「功芳の『指環』」公演パンフより   倭匠列伝
 

宇野功芳

Koho Uno

(1930-  )


略 歴

 宇野功芳は1930年5月9日、東京生まれ、本名は功(いさお)。父は漫談家・牧野周一。
 旧制府立四中から戸山高校を経て国立音大で声楽を専攻、また、斎藤秀雄指揮教室に学ぶ。
 1953年から評論活動を開始、「宇野節」と言われる独特の語彙・文体で知られ、多数の信奉者を擁して、著書多数。現在、『レコード芸術』誌で交響曲部門の月評を担当している。
 そのかたわら、長年、女声合唱団の指導に当たっており、KTU女声合唱団の主宰、日本女声合唱団等とのリサイタル・録音等の活動を行ってきた。
 1981年からは、日本大学管弦楽団等、オーケストラの指揮も開始。1988年から1997年にかけて、10回の「オーケストラ・リサイタル」(管弦楽:新星日本交響楽団)を開催し、話題となった。最近では、アンサンブルSAKURAと共演を重ねている。


 

指揮者・宇野功芳

 

出会い

 指揮者・宇野功芳との出会いは、まず合唱曲から始まった。
 
 斉諧生が東京で学生生活を送っていた昭和56(1981)年度に、東京都文京区立水道端図書館が、「宇野功芳とともに愛聴盤を聴く」と題したレコードコンサートを6回にわたって開催した。

 そもそも斉諧生が初めて自分の小遣いでレコード(当時はLPのみ)を買ったのは、昭和55(1980)年の正月、イェフディ・メニューイン(Vn) ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(指揮) フィルハーモニア管ベートーヴェン;Vn協(EMI)だったと記憶している。

 以来、音盤道に踏み込むことになったわけだが、当時はお決まりの金欠学生で(今だって貧書生だが)、月に5枚も買えば次の仕送りまで赤貧生活という状況で、あれこれ聴こうと思えば公共図書館に頼るほかなかった。あちこちの図書館から、毎日のように借出と返却を続けているので、いつも大きな鞄に十数枚のLPを入れて持ち歩いていたような気がする。
 そうやって図書館に通いつめていたおかげで、上記のレコードコンサートのポスターか何かを見つけ、下宿や大学からは少し遠い場所ではあるが、6回にわたって傍聴することになったのである。

 全回の曲目を別に掲げるが、宇野ファンにはお馴染みの録音が並んでいる。→レコードコンサート曲目一覧)
 ここで、例えばモンテヴェルディ;聖母マリアの夕べの祈りトマジ;12のコルシカの歌などの愛惜する名曲の数々、クナッパーツブッシュハインツ・レーグナー等の名演奏家たちと出会うことになった。
 斉諧生にとって、評論家・宇野功芳に私淑する最大の契機の一つだったといえるだろう。

 

お薦め盤(1) 「雪の日に」

 その機会に、宇野功芳の指揮による合唱曲の録音を聴くことができた。
 とりわけ衝撃を受けたのが、高田三郎;「雪の日に」(第2回)と小倉朗(編);「ほたるこい」(第5回)。
 小倉作品において、極端に遅いテンポで歌われる「ほ、ほ、ほたるこい」が、あたかも闇夜に浮かぶ螢火を思わせ、そのファンタジーの深さに驚愕した記憶は、今なおありありと甦る。現在、手元にある音盤には収録されておらず、聴き返すことができないのが誠に残念である。
 
 一方、「雪の日に」は繰り返し録音されており、組曲『心の四季』としての全曲録音もある(CANYON、PCCL00223)。素晴らしい曲集なので、それも聴いていただきたいのだが、「雪の日に」の演奏だけをとれば、『宇野功芳 幻のコンサート』(アート・ユニオン、ART-3001)に収められたものが最高ではないか。

「雪は汚れぬものとして空の高みに生まれたのだ」「どこに純白な心などあろう どこに汚れぬ雪などあろう」「純白を花びらのようにかさねていって あとからあとからかさねていって 雪の汚れをかくすのだ」
…絶唱の詩(吉野弘)、音楽、そして演奏。

 この盤には「小さい秋みつけた」「花」「ゴンドラの歌」等のポピュラーな曲が、日本女声合唱団の美しい歌唱とオーディオファイル級の素晴らしい録音(合唱団員一人一人の口が分離しそうなくらい!)で収められており、ぜひ、愛聴盤に加えていただきたいものである。

 

お薦め盤(2) 「時無草」

 続篇『宇野功芳 幻のコンサートふたたび』(アート・ユニオン、ART-3012)も、磯部俶の名品「時無草」等が素晴らしく、併せてお薦めしたい。
 誠に宇野氏は、まず合唱指揮者として聴かれるべきである。オーケストラを振るときの不自然なほどのテンポ変動やアゴーギグは、ほぼ影を潜め、一曲一曲を慈しみ、愛おしみながら、合唱を美しく歌わせる。そして、ここぞというところでは、指揮者も合唱団も身を捧げるような感情移入を見せるのである。

「げに一刻も」(「花」)と歌うとき、「時無草はあわれ深ければ」(「時無草」)と歌うとき、心うたれぬ人があろうか? 「あわれ」の「あ」の音色の、哀切きわまりないこと!

 

お薦め盤(3) 「水のいのち」

 そうした特長が発揮された名演が、高田三郎『水のいのち』全曲盤(FONTEC、EFCD3020)である。
 雨から川へ、川から海へ、空へと輪廻する水に寄せて、人間の悲しみや祈りを歌った、戦後日本の合唱曲の中で屈指の名曲である。一般のクラシック・ファンが畑違いとして聴かないのは、本当に惜しい。ライヴ録音のため、多少の傷はあるが、ぜひ親しんでいただきたい。

 『幻のコンサート』が昭和59(1984)年、『幻のコンサートふたたび』が平成元(1989)年、また『水のいのち』が昭和62(1987)年。
 この数年間が、指揮者の緊張感・前2者で共演した日本女声合唱団の力量等、それぞれの要素が時を得て、もっとも実り豊かな時期だったのではなかろうか。

 

オーケストラ・リサイタルを聴きに行く

 さて、1988年から新星日響を振ったオーケストラ・リサイタルの実況盤が次々と発売され始めた。
 ベートーヴェン「英雄」「運命」は、テンポが遅いのはともかく、リズムが重く、実にもたれる演奏だ。細部の工夫等に見るべきものも無くはないが、繰り返し聴くことに耐え得るものではなかろう。
 回を重ねるにしたがって、流れはだんだん良くなり、「第九」の第3・4楽章や第2番の全曲等は、オーソドックスな中にずっしりした響きを求めた立派な音楽になっている。しかし、そうなると、彫琢の行き届かない響きや合奏の乱れが耳につきはじめ、やはりお薦めしにくいといわざるを得ない。

 

お薦め盤(4) ブルックナー;交響曲第8番

 そう思っていたところ、第5回のリサイタル(1992年4月)にブルックナー;交響曲第8番を演奏するというので、ほとんど怖いもの見たさ半分で、京都からサントリー・ホールへ出かけた。
 このときの実況録音もCD化されているが、恣意的なベートーヴェンとはうってかわって、安心してブルックナーの音楽に身を浸らせていることができる、素直な好演であった。
 
 第1楽章369小節以降の巨大さ、第2楽章トリオ第2部の弦合奏のたおやかさ、第3楽章冒頭の低弦のオルガン的な響きは、素晴らしい。
 中でも、第3楽章のクライマックス、シンバルが2回鳴る間の思い切った減速と、その直後の弦合奏の痛切な響き! ここは実演でも楽員がダウンボウを繰り返す大きな身振りが印象的だった。
 第4楽章でも尻上がりに巨大さを獲得し、リタルダンドして突入する練習番号「Y」の部分、479小節・685小節のエネルギーのこもったリテヌート、691小節からリズムを打ち出すティンパニの最強打、そして終結での猛烈な、魂をかけたようなリテヌート。
 ブルックナーが好きで好きでたまらない人が、やりたいことをやり尽くした演奏である。
 
 実演ではホルンのミス等も散見されたが、CD(CANYON、PCCL-00162)ではゲネプロ時のものと編集されており、ほぼ安定した演奏を楽しむことができる。
 なお、ノヴァーク版を用いているが、第2楽章で69〜88小節のチェロと89・90小節の第2ヴァイオリンをピツィカートにしているのは改訂版の援用だろう。

 この演奏について、「過去の名指揮者の表現のつぎはぎ」という批判を耳にすることがある。そういう評価の方が一般的かもしれない(汗)。
 
 もちろん宇野功芳の指揮にはそのような面もあり、例えばモーツァルト;交響曲第40番など、ワルター(指揮) ウィーン・フィルの1952年ライヴ盤そっくりで、客席で鼻白む思いがしたものだ。
 しかしながら、ブルックナーに関しては、そうした抵抗感がない。この作曲家の愛好者にとって、求める音楽は、ある意味、一つである。その「ブルックナーの正しいスタイル」(あえて「正しい」という語を用いる)を追求するならば、指揮者が誰であろうと、同じ表現が採用されるのも、当然ではなかろうか。
 
(注:こういう考え方自体が、評論家・宇野功芳によって育まれたブルックナー観である。今のところ、斉諧生は、まだ、その枠組みの中でブルックナーを聴いている。)

 ブルックナーには交響曲第4番の録音もあるが(アート・ユニオン、ART-3009)、ちょっと「仕掛け」が多すぎて、一般にはお薦めしにくい。第4楽章229〜236小節での第1ヴァイオリンのピツィカート最強奏など、面白いことは無類だが。

 

お薦め盤(5) 「ニーベルングの指環」

 これに味を占めて、第6回から第10回までは、仕事をやりくりして休暇を取って、毎回、馳せ参じることになった。
 
 中でも随一の名演は、第7回のワーグナー;「ニーベルングの指環」ハイライトだ。  この日の前半のモーツァルト:交響曲第40番は、第1楽章でのルフトパウゼなど、ほとんどブルーノ・ワルターのコピーのような演奏だったが、休憩後の曲目は、ひょっとしたらプロの指揮者が裸足で逃げ出すのではないかと思える、それはそれは立派なワーグナーであった。
 悠然たるテンポの上で、一つ一つの楽器がしっかりと鳴りきり、ワーグナー演奏で最も大事な音のエネルギーが十二分に放出されているのである。クナッパーツブッシュを髣髴とさせるといっても過言ではない(「ワルキューレの騎行」のテンポ!)。クナのワーグナーが好きな人には、一度、騙されたと思って聴いてみていただきたい。
 笑い話のネタにと聴きに来ていた筆者の友人も、このワーグナーだけは感心していたほどだ。
 CD(FIREBIRD、KICC115)では各楽器がピックアップされ、特に低弦がくっきり響き、実演での印象とは少々異なるものの、それだけにますますスケールを増している。

合唱の音盤と異なり、オーケストラのライヴ録音では、マイク・セッティング等、録音技術上の問題点を感じることが多い。準備のための時間(=経費)が十分にかけられていなかったのではないか、と想像しているのだが、どうだろうか(もし邪推であれば、関係者への失礼をお許しいただきたい)。

 

最近の演奏について

 平成9(1997)年を最後にオーケストラ・リサイタルが行われなくなり、その後は日本大学管弦楽団OBを中核とするアンサンブルSAKURAとの共演が継続している。
 この団体は、非常に熱心な人々の集まりのようで、ステージでの熱演ぶりには感心した(平成12(2000)年7月9日、大阪・いずみホール)。とはいえ、残念ながら、斉諧生にとっては鑑賞に堪える技術レベルに達しておられないと申し上げざるをえない。
 アマチュア・オーケストラに対する非礼はお許しいただきたいが、繰り返し鑑賞するCDとして評価できるものではないだろう。
 もちろん、許容できるレベルの度合いには、人によって差があろう。この団体の音盤を愛聴される向きも、いらっしゃることだろう。宇野氏自身も、「技術は最低限度のレベルをクリアさえしておれば、あとは心の問題だ」という趣旨のことを繰り返し書いてこられたから、アンサンブルSAKURAのレベルは許容範囲と見ておられるに違いない。

 斉諧生は、カザルス(指揮) マールボロ音楽祭管のように、必ずしもメカニカルに高い水準にはない演奏者に、高い評価を与えることを躊躇うものではない。
また、ある種のスポーツのように高い技術そのものが感動を呼ぶ場合があることも認めるが、それだけを追い求めるものでもない。
 しかし、ここで強調したいのは、「技術が高くないと実現できない表現があり、その表現によってはじめて受ける感動もある」ということだ(常に、というわけではない。為念)。
 斉諧生は、例えばペレーニのチェロ演奏に、それを聴くことがある。

 合唱については、最近、アンサンブル・フィオレッティを指揮して、戦前・戦中の流行歌・国民歌謡を録音している。
 こうした「懐メロ」路線は、親子ほど違う世代の斉諧生にとっては(実は父親が宇野氏と同年生れ)、ちょっと共感しきれない。
 もちろん、例えば「椰子の実」など五十年六十年を経て愛唱に堪える名曲がないわけではないが、『日本抒情名歌名作選』(MUSIKLEBEN)あたりに収められた曲の多くは、聴いていて辛いものがある。指揮者の表現も、やや恣意的なデフォルメに傾いているように感じられる。

 

 

終わりに…

 なお、評論家としての宇野功芳については、別途、詳述することを計画している。
 斉諧生がクラシック音楽を聴きはじめて二十数年、ずっと愛読してきた思い入れもあれば、最近の言説への疑問もある。なまなかな讃美も批判も躊躇われるので、後日に譲らせていただきたい。

 


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