森話社の最新刊

戦後映画の生き残り戦略
再生へのプロセスとは

戦後映画の生き残り戦略
谷川建司[著]

1971年の日活ロマンポルノへの路線転換と大映倒産により、従来の大手映画会社によるスタジオ・システムが崩れた。
その後、異業種からの参入などによって映画界が再び活性化し、映像コンテンツ産業として新たに定義されるまでの道のりを、製作・興行・経営・宣伝などの観点から考察した、産業としての戦後映画史。




いびつな「書の美」
さらに広がる書芸術の世界

いびつな「書の美」
林淳[著]

近代書の二大潮流である「革新派」と「伝統派」。
注目を浴び手厚い研究がされる「革新派」の一方で、等閑視されつづける「伝統派」。このいびつな構造の背景には、近代以降の日本で評価されてきた「書の美」の偏りがある──。
本書では、伝統と革新という、書の持つ両端の芸術性を同時に描き出し、近現代の日本書道史をより広い視野から俯瞰するとともに、見過ごされてきた「伝統派」の実像に迫り、「書の美」の新しい地盤を開拓する。




語りかける柳田國男
表現として読む柳田國男

語りかける柳田國男
宮崎靖士[著]

柳田國男のテキストを表現や構成の特徴から検討し、時代状況を背景にした読み手や現実へのはたらきかけを明らかにする。
著作内容と時代状況、読み手が関わり合う場として、柳田の論説には何がどのように書かれているのだろうか。





戦時下の演劇
娯楽と国策のはざまで

戦時下の演劇
神山彰[編]

戦時中、国家と庶民とが求めた演劇の共有点と差異とは何だろうか。国策と娯楽の間に見いだされる庶民の欲望、統制・検閲の建前と現実。
本書では、広いジャンルで「国策劇」が作られ、移動演劇や慰問公演が行われた国内の状況、そこから排除されたもの、さらに外地や軍隊・収容所での演劇など、これまで語られること少なく、あるいは個別的に語られてきた「戦時下の演劇」を包括的・横断的に検討する。





映画人が語る 日本映画史の舞台裏[構造変革編]
日本映画のサバイバル物語

映画人が語る 日本映画史の舞台裏[構造変革編]
谷川建司[編]

1960年代からのテレビの普及とともに日本映画の興行収入が落ち込み、従来の大手5社体制とスタジオシムテムが崩れはじめた。
それまでの黄金期からの急激な変化に、映画人たちはどのように対応しながら今日まで映画界を支えてきたのか。
──プロデューサー、監督、撮影、編集、宣伝、女優、そして映写技師、広告図案制作、アーキビストまで、映画の仕事に携わってきた14名へのインタビューによって、日本映画が直面した構造変革期の実像を浮き彫りにする。





「書」の近代
書が書であるために

「書」の近代
柳田さやか[著]

明治初期に翻訳語としての「美術」が誕生し、西洋的な美術観が導入されると、東洋において一体的な概念であった「書画」は「書」と「絵画」に分離し、書は美術の境界に位置付けられていく──。
その後、近代日本において書はどのように評価されてきたのか。
書道界の動向と理論、博物館、展覧会、出版、教育の諸制度より、書がいかに在ったのかを丹念に検証し、旧態の「美術史」を再編する。





フロンティアをこえて
西部劇を知らずにアメリカは語れない

フロンティアをこえて
川本徹[著]

かつて「アメリカ神話」を形づくってきた古典的な西部劇は、今日ではつくられることは少ない。
しかし現代では、SFやロード・ムーヴィー、アニメーション、ミステリ、さらにダイナソー・ウェスタン、国境をこえるウェスタンなど、テーマや領域、方法が拡大し、多様化している。
現代アメリカ文化の基層を照らし出す新たなウェスタン映画論。





デザイン至上主義の世紀
横浜スカーフとたどる戦後日本

デザイン至上主義の世紀
門田園子[著]

1950-60年代に世界のシェア80%、70年代に国内のシェア90%を占めていた「横浜スカーフ」。
服飾としてのみならず、観光土産やイベント向け、広告・宣伝用、国家や民族を表象した柄など、多種多様な用途とデザインのスカーフが横浜から国内外に渡っていた。
高度経済成長期からバブル崩壊を経て現在に至るまで、かつての日本有数の地場産業が経験した栄枯盛衰を、スカーフ・デザインとともにたどる。




新派映画の系譜学
多様な新派映画の魅力

新派映画の系譜学
上田学・小川佐和子[編]

明治時代に興り、大正から昭和にかけて隆盛した「新派劇」と、そこから題材を得た「新派映画」は、類型的なメロドラマのイメージが強い。
だがそればかりでなく、じつは喜劇や翻案劇など多様な試みを実践しながら、大衆の心性と共鳴し人気を得ていた。
本書では、映画史的には周縁とされてきた新派映画の魅力を、演劇・文学・音楽の観点からも検討し、〈新派〉的な感性の広がりを再発見する。




日本映画とナショナリズムの時代
明治期から占領下まで 日本映画史の断層

日本映画とナショナリズムの時代
岩本憲児[著]

映画の渡来時に残された短いフィルムの断片、日本映画が自立するための試行錯誤、そしてプロレタリア映画運動が弾圧され、次いで戦意高揚のために政府・軍部が主導する映画、さらに占領軍の視線の下での戦後映画──。
ナショナリズムが大きくせり出してくるなかで、時代の大きな波に揺れ続けた日本映画の姿と、その渦中に生きた映画人たちを描く。



デイヴィッド・ホックニー
ホックニー芸術、その平らかな奥行き

デイヴィッド・ホックニー
田中麻帆[著]

ポップアートの時代から現在に至るまで、多様なメディアを駆使し制作する「画家」デイヴィッド・ホックニー。
軽妙洒脱なイメージで知られる一方、作品に漂う奇妙な静謐さ、特異な時間表現は、安直な解釈をすり抜ける未知の領域をはらむ。
本書では、ホックニーが独自の視覚論を提唱しはじめた1980年代に軸を据え、「記憶」「キュビスム」「作品空間と観者」をキーワードにホックニー芸術の多様な側面と豊饒な源泉を探る。その表現の真意に迫る初の研究書。


歌舞伎を読む 念の巻
歌舞伎の名台詞と名詞章を楽しむアンソロジー

歌舞伎を読む 念の巻
大矢芳弘[編著]

*「歌舞伎を読む」は、主に今日上演されている作品を中心に、「物語」のテーマごとに一巻にまとめたアンソロジー。
*原作から台詞と詞章を大胆に抜粋しその場面の状況設定を現代語で補って読みやすくした。
*脚注では、言葉の意味や洒落の説明だけでなく、登場人物の役柄や、役者の芸の見どころ聞きどころも分かるようにていねいに説明。
*「念の巻」は、曾我兄弟から赤穂浪士まで、様々な人生模様を描く仇討ち物を収録。


ローシー・オペラと浅草オペラ
翻訳? 脚色? 改変? 大正期翻訳オペラの想像力

ローシー・オペラと浅草オペラ
中野正昭[著]

《令和4年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞》
大正期のオペラ受容は、翻訳オペラ・オペレッタを中心とする興行化の時代だった。
本格オペラを掲げた外国人ローシー、大衆が熱狂した浅草オペラ、それらのライバルと目された宝塚少女歌劇。
本書では、台本をはじめとする新資料をもとに、大正期の翻訳オペラの実態を、興行・上演の観点から検証する。


アンソロジー・プロレタリア文学D
「文学」の枠組みを超えた名作群

アンソロジー・プロレタリア文学D
楜沢 健[編]

路上で拾った手紙、便所の壁に書き足されていく落書き、職場の壁に張り出された物語、替え歌として増殖していく風刺歌、人工国際語エスペラント混じりの戯曲、「共同製作」と銘打ち作者神話を打ち砕く新聞小説など、「文学」という枠組みを乗り越え生み出された、知られざるプロレタリアの名作群。


舞台の面影
浮世絵から写真へ

舞台の面影
村島彩加[著]

《第44回サントリー学芸賞(芸術・文学部門)受賞》
《第28回AICT演劇評論賞受賞》
人々はいつの時代もスターの面影に憧れ、その姿を追い求めてきた。
本書では歌舞伎役者を描いた江戸の浮世絵版画から、近代の「演劇写真」への変遷を、役者と写真師を中心に、印刷、出版、絵画などの周辺文化の展開とともに多面的に描く。


バロック演劇の詩学
1960年代の演劇革命と〈バロック・ブーム〉

バロック演劇の詩学
藤井康生[著]

近代の終焉と〈バロック〉の関係性を問う根源的演劇論──。
リアリズム演劇はなぜすたれたのか、「詩学」の再検討から迫る。


アニメーション文化論
アニメーションの起源とこれから

アニメーション文化論
康村諒[著]

アニメーションとは、絵やモノに「動き(生命)」を与える芸術である──。
アニメーションをすべての動画映像の起点として映像文化史のなかに位置づけ、その芸術的・産業的意味を問い直す。
長年制作に携わってきた立場から、日本のアニメ産業が抱える問題も提起。実務家と研究者、その両方の知識と経験をもとにしたアニメ論。図版やイラストも多数掲載し、入門書としても最適。

『アニメーション文化論』正誤表



パリ・オペラ座とグランド・オペラ
19世紀のヨーロッパを魅了した「グランド・オペラ」とはなにか

パリ・オペラ座とグランド・オペラ
丸本隆ほか[編]

世界最大の文化都市パリのオペラ座で生み出され、19世紀を通じて人気レパートリーであり続けた「グランド・オペラ」。
壮麗な舞台装置で観客を惹きつけ、イタリアやドイツなどのオペラ文化にも多大な影響を及ぼしたグランド・オペラを、歴史的・社会的背景、主要作曲家と作品、特徴的な要素、他の文化圏における受容などの多様な視点から検討し、その魅力と特質を再発見する。



「地域市民演劇」の現在
アマチュア演劇の多彩なかたち

「地域市民演劇」の現在
日比野啓[編]

昔からある「むら芝居」や「素人歌舞伎」だけではない──。
宝塚のコピー劇団や女子校のミュージカル、学習塾の演劇祭、高齢者による演劇、大阪・釜ヶ崎の住人による紙芝居劇団など、現在のアマチュア演劇の活動は非常に多様化している。
今日各地で活動する、さまざまな劇団や演劇集団の実地調査をもとに、地元に密着した市民演劇の活動、地域社会や行政との関係を明らかにし、芸術と社会の新しい結びつきをさぐる。



歌舞伎を読む 武の巻
歌舞伎の名台詞と名詞章を楽しむアンソロジー

歌舞伎を読む 武の巻
大矢芳弘[編著]

*「歌舞伎を読む」は、主に今日上演されている作品を中心に、「物語」のテーマごとに一巻にまとめたアンソロジー。
*原作から台詞と詞章を大胆に抜粋しその場面の状況設定を現代語で補って読みやすくした。
*脚注では、言葉の意味や洒落の説明だけでなく、登場人物の役柄や、役者の芸の見どころ聞きどころも分かるようにていねいに説明。
*「武の巻」は『平家物語』と『義経記』の世界。敗者を思いやる「判官びいき」を描く



近代演劇の脈拍
舞台をめぐる感性と欲望

近代演劇の脈拍
神山彰[著]

舞台の豊かさは、過去からの多層的な記憶とともにあり、その周辺の気配や時代の色彩、陰翳によって鮮やかに彩られている。
明治期から平成期までの約150年の生動感に溢れた「近代演劇」の芸談や批評、思い出から浮かび上がる各時代の欲望と多面的様相をさぐる。



映画の声を聴かせて
フランス発、魅惑のインタビュー集

映画の声を聴かせて
魚住桜子[著]

パリ在住映画ジャーナリストによる待望の映画インタビュー集。
アンナ・カリーナ、エリック・ロメール、ラウル・クタール、ジュリエット・ビノシュ、アヌーク・エーメ、マノエル・ド・オリヴェイラらが語るそれぞれの映画人生とは。総勢29名のインタビュイーたちが映画について語り尽くした証言集。
ヌーヴェル・ヴァーグから現在まで、時空を縦横に超えて「映画の声」に耳を傾ける。



光学のエスノグラフィ
すべての映画は民族の記録である

光学のエスノグラフィ
金子遊[著]

撮ること、観ること、考えること──。これらの営みの総体として、映画は形成されている。
ロバート・フラハティからジャン・ルーシュへと連なる映像人類学をはじめ、アピチャッポン・ウィーラセタクン、王兵、ツァイ・ミンリャン、エドワード・ヤンといったアジアの映画作家まで、人類学的フィールドワークと映画批評を横断し、映像のなかに個を超えた人類の歴史、習俗、営みを見出す。
サントリー学芸賞受賞作『映像の境域』を発展させた批評の新地平。



ZEAMI 05
世阿弥とその周縁世界へ

ZEAMI 05
松岡心平[編]

能と中世文化を探求する論集。今回は世阿弥作の作品を中心に、興行の政治性、能の起源や身体論など、さまざまな角度から検討を加える。




胸底からの思考
情・無意識・共同体

胸底からの思考
岡部隆志[著]

その基底に「情・無意識」といったものがある日本社会の不合理な現実のなかで、生活者の視線に寄り添う学問をめざした柳田国男や、現実と葛藤しながら生きる意味を模索し、あるいは社会変革をめざし、または意識の深みを描いた近現代の作家たちの作品を綿密に読み込んだ近現代文芸評論集。




日本の〈メロドラマ〉映画
ローカル・ジャンルとしての〈メロドラマ〉

日本の〈メロドラマ〉映画
河野真理江[著]

戦前・戦後を通じて国民的人気のあった日本映画のジャンル〈メロドラマ〉は、どのように成立し、どこへ行ってしまったのか。
『愛染かつら』『君の名は』をはじめ、スタジオ・システムのなかで量産されていた作品を分析し、現代のフィルム・スタディーズにおける概念を参照しながら、日本的〈メロドラマ〉の歴史的・文化的特殊性を浮かび上がらせる意欲作。




俄を演じる人々
演技の共同体と演者たち

俄を演じる人々
松岡薫[著]

その年の祭礼だけで上演され、台本や記録を残さないことが多い「俄」。
世相風刺や機知に富む滑稽な芝居は、いつ頃から作られ、どのように上演されてきたのだろうか。北部九州での現地調査から、制作と上演の様子をつぶさに観察し、この即興芸能が創出される現場をリアルに捉える。



映画人が語る 日本映画史の舞台裏 [撮影現場編]
日本映画黄金時代の最前線

映画人が語る 日本映画史の舞台裏 [撮影現場編]
谷川建司[編]

大映、東映、日活、新東宝、東宝、独立プロ。それぞれの撮影現場では映画作りにどのような違いがあり、 各分野のエキスパートたちはどのように仕事をしてきたのか。
──美術、大道具、撮影技師、衣装、スクリプター、監督、殺陣師、俳優など、作品が生み出される現場で映画製作を支えてきた14名が語るエピソードから浮かび上がる、もうひとつの日本映画史!



療法としての歴史〈知〉
今と未来を生きるための処方箋《プリスクリプション》

療法としての歴史〈知〉
方法論懇話会[編]

経済の低迷とたび重なる自然災害、さらにパンデミックにもみまわれた日本では、保守化・中央集権化がいっそう進み、それに歩調を合わせるような内向きの日本礼讃と排外志向の文化・メディア状況が目立っている。
蔓延する現代日本のさまざまな〈症例〉に対して、歴史的な知見をふまえて歴史学・社会学・民族学・宗教学・思想などの人文諸学が解決策を提示するアクチュアルな試み。



テレビドラマと戦後文学
テレビドラマの青春時代

テレビドラマと戦後文学
瀬崎圭二[著]

いまから67年前、テレビは本放送を開始した。それは戦後文化の象徴の一つとなったが、当初からその大衆志向性が批判されることも多かった。そうしたテレビの青春期ともいえる1950年・60年代には、どのようなテレビドラマが制作されていたのだろうか。
当時の映像がほとんど残されていないなかで、映像が現存する「芸術祭受賞作」を中心に検討し、そこに積極的に関与した文学者と、気鋭のディレクターとが追求したテレビドラマの可能性とその時代を丹念に描く。


映画人が語る 日本映画史の舞台裏 [配給興行編]
日本映画の陰の立役者たち

映画人が語る 日本映画史の舞台裏 [配給興行編]
谷川建司[編]

「商品としての映画」に対価を支払ってもらうためには、撮影現場を離れた後も多種多様な戦略を講じる必要がある。
──光学特撮や現像のスペシャリスト、コピーライター、営業・宣伝担当者、劇場支配人など、作品の仕上げから観客に供されるまでの仕事に携わってきた15名の映画人へのインタビューで語られる様々なエピソードを通して、日本映画史を捉え直す!


歌舞伎を読む 雅の巻
歌舞伎の名台詞と名詞章を楽しむアンソロジー

歌舞伎を読む 雅の巻
大矢芳弘[編著]

*「歌舞伎を読む」は、主に今日上演されている作品を中心に、「物語」のテーマごとに一巻にまとめたアンソロジー。
*原作から台詞と詞章を大胆に抜粋しその場面の状況設定を現代語で補って読みやすくした。
*脚注では、言葉の意味や洒落の説明だけでなく、登場人物の役柄や、役者の芸の見どころ聞きどころも分かるようにていねいに説明。
*「雅の巻」は、古代史を描く王代物の巻。大和路と平安朝のものがたりを収録



演劇とメディアの20世紀
舞台と人とをつなぐもの

演劇とメディアの20世紀
神山彰[編]

20世紀の演劇を考えるとき、近代に発達した印刷や写真、音声、映像などの多種多様なメディアの存在を抜きには語れない。多くの人々が舞台や役者の記憶をとどめ、想起するときの、それらメディアの果たした役割を検討する。メディアの発達がもたらしたものとは──。


映画産業史の転換点
日本映画の再生と凋落

映画産業史の転換点
谷川建司[編]

1958年をピークに斜陽産業へと転じた日本映画界は、いかにして時代の変化に対抗・対応していったのか。映画会社の戦略、俳優の組合運動、中村錦之助が製作した幻の映画『祇園祭』(1968)をめぐる騒動など、映画を広く産業としてとらえ、作家・作品中心ではない、日本映画史のオルタナティヴを描き出す。


演劇と音楽
音・上演・社会

演劇と音楽
森佳子・奥香織・新沼智之・萩原健[編]

演劇の上演空間とは常に、観客の視覚のみならず、聴覚にも訴える情報に満ちている。視覚的なものよりも、「音」や「音楽」こそが劇場の観客に直接作用を及ぼし、強い印象を与えることもあるだろう。演劇における「音」や「音楽」、あるいは「音楽劇」そのものを対象にした最新の研究成果。


中世に架ける橋
めくるめく、中世

中世に架ける橋
松岡心平[編]

能をはじめとする中世日本の芸能・文化研究を牽引してきた編者を中心に、文学・芸能・歴史・宗教など様々な角度から中世の魅力に迫る論集。さらに1980年代から2000年代にかけて、斬新な公演活動により能楽界に刺激を与えてきた「橋の会」の活動を振り返る。


監督成瀬巳喜男
ディテイルから全体へ[没後50年]

監督成瀬巳喜男
千葉伸夫[著]

市井に暮らす人々の哀歓や機微を描いた作品で、今も評価が高い成瀬巳喜男。本書では、サイレント映画の修業時代から、「妻よ薔薇のやうに」など戦前の女性映画で頭角をあらわし、戦中・戦後の混迷とスランプを脱して、「めし」「浮雲」「流れる」などの戦後日本映画を代表する名作を送り出した成瀬のフィルモグラフィーと生涯をたどる。


スポーツ/アート
競技と美術のミッシング・リンク

スポーツ/アート
中尾拓哉[編]

スタジアムの変遷や記録との関係、芸術家の参加などオリンピックをめぐる歴史から、スポーツと美術作品の顕在的/潜在的な相互作用、さらに競技、運動、観客をとりまくテクノロジーの問題、そしてeスポーツに至るまで、美術・写真・映像・身体表現など多彩な研究者、評論家、アーティストによる様々な視点から、スポーツ/アートの境界上に新たな結びつきを探る。


ナチス映画論
禁忌と狂熱の映画史へ

ナチス映画論──ヒトラー・キッチュ・現代
渋谷哲也・夏目深雪[編]

近年、ナチスドイツ/ヒトラーを題材にした映画が多数製作・公開されている。なぜナチスは観客の興味を惹くのか?。
プロパガンダにはじまり、戦争責任の追及、悪のイコン、表象不可能性の問題を経て、ナチス表象はいま新たな段階を迎えている。
本書では、戦前から現代までのナチス映画をとりあげ、映像論、映画史、ドイツ史、キッチュ論など多角的な視点から、それらが人々を「魅了」し「熱狂」させる謎、周辺国や演劇などの他ジャンルにおよぶ余波、現在にいたるファシズムの問題を検証する。
世界各国で右傾化、排外主義の波が起こりつつある現在、私たちはナチスの表象から何を学べばよいのだろうか。巻末には主要なナチス映画50作品のガイドを掲載。


フレームの外へ
ポスト・トゥルース時代の武器となる現代映画論

フレームの外へ──現代映画のメディア批判
赤坂太輔[著]

あらゆる画面が我々を囲み、新たな「自然」となりつつある現在。文字情報に奉仕する映像と音に操られてしまわないために、我々はこの環境といかにして向き合うべきか。
フレームの「内」と「外」、画面と音声の関係を軸に、ロッセリーニ、ブレッソン、ゴダール、ストローブ=ユイレ、さらにアメリカや日本の戦後映画をたどり、ロシア、南米、中東などの先鋭的な映画作家まで、「フレームの外へ」と分析の眼差しを向ける、ポスト・トゥルース時代の現代映画論


ジャン・ルーシュ
想像の右眼、現実の左眼、複眼のシネアスト

ジャン・ルーシュ──映像人類学の越境者
千葉文夫・金子 遊[編]

シネマ・ヴェリテの創始者にして映像人類学の巨人、ジャン・ルーシュ。フランスとアフリカを往還しながら、フィクション、ドキュメンタリー、エスノロジーの枠を越え、撮影対象との「共有」のなかから作品を創り上げる手法はヌーヴェル・ヴァーグの潮流を生み出した。
そのカメラは、ファインダーを通して想像と現実を融解させ、呪術や魔術、憑依儀礼に入り込むシネ・トランスとなる。本書は、「カメラと人間」をはじめとした作家自身による代表的な著作の翻訳と、多彩な研究者、作家による論考、詳細な資料からジャン・ルーシュの広大な世界を探る。
『ジャン・ルーシュ』正誤表



転形期のメディオロジー
1950年代、メディアの変貌がもたらしたもの

転形期のメディオロジー──一九五〇年代日本の芸術とメディアの再編成
鳥羽耕史・山本直樹[編]

日本において1950年代のテレビに代表されるニューメディアの出現が、印刷媒体中心であった既存のメディアをいかに変容・再定義していったのか。
本書では、主に文学・映像・美術のジャンルにおいて、異なるメディア間での相互交流、越境、再編成と、それらが作品や表現にもたらしたものを再検討し、現代の錯綜するメディア状況を歴史化する視点を提示する。



戦時下の映画
あの時代人々は何を見たのか

戦時下の映画──日本・東アジア・ドイツ
岩本憲児・アン ニ[編]

満洲事変後、日本は中国で戦争を拡大し、やがて対米英豪蘭との戦争に突入していった。当時の映画は、娯楽としてだけでなく、ニュース映画などをとおして一大映像メディアへと急成長していた。
その影響力の大きさから、体制側は国策遂行の一環として映画に強い期待を寄せた。本書では、日本国内の映画領域と、満洲、朝鮮、台湾、中国、ドイツに関する考察を交差させ、越境的な視点から「戦時下の映画」の多様な様相を浮かび上がらせる。



写真の物語
写真史は極上の物語だ!

写真の物語──イメージ・メイキングの400年史
打林俊[著]

写真の誕生から180年。いまではさまざまなイメージがメディアに溢れ、誰もがあたりまえに接している「写真」とは本来どのようなものなのだろうか。
写真発明の前史から現代までの400年の歴史を、発明競争、技法の開発、大衆の欲望、美術やメディアとの相互関係といった観点から豊富な作品例とともにたどり、交錯する歴史から、「モノ」としての写真とその発展をめぐる人々の物語を描き出す、気鋭の写真史家による新たな写真史。作品図版も多数掲載し、入門書としても最適。




ユーモア文学と日本映画
読んで笑い、観て笑う

ユーモア文学と日本映画──近代の愉快と諷刺
岩本憲児[著]

ユーモア文学、滑稽文学、諷刺文学、喜劇映画、コメディ……。笑いを誘う文学や映画にはさまざまなジャンルや呼び方がある。
本書では、夏目漱石、佐々木邦、獅子文六、源氏鶏太、井伏鱒二の小説と映画化作品をとりあげ、その魅力や特徴をさぐる。明治・大正・昭和の笑い、ユーモア、諷刺、そしてその時代の社会観や世相はどのようなものか。



老いゆく団地
巨大団地、誕生と再生の物語

老いゆく団地──ある都営住宅の高齢化と建替え
朴承賢[著]

戦後の膨大な住宅需要のなかで、東京北区に残された広大な陸軍の火薬庫跡地に、5000戸を超える「都営桐ヶ丘団地」が誕生した。
それから約60年を経て建替えの時期を迎えたこの団地をフィールドに、当時憧れの団地に入居できた喜び、建替えがもたらす戸惑いやコミュニティのゆらぎ、高齢化と介護、孤独死の問題など、団地住民たちの声を聞き取りながら、巨大団地と住民たちの戦後の歩みと現在をつづったエスノグラフィー。



革命芸術プロレタリア文化運動
沸騰する大衆のエネルギー

革命芸術プロレタリア文化運動
中川成美・村田裕和[編]

〈プロレタリア文化運動〉は、1920年代初めから30年代前半にかけておこなわれた芸術運動・大衆啓蒙運動・地方文化運動である。
本書は、近年発掘されたガリ版刷りのビラ、チラシ、チケットなど運動の最前線で使われた多様な資料を駆使しながら、文学・運動理論・演劇・美術・宗教・メディア・ジェンダーの側面から検討し、近代資本主義の矛盾と対峙した人々の足跡を明らかにする。モダニズム研究の新局面。



興行とパトロン
舞台を支える影の力学

興行とパトロン
神山彰[編]

興行師やパトロンなどの複雑な人的交流によってつくられる「近代演劇」。開化と改良の時代から現代まで、企業資本や政財界人による近代的な整備や関与の一方で、興行師、花柳界、小芝居や村芝居など、興行をめぐる多層的世界をさぐる。
興行の夢と現実とは──。

シリーズのパンフレットはこちらからダウンロードできます。

日本のアニメーションはいかにして成立したのか
オルタナティブの日本動画史

日本のアニメーションはいかにして成立したのか
西村智弘[著]

《日本アニメーション学会賞2019》受賞
いまや日本の輸出産業となった「アニメーション」という概念は、どのようにして受容され、また変遷していったのか。
時代ごとの呼称や表現形式の分析を軸に、アマチュア作家や実験映画との関係、リミテッドアニメーションなど、これまで周縁的・境界的とされてきた創造活動に着目し、明治期から現代にいたるアニメーションの系譜をたどる。



栄花物語 歴史からの奪還
〈物語〉としての読み

栄花物語 歴史からの奪還
高橋 亨・辻 和良[編]

『栄花物語』を嚆矢とする歴史物語は、これまで文学作品と認識されつつも、「歴史書」であるともみなされてきた。
しかし、『栄花物語』が〈物語〉であることの意味を真に問うため、「歴史書」という認識をいったん傍らに置いて、『栄花物語』を徹底的に〈物語〉として読み、その論理や表現の構造を明らかにする。



源氏絵の系譜
オールカラーでたどる「源氏絵」の世界

源氏絵の系譜──平安時代から現代まで
稲本万里子[著]

国宝「源氏物語絵巻」をはじめ『源氏物語』を主題とする絵画の系譜を、平安・鎌倉時代から室町時代、桃山時代、江戸時代と時代・流派ごとにたどる。
さらに現代の源氏絵や写真作品にも触れて、「源氏絵」という一大ジャンルがくりひろげる多彩な展開を、海外で所蔵される絵も含め、オールカラーで一般の読者にもわかりやすく解説(『週刊朝日百科 絵巻で楽しむ源氏物語五十四帖』連載の単行本化)。



ローカルテレビの60年
ローカル局だからできること、ローカル局にしかできないこと

ローカルテレビの60年──地域に生きるメディアの証言集
日本大学法学部新聞学研究所[監修] 米倉律・小林義寛・小川浩一[編]

1950年代後半から60年代初頭にかけて、日本の各地域の最先発局としてテレビ放映を開始した、13の地方民放へのインタビュー集。
地方発のドキュメンタリー、命と生活を守る災害報道、独自性あふれる自社制作番組、キー局や他メディアとの関係など、開局前後から現代まで、地域に根を下ろしながら情報発信を続けたローカル局の軌跡を、当事者の証言からたどる。



日本語オペラの誕生
オペラ移入の夢と現実

日本語オペラの誕生──鴎外・逍遙から浅草オペラまで
大西由紀[著]

《第51回(2019年度)日本演劇学会河竹賞奨励賞》受賞
《第24回日本比較文学会賞(2019年)》受賞
ヴァーグナーへの憧れに突き動かされて、日本でオペラの試演が始まったのは20世紀初頭のこと。歌舞伎や能を見慣れた当時の日本人は、オペラをどのように理解/誤解し、自分たちの表現を見つけていったのか。
オペラへの野心が感じられる鴎外・逍遙の戯曲から、帝劇歌劇部を経て、お伽歌劇や浅草オペラに至るまで――。試行錯誤の中から誕生した和洋折衷の「日本語オペラ」の実態を、台本の精読をとおして明らかにする。



治癒と物語
なぜその病は、ほかでもない私におとずれたのか?

治癒と物語──南西諸島の民俗医療
東資子[著]

近代医学が自明である現代において、なお息づく沖縄の民俗医療の実態を、沖縄本島・長浜と宮古島・佐良浜におけるフィールドワークから明らかにする。
ユタやムヌスーといった沖縄の民間巫者は、なぜ人々の病いを治すことができるのか? その問いから、「人が治ること」の深淵に迫る。



リアリズムの幻想
映画は革命の武器なのか?

リアリズムの幻想──日ソ映画交流史[1925-1955]
フィオードロワ・アナスタシア[著]

映画が輝かしい発展を遂げた1920年代から1950年代、日本とソビエト連邦の映画史にはどのような接点があり、また何がその交流を動機付けていたのか。
日ソ間における映画人の交流や、セルゲイ・エイゼンシテイン、ジガ・ヴェルトフなどの理論の紹介、日ソ初の合作映画となった『大東京』(1933)や、ソビエトへの留学を経て自らの映像表現を確立した亀井文夫などの作品分析を通して、両国の知られざる文化交流の歴史をたどる。
政治状況の変化に翻弄され、イデオロギー統制や検閲にさいなまれながらも、日ソ間の交流を通して両国の映画人が求めた「リアリズム」とは何だったのか?



動く墓
人びとの葛藤をのせて、墓は海を渡る

動く墓──沖縄の都市移住者と祖先祭祀
越智郁乃[著]

「家より先に墓を建てろ」「人は借家住まいもできるが、死人の借り墓はできない」などといわれる沖縄で、人の移動に伴い墓はどのように動くのか?
沖縄戦、米軍統治、本土復帰を経て、なお変容し続ける現代沖縄の生と死のリアリティに、墓の移動からせまる。



江戸の学問と文藝世界
注釈史と文学史の連動

江戸の学問と文藝世界
鈴木健一・杉田昌彦・田中康二・西田正宏・山下久夫[編]

古典の読みは各時代における注釈の集積の上に成り立っている。一方で、各時代の文学作品は同時代の注釈のありかたと無縁ではない。
古典がどのように注釈されたかを問うことで、近世の文学作品のあり方をとらえなおす。



ストローブ=ユイレ
言葉と映像の「塊」

ストローブ=ユイレ──シネマの絶対に向けて
渋谷哲也[編]

文学・音楽・演劇・美術・歴史・思想・政治など、広範なモチーフを作品に取り入れながら、なお「映画」でしかありえない特異な演出法において極北の存在である映画作家ジャン=マリー・ストローブとダニエル・ユイレ。
多言語を駆使し、説明性を排除した難解さゆえ、ときに観客を尻込みさせる彼らの作品を、その背景や原作との関係から多角的に読み解く。



近世小説を批評する
「文学」を読む面白さとはなにか

近世小説を批評する
風間誠史

西鶴、馬琴といった近世を代表する小説家の作品を読むことの意味を問いかけ、遍歴小説のさきがけ『和荘兵衛』の奔放な想像力や、読本『板東忠義伝』の歴史的知識にもとづいた構想力など、文学史で忘れられた作品も紹介する。
研究状況に対する不断の問いかけの一方で、「文学」の面白さを追求しつづける著者の最新評論集。



ワイセツ論の政治学
「モノ」から、「脳」へ。

ワイセツ論の政治学──走れ、エロス![増補改訂版]
内藤篤

猥褻か? 芸術か? どころの騷ぎじゃない!!
チャタレイ夫人、悪徳の栄え、愛のコリーダ……、昭和の先人たちが挑んだ芸術論としての猥褻論争も今は昔。ネット社会化により混迷するワイセツ規制は、いまや「ブツ」から人々の「思考」そのものへと、その権域の拡大を試みる。海外配信から、準児童ポルノ、非実在青少年、JK リフレまで……。
「ヘア」解禁が話題となっていた1994 年に刊行された旧版を、大幅な加筆と註釈によりメタ的にリノベーション。
エンタテインメント領域を中心に活躍する弁護士であり名画座「シネマヴェーラ渋谷」館主でもある著者が、昭和から現在までの豊富な判例をもとに、今日におけるワイセツ規制の問題点を実証的に描き出す。



戦後ミュージカルの展開
ミュージカルの全体像

戦後ミュージカルの展開
日比野啓[編]

現在の日本で最も人気のある演劇ジャンル、ミュージカル。東宝・松竹の興行資本による戦後黎明期から、新劇・アングラ、劇団四季、ジャニーズ、2・5次元ミュージカルや地域市民演劇としてのものまで、多種多様な形態を初めて包括的に論じる。
日本の「ミュージカル」とは何か──

シリーズのパンフレットはこちらからダウンロードできます。

術としての生活と宗教
中国文化の根底にあるもの

術としての生活と宗教──漢民族の文化システム
渡邊欣雄

4千年以上の歴史を有し、世界最大の人口を誇る漢民族。「関係あり、組織なし」といわれる中国社会は、個々人の「コネ」によるネットワークが基盤となり、常に揺れ動きながら成立している。その動態的な関係が神や宇宙にまで及ぶ漢民族の文化システムを、「術」という観点から読み解く。
台湾、香港、大陸中国をフィールドに、40年にわたり風水、親族組織、祭祀儀礼などを追った著者の、漢民族研究集成。



歌舞伎と革命ロシア
異文化が出会ったとき

歌舞伎と革命ロシア──一九二八年左団次一座訪ソ公演と日露演劇交流
永田靖・上田洋子・内田健介[編]

1928年(昭和3)、二代目市川左団次一座はなぜソ連で歌舞伎初の海外公演を行ったのか。また、それを見たソ連の人々の反応はどのようなものだったのか。
本書は、公演実現に至るまでの日ソ双方の事情や背景をさぐるとともに、公演後にソ連から贈られた新聞・雑誌の記事や批評のスクラップブックを翻訳することによって、歌舞伎という演劇を初めて見たソ連側の関心や反応を明らかにした労作。



日本妖怪考
妖怪はどこから生まれ、どこに行くのか?

日本妖怪考──百鬼夜行から水木しげるまで
マイケル・ディラン・フォスター[著] 廣田龍平[訳]

《シカゴ民俗学賞》受賞
捕まえようとすると、するりと手から逃れていく妖怪たち。日本人はその妖怪をどのように捉え、描き、表象してきたのか。
江戸時代に編まれた百科事典や画集から、近代科学とのせめぎあい、文学や民俗学との関わり、そしてマンガなど現代メディアの中の妖怪像まで、日本の「妖怪文化」を縦横無尽に語りつくす。ニューヨーク出身のアメリカ人民俗学者による気鋭の妖怪論。


プロレタリア文学C 事件

「十五円五十銭と言ってみろ」

アンソロジー・プロレタリア文学C 事件──闇の奥へ
楜沢健[編]

関東大震災の混乱のさなかに飛び交った朝鮮人暴動のデマ。濁音の発音が苦手な朝鮮人を特定するために警察や自警団が発した質問である。
この言葉から震災を描いた壺井繁治「十五円五十銭」をはじめ、足尾鉱毒事件、済南事件、更には探偵小説風にプロレタリア文学的な事件を描いた作品まで、隠れた名作を収める。

シリーズのパンフレットはこちらからダウンロードできます。


映像の境域
表現のボーダーから探る、映画の可能性

映像の境域──アートフィルム/ワールドシネマ
金子遊

《第39回サントリー学芸賞》受賞[芸術・文学部門]
映像と言語、映像と芸術、映像と記録、政治と前衛、土地と伝統、民俗と信仰、その境域にたちあがる現代の相貌。
映像表現の可能性を拡張したアヴァンギャルド映画や、様々な問題を含みこむ現代映画をその背景から捉え直し、イメージの生成を探る、渾身の映像論集。



雑誌メディアの文化史[増補版]
雑誌メディアの軌跡をたどる

雑誌メディアの文化史──変貌する戦後パラダイム[増補版]
吉田則昭[編]

時代を生み、時代から生み落とされた雑誌の数々──。週刊誌・女性誌・総合誌・マンガ誌など、世相やライフスタイルと共振しながら、戦後の日本文化をつくりあげた雑誌メディアの軌跡をたどる。
好評・品切の2012年の初版に、マガジンハウス論とニューミュージック・マガジン論を加え、+80ページの増補版。



歌舞伎メモランダム
平成十六年から平成二十六年までの歌舞伎の記録

歌舞伎メモランダム──同時代の演劇批評
大矢芳弘[著]

歌舞伎座の建て替えとともに、歌舞伎役者の世代交代が進んだ激動の時代──。
舞台上で脚光を浴びる彼らの活躍を通して、時に癒され、時に励まされる同時代の演劇の魅力と感動を記録した劇評集。團十郎・仁左衛門・玉三郎の『三人吉三』(平成16年)から吉右衛門の『伊賀越道中双六』(平成26年)までの記録とエッセイを収録。



「アイドル」のメディア史
〈ヤング〉たちのアイドル狂騒曲

「アイドル」のメディア史──『明星』とヤングの70年代
田島悠来[著]

「新御三家」や「花の中三トリオ」などが誌面を飾るグラビアページや、ポスト団塊の世代のヤングたちが活発に議論を交わす読者ページの分析から、アイドル文化装置としての『明星』を解き明かす。


世礼国男と沖縄学の時代
沖縄学の軌跡

世礼国男と沖縄学の時代──琉球古典の探求者たち
末次智[著]

アイデンティティ探求のための郷土研究が、ナショナリズムを補完してしまうという矛盾。
戦前の沖縄学の研究者たちは、その矛盾を抱えながら、どのように考え、生きたのか。大正末から戦時下にかけて活躍した世礼国男、島袋全発、宮城真治、比嘉盛章などの新おもろ学派を中心に、伊波普猷、小野重朗なども含め、沖縄学の礎を築いた人々の事績を明らかにする。



ウチナーヤマトゥグチの研究
沖縄方言の「現在」を見定める

ウチナーヤマトゥグチの研究
座安浩史[著]

全国共通語と沖縄方言が混じり合って生まれたウチナーヤマトゥグチは、伝統的な方言の継承が難しくなった現代沖縄において、世代を越えた地域共通語としての役割を担っている。
ウチナーヤマトゥグチの助詞や文末表現に注目し、沖縄本島と八重山の用例を比較しながら、その実態を明らかにする。



演出家ピスカートアの仕事
現実世界に介入する演劇

演出家ピスカートアの仕事──ドキュメンタリー演劇の源流
萩原健[著]

《第50回日本演劇学会河竹賞奨励賞》受賞
20世紀ドイツの演出家、エルヴィーン・ピスカートアは、ブレヒトが好敵手とし、久保栄、千田是也、佐野碩が関心を寄せ、テネシー・ウィリアムズとジュディス・マリーナは師と仰いだ。
ドイツ・ソ連・アメリカで活動し、1920・60年代アヴァンギャルド演劇を牽引したキーパーソンの仕事の全体像を明らかにする。



〈老い〉の営みの人類学
老いを生きる 老いを選ぶ

〈老い〉の営みの人類学──沖縄都市部の老年者たち
菅沼文乃[著]

遊郭をその起源とし、戦後は米兵相手の歓楽街として発展しながらも、本土復帰以降は衰退の途をたどった沖縄本島の辻地域。伝統的な沖縄社会とは異なるこの町で老いを迎える人びとを、デイサービスや短期賃貸アパートでのフィールドワークから描き出す。
社会が期待する高齢者像を受けいれず、逡巡の中から自らの老いを選びとる人びとのエスノグラフィー。



「学校芸能」の民族誌
高校生たちの民俗芸能

「学校芸能」の民族誌──創造される八重山芸能
呉屋淳子[著]

「歌と踊りの島」と呼ばれ、多様な芸能を誇る八重山の島々では、高校生たちが地域の人々の力をかりて、民俗芸能継承の一翼を担っている。
学校と地域の相互行為によって創造される芸能を「学校芸能」として位置づけ、石垣島の高校でのフィールドワークから、民俗芸能の未来を描き出す。



浅草オペラ 舞台芸術と娯楽の近代
浅草オペラ誕生100年

浅草オペラ 舞台芸術と娯楽の近代
杉山千鶴・中野正昭[編]

大正時代の浅草で熱狂的な人気を博した「浅草オペラ」。
日本オペラ初期の徒花に過ぎないとする見方がある一方で、“オペラ華やかなりし頃”を懐かしむ人々も少なくない。理想的な西洋の芸術と、日本の大衆や現実の興行が出合うなかで誕生し、大正の芸術と娯楽を彩りながら、やがて昭和のモダニズム文化にもつながった浅草オペラの人と舞台を多角的にさぐる。



絵伝と縁起の近世僧坊文芸
絵で見るは地獄のほうが面白い

絵伝と縁起の近世僧坊文芸──聖なる俗伝
堤邦彦[著]

日常的な仏事や寺参りの風習が日本の全階層に行き渡ったのは、18世紀に入ってからだった。これによって寺社は、自院をアピールする縁起譚や宗祖を顕彰する高僧伝を、大衆の興味を引くものに変化させていく。
絵画化され、また伝奇性や娯楽性がふんだんに盛り込まれたそれらの文芸を「聖なる俗伝」と位置づけ、江戸中・後期の文芸と宗教の関係を解き明かす。



演劇のジャポニスム
もうひとつのジャポニスム

演劇のジャポニスム
神山彰[編]

幕末・明治期の芸人たちに始まり、無名の役者から歌舞伎俳優まで、外国人の欲望に応えて海外で演じられたさまざまな「日本」。興行的な要請のなかで曲解をふくみながら海外で演じられ、そして日本にも逆輸入された近代演劇の複雑な容貌をたどる。
彼らは何をめざして海を渡ったのか──。
彼らが追い求めた理想の演劇とは──。

シリーズのパンフレットはこちらからダウンロードできます。

異教のニューカマーたち
イスラム教・仏教・キリスト教

異教のニューカマーたち──日本における移民と宗教
三木 英[編]

200万を超える在留外国人と日本人は今いかなる関係を築いているのだろうか?
新しい隣人を深く知るために異国の地で彼らが拠り所とする信仰をフィールドワークから詳らかにする。


検閲と発禁
検閲官の爪痕

検閲と発禁──近代日本の言論統制
水沢不二夫[著]

戦前から戦中に繰り広げられた発禁をめぐる出版界と体制側の熾烈な攻防。
検閲原本に残された痕跡から思想弾圧の実態を明らかにし鴎外、芥川、未明をはじめとする作家らが検閲とどう対峙したかをさぐる。


アメリカン・アヴァンガルド・ムーヴィ
映像美学の極北へ

アメリカン・アヴァンガルド・ムーヴィ
西村智弘・金子 遊[編]

マヤ・デレン、ペーター・クーベルカ、アンディ・ウォーホル、スタン・ヴァンダービーク、マイケル・スノウ、ロバート・スミッソン、ジェームス・ベニング、ジョナス・メカス───。
世界中からアメリカに集結した才能は、シュルレアリスムからミニマリズム、パフォーミング・アーツ、コンセプチュアル・アートなど、ジャンルの境界を越えて、視覚、身体、媒体の本質を追求し、映像表現のさらなる深化と拡張をもたらした。
戦前から現代に至るアメリカ映画/美術のオルタナティヴな系譜を探る。


古代文学における思想的課題
国家と天皇制の起源へ

古代文学における思想的課題
呉哲男[著]

主に古事記・日本書紀の中で語られる古代の国家や天皇制の成立などについて、従来の歴史学や文学研究プロパーでは論じることのできなかった課題に対し、現代思想の知見との対話によって「抽象力」で迫りつつ、広く東アジア世界の中に古代日本の位相を見定める。


異類に成る
歌の言葉と神話的思考

異類に成る──歌・舞・遊びの古事記
猪股ときわ[著]

人はなぜ歌うのか。
古代日本では、歌う行為や歌の言葉によって、動物や植物など人ならざる異類と交感し、異類に成ろうとすることが行われた。『古事記』の歌に、起源譚を喚起し、動物や山川草木に働きかける、神話的思考の発動をさぐる試み。


霊と現身
銀幕にうつる日本の「無意識」とはなにか?

霊と現身──日本映画における対立の美学
ツヴィカ・セルペル[著]

日本映画のなかには、能や歌舞伎といった伝統芸能をモチーフとし、またその影響を受けた作品が多く存在する。
「対極とその調和」を軸に、黒澤明、溝口健二などの古典から、新藤兼人、今村昌平、伊丹十三、北野武まで、日本映画にみられる美意識の源流を読み解く、イスラエル人演出家・芸能研究者渾身の日本映画・文化論。


祈りの原風景
熊野の知られざる聖地

祈りの原風景──熊野の無社殿神社と自然信仰
桐村英一郎[著]

熊野の地にちらばる社殿をもたない神社群──。
簡素な石組みと灯籠の先には、天をつく巨樹、太古の噴火による大岩などが鎮座する。山中や谷深き川沿いにひっそりと残された自然崇拝の聖所をめぐり、黒潮が運んだ信仰の古層を確かめる探訪記。


戦後映画の産業空間
産業としての日本映画

戦後映画の産業空間──資本・娯楽・興行
谷川建司[編]

芸術だけが映画ではない。
映画会社の経営戦略、あの手この手の企画・宣伝、背後にある国家の政策、観客や他メディアとの関係など、資本の論理からとらえ直す、もう一つの戦後映画史。


〈境界〉を越える沖縄
越境する人と文化

〈境界〉を越える沖縄──人・文化・民俗
小熊誠[編]

日本の最南端に位置し 、独自の王国を持った沖縄には、地理的・歴史的に様々な「境界」が存在する。
変動し重層する「境界」と 、それを越えて移動する人や文化を、門中・観光・華僑・祭祀・墓・移民など、多様なトピックから描き出す。


松本俊夫著作集成T
前衛芸術論のハードコア

松本俊夫著作集成T──一九五三─一九六五
松本俊夫[著]/阪本裕文[編]

日本実験映画界の重鎮であり、理論面においても前衛芸術運動を牽引した映像作家・松本俊夫の著作を網羅した集成(全四巻)。T巻では『記録映画』や『映画批評』等の雑誌に掲載された、1953年から1965年までの松本の著作を収録し、『映像の発見』(1963)と『表現の世界』(1967)に再録された論文の初出に加え、「作家の主体ということ」をはじめとした、単行本未収録の論文・記事を含めた全124本を収録。
著作集成のパンフレットはこちらからダウンロードいただけます。

大衆文化とナショナリズム
共感と共犯の文化史

大衆文化とナショナリズム
朴順愛・谷川建司・山田奨治[編]

アニメ・音楽・映画・小説などの大衆文化は、国家やエスニックグループの境界を溶かし、〈共感の共同体〉をつくり上げてきた。しかしときにナショナリズムと共犯関係を取り結ぶこともある。
強い求心力の裏に複雑な様相をのぞかせる大衆文化に、日韓の論者がそれぞれの切り口で挑む。



日本映画におけるテクスト連関
小津安二郎 溝口健二 黒澤明 木下恵介 今井正

日本映画におけるテクスト連関──比較映画史研究
山本喜久男[著]/奥村賢・佐崎順昭[編]

戦後日本映画の黄金期を代表する小津安二郎、溝口健二、黒澤明、木下恵介、今井正の作品を、綿密なショット分析によって主に外国映画と相互比較をし、さらに他の芸術や芸能との連関にも言及しながら、テクスト間の影響関係や相互作用を明らかにする。
戦前の作品が中心だった『日本映画における外国映画の影響 比較映画史研究』(1983年)上梓後に執筆された遺稿を今回あらたに編集した。



満蒙開拓青少年義勇軍の旅路
憧れの大陸、偽りの国家

満蒙開拓青少年義勇軍の旅路──光と闇の満洲
旅の文化研究所[編]

夢と希望を抱き満州に渡った八万六千の少年たち。彼らを待っていたのは、広漠たる大地と敗戦という現実だった。
国内での募集から渡満の行程、訓練所での日々、そして引揚げという過酷な帰途まで当事者の証言と資料をもとに描く。



映画と文学 交響する想像力
メディアの協働・モードの交錯

映画と文学 交響する想像力
中村三春[編]

映画はいつの時代も文学との協働によって活性化され、文学もまた映画との交流の中で変異を遂げてきた。
川端康成原作などの〈文芸映画〉を中心に、アニメ、ミステリー、スリラーなどのジャンルも含め、映画と文学の多様な相関をとらえ直す。



「宗教」と「無宗教」の近代南島史
日本人にとって「宗教」とは何なのか?

「宗教」と「無宗教」の近代南島史──国民国家・学知・民衆
及川高[著]

「宗教」をめぐるイメージは日本の近代化に伴って形成され政治や啓蒙を介し民衆を翻弄していった。
ときに期待や熱狂を生みときに抑圧や弾圧をもたらした「宗教」イメージの変遷を奄美・沖縄を舞台にダイナミックに描き出す。



交差する歌舞伎と新劇
伝統と前衛の錯綜

交差する歌舞伎と新劇
神山彰[編]

歌舞伎と新劇は、今では漠然と対立的に捉えられているが、実際には明治期以来、横断的な人的交流があり、相互に影響・補完しあう関係にあった。さらに新派や前進座、アングラなどもふくめた、近代演劇の複合的な展開を多角的に考察する。
彼らが追い求めた理想の演劇とは──。

シリーズのパンフレットはこちらからダウンロードできます。

犀星という仮構
不純な自伝小説

犀星という仮構
能地克宜[著]

自伝小説を何度も書き換え更新していくことで自身を「仮構」として提示し続けた小説家・室生犀星。
他者と自己、虚構と事実の間を往還するその特異な方法論をよみとく。



墨痕
書は文字か形象か

墨痕──書芸術におけるモダニズムの胎動
栗本高行[著]

比田井南谷を嚆矢とする前衛書の探究。伝統を背負いながらモダニズムの波と対峙し、言語とイメージ、モノクロームと色彩の間で苦闘した書家たちの戦後があった。
上田桑鳩、宇野雪村、大澤雅休・竹胎、千代倉桜舟、青木香流、森田子龍、井上有一。
抽象表現主義、アンフォルメル、「具体」といった同時代の前衛美術との連絡や、かな交じり書への挑戦を通して「現代書」の理念を希求した表現の系譜を辿る。



熊野 海が紡ぐ近代史
開かれる熊野

熊野 海が紡ぐ近代史
稲生淳[著]

ペリー来航62年前の1791年、紀伊大島にアメリカ船レディ・ワシントン号が寄港した。
それ以降、熊野は世界史の波をその水際でかぶり続けることになる。
イギリス船ノルマントン号とトルコ軍艦エルトゥールル号の沈没、洋式灯台の建設、海外への出稼ぎや移民など、隠国(こもりく)の熊野が開かれていく過程を、世界史の視点からたどる。



日本映画の海外進出
文化的広報と国家的プロパガンダ

日本映画の海外進出──文化戦略の歴史
岩本憲児[編]

戦前の西欧に向けた輸出の試み、戦時下の満州や中国での上映の実態、『羅生門』『ゴジラ』など海外に日本映画の存在を知らせた戦後映画の登場、海外資本との合作の動向など、日本映画の海外進出の歴史をたどり、それを推進し、紹介に寄与した人々の活動を明らかにする。



ステージ・ショウの時代
舞台芸術と娯楽の近代

ステージ・ショウの時代
中野正昭[編]

20 世紀を絢爛豪華に飾った少女歌劇、レヴュー、裸ショウなど多彩な「ステージ・ショウ」の世界。
大衆社会の憧れや欲望を反映した舞台の誕生を、宝塚や浅草、丸の内など日本を中心に、ヨーロッパ、アメリカ、東アジアの都市と劇場に見る。
近代の夢見たショウとはなにか──。

シリーズのパンフレットはこちらからダウンロードできます。

忠臣蔵映画と日本人
忠臣蔵映画の全貌

忠臣蔵映画と日本人──〈雪〉と〈桜〉の美学
小松宰[著]

《第27回大衆文学研究賞大衆文化部門》受賞
100 年にもわたって作られてきた忠臣蔵映画を論じ、そこに見られる日本人の精神性や美意識をさぐる。
数多くの忠臣蔵映画の全貌がいま明らかに──。



宗教と震災
心の復興から記憶の継承へ

宗教と震災──阪神・淡路、東日本のそれから
三木英[著]

1995 年1 月17 日、阪神・淡路大震災発生……。それから20 年、宗教は被災地・被災者とどのように関わり、その経験は東日本大震災へどのように受け継がれたのか。
自らも阪神・淡路大震災で被災し、当地で慰霊行事の創出や新たな聖地の誕生をまのあたりにして きた宗教社会学者が、被災地の「それから」を報告し、記憶の風化を防ぐ方法を提言する。「宗教離れ」が指摘される現代、宗教は被災地で何ができるのか。


東アジアのクリエイティヴ産業
文化は常に政治的である

東アジアのクリエイティヴ産業──文化のポリティクス
谷川建司・須藤遙子・王向華[編]

近年、東アジアの各国が力をいれるクリエイティヴ産業。映画やアニメ、テレビ番組、出版などのコンテンツ輸出に加え、その方法論は観光などにも適用され、外貨獲得の手段となっている。
本書では、台湾、香港、中国、日本など、東アジア間の相互関係に目を向けながら、クリエイティヴ産業に内在する政治性を読みとく。


芸能的思考
同時代表現としての芸能

芸能的思考
橋本裕之[著]

「芸能」とは何か、「芸人」とはどういう存在か。それらを柳田や折口などの言説から原理的に考察する一方で、芸能にたずさわる人々の意識と、それが行なわれる場で紡ぎ出される想像力に接近する。
民俗芸能、大衆芸能、ストリップなど、ジャンルを超えて向けられたパフォーマティヴな思考とまなざしの記録。


プロレタリア文学B 戦争

戦う相手はどこにいる?

アンソロジー・プロレタリア文学B 戦争──逆らう皇軍兵士
楜沢健[編]

戦争とは何か、軍隊とは何か、国境とは何か、敵とは何か、味方とは何か……。
巧言令色の向こうにある、戦争の本当の姿に向き合ったのがプロレタリア文学だった。
戦後70年の今こそ読まれるべき隠れた名作小説に加え、戦争の暗部をえぐる川柳や詩なども収録。

シリーズのパンフレットはこちらからダウンロードできます。


〈介護小説〉の風景[増補版]
それぞれの〈老い〉・それぞれの物語

〈介護小説〉の風景──高齢社会と文学[増補版]
米村みゆき・佐々木亜紀子[編]

文学は介護をどのように描いてきたのか? そこに描かれた介護は、現代の私たちに何をなげかけるのか?
古くは明治期の漱石から、現代の村上春樹や東野圭吾までを対象に、小説内に潜む介護の受け手・担い手の声に耳をすまし、類型化を拒むひとりひとりの〈老い〉に向きあう。新たな論考、コラムを追加した増補版。


琉球史を問い直す
外的衝撃と琉球国

琉球史を問い直す──古琉球時代論
吉成直樹/高梨修・池田榮史[著]

王国成立に至る琉球の歴史は「内的発展」で説明しうるのか。
沖縄の独自性・独立性を強調するあまり打ち捨てられてきた周辺地域の動態に焦点をあて琉球史に新たな展望をひらく。


エジソンと映画の時代
映画はどのように始まったのか

エジソンと映画の時代
チャールズ・マッサー[著] 岩本憲児[編・監訳]

19 世紀末、エジソンの発明した覗き見式キネトスコープなどを機に始まった「映画の時代」。
エジソンとその映画事業に関与した人々の活動を中心に、装置の開発、映画製作、表現様式、興行、他メディアとの関係などの多様な視点から、アメリカ初期映画成立の歴 史を描く。図版多数。


絵画に焦がれた写真
寫眞は如何にして藝術となりし乎

絵画に焦がれた写真──日本写真史におけるピクトリアリズムの成立
打林 俊[著]

花王芸術・科学財団《第9回美術に関する研究奨励賞》受賞研究
《日本写真芸術学会学術賞》受賞
幕末に新たな「技術」として渡来した写真は、明治・大正期を通じ欧米での展開に共鳴しながら「芸術」としてのありようを模索する。
絵画的な画面構成によって、美術としての写真表現に挑んだピクトリアリズムの動向を、近代日本美術や展覧会制度との関係から読み解き、モダニズム写真へと至る「写真芸術」の誕生を描きだす。


琉球列島の「密貿易」と境界線
変動する境界、越境する民衆

琉球列島の「密貿易」と境界線──1949-51
小池康仁[著]

米軍占領下の琉球において、台湾・日本との間に引かれた境界線を越え、警察や占領軍の監視をかいくぐり、物資を運んだ人びとがいた──。
軍政資料や裁判記録、当事者へのインタビューなどから、戦後の復興に寄与した「密貿易」人たちの活動を明らかにし、そこに島嶼社会が自立するためのモデルを見出す。


琉歌の表現研究
琉歌成立の謎にせまる

琉歌の表現研究──和歌・オモロとの比較から
ヤナ・ウルバノヴァー[著]

八・八・八・六という独特の音韻律をもつ沖縄の抒情歌「琉歌」は、同じく沖縄の古謡である「オモロ」を母胎にして生まれたと考えられてきた。しかし本書では、「表現」とい う観点から、琉歌と和歌の徹底的な比較調査をおこない、琉歌が日本の和歌の強い影響下で成立した可能性を指摘する。
和歌から表現を借りながらも、沖縄独自の語彙を盛り込み、音韻律を変化させ、和歌を巧みに改作した琉歌の数々を鑑賞、分析する。


伏字の文化史
伏せられた自由とは

伏字の文化史──検閲・文学・出版
牧義之[著]

言論統制下の戦前から戦中にかけて活字メディアを埋めつくした不可解な記号群。
×○●△▲□■ヽゝ……検閲をかい潜り作品を世に出すための編集者・著者らの苦闘の痕跡ともいえる〈伏字〉の実態を、広汎な一次資料から明らかにする。
《日本出版学会賞奨励賞・全国大学国語国文学会賞受賞》


商業演劇の光芒
黄金時代の栄光

商業演劇の光芒
神山 彰[編]

新派、新国劇をはじめ、東宝系演劇や松竹新喜劇などの多彩な「商業演劇」は、近代演劇史のうえでなぜ語られることが少なかったのだろうか。
明治末期から戦後まで、多くの人々の記憶に鮮明に残る黄金時代の輝きをよみがえらせる。いまはなき「大劇場」の面影とともに──。

シリーズのパンフレットはこちらからダウンロードできます。


クリス・マルケル 遊動と闘争のシネアスト
記憶術の探求者

クリス・マルケル 遊動と闘争のシネアスト
港千尋[監修] 金子遊・東志保[編]

スチル写真で構成された近未来SF映画『ラ・ジュテ』や、八〇年代日本の霊性を異邦人の視点からとらえた『サン・ソレイユ』などの伝説的な作品で知られる映画作家、クリス・マルケル。 しかし 彼の創造性は映画にとどまらず、あらゆるメディアを滑らかに横断し表現されてきた、それは国境をも軽々と乗り越え、あらゆる拘束をすり抜けてゆく遊動のなかにみずからの惑星を創りだす。 ソヴィエト、ブラジル、キューバ、イスラエル、ギニア・ビサウ、中国、北朝鮮、日本そして、電脳世界まで。 映画、文学、写真、CG、インターネット、アクティヴィズム。空間とメディアを横断し創作を通して闘い続けた稀代の表現者。死後もなお注目をあつめてやまない、その謎に包まれた世界を多角的に考察する、本邦初のクリス・マルケル論集。


王朝の恋と別れ
出会いと別れの文学誌

王朝の恋と別れ──言葉と物の情愛表現
倉田実[著]

平安貴族たちの求婚・結婚・離婚の具体的な段取りや約束事とはどのようなものだったのか。物語や日記文学、和歌文学から、その男女関係・婚姻関係の生活誌的な様相と、言葉と物のやりとりが織りなす情感表現を明らかにする。

古代の禁じられた恋
五つの悲恋の物語

古代の禁じられた恋──古事記・日本書紀が紡ぐ物語
桐村英一郎[著]

「同母の兄妹・姉弟は交わってはならない」という古代社会のタブー。
それをやぶる禁断の恋に憑かれた皇子・皇女たちに訪れた結末とは?
『古事記』『日本書紀』に秘められたメッセージを読み解き、「聖」と「性」の究極ともいえる禁忌の世界へ読者をいざなう。


古代東アジアの「祈り」
超越的世界との交渉術

古代東アジアの「祈り」──宗教・習俗・占術
水口幹記[編]

いつの時代も人々は様々な願いを抱き、宗教や占いなどにすがって祈念し、願望を叶えようとしてきた。時にはネガティブな感情から呪術などを生み出してもきた。
現代にも通じる「祈り」をめぐって、古代の日本・中国・韓半島・ベトナムなどの東アジア世界で、互いに影響しつつ形成してきた知と文化を探究する。


〈志賀直哉〉の軌跡
行為体としての〈志賀直哉〉

〈志賀直哉〉の軌跡──メディアにおける作家表象
永井善久[著]

志賀直哉はいかにして「小説の神様」となり、大正・昭和のメディア空間でその威信を維持したのか。 同時代の作家評や作品を受容した人々の言説を丹念に掘り起こし、〈志賀直哉〉神格化の力学を詳らかにする。

沖縄古語の深層[増補版]


沖縄古語の深層──オモロ語の探究[増補版]
間宮厚司[著]

「グスク」「テダ」「オモロ」など、沖縄を象徴する言葉の語源をさぐり、『おもろさうし』の言語の特徴を、大和古語との比較から平易に説き明かす。
「ウリズン」などの語源論を新たに追加した増補版。


〈人〉に向きあう民俗学
民俗から人間へ

〈人〉に向きあう民俗学
門田岳久・室井康成[編]

民俗学は、ながくその研究対象を「民俗」に限定し、人間を「民俗」の容れ物としてしか扱ってこなかった。
そのような人間観から脱却し、人間そのものを捉える学問として民俗学を再出発させる。


村上春樹 表象の圏域
〈村上春樹〉の森をあるく

村上春樹 表象の圏域──『1Q84』とその周辺
米村みゆき[編]

『1Q84』を中心に、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』『ノルウェイの森』などの村上春樹の小説から、表象・ジェンダー論のメソッドを用いて新たな相貌を析出する。
多彩なアプローチにより、これまでの春樹文学の解釈を更新する画期的な一冊。


欲望の砂糖史
甘い砂糖の苦い歴史

欲望の砂糖史──近代南島アルケオロジー
原井一郎[著]

奄美・沖縄の農民が血と涙で生み出してきた世界商品「砂糖」。
コメと同様に幕藩政治を支え日本近代化にも一役買ったその知られざる貢献を最下層の農民の視点から描き出す。


忘れられた演劇
逝きし世の演劇

忘れられた演劇
神山彰[編]

明治期からモダニズムの時代を経て戦後の女剣劇まで、小芝居、女芝居、節劇、剣劇、 宗教劇、連鎖劇など、これまであまり論じられなかったさまざまな演劇領域と役者をたどる。
多くの観客を潤わせ、生涯の思い出にとどめられながら、今日では忘れ去られた演劇の記憶とは──。

シリーズのパンフレットはこちらからダウンロードできます。

中世日本の神話・文字・身体
変容する宗教的知と身体

中世日本の神話・文字・身体
小川豊生[著]

愛染王法をはじめとする密教修法の身体観、中世神話と霊性、梵字悉曇と観想・胎生学、生成する書物などを中心に、中世日本の宗教文化とテキストを探究。
神仏が出会い、新たな神話や儀礼、修法などが生み出された混沌たる中世的知のありかを見すえる。


プロレタリア文学A 蜂起

個の「さけび」から集団の「うた」へ

アンソロジー・プロレタリア文学A 蜂起──集団のエネルギー
楜沢健[編]

農村、商店、工場、駅、会社、路上……、さまざまな場所で巻き起こる、さまざまな「蜂起」。
「個人」ではなく、「集団」としてのオリジナリティーが発揮された作品に焦点をあてる。

シリーズのパンフレットはこちらからダウンロードできます。


森話社の新刊

生成する古代文学
文学生成の〈現場〉へ

生成する古代文学
津田博幸[著]

古代文学を生成の相においてとらえる観点から、『日本紀講』注釈、神秘思想による歴史叙述、宗教実践などの〈現場〉において、そこで固有に生成される文学と言語表現へと迫る。

近代沖縄の洋楽受容
伝統へのまなざし

近代沖縄の洋楽受容──伝統・創作・アイデンティティ
三島わかな[著]

廃藩置県以降の沖縄において、洋楽はどのように受容され、普及していったのか。
「異文化」である洋楽の導入と、その発想法、思考法の獲得の過程をひもとくことで、近代沖縄人のアイデンティティ再編のありようを跡づける。


恐怖の君臨
映画は現実を模倣するのか?現実が映画を模倣するのか?

恐怖の君臨──疫病・テロ・畸形のアメリカ映画
西山智則[著]

テロや感染の恐怖、侵略行為の隠蔽、9.11によるトラウマ、アメリカの抱える問題は、ときに殺人鬼やエイリアン、ゾンビとして、スクリーンのなかで何度も甦る。
神話のない国がつくりだした映画という神話を読み解き、アメリカが恐怖する、その深淵をのぞきこむ。


『おもろさうし』と群雄の世紀
おもろは「歴史」を謡うのか?

『おもろさうし』と群雄の世紀──三山時代の王たち
福寛美[著]

王朝成立以前の琉球に割拠し、文字資料を残さなかった三山の王たちの息吹を、おもろはどのように伝えているのか。
おもろにまといつく「古代」「神秘」といった神話をはぎとり、そこに残存する歴史の断片を発見する。


安部公房 メディアの越境者
メディア革命の時代を生きる

安部公房 メディアの越境者
鳥羽耕史[編]

安部公房は、小説や戯曲だけでなく、映画、ラジオ、テレビ、写真など、同時代に発展した多様なメディアと積極的に関わり、ジャンルを自在に越境しながら、自らのモチーフを表現しつづけた。
文字・映像・音声・身体表現を巧みに駆使した安部の実験的な活動をさぐる。


慰霊の系譜
ひきつがれる死者への想い

慰霊の系譜──死者を記憶する共同体
村上興匡・西村明[編]

戦争や自然災害、事故などによる死者を私たちはどのように慰め祀ってきたのか。
家族・地域・国家というレベルの異なる共同体における慰霊を系譜的に明らかにし死者をめぐる営みのゆくえを見さだめる。


剣光一閃
戦後時代劇に見る日本人の精神性と美意識

剣光一閃──戦後時代劇映画の輝き
小松宰[著]

決然と生きる時代劇の主人公たち──。時代劇とはなにを描き、なにを語ろうとしたのか。
映画史に残る名作・傑作から広く映画ファンに愛された娯楽作まで、時代劇に表れた日本人の精神構造をさぐる評論集。 [書評掲載/産経(13.12.15)・東京・中日(13.12.22)・北鹿新聞(13.11.28)・陸奥新報(13.12.4)・おおだて新報(13.12.5)]


プロレタリア文学@ 貧困
日本人の「身体の記憶」

近代日本の身体表象――演じる身体・競う身体
瀬戸邦弘・杉山千鶴[編]

近代化のなかで新たな価値観に順応し、あるいはそれに抗うかたちで民俗や舞台芸術の世界で演じられ、表現されてきた日本人の姿や、体育や競技を通して新しい日本人の身体が創造されていくありようを多角的に検討する。激動する時代のなかで伝承され、創られた「身体」とは何か。

プロレタリア文学@ 貧困

渇望の深淵から「いのち」が歌いだす

アンソロジー・プロレタリア文学@ 貧困──飢える人びと
楜沢健[編]

1920年代〜 30代に流行し、その後顧みられることの少なかったプロレタリア文学作品を、 テーマ別に全7 巻にまとめ、年2巻程度のペースで刊行。プロレタリア文学ならではのラインナップで短篇〜中篇小説、匿名の投稿小説、「壁小説」などを各巻10 本程度収録し、加えて川柳・ 短歌・俳句・詩なども収める。巻末には編者による解説を掲載。シリーズ第一巻刊行。
[書評掲載/朝日(13.9.29)・読売(13.10.8)・東京(「大波小波」13.11.14)・中日新聞(13.11.22)]

シリーズのパンフレットはこちらからダウンロードできます。

shinwasha-b.jpg(21050 byte)

Copyright (c) 2006 Shinwasha. All Right Reserved
本ホームページに掲載の記事、写真などの無断複写・転載を禁じます。