思って読み直すと確かに読みにくい。しかしどうして読みにくいのか、指摘してくれた人とふたりで考えてみてもよくわからない。文章として変なところはないし、話の筋も通っている。言葉遣いも適切で、助詞や助動詞に音の悪いところもない。はてなと首を傾げた。修正の目処も立たないから仕方ない、今はこれでいいことにしておこう、ということになる。なんだか気持ちが悪い。▼硬すぎるんじゃないかという意見がまっとうなものに思えた。上司に提出する資料なので、しぜん気持ちが強張ったのか、あるいは以前メールに書いた文面について、「なんだか小説的だね。ちょっと公式の文書にはそぐわないかも。」そんなふうに注意されたことがまだどこかに根を張っていたのかもしれない。ほんの少しの気持ちの持ちようが、誰にも見つけられないバグを埋め込んでしまう。言葉の世界の繊細さである。

[296] Jun 20, 2010

フォーフォーズという数学パズルがある。4つの4を使ってさまざまな自然数をつくる小町算のような遊びだ。1〜10はもちろん、もっと大きな数字も工夫次第で次々作っていける。1881年に科学雑誌「ノレッジ」に掲載されたのがはじまりらしい。▼四則演算で足りなくなると根号や階乗、ガウスまで引っ張り出して頑張るのだが、実はある数式を用いることで任意の自然数を作り出せることがわかっている。読みにくいのはご愛嬌で、次の通り。「-log_(4/√4)(log_4(√√……√4))」アンダーバーは自然対数の底を表している。後者の対数は前者の真数だ。省略部の根号をn個書けば、計算結果がそのままnになるという仕掛けである。▼もともとは3つの4を使ってあらゆる自然数を表現するためディラックが発見した数式で、これをフォーフォーズに応用して冗長な4を底に加えたものが上である。高等すぎる関数も使っていないあたり、なかなかシンプルで洒落ている。

[295] Jun 19, 2010

まっしろな紙の真ん中に、大きく懸案のテーマを書いてマルで囲む。そこから線を四方八方に伸ばして、テーマから連想されることを自由自在に書き込んでいく。これをひたすら繰り返し、やがて出来上がる概念の地図は、最初のテーマについて何か大きな示唆を与えてくれるだろう。▼このような手法は一般にマインドマップと呼ばれている。人間の脳内で成される思考の図式を模したものだ。それ故に人が何かを考える上では相性がよく、発想や着想をよくサポートしてくれる。新製品を模索する開発者、新作小説の切り口を考える小説家など、テーマを元に作品を組み立てていく人々の御用達だ。▼マインドマップは短時間で多くのアイデアを捻り出したいときに手軽な方法論であり、補強してくれるのは創造力というよりも、純粋に無駄なく候補を網羅していく探索効率である。優秀な方法論ではあるが、稀に言われているような「発想力を鍛える」力があるかどうかは疑わしい。

[294] Jun 18, 2010

豪雨、しかも暑い。梅雨入りしてからというもの俄にじめじめして蒸し暑く、過ごしにくい暑さに歩きにくい雨が降り始めた。冬のように寒かった四月が嘘のようだ。こういう変化で来たときの夏は暑くなることが多い。猛暑が見込まれる。▼こうなると思い浮かぶいやな風物は「蚊」だ。今年こそはと蚊対策を徹底して、家のまわりから水を無くすなどいろいろ努力はするのだが、なにしろ街全体に増えてはお手上げである。夜間に活動する蚊の代表格「アカイエカ」などは、近くに獲物がいなければ1キロ近くも移動して人を刺すというから恐ろしい。▼最近では寒さに強く、休眠せずに冬場も活動する「チカイエカ」が都市部で活発に活動しているという。ここ数年増加しつづけているようだ。都市開発にともなって、地下や暗所に彼らの好む暖かい「溜まり場」が多く出来ているのが原因だろう。どこかで頭打ちになってくれればいいが、増え続ける未来はあまり想像したくない。

[293] Jun 17, 2010

”Etaoin Shrdlu”という単語がある。英語で最も使用頻度の高いアルファベットを、その頻度順に並べたものだ。ライノタイプの左側二列に並ぶこれらの文字は、ミスした行を埋めるためタイピストが列にそって指を走らせたときに入力され、しばしばそれが誤って印刷されることがあったという。そのうち辞書にも載るようになった。▼1970年には自然言語処理プログラム「SHRDLU」が作られ、1975年にはこの名前がつけられたチェスのプログラムも書かれている。小説にも詩にも音楽にも、稀に登場するこの言葉は、ナンセンス語としてはそれなりに親しまれているらしい。▼ハングマンという単語当てゲームでは、だいたいこの順に文字を推していく。高校時代、英語で「しりとり」をしてみようと言う話になったときは、単語中に使ってはいけない文字をEから順にひとつずつ、時間を追うごとに増やしていった。Sあたりまで消えてしまうとだいぶ苦しかったのを覚えている。

[292] Jun 16, 2010

これからデビューする二歳のサラブレットを自らの目利きで数頭選び、彼ら彼女らの架空の馬主になって、その後の賞金額を競うゲームをペーパーオーナーゲーム(POG)という。数人から数十人の仲間うちで取り合って楽しむのがふつうだ。▼先日、毎年社内で行われているPOGのドラフト指名に参加した。今日はその結果を指名順に紹介する。わからない人にはなにがなんだかさっぱりかもしれないが、ひとつご容赦願いたい。これから一年、どこかでこの子たちの名前を見るようなことがあれば、きっと私が喜んでいると思ってくれればいい。▼アドマイヤセプター、シュプリームギフト、ヴァイオラ、ネオザイオン、リヴェレンテ、アグネスメープル、(母フサイチエアデール)、(母コッコレ)、オペラモーヴ、マイネルグラード。以上十頭。引きが強かったおかげで上位陣の布陣はかなりよい。いま見ても惚れ惚れするような馬体のセプターには、たいへん期待している。

[291] Jun 15, 2010

水選びにはちょっとこだわるという人と、水なんてみんな同じ味だというさっぱりした人と、だいたい皆どちらかである。少しだけ選ぶというような人はあまり見ない。何々の水とブランド名をいくつも言えるような水マニアも稀だろう。市販されている水の中で、こだわるかどうか。▼私はボルヴィックが好きで、エビアンが苦手だ。クリスタルガイザーはそこそこだが、昔に比べれば飲みやすくなった気がする。もっとも今となっては比べようがないので、これは気のせいかもしれない。大地が磨いたきれいな水は増量が魅力。安定感抜群のバナジウム天然水には、よくお世話になる。▼いちばん印象に残っている水は「アクアクイーン」だ。オーストラリアのマングローブマウンテンで採れるという。硬度の低いのが特徴で、たった12しかない。その味はぬるくなってからが真骨頂。舌に溶けていくような滑らかな感触は、瑞々しい水とでも言いたくなるような独特の味わいだった。

[290] Jun 14, 2010

「ぼんくら」は賭博用語である。盆に暗いと書いてぼんくら。盆での勝負に対する目利きが弱いことからそう言う。転じて、何事につけても物事の見通しが利かない人のことを指す言葉になった。▼徒党を組んで仕事をする博徒達のあいだでは、右も左もわからぬ新入りの「ぼんくら」には、まず賭博場の草履取りをさせたという。来る日も来る日も盆は見ることさえ出来ず、ひたすら出入りする客の草履を取りつづける。すると、あるときふと草履のへこみ具合を見るだけで、その人が今日の博打に勝つか負けるか、わかるようになっているというのだ。呼吸を読めるようになったのである。▼「運気を高める」といわれる多くの迷信は、このような「雑用」を薦めているものが多い。これは単なる迷信ではないだろう。継続して小さな仕事をこなしているうちに、ふだんは見過ごしてしまうような細かいことに気がつくようになるのだ。ぼんくらは、雑用によって鍛えられるのである。

[289] Jun 13, 2010

人は完成したものよりも未完成のものをよく覚えている。このような理論をツァイガルニク効果という。心理学者ツァイガルニクが、目標が達成されていない課題についての記憶は、達成された課題についての記憶よりも残りやすいことを実験的に示したものだ。カフェのウェイターが、注文された大量の品物について、それを客に出すまでは正確に覚えているのに、品物を出した途端なぜか忘れてしまうことから思いついたという。▼夏休みの宿題など、終わり頃に手をつけている問題は、敢えて解き切らないで残しておくと、次の日に取り掛かりやすかったりする。あるいは昨日は思いつかなかった解法がぱっと思いついたりする。研究もそうだ。何かを埋めよう、やり遂げようというしているとき、人の緊張感は高まる。その緊張感の高まりが、記憶力の強化である。余白の部分に気を留めるようにすると、頭はその問題について勝手に後ろで考えてくれるのだ。便利に出来ている。

[288] Jun 12, 2010

「デザインなんて、開発じゃ末端作業じゃないか?」そんなわけはない。デザインという言葉はしばしば誤解されている。デコレーションと勘違いしているのではないだろうか。デザインは商品を飾り付けたり見栄えを格好よくしたりというような、小手先の技術ではまったくない。▼端的に言えばデザインとは、曖昧なものをはっきりさせることである。それは着想を観念化することだ。たとえば何か複雑なものを作るとき、とにかく早い段階で試作品を作り、以後の議論をその周辺で行うようにする。これは「高速プロトタイピング」と呼ばれる典型的なデザイン思考の開発プロセスである。▼デザイン力に乏しい企画者は、着想ばかり火花のように散らしては、実現化の行動を伴わないアイデアマンに堕すことが多い。製作の指針がないからだ。計画としてのデザイン。そこには正しくコンセプトが凝縮されている。デザインとは、高次の計画を一枚絵に落とし込む仕事なのである。

[287] Jun 11, 2010

ある先輩が数年前、新人として会社に入ったときのこと。特別な事情もあって、彼は新人が分担するべき機材管理をほとんどすべて一手に担うことになった。それからというもの朝から晩まで、あれをくれ、これをくれとひっきりなしに呼び出されては機材を運び、あれがない、これが少ないと理不尽に怒られる毎日。理想と現実のギャップは大きかったという。▼失意に過ごした数カ月の後、あるとき積み上げられた機材の山を見て、心に抱いていた理想のキャリアプランを思いつつ、彼はふとこう考えた。「自分の夢はディレクターだ。ディレクターは意志のある人間を管理する立場だ。それなのに意志すらない「物」も管理できなかったら、俺は確実に人なんか管理できるようにはなれない。」そうしてあまりにも多忙な初年度を直向きに乗り切った彼は、いま異例の若さでチームリーダーを務めている。こういう思考の転換ができる人は、それなりの立場についていくものだろう。

[286] Jun 10, 2010

芸術新潮6月号、ルーシー・リー特集を見ていた。いつか彼女のうつわを求めて店を逍遥する連載ものを読んだので、名前と数点の作品は知っている。素朴な品の良さとでも言えばいいか、圧倒するようなな存在感こそないけれど、実用とも観賞用ともつかない凛とした姿は素直に美しいと思った。▼陶器は美術品のなかでも良さや美しさがわかりやすい部類に入ると思う。うつわなど日常に馴染みの深いものは特にそうだ。長く付き合っていれば勝手に目も肥えてくるということか。あるいは云々するべき点があまりないからかもしれない。色と形あるのみという簡明さが、深みと軽さとを両立させている。▼ただしうつわは写真で見せられてもいまひとつわかりにくいことはある。たとえば溶岩釉の作品なんかは、やはり手触りと一緒に楽しんでこそ。表面の接写を見せられても、自然で有機的な泡のならびがだんだん何かの模様に見えてきて、あまり気持ちよくはなかったのである。

[285] Jun 09, 2010

酒・タバコ・ギャンブルと、ならんで疎まれ者の三兄弟だが、私の身のまわりではとくべつギャンブルが嫌われているらしい。酒もタバコもいいがギャンブルはいただけないというスタンスの人によく出くわしている。少数派のギャンブル好きが応戦しても、なかなか形成は悪いようだ。もとよりそれぞれの領分にお決まりの建前があるので、どのみち意味のある応酬にはならない。▼先輩の誘いでPOGをはじめたばかりの競馬好きとしては悲しい限りだが、ギャンブルが好きか馬が好きかと言われたら圧倒的に馬が好きなのであって、その点、人にも自分にもある程度言い訳は立ちそうだ。証拠にパチスロにも競輪にもトトにも宝くじにもさっぱり興味がない。単に馬が可愛いのである。あんまり可愛い馬が入ればいつしか思い入れも出来て、余剰資金があれば好きな馬を応援にいくのだ。そんな遊び気分をギャンブルホリックとひとくくりにされるのは少々貧乏くじという気もする。

[284] Jun 08, 2010

「仕事の量は、その遂行のために利用可能な時間をすべて満たすまで拡大する。」これをパーキンソンの法則という。イギリスの歴史学者にして経済学者、C・ノースコート・パーキンソンによって提唱された。実際にはこの法則は多くの主張を含んでおり、上記はその一部である。▼彼は長年英国の官僚制を観察した結果、仕事の軽重や多寡と無関係に職員数は増え続けることを発見した。組織が拡大するのは業務が増えるからではなく、組織そのものが人員を増やすメカニズムを内包しているからだと言うのである。▼これはより一般的に「資源は利用可能な分だけ使われてしまう」とも解釈できる。あればあるだけ使いたいのが人の心情、狭義のパーキンソンの法則だ。「組織は瑣末な事柄に不釣合いなほど重点を置く」という自転車置き場の議論と呼ばれる現象は、こうした心情の結果として機械的に膨張したリソースをなんとかして使い切ろうとする努力に他ならないのである。

[283] Jun 07, 2010

標本集団からリサンプリングを繰り返し、未知な母集団の性質を知る統計的手法をブートストラップ法という。ブートストラップは直訳すれば靴紐だが、昔の童話で沼に落ちた男爵が靴紐を引っ張って自分を救い上げたことから、自力・独力を意味する名詞にもなっている。PCを起動するときの「ブート」と同じ語源である。確率分布に頼らず、標本のみから自力で母集団の性質を推定するのだ。機械学習におけるトランスダクティブ・ラーニングとほぼ同義である。▼もっとも身近なブートストラップは言語の習得だろう。言葉を学ぶにあたって赤ちゃんがすることは、身の回りで話される大人の言葉をゆりかごの中でただひたすら聞くことだけである。そうして言葉に付随する情況や再現された現象などを蓄えながら、重複されたリサンプリングを繰り返しているのだ。音韻標本集団から統語規則を推定するブートストラップとでも言うべきか。言語習得は本質的に独力なのである。

[282] Jun 06, 2010

ABCマートで靴を見てきた。自分の靴もひとつふたつ買わなければいけないが、今日は人の付き合いである。待たされる時間にぶらぶら店内を見ていると、自分の買い物では回らないところもじっくり見れて面白い。▼子供靴のコーナーを見ていた。手のひらに収まるほど小さな靴は何かの工芸品のようで、細やかに施された意匠の数々には感嘆する。それでも値段は大人物に比べれば遥かに安い。昔、服飾のデザイナーが使用する布の量と値段の密接な関係について熱く語っていたことを思い出す。▼男の子のは、大人のスニーカーをそっくり小さくしたような作り。女の子のは、どちらかというと女の子用に特別拵えたようだ。人気シリーズらしい棚へ行くと、ダンスパーティーへ履いて行くような靴がミニマムサイズでずらり。外形や紐のデザインはなかなか洒落ているが、ラメ素材のきらきらや、安っぽいガラスの細工が悪趣味だと思った。子供のオシャレにも上品さは欲しい。

[281] Jun 05, 2010

部署の外線が目の前にある都合上、社員への生命保険の勧誘電話はすべて私のところにかかってくる。度々申し訳ありません、次は誰々様に繋いでいただけますか。営業もたいへんなんだなと思う一方、業務の回線をあまり勧誘で塞ぐのもどうかと思う。新人が捌いているからいいものの、庶務が応対していたら大した手間だ。▼その勧誘をかけてくる某生命保険会社の調べによると、老後を夫婦ふたりで難なく生き抜くために必要な収入は月額35万円だそうである。年金が今なら通常20万円強だから、この足りない15万円を保険で積み立てましょうという話だ。▼二人とはいえ月に35万も使うだろうか。隠居生活の出費もいろいろあるのかもしれないが、それにしても随分余裕のある暮らしを想定しているな――などと勧誘のあざとさを皮肉っても、やはり数字を見ると蓄えは重要だと思わされるのである。流行りのジェロントロジーも、お金のことばかりは解決してくれない。

[280] Jun 04, 2010

週末の宴会もどきに元町中華街へ行った。他部署へ配属された面々も集めて、乗り切った五月の勤務を乾杯。お互いの部署のことなど話しつつ、この一ヶ月を振り返る。▼店の名前は「大珍楼」。中華街に通いつめた香港出身の同期が、ついに探し当てたという掘り出しものである。108品目食べ放題で、お値段2380円。バイキング形式ではなく頼み放題の形になる。味もよく、クオリティは十分すぎるほど。手頃な価格で中華を満喫出来る、二十代には堪らない店だ。▼鳥の唐揚、麻婆茄子、フカヒレ餃子、海老シュウマイ、炒飯、角煮、海老チリ、ちまき、ピータン、チャーシュー麺、野菜と卵のスープ、北京ダック。大卓を囲んでしゃべりながら、片端から平らげる。デザートには苺の杏仁豆腐とブラマンジェ風のココナツムース、マンゴープリン、カスタード入り饅頭をいただいた。さすがに食べ過ぎと言われても仕方ないが、お腹は至極満足である。明日の朝は要るまい。

[279] Jun 03, 2010

シャトーブリアンといえば、テンダーロインの中でも最も美味と言われる部位を豪快に鉄板で焼く最高級の肉料理である。私のような小市民がふつうに生活していて出会うような代物ではないのだが、有楽町の叙々苑游玄亭で食べたという話を聞いて、羨ましくも一同涎が出た。価格は130gで九千円だそうだ。「六月の賞与で行ってみようか。」そんな話になるかもしれない。▼シャトーブリアンという名前は、フランス・ロマン主義の先駆者、フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアンにちなんでいる。作家でもあり政治家でもあり、同時に美食家でもあった彼が、お抱えのコックに焼かせたのがはじまりだとか。何かにつけて洒落た人物であったようだ。自伝のタイトル『墓の彼方からの回想』のセンスもいい。その中の、こんな記述が印象に残っている。「どうか私の棺は、故郷の高台へ縦にして埋めて欲しい。」空を眺めるよりも、美しい海を見ていたいから、なのだそうだ。

[278] Jun 02, 2010

時間のなさについて、最後に弱音らしいことを言ったのはタクシーの中だった。二年前の卒論・修論発表後の祝賀会、六本木の二次会で飲み終えて渋谷までタクシーで帰ることになったとき、たまたま教授と二人乗り合わせた。修士課程を控えていた私は、諸々のことでスケジュールが参っていた。そこへ、課程科目中もっとも重たいと言われる授業がひとつ。準備に膨大な時間を費やす質の高い名物授業で、まさにその教授の担当だった。私はひどく迷っていた。▼「正直、今の生活で先生の授業に出られる気がしません。」すると教授はいつになく真剣な様子で、「タイムマネジメントだよ」とひとこと言った。その沈黙の裏には、出ろとも出るなともなかった。どうしても出られないなら、そこが君のタイムマネジメント力の限界だ。ただそれだけだ。それ以上でもそれ以下でもない――教授の顔はそう言っていた。以来私はただの一度も「時間がなくて」と弱音を吐いてはいない。

[277] Jun 01, 2010

「夢見よかと入りて汗を悲む所へ、秋まで残る蛍を数包みて禿に遣し、蚊帳の内に飛ばして、水草の花桶入れて心の涼しき様なして……」西鶴の『一代男』にこんな一節があるそうだ。なんとも羨ましい情景である。禿は「かぶろ」と読み、肩ほどで切り揃えた子供の髪型を指す。ここでは多分、そんな髪型をした遊郭に住む童女を言うのだろう。▼蛍を蚊帳に放つという趣向は、日本ではそう珍しくもない夏の風流である。柴田宵曲は『古句を見る』の中で、蛍と蚊帳に寄せて次の三句を集めていた。鶴声「飛ひかりよわげに蚊帳の蛍かな」、蕪村「蚊帳の内にほたる放してアヽ楽や」、喜舌「子を寝せて隙やる蚊帳の蛍かな」▼半袖を着て蚊に刺されて、掛け布団もぐっと薄くして、ちょうど夏気分になったからこんなことを言い出した。哀しいかな、蚊帳どころか蛍も見ない都会だから、なかなか季節気分も味わいにくい。こうして句に想いを廻らせるのも、せめてもの情緒である。

[276] May 31, 2010

業務でかなりハードなエクセルシートを扱うらしい。早速、VBAマクロを勉強しはじめた。それほどコーディングに長けた人がいないので、複雑な処理までこなせるようになればチームにとっては戦力になると見込んでいる。貴重な活躍の場だ。▼もう十年以上昔になるが、小学生から中学生にあがるくらいの時期、よくビジュアルベーシックを弄って遊んでいた。作っていたのは他愛のないゲームもどきやアプリケーションだったが、長時間触れていただけあって書式はそこそこ覚えているものだ。今、800頁ある分厚い本を買ってきてぱらぱら読んでいるが、それほどつらくない。▼SEじゃなくてもプログラミングスキルの有無は業務効率にかなり利くよ、と先輩が言っていたことを思い出す。考え方レベルの話かと思ったが、どうやらそうでもないようだ。マクロを組めば3時間で終わる仕事に、手作業で二日も三日もかけている非効率な世界が確かにあることに驚いている。

[275] May 30, 2010

マクドナルドの企画会議で、ピザを売るかどうかについて真剣に取り沙汰されたことがある。詳しくは覚えていないが、確かパンを売った時期に前後していたのではないか。散々悩まれたあげく、最終的には企画段階で却下されたらしい。コンサルタント諸氏は、売らなくて正解だっただろうと見ているようだ。「クリネックスのポテトチップスが食べたいか?」ブランドイメージのギャップがあると判断したのである。▼隣接領域のブランドを正しく認識するのは難しい。ある程度ブランド力を手に入れた企業なり人なりが、新機軸を打ち出すときに悩むのは「次はどこまでやれるのか?」である。似ているから大丈夫などというわけにはいかない。マクドナルドの場合も、結果としてピザにはピザの世界があった。それまで提供してきた商品とカテゴリー的には近いにも関わらず、やはり「マクドナルドのピザ」には顧客への訴求力がないと判断されたのだ。ブランドはシビアである。

[274] May 29, 2010

人はなぜ老いるのか。この問いに対する回答のひとつとして、リチャード・ドーキンスの取り上げているピーター・メダワー卿の老化説は興味深い。▼老年期になって人を衰弱させる遺伝子があるとしよう。このような宿主を死に至らしめる半致死遺伝子は、通常ならば遺伝の過程で淘汰されていくはずである。しかし人間の繁殖期が二十歳から三十五歳であるとすると、二十歳以前に効果の発現する致死遺伝子はその個体が繁殖期前に死んでしまうため遺伝されないが、三十五歳以降に効果の発現する致死遺伝子は必ず子孫に受け継がれてしまう。▼この論理は純粋に科学的である。彼の説に従えば、私たちは人間という種の繁殖期が大体決まっていることの「副産物として」結果的に老いるに過ぎない。老いること自体に意味はないのだ。繁殖期以降に宿主を衰弱させる遺伝子は、種の好むと好まざるとに関わらず、子孫を通じてどこまでも遺伝子プール内で栄え続けていくのである。

[273] May 28, 2010

セラミドという成分がある。男性よりも化粧品を使う機会の多い女性に馴染み深い名前かもしれない。皮膚の水分を逃がさないための成分で、保湿液などの高級なものにはしばしば配合されている。人の角質層にも多く存在しており、健康な皮膚においてはこの成分がダニやカビ、ほこりといった外界の刺激に対するバリアを形成している。したがってセラミドが不足すればバリア機能が落ち、肌はかゆみと乾燥のフィードバックへ入ってしまうことになる。▼そうならないためにこれを肌へ塗るのだが、ひとつ弱点がある。セラミドは外から塗って補充する場合、乾くのが早いのだ。もとが水溶性でないところへ、湿度や汗などの条件も手伝って、現実的には三十分から一時間程度で乾いてしまう。保湿効果としてはあまりにも短い。もしこれを三時間、六時間と長持ちさせたければ、シアバターなどの植物性バターやエッセンシャルオイルを上から塗ってフタをしてやるとよいだろう。

[272] May 27, 2010

先週末からぽつりぽつりと人が休みはじめていた。月曜日になると休暇連絡はさらに増えて、新人もなんだか皆体調が悪い。顔を見合わせる不穏な空気――そうして水曜日になると、部長以下偉い人から先輩まで、みんないなくなってしまった。いよいよ風邪の大波である。この時期ならでは大事を取ったに違いないが、それにしても繁忙期なら致命傷になるところだ。今週中には戻れないという。▼頭がちょっとぼんやりして、喉が若干痛くなり、鼻水が申し訳程度に出る。そんな「ゆるい風邪」が、どうも全国的に流行っているらしい。緩いといっても人それぞれで、体力が減っていればそれこそ今週中に回復しないほどこじらせてしまう人もあるだろうが、まわりの面々を見る限り、たしかに症状の比較的軽い風邪のようだ。私もまだ少々喉が痛くて熱っぽい。薬を飲むほどでもないと思えてしまうこの控えめさが、逆に厄介である。週末はあまり無理せず体力の回復に専念したい。

[271] May 26, 2010

トマス・モアの『ユートピア』で、語り手のラファエロ・ヒスロデイはこんなふうに言っている。「吼える六頭女怪だの、狂乱の半人半鳥女怪だの、人を喰らう人喰巨人だの、こういった途方もない怪物くらい、容易にみつかるものはない。ところがこれに反して、公明正大な法律によって治められている国民、となると、これくらい世にも珍しく、また見つけるのに困難なものはないのである。」▼あらゆる民に公平で、いかなる分けへだてもなく、口々に不公平を訴える「虐げられるもの」もいない、そんな国家は歴史上ひとつたりとも存在しなかった。素朴な帰納法からすれば、今後も存在することはないだろう。たしかに、あらゆるシステムは本来的に不平等を助長するために作られている。しかし一方で、国家は出来る限り多くの人間のまとまりを形成しようとするものだ。この矛盾に均衡を求めつづける営みが国家の運営であるとしたら、なるほどややこしいのも無理はない。

[270] May 25, 2010

プロジェクト初期段階の計画フェーズでは、まず実施すべき作業を漏れなく無駄なく洗い出し、これを後々進捗管理に活かしやすいよう体系的にまとめなければならない。体系的にというのは、言い換えれば「管理単位が明確に定められ」「管理単位同士の関係が構造化されている」ということである。このようにまとめる手法、ないしまとめられたものをワークブレイクダウンストレクチャーという。長いので、通常WBSと呼ばれる。▼勤務時間外に社内のデータベースを覗いて無造作に過去の管理書類を見ていると、WBSの杜撰なものは大抵失敗しているようだ。遅れが生じ、納期には間に合わず、仕上がりも半端である。「完成間近」など進捗管理が数値化されていないものに至っては、壊滅的失敗を招いている。そして逆もまた然り――プロジェクト規模が大きくなるほど、運良くうまくいくなどということはありえない。忘れた頃に計画が、大きく物を言ってくるのである。

[269] May 24, 2010

何かがおかしい。皆がそう感じている閉塞された空間で、いま誰かが叫んでいる。「逃げろ!」「ここは危ない!」けれども人々はいっこうに関心を示さない。叫び声が大きくなればなるほど、かえって警戒を強めるばかりである。ざわめき、憶測、不審……では彼らはいつ逃げ出すのだろうか。それは、誰かが避難路を示したときである。「ここから外に出られるぞ!」そのとき、群集はいっせいにそこへと群がっていく。▼偉大な創作物はいかなる物でもいつの時でも、その時代に戸惑う人々の非常口として機能してきた。少なくとも、そうした側面を持っていた。多くの人があるべき姿や取るべき振る舞いを見失ったとき、「こう考えればよかったのか」という解決の糸口を与えてきたのだ。芸術的創作とは、避難路を示す仕事に他ならない――小林秀雄もそんなことを言っている。出口を見つけなければならない。なければ作らなければならない。それこそ芸術家の使命であろう。

[268] May 23, 2010

目を瞑りながら弾き慣れた曲を弾いていると、譜面に散りばめられている仕掛けがいっそうはっきりわかることがある。フーガなどは特にそうだ。なるほど、こんなところもフーガになっているのかという発見である。それまで気がつかなかった音の連なりや旋律同士の関係が、くっきりと浮かび上がって来る。▼曲を練習するとき手元を見ないで弾くよう心がけるのは、初心の練習にはなかなか効果的である。上述のような発見にくわえて、単純に指使いが上手くなる。ことに音が飛ぶときなどはそうだ。目を瞑ったまま2オクターブ以上の飛躍を確実に飛べるようになれば、それだけで難しい曲では役に立つ。▼もうひとつは、跳躍のときや一風変わった指使いのときに、見えないことでふと不安に思う、その一瞬の間の自然さである。目を瞑って弾いているときの音の間は、確かにわざとらしさのない躊躇だと感じるのだ。指を見てしまうと失われてしまう、貴重な息づかいである。

[267] May 22, 2010

大体どのジェラート屋へ行っても、私が注文するのはバニラかミルクの二択である。チョコレートも気が向けば頼むかもしれない。これらは私の中で、少なくともオレンジやメロンなどのシャーベット系とはまったく別物なのだ。もし趣味が似ていると思ったなら、きっとあなたはかき氷にもコンデンスミルクをかけて食べるのがなにより好きだろう。冷たいものにはシロップよりも乳製品というスタンスなら、仲間である。▼ところで練乳の歴史は意外と古い。森永曰く、その起源は飛鳥時代に遡るという。腐りやすい牛乳を保存するため加熱処理した「蘇」なるものが当時の天皇に献上されており、これこそが練乳の祖先なのだそうだ。恐らくは無糖練乳であろう。明確に細菌の繁殖を防ぐ目的で加糖され、製品として売り出されるのは十九世紀になってからだ。ちなみに「練乳」は当て字で、正式には「煉乳」と書く。「れん乳」とひらがなにされることが多いのはこのためである。

[266] May 21, 2010

会社の先輩が新入社員に教えることの第一は、業務で人に迷惑をかけないことである。それはよく言えば新人が社内でうまくやっていくための教訓であり、悪く言えば自分たちがハザードを被らないための保険である。▼さて、こうした教訓で必ずと言っていいほど引き合いに出されるのは「ほうれんそう」だ。報告、連絡、相談。もっとも基本的な仕事のスキル、円滑な業務遂行に必須の三箇条である。既に片手で数えられないほど聞いた。けれども、なぜこの三つが大切かについて説明した人はひとりもいなかった。▼「ほうれんそう」は、実はなかなか優秀な略語である。この言葉はその順番通りに、およそすべての必要な情報交換の作業を含んでいる。即ち、報告とは過去についての情報交換であり、連絡とは現在についての情報交換、相談とは未来についての情報交換なのだ。ほう・れん・そうと三拍子揃ったときこそ、洩れなく情報伝達のなされたことが保証されるのである。

[265] May 20, 2010

「ディレクターとプロデューサーって何が違うの?」としばしば聞かれる。どちらも耳慣れた言葉だが、その差異はあまり知られていないようだ。簡潔に言って、違うのは責任の所在である。ディレクターは創作的成否、プロデューサーは商業的成否に、それぞれ責任を負っている。▼わかりやすく言おう。ディレクターはゲームという作品の完成度に責任を負う。彼は作品のコンセプトを理解し、その実現のため絶えず現場を指揮し、品質をチェックしなければならない。出来上がったゲームがつまらなければ、それはディレクターのせいである。一方プロデューサーはゲームという製品の利益に責任を負う。彼は製品がユーザーに最大限アピールするよう、企画から人事、工程、広報まで、全てを管理しなければならない。空前絶後の素晴らしいゲームが完成しても、それがまったく売れなかったら、あるいは売れても利益を産まなかったら、それはプロデューサーのせいなのである。

[264] May 19, 2010

実務がだいぶこなれてくる。朝から晩まで頭と身体をめいっぱい動かしているので、時間が過ぎるのもあっという間なら、スキルが上達してくるのもあっという間だ。細々した作業はさっさと手際を覚えてしまったし、席の巡り合わせで部内の外線を一手に受けているうちに、はじめのうちは要領の怪しかった電話応対もすっかり慣れてしまった。環境が変わって気持ちが乗っていると、たった七日で人間ずいぶん成長するものである。▼がちがちに緊張するようなタイプじゃないが、配属依頼めぐらしていた緊張感も、今はほどよいところへ落ち着いた。そろそろキャスターにお菓子でも積み込み始めるかもしれない。適度に息が抜けてくると、仕事の効率はまたちょっとあがってくる。そうして油断したところへ、ミスのひとつでもするとまた少々気が引き締まる……という按配でまわっていくのだろう。まだまだ、明日の楽しみな日々がつづく。いい意味で新人生活を満喫している。

[263] May 18, 2010

本棚システムが導入されて以来、「読書メーター」をつけるのをやめてしまった。以前より資料散策的な読書が増えてきたせいで、読み終わった本を登録しにくくなったというこちらの事情もあるが、それ以上に一冊の処理についてやることが増えた億劫さが立つ。次第に拡大するサービス展開に、ただ読み終わった本を申告しさえすれば、消化した頁数がグラフになるという気安さがなくなって行くようで痛い。▼この読書メーターの件は様々な事情が一緒になっているので、私の我が侭に由る所も大いにある。しかし一般にサービスを設計するとき、もっとも注意すべきもののひとつが「使いたくない人は使わなければいい仕様」である。「あっても損はしないだろう」という思惑で、とりあえず追加されるエネルギー。人はそれを贅肉と呼ぶ。合目的性に乏しいこのような仕様の追加は、往々にしてコンセプトの明快さを損ない、ライトユーザーの足回りを重くしてしまうのである。

[262] May 17, 2010

「小説中の人物で、もっとも美しいと思う女性は誰ですか。」この問いに谷崎潤一郎はヴェエラと答えている。ヴィリエ・ド・リラダンの掌編『ヴェエラ』に登場する幽玄な女性である。登場すると言っても、実は登場しないのだが……そのあたりはぜひ読んでいただきたい。私はリラダンなら『未来のイヴ』のハダリーの方がいいと思う。アケディッセリル女王はどうもイメージがしっくりこない。▼「もっともかわいい」と言われたら、美少女から美少年までいくらでも候補があがってしまって決めようもないが、「もっとも美しい」と言われると、フーケーの『水妖記』に出てくるウンディーネが私の中ではいちばん美しい。想像される容姿はもちろん、ひとつひとつの仕草や言動がどれをとっても可憐で幻想的で、輝かしい魅力に満ちている。物語にしろゲームにしろ、水の精霊はどうも美しく描かれることが多いようだ。今でも美人の象徴のように思っているイマージュである。

[261] May 16, 2010

先週末で研修は終わり、いよいよスーツを脱いでカジュアルでの出社が許されるようになった。ネクタイのない通勤電車。ミーティングルームに集まったいつもの面々も、今日はどこか雰囲気が違って……などと思いしな、仰天した。Tシャツで出社している新入社員がいたのである。▼ビジネスカジュアルと普段着ははっきり違う。半ズボンやサンダルが会社という場所に不釣合いであるのと同じくらい、襟のない服は常識的に企業人のなりではない。就業規則として認められているとかいないとかいう以前の問題である。研修中にただの一人でもTシャツの社員を見かけただろうか。そんな覚えはない。▼暗にそのことを指摘すると、本人は「そうなんだ?」という程度の認識。いちどは誰かに言われたりしなければわからないことかもしれない。ジーンズやスポーツシューズも通常NG、靴下もスーツ用が望ましい。あくまで「ビジネス」カジュアル。それなりにはお堅いのである。

[260] May 15, 2010

「青年の主張することはつねに間違っている。」ドイツの哲学者、ゲオルク・ジンメルはこう言っている。そんな馬鹿なことがあるかと言いたくなるのが若いうちの常で、馬鹿な未熟者だったなと思うのが五年後の常だったりする。過去の自分を恥ずかしく思うことがありふれた体験なればこそ、黒歴史という言葉も生まれてくる。今の自分もきっと未来の自分に笑われているだろうと、一度も考えたことのない人はあまりいないだろう。▼それでも今の自分が間違っていると思いながら生きるのも馬鹿らしい。振り返った系譜が黒ずんでいても、そんなこととは関係なしに未来は輝いている。今歩く足下がどうかなんて、敢えて見てやる必要もないだろう。間違っているかもしれないが、素直に思うことを言ってやるんだというくらいの、陰陽和する謙虚な傲慢さがちょうどいい。ジンメルだって冒頭の句をこう結んでいるのだ。「けれども、主張するということ自体はつねに正しい。」

[259] May 14, 2010

アイザック・アシモフのノートに曰く、紀元前三十世紀頃の古代アッシリアに、子供たちの堕落を嘆く粘土板が残っているという。「世も末だ。未来は明るくない。」時代は下ってギリシャ、かのソクラテスはこう嘆いている。「近頃の子供はまったく礼儀をわきまえない。親にはふてくされ、師にはさからう。」そしてプラトンは――「最近の若者はなんだ。目上の者を尊敬せず、親に反抗。法律は無視。道徳心の欠片もない。このままだと、どうなる。」▼歴史は繰り返すという至言はあるが、「最近の子供」に関する大人たちの悲観的な風説ほど繰り返して来たものはないだろう。若い心で真っ先に時代を反映した巨大な潮流は、柔軟を欠いた大人たちには危うく見えてしまうのである。「子供叱るな来た道だ。」けれども見方を変えれば、たしかに警鐘も繰り返して来た。恐らくは堕落と戒めのせめぎあいが、いつの時代もいい按配だったのだろう。そう思うと、なんだか面白い。

[258] May 13, 2010

かなり昔のことだが、ウラジーミル・プロップの『魔法昔話の起源』を探して本屋をさまよったことがある。もう長らく絶版になっているとのことで、記憶が確かならば当時はアマゾンにも無かった。(現在は在庫ありになっている。)今は亡き渋谷のブックファーストで在庫に残っていた最後の一冊をようやく手に入れたことを覚えている。▼先日文学部出身の同僚と話をしていたら、たまたまプロップの話題になった。『魔法昔話の起源』は読んでいないが『昔話の形態学』は授業で読んだという。こちらは水声社の叢書・記号学的実践シリーズの一部で、魔法昔話の前身となった論文だ。理論的解析と機能(登場文実の行為)のカテゴライズに終始していて、門外漢にも興味深いものがある。「構造言語学におけるソシュール『講義』にも比すべき」記号学の古典なのだそうだが、素直に読み物として楽しめるところもあるので、興味があれば立ち読み推奨だ。ただしお値段は張る。

[257] May 12, 2010

運命の、と枕詞をつければ出来事がぐんと大仰になる。ほんとうは人生の刻一刻、いかなる些細な選択肢も運命の分かれ道ではあるのだが、それがひとつの事件に「運命の」と言いたくなるのは、ちょうどサイコロでゾロ目が出たときだけを特別に感じる心理と変わらないだろう。肝所は自分で決める。あらかじめ意味があると思い込んだところに運命があるのだ――なるほど、そう思えば運命の配属発表ではある。▼詳しいことはここで語れるはずもないが、この波乱万丈のご時世にふさわしく一騒動はらんだ人事であったらしい。騒然とした場面もある。私はと言えば、文句なく希望通りに配属されたからよかった。行くべきところへ綺麗に収まった形になる。こう書くと実に味気ない報告めいているようだが、辞令を受けた瞬間は肩凝りも取れた思いでほっと胸を撫で下ろしたものだ。こういうときに逆目を引かない籤運の良さには深々感謝しなければならないといつも思っている。

[256] May 11, 2010

毎日二十分から三十分くらいはピアノを弾く習慣がもどって、ようやく鍵盤の馴染みが少しよくなってきた。電子ピアノなので打鍵感までは帰ってこないが、和音の揃え方だったりペダルの踏み方だったり、あるいはちょっとした指の運びに昔のことを思い出したりしている。曲のことは考えたり考えなかったり。暇つぶしのニュアンスが強くて、音楽に触れているという確たる気分はあまりない。▼上手くなろう、練習しようと思ったらこう怠惰にはやっていられないだろうが、さいわい今はただゆるい感覚で鍵盤を触っていさえすればよく、弾く曲さえそんなに選ばないのである。バッハの平均律クラヴィーア曲集が二冊分で九十六曲もあるのだから、当分のあいだはこれだけで十分だろう。欲が出てくるまでは漫然と次のフーガを弾いていればいい。一心不乱の情熱を捧げる趣味あり、心地よい時間のためのスローな趣味あり。そのあいだをゆらゆら揺れつつ、今日はハ短調である。

[255] May 10, 2010

面白さには様々な段階がある。コンテンツ自体の面白さ、それを提供する人の面白さ、それらの構成や配置の面白さ、場所やタイミングの妙による面白さ、あるいは参加者の参加スタイルによる面白さ――なにもかもが碌でも無いお祭りも、仲良し同士で歩けば十分に面白い。▼その中でも特に、扱う内容に関わらない面白さを追求する作業をレベルデザインという。「その場所を通るプレイヤーを夢中にさせること。」ゲーム業界の用語だが、海外ではいち早く独立した職能として認められている概念である。▼ある物事についてどうしたら面白くなるかを考えるとき、はじめから360度あらゆる角度から検証を加えようとすると、つい題材に着目して「そもそも論」になりやすい。もしそれで泥沼に嵌ってしまったら、利用可能なリソースと与えられた条件の中でどうすればもっと「参加者にとって」面白くなるかという、レベルデザインの視点に一度こだわってみるといいだろう。

[254] May 09, 2010

どんなことにでも似たようなことは言えるが、特に曲の音選びについて必要と思われるスキルは「企画力」「構成力」「表現力」だ。企画力は音への意味付けである。なぜその曲にその音を選ぶのか、という問いに対する明確な答えだ。構成力は割り振りである。なぜその旋律にその音を割り当てるのか、という問いに対する答えだ。そうして表現力は、音や楽器についての知識と経験である。▼サンプリング音源を用いるDTMにおいては、この「表現力」が厄介なパラドックスを孕んでいる。打ち込みで楽器を表現する場合、たしかに音源のクオリティは表現力を左右する最大のボトルネックだ。けれども音源のクオリティがあがることによって蒙る不都合もある。音のリアリティが高ければ高いほど演奏表現の自由度が増すために、僅かな調整のズレがかえって不自然に聴こえるのだ。すなわちよい音源を使うほど、音の表現力と自身の表現力のあいだの乖離が大きくなるのである。

[253] May 08, 2010

課題でA*アルゴリズムを実装した。A*はエースターと読む。ちょっと変わった名前のこのアルゴリズムは、グラフ上の二点間の最短距離を効率的に求める手法で、グラフ理論では有名なダイクストラ法の拡張版である。▼ダイクストラ法は、次のように最短経路を求める手法だ。「到達済の場所でもっとも移動コストの小さい場所を選ぶ。そこから次の場所へ進み、そこまでの移動コストを計算する。その場所に既知の移動コストがあれば比較し、こちらの方が小さければ「自分→相手」経路を暫定的に確定する。以上をゴール発見まで繰り返す。」▼この方法は「全経路が最適経路であれば、その部分経路も最適経路である」という最適性の原理を前提としている。そうして部分最適経路を手近なところから順次確定していくことで、全体最適経路を求めている。このような「臨機応変な」手法を一般に動的計画法という。計算時間が短く最適解が保証される点、便利な手法である。

[252] May 07, 2010

小林秀雄は作家を目指す若者に向けて「とにかく一流のものだけを読め」と助言した。目利きを養うには一流を知らねばならぬ、そうして一流を知るためには一流にどっぷりと浸かって、悪しきものを遠ざけねばならぬ。▼ところで、湯浅譲二は若い作曲家に向けて、「真に創作的な態度を持ち続けるために」次のことを薦めている。即ち既成概念にとらわれないこと、権威に反対の立場を取ること、視座の転換をはかること、科学的態度も保持すること、好奇心を滋養すること、そうして「騒音も含めあらゆる音響を聴き込む訓練をすること。」▼音楽家はまず音そのものについて専門家でなければならないと彼は言う。これは冒頭の小林秀雄の助言とは対をなしているかのようだ。もちろんどちらの意見にも一理あるのであるが、それにしても騒音を聴きこめというのは面白いアドバイスだと思った。音楽概念の延長を夢見て、第一線で活躍してきた現代音楽家ならではの言葉である。

[251] May 06, 2010

イギリスの学者キングスレイ・マーチンは、人間の精神に最も大きな影響を与えた本として『聖書』『資本論』『社会契約説』のみっつを挙げている。これを知ったときは、よく『社会契約説』が入ったものだと思った。重要性が厚みによって決まるわけではないが、なんとなく毛色の違うチョイスである。▼野生から理性へ。社会契約によって人間は、それまで自分のことだけ考えていればよかったものが、己の好みに聞くまえに理性と相談しなければならなくなった。各人がこの原理にしたがって行動する世界こそ社会と呼ばれるものである。▼社会契約とは何かについて、ルソー自身が記した以下の箇所は簡潔でわかりやすい。即ち「社会契約によって人間が失うもの、それは彼の自然的自由と、彼の気をひき、しかも彼が手に入れることのできる一切についての無制限の権利であり、人間が獲得するもの、それは市民的自由と、彼の持っているもの一切についての所有権である。」

[250] May 05, 2010

連休をかなり連休らしくなく過ごした。なにかしたかと聞かれたら、なにもしていないと答えるしかない。本くらいは読んだ、それくらいである。もとよりあれをしよう、これをしようという計画もとくべつ立てなかったから、失敗したという気もしていない。今回はなんとなく、そんなやり方でいいような気がしたのである。では今週末の土日はどうするか。これはもう決まっている。いろいろと勉強に時間を割きたい。▼学生から社会人になって休日の意味は大きく変わったと思う。学生の頃、平日は勉強する日であり、休日は遊ぶ日だった。けれども社会人にとって、休日は「ようやく勉強できる日」なのだ。この勉強したさは、わかっていたつもりでもなかなか予想外である。だからと言って「学生のうちに勉強しておけよ」なんてことはあんまり言いたくない――それは勉強できなくなった自分の都合じゃないか。ようするに人生その時々、やりたいことをやればいいのである。

[249] May 04, 2010

ピアノはいちど鍵盤を叩いたら、そのあと押しつづけてもいつかは音が消えてしまう。このような音を減衰音という。反対に音が残りつづけるのは持続音だ。たとえばバイオリンは持続音である。ピアノばかり扱っていると、時々この持続音が羨ましくなる。こんなとき音をぐっと伸ばせたらもっと感動的なメロディになるのにと、悔しながらにペダルを踏むのだ。それでも音は消えていく。いったい消えていく音の魅力とはなんだろう。▼第一楽章から第三楽章まで、すべてTACET(休止)とのみ書かれた有名な曲にジョン・ケージの「4分33秒」がある。環境という音楽に耳を澄ませという作者のメッセージであり、真の意味でのアンビエントだ。ピアノの音に耳を傾けることも、これに近いものがある。なくなっていく音に集中し、想いを馳せること。次に聞こえてくる音を待つ期待の高まり、ミュートという持続の増幅。これこそ減衰音ならではの魅力と言えないだろうか。

[248] May 03, 2010

前衛芸術家はしばしば理解されにくい。特に芸術に興味のない人たちにとって、それは評価の対象にもならないようだ。いいも悪いもない、前衛的な作品の多くは「意味不明」のひとことで片付けられてしまうのである。「きもちわるい」とでも言わせれば、まだ報われた方かもしれない。▼たしかにどう頑張っても作者が込めたであろう想いを汲み取れない作品もある。何がしたいんだろうと首を傾げること多々。けれども彼らの書いた随筆や論文を読んでいると、少なくとも非常に真剣な姿勢と態度で創作に臨んでいるということだけはよくわかるのだ。既成概念に囚われていないか、権威に追従していないか、視座を変える必要があるのではないか――そこには真摯すぎるほどの創作への想いや考えが溢れている。そうして恐らくは、なんとかしてこの情熱を「作品」で人にわからせられないものかという苦心が、前衛芸術の創作なのだろう。茨の道だが、その意義はきっと大きい。

[247] May 02, 2010

芸大にいるときは次から次へと誰よりも精力的に作品を生み出していた人が、大学を卒業した途端にぱったり作品を作れなくなるという話はそれほど珍しくないという。モチベーションの低下ではなく、環境の変化が問題になっているようだ。ある芸大の教授はこう言った。「芸術家が芸術作品を作り続けていく上でもっとも難しいことのひとつは、物を作る環境を維持していくことだと僕は思う。」▼大学にいる間はありとあらゆる器材が提供されていて、いつでも自由に使うことができる。けれども卒業した途端、そういう恵まれたインフラがいきなりなくなってしまう。人によってはそこで途方に暮れてしまうのだろう。かといって自分自身で環境を維持していくというのは、簡単なようで意外と難しい――「単にお金が足りる足りないということだけじゃなく、疎かにしやすいという意味でもね。君たちもそのことは、大学を出てからのために、肝に銘じておいた方がいいと思う」

[246] May 01, 2010

人から物へ。文学にはさまざまな変身譚が存在する。なぜ変身しなければならないか、その理由は様々だ。行為への罰、人生の記念、天敵からの保護、我が身の衰弱……そうしてそれらの作品ひとつひとつが、なんらかの形で人間の変身願望を表現している。鯉へ、虎へ、声へ、透明人間へ、デンドロカカリヤへ。特に植物への変身願望は、人間にとって特別な意味を持っているという。▼ところで人間が動物、植物、無機物にその身を変じるというのは、言ってみれば擬人化の反対バージョンである。しかしそもそも擬人化というのは、非人間的なものの中に人間的なものを見出すという作業であるから、物から人間を引き出す以前にすでに物へ人間を投影している。すなわち眼前の物を、人間が形態変化したものと見做しているとも言えるのである。擬人化と変身願望の根底にある価値観と世界観は実は共通のものであるという、逆説的なメタモルフォーシスの一論説として興味深い。

[245] Apr 30, 2010

子どもが熱中する遊びの一要件に「コレクション性」がある。男の子は特にそうだ。一昔前であればミニ四駆、ベイブレード、最近では遊戯王やムシキングなどの大ヒットを考えれば、いまさら詳しい説明を要しないだろう。ところで一般にこれらのコレクション対象が単なる物ではなく、背景物語の中で意味を持つ生物的な存在が、車やコマやカードといった物体に落とし込まれている点は注目に値する。▼何故か。収集情熱というものは、物体に対する嗜好だからである。生きている動物や鳥をあつめても、それは一般にコレクションとは呼ばれない。「昆虫でも貝殻でも、生の記憶から出来るだけ遠ざかった、乾燥した標本となって初めてコレクションの対象となる。」澁澤龍彦はこう述べる。物体愛こそ蒐集癖の心理学的な基盤をなすものなのだ。そうして特に男の子がコレクションに関心を示すのは――恐らくは彼らが生まれつき遊ぶべきオブジェを持っているからなのである。

[244] Apr 29, 2010

キーボードがお釈迦になった。叩けど叩けど、めったに反応しない。文字ひとつ打つのにも連打してようやく、今もこれを書くのにえらい苦労している。時々連続で打ち込めるときがあるのはまださいわい、本格的に壊れてくると危ういので、今日中にも新品を買ってきて備えよう。▼そうでなくともPCまわりはそろそろ一新するつもりだった。ディスプレイは今まで通り24インチのデュアルで問題ないとしても、PCケースの中身はマザーボードから総入れ替えの季節である。メモリもじわじわ高くなっているし、OSもセブンへ乗り換えて、64ビットへ移行するにはちょうどいい。▼さて、そろそろイライラが募ってきた。ちなみにこの四百文字を書くのに五十分以上かかっている。文章ではほとんど悩んでいない。時々のバグったような挙動もうっとうしくて、久々に異常なほどのストレスフルな経験だ。携帯で書いてメールで転送したほうが、ずっと早かったかもしれない。

[243] Apr 28, 2010

月末の週中、翌日が休日となると急に気が大きくなる。大型連休を前に、ある意味ではいちばん羽を伸ばしやすい日だ。遊びに行こうぜの一声で、さっそくラウンドワンへの遠征部隊が出来上がる。夕飯、飲み会もセットになるだろう。今日こそは早く帰ろうと思っていたが、誘われたら行かない手はない。そうしてやはり「明日が休みだからいいか」と言い訳している自分がいる。笑ってしまう。▼嵌っている同僚の手引きを受けて、いつかやってみたいと思っていたjubeatを体験した。一昨年コナミがリリースした、立方体がモチーフの音ゲーム新作である。予想と違うところがいくつかあって、思っていたより面白かった。自分の手で譜面が隠れてしまい端の方が難しいなど、やってみなければなかなかわからないことだ。反応時間は短いし、想像以上に腕も動かされる。それでも最後は難易度7〜8くらいなら楽々抜けられるようになった。IIDXの経験値が効いている。

[242] Apr 27, 2010

石川丈山は「幽居即事」でこう春を読む。雨湿して鶯衣重く、風暄かにして蝶袖軽し――たしかによく雨の降る四月である。今も天窓が音を立てるほどの大雨だ。気象庁で横浜のデータを覗いてみると、どうやら今日までに四月だけで十二日間雨が降っている。そのうち半分が10mm以上の雨。合計降雨量は案外例年並だが、晴れの日が少ないだけにいっそう雨ばかりに感じる。▼しかし風の方はといえば、ちっとも暖かくなんかない。三月の後に二月が帰ってきたようだと、皆口を揃えて言う連日連夜の寒さである。例年、横浜では四月の平均気温は大体15℃から16℃だが、今年は日平均11.9℃。最低気温平均も8.3℃と、毎年ほぼ必ず超えてくる10℃のラインを下回っている。最高気温も言うに及ばず、とにかくまったく春らしくない四月である。羽を暖かに撫でてくれる風もなくて、蝶もさぞかしたいへんだろう。満開の桜を見ながら白い息を吐いた朝が思い出深い。

[241] Apr 26, 2010

研修の数学テストを受けた。こういう改まった形式の試験は実に久しぶりだ。白紙の解答用紙が配られて、全部記述かなどと思う間に、「はじめ!」の声でいっせいにカタカタカタと部屋中が回答をはじめる。この緊張感が懐かしい。▼三角関数や微積分などの高校数学基礎から線形代数、微分方程式あたりまでをフォローするテストかと、だいたい皆そう思っていたが、蓋を開けてみればかなりベクトル・行列まわりに偏っていた。幾何学的関係をベクトル方程式に落とし込むタイプの問題が多い。やはりプログラミング研修の一環であるから、そうなのだろう。▼内積・外積を問う基本問題など、他に比べれば明らかに簡単なサービス問題のように見えて、案外外積の計算方法など忘れてしまったという人が多かった。それでなくとも行列やベクトルは、要素を書き出さない方程式の形で処理して行く場合、式変形にそこそこ訓練を要する。日頃から実践形式での適度な復習が必要だ。

[240] Apr 25, 2010

どんな音色であれ、同じ音を長いあいだ聞いていると、しだいに退屈し美的感情が損なわれてくる。リムスキー=コルサコフは『管弦楽法原理』で特に管弦楽の楽器群について、この疲労の度合いを次のように整列している。「弦楽器>木管群>金管群>ティンパニ>ハープ>ピッチカート>打楽器(トライアングル>シンバル>大太鼓>小太鼓>タンバリン>銅鑼)>チェレスタ>鉄琴>木琴」▼打楽器にまで順序をつけているあたりが凄まじい。シンバルの位置はやや意外である。また直感的に理解されるように、耳に飽きないという点ではやはり弦楽器が王様のようだ。木管がこれにつづく。弦・木・金があればまず心配なしと言ったところである。この序列では最下位となった木琴については「旋律的ではあるが、非常に特殊な音色を持っているのであまり度々聞かされると我慢が出来なくなる」と特別な注意が付けられている。要するに、使いどころが肝要な楽器ということだ。

[239] Apr 24, 2010

とうとう椅子が大破した。随分前からぎしぎしと軸は軋むし座席は揺れるし、あちこちにガタが来ているようではあったが、先日唐突にばきりと折れて、それっきり椅子ではなくなったのである。五年使ったそこそこ立派な椅子だった。▼近く壊れるだろうと睨んでいたので、初任給で新調しようとは思っていたが、いざ買いに行くとやはり値段の高いことには気後れする。なにより研究室でずっと使っていたアーロンチェアが素晴らしくて、なかなか他の安い椅子をメインに据える気になれないのだ。心地いい、疲れないで、長時間の作業には抜群である。「あらゆる体型と姿勢に対応したグローバルスタンダード」は伊達ではない。▼しつこいくらい座り比べても、アーロンチェアに勝る良品は見つからなかった。とはいえ十万円越えは即決できない。これを買う決断はひとまず先延ばして、今日のところはつなぎの安椅子を注文してきた。それなりにお金が貯まるまでは辛抱である。

[238] Apr 23, 2010

初任給である。当然のように終末打ち上げがいくつも催された。中華街で食べ放題もあれば、焼き鳥屋で飲み放題もあるといった具合で、ぱらぱらといくつかのグループが出来て行く。私はと言えば、中華街にも惹かれたものの、かねてから同僚と二人で企画していた飲み会である。最終的には十四人の大所帯になった。▼今までの騒ぎにはない爽快感と充実感があったように思う。うまく表現できないが、この表現できないところが社会人の味なのだろう。額面だけなら近しい単位のまとまったお金はバイトなどで貰わなかったこともないが、やはりどこか格別の感がある。まだ研修生という穀潰しの身ながら、感謝に堪えない。▼初任給は一生に一度しかないイベントだ。人生におけるひとつの記念、ひとつの節目である。来月にはこれまでお世話になった人たちに、心ばかりのプレゼントを配りに行くつもりだ。ビールが大好きな高校時代の恩師は、是非とも飲みに連れていきたい。

[237] Apr 22, 2010

「55点法」というものがある。一昔前、トヨタでソフトフェア部門の成果を向上させるのに一役買ったと言われているシステムだ。プログラマーのオフラインドキュメント――たとえば報告書や稟議書などの提出書類――について誤字脱字などの日本語チェックを減点法で行い、そのスコアが55点を切った者のプログラムは基本的に信用しないでかかるというシステムである。結果は良好だったらしい。▼出来る限りバグを埋めこまないことは、優秀なプログラマーとしての最低条件である。誤字ひとつ、勘違いひとつで致命的なバグの出てしまうプログラムなのだから、日常使う日本語で誤字脱字が多ければ、まずプログラムなどまともに書けてはいまいというのは理に適った連想法だ。翻って、日本語能力ひいては言語能力というものは、ただコミュニケーションのツールというだけでなく、かなりの程度まで総合的に、別分野の仕事能力にも影響を及ぼしていると言えるだろう。

[236] Apr 21, 2010

聴覚に入力された音声信号は、一定の周波数帯域ごとに分割して処理される。そのため何か大きな音が生じているときには、近傍周波数の小さな音が聞こえにくくなる。この現象を周波マスキング効果といい、聞き取りにくくなる前後の周波帯域を臨界帯域という。人間においては、臨界帯域は約1/3オクターブから1/4オクターブであり、これはちょうど短三度の音程差に等しい。▼三度以上離れた音の協和・不協和は二つの異なる周波数によるうなりによるものだが、三度より近い二音の不協和感は聴覚の分解能、即ち臨界帯域に依存している。ところで、ほとんどの動物の臨界帯域は半オクターブ以上であるが、鳥の臨界帯域についてはほぼ人間と同じであることがわかっている。したがって人と鳥では和声感が似ていることになる。小鳥のデュエットがちょうど人の耳に心地いい音程差で奏でられ、その歌がいつも美しく感じられるのには、このような理由があると考えられている。

[235] Apr 20, 2010

立ち回りや身振り手振り、発声の仕方や抑揚、あるいは資料の見せ方など、よいプレゼンテーションをするために心掛けなければいけない項目は多いが、まず真っ先に検討したほうがよいのは「言葉のひげ」を取ることである。言葉のひげとは、「あー」「えー」「まぁ」といったような、文の切れ目に挟まれる発声癖のことだ。これは実際話し手が思う以上に聞き苦しい。それだけで聴衆に聴く気を無くさせ、説得力を失ってしまう。▼これを無くすには、喋るときに必ずオーディエンスの目を見るようにするとよい。目星をつけた同じ一人の人でもいいし、そうでなくてもいい。出来れば広く観客全体に左へ右へ視線を流しながら、いつでも誰かに語りかけるつもりで話す、そうすると自然「ひげ」はなくなっていく。そもそも一対一で話しているときに、あまり「ひげ」を挟む人はいないことを考えれば、効果のほども想像にかたくないだろう。かなり簡単かつ有効な手立てである。

[234] Apr 19, 2010

プログラミング研修がはじまった。プログラマーではないが、経験者だけにプログラマーコースでの研修になる。ようやく手を動かせるようになって、実に楽しい。余裕綽々とは言わないが、課題が難しいだけにあっという間に一日が経ってしまう気楽さだ。アルゴリズムの中毒性は高い。▼仕事としてプログラムを書く場合、その要求レベルは明らかに趣味とは一線を画す。ひとりやふたりで好きなように書いて、最終的には動けばいいというようないい加減さはまったく持ち込めないのだ。企業プログラマーというちょっと格好良い響きの存在になるためには、チームメンバーとのコミュニケーション能力はもとより、ロバストなシステムの設計力や高度な数学の知識を持ち、かつコードの可読性、保守性、正確性、高速性、メモリ効率なども考えなければならない。くわえてもちろんチームで仕事をする以上、時間は厳守だ。様々なトレードオフを解消する力が求められるのである。

[233] Apr 18, 2010

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心に望み起こらば、困窮したるときを思い出すべし。堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思え。勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身に至る。己を責めても人を責めるな。及ばざるは過ぎたるより勝れり。」▼有名な徳川家康の「東照宮御遺訓」である。この言葉、大好きでいつも暗唱しているのだが、実は徳川家康の言葉ではないらしい、ということをつい最近聞いた。驚いて調べてみると本当で、どうやら水戸藩主徳川光圀が記した「人のいましめ」という一文をもとに、幕府の御奥格奥詰・池田松之助という人物が東照宮に『神君御遺訓』として奉納したものなのだそうだ。▼家康公の言葉でないと知ってちょっとがっかりではあるが、本人も生前からこういうことを訴えていればこそあとになってそれらしく創作もされたのだろう。そう思えば、そこまで悪い気はしない。

[232] Apr 17, 2010

ウェブ上の付き合いで「信頼」という言葉の出るのが一歩も二歩も早い人がいる。信頼すること自体はいいことだ。けれどもそうして顔の見えない相手に信頼を寄せるとき、ひとつだけ暗黙の了解を敷いていることには注意しなければならない。「彼は決して豹変しない」という前提である。▼この点、意外と失念していることが多い。リアルの付き合いでは無意識に窺っていることだからだ。会話の相手はもしかすると、精神的に調子のいいときだけネットに顔を出している存在かもしれない。それがいつなんどき、何らかの精神的事由で豹変しないとも限らないのである。良い人は良い人でありつづけるか?▼無論、必要以上に疑心暗鬼になることはない。けれども夜道よりずっと暗いウェブの世界である。鬼を警戒するに越したことはない。そこまで腹を割らなくたって、親しく楽しい話は出来るのだから、万が一の不測に備えるファイアーウォールもちゃんと手入れをしておこう。

[231] Apr 16, 2010

たとえば事故の現場や被災地に駆けつけて、怪我人の治療をするとしよう。薬を塗り、ガーゼを巻き、包帯をあてがう。「ありがとう」心からの言葉に嬉しくなる。ところがふと隣の人を見ると、こういうことは慣れているのかてきぱきとして手際がいい。次から次へと綺麗な治療をこなしていく――それでも、こう考える人はいないだろう。「あの人より下手だから、もうやめようかな」▼創作の目的は「観客を楽しませること」だというスタンスに立つならば、事情はまた治療とまったく同じのはずである。「楽しかった」という言葉以上に嬉しい贈り物などない。それなのにどうしても他人が気になってしまう人は、貢献とひとこと念じてみよう。目の前の観客を楽しませること、その観客と一体になって自分も心の底から楽しむこと、それだけにただただ熱中するのだ。創作は貢献である、そう観じている限り、決して他人との比較など気にならない。貢献に優劣はないのである。

[230] Apr 15, 2010

神は細部に宿る。この言葉が大好きで、なかば座右の銘のように使っている。小さいころからそうだった。レゴにしても積み木にしても、細部を作り込むことで作品が洗練されるという考え方は今も変わっていない。三つ子のディテール魂、百までだ。もっともそのせいで作品の出来は異常に遅く、あまり優秀とは言えない観もある。時間と出来のトレードオフをもう少しうまく操らなければならない。▼ところでこの「神は細部に宿る」という言葉、出自に諸説あって、正確なところはわかっていないらしい。そのうちのひとつに近代建築の巨匠、ミース・ファン・デル・ローエの言葉という説がある。ミースにはそれほど詳しくないが、フィリップ・ジョンソンとの共作「シーグラム・ビル」の単純で力強い美しさに感嘆したことは覚えている。素材と意匠に決して手を抜かないこと――それこそが美と機能の追求なのだと、たしかにそんなことを言い出しそうな気のする建築だった。

[229] Apr 14, 2010

主役は遅れてやってくるもの。昔からよくそう言われる。しかしだからといって、ただ舞台に遅刻すればいいという訳ではない。当然ながらその「やってきかた」が問題になる。歌ならばボーカルの歌い出しだ。ここでコケたらその先は無いも同然、序盤の最重要シーンである。▼この主役登場の手法について、金言がひとつある。文学勉強会「新鷹会」を創設し、その門下生には池波正太郎・西村京太郎らを迎え、大衆文学の父と呼ばれた劇作家、長谷川伸の言葉である。曰く、主役は「のれんを分けてさっと出るべし」▼意味するところはこんなところだ。風もないのにゆらゆらと棚引くのれん、その向こうからもうじきやってくるに違いないという、今か今かの期待を聴衆・読者に持たせること。そうしていざ出てくるときには「さっと」メリハリを持って現れること。この引きとピリオドの緩急である。先程例に出したボーカルの歌い出しで考えれば、きっとわかりやすいだろう。

[228] Apr 13, 2010

グループディスカッションを行った。就活の一次面接などにありがちな、選択肢を含むな漠然とした問題を議論する課題である。グループ内でコンセンサスを取りつけることが目的であり、蓋然的な答えさえ導ければ回答そのものはさほど重視されない。▼このような設定課題に対して短時間の簡単な議論を行う場合、明示されていない前提条件をある程度詰めてしまうと、あとはひたすらカウンタープランの応酬になる。ここが言わばグループディスカッションのメインディッシュであり、メンバーによっては充実もするし、不毛な時間にもなる。▼とはいえ不毛な時間を過ごしたくはない。そこで、ひとつだけ定めておくと良いのは、カウンタープランの提出ルールである。たとえば常に司会が論題フォーカスをひとつに決め、「その論題を外れる否定プランは後回しにする」「肯定プランに対する改善点を明確にする」などとしておくと、議論が迷わないための指針になってくれる。

[227] Apr 12, 2010

『栢木先生のITパスポート試験教室』を読む。ハードからソフトまで幅広く、コンピューター・ワーク周辺の基礎知識を集約した書籍で、あまり親切な作りとは言えないが、多量の知識を320頁に体良く詰め込んだという点では成功している。細かい定義などはそこそこよい復習になった。この本から学ぶべきこと、学ばなければビジネス遂行上、困ることは何かを述べよというのが研修課題である。▼本書の構成は、基本的に新出語とその解説という形に終始しており、英単語帳にも比すべき極めて用語集に近い性質がある。そのことからもわかるように、基礎的なIT知識の要件とは用語の整理に他ならない。用語は意思疎通のツールであり、知らなければそれだけ連絡・指示が滞る。これらの用語をもって、為すべき仕事の内容を迅速かつ正確に理解し、また指示すること。これこそ「業務に対して情報技術を活用していく」ことに直結する、もっとも実用的なスキルなのである。

[226] Apr 11, 2010

深夜の街道。閑散とした交差点を、空車のタクシーが猛スピードで左折して行った。先にあるのは巨大な森林公園である。あの道を行ってもどこにも出ない。森へ分け入るばかりのはずだ。何があったか皆目見当もつかないが、小説じみた不気味な興味を駆り立てられる。▼この森林公園には、少々個人的な因縁がある。とある日の夕方、散歩を兼ねた遠くからの歩き帰りに、近道と思って入り込んだ。登って降りる森の丘道である。けれども日はあっという間に落ちて、登りつめた頃にはすっかり暗闇に包まれてしまった。灯りの無い夜の暗さは現代人の想像を遥かに超える。▼このとき真に恐ろしかったのは、暗いことよりも「自分の声が届く範囲には人がいない」という考えであった。それが意外だった。最初の街灯も慰めにはならない。とにかく声の届くところへ、そんな気持ちで汗だくになって走ったのを覚えている。見知った道に行き着いたときには、心底ほっとしたものだ。

[225] Apr 10, 2010

よきクリエイションはよき制約条件下でこそ可能になる。これはずっと以前から繰り返し書いてきたことだ。いちばんはじめはT.S.エリオットの言葉を引いた。二回目は引用なしで一筆書いた。そう何度か言及しながら、しかしもう少し汎化された形のものを手近なところで誰かが言っていたと思った。それを今日、スクラップブックを見ていたら、たまたま見つけた。ジル・ドゥルーズである。▼彼は『記号と事件』で、創造は「創造のネックとなるものがあるところでおこなわれるもの」だと言っている。あるもののせいである創造が難しい、あるいは不可能であるように見えるとき、そこにはじめてクリエイションの必要性と可能性があるのだ。これは逆説ではない。「ものを創る人間が一連の不可能事によって喉もとをつかまれていないとしたら、その人は創造者ではありません。創造者とは、独自の不可能事をつくりだし、それと同時に可能性もつくりだす人のことです。」

[224] Apr 09, 2010

新入社員が嵌る罠のひとつに「初任給」がある。なるほど額面上は仮に初任給二十万であるとしよう。いろいろ引かれて手取りはこれくらいかなどと計算する。しかし四月二十五日にその金が入るつもりでいるのは危うい。初給料日に必ずしも初任給が貰えるわけではないからだ。▼たとえば二十五日払いのとき、唯一全額支給されるのは「当月末締め・先払い」のときだけである。十五日締めであれば給与は日割りで半分になる。あるいは先月末締めであれば、三月はビタ一文働いていないわけだから、当然対価も発生しない。支給額はゼロである。初任給は五月二十五日ということになる。▼その方式に見事やられた先輩も研究室にいた。彼の場合は十万円ほどの特別手当が支給されたおかげで、かろうじて難は逃れたらしいが、同じようにあてこんでいると、いきなり生活が破綻しかねない。説明がないようであれば、あらかじめ人事部の担当に問い合わせてみたほうがいいだろう。

[223] Apr 08, 2010

プルタルコス「健康のしるべ」にこうある。「出される料理に添えるソースもいろいろあるが、いちばんおいしいのは何かというと、こっちの体が健康で、清浄無垢の時に出されるソースさ。(中略)体の調子が良くない人間には、どんなものでも持ち味のよさや旬の生きのよさなどは失われてしまうものさ。」▼このところ夕飯がおいしい。夕飯のみならず、朝ごはんも昼ごはんも、口にするものすべてがとにかくおいしい。健康に生きている何よりの証拠だと思う。生活が社会人モードに切り替わって、真っ先に実感されるのがまさか食事の味とは思わなかった。▼健康というものはきびきびと自分を律してはじめて手に入るものと、あらためて反省させられる思いである。「目を傷めるといけないからというので目をつぶって何も見ない、声がつぶれてはいけないからと一言もしゃべらない、それとどこも違やしないよ、無為安泰によって健康を維持しようとするなんていうのは。」

[222] Apr 07, 2010

エンターテイメントの創出に必要なのは、常に鮮度の高い情報だ。トレンドに対してもっともっと敏感にならなければならない――研修も五日目になって、強くそう感じる。これまでわりあい沈思黙考的な古典趣味に傾きがちであったが、最新の情報にも多くアンテナを張って、時に即した脚の軽い情報収集も心がけたい。ContemplateとContemporaryの両立とでも言ったところか。▼そのための手段の一として、この四月からふたたび購読雑誌を増やそうと思う。収入も増えることだし、時期的にちょうどいいだろう。ハーバードビジネスレビュー、芸術新潮、あるいは各種コミック雑誌類にくわえて、ファッション・デザイン関係からひとつ、音楽はあまり先鋭的でないものをひとつ、その他ひとつかふたつくらい。テクノロジートレンドついてはネット収集の方がいいかもしれない。だいたいあたりはつけてあるが、もういちど紀伊国屋か丸善に出向いて立ち読み吟味をしてこよう。

[221] Apr 06, 2010

日本のゲーム市場はここ数年よく見ても横ばいである。北米・欧州は依然拡大しているから、世界全体に占める日本市場の大きさは縮小しつづけているということだ。市場間のギャップも大きい。日本で売れたゲームが世界では見向きもされない一方で、世界的に大ヒットしたタイトルが日本では鳴かず飛ばずということもままある。▼原因は価値感の違いというよりも、ゲームというコンテンツが発達してきた経緯の違いにある。日本におけるゲームはアニメから派生・波及したものだ。したがって髪や目といったシンボルまわりのディテールにこだわり、リアリティを犠牲にしても操作性やゲーム性を追求する。一方、欧米は映画である。故に追求するところはフォトリアルでありカメラワークであり、キャラクターの表情である。臨場感と没入感がなによりも大切にされるのだ。彼らにとって華奢で小さな女の子が斧を振り回しているのは、かわいいかどうか以前の問題なのである。

[220] Apr 05, 2010

国際的にビジネスを展開するに先立って、リーガルリスクを検討するのも重要なフィージビリティースタディの一環である。国が違えば法も違い、法が違えばリスクも違う。リスクが違えば、国内では通常通りの業務でも、思わぬ致命的なダメージを負うことになりかねない。たとえば政権交代リスクなどはハザードクラスのリスクだろう。▼あるいは日本とアメリカにおける損害賠償の違いもそうだ。日本では損害賠償を請求する場合、どの範囲の被害まで賠償を求められるかは「相当因果関係」という概念で定められている。一方アメリカには裁判所が原告の請求する金額の三倍額を賠償金として言い渡す判決がある。トリプルダメージと呼ばれている。その背景にあるのは、許されざる行為を制裁し、今後同じことを繰り返さないように抑止する、ピュニティブダメージと呼ばれる懲悪的な考え方だ。こうした法の思想と定義の差異にも言わば三倍のリスクが潜んでいるわけである。

[219] Apr 04, 2010

仕事が始まってもなかなか完全にはモードが変わらない。AIミーティングに参加するため、さっそく研究室に舞い戻った。日曜日の大学構内は相変わらず観光客だらけで、医学部通りの桜並木は満開のもとブルーシートを広げて白昼からざわざわの花見騒ぎである。たしかに今日はいい日和だった。▼議論は白熱して四時間超の長丁場になる。その中でひとつ、興味深いことを聞いた。脳にしわのある原因が解明されたらしい。曰く、物理的に遠い位置関係にあるニューロン同士が頻繁に共起し、そこにシナプスが形成されるとき、ふたつのニューロンがシナプスに引かれて物理的に接近する、つまりしわが形成されるというのである。しわを形成することで、同一のトポロジーに対して空間を最適化しているのだ。なるほど、すると脳にしわの多いほど頭がいいというのも、それだけ多くのネットワークが経済的に形成されているわけで、あながちでたらめではないということになる。

[218] Apr 03, 2010

研修を受けている身で書くのもなんだが、人材開発にも様々なフレームワークがある。分析、設計、開発、実施、評価で一連のサイクルを形成するADDIEモデルなどは基本的なもののひとつだろう。現在でも広く使われる、教育プログラム設計のためのベースモデルである。このような教育効果を最大化するための計画立案手法は、一般にインストラクショナルデザインと呼ばれる。▼基礎が確立されたのは第二次大戦中である。膨大な数を動員する総力戦においては、新兵の練度をいかに短期間で向上できるかが大きく戦力を左右する。このため教える側も教わる側も出来る限り時間をかけず、かつ爆薬の製造、銃の扱い、船の操舵、航空機の操縦など、専門的な作業をこなせるようになるための効率的な教育技法が模索されたのだ。つづくビジネスの時代においても、アメリカでは早くから重要な専門職能として認識されてきたが、日本では最近ようやく温まってきた領域である。

[217] Apr 02, 2010

武道の言葉に「虚実一体」というものがある。呼吸について、吸う動作は虚、吐く動作は実であり、虚は隙を生じやすく敵の攻撃を受けやすくなるから、虚実の呼吸を敵に読まれぬよう一体とせよ、という教えらしい。くわえて虚は実を活かすための虚であるという意を共通軸に、攻防に捨ての動作を混ぜることで相手の錯覚を利用し優位に立つ戦術もこう言われる。すなわち「ハッタリも実力のうちである」ということだ。▼日本人は総じて謙虚である。謙虚と言えば聞こえはいいが、言い換えれば実に虚の伴わないことが多い。ハッタリが効かないのである。がっかりされることを恐れる余り、なかなか強く出られないのは、笑い飛ばせる鷹揚さが足りない島国根性の悲しさかもしれない。しかし「全然できません」という後ろ向きな謙遜をするくらいならば、せめて”Yes, but”の精神で、「できます。けれどもまだまだ勉強中です。」これくらいの前向きで謙虚な”虚”は欲しい。

[216] Apr 01, 2010

入社式。早朝からスーツに身を引き締めて行く。日の出直後の街角には、新入社員らしき風采の似たような姿がちらほら見える。初対面でもお互いそうとわかればちょっとくらい会釈も交わしてみたりする。いよいよ社会人ですね、そうですね。そんな無言のコミュニケーションである。▼遊歩道は素晴らしく歩きやすかった。右を仰げば緑、左を見上げれば桜、吹き来る風は花の香混じり。駅へと向かう浅い階段を降りながら思うのは、こんな詩的でもなんでもない、ふつうにふつうの風がこうもフレッシュに感じられるところが、今日から新生活という心持ちひとつの成せる業という面白さである。コンピューターと同じで、人間も定期的に再起動した方がいい。▼初日から新入社員研修も始まる。序盤はほとんどが経営幹部の講話だ。退屈だとぼやく人もいるにはいるが、ちゃんと身を入れて聴けばそうでもない。ためになる話ばかりである。早くも今後の科目が楽しみで仕方ない。

[215] Mar 31, 2010

アーティストとクリエイターの違いは何だろうか。アーティストは自分の表現したいものを表現したいときに表現する。しかしそれではクリエイターは立ち行かない。クリエイターは高度を持たねばならない。作品を享受する人たちや享受される社会といった、相手や場のことがしっかりと見えている必要がある。そういう文脈の中に自分の作品を位置づけられるようになったとき、アーティストはクリエイターになる。▼著作権もまたその文脈のひとつと見ることができる。著作権法は社会の要請と時代の精神を内包する創作の法的な文脈である。こう捉えたとき、プロのクリエーターが著作権法を遵守しない、あるいはそれに通じていないということは、ただ法的に罷り通らないのみならず、作品の置かれるべき文脈を逸することであり、それだけでプロの仕事とは言えないだろう。合法的かどうかという問題を越えて、クリエイターが著作権法に通じることの意義は大きいのである。

[214] Mar 30, 2010

サステイン、スタッカート、デタシェ、ピチカート、ハーモニクス、スル・ポンティチェロ、スル・タスト、ポルタメント、スピッカート……聞いているだけで頭の中がくるくるしてくるようなこれらイタリア語は、弦楽器のアーティキュレーション(奏法)である。覚えるだけなら訳は無いが、それぞれの音特性と使いどころ、効果のほどを見定めるのが難しい。▼このあたりやや心もとなくて、奏法に特化した学習のための書籍を探してみたが、意外にもそういうものは見つからなかった。幼い頃からバイオリンを嗜んでいる後輩に聞いてみると、弦楽器の奏法を習得するための練習法には大きくふたつの流派があるという。ひとつは、演奏された曲を聞いて同じようにその曲が弾けるまで練習をする。もうひとつは、ひとつの奏法についてひたすら先生の真似をする。どちらも実践肌である。私のように理屈から入って理屈のみでいい場合もあるのだが、いい本はないものだろうか。

[213] Mar 29, 2010

「ながきよのとをのねぶりのみなめさめなみのりふねのをとのよきかな」宝船の絵につけられた有名な回文歌である。吉夢を見るために愛唱されたらしい。▼初めから読んでも終わりから読んでもまったく同じ文章になるものを回文という。相当に古くから世界中にある言語遊戯である。中国にも回文詩はある。漢字の配列を逆にしても意味のある詩を構成するものだ。ヨーロッパにもある。パリンドロームと呼ばれている。パリンドロームというと、あるいはゲノム中の回文塩基配列を想像する人もあるかもしれない。▼ところで数学の世界にもこれがある。左から読んでも右から読んでも同じ数になるもので、回文数と呼ばれている。作ろうと思えばいくらでも作れるのだが、特定の条件を指定されると発見するのがぐっと難しくなるところなど面白い。たとえば「1995で割り切れる八桁の回文数をすべて求めよ。」1995年に出題された算数オリンピックの問題で、なかなか骨がある。

[212] Mar 28, 2010

「今から二年前、ここは実に楽しそうな研究室だと私は始終言っていました。覚えている人がいるかもしれません。一方でこの二年間、私がつらいと零しているようなところを見たことがある人は、たぶんいないんじゃないかな。大変大変言いながらも、楽しんでいるように見えたと思います。そうしてその私がいまここで、こうして自分の研究生活を振り返り楽しかったと言い切っている。こんなふうに終始楽しく生活できるコツは、とにかくいい言葉を周りに言うことです。非常に恵まれた環境だ、ここでなら自分は楽しくやっていける、周りの人達は本当に凄い人達ばかりだ――そういうことをどんどん口に出して言ってください。四月から環境が変わっても、親に、友達に、告げる第一声はぜひ、自分の所属する所の美点であって欲しいと思います。」▼本日の卒業宴で後輩に送ったサプライズスピーチより。突然何か話せと言われて、サプライズしたのはもちろんこっちである。

[211] Mar 27, 2010

島崎藤村は随筆「初学者のために」で、小諸で弓をやっていたときのことをこんなふうに書いている。曰く、弓をはじめたばかりの頃は、誰でも的に向かって矢を当てることばかり心掛ける。ただ当りさえすればいい。そうして中心を貫く矢の数が増えてくると、いよいよ上達してきたぞと「熟練」を思うようになる。けれども依然他の矢は、思いもよらぬ場所へ飛んで行く。▼そこへ現地の旧士族で、弓術に心得のある老人がやって来た。老人はまず彼に「姿勢」を正すことを教えた。それから矢は、たとえ的を貫くことが出来ないような場合でも、必ず一手揃って同じ場所へ行くようになったという。▼藤村はこの経験に文章の道へ通じるものを見た。ただよき文章をのみ作ろうと思って焦心することは決して目的を達する道ではなく、真によき文章を作ろうと思うなら、まず「自己」から正してかからねばならないのだと。まさしく、彼の信じる「文は人なり」哲学の実体験である。

[210] Mar 26, 2010

フェース・トゥ・フェースのコミュニケーションが生産性に与える影響を追求した研究は多々あるが、ウェブ2.0以来フェイスブックやツイッターなどで拡大しつづけてきたオンライン上のコミュニケーションについては、それが生産性にもたらす影響を研究したものは、定量的なものはもちろん、定性的なものでさえ数少ない。これからじわじわ盛り上がって来そうな研究分野である。▼ほんの数年前まではウェブですら、ネットワーク理論などの部分的な流行を除いては、まっとうな学術研究対象と見なされてこなかった。しかし去年の十二月に開催された東京大学主催のウェブ学会シンポジウムでは、ウェブを学術的な研究対象と見なしていく姿勢がはっきりと打ち出され、ツイッター等の既存サービスも立派な学術研究対象として扱われている。関連する論文の数も増えてきた。発足したサービスが、即座に論文の題材となる時代だ。ウェブ界隈は、ますます面白くなってくる。

[209] Mar 25, 2010

新しい音源が届いて、視聴や設定・調整に没頭する。気がついたら朝だった、というような時間の経ち方は久々だ。即興でつくった二十秒のフレーズを、いったい何通りの設定で聴いたのだろう。自然な響きを探す目的はとうに忘れてしまって、ただいろいろな響きを愉しむことが仕事になっている。そういうときに、時間は飛んでいく。▼再起動に取られた時間も馬鹿にならない。メモリ不足が主な原因だ。いよいよ搭載量が足りなくなってきたのは、現実問題として厄介である。今年中に組む予定の新しいパソコンには、最低12GB積みたいところだ。素敵な事情で財布が許せば4GBを6枚積むのも吝かではない。週末、勘のことさら冴える必要があるだろう。▼そういえばこの「400」も、表示にかなり時間がかかるようになってきたという悲鳴をひとつ頂いた。一枚に全てが表示されるのも持ち味なのだが、いいかげん最新数件を表示する別頁を設けてもいいかもしれない。

[208] Mar 24, 2010

大雨、そして強風。天候に恵まれない今日は修了式である。工学系研究科は時間枠がいちばん早く、五時半起きのやや寝不足でこっくりこっくり。スーツ姿で引き締まった心がさいわい居眠りこそしないものの、午前の部はなかなかつらい。二年前の卒業式で歌ったきりの全員斉唱では、楽譜を見なくてもそこそこ歌えたことに驚いた。案外、覚えているものだ。▼つづいて学位授与式が始まる。学部のときとは随分違ったアットホームな雰囲気だ。あまり顔を出さない同級もこの日ばかりはやってきて、歓談に興じるいつもの面々、この一同会する雰囲気がいかにも終いというような一抹の淋しさを帯びている。▼壇上にあがり学位記を受けると、ようやく修了が確定したように思えてほっとした。色紙は金味がかったクリーム色だ。なるほどこのほうが銀杏らしくていい、それと右上に修工第何号と固有番号のあるのが嬉しいね、などと隣の友達が言う。確かに、なんだか嬉しかった。

[207] Mar 23, 2010

いつもお世話になっているピアノ音源メーカーのSynthogyから、現行版の後継バージョンとなる「Ivory II」の発売が発表された。詳しい人に聞いたところ、どうやらこの春か夏あたりの見通しだそうだ。現行版にも大変満足しているだけに期待がかかる。▼なによりこれのないのが唯一と言ってもいい不満であった「ハーフペダル」が導入されているのは嬉しい。表現力が格段に上がりそうだ。なんで無いんだ無いんだと恨み言のように言っていたのが通じたらしい。▼その他の主な改良点は、ベロシティレイヤーが最大10段階から18段階になったことと、ストリング・レゾナンスによる共鳴がよりリアルになったこと。「既存の手法とは異なる技術」でついに実現したというレゾナンスの出来は特に自慢のようだ。説明を見る限りあまり変わっていないようにも見えるが、そこは聴いてみてのお楽しみである。アップグレード版の価格が諭吉一枚きりと、良心的なのも素晴らしい。

[206] Mar 22, 2010

「我を棄てて去る者は昨日の日にして留むべからず、我が心を乱す者は今日の日にして煩憂多し。」李白の「宣州謝眺楼餞別校書叔雲」に見えるフレーズである。嫌なことばかりの世の中はだるくてだるくてやりきれない、勤めなどやめてしまって、どこかへ遊びに出て行きたい――そんな気分が全体に横溢している。酒を頼ってなにもかも忘れてしまおうと思えば、「杯を挙げて愁ひを消せば愁ひ更に憂ふ」となる。八方塞がりの遣る瀬無さである。▼昨日という日は私のことなどつゆ知らず、今日という日はどうにもならず、あっという間に去っていく。どうにかなってしまう日ばかりでは、それはそれでやりきれないと知りながら、どうしても前向きな気分になれない日もあるものだ。そんなときは、いっそ思い切り退嬰的に過ごしてみるのも悪くない。何もしない、何も考えない、悩むのもやめである。脳を休める休脳日。ばっさりと割りきってしまえば、回復するのも案外早い。

[205] Mar 21, 2010

歴史上いちばんの天才は誰かという話題で、フォン・ノイマンを挙げる人は多い。数々の理論構築の業績に、コンピューターのアーキテクチャ考案、ゲーデルの不完全性定理が正しいことを誰よりも早く見抜いたのも彼である。また、電話帳の適当なページを開いて、書かれている数字の総和をぱっと言う遊びが好きだったというような、頭脳の凄まじさを語る多くの逸話も印象的だ。▼ノイマンの天才的な計算能力を伝える逸話で、もっとも有名なものはこれだろう。曰く、あるときフェルミ、ファインマン、ノイマンの三人が水爆の効率を概算する仕事にかかった。史上に名を連ねるこの三名が同席したのは、恐らくマンハッタン計画のときのロスアラモス国立研究所であろう。フェルミは大型計算尺で、ファインマンは卓上計算機で、ノイマンは天井を向いて、それぞれ計算したところ、ノイマンが最も速く正確な値を出したという。「人のふりをした悪魔」の異名は伊達ではない。

[204] Mar 20, 2010

雨戸の轟音が深夜に響く午前四時。ついさっき強い風の中を買い出しに出て、帰ってくるとまもなく豪雨になった。間一髪だ。明日は終日荒れ狂うという。長閑な春の名物に、暴風雨があるというのも何だか凄まじい。▼日本海低気圧の通過にともなう春の強風・突風は、関東では特に多く、春疾風(はるはやて)、春嵐(はるあらし)などと呼ばれて俳句の季語にもなっている。「ネクタイの端が顔打つ春疾風(吾亦紅)」「春嵐胸に湧き来るものにわか(吐天)」冬の冷たさが残る東風とは違い、強くともやわらかく暖かい風である。▼また、春二番、春三番とつづく低気圧の通過後には、はたと西高東低の気圧配置に戻って冷たい北西の風が吹くことがある。しばしば雪混じりに吹くこの風は、春北風(はるならい)と呼ばれている。春になるといつも吹くならいの風だから、はるならい。こちらもやはり五文字なので、俳句には使いやすかろう。風に関する春の季語は豊富である。

[203] Mar 19, 2010

立つ鳥跡を濁さず。新四年生を迎えるまであとわずかとなったこの時期に、とうとう有志が集って研究室の大掃除を決行した。片付け、ごみ捨て、拭き掃除に留まらない、隅々までピカピカに磨き上げるべく計画した、いっさい妥協なしの丸洗いである。しかし呼び掛けに応じて集まったのは、ほんのわずかの少数精鋭、それもふだんちっとも部屋を汚さない、働き者の面々であった。そんなものだ。▼暦年の汚れは想像以上だった。黒ずんだ床にマジックリンを撒いて、ブラシで擦ると泡が浮く。降雪後しばらくの路端に残った雪のような、見るも無残な黒灰色の膠質である。モップに吸わせてバケツにつけると、湛えた水は一瞬で彩度も明度もゼロになる。そんな汚水を何十回も取り替えて、ありとあらゆる掃除用具を駆使した結果、ついに先輩鳥たちの濁し続けていった大部屋は、普請直後のような気持ちのいい姿を取り戻したのだった。さすがに気分爽快である。いい仕事をした。

[202] Mar 18, 2010

相変わらず不況である。ところで「不況」という言葉を聴いたとき、一般的に消費者は次のような四つのタイプに分かれるという。「急ブレーキを踏む」贅沢は敵、支出はいっさい切り詰める。「痛みに耐える」つらいが欲しいものは欲しい、物を選んで節約か贅沢かを選ぶ。「余裕がある」不況なんてどこの国の話だと、ブルジョア的な振る舞いに終始。「その日暮らし」貯金を食いつぶせばいい。消費行動にさしたる変化なし。▼不況期にはこれら消費者の情動を考慮した心理的セグメンテーションが効果的となる。例えばデルがかつて、このセグメント別に打ち出した広告用メッセージが面白い。「これ一つでオーケー。ご予算の十分範囲内です」(急ブレーキを踏む)/「大変な時こそ、デルにお任せあれ。簡単に解決」(痛みに耐える)/「場所も景気も関係ありません。理想のノート型PC」(かなり余裕がある)/「不景気がなんだ」(その日暮らし)。こんな具合である。

[201] Mar 17, 2010

江戸川乱歩編『世界短編傑作集4』を読む。ふたたび短評群。ただし先日触れたトマス・バーク「オッターモール氏の手」は除こう。▼ヘミングウェイ「殺人者」簡素な凄味。だが淡々としすぎるあたり、読み手を選ぶ気もする。フィルポッツ「三死人」やや冗長のきらいがあって入り込みにくい。ハメト「スペードという男」ストーリーよりは、スペードという人物を愉しむ作品。クイーン「は茶め茶会の冒険」殺人とファンタジーのミスマッチ。「不思議の国のアリス」を踏まえたもの。コッブ「信・望・愛」どんな結末を迎えるかはわかりきっているのに、最後の最後まで肝心の「どうなるか」がわからない。そこが面白い。チャーテリス「いかさま賭博」やられた。綺麗にやられた。セイヤーズ「疑惑」似た作品を他に見ないでもない。飽きさせない構成の工夫が魅力。ウォルポール「銀の仮面」喩えようのない後味。心臓が船酔いしたようだ。妙味もいいが、妙味すぎてつらい。

[200] Mar 16, 2010

ペットボトルには酸素透過性がある。そのため内容物は時間経過とともに酸化劣化してしまい、長期保存には適さない。ビールやワインの保存には、あまり用いられない所以である。また多くのペットボトル飲料にビタミンCが含まれているのも、この酸化を防止するためだ。より実用的な容器としてペットボトルを改良する上で、酸化劣化の防止はひとつの大きな関心である。▼ところで酸素はいったいどこから透過しているのか。イメージ的には、表面積の大きいペットボトル本体で発生しているように思える。が、実は本体と同じかそれ以上にキャップ部分で発生している。本体の材料であるポリエチレンテレフタレートに比べ、キャップの材料であるポリエチレンやポリプロピレンはガスを透しやすいのだ。酸素透過率にしておよそ100倍である。このため、酸化防止のための試みはキャップ側からも大いになされている。よりキャップに適した素材が求められているのである。

[199] Mar 15, 2010

エラリー・クイーン、ディクスン・カー、ハワード・ヘイクラフトなど、一流の推理小説家・評論家たちが、世界のベスト短編選出の試みを行ったことがあるという。第二位は、ポオの「盗まれた手紙」だった。推理ものアンソロジーに組み入れられること世界でも指折りの、いちど読んだら忘れられない見事な名掌編である。ドイルの「赤髪連盟」がこれにつづいた。▼しかし、これらを大きく引き離して第一位に選ばれたのが、トマス・バーク「オッターモール氏の手」である。ロンドンの陰鬱な横町で繰り広げられる「恐怖の絞殺事件」は、読者になにひとつ手がかりを与えない。見当もつかぬ犯人、そして衝撃の結末。終わってみれば決して見抜けないでもない構成が、引き込まれているあいだは見抜けない。ただナレーションが読者の心臓を打つのみである。大傑作。そして、エラリー・クイーンの短評は、こうだ。”No finer crime story has ever been written, period.”

[198] Mar 14, 2010

赤、青、赤、青……のように、数十秒程度の周期で繰り返し溶液の色が変化していく振動反応と呼ばれる化学反応がある。もっとも代表的なものは、ベロウソフ・ジャボチンスキー反応(BZ反応)だろう。金属塩と臭化物イオンを触媒として、マロン酸などのカルボン酸をブロモ化する化学反応である。溶液中で酸化・還元反応が交互に起こる、非常に特異な反応だ。▼BZ反応は複数の化学種が関わる複雑なプロセスであり、発見当時の学会には受け入れられなかったほどであった。しかし解析の難しさに引き換え実験そのものは比較的簡単で、中学や高校などの化学実験にはしばしば用いられているらしい。▼溶液は撹拌すれば周期変化になるが、静置すると同心円状の縞模様が現れる。また溶液中に鉄イオンで呈色する化学種を加えておくと、色が振動変化して美しい様態を示すという。工夫次第では、二色ではなく三色、五色、あるいはそれ以上の模様が見られるかもしれない。

[197] Mar 13, 2010

今年度末はとにかくイベントが多い。同級や先輩・後輩、友人とのちょっとしたお出かけや飲み会はもちろん、同窓会に懇親会に、内定者集会、研究室の打ち上げに、修了式と専攻学位記伝達式。次から次へと行事で埋まる。とても長期旅行などしゃれこんでいる余裕はない。▼一方で修士論文提出直後から、二十日間のユーラシア大陸横断孤独旅に飛び出した友人がいる。日頃から活動的で思い立ったら吉日のタイプ、好き勝手放浪できる最後のチャンスに、本気で放浪してみたいのだそうだ。お金もほとんど持たずに行ってしまった。漲るバイタリティが羨ましい。▼冒頭に挙げたようなイベント群も、まるまる上手に回避したのだろう。スケジュール管理も為せば成るものだ。早いうちから大きな予定のかたまりを作らずに、誘われるまま首肯して行けば、予定だらけになって当たり前なのである。四月早々へばっていないためにも、せめて休めるときにはゆっくり休んでおきたい。

[196] Mar 12, 2010

初春の暖かさは一進一退、三日寒ければ四日温かいといった具合がふつうだが、三寒四温はもともと大陸の用語である。それも春でなく真冬に用いる言葉で、中国北東部や朝鮮半島ではシベリア高気圧の強弱の周期が約一週間であることを言ったものだそうだ。シベリア高気圧の影響がない日本では、それを低気圧と高気圧が交互に通り、寒暖巡るこの春先にあてはめているのである。▼昨日までの冴返るような群青空にひきかえ、今日は一転暖かかった。この気候が五日、六日とつづくようになれば、余寒もまもなく暖気に紛れていくだろう。暖気が眠気も連れてくると、眠い眠いで過ごす昼夜は暁も覚えず、昼近くまで起きない春休みは、ますます自堕落になりそうで怖い。夜は眠らず現を抜かし、はて外は明るい、いいかげん寝た方がいい時間じゃないかしら、などと「春暁と思ふのみ刻わからずに」を就寝直前の句に聞くありさまでは困る。生活習慣の改善も、そろそろ始め時だ。

[195] Mar 11, 2010

福本伸行の漫画『天』の終盤、東西戦の最終決戦で原田の提案した「二人麻雀」がなかなか面白くて、二人だけで麻雀をするときにはよく遊んでいる。詳しいルールは原作か検索を参照してもらいたい。今日もまた、泊まりの友人と二人麻雀で遊んでいた。▼さてしかしこのゲーム、後半戦の読み合いこそ楽しいが、時間制限のないところでは早上がりが横行していささか単調になる。もう少し原作のような、緊張感のあるものに出来ないかと考えた。▼原作でゲームが面白くなってきたのは、天が逆転するため上がりの飜数が縛られてからである。そこでこれに則り、配牌を開ける前に親がサイコロを振って、出た目の数縛りにするという新ルールを導入してみた。これが正解だった。満貫縛りはもちろん、五飜、六飜縛りともなると、中盤以降の攻防が極めてロジカルになり、親・子ともにぐっと戦略性が増す。様々な視座からの手作り・河作りを意識できて、基礎練習には実によい。

[194] Mar 10, 2010

冒頭談義をした。よい小説の冒頭とは何かという、いつになっても興味の尽きないテーマである。美辞麗句で綴られた舞台の情景描写、モノローグ調で語られる主人公の強烈な心理、事件の存在を匂わせるよう投げ出された台詞、インパクトのみで奇を衒った一言、どれも一流と呼ばれる書き出しに見える手法だ。こう分類して行けばきりがない。▼このように様々な形を取りうる冒頭の工夫について、ポーは次のように言っている。「物書きとして賢明であるならば、彼は出来事にあわせて想を練ったりはしなかったはずだ。逆に、物語がいかなる独特の効果を醸し出すべきかをじっくり考えたうえで、前もって考えた効果を実現するのに最適な出来事を創作し、組みあわせたはずである。もしも、物語の最初の一行がその効果を引き出す方向に向かっていないとしたら、第一歩からつまづいたことになる。」冒頭は導入であると同時に、物語全体を最大限に演出するための装置なのだ。

[193] Mar 09, 2010

スクラップブックをつらつら見ていると、木戸孝允の「偶成」に「明治以降の日本人の句としては良作と思う回顧の詩」とメモ書きが寄せてある。この頃に正しく漢詩の良し悪しを見抜く目利きなど、到底あったとは思えないが、しかし何をもって良作と思ったか。しばらく当時の了見を探っていた。「一穂寒燈照眼明、沈思黙坐無限情。回頭知己人已遠、丈夫畢竟豈計名。世難多年萬骨枯、廟堂風色幾変更。年如流水去不返、人似草木争春栄。邦家前路不容易、三千餘萬奈蒼生。山堂夜半夢難結、千嶽萬峰風雨聲。」▼だいたいこんなところだろう。「年は流水のごとく去って返らず、人は草木に似て春栄を争ふ」「頭を回らせば知己人已に遠し、丈夫畢竟豈に名を計らんや」こういうところが心へ飛び込んできて、相通じるような気持ちになってしまうほど、きっとその頃の私はせわしない生活を送っていたに違いない。あんまり生き急いでいた頃があったな、と少し懐かしく思った。

[192] Mar 08, 2010

松下幸之助『社員心得帖』を読む。あたりまえで、平凡で、よく耳にする、基礎的な仕事の心得が、易しくも強い説得力を持つ言葉で語られている。時に厳しい調子で戒めても、それがまた有無を言わさず聴くものを納得させてしまう語り口で、言葉のひとつひとつに深く感動させられる。松下幸之助が経営者の鑑として、いつまでも愛されつづける理由の片鱗を見た思いがする。▼フレッシュな新社会人にとっては、素直に受けとれば素直に共鳴するしかない「心得」たちだが、このような心掛けや心構えといった話題は、本質的に水掛け論の域を出ないところもある。故に、言うだけなら簡単だとか、現実はそう上手くはいかないとか、いろいろひねくれたことを言うことはたやすい。しかし、松下幸之助が強く戒めているのは、まさにその一言でもある。有益な助言に対して、ついひねくれた受け取り方をしてしまう、そういう心性では成功は望めませんよ、と戒めているのである。

[191] Mar 07, 2010

真冬かと思う寒さの三月に、朝からパジャマの日曜日。だらりと火照る身体のあちこちがしくしく痛んで、布団から起き上がるのが億劫になる。ストーブをつければ、腐れるような生暖かさにだんだん部屋が居たたまれなくなる。今日はきっと、無為な一日になるだろう。風邪ひきに共通の、いやな気分が蔓延してくる。▼けれども思うに、心が弱っているときこそ、こういう空気に流され負けてはいけない。病気だからと諦める前に、気をぴんと張って、勢い着替えてしまう。さっと外行きを着込む。颯爽と熱を計る、三十八度。ちょっと高いか。雨降りに傘を差して、飲み物その他を買いに行く。歩けば案外気持ちがいい。▼もちろん、悪化させない気遣いは必要だ。無理して動けというわけじゃない。しかしハナから活動を投げ出してしまう弱さにも、病気はつけこんでくるものである。つらいときこそ胸を張り、弱ったときこそしゃんとして、さっさと病気を追い出してしまおう。

[190] Mar 06, 2010

「お父さま、判ったよ。この本、初めのブーンから終りのブーンまで、自分という人間が何であるかということを書いたもんじゃろう。二重、三重、いろいろのものにとらわれている人間というもの、人間の意識、そのとらわれているものを除いての人間とは何か、が書いてあるんじゃろう」▼杉山龍丸は、父である夢野久作から「ドグラ・マグラ」を手渡されると、丸二日間これに没頭した。耽読の果てに辿り着いた答えを告げると、夢野久作は「なんや、おまえも判ったか?」と言ってがっかりしたという。▼がっかりしたというのは何となく面白い。これほどの多面的側面を持つ作品なら、どうとでも解釈のしようがありそうなところへ、このエピソードがひとつの焦点を作っている。そうして「一人の人間の尊厳というものを、一人の人間そのものを通じて、終始一人称で描き出した」という末永節の言葉は、この焦点にかなり近いところへ像を結んでいるように思えるのである。

[189] Mar 05, 2010

小栗虫太郎の「黒死館殺人事件」、夢野久作の「ドグラ・マグラ」、中井英夫の「虚無への供物」、竹本健治の「匣の中の失楽」。あわせて四大奇書、あるいは四大アンチミステリーと呼ばれている作品群である。アンチミステリーとは、筋立てに論理的な解決の無いミステリーのこと。そのミステリーの前提を破壊するかのような振る舞いが、アンチたる所以である。▼創元推理文庫の日本探偵小説全集「夢野久作」巻で、まず『ドグラ・マグラ』を読んだ。面白かった。どうなる、どうなるの連続で、謎と伏線の山積み展開、ここまで引きの強いミステリーは読んだことがない。が、読後感もいいとは言えない。「なんなんだこれは」と言っておくしかなさそうだ。脳髄の地獄とはうまく言ったものである。考えれば考えるほど深みに嵌っていくあたり、ちょうど天井に向かって自分の名前を問いつづけたり、鏡に向かって君は誰だと言いつづけるときの感覚に似ているかもしれない。

[188] Mar 04, 2010

『新入社員読本』を読む。内定先からの課題図書その一である。サブタイトルに「仕事の基本100のポイント」とあるように、見開きひとつに1ポイント、計200pの構成になっている。新入社員の心構え、組織人としての自覚、人間関係、コミュニケーション、ビジネスマナー、文書作成、電話対応、情報機器、云々。扱われているテーマやそれに対する答えは、どれもやや平々凡々だ。▼しかし貶して言っているのではない。いつかの記事にも書いた通り、現実的な助言とはみな平々凡々たるものである。気の利いたことを言ってやろうという意図の見え透いたものより、実に親身らしい味のある本書の助言に少なくとも私は好感が持てた。実地の研修指導経験が豊富な著者ならではの風味だろう。後で読み直すときにはさっとおさらいできるように、本文の内容を「疑問」と「解答」に分けて頁の左右に簡潔に示してあるのも、この手の本の構成としてはよい配慮であると思う。

[187] Mar 03, 2010

いつか大学の英語でサッカレーの「The Rose and The Ring」全訳をやったとき、第一章冒頭の記述に見えるパフラゴニアの「King and Queen」を、とっさに「王と女王」と訳して怒られたことがある。こうして文字に起こしてみると明らかだが、たしかに王と女王は併立しない。「王と王妃」と訳すべきだろう。▼ややうるさいような話だが、このエピソード以来、和訳の日本語には随分気を使うようになった。もともと大意があっていれば日本語は崩れていてもいいというような、事務作業的な「試験の和訳」が大嫌いだったが、その指向にいっそう拍車をかけて言葉選びをするようになったと思う。▼国語力云々は考えていなかった気がする。ただ出来上がった訳を見て、もとが英語だったとはちょっとわからないような、日本語らしい日本語を拵えることに躍起になった。それが板についてきた頃、実に流暢な訳ですねと褒められたりして、いよいよ嬉しくなったことが懐かしい。

[186] Mar 02, 2010

ピアノの基礎的な練習に「ハノン」がある。左右の指が等しく滑らかに動かせるようにと設計された、単純かつ効果的な曲集である。いまこれに名前を借りて「作文のハノン」と呼べるようなものがあるとしたら、それはどんなものだろう、と考えた。「日々習慣的に行える程度の長さである」「覚えた後は機械的に行うことができる」「作文の基礎力養成に役立つ」少なくともこのあたりの特性を備えていなければなるまい。▼作文の基礎力とは何かという問題は残るが、どうやら模写がこれに近そうだということに気づく。習字のお手本模写と同じように、ハノン風に断片化した様々な作家の例文を模写するのである。何も考えずともできるし、繰り返しやっていれば力もつきそうだ。実際、志賀直哉の小説を写しまくって作家になった人もいるというくらい、模写は物書きにとって有効な練習である。自分の作家修行で、もっとも役に立ったのは模写だと断言する作家は少なくない。

[185] Mar 01, 2010

「猫が思索しないということは、はっきり知っている。それでも猫は、実際思索していると同じくらい深遠な様子をしている」「暗い部屋の中で、一条の太陽の光線を見ること。それは埃で一杯だ。太陽の光線ほど汚いものはない」ジュール・ルナールの日記に見える記述を、小林秀雄「僕の手帖から」より孫引きした。人の手帖から日記を引用する記事。なかなか妙なものである。▼もうすっかり覚えてしまった二文だ。それほど執拗に、私は何度もここへ立ち戻ってきたのだろう。リアリズムのエッセンスがぎっしり詰まっているこの手本についてもういちど頭を捻ってみることで、リアリズムとは何ぞやという疑問に鳧をつけるのである。つまりこういうことなんだ、と――手本と思わば思え。そうして小林秀雄の付言もまた、簡潔かつ核心を突いていていい。「さて、読者はきっとこの二つの言葉を皮肉な意味にとっただろう。駄目だ。ルナアルはありのままを書いているのだ。」

[184] Feb 28, 2010

先日、速読についての記事でエミール・ファゲに言及したついでに、彼の著書『読書術』からもその意見の要点をふたつ引いてみよう。▼全編を貫く彼の根本主張を表す書き出しはこうだ。「読むことを学ぶためには、先ず極めてゆっくりと読まねばならぬ。そして次には極めてゆっくりと読まねばならぬ。そして、単に諸君によって読まれるという名誉を持つであろう最後の書物に至るまで、極めてゆっくりと読まねばならぬだろう。」速読には真っ向から反対している。▼また、数多くある本のなかにはゆっくりと読むには向かないような本もあるのではないか、という反論への答えが面白い。ゆっくりした読書に耐え得ぬ書物、たしかにそれは存在する、と認めた上で、しかし「それは正に決して読んではならぬ書物である」と彼は言う。「ゆっくり読むことの第一の恩恵――それは読むべき書物と読まれないためにのみ作られた書物との間に、最初から区別をつけることである。」

[183] Feb 27, 2010

高校の同窓会へ行く。クラス会としてはやや少数な八人だが、これでもう毎年変わらないメンバーだ。卒業後の交渉もなく、当時とてそれほど仲良しこよしをしていたわけでもない間柄が、年に一度のこのときばかりは相親しげに語らって、お互い笑い飛ばすのはなんとも気味がいいものだ。それも酒の力とばかりは言えまい。忙しさを押しても顔を出してくるような、気のいい連中がやはり残っているのである。▼少人数だけに、定期的な飲み会と大差はない。それでも教師や同級生のフルネーム、授業や部活動の名前、課外行事で訪ねた土地やイベントなど、お題を決めて順々に言い合い、どうしても出てこなかった者は熱燗一気……と同窓会ならではの定番の遊びにも興じた。誰もが思いつかなかったような懐かしのワードが飛び出してくれば、どっと哄笑が起こる。あるいは過去を必死で思い出すという、ただその行為がたまらなく楽しくて、みな自然笑顔になる。醍醐味である。

[182] Feb 26, 2010

ある日、場外馬券場でこんな会話が起こった。「溜めて溜めて溜め込むか。それで『直線伸びが足りませんでしたね』だもんな」「豊のコメントはいつもそつがないからね」「そつがないか。そういえば、そつがないのは如才ないのとどう違うんだ」▼日本国語大辞典を参照すると、どちらの用例にも荷風の文章が載っている。偶然とは思うが、比較にはちょうどいい。「土地の老妓を呼集めてよろしく頼むぜと云ったようなソツのない仕方(腕くらべ)」「世慣れた人の如才ない挨拶としか(すみだ川)」▼さて、どう違うか。「そつがない」の方はなんとなく「うまくやってのけた」といったような雰囲気がある。抜け目のなさ、手落ちのなさである。一方「如才ない」は「世慣れた人の」とあるように、隙がないというよりは「体よくこなした」という具合が勝っている。等閑にしたところがなく、気がきいて調子のよい感じである。豊のコメントは、そつがないというべきだろう。

[181] Feb 25, 2010

最寄りの自動販売機からぶとう酢が姿を消した。好きだったのだが、名前のせいかいまいち人気がなかったようで残念だ。弟も「ジュースに酢はない」といって毛嫌いしていたくらいだから、とっつきの障壁は高そうである。代わりに定番の「さらっとしぼったオレンジ」を買ってきて、音楽視聴の肴にした。▼ジュースのオレンジをめぐっては、高校時代にひと騒ぎあったことを覚えている。誰かの持っていたオレンジジュースに、無果汁と表記されているにもかかわらず、原材料にオレンジ果汁と書いてあったのである。一人が販売元に電話して訊いてみると、果汁が極めて少ないので無果汁と表記している、という答えだった。▼そのときは皆、あまり納得がいかなかった。けれども、この答えは正しい。「果汁5%未満のものは「果汁3%」又は「無果汁」と表示する」という決まりが、JAS法の「無果汁の清涼飲料水等についての表示」規定にあるのだ。ややこしい話である。

[180] Feb 24, 2010

スピノザは『知性改善論』でこう述べている。「全くのところ、愛さないもののためには決して争いも起らないであろう。それが滅びたからとて悲しみもわくまいし、他人に所有されたからとて嫉妬も起るまいし、何らかの恐れ、何らかの憎しみ、一言でいえば何らの心の動揺も生じないであろう。」▼愛着こそすべてに先立つ心の基礎であると信じる私の信念を、長きにわたって裏打ちしてくれた言葉である。今、これだけ見れば平凡な言明にも思えるが、それでもこの言葉が私の心に残りつづけて来たのは、着地点が非凡に思われたからだった。▼結びにはこうある。「実にこれらすべてのことは、我々がこれまで語ってきた一切のもののような、滅ぶべき事実を愛する時に起るのである。」しかし人間は、現実に在って宿命的に滅ぶべき何かに思いを仮託しなければ生きていけない生き物だ。それ故に、人は愛着の奪い合いから逃れられないのである。実に簡明化された真理と思う。

[179] Feb 23, 2010

去年の十月に研究室で行った秋合宿の立替金が、今日学校から振り込まれた。忘れたころにお金が入るのはありがたいが、いくらなんでも四ヶ月というのは仕事が遅すぎはしないか。それも今月は払い込まれますと言いつづけての四ヶ月、何かの詐欺みたいで心象もよろしくない。事務が捗らないのは常のことだが、最低でもお金のことだけはきっちりしたほうがいいぞ、国立大学法人様。▼臨時収入はさしあたり初任給までの生活費にあてる。しばらく書籍も買っていないし、大学生協の割引が使えるのも三月までだから、いずれ買う予定のあるものはここで残らず手に入れてしまった方がいいかもしれない――などとこんな調子で、あるいは学割、あるいは引越し、あるいは旅行と、みな一様に慌てているのは、論文で忙しかった日々がそっくり別の忙しさで塗り替えられたような按配だ。事務とはまるで反対に、学生諸氏にはなかなかゆっくりするという選択肢が取れないのである。

[178] Feb 22, 2010

足りないものを丁寧に添える。余分なものを毅然として除去する。添削という仕事は、終わりが見えない分、いつもたいへんだ。それでも足して行く方は、言いたいことがなくなれば手も休まるからまだいい。つらいのはやはり、削る方だ。このあたり推敲に頭を悩ませたことのある人は、同意してくれるものと思う。▼文章を削ることについて、あるミステリー作家は次のような注意を促している。「君は肉屋か、それとも外科医か。」これはなかなか骨をついた助言だ。肉屋なら規定の重さになるまで切ればいい。だが、文章の添削は外科医の仕事である。外科医は傷つけてはならぬところを知らなければならない。文章を削るということは、意図する効果や主張の説得力を損なわないような最小の文字数を探す事である。大切な神経に触れてはならないのだ。終わりの見えない不安に負けて、削れるところは削ってしまえと、つい腹を括ってしまう心を掣肘し続けなければならない。

[177] Feb 21, 2010

音の捉え方について、経過的に考えてみよう。はじめ、音符は点で捉えられる。指を置くべき鍵盤を探すような、どの音がどこで鳴るかという離散した認識である。まだ受動的な段階で、自ら秩序ある「曲」を作り出すことは難しい。▼そのうちこれを線で捉えるようになる。片手でピアノのメロディを弾くような、旋律という認識である。そうしてこれが両手となると、線と線の関係を考える段階になる。五線譜よりもっと広く、全譜面を一望のもとに鳥瞰するような、面の認識である。全体の性質を決定づけるような音運びの所在を気にするようになり、テンポ・強弱の表現に対する気遣いが生じてくる。▼最後に、面と面との関係、つまりレイヤーで全体を捉える視点になる。音色空間という奥行きを仮定した、言わばオーケストラ的発想である。最高位に複雑だが、それだけに構成・表現の可能性は無限である。現実的には恐らくこれが、認識の最終段階ということになるだろう。

[176] Feb 20, 2010

朝起きて意識が目覚めたらすぐ、半睡のうちにスタンバイ状態のPCへ手を伸ばして音楽をかける。あまり極端でない聞き慣れたものを選ぼう。さて、ふたたび布団に戻ってまどろみながら聴いていると、テンポが異常に早く聞こえないだろうか。あるいは、そういう経験がないだろうか。▼テンポの感覚というは相対的なもので、直前に聴いていた曲のテンポにも、そのときの精神状態にも左右される。もっとも影響の顕著なのは、心拍数だろう。テンポは心拍数に対して計測される。そうして一般に寝起きは心拍数が低いため、ふだん正常な心拍数で聴いている曲のテンポが、寝起きには早く感じられるのだ。▼もちろん「自分はまったくそんなことはない」という人もいる。ファインマンなどもエッセイで自身の体内時計がいつでも正確に機能していることを、不思議のひとつとして語っていた気がする。体質によりけりかもしれないが、ひとまず寝起きはいちど試して見て欲しい。

[175] Feb 19, 2010

速読とかするのかい、と先輩に聞かれたので「いえ、一分に一頁くらいのもんです」と答えた。ずいぶんゆっくりなんだね、と言われたが、そんなものじゃないだろうか。もっとも他人の読書スピードについては、よくわからない。▼読書・執筆態度については、佐藤一斎の言葉が好きだ。「読書は宜しく澄心端坐して寛く意思を著くべし。乃ち得ること有りと為す。五行並び下るとは、何ぞ心の忙なるや。作文は宜しく命意立言して、一字も苟にせざるべし。乃ち瑕無しと為す。千言立ちどころに成るとは、何ぞ其の言の易なるや。学者其れ徒らに顰に才人に効いて、以って忙と易とに陥ること勿れ。」一度に五行も読み下す人がいるというが、なんという心の忙しない話であろう、と言っている。速読には速読の意味も魅力もあるとは思うが、面白いことにいつの時代でも心ある人からは蔑視されるようだ。エミール・ファゲも『読書術』で、ゆっくり読むことを至上命題としている。

[174] Feb 18, 2010

知りたい単語をウィキペディアで調べたとき、項目がないのはまだいいとして、悲しくなるのは、英語記事はあるが日本語記事がないときだ。新出の語彙をいちいち英語で解釈するのは甚だ面倒である。かといって他のソースよりは信頼できると思うと、やはりそれを頼ってしまう。宙ぶらりんの状態がもどかしい。▼現存するウェブ情報の52%は英語で書かれている。一方、日本語で書かれているものは僅かに5%未満。言語の段階で既に十倍の情報格差が潜んでいるわけだ。このような言語に端を発する情報格差問題を特に「言語間デジタルデバイド」という。▼英語のリテラシーが低い日本人にとっては実にありがたくない話である。解決のためには、ストレスなく読解できるほどの精度を持つ機械翻訳が現れるのを待つか、ウェブ上の情報密度という視点から改めて英語の必要性認識を向上させるかしかない。どちらを選ぶかで、今後の情報生活も大きく変わってきそうである。

[173] Feb 17, 2010

シックスシグマは6σではない、というちょっとした謎の理由を調べていたが、意外とあっさり見つかった。▼シックスシグマとは、一時期あらゆる経営管理の領域でお題目のように唱えられた品質管理手法のひとつで、単純に言えば「100万回何かしたら、失敗は3.4回以内に収めよ」というスローガンである。σは統計学の標準偏差を表す記号だ。品質分布のもっともばらついたもの、つまりもっとも出来の悪いものが、正規分布の6σより外に出るな、というのである。▼冒頭の謎めいた語句の意味は、統計学的には6σは10億分の2であり、スローガンの言う100万分の3.4ではないという点にある。これはちょうど4.5σにあたる値だ。差分はどこへ消えたのか。実はサンプルデータの時間推移による平均値のゆらぎが1.5σ繰り込まれているのだ。最悪のサンプルを取った場合でも品質は4.5σに収めましょう、というのがシックスシグマの定義なのである。

[172] Feb 16, 2010

悲惨な目に遭った。品川プリンスホテルでの打ち上げ会。現地集合で皆より早くに着いた私は、自動販売機コーナーをひとり歩いていた。ふとグラソーの「ビタミンウォーター」が目につく。昨日もナチュラルローソンで見たばかりだ。最近流行ってるのだろうか、そんなふうに思いながら、ドラゴンフルーツ味を買ってみた。▼旨かった。思っていたより糖分がきつくなくて、薄味好きにはいい。全種類制覇しようか、などと心の中で賛辞を送りつつ、さっと半分ほど飲んで鞄にしまう。壁に背を預けてドグラ・マグラを読み耽る十分、二十分。ふと残りを飲みに伸ばした腕が止まる。ボトルが空だ。▼蓋は締めていた。ただほんのちょっと締め方が傾いていただけだ。確認しなかった私が馬鹿か、それならもう少しフールプルーフに作っておくれ、信頼性設計がなっとらん、などと悪態つきつき、磨きこまれた綺麗なトイレで水洗いである。本が濡れなかったのは、せめてもの幸いか。

[171] Feb 15, 2010

「私のかけがえのなさの起源は、ペットのかけがえのなさと同じである。」これはたしか保坂和志の言葉だった。『小説の自由』あたりで読んだ文句と記憶している。そうして読んだ当時、非常に共感した覚えがある。たしかにその通りだ。▼しかし私やペットに限らず、なんでもそうではないだろうか。どんなものでも、それをかけがえのないものだと心の底から思うとき、それはなぜかと納得行くまで自問して突き詰めてみると、とうとう付き合ってきた時間が長すぎるということ以外に、たいした理由がみつからないことに気がつく。▼論文だってもちろんそうだ。いいかげんにやっていた人ならともかく、生活の多くの時間を割いて、二年の月日を付き合ってきた研究であればこそ、やはりかけがえのないものだと感じるのである。そう思ってみれば、体裁まで仕上がった完成品としての論文は、たしかにペットみたいなもんさ――手放すのがちょっと惜しくもなるというわけだ。

[170] Feb 14, 2010

現在気象庁で運用されている気象予測モデルはすべてプリミティブモデルである。プリミティブ方程式は、ナビエストークスで鉛直方向の運動方程式に静水圧近似を用いる非線形微分方程式群。静水圧近似は、水平方向の運動スケールが鉛直スケールよりも十分大きいとき成立する近似である。地球規模では対流圏までせいぜい10kmであるから、この近似が有効となる。もちろん、小さな領域の予測を行うときには非静力学平衡のモデルを別途導入しなければならない。▼非線形微分方程式の常で、このモデルも境界条件に極めて左右されやすい。予測結果は初期値が全てと言われるほどだ。観測データの扱いとパラメータ設定は徹底した精密を要する。しかし、人間に役立つ気象予測はもう少し漠然としたものであっていい。「だいたいわかる」ことに価値を見出す、大域的で俯瞰的な予測のための人工知能的アプローチが、そろそろ気象予測の領域で見込まれても良い頃だと思う。

[169] Feb 13, 2010

ユーモアに関する考察、という古いワードファイルが出てきて、プレゼン資料をつくるあいまにつらつら見ていた。書き抜きに若干のコメントをつけている体裁で、こういうものなら古い自分の書き物でも安心して見ていられる。時で褪せない引用の信頼だ。未来の自分にはいい財産になる。▼今読み直してなるほどと頷いたものをふたつ、再引用しよう。「明白の上に輪をかけること、極端に大胆な比喩の混沌に訴えること、厳粛さを雷撃すること、有名な金言を転倒し、あるいは歪曲してモンタージュをしなおすこと……。」ロートレアモン伯爵はこう述べている。類推の崩れるぎりぎりの線を狙っている。「ユーモアを流すのに二つの方法があると思う――ひとつは稀なことばを華々しくぶつけて個人の感覚を生み出すこと、もうひとつは、当然現在の感情だが、感情に角をつけ、あるいは正方形を描くことだ。」これはジャック・ヴァシェ。彼らしい一流の皮肉が利いていていい。

[168] Feb 12, 2010

新しい洋服をつくるために方々から名うてのマーケターが収集されて、デザイン発案会議が行われた。依頼者はこれまでに手がけた全ての衣類を生地別に分け、参考のためクラスター化して生地番号を図示してみせた。番号を見れば、どの生地かはすぐにわかるようにカタログも配布された。▼しかし会議が始まると、会場では発言こそあるものの、なかなか意見がまとまらない。意志の疎通がうまくいっていないのだ。弱りきった主催者があれこれと手を打っていると、クラスター上に生地の実物を貼ったところで、とうとう次々と有益なアイデアが飛び出して来たという。▼何故か。実物のあったほうがイメージが湧きやすいという単純な理由もあるが、マーケターは経験知を命とする仕事であるということが大きい。背景がそれぞれ異なっているため、情報が可視化された形で共有されていないと、同じ図から違う情報を読み取って、意思疎通を阻害してしまうことがあるのである。

[167] Feb 11, 2010

グーグルに新しいサービスが追加された。「バズ」というツイッターに似た、リアルタイムコミュニケーションサービスである。グーグルの意図は何だろうか。セルゲイ・ブリンは、今回の「バズ」の狙いについて「個人のコミュニケーションも、S/N比の向上が何よりも重要だ」と語っている。つまり、より質の高いコミュニケーションのためのサービス目指しているのだ。▼上述の意図を見る限り、ツイッターとは綺麗に棲み分けられそうである。アピールポイントがまったく違うからだ。ツイッターのウリはS/Nで言えばNにある。Nを許容する仕組みと文化にある。考えなしに流れていく様々なノイズたちが、TLを「なんとなく楽しいもの」にしているのだ。いちいちこれはノイズじゃないだろうか、なんて考えていては気楽に呟けない。一方、バズの魅力はGmailと連動している点だろう。かっちりと意味あるSを伝えるのに適任だ。根底にある世界観が、まず違う。

[166] Feb 10, 2010

夢野久作「氷の涯」を読む。日本探偵小説全集に収録されている中編で、へえ、これが探偵モノなのか、とちょっと意外な思いのする筆致。結論から言うと、その筆致から直接感じる雰囲気の方が小説全体の持ち味としては正しくて、探偵小説としては些か物足りないところがある。後半の急展開からは少々ついていくのにたいへんで、結局、思っていたのとはだいぶちがった形で着地した。▼生来氷が大好きな性分で、「氷の」だとか「雪の」だとか見るとそれだけで食指の動いてしまう氷物好きだが、そんな題の味は見事に活かされていると思う。ラストの美しさは比類ない。それだけでもう一切の不満は吹き飛んでしまう。感動的だが決して感傷的ではない、その吸い込まれていくような冷たさに、読者は皆、きっと悲観的になどなれないだろう。そうして上村一等卒の、最後の言葉通りになっていても、ちっとも不思議でないというような、そんな気持ちになっていることだろう。

[165] Feb 09, 2010

今、席に座るためN人の人が一列に並んでいる。席は全部でN個あり、それぞれに1からNまでの席番号がついている。そうして、i番目に並んでいる人はi番の席に座るのが決まりになっている。▼本来ならば何の問題もなく全員自分の席について終わりである。ところが、1番目の人がうっかり決まりを忘れて、適当な席に座ってしまった。残された人は、もちろん決まりにしたがって席を埋めて行くが、自分の席が埋まっているときは仕方がないので適当な席へ座るものとする。このとき最後の人(N番目の人)が自分の席(N番の席)に座れる確率はいくらか。▼発想を変えると問題が途端にかんたんになるということはままあるが、この問題はその点、非常に面白いと思った。まっとうな方法では場合の数が多すぎて太刀打ちできそうにないが、着眼点によっては三行で解ける。そこに行き着くまで、随分時間がかかってしまったが、良い問題だと思ったので、今日は紹介まで。

[164] Feb 08, 2010

昨夜、真夜中に家を出た。最後の加筆と推敲は、やはり研究室でやりたいのだ。提出期限の十時まで、仲間と一緒に慌ただしいふりをしたい。そんな気持ちである。日曜の零時近くの東京駅はあまりに人が見当たらなくて、無人の静けさがいやに新鮮だった。風邪だけひかぬようにと栄養ドリンクをいっぱい買い込んで行く。そこでついジャンプも買っていくあたり、少しだけ兆してきた余裕が見える。▼修士論文は無事提出できた。百枚以上の原稿を自分に一部、提出に二部、刷っては穴を開けて、堅いバインダーに収めて行く。出来上がった冊子は、持ってみるとしっかりと重い。その重さが実に嬉しい。集大成だ。指導教官の判を捺してもらうと、卒論のときとは比べ物にならないほど、なにかしみじみとしたものを感じた。感慨というようなものではない。不思議と、そんなウェットな気持ちではない。集大成だ、という言葉の代わりのため息に尽きる。ほんとうにそれに尽きる。

[163] Feb 07, 2010

徹夜をすると体力が減るのではなく、体力の最大値が減るのだそうだ。二年前卒論で、今日のように提出前日の徹夜作業をしているとき、助教の人がぼやいていた。君たちはまだ若いからわかるまいという言葉通り、あの頃はたしかにピンと来なかった。それがいまは切によくわかる。二年の月日は長い。▼よくこんなふうに言われる。徹夜仕事は寝る時間を削っているのではなく、ずらしているだけで、基本的には別の機会に同じだけの時間を睡眠にあてている。したがって、短期的には締め切り後の時間を借りてくるという効果があるが、長期的な仕事に対しては無力である、と。▼主張はよくわかるが、そうとばかりは言えない。人が切羽詰ると夜仕事に傾くのにはちゃんとした訳がある。起きれない不安や焦りのためばかりではない。眠気の限界という擬似的な締め切りを作り出すことで、無理やり集中力を高めているのだ。不健康ながら、ひとつのマイルストーン法なのである。

[162] Feb 06, 2010

「残酷な未来というものがあるのではない。未来は、それが未来だということで、すでに本来的に残酷なのである。」安部公房は『第四間氷期』のあとがきでこう述べた。未来は私たちのありふれた主観的判断を静かに裏切る。未来を垣間見ることは、日常的な連続感から断絶されることである。▼この言葉を思い出したのは、先日書いたサステナビリティのレポート絡みであった。私はどうもこのサスティナブルという言葉が、必要以上に人の心を誑かしている気がする。持続という、ニュアンスである。▼人間は、現在享受している快適な環境が、永劫変わらぬままであることを渇望する。しかし、原理的に永続しないシステムもある。それがなくなってしまったときに、人類はイノベーションを起こすことで、新たな快適さを生み出してきたのだ。持続が甘えになってはいないか。維持の仕組みにこだわりすぎて、やがて来る確実な「残酷」と向き合う力を無くしてしまっては困る。

[161] Feb 05, 2010

今日は誕生日である。誕生日おめでとうのメールやメッセージがあたたかい。もっとも本人は、ハッピーバースデーを祝っている暇もないので、弁当をかき込んでひたすら修士論文に向かう誕生日である。どうにも時期柄、昔から慌ただしく過ごすことが多い。そういう定めなのかもしれない。▼二十四になった。年の区切りに深い感慨を感じるタイプではないので、またひとつ年を取ったという軽い印象である。若さを貴重と信じながら、一方で早く壮年を迎えたいとさえ思っているので、極端に喜びも嘆きもしない。宿題の提出期限と大好きなイベントが、同日に控えているのを待つような感覚である。▼ちなみにあまり縁起でもない話だが、どうやら私は今年が厄年だそうだ。社会人一年目に厄年と言われるほどの厄もあまりなかろうと思うが、特に散財には注意せよと言われている。浪費癖のある自分、給料を貰う身になれば確かに怖い。二十四歳のいい大人、しっかり自制せよ。

[160] Feb 04, 2010

ウェブの普及により知識の生産効率は飛躍的に向上し、我々が手に入れることのできる情報の絶対量は爆発的に増加した。特にここ数年は再生産の繰り返しによって、幾何級数的という言葉がかわいく見えてくるほどの伸び方を見せている。一方、情報へのアクセスが容易になったことで、知識そのものを持っていることはもはや力たり得なくなった。知はそこにあるだけでは意味がなく、どう使うかが重要になった。▼どちらもよく言われることであるが、このふたつの傾向をあわせて考える人は意外に少ない。「知を使う知」が重要であり、その知がもはや人の手に負えないほどの勢いで爆発しているということは、必然、知をパースする機械に知能が要求されるということだ。これこそ、テクノロジーやビジネスという世界に一見縁のない人工知能ひいては脳科学が、技術経営の領域で必要となる理由に他ならない。情報が物を言う世界では、遅かれ早かれ人工知能は不可欠である。

[159] Feb 03, 2010

今年は雪もなかろうとついこのあいだ言っていたところが、昨日今日とさらさら降って素直に嬉しかった。雨戸にカーテンを締め切った部屋の中でもふしぎと雪の気配というのはわかるもので、午前四時頃、もしやと思って廊下へ出れば天窓からのぞく屋根が白かったときの楽しさ。あたたかい海沿いならではの雪の魔力である。▼コンビニへ出ようと思って外の様子を窺いに靴下のまま玄関を開けると、晴れて涼しい静けさに路は末までまっしろである。それでさっそく「風花のみちやましろに待ち焦がれ」など、また一句でたらめを詠んだわけだが、あとになって風花は晴天に「ちらつく」雪片を言うものではなかったかと思った。とすると、風花のみちと詠めばまだ雪が舞っていることになってしまう。用例を調べてみると、どれも述語は漂ふ、舞う、降らす。これはやってしまったな。しかしこんな間違いもさらさらと雪の如く流れていくがツイッターの魅力である。気楽でいい。

[158] Feb 02, 2010

江戸川乱歩編『世界短編傑作集3』を読む。アンソロジー読書雑感、あまり頻繁でも難有りだが、そこはひとつご容赦。▼ウイン「キプロスの蜂」良くも悪くも、特に言うことなし。ワイルド「堕天使の冒険」事実を基にした詐術もの。探偵役二人のキャラが実に魅力的。ジェプスン&ユーステス「茶の葉」悪くないが、トリックはややわかりやすい。バークリー「偶然の審判」リズムのいい好短編。解決も妙味。ノックス「密室の行者」犯罪手口の奇抜さは逸品。ロバーツ「イギリス製濾過器」納得いかない。解決があまりにも安易に見える。アリンガム「ボーダー・ライン事件」文句なし。今までの全作品中いちばんいい。さりげなくも見事な掌編推理。ダンセイニ「二壜のソース」不穏という言葉のよく似合う傑作。この雰囲気を作れるのがダンセイニである。クリスティ「夜鴬荘」推理ものというよりは心理ものか。悪くはない。レドマン「完全犯罪」展開が面白い。構成の勝利。

[157] Feb 01, 2010

修士論文提出まで一週間を切ったこの時期に、サステナビリティーについて自由に論ぜよなどという課題が出ているのだからたまらない。自由にと注意書きの添えてあるのをさいわいに、このさい思いっきり自由に論じてやろうと思う。しかしそう思うと、今度はA4二枚以内の縛りが効いてくる。少ないと不平を言うのもおかしな話だが、融通無碍に論じるにはやや少ない。なかなか思うようにはいかぬ。▼たいていの場合、文章推敲の手間は削ることである。まとまった話を書こうと思えば、ふつう短くするのに苦労するものだ。ところが不思議なことに論文となると、多くの人にとっては逆になる。百頁に足りないからもっと図を入れようなど、ザラである。少ない内容を必死で膨らませようとしていると見れば悲劇だが、そうとも限らない。厚くなければならないという既成観念も多分に手伝っている。形式主義から抜け出せないところ、まだまだ紙の無駄は終わらないのである。

[156] Jan 31, 2010

しばらくビジネスやら文学やらの話題ばかりでパズル系がなかった。今日、ちょうどそのことが話題にのぼったので、久々にひとつ紹介したい。設定も解法もシンプルながら、発想にちょっと妙を要するところが出来のいい問題である。▼額面が一枚一枚ばらばらの、十枚綴りの切手があるとする。この切手をふたりで交互に取り合っていくゲームを考えよう。つながっている切手の真ん中を取ってはいけない。手番で選べるのは端の二枚だけである。勝利条件は極めて単純。五枚ずつ取り分け終えたとき、持っている切手の額面合計の多い方が勝ちだ。そうしてこのゲーム、実は先手必勝である。ではその戦略とはどのようなものか――という問題だ。▼ひとつ補足すると、正確には「必ず勝つ方法」というものはない。たとえば切手がすべて同じ額面であれば、どう頑張っても引き分けにしかならない。したがって必勝というよりも「負けない方法」である。なかなか頭を捻らされた。

[155] Jan 30, 2010

人に何か贈り物をするときに、ちょっとした季節感のあるものを添えて、言外の気持ちや風情を伝えることを「心葉」と言う。こう書いて、こころばと読む。大言海に曰く、その音の意味するところは「わがこころばせ」である。「贈物ヲこころざしトモ云フト同意ナルベシ。」▼具体的には何だったか。それはたとえば造花であったり細工であったり、綾織りの絹であったりしたらしい。大辞林には「金銀糸や色糸で作った松や梅」という記述も見える。何にしても、ほんとうにちょっとしたものだ。けっして贈り物を飾り立てようという見栄心ではない。▼心がこもっているというのは、こういう小さな気遣いのあることである。親切心というやつだ。プレゼンテーションのコツは何かとよく聞かれるが、それもひとことで言えば小さな気遣いがプレゼンの端々にあるかどうかである。技術や形式は二の次で、まずは聴衆を退屈させまいという気遣いがなければ、コツもへちまもない。

[154] Jan 29, 2010

寒明までもう少しと思いながら、寒い朝に耐えている。布団から出られなくてグズグズするくらいなら、さっさと飛び出て洋服に着替えてしまうのがいちばんいい、そういう料簡で、朝から家の中でもコート、マフラー、帽子の完全装備である。こんな格好でピアノだ読書だプログラミングだと、はたから見たら並々ならぬ怪しさではないか。▼まったく今年はなんという趣きのない一月だろうと我ながら驚いている。年賀状も出さなければ初日の出も見ず、初詣にも行かなければお札を貰いに川崎大師へも参じていない。ビタミンCが豊富だから蜜柑たくさん食べようね、という例年の会話も、今年はアスコルビン酸の大きなボトルがテーブルに常備されているものだから、蜜柑すら用意してないありさまだ。「薬のむあとの蜜柑や寒の内」そんな情緒の欠片もない。「クスリ飲むあとのサプリや寒の内」とでも言ったところ。子規の心境には程遠い、論文執筆も修羅場の一月末である。

[153] Jan 28, 2010

DIY運動が盛んになった頃のこと。棚や小机を作るには、板に穴を開ける必要がある。工具のドリルは飛ぶように売れた。あるとき、向かいの店がドリルの先を二本つけて売り始めた。ドリル屋は負けじと、同じ価格で三本と謳った。すると向かいは四本と言う……揃って疲弊していく未来は確実だ。▼セオドア・レビットは、このような近視眼的な戦略をマーケティング・マイオピアと呼んだ。マイオピアは近視を意味する英単語だ。マーケティング戦略はしばしば、特定の競争相手や製品にこだわるあまり、大局的な市場のニーズを見失ってしまうことがある。顧客が真に必要としているものは何か、常に広い視野で考えなさいという警鐘である。▼ドリル屋はついに自分がマーケティング・マイオピアに陥っていることに気がついた。そうして「顧客が本当に欲しているもの」をもういちどしっかりと考え直し、戦略を改めた。どうしたか。穴の開いた板を売りはじめたのである。

[152] Jan 27, 2010

信頼できる作家の編んだアンソロジーを読む楽しみは、択ばれた作品に大外れはないと信じて読み進められるところにある。中盤だれたところで気にしない。きっとそのうち……という期待を最後まで持ち続けられる、そういう特殊な条件下での読書体験がひとつの醍醐味になっている。もちろん、裏切られることがないでもない。▼ところで推理短編小説にアンソロジーが多く組まれているのには、一種独特な事情があるように思う。つまり、外れが多いのではないか。中島河太郎はこのように書いている。「意外性が重視されればされるほど、作者は難解な謎を用意し、それを合理的に説明するために、専門知識をもちこまねばならぬようになって、読者の敗北感はすっきりしなくなって来た。」アンソロジーは、時代の要求が長編の本格推理から短編の謎解きものへ移ったとき、量産された「すっきりしない」短編たちから、読みうるものを拾い出すための手段でもあったのだろう。

[151] Jan 26, 2010

江戸川乱歩編『世界短編傑作集2』を読む。ふたたび四百字で雑感と行こう。▼ルブラン「赤い絹の肩かけ」荒っぽいものの、怪盗の手並みは鮮やか。グロルラー「奇妙な跡」結末が見え透いている。月並みといえば月並み。ポースト「ズームドルフ事件」情況つくりが秀逸。トリックは想像に難くなく、焼きなおすと拙くなるタイプ。フリーマン「オスカー・ブロズギー事件」倒叙推理ならではの科学追跡の楽しさ。ホワイトチャーチ「ギルバート・マレル卿の絵」探偵役の立ち回りは面白いが、トリックは少々平凡か。ベントリー「好打」好編。被害者の置かれた環境が興味をそそる。アーネスト・ブラマ「ブルックベンド荘の悲劇」つまらなくはない。しかし扉の乱歩の解説があまりに罪つくり。クロフツ「急行列車内の謎」いまひとつ。こういった完全犯罪は、現代では受けいれがたいものだろう。コール夫妻「窓のふくろう」落ち着くべきところに落ち着いたという妥当な印象。

[150] Jan 25, 2010

今年は雪なしに終わりそうな気配だ。このあたりは太平洋側の海沿いで、雪の降りにくい地域である。土地柄もしぜん降雪を歓迎しない。それでも子供たちにとってはめったにない雪遊びの機会になるし、雪の風情なく一冬過ぎるのもやはりなんだか味気なくて、みんなたまには雪の話をする。降らないね、そうだね。▼雪はないが、つららならある。早朝の学内を散歩していると、足元に張った水面がきらきらと凍っているのに出くわした。なるほどこれが「つららゐる」かと思ったものだ。「つらゝゐてまもる岩まのせきなれやよをへて堅くなり増る哉(源俊頼)」▼ここで言うつららとは水面に張った薄氷のことで、現在のつららは、古くは垂氷(たるひ)と呼ばれたものだ。「日ごろ降りつる雪の、今日はやみて、風などいたう吹きつれば、垂氷いみじうしたり。」と『枕草子』にある。漢字を見ても氷柱より垂氷のほうが、つらららしくていいじゃないか、と思わないでもない。

[149] Jan 24, 2010

生音録音でなく打ち込みで楽曲を作ろうと思ったとき、いまのところ音楽的な知識や経験以上に参入障壁となっているのが、音源の扱いにくさである。値段が高い、種類が多い、容量が大きい、試用が困難など、嬉しくもない欠点が勢揃いしている有り様だ。とにかくこの音源データというものを、ユーザーが各々個別に確保しなければならないコストが高くついている。▼であれば、いっそひとつのサーバーに可能な限りのサンプルを集めてしまって、サンプラー型のインターフェースを通して音源を使えるようにした方が、コミュニティ全体の便益は遥かに良くなる。ユーザーの必要に応じて、必要な音色を提供する。そういう「クラウド音源サービス」とでも言うようなものが、そろそろ出てきてもいいのではないだろうかと考えた。数年前には信じられなかったような規模のサービスが、次々とクラウド化する時代である。技術的にもコスト的にも、まるで夢物語とは思われない。

[148] Jan 23, 2010

どんなものであれ本当に役立つ助言というものは、ことごとく洒落気のない平凡なものである。何故か。実行を離れて役立つ助言はないから、そして平凡でない実行というものはありえないからだ。つまるところ、まず言われた通りにやってみなければ、助言の真価はわからない。▼「これから小説でも書こうとする人は、少なくとも一外国語を習得せよ」文学志願者への忠告を求められて、菊池寛はこう答えたという。小林秀雄は、実に簡明的確な助言だと感心したと書いている。「心掛け次第で明日からでも実行が出来、実行した以上必ず実益がある」そういう言葉こそ真の名助言なのだと。▼では私のほうはそんな小林秀雄の「作家志願者への助言」で何を名助言と思ったか。「諸君がどれほど沢山な実行したことのない助言を既に知っているかを反省し給え」確かにこれも身につまされたが、実行という視点から選べばこっちだろう。「若しある名作家を択んだら彼の全集を読め」

[147] Jan 22, 2010

「Well-Tempered Clavier, Book 1 - Fugue #1 In C, BWV 846」バッハの平均律クラヴィーア曲集。最近こればかり聞いたり弾いたりしている。フーガの美しい流れはもちろん、ところどころに出てくるド#が最高なのだ。電子ピアノの音色をオルガンにして、つい押しっぱなしにしたくなる。響きの切ない和音をパイプオルガンで引き伸ばす、あの至極単純な快感である。▼とにかく気持ちがいい。フーガだから気持ちいいのかバッハだから気持ちいいのかわからないが、ともかく朝起きてまず数回、これで目は覚め身体は温まる。出かける前につい数回、これで元気とやる気が出る。帰ってきてまた数回、頭のつかれもすっかり取れる。お風呂が沸くのを待つ間にちょうどいい――とこう言えばいかにもピアノばかり弾いていそうに聞こえるが、それでも日に数回で満足しているのだから、そうでもない。ちょっとお世話になってます、くらいのもの。手頃なサプリメントなのである。

[146] Jan 21, 2010

クリス・アンダーソンの『FREE』では、「競争市場においては、価格は限界費用まで下落する。」という表現に直されたベルトラン競争のアイデアが、しばしば議論の中心的な前提として扱われている。ところで、本については後日論じるとして、この競争を名付けたジョセフ・ベルトランは数学者だ。となると「ベルトランのパラドクス」との関係が気になるところである。同一人物だろうか。▼「点Oを中心に半径Rの円を書く。この円に弦を無作為に取るとき、弦の長さLが円の半径より長くなる確率はいくらか。」三通りの方法を試してもらいたい。「線分をひとつ定め、その線分と平行に弦を取る」「弦の一端を固定し、もう一端を円周上に取る」「点Oを中心にする半径R/2の円を書き、交差判定をする」確率は計算するたびに、ころころ変わってしまうはずだ。「無作為」という語の曖昧さに起因する誤謬だが、確率の奥深さを単純に表現していて面白い問題である。

[145] Jan 20, 2010

たとえば新製品開発のためベンチャー企業とライセンス契約を結ぶとする。このとき「危ない相手と組むことによるリスク」をプロジェクトの評価に反映させる方法のひとつに、組んだこと自体を「現在価値の損失」として計算してしまうやり方がある。▼相手はベンチャー企業だ。したがってより大きなリスクを資本コストに反映する必要がある。NPVにおける割引率は大きくなり、将来のキャッシュインフローを、こちらよりも少なめの現在価値に見積もらなければならない。ということは、たとえば契約時にライセンス料を増やせば、両社の現在価値を合計した値は、ライセンスなしのときよりも低くなるということだ。▼このことは、WACCを高めに取らざるを得ないリスキーな相手と組むことによって、プロジェクト自体の現在価値が失われることを意味している。そうしてNPVの計算により、その失われる価値を設定するライセンス料の関数として表しているのである。

[144] Jan 19, 2010

リスニングが新たに加わってから、センター英語の目論見は年々変わってきている。たとえば語彙力や論理力を問う問題はどちらかというと減り、代わりにとにかく量を読ませるようになった。第三問の変化を見てもわかる通りだ。一方で、文章題など読解自体の難易度は下がっている。▼私はこの変化には肯定的だ。短時間でたくさん読み、大意を取り違えないこと、まずはこの点が出来ていれば、その後の英語学習もひきつづき効率的にこなしていくであろうことが望まれるからである。さっとこなせる軽快さを評価したい。▼さて、今年分もざっと目で解いてみた。第二問にはややセンターらしからぬ難易度の単語が見られ、第五問は意表を突いたスタイルをしている。しかし冷静に解けばなんということはない。文章題はいずれも易しく、去年に比べては全体的にやや簡単になっているという印象だ。といっても例年並みの範疇で、とくべつ平均点が低いということもないだろう。

[143] Jan 18, 2010

病み上がりの生徒がいた。新年早々、新型インフルエンザにかかってしまったらしい。タミフルは飲んだかい、と聞くと、リレンザをもらったという。そういえばそんな選択肢もあったか、と思った。ところで、抗インフルエンザ薬期待の新星「ペラミビル」はどうなっただろう。▼ペラミビルはアメリカのバイオクリスト社が開発したノイラミニダーゼ阻害薬である。かつてはJ&Jがライセンスを受け経口薬としての開発を手がけたが、活性の問題で製品化には至らなかった。その後権利を返還されたバイオクリストが、注射薬としての開発を成功させている。▼現在、日本では塩野義製薬がライセンスを持っている。調べてみると、タイムリーなことに先日の一月十三日、世界ではじめて成人用が承認されたそうだ。商品名は「ラピアクタ」。注射となると子供には不人気かもしれないが、B型にも効き、即効性もあり、効能はタミフルよりも数段いい。今冬の展開に期待がかかる。

[142] Jan 17, 2010

人工知能プロジェクトもいよいよ佳境に入ってきた。論文構成が秒読みだ。他のことに費やしている時間はあまりない。▼今は評価のための数式と、実験計画を組み立てている。実際の言語コーパスによる実験は計算時間があまりに膨大なため、論文のスコープには入れられなかった。訓練データを用いた綿密な設定下での実験によって、言語コーパスに対してアルゴリズムがどのような振る舞いをするかを示唆しておくしかない。その設定作りが悩ましいのは、いいやいいやで定数を増やしすぎた罰だ。▼一方、アルゴリズム上の改変はもうひとつしかない。現行のニューロンは、自らの識別関数を更新していくためにシナプスの形成先と重みを変更していくが、ここに情報伝達のディレイの更新ロジックを追加するのだ。こうすることによってニューロンは、自身の識別関数を最適化するために空間だけでなく、時空間キューブ内のあらゆる点を使うことができるようになるのである。

[141] Jan 16, 2010

トゲハムシと呼ばれる昆虫がいる。小さな赤い身体に、黒いトゲがいくつも見えることから、古くはこれをトゲトゲと呼んでいた。さてあるときトゲトゲに、トゲのない亜種が見つかったので、これをトゲナシトゲトゲと呼んだ。ややこしい名前である。▼しかし話はこれで終わらない。なんとトゲナシトゲトゲの仲間に、トゲのある亜種が見つかってしまったのだ。トゲのあることを除けば、特徴は完全にトゲナシトゲトゲであったという。このことから、ついに彼はトゲアリトゲナシトゲトゲと命名されたのだ。(ただし、正式の和名ではないらしい。)▼棘有棘無棘々、なんともトゲトゲしい名前である。動植物の名付け方にはいろいろなエピソードがあって面白い。上記の例は別出典だが、漫画『スケッチブック』にはこれと似た動植物に関するエピソードが、しばしばネタにされている。漫画としても大好きなシリーズなので、近い話題を扱ったついで、最後に紹介しておこう。

[140] Jan 15, 2010

「勝つには”道”だろう――道と言ってわからなければ、システムと言い換えてもいい」福本伸行は『銀と金』で「銀さん」にこう言わせている。そう、勝つとは道である。今日は勝ったが明日はどうなるかわからない、ではとても戦略とは言えない。勝利を生み出しつづける構造上の、能力上の、活用上の、差別化された優位性の源泉を自らのうちにつくりださなければ、本当の意味での「勝利」はない。▼源泉になりうる強みは、探せばいくらかは見つかる。しかしそこから一歩を進めて、方向性の定まった「道」、勝ちのシステムを見つけるのが難しい。戦略立案のほとんどはここで挫折するか、杜撰になる。そうならないためには、逆説的だが、この強みをどう活かそうか、というような検討をいちど止めてみることだ。構造化されたパターンは、要素が個別に気になっているうちは見えてこないのである――個々の星を見つめているうちは、決して星座が見えてはこないように。

[139] Jan 14, 2010

いまこんなことを思い描いているとか、いまこんなふうに感じているとか――そういうある時間で切ったときの表象や感覚というものが、感覚的には存在しているように思える。しかし厳密に「フィーリング」というものを定義しようとすると、どうしても時間軸上のある二点を要することに気づく。「描く」「感じる」は、たしかに微小変化でなければならない。▼「布の手触りを確かめるにも、私たちは指を表面に触れたのち、ある点からある点へ動かしてみなければならないことを確認したまえ」こう指摘したのは、哲学者チャールズ・サンダース・パースである。このパースの思想を発展させて、精神ひいては脳の働きも、すべては推移的なものであると唱えたのがウィリアム・ジェイムズだ。そうして彼らから一世紀を閲した今、アイデアは脳科学へと受け継がれ、エデルマンのダイナミック・コア構想となって実証を待っている。フィーリングの謎が解き明かされる日も近い。

[138] Jan 13, 2010

いまから二年前、卒論の前哨戦に行った研究で、格言引用システムというものを作ったことがある。任意の文章を入力することで、その文脈に見合った格言をひとつ、コーパスの中から選んで引用してくれるのだ。ブログパーツによくあるような、ランダムで格言を表示してくれるサービスの、ちょっと賢いやつである。▼システム自体は学部生らしくつたない出来で、出現単語をベクトルに叩き込んでコサイン類似度をとる程度の荒っぽいものだったが、プレゼンスが面白いというので発表は好評だった。延々格言を打ち込んだおかげで、印象的な言葉もたくさん頭に残っている。それがふとしたときに、役に立ったりするから微笑ましい。▼さて、この研究のささやかな発表は、哄笑で幕を降ろした。冗談みたいな落ちがある。論文自体をシステムにかけたのだ。スクリーンに映し出されたありがたい格言は、ゲーテのこの言葉だった。「賢者が格言を作り、愚者がそれを利用する。」

[137] Jan 12, 2010

「人が漫然と六年かけて成したことは、集中すれば二年で出来るものだ。」なるほどそんなものだろうと思った。人間ほんとうに集中すれば、平時の三倍くらいの効率は出せるものだ。といって、五倍十倍とはいかないところがある。そんな塩梅だと思った。ところが今あらためて思い返すと、解釈が違ってくる。どうして「三年かけて成したことは一年で出来る」と言わなかったのだろうか。▼こう考えた。六年かけてゆっくりと成したということは、学習曲線のS字カーブを登りつめて、もう効率が平坦に近づいてきた位置にいるとも取れる。これを集中すれば二年で達成できるということは、逆に言えば、ひとつの分野について基礎を飲み込み実践をこなし、学習曲線の急勾配を登りつめるためには、最低二年を要するということなのだ。たしかに一年で出来ることは、思いのほか少ない。大学受験で言えばさしずめ、高校二年生からの受験勉強のススメ、といったところだろうか。

[136] Jan 11, 2010

「私たちはここで新鮮な魚を売っています」自分の店を開いたある青年は、看板にこう書いた。父が言った。「『私たちは』はいらないだろう。」看板は「ここで新鮮な魚を売っています」となった。兄が言った。「『ここで』も蛇足じゃないか。」看板は「新鮮な魚を売っています」となった。姉が言った。「売っているのは当たり前じゃないかしら。」看板は「新鮮な魚」となった。隣人が立ち寄って言った。「魚が本当に新鮮かどうかは見ればわかるよ。わざわざ『新鮮な』とつけるとなにか弁解がましいね」こうして看板にはただ「魚」と書かれた。休憩を終えて店に帰ってくるとき、青年はかなり遠くからでも匂いだけで魚を認識できることに気づいた。そうしてついに、「魚」という文字さえ必要なかったことを知ったのである。▼この「フィッシュ・ストーリー」は、表現の手段として言葉や文章が時にどれだけ冗長でありうるかを示すエピソードとして、印象的で面白い。

[135] Jan 10, 2010

生体内における細胞間基質やコラーゲンの生成・維持を助け、副腎皮質ホルモンの分泌を促進し、毛細管出血を抑え、薬物中毒を治し、光線過敏性皮膚炎に効き、最近の研究では制癌作用のあることもわかっている、そうして万一過剰摂取に至っても、副作用は特にない、この素晴らしい栄養素の名前はアスコルビン酸。「レモン何個分」でお馴染みの、いわゆるビタミンCだ。▼ビタミンCには上記のように、摂取してもかなり多くの薬効があるが、その他、お風呂に入れてお湯を滑らかにするという利用法もある。水道水中に含まれる塩素を中和してくれるのだ。水道水の塩素・次亜塩素酸ナトリウムは酸化剤として、アスコルビン酸(C6H8O6)は還元剤として働くため、両者はすぐに反応して有害性の低いデヒドロアスコルビン酸(C6H6O6)と塩になる。小さなスプーン一杯ほども浴槽に溶かしてやれば、あっというまに肌にやさしい、やわらかいお湯になるのである。

[134] Jan 09, 2010

今回はすっかり研究メモの体裁になった。修論近しということで、これからしばらくご容赦願いたい。一日他に何もしていなければ、さすがにネタも無いのである。今日はひとつの進展を見た。▼数時間に及ぶ議論の末、これまで前提として採用していたスパイクニューロンモデルの軸索強化ロジックが、現行の予測モデルには不適切かもしれないということになった。この前提から解き放たれれば学習は遥かに上手く行く。そうして、原理的にこの前提を外してはいけない理由はない、ということが明らかになったのである。「時間遅れの発火はシナプスの生成を促すが、強化は促さない。」▼これまでの次善策、ニューロンの内部膜電位を予測するモデルでは、受容体と軸索の重みを分離するためパラメータが増え、解空間が複雑になってしまうという問題があった。しかし今回のモデルなら探索時間のオーダーは保たれるのだ。大至急プログラムを走らせて、結果を確認してみたい。

[133] Jan 08, 2010

セガが提供するアーケード「初音ミク -Project DIVA Arcade-」のロケテストが、一月十五日から十八日まで、行きつけのゲームセンター・ラウンドワン横浜西口店で開催されるそうだ。ちょうどいい機会だから視察に行ってくるべしとのお達し。”音ゲー”をふたつ掛け持ちする気はないので、プレイするのにそこまで気は進まないが、ボーカロイドのアーケードというだけで興味は十分にある。上手く時間が作れれば、並ばないまでも見に行ってはみたい。▼今回の第一期ロケテストでは、開始前から九時間待ちの行列が出来ていたという。”ミク”の話題性に依るところも大きいだろうが、それにしても幸先のいい第一歩だ。ボーカロイドは技術自体もコミュニティ形成もまだまだ現在進行形で、飛躍の余地をいくらでも残している領域である。ニーズの捉え方次第では、市場にも伸び代がありそうだ。今回のような「新風」を生み出す商業的な展開に、今後ますます期待がかかる。

[132] Jan 07, 2010

寒くて寒くて、夜のタイピング作業があまりにも困難になってくる。布団から手を出すこともままならない。大寒に向けて二週間弱、まだまだ気温が下がりつづけるかと思うとぞっとする。とにかく、布団にもぐってでも出来ることをやるしかない。▼布団の中から手を出さないと本も読めない。しかし手がなくとも胸の上で開いていられる大判の辞書類なら話は別である。めくる手間も極力少なくするのなら、漢詩大辞典を眺めて遊ぶのが私にはいちばんいい。▼「玄冬律迫正堪嗟、還喜向春不敢賖。欲盡寒光休幾處、將来暖気宿誰家。氷封水面聞無浪、雪點林頭見有花。可恨未知勤學業、書斎窓下過年華。」菅原道真の「臘月獨興」を見る。書き下しは省略する。「嗟、喜」「寒、暖」「氷、雪」「面、頭」「聞、見」「無、有」と、あちこちに散りばめられた対照が美しい佳句だが、凄まじいのはこの句、彼が十四歳の時の作であるということだ。可恨未知勤學業などと、よく言う。

[131] Jan 06, 2010

「閑居少鄰竝、草径入荒園。鳥宿池中樹、僧敲月下門。過橋分野色、移石動雲根。暫去還来此、幽期不負言。」(閑居隣並まれなり、草径荒園に入る。鳥は宿る池中の樹、僧は敲く月下の門。橋を過ぎて野色を分かち、石を移して雲根を動かす。暫らく去りて還たここに来たる、幽期言にそむかず。)賈島の五言律詩「題李凝幽居」。頷聯は「推敲」の故事であまりにもお馴染みだ。▼文章を仕上げるのにいちばん時間がかかるのは、大抵の場合推敲である。プログラムで言えばデバッグに当たる作業だ。ところで、多くの文章指南が「推敲には時間をかけよ」とアドバイスをしているのは不思議なことである。本当にそうだろうか。デバッグにはなるべく時間をかけよ、と説くプログラミングの教本は見たことがない。気にかけるべきは出来のみのはずだ。悩めば悩むほど深みに嵌っていくということもある。最適解にすばやく辿りつく方法を模索したって、一向に構わないじゃないか?

[130] Jan 05, 2010

色は光の波長によって決まる。では私たちが屈折率の違う水中でも、空気中と同じ色を感知できるのはなぜか。ヘルムホルツは著書『生理学的光学』で、人間は色をエネルギーによって感知していることを明らかにし、この疑問に答えている。光のエネルギーは振動数だ。振動数は屈折率によって変化するものではない。――この話に、一旦は納得した。しかしすぐに釈然としなくなった。▼網膜の錐体細胞は、特定のエネルギー幅の光を吸収する細胞である。したがって人の目がエネルギーによって色を感知していることは間違いない。しかし冒頭の疑問は、そういうセンサーの性質以前の問題ではないだろうか。というのも、光が大気中を通って来ようが水中を通って来ようが、網膜の視細胞が観測するのは常に硝子体の屈折率における波長だからである。外界がどうあれ、色の観測環境は変わらないはずだ。色は光の「真空中の」波長によって決まる、というのが正しい表現だろう。

[129] Jan 04, 2010

人間は細部を気にすることが大好きな生き物だ。知性は何事にも複雑な理由を要求する。「我々の人生は、細部を気にすることによって浪費されている――単純化だ、単純化するのだ。」ヘンリー・デイビッド・ソローはこう述べた。実生活を極限まで単純化した男の言葉ゆえに、その響きは重い。▼彼の著書『森の生活』は、いまでも生活の煩雑さに嫌気がさせば折に触れてぱらぱらと読み直したくなるほど、気持ちのいい単純な生活に満ちている。動機も行動も環境も、すべてが単純なものに支えられている。だからこそ、何もかもが美しい。▼死ぬときになって自分が生きてはいなかったことを発見するような羽目には陥りたくない、と彼は言う。そんな恐ろしい羽目に陥る可能性があるとすれば、それは私たちの人生があまりにも複雑になりすぎたときではないだろうか。「人生とはいえないような人生は生きたくなかった。生きるということはそんなにもたいせつなのだから。」

[128] Jan 03, 2010

ことわざや慣用句の用法で、「よくある誤用」をまとめたサイトや本は多くある。そんな中で、ずっとそういう意味だと信じていた用法が、誤用として挙げられているとぎょっとするものだ。久しぶりに長らく意味を勘違いしていた語に出会った。▼『薬にしたくもない』は、薬は僅かな量でも効果のあるものだが、そんな少量すら無いということから「ほとんど見つからないほど少ない。ほんの少しも見つからない」という意味である。「彼には協調性など薬にしたくもない」のように使う。それを、うんざりして「薬にもしたくない」の意味だと勘違いしていたのだった。実際そうも取れる形をしているのがまた憎らしい。▼ちなみにウェブの「慣用句辞典」では「薬にしたくもない」の項目に、「こんな大臣は男色の方には、薬にせふといふてもなし」と『傾城禁短気』に見られる用例を紹介しており、少なくとも千七百年以前の昔から使われていた古い慣用句であることがわかる。

[127] Jan 02, 2010

『宝島』の著者スティーヴンソンは、地図について興味深い意見を述べている。「自分の選んだ地図を忠実に守り、そこからインスピレーションを引き出すようにすれば、つまらないミスを防ぐという消極的効果だけでなく、確実に得るところがある。地図をながめていると、思いがけないさまざまな関係が浮かび上がってくる。なぜ気づかなかったかと思うようなところに、登場人物たちにとっての通り道や近道が見えてくる。」▼多くの優れたフィクション作家が、そのプロットに手製の地図を添えているのは注目すべきだろう。『宝島』も地図への落書きから生まれたそうだ。確かに自分の小さな頃を思い出してみても、見知らぬ土地の地図を眺めているだけで、人と人とが移動しながら織りなす簡単なドラマの自然と浮かんでくることはよくあった。そのとき地図が詳細であればあるほど、より具体的なストーリーを思い描けていた気がする。「積極的効果」の小さな一例だろう。

[126] Jan 01, 2010

年の瀬という感じもしなかったが、元旦という感じはもっとしない。街を歩けばコンビニはもとより飲食店から眼鏡屋からゲームセンターまで、開いていない店の方が珍しい有様である。元旦はもはや「お正月セール」の日程なのだ。▼そんなセールの一角、近所のアオキまで、入社式を見据えてスーツを新調しにいった。高いものだけに半額は大きい。いまは夏物のチャコールグレーが一着あるばかりなので、リクルートスーツ味の薄いものをひとつと思って、やや明るめのグレーを探していると、ちょうどガラスケースに展示された無地柄のものが気に入った。なによりセットの紺のネクタイが上品でいい。▼ブランド名は”JEAN RENO”とある。「洗練された大人の男にふさわしいセレブ感漂うブランド」だそうだ。ファッション系にありがちな、いかにも具体性のないメッセージで、ごちそうさまといったところ。こういうものはしばらく着てみなければ、やはりよくわからない。

[125] Dec 31, 2009

記事の日付は12月31日ながら、既に時刻は午前二時、今年はどうも年の瀬らしくないなどとぼやきながらも年は変わって2010年。少々見た目の気味は悪いながら、ご挨拶は新年ものにしよう。では改めて、あけましておめでとうございます。今年もどうぞ『400』をよろしく。▼元旦は定例通りの新年行事。二日あたりには即席ラーメンでも箱買いして、後輩へのお年玉がわりに研究室まで差し入れようと思う。卒論・修論の追い込みのお供にいいだろう。二年前に教授から同じような差し入れをもらって、先輩ともどもたいへん重宝した覚えがある。▼今年の抱負は「新しい環境にも挫けない」とした――四月から社会人だ――しかし思えば環境が変わったくらいでめげるタチでもない、そうするとこれは自分に甘い抱負という気もする。では何が良いか、いま考え直してみると、ひとつ格好の抱負がある。「『400』を一日も休まないこと」これだ。これなら十分厳しい。

[124] Dec 30, 2009

大掃除、部屋ひとつに丸々半日かけた。そこらじゅうに散らかった本を本棚に収めていくと、いずれ必ず空きが足りなくなって、仕方なしに読まなくなったコミックをダンボールに間引いていく。上手くいったと思うと、また文庫本が湧いてくる。そんな苦労の繰り返しで、ようやくぴたりと本棚のおもてが揃ったときには、廊下に積まれた箱入りコミックは何百か。まるごとブックオフにでも取りに来てもらうしかない。▼次に多いのは紙ごみで、プリント類から雑誌類から、総まとめにすれば百キログラム近くある。一枚ずつ目を通すのも次第に馬鹿らしくなって、あからさまに古いかたまりは直接資源ゴミへ投げ込んで行く。不安に思わないこともないが、そんなところに大切な書類があった試しはないのである。思い切りよく捨てに捨てた。埃を払って掃除機をかけて、とうとう綺麗に片付いた今、実に部屋が倍以上広くなった気がする。今回も気持ちよく新年を迎えられそうだ。

[123] Dec 29, 2009

「あなたは何故書くのですか?」この質問に対する作家の答えはまちまちだが、まちまちながらある程度は傾向別に分類できる。とある作家同人が行ったアンケートからこの質問に対する現役作家二十人の答えを吟味して、要点を整理しながら分類してみると次のようになった。▼「書くことが命/好きだから書く/書かずにはいられない」これは行動が先立つ無動機派だ。「生活のため/金になるから/需要があるから」現実的で実益的な答えである。「生活を豊かにするため/自分の内面を映し出してくれる」書くことを通じて自己研鑽を楽しみたい人々。「空想したり構成したりすることが楽しい/物事を文章の形で考えるのが楽しい」小説というスタイルや言葉そのものに魅入られている。「書き上げたという気分が最高/人を楽しませるのが好き」達成感や作品の評判を満喫したい果実主義だ――ざっと見るに、大体の動機をカバーしているようである。さて、私はどれだろう?

[122] Dec 28, 2009

今年最後の忘年会、今年最後の研究会、今年最後の競馬レースに今年最後の読書会。今年最後の何々を順々に消化していく、そんな年末進行が続く。今年最後のメールチェックや今年最後のプログラミングはきっと三十日になるだろう。大晦日は雑事をすべて絶ち切って、アルコールでも片手に暖かい部屋で心やすく過ごしたい。紅白を見るか、格闘技を見るか、何も見ないで読書に過ごすか、それはその時の気分次第として。▼そんなふうになんとなく特別な過ごし方をしたくなる大晦日。しかし今年度のコミックマーケットは、その大晦日に三日目が開催されるというから凄い。人によっては悩ましい日程だ。例年に比べて客入りはどうなるのだろう。委託販売の『四日目』は元旦から始まるのか。一般参加者の集いもサークルの打ち上げも、年越しの大騒ぎになるのだろうか。想像するに、いろいろと面白い。数十万の饗宴に暮れゆく東京国際展示場。さぞかし賑やかになるだろう。

[121] Dec 27, 2009

「人工知能というのは、だらだらやっていて出来るものでもない。作るなら集中してさっさと作ってしまわないと。こういう折にそれを成し得る変態が、こうして四人もここに集まっているというのも奇跡的なことですから――いっそ半年間くらい現実生活をシャットして、快適な環境で山ごもりでもしてみませんか。」▼冗談混じりのように語るが、絶対に本気である。こういう教授の言葉を受けて、半年間のライフハックが実現するかはさておき、前哨戦として一週間の籠り合宿が開催されることになった。名づけてAI合宿である。実施時期は修了後になるが、そんなことは関係ない。もちろん参加する。▼卒業した後も、この人工知能の研究から完全に身を引くつもりはない。社会人博士だろうと週末研究者だろうと、どんな形でも関わりつづける気でいる。たいへんなのは百も承知だが、いまのところこれ以上にロマン溢れる変態的な夢物語にはお目にかかれていないのである。

[120] Dec 26, 2009

江戸川乱歩編『世界短編傑作集1』を読む。名作に加えてマイナー作者の優秀な作品も積極的に収録した推理短編小説アンソロジー第一巻。変則的ながら、全収録作品への短評を今日の記事としてみよう。▼ウィルキー・コリンズ「人を呪わば」、成り行きにただ微苦笑。後味は人次第か。アントン・チェホフ「安全マッチ」、やはり推理小説というよりはチェホフ流のユーモア。アーサー・モリスン「レントン館盗難事件」、英国ティータイム風の軽妙なトリックが秀逸。アンナ・キャサリン・グリーン「医師とその妻と時計」、古風かつ典型的な短編。描写の巧緻と題が特筆。バロネス・オルツィ「ダブリン事件」、一行が物を言う切れ味。いかにもアイデア一本の推理掌編。ジャック・フットレル「十三号独房の問題」、序・中盤の牽引力はあるが、解決編の出来合い感はどうか。ロバート・バー「放心家組合」、快作。軽やかなリズムが見事。この巻ではこれがいちばんよかった。

[119] Dec 25, 2009

キャロル・オコンネル『クリスマスに少女は還る』を、他ならぬこのクリスマスの日に読むというのも乙なものだ。けれどそのことに気づいたのは、実を言うともう百ページ以上読み進めてからだった。手に取ったのは偶然である。それでもせっかくなら当日中に読み終えてしまいたいと思って一気に読んだ。さいわい作品にも、一気に読ませてくれるだけの力があった。▼巧緻を極めたプロットと衝撃の結末で評判の本作。どちらの売り文句にも若干首を捻りたくなるところはある。そこで捻らせないのは登場人物の、なによりサディーの尽きせぬ魅力である。どうあれ彼女を好きになってしまった人にとっては、展開は手に汗握る緊張の連続であり、エピローグは驚愕のどんでんがえしであり、読後感はあまりに切ない珠玉の感動ミステリなのだ――私のように。「みなさんはあの子を愛さずにはいられなくなるわ。」作者にしてやられたのである。それにしてもいい邦題だと思った。

[118] Dec 24, 2009

宇野常寛『ゼロ年代の想像力』を読む。近代日本におけるサブカルチャーの変遷を、ポストモダン状況の進行に伴なう「大きな物語の失効」「引きこもり/心理主義」「サヴァイブ系/決断主義」という系譜で説明し、決断主義を克服するための未来としてグレーな連帯感と日常ファンタジーに着地する。「私たちはこの断片的時代をどう生きるべきか」その解答を探す試みだ。▼批評態度は好みに合う。表現も軽快で、分析もマクロレベルでは正しい。しかしこれを読んだ≪ゼロ年代を生きる人々≫は、どこかしっくりこないものを感じるのではないかと思う。これが私たちの生きる世界だ、これが私たちの姿だ、と信じるまでに至らない。批評作品の選択と解釈が恣意的なこと、中性的視点が欠如していること、サウンドバイト的な表現に頼りがちなこと、まとめに至る論理展開が杜撰なこと、理由は様々あるだろう。来る十年代のサブカル批評の橋頭堡にはなるかという印象である。

[117] Dec 23, 2009

金属はどうして冷たく感じるのか、と聞かれた。接触面の冷えやすさの問題だろうと思って「熱伝導率が高いからじゃないか」と答えると、「比熱は関係ないの?」と言う。「ずっと握っている分には、比熱というか熱容量が効いてくるね。」もちろんそうだ。サイズは同じくらいでも、木片の十倍重い鉛棒を握れば熱容量は三十倍だ。全体を体温と同じ温度にするまで、三十倍の熱を要する。「なるほどね。」▼その場はそれで納得したが、よくよく考えてみると「金属を触ると木片より冷たく感じる」と思うことには他の理由もあると思った。というのは、こういう話をするときに私たちが想像する「金属」は、棒状であれ板状であれ、ふつう表面の非常に滑らかなものだということだ。表面が滑らかということは、同じ指先で触れたときも実際に接触する面積が大きいということであり、でこぼこのために実際の接触面が小さくなる木片等に比べて熱の移動が起こりやすいのである。

[116] Dec 22, 2009

企業秘密の漏洩はたしかに重大な問題だ。しかし一口に漏洩と言っても、漏らすなという方が無理な情報というものもある。そこでなんでもかんでも秘密扱いして社員を拘束しないために、「営業秘密」は次の三要件を満たしていなければ営業秘密とは認められないことになっている。即ち「有用性」「非公知性」「秘密管理性」である。▼有用性はその情報が企業にとって有用かつ有益であるという要件、非公知性は誰でも知っているような一般的な情報ではないという要件、秘密管理性は秘密は秘密としてその他の情報と区別し管理しなければならないという要件だ。▼世の営業秘密漏洩は、最後の秘密管理性が疎かであるために起こっていることが多い。入室にカードを要する部屋に保管する、電子情報ならパスワードロックをかけるなど、厳密にアクセスレベルを規定し、情況に応じていかなるレベル以上の持ち出しを漏洩と見なすか、企業側であらかじめ定めておく必要がある。

[115] Dec 21, 2009

ボードレールってどんな詩人だいと聞かれて、そう真面目に答える流れでもなかったから言下に「中二病の親玉みたいなやつだよ」と評したことがある。そりゃあボードレールには悪かった、とんでもない言い草を謝りもする。けれどいまいちど「悪の華」を拾い読みしてみると、どうもこの表現、不真面目な応答としてはそこまで的を外していなかったという気がする。▼中二病的な表現というものは、何らかの実体を想起することなく、無内容な言葉それ自体が迫力や格好良さを持つところに意味がある。つまり荒っぽく言えば、現実のうちに言葉の対応物を求めないところに意義を持つ象徴主義の系譜に属するものなのだ。してみれば象徴派における頽廃美の白眉「悪の華」が、嗜みとしての厭世もパフォーマンスとしての絶望も、なんだって汲んで来られる≪バイブル≫になりえてもおかしくはない。「閃く君の稲妻は、僕の心に居心地のよい、「地獄」の反射だと知ってくれ!」

[114] Dec 20, 2009

「自分の時間を節約したとき、私は得をした気分になる。だが、聴衆の時間を節約したときは、インスピレーションやエネルギーが湧いてきて、報われたような気持ちになれるのだ。」ガー・レイノルズによるこの時間観は面白いと思った。▼人は時間について効率とか節約といったことをよく考える。そうして削り取った時間を他の仕事や余暇にあてることで生活を合理化できたと思っている。しかし私たちは、少なからず自分の時間を使って誰かに何かをコミットしている、しているからには彼の言うところの「聴衆」がいる。ここに「聴衆の時間を節約する」という視点が生まれてくる。▼「200人の聴衆に向かって、何の価値もない1時間のプレゼンテーションを行った場合、それは200時間が無駄になったことを意味する。」そのとき、スライドの準備に数時間を節約したことに何の意味があるか? 安易なようで、しっかり穿って考えると、身につまされるところがある。

[113] Dec 19, 2009

気がつくと丸一日プログラムにかかりきりだった。早朝からはじめて現在深夜の五時である。これも早朝と言ったほうがいいかもしれない。ずいぶん有意義に過ごしたものだ。当初予定していたモデルの実装はかなり進み、致命的な間違いをいくつもいくつもデバッグしつつ、ようやく標準動作まで漕ぎ着けた。ここからはモデルの修正とパラメータとの戦いである。歩いていてもそのことばかり考えてしまう。▼プログラミングという遊びは妙な中毒性を持っている。手をつけ始めるにはえらく苦労するわりに、一度始めるとしばらくは寝ても覚めてもそのことばかり、順調に進もうが進むまいが、時間はあっという間に過ぎて行く。それはアルゴリズムの魔力だと誰かが言っていた。ただ思い通りの結果になることが楽しいだけではない、完璧な再現性をもつものの細部を組み立てて行くという、神になったような錯覚の快感なのだと。なるほど、機械弄りの楽しさと同じものだろう。

[112] Dec 18, 2009

ガー・レイノルズの『プレゼンテーションZEN』はこの手の指南書には珍しい良書である。箇条書きが延々とつづくスライドの不合理を説き、文字を減らし効果的なビジュアルを用いた簡素で簡明なプレゼンテーションを推奨する。何故そうあるべきか、如何にそうあるべきか。鈴木大拙まで引き合いに出して、禅(ZEN)の心得からプレゼンの理想的なあり方を探るという、そのちょっと突飛な角度がまた面白い。▼もちろんここで推される「ジョブズ式のプレゼン」を手放しで推奨するわけにはいかない。いつもいつでもビジュアルですべてが説明できるわけではないからだ。しかし本書の全体をつらぬく基本的な思想は、文字を排し画像を用いよという単純な教示ではなく、プレゼンテーションは聴衆を退屈させるものであってはならないという極めて健全で常識的なものである。そこに嘘はない。ここで紹介されているのは、その親切心を具現化するための手引きなのである。

[111] Dec 17, 2009

「しゃべるように書きたい」と佐藤春夫は言った。「書くようにしゃべりたい」と芥川龍之介は言った。どちらももっともなことだ。もっともなことだから、素直にどっちもやればいいと思う。循環でこそあれ、背反ではない。▼書くとしゃべるが相互に添削しあう関係はなかなか魅力的だ。書き言葉が話し言葉を掣肘すれば、聞き手にわかりやすい筋の通った文章をとっさに淀みなく発声することができるようになるし、語彙の衰弱にも歯止めがかかる。話し言葉が書き言葉を監視すれば、いらぬ美辞麗句を退けて、今の社会に生きる瑞々しい言葉を文章の中で自然に息づかせることができるようになる。▼以前似たようなことを話したとき、しゃべるような文章を書くのはいいが、逆はしゃべりが堅苦しくはならないかね、と誰かが言った。杞憂である。なりはしない。この程度を心がけたくらいでぎこちないしゃべり方になるようなら、そもそも口を動かす訓練が足りないのである。

[110] Dec 16, 2009

『小林秀雄全作品7−作家の顔』を読む。相変わらず楽しく読んだ。濃密でバリエーションに富んだ巻である。文芸月評で個々の作品に加えている批評など、辿っているうちに直接自分が何か示唆を受けている気分になってくるから不思議だ。こう批評されている側の作品を知らなくても楽しめる批評というのはなかなかあるまいと思う。批評の方から作品が見えてくるようだ。▼「文学者の思想と実生活」「現代詩について」「文学の伝統性と近代性」このあたり併せ読むと、この時期の小林秀雄が現代文学全般に対して持っていたイメージと問題意識をかなり明瞭に掴むことができる。いつも通りの秀雄節である。「現代詩について」は特に真剣に読んだ。近代叙情精神に関する詩人等の自覚に待たねば現代詩の不振は救われぬという。この点、未だに救われてはいまい。韻律や定形という末節の問題さえ、解消されたかのようなふりをして、ただ放置されているに過ぎないと感じる。

[109] Dec 15, 2009

アレジオン、セルテクト、セレスタミン。我が家の薬箱を整理していると、抗ヒスタミン剤が三種類見つかった。それでいったいどれを飲めばいいのだという話になる。処方されるときも「まあ同じようなものだから」と選ばされた記憶しかない。考えてみればいい加減なことだ。第一、セレスタミンだけは「まあ同じようなもの」ではない。▼抗ヒスタミン剤には大きく分けて第一世代と第二世代の二種類がある。上記の三つではアレジオンとセルテクトが第二世代にあたる。第一世代は眠気を引き起こす副作用を持つため、これを逆手にとって睡眠改善薬・精神安定剤などに用いられることが多い。対して第二世代は副作用が少なくなっている。▼処方の値段は選択性の高いアレジオン、セルテクトが高めにつく。セレスタミンは比較的安価だが、単なる抗ヒスタミン剤ではなく、実はステロイドが含まれている。「まあ同じようなもの」ではない所以だ。服用には注意が必要である。

[108] Dec 14, 2009

オフレコの約束を強要するのは言論の自由に反することではないか。これに答えてある記者は言う。「フリー・トーキングを記録して公表するような行為は絶対にやってはならない。そういうことをやる人間こそ、思考の自由に基づく言論の自由とは何かを全く理解できていない愚者なのだ。」▼人間は自由に思考することのできる生き物である。しかしその思考の過程においては、公表に耐ええぬ無責任な考えもたくさん生じてくる。完全に自由な談話とは、こういった過程も互いに「ことば」として表現しあいながら結論へ進んで行く談話に他ならない。故にこの過程の一部を切り取って責任を課すようなことをされれば、自由な談話というもの自体が成立しなくなってしまう。▼無責任の担保は自由な談話を実現する最低限の約束だ。この約束が反故にされるようであれば、いかなる思考もついに≪言論の自由≫に辿りつけず、社会全体に益するところがなくなってしまうのである。

[107] Dec 13, 2009

山本七平『日本はなぜ敗れるのか――敗因21カ条』を読む。これを一読して「なるほどそれで日本は負けたのか。」と悠揚として教訓を受け取れる人はほんとうに凄いと思う。よほどこの手の本を読みつけているに違いない。私にはとてもそんな余裕はなかった。あまりに恐ろしい。▼バシー海峡の恐怖は当分拭えそうにない。「敗因十五、バアーシー海峡の損害と、戦意喪失。」この章をはじめに持ってきた本書の構成には恐れ入る。制海権のない海へ、五ノットも出ないボロ舟に一畳あたり十四人の兵士を「詰め込んで」送り出すのである。意図などはじめからない。そうして意図なき作戦に、達成のための方法論などまたあるはずもない。大量自動溺殺装置である。▼とにかくこんな組織の下で動く羽目になるのだけは御免被る、絶対に御免被る。そう思わずにはいられない、太平洋戦争という地獄の冷静な観察と記録。二週目はこちらももう少し冷静な態度で読むことにしよう。

[106] Dec 12, 2009

ここ数年、家のまわりでカラスを見ていない。昔はいつもカァカァやっていた気がするのに、いつからあの声がなくなったろう。そういえばミミズたちも知らないうちにいなくなった。大雨の翌日の通学路には避けて歩くのがたいへんなほどだったのに、どこへ逃げていったものか。越してきた頃は都会の一角ながら自然の多い土地だったが、いつのまにかひとつまたひとつ「見なくなったもの」が増える。▼カラスというのは食料の乏しい冬になると凶暴になって、見境いなくモノや人に襲いかかるから、人間にしてみればあまり嬉しい町の住人ではない。いなくなればいいのに、と思う人もあったろう。それが今は裏道にもゴミ捨て場にもいない。なによりカァがつゆほども聞こえないのだから、このあたりにはもう一家族も住んでいないはずだ。さして寂しい感慨もないが、目にも耳にも馴染み深い生き物だけに、あの寒鴉の孤影を思い出すにつけ、行く先で少し探してみたくなる。

[105] Dec 11, 2009

終電を乗り過ごして見知らぬ駅で降りた。寝過ごしならぬまさかの読み過ごしである。そこまで熱中しているとは思わなかったが、気がついたら遥かに降車駅を後にしていたのだった。「本日の上り列車はすべて終了しました」の表示がつらい。▼週末のミーティング終了後、さらに不眠症つづきからの睡眠時間の極端な不足もあって体力に不安を感じ、栄養補給につとめるべく駅前のガストに入る。たまたま先日の学会アルバイト代を貰っていたので助かった。深夜一時半である。ひたすら栄養豊富な食品をオーダーする。▼つれなくも三時閉店ということで追い出され、明るい道を選びつつようやく見つけたネットカフェに入ると残りの一席がラストだという。こればかりは不幸中の幸いだった。そうしていまこの記事を書いている。久しぶりにわけのわからない一日だ。もちろん稀にはめちゃくちゃもいいが、そのめちゃくちゃを心から満喫する余裕のないのがちょっと残念である。

[104] Dec 10, 2009

古い時代の戦にあっては、突発的な飢饉が戦局をひっくり返すことはままあった。兵糧は言うまでもなく戦闘の最重要課題である。人間は食べなければ存続できない生物機構だからだ。しかし、そんなことさえ忘れられるような狂気の沙汰が現実にあった。▼小松真一は太平洋戦争における旧日本軍の失敗のひとつに、軍上層部が「人間の生物学的常識を欠いていたこと」を数えている。彼ら曰く、兵はみな精兵であり、食料などなくても気力と精神がそれを補うのだ――こういった論理が反駁すべからざる「正論」としてまかり通っていたのが恐ろしい。▼食料不足が兵士たちに与える影響は、体力のみにとどまらない。「栄養失調の人間はすべての細胞が老化するので、いくら食べても回復しない。」すべての細胞ということは脳細胞も老化する。つまり栄養失調状態がつづくと、いずれ正常な判断ができなくなるのである。統率を欠くどころの騒ぎではない。飢えの凄まじさである。

[103] Dec 09, 2009

今冬学期の水曜日は六時十五分からと妙な時間にひとつだけ授業があって、家を出るのも暗ければ、学校の門をくぐるときにはもはや見事な夜である。冬休みも近い今日は通学定期も期限切れで、いつもと違う乗り継ぎにした。正門から入って教室へ急ぐ。ふと足が止まった。▼道がやわらかいな、と思って足元を見たのだった。イチョウである。正門から講堂まで一面に敷かれたイチョウの葉が暗がりのなか暖かい校内灯に照らされて、美しいなどと思うひまもないほど心惹かれる光景だった。吹き抜ける風があんまり冷たくて涙が落ちる。理由はどうあれ涙が出ると人間悲しくなるものだ。寒いと景色はいっそう感傷的に見えるのかもしれない。▼切絵細工のような黒い人影の行き交う道を、誰もいないものと思って十五分ほど行ったりきたりしていた。とっくに授業は始まっている。満ち足りた気持ちで立ち去りながら私は、この≪黄色い時間≫を多分一生忘れないだろうと思った。

[102] Dec 08, 2009

子供は覚えたことをすぐ口に出したがる。だから覚えるのが早い。大人はにわか仕込みの聞きかじりを中途半端なまま人に話すことを恥じる。だから覚えるのが遅い。どんな損があるわけでもなし、大人ももう少し知ったかぶってもいいと思う。▼あることについて勉強したら、できるだけ興味のありそうな人間を選んで話してみればいい。話せばまたよく覚えるし、そうしているうちに頭が整理されていくこともある。なによりもし相手が自分より詳しければ、彼もまた一言リマークをせずにはいないだろう。こちらもより勉強になるというものだ。▼ただ大切なことは、必ず自分の言葉で語ることである。全体に引用符がついたままでは知ったかぶりにもならぬ、紹介に過ぎない。楽譜はコピーでも、自分という楽器で奏でてみることに意味があるのだ。ネットで見つけたテーマについて日記やブログで聞きかじりを語るのと、ソースページにリンクを貼るのではワケが違うのである。

[101] Dec 07, 2009

「新聞紙の意図は科学の建設ではなく、社会人の感覚の建設である。従って新聞的知識は科学的知識と異って、それが社会的感覚を又社会的情操をいかに刺戟し、社会人的交渉にいかに影響するかを顧慮し、いかに社会的秩序と安寧と更に社会的儀礼と体裁と、そんなものにまで影響するかも顧慮せねばならぬのである。」▼長谷川如是閑の言うこの≪理想的な新聞≫の然るべき機能とは、言わば社会的平衡感覚の陶冶である。ところで昨今いよいよ加速する新聞の駆逐は、必ずしもこの機能が他のメディアに移転することを意味しない。ネットメディアはあくまで氾濫である。▼長谷川氏がこの文章を掲載したのは、ちょうど人々の社会的価値観という幻想が砕かれたことの云々された時代であった。しかし道標がなくなっても依然として行こうとするところには行けたのである。いま失われようとしているのは平衡感覚だ。いよいよさ迷うの感が強くなる。我々の足取りが心配になる。

[100] Dec 06, 2009

久々に小林秀雄全集を読み進めた。音楽的活動と相性が悪いのか知らないが、シーケンサーに向かいだすと長らく止まってしまう。別の本が読みたくなるのである。今日のように徹夜明けの電車座席ですら一睡もせずに溺読できる本が、曲を作っているあいだだけはいまいち開いてみる気にならないというのはどういうことだろう。並行するには集中力のリソースが足りないということかもしれない。▼全集七巻は文学の社会的評価とそれに関する文壇の態度、あるいは純文学と大衆文学の対立について論じた短めの批評文が多い。批評的言語の混乱ということもしばしば云々される。ちょうどそんな時期である。「僕らは専門語の普遍性も方言の現実性も持たぬ批評的言語の混乱に傷ついてきた。混乱を製造しようなどと誰一人思った者はない。混乱を強いられてきたのである。」また「現代小説の諸問題」は何度でも読むに足る。我々の現代にも通じる教訓が山のように積まれている。

[099] Dec 05, 2009

妹尾堅一郎『技術力で勝る日本が、なぜ事業で負けるのか』を読む。あるいはかつての日本の栄光を考えるなら、なぜ事業で負けるようになってしまったか、だろう。答えは競争力モデルが変わってしまったからだ。インベンションが即ちイノベーションであった時代は終わったのである。終わらせたのは欧米諸国に他ならない。▼印象的な事例がひとつある。今から約六年前、パソコン市場に突如無名のメーカーが参入し、圧倒的低価格で一気に製品の普及を果たしたことは、日本の完成品メーカーにとって寝耳に水だった。気がつけば店頭に並ぶパソコンのどれにも「Intel Inside」のシールが貼られている。▼インテルの戦略は神がかっていた。マザーボードという中間システムを作り出し、隣接部品の開発技術を人件費の安い台湾メーカーに渡すことでディフージョンを外部に担わせ、自らはCPUという急所部品を押さえたまま、市場拡大と収益確保を同時に達成したのである。

[098] Dec 04, 2009

人も企業も野心ある限り、出来る事なら自らのブランドを構築したいと思っている。ではブランドとは何か。知名度ではない、付加価値でもない。約束である。そのブランドの提供する商品やサービスには必ずやこういうベネフィットがあるに違いないという、顧客の信頼に基づく約束である。▼パワーブランド構築のための三要素と言われるのは、頭文字を揃えて、実績(Performance)、存在感(Presence)、個性(Personality)だ。いずれも「我々はあなたにいつも一定した価値を提供しつづけます」という約束に対する信頼を獲得するためのものであることがわかる。▼実績は言うまでもない。存在感はアピールであるとともに、いつでもそこに変わらず在りつづけることを予感させるものだ。個性はブランドの条件を明確にする。条件が明確であればこそ、提供する側は自らのブランドイメージに相応しいものを見極めることができ、ブランドを維持することができるのである。

[097] Dec 03, 2009

Google日本語入力が信じられないほど便利だ。感心してしまうほどの語彙力と予測精度である。導入してまもなく入力効率が著しく向上した。動作がシンプルなだけにスイッチングコストもあまりない。自分用に拵えた辞書の移転くらいのものだ。カスタマイズ性がほとんど皆無なベータ版でこの使い心地となると、これからユーザビリティが改善されていくのが楽しみである。▼搭載しているのは統計的言語モデルに基づく変換エンジンだが、コーパスがGoogleの持つ莫大なウェブ情報というのが当然の強みだ。想像を絶する数の例文をもとに使用頻度を計算し、辞書どころかウィキペディアにさえ乗らないような固有名詞から流行語の類までしっかり候補に格納している。ウェブ時代の入力支援にふさわしい出来栄えだ。IMEやATOKは旧態然ではとても太刀打ちできない感がある。潔く市場から撤退するか、他の差別化要因を引っさげて対抗してくるか、それも興味深いところである。

[096] Dec 02, 2009

近く開催される学会のスタッフに駆り出されて、雑品類を購買部へ買い出しに行くと、文房具コーナーに見慣れない表紙のノートを見つけた。乳白色の表紙に「澪」のシールが貼られた、ちょっと高級感漂うコクヨのB5版。手に取ってみると六十枚つづりのわりにはふわりと軽く、紙をめくったときの手触りもいい。謳い文句を信じれば裏うつりしにくくインクも滲まず、ボールペンでの筆記には最適だという。▼澪ペーパーの語源は、コクヨの公式サイトによると「Mobile Ideal Original writing PAPER:携帯性が良く『書く』に理想的なオリジナル筆記用紙」の頭文字をとったものだそうだ。少々大仰な気もする。とにかく一冊買ってみて、本当に使いでがよければレギュラー入りだ。▼ところがオチをつける必要もないのに、買い出しの品にまぎれてどこかの紙袋に入れたまま一緒に倉庫の中へ片づけてしまった。学会当日にこっそり抜いておくしかない。実に間抜けな話である。

[095] Dec 01, 2009

まっさらな状態から企画を立ち上げるとき、初手から単純なブレーンストーミングを行うのは危険である。異なる背景を持つめいめいが自分の経験知をもとにアイデアを出し合う環境においては、同じものを見ていても実は認識を異にしている場合が多い。何を置いてもまず全体構造を可視化して共有する必要がある。▼ここまではいい。もうひとつ、見過ごされがちだが大切なことがある。「私の発言が現行の議論にどのような影響を与えたのか」が皆にわかること、つまり発言を「変化」として即時可視化していくことだ。この条件をないがしろにすると、メンバーは次第に参加意欲を失っていく。▼全体の構造とダイナミクスが参加者に共有されること。これを実現するには、王道だがポストイットがシンプルかつ強力である。黒板にフレームワークを大きく書いて、その上にポストイットを貼り付けていくやり方は、短時間で議論のストリームラインを浮き彫りにするには最適だ。

[094] Nov 30, 2009

久々にぱらっと来た。天気予報は言っていなかった気がする。いつか放り込んだまま出し忘れの折りたたみ傘があって助かった。小粒の霧雨とはいえ、あまり冷たい水に打たれては、長い帰路のうちに風邪をひいてしまう。▼冬の雨は「ふゆのあめ」と読んで綺麗に五文字ゆえ、俳句や川柳に読まれるときはたいてい上五か下五に置かれる。一茶「冬の雨火箸ともして遊びけり」や、荷風「垣越しの一中節や冬の雨」といった具合である。しかしここにこれはと思う歌がある。俳句ではないが藤原為家の短歌「冬の雨の名残のきりはあけ過ぎてくもらぬ空にのこる月影」だ。▼あたまに置いて雨で切らず、あえて六文字として「名残のきりは」とつなげているところが独特の雰囲気をつくっている。「冬の雨の名残のきりは」でくいとやさしく腕を引き、「あけ過ぎ」る時の流れに「くもらぬ空」へと誘われて、はたと辿りつくのは「のこる月影」。そんな気持ちのよい音の浮遊感である。

[093] Nov 29, 2009

今年の夏は青系で、秋は茶、冬は少しダルな象牙色……。洋服の色にはその年、その時によって流行というものがある。ファッションだから何かが流行るのは当たり前だが、一昔前、日本で流行を形成していたのは市場ではなく企業だった。それぞれの色を持つ繊維の発注先を均等に割り当てるため、流行の担当を順々に決めていたのである。そうすることで業界は平和的に共存し、繁栄していた。▼しかしここに、自社で生産から流通ライン、販売まですべてをまかなうという意表をついたビジネスモデルを引っ提げて、一躍トップに躍り出た企業がある。つい最近、ヒートテックのセールで話題になった、あのユニクロである。高品質なカジュアルウェアを低価格で提供すると銘打ったユニクロは、大量販売のためにあらゆる人のあらゆるニーズに対応することで、言わば流行形成力を市場側に返し、これまでの日本の繊維・アパレル産業の有り方を根本的に変えてしまったのである。

[092] Nov 28, 2009

永井荷風の「ひとり旅」にこんな一節がある。「人にさまざまの模型あるが如く芸術家にも又或るタイプある事を免れず候。数多の人と歩調を同じくし一時代の思想の健全にして公平なる代表者と成り得る芸術家あり。それと共に又如何なる時代にも免れ難き社会の裏面を流るる暗潮に棹さして、限られし思想を深く味う輩も有之候。誰れ彼の選みなく王侯貴族の肖像画作り得る寛大なる画工と、恋せざる限りは如何なる美しき少女の像をも画布には上し得ざるものと有之候。」▼危機的な状況を源泉として表現欲求を汲み、ある時点では先へ進むために必ずパラノイアを要求するような創作生活を送っている人間は、恐らく後者のタイプだ。彼らは偏執狂患者とかなり多くの共通点を持っている。それでいて本物の精神異常に落ち込むことをかろうじて拒否していられるのは、ひとえに表現という手段によって、苦痛を強いてくる外的なオブジェを再表現することができるおかげである。

[091] Nov 27, 2009

「夜中不能寐、起坐弾鳴琴。薄帷鑑明月、清風吹我衿。孤鴻號外野、翔鳥鳴北林。徘徊將何見、憂思獨傷心。」(夜中に寝ぬる能はず、起坐して鳴琴を弾ず。薄帷に明月鑑り、清風は我が衿を吹く。孤鴻は外野に号び、翔鳥は北林に鳴く。徘徊してまた何をか見る、憂思して独り心を痛ましむ。)▼宵っ張りが嵩じると、だんだん不眠症気味になってきて、眠くても眠れなくなってくる。醒めたところが弾く琴もないので、起坐して向かうのはパソコンだ。これがまたよくない。寝る直前にメールチェックをするだけでもエスプレッソ二杯分の防眠効果があるそうだから、余計に眠れなくなる道理である。▼しかしこういう病的な時間ならではの精神状態は、しばしば極度の集中力をもたらす。こと創造的な問題を解決するにはうってつけで、例えば白紙に心象風景を落書きしているだけで、とんでもなく画期的なソリューションが見つかったりするものだ。どうせなら有効に活用したい。

[090] Nov 26, 2009

徹夜プログラミングの御供にはカフェインと散歩が必須だ。休憩がてら、そっと家を出てコーヒーを買いに出かける。しかしこの季節、深夜の風は寒い。肌を刺すようなピアシング・コールド。近くのコンビニへ行くさえコート越しにも凍えそうである。こんな夜更けの街路に人知れず吹くような風情の欠片もない風を凩というか知らないが、ざわざわ言う木々はこちら以上に寒そうだった。▼ところで凩は晩秋から初冬にかけて吹く、木の葉を落としてしまう強い風のことだから、冬の季語である。しかし初めからそうだったわけではなく、まだ夏の暖かさも仄かに残る頃、秋が訪れていち早く木の葉の一葉をひらりと落とす、そんな風を凩と呼んだ時代もあった。したがって古い句となると必ずしも冬の寒風を言っているわけではない。いつごろから冬と定着したかはわからないが、平安時代には凩が秋か冬かの議論がまだなされていたらしいから、少なくともその後ではあるだろう。

[089] Nov 25, 2009

日本人が漢詩を作るときに、平仄を守るべきかどうかという議論が尽きないという。守るべきだろう。少なくとも私はそうしている。制約条件を取り払うことは創造性を損なうことだ。和歌や俳諧にしろアレクサンドランにしろ、その制約存したが故に生まれてきた佳句も数多くあるだろう。▼ただし平仄の議論に関しては不必要派の論拠にも一理ある。というのも漢詩の全盛期であった唐の時代の平仄は、既に現代中国語とも異なっているからだ。本家ですら失った発音に固執するのは完全に無意味な制約ではないのか、というのである。少なくとも日本国内だけで発表するような漢詩については、もはや平仄に拘ることの実質的な意味は何一つ無い。▼じゃあ各々好きにやればいいさ、となればいいのだが、ここにまたひとつ厄介なジレンマがある。調べてみると、どうやら本家中国の詞壇よりも日本の詞壇の方が平仄の規律にたいして厳しいらしいのだ。なんとも不思議な話である。

[088] Nov 24, 2009

革新的なハイテク製品といえど一世を風靡するのは一握り、ほとんどは誰にも認知されずそっと消えていく。このように製品普及までの道のりで敗北することを、キャズム(深い溝)に落ちると言う。技術開発段階ではデスバレーと呼ばれるが、どちらも死に至る谷であることに変わりはない。▼イノベーション理論の初期には、新製品普及はアーリーアダプターへの浸透を契機に急速に加速するとされ、彼らへのアピールが鍵とされてきた。しかしジェフリー・ムーアは、彼らとアーリーマジョリティの間にはキャズムがあると主張する。これをキャズム理論という。▼キャズムの存在する理由はひとつではない。彼らの新製品への要求は根本的に異なっているし、革新によって新たなカテゴリが創出されたため、そもそも市場形成が不十分であるなど様々だ。マーケティングアプローチを変えるのも一手なら、市場形成を促すようなテクニカルな知財管理もまた一手というわけである。

[087] Nov 23, 2009

昔から言われることで、日本人は控えめを好むという。態度のみならず志向全般がそうであって、何かにつけて「匂わせるけどやりすぎない」くらいをちょうどいい、かっこいいとしているところがある。私たちが漠然と感じ、恐らく共有しているであろうひとつの美意識「いき」というやつだ。九鬼周造は『「いき」の構造』で、解釈学的現象学を下敷きに、この意識現象を見事に解剖してみせた。▼「いき」とは≪華やかな体験に伴う消極的残像≫であると彼は言う。この残像ということばが、「いき」の性質を極めてよく言い表していると思った。黒味を帯びた飽和の弱い、冷たい感じのする色は、確かに人の感覚にそのような残像をもたらす効果を持っているし、匂わせるとは過去を内に宿したまま現在に生き、未来を予感させることに違いない。「温色の興奮を味わい尽くした魂が補色残像として冷色のうちに沈静を汲むのである。色に染みつつ泥まないのが「いき」である。」

[086] Nov 22, 2009

このごろ夢の時間が長い。おまけにいやに鮮明だ。眠りが浅いのだろうか。たしかにいくら寝ても眠い日が多くなってきている気はする。どうしてそういう不健康なことになったか心当たりはないでもないが、いまのところ是正もできぬ。身体には負担をかけるが、いましばらくは長くビビッドな夢の鑑賞に享楽するしかない。▼覚醒時にも夢のことばかり考えていると、夢の見方が変化していくそうだ。そういう微妙な綾が楽しくて、夢にすっかりはまってしまう人たちもいる。夢を生け捕りにするために、毎晩必ずテープレコーダーを枕元に置いて、朝起きたらすかさずその夜見た夢の内容を録音していく――たしか安部公房あたりがそんなことをしていたように覚えている。ここまでくればたいそうな夢マニアだ。私も近ごろはよく夢のストーリーを反芻して、分析しないまでも意味を考えたり現実の出来事と結びつけたりして遊んでいるが、そこまで本格的にやる気にはなれない。

[085] Nov 21, 2009

「厳しい制約の中で仕事をすることを強いられたとき、創造力は最大限に引き伸ばされる――そして最も豊かなアイデアが生まれてくる。完全な自由を与えられると、仕事が散漫になる可能性が高い。」T.S.エリオットの言葉だ。▼こと創作的な仕事において、制約条件は決して敵ではない。独創的なクリエイターはありとあらゆる制約条件を味方につける。無ければ自分から作り出す。そうしてこの制約設定の巧拙が創造力を大きく左右する。コンセプトやデザインというのも、ある意味ではあらかじめ作品に制約を設けることではないか。▼ところで、何が制約になるかは時と場合によって異なる。それは楽器だったり設備だったり文字数だったりする。しかしたいていの場合は「時間」だ――このことを逆に考えれば、私たちが創造的な仕事をするとき必ずといっていいほど締め切りに追われるのは、良き創造力を得るために≪実は好んでそうしている≫ということにもなろう。

[084] Nov 20, 2009

人間工学系のコンテンツを逍遥していたところ、ユクスキュルの「環世界」への言及があった。なるほどたしかに由縁のある話だ。彼の著書『生物から見た世界』は、生物の行動を生物独自の知覚が生み出す世界から説明しようとする、かなり面白い本である。マダニの生活や軟体動物の見る風景、味で松葉の上下を判別するミミズやツタノハガイの帰巣など、印象に残った話はいくらでもあるが、もっとも強烈に記憶に残っているのはめんどりとひなの機能環に関する観察だ。▼片足をつながれたひなが鳴きわめいていると、めんどりは声のする方へすぐさま駆け寄って、架空の敵を激しく攻撃する。しかしつないだひなに鐘型のガラスを被せると、たとえ目の前で激しくもがいていてもいっこうに気を払わないのである。鳴き声という聴覚標識がないから、ひなに対して特定の活動を始める理由がないのだ。その光景をまざまざと想像して、何となく空恐ろしく思ったのを覚えている。

[083] Nov 19, 2009

先見力を養うためのフレームワークにFAW(Force at Work)というものがある。マッキンゼー創始者のひとりであるマービン・バウアーが考案したもので、乱雑な事象群の中にある様々な傾向を「発生させたはずの力」を発見・分析し、大局的な流れの力学的構造を掴もうとするものだ。この力学を未来に引き延ばして考えれば、それが即ち先見ということになる。手軽に「未来の見える」ツールである。▼先見力は正しい観察と正しい洞察を前提に成立する。観察とは現状をあるがままに認識することで、洞察とはそこに重要な変化の兆しを見抜くことだ。どちらが不完全でもいけないが、往々にして洞察の方は正確性に欠け、独創性を発揮するのが難しい。その点「変化とその力学」に着眼点を置いたこのフレームワークは優秀である。テンプレートが細々していて作成がやや面倒ではあるが、あらかじめ一枚用意しておくと、不毛な「先見もどき」の議論を避けられるかもしれない。

[082] Nov 18, 2009

人間には「そう見えるものは、そう振る舞って欲しい」という欲求がある。丸いドアノブのついた引き戸の気味悪さを想起してみればわかるだろう。アフォーダンスと言って、人間工学や情報工学、ユニバーサル・デザイン等とは切っても切れない概念だ。こう振る舞う「はずだ」まで来れば、逆手にとって奇術にもなる。▼人型ロボット界隈が賑わってきた。往年の夢いよいよという気配である。しかしこの夢も完璧な実現の前に一度、アフォーダンスのボーダーを跨がないとも限らない。というのも、いまのところはまだ人間と錯覚するほどの容貌でもなく、声も動きもロボットらしいから「ロボットのように見えてロボットのように振る舞う」段階だが、今後容貌と動作のどちらかが先行して「錯覚するほど人間らしく」なって来ると、なかなか不気味な印象を与えるのではないかと思うのだ。もしそうなったら、私たちはそれにどんな反応を示すだろう。ちょっと楽しみでもある。

[081] Nov 17, 2009

忘れた頃になんとやら。四年前に貸したきりになっていた本を唐突に返してもらった。赤と白のラインが特徴的な中公クラシックスの、ライプニッツ『モナドロジー・形而上学叙説』である。「見晴らしの数だけ街がある」がよくモナドロジーを言い得ていて、フレーズもなかなか美しいと思ったのを覚えているが、他はいまいち抜け気味だ。▼多才の人と言えば今でもまっさきに彼を挙げる。とんでもない人生を送った人だ。生涯千人以上の相手と文通し、その内容は哲学・法律・神学・数学・幾何学・言語学・歴史学・地理学・生理学・天文学・物理学・光学・化学・医学と、書ききれないほど多岐にわたる学術分野に加えて、外交官としての政策議論や実務家としてのビジネストークも山とある。「知の巨人」の異名を持つ偉人はややいすぎるほどいるが、彼は正真正銘その名に値する一人だろう。現代でも引き合いに出されることの多い、まさに「来るべき時代の設計者」である。

[080] Nov 16, 2009

作ったものがどうもしっくりこないとき、打開のために何か変化をくわえたいと考える。このとき徐々に変化させて様子を見ようとするのは禁物で、まずはとにかく極端に変化させてみて、それから徐々にやりすぎを修正していくのが定石だ。というのも表現において中途半端はもっとも避けられるべきだからである。▼言いかえれば、表現は局所最適に陥りやすいということだ。「良し」と「さらに良し」のあいだにいくらでも「悪し」の領域が広がっている。この悩ましい空間のうちによりよい解を探して悪戦苦闘するのが表現の推敲だ。▼センスや美意識で空間のイメージを作り上げ、知識や経験で完成形にあたりをつけ、集中力やパラノイアで探索時間を短縮してもなお、行きつく先が「良し」くらいにしか感じられないこともある。そこに甘んじないためには、たとえ近傍に絶望感を覚えても、すかさず遠くの局所最適を嗅ぎつける意識的な飛躍のスキルが要求されるのである。

[079] Nov 15, 2009

「雪擁山堂樹影深、檐鈴不動夜沈沈。閑収亂帙思疑義、一穂青燈萬古心。」(雪は山堂を擁して樹影深し、檐鈴動かず夜沈沈。閑かに亂帙を収めて疑義を思ふ、一穂の青灯、万古の心。)菅茶山の「冬夜読書」、冬の七絶の中ではもっとも好きな句のひとつだ。山中家を埋めんばかりの雪に降られて、風鈴も鳴らぬ静かな夜更け。取り散らかした書物を整理しながらわからぬところを考えていると、古人の想いに心が通じていくようだ。そんな読書の理想郷である。▼こういうしっとりと落ち着いた読書もしたいものだが、あいにくこのごろは朝と夜との眠たい電車で読むよりほかに機会がない。心忙しいことだ。もっとも昔から図書館や家など静かなところより、喫茶店など人が多くうるさいところで自分勝手に集中するのがかえって好きだったので、喧騒で没頭するのは自分の性には合っているのだが――といってゲームセンターの待ち時間に読まれては、古人も眉を顰めそうである。

[078] Nov 14, 2009

動画編集ソフトで数学Vの勉強ができる時代か。弟がアドビのアフターエフェクトでパラメータ関数を打ち込んで遊んでいた。関数部分をちょっといじってやればかっこいいエフェクトと共に軌跡が表示される。サイクロイドもカージオイドもお手の物だ。私の頃は曲線の描く挙動を、関数の式づらから必死に想像しようとしていた時代である。数学の描画ソフトはもちろんあったが、一介の学生に手軽なものではなかった。▼傍らには常に待機中のPCを置いて、英語の単語はウェブ辞典、知らない言葉はウィキペディア、ノートは取らず資料の整理はパワーポイント。これも現代っ子の自分なりに最適化した勉強法か、と思わされる。さくさくとツールを使いこなして案外効率のいいこと、アナログ派が声を高くするほどのデメリットもなさそうだ。私はやはり紙と鉛筆がなければ勉強した気分にならない性質の人間だが、学生の新しい勉強スタイルとして、こういうのも悪くはない。

[077] Nov 13, 2009

日付変更までに帰宅できない日が増えつつある。そのたびにネットカフェに寄って帰るのも馬鹿らしく、いまさらながら投稿日時の切り替え時刻を七時に変更しようとして、既存のコードを壊してしまったらしい。復旧に手間取り、まさにその日から変更仕様に世話になる。たかが微修正と元ファイルをコピーしておかなかったのは、それこそリスク管理が杜撰というものだ。アーカイブも機能していないから直さなければならないが、そのときの教訓にしよう。▼また久々にPHPを弄ったついでに、このところ不満に思っていたことをひとつ解消した。文章をスクラップしていたグーグルノートブックの挙動が重くなってきたので、もっとシンプルに貼り付けや編集のできるウェブ・スクラップブックを作ったのだ。「400」のプログラムをそのまま利用したので、たいした手間はない。誰に配布するでもなく自分用にちょっとしたものが欲しいとき、PHPは本当にお手軽である。

[076] Nov 12, 2009

あらゆる行動にはリスクが伴う。したがってあるリスクを軽減しようとすると、軽減する行為自体にもリスクが発生する。これを対抗リスクという。この対抗リスクを正しく見積もることができないと、本当に相殺されているリスクの多寡を見失ってしまう。▼天然ガスは、化石燃料のなかで最も炭酸ガス排出量が少ない。このことは石炭からの移行当時、環境的見地から大いに歓迎された。すぐさま移行が奨励された。しかしここで見失われていた対抗リスクは、天然ガス自体が炭酸ガスの二十倍近い温暖化効果を持つメタンガスであるということだ。土地面積の大きな国では、運搬時にパイプの継ぎ目などからほんの少しずつ洩れていく量を無視できなかったのである。▼後に行われた調査によると、現実には平均して許容限界の倍近い量(15%程度)が洩れていたという。運用開始からしばらくは炭酸ガス排出量削減に役立たないどころか、むしろ悪化を招いていたというわけだ。

[075] Nov 11, 2009

生物学者ジェラルド・M・エデルマンは、脳の多様性と統合性を説明するモデルとして、著書「脳は空より広いか」でダーウィンの集合的思考に基づく「神経細胞群選択説」を提唱した。曰く、ニューロンは初期に様々な結合パターンを生成し、解剖学的な構造を整える。後に環境からの入力により結合加重などの構造を変更していくというものだ。豊富な結合のレパートリーから特定のニューロン群が「選択」されることで構造化が行われる。神経ダーウィニズムと呼ばれる所以である。▼さて、ここで語られていない≪残された問題≫は、それではいかなるニューロン群が「選択」されるのかというモデル構築上の実践的問題だ。エデルマンの説を支持するのであれば、この選択原理の解明こそが脳の働きに関する根本原理の解明に他ならない。この原理の発見が成されたときこそ、浮力の発見が飛行機のモデルを実現したように、私たちは脳のモデルの実現に一歩近づくことになる。

[074] Nov 10, 2009

ドストエフスキー「地下室の手記」を読む。病的なまでに誇張された自意識が、≪地下室の男≫という殻の中と外で織りなす悲劇を、垣間見るというよりはただ眺めている、そういうへんな小説だ。▼この本がドストエフスキーの全作品を解く鍵であるとか、そういう話は全て「解説」に譲ろう。私がとにかくへんだと思うのは、作者も読者も徹頭徹尾≪地下室の男≫を眺めているというこの構図である。第一部で彼が脳髄に思想を叩き上げていく様子も、第二部でそれを現実に試みようとして空回りする滑稽な姿も、私はただ見ているだけだ。▼「彼を見て君はどう思う?」この問いかけを純化するために、作者は敢えて「この手記の筆者は……」と冒頭にメタを挟んだのではないか。「動くな!」と言われた後で、何か悲劇的なものの姿を見せつけられる。だから私は、彼の何に眉をしかめ、嘲笑し、共感しているのだろうと、嫌でも立ち止まって考えなければならなくなるのである。

[073] Nov 09, 2009

とうとう携帯が壊れてしまったので買い替えなければならない。三年ぶりだ。W45Tには本当に長いあいだ世話になった。なんとなく触っていたくなるつやつやした表の装飾、ポケットにするりと納まる丸みのボディ、石畳に落ちてばらばらになっても組み立て直せば見事に動くタフネス。愛用にも酷使にも耐えうるなかなか優秀なモデルだったと思う。今でも手放したくはないが、いい加減性能的なビハインドもきついし、なにより壊れてしまっては仕方がない。▼次なる相棒を見定めに、最寄りのショップへ行った。モックアップを手に取り性能表と見比べて、最終候補に残したのが、耐水・耐衝撃で物理的に安心な「G'zOne CA002」と、大容量・大画面・QWERTY配列キーで機能的に満足な「biblio」。電子書籍は読む気がしない人間なので売り文句にはかからないが、それでも今のところ後者に揺れている。しかしタッチパネルの操作性は評判すこぶる悪しく、悩ましいところだ。

[072] Nov 08, 2009

文章を構成することばの配置が、≪書かれている内容に関連した何らかの意味≫を持つような形を全体として成している、そのような文字遊戯を「カリグラム」という。日本語では「図形詩」。存在しない言語や抽象的な記号で書かれた絵画詩とは違って、文章そのものもちゃんとした通常の詩になっているのが特徴だ。▼ギョーム・アポリネールのカリグラム「刺された鳩と噴水」を見た。アンドレ・ブルトンの選集で「出会い」を見て以来、もやもやとその存在は頭の片隅に残っていたシュルレアリストの一角である。傍で見てると意味不明なことの多い超現実のなかにも、どこか遊びめいたものが見え隠れしているのが気に入った。▼しかし「見た」と書いた通り、実はまだ読めてはいない。どうやら和訳も見つからないから、埃を被った仏英辞典を出して来て、意味くらいは掴んでみよう。面白いことでも書かれていれば、もういちど同じ作品に言及することがあるかもしれない。

[071] Nov 07, 2009

他のニューロンの発火を抑制するようなニューロンがいる。正確には、そのようなシナプスが存在する。外界である情報の共起が観測されれば、それらのニューロン間の刺激性シナプスは強化されるが、それでは抑制シナプスの強化を促すような観測とはどのようなものだろうか。▼たとえば水曜日ならピアノのレッスンがあるとする。しばらく水曜日にレッスンへ通い続けた後、あるとき祝日にはレッスンがないことを理解する。このとき「祝日」は「ピアノのレッスン」への抑制シナプスを強化するだろう。このように考えると、抑制シナプスは≪予測の精度を高める≫働きをすると見ることもできる。▼ちなみにこの抑制性の神経伝達物質がGABA(γ‐アミノ酪酸)である。江崎グリコのチョコレートで一躍名前の売れた物質だ。しかし実は血液脳関門を通過しない物質なので、体外から摂取しても神経伝達物質として用いられることはない。つまり、あまり意味はないらしい。

[070] Nov 06, 2009

芸術新潮十月号のスターダストは興味を惹かれるものが多かった。まずアイ・ウェイウェイの「月の箪笥」。まん中にぽっかり穴の開いた箪笥が一列に並ぶ、その丸穴を正面から覗き込むと、少しずつズラされた穴の位置の妙で、影と箪笥の模様とが合わせ鏡に映った月の満ち虧けのように見えるのだ。発想が面白い。▼他には斉藤ちさとの「発泡都市」。炭酸水の水槽越しに都市の風景を高速撮影したもので、ぼんやりした画面に浮かぶ小さなの泡の中に、よく見ると背景がくっきりと、かなりきれいに写り込んでいる。目を凝らしてみてはっと感嘆の息が洩れる、この時間差がいい。粒々に見晴らす風景、この見晴らし方はちょっと珍しかろう。▼毎度毎度、楽しいレビューコーナーだ。世の中には本当にいろんな発想が尽きないな、この分なら芸術もどこへでも行くさ、≪打ちおろすハンマアのリズム≫も止みそうになし――そんなふうに思えて、なんだか嬉しくなる楽しみである。

[069] Nov 05, 2009

今日現在の原油価格は1バレル80ドル。去年の夏に147ドルを記録してからは下がり続けで、この頃はまたじわりと戻す気配も見せたものの、おおよそ75ドル付近で安定している。去年までに積み上げに積み上げたオイルマネーもここらで拡大は頭打ち、政府も銀行もファンドも、一旦は笑い止まざるを得まい。ドバイなどは、早くも代替エネルギーの開発投資で枯渇リスクをヘッジしようと奔走しているようだ。▼ところで一口に原油価格といっても、産油国によってその産出コストは圧倒的に違う。正確な値は知らないが、ブラジルが1バレル60ドル程度に対して、サウジアラビアは僅か5ドル〜10ドル程度らしい。とんでもない粗利の差だ。産油国と十把一絡げにオイルマネーを論じられない所以である。馬鹿に高価な設備を使って地中深くの原油層を攻めるのと、減価償却しまくった廃棄寸前の工場で豊かな遺産をしぶとく採掘し続けるのでは、こうも差が出るものか。

[068] Nov 04, 2009

NATOやUNESCOのように、複数の単語から構成される語の頭文字を繋げて作られる略語を頭字語(Acronym)という。”Acro”は頂上や先端を意味する接頭辞で、たとえば行頭に人名や物の名前などを一文字ずつ置いていく言葉遊びは「アクロスティック」。日本語で言うところの「折句」、あるいは「あいうえお作文」というやつだ。▼何でもかんでも略語にしたがる近年の風潮で、どうも無理やりつけたような頭字語が多い中、これはと思ったのがマイクロソフトのゲーム開発環境「XNA」である。何の頭文字を取っているかというと、”XNA's Not Acronymed.”▼GNUやLAMEなどソフトウェアの分野で再帰的な頭字語を用いるのはそう珍しくない。しかしこれは再帰に加えて、「XNAは頭字語ではない」と主張それ自体が自己矛盾を孕んでいるあたり一段と洒落ている。まるで言葉のメビウスだ。くだらないことながら、さすがは天下のマイクロソフトと思わされた小さな一件だった。

[067] Nov 03, 2009

実際含んでいる以上の意味を暗示させるような、短い箴言風の言辞。誰かに破綻を指摘されても、これは意図的にやっているのだと後手防御の利く、あらかじめ毒消しを添えたようなナンセンスな言い回し。「命をかけても気の利いたことがしゃべりたい。」そのためなら使えるレトリックは何でも使う。≪博学深遠な体裁≫が何より重要で、わかりやすさなどは二の次、三の次……。▼何かを見たり聞いたり解釈したり、そういうときの気持ちや態度は素直でまっとうなのに、いざ自分から表現する段になると、途端にあれこれ手入れを施さないと気が済まないという人たちがいる。どこへ行っても必ず一人くらいは見つかるのが不可解だ。ショウペンハウアーは『読書について』でこのような悪癖を持つ人々のことを、見事な言葉で表現した。曰く、「彼らは自分たちの考えている同じ一つの思想を伝達しようとする努力と、隠蔽しようとする努力との間をさまよっているのである。」

[066] Nov 02, 2009

芸術新潮、古代出雲王朝特集を見る。哲学者・梅原猛氏が語る「実在した歴史」としての古代出雲王朝。スサノオからオオクニヌシのあたりまで、神話の舞台に取材しながら「古事記」を読み返していくと、そこにはたしかに実在を思わせる状況や記述が満載で、見よこの見事な符合とばかり。しかし何より物を言うのはやはり荒神谷遺跡・加茂岩倉遺跡から出土した大量の銅鐸だろう。そこへ立脚すればこそ、実在派が仮説の楼閣を築くのもあれよあれよというわけで。▼それにしてもいつも思うのは、ある神話なり伝説なりが「実在したかもしれない」という仮想の持つ凄まじい浪漫の不思議だ。よく仕上がった御伽噺がフィクションだろうとそうでなかろうと、どのみち遠い過去の話、いまの私に何の関係もなかろうはずが、何故こう胸の躍るものがあるのだろう。これが現実のリアリティだろうか。ともかく記紀をまだ読んでいない身としては、一刻も早くという気にさせられた。

[065] Nov 01, 2009

今は一面農地となっている古代ローマ都市アルティヌムの地で、古きヴェネツィアの街並みが見つかった。発掘されたのではなく「見えた」のだ。航空写真が捉えたその画像は驚きの一言。一昨年の旱魃で水分が不足したため、礎のあるなしなど地中の貯水量の僅かな違いが植物の生育状況の差となって、くっきりと街並みを保存していたのである。まさに「大地の記憶」だ。▼このように航空写真によって遺構の発見を試みたり、遺跡や都市の全体像を把握しようとするのは航空考古学と呼ばれる領域だが、近年ではGoogle Mapのおかげで、航空機を飛ばす必要すらなくなってきているという。”Armchair Archaeology”と呼ばれる新たな領域だ。安楽椅子考古学という訳にでもなろうか。研究室に居ながら遺跡を「発掘」する、フィールドワークのない考古学。一昔前、こんなものをいったい誰が想像しただろう。サービスが学問の在り方を変えてしまうとは、なかなか凄い話である。

[064] Oct 31, 2009

「人は数字や日付よりも歓喜と笑い声のほうをより鮮明に覚えているものです。」とはミシェル・フーコーの言葉だ。高校の同窓会で懐かしい話題が持ちあがった。私も不思議と一度も忘れることがなかった。複数人でじゃんけんを行って、あいこなしに済ませる、即ち一度で勝負を決めるにはどうしたらいいかという問題だ。▼三人のときは、一人を傍観者とし、残り二人がじゃんけんを行う。あいこのときのみ、傍観者の勝ちとすることで決着がつく。これはKが思いついたんだった、そうだそうだということになった。じゃあ四人はどうする。これは私だ、皆覚えていた。三人でグーとパーのみの「少ない勝ち」をして、あいこのときのみ傍観者の勝利とすればいい。▼では五人のときは……となったところで、六年前は別れた。けれど別れた後も皆考えていたようだ。僕もあれから考えたよ、五人以上のときはこうしてさ……会話はつづいていく。あの頃の笑い声が思い出される。

[063] Oct 30, 2009

小説は「小人之説」で、取るに足らないくだらぬもの、大人がそんなものをいつまでも読んでいるのは恥ずかしいコト……といつまでも中国由来の原義を引きずった小説無用論の展開には待ったをかけたい。時代が変われば、言葉の意味も役割も変わる。▼昔は「君子之説」でよかった。生活原理は全て優秀な実行規範である「君子之説」から演繹してくれば人生それでこと足りた。しかし近代以降、価値観が多様化し、原理の構築は極めてプライベートなものに変わって行った。となればもう誰も「君子之説」などには耳を貸さぬ。小人が披歴しあう「小人之説」から、めいめいが原理めいたものを帰納するしかなくなっていく。▼今の時代、「君子之説」はおろか、指導的な小説などというものさえ考えにくい。皆小説を、さながら自分の人生を組み立てるAPIのように見始めている。そうして取っても取らなくても何か足りぬと感じながら、見限ったり奉ったりしているのである。

[062] Oct 29, 2009

『方法序説』を貸してくれと言われた。累計三度目だ。それなりに名前が知れていてかつ薄いというあたり、哲学へ踏み入る手始めに覗いてみるには格好なのかもしれない。探してくるついでに、昔まとめたレジュメを見ていた。▼デカルトという人はどうも教科書に名を連ねる他の哲学者の面々とは毛色が違う。いい意味で凡人感の漂う人だ。「ほかの人たちと同じくらい頭の回転が速く、想像力がくっきりと鮮明で、豊かで鮮やかな記憶力をもちたいと、しばしば願ったほどだ」と自ら語っているように、少なくとも天才肌といった感じはない。▼彼の優れていた点は、そういう自覚の故に、着眼点や思考順序、判断の基準といったような、本当に基本的で仕事の土台となる部分に細心の注意を払って思索を進めたことにあるのだろう。「きわめてゆっくり歩む人でも、つねにまっすぐな道を辿るなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも遥かに前進することができる」のである。

[061] Oct 28, 2009

付属のストローがやけに細いコーヒー牛乳を飲んで「ストローは太さ次第で臨界レイノルズ数の周辺をうろつく」という話を思い出した。内径を6mmとして流量を適当に仮定すると、ざっくりとした計算で約3000。臨界レイノルズ数は2300だから、なるほどオーダーは近い。▼けれども水とソフトドリンクでは動粘性係数が倍近くも違うし、レイノルズ数は流速に比例するため、吸い上げ方にもかなりの度合い依存する。これらの変数の方がストローの内径がmm単位で違うことなどより遥かに値に効いてくるんじゃないだろうか。▼6mmという標準内径も、単にドミナント・デザインの問題でありうる。マクドナルドのストローが通常のものよりやや太い7mmなのは、ドリンクをもっともおいしく飲むためと謳われているが、これにしても定性的なマーケティング戦略以上のものではないだろう。もっともストロー程度の細さでは、どのみち乱流にはなりっこないのだが。

[060] Oct 27, 2009

紀元前三世紀頃、秦では万里の長城を建設した。「何事も起こらぬよう」人の往来を断つためだ。一方、ローマは街道網を敷設した。「何事か起こったときのため」人の往来を促進するのが目的だ。東西の統治哲学の違いが如実に表れていると思うと面白い。▼ローマはインフラに何よりも柔軟性・機能性を重視した。政略・戦略上重要な都市は最短距離で接続され、軍隊の迅速な移動を可能にした。征服した地にも街道や水道を施設し、人々にその便利さを実感させることで、征服先を共同体としてすばやく取り込んだ。街道網は紛れもなく、ローマがその後も外へ外へと開いていくための動脈として設計・敷設されたのである。▼医療・教育などのソフトインフラも大いに進歩した。このようなローマの徹底的なインフラ整備政策の根底にあった哲学は、≪人間が人間らしい生活を送るための≫事業を為すべしというものだ。現代にもぜひ蘇って欲しい、シンプルで力強い哲学である。

[059] Oct 26, 2009

摩擦力は垂直応力と摩擦係数の積で表わされる。摩擦係数は接触面の状態のみに依存する変数だ。したがって摩擦力は接触面積とは無関係ということになる。一枚のマットを引きずって行くとき、敷いたまま引きずっても、丸めてから引きずっても、摩擦力は変わらないということだ。▼直感には反しているが、これは正しい。なぜか。接触面にはでこぼこがあるため、実際に接触している面積(点)は少ししかない。摩擦力はこの僅かな接触点にのみ働いている。垂直応力が増加すると物体が変形し接触点が増えるため、全体の摩擦力が大きくなるわけだ。「見かけの接触面積」は摩擦力に無関係なのである。▼「静止摩擦係数が1を超えることってあるの?」と聞かれたことから、摩擦についてやや復習した一日だった。ちなみに答えはYESである。μ=tanφから「摩擦角が45度を超えることってあるの?」と読みかえて、ゴムとゴムとの接触など考えてみるとわかりやすい。

[058] Oct 25, 2009

今日は菊花賞。長らく馬券を買っていなかったが、今日は友人に誘われて久々に新横浜のWINS(場外馬券場)まで行ってきた。せっかくだからと六階の有料エクセルフロアに陣取るべく、朝七時からの出動は徹夜明け。無線LANの使える環境で、静かで綺麗な全席禁煙の指定席と来れば、それくらいの労力は惜しまない。実際、一度行くとやめられない好環境である。▼1Rから東京・京都・福島と全てのレースを買うのは初めての経験。データ収集、予想、購入、観戦と、十分置きに次から次への忙しなさ、余裕のなさは想像以上にきつかった。ノートPCと新聞をフル稼働して頭を捻っても、そこは新馬・未勝利戦独特の難しさ、収支をトントンにするので精一杯だ。私はやっぱりメインレースにだけ手を出すやわらかい競馬ファンのままでいいやとつくづく思った。それでは今日のメインの結果はというと――里見ク全集を揃えても、まだまだお釣りがくる。嬉しい話である。

[057] Oct 24, 2009

「二度読む価値のない本は、一度読む価値もない。」人に言うと「どうかなぁ」と濁されることが多いのは、主張が極端すぎるからかもしれない。暴論ながら、私はけっこう気に入っている格言である。本当に面白い本は二度読みたくなるし、本当に面白い映像は二度見たくなるし、本当に面白い話は二度聞きたくなる。二度というのは、物事の真贋を見極めるにはなかなか優れた指標だ。ビアスは『悪魔の辞典』で「一度だけ回数が多すぎること」と皮肉っていたけれど、そうとばかりも言えない。▼ヘーゲルの『歴史哲学講義』にも、こんな一節がある。「国家の大変革というものは、それが二度くりかえされるとき、いわば人々に正しいものとして公認されるようになるのです。ナポレオンが二度敗北したり、ブルボン家が二度追放されたりしたのも、その例です。最初はたんなる偶然ないし可能性と思えていたことが、くりかえされることによって、たしかな現実となるのです。」

[056] Oct 23, 2009

解明されていない現実のモデル化を試みれば、必ず反証に晒される。そのとき防御力を決するのは、モデルの構造そのものだ。たとえば広大な部屋の中で均等に点在するラットのような生物Xのモデル化を考えよう。それぞれの生物Xに、ひとつは「部屋の密度を均等にするよう行動せよ」と命令する。もうひとつは「周囲のXとの距離を平均化するよう行動せよ」と命令する。どちらの方がより防御力が高いか。▼プログラムとしては前者の方がよさそうだ。後者は境界条件次第で誤った局所解に陥る可能性があるし、収束も遅い。しかしこと防御力に関しては、優れているのは後者である。何故なら前者は、部屋全体を見ることはできそうにない個々のXが、「部屋の密度」なるものを把握し、それを均等にするよう振る舞うと言っているのだ。これは些か説得力を欠く。現実の制約条件と対立しそうにない後者の方が、「現実はこうでありうる」ことから高い説得力を持つのである。

[055] Oct 22, 2009

アジェンダもすべて終えた、グアム最後の夜。食べて飲んでの後には、大勢を一室に詰め込んでの夜会である。定番トークもたけなわの頃、すっかり出来上った後輩がひとり――そこからが本番だ。部屋の真ん中に陣取っての舌足らずな弁舌、つつけば返る可笑しなやりとり、まあとにかくあちこちに愛嬌を振りまいているのが可愛くて仕方ない。何を置いても笑うしかない午前三時。身内びいきじゃないが、ここまで世代を通じて仲良く楽しく和気藹々とした研究室はそう無かろうと思う。▼出発の朝、時間を盗んで政府公認の実弾射撃場へ行った。ずらりと並んだ拳銃たち。M16とベレッタは外せないので、デザートイーグルは諦める。エキサイティングには違いないが、弾を込める瞬間は恐ろしい。ベレッタの反動も想像以上だった。ちなみに先の後輩は一番高いコースを奮発。ショットガンまで打った。とんでもない轟音。耳あてが吹き飛んで壊れた。皆、目を丸くして笑った。

[054] Oct 21, 2009

散策する時間を与えられて、今日はグアム本島からココス島へ行った。道路のすぐ傍に波が打ち寄せていたり、ぽっかりと開けた広場に、十字架だの鳥篭だの妙ちきりんなオブジェだのが立っていたりする。どれも白木か白石つくりなのは、濃い緑の中でも目立つようにということだろうか。色違いのにわとりが交互に散歩していたり、なんとも長閑な光景である。▼焼き尽くすような直射日光の烈しさ、乱立する植物のふてぶてしさ、雲のくっきりしたコントラスト。このあたり、いかにも南国の島といった風情だ。けれども白砂のビーチは意外にもさほど美しくなく、遠浅の浜辺には大小の石がごろごろしていて、とてもサンダル抜きでは入れなかった。アクティビティを消化するにはよくても、自由に泳ぐにはあまり適していなさそうだ。にわか雨にも降られた。迷惑ながら、これがちょっと面白かった。まぶしい日光のあふれる海辺に、ざあざあ降る雨というのも乙なものである。

[053] Oct 20, 2009

「ゴールドカラーは現実になった」と、ある講演で聞いた。そうかもしれない。ゴールドカラーはブルーカラー、ホワイトカラーに続く先進国の新たな職種層として、ロバート・E・ケリーが1985年に提唱した概念である。自分の能力を自由闊達に売り歩くスタイルで、世界を股にかけての仕事を良しとする。「人生の移動半径が圧倒的に長いこと」が彼らの主な特徴だ。▼そんな「職種」がいるものかと一笑に付されて一度は死語になったこの言葉が、ふたたび忽然としてこう日の目を見ることになったのは、提唱された当時は少数であったゴールドカラー的な生き方を好む人々が、いまや「職種層」を形成するまでに増えてきたということだろう。日本に生まれシリコンバレーで起業しアジア全域で活躍などという話さえ、現代にあってはもはや珍しくもない。言ってみればホワイトカラー全体が、ひいては働く人間全体が、いっそう職能主義的な仕事観に傾きつつあるのである。

[052] Oct 19, 2009

グアムに来た。今日から授業も休んで悠々の三泊四日、と言っても羽を伸ばしての海水浴に観光三昧などと景気のいい話ではなく、フルバージョンの研究報告を義務付けられた強化合宿の一環である。遊んでいる余裕はそうない。▼着いて早々すっかり馴染んでいる。馴染みやすいのだ。其処彼処に漢字もあればカタカナもあり、言葉にしてもこちらから英語で話しかける前に、向こうから日本語で話しかけられたりする。場所によっては日本円も使えて、ちっとも海外を感じさせない。観光収入の九割以上が日本人によるものだというから、依存度合いを考えれば、こう日本びいきになるのも無理はないか。▼しかし空と海とに眼を転じれば、やはり別物だ。ダイナミックさより要所の美観に重きを置いた、小綺麗なつくりのリゾート地である。常夏の暖かさは夜でも半袖。いつもの鄙びた研究室の代わりに、美しい海の見晴らせる一部屋で徹夜作業できると思えば、決して悪くはない。

[051] Oct 18, 2009

「私は、その頃右の如き表題の辞書を繙きながら、……その他の、これに類する種々の物語を耽読した。これらの辞書を飜すと、大概の物語や伝説の中に現れる様々な怪物や魔法使いの術語や素性が明瞭となったので、……別様の興味を誘われるのであった。」▼牧野信一「鬼の門」で、こう紹介された書物の一冊が「クラシカル・マジシャンズ・ボキャブラリイ・ブック」である。この辞書がどうしても欲しくて、探し続けてかれこれ三年になるが、いまだに存在の真偽さえわからない。最近、海外の古辞書を調べる機会があったので、これを機にと徹底的に漁ってみたものの、やはり影も形も掴めなかった。フィクションかとも疑いたくなるが、といってそういう記述にも見えない。▼「民明書房」なども、当時は随分多くの少年が実在を信じていたという。架空のものにあこがれを抱くと、知ってなお満たされない欲心の始末が大変だ。どこかでひょっこり見つかると嬉しいのだが。

[050] Oct 17, 2009

金と時間をかければかけるほどいいものができる。それはそうかもしれない。けれども、投じた努力や達成したスペックと価値の描く関数は、通常線形にはならない。多くの「費用対効果」がそうであるように、価値創造にもブレイクポイントが存在する。これを見落としたまま価値を創造しようとすると、壁を超えられずに立ち止まったり、S字カーブの右側を見合わぬコストで登りつめたりして、たいていは失敗に終わる。▼ブレイクポイントには、ネットワーク外部性を持つ商品のクリティカルマスのように意味付けのできないものもあれば、そうでないものもある。この見極めも疎かにはできない。例えば写真における現像の待ち時間。この仕事が六十分をブレイクポイントに持つのは、決して偶然ではない。商店街に居を構える現像屋にあっては、顧客が商店を一周してくるあいだに現像ができるかどうかは極めて重要な問題だ。必然、そこに価値のギャップが生じるのである。

[049] Oct 16, 2009

里見クの「青春回顧」を見る。しゃべり口調が読んでいて実に気持ちいい。言葉運びがしゃれていながら、余裕も綽々。こういうのを書かせたら、やっぱり頭ひとつ抜けている。肝心の内容の方は、「たいことをたいせよ」とご自身の哲学通り、やりたい放題、溌剌ですねと笑うところ。内輪の思い出にころころ笑って見せるかと思えば、非の在処もわからぬ所でちょっと臍も曲げてみる、まあ人間らしいところが随所に覗く、気取りのない回顧録である。▼ところで貴方の「ク」という字は環境依存文字だから、文字化けして唇みたいな、変てこな記号になってしまうことがあるんですよ――こんなことを言われたって本人は何のことだかわかりゃしまい。けれども、なんだそんなことと笑い飛ばすか、ちょっとくらい苦って見せるか、どっちだろうと推してみたくはなる。そのへん潔癖なところもありそうだからな、後者かな、などとあてつけながら随筆を追っていくのもまた楽しい。

[048] Oct 15, 2009

我が家にテレビが無くなって久しいが、競馬以外でちっとも困らない。テレビの影響力もいよいよ薄れてきたなと思う。それも私が困らないというだけなら、私の生活に必要なくなったという意味しかないが、外へ出てみて、友達付き合いでも誰付き合いでも、昔に比べて遙かにテレビ周りの話題が少なくなったのは驚きだ。観ていようがいまいが、といった感じである。それで話の種もさほど減った気のしないところが、何をかいわんやで可笑しい。▼映像の娯楽自体は周知の如く、数あるネットメディアの中で生き残っている。メディア自身が生き残りのため、日々頭を捻って進化しようとしているので、たとえ現状には不満でも、将来への期待は持てるところで付き合いつづけようという気にはなる。それで、ずるずるべったりそっちに貼り付いているわけだ。根を張る先が変わっただけか。だが確かに日曜の競馬鑑賞も、生放送のおかげでそろそろ困らなくなりつつあるのである。

[047] Oct 14, 2009

オディロン・ルドンの絵を見ていると、不安になりそうな気がして、けれども別段そういう気分にならない。むしろ妙にほっとしたりする。それで、またじっと絵を見る。実に奇妙な感じがする。なんだろう、知らない病気の記録を聞かされている気分だ。▼1878年に制作された『眼=気球』は、黒を好んだ彼の≪モノクローム・パステル≫と呼ばれる作品群の代表作である。ひたすら空を見ながらどこかへ向かって飛んでいく、気球を模した巨大な黒い眼がただひとつ。それでいてグロテスクなところが微塵もない。不思議と誘い込まれるような、親しみの湧く眼なのだ。▼『眼=気球』は1882年のリトグラフ集で『眼は奇妙な気球のように無限に向かう』として再現されている。見比べてみると、後者の方が目玉の淵の陰影が無機的で、草の葉も淡く背景に溶け込んでいる。なんだかモチーフたちが主張するのをやめて、そっと夢の中へ消えていこうとしているみたいである。

[046] Oct 13, 2009

澁澤龍彦『毒薬の手帖』にプトマインという毒薬に関する記述がある。有機体の中のアルカロイドが腐敗すると生成する物質で、和名は屍毒。墓を暴き子供の骨を盗んでいた妖術師や、牛の血を飲むという自殺法に関連があるとしている。「ただし、現在ではその存在は否定されている。」▼そう、現在ではプトマインという毒の無いことは知られている。しかしそうは言っても、まるきり古代の妄想や伝説だったというわけではない。つい最近まで、少なくとも二十世紀の初め頃まで、その存在は広く信じられていたのである。英語ではトーメイン・ポイズニング(Ptomaine Poisoning)と呼ばれ、肉や魚介類による原因不明の食中毒を「プトマイン中毒」と一口で片付るために用いられていた。それが二十世紀になって細菌学が急速に進歩し、症状は似通った中毒でも異なる菌の関与していることが明らかになるに従って、ようやくプトマイン中毒説は徐々に姿を消していったのである。

[045] Oct 12, 2009

道歩きの途中、運動会を通り過ぎた。歓声が聞こえてくる。少し行くと右手側には、絵本の棚が見える小さな児童館。子供と絵本、と来るとどうしても思い出される人物がいる。「洋服! あんなものさえなければ、麗しい子供たちの身体を思うがままに眺めていられるのに」▼友への手紙でこう洋服を呪ってみせたのは、『不思議の国のアリス』の著者、ルイス・キャロルことチャールズ・ラトウィッジ・ドジソンだ。数学者であり作家で詩人で写真家であった、この多才な人にまつわる数多くの「少女愛者」エピソードは、いつも大いに世人の興味を惹いてきた。▼ところが現在ではいくつかの研究により、彼の少女愛者説は否定側に傾いている。国際的にも、既に神話となっているらしい。なるほど上のような疑わしい言動の数々も、性癖云々というわけではなく、オブジェの美を求めるに少し純粋が過ぎたということだろう。高くついた代償は、少しずつなし崩されているようだ。

[044] Oct 11, 2009

議論になる。多様な意見に振りまわされて、あれも立てたいこれも立てたいで一向収まりがつかなくなる。そのうち問題が複雑になってきたのをいいことに、めいめいが都合のいい法螺を吹き合い始める。やがてそれにも居心地の悪くなった面々が囁き出す。もうやめよう、堂々巡りだ、水かけ論だ。▼このような結末ほど情けないものはないが、現実にはしばしば生じる事態である。大抵の場合、扱う問題を正しく構造化できていないことが原因だ。構造化されていない問題では、言説の軽重を量る「ものさし」が無いため、何もかもが気になる。病理と症状を、大事と瑣末を見極められない。そうして混乱の挙句、価値観の相違などという見当違いな諦観に縋りつくことになる。▼「鶏と卵」の問題でさえ、正しく議論すれば実りある終着には辿り着く。堂々巡りになるかどうかは、プレイヤー達の手腕次第だ。宿命的に循環に陥る議題など、本来そうたくさんありはしないのである。

[043] Oct 10, 2009

「参謀の平時における主要な仕事は何だと思いますか。」米国のある陸軍参謀が、企業の戦略立案に関する講義で学生にこう尋ねた。皆、わからなかった。来たる戦争を見据えてシミュレーションでも行っているのだろうか。あてのない憶測が飛び交う。やがて答えが告げられた。「それは、旅行することです。」▼認識は戦略の要である。現状に対する正しい認識を得た上で、そこから相手の意表をついた洞察を引き出さなければ、競争相手を出し抜く優れた戦略は立てられない。彼は、敵国やその周辺をくまなく旅してまわることで、非常時には立ち入ることすらできなくなるその地理を、地形を、しかとその目に焼きつけているのだ。▼「参謀の仕事は情報収集が99%です」と彼は言う。「手中の情報を出来る限り完全なものに近づけること。全ての仕事はそれからです。立てる戦略が重要なものであればあるほど、我々にとって、仮説思考などということはありえないのです。」

[042] Oct 09, 2009

ポール・ヴァレリーの「テスト氏」を読む。五回、六回読みなおしてもさっぱり意味の汲み取れない段落があるかと思えば、肝心のところは読みやすく素直に表現されていたりする。こう晦渋と平明に緩急をつけてくるあたりがいっそういやらしい。難解だ。それで結局、テスト氏とは何者なのか。▼彼の人となりは明白である。彼は、自分で必要があると思うことしかしない。純粋な思弁に取り組むために、社会的な決まりごとをことごとく拒否する。そうして「精神と言葉のあいだに蠢くもの」を究めている。いつ何どきでもその間隙に留まることが、彼の生活の戒律になっている。▼彼のような人間は、どこにもいないとも、そこらじゅうにいるとも言える。現実の「雑音」を指向性から完全に除外することができる人間、≪没頭している人間≫は、良かれ悪しかれたしかに増えているようだ。とすれば、現代人はテスト氏めいてきている――そんな捉え方もできるのかもしれない。

[041] Oct 08, 2009

七十四歳の老身でありながら、十九歳のウルリーケに求婚したゲーテ。戸を閉めない人をどうしても許せなかったという、俗人らしいこだわりを持っていたスウィフト。自分の講義に一人も生徒がやって来ず、「世間に顔向けできない」と手紙でワーグナーに泣き言を洩らしたニーチェ。聞こえこそ良くは無いが、どのエピソードも素朴で素直で、言いようのない親しみを覚えさせる。いっそ愛嬌と言ってもいい。▼愛嬌というものは、本当に良く人を惹きつけるものだ。厳格に付き合わなければいけない相手であるほど、ほんの少しの愛嬌を見つけるだけで、なんだか急にほっとしてしまう。そこが≪あそび≫になる。松下幸之助も、成功する人間の三大条件に「可愛げ」「運が強そうに見えること」「背中」を挙げていた。可愛げは愛嬌だ。これはきっと、対人の条件なのだ。いくら尊敬に値しても、どこにも可愛げの見出せない相手と長く付き合いつづけるのは、疲れるものである。

[040] Oct 07, 2009

『カラマーゾフの兄弟』を読み終えた。素晴らしい長編だ。例によって上巻はやや退屈だが、下巻の牽引力は比類ない。人と心情と出来事とが、これほど緻密に絡み合っていながら、ちっとも不自然な複雑さを見出せないところも完璧だ。ドストエフスキーの最高傑作と言われる所以がよくわかる。▼ところで「大審問官」は、この作品中もっとも有名な、注目すべき一節としてよく引き合いに出される。イワンの語る、キリストへのアンチテーゼだ。たしかに極めて独特で出来がいい。しかし私はこのレーゼドラマが、我々日本人にも例外なく、評判通りの強烈な印象を与えるとは思えなかった。神はあるかないか、どちらかに決めねば人は前には進めぬ――こういう問題はロシア人にとっては、切実すぎるほどの関心と恐怖を引くに違いないが、我々がこれを実感するには、持っている信仰の種類があまりにも違う。ピンと来なくても仕方ないのではないか、という気がしたのである。

[039] Oct 06, 2009

日本の自動車業界が崩壊の危機に瀕しているのは、若者の自動車離れや、リーマンショックによる不況の煽りが原因であると言われるが、そればかりではない。「日本の自動車業界だけが」特別に直面している危険がある。電気自動車へのシフトがいよいよ加速してきたことだ。▼「秋葉原で組み立て自動車の部品が売られる日は近い」と、ある専門家は言う。これは恐らく正しい。ハイブリッドから電気への移行に伴って、自動車のビジネスモデルがモジュラー化する可能性は高い。つい数年前に、インテルの戦略によってパソコンがモジュラー化を果たしたのと同じ事情である。日本の苦手な土俵だ。▼タタ・モーターズが部品を極限まで減らしているのは、この変革を見越して自動車のキーパーツを探す実証実験をしているという見方もできる。オバマ政権下でビッグスリーも動きはじめた。世界のトレンドから取り残されないよう、日本も何かしら対策を講じる必要があるだろう。

[038] Oct 05, 2009

夢を追い続けること。それは素敵なことだ。とはいえふつうは途上で、何らかのトレードオフにぶつかる。そうして少しだけ夢を切り崩す。いつそうするか、どれくらい切り崩すか、その程度に差はある。けれどもしまったく手をつけないとしたら、それは狂的と言われるべきだろう。▼サマセット・モーム「月と六ペンス」の主人公、ストリックランドはそういう≪狂的な夢追い人≫の典型である。彼は絵を描くためには、己の良心の呵責さえ鼻で笑って見せるほどの徹底したエゴイズムを持っていた。自分も他人も、全てを犠牲にしながら夢を追い続けていた。▼「絵を描かなくてはならんと言ってるのが分からんのかね。自分でもどうしようもないのだ。いいかね、人が水に落ちた場合には、泳ぎ方など問題にならんだろうが。水から這い上がらなけりゃ溺れ死ぬのだ。」月を仰ぎつづけて、足元の六ペンスに決して視線を落とさないこと。そんな生き方に、憧れはあまり感じない。

[037] Oct 04, 2009

社会心理学者のリチャード・ハックマンは、あるセミナーの教壇で「チームに進むべき方向を示す」というリーダーの役割の重要性について語った。見事な事例として引き合いに出されたのは、ジョン・F・ケネディとマーティン・ルーサー・キングである。彼は続けた。「イエス・キリストも、聖職者の目的を決めるために会合を開いたりはしませんでした。」そこで誰かが講義を遮り、こう言った。「たったいま、二つの暗殺と一つの受難に言及されたことにお気づきですか。」▼このエピソードは、リーダーが強力に集団を方向づけようとするとき、その動機や行動がいかに正しい信念に支えられていようとも、現場では往々にしてプロジェクト自体を進行不可能にしてしまうほどの激しい抵抗に遭うという、厳しい現実を示唆しているものとして面白い。臆することなく勇敢に正しさを打ち出してなおそこに≪導くこと≫の難しさがある。ハックマン自身が語る”教訓譚”である。

[036] Oct 03, 2009

今ではもうだいぶ鳴りをひそめたが、白金ナノコロイド入りの「プラチナヨーグルト」がいやにもてはやされた時期があった。化粧品ならプラチナが配合されるのは珍しくもないが、食品に入れたという奇抜さで話題になったものだろう。ナノサイズのプラチナによる強力な抗酸化作用が売りだった。値段は高いが、美容健康をかかげておけばという目論見である。▼深夜の大学内ローソンへ夜食を補充に行ったとき、たまたま理学部研究棟からふらりと出てきた旧友に会った。久々にお互いの研究のことなど喋りながら、店内をぶらつく。ふと棚に件のプラチナヨーグルトを見つけた。もったいないな、と彼が洩らした。そうして「ポスト・コエンザイムQ10だかなんだか知らないが、うちの教授も妙なことを考えるもんだ」と眠たそうに言うと、こう繋いだのである。「触媒に使うんだから、もっと大切にしてほしいわ。」そんな見方もあるかと笑った、応用化学科の価値観だった。

[035] Oct 02, 2009

表現法の格に「真・行・草」というものがある。もとは書道から来たもので、字をくずさず正確に書く真書、形に捉われず自由にくずした草書、その中間で真書をややくずした行書、この三種の筆法を「こころ」としたものだ。日本座敷の形式のように、これは真、これは草と対象を分類することもあれば、山水庭園のように、真・行・草を同じ空間内に同居させることを意図する場合もある。▼今では華道・俳諧・絵画など、広く芸能分野に転用されているが、いかなるときも大切なことは、「真・行・草」は美意識であって、ルールではないということだ。様式・非様式の場合分けの手本や原則ではなく、我々の芸術においては古来、そういうフレームの中にものごとを捉え、解釈していくところに美を見出してきたのだという、言わば伝統的鑑賞法の凝縮表現であり、芸術全般で重要な素養となる≪風趣をよく見分ける眼力≫を養うための、ものごとの切り口を教えているのである。

[034] Oct 01, 2009

襖は「臥す間」即ち寝室を語源に持つ。もとは衾(ふすま)であり寝床を指していたものが、その寝床の障子を衾障子と呼んで、いつか障子の方に襖の字があてられた。中国由来の障子と違って、れっきとした日本生まれの名前である。▼我が家に襖はない。和室とリビングの境にないでもないが、とても襖と呼べる代物ではない。現代にあっては都会の棲家で襖だの襖絵だのにお目にかかるのは、ちょっと難しいだろう。芸術から生活へ逆輸入の気配もなし、特別リバイバルの兆しがあるでもなし。実感としてはほとんど純粋アートだな、と思った。▼「隠していながら鍵も掛けずに閉じているだけ、というエネルギーの溜め方が魅力的」と鴻池朋子は言う。カーテンにはない力強さも兼ね備えているのは、襖には閉めたときのぴしっという、あの密閉感があるからだろう。開けられるが、開けてよいものかと戸惑わせる、パンドラの箱的な躊躇がある。つくづく不思議な遮蔽物である。

[033] Sep 30, 2009

芸術新潮、エジプト特集を見る。仏像かと見まごう如き、静やかな威厳の≪ラメセス二世座像≫が一番だった。エジプト美術にそれほど特別の興味はないが、紀元前の歴史をざっと追いつつ代表的な美術作品をぱらぱらと見ていく分には案外楽しい。▼変化の激しいヨーロッパ美術に比べて、エジプト美術は「揺れ」が少ない。初期王朝期に成立したスタイルが、そっくりそのまま権威ある伝統として、連綿と踏襲されていった結果だ。見どころも鑑賞の法も自ずと数が限られて、時代背景、動機、形式など、こちらで逐一整理しなくても、悠々白眉を堪能できる。この気安さがいい。▼美しいガラス石の巧みな装飾品や工芸品、壮大な壁画も嫌いじゃないが、私は石像や石棺のほうが気に入った。写真ごしにさえ伝わって来る視覚の圧倒的な重量感にぐっと惹かれる。石材の放つ光沢の重々しさも素晴らしかった。いつか世界をまわる折には、実物の雰囲気にも圧倒されてみたいものだ。

[032] Sep 29, 2009

近ごろ書店で、論理力を鍛える類の教本が平積みコーナーに幅を利かせているのをよく見る。覗いてみると、どれもこれもミーシーだのソーホワットだのベイズ推定だの、項目から構成まで似たり寄ったり、飽き飽きするほどありきたりだ。良い本もないではないが、ジャンル自体の流行りすぎで埋没している感がある。▼この手の技術は決して嫌いではないし、有用でないと言うつもりもないが、どうも難しく考えすぎという気はする。テクニックの体系化が行き過ぎてはいないか。常識的に振る舞っていれば、自然身につくようなことまで形式的にやろうとして、かえって誤解と混乱を招いている。▼そういう複雑に惑わされないためにも、理論に先立って実践を持った方がいい。日々、論理的に語る練習をすることだ。話の後にわかったかどうかそれとなく訊いてみて、相手がわからない顔をしなければ良し。そんなざっくりとした訓練でも、論理力の醸成には十分貢献するだろう。

[031] Sep 28, 2009

記憶に残るクイズというのは、難易度によらず、答えを聞いた後でもなお思い出すたびに面白いものだ。今まで私が出会った中で、もっとも印象的だった数学のクイズのひとつにこの問題がある。「サイコロを用いて、八人の中から一人の代表者を公平に選出したい。最低何回サイコロを振る必要があるか。」▼残念ながら出典は忘れてしまった。人づてに聞いただけかもしれない。ただ問題そのものには随分悩まされたから、記憶に残っているのだろう。解答がこちらの意表をついていながら、非現実的だったり非実用的だったり、納得のいかないものではないところがまた優れている。▼三回と答えて違うと言われ、確信を持って二回と答え違うと言われ、ひたすら想像力を掻き立てた。問題のシンプルさにしてやられたか、正解に辿りつくまでにかかった時間はかなり長かった。答えは一回である。もちろん、サイコロはふつう想像されるサイコロであり、何ら特殊なものではない。

[030] Sep 27, 2009

「人体の内部感覚というものは、明瞭には局部麻酔によって、逆説的に知り得るのみである。」アルマン・リボーなる医者が言ったらしい。この人物のことは詳しく知らないが、至言であると思った。というのも、たしかにミュートほど印象的で衝撃的な音色はないからだ。▼私はいつもミュートの使い方が上手い曲に感心する。そうして大抵、その部分をいちばん好きになる。巧みに音を消されたその一瞬に、曲全体のイメージがまざまざと浮かんで来る気さえする。一瞬の空白。あるいはゲネラルパウゼ。そこに全旋律の感覚や感動が明瞭に悟られるとすれば、無音は言わば、音楽の局部麻酔だ。▼削る美学、抜き去る美学というものがある。≪なにもないこと≫は、その極致だ。サン=テグジュペリがこんなことを言っていたのを思い出した。「これ以上付け加える物が無くなった時でなく、これ以上取り去る物が無くなった時こそ、作者は信じ得るだろう――これで完璧だ、と。」

[029] Sep 26, 2009

中国に湘君という神様がいる。洞庭湖に南から流入する大河「湘水」の水神だ。もとはかの伝説の皇帝、堯帝の娘であり、後に舜帝の妻となった二人の姉妹である。舜帝が湖南の巡回中に亡くなったことを悲しんで、湘水に身を投げ水神になった。姉は湘君、妹は湘夫人と呼ばれるが、同一視されることも多く、洞庭湖を扱った李白の七絶では、二人をあわせて「湘君」と呼んでいる。▼この話を知ったとき、どうして水神というものはこう悲しい逸話なしには生じないのだろう、と不思議に思った。フーケーのウンディーネも、笑顔より涙の印象がつよく残っている。人の形したる水神の、悲しみにくれてはらはらと零す涙が素足の傍に落ちる様子は、淋しいくらい静かで悲しい。泣いて泣いて、涙と化した水の神もどこかの国の伝説にいた。何故だろう。水辺には悲劇がまつわるものだからか。それとも、世界中の人間が思い浮かべるもっとも詩的な「水」が、涙だからなのだろうか。

[028] Sep 25, 2009

スウィフトは発狂して死んだ。発狂する少し前、梢の先の枯れた樹に自分を重ねて「俺もあの樹のように、頭から参っていくのだ。」と言ったそうだ。芥川はその逸話を聞いて、スウィフトほどの鬼才に生れなかったことを幸福に思った。しかし彼の結末はどうであったか。▼考えすぎは毒だ。頭のいい人間は考えすぎる。考えすぎて毒に中る。そうして頭から腐っていく。しかし人間は、いったい何の必要があって発狂しなければならないのだろう。このような衝動には、何か脳科学的な説明が可能なのだろうか。それとも、単なるバグに過ぎないのだろうか。考えれば考えるほどわからなくなってくる。▼発狂を目的に据えた者さえいた。「私はひとつの新計画を立てています。――狂人となることです。」兄ミハイルに宛てた手紙の中で、十七歳のドストエフスキーはこう書いている。偉大な芸術を成就するには、それしか方法がないとでも言うように――実に不可解な怖ろしさだ。

[027] Sep 24, 2009

楊万里の五絶「感秋」にこういう一節がある。「書冊秋可讀、詩句秋可捜。永夜宜痛飲、曠野宜遠遊。」(書冊秋に読むべく、詩句秋に捜すべし。永夜痛飲に宜しく、曠野遠遊に宜し。)曰く、読書は秋にせよ。「読書の秋」はどうやら近代人の生み出したセールスコピーというわけでもないらしい。▼書店の統計によると、本がもっとも売れる季節は夏である。夏休みがあるからだろう。しかし夏休みを遊び尽くして読まず仕舞いになった本たちは、やはり秋に消化されることになる。過ごしやすい涼しさに自然気力も湧いてきて、不完全燃焼した夏の残りのエネルギーを発散するには格好というわけだ。▼句は「請ふ双行纏を弁ぜよ、何れの処にか一丘無からん。」と結ばれる。どこかに素敵なところがあるはずだから、さあ早く靴を履いて出かけよう――そんな逸る気持ちだ。五絶に言う通り、読書に限らず創作も、酒も旅行もいいだろう。進んで楽しもうとする人に、秋は優しい。

[026] Sep 23, 2009

アンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』が筒井康隆の新訳で出ているらしい。岩波訳と比較してみても面白いかもしれない。そういえば先日戦争描写について触れたとき、後から思いだしたものがあった。「ビアス短篇集」に登場する、チガモーガの戦場で躯の兵士達を率いる少年の姿である。▼ビアスを初めて日本に紹介したのは芥川龍之介。短篇『藪の中』も、このビアスの『月明かりの道』から着想を得たものだとか。彼曰く「短編小説を組み立てさせれば、彼程鋭い技巧家は少い。」鋭いし、上手く纏め上げられている。とにかくシャープな短編を書く人だ。▼ビアスは生涯の主要な時期を南北戦争の激戦地で過ごした。読み手に非日常という感覚を起こさせないほど生々しい、死体あるいは瀕死体の平然とした描写は、そこで磨いた観察眼によるものだろう。くわえて言葉の達人でもあった彼のテキストは、同世代人にはたいそう重宝されたらしい。十九世紀短篇の名手である。

[025] Sep 22, 2009

「Video Games Live in JAPAN」に参加してきた。四年前にロサンゼルスで始まり、以後北米・欧州・アジアと世界中で公演を重ねた有名なゲーム音楽のコンサートだ。日本では今回が初公演となる。評判程度の期待は抱いていったが、それ以上のスケールとクオリティに驚いた。▼ゲスト席には現役の著名なコンポーザー達が席を連ね、自身の得意な楽器による演奏への参加あり、”ゲームの父”ラルフ・ベアとの生中継あり、サプライズ満載の構成だ。近藤浩治の本邦初となるピアノ生演奏には、私も思わず驚いて拍手喝采。作者自身の手による弾むようなマリオの演奏に、会場のボルテージは最高だった。▼司会トミー・タラリコ、指揮ジャック・ウォール、演奏は東京ニューシティ管弦楽団。「ゲーム音楽と映像の祭典」の副題にふさわしいお祭り的な楽しさに、大変満足した。開催ごとに曲目はマイナーチェンジがあるらしい。第二回が開催される折には、迷わず申し込みたい。

[024] Sep 21, 2009

「大部分の子供というものは、玩具の命を見たがる。玩具の寿命を長引かせるか否かは、この欲望が早く襲うか遅く襲うかにかかっている。私には、こうした子供の奇癖をとがめる勇気はない。なにしろこれは子供の最初の形而上学的傾向なのだから。」▼ボードレールはその著「玩具のモラル」でこう述べた。澁澤龍彦はこの一文を「猫と形而上学」の中で引用し、≪猫を見るとつい蹴ってみたくなる≫という自分自身の衝動に説明を与えている。生物虐待の志向とはまったく別種のものだ。▼≪生物のようなもの≫が生物に見えたり、生物が≪生物のようなもの≫に見えたとき、人は命を確かめたくなる。もし猫を蹴ったとき、猫が何の抵抗もせず、うめき声も上げず、まるで空き缶を蹴ったように飛んでいって転がって、そのまま微動だにしなかったとしたら、恐らく蹴った彼は、猫についての認識を根幹から揺るがされるに違いない。それが「形而上学的傾向」ということである。

[023] Sep 20, 2009

ブランデンブルク協奏曲を聴いた。いかにもオーソドックスな管弦の響きは、耳を傾けているだけでも心地いい。六番全部で九十分というまとまりのいい長さも魅力的で、ついつい繰り返してしまう。代表作だけにどこかで聞いたことのある曲も多く、五番の第一楽章冒頭は特に馴染み深い。▼この協奏曲集は、バッハの就職活動の一環であったという説がある。当時バッハはケーテンの宮廷楽長であったが、ケーテン侯の新しい侯妃が音楽嫌いであったために楽団が縮小され、別の勤め先を検討しなければならなくなった。その転職を有利に行うために作曲・献呈したものであるという説だ。どことなく親しみの湧く話である。▼ちなみに曲名の由来は、この協奏曲集がブランデンブルク辺境伯に献呈されたことから。バッハ自身によるものではなく、バッハ研究家のフィリップ・シュピッタが作者没後に命名したものだ。自筆譜にはただ「種々の楽器のための協奏曲」と書かれている。

[022] Sep 19, 2009

「私のニンフェットのために、綴りを考える。まず、もっとも明るく澄んだアルファベットは'L'だ。それに’-ita’はどうだろう、この接尾辞はやさしさに溢れている。どちらも譲れないと思った。そうして『ロリータ』になった」。「Annotated Lolita」に見える記述である。適当に省きつつ、勝手に意訳した。▼必ずしも名誉ある形でないとはいえ、ロリータという単語が今日までほとんど一般名詞として生き長らえている背景には、こういう丹念で執拗な音へのこだわりがあるように思う。ナボコフの文章を音読すると、その音の流れの美しさに驚かされる。▼「文字の音が色に結びついていた」というナボコフはどうやら完全な共感覚を持っていたらしい。自伝に曰く、英語の'a'は「長い風雨に耐えた森のような黒」に、フランス語の'a'は「つややかな黒檀の色」に見えたそうだ。彼の音に対する卓越したセンスには、このような幾分サヴァン的なところもあったのだろう。

[021] Sep 18, 2009

今朝、バッハ全集が届いた。ブリリアントクラシックスのリニューアル版、CD155枚組である。圧巻のボリュームだ。インポート作業だけで午後をまるまる使っている。今日中に全て終えるのは無理そうだ。ドライブが擦り切れないか心配で、演奏を聴きながら休み休みの作業になる。▼この全集、値段こそ安いが粗悪版や海賊版というわけではなく、演奏・録音のクオリティは申し分ない。バッハファン垂涎の代物だ。また、日本語版と英語版が販売されており、英語版はぐっと値段が安くなる。ただし曲名や作品解説は当然全て英語だ。注意して財布と天秤にかけたい。▼ちなみに私は英語版を購入。全作品解説付の「バッハ事典」があれば、付属の解説がないくらいどうということはない。今日は早速ハープシコード協奏曲を聴いている。ずらりと並んだ曲目を眺めてわくわくしたり、オリジナルプレイリストを拵えてみたり、楽しみは尽きない。久しぶりにいい買い物をした。

[020] Sep 17, 2009

ジョルジュ・バタイユの話が出た。彼の思想自体に深入りしたことはないが、バタイユという名前と共に、いまでも強烈に印象に残っている記憶は、彼の著作に引用されていたエルンスト・ユンガーの戦争描写である。書棚の「呪われた部分、有用性の限界」を読み直すと、第六章に見つかった。▼引用は一切しない。その描写のリアリティは、出し抜けに紹介するにはあまりにも苛烈だ。「ユンガーほど、戦場とその恐怖を過酷なまでに描き出した作家はいないだろう。」とバタイユは言う。興味のある人は、ちくま学芸文庫の上述の著書、第六章「戦争」を開いて欲しい。▼人間は光るのだ、緑色に光るのだ、という固定した観念が私の頭に根付いて離れなくなったのは、間違いなくこの「戦争描写」を読んでからのことだ。人が抱える悩ましい強迫観念の多くは、このようなさりげない知的経験が元になっていることが多いように思う。読書も決して、精神的にノーリスクではない。

[019] Sep 16, 2009

某所に頼まれてロゴを作っている。ほとんどレタリングに近い、たいした規模のものではないが、久しぶりのデザイン仕事で腕がなまっていないか心配だった。案の定フォトショップの操作の記憶が怪しい。それでも提出した初案は好評で、ほっとした。▼「一流のデザイナーなら「Helvetica」だけでもクライアントを唸らせるようなデザインをいくつも作ることができる。」デザイン系の雑誌で、誰かがこんなことを言っていた。言うは易しだが、何より感動したのは、そこに言葉通り「Helvetica」のみで作ったデザインがいくつも並べられていて、それらが本当に格好よかったことだ。弘法筆を選ばずを見事に体現していた。デザイン観が変わった瞬間だった。▼この言葉はいつも肝に銘じている。シンプルなフォントほど変形・配置・効果などの工夫が施しやすい。フォント頼みをしないでいると、そういうことをより真剣に考えるようになる。センスを磨くことになるわけだ。

[018] Sep 15, 2009

パスポートの期限が切れてしまった矢先に合宿で海外へ行くことになり、なんとも間の悪い話と思いながら、取得申請に日本大通りまで行った。産業貿易センターは山下公園のすぐ近くだ。せっかくなので帰り道、ついでに海沿いをぶらぶらした。そこそこ涼しい晴れの散歩日和、秋の湊である。▼ところで「港」と「湊」にはちょっとした意味の違いがある。「港」は船舶が停留するための場所や施設だ。一方「湊」は訓読みで「あつまる」と読み、単に人の集まる水辺を指している。船着場もないような場所で、沖合の舟と陸とが艀伝いに物や言葉を交わす、そんな古い時代を彷彿とさせる言葉である。▼水の門と書いて「みなと」。いずれにしても、水あるところにみなとありだ。たまにああ海風に吹かれて来ると、やっぱり横浜も水の街だなとつくづく思う。横浜が港として栄えたのは、立ち寄る船舶のためにいつも上等な水を用意していたことが海上で評判になったからだった。

[017] Sep 14, 2009

九月七日の東京新聞夕刊に、久生十蘭にまつわるコラムが載っている、その切り抜きを受け取った。文学における改稿をどう考えるかというテーマである。確かに久生十蘭には、作品を発表するたび題名も人物名も、設定さえ変わってしまうほど、原稿に何度も手を入れる悪癖があったらしい。▼現在国書刊行会から刊行されている定本全集は、全て最終稿を採用している。一方こちらも最近出版されたばかりの、岩波文庫の『久生十蘭短篇選』では初稿を読むことができる。どちらがベスト版かは人によるだろうが、両方残っていることは研究者にしてみればありがたいことだろう。▼久生十蘭は確かに良い作家だ、現役作家にファンが多いのも頷ける。貸した友人にはいまいち受けなかったが、類を見ない独特の世界を感じる。しかしコラムの最後に「修辞と衒学趣味に満ちたコスモポリタンの文学世界」と、なんだかそれこそ修辞と衒学趣味に満ちた襷が。そこまで大仰なものかね。

[016] Sep 13, 2009

「反復とは差異を反復することで、差異とは反復される差異なんです。」この文章の意味こそよくわからないが、音楽におけるフレーズや展開は、反復されることで差異が映えるし、聞かせたい差異は反復されるべきだ。ジル・ドゥルーズに倣って「差異と反復」を意識しながら物を考えると面白い。▼「ゴシック式教会は一種の結晶作用と言われた。そしてそれは正しい。紀元一三〇〇年頃に、建築術はこのときまでそれがもっていたいきいきした移り気、多様さのすべてを犠牲にして、ただ無限に反復することを始めたため、スピッツベルゲンの単調な結氷と競争を始めることになってしまった。」▼ミシュレはこう言った。しかし単純反復の美もある。たとえばケルン大聖堂を見ると、アスペクト比を横に潰したような流線型の集積に圧倒される。いかにも自然発生的な結晶美だ。多様が常に造形美とは限らない。ちなみにゴシック教会を結晶に喩えたのはシャトーブリアンである。

[015] Sep 12, 2009

記憶、学習、思考、知覚、感情――これらの脳の機能にすべて説明がついたとき、そこにまだ何か残っているものがあるか? そこで取りこぼしたものは意識なのか、クオリアなのか。あるいはそんなものは存在せず、意識は幻に過ぎないのか? いわゆるハード・プロブレムである。▼ある実験によると、自由意思の有無を問われた学生の多くは「存在しない」という結論に達するらしい。ところがそういう学生も、授業が終わればたちまち自由意思があるかのように振る舞う、そう振る舞うことを捨てきれない。理論と態度に明らかな矛盾を生じる問題だ。本当に不思議なことだと思う。▼「意識は人間の肉体や、その機能そのものである。」今はそう言っておかなければ、ニューラルネットワークによる脳機能の再現などやっていられない。しかしどう信じているかと問い詰められれば別だ。自由意思も然り、そう簡単に決められる問題ではない。だから「ハード・プロブレム」だ。

[014] Sep 11, 2009

三つの扉のどこかに隠された「当たり」を引くという単純なゲームを考える。こちらが扉を選んだ後、答えを知る者(司会者)がハズレのドアをひとつだけ開いて見せる。さあ、あなたは扉を変えるべきかどうか――? 答えは、変えるべき。モンティホール・ジレンマと呼ばれる、いわくつきのジレンマだ。▼この問題、数学のセンスの有無に関わらず悩む人は大いに悩む、悩まない人はたいしてジレンマとも思わないようだ。昔、この問題について仲間うちで話したとき、「僕にはどうにも理解できない」とある友人の言ったことが強く印象に残っている。数学には滅法強い男だった。▼私は悩んだあとで自己解決したパターン。特に気に入っている、もっとも納得の行く思考実験は、扉を百個に増やしてみることだ。自分がひとつを選択したあと、司会者が次々と扉を開けて行く。いつまで経っても手を触れようとしないドアがひとつ。明らかにそれが「当たり」ではないだろうか?

[013] Sep 10, 2009

『ザ・ゴール2』を読んでがっかりした。つまらなかったわけではない。メインテーマの「思考プロセス」はきわめて実用的だ。しかし小説としての魅力をほとんど犠牲にしてしまっているため、ふつうにビジネス実用書を読んでいるのと変わらない思いがした。それが残念だった。▼「何を変えるか、何に変えるか、どのように変えるか。」TOCの実践は、制約条件を見つけ出すことからはじまるが、このとき、相対する現実の中に夥しい症状を発見してしまうと、人は何から手をつけていいかわからなくなる。症状にまどわされず、解決すべき問題(制約条件)を先に見つけ出すことが肝要だ。▼「問題」と「症状」は混同しやすいが、正確に区別しなければならない。症状は表面的な現象に過ぎず、通常より少ないいくつかのコア原因に根ざしているものだ。遡って真の「問題」に達するためには、それぞれの症状が何に起因するのか、構造として可視化してみなければならない。

[012] Sep 09, 2009

ディスプレイの左右、テーブル下の収納庫、部屋の本棚、リビングの書架、ピアノの上。うちには至るところに辞書が転がっている。よくまあこんなにあるものだと思う。学生時代、辞書・辞典と名のつくものを蒐集する趣味があった。その名残だ。いまでも思い立ったとき適当なぺージをめくってみて読むことがある。▼O・ヘンリーは若い頃、どこへ行くにも必ずウェブスターの辞書を片手に携えて、暇さえあれば読み込んでいたらしい。当時の批評家さえ驚嘆させたという彼の絢爛多彩な英語の語彙は、そのときの辞書趣味によって培われたとも言われている。もっとも彼にしてみれば、ただ好きだから読んでいたというだけのことだろう。語彙醸成の手段として辞書を読むのは、あまり効率がよくない。偏愛ありきの遊びである。▼ところで私がいちばんよく読んだ辞書はどれだろう。そう思って見まわすと、書架にあった。オックスフォードの現代英英辞典。間違いなくこれだ。

[011] Sep 08, 2009

「スカース」という語り口がある。≪しゃべるような一人称の語り≫を意味するロシア語で、主語を一人称にして時折呼びかけるような二人称を挟みながら、おしゃべりのような形で展開していく文章を言う。全編がスカースで書かれた小説として、アントニイ・バージェスの『時計じかけのオレンジ』が印象深い。▼語源こそロシア語だが、技法の中心的な発展地はアメリカである。イギリス・ヨーロッパの伝統文学に対抗するための表現手段として、彼らの気質に都合がよかったということだろう。アメリカ文学に会話体の小説が多いひとつの所以だ。▼またスカースは文章技法であって、お喋りをそのまま活字に起こしたものではない。会話をそのまま録音したものは大抵文章として破綻している。似非スカースほど見苦しい文章はない。読んでいるというよりは聞いている気分になるような耳の文章、これもまた文章である以上、やはり作家の丹念な計算と推敲の賜物なのである。

[010] Sep 07, 2009

某大手車メーカーN社のマネージャーが、オムニバス形式の授業で開口一番こう言った。「『ザ・ゴール』を読んだことのないビジネスパースンは皆もぐりです。」随分なことを言うと思った。帰りに生協書店のビジネス書籍コーナーで見つけたが、あまりに分厚くて躊躇した。結局、棚に戻してしまった。▼それから三年経ってようやく『ザ・ゴール』を読んだ。予想以上に出来のいい本だった。小説を小説と思って読んでいるうちに自然と制約条件の理論(TOC)が頭に入って来る。これまで紙の上で勉強する機会は何度かあったが、これほど明瞭に理論の全体像が掴めたことはなかった。▼そもそもTOC自体が面白い。この理論が人を惹きつけるのは、ただ工場の生産性向上に役立つというだけではなく、問題解決の汎用的なフレームワークとして容易に応用可能だからだろう。このやり方ならどんな厄介事にも対処していけるのではないかと思えてしまう。そこが素晴らしい。

[009] Sep 06, 2009

コクヨの標準的なノートを思い浮かべる。私が好んで使うのは罫線幅が6ミリのBタイプだが、AでもCでもいい。もちろん、コクヨでなくてもいい。さてここで、そのノートに罫線幅の半分の長さに折ったシャープペンシルの芯を無造作に落とすとする。芯が罫線の上にかかる確率はどれくらいか。▼帰り道、眠い頭でこんなことを考えて、赤信号を渡りかけた。以前どこかで聞きかじったものを曖昧に復元した問題である。確率の文章題は、簡単に作ったり覚えていたり既存の物を改造したりできる上、ちょっと条件を変えればたちまち難易度も変わるし、頭で遊ぶ暇つぶしの数学には最適だ。答えを知っていても気にせず楽しめるところもいい。▼単純な計算問題は脳を活性化させるという。いくつかストックを持っておいて、定期的に考えてみるのも悪くないだろう。ちなみにこの問題、実は見た目ほど難しくはない。早ければ五分で正解に辿りつく。答えは1/πになるはずだ。

[008] Sep 05, 2009

ここ数日、毎日のようにレッドブルを飲んでいる。家でも飲むし、研究室では後輩が大量のショート缶を差し入れしてくれたこともあって困らない。手頃な栄養剤感覚だが本音は単に美味しいからである。カフェインを多量に含むため飲みすぎると死ぬという噂が流れたこともあるが、レッドブルのカフェイン含有量は実は緑茶とさほど変わらない。眠気が飛ぶのも価格の微妙な高級感によるプラシーボ効果と、神経系の活動を促進するナイアシンの働きが強そうだ。▼ところでレッドブルの缶が細い理由に諸説ある。もともとリポビタンDを意識した瓶のデザインだったから、クラブの棚にシャープなデザインが似合ったから、等々。私は今のところ、新規参入時に競合大手が小売店の棚を独占して他社製品を締め出そうとする圧力をかわすため、それらの商品とは別の、あるいはその脇に余った狭いスペースでも置けるようにしたかったからという説を信じているが、果たしてどうか。

[007] Sep 04, 2009

面接は運だ、面接官との相性だと、就職活動の巷にはいつでもそんなぼやきが聞こえてくる。一方、採る方も採る方で頭が痛い。厳密な審査を通った有望株が、蓋を開けてみればからきし使えないなどという話はままある。遠い昔、組織というものが出来て以来延々と続いて来たはずのこの仕事に、何故いまだに有用な固定した方法論がないか。▼その理由のひとつは、採用というものが実はひとつのプロセスではなく、目的が異なる三つの業務から成り立っていることにある。三つとは即ち「候補者を評価すること」「候補者に与える報酬と役職を売り込むこと」「候補者の適性について事前に社内の合意を得ること」である。▼時に相反することもあるこれらの要素を調整するのが採用だ。三つ以上の要素が絡めば、個々の要素が単純なものでも定式化は難しい。そのうえここでは要素の全てが、時と場合と状況に応じる複雑な関数なのだ。定性的に記述するのさえ難しい所以である。

[006] Sep 03, 2009

「春、王の正月戊辰、朔、宋に隕石あり、五つ。是月、六鷁退飛して宋の都を過ぐ。」古い文章技法のひとつに「五石六鷁」がある。雑誌名は忘れてしまったが、以前岩波の雑誌エッセイでこれに関する解説が載っていた。▼「なぜ、まず隕といい、次に石というか。隕石とは記聞である。まず何かが隕ちた音が聞こえる。次に調べてみて石と知る。次に数えてみると五つである。だから、隕石……五つという文になる。」「なぜまず六といい、次に鷁というか。六鷁退飛とは記見である。まず何かが飛んでいるのが見える。六つである。よくみると鷁である。なおもよく見ると後方へ飛び去ってゆく。だから六鷁退飛……という文になる。」▼つまりは現実の経験に即して言葉の前後を整える、その整え方の技法である。このような語り口は、人間の認識のプロセスを正しくなぞっているために、しぜん読み手により鮮明なイメージを与え、描かれている場面の臨場感を向上させるのだ。

[005] Sep 02, 2009

「魔法の名による非難は民衆の無知に比例して危険なものとなる。そのとき、一市民は常に危険にさらされる。この世で最善の身の処し方、この上なく清らかなモラル、あらゆる義務の実行もこの犯罪の疑惑にたいする保証にならないからである。」▼近頃、政権交代をめぐってにわかに政治まわりがざわつき始めている。特別疎くもないし興味もないが、ご意見板で売国奴だ国賊だと過激なレッテル語を見ていたら、何となく上の「法の精神」の一節を思い出した。魔法の二文字を適宜読み換えてみたい。▼遠い魔女狩りの時代、美しい貴婦人は女たちに、商売で富を得たものは同業者たちに、成功者は非成功者たちに、常にこう指さされた。「魔女だ。」そうして人の際限のない妬みの中、正しく清らかなものから順に消えていったのだ。▼発言の自由度と文化の健全性にたいした相関はない。情報が一見氾濫しているように見えるこの現代、果たして民衆の無知はどの程度のものか。

[004] Sep 01, 2009

曲を作っている最中に、こんなことを発見した。「メロディの特定の箇所で八度を上に重ねると、期待感や切なさや張りつめた雰囲気をぐっと増すことができる。」面白いと思って人に話してみたところ、そのやり方はロマン派の典型的技法とのこと。なんだかほっとしたりがっかりしたりした。▼しかしこの八度、やたらと添えればいいというものでもない。どこに重ねるべきか、場所を選ぶ。ピアノで、頭の中で、様々な既知の旋律に試してみたところ、どうやら≪下降を予感させる上昇音形のどこかから≫、特に≪最も下降を予感させる一音≫から八度を重ね始めるといいらしい。▼上手くいけば聞くたびに、ぐっと拳に力が入るような素敵なフレーズが出来上がる。不思議なものでこの高音、そこで入るということを事前に知っていればいるほど、いっそう期待で力が入るのだ。もしかするとやがて来る下降音形のアウフタクトになっているのではないか。ふと、そんな気がした。

[003] Aug 31, 2009

ある晴れたアメリカの夕方、外遊びの日和。家の前で待つお母さんのところへ、子供がとことこ帰ってきた。「どこへ行ってたの」「そと(Out.)」「何をしていたの」「なにも(Nothing.)」▼鈴木大拙はこの会話のうちに禅を見た。飛んだり跳ねたり走ったり、めいっぱい運動をして汗をかいて、お腹が空いたら帰ってくるということは、子供にとってはなんの大変なことでもない”Nothing.”なのだ。これこそ「無」の極意である、と彼は言う。近代日本最大の仏教学者の慧眼だ。ひたすら得難い「無」の意は案外、本当にこんなところなのかもしれない。▼たてはなに「二つ真」という、一つの器にシン(真)を二本たてる形式がある。水際からすらりと伸びた二株のシン、しかしこのたてはなで真に見るべきは、左右二株の間にある「無形のシン」であるという。そこに空虚があることで全体の調和が保たれるのだ。無とはまさしくあってないもの、なくてあるものなのである。

[002] Aug 30, 2009

エレベーター・ブリーフィングという訓練法がある。大切な取引の進捗や社内の重要な事件や、その日一日の出来事について、エレベーターでの移動中に全てを報告させるやり方だ。使える時間は長くても数十秒しかない。要約の技術が自然と身についてくる。▼言いたい事を相手に伝えるとき、目的を達するための三原則は、「単純・反復・具体的」である。反復はたやすい。人は最低六回同じ話を聞かなければ、相手の言うことを心底理解できないという。具体的とは聞き手が想像しやすい具体物に即して話すことだ。それでは単純とは何か。▼率直に、そして手短に述べることだ。つまり、要約である。要約は技術であって、日々の心がけと訓練抜きには難しい。とっさの応答が単純明晰でない人の話はどんな話も複雑だ。私は人からなにか説明を求められたとき、いつもマルブランシュ神父の教えを反芻することにしている。「大切なことは全て、最初の句点までに話しなさい。」

[001] Aug 29, 2009

ルネ・マグリットの「回帰」を写真で見た。夜の中を行く昼の鳥というモチーフである。そう聞いて想像していたようなコントラストは、しかしどこにも無かった。重く甘ったるい、意図的に陰影を避けたようなのっぺりした昼夜の空に、ただ不気味な鳥の輪郭が浮かんでいる。そう見える。▼この画家にとって、昼と夜という現象はもっとも関心のある現象であった。もっとも関心のある現象をしてこういう表現を選んだところに、私はいよいよ画家の暗い側面を覗き見る思いがする。描きたいと思いながら、あまりにそっけない仕上がりになったこれは、希望を託そうとして明るくなりそこなった絵だ。▼「マグリットの描く空は世界の終わりの日の空ではないか」と澁澤龍彦は言った。この絵の画面を隈なく満たしている崩壊の予感は、あるいはそういうことかもしれない。間もなく終末がやってくる。群青の星空を舞う昼の鳥。どこへ急ぐか知らないが、きっとどこにも帰れまい。


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